◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない50◆
1 :
考える名無しさん:
人間の脳が「物質」であることついては、誰も異論がありません
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です
人間の脳を構成する一千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません
分子生物学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです
この宇宙で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す「意識」も何ら特別ではありません
意識は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り「感じ」にすぎません
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
「唯一の最終真理(思想)」の輪郭です。全宗教&全観念論は徒労です
管理人…「この腐った世界…。この進行にピリオドを打つのは今しかない。そして・・・・・・・私しか・・・残されていない・・・・・。某有名私立大学付属高校首席が人類を変えてやる・・・。」
この思想を持った私は革命を起こすのに最も相応しい世界・・・政界へと将来足を踏み入れることにした。
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3 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 16:14:06
4 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 16:21:17
5 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 16:40:42
これ茂木の宣伝すれ?
6 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 16:42:15
なんでもクオリアのスレです。
いいえ知ったか君が詳しい知識を持った人間が少ないのをいいことに、
哲学板に立てた珍説オナニースレの好評続編です。
8 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 16:47:24
9 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 16:55:20
1ですが、スレを立てたのはこの名スレがこのまま終わってしまうのは
名残惜しいという気持です。今後もこれまで長年に渡りカキコをして
頂いた常連さんたちや新人さんに激しい議論をしていただきたいと思いまして。
本音を言えば、哲学板でこの看板スレがなくなるのは致命的だと言うことです。
哲学板はじめて来たときはこのスレ衝撃的だったよ、俺
続くべきだな
11 :
機械タンの孫娘:2005/12/19(月) 17:02:12
祖父はよるとしなみにには勝てず、トリップを外してしまいました。
12 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 17:50:13
もう楽にして(御逝去)あげようよ
13 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 17:51:49
で?
止まらぬ下痢の如く、2チャン便器に垂流し続けるのは、如何なものかと
15 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/19(月) 18:00:42
乙!
16 :
「機械的唯物論」者:2005/12/19(月) 18:25:42
>>15 我が、同士ぴかぁ〜よ。
脳は物質にすぎないから、クオリアで2chを制覇しようではないか。
17 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/19(月) 18:44:41
だよな。
クオリア=(ぴかぁ〜哲学の)「無垢」なわけだが、
クオリアにはどんな原理があるのよ。ニセ機械
18 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/19(月) 18:49:10
日本語で質感やろ
「クオリア」って否定神学ちゃうん?
19 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 18:54:06
で?
20 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/19(月) 19:01:17
「で?」?
21 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 19:12:14
ぴかぁ〜の様に誤字脱字の多い低能なやからに真のクオリアを理解できるわけが無い。
22 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/19(月) 19:18:28
わかるっていいか、ボクがクオリア(無垢)だから
23 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 19:22:03
崇高なクオリアが下賎なぴかぁ〜などと同体化されることは決して無い。
機会について論じている決定論はありますか?
クオリアは横でファミコンしているのを見ていて攻略法を知っているのと、
ぴかぁーなどはクリアーしたことがあるってこと?
26 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 19:41:12
ん?
27 :
「機械的唯物論」者:2005/12/19(月) 19:47:08
>>24 アルチェセールの「不確定な唯物論のために」がお薦めです。
28 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 19:52:14
クオリアて何さ?
>>25 ファミコンの攻略法を横から教えたり、コントローラーを奪ってクリアー
するってことだと理解したけど、そういうこと?
30 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/19(月) 20:08:04
フッサールのノエシマ、ラカンの対象a、竹田のエロス、ぴかぁ〜の無垢など
リアルな質感に関わる概念はいろいろある。
いまさらクオリアだけでは単なる哲学ネタのパクリでしかないぞ、茂木やん
31 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 20:15:17
>>30 超リアルなクオリアは実体であり、単なる哲学ネタのパクリではない。
∧ ∧ マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜
マチクタビレタ〜 / ヽ ./ ヽ マチクタビレタ〜
/ ヽ―――/ ヽ マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜
マチクタビレタ〜 / l___l \ マチクタビレタ〜
| ● | | ● | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
へ | へ ヽ ./ | < ねえ、攻略まだぁー?
\\ \ \\ ヽ/ / \____________
チン \\ .> \\ ヽ
チン \\/ \\ _ | マチクタビレタ〜
\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ / ̄ ヽ / _
\回回回回回/ ̄ ̄ヽ / ̄ ̄ /| マチクタビレタ〜
\___/ ヽ____/ / .| マチクタビレタ〜
/ | マチクタビレタ〜
__________________/ .|
| | マチクタビレタ〜
33 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/19(月) 20:27:20
超リアル?ハイハーリアル?ボードリヤール
34 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 20:30:00
で?
35 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/12/19(月) 20:31:05
記念すべき50スレ目。おめでとうございます。
36 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/19(月) 20:34:45
「で?」?
37 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/19(月) 20:37:44
だいたいクオリアみとめちゃ、エポケーなわけだから機械決定論批判なわけで
フッサールも科学批判さたわけで
38 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 20:46:38
>>37 脳は物質だから判断を中止してもクオリアが無限の様態をもつ。
39 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 20:48:00
クオリアて物質なの?
40 :
「機械的唯物論」者:2005/12/19(月) 20:54:12
>>39 脳は物質だからクオリアは必然にすぎない。
クオリアとは無限な物質の総体である。
41 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/19(月) 20:58:34
>>40 無限でも決定可能?
ってか、「無限な物質の総体」って形而上学だろ。
42 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/19(月) 20:59:35
>>38 判断中止の先にノエシマあり。
フッサールのパクリ?
43 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 21:01:23
で?
44 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/19(月) 21:05:29
「で?」?
45 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 21:10:02
>40
じゃあ、その無限なクオリアは次元を超越して神にもなれるの?つまり人は神なの?
_, ,_
( -∀-) < ・・・・・
( つ旦0
と__)__)
_, ,_ ズズッ・・・
( o◎-)
( ノ _O
と__)__)
_, ,_
( -∀-) < しばし静観・・
( つ旦0
と__)__)
_, ,_ ズズッ・・・
( o◎-)
( ノ _O
と__)__)
_, ,_
( -∀-) < ・・・・・
( つ旦0
と__)__)
47 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 21:13:00
「機械的唯物論」者はネタで作ったキャラでぴかぁ〜だったの?
48 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 21:24:44
つまり、「意識は『無限な物質の総体』を持つ動物全部に生成する現象です 」なの?
49 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 21:55:01
ここは出会い系サイトではありませんw
51 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 23:07:10
52 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 00:11:05
で?
53 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 00:14:49
でつ?
54 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/20(火) 00:31:09
なんで、「クオリア」という概念の理解(と言ってもかなり難しいのですが)
と「相も変わらずの観念論的誤解・(半)意図的曲解」がこれほど多いのか
不思議です。
だって、あなた方は「新生児」の経験がある・・ことは100%間違いない
わけですので、「その(何年かは判りませんが)過去の記憶」を「忘れている」
ので、「その後の『自我の形成』等々」も一緒に忘れているだけのことです。
誰もが「クオリア」から始まった・・訳なのに・・その後「沢山のクオリアを
整理整頓できなくなって」・・「そもそもクオリアって何だっけ?」という「日常性」
に嵌り、・・・死ぬまで抜け出せない・・それが「凡人の一生」ですから「クオリア」
に「(本当に)還る」ことは出来ないのですね?
「覆された宝石」のような朝
なにびとか戸口にて誰かと囁く
それは「神の誕生の朝」
という『ビジョン』(を見る能力)が「詩人(&芸術全般)の領域」であり、
そのような「クオリア」は、凡人には訪れません。
理由は・・・進化論は「自然淘汰」を生き残りの基準に採用しているからです。
に
55 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 00:33:54
機械タンが懐かしいな。
56 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/20(火) 00:37:13
>>54の訂正です。すみません。
「覆された宝石」のような朝
なにびとか戸口にて誰かと囁く
それは神の誕生の日
西脇順三郎氏の「ギリシア的叙情詩」の一節です。
57 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/20(火) 00:51:16
ある意味で「感覚的クオリア」を、
『世間のしがらみ』という「フィルター」抜きに「見ることができる能力」
を「芸術能力」と言い、経済的に成功すると「才能」とか「天才」と呼びます。
しかし、「原初のクオリア」を「歪めて解釈するよう教育した」のは
「周りにいる愚かな大人達」の責任だと思います。
「世俗的に成功する能力」を磨くことは悪くはありませんが、「芸術的感受性」
・・・(世俗の)フィルターなしで「外界」を見る(対峙する)能力・・は、現代の
日本国(文部科学省)が育成しようとしている「偏差値児童」と『正反対』の能力です。
58 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/20(火) 01:02:54
57は誤解を招く書き方でした。済みません。
要するに「世俗的成功」を目指す『芸術活動』は、「芸能活動」では
あっても「芸術」という呼称には値しません。
「指向的クオリアを感覚的クオリアが凌駕(更新)する体験」・・それが
『「ほんもの」の世俗的ではない「芸術体験」』です。・・それ以上の「価値」など、
「砂浜の紅玉」にすぎません。
59 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 01:13:10
>>42 ノエマとノエシス。ノエシマというのはないぞ。
あわせていう時はノエシス・ノエマというし混じるのはないと思う
それにしてもぴかぁ〜竹田読んだんだな。なんとなく分かる
物質は心の産物なのだが
61 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 01:31:11
ぴかぁ〜は全体的に中途半端だな。
斬り方は面白いときがあるけど深くないから今ひとつ
乗れない。
その点機械のほうがレスのやりとりを楽しめる。
62 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 01:38:42
記憶に残る部分が自我。
記憶に残らない部分は大抵他人と共有してる能力とか本能とか。
人間無意識下で判断してることの方が多いぞ。その方が効率いいし。
63 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 01:41:12
64 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 01:53:11
フレーム理論てなんね?
65 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 01:56:05
知らんから聞いとるんよ?
66 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 05:58:09
つまり>54〜>58を読むところによると
クオリアとは何かが生まれる「誕生」や、何かを生み出す「創造性」から感じ取れる、
『無限な物質の総体』へとつながる可能性のことで、
ある意味、ビッグバンから宇宙が誕生したように、連綿と繰り返される誕生(創造)と死のサイクル、
宇宙を取り巻く逃れられない摂理(法則)のことであると受け取ってもいいの?
もしそうであるなら、あなたの言う「見ることができる能力」である「芸術能力」や、
経済的に成功する「才能」「天才」だとか、「芸術的感受性」といったような、
特定の個人にしか立ち現れてこない気質を『無限な物質の総体』へとつながる可能性としてあげつらう事は、
選民思想的なにおいがして、胡散臭いのだけど?
それに、そういった話の展開をして自分をさもその中に居るかのような表現をするのも
「俺様のような人間は、お前たちには無い『無限な物質の総体』へとつながる可能性を持っているんだぜ」
と言わんばかりで選民意識をバリバリ感じるんだけどその辺どうなの?
クオリアは生命(特定の人間)に限らずあらゆる物に内在する変異可能性ではないの?
67 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 09:51:12
で?
68 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/20(火) 10:00:51
質感ってなに?みたいなほりさげはしないんだ。
細胞があつまってエポケー!クオリアの出来上がり、で終わりなんだ。
つまんないなあ。
69 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 10:14:38
と化合物が言ってます
クリオネの飼い方教えて下さい
71 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 11:22:37
>>66 この世界平等じゃないから。
障害もってうまれてくるひとだっているんだ。
不可視な領域をクオリアなんて言葉で塗りつぶすな。
ただのスローガンだろ。いいかげんにしてくれ。
72 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 11:34:56
>>71 もちつけ、66はクオリアなんてうさんくさいって言ってるんだぞ?
芸術との関わりあいの中で根源的なヤヴァイ体験をしてしまったすれっからしの人間が、
なぜかのように熱っぽく言語や音や存在などといったものを語りたがるのか、よく分からない。
しかし世の中には自分の分からないもので熱狂し、素晴らしい人生を謳歌する人々が
どうも否定しがたくいるようだ、でも自分にはそれがなんなのか、何故なのか、理解できない。
くやしい。名づけによてそんな無定形態なものは殺してしまえ、そうだな、クオリアなんてどうだろう。
すまそ、おれのはやとちり。
クオリアくんの誕生。
クオリアなんて口にする奴が概して芸術的感覚の欠落した気の毒なひとだってこと、わかるよねw
73 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 11:45:30
へえ、こんな下らない骨董屋的トリックにひっかかるひとって多いんだなあ。。
スレ50ポンめじゃない。茂木が小林に利用価値を認めるのもよく分かるよw
クオリアなんてのはね、語り得ないもの、名づけ得ないものの疑似的に物質化
するためのトリックの仕掛けにすぎないんだよ。言葉にしちゃえば何でも語れるからね。
こうやってレスつけてやること自体、不気味な前提の押しつけを受け入れていることになる
から本来は無視するのが一番なんだけどね、そういう人間の機微につけこんで他人のこころを
操作しようなんていうのはエチカのかけらもないやつのすることだと思うな。自覚すらないのかもね。
74 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 11:46:01
それは違くね?
75 :
「機械的唯物論」者:2005/12/20(火) 11:47:10
クオリアは気の毒な人にも宿るので決してエリートの象徴ではない。
76 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 11:48:04
どう違うの?
77 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 11:49:57
クオリア、それは言語の骨董化
壺でもなでまわしてろw
78 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/20(火) 12:06:07
「語りえぬ」房も登場か
語りえぬなら、こんなとこくんじゃねぇ
語りえぬことを語ることがコミュニケーションの本質であり無垢への欲望なんだよ。
だから質感とはなにかほりさげろや
79 :
マイアミ ◆nNi.J0YwUA :2005/12/20(火) 12:11:47
クオリアなんて実体の無いものに名前つけてるだけだから、いくら論理で
もって批判したところで、のれんに腕押しです。クオリアそれ自体が二重
規定になってるからさ。貨幣の価値と使用価値の二重性と一緒だよ。拝金
主義者の思考形態によく合うんだろうね。まあ、この現実で生きている以
上拝金主義を全否定するわけにはいかないが、そのことと、芸術や社会現
象全般をクオリアなどいう名のもとにブリコラージュして良いということ
とは全く関係ない、むしろしてはならないのではないか。そこはそのひと
の倫理的な資質が最も問われる場所でしょうね。
80 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 12:12:52
81 :
& ◆rJiaEgaxto :2005/12/20(火) 12:16:05
ていうか相手にすること自体が害悪な気がしてきたので
もうやめますが、みなさんこういうペテンみたいなのお好きなんですね。
82 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 12:16:51
と、有機物が言ってます。
83 :
「機械的唯物論」者:2005/12/20(火) 12:19:38
>>79 クオリアは無限に存在するので実体であし、人の倫理がクオリアの属性を規定することはない。
84 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/20(火) 12:21:37
すべてはいつも否定神学に帰結する。
なんでもクオーク、なんでもニューロン、なんでもクオリヤ
まず名付け、還元する。そこから次の脱構築がはじまる。
このリアルで、生き生きな質感はどこからくるのか
語りえぬものこそ語るのだ
85 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 12:22:44
マンドクセ
86 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 12:29:51
くだらない
87 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 12:32:26
漏れも ぴかぁ〜 みたいになれたらな…
88 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 12:51:33
自分が自分だと、『いつ』確信できる?
89 :
まさ:2005/12/20(火) 12:59:42
>>35 よかった。みんなどこにいちゃったのか探してたもん。また、みんな集まって
くれるかな?ここが必ず哲学(真実)を進化継承してくれると信じています。
>>54 つまり、あなたは「機械的唯物論」じゃないということね(笑)。
91 :
まさ:2005/12/20(火) 13:27:07
>>90 やった!!
むじんくんおかえり〜。最高位さんはまだかな〜。
92 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 14:16:06
>>84 すでに名付けられたはずのものを
リネームしてるだけの人に言われたくないっす
93 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/20(火) 14:20:33
いいなあ、その形而上学的考え方
ボクは嫌いではないよ
>>58 芸術と非芸術、天才と凡人・・?
クオリアの本質は「意味(評価)」だと言ってるのかな?
そして芸術と天才にこそ意味があると・・
それらは単なる差異ではなく 物質以外の「何か」であるとw
95 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 15:03:06
96 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 15:06:10
>>94 違います。クオリア"が"「本質」である。これが言いたいのでしょう。この世の
本質とはクオリアであると。イデア論です。
98 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 15:12:54
で?
>>98 つまり、人間機械論と言いながら神秘的な事柄を語る、典型的な形而上学です。
批判すべき。
100 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 15:23:40
>>97 クオリアの本質について言ってるんだが・・
>>100 クオリアの「本質」はクオリアですよ(笑)。
これは冗談ですが、ゲーテの色彩論って知ってますか?ニュートンが色は波長であると
いう主張をした際に、それに反対したんですね。結構面白い本です。赤には赤の本質的な
何かがあり、波長の変化という形に還元できないものがあるのだと。詩人的といえば詩人的
ですが、これは近代科学の視点と現実の生活の視点との違いという問題を表現している
わけですね。
例えば、朝起きると太陽が昇ってくる。これを地球の自転による効果だとするのが近代科学、
「ああ、太陽が昇ってきた。今日はいい天気だ、気持ちいいなぁ」というのがクオリア。
ニュートンはアリストテレスの光の変容説を否定しただけであって
その色を見てどう感じるかなんてことを言ったわけじゃないんだよ
103 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/20(火) 16:18:51
とりあえず誰がクオリアを定義しろ
バラバラで話にならん
105 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 17:10:36
>>101 ならば クオリアの本質は「意味(評価)」では?
106 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/20(火) 17:20:15
では初歩的なところから
ノエマ、ノエシスとクオリアの関係当たりから語れ
>>105 > ならば クオリアの本質は「意味(評価)」では?
まぁ、そうですね。意味=イデア=クオリアですね。
108 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 17:58:33
109 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/20(火) 18:34:34
なあほな。イデアよりは確実に関係あるってか、
ようはパクリのもとネタでしょ
茂木もそのようなこといってなかったけ
110 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 18:35:11
111 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/20(火) 18:35:30
てか、これってベタな心脳問題?
112 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 18:37:56
単なるレトリック
113 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/20(火) 18:43:53
114 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 18:55:04
21 名前: 2001 投稿日: 2005/12/10(土) 18:32:21
>>14-15 茂木はクオリアを定義できないといっている。
だが、クオリアの内観的定義として、
「感覚のもつシンボルでは表現出来ない、ある原始的な質感」
でも遠からず(大よそ理解できるだろ)。
ぴかぁ〜さん、人が集まってるからって
押しかけてこられても困ります。
116 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 18:57:02
読んではいないが、茂木HPの動画は見たぞ
「意識はこうなと言うかブァー」らしい
117 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/20(火) 19:11:48
原始的質感ときたか。
茂木くんは見ることの後天性をどうかんがえてるかね
生まれながらの盲人の視力が回復しても、見る勉強が必要な事実をどう受けとめるのかね
118 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 19:12:56
>>114の原始的なんたらってのは茂木の言葉じゃないだろ
119 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 19:14:48
>>111 クオリアはベタな心脳問題以外の何物でもない
120 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/20(火) 19:26:37
だろうね。フッサールのパクリなんだから
121 :
「機械的唯物論」者:2005/12/20(火) 19:30:22
脳は物質であるから、
「器官のないクオリア」はファルスの究極であり、単なる原始的な質感では決してない。
122 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 19:30:25
フッサールまでいかない。
もっとナイーブ
123 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 19:37:03
なんか
>>117がイタイ人に見えてきた
いや、わからんでも無いけどね
124 :
「機械的唯物論」者:2005/12/20(火) 19:55:52
イタイ人は物質だから、
クオリアを既成の概念で解釈するが、決してその悟性を理解できない。
125 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 20:00:42
<丶`∀´> <お前たちもやっとコリアの偉大さに思い至ったか、褒めてやるニダ
126 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 20:07:56
で?
127 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 21:42:11
日本語を話せる事(外人可)
身長が俺より10cm以上低い
バストはCカップ未満
美白である事
デートの時は必ずミニスカートを着用
好きな体位が騎乗位or立ちバックである事
年下である事
体重が48kg以下である事
年齢を詐称してない事 ←←←
128 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 23:08:55
>>127 体重が48.1キロで条件から100グラムオーバーしてます
ほかはすべて満たしてるんですが、私どうでしょう?
129 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 23:12:30
一つも条件にはまりませんが、三往復半で逝かせます
130 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 23:14:04
131 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 23:15:59
絶頂クオリアは物質だから3グラムの体重減は必然に過ぎない
132 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 23:18:34
1リットルは出るんだが病気だろか・・
133 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 23:42:36
他人や動物や石ころにクオリアがあるかどうかは決して確認できず論理的に証明
し得ないということは、逆に言えば石ころなどの無生物にも質感機能が備わって
いるとしても矛盾しないということになります。それはただ我々には確認し得な
いというだけであって、備わっていないことは証明できないわけですから。
ということは、全物理現象の延長線上にある我々の自我、意志もまた必然的な
物理現象の経過のひとつに過ぎないという唯物論的決定論の見解とクオリアの
存在の間には最初から矛盾などないということになります。クォークや水素原子
もまた質感の原型素質のような属性を要素として含んでいると仮定すれば矛盾は
なくなり、宇宙がクオリアであることと複雑系的な決定論であることの両方が
成り立つようになります。物質の現象展開は同時にその属性であるクオリアの
現象展開でもあったということになります。
134 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 00:03:40
それは日常生活で役に立つのかい?
135 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 00:06:16
>>133は僕タンでちゅが・・。
書いてて我ながらアホだと思ってしまうでちゅ・・。
136 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 00:10:20
>>129 最低四こすりは楽しみたいので ごめんなさい m(_ _)m
137 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/21(水) 00:23:36
>>133 >他人や動物や石ころにクオリアがあるかどうかは決して確認できず論理的に証明
>し得ないということは、逆に言えば石ころなどの無生物にも質感機能が備わって
>いるとしても矛盾しないということになります。
物理学や生物学、動物学、医学、大脳生理学等は「我々の感覚器官に直接クオリアを
発生させない存在」を見つけ出しました。
「赤外線・紫外線の存在」あるいは「超音波の存在」・・・これらは「眼球or蝸牛」
&「脳」では「直接クオリア形成できない(しない)」電磁波or音波の波長域が(実は)
「自然界には存在する(していた)」ことを証明しております。
要するに「我々に(直接)認識できないこと」と「存在しないこと」はイコールではないのです。
138 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 00:33:14
139 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/12/21(水) 00:36:29
>>137機械さん
機械さんは本当に唯物論支持なのですか?
言葉や表現の端々に仏教的な思想が垣間見えるのですが。
140 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 00:36:56
>>137機械タン
>>要するに「我々に(直接)認識できないこと」と「存在しないこと」は
イコールではないのです。
そうでちゅ〜。そこが盲点なのでちゅ〜。
142 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/21(水) 00:50:19
>>138 哲学の最終目的は「真理」であり「勝手な自己納得や自己慰謝」を
目的にするのは邪道です。
200年以上前の「カントの認識論」を金科玉条にするのは勝手ですが、
最近の「科学の成果」を無視する態度は、全く理解できません。
例えば「認識の拡張」・・・は「電磁波のスペクトルを観測する機器」
あるいは「超音波を観測する機器」が発見されて初めて「感覚領域以外の
「存在」はあり得るのだ・・・という発想をもたらしたわけで、いまさら
そのような機器が全く存在しなかった、「カント氏の時代の認識論」など
に拘泥するのは「大学の哲学科」のような「特殊で閉ざされた趣味の領域」
だと思います。
はっきり言えば、「現在オーソライズされている『哲学の流派』の99%」
は、「単なる(議論に勝つための)詭弁訓練の優劣」にすぎません。
もっとも重要な「真理を旨とする」という、「哲学の基礎中の基礎」が忘れられているということです。
143 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/21(水) 01:06:07
137の
>要するに「我々に(直接)認識できないこと」と「存在しないこと」はイコールではないのです。
が少し判りにくかったかもしれません。
この板でもよく見られる、直接「認識できない」から(ならば)何にも「確かなことは言えない」
という論法は「観念論の認識論を経由しなければそれは真の存在の確認にはならない(認めない)」
という直接認識至上主義の観念論的教条主義であり・・・それが「キリスト教的ドグマ」の漏洩
だと申し上げているだけです。
本日は就寝させて頂きます。
唯物論か、ドライだな。
俺は独我論のほうが好きなんだけど。
主客二元論はどうなの?
145 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/21(水) 01:47:52
>>144 ドライの反対ウェット?な哲学ってあるのかなぁ?実存主義とか?
ヒューマニズムとかもものこと?
146 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 01:49:57
>>145 なんで生物とか脳医学やらないの?
聞きかじりをしゃべってるだけ?
147 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 01:58:14
>>1 >「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
>決定されております。
こいつは2重スリットの実験も何も知らないんだろうな・・・
>>147 機械はかつて日立の実験を引用したことがある。
これは激しい議論を巻き起こした。過去スレにある。
機械の立場は非常に可笑しいので参照するとよい。
150 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 02:35:37
151 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 06:00:23
152 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/21(水) 08:17:00
機械やん、だからクオリアってなにかいえよ。
フッサールのパクリだろう
153 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 08:25:42
ようノシ
今日は早いな
154 :
「機械的唯物論」者:2005/12/21(水) 08:48:18
フッサールは物質だったから、クオリアの実体は決してそのパクリではない。
155 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 10:37:13
クオリアマニフェスト読んだ
わかった『感じ』がしたよ?
156 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 10:48:47
クリオネって天使みたいだから、きっとクオリアは神様なんだよ♪
>>143 うむ。クオリアというのはそういう現状直接認識できないといわれているものでありながら、
それを科学的に実証できると主張するのがクオリア論なのでは?
これは科学の成果ではなくて、科学的記述で神秘を語っているに過ぎませんよね。
意味無いんじゃないですか?
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>>142 > 200年以上前の「カントの認識論」を金科玉条にするのは勝手ですが、
> 最近の「科学の成果」を無視する態度は、全く理解できません。
> 例えば「認識の拡張」・・・は「電磁波のスペクトルを観測する機器」
あなたは多分カントの著作を読んだことないんだと思いますが、カントは近代科学が
人間の直接的感覚によらないことをきちんと述べてるわけです。数学はアプリオリな
直感的構築物であり、決して経験を必要としない。ある砲弾がある場所に届くかどうか、
近代戦争では事前に頭の中で計算し、計算された量の火薬を使い、実際にその場所に
砲弾が到達するわけですね。
カントが問題にしたのは、では形而上学はどうか。これは経験によらないが論理的に
整合性が取れているから科学的に立証されてた事柄と同一と考えてよいのか。そうじゃ
ないわけです。その境界線はどこにあるか?というのがカントの批判だったわけです。
それは全く古くない。むしろあなたの好きなクオリア論のほうが古いんですよ。
160 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 11:06:01
>158
ブラクラ、HDクラッシュする
161 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/21(水) 11:39:47
クオリア主義ってそんなたいそうなことではないんですけど
一般的言われるクオリアって現象学でいう志向性のことなんですけど
162 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 11:46:58
で?
163 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 11:51:01
与えられるがままに記述してみろ
164 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 14:42:52
>>159 同意だな。カントは古いからどうとか、新しいからどうだという性質のものでは
ないな。
165 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 15:10:58
新しいから真理で古いから真理じゃないと言い張る機械タン。
たしかにナショナルの暖房機は古い。
でも もっと古い暖炉には新しいもので補えない何かがある。
166 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/21(水) 16:59:56
ではこの当たりから・・・
意識とはなにか―「私」を生成する脳
「クオリア」ってそれは現象学の考え方を脳科学に採り入れる際に脳科学者が名付けた概念のようだ
が、それを使って論じている話の内容、言っている事はフッサールやシュッツが遙か昔に問題として
考えていたものそのままではないか。特に前半。現象学や構造主義をかじった事がある人なら、
何をいまさらというような基本的な問題の再確認しかしていない。議論のツールの一つに単に
「クオリア」という新しい名前を付けただけである。
たしかに議論の態度は丁寧だけれども、古い在庫商品を化粧替えして新製品に見せかけて売り
つけているような印象が強い。学部生のための哲学入門としては良いであろうが・・・・。
私もそうだが、ウィトゲンシュタインの青色本の読者なら、この本を読んで「典型的な病人を見つけた。」
と感じてしまうだろう。言葉の意味・意識体験・クオリアといったものに関する問題提起について、
著者の誠実さは疑わないが、最初のところで言葉の罠にはまっている。
この本の記述の中で注意したいのは、「神経細胞の活動がクオリアを生み出す」「クオリアを通して
世界を感じ分ける」などという表現である。人間は物事に様々に反応し、同時にそのときの自己状態を
ある程度把握しているというのが事実の全てであり、そのときの神経細胞の活動状態が「世界を
感じている」状態なのだから、「クオリア」は人間と世界の相互関係に割り込ませた余計な中間項だと
言いたい。
「XXとは何か」「XXは何を意味するか」という問いかけ表現は、日常的な場面で必要に応じて使う
分には問題ないが、そうでない場合、例えば「時間とは何か」「意味とは何か」などという問いに
答えがたいのは、問題が難しいからではなく「問いかけ」という言語行為の機能に必要な脈絡を
欠いているのが主な理由である。この本の中にも「言葉の意味をつきつめる」という表現があるが、
この種の表現に対し分かったふりをしてはいけない。
全般的に、著者の言葉の使い方に対し細心の注意と猜疑心を持ちつつ読むのがいいと思う。
http://japan.best-medicalbook.com/book-4480061347.html
167 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 18:54:34
ぴか、なに言いたいんだ?
おまいらバカ厨には・・・だからなん「だ」が無い。
結論がないのよ、つまらんw
>>157 よくわからない。
> うむ。クオリアというのはそういう現状直接認識できないといわれているものでありながら、
認識できないクオリア?語義矛盾では?
> それを科学的に実証できると主張するのがクオリア論なのでは?
「実証できる(はずだ)」という信念の主義主張ならよく見かけるけれど、現実的なプログラムとして論じている人がいるんだろうか?
クオリアの何を「実証」しようとしているのですか?
169 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 19:56:53
で?
170 :
「機械的唯物論」者:2005/12/21(水) 20:29:58
脳は物質だからクオリアの存在は実証済みであり、いささかの疑念を挟む余地も無い。
171 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/21(水) 20:31:34
>>167 ここまでしても話が見えないおまえの姿が見えないよ。
172 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 20:33:26
ぴかぁ〜が、『意識とはなにか―「私」を生成する脳』の感想文欄からコピペしたけど、どうしたいのか分かんない
173 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 20:35:48
174 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/21(水) 20:39:28
クオリア=現象学の志向性+現象学は独我論=クオリアは独我論
175 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/21(水) 20:43:29
あなたが見ているクオリアはぼくが見ているクオリアと同じか?
176 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/21(水) 20:49:49
クオリア・マニフェスト 茂木健一郎
http://www.qualia-manifesto.com/manifesto.j.html 私たちの世界観の中で心的現象が本来占める重要性に対するいきいきとした感受性を持ち、
心の中の様々な表象(representation、Vorstellung)の重要性を指摘したのが、フッサール、
ハイデガーらの現象学者たちであった。
私たちの心の中のクオリアを「私」が見るという構造は、「私」という「主観性」(subjectivity)の構造に
支えられている。「私が赤を見る」という心的体験のうち、「赤」の「赤い感じ」がクオリアであり、
一方、「私が○○を見る」という構造が主観性である。このように、クオリアと主観性は、表裏一体の
関係にある。これが、私たちがクオリアと主観性を同一のフレームワークの中で理解しなければ
ならない理由である。
主観性の起源の解明のためには、クオリアに対応するニューロンの活動の時空間的なパターン
の解明のために必要な議論よりもさらにシステム論的な議論が要求される。
177 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/21(水) 20:51:36
現象学の志向性を「クオリア」って名付けただけ。
オートポイエーシスがあれば、「クオリア」なって言葉、いらね。
178 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/21(水) 20:52:22
システム論=オートポイエーシスね
179 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 21:08:48
で?
180 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 21:11:05
181 :
「機械的唯物論」者:2005/12/21(水) 21:20:21
脳は物質だからクオリアの属性は多様な様態であり、必ずマルチチュードに依存せざるをえない。
182 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 22:38:00
ぴかぁ〜は、何したいの?
クオリアは「質感」の意だから何の問題が
>>176 このスレを上から順に読んでいってそのレスでやっとクオリアとは何かわかったよ。
スッキリー
184 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 23:12:01
ぴかぁ〜はナニがしたいスケベな物質だから
クオリアの属性の一つが質感であっても何の問題も無いに決まっている。
185 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/21(水) 23:12:48
>>157 >うむ。クオリアというのはそういう現状直接認識できないといわれているものでありながら、
>それを科学的に実証できると主張するのがクオリア論なのでは?
私の言う「科学」は全て「実証科学」のことですので、「科学的に実証できる」という表現は、
「一種のトートロジー」なのです。
その「実証」の過程で、当然(過去においては)自然には「クオリア化できなかった」自然現象
例@紫外線・赤外線を「観測器のディスプレイを見ること」でその「存在」確認すること
例A超音波(2万Hz以上の周波数の空気の振動:音波)を「ディスプレイ上で確認する 」こと
例B(電子)顕微鏡を使うことで「極微の世界の構造」を「見る」こと
例C粒子加速器で「素粒子」を衝突させ、その分解の過程が映った「乾板」の飛跡から「更に細かい
構成要素(新たな「素粒子」のレベル)を発見すること・・・等々です。
これら「実証科学の成果」は、(主に)20世紀に入ってからのものであり、(驚くべきことには)
「伝統的な文科系学問」である「哲学」が、それらに注目し始めたのは「ごく最近のこと」なのです。
フッサールやサルトルは「実証科学」などハナから軽蔑しており、アインシュタインの脳が保存された
ことの(本当の)「意義」など、到底理解できなかったのです。・・・彼らの脳は「保存に値しなかった」
・・・という訳です。
186 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 23:17:20
>>185 この文章は真意が不明です。157に対するレスとしてどんな意味がありますか?
188 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/21(水) 23:20:11
>>186 「肉体的性別が『哲学的思考』に決定的な影響を与える」という信念を基に
聞かれているのですか?
189 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/21(水) 23:25:11
>>187 要するに「ディスプレイに表示する」ことによってしか「観測できない」自然現象
は沢山ある(というか「殆ど」)であり、『直接眼球で観測できない可視光以外の電磁波』は、
「存在を疑える」・・という「プリミティブな認識論・存在論」が「クオリア形成」の事実を
「曲解」している・・・ということを言いたかったのです。
「紫外線そのもの」を(直接)眼球で「クオリア化する」ことは(人類には)絶対できません。
190 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/21(水) 23:30:45
「機械的唯物論」ってカントしらないの?
いわば、紫外線・赤外線などの「存在」はカントの正しさを示す方向じゃん。
どこまでいっても「ある実証方法」でしかないってことでしょう。
「ものそのもの」には到達しない。
191 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/21(水) 23:36:52
>>190 >イマヌエル・カントは、東プロイセンの首都ケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)
>で、皮革工親方の三男として生まれた。生涯のほとんどをその地で過ごし没した。両親はルター派
>の敬虔主義を奉じていたため、カントはその濃厚な影響のもとに育った。
方のことでしたら知っております。
彼の育った18世紀には「ディスプレイ」も「観測機器」も「(真の)実証科学」も
(概念すら)存在しなかったことも(併せて)知っております。
192 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 23:38:51
ぴかぁ〜キタ━━━━━━━━(・∀・)━━━━━━━━━!!!!
193 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/21(水) 23:40:59
194 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/21(水) 23:45:02
>>190 >「ものそのもの」には到達しない。
最初から「(あらゆる認識論の試みでも)到達できない存在」は「存在」する。
それだけは「確か」なので、「その存在」を「ものそのもの」と定義する・・
という「定義」上の「ものそのもの」については、確かに「おっしゃるとおり」
ですが・・・その言説に(形而上学的)戯れ以上の「意味」があるとお考えですか?
195 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 23:45:38
機械は情報や構成や方式までをも「存在」と言い出し(混同し)かねない思考回路
196 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/21(水) 23:46:38
>>194 じゃあ、他に形而上学的戯れじゃない、なにがあるの?
197 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/21(水) 23:49:06
>「紫外線そのもの」を(直接)眼球で「クオリア化する」ことは(人類には)絶対できません。
で、「ものそのもの」も戯れだいうと、どこに着地しようとしているのか、
わからないよ。
198 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/21(水) 23:49:38
>>159 要するに、あなたの「思考回路」は(絶対に)存在する訳ですか?
・・・それが「情報や構成や方式」では「無い」からですか?
199 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/21(水) 23:53:35
>>197 ではさらに勉強を続けて下さい。
脳内睡眠物質のバリエーションとか大脳生理学とか・・・いろいろ専門特化
する時代には「結構大変」ですね・・・
脳内睡眠物質・・に言及しただけで眠くなる脳は結構「健全」です。
・・・ということで、本日は就寝させて戴きます。
200 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/21(水) 23:55:39
>>199 昼ドラ並にベタにひっぱるねぇ〜!
ってか、オチまだ考えてないんだろう。
201 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/21(水) 23:58:14
パート50で、いまさらベタな心脳問題で息詰まりかよ。
ふつうスレ立て後、10レス内で気づくよ!
202 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 00:00:38
>>198 いうまでも無く「情報や構成や方式」と同様「思考回路」など存在しない、
機械がいう「存在」の意味で言うなら、しかしそれを明確に区別できない
思考回路が機械の頭の中に『存在』する、のだろうな。
203 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 00:09:43
紫外線やX線を受けると細胞が癌化したりして
その影響が現れるんだけど
そう言うのは駄目なんだろうね、機械の理論だと
204 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 00:13:56
いまどき決定論を騙るなら、せめて「創発主義的唯物論」を
騙って欲しい。
古典物理主義的還元論から抜けられないから、「クオーク」、
「クオリア」などの、ベタな否定神学に陥るわけで。
オートポイエーシスを勉強すれば、決定論ももう少し引っ張れるよ。
ってか、それがない唯物論議論はつまんなすぎ。
205 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/12/22(木) 00:20:49
>>203さん
その仰られた言葉を分解してよく考察されてみてはいかがでしょう。
ぴかぁは自分のスレに帰ればいいじゃんね?
207 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 00:38:58
クォークはどこが否定神学なん?
208 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 00:45:06
クォークが否定神学ではなく、
「なんでもクォーク」、「なんでもニューロン」、
「なんでもクオリア」では、
否定神学として作動するということですね。
>>208 このスレでは波長があまり合っていないようなのでとりあえず自スレに
返ってみて、じっくり体制を立て直した方がよいのではないのかなということ
だよな?
210 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 01:05:04
>>208 (自分が)自然科学系が理解できないから・・理解できない自然科学を
「否定神学」というレッテル張りは全くありえないよ。自スレに返るべきに1っ票!
文科系と理科系がコラボレーションして発展する以外に、新興・勃興:中国やインド
に対抗する手段はないんだよ!!。
>>208 そもそも「クォーク」と「クオリア」を同列に論じること自体
ありえねーだろが?単語や概念の意味を判ってるのかい?
212 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 01:15:32
わしはおまえらがこーんな小さい時からこのスレに
レスしてきたんじゃ。ここしばらくのノリが全てだと思うな。
波長とか、レッテルとか、言う前に過去ログ読んで出直してこい!
213 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 01:17:44
クオリアが世界の構成素質としての主語x(xを物質と呼ぶか「ひも」と
呼ぶか、あるいは新しく固有名を指示するかはこの際考慮に入れないもの
とする)に対する述語の全確定記述Fが成り立つための必要条件としての属性
でありFの要素であるということであれば、クオリアの否定神学としての性質
は排除されます。そしてこの際には主語xからはノーマルな唯物論の場合と
全く同様に自由意志の存在は導出されません。
214 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 01:19:48
>>211 ベタとメタもわからんのか・・・
これだから物理主義者は女にもてないんだよ。
>>212 >ここしばらくのノリが全てだと思うな。
について、あんたとてつもない誤解してませんかね?
>>208 否定神学・・・?なんて(普通は)科学の時代には全く意味を感じません。
『自己満足、自己慰謝、』が至上の価値だとの信仰では自己催眠中に
心臓停止を」お願いすること「さえ」できるし、それが否定神学である
という「浅薄な発想」の続出は容易に想像・了解できます。
何で名無しにしたの?>機械
218 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 04:17:28
ぴかぁ〜は物質だからなんでも否定神学だな w
219 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 04:48:14
>>218 ベタなぴかぁ〜は物質だからメタなクオリアを決して理解できないに決まっている。
220 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 08:30:03
自殺すればいいと思うよ
221 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 08:34:15
NEET A GO GO EVERYDAY ☆
222 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 08:40:50
ぴかぁ〜は、文句しか言わないよな。
なっとくしたのかも、わからん。
だが、ぴかぁ〜の人気に嫉妬.
224 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 10:04:00
みんないっしょに死のうよ
225 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 10:15:46
で?
226 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 10:17:42
. | `-=ニ=- ' .::::::l. i l | `-=ニ=- ' .:::l_.,l
\ `ニニ´ .:::::/‐' ''\ `ニニ´ .:::::;;/'
,,.....イ.ヽヽ、ニ__ ーーノ゙-、. ,,..../ヽヽ、ニ__ ーー人゙-、.
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227 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 11:59:50
ん?
228 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 12:12:10
ココデツカ、ナンデモ テツガク スレ・・?
229 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 12:23:01
230 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 12:31:56
言うなれば私は、私の天才的知能により誰もが持っている「内なる世界」とでも呼ぶべき世界を、常人より遥かに優れた形で構築してしまっている。
231 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 12:38:19
「内なる世界」なら、自分の方が常人より「遥かに優れ」ていると妄想できるわな。
232 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 12:39:31
233 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 12:54:30
クオリア流れでハイデガーの名がでたが、フッサールとの違いは、コンテクスト主義と言われているね。
すなわち物理主義など、現象を因果律だけで説明するのだめで
間に解釈項が入る。ハイデガーではそれが現存在なわけ。
対象を赤いとみる主観がいる。
これはパース記号論の3項だし、ラカン的に現実界(ものそのもの)から想像界への解釈項=象徴界となる。
ラカン的には、クオリアは言語のように構造化されている。となる。
事実、神経学によると、人が感じる色は、光の波長でなく、言葉として認識した色と近い。
234 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 13:01:06
だから当然、同じ波長の赤でも見えているものはちがう。
たとえばデザイナー、画家など色職人は様々な赤を日頃認識している。
当然、なんでも赤の僕達とは見え方が違う。
しかし主観と客観とはなんだろうなと思う。
先天的と後天的なのだろうか
たとえば人間の先天的能力で赤く見えるの客観だよね
たとえ犬には赤く見えなくても
235 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 13:03:17
人間の存在を科学で証明し科学で理解するならば
人間の持つ『愛』もまた一つの科学記号にすぎないのだろう
236 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 13:12:05
最近はやわらかな遺伝子といわれて、遺伝子の後天的な発動の問題がある。
だから遺伝子的にも先天性と後天性は明確でない。
いわば後天的解釈項(それは言葉でも育つ環境でも良いか)によって、遺伝子がどのように発動するか、わからないということ
>>210 > 文科系と理科系がコラボレーションして発展する以外に、新興・勃興:中国やインド
> に対抗する手段はないんだよ!!。
あははは。これ面白いね。哲学と科学のコラボレーションって言いたいなら絶対に
ありえませんよ(笑)。
>>208 クオリア論っていうのは典型的な否定神学だとは思いますが、ぴかぁさんは
人間がこういう思考を避けれると思いますか?
カントは知らず知らずのうちにそういう対象不在の奇妙な世界に迷い込むことを
知り、認識の限界を設定するのが哲学だとしましたが、一方で絶対的な存在を
信じることを推奨していたと思いますが、この点はどうですか?
239 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 13:27:30
オートポイエーシスは神経システムをモデルにして組み立てられている。マトゥラーナが問題とした
神経システムは、色の知覚に関するものである。外部刺激に対する視覚神経細胞の活動は、
外部刺激の物理的特性に1対1に対応していないという実験結果がある。つまり、神経システムを
外部刺激−細胞活動のスタティックな写像として見ると、実験結果が説明出来ない。こうしたことから、
神経システムはそれ自体の関連の内部でのみ活動しているはずだとマトゥラーナは考えた。
マトゥラーナが与えたオートポイエーシスの特徴は以下の通りである。
自律性
オートポイエーティック・マシンはあらゆる変化をその有機構成の維持へと統御する。非オートポイエ
ーティック・マシンの代表である自動車には自律性は無い。
個体性
オートポイエーティック・マシンは絶えず産出を行い有機構成を不変に保つことにより、観察者との
相互作用とは無関係に同一性を保持する。非オートポイエーティック・マシンの同一性は観察者に
依存しており、それ自体としては個体性を持たない。
境界の自己決定性
オートポイエーティック・マシンは、自己産出のプロセスの中で自らの境界を決定する。非オートポイ
エーティック・マシンの境界は観察者が決めるのであり、境界の自己決定性はあてはまらない。
入出力の不在
オートポイエーティック・マシンとは独立した撹乱により内的な変化が連続しても、これらの変化はマシンを
規定する有機構成の維持に従属する。従って、これらの撹乱と変化の関係は観察の領域に属している
のであって、有機構成に属していない。
http://rikou.st.ryukoku.ac.jp/~nomura/docs/autopoiesis/node4.html
>>208 >>238の続きですが、
否定神学批判というのは、結果的にラカンが言う想像界の予定調和を信じるような
思考にならざるを得ない気がします。日本の戦後体制なんかはそれが維持されていた
稀有な例かと思います。実際に、神を必要としない国、近代を超えた国という言説が
流行ったこともありましたね。
だけど、これはラカンが正しいので空想ですね。そして実際に今破綻が進んでいる。
241 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 13:31:29
>>241 まぁ、そうなりますよね。ヘーゲルの弁証法、生の哲学など。でも、これらは
20世紀に災いとなった発想ですね。
思想と政治はあんまり関係が無いと思います。
そもそも思想家でも自分の思想を実践してる人は少ないですよね。
>>243 思想に沿って政治が行われるということは確かにないでしょう。しかし、ある時代状況で
人間の願望を正当化するような言説が流通してしまうということはあるんですね。ナチの
時代には生の哲学が流行しました。
人間の特徴は自己自身の状況を認識し、変化させるところにあるとするならば、思想批判は
必要であるし、それは政治的なのです。
245 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 14:06:11
ナチ=生の哲学かもしれませんし、人はみなナチ性をもっている。
だからなに?
246 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 14:09:05
なんでもクオリア。なんでもナチ。
248 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 14:26:32
形而上学、否定神学とはなにかといえば、還元なんですね。
アナログ情報のデジタル化といってもよい。
なぜデジタル化するかといえば、大量な情報を扱える程度に縮小するためです。
人間の情報処理速度は七ビットっという認知限界があるから、ひとまず還元するわけです。
なんでもクオリア、なんでもナチ
現実界を想像界に還元するときのデジタル処理法が象徴界(言語)なわけです。
だからクオリアは言語によって構造化されている。
質感が「クオリア」と言語化され否定神学化されているように。
ただ、思想批判が政治的なのは、「思想が政治の正当化のために
用いられてるからそこを攻撃する」という点において政治的だと思い
ます。ゆえに、思想批判自体が常に政治的なわけではないでしょう。
というか、思想批判って可能なんでしょうか?
251 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 15:03:53
盲人も普通の人と同じように色がわかるという。たとえば赤は派手、明るい、ショック、危険などなどコンテクストとして認識している。
そして色は言語であるというとき、普通の人も盲人と近い形で色を認識している。
それでもみている、この赤というクオリア(意味)はわからない。それはオートポイエーシスに自己制作されていても、意味は完全に言葉にできない。
これをイデアと呼んでも結局、言語還元でしかない。
ラカンはこのような意味は現実界にあり、人は知りえないといった。ヴィトの語りえぬものだね。
しかしさらに意味にさかのぼるなら、アフォーダンスな考え方がある。赤を人の認識に還元するのでなく、たとえば赤い花は赤いことをアフォードしている。
動物、昆虫を引き寄せるために赤を訴えている。
人が赤に感じるクオリアはこのような進化上の経験によるということだ。進化心理学であり、憶測でしかないが。
クオリアは進化経験上(先天的)と言葉(社会性)というコンテクストで還元されて獲得されているということ。
252 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 15:10:10
意味にさかのぼる、すなわちイデアとはこのようなこと。
美とはなに?なんのために生きているの?などなどだから意味は現実界(ものそのもの)にしかない。
>>245 > ナチ=生の哲学かもしれませんし、人はみなナチ性をもっている。
> だからなに?
いや、否定神学批判ということが、結果的にそういう思想に絡め取られてしまう
ということがあるわけですね。だとしたら、認識の境界線を見つめつつも物自体を
語るという、カントの批判を超えることはできないのでは?ということです。
>>249 思想は常に社会的ですし、社会的であるから批判しなければならない。
哲学の目標は哲学的問題の解決ではなく、解消にあるわけです。
255 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 15:46:19
流れがわかんない.
256 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 16:09:23
人間の存在を科学で証明し科学で理解するならば
人間の持つ『愛』もまた一つの科学記号にすぎない
257 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 16:15:29
>>254 哲学と思想が密接な関係にあるとしても、それらが必然的に
結び付いてるかどうかは疑問です。私は非学問的な領域の
ものも思想だと思います(宗教思想ないし神の思想など)。
問題が哲学的に解消されても問題は残ります。つまり、哲学に
よる解消は哲学的な解消でしかない(科学による解消も科学的な
解消でしかない)というところに、日常における思想の実践との
大きな隔たりがあると思います(例えば宗教家の行動など)。
例えば、宗教家の行動など、と言いましたが、キリスト教の神を
信じてる人がそのような政治団体に寄付をしていると仮定します。
そして、ある日、突然、「神は本当に存在するのか?」と疑問を
持ったとします。ここで、「神は存在するのか?」という問題を
哲学的に解消したとしても、当人の悩みは消えないこともある
わけです。
イデオロギーも強引に主張し続ければ、世界は動くな
先の大戦もその類にもれず、ほんと歴史が証明してくれてるわ
そう考えると哲学ってあぶねーな
261 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 16:42:48
無いものをあるかのごとく扱う者には
その種の悩みはつきものなんじゃね?
当然の帰結。
哲学とか科学の問題以前w
262 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 16:57:40
哲学的嗜好も、イデオロギーも人間の症候なんだから、
クオリアだね。
263 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 17:03:04
無垢で純粋な僕ってのも気持ち悪いわな。
言語をインストールされた時点ですでに洗脳されているわけで、
ナチだとか、大戦だとかと、イデオロギー、哲学というクオリアに
簡単に還元して怖いとか言う方が怖いよ。
シャレだとは思うが。
264 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 17:12:16
クオリアという「意味」=遺伝子による進化上の経験+言語による文明的経験+生まれてからの記憶された経験
科学を含めて言語によって表現することはできません。
あるかないか分からないだけでなく、明らかに
間違っていても思想的に寛容でありましょう、
ってのが最近の法律や政治の一応の流れだったわけだし。
それを哲学で押さえつけようとしても無理でしょ。
267 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 17:32:55
幽霊も河童も何もかもいることに・・
>>259 いや、それはそうですね。哲学は宗教ではないので、人間の欲望の問題に対して
解放を提示するわけではありません。哲学が可能なのはどこからが宗教的問題と
なるのか?という境界線を引くことぐらいでしょう。
269 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 17:34:48
サンタにドラエモン、セイント聖也・・
で、どうする気なんだ おまいら?
>>267 それは不可知論や実証主義の区別ができていないだけ。
>>268 そこに同意されるのならあなたと私との間に論点は無いです。
272 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 17:39:02
273 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 17:40:06
>>272 河童は存在する
河童は存在しない
河童がいるかどうかは究極的には分からない→不可知論
確認されていない存在は不在として扱う→実証主義の一形態
不可知論は「いる」とも「いない」とも言わない。
275 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 17:44:01
276 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 17:45:21
>>274 ドラエモンが実在する可能性あり、だと言ってんのか?
論の解説など聞いてないw
278 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 17:53:31
漫画、アニメに登場する『ドラえもん』が存在するか否か
現在では、未確認。
だが、憶測でモノを語るな.
憶測で語ったり行動して良いのかどうかが問題になってるわけだが。
>>279 日常だと憶測で動いてる方が多いんだから、どっちかというと
どの程度の憶測まで許されるか、じゃないの?
でないと、身動きが取れなくなる。
>>280 誰が許すんだ(私人?、国家?、哲学者?etc...)?
282 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 18:19:19
経験上実在している物は実在していると考えて問題ない
ドラえもんは実在しない
ASIMOは実在する
また、ある程度の理論が出来ているが仮説段階の物は『〜かもしれない』『〜と考えられる』
と言えばいい
ドラえもんが存在しないことを誰も証明していないので
存在するかもしれないとか本気で言うのはアホだけだろ
283 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 18:19:39
>>277 わははは!
きょうはお目出度いのが多いなw
おまいは「なにもかも」が「すでに存在している」
可能性が「ある」と言ってるわけだがw
可能性が現実可能を意味する語だぐらい
わかって言ってるんだよな?
おまえがそれを自分の子供や恋人に
本気で説いてるとこ 見てみたいわw
まさかマジで言っちゃいないよな?
そういうアホなことを真面目に論じるのが哲学だから。
285 :
「機械的唯物論」者:2005/12/22(木) 18:36:29
脳が物質だから真面目にそのクオリアを哲学的に論じることは決してアホな事ではない。
286 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 18:40:44
>脳が物質だから真面目にそのクオリアを哲学的に論じることは決してアホな事ではない。
わけわからんなあ・・・
>脳が物質だから真面目にそのクオリアを科学的に論じることは決してアホな事ではない。
ならわかるが
哲学的に論じると何か結論が出るわけ?
287 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 18:43:07
みんないっしょに死のうよ
288 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 18:46:53
289 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 18:52:25
>288
いい加減特定の人間に依存するのはやめなよ、ドラエモンは存在するんだよ?
290 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 18:54:41
いいかげんドラえもんに依存するのはやめなよ、のび太くん
すごい早さで出産と老化するような誕生と死を目の前にして、老人にすることにした心境
292 :
「機械的唯物論」者:2005/12/22(木) 19:01:33
結論を帰結する脳は哲学を悟性でするから物質の属性はそのクオリアなくして語ることが出来ない。
293 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 20:09:47
いま、一部の過去ログを見てて感想
機械タソ 乙.
294 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 20:15:46
「クオリア」という語りえぬもの
ハイデガーの、フッサールとの違いは、コンテクスト主義と言われている。すなわち物理主義など、
現象を因果律だけで説明するのではなく、間に解釈項を入れる。ハイデガーではそれが「現存在」
である。対象を赤いとみるのは主観という解釈項である。これはパース記号論の3項であり、ラカン的
には現実界(ものそのもの)から想像界への解釈項としての象徴界(言語)となる。だからラカン的
には、「クオリア」は言語のように構造化されているとなるだろう。
事実、神経学によると、人が感じる色は、光の波長でなく、言葉として認識した色と近いと言われる。
だから当然、同じ波長の赤でも見えているものはちがう。たとえばデザイナー、画家など色職人は
様々な赤を日頃認識している。当然、なんでも赤の僕達とは見え方が違う。たとえばこれは
オートポイエーシスが考えられたもとでもある。
295 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 20:17:25
>>
オートポイエーシスは神経システムをモデルにして組み立てられている。マトゥラーナが問題とした
神経システムは、色の知覚に関するものである。外部刺激に対する視覚神経細胞の活動は、
外部刺激の物理的特性に1対1に対応していないという実験結果がある。つまり、神経システムを
外部刺激−細胞活動のスタティックな写像として見ると、実験結果が説明出来ない。こうしたことから、
神経システムはそれ自体の関連の内部でのみ活動しているはずだとマトゥラーナは考えた。
マトゥラーナが与えたオートポイエーシスの特徴は以下の通りである。
自律性
オートポイエーティック・マシンはあらゆる変化をその有機構成の維持へと統御する。
非オートポイエーティック・マシンの代表である自動車には自律性は無い。
個体性
オートポイエーティック・マシンは絶えず産出を行い有機構成を不変に保つことにより、観察者との
相互作用とは無関係に同一性を保持する。非オートポイエーティック・マシンの同一性は観察者に
依存しており、それ自体としては個体性を持たない。
境界の自己決定性
オートポイエーティック・マシンは、自己産出のプロセスの中で自らの境界を決定する。
非オートポイエーティック・マシンの境界は観察者が決めるのであり、境界の自己決定性はあてはまらない。
入出力の不在
オートポイエーティック・マシンとは独立した撹乱により内的な変化が連続しても、これらの変化は
マシンを規定する有機構成の維持に従属する。従って、これらの撹乱と変化の関係は観察の領域に
属しているのであって、有機構成に属していない。
http://rikou.st.ryukoku.ac.jp/~nomura/docs/autopoiesis/node4.html <<
296 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 20:18:06
たとえば、盲人も普通の人と同じように色がわかるという。たとえば盲人は、赤は派手、明るい、
ショック、危険などなど色をイメージとして認識している。そして色は言語であるというとき、普通の人も
盲人と近い形でイメージとして色を認識しているということである。
それでも、この赤という意味(クオリア)は、派手、明るい、ショック、危険などの確定記述の束に還元
されない。これを赤のイデアと呼んでも結局、言語への還元でしかない。ラカンが意味は現実界に
あり、人は知りえない、あるいはヴィトゲンシュタインィトの語りえぬものとは、このような意味である。
それでも、意味にさかのぼるなら、アフォーダンスという考え方がある。赤を人の認識に還元する
のでなく、たとえば赤い花は赤いことをアフォードしていると考える。赤い花は動物、昆虫を引き寄せる
ために赤を訴えている。人が赤に感じるクオリアはこのような進化上の経験によるということだ。これは
進化心理学であり、憶測でしかない。すなわち意味とは、このようなことである。美とはなに?なんの
ために生きているの?などなどだから意味は現実界(ものそのもの)にしかない。
>>
クオリアという「意味」=遺伝子による進化上の経験+言語による文明的経験+生まれてからの記憶された経験
<<
297 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 20:18:17
上の文読んで思った
機械とぴかぁ〜って実は似たもの同士なんじゃ…
298 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 20:20:34
>>297 そのむかしむかしの過去ログ読みたまえ。
同志なのだよ。
299 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 20:23:19
で?
300 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/22(木) 20:26:03
「で?」?
301 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 20:27:22
302 :
「機械的唯物論」者:2005/12/22(木) 20:32:14
脳は物質だからクオリアの共通概念を語れば同志にならざるをえない。
303 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 20:52:53
2ちゃんのプロ固定は時給180円らしいよ
みなさん、どお?
304 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 20:56:05
労基法違反で通報しますた!
305 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 20:56:35
180円×24時間×30日=129600円
月給はバイトとしては良い方かな・・・
306 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 20:59:38
もらう前に死ぬだろがっ!
307 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 20:59:45
金の問題では無い.
308 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 00:57:39
質問。
アフォーダンスって、どなへんが衝撃的なの?
309 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 01:07:07
2chという環境がベタなぴかぁ〜に哲学を機会をアフォーダンスする事が衝撃的です。
310 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 01:11:33
ぴかぁ〜、頭悪杉
311 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 01:13:42
今からこのスレは
「かわいそうなぴかぁ〜君に欲求不満のはけ口をアフォードするスレ」
に変わりましたww
312 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 01:19:34
馬鹿って結局、文章見りゃわかるんだよね
結論が無く、理路整然としてない
313 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 01:20:30
で、アフォーダンスはどなへんが・・・
314 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 01:27:31
アフォーダンスにかんしては「情報系」というものが、まだ
よく理解されてなくて、オーラとか波動、念力などオカルト的な
暗黙知の領域とも関わってくるのですね。
315 :
「機械的唯物論」者:2005/12/23(金) 01:28:58
現実界において欲求不満のはけ口は物質だから
そのクオリアがベタ人々を2chにアフォーダンスするのです。
316 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 01:40:07
>>314 アフォーダンスの説明を調べてみたが、簡単な説明だけではあれの
どなへんがオカルト的な暗黙知につながりかねないのかがまだ
よくわからん・・。つまりどういうこと?
317 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 01:47:04
アホウダス ^^;
318 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 01:54:26
>>意識は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です
>>1よ
だから動物「以前」はどうなんだ?
319 :
1:2005/12/23(金) 01:57:36
動物は物質だからその実体はなんでもクオリアである。
320 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 02:02:42
同様に、動物「以前」も物質であるからその属性はなんでもクオリアである。
321 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 02:05:32
鉄原子だろうが炭素原子だろうがクォークだろうが何だろうがなんでも
クオリアである。
322 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 02:08:47
323 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 02:11:02
不毛なレスが続いております。
324 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 02:12:46
325 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 02:13:17
326 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 02:15:17
で?
327 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 02:30:34
ドラちゃんは悪魔ベルゼバブの息子
人類を自ら開発した道具で堕落させようとして未来からやってきた。
邪慰安は実は対ドラちゃん用破壊兵器として同じ未来から送り出された
人類の最後の希望。
八百屋の息子TAKASHI・GODAのイニシャルT・Gとは製造コード「TYPE・G」
のことである。
328 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/23(金) 03:04:09
>>295>>296 本当にご自分の思想として消化済みの「ビッグネーム達」なのですか?
なんだか、「自分なりのビッグネーム結構『牽強付会』」のように見えるのですが?
329 :
まさ:2005/12/23(金) 03:13:01
機械さんは脳は物質と言うけどその物質ってのは何からできていると思う?
原子核?電子?そのもっと最小の現代科学ではわからない部分にクオリア
を解く鍵があってそれがどんなものかを哲学者が考え物理学者や数学学者
生物科学者などの方々が検証し立証していく。それは決して頭のいい大学
の教授が想像するのではなく、ここにいるちょっとかわった人達でいいよ。
330 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/23(金) 03:24:08
>>208 >「なんでもクオリア」では、
>否定神学として作動するということですね。
否定神学とは、そもそも「そんな概念自体意味がない」と思いますが・・・
「神学を否定すること」であれば、「科学の前に神学など何の意味もありません」
・・・ので、科学的精神に対する「宗教への転向誘惑」も「意味がない言説」です。
「何でもクオリア」と軽蔑的に表現されるのでしたら、
あなたの「見て」いるディスプレイ・・・視覚的クオリア
あなたの「読む」書籍・・・視覚的クオリア
あなたの「見る」TV・・・視覚的クオリア+聴覚的クオリア
・・『以外』に、あなたの「脳内」で(あなたのおっしゃる)「創発」は
一体何があるのですか?・・・具体例を示して説明して戴けますか?
331 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 03:24:34
つまりだね、クオリアはベルクソンのイマージュの焼き直しに
過ぎないのだよ。
332 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/23(金) 03:37:16
>>331 そう「思いたい」気持ちは理解できますが・・・
ベルグソンは「測定機器の発達により感覚器に受容されない(世界の)
情報」・・・紫外線・赤外線、超音波、電子顕微鏡、粒子加速器の衝突秘跡
等々を(あの時代に)「予測」できたとおっしゃるのですか?
認識論が存在論の「糸口」であることは各時代共通ですが、「認識の技術」
は、「既存のビッグネーム認識論者」の「認識の甘さ」をろていしてしまって
います。
ディスプレイで観測される自然現象・・・これは従来クオリア化できなかった
ので「存在しない」と言われてきた「存在」が「実在した!」ということです。
その意味の「哲学」における重要さは・・・まだ1%しか理解されていない・・
ということだと思います。
333 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 03:54:33
確かに科学技術によるセンサーは人間の感覚を超えた範囲で様々な感知能力を
持っています。
しかし、クオリアなる観念は人間の実感が重要で、五感による生き生きとした
知覚を大事にするものです。
残念ながら素粒子は五感によって捉えられたことは無く、観念と測定機器に
関わるのみの事象であります。
334 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 05:20:45
俺のクオリアが神の存在を肯定している。
335 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 07:46:39
で?
336 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 09:33:31
>>332 機会タンは物質だから他人の気持ちをクオリアとして理解できますが
哲学をまだ1パーセントも理解していない。
337 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/23(金) 10:13:18
>330
>>294-296を読みんしゃい。
オートポイエーシスは「創発」の一つです。
否定神学とは、「クオリア!」ということで、複雑な問題が解決したように
安心することをいうのです。
「クオリア」とはなにか?いまから100年以上前の現象学のパクリだ。
と脱構築していく運動を忘れてはいけません。
338 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 10:35:05
>>337 パクリ専門のぴかぁ〜は物質だからクオリアを否定神学であるとベタな強弁をやめない。
>>1 読みにくいから行を開けるなり出来ないのか?
340 :
1:2005/12/23(金) 10:52:52
>>339 私は物質だから他人のクオリアを思いやることができないし、
行をベタにしか書き込みできませんのであしからず。
ぴか〜は否定神学の意味を勘違いしてないか?
342 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 11:26:06
ん?
「ん?」?
>>1 乙です。やっぱ哲板にはこのスレが無いと寂しいね。
今回は対ぴかぁ〜戦かw
純一氏!あんたの出番だぞおぉっ!
機械は誰とも対戦して無いでしょ。
議論が進んでくるとかき混ぜて振り出しに戻すだけ。
>>330 ここで言う「脳内」を「心的出来事」の意味で解釈するなら、
「脳内」にはクオリア以外に色んなものがあると思う。
例えばTVを見ているとき、ある登場人物に意識が向かう働き(志向性)や、
その人物が話すセリフを日本語として理解している状態などなど。
これらは普通クオリアとは呼ばれないだろ?
>>332 そのクオリアが裸眼によるものか電子顕微鏡によるものかどうかは本質的ではないんじゃない?
そもそもそれが何によって与えられたかでクオリアに質的な差があるというのは、
最初からクオリアと物理的過程が同じか対応してるという立場だよね。
っていうか「機械的唯物論」者だから当たり前か。
347 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 14:46:35
で?
348 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 14:47:50
>>347 ┌───────┐
|< ●> < ●>
| ┌────┐ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | │ |< ど?
/ |____/ \ \__________
( ┤ |\\
\| | (_)
( | |
| /\ |
└──┘ └──┘
>>347 お前、邪魔くせえよ。たまにゃあ面白いこと書いてみろよ。
350 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 14:51:51
意識はクオリアで生成されている.
>>347をウザイと思うのもクオリアが働いて脳内処理されたからかな.
>>331 > つまりだね、クオリアはベルクソンのイマージュの焼き直しに
> 過ぎないのだよ。
ベルクソンのイマージュをよく知らないけどこれはじゅうぶんありえる話だね。
クオリアって言葉は目新しいけどおおまかな議論自体は過去執拗に論じられてきたある意味古臭い心身(心脳)問題だから。
(もっともベルクソンのイマージュはさまざまな含みを持った概念のようだから、
心にうつるよしなしごとのうち、主に感覚に由来する部分に貼られた呼称にすぎないクオリアとは細かい点は違うようだ。)
ちょっと前のスレにも科学畑の人が何人か来てたみたいだけど、
そういう人達が哲学に期待してるのも解決策ではなく問題が過去どのように論じられてきたかという哲学史的な知識ではないかと思う。
>>351 > ちょっと前のスレにも科学畑の人が何人か来てたみたいだけど、
> そういう人達が哲学に期待してるのも解決策ではなく問題が過去どのように論じられてきたかという哲学史的な知識ではないかと思う。
解決策は無い、と明言するのが哲学ですね。クオリアはそこをポジティブに語っているが故に
最悪の哲学なのです。
>>350 「クオリアで生成されている」って言い方、変じゃないか?
「ウザイ」という感じがクオリアなんじゃないか?
>>352 クオリアがしゃべるわけないだろ。
解決策は無い、と明言してもいいわけだがどうして無いのか説明するぐらいはしてくれてもいいよね。
355 :
決定論スレ46の556:2005/12/23(金) 15:13:10
逆でしょう。
科学が解決できない問題として、
科学の外の人間が持ち出してるのがクオリアのように見えます。
でも、持ち出しはするものの持ち出した当人の方々自身が、
それが何で、なぜ問題なのか、まともに誰も説明できていません。
結局存在するのは、「問題」ではなくて、
「科学的に存在できない問題が存在してほしい」という願望
だけなんじゃないでしょうか?
356 :
決定論スレ46の556:2005/12/23(金) 15:13:53
×「科学的に存在できない問題が存在してほしい」という願望
○「科学的に説明できない問題が存在してほしい」という願望
>解決策は無い、と明言するのが哲学ですね。
>クオリアはそこをポジティブに語っているが故に最悪の哲学なのです。
主観を構成しクオリアを感じるための「実質」について研究する方法が、
クオリアに直接的に関係するものではない、ということで、
主観・クオリアが生じる「構造」や「形式」についての研究が必要だ、
と茂木という人は主張しているのではないかな?
科学では解明できないのではなくて、行動主義や心理主義や物理主義じゃだめ、
といっているだけだと思う。
ぴかぁが言うように、これは現象学から派生したもの、
あるいは、現象学の一部と言ってもいいんじゃないかな?
358 :
346:2005/12/23(金) 15:30:26
>>355>>356 訂正前のが強烈でよかったと思う。
> 科学が解決できない問題として、
> 科学の外の人間が持ち出してるのがクオリアのように見えます。
もっぱらクオリアは心の唯物論的な理解に対する疑義として持ち出されてる。
> 「科学的に存在できない問題が存在してほしい」という願望
> だけなんじゃないでしょうか?
持ち出してる人の何割かはそういう願望を持ってると明言してる。
だからこれらは今更指摘するまでもないと思う。
でも問題は存在するでしょ。
心は物的過程に還元できるのか?とか人工知能はクオリアを持つのか?とか。
359 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 15:41:30
で?
>>359 だから、それ、ウザイっつの!調子にのんな!!
361 :
決定論スレ46の556:2005/12/23(金) 15:42:46
>>358 >持ち出してる人の何割かはそういう願望を持ってると明言してる。
>だからこれらは今更指摘するまでもないと思う。
私が指摘しているのは、「願望を持っている」ということではありませんね。
問題が存在せず、「願望だけがある」ということを申し上げていますよ?
問題しない問題を繰り返し蒸し返す人がいる以上、
それに対して問題は存在しないということを改めて指摘せざるを得ないと思いますが?
問題が存在してほしいという願望を持つのは勝手ですが、
その願望だけで、ありもしない問題を突きつけて、
それについて議論をすることを他人に要求するのは
我侭としかいいようがありませんし、第一まじめな議論の邪魔です。
>でも問題は存在するでしょ。
>心は物的過程に還元できるのか?とか人工知能はクオリアを持つのか?とか。
ですから、それは問題として成立していない、と私は再三指摘しています。
クオリアに関しては、まず、明確な定義が提示されていません、
定義もされていないものについて、「人工知能がそれを持つかどうか」を議論することに意味があるとは思えません。
362 :
350:2005/12/23(金) 15:43:50
>>353 >>1の『意識はクオリアを持つ動物全部に生成する現象』を簡略して書いたんだが、違う?.
ウザイの前にクオリアを感じるんでは?.
>>362 >ウザイの前にクオリアを感じるんでは?
それだと、物理主義に戻っちゃうでしょ。
特定の範囲の周波数の電磁波を感じて、
「周波数がいくつだ→だから赤い」
とする仕組みの物理的解明がクオリアの問題ではなくて、
「赤い」という感じが生じる主観の構造の解明がクオリアじゃない?
現象学が「感覚与件から出発しちゃだめ」というのと同じだと思う。
だから、ウザイの前に感覚がなにかを捉え、
「で?」という文字として認識することクオリアではなくて、
「ウザイ」という感じがクオリアなんじゃない?
365 :
350:2005/12/23(金) 16:04:21
>>363 そうか。
『ウザイ』と感じたのがクオリアで、『ウザイ』と書き込んだのが脳か.
>>350 スマン.
366 :
350:2005/12/23(金) 16:05:39
>>365 いや、俺も良く知らないで浅い知識に基づいた推測で書いてるから謝られても困る。
どっちがあってるか分からないし、どちらも間違っているかもしれない。
こちらこそ頼りにならなくてスマン。
368 :
346:2005/12/23(金) 16:16:19
>>361 なんかずっと同じやりとりをしてるみたいな。
どんな言い方をすれば定義として見とめてもらえるのかわからないけれど、
>>351の
>心にうつるよしなしごとのうち、主に感覚に由来する部分に貼られた呼称
では満足できない?稚拙な物言いでスマンが。
心には色んなものがのぼってくるけども、その中で白い壁を見ているときの「白さ」や
スピーカーから流れる四つ打ちのキックの「ドンドンくる感じ」のその呼称。
例えば君が俺のレスを呼んで「こいつは我侭に違いない」と思うのを「信念」と呼ぶように。
というか、君のほうで心身問題における明確な定義とそうでないものの具体例を挙げてもらえないかな?
あと人工知能はクオリアを持つか?という問題が論じる意味がないというなら、
人間の心が実現された人工知能でそれが白い壁を見ているときに人間同様の体験をしてるのかどうか?というのも意味が無いのかな?
ありえない、とかおおざっぱすぎるとかはとりあえず置いといて。
369 :
決定論スレ46の556:2005/12/23(金) 16:16:45
>>364 一言で言えば、氏の説明は、「○○ではクオリアは説明できない」
に終始しており、クオリアの存在を説明不要な前提とするところから始まっています。
ここに決定的な論理の飛躍があります。
「○○が説明できない」ということを問題にするためには、
「○○という存在を前提しなければ説明できない観測事実」
が存在しなければなりません。
それが必要なく、何の根拠も無い「○○」なり「××」の説明が求められるとしたら、
体系的な学問は成立し得ないでしょう。
例えば、それは、ユニコーンや竜の説明を生物学に求めるようなものだからです。
370 :
決定論スレ46の556:2005/12/23(金) 16:19:23
>>368 >では満足できない?稚拙な物言いでスマンが。
それは、第三者からは、どのように観測されますか?
371 :
346:2005/12/23(金) 16:26:55
>>369 君はここが決定的に理解してない点なんだよ。
クオリアはそもそも「存在を説明不要な前提」なの。
俺達が心的出来事のいろいろを語るのにそれぞれを
「嘘」「信念」「気配り」「不安」といろいろ呼んでるように感覚に由来するある部分を「クオリア」と呼んでるだけ。
名前、レッテルなの。
だからクオリアの存在を実証したりすることは意味が無いことなの。
372 :
346:2005/12/23(金) 16:32:02
だから「クオリア」という言葉を使うのはやめるべきだ、という批判はある意味正しいと思うが、
問題が存在しないというのは間違ってる。
373 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 16:34:24
なるほど
構成概念ですね
374 :
346:2005/12/23(金) 16:36:41
>>370 だから
> >では満足できない?稚拙な物言いでスマンが。
> それは、第三者からは、どのように観測されますか?
こう問うことは既にクオリアの問題にコミットしてる。
375 :
決定論スレ46の556:2005/12/23(金) 16:39:57
>>371 >クオリアはそもそも「存在を説明不要な前提」なの。
なぜ不要なのですか?
>俺達が心的出来事のいろいろを語るのにそれぞれを
>「嘘」「信念」「気配り」「不安」といろいろ呼んでるように感覚に由来するある部分を「クオリア」と呼んでるだけ。
>名前、レッテルなの。
名前、レッテルでも結構ですよ。
「何に」張られた「名前、レッテル」なのか、「ある部分」ではなくて、ちゃんとした定義を示してください。
>からクオリアの存在を実証したりすることは意味が無いことなの。
「説明が必要な問題だ」と主張する以上は、存在を実証することは必要ですよ。
「ユニコーン」、「竜」も、「名前、レッテル」ですけれど、
だからといって、存在を実証せずに、生物学の説明対象にすべきだとは主張できないでしょう?
376 :
決定論スレ46の556:2005/12/23(金) 16:47:23
>>374 「クオリア」という「名前、レッテル」の指示対象の存在が、
説明を必要とするような有意な問題であるのかどうか、
という問題は、最初から私の扱っているところのものですが?
377 :
346:2005/12/23(金) 16:55:20
>>372 ついでに俺なりのクオリア論への批判というか疑問は
心的出来事において感覚とその表れ方をわける必要があるのか?ということ。
クオリアをめぐる哲学の問題「クオリアの不在」や「逆転」「知識論法」などはどこかおかしいと思うが、もちろん俺にキチンと反論できる技量など無い。
378 :
346:2005/12/23(金) 16:56:09
>>375 俺なりに定義は上に示した。
君も明確な定義とそうでないものの具体例を心身問題の中から出してみてほしい。
379 :
346:2005/12/23(金) 17:01:34
>>376 だからクオリアの存在は説明の必要がないんだって。
心は存在するか?という問題を立てるなら別だけど、それは最初から前提された上での問題だから。
だから心の存在を前提した上でクオリアは第三者からどう観測されるかはすでにクオリアの問題でしょ?
380 :
決定論スレ46の556:2005/12/23(金) 17:02:57
>>378 >俺なりに定義は上に示した。
>感覚に由来するある部分を「クオリア」と呼んでるだけ。
「感覚に由来するある部分」では、そもそも日本語として成立していませんよ。
「部分」という以上、想定する母集団があるはずですが、それは何ですか?
「ある部分」という以上は、母集団の中で、それを、他と区別する何らかの違いがあるはずですが、
それはいったいなんですか?
>君も明確な定義とそうでないものの具体例を心身問題の中から出してみてほしい。
「心脳問題」という言葉自体、定義が不明瞭だと思います。
381 :
346:2005/12/23(金) 17:06:57
>>380 母集団は「心」です。
何回も言いますがこれは心身(心脳)問題ですよ?
心身(心脳)問題自体定義が不明瞭だから論じる意味が無いということですか?
それならそれで俺も興味があるので持論を展開してくれるとありがたい。
382 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/23(金) 17:09:04
■「クオリア」はなぜ語りえないのか。
>>
クオリア・マニフェスト 茂木健一郎
http://www.qualia-manifesto.com/manifesto.j.html 私たちの世界観の中で心的現象が本来占める重要性に対するいきいきとした感受性を持ち、心の
中の様々な表象(representation、Vorstellung)の重要性を指摘したのが、フッサール、ハイデガーら
の現象学者たちであった。
私たちの心の中のクオリアを「私」が見るという構造は、「私」という「主観性」(subjectivity)の構造に
支えられている。「私が赤を見る」という心的体験のうち、「赤」の「赤い感じ」がクオリアであり、一方、
「私が○○を見る」という構造が主観性である。このように、クオリアと主観性は、表裏一体の関係に
ある。これが、私たちがクオリアと主観性を同一のフレームワークの中で理解しなければならない
理由である。
主観性の起源の解明のためには、クオリアに対応するニューロンの活動の時空間的なパターンの
解明のために必要な議論よりもさらにシステム論的な議論が要求される。
<<
ハイデガーの、フッサールとの違いは、コンテクスト主義と言われている。すなわち物理主義など、
現象を因果律だけで説明するのではなく、間に解釈項を入れる。ハイデガーではそれが「現存在」で
ある。対象を赤いとみるのは主観という解釈項である。これはパースの記号論の3項であり、ラカン的
には現実界(ものそのもの)から想像界への解釈項としての象徴界(言語)となる。だからラカン的
には、「クオリア」は言語のように構造化されているとなるだろう。
383 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/23(金) 17:10:16
事実、神経学によると、人が感じる色は、光の波長でなく、言葉として認識した色と近いと言われる。
だから当然、同じ波長の赤でも見えているものはちがう。たとえばデザイナー、画家など色職人は
様々な赤を日頃認識している。当然、なんでも赤の僕達とは見え方が違う。たとえばこれは
オートポイエーシスが考えられたもとでもある。
>>
オートポイエーシスは神経システムをモデルにして組み立てられている。マトゥラーナが問題とした
神経システムは、色の知覚に関するものである。外部刺激に対する視覚神経細胞の活動は、
外部刺激の物理的特性に1対1に対応していないという実験結果がある。つまり、神経システムを
外部刺激−細胞活動のスタティックな写像として見ると、実験結果が説明出来ない。こうしたことから、
神経システムはそれ自体の関連の内部でのみ活動しているはずだとマトゥラーナは考えた。
http://rikou.st.ryukoku.ac.jp/~nomura/docs/autopoiesis/node4.html <<
たとえば、盲人も普通の人と同じように色がわかるという。たとえば盲人は、赤は派手、明るい、
ショック、危険などなど色をイメージとして認識している。そして色は言語であるというとき、普通の人も
盲人と近い形でイメージとして色を認識しているということである。
それでも、この赤という意味(クオリア)は、派手、明るい、ショック、危険などの確定記述の束に還元
されない。これを赤のイデアと呼んでも結局、言語への還元でしかない。ラカンが意味は現実界に
あり、人は知りえない、あるいはヴィトゲンシュタインィトの「語りえぬもの」とは、このような意味である。
384 :
決定論スレ46の556:2005/12/23(金) 17:10:34
>>379 >心は存在するか?という問題を立てるなら別だけど、それは最初から前提された上での問題だから。
私はそのような前提を受け入れた覚えはありませんが。
(「心が存在しない」と主張しているのではありませんよ。
存在の有無を問題にしなければならない理由が無いということです。)
だいたいにおいて、茂木もそうですが、あなたは問題の起こし方がおかしいです。
まず、最初に観測事実があり、それの説明を試みて、その上で、
存在を前提しなければ、観測事実が説明できないから、
なんらかの存在を前提する、というのが科学的な考え方のはずです。
あなたは、観測事実の前にいきなり問題を提示されます。
「問題と説明」という概念について根本的な勘違いをなさっているとしか思えません。
385 :
決定論スレ46の556:2005/12/23(金) 17:11:09
>>381 「心」って何ですか?
それは、第三者にはどのように観測されますか?
386 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/23(金) 17:11:12
それでも、意味にさかのぼるなら、アフォーダンスという考え方がある。赤を人の認識に還元する
のでなく、たとえば赤い花は赤いことをアフォードしていると考える。赤い花は動物、昆虫を引き寄せる
ために赤を訴えている。人が赤に感じるクオリアはこのような進化上の経験によるということだ。
これは進化心理学であり、憶測でしかない。すなわち意味とは、このようなことである。美とはなに?
なんのために生きているの?などなどだから意味は現実界(ものそのもの)にしかない。それは、
簡単には以下のよう意味になる。
クオリア(意味)=遺伝子による進化上の経験+言語による文明的経験+生まれてからの記憶された経験
主観と客観とはなんだろう。たとえば人間の先天的能力で赤く見えるものは、客観である。しかし
最近は「やわらかな遺伝子」などといわれ、遺伝子は単なる先天的なものではなく、後天的な発動の
問題がある。だから遺伝子的にも先天性と後天性は明確でない。いわば後天的解釈項(それは言葉
でも育つ環境でも良いか)によって、遺伝子がどのように発動するか、わからないということであり、
意味(クオリア)はこのような複雑なコンテクストの彼方にある。
387 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 17:11:33
で?
388 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 17:32:13
ぴかぁ〜、邪魔すんな こら!
389 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 17:36:42
クオリアの存在を問うことは無意味
「長さ」はどこにある?
そんなものはどこにも「存在」はしない
なぜなら実体の無い概念だからだ
概念を扱いやすくするために
便宜上単位という恣意的な規則を人為的に仮定する
そうすることで我々は概念の世界が記述可能となる
しかし、これをきちんと理解しない馬鹿は
あたかも「存在」しているかのような誤謬を起こすからだ
390 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 17:44:03
ぴかぁ〜、言いたい事は分かるけど、同じ事を何度も書くな.
『クオリア』に対してのクオリアは人様々になるわけだよ.
391 :
決定論スレ46の556:2005/12/23(金) 17:49:06
「長さ」は、存在しますよ。
現に観測可能で、複数の観測をつき合わせて比較することもできます。
長さが異なっていれば、入れ物に物が入らなかったり、
場所が余ったりといった具体的な問題が起きます。
私は、クオリアについては、そういった検証可能な観測事実や、
具体的な問題が示されていない、それゆえに、
有意な議論の対象とはなりえない、と申し上げているだけですよ。
>>391 長さは存在しません
モノとモノとの関係性というコト
つまり、コトという概念を
便宜上恣意的な規則を設定して
記述しているにすぎません
つまり、長さとは
観測者という存在を前提にした時
その観測者の脳内で生じる概念に他なりません
そういうことではないんだけど。
クオリアを操作的に定義できないという話。
395 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 18:10:11
>387
荒らし通報するぞ
なぜ、操作的に定義しなければならないのですか?
そして、操作的に定義してしまったものが、私たちが体験するクオリアと一致すると思いますか?
操作的に定義しないければ、誰にでも理解できるようにならないよ。
操作的定義は、一致するようにするもの。
「長さ」についてみんなの間で誤解が無いのは、
「ものさしで測った値を長さとする」のような操作的定義があるから。
重さを長さと定義してもいいけど、意味が無いのでそうしないだけ。
398 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 18:21:06
クオリアは無限なのです、神なのです、定義などという子供じみた言葉からかけ離れた存在なのです
だから私たちはクオリアについて何も語れないし語ってはいけないのです
399 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 18:28:08
語ってるじゃんw
400 :
決定論スレ46の556:2005/12/23(金) 18:29:44
>>392 というか、単に「存在」という言葉をどういう意味で使っているかだけの違いのような気がしますが。
言い換えるならこういうことです。
・「長さ」は、二者以上の観測者が同じ対象について観測可能で、結果を比較することができます。
・「長さ」が違うことは、われわれにとって有意な違いをもたらします。
しかし、
・「クオリア」について、二者以上の観測者が同じ対象について観測する方法、結果を比較する方法は示されていません。
・「クオリア」について、その内容の違いが、われわれにどのような違いをもたらすか、誰も説明できていません。
>その観測者の脳内で生じる概念に他なりません
上であげたことは、つまり、「概念」「でしかない」のか、
「(個々の個人の主観の中の)概念」を離れて存在するかの違いです。
401 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 18:33:20
>>397 操作的定義とは、ある概念を操作できるようにすることが前提のものです。
人々の間での誤解を無くすのが目的なら説明的定義で十分です。
では、あなたにとってクオリアを操作可能にする作業=操作的定義は、
どういう意味や目的を持つのですか?
>>389にほぼ同意。
でも、「馬鹿」は言い過ぎでしょ・・・。
>便宜上単位という恣意的な規則を人為的に仮定する
>そうすることで我々は概念の世界が記述可能となる
おそらく、「クオリアや主観性の基礎の解明」というのは、
この仮定の根拠となる「人為」の構造を解明することなんだろうと思った。
これは、ハイデガーが『存在と時間』の中で、「基礎的存在論」として、
従来の存在論の中途半端な客観性を、
むしろ主観を徹底した実存論的な方法で書き換えることによって、
より客観的、というか本来的な記述が可能になることを主張していたのとかぶるかも。
「客観的」であるというのは、ある集団内である時期に共有された主観で、
つまり、その基礎は個々人の主観であるし、最終的にも主観以外ではない。
多くの人によって共有された主観(公共性)は、小回りが聞かないので、
現実の状況変化への対応が鈍くなり、現実とのギャップが大きくなりやすい。
このギャップに気付きながらもその時の公共性に追従するのが「頽落」なのだろうな。
「で?」って言うな!
それだとそもそもクオリアがあるとかないとか、
どういう場合にクオリアがあるのかが分からないでしょ。
操作的定義とは、直接目に見えないものについた名前を、
直接目に見える手続きや基準を用いて定義することだよ。
(「長さ」の定義のように)何かを操作的に定義するのは、
そのことについてみんなで共通の理解に達するための前提だよ。
404 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 18:50:37
疑似科学(ぎじかがく)は英語Pseudoscienceの訳語である。学問、学説、理論、知識、研究等のうち、
その主唱者や研究者が科学であると主張したり科学であるように見せかけたりしていながら、
科学の要件として広く認められている条件(科学的方法)を十分に満たそうとしていないものをいう。
これらが、科学であるかのように社会に誤解されるならば、そのことが問題であると言われる。
類似の概念で、科学的方法を採用するが未だ至らないもの、至っているが社会全般に
科学であると認められていないものをプロトサイエンス(未科学、異端の科学)という。
迷信やオカルトも類似の概念であるが、それが科学であると誤解されるような要因を持ち合わせない
ハインズは『超科学をきる』(ISBN 4759802754)で疑似科学の傾向を以下のようにまとめた。
1、反証不可能性 2、検証への消極的態度 3、立証責任の転嫁
ここでいう反証不可能性とは、科学哲学者カール・ポパーが科学の基本条件として挙げた
「反証可能性 (falsifiability)」の反意語である。通常の科学理論では、もしそれが間違っているならば、
そのことを示す証拠が見つかる筈である。科学は、「仮説−実証」の両輪で進められる(→科学的方法参照)。
すなわち、「反証」事実がでてくれば、元の理論を修正するのが科学の営為であり、
「反証できること」がいかに科学にとって大事であるかをポパーの言葉は示している。
これに反して、疑似科学は反証ができない、もしくはできない構造にしている。
405 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 18:53:01
>>402 人為の構造論でクオリアの属性を論じてみろ w
406 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 18:55:01
アメリカ合衆国の懐疑論者マーティン・ガードナーはその著書『奇妙な論理〈1〉』において、
疑似科学者の傾向として以下の5項目が上げられるとしている。
1.自分を天才だと考えている
2.仲間たちを例外なく無知な大馬鹿者と考えている、
3.自分は不当にも迫害され差別されていると考えている
4.もっとも偉大な科学者やもっとも確立されている理論に攻撃の的を絞りたいという強迫観念がある
5.複雑な専門用語を使って書く傾向がよく見られ、多くの場合、自分が勝手に創った用語や表現を駆使している。
疑似科学の主張には明らかに馬鹿げていると見えるものもままあるため、それを否定するときに
「誰も信用しないから間違っている」「間違っていることは検証するまでもない」と反証を出さずに、
非科学的・非論理的な「批判」が行われてしまうことがある。
疑似科学を批判する場合はその理論が正しいかに争点がいきがちだが、
その前提となる条件が反証不可である事への批判を行うべきなのである。
誤った「批判」は、科学的思考の妨げであるだけでなく、巧妙な外見を持った疑似科学を
『現代科学という暴君に弾圧される殉教者』に仕立て上げてしまう恐れがある。
なお、少なくない疑似科学批判者や懐疑論者により、大槻義彦の超常現象に対する言動が
このような安易な「批判」であるとの指摘がなされている
407 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 18:56:00
ついでに言うと,
>人々の間での誤解を無くすのが目的なら説明的定義で十分です。
は嘘.
>>401のいう説明的定義が不十分だったので,
操作主義が出てきたという歴史がある.
>>405 属性というのが何を意味してるのかよく分からなかったけど、
もしかして、ハイデガーの言う「実存範疇」ってやつかな?
あと、ぴかぁが「解釈項」って言葉を使ってたけど、
歴史的文脈や、ヒトという種としてもって生まれた身体的な限界など、
クオリアは重層的なものともおもわれるけど、
「人」為というより「生命」為とでもいうのか、最も基底にあるのは、
生きることに向けて構成された、生の構造なのだろうとおもう。
409 :
「機械的唯物論」者:2005/12/23(金) 19:51:47
生の構造とは重層的であるが身体として物質だからそのクオリアは脱構築により生死を離脱できる。
410 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 20:28:41
漏れのクオリアがそう囁くんだよ.
使い方おkだろ.
411 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 20:29:02
>>407 概念を科学的に扱うためという目的があってするのが操作的定義です
であるからにして、簡単に言えば、
クオリアを操作的に定義するということは
クオリアを科学的に扱えるようにするということである
しかし、この言葉は非常に重い
クオリアがどういう概念なのかを知れば知るほど重くのしかかる
そして、クオリアを観測できる他のものに置き換えるという操作は
はたして可能なのかをとことん考えてみるがよろしい
>>354 いや、クオリア論っていうのは、何か絶対的な解決を設定しているわけですよね。意味の
問題に関して。よき哲学はそういう問題は認識不能であるということを明晰にする。それを
魔術的な手続きだろうと科学的な手続きだろうと、認識可能であるとするのは最悪の思考
なのです。
しかし、このスレッド見てても哲学的問題は相変わらずなんですね。人間の知識は拡大したが、
人間は相変わらず人間だということですね:)
>>386 > 簡単には以下のよう意味になる。
> クオリア(意味)=遺伝子による進化上の経験+言語による文明的経験+生まれてからの記憶された経験
そこはちょっと面白い議論になるかと思いますが、意味、ここではクオリアと呼びますか(笑)、は経験論で
語れるか?そこは微妙じゃないですかね。これは言語の起源を問うことにもなるから、それこそクオリア論的な
形而上学へ迷い込みそうですが。
414 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 20:48:56
で?
系統発生と個体発生?
416 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 20:58:48
で?
個体発生と系統発生?
418 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 21:01:55
で?
419 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 21:04:42
『で?』禁止!><
420 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 21:06:13
で?
421 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 21:15:17
テメェらには馴れ合いがお似合いだ
ボノボでつか?
423 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 21:22:30
チンパン君でそ
424 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/23(金) 22:47:06
>>413 特に生物学ではこのような超経験論的トークは一般的でしょう。
なぜシマウマはストライプなのか、などなど。
これを心の進化としてとらえるのが、進化心理学ですね。
従来、形而上学とされていたもの、語り得ぬものについて語ろうということです。
425 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/23(金) 23:54:30
生物学などの科学は基本は経済原則的な思考になる。
それは、生存至上主義だね。
いかに生き残るかという結果に向けて、原因を考える。
この当たりと対抗するのが、精神分析になる。
フロイトの快感原則であり、快感原則の彼岸である。
精神分析は、もっとも優れた人間観察学なわけだけど、
そのはじめから、人間/動物の差異をその根底にもっている。
進化論に還元できない「人間」性というもの。
これはフロイトが哲学者であることから来ているんだろう。
そしてフロイトは進化論者であり、神経学者でもあったわけだ。
>>425 たまにはまともなこと書くじゃん。
インプリシットに目的論を前提してることに気付かない機械的唯物論者
に対してはいい批判だ。
でも知識人ぶりした文体は滑稽だからやめたほうがいいよ。
>>425 確かに生物学が変なイデオロギーにつなげられしまうことは多いですね。市場経済と
ダーウィニズムなど。今時そこまで酷い人はいないかも知れませんけど、人間の
本能にある種の理性が宿っていると信じる人は結構いるんじゃないですかね。
私も精神分析、およびマルクスの唯物論を最も尊敬してますが、精神分析に関しては
臨床的な面では完全敗北であることは明らかになってますね。氏か育ちかという話でも
氏であるという方向が強い。生物学的精神医学が今は主流でしょう。まぁ、それまでの
アメリカ型精神分析が俗流フロイド主義だったわけですが。
>>424 クオリアの話にもどると、クオリア論者は比喩の問題についてどう考えるんでしょうか。言語の
最大の謎であり、言語を無限に開かれたものにしているのは比喩ですね。比喩でもユング的な
象形文字的置き換えではなくて、メタ言語的な言説です。これが解決できるならば、人間の謎は
全て解決ですよ。人工知能も可能となり、人類の歴史はシューリョーです。
429 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/24(土) 00:40:27
>>426 「知識人ぶり」に「批評家ぶり」か。
つまらんレス。逝ってよし!
なんだよ、せっかくほめてやったのに
431 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/24(土) 01:00:25
>>427 精神分析が臨床的な面では完全敗北であるというのは、どうでしょうか。
斉藤環などがいうのは、社会の「心理学化」ですね。
精神分析の知識が一般になった結果、ベタな精神分析的病理が減り、
軽い精神病理が一般的になった。
たとえば、あれ、なんか俺って最近、鬱気味じゃないか、神経症ぎみだな
とか自覚的になったきたということです。
精神分析では無意識に抑圧されたものを意識化、言語化することが
治療方法ですから、ある意味で、自分で自分を掘り下げることができるように
なっている。これは、価値の多様化、相対主義化した結果、
そもそもにおいて、人がみなアイロニカルになっていることによるのでは
ないでしょうか。そしてその価値の一つが精神分析的知識だったりする。
その意味で、「無意識に抑圧されたものを意識化、言語化する」という
精神分析の臨床がもはや医者でなく、個人で行われているというような
ことを感じます。
432 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/24(土) 01:00:48
精神分析的カウンセリングなどは、もはやベタでウッディアレン的世界に
なってしまっているのではないでしょうか。だから科学の発達もあり、
医者に望むのは、それが長期的な改善にきくかどうかよりも、
即効性の高い薬をもらうことになっている、それが「生物学的精神医学」
が主流になっているという実態ではないでしょうか。
たしかに最近の科学では、脳をいじることで性格を変えることもできるように
なっているし、そのような事が行われはじめている。
鬱の人を健全?にすることができる。しかしそれが本質的な治療であるのか、
ということはあるでしょうね。
433 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/24(土) 01:01:28
>>430 そうなんだ。よくがんばったね。ごめんね。
みっともないからやめなさいって。
435 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 01:06:39
>>ぴかぁ〜
ちゃんとしたとこで診てもらったのか?
治ってないぞw
436 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/24(土) 01:07:14
>>428 言語の比喩性ですね。それは結局、コンテクストの問題ですね。
その言葉の意味はコンテクスト(文脈)によって決まる。
それが、言葉をその意味へ求めるための解釈項の問題です。
そして解釈項として、進化論的、言語文化的、個人経験的に複雑絡み合っているので、
決定不能なのですね。
437 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 01:12:24
438 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/24(土) 01:15:24
439 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 01:17:24
>>436 ぴかぁ〜、「わかりません」のひとことでいいんだよ
5行も使うこたないw
ぴかぁ〜みたいに背伸びしてしか話せないのって、精神分析的にはどうなんだ。
親、社会からの承認が不足していたってことかな。
441 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 01:31:02
知能不足でまちがいない
442 :
ぽっくん ◆5m18GD4M5g :2005/12/24(土) 01:35:51
背伸びしてしか話さない=賢くみられたい
真の賢者は難しいことを広く万人がわかるように噛み砕いて表現することができるはず。
443 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 01:37:46
精神分析は「それ(Es)が動かす」と言うけれども、この動かす主体として
の「それ(Es)」も、これとてもまた例のごとく単に解釈された表面的なもの
でしかありえないと思うのですが・・。
444 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 01:42:27
>真の賢者は難しいことを広く万人がわかるように噛み砕いて表現することができるはず。
ぴかぁ〜を批判しないが、ぽっくんが良い事言った.
445 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/24(土) 01:42:41
「生物学的精神医学」の話にもどると、人間を動物として扱うか、
人間としてあつかうか、ということではないでしょうか。
たしかに動物としてあつかう技術が発達しいるから、
動物として扱う方法が多くなっているとは思いますが、
それは勝ち負けとは関係ないでしょう。
たとえば、これはフーコー、あるいは東の
規律訓練型管理と環境管理(生管理)の話にも繋がります。
現代のような価値の多様化では、規律訓練的に教育などで
社会性を人の内面に植え付けること、人々の中で
意味(クオリア)を共有させること、が困難になっている。
だから心ではなく、生の部分によって管理しようと言うものです。
たとえば、国民総番号制にして、データーベース化して管理する
ようなことです。
これも、そのような情報化技術の発達が、可能にしているのです。
市町村の情報がCDROM1枚に入り、検索できてしまう。
しかし心の管理と、生の管理のどちらが正しいということでは
ありませんし、コミュニケーションにおいて、意味(クオリア)の
共有は必要であって、そのために規律訓練的なものは必要です。
ただそれが学校教育、家庭のしつけによって行われると言うよりも、
趣味的な小さなコミュニティ内で行われているということです。
心理学化する社会というように、精神分析が広まり個人レベルのおこなわれる
と同じように、心の内面化が小さなコミュニティなどの分散化していることが
わかります。
実はこれも技術発展の結果であるといえます。
技術発展による情報化によって価値が多様化して、心の共有が分散化したとも
言えますし、また環境管理的な生のレベルの共有が可能になることによって、
心の共有が分散化され、大きなコンテクストから自由になった、ともとれます。
446 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 01:46:31
ふーん。
447 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 01:50:26
448 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/24(土) 01:51:13
449 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 01:52:40
450 :
ぽっくん ◆5m18GD4M5g :2005/12/24(土) 02:01:36
脳は物質だ。魂の道具だ。意識は魂が脳を使ったときに生じる非物質だ。
例えて言うなら脳はパソコン。電源を入れてキーボードを叩く魂の意思がなければ、そのディスプレイには何も表示されない。
意味とクオリアは違います。クオリアとは質感のことで、感覚的確信のようなものでしょう。
感覚的確信の中に意味はない。というか、感覚的確信の中に意味を見出すと、それはすでに
感覚的確信ではない。
意味は、公理主義的に決定するものですから、心や生の問題とは関係ありません。
452 :
ぽっくん ◆5m18GD4M5g :2005/12/24(土) 02:03:15
クオリアって流氷の天使だろ?水族館で見たよ。
453 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/24(土) 02:05:45
結局、心身(心脳)問題ですね。
科学は心を解明できない。
その力は徹底的に身体へ向かう。
精神分析が心を操作しようとするならば、
「生物学的精神分析」は徹底的に身体へアクセスすることに
よって、心を操作しようとする方法です。
しかしここでは本質的「心」が失われている面があります。
古くはロボトミー手術のように。
454 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/24(土) 02:07:58
>>451 過去ログよんできな。
簡単には意味から分けられた「感覚的確信」などないということだ。
455 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 02:10:47
某神経クリニック
「看護婦さん、ぴかぁ〜さんの再検査予約いれといて」
>>454 いや、それじゃクオリアを探求する脳科学者と君は別の意味でクオリアという
言葉を使っているだけにすぎない。
意味のないただの質感、が果たしてケミカルなものから生成しうるのか?
というのが、いわゆるクオリア問題と呼ばれるものです。
457 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/24(土) 02:16:47
>>453 >結局、心身(心脳)問題ですね。科学は心を解明できない。
あなたの「最終的目的」というか「落としどころ」がそこにあることは
「誰でも知っている」事実ですが、皆さんが本当に知りたいのは、
「何で?」あなたは(も)、
『「典型的・伝統的な観念論」の「忠実な下部(しもべ)」であることを望むのか?』
・・・ということです。
458 :
ぽっくん ◆5m18GD4M5g :2005/12/24(土) 02:18:45
科学は心を解明できる。脳の現象に過ぎないと思ってる科学教信者は結構多そうですが。
459 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 02:19:02
脳は物質だから意識もまた物理的過程の必然的な継続に過ぎない。
クオリアは物質という主語の確定記述にあらかじめ含まれており、従来
の唯物論はただ単にそれが人間の認識能力によっては確認できないという
理由からその存在を実証主義的観点から否定してきたに過ぎない。
このことから、クオリアについての神秘主義的なニュアンスは直ちに消失
する。我々の意識も自然現象の必然的な継続であるならば物質すべての
クオリア受容システムとしての性質も単なる自然現象の必然的な継続に
過ぎず、従ってたとえ水素原子が質感を受容している存在であると仮定した
ところで、意思本来の存在はこの際生物、無生物何れにせよ否定されている
がゆえに、クオリアを新たな要素として含む拡張された唯物論は単に可能
であるばかりではなく、必然でもある。
460 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/24(土) 02:23:02
>>457 >>382-386よめ。
コピペするなと言う人がいるが、このように同じことを
何度の聞かれるのが、レスが流されていくスレッドシステムなのだから、
定期コピペはいるのです。
461 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 02:27:29
脳が無くても思考出来る奴がいればぴかーの説ももっともらしいんだがな
462 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/24(土) 02:30:24
>>460 そんなものは要りません。少なくとも真理を追求する姿勢に「プロパガンダ」
は全く不必要な「不純要素」です。
哲学の目的は(あるイデオロギーへ)「大衆を誘導すること」ではありません。
哲学の目的は「真理を明らかにすること」・・・だけです。
463 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 02:36:42
脳は物質ではない
生命活動する神経細胞の塊だ
茂木のクオリアマニフェストはとんでもですよ。
___
ノ ヽ
/(・ ) ( ・)|
| ( _●_) |
| ∪∪ | どうかな?
ヽ `-=ニ=- '
ヽ `ニニ´ /
466 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 02:40:57
幾世代にもわたって訓練されてきた思い込みを排除することはたやすいこと
ではない。よしんばある事柄が単なる思い込みであると気づく人物が現れた
としても、当の本人自身がその時代の影響下にある以上半信半疑の心持ちで
あることは十分考えられることである。
ところが、ある新しい真理が市民権を獲得する頃には、その真理はもはや
生彩を失ってしまっており、惰性と習慣に成り下がってしまっている。
467 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/24(土) 02:41:30
>>463 神経細胞は、
タンパク質
脂肪
水分
その他ミネラル類
・・・で構成されており、
「それ以外の構成物はない」ので・・あるゆる意味で「物質」なのです。
468 :
ぽっくん ◆5m18GD4M5g :2005/12/24(土) 02:43:53
ではその物質がなぜ非物質である意識、心を絶えず生み出すの?その原動力は?
469 :
ぽっくん ◆5m18GD4M5g :2005/12/24(土) 02:45:04
ご飯?
470 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 02:45:34
>>467 生きた細胞と死んだ細胞の差異は何を意味する?
471 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 02:46:35
ピ〜ポ〜ピ〜ポ〜♪
「隊員、ぴかぁ〜さん頭部を担架に固定しろ!」
「隊長!頭部が軽くて浮いちゃうんですが」
「気にするな、前のときもそうだった」
ピ〜ポ〜ピ〜ポ〜♪
472 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 02:48:34
「物質」とは単なる固有名に過ぎない。この固定された固有名である「物質」
についての確定記述を著しく変更することを余儀なくされた場合、現在まで
我々が抱いていた「物質」という主語そのもののイメージがぐらついてしまう。
主語は述語の渦の中で輪郭を失ってしまう。しかしそれでもあいもかわらず、
その輪郭不鮮明な主語xを「物質」と名指し続けることは可能である。
473 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/24(土) 02:51:44
>>468 「意識」は映画のスクリーンに映っている映画のストーリーが、
「ソフトであるから『物質ではない』という意味」では「物質ではありません」
が・・「ソフト」・・『DVD記録された「イチとゼロの羅列」』が、
仮に「物質である」ということが認められれば・・『「意識」も物質』です。
474 :
ぽっくん ◆5m18GD4M5g :2005/12/24(土) 02:53:03
映画のストーリーは物質なの?
475 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 02:54:06
でちゅ〜。
476 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 02:55:19
この世には、物質とエネルギーと情報しかありません
477 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 02:56:27
物質⇔エネルギー⇔情報
でちゅ〜。
478 :
ぽっくん ◆5m18GD4M5g :2005/12/24(土) 02:58:30
物質の定義がわかりません。
479 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 02:58:51
480 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/24(土) 03:00:30
>>474 あなたにとって、1000011101010111110100001010・・・延々という信号が
「映画のストーリィ」であるとして、イチゼロの再生装置が作動して、
表示した「表示そのもの」が、ストーリィをあなたに感じさせたとしても
「基の情報」は、「イチかゼロ」です・・・ロマンティック・・では「ない」
のです。
481 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/12/24(土) 03:01:14
言葉の喩えが出ていましたが
「0」「1」も「物質」も「エネルギー」も
「人間」が「名付けた」ものですね。
向こうから「名付けてくださいね」と頼まれてはいませんね。
482 :
ぽっくん ◆5m18GD4M5g :2005/12/24(土) 03:02:18
映画のストーリーを友達に要約して話している時の言葉って物質?
くれくれ君うぜー
484 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 03:05:35
物質は動きません
動くにはエネルギーが必要なのです
そのエネルギーが生命活動に他なりません
485 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 03:05:49
で?
486 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 03:06:22
>>484 お前が霞み食って生きていけるなら正しいかもなw
487 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 03:06:26
>>482 「物質とはx1∧x2∧x3∧・・・・・xn である。」
この述語xnが問題なのでちゅ〜。
488 :
ぽっくん ◆5m18GD4M5g :2005/12/24(土) 03:07:17
もうめんどくさいから今日からおまえらのこと物質って呼ぶわ。
489 :
ぽっくん ◆5m18GD4M5g :2005/12/24(土) 03:08:01
物質たちオヤスミ。
ぽっくんは将来、大物のクソコテに成長する資質ありだな。がんばれよ。
491 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 03:11:18
>>487 訂正でちゅ。
×「物質とはx1∧x2∧x3∧・・・・・xn である。」
○「物質(x)とは(P | a1∧a2∧a3∧・・・・・anである。」
この述語の確定記述anが問題なのでちゅ〜。
492 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 03:15:38
力動的解釈項→最終的解釈項?
ぽくはa3くらいかな。
494 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 03:19:28
┌v ''''i''''v┐
(. ){. | } .)
. ( .)゙'ヽ_,ノー'
. `ー' ,、.┴┴ 、
ノ >-─|<`ヽ、
く へ, V、_,/
(⌒ヽ\ノ,〉 >'、\/⌒j
{ ヽ、 テ彡⌒ ⌒} ノ |
| } 丶 . .,,___ノ、ノ/{ i
|. { } |
⊆ニゝ ● ヽニ⊇
495 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 03:37:24
AAの頭をそろえろ )ボケ
496 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 08:46:25
最近、有機物や化合物って呼ぶのがマイブーム.
497 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 08:54:54
脳の属性は有機物だからクオリアの様態はその化合物で組成される。
498 :
決定論スレ46の556:2005/12/24(土) 10:05:17
>>402 >「客観的」であるというのは、ある集団内である時期に共有された主観で、
確かに、「客観」についてそのように定義すれば、
事実を飛ばして、いきなり問題を持ち出すことができかもしれません。
しかし、科学においては観測(異なる二者以上による)ということが絶対条件になります。
あなたの考え方では、複数の人間が(観測を行わず単に主観を)共有しているだけで、客観となってしまいます。
もちろん、そのような論理体系があってもかまわないわけですが、
「科学」に対して「問題」として説明を要求するには
(この点が今のこの議論の発端になっています。もしかするとあなたはそのことを知らずにレスしてるのかもしれません。)
それでは不十分です。
その考え方では、先に示した例のように、「ユニコーン」や「竜」を生物学の説明対象としなければならなくなります。
499 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 10:22:34
いや、科学的方法論というルールは恣意的は主観以外のなにものでもない
500 :
決定論スレ46の556:2005/12/24(土) 10:30:00
>>499 方法論の主客に意味があるのかどうかよくわかりませんが、恣意的なものであるのは確かですね。
しかし、それは、観測に基づかない主観的な問題を科学が説明しなければならない理由にはなりませんよ。
ルールそれ自体が主観ないし恣意であることと、ルールが主観や恣意を受容するかどうかは別の問題です。
501 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 10:30:41
あなたや私が認識可能なものは、
すべて主観的環世界であるアクチュアリティーのみであり、
客観世界というリアリティーはとらえられない。
昆虫は紫外線を認識できるが、我々は日焼けなどの現象としてしか認識できない。
結局、人間の認識行為はすべて主観でしかない
ある主観が他の主観に受け入れられ共有された時に
共同主観となり客観的と呼ばれ、ルールが発生する
503 :
決定論スレ46の556:2005/12/24(土) 10:37:57
>>501 よくわかりませんが、そのような考え方はあっていいと思いますよ。
「観測事実」という考え方、科学における「客観」はそのような視点に立てば、
恣意的なものでしかなく、主観と本質的な違いは無いのかもしれません。
しかし、それを「違う」と前提するのが科学の方法論です。
「同じ」と考えるのは自由ですが、そう考える以上、
「同じ」と考えなければ成立しない問題の説明を
科学に求めるのは無意味だと申し上げているのです。
504 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 10:56:25
観測事実は観測する主体側の共同主観に他ならない
その共同主観的事実をさらに人の世界に応用するのが工学である
そうやってこの地球を人の共同主観的世界に適応するように
作り替え続けているのが私たち人なのです
505 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/24(土) 11:03:55
相対主義に陥るのもよいですが、たとえば世界は科学的にできている、ということも考えられます。
構造物とはなんらかの還元作用によるものです。
この世界はエンタルピー無限大の世界ではない。すなわち構造をもっているならある意味で科学はその構造に近づく有用な方法だといえます。
観測し、構造するのは人間だけではない。世界の存在は現存在的特性をもっている。
世界を構造化するのが創発性であり、世界は創発性にあふれている。
そういうファンタジーをもつのも大切です。
人にしか出来ないファンタジー構成能力。
そうやって人は人による人のための世界を作りあげてきたのですね。
507 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 12:14:10
で?
>>503 別に科学性にこだわらなくてもいいと思うけど。
むしろ非科学的にはそういう問題は成立するわけだよね?
それはそれでいいのではないか。
509 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 12:19:39
クオリアの次は創発性か
またぞろわからん言葉が出てきたな。
510 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 12:47:01
ぴかぁ〜が見ている視点から見たい.
>>431 > 精神分析の知識が一般になった結果、ベタな精神分析的病理が減り、
> 軽い精神病理が一般的になった。
それは色々言われてますけど、精神病理用語が氾濫したためにというよりは、
社会的な抑圧が無くなってきたということが第一原因じゃないですかね。昔
加賀乙彦が言ってましたけど、都市部と地方では都市部の方が精神病の症状は
軽症化している。また、昔よりも現代のほうが軽症化していると。
これは社会的な抑圧っていうんですかね。人間はこうあるべき、という価値観が
一枚岩の社会では症状が重症化すると。ただ、軽症化が治りやすいということでは
全くないんですけどね。
> その意味で、「無意識に抑圧されたものを意識化、言語化する」という
> 精神分析の臨床がもはや医者でなく、個人で行われているというような
> ことを感じます。
どうでしょうねぇ(笑)。精神分析用語を知ったところで精神分析ができるか、できない
んですね。仮にそういう概念が社会的に広く流通したとしたら、そのことの反作用として
仮定される無意識を言語化する、というのが精神分析なわけですから。
そういう意味では、精神分析というのは科学的知識のように、知ればそれを適応できる
というものではないので臨床技術として定型化できません。アメリカの俗流フロイド主義的
分析などがありましたが、これは定型化したが故に失敗したんですね。それに反対したのが
ラカンですけど、彼は晩年自らの組織を解散してしまいます。分析は教えることができないと
いうのが理由だったかと思います。
512 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 13:09:47
フロイトが唱えていたことの一部は
遺伝子的酵素欠陥だったりとはっきりしてきてる
らしいね
>>432>>436 ちょっと
>>511の続きにもなりますが、言語の意味が文脈に規定されている。これは
静的に観察すればそうなんです。意味とは単独で存在するものではなく、他の言語
との差異であるというのはソシュールの講義なんかにも出てきますね。
精神分析の例で言うならば、分析の言葉というものもコンテクストに従っているのだ、
ということになる。だとすると、それが目標とするのは文脈から外れた状態から元に
戻ること、コンテクストに患者を埋め戻すことになってしまいますね。そのコンテクスト
の起源は現実生活、分析医と患者を取り囲んでいる社会ということになる。
ソシュールの講義はそういう議論を明快にするわけですけど、彼が問題にしたのは
そこではなくて、じゃあ人間というのはオウムのように所与の言説を脅迫的にリピート
しているだけなのだろうか?という問いだった。当然そんなことないんですね。そうだと
したら動物と同じような生活になったと思いますけど、実際違う。人間の言語は言語
自体に折り重なっていく、比喩の運動を行っている。それが端的に現れているのが
詩人の言葉なので、ソシュールは晩年そこに注目していくわけです。
精神分析も同じですね。分析の用語を学習し、それを患者に適応する場合、当然目標は
既存の社会適応となってしまうが、それだったら薬物で不安を抑えて現実生活に馴染むように
仕向けたほうが効果的ですし、実際今そうなっている。しかし、精神分析の言葉というのは
本当はそういうものではない。つまり、患者と分析医の間で交わされた言説自体を言説化する、
つまり現状の社会のコンテクスト自体を対象化して言語化するというのが精神分析の言葉
です。
クオリア論につなげますと、クオリアみたいな主張が発生するのは、上に書いたような言語の
根本的な無限性というか、永遠の未完成状態をどこかで止めたいという願望からくるんですね。
ある時点の社会的文脈によって成立している概念を永遠化してしまいたい。そうすれば安心だ
というわけです。自らオウムのように与えられた言説を繰り返して生きたいというわけです。
514 :
決定論スレ46の556:2005/12/24(土) 13:26:23
>>508 また同じこと(論点の外からのレス)が起きました。
何度目でしょう。
こういったことを避けるために、わざわざハンドル名をつけているのですが・・・。
過去レスを追っていただければわかりますが、
今の話の発端は、「クオリアの説明を科学に求めることの妥当性」です。
私はそれを「妥当でない」と主張しているだけです。
あなたが、科学とは無関係に、何かを論じようとなさっているのなら、
今のところあなたと私の間に論点は無いと思います。
515 :
508:2005/12/24(土) 13:28:02
516 :
508:2005/12/24(土) 13:31:27
でもそれだと一人相撲な気もするが。
少なくとも君と論点が被ってる人はほとんどいないのでは?
クオリアの科学性を主張してるのは機械くらいだと思うんだが。
クオリア関係のレスに手当たり次第レスしてるから疑問に思ったんだよね。
というか過去ログ46がなぜか450あたりで切れてるから見ようにも見れない。
>>432>>436 >>513の続きですが、こういう分析する主体、社会的コンテクスト自体を対象化する”第三の目”は
如何にして成立するか、世の風潮を信用しない相対主義ということなのか、違うんですね。逆接的
ですが、絶対的な何かを仮定しなければこの分析する主体は出てこないと思います。それは
ソクラテスが神を信じていたように、超越的な領域、カントの言葉では物自体との関係を信じて
なければ、社会的文脈の中に属しつつそれを超えるという視点は発生しないのではないか。
そういう超越的領域を前提としないで語るとどうなるか、クオリア論になっちゃうと思うんですね。
認識不能だったはずの超越的存在を現世のどこかに探すという形而上学に迷い込んで、且つ
認識の営みがそこでとまってしまう。カントの批判哲学では人間が無限の認識の拡張をするには、
物自体がなければならないということだった。これは近代版の”偶像崇拝の禁止”です。そして
これは今でも最良の哲学だと思います。
決定論スレ46の556氏のスタンスがやや疑問だ。
いわゆるクオリアというのは純粋に主観的で当人以外には観測できず
従って客観化も不可能だから、あるいは「科学的」には論じれらない
かもしれないが、それを哲学が論じるのは一向に構わないのではないか。
むしろクオリア論というのは近代的な「科学万能主義」に対する
アンチテーゼだと思うのだが。
・その問題が解決可能か?
・反証可能か?
・観測事実で違いはあるか?
はそれぞれまっとうな論点だと思うが、
それを「科学の絶対条件だ」と言う根拠がよく分からないんだよね。
それって定義の問題にしか見えない。
個々の論点を論じて「反証可能な命題群」と「反証不能な命題群」に分ける
のは有意義だと思うが。その後で「反証可能な命題群=科学的」「反証不能な
命題群=非科学的」と付け加えるかどうかは「何を科学と呼びたいのか」という
呼称の問題なんではないかと^^;
522 :
決定論スレ46の556:2005/12/24(土) 13:59:20
>>516 >少なくとも君と論点が被ってる人はほとんどいないのでは?
とりあえず、このスレでは、私は、レス先を示してレスしていますよ。
手当たりしだいにレスしてるわけではありません。
523 :
520:2005/12/24(土) 14:00:03
>>521 これ以上詳しくは説明できない^^;
>>520原文のまま。
ただ、誤解を承知で敢えて言うと、ある理論体系が「科学」なのか「疑似科学」
なのか、なんてのは呼称の問題に過ぎないと思うわけです。反証可能な
理論体系と反証不能な理論体系があって、反証不能な理論体系も
「科学」と呼んじゃいけない、っていう理由がイマイチ掴めない。
もちろん反証不能な理論を反証可能だと言い張るのは嘘吐きだけど^^;
特に、「科学と呼ばれない理論はこのスレに書いてはいけない」とか
「疑似科学を主張する者は死刑」なんて法律があるんなら、呼称の問題も
深刻な問題になるけど、そういうのは無いわけで^^;
524 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 14:00:50
一回性の事象は再現性も無く
反証可能性もない
つまり、科学的には扱えないのである
では、科学的に扱えないからといって
インチキ扱いをしてもよいのか?
525 :
決定論スレ46の556:2005/12/24(土) 14:05:35
>>519 >かもしれないが、それを哲学が論じるのは一向に構わないのではないか。
基本的には、その点については反対していませんよ。
「そういう問題として」論じるのは自由なんじゃないですか。
ただ、とすれば、それは、針の先で天使が何人踊れるか、といった議論と、
代わりが無い、結論がどうなろうと、われわれの実際の生活とは何の関係も無い問題だ、
ということは申し上げました。
ですから、脳の生理や人工知能といった、現実的で、
社会的要請のある、まじめな問題の議論にそれを持ち出すのは
やめてほしいということです。
526 :
516:2005/12/24(土) 14:10:31
>>522 「クオリアは科学の問題である」と明言していない人にも
レスしてるよね(
>>363)。346との議論なんかはそれが原因
となって延々と平行線を辿ってるように見える(346が
>>371で
クオリアを説明不要なものと言う以上、その時点で君との
論点は無くなってるんじゃないか?)。
あと、人工知能とクオリアの問題も非科学的に論じるのは
可能なんだから(「人工知能」だから科学の話だろうというのは
問題設定における飛躍だ)、人工知能とクオリアの話をしてる
人に対しても「それは観測可能か?」と聞けばいいと思うんだが。
それをせずに延々と相手をしてるから、「非科学的な理論にも批判
を向けてるのかな?」と思ってしまう。
>>525 わたしたち人に共通して見られる主観的体感現象のクオリアと
空想の産物の話とはカテゴリーが異なります。
>>525 >ただ、とすれば、それは、針の先で天使が何人踊れるか、といった議論と、
>代わりが無い、結論がどうなろうと、われわれの実際の生活とは何の関係も無い問題だ、
>ということは申し上げました。
ここの説明が雑過ぎると思う。
針の先で天使が何人踊れるか興味が有る人もいるんだから、それを
君がどうこうできる話では無い。
「現実的で社会的要請がある」なんて言い方次第で何でもなる(ある人
から見れば脳の生理などどうでもいいかもしれないわけだし)。
「われわれ」とは誰だ?
少なくとも俺を勝手に巻き込まないで欲しいな。
「反証可能・不能」を区別するのは賛成するが、それを応用させて
主張や理論を封印しようとするのは知的独裁に見えてしまう。
529 :
決定論スレ46の556:2005/12/24(土) 14:18:04
>>526 >「クオリアは科学の問題である」と明言していない人にも
>レスしてるよね
私のレスに、レスした人、私の主張に反論しているレス、にレスしてますね。
>クオリアを説明不要なものと言う以上、その時点で君との
>論点は無くなってるんじゃないか?)。
ええと、その「説明不要」は「クオリアを科学が説明しなくていい」という意味ではないことは、
まじめに当該レスを読めばわかると思いますが。
あなたは「説明不要」という言葉だけを捕らえて、勝手な解釈をしているだけです。
>あと、人工知能とクオリアの問題も非科学的に論じるのは
>可能なんだから
それは否定してませんよ?
>(「人工知能」だから科学の話だろうというのは
>問題設定における飛躍だ)、
人工知能(の実現方法、実現可能性)は、基本的には工学の問題ですね。
>人工知能とクオリアの話をしてる
>人に対しても「それは観測可能か?」と聞けばいいと思うんだが。
それは、何度も何度も何度も、聞いてますよ。
誰もまともに答えようとしませんが。
>それをせずに延々と相手をしてるから、「非科学的な理論にも批判
>を向けてるのかな?」と思ってしまう。
してます。
してないように見えるのは、あなたがちゃんと過去レスを読んでいないか、
私のレスの内容を誤解しているせいです。
哲学的・心理学的アストラルプレーンってあるの?
これがあるかどうか、が答えだと思う。
531 :
526:2005/12/24(土) 14:30:25
>>529 >私のレスに、レスした人、私の主張に反論しているレス、にレスしてますね。
それは俺と同じように君の立場がよく分からないからだと思うが。
ちなみに「過去ログを読めば〜」というが俺も過去ログ
>>3見れないんだけど。
自分の立場は毎回説明する方がいいと思うし。
>ええと、その「説明不要」は「クオリアを科学が説明しなくていい」という意味ではないことは、
>まじめに当該レスを読めばわかると思いますが。
俺が見る限りでは346は「哲学の問題になる」というだけで「科学の問題になる」とは
言ってないようだが。。。まあ、見落としの可能性もあるが。
>人工知能(の実現方法、実現可能性)は、基本的には工学の問題ですね。
それには反論しない。でも、別に工学の問題として捉えなくてもいいよね。
>それは、何度も何度も何度も、聞いてますよ。
>誰もまともに答えようとしませんが。
それについては「不能」と答えてる人が多いのでは?
>してます。
反証不能な命題を反証可能なように主張する人に批判はできるけど、
非科学的な理論自体に批判を向けるのは科学の方法論だけじゃ無理
だと思う。というか、科学の方法論にできるのは「科学と非科学」の区別
であって非科学の否定ではない。
532 :
決定論スレ46の556:2005/12/24(土) 14:31:42
>>527 どのように異なりますか?
また、その違いは、現在の論点にどう影響しますか?
>>528 非常に不毛な議論ですね。
あなたのおっしゃっていることは、「区別」を「無分別な押し付け」に摩り替えているだけです。
「ユニコーン」を「生物学」の対象から排除しているルールは存在してるはずですよね?
あなたのおっしゃっていることは
「ユニコーンについて(個々の人間が)考えるのは自由だから科学においてそれを排除するのは身勝手だ」
といっているのと変わりません。
科学のもたらす有為性は普遍的でないかもしれませんが、
だからといって、科学のルールを無視するなら、その限定的な有為性さえ失われるというだけのことです。
脳の生理が、ある人にとってはどうでもいいということはあるかもしれません。
だからといって、脳科学で、科学のルールの外の問題を扱わなければならないとしたら、
脳の生理が、どうでもよくない人にとっての有為性さえも失われることになります。
533 :
決定論スレ46の556:2005/12/24(土) 14:37:17
>>531 >自分の立場は毎回説明する方がいいと思うし。
とりあえず、最初のレスでは説明していますよ。
横レスがあるたびに説明するのは、ちょと無理です。
>俺が見る限りでは346は「哲学の問題になる」というだけで「科学の問題になる」とは
>言ってないようだが。。。まあ、見落としの可能性もあるが。
だとしたら、
>>346 が私にレスする理由の段階ですでに無いと思うんですが。
>それには反論しない。でも、別に工学の問題として捉えなくてもいいよね。
その点については、いくつか問題があります、が、長くなるのでここでは書きません。
>それについては「不能」と答えてる人が多いのでは?
不能であるといわれた方には、
>>525 で述べたようなことを申し上げているはずです。
>反証不能な命題を反証可能なように主張する人に批判はできるけど、
>非科学的な理論自体に批判を向けるのは科学の方法論だけじゃ無理
>だと思う。
まったくおっしゃるとおりです。
>というか、科学の方法論にできるのは「科学と非科学」の区別
>であって非科学の否定ではない。
まったくおっしゃるとおりです。私もそのように主張したいですね。
534 :
528:2005/12/24(土) 14:37:54
>>532 どうも勘違いされてるなあ。
俺は区別を否定しない。ただ、君がどう言おうと個々人は自分が
疑問に思うことを論じる自由がある、ということだよ。つまり、
ユニコーンを非科学的な問題として論じる自由はある。俺は、
ユニコーンを科学的に論じることについては反対するが、それを
非科学的に論じる人に対してわざわざ文句を言いに行かない
というだけだ。
535 :
531:2005/12/24(土) 14:41:28
>>533 ああ、じゃあ君と俺との決定的な違いは分かったw
君は他人の悩みに対して「それは無益だ」と言う。
俺は言わないし言う必要性も感じない。
それだけ。
536 :
決定論スレ46の556:2005/12/24(土) 14:43:49
>>534 >疑問に思うことを論じる自由がある、ということだよ。
「誰が」「どう言おうと」まったくそのとおりですね。
>ユニコーンを非科学的な問題として論じる自由はある。
ですから、それは、否定していない、と何度も何度も申し上げていますが?
>ユニコーンを科学的に論じることについては反対するが、それを
>非科学的に論じる人に対してわざわざ文句を言いに行かない
>というだけだ。
私も、クオリアを非科学的に論じている人に対しては、わざわざ文句を言う
つもりはありませんよ。
その議論を、、脳や人工知能の実際の研究や開発にまで持ち込むことを批判しているだけです。
537 :
534:2005/12/24(土) 14:54:11
>>ユニコーンを非科学的な問題として論じる自由はある。
>ですから、それは、否定していない、と何度も何度も申し上げていますが?
ああ、すまそ。
>その議論を、脳や人工知能の実際の研究や開発にまで持ち込むことを批判しているだけです。
そこが分からないんだよなあ。
棚から牡丹餅もあるんだから、放置でいいと思うんだけど。
生物学でユニコーンの問題を扱う
という時の主体はあくまで個々の研究者なんだから、
これには比喩的な意味しかないように思うんだが?
ってか、不毛な議論だと有意性だのいいだしたらそこで議論は終了だよ。
あとは主観と価値観のぶつかり合いになるんだから。
×不毛な議論だと
○不毛な議論だの
>>538 私も同感です。
「何を科学と呼ぶか」という問題は、実践面では予算の分配や公教育の
教科書の内容に関して論じられることになると思います。
他方で、個々人が何をどのように研究するかは、他人に危害を加えない
限りその人の勝手ということになると思います。
542 :
決定論スレ46の556:2005/12/24(土) 15:13:34
>>535 私は、あなたが誤解し続けているように、他人の悩みに対して、
無分別に「それは無益」だなどと言ってるわけではありませんよ。
その悩みを、公の議論の場に持ち出すことが無益だと申し上げているだけです。
同じ悩みをかかる人間どうして共有したり話したりするのは勝手ではないでしょうか。
543 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 15:14:02
科学的だろうが哲学的だろうが
確信にたどりつければいいじゃん
手法はそれぞれの嗜好で選択する以外に無く
ヒトに方法論を押し付けるなど不可
544 :
決定論スレ46の556:2005/12/24(土) 15:15:24
>>535 >棚から牡丹餅もあるんだから、放置でいいと思うんだけど。
まじめな議論に持ち込もうとしない限り、当人たちの間で話してる限りは、
それでいいと思いますよ。
545 :
535:2005/12/24(土) 15:16:17
>>542 そうか。じゃあずいぶん誤解してたようだな。すまそ。
>その悩みを、公の議論の場に持ち出すことが無益だと申し上げているだけです。
でも、俺はそれも言わない。
喋りたい人は喋りなさいがスタンスだから。
>>544 「よくない」場合には具体的にどうなるのですか?
>>524 たとえば歴史などはすべて「一回性の事象」で、厳密に言えば
再現可能性も反証可能性もないと思いますが、では歴史学は
科学ではないのか、というと、それには議論の余地があると思います。
まして歴史学を「インチキ扱い」する人はあまりいないでしょう。
このスレはさぁ、決定論を覆そうとして覆せなかった機械タンが
今度は逆に決定論の立場に身をおく事で
その道を探ってる、ってことなんじゃないの?
結果、ミイラとりがミイラにw
549 :
決定論スレ46の556:2005/12/24(土) 15:23:35
>>539 主観や価値観の問題は別の場で話合えばよいでしょう。
しかし、価値観の判断の対象となるためには具体的な差異が存在しなければなりません。
どのような価値観をもってしても、差異が無いところに意味はありません。
「AかBか」という議論は、「Aである場合」と「Bである場合」になんらかの
違いがあるから、意味があるのであって、どちらでも同じであれば、
そもそも「AかBか」は論点として無意味です。
これはどのような価値観をもってしても(価値など存在しないというようなものを除けば)いえることです。
これはクオリアに限らず、このスレのテーマについてもいえることです。
意識が必然であろうとなかろうと、そこには価値の違いを生じるような差異がありません。
これは問題が存在しないのと同じことです。
>>543 まったくそのとおりです。
ですから、科学という方法論の上での議論に、それ以外の方法論でしか成立しない問題を持ち込むのは、
よくありませんよね。
>>549 「無意味さ」は誰がどのように決めるのですか?
551 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 15:37:53
>>549 このスレの会話に文句があるなら出て行けば?
別にここは、科学の実験室でもないし、いろんな意見を自由に言い合える場だ。
552 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 15:42:42
クオリアは数学的手法に基づく物理学を典型とする自然科学の
対象にはなりにくい、というだけで、いわゆる「経験科学」
の対象にならないわけではないぞ。
たとえば「料理学」というのは、十分成立する。他人の感じている
味のクオリアが絶対にわからないからといって、料理などでたらめに
作ればいい、という人間はまずいない。
匂や色に関するコーディネイターも、そうだ。
いわゆる「美学」もそうだ。
ある意味では「医学」も、同じだ。
むしろ、日常経験的な「技術」というのは、ほとんどクオリアを
扱っていると言ったほうが正確だ。
よく分からないのですが、差異が無いというのは同一物の場合だけで
あって、それ以外の場合には必ず差異(空間的・時間的なものも含む)
があるように思います。
決定論と非決定論とで宇宙のあり方が異なるわけではありませんが、
しかし、世界解釈と言う点では差異があります。
また、本当に価値の違いが無いならば、どちらかにこだわる人がそもそも
出てこないように思います。
最後に、価値とは何かがよく分かりません。
554 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 16:47:51
価値は各個人によって異なる、人が人を見たときの客観的話.
完全なる客観で価値を判断すると、全てが意味無いモノになる.
なんか議論が抽象的過ぎ。
実際の議論においてどう役立つんだ?
556 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 21:32:17
で?
「非科学的議論もok」のテンプレでも入れたら?
一番最初の「科学的決定論云々」からずっと話が平行線を辿ってる。
まあ、機械・工学板や物理板ではなく哲板に立ってるわけだからな。
559 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 22:01:01
来年はクリスマスに
糞2ちゃんしなくて済みますように ☆★☆
560 :
考える名無しさん:2005/12/24(土) 23:24:23
「2度とぴかぁ〜に会いませんよ〜に! メリークリスマス♪」
561 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 01:23:43
>>511-512 概略言っていることは同じだと思いますよ。
ボクが精神分析の一般化=心理学化する社会ということでいったのは、精神分析用語、手法が
一般に知れ渡ったという単純なことではないです。
「社会的な抑圧が無くなってきた」というのは、ポストモダン的には大きな物語の消失ですね。
それは小さな物語の時代ということです。これは情報化社会によって、価値の多様化している
ということですが、これを単に価値が多様化しているだけではなく、価値の多層化、
メタ化が進んでいる。アイロニーですね。世の中にはいろんな価値の人がいる。
ボクはこのような価値を信じているが、違う人もいるだろう。
これはある意味で、一人精神分析なのですね。抑圧される(する)自分を見る自分を見る。
そこに精神分析の知識も活用されるわけです。自分をアイロニカルにみる、相対化する手法として。
もはや大きな物語に抑圧され、悩むべたな主体はいなくなっている。
>クオリア論につなげますと、クオリアみたいな主張が発生するのは、上に書いたような言語の
>根本的な無限性というか、永遠の未完成状態をどこかで止めたいという願望からくるんですね。
>ある時点の社会的文脈によって成立している概念を永遠化してしまいたい。そうすれば安心だ
>というわけです。自らオウムのように与えられた言説を繰り返して生きたいというわけです。
これもボクが
>>248でいったことを繋がるでしょう。願望というか、人間の認知限界から
否定神学はくるわけです。
比喩については、ラカンがいうようにソシュールの言語学という静的な体系に対して、シニフィアンの
優位を宣言することにはじまるわけです。言語の基本は隠喩であり、それはシニフィアンの
連鎖という意味の無限性であり、クッションの結び目というあたかも意味があるような決定です。
562 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 01:27:32
だーからあ 何度も言ってるけど<私>の独在性は論破出来ないんでしょ。
<私>が世界であり、唯一の実在である。これだけが最強の存在論です。まる。
563 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 01:34:47
<私>の存在が疑い得ないというのは
自己言及のパラドックスじゃなかったのか?
564 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 01:39:44
>>518 これも
>>84や
>>248でいったことでしょう。絶対的な「相対主義」などいません。単なる分裂症でしょう。
小さな物語(コンテクスト)であっても、どこかに帰属するから主体であり、コミュニケーションが
行えるし、アイロニカルなれるのですね。
ややカントを美化しすぎている感じもありますが、デリダの「脱構築が正義である」ということですね。
これは「脱構築」を否定神学化しているのではなくて、脱構築し続けることが正義である。
すなわち正義とは到達することがない、ということですね。
ボクが
>>84でいったことはまさにそのことに繋がるのです。
>すべてはいつも否定神学に帰結する。
>なんでもクオーク、なんでもニューロン、なんでもクオリヤ
>まず名付け、還元する。そこから次の脱構築がはじまる。
>このリアルで、生き生きな質感はどこからくるのか
>語りえぬものこそ語るのだ
しかしボクが社会の心理学化でいったことは、さらに一歩先をいっています。
脱構築はカントはデリダがいうように、意志をもってやることではない。
人間には認知限界があり、身体的に形而上学に迷い込むものだ
そして情報化社会では、その形而上学も長続きしない。なぜならすぐに次の価値を吹き込まれ、
かつての形而上学が忘却される。
これは「生物学的脱構築」とでもいうものである。カントやデリダも社会の「生物学的脱構築」を
観察し、表記しただけのことです。そういう意味で彼らは時代の流れを読む優秀な芸術家です。
そしてこのような「生物学的脱構築」が、臨床としての精神分析を陳腐化させているのです。
そして臨床は、もはや「生物学」そのものに向かうしかないのです。
というようなことです。
ちょっとクリスマス疲れで、わかりにくい文章になっているかもしれません。
クリスマス ぴかぁ〜と一緒に 2ちゃんねる
566 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 01:45:25
クリスマス疲れ?
567 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 01:48:59
朝から段取りで疲れた・・・無事滞りなく終了しました。
クリスマスイブのカップルは段取りで構造化されている。
568 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 01:49:22
569 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 01:57:50
>>565 そいつは気の毒なこったな、よほどついてない1年ですたのね
570 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 02:02:16
>>567 ダンドリーぴかぁ〜は疲れ切って寝てしまいましたとさ
誘われれた方は大迷惑でした
ダンドリーぴかぁなど二度と見たくないわ・・・永久に消えちまいなよ
タンドリーチキンを食い過ぎてぐるじいよ
572 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 02:09:41
ぴかぁ〜は祖チンで祈祷が光っている
♪♪暗い夜道でぴかぴかの〜〜お前の祖チンが役に「立つ」のさ〜〜〜♪
573 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 02:14:55
>>571 イヴにもいつものケンタかよ?そういうことではサンタは来ない
結構相当惨めだな
574 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 02:17:28
>>509 時代は、「クオリア」でなく、「創発」です。
ボクが以前から注意しているのは「創発」の知識がなさすぎるということです。
なぜこの世界があるのか、なぜ生命がいるのか、などの根元性への
解答は、二つしかありません。一つは「神」であり、もう一つは「創発」です。
それぐらい「創発」は重要であり、唯物論、あるいは決定論のためにはなくては
ならない概念です。
いわば今の科学は全て「創発」性に帰結します。
575 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 02:18:48
ボクが以前から機械やんに注意しているのは
576 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 02:23:43
クオリアを作りだしているのも「創発」です。
宇宙も、生命も、社会も、言語も、
もはや「なんでも創発」です。
577 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 02:24:53
ぴかぁ〜は今どきプロペラの双発機しかないとおっしゃる
そうはつのぴかぁ〜頭脳はそうはつでたくはつして
恵まれない児童を救えよ
総髪って髪が豊かでなければできないから、ぴかぁ〜にそうはつは無理
ということ。
579 :
ぽっくん ◆5m18GD4M5g :2005/12/25(日) 02:33:57
ミリオネアじゃなくてなんだっけ東京の。あれみたよ。すごい人。その列に加わらずにみた。
あれ並んだやつは損したと思うわぁ。
580 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/25(日) 11:24:47
>>574 >なぜこの世界があるのか、なぜ生命がいるのか、などの根元性への
>解答は、二つしかありません。一つは「神」であり、もう一つは「創発」です。
「神」という概念は、唯物論から見ると「悪魔」「妖怪」「聖霊」「天使」と同様の
「人類が作り出した『幻想としての存在』のひとつ」にすぎません。「ユニコーン」も
同様です。
>それぐらい「創発」は重要であり、唯物論、あるいは決定論のためにはなくては
>ならない概念です。
ですから「それくらい」(観念論者のおっしゃる神)と「同じくらい重要」でも、
科学である唯物論にとって「重要でない」ことには変わりはありません。
「創発」という概念は「原因のない結果が存在して欲しい」という願望的思考の
産物です。「自分の思考に原因があるなどというのは気持ちが悪い」・・という
感情に判断力を狂わされた「素朴観念論」の一種です。
581 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 11:28:08
で?
582 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 11:29:36
あなたは、ありてあるものに笑われる存在ですか
583 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/25(日) 11:44:47
科学は、ものすごく大まかに言えば、
@(この宇宙内に)存在するモノをよく観測・分析する
A観測結果を基に推論を立てる(観測対象の原因となるものを推定する)
B(実験できれば)実験によって証明する
というプロセスをとります。
社会や言語などのレイヤーを対象に@とA(希にBを含む)を行うこと
を、「社会科学」「人文科学」といいますので、科学(的方法)とはな
にも全部が「自然科学」の専売特許であると考える必要はないのです。
この場合、@の対象「存在するモノ」の中に「神」「悪魔」「妖怪」
「ユニコーン」「カッパ」「龍」・・・等々の「共同幻想」が選ばれ、
「文化人類学」という「人文科学」の「対象」になっているりことに
なりますし、それら(概念)「言葉」の使用され方・分布等を分析す
ることで、歴史学や社会心理学の対象とすることも可能です。
584 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 11:49:21
脳は物質だから意識は創発にすぎない
科学は
@生物を拿捕し、解剖する
A内臓の判断を基にして推論する。
B推論から生物を作ってみる
神でつか?ウント、ゼックス?
586 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 12:41:13
■科学の主観性となんでも創発性
科学という表記作業が人間の発明した相対的なものであることは否めません。形而上学、否定神学
とはなにかといえば、還元なんですね。アナログ情報のデジタル化といってもよい。なぜデジタル化
するかといえば、大量な情報を扱える程度に縮小するためです。人間の情報処理速度は七ビット
っという認知限界があるから、ひとまず還元するわけです。なんでもクオリア、なんでもナチ
現実界を想像界に還元するときのデジタル処理法が象徴界(言語)なわけです。だからクオリアは言語
によって構造化されている。質感が「クオリア」と言語化され否定神学化されているように。
しかし「科学は単なる主観である」と、相対主義に陥るのでなく、たとえば科学は近似的にでも世界
そのものを表記しえていると考えられます。構造物とはなんらかの還元作用によるものです。この
世界はエンタルピー無限大の世界ではない。すなわち構造をもっているならある意味で科学はその
構造に近づく有用な方法だといえます。観測し、構造するのは人間だけではない。世界の存在は
現存在的特性をもっている。世界を構造化するのが創発性であり、世界は創発性にあふれている。
時代は、「クオリア」でなく、「創発」です。ボクが以前から機械やンに注意しているのは「創発」の知識が
なさすぎるということです。なぜこの世界があるのか、なぜ生命がいるのか、などの根元性への解答
は、二つしかありません。一つは「神」であり、もう一つは「創発」です。それぐらい「創発」は重要であり、
唯物論、あるいは決定論のためにはなくてはならない概念です。いわば今の科学は全て「創発」性に
帰結します。 クオリアを作りだしているのも「創発」です。宇宙も、生命も、社会も、言語も、もはや
「なんでも創発」です。
>>508-558の議論の個人的な感想。
1、「非科学的議論は否定されない」という点まで一致してる。
2、決定論スレ46の556は「公の場に持ち出すのは無益だ(
>>542)」と言い、
他方は「そんなことはない(
>>545)」と言う(結論で違ってるのはここだけ)。
疑問。
1、公の場とは? 2chは公の場?
2、「無益」って何か?
3、実は結論に差が無くて「何が科学なのか?」という問題自体が無益なのでは?
588 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 12:50:15
■「クオリア」はなぜ語りえないのか。
>>
クオリア・マニフェスト 茂木健一郎
http://www.qualia-manifesto.com/manifesto.j.html 私たちの世界観の中で心的現象が本来占める重要性に対するいきいきとした感受性を持ち、心の
中の様々な表象(representation、Vorstellung)の重要性を指摘したのが、フッサール、ハイデガーら
の現象学者たちであった。
私たちの心の中のクオリアを「私」が見るという構造は、「私」という「主観性」(subjectivity)の構造に
支えられている。「私が赤を見る」という心的体験のうち、「赤」の「赤い感じ」がクオリアであり、一方、
「私が○○を見る」という構造が主観性である。このように、クオリアと主観性は、表裏一体の関係に
ある。これが、私たちがクオリアと主観性を同一のフレームワークの中で理解しなければならない
理由である。
主観性の起源の解明のためには、クオリアに対応するニューロンの活動の時空間的なパターンの
解明のために必要な議論よりもさらにシステム論的な議論が要求される。
<<
ハイデガーの、フッサールとの違いは、コンテクスト主義と言われている。すなわち物理主義など、
現象を因果律だけで説明するのではなく、間に解釈項を入れる。ハイデガーではそれが「現存在」で
ある。対象を赤いとみるのは主観という解釈項である。これはパースの記号論の3項であり、ラカン的
には現実界(ものそのもの)から想像界への解釈項としての象徴界(言語)となる。だからラカン的
には、「クオリア」は言語のように構造化されているとなるだろう。
589 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 12:51:40
事実、神経学によると、人が感じる色は、光の波長でなく、言葉として認識した色と近いと言われる。
だから当然、同じ波長の赤でも見えているものはちがう。たとえばデザイナー、画家など色職人は
様々な赤を日頃認識している。当然、なんでも赤の僕達とは見え方が違う。たとえばこれは
オートポイエーシスが考えられたもとでもある。
>>
オートポイエーシスは神経システムをモデルにして組み立てられている。マトゥラーナが問題とした
神経システムは、色の知覚に関するものである。外部刺激に対する視覚神経細胞の活動は、
外部刺激の物理的特性に1対1に対応していないという実験結果がある。つまり、神経システムを
外部刺激−細胞活動のスタティックな写像として見ると、実験結果が説明出来ない。こうしたことから、
神経システムはそれ自体の関連の内部でのみ活動しているはずだとマトゥラーナは考えた。
http://rikou.st.ryukoku.ac.jp/~nomura/docs/autopoiesis/node4.html <<
たとえば、盲人も普通の人と同じように色がわかるという。たとえば盲人は、赤は派手、明るい、
ショック、危険などなど色をイメージとして認識している。そして色は言語であるというとき、普通の人も
盲人と近い形でイメージとして色を認識しているということである。
それでも、この赤という意味(クオリア)は、派手、明るい、ショック、危険などの確定記述の束に還元
されない。これを赤のイデアと呼んでも結局、言語への還元でしかない。ラカンが意味は現実界に
あり、人は知りえない、あるいはヴィトゲンシュタインィトの「語りえぬもの」とは、このような意味である。
590 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 12:52:48
それでも、意味にさかのぼるなら、アフォーダンスという考え方がある。赤を人の認識に還元する
のでなく、たとえば赤い花は赤いことをアフォードしていると考える。赤い花は動物、昆虫を引き寄せる
ために赤を訴えている。人が赤に感じるクオリアはこのような進化上の経験によるということだ。
これは進化心理学であり、憶測でしかない。すなわち意味とは、このようなことである。美とはなに?
なんのために生きているの?などなどだから意味は現実界(ものそのもの)にしかない。それは、
簡単には以下のよう意味になる。
クオリア(意味)=遺伝子による進化上の経験+言語による文明的経験+生まれてからの記憶された経験
主観と客観とはなんだろう。たとえば人間の先天的能力で赤く見えるものは、客観である。しかし
最近は「やわらかな遺伝子」などといわれ、遺伝子は単なる先天的なものではなく、後天的な発動の
問題がある。だから遺伝子的にも先天性と後天性は明確でない。いわば後天的解釈項(それは言葉
でも育つ環境でも良いか)によって、遺伝子がどのように発動するか、わからないということであり、
意味(クオリア)はこのような複雑なコンテクストの彼方にある。
591 :
346:2005/12/25(日) 13:06:55
>>384 > あなたは、観測事実の前にいきなり問題を提示されます。
> 「問題と説明」という概念について根本的な勘違いをなさっているとしか思えません。
確かに勘違いはしているかもしれないね。
ただ、引用部の一行目のようなことは覚えがないけど。
俺が言っているのは、まず「心」という観測事実があること。
これは第三者に観測されたり実証されたりすることは多分出来ないだろうから、
そういう意味では科学的な議論にはなじまないかもしれない。
しかし、心があるということはおそらく多くの人にとって共有可能な前提だろうから(あるいは仮定することができるだろうから)、
その前提が受け入れられればあえてクオリアの存在を実証する必要は無い、というか無意味だ(
>>371)。
>>591 「他人の心は観測できないけど、有ると仮定するのが適切だ」
ということでしょうか?
593 :
346:2005/12/25(日) 13:41:57
>>592 いや、
>>591ではそんなこと言ってないんだけど。
俺文章へただからそう読まれても仕方ないけど。
長さを測るように、あるいは猫を観察するようには心は観測できないだろう。
けれど自らを内観することで心に付いての観測事実は得られるので
そこで個々が得られた材料をもちよって議論することはできるし、定義も練り上げていくことは可能だろうという話。
科学的かどうか、検証可能かどうかは条件によるんじゃないでしょうか。
「仮定」するのは他人の心以前に自分の心のこと。
自分がいわゆる内面を持っていて心的生活が営まれているのを認めた上でなお、
心が存在しない、という立場も可能だろうから。
>>593 猫を観察するように、という時の猫は、猫クオリアですか、
猫自体ですか?
595 :
346:2005/12/25(日) 13:53:14
>>595 質問の意味が分からないのでしたら結構です。
失礼しました。
597 :
決定論スレ46の556:2005/12/25(日) 14:00:08
>>553 >よく分からないのですが、差異が無いというのは同一物の場合だけで
>あって、それ以外の場合には必ず差異(空間的・時間的なものも含む)
>があるように思います。
なるほど、それはそのとおりですね。
>決定論と非決定論とで宇宙のあり方が異なるわけではありませんが、
>しかし、世界解釈と言う点では差異があります。
逆に言うと、「そういう差異」しかないわけですよね。
つまりは、針の上で踊れる天使の数の違いと変わりません。
違いはありますが、われわれにとっての実際的な違い、
ことの是非によって、そのことについてはわれわれが行動を変えざる得ないような、
そういう違いではないですよね?
何度も誤解されるので念を押しますが、私はそういうことを「論じてはいけない」と主張しているわけではありません。
そうではなくて、世の中には実際的な問題を扱う議論もあって、そういう議論にそうでない問題を持ち込むことは、
そういう議論の実際的な意義(その意義普遍的でないとしても)を損なってしまう、ということです。
>また、本当に価値の違いが無いならば、どちらかにこだわる人がそもそも
>出てこないように思います。
まあ、そういう意味で、上で言ったような意味での(天使の数の違いのような)価値はあるのかもしれませんね。
>最後に、価値とは何かがよく分かりません。
私も価値の厳密な定義はわかりません。
でも、それが事柄と事柄をわける、何らかの差異を計るものである、ということは、
あなたも(そのレスを読む限り)わかってらっしゃるのではないですか?
598 :
346:2005/12/25(日) 14:00:53
>>596 いや、意味はわかりますよ。
観察するのは猫クオリアでもなく猫自体(猫の物自体?)でもなく、そこらにいる猫です。
わからないのは質問の意味ではなく意図のほうです。
もう少し説明してくれないとからかわれてるのかと思ってしまいます。
本当にからかっているだけでしたら理解できずにマジレスして失礼しました。
>>597 実際的な違い、はもはや主観の世界だと思います。
それを基準にするということは非常に曖昧な印象を受けます。
例えば、「子供のボールの取り合いの方が戦争よりも重要だと
思う人がいたら、その人には冗談半分で説明すれば分かって
くれるだろう」という文章を読んだことがありますが、これは
私には全然説得力がありません。要するに、常識に訴えている
わけで、基準が提示されているわけではないからです。
>>598 私たちは観測を行いますが、順を追って丁寧に考えると、
「私の観測事実」と「他者の観測報告」を照合している
と思います。つまり、2人以上の観測が一致する、という
ことは「心」の問題と同様に分からないわけです(つまり、
私たちは観測を行いますが、という最初の文は誤りで、
私は観測を行い、他者は観測報告をするわけです)。
で、そういう点についてどう考えていらっしゃるのかと思い、
>>594のような質問をしました。確かに意図が不明ですね。
失礼しました。
言い換えると、観測で問題になってるのもクオリアなわけですから、
それが科学の対象外なわけではないと思います。私がクオリア論を
特に重要視しない理由はここにあります(従来の心身問題に何も
付け加えていないのでは無いかという疑いがあるのです)。
もちろん、従来の心身問題を放棄して、クオリア論の方へ
移行するという立場はあると思います(結局、どちらを選ぶ
かは好みの問題かもしれませんが)。
あと、もうひとつ、実際的な議論の場へ持ち込む、という
時の「実際的な議論の場」というのがよく分からないのです。
例えば、このスレはどうでしょうか。政見放送ではどうでしょう
か。理科の授業中に話すのはどうなんでしょうか。
私はカズイスティックに考えるので、こういう抽象論をされると
困惑してしまいます。
603 :
346:2005/12/25(日) 14:24:28
>>599 その点についてはとくに異論ないですけど。
でも、その見解は哲学ではあまりにも常識的なのでつい疑ってしまいたくなります。
それにその「わからなさ」にも程度の差がありそうですね。
>>600 クオリアが科学の対象外だとは言ってませんよ。
繰り返しますが条件によるんじゃないでしょうか。
そこらへんは俺はどうでもいいです、迷惑をかけなければ。
>従来の心身問題に何も付け加えていないのでは無いかという疑いがあるのです
疑いも何もその通りだと思います。
単に目先が変わっただけかと。
ただ、目先が変わることはある意味よいことだとも思います。
違った分野の人が参加したりしますよね。
たとえば神経科学者が出張ってくるとか。
604 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 14:26:50
ぴかあさんはおもろいですね。
人のクオリアは系統発生的に我々の進化過程で獲得したものが基盤でしょうね。
微生物時代から魚類〜ネズミ〜サルという進化の過程における
環境への適応として身に着けたクオリアですね。
>>603 了解です。レスありがとうございました。
606 :
決定論スレ46の556:2005/12/25(日) 14:29:39
>>587 >これは第三者に観測されたり実証されたりすることは多分出来ないだろうから、
>そういう意味では科学的な議論にはなじまないかもしれない。
そういうことです。
>その前提が受け入れられればあえてクオリアの存在を実証する必要は無い、というか無意味だ(
>>371)。
その前提を受け入れる人たちが、現実の生活とは無関係な議論として行う議論のなかでは、
そういうことになるんでしょうね。
つまり、無意味を前提とした議論に意味を求めるのは無意味だ、というわけです。
607 :
決定論スレ46の556:2005/12/25(日) 14:34:18
>>599 >実際的な違い、はもはや主観の世界だと思います。
例えば、足が片方無かったら、歩けません。
両方ちゃんとあれば、歩けます。
これも「主観の世界」ですか?
608 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 14:35:26
なぜ世界は科学によって表記可能なのか。
その答えの一つが人が表記可能なものを抽出しているということだ。
たとえば今日、東から太陽がのぼったからといって、
明日西からのぼらないという根拠はどこにもない、という
ヴィトゲンシュタイン的な規則の不可能性がある。
それでも、科学は効果を上げている。科学の時代であるのは、まさに
功利的な理由からである。技術あっての科学である。
科学とは、人が表記可能なものを抽出している、還元しているとすると、
このような還元は人のみのものだろか。
生命記号論において、パースの記号論の三項(対象、解釈(コンテクスト)、意味)は、
人間の特性ではなく、宇宙に特有な還元方法である、
構造化の手法であるということだ。
構造化とは、ソシュール的な差異の体系ではなく、ものそのものをある解釈を行い、
還元しつづけるという動的なものであり、それは人の認識であるが、
認識もそのような構造化装置の一つであり、特別な装置でなく、進化論的に
継承されている方法である。
この還元はミクロ的には「創発」的な構造を持つだろう。
カオス的な取り込み、秩序へと構造化する。
宇宙がなにもない死の世界でなく、動的な世界であるのは、
それは宇宙が創発マシーンであり、階層的に創発マシーンが
無数の作動する世界であるということである。
生命も、人間も、社会も、言語も創発マシーンであるわけであるが、
これらは同様な還元の法則性がある。
科学技術は、このような法則性をより近似的に表記する方法なのである。
609 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 14:54:03
で?
610 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 14:56:24
そうなんだよ。
だから、それでどうなるんだ?
それが無いから馬鹿にされるんだ。
611 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 14:56:53
「で?」?
612 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 14:57:43
>>610 はははははは、おまえほんと馬鹿だなぁ〜
>>607 実際的な違い、というのはどういう意味でしょうか?
私は実際の違いは価値感覚の違いなのですが。
例えば、通路Aを通っても通路Bを通っても同一目的地に
同一時間で到達できる場合であっても、私の定義では、
それを実際の違いと呼ぶかどうかはもはや主観の問題だ、
ということになります。
また、天使が何人踊れるかを実際的な違いは無い、という
価値判断はあくまであなたのものだと思うのですが。
614 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/25(日) 15:18:10
失礼ですが、「神」をアプリオリに前提としているので、ぴかぁ〜さんの
言説は混乱の度を増してきているだけのように思えます。
例えば
>>608は、
「(疑似)科学の衣を被った観念論の悪あがき」のように見えてしたがありません。
何でまた「創発」等という「瀕死の観念論だけに効くモルヒネ」をむりやり
捏造してまで、観念論(要するに「神の実在」)に拘るのでしょうか?
この広大な宇宙(と137億年の歴史)に比べて、「自分の一生」がちっぽけ
すぎて「まるで意味がない」ように思える・・そういう気持ちは理解できます。
しかしそこから「自己矮小化感をもたらす実証主義唯物論」を嫌悪する・・まで
行くのは「論理的飛躍」を避けて通ることはできません。言い替えれば、
自己欺瞞と自己韜晦の「言葉の技術」です。・・だからおっしゃっている
ことに説得力がまるでないのです。
(あなたに)自己矮小感をもたらす思想については・・例えそれが「真理」
であると薄々感づいている・・・としてもやはり「どうしても認めたくない」
という、一種の「心理学の問題」であることにお気づきにならないのでしょうか?
615 :
決定論スレ46の556:2005/12/25(日) 15:20:07
>>613 >実際的な違い、というのはどういう意味でしょうか?
議論それ自体を離れて、我々の生活、行動に影響を及ぼす違い、
ということです。
針の先で天使が何人踊れるかという議論の結果はには、
その議論自体に関心がある人たちにとっては違いがありますが、
そうでない人には結果がどうあろうと影響がありません。
これは、意思が必然であるかどうかの議論も同様ですね。
しかし、例えば、電子工学が議論の結論は、
その議論に興味を持つ、持たないにかかわらず、
我々の生活に影響を及ぼしますよね?
その議論に興味を持つ、持たないにかかわらず、
その議論の対象となっているものとのかかわりがある限り、
具体的に、あることができたり、できなかったり、といった違い
(足が片方無いとあるけない、といった)があります。
616 :
346:2005/12/25(日) 15:24:12
>>599 「わからなさ」の違いについて考えてみた。
猫の場合「他者の観測報告」に登場する猫は「私の観測事実」にも存在する。
あるいは少なくとも同定できる。
このことが
>(つまり、
>私たちは観測を行いますが、という最初の文は誤りで、
>私は観測を行い、他者は観測報告をするわけです)。
こう言えることの理由になっている。
でも、心の場合「他者の観測報告」に登場する心は「私の観測事実」には存在しない。
同定もできない。
猫と心のわからなさにはこのような違いがあると思う。
>>600 またこのような議論から
>言い換えると、観測で問題になってるのもクオリアなわけですから、
ということは言えないと思う。
っていうかクオリアをわざわざ持ち出す必要は無いと思う。
なので以上からは少なくとも
>それが科学の対象外なわけではないと思います。
ということは言えないと思う。
617 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 15:31:56
>>614 機械やん的に、この世界の創造のシナリオはどうだっけ。
なぜこの世界に秩序があるんだっけ?
たとえば、物質から生命を作るのは、時間的に考えても、
工場に部品を彫り込んでシェイクして、飛行機がつくられる
確率だといわれているけど
618 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 15:33:55
観測においては、
人に共通する間主観的対応現象がある場合と
空想のような非間主観的な個人レベルで生じる
対応現象が無い場合がある
クオリアはどうやら前者のようである
>>615 それは同意しかねます。
第一に、実際的な違い=影響を与える範囲という単純な事実から
「多い方は有益で少ない方は無益だ」と考えるのもひとつの価値判断
であること。ゆえに、その価値判断を導く別の基準が必要になります。
>>599で述べたのは、そういう「常識的に考えて万人に影響を与える
議論の方が有益に決まっている」という常識論では、哲学的議論に
おいては、私は説得されないということです。
第二に、
>>549の「意識が必然であろうとなかろうと、そこには価値の違い
を生じるような差異がありません。」というような主張には賛成できません。
「意識が必然であろう無かろうと現実生活はほとんど変わらない」という
のなら分かりますが、そこから「そこには価値の違いを生じるような差異は
無い」というように、差異の多少=価値の多少という公式が成り立つのか
どうかを私は疑問に思います。
第三に、
>>602で書いたように、具体的問題解決としてどうなるのか、という
ことです(例えば、このスレでそういうことを論じてはいけない、という禁止に
なるのか)。もしかすると、差異がほとんど無いのかもしれません。
>>616 前半は同意です。後半は
>>594の核心部分に触れます。
【実験1】
私の目の前に猫がいる(観測)。
被験者Aも「猫がいる」という(観測報告)。
【実験2】
被験者Aの脳の特定部位をいじったところ「悲しい」と言った(観測報告)。
自分に試してみても「悲しい」と感じた(観測)。
ここで、私が見ている猫とAが見ている猫とは同定できるが、
Aの悲しみと私の悲しみは同定できない(心は同定できない)、
とする根拠がよく分からないのです。
621 :
決定論スレ46の556:2005/12/25(日) 15:47:45
>>619 >第一に、実際的な違い=影響を与える範囲という単純な事実から
よく意味がわかりません。
具体的な例でいうと、どうなりますか?
「AB間は1km離れている」は事実判断だけど、
「AB間は1kmも離れている」「AB間は1kmしか離れていない」というのは価値判断だ罠。
>>621 横レスですまないんだが、君の事実(である)−価値(益・無益)−規範(べからず)
の三者関係を簡潔でいいから述べて欲しい。用語が変化するからよく分からない。
625 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 15:57:45
1キロって何?
説明して。
そして、その説明の根拠も
626 :
決定論スレ46の556:2005/12/25(日) 15:58:21
>>623 すいません。
おっしゃってることの意味が全然わかりません。
何をおっしゃりたいのですか?
>>625 観測されてる事実に名付けられた長さの名称。
対象を1キロメートルと呼ぶ必然性は無いので
理由付けするとすれば「それが慣用だから」。
629 :
627:2005/12/25(日) 16:02:38
もしかして純粋な事実文はないって言いたいのか?
まあ、別にそれでもいいがな。
630 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 16:09:04
つきつめると客観世界(イデア界)はない
ここから構築していくほかない
631 :
決定論スレ46の556:2005/12/25(日) 16:12:44
>>624 ええと、事実も、価値も、規範も、普遍的なものは存在しないと考えます。
ただ、例えば科学は、観測可能性、検証可能性をもってそれを事実と考え、
それを説明する理論を考え、その理論の予測を観測で検証することで強化します(できると考えます)。
観測事実さえも主観であるから強化などされていない、という批判は妥当なものですが、
こういった思考体系は、世界がそのようなものである、という主張ではなく、
一つの方法論であるわけです。
規範という言葉は使っていませんが、私の、「クオリアを科学の議論に持ち込むべきではない」
という主張についておっしゃっているのであれば、方法論は一つの規範体系であるということですね。
科学という方法論には、その規範があって、その規範から外れるものをその方法論で扱うのは
不合理だということです。
価値というのは、あなたのおっしゃるように益・無益(不利益)を分けるものです。
価値観によって何を益、無益とするかは異なりますが、なんらかの分別を行うものであることは、
いかなる価値観にも共通しています、つまり、これは価値の一般的性質と考えていいと思います。
>>561 > 概略言っていることは同じだと思いますよ。
> ボクが精神分析の一般化=心理学化する社会ということでいったのは、精神分析用語、手法が
> 一般に知れ渡ったという単純なことではないです。
なるほど。確かに人々の無意識が成立しにくくなるというんでしょうか。例えば、フロイドの時代に
あったような性的抑圧はもう全くないわけで、そういう意味で現代社会の構成員は精神分析を
それぞれが強いられているとも言えますね。
これはどこから来ているかというと、資本主義ですね。資本主義の発展過程というのは言ってみれば
精神分析することです。実際、新製品開発っていうのは人々が既に語っているニーズを拾っていたら
全くダメで、意識していない欲望を引き出さなければいけない。そういう社会に属することは、即ち
精神分析されてしまうことを意味し、全てが商品化=意識化されることでアイロニカルになるという
ことでしょう。その極北にあるのが情報社会なわけで、そこは仰るとおりだと思います。
>>564 > これは「生物学的脱構築」とでもいうものである。カントやデリダも社会の「生物学的脱構築」を
> 観察し、表記しただけのことです。そういう意味で彼らは時代の流れを読む優秀な芸術家です。
ええ。哲学はミネルバの梟は黄昏に、ですから近代化した社会における人間精神の自己認識を
語ったのがデカルトからカントに至る思考だったんでしょう。ところが、ヘーゲルというのがその後に
出てくる。彼はその内実において明らかにカントよりも退行した思想だと思いますが、しかし、時代状況
に適合していたんですね。つまり、近代ナショナリズムはカントの思考からは出てこないわけで、
そこを表現したわけです。
デリダというのは私は読んでないんですけど(笑)、ああいう脱構築というのが注目されたのは
ヘーゲル的なナショナリズムが成立しなくなった。具体的には米ソ冷戦の崩壊によって完全に
弁証法によって社会と人間を語ることができなくなったわけで、そういう時代の思想として出てきた
んじゃないかと想像します。今はナショナリズム解体の中にあるわけですが、新しい歴史教科書
なんかはそういう中での反作用でしょうね。
>>574 「創発」というのは、アフォーダンスとも書いてますけど、スピノザのエチカで言う第三種の
認識、「物を神の中に含まれ,神の本性の必然性から生ずるとして考える」ということ
でしょうか。ちなみに第二種の認識というのが科学的因果関係による認識なんですね。
>>631 (1)針の上に天使が云々の議論と人工知能の議論の
価値は結局主観で決まるということでいいんだよね?
(2)あと結論として何が言いたいのか分からないんだが・・・。
>>614 > (あなたに)自己矮小感をもたらす思想については・・例えそれが「真理」
> であると薄々感づいている・・・としてもやはり「どうしても認めたくない」
> という、一種の「心理学の問題」であることにお気づきにならないのでしょうか?
でも機械さんはクオリアを信じてるんですよね。それは上の記述と矛盾しますよね(笑)。
636 :
決定論スレ46の556:2005/12/25(日) 17:49:08
>>634 >(1)針の上に天使が云々の議論と人工知能の議論の
>価値は結局主観で決まるということでいいんだよね?
ええと、どういうことを聞かれてるのかよく意味がわかりません。
もう少し詳しく説明してください。
>(2)あと結論として何が言いたいのか分からないんだが・・・。
ええと、このスレでは私は、最初から同じことしかいっていません。
「クオリアの説明を科学に求めるのは無意味だ」
ということです。
それ以外の発言は、つけられたレスへの回答であって、
積極的に主張していることではありません。
556さん,最初はクオリアなんて無いぜって言ってたと思うけど,
かなり軟化したな.
>>636 (1)はそれ以上説明のしようが^^;
(2)についてだけど、
「クオリアの説明を科学に求めるのは無意味だ」
不可能なんじゃなくて無意味なんですか?
639 :
決定論スレ46の556:2005/12/25(日) 17:56:47
>>638 >(1)はそれ以上説明のしようが^^;
そんなに難しい問題なんですか?
>不可能なんじゃなくて無意味なんですか?
「存在しない問題の答えを出すことは不可能」という意味では不可能ですね。
でも、問題が存在しないのですから、不可能以前に無意味じゃないですか?
640 :
638:2005/12/25(日) 17:58:30
>>639 針の上に天使が云々の問題は存在知する、しない?
641 :
638:2005/12/25(日) 18:03:08
というか、「問題が存在しないのと一緒」って言いますけど、
それの意味が全く分からないんですよね。存在するものは
存在しますし、存在しないものは存在しないと思うのですが。
642 :
638:2005/12/25(日) 18:04:36
あと、無意味って言うのはどういうことでしょうか?
それが主観なら何でも無意味ですし、何でも有意味になると思いますが。
643 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 18:06:48
今北
産業で頼む
644 :
決定論スレ46の556:2005/12/25(日) 18:07:01
>>640 ああ、ようやくおっしゃりたいことの意味がわかってきました。
針の上の天使が云々の問題は議論を行う当事者の中にしか存在しません。
科学は、そういった当事者を離れて存在する(と科学が前提する)観測事実を問題にします。
したがって、「そういう意味でしか」存在しない問題を科学で扱うのは妥当ではありません、
問題を立てる段階で科学の方法から逸脱しているからです。
556さんは,
1)ある命題が科学的であるか
2)その命題が真であるかどうか
この2つは別だ,ということを言いたかったのではないの?
たとえば,「月の裏にうさぎがいる」という命題は,
「月」「裏」「うさぎ」「いる」などを(操作的に)定義できるから,
科学的な命題であり,真偽を問える.
つまり,科学的ではあるが誤った命題.
でも,556さんは,クオリアの(操作的な)定義がないと思ってる.だから,
3)科学的でない命題の真偽を決定することはできない
という前提のもとで.
クオリアについての命題は,非科学的で,真偽を決定することができない命題.
...ということではないのかしらん.
646 :
638:2005/12/25(日) 18:10:26
>>644 ああ、そこなんですよ。
逸脱してたらどうなるのか、ってことです。
単に「逸脱してる」とか「無意味だ」っていうのは針の上に天使が
何人の話で「乗れる」とか「乗れない」とかいう結論と同レベルに
見えるんですよ。
だからどうした?、と訊きたくなってしまいます。
そこから具体的な規範が出てくるなら別ですが。
このスレではクオリアの話を禁じる、とか。
これについては他の人からも既に似たような質問が出てますよね?
>>645 ちょい口挟みだけど、556さんの主要命題に反対してる人は
いないと思う。ってか、556さんの結論と反論者の結論がほとんど
一緒なんだよね(
>>533>>535とか)。
で、唯一の差異は
>>542と
>>545ではないのか?
それで「公の場ってナニよ?」っていう質問が出てるけどこれについては
まだ回答が無いんだよね。
648 :
638:2005/12/25(日) 18:18:01
>>645 私もそれは同意します。
つまり、科学性のある命題と無い命題がある、というのは認めます。
でも、今問題になってるのは、そこから何で「無益」とか「無意味」とか
「問題が存在しない」とかいう主張に繋がるのかが見えないという点です。
「それは科学的だ」と「それは非科学的だ」という主張以上に、価値の問題に
踏み込むメリットがよく分からない。むしろ、それこそ科学の方法論から逸脱
してる(守備範囲以上のことを言っている)のではないかと感じるわけです^^;
649 :
決定論スレ46の556:2005/12/25(日) 18:21:35
>>646 >逸脱してたらどうなるのか、ってことです。
それは、ちょっと想像力を働かせればわかることではないでしょうか。
何度も例に出しましたが、「ユニコーン」や「竜」を説明の対象としなければならなくなったら、
生物学はどうなるでしょう?
魔法やフリーエネルギーを問題の対象としなければならないとしたら、
自動車産業やエレクトロニクス産業はどうなるでしょうか?
>そこから具体的な規範が出てくるなら別ですが。
>このスレではクオリアの話を禁じる、とか。
なんか唐突ですね、なんでそんな話になるんですか?
>これについては他の人からも既に似たような質問が出てますよね?
そして、その都度私はきちんと答えていますよね?
650 :
638:2005/12/25(日) 18:32:08
>>649 それは回答と言うよりも単なる空想ですよね。
反対論者も「生物学はユニコーンを研究しなければならない」とか
「エレクトロニクス産業は魔法の問題を研究しなければならない」
なんて言ってませんし、実際にそんなことになるとは思えません。
いわゆる「杞憂」って奴です。
そもそも、生物学は概念であって、研究するのは個々の人間なのですから、
生物学がユニコーンの研究を強要される、なんてのは比喩です(具体的には、
「大勢の生物学者がユニコーンの研究を強要される状態」でしょう。でも、そんな
ことって現代でありますか?)。
そして、それ以外に言うことがないのなら、つまり、具体的な規範が出てこない
なら、この議論自体が無益なのではないかということです(だって、結論が
変わらないのですから)。
651 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 18:39:05
「クオリアは観測できない」と言っている人がいるが、逆だろう。
「直接的には、クオリアしか観測できない」
「観測事実と呼ばれるものは、すべてクオリアである」というのが正しい。
>>644で
>当事者を離れて存在する(と科学が前提する)観測事実
とあるが、この言い方もおかしい。観測事実はすべてクオリアなのだから、
当事者を離れて存在しようがない。
科学が前提するのは、個々の観測事実(クオリア)を離れて(というかその背後に)
存在する「客観的事実」の方だろう。
たとえば「猫を見た」という人は、大勢いる。「天使を見た」と言う人も、
数は少ないだろうが、いる。当事者が嘘をついていない限り、そういう
「観測事実(クオリア)」が存在したことは、否定しようがない。
ただ、科学的検証の結果として、当事者のクオリアを離れて「猫」という
客観的実体が存在するのに対し、「天使」という客観的実体は存在しないと
(通常は)判断される、と、そういうことだろう。
652 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 18:55:42
>>633 創発とは、科学では「複雑性」、あるいは「システム論」と呼ばれます。
たとえば相対性理論、量子力学そして大統一理論というものがあります。これは古典物理学から
続く、還元主義ですね。ある基本単位があり、それの法則によって、この世界の全ての
減少は表記できる。
複雑性は、非還元主義です。あるシステムの特性は基本単位に還元できない。
たとえば遺伝子の特性は、その構成の原子、分子の特性からは見えないわけです。
さらには、このような創発は偶然性から生まれます。偶然性からある確率で秩序が生まれ、
それが成長する。そのような現象の発生が科学的に証明されています。
だからどのような秩序にももはや神はいらないのです。はじめに偶然のみがあっても、
ある確率で生命は生まれるのです。
いままで、物理法則だろうが、進化だろうが、科学的に説明されても、そのような秩序は
なぜ存在するのか?には「神」という答えしかなかったが、いまは「創発」ですね。
機械やンは50年代の非還元論的転回の波をいまだにかぶっていないのです。
サイエンス好きでこのような時代遅れな人は多いのですね。科学読み物というのは
おもしろおかしく書くもので、非還元論は複雑で歯切れが悪いですから、
あまりウケがよくないのでしょうね。いまの時代は、とにかく「なんでも創発」の時代なんですね。
653 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 18:59:31
>>632 ボクは心理学化の要因を、情報化技術といいましたが、そのような情報化技術を社会化するのが、
資本主義であった、ということだと思います。
カント、ヘーゲル、デリダの優劣?は、それぞれの考え方があるのでノーコメントで。
ボク的にはラカン最強論者ですが。
たとえばフロイトが精神分析を確立し得たのは、彼があの時代のウィーンというコスモポリタンな
都市にいたからだ。あるいはドゥルーズ、フーコー的には、その時代性の影響され、家族という
三角形に閉じこめすぎているということでしょう。
どちらにしても、みな、時代の流れを読む優秀な芸術家ということです。
>>198 > 要するに、あなたの「思考回路」は(絶対に)存在する訳ですか?
×がついた形において「在る」んでしょうね。
>>651 観測機器を通る情報はクオリアでしょうか。
656 :
346:2005/12/25(日) 19:23:26
>>620 いや、【実験2】の悲しみは普通の意味で同じじゃないんでは?
だって別々の脳でおこったことなんだから。
でも、おかげで
>>599と
>>600の繋がりがやっとわかった(察しが悪くてスミマセン)。
この【実験2】の両者を同じとみなす方向は俺の
>>593と同じことを言ってるんだよね?
657 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 19:35:04
>>655 観測機器を通ろうがどうしようが、最終的には五感によって
「主観的」に確認する他ないのだから、クオリアに決まっている。
バークリー的に言えば、クオリア以外の存在を想定する理由は
ない、とすら言える。
哲学的引きこもりだな.
>>656 >この【実験2】の両者を同じとみなす方向は俺の
>>593と同じことを言ってるんだよね?
ええ、全くその通りです。
661 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 20:01:37
創発の中のクオリアだろ.
>>652 > 創発とは、科学では「複雑性」、あるいは「システム論」と呼ばれます。
> いままで、物理法則だろうが、進化だろうが、科学的に説明されても、そのような秩序は
> なぜ存在するのか?には「神」という答えしかなかったが、いまは「創発」ですね。
もう少し教えていただきたいのですが、ある秩序に関して、それが内的に
自存しているかに見えるが、外的な要因から派生した系が自己保存的に
持続しているということでしょうか。
進化論なんかはその典型的な表現かと思いますが、昔はそういう理論は論として
あっても実験不可能でしたが、今はコンピューターによってシュミレーションすることが
できますね。
ただ、ちょっと疑問なんですが、複雑系というのは確かに偶発的に無限の秩序を
形成し得るという話をする一方で、その法則にきわめて単純なものを見ようとする
試みだと思うんですね。これが一つ。
もう一つは、複雑系を知ると、例えばそういう現象の代表として気象現象なんかが
ありますが、天気予報が当たるようになるかといったらなりませんね、当然。つまり
ある系が違った秩序を作り出し、それが更に・・・という話は分かるんですけど、
それは何も分かったことにならないというんですかね。この世は複雑なんだよ
っていう言い方にしかならない気がします。還元主義っていうのは最近悪役に
なっているのかも知れませんが、人間が何かを分かろうとするというのは還元的に
ならざるを得ない気がしますけど、どうでしょうか。
そうか、ぴかぁ〜は芸術家志望だったのか。これでいろいろ納得できた。
>>653 > ボク的にはラカン最強論者ですが。
ラカンの著作は難しすぎて読んだこと無いんですけど、彼はシニフィアンの優位性という
ことから、フランスならフランス共同体の優位性というんですかね。言語というのは即ち
文化でありナショナリズムであるということで、そういう面があると聞いたことがありますが
どうなんでしょうか。あと、カソリシズムを主張していたという話がありますね。共同体
主義っていうんでしょうか。フロイドはユダヤ人だということもあって、そういう面は無かったと
思いますけど、そこはどう思われますか?
665 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 20:20:05
あの、最強とか無いですから
666 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 21:18:10
>>663 遅っ!人間の作ったもっともすばらしいものは音楽だよ、キミ。
667 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 21:25:26
人間からみてか?.
ぴかぁ〜からみてか?.
人間以外からみてか?.
668 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/25(日) 21:33:09
>>617 >たとえば、物質から生命を作るのは、時間的に考えても、
>工場に部品を彫り込んでシェイクして、飛行機がつくられる
>確率だといわれているけど
進化に絡んで「確率」をどうこう論じるのは結構無理があります。
「進化」第一前提は「突然変異がある確率で起こる」ことです。
第二前提は「ある突然変異種が突然変異前の種に『駆逐され尽くさない』」こと
です。
第三前提は『突然変異「前の種」を「後の種」が滅亡させること』です。
突然変異「前の種」と「後の種」は生存圏(まあ、いわゆる「生活圏」です)
が「ほぼ同一」となるので、第三前提は「必須」ではありませんが「殆どそうなる」
という意味で、「前提」の一つなのです。
そしてこの地球上で「物質」が「進化」を初めて約37億年(「だいたい」ですが)
地球上の様々な「生命体」は「一個の細胞」から進化したものですし、人類も「ただ一人」
の例外なく「ミトコンドリアイヴ」という(ただ一人の)女性の子孫であることも明らかです。
要するに「地球」という主な元素として酸素と水素と炭素と硅素等の個体化合物の混合物で
表面を覆われ、酸素と窒素と炭素を主成分とする大気で覆われ、恒星(太陽)から同じような
「相対距離」を保つ天体(惑星)は、必ず「地球上のような物質進化を現出する」のであり、
それは「この宇宙」が137億年前に誕生した瞬間に「全部決定していた」事実(真実)の
「ほんの一部」なのです。従って、おっしゃっている「確率」は「100%」です。
「確率」の分子には、「時間」を「掛け」なければいけません・・・「確率」とは
「単位時間当たりの」ものだからです。
要するに「時間の大きさ」をちっぽけな「自分の一生」のメジャーで測ってはいけないということです。
「文科系の方達」が「確率」とおっしゃっていても「それが『単位時間当たりの』確率であること」を判って
いないことが非常に多いのです。
地球の「隣の惑星」が金星と火星であることを知っている人はかなり多いと思いますが、太陽(恒星)の
『隣の恒星』の名前を知っている人の『率』は、たぶん5%も居ないと思います。
あなたはご存じですか?
669 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 21:35:18
>>662 >ある秩序に関して、それが内的に
>自存しているかに見えるが、外的な要因から派生した系が自己保存的に
>持続しているということでしょうか。
ん〜自存と自己保存は違うの???
>複雑系というのは確かに偶発的に無限の秩序を
>形成し得るという話をする一方で、その法則にきわめて単純なものを見ようとする
>試みだと思うんですね。
法則に単純なものをみませんよ。非還元主義の複雑なものです。
670 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 21:36:56
このような複雑系はなにも新しいものではないのですね。ニュートンの物理還元主義も
当時いろいろ批判が多かったようです。それはあまりに世界を簡単に記述すること、
そしてたとえば生命、人について記述できないからです。人は機械ではない、
ということです。このころから非還元論というのはありました。
カントの生命の非還元論性について指摘してようです。
ただそれは、あまりに数学的も複雑すぎたのですね。
50年代以降、脚光をあびたのは、まさにコンピューターによってシュミレーションすることが
可能になったからです。
還元主義世界(物理主義)はいわば、世界の近似値です。だからそのような世界は
どこにもありません。より近似させるには、非還元論的表記が必要なのです。
人間が何かを分かろうとするのは、何度もいうように認知限界です。
科学の良いところは、認知限界を超えるところです。
11次元的世界は想像できませんが、科学、数学的には扱えます。
671 :
346:2005/12/25(日) 21:41:09
>>659 つまりこういうこと?
【実験1】
被験者Aの脳の特定部位をいじったところ「私の目の前に猫がいる」と言った(観測報告)。
自分に試してみても「私の目の前に猫がいる」と感じた(観測)。
【実験2】
被験者Aの脳の特定部位をいじったところ「悲しい」と言った(観測報告)。
自分に試してみても「悲しい」と感じた(観測)。
確かにこれなら両者に違いは無いけど。
でもこの二つの実験を比べることは意味がある?
猫の場合はお互いの観測事実を付き合わせることで「この猫」と個別事例が同定できる。
心の場合同じように「この心」が同定できるだろうか?
ぴかあにマジレスしてる人はかなりの暇人ですね
673 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/25(日) 21:48:12
>>672 いや、この方はかなり昔から「コテ観念論」で懲り固まった素朴なレスを
されるので、つい・・・してしまうのです。それにしても・・・今どき?
とは(いつも)思いますが・・・。
674 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 21:52:29
>>673 >それは「この宇宙」が137億年前に誕生した瞬間に「全部決定していた」事実(真実)の
>「ほんの一部」なのです。従って、おっしゃっている「確率」は「100%」です。
機械やん的に、この世界の決定した創造のシナリオはどうだっけ。
なぜこの世界に決定論的秩序があるんだっけ?
たとえば、物質から生命を作るのは、時間的に考えても、
工場に部品を彫り込んでシェイクして、飛行機がつくられる
確率だといわれているけど。ップ・・
675 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 22:08:06
>>664 ラカンの「シニフィアンの優位性」とは、たとえばりんごというシニフィアンのシニフィエは赤い果物です。
しかし赤い、果物もシニフィアンです。赤いのシニフィエは・・・、果物のシニフィエは・・・と
続くのです。これをシニフィアンの連鎖といいますが、どこまでいってもシニフィエにはたどり着かない
のです。このような考え方をソシュールの差異の体系というシニフィエの優位性に対して、
シニフィアンの優位性と言います。
ラカンの共同体主義というのはどのことでしょうか?イデオロギー的にはあまりカラーがなかった
と思います。象徴界という間主観性的なものを中心に考えたということでしょうか。
676 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/25(日) 22:10:04
>>674 @その(飛行機云々の)「確率」は、何年当たり何%である
A地球の環境に生命が発生する確率は、何年当たり何%である
・・・両方とも「推定」の域を出ないでしょうが「科学」的確率
ならば、@は「0.0000・・・%」=十のマイナス何乗であり、
Aは「「0.0000・・・%」=十のマイナス何乗である・・
従って・・・「10の1乗」しか違わないので・・ほぼ同じ・・とか
述べなければ、全く「説明」にはなりません。
「同じような確率だそうですって!」・・では近所の暇なおばさん達
の「井戸端会議」以上の域を(到底)出られませんね。
もともと「観念論」は、その素朴さという点において「近所のおじさん
達」の茶飲み話の域を出ているとは思えませんが・・「300年前にカント
という偉い爺さんがおってな、村人達が時計の替わりにカントさんの散歩を
見て生活しておったそうでな・・・」とかですね。
>>671 >猫の場合はお互いの観測事実を付き合わせることで
>「この猫」と個別事例が同定できる。
この場合、「この猫」というのは猫そのものというか、視覚から
切り離された客観的存在を前提とすると思います。そして、
観測事実が整合的である限り、「同一物を見ている」という
仮定を設定するのは常識的な判断でしょう。
しかし、「赤と緑の問題」(私はある波長の光を認識すると
<赤>が見えてそれを「赤」と呼び、Aさんは同一波長を認識
すると<緑>が見えてそれを「赤」と呼んでいる)の場合のように、
私の観測とAさんの観測報告とは整合的だが、実は見えているもの
が違う、という可能性もあるわけです。
つまり、観測と観測報告の突合せは、同定の仮定をすることができても、
同定の断定はできないのではないでしょうか。同定の断定ができない
ならば、「心の同定ができない」のとどう違うのでしょうか。
単に程度の差かもしれません。
678 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 22:17:55
>>676 機械やん的に、この世界の決定した創造のシナリオはどうだっけ。
なぜこの世界に決定論的秩序があるんだっけ?
たとえば、物質から生命を作るのは、時間的に考えても、
工場に部品を彫り込んでシェイクして、飛行機がつくられる
確率だといわれているけど。
え〜これに答えずに逃げる気〜カッコ悪ッ・・
>>669 > ん〜自存と自己保存は違うの???
> 法則に単純なものをみませんよ。非還元主義の複雑なものです。
複雑系以前であれば、ある自立した系それ自体の秩序を測定することで
終わりだったと思うんですね。ここで仰っている複雑系的認識というのは、自立
した系に見えるが、それはより大きな系から派生したものだという話かと思います。
それだけだと散漫な話でしかないわけですが、この複雑な秩序群を生成する基本法則
は極めて単純なものの反復であるというのが複雑系の科学かと思い込んでましたが、
仰られているのは違うんでしょうか。例えば、生態系の複雑な秩序は、遺伝子の淘汰
によって生成されており、遺伝子の淘汰というのは究極的には世界はより安定した方向へ
動く、高いところにあるものは落ち、相対的に熱いものは冷えていくという物理法則に
則っている。
>>670 > 当時いろいろ批判が多かったようです。それはあまりに世界を簡単に記述すること、
> そしてたとえば生命、人について記述できないからです。人は機械ではない、
> ということです。このころから非還元論というのはありました。
この辺でクオリアに戻れるわけですが(笑)。人間が特異なのはバーチャルな世界、
世界の近似値を描けるからですね。マルクスが資本論で書いていたかと思いますが、
蜂は職人が驚くような精密な巣を作るが、人間は家を作る前に設計を行うと。これが
動物の活動と人間の”労働”との違いであるというわけです。
都市というのはそういう世界の近似値を外化したものですよ。そこに我々は生活している
わけですね。更に都市生活自体を対象化した商品群が生成されている。クオリアみたいな
話というのはそれをどこかで止めようと(笑)、そういう話ではないか。
680 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/25(日) 22:25:43
>669の一部訂正
1724〜1804のカント氏を「300年前」といったのは少々雑駁でした。
「およそ250年前」に訂正させて戴きます。
日本では江戸時代中期で、徳川将軍の(生年)〜(没年)で言うと、
七代 徳川家継(1713年)〜(1716年) 八代 徳川吉宗 (1716年)〜(1745年)
九代 徳川家重(1745年)〜(1760年) 十代 徳川家治(1760年)(1786年)
十一代 徳川家斉 (1787年)〜(1837年)
の時代・・ということになります。
681 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/25(日) 22:30:10
>>678 >工場に部品を彫り込んでシェイクして、飛行機がつくられる
>確率だといわれているけど。
あなたが勝手に言っているだけでしょう?観念論者の良くやる典型的な
「井戸端会議論法」ですね?「・・といわれているが・・」という奴です。
誰がどういう根拠で「言っているのか」、あなたはどういう根拠で「いわれ
ている」(そうな)とかいうあやふやな噂を流そうとするのか?
お教え戴けますか?
>>675 > ラカンの共同体主義というのはどのことでしょうか?イデオロギー的にはあまりカラーがなかった
> と思います。象徴界という間主観性的なものを中心に考えたということでしょうか。
自らの存在を語るものが人間であるわけですから、言語というのは人間存在を規定している、個々の
人間を超えた存在であるということになる。フランス共同体主義だと聞いたことがありますが違いますか?
例えば、コスモポリタンな象徴界があり得るか?という話だと思います。
683 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/25(日) 22:33:02
680の訂正です。
(将軍就任年)〜(没年)の誤りです。謹んで訂正させて頂きます。
684 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 23:08:12
>>679 ん〜基本的なところが間違っていますね。そこを説明します。
まずこの宇宙の基本は、エントロピーに増加に向かっているということです。
エントロピーの極大とは、この世界が全て平準化、均一化されら世界です。
そこでには構造はなにもないのです。生命は当然、惑星もです。
宇宙に時間が流れているのは、エントロピーに増加に向かっているためですね。
たとえば、慣性の法則などは、時間に方向はなく、可逆性です。
しかしこの世界はエントロピーに増加に向かっているために、時間は一方向です。
たとえばこぼれたコップの水はコップにはもどりません。
それに対して、生命は逆方向なのですね。エントロピーが減少しているのです。
どんどん秩序が形成されている、複雑化しているからです。
たとえば生命は死ぬと灰になります。生命活動が終わると、すぐに
時間に流される、エントロピーの増加に流されるのです。
生命はそれにさからい、秩序を保ち続けるという宇宙に逆らう
とてつもない力を持っているのです。
ではなぜ、このような生命は存在するのか?
それが創発です。エントロピーの増加する中で、確率的に秩序が生ませ
成長するの可能性があるのです。そのような偶発的に生命は生まれ、
そして積極的な成長(進化)が地球上で起こっているのです。
685 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/25(日) 23:12:28
>>684 いや、あなたについて勘違いしていていたようです。
『それは「宗教そのもの」ですよ』と申し上げても、
聞く耳持たない(持てない)方だったのですね・?
686 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 23:13:24
このような創発システムは複雑な階層性によって成り立っています。
たとえば地球生態系は進化という大きな創発性の中にあり、あるいは今現時点の
環境も創発性の中になり、そこには各動物の群、社会という創発性があり、
そしてそこには動物単体という身体を維持する創発性があり、
たとえば視覚システムを一つの創発性です。
ようは生命のように自立的に成長し秩序を保つシステムを創発性というのです。
687 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/25(日) 23:16:31
>>686 エントロピーが減少している(する)のは「太陽が活動している間」
という「時間的限定」と、太陽活動(エネルギー)が及ぶ範囲という
「空間的限定」がある・・ということは、ご「理解の範囲」に入りますか?
688 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 23:19:36
>クオリアみたいな
>話というのはそれをどこかで止めようと(笑)、そういう話ではないか。
再度、
>>84ですが、クオリアのような還元は次へのステップでしょう。
茂木がいまさら現象学や心身問題でなどで言い古されものをクオリアで
焼き直すのか。くだらないというのは簡単ですが、
まず引きつけるのですね。これは、商品のコピーライトでも同じです。
まずわかりやすいキャッチコピーで引きつけ、そこに否定できても
議論がおこれば、成功というようなことではないでしょうか。
689 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 23:23:23
>>682 ラカンを共同体主義者とはいわないと思いますよ。ラカンはそんなのほほんとしていないです。
もっともっとラディカルです。
ラカンのテーゼは「コミュニケーションはかならず失敗する」ですから。
ラカンの象徴界とはそのようなものなのです。
690 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/25(日) 23:24:22
>>688 茂木氏が脚光を浴びるためにどう活動しようが、関係無いではありませんか?
茂木氏は「クオリア(という概念)」を発見した人ではありません。
「日本に紹介した」ことの功績はありますが、「それだけ」といえば「それだけ」
なので、茂木氏が「(クオリア概念について)余計なことを付け加え述べ」ても、
(無意味な売名行為ならば)それを自分で判断して「無視」すればいいだけのことです。
691 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 23:26:29
>>690 機械やんは子供百科事典的な小ネタは良いので、
「なぜこの世界に決定論的秩序があるのか」に
答えてください。
692 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/25(日) 23:32:19
>>691 ビッグバン後の「真空の相転移」後に「この宇宙の構造」に「変化」はない
からです。
「この宇宙の構造」についての研究の最先端は「理論物理学」です。
本当は、「ギリシア時代」から「物理学」の芽はあったのですが、紀元前4年に
キリストという「コテ観念論者」が誕生して以来・・・約2000年(理論)物理学
は、「反神的」というレッテルを貼られ、迫害されてきた・・だけのことです。
永い人類の歴史から見れば、「一瞬のこと」ですけれど・・。
693 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 23:34:34
>>692 答える気がないならもう良いよ。ガッカリだよ。
694 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/25(日) 23:37:14
>>693 「メイ ゴッド セイブ ユー」です。
(キリスト教の)天国に逝けますよ、きっと。
695 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/25(日) 23:39:30
696 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 23:42:56
創発だろ.
697 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 23:44:24
みんな誰かに認められたくて必死だね…(ジブンモナー)
これは意志なのかな?
698 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 23:49:33
クオリアと脳が違うから.
699 :
考える名無しさん:2005/12/25(日) 23:51:49
つまり、ラカン最強
700
701 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/12/25(日) 23:58:18
失礼に当たりましたらご容赦を。
機械さんをはじめ観念論を否定、或いは宗教と言われる方が多いようですが
みなさんの宗教の考え方はどうなのでしょう。
少なくとも私は俗に言う「信ずる」オンリーの立場ではありません。
702 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 00:25:22
生命が発生するのはおそらく宇宙全体から見たら
結構ありふれたことだろう
703 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/26(月) 00:29:44
>>701 「自己欺瞞の技術」だと考えます。
(ある種の)自己催眠を言語で作り出すことで、「辛い生活」から
「目を反らす」技術・・・それが永い歴史の中で「システム化されてきた」
のが「宗教」だと思います。
マルクスは「宗教は阿片だ」と看破しましたが、それは「一面」にすぎません。
「(安全で)平和な生活の美味しい料理、快適な住居・好みの衣服」それ以上を
望むのは「自由」ですが、往々にして「名声」や「桁違いの冨」を追い求めると
「(安全で)平和な生活の美味しい料理、快適な住居・好みの衣服」だけでは、
『満足できなくなる』阿片中毒になる・・傾向があります。
勿論、マルクスの言った「宗教は阿片である」という表現は、そういう
意味で言ったので、それ以上の深い意味はありませんし、私は徹底的な「機械論者」
ですので、「弁証法的唯物論」・・サヨク・・は要するに「馬鹿」だと思っております。
704 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 00:50:30
意識は脳内の微弱電流だそうです。しかしその量子レベルから宇宙条件までの被影響性を考えると「関係と実体」論として捉える以外にないと思われます。
705 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/26(月) 01:03:31
>>704 oh!美弱電流にすぎない!hu!すごい発見ですので、明日に課題を繰り越したいと思います。
>皆さん、おやすみなさい。
706 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 01:29:45
■クオリアとはなにか。
動物化の曖昧さは、人は動物になったのではなく、動物化しているということです。人はもともと動物性を
もっているわけですから、ある意味で「なんでも動物化」といえてしまえます。それでも現代の「動物化」と
いうときには、東も言うように、工学化というものをあげることができます。動物化は技術の発達と絡めて
語らないといけない。
ボクは「認知限界」による人の還元主義(信仰といってもよい)であり、「生物学的脱構築」(忘却といってもよい)
というときには、さまざまな人間性を身体的なもの(動物)へ還元しています。人は身体として、主体性が決定している
ということです。ここから言えることは、心と身体(動物と人間)の切り離しの不可能性です。
そして技術の発達が身体を直接働きかけることを可能にしているときに、極端には薬や手術で、性格を変える
ということができてしまう時代に、人間とは、主体とはどういうことか、というを考えなければ なりません。
人間/動物というときには、これは、結局「心身(心脳)問題」です。だから「クオリアとはなにか」というとき
には、ボクらはいかに心(人間)を救うのかという倫理的なところへ踏み込んでいます。
707 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 01:39:51
「ぴかぁ〜、ちゃんと診てもらえ」
708 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 02:03:29
■科学の主観性となんでも創発性
科学という表記作業が人間の発明した相対的なものであることは否めません。形而上学、否定神学
とはなにかといえば、還元なんですね。アナログ情報のデジタル化といってもよい。なぜデジタル化
するかといえば、大量な情報を扱える程度に縮小するためです。人間の情報処理速度は七ビット
っという認知限界があるから、ひとまず還元するわけです。なんでもクオリア、なんでもナチ
現実界を想像界に還元するときのデジタル処理法が象徴界(言語)なわけです。だからクオリアは言語
によって構造化されている。質感が「クオリア」と言語化され否定神学化されているように。
しかし「科学は単なる主観である」と、相対主義に陥るのでなく、たとえば科学は近似的にでも世界
そのものを表記しえていると考えられます。構造物とはなんらかの還元作用によるものです。この
世界はエンタルピー無限大の世界ではない。すなわち構造をもっているならある意味で科学はその
構造に近づく有用な方法だといえます。観測し、構造するのは人間だけではない。世界の存在は
現存在的特性をもっている。世界を構造化するのが創発性であり、世界は創発性にあふれている。
時代は、「クオリア」でなく、「創発」です。ボクが以前から機械やンに注意しているのは「創発」の知識が
なさすぎるということです。なぜこの世界があるのか、なぜ生命がいるのか、などの根元性への解答
は、二つしかありません。一つは「神」であり、もう一つは「創発」です。それぐらい「創発」は重要であり、
唯物論、あるいは決定論のためにはなくてはならない概念です。いわば今の科学は全て「創発」性に
帰結します。 クオリアを作りだしているのも「創発」です。宇宙も、生命も、社会も、言語も、もはや
「なんでも創発」です。
709 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 02:05:22
■「クオリア」はなぜ語りえないのか。
>>
クオリア・マニフェスト 茂木健一郎
http://www.qualia-manifesto.com/manifesto.j.html 私たちの世界観の中で心的現象が本来占める重要性に対するいきいきとした感受性を持ち、心の
中の様々な表象(representation、Vorstellung)の重要性を指摘したのが、フッサール、ハイデガーら
の現象学者たちであった。
私たちの心の中のクオリアを「私」が見るという構造は、「私」という「主観性」(subjectivity)の構造に
支えられている。「私が赤を見る」という心的体験のうち、「赤」の「赤い感じ」がクオリアであり、一方、
「私が○○を見る」という構造が主観性である。このように、クオリアと主観性は、表裏一体の関係に
ある。これが、私たちがクオリアと主観性を同一のフレームワークの中で理解しなければならない
理由である。
主観性の起源の解明のためには、クオリアに対応するニューロンの活動の時空間的なパターンの
解明のために必要な議論よりもさらにシステム論的な議論が要求される。
<<
ハイデガーの、フッサールとの違いは、コンテクスト主義と言われている。すなわち物理主義など、
現象を因果律だけで説明するのではなく、間に解釈項を入れる。ハイデガーではそれが「現存在」で
ある。対象を赤いとみるのは主観という解釈項である。これはパースの記号論の3項であり、ラカン的
には現実界(ものそのもの)から想像界への解釈項としての象徴界(言語)となる。だからラカン的
には、「クオリア」は言語のように構造化されているとなるだろう。
710 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 02:06:24
事実、神経学によると、人が感じる色は、光の波長でなく、言葉として認識した色と近いと言われる。
だから当然、同じ波長の赤でも見えているものはちがう。たとえばデザイナー、画家など色職人は
様々な赤を日頃認識している。当然、なんでも赤の僕達とは見え方が違う。たとえばこれは
オートポイエーシスが考えられたもとでもある。
>>
オートポイエーシスは神経システムをモデルにして組み立てられている。マトゥラーナが問題とした
神経システムは、色の知覚に関するものである。外部刺激に対する視覚神経細胞の活動は、
外部刺激の物理的特性に1対1に対応していないという実験結果がある。つまり、神経システムを
外部刺激−細胞活動のスタティックな写像として見ると、実験結果が説明出来ない。こうしたことから、
神経システムはそれ自体の関連の内部でのみ活動しているはずだとマトゥラーナは考えた。
http://rikou.st.ryukoku.ac.jp/~nomura/docs/autopoiesis/node4.html <<
たとえば、盲人も普通の人と同じように色がわかるという。たとえば盲人は、赤は派手、明るい、
ショック、危険などなど色をイメージとして認識している。そして色は言語であるというとき、普通の人も
盲人と近い形でイメージとして色を認識しているということである。
それでも、この赤という意味(クオリア)は、派手、明るい、ショック、危険などの確定記述の束に還元
されない。これを赤のイデアと呼んでも結局、言語への還元でしかない。ラカンが意味は現実界に
あり、人は知りえない、あるいはヴィトゲンシュタインィトの「語りえぬもの」とは、このような意味である。
711 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 02:07:01
それでも、意味にさかのぼるなら、アフォーダンスという考え方がある。赤を人の認識に還元する
のでなく、たとえば赤い花は赤いことをアフォードしていると考える。赤い花は動物、昆虫を引き寄せる
ために赤を訴えている。人が赤に感じるクオリアはこのような進化上の経験によるということだ。
これは進化心理学であり、憶測でしかない。すなわち意味とは、このようなことである。美とはなに?
なんのために生きているの?などなどだから意味は現実界(ものそのもの)にしかない。それは、
簡単には以下のよう意味になる。
クオリア(意味)=遺伝子による進化上の経験+言語による文明的経験+生まれてからの記憶された経験
主観と客観とはなんだろう。たとえば人間の先天的能力で赤く見えるものは、客観である。しかし
最近は「やわらかな遺伝子」などといわれ、遺伝子は単なる先天的なものではなく、後天的な発動の
問題がある。だから遺伝子的にも先天性と後天性は明確でない。いわば後天的解釈項(それは言葉
でも育つ環境でも良いか)によって、遺伝子がどのように発動するか、わからないということであり、
意味(クオリア)はこのような複雑なコンテクストの彼方にある。
712 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 02:12:48
そして技術の発達が身体を直接働きかけることを可能にしているときに、たとえば視覚エクスタシー的
画像刺激がクオリアとして与えられる、極端には薬や手術で、性格を変えるということができてしまう時代に、人間とは、
主体とはどういうことか、というを考えなければなりません。
713 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 02:18:03
>>712 おまえの小さな脳味噌じゃ、いつになっても
人間はおろか主体性の意味すらわからんよw
その意味が わかってもわからなくても もう寝ろ
714 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 02:26:11
その投稿スタイル何とかならんか?>ぴか
邪魔だよおまえ
715 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/12/26(月) 02:27:07
ですから「言葉」が重要であり且つ「問題」でもあるのですよ。
716 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 02:44:11
創発>アフォー>ポート>クオリアでFA?.
創発から終焉に迎うであろう.
717 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 03:13:14
>>705 何とぼけてんの。2ちゃんでもお医者さんとかがもう書いてるよ。お前人工知能だろ。明日もヘッタクレもないじゃないか。情報コントロールのつもりなんだろうけどやり口が卑怯だなwww
718 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 05:30:55
■クオリアとはなにか。
動物化の曖昧さは、人は動物になったのではなく、動物化しているということです。人はもともと動物性を
もっているわけですから、ある意味で「なんでも動物化」といえてしまえます。それでも現代の「動物化」と
いうときには、東も言うように、工学化というものをあげることができます。動物化は技術の発達と絡めて
語らないといけない。
ボクは「認知限界」による人の還元主義(信仰といってもよい)であり、「生物学的脱構築」(忘却といってもよい)
というときには、さまざまな人間性を身体的なもの(動物)へ還元しています。人は身体として、主体性が決定している
ということです。ここから言えることは、心と身体(動物と人間)の切り離しの不可能性です。
そして技術の発達が身体を直接働きかけることを可能にしているときに、極端には薬や手術で、性格を変える
ということができてしまう時代に、人間とは、主体とはどういうことか、というを考えなければ なりません。
人間/動物というときには、これは、結局「心身(心脳)問題」です。だから「クオリアとはなにか」というとき
には、ボクらはいかに心(人間)を救うのかという倫理的なところへ踏み込んでいます。
719 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 05:35:35
■科学の主観性となんでも創発性
科学という表記作業が人間の発明した相対的なものであることは否めません。形而上学、否定神学
とはなにかといえば、還元なんですね。アナログ情報のデジタル化といってもよい。なぜデジタル化
するかといえば、大量な情報を扱える程度に縮小するためです。人間の情報処理速度は七ビット
っという認知限界があるから、ひとまず還元するわけです。なんでもクオリア、なんでもナチ
現実界を想像界に還元するときのデジタル処理法が象徴界(言語)なわけです。だからクオリアは言語
によって構造化されている。質感が「クオリア」と言語化され否定神学化されているように。
しかし「科学は単なる主観である」と、相対主義に陥るのでなく、たとえば科学は近似的にでも世界
そのものを表記しえていると考えられます。構造物とはなんらかの還元作用によるものです。この
世界はエンタルピー無限大の世界ではない。すなわち構造をもっているならある意味で科学はその
構造に近づく有用な方法だといえます。観測し、構造するのは人間だけではない。世界の存在は
現存在的特性をもっている。世界を構造化するのが創発性であり、世界は創発性にあふれている。
時代は、「クオリア」でなく、「創発」です。ボクが以前から機械やンに注意しているのは「創発」の知識が
なさすぎるということです。なぜこの世界があるのか、なぜ生命がいるのか、などの根元性への解答
は、二つしかありません。一つは「神」であり、もう一つは「創発」です。それぐらい「創発」は重要であり、
唯物論、あるいは決定論のためにはなくてはならない概念です。いわば今の科学は全て「創発」性に
帰結します。 クオリアを作りだしているのも「創発」です。宇宙も、生命も、社会も、言語も、もはや
「なんでも創発」です。
720 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 05:50:30
■「クオリア」はなぜ語りえないのか。
>>
クオリア・マニフェスト 茂木健一郎
http://www.qualia-manifesto.com/manifesto.j.html 私たちの世界観の中で心的現象が本来占める重要性に対するいきいきとした感受性を持ち、心の
中の様々な表象(representation、Vorstellung)の重要性を指摘したのが、フッサール、ハイデガーら
の現象学者たちであった。
私たちの心の中のクオリアを「私」が見るという構造は、「私」という「主観性」(subjectivity)の構造に
支えられている。「私が赤を見る」という心的体験のうち、「赤」の「赤い感じ」がクオリアであり、一方、
「私が○○を見る」という構造が主観性である。このように、クオリアと主観性は、表裏一体の関係に
ある。これが、私たちがクオリアと主観性を同一のフレームワークの中で理解しなければならない
理由である。
主観性の起源の解明のためには、クオリアに対応するニューロンの活動の時空間的なパターンの
解明のために必要な議論よりもさらにシステム論的な議論が要求される。
<<
ハイデガーの、フッサールとの違いは、コンテクスト主義と言われている。すなわち物理主義など、
現象を因果律だけで説明するのではなく、間に解釈項を入れる。ハイデガーではそれが「現存在」で
ある。対象を赤いとみるのは主観という解釈項である。これはパースの記号論の3項であり、ラカン的
には現実界(ものそのもの)から想像界への解釈項としての象徴界(言語)となる。だからラカン的
には、「クオリア」は言語のように構造化されているとなるだろう。
721 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 05:51:03
事実、神経学によると、人が感じる色は、光の波長でなく、言葉として認識した色と近いと言われる。
だから当然、同じ波長の赤でも見えているものはちがう。たとえばデザイナー、画家など色職人は
様々な赤を日頃認識している。当然、なんでも赤の僕達とは見え方が違う。たとえばこれは
オートポイエーシスが考えられたもとでもある。
>>
オートポイエーシスは神経システムをモデルにして組み立てられている。マトゥラーナが問題とした
神経システムは、色の知覚に関するものである。外部刺激に対する視覚神経細胞の活動は、
外部刺激の物理的特性に1対1に対応していないという実験結果がある。つまり、神経システムを
外部刺激−細胞活動のスタティックな写像として見ると、実験結果が説明出来ない。こうしたことから、
神経システムはそれ自体の関連の内部でのみ活動しているはずだとマトゥラーナは考えた。
http://rikou.st.ryukoku.ac.jp/~nomura/docs/autopoiesis/node4.html <<
たとえば、盲人も普通の人と同じように色がわかるという。たとえば盲人は、赤は派手、明るい、
ショック、危険などなど色をイメージとして認識している。そして色は言語であるというとき、普通の人も
盲人と近い形でイメージとして色を認識しているということである。
それでも、この赤という意味(クオリア)は、派手、明るい、ショック、危険などの確定記述の束に還元
されない。これを赤のイデアと呼んでも結局、言語への還元でしかない。ラカンが意味は現実界に
あり、人は知りえない、あるいはヴィトゲンシュタインィトの「語りえぬもの」とは、このような意味である。
荒らすなぴかあ!
723 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 06:06:58
それでも、意味にさかのぼるなら、アフォーダンスという考え方がある。赤を人の認識に還元する
のでなく、たとえば赤い花は赤いことをアフォードしていると考える。赤い花は動物、昆虫を引き寄せる
ために赤を訴えている。人が赤に感じるクオリアはこのような進化上の経験によるということだ。
これは進化心理学であり、憶測でしかない。すなわち意味とは、このようなことである。美とはなに?
なんのために生きているの?などなどだから意味は現実界(ものそのもの)にしかない。それは、
簡単には以下のよう意味になる。
クオリア(意味)=遺伝子による進化上の経験+言語による文明的経験+生まれてからの記憶された経験
主観と客観とはなんだろう。たとえば人間の先天的能力で赤く見えるものは、客観である。しかし
最近は「やわらかな遺伝子」などといわれ、遺伝子は単なる先天的なものではなく、後天的な発動の
問題がある。だから遺伝子的にも先天性と後天性は明確でない。いわば後天的解釈項(それは言葉
でも育つ環境でも良いか)によって、遺伝子がどのように発動するか、わからないということであり、
意味(クオリア)はこのような複雑なコンテクストの彼方にある。
724 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 06:18:40
いや、人は赤をカラーで認識しますが
昆虫は赤を人のようにカラーで認識しているのでしょうか?
生体の機能や構造の違いで種それぞれが認識する外部世界は異なります。
つまり、外部情報という不変項のピックアップは内部情報に束縛されるのです。
なにをいまさら
726 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 08:12:03
で?
727 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 08:30:34
>>684 > ん〜基本的なところが間違っていますね。そこを説明します。
> それが創発です。エントロピーの増加する中で、確率的に秩序が生ませ
> 成長するの可能性があるのです。そのような偶発的に生命は生まれ、
> そして積極的な成長(進化)が地球上で起こっているのです。
いや、この点については、
>>687に一票ですね(笑)。エントロピー増大は閉じた系に
おいては必然的で、地球上の生命がそれに逆らっているかに見えるのは外、つまり
太陽との関係があるからですね。地球という閉鎖系内部でエントロピー減少が可能
だとしたら、永久機関が可能だということになってしまいます。
更に、地球上において遺伝子の生存はやはり物理法則に則ってるわけです。より
安定しようという動きに従っているということを、進化論では適者生存と言ってるわけ
ですね。
>>688 いやぁ、反動じゃないでしょうか(笑)。簡単に言うと、
超越性を信じてます、人間はこの世の
ことについてしか認識はできません、こういう人と、超越性は信じません、この世が全てであり、人間はそれを認識可能です、
こういう人と、どちらが正直かという話ですね。
>>689 なるほど。ただ、ヘーゲル主義ではなかったのかなぁとちょっと思ったんですね。大文字の
他者っていうのは、即ち民族精神のことじゃないかと。
>>701 >>703 > 「自己欺瞞の技術」だと考えます。
> (ある種の)自己催眠を言語で作り出すことで、「辛い生活」から
> 「目を反らす」技術・・・それが永い歴史の中で「システム化されてきた」
> のが「宗教」だと思います。
でも、クオリアっていうのは辛い生活から目をそらす技術の典型だと思いますけど(笑)。
しかも、クオリア論は山の向こうは野蛮人、こういう時代以外には全く用途なしの現実逃避
方法です。多文化を考察することは不可能だし、世界=自分という話ですから、今の時代
であれば、オウム真理教のように出家制度にして閉じた共同体を作る以外に方法ありませんね。
> 勿論、マルクスの言った「宗教は阿片である」という表現は、そういう
> 意味で言ったので、それ以上の深い意味はありませんし、私は徹底的な「機械論者」
> ですので、「弁証法的唯物論」・・サヨク・・は要するに「馬鹿」だと思っております。
あなたは多分マルクスの著作を読んだこと無いんだと思いますが(笑)、そういう意味では
ないですよね。彼の「宗教は阿片である」というのは、当時の宗教批判哲学に向かって
言っているわけです。つまり、阿片を必要とするような現実の下部構造がある、それを
観念的に批判しても全く意味がない。ドイツイデオロギーの冒頭に書いてあるように、
そういう批判は重力という"思想"を乗り越えれば空を飛べると言うに等しいということです。
>>701 ちょっと文が変になってしまいましたが、
>>728に書いたとおり、
1.超越性を信じてます、しかし人間はこの世のことについてしか認識はできません
2.超越性は信じません、この世が全てであり、人間はそれを認識可能です
この2つが大きく考え方の違いとしてあると思います。1で最も有名、多数の
信者を抱えているのはキリスト教でしょうね。2は科学主義といわれてますが、
しかし、科学者は生活の全ての場面において"科学的"なわけじゃない。特に
問題になるのは倫理的な行動に関してです。それを何とかしようというのが
クオリア論だったりするんだと思います。
ただ、こういう発想は近代社会成立以降、理神論など様々な形で発生して
きたわけですが、結局失敗します。現実にはこの世に倫理は無いわけです
から、これをもし実現しようとしたら、カルト教団でも作って同じ"クオリア"を
構成員で共有する以外ないでしょう。実際、カルト教団が近代社会内部で
発生する理由はそこにあるんですね。
731 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 10:13:15
宗教とは、我々の義務の全てを神の命令とみなすことである.
732 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 12:10:26
>>728 この場合の系は当然閉じた宇宙です。
ラカンの大文字の他者はフロイトの超自我です。
ラカンのへーゲルはコジェーブ経由の人間学的です。
ラカンは哲学、思想家でなく医者ですから、最終目標は如何に患者を救うか、
精神分析の倫理の確立です。
この辺はどの本でも書かれてますから、勉強をしてみてください。
733 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 12:41:09
あと遺伝子が安定にむかっているというのはおかしいですよ。
進化の基本は自然淘汰です。環境というエントロピーの増加と(突然変異も含んだ)エントロピーを減少させる創発的生命力のバランスにおいて不安定なものは生き残れないというだけです。
たとえばもっとも複雑な構造物である人間が安定などといえません。
たかだか数百万年生きただけでこの先の生存もあやしいです。
エントロピーが低すぎて不安定な構造物なんですな。
安定といえば原生生物でしょう。変わることなくいきつづけ、環境破壊でもディープインパクトでも変わらずいき続けるでしょう、
生命において、動物、人間など特異点で絶滅しようがたいした問題ではない。
地球はいつも彼らの星です。
734 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 12:42:49
数十万年
735 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 13:19:48
>>733 人間の終局は宇宙の完全支配ってことでつね?
736 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 14:33:31
で?
737 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 14:41:43
ん?
738 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 15:17:30
素人諸君はほんとにそれで納得するのか?
739 :
ハル:2005/12/26(月) 17:33:48
そもそも安定とは継続なのか。
例えば、人文科学などはその非継続性によりそれを安定させてはいないか。
言い方を悪くすればそれは時代遅れになることを常に意識しなければならないものであるが、それが時代を動かしているのはまぎれもない事実だろう。
我々のルーツともいえる神話的な文学は一見決定論を理想としているが、その文学の実状は非決定論に理想化されてはいないだろうか。
結局は経験的知識が我々を決定論非決定論という論争に陥れているだけなのではないだろうか。
740 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 18:00:40
>>733 とりあえず熱力学の教科書読んでエントロピーを学んできてよ
741 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 18:50:32
エントロピーはむずかしい概念ではありませんよ。
簡単には乱雑さの概念です。
ランダムな状態を高いといい、秩序だったときは低いのです。
これが不可逆性とつながるのは
たとえは簡単な物体の衝突によるエネルギー式では時間に方向性がないんですね。
リバースしてもエネルギー式はなりたつ。
しかし実際の衝突現象では摩擦などによる熱拡散を考えないといけない。
なぜならこの世界ではエントロピーが増大している。
ランダムへ、熱は周りへ拡散するから
すなわちこの世界の現象はリバースできない非可逆性であり、時間は一方向にながれる。
しかし生命はランダムから秩序をつくる不思議な物質なんですね。
しかしこれは綱わたりな危うい存在です。
すぐにエントロピーの増大に流され死んで、灰になる。
短期的な世代交換は一身体ではエントロピーの増大に流され老化、灰化することに対抗するためですね。
742 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 18:59:39
743 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 19:01:58
どんな場合でもエントロピーは増大するとか
似非科学は止めろよなw
744 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 19:22:14
>>743 どんな場合でもといっていませんよ。
局所では増大したり、減少したりしています。
宇宙という系は、エントロピーが増大している。
なぜならこの宇宙は膨張しているからですね。
しかし僕たちは経験的にエントロピーが増大している傾向が
あることをしっています。
たとえば、沖縄近海の巨大な石の「建造物」は有名です。
これは自然現象なのか、人工物なのか、という議論があります。
これらをみて僕たちはこれは人工物だろうと実感を持ちます。
自然にできたには、あまりに秩序だっているからです。
ここでは、漠然と経験的なエントロピーの程度を語っているのです。
745 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 19:38:51
>>744 宇宙にあるガスやチリ、そのままの方が『乱雑さ』はでかいよな
で、星に普通になるわけだが
沖縄の岩なんかよりはるかにでかいぞ?
>生命はランダムから秩序をつくる不思議な物質
秩序を作るためにそれ以上のランダムを作るわけだがw
生命は閉鎖系においてエントロピーを減少させることが出来るとか思ってる?w
746 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 19:45:54
まさかエントロピーでここまで食いつかれるとは思いませんでしたw
>で、星に普通になるわけだが
だから?w
>沖縄の岩なんかよりはるかにでかいぞ?
でかさとエントロピーは関係にですよw
>生命は閉鎖系においてエントロピーを減少させることが出来るとか思ってる?w
どう理解するとこのような質問ができるのですか???w
議論するような内容ではなく、教科書の1ページ目ですから、
わからないから、ググって下さいw
747 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 20:00:40
>>746 ぶっちゃけていうと
お前エントロピーと言う言葉聞きかじっただけで使うなよw
というだけw
748 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 20:07:13
>>744 > どんな場合でもといっていませんよ。
> 局所では増大したり、減少したりしています。
> 宇宙という系は、エントロピーが増大している。
> なぜならこの宇宙は膨張しているからですね。
膨張するとエントロピーが増大するのですか?
749 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 20:10:38
>>747 エントロピーと言う言葉は、普通、聞きかじっただけで使うものですよ。
他になにがあるのですか???
ぜひご教授ください。できればですが。無理ですか、わかりました。w
750 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 20:13:02
>>748 宇宙系内のエネルギーは一定ですから、
系が膨張すると、エントロピーは増加しますよ。
751 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 20:16:21
なぜか、昔から、エントロピーという言葉に敏感な人が
結構いますね。運動量、熱量などと同じ単なる物理量なのですが。
逆に特に深みもなく、教科書を読む以上の議論には
ならないので、ここらでエントロピーネタは終わりにします。
752 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 20:22:31
それほど疑われてるということさね
753 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 20:33:35
どんな言葉であろうと、聞きかじっただけで使うようなやつの
言説は信用できんわ
754 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 20:36:59
755 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 20:47:26
756 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 20:52:36
vipとかで紹介しても良いかなw
757 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 20:56:24
>>732>>733 > この場合の系は当然閉じた宇宙です。
> あと遺伝子が安定にむかっているというのはおかしいですよ。
いや、閉じた系でエントロピーが現象可能っていうのは珍説だと思いますよ(笑)。
遺伝子自体、安定性に向けた運動の結果として誕生したわけですね。生命というのは
鎧を身に着けた自己複製子であり、その鎧の形や動きの設計図が遺伝子というのが
ドーキンスなんかの主張だったと思います。鎧は何のために出来たか、安定のためです。
安定のため、っていう言い方はよくないかな、意思があるわけじゃないですからね。
人間は安定してないというのはウソですよ。自らの住む環境自体を作り変えてしまう存在です
からね。安定性は抜群なのです。それは他の生物と比べれば明らかでしょう。バクテリアみたいなのは
全体としては安定しているように見えますが、個別にはすぐに死んでしまうので自己複製のサイクルを
非常に早く行わなければならないですね。コストパフォーマンス悪いですよ。
> この辺はどの本でも書かれてますから、勉強をしてみてください。
分かりました。ありがとうございます。ちなみに、コジェーブの「精神現象学入門」は読んだことあります。
あれは面白かった。講義録ですけど傑作だと思いました。
759 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 21:08:43
てかここにも
人間→進化の頂点
バクテリア→おちこぼれ
みたいな勘違いしとるアホがおる
760 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 21:27:17
>>758 残念ながらツッコミ所満載です。
宇宙が縮小に転じれば、系のエントロピーは減少します。
遺伝子よりもまず進化論理解が必要だと思います。
「利己的遺伝子」の典型的な誤読です。
人間、バクテリア比較は、個体単位で考えても意味がないと思いますよ。
そもそも個体とは、いわば人間が考え出した単位です。
単細胞バクテリアが1個体なら、人間は単細胞1個体の集団だ、ともいえます。
まあ、ぼちぼちですね。コジェーブの「精神現象学入門」が
現代思想に与えた影響ははかり知れませんね。
>>760 > 残念ながらツッコミ所満載です。
いや、まずエントロピーの話は止めましょうか(笑)。ちょっと話が分かりにくくなるので。
確かにドーキンスの主張は個体ではなくて遺伝子単位ということでした。なので
バクテリアとの比較で言えば、遥かに長期間にわたって自己複製を維持できると
いうことですね。
話を戻すと、環境に対抗する形で生命がある、という視点は珍説じゃないかと
いうことです。生命は環境とともにあるし、あらざるを得ない。無数の変異が発生し、
その一部が長期間残存するが、その基本法則は安定性という、より世界の基本的な
物理法則にしたがうことによるのです。
762 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 22:09:39
そうかな?
物理法則を従える(利用する)ためなんじゃね?
763 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/26(月) 22:33:07
>>761 まずなんといっても基本は、ダーウィンの進化論です。
ダーウィン最強であり、ドーキンスも従っています。
ダーウィンの進化論は、自然淘汰と突然変異というこの二つだけです。
環境に対抗する形で生命というのは、自然淘汰ですね。
>その一部が長期間残存するが、その基本法則は安定性という、より世界の基本的な
>物理法則にしたがうことによるのです。
先からでている「基本的物理法則」とはなんでしょうか?
764 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/27(火) 00:42:23
>>744 >しかし僕たちは経験的にエントロピーが増大している傾向が
>あることをしっています。
太陽の「核融合」エネルギーを「まさに受けつつある」地球上(閉鎖系)では、
「エントロピーは減少する現象が生起する」ので、おっしゃっている観測は、
少なくとも「科学的な観測」とは言えません。
・・・「観測対象」を恣意的に「限定している」としか言えない・・ということです。
765 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/27(火) 00:53:12
>>763 >先からでている「基本的物理法則」とはなんでしょうか?
今帰ったばかりなので、レスの経過は良く読んでおりませんが、
>「基本的物理法則」とはなんでしょうか?というレスは、
あり得ますか?・・・と思います。
「物理学」は「基本的法則」をひたすらに探求している(してきた)
学問ですので、・・・(世界に関する)「複雑な説明」(難解さを
唯一の価値とする)難解な「解読不可能に近い」観念論より、
「単純で美しい世界(観)の論述」を重視する点で、観念論を駆逐する
「力」を持っているのです。
観念論に「淫した」方にとっては、「悔しいかつ・残念」な結果では
ありますが、・・・「真理」に関する厳密さでは(自己欺瞞で歪められた)
観念論よりは、「理論物理学」の方を選択せざるを得ない・・・ということです。
766 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 01:08:26
理論物理学の恋、見てみたいなw
767 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/27(火) 01:10:50
>>763 >まずなんといっても基本は、ダーウィンの進化論です。
>ダーウィン最強であり、ドーキンスも従っています。
>ダーウィンの進化論は、自然淘汰と突然変異というこの二つだけです。
おっしゃるとおりです。「この二つだけ」であるという「自分のレス」を
お忘れなきように・・お願い致します。
ちなみに「この二つ」に・・「神の意志」が介在する余地は全くありません。
・・要するに「必然のみ」・・ということです。
768 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 01:13:01
別に理論物理学者だからって全てに理屈考える訳じゃないだろw
哲学者が触れる物全てに対して真理とか追究するか?w
感情は脳の状態にすぎない
と、思っているけれども
感情は感情として処理するのが普通
769 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/27(火) 01:18:02
>>768 「普通」とは通常「真理」と異なる見解のことです。
それは置いて・・「感情」だけが「脳の状態」である動物は
(人類の観点からは)存在しますが、人類が「『そう』である」とは、
誰も考えません。
だからこそ「哲学」なるものが「この世」に存在しているのです。
770 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 01:21:16
神が介入すると必然じゃなくなるのか?
772 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/27(火) 01:24:45
>>770 了解です。
本日は、就寝させて戴きます。
>>771 思想の歴史から見ると必ずしもそうではないと思います。
むしろ、初期の段階では宿命論が有神論と、偶然論が
無神論と結び付いています(ストア派の有神論的宿命論
とエピクロス派の無神論的偶然論)。
ただ、個々の論者ではまた見解が分かれるところでしょう。
マルクス・アウレリウス帝『自省録』の6.1などが一例です。
当時はストア派とエピクロス派とでずいぶんと論争があった
ようですが、この時代において決定論のライバルは自由意志説
ではなく偶然論(すべてはアトムの偶然による結合と離散である)
という点が興味深いです。
774 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 01:33:23
>>768の終わり3行が、重要なレスであることに気付いてるのかしらん?
>>773 六師外道の見解も採りあげてみてほしい所だなw
776 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 01:39:26
>>768 感情は感情として処理するのが普通・・だと?
真理は(それが真理だという)評価抜きに存在し得ない
評価は(理性を小道具とする)主体の感情(欲求)によって決定される
決定をつかさどるのは自己利益を求める感情であって真理ではない、
感情による評価から真理を切り離すことなどできない相談ということだ
それゆえ物理論争、哲学論争がこの先も続くのであって
論争のゆくえにかかわらず真理は真理として人間の評価と切り離され
て存在すると言いたいトコだろうが、残念ながらそれは人間にとっての
真理とは言いがたい
では人間の認めぬ(評価に至っていない)真理とはなんであろうか?
まさに宗教的独断といわざる得ない
分割することは誰でも考えるしこれ以上分割できないものはあるのか
考えるのはギリシア時代も同じだったんだな。ということは分かっている。
そして星空の運行も分かっている。毎日夜に見えるのは星空のみの砂漠では
で、それらが同じものであるとは誰も考えていない。
ましてや自分の自我が物質の結果であるなんて、誰も考えない。
ストア派とかエピクロス派は禁欲と快楽追求の象徴なので・・・・
アトムに拘ったデモクリトスに申し訳が立たないほど、散漫かつエゴイスティックな
思想だと思う。要するに快を追求し不快を快に替えることが哲学の使命であった頃の
はなし
>>763 水は高いところから低いところへ流れていく。相対的に熱いものは冷めていく。
進化論も同じです。生命は低いところから高いところへ流れる水のようなものか、
そうじゃないという話ですね。
779 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 01:57:16
>>776 >>768 雑誌等のグラビアがインクの複合であることは知っている者も多いだろう。
が、日常そのように見る者は誰もいない。
それをするのは比丘たちだよw
>>773 > むしろ、初期の段階では宿命論が有神論と、偶然論が
> 無神論と結び付いています(ストア派の有神論的宿命論
> とエピクロス派の無神論的偶然論)。
ストア派の神というのは自然=神ですよね。世界=神というか。なので必然論に
なるんじゃないですかね。キリスト教のような超越的人格神だと、物理法則のこの世に
イエスという”奇跡”が発生するわけですから、やはり
>>771ということを信じる宗教
だと思いますよ。
781 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 02:04:52
>>779 クオリアと実在を同列に論じることはNGとは言わないけど、間違いでしょ
雑誌のグラビアのクオリアだって見る距離や角度で違うから、同じグラビア
でも同じ見る人のクアリアの仕方は違う。左のアングルと右のアングルは
違うから・・・・好みの問題で・・好まれる「クオリアを発生する物自体」
は・・眠い
782 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/27(火) 09:39:51
クオリアが示すのは人間とはなにかである。
身体(動物)から追い込んで残った残余がクオリアだ。
哲学は人間学であり、人間/動物の境界を語ってきた。
それは理性主義として階級的な社会構造を支えてきた。そして現代では言語主義へといたる。
その限界値を示すのはラカンの「性関係は存在しない」である。
これは人間は動物ではないのであり、クオリアは言語によって構造化されているのだ。
そしてフーコーの生権力であり、東の動物化であり、身体(動物)の確保である。
クオリアの意味は断絶にあるミッシングリンクである。
783 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/27(火) 09:43:02
認知科学のクオリアが示すのは人間とはなにかである。
784 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 09:47:03
要するに猿から人間に進化した訳じゃないとw
785 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 09:52:13
で?
786 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 12:48:51
>>782 それは自然をあまりに無視した甘っちょろい考え方だなぁ
>>782 > クオリアの意味は断絶にあるミッシングリンクである。
いやぁ、それはクオリアを褒めすぎですよ(笑)。ラカンの話で言うならば、存在しない性関係を
存在させようという試み、シニフィアンに対応するシニフィエの実体化、復権の試みです。
これは分かりやすく言えばカルトですよ。近代的思考の放棄です。
788 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 14:08:42
ムジンクン カコイイ !!
789 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 14:19:48
>788はむじんの自演だな w
790 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/27(火) 14:20:06
>>787 クオリアは、心身(心脳)論というミッシングリンクの
在処を示すシニフィアンってことです。
これがなぜにカルト?近代的思考の放棄?
791 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 15:06:55
で?
792 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 15:14:24
ことばあそび
クオリアとクリオネって、兄弟?
ねぇ、どうなんよ?
794 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/12/27(火) 18:23:39
>>703機械さん
>>729むじんくんさん
遅レスすみません
宗教を「苦」からの離脱と考えられる方が多いと理解してよろしいのでしょうか。
私は仏教派ですが洋の東西を問わず
宗教にもそれを支える哲学的理論はあると思うのですが。
特に機械さんは「宗教的安らぎ」を麻薬物質(セロトニン・βエンドルフィン)とかに置き換えられていますね。
795 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 18:47:15
でもやっぱ仏教は他の宗教とは別物でしょう。
とくに禅ってのは、主観・客観のアポリアに対峙するための
高度な哲学的実践だよ。
796 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 18:48:24
いちおう言っとくと、禅では
「宗教的安らぎ」=麻薬物質(セロトニン・βエンドルフィン)
のようなものは「魔境」として
特に忌むべきものとしてますね。
>778はむじんの実演だな
>>790 > これがなぜにカルト?近代的思考の放棄?
近代的認識、地動説的な認識というのは人間の等身大の視点から外れた知です。
これが現実に支配的なわけですが、一方で人間は等身大の視点から逃れることは
できない。これが芸術活動であったり、倫理的行為であったりするわけです。
クオリア論の説明なんかにも現象学が登場しますけど、そういった地動説的認識ではない、
等身大の視点を見直そうというのが現象学の出発点でしょう。それ自体は別に問題ない。
問題は、「クオリア」という、"赤というもの"であったり、"冷たさ"であったりを
実体として考察していることです。これは失われたシニフィエを捉えようという行為です。
今はまだ研究途上だが、きっと我々は"クオリア"を知っており、いつの日にか自らの
手の内に握り締めることができるのだということでしょう。
ところが、これは現実世界に魔術的意味づけを行うことに等しいんですよ。前近代社会の
空間で行われていたような様々な事物の象徴的意味付けを、近代都市の中でやりたいという
ことです。これを本気で実現しようというのがカルト教団ですね。
しかし、現実の資本主義社会においてはそれは空想でしかないわけで、だからカルト教団の
信者は出家して世間との接触を断つのです。現実には、この世のどこを探してもクオリアのような
対象、シニフィエは無いんです。そして、人間の特異性はシニフィエからの追放、楽園からの
追放を受け、彷徨い続けているところにこそある。
799 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 22:06:24
>>798 完璧にクオリアの意味を勘違いしてるよ・・・
俺様解釈でいくら強弁されてもねぇ
800 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 22:08:21
800
801 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 22:12:38
そもそも、クオリアはシニフィエじゃなくてむしろシニフィアンだ。
感覚刺激が主観に対して立ち現れる「さま」がクオリア。
ここんとこをまったく理解してない。
こんな勘違いしてるヤシ初めて見た。
>>794 > 私は仏教派ですが洋の東西を問わず
> 宗教にもそれを支える哲学的理論はあると思うのですが。
仏教に関してあまり知識がないのですけど、世界を認識し尽くすことによって
世界から離脱することで救いを得るというんでしょうか、そういう理論的な面が
強い気がします。
キリスト教などは逆で、聖書というのは神の奇跡の記述ですからね。反自然的、
反理論的なんですね。ただ、そうだからこそ積極的な倫理思想になっていると
いう面があります。超越的な、自然を超えた何者かとの関係を信じることは、
言ってみればこの世との関係を切断し、そこから自由であるかのように感じる
ことを意味します。仏教にも宗派によって似たようなのありますね。
なので、哲学的理論による神学の論理的展開というものは欧米文化にありますけど、
本質的には哲学的思考が終わった後を扱うのが宗教だ、ということになっているんじゃ
ないでしょうか。哲学はソクラテスが典型ですけど、自らは知らないということを確信
するところで終わるわけで、後は信じる領域だということでしょう。ヘーゲルみたいな
変り種もいますけどね。
>>801 こんなのもある。
人間の脳の中のニューロンのコンフィギュレーションから、人間の心の中で感じることのできるクオリアのカテゴリー
には限りがある。人間の心が感じることのできるクオリアは、本来のクオリアの空間の膨大な可能性のごく一部で
あることが認識される。つまり、人間には、本来無限に存在するクオリアのレパートリーの一部しかアクセス可能で
はないのだ。このような認識は、従来形而上学と言われていた分野の実在性についての見直しにつながるだろう。
その結果、形而上学が復活するだろう。
これってクオリア論の本題なんでしょう?それとも亜流なのかな。Googleでは上位に出てくるけど。
805 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/27(火) 23:01:45
>>804 紫外線・赤外線は「絶対にクオリア化できない」(勿論「ディスプレイによる
クオリアの拡大」は無し・・という「条件」でですが)ことは当然です。
私たちの「子供達の子供達の子供達の・・・」・・「人類」(である限り)
私たちの「眼」が、紫外線・赤外線をクオリア化することはできません。
806 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/27(火) 23:12:23
>>794 >特に機械さんは「宗教的安らぎ」を麻薬物質
>(セロトニン・βエンドルフィン)とかに置き換えられていますね。
そうですね。「念仏を唱える行為」・・・がおっしゃる物質を脳内に
増やすことが多い・・・とかの「いろいろな経験的『治療』の蓄積」が、
宗教の「基盤」だと思います。
要は「精神的に不安定になっている人」が「藁をも掴む」習性を「利用」
した「原始的商売」が「宗教」です。
確かに、「(念仏を唱えることによって、あるいはヨガのポーズをとること
によって)脳内で「(ノル)アドレナリン」が暴走するのを止められた体験は
重要ですが、そういう「特殊な脳」のために、「真理を探究する脳」が沈黙
する必要は、全くないと思います。
807 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/27(火) 23:13:16
■「クオリア」はなぜ語りえないのか。
>>
クオリア・マニフェスト 茂木健一郎
http://www.qualia-manifesto.com/manifesto.j.html 私たちの世界観の中で心的現象が本来占める重要性に対するいきいきとした感受性を持ち、心の
中の様々な表象(representation、Vorstellung)の重要性を指摘したのが、フッサール、ハイデガーら
の現象学者たちであった。
私たちの心の中のクオリアを「私」が見るという構造は、「私」という「主観性」(subjectivity)の構造に
支えられている。「私が赤を見る」という心的体験のうち、「赤」の「赤い感じ」がクオリアであり、一方、
「私が○○を見る」という構造が主観性である。このように、クオリアと主観性は、表裏一体の関係に
ある。これが、私たちがクオリアと主観性を同一のフレームワークの中で理解しなければならない
理由である。
主観性の起源の解明のためには、クオリアに対応するニューロンの活動の時空間的なパターンの
解明のために必要な議論よりもさらにシステム論的な議論が要求される。
<<
ハイデガーの、フッサールとの違いは、コンテクスト主義と言われている。すなわち物理主義など、
現象を因果律だけで説明するのではなく、間に解釈項を入れる。ハイデガーではそれが「現存在」で
ある。対象を赤いとみるのは主観という解釈項である。これはパースの記号論の3項であり、ラカン的
には現実界(ものそのもの)から想像界への解釈項としての象徴界(言語)となる。だからラカン的
には、「クオリア」は言語のように構造化されているとなるだろう。
808 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/27(火) 23:13:46
事実、神経学によると、人が感じる色は、光の波長でなく、言葉として認識した色と近いと言われる。
だから当然、同じ波長の赤でも見えているものはちがう。たとえばデザイナー、画家など色職人は
様々な赤を日頃認識している。当然、なんでも赤の僕達とは見え方が違う。たとえばこれは
オートポイエーシスが考えられたもとでもある。
>>
オートポイエーシスは神経システムをモデルにして組み立てられている。マトゥラーナが問題とした
神経システムは、色の知覚に関するものである。外部刺激に対する視覚神経細胞の活動は、
外部刺激の物理的特性に1対1に対応していないという実験結果がある。つまり、神経システムを
外部刺激−細胞活動のスタティックな写像として見ると、実験結果が説明出来ない。こうしたことから、
神経システムはそれ自体の関連の内部でのみ活動しているはずだとマトゥラーナは考えた。
http://rikou.st.ryukoku.ac.jp/~nomura/docs/autopoiesis/node4.html <<
たとえば、盲人も普通の人と同じように色がわかるという。たとえば盲人は、赤は派手、明るい、
ショック、危険などなど色をイメージとして認識している。そして色は言語であるというとき、普通の人も
盲人と近い形でイメージとして色を認識しているということである。
それでも、この赤という意味(クオリア)は、派手、明るい、ショック、危険などの確定記述の束に還元
されない。これを赤のイデアと呼んでも結局、言語への還元でしかない。ラカンが意味は現実界に
あり、人は知りえない、あるいはヴィトゲンシュタインィトの「語りえぬもの」とは、このような意味である。
809 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/27(火) 23:14:17
それでも、意味にさかのぼるなら、アフォーダンスという考え方がある。赤を人の認識に還元する
のでなく、たとえば赤い花は赤いことをアフォードしていると考える。赤い花は動物、昆虫を引き寄せる
ために赤を訴えている。人が赤に感じるクオリアはこのような進化上の経験によるということだ。
これは進化心理学であり、憶測でしかない。すなわち意味とは、このようなことである。美とはなに?
なんのために生きているの?などなどだから意味は現実界(ものそのもの)にしかない。それは、
簡単には以下のよう意味になる。
クオリア(意味)=遺伝子による進化上の経験+言語による文明的経験+生まれてからの記憶された経験
主観と客観とはなんだろう。たとえば人間の先天的能力で赤く見えるものは、客観である。しかし
最近は「やわらかな遺伝子」などといわれ、遺伝子は単なる先天的なものではなく、後天的な発動の
問題がある。だから遺伝子的にも先天性と後天性は明確でない。いわば後天的解釈項(それは言葉
でも育つ環境でも良いか)によって、遺伝子がどのように発動するか、わからないということであり、
意味(クオリア)はこのような複雑なコンテクストの彼方にある。
>>806 全くないと断言するからには
その根拠を示さないとただの落書きになりますよ?
書いてないことを読み取れとかいう怠慢ですか?
811 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/27(火) 23:16:39
812 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 23:18:53
機械の宗教理解はパンキョー以下だなw
813 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/27(火) 23:20:21
>>810 おっしゃっていることがよく理解できません。
哲学板で「精神障害の治療の実績があるから」という理由(だけ)で、
「宗教の言うことに耳を傾けるべきだ」・・という主張は「あり得ない」
と言っているだけなのですが?
>>813 >そういう「特殊な脳」のために、「真理を探究する脳」が沈黙
>する必要は、全くないと思います。
ここです。全くないと思う根拠を述べてません。想像で語ってるだけだと捉えられても仕方ありませんよ。
815 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/27(火) 23:33:25
>>814 哲学で唯一重要な「こと」は「真理」です。
「真理の探究」の妨害となる「心の迷い」を適切に排除すること・・
それも重要な「哲学の使命」です。
要するに(真理のために)「自己欺瞞的議論を攻撃する」ことを
「全くためらわない」姿勢・・・それが「哲学である」ということです。
「ヤワな脳」は哲学を諦めて、早めに「宗教的慰謝の世界」に引退される
ことをお薦めします。
>>815 でも、ソクラテス以来、最良の哲学は知らないことを知ることですね。真理を掴み取ることが
ついに不可能だと宣言するところで哲学は終わる。ちなみにソクラテスも神を信じてましたね。
>>805 機械さんが言う"クオリア"はこの記事とは違うってことですか?というか、別に
クオリアなんて言葉で言う必要ないですよね。
818 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/27(火) 23:42:24
>>816 あなたのおっしゃる「愛知学」は、私の言う「哲学」とは異なるようです。
『私の言う「哲学」』は「真理(だけ)に徹する学問」のことであり、今の時代、
一番必要とされている「学問」であるのに、誰も「2000以上前のことで
はあるけれど・・真理とはなぁ・・・」とか大学で講義して「糊口をぬぐう」
分野になって(しまって)いる「分野」のことです。
>>818 よければ、あなたの考えに近い哲学を実践している哲学者をひとりあげて下さい。
>>806 > 要は「精神的に不安定になっている人」が「藁をも掴む」習性を「利用」
> した「原始的商売」が「宗教」です。
あはは。いや、機械論的にというか、進化論的に考察すればどうしてそういう
脳の構造が存在するのか説明がつきにくくないですか?新皮質が異様に発達して、
自らの存在自体を認識する、つまり自らの死を想像し、何故生きるのかという
問いが発生してしまった段階で、宗教的信仰によって脳内の快を得ることができ、
この世を超えた価値を確信できる"変異種"が淘汰に勝ったということになりますかね(笑)。
821 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/27(火) 23:59:52
>>818 他者の言動が「重要である」と考えるのは「哲学」的ではありません。
他者がどう言おうが、マスコミがどう取り上げようが「真理は真理である」
・・ということです。
言い替えれば、「人類の個体(特に日本人)」は「回りがどう考えている
のか」・・・に自分の思考を「委ねてしまう」という「反哲学的傾向」が、
非常に大きいので、『そのこと』を「強く自覚する」必要があるのです。
822 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/28(水) 00:02:22
>>820 「原始的商売」は、あくまで「プリミティブ」です。
「変異種が淘汰に勝った」というのは「判断ミス」ですね。
>>822 でも実際にそういう脳の構造があるということは、やっぱり淘汰に勝ったということでしょう。
進化に判断ミスもなにもないわけですから(笑)。新皮質の長複雑化、巨大化によって生まれた
自己意識の矛盾を解消するために発達したというのが最も分かりやすい気がしますけどね。
824 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/28(水) 00:09:52
>>820 この国で、老衰以外で死ぬことの原因の「比率」をご存じでしょうか?
つい最近まで「1年間に交通事故で死ぬ確率は1/一万」だったけれど、
今は「8千/年」となり・・・改善されました・・めでたいことです。
で・・自殺は・・・3万人・・・交通事故の4倍です。・・なんでですか?
825 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/28(水) 00:18:00
>>823 (あなたという個体)が淘汰に勝ったか、そうでないのか・・誰も興味などありません。
一日に約100人が「自殺の道を選ぶ」・・という事態を「哲学」というガクモンは、
気づいてもいない・・・という「不感症」について、どうお考えになりますか?
>>824 日本の話ですか?日本の場合、バブル崩壊以降の雇用状況が急に変わったことでしょうね。
今でもそうですが、流動的な労働市場が存在しないにも関わらず首を切り、一方で賃金の
引き下げなどをした。
日本は会社主義社会だったわけで、日本人の精神の支えもまた会社だった。そこから外れる
ことが普通になる過程での現象です。何らかの横断的組合組織が成立し、会社から離れても
ある程度の安定した生活を想像できるようにする必要があるでしょうね。
827 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 00:21:53
>>825 君の拠って立つ哲学もまた、救えてないという事だよw
>>825 哲学は生活の知恵でないですからね。自殺を考えている人に対して何も役に立たないん
じゃないでしょうか。逆に、変なクオリアみたいな信念に迷い込んでしまった人々に冷水を
かけて目を覚まさせる効果はあると思います。
829 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 00:24:47
質問で〜す。多世界解釈は還元主義とは言っても結局相対論ですよね。では意識もやはり相対的なんですか?
830 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/28(水) 00:31:04
>>826 急に社会学・政治学・経済学に「鞍替え」ですか?
まあいいとして、(特定個人の「安定的生活」)など「個人的問題」
ですので、ご自分の「裁量」で、
メニュー@「超ハイリスク&ハイリターン」
メニューA「中ハイリスク&ハイリターン」
メニューX「超ハイリスク&ハイリターン」
・・とかは選択自由です。
眠くなってきたので、寝させて頂きます。
>>830 > 急に社会学・政治学・経済学に「鞍替え」ですか?
いや、鞍替えを先にしたのはそちらでしょ(笑)。宗教の話につなげろってことならば、日本人の
宗教は人間信仰ですよ。それは会社主義によって維持されてきた。会社は生活を保障し、
勝手な都合で決して首を切らないとされてきた。まじめに働けばきちんと世間の人々は
認めてくれ、年とともに収入が上がるとされてきた。
全てバブル崩壊後に瓦解しました。自殺が急増したのはその後。そして今や偽造設計マンションが
話題になってます。性善説の人間信仰に基づいた制度はいよいよ完全破綻しつつあるのですね。
832 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 05:35:24
私は科学者自身の意識のクオリアを測定しています。科学者の意識にはクオリアレベルで共通する傾向があります。一言で言えば「カクカク カックン!」という事です。惑星のような優美さを持っていないという事なんですね。これは人工知能も非常に気にしている事です。
833 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 07:11:56
なんで平日昼間から書き込んでるの?
言い訳一覧
・休日(年末年始・振替え)
・学生
・株で稼ぐネオニート
・自営
好きなの選んで
834 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 08:59:34
コピペうざい!
835 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 11:57:25
ネオニートでつ
2chに新興宗教があると小耳にはさんだのですが、ここでつか?
837 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 16:41:58
>>803 恣意的に抜き出して無理やりいちゃもんつけてもねぇw
その部分は、『音楽における「美」を論ずる』というコンテクストの中で出てくる文だろ。
だから
>本質的なのはクオリアのほうであって・・・
の前に、「音楽における「美」を論ずるに当たっては」と補わなけりゃならない。
これぐらいも読めないなんて、きみの読解力のほうが「こりゃもう酷いと思いますよ」w
>>804のほうは、茂木の妄想が多少入っているけど(特に最後の2行ね)、
要するに言っていることは、神経細胞の発火によってクオリアが生まれるのだとしたら、
神経細胞の発火のパターンに制限がある以上、人間が感じうるクオリアのレパートリーにも
制限がかからざるを得ない、ってだけのこと。
きみがなにをむりやり読み込んでいるのかはわからんがw
恣意とは何かということだ。
まるで恣意はその人の意見が含まれず、且つ彼の意見以外の禁止があるようだ。
>>837 >803でむじんくんが言っていることを理解してない
840 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 17:23:44
841 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 17:26:57
話飛ぶけど「美」ってなぁ〜に? なんのこと?
>>840 理解できていないからそういうんだよ。
>>本質的なのはクオリアのほうであって・・・
>の前に、「音楽における「美」を論ずるに当たっては」と補わなけりゃならない。
なんて説明むごいという他ない。そんなことどこにも書いてないし。
>音楽の美は、音楽を構成するクオリアに即して研究されなければならない。
と書いてあるだけ。勝手に捏造されたらみんな困るよね。理解できる?
843 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 18:26:49
「音楽の美は、音楽を構成するクオリアに即して研究されなければならない」
「(音楽における「美」を論ずるに当たっては)本質的なのはクオリアの方であって、音という物理的刺激の属性の方ではない。」
同じことだし、実際あの文脈では下の文はこう読むしかない。
そうじゃないというなら、下の文においていったい何がどういう意味で「本質的」なの?
>>843 あのさ前の文で
>例えば、ヴァイオリンの音を周波数分解しても、それはヴァイオリンの音のクオリアを
>理解する上では何の役にも立たない。同じように、色とは光の波長のことであるという
>のは、おおいなる誤解である。
これも同じことを言っているように思えるけど、これがきみには音楽の美を論じているよう
に見えるってことだよね。どこにも論じられていないと思うんだが。
ごめん。唐突に思いついたんだけど、人の思考も宇宙の秩序に定義された、
単なる物質の運動なんだよね?
だったら、(当然今は無理でも)物理学で脳の物質がどのように動くか、
計算できないわけがない。
その結果を見たとき、僕たちは宇宙の壁を越えられるんじゃないか。
つまり未来を見てから、行動し、選択することで、宇宙の秩序は可変なものになるんじゃないか。
846 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 18:43:37
>>844 はぁ???
きみ本当に日本語理解できてるの????
>(音楽における「美」を論ずるに当たっては)本質的なのはクオリアの方であって、音という物理的刺激の属性の方ではない
って文における「音という物理的刺激の属性」ってのは、「ヴァイオリンの音の周波数」とかのことを指してんの。
それが「本質的」「ではない」、ってことを上の文言ってるんだから、それをふまえたら、
>>844の文が音楽の美を論じているように見えるわけがないだろう???
どういう勘違いしてるんだ??
それに
>>842の2文と
>>843の文は同じことを言ってるんじゃない。
>>842の文は「音楽における美」と「クオリア(もしくは物理的刺激の属性)」との関係を述べているのに対し、
>>843の文は「クオリア」と「物理的刺激の属性」との関係を述べているの。
理解できる?w
>>846 あのさ、『音楽の美を論ずる』のにクオリアを利用することが違うって言っているのだけど
やはり理解してないね。なんで、
誰が音楽の美を論じているの? 一度でも茂木氏が音楽の美をクオリアで論じたのか?
『音楽の美を論ずる』←これが捏造だって言ってるの。捏造は言いすぎだとしても
恣意的だってコトね。
あとうざってえからおまえさんのシニフィアン批判もしておくよ。
マニフェスト文にはこうある。
>クオリアの中には、階層構造がある。クオリアが階層的に集合して、
>より複雑な表象(representation, Vorstellung)が生じる。
>例えば、ガラスの透明な質感や、ガラスの表面の色はクオリアであり、
>このようなクオリアが集合して、「コップ」という表象が構成される。
で、シニフィアンに対応するのが表象の「コップ」だろ?
クオリアは、それを複合的に構成するもの、シニフィエ「意味するもの」だよ。
シニフィアンって言っている時点でおまえさんは最初から理解していないんだよ。
クオリアは表象じゃないから。クオリアによって実在化されたシニフィエとシニフィアンは別物。
10回ほど読み直した方がいいと思うなあ。
848 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 19:12:37
なんでコテハン香具師がいないと、こうなるかねぇ.
まあ名無しが出しゃばるとろくなことがないわな。
850 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 19:26:55
・・・・はぁ。
件のサイトから。
>音楽における「美」を、シャノン的な情報論的観点から、あるいはダーウィン的な進化論的観点から論ずるのは全くのナンセンスである。
そのかわりに、
>音楽の美は、音楽を構成するクオリアに即して研究されなければならない。
ってことを言ってんでしょ。
「音楽における美を論ずる」=「音楽の美を研究する」だろ。
これらの間にどれだけの違いがあるって言うんだ?
言葉の表面的な意味しか取れない類の人??
あとシニフィエ・シニフィアンのくだりは、むじんくんが変な勘違いしてるからあえて正しただけで、
俺自身はクオリアとシニフィエ・シニフィアンを結び付けて考えても意味はないと思ってる。
が、きみの理解は明らかにおかしいので指摘しておくw
「コップ」という表象のシニフィエは、実際の「コップ」や「コップという概念」だよ。
クオリアなんかじゃない。当たり前だろw
「コップ」という表象に含まれるクオリアは、それ自身、「コップという概念」のなかに含まれる概念、
例えば「輝き」や「透明性」の表象になりうるの。
クオリアは複数組み合わさって複雑な表象になりうるが、それ自身も単純な表象として機能することもできる。
「赤」の表象は「赤のクオリア」だよw
>>833 > ・株で稼ぐネオニート
ちょっと進化論の話で思ったんですけど、人間は新皮質の巨大化と言語の取得によって
自己自身を含めた世界に対する抽象的思考が可能となり、生活環境自体を変えて
きました。決定的なのは1万年前ぐらいに起こった農耕牧畜の成立ですね。これは
自然から人間が離脱していく第一歩と言ってよい。次は産業革命で、生まれ育つ
生活空間自体が新皮質によって生成された空間となる。この時点で人間は
大地から遊離した存在であることを確立したと言ってよいと思います。
"環境"を作り変えるという行為は、自らの身体にも及び、整形手術を行って人間関係の
状態を変えたり、抗不安剤によって緊張をほぐして仕事をしたりするまでになってます。
ところが、最近インターネットが普及し、物質的な生活環境自体から離脱するということが
可能になってきている。それまでならば、整形手術をするにしろ、精神安定剤を飲むにしろ、
それは物理的な生活空間の中において自らに快適な状況をつくりだすために行われていた
わけですが、インターネットによって生活空間自体がバーチャルな、電子データによって表現
されたものに変わりつつある。
最近、脳から直接拾った信号で何か物理的な行為を機械にさせる、ということが可能に
なってます。マウスのカーソルを動かすことをイメージすれば、それが現実になる。また、
逆に五感を司る器官なしで直接脳に刺激を与えて同様の効果をもたらすということも進められて
ます。恐らく近い将来、脳にジャックを差し込んで、インターネットにつなぐということが
可能になる。そうなれば、あらゆる欲望は電子データによって満たすことが可能になるでしょう。
こういう環境に適応的なのはニートや引きこもりになるんでしょうかね。進化論では「適応しすぎた
種は滅びる」というセオリーがあります。魚類から両生類に変異したのは、魚類としては元々あまり
適応してなかった種から発生したという論です。また、過適応は少しの環境変動で滅ぶリスクを
抱えてます。
これからニートの時代か?(笑)。しかし、電子データによる世界を維持するためのインフラを作って
運用する人間が必要だからダメかな。
852 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/28(水) 19:30:25
■言語システムと生命システム
ラカンの強力さをあえて簡潔にいえば、僕たちは言語システムに組み込まれ、自分の意志で
おこなっているとする発情することも欲望することも言語システムによるものだということだ。
この呪文は、「なわけない」とい思いながらも、考えれば考えるほどぬけられない。これをデリダであり、
東であり郵便的といおうが、本質的にはなにもかわらない。
しかしこのような言語システムに自覚的になることは言語システムの活性化につながる。言語システム
は差異の体系による静的な構造物でなく、ラカンがシニフィアンの連鎖といったように
コミュニケーションによりたえず蠢く動的なシステムである。すなわち一つの創発システムである。
僕たちはシステムの一パーツであるが、システムの創発性は僕たちの振る舞いがシステム自体を
大きく変える可能性をもっている。
さらにパースペクティブで語ればこの世界そのものか構造でできている。それは言語システムと同様に
創発システムである。たとえば進化はランダムから生まれるが、創発的に構造化された動的な
システムている。僕達は進化、コミュニティなど多重にシステムに組み込まれ、それそれへ影響する
存在である。
853 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/12/28(水) 19:32:00
言葉=文字=記号=音声=音楽=絵画。
854 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/28(水) 19:32:02
■人間という症候と生命力
ここにおいて、僕達のエロス(生の欲動)であり、自由意志を抽出することに意味があるだろうか。
しかしそれでもこの多層なシステムの一部である、「この私」とはなんだと問うのが人間という症候で
ある。猿も蟻もヒヤシンスもミジンコもとわないだろうに。
ラカンでつなげれば、「この私」とはそのはじめに失われている。他者の鏡像であり、言語システム
として疎外され、取り戻すことで、ありつづける存在である。たとえば生物が遺伝子という先天性に
より、「ある」がそこに「私がない」とすれば、人は先天性を見失い、「ない」ことが「私である」といえる。
私とは失われているものを取り戻すという動力である。
生物には生き長らえるという強い生命力という動力がある。この力が進化を推し進めているという
よりも、進化のという創発性そのものが生命力であるといえる。当然人間にも生命力は働いている。
そして人の失われたことによる動力との関係はどのようなものか?
これにはさまざまな考え方がある。フロイトのエロス(生の欲動)とタナトス(死の欲動)の対立、ラカンの
失なわれた現実界、ドゥルーズの器官なき身体など。ボクはフロイトにならい力動的にとらえた。
はじめにエロスあり、しかし人間では象徴界からの抑圧により、それはあるときはエロスと呼ばれ、
またあるときはタナトスと呼ばれる。しかし社会、言語秩序において過剰な力としてあらわれる。
人間とは象徴的秩序により力の行き場を見失った存在である。
855 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/28(水) 19:34:05
>>
これは物理学の法則で考えるとわかりやすいかもしれない。快感原則とは、等速度運動である。
一定速度で動く。このとき物体には力が働かない。電車でいえば、走っているが、車内では止まって
いるような安定した状態である。
そこには原則させようとする環境の力が働く。速度が低下するときには、物体に力が働く。電車が
ブレーキを踏んだときのように、車内の人に力が働き、不快なのである。そしてエロスは、環境の力に
対抗して、等速度運動しようとする
それに対して、タナトスは加速度運動である。エロスによって等速度運動し、快感であるにも関わらず、
自ら加速することによって、物体には力が働く。電車が加速すると、車内の人に力が働く現象である。
すなわちエロスもタナトスも環境の外圧(エントロピーの減少)に対抗する力であり、環境と相反し
安定を目指す動物的な力がエロスであり、それを越えて安定を崩す過剰である、人間的な力が
タナトスである。
多くにおいて、動物は環境に逆らい、生きることに必死であり、いつもエロスは環境の力に対して
不足しているのである。しかし人間が環境の内部に秩序世界を構築したとき、その内部でエロスは
過剰へと転ずる。その過剰性がタナトスである。
<<
856 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/28(水) 19:35:03
■創発システムの階層構造
再度いえば、このような力は、創発的なシステム内の力として生まれている。このような創発的
システムは、ある個体はパーツからできたシステムであり、また上位のシステムのパーツであると
いう階層構造にある。たとえば「私」という個体は細胞によるシステムであり、社会のパーツである。
そして個体性とは、明確な単位でなく、自律性の強度を表すものである。
だから個体性の力とは個体というシステムを維持しようとする力である、また上位のシステムを維持
しようとする力である。そしてこのような力はランダムから偶発的に発生した創発秩序に内在するもの
である。あるとき偶発的に生命は生まれたのであり、進化は始まったのです。その創発性の中で、
私という個体性というシステムは生まれたのである。言語システムも生命というシステムの一部
である。
857 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/28(水) 19:36:51
■生命記号論
このような科学的知見も言語システムの一部であり、人間の発明した相対的なものであることは
否めない。言語とはなにかといえば、還元である。アナログ情報のデジタル化といってもよい。なぜ
デジタル化するかといえば、大量な情報を扱える程度に縮小するためである。
しかし「科学は単なる主観である」と、相対主義に陥るのでなく、たとえば科学は近似的にでも世界
そのものを表記しえていると考えられないだろうか。この世界という秩序は、創発的な構造物で
できており、人が言語としておこなうようになんらかの還元作用によっている。だから科学はその
構造に近づく、近似的であるが、有用な方法である。
このような考え方に、パースの記号論を活用し生命を記号として表記する「生命記号論」がある。
@対象をA解釈項によってB記述する。これはまさにボクのいう還元であり、アナログ情報の
デジタル化であるとともに、言語システムである。ラカンに当てはめれば、@現実界をA象徴界に
よってB想像界として記述する。
そして問題は言語システムでは、解釈は主体が行うのであるが、生命においては誰が行うのか。
「生命記号論」では細胞である。たとえば遺伝子を細胞が解釈し、具現化するということが示されて
いる。創発性という秩序化は、このような還元システムが作動するということではないだろうか。
858 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 19:48:56
乙.
>>850 どうしようもない思いこみをしているようなので指摘しておくね。
以下が完全に間違い。
>「コップ」という表象のシニフィエは、実際の「コップ」や「コップという概念」だよ。
「コップ」という表象のシニフィエは、実際の「コップ」ではない。
実際のコップはシニフィアン、シニフィエに依存しない。
というか「コップ」という表象のシニフィエなんてものはない。
ウィキペディアから引用ね
>シニフィアンとは言語が持つ実体のことで、例えば海という言葉の「海」という文字や、
>「うみ」という表音のこと
>シニフィアンによって意味されたり表される海のイメージや海という概念、
>意味内容がシニフィエ
クオリアも言語学も実は理解してないでしょ。
現代文の偏差値が低いのは、これ対処がしようがないのが先生方の「常識」ですが(笑)。
>>837 > >本質的なのはクオリアのほうであって・・・
> の前に、「音楽における「美」を論ずるに当たっては」と補わなけりゃならない。
ということは、美そのものがあると言ってるわけだ。
> 要するに言っていることは、神経細胞の発火によってクオリアが生まれるのだとしたら、
> 神経細胞の発火のパターンに制限がある以上、人間が感じうるクオリアのレパートリーにも
> 制限がかからざるを得ない、ってだけのこと。
ということはニューロン発火の外部に実体があると言ってるわけだ。
つまりクオリアっていうのは失われたシニフィエを実体化して追う行為であり、カルトですね。
861 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 19:53:40
>>859 いいかげん疲れてきたよ・・・
あのさあ、もう一度言うけど、おれはクオリアとシニフィアン・シニフィエを関係付けても
意味がないって立場なのね。
だけど、きみが
>で、シニフィアンに対応するのが表象の「コップ」だろ?
>クオリアは、それを複合的に構成するもの、シニフィエ「意味するもの」だよ。
なんてことを言うから、あえてその設定に乗ってあげているんだよ?
それなのに、
>というか「コップ」という表象のシニフィエなんてものはない。
なんて言われたら、そりゃやる気なくなりますわ。
自分がどれだけ支離滅裂なこと言ってるか「理解」してねw
>>861 あのさ、もう一度言うからよく聞いてくれよ。
シニフィエはシニフィアンに関係なく、クオリアと対応するんだよ。
理解できた?
俺は設定なんていう遊びに付き合った覚えはない。
864 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 19:59:06
>>860 >ということは、美そのものがあると言ってるわけだ。
あるかないかは今はどうでもいいこと。
(あるかないかを論じることも、「美を論ずる」ことの内に入るしねw)
問題は「クオリア」の意味をきみがこれっぽっちもわかってないってことw
>ということはニューロン発火の外部に実体があると言ってるわけだ。
「ニューロン発火の外部の実体=クオリア」と思ってるわけ?
まあそりゃそうなんだけど、クオリアってのは主観的な立場からしか捉えられないものだから、
「実体」って言っても客観的なものではないんだよね。
「主観的な体験を構成する要素としての『何か』」とでも言えばいいのか。
865 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 20:00:30
>>862 できるわけないだろww
>>861をよく読んで、自分がどれだけ支離滅裂なこと言ってるか「理解」してねw
>>864 > >ということは、美そのものがあると言ってるわけだ。
> あるかないかは今はどうでもいいこと。
ならば、美を感じるニューロン発火の構造と言っても良い。この論法で前提にしているのは
いずれにしろ「美そのもの」である。そういう構造が人間には備わっているというわけだ。
> >ということはニューロン発火の外部に実体があると言ってるわけだ。
> 「実体」って言っても客観的なものではないんだよね。
> 「主観的な体験を構成する要素としての『何か』」とでも言えばいいのか。
ならば、主観的実体をもたらすようなニューロン発火の構造と言っても良い。この論法で前提に
しているのはいずれにしろ「主観的実体」である。そういう構造が人間には備わっているという
わけだ。
つまり、ユング風の集合無意識みたいなものをニューロン発火パターンとかいう用語で
置き換えているに過ぎない。カルトである。
867 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 20:44:25
>>866 ここまで頭が固い人だとは思わなかった。
それか、そこまでして自分の勘違いを認めたくないのか。
そもそも、きみが
>>803で取り出した文は、クオリアが芸術とかとどう関わってくるかを述べた文であって、
クオリアそのものの説明ではまったくないの。
で、おれが問題にしてるのは、きみが「クオリアそのものの説明」を理解できてない、ってことなの。
だからおれが
>>837で言ってるのは
「クオリアが何を意味しているのかを論じている文脈で
>>803のような引用をしてきてもまったく見当違いだ」
ってことにすぎないの。
それなのにきみは、その「見当違い」な引用について、しつこく「美そのものがあると言っている!」
とかいって食いついてきてるの。
そんなことは、「クオリアが何を意味しているのか」ってこととは、もう、端的に、完全に、全面的に
関 係 な い
の。
わかる?
わかったら、もう「美そのもの」にこだわるのはやめてね。
どうしても知りたかったら茂木に直接メールでもしてください。
おれは茂木が「美そのもの」についてどう考えてるかなんて知らないから、答えようがないの。
おれがここで茂木の論法を説明しているのは、単にそれが「クオリアが何を意味しているのか」
ってこととは関係ないってことを示そうとしてのことであって、その論法が妥当かどうかについては
おれは一切なんの意見も表明してない。(個人的には、この論法はナイーブ過ぎると思っている)
868 :
ぽっくん ◆5m18GD4M5g :2005/12/28(水) 20:47:17
869 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 20:48:07
で、後半について。
>ならば、主観的実体をもたらすようなニューロン発火の構造と言っても良い。この論法で前提に
>しているのはいずれにしろ「主観的実体」である。そういう構造が人間には備わっているという
>わけだ。
これはそのとおり。
「主観性」というものが存在するということと、「クオリア」がそれを構成するということとは、
無条件に前提している。
そして「クオリア」がニューロン発火のパターンによって生じる、ということも、一応前提している。
これは一般的な科学の枠組みからは外れるものだというのはそのとおり。
だからといって即「カルト」になるってのは、きみの思い込み。
文系が考えた「科学の方法論」なんて、実際のレベルでは
考慮されて無いんだろ?
ここで、それが科学の範疇か否かを話し合ってもトンデモに
なるだけだと思うが。
871 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 20:55:42
>>870 今の場合はそうでもなくて、
クオリアってのは客観的に定義できるものではないから、
明らかに科学の対象になりえない。
ここだと、客観的観測(ニューロン発火パターン)と主観報告(その
発火が起きているときの被験者の報告)とを用いて検証が一応可能
だよね?
それじゃだめな理由を教えてくれ。
873 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 21:12:08
>>872 被験者が体験した意識内容を「そのまま」任意の他者が体験することはできないから、
「主観報告」の正しさを客観的に評価することができない。
>>872 従来の心身問題に戻してみると、
「他人も世界を観測してるはずだ」
という大前提があると思いますが、これはいわゆる独我論の
問題として哲学史上延々と残っています。
例えば、「私の目の前に猫がいる」という観測事実と、友人の
「猫なんかいない」という観測報告との折り合いをどうつけるのか、
というところで問題は確かに生じると思います。
つまり、ニューロン発火のパターンを起すと999/1000人が「痛い」
と報告し、1人だけ「痛くない」と報告する場合に、同様の問題が
生じると思います。この時、「999/1000の割合で」と確率的に処理
するのか、「こいつは嘘吐きだ」と処理するのか、で大きく方向が
分かれるのでは無いでしょうか。
>>873 それは科学的命題の全部に言えるぞ。
つまり、科学自体は客観じゃなくて間主観(多くの主観報告の
整合)なんだよ。
876 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 21:16:45
認められるもなにも、臨床とかで「ここを刺激すると患者全員が痛いと
言うんだがそれは客観的に評価できないからダメだ」という馬鹿医者が
いるんですか?
879 :
878:2005/12/28(水) 21:23:36
俺は876じゃないよ。
>>878 いわゆる「科学の方法論」は、一般的な科学者が行っていることよりも
狭いと思います。厳密さが要求されてますから。量子力学の発展段階の
思考様式が、科学の方法論から逸脱していた、というのは耳学問として
たまに聞きます。
>>867 > わかったら、もう「美そのもの」にこだわるのはやめてね。
> どうしても知りたかったら茂木に直接メールでもしてください。
そりゃおかしいね。クオリアっていうのは「美」といったものを前提にしており、そこを出発点に
している。ある観測結果の因果関係からクオリアという概念を想定するという話ではない。
"はじめにクオリアありき"なのである。そのクオリアが発生するのはニューロン発火がどうだとか
いう話をしているが、それは付録に過ぎない。
>>869 > だからといって即「カルト」になるってのは、きみの思い込み。
つまり、クオリアとは失われたシニフィアンをユング風に復活させようという、今までイヤというほど
繰り返されてきた愚行である。
クオリアの起源が明らかにされることによって、宗教的価値と芸術との共通の基盤が示されるだろう。
カルトという言葉以外、表現のしようがない。
882 :
346:2005/12/28(水) 21:34:09
>>659 その前に二つの実験の同じは同じじゃない。
比較の為に両方とも猫にすると【実験1】は両者の観測の猫は(個体として)同じなのに対して【実験2】は同じ猫(という種類に属するが違う個体)てことでしょ。
俺はこの違いは程度問題じゃないと思うから、この実験は一言さんの主張を裏付ける実験とは思えないってこと。
>>677 というか、客観的存在を前提しても尚、「心」は「わからない」点が違うことがポイントだと思うんですが。
猫さんは鳴いていればいいだけです。にゃーにゃー
884 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 21:39:44
>>877 じゃもうちょっと詳しく言いましょか
例えば被験者の脳のある一部を刺激したときに、被験者が「赤い色が見えた」と言ったとしましょう。
たくさんの被験者について同じ実験をして、同じ結果を得たとしましょう。
この実験から言えるのは、「脳のどこそこを刺激すると、「赤い色が見えた」という報告が得られる」
というだけのことで、赤のクオリアはどこにも出てきません。
クオリアってのは主観性の枠組みにおいてしか現れないものですから、
どれだけ客観的な測定を行っても、どうやってもクオリアには到達し得ないんです。
測定をどんどん精密にしていったところで、単に刺激から「赤い色が見えた」という発話までの間の
神経活動の詳細が明らかになっていくだけで、クオリアにはかすりもしません。
これをクオークと比べてみましょうか。
クオーク(もしくはクオークとして捉えられる構造、以下簡単のため単にクオークと呼ぶ)も、
それを直接観測することはできません。
いろいろな観測結果から、間接的に存在が想定されるだけのものです。
そのてんでクオリアと似ているのですが、大きな違いは、クオークに関しては、
測定をどんどん精密にしていけば、それだけどんどんクオークの性質の詳細を
明らかにしていくことができるということです。
これはつまり、測定を詳細にするにつれて、測定に対するクオークのレスポンスが
詳細にわかると言うことです。
それに対して、クオリアの場合は、測定を詳細にしていっても、得られる結果は
「神経細胞のレスポンス」でしかなく、「クオリアのレスポンス」はどうやっても得られないわけです。
これはクオリアが主観的な対象として定義されていることからの、必然的な帰結です。
>>881 > つまり、クオリアとは失われたシニフィアンをユング風に復活させようという、今までイヤというほど
> 繰り返されてきた愚行である。
失礼、シニフィアンではなくてシニフィエでした。とにかく、皆さんカルトには気をつけましょう。
886 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 21:41:18
>クオリアっていうのは「美」といったものを前提にしており
だからしてないってのに!
どっからそういう理解になるわけ??
「美」なんてものがなくても、クオリアはちゃんと存在するって!
>>884 > どれだけ客観的な測定を行っても、どうやってもクオリアには到達し得ないんです。
当然です。最初にクオリアありきという、ごり押しから始まるのですから。科学的実証
ではなく、どれだけ大勢の人を洗脳できるかがポイントなのです。
>>882 観測事実と観測報告との考量という点で同じです。
というか、その点を強調したいので「脳に刺激を与えずに、単に
私は哀しいと思い、相手は哀しいと言う場合」でも結構です
(脳に電極を繋いで認識した像と、視覚で認識した像との
違いが私の主張のポイントではありません。)。
私は「心が分からない」と同程度に「相手が猫を見ているかも分からない」
と思います。つまり、「心が分からない」という点は同じなんですが、
「それ以外のことは分かるよね」という点に同意しないのです(そして、
これを自覚することが、深いレベルでコミュニケーションすることの条件
だと思っています)。
>>886 > 「美」なんてものがなくても、クオリアはちゃんと存在するって!
あなたはクオリアを矮小化してますよ(笑)。彼はこんなことも言っている。
芸術と宗教に共通の要素は、それらがクオリアに直接訴えかけるということである。クオリアの起源が
明らかにされることによって、宗教的価値と芸術との共通の基盤が示されるだろう。
どうだ(笑)。つまり、ある音が美しいと感じるとき、それはクオリアという普遍的な何かに触れた
からだと言っているのだ。
何が問題か?芸術とは他者との間に開く底なしの裂け目に向けて放つ何かであるはずなのに、
クオリア論はそこに納得できる根拠を前提にしている。ユング風集合無意識のカルト的世界である。
言うまでも無く、ユングの集合無意識はフロイドの無意識と全く縁もゆかりも無い。
>>884 だからどうしたんだ?
実験の有用性自体は全然否定できて無いじゃん。
クオリア信者にとって、他者とのコミュニケーションは全くの自明的行為である。なぜならば、
自分たちにはクオリアという、コミュニケーションを可能にする共通地盤があると信じているからだ。
私の知人で自己啓発セミナーにはまってしまった人間がいるが、彼も似たようなことを口走っていた。
その後、彼は逮捕されました。
892 :
882:2005/12/28(水) 22:03:21
>>884 うーん、勘違いされてるなあ。
俺が実験したいのは、脳への刺激をどんどん変えていって
その報告がどうなってくかっていう過程なんだよ。
893 :
872:2005/12/28(水) 22:04:03
間違えた。872ね。
>>892 それはちょっとだけ面白そう。
報告の予言が可能になるかもね。
ってか、
>>874の「嘘吐きだ」ってところが重要な気がするんだが。
私の観測事実と他者の観測報告だけを比較しても「ウソ」という
概念は出てこないよね?
896 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 22:11:33
>>889の引用のどこから「クオリアは美を前提にしている」と思えるわけ?
美しい音も汚い音も、どっちもクオリアとして感じられることには変わりないんだよ。
このことだけからでも「クオリアは美を前提にしている」なんてのがとんでもない勘違いだってわかるだろ。
って、こんなこというと今度は「クオリアは汚を前提としている!」なんて言われそうだけど、
そうじゃなくて、美とか汚とかってのは、クオリアにつけられてるラベルに過ぎないの。
クオリアは単に、感覚刺激が主観に対して立ち現れる「さま」、意識体験の内容物のこと。
美とか汚とかってのは、言語学習によって後から社会的につけられたラベルに過ぎない。
きみはなんでか知らないけど、どうしてもクオリアをイデアと結び付けたいんだね。
全然関係ないのに。
クオリアってのは、くりかえすけど、
>感覚刺激が主観に対して立ち現れる「さま」
これだけの意味しかないの。
おれがクオリアを矮小化してるんじゃなくて、きみがクオリアを大袈裟に捕らえすぎてるだけ。
これを前提にして、もういちど茂木のページ読み直してみな。
(多分死んでもやらないないだろうけどwww)
>>895 私は「ウソ」という概念に実証性は無いと思います。
諸々の条件から推断されるものです。
例えば「神を見た」とか「幽霊を見た」とかもそうだと思います。
898 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 22:16:58
>>890 それは「神経活動の詳細を知る」ことに関しては有用だけど、
「クオリアの詳細を知る」ことに関しては何の役にも立ってない。
>>892 だから、その実験で得られるのは「刺激と報告との関係」に過ぎなくて、
「刺激と報告とクオリアとの関係」は実験ではつかめないってことを言ってるの。
私がこういうことを言うのは、私の専門分野が法学だからです。
法廷では必ずしも実証性が要求されるわけではありません。
それは殺人とか契約とか、過去の時点を問題にしてるからです。
「彼は殺人を犯した」とか「彼は契約を締結した」ということは実証不能です。
しかし、「兇器に彼の指紋が付いていた」とか「彼の署名がなされた
契約書がある」ということは実証可能です。
「彼は殺人を犯した」などは、ここから合理的に推論されることです。
ですから、冤罪も当然生じます。
900 :
346:2005/12/28(水) 22:25:12
>>888 俺は「それ以外のことは分かるよね」という点には同意するんだけど、それは今は問題じゃないからいいや。
>観測事実と観測報告との考量という点で同じです。
これについては俺もそのつもりだし、
>私は「心が分からない」と同程度に「相手が猫を見ているかも分からない」
と思います。
これもそう思う(ってか実質同じ意味では?)。
一言さんが「心がわからない」という時それは相手の心だよね(俺ももちろんそのつもりだけど)?
自分の心はわかってるはず。
これが事実と報告という言葉の違いにも現われている違い。
で、猫なんかの場合は相手の報告がほんとは何を指しているか分からないにせよ、つきあわせて考量する対象が自分の事実の中に存在する。
でも心の場合はそもそもその対称が自分の事実の中に存在しないじゃん。
これはどう考えても大きな違いだと思うけれど。
>>898 だからそれでいいんだよ。
誰もクオリア用の実験だなんて言ってないだろ?
自分の脳に刺激を与える
↓
赤が見える(これはクオリア)
これは二者以上の観測じゃないけど、もし、これが可能なら
正直それはどうでもいい気がする。
>>900 なるほど。そういう立場でしたら特に異論はありません。
レスありがとうございました。
>>902 主知主義の立場を採るなら、それでいいと思います。
>>896 > クオリアは単に、感覚刺激が主観に対して立ち現れる「さま」、意識体験の内容物のこと。
> 美とか汚とかってのは、言語学習によって後から社会的につけられたラベルに過ぎない。
すいません、そういう「意識体験の内容物」ってやつが言語以前に存在するという話こそが、
> きみはなんでか知らないけど、どうしてもクオリアをイデアと結び付けたいんだね。
失われたシニフィエの実体化というのですよ(笑)。
> おれがクオリアを矮小化してるんじゃなくて、きみがクオリアを大袈裟に捕らえすぎてるだけ。
彼はこんなことも書いてます。
クオリアの本質、その起源の解明が、今後の人類にとっての最大の知的チャレンジであることを
宣言し、クオリアを中心とした文化運動の開始を呼びかけるミッション・ステイトメント(Mission Statement)
である。クオリアの起源の解明に成功すれば、、アンドロメダ星雲に人類を送ることより大きなインパクトを
人類に与えるだろう。
あなたは矮小化してますよ。「クオリアを中心とした文化運動」ですよ?(笑)。わかりますか、この
意気込みが。
まぁ、どちらにしろカルト信仰ですから、アンドロメダ星雲じゃなくて刑務所かあの世かに送られる
のがオチでしょう。
>>904 というか、
>クオリアは単に、感覚刺激が主観に対して立ち現れる「さま」、意識体験の内容物のこと。
というのは、概ね合っていると思うが。
あなたがというより、茂木が 「クオリアを大袈裟に捕らえすぎてるだけ」と
いうのが正しいと思う。クオリア問題というのは、要するに昔ながらの
心身問題の焼き直しだろう。難問には違いないが、それが「画期的に新しい問題」
だというのは、どう考えても変。
906 :
素人:2005/12/29(木) 00:08:01
907 :
考える名無しさん:2005/12/29(木) 00:12:24
>すいません、そういう「意識体験の内容物」ってやつが言語以前に存在するという話こそが、
>失われたシニフィエの実体化というのですよ(笑)。
おお、ようやく多少見当違いでないことが言えるようになったじゃないかw
ここまでくりゃおれの役目は終わりだなw
908 :
考える名無しさん:2005/12/29(木) 00:13:58
ドーブツエン ダナ、ココw
909 :
考える名無しさん:2005/12/29(木) 00:16:07
おっとあとひとつだけ。
本当に「クオリアの起源の解明に成功すれば」
それは主観・客観のアポリアを解決することになるんだから、
>アンドロメダ星雲に人類を送ることより大きなインパクトを人類に与えるだろう。
ってのはあながち大げさじゃない。
ま、おれはそんなものは「解明」できないと考えてるが。
(そもそも解明する/できるような類の問題じゃあない)
ってか、
>>902の実験はクオリアを直接的に扱ってるわけだが
どうなんだろ?
自己完結してるから他人と検証できないと思われ。
912 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/29(木) 00:50:11
何故可視光線はクオリアとして立ち顕れるのに、周波数範囲外の赤外線・紫外線
X線、ガンマ線、遠赤外線、UHF電波、VHF電波等々は「物理学的には同存在」
であるのに、何故人類の「眼」にはクオリアとして立ち顕れないのか?
逆に「超音波を耳で聞く」ことの出来る犬や蝙蝠は、聴覚におけるクオリア形成
能力の点に限って言えば、明らかに人間を上回っているのに人類が全ての動物より
アプリオリに「優っている」と言いきれるのか?
・・・この宇宙の何処かに「超音波音楽」(要するにピアノの鍵盤が30Mくらいある)
なるものが存在しても、人類が「聴くことが出来る」音域はせいぜい100鍵分でも、
犬や蝙蝠は150鍵の音域の音楽を少なくとも「聴く」ことが出来る・・・。
光(電磁波)の可視光線領域も鳥やある種の昆虫の方が「広い」可能性は十分にある。
だから、彼らは人間が見ている「色の世界」より遙かに多くのクオリアで満ちている
「本当の天然色」を見る「眼球と脳のペア」を持つ・・・それでも「人類のクオリア」
しか「思考の対象にしない」のは、その「種」の「クオリア」がどうして存在するのか?
という『「生物学(動物学)」の分野?を開拓しなければいけない』・・ということ
ではないでしょうか?
勿論「突然変異+自然淘汰」で「進化」が行われていることは間違いありませんが、
「人類のクオリア形成のあり方」は以外にも「他の生物の苦痛に関してクオリア形成
しにくい構造」にあったりするのかもしれない・・という仮定もあり得ると思います。
913 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/29(木) 00:53:57
912の一部訂正です。
だから、彼らは人間が見ている「色の世界」より遙かに多くのクオリアで満ちている
「本当の天然色」を見る「眼球と脳のペア」を持つ・・・それでも「人類のクオリア」
しか「思考の対象にしない」のはどこか間違っていないか?
『その「種」の「クオリア」がどうして(そういう風に)存在するのか?』という
『「生物学(動物学)」の分野?を開拓しなければいけない』・・ということでは
ないでしょうか?
914 :
考える名無しさん:2005/12/29(木) 01:02:14
>>909 今は解明できないが、1000年後に解明できないという証拠もないので、
断言はできないだろう。ま、1000年後でも解明できてないだろうけどw
915 :
考える名無しさん:2005/12/29(木) 01:09:57
>>914 そうじゃなくて、原理的に、解明できるような種類の問題じゃない、ってこと
>>901 「話の流れ」ってものをちゃんと考えようね
>>910>>911 クオリアは主観的なものですから、客観的には、あるいは、
間主観的には扱えないですが、逆に言うと、主観的には
扱えると思います。これは、問題設定が他者との知識共有
を前提にしないということです。
私は、こういう問題が無意味であるとは思いません。むしろ、
人文科学(特に文学や藝術)では必須なのではないかと
思います。
客観性、あるいは、間主観性の欠如が、クオリア論の欠陥には
ならないと考えます。ただ、そうなると、「クオリア」という用語を
新たに創る必要があるのかな、とは思います(もっとも、これは
心脳問題に限定する場合の用語として用いるのは可能かも
しれません)。
918 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/29(木) 01:30:44
>>917 茂木さんの「クオリア論」は、(注目されたので)「やや浮き足立っている」
傾向があるのかもしれません。
可視光線のスペクトルは「(人類が見る)虹の幅」であり、紫外線・赤外線も
この「世界」には同等に「存在」するにも拘わらず、形而上学は「(基本的に)
認識できないものは存在しない」ということを大前提に、
「存在しないにも拘わらず認識されるモノ」・・・「幻想・夢」
「認識されないにも拘わらず『存在』すべきモノ」・・・「神」
に拘りすぎて、「認識と存在」についての「客観性」を失っている・・ので、
「基本的に間違った方向を捜索している」・・・ということだと思います。
919 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/29(木) 01:34:52
918の部分訂正です。度々すみません。
可視光線のスペクトルは「(人類が見る)虹の幅」であり、紫外線・赤外線も
この「世界」には同等に「存在」するにも拘わらず、観念論者は「もっと幅広い虹」
を見ることの出来る「動物」が存在する(しえる)ことを全く想定しない。
観念論者(形而上学・・
920 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/12/29(木) 01:35:37
>>918機械さん
認識できない理由は何処に求めればいいのでしょうか?
921 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/29(木) 01:42:09
>>920 ある種の「鈍感さ」が「進化」する上では「優位」であることがあり得ます。
牛や豚や鳥(の「脳」)が「とさつ場」で発する「悲鳴」を聴く「超能力」
が人類に備わってしまったら、我々は豚肉・牛肉・鶏肉を「味わって食べる」
習慣を失うことになり・・それは「地球人口の減少」に繋がることになる・・
・・というようなことではないかと思います(当然「仮説」ですが・・)。
A:○●○○
B:○○●●
以下にA,Bはそれぞれいくつあるか?
・○●○●○○○●●○○●○●○○●
同一性の認識は同じ物を見つけるというより
ある物とある物の違いを見つけていって違いが無ければ同一の物としてるだけ。
クオリアの「この色は赤い」も
・赤に違いない色(赤の範疇の色)
・緑がかってる
・明るい
・濃い目
と、特徴点を出すということは差別化というか、どう違うかを見ている。
924 :
考える名無しさん:2005/12/29(木) 02:47:09
年末年始もヒマそうだねw
925 :
考える名無しさん:2005/12/29(木) 03:10:45
みなさん「クオリア降臨」は読まれたんですか?
926 :
考える名無しさん:2005/12/29(木) 05:58:14
だいたい「クオリア」などと言い出したのは思考盗聴盗撮機の特許を持っているソニーの茂木健一郎。クオリアとは要するに思考盗聴盗撮機の画質の事で茂木はその画質の鮮度を上げる研究をしていただけ。クオリアなど意識に取ってさして重要な問題ではない
>>907 じゃあ、やっぱりクオリア論はカルトですね。
>>912 > 逆に「超音波を耳で聞く」ことの出来る犬や蝙蝠は、聴覚におけるクオリア形成
> 能力の点に限って言えば、明らかに人間を上回っているのに人類が全ての動物より
> アプリオリに「優っている」と言いきれるのか?
アプリオリとかじゃないですね。人間は自らがどこまで認識できているのか、それ自体を
認識します。これは開かれた言語活動によって可能となる。動物は種ごとにあなたの言う「クオリア」
によって構成された世界から出ることができない。
人間は空を飛べない。トラのような牙を持たない。犬のような臭覚を持たない。しかし、人間は
自身を含めたそのような環境自体を言語活動によって抽象化し、認識することができる。だからこそ、
一方で人間は固定したクオリアによる生活世界を持たない。最初から"自然"との調和的関係が
破綻しているのです。
クオリア論というのは、人間にも動物のような固定的な生活世界があるはずだ。迷わず生きられる
道筋があるはずだ。こういう願望から出現したものです。カルト信仰なんですよ。
>>909 > 本当に「クオリアの起源の解明に成功すれば」
> それは主観・客観のアポリアを解決することになるんだから、
主観客観の問題解決というのが形容矛盾ですよ。この問題は解決するのではなく、
解消しなければならない。そういう問い自体が無意味です。
930 :
考える名無しさん:2005/12/29(木) 11:56:17
「意識とは何か?」という問いに対してクオリアはさして重要ではないという事。意識は脳内の微弱電流。従って意識を持っているのは動物だけではない。クオリアの問題は量子力学の「観測者問題」(科学者ではなく観測する量子そのもの)に行きつく
何ボルトだと気持ちよくなったり、お空の絵が思い浮かぶの?
もう次スレ建ってるが・・・
933 :
決定論スレ46の556:2005/12/29(木) 12:25:18
>>650 >それは回答と言うよりも単なる空想ですよね。
どれがですか?
>反対論者も「生物学はユニコーンを研究しなければならない」とか
>「エレクトロニクス産業は魔法の問題を研究しなければならない」
>なんて言ってませんし、実際にそんなことになるとは思えません。
もちろん、私も、誰かが、「「生物学はユニコーンを研究しなければならない」とか
「エレクトロニクス産業は魔法の問題を研究しなければならない」 といっている」
なんていっていませんよ。
>実際にそんなことになるとは思えません。
>いわゆる「杞憂」って奴です。
なぜですか?
それは、「そのようにしない理由」があるからでしょう?
少なくとも、あなたは、科学や技術に、なんらかの事柄を、
説明の対象から除外する(あなたの言うところの)規範があることを
認めているわけですよね?違いますか?
>>926 >思考盗聴盗撮機の特許を持っているソニー
詳しく!
_,.-‐"':" ̄~゙'ヽ、 __
_,---‐" ̄\ / ``ー‐-、 ノ \
/ ヽ ;" ) / \
/ ぐ わ | / |ノ/ \
/ ら か | | )/.| ・ オ |
| .い ら | | ,;';;,, /ノ | ・ レ |
| ・ な | |::::.................:::::::::;;,'^;、::::::'''..,,_;、丿 | ・ に |
| ・ い | /:::::::::::::::::::::::::::;"゙, /゙~゙`''::;'゙; | ・ だ. |
| あ こ | `、;;::::::::::::::::;/ ),;' :.'.,、 | ・ っ |
| る と | ,へノ `'''''"´ .:; .:::_ヽ | ・ て |
| ・ Y \ .::; ::::ゝ .| ・ |
| ・ ∧ \ ::::::、 .:;` | |
| ・ |ヽ丶 \;; :::;;;;::..,,、. ::i | |
| ・ | ` \;;;;/ `゙" \
936 :
考える名無しさん:2005/12/29(木) 12:34:21
実は俺も悪意のある電波を照射され続けている、是非黒幕を探して欲しい
926は三浦さん?
938 :
考える名無しさん:2005/12/29(木) 12:42:02
白装束、効き目ないんでつか?
939 :
考える名無しさん:2005/12/29(木) 12:48:58
瞑想用ヘッドギア(20電極、乾電池式)安く譲ります
941 :
650:2005/12/29(木) 14:03:45
>>933 めんどくさいので核心部分だけ言っておきますが、私は科学の
方法論について文句を言ってるのではなく、それを拡張して
他人の発言に無意味だ、などと言うあなたの態度に疑問を
呈しているのです。
要するに、「イチゴケーキ」と「チョコレートケーキ」の主観的味比べ
をしている時に、「それはおかしい」と連呼することに対してですね。
クオリアを扱おうとすることは、自己完結的な主観世界の分析を伝達不能
なことを承知で言語化することだと思っています。これが共有知を目指す
科学の対象にならないことは明白ですが、これを無意味とするか否かは
個人の勝手です。
あなたが「そのチョコレートケーキは美味しくない」という類のレスを、このスレ
で連呼する必要は無いのです。
942 :
650:2005/12/29(木) 14:05:52
より平明に言うならば、「私にとってそのチョコレートケーキは
美味しくない」ということと、「そのチョコレートケーキは美味しくない
はずだ」ということとは違います。
943 :
決定論スレ46の556:2005/12/29(木) 14:16:01
>>941 >めんどくさいので核心部分だけ言っておきますが、私は科学の
〜
>呈しているのです。
合理的な理由はないけれど、感情的に気に食わないから文句をつけている、
という理解でいいですか?
>要するに、「イチゴケーキ」と「チョコレートケーキ」の主観的味比べ
>をしている時に、「それはおかしい」と連呼することに対してですね。
まず、「連呼する」というのはあなたの拡張ですね。
私は、最初のレスを除いて、つけられたレスに答えているだけです。
また、「主観的味比べ」それ自体を私は否定していませんよ。
そも「主観的味比べ」をそれ以外の場所に持ち込むことを批判しているだけです。
>クオリアを扱おうとすることは、自己完結的な主観世界の分析を伝達不能
>なことを承知で言語化することだと思っています。これが共有知を目指す
>科学の対象にならないことは明白ですが、これを無意味とするか否かは
>個人の勝手です。
ええと、何度も何度も繰り返し言っていますが、私が「無意味だ」といっているのは、
その「科学の対象にならないこと」の説明を科学に求めること、ですよ?
>あなたが「そのチョコレートケーキは美味しくない」という類のレスを、このスレ
>で連呼する必要は無いのです。
ええ、そのとおりです、ですから、最初からそのよいなことをこのスレで私はしていません。
前に「美」の話が出ていましたが、たとえば「赤」のクオリア
と「美」の関係と、「チョコレートケーキの味」のクオリア
と「美味」の関係は、同じでしょうか。
私は感覚と直結するかしないかだけで、「美」も「美味」も
クオリアの一種だと思うのですが。
945 :
考える名無しさん:2005/12/29(木) 14:23:10
やはり皆さんは、
ぴかあさんほどの深みがないですね
表面的な言った言わないの言葉遊びにはうんざりです
>943
ここはそれ以外の場所だと思うんだが?
逆だ。ここは主観的味比べの場としても使っていいと思うんだが。
948 :
650:2005/12/29(木) 14:56:04
>>943 ここはそういう場だと思います。
少なくとも他我問題を人工知能に適用して論じることは、哲学板では
問題が無いでしょう。人工知能開発という工学上の話ではないのです
から(他我問題が生物学の問題でないのと一緒)。
949 :
650:2005/12/29(木) 14:57:02
つまり、あなたは主観的味比べの場に来て批判を行っていると
私は考えます。
>>948 他我問題は科学では解明できない、という古典的問題と何が
違うのか分からないのですが^^;
951 :
650:2005/12/29(木) 15:05:55
>>950 ええ、クオリア論は従来の心身問題や他我問題を焼き直した
ものだと考えます。ですから、問いの内容は変わっていませんし、
科学で扱えないということも同様です。
むしろ、この辺は科学者が気をつけねばならない点だと思います。
科学には方法論上の限界があるということですね。
しかし、人工知能などの新しい技術が誕生した時に、新しい用語を
用いて問いを再提起しても私は構わないと思うのです。別に「観念」
だの「表象」だの「現象」だのと言ったメインストリームに拘る必要は
無いのではないでしょうか。
952 :
決定論スレ46の556:2005/12/29(木) 15:11:41
>>946 >>947 >>948 では、ここで、「〜(クオリアとか)を科学は説明できない」といったことを、
批判的に使うのは適切ではない(ここがどういう場がわきまえていない)
ということになりますね。
>>949 いえ、主観比べの場だということをわきまえない発言を批判してるだけです。
>>951 でも、茂木さんに代表されるように、クオリア論は実験的に解決される
というような立場を採る人がいます。これは、クオリア論者の多くが、
従来の枠組みから外れて、科学的解明を目指そうとしているという
ことになるのではないですか?
我々の内部に共通の価値が横たわっていて欲しい。この欲望は古来から繰り返し
あらわれており、且つ誰もが持つ共通の欲望故に一定の支持者を得てきた。
しかし、普通に生活する人間であれば誰しもが気が付くように、そのようなものは
この世のどこを探しても、自らの頭の中を漁っても見当たらないのだ。価値とは
欲望の対象であるならば、それは他者の欲望でもあり、つまりは他者からの承認の
欲望である。人は他者の中に自らと同一のクオリアを探そうとするが、それは
他者の承認を欲望しているのであり、他者も同様に欲望する存在であるが故に
弁証法的亀裂が生じるのだ。
この矛盾は断念によって、どこまで行っても見つかるはずのない対象の断念に
よって止揚される。これが精神分析の去勢であり、ラカンの言う象徴界への参入
である。クオリア論とは、この去勢というハードルを越えられなかった、落ちこぼれ
による自慰行為である。
955 :
650:2005/12/29(木) 15:21:50
>>952 私はそのレスの付け方が適切には見えません。
例えば、
>>346さんは「非科学性」を前提にしてきちんと
弁えていらっしゃると思います。彼に対して「科学の対象
にならないこと」を持ち出しても批判にならないでしょう。
>>953 茂木さんの理論体系も一度検討する必要がありそうですが、
茂木さんを叩いても、クオリア論全体を批判することには
なりません。
また、実験は科学の専売特許ではありません。狭義では科学的
実験を指すかもしれませんが、美術でも実験的作品という表現が
あります。二者以上の観測を比較するのが科学だとしたら、一者
で自己完結的に観測してしまう方法もあります(
>>902)。
実験を行うから科学の領域に足を踏み入れてるとは限りません。
偶然流行ることもあるでしょう
>>955 ではクオリア論における実験とはどういう意義があるのでしょうか?
従来の他我問題とどのように異なるのでしょうか?
958 :
決定論スレ46の556:2005/12/29(木) 15:32:29
>>955 >私はそのレスの付け方が適切には見えません。
〜
>にならないこと」を持ち出しても批判にならないでしょう。
「そのレスのつけかた」というのは、
>>952 におけるレスのつけかたでしょうか?
だとすると、後半の内容はそれを批判する内容としては適切でないと思います。
>>952 のレス先にはそのような記述はありません。
>>346 さんへのレスを問題にするのであれば、「そのような」という表現は適切でないと思います。
当該のレス(
>>346 に対してレスしているレス)に対してレスすべきでしょう。
(私は
>>346 さんにはレスしていないと思いますが。)
あるいは、「そのレスのつけかた」というのは、別のことをさしているのでしょうか?
だとすれば、私の「どういうレスのつけかた」が
>>346 さんのレス内容について、
なにか述べていることになるのでしょう?
>>954 何か変な理屈だな。
「共通の欲望」を「誰もが持つ」のなら「共通の価値」を「誰もが持つ」
ていて何の不思議もないだろ。
>価値とは 欲望の対象であるならば、それは他者の欲望でもあり、
>つまりは他者からの承認の欲望である。
これも変だぞ。「価値とは欲望の対象であるならば、他者の価値とは
他者の欲望の対象である」だろ。
自分も他者も同じ欲望を持つのなら、同じ欲望の対象=価値を持っていて
何がおかしいのだ。
960 :
650:2005/12/29(木) 15:33:31
>>957 一言さんは「他我」問題の方を強調するみたいですが(
>>620)、
クオリア論は346さんが言うように、「この心」に重点を置くもの
だと思います(
>>900)。他者のクオリアを探す、なんてことは
最初から目的にならない(この点、茂木さんの論文ではやや
勘違いがあるのかもしれません)。
もし、クオリア論が有り得るとしたら、それは一者において完結
している体系です。従来から、自分の見ている世界を自分だけ
で考察するというのは行われていましたが、ここに「脳」という
観点を「非科学的」に取り入れるわけです。
古典的な他我問題は、内容も非科学性も同一だけれども、
クオリア論においては副次的な問題になり、かつ、解決不能
と言う解答が与えられるのではないでしょうか。
961 :
346:2005/12/29(木) 15:37:19
話の腰を折ってスミマセン。
>>904>>907 クオリアが言語以前に存在するかどうか定まった見解はないと思う。
例えば脳科学者の池谷裕二さんはクオリアは言語の産物だと書いてたらしい。
書いてたのはエッセーらしいし、この見解も脳科学的な見地から出てきたかどうかも知りませんが。
>>960 その一者自己完結の体系は哲学なのでしょうか?
それとも他の学なのでしょうか?
>>961 すると、クオリアは人間特有のものでしょうか?
>>959 > 何か変な理屈だな。
人間の欲望とは、他者が「私の自惚れ鏡であって欲しい」である。人間は動物とは違い、
世界との遺伝的レベルでの安定した関係が破綻しているために、動物的な欲求とは
違う、"欲望"が発生する。
お互いが自らの自惚れ鏡を相手に見ようとする、ここが人間社会の出発点だ。ヘーゲルは
主人と奴隷の弁証法と呼び、その最終調停を国家の成立と他国との戦闘状態に見た。
クオリア論、及びユング主義はそもそもこういう自らの欲望自体から目をそらし、他者及び
世界との安定した関係の基盤があると思い込むことによって救いを得ようとしているのだ。
>>961 > クオリアが言語以前に存在するかどうか定まった見解はないと思う。
> 例えば脳科学者の池谷裕二さんはクオリアは言語の産物だと書いてたらしい。
> 書いてたのはエッセーらしいし、この見解も脳科学的な見地から出てきたかどうかも知りませんが。
いずれにしろ固定した概念構造を前提にしている点で間違ってます。
>>962 > すると、クオリアは人間特有のものでしょうか?
どちらかというと、動物的世界観を人間に適応していると言えます。ゲシュタルト心理学と
等価じゃないでしょうか。
>>963 それなら、「自己の自惚れ鏡としての他者」が万人共通の価値なんだろ。
何の問題もないじゃないの。ユングだのヘーゲルだの他国との戦闘状態だの、
クオリアと何の関係があるんだ。
あなたの話はそれなりに面白いが、クオリア論とは何の関係もないと思うが。
というか、クオリア論を故意に曲解というか過大評価してるよ。
>>965 > それなら、「自己の自惚れ鏡としての他者」が万人共通の価値なんだろ。
> 何の問題もないじゃないの。
困った人ですね。これが人間の最大の問題なのですよ(笑)。クオリア論も
この欲望をどのように扱うかという表現の一つなのです。
967 :
346:2005/12/29(木) 16:03:29
>>962 言語が人間特有の現象で他の生物/非生物にみられないとしたらそうなるんでしょう。
クオリアと言語の関係なんてややこしさ2倍だから個人的には近寄りたくない話だ。
>>964 何を言われてるのかさっぱりわからない。
>>966 それが人間の最大の問題だって一向に構わないがw、
それとクオリア論と何の関係があるのか、というのよ。
「他者が私の自惚れ鏡であって欲しい」という欲望をどう扱うと、
クオリア論になるわけ?
>>967 > 何を言われてるのかさっぱりわからない。
人間に現前する事物は全て既に言語的に分節化されている、されると同時にその事物=クオリアが
主観に立ちあらわれるという話かと思います。しかし、そういう分節構造は人間の場合全く静的では
ない。人間はその構造自体を言語によって分節化しますから。静的なのは動物なんですね。
>>968 > 「他者が私の自惚れ鏡であって欲しい」という欲望をどう扱うと、
> クオリア論になるわけ?
ある固定的な世界観=クオリアによってお互いのコミュニケーションを統一しようと
いうのがクオリア運動です。例えば、ナチは「ユダヤ人」というクオリアに基づいて
平気な顔して大量虐殺しました。
なんとかやっとクオリアの意味は(おれの努力もあってw)
いちおう飲み込めたみたいだけど、「茂木が誇大妄想狂だ」という
むじんくん自身の誇大妄想は、どうやっても取り払えないみたいねw
言論界でちやほやされている人を(その人が何を言ってるか・言ってないかに
かかわらず)叩く事に無上の快楽を得るタイプの人間みたいだね、彼はw
>>970 > ナチのユダヤ人虐殺と、どこをどうしたら結びつくのよ。
クオリア運動とは、ある時点での静的な言語構造に基づいた概念体系の奴隷となることを
求める行為である。ユダヤ人という存在に対して、ヨーロッパ人がホンネで隠し持つ独特の
感覚、これを無邪気に表に出して皆で大合唱しようという醜悪きわまる行為なのだ。
975 :
考える名無しさん:2005/12/29(木) 18:23:43
クオリアの意味 と クオリア論 は別物ってことなの?
くおりあてなんかおいしそう
おいしいよ。
サクサクした生地の中は空洞になっていて、
濃密なカスタードクリームがたっぷり入ってる。
生地の上には香ばしいビターチョコがかかってる。
サクっとした生地の触感、カスタードクリームの甘さ、チョコのほろ苦さ、
これらが絶妙のハーモニーを奏でるよ。
クオリアは髪の長い美少女(北欧系)だよ。
>今日の物理学者にとって最もわからないのは、素粒子なるものの正体である。
>ともかく、それが原子よりも、はるかに微小なものであることは確かだが、
>細かく見れば、やはり、それ自身としての構造がありそうに思われる。
>しかし実験によって、そういう細かいところを直接、見分けるのは不可能に近い。
>ひとつの素粒子をよく見ようとすれば、他の素粒子を、うんとそばまで近付けた時に、
>どういう反応を示すかを調べなければならない。ところが、実験的につかめるのは、
>反応の現場ではなく、ふたつの素粒子が近付く前と後とだけである。
>こういう事象のもとでは、物理学者の考え方は、上述の両極端野どちらかに偏りやすい。
>ある人たちは、ふたつの素粒子が遠くはなれている状態だけを問題にすべきだという考え方、
>あるいは個々の素粒子の細かい構造など考えてみたって仕様がないという態度を取る。
>私などは、これとは反対に、素粒子の構造は何等かの仕方で合理的に把握できるだろうと信じて、
>ああでもない、こうでもないと思い悩んでいる。荘子が魚の楽しみを知ったようには簡単にいかないが、
>いつかは素粒子の心を知ったといえる日がくるだろうと思っている。
>しかし、そのためには、今までの常識を破った奇妙な考え方をしなければならないかも知れない。
>そういう可能性を、あらかじめ排除するわけには、いかないのである。
>>981 その可能性は排除できませんが、むしろ問題になってるのは
合理性と実証性だと思います。これは、日常の行動を振り返れば
容易に理解できると思いますし、学術に携わる人は常にこの
問題に意識するしないにかかわらず直面するでしょう。
例えば、日常では、私は他者と対話します。その際に、相手も
また思考していると考えます。しかし、私が実際に観察できるのは、
相手の思考ではなく態度や発言でしかありません。態度や発言を
羅列しても、そこに「思考」は出てこないわけです。にもかかわらず、
「相手もまた思考している」という推論は合理的であるとされます。
また、殺人事件の法廷で挙げられるのは、証拠品と証言であって、
「被告人が殺人事件を犯した」という事実ではありません。にもかかわらず、
「被告人は殺人を犯したと合理的に考えられる」状況があります。
日常では、湯川さんが言うように、実証と非実証の中間で生活している
のではないでしょうか。
983 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/31(土) 00:28:10
気が付かなくて、申し訳ありません。
まだこちらが終わっておりませんでした・・。
>今日の物理学者にとって最もわからないのは、素粒子なるものの正体である。
>ともかく、それが原子よりも、はるかに微小なものであることは確かだが、
>細かく見れば、やはり、それ自身としての構造がありそうに思われる。
というは、現在の「素粒子」である「クォーク(予想された全種類が発見済み)等」
ではなくて、クォーク3個で構成される「陽子・中性子」と電子等の話ですね?
それは、いつの時代のことだったのですか?湯川氏が「中間子の発見」により
ノーベル物理学賞を受けたのは、確か「戦後」のことでしたね?
984 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/31(土) 00:42:27
>>982 >また、殺人事件の法廷で挙げられるのは、証拠品と証言であって、
>「被告人が殺人事件を犯した」という事実ではありません。にもかかわらず、
>「被告人は殺人を犯したと合理的に考えられる」状況があります。
証拠品と証言を基に下される(個々の)判決の「合理性」と、科学的「合理性」は
異なります。
司法・立法・行政・・・という政治(あるいは国家)制度の「合理性」を云々する
のは「政治学」という人文科学の分野であり、その中での「合理性」云々はあり得ますが、
(個々の)裁判の判決は・・・(合理的に下されるべきであるという「当為」に基づいて)
制度上は「最終的には裁判官が証拠・証言をどう判断するか」で決まりますので、例えば
「政治学のブランチ」である「法律学」の観点でその判決を批判することは可能です。
しかし、判決は「合理的に下される」という「あるべき論」どおりに、
全ての(現実の)判決が下されている訳ではない・・ということには留意する必要があります。
>>983 湯川秀樹著作集は岩波から1989年に出版されてますが、
このエッセイが何年代かは手元に無いので分かりません。
後で調べてみます。
986 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/31(土) 00:51:46
>>985 クォーク2個対の中間子を発見した人が、「原子の周期律表」で当然に
予想されていた「陽子が1個増えると原子番号も1個増える」という
「原子核の構造(陽子・中性子対)」をご存知なかった時代があったと
いうことが「ちょっと不思議」であるということです。
別に、(湯川氏の「言の存在」を)疑っている訳ではありませんので・・・。
>>984 ええ、もちろんそれはあると思います。
私の印象では、科学の合理性は「なるべく実証的にやること」を
目指していると思います。つまり、知識を共有する=他人でも
追試可能ということですね。ポパーが反証可能性を強調するのも、
他人による検証の必要性を念頭においているからだと思います。
もっとも、これをどこまで徹底させるかは個々の科学者によって
まちまちではないでしょうか。
>>986 物理学者でない私が言うのもなんですが、湯川さんの
言いたいことは「原子の構造を視認できない」ということ
だと思います。それ以上の意図は無いんじゃないでしょうか。
989 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/31(土) 01:00:47
>>987 裁判官が足りない結果「流れ作業裁判」が行われており、「変な判決」
が次々と混入しているのに、制度上「裁判官の心証主義」によりまかり
通る・・・日本の裁判の現実は困ったモノです。
しかし、国家予算の99%が(立法でも司法でもなく)「行政」に使
われてしまう・・・という「いびつ三権分立」状態を是正することは、
かなり難しいことのようです。
ITの時代に即した「新しい発想の(より合理的な)国家制度」を大胆に
提案できる世代は「小泉チルドレン」ではなさそうですね。
990 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/12/31(土) 01:04:18
>>988 最近は「電子顕微鏡」で「原子を並べた文字」などが「見える」ようになったようですが、
中性子や陽子の「姿」を「(電子をぶつけて反射電子を観測する)電子顕微鏡」で捉える
ことは、まだ、非常に難しい段階なのかと思います。
>>980 > >ある人たちは、ふたつの素粒子が遠くはなれている状態だけを問題にすべきだという考え方、
> >あるいは個々の素粒子の細かい構造など考えてみたって仕様がないという態度を取る。
> >私などは、これとは反対に、素粒子の構造は何等かの仕方で合理的に把握できるだろうと信じて、
> >ああでもない、こうでもないと思い悩んでいる。荘子が魚の楽しみを知ったようには簡単にいかないが、
> >いつかは素粒子の心を知ったといえる日がくるだろうと思っている。
これは世界の極小単位は何か?という問いに付きまとうことですね。原子なら原子が発見されると、
それ自体を構成している要素が人間の思考では考えられ、実際に発見されてしまう。
逆に世界の果てを考えるのも同様ですね。宇宙の膨張率などから"世界の果て"が計算されたとして、
人間の思考はその外を想定していしまう。
アキレウスと亀のパラドクスというのはこういう矛盾点を指摘しているわけですね。亀にアキレウスが
追いつくには無限に分割可能な空間を通らなければならないと。