◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない51◆

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901哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/12(木) 00:01:16
次はぴか〜君だ
>>895については
>>876
それからキミの
>>859
>クオリア(意味)=遺伝子による進化上の経験
>+言語による文明的経験+生まれてからの記憶された経験

こんなものを足していかなくても、クオリアはある という事

それからチョットだけ、さかのぼるけど
>>880
>クオリアは意味であるというのは、デジタル化されている
>ということなんだよ
デジタル化されたものならさ
キミが>>850で言っていた
>クオリアが明らかな意味論であるのは、たとえば「赤」のクオリアはいつも同じではない。
というのと矛盾するんじゃないかい?
デジタル化されてりゃ
同じものは、常に同じなはずだ
しかも「意味」というものは抽象的な価値観であって
デジタル化できるような性質のものではない

キミ達の言っている事は
全然、論理的につながっていないんだよ
902考える名無しさん:2006/01/12(木) 00:06:56
あんたも暇だね
おかしなのは、ほっときゃいいのに
903ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/12(木) 00:09:38
>次はぴか〜君だ

え〜ボクっすか・・・はぁ〜、じゃあ、簡単に。

>デジタル化されたものならさ
>というのと矛盾するんじゃないかい?

しない。解釈項が変化するから。(参照>>857
終わり。
904考える名無しさん:2006/01/12(木) 00:14:49
ぴかはなんでそんなに孤独なの?
905考える名無しさん:2006/01/12(木) 00:18:33
>>904
あんたも暇だね
おかしなのは、ほっときゃいいのに
906ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/12(木) 00:19:15
>>904
現存在だから・・・
907哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/12(木) 00:21:25
>>902
うむ
かなり暇なんだよねw  (゜。゜)ボー

>>903
>しない。解釈項が変化するから。
何が変化しようとも
クオリアというのは、最終結果としての「感じ」なんだよ
結果だけを取り出せば、1は1なんだよ
だから1のクオリアは1であって、同じだという事になる
1が、いったい
1以外の何であると言うのか
908ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/12(木) 00:28:39
クオリア議論も潮時かな。いきなりレベル落ちた・・・
909「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/12(木) 00:30:52
>>243
>しかし何で機械君は 機械的唯物論者、決定論者であるにもかかわらず
>クオリアという言葉が好きなんだろうねそれが不思議で仕方ない
>まぁ一言で言って、理解できていないからなんだけど
>誤解しちゃう人が後を断たないから、変な解説は迷惑なんだよね

「クオリア」は茂木氏やSONYの「登録商標」ではありません。
脳内現象における「客観と主観」をよく説明できる「科学的概念」であると
考えたので、数年前に引用したまでです。 
 要するに「主観と客観をいじくり回して一生を終える」観念論者や宗教家
さん達の「目を覚まさせる為」に持ち出した概念であり、「脳内現象の説明
手段」・・というのが「キーワード」なのです。
 (ベストセラーになろうが)茂木氏が紹介した「クオリア」をこの板に紹介
した手前、敢えて茂木解釈の「危うさ」を指摘しておりませんが、少なくとも
SONY井出氏の解釈が「噴飯モノ」であることに間違いはありません。
 茂木氏が「SONYには逆らうことが出来ない立場」にあることも考慮して
あげるべきです。
910考える名無しさん:2006/01/12(木) 00:32:24
>>907
> 結果だけを取り出せば、1は1なんだよ
> だから1のクオリアは1であって、同じだという事になる

この比喩はいくない
1 が全て同一である保証はない

> 本人が主観的に感じる実感的な質感

と自分でいってるんだし
もったいない
911むじんくん:2006/01/12(木) 00:32:58
>>900
> 「痛いというクオリア」と「痛みのクオリア」

実際に殴られたりした場合の"生の体験"(これは形容矛盾ですが)は表現のしようがない。赤ん坊が
つねられたのも同じ。しかし"痛み"となればそれはある分節化された"体験"となる。更に他者のとの
共有も可能だろう。

> 本人が主観的に感じる実感的な質感

「本人が主観的に感じる」時点で構造化された世界にいるのだ。
912考える名無しさん:2006/01/12(木) 00:40:23
クオリアについては性行為いや最高位の理解が一番まともだな

ぴかやむじんは「意識は言語による構築物」というドグマにとらわれてるから
それ以外の考え方に神経質的な拒否反応を示してる(つまりは頭が固い=バカの壁w)
913考える名無しさん:2006/01/12(木) 00:44:20
ついでに言えば機械は、単におつむが足りないので
クオリアの意味を理解してないw
914「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/12(木) 00:44:56
>>911
「痛み」は触覚の表現であり、視覚や聴覚に比べると「表現語彙が
非常に少ない」事に気づきます。 
 同じ「痛み」でも様々なバリエーションがあるのに「痛覚は再現
できない」からです。
 ちなみに「視覚・聴覚を(他者の脳に)再現しようとする試み」が、
「映画」であり「絵画」であり「音楽」であり「演劇」であり「文学」
なのです。
 「触覚」に関する「再現性を持った媒体」を人類は未だに獲得して
いない・・・のです。味覚や嗅覚を主体とする「料理という媒体」に
おいて、僅かながら「食感とか歯ごたえ」として、「触覚のクオリア」
を「再現・伝達しようとする試み」が見られる程度です。
 同じように「ワインのソムリエ」が一生懸命「再現・伝達」しようと
するワインの「味覚と嗅覚のクオリア」も、視覚・聴覚の「それ」に
比べると「遙かに貧弱である」ことは(明確に)指摘できます。
915唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/12(木) 00:45:06
>>912さん
しかし言語は重要なファクターだと思いますよ。
916考える名無しさん:2006/01/12(木) 00:47:19
>>915
何にとって「重要」?

クオリアそのものは言語とは独立した存在だよ。
それを説明するときに言語を用いざるを得ないというだけ。
917哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/12(木) 00:48:06
>>908
あ、逃げたw
少しは人の言葉に耳を傾けた方がいいと思うよ?

>>909
>脳内現象における「客観と主観」をよく説明できる「科学的概念」であると
>考えたので、

その時点で間違えている
クオリアは、科学的には解明できるとっかかりすらない事柄であって
それは大きな間違いだよ
んで、これだけ子供にもわかるように説明しても
いまだにそれが理解できないというのも不思議なんだけどね
そもそもキミは、特に主観という事柄に対して
突っ込んで考えた事はないんだろうね
頭が固くて、どうしようもない おじいさんと話しているみたいだもんな
918唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/12(木) 00:52:20
>>916さん
私はクオリアは脳と意識を繋ぐ架け橋だと思っています。
つまり「意識=クオリア」という考えではありません。
その架け橋を担うは言葉だと思います。
919「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/12(木) 00:53:23
>>917
>そもそもキミは、特に主観という事柄に対して
>突っ込んで考えた事はないんだろうね

そう、観念論者のように「穴に頭を突っ込んで『暗くて見えない』と
叫ぶような『愚』」とは「無縁である」ということです。
・・本日は就寝させて戴きます。
920ディオニュソス:2006/01/12(木) 00:54:22
機械氏は少し頭を冷やしたほうがいいな。
案外何も考えずにボーッとしている時にふと気づくかもしれんから。
「・・・はっ!!なーんだこんなことだったのか拍子抜けww」
みたいな。
921考える名無しさん:2006/01/12(木) 00:55:00
ここには何種類のクオリア理解があるんだろうか。だれか整理汁!
922考える名無しさん:2006/01/12(木) 00:57:41
>>918
意識っていってもいろんなレベルの意識があるからね。
お医者さんが言う「意識がある・ない」のレベルの意識は、
言語がなくても存在しうるでしょう。
もっと高度なレベルの意識になれば、言語による構造化は不可欠でしょうが。
923考える名無しさん:2006/01/12(木) 01:01:27
つうか仕事してないだろ、ここで必死のヤツ
924考える名無しさん:2006/01/12(木) 01:02:03
自演くさいヤツも居るしな
925考える名無しさん:2006/01/12(木) 01:02:55
>>921
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I

のクオリアへの理解と思ふ
926ディオニュソス:2006/01/12(木) 01:11:16
>>919
>>「穴に頭を突っ込んで『暗くて見えない』と 叫ぶような『愚』」とは
「無縁である」

そうそれ。むしろ機械氏の今の状況そのもの。というか見えてることに
気づいてない・・。
927哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/12(木) 01:12:32
>>910
あれは単に
彼が、クオリアはデジタルだ
と言った事に対して
デジタルなのなら、こうだよ?
と説明して突っ込んだにすぎません

>>911
>実際に殴られたりした場合の"生の体験"(これは形容矛盾ですが)は表現のしようがない。赤ん坊が
>つねられたのも同じ。しかし"痛み"となればそれはある分節化された"体験"となる。更に他者のとの
>共有も可能だろう。

表現のしようが あろうがなかろうが関係ありませんよ
実際、人間は「痛い」という感じを感じるのですからね
また、「痛み」という表現を使おうが使うまいが
他人とクオリアを共有する事など、絶対に不可能です
他人にクオリアがある という事を証明する事すら不可能なのですからね
更に言えば、目の前に他人が存在している事すら絶対に真だとは言えないわけです
ただ言える事は
我思う 故に我あり
これだけであって
私のクオリアについてしか観測できません

やっぱトンデモじゃなく
基本ぐらいは押さえて話しましょうよ
928ディオニュソス:2006/01/12(木) 01:19:27
>>最高位氏
おいらの立てたスレは絶対にトンデモだと思ってるだろ?ん?
あれは・・・まあトンデモだ気にすんな。ププッ。
929考える名無しさん:2006/01/12(木) 01:22:27
>>926
確かに気づいていないねぇw
930哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/12(木) 01:22:49
>>928
おいらの立てたスレって何?
失礼ですが、全く記憶にないです
931考える名無しさん:2006/01/12(木) 01:28:45
2ちゃんねるって暇人でニートが議論の最後に「なんくせ」付けれるな。
だって暇だから、いつだって最後にレスできる。
932考える名無しさん:2006/01/12(木) 01:28:48
>>930
神の存在を証明するために死ねるか?・・とかのスレタイで
俺は何時でも神におために死ねるとか・・・・だったとかでなかったか?
933ディオニュソス:2006/01/12(木) 01:32:01
>>932
なんじゃそりゃ?違うわ全然。
聞いたこともないぞそんなのは。
934考える名無しさん:2006/01/12(木) 01:33:08

>>931まさに、それこそ真理
935哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/12(木) 01:50:57
>>933
それって
もしかして、あれ?w
936考える名無しさん:2006/01/12(木) 02:02:30
>>928-935
どんどんクソスレからゴミスレへと滑落していってるな
937ディオニュソス:2006/01/12(木) 02:11:32
>>935
そうだ、アレだアレ。
まあ気にすんな。
938考える名無しさん:2006/01/12(木) 02:15:54
>>937
このスレはオマイの落書き帳なのか?
イイカゲンにシル!!
939考える名無しさん:2006/01/12(木) 02:19:29
クリオネの話が聞きたいな
940考える名無しさん:2006/01/12(木) 02:23:32
>>939
トリビア見た?
941考える名無しさん:2006/01/12(木) 02:25:24
>>938
自分が立てたスレを宣伝したい自己顕示欲の強い奴なんだろ
そんな奴にイチイチカリカリすんな
942考える名無しさん:2006/01/12(木) 07:47:57
クリトリスの話はどこ行った?
943哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/12(木) 07:53:52
>>936
いや
それを言うなら
>>928->>936だな
944哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/12(木) 07:55:05
むむ・・・
むずいな
>>928->>936
945哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/12(木) 07:55:48

>>928-936
946哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/12(木) 07:56:42
おk!w
947考える名無しさん:2006/01/12(木) 08:17:31
948考える名無しさん:2006/01/12(木) 10:22:24
久々にきた.
なんの話しだ?.
949考える名無しさん:2006/01/12(木) 10:26:33
そうだそうだ!決定論とクリオネがどうして関係あるんだよ!
950むじんくん
>>927
> 他人にクオリアがある という事を証明する事すら不可能なのですからね
> 更に言えば、目の前に他人が存在している事すら絶対に真だとは言えないわけです
> ただ言える事は
> 我思う 故に我あり

ちょっと整理も兼ねて書いて見ましょうか。ご存知のことが殆どかと思いますが。

デカルトはお書きになっている名文句の後に、神を持ってきて、自己の認識の確実性が保障されていると
宣言しましたね。これはすこぶる評判が悪いわけですが、実はこの点がデカルトの一番重要な
指摘であるというのが私の解釈です。

「我思う」の"我"は身体的実感を伴う私という主観ではありません。これは特定の人称代名詞に
還元できない。「クレタ人は嘘つきだとクレタ人は言った」は嘘つきと"言っている主体"と
"言われている対象"、2つのクレタ人があるという話ですね。そして、言表行為の主体(嘘つきと
語る主体)は人称代名詞に還元できない何者かです。そして、言われている対象、言表内容の
主体は人称代名詞に還元できる"私"です。

つまり、主観とか客観というのは、言表主体によって語られた構造から派生した効果に過ぎない。
人間は生まれたとき主観も客観もありません。しかし、取り囲まれている言表主体に従属する
ことにより、"私"を発生させる。

デカルトのコギトというのは言表主体のことです。まず彼はその部分を切り出したわけです。自己を
2重化させたといってもよい。その後で、神を持ってきて言表主体の語りを確実だと宣言する。何が
重要かというと、神というのは当然どこにも存在しません。この世に"無い"ものです。そこに言表主体
の信頼性を設定するというのは、言表行為の主体と言表内容と主体との混同を禁止するためなのです。

混同するとどうなるか。言表主体はこの世の何者かによって既定されているということになる。一言で
言えば、慣習に従うということです。デカルトはこれを禁止した。これは近代版の偶像崇拝の禁止なのです。