>>80 もしかして、理論物理学は20世紀の初めに
相対性理論と量子力学ができた時点で進歩がとまってしまい
今はもう全く新しい進展はしていない、とか思ってます?
83 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 14:08:23
>>77 「私が『完全に理解した』事を真とする」
って言う仮定を置いたってことじゃないかな?
「真実は存在する」って言う彼の価値観に基づいて。
哲学は「気軽に始められるけど、終わりが見えない学問」
ってイメージです。「認識そのものを扱う」って感じでしょうか。
「終わりが見えない」のは、どの学問にも共通しそうだし、ファックとか、笑いとか、感動とか、
およそ人が認識できる全てについて共通するのかなと感じます。
哲学も、物理学も、共にすばらしいし、面白いものだと思います。
そして僕は、認識自体がすばらしいと思います。僕の価値観に基づいて。
>>80 無知をここまで晒すのは
大変な勇気を必要とします。
賞賛するべきでしょうね。
哲学学でまとまって馴れ合えカス
87 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 15:04:40
>>80って哲学もできないんじゃない?
好奇心とか探求心さえ否定してるように見えるんだけど。
既にある理論を議論するのは物理も哲学も必要なことだろ。
それから新しい考えが生まれるのは、哲学で言う一つの答えではないのか?
88 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 15:25:57
>80 そりゃ数学の問題作ろうとするのは難しい事だと思うよ。でも定理とかがある時点で、誰か頭の良い人が
作成する事は可能なんだよ。
この部分無視すんなよ
89 :
1:2006/03/25(土) 15:27:53
>>70 前提を変える必要が在るよね。つまり、彼が言う枠組みを固定するって言うのは
物理などで言えば、別の問題になるわけだから、違った解釈があるのは当然だよね。
>>71 さわりがでしょ。
>>77 そのとおりさ。完全な理解だよ。相対性理論についてもはや疑問もない状態。
専門家からどんな質問をうけても100パーセントの回答が用意できる状態。
90 :
1:2006/03/25(土) 15:31:37
>>80 逆だよ。問題が定義されていないから作り出せるんだよ。
ただ単に性質の違いなだけでどちらが難しいとか言う話ではない。
むしろ問題が作られている以上、制約があるわけで、そちらのほうが
難しいというべきだろうがね。だいたい哲学なんて多くが自分で
勝手に作り出した何の説明もない、説明不可能な前提があってのものでしょ。
そういうごまかしが物理や数学には効かないのだよ。
91 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 15:33:21
>87って日本語も出来ないんじゃない?
少なくとも貴方より哲学学んでいる身だよ。
誰が哲学において既にある理論を議論するのは不必要だって書いたよ。
別に数学物理学を否定してるわけじゃないじゃん。
ただ哲学がその二つに比べて劣ってるってニュアンスが強いから意見しただけ。
学問として成立して現代まで残ってんだから優劣関係ないし。
92 :
1:2006/03/25(土) 15:40:08
>>83 真実が存在するというよりも、現在におけるその正しさの蓋然性が最も高い
ものだということだよね。これからも新しい説などは出てきてぬり変るかもしれない。
物理などには際限なく広がる宇宙空間のようなものだ。哲学は一人の一生内で
一応の完結できるもの。
>>59のようにすべてが哲学の根本の下成り立っているといった
うぬぼれがでてくること自体がお笑いだと思うよ。区別が出来てない。
93 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 15:41:24
94 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 15:59:47
95 :
短パン:2006/03/25(土) 16:03:52
軽くやっていいと思う。
だけど、深みにハマらんよに・・・・
あんまり面白い世界じゃねぇよ?
97 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 16:21:49
>>92 物理が何を対象としてそれに対してどんな方法を採るかという
基本的なことが全く考慮されてない。
人の身長を測ることは単に人の足から頭までの高さを計測しているだけで
人の存在を定義することじゃない。
数値化や記号化によって存在自体を把握したかのように錯覚してしまうんだな。
そういうのを自惚れという。
98 :
短パン:2006/03/25(土) 16:26:08
「文字」は、読まれてなんぼ。
書きたい事書いても、ある程度読む人いるかもしれんけど、むつかしかね?
数学や物理なんて相対性理論とか既にある理論についてとやかく論議して
お前は理解したのか理解してみろよとか言ってるだけじゃん。
↑自称、哲学学んでる人が吐いた問題発言w
「〜とか言ってるだけ」これはヒドイ。そして「優劣関係ない」ですか・・・
それはつまり哲学もまた「〜とか言ってるだけ」と同等のことしかしてないと。
哲学が劣ってるニュアンスがあるのは一般に役に立ってないイメージからだろ
学問の所在が違うから仕方ないよ。学問として比べるならすべての学問は優劣関係ないさ。
100 :
短パン:2006/03/25(土) 16:27:57
・・・そろそろ、8レス縛りです。
また遊びに来るかも。。。そんときは相手してね?
したっけ。
というか、
>>1は哲学を気軽な学問として、何を伝えたいのか不明。
気軽だね〜とでも同意しておけばいいのか?
102 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 17:24:10
>99
あくまでもこのレスの中でだけの話だよ。数学物理が新しいものを生み出してるのは肯定してる。
否定してるわけじゃないって言ってんじゃん。
数学や物理学は私も好きだし本も読んでるよ。なくてはならない学問って判ってる。
哲学だって自分自身役立つものだし、社会的に何も役立ってないってのも個人の考えに過ぎない。
103 :
1:2006/03/25(土) 17:41:10
>>97 何を対象としてそれに対してどんな方法を採るか、なんて考慮する必要はないよ。
たかが哲学との比較だもの。存在自体の把握したかのように錯覚しているのは哲学なのだよ。
人間の中身について理屈を考えて納得するのが哲学で、人間の外についての膨大な情報が
物理であり数学だよね。そう中身だけが哲学なわけ。しかも、自分の頭で考えた限度内での。
哲学者が以下に優秀であるといっても、自分を超えることは出来ないからね。自分の能力の
範囲内で哲学してるだけ。いうなら一人ではじまり一人で終わる。なんたって同じことを主張してても
意味ないわけだから昔の哲学者に仮に自分が考えるベストな哲学があっても多少否定して作るとか
さらに何かを付け足すと貸して独自性を出すよね。一方物理数学などは今までの
積み重ねの上にさらに積み重ねていく。それでもいまだに謎だらけ。
哲学を1−1−1−1−1−1とするなら
物理は1−2−3−4−5−6という感じだよね。
104 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 17:43:54
105 :
1:2006/03/25(土) 17:44:56
>>102 社会の役には立ってないでしょう。君たちの趣味には貢献してるだろうけど。
いうなら、哲学は趣味娯楽の域。物理数学は人類の進歩に貢献する重要なもの。
106 :
104:2006/03/25(土) 17:46:37
すまん
>>87には答えてるのか。
人気者なんだからコテつけてくれないと
107 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 17:50:09
どんなに言い訳をしたところで、
>>80は
「数学や物理は用意された答えの中で答えを出すだけだが
哲学はそうじゃない」と言っているようにしか読めない、ということは事実だと思うな。
108 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 18:16:07
役に立たないのは必要としてないから役に立たないんでしょ。役に立つと思ってる人も含めて社会だよ。
>>103 考慮する必要はないだろうな。
1+1は2と枠組みを与えてもらえば意味を考えなくても答えは出るんだから。
110 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 18:30:06
あのぉひとつ聞きたいんですけどいいでしょうか。1さんは実際に社会に
でて働いたことってありますか。もしそうでしたらそうした問題意識がで
ることは少ないんじゃないかって思うんです。私は哲学は十分使用に
絶える道具だって思っています。たとえば、相手に何かを伝えるっていう
ことは何かしらの概念を用いるわけですが、そうした概念による分析を
精緻化しようとした場合哲学の知見はとても有意義なものだと思われます
。社会で働いている人は日々相手にいかに自身の世界に対しての理解の
仕方をつたえるかということに向き合っていますが、あまりそうしたこと
に関心は持ったことがないのでしょうか
111 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 18:31:04
>>103 物理と数学を一緒にして「人間の外についての膨大な情報」だってさwww
112 :
1:2006/03/25(土) 18:50:03
>>108 必要としたら役に立つ、といってしまったら何でもかんでも必要だということで
役立っているということが出来てしまう。
>>110 哲学は人とのコミュニケーションにおいてはなくてもまったく問題ないことです。
話題の一つになるだけでしょうね。私も哲学系の話をしたことがありますが
一言、『屁理屈!』と断じられました。哲学系を好むのは理屈大好きバカだけ
だと思いましたね。誰に言っても屁理屈といわれます。特に女性には。
ほとんどの人は哲学などに興味がないことを知ったほうがいいですよ。
人との会話において哲学など必要とされる、プラスに働くケースは極々限られているのです。
113 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 19:49:03
物理や数学が人間の外とかいってるわりに
評価基準は役立つかどうかという人間本位なんだな。
総合的に考えられないから基準が滅茶苦茶。
>>103 物理学の対象や方法を答えられないってことは
物理学が何をやってるのかすら知らないってことだ。
114 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 19:55:16
>>113 物質的な考えと観念的な考えが、ともに物理で括られるという方式に気づかない限りは
ピラミッド構造から差異を差異として肯定していくというシステムの無間飛躍に落ち込むでしょうな。
もともとモダンは観念上のことであって、それすらも乗り越えてはいないという事実に
気づくことが先決かもしれませんね。
115 :
|´_`)つミキ @哲学なき人間=酔っ払い:2006/03/25(土) 21:20:40
>>1 気軽なんじゃなくて、
君が、哲学に向いてただけだよ
だれだって、興味関心のあるテーマには、
気軽に入り込める
>>1の言葉は哲学を否定してるというより
現代の哲学のあり方を嘆いているように見えなくもない・・・
そんなに深くはない
いや、現代の哲学が干からびて死にかけているのは、
偽りようの無い事実だよ。
そこからスタートしなければ。
自分を誤魔化したところからは、何も始まりようが無い。
119 :
考える名無しさん:2006/03/26(日) 00:23:36
>>118 いいこと言ったな。
感動したよ。
学問の絶滅危惧種だな。
120 :
考える名無しさん:2006/03/26(日) 00:47:15
分析哲学系の連中(のごく一部)は、
哲学が学問の絶滅危惧種どころか
現代ほど、哲学が「真の意味で」(つまり悪しき形而上学を廃して)発達して、
自然科学の進歩などもよく説明できるようになった時代はない、
位に思っていやがるからじつに始末に終えん
121 :
考える名無しさん:2006/03/26(日) 00:57:53
ジャーナリストとかわらない
傲慢で鳴らした20世紀を代表する数学者 Andre Weil (哲学者Simone Weilの兄)は、
居並ぶ哲学者を前にして「君たちの本は私には読めば分かる。
が、君たちに私の本は到底理解できない。これはとても愉快だ」と豪語した。
>>122 それは当たり前です。例えば、自動車の設計をやっている人が哲学書を読むことは
できるが、その本書いている哲学者なるものは自動車の設計ができません。
哲学は誰もが関係する可能性があるし、そういった問題を扱うのが哲学です。誰もが
理解できる面があるのは当然ですね。だから、逆にそれは職業になるということは
本来あり得ないのだと思います。
また、哲学には進歩というものがありません。数学者や自然科学者が古代ギリシャの
科学を見て参考にするということはあり得ないと思いますが、同じ時代のソクラテスの
語ることは今でも有効性を持っています。
更に、哲学はそれ自体意味の無いものです。それは人間が人間である条件についての
ある種の思考形態を指すのであって、言い換えれば人間の業のようなものです。普段の
生活に当然役になんか立たないし、立つべきでもない。しかし、人間であるならば誰もが
関わる可能性を持った普遍的なある種の思考形態なのです。
逆に言えば、そういう専門家こそ哲学してほしいというか
125 :
1:2006/03/27(月) 05:03:54
哲学自体に意味がないというところが大きいよね。
だからこそ優秀な人間はやらないのだよ。
日本において野球という人気スポーツでプロになるか
カーリングという超マイナーもマイナーなスポーツで
プロになるかでは難易度は全く違ってくる。
当然人気なものには人が集まり、よりすぐれた人間のみがプロとなれる。
まぁ、別にどうでも良い事だ。
>>125 > 哲学自体に意味がないというところが大きいよね。
社会的適応ということと、哲学的思考との間には関係があると思います。つまり、人は
普通の状態であれば目の前の現実に適応しようとするし、より大きな自己肯定を得られる
ように適応しようとします。仰るように人気があるほうへ向かうのが自然なんですね。
しかし、それが挫折させられる場合があります。本人の能力の場合もあるし、時代状況が
許さない場合もある。例えば、日本であれば敗戦後すぐは若い人たち中心に非常に哲学書が
売れたわけです。食べるにも困った時代であるにも関わらず。
なので、思い込んでいたことと世界が違ってしまった。思い込んでいた自分と違ってしまった。
こういう自体になったとき、哲学的思考というものが発生するのだと思います。そして、それは
基本的に「不幸」から発するものであり、哲学的思考とは「否定」をその発端としているのです。
128 :
1:2006/03/27(月) 13:21:16
>>127 よーするに主に挫折者が哲学者になるってことでしょ。
>>128 > よーするに主に挫折者が哲学者になるってことでしょ。
それはそうだと思います。だから、ニーチェなんかは哲学とはルサンチマンの産物だと喝破したわけですね。
ただ、ここでの"挫折"というものは時代の流れで避けられないかも知れないし、現状誰もが身体的に衰えて
死ぬということが避けれないことを考えれば、誰にでも最後には訪れる宿命だと思います。
また、人間は他の動物に比べて著しく身体的に劣等ですね。空を飛べるわけではないし、早く走れるわけでも
ない。そもそも未熟児で生まれてくるわけです。その点では、そもそもダメ動物であり、自然界では最初から挫折者
って言うこともできるわけですが、知性によってその逆境を乗り越えてきた。環境に直接的に適応するのではなくて、
環境を認識することによって対応してきたわけです。
哲学とは死を想うことです。そして、目の前の感覚的世界に順応しているとき、人は死を意識から排除しています。
しかし、それは突発的に、いつでも目の前に現れる可能性を持っている。
>>123 > 例えば、自動車の設計をやっている人が哲学書を読むことは
> できるが、その本書いている哲学者なるものは自動車の設計ができません。
そうか?
自動車の設計書くらいなら、哲学者だろうと誰だろうと、少し慣れれば読めそうだが。
というのと、根本的な違いは
哲学者は自動車の設計にはあまり関心をもってない人がおおいが、
数学や自然科学については関心を持っていることが多い、ということだよね。
131 :
考える名無しさん: