日本

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1考える名無しさん
これから日本はどうなっていくのか。
2考える名無しさん:2005/12/26(月) 11:30:25
魅力的なキーワードだ。
日本人なら誰しもが注意してしまう。
俺たちはいつから、日本人となったのだろうか。
日本人ならではの特異性はあるのか。
俺たちが日本人であるために守り続けなければ
いけないものは何なのか。
日本人の魂はどこに行ってしまったのか。
それとも、まだ残っているか。
とりあえず、どこにあるのか、探さなくてはならない。
おーい。どこいった。
みなも見つけだしてはくれぬか?
そして聞きたいんだ。日本、これからどうなるのか?と。
3考える名無しさん:2005/12/26(月) 11:36:50

     _,,;::-―ー-:;:,,、
    /''''''   '''''':::::::\  
    |::-=・=-;;;;;;;_-=・=-:::|       
    |  .:"ー=〓=-'`:::: |         
    \   `ニニ´ .::::::/   
 ,,.....イ.ヽヽ、ニ__ ーーノ゙-、.
 :   |  '; \_____ ノ.| ヽ i
     |  \/゙(__)\,|  i |
     >   ヽ. ハ  |   |
言うなれば私は、私の天才的知能により誰もが持っている「内なる日本」
とでも呼ぶべき世界を、常人より遥かに優れた形で構築してしまっている。
その日本は既に外界のそれに迫り、一部では遥かに凌駕してしまっている。
4考える名無しさん:2005/12/26(月) 12:20:43
>>1
重複につき誘導

今の日本を哲学的に考えてるか?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1130691729/
5考える名無しさん:2005/12/26(月) 15:14:28
俺がもしほかの所で書き込めば迷惑がかかるだろう。
何しろ俺が書き込む所、ほぼ、スレッド停止してしまうんだから。
なんでだろう。
機械の故障かな?
とにかく、いつも途中で止まってしまう。
この直前のスレッドは100もたなかった。
うーん。故障としか思えない。
で、あまり深く考えないで立ててみました。半分腹いせに。
立ててから気付いたんだが、哲学板に「日本」を入れているスレッドは
5つくらいあった。
哲学板のスレッド名で、統計を取ってみたいものだ。
どの単語がトップ10だろう?
6考える名無しさん:2005/12/26(月) 15:28:26
哲学板に「日本」は12あった。すごいなあ。
「日本」は題材になる。
そろそろ本腰を入れないと。

しかし、日本っていつから、国として機能したんだろう。
俺の地方にも万遍なく政治が行き届くようになったのはいつなんだろう。
おそらく、昔は境界っていう明確な境目はなくて、
まさか自分が日本人だなどとは思っていなかっただろう。

昔はなかったが、今は出来上がってしまっている。
俺たちは国籍や、身分、戸籍をどういうふうに考えていったらいいのだろうか。
俺の先祖。国籍も何もなかった。
俺はだから、元来の日本人とは言えないかもしれない。
俺は何人なのだ。
俺は生まれたときから日本人。そう、生まれたときから。
なぜって、親が日本人だから。
7考える名無しさん:2005/12/26(月) 15:40:11
生まれると肉体の遺伝情報だけでなく、
その他の(なんていったらいいのか)運命的な決定的な情報も
受け継ぐ。俺は日本人という決定的な情報を受け継いだ。
生まれた瞬間に。
こういう情報も濃密はあるのだろう。
俺の子も自動的に日本人だ。
こういうわけで俺は日本人という事実を否が応でも受け入れなければならない。
中国人でもアメリカ人でもなく、根っからの日本人なのである。
アンケートでよくある、中国は好きか?の類。これは
アンケートの結果を疑ってしまう。他国を嫌いにこそなりはすれども
好きになるわけがないのだ。好きという割合が数%でもあることが
おかしい。他国の何が分かると言うんだ。
8考える名無しさん:2005/12/26(月) 15:49:01
極論になってしまうかもしれないが、
好きなる国は自国しかあり得ないのである。
日本を嫌いな日本人は仮面日本人だ。
でもそういう奴は生まれたときから日本人だった奴にはいない。
よく、日本はだめ、とか、腐ってる、とかいって嫌悪する奴もいるが
根っから、嫌悪はしていないはずだし、そこには現状を更に良くしていこうと
する前向きな心なのである。実際、俺も悪態はつくけれど、見捨てたわけでは
ないし、もっと良くなる可能性を夢見てのことなのだ。
いやよいやよも好きの内、かな。
でもほんと、自分の国のことだから、愚痴も言えるし、変わっていって
ほしいと願うものだ。
だから俺は文句を言ってはみるものの外国なんかに行こうとしないし、
外国の事なんて知りたくもない。
9考える名無しさん:2005/12/26(月) 16:03:49
俺はこの日本を新日本に創り上げたい。
俺が日本人であることには変わり様がないが、
次世代は新日本人である。
その時、地は変わらないが、国が移行するために、俺は異邦人となる。
日本は古里。そんな感覚になる。
そんな古里を俺は捨てきることは出来ない。国が変わっても、
俺は心に大事にしまっておくだろう。
新日本となってから誕生した子は生まれつきの新日本人だが、
俺は中途なために帰化するという形になる。
しかし、それでもいい。俺たち日本人が新日本を創り上げるのだから。
俺たちは国を創れるのである。
なんともダイナミックではないか。
そして、そんな国から国民が生まれ増殖していくのである。
なんとも喜ばしい光景ではないか。
こんな形でも人間は子孫、同胞を作っていけるのである。
直系だけが子孫ということでもないのである。
我が子が育っていくのをみるのは微笑ましい。
その我が子は国であり、国民は孫である。
可愛い孫を見るために、我が子を作ろうではないか。
もちろん、我が子も可愛いし。
10考える名無しさん:2005/12/26(月) 16:15:49
政治家が日本のために努力します、とか言うが、
そうして、政策を打ち立てたりしているが、
日本を良くするためには、政策を議論しあったり、法律を立てたり
するのではなく、
もっと根本的なものに日本人に気付かせる必要が、まずは、あるのではないか?
政策、法律、国家予算とか、そういう議論は
基礎がしっかりしていないのに、無理矢理立てた建物のように
あやういものだ。そういう国はいつ崩壊してもおかしくない。
だから、そういう政策を口実に選挙運動をしている奴は危ない。
というか、立候補者のほとんどがそうである。
立候補者の言を良く聞いてみると、
国民のためにがんばります。といいながら、自民党は潰す。とか
我が党が日本を良くし、他は悪党。とかのことばかりである。
あいつらにとって、他党は日本人じゃないし、自分に投票しない奴は
国民ではないのである。
だから、概して国民のため、と言っている奴は危ない。
なんてことはない、自己保身なんだから。
そんなんで国がよくなっていくわけがない。よくなるのは一部の者達
にとってだけだ。全体ではない。
11考える名無しさん:2005/12/26(月) 16:47:46
国というひとまとまりでありながら、
内部分裂している。
簡単ながら、
今一度、日本人であることを強く思い直さなくてはならないのではないか?
日本人に日本人であることを気付かせるのである。
誰が日本人であるのか、どいつが日本人ではないのか。
そんな単純なこと分かるって?
いや、これが区別できるようになってきたのは最近のことだ。
テレビやラジオの功績だろう。それらがこの世に出てくるまでは
日本人でも無自覚日本人が多かっただろう。そりゃそうだ。
何百キロも離れた地の人間がどんな人間かは分かる術がない。
今だから、北海道の人が九州の人を日本人だとしれるのである。

この日本人が日本人の同胞を見極めれる技術は、歴史的には最近の
出現であるために、未だ、まとまりが出来ていない、内部分裂の
状態にある。
それは仕方のないことで、一つのステップなのであるが、
現在のスピードは、次のステップへの移行が速やかに求められている。
いつまでも同じ段階で立ち止まっていると危険だ。
時代の要求は次を求めている。
時代はテレビやインターネットという道具を与えた。基礎は出来つつある。
基礎をないがしろにしてはいけない。
ないがしろにする奴は政治をしてはいかんし、そういうやつが回りにいたら
日本人であることを自覚してもらうように運動しよう。
それか聞き分けのない奴は日本から出ていってもらうようにしよう。
結構基礎作りは大変だ。
12考える名無しさん:2005/12/26(月) 17:05:19
考えることはたくさんあるが、
グローバル化。はっきり言ってまだ早い。時期尚早だ。
国がまとまっていないのに何が地球規模だ。
俺らが地球規模で考えたり、行動するのはまだ早い。
環境問題でもそう。
あまり事を大きく考えすぎて、足元を見ていないんだ。
国と国との交流も避けた方がいい。
俺たちの国、日本はまだ未成熟で文化を放出したり、受け入れたりするだけの
対外行為は取り返しの付かないことになるかもしれない。しかも、無責任に。
積極的外交はまだ早いんだ。
話は逸れるが、未成年の性交もあまり良くないだろう?それと同じだよ。
出来上がっていないんだ。国として。
俺たちが本当に安全に、楽しく交流できるのは、責任を持てるようになる
成熟した団体にならなくてはならない。
情報化で日本人の連帯は形成しつつもあるが、
輸入依存国であることは危険なことである。
まとまる寸前で崩壊する可能性もある。依存しているからだ。
早急に自国でやりくりするような努力が求められる。

愛地球博、なんていらなかったんだよ。愛日本博なら分かるが。
京都議定書もまだいらない。俺らはまだ地球規模でものを見据える
段階ではない。いらぬ労力を使うものではない。
イラクへの自衛隊派兵ももってのほかだ。海外援助もそうだ。
俺たち日本は何をやってるのだ?
エネルギーの横流しだろうか。
13考える名無しさん:2005/12/27(火) 11:15:19
誰か俺と差しでリアルタイムで話してくれる人はいないのか?

いろいろ考えてみた。(別に日本のことじゃなくて)
難解な本も解読を試みた。(数十頁でやめた)
何かとてつもなく恐ろしい感じに襲われた。言葉で表現できぬような
恐ろしさだ。
現実という確からしさがぼやけて感じられてきた。
薬をやってるわけでもないのに、まるで薬中のようにうつろになっていた。
ちょうどその頃である。言いしれぬ恐怖が俺に降りかかってきたのは。
その恐怖は俺を現実に戻そうという強力な力だったのかもしれない。
そんな恐怖を感じるようになって、俺はとりあえず、考えることを
ひかえるように意識しだした。
考えることを止めることは意識ではどうしようもないレベルになって
きている。考えることが自動書記のように何かの力によって
紡ぎ出されているかのようだ。
ふと、そんな自動回路はあることを気付かせる。(たった今!)
考えることを止めようとするのは無駄であり、利口なのは
舵取りをすることだということを。
俺は以前は無駄なことを考えていたから、現実感も薄らいだのだし、
有益なことを考えていくことがこれからのあり方だ。
夢を持とうと思う。
現実化出来る夢である。
俺は何をやっていたのだろうか。
薬に溺れるかのように自分の世界に浸ってしまっていた。
14考える名無しさん:2005/12/28(水) 12:09:54
議論は何か生み出すものと、生み出さないものがあるようだ。
生み出すものはいい結果をもたらすものや、結論に達したものだろう。
より賢いのは生み出す議論をすることである。
そして、そのためには意味の為さない議論は排除し、
意味のある議論を選択することだろう。
その排除、選択はより早く行わなければならない。
しかも、その選択眼は経験によって養われる勘のようなものである。
だから、意味のない議論も経験上必要とも言えるが、
いち早く無用の議論という選別を出来るような勘を会得していかなければ
ならない。
意味のないことを趣味としていると、いずれはその全てが意味のないことと
なってしまう。
2chではものすごい数のスレが乱立している。まさに今が混迷期ということを
表している。この中で意味のあるものはどれほどあるのか。
この混迷は必須プロセスなのだろうがいつまでも続けるのは利口ではない。
利口な者が増えていくとスレは減少を辿るだろう。
無用のスレがなくなっていくのである。
再度言う。議論して何か得たか?
15考える名無しさん:2005/12/28(水) 12:24:32
日本は人口が減少してきた。
何故か?
お利口さんが増えてきたからだ。
無駄が省けてきてスリム化してきたのである。
これ以上、人口を増やすのは、得ではない。それに気付き始めてきているのだ。
人口を更に増やそうとしているのは政治家とかそういう奴らだけである。
俺らが老人になるとき困る?
いや、そんなこと心配して子供を作る奴はいない。
自分がどれほど、老人の福祉に貢献しているというのか。
自分がしていないのに次世代の若者に頼ろうとする馬鹿者は真正馬鹿だ。
老後を心配して子供を作ろうとする奴は不埒であり、全く、先を読めない奴だ。
そういう奴らが国の実権を握っているのは甚だ疑問である。
子供を増やせと煽るでない。
性教育を神聖なものとして教えるのはやめてくれ。
性交はエッチなこと、それでいいのに、今はエッチなことではないと
教えようとしている。その性教育で良いのか?
公然とエッチなことがはばかるようになってもいいのか?
いいか。セックスはエッチなことなのだ。それでいいのだ。
そう教えるべきなのだ。日本人も性に関しては毒されてきている。
新聞でわいせつ事件かなり増えてきた。
16考える名無しさん:2005/12/28(水) 13:06:26
何にも生み出さない単なる性欲はなくなって欲しい。
俺の中では未だ本能の為すがままな所が多い。
なんど性欲を満足させれば、最終的に満足されるのか。
なんど食事を取れば、食に満足するのか。
波だ。
登り詰めて、下る。下りきったら、登る。

子供は花のように微笑ましい。花の命は短いけれど、枯れたらまた植えたら
いいではないか。子供もそう。かわいげのない大人になってしまったら、
子供を作ったらいいではないか。そんな子供を養育出来るだけの社会の
制度は欲しい。
性欲もその子供のためだけに存在したらいい。
性欲は子供を見たいという欲求だけになってほしい。
だからそうなると、現在、子供がまわりにたくさんいるなら、
性欲も出てこなくていいのだ。
子供が少なくなってきたときだけ出てくればいいのだ。
子供がいるなら欲望は満たされているのだ。
なのに、性欲は強力に俺を惑わしてしまう。
この点についてはまたあとで。

日本の食について考えてみたい。
17指し指 ◆6wmx.B3qBE :2005/12/28(水) 19:21:51
あまりにもセックスを反社会的な行為だと教えすぎたよね。
日本人とジャップはどっちが先か。
18考える名無しさん:2005/12/29(木) 08:14:48
>>17
今やることあるんであまり言えないが、
反社会的と教えすぎた?そうかい?

ところで、俺は指物師になりたい。
19指し指 ◆6wmx.B3qBE :2005/12/29(木) 09:49:44
そりゃあそうだよ。
痴漢という行為ひとつをとっても、やられて嬉しい行為に違いなんだからね。
それが彼氏以外の人からなら嫌がるのは当然だと言うならあまりにおかしくて、
AVやエロ本なんてものは商売にならないはずじゃないか。実際はその逆を行っていると言うのに。
しかしメディアは、痴漢は気持ち悪いと洗脳させた。
頭の悪い女の事だ、それをそのまま受け止めるよ。そして、痴漢されると嫌がる。
内心はどう思ってるか分からないけどね。
反射的にイヤといってしまっても、心の奥底ではどう思ってるのかと言うのは。

犯されそうになったから殺すのが、女の立場からして正当防衛になりそうだが、男の立場ではどうだろうか。
それも疑問だしね。
女は自分のセックスは崇高な上品なものだと思い込んでそうだからね。男のものは下品だけど。
これは韓国人なんかが、ちょっと日本人に人気がでて、「日本には自分以上の奴がいないんだな」と勘違いしているのと似てる。

最近は、タブーを犯す事に快楽を得る時代になった。
背徳、アンモラル、そこからリアリティーと快楽を感じられる。
だからあまりにもあっけなくセックスをして乱れてしまう。
上品であるはずの自分が下品なセックスと付き合うと言う見解から得られる快楽である。
しかし、それが許されるのは自分が気に入った男性だけと言う事さ。
20考える名無しさん:2005/12/29(木) 12:50:29
指しよ。あんた男だろ?
女が痴漢されたいとみなが思ってるわけがない。
人間にはプライバシースペースのような侵害されたくない範囲がある。
もっとも、相手によりけりだが、彼氏だったら0mとは言えない。
親しきものにも礼儀ありって言う。ホントのことだと思う。
男と女では性欲の型が違うのだと思う。
女は男のような性欲はない。あるのは抱擁されたいという欲望だろう。
俺の女性経験で言うのも気が引けるが。
でも、性欲が少ないのは事実だ。
セックスに上品も下品もなかろうが。位置づけするなら全てのセックスは下品だ。
なぜなら、神聖な行為とはほど遠いからだ。
俺はセックスは神聖なものとして位置づけられて欲しい。
いずれ、現在の性の氾濫によって性描写などは陳腐化していくと思う。
俺の幼少の頃はこんなに氾濫していなかったんだ。
青年期と共に氾濫してきた。これが俺に多大な悪影響?を及ぼした。
長くなるな。
現在、幼少期の子供はどう育っていくのか?俺の時と違い、そこら中に
性はあふれている。別に以前のように捜して手に入れるものではなくなって
安易に手にはいる。
俺の世代は次世代において行かれるだろう。次世代からみると、
「まだ、そんな肉欲に興味持ってんの?ださいね」って感じで見られるだろう。
現在の若者が年寄りのこだわりを小馬鹿にするのと同じである。

隠されていたものが、出てきたんだ。もう魅力は少ない。
21考える名無しさん:2005/12/29(木) 13:03:56
はっきり言ってセックスはもう必要なくなってきた。
子供を設けるためのセックスももはや不要となるだろう。
食事も過剰なのはただ、太るか消化不良となるだけで意味が少ないだろう?
腹10分を超えて食った分は余計なのだ。
セックスも同様。
ほとんどの行為は無用なのだ。
一生のうち子供を何人作るというのか。子供の数と同数の性行為で十分だ。
今後はより計画性を求め、効率化を図っていくために
体外受精になっていくことが望ましい。
これからは今までの一か八かの賭けでセックスして行かなくてもいい。
母胎も必要だし、精子も必要だが、行為はいらんのだ。
俺はこの強烈な性エネルギーを別転換させたい。
22考える名無しさん:2005/12/29(木) 13:23:11
少子の世の中になって年寄り達?はもっと産めよ殖やせよとわめいている。
自分らがどういうことを言っているのか自覚しているのだろうか。
もっとセックスを、もっとセックスを、と言っているに等しい。
そんなんで世の中良くなるわけがない。
この世の悪行は性に関して起きているのが大きくウエートを占めていると思う。
事件は根本に性が関係していると思っていいほどだ。
子供を増やせと言うのは暴力や悪よ、繁栄せよ。と言っているのに等しい。
ただ、子供を産む自体は何ら悪くない。現状では性交によって子を授かる
のが主であるから、諸刃の剣ということだ。
だから、子供を作る手段が今の常識とは変化していって、体外受精が
あたりまえのようになったなら、子は増やせと声を高らかに挙げるがよい。
今は駄目なんです。
23考える名無しさん:2005/12/29(木) 13:42:45
この日本の国土で人間はどれほどの数をまかなっていくことが出来るのだろうか。
輸入で現状を保っているこの国はあっという間に飢餓大国と変身する
危険を持ち続けている。
子供が増えれば自分の食い扶持が少なくなるということは誰だって分かる。
子供をたくさん産んで自らの首を絞めるのは利口ではない。
子供は天からの授かりものではあるが、計画はしなくてはいけない。
子供が出来るか出来ないかは神に主導権があるように思ってしまうが、
実は人間に主導権がある。人間が授かろうと体勢を整えてから、神が
審判を下すのである。だから神はくれるからと言っても人間は前もって
いらぬと決めることが出来るのだ。
中国当たりでは子供が多いようだな。アフリカあたりもかな。
ただでもらうものが高く付いたな。
日本にはただでもらうのははばかられるという慎みがある。
この慎みがあれば、子はそれほど馬鹿みたいに増えないはずである。
昔より医療も発達して子供はなかなか死ななくなった。
24考える名無しさん:2005/12/29(木) 13:59:14
人間は欲望を達成させるために存在しているようなものだ。
みながみな欲求を満たせるようになるには、どうしたらいいのか。
みなが好きなことをして、日々満足して生きていくにはどういう
社会が出来上がっていなければならないのか。
嫌な仕事をせず、嫌な学校に行かずに済むようになるのはどうすればいいのか。
仕事、学校を好きになればそれでいい、
好きな仕事を選べばいい、学校になんかいかなくていい、とかって
いうやつはいると思う。
でも、それでは根本的には解決しない。
どうしようもなく、している、行っているという人間はとても多いと思う。
嫌だけれどもしなくてはならないと言い聞かせられていたり、
自分に言い聞かせている。
それで我慢するなら進展はない。
でも俺の欲は強いのか、やはり嫌なことは嫌なのだ。
社会のシステムが変わっていくことを熱望する。
25考える名無しさん:2005/12/29(木) 14:18:11
嫌なことを代行してくれる機械が発展進歩してきた。
建設機械や、計算機や、いろいろ。
飛躍的に人間は楽になってきた。
昔よりだったら、今の方が嫌なことをしていない。それらは機械がとってかわった。
でも、非常にまずいことには
楽になって機械がやってくれるから、人間は余計なことを多くするように
なってきたのだ。
昔だったら誰もが嫌だったであろう、穴掘りとかだって、逆に
機械を操作する楽しみに変化して、進んでやってしまうようになってしまったのだ。
余計な開発行為が増えてくるのは、嫌だったことが嫌でなくなったから
であろう。これが深刻なダメージを与えているのは誰から見ても明らかだ。
機械を使うときに、その機械は自分を代理しているということを
忘れてはならない。機械は嫌なことをやっているのだ。
その身になってみれば、機械であろうと余計なことをさせるのは
単に害になるということを知らなくてはいけない。
いつまで人間は間接的にではあるが、嫌なことをし続けなくてはいけないのか。
人間にとって本当に好きなことってなんだろうか。

俺は好きなことだったら、もし機械がなかったとしても
自力でし続ける。機械がないから嫌になるというのだったら、それまでのことだ。

人付き合いっていいよなあ。好きなことが人付き合いにならたら
いいんだが。機械も要らないし。
26考える名無しさん:2005/12/29(木) 14:32:28
人付き合いといってもネットや電話や、車で移動して会いに行くとか
しないと疎通できないのだったら、それは機械任せである。
もしも、それらがなくなっても会いに行くだろうか?
その点、近隣との付き合いは非常に大事だ。
距離の差とは重要だ。おそらく、機械がなければほとんどの仲は破綻する。
近くにいれば機械がなくても続く。
俺たちの世の中、近くに親しみをもてる人を配置し、人付き合いをしていて
楽しいと思える基盤整備が必要なのではないか?
最近は隣近所でも顔も見たことがないという地域も出来てきた。
それは全くもってもったいないことなのではないか?
距離という大きな力を台無しにしている。
27考える名無しさん:2005/12/29(木) 16:46:32
そろそろ正月だなあ。俺は一時インターネットはお休みだな。
ところで思うんだが。
なんでこの真冬の時期が元旦なのか。まるで不合理ではないか。
何故春が、4月1日が1月1日ではないのか。
年末が12月31日で期末が3月31にちとは大きく無駄を作っている。
このことは俺が言わなくても誰しも分かっているはずだ。
この年末と期末のずれが利を損なっていることは敢えて言わない。
とにかく、年始めを春に持ってこなくては駄目だと思う。
何故真冬が年の節目になっているのか。誰も疑問に思わないのか?
経済的にも気分的にも全然違って来るではないか。
まあいいじゃない?で済まぬほど経済ロスは大きい。
28考える名無しさん:2005/12/29(木) 17:00:55
構造計算偽造問題。
あれも今の世を反映している。
嫌なことを意に反してしなくては生きていけない世界。
誰も偽造までしてものを作ろうとは思っていない。そう信じる。
作ることが目的ではなく、金を得ることが目的となってしまった結果か。
あの偽造は極端だが、
規模が小さいが結構そういう止むなしにしていることは多いんだ。
みんな辛抱強いのか、諦めたのか、知らないけれど
もくもくとこなしてんだよね。
それが当然だとして、受け止めてんだよね。
俺もたいがい、こういう事言うと言われる。「みんな我慢してるんだ。
好きなことばかりしている人なんていないよ。」と。
これは暗にお前も我慢しろと言っている。
29NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/12/29(木) 17:02:51
30考える名無しさん:2005/12/29(木) 17:19:23
とりあえず、今のところ、俺みたいな事、現実に言っても、
きちがい扱いされるだけだから、顔をさらしてまで言うのは
止めた方がいい。
だからといって心中にしまっておくのはよいとも言えない。
今は潜伏期間なのだ。
いずれは表面化してくるだろう。
心の中にしまっておきたいのは恥ずべき心である。
この掲示板はその恥部を露出してもいいような雰囲気があるが、
本当は掲示板にすら表面化させるべきではない。
今、現実的に潜伏させておくのは言うのがはばかられる
現状にあるからである。
潜伏よりも下位にある沈滞(どういったらいいのか)の下劣な言葉の
応酬がネットであるのは、(俺は少し理解しかねるが)恥ずかしいことを
自覚していないからだ。
顔をさらしていなくとも、言ってはならぬことはある。
それが繰り広げられているのは、プロセスの一部なのだろうが、
しばらくは続きそうだな。
我慢しなければならないことは、こういう恥ずべき言動ではないだろうか。
日本人は遠慮がちとか言うが、それは大いに守っていきたい素性だ。
では。

人間は一度は間違ってもいい。でも一度きりで十分だ。
31考える名無しさん:2005/12/29(木) 17:26:21
>>29
どうもです。
俺がその件で言ってるのは
4月に元旦をもっていけというのではなく、
どちらかを合わせたらどうかということですね。
お役所が先導してやってもらいたいです。
でも、入学式が1月だと大変だろうなあ。
ってことで俺はやはり春。
春はいいなあ。心機一転もやはり春に限るよ。
じゃっ。
32考える名無しさん:2005/12/30(金) 10:45:32
何やってんだろうなあ。俺。
活字ばっかり眺めていて、頭おかしくなってくるよ。
字ってさあ。一つの表現方法だろうけど、
なんか、気持ちが伝わってこないんだよね。
受け手の判断によって大きく内容も左右されるんだよね。
字、ばっかり見ていると馬鹿になりそうだ。
頭でっかち、活字馬鹿。
実際、字みてると頭ぐらんぐらんとしてくるんだ。
日本語ってホント多いと思う。
ひらがな、カタカナ、漢字、和製英語、ローマ字、
いくら憶えたらいいと言うんだ。
言葉をむやみに憶えても意味ねえ。
言葉を覚えられない負け惜しみなんだが、通常のレベルでたくさんだよ。俺は。

辞書ってさあ。熟語とかから意味を調べれるけど、
逆に意味から相当する熟語を調べること出来ないんだよなあ。

俺は熟語知らないから、長々と書いてしまわなくてはならないんだ。
逆辞典、ないかなあ。
10行を1行くらいに圧縮出来るんだけどねえ。
33考える名無しさん:2005/12/30(金) 10:56:42
哲学は言葉遊びというけれど、
活字で書かれた文書はみんな言葉遊びでしょ?
例えば
「よろしくお願いします。」
この一文だけでも、俺はタイピングに5秒くらいはかかっている。
「願」
これでいいじゃないか。
だめか。
でも、お願いしているが、本当に頭下げて頼んでるかは分からないぜ?
はっきり言って、俺は文末に記す、お願いします、に気持ちを込めたことは
ない。
何か、いきなり文がとぎれると寂しかったり、違和感を感じて
付け加えて締めとしてしまうが、
「それは、いらない」
言葉遊びに過ぎない。
丁寧語、尊敬語、謙譲語、これらを使うとボリュームはアップするが、
内容は浅いのだ。
言葉遊びだ。駆け引きですね。

何か、こう、言葉の、うそほんとを見分ける方法がないものか。
言葉に本心を注入出来ぬものか。
34考える名無しさん:2005/12/30(金) 11:33:40
歴史っておもしろいよね。
でも、生まれる以前の歴史は真実かどうかは分からない。
最近、おもしろいのは歴史の錯誤ですか、教科書で間違っていたことを
教えていたのではないか、という問題ですね。
タブーを犯して、遊ぶとは、俺にとっては、こういう所かな。
別に間違っていたことを教えられたと怒っているわけではなくて、
何か、こう、真実を知ることが出来たという、錯覚ですかな。
その喜びがある。

でも、新事実が事実とは言えないんだよね。ただ新しい事実ってだけで。
俺が事実って言えるのは自分で経験したことだけだ。
それでも、勘違いも多いんだろうけど。
新しい物好きなんだろうなあ。結局。
伝記は信用できぬと言うことか。
伝記も言葉遊びかな。
35考える名無しさん:2005/12/30(金) 11:47:27
俺は方言にその人の気持ちがかなり入っていると思うんだ。
使い慣れている言葉には本心がこもっている。
都会に移り住んだ奴ら。
あいつら、方言かくして、自分の気持ちすらだましだましで
押し殺しているんだろうな。
全国一律に言葉を統一するってことは大きな時間を必要とするよ。
共通語に慣れ親しむまでに、自分をだましていかなくてはならない。
だから、隅々まで万遍なく行き渡るまでの課程の中では
騙しあいは、仕方のないことだ。
統一には苦を必要とする。
方言は淘汰されるのが時代の流れなのかもしれないが、
分かって欲しい。地方人は都会との交流で苦痛を強いられるということを。
分かってくれるなら、方言を生かしてほしい。
つまり、英語なんかを覚えようとしないで、各地方の方言を覚えて欲しい。
俺が方言でしゃべっても、日本ならどこでも通用する世の中になればいい。
36考える名無しさん:2005/12/30(金) 12:01:43
俺はこの日本が正直に生きていける国になればいい、と思う。
正直といっても、包み隠さず、ぶちまけれるということでは、ない。
隠しておく所は、隠しておかなければならない。
うそがあるんだったら、黙っているのがいい。
正直に言える世の中とは、
うそで塗り固めた言葉を一切使わずに、本心を言える世の中である。
今は、本心を言いたくても、繕ったり、まるで逆のことを
言わなくてはならない、雰囲気もあるし、本心を言えば弾劾されてしまう。
いらぬお節介をされても、ありがとう、といわないとぎくしゃくしてしまう。
ありがとう、の言葉はいらない。「いらぬことをしでかしたな」とは
言えない。ならば、黙っていればいいだけだ。
それで嘘はいっていない。
今の世は黙っていれば愛想が悪いだの、評判が悪くなるのがオチである。

言葉にはうそも見抜けぬほどに、完璧ではないのだから、
使うもの(発するもの)のモラルにおいて常に心がけるという
一般常識が根付いて欲しい。
37考える名無しさん:2005/12/30(金) 12:44:08
子供は正直だが、もしも世の中が子供だらけになれば
どうしようもなくなる、ということは容易に想像できる。
気遣うという心が成長していないんだろうな。
わがままばかりではたまったものではない。

私的談ではあるが、俺はよく愛想が悪いと言われるんだ。
俺って取り繕うの、苦手。うそもすぐばれる。
世間話もほとんどしない。「今日はいい天気ですねえ」とかは
他人には言わない。だって、そんなこと他人と話しても無駄だと思ってるから。
ラーメン屋に行っても「どうもごちそうさま」とは言いたくない。
だって、対価を支払うんだから。だから、店員に「ありがとうございました」
と言わせる風習はなくなってもいい。感謝の気持ちは大事だが、
客が傲慢になることもある。客は自分が偉いと勘違いしてしまう。
売り手もいらぬ、へりくだりの癖がついてしまう。

淡泊なやりとりにはなるであろう。でも正しい道に進むには必要だ。
少し逸れてしまったから、矯正しなくてはいけないのだ。
38考える名無しさん:2005/12/30(金) 13:06:47
何もしていないのに、「お前は態度が悪い」
俺が何を考えているかも知らぬのに。そういうようにならないように
嘘で固める賢さを身につけるのが処世術か?
おかしくはないか?
無難に生きていくためには、うそつきにならねばならぬとは。
俺は不遜な態度を取っているかもしれない。
でも、今の世では世渡りがへたくそなだけだ。
でも、その世渡りを上手になろうとは思っていない。
まるで逆だ。下手でもいい。時代に逆流していてもいい。
こんな、世の中において、俺は沈黙を続ける人、となってしまった。
沈黙が俺の処世術になったんだ。
でも、勘違いするな。俺はいろいろ考えている。
いろいろ考え、シミュレーションしてみるが、「打つ手がない」
これだけのことだ。

俺の本心を直接、言える親しき者は、身近にあまりいない。
だから、家族って大事だ。親友も。
世の中変われば、みんなが大事になるんだけどねえ。
俺の本心を言えるんだから。
何度も言うが、言ってはならぬことはあるよ。
言っていいことでも黙っていた方がいいかな、という状況が少し不満なんだ。
39考える名無しさん:2005/12/30(金) 13:34:49
俺はもう賭博行為はしません。宝くじだったらやってもいい。
そこらへんにある賭け事、ほとんど運というより、人間の操作で
決まってくる。パチンコなんて論外だし、競馬だって騎手の采配で
疑わしい。

人間社会もまるで賭博のごとし、かな。
駆け引き、だましあい。
俺が博打をしていた頃は俺も騙し合いをしていただろう。
あの頃は騙したほうが勝ちだった。それでいいと思っていた。
元から口数は少なかったが、更に拍車がかかった。それと付随して
俺はもう賭け事はしなくなった。(賭けといってもパチンコ、競馬、株、
くじ程度である)
見切りは早かったと思う。一時はまったが、出てきた。

俺がこの世を見切って、立ち去るのはいつになるだろう。
でも、少しは期待している。
俺が去るか、この世が変わるか、どちらかだ。
俺もいつまで、寡黙を続けられるかは分からない。
40考える名無しさん:2005/12/30(金) 14:36:23
俺は今までしたかったことは完全とは言わないが、やってきた感はある。
だからかどうかは分からないが、これといってしたいことが少ないんだ。
もういいかな、って感じで、見切ってきたのである。
したいことがいくらでもある、という状況から、
したいことって何だろう、と捜さなければならなくなってきた。
これはつまり、この世には俺の興味が少なくなってきたって事だろう。
俺は新しい世界に、新しいことを求めたい。
今、ここにあるものから、選択するのではなく、
ここにはないから、新しい未来でそれを見付けてみたい。
だから、新しい未来を作っていきたいんだ。
今の世のやり方には見切りを付けてしまった。
41指し指 ◆6wmx.B3qBE :2005/12/30(金) 20:57:06
君は物書きになると良いよ、レスが間に合わないぐらいスレッドを進めてしまう。
日本を語るどころではなくなってしまうから、そもそもこれ以上語っても仕方がないけどね。

>>20
「犯されそうになったら殺すのが正当防衛になりそう」という話を僕はしたけどね。
それが逆の立場ならどうだろうか。
セクハラなんて言葉もあるけれど、それは愛の告白と言っても過言はないよ。

「君って髪の毛がさらさらだね、ここにいっちょぶっかけてみたいよ」
これがセクハラと言うのはあまりにおかしいと思わないだろうか。
なぜなら愛の告白はと言うと、そこで何をどう取り繕って言おうとしてもその本質は
「好きでたまらないので、手を繋いで町を歩きたい。そして別れ際にはキスをしたい。君のヴァギナにペニスをこすり付けたい」
と言ってるのと相違ないんだからね。

また痴漢されたいと思っている女の人が1人でもいると仮定されているのに、試さずにいられるだろうかね。
3日で一杯になってしまう欲望のはけ口として色々と今までも試したと言うのに、レイプだけはしてはいけないと誰が思うものだろうか。
なんにせよ女性はセックスの時もそうだけど出来るだけ声を出さない習性があるからね。それでは和姦だと思われてしまう。
しかし気持ち悪い時に気持ち悪いという事だけははっきりと言えるんだ。

その「気持ち悪い」とはっきりと言う事の方がレイプより悪質だと思えないか。
「気持ち悪い」と言われたから殺す事が正当防衛にならないのは、おかしいと思わないか。
レイプにしても、セクハラにしても、「気持ち悪い」と言うように誰かを中傷する行為とは正反対なんだからね。
性犯罪に指定されているけど。

痴漢されたい人が1人でもいるなら、そうでない人は貞操を守るためのなんらかをしてから言って欲しいものだね。
いざとなった場合にプライバシーの問題を取り上げるのは、個室に入らずに「見るな」といっているものと変わりない。
そういう意思表示が日本には足りて無い。
傍から「誰もお前なんか相手にしないのに」と思われるのが嫌だからしないんだろう。
日本人の悪い部分だ。
42考える名無しさん:2006/01/02(月) 20:25:23
>>5
>何しろ俺が書き込む所、ほぼ、スレッド停止してしまうんだから。

理由は明確です。書きすぎに注意しましょう。
43考える名無しさん:2006/01/04(水) 06:28:41
やはり知らんようだね?
44考える名無しさん:2006/01/09(月) 11:01:20
指し指さん。新春おめでとう。
あんたのことは俺と合わないかもしれんな。

「君って髪の毛がさらさらだね、ここにいっちょぶっかけてみたいよ」
これは言っちゃいけないよね?
相手によりけりだろうけど。でも、初対面か、付き合いが少ないなら
言ってはならんと思うよ。それが愛の告白だと言うんなら、
少し、ズレ、てるよ。

痴漢されたい?
それもないと思う。痴漢とは当人にとっては嫌悪感を及ぼすものと
解釈している。だから、痴漢されたいというのは誤りの表現ではないか?
触られたい、なら適当か?
レイプもしかり。やってはいけない。嫌悪させることは極力避けたい。
気持ち悪い、ということは正当防衛とも言えるな。そして、相手の
矯正も兼ねている。告白されて、態度で断っても分からないなら、
きっぱりというのは当たり前ではないか。のばしのばしはいけない。
もちろん、断り方は選択しなくてはなるまい。

いちいち、貞操を守るために鉄パンツでもはけというのか?
家にこもれとでも言うのか?
そんなことをしないと痴漢されたくないと言えないのか?
たとえ言葉に出さずとも痴漢されたくないのは万人に共通だ。
言葉って難しい。
混同しがちだ。だから、語弊から、雪だるま式に間違いが大きくなっていく。
45考える名無しさん:2006/01/09(月) 11:38:16
特需ってよくあるよね。
厳冬、酷暑、戦争、特需。
あんな特需で沸く心理が分からない。
売り手にとってはこの上ない刈り入れ時だと思っていたりする。
おかしくないか?
こういう特需は儲ける者は儲けるが損をする者は大いに損をする。
損得の差の開きが大きくなって、成り立つ構図であろう。
損得は辻褄が合うように必ずなっている。だから、
特需でほくほく顔の奴らは、内心、他者の損害を願っているという
現れなのである。
いつも特需で利を得る側にいれればいいが、反対側に立たされることだってある。
特需はむしろ、損害を被る立場にいながら、その立場の範囲内で
損得が段階的に別れているに過ぎない。
だから、豪雪特需で物は売れても、自分も豪雪の被害に遭うことは免れない。
戦争特需で武器は売れても、自分に危険は離れない。

だから、あまりに、特需、特需と脇立てるな、と言いたい。
人間は苦難を乗り越えて行くものではあろうが、逆境を自ら
求めていては、いつまでも前に進めない。
46考える名無しさん:2006/01/09(月) 12:27:39
なんでもかんでも、貨幣に還元してしまう考え方は
そろそろ卒業したいものだ。
貨幣は便利だし、いまさらすぐには無くなるわけはないだろう。が、
それは物のやりとり、サービスに対して使えばいいだけのことであって、
例えば
「パソコンの待機電力の電気代なんて微々たるものだから、
気にしなくても大丈夫」とか、
「この肉は安売りで買った安い肉だから、余っても、たくさん食べても
全然平気」とかっていうのは筋違いであろう。
なんでもかんでも金に換算してしまうから、本当の無駄、無意味、が
分かっていない。
金に換算してしまうと、無駄、無意味が薄呆けてくる。
本当は違う。安いからって無駄にしてもいいってことは決してないし、
高いからって大事にするべきってことでもない。
貨幣制度は無駄が省けて良いように見えてしまうが、使い方を誤ると
無駄を作り出してしまうということに気付かなくてはいけない。
このままだと、人為的に操作された価値観に踊らされてしまう。
俺たちは価格という変動するものを基準としてはいられない。
高いか、安いか、それだけで判断材料とするのはやめなければ。
安いものでいいもの、これは無い。
あったとしても一過性のものであって、いずれ適正な値段となるだろう。
俺たちはスーパーの目玉品だけを購入して生活できるだろうか?
目玉品は餌である。
いつまで、一過性のものに身を預けるのだろうか。
俺たちは真の価格でやりとりすべきである。そうなる世の中ではその価格は
基準となりえよう。
そして、微々たるものでも無駄な支出は無駄以外のなにものでもないことに
気付き、無視できなくなるだろう。
価格が正当な基準となり得れば、価格が付けられたもの全てが適正な価値となる。
今は金銭、貨幣そのものが価値を持ってしまっているために
基準となっていない。
俺が言いたいのは一万円札が一万円の価値を持ってはいないと言うことかな。
47考える名無しさん:2006/01/09(月) 13:04:13
「一万円を5千円で売ります。ただし、限定10名様まで」とあれば
人は殺到するだろう。ただし、限定10名に達したあとは閑古鳥がなくだろう。
文末に「一万円を買ったら、そのお金で商品を買いましょう。」とあれば、
いくらか回収できそうだ。
「通常1万円のものを5千円で売ります。」と代えれば少し柔らかになって
露骨でなく、ぼかされる。

広告を出していない所ほど安く売れるはずなのに、そうはなっていない。
客は広告品に目を奪われ、店は薄利多売での商売。
俺は薄利多売は危険なことだと思っている。地球的に。
安いのは歓迎だが、その安い価格が技術の進歩によるものではなく、
粗悪品であるということが多いからだ。それはただのゴミだ。
見極めは難しい。それがどうして安いのかという理由だ。
時代の波に乗れていないと粗悪品を安いと思い、技術の進歩によるものは
安いかどうかは分からなくなる。
30インチテレビが十年後、1万で買える時が来たら、その時、安いと
思うだろうか。思わない。それが当然だと思ってしまう。
でも今だったら高い。
同じものであっても。
俺らは今、高級品をたくさん持っていることに気付かなくてはならない。
昔から見たら、今の廉価品でも高級であったはずである。
それに気付かなくてはいつまでも無駄を身につけていくであろう。
その無駄は地球規模で影響を及ぼしていく。

48考える名無しさん:2006/01/09(月) 13:27:02
俺はケチと思われている所がある。
しかし、断じて違う。
俺は無駄なことはしたくないだけだ。
この無駄なこととは何の意味もないエネルギーの無駄使い、だったりする。
そのエネルギーの無駄使いが自分にはね返ってくる、と思っているから。
俺たちは誰もいない部屋に明かりを灯していていいのだろうか?
何の意味もなく電球に電気を流し続けていていいのだろうか?
それとも、何かの役に立っているのだろうか?
もし、役に立っているというのなら、それは電球と電気の関係者だけである。
その関係者のために、エネルギーを浪費し、終いには自分の身に
帰ってくるということを見過ごしておいていいのだろうか。
その浪費が電気屋のため、と思っているなら、いいんだが、
普通はそんなこと考えていない。つまり、無関心である。
意識的にも無意識的にも無意味なのである。
そういう無意味なことを削減していこうと言うことはケチとは言って欲しくない。
値段が安いからって無駄にはしたくないと言うのはそういうことだ。
俺がケチっているのは無意味なことをである。

日本人は節操あると思っている。
俺が言いたいことは以前だったら色濃くあったはずだ。
今は、あまりない。
安いと軽視し、視界に入れようともしない。
でもそのとばっちりはいつかやってくる。
日本はものを大事にするからこそ、良い物を作り出せてきたのだと思うし、
ものによって守られて、反映してきたのだと思う。
エネルギー源が電気が主となって
目に見えづらいものとなっても、その電気はどうやって作られてきたのか
を想像すると、決して安電気も軽視出来ないはずだ。
だから、安いか高いかは問題ではなく、無駄は無駄ってことなのだ。
49考える名無しさん:2006/01/09(月) 13:53:20
俺の行為が無駄だって?
俺は俺なりに無駄を省きたいからこうしているし、
世間の無駄が見え始めてきた矢先であるから、仕方がない。論点もまとまっていない。
快楽を求めるばかりに刹那的になっていやしないか?
俺は恒久的な快楽を求めたいだけだ。
これ以上の快楽を求めたいと言うことではないが、今の快楽は
脆くも崩れ去る危険性を秘めている。そんな危なっかしい所では息もつけない。
いずれ、死ぬ。
それまで幸せに生き、最後は安堵して死ねる。それが最上。
世の中便利になったがその代償はある、と思っている。
動力で得た便利性は環境にひずみを与えてはいないか。
便利になるのは望みであるが、方法がまずくはないか?
子がいるものよ、家族がいるものよ、親友でもいい、大事な者を残して
死ねるか?安心して死ねる世の中。そうなればいい。
心中だってなくなる。

俺一人が思っていても力はない。俺には分が悪い。
見えない勢力が支配している。
軌道はずれている。しかし、修正すれば良いだけだ。
方向は合ってはいるのだが、軌道がはずれているだけだ。だから、
無理なことではない。
50考える名無しさん:2006/01/09(月) 14:28:25
日本人は政治に興味が少ないと言われているようだ。
実際俺もあまり興味はない。
なぜなんだろう?とふと思う。
中国、韓国は小学生でもすごく政治に関心がありそうだ。
なぜだろう。
おそらく、日本は幸せな国だから。国として出来つつある国だから。
中韓などは途上なために改善を夢見ているのだろう。それが関心度の高さだと
思う。
日本は基盤は出来つつある。一般に政治無関心がそれを示している。
俺などは投票したい政治家は一人とていないし、応援する政党もない。
みんなもそうじゃない?熱烈なやつは少なくなった。
とりあえず危険な奴が当選しなければ誰がやっても変わり映えはしまい。
俺たちが投票に関して注意することは危険な奴に投票さえしないということ
だけだ。それだけは放棄してはいけない。俺はやりたいようにやれ、と
思っていた。好きにしろ。と。
でも、環境問題が取りだたされる昨今、俺は上を向き始めた。
今の生ぬるい生活が苦痛にすら思えてきた。もっと、熱くいきたい。
出来ぬことではない。関心さえ向ければ。
今までは見えてなかったものが見えてきたのはその頃だ。
見えなかったと言うよりも見ようとしなかったのだ。
無駄なことも見えてきたし、これからは時代の流れも把握したい。
俺は政治をしたいわけではない、自分流にしたいわけではない。
この世が俺に合ってくるなら、俺はそれに付いていく。
俺は先導者ではなく従属者がふさわしい。俺は従属する僕でありながら
君主には従わない。なぜなら、俺が認めた君主ではないから。
俺には尊敬する人はいない。
現れてくれればすぐさま付いていくが。俺に従いたいなら従うがいい。
しかし、その前に言うだろう。「まずは自分でやろうと試みなさい」と。
それは俺の重荷になるだけでなく、当人にとっても芽を潰すことにも
なりかねないからである。
51考える名無しさん:2006/01/09(月) 15:15:15
俺は求めることが同じならば答えも同じものが得られると思っている。
俺と同じものを求めるのなら、最初の内はまとまりがつかないだろうが、
一つの意見に収束すると思う。そしてその答えが最善である。
俺一人がのたうち回っていても始まらないのは目に見えている。
だから、俺は同じ方向性を持った人を募っている。
異方性のものとは元もと鉢合わすことは無いと思うが、同じ道を目指す
者とならいくらでも話し合いたい。答えは一つ、あるいは複数であっても
必ず、結果が得られるだろうから。
そして、正しい答えを基に流れを創り上げたい。
俺が答えを誰かと共に見いだせば、それが波及効果となって
浸透していくだろう。だからとりあえずは小規模であっても良い。
でも、正しい答えを見つけださなくてはならない。
正しいものは自然に広がっていく。
未だかつて間違っているものが広まった試しはない。寸切れで終わる。
52考える名無しさん:2006/01/09(月) 15:33:11
君らの生活の理想像はどんなかね?
俺はちょっと明確なビジョンはないんだけどね。
でも明確でないから楽しみでもあるんだけどね。
もしも鮮明だったらつまらないよ。
おぼろげなものが明らかになっていく、その行程、それが楽しいんだ。
せめて胎動が欲しい。
始まりを告げる胎動が欲しい。
もう、序曲は明けているのか?
これが俺の序曲だ。これが俺の胎動だ。小さい、小さいが俺の胎動。
この世はいかにして理想郷を得るのか。楽しみである。
皆が理想郷を夢見て欲しい。結果は統一される。
それが夢見る同志だけが得る特権である。
さて、この世をどのように料理してみせようか。
今はまだ料理を選んでいる状態だな。
いずれ、料理が始まって、それを食らうときが訪れる。
何を作ろうか迷うのも一興、作る作業も一興、みんなで食すも一興なり。
最終的な満腹感を得ようではないか。
53考える名無しさん:2006/01/09(月) 15:55:18
俺にとっての理想郷とは平等な世の中です。
平等と言ってもみながみな同じ事をしろというのではなく、みんなが
好きなことをしていける世の中です。
極端な話、人殺しをしたいのなら、人殺しをしたい人をより集めた
サークルにとどまっていれば、好きなだけ殺戮しあえる。
俺のように最低限、自分で自分の事をしたいというなら、
そういうやつらが集まって、人数を必要とすることだけを協同でやったらいい。
人を扶助するのが好きな人は自分の力を必要としている人の輪に入れば
いい、そして相互補完し合えばいい。
俺の言ってることは簡単だ。
しかし、それに至るまでの施策が無い。
とりあえず、みなさんにもっと欲張りになってもらいたい。
真の幸福を求めてもらいたい。
もっと目を向けて欲しい。
自分の人生を豊かにしようと意欲を持って欲しい。
その意欲を持たないばかりに少なくとも俺一人、いや、おそらく
もっとたくさんの人が犠牲になっていることを知って欲しい。
巻き添えを食らっている人たちがいるということを知って欲しい。
なんて事はない。
無関心からほんの少し関心を持って欲しいだけなんだ。
54考える名無しさん:2006/01/09(月) 16:10:50
好き勝手に、傍若無人に生きていきたい人たち。この人達を集めても
地球上でそれほど多くはないと思う。この人達を一部に集めて
閉鎖しておいても地球環境には影響は少ないはずだ。
その人達は与えられた土地で自然破壊を勝手にすればいいし、
森林が砂漠と化したとしても、別に支障は少ない。
街はスラム化させればいいし、けんかも思う存分すればいい。
川も汚すだけ汚せばいいし、海産物も取れるだけ取るがいい。

それは俺の目論見通りに進むはずだ。好きにやって自滅するなら
本望ではないか。
なにせ、絶対数が少ないだろうから、環境破壊も自然修復されるだろう。
自然はすごい回復力と自浄作用を持っている。ちょっとやそっとじゃ大丈夫。
今危険なのは、その傍若無人が点在していることだ。
点在していることによって環境もシミのようにぽつぽつと悪化していき
回復が追いつかなくなってしまうことだ。
現に砂漠化は各地で広がっている。一カ所にまとまるのなら自滅、絶滅、
となるのだが、豊かな土地が近くにあれば、その豊かな土地をも
浸食してしまう。
そうなると俺らはただただあっけにとられ指をくわえて見ているしか
出来なくなってくる。勢力というものはそれだけ恐ろしい。
55考える名無しさん:2006/01/09(月) 16:28:25
人を手玉に取って得をしたい。
人よりも優越感を得たい。
こんなやつらもそういう社会で共に生きていって欲しい。
なるほど、それは彼らにとっては理想郷である。ただし、リスクは高いが。
ただ、俺はそんな奴らにつきあわされるのは御免被りたい。
現状ではそんな奴らのターゲットに俺も入れられてしまっているために
俺もその競争社会につきあわされている。
もっとも俺はそういうのは嫌になってきたから、ちんたらちんたら
やっているわけだが。
競争が悪いわけではない。
俺は美の競演ではないが、美の競争はしたい。
それに損得などはないし、自分が満足するまで競争すればいいことである。
競争を止めても良いし、いつまでも上を見ても良い。それは誰にも損害を与えない。
競争には勝敗がきっぱり決まってしまうものと、向上あるだけのものが
ある。俺には向上あるのみの競争の方が合っている。
56考える名無しさん:2006/01/09(月) 16:59:05
何で君達食っていけると思うかね?
自問してみよう。
俺は自分が食っていけるだけの稼ぎはしていないと思う。
金額は稼ぎ出すが、仕事の内容はとてもじゃないがしていない。
おそらく、正当に給与をもらえば俺は餓死するしかない。
これは俺だけではないはずだ。
この世の仕事は余計なことは数多い。
余計なことを仕事にしていて食っていけるのは不当に受給している
からである。俺も不当受給者の一人。
じっさい、君らの仕事ってなんなのだ?その仕事で食っていけることに
疑問を感じないか?仕事で社会奉仕をしているか?自信を持って言えるか?
誰かが俺のために犠牲になっている。
俺は出来る限りは自作、採取したい。それが本来、仕事だと思う。
今は機械や農薬で大量生産、ソナーで魚を一網打尽、しかし、いつまで
保つのだろうか。その効率の向上で余った余力は余計な仕事をしてはいまいか。
少なくとも、大量に簡単に食えるようになったのなら、豊潤な土壌、
海洋の保全、に努めなければなるまい。それがせめてもの恩返しであろう。
余計な仕事をして、仕事したー、仕事の後の一杯はうまいな、とか
言っていてはいけないと思う。
食糧難になればそんな仕事はくその役にも立たなくなるだろう。
誰もそんな仕事を買ってくれる余裕はなくなる。
でもその時気付いても遅いのだ。
俺も何か今年は手を打たないといけないな。
57考える名無しさん:2006/01/11(水) 15:26:02
体調悪い。
駄目っす。
結局、どうあがこうと体に影響受けます。
いくら精神を鍛えて、逆らおうとしても、駄目。
精神力が大事、とか、精神力でやり抜く、とか、精神がタフなら出来る、
とか、そういうのは誤りだ。
誰がそんな誤りを広めたのだろう。そんなに普及はしていないけれども。。
そんな精神を説いていられるのは体が丈夫な内だけだ。
健康で支障が無いときに、体のことを無視した考え方に陥りやすい。
俺も大抵はそうだ。健康なときで、やる気もあるときに、「やる気があれば
何だって出来る」と勘違いしてしまう。
違う。
俺がこんな書き込みできてるのも、精神力の強さからではない。
体力が残されているからである。
実際、つい先程までは、書き込む余力がなかった。
58考える名無しさん:2006/01/11(水) 15:45:23
俺らは精神力で体を動かそうとしてはいけない。
いけないというよりも、それは無駄な悪あがきだ。
それ以前に体が調子悪ければ体を動かそうと言う意志さえ沸かないはずだ。
自分の体。自分の所有物と思っているが、とんでもない。
意識は体から派生したもの。

思うに、
自然を支配、コントロール、予測しようとする人間は
自分の肉体を精神によってコントロールしようとする思考と
似ている。
俺の精神力では肉体に力が及ばないというのに、無理ヤリに行動しようとしても
「無理」なのだ。
俺ら人間が自然を従属させようとしても「無理」なのだ。
何のことはない。
俺らが派生物だからだ。
俺らの意識が我が肉体へ畏敬の念を持つのは当然だ。
健康を願うのも当たり前だ。
俺らが自然に対して畏怖の念を持つのは当然だ。
守護を願うのも当たり前だ。

この当たり前のことに、反逆しているのは、一部の科学技術を慢心して
しまった者達である。
一時自然に勝ったと思ったとしても驕り高ぶってはならない。
それは健康な者が精神を唱えることと同じである。
自然が俺たちに報いを与え始めると俺たちは不健康者のごとく、
自分の非力、自然のありがたさをかみしめるだろう。
59考える名無しさん:2006/01/11(水) 16:05:58
科学技術も発展はしてきた。
そこそこの精度も上がってきた。
しかし、天気予報を始めとして、
「限度がある」
とそろそろみんなが気付かなければならない。
コンピュータを高性能化しても駄目である。
科学技術に関しては上へ上へと求めるのはよくないのである。
なぜなら、それは自分の力への過信だからである。
そしてそういう技術向上は臨界点を超えてはいかず、ある時点で
無駄の積み重ねになってしまう。

日本の技術、科学は素晴らしいと思う。昔から技術に関しては
世界一流だったと思う。
俺の経験で言うのは気が引けるが、昔は自然を制御しようなどは
毛頭無く、自然を巧みに取り入れていたと思うのだ。
現在は取り入れて工夫すると言うよりも、強引にうち勝とうとしている、
かのように見える。機械が俺たちの心を慢心させた。
日本の四季と巧みに生きていくための技術、気質が、精密な機械をも
作り上げた。俺たち日本人が技術に優れているのはこの日本の
風土が作り上げたものなのだ。それを忘れてしまって、我が身、我が生みの
親をむしばもうとしてはいけない。無駄だからだ。
60考える名無しさん:2006/01/11(水) 16:27:53
日本は霊の国、とか、聞いたことがある。
そして、日本人は無宗教といいつつも霊界を信じていたりする人は
かなりいるはずだ。
でも、霊を信じたり出来るのは、健康な内だけだ。
確かに不健康であっても霊界に逃げ場を求めることは出来るが、
そもそも、そんな思考すら与えさせない状態になるときもある。
苦しいとき、気持ち悪いとき、そのような思考はゼロになる。

霊を信じる者が多いのは、この国の豊かさの現れである。
いわば、国が健康な証である。
この国は特定の宗派に凝り固まったりせず、霊界と言う別世界の存在を
信じているのである。宗教国は異教徒を排他しようとするが、それは
その国土の貧しさから来る保守心であろう。我が国土は豊かであるため
守り抜こうという気概が少ないのかもしれない。だから我々日本人は
無宗派で霊界という共通の世界を信じている。
霊界という考えは余裕の現れである。そして逃げ場でもある。
人間は切羽詰まれば、来世のことなど頭から消え去る。
地獄だって忘れ去る。
切羽詰まったとき、人間は目の前しか見えない。犯罪だって犯す。
理性などない。
罪を犯した者を責めたって、可哀想でもある。
環境がそうさせたのだから。
61考える名無しさん:2006/01/11(水) 16:40:32
いつまでも、「余裕でいられる」
俺はそうありたい。
余裕がないのはいやである。
ハングリー精神が人間を育むと言えば、それは誤りである。
飢えは、悪しき心を生む。
ハングリーを求めようとするのも、幸せな馬鹿者である。

この余裕のある生き方。これは難しいかもしれないが、不可能ではないと
思う。それは考え方、行動の仕方で対処できるものだ。
昔の人が四季を巧みに生き抜いてきたのと同様に、現代人も
四季を創意工夫して楽しく生きればいいのである。
なにも、機械に頼り切って自然に対峙しなくても、もっと効率の良い、
我慢を強いられるわけでもない、季節、天候に対応した
うまいやり方があるはずだ。
そのうまいやり方を確立させ、浸透させれば、
この国はいつまでも余裕のある国としてあり続けるだろう。
霊界という夢も全国民が持ち続けることもできる。
こういう議論だって、好きなだけ出来る。
62考える名無しさん:2006/01/11(水) 16:54:08
世の中が便利になって、その反面人間の心が空になったと思いそうになる。
確かに便利になるにつれ空虚感も形成されるかもしれない。
しかし、それは間違った便利さである。
便利と言っても全自動洗濯機のように乾燥までするのもあったりして、
これも便利だとは言うが、
将来、服をつっこめば洗濯、乾燥、アイロン掛け、折りたたみ、まで
してくれるものが登場すれば人間はすることが無くなってしまう。
この種の便利さは程々で切り上げなくてはならないと思う。
俺がこれから日本が目指していくのは使いやすさ、勝っての良さの
向上ではないか、と思っている。
便利とは使っていて楽しくなるようなものと定義したい。
ただ単に楽を出来るというのではなく、それを使用していれば
快感をもたらすようなもの、技術開発にシフトしていけば良いと思う。
だから、便利になったとしても人間はちっとも空しくならない。
逆に満たされていくのである。
それが余裕を持った生き方だ。
現代は、楽をするための技術開発に傾倒しているために
心も貧しくなっていくのではないか。
63考える名無しさん:2006/01/12(木) 09:17:47
誰か、お話ししませんか?
なんか刺激がないと俺も続かないんだよね。
俺は自慢じゃないけど、
自分で立てたスレッドを見限ったり、放置したことは
一度もない。
強制終了はあったが、
最後まで続けた。
それも、ひとえに俺に相手してくれるやつが
少ないけれども、いたからであろう。
1000まで行ったスレも、俺がほとんど埋め尽くし、9割方を占めた
と思うが、それでも、10割では俺は挫折したと思う。
64考える名無しさん:2006/01/12(木) 09:26:39
当初はアゲ続けたと思う。
今はアゲようと思うことがなくなった。
なぜだろうか。
おそらく、いくら寂しく、つまらなく、放棄しようと思っても、
俺はアゲをすることはないだろう。(自信はないけれども)
俺はもう不特定多数の人を対象にすることはやめた。
友達も親友が数人いたらそれでいい。
八方美人になろうとも思わないし、そういうやつには嫌悪すら憶える。
俺はこれ以上希薄な関係を広げようとは思わない。
濃密な関係が厳然としてあってくれれば、他に何も望まない。
だからといってはなんだが、俺はアゲない。
こんな掲示板であって、意見を交換し合う場であるにもかかわらず、
俺は雑な意見は求めない。
俺と必ず、濃密な関係を築き上げれる仲間がいることを信じて、
ここに記す。
65考える名無しさん:2006/01/12(木) 09:33:24
確かにアゲればレスポンスは今以上に期待できるかもしれない。
しかし、余計なものが混じる可能性を高める。
俺にとって、関係の薄い、関心のない、意味の少ない、レスは
余興ではあるが、
別段「いらない」ものである。
いらないものをわざわざ求めようとするのは、愚かだと認識できた。
俺のような、潜伏していて機会をねらっている奴は
確立は低いが、当たれば大きな獲物を捕らえることが出来る。
人間関係を獲物と表現するのは少し慎まなくてはならぬが、
俺にとっての出会いというのはそれほどに重要なことなのだ。
希薄な関係を積み上げている者には分からない、
千万一隅のチャンスを手にするかのように輝かしいものなのだ。
66考える名無しさん:2006/01/12(木) 09:43:22
俺はナルシストなのだろうか。
こんな長文をだらだらと。
でも、俺は自分を好きなわけでも何でもない。
むしろ嫌な面は過去いくつか経験した。
その嫌な過去はもうぬぐい去ることは出来ない。
そんな過去を背負っている自分は好きにはなれない。
自分の文章に浸っているわけでもない。
もっと読んで楽しくなる文章構成力が欲しいくらいだ。
でも、人に読んでもらって褒めてもらいたいわけでもない。
これ見よがしにひけらかしたいわけでもない。

自己分析は後ほどに。
67考える名無しさん:2006/01/12(木) 11:10:51
親子、兄弟ってなんなんだろうね。
兄弟ってすごく、遺伝子は近いよね。
親よりも兄弟の方が遺伝子は近い。
なのにどうしたことだろう。兄弟は仲が悪いのが多い。
俺もそのうちの一人なんだ。
仲が悪いと言うよりも、言葉を交わしづらいんだ。
それはお互いにそう感じているから、交流も少なくなってくるのだろう。

親と子の関係はどうか?
親が子を見る目と、子が親を見る目は違う。
これは子を持ってみて、分かることだ。
子がいない人間は親の気持ちは分からない。
この視点の違いによって、感じ方が異なるのは、
兄弟間との関係とはひと味違うものだ。
兄弟間は年を重ねると対等に限りなく近くなる。
いつまでも兄を慕ったりしないし、弟に兄が自分が上位にいるということも
なくなってくる。
親と子はその関係はいつまでも変わらず、埋められていくことはない。

おもしろいと思わないか?遺伝子が一番近い兄弟の関係はどうでもいいような
希薄な関係になるのに対して、親と子はいつまでも濃密であることに。
親と子は半分しか遺伝が近くないのである。親は二人いる。
本来から言えば、兄弟の方が分身に近く、密接であるはずなのに。
68考える名無しさん:2006/01/12(木) 11:23:20
普遍性を求めると俺の言ってることは該当しないかもしれないが、
兄弟は他人よりも希薄な関係だ。
例えば、兄弟と他人のどちらかを選択に迫られた場合、
俺はおそらく、他人を助ける。
他人にもよるが、妻であったら、そちらを選ぶ。
血の繋がりは捨てると思う。他人であった配偶者を選ぶ。
これが、親、あるいは子と他人だったらどうするか。
俺はおそらく、迷いに迷ってしまうだろう。

日本の兄弟達よ!
俺は日本人と外国人の片方しか選べないとき、どちらを選ぶだろうか。
他人に等しき外国人をすぐさま選ぶようでは、あまりに悲しくないか?
それほどまでに日本人同士の繋がりは薄弱なのか?
血縁はそれほどまでに弱々しい繋がりなのか?

兄弟に関して言っておこう。俺が実の兄弟に話をしづらいのは
あまりに近親なためなのか、気恥ずかしいからである。
ためらいはその恥ずかしさから来る。そして、衝突を避けるためである。

俺たち日本人同士が俺の兄弟間のような関係にならなければいいが。
69考える名無しさん:2006/01/12(木) 11:40:11
近親相姦や人肉食が害をもたらすことは事実だ。
狂牛病やエイズ、おかしなウイルスは近似の遺伝子の接触からくる。
こんな話も聞いた。
とさつ場が家業の一家はみな揃って精神異常者だ、と。
生まれてくる子供は知的障害者が多いそうだ。
それも、生まれつきである。
どうしてだ?
俺はこう思う。
牛や豚はほ乳類で比較的に人間に近いのだ。その近種を殺戮しつづけたり
食し続けていたりすると異常になってくるのだ。
我が日本を見て欲しい。
我が日本は従来、農耕、魚介類を主として摂ってきた。肉は祝事のとき
くらいだったはずである。
だからこそ、日本は異常者が少なく、健全であったのだろう。
見て欲しい。
肉を主食する民族や、犬猫すらも食う民族達を。
あの体たらく、国民性は食文化から来ている。
アメリカ人や中国人を見よ。あの攻撃性、強硬な態度。
食生活が肉体を作り、精神を作っている。
ちなみに兄弟間が仲違いするのも当たり前のことで健常なことだ。

俺たちがもし、異常性を正し、健全さを取り戻し、保全しようとするなら
食生活から代えていかなくてはいけない。
私的だが、俺は肉はめっきり食わなくなった。
70考える名無しさん:2006/01/12(木) 11:57:10
兄弟は幼少の頃は仲が良く、いっしょに遊んでいたものだ。
幼少の頃に仲が悪くて、大人になってから仲が良くなるってことは、ない。
だから、悪くなる一方なのだ。

俺たち現在の日本人、この兄弟の幼少期に当たる。
日本人同士が大いに交流し、戯れる時期だ。
それを可能にするツールも開発されてきた。
だから、今は、日本人同士が密接に関わるべきである。それも全国的に。
もちろん、ネットでは距離は縮めることは出来ないが、思想の交流は
出来る。
俺の考えでは日本はまだ、異文化と交流を積極的にするのは、早いと思う。
いずれ、来るのだ。
兄弟間のような、希薄な関係が。日本人同士に。
その時が到来してからでも良いのだ。その時から、身内ではなく、
他人のほうが大切と思えてくるのだ。他人とはもちろんここでは外国人である。
こうして、一つ一つ段階を経て、次の異分野と接触していくのが筋だと思う。

それから、忘れてはならないのは、親と子の関係は永遠であり、
相互異種のものである。これは日本と日本人の関係に等しいことである。
つまり、俺たち日本人は日本人を切り捨てることは出来るが、
日本という国を切り捨てることは出来ない。
71考える名無しさん:2006/01/12(木) 13:53:29
肉食がどれほど、地球を疲弊させるのか知ってるか?
サイトは紹介できぬが、調べてみて欲しい。
牛や羊を愛情込めて育てるというのは間違った言葉遣いである。
愛情込めた後に殺して食ってしまうなんて、
我が子だったら出来るか?
牧場や、果ては焼肉店でも、牛や羊の絵は可愛らしく描かれている。
しかも、ニコニコ笑っているかのように描かれている。
牛や羊が食われることを望んでいるとでも言うのか?
せめて、せめて、「この牛は私が愛情を込めて育てました」というのは
やめてくれ。そんなわけないだろう?熱心と愛情は違うぞ。
脱線した。
牛などを肉のために育て上げようとすると、土地は食いつぶされてしまう。
しかも、非常に効率が悪い。穀物が行き届かなくなる原因は家畜にある。
命を商売化することによって、精神も破壊されていく。
悪循環しかないのである。
肉を輸入に頼っている日本は、海外の悪循環に一役買っている。
肉を食うのは極力止めよ。
人間は食べるために動物を育ててはいけない。
自然を軽視するのは家畜生産場から、国土全般に行き渡ってしまった。
ペットではない家畜を育てるのならば、人間が残した余り物を餌とするべき
である。だから、残飯がないのなら家畜は飼うべきではない。
家畜生産は残飯もないのに、自分の食糧を分け与えていることと同じだ。
肉は回収できるが非常にロスは大きい。
72考える名無しさん:2006/01/12(木) 14:11:33
家庭には一羽か二羽の鶏はいても言いと思う。
どの家庭でも残飯は出る。ゴミに出すよりは餌とすることが
自然にとっても良い。
このように家畜を育てることが出来るのは家庭くらいのものである。
牧場のような規模でやるものではない。もっとも、生ゴミ排出先が
バックに付いているのなら別であるが。
家庭で家畜を育てることによって命とも密接に関わるのである。
その鶏糞は肥料とし、野菜を作ろうではないか。
養鶏場でも鶏糞は出るが、なにせ、移動が伴う。車でわざわざ移動しなくては
ならぬのだ。これがどれほど、無駄か分かるだろう。
生物というのはそれほど手間がかかるものではないのである。
鶏を飼ってみてくれ。
あいつらはそんな手間はかからない。勝手に育っていく。しかも、卵も産んで。
人間の子供のような手間と比べれば皆無に近い。
それが自然の力に頼ると言うことなのである。鶏の生命力に頼ると言うことは
自然に頼ると言うことなのである。
話は逸れるが、鳥インフルエンザも人間の間違った接触方法で移る。

大規模にやれとはいわないし、何もかも自給自足しろとは言わないが、
少しは取り組んでみてもいいのではないか?手間もそれほどかからない。
俺らが家畜を飼うには餌と場所、野菜を育てるには肥料と水、
一日の内、何分の一くらい費やすというのか?

都会の人に言っても無理だろうな。あんな所に住むものじゃない。
都会人は自分が家畜化していきつつあるのに気付いているのかな?
73考える名無しさん:2006/01/12(木) 14:36:58
人間は上ばかり見て生きてきた。
だから、暮らしぶりも良くなってきた。
その作用として、あまり好ましくないことも続けられている。
例えば、無用の長物を生産し続けることである。あまり有益ではない
ものを作り上げることである。
これも人間の欲の現れであるが、このままでは良くない結果を
生みそうだと言うことは俺にも分かる。
ひとたび立ち止まって冷静になってもらいたい。
この流れでいいのか?と。
俺らは天気予報や、株価の予想、宇宙の観測などはするけれども、
地球全体の漠然とした予測はしないのか?
ここいらで前だけを見るのは止めて、前を見つつも、過去の手法を
取り入れていってもいいのではないか?
少し手をゆるめ、取り忘れてしまったやり方を、取り上げてもいいのでは
ないか?
科学技術が万能ではない。
賢いものは夢や欲を求めてばかりはいまい。賢いものは過去の生活から
いいものを取り出して自分の人生に還元しようとする。
未来、過去両方から得て満たされるわけだ。
74考える名無しさん:2006/01/12(木) 14:53:58
俺は自転車という移動手段にすごく興味がある。
自動車を減少させていきたい。俺個人的にも、今の自分の車を
ぶっ壊れるまで乗るつもりだし、壊れても新しいのは買うのは控えよう。
俺はチャリで移動する。
この狭い国土でみんなが車を所有したらどうなる?
市街では車よりチャリの方が速かったりする。
人間どこまで自分の体を使うのをもったいぶるのだろう。
せめて、近距離移動はチャリにしたい。
誰か発明してくれないか?
チャリの雨走行対策。
屋根付きチャリを。少し高くてもいいから。日本なら出来る。多分。
車社会になって、日本人の心はせかせかしてしまったと思う。
急ごうとしてみるけれど、この道路事情だ、焦るだけ無駄である。
100キロで運転しても50キロで運転しても到達時間はさほど
変わらないのである。
言ってみるか。市街では50キロ制限になるようにGPSで制御されたらいい。
どんなスポーツカーでもアクセル踏んでもそれしか出ないように、衛星で
コントロールしたらいい。本当はもっと細かく設定すべきであるが。
渋滞はどうしておこるのか?身勝手な運転がまかり通っているからである。

この車という道具。俺には肉牛畜産の考え方とだぶるんだよなあ。
75考える名無しさん:2006/01/12(木) 15:08:51
電気というものは高級なエネルギーである。
ここんところも普及してもらいたい。
電力会社にだまされてはいけない。
いまや、いろんなものが電力によって稼働するようになってしまったが、
分別はつけたい。いくら便利でも全てを電気とするのは短絡的である。
使いやすいが蓄積が出来ないから無駄も増える。

またいずれ。
76考える名無しさん:2006/01/12(木) 16:25:24
家庭用発電機というものがあるらしい。
使うときだけ運転させればいいし、排熱は湯や暖房として使える。
そこまでいかなくても、
今の電気万能の考え方は捨てるべきである。
ものも使いようなのだ。
石油として使えるのならそれに越したことはない。つまり電気ストーブより
石油ストーブだし、IHクッキングヒーターよりガス調理器である。
雪なんていうのも冷蔵庫の代わりに使う方がいい。
俺が推進したいのは原始的な方法である。それが自然の有効利用と思う。
熱源を電気に頼るのは回り道をしていることだ。
メカニカルになるにつれて、工夫して生きていこうとする気概が無くなってきた。
上流から下流へ移動するなら、舟である。
逆に下流から上流なら車である。これで一方通行になるから、混雑しない。
山へ車で上ったら、下りはニュートラルである。減速は負荷をかかるような
工夫で良い。
行きと帰りを同じ手段と決めつけないでいろいろ考えてみたらいい。
77考える名無しさん:2006/01/12(木) 16:35:56
それから、ショッピングを楽しむことも減らしていきたい。
言い方がまずいか。
買い物に、出かけること、これを少なくしていきたい。
宅配業に任せるのがよい。
わざわざ商品一つ買うのに車を出すのは、無駄すぎる。
道は宅配業者だらけになるが、今よりは総体では減ると思う。
店舗に買いに行くと言うことは巨大ショッピングモールの相次ぐ出現を
止められない。
買いに行く、という行為が無くなれば、ショッピングセンターなんていらない
のである。土地の無駄な占有を阻止できる。
買い物に行くなら徒歩で行ける距離の地場が一番良い。
職は増えるが、仕事の質も上がるのである。
忙しくはなるかもしれないが、環境にはいい。
今のように忙しく、しかも環境に悪いってのよりはいい。
現代人、無駄に働きすぎていないか?
昔は今より裕福ではなかっただろうが、せかせかはしていなかったようである。
78考える名無しさん:2006/01/12(木) 16:52:08
林業を復活させるべきである。
地場産が一番良いのは全てに於いてである。物資の移動は最小に努める
べきである。
手入れをしない山は荒れていく。極相林も俺は好きだが、人間は
計画性ある生き物だ。杉林だけというのも閉口してしまうが、
そういった植裁はセンスに任せる。木材を得るための山とは言っても
そこに趣が欲しい。山は工業化して欲しくない。やはり見ていて
和むくらいのあでやかさが欲しい。
俺の提案。
山を庭園とする。
そして、育った木は順次活用する。

地場の山を自分の庭のようにきれいにし、誇りに思って欲しい。
林業は辛いだろうが、庭の手入れのように、楽しんでやれる
仕事になってほしい。

間引きだって必要なことだ。間伐材だって無駄とはならない。
無駄となっているのは輸入に伴うエネルギー消費である。
79考える名無しさん:2006/01/12(木) 17:04:27
俺は畜産には否定を示したが、魚などの養殖は良いと思う。
養殖より、更に好ましいのは、自然に増殖していける環境の提供である。
農薬をやめ、無農薬栽培になっていくべきである。
そして、どこにでもあるような水路に魚がすめるようになること。
川を作るのも良い。
水田に川を作るのである。農業用水路よりも巨大な、水路と言うより
川、そのものをである。その川には自然に魚が住み着くし、
水道水などもきれいでうまいものが得られる。
俺たち人間が作るのは、これからは道路ではなく、
川だ。
80考える名無しさん:2006/01/12(木) 17:05:28
ではまたいずれ。
81考える名無しさん:2006/01/13(金) 12:02:02
博識の反意語って何?
俺はその博識じゃないんだよね。
そういう俺が言うのは憚られるが、日本人って世界的に著名な哲学者って
いるの?
いないなら、なぜいないの?
哲学している者は余裕があるからだろう。
余裕がないのに哲学出来る奴がいたら教えてくれ。
日本人は哲学するだけの余裕がなかった。あるいは、
自ら哲学などはしなかった。もしくは、
哲学しても才能がなかった。か、
才能はあるものはいたが、日の目を浴びれなかった。か、
日の目を浴びたが、時の流れで色あせてしまった。のか、
西洋哲学者に先を越されていた。のか、
そもそも別の視点から見ていた。のか、
世界的には受け入れられなかった。のか、

どうしたわけだろう?
逆に日本にある世界的有名なことで、世界には希という、日本独自のもの
とは何かあるだろうか?
82考える名無しさん:2006/01/13(金) 12:06:25
とにかく、哲学には経済的にも、健康的にも、時間的にも、さまざまな面で
余裕が無くては出来ないことだ。
これからの日本は世界的有名な哲学者を輩出できるだろうか?
条件は揃ってきた。
83考える名無しさん:2006/01/13(金) 12:32:36
何か哲学ってさあ、社会的にはまだまだ発展途上の世の中で、
そういう世の中で何かを満たそうとして、ひらめいたものなんだと思う。
だから、その時代では周りの人より裕福で余裕もあったりしたんだろうが、
現代から見ると、その裕福さも他の人たちと同じむじなだと思ってしまうだろう。
こんな現代の発展、もう特別欲しいものもないっていうように
裕福な社会であっても、
未来から見たら、何かが欠落しているのだろう。その欠落を見つけだすのが
現れるだろう。そいつが世界的有名人である。
これから生まれる新しい哲学者。
それはこの文明の利器に恵まれ、人一倍裕福で、健康で、時間もたっぷり
ある者の中から出てくる。
さて、その恵まれた者はこの便利な世の中で何を足りないと見つけだす
だろうか?

俺もこうして駄文書いてるくらいだから、少し資格あります。ってか。
84考える名無しさん:2006/01/13(金) 12:47:54
もし、日本から世界的有名な哲学者が生まれるとしたら、
今まで西洋の環境が有名人を生み出したのだから、(日本に無く、西洋にあった環境)
これからは、日本にあって西洋にない環境を「活かす」ことによって
生まれてくるだろう。
もし、日本が西洋に倣うなら、生まれないだろう。
そして、西洋から生まれてくる兆しがないなら、その西洋の環境は輩出の
限界に近いのだろう。
これからは世界的にも裕福な日本から斬新な哲学が生まれる。
斬新な哲学は裕福でなければ出てこない。
裕福であっても血眼になって捜してみよう。貧乏者や不健康者には出来ぬ
特権である。

俺は哲学は一種のとんちみたいなものと思っている。
一休さーん。どっかいませんか?
あ、俺も一休みしよう。冷静になろう。
85考える名無しさん:2006/01/13(金) 14:24:14
やばいな。気が付けば哲学板ばかり見ている。
俺は他板は滅多に見ない。
好きなんだろうなあ。こういう話題。
つまらないと言いつつも。
難しい話って面白くない。
ぎりぎり理解できる所が面白い。
まるっきし知ってることは面白くない。

中身だな。
中身が面白くないと放られるのだ。
理解できぬほどに難しいと放られる。
新鮮っていいなあ。

話って言葉をつなげて出来る。面白い話は、内容が面白いということだが、
言い方を代えると、組み合わせが絶妙に「決まった」ことなのである。
パズルのようにカキっと型にはまったことなのである。
何故カキっとはまれば、面白いか?快感を得るのか?
レセプターっていうのがある。味覚などに。鍵と鍵穴。それがはまって
快感を得たり、不快を感じる。薬理をもたらすこともあるし毒にもなる。
話も同じである。話し手は鍵穴にあった鍵を作るものだ。
そして、鍵穴がどんな形をしているのか見つけだす。
それが得意な者は有名人になるだろう。
その話に真偽は問われない。
なぜなら、あなたはうまいものを食ってそれを否定するか?
うまいものは、どう考えても、うまいだろう?
話も同じである。
86考える名無しさん:2006/01/13(金) 14:41:15
このスレが放られてしまっているのは、
俺が「日本」というキーワードにまるで関係のないことを連発している
からだ。鍵が違うのである。
つまり、一言で言えば、面白くない、このことだ。

でも、「日本」を語るとどうしても理想論になってしまうと思う。
身内だからだ。
反面、「アフリカ」などを語ると途端にどうでも良くなってしまう。
理想も分析もどうだってよくなる。
俺らは地球を語ろうとするが、木星とかはあまり語らない。
なぜか?
それは人間が、内側からものを言うしかないからである。似た意味で主観か。
我ら日本人が日本を語れば少々自分勝手な解釈になるのは、仕方がない。
俺も冷静沈着に言おうとしても、途中からずれていくのが分かる。
でもどうしようもない。
ボールを天に向けて投げてもいずれ地に落ちる。俺が日本のことを客観視
しようとしても弧を描き、戻ってくるのである。

あなたはどうか?日本人のあなたは?やはり、日本への愛着心から
外側からは見れないだろう?
かといって、外国人と議論すればとりとめが無くなるのは目に見えている。
87考える名無しさん:2006/01/13(金) 14:54:06
日本人で外国人の哲学書を文献のまま自分で訳してまで読もうとする人は
いないのではないか?
翻訳するためにその外国語を学ぶほど、好き者はいるだろうか。
外国語を学ぶのは哲学書を翻訳して学ぶためではないだろう。もし、
そういう人がいるというのなら、その人は哲学者ではなく、
翻訳業務者であろう。
何が言いたいのか?それは、
日本語で書かれた外国の哲学書はどうしても、日本の視点で見ざるを
得ないと言うことだ。
そんなわけで、あきらめましょう。
翻訳された哲学書は翻訳者の意図はつかめても、真の執筆者の真意は
知れないのだから。
(あまりに、短絡的だったか。)
88考える名無しさん:2006/01/13(金) 15:11:59
国語について。
俺がもし、日本人の血筋でありながら、生まれたときから外国語の
環境で育ったとしたら?つまり、例えばアメリカで生まれ育ったとしたら?
俺は日本人じゃないよね?
俺は日本人とは主張できない。
それほどに、言葉の環境は血統を超えて作用する。もちろん、生活環境も。

例えば12才でアメリカに移住したとする。でも、いつまでも日本人である。
精神性が日本人なのだ。こういうのが翻訳でもどうにもならない、
精神への刻印のようなものだ。
でも幼少の頃に親の都合で異国へ移住する者は可哀想である。
なにせ、自分があやふやで確立しないのだから。
日本語と外国語は同じ意味で使っていても、ニュアンスの違いは
避けられないよ。
(あ、ニュアンスって外国語か)
付け加えて、その言葉を覚えた環境によって、差異が出てくる。
だからニュアンスは外国語かもしれないが、知るに至った過程で
個々に受け止め方が違うのだ。(これでいいか。)
言葉の受け止め方の基本は一生、引きづるのだから、
それを念頭に置いておかなければならない。
89考える名無しさん:2006/01/18(水) 15:58:49
もしもっていったらきりないんだろうけどさあ。
もしも、誰かとたった二人キリで閉じこめられたら。
相手以外とは接触が出来なかったら。いつまでも。

どうなるだろう?
その二人。

いろいろ考えてみたが、
俺の結論。
その二人は仲むつまじくやっていく。
けんかはホンの当初だけだろう。

異論はあるか?
90考える名無しさん:2006/01/18(水) 16:11:20
俺はこの二人という設定を、
俺と外界という設定にして、考えてみた。

俺は外界と折り合いを付けていかないと、俺が、「損をする」ことに
気付いた。
設定条件の外界を一人称として考えて良いのか?という疑問はあるが、
外界は俺の鏡。
外界がまさに俺を作り出したし、
俺がまさに外界を見ている。
それは一対一の関係。

俺が誰かと、その誰かしか感じ取ることの出来ない世界に
投入されたら、俺は折り合いを付けるしかない。その誰かを
「あなた」と呼ぶとしよう。
おれはあなたが俺にうち勝とうとするなら、
俺は進んで負けてやろう。
あなたが俺のどこか一部分を欲しがったら、
俺は進んであげよう。
俺は守ろうとはしない。そして、その見返りも求めない。
争うことが疲弊することを心底知るだろうから。
要求を満たしてあげることがどれだけ心を満たすかしるだろうから。
91考える名無しさん:2006/01/18(水) 16:25:45
俺たちは死という終止符があるから
中途半端に学んで終わってしまう。
俺たちにはうまくすればだが、100年くらいの時間猶予があるのだが
この猶予を活かしきれないようだ。
だからといって、200年の寿命にしたからと言って、
学び終わるとはいえない。200だろうが2000だろうが、
終末があるという事実が、俺らの学習を完全なものにはしない。
争いが絶えないのは、
終末という事実があるからである。
争いによって自分が傷を負うことも分かっているのだが、それを
やめないのは最終的には終わると信じているからである。
損をしても、逆に得をしても、いずれは、「チャラ」になる。

朝起きると、あなたの顔があり、寝るまで見続けなくてはならない。
そうなったとき、いつまでも争っていられるか?
俺が睡眠に入ることを終末として、その一日を争って過ごせるか?

俺には死とは睡眠のような仮終末と思えてならない。
なぜなら、学習の途中で本当の終末があろうとは思えない。
92考える名無しさん:2006/01/18(水) 16:42:32
物事には「始まり」があって「途中」があって「終わり」があると
教えられるが、
現実にあるのは「途中」だけである。
いつの時点でも「始まって」いて、
いつの時点でも「完結」している。
この、いつの時点かを定められないことを
俺たちは、ひっくるめて、皆無、と思考転換してしまいもする。
オールオアナッシングとでも言うのかな。
俺たちの中でいつが始まりだったのか。いつ終わったのか。
それは年号という記号に頼るしかない。
年号が事実を的確に表現できるわけがなく、年号という記号に
歴史事実を対応させただけである。
年号を対応させて事実を知ろうとすると間違いが生じるし、
全くなかったことにもされてもしまう。
「始まり」も「終わり」も「ある」んだが「ない」のである。
「ない」んだが「ある」のである。

確実に「ある」のは「途中」だけである。
不確実なのは「区切り」である。

俺は「死」を区切りとして考えていていいのか?と疑問を投げかける。
93考える名無しさん:2006/01/18(水) 17:05:26
霊やあの世を信じる。それ自体は学ぶためには好都合である。
一度限りの人生とあらば、好き放題にやってしまう。そんな人間にとっては
死後の世界は役に立つ概念である。
その死後の世界が必要なのは、「自制」が出来ない人にとってである。
戒律の要素があるのである。

死後の世界という幻のような実体を確信しなければ、人は自分が
どうすれば得をしどうすれば損をするのか、考えようとしない。(一部だが)

自分はどうすれば、本当に得をするのか、考えてみた。
現実には「途中」しかなく、その確実にある「途中」で
確実に得をするにはどうすればいいのか、考えてみた。
真剣に考えると、「死後の世界」は、俺にとっては
無用の概念となってきた。むしろ、邪魔である。
死後という不確実な区切りには俺は掛けられない。一か八かの勝負はできない。

今、この途中が確実であり、寝るまでが勝負、死ぬまでが勝負、とは
思わないようにする。こう思うようにする。
今、が勝ち勝負、負けなし勝負、と。
そのためにはどうしたらいいのか。というのは「会得」だろうね。
いつまでも、死後の世界に頼っていては得られないだろうね。
そして、死を終末と思っていても、ね。
94考える名無しさん:2006/01/28(土) 18:14:06
眞鍋かをりはいいなあ。
ブログ読んでくれ。
俺の心境にぴったりだ。
1.20
95考える名無しさん:2006/02/06(月) 15:00:45
最近少々別のことをしていて、哲学的な思考は止めていた。
しかし、俺は床についてから眠りに落ちるまでの数分、あるいは数十分
あてどなく思考するのは日課となっている。
この日課が楽しみと思えてもきている。
俺は夜9時過ぎには床に就く。
テレビがつまらないから、遅くまでは見ない。
俺は日課とも言える、ベッドの中での思考が好きだ。
そのまま寝入ってしまって、二度と目覚めなくてもいい、とすら
思う。
俺は不幸なわけではない。ただ目覚めてまでして、やりたいということが
ないだけだ。俺の最高の楽しみ、それは眠ることである。
俺はその楽しみを味わうために
再び目覚める。
何かをしたいがために目覚めるのではない。
ベッドのなかの最高の時間をすごすために、俺は夜が更けるのを待つ。
96考える名無しさん:2006/02/06(月) 15:10:38
俺は天国を夢見ている。
のんびりとしたところへ行きたい。
裸でいてもいいくらいの、さわやかな環境へ行って見たい。
いつまでも留まっていたいと思うほどの場所へ行きたい。
時間の束縛。
俺たちはどうして、そんなに急いでいるんだ?
何があなたを急き立てる?
どうして、俺のペースを乱そうとする?
俺が他人のペースに合わせなくてはならないのか?
俺にとってはベストのペースをあえて修正しなくてはならないのか?
俺はそのベストのペースを続けていけないために
俺はすごく非効率になっている。
車のように、加速、減速を無理やりしているのだ。
その結果、渋滞したり、燃費が悪くなったり、周知のとおりである。

97考える名無しさん:2006/02/06(月) 15:50:37
何度も言うが、
人間の再配分が求められてきてはいないか?
人間を配置転換しようという試みはないのか?

俺はその激動の大変革のとき、
この大変革をたとえていうなら、
現在は将棋で百手くらいとすると、俺たちは次に打つべき手は
限られてくる。俺たちに選択肢はそんなにないんだ。
投了するか?
でも、再びこの棋譜と同じになるかもしれない。歴史は繰り返すかも
しれないのだ。
俺たちが1手目から振り出しに戻ってやり直しても同じことを
繰り返す可能性があるのだ。
俺の言ってる再配置。
分かるかな?
王将を別に定位置から始めなくてもいいではないか?
そうです。
始めから、定位置を変えてスタートするのです。
そうすれば、二度と同じ轍は踏まないでしょう。
王将は王将の、金は金の、角は角の動きしかできない。
それが個性。
それを変えるのが難しいのは、何年か生きてきて、分かった。
98考える名無しさん:2006/02/06(月) 16:14:51
棋譜を例に再度挙げてしまうが、
棋譜の一面が将棋の顛末を示すように、
人生の一面も過去から続いてきた結果であるし、
その結果から過去を思い出したり、
未来を予想したりもする。
なぜ、俺は俺になったのか。
俺は1手目からルールに則って生きてきたからである。
1手目からルールが既にあり、俺はそこに配置された。
俺は金だったのか、銀か、桂馬か。
俺は定位置からスタートした。
これが個人的視点である。要するに個人は駒だ。

俺は指し手でもある。相手がどう打って出てくるか、それを予想して
駒を進める。それが現在、たった今見ている将棋の盤は、世界に
相当する。世界は俺が進めた将棋盤である。
俺がルールに従って駒を配置し、駒を進めてきたからである。
今、何手目かは知らないが、この道のりを予想はできなかったのだろうか。
俺は何度待ったをかけても、似たような結末を得るような気がする。
このルールに従っている限り、似たような駒を進めると思うのだ。
すなわち、何度やっても同じような局面を迎えると思うのだ。
99考える名無しさん:2006/02/06(月) 16:48:26
最近、うそが大きな事件を起こしている。
建築、株、入札、それと輸入、か。
俺はうそは必ずしも悪いとは思っていない。
A=Bというのはうそであり、悪いが、
A=?というのは許されると思っている。
言葉に詰まったとき、知らぬ存ぜぬを突き通すのは仕方のないことだ。
知らない、とうそをつくのは思いやりでもある。
虚偽が大問題を引き起こす。

理想は本当のことを素直に言える世の中になればいい。
まだまだ、難しいことだが。

でも、いい年こいた大人が、うそを言って体裁取り繕うなんて、
どこまでも子供なんだな。
俺も含めてさ。
100考える名無しさん:2006/02/06(月) 17:14:52
とりあえず、入札制度について考えてみよう。
俺はこの制度、はなはだ疑問である。
この制度を公平にしようとすればするほど、社会は悪化していくように
思える。談合は制度を欺いたうそでもあるのだが、
そうでもしないと、公平な入札で激安で請けたものは別の手法の詐欺まがいのことを
しないと割に合わなくなってくる。不法ダンピング等。手抜き等。
よくないサイクルである。
だからといって、談合といううそをいつまで続けるというのか。
大の大人がいつまで詐欺まがいのことを組織ぐるみでし続けるのか。
いつになったら、その悪しき制度の欠点に気づくのだろうか。
言っておこう。入札制度は社会を疲弊させ続ける。
それに対抗するかのように談合は根強く残る。
俺たちは何のために仕事をしているのか。バラックをつくるためではない。
俺はこの制度に取って代わるやり方を模索してみた。
でも、
ないんだよ。これが。
今はこれだけ言っておこう。
国あるいは公人が発注する仕事は国、発注者そのものが、
全責任を負うべきである。国は社長と同格であり、
現場責任者は公務員が務めるべきである。任せてはいけない。
発注入札制度そのものがあるのがよくない。
入札資格や、入札額の安い高いで公平を競ってはいけない。
国の入札制度は国という規模で行われる丸投げである。

とりあえず。終わる。
101考える名無しさん:2006/02/07(火) 15:18:46
会社のために尽くしても会社が何をしてくれるというのか。
人は裏切るものだが、会社もまた個人を見捨てるものだ。
これは国においても同じ。
テレビや新聞を見ていて非常に首を傾げたくなってしまうのは、
何かあれば、
「国に責任をとってもらう」やら
「国に助けてもらう」とか、
なんか当然のように言ってる奴いるよなあ。
そんな奴には俺は
「お前、そんなに言うだけ税金払ってんのか?
今まで国なんて関係なかったくせに。
都合のいいやっちゃなあ。」
と言いたくなる。
そして。
国には責任なんてそれほどないんだ。会社にも責任はあまりない。
個人は切られるもの。
国や会社にあまり期待してはいけない。
そしてあまり責任も追及してもいけない。
道路の穴で転んだら国や県が悪いのか?道路を使用させてもらっている
分際でそこまで言えるか?
こういう小さなところでも曲がった考え方が出てくるものだ。
いいか。
国は悪くはないんだ。もしそれで怪我をしたなら、改善をお願いしたら
いいことなのだ。賠償責任を追及するなどはばかげたことだ。
頭を下げてお願いすることが本来の姿であるのに、
度を越す奴の多いこと。
102考える名無しさん:2006/02/07(火) 15:35:07
公共工事がなくなればいいと思う。
お上がどういう仕事をしているかは知らないが、その制度はまずい。
お上は国民の金を使って、しかも、
責任の所在は下位の請負業者や関係者に押し付ける。
おかしいと思わないか?
自分の金ならまだしも、国民の金を使いながら、
責任はそこにはないのである。
俺がなにか物品を買って後悔したとしても、それはほぼ俺の責任だ。
やはり高価なものは不良品が少ないし、保証もついてる。廉価なものを
買ったらそれ相応の覚悟がなくてはならない。それも自己責任だ。
国の公共工事は違う。安く買っても自己責任は取らないのだ。
国の金が台無しになっても国は悪かったとはいうまい。
入札で叩き合って落札した業者が施工の責任を負う。
俺が安物を買ってある程度覚悟をするというのに、国はそうではないんだ。
おかしいだろう?
この制度。
そういうわけでこの公共工事の入札制度はなくなってほしい。
俺らに夢を与えてくれよ。
最高のものを作らせてくれよ。
安物を大量に作ってどうすんだ。俺は税金を払うの惜しまないから、
そのかわり、夢を与えてくれよ。
103考える名無しさん:2006/02/07(火) 16:03:14
俺は公共工事というものは求められてそれに答えるものであるべきと思う。
住民はもし、足りないものや建築、設備、道路などで必要性があったら
陳情し、それに応えて工事が計画されるべきだ。
その工事で出来た設備は利用者が負担すべきことだ。
それは現在でもなされてはいるが。
たとえば、有料道路、公民館、水道、などなど。
でも有料じゃないのがほとんどだ。
道路はほぼただで使ってる。公園、公衆トイレなどなど。もちろんそれは
税金でまかなわれている。
でも俺はそれらは直接支払うべきではないかと思う。
どの道路を通行するにも課金されるシステム。公園に入ったら入園料を
いただくシステム。まあ、公園は行きすぎだろうが、
車には全車システムを搭載して通行した分だけ課金されればいい。
環境にもいいし、道路整備も責任をもってされることだろう。
税金の使い道がダイレクトに分かるってのはいいことだと思う。
今では俺の税金は何に使われているかまったく分からない。
こうしたことで利用価値がたかいものだけが残っていく。
ダムとかもなくなっていくだろうなあ。
これ以上高速道路が増えることもないだろう。
大規模公共建築はされないだろう。
オリンピックのためにわざわざ施設を作ることもないだろう。
俺は一つ一つの行動を見直すだろう。

業界の圧力に負けるな。みんな。
104考える名無しさん:2006/02/07(火) 16:40:48
俺たちの世の中。
こんなにインターネットとかの情報網も構築されてきて、
道徳教育も半ば義務のように組み込まれてきていて、
それでもなおも、警察の権力が必要なのはどうしてだ?
善と悪の分別もいまだにつけられないのか。
警察に守られたいならそれ相応の護身料を支払うべきだ。
警察が誰かを捕まえるのは誰かからの要請があったときだけにしてほしい。
こうなると何でもお金の問題となってしまうんだが、
お金がかかるからこそ、
自衛の集団を地域が自発的に組織する必然性が出てくるのだ。
極悪人を捕まえるのに大枚を払っていたのでは不経済だ。
ならば、自分たちで捕まえるのが早道だ。
警察は自衛のためにあるべきで、積極的に動くべきではない。
地域地域が、個人個人が自衛に取り組むと、必然的に犯罪者はいなくなる。
どうして犯罪者が減らないかといえば、各人が自分を守ろうとしていなく、
自分のことを人任せにしているからだ。
防衛対策が個人では微力である。だから防衛手段を講ずるならおのずと
結束が必要となってくる。そういった結集した地域では犯罪者は
居場所がないし、それ以前に地域に足を踏み入れることさえ出来ないのである。
その結託はバリアーである。
105考える名無しさん:2006/02/07(火) 17:06:11
株式市場というものにはまったく腑に落ちないものがある。
なぜこんなマネーゲームがまかり通っているのか?
はあ?
時価?
なんじゃそりゃ。
刻一刻と価値が変わっていって、
そんな頼りないものを資本としなくてはならないのか。
俺も実はミニ株はやっていたが、早々に引き上げた。
あほらしくなったんだ。資金もなくなってきたのもあるが。
ああいうのってなんも生産性がないな。
俺の考える本来の投資のあり方。
それは金銭の見返りを求める投資であってはならない。
投資はその企業に対する希望であるべきだ。投資者はその企業のファンなのだ。
企業が何をしてくれるか、を買うのであって、株の利ざやを得るのが
目的であってはならない。
だから株主には保有株に相応する優待制度がされるべきだし、その投資は
掛け捨てなのだ。
株主は会員に等しいといえば俺の言うところは分かるだろうか。
会員であれば安く買えたり、なんらかの特権がつく。
これは前に言った道路使用なんかにも採用されてもいい。
つまり、特定の道路会員であれば非会員より安く通行できる。とか。
そうすれば、初期投資は集まるだろうし、プレミアでもある。
2次募集会員は1次よりも入会金は多くかかる。段階的に。
遅れたものほど損をする可能性があるが、それが本来の競争だ。
投資とはそういうあり方でなくてはならない。
俺の買いたい銘柄。
ないけど、あったら農業法人のうち無農薬有機栽培を目指しているところ。
106考える名無しさん:2006/02/08(水) 13:43:20
誰も書き込まないな。
そもそも誰も見ていないのかも。
俺はオナニー文章を書き続けるのだろうか。
ああ、自慰はいやだ。
でもしょうがない。
俺は乱交は好かない。

おっと。
話がそれてしまった。
俺はほんとは話し合ってこの国を良くしていきたいと願ってるんだよ。
このくっちゃべりが自己満足、自己陶酔で終わらないようにしたい。
107考える名無しさん:2006/02/08(水) 13:54:44
〜べき、〜でなくてはならない。調の言葉使いが目立っているな。
本当は俺はこの口調好きじゃないんだよ。
でも、だんだん自然に使ってしまっているなあ。
年取ったからかな?
皆もこの
〜べき調でしゃべる人には要注意をお願いしたい。
素直にうなづいてはいけないよ。
俺も知らず知らずに連発しているんだよなあ。
負け犬の遠吠えです。
少し気をつけて言い回しを変えていこうと思う。
ね。みんな。
108考える名無しさん:2006/02/08(水) 14:12:42
最近仕事がなくなってきている。
俺の地方だけかな。
どうなっちまってるんだ。
明日はわが身だよ。
不安はいつも近い将来にある。いつ生活苦に陥るか分からない。
こんな不安に苛まされる世の中ってつらいよな。
昔の人の不安ってどんなだっただろう。
多分、天候とかの日照や水などの心配くらいだったんではないかな。
今じゃあどうだい。まじめに仕事していても、いつ食えなくなるか
分からない。いくら天気が良くて、雨も適量に降っても、
不安はぬぐいきれないんだ。
俺の不安もせいぜい天候くらいのものなら許せるのだが。
その俺にとっては余計な不安を取り除くために俺はこの世を変えていきたい。
そうだろ?みんな。
109考える名無しさん:2006/02/08(水) 14:27:16
なぜ忙しく働いていないと生活していけないのだろうか。
なぜ働いていないと不安になるのだろうか。
俺はこの問題を解決していかないと
いつまでも眼前に不安は消えないだろうと思う。
言ってみれば焦っているのだ。焦りが不安になっている。
世の中を見渡してみると、
早く、安く、この考え方が仕事の常識になっている。
それに反するものは淘汰されてきている。
生き残るには、より早く、より安くしないと勝ち残れない。
でも、そのサイクルをとめないと。
俺はのんびり生きていきたい。なぜならそれが不安のない生き方だから。
あくせくするほど、不安は高まるから。
のんびり生きていくために、今急いでやらなければならないことが
あるかもしれない。とりあえず、サイクルをとめることである。
モーターにブレーキをかける方法知ってますか?
コイルに直流電圧をかければいいようだな。
俺はそれに似たことをしようと思っているのだ。
それとのんびり生きていくことは頭で考えれば可能だと思う。
そうだろ?みんな。
110考える名無しさん:2006/02/08(水) 14:44:10
今のご老人が生きていけるのは不思議と思いませんか。
年金の格差はあると思うが、仕事もしていないのに
金はある老人方はいるだろう。
年金。
この制度はなくなってほしい。
あってほしいのは仕事だ。人間は仕事がなくなったとき急速に
衰えるのだと思う。
仕事だけは切れることのない社会であってほしい。
これは前もって言っておくが「余計な仕事は害悪」ということを念頭に置く。
必要な仕事だけをしていれば、切れることはないだろう。
余計な仕事をしていれば、いつかは切れる。
例をあげれば、有用性がない道路を作ってもいづれ整備されなくなってくる。
そこで仕事は終わる。
あまり活用しない機械を作っても使われなくなるから、終わる。
無意味にダムを作っても資源の浪費だ。すなわち別の仕事が出来なくなる。
無駄遣いは無駄な仕事であり、終わりを早めるだけだ。
何が必要な仕事なのだろうか?
その前に消去法でいったほうがいい。
何が不要な仕事なのか?
世の中よけいな仕事が多すぎるから。
それを排除していったほうが効率はいい。そして、仕事はたえることがなくなっていく。
そうでしょう?みんな。
111考える名無しさん:2006/02/08(水) 15:01:38
年金制度の廃止後の具体的老後対策。
老人は自分で自分のことをする、ということが仕事であると
定義する。
どういうことか。つまり、
自分で風呂をわかし、自分で体を洗えば500円。とか
自宅の草むしり750円。とか
自分でしりをぬぐう50円。とかにするのだ。
それは立派な仕事である。もし仮に体力がタフな人は
ほかの仕事で収入を得たらいい。
何も出来なければ収入は0である。そもそも何も出来ない人に
金など要らない。
とりあえず自分のことを自分でやれる人には食うには困らないだけの
金は支給されるような価格設定をする。
この制度が適用される年齢は数年間の平均可能年齢とする。現在では
65歳くらいが妥当か?
これで年金が過剰支出されることはない。
老人になっても仕事が切れることがないので生きがいもなくならない。
なんといっても若者に負担がかからない。
老人をだます詐欺師も消える。
金が滞ってしまうことがないので経済も活性化される。

今の世の中金が余ってもてあそばして余計な無意味な仕事をさせる
やつがいるのだ。その連中は年金をもらっている老人も該当している。
不当なのだ。仕事をせず金を得るのは。
そうでしょう?みんな。
112考える名無しさん:2006/02/08(水) 15:26:04
健康保険の見直し。
病院に一年間一度もいかなかったものと
しょっちゅういっている老人たちとの格差の是正。
医師の訪問診察。
これは希望がある人だけ週に一度あるいは適宜医師が自宅に訪問する。
病人は医師に在宅時間に相当する時給を支払う。要予約制度。
これは病院の混雑を回避することと、病院周辺の交通の緩和にもなる。
現在は薬をもらいにいくだけでも病院にいったりしている。
本当に大病の人が後回しにされている。でも診察料は大差なかったりする。
時給にすることによって明朗会計になるし、軽い状態での来院は
なくなる。薬ですむ人なら薬配達員に任せる。医者は大変になるかもしれないが
定期的に診察を確実に出来るので個人の体調管理は外来よりも
把握できる。
薬の過剰処方も避けられる。薬剤業界は仕事は少なくなるかもしれないが
薬配達員は増える。薬配達員はほぼ毎日赴く。よって必要な分しか
薬は出されない。

このことは煮詰めないとな。

製薬会社が薬を押し売りしているのが現状。薬を出せば出すほど儲かるのが
現状。おかしいだろう。
そうだろ?みんな。
113考える名無しさん:2006/02/08(水) 15:55:27
環境破壊税の充足。
環境破壊の促進が激しい事業ほど多大な税を支払う。
建築であれば、資材のエネルギーを目安として換算する。
人的労務は組み入れない。
主に石油エネルギー消費量が相当する。
石油エネルギーを指標とすることで税も明確、平等になる。
無駄な大気汚染も防げるし、何より、機械化にある程度歯止めがかかるので
人の仕事はへることはない。
機械化によって農作物の収穫は増えるが、その機械相当分の税はかけられる。
よって、土地が疲弊するほどの多収穫はしなくなる。
自動車も作りすぎて余ってしまうほど、税金に苦しむ。よって、過剰な
生産はしなくなる。企業はいかに早く安く、あるいは
省エネの車を作るというよりも
いかにエネルギーをかけずに作るかという社風に変わってくる。
今のエコカーとやらは生産コストがかかりすぎて本末転倒だ。
とにかく、博打まがいの巨大事業は減っていく。

税金は取りやすいところからとる。おかしくはないか?
税金は余計なことをしている連中から取ればいいのである。
余計なことをしているってことは金が余っているのだから。
余計なことをして環境破壊はするな。
そうだろ?みんな。
114考える名無しさん:2006/02/09(木) 13:35:05
素朴な疑問。
内臓系ってどうしてグロテスクなのだろうか。
生殖器ってどうしてえぐいのだろうか。
外回りはそう感じないのに。
うーん。
疑問だ。
もしも皮膚の状態からグロテスクと感じてしまうなら、
どうなってしまうだろう。
もしも内臓をグロテスクと感じないなら
どうなってしまうだろう。
嫌悪感。臓腑には嫌悪感を感じるのだ。それは、
触れたくない、見たくない、遠ざけたいという心の現われ。
どうやら、人間は、いや、人間だけではないかもしれないが、
心が感じることに果敢に立ち向かう意識が備わっているようだ。
本当は見たくはないのに見ようとする意識が。
性行為は暗闇でしている分にはいやらしいものではなかったと思う。
夜、薄暗いところでしている分には神聖なこととも言えるかもしれない。
ああ、しかし。
決して美しいとはいえないものを見ようとしてしまうじゃないか。
助平であり、堕落した勇者なのか。
美しくはないものを見て興奮してしまう不埒なやつだ。
真っ暗なときだけ勃起する体だったら良かったのに。
唇は美しい。
だから、口の中を見せないように口を閉じるか、歯で隠してほしい。
のどの奥まで見せないように。
好きな人ののどちんこを見たいと思う奴は異常であろう。
美しいところだけ見ていてほしい。
それは外側にあるのだから。
でしょ?みなさん。
115考える名無しさん:2006/02/09(木) 14:14:25
やべえな。
こんなことしている自分。
やべえぞ。はまっちまっているかもしれない。
俺は当初、こんなことを好きでやっているんじゃない、と
心に強く決めていた。
しかし、今はどうなんだ。
俺。
もしかして、好きでこんなことしているのかもしれない。
俺は夢を果たそうと微力ながらも吼えているのだが、
俺はただ吼えたかっただけなのかもしれない。
たいした問題もないのに、問題を誇大化して、あら捜しをするのが
趣味になってしまったのだろうか。
離れてみていれば何も分からないきれいなものなのに
俺はわざわざ拡大してみてきたないものを探してしまった。
欲望を達成させようというよりも
欲望を保ち続けようとする力が強いのかもしれない。
ああ。
そんなことは決してない。といつにもまして断言しよう。
俺は本当に願っているのだ。
この国に幸あれ。
でしょ?みなさん。
116考える名無しさん:2006/02/09(木) 14:27:47
差別、蔑視のない世の中へ。
人には尊敬される人も軽視される人も本来はいないはずだ。
その人にはその人の良さもあり悪さもある。
差別などをするとき、そのどちらかを選択して、判断しているにすぎない。
その一面で判断を下すのは視野が狭いし、見る目がないってことだ。
ここで、
人間にはいいところがあるから、そのいいところを探しなさい。
とかはありきたりで、俺は言わない。
たとえいい人がいてありがたいことをされたとしても
その反面の悪いところも必ず持っているのだ。
ただ、偶然にもその時俺にいい面を見せたのであって、
悪い面は隠されていたのだ。
それは逆のことでも同じこと。
つまり、
これからの人付き合いは
「お、この人いい人だなあ。どれ、ちょっと悪い面も探してみようか。」
「この馬鹿やろう。あ、でもいいところあるかもしれないしな。」
と視野を広げていこう。
そうすれば、一人の人間から多彩な面を吸収することが出来る。
つまり、差別や蔑視、あるいは尊敬などしていると、
損をしているということである。
損なことって誰もしたくないよねえ。でも、
みんなが得できるんだよ。
でしょ?みなさん。
117考える名無しさん:2006/02/10(金) 12:03:56
昨日チャットをやったんだ。
チャットはホント、リアルタイムだったよ。
リアルすぎて面と向かって話してるみたいだった。
掲示板とは少し趣が異なるな。
似てるんだけどね。
現実感があってさ、臨場感があってさ。楽しかったよ。
高速なレスポンスが要求される場だったな。
のらりくらりと考えている暇を与えさせない場だった。
力が発揮される場、試される場、。
いかに自分が成長したのかを感じ取れる場。
間髪いれずに出た言葉は俺の本心である。
その本心が以前とどう変わったのかを知ることが出来る。
この掲示板での発言はうそであったり、強制的に自分の考えを
曲げていたりする。
思考時間が本心を歪曲させるのだ。
118考える名無しさん:2006/02/10(金) 12:10:39
まあ、チャットはほとんどが雑談だろうけどね。
リアルってなんだろうね。
やはり人間はスピードを求めるのかもしれないね。
返答をすぐ求めるものだし、
結果をすぐに得たがるものだ。

リアル感。
それはリアル間。
最適な時間配分。
もう少しこの最適な時間を探してみよう。
少し待っててね。
119考える名無しさん:2006/02/10(金) 14:07:29
俺は今猛烈に気づいた。
 
 「生きている実感がほしい」

このためだけに活動している。
なんてことはない。
ただ、これだけ。
しなくてもいいことをするのも、
義務を感じるのも、
レスポンスを求めるのも、
快感を得ようとするのも、
自虐するのも、
なにもかも、
そのためだけに。

している。

生きている実感を薄らげるものに逃避するのも、
本当は逃避ではなく、その逃避こそが生きていることを
痛烈に実感させるのだ。
薬に逃げたり、自殺したり、引きこもったり。
すべては生きていることを実感するための行動だ。
自殺に関しては俺もはっきりとは分からないが、
死を覚悟したことはある。そしてその時今までにないほど
生きていることを感じた。
薬でラリったりしたときも、その時ほど俺は生きていることを
感じようとした。「俺は生きているのか?死んでいるのか?どっちなのだ?」
と。
みな、即答を求める。生きていることを確認するために。
120:2006/02/10(金) 14:38:42
希薄な人間関係。
見渡すとそこかしこにある。
この場もまた。
俺もいつまでも名無しでいるのなら、
いつまでも希薄な関係に終始するだろう。
その点名前を名乗ってる奴は濃密な存在であろう。
自分を実感するために俺も名を名乗ることにした。
ここに書くほどに生きているのか分からなくなってくるのは事実だ。
それは俺が名無しであったからだ。
皆さん。
これからは俺は岩となる。
俺が書いた文章が98%くらいだろう。今まででは。
すなわち名無しの98%は俺だ。
岩でーす。よろぴく。
121:2006/02/10(金) 14:44:49
名を名乗ると別のスレに書き込むの照れくさいな。
俺専門用語知らないのでね。
恥ずかしがり屋の人はここに書き込むときはなんか名乗ってね?
別に恥ずかしくないだろう?
お互い裸なら。
恥ずかしがり屋の人は集まってね?
ここじゃ恥ずかしくないからさ。
少なくとも俺は無学な奴だし。

おお。
俺は生きている。
なんか、書き込む文章にも責任感が出てきたな。
魂をふきこもうぞ。
122:2006/02/11(土) 17:07:13
みんなはなんでこんなことしてるんだろうな。
猛烈に知りたい。

最近
まあ、いいか。
という心境になってきた。
今までだってそうだったんだけど。
妥協ではないんだけどね。
年取るほど、考える力もなくなっていくよ。
123:2006/02/13(月) 14:21:04
冷たいなあ。
みんな。
俺は。
人情あふれる人間だと思っているんだが、違うだろうか。
俺の他すれに書き込めない最大の理由。
返答がないかもしれないという、恐怖であります。
無視されるのではないかという恐れであります。
そして、俺はせっかちでもあるから、
返答がないといらつくのです。
だから、書き込まない。

だから、俺は返答だけはするつもりでいる。
俺と同じ思いをするだろうから。
俺は人情があるのだ。
そんな俺は荒らしにも対応してしまう。荒らしを助長させてしまう
ことにもなるのだが、それもこれも俺の情けだ。
俺は荒らしにシンクロできるんだ。
馬鹿といわれたっていい。利口じゃないといわれてもいい。
損得勘定抜きで俺は応答するよ。
もう一人の俺に。
124:2006/02/13(月) 14:35:34
人間の力ってのは
人を論破することや
腕力で打ち勝つことや、
競争に勝つことでもない。
人の力、
それは
話題を作り出すことであろう。
話題性がなければ、論破しようと、力づくでも
たいした事柄ではない。
間違っていようが、正しかろうが、話題性を作り出すことが出来る
人間は力がある。
理屈をこねて面白おかしく言おうとしてもそこに人が興味を示すか
にかかっている。
デザインや創意工夫でセンセーショナルなことをしでかす奴は
力がある。
売り込みも一つの手法だろうが、人を魅了するカリスマ的なものを
秘めていなければならない。
何をしてくれるのかという期待。あるいは
何をしたのかという結果。どちらでもいいのだが、
注目をされるのは天性のものがある。
培われるという類ではなく授かったものといえる。
125:2006/02/13(月) 14:46:43
俺はその点、注目されるのを渇望した記憶がない。
いつも、控えめであった。
でしゃばることをもとより嫌いだった。
逆にでしゃばるやつは嫌いでもあった。
典型的な日本人であろうか。
この出る杭のタイプの人間でも2種類いて
自発的に出ようとするタイプと
無自覚に出てしまうタイプがいると思う。
俺が尊敬するのは後者である。
つまり、でしゃばりたくはないんだが、あまりの秀でた才能で
隠し切れないというほどの力を持った奴である。
あまり、いない。
前者のタイプは社長だったり、芸能人であったり、つまり
自らが突き進んで突出しようとしている。結局、目に付くのは
そいつらばかりだったりする。
前者はたけのこ。
後者はまつたけ。
まつたけは探し当てられる。
126:2006/02/13(月) 15:05:35
自分の真の理解者は自分であろう。
なんと言おうと自分が自分のことを一番よく知っている。
もちろん、医者にがんを教えてもらったり、
他人に自分の非を指摘されたりすることもあるが。
しかし、割合でいけば一番は自分だ。
その自分のことをどれだけ理解しているのか。
試しに他人を質問攻めにしてみよう。
そうすると良く分かる。人間は自分のしていることの
理由が分かっていないことが。そしてそれは俺自身にも当てはまる。
まず理由を確立していないと自分の理解者が自分であるという
位置も危うくなる。
理想的なことは何をするにも理由が先に確定させておくことだ。
それが、前向きやっていくことになる。
つまり、いちいち振り返ったりしないですむ。
前だけを見据えていけばいいことだ。
理由が漠然としていたから、行き足も鈍る。
自分を理解していれば、行き先は近い。
だから、まずは自分がなぜそうしようとしているのか確定すること。
127:2006/02/13(月) 15:33:00
ふと思い起こせば、1・9以来俺の連投は続いている。
通算82書き。
目下100目指してがんばろう。
体力的には俺は持久力はあまりなかった。
瞬発力だけは抜群にあったんだ。
やせていても、筋力だけは人一倍あった。
短距離なら足も速かった。
今思えば、
瞬間に力を込められるタイプだったのだろう。
話が逸脱した。

俺はメリハリが好きである。
やるときはやって、後は休む。これが好きである。
だから、やるときは力を振り絞る。
その後の休息は俺には至福でもある。
仕事としては同じことでも、俺は平均でコンスタントにアベレージを稼いで
いくよりも起伏がすきなのである。
一生懸命やっていると張り合いがあるし、
休むときも有意義に休みたい。
128:2006/02/13(月) 15:42:12
この俺の思想から今の日本は若干の相違があると思っている。
それは今の日本は(一概に言えないが)だらだらしていないか?
ということだ。
俺の提案する勤労に対する改革は、
完全週休3日制度である。
祝祭日は取りやめる。
その連休は交互にとることとする。
たとえば、商店ならAさん月火水、Bさん木金土など。
商店規模では、商店Aが月火水、商店Bが木金土など。
職種もある程度マルチにこなすこととする。
たとえば、事務員、レジ、運転手などのサイクルを取る。
店長は総括することになるのだが、店長も2めい以上おくこととする。
かわるがわる、役割をこなす。
店長が降格するのではなく、あくまで店長であるが、出勤日以外は
別の店長がいるということだけである。
いろんな職種をこなすことで人間の平坦化がなされてくるかもしれないが、
個性は豊富になる。
働くときはしっかり働いて、休むときはとことん休む、ということで
生活にメリハリが出てきて、人生も豊かになる。
仕事がなくてぶらぶらする人もいなくなる。
ワークシェアリングとも言うと思うが、それを会社の枠を超えて
社会全体で形成されればいい。
129:2006/02/17(金) 12:36:27
ひさしぶりです。

メールにどれほど重要度、信頼性を置けるだろうか。
今のシステムがどれほど整備されているのかは俺は知らない。
システムが改ざんされないような強固なものとなれば
偽造は難しくなると思う。
それは好ましい。
しかし、抜け道は見つけられないのだろうか。
コンピュータウイルスも網の目をくぐってくる。
メールのシステムを強固にすればするほど、
信頼性を置けばおくほど、
冤罪を問われるものはいるだろう。
重大事件ほど、そこの小さな穴を利用される。
諸刃の剣である。
この危険性を踏まえると、メールで重要情報のやりとりは
発展性がないといえよう。
メールは些細なやり取りに限ったほうがいい。
130:2006/02/17(金) 12:56:01
技術の向上が模造も可能とさせる。
録音テープすら偽造することも可能となるだろう。
筆跡鑑定も難しくなる。
解析精度の向上が偽造の技術向上も担ってしまう。
偽札も消えることはないだろうと踏んでいる。
これぞ、
いたちごっこ。
金銭にいたっては一万円だったら一万円の労力をかけて
作れば、誰も偽造はしない。
宝石もそう。研磨や造作に手間をかければ偽造はない。
機械もそう。手間をかけないと作れないものほど、
偽造はされない。
俺はブランドで売るのは非常に疑問に思う。
ブランド物ほど偽造は多い。それもそのはず。
手間がかからずに模倣できるからだ。
そんなものに高い金を支払う奴の気が知れない。
模造をされないように技術を向上させたらいいのだろうか?
それではいたちごっこが続くではないか。
そこに目標を置いてはいつまでも終わらない。
非常に簡単だが、
かかった労力、費用分だけをいただけばいいのであろう。
付加価値をつけるから、その付加価値のついたものの需要があるから、
模造はなくならない。
言っておくが模倣が悪いとは言っていない。
ただ、模倣は志が低いのだ。それははげたか精神。
模倣品も悪くはない。ただ、ブランドまで模倣するのはいただけない。
まねされるのはいいことだ。優れている証拠だ。
でも再度言う。
まねされないために技術を向上しようという志は捨てたほうがいい。
自分の満足のために目指すほうがいい。
芽はつぶさないように。競争という戦いで。
131:2006/02/17(金) 13:02:16
どうすれば、
信用の置ける契りをかわせるか。
やくざじゃないが、
血判であろう。
ここで言ってるのは
いかに心に焼きつくかということだ。
DNAとかのレベルじゃない。
強烈な印象に残っていることに
白を切れるか?

じゃね。
132:2006/02/17(金) 15:38:53
誰か何か書き込めよ。
こんな俺でも
さびしいって思う時だってあるんだからな。
さしで俺とやらねーか?
チャットか何かで。
ここは書き込みの制限があるから
長文になってしまうんだよなあ。
もっともそのほとんどが無用のものだが。
でも、制限がないと参ってしまうかも。
俺には強制終了が必要だ。
133:2006/02/17(金) 15:45:29
勉強をしようという気力がなくなった。
俺は若いときはそこそこ勉強は出来た。
でも、今はそれ以前の問題。
気力がない。
思えば、
高校のあたり、いや中学生のあたりに
勉強する必要性がどこにあるのかと思っていた。
数学を勉強して将来何に役に立つのか、と。
古文とか、漢文なんてその最たるものだった。
今となっては英語も英会話もしようとも思わない。
そういうふうな思考になると勉強なんて打ち込めるはずがない。
若かりし日に戻れはしないが、
あの意味もなく、意味を求めることなく
勉強に励んでいた自分に戻りたい。
何の見返りも求めずに、自分など捨ててしまって、
生きていた、あの頃に。
134:2006/02/17(金) 15:53:36
あまりに欲張りすぎた。
実益を求めすぎた。
それが裏目に出た。
頭の中が構築されていくことに手詰まりが出てきた。
もう成長はないのかもしれない。
損得勘定抜きでがむしゃらに得ようとしていた頃と
異なり、
今は選別して得ようとしている。それもいいところだけを。
いいところ、いいところを探し続けた挙句に
いいものがどこにあるのかもわからなくなった。
本当にいいものをえようとするばかりに
何もえることが出来なくなった。
年をとってきたせいもある。
リスクを減らしたい。年をとるほどにリスクを減らしたくなる。
残り時間が減っていくからだ。
奔放さがなくなってくるのは仕方がない。
しかし、果敢さまでなくなってしまうと身動きが取れない。
135:2006/02/17(金) 16:01:04
やりあえばやりあうほどに
へたっていく。磨耗していく。心までもが磨り減っていく。
もう、この年して張り合う元気はない。
俺が求めるのは協力者であって、ライバルではない。
安全パイを取ろうとするのはつまらないかもしれないが、
俺の手はそちらへ向かってしまう。
俺は戦いで勝ち取ろうとは思っていない。改革も強引な手法で
しようとは思わない。
疲れてしまうのが身にしみて分かっているから。
俺の理想は俺の協力者が少しづつ増えていって、
みんなが協力者になることである。
そこには弱者も敗者もいない。
136:2006/02/17(金) 16:25:31
俺たちは現実に生きているわけだが。
そこで、有益なこととはなんだろうか、と考えてみる。
案外簡単なことだった。
実現可能なことをする、あるいはしようとする、のが
有益だ。
もし仮に哲学で何かしらの原理を発見できれば
有益ではあろうが、活用されてこそ有益性が出てくる。
原理を発見するだけで終われば無益に等しい。
だから、その先を見つめていないと得はしない。
結局哲学って無意味と思われてしまうのは
それを見つけてどうしたいのか、という先の先まで見ていないからだ。
人生とはなにか?を求めて答えを得たとしても
それを得たらこう生きようという、などのプランがないから、
答えはいつまでも出ないし、出たとしても、それでどうした?となる。
俺はそういう問いを最初からしないようにする。
なぜなら、その先まで見据えていないから。
確かに先を見据えて取り掛かると、自然とその方向に
誘導されていくと思う。たとえば、死後はあるのか?もしもあったら
善く生きたい。と思っていれば、自然と死後はあるという信者になっていく。
ここが、みそだ。
自分の道は自分で作っていくのだ。そして、その道をたどっていくものだ。
作られた道に自然と誘導されていく。
先を見据えるとは夢をみることであり、道を作ることだ。
だから、途方もないことは道すら作れないことであり、
がんばれば実現可能なことは有益な夢である。
137:2006/02/18(土) 13:31:54
明日からしばらく書き込めないと思う。
でも、見捨てないでね。

お仕事がんばりまあす。

好きな仕事をやることが出来たらなあ。
好きな仕事をしていれば、よそ見はしないよ。
今のところ最大の夢はそれだな。
俺は協調性がないから、
一人でこなせる仕事が向いてると思う。
人を使うのもいやだし、使われるのもいやだ。
社長には向いてないし、
格もない。
自営をするには資金もないし、技術、知識もない。
八方塞だが、
今の俺は微妙な立場にいる。
きわどいところにいるから、生きていられる。仕事を出来るのは
きわどいところにいるからだ。
プロフィールを書くのはやめておこう。
138:2006/02/18(土) 13:43:57
人生においては結婚はしておいたほうがいいと思う。
結婚というか、家族をもったほうがいいと思う。
俺は家族を持って変わったと思う。
ぎらぎらした攻撃性は減った。
わが子が生まれてから、俺も一つ大人になった。
俺は十代のころから、家族が出来たら俺も幸せになれると
信じていた。幸せな家庭にいれば、自分の最高の幸せだろうと
思っていた。24で結婚し子供が生まれた。
俺は比較的早く幸せを勝ち取ったわけだ。
丸くなったと思う。
丸くなったからか分からないけれど、
落ち着いた目で見れるようになってきたと思う。
血の気が引いたのかな?
若気の至りってものがなくなってきた。
139:2006/02/18(土) 13:56:55
友達がいないことに悲しんだりしたものだが、
成人となってからは
逆に形ばかりの友達など要らないと思えてきた。
知り合いのレベルの友達は要らないと思えてきた。
俺の心理として、
友達がいない、さびしい、友達がほしい。友達が出来ない。悲しい。
世の中を悲観する。友なんていらない。人に合わせるのはいやだ。
疲れる。友といても疲れる。一緒にいて疲れるのは友ではない。
友はいてもいなくてもいいや。
まあ、そんなプロセスだと思う。
こういう経路があったから、俺は独自でこなそうとする意識は
今でもある。
限りなく自分でやろうとする。人に頼りたくない。そんな気持ちはある。
昔から協調性はなかった。
そんな俺にとって、学校や会社務めは苦痛であった。
俺は一人でいて、力を発揮するタイプだろう。
疲れを感じない空間。それが幸せな家庭にある。
癒しの空間。それが幸せな家庭だ。
140:2006/02/18(土) 14:07:21
しかし、俺はいつまで社会の苦痛に耐え忍び、
家庭での癒しを必要とするのだろうか。
俺はおそらく、家庭がなくなってしまえば、
俺も崩壊してしまうと思う。生きてはいけまい。
この社会の苦痛がなくなるよりさきに
家庭がなくなってしまうかもしれない。
俺はこの社会が苦痛のない社会になってほしい。
癒しの空間など必要のない世界になってほしい。
いつまでも耐え抜かなくてはならないのか?
それがこの世のさがならこの世は地獄だ。
この世を天国に変えるのはわれわれだ。
鬼どもがいつまでも鬼でいつづけるのなら、
俺も腰を上げねばなるまい。
地獄界の鬼どもを駆逐する。
141:2006/02/18(土) 14:16:23
不安は消えることはない。
楽観的にはなれない。
この社会のしくみ、構造が直されない限り、
不安はなくならない。
おかしいと思うところを徹底的に洗い出したほうがいい。
一つ一つ直すより、一度に全部直したほうがいい。
行動はそれからだ。
そのつどそのつど対策をとっていてはだめなのである。
事後事後ではだめだ。
古いものにこだわりすぎてはいけない。
142:2006/02/18(土) 14:24:01
長らく続けてきたが、
そろそろ終わるかもしれない。
俺の熱い息吹は届かなかった。
これも俺の実力のうち。
飽きてきたというより、
疲れた。
俺はニヒルにこの世を見つめていきます。
行く末をただ傍観しております。

否が応でも変化はしていく。
俺がどう思おうと。
143:2006/02/18(土) 14:28:10
連続書き込み

祝100記念。
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