◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない53◆

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1考える名無しさん
前スレ
◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない52◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1137069494/

過去ログ
http://www.emit.jp/ai/ai.html
2むじんくん:2006/01/22(日) 15:11:21
コピペ。

自己、意識という問題は、キルケゴールの

 「自己とは自己自身に関係するところの関係である、すなわち関係ということには関係が
 関係自身に関係するものなることが含まれている、それで自己とは単なる関係ではなしに、
 関係が自己自身に関係するというそのことである」

から出発したほうが分かりやすいですよ。自分/他人とかいうスタート地点だと、これ妙な方向へ
迷い込むこと必須ですから。

更に、この自己という病の解消方法は

 「自己が自己自身に関係しつつ自己自身であろうと欲するに際して、自己は自己を措定した力〔神〕のなかに
 自覚的に自己自身を基礎づける。」

と、これまた明快な言葉があります。
3考える名無しさん:2006/01/22(日) 15:11:44
まだやるんですか?
4むじんくん:2006/01/22(日) 15:12:40
犬猫が区別がつくのは、本能レベルで生活世界の分節化が既にされているからです。
人間がそこが規定されてない。だからこそ、驚異的な適応力を持つ。
5考える名無しさん:2006/01/22(日) 15:14:52
>>4は女性ですか、どうよ?
6唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/22(日) 15:16:41
2006年第3弾ですね。
おめでとうございます。
すべては唯識(こころ)のみ。
7考える名無しさん:2006/01/22(日) 15:29:25
>>2
自己の説明にも意識の説明にも何にもなってないクソコピぺやめやw
8探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/22(日) 16:15:34
>前スレ270
哲学史で普通なのかどうかは知らないけど、論理的にはそうなると思う。

私/他人という区分けで始まった議論も、次の段階ではその区分けを廃棄せざるをえない。

「何かを意識している私」は確実だが、「何かを意識してる他人」は確実ではない。
同様に「今何かを意識してる私」は確実だが、「さっき何かを意識してた私」は確実ではない。

「過去の私の意識」は「他人の意識」と同じような方法でしか見出せないんだな、実は。
「過去の私の意識」は対象化されているが故に、主観ではありえない。

こう考えると、主観とは「私」ではなくて、「今ここで何かを意識してる私」だと
いうことがはっきりする。「今ここで意識してる」というところが大事なわけだ。

この要素が記述不可能だというのは分かってもらえるだろうか。
記述は一応したけど、記述した瞬間からもうどんどん違うモノを指し示していってしまう。

「唯物論」の中でも、スレタイに出てくるようなタイプの唯物論は、
この要素を無視することで成立していると思うね
9一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/22(日) 18:10:02
前スレ>>980

>俺が「他人の意識」という言葉を使ったのは、「いわゆる他人」の「いわゆる意識」だよ。
>議論を始めるための出発点として、一般的な用法を持ち出しただけ。
>議論の終着点から見れば、そりゃおかしなところは出てくるかもしれないけど。

前スレ>>975はその一般的な用法かどうかついての確認です。
探求者さんの「他人」の捉え方は、日常的な言い回しに依拠して
いると思いますし、それはそれで議論の出発点として構わないと
思います。
普段「他人の身体」「他人の意識」というように、日常用語では
「他人とは身体と意識を所有する何か」であると考えられている
のではないでしょうか。
10考える名無しさん:2006/01/22(日) 18:15:14
>>9
しかし、そう考えると「所有関係」とはいったい何なんだろうという
古典的な問題が復活してしまうね。

「私はこの身体を所有しています」
「私はこの意識を所有しています」

これを言い換えると、

「ある人格(自我)はある身体を所有している」
「ある人格(自我)はある意識を所有している」

になる。
119:2006/01/22(日) 18:18:24
ところが、何度も言われている通り、

「私はこの身体を所有しています」
「私はこの意識を所有しています」

は自明に思われるが、他方で、

「彼は身体を所有しています」
「彼は意識を所有しています」

は全く自明ではない、ということになる。
第一に、「彼=自分以外の自我」は私には認識できないし、
第二に、「彼の意識=自分以外の意識」も私には認識できない。

この辺は探求者の問題意識と被ってくるんじゃないかな。
12考える名無しさん:2006/01/22(日) 18:26:23
むしろ、端的に「私=この意識」「他人=この意識以外の意識」の方が
分かり易くていいと思うんだが。「自我=意識」と定義できない理由は
あるのだろうか???
13探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/22(日) 18:43:50
>>9
生活実感はそうだね。
目の前で話してる友達はその体の中に、俺と同じような意識を持っていると想像する。

んで、その意識こそがその人の人格だと感じるな。体がほとんど機械でもその人だと思うし。
逆に見た目が一緒でも、言ってる事(表現されるもの)に違和感感じたら違う人だと思うよな。

>>12
その定義分かりやすくていいね。
14唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/22(日) 18:48:11
>>12さん
「自我=私」ではないでしょうか。
15考える名無しさん:2006/01/22(日) 18:59:15
前スレの270です。

>>8
> この要素が記述不可能だというのは分かってもらえるだろうか。
> 記述は一応したけど、記述した瞬間からもうどんどん違うモノを指し示していってしまう。
>
> 「唯物論」の中でも、スレタイに出てくるようなタイプの唯物論は、
> この要素を無視することで成立していると思うね

例えば「今ここで走っている猫」の「今ここで走っている」の部分が記述不可能だからといって
この現象なり実体なりが物理世界の住人ではありえないなどという人がいるだろうか?
前スレ665の「今ここにある、この」にしても同様だ。
だから唯物論がこの問題を扱わないのはそれを無視しないと成り立たないからではなくて
単に問題ではないからだろう。
率直に言って俺には問題を履き違えてるとしか思えないがどうだろう?
1615:2006/01/22(日) 18:59:52
それと、これは余計なお世話かもしれないが、

>こう考えると、主観とは「私」ではなくて、「今ここで何かを意識してる私」だと
>いうことがはっきりする。「今ここで意識してる」というところが大事なわけだ。

通常このような文脈で私が問題にされる場合「」や<>などの表記や前後の記述で
「私」の語に「今ここで意識している」という含みを持たせている場合が多いと思う。
多分最高位の「私」もそういう使い方をされてると思うので(持たせる含みの中身は違っても)
この点を持って自分と最高位の差異を際立たせる戦略はうまくないと思う。
17一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/22(日) 19:33:41
>>11
確かに、所有の問題は起こります。
他の人格については「あると仮定する」しか無いように思いますが、
どうでしょうか?

>>12>>13
私は植物人間で意識不明でも人格の尊厳を認めます。
やはり、人格と意識は分ける方が良いのではないでしょうか。

また、意識=人格(自我)と定義すると、寝る度に人格が消えたり
生じたりしていることになりますが、これも不便だと思います。
18考える名無しさん:2006/01/22(日) 19:36:13
「彼は意識不明である」

なるほどw
19考える名無しさん:2006/01/22(日) 19:40:52
哲学の意識と医療の意識は全然違うんだよね
20考える名無しさん:2006/01/22(日) 19:47:20
>>17
人格の問題って、簡単に言うと「同一性」の問題ではなかろうか?
意識は生じたり無くなったりするし、身体も構成要素はどんどん変化するが、
それでも「生まれてから死ぬまではずっ〜と同一の私である」と言える根拠が
「人格」が認められるから、ではないかと言ってみる。
21考える名無しさん:2006/01/22(日) 19:54:12
>>17
人格の問題って、簡単に言うと「同一性」の問題ではなかろうか?
意識は生じたり無くなったりするし、身体も構成要素はどんどん変化するが、
それでも「生まれてから死ぬまではずっ〜と同一の私である」と言える根拠が
「人格」が認められるから、ではないかと言ってみる。
22考える名無しさん:2006/01/22(日) 19:54:59
あら、連投スマソ。
23考える名無しさん:2006/01/22(日) 19:56:52
>>20
> 「生まれてから死ぬまではずっ〜と同一の私である」

産まれたての赤子に自我はあるのか?
24考える名無しさん:2006/01/22(日) 19:58:59
あるに決まっている。>>23
25唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/22(日) 20:05:57
かなり前にも書いたのですが
人格・性格というものは同じPCでも個々のデスクトップが違うようなものでしょう。
26むじんくん:2006/01/22(日) 20:14:21
>>7
> 自己の説明にも意識の説明にも何にもなってないクソコピぺやめやw

自己、意識、精神、こういった問題に関して語る際、自分の精神/他人の精神という区分から
出発すると妙な話になっていきます。自分の考えが他人に伝わるのか。何でコミュニケーション
可能なのか。

自分とは他なるものであった。自分/他人という区分を規定しているものがある。

 「自己が自己自身に関係しつつ自己自身であろうと欲するに際して、自己は自己を措定した力〔神〕のなかに
 自覚的に自己自身を基礎づける。」

27ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/22(日) 20:30:01
一般的に「意識」という言葉には、3種類の意味があります。
@自意識
A情報へのアクセス・・・無意識に対する意識、自我
B直覚・・・「意識を失う」というときの意識
28探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/22(日) 20:35:06
>>15-16
>唯物論がこの問題を扱わないのはそれを無視しないと成り立たないからではなくて
>単に問題ではないからだろう。

確かに普通は問題にはならないね。
ただ、「意識」や「主観」を扱う上では「問題ではない」ってことはないだろう。
「今ここ」という要素なしにそれらが存在しないことは確かだと思われるし。

石ころAと石ころBだったら、その要素無視して交換しても問題ないけど、
自分の意識と他人の意識を交換することはできないんじゃない?
技術的な問題じゃなくて、原理的に。


最高位に関しては、最近の発言では「私」と「この私」は区別されてると思うが、
過去スレでは、かたや「この私」に依拠して述べたと思ったら、それをそのまま
一般的な「私」に適用したりしてたと思う。まぁ明確には区別されてなかった。

この差については機械氏が「the私」と「a私」という形(「this私」と「a私」で
あるべきだとは思うが)で言及してたんだが、ちゃんとした議論にはなってなかった。

それで、最高位がそこらへんどう思ってるのかを聞こうと思ったのがコテつけたキッカケ。
けど無視されたんで、自分で独自路線出していこうと思ったわけです。
・・・うまくないか(´・ω・`)
29考える名無しさん:2006/01/22(日) 20:37:01
こういうスレタイが盛り上がるんだね。
よーく分かったよ凡人受けしやすいレベルが。
どのレスみても硬苦しい教科書みたいな発言ばかりだな。

お前ら心がせめーよ。だから一般人受けして盛り上がれる内容なんだよ。
まったくミクロの世界に引き込みやすい題材なんだろうな!

お前らじゃ答えないよ。一生無限ループしてな!
世の中バカで回ってるけど、バカの中心街を見れて面白かったよ!
30むじんくん:2006/01/22(日) 20:37:47
>>27
> 一般的に「意識」という言葉には、3種類の意味があります。
> @自意識
> A情報へのアクセス・・・無意識に対する意識、自我
> B直覚・・・「意識を失う」というときの意識

@でいきましょう。
31考える名無しさん:2006/01/22(日) 20:46:43
馬鹿は馬鹿。
偉大な哲学者が見たら、こんなのに時間を費やさないだろうね。
もっと人のために変えないといけないことに哲学を費やすね。

君達は無能だから。そういう新しいもの掴む能力がないんだろ。
優先順位は決まってなくても、明らかに先のことを見る哲学能力だけは
ないだろうな。

だからこういう哲学に逃げるんだろうな。まぁ逃げるとか意識してないん
だろうけど。結果的にこうだもんな。

2chも凡人哲学だな。ホントまれに光った発言を言ってる人なんて10人もいないよな。
しかも、そういう人に限って叩かれてスレは反論できずに終わって。

何も考えずに凡人達に考えるという能力は芽生えない。
また繰り返す。

糞だね! 君達 哲学って何かよーく考えな! 糞ども 糞 糞!
32考える名無しさん:2006/01/22(日) 20:58:59
>>31
最高位さん、名前お忘れですよ。
33考える名無しさん:2006/01/22(日) 21:06:53
>>32 何で分かったんですか? あなた何者ですか!?
私の探し求めていた偉大な哲学者でなのでは・・・!!!

てか、ほんと死ね。

哲学は何でも哲学だから否定はしない勝手に盛り上がってな。
ただし、これが知識教育の成果だろうな! ハッハッハ

哲学は全てにおいて無意味というが、その中でも無意味から意味ある
哲学もある。

これにおいては凡人の遊び程度だろうなw
楽しいんならいいじゃない?w

もっと深刻な哲学には顔向けても、スタートすら出来そうもないんだろうしw
無意味な批判と知識の引っ張り合いだけの一流をどうかお目指しください。
34考える名無しさん:2006/01/22(日) 21:11:16
>>27
単純にBがなければAはなく、Aがなければ@はない、というだけの話では。
「私」とは、要するに「この意識」のこと。
ちなみに「この」と特定の対象を指し示すことができるのは「意識」だけである。
「この意識=私」の場合は、指し示している主体と指し示されている客体が
たまたま一緒だ、というだけで、そこに何らの神秘も特別な点もない。
「このパソコン、この時計、この鉛筆…」と全く同じように
「この意識」があり、それを「私」と呼ぶ、というだけのことだ。
35考える名無しさん:2006/01/22(日) 21:13:57
>脳は物質だから意識は必然にすぎない

ノイマンも知らんのか??
36練馬哲人:2006/01/22(日) 21:19:46
内装業者はクライアントに色見本を提示して、選んでもらう。それに従って、クロス屋は施工する。
三者の間には、客観的なある種の赤が存在する。
クオリアは「ありあり感」だけが問題なのだ。
機械氏がこのスレで問うているのは、「主観は唯物的決定論の内にあるか?」ということだろ?
37一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/22(日) 21:21:39
>>21
>同一性の問題
そうかもしれませんね。
38考える名無しさん:2006/01/22(日) 21:23:47
>三者の間には、客観的なある種の赤が存在する。

「すると思っている」だけだろ。
39考える名無しさん:2006/01/22(日) 21:25:56
同一性の問題かどうかは分からないが、
人格(自我)=意識と定義すると、

「彼は今、眠っている。」

という表現が、

「彼は今、存在しない。」

に言い換え可能なんじゃないかと思えてしまう。
もっとも、「存在しない彼って何だ?」という意味論の
話なのかもしれんが。
40考える名無しさん:2006/01/22(日) 21:30:14
>>39
眠りは死の兄弟、って言うように昔からそういう考えはあるから
別にいいのでは?
41練馬哲人:2006/01/22(日) 21:33:08
>>38 それじゃ、作画監督がアニメーターに色指定できないじゃないの?w
4239:2006/01/22(日) 21:33:27
>>40
しかし、「彼は眠ってるけど存在する」という言い方も可能だ。
「彼は存在しない」と「彼は存在する」という表現はそのままだと
矛盾してるから、<彼>の意味が異なると考える以外に無い。
後者は彼=意識だろうが、前者は彼=?
43考える名無しさん:2006/01/22(日) 21:36:10
>>42
ん、前者の間違いか?
44考える名無しさん:2006/01/22(日) 21:40:35
>>41
いや、三人とも「存在すると思っている」んだから、指定できるでしょ。
>>42
「眠っているけど存在する」のは彼の肉体では。
唯物論的に考えるなら、肉体が存在する(活動する)限り精神も存在する。
4515:2006/01/22(日) 21:43:41
>>26
> 自己、意識、精神、こういった問題に関して語る際、自分の精神/他人の精神という区分から
> 出発すると妙な話になっていきます。自分の考えが他人に伝わるのか。何でコミュニケーション
> 可能なのか。

別に妙な話では全然なくて、それはそれで説明ないし解決されるべき問題じゃん。
それが難しい問題を生むからといって自分と他人の区別みたいな基本的な前提を最初から無いものにしてしまうような考え方は哲学と呼べるのかなあ。
それに引用文みたいな思弁的な文章は何か具体的な問題に結び付けないと無駄になってしまうような。

>>28
そうじゃなくて、それは当然扱うべき問題だろうけど、
でもその問題が存在することが唯物論の否定の根拠にはならない、
「原理的に」そうだとは全然示されてないってことですよ。
4615:2006/01/22(日) 21:44:29
>>36
そそ、そういうことですよね。

>>39
> 「彼は今、眠っている。」
>
> という表現が、
>
> 「彼は今、存在しない。」
>
> に言い換え可能なんじゃないかと思えてしまう。
普通に言い換えできないのでは?
47考える名無しさん:2006/01/22(日) 21:46:41
外部観察の罠に嵌まってますね。
ぴかぁさん、きついあれをお見舞いしてあげて下さい。
48考える名無しさん:2006/01/22(日) 21:57:42
>>47は脳内ぴかぁ〜の自演だな w
49考える名無しさん:2006/01/22(日) 22:13:09
本当に、「我思う故に我有り」なら、「我有り」の根拠は「思う」こと
だけなんだから、「我思わず故に我無し」も真ではないのか。
夢も見ず熟睡しているときは何も「思って(感じて)」いないのだから、
「我」も「無い」と考えるべきだろう。
50練馬哲人:2006/01/22(日) 22:25:15
>>49 その場合、「思わない状態を保持している我」は存在している。
51考える名無しさん:2006/01/22(日) 22:38:26
だったら不死身じゃん。>我
死んでる状態もまだ生まれてない状態も保持してるんだろ。
52考える名無しさん:2006/01/22(日) 22:43:26
カントとラカンを読めばばっちり
53練馬哲人:2006/01/22(日) 22:50:32
>>51 仏教ではそういう考え方もある。唯識さんに訊けw
まっ、寝てる時も俺は俺だ、ってことさ。
54考える名無しさん:2006/01/22(日) 22:54:55
>>8
>この要素が記述不可能だというのは分かってもらえるだろうか。
>記述は一応したけど、記述した瞬間からもうどんどん違うモノを指し示していってしまう。
言いたいことはわかるんだが、そういった場合、逆に記述出来るものとは何だろう?
川の流れだって記述できないし、そのような意味では「記述出来得るものなどない」のではないか?
「この私」が記述できないというのは、単にその記述の出来無さが際立って目立つだけでは?
55「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/22(日) 23:23:59
965 :むじんくん :2006/01/22(日) 02:48:09
>所謂未開といわれている人たちのことですか?実際、"人間"と先進国で言われている概念は
>未開人には当てはまらないというのはあると思います。フーコーが「波打ち際の砂の顔のように
>消え去る」と予言した"人間"ですね。もっと言えば、フーコーが言うような"人間"に日本人は
>当てはまらないともいえますね。
>何が違うかというと、未開の人というのは自然が人間の上位にある。だから、動物より自分たちが
>劣っていると考えてるわけです。人類史は殆どの期間がこういう状態で、1万年前から農耕牧畜を
>はじめて自然から離脱を始める。その過程の極北にあるのが、近代社会です。これは都市生活に
>象徴されるように、完全に自然から遊離しているかのような生活になります。自己意識というものが
>先鋭になるのは、こういった社会だというのは確かにあるかと思います。
 
キリスト教文明から見ると「未開」な文明(文化)の下にある人達は「意識を持っていない」とおっしゃる。
先週はバリ島におりましたが、インドネシア人の97%はイスラム教徒でもバリ島人の95%は
ヒンズー教徒です。
 バリ島に立ち並ぶ「アメリカ資本のホテル群」の中で受けた『スパ』は、「触覚の芸術」だと思います。
アメリカ人(プロテスタント原理主義文明・文化)では、そのような「文明・文化」はサービスのメニュー
には「ありません」・・の一言で済んでしまう「文明・文化」もあるのです。
・・・・そういう「キリスト教的ではない文明文化」を全部「未開」という分類で括る・・動機とか理由が、
全く理解できません。
563時で1時:2006/01/23(月) 00:28:05
必然であろうとなかろうと、脳活動の内的結果が心であろうとなかろうと、自由意志はない。自身の意識や意志を前もって決定できないということだけで、自由意志が存在する余地はない。
57考える名無しさん:2006/01/23(月) 01:08:20
>>55
この人にはどうして読解力というものがないんだろう。本当に不思議な人でつね。
釣り? まさかw
58ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/23(月) 02:56:33
クオリアとは「他者からの呼び声」である。
59考える名無しさん:2006/01/23(月) 03:07:52
そのこころは?
60ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/23(月) 03:16:52
クオリアはこの確かな存在の実感であり、それはリアリティーと関係する。
リアリティーという幻想を支えているのは、世界へ向けて関わっていこうとする「欲望」である。
そして「欲望」とは「他者からの呼び声」への応答であり、必ず失敗する応答である。
そのために「欲望」は終わらない。そしてボクたちは確かな存在の実感というクオリアの「世界」へ
関わり続けるのである。
クオリアとは「他者からの呼び声」への失敗し続ける応答である。




61ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/23(月) 03:36:56
なぜクオリア=確かな存在の実感が、科学的に語り得ないのかは、
それは個体の内的なもの(動物的な身体による因果律による
客観的な反応)ではなく、そこに他者が介在するからだ。
そしてその他者とは失われた「他者の呼び声」であり、ボクたち人間は、
動物とことなり、後天的に言語によって他者を補完する。
すなわち言語という擬似的で不完全な「他者の呼び声」によって
世界を見ざるおえない故に、クオリアは主観的で、科学的に語り得ないのだ。
62哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/23(月) 03:41:37
>むじんくん
前スレ994
>あはは。あなたはひたすら強迫的に「クオリアとはクオリアである」と同語反復している
>イデア論者だから幸せですね。

私はクオリアの説明をしているだけなんだよ
キミらが間違えているから仕方がない
クオリアとは、○○である
の○○が
クオリアでなければおかしいだろ
>「クオリアとはクオリアである」と同語反復している
と言った時点で
私の発言が正しいものである事を無意識に認めているわけだけれども
でも、何か批判しなきゃ
と思っちゃうわけだな
悲しいサガだね
で、言ってる事がメチャメチャになってるんだけど自分でも気がつかない

キミらは哲学の前に、国語の勉強をした方がいいよマジで
キミらとは、会話そのものが成立しない
63探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/23(月) 04:51:25
>>54
>川の流れだって記述できないし、そのような意味では「記述出来得るものなどない」のではないか?
>「この私」が記述できないというのは、単にその記述の出来無さが際立って目立つだけでは?

「この川」も記述はできないね。
>>28でも述べたけど、「この川」の場合は「今ここ」性を消去して「川」として
記述しても別に問題はないし、むしろそうすることで「他の川」との比較が可能になる。
それが唯物論的な世界観が現実にもたらした効用だと思う。

ただ、「この私」の場合には、「今ここ性」を消去したら「意識」や「主観」にあたる
ものも一緒に消えてしまう。何か違うモノが残ってしまうと思うよ。
64哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/23(月) 05:30:35
>むじんくん
>>2
何がわかりやすいのか明快なのか
サッパリわからん

この文章には、常に自己というものが前提にあるのであって
何の説明にもなっていない

そしてキミの解説も無い
いったい何なんだ???


>ぴかくん
>>60
>>61
キミも真剣な話
病院に行って診てもらった方がいい
65探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/23(月) 05:54:11
「この私」から「今ここ」性を消去して一般的な「私」としてしまうと何が残るのか。
それはもう単なる「文法上の一人称」という役割に過ぎない。

例えば、俺が去年買ったカーボンヒーターの取扱説明書にはこう書いてある。
「本製品は安全性を高めるために、各部に安全装置を採用しております。」

これを一般的な「私」を使って書き換えてみよう。
「私はより安全になるために、各部に安全装置を持っています。」

「私」に主観や意識という意味が含まれているなら、カーボンヒーターにも
主観や意識を見出さなくてはならなくなる。そうじゃないだろう。
この場合の「私」は、この発言を実際になした人・書いた人ではなくて、
単に「この発言をしているとみなされるモノ」を指し示しているに過ぎない。

もう一度言うが、主観とは「今ここで何かを意識しているこの私」であって他の「私」ではない。
「今ここ」性を消去する唯物論的世界観の外にあるものなのだ。
66考える名無しさん:2006/01/23(月) 07:02:48
>>65
そういうのは「主観」というより「実存」だね。
つまり、
「見ている目を見ることはできない」(メルロポンティ)
「握っている手を握ることはできない」(サルトル)
ということだ。
67探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/23(月) 07:56:59
>>66
まぁそういうことなんだけれど。
「実存」と言ってしまうと「私」も「他人」もそれぞれに実存があるって
考えたくなっちゃうから、その言い方は避けたいんだ。
実際はそうなのかもしれんが、そこは分からないという態度をはっきりさせたい。

「主観」だってもともとは「今ここ」性を含んだ言葉だったはず。
ところが「主観」って言葉にしてしまったがために、主観自体を対象にできる
ような錯覚がいつの間にか起こってしまう。(例の自己言及の無限後退)
また、対象にできるような"主観"を科学的に記述しようなどと考えてしまう。
(もはやそこに「主観性」はないのに)

だからあくまで「今ここ」性にこだわって、「実存」という言い方は拒否すべきだと思うよ。
68考える名無しさん:2006/01/23(月) 08:06:11
>>67
それを言うなら「今ここ」だって同じこと。
「今ここ」ほど一般的な言葉はない。
69むじんくん:2006/01/23(月) 09:33:11
>>55
> ・・・・そういう「キリスト教的ではない文明文化」を全部「未開」という分類で括る・・動機とか理由が、
> 全く理解できません。

キリスト教というのは、ヨーロッパの場合プロテスタンティズムという変異種という形で
近代化プロセスに関連してきたわけですけど、それ以前は違いますからね。

英語で"-self"という、自己を示す単語が頻出するようになったのは近代社会に変異していく
時期と重なっているそうです。近代社会とは、マルクスが入会権の問題から唯物論に入っていった
わけですけど、つまり私有財産制度であり、貨幣中心社会です。お金があれば生きていける。
これは個人というものを存立させるための物質的基盤ですね。

そういう中で、"私"がどうすべきか、"私"が何を認識しているか。こういう話が突出してくるわけです。
それ以前は、キリスト教文化圏だろうとそんな意識ない。"私"がどうすべきなんて問題にならない、
決まっているからです。
70哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/23(月) 10:01:17
私が言っている事を理解するには
まず、全てを疑ってみなきゃイカン
唯物論を、頑なに信じてちゃ無理
それは唯物信仰という
信仰者の姿勢であって、哲学者としての立場を放棄している

物理現象で全てが記述できるハズ
この、ハズ がイカン
で、それを正当化しようと、逆に『私』を否定しようと試みる
理屈に反した屁理屈をこねる

しかし哲学そのものが
私の哲学であり
私の課題を埋めるための行為だ という事を誤魔化す事はできない
私が、いかなる思想を持ち
いかなる価値観によって生きるべきか
という事を考えるのが哲学なのだ
私が、「何が正しいのか」 を考えているのであり
『私』を否定すれば、哲学も何も
全てが意味の無い行為になってしまう事にすら気づかない
私というものは、否定する事も不可能だし、『前提』でもあるんだよ

まず自分は、物質の、いかなる要素なのか と考えましょう
突き詰めて考えて、考え抜いて答えを提出して欲しい
しかし絶対に、提出する事はできない
「いずれ提出できるようになるハズだ」 としか言えない
私は、絶対に提出できないという理由を、わかりやすく説明し
人間が、単なる物体ではないという事を証明ているのだが
唯物論教の固い信仰を持っちゃってる人には、意味が理解できないんだよな

哲学者は、疑わない限り進歩はないよ
71探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/23(月) 10:12:05
>>67
俺が「今ここ」と言って、あなたが「今ここ」と言ったら
全然違うものを指し示してることが明らかだけど、
俺が「(俺の)実存」と言って、あなたが「(私の)実存」と言う場合は
何か共通したモノがあって、場所(所有者)が違うだけという意味合いが出るよ。

俺としては、違いをはっきりさせやすい言葉を選びます。
72考える名無しさん:2006/01/23(月) 10:47:13
意識がなければ「今」も「ここ」も「これ」も「この」も有り得ない。
「今ここ」とはつまり「意識の所在」という意味であり、
「私」とはつまり「この意識」のことですよ。
73探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/23(月) 12:05:36
俺なりの理解を書いてみる。

>「自己とは自己自身に関係するところの関係である」

これは自己というものが、「俺の意識ってほんとにあるのか?」と
自己言及的(自己関係的)に疑った時に初めて現れるようなものであり、
つまりはその疑いこそが自己の正体であるということ。

俺の議論でもここで確認された「私」を出発点にしている。

>すなわち関係ということには関係が 関係自身に関係するものなることが含まれている

だが、そのような自己言及的な疑いは無限後退する。
「俺の意識って夢じゃね?」「今それを疑ってる奴は夢の外にいるじゃん」
「いやそれも夢じゃないの?」「って疑ってる奴は夢の外にいるだろ?」・・・

関係自身に関係するとは、このような疑いが疑いを呼ぶ過程を意味する。

>それで自己とは単なる関係ではなしに、 関係が自己自身に関係するというそのことである

「自己言及的な疑い=自己」と静的にとらえるのではなく、
疑いが疑いを呼んでいくという動的な状態全部が自己なんだよ、ということ。
74哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/23(月) 13:01:27
>>73
おかしなおかしな文章だけど
10回ぐらい読んでみたら、キミの言いたい感覚が少し理解できたよ
しかしキミも、ズレてるんだよなぁ・・・
>自己言及的な疑いは無限後退する。
という事に囚われ過ぎてヘンな方向性に行っちゃってるんじゃないかな
それと根本的な話
『私』という事が理解できていないようだね

自己 というものがあるから、疑う事もできるのであり
関係する事もできるのであり
キミが確認する事もできるのではないかね?

自己が無いのに、いったい誰が
何が、自己を疑って自己を発生させるのかね?
それは自己だよw
自己が自己を疑っているだけだよ
違う?
じゃあ
何が>「俺の意識ってほんとにあるのか?」と思ってるの?
意識が? 誰の?
キミがキミだから、キミ自身がキミ自身であるか疑ってるのであって
他人がキミ自身を疑っていて、その時キミが初めて発生した
なんてのも、おかしな話じゃないの?

キミは、関係する とか
疑う というような
動詞が『自己』だと思っているようだが
そんな理屈をいくらこねたって『私』の存在性
『私』が唯一無二の『この私』であった根拠とは全く関係が無い
すなわち、『自己』について何も説明した事にならない という事
わかる?
75考える名無しさん:2006/01/23(月) 13:20:40
>>63
>記述しても別に問題はないし、むしろそうすることで「他の川」との比較が可能になる。
問題はあるのですよ、目立たないだけで。ある人にはある。そしてない人にはない・・・から問題です。
言語ゲームは終わりません。

>ただ、「この私」の場合には、「今ここ性」を消去したら「意識」や「主観」にあたる
>ものも一緒に消えてしまう。
そうしても問題はない。むしろそうすることで他者との比較が可能になる。
と言うこともできるでしょう。

>何か違うモノが残ってしまうと思うよ。
それを統計学や政治でいかに目立たなく誤魔化すかですよね。苦心するのは。
誤魔化せるのは自分に見えている範囲だけですけれど。

>>65
>これを一般的な「私」を使って書き換えてみよう。
「書き換えた」のならば何かが換わってしまうのは当然でしょう。
そして、「書き換える事が出来る」と考えることは、
「換わってしまう」ことを「承知する」ことではないでしょうか?

>もう一度言うが、主観とは「今ここで何かを意識しているこの私」であって他の「私」ではない。
>「今ここ」性を消去する唯物論的世界観の外にあるものなのだ。
ですから、両立出来ると思います。比較が出来ませんから。「矛盾」が問えないでしょう。
ただ、「両立出来るということ」を「そのまま」に記述出来ないから勘違いは続く。
76哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/23(月) 13:20:54
自己は自己だから自己に関してだけ自己だと自覚できる

自己を意識して自覚した時だけ自己が発生しているのではなく
自己だから自己を自己だと認識できるのである

当たり前すぎるんじゃないの???
77考える名無しさん:2006/01/23(月) 13:23:29
>>70
>私が言っている事を理解するには
>まず、全てを疑ってみなきゃイカン
「私が言っていることだけは信じなきゃイカン」
と付け加えた方がベターだと思いますよw
78考える名無しさん:2006/01/23(月) 13:26:23
>>74
>>自己言及的な疑いは無限後退する。
>という事に囚われ過ぎて
これには同意。
79哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/23(月) 13:27:03
>>77
なんで?
80考える名無しさん:2006/01/23(月) 13:32:06
最高位が哲学書を呼んだことがないだろう件について
81哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/23(月) 13:33:06
>>80
哲学書とは?
82考える名無しさん:2006/01/23(月) 13:33:10
>>73
>これは自己というものが、「俺の意識ってほんとにあるのか?」と
>自己言及的(自己関係的)に疑った時に初めて現れるようなものであり、

そんなはずはないですな。というか、哲学なんぞ知らない普通の人は、
そんな疑いなんか一生持ちませんよ。
「自己というものは、自分以外の存在と自分とを区別・対比したときに、
初めて意識(もちろんあらかじめ存在する自分の意識)に現れる観念である」
なら、まだわからなくもありませんが。
83探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/23(月) 14:07:59
なんか反応がいろいろあるけど、
>>73はむじんくんが引用した部分を俺なりに解釈しただけだぞ。
誰も解釈してないから、俺なりの読み方をみんなに伝わるように書いたの。

内容がおかしいことを俺に言われても困るし(キルケが言ったことなんだから)
解釈がおかしければ、もっといい別の解釈を出してくれ。
84哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/23(月) 14:24:53
>>83
キミは確か前スレで
あの文章を肯定し
「確かにそれで言いつくされてるんだけども」
と、言いつくされてるとまで言ってるんだよ
それが何?
>内容がおかしいことを俺に言われても困るし(キルケが言ったことなんだから)
こんな風に逃げちゃいかんよ
自分の発言には責任を持たなきゃね

もっといい解釈?
私がやったでしょう
あれじゃ自己を説明した事になってないよと、説明したでしょう
あれは自我意識の説明にはなってるかも知れないけど
自我の説明にはなっていません


   , ノ)
  ノ)ノ,(ノi
  (    (ノし
┐) ∧,∧  ノ 寄り付きだ!寄り付きが買場だ! !
..|( ( ....:::::::) (
 ̄⊂/ ̄ ̄7 ) ヽ lヽ,,lヽ
 ( /    /ノ   (    ) やめて!
   ̄TT ̄    と、  ゙i

86考える名無しさん:2006/01/23(月) 14:48:53
>>73
>「自己言及的な疑い=自己」と静的にとらえるのではなく、
>疑いが疑いを呼んでいくという動的な状態全部が自己なんだよ、ということ。

この、静的な自己観から動的な自己観に移り変わった時って
結構スペクタクルじゃありませんでした?
一大イベントですよね。

静的なニュートン的宇宙観が、相対論や量子論によって
動き出した時ですね。
87探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/23(月) 15:05:27
>>84
「哲学者最高位」を自称するなら、まず相手の思考を理解しようとする態度を持てよ。
自分の立場から相手を否定することなどアホにでもできる。

俺は前スレでこの考え方について、むじんくんの解釈を正確に理解しようとしながら、
最終的に「神は拒否するべき」とした。
さらにこのスレでは、他の人にも読めるようにキルケの言葉を俺なりに解釈した。

あなたは何をしたの?

「自己を意識しようという動機なくして、自己を見出すことなどありえない」
「自己が存在することなしに、自己を意識しようという動機は発生しない」

この相反する出発点の時点で、「とにかく後者を取れ!アホか!」と言い続けるのみ。
そりゃむじんくんにもコケにされるよw
前者からスタートしたらどんな問題が起こるのかを指摘しなさい。それが反論だ。
88探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/23(月) 15:31:54
>>82
発生論的に考えると、どう考えても「他あっての自己」だろう。
乳飲み子には自分の手と母親の体の区別もついてないんじゃないか?憶測だけどw

「俺ってほんとにあるのか?」のような哲学的な問いを出したのは、
最初でそれを出しておかないと、次の部分の説明がしづらかったからです。
一応「ようなもの」っぼかしたんだけど・・・w

実際には、「何して遊びたい?」「なんでそんなことしたの!」というような
自己の内面を見させられる他人とのイベントを通して、自己はできていくんだろうね。
89哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/23(月) 15:42:46
>>87
ん?わけわからんけど
まずね
私は>>64で、むじんくんに対して、説明を要求してるわけ
しかし、あれほどしつこい彼が、音沙汰なしなんだよ
それを何で彼が説明する前に、キミが解説するわけ?
で、キミが正しいと太鼓判を押してるから、それに突っ込んだら「知らん」と
おかしいと思わない?おかしいだろ?
>あなたは何をしたの?
キミらが根本的に間違えてると教えてあげてるんだよ
>「自己を意識しようという動機なくして、自己を見出すことなどありえない」
>「自己が存在することなしに、自己を意識しようという動機は発生しない」

>この相反する出発点の時点で、「とにかく後者を取れ!アホか!」と言い続けるのみ。
わかりやすく何度も説明してるのに、キミらが理解できないだけなんだよ
あのね
主語と動詞
どっちが主体なのかわからんの?
走るから私がいるのかよ
私が走るんだろ?
>前者からスタートしたらどんな問題が起こるのかを指摘しなさい。それが反論だ。
反論???基本的すぎて、ため息が出るよ
自己があるから、それを意識できるんだろ
>「自己を意識しようと・・・
この時点で、すでに自己 あるじゃんか
見出す前に、あるから意識できるんだよ
なかったら、いったい何を意識して自己だとしてると言うの?
私は、自己を自己だと認識している と考えるのが普通に論理的だと思うのだが
それを否定するなら明確な根拠を挙げてもらいたいね
自己だから自己だと認識してるんだろ?違うんならいったい何を自己だと思ってるのか 答えて下さいよ
キミが言ってる事は、単に後先を逆にして誤魔化そうとする 根拠のない思い付きだとしか考えられないよ
90考える名無しさん:2006/01/23(月) 15:47:11
最高位にまじめに絡むヤツが馬鹿。
91哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/23(月) 15:53:04
>探求者くん
キミもバカみたいだから、もう一回言うよ
主語と動詞の事
>「自己を意識しようという動機なくして、自己を見出すことなどありえない」
>「自己が存在することなしに、自己を意識しようという動機は発生しない」
「自己が存在することなしに、自己が走る事はありえない」のであってね
これが逆になると、おかしいだろ?

キミが勘違いしてるのは、自己の存在の有無ではなく
自覚する しない の話だよ
92哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/23(月) 15:53:47
それじゃ時間なんで離席します
93考える名無しさん:2006/01/23(月) 15:55:20
>>87
鶏が先か卵が先か考えて、何になるんだ?
出発点とかいってるが、言葉遊びの無限ループだな。
94探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/23(月) 16:37:19
>>90が正解だった

「私が誕生した」という命題を見て、
「私」は「誕生」以前から存在していたはずだ!
主語と動詞の関係からして明らか!!

この一点張りだけかよ・・・一生そう信じててください

>>93
「どっちが先か」自体はどうでもいいと思うけど、「意識」がどういうものなのかを
考えていく上では、どこかに出発点は置かなくちゃいけないでしょ。

それで先に進んでみて、いい議論になると思う方を採用すればいいだけかと。
95考える名無しさん:2006/01/23(月) 18:20:10
外部観察の罠に嵌まってますね。
やはり、ぴかぁさんは一枚上手ですね。
96考える名無しさん:2006/01/23(月) 18:23:25
>>94
>>87では言葉遊びの無限ループに反論しろと言ってるが、
何を反論するのか自分が考えてみるといい。
>>90を真に受けているようだが、それは逆なんだよ。
97素人:2006/01/23(月) 18:30:22
やっぱり禅齧ってるだろww  >>最高位
98探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/23(月) 19:20:49
例えばさ。

>他人がキミ自身を疑っていて、その時キミが初めて発生した
>なんてのも、おかしな話じゃないの? (>>74の論拠)

自分が使ってる言葉・思考が最初は他人の真似だったことを考えれば
すんなり理解できることじゃないか。
「疑う」だって便宜上選ばれた言葉ってだけで、内容が自己言及的でさえあれば
普通に「思う」でもいいのに。とにかく頭が固すぎる。

理解する努力をする気がないのか。理解するだけの柔軟性がないのか。
どちらにしても、あなたがかばうほどの価値はないかと。
99ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/23(月) 19:31:33
■なぜ「動物化」への欲望は回帰し続けるのか。

@「サイボーグ技術が人類を変える」

最近、興味を強くもったのが11月5日放送のNHKスペシャル「サイボーグ技術が人類を変える」である。
ここまで来てるのか、という感じであった。
>>
刺激される脳、回復する運動機能、そして…精神

この章のキーワードはDBS─脳深部刺激療法。これは、脳に電極を刺して電気刺激を持続的に加える
治療法のことです。・・・脳の悲しみを司る部位に刺激を加えることでうつ病を治療することが紹介され
ました。同様に、他の感情についても制御できる可能性が示されています。

DBSは病気を根本的に治癒するものではなく、機器の電源を切ると病状は再び悪化します。また、
すべての患者さんに効果があるとも、手術が100%成功するとも言い切れません。しかし、他の病気
治療への応用など、今後の更なる研究開発が期待されています。

一方で我々は、どこまで人間は制御できるのか、そして、制御してよいのかという疑問と向かい
合わなければなりません。科学の最先端を目撃した我々は、今後の適切な応用の方向性について
考える必要があるでしょう。

http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/sci/project/nhksp/chapter_3.php
<<
100ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/23(月) 19:32:21
@「動物化」という幻想

精神分析において抑圧とは非社会的なもの、受け入れがたいものを心の奥へ隠してしまうことであり、
それは「欲望」として回帰する。現代は精神分析そのものを抑圧しているようである。精神的な苦痛
には、テレビ、映画、ゲームなどの娯楽により、「気を紛らわせる」ように、回帰する欲望へ畳み
かけれように、容易に刺激的快楽を投入すること、あるいはより直接的には薬を飲むことで回避する。
抑圧自体を消失しようとしている。これが現代の「動物化」である。

「サイボーグ技術が人類を変える」に示されるようにIT技術の発展にともなうここ数年のサイボーグ
関連技術の発展は目覚ましいが、抑圧された「心」はどこにむかうのだろう。「動物化」の先に見える
のは、美容整形手術のような「心」の整形である。これを単純な権力論、権力が人々を家畜化している
とみてはいけない。これは一つの享楽である。人々は「動物化」することを欲望しているのだ。

しかしこれはパラドクスだ。欲望しないことを欲望する。なりたい「私」になるとき、整形手術のカタログ
のように前後は提示されえないだろう。それを見比べる「私」はどこにいるのだろうか。欲望しなくなった
ときに、かつての欲望した自分はもはやない。

このようなパラドクスがおこるのは、欲望は、失われたものが決して取り戻せないことを隠蔽する
ために、幻想の対象aとしての「動物化」を欲望する。「動物化」への欲望とは、「動物化」すれば、
「心」を煩わすこと、さびしい、つらい思いをすることがなくなるという幻想である。
101ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/23(月) 19:33:34
A「生物化」という不可能性

なにゆえに人は欲望するのか。ボクは喪われた生物的集団性(完全な他者との同一性)の補完で
あり、欲望は他者の欲望であり、他者と関わりつづけること、「他者からの呼び声」を聞き続けること、
であるといった。すなわち人間とは喪われた「他者からの呼び声」を聞くことであり、耳を塞ごうとも
なりやまない「他者からの呼び声」に悩まされつづける者である。

たとえば社会にでて他者と交わるよりも、引きこもる方がその声は大きく鳴りつづけ、あるいは社会
にでてもただ組み込まれ、流されるだけでは鳴り続ける。この声のささやきは「他者と同一化しろ。
そしてお前の望むことを完璧に他者に聞いてもらえ。生物のように」である。

欲望とはその本質において「生物化」への欲望である。しかしそれは正しくもあるが、間違いである。
ボクたちは「生物化」など欲望していない。なぜなら「生物化」は失われ取り戻すことができない故に、
「生物化」への欲望を隠蔽し、他者の望むものを望むのである。この屈折こそ「人間」である。
102ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/23(月) 19:34:12
B実現される「動物化」と回帰しつづける「他者からの呼び声」

だからボクたちの本当に望むものが「生物化」であっても、「動物化」ではない。「動物化」とは
「生物化」できないことを隠蔽するために見せる幻想である。

テクノロジーによる「心」の整形によって、「動物化」は「生物化」と混同されながら、かなおうとしている。
そして、かなってしまったとき、それは本当に求めていたものではなく、単なる幻想だったのに、単なる
愚痴だったのに、本当は「生物化」したかったのだ、というかつての「私」は「動物化」してもはや
ここにはいない。

それでも「欲望」は回帰するのではないだろうか。ふたたび「動物化」は目指されるのではない
だろうか。それはテクノロジーの発展そのものが、「障害者を助ける」ために行われるのではなく、
失われた「他者からの呼び声」への返答であり、人間が消滅するまで止まらないように。
103むじんくん:2006/01/23(月) 20:23:35
>>100
> @「動物化」という幻想

この「動物化」っていう言葉なんですが、現代社会を表現する言葉として流行っているんですよね。

これはどこから来た言葉なんでしょうか。ご存知かと思いますが、コジェーブが昔アメリカ社会を見て
動物の社会だと言ってますよね。そして、アメリカが歴史の終わりだと考えていたが、日本に来て考えを
変えたと。日本は純粋な形式によって人々が生活しており、且つ人間であることをやめてないというのが
理由だったと思います。

ただ、これは僕は個人的に支持しないのは、社会の形式性というのは日本論でよく語られますけど、
やはり例外状態だと思うんですね。例えば、戦後の冷戦構造の緩衝地帯に存在していたからこそ
成立していた日本社会というものがそうです。これはバブル崩壊という形で解体しており、今も解体が
進んでます。

フロイドのエディプス的過程というのは、ある文化内部の発達段階として扱うことが可能ですが、そう
見るべきじゃないと思うんですね。つまり、形式性の中でヒラヒラ生きていくということは、バブル時代に
よく肯定的に言われたりしましたが、やはりそれを支えている下部構造があり、それは破綻の可能性を
秘めているし、必然的に破綻がやってくるものだと思うのです。エディプス的過程というのは、その破綻
状態にこそ本来性を見ていると思う。人間はどう転んでも、そういう破綻に付きまとわれているし、破綻を
目の当たりにすれば弁証法が生じる。動物化は否定されてしまう。
104ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/23(月) 20:54:46
動物化はコジェーブ(ラカンの師匠)のことばであり、それを東がオタク論に展開して流行っていますが、
いまは結構アバウトな使われ方としますが、テクノロジーの発展と関係し、
人間的な内省より手軽な刺激快楽で充足する現代人、あるいはできてしまう現代環境をいいます。
たとえばおれって何のために生きているんだろと考えるより、ゲームしてすっきりするみたいな。
このような傾向もたしかにありますが、実は実はこの動物化という言葉がはやることそのものに欲望が隠されている。
それはこのスレの機械論や認知科学へ向かう姿勢にもいえます。
動物化して悩みから解放されたいという欲望。これはヘタレ化と呼ばれます。
105唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/23(月) 23:53:37
>>51>>53さん
それこそが「自我」であり末那識によって阿頼耶識に薫習され種子となる。
阿頼耶識(=諸現象)であるから現事象は全て己の因果に依って成り立つもの。
106考える名無しさん:2006/01/24(火) 00:06:13
馬鹿だなぁ、最高位君w
「母が私を生んだ。」これが正解だよ。
子供だって知ってる。
私は母から生まれた。
生まれたから私があるのであって、私があるから生まれたのではない。
こんな簡単なことも分からないなんてあきれるよw
107むじんくん:2006/01/24(火) 00:14:34
>>104
> たとえばおれって何のために生きているんだろと考えるより、ゲームしてすっきりするみたいな。

でもね、それは日本が平均的に豊かだからという理由に解消されませんか?仮に今後、所得や資産格差が広がって
ペーパーテストの学歴だけでは地位上昇が難しくなった場合にどうか。また、ニートとか言ってますけど、これは
現在の日本の資産の大半を高齢者が握っているから可能なことで、今後相続が一通り発生して一世代経てば
そういうことも言ってられなくなると思います。

> 動物化して悩みから解放されたいという欲望。これはヘタレ化と呼ばれます。

やっぱり僕は、古い発想なのかも知れないですけど、破綻が来ちゃうと思うんですけどね。どうでしょうね。
108「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/24(火) 00:38:20
>>69
>キリスト教というのは、ヨーロッパの場合プロテスタンティズムという変異種という形で
>近代化プロセスに関連してきたわけですけど、それ以前は違いますからね。

どう違うのか?なんとかエーコ氏原作の映画「薔薇の名前」をご覧になりましたか?

>英語で"-self"という、自己を示す単語が頻出するようになったのは近代社会に変異していく
>時期と重なっているそうです。近代社会とは、マルクスが入会権の問題から唯物論に入っていった
>わけですけど、つまり私有財産制度であり、貨幣中心社会です。お金があれば生きていける。
>これは個人というものを存立させるための物質的基盤ですね。

経済が重要なファクターであることは否めませんが、「ヒト」という種にとって、食欲を満たすこと
が「一番の重要課題である」・・・少なくとも「一番の重要課題にする人口%が多い」時代は、それほど
「遠い過去」のことではありません。要するに「命あっての物種」ですので・・・
しかし、近代以降マリーアントワネットが「パンを寄こせ」の民衆デモを理解できずに、
「あの人達はなんでお菓子を食べないのかしら?」と本気で言った事実があり、ホリエモンが
「もっと巨大な時価総額」を追求するような「高度の欲望」が人類を支配するようになりました。
・・・その結果「美食」→「肥満」→「スポーツクラブ」→「空腹」→「美食」という
「ホリエモン的欲望スパイラル」が出来上がり、そのスパイラルがGDPという「国家の成績表」
になったので、政治家は「景気浮揚に腐心する」という嗤える「近代西欧的価値観」が支配的に
なってきたのです。
 要するに我々日本人も「同じ穴の狢」であり、マルクスの根底にある「キリスト教的(人種選別的)
ヒューマニズム」を客観的あるいは『科学的に』視る視点が重要なのです。

109哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 00:41:45
>むじんくん
>>64の質問に答えて欲しいな

>探求者くん
キミも>>89の最後の方に書いた質問に答えて下さいね


>>106
ん?
>「母が私を生んだ。」これが正解だよ。

いやいや
この文章の主語は、母だよ
母が産んだ んだよ
何を?
私を ですよ
あの文章の主語が、私だと思ってるの?
マジで??? バカ?

国語から、やり直して下さいねマジで
冗談で言ってるんじゃないよ?
最初から、マジだから言ってんのよ
キミらは中学生以下レベルだから
哲学を勉強する前に、国語を勉強しましょうとね
困った事に、キミらの大半とは
会話すら成立しないんだよ
110「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/24(火) 00:54:21
>>69
>そういう中で、"私"がどうすべきか、"私"が何を認識しているか。こういう話が突出してくるわけです。
>それ以前は、キリスト教文化圏だろうとそんな意識ない。"私"がどうすべきなんて問題にならない、
>決まっているからです。

(私だろうがホリエモンだろうが誰だろうが)「どうすべきか」という方向性を示す根拠を提示する
役割こそ、『哲学』の筈なのですが、皆さんその『哲学の使命』を「見失っている」と思います。

むろん、「法律違反だそうだからダメだ」という単純な「政治学」が「権力」を行使することについては、
ソクラテスが2500年前に「悪法もまた法なり」と言って刑死した状況と全く変わっていないということです。
毎日スピード違反で走行している車は全部「法律違反」ですから、「摘発しよう」といったん司直(警察・検察)
が判断すれば、あとは(行政の言いなりの)司法裁判所から逮捕状を取れば良いだけです。

・・・念のためPSですが、私は堀江氏の同情者でも共感者でもありません。しかし、彼を非難する評論家達とも
共感は出来ません。・・・(法律の)抜け穴を抜けたつもりが(どじにも)失敗してしまった・・だけだと思います。
法律を作る過程は、結構人間的でありある意味で杜撰ですので、そういうモノは「必要悪」としてしか視ることは
できません。
 要するに(特に商法やその特別法等の経済関係)法令は「抜け道だらけ」ですので、「善・悪」とは
殆どかけ離れた『基準』で作成運用されており、行政は「社会秩序の維持」を至上価値として行動するだけ
ですので・・
調べたところ、東京拘置所の朝食=堀江社長の朝食は安いふりかけが少し乗っている白米・・だということです。
111哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 01:05:12
>>110
>調べたところ、東京拘置所の朝食=堀江社長の朝食は安いふりかけが少し乗っている白米・・だということです。
久しぶりに、ふりかけ食べたくなったなぁw
しかし、わざわざ調べるところが機械君らしいね
わしゃ、他人のメシなんて興味ないけどな
112考える名無しさん:2006/01/24(火) 01:08:44
「のりたま」をご飯にかけて食べると胃が荒れるの俺だけ?
113むじんくん:2006/01/24(火) 01:10:45
>>108
> >キリスト教というのは、ヨーロッパの場合プロテスタンティズムという変異種という形で
> >近代化プロセスに関連してきたわけですけど、それ以前は違いますからね。
> どう違うのか?なんとかエーコ氏原作の映画「薔薇の名前」をご覧になりましたか?

バラの何とかは知らないんですけど、カソリックというのは共同体宗教ですよ。神と人間との間に
"神父"という存在がおり、彼らは神の言葉を語り、大衆の罪を聞き、許す権利を持っているとされてる
わけです。何か迷ったら、神父にお伺いを立てなければ、皆神の意思を知ることができなかった。

これには物質的理由があって、当時の聖書はラテン語で書かれており、ラテン語読める人間が
限られていたということがある。だから、ルターの翻訳後は別に神父にお伺い立てる必要ないだろう、
こうなったわけで、それが所謂プロテスタントの「聖書主義」というものです。そうなると、神と人間
との間には、カソリック的な共同体的制度は不要となるわけですね。

>  要するに我々日本人も「同じ穴の狢」であり、マルクスの根底にある「キリスト教的(人種選別的)
> ヒューマニズム」を客観的あるいは『科学的に』視る視点が重要なのです。

機械氏はかなりの観念論者ですね(笑)。思想によって世の中が動くというわけですか。

>>110
> (私だろうがホリエモンだろうが誰だろうが)「どうすべきか」という方向性を示す根拠を提示する
> 役割こそ、『哲学』の筈なのですが、皆さんその『哲学の使命』を「見失っている」と思います。

でも、ソクラテスは無知ということで哲学を終了させた。彼は例外ですか?
114「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/24(火) 01:14:28
>>111
昼食は(いわゆる)コッペパンにイチゴジャムとマーガリンだそうです。
夕食は今どきコンビニでも扱っていない原価50円くらいの弁当です。
差し入れは毒の混入の可能性があるため「禁止」です。
私語は禁止、トイレは独房でなければ同房者に「お尻丸出し」でするしかなく、
ペーパーは「紙下さい」と看守に頼んで10枚程度ずつ手渡しして貰います。
・・・人間の「尊厳」のような意識を「捨てさせるシステム」だということです。
・・・勿論「拘置所のシステムは合法的且つ平等」・・ということです。
115ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/24(火) 01:14:59
>>107
「動物化」は、テクノロジーの発達と語られないといけません。
有名な例で、マクドナルドの椅子の硬さ、というのがあって、
マクドナルドの椅子は硬くできている。それは客の回転率を
あげるためである。しかし客はそのことには気づかない。
なんとかく座り疲れて、席を立つ。
こういのうは最近のマーケティングでは一般的ですね。
繰り返しCMで見せられると、ついつい買ってしまっている。

貧乏だろうが、マックを食べて、ゲームをして、ちょっとした
流行りものにはまって充足してしまう。
さらには>>99-102では、より脳への直接刺激、薬物で充足して
しまえる可能性がある。そのようなものが普及し安価で手に入れば・・・

みたいなことです。それでも僕は必ず欲望は残ると思っています。
しかしそれがヘタレと言われるのは、その求め方が、動物として充足している
かに見えて、突然、発作のように不安におそわれるようなことが起こっているのでは
ないかと言われています。
オウムや、様々な少年犯罪、2ちゃんねるのヘイトスピーチなど、
私の意味を求めるあまり暴走する、みたいなことですね。
116ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/24(火) 01:16:33
ん〜どうもすれ違いに流れるな。
117考える名無しさん:2006/01/24(火) 01:18:06
マックに6時間ぐらい平気で居座ってコーヒー何杯もおかわりしながら本読んでるの俺だけ?
118哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 01:22:49
>>117
マクドって、コーヒーおかわり自由なの?飲み放題だったっけ??
119ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/24(火) 01:23:26
マックがラブホ代わりもいるからいろいろだね。
120考える名無しさん:2006/01/24(火) 01:24:33
つか、マックの椅子って落ち着くよな。固い椅子は集中力をあげるんだよ。
121哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 01:24:47
>>119
いくらなんでも
そんなわきゃないだろw
122「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/24(火) 01:25:38
>>116
>それでも僕は必ず欲望は残ると思っています。

勿論「欲望」は重要です。というより、国家の最大重要指標「GDP」は、
「個々の人間が支出する貨幣の累計」ですので、欲望が拡大すればGDPも
拡大し、その「前年比」が「経済成長率」ですので、(合法的)欲望の追求行為は
「経済学的には善そのもの」なのです。
 悲惨なのは「時価総額8000億円の株券の一部を持っている個人投資家」です。
彼らが「9割損しても売れる確率」は「殆どゼロ」ですので、ライブドア関連の株主
は、「先週の資産は10億円」でも「来週の資産は10万円」になる可能性は非常に高い
・・・ということです。
123むじんくん:2006/01/24(火) 01:28:24
>>109
> >>64の質問に答えて欲しいな

私がいる。そこに他人が現れる。他人は自分と同じように世界を見ているか。他人と同じ考えを共有できるか。
こういう話を始めると、これは妙な方向に行っちゃいますよ、というのが一番言いたいことなのです。

キルケゴールのこの言葉は、ヘーゲルの弁証法から影響されて出てきたもので、ヘーゲルの精神現象学
なんかは似たようなこと書いてありますね。つまり、自己というものがポコっとどこかにあるのではない。
自己とは関係である。そして、他者との関係において"自分"というものが立ち現れ、更にその関係性
自体に関係するのが自己意識である。

キルケゴールの言葉で重要な点は、この関係を規定しているのは、自分が勝手にやっているのではなくて
他者(彼の場合神でしょう)によって規定されている。つまり、自分とは実際のところ他なるものによって
規定されたものだということです。引用文は「死に至る病」からのものですが、ここで議論されている"絶望"とは
この"他なるもの"から無限に自己を引き離そうとする運動のことである。だから、自己が自らの力によって
絶望を取り除こうとすることは、必然的に絶望のままになるのだと。

だから、自分/他人、そこに共通項としての何かを探るというのはナンセンスです。最初に関係があり、そこから
自/他が発生し、自己が発生する。
124考える名無しさん:2006/01/24(火) 01:30:33
>>118
店舗による。
店員さんに、「ここは、コーヒーおかわり自由ですか?」って聞いてみ。
>>119
それ、通報されるっしょ。漫喫ならそれに近い経験あるけど。
125考える名無しさん:2006/01/24(火) 01:31:15
最高位はただのバカだからマジで相手しないように。
やはりデカルトは偉かった。
126考える名無しさん:2006/01/24(火) 01:31:53
小売では馬鹿でガラの悪い客層の方が金遣いが荒く、計画性なしに衝動買い
に走る傾向がある。したがって、特に客層のターゲットを絞る必要のない
業種であればそういったチャランポランな奴らを惹き付けるような店頭イメージ
を強く打ち出すと効果的である。
127ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/24(火) 01:32:09
ヘタレの代表が2ちゃねらーと言われています。
動物化とは基本的に他者が必要ないということです。
刺激の提供で自己充足する。
たとえば最近の、マックなどファーストフードでは、
店員も機械的な対応で、干渉しません。
その他、ファミレス、コンビニなど「動物」のように
扱ってもらえることを好みます。

そういいながら、2ちゃんねらーで他者とコミュニケーションに必死です。
話したい何かがあるのではなく、ただ他者を繋がりたい。
だからマッチョなデカ口も叩いて、相手の気を引こうとする。

動物化で干渉するなと自己充足しているようで、
2ちゃんねるでは必死にヘタレる。
ここで抑圧された欲望(他者への欲望)が吐き出されているのですね。
128考える名無しさん:2006/01/24(火) 01:34:08
>>127
オマエモナー
129「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/24(火) 01:36:30
>>1213
人間(の個体)は「ワンオブゼム」です。
俺の主観だけは特別である・・・とどうしても言い張りたい方は
「宗教」を選ぶべきで、それ以降「哲学」を名乗らないで欲しいと思います。
・・「観念論」は「哲学」の範疇と言うより「形を変えた宗教」ですね
・・・ということです。
130考える名無しさん:2006/01/24(火) 01:36:39
昼時のマックの店員っておばちゃんが多くてさ、
なかなか機械的な対応してくれない・・・
131ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/24(火) 01:38:32
話がスレ違いですね。哲学板でもこのスレでは、このような
アイロニカルな話は必要がないでしょう。
このスレの魅力は、どこまでもベタなところです。

ヘタレよりも、動物化の方向、テクノロジーによるサイボーグ化の
可能性についての話がよいでしょう。
132むじんくん:2006/01/24(火) 01:41:11
>>115
> 有名な例で、マクドナルドの椅子の硬さ、というのがあって、

ええ。それはかなり昔から、例えばサブリミナルな広告とか、もう内容を見てもらって
納得してもらうとかじゃなくて、ダイレクトに行動させてしまうことを考えるという発想ですね。
それは分かるんです。

しかし、一方で人間はマックで尻が痛くても我慢しちゃうような面がありますからね。だから、
言ってみれば"即自的"な人というのは、マックで尻が痛くなるとフッと立ち上がって、無意識に
快を求めて別のところへ行くでしょうが、そういう感じで常に行動できるのは金持ちだけじゃないか
ということなのです(笑)。

> オウムや、様々な少年犯罪、2ちゃんねるのヘイトスピーチなど、
> 私の意味を求めるあまり暴走する、みたいなことですね。

それはそうだと思いますよ。だから、破綻が無意識には知っているわけですが、そこを隠蔽する形
でそういった表現がされるということだと思います。
133考える名無しさん:2006/01/24(火) 01:43:45
どうせ俺は貧乏人だよ・・・
134むじんくん:2006/01/24(火) 01:47:35
>>125
> やはりデカルトは偉かった。

>>123につなげてデカルトを語るならば、彼の有名な懐疑というのは、こういうキルケゴールが
記述したような精神の弁証法的説明の"後"にくるものです。世界、自分の思考、これらを
徹底的に疑うという行為は、ある状況にいる人間にしか可能ではない。即ち、ヘーゲルの
用語で言う"即自的"人間にはデカルトの懐疑は存在しません。だから、彼が神の存在証明
と読んだものが、順番が逆さまだというのはそういうことです。神を信じるような精神のあり方、
これが世界の懐疑を行ったわけです。
135考える名無しさん:2006/01/24(火) 01:48:34
高校生のとき、たまたま六本木だか麻布あたりのマックいった
そして気付いたら、みんな外人で店員も余裕で英語だった
ビビってハローとかプリーズとか言えばいいのか頭の中でパニクってたら
日本語でしゃべりかけてくれた
136考える名無しさん:2006/01/24(火) 01:50:14
>>昼時のマックの店員っておばちゃんが多くてさ、
>>なかなか機械的な対応してくれない・・・

おばちゃんパート店員は世慣れしているのでまだ若い店長とかも安心して業務
を任せられる。こちらが気づかないことも細かい気配りで言われなくてもやって
くれる。
下手に若いアルバイトだとおばちゃん特有の如才なさと顧客応対の臨機応変
さ、さらに肝っ玉と懐の広さがないうえに、人間的にも未熟な部分が多くて
人間関係のトラブルの火種をつくりやすい。おばちゃんパートさんは本当に
助かるんです。実に。
137哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 01:57:16
>>123
言ってる意味が、わからんなぁ・・・
>私がいる。そこに他人が現れる。
>他人は自分と同じように世界を見ているか。他人と同じ考えを共有できるか。
>こういう話を始めると、これは妙な方向に行っちゃいますよ、
>というのが一番言いたいことなのです。
そもそもコレがわからん
二行目以降の内容が、なぜ一行目を否定する根拠となるのか意味がわからん
二行目以降は、共通の認識という話であって、自己の存在性に関しての話とは
全く別の観点であって関係がない
なぜ、文頭の『私がいる。』を否定する事につながるのか
説明を加えていただきたい

それから、『関係』というが
関係とは、単独ではありえません
何かと何かの関係であるはずです
自己がない状態で、何が何と関係して自己が発生するのか
明確な回答がなされていませんね
あなたの書く文章には、自分でも自覚していないのかも知れませんが
常に「自己」というものが前提にあるのですよ
しかし関係だと言って「自己」を否定している
当たり前ですが
関係という言葉は、関係という言葉だけでは存在しえません
何かが関係する という動詞です
だからキミも「自己」という言葉を使わなければ「自己」を説明できないのですよ

面倒だから結論を言えば
キミの言ってる「自己」とは
「自己意識」という精神活動の事であって
「自己の存在性」とは意味が違う
キミは、本質を勘違いしているんですよ
大半の人は、そういう勘違いをしています
138考える名無しさん:2006/01/24(火) 02:01:01
自己の存在性ってなに?
139「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/24(火) 02:01:35
>>132
そんな経済学や経営学の「スキル」が重要だと考えている訳ですか?
電通や博報堂のスキルとしては有効な場面もあるかもしれませんが、
「価値」の問題・・・「交換価値」ではなく「使用価値」の問題に
切り込むことは出来ませんね。
 問題なのは「交換しようのない『使用価値』こそが『真の価値』であり」
交換価値(紙幣)だけをいくら積み上げても「絶対到達できない」価値の世界
があること・・・その世界の「解読コード」・・それが「哲学(の一部)であること」
だと思います。  本日は就寝させて戴きます。
140考える名無しさん:2006/01/24(火) 02:03:15
141考える名無しさん:2006/01/24(火) 02:04:41
機械論的唯物論では説明できないものがあるってこと?
142むじんくん:2006/01/24(火) 02:04:58
>>139
>  問題なのは「交換しようのない『使用価値』こそが『真の価値』であり」
> 交換価値(紙幣)だけをいくら積み上げても「絶対到達できない」価値の世界
> があること・・・その世界の「解読コード」・・それが「哲学(の一部)であること」
> だと思います。  本日は就寝させて戴きます。

・・・・・・・・・・・・・・・・それ、観念論の典型かと思いますが。。。
143むじんくん:2006/01/24(火) 02:11:17
>>137
> 「自己意識」という精神活動の事であって
> 「自己の存在性」とは意味が違う

そりゃね、簡単なことです。例えば、手をぶらぶらさせているときに、手の存在を意識は
あまりしない。しかし、壁に手を押し当てるととたんに手の存在がハッキリする。
144哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 02:14:35
>>142
だから昔から言ってるじゃない
機械君も
以前いたSYN君も
頑なに唯物論が正しいと主張しているくせに
ふとした時に、または論理的に追い込まれた時には
観念論に逃げ込むんだよな
でも自分では気づいてないみたいなんだよね
不思議だけどさ
根本的に、唯物論、観念論がわかっていないんだよ
145哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 02:17:30
>>143
ん?
おぃおぃ
何の返答にもなっていないよ
独り言?
146考える名無しさん:2006/01/24(火) 02:19:04
>144 哲学者最高い
自己の存在性ってなに?
存在性だけでもいいから教えてくれ!!
147ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/24(火) 02:19:57
>>132
マックごときでは、金持ち、貧乏は関係ないでしょう。

マーケティングというのは基本的に統計学です。
だから客を個性として見ないわけです。
心でなく、身体としてみる。
たとえばマックの例では、椅子の硬さで客たちの回転率を調査する。
すると1週間でもよくて、平均として10分から7分に下がった、
ということです。

身体、物体としてみるから、動物化なのですね。
148ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/24(火) 02:22:01
>>139
>その世界の「解読コード」・・それが「哲学(の一部)であること」
>だと思います。

動物化においては、歴史は終わり、哲学は終わっているのです。
だからコジェーブは哲学をやめたのです。
149ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/24(火) 02:26:34
統計、確率論というのはなかなか恐ろしいですよ。
たとえば、とても自分にとって、個性的で、主観的なようなことも、
統計においては、正規分布に従う、ある確率でおこる事象として、
「予測」されたりします。

たとえばある街で年に犬に噛まれる件数とか、
毎年同じ人がいなくても、似たような件数になったりするのです。

誰におこるかどうかは、わからなくても、
ある範囲のある時期に誰かに起こることは予測できる、みたいなことです。
これは、このスレ(決定論)ぽい話ですね。
150考える名無しさん:2006/01/24(火) 02:29:24
>動物化においては、歴史は終わり

逆じゃないの?
動物化と言われると、統計学・確率論の傾向性解釈みたいな状況分析とちがって、
法則性とか本能とか文脈みたいな、歴史主義的なにおいがしちゃう。
151ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/24(火) 02:34:20
歴史の終わりはヘーゲルから来ています。
ヘーゲルの主奴関係の終わりですね。

コジェーブでは動物化もアメリカ的豊かさによって
人々が動物化し、充足し、哲学は人間的なもので必要なくなる。

フクヤマの歴史の終わりは(ry
152哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 02:36:53
>>146
なんか突っ込みたいのかなぁ
言葉を定義するのって、難しい作業なんだけどね

自己と一言で言っても、いろんな角度から
いろんな要素を、いろんな解釈でとらえる事ができてしまうでしょう
自己意識と勘違いする人もいる

自己の存在性とか
「存在性」という事は、存在という観点に絞って絞って考えて
最後に残った純粋な意味での「存在」を指す

こんなとこかな
153哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 02:43:40
>>146
う〜ん

論理的に突き詰めて行っても
原理的に考えて
そのものが「存在する」と言えるものかなぁ
その「存在する」ものの「存在」という性質を指した言葉が「存在性」
154考える名無しさん:2006/01/24(火) 02:44:12
無限の関係性は神であると同時に自己であり、かつ孤立した「私」ではない。
誤りは孤立した「私」から開始しようとする「意志」の側にある。
このような意志は人間の低い性質を代表している。



155哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 04:19:15
>>154
意味不明


なんだかスレが止まっちゃったなぁ
むじんくんや、探求者くんも質問に答えないしね
ヒマだから、ぴかくんにでも突っ込むか

>マーケティングというのは基本的に統計学です。
>だから客を個性として見ないわけです。
>心でなく、身体としてみる。

>身体、物体としてみるから、動物化なのですね。

心でなく身体としてみる。のではなく
個人ではなく大衆としてみる だね

個人個人の個性に合わせたサービスを提供するというのは
手間もかかり、ロスも多い
客によってサービス内容を変更する事はクレーム発生にもつながる
大手などは、平等なサービスを提供しつつ、できる限り高い収益を挙げる知恵として
統計学的な営業戦略をとっているのであって
動物化などは、関係がない

というか動物化って・・・
意味がよくわからんけど
逆じゃねぇの???
156 :2006/01/24(火) 06:03:51
馬鹿だなあ。
大衆が動物化してるって意味だよ>>155
157哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 08:05:12
>>156
ん?
大衆が動物化してるから統計学が適用できると?
マーケティング理論が有効であると?

そんなこと動物化なんて関係なしに
サービスはマーケティング理論に沿って
統計学的にマニュアル化されてると思うぞ?
158探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/24(火) 08:35:05
無駄とは思うけど努力だけはしてみるか。

>最高位
産まれたての赤ちゃんに自我があると思う?
赤ちゃんは「私は今おなかがすいている」なんて思ってる?・・・思ってないだろうね。
赤ちゃんは単に「ハラヘッタ」だけであって、「私」も「今」もないだろう。
単に言葉を知らなくて表現できないんじゃなくて、そう「思う」ことすらできないだろう。

ところがこんな動物並みの赤ちゃんでも、12歳ぐらいになれば自我は普通あるわけだ。
さて、この間に何があったのでしょうか?

この例で明らかになるのは、「私」など認識できなくても"何か"は存在できるということ。
「自己を見出す前に、自己があるからこそ意識できる」
これを否定する論拠はこういう発生論的な考察にあるんだよ。
159探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/24(火) 08:49:49
こういう比喩で考えてもいい。

海(他)に浮かぶ島(自己)はどうやってできるのか。
あるいは、島と海の境目はどうやってできるのか。

最初に陸地があって、そこに大量の水がドバドバと注がれて境目ができる。
こう考えるのが最高位式。別におかしくはないよ。それでもいい。

けど、最初は海しかなくて、水が減っていって島が出てくるとも考えられる。
のちの島にあたる突起は海底に元々あったんだけど、それは沈んでるから島ではない。
こう考えるのがむじんくん式(キルケゴール式)なわけだ。

発想を転換して考えてみるんだ。
160考える名無しさん:2006/01/24(火) 09:05:12
最高位とからむやつが馬鹿
161考える名無しさん:2006/01/24(火) 10:12:22
むじんくんは「イデア論」を批判していたから
「もともと(潜在的に?)あった自己が顕在化してくる」
みたいな考え方は当てはまらないのでは?
それだともろに自己というイデアを想定しているみたい。
162哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 10:31:04
無駄とは思うけど努力だけはしてみるか。
>探求者くん
>>158
赤ちゃんに自我があるかどうかは
私は赤ちゃんではないし、赤ちゃんの時の記憶が無いので
厳密には何とも言えない  が
キミの言ってるのは、何度も言うけど
『自我意識』の事なんだよ

赤ちゃんも個人として存在してるだろ?
赤ちゃんも個人として自我意識が芽生えるための
赤ちゃん自身が、自我という存在性でなければ
成長しても、自我意識がそこに生じる事はないでしょう
>>159
島などというものは『存在性』ではありませんよ
キミは『富士山』は存在すると思いますか?
厳密に考えていくと
富士山とは、噴火によって火山灰などが積み重なったものです
どこからどこまでが富士山だ という明確な線引きなどありません
人間が、便宜上で地面の盛り上がりを富士山と名前を付けて呼んでいるだけです
『山』は地面の盛り上がりです
では『森』は存在しますか?
森とは、木の集まりであり、そこには一つの生態系があるかも知れません
が、明確な『森』の定義などありますか?
単に人が、便宜上で、それは『森』であるとしているだけです
『林』との明確な線引きもありません
『川』も同じです
キミの言う『島』も同じです
ちなみに、島ができるためには、すでに海面に出ていようが、海中に沈んでいようが
いずれにせよ、島になるための突起が『存在』する事になります
それが存在しなければ、海面に出る事もありえず
人間に島だと呼ばれる事もありえない
163考える名無しさん:2006/01/24(火) 10:32:45
で?   
164哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 10:48:26
なんか赤ちゃんの説明で文章が変になっちゃってるなw
まぁ普通に考えれば、だいたい意味はわかるでしょう

>>163
島なんていう例え話を持ってきても
何の比喩にもならないという事だね
それから
島という呼び名で呼ばれる事がなかったとしても
海面から出ようが出まいが
突起は突起している という事さ

彼は唯名論ということさえわかっていない
本質的な考え方が、まだできていないんだな
という事がわかるだろう
165考える名無しさん:2006/01/24(火) 10:52:38
>>162
「自我意識のない赤ちゃん」と「犬や猫やゴキブリ」と「富士山」と、
何がどう違うというのかよくわからない。
どれも単なる「変化する物質」で、「人間が便宜上名前をつけて呼んでいるだけ」
であることに、何の違いもないと思うが。
なぜ赤ちゃんだけが「自我という存在性」で、犬や猫やゴキブリや富士山は
存在性ではない、という結論が出てくるのか?
166哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 11:01:18
>>165
言ってるじゃない
厳密に言えば、赤ちゃんの事はわからないとね
前もって事前にことわっているでしょう
ただ、私も昔は赤ちゃんであったわけだから
私と同じであるならば、同じじゃないの?というぐらいだね
同じと考えた方が、人道的にも正しいんじゃないかな?
というぐらいなもんだよ
私は、厳密的には私に関して観測される事しか言わない
キミ達には当てはまらなくて、自分には自我が無い というのなら
それはそれで参考にさせてもらうんで、申告してもらいたい
167探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/24(火) 11:13:01
>>161
まぁちょっとまずいんだけどね。イメージを伝えるための比喩です。
「沈んでいる突起は島としては存在しない」ってところだけ理解してもらうため。

>>162
「赤ちゃんに自我意識はないが、自我という存在性はある」
何言ってんだ?
「自我意識のないものが自我として存在してる」ってどういう状況かわかんないんだけど。

自我意識もなく、単に反応してるだけのモノを「自我としての存在」と呼んでいいなら、
ネズミだって昆虫だってサンドバッグだって「自我としての存在」と呼ぶことになるよ。

いや自我いらんだろ。単に「存在」って言えばいいじゃん、それ。

「富士山は存在しない」って発言は置いといて(「存在」の意味を限定して使ってるから)
とりあえず、「自我としての存在」と単なる「存在」の違いを説明してみてくれ。
168考える名無しさん:2006/01/24(火) 11:19:29
>私も昔は赤ちゃんであったわけだから
>私と同じであるならば、同じじゃないの?

人間も昔猿だったから
昔ネズミだったから
昔は虫類だったから
単細胞動物だったから
原核生物だったから
有機物だったから

さて、何処まで成り立つんだろう
169考える名無しさん:2006/01/24(火) 11:24:31
>>166
あなたが「自我と自我意識は違う」と強調するものだから、
「赤ちゃんに自我意識があるかどうかはわからないが、自我がある
(存在性である)ことは確かだ」という意味なのかと思った。
「赤ちゃんも自我がある(存在性である)かどうかはわからない」という意味? 
それなら
>ただ、私も昔は赤ちゃんであったわけだから
>私と同じであるならば、同じじゃないの?というぐらいだね
これはおかしいのでは?
「私」は自我という存在性で、赤ちゃんは自我という存在性かどうか
わからないのに、「私も昔は赤ちゃんであった」と言えるはずがない。
「私の(私が宿っている?)体は昔赤ちゃんだった」なら言えるかもしれないが、
それも、今のこの体と赤ちゃんとでは全く似ても似つかないのだから
(富士山の変化などとは比べ物にならないくらいの大きな変化)、
まさに「人間が便宜上同じ『私の体』という名前で呼んでいるだけ」
に過ぎないはずでは。
170探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/24(火) 11:30:28
>>166
ああ、もう答えてるな。
つまりは「赤ちゃんに自我があるかどうか分からない」ってことじゃんそれ。
人道的とか不純な理由で「自我としての存在性はある」とか断言するなよ。


「『富士山』は存在しない」←これは明らかに実在論・イデア論だよな?

唯名論って名前しか存在しないってことだぞ。
つまり、『富士山』はそう呼ばれることで存在しはじめるって考えだ。
名前以前の「実体」を想定して、「存在」って言葉適用するからイデア論なの。
171哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 11:39:43
>>167
自分の間違いは素直に認めた方がいい

>「沈んでいる突起は島としては存在しない」
って、何言ってんだろね
突起は海面から出ていない状態で、人間から『島』だと呼ばれる事はなくとも
突起は突起として突起している わけだ
呼び名が島でないだけで、突起は突起してる
だからキミは、唯名論すら理解できていないと言うんだよ
まずそれを素直に認めて、ちゃんと理解したまえ

>「自我意識のないものが自我として存在してる」って
>どういう状況かわかんないんだけど。
ん?わからんの?
『私』という事がわかっていないんだよな
我思う故に我あり
我あり だよ
どんなに否定しようとして疑っても疑っても否定しようもない存在性だ
存在性として、あるんだよ
要するに
自我意識によって自我を自我だと認識しようがしまいが関係なく
自我は自我として存在している という事
私は私を私だと意識しなくとも私は私なんだよ
私という自我は存在性

>「富士山は存在しない」って発言は置いといて(「存在」の意味を限定して使ってるから)
>とりあえず、「自我としての存在」と単なる「存在」の違いを説明してみてくれ。

単なる存在 って何の事?
172考える名無しさん:2006/01/24(火) 11:48:15
馬鹿のくせにしのごの書いてんじゃねえよ
173哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 11:51:42
>>169
>「私も昔は赤ちゃんであった」と言えるはずがない。
???
病院にでも行きますか?行って下さい

>>170
>つまりは「赤ちゃんに自我があるかどうか分からない」ってことじゃんそれ。
他人の自我を認識できる人、または証明できる人がいるなら紹介して下さい
キミにできるの???
できるという人の方がインチキなんだよ
そんな事もわからんのかよ

少なくとも、私には自我がある
私は元々は赤ちゃんであった
自我意識とは、自分の自我を意識する事であって
自我のないものを、自分の自我として認識できるはずもないだろ
キミらは、いったい何を考えてるんだよ
順番飛ばさずにさ
普通に論理的に考えなよ
174探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/24(火) 11:52:43
>>171
我思う故に我あり、って自我意識前提にしてるじゃねーか。
自我意識なしでこんなこと思えるかってw

それナシで我ありってどういうことなの??
答えは「あるかどうかわからん」だろ。君の立場でいくなら。

単なる存在ってのは、「そう呼ばれている」ってだけのことだよ。唯名論的に。
しかしほんとにイデア論者なんだな、最高位。そりゃ理解できんわw
175考える名無しさん:2006/01/24(火) 11:53:23
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176考える名無しさん:2006/01/24(火) 11:57:30
>>173
外部との境界が生じて初めて自我が意識されるという見方は採らないの?
コンパスの円を描いて初めて円の内と外が生じる、みたいな・・・

他者あっての自己と・・。
あ、最高位はこれは「自我意識」としてるんだったか。
そうだとしたら、その存在性は、単に肉体としてのものに過ぎなくならないか?
霊性とかそういうことを言ってるの?
177考える名無しさん:2006/01/24(火) 12:20:45
もはや最高位の勉強会だな。
178哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 12:23:16
>>174
疲れてきたなホント

我思う故に我あり
この我が『私』という存在性
思う が自我意識などの精神活動
我思う というのは、単なる「確認作業」だよ
確認作業によって、自我『私』は確認される というだけの話
キミ達は、確認作業によって我が生じるとか
確認作業そのものが、我という存在そのものだと言ってるわけだ
論理的に考えると、明らかにおかしいんだよ
主語と動詞は異質だろ
これを同質だと主張してるのがキミ達なんだけど
おかしいと思わんのか?
眠っていたって意識不明になってて確認作業をしていなくたって
我は我だよ
私は私だから、私を私だと認識できるわけだ
179考える名無しさん:2006/01/24(火) 12:24:46
>>177
だって言葉少なだもんw
最近ちょっと増えてきた。
口下手なのかな?
180哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 12:29:54
>>176
もう疲れてきたよ
客観的な例え話なんて、的外れなんだよ
自我は主観性なんだからね
異質なものを例えても話にならない
するのなら、主観的観点からの例え話にしてもらえませんか?
181考える名無しさん:2006/01/24(火) 12:32:42
キチガイは時代の流れに敏感である。

たとえば、
電波の存在が世界ではじめて確認されるやいなや
西洋のキチガイの妄想の中で電波が主要な役割を果たしはじめる。
日本のキチガイにもすぐに伝染した。

サカキバラが事件を起こすと
さっそく似たような事件をおこすキチガイがぞくぞく現れた。
甘ちょろい少年法を利用するのはなかなか計算高いといえる。
キチガイは計算高いイキモノだ。

キチガイというのは
世間から断絶されて生きているように見えても
じつは世間の流行にきわめて敏感に反応するというおもしろい傾向があるのだ。

キチガイの妄想世界は時代を正確に反映している。
常人よりも正確なぐらいだ。
182PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/24(火) 12:48:25
まぁね。主観性はうまれながらにあるのかもしれないね。
ただ他のものにも主観をもつのかもしれないと疑い信じたところから自意識が出てくるのかな。

ちょっと前の過去とちょっと後の未来から意識されて初めて生まれる自分。ぼんやりしていた自己の輪郭が意識される瞬間だね。

時間の対称性の破れ(ちょっと前の過去とちょっと後の未来)から創発されたのかと思う。とんでもオーポエやけどね。
183むじんくん:2006/01/24(火) 13:16:09
>>147
> マックごときでは、金持ち、貧乏は関係ないでしょう。

でもね、昔の日本とかだったら身の回りの環境は今より遥かに不快に満ちてたと思うんですよね。
そうなってくると、統計に基づいた身体的刺激で人を操作することが難しくなっていきませんかね。
「お客さん、すみません。他のお客様がいますのでそろそろよろしいでしょうか」とかなっていく。

> 身体、物体としてみるから、動物化なのですね。

そういった、身体に訴えるという方式が所謂「アメリカナイゼーション」と呼ばれているものだと思います。
思想的にはプラグマティズムですね。例えばコーラというものはそういうものです。だからこそ
世界的に広まった。

だけど、一方で労働というものがありますね。仮に将来脳に電極を差して、五感を自由に操作できる
ようになれば、好きな体験を自在にすることが可能になります。しかし、片方でそういった快楽を
得るための労働がある。マックの話で言えば、客は動物でいいかも知れないが、店員はそれだと
困る。店員も動物でよければ凄いことですが。
184むじんくん:2006/01/24(火) 13:22:58
> でもね、昔の日本とかだったら身の回りの環境は今より遥かに不快に満ちてたと思うんですよね。
> そうなってくると、統計に基づいた身体的刺激で人を操作することが難しくなっていきませんかね。

いや、やっぱり身体的刺激の方が強いかな(笑)。コカコーラ、マックは見事に勝利したわけですからね。
アメリカ文化の強さを見ると、心は体に負けるってことですね。
185むじんくん:2006/01/24(火) 13:27:44
>>159
> けど、最初は海しかなくて、水が減っていって島が出てくるとも考えられる。
> のちの島にあたる突起は海底に元々あったんだけど、それは沈んでるから島ではない。
> こう考えるのがむじんくん式(キルケゴール式)なわけだ。

それは違います(笑)。海底と書かれているのは、共通意識と呼ぶべきものでしょうけど、それは
人間の場合存在しない。動物にはある。だから、キルケゴールは"信仰"という言葉を使った
わけです。もし海底=共通意識があるならば信仰というものは必要ない。自らを掘り下げれば
イデア=海底にたどり着くというわけですからね。
186考える名無しさん:2006/01/24(火) 13:35:13
>>173
>>「私も昔は赤ちゃんであった」と言えるはずがない。
>病院にでも行きますか?行って下さい

いや、あなたの論理に従えば当然そう考えざるを得ないはずですが…
もう一度確認しますが、
1.私は「自我という存在性」である。
2.赤ちゃんが「自我と言う存在性」であるかどうかは、わからない。
というのが、あなたの考えですよね?
それなら、当然
3.私の「自我という存在性」は、赤ちゃんの体が変化して大人になるにつれて、
 どこかの時点で発生した。
と考えるほかないと思いますが。つまり私は存在した最初から私であって、
「私も昔は赤ちゃんであった」などと言えるはずはない、と。違いますか?

ちなみに、ごく常識的な考えに従えば、精子と卵子が結合して胎児になって
出生して赤ちゃんになって成長して大人になる、その過程のどこかの時点で
「意識」が発生して、その意識がやがて自分を「私」だと認識するようになる、
というだけのことだと思います。
ただ、「私」と「富士山」とで、「存在性」の点で何の違いがあるのか
わかりません。違うのは単に前者には意識があり後者にはない、というだけの
ことだと思いますが。

187探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/24(火) 13:56:02
>最高位
あなたは「自我意識と自我の存在性は別」って言ったよね。

俺は「そんなの分けられない」って立場だから、
自我意識の発生から自我を考える方向もありという考えなわけだ。

「自我意識がない」前提で「自我が存在する」例が一つでもあれば、
あなたの言う事が正しいことになるし、
一つも見つからないなら、区別する必要がないわけだ。

また、あなたは「自我の存在」は「我思う故に我あり」だと言った。
これは正しいと思うよ。
ただ、「我思う」は確認作業に過ぎないから思わなくても我はある、となると違う。

確認されることなしに「存在する」ってどういうことなんだよ。
客観的に確認されてないどころか、主観的にすら確認されていない。
それでもどこかに「存在する」って。信念・信仰の類じゃんか。

確認されるまでは存在するかどうかわかんないんだから、
普通は確認されてはじめて「存在する」って言うんだよ。

自我意識を通して確認されるまでは自我なんて存在しないし、
そのことを含めた全部が自我なんだと言っても別に問題ない。

それでも区別するべきというなら、区別しなければ困る例を挙げてくれ。
188探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/24(火) 14:06:30
>>185
分かってるって。イデア論者最高位でも理解しやすいように出した例だ。

「島」と海底突起に共通の何かが発見できたとしても、
海底にあるうちは「島」とは呼ばれない=「島」ではないってことを言いたかっただけ。

まぁ理解はされなかったけど、彼が唯名論を理解してないことははっきりしたね。
189考える名無しさん:2006/01/24(火) 16:04:58
馬鹿いじめて楽しいのか。いいかげんにしろ。
190唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/24(火) 16:32:39
赤ん坊には自我はほとんどないのではないでしょうか。
買ったばかりのPCで何にも染まってない、言わば無垢な状態。
しかし、全ては内包されているのです。
191考える名無しさん:2006/01/24(火) 16:37:58
おもろい流れだし、富士山絡みで再掲w


この『私』は、様々な条件の上に、今ここにいる。
この『私の思考(主観)』もまた、様々な条件の上にここにあるのだろう。
なぜここにいるのか?(=なぜこのような思考をしているのか?)という問いも、様々な条件によってそのように思考しているのだろう。
この身体になぜ私がいるのか?など、偶然以外の何があるというのか?
たまたま、この肉体の上に生じた意識が、そのように思考しているに過ぎないのではないか?
『まず「私」ありき』ではなく『まず「身体」ありき』ではないのか?
だとするなら、「私の存在性」(この言葉も曖昧模糊としているがw)など、かりそめにそこに顕現しているに過ぎないのではないか?

道端に小さな花が咲いている。
ふと立ち止まり、その花を見つめる。
この花は、様々な条件が重なって、今ここに咲いている。
遠くに富士山が見える。
あの富士山も、様々な条件が重なって、今あのようにあそこにある。
空を見上げると一筋の雲が流れている。
あの雲もまた、様々な条件が重なって、空を流れている。
ここに私がいる。
この私もまた、様々な条件が重なって、今ここにいる。
目の前の花と、遠く見える富士山と、頭上を流れてゆくあの雲と、
今ここにいる私との間に、一体何の違いがあろうか?
確かに、『この私』はかけがえのない唯一の存在であろう。それは誰しもが認めるところだ。
けれども、それを特別視する理由は何もない。
192唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/24(火) 17:18:42
>>191さん
素晴らしい「縁の考察」ですね。

     )、._人_人__,.イ.、._人_人_人
   <´ お 金 返 し て っ !   >
    ⌒ v'⌒ヽr -、_  ,r v'⌒ヽr ' ⌒
// // ///:: <   _,ノ`' 、ヽ、_ ノ  ;;;ヽ  //
///// /::::   (y○')`ヽ) ( ´(y○')    ;;|  /
// //,|:::     ( ( /    ヽ) )+     ;| /
/ // |:::     +  ) )|~ ̄ ̄~.|( (       ;;;|// ////
/// :|::       ( (||||! i: |||! !| |) )      ;;;|// ///
////|::::    +   U | |||| !! !!||| :U   ;;; ;;;| ///
////|:::::       | |!!||l ll|| !! !!| |    ;;;;;;| ////
// / ヽ:::::       | ! || | ||!!|    ;;;;;;/// //
// // ゝ:::::::: :   | `ー----−' |__////

194考える名無しさん:2006/01/24(火) 18:00:40
    〃〃∩  _, ,_
     ⊂⌒( ;゚∀゚) < な、なに? 何が起こったの・・・?
       `ヽ_つ ⊂ノ
195考える名無しさん:2006/01/24(火) 18:02:59
童貞さん童貞さん

ワカパイいかが?
http://2.dtiblog.com/s/shupoxxx/file/inouew061.jpg

196考える名無しさん:2006/01/24(火) 20:24:50
>>191
>けれども、それを特別視する理由は何もない。
理由はなくとも、たまたま特別視する人もいるみたいです。
197PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/24(火) 20:50:48
自我があらかじめあるとして、それを意識しはじめるのは何故だろう。

他人(他物)の振る舞いを見てからかな。
例えばだけど、粘菌の動きから意識のある様に読みとったり。朝顔の蔓にもミジンコの増え方にも何かしらの人為的なものを視る。
そういった物事の捕え方をまた志向性を、抽出能力を、生まれながらにもつ。さながらヒトは【自己を獲得すべく】生前からプログラムされているようだ。
自我があらかじめ在る事と、自我の目覚めは異なるのだろう。

定冠詞・名詞について

It's a SONY.(ソニーの製品です。)an apple(或るリンゴ)POPEYE THE sailerman(船乗りの中の船乗りであるポパイ)FLEX THE CAT(特別な猫フレックス)THE○○(○○と言う楽団)

解説すると定冠詞は集団の中の代表格。集団的特徴をエンハンスし尚、固着させる。aは企業など集団のまま特定し、THEは集合の中での代表格として特定する。
定冠詞を除いた場合の、名詞ではどうか。やはり属性をもつ集団だが……。

名前(名詞)で以て、自らをまた他のものを縛ることであいまいだった輪郭をきっちり確定させる。
現したい何か(ここでは自我)を顕在化させる訳だ。
まず縛りありき。つまり名前だったり身体だったりがあるからこそ世界に存在ができている。縛りがなければ意識など為しようもなく……。
我々は【いま】現在の世界を獲得している(この世に居る)。自意識を成した時、前々から在ったと「みなす」だろう。
何かしらの気付く契機が無い限りは意識しないが……暗に気付かせるスイッチが元から仕組まれている。また教育や慣習がそれを増強している。

人だけが持ちえた世界かも知れないが……。生物的に未来を予見できるが故に、死を知り己が限界を識る。そして【いま】現在が際立つ。

198哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 23:17:22
私の言ってる事って、そんなに難しいのかなぁ・・・
無茶苦茶わかりやすく書いてるつもりなんだけど
理解できる人は、一握りみたいなんだよね

確認し続けてる間だけ、自我がある
その時だけ、私は私である と思ってるなんて
おかしすぎると思うんだけど
そう思って疑わない人もいるんだね不思議だけどね
一回確認すりゃ自分を自分だと認識する自我意識ってもんが自分にはあって
私は私だ
自我がある
という事が理解できるはずなんだけどね
確認している瞬間だけが、私が私である
と思ってるという事は
確認してない時は、いったい自分は何者なんだと思ってるんだろうかね
他人に変化するのかねぇ
確認するたんびに自分になったり他人になったり
忙しいなホント

んな事を本気で考え、主張する精神が理解できんよワタシャ
199考える名無しさん:2006/01/24(火) 23:23:15
馬鹿登場
200考える名無しさん:2006/01/24(火) 23:24:22
哲学者最高位さんの哲学は誰の影響が強いのですか?
201考える名無しさん:2006/01/24(火) 23:27:51
>>198
>私の言ってる事って、そんなに難しいのかなぁ・・
いいえ。むしろ素朴過ぎます。
202考える名無しさん:2006/01/24(火) 23:34:43
いろいろ言ったり言われたりしてるけれど、哲学者最高位ってこの板では
珍しく近代哲学の古典を一応勉強したことがある香具師だろ。他のトンデモ
コテハンと一緒にするのはちょっとカワイソス。
203考える名無しさん:2006/01/24(火) 23:39:01
乙!
204考える名無しさん:2006/01/24(火) 23:40:57
この板には最高位程度の馬鹿はごろごろいるが、
これほど自分の馬鹿さをわかっていない馬鹿はめずらしくないか?
205考える名無しさん:2006/01/24(火) 23:44:28
ある程度の哲学の知識があると、ここにいる香具師らの馬鹿さがどうしても
目に付いてしまって、自分の馬鹿さの方は忘れてしまうんだろうな、と俺は
好意的に解釈してたんだが。
206哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/24(火) 23:46:35
唯名論については
まぁ、正直ちょっと知ったかぶった
実際には、めったに使わない言葉だからね
自分なりの解釈が正しいのかどうか不安になってきた
それについては反省している

私が認識している『唯名論』というのは
「名前というのは、ただ(唯)の名前であって、人間の観念が作り出した便宜上のものであって、実際にはそんなもん存在しねぇよ」という論
であって、例えば『島』というイデアなどは存在しない
という、どちらかと言えば、イデア論とは逆の立場だと思っていた
そして私もその考えなのだが
キミ達は私をイデア論者だと言う
『島』はイデアではないのかね?
どう考えても『島』というイデアだと思うのだがね
探求者くんは、『島』は存在する という立場なんだから
私の解釈からすればイデア論者になるわけであって
矛盾した発言をしている事になるのだが
その辺を、ちょっと教えてもらえないだろうか
207考える名無しさん:2006/01/24(火) 23:50:39
唯名論も知らないのに哲学者最高位で〜す!
208考える名無しさん:2006/01/24(火) 23:53:02
誰でも最初は初心者です。
209一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/24(火) 23:56:55
イデアとは客観的な何かではありません。
そもそも当時のギリシア人は「主観」「客観」を知りません。
イデアとは個物を離れて実在する(とプラトンが言うところの)理念です。

そうでないと、なぜ唯名論が普遍論争でイデア論に対置されるのかが
理解できなくなってしまいます(ちなみに唯名論とは「名前だけがある」
という意味ではなく、概念は実在する=イデア論に対抗して、概念は
ただ名前でしかない、という主張です。ちなみに、これを現在の言語を
重視する考え方=個物よりも言語が優先する、と結び付けるのも強引
過ぎます)。
210練馬哲人:2006/01/24(火) 23:58:02
ちょっと唯物論で行ってみるかw
私の肉体は空間を占有している。故に私は存在する。
私の意識の座は、脳細胞の内に在る。
自我が社会によって規定されるなら、猿、鯨、トムソンガゼル等は、自我を有する。
211一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/25(水) 00:01:04
つまり、イデア論とは「概念」実在論であり、また、ラッセルの現代的な
焼き直しによれば「関係」実在論です。

そして、「富士山は存在するか?」という問いは、古典的な枠組みの中
では「当然に存在する」のであって、問題は「富士山が無くなっても、
あるいは、富士山が存在する前から富士山という概念は実在するの
だろうか???」という問いにyesと答えるか(イデア論)noと答えるか
(唯名論)ということになります。
212考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:05:20
>>206
最高位君は、「人間の観念が作り出した」の「人間」をどう考えてる
の?「人間」は「イデア」だと考えてるの?
人間て何?

あなたは哲学的な領域を深く考えた事がないのだろうけど、
一応聞いておきたいな。
213考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:09:49
唯名論と実念論の違いを、個体概念が個体に先行していると考えるかどうかで見るの?
何かちょっと特殊な感じがするんだが。それじゃまるでライプニッツvs.サルトルのよう。
ふつう普遍概念を考えるんじゃね?
214「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/25(水) 00:13:56
>>158
>ところがこんな動物並みの赤ちゃんでも、12歳ぐらいになれば自我は普通あるわけだ。
>さて、この間に何があったのでしょうか?

「(社会的に喜ばしい)自我の目覚め」・・・という「社会化の刷り込み」をその個体が
「受け入れた(受け入れさせられた)」・・・という「事」があっただけです。
その過程は現在「愛国教育」と称して60年以上も前の「抗日戦争勝利の興奮の気分」・・・
自分達が勝ったのではなく米国とソ連が勝ったにすぎないのに・・未だに愛国心高揚に
利用するしか「権力を維持できない」中国(一党独裁)共産党が13億人民に施している
「社会的刷り込み」と「全く同じこと」なのです。
 「国家」はその構成員を「その国家(社会)」に従順にさせる人類の「システム」なのです。
「社会契約論」の原点に立ち戻ればそのことは明らかであり、国家がその構成員である国民の
「総合的利益」を害する方向に向かえば「暴力による国家権力の変更」も「合法」ということ
になります。
・・・「(構成員の)自然権」の最大公約数を実現する(べく努める)ことが「国家の機能」
に他ならないからです。
215一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/25(水) 00:15:14
>>213
イデア論と唯名論との区別は概念の先行の有無ではありません。
あくまでも、概念の実在性です。
但し、プラトンのイデア論に忠実であるならば、概念の先行性に
ついては述べておく必要があるでしょう(概念は実在するが、個物
に先行するわけではない、と考えることはもちろん可能ですが、
それをイデア論と呼ぶのは難があるでしょう)。
216考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:18:29
>>215
> 富士山が存在する前から富士山という概念は実在するの
> だろうか???」という問いにyesと答えるか(イデア論)noと答えるか
>(唯名論)ということになります。
っていうあなたの発言に対し、その理解はちょっと変じゃないかと聞いた
わけなんだが。>>215で返答になってるとは俺には思えない。
217考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:19:17
イデア論はあくまでもプラトンの理論にとどめて置く方がいいんだろうな。
教科書的にはプラトン−デカルト−カント(他方でアリストテレス−スピノザ
−ヘーゲル)の系譜なんて言うけど、あれは大雑把過ぎると思う。
218哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/25(水) 00:21:38
>一言くん

ふむふむ
キミの説明からすると
私の解釈の方向性は、間違えてはいないようだね
ありがとう

ところで彼
探求者くんの説明はどうなの?
コレ

>唯名論って名前しか存在しないってことだぞ。
>つまり、『富士山』はそう呼ばれることで存在しはじめるって考えだ。
>名前以前の「実体」を想定して、「存在」って言葉適用するからイデア論なの。
219一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/25(水) 00:22:04
>>216
なるほど。ちょっと変ですね。訂正します。

A「富士山の概念は実在するか?」
B「富士山が存在する前から富士山概念は実在するか?」
と訊かれて、

両方に「yes」と答えるのがイデア論、
Bは保留してAに「yes」と答えるのが普遍論争時の実念論、
両方に「no」と答えるのが普遍論争時の唯名論。

失礼致しました。
220考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:28:24
>>214
0才児の脳をそのまんま引きずってる奴も多いと思うがな(和良
221考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:30:22
>>219
お前らホントにバカだな
222練馬哲人:2006/01/25(水) 00:31:45
>>211 物体が概念に優先する。
突起物が存在しなければ、それに富士山という名称を着けることさえ不可能だったのだ。
223考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:32:31
>>198
単純な質問ですが、自我は「いつから」存在するのですか。
赤ちゃんに自我は存在するのでしょうか。胎児はどうでしょうか。
224考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:34:10
>>222
突起物は英語圏ではペニス・・という。
ペニンシュラホテルは半島の先端にあるからペニンシュラ
225一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/25(水) 00:37:27
>>222
確かに、それはアリストテレス以来言われていますね。
最近は「言語が優先する」という考え方が強いようですが。
226考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:43:53
>>214
>自分達が勝ったのではなく米国とソ連が勝ったにすぎないのに
見過ごすことの出来ない問題発言ですけどね。
日中米の近代極東アジア歴史研究を中国政府が頑なに拒否し、米国の替わりに
韓国にしろと主張していることと関連があるような気がしますがね。
あくまで研究なんだから戦勝国として当事者としての米国を入れてもおかしくないのにと思う。
227考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:44:01
唯名論というのは「普遍と個物」の対立について「普遍は実在しない」
という立場だと思っていたが、違うのか。
富士山は「個物」だから、どっちみち実在するのでは?
富士山とか浅間山とかエベレストとか「個々の山」は実在するが
普遍的な「山」は実在しない、それは個物から抽象された「名前」に
過ぎない、というのが唯名論のニュアンスではないのか。
富士山が実在しないなら「小泉純一郎」も「ホリエモン」も
「機械的唯物論者」も皆実在しない、というしかないと思うが。
228考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:47:21
>>227
その「普遍」っていうのが要するに「概念」なんだよ。
数学をイメージすると分かり易い。
「円」の概念は個々の円を離れて普遍。

まあ、観念論が登場する前の話だから、現代人には理解しにくい論争だとは思う。
229考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:48:36
>>228
確かに古代人の論争だと思う。
230228:2006/01/25(水) 00:50:37
簡単に言うと、円「概念」=「普遍」円と考えてよい。
ただ、当時、概念という考え方があったかと言うと怪しいけどね。
231考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:53:48
>>230
何が「当時」だぁ?おまえそこにいたのか?
232考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:54:41
>>227
ただね、実際には「固有名詞」ですら解釈の仕方によっては「普遍」であり
「概念」なんだよね。
たとえば「小泉純一郎」といっても、腕と足と目と鼻と口と内臓と…
は全部別といえば別のもの。さらに細胞ー分子ー原子ー素粒子…という
「個物」の寄せ集め、とも言える。
さらに、一年前の小泉純一郎と昨日の小泉純一郎と今日の小泉純粋一郎と…
も、全部違う「個物」とも言える。
そういう空間的・時間的な「個物」の寄せ集めを「小泉純一郎」という
「普遍・概念」で把握しているだけ、と考えるなら、小泉純一郎などと
いうのは単なる「名前」であって実在しない、とも考えられるわけ。
233考える名無しさん:2006/01/25(水) 01:10:28
普遍論争は古代人の論争だけど、概念の実在の有無の話に
なると現代でも通用するな。
234考える名無しさん:2006/01/25(水) 01:12:36
235PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/25(水) 01:29:38
例えばわたしが5年前に決定論スレに投稿した記事をここに再び見たとしよう。
それは現在のわたし、とは異なる。がしかし込めた内容は変わらないままである。
以前に投稿したときのまま表れた記事。これに対峙してたいへん驚くと共に自分って【不変】だなぁ、と感慨を抱いた。

現在から観て過去を見通したときに、わたしなりが意識される。何かと対峙するのは自分の輪郭をしゃんとさせるね。

そういった見通す眼、志向性があるからより一層、自我が際立つのかもしれない。そして認識できたときに過去にまで遡って自我が在ったと信じるのかもしれない。
獲得以前にも自我があるとは知りえなかったであろう。
236考える名無しさん:2006/01/25(水) 01:35:54
ばかって、下らんこと書いて平気なんだな
237探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/25(水) 02:03:16
>>206
とりあえず、概念=名前=グループと考えてくれ。
この誕生をどう考えるかで立場が分かれる。

実在論=「概念は実在する」
これは、個物の他にグループも実在してて、概念=名前はそのグループに
後から(必然的に)つけられるものだという考え方。
名づけ以前に存在するグループの「共通の本質」を強調すればイデア論になる。

唯名論=「概念は実在しない、名前に過ぎない」
これは、元々はグループなんてなくて個物だけが実在するってこと。
個物をグループでくくる=名づけが(任意に)行われてはじめてグループが
できるのであって、概念はその名前の上でのみ存在するって考えだ。


『富士山』の例は少しまずかったね。通常、固有名詞は概念を指さないから。
まぁそれを指摘しないまま、あなたが出した『富士山』の例に
勢いで乗ってしまった俺のミスですな。

とにかく「島」や「自己」といった概念が、名づけ以前から存在すると
考えるのは唯名論じゃなくて実在論・イデア論だよ。
238探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/25(水) 02:18:04
で、>>198の疑問はまぁもっともなんだが、とりあえずの問題をはっきりさせとくよ。

あなたは「赤ちゃんに自我があるのか?」という問いに対して、
自我意識と自我の存在性を区別して「自我としての存在はある」と言ったよね。

まずこれを訂正するのかしないのか。
赤ちゃんにおいては、自我意識は一度も確認されてないんだが。

で、次に「自我意識と自我の存在性」を区別しないことで困る例が
一つでもあるのかどうか。
言い換えるなら、自我意識なしで自我が存在する例があるのか。

このあたりにも答えてね。
239哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/25(水) 04:11:15
>>237
抽象的な話に終始していて、いったい何が言いたいのか、よくわからんなぁ
コレを、具体的に解説してよ

>唯名論って名前しか存在しないってことだぞ。
>つまり、『富士山』はそう呼ばれることで存在しはじめるって考えだ。
>名前以前の「実体」を想定して、「存在」って言葉適用するからイデア論なの。

それと
>まぁ理解はされなかったけど、彼が唯名論を理解してないことははっきりしたね。
どうはっきりしたのか具体的にどうぞ
240哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/25(水) 04:13:54
>>238
しかしキミは、話題を摩り替える常習犯だな
答えても答えても、こちらから質問をすると
ハッキリと答える事無く、話題を摩り替えては、また質問してくる
ちゃんと会話してよね

赤ちゃんに自我があるか という事に対しては答えたよね
「知らん」と
他人の自我や、記憶のなかった頃の自我については、確認のしようがないんだよ
何度言ったら理解できるのかな?
ただ言える事は、今現在、自我がある私も昔は赤ちゃんであった という事
生まれたての頃の私は、思考力も弱く、自我意識はなかったかも知れない
かも知れないが、私が私を私だと認識するという事は
私は私でなければ私を私だと認識する事は不可能であろう という
ごく当たり前の結論を導いているわけで、それを否定するのならば
それはそれで、それを否定する論理が必要であろう
しかし、そのような論理は今のところありえない
というだけの話
ここで仮に、『私』というものが後天的に発生していたとしても
クオリアの起源と同じで
クオリアを感ずる主体であるところの
この存在性の起源というものは、絶対に物理的に説明などできないのだよ
自我意識によって認識されるところの、この自我の存在性というものは
哲学における最大の課題なのです
それは宇宙の存在性にも匹敵する課題です
『存在』とは何か という問題にダイレクトにぶつかります
現象で解明できるような、ちゃちな問題ではないのです
241哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/25(水) 04:27:37
>言い換えるなら、自我意識なしで自我が存在する例があるのか。

>このあたりにも答えてね。

何でこんなくだらん事にこだわってるのかわからんけど
自我意識というのは精神活動だから
精神活動が正常でない状態 たとえば意識不明の状態
から正常な状態へと回復した場合
やっぱり自分は自分ではないのかな
普通に考えるとこうなると思うんだが
私自身、そのような体験はないし
たとえ体験していても、正常でない状態での精神というもの自体
想像ができないので何とも言えないな

精神というものは「主観性」なんだよ
本来は客観的に分析したり、例を挙げたりできるものではない
そんな事ができると言うやつは、インチキだ

こんな普通に考えてもわかるような無理難題をぶつけて何がしたいわけ?
242PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/25(水) 04:33:08
よめません。摩りかえて=すり替えて、でよろしいでしょうか。
243考える名無しさん:2006/01/25(水) 04:43:04
哲学者最高位よ、いい加減馬鹿共は放置しろよ。馬鹿共に馬鹿と言われて悔しくないのか?
しょうもないことを議論してるつもりの議論ゴッコに付き合うお前も、いい加減馬鹿に見える。
244哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/25(水) 04:43:36
>>242
いちいち変換ミスに突っ込むなんて2ちゃんねららしくないですよ
本題には突っ込めないんですか?
245考える名無しさん:2006/01/25(水) 04:51:06
最高位は近代哲学の常識を、さも自分が大発見したかのように
解説しててバカみたいだ。何やってんのこのバカは。
246PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/25(水) 04:53:07
「摩」と言う漢字ったらインド思想が、バァッとあたまを駆けめぐりませんか。
247PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/25(水) 04:55:19
最高位のスタンスはいいんじゃないかな。どんと構えてて。後はスレッドマスターになって皆を導いてくれると嬉しい。
248哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/25(水) 04:56:29
>>243
うむ
ありがとう
24時間営業の店してて
毎晩、自分で店番してるんだけどさ
忙しくはないから2ちゃんとかやっちゃうわけなんだよ
単なる暇つぶしではあるんだけど
ちょっと行き過ぎだろうね
自分でも何やってるんだろな と思うw
何でもムキになってのめり込む性格なんだよな
バカにでも理解できる魔法の言葉を探してるんだろね
言語の壁に挑む ってやつかもね

昼間は昼間で昼間しかできない仕事もあるから
昨日も一睡もしてないよ
毎日ナチュラルハイだw
249PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/25(水) 04:56:48
まぁ決定論の議論は何年もどうどう巡りな訳だが。
250PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/25(水) 05:00:28
アカデミー鯖を保守してくれている管理ボランティアの方かと思っていたよ。交替で鯖についていて不具合なければログを眺めてたりしてね。
だから交替で常駐なのかなと思っていた。
251PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/25(水) 05:03:39
不遜さが影をひそめて、最高位本来の禅みたいな醒めが垣間見えて、
最近の哲板は平穏でいいなあ。
252哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/25(水) 05:03:57
>>245
おお!
やっと気づいてくれたかいw
一応ここぐらいまでは自力で開発したわけよ
んで、ここから先が問題なんだなこれが
哲学を、言語に変換できんのよ・・・
253哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/25(水) 05:05:14
>>247
サンキュ
254PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/25(水) 05:08:08
ほめ殺しかな。

何度も途ぎれそうになりながらも生き残っている決定論スレ。なかなか容易には結論までいかないよね。
自由意志などないのかもしれないが、自由意志を信じたい自分が居るからやっかいだ。
255考える名無しさん:2006/01/25(水) 05:23:12
最高位の書き込みをしばらく見てたけど、君のは厳密な哲学でない
んでないの。君の議論が混乱してる理由は初歩的なところにあると
思うんだけど。

デカルトの「われ思う、故にわれ在り」と、生活実感としての「われ思う、
その前にわれ在り」を混同させて一緒くたにしてるから、デカルト哲学の
明晰さを最高位は獲得できず、ゴニョゴニョと淀んだ説明になって
突っ込まれてると思うんだけどね。そこを考え直してみたら、
もう少しスマートな議論が君にも出来るかもね。
君の事を、哲学者最高位じゃなくて、哲学者再考求むと呼びたいよ。
256哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/25(水) 05:46:09
>>255
意味がよくわからんなぁ
悪口だけ言わずに
具体的に説明してよ
自分でも説明できないのに、人を批判してるわけ?
257考える名無しさん:2006/01/25(水) 05:53:53
最初は「すぎない」とか書かれると、ついつい何言っちゃってんのぉ〜とかって
釣られちゃうんだよね・・・久しぶりに釣られてみましたけど・・
最高位として持ち上げまくりますから、時給600円でバイトさせて下さい
258飛べないカラス:2006/01/25(水) 06:06:11
感覚器官からの入力がないとしたら脳自体が作り出す情報しか認識できなくて我想うだけの
コギトしか存在しない世界になるな。しかしもし脳が無かったら我はあるのだろうか。
259飛べないカラス:2006/01/25(水) 06:10:23
いままでの人生が夢だったら、それまで客観的に存在すると思っていた実在世界も
コギトだったことになるのだろうか。
260考える名無しさん:2006/01/25(水) 08:16:15
最高位よ、気が済んだらそろそろどっかにいってくれ。じゃまだ。
261ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/25(水) 08:59:50
最高位ってコテ名といっしょでネタでしょう。
爆笑王の馬鹿なふりにだまされてるのさ。
262探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/25(水) 09:22:54
>>238
『富士山』の例は適切ではなかった。
そこにはもともとの話題だった「自己」や「島」といった概念を当てはめて読んでくれ。

「島」とは、突起が海面から姿を現し、主観によって見出され、そう認識されて初めて
存在しはじめる単なる名前に過ぎない。これが唯名論的立場。
あなたは「突起という形だけど、最初から島はあったじゃん」と言ってるのだから、
「島」という概念が名づけ以前から実在していると考えている。
よって、あなたは唯名論を理解できていない素朴な実在論者(イデア論者)だ。

まぁここのあなたの混乱も「a島」(グループの中の個物)と「this島」(固有名で
呼ばれるような個物)の混同に起因してるんだが、これは気が向いたら説明する。
263探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/25(水) 09:24:16
本題については一段落したんで、ここにまとめておく。

もともとは、「自己」についてのキルケゴール的説明がありかなしかという話だった。
俺は「ありだ」といい、最高位は「なしだ」といった。

最高位によると「それは自己意識の話であって、自己の存在性は別」とのことだった。
そこで俺は「自己意識と自己の存在性を区別しなきゃいけない理由は?」と聞いてみたが、
そうしなきゃいけない理由を彼は挙げてくれない。
「精神は客観的な分析の対象にならない」という信念を繰り返すのみ。

区別しなくて困る例を彼が一つも挙げられないということは、それらを区別しない
キルケゴール的説明を拒否する理由が彼の信念以外になかったということだ。

例が見つからないなら、受け入れてみればいいだけなのにね。頭固いわ。

赤ちゃんの自我についても、「赤ちゃんの時に自我があったかどうかは分からないが、
大人になったら自我がある」って観察できたなら、
「成長の途中で出てきたに違いない」と予想するのは一つの当然の帰結だろ。

まぁ「最初からあったに違いない」としてもいいんだけど、それにこだわっちゃうのは
概念(自己)は見出される以前から実在する、とかたくなに信じてるからだね。
264探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/25(水) 09:56:53
>最高位
一応言っておくと、俺はあなたが何にこだわっているかがよく分かるし、
その立場には賛成なんだよ。ただ、それとキルケの説明は対立してないんだ。

あなた自身が、自分が何にこだわっているかを誤解している。
あなたがこだわっているのは「自己」や「存在性」ではなくて、
「今ここにあるこの=this」(自己・島・山)という部分なんだよ。

存在や自己はいくらでも説明できるが、thisはそれ以上説明できない。
説明した瞬間から違うモノを説明してしまうから。
265むじんくん:2006/01/25(水) 10:09:24
>>261
> 最高位ってコテ名といっしょでネタでしょう。

しかし、哲学が"最高位"であるというのは一つの非常に強い誘惑でもある。この
罠にはまらないように迂回するのはコツが必要ですね。

実際、哲学史を真実の探求と定義したとするならば、全ての哲学はプラトンの
注釈ということになってしまう。実際に哲学者個別の語りを見れば違いますけどね。
266ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/25(水) 10:31:50
専門化、複雑化しすぎた科学社会においては哲学はネタでしかない。そしてクオリアも。
それは「セカイ系」というネタだ。
267考える名無しさん:2006/01/25(水) 10:33:35
>>240
>ただ言える事は、今現在、自我がある私も昔は赤ちゃんであった という事
>生まれたての頃の私は

昨日も書きましたが、上の文の「私」とはいったい何を指しているのでしょうか。
赤ちゃんに自我があるかどうかはわからないとのことなので、「自我」のことでは
有り得ません。唯一可能な理解として「私」=「この肉体」ということでいいでしょうか。
だとすると、「私=この肉体」は「富士山」と同程度の(本当はだいぶ劣る)
「存在性」しかない、としか言えないと思いますが。さらに、

>ここで仮に、『私』というものが後天的に発生していたとしても

上の文の『私』は、恐らく「自我」のことだと思いますが、まず富士山と
同程度の存在性しかない「この体」が発生し、そこからさらに後天的に
『私』が発生したのだとすると、なぜその『私=自我』だけが「純粋な存在性」
になるのか、全く理解できません。
その発生の原因・メカニズムが不思議であることと、それが「純粋な存在性」
であることとは、全く別問題だと思いますが。





268むじんくん:2006/01/25(水) 10:39:41
>>266
統合はもはや不要ということ?
269考える名無しさん:2006/01/25(水) 10:39:55
             ,..-──‐--─-..、
              /,.:-‐.:.:.:..:.:.:.:.:..::..:.::..:ヽ
             /_/___ _ _ _ :.:.:.:.: :. _ _ '`'`}、
          /.:/.:.:.:.:.:.:.:..:,ィ:.ハ.:.l.:..:.:.:.:.:.....|:.l
          /.:/.:.:.:|:.:.:/|:.| || |:.ト、:ト、:..:.:.:|: |
         ,'.:,' .:.:.:.|-/‐|ノ-l! |:.|_|_| V.:.:|: |
         ,'..:l:.:.:.:.:,|/__、   |ノ :|:厂T.:.:|:.:|
         ,':..:l:.:.:.:./ ´  `   -‐-、, |.:.:.|:.:|
       l:..:.|:.:.::.,′      i      /}.:.:|:.:|
        |.:.:.|:.:.:.ハ    _ ′     厶|.:.:|:.i|
        |.:.:.|:.:./`ヽ、 ヽ、_~ア  /.:.:.:|:.:.|イ|
       |ハノ:./.:.:l.:l:.}` 、_   ,rァく.::.l:|:.:.:|::.:| |′  よく言うじゃない?脳は物質だから必然に過ぎないって。
         乂ト:.ト|ソ\: : :了///.)|ノ:.l∧:{
      _ -‐¬厂\ \/ '// /:}刈′
   r-‐     || r┴‐-、|    {: !ヾ、 ̄ ‐-、
    |  ̄ヽ.    || |0゚  -|   |:|≪   / }
   |   \.  └=|  ,r‐j     }| 〃  / |
.   l     \ ≪フ ̄ ∧   / |〃  /   |
    l    \ ヽl \ / ハ ,イ: ∧: : /   |

270ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/25(水) 10:47:18
統合はいるし、悪いとかでなく、もはや「セカイ系」だというだけ。
271むじんくん:2006/01/25(水) 10:53:43
>>270
> 統合はいるし、悪いとかでなく、もはや「セカイ系」だというだけ。

セカイ系ってよく知らないんですが、というか今検索してみたら

 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%BB%A5%AB%A5%A4%B7%CF

 『新世紀エヴァンゲリオン』『ほしのこえ』『最終兵器彼女』などがこれにあたる。

ということで、これも知りません(笑)。

自意識内部での、外界なしのセカイということですか?そんなものが成立可能
なんでしょうか。
272ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/25(水) 10:55:24
この細分化され、複雑な社会で「セカイ系」がなければ人々は発狂するでしょう
たとえば日々、仕事がんばっている。これについては人に負けない自信がある。
でもこれってニッチのニッチだな。なんでこんなことに必死なんだろう。何のためにいきているんだろう。
そんなときの精神安定剤には「セカイ系」セカイの中心で語っている幻想
273むじんくん:2006/01/25(水) 11:03:23
>>272
> この細分化され、複雑な社会で「セカイ系」がなければ人々は発狂するでしょう

上のリンクの説明だと

 過剰な自意識を持った主人公が(それ故)自意識の範疇だけが世界(セカイ)であると認識・行動する
 (主にアニメやコミックの)一連の作品群のカテゴリ総称。

ってありますが、自意識だけでセカイが成立するのは難しいですよね。精神病じゃないんだから。
つまり、インターネットなどのインフラ上に成立しているものということですか。「◆決定論:脳は物質だから
意識は必然にすぎない53◆」とか(笑)。
274ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/25(水) 11:06:21
セカイ系とは、些細な日常と世界の終末がいきなりリンクする。
たとえば最終兵器彼女では普通の高校生カップルの彼女が最終兵器で最後世界を滅ぼしてしまう。
たえずカップルの日常のちちくりあいが世界戦争と短絡しつづけ、その背景が消失して間がない。
このような短絡を「セカイ系」といい、ボクは思春期に普通におこるから「思春期セカイ系」という。
275探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/25(水) 11:10:53
>>274
「セカイ系」って初めて聞いたな、なかなか面白そう
276むじんくん:2006/01/25(水) 11:11:00
>>274
> たとえば最終兵器彼女では普通の高校生カップルの彼女が最終兵器で最後世界を滅ぼしてしまう。

何か統合失調症の初期症状みたいな感じですね。自意識の否定=世界の崩壊といった。統合失調症の
初期には、「プトレマイオス的転換」が発生するそうですが、そんな感じですか。

だけど、世界が滅んだ後ってどうなるんですか?そこでオシマイ?
277ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/25(水) 11:14:36
たとえば思春期には人からみるとなんてことない悩みがまるでセカイの終わりのように悩んでしまう。
この自意識過剰は去勢への抵抗、社会のただの一人でなく、まだセカイの中心であり続けたいという願望でしょう。
そして現代の多様な価値社会では、人はニッチになりすぎて、大人になっても「セカイ系」の幻想をみる
このスレもセカイ系度たかいでしょ
278むじんくん:2006/01/25(水) 11:24:35
>>277
> たとえば思春期には人からみるとなんてことない悩みがまるでセカイの終わりのように悩んでしまう。
> この自意識過剰は去勢への抵抗、社会のただの一人でなく、まだセカイの中心であり続けたいという願望でしょう。

なるほど。思春期というものが今あるかどうかちょっと疑問なのですけど、統合失調症も
その時期が発病多いみたいですから、皆そういう状態にある時期近づくということですね。

> そして現代の多様な価値社会では、人はニッチになりすぎて、大人になっても「セカイ系」の幻想をみる
> このスレもセカイ系度たかいでしょ

救いが無いということなのかな。例えば、ナショナリズムのような形で吸い上げられたりとか。言われてみると
ネット右翼と呼ばれる現象は、セカイ系から派生したものかも知れませんね。そういう意味では昔からあるのかな。
特攻隊とか、神風なんてセカイ系を社会的にやっちゃったようなものですね。
279考える名無しさん:2006/01/25(水) 11:28:58
というか、哲学板がセカイ系度が高いのは当たり前だろ

たかが生物の一個体が「世界の本質はどうこう」とか語り出すんだから
280練馬哲人:2006/01/25(水) 11:29:14
セカイ系ねぇ...「妄想代理人」が傑作だね。
281むじんくん:2006/01/25(水) 11:32:28
>>279
> たかが生物の一個体が「世界の本質はどうこう」とか語り出すんだから

でも、ソクラテスは反セカイ系だと思いますよ。
282考える名無しさん:2006/01/25(水) 11:39:38
>>281
哲学というのはセカイ系(パルメニデスだのヘラクレイトスだの)になるか
引き篭もり系(ソクラテス)になるか、どっちかしかない
大抵の奴はそのときの気分次第で両方を使い分けるのさ
ぴかぁ〜なんか、その典型w
283むじんくん:2006/01/25(水) 11:45:59
>>282
> 哲学というのはセカイ系(パルメニデスだのヘラクレイトスだの)になるか
> 引き篭もり系(ソクラテス)になるか、どっちかしかない

上の話からすると、引き篭もり=セカイ系なんでしょ?ソクラテスというのは
共同体の自意識に対する去勢的機能をしていたわけで、だから殺されたん
ですね。
284探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/25(水) 11:50:00
意外と面白い方向にいかないな。

セカイ系:
自意識=世界の中心と見てしまう

「意味、価値という神話」系:
自意識=中心を剥奪されて、外部に中心を求めようとする

この差に注目した方が面白くなりそう
285考える名無しさん:2006/01/25(水) 11:59:38
天動説と地動説みたいなー
286考える名無しさん:2006/01/25(水) 12:02:57
まさに今のお前等が更にセカイ系とか言う世界へトリップする助走段階のようだ。もう殆ど病気だな、コイツ等。
287探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/25(水) 12:11:26
「意味、価値の神話」崩壊から、世界崩壊(世紀末)と終わらない日常(まったり)
に分岐してたのが、くっついてセカイ系(日常=世界崩壊)が出てきたのかな

セカイの中心性が剥奪されたら、また意味・価値の神話がはじまりそうだな
288ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/25(水) 12:23:01
どの時代でも神話というのも求められるわけです。たとえば、ヒーローモノとかは、外部からやってくる
怪獣(他者)に対して、みんなで闘えば怖くないんだよ。みんなも社会の味方ヒーローになろう。
さあ、頑張って会社のヒーローになるんだ、という去勢緩和として機能していたわけです。

「セカイ系」はセカイの中心を語るだけでなく、去勢を回避する神話ということですね。たとえば社会生活を送っている
きちんとしてサラリーマンでも、もはや社会のヒーローになる、という神話が崩壊している。
この複雑で、分散化した社会では、ただの1身体でしかない。

日頃は抑圧している「この私」、なんのために生きているのかという不安が回帰してくるとき、
セカイの中心に短絡する「セカイ系」の神話が求められるのではないでしょうか。

これは先に「動物化」とも繋がるのですね。テクノロジーの発展が人を一つの身体として扱う。
そして人はそれを快く思う。マックの店員は他者でなく機械ですから、他者のまなざしによって、
「あなたは誰?」とは問わない。すなわと「この私は誰か」、「なんのために生きているのか」不安を
忘れられる。このような生活で「動物化」してまたーり生きていく。

しかしそれでも「この私は誰か」という不安は回帰してくる。

>救いが無いということなのかな。例えば、ナショナリズムのような形で吸い上げられたりとか。言われてみると
>ネット右翼と呼ばれる現象は、セカイ系から派生したものかも知れませんね。そういう意味では昔からあるのかな。
>特攻隊とか、神風なんてセカイ系を社会的にやっちゃったようなものですね。

これは、動物化に対して「ヘタレ化」と言いますが、抑圧された「この私は誰か」という不安から、
突飛な存在理由に飛びつく。オームであるとか、右翼であるとか。差別であるとか。

哲学でもいいですが、回帰する不安に対して、人はなんらかの回避策が必要ですね。
289練馬哲人:2006/01/25(水) 12:35:09
思春期の少年は、いつも世界を相手に戦っている。
290むじんくん:2006/01/25(水) 13:08:59
>>288
> 「セカイ系」はセカイの中心を語るだけでなく、去勢を回避する神話ということですね。

しかし、去勢というものは所謂欧米社会では受け入れられてきたわけですね。日本では
確かに回避されてきたわけですけど、これは自意識を壊さない仕組みが幸運なことに
可能だったからです。具体的には終身雇用であり、年功序列賃金であり、そのストーリーに
乗っかるための学歴社会であり、という。そして、こういった仕組みが可能だったのは、
米ソ冷戦があったためですね。

80年代にこの仕組みが行き着くところまで行き、誇大妄想的な雰囲気になった後に
転落したわけで、今その収束過程にあると言ってよいと思います。だから、セカイ系
というのはそういった、戦後日本の構造破綻と連動していると思いますね。

> 哲学でもいいですが、回帰する不安に対して、人はなんらの回避策が必要ですね。

フロイド的には、回避したって無駄だ。一旦死になさいというわけでしょう。それが
欧米では受け入れられてきたわけです。日本の場合には今後どうなっていくか
分かりませんが、騙し餌でいつまでもやっていくのは苦しいんじゃないですかね。

あと、昭和ヒトケタ世代というのがありますよね。世代論というのは乱暴ですけど、
皇国教育が破綻した後の、非常に空疎な雰囲気を少年/少女時代に味わった。
これはこの年代の人間に去勢として機能したんじゃないかと思う。その後の団塊世代に
なると戦後体制が機能した中で成長してますから、全く違うんですね。実際、話して
いる様子とか全然違いますよ。昭和ヒトケタって意味ある言葉を喋る人が多いと
いう印象があります。だから、日本でも去勢は見られるわけですね、部分的には。
291考える名無しさん:2006/01/25(水) 13:20:12
欧米でも未だに差別だの民族意識だの階級意識だの残ってるじゃん。
事実に反したことを言っても何の説得力も無いよ。
292練馬哲人:2006/01/25(水) 13:28:07
ぴかちゃんとむじんくんは、機械氏に充分対抗できるな。
電波大宴会w
293むじんくん:2006/01/25(水) 15:11:38
>>291
> 欧米でも未だに差別だの民族意識だの階級意識だの残ってるじゃん。

それは言葉で言ってしまうとそうですが、欧米社会の差別、階級というのはやはり
去勢を通過した後の人間による差別であり、階級だと思うんですね。自覚的という
かな、有無を言わせないというか。

昔、伊丹十三が言ってたんですけど、日本の俳優に出来ない演技というのがあって、
それはカメラの前でただ単に椅子に座っている、といった演技だと。どうしても
カメラの向こうに想定される人々というか、世間というか、そういったものに対して
負けちゃうっていうんですね。変にニヤニヤしたり、後ろ向きでも背中で何かを
訴えようとしてしまうと。

欧米人は確かにそういう点で自意識を禁じられているという感じはしますよね。普通に
彼らを見た感じとして。
294考える名無しさん:2006/01/25(水) 15:19:49
証拠が何もない。
295考える名無しさん:2006/01/25(水) 16:20:10
>>248
>バカにでも理解できる魔法の言葉を探してるんだろね
これは「科学」と同じ方向性なのではないかと小一時間・・・
最高位の問題はむしろ、
「自分以外の誰にも理解できない言葉がある」ではないかと?
それ故の「最高位」であって「唯我独尊」では?
クオリアもそういうことでしょ。
296むじんくん:2006/01/25(水) 18:22:48
つまらないホリエモン解釈かもしれませんが、ちょっと。

僕は数年前に株をやっていて、全くダメだったんですが(笑)、その当時かなり株式分割ブームに
なってました。分割直後市場に株式数が不足する期間がある、これが分割株が上昇する根拠と
されてますけど、それが一人歩きしてたわけですね。ライブドアというのは、そういう集団心理に
乗ることで時価総額を上げていったわけです。

つまり、最初に従っていれば安心と思われるセオリーが一般投資家の間に共有されており、
いつからかそのセオリーが絶対的なものとして一人歩きをしていた。ライブドアはそこで
そのセオリーに対する期待に積極的にこたえたわけです。それが企業買収であり、ホリエモン
のメディアでの活動だった。

これはねずみ講と同じなんですね。常に不確かな信用を補完するように拡大をしていかなければ
ならない。彼がある時点で球団とか、テレビ局という、古い時代のアイテムを欲しがったのは、少し
でも身のある(ように見える)何かが欲しかったからだと思います。実際はどちらも斜陽産業で
あっても、です。

だから、この現象は前に出てきた「セカイ系」現象であり、それは一方で分割=株価上昇といった
セオリーを必要とする。規則に従っていれば安心だ、これが社会に潜む裂け目から目を
そらす方法であるわけですが、一方でそういう規則は絶えず転覆の不安を抱えているし、
実際に転覆した。(しかし、今でも分割銘柄はS高になったりするそうですね・・・)

トレーダーとして有名な人のインタビューを前に読んだことがありますが、彼らはそういう共犯的な
ルールというものから自由ですね。あと、過去にトレードで痛い思いをしている人が多い。彼らは
"去勢"された存在なんでしょうね。
297むじんくん:2006/01/25(水) 18:25:53
まぁしかし、資本主義社会自体がねずみ講なんですけどね。景気循環というのはだから
あるわけだ。
298考える名無しさん:2006/01/25(水) 18:49:40
追証をむじんくんで借りまふ
299考える名無しさん:2006/01/25(水) 18:52:03
博打 ゼロサムゲーム 株 ですがな
300考える名無しさん:2006/01/25(水) 23:03:44
>>296
また無茶な株理論だな。
普通に株板の関連スレを覗いた方がいいぞ。

・「ライブドアの収入源が曖昧で怪しい」というのは、去年の球界再編騒動で
ライブドアが一躍有名になった時点で言われていた。
つまり、玄人筋から見ればライブドア株=投機性が高いという共通認識があり、
そういうのを好まない人はそもそも買ってない。
・チャートから見ればライブドア株は去年で引けがセオリー。
セオリー通りに年末で売った人は利益確定してる。
・昨年末で売らなくても「黒字だが配当なし」の時点で怪しい臭いがプンプン。
賢明な投資家は遅くともこの時点で売っている。

要するに、今回のライブドア・ショックで損したのはセオリー無視の投資家だ。
君が言ってるのとまったく逆。
301考える名無しさん:2006/01/25(水) 23:10:57
株のセオリーとは何だろうか?
絶対に儲かる方法?
302「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/25(水) 23:11:45
>>113
>機械氏はかなりの観念論者ですね(笑)。思想によって世の中が動くというわけですか。

当然、「思想」によって「世の中」は動きます。
その「思想」とは「人類という動物にその時代地球のある場所で共有された共通の指向的クオリア」
・・・だということです。
 「物質としての脳」が「ある状態に達すること」により「ある観念が発生する」のであり、
決してその逆ではないのです。
 あなたが「考えたこと」「思いついたこと」・・・は過去のあなたの「脳の状態+直近の経験」が、
あなたの「脳」に「指向的クオリアを発生させた」だけのことなのです。
303考える名無しさん:2006/01/25(水) 23:13:48
>>301
株に絶対儲かる方法なんて無い。
「儲け易い」方法のみがある。

ギャンブルに一般的な格言は、

「絶対儲かる方法は無いが儲かり易い方法はある」

だ。これはパチスロですら言える。
304「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/25(水) 23:18:00
>>303
株について・・「配当」以外は「ゼロサムゲーム」ですから、個々人の「売却益の総量の額
反対側には個々人の「売却損の総額」が存在し、その両者の「量(金額)」は「イコール」
となります。
305「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/25(水) 23:24:45
まあ、低金利時代には「99%倒産しない会社でかつ高配当の会社」の株を買いなさい
・・・ということです。あくまで「生活費以外の金を持っている人」へのアドバイスですが・・・
306PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/25(水) 23:37:54
思いついたことは古いほうから新しいのに押され、次第にちいさくなってゆく。しかし消えた訳ではなくひょんな契機に思いだしたりする。

その時代ある場所と言うのは自意識をかたちづくる上で重要なのかもしれない。

307PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/25(水) 23:40:26
市場は自由意志によってなされているのか。

局所的にはそうなのかもしれない。
308考える名無しさん:2006/01/25(水) 23:42:46
>>303
同じように、
「絶対損する方法は確かにあるが、『損しやすい方法』も沢山ある」のだし、
それは往々にして「儲かり易い方法」と「全く同じ方法」だとかね。
309考える名無しさん:2006/01/25(水) 23:47:42
>>308
それは確率論の無視だね。

「儲かり易い方法」とは確率的に儲かる可能性が高い方法であって、
そちらの手段を採っても損する場合がある。しかし、儲かり易い方法
と損し易い方法とが同一であることはありえない(確率の総和が1を
超えると考えない限りありえない)。
310考える名無しさん:2006/01/25(水) 23:47:45
天気予報
311「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/25(水) 23:51:51
>>306
>その時代ある場所と言うのは自意識をかたちづくる上で重要なのかもしれない。

そうですね。「この宇宙」は表層的(クオリアへの顕現という意味で)は「4次元」
ですから、「x軸y軸z軸+絶対時間(ビッグバンをゼロとする)」の4要素は、
「確定」ですから・・・「その座標」で自意識を持った・・ことは「決定」であり、
「神」だろうが誰だろうが「その『4次元座標の変更』は不可能」・・です。
「決定論」ですから・・そういう(限定された)意味で「決定論は絶対」です。
312Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/25(水) 23:55:01
よーーーーーーーし!! ポンド下げた!!
313むじんくん:2006/01/26(木) 00:11:36
>>300
> 要するに、今回のライブドア・ショックで損したのはセオリー無視の投資家だ。
> 君が言ってるのとまったく逆。

あはは。いや、自分も数年前ですけど、ライブは危なそうなので手をつけてませんでしたよ。
昨年は全くチャートなど見てなかったので知らなかったですが、確かにそうかも知れません。

しかし、あれだけの時価総額を実際に築けたのは、ねずみ講的発想による拡大だったし、
そこに一般投資家が共犯的に賛同したからです。当然、玄人筋は適度なところで逃げた
でしょうが、"ホリエモン現象"を支えていた人々は確実にいたんですよ。ここでセオリー
と呼んでるのは、もっと週刊誌的な、単純な形式ですね。「分割銘柄は上がる」とか、
「ライブドアは拡大している」とか、単に有名だとか。
314PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/26(木) 00:12:26
ただ、意識が4次元にあるのかは分からない。

意識を為すためにはその時代ある場所は重要だが、この存在やこの意識などの時代と場所が分からない。
315考える名無しさん:2006/01/26(木) 00:15:05
>>313
それはセオリーと呼ばないし君が言ってること(虚勢云々)とは何ら関係がない。
316むじんくん:2006/01/26(木) 00:15:53
>>302
>  「物質としての脳」が「ある状態に達すること」により「ある観念が発生する」のであり、
> 決してその逆ではないのです。

心身二元論に鞍替えしたということですか。
317練馬哲人:2006/01/26(木) 00:16:57
何も生産されなかったのに誰かが儲けたなら、誰かが搾取された、ということだね。
318「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/26(木) 00:17:20
>>313
たまたま運良くLD株を掴んでいなかった「投資家」なんですか?
まあ、「おめでとうどざいます」ですね。
では、今後あなたのご指導の下に株式投資を行えば絶対に損しない
・・という自信が漲っているようなので「投資ファンド」を組んだら
投資が殺到する・・訳がありませんよね・・無駄なPSでした。
本日は就寝させて戴きます。
319一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/26(木) 00:19:04
機械さんはもとから心身二元論で、身体優位の考えでは無いでしょうか?

唯物論と対置される場合の観念論というのは、俗に言うと精神(心)の優位ですし、
これを逆から捉えれば、観念論に対置される時の唯物論はモノ重視の考え方だと
解釈しています。

「物質だけがある」というのはあくまでも唯物論の一形態ですね。
320考える名無しさん:2006/01/26(木) 00:21:46
>>319
タダモノ論って「ただモノだけある」って理論じゃないの?
321「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/26(木) 00:21:53
>>316
「脳の状態」の発生が「時間軸的(因果率的に)先」です・・ということです。
よく熟慮の上さらにお考え下さい。
では、就寝させて戴きます。
322PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/26(木) 00:22:24
ディール(取り引き)は局所か。

みながいっせいに同じ方向性をもつと全体にまで波及する。それはある契機からであろうが、その契機を為すまでに潜在した何かがあったであろうか。否、それは唐突でありそれ以後は以前から確信していたものなのかもしれない。

方向性がロック・オンすると一気に束になり動く。局所引き込まれ。
取り引きは特定の範囲を遷移する。
323むじんくん:2006/01/26(木) 00:27:08
>>309
> >>308
> それは確率論の無視だね。

そうですね。ギャンブルというのは実はちゃんとやると勝てます。しかし、それは「分割株は
必ず儲かる」といった種類のルールを知ることでは全くなくて、100回ある規則で売買をすると
60回ぐらいは勝てる、といった感じの確率論的方法です。

僕はパチスロを昔やってましたけど、あれは機械が完全確率で大当たり、小当たりを抽選
してます。そこで、台の設定がある程度予測がつけば、機械のスペックからどの程度の
見返りが"期待"できるか予測がつく。

ただし、その期待値というのはあくまでも確率が収束したと仮定した場合の話です。なので、
台の設定が最高によいと分かっていても、一日で期待値どおりに収束するわけではない
(一日大体6000〜7000ゲームが限界です)。結果として大損する場合もあるわけですが、
ずーっとやっていると、財布の中身が増えていくわけです。

株で一見信じられないような儲け方をしている人も、同じような発想でやっているはずです。
私は失敗しましたが(笑)。
324一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/26(木) 00:27:21
>>320
違うと思います。
哲学史上、最もその考えに近かったのはデモクリトスだと思いますが、
古代ギリシャに「観念論vs唯物論」を持ち込むのはそもそも間違いだと
考える方がいいかもしれません。だとすると、「ただ物だけがある」という
理論を唱えた人は、私の貧弱なボキャブラリーからは引き出せません。
325練馬哲人:2006/01/26(木) 00:29:50
>>313 一般投資家は共犯的に賛同したわけではない。
自己責任ではあるが、彼等はやはり騙されたのである。
326むじんくん:2006/01/26(木) 00:34:47
>>315
> それはセオリーと呼ばないし君が言ってること(虚勢云々)とは何ら関係がない。

いや、確率論的に世界と向き合う。これが受け入れられるかどうかという点じゃないですかね。去勢と
いうのは、それを強いられる心理的過程だと思うんですね。「分割株は儲かります」というのは、
「学校の成績がよければ将来安泰です」という命題と似てるわけです。実際は確率論的にしか語れないものを、
それを避けて確実なセオリーを握ろうとする。

株でもパチンコでも、勝つために重要なのは目の前の収支に無関心になることなんですね。全体の
確率的期待値を信じてその収束をひたすら待つ、というのが基本ですが、それがなかなか難しい。
ギャンブルというのは人間心理の非常に重要な点と関係していると思います。
327むじんくん:2006/01/26(木) 00:38:09
>>318
> では、今後あなたのご指導の下に株式投資を行えば絶対に損しない
> ・・という自信が漲っているようなので「投資ファンド」を組んだら

いや、LDと関係ないところで大損してやめました。
328練馬哲人:2006/01/26(木) 00:38:11
>>323 ちゃんとやれば勝てるなら、ギャンブルじゃない。
パチスロの目押しは技術だしね。
329考える名無しさん:2006/01/26(木) 00:39:31
>>326
要するに騙されないことが去勢って事?
だったら、「騙されないことが大事」っていう人生訓一行でいいじゃん。
330考える名無しさん:2006/01/26(木) 00:42:27
ってか、去勢の意味がレス毎に違う気がするんだがな。
331むじんくん:2006/01/26(木) 00:43:41
ギャンブルというのは、必然性とも関連するし人間心理の非常に重要な点と関わっているというのが
私の考えです。

>>328
> >>323 ちゃんとやれば勝てるなら、ギャンブルじゃない。
> パチスロの目押しは技術だしね。

目押しはあまり関係ないですよ。あれ、誰でもできます。重要なのは、自分がこの台で打った場合、
確率収束時にどれぐらいの期待値となるかを知ることです。もしその期待値がプラスだったならば
あとは、ひたすら打つだけ。ものすごい勢いで負けていく場合が当然あるわけですけど、それでも
修行僧のように打ち続けるのです。

>>329
> 要するに騙されないことが去勢って事?

逆です。
332考える名無しさん:2006/01/26(木) 00:45:04
>>331
じゃあ、興味ないからもういいわ。
333PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/26(木) 00:45:36
去勢って父を神を常識をセオリーを自然と崇め奉りたいってこと?

その去勢された空虚さを埋める為に突き動かされた結果が、ライブドアショックでありオウムですか。
334練馬哲人:2006/01/26(木) 00:49:46
>>330 去勢は敗戦国に生ずるものだが、むじんくんはそのことを理解していない。
335むじんくん:2006/01/26(木) 00:50:36
>>332
> じゃあ、興味ないからもういいわ。

あはは。確かに「こうすれば儲かる」という、非確率論的人生訓ではないということは、「あなたはこうしたほうが
いいけれども、だけど死んじゃう場合もありますよ」という、確かにつまらん話ではありますね。

>>333
> 去勢って父を神を常識をセオリーを自然と崇め奉りたいってこと?
> その去勢された空虚さを埋める為に突き動かされた結果が、ライブドアショックでありオウムですか。

確率論的に世界と向きあう。これは結構去勢過程の説明としていけてると思いますが、どうでしょうか。
それは信仰という言葉でも表現できるし、開き直りと言ってもよいし、坂口安吾風に「救いの無いことが救いです」
でもいい。

オウムやライブドア現象が発生するのは、去勢を回避しようとする人間共通の心理からです。
336Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/26(木) 00:51:23
>>326
これは>>315が正しい。
君が>>313でいってるのは「素人が陥りがちな間違い」であって、
「セオリー」じゃないよ。

>株でもパチンコでも、勝つために重要なのは目の前の収支に無関心になることなんですね。全体の
>確率的期待値を信じてその収束をひたすら待つ、というのが基本ですが、それがなかなか難しい。
>ギャンブルというのは人間心理の非常に重要な点と関係していると思います。
これは、全くいう通りだと思う。

>>329
騙されない、ってことじゃないな。
人がヒステリックに群がる方へは行かないってことかな。
人の行く 裏に道あり 花の山、だ。
337考える名無しさん:2006/01/26(木) 00:52:32
いことが救いです」
でもいい。

オウムやライブドア現象が発生するのは、去勢を回避しようとする人間共通の心理からです。


336 名前:Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/26(木) 00:51:23
>>326
これは>>315が正しい。
338PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/26(木) 00:54:34
ギャンブルが苦手で端からみてて、お金が増えているようには思えない。

勝っては負けて生涯ではとんとんでしょう。分からない。

イーブンになると決定されているなら一喜一憂しないでいいのにと思う。一喜一憂があると割り切っているから遊びですかね。

例えるなら人生は決定されていて瞬間は自由意志あると思い判断選択をたのしみ一喜一憂している。こんな理解は嫌だけれども……。
339練馬哲人:2006/01/26(木) 00:58:23
>>331 麻雀や手本引きは、認識のゲームだ。確率の期待値だけじゃない。
340むじんくん:2006/01/26(木) 00:59:18
>>336
> 君が>>313でいってるのは「素人が陥りがちな間違い」であって、
> 「セオリー」じゃないよ。

定石というのは、確かに確率論的に正とされているパターンということですから違いますかね。

そういう意味では、「汝の敵を愛せ」という命題は痛い思いを数々しそうですが、結果的に
よい方向へ進むセオリーなのかも知れません。カントの定言命令なんかはそう解釈でき
るのじゃないか。
341ギャンブル経済学:2006/01/26(木) 01:10:40
ギャンブルの基本
@胴元(『場』提供者)にある程度の報酬がなければ即消滅
A『場』を提供することだけで「必ず儲かる」ので、国家が許可制を採る。
B国家は「許可」した「場提供者」から「うわまえ」の提供を受ける。
C「うわまえ」を含む「金を払う奴」と「金の払い戻しを受ける奴」の
 統計的「総額」は「金を払う奴」の払った総額が「払い戻しを受ける奴」の
 総額より「常に低い」・・・だから「胴元」は「常に儲かる」構造にある。
D運が良いとか悪いとか・・・について「自分だけは運が良いほうだと思う」比率
 が高いので・・・ギャンブルというシステムは成立し、それで破滅した結果「自殺」する
 人数も「毎年3万人くらい」居る・・・それがギャンブル・・・です。
342Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/26(木) 01:14:18
そんなことより今日の滝川、ノーブラだぞ。
http://up.nm78.com/data/up047659.jpg
343むじんくん:2006/01/26(木) 01:34:37
ああ、しかし>>340はやっぱ違うかな。「汝の敵を愛せ」はこの世で報われることを
保障してませんからね(笑)
344探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/26(木) 07:36:34
自分=世界の中心であるというわがままな自意識。=セカイ系
これが禁止され、外部的な意味や価値に屈服すること。

これを「去勢」って言ってるんだろ?むじんくんは
敗戦国が去勢されるっていうより、むしろ兵役経験者全体が虚勢されてそうだね。

ギャンブル負け組の基本心理は「自分だけは」「この台だけは」「今回だけは」
っていう感じでまさにセカイ系なわけだけど、ギャンブルで勝つにはこうした心理を
禁止して、「確率」という自分がなんら特別ではない価値に屈服しないといけない。
つまり、去勢された存在でなければならない。

ホリエモンが外部の"権威"を取り込もうとしたのは、去勢を回避するための一つの
手段であった=セカイ系現象と読むのは、まぁ分かりやすいがどうなんだろうね。
345むじんくん:2006/01/26(木) 10:27:33
>>344
> 敗戦国が去勢されるっていうより、むしろ兵役経験者全体が虚勢されてそうだね。

それは多分違いますね。加賀乙彦さんだったと思うのですが、自分は非常に敗戦時ショックを
受け、心理的に傷ついた。しかし、自分よりもっと上の世代に敗戦のことを聞くと、あまり
そういうショックは受けてない。日本は負けると思っていたとか、割と冷静だったという人が多いと。

戦地での体験は特別なものではありますが、それが心理的去勢として機能するかどうかは
分からない。もし戦地での体験が、あらかじめ本人が想定していた物語の"想定内"であれば
それは去勢として機能しない。去勢とは、自分が世界についてそう思っていた何かを問答無用で
否定されてしまうことです。

加賀乙彦のような昭和ヒトケタ世代は、学校で徹底的に皇国教育を受け、自分でも
日本の勝利を信じ、敵を心から憎んでいた人が多い。大人はもっと冷静だった。
しかし冷静でなかったからこそ、敗戦が去勢として働いたのだと思います。
346むじんくん:2006/01/26(木) 10:35:57
自分のわがままを否定して、社会的権威に従属することが去勢として働くわけではない。
むしろ一般的には自らの自意識を守るがために行われる。キリスト教で言うならば、
イエスはパリサイ派のそのような自意識に対する否定であった。自分が律法を遵守していると
いうところから来る自己愛の否定だったわけです。

去勢とは、だから常に不意打ちであり、"想定外"であり、思考の外であり、知ることができない
何者かによってもたらされる。どんな苦行をしようとも、それが自らの思考の内部から発した
ものであるならば、それは自意識の悪循環=キルケゴール的な意味での"絶望"である。
347むじんくん:2006/01/26(木) 10:44:16
或いはこうも言える。人間は世界が必然で"あって欲しい"と願望するものである。しかし、
自らの目の前に広がる世界は常に確率論的でしかない。信仰とは確率論的世界へ飛び込む
ことである。そして、迷信とは確率論的世界を必然的世界に偽造しようとする行いだ。

去勢とは、確率論的世界へ人を放り出すことであり、自由の刑に処することであり、必然の
世界から偶然の世界への人間主観の変異をもたらすものである。
348考える名無しさん:2006/01/26(木) 11:03:41
虚勢を去勢するからそれは社会的に認められるのだろう。
虚勢が去勢するから世界系にワープする羽目になるのじゃないか。
世間や家族で虚勢を柱にした去勢が横行するから、
エクソダスということになるのじゃないかね。
去勢するからには責任と資格が保証されなければならない。
勢いに関する共通理解がないと無理だね。
去勢して努力しない人間を努力できない人間にしてもしょうがないだろ。
去勢とは虚勢から勢いに目覚める儀式でなくてならない。
349ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/26(木) 11:03:54
なんか去勢理解がおかしな。
去勢は想像関係→象徴関係であって、それだと→現実関係だよ。
あくまで社会への参入なんだから。
ただ現代は象徴界の流動性があがっているだけ
350むじんくん:2006/01/26(木) 11:12:05
>>349
> あくまで社会への参入なんだから。

その"社会"なんですけどね。ラカンはそこでフランス共同体という形の実体を持ち出すんでしょうか。
フロイドは違ったと思うんですよ。というのは、彼ユダヤ人だから。もう少し普遍的な場というものを
想定しているんじゃないか。

だとしたら、去勢というのは象徴界への参入であるが、その象徴界は現実界によって既定されており、
不意打ちとしてしか到来しない。
351考える名無しさん:2006/01/26(木) 11:21:49
>>323

>そうですね。ギャンブルというのは実はちゃんとやると勝てます。

こんな出鱈目言っている時点で、コイツの言うことは信用できん
352ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/26(木) 11:26:13
セカイ系とはナルシシズム的なんですね。
社会という物語の背景がない。
353むじんくん:2006/01/26(木) 11:29:48
>>351
> >そうですね。ギャンブルというのは実はちゃんとやると勝てます。
> こんな出鱈目言っている時点で、コイツの言うことは信用できん

そんなことないですよ。ポーカーであれば、有名な「ディーラーをやっつけろ」という
本があって、自分はやったことないですけど、確率論的な方法によって稼げるわけです。

また、パチンコ/スロットであれば、私は稼いでました、実際に。プロの人たちも知ってますが、
彼ら非常にいい暮らしをしてますよ(笑)。
354むじんくん:2006/01/26(木) 11:31:58
>>352
> セカイ系とはナルシシズム的なんですね。
> 社会という物語の背景がない。

でも、共同体というのはナルシシズムの補完装置ではないの?ナショナリズムが
どうして存在するのかを考えれば。
355ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/26(木) 11:45:13
現代は補完装置がうまく機能してないから社会への参入(去勢)がうまく行かない。
だからナルシシズムにとどまる傾向が残る。セカイ系とはその一つの傾向。
356考える名無しさん:2006/01/26(木) 11:47:59
勢いは極少数の人間にしか許されないということではないか。
でも去勢は万人に許されている。去勢は、
虚勢にとっても勢いにとっても手段となりえるからね。

共同体というものは去勢作法の集合体といえるかもしれない。
自分を去勢した対象の価値を競うナルシシズムもあるだろう。
357考える名無しさん:2006/01/26(木) 12:00:36
去勢そのものを競うナルシシズムもあるだろうな。
SMやイジメね。
358ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/26(木) 12:04:26
想像的同一化=ナルシシズムなどと、象徴的同一化=ナショナリズム、カリスマなどを混乱してるな。
359考える名無しさん:2006/01/26(木) 12:30:00
混乱してるのではなく交流しているのだよ。
分けるのは説明と便宜の問題だろ。
想像的同一化=イエスキリスト
象徴的同一化=キリスト教
360むじんくん:2006/01/26(木) 12:42:48
>>358
> 想像的同一化=ナルシシズムなどと、象徴的同一化=ナショナリズム、カリスマなどを混乱してるな。

だとしたら、「君は人間である前に日本人である」という命題が真ということですか、ラカン理論からは。
361むじんくん:2006/01/26(木) 13:01:16
いや、フロイドの場合、晩年のユダヤ人問題に関する文章とか考えると、去勢=社会適合=ナショナリズムという
形にならないような気がするんですけどね。ユダヤ人の歴史の特異性というのは、自民族の勝利をもたらさない
神を信じているという点にあるわけですから。
362探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/26(木) 13:55:41
>>345
新兵訓練で最初にやることは、新兵の自尊心を粉々に打ち砕くことらしい。
そういう過程をちゃんと通ってれば去勢されるんじゃないの、ってこと。
戦地での経験は今の話には関係ない

皇国教育による外部的な意味を単に自意識に取り込んでるだけか、
自意識そのものが一回砕かれてそれから受け入れてるか、の違いじゃないの
363ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/26(木) 14:14:29
キリストは想像的同一化ではないでしょう。
そこにイマジネールな闘争がない。
オレがキリストを蹴落としてキリストになるという方は別ですが、
去勢は闘争の回避としてみんなで父に同一化する、父を崇めるのです。
364むじんくん:2006/01/26(木) 14:21:39
>>362
> 新兵訓練で最初にやることは、新兵の自尊心を粉々に打ち砕くことらしい。

それは新興宗教などでも行うことで、目的は今までのニセ餌を駆逐して兵隊として
都合のよいニセ餌に向かって行動するようにさせることですね。前と後とで構造的には
変わってない。
365むじんくん:2006/01/26(木) 14:27:40
>>363
ピカ氏の用語でいうならば、

キリスト=現実界
ユダヤ教的超越神=象徴界

ですか。ナショナリズムは象徴界なのだと。そこに参入するのが去勢であると。

しかし、ユダヤ教の神というのは敗北の神ですからね。また、フロイドの勝手な推測ですけど、
モーゼはユダヤ民族にとっての外国人だったのだと。その意味ではナショナリズムが
延長線上にくるとはちょっと思えないんですけどね。

ただ、あれかな。そういう発想は日本人の発想で、ヨーロッパ起源のナショナリズム本来の
あり方というのは"親しみのないもの"を受け入れることなのかも知れませんね。
366考える名無しさん:2006/01/26(木) 14:29:01
新兵に期待されるのは使い物にならないことではなく、
そこそこ使える兵卒にすることだから、単なるイジメではないでしょう。
使い物にならないような去勢(いじめ)が横行するから問題なのでは。
367ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/26(木) 14:36:59
フーコーのいう規律訓練権力の一種ですね。普通の学校教育も規律訓練権力ですが、
短期的に象徴的同一化する対象を変更するための、手荒な洗脳が必要なのでしょう。

現代人はこのような去勢という規律訓練権力を嫌いますので、
マックの椅子を硬くするように、気がつかれないうちに管理するというように、
規律訓練権力→環境管理権力(生権力)へ変わっています。「動物化」ですね。
セカイ系が去勢の回避(象徴的同一化の回避)であり、想像的同一性への
固執も、規律訓練権力→環境管理権力(生権力)を示します。

>キリスト=現実界

キリストは大文字の他者なので、象徴界でしょう。
368むじんくん:2006/01/26(木) 14:54:06
>>367
> マックの椅子を硬くするように、気がつかれないうちに管理するというように、
> 規律訓練権力→環境管理権力(生権力)へ変わっています。「動物化」ですね。

でも、そう管理している主体がいるわけですよね。マックの椅子は客に対する操作ですが、
従業員にはそうしませんよね。

> >キリスト=現実界
> キリストは大文字の他者なので、象徴界でしょう。

そうなのかな。象徴界の意味を分かってないだけなんでしょうけど、キリストというのは
神の名の下に命令を発するというよりは、単に「物」として在るという感じだと思うんですが。
369考える名無しさん:2006/01/26(木) 14:58:30
いや〜しかし科学者がこんなに頭悪いとはねw
370むじんくん:2006/01/26(木) 14:58:51
必然論につなげれば、信仰というものが確率的世界の許容なわけですが、今コンピューターで
その辺のシュミレーションとしては見ることができる。そうなると、世界は必然として記述することは
できないが、世界の偶然性を再現することはできますね。そうすれば、「一神教の生成」をモニターで
観察することは可能かも知れませんね。
371ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/26(木) 15:22:37
マーケティングとはそのように客を操作することですね。しかしこれを単に操作されていると
考えてはいけません。動物化においては、一つの物体(身体)として扱われたいのです。

人間として扱われこととは、象徴的な関係を問われることです。
たとえばモヒカンなどの奇抜なファッションなどで、商店街の食堂屋にいくと、店員はその素性を
詮索します。あるいは詮索しているように感じでバツが悪くなる。客と店員との間に、社会的な関係が
あり、それを破る客は店員にも恐怖です。これが「人間」としての扱いです。

しかしマックなのでは、客を動物のように扱いますので、身なり、立場に関心を持ってはいけない。
誰だろうが、同じスマイルで対応する。客と店員との間に、社会的な関係はなく、
マックが決めたマニュアルがあるだけです。そして管理は環境管理権力(生権力)で行われる。

最近は、このような社会的な関係による拘束が嫌われ、一つの物体(身体)として扱われたいのです。

さらに言われているのが、これは象徴界による規律訓練権力のように超越的な他者
(あるいはイデオロギー)のような中央集権的な形に限らないということです。
だれでもどこでも環境管理権力(生権力)は行使できます。
たとえば、ネットにHPを持っていると、何らかで入れる人を制限することも、そうですね。
372むじんくん:2006/01/26(木) 15:38:00
確率論的世界について。これ面白い。

http://outsiders.cocolog-nifty.com/long_tail/2006/01/post_fa25.html
373むじんくん:2006/01/26(木) 15:48:52
>>371
> 最近は、このような社会的な関係による拘束が嫌われ、一つの物体(身体)として扱われたいのです。
> さらに言われているのが、これは象徴界による規律訓練権力のように超越的な他者
> (あるいはイデオロギー)のような中央集権的な形に限らないということです。

なるほど。よく言われることですが、象徴界をつり支えていた権威の不在ということですね。その場合、
意味は失われ、情報だけが存在する世界となる。つまり、情報とはそれ自体が"真実性"を放棄した
存在であり、権威を持たず、もはやその起源はうやむやである。

>>372のリンクで書かれている、

 ウィキペディアは"情報の一次ソースであるべきであって、最後のソースであるべきでない。
 情報の調査のためのサイトであるべきであって、事実を確定するソースであるべきでない"。

こういう世界になりつつある。これは中央集権的な所謂権威あるものに従うのではなく、統計的、
確率的世界である。
374むじんくん:2006/01/26(木) 15:52:04
確率論的世界では、正しい権威に従う生き方が不可能となる。ギャンブラーのように、統計的分布から
「最善をつくす」以外の方法はなくなるのだ。
375ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/26(木) 16:15:59
これは宮台的には「社会の底が抜けた」ということでしょう。象徴界に支えられていた社会では、
イデオロギーに支えられた規律、秩序があった。「社会の底が抜けた」て本来の世界が露出してきた。
本来の世界とは、秩序のないカオスな世界、そこでに全てが偶然にさらされる確率論的世界。
「私とは誰?」、「理由などない。全てが偶然だ」、「正しさとはなに?」「正しさなどない。全てが
偶然だ。」そこで人々が精神病のように発狂せずにいるためには、動物になるしかない。
この「永久回帰」に打ち勝つには、もはや考えないことだ。ただ刺激的な快楽で満足する。

しかし人はなかなかその強度に耐久できないので、自分とセカイの中心が短絡する「セカイ系」の
幻想(物語)に頼る。あるいは「オレはここにいるぞ!」的に2ちゃんねるで書き込む。あるいは、
ケータイでの繋がりでよりどころにする。それでもだめなときは、発作的にネットウヨ、宗教に
向かう。
376ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/26(木) 16:23:47
まあコジェーブが予測した動物とスノビズムの世界です。
377ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/26(木) 16:34:25
まったくスレ違いですが確率の世界はただ混沌ではないんですね。
確率の中からこそ生成する。力への意志が隆起する。それが創発なんですね。
だからコイズミとかホリエモンとかレイザーラモンとか
その中身よりも隆起する繰り返しの早さが問題なのです。
378むじんくん:2006/01/26(木) 16:57:59
>>375
> この「永久回帰」に打ち勝つには、もはや考えないことだ。ただ刺激的な快楽で満足する。

どうでしょうね。逆に考えるようになったりはしませんか。考えるというよりは予測するということ
かな。こういう時代になって消えるのは記憶なんですね。権威とは記憶ですから。ニーチェも
忘却ということを言ってましたけど、蓄積された記憶に従うということがなくなるんだと思います。

例えばWebの構造が本と違うのは、本は序論があり、本論があり、結論がある。Webは違う
わけです。人間の思考が、そういう形態に変異するという可能性があって、モンテーニュの
「エセー」のような形態で考えるということになるんじゃないか。

まぁ、実際学校でも宿題をWebで調べてコピーしちゃったりしてるみたいですけど、記憶という
ものに価値あるの?っていう問いは今後大きくなっていくと思います。
379ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/26(木) 17:07:17
それこそ動物化でしょ。ハイデカー的には現存在は時間に開かれるが、動物には現在しかない。
みなそれを望んでいるが、はなしてそれだけ生きられるのってことです。
その反動がヘタレ化という暴走、創発であると
380ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/26(木) 17:33:17
モンテーニュの「エセー」のような形態というのがわかりませんが、外部記憶に頼るということですね。
しかし象徴界は必ずしも記憶ではないと思います。記憶を秩序づけた体系(信念)です。
だから記憶がどこにあろうが、それを体系化しないといけない。それが喪失するなら、
やはり動物化ということではないでしょうか。
創発とは、祭りであり、陶酔であり、共時体験する共有幻想かもしれません。
記憶が外部化するというよりも、心が身体から離れ、外部化して共有する心をつくるみたいなことで、
それはイデオロギーよりも、もっと流動性が高い、身体的なもの、みたいな?
381むじんくん:2006/01/26(木) 18:07:08
>>380
> しかし象徴界は必ずしも記憶ではないと思います。記憶を秩序づけた体系(信念)です。
> だから記憶がどこにあろうが、それを体系化しないといけない。それが喪失するなら、
> やはり動物化ということではないでしょうか。

体系化はされると思うんですよ。ただ、それが中央集権的にならないと思うのです。スモールワールドの
クラスタみたいな感じですね。モンテーニュの「エセー」はそういう形態になっている。だから、どこから
読んでもいいし、お互いが関連もしており、個々をみるときちんと秩序も持っている。

> 記憶が外部化するというよりも、心が身体から離れ、外部化して共有する心をつくるみたいなことで、
> それはイデオロギーよりも、もっと流動性が高い、身体的なもの、みたいな?

そこは非常に興味あるところで、自分が自分である、これは比較的最近の思考で、私有財産制が
浸透した後に出てきたものだと思います。テクノロジーによってそこが制度と齟齬を起こすと、
新しい社会というか、所有のあり方が出てくるかもしれません。そうなると、マルクスが予言していた
共産主義社会というのも見えてきますね。
382ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/26(木) 18:57:55
>>381
ネットで情報を使うときは検索しますが、これってデータベース的だと思います。
東は動物化の思考をデーターベース的と言いますが、象徴界とは「取り決め」の総体ですから、
ネットの情報を象徴界とはいえないでしょう。

主体は近代の発明ですか。共産主義は自立的な主体を単位としたイデオロギーによる静的な秩序
であり、象徴界的なものではないでしょうか。

ネットも当初は「グローバルビレッジ」というような共同体幻想ががありましたし、いまも
「スマートモブズ」などと言われてなくならないわけですが、ボクが「創発とは、祭りであり、
陶酔であり、共時体験する共有幻想」とは、いま現れているのは2ちゃんねるの祭りであり、
悪い意味で「サイバーカスケード」と呼ばれるのですね。しかしそれは良くも、また悪くも
現れると思いますが、コントロールする人がいない暴力的な力を持つモノだとおもいます。
383ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/26(木) 19:05:23
ネット「創発態」

@安定継続性が低い(突然はじまり、突然終わる)
Aコントロールする人がいない
A暴力的な力を持ち暴走しやすい

例:イラク人質バッシング、のまネコ問題、小泉支持、レイザーラモーンHGブームなど
384考える名無しさん:2006/01/26(木) 19:47:40
その例を全部本当だと思っているなら
2chより新聞もっと読め
385素人:2006/01/26(木) 21:02:20
>>192
初出はここね。

◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない49◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1133452820/
503 考える名無しさん 2005/12/08(木) 11:57:03

あの時は、批判も含め少し反応あったけどw
最高位には伝わらなかったみたい・・w
ほとんど被るスタンスかと思ってたんだけどね・・・(^^;)
386「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/27(金) 00:02:56
>>347
>或いはこうも言える。人間は世界が必然で"あって欲しい"と願望するものである。しかし、
>自らの目の前に広がる世界は常に確率論的でしかない。信仰とは確率論的世界へ飛び込む
>ことである。そして、迷信とは確率論的世界を必然的世界に偽造しようとする行いだ。

誰も「世界が必然であって欲しい」とは思っておりません。
誰もが「世界は秩序の増大という方向で必然であって欲しい」と考えるので、
「全体の幸福の総量」は「エントロピー減少系」であるこの地球上の「僅かな期間」では、
「増大」します。・・・が「少し永い期間」・・例えば太陽が恒星としての寿命を終える時まで
を考慮するとして、その時に人類が「別の恒星系の惑星に移住する」ことなどはありえません。
 従って「太陽系に芽生えたちっぽけな生命体」である「人類」には「必ず永遠の終焉」が訪れ、
ますし、キリスト教その他の宗教が唱える「永遠の命」などは「あり得ない」のです。
・・「個体発生的」に人間は「死」を迎えるし、「系統発生的」にも人類は「滅亡」を免れない
・・そういう「必然」が唯一の「真理」なのです。
・・永遠に「赤」だけに掛け続けるルーレットプレイヤーは「必ず(必然的に)破産する」という
ことと「同じ」・・・数学的(あらゆる観念論的価値評価から超然とした)な「必然」なのです。
387考える名無しさん:2006/01/27(金) 00:17:22
>>386は必然的に乙女ですか、どうよ?
388「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/27(金) 00:23:51
>>387
少なくとも「訳の分からない去勢(恐怖)理論」に(現実的な)意味を見いだせるほど、
「女性蔑視」の視点は持っておりません。性別は「個人情報」に当たりますので、
「個人情報保護法における『本人』」として、ここでは開示いたしません。
389むじんくん:2006/01/27(金) 00:46:42
>>382
確かにデータベースという言い方ができるかも知れませんが、しかし非常に効率的な
リンクによって構成された世界なわけです。そこでは、個人が自らの思考の動きに
合わせる形で情報世界が展開されるわけですね。なので無秩序ということでは決して
ないと思うのです。

そもそも人間の脳回路は、ある一方向に関心を向け続けるということに適してないんじゃないか。
実際、強迫性という性格が人類史で重要になるのは結構最近の話ですね。農耕牧畜が始まった
頃からです。それが生活条件が許すならば元に戻ろうとしても全く不思議はない。

そう考えると、人類は自然から離脱を1万年前ぐらいからはじめ、近代都市において根無し草と
なったわけですが、自らが作り出した世界の内部へ第二の自然として再び没入しつつある。しかし、
一方でそれは人工物の集合体ですから、超越論的主体が機能している。

これはヘーゲルの用語で言うならば"対自的且即自的"な状態だろうと思います。そして、マルクスは
そのような状態に人類が達した状態を共産主義状態と言ったわけです。なので、共産主義というのは
イデオロギッシュに青写真が描けない。また、所謂共同体というのとも違う。いえるのは、その世界に
おいて人間は「己の欲するところに従うて則を超えず」でいられるということです。
390むじんくん:2006/01/27(金) 00:56:50
>>386
> ・・「個体発生的」に人間は「死」を迎えるし、「系統発生的」にも人類は「滅亡」を免れない
> ・・そういう「必然」が唯一の「真理」なのです。

つまり、心身二元論ということですか(笑)。

いや、まだそこまでなるには時間が余ってますよね。SFになってしまいますが、そこで考えられる
のは、精神というものをネットワーク化してしまう。つまり、かなり地球が悪い環境になっても耐えられる
素材上に人間精神がなってしまうということは考えられます。

もうすぐ脳を延長するということはできるようになると思います。例えば、海馬チップというのは研究が
進んでますね。そうなると、記憶に関していけることになる。また、インターネット越しに何かに"触れる"
ということも可能になります。

そういう過程をとことん進めると、ある時点で身体が不要になるんじゃないか。全く別物の上に精神を
成立させることは、割と近い将来可能かもしれませんよ。そうなれば、結構永遠の生命も想定内に
なるんじゃないですかね。
391考える名無しさん:2006/01/27(金) 02:56:42
脳の延長など夢のまた夢です。

身体を離れた精神の成立は多分不可能でしょう。
記憶そのものが情動を司る大脳辺縁系に強く依存しているようです。
392考える名無しさん:2006/01/27(金) 03:09:31
情動と結びついた記憶がパーソナリティに不可欠なのは恐らく異論のないところでしょう。
海馬が損傷すると、新しい記憶形成が不可能になるため、新たに外部と関係を構築するのが不可能になります。
つまり、新しく世界と生き生きとした交流をもち、またそれによって自身が変化するという
フィードバックが断ち切られます。
393考える名無しさん:2006/01/27(金) 06:59:56
文字による記録や写真やビデオや音声レコーダーなんかの
記憶の外在化は「脳の延長」には入らないの?
394練馬哲人:2006/01/27(金) 08:55:27
>>391->>392
2ちゃんの荒し達には、生き生きとした交流があるように見えるなw
道具が進化しても、人間の業や下品さはそのまんま残る。
印刷術の発明以前から、我々は幻想を共有する奇妙な世界に暮らしているよ。
395考える名無しさん:2006/01/27(金) 09:07:47
>>393
重要なポイントかもねw
たとえば、実践重視の宗教にとって(あるいは「武道とかスポーツ」でもよいが)、
様々な文献、行の様子をビデオに録ったもの、いわゆる説法のようなものをビデオに録ったもの、etc.etc.
が残っていたならば、それはその宗教(あるいは武道・スポーツ)が
残っている、行われている、と言っていいだろうか?
それともやはり、誰かによって行じられ実践されていなければ
それは、存在しない(も同然)と見るべきだろうか・・・

思想はどうだろうか?落語・舞踊はどうだろうか?
楽曲はどうだろうか?
我々の意識はどうであろうか・・・?

SFとしての荒唐無稽な想像だとしても、ネットワーク中のみの意識はありえるだろうか・・・?
仮にオカルト的に、霊魂や魂が霊的エネルギーとかなんとか意味不明なものとしてこの世界に充満しているとして、
その時それは、自我意識となりうるだろうか・・・?
396むじんくん:2006/01/27(金) 09:36:21
>>391
> 脳の延長など夢のまた夢です。
> 身体を離れた精神の成立は多分不可能でしょう。

いや、身体自体を人工物としてしまうわけです。「中枢は末端の奴隷」であるところの脳回路は
末端からの情報との相互作用によって形成されている。例えば、海馬チップはある特定の記憶
情報がどのような回路になるか、ということを問わない。これは現実的に不可能である。しかし、
海馬のニューロンがある入力情報に対して、どのような回路を形成するかはわかる。そこで、
そういう入力に対して一定の変換を行う人工海馬が可能になる。

また、「動け」と思っただけでマウスカーソルを動かすことは既にできる。原理的にはクレーン車も
動かすことができるだろう。

例えば、人工海馬が自分の身体(???)が存在するところから遠く離れたところにあったと
したらば?或いは脳とつながった回線上に存在する"手"からの刺激を脳にフィードバックしたならば、
脳は実質地球の裏側の手が自らの身体だと認識することだろうし、適応的な回路形成を行うだろう。

いや、"手"という発想自体が固定観念だ。純粋にネットワーク上の信号郡を"感じる"ようにすることは
可能ではないか?インターネットと脳を接続することで、他人のPCに進入することも可能だろうし、
ネットワーク上で他の人間と"出会う"ことも可能ではないか?
397むじんくん:2006/01/27(金) 09:52:12
海馬チップは海馬のニューロンが様々な刺激に対してどのような"関数"によって回路を
形成するかを特定することで実現しつつあるが、脳の他の部位にもそれは可能ではないか?

だとしたら、海馬はニューヨークのサーバールーム、大脳辺縁系はロンドン、前頭葉は日本、等など
をネットワーク上で結合した場合、そこに"精神"があらわれるのではないか?

ターミネーターのような視覚的まとまりを持った"超人類"は古いサイボーグ思想の産物であり、
そんなものを実現しても意味ない。精神を純粋にネットワーク化すること。そうなれば、世界中に
存在する"目"や"手"によって観察や物に触れ、レイド構成の海馬に記憶させ、スペックの高い
前頭葉によって思考する。当然これらは交換がいつでも可能だ。つまり、純粋な精神的存在として
我々は"永遠の生命"を手にする。
398ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/27(金) 10:51:26
>>397
「視覚的まとまりを持った"超人類"は古いサイボーグ思想の産物である」ように、ネット上に生まれる
人工知能も、結局古いネタではないでしょうか。 ネットのグローバルな連結は、一つの脳神経のように
大いなる意志が宿る、的な。
人工知能の失敗でもいえますが、そこで欲望はどのようにうまれ、なにを目指すのでしょうか。

先にもいいました、グローバルビレッジなどユートピア幻想はありますが、現実は2ちゃんねる
なのですね。やはり駆動は欲望であり、良くも悪くも、2ちゃんねる的なものこそ、ネットの「正しい」
姿ではないでしょうか。
399むじんくん:2006/01/27(金) 11:22:10
>>398
> 人工知能の失敗でもいえますが、そこで欲望はどのようにうまれ、なにを目指すのでしょうか。

盲目的な生への意思、ですから静止するのではなく動いている。それは世界が静止しているのではなく
動いているということの言い換えにすぎない。別に問題ないんじゃないかと思いますけどね。目指すものは
当然何も無い。
400ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/27(金) 11:54:12
それだと慣性力のようですがすぐに原則しそうですね。
加速度をうみだしつづける力がいるのではないでしょうか。
それが生命ですね。
401考える名無しさん:2006/01/27(金) 14:56:16
人工知能の成功とか失敗を語ることは滑稽だ
そもそも現在生きている人間の脳が人工知能ではないと何故言える?
証明できるならしてみなさい
絶対出来ません
402考える名無しさん:2006/01/27(金) 17:21:37
>>401

意味不明だよ。
人工ってのは“人が作る”ってこと。
人の脳を人が作ったと考えるなら、そんなのはただのSF。
403考える名無しさん:2006/01/27(金) 17:29:33
>>401 は単純に「等価」だとするぶっ飛び思考でしょ
404観客:2006/01/27(金) 17:50:03
証明されました。
>>401
はアホ。
405考える名無しさん:2006/01/27(金) 18:22:47
>>402
>>403
>>404
信じられないくらい頭が悪い・・・w
人工って言うのは人が作るって事(当たり前だろw)
そんなのはただのSF(SFの基準は?根拠は?現実がSFでないと言い切れる?そんなこと今まで証明されたことないよ)
だからさ、今の人間の脳を別の世界に住む人間が作ったと考えることが可能だろ?
俺らが実は実験用に作られた人間だと考えることは「可能」だろ?

そもそも証明って言うのは無理だろ?
証明されました。←一番のアホwゲーデルでも読んでろw
406考える名無しさん:2006/01/27(金) 18:30:25
>>401
滑稽じゃない話とは?
407考える名無しさん:2006/01/27(金) 18:35:16
>>401

そういう幼稚な懐疑論はキミの大学のゼミでやってくんないかな
確かに「証明できない」けど、だからどうだってのさ、
そんなことをここで持ち出す方が滑稽だろ
408考える名無しさん:2006/01/27(金) 18:39:04
>>405
自らアホの証明か・・・やれやれ
40915:2006/01/27(金) 18:53:29
>>405
「人工」とか「人間」とかいった言葉の使い方からは俺らと同じ人間が想定されているような匂いがほのかに伝わってくる。
実験用として俺達を作った奴らは、そいつらが「別の世界に住」んでるってだけで
俺達と同じ人間なんだろう。
同じ人間ならそいつらは俺達と同じ組成の肉体を持っているんだろう(でなきゃなんで人間と呼べるのか)。
だったらそいつらの脳は「実験用に作られた」俺達と同じ脳を持ってるんだろう。
その技術はクローン再生かそれとも妊娠出産なのか、いずれにしてもいわゆる人工知能とは違うような。
410むじんくん:2006/01/27(金) 19:18:43
>>400
> それだと慣性力のようですがすぐに原則しそうですね。
> 加速度をうみだしつづける力がいるのではないでしょうか。
> それが生命ですね。

そうでもないんじゃないですか?生命は必ず死ぬことになっており、生きるということは
死に傾いた傾斜を転がっているともいえる。つまり、一旦しわ寄せされた波が再び安定に
向かうようなものです。
411ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/27(金) 19:29:54
>>410
死を生命に内在しすぎですね。
なぜ力が必要なのかは、環境圧に逆らい続けなければ、
慣性だけでは失速するからです。
確かにアポトーシスのようなものはありますが、それも
新陳代謝の一部と考えれば、絶えず力を産み続けなければ、
止まると、死ぬでしょう。
エントロピーの増加/減少の対立ですね。
412練馬哲人:2006/01/27(金) 22:17:59
精神だけの存在になっちゃったら、チンポが付いてなくて寂しいわな。
ラーメン食っても、美味いと思わなくなるわけだし。
413練馬哲人:2006/01/27(金) 22:30:06
エヴァは「かつて去勢され傷ついた人間達が、アイデンティーの再構築のために戦う物語」。古典的な教養小説なんだよ。
それに、ぴかの解釈だと「アストロ球団」や「リーゼント・カバ」もセカイ系になっちゃうだろ?w
414ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/27(金) 23:15:06
「アストロ球団」がなぜセカイ系?
みんなで努力して闘う、里見八犬伝的物語では?
中身良く知らないが。
415練馬哲人:2006/01/27(金) 23:32:59
>>414 まぁ里見八犬伝なんだが、試合中に各登場人物の精神世界がやたら肥大化して、1イニングに何週間もかかっていたw
416考える名無しさん:2006/01/27(金) 23:34:29
「セカイ系」つーのは、社会を解釈できない人間の内面。
なぜかと言えば、論理的思考、お話作りが出来ないから。
社会とはお話。大きな物語。これが壊れて統合できなくなると、
理性が退行して、悟性と感性のレベルの人間ばかりになる。
この人間の内面が「セカイ系」。
別名、子どもの地図(by air)。統合失調。
いわゆる「二極化」は富む/貧するの二項対立による社会を解釈で
実際に起きているのは「多極化」ユニテラリズム。

象徴界の優位が崩れて現実界がむき出しになり、想像界の中で
人間は反復脅迫を繰り返す、と小難しい言葉を使いたけりゃ
使ってもいいがw
417むじんくん:2006/01/27(金) 23:54:59
>>411
> なぜ力が必要なのかは、環境圧に逆らい続けなければ、
> 慣性だけでは失速するからです。

慣性ですかね。生命とは弁証法的なものであり、環境圧があるからこそ対立する形で
"逆らう"ようになるといえる。しかし、全体的には"世界はより安定に向かう"という物理的
法則にしたがっていると言えます。それ以上の何かを"生命"という言葉に込めるのは、
これ、オカルトだと思いますけど。
418むじんくん:2006/01/28(土) 00:01:19
>>405
> 俺らが実は実験用に作られた人間だと考えることは「可能」だろ?

昔、「ブレードランナー」という映画がありましたね。あれは結構面白かった。「あれ、俺実は
アンドロイドだったのか」という。実際、宇宙人話とかでそういう話は多いですね。人間は宇宙人に
よって作られたのだと。これはつまり宗教だと思います。自らの起源を求めたいという願望表現ですね。
419ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/28(土) 00:04:24
>>417
この議論以前もしたような気がしますが?
「世界はより安定に向かう"という物理的法則にしたがっている」
ならなぜ生命自身が存在するのか、説明できません。
安定が究極の静なら、生命は動、だからです。

まさに、生命とは弁証法的なものでしょう。
正確には"進"化でなく、変化ですが。
420むじんくん:2006/01/28(土) 00:10:19
>>419
> 「世界はより安定に向かう"という物理的法則にしたがっている」
> ならなぜ生命自身が存在するのか、説明できません。

いや、全体的に事実として"動"がある。閉じられた系で見れば、それは必ず"静"へ向かう。
地球は太陽との関係において、開かれているからこそ生命という形が成立している。しかし
太陽を含んだ系で見えれば、全体として"静"へ向かう。生命とはその狭間での現象です。
421ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/28(土) 00:27:33
>>420
宇宙という閉じた系でいえば、それは必ず"静"へ向かう。
それが時間に関係する「エンタルピーの増加」という減少です。
その中で、局所的にエントロピーが減少に向かう存在としての
生命(力)とはなにか、ということですね。

たとえば、このようなことです。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1043.html
422むじんくん:2006/01/28(土) 00:42:34
>>421
> その中で、局所的にエントロピーが減少に向かう存在としての
> 生命(力)とはなにか、ということですね。

ただ、それは見方の違いとはいえませんか。生きてるとは死にきることである。そう言っちゃえば
エントロピーを減少させてるといえるのかと。あとですね、エントロピーってあまり言わないほうが
いいような気がするんですけどね。水は高いところから低いところへ流れる。これは安定に向かうという
物理法則である。生命の誕生もその過程にある。生とは死という安定に向かう過程のことである。
423PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/28(土) 00:50:54
ティマイオス?
タルコフスキー?
十二因縁?
424PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/28(土) 00:53:02
ミンコフスキー?
425「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/28(土) 00:54:33
>>390
>つまり、心身二元論ということですか(笑)。

専門用語をご存知ないようなので、無駄かもしれませんが一応ご説明いたします。
「個体発生(的)」・・・一個の(人間の)受精卵が分裂し「成人」となり「老化」の過程を経て、
           「死」を迎えるまでの「一連の過程」(主な「目的」は「自己遺伝子の保存」)
「系統発生(的)」・・・ある「種」が別の「(元)種」の中で「突然変異体」としての個体数を
            ある程度以上に確保することになった結果、「元の種」に滅ぼされない
            「新種」を形成すること。(主な「目的」は「類的遺伝子の保存」)
 です。(ウキペディアでどう書いてあるのかは知りませんが・・・)私のご説明は、「コテコテ観念論者」
である「むじんさん」には少し「科学的すぎる」説明かもしれませんが・・・。  
426PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/28(土) 00:57:29
遺伝子と言い換ちゃってるだけでその実、一緒でないかな。
427考える名無しさん:2006/01/28(土) 00:59:35
生物は地球上の存在であり、地球上には太陽からのエネルギーが
常に供給されているので、局所的にエントロピーが減少しても
別段不思議ではない。
生命現象、というよりは、まずは「生物」として科学的に捉えるべき。
428PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/28(土) 01:00:51
無明を遺伝子、行を遺伝子の発現、……あるいは永遠に途切れることのない因果の流れ業(カルマ)を遺伝子と。
429「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/28(土) 01:04:46
>>422
>生とは死という安定に向かう過程のことである。

「宇宙の熱死」はエントロピー増大の法則が「全宇宙」に嫁した「運命」
です。
すなわち「いずれ」・・・時間が経てば経つにつれ「宇宙の無秩序性」の
「総量」は増大する・・・
 Aの系で「3」減少することがあっても、
 Bの系では「5」増大するし、
 Cの系では・・
 ・・・そんなことはどうでも良いけれど、「全部の系のエントロピー総量」
は「一秒一秒増大する」・・・という「絶対的真理」・・それが
『エントロピー増大の法則』です。
「宇宙の熱死」とは「温度差が無くなるため熱エネルギーが異動しなくなる」
状態であり、それ以降は「何の変化も起こらない」状態が永遠に続く・・ということです。
430素人:2006/01/28(土) 01:06:22
>>428
おもしろいけど、チラシの裏だけにしといてくださいね(^^;)
431考える名無しさん:2006/01/28(土) 01:09:54
細胞のシステム全体が解明出来ている訳ではないのですが、細胞レベルで
見れば死というよりは細胞の交代が起こっているだけ。
新しい細胞は常に古い細胞が分裂して発生するわけで、その意味では
細胞としては常に継続している。

地球上の環境の変化に対して化学的に安定して原型を留める性質を
もったリン脂質二重膜がの延長線上に生物は存在するし、それ以上でも
以下でもない。ここは進化論というか、広義の自然淘汰で充分な話です。
432「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/28(土) 01:17:39
>>431
ゾウリムシは細胞分裂「だけ」で子孫を維持しますが、その方法はごく少数です。
人類をはじめ、多くの「進化した種」が選ぶのは「古びた個体は死なせて」
新しい個体に遺伝子を受け継がせる・・ことによって「『種』としての遺伝子の
保存」を行うことです。・・個体を200歳まで生きさせて「後輩を指導」させる
ような「種のあり方」では、「種の存続は望めない」・・という「遺伝子の戦略」
がありますので、我々個体は「従う」に越したことはありません。
 それ(遺伝子の戦略)に逆らう(あるいは「裏をかく」)ほど、人類の「科学」は
(まだ)発達しておりません。
433ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/28(土) 01:22:41
>>422
それが見方の違いならば、生物と鉱物との差がなくなります。
生物とはなにか、その大きな特徴に「新陳代謝」があるわけですが、
それを説明するのはエントロピーによる説明が必要なわけです。

「生命は個体としての生物活動をしているあいだ、ずっとエントロピー(無秩序さの度合)を
減らし、なんとか秩序を維持しようとしているようなのである。これをいいかえれば、
生命は負のエントロピーを食べているということになる。そればかりか、たいていの生物は
独得の生殖活動をして次の世代にその大半の仕組みを継続させている。個体は次々に
熱死を迎えても、たとえば種や属というくくりでみると、多くの種や属は時空間をまたいで
エントロピー増大と闘っている。これはやはり、生命は負のエントロピーを食べていると
言わざるをえない。」
434考える名無しさん:2006/01/28(土) 01:22:57
>432
少数ではありません。細胞をもつ生物全てです。
なぜなら、高等生物も卵子という細胞が分裂して個体を形成するからです。
卵子は親の細胞です。細胞レベルで見れば連綿と継続しています。
無から細胞が発生することは無い。必ずもとの細胞があります。
435ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/28(土) 01:26:38
>>427
それでは、なぜ地球にのみこれほど生命が反映しているのか、
説明できませんね。
436「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/28(土) 01:29:51
>>434
なにも「高等生物の細胞は分裂しない」と言っている訳ではありません。
「高等生物は細胞分裂で系統発生を図らない」・・・ということです。
簡単に言えば、体細胞の分裂には回数的に限界が『セット』されている」結果
人類をはじめとした『高等生物』の「個体の肉体」は「老化」の過程を免れない
・・・ということです。
437考える名無しさん:2006/01/28(土) 01:33:54
>435
それは今のところ検証不可能でしょう。地球外に存在しないかもしれないし
するかもしれない。どちらでも大差ない。
数十億年昔の原始の海で、化学的に安定なリン脂質二重膜をベースに、
気の遠くなるような化学反応を繰り返し、環境の変化に対して安定して
存続する原始の細胞システムが偶然に成立した。
438「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/28(土) 01:36:52
>>435
生命が繁栄するためには137億年前の「ビッグバン」直後の「超高圧
超高熱」状態では「ありえない」ことはご理解頂けると思います。
我々が「観測する宇宙」は、
@月は約1.5秒前の「過去」
A太陽は約8分前の「過去」
B隣の太陽(αケンタウルス)は約4年前の「過去」
・・というように「遠くを見れば見るほど過去」ということになり、
それほどの過去に「宇宙に知的生命体は誕生しなかった」ので、
「遠宇宙」=「遠い過去」から「知的生命体の通信」は傍受できないのです。
・・・未だに「NASA」ではその努力を継続中ですが・・・
439ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/28(土) 01:38:50
安定して存続する、というよりも、成長し続けるシステムが
成立したということですね。
最近は宇宙から飛来説も有力ですか。
440「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/28(土) 01:43:00
>>439
タンパク質の元になる「高分子有機物」が「隕石」によって地球にもたらされ、
それが、「タンパク質」になった・・その後「DNA螺旋」=ウィルスを
形成した・・・という説は「かなり蓋然性が高い」科学的な観測(結果)だと
思います。
441考える名無しさん:2006/01/28(土) 01:47:19
>>439
いえ、分子生物学的には原始スープでほぼ決着がついていると思います。
もちろん起源論なので検証も再現も不可能ですが、どちらがより説得的か
という意味で言えば、飛来説とは比較にならない。
The Cellなどの大学生物初等の教科書(大著ですが)の前半300ページくらいに
現在想定されるストーリーが記載されています。
442「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/28(土) 01:51:53
>>441
カール・セーガン氏は(「宇宙科学」の)普及啓発の能力では抜群でした。
しかし、「その能力」のピークは30年前で、10年以上前には・・確かお亡くなりに
なってしまいましたよね?
443ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/28(土) 01:54:18
>>441
一般的にいって、教科書はイデオロギーの闘争の場ですから、
それほど、胡散臭いものはないですよ。
444「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/28(土) 01:58:18
>>441
原子スープ説で決着がついているのならば、「それもあり」だと思います。
いずれにしろ「観念論や宗教」が放つ数々の暴言のように「何らかの観念」が
「考える(観念を発生する)物質」=脳を「作り出した」などということは
「ありえない」・・・という「真理」さえ確認できれば、あとは「枝葉末節なこと」です。
445一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/28(土) 02:00:18
>>444
そんな観念論ってあるんですか?
具体的な人名を挙げていただけると助かります。
446考える名無しさん:2006/01/28(土) 02:00:53
              ,、:'":::::::::::::::::``:...、
           /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
          i::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
            !::::::::::::::::::::::;‐、:::::::::_::::::_::::';
         |::::::::::::::::::::::|  :: ̄      ``!
         r''ヾ'::::::::::/  ::          |
         l r‐、\::/  _,,、ii_;;_、    _,,,l
         ヽヾ〈    ::= -r:;;j_;、`/ :;'ィ;7
          !:!_,、    :: ` ー  : |: `´/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         ,./ヽ |  、_  ::  ,: 'r' :i |:  /< 浜田の唯一のネタ「中国雑技団」、
       ,../ `ヽ;_  i | '"、_:::__`:'‐'. /   みんなで応援したってな。
        / ``'ー 、_\  ! `::` ̄''`チ`シ      \大阪で大爆笑やった伝説のネタや。
    /ー 、_    `\:、_ :: ` ̄/         \______________
   /     ``ヽ、   ヽ`'7‐--'゛
447PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/28(土) 02:01:24
偶然発生した生命が、爆発的に広まり、さらに脳と言う器官をもったことにより必然的?に意識を得た……のかと。
448むじんくん:2006/01/28(土) 02:02:16
>>433
> それが見方の違いならば、生物と鉱物との差がなくなります。

生物は鉱物でいいじゃないですか。人間とは鉱物化を欲望しているのだと。また
我々は全体としても鉱物になろうとしている。実際、ニーチェが言うところの「デカダン」に
ますますなってきているわけで、それは死へと向かっているということです。きっちりと
死ぬことができれば、永遠の生命に達する。これが古来から語らえてきた人間精神の
平安というものです。
449考える名無しさん:2006/01/28(土) 02:07:01
惑星レムのように、シリコンで出来た擬似コンピュータの鉱石と、
新陳代謝を繰り返すけれど脳死した人間と(←うまい例が見つからなかった)
どちらがより「人間らしい」んだろう?

キノコは新陳代謝するのかな?
450考える名無しさん:2006/01/28(土) 02:10:47
>>444
もちろん私もその通りだと思います。
いずれにしても「生命現象」という言葉の背後には合目的な観念論や
神秘主義の匂いがする。まずは「生物」として唯物的に扱うべき。
意識や脳を考えるにあたっても、ベースは「生物」であるべきと考えます。
451PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/28(土) 02:17:00
>>448
識によって為された世界さえ「仮構」だとして、一切がただの識のみとする。ニヒリズム一歩手前。
認識の延長には主客一体の「無分別智」と言う最高の智慧があるらしいよ。ニヒルな視点のまま禅定をくりかえし転依をめざす。無明を明にするまで。

>>450
唯物的?
452ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/28(土) 02:19:35
>>448
それは美学的な「死」ではないでしょうか。
美学で死を語るならば、生物は必ずしも死にません。
なぜなら死ぬためには、強い個体性があり、停止する必要がある。
単細胞の一つが個体で、停止することを死と呼んでいるだけです。
なら、人間の中では絶えず細胞が死んでいます。

基本的には生物はただ生き続けるものなのですね。
個体の死と言われているものも、種の新陳代謝なのです。
453PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/28(土) 02:20:53
生物から決定論にアプローチするとして

・意識の芽生え
 〜いつどこで
・時間の概念のありか
 〜どこにどうやって
・自由意志の有無
 〜どこで
454PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/28(土) 02:22:51
>>452
美学での死とは……愛着にかかわるのでしょう。
455考える名無しさん:2006/01/28(土) 02:46:40
意識の問題は難しいですね。
養老孟流に言えば、「脳の中で入出力をぐるぐる回している」、
つまり、感覚していることを感覚としている状態ですかね。
ある種のメタなモニタリング状態であることは間違いない。
流行のクオリアとやらは、何をさしているのか私には良く分かりませんが。
456考える名無しさん:2006/01/28(土) 02:51:37
ボノボってサルを知ってる?あのサルは、
親父と息子の関係でも性行為に近い事をするんだよ。
宇宙人がそんなレベルの奴だったとしたら嫌だなあ。
まあ、通信技術も無いし一生遭うこともないから、いいか。
457考える名無しさん:2006/01/28(土) 02:57:51
神経学的には、意識の在り処は主に前頭葉と側頭葉ではないか言われて
います。
まず、言語を司る中枢が前頭葉と側頭葉に存在する。
前頭葉には、身体の運動の立案をして必要な筋肉の動作を組み立てる
(これは大変に複雑な作業です)部位が存在するが、この運動の立案が
発展したのが時間の概念ではないかという説がある。
更に身体の情報がフイードバックされて、運動を調節している。
このあたりのモニタリング機能も意識と関係が深そうです。
側頭葉は記憶と大変関係が深い。


458むじんくん:2006/01/28(土) 11:49:28
>>425
> >つまり、心身二元論ということですか(笑)。
>  です。(ウキペディアでどう書いてあるのかは知りませんが・・・)私のご説明は、「コテコテ観念論者」
> である「むじんさん」には少し「科学的すぎる」説明かもしれませんが・・・。

いや、「人類は必然的に滅亡する」と語る主体の起源をよくよく考えれば、それは「コテコテ観念論者」の
思考に他ならないということです。ダーウィニズム的思考、唯物論的思考としての説明であれば、そういう
"目標"は一切存在しないと言わなければならない。実際、"滅亡"を語ることは永遠の生命を語るよりも
遥かに精神的慰安となるものであり、大抵が自らの惨めな状況に対する空想的逃避なのです。
459むじんくん:2006/01/28(土) 12:13:35
>>452
> それは美学的な「死」ではないでしょうか。
> 美学で死を語るならば、生物は必ずしも死にません。

確かにそうですが、しかし「精神は形を持たない生」であり、個体の生存を
維持しつつ死ぬことができる。当然、完全な形では不可能ですけどね。
460むじんくん:2006/01/28(土) 12:27:29
人間は死ぬことにより必然を知り、そして自由になる。
死なない者は自由と感じるが、しかし必然に従う。
461ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/28(土) 20:38:16
その意味で人間だけが死ぬことができる。
それがハイデガー的な現存在の特別性です。

だからこそ生とはただ生きるだけの機械なわけですね。
462「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/29(日) 00:19:35
>>458
>"目標"は一切存在しないと言わなければならない。実際、"滅亡"を語ることは永遠の生命を語るよりも
>遥かに精神的慰安となるものであり、大抵が自らの惨めな状況に対する空想的逃避なのです。

人類の滅亡は別に「目標」でも何でもありません。「単なる(冷厳な)真実」
です。
正確に言うならば、人類も(他の地球上のあらゆる「生物種」と同様に)
「何時かは必ず」(必然的に)滅亡する・・・ということです。
それは「太陽」もまた「あまたある恒星の一つにすぎない」という「科学的
事実」から、「必然的に導き出される結論」ですので、「願望思考により
ねじ曲げる」ことにより「逃避する」ことを除き、「思考する者としては直視
する以外の道がない」・・だけのことです。
 「人類は特別な存在である」という「信仰」を、(無意識的にでも)「日々
生きる心の支え」にしている観念論者さん達にとっては「絶対認め(たく)な
い真理」であることもまた理解できますが・・・哲学(真理)は時に冷厳なのです。
463Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/29(日) 00:23:44
>>462
人類は特別な存在ではないことを証明してみてよ。
464「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/29(日) 00:30:49
>>463
そんな必要はありません。
ある程度「科学的理解力」があれば、薄々は「感づいていること」だか
ら・・・要するに「自明のこと」あるいは「暗黙の了解」です。
ただ、「誰も公の席では口にしない(ようにしている)」だけのこと
ですので、あなたがその「自明のこと」を始めて知ったとしたならば、
@悪い夢だと思って早く忘れるようにする(子供に戻る)
Aそれが真実であるのかどうか「宇宙科学」を少し勉強してみる。
という「とりあえずの2方法」がありますが、Aに着手したとしても
いつでも「やっぱり@の方がいいや」と変更することが出来ます。
・・・ので「ご安心」を・・観念論者さん達は「自己欺瞞のプロ」
ですから、別に何も問題はありません・・・「想定内」のことです。
465Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/29(日) 00:38:45
>>464
「感づいていること」は「自明のこと」には全く等しくない。
君は全ての恒星の直径、それが有する惑星の直径、また両者の距離を
測ったうえで発言しているわけではない。
つまりは地球が特別な星である可能性は残されているわけだ。
地球が特別ではなく、人類がまた特別ではないというのは、
君ひとりの「願望的思考」ではないのか?
君は「人類は特別な存在ではない」という「信仰」を、(無意識的にでも)
「日々生きる心の支え」にしているというだけの話だ。
それが冷徹な事実だ。
466「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/29(日) 00:49:09
>>465
 地球が「この宇宙」でも結構希にみる「水素炭素系生命体の好適
培養地環境」を保持していることは「間違いない」と思います。
 但し、この宇宙には太陽以外にも1兆個の恒星がありますので、
それらの持つ「惑星」に同様な環境を有するモノがある可能性も
「非常に高く」なります。
 それより何よりも「太陽の寿命」までに人類が太陽系以外に植民
できる可能性は・・・科学を知っている人には「絶対皆無」だと
判ってしまう・・・ということです。
 「距離の実感」がないと・・理解できないかもしれませんが、
「隣の恒星」・・・αケンタウルスに到達するのに「光の速度」
(秒速30万km)で4年間かかる・・わけですし、その(平凡な)
恒星が惑星を持っているか否かも・・今のところ「観測されていない」
ような状況です。
467:2006/01/29(日) 00:55:13
君は何者でもない、ただ一人の君、オンリーワン

君の代わりはないの、君は私に選ばれた者、だから胸を張って不幸になって
468「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/29(日) 01:02:17
>>467
と神造人間アシモをベルトコンベアーで大量生産したカミサマはおっしゃる
けれど、結局カミサマが僕らを作った目的は企業イメージアップのための
「見せ物」だったりして・・僕らアシモ人間はいつカミサマの都合で
「リコール・スクラップ」されるのか戦々恐々です。
 「アイボ」君の方が可愛いので、僕らは予想外に早くスクラップ・・かもね。
469Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/29(日) 01:03:52
>>466
まず、第一点。
「斯々の恒星が存在する可能性がある」と「斯々の恒星が存在する」とは、
これもまた全く等しくない。
現時点で「斯々の恒星が存在する」故に「地球は特別な星ではない」
と明言することはできない。
第二点。
「人類が特別な存在であり」かつ「人類は必ず滅亡する」という命題も成り立ちうる。
「人類は必ず滅亡する」故に「人類は特別な存在ではない」とはいえない。
さらには。
「人類は滅亡する」も、その可能性が高いというだけの話である。
470考える名無しさん:2006/01/29(日) 01:04:57
玉裏が無性に痒いという場合、痒さという表象は玉裏そのものに属している
わけではない。
471:2006/01/29(日) 01:09:42
可能性を問うなら否めません、だがそれが仕組まれた事とて
君等にはもうどうしようもない事なのです

しかしおおいに足掻きなさい、諦めずに足掻きなさい

その力は与えた筈です
472考える名無しさん:2006/01/29(日) 01:10:32
ところで、腕のどこかの部分が痒いんだが、痒い箇所が厳密に特定できずに
掻いても掻いても的外れでムズムズすることってないかおまいらは?
473「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/29(日) 01:14:29
>>469
中途半端な科学的知識を無理やり「願望思考」の方に誘導する「理屈?」
には、かなり相当「無理」があります。
小柴博士がノーベル賞を採ったきっかけである「超新星爆発」は「恒星の死」
ですが、「太陽がそうなった場合東京ドーム中心の野球ボール」大の太陽が
周りのフェンスを回っている仁丹玉である地球の軌道どころか23区全体まで
「広がる」・・・超新星となり「あらゆるモノを灼熱の高熱に溶かす」ことになり、
愛知県に位置する「となりの恒星:αケンタウルス」では「どでかい影響」を
受けるでしょうが・・・まあ「恒星の最期の姿」は「お互いさま」ですので・・・
474Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/29(日) 01:14:40
>>472
痒いと思った箇所がホイホイ逃げていくように感じることはあるね。
私は、その痒い箇所を「機械的唯物論者」と呼ぶことにしている。
475:2006/01/29(日) 01:16:55
さあ足掻きなさい‥
476Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/29(日) 01:17:29
単なる個人的な願望思考を、中途半端な科学的知識の方に誘導しているのは、

機械的唯物論者君、君だ。
477考える名無しさん:2006/01/29(日) 01:17:54
ワクワクするとウンコがしたくなるのは俺だけか?
俺だけでないとすればなぜ?
478考える名無しさん:2006/01/29(日) 01:19:38
神よ、
ちなみに俺は今左足が水虫だ。
足掻きます。
479一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/29(日) 01:19:56
今回の議論については機械さんの方が説得力があると思います。
「地球が特別な星で無い証明」はできない相談ですし(そもそも、
特別が何なのか全く定義されていないわけですが)。

最終的には「地球は特別の星である」と信じる自由と、信じない自由を
法律はちゃんと保障してますので、日常生活ではお好きな方をどうぞ、
ということに落ち着きそうです。
480「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/29(日) 01:22:41
>>479
相変わらずの冷静かつ明晰なご裁定には敬意を表します。
本日は就寝させて戴きます。
481一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/29(日) 01:24:12
>>480
裁定では無いです。ひとつの意見です。
482:2006/01/29(日) 01:25:51
一言さん、君の代わりは居ません
特別をどう定義しようと君の居ない過去
そしてそれを知り得る未来も存在しないのです

その事を胸にとめ、訪れうる不幸に喜びを
483Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/29(日) 01:28:35
>>479
君にとって説得力をもったかどうかは、どうでもいい。
「可能性に過ぎないこと」を「冷厳な事実」と呼ぶことが、
果たして科学的な態度なのかどうかを私は問題にしているんだ。
484一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/29(日) 01:32:36
>>483
それは「科学」「事実」の定義次第ですね。
抽象的な問いの立て方をされても、回答の仕様がありません。
485:2006/01/29(日) 01:43:13
可能性の範疇に渦巻く事象を事実と呼び、それを科学と名称するのならば
事実私は存在します、それは科学的に

だが人はそれを認めない事が多くに於いてある
だが何をどのようにねじ曲げ、どのように作り替えようと
君の行いそして言葉はそこに映し出される
それが君自身の姿として私に映る

さあ足掻きなさ‥
486考える名無しさん:2006/01/29(日) 01:43:57
法という共同幻想を盲信しない事で、先ずは突破しなくては。流行のクオリアだよ。


解釈の整形より、脱属領化の実験を
487考える名無しさん:2006/01/29(日) 01:46:33
脱属領化の実験てなによ?
488考える名無しさん:2006/01/29(日) 01:51:28
>>484
具体的にいうと機械のどのへんに賛成?全部?
489「機械的唯物論」者代理 ◆Wrk8395W0I :2006/01/29(日) 01:52:08
人生が意味のあるということなど・・可能性にすぎない
自分が本当に生きていることなど・・可能性にすぎない
社会や正義や良心が騙しのテクだということなど・・可能性にすぎない
悪が正義に駆逐されることが人類の為であることなど・・可能性にすぎない
可能性にすぎない・・・と全ての言説に反論することは正義に反することの
・・・可能性にすぎない

そうです「・・・可能性にすぎない」のですが「その可能性の中」に「必然」は
存在するのです。・・「すぎない・・すぎない」・・と言っている時点で「必然」
は「必然的に顕現する」のです。
490考える名無しさん:2006/01/29(日) 01:56:25
>>487
究極的な自己否定、というより、自己喪失に近しいかもな。
鏡像界に於いての、仰視したあげくの鏡を叩き割る意志の事か。
491一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/29(日) 01:58:47
>>488
賛成するわけではありません。

ただ、議論の第一歩として「地球は特別ではない」という命題と
「地球は特別である」という命題があるわけですが、前者の意見
(機械氏の意見)には理由付けがされており、後者にはされて
いない、というそれだけのことです。
492「機械的唯物論」者代理代理 ◆Wrk8395W0I :2006/01/29(日) 02:05:43
>>486
>法という共同幻想を盲信しない事で

ライブドアと同じ傲慢さを「金のない」あなた方が採用することは、
「ガキのまねごと」です。
 法は「抽象」ではありません。行政(警察・検察)の権力の行使
・・という「具体的な実行力」ですので、堀江社長のように「だいじょぶだろう」
が「通じない世界」なのです。
 多分逮捕された4人は二度と表社会には出てきませんし、多額の債務で(暴力団を含む)
債権者から追い立てられる人生を送ります。
 ホリエモンには、国外での質素な暮らし・・が選択肢としてあり、それ以外は「不可能に近い」
と思います。
493考える名無しさん:2006/01/29(日) 02:09:55
なんのはなしをしてるのだろう
494唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/29(日) 02:16:10
法にもいろいろありますね。
495考える名無しさん:2006/01/29(日) 02:16:23
>>491
形容詞は哲学できないよw
496考える名無しさん:2006/01/29(日) 02:17:35
>>492
豚も無理w
497考える名無しさん:2006/01/29(日) 02:19:01
>>492
なるほどね。システムはおまえを安心させる、までは理解出来る。それだけだが。
498考える名無しさん:2006/01/29(日) 02:41:07
499むじんくん:2006/01/29(日) 03:05:02
>>462
> それは「太陽」もまた「あまたある恒星の一つにすぎない」という「科学的
> 事実」から、「必然的に導き出される結論」ですので、「願望思考により
> ねじ曲げる」ことにより「逃避する」ことを除き、「思考する者としては直視
> する以外の道がない」・・だけのことです。

SFになってはしまいますが、前に書いた脳を外部化するという方法ならばどうでしょう。
海馬チップはできそうだといわれてます。同じノリで脳の各部位のニューロンが持つ関数を
解析し、外からの刺激に対して一定の回路をつくるようにする。

そこまでいけば、地球滅亡が近づく数万年前に複数のロケットを飛ばし、お互いが通信できるように
しておけば、結構精神的存在として(もはや人間と呼ぶかどうかは別として)かなり長期間
意識を残存させることは可能かも知れません。
500考える名無しさん:2006/01/29(日) 03:11:00
500
501Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/29(日) 03:12:11
…ったく、また連投規制だよ。

>>484
「科学」も「事実」も機械的唯物論者君が使っている言葉だ。
彼に聞いてくれ。
それから、「地球は特別な星」というときの「特別な」は、
「人類と同等の知的生命体のいる」程度の意味で使ってよいと思う。
これは機械的唯物論者君の定義を類推したうえでの、私の定義だ。

>>491
私は「地球は特別な星である」と主張しているのではない。
主張していないことに対しての理由付けは不要と思うが?
機械君が「地球は特別な星ではない」としている主張の、
その拠って立つところの曖昧性を指摘してるんだ。
502Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/29(日) 03:41:15
いや、整理しよう。定義云々の問題じゃないぞ、これは。
「地球が特別な星でない可能性がある」ってことは、いいか、
「地球が特別な星である可能性もある」ってことだよ。
「地球が特別な星でないのは事実である」ってことは、
「地球が特別な星であるのは事実ではない」ってことだ。
「地球が特別な星でない可能性がある。そして、それは事実である」
これが機械君の主張。
「地球が特別な星である可能性がある。そして、それは事実ではない」
これが私の主張。わかった?
503考える名無しさん:2006/01/29(日) 03:43:54
何に対して特別なんだろう
504Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/29(日) 03:48:36
>>503
とりあえずの「特別」の定義。
>>501
505練馬哲人:2006/01/29(日) 04:46:16
「地球は特別」っていう仮定は、マッハ原理や定常宇宙と矛盾しちゃうのよ。
現在主流の宇宙論が、わやになっちゃうw
506練馬哲人:2006/01/29(日) 05:01:04
地球上の種は日々絶滅し、新種も誕生する。種の総数は、ほぼ一定している。
人間様の時代は、昆虫より短いだろうなぁ。
507ゾルレン:2006/01/29(日) 08:55:39
「歴史に終わりはあるのか」

議論が宇宙論に流れる方が不自然
単に機械君が権威付けに「科学」や「宇宙」という言葉を使用しているだけ
機械君の主張の内容と理由付けの関係は権威付け以外にはない
論証以前の問題


さて、論証は何をなしとげるのだろうかね
508探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/29(日) 08:57:14
客観的な科学は「今ここにあるこれ」性を消去することで発展してこれた。

地球も太陽も「私」もなんら特別ではない。
それらは一回的現象であると同時に、法則に従った一般的現象に過ぎない。

これは大変に有意義な思考だが、正解ではない。
「絶対時間」を見出すためには「世界の起源」を定めなければならないし、
「世界の起源」は定まった瞬間にさらにその起源が目指される。

つまり、どこまでいっても一般性に収まらない一回性がたち現れてしまうのだ。
物理的な定数ですら「この宇宙」という歴史に内属せざるをえない。

一回的なもの・歴史的なものを「一般的なものに対する個別に過ぎない」
=「特別ではない」とみなす思考は、フィクションである。
509むじんくん:2006/01/29(日) 10:11:44
>>507
> 「歴史に終わりはあるのか」
> 議論が宇宙論に流れる方が不自然

まぁ、このスレッドは脳は物質なので云々ですから。所謂「歴史」はイエナの戦いで終わったという
のがヘーゲルですね。それは正しいかと思います。
510むじんくん:2006/01/29(日) 12:18:59
人類史で特異な事件は2点あります。一つは農耕牧畜の出現であり、一つは近代資本主義社会の勃興。

諸説ありますが、今の人間と種として同一なものが出てきたのが300万年まえなどといわれてますから、
農耕牧畜の出現、つまり1万年前というのはごく最近の出来事ですね。

その時に人間主観において大きく変化したと思われるのは、確率論的世界に対して、決定論的思考が
上位に来たということだと思います。つまり、種を撒けば収穫がある。それまでの様々なプロセスをきちんと
管理していくことが大切だと。狩猟採集ではそうはいかない。獲物はある規則に従って狩を行ったとしても
捕獲できるかどうかわからない。また、現在進行形で絶えず変化する状況への微細な判断、スキルが
重要だった。

これは病理学から見れば、強迫性が主軸の時代になったと言えます。フロイドが言うように、我々は
誰もが強迫神経症である。これは確率論的世界に対して、決定論的道筋を設定する主体、ヘーゲルの
言葉で言う「対自的」な人間の出現です。

これはかなり長期間の間、共同体的神話を背景に支えられていたが、貨幣経済によって瓦解します。
もはや決定論的主体は支えを失い、絶えず自転車操業的に前進をすることによってしか自らを維持できなく
なる。そして、まさしく資本主義とはそういったものなのです。別にホリエモンのようなマネーゲームだけが
特異なのではなく、我々の住む社会とは、根拠の無い信用を絶えず強迫的に補強し続けることで
成立している。あたかも、強迫神経症の患者が手を何回も洗うように。

しかし、一方でアダム・スミスが「見えざる神の手」と呼んだマーケットは益々複雑化し、決定論的主体の
視野に回収不能となっていく。マーケットは自然ではなく、それ自体が対自的な人間の産物であるが故に
そのメタ記述が不可能である。つまり、決定論的に記述不能である。人間はここにおいて再び確率論的
世界に向き合い、その世界を第二の自然として受け入れざるを得なくなってきてます。つまり、超越論的
主体が確率論的世界を"肯定"する。或いは、所与の自然に対する"否定"として出現した主体自体が
"否定"されることによる肯定、対自的且即自的な存在と人間がなりつつある。
511むじんくん:2006/01/29(日) 12:25:28
言うまでも無く、この>>510の最後のおいて出現しつつある人間の定義は、キルケゴールの
信仰の定義でもある。即ち、

 「自己が自己自身に関係しつつ自己自身であろうと欲するに際して、自己は自己を措定した力〔神〕のなかに
 自覚的に自己自身を基礎づける。」

産業資本主義以降に誕生した、内なる植民地としての"人間"は、ここにおいて解消される。フーコーが
予言したように「波打ち際の砂の顔のように」消滅するのです。
512一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/29(日) 12:44:08
>>501>>502
いえ、「事実」の定義がやはり必要です(しかも、この定義次第で
議論は終わるかもしれません)。例えば、「地球が特別な星である」
という可能性が残っていても「地球が特別な星で無い、ということは
事実である」と言ってよいように定義されているのかもしれません
(しかも、こちらの方がより日常的な用法ですね。ここでは、「事実」
とは「日常レベルの思考で確からしいこと」くらいの意味しかありま
せん)。

そして、可能性の問題を一旦置いておいて議論するならば(つまり、
単に「逆の可能性がある」という反論を主要な反論として認めない
普通の議論をするならば)、機械さんの主張の方が説得力がある、
ということです(と、ここでも「事実」の定義が問題になります)。

ちなみに、「地球は特別な星である」という主張をHannibalさんの主張
と私は言ってないの(>>491)でご確認ください。
513考える名無しさん:2006/01/29(日) 12:58:25
まあ、機械は厳密な言葉遣いをしてないぽい。
514考える名無しさん:2006/01/29(日) 13:30:08
つ〜か現実世界を把握してないだろ
論理法則と現実が接合されて語られるのをみたことがない
いつも思いこみだけが語られる
515考える名無しさん:2006/01/29(日) 20:12:05
機械氏には、「二重スリット実験」で「何故」「干渉縞」が出来るのか見解を訊きたい。
どうして?
516考える名無しさん:2006/01/29(日) 20:40:08
そうか?
冷厳な事実云々はともかく、「将来、地球は太陽に飲まれてオワ」は
このスレだと比較的地に足がついた主張だと思うけどな。
517考える名無しさん:2006/01/29(日) 20:59:38
どうみても普段が適当すぎです。
518考える名無しさん:2006/01/29(日) 21:04:57
具体的な主張ほど反論を受け易く、抽象論は反論を受け難い
(だいたい何を言ってるのか分からないことが多い)。
519考える名無しさん:2006/01/29(日) 22:07:40
ナルシストは早く具体的なコテハンに戻れば良いであろう。
520考える名無しさん:2006/01/29(日) 22:18:02
糞スレ発見
521Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/29(日) 23:53:24
>>512
>(しかも、こちらの方がより日常的な用法ですね。ここでは、「事実」
>とは「日常レベルの思考で確からしいこと」くらいの意味しかありま
>せん)。
なるほど日常の会話では、そういった使い方をするかもしれない。
しかし、それは科学ではない。
機械君は、自分の垂れ流してる能書きを「科学」なんぞと称してるんだぞ。
たま出版の社長が自分の主張を「科学」とか言い出したら、君はどう思う?
522Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/29(日) 23:57:29
>そして、可能性の問題を一旦置いておいて議論するならば(つまり、
>単に「逆の可能性がある」という反論を主要な反論として認めない
>普通の議論をするならば)、機械さんの主張の方が説得力がある、
>ということです(と、ここでも「事実」の定義が問題になります)。
可能性の問題を一旦置いておいて議論するならば、つまり、
宇宙人は地球には潜入していないという反論を主要な反論として認めない
普通の議論をするならば、ニラサワさんの主張には説得力がある、
と言っているに等しい。
523考える名無しさん:2006/01/30(月) 00:19:37
まあ、機械氏が冷厳な事実なんて言い方しなければ
ハンニバル氏もここまで言わないだろう。

524「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/30(月) 00:46:22
>>523
科学的真理が、希望的観測や楽天的思考(すなわち「観念論の方法」)
で解釈されると「ねじ曲げられる」のです。
ですから「人類は必ず滅亡する」という単純且つ明快な「科学的真理」
を提示して、それがあなた方観念論者には「たぶん冷厳すぎる」だろうから、
得意の「言語による自己欺瞞・自己韜晦」で「真理」を直視するのを
避けても良いですよ・・・「そういう思考傾向はもう既に『想定内』
ですから」・・とも申し上げているだけです。
525Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/30(月) 00:54:22
科学的真理が、希望的観測や楽天的思考(すなわち「観念論の方法」)
で解釈されると「ねじ曲げられる」のです。
ですから「宇宙人は地球に潜入している」という単純且つ明快な「科学的真理」
を提示して、それがあなた方観念論者には「たぶん冷厳すぎる」だろうから、
得意の「言語による自己欺瞞・自己韜晦」で「真理」を直視するのを
避けても良いですよ・・・「そういう思考傾向はもう既に『想定内』
ですから」・・とも申し上げているだけです。
526「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/30(月) 01:10:26
>>525
直径100メートルのパラボラアンテナを100基近く集めて「宇宙のあらゆる方向」を
観測している、NASAの観測結果は「全部ランダム」・・・「知的生物が発信した信号は無い」
ということです。
137億光年前にこの宇宙が誕生し知的生命体が発生したとしたら、いつか「宇宙に向けて」
「知的生命体の証明が出来る信号」を発信するだろう・・という仮説に基づく壮大な計画
ですが・・・残念ながら、「人類は孤独である」という真理は否定できないようです。
そしてその人類も「太陽という恒星の終焉」により「この宇宙に占めた短い寿命」を閉じる
・・・運命にある・・・ということです。
・・・「真理」の前には「あらゆる既成宗教の神々」も「沈黙せざるを得ない」ということです。

527Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/30(月) 01:11:07
>>464
>ある程度「科学的理解力」があれば、薄々は「感づいていること」だか
>ら・・・要するに「自明のこと」あるいは「暗黙の了解」です。

AかBか、どちらかが真である可能性がある。
そのうちのAが真であるらしいとの印象をもち、
その印象がいつの間にか「自明のもの」に摩り替えられ、
さらには単純かつ明快、冷厳な事実へと仕立てあげられていく。
こんなものは「科学的真理」などと呼べるものではない。
あえて呼ぶなら「疑似科学的言説」ってところか?
528Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/30(月) 01:28:04
>>523
まあ、そうかもしれないでど、そればかりじゃない。
機械的唯物論者の論法は、すべてこれなんだ。
事実を一つひとつ検討し統合したうえで、
どうにか真理のおぼろげな輪郭が見えてくる…
ていうのが、まあ、普通の意味での科学ではないか?

機械は違う。
単なる印象から、いきなり「最終真理」を導き出し、
そこから遡行して鍵括弧つきの「事実」が捏造される、と。
そして、その「事実」に反するものは観念論(ry
529考える名無しさん:2006/01/30(月) 01:28:53
機械的唯物論の機械的決定論は究極の初期値などという「ありもしないもの」
をでっちあげることでしか想定できない。なぜなら初期値を定めるためには
システムの外部からそれを定めた主体が存在しなければならず、よって
不思議なことに機械的決定論が成り立つためには主体的な自己としての
実体=神という論理的には完全に背理である究極存在を前提せねばならなく
なる。そしてさらに不思議なことに、そのようなものを認めると初期値を
システムの外部から定めた最初の主体はトップダウン的な自己開始能力
つまり自由意志を持っているということになり、従って機械的唯物論の
機械的決定論は決定論であるにもかかわらず自由意志の存在を認めてしまう
というパラドクスに陥ってしまう。
カントの神は無限ではなく有限の定立側にその根拠がある。
そして無限性の反定立側がむしろカント的な意味での原因と結果が始まりも
終わりもなく無限に連なる、意志なき必然の世界であるということになる。
530Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/30(月) 01:29:30
そうかもしれないでど× → そうかもしれないけど○

なんだ、でどってw
531考える名無しさん:2006/01/30(月) 01:35:10
>>ハンニバル氏
う〜ん、それじゃ宗教だねぇ。
機械氏の言い分もなんとなくは分かるんだけれど、
そういったミスリードはあまり良くないと思うな。
科学で語れることの限界を無視しちゃいけないんじゃないかな。


532ゾルレン:2006/01/30(月) 01:39:30
>科学で語れることの限界を無視しちゃいけないんじゃないかな。

無視しているのは機械
533考える名無しさん:2006/01/30(月) 01:43:11
>>ゾルレン氏
ごめん、書き方悪かった・・・。
機械氏が無視してるって意味で書き込んだつもりだったんだが。
534Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/30(月) 01:45:55
>>529
うん。「究極の初期値」と「最終真理」が、ちょうど合わせ鏡のようになってると思うんだ。
で、「科学」なんて単語を振り回せば振り回すほど、彼の書き込みは神学に似てくる。

>>531
科学で語れることの限界を無視してなんかいない。「おぼろげな」といっている。
また、おぼろげだから科学には意味がないなんてことは、いっていない。
機械君こそが限界を無視して、神学方面まで走っちゃってるんだと思うけどね。
535考える名無しさん:2006/01/30(月) 01:52:17
何か、どうでもいい議論が続いてるな。哲学の入門書レベルの・・・
536Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/30(月) 01:54:54
スレ主にレベルを合わせてるだけだ。
537考える名無しさん:2006/01/30(月) 02:03:11
つまり事情はこうだ。機械的に算定可能な唯物論的決定論もまた宗教的な
源泉を西欧形而上学のそれと同じく持っており、事実上神学的先入見の継続に
過ぎないということなのである。実際には事情は人間性にとってなお悪い。
おそらく機械的に算定可能な決定論が背理であるということが事実であり、
なおかつ主体を仮構する誤りを完全に除去してしまったとするならば、世界は
人間をも含めてやはりすべて無限的必然であって、かつ予測不可能なカオス的
振る舞いにより常に不確定因子によって突き動かされているということになる。
そこは神がさいころを振るどころか、「唯さいころだけが無意味に転がり続けて
おり、すべての現象ががそのさいころに過ぎない」盲目的な生成としての世界
でしかない。
538考える名無しさん:2006/01/30(月) 02:05:45
なかなか面白いけどな。
悲しみ機械がハンニバル・レクターやその他で「ねじれる」訳で、
後は紐にしちまえばいい。
539考える名無しさん:2006/01/30(月) 02:15:28
>>535
入門書レベルのことが本当に理解できていればはっきりいってまとも
に哲学できると思うぞ。入門書レベルの基本すら理解できない人間が
ただやみくもに無理やり言葉や問題を難しくしようとしていることほ
ど無意味で滑稽なことはないぞ。そういうのは完全に「見栄」だな。
素直に考えることができないと本当の問題意識は見えてはこない。
わかりやすく考えて奥が深いってのが結局一番思考効率がいいもんだ。

540練馬哲人:2006/01/30(月) 06:44:38
>>537 無限的必然なのに、不確定なのか?
541考える名無しさん:2006/01/30(月) 09:03:52
>>537
>>540
「無限的必然」
は正しい。が、これは神の視点。

「予測不可能なカオス的振る舞いにより常に不確定因子によって突き動かされている」
は人間の視点によるもの。

「そこは神がさいころを振るどころか、「唯さいころだけが無意味に転がり続けており」
無意味かどうかは、我々人間には判定できない。
せいぜい無意味に見える人がいるだけであろう。

全ての事象は神の計画通り。
542むじんくん:2006/01/30(月) 09:30:51
というかですね。科学者の現場で決定論というのはメジャーなんでしょうか。もう
そういう時代は過ぎ去ってはいませんか、実のところ。
543考える名無しさん:2006/01/30(月) 09:52:42
>>542
科学は実質、決定論が前提。系の中の観測者に不確定性があるだけ。
544考える名無しさん:2006/01/30(月) 11:11:21
しかし、科学で語れることの限界を守っていないのは、
一重に機械だけでなく多くの科学者もそうだ。もし、
このスレで言われてるような科学哲学が規範性を持つ
なら、彼らも批判されるべきだろうし、むしろ、こんな
掲示板の片隅で同じ事を繰り返している機械よりも
悪質だと言うことにならないだろうか?

科学者が科学哲学一般から離れて研究活動を行って
いるという点については、このスレで何回か指摘された
だけでなく(湯川秀樹の素粒子と心、生物学における
犬の視界の例)、教科書的な本でもひとつの批判として
載っていることが多い(特に量子力学)。

では、そのような多様な科学者の行動が、何らかの科学
の名によって制限されることが適切なのだろうか。
545むじんくん:2006/01/30(月) 11:23:41
>>543
> 科学は実質、決定論が前提。系の中の観測者に不確定性があるだけ。

はい。決定はされてるが、もはやそのような記述は人間にできないということですよね。だとしたら、
このスレのタイトルなんかでも、結局は「神が全て決定してます」と同じ発想になってしまいますね。
記述不能なんだから。

そこまで行くと、記述不能なレベルでも自由意志があると確信する、なんていう哲学者は今まで
いなかったんじゃないかと思います。
546むじんくん:2006/01/30(月) 11:28:44
>>544
> しかし、科学で語れることの限界を守っていないのは、
> 一重に機械だけでなく多くの科学者もそうだ。

そこはカントが批判書で書いてますね。科学的記述がいつの間にか形而上学へ
入り込んでしまう。理性の越権行為というやつですね。

やはり科学者は生活全てに"科学的"なわけではないし、別に科学哲学なんて
知ったことか、というのが普通でしょうから仕方ないんじゃないでしょうか。

ただ、どこで歯止めがかかるかですね。現状だと、実験なしのものはダメという
形で制限されてるんでしょうか。
547考える名無しさん:2006/01/30(月) 11:33:43
形而上学について語らせないのが理性の越権行為じゃないのか?
548むじんくん:2006/01/30(月) 11:34:03
カントが問題にした"形而上学"に宇宙の果てなどが出てきますが、宇宙人の話は同様の
問題かと思います。ある/ないをどうにでも語れてしまう。
549考える名無しさん:2006/01/30(月) 11:35:27
その前に、「理性」という言葉そのものが胡散臭い。
550考える名無しさん:2006/01/30(月) 11:38:17
>このスレのタイトルなんかでも、結局は「神が全て決定してます」と同じ発想になってしまいますね。
>記述不能なんだから。

ある意味その通り。
人間にはこの世界の法則は変えられないゆえに、全てが決定している。
神がいてもいなくても、決定論が正しい。
551むじんくん:2006/01/30(月) 11:40:23
>>547
> 形而上学について語らせないのが理性の越権行為じゃないのか?

いや、そうじゃないですね。カントの純粋理性批判の中心は、近代科学的方法によって
形而上学を語れてしまう。しかも、それはいつの間にかそういう領域へ入ってしまうと。
そこでどこが境界線になるのかを検討するというのが主題です。

もともとスウェーデンボルグの霊界探検話に対する反論からきているらしいですね。
552考える名無しさん:2006/01/30(月) 11:41:32
確率論的世界観も形而上学だよ。
というか、世界観は常に形而上学にならざるを得ない
(世界と言う知りえないものについて語るから)。

その意味では、別に形而上学は悪いものではない。
ただ、確かめることができない。
553考える名無しさん:2006/01/30(月) 11:43:00
>>551
いや、カントのアンチノミーにおける論証自体がトンデモでしょう。
554むじんくん:2006/01/30(月) 11:45:04
>>550
> 人間にはこの世界の法則は変えられないゆえに、全てが決定している。
> 神がいてもいなくても、決定論が正しい。

機械氏がやけに拘るキリスト教神学では(笑)、予定論というのがありますね。天地創造の時に
救われるかどうかが神によって決定されている。人間の浅知恵でそれを変化させようなんてことは
できっこない。だけどその秩序は絶対に人間には見えない。なので、単に信じるしかない。

でも、現場の科学者でそういう「無知の知」を意識してるんでしょうかね。現代科学に至ってそういう感じに
なってきたということなのかな。
555むじんくん:2006/01/30(月) 11:47:13
>>552
> 確率論的世界観も形而上学だよ。

確率論的世界観というのは、もう「世界観」とはいえませんよね(笑)。そういう点で
フロイドというのはやっぱり禁欲的というか、偉いですね。晩年の「精神分析入門」
なんかでも世界観というのは持ちようが無い、と語ってます。
556考える名無しさん:2006/01/30(月) 11:51:53
>>555
世界観だよ。誤魔化してもダメ。
557むじんくん:2006/01/30(月) 12:01:44
>>556
> 世界観だよ。誤魔化してもダメ。

そうですか?この世の全ての現象を話半分に聞くという発想が世界観になりますかね。
世界観はもっと安心できるものじゃないとダメじゃないですか。
558練馬哲人:2006/01/30(月) 13:16:08
>>555 フロイトの「精神分析学入門」は、当時の流行だった機械主義的世界観によるものだ。
何でもかんでも性欲のせいにしちゃう世界観だったので、批判されてるわけだがw
559練馬哲人:2006/01/30(月) 13:28:09
>>557 物語が必要なのは、人間様の都合だけどね。
神を発明したはいいが、そのおかげでパレスチナの悲劇だって起った。
560考える名無しさん:2006/01/30(月) 14:04:54
>>540
無限的必然は非線形性そのものであって、それの線形的な記述はあくまで記述、
解釈にとどまる。つねに線形的な記述から漏れた不確定因子は複雑系としての
自然現象の予測困難な振る舞いをもたらす。
561練馬哲人:2006/01/30(月) 14:24:40
>>560 エヴェレット解釈だと、線形外の因子なんて宇宙に存在し得ないんじゃないの?w
562「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/30(月) 23:44:45
>>533
>機械氏が無視してるって意味で書き込んだつもりだったんだが。

 (科学を)無視しているのは「観念論に淫している皆様」の方です。
「科学的方法」が社会や政治(力学)をも対象とするようになって、「まだ」
3世紀ほどですが、「経済学」の(人文)科学「化の必要性」に伴い「社会学」
や「政治学」が(人文)科学化されてきた過程で、観念論者の「最後の砦」は
「宗教学」と「哲学」だけになってしまった・・ということです。
 そういう意味で、この板は『最期の観念論者達(「非科学」を信仰する人達)
=アンチサイティスト)の『最期のシェルター』となりつつあるので・・
 「とにかく『科学』を勉強して下さい」と口を酸っぱくして言い続けております。
563:2006/01/30(月) 23:47:56
562の訂正です。
(「非科学」を信仰する人達)=アンチサイティスト)
(「非科学」を信仰する人)達=「アンチサイエンティスト」達
564Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/01/31(火) 00:01:13
>>562
おまえが科学を勉強しろ、馬鹿!!
565考える名無しさん:2006/01/31(火) 00:03:08
>>563
慌てなくてもスレは逃げないよw
566「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/31(火) 00:06:41
>>564
ハンニバルは「欧州の征服者」ですが、既に欧州文明の基盤である
「キリスト教」は「自然消滅」しつつあるのです。
その原因は、他ならぬ「欧州文明」が(義理の親として)「育てた」
「科学」が、その「親であるキリスト教」を否定しつつあるからです。
567考える名無しさん:2006/01/31(火) 00:10:36
>>564
機械タンには、科学の前に科学哲学の勉強が必要みたいだよ。
機械タンの科学観は、まるで少年漫画のようだ。
568一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/31(火) 00:11:16
ハンニバルは欧州の覇者では無いです。ローマに負けました。
あと、宗教を科学で否定しようとするのはどうかと思います。
宗教とは「何らかの形で神を信じること」自体に価値を認めるのであって、
最終的に理屈や議論の世界に包まれないのではないでしょうか。
569考える名無しさん:2006/01/31(火) 00:12:11
>>568
神は科学によって否定されるのか?
570「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/31(火) 00:15:24
>>567
それでも、何故か「キリスト教徒の(偏見)科学感」よりは「より科学的」
なのです。
「科学」は既に(義理の親である)「キリスト教」を「相対化する」までに
成長してしまった・・・ということです。
571一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/31(火) 00:15:40
>>569
さあ、どうでしょうか。何とも言えませんね。
ただ、宗教は最終的に信仰であって議論のお話では
無いと思うんですね。また、そういう議論に付さないこと
が即悪ではないのですから(価値相対主義)。

その点では、機械さんの態度には賛同しかねます。
572「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/31(火) 00:18:45
>>568
>宗教とは「何らかの形で神を信じること」自体に価値を認めるのであって、

それは・・・・
「宗教とは「何らかの形で神を信じること」自体(のみ)に価値を認める(立場な)のであって、
・・と修正すれば「正解」です。
573考える名無しさん:2006/01/31(火) 00:19:27
やっぱ科学史とか歴史かな。
574「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/31(火) 00:21:43
>>573
フクヤマ氏によれば、『歴史は既に「終わっている」』・・ということ
・・・らしいですね。
本日は就寝させて戴きます。
575考える名無しさん:2006/01/31(火) 00:21:45
仏教はどうなるのさ
576考える名無しさん:2006/01/31(火) 00:23:43
権威主義なのか。
フクヤマ様を信仰してるんだね。つーか、だれ?
577一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/31(火) 00:26:35
>>572
現代倫理学なんかだと、価値=善悪は完全に「相対的」であって、もう勝手に
個々人で追求しなさい、ということになってますね。
だから、善悪について語る倫理学は衰退して、正義について語る倫理学のみ
が細々と(?)活動している状態です。

で、私もこの立場に賛成なので、「科学に価値はあるのか?」とか「宗教に
価値はあるのか?」と訊かれたら、「価値があるかどうかは、それに価値を
認めるかどうかであって、君が価値を認めるならあるし、認めないなら無い」
としか答えようが無いわけです。

ですから、「価値を認める」を「価値を認める立場」と書いても同じですし、
「のみ」は言いすぎですね。
578考える名無しさん:2006/01/31(火) 00:33:05
>>561
自然現象の非線形科学と量子論を混同しているお馬鹿さん発見ww
579練馬哲人:2006/01/31(火) 00:39:00
>>568 千乃正法会のスカラー波や、ライフスペースの定説は、科学で否定した方が良いと思うけどね。
教科書から進化論の削除を求めているキリスト教団体だって、たまらんなぁw
580一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/31(火) 00:42:21
>>579
そう言わないところが価値相対主義+自由主義の味噌です。
J.S.ミルの『自由論』で言われているように、他人に危害を加えない
限り個人は何をしてもよい(しかも、その危害は法律によってのみ
規定される)ということです。但し、この主義を否定する自由も認めて
いるので、価値相対主義+自由主義は政治的にかなり弱い立場に
あります。
581練馬哲人:2006/01/31(火) 00:45:59
>>578 馬鹿はおまえw
自然現象の非線形科学なんて、勝手に作られてもなぁw
582練馬哲人:2006/01/31(火) 00:53:35
>>578 カオス理論で言う初期値の僅な違いは、シュレーディンガー方程式ではあり得ないのよ。
おまえ、複雑系理解してないだろ?
583一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/31(火) 01:00:58
>>575
個人的に仏教を宗教に含めるのはやや問題があると
思います。少なくとも「宗教」の日常的なイメージからすれば。
584 リアリスト :2006/01/31(火) 01:02:15
科学がどれだけ進もうが、科学の力ではどうしようもない人の
「生に伴なう苦痛」のあるかぎり、「何者か」にそれを預けたい、
できることなら荷を降ろしたいという願望は尽きないと思われる。

解決しようのない問題や問いを自分でいつまでも抱えることに
「意味」を見い出せない、あるいはその「必要」を感じないという
者が出て来るのは自然な事である・・そう考えるほうが合理的
ではなかろうか?
585むじんくん:2006/01/31(火) 01:04:32
>>566
随分昔の話ですね。
586一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/31(火) 01:05:56
>>584
価値相対主義+自由主義の要求は自己の価値観を
守りたい人は「政治的に」ちゃんと守ること、です(但し、
そうすることに価値があるからではなく、自由である以上
しょうがないからです)。
「カルト」よりも「科学」は真理に近いだろうから大丈夫だろう、
などという甘い考えは許されないのです。
587むじんくん:2006/01/31(火) 01:08:17
>>580
> J.S.ミルの『自由論』で言われているように、他人に危害を加えない
> 限り個人は何をしてもよい(しかも、その危害は法律によってのみ
> 規定される)ということです。

しかし、ミルの植民地論というのがある。つまり、こういった近代的自由というのは植民地
支配を前提としている。だから、やっぱり近代的な均質空間の成立、その前提というものを
考えるべきかと思いますね。価値相対ができるということは、裏側に絶対的な何かがあると
いうことです。
588茶ラツストら:2006/01/31(火) 01:12:16
>>584
宗教が麻薬的力で無知な大衆達を魅了しつつ暴力の衝動を抑える
それは「畜群」としての人間の姿であり、孤高の才能は「畜群」
に入ることを潔しとせず、その立場に追い込まれれば自刃する
589一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/31(火) 01:13:56
>>587
自由主義には経済構造による搾取の自由も含まれますので、
政治的にそこをなんとかしてくださいとしか言い様がありません。
ちなみに、価値相対主義とは「価値相対を実現すること」ではなく
「普遍的価値基準が立てられない」というだけです。価値相対主義者が
無意識に絶対的な何かを信じていても別にそれは構いません。
590ゾルレン:2006/01/31(火) 01:14:55
>>544
>では、そのような多様な科学者の行動が、何らかの科学
>の名によって制限されることが適切なのだろうか。

ぴかぁ〜というコテや機械君のような輩も含めて自らの言説を科学と言う人間はたくさんいる
科学の境界設定問題が注目を浴びたのも、当時自らを「科学的」と主張するマルクス主義者たちの言葉に対して
「彼らの方法論が本当に科学的なのか」という注目があったからだ
そのようなトンデモも含めて「なんでも科学」という状況に何の制限も課さなくてよいのだろうか?

「倫理の『合理的科学的基礎』は存在しないにしても、科学の、そして合理主義の倫理的基礎は存在する」

科学者の多様な意見、考え、行動を認めながらも、それらを批判的議論に積極的にかける必要があるのではないだろうか
科学的営為から規範性を切り離すならば、科学の活動を閉鎖的なものにしかねないのではないだろうか?
18世紀のイギリスの物理学者、ヘンリー・キャヴェンディッシュのように
実験を秘密裏に行い実験の現場を公開しないような活動は科学的と言えるのか
これは反証主義に対する批判として提出されたものだが、
合理主義と科学的活動における知識の発展において
規範意識と自らの理論を規範にコミットさせる行為は必要不可欠であるように思える
同時に、批判を受け付けない理論(もしくは内部に批判を無効化する免疫化戦略を保持している理論)に対して
そのような理論が(真か偽かは分からないが)独善に陥っていることを指摘していくことは合理主義にとって価値があることのように思える
591練馬哲人:2006/01/31(火) 01:16:45
>>587 無茶言うなよw 論理になってないだろ? 
592茶ラツストら:2006/01/31(火) 01:16:59
自由を採れば平等はなく、平等を採れば自由はない。
自由がなければ暴動もまた平等に裏打ちされた権利。
593ゾルレン:2006/01/31(火) 01:20:53
>>591
>ちなみに、価値相対主義とは「価値相対を実現すること」ではなく
>「普遍的価値基準が立てられない」というだけです。
普遍的価値基準が立てられないということ
そのようなものが手に入らないということには価値相対主義じゃなくとも同意できる
価値相対主義は問いと理念への帰依について根本的な勘違いをしている

>価値相対主義者が
>無意識に絶対的な何かを信じていても別にそれは構いません。
それを疑っても別に構わないはずだ
594一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/31(火) 01:26:15
問いを立てる自由と問いを立てない自由
議論に参加する自由と議論に参加しない自由
批判する自由と批判を聞かない自由

寛容主義ですね。
最低限のラインとして危害原理がありますが、キリストのように
これも寛容だという立場もあるでしょう。
595むじんくん:2006/01/31(火) 01:28:10
>>589
> 「普遍的価値基準が立てられない」というだけです。価値相対主義者が
> 無意識に絶対的な何かを信じていても別にそれは構いません。

いや、そうじゃなくて価値相対を許しても構わない、絶対的な均質空間があるということです。
それは何かと言うと世界資本主義である。自足した経済社会では価値相対主義なんか存在し得ない。
時々人権問題なんかで問われますね。アフリカとかのある部族が、非常に国連的人権感覚に反する
ことをやっている場合、どう考えるかといった。

>>591
> >>587 無茶言うなよw 論理になってないだろ?

何で?
596練馬哲人:2006/01/31(火) 01:29:47
>>593 誤爆でなければ、解りやすく書き換えてくれんかね?
597一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/31(火) 01:30:42
>>595
価値相対主義は絶対価値を認める共同体も認めます。
ちなみに、価値相対主義は古くはプロタゴラスあたりも匂わせてるので、
世界資本主義という要件は歴史的事実に照らしておかしい、と思います。
598考える名無しさん:2006/01/31(火) 01:31:51
>>592
おまえの論理はテロ肯定主義だと思われても仕方がないな。
ニィチェがテロリストだったか?・・・スタブローギンのモデルか?
どうなのかわかんないがね。
599ゾルレン:2006/01/31(火) 01:32:27
非合理主義者である自由
哲学しない自由
考えない自由

600一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/31(火) 01:33:09
>>599
ええ、もちろんあります。
601考える名無しさん:2006/01/31(火) 01:34:40
>>600
となると、価値相対主義は学問と相容れないのだろうか?
602考える名無しさん:2006/01/31(火) 01:35:42
自由であること・・・・自由選択の責任を問われる重圧・・重圧
いっそのこと責任とは無縁の命令への服従を選んだ方が気楽だよっと
603ゾルレン:2006/01/31(火) 01:36:03
>>596
めんどい
広義の相対主義は次のように分類できる

経験的相対主義
価値論的相対主義
 規範的相対主義
 メタ価値論的相対主義
  非普遍主義
  価値相対主義

価値相対主義は一般に狭義の意味で相対主義と呼ばれる
これだけの分析と批判があるということ
604一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/31(火) 01:37:52
>>601
さあ、どうでしょうか。
というか、抽象論じゃなく現実的問題として、議論に参加したくない人や
批判を聞かない人がいて、その人が自己の主張は正しいと言い張っている
場合に、放置以外に具体的にどう解決するのでしょうか。
例えば、矢追純一さんがテレビ討論に出たくない場合に、首に輪を付けて
引っ張ってくるんでしょうか。あるいは、暴力によって?
605ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/31(火) 01:39:12
そんなのさじ加減・・・
606練馬哲人:2006/01/31(火) 01:39:23
>>595 絶対価値の均質空間があるのなら、価値相対になるわけないじゃないの?
それに資本主義だって相対的な価値観だぞ?それを絶対的と言うのは、古典的左翼だけだ。
607むじんくん:2006/01/31(火) 01:41:42
>>597
> 価値相対主義は絶対価値を認める共同体も認めます。

だとしたら、実質的に無効となる主義ですね。
608考える名無しさん:2006/01/31(火) 01:43:23
>>595
>>価値相対を許しても構わない、絶対的な均質空間があるということです。
諸他の価値群の生存を許してもかまわないくらい広範な市民権をすでに獲得
してしまっているより普遍に近い価値尺度がつまり均質空間なわけだ。
カイザルが征服した他者の宗教や価値観に寛容であったのは、何もカイザルが
人道的であったわけではなく、ただ異質なものを許容してもビクともしない
自分自身の価値尺度の強力さを見せ付けるために他ならなかったのだから。
価値相対主義の背後にはやはり絶対的な専制価値の君臨というものが前提に
あると思う。


609一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/31(火) 01:43:25
>>607
ええ、そうです。
価値相対主義も寛容主義も非常に弱い立場にあります。
610むじんくん:2006/01/31(火) 01:44:04
>>606
> >>595 絶対価値の均質空間があるのなら、価値相対になるわけないじゃないの?
> それに資本主義だって相対的な価値観だぞ?それを絶対的と言うのは、古典的左翼だけだ。

均質空間があるからこそ、多文化主義という発想が出てくる。そのことを所謂「寛容」なリベラル主義者は
意識していない。また、その均質空間の期限は植民地化であり、強制的に市場経済へ取り込むことによって
成立している。世界市場成立以前は不均衡な空間ですよ。これ常識。
611ゾルレン:2006/01/31(火) 01:44:42
本稿で考察され、また願わくは解かれるべき問題は、面喰うほどてみじかに述べることができる。
論証は、演繹的であるか、演繹的でないかである。
演繹的論証は循環的であるし、演繹的でない論証は妥当ではない。
循環も非妥当性もよくないことである。
このように、なぜわれわれは論証というものの扱いに苦しむのか。
論証は何をなしとげるのだろうか。
 
私にとってこの問題は、重大なものであり難しいものである。
しかし、ある読者はこの問題を重大なものとも難しいものともみなさないのではと懸念するし、そう予想さえする。
というのも、真理や合理性といった古風な知的徳目の追求をあざ笑い、
こういった啓蒙主義的考えはとり返しのつかないほどに死んでしまったと主張することがふたたび流行してきたからである。
知的には眠気を催すような(私には、知的に無責任と思える)ポスト・モダン崇拝に魅了されている人たちは、
私が共有してもらいたいと思っている問題は、賢明な人なら真剣には受けとらないように学んでしまったこと、
つまり、知的な活動において〈じつに〉論証が用いられているということだが、
これを前提しているのだから重大事ではないと言うことであろう。
もちろん、論証ということで私がここで言っているのは、前提と結論からなる構造のことであって、
楽しく愉快な一片の〔ポスト・モダニストがはやしたてる〕物語のことなどではない。
専門的に言えば、なんらかの、独断的になされた主張は、前提がない論証とみなされるが、
本稿での目的からして、そのような退化したケースは度外視することにしよう。
ポスト・モダニストの人に対しては、もしこの場におられるのなら、耳を傾けてもらうことだけを求めたいと思う。
相対主義や懐疑主義はポスト・モダニスト的ものの考え方の典型をなしているが、思うに、それらは初歩的な認識論上の混同に由来するものである。
私の主な目的からは隔たるとはいえ、私が言わなければならないことはその混同を明確に捉えるであろうと思う。

ディヴィッド・ミラー
『論証は何をなしとげるのだろうか』
612むじんくん:2006/01/31(火) 01:45:42
>>609
> ええ、そうです。
> 価値相対主義も寛容主義も非常に弱い立場にあります。

直近の話題で考えると、例えばテロリストをどうするかというのがありますね。或いは日本で
言えばオウム真理教のようなカルト教団です。世界を破滅させる思想を持った集団というのが
仮にあったとして、それは認めるべきかどうかですね。
613考える名無しさん:2006/01/31(火) 01:46:46
というか、政治における価値相対主義は、
歴史的経験に基づいて「寛容でありましょう」という
反省的な立場なんだな。一言がこれのことを言ってる
のかは知らんが。

あと、知性の優位の否定ね。
研究者にも毎日パチスロ通いの何も考えてないおっちゃん
にも一票を与えるのはこのため。
614練馬哲人:2006/01/31(火) 01:46:54
>>603 構造主義は何処に分類されるんだい?
615ゾルレン:2006/01/31(火) 01:48:02
>>614
大陸は最初から除外してる
616一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/31(火) 01:49:55
>>613
そうですね。
法学でもそうでしょう。
ただ、法自体が既に政治的産物ですが。
617むじんくん:2006/01/31(火) 01:54:12
>>613
> というか、政治における価値相対主義は、
> 歴史的経験に基づいて「寛容でありましょう」という

そりゃ実際には欺瞞的言説ですよ。本当はこうです「お金を支払えば何考えていてもよろしい」。
「お金の前には皆平等」。

618 リアリスト :2006/01/31(火) 02:09:44
>>612
信仰や思想は自由でいいでしょ。
その行動が合法か違法かで咎めればいいんだから。
非合法の行動範囲とそれに対する量刑の調整の問題かと。
619むじんくん:2006/01/31(火) 02:30:42
>>618
> 信仰や思想は自由でいいでしょ。
> その行動が合法か違法かで咎めればいいんだから。

合法/違法って言えるような状態だったら、それは対象となる思想団体は既にそういう
法治社会に取り込まれているということであり、そのような空間の内部に存在している
ということです。

だけど、前に確か問題になりましたが、アフリカかどこかで先進国内部から見たら明らかに
人権侵害なこと、所謂「女性器切除」が行われている共同体などに対して、どう考えるか。
620考える名無しさん:2006/01/31(火) 04:27:59
だれか「魂」について語ってくれ
621考える名無しさん:2006/01/31(火) 10:36:57
誰にも負けねえ「職人魂」が親父の口癖
622考える名無しさん:2006/01/31(火) 11:04:50
ってか、このままじゃ話は平行線だよね。
>>604で理論と実践の話になってるけど、

むじんくんは「どう考えるか?」と問いを立てて具体的に答えず、
ゾルレンは単に議論や論証が大事だと言うだけでやはり具体的に答えず、
一言は「寛容でありましょう」といきなり実践の問題に還元してしまうんだから。

ハーバーマスなんかも「超越的規範が無い以上、議論するしかない」と言うが、
「じゃあ実際にやってみて合理的議論ができるのか?」という実践的な反論を
食らっちゃうわけだし、ジョン・ロールズも前期の正義論から離れて、後期は
「実現可能性」という概念を持ち込んじゃったし。

623考える名無しさん:2006/01/31(火) 12:43:59
おまえらアホだろ?
さっさとスタートしろ
624むじんくん:2006/01/31(火) 13:28:45
>>622
> ってか、このままじゃ話は平行線だよね。

僕は基本的に近代社会肯定派です。しかし、一方で植民地問題がありますね。例えば、
例に出したような、国連的人権思想に反するようなことがある共同体の風習になって
いる場合、介入してよいかどうか。反近代主義の人たちは、そういう行為は植民地主義と
同じだと言うわけです。

しかし、一方でそういう風習に従わざるを得ない女性側の声というのがある。なので、
介入しない、嫌ならそんな集落から出りゃいいじゃないかというのはちょっと問題かと
思うのです。

こういう話は例えば靖国問題なんかでも出てくるのです。あれはとどのつまり植民地問題を
どう日本政府が考えているかということなんですね。実際には何も考えてない。だから、
外向きには謝罪するが、内向きには首相が参拝したり、日本が韓国を近代化してやったんだ、
なんていう言説が語らえたりする。

価値相対主義っていうのは、そういう植民地時代の後で成立した近代社会において出た
「あだ花」です。そういう発言を気楽にしていられるのは、近代的社会の内部に対して深刻な
問題もなく暮らしていけるからであって、そうじゃない立場の人は沢山いるし、近代的人権の
裏側に植民地の問題などがあることを隠蔽している。

なので、やはり近代社会の功罪を検討し、どう積極的な意味合いを今の社会に見出すか
という話になると思います。
625むじんくん:2006/01/31(火) 13:37:28
もう少しいえば、>>604に書かれているような、

> 批判を聞かない人がいて、その人が自己の主張は正しいと言い張っている
> 場合に、放置以外に具体的にどう解決するのでしょうか。

ということは、我々が住むような社会だからできることです。できない、しない社会は
沢山あるし、あった。何故"放置"できるのか?人々が賃金労働者に転落しているからです。
もしそうでなければ、放置はできないです。社会的に直接問題となってしまう。しかし、
皆が賃金労働者に転落済みであれば、放置しても問題ないのです。彼は賃金を得るために
決まった行為をしなければならないからです。
626考える名無しさん:2006/01/31(火) 16:56:01
>>624-625
それは社会学の範疇で哲学の問題じゃないだろ
最近このスレがつまらないのはこうした言動が多いせいだな
靖国問題なんてどうでもいい
627ゾルレン:2006/01/31(火) 17:10:31
>>622
現実にどのような考えをもちどのように実行するかは現実の話だからそちらに任せる
知的職業に就く者は議論の世界の住人として、多くの考え(議論が有意義なのか、とか、われわれが合理的であるべきなのか、とかについてさえ)
議論や論証を経て自らの立場を批判できる
実際に相手が議論の場に立つかどうかではなく、自らの立場と相容れない立場を議論や対話の相手として仮想することが
自らの立場を自己批判し反省する態度であると俺は考える

ミラーの文章などを読んでも、
ポストモダニストのような対話を軽んじる者相手に有意義な議論や対話が成立するとは思えないし、
彼らを説得したり彼らを改宗させようというのはドンキホーテも真っ青の行為だろう
ミラーは結論として、論証は常に批判のためにあると述べている
ポストモダンのような立場を批判するような論証も、相手の立場を攻撃したり説得したりするためのものではなく
自らの立場を批判にかけるためのものである
例え実際には議論に参加しない立場であったとしても、彼らの論理を汲み取りそれを批判にかけ議論を行おうとする行為は
現実においては無駄と呼ばれる行為かもしれないが、哲学的には非常に有意義であるように思える

比喩を用いるならば
人間が自らの生活を反省するために犬と擬似的に議論してみようとするものだ
実際に犬と議論できるわけではないが、それは人間が議論できる範囲でしか物事を考えなくていいということを意味しないはずである
いかなる問いでも建てられるし、そのような問いを建てる行為を経て、われわれは思考をより練磨させることができるのではないだろうか?
628考える名無しさん:2006/01/31(火) 21:00:01
>>607
有効か否かも相対的なだけでは?
629考える名無しさん:2006/01/31(火) 21:01:59
学者も世俗に住んでるんだから無理では?
大学に引きこもるしかない。
630「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/31(火) 23:17:52
>>590
>「倫理の『合理的科学的基礎』は存在しないにしても、科学の、そして合理主義の倫理的基礎は存在する」

判りますが、「倫理」という概念(言葉)が「科学的検証を受けていない」と申し上げているのです。
おっしゃている「倫理(的)」とは、「キリスト教(的)」と「イコール」でしょう?・・
要するに「科学的ではない(先入観に冒されている)」と申し上げているだけです。
631「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/31(火) 23:23:06
>>627
>例え実際には議論に参加しない立場であったとしても、彼らの論理を汲み取りそれを批判にかけ議論を行おうとする行為は
現実においては無駄と呼ばれる行為かもしれないが、哲学的には非常に有意義であるように思える

「大衆を惹きつけるプロパガンダ」としてはヒトラーより優秀であるかもしれませんが、
そんな「おだて」で喜ぶ「ROM」さんたちが、今どきどれほど居るのでしょうか?
できれば「正論」でレスをお願いします。
632一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/31(火) 23:27:45
>>624
価値相対主義が近代社会の産物だという命題は、
古代ギリシアのプロタゴラスも採用していたという
歴史に照らしておかしいです。

J.S.ミルの時代にいきなり登場したわけではありません。

また、個人を圧迫する共同体の行為は、価値相対主義
+自由主義の一定の立場からは「介入せよ」ということになり
ますし、共同体論の一定の立場からは「控えよ」ということに
なります。また、価値相対主義+自由尊重主義ならば「国家
などいらない」ということになります。
価値相対主義は必ずしも「多様な価値を認める」わけでは
ありません。現実問題としてそれはできないため、何らかの
政治上の立場と結び付く必要があります。
633ゾルレン:2006/01/31(火) 23:28:34
>>630
その言葉は科学哲学者のセリフだ
同じような言葉で科学者が発したもので
「倫理を科学的に基礎付けることはできないが、科学は倫理的に基礎付けうる(と信じたい)」というのがある

俺が申し上げたいのは、少しは興味をもって本を読んでくれということだな
説明するのも億劫だ
634ゾルレン:2006/01/31(火) 23:31:10
>>631
哲学が無駄というならそれも結構
君に哲学の意義を実感してもらうつもりもない
635「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/31(火) 23:32:14
>>625
>ということは、我々が住むような社会だからできることです。できない、しない社会は
>沢山あるし、あった。何故"放置"できるのか?人々が賃金労働者に転落しているからです。

資本主義社会は「賃金労働者」の存在抜きには存立し得ません。
マルクスの時代と違って、現代は「資本が賃金労働者の動静に左右される」時代なのです。
要するに、「景気」とか「株価」とかは、賃金労働者が得た賃金を「どう消費するか」で、
「決定」される・・・それが「第一原因」である経済システム・・では、
ホリエモンさんが拘置所の独居房に収容された時の最初の質問が「株価は見れないの?」
だったこと・・に象徴されております。
636「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/31(火) 23:36:01
>>634
あなたが、あたかも「見えざる(無言の)大衆」の言葉を代言しているような
レスをして、それが「全く見当違いな我田引水」だったので、そう申し上げた
までのことです。・・・ご自分ではお判りかと思いますが・・
637ゾルレン:2006/01/31(火) 23:38:58
>>636
>あなたが、あたかも「見えざる(無言の)大衆」の言葉を代言しているような
>レスをして、
無言の大衆ねぇ
多くの哲学者も機械君の前では大衆の一人にされてしまうわけか
無知というのはおそろしいものだね
638「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/31(火) 23:44:56
>>637
>多くの哲学者も機械君の前では大衆の一人にされてしまうわけか

「科学」の進化に「瞠目」出来なければ、ご理解は戴けないと思います。
もはや「江戸時代中期」のカント氏の「認識論」を引用する必要が「全くない」
ということを・・・ご理解頂ければ・・後の「明治・大正・昭和」が「哲学においても」
「過去」・・・である・・・ということのご理解に近づくと思います。
・・・「コテ観念論」はキリスト教と「同等の強度を持つ」・・という観測点に立てば、
「やはり無理」なのかもしれませんが・・・
639ゾルレン:2006/01/31(火) 23:56:45
>>638
>もはや「江戸時代中期」のカント氏の「認識論」を引用する必要が「全くない」
>ということを・・・ご理解頂ければ・・後の「明治・大正・昭和」が「哲学においても」
>「過去」・・・である・・・ということのご理解に近づくと思います。

いかなる思想も、知識を改善するのにはあまりにも古すぎてバカらしいなどということはない。

デモクリトスの原子論もそうだし
ピュラゴラス派のフュロラオスはすでに地動説を唱えてた
コペルニクスは既存の天体理論には失望してたが、過去に地動説を唱えてた人間がいることを知り驚いている
640「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/01(水) 00:00:56
>>639
驚いているのは「キリスト教メジャー思想の方々」だけなのですよ。
ガリレオが「それでも地球は動いている」と言った時代に、
「地球が動いているのは常識である」と考えていた知識人達が居た
国家・社会もあったのです・・ただそれが「キリスト教的科学史」
に記載されていないだけのことなのです。
641ゾルレン:2006/02/01(水) 00:03:55
>>640
コペルニクス本人が驚いたんだよ
日本語やり直したら?
642「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/01(水) 00:08:16
>>641
コペルニクスが「キリスト教社会内存在」でなかった・・・とおっしゃりたいのですか?
もしそうならば、それは「間違いです」と申し上げますが、
そもそも天動説や地動説など「どうでもいい」のです。
『「あなた」が「この宇宙の中心である」』・・という現代宇宙論の「自明の理」について、
あなたのご感想は?・・どうなのですか?
643ゾルレン:2006/02/01(水) 00:18:16
>>642
>『「あなた」が「この宇宙の中心である」』・・という現代宇宙論の「自明の理」について、
>あなたのご感想は?・・どうなのですか?
観察者じゃなくて俺個人?

もし、俺がこの宇宙の中心であり、機械君もまた宇宙の中心であるならば
異なる場所にそれぞれ宇宙の中心があるということになってしまう
重心は点とは限らないからそれでもいいけど
もし宇宙の中心が点としてあるのなら、異なる場所にそれぞれ宇宙の中心があるというのは考えられない

また、もし仮に俺は宇宙の中心であるが、機械君は宇宙の中心ではないとしよう
そうすると俺と機械君の間で宇宙の中心であるかそうでないかについて違いが生じているが
俺と機械君の間には違いを指摘できない
ここで「俺は俺であり、機械君は機械君だ」のように個別的な違いをもって理由付けすることは
合理主義がもつ規範へのコミットを満たす要請から禁止される
644考える名無しさん:2006/02/01(水) 00:18:23
>>642
この人変。機械的唯物論者(自分)以外はただの阿呆だと思ってるようだw
645考える名無しさん:2006/02/01(水) 00:19:47
"                /、__,/
        _,,. -‐''''''""''''‐-、‐'" -'''""  ̄ ""''- .,, u   ,./
     ,. -'"           /             ヽ、 /
   /   u         ,'                u  ゙v
.   /           ,.   i               ヽ、
  /           ,ノ i l l  l, i              ヽ、
  、_       ⊂ニ -' 人 ij   l l   u            ,.-''"::゙゙'ヽ、
    ゙゙゙'''二ニ'''─‐'''''"ヽ、゙、   J            /:::::::::::::::::::::::゙ヽ、
       ̄`   ノ,. /r‐' ゙il ヽ              /:::::::::::::::::::::::::::,.-'"゙ヽ、
         __,,. J   |i、_<            /;;;:;:::::::::::::;:;:;;;/       ゙ヽ、
     u ニ二 -'" __,,./il゙、 ヽ;          ,i';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/          \
       __,,,,,,. -i''i"/、 __、' i,,.ヽ、     j      |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;i'              ヽ、
   ̄ ̄`''''-.,, j ゙'J U   ij    ` - .,_      l;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|             ヽ、
      :::::::::::`ヽ/      ∧    ゙゙'''‐- .,,,___i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|        >-─‐-
       :::::::::;;;/      /  \           `ヽ、;;;;;;;;;;;i     ,.-'"
       ::::;;;/     / グ ガ ヌ: ヽ           `'''-ヽ- .,,_ 〉'
              |. チ ッ ル: |                  i
              ヽュ チ ポ |                      l
               \ ュ ッ/
646考える名無しさん:2006/02/01(水) 00:20:27
機械を擁護するわけではないが、

無限円

あるいは、

端と端が完全に繋がっている空間

では、どこを中心と言ってもよいはず。
647「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/01(水) 00:23:01
>>643
「現代宇宙論の常識」を全くご理解されていないようなので・・・
基礎@「距離を隔てての観測は『過去の観測』」を意味する。
・・・をまずご理解できておりますか?
648ゾルレン:2006/02/01(水) 00:24:41
>>647
>@「距離を隔てての観測は『過去の観測』」を意味する。
>・・・をまずご理解できておりますか?
知ってるよ
だから?

もしかして、それを根拠にずっと観念論を主張してたの?
アホらし
649[機械的唯物論者 ◆djnIuM2ZLs :2006/02/01(水) 00:36:19
>>648
では「あなたの宇宙」の中心は「あなた」ですよね?
650考える名無しさん:2006/02/01(水) 00:40:21
>>649
あたりまえだw
単布団の上で百年坐ってこいww
651ゾルレン:2006/02/01(水) 00:41:25
>では「あなたの宇宙」の中心は「あなた」ですよね?

「あなたの宇宙」とか「俺の宇宙」とかいうものを俺は信じない
俺は経験に対する論理の優位性を信じる立場、実在論者だ
この宇宙が観察者の認識と切り離されて実在することを信じる
ぴかぁ〜が無思考に「素朴」と馬鹿にする立場になるわけだが(このセリフを言ったときのピカは思考してないが)
科学者の間ではむしろポピュラーな立場になるだろう
652考える名無しさん:2006/02/01(水) 00:44:31
科学者の場合、科学哲学のような明確な立場(あるいは思想)は無い。
科学哲学はあくまで哲学の立場だよ。
653652:2006/02/01(水) 00:46:29
あるいは、あるとしても、晩年の偉大な科学者が科学者としての経験から
少しの箴言的な何かを残すくらいだな。若いうちに哲学に走るようでは
基本的に大成しない。
654考える名無しさん:2006/02/01(水) 00:49:26
でも、機械の言う科学がおかしいのも事実なのでは?
655[機械的唯物論者 ◆djnIuM2ZLs :2006/02/01(水) 00:49:48
>>651
>この宇宙が観察者の認識と切り離されて実在することを信じる

「あなたが認識する(認識できる)」宇宙以外の宇宙の存在を「信じる」
立場は、残念ながら科学(的厳密性)と相容れません。
656652:2006/02/01(水) 00:53:45
>>654
それとこれとは関係ない。
機械が間違ってるならその論敵のゾルレンが正しくなるわけじゃないでしょ。
ゾルレンは方法論には詳しいのかもしれないが、具体的な話になると
(前スレの地球が平らだという論証の話など)急に変になるように見える。
>>643の後半もそうで、「宇宙に中心はひとつしかない」という隠れた前提がある場合にのみ
この反論ができるということに本人が気付いていない。

この辺は読書じゃなくて場数(実験と計算と討論)の問題だよ。
657652:2006/02/01(水) 00:57:44
ついでに、前スレで地球が平らだという論証には反証可能性があると言っていたが、
915(?)が反論してたように「ズレ」が決まってないんだから、全部「誤差」で済ませられる。
つまり、ズレない派=地球は平らだよ派は「ちょっとズレたけど全部誤差だね」で簡単に
ズレる派=地球は丸いよ派の反論を封じてしまうことができる。いったい、これを許しえる
論証のどこに反証可能性があるのか?
これは、決定論とまったく同じ論証の構造だ(ズレは全部誤差)。
658考える名無しさん:2006/02/01(水) 01:03:11
地球が平らであるという論証はできないんじゃね?
659652:2006/02/01(水) 01:05:52
>>658
「地球が平らである」という仮説で反証可能な仮説はいくらでも立てられる。
問題は、その仮説の立て方を適切にできるかどうか、だ。
仮説の重要性を知ってることと、実際に適切な仮説を立てられることは違う。
660ゾルレン:2006/02/01(水) 02:56:18
一般に実在論は常識的な立場だ
哲学では実在論を支持することは困難だが一般人なら実在論を否定するほうが稀だろう
科学的営為において実在論が前提として不可欠であるというのは主流な見解だろう

ついでに言うと、量子論で問われている論争は世界の決定性ではなく実在性
EPRパラドクスは実在論を前提にした際に生じる、相対論と量子論が同時に成立すると仮定すると生じるパラドクスだ
だから実在論を否定すれば量子論とEPRパラドクス(相対論)は両立できる
量子論の方では実在論の立場をとる人は苦しいようだね


それと論証や論理を誤解している人がいるようだけど
ミラーは「論証は何をなしとげるか」において
論証を正当化を目的として行うことは妥当ではないと結論している
これは本当にそうであると思う
小河原先生が批判における説明で「批判とは言明間の論理的関係をもってなされる」と
批判を論理的反証子として説明している
論証は前提と結論からなる構造であり、批判は論理的に両立不可能な言明の指摘をもって達成できる

以下は小河原先生の文章

>氏は、反証が成立したかどうかの認定の困難さに言及されておられる。
>これは、一般的に言われていることであるし、
>ポパー自身も反証の「認定」が速やかに進行するとは考えていなかったことは明白である。
>また、ポパーはそうした「認定」のための一般的判定基準があるとも考えていない。
>そういうものがあると考えたり、あってほしいと願うことは正当化主義に足下をさらわれているのではないだろうか。
661考える名無しさん:2006/02/01(水) 03:03:47


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662ゾルレン:2006/02/01(水) 03:12:36
>>652
君が現場に立っている人間ならば、変に哲学の話を振って混迷させるのは失礼だろう

だが、哲学には哲学特有の変な言い回しがある
俺の立場は科学を尊重する立場になるが
科学を信頼に値するとは思っているが
「科学理論は世界そのものの記述には失敗しているし、科学理論は人間がつくりだした神話である」と発言する
<現にそう思っているわけだし>

機械君のように、科学が描き出す世界がそのまま実在世界であると主張することは
天動説を主張する者のような嘲笑を哲学界においては浴びるだろう
ぴかぁ〜のように指差して「素朴」と笑う
それが哲学界の慣わしだ
もっとも「包括的合理主義」と呼ばれるようなスタイルもまた大きく批判されるものだが
663練馬哲人:2006/02/01(水) 04:49:36
機械vsゾルレン戦は、見苦しいぞ。
「世間ではこういうことになってるから、自分の方が正しいんだもんね。」って、虚栄心の応酬ではないか。
664練馬哲人:2006/02/01(水) 05:10:09
>>660 批判や論証が正当化を目的としないなら、いったい何の意味があるのだね?
665考える名無しさん:2006/02/01(水) 06:06:52
>>663
機械「科学者の立場を空想して言うとこういうことになってるから、自分は正しいんだもんね。ゆんゆん」
ゾルレン「俺の好きな哲学者はこう言っている。知らない?知りたきゃ調べろ」
666ゾルレン:2006/02/01(水) 06:13:06
>>664
俺の口から答えを言っても面白くなかろう

論証や経験による理由付けを求める態度、これを「合理主義」と呼ぶ
ぴかぁ〜は正当化に限界があることを察して合理主義を放棄している
一般に「非合理主義」と呼ばれる態度だ
むじんくんが言うような「近代の失敗」などの言葉もポストモダンの本を読むとよく出てくるが
これも近代合理主義を指していよう
ポパーは「包括的合理主義」を次のように定式化している
「どのような仮定(前提)であれ、論証なり根拠付けなしに受け入れられてはならない」
これはデカルトの方法序説にも見受けられる
ついでに言うと、ポパーは非合理主義は包括的合理主義よりも筋が通っていると指摘している
この問題群は「合理主義の非合理性」などと呼ばれる

この合理性の問題は>>656の文章が的をついていて面白い
>>643の後半もそうで、「宇宙に中心はひとつしかない」という隠れた前提がある場合にのみ
>この反論ができるということに本人が気付いていない。
「正当化主義の観点からの批判は「正当化のアルキメデス点が存在する」という隠れた前提がある場合にのみ
この反論ができる」という文章を思い出した

より道失礼

論証が正当化を求めるならば、そのような態度は解決不能なアポリアにはまりこむ
ミュンヒハウゼン・トリレンマとしてハンス・アルバートが定式化したが
古くは古代ギリシャにも見受けられる
667ゾルレン:2006/02/01(水) 06:30:55
>>665
笑ったよ
詳しく知りたきゃ「ハンス・アルバート」とかで検索しろ

哲学では見解はいろいろある
ぴかぁ〜の言ってることも自分勝手なものにすぎないが
あいつの根っこには最近流行の思想のロジックが眠っている
科学の解釈だって反証主義だけではない
社会構成主義や規約主義だって立派な科学の解釈のひとつだ
俺はそのような態度には真っ向から反対するが、俺の立場が哲学の主流と勘違いされては困る

そうそう、最近の哲学では非合理主義が流行なんだ
議論や相互批判などの知的営為を鼻で笑うのが今流行りの哲学ってわけさ
668ゾルレン:2006/02/01(水) 06:35:14
ああ、ついでに
ハンス・アルバートの本は絶版だから
ま、探すやつなんていないだろうけどね
669考える名無しさん:2006/02/01(水) 06:35:44
笑ったのか。怒るとおもってた。
670ゾルレン:2006/02/01(水) 06:41:50
>>669
俺は哲学徒である前に一2ちゃんねらーさ
671練馬哲人:2006/02/01(水) 08:42:22
>>670 粋だねw
672むじんくん:2006/02/01(水) 11:22:31
>>632
> 価値相対主義が近代社会の産物だという命題は、
> 古代ギリシアのプロタゴラスも採用していたという
> 歴史に照らしておかしいです。

古代ギリシャは奴隷制であり、プロタゴラスは当然奴隷ではない。何がいいたいかというと、
プロタゴラスの相対主義というのは単なる非奴隷階級の弁論術なのです。思想ではありません。
奴隷が価値相対なんてことポリスでいい始めたら、真っ先に殺したことでしょう。

しかし、ミルの自由論というのは質的に違うのです。なぜ万人平等を維持しつつも自由という
ことが言えるのか。皆が賃金労働者に転落しているからです。逆に、前近代社会の人々は
賃労働に転落させる必要がある。これが植民地というものであり、ミルはそれを肯定していた。

> 価値相対主義は必ずしも「多様な価値を認める」わけでは
> ありません。現実問題としてそれはできないため、何らかの
> 政治上の立場と結び付く必要があります。

それは・・・何も言ってないということと等価ですよ(笑)。
673むじんくん:2006/02/01(水) 11:26:53
>>635
> マルクスの時代と違って、現代は「資本が賃金労働者の動静に左右される」時代なのです。

違います。人々が賃労働をしてもしなくても趣味の問題だ、というのならば仰るとおりですが、
現実には労働を売らなければ生活ができない人が大半なのです。そうなれば、当然買う立場の
資本が強いにきまっています。ホリエモンが財界から馬鹿にされているのは、そういう搾取を
きちんとしないで、単に人気取りをして株価つりあげだけをやっていたからなのです。
674一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/01(水) 13:06:45
>>672
>古代ギリシャは奴隷制であり、プロタゴラスは当然奴隷ではない。何がいいたいかというと、
>プロタゴラスの相対主義というのは単なる非奴隷階級の弁論術なのです。思想ではありません。
>奴隷が価値相対なんてことポリスでいい始めたら、真っ先に殺したことでしょう。

奴隷だから、と言いますが、奴隷で相対主義的なことを言う人もいますね。
例えば、ディオゲネスのアイロニーを多用する生き方は、むしろ、有閑階級に
見られても良さそうですが、赤貧で最後は奴隷でした。こういう人が殺されない
ところが、ギリシアの善いところでもあります。

また、現代の大学教授は既に賃金労働者ですし、一流大学の助教授・教授に
ならない限り非常に安い賃金で働くことになります。では、そういう人々が価値相対主義
や自由主義を採用しないかと言うと、そうでもない。
つまり、所属階級(そういうものがあるとしての話ですが)と思想の形成に間には
必ずしも相関関係は無い、と仮定する方が史料や現実に忠実だと考えます
(もっとも、これを言うには相当な史料が必要ですが、あいにく私の手元には
ありません)。

もし、相関関係があると言うならば、J.S.ミルだけでなく、当時の人々の考え方と
所得の膨大な統計を取る必要があります。それが、歴史学のやり方であり、
単なる思索では成就しないことなのです。
675考える名無しさん:2006/02/01(水) 13:27:50
何の議論だかわからん。現代の価値相対主義者というのは、文字通り
資本制とも賃労働とも無縁の人々(イヌイットやら南米やアフリカの何とか族やら)
の文化も、西欧先進国の文化も、価値において優劣はない、と考える連中だぞ。
本気でこれを信じている奴がいるかどうかはともかく。
誰か「そんなことを言ったってピグミー族のトルストイがいるのか」とか本音を
言って批判されていた奴もいたな。
676一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/01(水) 13:30:05
>それは・・・何も言ってないということと等価ですよ(笑)。

何も言ってないというより、価値相対主義だけだと実現可能性が
あまり無い(もし、世界中の人間が温厚で争わない性格だったら
ありかもしれませんが)のです。しかし、憲法のように実定して、
それの価値観を知らしめる意義はあるわけです。
その実定化の過程を政治的に開かれているわけですね(逆に、
価値相対主義が政治的に排除される可能性も開かれている)。
677一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/01(水) 13:33:53
>>675
価値において優劣が無い、という考え方はあるのかもしれませんが、
それが価値相対主義の代表的立場ではありません。
価値すなわち善悪(good or not)の追求は個々人に委ねられており、
「私にとってはアメリカの文化の方が善く、ピグミー族の方が悪い。」
と言うことは可能です。後は、正義のお話になります。
678考える名無しさん:2006/02/01(水) 13:36:27
「価値に優劣が無い」ということは、どちらかと言うと「価値に優劣はある」
というのと同じで普遍主義的な立場ではなかろうか?
その前に価値が何であるかが問題になるわけだが。
679613:2006/02/01(水) 13:53:45
価値相対主義は、「同一物に対する価値でも個々人によって異なる」
という昔から言われてきた立場を小難しく言い換えただけに過ぎない。
少なくとも、政治や法(法には詳しくないが)ではそうだろう(一言が
言ってるのがこれかどうかは知らない)。

このような立場は、何らかの規範あるいは価値観の名の下に、多くの
人々が弾圧されたという歴史、特にナチズムや戦前の日本のような
状態に対する反省でもある。もっとも、実際には大戦前からある。

簡単に言えば、極めて実践的な立場だということだ。仮に、科学に
規範性があるとしても、そのような規範によって他人の発言を禁止
することを拒否する。これは、そのような規範の認定が極めて難しく、
実際の議論や思索では危険だという考え方に基くだろう。
680むじんくん:2006/02/01(水) 15:19:20
>>674
> 奴隷だから、と言いますが、奴隷で相対主義的なことを言う人もいますね。

いや、そういうことじゃないんですよね。奴隷が価値相対ということを勝手に考えるのは
自由ですよ。しかし、彼は奴隷なのだから、実際の生活では主人の価値が絶対なのです。
それを相対化なんかできやしないでしょう、ということです。

あと、賃金労働者だから相対主義にならないと書いているのではなくて、賃労働が
広まった社会だからこそ、相対主義という言説が一般的に可能になる。つまり思想信条の
自由が可能だということなのです。

なぜならば、何を考えていても、貨幣の価値を認め、それを得るために労働しなければ
ならない社会であり、社会がその労働によって成立しているからです。偉そうなこと言っても、
メシを食うために賃労働をしないといけない。そういう拘束があるからこそ、相対主義で、
その個人の考えで生活しててもいいですよとされてるのです。

逆に裏側にそういう拘束がなければ、踏み絵を踏ませるようなことを強制することでしょう。
例えばカルト教団などはそういうものです。
681探求者 ◆IageKhlEwc :2006/02/01(水) 16:59:03
>むじんくん
価値相対主義って「あらゆる価値を現実に相対的にとらえられる」という
個人の実践を意味する言葉ではないでしょ。

ディオゲネス自身が彼の主人の価値を現実に認めざるをえないからといって
「彼の価値相対主義は思想ですらない」というのは無理ある。
「本当は価値に序列なんかないはず」で十分思想たりうるじゃん。

ただ、価値相対主義自体がその説と矛盾した要素、絶対的な価値を前提しないと
実は成立しないってのはあってるだろう。「神の前では人は平等」ってやつだな。

古代ギリシャは古代ギリシャなりに、なんらかの絶対的な価値を暗に前提した上で
「あらゆる価値を相対的に見よう」という思想があったと考える方が自然。
みんなが労働から解放されているという現実の上での、ロゴスがそれにあたるのかな?

というか、「あらゆる価値は信じるに値しない、全ては論破されうる」っていう
思想なしにソフィストなんて成立しないだろ。
682突っ込み居士:2006/02/01(水) 17:34:58
>>680
露骨にいうと、思想信条の自由(相対性)を保証するものは貨幣、すなわち
“おカネ”だという意味? 貨幣の絶対性、とまではいかなくても、その
優位性を前提としてしか価値相対主義は成立しない、といいたいわけです
か。もっといえば、それを実現したのが“近代”以降の私たちの社会である
ということですか。 
683考える名無しさん:2006/02/01(水) 17:59:32


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684考える名無しさん:2006/02/01(水) 18:12:39
相対主義が広まったのは賃労働だの何だのとは関係がなくて、
単に宗教の権威が失墜した社会でしょう。
功利主義というのもある意味相対主義の一種。
イスラム圏では相対主義など広まってはいません。むしろこれからは
先進国でも「人権」だの「環境」だのといった、新たな絶対主義を
求める動きが広まるのでは。
685むじんくん:2006/02/01(水) 18:24:51
>>681
> 「本当は価値に序列なんかないはず」で十分思想たりうるじゃん。

思うのは勝手だし、外からも分からんでしょうけど、奴隷が「おい主人、お前の価値観はおれの
価値観と同レベルに扱わなきゃダメなんだよ」とか声に出して
言うことはできないわけです。

ところが、我々の社会ではそれが言える。何故言えるのか?という話ですね。

>>682
> 露骨にいうと、思想信条の自由(相対性)を保証するものは貨幣、すなわち
> “おカネ”だという意味? 

そういうことです。

>>684
> 相対主義が広まったのは賃労働だの何だのとは関係がなくて、
> 単に宗教の権威が失墜した社会でしょう。

資本主義的生産様式がメインになったから、宗教の権威が落ちたのです。
686考える名無しさん:2006/02/01(水) 18:41:26
こうしてみると、やっぱ
お釈迦さんて偉大だなぁ・・w
687探求者 ◆IageKhlEwc :2006/02/01(水) 20:53:01
>>685
>「おい主人、お前の価値観はおれの価値観と同レベルに扱わなきゃダメなんだよ」

そんなセリフ、現代でも上司や顧客に言えるやつほとんどいねーだろ。
直接の利害関係がない相手に対してなら、価値相対主義的言動を今も昔もできる。

「価値相対主義は貨幣経済に端を発している」というのは正しいが、
「近代以前には価値相対主義は不可能だった」となると間違ってるよ。

貨幣経済の世界的な浸透が、宗教や国家の絶対性をはぎとって
それらを相対的に見る視点を提供したように、
かつては世界宗教や帝国が、よりローカルな共同体の絶対性をはぎとったんだろ。

別に近代に限らず、市場・都市のあるところに価値相対主義は発生したはず。
688むじんくん:2006/02/01(水) 21:02:04
>>687
> そんなセリフ、現代でも上司や顧客に言えるやつほとんどいねーだろ。

そんなことありませんよ。上司や顧客は「金銭関係」であって「人間関係」じゃないからです。
上司といえども宗教の強制は難しいでしょうし、好みの異性を無理やり結婚させたりはできない。

> 別に近代に限らず、市場・都市のあるところに価値相対主義は発生したはず。

それはそうですね。
689一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/01(水) 21:03:00
>>685
ディオゲネスは主人に対して言ったみたいですね。
まあ、相当な変わり者だったわけですが。

あと、

>思うのは勝手だし、外からも分からんでしょうけど、
>奴隷が「おい主人、お前の価値観はおれの
>価値観と同レベルに扱わなきゃダメなんだよ」とか声に出して
>言うことはできないわけです。

繰り返しになりますが、価値相対主義っていうのはそういう立場ではない、
あるいは、少なくともそれのみが価値相対主義ではありません。
つまり、価値の平等ではなく価値の個別化(あなたにはあなたの価値観が、
私には私の価値観がある)です。
ですから、「私は私の価値観の方が優れていると思う。」と言うこともできる
のです(それゆえに価値相対主義は何らかの政治的立場と結び付いて
自己保身を絶えず行う必要に迫られる)。
690突っ込み居士:2006/02/01(水) 21:03:05
>>685
あなたの意見は、頭がいいと思っている“哲学の徒”をシラケさせるでしょう
ね。本当に賢い人間は、いまどき哲学などやらない、経済学をやるだろう、と
言っているようなものだから。
たぶん昔々、マルクスも同じようなことを述べ、当時の様々な“哲学者”たち
をたじろがせたらしい。ものすごく大雑把に要約すると、経済(下部構造)が思想
(上部構造)を規定する、というのが古典的“マルクス主義”である。
それに対して、あなたは「経済の進展・成熟が思想(価値)を相対化する」と述べ
ているわけでしょう。とすれば、思想それ自体の内実を問うよりも、それに相対
化を強いる“経済の意味”を問い詰めるほうが、はるかに哲学的だということに
なる。あなたの言いたいことは、おおよそ、そういうことでしょうか。

691考える名無しさん:2006/02/01(水) 21:05:46
>>689
しかし、そうなると学問よりも政治の立場になってしまうのではないか?
69215:2006/02/01(水) 21:08:19
他スレでも書きこみあったけど岩波の『思想』が今号で物理主義と心的因果の問題に絞った特集を組んでる。
http://www.iwanami.co.jp/shiso/index.html
あいにく俺の田舎では『思想』を置いてる本屋がないので立ち読みもできない。
『現代思想』だと扱ってる本屋が一軒だけあるんだけど、でも『現代思想』はこんな特集は組みそうも無い。
クオリアなんて特集しそうな感じだけどこれが意外と(?)まだやってないようだ。

以上、独り言もーどスマソ。
議論を続けてください↓
693一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/01(水) 21:09:56
>>691
ええ、価値相対「主義」は実践の立場です。

「では本当に価値相対なのだろうか?」

という問題提起になると「それは分からない」と言わざるを得ないでしょう。
しかし、価値相対主義は「絶対的な価値があるかどうかは分からないし、
また、仮にあるとしてもなお価値相対であるかのように生活せよ」という
実践的な教訓と結び付いています。

この辺は、デカルトの「全てを疑っていても、とりあえず習俗に従います」
という前学問的な態度に似ています。
694 リアリスト :2006/02/01(水) 21:11:38
宇宙の運動や現象が論理的であるのと同様、
人の意識や選択される行動もまた「論理的必然に引き寄せられる」、
・・そう考えるほうが理にかなってると歴史は教えているように思う。

論理的でない(合理的説明のつかない)価値観や倫理は淘汰され
論理性を備えたものだけが最終的倫理として全人類間に認知承認
される流れが人間の必然、ひと言でいうなら「論理こそ倫理」という
ことになるのではなかろうか。

科学的検証がフィジカルなアプローチしか取りえない以上、科学は
倫理等の概念を無視(あるいは否定)するしかなく、適切な人類の
意識的側面の解析ツールに当分なりえないと考えるのが自然では。

従い、物理的宇宙と人間の精神活動を同時に並べて考察する際は
科学という切り口より論理という切り口の方が自然だし合理的では
ないかと。。
695むじんくん:2006/02/01(水) 21:14:44
>>689
> まあ、相当な変わり者だったわけですが。

ええ。ただ、社会的には機能しなかった。ここで注目すべきは、

> つまり、価値の平等ではなく価値の個別化(あなたにはあなたの価値観が、
> 私には私の価値観がある)です。

ということが可能である背景です。価値観が個別化しているということは、個別化しても
社会が困らないから許しているわけですね。

>>690
> あなたの言いたいことは、おおよそ、そういうことでしょうか。

そういうことです。
696考える名無しさん:2006/02/01(水) 21:15:29
君達、そろそろ主義・思想板へ行く気にはならんかね?
697一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/01(水) 21:22:43
>>695
>ということが可能である背景です。
>価値観が個別化しているということは、個別化しても
>社会が困らないから許しているわけですね。

現代でも可能にはなりません。
「昔は価値観が少なく今は多様化しているのか?」ということを
実証的に調べるとどうなるか面白そうですが。どうでしょうかね。
698一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/01(水) 21:25:38
ひとつ言えるのは、むじんさんの主張は面白いのですが、
データと史料がほとんど無いという点ですね。
経済学も今ではいきなりそういう大きなことを言えなくなって
しまいましたし(必要なデータが膨大すぎるし、過去の経済
データはほとんど収集不可能である)。
699考える名無しさん:2006/02/01(水) 21:30:28
ってか、むじんくんの主張はマル経なのか?
70015:2006/02/01(水) 21:34:19
ごめん。
>>692のリンクはこっちだった。
http://www.iwanami.co.jp/shiso/0982/shiso.html
701唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/01(水) 21:44:13
かなり以前に書きましたが
図書館の配置で
思想・哲学・人文・社会学辺りは同じような場所にありますね。
702考える名無しさん:2006/02/01(水) 21:44:44
だからなに?
703探求者 ◆IageKhlEwc :2006/02/01(水) 21:52:11
>>698
まーデータを採らずに、説得力ありそうな仮説を立てるだけってのが
哲学の役割みたいなもんだしな

貨幣経済の拡大ってのは、要は取引が行われる範囲の拡大ってことだ。
取引やコミュニケーションを行える相手こそが「人間」の条件みたいなもんだし、
「同じ人間にもこんな人たちがいる」っていう例をたくさん見ることになれば
価値観の相対化が行われる機会も増える。市場・都市とはそういう場所だ。

とか説明すれば、データはなくても説得力だけは出るんじゃないかなw
704考える名無しさん:2006/02/01(水) 21:53:15
>>702
パンピーから見たら、みんな同じに見えるってことだろw
705突っ込み居士:2006/02/01(水) 22:25:59
>>699
強いていえば、近経でしょう。マル経も近経も「経済が大勢を決める」という
点では同じ。下部構造が上部構造に“絶対性”を強いる、と主張するのが古典
的マルクス主義。この政治的表現がプロレタリア独裁(いまや死語)。
それに対して、近経それ自体としては○○主義を言わない。ただ、経済の“合理
的”発展が考え方(思想、理念)の相対化を促し、それを保証すると言うだけであ
る。
絶対化を強いるか、相対化を促すかという意味では対極にあるようにみえるが、
その主体はどちらも“経済”である。つまり、どちらも強力な“アンチ哲学”な
のである。
『哲学』にとって後門の狼が経済だとすれば、前門の虎が科学であることは言
うまでもあるまい。したがって、このスレでは「哲学の有効性」が合わせて問
われなければ無意味。所詮、哲学とは二流のアタマの持ち主のレトリック遊び
つまりタワゴトにすぎないということになるだろう。
706むじんくん:2006/02/01(水) 22:37:07
>>697
> 現代でも可能にはなりません。

でも、思想信条の自由はありますね。しかし、裏側に近代社会という前提があるために、
例えばアフリカのどこかで人権侵害な風習があったりすると、議論が出てしまうわけです。

ちょっと話がずれますが、ギリシャ時代のプロタゴラスが相対主義を説いていたわけですが、
彼は別に危険視されなかった。ところが、そこにソクラテスというのが出てきます。今の話の
流れで考えると、ソクラテスの特異性というのが分かりやすいかと思います。

ソクラテスは正義とはこうである、ああである、或いはプロタゴラスのように色んな人がいる、
という言い方はしなかった。例えば、奴隷とは劣った存在である。という命題があったとして、
「あんたがそう考えるようになったのは何故だろうねぇ」という、ある命題が成立するその
背景を問うた。そうすると、誰もうまく答えられない、知らないということになる。そういうことを
繰り返していたら、処刑されてしまったのです。

つまり、正義とはこうだ、という命題に対して、中身を吟味するというのは別に問題ない。それを
相対的に考えても問題ない。ところが、命題の出所を探るというのは、これは社会の権力構造に
触れるんです。非常にまずい思考だと。そして、ソクラテス的な思考というのは、そうだからこそ
普遍的なのです。最良の哲学とはそういうものだと思います。
707むじんくん:2006/02/01(水) 22:43:27
>>699
> ってか、むじんくんの主張はマル経なのか?

○系ではありませんが、マルクス主義者です。史的唯物論支持者。
708考える名無しさん:2006/02/01(水) 22:44:54
始めの六行は分かったけど、
>その主体はどちらも“経済”である。つまり、どちらも強力な“アンチ哲学”な
>のである。
の意味が分からない。
土木工学が土木主体なのと同じように、経済学が経済主体なのは分かるけど、
アンチ哲学というのはどこから出てきたの?飛躍しててよく分からない。
そのあとの四行は、何とかの持ち主のレトリック遊びの例だよね?
709一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/01(水) 22:46:39
>>706
ソクラテスの史料はもうプラトンやクセノフォンの伝聞以外残ってません。
ソクラテスが実際に何をしたかは謎ですね。
710ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/01(水) 22:46:44
>>707
カミングアウトしましたね(笑)
711むじんくん:2006/02/01(水) 22:50:48
>>705
> 強いていえば、近経でしょう。マル経も近経も「経済が大勢を決める」という
> 点では同じ。

どうなんでしょうね。マルクスの資本論というのは、あれ経済学なんだろうか。経済の
ことを扱ってはいるんですが、副題に書いているように「経済学批判」なんですね。
アダムスミスなどの検討であり、それらの経済学自体がどういう前提で成立しているかを
問うものです。

だから、近代経済学と比べると明らかですけど、具体的な経済政策というのはあそこから
出せないわけです。資本主義的生産様式自体の成立過程を問題にしているので、医療で
いうと、"病気とは何か"という話をしているわけです。症状に対する処方箋ではない。

もっと言うと、マルクスは宗教批判哲学、当時ヘーゲル左派と言われた人たちへの批判と
して経済ということを言い始めたわけです。「ドイツイデオロギー」の、引力という"思想"を脳裏から
取り除けば引力に逆らうことができる、これが宗教批判哲学だと。つまり、宗教を必要とするような
社会があり、その現実社会の変革無しには宗教というアヘンはなくならないのだ、ということですね。
712考える名無しさん:2006/02/01(水) 22:54:12
なんで、なんとか主義者になったり、何とか論支持者になったりするの?
がっかりだ。
713一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/01(水) 23:02:24
>>712
その辺は自覚の問題だと思います。
自分では主義者や支持者で無いと思っていても、例えば、
コンビニでお金を払う時点で現在の経済体制に参加している
ことになります(なぜ、お金を払わなければいけないのか、
などとは普通は思わないわけです)。
無自覚に参加するくらいなら自覚して参加しよう、というのが
私の基本的な態度です。
714 リアリスト :2006/02/01(水) 23:03:28
>>712
自分自身でものを突き詰めない者は そうなるしかない、ということかと・・。
715むじんくん:2006/02/01(水) 23:08:26
>>710
> カミングアウトしましたね(笑)

あはは。しかし、あなたの好きな20世紀思想家だって、マルクスの枠内で動いていた
わけですからね。更に、ポストモダン、歴史の終わりというのは冷戦構造の中で語られていた
お喋りであり、冷戦終結と共に"終わり"ました。
716ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/01(水) 23:23:51
カミングアウトして、むじんくんのマルキシズムが一気に噴出した件について。

歴史は終わっています。
717突っ込み居士:2006/02/01(水) 23:25:13
>>708
俗っぽく言いましょう。人間を動かしているのは、資本・貨幣・おカネである
という意味。人間は経済システムに組み込まれた“賃労働者・奴隷”であり、
貨幣の増大に寄与した者がそれに見合う賃金を手にするだろう、という考え方。
これがいいか悪いかはともかく「カネで動かせないものはない」という“哲学”
は、他国では知らず、わが国では「おおっぴらに言ってはいけない」本音として
かなり定着しているのではないか。
この考え方のとりえは「カネの前では平等」ということだろう。
718突っ込み居士:2006/02/01(水) 23:31:36
むじんくんにカミングアウトさせたという点で、なかなか良き突っ込みだった
のではなかろうか。(自画自賛)
719一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/01(水) 23:45:16
>>709はちょっと変でしたね。
ディオゲネスも自分では著作を書いてませんから。

そうではなくて、例えば、>>706のような問答をソクラテスがしていた、
という出展を挙げてもらいたいです。
私は『ソクラテスの思い出』は全部読んでいませんので。
720考える名無しさん:2006/02/01(水) 23:48:15
>>717
どうもありがとう。アンチ哲学の意味分かったよ。
別に哲学に対抗しているわけでも競合しているわけでもないけど、
たまたまその考え方に、「アンチ哲学」という名前が付けられたんだね。
四行目の「”哲学”」というのも、たまたま「哲学」にはそういう用法もあるけど、
意味は学問の哲学のことじゃなくて、主張ということでしょ?ややこしいね。
721ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/01(水) 23:51:52
しかしむじんくんのマルクスって古くないかい。
史的唯物論支持者、ブル/プロレの二項対立・・・
722突っ込み居士:2006/02/02(木) 00:06:21
>>719
プラトンの著作を読めば、出てきます。ただし、本当にソクラテスがああいう
問答をして、当時の大物のソフィスト、プロタゴラスを沈黙させたかどうかは
不明。プラトンの創作だという説もあります。
723探求者 ◆IageKhlEwc :2006/02/02(木) 00:24:56
マルクス主義って今でも通用する部分がかなりあるからねぇ。
学生運動やらでイメージよくないけど、だから古いってのはそれこそ古いよw
724一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/02(木) 00:25:01
>>722
「奴隷は劣った存在である」という命題の起源を探る問答が
あるんですか?
そこの話なのですが。
725むじんくん:2006/02/02(木) 00:30:12
>>719
> そうではなくて、例えば、>>706のような問答をソクラテスがしていた、
> という出展を挙げてもらいたいです。

それは伝記しかないわけですから、実際にどうかと言われるとあれですが、例に上げた
ような話というのは、普通のプラトンの著作ですよね。
726むじんくん:2006/02/02(木) 00:31:03
>>724
それは無いんじゃないですか。昔読んだのでもうあまり覚えてませんけど。
727一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/02(木) 00:31:56
>>725
いえ、「奴隷は劣った存在である」という命題の起源を探る問答が
あるんですか? ということです。
プラトンが価値観の起源について言及してる箇所が思い出せない
のです。
728一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/02(木) 00:32:41
>>726
それだと間違った歴史と言うことになってしまいます。
それでは賛成できません。
729むじんくん:2006/02/02(木) 00:40:26
>>728
> それだと間違った歴史と言うことになってしまいます。
> それでは賛成できません。

そうですか(笑)。いや、無知の知というのはそういうものでしょう。正義とはこうだ、と語る
人間に対して、「あんたがホントに言いたいのは何なんだ?」という。歴史記述の正しさ
に関しての話ではないですね。
730一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/02(木) 00:44:08
>>729
ソクラテスが正義について語るのは『国家』ですが、そこでは
ソクラテスが正義について語っていますね。そして、その正義
から出てくる国家観はどうもスパルタに近い。
つまり既存体制の一角です。

もっとも、これをプラトンの創作だとしてもいいですが、だとすると、
今度はソクラテスがそういう価値観の社会背景に言及したから
殺された、という証拠がひとつ無くなったことになります。
731突っ込み居士:2006/02/02(木) 01:11:16
>>727
「奴隷は劣った存在である」とソクラテス(プラトン)が述べたことはないで
しょう。また、そういう意見の持ち主にソクラテスが異論を唱え、言いくる
めたということも。それとも、あるのでしょうか。
むじんくんは、プラトンの著書から「たとえ話」として持ち出したのですか、
それともソクラテスを語るための単なる「つくり話」として述べただけなの
か。一言氏の訊きたいことは、そこなのでしょう。

732突っ込み居士:2006/02/02(木) 01:19:19
いずれにしても、むじんくんは奴隷を云々したかったわけではなく、ソクラテス
的思考について語ろうとしたわけでしょう。
なんだか、むじんくんの出来の悪い解説役をつとめている感じですね。
733一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/02(木) 01:26:56
>>731>>732
いえ、むじんさんと私のスレ違いとしていい指摘かもしれません。

ただ、ソクラテス的思考というのも、やはり歴史の範疇に入って
しまうと思います。そういう意味で、ソクラテスはこういう思考方式
を採用した、という史料が要求されるでしょう。
734考える名無しさん:2006/02/02(木) 01:28:13
脳はどこへいった
735考える名無しさん:2006/02/02(木) 01:59:39
どの道、真理に対してのアプローチなんだよ。
例えば、怖ろしくも己を「はかる」行為が愛らしいのだ。
誰が言ったかではない。寧ろ誰に言わせるかだ。
736突っ込み居士:2006/02/02(木) 02:01:59
>>733
ソクラテス的思考とは「命題の出所を探る」ものだという、むじんくんの解釈
はどうだろう? ソクラテスの常套的なやり方は、対話者の考え(思想、理念、
価値観)の無根拠性を衝くことではなかったか。これが政治な的表現をとれば、
そのまま権力の無根拠性、無意味性を暴くことを意味する。むろん、ソクラテ
スは直截的な権力批判はしなかっただろうが、権力の側に不安感を与えたのか
もしれぬ。結局、むじんくんと同じことを言っているのかな。
737考える名無しさん:2006/02/02(木) 02:56:58
738ゾルレン:2006/02/02(木) 03:42:41
俺はむじんくんのソクラテス解釈をまるで支持できないねぇ
俺はソクラテスの議論を内容のある哲学的議論として読んだ
むじんくんの語る歴史についての感想は"poverty"の一言だよ
739ゾルレン:2006/02/02(木) 04:02:31
「無知の知」の解釈も多様なんだねぇ

ソクラテスは率先して議論に参加した
馬鹿とののしった議論もあれば
相手がやりこめられた議論もあり
最後まで収拾がつかなかった議論もある

俺のお気に入りは「プロタゴラス」にあるシモニデス解釈の演説だ
詩人を褒め称える行為を「凡庸で俗な人々の行う酒宴とそっくり」とこきおろすところだ
彼らの詩作は<知>によるものではない
2ちゃんを見てると時々ソクラテスの詩人批判を思い出す
740マーボχの美意識 ◆Vl.LIe4j2A :2006/02/02(木) 04:20:17
皆さん
お久しぶりです。
宇宙中の量子を構成物として利用し
構築された巨大な電子頭脳でも
神の非存在を証明できないという事実を
確認する実験に想定外の時間と労力を要してしまいました。
どうぞこれからも全世界の知性がこぞって注目し続ける
僕の大活躍にご期待ください。
741考える名無しさん:2006/02/02(木) 04:26:16
>>740は大活躍している女性ですか、どうよ?
742りくーつ・こねりー:2006/02/02(木) 07:57:24
> 神の非存在を証明できないという事実を
> 確認する実験に想定外の時間と労力を要してしまいました。

悪魔の証明はできないという事実を、
今、一瞬で確認しました

> 僕の大活躍にご期待ください。

残念です
743むじんくん:2006/02/02(木) 10:06:14
>>738
> 俺はむじんくんのソクラテス解釈をまるで支持できないねぇ

あはは。しかし、ソクラテスというのはやはり古代ギリシャ社会で特異点として
考えたいわけです。それまでは慣習的世界観で完結していた。ソクラテスは
その裏側にある構造を問題にしたし、その思考は普遍的なのだと思うわけです。

また、ソクラテスの思考は個人の思考です。個人が成立するということは、
第三者というものが成立しているということです。古代ギリシャにおいてそういう
第三者を基点とした思考はなく、慣習的なものを想起するという形態にとどまって
いた。
744考える名無しさん:2006/02/02(木) 10:58:12
むじんくん、でたらめを言うのはやめなはれw
745考える名無しさん:2006/02/02(木) 17:30:15
>>741
君は、どのスレでも「女性ですか、どうよ」と訊くけれども、もし女性であれば
どうなるの。深遠な意味はないだろうけど、浅薄なそれでもいいから、教えて。
746考える名無しさん:2006/02/02(木) 17:54:50
>>745
 ごもっともなご意見。
このスレだけでなく、他のスレでも女性か否か確認するのはなんのためなのか?
男性脳と女性脳の思考回路の相違を調査しているのかね?
それはそれとして、哲学者最高位殿、そろそろ手の内を明かしてもらわねば、
「逃げの最高位」と呼ばれてしまいますぞ。
747考える名無しさん:2006/02/02(木) 17:59:24
>>746
だれが哲学者最高位? >>745が? 
748考える名無しさん:2006/02/02(木) 18:03:34
>>747
 いや、>>745のことではなくて、このスレに顔を出すことがあれば
お答え願いたいとのことです。現在でもカキコをしているならば。
 誤解を与えたようなので謝罪します。
749考える名無しさん:2006/02/02(木) 19:35:30


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750一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/02(木) 20:57:26
>>736
30人政権の何人か(クリティアスなど)はソクラテスの弟子です。
この辺は『ソクラテスの思い出』でクセノフォンが事実と認めつつも
弁護している点です。
特に注意しなければならないのは、ソクラテスが裁かれたのは
そういう時の権力者によってではなく、寡頭政が崩壊した後の
民主政期の民衆裁判において行われたという点です。

寡頭政権は相当酷いことをやっていたので、その皺寄せがソクラテス
にも及んだ(権力者の師匠だったので恨みを買った)、という解釈の方
が説得力があるように思います。
751考える名無しさん:2006/02/02(木) 21:02:30
まあ、ソクラテス解釈は直筆本が無い以上無理な希ガス。
プラトンかクセノフォンを通さないとソクラテスを見ることができないが、

「もしソクラテスが本当にあのような人物だったら処刑されなかっただろう」

と誰かさん(名前忘れた)も言っているし、俺もそう思う。
752考える名無しさん:2006/02/02(木) 21:12:43
その前に釈迦に説法のような話になるが、

神話(ホメロス、ヘシオドス)

神様なんていないよ(タレスを始めとするイオニア自然学)

唯物論的世界観(デモクリトスで頂点に達する)

これと並行して、

プロタゴラスなどの相対主義(ソクラテスをここの一派と考える意見もある)
クリティアスなどの弱肉強食的社会観

を肯定的にであれ批判的にであれ踏まえなきゃだめでしょ。
教科書レベルの話しだし。
753考える名無しさん:2006/02/02(木) 21:32:07
>>752
なにで勉強したの?教科書ってどれ?
754考える名無しさん:2006/02/02(木) 21:41:54
>>753
まず、高校の倫理の教科書は基本的にこの線で言ってる。
なぜホメロスから始まりタレス→ソフィスト→ソクラテスの順
なのか、というのはこれを理解すれば分かる。
また、コンフォードの『ソクラテス以前以後』、シュベーグラーの
『西洋哲学史』なんかもこの線。

ただ、分かり易く説明するために思想的な繋がりを出してるが、
この思想的繋がりが「実際に」あるかどうかは不明。だから、
批判的に踏まえる必要がある。
シュベーグラーなんかはヘーゲルの系譜だから歴史の発展性を
考えざる得ないんだろうけどね。
755哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/02(木) 22:29:22
>>746
ん?
何の事?
756居士:2006/02/02(木) 23:18:25
>>750
民主主義を否定する一つの論拠になっていますね。ポピュリズム批判も、ソクラテス
処刑に端を発しているのでしょう?
757ゾルレン:2006/02/03(金) 04:27:50
>むじんくん
>>743
俺もソクラテスを特異点と考え、ソクラテスこそ哲学者のあるべき姿だと考える者だ
それでも君のソクラテス解釈にはまるで賛同できない
ソクラテスが構造主義者だとは思わないし、そのようなことを問題にしたとは思わない
むしろソクラテスは君のような弁術をする人間に反論する側の人間だったのではないかと思っている

「椅子に座るときに膝がかくかくしかじかのように曲がって・・・」と説明することと
マルクス主義者が下部構造が上部構造を規定すると言うがごとく、下部構造によって説明することに大きな違いがあるとは思えない
なるほど、それも確かに説明の一つかもしれない
だが、俺はそのようなことに関心をもてない
科学社会学に興味をもてないのも同じ理由だ

>民主制
プラトンは寡頭政治を肯定していたのかな
ポパーはプラトンを民主政治を否定した独裁支持者との解釈をしたけど
この解釈は誤った解釈であるとさんざん非難された
ポパー研究者の関先生もポパーの誤読だと書いていたね
758考える名無しさん:2006/02/03(金) 06:12:04




2ちゃんを

3年も4年もやってる馬鹿居る?




759考える名無しさん:2006/02/03(金) 06:29:31
5年ぐらいやってまーす!
760マーボ峠の美意識 ◆Vl.LIe4j2A :2006/02/03(金) 07:54:38
ソクラテスで遊び出したらもう終わりですよね。
これ以上何を語っても無駄ですよ。
強化すべきは適度に制約された視点でしょう。
認識を広げることにばかり躍起になっていても
命の無駄使いですよ。
独創的な思考という言葉の形骸化はこのままでは止まりません。
科学が可能性を広げているという妄想の蔓延も止まりません。
761探求者 ◆IageKhlEwc :2006/02/03(金) 09:34:28
>>760
つまり哲学は命の無駄遣いだと。
別に否定しないが、それでいいんじゃないの
762居士:2006/02/03(金) 09:52:49
>>760
ソクラテスで遊ぶと、なぜ終わりなのか、教えて欲しい。たぶん、それが
あなたの『哲学』観を語ることになるだろうから。
制約された視点とは、どんな視点? 具体的に。
「独創思考という言葉の形骸化」とは何? どんな現象を指して、あなたは
そう呼ぶのか。
科学のもたらす“妄想”の妄想たるゆえんを説明していだだきたい。

このスレでは相手の言い分をわかってもいないのに、そのフリをして偽の
対話をしたがる輩が少なくないので、あえて確認を求めたい。

ダソクだが、命の無駄づかいの一つが“哲学”ではないのか。
763考える名無しさん:2006/02/03(金) 10:06:52
哲学は、思考の中で価値の相対化と絶対化を往復するもので、

思想・宗教は絶対の価値に全てを収束させようとする思考の運動。
764考える名無しさん:2006/02/03(金) 10:14:49
>>757
『国家』を読む限りでは寡頭政(というか哲人王)支持者でしょ。
後期は哲人王を諦めて法の支配に移ったけど民主政自体は一度も支持されて
ないと思うが。だいたい、民主政が良いものと思われてるのは近代以降で、
古代では民主政=衆愚政治が基本的な見方だし(ポパーは悪い意味で独裁制
って言ったんだろうけど、それはまた別の誤読だね)。
その関っていう人がどういう理由付けでプラトン擁護をしたのかは知らないが、
少なくとも前期の「善そのものは知りえる」+「それは哲学によって知りえる」
という立場と民主政が結びつくことは無い。
765むじんくん:2006/02/03(金) 10:25:18
>>757
> ソクラテスが構造主義者だとは思わないし、そのようなことを問題にしたとは思わない
> むしろソクラテスは君のような弁術をする人間に反論する側の人間だったのではないかと思っている

そうですかね。ソクラテス以前であれば、正義とは強さであるとか、万物は水だとか、そういう
言い方していたわけです。これは向日葵は太陽と似ているから太陽である。というのと等価だと
思います。そして、太陽と相似の向日葵に何か働きかけると天気が変わるというのが魔術的
思考ですね。

これは何かというと、レトリックです。ソクラテスはそこに対して、万物は水と言わしめるものが
何なのかを問うた。水は形を絶えず変えるものなのか、変えないのか。やわらかいのか、硬いのか。
では、世界の中で形が変わらず硬いものがあるが、何でそれを水というのか。

ところが、普通の言説空間ではそういうレトリックによって成立している。政治なんか最たるものです。
「郵政民営化をするのかしないのか!」

ソクラテスが構造主義者だったとは言いませんが、彼は構造主義がそれを語った動機と同じ視点で
ものを見ていた。そこに特異性があるんじゃないか。
766考える名無しさん:2006/02/03(金) 10:38:29
>>765
ソクラテスがそういう問答したという証拠は無いし、
ソクラテスの問答も「正義とは何か?」に代表される
ような「〜とは何か?」だよ(言い伝えが正しいならね)。
自然に関する魔術的思考をやめたのはアトム論のデモクリトス。
ソクラテスもプラトンも、自然に関してはほとんど何も言っていない。
767むじんくん:2006/02/03(金) 10:42:48
>>766
> ソクラテスがそういう問答したという証拠は無いし、
> ソクラテスの問答も「正義とは何か?」に代表される
> ような「〜とは何か?」だよ(言い伝えが正しいならね)。

いや、レトリックだったということです、ソクラテス以前は。正義とは強さである。強さとは男性であるとか。
ところがソクラテスは「あんた、強さって言うけど、馬は強いのかね、弱いのかね。あんた馬を力で
押さえる事出来るの?できないってことは、馬が正義なの?」という問答しちゃうわけですよ。これは
レトリックじゃないでしょ。その視点が画期的だと思うわけ。
768考える名無しさん:2006/02/03(金) 10:49:34
>>767
話を変えない。
君は>>765で明確に「ソクラテスはそこに対して、
万物は水と言わしめるものが 何なのかを問うた。」と書いてて、
俺はそれに「そんな問答があったという証拠は無い」と言ってるわけだ。

ところで、「レトリックだ」と言わしめるのも一種のレトリックなんだがね。
769むじんくん:2006/02/03(金) 10:52:11
>>768
> 俺はそれに「そんな問答があったという証拠は無い」と言ってるわけだ。

そんな問答はないですよ(笑)。文献学が好きですか。
770ゾルレン:2006/02/03(金) 11:00:32
>>764
関の説明するプラトンのロジックは
たしか「善を知りえる哲人王が治めるのが一番いいが、そんな人はいないから
その次にいいのは民主制ですよ」みたいな感じで
哲人王による支配は具体的な政治制度ではなく理念上における最高のものという扱いだったと思う

ポパーは民主制の支持者だけど
次のような発言をしている
「『誰が治めるべきか』という問いがすでにして間違っている
『民衆が治めるべきである』という回答ですら不十分だとわたしは考える」(細かい箇所は違うかも)
ポパーの民主制擁護はたくさんあるけど、それらのロジックも「正義」理念の存在に負っている

で、プラトンの『国家』でも
もともと正義について議論をしていたのが、
「正義について考察するなら個人の正義を考えるより国家規模で考えたほうがいい」みたいなノリが当初だったと思う
『国家』において述べられたソクラテスの言葉が本当に国の政治制度について述べられたものなのか、という疑念が俺は消えないんだよね




771むじんくん:2006/02/03(金) 11:02:07
以前ちょっとここでも話題になった、「意味とは何か」がソクラテスの対話だったと思います。
当然それは語りえないため、無知の知になる。
772ゾルレン:2006/02/03(金) 11:22:25
>>771
さすがにその言葉はひどいと思うよ
現場の科学者が機械君の文章を見る時に抱く嫌悪感と同じものを、研究者なら抱くと思うよ

プラトンの四大作品とウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を読んだことあるの?
って思ったもん
773むじんくん:2006/02/03(金) 11:38:03
>>772
> さすがにその言葉はひどいと思うよ

そうですか。ちょっと意味が分かりませんけど。
774考える名無しさん:2006/02/03(金) 11:53:44
>語りえないため、無知の知になる

たしかにひどい・・・
775考える名無しさん:2006/02/03(金) 12:01:41
プラトンやソクラテスを今でいう「民主主義」に引き付けて
理解するのは無理だ。
ソクラテスは要するに何が「善い政治」なのかを論じているだけで、
統治のシステムなんかに関心はない。寡頭制でも君主制でも民衆制でも、
統治者が善い政治をやれば善いし、悪い政治をやれば悪い、ということだ。
つまり統治者は「哲人」でなければならない。
ポパーが「誰が治めるべきか、という問いが間違っている」と言っている
なら、共通点があると思う。
ただし、プラトンの描くソクラテスはどういう意味でも「自由主義者」ではない。
青少年は「善い人間」になるべく徹底的に訓練されなければならないし、
「音楽は野放しにしてはならずポリスが管理しなければならない」
というようなことも言っている。その点では、プラトンを全体主義者だとする
考えも、あながち間違っているとも言えない。
776考える名無しさん:2006/02/03(金) 12:19:03
>>775
それは後期作品を度外視しすぎでは?
プラトンは僭主制、寡頭制、民主制のどれがいいかについて
ちゃんと議論してるんだから。というか、プラトンの前期中期
の作品がもてはやされるけど、『パルメニデス』から『法律』
までもかなり重要だよ。
777練馬哲人:2006/02/03(金) 13:43:32
むじんくんはひどすぎる。トホホ...
778むじんくん:2006/02/03(金) 20:24:56
>>777
> むじんくんはひどすぎる。トホホ...

そうですか(笑)。皆さんのソクラテス観をよかったら聞かせてください。
779居士:2006/02/03(金) 21:10:59
>>777>>778
むじんくんが誤解を与えるのは、あたかもプラトンの著書に、その種の問答が
載っているかのごとく語るから。むじんくんは例え話として水について述べた
つもりだろうが、それを読んだ者からは「その出典は何だ」と突っ込まれる。
水のような具体例を例え話に使うから、そうなってしまうのである。例え話だ
ということがだれにもわかるように述べるか、水のような例を用いずに抽象化
した表現に徹するか、のどちらかにするべきだろう。
ただ、むじんくんが一貫して述べてきたことは、そうひどすぎるとは思われな
いのだけど。
780考える名無しさん:2006/02/03(金) 21:14:49
ひどいと言われているのは、ソクラテス観のことじゃないでしょ。
むじんくんの「語りえぬもの」「無知の知」という語の用い方は、
哲学用語として解釈しようとすると意味が通らなくなるほどひどくいいかげんだ、
ということだろう。
781居士:2006/02/03(金) 21:18:12
>>776
結局、後期のプラトンは何に軍配をあげたのですか。民主制ではないでしょう?
782考える名無しさん:2006/02/03(金) 21:23:08
哲人政治の理想があるから、よりそれに近づくために、
アカデメイアで自分の教えによって訓練されたエリートによる官僚政治とか考えてたんじゃないかね。
783考える名無しさん:2006/02/03(金) 21:24:10
スマン。俺もいい加減なこと言った。
784居士:2006/02/03(金) 21:31:54
>>780
哲学用語なるものは所詮、業界用語であり、もっといえば隠語にすぎ
ない。隠語がまかり通るところで、自分の述べることが通用しようが
しまいが、知ったこっちゃない、というのがむじんくんの立場ではな
いのかな。
業界用語でソクラテスを云々したいのなら、このような開かれた場で
はなく、学会かなにかで論文でも発表すれば、とむじんくんは言いた
いのでは?
785考える名無しさん:2006/02/03(金) 21:39:02
>>784
そりゃそうだよ。
だから、わざわざ「哲学用語として解釈すると」って書いたんだよ。
哲学用語としなければ、なんとなく言いたいことは分からないわけじゃない。

この場合のひどいって言うのは、内容を批難してるんじゃなくて、
専門的議論が出来る相手だろうと言う期待が外れて落胆してるんだろう。
786考える名無しさん:2006/02/03(金) 21:49:08
でも「無知の知」は常識に近いかも?

ということは、単なる書き間違いじゃない>むじんくん
787考える名無しさん:2006/02/03(金) 22:21:03
>>781
作品によるが、法の支配と法を民主的に変えてよいとは言っていない。
788一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/03(金) 22:47:21
ちょっと話題がズレ過ぎかもしれませんが、
後期プラトンが民主政を採用したのか、特に、
最後の未完の大作『法律』においてそれを採用したのか、
という点については、民主政の定義が必要になるでしょう。

プラトンは『法律』第6巻第2章で役人の選出は選挙によると
していますが、その役人は今で言う立法府では無くて、行政府
を形成します。では、肝心の立法府はどこにあるのか、というと
これは賢明な立法者が先に決めてしまいます。

そして、次のように言う。

「このような形での選挙は、君主制と民主制の中間に当たるが、
国制はつねにこの両者の中間でなければならない。」
(森・池田・加来訳『法律』岩波)
789一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/03(金) 22:53:37
上は6巻5章p338。

スレ違いなのでちょっとだけ別の箇所を引用します。

「『必然には神でさえ抗いえない』と言われている。」(同上p309)
790考える名無しさん:2006/02/03(金) 23:10:23
>>788-789
>君主制と民主制の中間に当たるが、
>国制はつねにこの両者の中間でなければならない。
>必然には神でさえ抗いえない

馬鹿馬鹿しい。
791ゾルレン:2006/02/03(金) 23:16:44
>>784
>哲学用語なるものは所詮、業界用語であり、もっといえば隠語にすぎ
>ない。隠語がまかり通るところで、自分の述べることが通用しようが
>しまいが、知ったこっちゃない、というのがむじんくんの立場ではな
>いのかな。
われわれは何のために言葉を使用して自らの考えや理論を論証を通して説明するのだろうか
それはひとえに、多くの人に見てもらうことで自分の考えのおかしいところを指摘してもらうためではなかろうか

むじんくんがどうかは知らないが
おれは試論を知的な議論に参加するために書いてるのであって
けっして自己満足とか自己を誇示するために書いているわけではない
通用しようがしまいが知ったことではないのは構わないが
修正する可能性のない文章や修正の基準がわからない文章が、言葉としての役割を果たしているか疑問が残る
それこそ、このような開かれた場で書かないで閉鎖的な学会で発表すればよかろう

ウィトゲンシュタインは、
言葉はその間違いを指摘して修正できるということが言葉の機能のひとつであるとした
だから、そのような修正ができない私的言語の不可能性を説いた
792ゾルレン:2006/02/03(金) 23:17:19

むじんくんがソクラテスをどう解釈しおうが構わないが
少なくとも、むじんくんの中にはそう解釈できる余地があり、他の解釈を批判できる基準があるのだろう
それらは議論にかけることができるはずだ
例として、俺がむじんくんの解釈を批判してみる
ソクラテスの「無知の知」は
アポロン神殿の神託の「ソクラテスより知恵ある者はいない」という言葉をソクラテス自身が解釈したものだが
ソクラテスは自分が知恵者だとは思っていなかった
彼は真理や善などのついて何も知らなかったからだ
しかし、アポロンの神託が間違ってるはずがないとして整合的に解釈しようとして「無知の知」という見解を出した

これに対して、むじんくんの言う
「意味とは何か」について語りえないがゆえに「無知の知」であるならば
ソクラテスが苦心する必要もなく、ソクラテスは無知ではなく知恵者になってしまうのではないか
というのも「意味について語りえない」ということをソクラテスは知っているのではないか
むじんくんのソクラテス解釈のどこに「無知」という表現が使用される要素があるというのだろう

ついでにもひとつ、俺はウィトは専門じゃないけど
あるウィトゲンシュタイン研究家がこう書いてた
「リオタールからの大陸系のウィトの引用と権威付けに対して、ウィトが生きてたら苦笑するだろう
誤解する自由はあるし、誤解されることの責任をウィトに追及されても困る」
793ゾルレン:2006/02/03(金) 23:38:00
>むじんくん
俺の言葉が発端となったのは謝る
表現にイチャモンをつけるのは好みではないが
俺は詩人は嫌いなんだ

>そうですか(笑)。皆さんのソクラテス観をよかったら聞かせてください。
俺のソクラテス観はソクラテスは相対主義者ではないという解釈だ
ソクラテスは、真理、善、美といった観念を認めているし
また、それらの価値を他の日常的な価値一般と区別している
真理や善についての関心を、その他の関心と区別している

ソクラテスの「無知の知」についての俺の解釈は
「ソクラテスは肝心なことについては何も知らない」と俺は解釈した
肝心なこととは「決定的な答え」とでもしよう

決定的な回答を得たつもりになって得意満面な人間は
実際には彼らは詭弁の技術だけを得ていて何も知らない
そのような人間よりは「自分がまだ決定的な答えを得ていない」ということを知っている分、自分の方がまだ知恵者だ
これが俺なりの「無知の知」の解釈だ

まとめると、ソクラテスの「無知の知」は、
知的に傲慢な者よりも知的謙虚さを持つ者の方が優れている、というのが俺の解釈だ
794考える名無しさん:2006/02/04(土) 00:04:59
>>779
>ただ、むじんくんが一貫して述べてきたことは、そうひどすぎるとは思われな
>いのだけど。

でも、名無しや一言の批判は出展だけでなく内容にも言及されてるよね。
んで、ソクラテスと若い頃の権力者が交流してたって言うのはクセノフォン
の伝記なんかからも分かるし、その若者が実際に独裁者や国家の裏切り者
になっちゃんたんだから権力者と対置させてほんとにいいのか疑問。
795一言 ◆84DmbwrCHo :2006/02/04(土) 00:09:38
まあ、内容批判になってるかもしれないですけど、私の立場は
基本的に「ソクラテス解釈は史料が少なすぎて成立しない」です。
プラトン、クセノフォン、アリストテレスなどの伝聞だけで論じるのは
気が引けますね。
796居士:2006/02/04(土) 00:32:42
>>792>>793
ゾルレン氏は「ソクラテスは肝心なことは知らない」ことを知っており、それが
“無知の知”だという。それに対して、むじんくんは「意味とは語りえない」こと
をソクラテスは知っており、それが“無知の知”だという。もっとも、これはゾル
レン氏の要約である。
この二つの解釈が対極にあるようには思えない。「知らない」ことと「語りえない」
ことは、どこが違うのですか。
797考える名無しさん:2006/02/04(土) 00:32:55
>>791-793
「無知の知」の解釈などどうでもいいだろ
おまえが考えることは何か、伝えたい事は?
それだけだ、ここで意味のある事が在るとすれば
もしそれを書いたんだというなら、おまえは馬鹿でノ〜タリンだw
798ゾルレン:2006/02/04(土) 00:36:53
>>796
>「知らない」ことと「語りえない」ことは、どこが違うのですか。
「語りえない」こととはわれわれが言語を使用する際の言語と像の関係で言う言語外

>>797
>「無知の知」の解釈などどうでもいいだろ
>おまえが考えることは何か、伝えたい事は?
伝えたいことなどない
そんなものがあればとっくに主義・主張板にでも行ってる
799考える名無しさん:2006/02/04(土) 00:39:47
>>798
おまけに嘘つきとは・・w
800ゾルレン:2006/02/04(土) 00:46:58
>>799
「嘘」という言葉は規範的な理念を受け入れてないと成立しないんじゃないの?
「本当」がないところに「嘘」はないでしょう?
801むじんくん:2006/02/04(土) 00:51:50
>>793
> ソクラテスの「無知の知」についての俺の解釈は
> 「ソクラテスは肝心なことについては何も知らない」と俺は解釈した
> 肝心なこととは「決定的な答え」とでもしよう

それは同じ考えですよ。肝心なこととは"意味"であるというのが、評判悪かったレスだったんですが(笑)。
何か変ですかね。意味を保障しているのは結局神であって自分ではない。しかし、逆に彼はそれを
信じていたからこそ、レトリックではない、意味の探求ということが可能だったんじゃないか。
802799じゃないけど:2006/02/04(土) 00:55:54
>>800
それのどこが>>799へのレスになってるんだ?
前から感じてたがレスの返し方が機械並みに意味不明なんだが。
803ゾルレン:2006/02/04(土) 00:59:58
>>801
>意味の探求ということが可能だったんじゃないか。
「意味の探求」ってなんですか?
ソクラテスのどういう問答が「意味の探求」にあたるんですか?

「意味」ってのはmeaningですよね?
「言明の意味内容」とかの「意味」ですよね?
804むじんくん:2006/02/04(土) 01:04:20
>>803
> 「意味の探求」ってなんですか?

見かけの裏側にある意味を探るということです。真・善・美。
805ゾルレン:2006/02/04(土) 01:07:47
>>802
>>799が「嘘つき」と言ってるのは
ゾルレンは現実には主張したいことがあるのに、「主張したいことがない」と発言していることを、
「嘘つき」と言っているのだろう

これらは言明や現実などの関係について彼なりの考察が前提としてあり
「嘘」という言葉はそれらのある関係において成立する言葉だろ
それらについて研究したりすることは「哲学」の領域だろ

>>799よ、君は立派に哲学を認めているだろう?」
俺が言いたいのはそういうこと
806むじんくん:2006/02/04(土) 01:08:37
事物は火であるとか水であるとか、これはレトリックです。どこまでも見かけで完結している。
しかし、ソクラテスは見えないものがそれを有らしめている、と考えていた。彼の対話はそういうもの
だと思います。
807ゾルレン:2006/02/04(土) 01:14:11
>>804
「なにが真理か」と「真理とは何か」は異なる問いだそうです

前者は真理基準や真理原則を求める問いであるのに対して
後者は真理概念や真理理念を求める問いだからだそうです

わたしには、あなたがこれらを峻別できているとは思えません
808799じゃないけど:2006/02/04(土) 01:14:16
>>805
だからその返し方が意味不明なんだよ。
誰がどこで「>>798は哲学を認めるのか?」なんてことが問題になったんだ?
あんたがやってるのは「自分が言いたいことを一方的に言って終わり」だからね。
809ゾルレン:2006/02/04(土) 01:18:49
>>808
普通に返せば「俺は嘘ついてないぜ」だ

だけど、>>799は「哲学なんて自己主張の域を越えない」という見解に立っているだろ
対話は論理にコミットするという行為なのだから。
810むじんくん:2006/02/04(土) 01:19:56
>>807
> 前者は真理基準や真理原則を求める問いであるのに対して
> 後者は真理概念や真理理念を求める問いだからだそうです

ソクラテスは後者ですよね。そして、理念には決してたどり着かない。しかし存在を信じていると。
ところが対話の相手はそれを信じてません。
811799じゃないけど:2006/02/04(土) 01:21:47
>>809
論理にコミットする前に対話を始めないとね。
相手が言ってる単語の定義を確認する、と。
812居士:2006/02/04(土) 01:24:34
>>798
「語りえないものについては云々」という有名な一節はともかく、一般に、知ら
ないことは語りえない。また、あることについて語ることができなければ「知ら
ない」とみなされるだろう。知らないことと、語りえぬことは地続きではあるま
いか。
あなたに即して述べるなら、語りえない“言語外”とは究極の無知もしくは知の
埒外のことであり、その非在の領域を非在として認識していることを「無知の知」
と、むじんくんは言っているのではないか。(見当はずれなら、許せ)
813ゾルレン:2006/02/04(土) 01:42:36
>>810
わたしはソクラテス対話編では問いの共有がなされていると思います
『ゴルギアス』におけるカリクレスとの議論ではお互いの問題意識にズレがあるかもしれませんが。

>ソクラテスは後者ですよね。そして、理念には決してたどり着かない。しかし存在を信じていると。
>ところが対話の相手はそれを信じてません。
真理理念のないところに対話は成立するのでしょうか?
確かに、ソクラテスの論法はこれを逆手にとっただけだという解釈もできます
対話に参加するという実際の行為をもって、彼の言明との間に矛盾をおこさせるという弁論術との見方もできます
814りくーつ・こねりー:2006/02/04(土) 01:43:48
>>812
「知らないこと」がどういった意味で使ってるかによるのじゃないかな?

1. 決して知り得ない
2. まだ知り得ない
3, 知らないだけ
4. 知り得ているとは知り得ていると信じているだけ(要するに何も知り得ない)

こういう受け留めかたの違いの気がするんだけどね…俺は
815ゾルレン:2006/02/04(土) 01:50:27
>>812
じゃあ「知らない」という言葉を使えばいいと思います

>また、あることについて語ることができなければ「知ら
>ない」とみなされるだろう。
「語ることができなかった」と「語りえない」は違うんです
「語りえぬ」とは文字通り、言語の範囲を考える際の表現なんです

ちょっと比喩をすると
絵画を見てそれを画用紙に書くことにしましょう
「実際の絵」と「脳内の絵の像」とそれらを表現する「画用紙と絵の具」があるとしましょう
この「画用紙と絵の具」でどこまで書けるか
これがウィトゲンシュタインの意図です

「語りえぬ」とは「画用紙に書けない範囲」です
816居士:2006/02/04(土) 02:05:41
>>814
いずれも、語りえないでしょう? 4だけは何ごとかを語るでしょうが、それは
無知を知のごとく表白することを意味しています。
要するに知らないことは語りえないのであり、ゾルレン氏とむじんくんの“無知の
知”解釈の相違が理解できないと言いたいわけです。
二人の議論は大歓迎。ただし相違点を明確にしていただきたい、ということです。
817りくーつ・こねりー:2006/02/04(土) 02:13:40
>>816
でもさ、もし、こんな人がいたとしたらどうする?

「決して知り得ない」と「語りえない」はどう異なるのか?

ある対象が「語りえない」ことは知っているつもりでも、
その対象を知らないはずなのに、なぜ語りえないと知っているのか?

ここまでくると、スーパー屁理屈かもしれないな…とか思ったんだよ
818ゾルレン:2006/02/04(土) 02:37:45
>>816
>要するに知らないことは語りえないのであり、ゾルレン氏とむじんくんの“無知の
>知”解釈の相違が理解できないと言いたいわけです。

実際に俺とむじんくんのあいだに解釈の相違があるかどうかはわからん
ただの表現方法の違いなのかもしれない
「知る」という言葉が何を表現しているのか深く考えたことはなかった

>要するに知らないことは語りえないのであり
ここでいう「語りえない」とは「実際に語ることができない」という意味でしょうか?
ならば、本当にそうでしょうか
われわれはなぜ「嘘をつく」という行為が可能なのだろうか

「今、外で雨が降っている」という言葉を言った時、彼は天気を知っているのでしょうか?
「雪は黒い」と発言した時、彼は雪の色を知っているのでしょうか?

>>799の発した「嘘つき」って発言は哲学的にはとても深い
「嘘」というのは「言葉」と「現実」の関係によって生じる

絵画の比喩で言うと、「画用紙に描かれた絵」と「実際の絵」との間の関係だ
で、この「実際の絵」はもちろん画用紙に描けない
「語りえぬもの」ってのはたいてい「物自体」とか「実在」とかのことを指すんだけど
(「語りえぬもの」だけが語りえない範囲なのではない、これがウィトの面白いところだ)

「嘘」という言葉は、本当のことを知っていないと言えない
つまり「実際のこと」「語りえぬこと」ってのを知っているということになるよね
819居士:2006/02/04(土) 02:52:22
>>815
それは、どうでしよう? ある人間が語ることができないときは、その人間に
とっては「言語の範囲」を超えているからです。もともと、ウィト氏の語りえ
る言語の範囲と、その人間の語りえる言語の範囲が異なっているように、この
二人の“語りえぬ範囲”もまた違っていて当然。
画用紙の例でいえば、ウィト氏の持っている画用紙は大きく、その人間の持っ
ているそれは小さい、ということでしょう。
まさか、あらゆる人間はウィト氏と同じ言語(の範囲)すなわち同じ大きさの画
用紙を持たされている、とは言わないでしょうね。
820居士:2006/02/04(土) 03:08:02
>>816
なるほど、ね。単なる屁理屈かもしれないし、「知る」ことと「語る」
ことの深淵?に触れるものかもしれませんね。もう少し、あなたの理屈
を開陳してください。
821ゾルレン:2006/02/04(土) 03:17:37
>>819
ウィトの言う「語りえぬ」とは個人によって語れるか語れないか変化するものではないよ
画用紙に描ききれないから不可能なのではなく画用紙に描くことが当初から不可能なんだよ

例えば、「この絵画の模写ではなく、実際のこの絵をその画用紙にかいてごらん」と言われても無理でしょ
「この絵と君の脳に浮かぶ像の間の関係を画用紙に書いてみて」とか言われても無理でしょ
そして「君の脳に浮かぶ像とこの画用紙との間の関係を・・」も無理
こういう依頼に「画用紙が小さすぎて書けません」と答えるのはおかしい
当初から画用紙に描けえないことなんだ
絵を描くという行為(われわれが言語を使用するという行為)がどういうことなのか、ということをウィトは分析しているんだよ

「カラーな絵を白黒では描けません」とかの不可能性じゃないんだ
実際的な不可能性ではない
822聖母マリア:2006/02/04(土) 06:11:31
哲学よりも世界の子供にまず・・あたたかい食事ときれいな水を。
あなたたちのいっていることは理屈です。
先のやるべきことはもっとああるはずです。
823考える名無しさん:2006/02/04(土) 10:47:08
>>821
ゾル、また同じことをやってるなw
ウィトの言とその解釈はどうでもいいのよ

解釈はあってもいいが それは「何かのため」の出発点だろ
語られるコンテンツ(今ならウィトの言)について いかに正確に
その意図を汲み、本人以上に解釈しつくしたところで それは

@ウィトの言’に対するAお前の解釈’であって
しょせんウィトの言の範疇(にとどまる)

おまえは代弁者か、誰かの?
ちがうだろ、おまえは自身であって誰かじゃない、モノ言う主体だろ
だったらそこでとめるなw

かりに話の流れがそうさせたのだとしても、解釈を行なうプロセス
で湧いてきたBおまえ自身(の思うこと)’を述べずに終わるなよ

わかってると思うが言うと、
ウィトの言’はおまえにとって意味があるのか?
あるんなら「それは何?」 、それ書けよ
またその「何」がおまえばかりか他の者にとっても重要な内容を
含んでいるとしたら「どう重要なんだ?」、わからせてみろよ
もしくは「一顧にすら価しない」なのか?糞なのか?
そういう声、おまえ自身の声が聞こえてこない・・のよ

評価を持ちながら言わないのは嘘つきより始末が悪いw
いったい何のために頭蓋に脳をおさめてるんだ?
何のためのクチや手よ?
824居士:2006/02/04(土) 11:28:12
>>821
当初から「不可能」だとしたら、>>817の「その対象を知らないはずなのに、
なぜ語りえないと知っているのか」という屁理屈が将棋用語でいう“ピッタ
リ”である。

ある対象を描くことができないとすれば、幾つかの理由が考えられる。まず、
その人の腕(技術)に難がある場合。もう一つは、画用紙の問題。ダ・ヴィン
チでも、巨大作品をA4大の画用紙に描くことは無理だったのではないのか。
画用紙の大小は、それなりに大きなテーマなのである。

ゾルレン氏が述べておられるのは、どんなにいい腕を持っていても、どんな
画用紙を用いようとも、どんな絵の具を使おうとも、描けないもの(こと)が
ある、ということらしい。それを「物自体」「実在」と呼ぶそうだ。とすれ
ば、画用紙のような“実際的な”譬えを使ったのがまずかったのだろう。
では「語りえぬもの」には、どうやって近づくのか。それとも初めから近づか
ないことが“処世の知恵”というものか。所詮は理屈>>822なのだから。
825居士:2006/02/04(土) 12:10:04
>>821
ゾルレン氏によれば、ある凡庸な(普通の)人間が言葉を失い、語ること
ができなくなることと、ウィト氏のいう「語りえぬ」ことは別の話だそう
である。はたして、そうか。
ある人間が語ることができなくなったとき、彼もまた“語りえぬもの”に
触れている、とみるべきではないのか。傍目には「白黒の絵の具を使って
カラー作品を描こうとしている」ようにみえたとしても。なぜなら「語り
えぬもの」があるとすれば、いまここにあるはずだから。
それとも、普通の人間には“語りえぬもの”は無縁ということか。これは、
ゾルレン氏を皮肉っているわけでなく、案外、そうかもしれないと思える
フシがあるからである。
826考える名無しさん:2006/02/04(土) 12:37:37
821の説明は何かおかしい気がするのだが。
少なくとも前期のことについて言ってるのか後期について言ってるのか
はっきりしてくれ。
827考える名無しさん:2006/02/04(土) 13:05:42
後手:森内
持ち駒:歩2、銀
   9    8    7    6    5    4    3    2    1
┌──┬──┬──┬──┬──┬──┬──┬──┬──┐
│▽香│▽桂│__│__│__│__│__│▽桂│▽香│一 最終手
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤   には
│__│▽飛│__│__│__│▽銀│▽金│▽玉│__│二 ★☆を
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤   付けて
│__│__│▽角│__│__│▽金│__│▽歩│__│三 下さい
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│__│__│▽歩│▽歩│▽歩│▽歩│▽歩│__│__│四
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│▽歩│▽歩│__│__│__│__│__│▲桂│▽歩│五
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│__│__│▲歩│__│▲歩│__│__│▲歩│__│六
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤   成歩−!と
│▲歩│▲歩│▲銀│▲金│__│▲歩│__│__│__│七 成香−杏
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤   成桂−圭
│__│▲玉│▲金│★角│__│__│▲飛│__│▲香│八 成銀−全
├──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┤   成角−馬
│▲香│▲桂│__│__│__│__│__│__│__│九 成飛−龍
└──┴──┴──┴──┴──┴──┴──┴──┴──┘
先手:羽生
持ち駒:歩1、銀

まで59手。
828ゾルレン:2006/02/04(土) 13:30:02
>>823
俺はウィトには賛成できない人間だ
だが、今、それを言う場ではなかろう
議題がソクラテスの解釈やウィトの説明である限り
その本分を超えて自分の見解を言うことは適切ではなかろう

俺はウィトを批判しようとしてウィトを勉強した時期がある
「語りえぬことには沈黙せねばならない」
この言葉によって知的営為が阻害されていると感じることがあったからだ
語りえぬことについて考えること、議論をすることが無意味だとはとても思えなかった
哲学に携わる者として「哲学的問題などない」という言葉にも抵抗があったし
倫理や道徳について思考することを否定する者がウィトを引用することがたびたびあった
だが、誤読したままで批判するのは適切ではあるまい
ウィトを批判しようとして関連の本を読んだが、
現在の俺ではウィトのもろもろに対する評価がどのようなものなのかはまだはっきりしない
だが、ウィトの分析は非常に面白いものだと思うし
ウィトが語りえないことの方を重視していた、倫理や道徳を重んじていた、ということも
おぼろげながら理解できている
829ゾルレン:2006/02/04(土) 13:31:06
で、俺は多くのことに興味がある
例えば「政治制度はいかにあるべきか」だって興味あることだ
「民主制と専制政治のどちらがよいか」だって自分なりの見解があるが
それと「政治制度におけるプラトンの態度はどういうものか」は別のことだ
で、「政治制度におけるプラトンの態度はどういうものか」もまた俺にとっては興味あることだ
もちろん俺にとって後者の問いは前者の問いのためにある

だが、政治制度に興味がありプラトンに興味がない人もいれば
逆に、政治制度には興味がなくプラトンには興味がある人もいるだろう
そして、哲学にはまったく関心がない人もいるだろう
われわれはお互いの関心が重なり合う部分において、問題を共有し議論をすることができる
議論においては相手の関心や問題意識を探り、それらを共有することが必要不可欠なのではないだろうか
そのような問題意識の共有を怠り、独り善がりに自分の関心あることについて述べるのは俺は好かん
ついでに言うと、相手に関心を持たせる弁術など不可能だと思っている
哲学に興味ない人は興味ないのだろう
興味ない相手に興味を持たせることはどんなに熱弁を振るっても無理
830ゾルレン:2006/02/04(土) 13:36:29
>>826
もちろん、論考の目的とすることだから前期

それとウィトが前期と後期で違うというのは主流な見解だが
ある哲学者が「後期ウィトゲンシュタインの著作はしまりのない言葉で書かれた論理哲学論考である」と述べたように
ウィトの前期と後期じゃ変わらん、という評価もある
831考える名無しさん:2006/02/04(土) 13:56:41
>>830
じゃあ>>821のウィト解釈を根拠付ける箇所を挙げてみて。
832ゾルレン:2006/02/04(土) 14:20:59
>>824
「語りえないもの」
こんな表現するから意味深になってしまうんだろう

>では「語りえぬもの」には、どうやって近づくのか。それとも初めから近づか
>ないことが“処世の知恵”というものか。所詮は理屈>>822なのだから。
近づけないけどあるんです
後期のウィトは「示すことはできる」って態度らしいけどね

で、「絵を描く」という行為は、
「実際の対象物」があって、それが「脳の像」として映って、それを「画用紙」に描くという行為だよね
んで、この「実際の対象物」を描こうとして、画用紙にかけるのはどこまでかをウィトは分析しているのよ

語りえない「対象」があるのではなく、「対象」が語りえない
833ゾルレン:2006/02/04(土) 14:21:58
>>831
ラッセルの序文
834ゾルレン:2006/02/04(土) 14:28:08
>>831
論考は今、人に貸してるから手元にないけど

独我論は実に正しいが、語りえぬことである

とかはそうでしょ
「「脳の像」と「実際の像」に違いはない」というのは「画用紙」にかけないことだということでしょ


835831:2006/02/04(土) 14:37:46
>言語には種々さまざまな問題がある。
>(中略)
>第二に、思念、語、或いは文と、それらが指示する或いは意味する
>ものとの間に成り立っている関係は何であるか、という問題がある;
>この問題は認識論に属する。
>(中略)
>第四に、こういう問題がある:(文のような)一つの事実が他の事実に対して、
>前者が後者の記号であり得るためには、両者はいかなる関係を有すべきで
>あるのか。この最後の問題は論理的問題であり、
>そしてそれがウィトゲンシュタイン氏が
>関心を抱いた問題なのである。

『論理哲学論考』ラッセル序文
836831:2006/02/04(土) 14:43:05
さて、以下の点を確認しよう。

1、ラッセルはウィトゲンシュタインが言語の「全」問題領域をカバー
しているとは考えていない(四つの問題のうち、最後の問題だけが
ウィトゲンシュタインの問題である)。

2、ラッセルによれば、言語における認識論の問題はウィトゲンシュタイン
の問題領域外であるがゆえに、「実際の対象物と脳の像との関係を描く
ことは無理だ(>>821)」などという認識論的命題は論考に含まれていない。

3、第三に、一つの事実(文、絵など)と他の事実(例えば、「この絵」)との
関係について、ラッセルは「それは語りえるし」「それこそがウィトゲンシュタイン
の関心事である」と考えている。ラッセルによれば、

>前者が後者の記号であり得るためには、両者はいかなる関係を有すべきで
>あるのか。

という関係の問題を論考は取り扱っているとされるのである。
837考える名無しさん:2006/02/04(土) 14:47:07
もちついて相手の文章よめよ。
838831:2006/02/04(土) 14:50:31
さて、では本文から考察しよう。

2.1 我々は自らの内に像を作る。

さて、ゾルレン(>>821)によればこれは脳の像である(しかし、
脳の像などという認識論的問題がウ論考の中にあることを
ラッセルは否定する)。

ところで、ウィトゲンシュタインは続けて書く。

2.1.2 像は現実の模型である。

さて、模型とは何か?、現実とは何か?
ここで、現実=物自体と考えるのは誤りである(なぜなら、物自体
は語り得ないものだからである)。現実とは、「まさにこの絵」である。
では、像とは何か。これは「この絵の模写」である(黒崎訳の論考読解
では、これと々理解であり、「実際の衝突事故」が現実であり「事故現場
の模型」が像であると考えているp42)。

以下、ウィトゲンシュタインは写像について語るが、それは「現実」と
「模型」との関係が語り得る、すなわち、「この絵と絵の像との関係は
語り得る」ということを示唆していると考えられないだろうか。
839831:2006/02/04(土) 14:51:51
以上の事から、>>821のウィト解釈は、

1、ラッセルの序文からは読み取れず、
2、本文からも読み取れない

のではないか。
840ゾルレン:2006/02/04(土) 14:55:39
>>836
なるほど、ためになった
賢くなったよ

>3、第三に、一つの事実(文、絵など)と他の事実(例えば、「この絵」)との
>関係について、ラッセルは「それは語りえるし」「それこそがウィトゲンシュタイン
>の関心事である」と考えている。ラッセルによれば、
単純に疑問なのだが、語りえるんですか?
ウィトはどう考えてるんですか?
841ゾルレン:2006/02/04(土) 15:27:51
>ここで、現実=物自体と考えるのは誤りである(なぜなら、物自体
>は語り得ないものだからである)。現実とは、「まさにこの絵」である。
「まさにこの絵」というのがわかりません

>では、像とは何か。これは「この絵の模写」である(黒崎訳の論考読解
>では、これと々理解であり、「実際の衝突事故」が現実であり「事故現場
>の模型」が像であると考えているp42)。

ウィトの言う「像」とは
われわれが言葉を発する前段階のイメージみたいなものでしょうか?

だけどやはり「現実」(reality)が物自体ではないというのがピンときません
842むじんくん:2006/02/04(土) 17:38:42
>>813

ヴィトゲンシュタインの話題に移っていますが、遅まきのレスです。

> 真理理念のないところに対話は成立するのでしょうか?
> 確かに、ソクラテスの論法はこれを逆手にとっただけだという解釈もできます

ちょっと仰っていることと違っちゃってるかもしれませんが、逆手にとってというのはそうだと
思います。つまり、相手はソクラテスのようにどこまでも掴み取ることができない理念を
信じていないし、むしろそんなこと知ってるよと。知ってるから探求しなくていいでしょうと。

知っていることとは見かけで完結した、慣習的なものです。それ以上何があるんだと。
ところが、ソクラテスは見かけをあらしめている何かがあるんだと、何故か確信していた。
そういう視点で突っ込みをするから、相手はなんだかよく分からなくなる。
843居士:2006/02/04(土) 17:57:26
>>836>>838
どうやら“物自体”というのは比喩的にいえば神の領域にあるらしい。人間が
出会うのは「衝突事故の現場」であり、これが“現実”だという。それを再構
成する(頭のなかで模写する、像として描く)ことによってはじめて、私たちは
現実というものを識知できる(触れたような気になる)ということですか。物自
体は常に彼方にある、そういう意味ですか。
844りくーつ・こねりー:2006/02/04(土) 18:04:27
>>841
> だけどやはり「現実」(reality)が物自体ではないというのがピンときません

人が目視できる現実と昆虫が目視できる現実は違うって感じとか?
視覚だけでなく、感覚受容器全般にいえそうだから、なんとなく俺は納得できるけど
そういうことでもないのかな?(よく知らないけど)

人の目視が現実なのか、昆虫の目視が現実なのか、
なんてこと考えると訳が分からなくなるね
845考える名無しさん:2006/02/04(土) 19:09:43
物自体はカントですら「語り得ぬ」ものだろう。
神の視点なんだから。
846居士:2006/02/04(土) 19:27:18
>>844
“物自体”という概念が厄介なのだけど、たぶん人間にとっても昆虫にとって
も、それは同一と>>838はみているのではないか。いや、どっちみち語りえない
のだから、同一であろうとなかろうと関係ないということかもしれぬ。
もし、人間と昆虫に違いがあるとすれば、それは“現実”である、ということに
なろうか。
動物と動物のあいだに“現実”観に違いがあるように、人間と人間のあいだにも
“現実”の見方には相違がある。理念、思想、イデオロギーなどと称されるもの
がそれであり、私たちは“物自体”のこちら側で、現実の模写のし方を競う存在
ということになろうか。
847唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/04(土) 20:07:29
これぞ当にクオリアでしょうか?
主客によって或いは個々に於いてどうなのか。
識(こころ)の数だけ宇宙がある。
848考える名無しさん:2006/02/04(土) 20:56:13
もういいです、クオリアは・・・・・・
849考える名無しさん:2006/02/04(土) 22:01:28
機械風に言えば、現代の物理学が物自体を明らかにしつつある、
ということなのだろうか。
850りくーつ・こねりー:2006/02/05(日) 07:18:02
機械氏風に主張すれば
>>847
まず、>>817 のような屁理屈を許すと、

 主張 1) クオリアを科学することができないと知り得たわけではない

という主張が可能になります
そして、主張 1) の主張者にクオリアの説明を求めると、

 主張 2) クオリアは語り得ぬもの

と主張します

主張者は主張に矛盾が発生していることに気付いていません

主張 1) では「語り得ぬ」ということを否定(>>817)し、
主張 2) では「語り得ぬ」ということを認めています
主張 1) を通すためには、主張 2) は認めれないことになります

ウィトゲンシュタインは、そんな主張をするぐらいだったら、はなからそういうのは黙っとけ、
といいたかったんだと思います(嘘

議論をする上では 主張 1) を選択するか、主張 2) を選択するか、
というような自分の立場を明確にすることって大事だよなと思う、とっても寒い冬の朝…
851考える名無しさん:2006/02/05(日) 19:03:27
852考える名無しさん:2006/02/05(日) 19:50:26
>>847>>850
クオリアって、なんですか? いま、はやっている言葉? それとも、少し前に
はやった言葉? 簡潔明瞭に、教えてください。それは、どこにあるの? 頭の
なか? 私の外にあるの? もし、日本語で言うなら、なんという言葉が近いで
すか? 質感? 触感? 他に、いい日本語があれば、教えてください。

853考える名無しさん:2006/02/05(日) 19:56:01
そういう質問なら、質問スレがあるよ

■スレッド立てるまでもない質問8@哲学板■
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1138091629/l50
854考える名無しさん:2006/02/05(日) 20:01:46
クオリア「について」語り得ぬことはないが語ってどうなる?クオリアをあれこれと
調べたりすることの底意には、自分自身が自体的に他者より優れたクオリア主体で
ありたいと望んでいるからだろう?しかしそれは結局無駄とは言わないが馬鹿げた
ことだ。
自体的に優れたクオリア主体である一握りの天才の周りを半ば嫉妬、半ば好奇心
の念からあれこれと外側からどれだけ論理的に完璧な解釈で詮索したところで
自分がそれであるかどうかは別問題だ。よしんば科学的な方法論が確立されて
以前一握りの天才の所有であったものが系統だった訓練や医術処理などによって
人工的に凡才にも持つことが出来るようになったとしても、そのときにはそれは
なんら稀有なものではなくなっているので、価値が暴落して結局は堂々巡りの
同じことをくり返すにすぎない。それに、他者より優れたクオリア機能を持った
天才画家や天才音楽家が言葉の上でどれだけ自分のその力について論理的に間違った
解釈をしていようとも、自分自身がやはり天才的なクオリア機能を持っているという
ことには何ら変わりはないのだ。天才にとっては「についての」解釈など本来はどう
でも良いことなのだ。普通の人間が十年、二十年の血のにじむような訓練の末にやっ
と出来るか出来ないかというようなことを、元々の特異体質故に平然とやってのけて
しまうのが本当の天才というものなのだから。ここには持たざるものにとって決して
情け容赦などありはしない。ただあるがままの現実がそこにあるだけだ。

855考える名無しさん:2006/02/05(日) 21:03:03
>>854
天才がどうのこうの、というあなたのご意見はどうでもいいのです。「他者より
優れた主体でありたい」と、別に望んでいません。「クオリアって、どういう意味?」
と尋ねたことに対して答える気があれば、答えてくれればいいのです。あなたの
“天才論”については他の機会にお聴きしましょう。答える意志がないのなら、無視
してくれればいいのです。
「ITって何?」と訊けば、それなりのことを教えてくれるでしょう。そういうレベ
ルの質問です。
もう一度、お訊きします。クオリアって何ですか。
>>853も、ご存知ならお願いします。

856飛べないカラス:2006/02/05(日) 21:07:20
意識への入力じゃまいか
857探求者 ◆IageKhlEwc :2006/02/05(日) 21:40:14
>>855
クオリア=主体が感じる質感
赤い色を見たときのその赤い感じ。毛布を触ったときのその手触り。
前2スレぐらいでさんざん議論されてるし読んできたら

>>854
「他者より優れたクオリア主体でありたい」じゃなくて
「今の自分よりすごいクオリア主体になりたい」でも別にいいじゃないか。

それ以前にあなたの言ってることは根本的にズレてると思うけど
858考える名無しさん:2006/02/05(日) 23:35:47
>>857
あなた自身は、ズレていないと思っているのですか。そもそも何からみて、私
の素朴な質問がズレているわけですか。ズレていないって、どんな状態?

「今の自分よりすごいクオリア主体になりたい」とは、驚きの言い草。哲学する
ことって、向上心を磨くことだったのですか。ご立派な心掛け。
それから、こういうスレはどこから参加してもいいというのが常識。前回スレ
をお勉強してから来い、とは、もしかしたら、あなたお役人?
859考える名無しさん:2006/02/06(月) 00:08:22
>>858
なんなんだおまいは・・
どっちに対してなに言ってるのかわけがわからん。
860りくーつ・こねりー:2006/02/06(月) 00:18:13
>>858
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2
これでも読んで、お気をお静めください
861考える名無しさん:2006/02/06(月) 00:22:07
>>860
りくつ・こねーりよ。
おまいはクオリアしてるふりをしているドラえもん型ロボットであると見たが、
どうよ?
862りくーつ・こねりー:2006/02/06(月) 00:31:41
>>861
文意はよく分かんないけど、私はクオリアに余り興味はありません
863考える名無しさん:2006/02/06(月) 00:46:07
我われが「赤」を「そのように」見ることも志向性に基づいており、
何ら直接的な実体としての「赤い感じ」であるわけではない。


864考える名無しさん:2006/02/06(月) 01:41:12
「自分の目を見ることは出来ない」で良いか?
865探求者 ◆IageKhlEwc :2006/02/06(月) 01:50:49
>>858
ズレてるってのはこの場合あなたが、
(1)既存の論点をまるで理解せずに語ってしまっている
(2)しかも語った内容が最初の前提からしてもうおかしい
という2点を示している。

>クオリアをあれこれと調べたりすることの底意には、自分自身が自体的に他者より
>優れたクオリア主体でありたいと望んでいるからだろう?

普通に考えたら「単に興味があるから(理由はさまざま)」で済む話じゃないか。

なのになんでわざわざ「他者より優れたクオリア主体でありたい」という動機だけを選び、
「今の自分より優れたクオリア主体になりたい」という動機を排除できるのさw

その理由を説明しないと>>854の内容は全部がおかしくなる。だからズレてるの。
866哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/06(月) 01:51:21
>>864
違うよ

「この感じ」という事
867練馬哲人:2006/02/06(月) 07:02:13
>>860 あの引用は不適切だね。
868練馬哲人:2006/02/06(月) 08:24:07
>>854 天才って間久部六郎とかフー・マンチュー博士とかか?w
あっ、いかん、バカボンのパパを忘れていた!
869哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/06(月) 08:43:40
>>863
>我われが「赤」を「そのように」見ることも志向性に基づいており、

当たり前だが
「見る」という行為と
なぜ、そのように「見える」かという事は全く別の話
「見る」という行為には、意思、志に向かう性質というものが介在するであろう が
「そのように見える」や「この感じ」というものは
意思や志などには関係なく、勝手に、そのように「見える」のである

>何ら直接的な実体としての「赤い感じ」であるわけではない。

「赤い感じ」というものは文字通り、人間が「感じ」を「感じる」という事であって
元々誰も、「赤い感じ」という実体がある などとは言ってなどいない

クオリアに関して、なんでこんなにわけわからん勘違いをする人ばかりなのか
本当に不思議だね
このスレには、理解できていない人が多すぎる
こんなアホみたいに基本的な事もわからんのに
デカルトの「我思うゆえに我あり」や
ヴィトゲンシュタインの「語りえぬもの」なんて事が理解できてるわけないじゃん
一生懸命に、何かを議論してたけどさw
みなさん、まず普通程度の思考能力を持って下さいよ
870考える名無しさん:2006/02/06(月) 09:01:38
馬鹿来たー!
871考える名無しさん:2006/02/06(月) 09:10:15
クオリアなんて、まだ言ってる人がいるんだね。もう死語だと思ってた。あはは。
872哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/06(月) 09:15:22
バカにバカだと言われて、もう何年になるだろうか・・・
いくらバカでも、いいかげん理解しろよ
バカすぎるだろキミ達
唯物論なんてものを根拠なく信じてるから
いつまでたってもバカが治らないんだよ
873哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/06(月) 09:16:17
>>871
なんで?
どうして?
理由は?
874考える名無しさん:2006/02/06(月) 09:21:24
>>869
クオリアのいう「こんな感じ」はそもそも(論理的に)理解することのできない概念。
その「こんな感じ」を「感じろ」ではなく「理解しろ」というのは横暴に過ぎるのでは?

語りえぬものやクオリアという概念でもって
言葉による言い当てや要素に還元できない世界を示しているのに、
それを「理解しろ」と強いるのは、言葉や要素に戻れと言っているのに等しいよ。
875哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/06(月) 09:34:13
>>874
ん?
またまた勘違いしているなぁ
そもそも「感じ」を「物理的に解明できる」と言ってるのは
唯物論者なんだよ

私は、物理的に解明できる根拠などありえない
という事を、「論理的に理解しろ」と言ってるんであってね
キミも、問題意識がズレているよ
876考える名無しさん:2006/02/06(月) 09:39:38
>>875
はい、あなたがおっしゃりたかったことは承知していましたよ。
ただ、僕は、クオリアというものを重視する人なら、
論理的に理解することよりも、感性で感じることのほうを人に勧めると思ったので。
877哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/06(月) 09:45:01
>>876
>ただ、僕は、クオリアというものを重視する人なら、
>論理的に理解することよりも、感性で感じることのほうを人に勧めると思ったので。

私は芸術家ではなく、あくまでも哲学者ですから
878哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/06(月) 09:47:36

間違い

芸術家でもあるなw

「ここは哲学板だから」 だね
879哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/06(月) 10:06:09
「感性で感じろ」というのも悪くないが
それじゃ、哲学におけるところの議論にはならないよ

キミは問題意識が全く別の所にあるんだよ
趣旨を理解していない
880考える名無しさん:2006/02/06(月) 10:15:23
クオリアっていうのは「普遍論争」の「個」の立場を、一般人に分かりやすく焼き直しただけだろ。
881考える名無しさん:2006/02/06(月) 11:06:12
>>879
>>キミは問題意識が全く別の所にあるんだよ
>>趣旨を理解していない

おっしゃられるとおりです。僕の問題意識がズレていました。お詫びいたします。
僕(874)が感性を持ち出したのは、芸術の話をしたかったからではなく、
以下の二つの話を展開したかったからです(つまり問題意識がズレていました)

ひとつは、僕はクオリアは物事を説明するための(普遍的・論理的な)手段ではなくて、
むしろ、物事を理解したり、再構成していくうえでの原動力(あるいは出発点)だと思っています。

例えば、物理学者や数学者の自伝なんかを読んでいると、
彼らが現象や数式を要素還元的あるいは論理的に説明しようとしたわけではなくて、
その人たちが思い描いている考え・概念(「こんな感じ」)になんらかの形を与えようとしていたことがよくわかります。
つまり、現象の説明や概念の提示には、論理だけではなく(その人なり)情緒や感性が働いている。

このようなクオリア的なものは、こういう天才たちだけでなく、僕のような凡人にも、
例えば、わけもなく涙が出たり、なんとなく違和を感じたりすることで働いている。
どうしても説明がつかない、こういう心性をクオリア的なものと読んだなら、
このクオリア的なものから僕らの行動の多くが導き出されているように思います。

僕は経済学徒(econometrics専攻)なので、
人の行動(結果)からその動機(原因)を推測しようとするけど、
結局のところ、人の行動は論理だけでは説明できないことを常々思い知らされます。
だから論理ではない別の概念を持ち出すことになる、そういうことを言いたかったのです。
882考える名無しさん:2006/02/06(月) 11:09:27
もうひとつは、僕は、すべての物事が論理的に理解できると考えている人に、
「こんな感じ」であるクオリアを論理的に理解させることができたとしても、
論理の枠から抜け出すことはできないと思い、「感性」を持ち出しました。
たしかに、「感じろ」では(言語を表現手段とする)哲学板にはふさわしくありませんね。
少なくとも、語りえぬものやクオリアのように「この感じ」を言語化する努力が必要でした。
哲学は論理の枠から抜け出るものでない、ということなのでしょうか。

ただ、僕の問題意識のズレを指摘するにしても、
「趣旨を理解していない」という言葉は少々ひっかかります。
人間が互いを根本から理解しあえることは不可能であり、
そういう主体や認識の不可能にお互いが抗うことによって、一定の(相互)理解が作り上げられるんですよね。
879のように言って斬り捨てられてしまい、非常に悲しい気持ち(?)になりました。
私のようなナイーブな門外漢は哲学板から去ったほうが良いようです。乱文で失礼いたしました。
883考える名無しさん:2006/02/06(月) 12:56:32
もうクオリアの話はやめろーーーーー!!!!!!!!!!!
884哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/06(月) 13:43:58
>>880
誰が?

>>881
>現象の説明や概念の提示には、論理だけではなく(その人なり)情緒や感性が働いている。

現象の説明に、情緒や感性が含まれているならば
その現象は、説明している人の情緒や感性によって変化する性質のものである事になってしまい
わけがわからなくなりますね
それでは純粋に現象を説明している事にならないのではありませんか?

ちなみに
情緒や感性は、クオリアではありません
それは順番でいえば
「感じを感じ」た後に、感想としてやってくるものです
赤色は赤色 であって、それ以上でもそれ以下でもありません
情緒や感性は、その他のさまざまな状況が加わって
総合的に想う「思考」の範疇であると言えるでしょう

>879のように言って斬り捨てられてしまい、非常に悲しい気持ち(?)になりました。
>私のようなナイーブな門外漢は哲学板から去ったほうが良いようです。

本当にナイーブなんですね
人に厳しく切り捨てられたからといって、その度にその場を去ってたら
社会に出て、たくましく生きてなどいけませんよ
まぁ、それも自由ですけど
885考える名無しさん:2006/02/06(月) 14:26:02
>>869
最高位殿に、お訊きしたい。そのクオリアなるものは“頭のなか”にある、と考
えていいわけですか。
もう一つ、少し前に“現実”と“物自体”は違うと>>838が述べています。これを
前提に、ではクオリアは語りえぬ“現実”感のことですか。あるいは、語りえぬ
“物自体”のことですか。
それとも「現実と物自体は違う」というのは>>838の誤認にすぎないということで
しょうか? それなら、また後ほど別の質問をします。
886哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/06(月) 14:47:23
>>885
言っている意味がわかりません
>“頭のなか”にある、と考 えていいわけですか。

逆に聞きたい
頭の中のどこの事ですか?
知りませんよそんな事
クオリアが実体であるという主張ですか?
質問の意味がわかりません
クオリアは、頭の中にある というのは、どういう状態の事ですか?
ちゃんと説明して下さい
私には意味がわかりません
887哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/06(月) 15:13:17
「像」とかいう発想だから「模型」だとかいう発想が出てくる
まぁ表現的には、そういう角度も面白いが、誤解しちゃう人も出てくるんだなコレガ
そもそも脳内には、具体的な「像」などというものは無いでしょう
その像は、いったいドコにあるというのですか?
「赤」といったって
脳内で、赤いランプが点灯しているわけではないんですよ?w
赤なんて、脳ミソをいくら探してみたって
どこにも存在していないんですよ
しかし何故か人間は赤色を感じる
そこがクオリアの起源といわれる問題であって
脳みそ内に、赤も像も存在しませんよ
しかし
人間は何故か、外界をそう認識している という話です
888考える名無しさん:2006/02/06(月) 17:09:02
>>887
「外界の認識」のことですか。では、その認識は“どこ”でするのですか。
そもそも“認識”というのは、感覚や感情や思念を『言語』化することでは
ないのですか。クオリアは、原初の認識=言語なのですか。私は、クオリア
とは認識しえない、つまり語りえない“存在との出会い”感だと思っていま
した。
889考える名無しさん:2006/02/06(月) 17:17:06
何で「認識=言語」だと思い込んでいる奴が多いのか。
外界の認識のもとは「感覚」で、クオリアは言語以前の感覚によって
「認識」されるに決まってるだろ。
890考える名無しさん:2006/02/06(月) 18:21:49
人は言語以前の感覚によって、無から言語を作り、使ってる
891考える名無しさん:2006/02/06(月) 21:04:26
>>889
人間の感覚は言語だよ。クオリアは、感覚ではない、それは常識だろう。
つまり、感覚は認識の一種である。もし、クオリアが感覚なら、そう呼べば
いいのだ。クオリアなんぞと、意味ありげにいう必要はない。
あえていうなら、クオリアは言語化した瞬間に、その網目から零れ落ちる何
かであり、前・感覚、前・認識、前・言語を指している。ただし、その種の
もの(こと)が本当に「ある」かどうかは、別問題である。
892考える名無しさん:2006/02/06(月) 21:20:49
クオリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2
893考える名無しさん:2006/02/06(月) 21:56:52
クオリアとは意識が何かの感覚刺激を受け取った時に発生する感触の
ことを指す。例えば「赤さ」は、特定の波長の光という感覚刺激が
目を通じて受け取られた時に発生する感触のことであり、
クオリアの一種である。

クオリアは一般に、言語で記述しきることができず、
感覚刺激の物理的特性によって説明しきることができないとされる。
894りくーつ・こねりー:2006/02/07(火) 00:04:44
>>892-893
俺も >>860 で貼ったんだけど、>>867 みたいな人もいるんだよ…
多分、納得してもらえないんじゃないの
895考える名無しさん:2006/02/07(火) 00:25:29
>>884
情緒や感性、思考もまた広義の意味でクオリアだろう?
意識され得るものはすべて物理的記述からはみ出てるんだから。
最高位は志向性クオリアのことを何も理解していないようだ。
896考える名無しさん:2006/02/07(火) 00:40:59
人間は外界の表象を明らかに脳の志向性判断に基づいて造っている部分がある。
錯視図形などはそのいい例だ。
897哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/07(火) 00:49:10
>>888
あなた頭が腐ってるんじゃないですか?
自分が何を言っているのか、わかっているのですか?
>私は、クオリアとは認識しえない、
>つまり語りえない“存在との出会い”感だと思っていました。

認識しえないものと、どうやって出会うのですか???
バカ?

>>889
あなたは正しいです

>>891
>人間の感覚は言語だよ。
違います
感覚を言語に変換したりするだけです
感覚と言語は同一ではありません
どう考えたって、同一であるわけがないでしょう
>クオリアは、感覚ではない、それは常識だろう。
はぁ?アホ???
クオリアとは『本人が体験的に感ずる主観的な質感』であって
『この感じ』なんだから『感覚』の事だよ
何、考えてんの?
キミは、出発点からして完全に狂いすぎている

まず、病院へ行って下さい
898考える名無しさん:2006/02/07(火) 01:00:34
錯視図形の志向性判断に基づく認識どころか、もっとも単純な感覚的クオリア、
たとえば赤い色がそのような赤の感じで見えるためにも何らかの志向性が必要だと
いう哲学者もいる。
899哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/07(火) 01:01:15
>>893
>クオリアは一般に、言語で記述しきることができず、
>感覚刺激の物理的特性によって説明しきることができないとされる。

この部分は正しいでしょう

>>894
上記の部分以外では、説明に
いくつか不適切だと思われる部分も見受けられる

>>895
>情緒や感性、思考もまた広義の意味でクオリアだろう?
広義の意味でクオリア???
『赤色』を赤く感じるのに、広義もクソもないですよ
『この感じ』なんだからね
赤は、赤以上でも以下でもない
赤以外の価値観が発生しているのなら
それはクオリアそのものではなく
価値観による思考の部分が、すでに働いている証拠です

そもそも、クオリアに
広義の意味など存在しません
キミ達は、先にゴチャゴチャと無駄な事を考えてしまって
本質を見失っているのです
900考える名無しさん:2006/02/07(火) 01:07:19
だ・か・ら
思考や価値観も意識として実際に感じ取られるものである以上クオリアと
言ってもいいんだって。便宜上のクオリアの定義はともかくとして。
901哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/07(火) 01:16:13
だ・か・ら
キミは、クオリアという『主観的な質感』そのもの と
価値観による思考全体
本人を取り巻く環境から受ける総合的な感想の一切
これらの区別がついていない
という事
902哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/07(火) 01:22:03
クオリアというものは
感覚器が本人に伝えてくる情報そのものだよ
そこには、価値観による思考などは
まだ介在していない
903考える名無しさん:2006/02/07(火) 01:45:40
それはおまいのクオリア定義の問題だ。五感に直接ダイレクトに伝達される
「この感じ」のみをとりあえず「クオリア」と定義するおまいのような
香具師の場合は、その意味でのクオリアと志向性を学術的な便宜上分類
しているというだけにすぎん。人によってはその意味でのクオリアを
「感覚的クオリア」とした上で価値観や感性、情緒などはそれから発展
した高次の意味での「志向性クオリア」であると分類する場合もあると
いうことだ。そしてこの場合は「クオリア」とは「物理的記述から完全には
み出る、心象として意識され得るもの全般」だということになる。
904考える名無しさん:2006/02/07(火) 01:54:50
>>903
すまん・・
×志向性クオリア→○志向的クオリア
だった・・。
905哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/07(火) 02:20:41
>>903
>人によってはその意味でのクオリアを
>「感覚的クオリア」とした上で価値観や感性、情緒などはそれから発展
>した高次の意味での「志向性クオリア」であると分類する場合もあると
>いうことだ。

私の認識では、クオリアとは
『本人が体験的に感ずる主観的な質感』の事なのだが
キミの認識では、クオリアとは
『人間の精神活動の全てを指す』という事でよいのかな?
それじゃ意味ないと思うけどね

ところで
何という哲学者が、感覚的クオリアとか
志向的クオリアとか
そう分類しているの?

私から言わせれば
単に、入力、思考、出力
という人間の思考活動
行動原理の過程であって
この入力の時点で既に、物理現象では解明できる見込みのない問題が存在している
という事を具体的に指し示したものが『クオリア』であると分類してるわけ
何でもかんでもクオリアという言葉を使うのは、適切ではないんだよ
ハッキリ言って、間違い
クオリアという言葉を使う意味が無くなる
906考える名無しさん:2006/02/07(火) 02:25:08
クオリアなんていう言葉は使う必要ないよ。
907考える名無しさん:2006/02/07(火) 02:33:54
>>905
>>何という哲学者が、感覚的クオリアとか志向的クオリアとかそう分類しているの?

哲学者も何も、俺は普通に茂木氏の「心を生み出す脳のシステム」で言っている
ことをそのまま普通に言っているだけだ。(以前チラッとおまいが「茂木氏は駄目
だな」と言っているのを見かけたが。)



908哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/07(火) 02:36:48
>>906
それを言っちゃあ
大抵の言葉は、他の言葉に置き換える事も可能なんだから
ほとんどの専門用語に当てはまってしまうよ
クオリアという言葉は
意味が理解できていれば、便利な言葉なんだよ
長々とした説明を省く事ができるからね
ここ哲学板での説明は、そんな低次元の初級レベルの講座なんだよな
早く理解しようね
909哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/07(火) 02:45:16
>>907
茂木さんか・・・

あの人
クオリアや人の心を解明できる と言ってるんだろ?
インチキじゃんかw
クオリアの起源 という根本問題も理解できていないんじゃ、話にならないよ
910考える名無しさん:2006/02/07(火) 02:49:28
>908
違うなぁ…
君がクオリアを定義しようとして使っている「主観的」とか「質感」という概念自体が哲学的には問題の多すぎる概念なんだよ。それでは共通了解には到達しないよ。
911哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/07(火) 02:55:21
>>910
へぇ
じゃあさ
キミの言葉で、その>共通了解  とやらに到達させてみてよ

言ってる意味が、よくわからないので
見本を見せて下さい
それらの言葉を使わず
どう説明するのが正しいのですか?
今、やって下さい
912考える名無しさん:2006/02/07(火) 03:00:49
>911
俺はさっきクオリアなんていう言葉は使う必要ないと言った者だよ。なんで俺が説明する必要がある?
まぁ、頑張ってくれたまえ。あんまり意味ないと思うけど…
913哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/07(火) 03:11:41
>>912
だから使わずに説明する方法を聞いてるんだよ
使う必要がないんだろ?
使わずに本質を説明する方法があるんだろ?
ないの?
それも無いのに、何で使う必要がないなどと言うわけ?
言ってる意味がわからんだろ
あんたバカ?
914考える名無しさん:2006/02/07(火) 03:28:07
>>909
あのな、最高位よく聞けよ・・・
茂木氏だって馬鹿じゃないからクオリアの起源についての問題が少なくとも
現時点での人間的思考では完全に解決不能なハードプロブレムだということ
ぐらい十分承知だぞ。

で、前々から気になっているんだが、おまいの判断中止論的なその足踏み状態
でおまい自身何をしたいんだ結局は?まさか思考停止してクオリアに対して
念仏でも唱えろとでも?
915考える名無しさん:2006/02/07(火) 05:02:53
哲学板のスレをいくつか読みましたが、思ったのは
暴れ馬に乗りこなせないのにもかかわらずハッタリで
乗ってしまっている感じですね。
916哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/07(火) 05:25:00
>茂木氏だって馬鹿じゃないからクオリアの起源についての問題が少なくとも
>現時点での人間的思考では完全に解決不能なハードプロブレムだということ
>ぐらい十分承知だぞ。

承知ならそれでいいんだが
だったら解明できるとか言っちゃいけなくないかな?
バカでなければ詐欺師だという事になるね
ところで
それを承知しているという発言は
何の根拠からですかね?

>で、前々から気になっているんだが、おまいの判断中止論的なその足踏み状態
>でおまい自身何をしたいんだ結局は?まさか思考停止してクオリアに対して
>念仏でも唱えろとでも?

あのね
哲学をしてるわけだよ?
もし論理的に足踏み状態であるならば
それはそれで仕方ないんであってね
それが我慢できないからといって
論理性を無視して、結論をこじつけたりすると
それは宗教の範疇に色濃く分類される事になってくる
宗教は宗教で、宗教的な価値観も人間にとって大切であろうと認識しているので
それはそれでいいと思うのだが問題は
それを、ちゃんと自覚した上で、頭の中でしっかりと分類されるべきであろう
という事
キミ達のほとんどは、その辺が全く理解できていない
917哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/07(火) 05:42:15
>>914
追記だ
>でおまい自身何をしたいんだ結局は?
キミは本当にバカだな
もぅ何百回言ってると思ってるんだよ
キミらは、一つ言ったら一つ忘れるんだよな
私の目的はコレだよ
『唯物論の破壊』
私は『私』というものの本質によって
歴史的に、唯物論を破壊したわけです
クオリアというのはアレだよ
ちなみに説明してあげてるだけだよ
キミ達が、あまりにもバカだから、初級講座からやってあげてるわけさ
それだけだよ
918考える名無しさん:2006/02/07(火) 05:50:58
>913
ん? 本質を説明する?
何の本質を説明して欲しいの?
919哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/07(火) 05:55:46
>>918
アホか?
クオリアという言葉は使う必要がないんだろ?
クオリアという言葉を使わずに
クオリアを説明している人の主張の本質を説明しなさいと言ってるんだよ
本当にアホなんだな
もし違う意味で言ってるんなら
どういう意味で言ったのか、ちゃんと説明しなきゃ会話が成り立たんだろ
アホ
920考える名無しさん:2006/02/07(火) 06:00:48
クオリアを説明している人の主張を なんで俺が説明する必要がある?
921哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/07(火) 06:07:03
>>920
できんのなら
クオリアという言葉は使う必要が無い
という発言に、何の意味も説得力もないだろ
根拠が無い事になる
そう発言したのなら、自分の発言に責任を持てと言ってるんだよ
ボケ
922りくーつ・こねりー:2006/02/07(火) 06:25:12
>>921
少し落ち着いたほうがいいと思う

最高位氏の主張
クオリアを説明できない

名無しさんの主張
クオリアを説明できない

名無しさんの主張
クオリアという言葉は使う必要ない

最高位氏の主張
使う必要がないならクオリアを説明すべきだ

で、最高位氏が変な主張をしていると俺は思う
最高位氏は「クオリアを説明できない」ことを説明している
ものと俺は思ってたんだけど

そうでもないのかな?今一つよく分かんないんだけど
923考える名無しさん:2006/02/07(火) 06:28:40



      クオリアはNGワード


924考える名無しさん:2006/02/07(火) 06:36:40
感覚といっても知覚している以上認識だし言語化できるよ
「言語化できないもの」といってる以上「言語化できないもの」と呼んでるわけ、名づけてるわけ
925考える名無しさん:2006/02/07(火) 09:21:45
>>897
このスレに『哲学最高位』というアホがいると聞いていたけど、本当にイカレ
た人間だな。
君は「感覚を言語に変換する」そうだ。それは、意志でそうするのか。違うだ
ろう。何かに触れた瞬間に、言葉に捕われてしまうのだ。変換という言葉を使
うのなら「変換させられる」といったほうがいい。「感覚を言語に変換する」の
ではなく、言語に変換させられた“触知”を感覚と呼ぶのだ。
まぁ、アホのいうことはどうでもいい。問題は、言語(感覚)以前に“純粋触知”
ともいうべきクオリアが「ある」のかどうか。むしろ、それを喪失したかわりに、
言語を手に入れたような気もする。クオリアとは、原初の触知の“喪失感”の
ことではないのか。
アホ最高位にならぬためにも、語りえぬことについては沈黙すべきなのだろう。
926哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/07(火) 09:29:53
>>922
キミも相当なアホだな

説明できないんじゃないんだよ
言葉で記述しきる事は不可能だ という事との違いもわからないのかい?

クオリアは、説明はできるよ
『質感』だ
でもそれじゃピンとこないでしょう
使い古された言葉で、特別な意味までは伝わらないしね
たとえ『本人が体験的に感ずる主観的な質感』と詳しく説明したって
ピンとこないはず
実は、説明のしようがないのはクオリアではなく『赤』なんだよ
赤の赤さは言葉では伝わらない←ココがポイント
たとえば生まれた時から全盲で、赤色を知らない人
見た事ない人に、言葉で赤の赤さを伝えようとしても
それは無理ですよ
そいういう事
この『実感的な質感』をクオリアと呼んでいるわけ

もう一度、簡単にまとめて説明すると
クオリアが説明できないのではなくて
『赤』が説明できないんだよ
ただ、クオリアの説明を聞いても
理解できないバカが多数いる事も事実
んで理解できないクセに偉そうだから
誤解する人が多くて、話がややこしくなってるだけだ
927哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/07(火) 09:36:44
>>925
またまたヘンなのが出てきたな
>このスレに『哲学最高位』というアホがいると聞いていたけど、
いったい誰に聞いてきたんだよw
まぁそれは置いといて

クオリアが言語なんだったらさ
その言語で、生まれた時から全盲で赤を見た事のない人にも実感できるように
今ここで、『赤の赤さ』を言葉で表現してみてよw
言葉で赤を、『実感』させてみて下さい
928考える名無しさん:2006/02/07(火) 09:42:12
意味不明だな
929哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/07(火) 09:43:58
キミはアホだ
930考える名無しさん:2006/02/07(火) 09:58:35
                  ______,,,,,,,,,,,,,,,,,______
             ,,,,::::::゙゙゙゙゙::::::::::::::::::::::::::::::::::::゙゙゙゙゙:::::,,,,
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      i':::::{.     -----‐‐‐‐‐  │  ‐‐‐‐‐-----    }::::::::i
     .|:::::i ヽ.,         _____,,,,,,,,|,,,,,,,_____         ,ノ i:::::::|
     .|::::|   `'t‐----‐''''''´         `''''''‐---‐t''´  |::::::i
      i::::i    i                      i    i:::::i'
      .'i:::i    i                      i    i::::i'  「そうだアレを出すか!」
  , -‐‐- 、::i,    ヽ.                     /   /::i'
 /     ヽi,    ヽ   /゙゙゙゙゙゙゙"'‐--‐'"゙゙゙゙゙\  /    /:i'
 {      } ヽ     \ /             i/    ./'´
 ヽ     ノ:::::::\     `''‐-、,,,,,,,,,_______,,,,,,,、-‐'´    /
  ` '''''''t":::::::::::::::::\,,,,__               __,,,,,/
       \::::::::::::::/;,,,,,,,,"""'''''''''''''ゝ‐-、''''''''''''''""",,,,,,,}
        \::::::/:::::::::::"""'''''''''''''{===}'''''''''''''""":::::::ヽ
         \:::::::::::::::::::/   `ー゙‐"    \:::::::::::::::\
931考える名無しさん
最高位さんは謙虚なんだよな。
自己ってものをちゃんと見つめようと努力しているんだろうなぁと
読んでて感じる。
少なくとも機械氏よりは現実的だと思うなぁ。