1 :
ponpoco:
神は完全だ。
完全だ、ということは神の概念を表す述語について
肯定的な述語がすべて含まれている、ということだ。
肯定的な述語のうちもっとも肯定的なの述語が存在するということである。
したがって神の概念には存在するということが含まれている。
したがって神は存在する。
カントによる反論。
概念には実在性は含まれていない。
概念に対して実在性は別のものである。
したがって、神の概念に存在が含まれていても
じっさいに神が存在することにはならない。
ヘーゲルによるカントへの再反論があったが、忘れた。
ヘーゲルは概念に個々の実在が含まれるとしたが
これに納得する人は少なかった。
5 :
考える名無しさん:2005/12/06(火) 19:57:15
実在の総体が神である。
55 名前: ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw 投稿日: 2005/12/04(日) 12:13:33
ちぃ〜す!充電中のぴかぁ〜ですよ〜!
ゾルレンって良く知らないけど、ボクの倫理観に意見を申しているようなので、コメントを
かきま〜す!
>ゾルレン
>>34-35 >人間の行動もまた、倫理的側面からの説明という理論的な内圧による説明と
>行動する者の背景という外圧による説明があるだろう
>このことは実はピカの態度にもあてはまるのではないかと思っている
>ピカの「健全な無垢な欲望」というわけわからん表現も
>それが外圧による説明であると考えるならば、
>理論的なものでもってピカを批判するのが本当に適当なのか疑念が生じてくる
>>46-47 フルーチェ
>当為とは「状況」の下に統合されるカテゴリーなのではないでしょうか。
>では、一時的に、個々の人が、個々の状況における、個々の目的のために、
>個々に必要とする行為をすれば、何をやってもいいのかという疑問が湧きます。
意味は、場(「状況」)によって生まれる、ということですね。
「行動する者の背景という外圧」を考えるメタ視線がないと、有用な議論は難しいということです。
「健全な無垢への欲望に健全な精神が宿る」というボクの倫理テーゼはまさにこれを元に
しています。
mixiから逃げ帰ってきたようだね?
>56 名前: ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw 投稿日: 2005/12/04(日) 12:14:06
>
>ボクは議論を避けているわけでなく、チンコの議論方法に興味がない、といっているわけですね。
>刺激のための会話、(議論のファイトクラブ)、愛のない会話(コンテクストを成長させない会話)に、
>場を育てない。そんな議論につきあう暇はない。
>さびしいのはキミだけじゃない。みんなさびしさを解消しようと頑張っているんだ。
>そのために場をコツコツ育てているんだ。それを搾取しようと思うんじゃない。ほしけりゃ、自分で
>水をやり、餌をやり、育てなさい、ということですね。
58 名前: ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw 投稿日: 2005/12/04(日) 12:20:37
哲学板では、「ゲームはなぜ楽しいのか」でチンコと議論したわけです。
ボクはこのようなまたーり進む議論を肯定するのですね。なぜなら、場が熟成されるからです。
そしてこれは、「ゲームはなぜ楽しいのか」でのチンコの議論内容とも繋がるのです。
ぼくはケータイと手紙を比較して、ケータイなどの情報機器は、応答性(フィードバック)の速度が
増している、これがアイロニーの低減を招いているのではないか、と言いました。
どのような場合にも、コミュニケーションされるということは、その意味が宙づりにされるという、
「不安」を生みます。それに対して、手紙は相手の真意を様々に考える「間」を与えます。
それによって、内面にアイロニーの深度が生まれるのです。
それに対して、ケータイは、意味の宙づりの「不安」を返信によって、簡単に解消させてしまう。
場を育てるという地味な作業は放棄される傾向になるのではないか、ということです。
(ちなみに、場に帰属するとは、フーコーの規律訓練型の「間」、パノプティコンは看守が見えないことも
重要ですが、囚人が大量の「間」を持つことが重要なのですね。)
困ったものだがね?
58 名前: ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw 投稿日: 2005/12/04(日) 12:20:37
そのような情報化社会の傾向に対して、「正義」を守るためには、場をまたーりを発酵させる努力が
必要なのです。そして発酵させることを「健全な無垢への欲望」と呼ぶのです。
だから一日数レスでもより、刹那的な刺激でなく、「愛」のあるコミュニケーションをしましょうと、
いうことですね
59 名前: ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw 投稿日: 2005/12/04(日) 12:25:45
チンコの極度の人見知りで、不器用なので、このようなファイトクラブでしか、
コミュニケーションできないことはわかります。
だからボクは、ズラし、延滞し、チンコをやさしく場へ誘導してあげたのですね。
このような場が一過性でなく、「健全な無垢への欲望」の場となることを祈りつつ、
チンコVSゾマホン戦開催にあたっての、祝辞とさせていただきます。
ご静聴ありがとうございました。
無垢である私、ぴかぁ〜
60 名前: チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 投稿日: 2005/12/04(日) 21:13:35
>哲学板では、「ゲームはなぜ楽しいのか」でチンコと議論したわけです。
そんな議論はしてねえよ。
61 名前: ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw 投稿日: 2005/12/04(日) 23:15:41
>そんな議論はしてねえよ。
照れるな照れるな。
68 名前: ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw 投稿日: 2005/12/05(月) 11:18:24
やっとゾマホン登場かよ。おせぇよ。御託はいいからとっととやれよ。
チンコ様はおまえみたいな雑魚にいつまでもかまってられないんだよ。
69 名前: ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw 投稿日: 2005/12/05(月) 21:30:33
ゾマホン、なにすねてんだよ。
おまえがなんかチンコが荒らししているみたいないこと
書くからむかついただけだろう。
でも、哲学話の合間にあまり「好きとか嫌い」とか
簡単に口にしない方がいいぞ。自意識過剰の馬鹿に見えるから。
ぐっとこらえて、アイロニーだよね!
愚かな
94 名前: 名無しさん 投稿日: 2005/12/06(火) 11:05:10
やはりチンコやピカは一枚上手。
「誰々がこう書いています」とは書かずに、自分の表現で自分の意見として書いている。
95 名前: ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw 投稿日: 2005/12/06(火) 11:20:47
>レス乙。今度、時間がある時に読んでおく。
せっかく書いたのに時間があるときかよ!
まあ、これ以上、チンコに強いるのは酷というものだろう。
とりあえずは、この当たりで解放してあげよう。
>君の考えだと、我々の間に意見の隔たりはあまりないということだな。
>表現の仕方の違いか。あるいは、知らないうちに歩み寄りをしたのかも知れん。
ボクはもともとチンコと同じ意見、哲学教科書的解答なのだね。それをどこまで崩せるかを
思考しているのだよ。だからこの問題ではチンコはボクであり、ボクはボクに対して
「あえて」反対意見をいっているのだね。
これははじめに言ったと思うので、チンコを騙したわけではないよ。
96 名前: ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw 投稿日: 2005/12/06(火) 11:22:00
だからここに繋がるのだね。キミたちのように、ベタな人たちにはわからないだろうが、
残念ながら、ボクはまったくもって真面目な人間なんだね。
ボクはここ数年、一つの問題を、思考し続けているわけだ。
愚かな
というわけでね?
今夜はこのスレを論じましょうかね?
100 名前: ゾルレン ◆prDdJ8Ym5w 投稿日: 2005/12/06(火) 19:49:36
>ピカ
>なにかボクをいろいろ意識しているようだが、どこかでコンタクトあったのかな。
>ごめん、まったく記憶がない。まあ、がんばりたまえ。
俺がピカの例を出すのは、俺はピカが哲学をやってないと思ってるからだよ
で、これを懐疑にかけてるわけ。
>ボクはもともとチンコと同じ意見、哲学教科書的解答なのだね。
とか書いてるけど、俺はピカは哲学問題に接してないと踏んでる
ピカは哲学してる振りをしてるだけだし何かしらを述べている振りをしているだけで
実質的には何も述べていないと俺は考えている
これはピカの言葉が内圧による説明を無視しているから、
理論的説明を放棄しているからだ
26 :
考える名無しさん:2005/12/30(金) 09:54:03
デカルトによる説明は「神が存在するなら」完璧であり存在という概念も当然ある
が、もともと存在するという前提のもとでの話であり、存在の証明にはならん
27 :
考える名無しさん:2005/12/30(金) 09:55:46
「神」とはなにか?
デカルトの世の中は、世界を否定する必要がなかった。
肯定しようが否定しようが、世界がそこにあるから、無問題で満たされていた。
ところが、とある動機でが疑ってみると、すべてが等しく、無問題に疑うことが出来たので、驚いた。
今まで、自明であった、神までも疑うことが出来た。
でも、ちょっと気を取り直して考えてみると、
疑うことができる自分は、疑いきれない事実であることがわかった。
そして、同じく、その自分が疑っている周囲の世界も疑っている自分が確かであれば、
同じく存在していることがわかった。
またまた、同じく、それらの事物を観察すると、それぞれが不完全であることがわかり、
不完全であると感じることは、完全なものがあると認識できるからであるとわかった。
その、完全は神であると認識できた。
この過程からわかるとおりに、
デカルトは、自我を明らかにしたわけではないと思うけどね。
単純に、世界との関係性で自我があることを明らかにしただけとだと思う。
だから、デカルトにとっての神は絶対の位置にあるから、
いうなれば、宗教信者のそれに比較して、はるかに気楽なものだった。
それよりも、デカルトはその関係性に興味があった。
デカルトが数学者なのは必然的なもの。
どちらか言えば、神にアッカンベーをしているデカルトの方が近いんじゃないか?
29 :
考える名無しさん:2006/01/04(水) 13:34:01
結論
神・霊魂・死後の世界=空想の産物
糸冬
30 :
考える名無しさん:2006/01/31(火) 02:44:56
おれがいるっつってんだから、神はいるの!
QUOD ERAT DEMONSTRANDUM.
>>1 神の存在証明を始めると、偉大な哲学者であっても、あからさまに厨っぽくなるギャップが凄い。
32 :
考える名無しさん:2006/01/31(火) 03:28:33
気違い全員集合
33 :
考える名無しさん:2006/01/31(火) 03:30:28
このスレはキチガイの存在証明です
34 :
考える名無しさん:2006/02/06(月) 14:51:17
スピノザやヘーゲルの神の証明も詳しく比較してほしいが
35 :
考える名無しさん:2006/02/06(月) 15:03:34
哲学をやって神を見出したひとはいないよ。
神を見出した人が哲学をしているだろうよ。
36 :
考える名無しさん:2006/02/06(月) 15:04:40
ゲーデルは神を証明したとか言ってたらしいが
神は一種の波動である、と量子力学は語る