使徒の名前や生命の樹をはじめ、旧エヴァではユダヤ神秘主義のアイテムが多用されているが、新劇場版において制作者側は
作品からユダヤ神秘主義の色彩の一切をぬぐい去ろうとしている。
ところで、先述の富増氏がそのエヴァ論でスピノザ(決定論的かつ汎神論的な「ひとり人類補完計画」)を持ち出したのは、
スピノザがユダヤ神秘主義から影響を受けていた
という歴史的事実からでもあった。
ただし、スピノザはユダヤ主義の影響下にあると同時に、そこからの唯一の合理主義的な突破口でもあって、哲学史的
にはスピノザの思想と格闘しなければ神秘主義を
出することは出来ないのだと言ってもいい。
単に神秘思想を無視すればそこから脱却できると新エヴァで制作者側が考えているとするなら甘いと言わざるを得ない。
久しぶりにエヴァエヴァしたレスだな
エヴァエヴァ
>>392 カントをときメモを用いて解説した本だったりする
エヴァエヴァ
使徒バリバリ喰いてーよ
399 :
考える名無しさん:2009/05/15(金) 23:41:06 0
kylieが定期的に保守しているスレの1つ
400 :
考える名無しさん:2009/06/03(水) 12:35:22 0
エヴァ再放送だってよ
401 :
考える名無しさん:2009/06/03(水) 12:44:20 O
マジでまだやんの?
402 :
し:2009/06/03(水) 12:46:20 O
じゃあ創世のアクエリオンてなんだったの?
エヴァンゲリオン、懐かしいね。
この作品は、聖書を逆に辿っていく物語らしい。
つまり、聖書は天地創造→アダムとイヴ→アベルとカイン
等と繋がっていくが、エヴァンゲリオンではこれを
逆に、アベルとカイン→アダムとイヴ→天地創造と
聖書を逆に辿る。これを理解するには、作者の世界観を
理解する必要がある。それを知るにはベークライトに包まれた
あのアダムを見るだけで十分だ。理科の教科書にも載っていた、
亀と蛙、メダカ、犬、猿等の幼生というか、胎生を見ても
分かる様に、胎児の状態では、人間の胎生と全く同じ姿、
つまり、ベークライトに包まれたあのアダムと同じ姿をしている。
ベークライトに包まれたあのアダムの様に、
要するに、蛙も亀も犬も猿も人もかつては同じ種の先祖から
分かれた、という事を意味する。
エヴァンゲリオンに通低している哲学とは実はこの
分かつ、という働きである。分かりにくいかもしれないが、
エヴァンゲリオンの作者は、この様に、人と猿、蛙や亀が、
かつては同じ種であったのに、それが時代と共に、
別の種へと進化し、それが別の個体となった時に争いが生じる、
エヴァンゲリオンの作者はこう考える。
つまり、こういう事だ。
実はエヴァンゲリオンの哲学とは、
人は何故争うのか?という問いに捧げられている。
↑の様な疑問に、エヴァンゲリオンの作者側はこう説明する。
あのベークライトに包まれたアダムの様に、
かつて、人は亀や蛙、犬や魚とまったく同じで、
そこには争う形跡は見当たらなかった、ところが、
お互い別となって分かれた為に、生命同士は食い、争う様になった、と。
そして、作者はこの分かつ、という働きを
ATフィールド等と呼び、それを人の人間関係にまで
拡大解釈する、つまり、人が争うには、まず、
人と人が種として、個体として分かれていなければならず、
逆に言えば、人が人として個体化した時に初めて、
人同士は争う事が可能になる、とね。
人類保管計画では、進化によって、
それぞれの、例えば、人、猿、犬、亀、蛙、魚等と、
(ATフィールドによって)分けられてしまった個体、
それはもちろん、人と人が分かり合えない隙間をも意味する。
そういうものを一気に埋めてしまう、という計画が
人類補完計画な訳だ。
つまり、生物が進化し、分化した種の壁(=ATフィールド)を
一気に人も猿も犬も亀も蛙も魚も、一回元の種の壁の無い
一つのものに還元してしまおう、という計画なのさ。
では、それを具体的にどうやってやるのか?
勿論、現実には無理だが、
エヴァンゲリオンでは、これを一種の幻想理論によって乗り越える。
つまり、聖書を逆に辿れば良いじゃん、という事だ。
聖書は天地創造をして、一個だったものを多へと導く、
そうする事で、まず、アダムとイヴで男と女の争いが
どう生まれたかを語り、アベルとカインで人殺しが何故生まれたのかを
分化しつつ語る訳だ。
これをセフィロト(カバラ)等を使い、逆に辿れば、
多は一となっていく、そうして多は最終的に一となる、
という訳だ。ゼーレなんかは、ここに単体の完全な生物としての
人間を目指し、他の人間は大体、人が個体として存在する事の
隙間を埋める為に、この人類補完計画を利用しようとした訳だ。
>>408 おれならこうやってやる
φ(*゚▽゚*)ψいただきまーす
面白いは使途という存在である。
実は第十三使徒?だったかな?カオル君ってのが、
ほぼ人間に近い姿なんだが、ちょっとだけ違い、
人間では無い訳だ。
で、カオル君によれば、実は
我々人間ってのは、カオル君の後に来る、
丁度十四番目?の使途である事が明らかとなる。
わからん?つまり、こういう事だ。
いままで、散々テレビシリーズでバカバカと倒してきた使徒ってのは、
実は人間の一種であって、遺伝的にちょっと違うだけだった訳だ。
そして、映画版では更に皮肉な作者の思想が見える、
つまり、今までテレビシリーズで倒してきた使徒ってのは、
一種の人間だった訳だ。
すると、今までジオフロントに責めてきた使徒ってのは、
人間の一種である訳だ。
ところが、劇場版では、十四番目?の使徒が実は我々
人間だった事が明らかとなる、
すると?そう、つまりここから本題の、
『人間(十四番目?の使徒)同士の争い』が描かれる事になるのだ。
人間同士の争い、その通り、作者が描きたかったのは、
実はこれだ、人は何故争うのか?→個体の壁(ATフィールド)があるからだ、とね。
そして、いつもは怪物の姿をした使徒しか責めてこないが、
劇場版では、我々人間は最後の使徒である事が判明したのだから、
無論、描かれるのはロボットと怪物の戦いでは無く、
人間(最後の使徒)と人間との殺し合いである。
だからこそ、最終的に軍がジオフロントを攻めてきて、
人同士の殺し合いが描かれる。
二号機も個体と個体の争いの象徴である、
食う、食われる、という方法で印象的に殺される訳だ。
そこで、作者は問う、何でこんな風になって生きてんだ?
意味あるのか?と、
そして、作者はこう問う、我々は分かれなければ争わなかったんじゃね?
ってね。
じゃあ、個体として壁(ATフィールド)を全部、
反転(アンチATフィールド)させて、聖書を逆転させて、
全部1個に戻してしまえば全部解決なの?って、
ここをシンジを使って、考えさせる。
そして、最終的に、シンジは全部が1個になったら楽だけど、
でも、何か違うと、個体でわかりあえなくても、
僕はもう一度、個体としてでも彼等に会いたいと思った、
それは本当だと思う、と言う。
で、最後に個体化の解消して、
全部を一にする事を拒否したシンジには、
他者としてのアスカがまた、争いの種として当然の事ながら
現れる、そこで映画は終わる。
あとは自分で考えろって訳さ。
作者はそういってるんだろうね。
417 :
考える名無しさん:2009/06/05(金) 04:32:35 0
エバすきだねーwきり、いや、純一。
>実は第十三使徒?だったかな?カオル君ってのが、
しらじらしいぞ、カオル君!
419 :
記念パピポ:2009/06/05(金) 05:12:59 0
純一のエヴァ論おもしろい
もっと書いてよ
とても端的でわかりやすい。
1点だけチェックすれば、アダムを封じているのはベークライトではなく
胸に刺された「ロンギヌスの槍」だ。
さあ!盛り上がってまいりました〜
426 :
考える名無しさん:2009/07/05(日) 09:12:11 0
実は、最近、エヴァを見始めました。純一はんのエヴァ理論すごい!最後のシンジが
アスカの首を締めるのは、ATフィールドをシンジが感じたからだということですね。
いえ、実はパクリです
428 :
考える名無しさん:2009/07/05(日) 11:04:24 0
>>427 では、どこから引用したのか是非教えて下さい。
429 :
考える名無しさん:2009/07/22(水) 20:46:18 0
セフィロトは非可逆なんだよね。
エントロピーは常に増大するから。
従って、人は神への道をたどることはできない。
不可逆と設定するから不可逆なんじゃないの?
エントロピーが最小の状態が神とするなら、神は何もなすことは出来ない
何か成してしまった時点でエントロピーは増大するのだから神は神の座から追い落とされる
そんな神が必要なの?
好意的に考えればマリは補管を必要としない唯一の人間である。
独自の目的があるとはいえ、戦うことですでに自ら補完されているのだから。
ここには、作り手のグッズ販売戦略とゼーレによる補完を内在的(スピノザ的)に無効にするという物語上の要請があるとも言える。
ただし、性的アピールも含め従来のキャラ各自のなかにマリ的なものを浮かび上がらせるべきだったのだ(誰にでもマリになる要素がある。アスカは特にそうだ)。
ニーチェ的反復の物語はスピノザ的汎神論による現在の身体の肯定へと移行するだろう。
物語が完全に反復しているのではないかぎりは、ニーチェ的な永劫回帰ではない
ニーチェ自身はスピノザを読んだすぐあとにスイス(夏の湖畔)で永劫回帰を発見した。
それ自体は一回性のもので、ヱヴァの心象風景(赤い海)と重なる。
いや、永劫回帰の発見もまた永劫にわたって繰り返される
お、なんか、テッツガクぅ〜〜って感じだね♪
みんな笑えばいいと思うよ
437 :
考える名無しさん:2009/10/24(土) 16:56:32 0
あ?
438 :
考える名無しさん:2009/10/24(土) 17:45:38 O
エヴァンゲリヲンレディに続く(・∀・)
440 :
考える名無しさん:2010/02/25(木) 03:52:40 O
そんなことより
>>1さん聞いてよ。
エヴァについて...アニメ自体そんなに興味ある訳では無かったんだぁ...趣味のパチで知ってるくらいだったんだけど…A
最近、見る機会があって見ていますぅ...けど…「うわぁパチの画面と一緒や」なんて思う低レベルな感想しかいだかなくてホンマもんのエヴァファンにはチィと申し訳ないかもしれないA
まだ序盤でこれからいろいろ発展して行くんでしょけど…私の中でなぜ?何故?WHY?が多くなっていく。
最終。この物語が理解出来るのか心配です...でも…人それぞれの解釈の仕方があっていいよねェ
まあ...
>>1さんはアニメだけでなく...パチ屋でエヴァ台を打ってパチに染まってみてねU...ってことです。
笠井潔なんかは「破」にハイデガー-カール・シュミット的な決断主義的傾向を
見出してたな。