1 :
考える名無しさん:
悪いことをすればいつか自分に帰ってくるので
ご安心を。嫌がらせをされたあのひとの現在を
みてください。ほら、ちゃんとおちぶれてますよ。
2 :
考える名無しさん:2006/05/11(木) 05:11:10
いずれ自ずと魂は後悔の念に溺れていく。
本当の罰は心と記憶に下される。
飲み込んだ罪は魂を蝕み、やがてその心を食らい尽くす。
振り返る度に自分が汚れていくようだ。
自分で復習してはいけません。
神の怒りに任せなさい。
3 :
2:2006/05/11(木) 05:13:11
>>1 そう思って言い聞かせておいた方が人生における大部分で得策。
4 :
考える名無しさん:2006/05/11(木) 05:46:45
目には目を
歯には歯を
嫌がらせには嫌がらせを
でしょう。
5 :
考える名無しさん:2006/05/11(木) 05:53:00
嫌がらせなんかしなくても、別の誰かがそいつを
こわしてくれるでしょ。
自分がいやなやつと思うということはまわりも
そう思ってるはずだよ。
6 :
考える名無しさん:2006/05/11(木) 05:53:27
>>4 そして自分に返ってくる。
優しさで培われた心は成熟し、批判で培われた心は未熟に留まる。
7 :
考える名無しさん:2006/05/11(木) 05:58:46
誰かがやらなくては悪がいつまでたってもなくならないよ。
>>7 そうでもない。
対抗すればするほど、相手の力を強くするということもある。
やはり、細かい行動というのは、常に周りから良くも悪くも評価されてる。
なるに任せて対抗しないというのが一番有効な対抗策になることもあるよ。
これは、救わないと言う点では、かなり残虐な方法だけどね。
ただ、当然の報いは受けてもらわなきゃ困るわけだし。
結果は自分に跳ね返ってくると言う自然現象に任せるのが、こちらも余計な
パワーを使わなくていい。
戦うのは、どうしても必要な時だけでいいでしょ?、と思いません?
ただ、忍耐力は必要になるけどね。
マジレスすると、そうとも限らないね。悪い事をして良い目にあうこともある。
悪い事を楽しむ人間は「じつ」に多い。嫉妬の塊だからね。人間は。
そこは判断でしょう。
機が熟していれば、戦えばよい。
当然、忍耐は無効な場合もあるでしょうし、
悪いことをやり得ということもあるでしょうね。
ただ、悪の力の方が強いなら、自分の力だけで戦おうとするのは愚かなこと。
悪を栄えさせるのも滅ぼすためのひとつの方法ですよ、と提示したつもりです。
一般論としては、ブーメラン効果というのは確かに存在しますよ。
11 :
考える名無しさん:2006/05/11(木) 22:41:25
あげ
>>8=10?さん、ありがとう。いい方ですね。
ブーメラン効果という言葉は知らなかったです。
そういう心理は確かにあるなと思いました。
悪人というのはなくならないのですか。
私は毎日嫌がらせを受けているんですが、
相手の目的は自分を怒らせるため、というものらしいんですね。
「なるに任せる」というご指摘ですが、ためになりました。
私は政治が嫌いですが正しい政治なら強いてやるべきと
思っていました。
>>1犠牲者の責任は当然やった者に返ってくるという理論?
悪事にも罪の重さがある様に思う。
限度を超えた悪は犠牲者がうかばれない。
14 :
考える名無しさん:2006/05/12(金) 15:28:25
>>12 悪は(長くは?)栄えない、という命題はあるように思いますが、
悪は滅ぶ、ということは、必ずしもないように思えます。
少なくとも、短期的に得をすることがあるからこそ、悪に心を
染める者がいるわけで、滅びるとわかっていれば、悪事を働く者も
いなくなるはずなのに、いなくならない。
と言うことは、悪は、必ずしも滅びないということに思えます。
怒らせることが、嫌がらせの目的であるのならば、怒っては
相手の思う壺ではないですか?
そうすることによって、相手に何らかの利益が生まれるのでしょう。
しかし、こちらがその嫌がらせに耐えた場合、嫌がらせは、誰の目にも
嫌がらせにしか映らない。
そうした光景を不快に思う人もきっといるはずです。
弱者が弱者として振舞うときに、それが強みとなることもあるのだと
思います。だからこそ、耐えることが必要になるときもあるのだと
思うのです。
耐えろと言うんですか。
所詮他人事ですね。
17 :
考える名無しさん:2006/06/18(日) 16:49:52
18 :
考える名無しさん:2006/06/18(日) 16:53:31
善悪の彼岸
19 :
考える名無しさん:2006/06/18(日) 18:05:41
DQN夜に蔓延る
>>1 現実に目をそむけたら駄目。
20 :
考える名無しさん:2006/06/18(日) 18:06:16
そう、「世」を「夜」に誤変換だね。
王様の耳は驢馬の耳ー!
22 :
考える名無しさん:2006/06/19(月) 11:30:50
ていうか悪って何よ??善て何よ??
悪だの善だの決めつけてるお前はほんとにこの板の住人なのか?
23 :
考える名無しさん:2006/06/19(月) 11:35:08
カルマの話は哲学か、オカルトか。
それはタブーっていうんじゃないのかな。
腫れ物に触ると表現する。
題から、カリフのことを思い出させられたよ。もちろん、カリフは最高指導者というアラビヤ語だ。
根は細いけど、次第に枝分かれして、花をつけ、以上に膨みを目にするようなものだ。
26 :
考える名無しさん:2006/06/19(月) 21:05:52
カリフラワーのことではないよな。
「預言者の代理人」のカリフだと信じる。
因果応報て仏教だよな
28 :
考える名無しさん:2006/06/19(月) 23:14:47
支配者の暴虐を耐えてる被支配者は自分の境遇に我慢ができないから
「悪いことすると自分に帰ってくる」と考えて自分を満足させる
そして、悪いことをしていない自分は偉いと上下を転換させる
これって思いっきりルサンチマンじゃん
カルマって業だろ?人間の行い全てが業じゃなかったっけ?
善行であれ悪行であれ、すべては人間的な限界を持った因果関係から
逃れることはできない、みたいな考え方じゃなかったっけ?
教えて東洋思想くわすぃひと。
30 :
考える名無しさん:2006/06/20(火) 15:20:42
しかもその因果応報が帰ってくるのが一秒後なのか、数世代後なのか、
解消する準備ができたときなのか、曖昧なのがなんともいえない。
ただ、全ての事象と人間関係は、過去に作られたカルマの循環そのままではなく、
新たなカルマを自ら作っていけるのだが、何を思ってどうしたときに、
それがその文脈の無い因果応報から外れた新たなカルマの始まりなのか区別が付かない。
31 :
考える名無しさん:2006/06/20(火) 16:18:04
因果応報はそこそこあるな。
全面的には正しいとは思わんが、近所に何人かえらいことになってる奴がいる。
kwsk
>>30 仏教では正式には来生ということになっているよ
自分で勝手によい事だと思ってやっていて実際には迷惑かけまくりの
人にはどう帰ってきますか。
35 :
考える名無しさん:2006/06/22(木) 06:10:46
社会学的にも説明できるな。悪い事をするということは他人に対する思いやりがないということだから、相手が弱い内は成功するが、そのうち強いやつにあたる。。
すると今度は逆にやられることになる。それに弱い人間も一度はやられても2回目からは警戒するからな。
だから、おまえはナメられるんだ
紫外線も浴びすぎはよくないらしいよ。
シミがでたりするからね。
39 :
31:2006/06/26(月) 11:45:13
嫁に入って、そこの金自由にして夜遊びして、姑を追い出したら、数年後マジで脚を切る、切らないの病気に。
現在も芋虫みたいに病院のベッドに伏せっている。
見舞いに行った人が、人前でオナラをしてしまうし、動けないしどうにもならない状態。
お尻の肉や脚の肉が落ちてしまい、場所によっては骨が寝床に当たって滅茶苦茶痛いそうだ。
バカな旦那が泣いているそうだが、親戚はもちろん兄弟も見放している。
嫁さんは姉さん、兄さんがいるが見舞いも無いそうだ。
すげえ感じの悪い女で、よく人に罵倒されたり、罵倒したりしていたし。
子供の俺たちは近寄らなかったな。www
40 :
考える名無しさん:2006/06/26(月) 15:26:19
>見舞いに行った人が、人前でオナラをしてしまうし、動けないしどうにもならない状態。
見舞いに行った人の話だと、に訂正。
呑み仲間らしいが、これもどうしょうもない女らしい。w
41 :
考える名無しさん:2006/06/26(月) 17:44:19
シルバー・バーチが言うには、
因果律は完璧に機能しており、自然法則はその一部になる。
全てを含んだ因果律を自然法則と呼ぶこともあるが、
弱肉強食・天変地異と言った一部としての自然法則は進化の過程にある。
先祖・血縁は絶対に何かあるな。
プラズマの流れのように、積み重なった因果が、ある一定方向に進み、
他方向は壁に覆われ狭くなるように。
42 :
31:2006/06/27(火) 06:57:34
稀には因果応報から逃れてる奴もいる気がする。
なんでこんなのが残っているんだ、と思う人もいるが、よくよく見るとやはり良い所があったりする。
しかし「ペスト」の中の赤ん坊は悪いことをしているわけではないよね。
因果律はあるが、人間が考える悪いこととはまた別の因果律があるんじゃないだろうか。
しかし近所の性悪女の時には、一瞬でも神があるような気がしたよ。www
43 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 08:07:19
>>42 >稀には因果応報から逃れてる奴もいる気がする。
オマイにみえない因果律もあるってこと。www
本来は見えないほうが多いはずなんだがw
物事の本質を知れ!w
44 :
32:2006/06/27(火) 12:04:08
31kwskさんきゅ。
この場合その女が病気になったこと自体よりも、
病気になった女に対する周囲の感情の方が「応報」ということに
なるんだろうな。
すべて業。
45 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 15:20:40
世界は広い。いろいろな人種がある。
ある出来事に対してAという人間(人種)は悪いという概念をもっており
Bという人間(人種)は悪くないという概念をもっている場合、
その同じ出来事をA、Bが起こした時A、Bには別の結論が待っているのか?
46 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 16:13:10
悪い事だという認識がありながら
それを行うと問題が生じるんじゃなかろうかい
47 :
31:2006/06/27(火) 16:46:09
マジで近所の人はゲラゲラ笑ってるもんなあ。
旦那の人が良い妹たちも追い出されて。
家を建て直したんだけど、改築してあと一週間で入れるという時に入院したらしい。
人の悪い隣のオヤジは、息子さんに「大変だなあ、お母さん。」と声を掛けて、後ろを向くとニヤニヤしているらしい。
迷惑をかけられたり、嫌な思いをした人たちはまだ笑っているな。
48 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 14:47:11
阿佐田哲也が麻雀放浪記で書いてた運一定論ってのはあるかも。
つまり、人間が一生で使える運の量は一定で決まっている。
どこで運を消費しているかは人それぞれ・・
雀士、阿佐田哲也は電車で移動するのも運を消費していると感じて
歩いて移動したとか。
悪いことをしてもお咎めなしってことは大きい運を消費してるんじゃないの?
49 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 15:03:13
>>48 運一定論はたしかに面白いですね。
ビートたけしもそんなこと言ってて、ギャンブルやらないのはそれで運を使い果たしたくないということらしい。
50 :
48:2006/06/29(木) 15:31:47
あー、でもよく考えたら「良い」とか「悪い」とか言うのは人間世界の一時代
の倫理観でしかないんだよね。
人殺しは悪でも戦争で大勢敵兵を殺せば英雄扱いとか・・
あと確信犯(正確な言葉の使い方じゃないのは分かってるが・・)みたいなの
は悪いとい思ってやってる訳でもないだろうし・・
51 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 19:13:36
「因果応報」は
仏教という「哲学」には、その概念はない。
というか、それを既に超えている。
仏教という「宗教」は、それが基本になっている。
それがインド人の人生観・宗教の基本中の基本だから。
お釈迦さんは実用主義者で基本的には不可知運論者だから、対機法で人に話した。
対話している相手の状態で、話の内容を全く変えた。
言葉としては矛盾する事もしばしば。相手を導ければそれでOKだから。
仏教が他の宗教と比較して、それぞれ別の宗教?としか思えない部派・宗派に分かれまくっているのは
それが根本的な原因。
ゆえに「因果応報」についても、仏教全体の統一的見解は実のところな。い
52 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 00:03:23
つか、古代インドならいざしらず、今のインドはヒンズー教が主流じゃなかったっけ?
今、仏教信仰しているところなんてチベットとかにしか残ってないのでは?
日本は葬式仏教で信仰じゃないしな。
53 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 01:41:49
"悪いこと"って何?
因果応報ってのは明確な善悪の概念によって成り立ってるような印象を受けるけど
んなもんがあるのかい?絶対的な善悪が。
54 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 01:53:33
いいか、因果律ってのは、サーフィンみたいなものだ。
乗ればいい。乗れればいい。
しかし、土砂崩れに乗っちゃあいけないんだ。
雪崩もだめなんだ。乗れたもんじゃない。
なんで駄目かって?
そりゃあ、土砂崩れで楽しんでもいいけどさ、民家は潰すし、交通機関麻痺するし、
乗ってる場合じゃないんだな。乗ってる間に人も死ぬ。不本意に。
津波に乗る奴ぁ勇者だ。だが、悪いことだ。
因果応報は、前の行動により、次の結果が生まれるにすぎん。良いも悪いもへったくれもねえ。
カオス理論に近いものがぁあるんだな、これが。そんな生やさしいもんじゃねえがな。
55 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 14:00:55
なるほど
56 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 14:16:19
死んだ祖母ちゃんが震災でも東京大空襲でも良い人たちが無残な死に方していったのを死んでいる。
かといって親戚で因果応報の見本みたいな人もいるからねえ、と言っていたのを思い出す。
57 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 14:18:06
>死んだ祖母ちゃんが震災でも東京大空襲でも良い人たちが無残な死に方していったのを死んでいる。
→死に方していったのを見ている。
58 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 16:37:58
悪い事をしてものうのうと生きていけるだろうか?
そこで肝心になってくるのが、頭の良さ。
馬鹿は捕まる。
頭のいい奴は捕まらない。
逆から言えば、馬鹿はルールを破らなければ生きていけない。
頭のいい奴は、ルールを守りながら生きていける。
違う角度から言えば、馬鹿が行動に出ると、不本意ながらにも事故が起こる。
頭のいい奴が行動すれば、その状況を打破出来る。
そして最初に言った「悪い事をしても、のうのうと生きていけるだろうか?」と言うのは、頭のいい奴は、真に悪い事はしないし、悪い事かいい事か分からないグレーゾーンでの行動も、良いことにしてしまう力を持っている。
つまり、罪を犯すのは馬鹿なのであって、この式から言えば馬鹿自体が罪である事になってくるのだ。
頭を使わない人間はそれだけで罪なのだ。
59 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 17:24:19
社会的に罰を受けなければいいともいえないな。
むしろルールを無視しても自分の信念に従って行動した人が社会を変革する。今日の社会はそうした理想を曲げなかった先覚者の努力の上に成り立っているといっていい。
60 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 17:34:09
>頭を使わない人間はそれだけで罪なのだ。
そうかもね。
61 :
考える名無しさん:2006/07/04(火) 10:45:47
よしお前にチャンスをやろう。良い事をしたら、許してやる。
>>62 あなたは考え違いをしています。
本当は良くなりたいけど、あなたから何かがある、ということです。
あなたがこういうようなことをしてくれたら、私は良くなると考えるべきです。
しかし、良いことをしたら、許してやることであるとすると、
どのような具体的なことなのでしょうか。その仕方の卓越さがあると考えます。
例えば、蜜蜂が花弁に入り込み花粉を集めるには、雌しべの周りにある花粉を丸める
めるのが最高の仕方であるというようにです。蜜蜂は両足を花粉まみれにして、足が
閉じなくなります。
具体的には、どういうことですか?
自宅周辺でクラクションを鳴らし続けたり、兄や母が聞いたにも関わらず
中傷をぶちまけたり、自分の町での行動が全て携帯サイトで公表され、
さらには自分の日記を本人が目を放した隙に覗き見てネットに公開するわ、
障害者だとかストーカーだとかありもしないことをネットに公開するわ、
これら全て因果律、悪いことのお返しなんでしょうか。
まぁ、言われるのは何ともないけど、これを行うやつらはまず常識的に
分別が分かっていないし、自分のなんだ、アホ二元論者は悪は滅びねば
ならないとか自分のターゲットをまずデモナイゼーション(悪魔化)して
ただひたすら中傷を行い続けるだけ。言ってることが
「障害者」「知的障害者」「ストーカー」「身障」「人殺し」
これら全く虚偽出鱈目をただ繰り返すだけで、
まぁこれを言われる人に負い目があるのは確かだけど、俺には
単に自己正当の理由に言ってるようにしか見えない。それにたった一人の
人物に対してそんなに執着する理由がわからない。
ネットに落書きして楽しんでいたのは事実ですが、ただそれだけですよ。
俺は誰かを付け回したり誰かを殺してやりてぇ!とか考えませんし実行した
ことはありませんよ。ただ俺の行動を見たあなた方が「とんでもない憶測」
をしているだけで、あなた達が俺に対して行った、なんだろうな、
天罰?・・・プギャー!。まぁとにかく、どう落とし前付けるんでしょうか?
とりあえず街中出れば向こうからやってくるし、その場でとっ捕まえて
後は警察にぶちこむか俺自身で制裁するか、どっちかですね。
後考えられるのは、まぁ考えにくいけども、俺に何か期待していたり
何か望んでいたりする場合。それは何ですか?あまり対したお返しは出来ませんよ。
自分が人並みの生活を行うのは、俺自身で何とかケリがつく問題ですので。
良さを聞かせていただきたい。
>>65 それでも、良いことしたら、許してやるっていってんべさ?
>>67 「まず自分が人並みの生活をして親を安心させること」
それだけ。後は自分に余裕が出来たら恩返しが行う。そんだけ。
あんたらは一体何なの?
まぁ、面白いネタが欲しいだけなんだろう
>>68 >>64が言いたいことの周辺部は言っているようです。
巣作りである訳です。しっかりした巣作りとは、両足の下に花粉の団子を付けた蜜蜂
を巣は喜んで迎え入れます。それは花びらで花粉まみれになってきてくれたからです。
しかし、巣の為になるということもあるのですが、巣を考える以前に、花粉の量がすごい
などと、蜜蜂の「よさ」が考えられます。ですから、良いことはこのようなところのよさ
であると考えるのです。そして、今良い所というよりも、空洞を想定してそれを満たすこ
とが可能であるということがとても良さそうだということなのです。
わかりますね?
くだらない人間はくだらない幸せと不幸をつかむ。
高尚な人間は高尚な、以下同。
そうでない人はそれなりに。
拙いなら拙いなりに人となりがわかって味わいがあるのに、
返歌もできないんだから、相手にならない奴だ。
トコロテンに酢でも混ぜて食ってろ。
75 :
旅人:2006/07/09(日) 11:23:50
教えてください。私の身近なテーマです。
悪いやつ、ルールやマナーを守らないやつがのうのうと親のすねかじって生活していて、
忙しい中ボランティァしているいいやつが苦労しているのはなぜでしょうか?
所謂天道是か非か?
この世に正義や信義はあるのか?
この問いに例えば前世の報いが来ているという論理がありますが、もしその人に反省してほしくて罰を下すのなら、
その場で下した方が効果覿面では?
だって何百年も前のことで罰を与えられても反省も何も。。
何年も追い求めたテーマですが、未だに答えが出ないのです。
76 :
考える名無しさん:2006/07/09(日) 13:22:15
イジメの主犯格が今度はイジメられる側になる事は良くある事だよな。簡単に言えばそういう事なんだな。
「悪銭身につかず」てのは、パチやるやつなら大部分がわかってるはず。
勝つと思って、出玉を使って全部飲まれ、追銭するなんてしょっちゅう。
うまい話を聞いて、うまいめを見てしまうと、
同じ方法や同じ段取りをやるでしょ、で、やり続けるもんだから、
いつかは失敗もある。取り返そうとして余計にひどい目に遭う。
蟻地獄。ギャンブルはね。
これと同じで、泥棒や空き巣だって、うまくいけばいくほど、
いつかは発見されちゃう。逆に言えば、発見されるまで
続けてしまう。最後のお縄で地獄を見る。
ギャンブルと窃盗は本当に天国の隣に地獄があり、たいがいは
地獄に堕ちるまで続けてしまう。わかっていても。
いじめとかだって同じ。おもしろければ誰かが、ぶち切れるまで
続けてしまうから、最後は地獄に堕ちる。
78 :
考える名無しさん:2006/07/09(日) 17:23:23
ペストで何の罪の無い赤ん坊が苦しんで死んでいくよね。
大きな何かが有ると、すべてを呑み込んでいく。
たしかに平々凡々の日常では因果応報ということはあると思うんだが。
たとえば巨大隕石が落ちてきたら、積善も積悪も関係なく。
79 :
四式:2006/07/09(日) 18:15:39
善も悪も人が決めそれに往訪するのもまた人なのだ。
ある集団が悪を選定しその合意を得て報復を成そうとする、
組織力と利害の対立による闘争をあたかも自然なる物として
正当化したいとき、人はそれを因果応報と呼ぶ。
個人はどうあがいても組織には勝てない所以であり、また
人生の満足が権力と金によって獲得される証左である。
80 :
四式:2006/07/09(日) 18:58:15
豚も牛も死なない日は無い、稲は必ず刈られる。
牛も豚も稲も人間に何を擦るわけでもなく報じられているのはどうゆう事か?
まずここに疑問を抱くべき。
因果応報の決定論は報復される物は必ず因果であるという説と
報復され無いものに因果は無いと言うことが含まれている。
そこに強力な組織を持って人民でも動物でも搾取しようという意志が
肯定する物が含まれている事に疑いは無い。
人間の根源的な欲求は食欲であり、根源的な満足は食事である。
”因果応報”とはそれに根ざした、絶対的な搾取を肯定し力を求め
人を支配する方便の為に作られた、根源的欲求を満たす宗教的修辞の一つなのである。
81 :
旅人:2006/07/09(日) 22:31:49
みなさんレスありがとうござます。
もちろん周りの人たちも見ているところは見ているからそういったやつらに対して制裁を加えてくれる。
ただ不完全な人間が作った社会システムだから完全ではない。
不条理だと憤ってもどうにもならないことがあるのです。
最後は諸行無常と割り切ってものごとに拘らずに生きていくしかないのでしょうか。
私はそこまでできた人間じゃないから苦悩しているのですね。
また旅に出ます。
82 :
四式:2006/07/10(月) 00:20:32
>>81 社会のシステムはもちろん闇のフィクサー達の管理下にあり
表の顔で大衆を扇動する術にたけている。因果応報として社会に制裁を加えられた人間
例えば朝鮮にもの申して辞任に追い込まれた過去の大臣
石井紘基、伊丹十三、オウム殺されかけた小林義則や実際殺された弁護士
制裁が加えられているのは、たいてい善人と呼ばれる人間達であり。
社会には光を当てられればそれを殺すしかないような、悪が山ほどある。
さてその闇を持つ人間に因果応報が下った事があるか?社会や大衆が制裁を加えたことがあったか?
悪は栄えた試し無しなど飛んだファンタジーなのだ。
一般大衆の善性など頼りにする時点で間違い、敵の攻撃に対して完全な
反撃が出来る攻撃力、防御力、組織力、憎み切る精神力、狡猾さを身につけ
国の戦争のごとく備える事によってのみ安全が保たれる国はもちろん、個人もまた
その防衛意識と能力が無ければ善も悪も行えずドッグレースの犬になるだけなのである。
俺は他人から見ればドッグレースの犬でも結構だがね
所詮誰も自分以上の狡猾さを身につけた者からすれば
自分以下の者はドッグレースの犬に見えているだろう
あなたも例外ではない
84 :
考える名無しさん:2006/07/12(水) 08:02:05
きついっすね。
まあそうなんでしょうが。
85 :
考える名無しさん:2006/07/12(水) 14:08:22
> 今、仏教信仰しているところなんてチベットとかにしか残ってないのでは?
いくら2ちゃんねるでもこりゃひどすぎる。w
タイ・ビルマ・スリランカ・・・・・・とかいう国名聞いたことない?
86 :
考える名無しさん:2006/07/13(木) 16:10:31
www
87 :
考える名無しさん:2006/07/13(木) 18:47:11
>>1
別に悪いことに限らんだろ。何でもやったらやった分、種を蒔いたら蒔いただけ、刈るんだよ
88 :
考える名無しさん:2006/07/13(木) 19:48:33
悪いと思ってても悪い行動する人と、悪いと思わずに悪いことをする人はどっちが悪人?
89 :
四式:2006/07/13(木) 20:23:39
>>83 オオカミの魂を失い牙を失った犬と成り下がりはて、それを甘受する。
そうゆう生き方は生業に満足し才能と業績によって歴史に名をなさしめれる者には
いいのかもしれない。だが我が輩のような凡俗にとってドッグレースの犬に
比喩される生き方は耐え難い物なのだよ。
因果応報とはこうも言えるかも知れない、ドッグレースに勝利した者立ちが
権力によって敷くドッグレースルールを破り頂点を見てのど元を食いちぎろうとする
社会不適合者に対する制裁措置と。
飛んだメルヘンが語る因果応報より、よほど現実に近いね。
90 :
考える名無しさん:2006/07/13(木) 22:25:47
91 :
90 ◆CDhbRlFpIc :2006/07/13(木) 22:37:59
>>82 >石井紘基、伊丹十三、オウム殺されかけた小林義則や実際殺された弁護士
>制裁が加えられているのは、たいてい善人と呼ばれる人間達であり。
証拠がないと思う。本当に彼らが「善人」であったという証拠が。
石井議員の殺害、伊丹十三の自殺、小林よしのりの殺害未遂が
本当に「制裁」なのかどうかも、判断する基準がないと思う。
メディアを通じた情報だと一部を削り取ったり歪曲していたりするから
正確に分析できない恐れがある。それよりか自分自身の体験や
自分の身近な人間の体験のほうが資料価値がある。
92 :
四式:2006/07/14(金) 00:16:03
>>91 >それよりか自分自身の体験や自分の身近な人間の体験のほうが資料価値がある。
あなた自身がそう言いたいように、人間というのは表面的に語られる社会正義より、
より直接的な利害関係にある組織の正義により追随していくのが、むしろ一般的正義、道徳律。
石井議員、伊丹十三、コヴァ、こいつ等は全員その一般的正義より何か大きな正義によって
立って行こうという意思があったのは自然な見方だと思う。だがそれを貫いた故に組織正義から独立した
個人の弱さ、組織正義の利益を得ている利害関係者に都合の悪い悪を見られ。
弱さと悪を露呈して、さらに奴らの人間の生善を信じる弱さ不用意をさらけ出した
だから制裁された、と考えるのが普通だろう。
そしてメディアでは衝動的な怨恨、あるいは自殺と報道する。バカやフィクサーの手先はそれを大声で煽る。
それがこの世のシステム、ごくごく一般的な善悪であり因果応報。
素晴らしいドッグレースを邁進するバカと、ドッグレースの秩序を司る闇の住人
ただ悪として制裁を受ける生け贄の、哀れでバカな善人(失敗作)
それがこの世を構成する三つの要素である。
体験から得た事ドッグの嘗め合いや、フィクサーの合議のような小さい体験を
掃除拡大して社会を認識しようなんてものは、リカちゃんハウスぐらいに資料価値は無い。
93 :
考える名無しさん:2006/07/20(木) 15:23:00
ムネオ議員の疑惑をたたいたように、自分の疑惑をたたかれ、
議員辞職した辻本議員。
年金未納を批判して、自分の年金未納も問題になり、おへんろさん
に行った管代表。
武部幹事長の首をとばそうとして、自分の首がとんだ、あの、何だっけ、
ああもう名前ど忘れ、例の民主党議員。
パリサイ派を裁きまくって地獄行きにしたあげく、自分がはりつけに
されたイエスキリスト。
やっぱ何かあるね。人の運命を支配する法則みたいなのが。
謝罪を迫る人々
私達は、罪を犯したならば、辞任であると考える。辞任とはどういうことなのだろうか。
辞任はそれまで続けてきたものが終わる。何故なら、悪いと考えているからである。それに
しても、終わったから、それからどうなるという見通しを立てた辞任を見たことがない。
彼がそれまで続けてきたことをこれからしないということになるくらいだ。
彼が仕事をしなかったとしたら、彼は謝意をもつのだろうか。やきもきしてストレスが
溜まるくらいのものである。
彼は何某かの希望をもって、続けてきたのだ。彼の事業に見合った仕事をする。
しかし、誰かが罪を犯したから、彼は希望が謝罪の意であると考える。そうして、彼の
事業は終わりになる。つまり、これは誰かが社会的な信用を裏切ったとしても、別の人
々にも更に加担させる裏切りの拡大なのだ。悪意から、続けたいるとすると、それは本
来的に犯罪であったのだ。だから、わざわざ、謝罪をせまるものでもない。
仕事を続けているなら、健全の証明だとでもいうのだろう。仕事をしていないなら、
どこか欠陥があるという風潮に、何もしてないなら、希望をもっているというような裏切
りを拡大する世相のなせる業である。大したことを考えてない奴なんてけっこういるもの
だ。それなのに、辞任させて、謝意を表すのである。
これは本末転倒というのだ。これから続けないことで、何とか罪をもみ消そうとしてい
るのである。しかし、罪を犯したから、廃業させる風潮があるとすると、何とか廃業しな
いでがんばって、辞任もしない。それを続けて罪を清算するということを考えるべきであ
る。しかし、そうでないと、馬鹿げている上に、社会が一丸となって裏切りに加担するよ
うなものだ。
途中で止めるということはとても大変なことだ。再開すれば、活動できると思うかもし
れない。しかし、途切れてしまっているから、続きをすることはないのだ。だから、続き
の活動なんてできない。新しく芽生えるものがあるから、始まる。そんなものが我々にあ
るのだろうか。そういうものから、また新しいことが続けられるだろう。
95 :
考える名無しさん:2006/07/20(木) 21:28:30
>>1 おめでたいな。
善悪の判断が難しい事をしたらどうなる?
それと、帰るではなく、返る、な、厨房。
裏切り者に言われたくねえなぁ〜
責任者でないとまで言及できれば満足なんだろ?
胡散臭いやつめ
who?
98 :
考える名無しさん:2006/10/17(火) 15:28:12
実験のため以前あるところに、おもいきって十万円寄付してみた。
その時買っていた宝くじの百万円当選番号に(組もバッチリ)ほんの4番違いだった。
な〜んか微妙な結果・・・・
99 :
考える名無しさん:2006/10/17(火) 17:00:36
100 :
98:2006/10/18(水) 11:55:43
華僑の連中って絶対に得にならんような金の使い方はせんと思うのだが
何故かよく寄付をしたりするらしい。
もしや、こういう法則を知ってて寄付とかしてるんじゃ?と思い
オイラも思いきって十万投げうってやってみたワケよ。
んでも、二度も清水の舞台から飛び降りられんので、もうムリ。
101 :
98:2006/10/18(水) 12:02:28
間違った・・・
×絶対に得にならんような
○絶対に損にならんような
102 :
98:2006/10/18(水) 12:08:26
いや、やっぱり最初の文章でよかったんだ・・・・
一人でなにやってんだ俺・・・・
103 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 12:17:57
民族の繁栄に金を惜しまないのは、ある意味清らかな生き方だな。
日本にも、子供の教育には出費をいとまないという家庭もあるが、
それらの家庭で育った子が親になるときもまた、同じ法則が義務付けられてるみたいだ。
好景気を逃さない流れをうまく作っていると思うよ。
104 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 12:48:46
誰が?
105 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 06:58:57
親戚からあること無いこと言ったり、人のためにいろいろやってきた両親からさんざん金を巻き上げてきた夫婦がいる。
その子供が世間から相手にされないほどの非常識に育って現在は生まれ変わりたいというほど悩んでいる。
その顛末の一部始終を聞かされてきた母は、子供に半分同情しているがその両親にはざまあ見ろと笑っている。
自分では利口なつもりでさんざん他人にたかってきた報いが可愛がっていた子供たちにでてきてしまった。
やはり社会のルールは護らなければ帰ってくるものだなあとつくづく恐ろしく思っている。
・・・戦争や突然の死が訪れない限り、まあフツウのことをやっていれば良いことなんだろうということか。
106 :
考える名無しさん:2006/10/29(日) 05:43:34
小利口な人はたいてい大きなところでやられていると祖父ちゃん祖母ちゃんが言ってたな。
俺の周りの中年オヤジ、女はみんなそれでやられているよ。
大所高所で考えることも必要なんだよな。
金は貯めておけ、使っておけ。
107 :
考える名無しさん:2006/10/30(月) 21:25:30
108 :
考える名無しさん:2006/10/30(月) 21:36:01
1993年『鏡の影』
1998年『日蝕』 ←「鏡の影」と内容が酷似している
同年12月 平野・芥川賞候補
その直後に「鏡の影」絶版通知
・・・平野・芥川賞受賞・・・
平野さん、もう認めましょうよ。
109 :
考える名無しさん:2006/10/30(月) 22:10:20
一生付き合える人間と人生のなかで会える機会はいくばくか。そういった出会いを大切にしないで何の哲学か
哲学板だけあって、読むのがメンドクサイスレだなと思った。
>>65 >まぁこれを言われる人に負い目があるのは確かだけど、俺には
>単に自己正当の理由に言ってるようにしか見えない。それにたった一人の
>人物に対してそんなに執着する理由がわからない。
相手が行動障害が入っているか、
あなたが、相手を追い詰めて行動障害を起こさせるほど追い詰めたのかというところがポイント。
>ネットに落書きして楽しんでいたのは事実ですが、ただそれだけですよ。
>俺は誰かを付け回したり誰かを殺してやりてぇ!とか考えませんし実行した
>ことはありませんよ
その落書きは、誰でも読めるものだし、それが、ネットだけでなくリアルにまで反映して
被害を受けたのなら、あなたには不測の事態だったにしても、あなた自身の行動をみつめなおさなければならない。
ストーカーとまで言われたのなら、ネットストーカーをしたりしたのじゃないかとも思える。
一度ぐらいは、その相手をリアルで見に行ったのなら、また、他の人間にさぐらせたりしたのなら、
そう解釈されてもしかたがない。
自分の行動言動の相手に与える影響、波紋まで見えていないことが原因だと思われる。
112 :
111:2006/11/19(日) 12:23:20
結局、「ネットの落書き」とはいえ、実在する人の話なんだけど、
・匿名を利用して、対象をリアルで特定できるようにして、
1.間接的に周囲から追い詰めさせた、
2.異性又は友人の手前、良い人を演じるために、無実の人間にヌレギヌをきせた
3.なりすましをして、無関係の別人同士を争わせた
4.人物や出来事の解釈を間違いをして、その人達の人生を狂わせるほどまでに、
激しい落書きをした
5.間違いとわかっていながら、ネットの風説の流布を利用して、その人を陥れた
6.無関係の人間を、事件の当事者に仕立て上げて鬱憤晴らしをした
こういうことの結果、海馬に影響が出て、記憶に障害が出ていた人も何人かいる。
・・・こういうことをした人でも、その人のしたことは、ネットの落書きと言えるの?
113 :
111:2006/11/19(日) 12:27:25
実際、その人のせいで、2人自殺している。それは本人から聞いている。
確かに、人生の転機で、かつ、鬱が入っている状態だと
自殺してもおかしくない。
それほど、その人は自分が与える影響・波紋が見えない、みようとしない。
それだけでなく、本質が見えない。
主張は、当てはめ理論の落とし穴ばかり。
詳細を知らなければ、話を聞いていると、正しいと思ってしまうが、
陰でやっていることの激しさや、事実隠しの巧妙さには驚くものがある。
自殺者が出るのも無理は無い。
114 :
考える名無しさん:2007/01/09(火) 05:45:48
近所の罰当たり夫婦の子供が離婚した。
母親が別れさせるように仕向けたのを子供が世間知らずなので理解していない。
子供の嫁さんもちとアホ気味なんだが、子供は小学校に行っているし哀れ。
罰当たりの女は五十代なのに病気で皺だらけで、もう死んだほうがマシなんだが長生きして生き恥さらしてくれ。
115 :
qq:2007/03/08(木) 20:50:11
>>1さんの言うとおりであるなら、刑罰は不要じゃないだろうか?
因果応報を統計的に立証することはできないの理由は何でしょうか?
それとも、既に立証されているのでしょうか?
116 :
高木の神:2007/03/08(木) 21:43:12
自分にかえってくるということは、原因と結果というより、もっと高いことと
して扱われているようだ。何故なら、良いことと悪いことを見分けるからであ
る。良いことならば、相応しい報酬に向かうのであって、悪いことは懲らしめ
る働きをするのである。詰まる所、平和な世界を作るということになるくらい
なのである。
117 :
qq:2007/03/09(金) 15:47:37
なるほど…
悪いことをすれば、ちょっとばかり自分に返ってくるという感じかな。
118 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 11:46:53
今日、優先席で携帯打ってた。
隣のぉばぁちゃんがィャそぅな顔してた。
そのぉばぁちゃんゎ席を立って、吊り革につかまってもぅ一人のぉばぁちゃんと話をした。
ァタシの耳にゎィャフォン。
手にゎ携帯。
周りの迷惑を何ひとつ気にしなぃ無礼な若者だった。
ぉばぁちゃんゎァタシが電車を降りるために席を立った時に座り直した。
こっちをみて、何かもぅ一人のぉばぁちゃんと話してぃる。
ァタシゎ悪ぃ子だ。
視線を感じながら携帯を打つことをャメなかった。
ァタシゎ悪ぃ子だ。
ぉばぁちゃん、ゴメンね。
ゴメンね。
119 :
考える名無しさん:2007/05/05(土) 03:01:51
あーまじで悪いことしないで生きたい。でも哲学だけしててもおそらく無理。
たしかに永田メールや事務所経費問題など、民主が自民に仕掛けても
ブーメランのように帰ってくるな。
121 :
考える名無しさん:2007/05/05(土) 04:50:04
単に間抜けの自爆
123 :
考える名無しさん:2007/07/23(月) 10:31:43 0
いいこともね
ヒトラーは自殺に追い込まれ、ポル・ポトは密林に追われた。
しかしスターリンや金日成は権力の頂上で往生できた。
後者の2人にもそれぞれ暗殺説はあるが、正史ではない。
因果応報は世界共通の小市民の願望であって、事実ではない。
その意味で、ヒトラーは最後まで大した「役者」だったと言える。
世界という舞台の上で、生きている間は彼を崇拝する小市民から拍手喝采を浴び、どうにもならなくなると死んでみせて、今度は全世界の多くの小市民の拍手喝采を浴びた。
125 :
考える名無しさん:2007/07/25(水) 04:59:27 0
>しかしスターリンや金日成は権力の頂上で往生できた。
そういう奴も沢山居るよな。
初代の人物は苦労の末に権力の座につき
(↑ある意味「因果応報」、苦労の結果が権力の座に繋がったといえる)
そして二代目三代目・・・と苦労せずに元々権力の座についていたりする
(↑この辺から「因果応報」により、逆に転落してゆく)
外部に見える「因果応報」だけで考えるならば、こんなとこだろうが
もうひとつ考察しておくべきこともある、それは
「それぞれ、その本人の感覚の中ではどう感じているか」ということだ。
そういう見方でいうならば、
ヒトラー、ポル・ポト、スターリン、金日成、俺、君
それらは皆、「因果応報」により、生から死までの感覚は
プラスマイナス0だろうさ。
先生!
蟻をぬっ殺したらどういうことが返ってくるんですか?
127 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 09:46:32 0
128 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:
因果律は人間ごときがいじれないモノだ。
おごれる者がどうあがこうが因果の法則に抗えない。
森羅万象の絶体則に抗える者などありえない。
妄想も大概にしとくんだな。