本気で考えてる人に聞く。あなたの哲学

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1蒙昧
哲学というものは、結局人によって違う。
学問か?思想か?論理か?境地か?詭弁か?真理か?世界か?信仰か?それ以外の何かか?
知りたい。あなたたちの哲学を。自分以外の世界を。
真剣に問おう、「哲学とは何か」、「哲学の目的とは何か」、「哲学の先にあるものは何か」、
「あなたの考える哲学とは」、あるいは、「哲学などというものはあるのか?」

可能な限り固定ハンドルで応えて欲しい。
2蒙昧:2006/05/21(日) 04:12:11
【俺の哲学のまとめ】

「哲学とは個々人の世界観」
「世界は解釈と定義で構成されている。すなわち思考主体の数だけ世界は存在する」
「それとは別次元の話で、思考主体たちが存在する上で必要なベースたる本質的世界がある」
「真理は個々人の世界にそれぞれ別のものがある」
「唯一の真理や答えは存在しない」
3考える名無しさん:2006/05/21(日) 04:15:44

「本気で考えるとはどういうことか」という問いをテキトーに考える哲学。

4蒙昧:2006/05/21(日) 04:29:42
>>3
「色即是空」なら無意味な事。考えるべきでない。
「向上が有意義」と考えるなら自ら向上する為に思考や情報を精査する事。

問いの答えは無数にある。回答者が自らの思考基準で導いた答え。
それらこそ哲学と、俺は考える。
5兵人:2006/05/21(日) 04:35:28
こんなゴミスレ久々に見た
6蒙昧:2006/05/27(土) 01:11:50
うわぁ・・・・。流れてるなぁ。
自分の哲学を持つ奴はいないのか?
書くのめんどいだろうけど、主張して議論して発展させるのが有益だと思うんだが。
せっかく哲学板で貴重な人生を浪費してんだし、哲学的に有益に生きないか?

>>5
コテハンでレスどうも。ひでぇ。
あなたの世界の基準は何か(何がゴミ、何が有益)、言ってくれ岳人。
7考える名無しさん:2006/05/27(土) 01:20:20
この世界が真に平和な世界となるために、人がどうあるべきなのかを。
平和とは。
今の世界が平和でないと言える点は何か。
人の絶えることのない欲望が悪なのか。
人の身勝手な欲望が絶えるには。
8蒙昧:2006/05/27(土) 01:51:07
>>7
その疑問に、あなたはあなたの答えを出せましたか?
9名無しクオリティ:2006/05/27(土) 01:58:40
問いが曖昧模糊…

10名無しクオリティ:2006/05/27(土) 02:04:22
哲学

人が知性の果てに得たもの

必要の無かったもの
11tar:2006/05/27(土) 02:08:03
本気で聞きたきゃログ読めよ。
12考える名無しさん:2006/05/27(土) 02:12:11
地球は生物の集合的無意識に覆われていてそこから進化がうまれる。超人が誕生する日もないとはいえない。
13蒙昧:2006/05/27(土) 02:40:20
問いを明確にかつ適当に出そうか。

「『世界』における主観の価値」を答えよ。
14考える名無しさん:2006/05/27(土) 02:48:17
超曖昧だな
15かい:2006/05/27(土) 03:24:58
その中で言うなら、思想。
人は思うか思わないかで決まると思うから。
思わないことには、もちろん行動にも繋がらない。
例えば、人を裏切っても構わないと思う人は、裏切っても仕方がない。
裏切ってはいけないとは思わないんだから。
16神社仏閣板住人:2006/05/27(土) 03:30:43
>>1
自分に取っての哲学(仏教)は一言で言うと、
自分が真実の世界を生きてる事を実感、確認する為のもの。
17tar:2006/05/27(土) 03:34:59
>>15
まだいたのか。
18かい:2006/05/27(土) 04:06:02
あ、以前この名前使ってた人がいるんですか。
私は、哲学板では今日初めて書いた新参者ですよ。
19tar:2006/05/27(土) 04:32:11
>>18
人違い失礼しました。
20探求者 ◆IageKhlEwc :2006/05/27(土) 04:32:13
まず言葉の定義から。

「主観」とは、認識の始点のことである。
「認識」とは、区別する(0と1に分ける)働きのことである。

※1 認識を矢印、主観を矢印の起点と考える
※2 認識は人間のみがするものではない。無生物も認識する。

「対象」とは、認識されたもののことである。
「世界」とは、全ての対象の総体である。
21探求者 ◆IageKhlEwc :2006/05/27(土) 04:32:50
では、世界における主観の価値(意味)について。

世界は全ての対象を含むから、「全ての主観」も世界の内部にある。
ゆえに、主観は世界の全てを認識することはできない。
しかし、世界とは認識されたものの総体であるから、主観なくして世界もない。
22蒙昧:2006/05/27(土) 23:50:55
名無しクオリティさん かいさん 神社仏閣板住人さん 探求者さん、
返信に感謝する。

>>10(名無しクオリティ さん)
>人が知性の果てに得たもの

>必要の無かったもの
何の判定による不必要か。
と、詳細を尋ねてみる。

>>15(かい さん)
> 人は思うか思わないかで決まると思う
> 思わないことには、もちろん行動にも繋がらない。
ならば「思い(求め)ながらも行動に繋がらない場合」はあるか、無いか。
と、イレギュラーの可能性の探索を勧めてみる。

>>16(神社仏閣板住人 さん)
> 自分が真実の世界を生きてる事を実感、確認する為のもの
ということは、あなたは「真実の世界」を生きたい、生きることに喜びを感じるのですね、
と、生きる目的を持つ人に羨みを感じながら、確認してみて、
真実の世界、とはどういうものか。
と、自分の対宗教的無知と好奇心を晒してみる。
23蒙昧:2006/05/28(日) 00:07:45
>>20>>21(探求者 さん)
> 「対象」とは、認識されたもののことである。
> 「世界」とは、全ての対象の総体である。
> 世界とは認識されたものの総体である
つまり世界は認識により存在する、という事ですか?
ならば、認識する主体はどこに存在するのか。
認識主体の存在する「場所」が無ければ、認識は行われず、
世界は発生しない。
主観の認識外にある、「全ての存在場所」たる世界が必要だと思うのですが。
と、自分の哲学で話してみる。
24探求者 ◆IageKhlEwc :2006/05/28(日) 00:52:23
>>23
俺の定義では、「世界」こそが「全ての存在場所たる世界」だよ。

ただ、このような「世界」は無限なので、ある主観が全てを見渡すことはできない。
ある主観が見出す世界は「世界」の一部に過ぎないと考えるわけだ。
だから、「全ての主観は世界の内部にある」と答えることになる。
25重複につき誘導:2006/05/28(日) 01:31:33
自分の思想を発表するスレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1114123366/

★★★マイ哲学のフロンティア★★★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1118402426/
26神社仏閣板住人:2006/05/28(日) 02:58:45
コテスレ楽しいなw

>>22
真実の世界は未分割で無相なありのままのこの世と自心の事だよ。
但し自分は修行が足りないので心がありのままこの世から離れて居る。
どういう事かと言うと、
いつも過去や未来を患ったり妄想の中の「悟り」(仏)に囚われてばかりいる。

今、この瞬間を生きて居る自分を認識できれば自分は真実の世界と一つであり、
仏とは自心である事を体で知る事が出来る。

こう考える、そんな私は禅宗。

>>25
移んなきゃ駄目かな…(ノ∀`)
27考える名無しさん:2006/05/28(日) 16:39:19
>>1
目的は幸せになるためなの。
学問も思想も論理も境地も詭弁も真理も世界も信仰もそれ以外の何かも、
人を幸せにしないなら価値はないの
28考える名無しさん:2006/05/28(日) 16:55:03
私は森羅万象について考えたいとは思うけど、哲学したいとは思わない。
「哲学する」という自体、哲学という枠に囚われている気がしちゃって。
>1 が問うているのは、「哲学」という学及び思想があるが、私達にとっての哲学とは何か
ってことでしょ? それは哲学に捕らえられてるんだよ。
私は○について×と思った→これって哲学になるのか!
という考えに切り替えた方がいいと思うんだけど。
29考える名無しさん:2006/05/28(日) 17:44:08
>>28
ここは哲板だそうですよ
30ウルトラマン・ソフィー:2006/05/28(日) 22:14:56
哲学は、人間集団の精神性に作用して、人間社会の方向性を決定付ける
非常に重要で、あるときには危険性を孕んだ学問であると思います。
哲学は、その時代、その社会における最適の【生き方】を社会に提唱するもので
当然その答えも、時代と社会によって変化していくものですが、
一方千年以上経っても、さまざまな社会に適応できる普遍的な哲学というものも存在しています。
哲学が人間社会の方向性を決定付けるという点については、
同じようなテクノロジーや、宗教を、哲学の異なる社会に導入した場合
そのテクノロジーや、宗教の社会にもたらす影響は
社会の持つ哲学によって異なってくるということが考えられます。
例えば現代における【核】技術。
【核】に対する、各国の姿勢の違いにもまた、各国の哲学的な差異が影響していると言えるでしょう。
その結果が、恐ろしいものになっても、好ましいものになっても
その原因は、各社会が体現していた哲学にその原因があるのではないかと考えます。
テクノロジーや宗教、思想を、社会に対してどのように適用していくかを決定付けるのが
その社会の哲学なのではないでしょうか?
31蒙昧:2006/06/03(土) 08:07:51
俺週末しか哲学板に来れないんだけど、来る度に流れてるなこのスレ。

>>24 探求者さん
『「世界」は全ての対象の総体』、そして『「世界」は無限』、
ということは、「世界は形を持たない」、ということだろうか。
便宜的に名称をつけただけの概念、か?
あるいは主観に認識できないが形あるもの、か。
どうなのですか?

>>26 神社仏閣板住人さん
移んないで欲しいが。

俺は仏教とか全然知らないんだが、教えと自分の考えに違いが出ることってありますか?
釈迦の考え方と仏教徒全ての考え方が一致することはないと思うが、それは是か、非か。
32蒙昧:2006/06/03(土) 08:08:41
>>27
発言内容は面白いと思うし価値あると思うが、コテハン希望。

>>28
コテハンにしてくれると嬉しいんですが。
「哲学」の有無、総体としての哲学は気にしてません。
最終的に哲学は呼称に過ぎないと思う。その中身は人それぞれ。
俺が知りたいのは個々人の考え方。個人の考え方は差異が大きくて、
それを知ることは価値あることだと思う。
> 私は○について×と思った→これって哲学になるのか!
この考え方じゃ、まず最初に哲学を定義しなきゃだろう?
名前なんて後付けでいいから、まずは自由に自分の世界を構築していこう、と考える。
33蒙昧:2006/06/03(土) 08:26:29
>>30 ウルトラマン・ソフィーさん
哲学は社会と相互的に影響し合い成立する、ということか。
しかし哲学は「その社会における最適の【生き方】」を提唱するものだけでしょうか。
社会と相互作用する、つまり人間集団の精神性と相互作用する、というのが
哲学の性質だとしたとき、人間単体の精神性との関係性は、ということです。
集団と単体では精神性にも差異があるでしょう。そして単体もまた哲学を持つ。
このとき全ての単体の哲学は「その社会における最適の【生き方】」を提唱しているのか、どうか、と。
34考える名無しさん:2006/06/03(土) 11:09:50
「哲学とは何か」
幾多の先人たちが出した一つの答え
「哲学の目的とは何か」
個々の発展及び衰退
「哲学の先にあるものは何か」
絶望と希望
「あなたの考える哲学とは」
両価性を持ち、矛盾を繰り返すモノ・コト。
「哲学などというものはあるのか?」
存在し同時に存在しない。
35考える名無しさん:2006/06/03(土) 13:13:54
>>34
>「哲学などというものはあるのか?」
>存在し同時に存在しない。

それでは論理学でいうところのエラーだな。(好きであり嫌いである)
これを訂正して、「有でも無でもない」。(好きでも嫌いでもない)
これなら納得できる。
36考える名無しさん:2006/06/03(土) 13:14:47
律儀な人ですね
37考える名無しさん:2006/06/03(土) 13:19:22
>>36
所詮デジタル(+−)では判断できないということだよ。
38考える名無しさん:2006/06/03(土) 20:52:03
>33
> 全ての単体の哲学は「その社会における最適の【生き方】」を提唱しているのか、どうか、と。

最適の生き方って何なんだろう…。>30にまずそれを定義してもらいたいよね。
あと「提唱」っていう表現もどうかと。我々は哲学にのっとって生きているということかな?
確かに根源はそうかもしれないけど、結果目に見えて我々に影響しているものは哲学ではないと思う。
我々は何かしらの哲学を保持し、心中でその哲学を変化させているだけなのでは。
まあ「何かしら」が何なんだって話になっちゃうけど。
ごめんね。訳分からんね。
39探求者 ◆IageKhlEwc :2006/06/03(土) 21:44:01
>>24
「世界は形を持つか」なんて考えたことないがw

どんな形か分かるためには外から見れなきゃいけないだろう?
世界全体を見ることができる一つの視点は存在しないので、形を持つかどうかは
分からないと考えるべきだろうな。

俺の言う「世界」とは、外側を持たないように定義された観念です。
40考える名無しさん:2006/06/03(土) 21:53:17
>39
同意。世界の形を確かめられる視点があるとしたら、
その視点はどこに存在するかって問題になっちゃう。
41蒙昧:2006/06/04(日) 05:28:59
さて。ここで適当に問いを出そう。

  1, 明確な論拠と考察をもって
      「故に『世界』は『無い』(または『有るとは限定されない』)」
     という結論に至る論証を行え。

1が物足りない,あるいは気に食わない方は上級問題を。

  2, 『世界』に関する何らかの考証・論証を行え。
    (但し『世界』を明確に定義すること)



週一ぐらい毎に問いを追加する方針で。
42考える名無しさん:2006/06/04(日) 05:33:34
私の心に響かないなら、彼は何も言ってない。何も言ってないなら、彼はいない。
43考える名無しさん:2006/06/04(日) 05:36:41
彼がいるからには、何故なら、神がいる。神が我々を創造したのである。
私の心に響かないなら、彼はいない。
彼がいないからには、神もいない。

俺の心に響かないが故に、おまえは無神論者なのだ。
44& ◆PmqWyH5WTw :2006/06/04(日) 13:02:26
私の哲学はまずすべてと私に違和感を感じ疑問を持ったから始まった。
なぜこうなっているのか?と疑問した自分にも疑問した。
一つ挙げると
死とはなにか?と考えてずーっと答えが出なかった。
いまは答え(のようなもの)がでてきた。
死は選択肢に含まれる選択死によって引き起こされるようなものでは
なかろうかと。
そのたどり着いた過程に書く文章を私は知らないなぜならずっと頭の
なかにあって自分自身の外にアウトプットしたことがないからだ。
死はタロットカードにも大アルカナとしてある。昔人々が宇宙(哲)
をタロットカードにたとえたように死はすべてにあるのかもしれない。
今のところ死はほとんど自身の選択肢によって引き起こされる自殺
であると妄想することもある。
妄想も自分の思考のねたにする自分の中にあるものはすべて使うと
いうのが私の哲学のスタンスである。

これとは別に哲学は真面目な性質を持つ人の一種の道楽としてあっても
いいのではないかと思う。
 哲学で食えるなら別だけど・・・・。
45権藤有二郎 ◆EN8cDNURt. :2006/06/04(日) 13:09:59
蒙昧さんへ
>>44
哲学板への挑戦状の1である
私です。
哲学はすべてを問い
あらゆる対象を内包する学問だと
捉えています。
46権藤有二郎 ◆EN8cDNURt. :2006/06/04(日) 13:15:58
過去のデータは
分け隔てなく重んじ
自分を冷静に思考するよう
仕向け模索し続ける。
途中で死んだっていい
今あるのは過去の上にあるのだから
それ(do)をしていることはありがたいことで
今存在できることに感謝しつづけることが
できたのだから。
47権藤有二郎 ◆EN8cDNURt. :2006/06/04(日) 13:39:31
そうだなわたしの今までの立場を
自慢は自己満足の略的に私が捉えると
テキトーな言葉を羅列するが
「不確定性論理主義」
である。
48権藤有二郎 ◆EN8cDNURt.
蒙昧さんへ
自己紹介が終わったので
2問めへの返答です
世界とは「ある」もののすべてだと捉えている
「ない」ということは前提として「ある」ものでなければならない。
 人は己が感知せざること以外はできないとしたらもともと「無い」
ものを「ない」と捉えることができない。
 「無い」のは頭の中にあるからで「ない」ものは「ある」を前提
としている。
 ゆえに
世界は天文学の宇宙を含め「ある」ものの総体であり、すべて(この
意味においては辞書にある意味)であると定義できる。
 また宇宙(哲学)はあらゆるものごとを含んでいるとすると推察できる
ため世界の外にも広がっている。なぜなら、前述の「ない」ということ自体
も含まれるからである。

 宇宙(天文)の外に世界(すべて)の外に宇宙(哲学)があると推測
する。