1 :
考える名無しさん:
時間は元々無く、時間は人間が作り出したものだと仮定する
↓
時計等で示される時間は基準でしかなくなる
つまり過去も未来も存在しない、時間は現在のみがあると考える
例えば我々が歩く動作をする。
我々は元居た位置から先を目指して移動している事になる。
では、さっき我々が立っていた事実は過去なのか。
そして、我々が向かう意思は未来なのか。
時間が無いと仮定したのに、過去と未来の概念が出来上がってしまった
2 :
考える名無しさん:2006/06/05(月) 23:56:44
時間なんてない。あるのは変化のみ。
3 :
考える名無しさん:2006/06/05(月) 23:59:06
時間を知りたければ自然のサイクルを求めれ
4 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 00:08:41
時間の概念は、個々の主観に依って違うが、自然界に於いて
「時間の矢」と呼ばれる、事象が存在するのは、事実。
5 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 00:11:04
時間の矢というのは変化の不可逆性ってこと。あるのは変化のみ。
6 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 00:21:31
変化…
今までの疑問が脳内解決しそうだ。
いきなりだがさんきゅ!
7 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 00:29:53
君が言う、変化とは何?
君が無いと言う、時間とは何?
8 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 00:36:32
言われてみれば、確かにそうだな。
時間とは、一定の法則(又は周期)を持つ「変化」を基準として人間が定めたものだな。
クォーツ時計なら分子の振動とか、一年なら公転の周期とか。
つ中島義道
「時間論」
10 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 00:59:05
神には全てが現前するよ。
11 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 05:37:11
運動変化する宇宙を量として理解するための観念的な存在が時間。
次元自体は自然の抽象だが、0次元、1次元・・・がそのままで存在しないのと同様に時間も自然の運動変化を量として理解するために抽象化したのが時間。
次元で自然を理解するのだが次元そのものが自然に存在するわけではない。
12 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 06:51:45
君が言ってるのは、詭弁だ
根拠を示せ
13 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 06:54:01
どこが詭弁なのか、根拠を示せ。
14 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 06:56:26
わたしは「存在しないものは存在しない。」ということを前提にしているだけだ。
存在しないものが存在することを示したら、時間不在説を撤回するよ。
15 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 08:06:11
時間については物理学者の間では諸説ある。
ホイーラーも要するに理解する道具だと述べているし、時間が存在しない可能性を示唆している科学者もいる。
科学は基礎的なところではまだまだなんだ。
大陸移動説もわたしたちのいる銀河以外に銀河は存在するという説にも二十世紀の半ばくらいに受け容れられた学説だ。
わたしは地動説に匹敵するような科学認識の転換はこれからもありうると理解している。
16 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 08:14:37
日本の科学は西洋の主流科学学説を受け容れてきた歴史でもある。
森鴎外は当時軍で大きな問題になっていた脚気を麦飯で大きな効果を挙げていた海軍を、西洋の学説と合わないということで退けている。
彼は病原菌説を採っていた。
科学は変わりうるものだし、彼の態度で日本はビタミンの発見の先駆になりうる機会を失ったと言われる。
時々宇宙論で、立証されていない学説のその中の仮定をあたかも実証されているがごとく論じている人がいる。
どうも日本の学会はまだまだ明治時代の風潮が抜け切れていないようだ。
17 :
16:2006/06/06(火) 08:23:50
時間の内以外では「変化」など起こり得ない。(そうでない「変化」を我々は理解できない)
「否、時間自体が変化だ」と言いたくなるかもしれないが、それは時間の空間化(実体化)に過ぎない。
経験から抽象化されて時間が成立するというが、経験は時間の内でのみ可能となる。(そうでない「経験」を我々は理解できない)
主観的時間はあくまで外的時間を前提とするようにしてのみ成立しうる。(「前提として成立する」との差異に留意)
「本質的に非時間的なもの」によって時間を演繹することが出来れば、時間の先所与性を否定できるが、
古来、それを実現した哲学者は存在しない。
いや、だから、その「時間の本質」が「変化」じゃないの?
つう話では?
20 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 08:35:41
21 :
ポコ:2006/06/06(火) 08:37:06
時間は二項対立が成立する為の条件だよ。
もしくは二項対立それ自体。
つまり、何かが存在する為には最低、表と裏の二項以上が必要。
そして何かが存在するとは、静止と運動の相互依存と相互排斥、相互依存が必要。
つまり、存在それ自体が矛盾で成立し、矛盾とは変化であり、運動。
変化するけど、変化それ自体は変化しないように、存在は静止と運動、の運動で成立する。
つまり、時間は存在そのもの。
更に、人間の頭で考える以上、二項対立や弁証法を無視して思考することは無理。
絶対的現在や相対的現在や、その更なる上の、真の絶対的現在だとしても、それは、やはり何かとの比較を超えて成立することは無理。
結論としては、時間人間創造説と時間絶対説の二項が螺旋運動し続ける只中に成立するのが時間。
22 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 08:41:44
時間は構成概念です
よって、物理的に存在するようなモノではなく、
現象としてのコトを指します
23 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 08:45:41
自然に矛盾は存在しない。
理解するから矛盾が出来するだけ。
ウィルスは、オレは生物、無生物のどちらかと悩むことは無い。
分類するから分類できないものが出てくる。
男と女と分類するから両性具有という分類できない人間がでてくるだけ。
両性具有者はたんに存在するだけで、分類されるためには存在しない。
自然はただただ存在するだけだ。
同じように理解しようとするから矛盾という理解になる。
24 :
ポコ:2006/06/06(火) 09:01:41
何と比較して、ただ存在するだけ、と言えるの?
比較して考えてる時点で、それは弁証法や矛盾を踏まえてはいませんか?
25 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 09:25:50
比較して考えるのは人間だろう。
矛盾も弁証法も理解するから出来するだけだよ。
次元にしても理解しようとするから必要なだけで自然に次元そのものが存在するわけではない。
26 :
ポコ:2006/06/06(火) 10:10:16
だから君は、理解することから比較した上で、理解しないことを引き出してるよね?
論理的思考とは人間の産物ではありません。
論理的思考の産物が自然であり、人間。
君は、比較を使わないで何かを語れますか?
27 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 11:23:21
たとえば運動量を量るとする。
この場合は座標原点を使う。
しかし座標原点=運動量零は実在しない。
この座標原点は理解するための道具であり、自然に存在するわけではない。
理解とはたしかに比較であることは間違いないが、比較する対象が自然に存在するとは限らない。
28 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 12:10:14
人間の理解範囲は、サムシンググレートの
理解範囲に収まってる。
ツーかぁキミラ、謙虚にナリナ
29 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 12:12:33
わたし、と自分自身を理解する。
しかしわたし自身は生まれてから大人に至る現在まで著しく変化している。
それを「わたし」という運動変化しない同一性として理解する。
科学でも運動変化しない座標原点が道具になり運動量を理解することになる。
あなた流に言えば理解の本質は運動変化しないものと比較することなのだ。
無は自然自体には存在しない。
理解は理解する行為の主体、人間の側に存在するのであり、自然には存在しない。
30 :
ポコ:2006/06/06(火) 12:23:48
自然に若し、理解つまり矛盾が無かったら、何故、自然つまり物質は
運動するの?
自然に弁証法が無かったら、自然は永遠に静止したままなはずですよ。
31 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 12:24:16
>>28 お前モナー。
久しぶりに使えるな、この言葉。
32 :
ポコ:2006/06/06(火) 12:28:49
後、自然を理解する為に、座標原点を使う、ってことは、自然を静止した
ものとして扱う、ということでしょ?
静止させるってことは、その対象が運動しているから、静止させる必要が
ある。
つまり、自然に対して静止が使える、ということは、自然に運動、つまり矛盾や弁証法
が無いと、成立しません。
33 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 12:30:09
植物や岩が理解するわけでは無いだろう。
理解は人間の行為だよ。
存在すると同時に存在しないこと、というヘーゲルの運動定義は運動自体は理解できないことを示しているだけだ。
だから存在しないもの=無で量として理解するしかないことになる。
時間は量化するための道具であり自然存在ではない。
んじゃ、夕方までいなくなる。
34 :
ポコ:2006/06/06(火) 12:44:59
時間は道具ではありません。自然存在そのものです。時間が無くても、
自然は存在する、とは言えません。
時間とは分裂です。若し、時間が無かったら、自然は分裂せず、全ての区別
が無くなります。仮に、人間が自然を理解する為に、時間によって、自然を
分裂させている、としても、元々、自然に完全に区別が無ければ、
そもそも、人間が、自然を区別することすら、出来ませんよね?
あらゆる人が、分裂の無い自然を、時間によって、区別しているとして、
何故、自然の区別のされ方は或る一定の秩序、区別を持っているのですか?
時間が本当に、人間の道具であって、自然には内在しない、としたら、
自然は完全な暗黒です。しかし、人間が時間という光によって、照らした
所、其処には、様々な区別が現れる。つまり、前もって、自然の中に、時間
による分裂が無ければ、人間が、時間によって、区別しても、其処には、
何も現れないはずです。
35 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 12:50:33
>もう二次元でしか勃起しない
まで読んだ
36 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 12:53:14
ポコちゃんが言う時間て何?
ポコちゃんが言う自然て何?
37 :
ポコ:2006/06/06(火) 13:11:19
私は、時間は、人間の認識における道具などとは考えません。
時間とは、分裂させて、運動を生み出す、正に運動です。
更に、自然、つまり物資的なものが、存在する、とは、ただ単に存在するわけ
ではありません。存在する以上、それは思考です。
思考とは、分裂させて、運動を生み出す、正に運動です。
何かが存在する、とは、それ一つだけでは存在出来ません。
存在する以上、必ず、表と裏の様な二項関係が必要です。
比較するものが無いのに、如何して、存在出来るのでしょう?
存在とは、自己と非自己の比較の連続により、成り立ちます。
つまり、存在する以上、運動します。この運動が正に、時間です。
何かが存在することと、時間の流れは同時であり、同じです。
自然、つまり物質的なものが、時間に頼らず、成立している、とは
其処に何ら、比較が無い、ということであり、全ての物質的世界は
のっぺらぼう、に成るはずであり、仮に、人がそれを理解しようとして、
分解しても、のっぺらぼう、なので、分解することが出来ません。
時間とは、存在そのものです。
時間とは、換言すれば、世界の自律神経です。
人間は意図しないでも、内臓を動かすことが出来ます。
けど、それは、脳の奥が、無意識が、意図しているから、内臓が動くのです。
自然や物質も同じです。
自然や物質の内に、思考や時間を認めない、ということは、
内臓を動かしている自律神経を否定することに似ています。
人間が意識的に行っている思考だけが、思考ではないのです。
思考とは、分裂させ、運動を生み出すことです。
それは、存在の条件であり、存在そのものです。
自然が、存在している以上、それは時間を内在します。
38 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 13:35:22
ジャー
一、文化なかの時間
二、哲学における時間
三、量子時間
にツイテ教えて!
39 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 13:39:18
洋画waking lifeを見て下さい。
最初から最後のシーンまで通して見れば時間とは何か?
の答えの一つが理解できます。
「時間は動いていて、空間は静止している」状態は容易に想像できるのに、
「時間は静止していて、空間は動いている」状態は想像できません。
これは、なぜですか。
41 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 14:11:50
>>40 ほらあれだ。。。
「クロックアップ」ばい 仮面ライダーカブト
42 :
ポコ:2006/06/06(火) 14:48:22
40さんへ。
恐らくですが、変化それ自体は変化しない、様に、変化という運動が時間、
であり、変化という運動それ自体が空間、だから、なのではないでしょうか。
プラスとマイナスの葛藤が時間であり、その運動の只中に煌くゼロが空間、
なのではないでしょうか。
世界は熱死に向かって刻々と変化している。その変化こそが時間。
エントロピー最大の状態で時間も止まる・・・だろうか?
熱的死など本当は存在しないのだよ。
>>37 >時間とは、存在そのものです。
そうです。
だから、時間が単独で、それのみで存在するということではないのです。
時間とは、存在のある一面を指して(抽出して)言われる概念である、ということです。
もし、「概念も存在する」という意味で言うなら、
お化けや妖怪、ドラゴン、麒麟、鳳凰等もまた存在する、
ということと同じ使用方法で、時間はたしかに存在する、と言えるでしょう。
46 :
◆bl6ZE9uvAk :2006/06/06(火) 16:42:45
Matrix.
Virtuai reality.
Maya.
47 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 16:52:07
一般相対論
48 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 17:15:22
存在するものしか存在しない。
存在しないものは存在しない。
論理の前提を守れば時間は存在しない。
49 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 17:35:50
47
性が抜けてますよ
一般相対性理論
50 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 19:43:51
ホント、悩まんでもいいことに悩むよな哲学は。
51 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 19:44:02
>>32 >静止させるってことは、その対象が運動しているから、静止させる必要が
ある。
だから、静止が必要だとしても、静止は現実には存在しないわけ。
>>51 いや、「静止」というのは便宜上考えられた概念に過ぎないのでは?
53 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 19:55:18
>>52 そう、便宜上考えられただけで、存在しない。
>>51 「静止」概念が成立するためには、
自然のうちにまず所与として「運動」がなければならない、というこったろ。
55 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 20:04:18
運動状態が静止状態になることはない!というこったろ
56 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 20:07:10
「静止」の概念は大昔からあったろ
現実に「静止」が存在しないと解ったのは最近の事だろ
57 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 20:12:13
自然を抽象して次元に還元して、次元で対象を理解する。
次元は自然の抽象であり、次元そのものが自然に存在するわけではない。
時間も自然の運動変化の抽象であり、他の次元と同様に時間そのものが自然に存在するわけではない。
他の次元も大きさが無く、幅が無く、厚みが無い。
四次元である時間も幅が無い。
時間は自然の運動変化の抽象であり、時間で運動変化を理解するのであり、他の次元と同様に時間そのものが実在するわけではない。
58 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 20:13:32
>>56 自然は運動し、静止は存在しない。
つまり自然は無矛盾であるということ。
59 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 20:19:33
ホント、哲学って抽象的な言い回しばっかり・・・
60 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 20:21:09
ベルクソンを読め
>>53 いや、便宜上考えられたものであれば、
その便宜が満たされさえすれば、存在しているといえるのでじゃないの?
便宜上の概念なんだから、その存在にそれ以外の要件は必要ないはずでしょう。
62 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 20:27:24
現実には存在し無いでしょう。
大きさの無い数はどんなに理解に役立っても存在しない。
63 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 20:29:32
静止は便宜上考えられた存在であり、どこにも存在し得ない。
「現実に存在する」って具体的にはどういうこと?
「静止」以外の概念なら「現実に存在する」ものって何かあるの?
65 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 20:36:46
>>49 相対性理論を略すときは相対論て言うのだよ、覚えてね坊や
66 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 20:38:33
静止系と慣性系は区別できない。絶対静止系は定義できない。
67 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 20:41:07
68 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 20:44:55
今、俺の前にある空き缶は、一見して静止しているが
69 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 21:08:11
つうか、静止が存在したら自然が無矛盾でなくなるから。
70 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 21:08:33
良スレ レベル高い
71 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 21:13:08
>>67 お前は俺のちょっとした気の迷いだ。明日の朝には消えている。
72 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 21:22:49
自然が無矛盾であると仮定するとカント、ゼノン、現代科学の諸難問が解ける。
そもそも「自然」って何ですか。
静止が矛盾で運動が無矛盾って、何のことですか。
誰かちゃんとわかるように説明してください。
74 :
1:2006/06/06(火) 22:16:44
今日一日、この事について考えたが、このスレがいいヒントになって、
こんな考えになった。
時間とは二種類あって、
人間が作り出した時計等で示される時間と、
頭の中にある「意思と記憶」が生み出す、時間がある。
つまり、
1、人間が作り出した時計等で示されている時間は架空の物。よって実在しない。
2、時間とは頭の中の「意思と記憶」が生み出しているもので、やはりこの空間には実在しない。
この二つの時間を混同することで意見が分かれるのだと思う。
世界がある。
違いはあるが境界はなさそうだ。
区別し分類して理解する。
その結果、静止した概念が出来る。
生と死の間の劣化が時間
77 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 22:34:10
>>75 そうなんじゃね?
世界に最小単位は無いし、空間にも時間にも終始は存在しない。
空間は永遠。時間は運動変化を量にして理解するだけ。
理由は自然に存在せず人間に存在するだけ。
カントの二律背反は自然とそれを理解する人間の認識の問題。
78 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 22:35:21
生も死も存在しない。
物理的には。
空間にも時間にも終始が存在するかどうかは「わからない」。
理由は、同様の現象の予測について有意。
ただし、現象の観測が正しいかどうかわからないし、
そもそも、対象の現象が実在するかどうかもわからない。
80 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 22:48:14
21世紀どころか、19世紀から抜け出せない香具師ばかりだなw
81 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 22:50:25
一人でしてろや。
83 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 22:58:02
>>81 アホはアホだから鉄板にいるんだお。無理無理w
85 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 23:09:53
予備知識のある人間は、まず自分の意見とスタンスを示してくれ。
学会で提唱されてるから鵜呑みにしていい訳ではない。再検証も必要な作業だ
86 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 23:55:38
時間と空間の対称性や時空と重力場との関係について、多くの事が解っているのに、
相変わらず、架空のパラメータだとか記憶のインデクスだとか、前々世紀の遺物並の
ゴタクを延々繰り返しているのを見てると、暗澹としてくる。
>>86 いや、そういうこと言ってるから、
>>80 みたいなこと言われるんだよ。
88 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 00:08:38
世界に最小単位がないってのは笑えるね。やっぱり19世紀の遺物だ藁。
89 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 01:24:29
>>86その「多くのこと」を噛み砕いて説明する事がこのスレに必要なんだよ。
、無知の一言で切り捨てるのは非生産的だ。単なる批評は必要ない。
全体の質を高めるために自分にできる事があるならやるべきだと思うよ。
90 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 01:39:07
だが、相対論すらやる気はないんだろ?
93 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 01:56:02
俺がその唯一のサンプルだ!
でも興味がないわけじゃないから
1ヶ月以内ぐらいに一読する!
95 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 03:28:59
最小単位が無い、というのはその相対論が根拠なんだが。
96 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 03:41:09
相対論の後年のアインシュタイン、量子力学のディラックは真空、何も無い状態は無いと述べている。
エーテルは否定されたでは無いか、と言われるかもしれない。
それはそうだが、それは光速度を変えるエーテルという意味ではたしかにそんなのは存在し無い。
しかしそれは物理的存在の否定を必ずしも意味しない。
絶対座標は存在しても認識できないという。
しかしそうではない。
そんなのは存在しないのだ。
97 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 03:45:41
無いものは無く、あるものだけがあるとしたら、絶対座標=運動量無は存在してはならない。
ここで科学は無矛盾な世界観を手にする。
つまり自然存在はすべて運動する、つまり自然は運動するエネルギーの濃淡でしかないということだ。
観測問題の解決策は、粒子は波が渦状になっただけ、つまり粒子は波の一形態に過ぎないということだ。
わたしたちはその渦を粒子として認識しているだけである。
つまり最小単位は、相対性理論と量子力学に従えば存在しない。
98 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 03:50:01
べつに奇態な考えではない。
何人かの科学者は粒子を波の一形態と理解しようとしている。
カントの二律背反は自然と認識の問題だと理解している。
科学方程式はどんなにその理論が有効でも座標原点と無限をカットして理解すべきなのだ。
99 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 03:52:27
特殊相対性理論は人間の認識もまた相対的でしかないことを意味している。
まさに<相対>性理論、ということだ。
100時間ゲット
一応、カント−ベルクソンのレベルから話を始めないか?
感性の先験的カテゴリーから持続の概念へ、ということで。
哲学上の時間論てここからあんまり進歩してない気がする
102 :
ポコ:2006/06/07(水) 09:01:14
自然に時間が内在していなかったら、運動自体が発生しません。
自然は運動です。
しかし、運動は、無区別の状態では発生しません。
時間とは区別の連続状態です。
仮に、時間が人間と自然を繋げる為の道具や媒体、関係の線だとしても、少なくとも、人間と自然の両項は共通の場に居ないと、関係自体が結べません。
では、その共通の場とは何でしょうか?
仮にそれを、存在性や空間性だとします。
しかし、存在や空間ですらも、何か比較するもの、つまり区別が無いと、成立しません。
比較するものが無いのに、どうして、それはそれとして有り得るでしょうか?
有り得ません。
つまり、分裂や区別の連続を抜きに成り立つものはありません。
時間とは区別の連続状態です。
自然は存在です。
存在は区別の連続状態、つまり運動です。
自然は時間です。
時間は人間が認識の道具として作ったものではありません。
時間は存在の必要十分条件です。
後、一つ感じたのは、「時間」の捉え方が違うだけで、別に意見はそんなに遠く無いのではないでしょうか?
しかし、仮に時間や概念が、人間が自然を理解する為に使ってるものだとして、では何故、それが発生するのかを考えて欲しいです。
人間と自然に本当に関係性が無かったら、私はそれを見ることすら、出来ません。
つまり、そこには何らかの先取りされた関係性、運動が必要です。
両項を前もって包み込んでいる何かが。
それを私は、根本的な運動性、時間性として「時間」と呼んでいます。
103 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 09:41:45
104 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 10:06:01
人間は自然の一部だよ。
しかし認識はそのまま自然を反映するわけではない。
根拠は単純で、存在するものだけが存在し、存在しないものは存在しない、ということだけ。
105 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 10:16:13
>>95 最終的に一般相対論と量子論は相容れず、どっちが正しいかとなれば、後者。
>>97 波束という考え方が悪いとは思わないが、波動性も粒子性も性質であり、どちらかでどちらかを
描像として説明しなければならないものではない。不正確になる。
h/2πは最小単位。
>>104 >しかし認識はそのまま自然を反映するわけではない。
それなら、自然自体については何もわからないんでしょ。
それでどうして「認識はそのまま自然を反映するわけではない」と
「認識」できるんですか?
神の存在証明と同じ泥沼に入り込んでるなw
108 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 12:02:10
>>106 何もわからないとは言ってはいない。
ある理論が立証されるのは予測が実証されることだ。
ニュートン力学は冥王星(?)、一般相対性理論は水星のズレが予測値と一致したからと言われている。
これらはそれぞれの理論が現実をある範囲で正当に反映しているからだ。
認識が相対的であることは特殊相対性理論が示す。
絶対座標は実在してはならない。
なぜなら運動量の「無」が存在することになる。
「存在しないものは存在しない。」という大前提がある。
無が幾ら集まっても大きさを形成するわけではない。
自然に無は存在しない。
つまり座標原点という存在しないもので運動量を認識することになる。
しかしこれらは存在しない無で理解するのだから、まさに「そのまま」認識できるわけではない。
つまり相対的にしか認識できない、ということ。
相対的に認識するということは、この特殊相対性理論ではじめて<認識>するわけ。
認識対象である自然は無矛盾だが、認識というのは元々矛盾なんだ。
109 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 12:04:36
相対的であることが絶対的である。
これは認識するから矛盾が出来するだけ。
110 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 14:07:48
特殊相対論の「認識」は、あくまで古典論的認識のうちだからね。
相対的にでも確定的に認識できるものかあるとして見てるわけで、EPRなどの観測問題とは
別物だから。
>>108 ちっとも意味わかりません。
「予測」とか「立証」とか「実証」って、全部認識の側の話でしょ。
「冥王星」とか「水星」とか、それがどう動くとか動かないとかだって、
全部認識の側の話でしょ。
それが「自然」だか「現実」だかを、「ある範囲で正当に反映しているが、
そのまま反映しているわけではない」って、どうしてわかるんですか?
>自然に無は存在しない。
>認識対象である自然は無矛盾だが
いやだから、どうしてそんなことが認識できるんですか?
112 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 14:49:38
>>110 もう少し詳しく解説お願いします。
誤解しているかもしれないので。
113 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 15:18:52
>>105 >h/2πは最小単位。
これは認識可能という意味での最小単位でしょう?
114 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 15:42:42
竹内薫なんていう科学者はゼノンの逆説を真剣に考えていますよね。
(「トンデモ科学の世界」茂木健一郎氏との共著)
それと時間が存在しない可能性を示唆している科学者もいます。
ホイーラーも、要するに時間は運動を理解する道具だということを述べています。
わたし自身は認識としての最小単位は自然の最小単位を意味しないと理解しています。
115 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 16:08:39
わたしは自然を無矛盾に理解したいだけでね。
存在しないものは存在しない、存在するものだけが存在する。
自然を運動するエネルギーの濃淡と理解すると、ゼノン、カント、観測問題も解ける。
重力も諸力も違う理解に解消できる。
次元なんてのは理解する道具だと理解すればよい。
宇宙は無限で、ただただ存在するだけであり、理解は自然の一部である人間のものです。
116 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 16:18:28
むむじゅんて言いにくい
相変わらず物理を知らんようだなw
118 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 18:10:30
最小単位というのは、ここからここまでが存在するということじゃないのかな?
でも現実にはここからここまでというのは存在しない。
それに今から、というのも存在し無いだろう。
わたしには認識する上での最小単位は存在するが自然に存在するとは思えない。
>>102 連続を区別する、ならいいけど
区別が連続する、は矛盾では?
事実上、主観にとっては区別が連続として認識されているかもしれないが。
しかし、時間がないって、言ってるヤツがなんで空間があると、
アプリオリに信じちゃってんの。
むしろ、現実には空間がなくて、時間だけがある・・・。
空間とは、むしろ循環する時間に過ぎない。ww
121 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 22:09:39
122 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 22:25:03
運動する自然を理解する。
自然を理解するのには数、つまり次元が必要だ。
宇宙には無限の広がりが存在している。
この無限の広がりを存在しない座標原点で三次元として理解するだけだ。
有限は認識を媒介にした無限の在り方だ。
つまり有限なんてのは自然には存在しない、ということだ。
実際にはその広がりを理解するのは相対的にしか可能ではない。
つまり、ここからここまで、という「ここ」の認識は相対的だから。
時間も幻想だが、空間も幻想に過ぎんのだよ
幻想でないものってあるの?
>>102 言わんとするところをこっちが誤解してるかもしれない。
区別の連続状態というのをもう少し説明してください。
本当にエーテルは存在しないと思ってるのかね?
127 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 03:58:40
光速度一定の法則は成立する。
しかしアインシュタインやディラックが述べるように真空は存在しない。
エーテルが物理的存在という意味なら存在する。
しかしマイケルソンの実験が検出しようとしたようなエーテルならば存在しない。
128 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 04:37:29
今 家の時計は 4時37分
129 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 06:06:49
感性の先験的カテゴリーで済ますわけにはいかないの?
130 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/08(木) 06:29:10
単なる変化の指標。
これはカウント5でこう変化する、みたいな。
タイミングを計るには欠かせない概念。
131 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 09:41:19
>>130 あなたが言うのは質的変化を意味するだろうけど変化自体は常態。。
132 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 10:21:59
この議題の答えが解ったとして、その答えよって私たちは何を得ることができるのですか?
私はそれが一番知りたい。
別にこの板を侮辱しているのではなく真剣に哲学の先にあるものを知りたいんです。
誰か教えていただけませんでしょうか。
申し訳ありませんが私は知識がありませんので解りやすい言葉でお願いします。
133 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 10:30:06
>>132 子供たちの
「なんでだろう?」「これなあに?」
まで否定しかねない意見だなw
不思議な事、興味のある事については、
素直に、知りたいと思わないかい?
しかし、時間抜きで「変化」が定義できるのか。
135 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 11:51:43
でも学問になるくらいだから子供のこれなに?とはレベルが違うと思うけど、
そうだったのかーで終わり?知った次の段階は?
>>135 それぞれでしょ。
商売に使えないかとか、医療に利用できないかとか、
教育の現場で教えるのはどうだろうかとか、子供にも解るようにするにはどうしたらいいかとか、
諸宗教の中の者なら教義との関連はどうなるだろうかとか・・・etc.
いろんな発明品とかだって、誰かが既存の理論等を目にして
「お、もしかして、これってこういう風に利用したら優れもんじゃね?」
って感じで思いつかれたものだったりするんじゃないのかな。
ま、時間の正体にそうした利用法があるかどうかは疑わしいが・・・w
けど、知的好奇心をくすぐる題材ではある。
137 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 12:28:51
それがわからないんです!
利用法がわからないんです。
特に将来の糧になるわけではないなら不毛な気もするし・・・
すいません、否定するわけではないんですよ。むしろ興味があるんです。
僕のこの疑問も同じなのかもしれませんが。
138 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 13:13:35
理解したいだけじゃないの?
何で生きるの?と言われても、生きることに理由は無い。
根本的に自然そのものに理由は無い。
理由を付与するのは人間だから。
139 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/08(木) 14:16:34
変化は常態で最終的にデジタルに収まらないって主張かな。
だけど世の中はそこまでこまやかじゃないですね。
だから時間概念によるタイミングは今のところ有益と認めるてりゃいいんです。
じゃあ逆にそれが認められない局面ってなんだろう。
すべての悲劇、たとえばチャレンジャーの爆発とかにからめることもできるだろうけど
だから何なのか?
宇宙ロケットを打ち上げるなってことなのか。
そんな主張に何の見返りが期待できるのか。
140 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 14:49:06
>だから時間概念によるタイミングは今のところ有益と認めるてりゃいいんです。
有効性自体は否定しない。
というかそれは便利だから受け容れる。
でも座標原点は理解に便利だけど、存在すると言われると拒否する。
141 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/08(木) 15:00:32
確かに世界時計だって絶対正確とは言い切れない。
そういう意味ではアンリアルだと思う。
ただ、だから何なのか?
142 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 15:31:08
絶対正確ではない、というこのことを理解すれば良いんじゃね?
143 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/08(木) 15:46:35
あんたの時計は電池が切れてるよとかならともかく
もし時計自体を捨てろなどいう主張ならどんな根拠があるやら興味深い。
144 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 16:16:28
AさんとBさんに、別室でそれぞれ目をつぶって貰い脈拍を数えて貰う。
Cさんは時計で1分を計る。
さて、AさんとBさんには同じ時間が流れているだろうか?
同じ拍数になるだろうか?
AさんとBさんに、別室でそれぞれ目をつぶって貰う。
Cさんは時計で1分を計る。
それ以上の指示は出さない。その代わり、
Aさんには、ガラスを爪で擦る音を聞かせる。
Bさんにはリラクゼーション風の音楽を聞かせる。
さて、AさんとBさんには同じ時間が流れているだろうか?
二人は、1分を早いと感じるだろうか?遅いと感じるだろうか?
もし、一方が早いと感じ一方が遅いと感じた時、
二つの部屋には異なった時間が流れていたのだろうか?
もし、Cさんが「1分だよw」と教えなかったら、二人はそれを1分だと思うだろうか?
そもそも、その1分もCさんの時計なわけだが、時計を用意したDさんが、
細工のされた、他の製品より進みが遅い時計をCさんに渡していたらどうであろうか?
AさんBさんCさんは、時間の経過をまったく不正確に受けとめたことになる。
分なり秒なり時間なりの単位やスパンは、アプリオリに在る物だろうか?
所詮、恣意的な単位に過ぎないとすれば、そうではない時間とは何であろうか?
正確な時間はどこにあるのだろうか?Dさんの時計?それともEさん?Fさん?Gさん?Hさん?
Aさんの鼓動?Bさんの鼓動?Cさんの鼓動?
砂時計?電波時計?原子時計?日時計?地球の自転?公転?放射性元素の崩壊のスピード?
なにかを基準に持ってこなければ認識し得ない?
絶対的な唯一の基準はどこにあるだろうか?
145 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 16:18:51
相対的な認識しか可能で無いからね。
146 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/08(木) 16:26:00
だから絶対でなけりゃなんなのか。
時計を使うなと?
147 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 16:38:13
相対的であることを認識すればそれでOK。
148 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 16:40:15
>>146 日常での話じゃないだろw
仏教では、無我と言い、固定的(永遠普遍の拠り所としての)自分は無いと言う。
けれども、日常では自己を立てないと他者とコミュニケートできない。
便宜上仮に設定するわけだ。
長さだってそうだろ?自分の体のサイズ(指や腕を広げた幅とか身長とか)を基準にしてもいいわけだ。
でも、それじゃ支障がありまくりんぐでそwww
何かしら基準や単位がないと互換性がない。
ま、尺貫、メートル、グラム、ポンド、ガロン、合・升・斗、リットルetc.etc.
誤差の無い変換にはならないわけだが・・・。
149 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/08(木) 17:03:15
でも五輪の百メートル走なんかはおなじ時が支配してるよね。
走者ごとに異なる時計を用いてるわけじゃない。
150 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 17:08:58
151 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/08(木) 17:15:25
いや、だから時間は変化の指標として機能してるでしょ。
152 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 17:26:59
変化を認識するために
時間をつくった
153 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 17:43:05
154 :
短パン:2006/06/08(木) 18:01:20
俺は、全然、まるで、そう思わなかったし、
そう思う生き方にも、なりそうに無い。
なので、その心中を知ってみたいと思う事は在る。
・・・そんだけ。
155 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 18:08:11
誤爆?
156 :
ポコ:2006/06/08(木) 19:10:10
何度でも言います。
時間は道具ではありません。
全人類が死んだら、時間が無くなるとでも言いたいの?
無時間という規定は有時間との比較でしか成立しません。
時間を道具だと言う人は「左は無い、右だけが存在する」と言うのと同じです。
人間の思惟が宇宙の生成に無関係だと考えるのは余りにも無学です。
かのアインシュタイですら晩年「宇宙とは巨大な思惟体なのでは?」と着想しました。
根本的には、自然は点と線として見られますが、仮にそれですら人間の思惟だとして、何故、それらは点や線に成れるのでしょうか?
人間が何かレッテルを貼る前に、先取りされた印が無いと、レッテルを貼ることすら出来ません。
印である為には、少なくとも二分法を含みます。
二分法が正に時間と空間を創ります。
本当、前にも書きましたが、レッテルを貼る側と貼られる側に何らかの先取りされた関係性が無くては、貼ることすら出来ません。
時間を理解の道具だと考える前に、では何故、時間は、いわゆる時間という形式なのか、を考えて欲しいです。
この世には二種類の時間があります。
道具としての時間と、道具を道具足らしめる原材としての時間です。
人間の直感形式を自然から引き抜いたら、自然はぐちゃぐちゃに成るとでも思っているの?
後、時間を道具だと言う人の最大の誤解は、時間を単なる人間側の都合の産物(思惟)としながら、同じ人間の都合の産物(思惟)である自然を、別次元にしようとすることです。
これは、同じ親から産まれた双子や兄弟を、無血縁と言うのと同じです。
思惟と物理を分離し、あたかも物理が真なる物理であるかの様に見なしてますが、両項とも、基盤は思惟です。
あくまで私達は人間の思惟の中で思惟しています。
つまり、その限りにおける自然は、正に思惟であり、時間から分離することは出来ません。
157 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 19:17:08
人間がいても時間なんて無いんだが。
158 :
ポコ:2006/06/08(木) 19:27:16
だから、時間が無いと言うのは二分法を否定することだってば。
時間が無くて、全てが一つだとして、二分法無しで、運動はどうやって自分が一つであることを知るの?
後、「良く時間は無い」って言うけど、その無の概念は何処から来たのでしょうか?
無を説明出来ない限り、無時間という絶対無の状態を示すことは出来ません。
159 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 19:35:10
違うよ、自己言及の場合は自己を他者として扱う。
少し時間を置こう。
160 :
ポコ:2006/06/08(木) 19:41:23
だから、それを私は二分法であり、時間だって思ってるんだけどな〜。
>>160 正確に言うなら、時間は
「ない」のでなく「変化」というもう一つ根源の概念へ変換可能だということじゃないかな。
時間は、分割不能な分析不能な最終概念ではないという意味では?
「時間が【在る】」と言った時の【在る】は、一般の「在る」とは異質である、と。
それを、物質が「在る」かの如く、何かがある空間を占めるが如くに「在る」
と言う輩が2chには多いから、反動として売り言葉に買い言葉になっちゃうとか・・・。
・・・・いや、【在る】ことそのものが【時間】なわけで・・・
つまり、『私は時間』なわけだ。『りんごは時間』であるし『ぬこも時間』だ。
貴方も時間、金魚も時間、地球も時間、太陽も時間、宇宙も時間、
かわいい彼女もやっぱり時間!
162 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 20:10:34
確認だけど。
時間というのは、普通に言われる一秒とかそういう単位が現実にあるとあなたがたは主張しているわけ?
163 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 20:15:15
>時間は、分割不能な分析不能な最終概念ではないという意味では?
ああ、そういうことだよね。
運動変化する自然を理解する媒介であり、運動変化の量を認識する。
次元として分析して理解するのだが、次元そのものは実在を抽象したものであり、実在ではない。
164 :
短パン:2006/06/08(木) 20:17:18
>>ポコ
違うな。
悪いけど、
165 :
短パン:2006/06/08(木) 20:24:05
例え、何億回繰り返されようと、
違うものは「違う。」
時を超え、人を変えてまでも、否定されるものは永遠に否定されるんだよ・・・
別に、繰り返しは正義じゃないぞ?
そこに正しさが見えない限り、嘘だから・・・。
166 :
短パン:2006/06/08(木) 20:38:35
ま・俺がそもそも嘘なんだがな。(そこかっ!)
167 :
ポコ:2006/06/08(木) 21:01:13
時間は無いでしょうか?
私には、二分法無くしては何も存在出来ない、という信念があります。
二分法は嘘でしょうか?
仮に時間が、時間の裏側という実体の仮象としてでも、仮象と実体は一対としてでしか、お互いは有り得ないと思っています。
時間を嘘や仮象と言うことは別に構いません。
ただ、私の思ってる時間と、時間を仮象と思ってる人の時間は違うみたい。
時間は有る、時間は無い、両方言えます。
けど、それは有と無が一対として初めて、お互いが有り得る、という二分法に基づきます。
この二分法を私は時間だと考えています。
全ては有り続け、無き続ける。
つまり、有るか無いかの思索は終れません。
どちらかを取れば、片方が自動的に現れる。
つまり、私達の思考が二分法を超えられない以上、どちらとも断言出来ません。
仮に有と無を同時に思考し、無時間に達することが出来ても、それはやはり、嘗ての有時間との比較です。
二分法は嘘でしょうか?
見詰め合う時は永遠という人もいる
169 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 21:10:57
超えられないのに二分法とはっきり分かるだろうか。
170 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 21:22:40
二分法は便宜でしょう。
静止は実在しないのに、静止を媒介に理解しなければならない。
わたしという対象を認識し表現する場合、自己は他者です。
しかし現実として自己が他者というのはありえない。
これと同じです。
171 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 21:29:15
誰か時間を含まない相対論的運動方程式でもかいてみろよw
---
うんどう 0 【運動】
(名)スル
(1)物体が、時間の経過とともに空間内の位置を変える現象。
三省堂提供「大辞林 第二版」より
---
まあ、この定義をみとめるなら運動も存在しないということになるな。
二分法で完結しているのに、わざわざ超えることで説明することになるので、
矛盾があるからだろうと考える。だから、不変を考えたりする。
二分法であるから、一致することが注意されるのであり、二分は一つのもので
はない。二分が超越で説明したとしてもよいだろうけど、二分が無くなったか
らだと考えるならば、一体どのようなものを説明しているのだろう。
だから、超えられることになるかもしれない、しかし、二分法が無くなるとい
う訳ではない。
二分法に秩序がある。それについて習慣と呼ばれたり、矛盾律と考えたりす
るのである。とはいえ、二分しているものが習慣的なこととして考えられたり
、矛盾律で整理してあるとしても、確かにそうであるとしても、そのようなこ
とから、二つにするのなら、何の為に二分することになるのだろう。
175 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:03:05
自然には初めから切り取り線がある?
魚を三枚に下ろしてるのを見たりするとそう思うこともある。
なるほど。
179 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:10:49
時間は左脳(デジタル、スカラー、粒子)で認識するものだ。
動物には時間という概念は存在しない。+−すらない。イメージという右脳のみ。
では時間は存在するのか?
人間には存在する。機械にも存在する。
しかし、左脳を持たない動物には存在しない。捉えることができないのかもしれない。
180 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:12:45
>>172 >(1)物体が、時間の経過とともに空間内の位置を変える現象。
だから、静止している存在なんて無いだろう?
座標原点は運動量零だけど、これは仮であり、現実には運動している
まず運動ありき、ということなんだ。
二分法としていうのなら、存在を無で捉えるわけだ。
しかしこの無は文字通りの無であり現実には存在しない。
存在、無という二分法というわけだが、二分法自体は自然の一部である人間が観念の中で為すことであり自然に二分法が存在するわけではない。
181 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:12:49
時々時間が存在しない人間もいる
言語記号による自然の切り取り方がでたらめだって言う人がいるけど
ほとんど決まっているようである・・・
183 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:17:00
空間(アナログ、ベクトル、波動)は右脳で捉えるもの。
機械には空間という概念は存在しない。+でも−でもない〜という矛盾を捉えることができない。+−のみ。
では空間は存在するのか?
人間には存在する。動物にも存在する。
しかし、右脳を持たない機械には存在しない。捉えることができないのかもしれない。
184 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:30:08
時間とは、行動に前と後をつけるものです。
エントロピー増大の法則です。
186 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:32:50
>>171 >誰か時間を含まない相対論的運動方程式でもかいてみろよw
時間で理解できることは認めているんだよ。
だからと言って時間が存在するわけではない。
187 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:34:42
次元で理解するのだが、次元が存在するわけではない。
零次元なんて存在し無いだろう?
これと同じことだ。
出発点は理解するうえで必要なだけ。
動かないのでそんな法則いらない生活。
だから、数学が数学の正しさを数学から導き出せないように、
人間も人間の認識の正しさを人間の認識から導き出せないって話しだろ。
でも、一つ言えること。コミュニケーションの場(現象世界)
こそもっとも人間的であることを考えれば、時間の概念を否定して生活することはできないんだがね。
190 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:50:10
そりゃ時間の概念自体は必要だよ。
でもそれが存在するとは限らないということなんだけどね。
191 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:54:12
自然が理解できるならば矛盾してはならない。
存在しないものは存在しない、という前提は絶対座標を否定すれば成立する。
つまり認識できないのではなく存在しない。
しかしこのことによって認識は相対的真理であることになる。
192 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:56:32
>>191 それはどうだろうね。俺は平均的日本人はやっぱりいると思うがね。
君のは単なる還元主義だと思うよ。
193 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:07:45
還元主義は必要だけどね。
194 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:14:02
マクロな見方も必要さ。
温度だって、運動エネルギーとして考えるより
感じるものとして
熱い寒いでやってった方が全然イイ
>存在しないものは存在しない、という前提は絶対座標を否定すれば成立する。
存在しないものは存在しない、って、単なる同語反復でしょ。
絶対座標を肯定すると、存在しないものが存在することになるの?
それと時間と、何の関係があるの?
196 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:20:13
>>195 存在せず、存在する。
この理屈を理解できないか?
建前にとらわれていると、狭い考えしかできなくなるものだ
もっと広い、遠くの位置から客観的に多面から見てみたらどうだろう?
ポコたん、
『時間が無い』というのは『実在・実体として無い』ということではないかな。
また、『在る』としたときにどのように在るかというと、
『存在の一側面として見出せるもの(=変化)』として。
その意味でいけば『在る』と言っていい。
ただしそれは、『時間=存在=変化=運動』であることに他ならない。
もう一度書く。
『私=時間』なのだよ。この世に、変化無きものは無い。
198 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:24:58
ポコの言っていることがいちばんよくわかる。
時間=二分法=存在というのもよくわかる。
>>167 >二分法は嘘でしょうか?
何かを「分けて(差異として)」考えることができるのは、それに先立つ
同一性が考えられるからだよね。で、そう考えた瞬間に、また「差異」と
「同一」という二分法が発生している。
この場合、「差異と同一のいずれが本源的か」と構えるのではなくて、
差異と同一の間の「循環」のなかに、「いかに正しく入り込むか」
と構えるべき(ハイデガー)ってことじゃだめ?
二分法が根源的かどうか、時間は存在するかどうかは、語っても仕方が
ないような事柄だと思うんだけど。
時間の時間性そのものって、語りえないが示しうるもの(ウィトゲンシュタイン)
に属すると思う。
語るなと言っているのではなくて、語っても結論は出ないということ。
199 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:27:51
>>184 テンソルは・・・定義からすれば0次が左脳、それ以上が右脳だ。
デジタル(0か1か)で表現できないものは大概右脳だ。
>>197 『私=時間』。同意。
時間が認識できなければ私というものはなくなる。
同様に、『私=空間』。
空間が認識できなければ0か1かのただの有限回数の計算機になってしまう。円ですら認識できない。
200 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:31:46
>>199 「空間」の認識に先立って「時間」の認識が必要、とは言えない?
だって、点Aと点Bが別物であるということは、時間軸に沿って比較
したときに始めてわかるのであって、その後で点Aと点Bの間に空間
(距離)が認識できると思うんだけど。
マクタガードによると、前後の関係は事実であるというそうです、
どういうことかというと、異なる連続になるように考えるようになるようですが、
事実は真であり、前後は時間ではなく、関係であるそうです。
だから、変化ということにはならず、事実は真であるそうです。
202 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:33:56
204 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:35:14
>>1 「人間が作ったもの」と「元々存在するもの」を区別する事自体に
無理があると思う。
205 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:39:01
>>198 つまり言葉では表現できないってことだな。
「時間を説明する時間をかけないで、時間を説明できるのか」
自己参照文。クレタ人のパラドックス。
メビウスの輪(〜)を表か裏か(+−)で論じるようなものだ。
>>202 意味いうと、例え話でいいでしょうか。
例えば、熱い鉄棒が曲がるとします。その後に、冷い鉄棒は曲がらない。
時間において、こういうことが考えられます。時間において考えていると、
曲がることが真であったのに、曲がらないという偽になるということのよう
です。前後の時間において考えると、異なる系列を生み出すのではあるまいか。
エントロピーが減少しはじめたら、時間は逆転すると思う?
208 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:41:57
>>185 時間に矢を与えるのがエントロピーだよ。時間には前も後もない。
209 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:43:01
>>186 じゃあ、霊魂で意識を理解するようなものだな。
210 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:43:14
>>206 意味がわかりません。
できれば206自身ではなくて、他のひとに説明してもらいたいです。
211 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:44:18
>>208 そうかな?記憶さえ、法則から逃れられないと思うのだが。
人間が時の前後関わらず自己同一するのは、記憶のおかげに他ならないだろ。
213 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:45:42
>>200 >「空間」の認識に先立って「時間」の認識が必要、とは言えない?
正確には先も後もないね。どちらも同時に必要。
左脳をつぶせば個を特定できなくなるけれど、波はなんとなく分かると思うがね。
睡眠なんかその典型。
214 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:48:55
>>200 「認識」に「時間」が必要なんじゃないかね?
よく、一瞬で見分けるとか気付くとかいうけど、
ありえなくね?
216 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:53:42
>>213 空間と時間のあいだに後も先もないのだとすれば、空間なしに時間は
ないってことだよね。
それはなぜ?
217 :
200:2006/06/08(木) 23:55:34
>>215 そうだよ。時間があるから認識がある。
「一瞬」という点的な「現在」が論理的にありえないということに
ついては、デリダが論じてる。
時間も空間も宇宙が誕生したときから生まれたって話だな。
天下りだけど。
219 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:58:01
221 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 00:01:59
>>219 というより、数式で時間も空間も同じに扱われてるからじゃないの?
基底ベクトルで扱えるとかいうやつ
222 :
200:2006/06/09(金) 00:03:24
>>220 一般的に写真というのは、数千分の1秒から数十分の1秒間ぐらい露光
するんだよ。天体写真なんかだと、たとえば惑星の写真を撮るのに数秒
間露光したりするし、星雲や星団だと数分〜数十分とかね。
写真は決して「点的な瞬間」を捉えたものではないよ。
(……って、ほんとはこの話は217についての本質的な説明には
ならないんだけど、220が写真とか言い出したので。)
>>222 そんぐらい知ってるよ。
じゃあ、点的瞬間てなんなの?
観測不可能だからってないとは限らないんじゃない?
絶対零度だって到達できないけど
それは人間ができないだけかもしれないじゃん。
226 :
200:2006/06/09(金) 00:28:24
>>223 知ってるならなんで写真がどうのとか言い出すんだよw
観測不可能なんじゃなくて、論理的に不可能だと言っているのがデリダ。
「点」的瞬間の「同一性」があり得ないんだよ。
なぜ同一性があり得ないかと言えば、或るものが同一的であるというのは、
それが無限に反復可能だということに他ならないから。
ここで「反復」が問題になる以上、時間的なズレ(「差延」)が導入され
ざるを得ない。だから、時間的なズレを超えた「瞬間」はあり得ない。
……とデリダが言っている。これに反論した人とかがいるかどうかは俺は
知らないので、知ってる人がいたら教えて。
ここに見えないうんこがあります。
誰も触れません。臭いません。見えません。聞こえません。測れません。
でもあります。
えっ?最初からないんじゃないのかって?
いえ、あります。
神の啓示をうけたのです。
228 :
200:2006/06/09(金) 00:30:41
わかると思うけど、「『点』的瞬間の『同一性』」というのは、
「『その瞬間』が『その瞬間』であること」「『その瞬間』の『その瞬間』性」
ってことね。
229 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 00:32:16
230 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 00:33:40
>>223 >それは人間ができないだけかもしれないじゃん。
第3法則よく読め
231 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 00:33:53
時間は物質の変化する過程。
物質のない所に時間はない。
232 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 00:34:14
233 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 00:36:12
EPRとベル不等式の破れくらいは勉強してから、観測だあ、認識だあは言って欲しいです。
>>226 論理的云々いうなら、
この世は、時間も空間も量子化されてるのですから、
連続な時間空間を前提として論議すること自体無駄ですね。
ありもしない夢想について論議しても仕方がない。
236 :
200:2006/06/09(金) 00:44:12
>>234 べつにデリダは(って、俺べつにデリダのファンでもなんでもないんだけどw)
連続的な時間・空間について議論しているわけではない。
あらゆる存在、あらゆる概念に先立つ「ズレ」について言ってるわけ。
デリダが示そうとしているのは、言葉以前、概念以前の「ズレ」。
>>217で「時間があるから認識がある」と言ったときの「時間」とは、
正確にはこういう意味での「ズレ」。
237 :
200:2006/06/09(金) 00:51:22
つかさ、とりあえず「時間論」について読むべき文献って、何があるんだろう。
俺何も知らないので、物理学or哲学が専門の人たち、よかったら参考文献挙げてくれませんか。
俺は「時間」が問題になってるような本って、相対論の入門書みたいなやつを
高3の時に読んだのを除けば、ハイデガーとデリダしか読んだことない。
ベルクソンすら読んでないです。
>>226 「一瞬」という点的な「現在」が論理的にありえない、ということの説明は?
>>236 今いち。
そのズレとは、抽象化の過程でそぎ落とされる不純物じゃないの?
それは時間のズレというより、空間のズレでは。
241 :
200:2006/06/09(金) 01:09:30
>>238 それが「ある」としたときに、そこで「ある」ところのものを
定義しようと思ったら、その定義に(「反復」という)時間的な
ズレが含まれてしまうからだよ。
>>240 何をどう抽象化しようと、同一的なものとしてのイデア的な理念は
出てこないんだよ。どれだけ不純物をそぎ落としても、純粋な何か
には到達しない。
数式だってそう。絶対的に一義的に了解可能な数式はあり得ない。
どれだけ周到に定義を説明したところで、それについての意味了解には
無限の多様性があり得る。(この点についてはウィトゲンシュタイン
が詳しく論じてるね)
それから、空間的なズレは時間的なズレなしには理解できないと俺は思う。
でも、空間性と時間性の関係については、ぶっちゃけ俺にはよくわからん。
なんか参考になるような議論があったら教えて。
>>241 できればもう少し具体的にお願いします。
243 :
200:2006/06/09(金) 01:34:10
どのあたりをですか。
>>243 じゃ、とりあえず最初の3行。
時間的なズレが含まれた「現在」の定義を教えてください。
245 :
200:2006/06/09(金) 02:01:55
それは教えられないw
「定義しようと思ったら、その定義に(「反復」という)時間的な
ズレが含まれてしまう」というのは、けっきょく「現在」というのは
観察も定義もできないものだということだから。
定義ってたぶん「一定の意義」でしょ。
ところが、どんな意義も「一定」ではあり得ない。なぜなら「一定」とは
無限の反復可能性のことであり、それは反復である以上、時間的ズレを前提
しているから。
>>245 観察は関係ないのでは?
できないって例示ができないのは不思議だけど?
247 :
200:2006/06/09(金) 02:13:43
「できないって例示ができない」ってどういうこと?
>>244は定義ができないということの具体的な例示を求めたものであります。
249 :
200:2006/06/09(金) 02:21:33
不可能なものをどうやって例示すればいいんですか。
逆に、「現在」の可能な定義を例示してもらえると議論てきるかも
しれませんが……。
別に定義だけなら、「ある発表者の発言中」でもいいし、
いくらでもできそうに思えるけど。
現在を定義してみて、「ほら、こんな風にできないでしょ」って言えると思うんだけど。
251 :
200:2006/06/09(金) 02:31:32
こんな時間ですが、これから喫茶店にいってきます。
へ?
253 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/09(金) 02:51:54
思考においては人間の認知にとっての一瞬の点も無限に分割可能。
したがって全時点の総和は≒現実の流れ。
なんだかアキレスと亀みたいだ。
どんなに刻んでも点と点の隙間を埋めきれない。
とすれば全時点を時系列に再現することは不可能。
ただ時が刻むのではなく時を刻むわけで、つまり時があるから刻めるとは考えられないかな。
254 :
200@DOUTOR:2006/06/09(金) 03:09:41
今、喫茶店に居ます。
横にいるおっさんはものすごい勢いでクロスワードを埋めていってます。
彼はこんな時間になぜ?
独身なのか?
時間論なんかどうでもよくなりました。
この板寝る前に来るとすっと寝れるわ。
256 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 05:17:30
無矛盾な自然ということが前提になる。
存在しないものは存在してはならない。
過去も未来も存在してはならない。
時間は運動を量として理解しなければならないことから要請されるだけ。
ここ、今と指示してもここも今も自然は運動して飛び去るから。
いや、今、ここというのが自然の運動そのものということ。
自然の運動を直接捉えられないから仮の座標原点を設定して次元が必要になるだけ。
座標原点とは運動量無であり、無は存在してはならない。
257 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 05:39:05
元々は形として無いときは時間は無く 形が出来あがってから
時間が出来たと思います 無いところに物は何も出来ないから
誰かが作ったんでしょうね 時間は存在しつつ 発生しない場所に誰かが手を
施したんじゃないでしょうか?
258 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/09(金) 05:41:30
いや、その点は無ではなくて無限に分割可能なものとして計れないんだよ。
計れないのと無いのとでは異なる。
無いと言ってしまえばあなたのレスもありえないでしょう。
文字と文字にも隙間があるがそれも文字が乗るためのベースあってこそ。
時間ってそういうものじゃないかな。
259 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 05:55:26
物理的には何も生まれないし何も無くならない。
自然は運動変化するだけだ。
この自然の運動変化を理解するために時間が必要なだけだ。
理解に必要なものが自然に存在するわけではない。
時間が存在するとしたら、存在しないものが存在するということになる。
260 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 05:59:18
理論は自然の一部である人間の観念のものだ。
人間がいなくなれば自然存在ではない理論じたいは無くなる。
地球の草創期に理論など存在するわけではない。
元々認識は相対的だ。
あらゆる意味で近似でしかない。
261 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/09(金) 06:06:26
こういう概念がある、みたいな言い方までいちいち咎めても仕方がないのでは。
モノとの違いがわかってればいいわけで。
「こういう概念があるがないがかくかくしかじか」みたいな話し方はバカげてる。
262 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 06:17:08
存在しないものは存在しない。
存在するものはその存在しないもので認識される。
存在しないと言っても存在するものの抽象だから、存在しないもののルーツは存在するものにある。
しかし、抽象は人間のものであり自然に存在する、つまり物理的な存在ではありえない。
263 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/09(金) 06:30:12
だからそれを踏まえた上で「ある」と言ってるだけなんですよ。
それを今度はそちらで理解すればいいだけなんです。
264 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 06:51:16
いや、だから時間は自然存在ではない。
そして自然存在は物理的存在でしかない。
時間はたんに人間が自然を理解する道具に過ぎない。
踏まえているのなら当然こうなると言っているだけ。
265 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/09(金) 06:55:15
だからその道具があるわけです。
その場合、自然存在としてあるという主張までもが含まれる必然的な理由を説明していただけますか?
266 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/09(金) 06:59:29
たとえば忸怩たる思いがあるといった常套句に対して
それはどこにあるのですかなどと聞き返すのは余りにバカげてませんかね。
ただ単に「ある」の性質の違いを認識すればいいだけだし
誰しもそうしてると思うんですが?
267 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 08:05:09
>だからその道具があるわけです。
頭の中に、ですね。
自然存在ではないと言っていますが。
あなた流に言えば二分法により時間を観念的に存在させるわけです。
そのことにより自然は認識可能となる。
観念は自然存在に根拠をもちながら自然そのものではない。
観念自体は自然には存在しない。
人間がいなくなれば観念を媒介にした理論もまた消滅するわけです。
べつに物理的に消滅したわけではない。
時間そのものは自然に根拠をおきながら自然には存在しない。
>>259 >自然は運動変化するだけだ。
1.なぜ、そんなことがわかるのですか。
2.「運動変化」とは、何ですか。
>>264 >そして自然存在は物理的存在でしかない。
1.なぜ、そんなことがわかるのですか。
2.「物理的存在」といいますが、物理学は人間の自然認識の一形式に
過ぎないと思いますが。
269 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 09:40:55
>>268 この世に、変化しないものはない。
物理的性質を持たないものはない。
あるいは、
物質に依存しないものはない。
そうでないというなら、
思想や理論といったものも、物質によらずに存在している状態というのを提示してみてくれ。
270 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 09:49:36
時間は悪魔からの贈り物らしいよ。
時間と言う概念が人間に怠惰を与えているとか。
本当は一瞬という今の瞬間が常に存在するだけ。
人間は一番大事な今この瞬間をエキサイティングに生きることを忘れている。
いつかそのうち時間が流れて自分に何か起きるんだと思ってる。
271 :
259 264:2006/06/09(金) 12:16:32
>>259 >>自然は運動変化するだけだ。
>1.なぜ、そんなことがわかるのですか。
つ特殊相対性理論
>2.「運動変化」とは、何ですか。
運動変化自体は先験的な存在。
ヘーゲルの運動定義である「存在すると同時に存在しないこと」とは運動自体は理解できないことを意味する。
静止した物理的存在はありえない。
あなたの目の前の物理的存在はすべて運動している。
>>264 >>そして自然存在は物理的存在でしかない。
>1.なぜ、そんなことがわかるのですか。
すべて運動しているから、その前提から互いに対立した存在は導けない。
>2.「物理的存在」といいますが、物理学は人間の自然認識の一形式に
過ぎないと思いますが。
自然は物理的存在だから、自然学は根本的には物理学でしかありえない。
化学も生物学なども基本的には物理的状態の問題。
272 :
ポコ:2006/06/09(金) 12:35:25
対立無しに、運動は生まれません。
区別無き運動は、運動ではありません。
ヘーゲルは運動には対立や静止が必要であることを説きます。
貴方には、ヘーゲルを語って欲しくないです。
273 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 12:52:48
ヘーゲルも相対化したいだけ。
マルクスもエンゲルスも。
274 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 12:57:31
エンゲルスは「反デューリング論」で静止は運動の一形態だと喝破している。
つまりあらゆるものは物理的であることも暗示している。
ここでマルクス、エンゲルスは自然において矛盾を排している。
つまり人間の理解が矛盾の原因であることに気が付いている。
思想では反対するが、その自然理解は特殊相対性理論の祖形を示して卓抜である。
275 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 13:19:05
>>272 >区別無き運動は、運動ではありません。
区別することは一向に構わない。
ただ、総じたならば「全ては運動している」という括りになる、ということ。
これは、「差別即平等」と似た形式だ。
>運動には対立や静止が必要であることを
対立・比較は可能だろうが、「静止」は便宜上想定されるに過ぎない。
真に「静止するもの」はありえない。
あるとすれば、それは、「消滅」とでも表現すべき状態であろう。
>>274 >静止は運動の一形態だと喝破している。
これについてはそのとおりだと思うが、ここから、
>つまりあらゆるものは物理的であることも暗示している。
と結論付けるのは論理の飛躍がある。
277 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 13:33:19
なぜ?
静止も運動の一形態だから、すべて運動する。
すべて運動するのにそこから対立関係は導けないだろう。
278 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 13:35:55
ディラックもアインシュタインも真空の存在を認めていない。
そしてすべては運動する。
唯物論は自然理解において、自然が物理的存在でしかないことを主張する。
つまり無矛盾ということだ。
279 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 13:39:33
差異は存在するが真の対立関係は存在し得ない。
対立関係は観念の中の話だけだ。
>>271 申し訳ありませんが、全く答えになっていません。
自然が運動変化するだけだとわかる理由が特殊相対性理論だということですが、
「特殊相対性理論」というのは物理学の一理論であって、物理学というのは
人間による経験・観察・実験の結果を人間が統一的に理解するために
人間が作った仮説(言語体系)だと思います。
一方で「運動変化自体は先験的な存在」だというのは、どういうことでしょうか。
先験的な存在を経験から生まれた物理学によってどうやって知ることが
できるのでしょうか。
それ以前に、「運動変化」の定義はどこに行ったのでしょうか。
ヘーゲルの定義(なぜ唐突にヘーゲルが出て来るのかわかりませんが)に
よれば「存在すると同時に存在しないこと」だそうですが、「同時に」と
いうことはすでに時間が前提にされているのではないでしょうか。
「自然存在が物理的存在である」理由として「すべて運動しているから」と
ありますが、上記の通り「運動」の意味が不明です。また、運動していることと
物理的存在であることがどうしてイコールなのか、そもそも「物理的存在」の定義は
何か、全くわかりません。
>自然は物理的存在だから、自然学は根本的には物理学でしかありえない
「学」とは認識や記述のことなので、自然「学」が物理「学」でしかありえない
としても、それは人間の側の都合であって、「自然そのものが物理的存在だ」と
考える理由にはなりません。
カントのように「時間や空間や因果関係は人間の側の認識の形式であって、
自然自体(物自体)は認識できない」というのなら、まだわかりますが、
それなら、「時間が存在するかどうかは、わからない(何も言えない)」としか
言いようがないと思いますが。
281 :
200:2006/06/09(金) 13:56:13
物理学にとらわれてる奴はダメだな。
282 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 14:10:05
理解の前提が(ry
283 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 14:16:36
自然が無矛盾だからね。
存在しないものは存在しない。
この大前提から判断されるべきで。
それだけ。
284 :
ポコ:2006/06/09(金) 14:21:59
時間や対立が人間の単なる観念だとしたら、脳の働きと人間の思惟が全く関係無いことに成りませんか?
人間が思考してる時、脳は何をしてるのでしょうか?
だから感性の先験的カテゴリーでいいんじゃないの?
286 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/09(金) 15:53:43
みんな時間を利用してるのは確かだけどそれは一旦脇に置いて
思考実験的にどうなのかって流れにしたかったんだが。
なんか、哲板って思ったよりレベル低いねえ。
なんというか、2ch のスレで「思考実験」ってうまく行ったの見たこと無いな。
実験の目的とか趣旨を伝える段階で枝葉の議論に陥って、
本題に到達できない。
288 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/09(金) 16:09:54
というか思考実験は譲歩だもん。
時間はないとかいうから確かに思考実験的には点は無限に分割できますよねって
理解を示してあげたんだよ。
289 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 16:12:05
レベル高い人間が2ちゃんなんてするなよ
290 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/09(金) 16:15:43
ほっとけよ。
いいじゃないか別に。
わたしがここにいる以上わたしレベルが別に存在するかもしれないだろう。
そんなら日常で探すより早いさ。
291 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 16:18:01
もうひとつ、うまくいかない理由は、
たいがいの場合、提案者の態度が高飛車で
「示してやってるんだ」「視点を提供してやってるんだ」という言い方をすること。
そんでもって、提案自体に論理的な矛盾があっても、
「示した「だけ」」「提供した「だけ」」とかいってその点についての議論を拒否すること。
293 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/09(金) 16:24:16
大丈夫かな。。
今回の思考実験は譲歩。
いいかな。譲歩。
時間はないと主張する人のための施し。
別にうまくいかなくてもいいわけ。
私個人が主張したいのはまた別の事柄だから。
で、それはまあ余計な摩擦をくぐり抜けつつ通ったわけ。
>別にうまくいかなくてもいいわけ。
じゃあ、もう、いいじゃん。
295 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/09(金) 16:31:29
何がもういいんだボンクラ。
現に一人さとしても次々アホがわいてくるじゃないか。
死ねよ。お前が死ねばいいんだよ。
アホがなにを指図してるのか。
296 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 16:42:16
日常よりも2ちゃんのほうが仲間が見つかるのが早いって、けっこう
悲惨な交友範囲ですねww
297 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/09(金) 16:50:58
なんかねえ。
寄り付いてくれないんだよねえ。。
フレンドリーを心掛けてるつもりなんだけどなあ。。
理屈っぽかったり神経質なとこが鼻につくのかもなあ。。
>>288 >時間はないとかいうから確かに思考実験的には点は無限に分割できますよねって
>理解を示してあげたんだよ。
時間があるかないかと、点が無限に分割できるかと、どういう関係があるのか
わからんのだが…
ゼノンのスレでもそんなことを言って納得していたやつがいたが、わけわかめ。
解説希望。
お友達感覚が一番うざい
とりあえず話を本題にもどせや
そういえば、アキレスと亀のパラドックスって、時間の概念の消失による
ものだよね。
たとえ、人間が死んだとしても相変わらず時間は流れてるよ。
だって、人間がいるいないにかかわらず時間は流れて居るものだから。
それは物質はエントロピーが増大する方向に常に進んでいるから。
人間が精神が感じる感じないにかかわらず、物質であるものなら
時間をもっている。
301 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 18:38:43
>それは物質はエントロピーが増大する方向に常に進んでいるから。
それには疑問を呈する科学者もいるんだが。
>>301 トンデモ学者じゃなくてか?
詳しいこと話してもらおうか。
竜頭蛇尾になるなよ
303 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 18:52:12
>>302 「ビッグバンはなかった」ラーナー著
アルヴェーンというノーベル賞受賞者の弟子の著書を読んだほうが早い。
図書館で探したほうが早いと思う。
時間に始まりも終わりもありえないという研究はブリゴジンの弟子がやっている。
「科学の終焉」参照。
>>303 ノーベル賞受賞者の弟子て・・
日本国総理大臣の息子みたいなもんかw?
ネームバリューだけじゃなんだから、
どっかに理論うpしてくれ。
だいいち、エントロピーが減少したらどうなるか?
はっきり言って今の人間の生活できないよ。
人間が生きてる限り、エントロピーは増大すると定義しても問題ない。
エントロピーの増大の話で主語が「物質」になるのは、
すごい違和感があるなあ。
>>305 熱力学の用語だからな。
でも一般にそれだけの意味に使わないだろ?
ああ、「そういう」話をしてるわけですか。
308 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 19:12:22
>>304 トンデモじゃないという意味なんだけど、アルヴェーンは異端の科学者かな。
この人もビッグバンには否定的だし。
前に住んでいた近くの図書館にあったんだけど、二巻で六千円近くするし手元にない。
プラズマ宇宙論はなかなか面白い理論だし、おれは支持しているんだけどね。
309 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 19:24:47
おれは宇宙はただただ存在するだけだと理解している。
次元なんてのは存在しない。
時間、空間の始まりも終わりも存在しない。
最小単位も理由も人間のものだ。
310 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 19:33:45
宇宙背景放射について、六十年代、九十年代と面白い話が載っていた。
今度の宇宙背景放射もどうなるのかな。w
いずれにしても宇宙論はまだまだの分野だろう。
>>309 そうかもしれんけど・・
やっぱ、俺らの済んでる世界は3次元じゃん。
自由度は3つしかないよ。(時間入れたら4次元)
でも、もっとミクロな世界にいくと次元はどうしても高くなる。
そうしないとその世界を理解できないんだから。
312 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 20:34:23
だから、次元で理解しているだけだよ。
理解できるから自然がそうだというわけではない。
諸力を違う概念にしてみよう。
重力は運動関係の変更に要するエネルギー量になる。
(ライプニッツはニュートンに感心しながら、その重力概念は拒否している。)
他の力は、ある物理的状態から違う物理的状態に要するエネルギー量となる。
自然は運動するエネルギーの濃淡だ。
313 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 20:38:25
次元なんてのは自然の抽象であり、それで理解するだけだ。
自然は次元で構成されているわけではない。
零次元は特殊相対性理論で否定される。
つまり無いものは無いという論理の前提が保証される。
以降の次元もまた自然には存在しない。
幅の無い、厚みの無い、なんてそんなのは自然に存在するわけじゃあない。
314 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 20:52:44
自然において存在しないものは存在しない。
俺の主張はこれだけ。
ただし存在するものは存在しないもので理解する。
存在しないもの、無、次元で存在するものを理解する。
>>311 それはそうだよw
ないと思えばないとも言えるな。だって自然を近似してるだけだもん。
それが真理ではない。そんなこと当たり前だw
しかし、科学が今なお絶大な力を持つのは
その再現性ゆえだ。
何遍でもイイから石を天に向かって投げてご覧よ。
指定した条件下で、一回でも石が地面に落ちず、天に舞い上がっていきましたってなことが
ありえたら、あなたはノーベル賞もんの発見をしてますw。
(もちろん、宇宙でなら、石を投げても地面には戻ってこない。
指定した条件下ではないからね。)
また、科学の正しさは反証可能性の有無でもある。
確かめようがないこと、再現不可能なものは科学的ではありえない。
316 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 21:51:08
317 :
ポコ:2006/06/09(金) 21:57:45
「存在しないものは存在しない」
本当にワカラズヤサンですね。
では五感の全く無い人にとっての、自然や宇宙って何なんでしょうか?
「存在しないものは存在しない」
それは貴方には五感があるから、そう言えるだけです。
後、前にも書きましたが、人間の思考と脳の働きの関係についても説明して下さい。
人間の思考が全て幻想だとして、脳はその時、一体、何をしてるのですか?
脳も自然です。
人間の思考はただ自然を理解する為の道具だとして、では、その限りにおいて、脳って何なんですか?
人間が思考している時、脳(自然)はただ存在するだけなの?
自然には人間が与えているような次元(思考)は無いとしたら、脳(自然)は思考(次元)に全く関係無く、ただ存在するだけです。
脳と思考が関係無かったら、思考は何処から発生しますか?
物理主義者の貴方は、まさか魂だなんて言いませんよね?
思考(次元)とはエネルギーの濃淡だ、とは言えませんよ。
貴方は、次元(思考)とエネルギーの濃淡は別物だって言ってるんですから。
脳と思考の関係を、ぜひ説明して下さい。
318 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 22:03:09
>では五感の全く無い人にとっての、自然や宇宙って何なんでしょうか?
五感の全く無い人にとって、ですね。
感覚されないからと言って存在しないわけではない。
それだけです。
犬にとって存在しても人間には存在しないのはあります。
ある種の蝶は視覚範囲が人間と違うために雌雄の翅の色が識別可能です。
しかし人間にとってその翅の色は同じにしか見えない。
存在しないものが存在する、なんて背理そのものです。
あなたが論理を拒否するのなら、議論は成立しませんので終了させていただきます。
人間はただ目の前にある現実を優先するだけ。
論理なんか破綻してもイイよ。
光が粒子と波の両方の性質を同時に併せ持つなんて
まったく論理的でないけど、これが現実だから認める。
これ柔軟な発想。
320 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 22:18:14
感覚が無いというのは石も同様ですね。
石に感覚が無いのなら宇宙とは何なのか?なんて質問されても困ります。
自然、宇宙という概念が無いだけです。
感覚的な手がかりが無い以上概念形成はできないでしょう。
意識自体は物理的状態を認識し概念を形成することが可能な物理的状態です。
認識ができないのならそれはできません。
わたしたちは生まれた時に目が見えているそうです。
劇場の舞台に上にいるとしましょう。
わたしたちはだんだん個々別々の顔が識別できるようになる。
つまり外界と対応関係を感覚において形成していくわけです。
味覚においてワサビ入りの寿司が食えるのは十代はじめの人が多い。
これらは感覚が外界との関係で形成されていくことを意味します。
次に概念が形成されていく。
この手続きが意識には必要です。
感覚が無ければ意識はその発達の可能性を阻まれるだけです。
321 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 22:21:50
>光が粒子と波の両方の性質を同時に併せ持つなんて
>まったく論理的でないけど、これが現実だから認める。
だからさ、波が渦巻く状態が粒子と理解すれば論理的だし。
そして存在しないものは存在しないという論理の前提を守ることができる。
>これ柔軟な発想。
違うよ。
ある前提を守るために柔軟な発想が求められる。
これが真に柔軟な発想。
あなたのは原則が無いだけの無定見というだけ。
>だからさ、波が渦巻く状態が粒子と理解すれば論理的だし。
さてはモグリですか?
光の粒子を二つの穴がある壁に向かって放射したときも
波と同様の性質を示すのですが、光の粒子は
一体いつ架空の粒子と干渉したのですか?
>>321 あなたは現実より論理をとるのですか?
ずいぶん重症ですねw
>>312 >だから、次元で理解しているだけだよ。
>理解できるから自然がそうだというわけではない。
こう述べておいて、一方で、
> 自然は運動するエネルギーの濃淡だ。
となるのは、なぜですか。
同じように、自然を「運動」と「エネルギー」で理解しているだけで、
理解できるから自然がそうだというわけではない、
というべきではないですか。
325 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 22:28:15
なぜ鉄が水に浮くのか?
水に浮くのだからしょうがない。→論理的思考の放棄。
水に浮くわけを追求する。→柔軟な発想の模索。
>>325 全然例がちがいますがなw
人間の生活してる範囲の減少だしw
なんでもかんでも十把ひとからげですかい!?
327 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 22:36:03
光の粒子なんてのは無いんだよ。
現実を論理的に捉えなかったら、理解の放棄だからね。
理解できない、と理解することはできない。
なぜなら、理解できない、ということも理解だから。
少し時間を置こうや。
328 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 22:37:04
>>326 柔軟な発想の意味を言っているだけだが?
>光の粒子なんてのは無いんだよ。
え?光子ってのをご存じないので?
331 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 22:38:38
332 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 23:00:38
ちょ マテよ
いつの間に終わってんだよ
333 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 23:27:32
test
334 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 23:33:34
だからさ、粒子と現象しているのは波が渦を形成している、つまり波の一形態と理解する。
光の粒子というのはあくまでも渦の状態でしかないと理解するだけ。
アインシュタインもデイラックも真空なんて存在しないと述べている。
ということは波だけで粒子は存在しないということだよ。
わたしたちは海を海として認識できない。
あたかも犬が認識している臭いや音が人間の感覚では認識できないように。
自然において何も無いということが無いわけ。
論理の前提としての存在しないものは存在しないということが保証されたわけ。
335 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 23:39:06
わたしはすべて理解できるなんてことは主張していない。
しかし理解できない現象の存在は自然が無矛盾で理解できるからだ、と主張する。
それは論理の否定を意味しない。
疲れた、もう寝る。
336 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 23:44:36
>>324 そういう意味ではない。
次元で理解できるから、次元が自然に存在するわけではない、ということ。
337 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 23:45:33
「次元で理解できるからといって」に訂正。
338 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 00:01:08
>>334 波の渦なんて妙なものを持ち出すなら、ちゃんと式を立てて、定量的に実証してから言えよ。
ディラックの海は、騾馬電子がぎっしりつまってますが、何か?
339 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 00:01:43
線形自由度
340 :
ポコ:2006/06/10(土) 00:02:10
次元は自然に存在しませんか?
次元は、脳内の働き、として、自然に存在してませんか?
存在しないもの、つまり観念は、脳内の働き、として、自然に存在してませんか?
つまり、全ての自然も思考を内在してるとは思えませんか?
いい加減、思考(次元)と脳(自然)の関係について説明して下さい。
341 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 00:02:13
波が渦を作るw
342 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 00:17:05
>>340 あると仮想してかまいません。
この世に電流は存在しませんが(電子のエネルギー伝達の波は存在します)
あると仮想しても構いません。
なぜなら、それで現実を説明できるからです。
343 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 00:23:36
コペンハーゲン学派こそ「正史」です。
344 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 00:25:59
日常現象に置き換えた解釈は無意味なんだよ
345 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 00:28:08
>>340 あると仮想してかまいません。
この世に愛は存在しませんが
あると仮想しても構いません。
なぜなら、それで現実を説明できるからです。
346 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 01:05:22
定量的に説明できるなら存在すると言っていいだろう。
347 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 01:09:26
いろんなレスがあるが、
いつも思う。お釈迦さんってすごいなぁ・・・と。
348 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 01:11:13
宗教逝けば?
349 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 01:15:24
>>347 まあ、お釈迦さんの名を借りた有象無象の言葉が仏教なんだけどね
350 :
ハイデガー:2006/06/10(土) 03:08:26
言葉は存在の住処である。言葉による住まいのうちに、人間は住むのである。
日常にこそ真実がある。
人は理論の内に住むのでは無い。
352 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 04:18:13
ブリゴジンの弟子たちが波が渦を作るのだ、という解釈で定量化に挑戦しているよね。
だから決して突飛な話ではない。
353 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 04:35:00
観念は消失する。
たとえば人間が滅びたら、宗教も滅びる。
しかし人間を構成している物理的なものは形を変えて存在し、滅びはしない。
観念が消失するのはそれが物理的存在では無いからだ。
思うだけでは現実的な<力>とはなりえない。
それは物理的存在を経て初めて現実に働きかける。
354 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 04:40:03
人間の考えた大きさの無い点、つまり絶対座標は存在しない。
つまり自然存在ではない。
人間は自然に存在しないものを考えることができる。
天使を考えたら天使は現実に存在するのだろうか?
355 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 04:43:15
次元を考えることができるからといって次元が存在するわけではない。
悪魔も天使も考えることができるが、だからといって自然存在であるわけではない。
ウルトラマンは自然存在か?
小説を考えることができても、観念が産み出したものであり、自然に存在するわけではない。
356 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 05:28:47
点が絶対座標ってのはどこの宗派の教義だ?
357 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 05:29:34
線形自由度
358 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 06:07:54
「ビッグバンはなかった」の中に粒子=渦説研究のことが書いてあるが、いろいろ面白いことが書いてあったな。
興味のある人は読んでみてくれ。
359 :
Aroused Creature(゜∀゜) ◆3z.RP7sKh. :2006/06/10(土) 06:17:34
(゜∀゜)むにょ〜ん
時間は人間がつくったものではありません
猿や犬でも、ごはんが先か風呂が先か分かるだす。
時間は4次元時空の要素の1つだす。
特徴として、相対的、特異点での理論破綻などがあるだす。
もし、コトバによって時間がつくられたとすると‥
たて・よこ・たかさの空間も時間同様コトバによって‥
う〜ん、コトバによってつくられたのか?
360 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 06:20:11
言葉によって説明されるが、言葉でできているわけではない。
361 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 07:07:30
わたしは現在の科学の考え方を絶対化するのはおかしいと思っている。
観測問題も未だ格闘している科学者たちもいる。
もしかすると地動説のような認識転換もありえない話ではない。
ある自然観をもって様々な問題を理解しようとする試みは否定されるべきではない。
鴎外はビタミンが発見されていないし、脚気は病原菌の発見で解決しうると信じた。
そして海軍が麦飯で脚気を減らした事実を偶然だと否定した。
主流学説が様々な問題を抱えている現在、違う理解の試みをして定量化を試みている科学者に注目している。
362 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 07:10:31
>鴎外はビタミンが発見されていないし、
訂正
→発見されていないときに
>>336 いやですから、全く同じように
「運動やエネルギーで理解できるから、運動やエネルギーが自然に存在するわけではない」
と、なぜ言わないのか、ということです。
364 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 16:41:38
>>364 ですから、存在しないものは存在しません。
次元は大きさが無い、幅が無い、厚みがありません。
そして運動は主体が存在しなければなりません。
理解すべき自然存在は先験的です。
自然はただたんに存在するだけなのです。
存在は前提です。
365 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 16:46:14
存在は非存在で理解する、というのがわたしの主張です。
366 :
364:2006/06/10(土) 16:50:31
自己レスになってしまいました。
>>363ですね。
367 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 17:14:40
現在の科学は決して完成されているわけではありません。
それぞれの分野で基本的なところで難問を抱えている。
還元主義への疑問もあるわけです。
哲学的に考察するわけですから、もう少し柔軟に発想したい。
原則を守るために柔軟な発想がある。
どんな突飛な考えでも、現代の主流学説と違っていても、論理的に一貫していれば、一概に否定することなく、それも一つの理解だと否定することなく保留しても良いのではないでしょうか。
無論、観測や実験などで否定されたらそれまでです。
粒子=渦説は決してトンデモでは無い科学者たちが真剣に検討している仮説です。
368 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 17:20:24
>>367 だから、それで現実が説明できないんだからw
新発見するか、現学説を反証してください。
哲学ってのは、まったく結果を示さないだろ。
再現性がない。
数学と物理学のような、抽象性と具体性の関係もない。
終わってんだよ。
哲学は言葉という感覚的な厄介者を抱えてる限り
科学には追いつけねんだよ。
なにが論理的なのやら。
記号論理的でなきゃ意味ねえ。
369 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 17:43:50
言葉と記号論理ですか。
これが何であるのかは現在も定説は無いですよ。
言葉の本質自体がまだわかっていない。
わからないところで争っても。
370 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 17:45:47
学問自体がまだまだなんですがねえ。
科学は始まったばかりですよ。
二十世紀の終わりにホーキングはもう少しで最終理論が手に入ると言った。
しかしそれはかなり怪しい。
371 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 17:47:03
言葉と記号論理?
人間の道具だろ。単なる。
372 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 17:47:54
言葉が記号論理なら、もっと若者はまともな言葉使ってるな
373 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 17:51:19
生成文法の問題点を指摘した本がありましたよ。
だいぶ前だけど事情は変わっていないだろう。
チョムスキー文法には疑念を持っている。
言語学からは遠ざかっているから議論はできないけど。笑
374 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 18:01:53
>>370 始める気もなく批評としての効力も怪しくなっているのが哲学なんですがねえ
375 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 18:16:14
しかし新しい考えというのは笑われ勝ちだよね。
ブリゴジンは自分の弟子の時間には始まりも終わりもありえないという研究をジャーナリストに紹介した。
そのジャーナリストは「やれやれ」とだけ記している。
わたしはこのジャーナリストにやれやれだ。
日本の竹内薫氏や茂木健一郎氏も面白いことを書いているけど、まだまだトンデモさが足りないような。
376 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 18:19:53
それはともかく。
時間が存在するという理解には疑問がある。
オレは理由もなく存在している自然を理解する道具に過ぎないと理解している。
377 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 18:21:09
>>375 ちがうな。なら、アインシュタインの相対論も
一蹴されて終わってたよ。トンデモ論としてね。
それが、見直されたのは、実験によって正しさが援護されたため。
そして、何度試しても理論通りの結果がでる。
古典論では説明がつかなかったものが説明できる。
だから、有無を言わせず誰も正しいと頷かざるを得なくなった。
今のトンデモ論にそういった正しさの援護があるか?
脳内でオナニーしてるだけだろ。
378 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 18:25:28
>>376 なにも実在してるとは言わんが、
時間がないとして、それ以降につながる概念はあるのだろうか?
そこまで突っ込んでくれるともりあがる希ガス
379 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 18:29:29
だからさ、実験で時間には始まりも終わりも無いと結論している。
でもすぐ認められていないことも多いよ。
アルヴェーンの学説は数十年認められなかったが、機器の発達で確認されて認められるに至った。
プラズマ学説でも、当初トンデモだと思われた主張がいくつか認められつつある。
粒子=渦説も九十年代にはまだ確認されていないが、上記の学説のように確認できたらその正否が確認されるだろう。
正否の確認は時間を要することもあり、判断保留も必要だ。
380 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 18:34:54
大陸移動説なんてのもあった。
二十世紀の初めなんて銀河系はたくさんあるという学説は否定的に評価されていた。
わたしは時間は存在しないと主張するが、時間に基づく科学理論を否定していない。
時間は他の次元同様理解には必要だが、自然に存在するわけではないということだ。
381 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 19:02:22
一見トンでもない学説が確認されてけっこう定説になっているのが現在までの科学の歴史だろう。
これからそんなことが起きないとは誰も断言できない。
アルヴェーンなんて三十年近くかかってやっと自分の説が認められているはずだよ。
大陸移動説なんてのも数十年じゃなかったのかな。
主流学説も面白いだろうが、異端の学説の中から将来の主流学説を見つけ出すのは個人的にはもっとスリリングだと思っている。
オレはプラズマ学説に全財産賭けるよ。
賭け事はやらんが、こういうのはやりたいね。
382 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 19:12:56
>>379 ほう、プラズマ宇宙説は確認されてるようだね。
おそらくシュミレーションの類だろうけど、まだ反証されえないだろうし
確かに、今のところは間違いないとは思う。
だが、
>実験で時間には始まりも終わりも無いと結論している。
これは寡聞にして聞いたことがないのでソースをくれ。
現宇宙が膨張収縮をくりかえしてるということじゃないよな?
あと、
粒子=渦説だが、どうだろうな。
昔、光エネルギーを伝達させる溶媒としてエーテルなんてものが想定されてたがもう死語だし。
とにかく科学的真理はすべて暫定的真理だ。
新しい発見があるごとに覆される。これは常に現実肯定といういい点だ。
383 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 19:28:38
>>実験で時間には始まりも終わりも無いと結論している。
>これは寡聞にして聞いたことがないのでソースをくれ。
>現宇宙が膨張収縮をくりかえしてるということじゃないよな?
「科学の終焉」のブリゴジンの項を参照してください。
あとエーテルなんだけど、アインシュタイン自身が真空は存在し無いだろうと述べています。
わたし自身は絶対座標が存在しないのなら、すべて運動するのだと理解しています。
すべて運動するのなら、それは自然は物理的存在ではないかということなんです。
つまり絶対座標が認識できるようなエーテルは存在しないが、物理的存在としてはあるという理解は許されるのではないでしょうか?
わたし自身は自然は運動するエネルギーの濃淡でしかないと理解するわけです。
384 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 19:39:39
>>383 ごめん。もってないから教えてくれよ。
あと、おれはアインシュタインをマンセーしてるわけじゃないから
どう答えたらいいか分からないけど、
確認できないことを云々するのは科学じゃないよ。信仰の世界だよ。
信じる信じないの世界。興味のある人だけやればいい。
385 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 19:48:57
318-319p
「この男が研究しているのは時間と空間には安定した基底状態も、平衡状態もないという内容なんだとプリゴジンは説明した。」
「したがって宇宙には始まりも終わりもないだろうというのだ。やれやれ。」
あと真空と思われる空間から粒子が生まれては消えるなんてことが確認されいるはずですよ。
つまり空間はけっして真空ではないのです。
ある条件になると粒子としてエネルギーの基底状態から現象し、また元に戻ると理解するわけです。
386 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 19:57:29
>>385 これだけの文章で信じろとでも?
論文の引用元も書いてない本なのか?
また論文の信頼性も分からん。
これじゃあ、テレビで言ったから本当だっていうのと変わらんぞ。
>真空と思われる空間
これだけじゃ、ふ〜んで終わるだろが。
387 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 20:03:57
うーん・・・
まあ、渦=粒子説もラーナーの概略的な説明だけだしなあ。
わたし自身の世界観から支持しているだけなんだ。
それに絶対座標が存在しないという事実はこのプリゴジンの弟子の研究を裏付けていないかな?
すべて運動変化しているというのは安定状態も平衡状態も存在しないということを意味していると理解したんだが。
それから無から何も生まれない。
存在しないものは存在しないという理解の裏づけになるんじゃないのかな?
すべてわたしの自然観から出た結論と一致しているからだけど。
信じなければそれで終わりかな。w
しかし論理的な帰結としてそれらを考えているんだが。
388 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 20:08:40
いずれにしても自分の自然観から来る理解と一致している研究はあることはある。
これから何年生きられるかわからないが、馬券を握り締めて勝ち馬を見届けられればと思っている。
自分が賭けた馬が勝てたら最高だけど、さてどうなるのか、誰にも断言できないだろう。
そろそろ規制にかかるかな。
389 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 20:15:49
さあな、くやしかったら、実験で証明するんだな。
反物質の話もあるし、宇宙はもともと無だったのが
物質・反物質の寿命のちょっとした差異で、一瞬垣間見られる
幻想のような世界とも仮定できるし、想像だけな無矛盾な世界はいくらでもつくれる。
死後の世界はある。
なぜなら、もし死後の世界がなければ人々たちは
この世でさんざん好き勝手して死んだ方が楽なのに
わざわざ決まりを守っているのは
悪を行えば死語に罰があるのを魂が知ってるからだとか。
目の前の一見矛盾してるような出来事に対して、
確認不能なものを立てるなんてのは、興味があるやつだけで勝手にしてればいい。
390 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 20:21:42
うーん、存在しないもの、無は存在するというのは出発点から矛盾じゃないのかな?
死は物理的には存在し無いだろう。
何もなくならないし何も生まれない、というのが無矛盾だろう。
わたしが死んだ、というのは人間の理解で、現実としては物理的な運動変化でしかない。
これは確認されている。
保存則を破るのは認められていないというのが理系の回答だった。
厳密に無矛盾といったらこれしか無いだろう。
391 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 20:25:10
けっきょくわたしの自然観だと哲学や科学の諸難問が解決できるという利点がある。
お買い得です。w
392 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 20:26:13
そだね、エネルギー保存則だけは科学の世界で残り続けてるね。
じゃあ、時間をエネルギーに変えれるとか勝手に作ればいんじゃない?
393 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 20:29:29
だから時間は存在しないんだよ。
394 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 20:31:11
んじゃまた。
用事ができたので。
395 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 20:34:32
>>390 死後の世界の話だけどね。答えはどっちでもないだよ。
死後の世界の理論は否定できない。しかし肯定も出来ない。
なぜなら確かめようがないから。
396 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 20:37:12
それはただ信じることしかできないんだな。
信じることだからちがうとも言えない。
不確定原理みたいになってきたな。
死後になってから、正しさがはっきりするというわけか。
397 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 21:54:45
いや、だから存在しないものは存在しない。
無くなるということは無いし生まれるということは物理的にはありえない。
死がなければ死後の世界は存在し得ないのは理論的帰結。
398 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 22:28:13
しかし自然が運動するエネルギーの濃淡なら基本的な難問はほとんど解決するんだけどね。
399 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 22:48:24
>>397 あり得ないとか言われても、それは反証になってないからさー
物理も唯心論もってきたら終わりだし。
>>398 だからさー、それが死後の話といっしょで
確認してない状態なら、無矛盾なお話ってのはいくらでもつくれるわけよ。
今ある法則でさえ暫定的な真理だということもお忘れなく
400 :
考える名無しさん:2006/06/11(日) 00:14:54
死後の世界では、価値観の壁が無く開いた世界になる、
すべてが自分になり、自分がすべてに分散する。
価値観の壁の中でしか思考ができない香具師には理解できない。
401 :
考える名無しさん:2006/06/11(日) 00:33:59
まあ、科学はとりあえず実験こそ命ですから
妄想語りたいなら哲学板に限るね
さよなら〜
402 :
考える名無しさん:2006/06/11(日) 01:25:41
あの〜死んでも無いのに何故
死後の世界に価値観の壁無く
開いた世界になるって、解るの?
403 :
考える名無しさん:2006/06/11(日) 01:44:20
宗教板池
未知生焉知死
405 :
考える名無しさん:2006/06/11(日) 06:22:00
まあ光速度一定の法則も現在まだ実験やっていて精度を高めたりしているからねえ。
ある一定の条件ではある物理的状態は同じだから法則は認められるわけだけど。
保存則なんてのは破られているんじゃあないかと言われてはやはり守られていたなんていう連続の歴史らしい。
現在の宇宙観測でも見方によっては無限宇宙論は否定されていないんだよな。
それをビッグバン宇宙論は○○だから宇宙の限界は観測できないとか言うんだよな。
ビッグバン宇宙論てのはまだ確認されていない仮説なんだよな。
そして空間は光速度一定の法則から逃れているという仮説で屋上屋を架している。
わたしの哲学は貧弱かもしれんがまだ敗れてはいない。
おかしいと思ったら自由に言える雰囲気が欲しい。
わたしはビッグバン理論崩壊を予測している。
特殊相対性理論も一般相対性理論も、というか科学理論自体はどんなに有効で確認されていたとしても宇宙を直接取り扱えない。
宇宙の始まりも終わりもどんな宇宙論も取り扱えないのは、それが無いからだと主張する。
身の周りで現実として始まりも終わりも確認されてはいない。
宇宙論もまた斉一主義をとるべきである。
宇宙は無限であり、科学理論はその特質として、認識を媒介した無限、つまり有限しか扱えない。
プラズマ宇宙論は無限の中の宇宙で宇宙の泡構造がどうできるかを七十年代に予測している唯一の宇宙論でもある。
難点は一つあるのだが、現在その理論を模索中らしい。
さて、どうなるのか、わたしの馬券はまだ外れてはいない。
406 :
考える名無しさん:2006/06/11(日) 06:35:45
学生時代以来の読書で、ゼノン、カントの難問、科学の観測問題、光速度一定の法則などを読んで頭を抱えた。
現在は自分なりの解決ができてそれなりに嬉しい。
まあ掘っ立て小屋に過ぎないが家賃を払う豪華な仮住いより安心できる。
自己満足だが、自分なりに過去の業績を理解して自分なりの住まいを造った。
どっちが先にぶっ倒れるのか。
昭和三十年代の新潟大地震の数ヶ月前に、ある建築学の大家が、わたしの建てた建造物は最新の建築学に基づいているから大地震が起きても大丈夫だが、周りの建物はそうはいかないだろう、と述べたらしい。
しかしその数ヶ月後、建築学の大家の建造物は崩壊し、旧来の建物は残ったそうだ。
最新科学で建てた宇宙論はこれからも残るのだろうか?
それを確認できるまで長生きしたいものだ。 笑
407 :
考える名無しさん:2006/06/11(日) 08:03:25
科学ではまだ無は確認されていないんだよね。
量子力学なんてのは無はないらしい。
相対性理論との相性が問題になっているらしいんだけど、それは認識の在り方の問題だと理解している。
相対性理論でも無は否定できるんだと理解しているんだけど、さてさて。
光速度一定の法則なんてのは、ある意味認識の自己限定じゃあないのかな。
科学は座標原点を設定して運動量を量るんだけど、その座標原点は存在せず相対的に認識するしか無いと言明している。
この意味では科学の性格を根本的に規定していると言える。
・・・まだまだ科学は面白いんじゃないのかな。
408 :
考える名無しさん:2006/06/11(日) 10:26:30
学問の基本的なことさえまだまだなんだよね。
理系会議室に参加したことがあるんだけど、その自然観は統一されていない。
・・・どうせ世間的にはそんなに重きを置かれることの無い哲学だ。
珍説、トンデモ、奇説も頭から否定しないくても良いじゃないか!。
実験や観測で検証される科学だって主流学説がひっくりかえることがあるんだし。
哲学マンセー? www
409 :
考える名無しさん:2006/06/11(日) 10:54:08
終わりかな?
410 :
考える名無しさん:2006/06/11(日) 12:18:46
特殊相対論と量子力学は仲がいい
+
+ + +
カンソクタイショウ
. カエセヨー/相\ +. ∧量∧アハハハ +
( ´∀`) (´∀` )
(つ つ (つ つ■
. + ( ヽノ ( ヽノ +
し(_) し(_)
412 :
考える名無しさん:2006/06/11(日) 12:33:34
w
413 :
考える名無しさん:2006/06/11(日) 13:44:19
なんか、実験実験うるさい無教養のバカがいるなw
じつに遅れた科学観ですね。
414 :
考える名無しさん:2006/06/11(日) 14:22:54
>>413 科学が自然を写し取る運動をやめたら、ただの妄想と変わらんじゃないかw
宗教といっしょやで
415 :
考える名無しさん:2006/06/11(日) 14:30:47
ただでさえ、宗教がうるさい最近なのに、
こんな馬鹿がいるんだから困るお
再現性ですよ、再現性。
数学的演算操作による再現性なら、無限の世界観がつくれる。
この抽象性だけじゃ役不足なんですよ。
だから、私たちのすんでる世界がどの世界観に合致するのか
それはこの目で実際確かめないといけない。
つまりは、具体性こそが科学の是非を決めてしまうんだな。
その上で、シュミレーションはちと危ういところ。
計算機と現実がたまたま一致しただけかもしれないという可能性が拭えないから
しかし、人間という生き物の寿命より長い現象や遙か遠い出来事を実験室では再現するのは
不可能。シュミレーションは苦肉の策なんだな。
416 :
考える名無しさん:2006/06/11(日) 16:21:44
物理の場合は予測じゃね?
417 :
考える名無しさん:2006/06/11(日) 18:49:56
物理は、選んだ公理系ですべてが矛盾なく説明できる事が理想
418 :
考える名無しさん:2006/06/12(月) 01:50:53
科学は永遠に発展するかわりに永遠にわからない事がありそう
419 :
考える名無しさん:2006/06/12(月) 01:56:20
科学は意味を解明することが永遠に出来ない。
というか古代の哲学のうち、神の意図を解することを放棄し、世界をただ記述することだけに奔走し始めたのが科学。
詭弁として神の名を口にする科学者はいるけどな
420 :
考える名無しさん:2006/06/12(月) 02:04:06
「人間が作ったもの」と言う人も、「私が作ったもの」とは言えない。
でも、彼らの論理では両者はあまり違わない。
421 :
考える名無しさん:2006/06/12(月) 02:32:57
俺の神の啓示(実体験)と思考(現代教育の賜物)を書きます。
信じる信じないはどっちでもいいです。
漢方薬は効く、針治療は効く。長年の積み重ねだからね。
効かないものは受け継がれてこない。科学的にわからなくても、経験でわかってる。
役にたってるんだから積み重ね経験、受け継ぎ方式を否定しなくてもいいよね。
預言者とか宗教の開祖とか、前世の記憶がある人が歴史が続く中でいっぱい
でてくる。こいつら皆、実体験っぽいし、あの世や神はあるようだ。とはならないのかね。
こいつらはただのホラ吹きかね?
世界(宇宙すらちっぽけな存在)は、過去と未来がつながってできていて、
ぐるぐる回ってる。
極限まで到達した科学はあんまり基本的な事は忘れる。
科学を観測してきた人間が途中で人間以外の何かに進化したため
以前の科学は受け継がれない、脳が違う次元を認識するようになってしまい
原理法則が記録されていても遠い子孫は信用しない。
(赤ちゃんは3次元を認識してない成長すると3次元を認識できるように
なる。で、認識の次元が違うから小さい時の記憶は薄れる。同様に上の次元を
認識するようになると3次元の記憶が薄れる。
古代文明、昔の日本の絵と西洋絵画をくらべれば2次元から3次元に
認識が進化してきた事がわかるだろう。
人は2、3、4、5…次元と上の次元を認識できるように進化する
が、これもどこかで初めの赤ちゃんの次元認識に帰る)
過去の認識の科学は再現できないじゃないかと言うようになり
(正確には認識できなくなってるだけだが)
そんで科学は今の宗教や神秘学の
扱いになってしまい立場が逆転する。これを繰り返している。と
今の日本は3次元になったため、ちょっと前の2次元の人が見えた
幽霊とか魂、神の文化がすたれ無神論的。
422 :
考える名無しさん:2006/06/12(月) 04:03:09
マクロには4次元ですが、何か?
423 :
考える名無しさん:2006/06/12(月) 08:02:43
役に立つのと、その理解が正しいということとは別だよ。
それに体験自体は疑わないが、それが何を意味するのかは認識論的にも精神医学関係的にも面白い解釈があるし。
昔の人の思想的水準とか、偉さとか抜きにして、その理解には疑問がある。
彼らはその時々の学的水準に依拠しているから。
ルターが地動説を聞いたときに、一人の馬鹿者が天の世界を変えようとしている、と述べたことは有名だ。
わたし自身は有効なことはたしかに残ってきているが、その理解までも正しいとは思えない。
424 :
考える名無しさん:2006/06/12(月) 11:03:45
それは人がこれ以上
脳の能力を上昇させられない
認識を激的に変化させることは無いという前提ですよね。
現代でも同じことが言えて
未来の人々4次元以上に住んでる(ように体感、認識)人からみたら、
3次元界の脳みそで考えた学的水準だからなあとなってる。
その次元界ならその理解は正しいが、別次元界からは間違いに見える。
在るものは在る、そうなってるからみたいな思考をしたくない人は
不死にでもなって気が遠くなるような時間をかけて次元サイクルを回るしかない。
(アカシックレコードなるものがあって、それを見ると全部わかるそうだが
それも見た人の次元認識で解釈してるんじゃないかなぁと)
425 :
考える名無しさん:2006/06/12(月) 16:34:28
存在するって、どういう意味ですか?
426 :
考える名無しさん:2006/06/12(月) 21:42:19
427 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/13(火) 07:54:46
>>298 自然存在としての時間の有無。
これは私も強硬にあると主張しない。
ただ、変化の指標たる道具存在としての時間はあるかないかを飛び越えて
万民が利用している実態が「ある」という立場。
しかし、5カウントは常に同一の5カウントなのか?
真の時間によれば、両者は実は異なるのではないか?
そういう思考実験もありうる。真の時間の存在を仮定するならね。
つまり道具存在としての時間も道具存在の否定としての時間も「そういう意味ではありうる存在」であるわけだ。
そのように思惟する私の妥協点が刻みの無限分割。
つまり、時間はある意味存在するが全的には把握しえないということ。
全時点における事実の総体は現実たりえない。
なぜなら時の刻みの無限性によって全時点は全時点たりえないから。
428 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/13(火) 08:27:11
意味は個人の憶測やら希望的観測やらを直裁に表現してしまう。
科学式なら誤りとなる箇所も無時間性の希望やら憶測で説得力をもつ。
そして化学式はそれらを完璧に否定することが出来ない。なぜなら無限回の確認を不可能ゆえに端折ってるからだ。とすれば解明に値しない意味であろうと否定できない。
しかしそれが即科学の敗北でないことは言うまでもない。
429 :
考える名無しさん:2006/06/13(火) 11:43:55
意味わかんねえ。
430 :
考える名無しさん:2006/06/13(火) 22:31:37
時間は無さそうだな。
431 :
考える名無しさん:2006/06/14(水) 00:25:55
無いのはおまいの時間。もうすぐ脳内で・・
432 :
考える名無しさん:2006/06/14(水) 03:44:55
時計は、ものさしです。
433 :
とんがり:2006/06/14(水) 05:03:49
テーマ変えたら?
タイムマシンとかに。
434 :
考える名無しさん:2006/06/14(水) 06:47:25
タイムマシンは時間が実在しない限りありえない。
終了。
435 :
とんがり:2006/06/14(水) 07:05:26
光速を超える物体は歳をとらないと言うね。
光速を超えたら若返るのかな?
436 :
考える名無しさん:2006/06/14(水) 21:42:39
アドリアネの導きの糸だっけ?
437 :
考える名無しさん:2006/06/14(水) 22:05:58
時間とは事のこと、で事が起きるには物の存在が必須なのねん。
だから 時間=物 なのねん。w
>>1 これどういうこと?
時間が実際にあろうが無かろうが、基準値を設定するっていうことは時間を定義するってことじゃないか
時間を定義した以上、「時間」という概念が現れるのは当然だろ?
意味が分からん
元々存在したものを時間と定義した?
定義したから概念として存在する?
定義したものが存在するんだよ
人間が絶対的存在を知覚できない以上、それからは逃れられない
と言うか知覚した以上はその存在を定義することになるから、結局は同じことだけれど
それがつまり概念だろう?
まあそんなことはどうでもいい
時間の基準を作るというのは時間を定義することに他ならないのに、定義したことがそのまま表れていて何故おかしいのかということ
いや、まあ多分現在の議論の焦点は
>>1なんか関係ないのだろうけど
定義される前に知覚される存在がある?
知覚されないものは分からないから、
元々存在するかどうかは分からないと言うしかない?
>>441 うん、君の言うとおり
定義は知覚のプロセスだから、両者に前後関係は存在しないな
知覚されないものは分からないから存在しない、というのは主観的な立場だね
もし神様がいるとしたら覆るかもしれない
でもぼく個人としては、人間である以上、知覚、つまり定義と存在は同義だと思うけど
後段の質問はイエスとはっきり答えられないね
>>442 なるほど。
でも、プロセスなら知覚の中に定義の前段階はあるよ?
ところで、ペガサスは存在する?
存在ももう少し分類できそうだけど?
444か……
一つ目
どうだろう?
ぼくは知覚と定義は同時に行われると思うけど
それ以上は生物学の分野じゃないかな
大脳生理学?
二つ目
ペガサスという幻想を定義している以上、ペガサスという概念が存在する
実現象は問題にならない
ある子どもがサンタクロースを信じていたら、彼(彼女)にとってサンタクロースは存在する
もちろん何らかの理由によって新たな定義付けが為される可能性はある
そもそも定義は絶対ではないからね
ただ単に現実世界で生きるために、定義の大部分が現実世界の影響に従っているだけだ
三つ目
問題を提起するなら、その根拠を示すなり分類を提示するなりしてほしい
ぼくは神様じゃないんだから、あらゆる物事にピタリと回答できる訳じゃない
それと、その分類というのは定義の問題だね
命題について議論する相手と定義が異なる時に、定義を修正する必要がある訳だけど、その定義は必要?
445 :
日大通信哲学科4年中退者:2006/06/14(水) 23:52:46
時間とは何か。人間はソレを時間と定義した。ソレは感覚語で
感じるもので別の言葉で表すことはできない。ー唯無論哲学ーより。
>>444 いや、一つ目は「定義は知覚のプロセス」とあるから、
「プロセスであるならば、定義の前はある」ってことじゃないの?って意味。
実際俺は、定義は意図的にするものだと思っているけど。
二つ目は、現実的、日常的にはその通りだと思う。
三つ目、
少なくともこのスレ的には、スレタイにあるように
概念や感覚と客観的存在を区別しないと意味がないと思う。
447 :
考える名無しさん:2006/06/15(木) 00:49:24
一つ目について
プロセスの最後に為されるなら、定義がされると同時に知覚が終了することになる
意図的というのに関してはどうだろうね?
人間が定義だと認識するのは知覚が言語化されてからであり、その時点では定義も知覚も終了していると思う
言葉に直す、つまり意図的に考えているのは全てが終了した後にその道筋をなぞってその認識が保存できるようにしているだけじゃないかな?
ぼくは思考の主体はインスピレーションに近いものだと思っているから、実際に人間がどう思考しているか、意図的か自発的かはよく分からないな
三つ目
客観的存在があろうがなかろうが、人間が時間と名付けている以上、時間という言葉は言葉の定義の範囲を越えられない
真に客観的な存在は名前が存在しない故に議論し得ない
>>448 ちょっと繰り返しになるけど
定義が知覚のプロセスなら、定義の前段階(知覚と呼ばなくてもよい)がある、
ってことじゃないの?
真に客観的である必要はないし、それは不可能だよ?
とりあえず、定義される対象が言葉の外にはない?
あと、日常使っている語、たとえば「おやつ」という言葉は俺にとっては自明だけど
その定義を聞かれたら、それから意図的に考えるよ。
人間以外の動物に知覚はない?
だんだん眠くなってきたのでリップサービスは無しだ
>>449 >定義が知覚のプロセスなら、定義の前段階(知覚と呼ばなくてもよい)がある、
>ってことじゃないの?
違う
プロセスという言葉は内包しているということに過ぎない
>真に客観的である必要はないし、それは不可能だよ?
真に客観的である必要が無いならば、時間の概念は人間のキャパシティを越えることは無い
よって命題自体が無意味だ
>とりあえず、定義される対象が言葉の外にはない?
定義されるものに対象も何も無い
定義するものは全て個人の感覚の内側にある
何故なら、人間は干渉されることによってその残滓を見ているに過ぎないから
>>450 おかしだと認識するのは、おかしという言葉が出てから認識するの?
認識してから「あれはおかしだ」と言語化されるのだと思う
説明するのは「おかしだ」と自分が認識したプロセスを辿って言語化しているだけだ
人間の思考は言葉より早い
その内容は未知数だと思う
人間以外の動物に知覚はあるか、は定義によると思う
知覚、人間という言葉自体が不明瞭だ
ただ、思考するためには名詞(つまり定義すること)が必要であって、それには著しく高度な分解能が必要なことは確かだろう
>>451 >プロセスという言葉は内包しているということに過ぎない
なるほど。でも、それなら最初からそう言って欲しいであります。
定義が知覚に含まれているなら、定義の書き換えも知覚になると思うけど
そうなると知覚や定義という語が分からない。
>人間以外の動物に知覚はあるか、は定義によると思う
>知覚、人間という言葉自体が不明瞭だ
これはまったくその通りだと思う。
>何故なら、人間は干渉されることによってその残滓を見ているに過ぎないから
これは絶対はしょりすぎ。
真のコミュニケーションは不可能だね。
いやだなあ、こういう喋り方するの
丁寧な喋り方って絶対安全側の喋り方だよね
整然と話せば間違いは少ないし、間違っても反発が小さくて済むもの
>>451 >プロセスという言葉は内包しているということに過ぎない
>なるほど。でも、それなら最初からそう言って欲しいであります。
プロセスの原義だろう?
過程に手段が内包されているのは当然じゃないか
>定義が知覚に含まれているなら、定義の書き換えも知覚になると思うけど
>そうなると知覚や定義という語が分からない。
知覚や定義の語というより、そもそも人間がどういう過程で思考しているのかを明確にできないって言ってるの
それに私はそれが絶対とは言ってない
ただ知覚と定義が同時か、あるいはごく近い分割できない時期に行われると示しているだけだし、命題の解決にはそれで十分だと思うけど?
>>何故なら、人間は干渉されることによってその残滓を見ているに過ぎないから
>これは絶対はしょりすぎ。
人が目でものを見るのは視神経が光の波を感知するからでしょう?
触れて感じるのは触覚が抵抗を感知するからだ
でもそれはその波や抵抗を感知しているのであって、ものそのものを知覚しているのではない
だから、定義されたものというのは、そうやって得られた情報の集合体か、まったくの空想によるものだ
情報の集合体も空想も、どちらにしろ個人の感覚の中にしか存在しないものでしょう
だから定義付けられたものは個人の感覚の中にしか存在しないと断言できる
オーケー?
と言うかデカルトくらい読みなさい
>>454 じゃあ、話し方を変える。
まだ、いたのかね?ププ
>>454 定義づけられたものや個人の経験の話はいらない。
>人が目でものを見るのは視神経が光の波を感知するからでしょう?
なぜこれと同じレベルで時間の話をしちゃいけないんだよ?
>456
いけないとは言ってない
それだと、時間……その時間という概念が、人間によって作られたことが自明だと言っているの
もしその外の話をするなら、絶対的に客観的なものの存在を証明することと同義
それは多分名前が無い故に議論が不可能じゃないのかな、と言っている
でもそれは今議論の途中のことなのでしょう?
そこに口を出したかったのではありません
私が言いたかったのは、ただ単に定義と客観的存在はまったく別の物だから、
もともと時間(多分客観的存在の意味だと思うけど)があろうと無かろうと、
>>1で時間を定義して時間の概念が表れるのは当然の結果だということ
>>1の文章の意味が分からないと言っただけだよ
そのあとは延々質問に答えていただけ
458 :
考える名無しさん:2006/06/15(木) 05:01:14
作られたかどうかでなく存在するかどうかなら
存在するというわけですね。
同感です。
さ、タイムマシンいきましょうか。なんとかの蛇も出て来たことですし。
459 :
考える名無しさん:2006/06/15(木) 06:52:51
何人かの子供が一人一人別々のとてつもなく奇妙な生物を考えた。
ある子供はそれが自分の想像した生物だと知っている。
この生物は子供にとっても現実には存在しない。
ある子供はどこかにいるに違いないと思った。
ある古代民族が現代人にはとても理解できない奇妙な神様を(ry
人間が時間が存在すると(ry
461 :
考える名無しさん:2006/06/15(木) 21:46:44
時間とは神の国への招待を断り続けるということ。
>>457 >>438のこの部分↓はまったく同感。
>基準値を設定するっていうことは時間を定義するってことじゃないか
>時間を定義した以上、「時間」という概念が現れるのは当然だろ?
でも、俺が聞きたいのはスレタイと同じでここ↓
>時間が実際にあろうが無かろうが、
これは、「時間」という概念 のことじゃないだろ?
でも、その答えは「知りようがない」だと解釈した。
>>457 >そのあとは延々質問に答えていただけ
俺も質問してただけ。答えてくれて感謝する。
でも、正直に言って俺の目には矛盾に見えるところが
たくさんあって、今もそれは整合的に理解できない。
464 :
考える名無しさん:2006/06/16(金) 23:18:15
空間もな
テーブルの上にお菓子があるのを認める。これは瞬時にできる。
このときすでにお菓子が定義されている?
昔は「お菓子って何?」「これってお菓子?」とか言ってたかもだが。
俺は2〜3歳頃にはもうそこそこの日常会話ができたほどの日本語の天才だし、
今ではお菓子にまつわる経験もたっぷり積んでいる。
テーブルの上にお菓子があるのを認めるのに0.1秒も要さない。その作業を意識もしない。
で、口に出して言ってみる。「お菓子だ」
お菓子の定義は「お菓子」。定義は知覚と不可分だ。
お菓子って何?お菓子の定義は?と改めて聞かれると
俺は言葉に詰まり、考え、記憶をたどる。このとき聞かれているお菓子は
「お菓子」という言葉だ。
で、こういう話の好きなちょっと変わった友人に聞いてみると、自然言語はどうだの、
内包と外延がどうの、類と種がどうのという話を聞かされる。
俺は何か根本的な勘違いでもしてるんだろうか?
昔は1日が5時間だったよ
467 :
考える名無しさん:2006/06/17(土) 01:18:38
宇宙の起源はビックリバーンじゃなく、時間なのだ。
468 :
考えぬ名無しさん:2006/06/17(土) 05:31:37
時間論のお勧めの文献を教えてください。
お願いします。
469 :
考える名無しさん:2006/06/17(土) 05:33:30
>>465 そうですよね。
お菓子についてはじめて定義を思いめぐらせるとき、
そこには、あったものを再確認するというよりも
お菓子に関する一連の記憶をかき集めて捨象する作業があると思います。
多分に創造的な作業です。
寿司が好きな人が、はじめてなぜ好きなのかを問われて
答えに窮するのもそうです。好きなものは好きだからとしか言えない。
舌触りがよい、食材本来の味をうまく引き出している、しゃりとネタの調和がすばらしいと
いくら言葉を重ねても、実際に寿司を食べるより雄弁には語れない。
やはり、認識は言葉によってされるのではない。
言葉が認識の後にあるのだ。
470 :
考える名無しさん:2006/06/17(土) 05:34:46
確かに、人間は生の体験を感じることはできない。
例えば、生まれつき目の見えなかった人間が、後に視力を取り戻した場合
通常の人間が持つようなだまし絵での錯覚が起こらないそうですが、
これは、私たちが普段、自分の脳が生の体験を加工したものを体験しているということです。
しかし、生の体験の加工は、言語によるものではない。
おそらく、認識されることでされるものでもないでしょう。
認識されることで加工されうるなら、認識した瞬間に言語化が可能だからである。
しかし、実際はそうはなっていない。つまり、認識によって加工されるのではなく
知らず知らずのうちに体が覚えたことをある日、認識するのだ。
ちょうど自転車に乗れるまで体が勝手に覚えた感覚を
自転車に乗れた瞬間に認識するのと同じように。
無意識があり、認識があり、言葉は一番最後にあるということです。
また、言葉があって世界が存在しているというなら
赤ん坊は、言葉を音楽と同様にしか感じられないし
言葉を覚えることもなければ、よって言葉で世界を一つずつ
産み出していくことも許されない。
それどころか、言葉をもたない、というより
定義するという行為を行えるほど論理的なコミュニケーション
をもたない動物だちは、いかなる世界に住んでいるというのか。
害敵も認識しない、えさも認識しない、仲間も認識しない。
471 :
考える名無しさん:2006/06/17(土) 05:40:31
馬も豚も蝿も認識はするだろうが言語表現は持たないだろうよ。
472 :
考える名無しさん:2006/06/17(土) 05:51:16
対象→認識→表現ということだろう。
そして
対象>認識>表現ということ。
対象のすべてを認識することはできないし、認識したすべてを表現することはできない。
473 :
考える名無しさん:2006/06/17(土) 05:57:27
同じものを見たり聞いたりしても、個々人、または動物によってそれを捉える能力範囲は違う。
人間はさまざまな道具を持ってその認識範囲を拡げてきた。
ではその認識を拡げる道具および論理にしても限界があるのではないのだろうか?
そして自然が理解可能ならば、無矛盾であり、無いものは無いと理解すれば良いと主張する。
論理にも限界はあるが論理自体は成立する。
474 :
考える名無しさん:2006/06/17(土) 06:06:54
認識諸器官は、自然の運動の在り方をその感覚のそれぞれの在り方で反映する。
音も暖かさも感覚の在り方による自然の運動のそれぞれの反映だ。
自然の運動の在り方を、自然の一部である認識諸器官が捉え、それを表現する。
言葉をもたない動物たちも表現はするのではないのだろうか?
仮に遺伝的に言葉が喋ることができない家族がいたとする。
それでも表現はするだろう。
言葉は表現の一種でしかない。
475 :
考える名無しさん:2006/06/17(土) 06:08:50
1+1=1
ブール代数の世界です。
すべてを細分化していった後にこれ以上細分化できないものが残ります。
そこにある現実は矛盾の上にはいません。
厳然として存在するだけです。
476 :
考える名無しさん:2006/06/17(土) 06:28:14
ブール代数、面白いな。
わたしの主張なんだが、自然自体に矛盾は存在せず、それを理解するから矛盾が起きる、つまり矛盾は人間の側の問題だ。
細分化するのも人間の側の問題じゃないのかな。
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
( 人____)
|./ ー◎-◎-)
(6 (_ _) ) カタカタカタ
| .∴ ノ 3 ノ ______
ゝ ノ .| | ̄ ̄\ \
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| \ |つ |__|__/ /
/  ̄ ̄ | ̄ ̄ ̄ ̄| 〔 ̄ ̄〕
| | ̄
478 :
考える名無しさん:2006/06/18(日) 11:46:50
で、このスレでは時間が存在しない、ということでOKなの?
479 :
考える名無しさん:2006/06/18(日) 13:00:52
哲学にはあまり詳しくないが一つの仮説を考えてみた。
1、空間は無限である
我々が存在する宇宙は有限であるが平行宇宙が無限に存在するので空間的な広がりは無限である。
2、空間的な広がりが無限であればどこかの平行宇宙で例えば現在の一秒後や一年前と全く同じ状況が
再現されている場所が必ず存在する。起こりうる全ての状況はどこかの平行宇宙で既に存在していることだ。
3、そして一つの宇宙では巨大な一枚絵のように停止した「一瞬」が存在しているのみである。
4、意識はその「一瞬」を因果律にそってある平行宇宙から別の平行宇宙へたどっているである。
よってそこに時間が存在する必要はない。空間の確かさ、時間のあいまいさは空間は存在しているが
時間は存在していないことに起因しているのではないかと思う。
以上から蛇足的にもう一つの結論
全ての出来事は既にどこかに存在するということになる。つまり未来(実際は時間などないので未来感だが)は決定しているし、
などないし自由意志など存在しないのである。
反駁する価値もないと思うが意見よろしく。
481 :
考える名無しさん:2006/06/18(日) 16:50:36
>>479 空間の1次元を時間代わりに使ってないか?
あるのは運動のみ
483 :
考える名無しさん:2006/06/18(日) 22:24:43
484 :
考える名無しさん:2006/06/18(日) 22:35:56
>>481 時間という考え方を捨てることによって様々な問題が考え易くなると思う。
例えばゼノンのパラドックス。無限の中点がとれるから実は物体は運動していないというやつね。
運動と時間を結びつけるからおかしなことになるわけで、矢が運動しているように見えるのは、無限の一瞬が因果律(これは人間の意識の中に存在する)
によって認識されているだけである。あるのは時間ではなく、我々が感じているだけの「時感」である。
>>484 じゃ、時間を時感の差を、3行で語ってくれ
486 :
479:2006/06/19(月) 13:05:11
違いも何もかっこつけて言い方を変えただけなんだけど・・・
実際に存在するように感じていた「時間」は実はあるように感じていただけの言うなれば「時感」であったということ。
時間のあいまいさはそれがそもそも存在しない事から生じているのである。
487 :
考える名無しさん:2006/06/19(月) 13:55:53
波が渦を作る教の人
488 :
考える名無しさん:2006/06/19(月) 13:56:52
空間も気のせいだよ
490 :
考える名無しさん:2006/06/19(月) 17:24:51
運動している自然を次元で理解している、ということで空間を否定しているわけではない。
時間で運動を理解しているということで、時間という次元が理解には必要であることは認めても、時間自体は存在するわけではない。
三次元で空間を理解しているのであって、三次元そのものが存在しているわけではない。
491 :
考える名無しさん:2006/06/19(月) 21:15:51
492 :
考える名無しさん:2006/06/20(火) 22:59:23
?
493 :
考える名無しさん:2006/06/21(水) 00:20:49
次元の数、分け方に拘らず、空間のみアプリオリに存在するとするなら,それは絶対空間の形を取らざるを得ない。
494 :
考える名無しさん:2006/06/21(水) 05:19:36
最初から(ry
495 :
考える名無しさん:2006/06/21(水) 08:43:10
ここでちょっとマテウス!!
>>490 >時間自体は存在するわけではない。
だから、その存在したりしなかったりする「時間」の定義は何?
497 :
考える名無しさん:2006/06/21(水) 12:25:54
人間は運動変化する自然をそのままでは理解できない。
わたしという人間は赤ん坊のときから現在に至るまで大きく変わっているのに、同じ<わたし>として、変わらない、つまり静止した存在として捉えられる。
同じように物理的存在の運動も座標原点、つまり運動量零を媒介にして静的に捉えられる。
つまり認識の本質は静的であることになる。
次元自体は自然の抽象であり、自然から生まれながら自然そのものではない。
次元で自然ができているわけではない。
次元でできているのならば、根本的に存在しないもので存在するものが出来ていることになる。
これは根本的に矛盾していることになる。
時間は運動する自然を直接には理解できないために必要な運動量を把握するための道具としての次元に過ぎない。
498 :
考える名無しさん:2006/06/21(水) 12:45:06
つまり、「道具」なのだから人間が作り出したものなんですね?
499 :
考える名無しさん:2006/06/21(水) 12:48:25
「時間」は人間が便宜上編み出したものだが、
「時間が【指し示しているところの】対象」は、運動・変化である。
ということかな。
空間が重なり合った結果が、人間には時という表出の仕方で認識されるのでは?
空間の中に時があるのではなく、空間の結果、時が存在するのではないか?
人間も全ての者も皆一つの空間でありながら、全く違う空間であり続けるとすれば、時間の認識は常に変化していく空間の認識となりうる。
過去はかつての認識の空間を眺めている。
今は常に動く空間を眺める。
未来は自分で空間の一枚ずつを重なり合わせて作品を作ろうとする。
素人イケンだけどね、、、
いや、たとえ時間の正体が変化の過程であるとしたところで、変化が一定の法則、一定の方向へ起こることに違いは無いだろう
便宜上人間が時間と呼んでいる概念は、確かに存在しないかもしれない
しかし概念の否定が、直ちに現象の否定になる訳ではない
まあそもそも、現象が人間の意識の外にあるかどうかは分からないが
仮にあるとして、それを『時間』と呼んでるんじゃないのか?
それについて議論ができるかどうかは難しいところだが
少なくとも座標によって変化の成り行き、『時間』を示すことができるのは確かだと思うけど
502 :
考える名無しさん:2006/06/21(水) 14:30:08
逆じゃないのかな。
時間で変化の成り行きを示しているだけじゃね?
503 :
考える名無しさん:2006/06/21(水) 14:32:49
時間自体も変わりうるし。
変わらないのは「変わる」ということだけだし。
しかし、「変わる」という概念を時間抜きで定義できるのか。
505 :
考える名無しさん:2006/06/21(水) 14:52:41
時間という概念で運動変化を捉えるしかないのだが、だからといって時間が存在するわけではない。
座標原点を適宜に設定して「ここ」から「今」からとして運動量として認識する。
だからといって座標原点が実在するわけではない。
つまり次元は自然を理解するために人間が自然から抽象して作り上げた認識の道具であり、存在するわけではない。
あくまでも運動変化する自然を認識する道具に過ぎない。
しかし自由に作り上げられるわけではなく、自然の抽象という性格から来る必然でもある。
二項対立で説明するという指摘があったが、大きさの無い数で有るもの、つまり自然を量で理解するのは必然でもある。
506 :
考える名無しさん:2006/06/21(水) 15:08:50
みんな難しく考えすぎだよ。
学問の基本的なところは単純そのものじゃないのかな。
507 :
考える名無しさん:2006/06/21(水) 15:13:41
・・・ということで「時間」とは「善」や「正義」の概念と同じように人間が作りだしたものだという結論に達しました。
時間らしきものは存在しますが、それは実体のあるものではなく別の概念で説明可能です。
以上スレタイの疑問解消。スレ終了。
508 :
考える名無しさん:2006/06/21(水) 15:20:39
時間が存在しないというより、「運動変化」自体が存在しないと
言うべきではないのか。
ゼノンとかはそう言ったんだろ。
生老病死は運動変化じゃないの?(´・ω・`)
511 :
考える名無しさん:2006/06/21(水) 16:11:33
>>507 あんた、今は亡き某会議室の住人のような気がするのだが。w
512 :
考える名無しさん:2006/06/21(水) 16:52:42
513 :
505:2006/06/21(水) 16:54:22
514 :
考える名無しさん:2006/06/21(水) 17:33:08
>>507 >「時間」とは「善」や「正義」の概念と同じように人間が作りだしたものだという結論に達しました。
>時間らしきものは存在しますが、それは実体のあるものではなく別の概念で説明可能です。
「概念」は人間が作りだしたものに決まっている。
「別の概念で説明可能」かどうかと、実体があるかどうかは、全然関係がない。
515 :
505:2006/06/21(水) 20:52:32
カントの二律背反は、自然存在と自然存在を理解する論理の在り方の問題でしかない。
つまり自然存在そのものとしては時間は無いのだが、それを理解するのに時間が必要だということ。
空間にしても始まりと終わりが必要なのは理解する論理の性格の問題でしかない。
516 :
考える名無しさん:2006/06/21(水) 22:30:17
自然存在そのものと、それを理解する論理とは、常に乖離しているわけね。
ということは、自然存在そのものは理解できないはずなのに、
「乖離している」って、どうしてわかるのよ?
518 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 01:05:59
自然存在そのものとか、それが理解の外だとか、面白いねw
519 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 01:56:07
>>517 時間は無くても「エントロピーの増大」が在るから…
いや、て言うか
俺が言ったのは、時間を人間が変化を解釈のためのX軸として捉えるんじゃなく、万物の変化の方向性を決定づけている、概念とは独立した『時間』というものが存在するんじゃないかということなので
>>505は完全に的外れな回答だよ
まあそんなものがあるとしても、おそらく人間には認識不可能だけど
定義した時点で人間の定義の範疇に存在することになって矛盾するために、定義できないから
あと
>>505の理論だと結論は『認識不可能』であって『不存在』ではないはずだと思うのは俺だけなのか
521 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 02:56:06
認識とは特定の相互作用またはその連鎖による観測に帰着する筈で、直接的にも間接的にも一切認識されないなら、
それは一切の相互作用に拘らないことになり、存在とは言えない。
セルジオ越後のブラジル戦起用は時間の問題か?
お客様の中に山田様がいらっしゃいましたら、
お手数ですが
>>522の座布団を一枚もっていって下さい。
524 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 10:12:46
>>516 >自然存在そのものと、それを理解する論理とは、常に乖離しているわけね。
いや、繋がってはいるが同じではないことを言っています。
次元はあくまでも自然の抽象です。
この意味で繋がりは否定できない。
しかし次元そのものが自然存在であるかというとそうではないわけです。
どんなものを考えてもまったく自然と関係が無いものはありえない、ということです。
しつこく挙げていますように、天使は鳥と赤ん坊の合成物という自然には存在しえない空想的な存在ですが、自然から想を得ているという意味で自然から全く乖離しているわけではありません。
弁証法で言えば、金箔の体積はその金の体積に依存しながらある程度無関係に引き伸ばせるという関係、つまり相対的に独立した関係であるわけです。
基本として存在しないものは存在しないという理解があります。
ですから、大きさの無い点、幅の無い線、厚みの無い平面というのはあくまでも自然の抽象でしかなく、自然存在ではないということです。
時間は自然の運動から抽象された次元ですが、他の次元同様に自然には存在しません。
525 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 10:44:20
どーーーーーーーでもいいわーーーーーー。
>>521 >>524 君らの言ってるのは存在に対する一つの考え方であって、それが絶対的に正しいということは証明されていない、と言うかできない
哲学書を読むのは重要なことだが、それをすべて正しいと鵜呑みにするのは危険なことだ
君らの言う不存在は、一定の定義を前提とした時に成立する理論に過ぎず、そもそもその定義についての前置きをしないで断定しているところに問題があると思う
527 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 12:16:31
>>526 そりゃそうだw
幽霊もいるし、サンタクロースもいるし、ドラゴンもいるし、麒麟もいるし、
ウルトラマンもいるし、仮面ライダーもいるし、
トトロもいるし、まっくろくろすけもいるもんなw
みんな存在してるんだからw
528 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 12:33:16
じつは自然存在というのは先験的で定義できない。
理由もなくただただ自然は存在するだけだ。
529 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 13:16:34
ドラゴンやトトロのような生物は、実際にはいないし、いるとすると矛盾が生じる。
次元や時間のような認識は、実在すると仮定しても、偏屈野郎のパラドックス以外矛盾は生じない。
530 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 13:19:24
とにかくパラドックスは生じると言われるわけですね。
>>529 w
531 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 13:31:41
カントにしてもゼノンにしても、自然存在とそれを理解する論理の問題です。
わたしは現代科学は混迷していると理解していますし、特殊相対性理論と量子力学の認識論的難問が解けるのだと主張しているわけです。
役に立たなければ空論だと理解しています。
次元や時間が実在すると仮定すると、どんなパラドックスが生じるのだ?
さっぱりわからん。
533 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 15:47:46
次元が実在する。
時間が実在する。
ということが、どういうことなのかが見えない。
次元は、どのようにして在るのか?
時間は、どのようにして在るのか?
534 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 16:02:52
時間とは、生きて死ぬまで
535 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 16:23:45
536 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 19:50:27
非物理的存在の物理的存在、なんておかしいし。
前提として存在の無矛盾性を守らなきゃいけないし。
537 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 20:20:50
>>530 偏屈野郎が言い張っているだけの意味においてのパラドックスだがな。
538 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 20:22:01
線形自由度
539 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 21:47:07
540 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 21:50:03
541 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 00:01:19
地図と、実際の地形との関係に似てるのかも。
今は、実際存在する場所。
過去と未来は地図。
無いものは計れない!
543 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 00:15:02
時間とはの問いの前に、在るとはなにかの問いがなければならないのでは。
544 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 00:18:33
つまり、地図の上では過去も未来も存在する。
しかし、実際には今ここにしか存在することはできない。
545 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 00:26:48
>>540 世界が生じてから、なくなるまでも含んでる。
つまり重層化されている。
>>544 いや、さすがにそれは強引すぎる
地図(計画図)上に存在するのは過去や未来の『投影』に過ぎない
それは記号であって、存在ではないと思う
547 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 02:13:48
根本的には認識の静的性格が時間という次元、つまり認識媒介を必要とするだけ。
548 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 02:51:49
>>546 だから、過去や未来は記号に過ぎず、存在しないと言っているのでは?
549 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 09:37:11
>>548 わたしもそのように受け取ったが、違うのかな?
時間とは変化そのものである。
変化とは2つ以上のものの間の相互作用である。
そこにその相互作用を感じるものが介在する必要があるが...
実は、感じると言う事自体が相互作用なのだが...
もともとは時間の概念は相互作用の逆数であったのだが、相対化し変化を測定する方が客観性があったので時間が抽象化されてしまった。
そもそも 物事の存在も相互作用に過ぎない..そこには実体の必要性は無く影響しあう力があれば良い。
更に力があっても相互作用が無く、互いに変化を及ぼしあわなければ 時間が無く、結果的に”実体と呼ばれる物”も無いのと同じである。
553 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 09:52:35
ていうか、問題は過去未来を実際に存在すると勘違いすることでは。
記憶と想像の中にいきることになって、妄想の世界に生きることになることがよくないのでは。
つまり、根源は力(相互作用)という事で..
これを受け止め表現する手段としての物理量 時間...質量、その他もろもろの尺度が便宜的に使われる用になった。
555 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 09:55:01
>>552 変化、という「存在」があるわけではない。
556 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 09:57:25
未来が存在することは自明ではない。
カレンダーとは抽象化の罠である。
557 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 09:57:55
変化も「今」に含まれる。
今、に存在する観測者が、記憶・記録・推測を元に変化を認識しているだけ。
その認識も今に含まれる。
つまり、今しか存在しない。
558 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 09:58:40
>>552 過去は、「かつて【在った】」
未来は、「【在るであろう】」
けっして【在る】ではない。
今だけと言うのはかなり近い感じがする。
言ってみれば、今と力だね...
560 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 10:06:46
ただ、実は過去と未来も「今」として「存在」する。
名にいってるかわかんなくなってきた。
人間いや生命体いや物体の衣を被っている限り..相互作用でしか事物、思想、科学その他を含め認識は出来ない..
開き直って、相互作用が世界だとの捉え方で必要、充分 矛盾は生じないって事でもある。
科学のこの限界で考えれば真理って事かな〜
「今」といっても、点や線や面といっしょで、「幅」がゼロの「瞬間」
だと存在し得ない、ということにならないのか。
飛んでいる矢は止まっている、とかいう例のやつ。
幅がゼロでないなら、どうしても過去と未来を含み込むのではないのか。
563 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 10:50:05
時間を飛んでいる矢のように捕らえる、というのも「今」に存在する観測者が
記憶・推測を元に認識しているだけ。
認識としては過去も未来も存在するけど、その認識は今に含まれる。
つまり存在するのは今だけ。
564 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 10:51:44
>>562 (ヒトの)知覚・認識は、点として静的にしかなされないからでは?
そこに認識がなければ、「世界はただ変化【している】」しかない、と。
>>561 縁起
>>563 「今」が幅のない瞬間なら、そもそも観測者が「今」に存在することが
できないような気がするのだが。「記憶・推測・認識」といった作用も、
「今」しか存在しないとすると厳密には不可能ではなかろうか。
566 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 11:21:14
>>565 「時間の幅」というのも認識の中に存在するだけ。
そして、認識・概念としての時間は存在する。
さらにあなたは今を概念として認識している。
さらにいえば、概念としての時間は当然存在する。
今は概念ではない。
花、という言葉、概念は花そのものではないのと同じ。
>>566 するとその概念ではない「今」というのが一体何なのか、全くわからない。
568 :
横レス:2006/06/23(金) 11:45:03
たとえば、「食事という概念」はわれわれの頭の中にあるよね?
で、「食事という概念」がわれわれの頭の中にあれば、
それだけで腹が膨れるか、というと違うよね?
569 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 15:00:20
相対論の時間と空間が同じってのがわからん。
570 :
方丈記:2006/06/23(金) 18:34:04
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と栖と、またかくにごとし。
実体のない、力の動きだけとうとうと揺らいでいる..そいつを時とよんだのだね。
571 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 19:43:27
572 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 21:36:29
未来は存在しない。
過去も存在しない。
573 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 22:07:59
総括すると、哲学的には、時間は概念の産物って事。科学は、暫定的な理論を基に、ピーチク、パーチク言ってるって事。
結局、答えが無い答えを捜し求めてるに過ぎない!
たとえば、パソコンにしてもネットワークにしても、
設計につかわれている理論や方程式には、
時間の項が存在しますよね。
それが、現にこのように機能していることは、一定の答えとみなせるんじゃないですか?
575 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 01:19:09
時間の項を語る前に、君は、時間の項をどう認識している?
576 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 05:59:45
>>574 あの光速度一定の法則でさえ座標原点が機能していますよね。
それが、現にこのように(ry
はて?
577 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 09:10:13
1.概念としての時間は存在します
2.実体としての時間は存在しません。
3.実体として存在するのは今だけです。
4.それでは、今ってなに?
>>573 アインシュタインは量子力学を理解したくなかったと言う話がある。
時間を含む物理量が不確定であり、観察方法によって確率的に定まるということ。
ここで言う観察方法とは相互作用のかけ方、つまり認識する為の力って事。
認識の限界があるものからそう見えるのであって..根源は神のみぞ知るシンプルで美しい法則があると主張したかった。
現実的には、われわれは神では無いし、神の立場から見る必要もないって事。
579 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 09:22:19
>>569 単純に空間が存在しなければ、時間は存在しない。
逆も真ってことでは?
580 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 09:24:33
変化のある世界に存在している奇跡。
そしてその世界を認識しているという奇跡。
それ以外にはどんなことも問題ですらない。
>>577 われわれは、自分達が便宜的に名づけた時間、空間と言う極めて限定されたものを認識を出来る能力を持っている。
しかしながら、認識しているという認識はある。 ← これが”今”と言う事。
582 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 09:29:48
583 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 09:32:24
>>581 認識が「今」なの?
では、「今」は認識のすべて、自分そのものということになるのでは?
584 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 09:33:21
>>582 概念としての時間は存在する。
そのことに異論のある人はいないだろうということをまず認識してください。
>>583 ちょい感じがちがうな〜 ”孤独感が伴う存在”てな概念が近いかな..
大方は言葉遊びだね...
586 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 09:47:08
今がなにかというのは、結局はよくわからない。
今の認識ということで考えると、一瞬前つまり過去しか認識しできない。
認識では、今を捉えることはできないのではないかと推測する。
587 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 09:57:39
今そのものはたしかにわからない。
量で認識するしか無いということ。
>>586 ここで言っている認識と言うのは 大脳によって処理した結果ではなく、あるがままの時間ロスが無い感覚に近いようなもの。
更に認識者の存在を感じている状態そのものが今と言う事。
「過去が存在しない」とすると、歴史学とかは一体何をやっていることに
なるわけですか?
「邪馬台国はどこにあったのか」の正解探しに一生かけている人もいますし、
「第二次大戦についての正しい歴史認識を持て」などという話は、
政治的にも非常に重大な影響を現実に持っているわけですが、
それらはあくまでも「今の記憶や記録について今論じているだけだ」とすると、
論じられた内容が「正しい」とか「正しくない」とかが意味を持たなく
なるのではないでしょうか。
590 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 10:31:28
「「過去が存在しない」とすると、神学とかは一体何をやっていることに
なるわけですか」みたいなもんだろ。w
591 :
:2006/06/24(土) 10:37:17
>>589 過去と言うのは、現時点の記録、記憶の中にある今と言う事ですね。
それから人間が便宜的につくりあげた、時間、空間、力の間に科学、文化は法則や慣わしがあり、
今、記録を紐解くと成り立つものが多いので、今もその便宜的につくりあげた物理量の法則が活きている前提で
歴史を大事にしているのですね...
念のため付け加えますが、あくまでも思弁的アプローチに過ぎません。
私は、その便宜的な時間、空間、法則を頼みにして生活をしています。
592 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 10:40:59
593 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 10:43:32
物理的な存在として時間そのものは存在しないというだけだろう。
>>576 すいません、 (ry されるとさっぱり意味不明ですが?
>>575 他の項と同様、何らかの数値であらわされる量ですね。
596 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 14:13:57
ローレンツ変換で入れ替わる時間と空間の一方が仮想で、一方が実在だと意味不明。
597 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 14:17:26
時間が仮想なら空間も仮想(そうでないなら両方実在)でないと困るので、どちらかに統一しろ。
598 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 14:22:08
次元が仮想と言っているだけだよ。
次元で理解するのだが、次元が存在するわけではない。
三次元で空間を理解する。
四次元で運動を理解する。
次元で理解するのだが、次元でできているわけではない、というだけ。
599 :
:2006/06/24(土) 14:30:13
もともとは凪だったんだ..凪を認識するには時間も空間も必要ないと言うか存在しない。
そこでバランスが崩れ、力が起こったんだ、しかも不完全に..
それで 波が起こったんだ..でもこれは変化だけで、時間の概念が無くてもよかった。
少なくとも 過去とか未来とか言う事は必要ない..
そのうち..不完全差が増し 空間とか 時間の進行が感じられる様になったんだ。
実体今だけなのに...
600 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 14:45:52
あんたの今だけね。宇宙の今を定義すると、絶対空間を認めなくてはならないから矛盾する。
かつ、あんたは点でなければならない。
601 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 14:50:11
>>598 そうそう、その感覚。
定義のほうがリアルになっている感じ。
言葉や概念はただ理解するための道具なのに、
なぜ概念のとおりに世界がなっていないのか悩んでいる感覚。
602 :
:2006/06/24(土) 14:52:55
何かのきっかけで、空間、時間を感ずる事が出来るようになってしまった。
しかし、それは感ずる側の都合でしかない..
不完全さから生起されているに過ぎない..
感ずる側(認識する)が... 神であれば... 今だけで充分かも知れない。
603 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 15:13:02
疑問が生じるということは、認識が間違っているということ。
正しい認識の前には、問いが答えとなる
604 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 17:37:17
時間とはア・プリオリな認識の枠組みである。
605 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 17:52:52
>>598 空間が2次元時間も2次元と仮想して理解しようとするとどうもうまく逝かないんだが、なぜ?
606 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 18:15:21
そのような理解が現実的に根拠がないからでしょう。
空間は三次元として、運動変化は四次元として理解できるのは、人間の理解が現実に根拠を持っているからです。
607 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 18:19:11
次元で理解できる、ということは、次元そのものが現実ではないのですが、やはり次元が現実に根拠を持つからです。
608 :
:2006/06/24(土) 19:44:57
理解出来るかどうかは別としても、重力場が支配的な一般相対性理論は時間を含めた4次元の方程式で記述可能なんだ。
量子力学を含め、物理は認識出来るかどうか別として数式では記述され..それが、観測された事実を符合すると言う事で利用価値があるということなんだね。
つまり、哲学的(洞察も含めた)な認識とは違和感があるんだ..
そこに真実があり、われわれ(専門の人は別かも)のが及ばないのか..
そうではない..肉体をもった人間の限界から認識の便宜で作った物理量を経験で符合する数式を使ったから違和感があるのかって事が問題なんだね。
私は、後者を選ぶね...多分アインシュタインも誰でも理解可能なシンプルなもっと美しい統合を求めたのかとおもう。
今しか無いと言うのは..たぶんあってないけど....そこにアプローチしようとしている努力なんだわ。
609 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 20:25:37
記述可能と言っても相対的でしょう?
座標原点なんて無いのに、その存在しない座標原点を適宜に設定して認識するわけです。
だから本当は出発点も終点も無いでしょう?
方程式上の出発点は仮ですよね。
また、わたしが誕生した、と言ってもその誕生はたんに物理的状態の質的変化ですよね。
死も同様ですよね。
しかし物理的状態の運動変化は常態です。
わたし、と同一性としてしか捉えられないのが認識の特性なのですが、現実にはこのわたしは運動変化しているわけですから、同一性としては存在し得ない。
ここでも、誕生、つまり座標原点は仮でしか存在し得ない。
しかし座標原点そのものは存在しないがやはり相対的にではあるが根拠があるわけです。
現実に物理的生死はありえなくとも、物理的状態の質的変化はある。
質的変化自体は相対的にしか指摘し得ないのは、物理的状態の運動変化を静的にしか捉えないからです。
記述可能と言ってもやはりそれは現実そのものではなく認識の特性に捉えられた現実でしかない。
610 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 20:40:51
方程式は座標系によらず成り立たないと困るわけですが。
>記述可能と言ってもやはりそれは現実そのものではなく認識の特性に捉えられた現実でしかない。
でもまあ、それで十分事足りてるわけだし。
612 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 20:54:34
事足りない分野もあるのではないかと思われ。
じゃあ、その分野に限った問題なわけね。
614 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 20:56:35
不確定性は神なら避けて通れるといったものではないし。
でも日常生活に現れるといったものでもないし。
616 :
:2006/06/24(土) 20:59:50
>>609 >また、わたしが誕生した、と言ってもその誕生はたんに物理的状態の質的変化ですよね。
>死も同様ですよね。
>しかし物理的状態の運動変化は常態です。
それは次元を変えても解決しない事..便宜的に作られた法則では大した事ではないんですね。
それだけでない..根源の法則においても大きな問題ではない..(沢山の中のひとりと言う意味ではありません)
認識と世界(科学的な流れ)を統合する法則を見つけないと満足できないって事でしょうね。
時間の流れが出来てから、認識が個から多数へ広がり、生死が発生しているのです。
ここを統合する考え方があればすっきりするわけです。
オカルトティズムに陥りやすいのですが。
617 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 21:00:51
時間という次元は存在しないのに、時間が存在すると理解しているのが現代科学。
618 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 21:08:14
自然は運動するエネルギーの濃淡でしかないと理解しています。
(濃淡は運動の過程で存在するのですが。)
その運動は静的にしか理解できない。
その静的認識が次元を必要とするわけです。
わたしは無を認識の媒介と捉えます。
次元は理解の媒介なのに、次元でできていると誤解している。
619 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 21:15:34
自然はたんに存在するだけです。
時間はその自然の運動を理解するための次元でしかない。
つまり運動理解の媒介でしかないのに、科学は自然の始まりと終わりがあると思っている。
それは違う!
絶対座標、つまり運動の否定、静止、存在しないものの存在なんてのが有るはずも無い!
絶対座標、つまり運動の否定
? ?
∧∧ ?
(,,゚Д゚) ?
/ |
〜OUUつ
621 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 21:23:48
622 :
考える名無しさん:2006/06/25(日) 03:32:41
>>617 なぜ存在しないものを仮定した方が辻褄が合うんでしょうか?
623 :
考える名無しさん:2006/06/25(日) 03:39:38
>>618 運動に供するエネルギーという意味での運動エネルギーはあるが、運動するエネルギーなるものは意味不明。
そのようにわけの解らないエネルギーの濃淡というのも支離滅裂。
物理学の用語を連ねてみているだけで、何も現していない事に気づけよ。
624 :
考える名無しさん:2006/06/25(日) 03:49:55
時間に作用されない領域は存在するでしょ、厳密にはしているようだけれども、
取り分け、量子や原素の範囲では・・・という事は時間という絶対的な、
そして付加逆な壮大な力の元に、
それぞれが反応し合い、運動し始めたという考えは、愚の骨頂でしょうか?
625 :
考える名無しさん:2006/06/25(日) 04:15:26
人類はある時、変化に気付いた
繰り返す変化と戻らない変化があった
それらをより詳しく観察するために時間軸という概念を作り出した
今の所、時間という概念を必要とする物は人間しかいない
626 :
考える名無しさん:2006/06/25(日) 04:20:28
用語の明らかな間違いは、話の全体の信頼性を怪しくするよ。
「量子や元素」は多分「素粒子や原子」のことで、「付加逆」は「不可逆」のことだろうが。
時間自体の非対称性を示す証拠は、今のところCPT反転ぐらいしかなく、これは非常にわずかの
破れで、このスレで散々引き合いに出されている時間の矢、現象の不可逆性とは直接関係しない
のではないだろうか。
627 :
考える名無しさん:2006/06/25(日) 05:00:57
>626
すんずれい致した・・・単なる無知の思いつきに過ぎないのですが、
「不可逆」の誤りです。が、量子や原子の分野では、更にミクロの世界でも
時間という概念は必要不可欠な物なのでしょうか?素人考えでは時間に関係なく
運動している様におもわれるのですが・・・
そして、時間に作用されない孤立の運動として、また時間以前の存在として・・
628 :
:2006/06/25(日) 06:43:52
秩序(エントロピー)という集団的な振る舞いにおいて、不可逆が起こる事は有名だね。
しかし、究極的な秩序はまったく秩序がなくなり..完全な無秩序である均質ではないのかな...
それが最も完全な美にも通じると...
しかし..その、中間的なところで、人間のもつ秩序さに相応なバランスや複雑さをもった物を利用し、生命を維持したり、
感動したりしてるんだ。
時間はそういう範囲で有効なファクターなんだね。
629 :
考える名無しさん:2006/06/25(日) 07:14:32
>>625 >今の所、時間という概念を必要とする物は人間しかいない
ああ、だよね。
繰り返す変化と繰り返さない変化、か。
けっきょくある物理的状態がある物理的条件下においてどう運動変化していくのかを理解しているだけでしょう。
地球という物理的条件が質的に変化しない限り、現在の有り様は再生産されていく。
つまり変化は繰り返す。
しかしまったく同一の物理的状態というのはありえないから、この意味で変化は繰り返さない。
宇宙の規模では運動変化することが常態、つまり変化しない。
目の前の物理的存在は運動変化するだけで、物理的には何も生まれないし何もなくならないのに、宇宙だけ生成消滅するという理解は釈然としない。
どこにも時間的な始まりと終わりもないのに。
時間はやはりたんなる理解の媒介じゃないのかなあ。
あとエントロピー学説に対する疑念を持つ科学者もいるんだよね。
この辺はエントロピー理解の批判として「ビッグバンはなかった」ラーナーを読んで欲しいところ。
高いんで図書館で借りて読んで欲しい。
必要とするも何も、概念なんて人間以外持たないに決まってるだろw
631 :
:2006/06/25(日) 12:03:09
>>630 そのとおりかも知らんね。
ただ、動植物がある現象とか刺激をたび重ね経験して行くと..
その時の個々の行動や感覚から、抽象化された概念的な把握と言うか、
学習結果として、若干高度化されたされた、つまり一般化された反応をする様になるって事じゃないの。
それを概念って呼ぶのもありかなって...
念のため、俺は
>>628で
>>629ではないけどね....
もともと、テーマがテーマだけに、多少は洞察的な読み取りも必要ではと言うか、
ある程度はなんとなく共感するってのでも良いのでは...
>>629 もう、ひとつ エントロピーの疑念まで確認するのもどうかと思うし、そのつもりも無いね。
何か、この件に関する面白い解釈がある様だったらレスが欲しいって事かね。
632 :
考える名無しさん:2006/06/25(日) 12:19:30
人間の意識の素朴な形は動物でも有るんじゃないか、とは思うけどね。
認識そのものを認識できる物理的状態の発展系が意識じゃないかな、と。
俺自身は一元論で無いと自然は理解できないと理解しているから、意識自体は物理的状態のもたらすものとしか理解できない。
けっきょくなぜこの物理的状態が意識をもたらすか、というのはわからないんじゃないかな。
それと自然自体に論理は存在しないと理解している。
自然はただだ存在しているだけだ。
存在理由など無い。
633 :
考える名無しさん:2006/06/25(日) 14:48:17
自然に存在理由がないのはその通りだが、かくも精密に数学で記述できるというのは偶然とは思えない。
概念や数学を理解し操れる脳が生み出されたのは偶然だろうが、少なくとも数学とは脳の恣意ではなく、
不完全性定理を含めて、むしろ自然の翻訳ではないかと思えてくる。
634 :
考える名無しさん:2006/06/25(日) 15:39:30
絶対的な時間の流れが存在しないというだけで、
相対的には時間は存在している。
時間があるとは変化があるということだから。
変化のないものはない。言い換えれば時間はどこにも存在する。
ただ、時間の流れが相対的だから、あれの時間の流れとこれの時間の流れを
比べるとき、時間の単位を補正してやらなければいけないということだ。
といっても我々の実生活の範囲では認識できるほどのズレはない。
よって、時間は絶対的としても差し支えないということだ。
それと、
私たちは今しか感じることは出来ない。
よって、過去にしても未来にしても、その存在に触れることはできない。
過去は、自らの記憶と伝聞による世界であり、
未来は、過去から現在につづく放物線が教える標だ。
この両方とも経験的なものだ。記憶であり、記録の集積物だ。
我々がこの収拾物を信頼する限り、それらは真である。
しかし逆にそれらは、信頼すべき他であり、決して私自身ではない。
我々は信頼すると同時に疑っているのである。
よって、時間は存在しないなどという懐疑論者が出てくるのである。
彼らは、直観(現実を直に感じること)こそ我自身と思っている。
つまり、我思う故に我あり。
唯心論が彼らの向かうところであり、彼らの真実なのだ。
しかし、それが果たして真実なのかは知らない。
635 :
考える名無しさん:2006/06/25(日) 15:53:26
戯言です。
不完全性定理は面白い。
けっきょく自己言及の問題じゃないかな。
自己自身を含めて一である世界を他者として認識しなければならない。
けっきょく認識そのものは矛盾でしかない。
数学は認識対象をこう考えれば認識可能だと、認識対象に合わせる。
ゼロに限りなく近いがゼロではない、とか。
光速度一定の法則の方程式とか、プランクでしたか?手元に無いんですが、とにかく1から引くと認識対象と合ってしまう方程式がありましたよね。
これって数学の典型なんじゃないかな、と思っています。
まあ数学はよくしないので、これで止めますが。w
636 :
:2006/06/25(日) 18:18:57
申し訳ないけど、数学その他も含め..人間の認識のツールに過ぎないと思うけど。
切れる人間の命題とかあって、本質に迫るってな事を感じるかも知れないけど..
所詮、人間の認識の範囲に過ぎと思える..
もし、本質に迫るものがあったとしたらそれは既存の数式や論理の体系からでは無く..
洞察的なまったく新しいもの..しかし、万人をもって”腑に落ちる”アプローチでは無いかと思いたいね。
たびたびではあるが、アインシュタインはそれを求めていたんだ..しかし何せ肉体の限界があったんだね。
637 :
:2006/06/25(日) 18:59:10
万人をもってと言うのは..概念的なものですね、数式の美しさとは違うもの
たとえば..光速を基本にして物事考えたとか、最初エネルギーか空間を歪めたとか..
何を物事の基本、ものさしとおくかと言う事。。
物差しを変えた時に..新しい世界が切り開かれるかって事を感ずるかって事だと思う。
能力にはおのずと限界あり、矛盾だらけだとうけど..哲学的はそれを思考する事ではないかと思うね。
認識は今しかないと言うのは..
受け入れ難いかも知れないけど..自分との関係で確実なものをはずしていったときに残るものと言う点では間違いないと思うね。
638 :
:2006/06/25(日) 19:02:03
↑ 訂正
1)最初 → 最小エネルギーを元にしたとき
確実なもの → 確実的なもの以外をはずしていったとき
639 :
:2006/06/26(月) 05:32:11
今まで、既存の物理量から、既存の法則を元に導き出された結果だと思われていたものの中にものさしがあるかもしれない。
”現認識”も一つの候補なのか...
その中に、時間が含まれていないものがあり..それを物差しにする事で、それ以外の現象を説明できると言う事を立証した後から、
数学的なアプローチかそれ以外(何か逐次的なものでない)手法でのアプローチが始まる。
それが、完成すると 時間、空間の相対化と宇宙の絶対化の矛盾に悩むことは無くなる。
640 :
トニー:2006/06/26(月) 13:06:25
俺には宇宙全体が一つの時計のように感じちゃう・・・このスケベ
641 :
考える名無しさん:2006/06/26(月) 15:21:44
宇宙が一つの時計か、面白いな。
叔父が何台か機械式の時計を分解しては壊していたそうだ。w
642 :
考える名無しさん:2006/06/26(月) 15:32:11
あっ、時計というと先年若くして亡くなった優しかった叔父を思い出すもので。w
もらった懐中時計は毀れてしまって、直そう直そうと思っているのだが、いまも直さないで手元にある。
643 :
考える名無しさん:2006/06/26(月) 22:37:21
次元で理解しているのに過ぎないのに、次元という理解があまりにも有効なので次元そのものが存在すると勘違いしてしまったのが科学者だろう。
まあ次元が存在しないことに気づきつつある科学者もいないことはないのだが。
644 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 01:43:31
きわめて似た構造が自然に存在するから、次元という解釈が有効なのかも知れないね。
645 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 01:51:31
【時間とは、万物の変化の表れのこと。作ったのはあなた達と私です。】
649 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 04:12:22
>>645 エントロピーの増大で十分でしょ。何でそんなところに時間が出てくるの?
650 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 07:00:20
>>644 次元は自然から抽象したものだから、似ているのは当然じゃないの?
651 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 07:02:26
言葉と言葉が指し示すものとがごっちゃになっているんじゃないか。
月を指す指は月そのものではない
652 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 07:04:26
>エントロピーの増大
て何よ?人間が作ったもの?元々存在するもの?
653 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 10:22:45
法則も次元もある意味で模写なんじゃないのかな?
654 :
:2006/06/27(火) 10:40:45
>>653 まあ、確かに認識者の限界ゆえに対象をパースペクティブにて表現するようなものかも。
模写の方法をが判らないから、始まりの問題、原点の問題に対する疑問がどうしても残るんだね。
655 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 12:26:53
現代の科学はまだまだ未完成で変わりうるんじゃないのかなあ。
時間なんてのは科学者の間でも様々な議論があってわかっていないし。
哲学でもいろんな理解を自由に出してもいい段階だろう。
それで理解できるからといってそれが存在するわけではない。
もう少し自由にものを言える雰囲気を哲学だけでも作りたい。
656 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 13:43:09
反証不可能、つまり毎回違うものになるものを科学で
扱えるのか?
仕組みの規則を見つければ、科学だと思うだろ?
しかし仕組みがあれど検証不可能な仕組みもある。
>>649 時間、それ自体を説明するものではなく、時間の矢、つまり方向性を説明しているに過ぎない。
658 :
:2006/06/27(火) 14:10:18
>>656 絶対と相対の間の矛盾、疑問に対し納得のいく考え方が提示できるかと言う事だよ。
認識出来る範囲で検証できれば充分。
659 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 19:37:19
いずれにしても今世紀中には決着がつくと予想している。
わたしの自然理解による予想。
ビッグバン崩壊。
重力、時間は他の概念に吸収される。
最小単位は無い。
主なのはこのくらいかな。
660 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 19:39:36
まずゲーデルの不完全性定理でも考えれば?
661 :
:2006/06/27(火) 19:41:37
↑論理体型が逐次的なのが問題なんだと思うね
662 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 19:48:30
>>661 では試しに自己言及のパラドックス
を論理体系を逐次的でない様にして
解明して下さい。
663 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 19:52:09
それが今ないから問題なんだよ。
要するに
Cは ^Aの時
AならB
BならC
此処で
AならCという事ではなくて
逐次的でない論理では AはAだって事があるって事。
664 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 19:59:49
>>663 今ないから問題なんではなくて逐次的でない様にしたAはAという結論は
何の証明もしなかった事に限りなく等しいというか、まずそこから出発するもんだからな。
論理というのは科学的、哲学的、法的にも。
だから逐次的なのが問題だというのは問題にならない。
665 :
:2006/06/27(火) 20:03:05
解らない人だね..現状の論理体型では克服できない疑問とか矛盾は、
新しい論理体型によって克服されるかも知れないと言う一般論をいってるんだわ。
新しい論理体型を説明できたらなんら現状の疑問にはならないでしょ?
666 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 20:05:11
>>665 じゃあそう言えばいいじゃん....
自分のレス読めよ。>論理体型が逐次的なのが問題なんだと思うね
667 :
:2006/06/27(火) 20:07:16
もう、あんたとはやめとく
668 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 20:09:17
>>667 待ってくれ、その新しい理論を興味あるんで、ぜひ教えて頂きたいm(_ _)m
669 :
考える名無しさん:2006/06/28(水) 01:50:06
>>650 それでも存在しないと言い張る厨房がいるんだが。
670 :
考える名無しさん:2006/06/28(水) 06:07:12
>>669 あんたが存在証明をすればいいだけ。
できなかったら引っ込め。
あんたが存在証明ができなかったというだけで、存在していないことにはならないが。
だが、あんたは現在のところは証明していないは確かなこと。
さて、できるのかい?
671 :
考える名無しさん:2006/06/28(水) 19:06:37
今のところ科学者の間でもわかっていない。
哲学でも諸説あるし。
どうせ2ちゃんねるだ、自由にモノを言おうぜ。w
672 :
:2006/06/28(水) 19:17:50
673 :
:2006/06/28(水) 19:51:07
このテーマのついて仮説とかアプローチの提示についてのレスは当然の事ながら、
欠点だらけなのは当たり前..
提示に関しての問題点の指摘は誰でも、簡単にいくらでも出来る。
しかし、その可能性とかあるいはそういった観点からしたらどのような広がりがあるかというレスが出来ればほしいね。
674 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 06:54:27
科学の時間論の最大の欠点は、無いものが存在する、ということだ。
・・・大欠点なんだがね。w
675 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 11:03:00
676 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 12:16:20
点も線も面も時間も存在すると論じるのは誤り。
あくまで人間が認識するもの。
677 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 12:46:03
点を認識できたらそりゃ神様
ここもアフォだらけだな。
680 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 17:22:05
同じアフォなら踊らにゃそんそん。
681 :
:2006/06/29(木) 18:51:13
2チャンルには、こういう引きこもりで刺激不足のやからと一見思われるが居るのです。
哲学板にしろ。掲示板一覧から簡単に入ってこれるのですから。
でもまあ、裏情報とかピンクチャンネルに流れないのは、それなりに主張があるかも知れません。
私が感じた範囲ですが、此処は比較的おおらかな住人が多いところ。
スレタイに関し、刺激を与えたいなら方法は兎も角それもよしって事かも。
案外”おどる”言うか 普段締めている前頭葉を柔らかくするのも良いのかも。
682 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 19:17:23
異端の書も読むべきなんだけどね。
科学の歴史を紐解けば、異端から正統に変わってきた歴史だし。
最先端の分野ではまだまだわからないことだらけで、今日の異端は・・・なんてこともたびたびだ。
もしかするとコペルニクス的転換の可能性も否定できない。
だとしたら、なかなか血沸き肉踊る面白い時代にわたしたちはいるのかもしれない。
683 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 16:38:10
君たちはなぜ、直角は90度なのか考えたことはあるのかい?
土から離れた頭でっかちがはまる罠にはまることなかれ
684 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 16:47:12
土から離れようぜ。
頭でっかちがはまる罠にはまってみようぜ。www
685 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 16:51:48
土台をおろそかにして、高層ビルを建てたらどうなるか分かるだろ
ビルが高ければ高いほど倒れたときの衝撃は大きい
686 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 17:06:54
ここのみんなは土台を考えてるんじゃね?
687 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 17:16:36
688 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 17:23:54
何を以て土台と言うのかな? 土台とはつまり
脳内世界ではない、この現象世界のことだよ?
地面から離れて世界は存在しないよ
689 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 17:43:41
脳内批判。w
690 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 17:50:47
>>681 shall we dance?
持論は時間=自然の運動理解の媒介説なんだけど。
具体的にはどんな案をお持ちで?
ああ、俺にわかりやすいように、噛み砕いて書いてくれるかな?
マジであんたのはわたしの知の範囲外なので。w
691 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 18:40:50
692 :
:2006/06/30(金) 18:52:14
>>690 貴方は此処よりは、物理の板に行ったほうが住み心地が良いかと思います。
相手にされるかどうかはわかりませんが。
693 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 19:22:45
>>692 まあ、そう言わずに。
マクダガートあたりをちと読んだだけどね。
科学関係で相手にしてくれるのは哲学に興味がある人間とか限られるし。
ああ、でも数人は真剣に相手にしてくれるが、八割は無視してくれる。
2ちゃんは駄目だな、ほとんど。w
しかし意外と本格的なやつが相手をしてくれるが、学生は×だな。
694 :
:2006/06/30(金) 19:38:19
此処で、四角ばった批判しても相手にされないよ。
俺からすれば、ここで、土台を強調されるとどうも不可能に近い事かなあって感じてしまうね。
まず自分から何か新しい提案して揉んでもらってら、相手にしてくれるかも。
その際は、別に土台にこだわる必要な無いけどね..
批判だけなら、此処では毛嫌いされると思うよ。
少なくとも俺は相手したくないね。
念の為にそういう本意で
>>692 のレスしたのですよ。
やんわりレスしたのですが、どうも真意が伝わらないようだから....
695 :
693:2006/06/30(金) 19:45:50
683 685 688 は俺じゃないけどね。
696 :
676:2006/06/30(金) 20:38:01
>>677 え、点・線・面なんて現実に存在しないって高校の物理で習わない。
紙の上にペンで点かいても目近ずければ小さい円。直線があったとしてもその線
に幅があったらあくまでも(極端に)細長い長方形(面)。ほんで紙の上にある
点も線も面も顕微鏡でみればぼこぼこの神の上に黒い色が塗られている立体。
そんでもって立体の紙も、ものすごく細かく見れば紙という物体も刻一刻と
その形が変化している。
つまり点・線・面・立体なんて人間が幾何学的に認識してるもので物理的には
存在しない。このことを理解すれば時間も物質としては存在しないあくまで四次元
という認識上の「存在」に過ぎないことが理解できる。これを相対性理論においては
時間の進行をもう一つの線ととらえるわけ。
この認識上の「存在」という表現が問題。存在と言うと物質としての存在と混同される。
ここら辺が形而上学で数字や幾何や善などの認識は物質としての存在ではないが
現実としての存在であるのだろうか。あるいは物質としての存在だけが現実の存在なのか。
いやまて、幾何学という認識がなければ物質の認識もないのだから存在そのものも認識
じゃないか。という哲学の問題が起こります。「時間は存在するのか」という
設問じだいが存在という言葉自体が少しあいまいなことがわかる。幾何学は認識上
存在している。だけどこれは物質としての存在ではない。でもそれなら認識上の
存在なんて表現自体が間違いかも。高校の物理をちゃんと聞いていればここら辺の
問題を一発で認識できる。そしてこの存在に関する「問題」も存在するのかな。
697 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 20:57:10
>>696 > え、点・線・面なんて現実に存在しないって高校の物理で習わない。
中学の数学(幾何)の時間に習わなかったのかよ・・・
698 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 21:06:13
おういおうい。義務教育を受けてないのは哲学できんぞ。
>>698 半島人は黙っていろ。それは義務とはいわない、愛国教育
700 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 21:11:42
お前、幾何学を知らない者、哲学の門をくぐるべからずって
誰の言葉か知ってる?
701 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 21:14:59
「存在」などという曖昧な用語を使うからいけない
702 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 23:03:54
存在は曖昧
703 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 23:04:26
あいまいみー
704 :
676:2006/07/01(土) 01:16:35
>>697 点・線・面・立体・数などが存在するかどうかの問題は数学に関係ない。
観念的存在と物理的存在の区別は哲学あるいは物理学の問題。
名前は忘れたけど「一番役に立たない」の異名をとる物理の参考書は
点の説明から始まるよ。
時間は明らかに点・線・面・数・類などは観念です。
点や線と一緒で認識することはできるがよく考えてみると物理的には存在しない。
ついでに「存在」は形而上学を定義する問題。
ややっこしいのはこれらの観念なしに物理は成り立たない。かといって
これらの観念は明らかに人が現実を経験することから認識されるもの。
物理的存在と観念的存在に明確な境界が存在するのかはっきりしない。
こっちの境界問題のほうが反証可能性の境界問題より面白い。
705 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 02:28:41
>>704 やだな、何もわかっていない
あなた、物理も数学も苦手でしょ
706 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 05:28:03
>>705 間違いを指摘するべき。
「ばーか」「あーほ」は無意味。
707 :
名無しさん:2006/07/01(土) 05:36:48
飛んでくる石が2秒後に頭に当たるというのは観念だと気取ったこと
言ってよけないと石が頭にぶつかって怪我するぞ。
708 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 06:52:03
生物学者は分類で悩むことがあるが、分類対象である生物自身は自分がどっちかなんてことで悩まない。
同様に世界は在るがままにあるだけで、どう理解されようが関係がない。
理解は人間のものである。
709 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 06:57:25
次元はまた人間が理解するために必要なだけの観念的存在に過ぎない。
無いものは無い。
絶対座標なんてのは無い。
理解のための次元のひとつである時間もまた存在するはずが無い。
わたしたちは自然の運動変化を理解するために次元という自然には無いものを使って理解しているだけだ。
だからさ、その考え方で、「存在する」といえるものは、なにかあるの?
それtろも、「全ては観念的存在に過ぎない」という話?
711 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 07:19:16
我思う故に我あり。
712 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 07:29:52
「長さ」は存在するか?
「太さ」は存在するか?
「勢い」は存在するか?
「明るさ」は存在するか?
「激しさ」は存在するか?
・
・
・
713 :
709:2006/07/01(土) 07:53:58
認識に対象化された<自然存在>と自然存在自体は繋がりがありながら違うということ。
運動する自然を静的にしかわたしたちは認識できない。
観念的存在といっても次元は自然から抽象されているから、この意味では次元は自然の産物です。
しかし自然存在<そのもの>ではありえない。
714 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 07:58:18
自然、現象(実在)→観念(抽象)←我(実在)
↓
法則の発見、応用
でおk?
715 :
:2006/07/01(土) 08:06:07
しかし、何かが起きているは確からしい、そうでないと自己認識すら発生しないと思う。
それを存在すると言うのか、実体が伴わない力が発生しているだけなのかは解らない。
認識は所詮、センシングを起点とする何らかの手段をもってしか作用しないのもそうだろう。
確かに、空間、時間と呼ばれるのも認識した後の話。
しかし、問題視しているのは 認識に範囲ないで 時間、空間の概念に根本的な矛盾があり、
そこを、どんなレベルにしろすっきりさせる考え方はないのだろうかって言う事だと思う。
認識論そのものから..どのような可能性のある視点があるのだろうか?
さしあたっての、欠点、矛盾を云々するつもりは無いのですが。
とりあえずですが
>>714氏流に書いてみました。
(訂正するかもしれません。)
自然、現象(実在)
↓ ↑
我(実在) 自然の一部 観念(自然の抽象)
↓
法則の発見、応用
人間は自然の一部でありながら自然を他者として認識するわけです。
このことが認識の根本的な矛盾であるわけです。
718 :
:2006/07/01(土) 08:48:25
ひとつの試行的な考え方なのだけど...あるいは、戯れ事に過ぎない。
認識と言うのは 構造化.とか分析 から関連ずけだと思う。
言ってみれば これは 均質から局在化への整理のプロセス..
一方、局在化(=秩序化)と言うのは不可逆性が現れる要因となる。
たとえば ブラウン運動では反発係数は1で運動の減衰は発生しないが...
ボールが空気中を走ると摩擦と呼ばれるもので運動の減衰(=不可逆性)が起こる。
これは、じつは、ボールの周囲で空気の局在化(=秩序化)が発生している為と見る。
省略するが、固体どおしの反発についても似たような見方が可能か..
話を認識にもどし..この行為自体が秩序化なのだからおのずと不可逆性を持たざるを得ない。
719 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 21:51:23
>>707 認識と存在を混同してません。
飛んでくる石を認識しないと避けられずに石が頭にぶつかって怪我するぞとかえせますよ。
720 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 22:11:44
このスレが一番哲学してるな
721 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 00:30:37
>>709 絶対座標があるとすると、実験事実に矛盾する。
時間があるとしても、特に矛盾はありませんが、何か?
722 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 00:31:44
認識しても疑ってるとぶつかるね。
「絶対座標」が「あるかどうか」を議論する?
正気ですか?
724 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 02:12:34
あるか無いかは議論の他。あるとするとおかしな事になる。
ある程度の精度以上で自然を記述できないだけのこと。
725 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 02:14:30
自然は認識以前に存在してると思うな。なんかもや〜っとした感じでさ。
726 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 02:16:24
>>721 時間があるってどういう意味。
「長さ」があるといわない。
長さも時間も測るもの。存在とは別じゃない。
逆に存在の定義として長さや時間や質量が存在するんじゃない。
727 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 03:29:21
時間に対して空間ではなく、なぜ長さが出て来る?
728 :
726:2006/07/02(日) 08:48:18
空間の尺度は体積。線の尺度は長さ。時の尺度は時間
存在するのは物。その尺度として体積や長さや時間あるいは色や匂いや重量や質という認識(観念)が
(観念として)存在するとするほうが正確じゃないかな。仏教の縁起論になるけど物的な存在とは
こういうあらゆる物に対する認識の側面を集合した真我のようなもので突き詰めると「空」なもの
じゃない。ついでに空は無ではない。
そういう意味ではたとえばトム・クルーズがいるというばあい物理的な観念における存在だけでなく
「人」という観念も「男」という観念も「俳優」という観念も存在の側面の一つに過ぎない。
問題は物理的観念と社会的観念の間に明確な境界が存在するのか。間に生物学をいれると生物と物理
の間には科学があるし生物と社会のあいだには心理学がある。で心理学と生物の間には脳性理学
があるからやっぱり突き詰めると明確な境界は無いと思う。ついでに観念的存在と物理的存在にも
明確な境界はあるのかな。縁起は「因縁生起」の略で「他との関係が縁となって生起すること」
だけど観念的存在と物理的存在も相互依存で明確な境界は無いんじゃない。
色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。やっぱ哲学を究めるなら印哲。
729 :
726:2006/07/02(日) 09:32:03
おっと「生物と物理の間には「化学」があるし」
「時間」という言葉はただ単に人間が空間内の変化の流れを認識する為に作ったもの。
「時間」と、言葉で表現してしまっているからわからなくなっちゃってるだけだと思う。
>>726さんは、時間は計るもの、と言っているけれど、
それは計れるように人間が考えたから。
時計がなければ、時間なんてただの変化でしかない。
考えるほどにわからない
732 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 12:06:12
運動する自然を量でしか理解できない。
運動はつまり直接には理解できない。
わからない、というのはその通りなのだが、量を通じて運動が間接的に<わかる>。
時間という次元は他の次元同様、そのための媒介に過ぎない。
733 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 17:07:27
734 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 17:14:19
印哲なんてのはA^B=B^A
ただそれを繰り返してるだけだろ。
735 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 17:28:28
時間は原子の振動周期で定義されている。
また、光の速度で定義されている。
原子や光は運動しているかどうかということを議論して意味ある?
736 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 17:57:26
737 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 18:02:44
>>728 基本的に考え方がおかしい。
体積は合成尺度。
738 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 18:04:14
時間が変化の尺度といきなり持ち込んでるが、証明してくれ。
739 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 18:07:54
自然界の周期的な運動(現象)の周期をもとにして時間の単位を決めることができる。
例えば、地球の自転、公転、月の公転などがそれにあたり、古来から用いられてきた。
後に振り子などの周期運動を用いた時計が開発された。測定技術の進歩により、
それらの運動は周期が一定していないことが明らかにされ、より精密な原子の
周期運動によって測定することとなった。これが原子時計の原理である。
(時間ーWikipedia)
振り子の振動や原子の振動はあくまで測定の手法。定義ではない。
定規があるからといって線(二次元)が定義できるのもでないとの一緒。
740 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 18:09:42
相対性理論(が極めて自然そのものを正確に記述していること)を否定しないのなら、
時間のみが仮想で、空間が実在なのはどうしてか説明汁。
741 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 18:38:03
>>739 定規と空間の関係とは違うでしょ。
空間は物質と光により定義されてますよ。
742 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 18:40:40
時間って
どこにあるの?
743 :
:2006/07/02(日) 18:44:28
人間は”変化”は認識できるが、直接は時間の経過を感じていない...
時計と言う計測手段を持ち込んだとか..
自分以外の人間が同じような認識を持っているに違いないと信じているから..
他人をの過去、現在を分かち合うと言う行為を通じ..時間の”経過”を感じる事ができるのだ。
それに対し、空間は即物的で意識が一見伴わないと思える客観性があると言う事ではないか。
物理も数学も苦手だが、どうしても引っかかったので流れ無視で質問させてくれ。
>>1の、
>時間は元々無く、
>過去も未来も存在しない、時間は現在のみがあると考える
ってどういう意味なんだ?
時間という概念は、数直線のような尺度の全体だろう?
現在というポイントを設定した以上、現在と過去と未来は切り離せないものなんじゃないのか?
現在と過去と未来は、それぞれがそれぞれに依存する相対的な概念じゃないのか?
1が言うように時計の針が単なる基準だとすれば、それは何に対する基準なんだ?
やはり時計で示される数字は、時間そのものの基準という事にはならないのか?
『元々存在する』っていうのはそもそも何だ?
時間というものが、物質には関わらない純粋な概念か、それとも
人類に進化する前から自然界にある現象かという質問なのか?
それなら時間は純粋な概念(人間が作ったもの)じゃあないだろう。
たとえばネズミでも、電流が流れるトラップを避けられるようになるのは学習するからで、
その学習は『過去の経験』が基になる。ネズミにも過去がある。
よって、人間だけが作り出したものではない。・・・となるような気がする。
ただ、『未来』は人間が作った概念だよな。
まだ存在しないもの、まだ起こっていない事の全体が「未来」だろ。
仮定だけを取り上げるけど、
「さきほど」も「やがて」もない「たった今」なんて成立しないんじゃないのか?
1の仮定の「たった今」は連続し続ける現象なのか?連続するんなら、その始まりは「過去」に
ならざるを得ないんじゃないのか?
745 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 19:54:34
>>740 点・線・面・立体・時間。
これらはあくまでも幾何学上の観念。
あくまでその尺度として長さ・面積・体積・時間が存在する。
日本語としてわかりやすくしたいのなら
時間を時の尺度と考えればいい。
時は幾何学的観念であり時間は物理的尺度。
746 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 20:09:33
>>740 三次元で空間を理解し、四次元で運動を理解しているだけ。
三次元そのものは実在しないし、四次元もまた実在しない。
空間も運動も実在している。
しかしそれを理解する諸次元は実在しないと言っているだけです。
次元はあくまでも自然の抽象です。
747 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 20:15:56
というか説明は既出だよな。
748 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 20:39:39
>>746 自然の抽象は次元だけですか?
その理論だと力、エネルギー、振動も存在しませんよ。
749 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 20:57:27
抽象しても自然そのものの構成にきわめて近いから、次元をとって処理しても、
自然と同じ結果が出る。実験、観測の結果が定量的に説明される。
したがって、この種の抽象概念を架空の哲学概念と同列に捉え、存在しないと
はし得ない。
750 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 20:59:16
751 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 21:04:52
特殊相対論では、時間は空間はローレンツ変換によって交換し、互いに独立ではない。
一般相対論では、時空一体のゆがみが重力場として現れる。また、極限では時間と空間の入れ替わりもあり得る。
時間のもを仮想とする根拠はない。
752 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 21:05:51
訂:時間のみを仮想とする理由はない。
753 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 21:06:26
だから、時間は空間(物・存在?)と表裏一体
754 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 21:06:59
根拠でもいいが。
755 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 21:16:35
重力場方程式は、時空のゆがみを表すリッチテンソルとエネルギー運動量テンソルが釣り合う形で記述される。
時間が仮想なら、重力場もエネルギーも運動量もすべて仮想。
756 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 21:17:35
気のせいだから窪塚ジャンプしても平気さ!
757 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 21:19:57
759 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 21:46:56
重力というか力も消せるけどね。
既出なんで、遡って読んでくれ。
760 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 21:51:14
運動量てのも無いよ。
現実には。
<それ>をもって理解できることと、<それ>が実在するとは限らないことではないんだけどね。
座標原点を適宜に設定して理解するけど、座標原点自体は存在しない。
それと同じなんだけどね。
散々既出なんで、前のほうを読んでくれ。
761 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 21:51:44
無限ループ www
762 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 21:51:59
ヘチマ理論や言い逃れで消せても駄目よw
>>762 じゃあまずエネルギーを見せてくれよ
話はそれからだw
764 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 21:57:28
>>760 誤りだね。何度持ち出してきても説明になっていない。
証明できない実在など仮想でしかない。
765 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 21:59:22
ふうん、見る事が実在の確認なのか。幼稚園か。
766 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 22:00:32
重力による作用は存在するが、重力子は存在しないということならわかる。
しかし、このスレがそのレベルに達してるとは思えない。
じゃあ、ぼくもこれと同じ事をしていいんだろうなぁ・・・
ハァハァ
>>765 んじゃあ、おのれの実在の定義はなんぞや
五感に求められないものを概念とする利点はあっても
実在とまで言い張る論拠は
769 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 22:07:51
定義を証明せよとはどういう日本語か。
770 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 22:09:11
定義の妥当性を証明せよ
771 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 22:11:52
空間も仮想と認めろよ
772 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 22:16:35
我思う我が胡蝶の夢でない事を証明汁
夢と現実の違いって何よ?
774 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 22:25:54
さあこれは夢だ、窪塚ジャーンプ!!
>>769 じゃあ言い直すよ
エネルギーが実在するという論拠は何?
使い勝手の良い概念ってだけでよくね?
実在にこだわる理由がわからん
776 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 22:29:42
>>1よクロノスとカイロスの違いはどうなのかな?
それともクロノスとカイロスこそ、時間が存在しないってことを証明してんのかな?
777 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 22:39:23
>>775 E=mc^2
物質も存在しないということですね。
778 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 22:43:43
実在にこだわってるんじゃないよ。
関係の対称性にこだわってるのさ。
空間を実在とし、時間を仮想とする非対称が気に入らないの。
もうひとつ、科学の概念と哲学の概念では使い勝手が良さの意味が少々違うようだ。
779 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 22:51:08
そうそう。定量的に使い勝手が良いというのは凄い事なんだが。
>>777 それが実在を意味していると?
むしろ物質が起こしうる事象(たとえば核融合など)を
数的に示している単なる式だろ
エネルギーの実在とは関係ない
熱にしろ電磁気にしろ重力にしろそのポテンシャルを
数的に表すための概念だろエネルギーは
だからさ、実在するものと、しないものの違いってなによ?
782 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 23:02:57
>>780 式の意味が理解できていないようだね。
物質とはエネルギーのことなんだが。
783 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 23:04:16
空間は見えるけど時間は見えない厨房なんて出てこないでよw
>>781 純粋に取り出して使用できるか否か
エネルギーそのものにはそれが適応できない(今のとこ
785 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 23:08:33
数的(定量的)に辻褄が合っているという事の凄さが分からないのかね?
786 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 23:10:39
「そのもの」なんて、実はあるようなないようなわけわかんねーお化けもんなんだけどね。
>>782 おめーもわかんねぇやづだなぁ
相対性理論では質量も現象を可能化する力(エネルギー)になるが
エネルギーが何かやってるわけじゃねーだろ
788 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 23:17:08
789 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 23:27:12
高校の教科書では、エネルギーって仕事をする能力だったなあ。
790 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 23:27:50
実存、実在、存在
791 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 23:29:06
実、存、在の順列組み合わせみたいだねw
>>788 原理としてのエネルギーはいいとして
実際に観測できるのはエネルギーの諸形態としての質量やら熱やら光なんじゃね?
式の中でEみたいに記号化して指示対象を持つような錯覚だな
793 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 23:35:03
それが錯覚ってわけでもないようよってのが、エネルギー保存則かな?
>>784 エネルギー以外のものなら、「純粋に取り出して使用できる」んですか?
795 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 00:59:55
なにか、自然という確固とした本質でもあるとでもおもっているのかな?
>>795 自然になら確固とした本質があるのね
E=mc^2
でエネルギーが実在するてのは飛躍してるっしょ
798 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 01:31:06
え、空間て三次元座標で表現される観念なんじゃない。
それが空間の定義なら、会話が成立してる時点で、
空間は存在してるといえるな。
800 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 03:36:48
なにか存在しているものを「空間」と表現しているだけ。
空間の定義は物理的、数学的にいろいろ。
801 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 03:41:46
なんでそっち行くかな??
もっと手元に簡単なものがあるやろ?
>>800 空間の定義は物理的、数学的にいろいろあるのに、
それは無視して、
「なにか存在しているものを「空間」と表現しているだけ。 」
なの?
803 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 08:00:01
論理を無視するのが君らの哲学だっていうのは良くわかった。
804 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 08:25:02
鹿鳴館教育のおかげで自文化の本質を忘れているので訂正させてもらいます。
まず時と時「間」と時「刻」の意味の違いを理解してください。
時間はあくまで時のさらなる色(Identity)としての定義。
そして時刻とは時間という定義においての座標に過ぎません。
空「間」も最初に「空」があってその次の「色」の定義として空間があります。
それを物理では三・四次元において座標として表します。
さらに人「間」というのも漠然とした人というものに間を設けることで別個の人としての
区分を確立するわけです。
空や時や人はあくまで漠然とした真我の観念に過ぎません。さらにそれに区分を設ける意味で
空間・時間・人間がという認識があります。さらにその上に座標、時刻、名前
(他:人種・国籍)などがあります。
空間が存在すると主張するなら存在の定義を提示しなければ物理的に意味がありません。
物理でやるのはあくまでも計器で特定の測定を行うだけです。質量・体積・重量などを
測ることはできますが「存在」を測っているわけではありません。
物理においても「存在」の定義は確立していません。
英語では時・時間・時刻はすべてTimeですのでこの区別はつけられません。
西洋哲学にかぶれて日本が文明を後退させたのは明らか。
805 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 08:30:42
存在とは計器で何かが計れる、究極には人間の五感で認識できるってことじゃない。
806 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 08:45:25
論理を無視するのが君らの哲学だっていうのは良くわかった。
807 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 10:11:13
>>806が、
「論理を無視するのが君らの哲学だっていうのは良くわかった。 」
ということを論理的に示せなかったら、「君ら」ではなく「俺ら」に訂正してください。w
808 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 10:25:25
809 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 10:27:53
>>808 バーカ、カバなら子供でもいえますよ。w
810 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 10:29:25
「お前らがバカだと言うことがよくわかった。」
はて?www
811 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 10:39:01
現在の科学の水準では時間とは何かはわかっていない。
時間については科学者の間でも意見は分かれる。
中には存在しない可能性に言及している科学者もいるくらいだし。
ここのみんなには、もっとトンでもない仮説を披瀝することを期待している。
812 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 10:41:02
披瀝してほしい、に訂正。
813 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 11:08:05
>>807 そういうセリフは、「論理性が無い」と指摘されている文章の論理を明確化してから言いたまえ。君がやってるのはソフィスト流の弁論術そのものだよ。
814 :
中西克徳:2006/07/03(月) 12:22:00
ビデオを一旦停止すると、『時間』の断面もどきがみれるよ。
時間とは物質の運動のことであり、世界は動いているので、時間は存在する。
つまりベルクソンを嫁ってことだ。
816 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 14:58:06
>>814 運動の認識から時間の観念が生まれたかもしれませんが、かといってこれで時間が
存在するというものではありません。
点が存在しないのと一緒。
817 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 14:58:40
おっと
点が物理的に存在しないのと一緒。
818 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 17:38:16
で、あんた誰なんだよ。www
819 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 19:13:53
820 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 20:19:16
時間の根本は周期にあると思うんだが…
一日はきっかり24時間だし
一年はきっちり365日と数時間だし
振り子の周期は常に一定。
時間が存在しないときそれらは一体どう定義するんですか?
つーか時間って定義だろ。なに言ってんだ?
1日を24時間と定義して時間が定められた。
あと世界は変化してるんじゃなくて一瞬一瞬が存在して動いているように見えるだけ。
1瞬から1瞬までの長さは極限なのでない。
1秒間空間が存在した時に1秒間分の無限の空間が存在している。
人間の主観で捉えた長さを時間と定義しているだけ。
823 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 21:10:59
>>621 ちょっと魔ってね
24時間が変動しないのはなぜ?
時計が狂わないのはなぜ?
一日が24時間であっても12刻であってもいいが
そこには、ある不変的長さがあるんじゃないのか?
seikoのクオーツが正確に時を刻むのは
水晶の振動周期が一定のためだろ?
824 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 21:15:18
825 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 21:30:33
いや、事実そうでしょ
どんなにあがこうが、明日水晶が何周期後に太陽が南中するか正確に分かる。
振り子が一往復する間の時間が一定だから。
振り子が一往復する間の時間が一定なんじゃなく
振り子が同一エネルギーを持つから一定なんだろ。
827 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 22:00:12
意味不明なんですけど。
絶対時間がなければDIOも止まった時間の中で動けません。
829 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 22:46:09
太陽の自転・公転、月の公転、振り子、原子の周期運動は一定ではありません。
あくまでより原子の周期運動がより精密にすぎません。
830 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 22:47:57
おっと、より精密であるにすぎません
831 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 23:06:59
陽にも陰にも時間抜きで運動を記述できる方程式を出せよ。
時間実在論者なんか一瞬に撃滅できるぞ。
832 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 23:08:43
>>831 なんで方程式がいるの?
砂時計をひっくり返すだけじゃダメなの?w
833 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 23:09:34
834 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 23:10:33
物理系の理解に本質的なのは力学、次に電磁気学。
力学でたとえば力やポテンシャルとかエネルギーとか場とか、
そういう物理の基本的概念が力学的観点で作られている。
さらに電磁気学で電磁気現象と力学の関係を学び、
だいぶ物理の理論的理解が進む。。
相対論とか量子力学とか、この辺を理解してなければ
多分理解できないんだろうと思うなぁ。
哲学者と呼ばれる人もこういうのをよく考えているから
自分の中でテーマを決めたほうがいい。
その上で疑問を学史を追いながら解明していく。
おれはこのやり方。
運動をとっても古代の観点から中世・近世・近代と歴史を
追っていくと面白いと思う。
力だって19世紀に力の概念の論争がマッハなんかよくやってて
これだけでずいぶん考えるよ。
836 :
考える名無しさん:2006/07/04(火) 03:44:36
ここの哲っあんは、記憶の順序とか、変化のパラメータとか、あまりにプリティヴな見方ばかりでうんざりする。
時間の理解において最も重要なのは、特殊相対論で扱われた同時性の問題ではないのか?
>>836 だと思うならそのプログレッシヴを詳述しなさいよ おやんなさいよ
838 :
考える名無しさん:2006/07/04(火) 07:16:37
うんざりするのはアンタの勝手だよ。
俺もあんたに見習って言わせてもらうが、アンタのその偉そうなものいいにうんざりする。w
839 :
:2006/07/04(火) 07:46:03
理論物理学はその便宜性とか応用性を元に実験と理論を体系化する事に労を費やしている。
もともとは相互作用が基本であったのに..
観測から保存しているとされたエネルギーに置き換え、
さらには場と言う概念を持ち出し、運動エネルギーとかポテンシャルエネルギーとかを持ち出し、
実験と符合する解を解析的にアプローチをはじめた。
解析力学も量子力学もしかり・・・・一見、美しいかもしれないけど、そこにはからくりがありすぎる。
そして、合わないからと言って 不確定性理論を持ち出し、観測による状態錯乱の考えを挿入したりしている。
しかし、場を持ち出したところから、空間、時間の相対性に罠に嵌ってしまったのだ。
ここは、泥臭いかも知れないが、最初の相互作用と言うところに立ち戻るが常道...
それは、それは物理的な相互作用と言う事に留まらず、認識の段階までに立ち戻るのも一つの方法ではある。
出発からすれば、時間、空間も認識やコミュニケーションを行う為の便宜的なものなのは確かな事。
どんな力があって、それがどう作用するのかって事は、観測との符合と言う事で物理の人にがアプローチすれば良いでしょ。
ここは頭の中でその力の働きに起こっている認識に目を向ける事が主眼だと思うけど。
840 :
考える名無しさん:2006/07/04(火) 07:55:15
科学の究極目的は自然の無矛盾な理解。
それだけだろう。
841 :
ポコ:2006/07/04(火) 08:12:19
私が思うに、物理学寄りと哲学寄りは「時間」に対する考えが根本的に違います。
前者は「A=B」の「=」を時間とし、後者は「A=B」の「A〜B」を時間とします。
つまり、主語・接続詞・述語、です。
理系は接続詞としての時間を批判し、文系は接続詞無き主述関係としての時間を擁護しています。
若しくは、文系は接続詞(=)と接続詞無き主述関係(A〜B)とを結ぶ潜在的接続詞(「」無きA=B)を時間として主張しています。
換言すると、理系は「世界には主語(存在)しかない」とし、文系は「主語(存在)は接続詞(時間空間)と述語(諸概念)ありき」としています。
更に、文系は主述関係全体で初めて「運動」が有り得るのに対して、理系は主語自体が「運動」だ、と主張しています。
文系としては、そこが府に落ちません。
「主語だけの運動」って、まるで「不動の動者」つまり「神」の様に聞こえます。
「主語だけの運動」って、説明するのかなり大変です。
それは哲学的には言わば言語論的な「語り得ぬもの」であって、哲学は、それを如何に語るか、をずっとしてきました。未だに哲学界における最重要問題です。
でも理系はあっさりと「語り得ぬもの」を認めます。
「語り得ぬもの(主語だけの運動)」を何故、そう簡単に認められるのでしょうか?
改めて教えて下さい。
公理、定理、公式で成り立つから。
843 :
考える名無しさん:2006/07/04(火) 09:07:25
>>842 自然界を素直に眺めると、理系とか文系とか哲学系とかじゃないんじゃない?
単なる叙述のための制限・限定方法なんじゃない?
たとえば、コーヒーでもいいや。
カップの中のコーヒー。
砂糖とミルクを入れてかき混ぜる。
その時、コーヒーカップの中に何があるのか?
【コーヒー】『が』、砂糖とミルクを巻き込んで渦を巻いているのか?
【砂糖】『が』、ミルクと共にコーヒーの中に溶けていってるのか?
【ミルク】『が』、砂糖と共にコーヒーの中に溶けていってるのか?
或いは、【乳脂肪分】『が』たんぱく質と共に・・・・・
・
・
・
・
人が、何物かを具体的に認識しようとした時、『○○が』『○○である』という形式が必要なだけなんじゃない。
当の『現象』にとっては、『○○が〜』などという観念は必要ない。
ただ、【そのような状態にある】だけではなかろうか。
【そのような状態『が』ある】とも言えるが、その時も、
(私がこのように書き込む際に)その状態を、その外側と区分していることから生じる分別であろう・・。
844 :
考える名無しさん:2006/07/04(火) 09:18:25
特殊相対論自体矛盾だらけだ。
846 :
考える名無しさん:2006/07/04(火) 15:51:14
847 :
考える名無しさん:2006/07/04(火) 16:06:59
エネルギー保存を成り立たせる為に、物理学が後から後から、いろんな形態を継ぎ足してきた事は
認めよう。しかし、それらは、特別な事象のみで成り立つわけでもなく、定性的なだけでもない。
多くの一般事象について、定量的に成り立っているから、法則なのである。
無論、宇宙の全事象について成り立つことが確かめられたわけではないから、常に反証される可能
性はある。
しかし、恐ろしく多数回の実験や利用によってエネルギー保存則は検証され続け、未だ矛盾を生じ
ていない。
エネルギーは、確かに人間が生み出した概念ではある。しかし、それは恣意ではなく、むしろ発見
されたものであり、自然の性質に「フィット」した概念なのである。
848 :
:2006/07/04(火) 16:21:04
運動エネルギー、ポテンシャルエネルギーを持ち出したところで、
相対的に移動しあうもの同士での認識のコミュニケーションつまり共通認識が出来なくなって来ている。
そこに、公式とか定理といったものの限界がある。
わりやすく言えば地球の上の人間どうしでは使えるって事だ。
849 :
考える名無しさん:2006/07/04(火) 16:35:51
単に文系毒素の限界
851 :
考える名無しさん:2006/07/04(火) 16:44:14
なんかいきなり議論があさっての方向に飛んでません。
哲学は科学を否定するものではありません。
852 :
:2006/07/04(火) 19:24:54
>>851 そのように捉えたられたとしたら申し訳ないのひとこと..
要するに..此処は哲学のレスなのだから..
物理とは違う観点..認識と言う事で進めたらって事が主旨ということです。
私自身..実生活および仕事では物理法則を最も頼りにし、過ごして居るのは事実です。
でも..自らの問題意識の甘さもありますが、先人の功績の上に立ち、既存の考え方とか法則を利用する事に費やす時間が多く、
やはり、何か本質的なところでの問題意識が不足していると言う感じがあるのが否めません。
この板はそこら辺の取り組みなのかな〜〜と言う事です。
853 :
:2006/07/04(火) 20:35:01
>>841 理系か文系かと言う事か考え方として面白い捉え方かと思います。
恐らく文系の人は認識の主体の存在については疑問はあまり無いのでしょう..
ですから、感じたも、つまり述語と主体の関係は何なのかと言う事を主眼と置くのかもしれません。
それに対し、理系は普段から主体(主観と思われるもの)はなるべく重きを置かない様に殺し、客観を大事にしてきたのでしょう。
しかし、そこに落とし穴があり、今まで叩かれ生き残り、検証されてきた先人の智慧にたどり着く事に労力を費やし、
自らの主観の働きを狭くしてきたと言う事があるのかもしれません。
この板は..その両者の活き方を時間と言うテーマと言う事でレスをする所と言う事だと思いますが。
854 :
考える名無しさん:2006/07/04(火) 20:47:01
文系、理系、言う奴はクソだからw
855 :
考える名無しさん:2006/07/04(火) 20:48:02
存在っていう概念がそもそもあいまいすぎるからなあ。
856 :
852,853:2006/07/04(火) 20:55:23
>>854 そもそも、理系、文系を超えた所からと言いたいのだが..
何か、提案はあるのだろうか?
857 :
考える名無しさん:2006/07/04(火) 20:58:47
>>855 「時間とは何か」とか、「時間は存在するのか」という「問い」は問いではなく、
擬似問題に過ぎないからねぇ。「〜とは何か」とか「〜は存在するのか」という
タイプの疑問文は言葉遊びだと思っておけばいいよ。
まぁ、物理が分からん人が何を言ってもトンデモの域を出ないわけでして・・・
「xが存在する」とは「xが変項の値である」ということだよ
860 :
考える名無しさん:2006/07/04(火) 21:37:36
861 :
考える名無しさん:2006/07/04(火) 22:04:34
書き落としたけど、
>>859の「変項」は「束縛変項」ね
俺が作ったんだよ
864 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 02:58:21
>>1 >時間は元々無く、時間は人間が作り出したものだと仮定
この仮定自体が破綻している。
時間の単位尺度は人間が作り出したものだが、
時間はもともと存在すらなく、人間がある日突然神のように時間を創造した
などと、オカルト厨でも想像しえないだろう。
時間の流れなくして、どうやって万物が生まれることができるのだ。
865 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 03:03:44
時間自体が流れてるってるのはどうも、あまり頂けないんだが。
866 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 03:06:49
時間という概念を生み出したのは人間様だぞ
867 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 03:16:46
概念なんていくらでも、生み出すことなど可能。
概念で生物が生長するわけではない。
もし人間が時間という概念を生み出したから、時間が生じるのであれば、
その時間と言う概念を変化させれば、物象の時間的変化も変えられるはず。
現に古代エジプトと現代では時間と言う概念も数の尺度も、まるで違うが、
子どもの成長過程に時間的な大きな違いがあるだろうか?
そんなものあるはずがない。時間と言う概念はちがえど、時間の経過と事象の
変化になんら違いは認められはしない。
868 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 03:40:46
> もし人間が時間という概念を生み出したから、時間が生じるのであれば、
はぁ?誰もそんなことは主張していないようだが?
869 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 05:32:00
>>864 そんな風に理解できるアンタの頭がオカルト脳だな。www
870 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 05:49:12
バカにしてるけど864に対して簡単に反論はできまい。
871 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 05:59:51
「時間」という名札が人間製
872 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 06:36:23
864に理解できる脳がないから反論も無駄じゃね?w
873 :
:2006/07/05(水) 07:09:20
要は問題意識が無くても、幸福な生活が出来るのだから..
既に定着している時間の概念に疑問をもって”時間”を浪費するなんて愚の骨頂って言うような主張なのじゃないの。
まあ、人それぞれだから...要するに価値観が違うんだよ。
874 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 07:29:34
物理においての存在はあくまで測定です。
よってたとえば重さを量れるもの、粒子として測定できるものは存在するとなります。
粒子においてはいまだに質量が存在するかしないか不明なものがありますが
これも質がなくてもほかの測定(認識)が可能なので存在します。
測定できればそれに呼び名がついて存在と認知されます。
時間に関しては物理において測定できるのは物の運動です。この運動において
一定なもの(地球の自転・公転・振り子・原子の周期)などを選んで時間と
しています。この背景に「時」が存在するかどうかなど物理にとっては
どうでもいい問題です。数学者にとって円は存在するかどうかはどうでもいい
問題です。
このスレの問題の解決策はあくまでそれぞれの分野(科学・法学・数学など)において
どのような意味で存在が理解されているかを提示すればいいのです。たとえば科学においては
測定。数学は観念上の特定。法学においては条文が存在です。
普遍の存在なんて追求するのは神や絶対心理を追い求めるのと同じで不毛です。
875 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 07:33:27
憲法の第4条は存在するのかというとき、一方は日本国憲法の条文を指して
存在すると主張し、もう一方は法は物理的に存在しないと主張しているの
と同じです。
物理で運動(惑星、振り子、原子)の周期が測定されるのならそれは物理的な
存在です。ただしそこから普遍の時の存在と語るのは間違いです。
876 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 07:34:31
キリスト教の絶対神・絶対真実・普遍の考えは哲学の妨げ。
877 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 07:47:51
価値観から時間の存在を主張されてもね。
どこにも座標原点なんかないのにね。
やれやれ。
878 :
ゴーマンかましてよかですか:2006/07/05(水) 07:51:28
俺の結論を論破してみて。
点は幾何学的には存在するが物理学的には存在しない。
法律・貨幣は条文的(立法的)には存在するが物理学的には存在しない。
時間も空間も物理的に測定可能。よって物理学的に存在する。
しかし時・空・法・点・数・貨幣は真我。
その投影は垣間見れるが追求すると幻。
よって存在しない。
879 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 11:24:10
> 点は幾何学的には存在するが物理学的には存在しない。
物理学的ってどういう意味よw
物理では幾何学を使うことくらい知ってるよね
> 時間も空間も物理的に測定可能。よって物理学的に存在する。
どのような実験のことを言ってるの?
なんかド素人っぽいね
880 :
sincerity:2006/07/05(水) 12:03:13
現在は刻々と過去になり今にとどまることができない。
時間=過去から未来に至る無限の継続。
881 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 12:41:38
自然は運動変化しているだけだよ。
過去も未来も自然には存在しない。
あったりまえだろう。
882 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 12:50:56
深遠な思考に見える議論の99%は言葉の誤用である。
883 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 12:53:12
ゲーテ曰く、「ゲーテは何でも言った」
884 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 14:59:59
時間=二乗するとマイナスになる線形自由度
885 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 15:00:18
物理学者が興味あるのは、時間をどう測るか?ということであり、
時間そのものが何か?ということはどうでもいい。
886 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 15:02:32
>>880 過去や未来と言う言葉のラベルは自然には存在しないが、
変化には傾向があるよ。
あったりまえだろう。
887 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 21:48:49
>>885 ちがうと思うけど。
物理では、確認不能なことを論じないのだよ。
それは信じる信じないの範疇のことだから。
形而上のことを科学はしりぞける。
文章を物理学では存在しないものと扱うと話してるみたいけど
まるっきり見当違いな話題だと思う。
体重計で身長を測るような荒技だよ。
科学で文章を扱うとしたら、
生物学、記号数学、社会学として扱うんじゃないかね。
文字とは予め一定の集団の中で約束した物理的な連続模様。
そう言う意味では記号・信号・暗号みな同じ。
空気の振動を媒介とするか、縄のこぶを媒介とするか、紙の上のインクを媒介とするか
問題ではない。
私たちが会話をするとき、音を発したり、きいているのではない。
言葉を発したり、聞いたりしているのだ。
科学が人の頭の中を実験対象にするのでないかぎり
法律憲法を科学であつかうはずがないだろう。
時間は超ひもの振動だよ
889 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 00:35:20
>>879 物理的といえば存在的という意味もあるので物理学的としてあくまで物理学の方法論を
強調したまで。もうちょっと有用な用語わけがあれば改善します。
点は幾何学的観念なので物理学における認識手段(測定・観測)において存在は
認知できない。物理学は幾何学においえる抽象観念を道具として使うに過ぎない。
物理学的に時間とは物の定期的な運動に過ぎない。抽象的観念である時の代替として
惑星の自転・公転や振り子の運動や原子の振動周期などが使われる。
空間もいっしょ。東京から大阪までの距離を測ったから空の存在を証明したなどと
主張するのは誤り。太陽が東から昇って西に沈むのをみて時の存在が証明された
と考えるのも誤り。距離や周期は物理学において認識可能。でもこれを抽象観念の
である幾何学的観念と混同するのは科学的にも誤り。
物理と数理(幾何学)の違いを確認すれば「法は存在するのか」などの
他の形而上の問題の答えも見えてくる。
890 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 00:39:34
おっと。
物理学は幾何学という抽象観念を道具として使うに過ぎない。
でもこれを抽象観念の一つである幾何学的観念と混同するのは科学的にも誤り。
うーん。国語落第。
891 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 00:44:13
言葉遊びを繰り返しても、科学における認識の実相を認識できないぜ
892 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 01:22:53
>>889 君の論理には土台がない。
定義というものだ。
定義を置かなければこの世に証明できる者など何もないよ。
数学は定義を自由に選べる。その点であらゆる世界を表現できる。
しかし、数学は定義自体を疑うことをしない。
定義の正否を論じるのは数学の仕事ではないからだ。
物理学は数学を道具にして、現実世界が
どの世界に適合しているか実験によって確かめようとする学問だ。
そして、実験結果と任意の数学世界が整合したとき
その数学世界の定義は現実世界の定義と等価であると証明されたとされるのだ。
もちろん、完璧な定義などありえない、ある一定の条件内で正しいと言えるという話だが。
というわけで、物理学でも点は存在する。
なぜか?言わずもがな。それで現象を説明できるからだよ。
形而上学ってのは数学とはちがう。
定義の正否をさまざまな常識や概念から論じるのだよ。
だから答えがでない。
信じる信じないの終わりのない会話が始まってしまう。
893 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 03:57:29
数学は「単位」を基礎とするから 時間(連続)を本質的には論議できないし、
彼らは議論する気も毛頭ないだろう。(トポロジー以外)
そのため物理学から数学の不備という嘆きが起こっているように見える。
数学は本質の追究ではなく 証明の厳密性にしかきょうみをもたない。
時間の問題も単なる「次元のひとつ」でかたづけられてしまう。
形而上学ではなく自然哲学としての「時間論」はまだ可能だと思う。
895 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 04:54:50
座標原点は存在する。
言わずもがな。
それで現象を説明できるからだよ。
そんなバカな。w
896 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 05:01:40
次元で説明できるから次元が自然存在である、というのならば、ここでは素朴すぎる。
自然は次元でできているわけではない。
次元で理解しているだけだよ。
897 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 05:10:49
素朴すぎるな。
次元で定量的、一般的に説明できるから、自然が次元と強く相関する構造を持っている。
ほぼ次元でできていると言っても誤りとは言えない。
898 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 05:17:13
おや、特殊相対性理論を否定する方の登場ですか。
899 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 05:20:51
どんな場合でも座標原点の設定は適宜ということに過ぎない。
どこかに置かなければならないが、そのどこかの範囲では自由。
しかし静止した点は自然存在から抽象した存在ではあるが、そのもの自体は自然存在ではない。
天使が鳥と赤ん坊という自然存在から想を得た空想的存在は、自然存在ではない。
点は存在しない、いやひいては次元そのものは存在しない。
自然は次元で理解するのだが、次元でできているわけではない。
900 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 05:22:45
強い相関性は当たり前。
次元は自然の抽象だから。
901 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 05:28:37
絶対座標、つまり静止した存在の否定は、自然が無矛盾であることを証明した。
ここにおいて人間は無矛盾な自然観を得たことになる。
この意味でこの光速度一定の法則は根源的なのだ。
902 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 05:39:15
この法則においてゼノンも二律背反も解決しうる。
また自然における存在しないものの存在という矛盾を否定する。
そして認識の性格そのものを規定している。
つまり認識は静的ということだ。
903 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 05:50:46
そろそろ誰かが10万光年先の星にシンクロニシティを起こすべきじゃないの
すごいな。皆こんな夜中にサッカーも見ず、いっせいにカキコしてるw
>>896 数学では時間も「次元」でかたすげられてしまうから数学は時間を論じられない。
といっただけなんだけど。
素朴なことは確かだがw
905 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 06:13:42
906 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 06:16:28
次元は線形自由度を表すパラメータで、静止や座標の固定なんかとは全く別の話なんだが、
何を勘違いしてるんだ?
907 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 06:22:34
宇宙が、(最低限)空間3つ、時間1の自由度を持っているということがなんで、
特殊相対論に抵触するわけ?
908 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 06:24:44
ついでにもうひとつ素朴な事をw
特殊相対性理論でも ひとつひとつ数式を追っていくと、
省略された数式の中にはかなり数学的なテクニック(移項、消去)が隠れている。
時間を扱う場合、恣意的な移項 はイクナイ と言うのは俺の個人的な「哲学」 w
ものを本質的に考えようとする場合 「○○論の否定」だなんだjは意味がない。
本質に到達するための「たたき台」にするだけの事。
不毛な派閥争いにはうんざりしている。
>>908 時間は分割不能な流れ と俺は考えている。
したがって「単位」を基礎にする数学はいまのところ時間を扱えないと思う。
可能性があるのは 分割から離れる志向をもつトポロジーだと思うが、
今のところあまりにも「空間的」すぎる気がする。。。
911 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 06:38:49
>>909 はあ?
あんた方程式の意味や解き方分かってる?
912 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 06:40:32
どうしても時間を流したい香具師がいるんだな。
雨は流れていいが雨樋まで流すなよ。
「時間を扱う場合」
うわあ 朝まで生チャットやってるよこいつら 乙www
雨があるから雨樋がある。
ソノ逆ではない。 ノシ
916 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 07:59:03
>>892 >>というわけで、物理学でも点は存在する。
>>なぜか?言わずもがな。それで現象を説明できるからだよ。
おれが教授ならこんな答えを出す奴に単位をやらない。
917 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 10:32:42
918 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 11:03:22
>>909 なんちゅうか青いね。
ミクロな世界では重力は無視するし
マクロな世界では核力は考えない。
そんな暇じゃないから。
そんなこと考えたら宇宙が終わっても答えが出ないw
919 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 11:06:29
だから、普通相対性理論と量子論は同時に論じなくても
差し障りはないんだね。
でも、聞いた話だと宇宙誕生3秒くらいでは同時に論じなくてはならないらしいんだわ
ひも理論とかはそのへんで遣うらしいね。
度素人でスマソ
920 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 11:22:06
>>894 数学って、単位あったか?
それに連続も取り扱うだろ。
有理数の濃度と実数の濃度についてもやったことあるし
どこの数学が単位をつかってるんだ?
物理学は不連続なものを扱うね、量子論は
物理量は不連続であるということを発見したから。
ひょっとして時間も案外不連続かもしれないね。
時間の一円玉があるかもしれん。
921 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 11:36:27
>>916 ちゃんと読もうな。
>もちろん、完璧な定義などありえない、ある一定の条件内で正しいと言えるという話だが。
君の論理だと、量子論と相対性理論は正しくないし。
古典論は現在使ってはならないことになる。
エーレンフェストの定理って知ってるか?
ある大きさの範囲内であれば、これを点として近似できると考えるわけだ。
たしか、古典力学は剛体の説明から入るだろう。
この世に剛体なんてものは存在しない。
でもだからと言って、力学で扱うすべては偽物であるとは誰も言わない。
>>918 [すべての実用的な目的のために]という奴かな?
それはそれで結構なことだと思う。 ただここは「哲学板」。
>>920 収束に対する数学の答え「イプシロン・デルタ論法」のナンバーはまさに単位。
集合論は無限すら単位にした。
924 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 12:51:26
>>922 おれは答えのないことをうざうざ話すことはしない。
知的で魅力的な会話でないかぎりね。
つまり、お遊びでしか話さない。
あと、実用的な目的のためというのは適切じゃないな。
学問に市場原理は働かない。
実用的ではなくて、現実的だな。
バンド理論も戦後原子構造を解明したくて、必死に近似した結果
できた理論だしな。
神様くらい全能だったら、しこしこやってるんだろうけどね。
925 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 13:03:47
>>923 数学は記号論理。
何を記号で置換してもいいだろう。
それは別に単位にこだわっているわけではないと思うが。
記号の否定は代数学の否定だろ?
ゼロの概念だって疑わなければいけない。
君が何をもとに単位である単位でないと言っているのかいまひとつわからんな
926 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 13:49:18
物理学において時間とは運動・変化であるり時間の測定は物理現象における
周期的運動の測定であるとしよう。
この場合変化は事象で存在と別じゃない。物理における厳密な意味での存在は
質量でしょう。変化・運動はそういう意味では存在ではない。よって物理学的にも
時間は存在しない。なぜなら物理学における時間とは存在と別な観念。同じように
物理学において空間が「存在」するというのは厳密には間違い。
ついでに次のスレの題
「時間・空間って何?人間が作ったもの?元々存在するもの?」
に変えない。
927 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 14:07:34
> 物理における厳密な意味での存在は質量でしょう。
今時こんなこと言うのは中学生だろw
>>923 俺の数学に対する考え方はほぼヘーゲルとおなじだ。
0と1 というやつ。
ついでにいうとヘーゲル後期の精神哲学は実は深い「時間」への認識が潜んでいる。
俺は「知的で魅力的な会話」などに全く興味がない。まさに青臭いのだw
ここに書き込んでみる気になったのは先日初めてここを見た時
>>120が目についたからだ。
議論や会話は苦手だ。 孤独の中にしか思考は訪れない。
失礼した。
929 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 14:36:38
自然は先験的にただただ存在するだけだ。
それを自然の一部である人間は理解する。
次元が自然に存在すると信じてビッグバン学説を展開する科学者、テラアホす。
930 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 14:46:11
陽子に質量があることは最近確認されましたね。
当然質量の確認が無くとも存在の認識は可能。
でも俺の工学部の知り合いは
「飛んでくるのに質量がないなんて馬鹿じゃないと思ってたら案の定」
でも陽子・原子・電子などのようなものと違い時間は直接測定されるものでない
というのは適切な指摘。時間子なんて物はありません。よって物理学的に厳密な
意味で時間は存在しないというのははずれではない。
931 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 14:49:29
>>928 あのな〜、ひとつ言っていいか。
俺だって、孤独に考えてることくらいあるよ。
そして、それに答えのないことを知っている。
だから、心の中に秘して誰にも話さない。
話せば多くの無駄な誤解と争いを与えてしまうからね。
君は
>>928を書いてる時点で孤独の中の思考から抜け出してるよ。
隠者のような矛盾を含んでるんじゃないかね。
哲学屋はさびしがりやだなw
932 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 14:49:48
「存在」という言葉の解釈は少なくとも100通り存在する。
933 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 17:40:56
そこに何となくある樋が、雨によって雨樋となる。きっとそうだ。
934 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 17:44:03
特殊相対論と量子力学はくっつけられる。
一般相対論と量子重力は、強い重力場で違ってくる筈だ。
935 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 17:51:49
チャーハン作るんだけど
特殊相対論や量子力学勉強しないとダメかな・・・
∧,,∧
(;`・ω・) 。・゚・⌒)
/ o━ヽニニフ))
しー-J
936 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 18:10:13
鍋を準光速で振るか、分子チャーハン作るんならやっといた方がいいよ。
こ、こうですか?
わかりませんっっ!
。・゚・⌒)
∧,,∧ 。・・ ・゚・⌒)
(;`・ω・) 。・゚・⌒・゚・)
/ ((( ≡≡ ))) ))
しー-J
938 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 19:51:16
>>923 ガロア理論が常識の現代の数学において、
知った顔でε-δ論法を持ち出してくるあたりにお前のレベルが伺える。
お前の理論では世の中に無数にある本を本と呼ぶことが
無限を単位にしたということなになるんだろw
と り あ え ず 一 度 死 ん で 来 い ( 笑 )
939 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 22:22:05
時間の量子化
940 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 22:22:59
時間=概念
終了
941 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 22:23:48
超準解析
942 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 22:24:53
943 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 22:33:49
不毛だな
944 :
小さなヨハネ ◆qKk9IwRSXY :2006/07/06(木) 22:41:22
詳しく覚えていませんが、スウェーデンボルグは天界では時間と空間は
存在せず、「状態」があると言っていました。しかし、外観として
状態の「変化」が時間を現出し、状態の「相違」が空間を現出すると
ありました。ご参考まで。
945 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 22:52:54
信仰的な主観的時間には
時間が長く感じられたり、楽しいことを一瞬に感じたりすることがあるから
それを表現しただけだろ。
946 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 23:34:44
宗教板のスウェーデンぼけが来たか
947 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 23:36:43
>>944 状態の「変化」が時間であり、状態の「相違」が空間である。
の方が、すっきりじゃね?w
948 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 23:40:58
>>1 古典哲学で既に・・・決着済み。
で、現代で時間と言えば、それは物理学上の時間です。
時間、即ちそれは変化であり、変化、即ち事象であり、
事象を起こすには物が必須であり、つまり、
時間=物
あゆれで?。
949 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 23:48:11
ゆるめのれいで
950 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 00:24:18
時間の方が変化に依存してたりもするわけで
異なる運動系ごとに多時間だったりして
951 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 00:33:12
少なくともこの瞬間、微分した傾きは、常日頃見てるが、
未だかつて、時間て見たことないんだよねぇ。
952 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 00:44:35
加速度は感じないか?
953 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 00:46:21
だから、時間で微分した傾きはご覧になっていると、おっしゃっているではないか。
954 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 00:47:14
運動無しに空間を認識できるか?
955 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 00:53:33
時間そのものが存在してるわけではない
時間は認識するもの
それは物体の移動で観念できる 人の移動 自転 長針の移動
時間とは認識だ
956 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 01:02:26
物理を知らんようだなw
958 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 01:17:59
> じゃあ認識する者がなかったら時間は存在しないってこと?
誰もそんなことは主張していないが?
959 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 01:19:41
時間が存在しない
と言うよりは
時間の存在を認識するためには何か対象物が必要なんじゃない?って事かな
もし暗闇で自分と比較する他の対象物がない空間で時間の証明が出来るか?と言ったら それは困難なんじゃないかな
まぁだからと言って時間の存在の否定にもならないケドね
960 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 01:28:18
その伝では空間も同じ
961 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 01:41:20
まぁ時間が存在するかどうか別として
俺は ダリのDVD見て思ったわけ 柔らかい時間を観念出来るか?ってね
TSUTAYAであんなDVDがあると思わなかったから 衝撃!
九月から上野でダリ展やるから行こうかな
以上 感想文でした
おやすみ!
962 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 03:25:31
柔らかい時間と柔らかい時計は違う
963 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 03:51:58
柔らかい時計と変形した時計は違う
964 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 04:56:55
時間という概念は人間が作ったものだが、その概念を構成する諸性質は自然のものである。
うむ。時計だって自然物の組み合わせで作ったのだからな。公転周期だってある。
一日を24に区切るなどの区切り方は人が作ったもんだけど。
966 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 10:42:09
時計が表象するものは
時間だろ?
967 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 11:04:11
理系:物質が存在すると定義するなら時間は存在すると定義するしか無いよな。
文系:時間は見えないから存在しない?想像力の無いやつだな。
968 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 11:27:01
特定の物理的現象が観測・測定ができる。量子を観測して量子が存在するとするのは
よいが原子の周期運動を観測してそれを時間の存在の証明とするのは問題があるぞ。
あくまでも運動を確認しただけで時間という物の観測を行なったわけではない。
物が動くのは時間が「存在」するからなんて推論するのは物が動くのは神が存在するから
と推論するのと一緒。この議論の突破口は運動の物理的定義にあると考えられます。
969 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 11:32:46
>>968 漁師力学だけで無く一般相対性理論のお勉強をおすすめします。
970 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 11:36:47
971 :
968:2006/07/07(金) 11:56:32
ニュートン力学において力は運動によって定義されます。運動は空間と時間の割合に
よって定義されます。さらに空間と時間は幾何学によって定義されます。相対性理論
においては運動は空間と時間の方向の相対的角度のようなものとして表されます。
つまり幾何学を元にした空間と時間が命題ですから物理学(特に運動の測定)で
時間の存在を証明するなんて論理的にありえないわけです。幾何学は物理の命題・枠組み。
よって物理学で幾何学的観念の実証は不可能。時間・空間は存在すると物理学的においては
仮定されているが正解。
972 :
968:2006/07/07(金) 12:02:42
時間・空間は存在すると物理学的においては仮定されているが正解。
おっと
物理学において時空間の枠組みは前提とされているが正解。
973 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 12:39:16
時間が仮想なら空間も仮想、またはその逆。
どちらか一方のみが仮想と言うのはおかしい。
974 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 12:54:12
時間は存在するのは、運動つまり速度をもつ物体が存在している限り
自明なことだということだな。速度を測ることは時間がなければ不可能だもん。
光速度一定だけが真実とか言ってるやつがいるけど、彼は矛盾しまくりんぐ。
時間をおかない世界は精神世界のみ。
年をとらなくて、眠りもしなければ夢も見ず
生まれたときには老衰していて、死ぬときにはまだ乳を飲んでいる
うさぎとかめもどっちが早いかわからない
何もかもが逆さに進んでさかさまにたっているような世界が
時間のない世界。
975 :
:2006/07/07(金) 13:07:22
>>974 それは、便宜的な解に過ぎない。
始まり、終わり、原点の疑問に対しなんら答えていない、
ただし、そういった限界限界の中で充分に利用価値のある、
いまさら言うまでもない常識的な答えである。
976 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 13:11:36
Time is money.
時間はお金で買えるお。
977 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 14:32:28
978 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 16:10:14
979 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 17:39:04
認識に対象化された自然存在。
認識に対象化されていない自然存在。
980 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 17:40:47
まずは..明るくてちょい早いけど、よってるからね〜〜
ビックバンの最初の段階で力が幾つか、発生してきていると言ってるね
弱いとか強いとか電磁気、そして重力..
ここら辺ががヒントでは無いかと思うけどね〜
これは、始まりは無...荘子とかで言う”無”なんだよね....
均質とか万物斉同って事だわ。
要するに空間とか時間とか もっといえば概念そのもの全部同じって事なんだよね..
ところが、誰かがいたずらして、弄ったものだから...バッカスかも知れんな〜〜
せっかくバランスが取れていて美しいものが、ちょいずれて..まずは相互作用が発生してしまったって事だね..
それが 4つの力..うまくやれば一つでよかったのが...
それで..時間とか空間とか要するに均一でないものがが起こってしまい、宇宙そして宇宙の中にもクラスター更には
銀河系....とか全部アンバランスが発展して起こって来てしまったって事だね。
なんだかんだあった..人間がおきた時あろうものか..秩序と無秩序を全く逆に解釈し、
神より、むしろ、おいらの方が秩序的なんだわって事でエントロピーなんて概念もちだして、
前後して力学とか、その他電磁気学、特殊相対論,一般相対論,猟師力学、...
神からしたら..無秩序なところでほざいているとしか思えない..事を言い出したわけだね..
要するに..時間なんてもともと無いんだよ。
神からすれば、物理学なんて..程度の低いいたずらに過ぎないんだよ..
ちょっと意味がわからないんですが、時間は人間がつくったもの、ということは、
恐竜などは時間のない世界に生きていた、ということですか。
それとも、恐竜の時間は恐竜がつくっていた、ということですか。
あるいは、恐竜も今人間がつくった時間の中に生きていた、という意味でしょうか。
982 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 17:48:03
少なくとも恐竜は時間とか空間で悩まないだけ賢いんだよ。
983 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 17:51:54
人間は一人相撲しているのでしょうね
984 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 17:53:28
哲学的に時間とか空間を見つめる為には、素直に心を空にするのが一番って事だね
985 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 18:04:28
立派な..物理法則を構築してきたかも知れないけど、宇宙が発生する前は無かったのだから。
その道の専門家とか多少は努力して勉強していた人はアイデンティティーと相容れないかも知れないけど。
時間、空間の原点は全くの無秩序だったという事は否めないと思うけどね。
986 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 18:14:52
勉強しない阿呆の勝ち
987 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 18:17:28
そうだろ..それが無知の知と言う事なのだよ。
次元の低いところで,,知識を振り回しているのが一番みっとも無いんだわ。
988 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 18:18:48
もともとがこの様なスレタイを知識的に解釈しようなんてことが傲慢なのですよ
989 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 18:22:51
点があるかどうかとか、時限が空間とか時間でなく自由度とか
俺から言わせれば,,そんなことは既存の幾何学とか解析力学の延長線上でしった被りの議論をしてるに過ぎない...
このスレタイはそんなところでレスしあっていても、言葉の遊びすぎないね〜〜〜
990 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 18:56:31
>>981 自然は運動変化している。
それを理解する媒介が自然の抽象である次元であり、次元そのものは自然存在ではないと主張しているだけ。
人間はこの自然の運動変化を理解しようとするから時間という概念が必要になるだけ。
恐竜の時代は自然の運動変化の過程として存在していたが、恐竜は自然を理解しようとしなかっただけ。
991 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 19:59:15
物理学が発見した
宇宙にはじまりがあるということやひも理論
でもって物理学全体を非難してることがもうお笑いなのだが・・・
992 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 20:02:48
全体を非難したことなど一回も無いのだが・・・
993 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 20:05:11
ビッグバン理論に否定的な学者ならけっこういる。
しかし彼らは相対性理論を否定しているわけでもないし、物理学全体を否定しているわけでもない。
つまり、これは物理学の中での話しに過ぎない。
それを物理学全体の否定とするのは、なんかもう話す気にもならない理解力。
994 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 20:06:16
このスレには相対論や量子論をかじったレベルの人しかいないんだな。
そろそろステップアップして場の量子論を勉強しろよ。
時間とは励起した振動モードの遷移を現すパラメータの一つだよ。
光速度=一定と定義するといろいろ計算しやすい。
995 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 20:10:21
>>993 ビ ッ グ バ ン 理 論 ( 笑 )
10年前のNHKスペシャルや別冊Newtonで勉強したのか?www
恥ずかしいから軽々しくそんな言葉使うなよ。
おまえ結合定数の意味も知らずに大統一理論が云々って語るタイプだろ
996 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 20:11:02
時計が存在するんだから時間は存在するだろ。
ブラジャーが存在するのに乳が存在しなかったら詐欺と怒るだろ?
997 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 20:12:14
わたしは物理学を非難したことなど一回も無い。
認識を媒介にして自然を理解する以上、その自然理解は認識の性格に制限されると言っているだけ。
その認識に必要なのが自然を抽象した次元なのだが、次元自体は存在していないと主張しているだけ。
物理学は自然を理解する場合には認識の性格を考えろといっているだけ。
998 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 20:13:37
>>996 じゃあ核戦争で地球から生命がで滅亡したとして
それでも偶然深い地層に埋もれてたブラジャーが健在だったとしたら
それはブラジャーじゃないのか?
999 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 20:14:48
>>995 お前の母ちゃん、デーベーソー程度の実の無い罵倒ですな。
もう少し実のあること言ってみな。www
1000 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 20:15:04
勃起した男性器が日時計になるんだから、時間は存在してるだろ。
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。