【私】を記述してください。【私の存在性】

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864/4 素人
>> http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1174962303/514
> そこが私(たち人間)の哀しきサガではないでしょうか?
> 客観的世界なるものを勝手に(主観的に、せいぜい共同主観的に)でっちあげ、
> 初めからそれが(そのように)存在していたかのごとく思いなし、それが主観
> に映じた表徴にすぎないことを等閑に付す。むかし、神様。いま、物質。
これに関しては、感嘆子さんもちらっと述べていましたが、
たとえ経験・類推のみに拠るものであったとしても、外界を把握しなければ我々は生きていけないでしょう?
知覚・経験を疑う姿勢を非難するのではありません。
我々にそれしか手段が無いとしたら、多くのデータを集め、突合せ、類推し、輪郭を描き出してゆく、
そうした作業によって得られた外界を(他者を)信用せずに何を信用すべきか。
少なくとも、日常生活を送るだけなら(→哲学や宗教の領域に足を踏み入れなければw)
知覚・経験を疑う必要は無い。
(ここにも、「捨象する」というテクニックが用いられているわけで・・、
 あなたは、いみじくも「等閑に付す」と見事に指摘しているが・・・w)
たとえ無意識にであっても、(→過去の経験・学習に既定されていたとしても)、
より妥当性が高く・生存に有益な情報が整理され、選び採られている、
そのことが批判される謂れはないであろう。
それを極端に推し進め、寛容さを失うような、
新たな発見・解釈・視点を受け付けないような頑なさへと向うことは避けられねばならないだろうが・・・。