1 :
考える名無しさん :
2005/12/03(土) 01:16:50
2 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 01:20:39
信仰心はどうもなぁ…
3 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 02:03:41
植民地侵略の先兵としてのヤソ教団、に言及してないのは何故だろう。 そのあたりドイツは立ち遅れてたから安心して叩けるはずだが。
宗教は必要悪でFA 俺もキリスト教だのイスラム教だの仏教だの神道だのは大嫌いだけどさ
6 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 03:20:08
>>5 宗教=信仰と考える場合、自己に目覚める事を目指す仏教は宗教か??浄土宗系は別として。
私と同じ若者へ言っておきたいことがあります。
それは探偵にはならない方が良いということです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そして官僚の方に以下の事実を認識して頂きたい。
そして国民の一人ひとりが真に安心に暮らせる社会を創って頂きたい。
もちろん探偵さんじゃなければ出来ない素晴らしい仕事はあります。
でも最近は愚かな経営者の利益優先の経営方針により自分の全く知らない
老若男女を不幸にする(自殺するよう働きかける、不治の精神疾患を
煩わせるなど)仕事を多数行っています。ちなみに経営者がヤクザだと
言うことは探偵業界ではよくある話です。
http://money4.2ch.net/test/read.cgi/recruit/1132661755/
合理主義教
9 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 03:27:17
神秘体験が鍵
10 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 10:19:54
非信者にとっては、唯の妄想。
11 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 10:24:50
復活だの最後の審判だの、トンでもだよな。
12 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 11:53:24
日本にはキリスト教信者が少ない分、積極的なアンチも少ないんだろうな。 キリスト教が危険な宗教であることには違いがないと思うが。
13 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 01:28:27
かといって仏教がそんなに大したものでもないと思うが
14 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 16:31:32
みなさんクリスマスはお祝いしますか? うちは娘がいるので……やらざるをえないかな……
彼女がいないからアンチクリスマス・・・なんてこたぁないですよ。 でもそう見られるだろうな ペ( ´ω`)、
16 :
考える名無しさん :2005/12/05(月) 15:42:19
今年の冬もでるかな サンタ強盗
17 :
考える名無しさん :2005/12/06(火) 08:54:10
フランスには60万人も仏教徒がいるらしい。
18 :
考える名無しさん :2005/12/06(火) 09:07:46
キリスト教徒+イスラム教徒に比べれば、ものの数でもあるまい。
19 :
考える名無しさん :2005/12/06(火) 18:57:50
20 :
考える名無しさん :2005/12/06(火) 19:06:02
宮中にもカトリックがいる。
キリスト教は邪教です。 当然クリスマスは日本には不必要。 ミーハー馬鹿共 お前等の葬式は、坊さんがお経唱えるんだろうが 仏教だ 浮かれてんじゃねーぞ。
23 :
考える名無しさん :2005/12/07(水) 22:14:41
日本人ってどうしてこんなにニーチェが好きなんだろうね?
ドイツ贔屓が多いからだろ。
25 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 20:40:17
多神教の国だから理解できるのでは。 西欧ではニーチェは異端扱い
26 :
考える名無しさん :2005/12/09(金) 13:57:29
ニーチェを勝手に相対主義者と決め付けたうえで、 その相対主義も個人のパースペクティブを逃れ得るものではないなどと 低レベルなことをいうニーチェ研究家が多いのは日本の不幸だな。
27 :
考える名無しさん :2005/12/10(土) 18:49:08
28 :
考える名無しさん :2005/12/10(土) 19:05:48
29 :
考える名無しさん :2005/12/10(土) 19:06:34
30 :
考える名無しさん :2005/12/10(土) 19:08:23
邪教なのは聖霊が鏡像界をゆがめるからである。
31 :
考える名無しさん :2005/12/10(土) 19:28:59
ニーチェって名前だけ一人歩きしちゃってるとこが あるよね、特にここ日本ではさ。信者多いし。
32 :
考える名無しさん :2005/12/11(日) 01:37:28
ニーチェ読みのニーチェ知らず……か……
33 :
考える名無しさん :2005/12/12(月) 03:31:16
曙光とか、ニーチェの最初のほうの作品も読んだほうがいいのかな。 読んだ人、おせーて!!
34 :
考える名無しさん :2005/12/12(月) 03:48:52
>>25 ヘッセやら、コリンウィルソン、ドスエフスキー
ほかにも影響うけたり、引用した人多いのでは?
欧米人の全員が全員、熱心なキリスト教徒だとか思ってんのか?
>>34 そういう煽るようなのはいい議論じゃないと思うが。
とはいえ俺はニーチェの「神は死んだ(死んでいた)」っていうのは
人がキリスト教に頼らなくなったという意味だと思ってるよ。
36 :
考える名無しさん :2005/12/12(月) 18:06:46
>>34 コリンウィルソンはアウトサイダー。
あと、ロシアは欧米ではない。
37 :
考える名無しさん :2005/12/13(火) 23:36:54
毎日寒くてたまらない キリスト教が邪教でもどうでもいい
38 :
考える名無しさん :2005/12/14(水) 15:53:53
日本人の倫理がいかに優れているかを証明する事柄は ずばり、キリスト教や回教を、極端に受けつけなかったということだな。
39 :
考える名無しさん :2005/12/14(水) 16:30:37
ニーチェが日本でうけてる大半の理由はいたって下らないものである。 そのという理由も、彼の生き方が悲劇的であった というだけの事なのである。 だが考えてもみれば、そんな気が狂うようなほど 真理というものは、狂気を伴うものなのだろうか。 別の視点、例えば古代の伝承的に振り返えれば 彼は、悪い考えをめぐらしたがために、 悪霊にとりつかれたのだと一就されるような男だ。
40 :
考える名無しさん :2005/12/15(木) 16:44:03
>>39 気が狂ったのは単なる病気が原因だろう。
そういう解釈が「いたって下らない」日本人の解釈だろう。
41 :
考える名無しさん :2005/12/15(木) 18:52:09
日本人にツァラトゥストラが何の関わりがあろう。って外国の誰かが書いてたな。 確かにキリスト強権でないこの国で何でウケてるのだろう。 アメリカのアイデンティティであるキリスト教を攻撃するという反米手段として 読まれているという解釈はどうよ?ニーチェ厨は反米厨だろ?
42 :
考える名無しさん :2005/12/15(木) 18:54:27
日本人にニーチェがいらなければ、ヒットラーとの同盟はなかった。
43 :
考える名無しさん :2005/12/15(木) 19:50:42
「週刊文春」の2005年度新書大賞で第4位になっていたね。この本。
44 :
考える名無しさん :2005/12/16(金) 00:25:51
>>39 >ニーチェが日本でうけてる大半の理由
ソッソッソクラテスもプラトンも
ニッニッニーチェもサルトルも
み〜んな悩んで大きくなった〜♪
ってCMソングのおかげだろがw
俺は大学入るまでプラトンの弟子かなんかだと思ってたけどな
45 :
考える名無しさん :2005/12/16(金) 01:16:16
いつの時代の歌????
46 :
考える名無しさん :2005/12/16(金) 11:27:54
いつ頃だっけ、、、もう30年くらい前ジャマイカン 野坂昭如がなんかのCMで唄ってた。
47 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 06:48:55
49 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 11:41:14
デカンショ節ってのもあったな
50 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 11:50:39
まぁ宗教なんて他宗教からみれば異教徒。悪で世界で宗教がひとつになるまでいがみ合うし まぁ世界平和も絶対的な王が世界と統括すれば平和にはなるだろーな。 もっともそれが今より酷い世界でも戦争はなくなるし。 宗教も平和も人の作った理想にすぎず実現しえぬ幻でしかあるまい
宗教を克服するのはいいとして克服した先の「メタ宗教」を どうやって克服するかが現代思想的には問題な気もする。
52 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 23:29:12
宗教は克服の対象になるようなものなのだろうか?
今まで散々戦争起こしてきたのは キリスト教国家だよな
54 :
考える名無しさん :2005/12/18(日) 01:04:20
『邪教』といってる時点で、キリスト教的。
55 :
考える名無しさん :2005/12/18(日) 07:20:44
>>54 それを理解したうえでのアンチ・クリストだろう。
相対主義の陥穽におちても意味ないし。
56 :
考える名無しさん :2005/12/21(水) 03:35:43
解除されたかな?
57 :
考える名無しさん :2005/12/21(水) 07:42:23
>>50 違う。アメリカとロシアという二項対立があって初めて正解は平静を保つことができる。
絶対的な王など、始めから存在しない。
正解 × 世界 ○
59 :
考える名無しさん :2006/01/11(水) 16:38:32
ブログ経由だろう
自由と平等と民主主義は正義の力が必要 しかし犠牲も大きすぎる、しかしよくもまがりなりにも ここまでこれたものだ・・・・・とくに日本は奇跡だわ。
>>60 続き
だからと言ってキリスト教は邪教じゃないと言っている訳ではありません
事実は奇跡だった事のみ、いぜんキリスト教は邪教扱いです。
要するに関係のない組み合わせの架空の感想なのです。
やはり世界には自由と平等と民主主義を熱望し、それを使命とする
確固たる思想が存在している世界なのです。
62 :
考える名無しさん :2006/01/12(木) 17:39:29
要するに,以下がつながらない。よくわかんないよ。
63 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 01:28:10
【カイロ共同】イスラム教最大の聖地であるサウジアラビア西部メッカ郊外で 12日、巡礼行事中に多数の巡礼者が折り重なって倒れ、フランス公共 ラジオによると、サウジアラビアのマニウ保健相は死者数が345人に 上ったと語った。AP通信は病院当局者の話として、負傷者は1000人以上と伝えた。 こういうのもどういうものなのだろう。
64 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 15:41:02
フィリピンで体にくぎをさす祭りがある。 あれなど、本当にキリスト教的である。
65 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 22:06:16
66 :
考える名無しさん :2006/01/16(月) 01:27:08
67 :
考える名無しさん :2006/01/16(月) 08:06:41
68 :
考える名無しさん :2006/01/17(火) 18:47:08
ニーチェを読みすぎて狂ったことがある。 今でいう統合失調症か。 入院直前はニーチェの著作何読んでも即座に頷けていたよ。 あれはなんだったんだろう。
69 :
考える名無しさん :2006/01/19(木) 02:56:36
70 :
考える名無しさん :2006/01/19(木) 03:04:31
>>62 書いた本人も分からなかったんだが、だんだん分かってきました。
要するに 自動書記 すまん
72 :
考える名無しさん :2006/01/20(金) 17:44:38
>>70 単なる読書感想文だよ。
hatenaって書いてあるじゃん。
73 :
考える名無しさん :2006/01/20(金) 17:50:59
申し訳ありませんでした。 私は40才。独身。対人恐怖症の清掃員です。この年になって 貯金もなく、未来に希望もありません。たぶんこのままいつか 静かに死んでいくと思います。私の人生で唯一素人の女性と性交を したのは大学1年の時でした。相手は1学年上の女性で綺麗な人でした。 ただその人は精神を病んでおり、その後すぐに休学しました。正上位で セックスしてるとき私の目を見ながら「無様だな、惨めだな、え、おい」とか 言い続けていて怖かったのをおぼえています。それでも私は必死に腰を 動かし続けていました。これがセックスなんだこれがセックスなんだと頭の中で 言い続けていました。その人はずっと私を罵倒し続けていました。今思えば 壮絶な光景です。 あれから20年経ちました。私は今日も2ちゃんをしています。
74 :
考える名無しさん :2006/01/20(金) 20:35:13
米国産輸入牛肉に「特定危険部位」 成田空港の検疫で見つかる 輸入再開されたばかりのアメリカ産牛肉に、約束違反の危険な部位が含まれていた。 農水省によると、20日、成田空港の検疫で見つかったもので、輸入されたアメリカ産牛肉から「特定危険部位」に指定されている「脊柱(せきちゅう)」、背骨の一部が見つかったという。 日米両国は、特定危険部位を完全に取り除いて輸入することを輸入再開の前提条件としており、先月12日の輸入再開から、わずか1か月あまりで再び輸入が禁止される可能性が出てきた。 本当に邪教の徒だよ。キリスト教は邪教だな。
75 :
ぽっくん :2006/01/20(金) 23:55:06
「教会キリスト教は、不完全で一面的で形式主義的ではあるけれど、やっぱりキリスト教はキリスト教だ――と、そんなふうに考えてはいけない。 教会キリスト教はキリスト教でないばかりか、真のキリスト教の最も悪質な敵である。現在この教会キリスト教という代物は、真のキリスト教に対して、現行犯で逮捕された犯人のような立場にある。 彼に残された道はただ二つ、自殺するか新しい犯罪を重ねるか、どちらかである。それゆえどんなにその立場が絶望的でも、教会キリスト教はまだまだ当分その恐るべき犯罪行為を続けるであろう。」
素朴な疑問 宗教自体の邪教性なのか 海外布教の結果、現地での邪教性なのか なんか・・・ チャンポン
77 :
考える名無しさん :2006/01/21(土) 01:28:40
>>76 海外布教で邪悪なものを取り込みながら拡大する宗教ってことじゃないの。
だから、キリスト教自体も邪悪なんだよ。
やはり海外布教と言う概念はいろいろな問題を起こす。 昔には未開地の人に広める理由があった訳。 今日に至っては思想侵略ではないが順ずるし何がしの妥協悪も取り込む ことになる。 海外布教反対
わが国も海外布教・・・・・・・ 同罪
しかたないから自己批判的にスレ題の矛盾を表明する。
81 :
考える名無しさん :2006/01/21(土) 11:59:27
これぐらいでかんべんしてください で、なきゃ 宗教は邪教です に成ってしまいます 退散します
教会は邪教の館
>>75 「真のキリスト教」とか言ってる時点で、おまえも同類だよw
85 :
考える名無しさん :2006/01/23(月) 05:26:20
真のキリスト教。 真のマルクス主義。 なんだか似てねえ? 終わりのない神学論争をくりひろげるキチガイだよな。
86 :
ぽっくん :2006/01/24(火) 02:05:10
ちなみにトルストイの意見そのままなんで文句があるならトルストイに言ってください。
87 :
考える名無しさん :2006/01/25(水) 07:59:53
>>74 アメリカでの牛肉の消費は減ってるそうです。
だいたい大統領が肉を食べる時は豚肉か鶏肉にすると言っちゃったんだから説得力ないでしょう
まあ狂牛病は10年後20年後になってからと
(運悪けりゃ早い)言われてるからその間、事故やその他の病気になる確率の方が高いだろうからピンとこないだろうけど。
88 :
ぽっくん :2006/01/25(水) 15:30:33
レッシング 「キリストの最も重要な誡律である“敵に対する愛”が実際に守られるのを見定めないうちには、私は絶対に、いわゆるキリスト教徒と自称する人々を本当にキリスト教徒とは認めないであろう」
89 :
考える名無しさん :2006/01/29(日) 16:11:40
本当のキリスト教徒とは? 本当のキリスト教徒だからたちが悪いのでは。欧米人の限界だな。
90 :
考える名無しさん :2006/01/30(月) 15:55:58
仏陀こそ時空を超越した最初で最後の本物のキリスト教徒であり、 神道は原始キリスト教の教えと通ずる。一神教に秘められた 原始的多神世界。ゾロアスター教では悪神も神の一人であった。 キリスト教を一面的にしか捕らえられない現代人こそが、 もっとも邪悪な拝金主義宗教信者の奴隷である。 金と性欲と物欲に狂った現代人には、キリスト教が邪教に見えるが それは鏡にうつった己の姿を投影してみているだけである。
92 :
考える名無しさん :2006/01/30(月) 17:19:45
>>91 それは全く逆。
キリスト教-個人主義-資本主義-拝金主義 これらは繋がっている。
キリスト教の神は金に置き換えることがで切るかもしれないぞ。
>>3 それはメルヴィルが叩いてるな
寺田建比古「神の沈黙」にあるようにメルヴィルはニーチェに近い考え方の持ち主
94 :
考える名無しさん :2006/01/31(火) 14:49:26
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神ってやつだね。
95 :
ぽっくん :2006/01/31(火) 14:54:11
96 :
考える名無しさん :2006/01/31(火) 15:19:03
読むとどうなるの?
97 :
考える名無しさん :2006/02/01(水) 13:51:18
なんだかんだ言っても権力を握っているのはキリスト教 ニーチェは負け犬にすぎない。
98 :
考える名無しさん :2006/02/01(水) 14:28:38
キリスト教の愛とは他者を取り込み同化させる、いわばエントロピー増大装置と 考えられます。"Beleave"を抜きにしてキリスト教は語れませんが、 信じなさいなどということを言う宗教は侵攻宗教に他ならないのです。
99 :
考える名無しさん :2006/02/01(水) 14:34:39
>>92 神の見えざる手だしなw
投票を基調とした民主主義ともつながりを感じられる。
キリスト教-個人主義-民主主義-資本主義-拝金主義 だな
キリストは福音書で富める者は貧しいものに分け与えなければならないと言っています。 それを言われた金持ちの青年は多くの財産を持っていたため落ち込んだという話です。
>>98 以前どっかで書いたんだけどニーチェ思想はマックスウェルの悪魔に"なりうる"と思うんだな。
だからといって同志を募れば変形キリスト教になる恐れも大きい。
ニーチェ思想を"信じろ"ってことだから、
>信じなさいなどということを言う宗教は侵攻宗教に他ならないのです。
になっちゃうのよねぇ。
難儀だわ。
102 :
考える名無しさん :2006/02/01(水) 21:06:39
平等主義の起源は、神の前の平等でしょう。 社会主義もキリスト教の一形態なり
103 :
ST Maria :2006/02/01(水) 21:33:06
かわいそうに・・・ 愛を知らないのですね。 私にはあなたたちの心がボロボロの服をきて 言うことをきかない徘徊している老人にみえます。 犬歯をもっています。とても凶暴にみえます。 痛めた心を元に戻してあげたいです。 愛をしってもらいたいです。 素直な気持ちです。 あなたたちのために今日は十字をきります。 「あなたたちに安らぎと愛を・・・」
104 :
ST Maria :2006/02/01(水) 21:52:58
批評や批判からは、憎しみと不安しかうまれません。 することは・・されることなのです。 批評と批判の生み出すものそれは憎しみと不安です。 そのような人達をもう何千年もみてきています。 そこにおすわりなさい・・・ 安心してください・・・救済にきました。 さあ・・その傷をみせてください。 ああ・・なんてことでしょう。どうしてここまで痛めてしまったので すか? あなたの傷がよくなるように祈らせてください・・・ あなたの傷がいやされますように・・。 わたしはあなたの味方です。 もしも、あなたが世界で、たったひとりぼっちでも 私をおよびください。私がいます。応援します。
105 :
ST Maria :2006/02/01(水) 21:57:30
私があなたたちを守りましょう。 あなたたちの存在を祝福します。 アーメン・・・
>>104 俺ドMだからそんなんじゃチンポ勃たない。
107 :
ST Maria :2006/02/01(水) 22:13:35
>>106 おろかものですね・・・
今のままだと天国にはいけませんよ。
ひとつ、あなたのためになることを教えます。
はしたない言葉をはいてあなたは汚れました。
天に向かって唾をはいてるのとおなじ
自分の顔におちます。もう自分から唾はくのは
おやめなさい。
あなたのことを心配しています。
108 :
98 :2006/02/01(水) 22:25:01
心は傷などつかないし、痛めつけられもしない。もちろん、風邪などひくはずもない。 マリアには姉がいた。名をソフィアという。 マリアがおとなしく、従順で柔らかったのに対し、 ソフィアは、強く、自由で、しなやかであったという。 ソフィアがマリアに置き換わった時、キリスト教の堕落が始まった。
109 :
考える名無しさん :2006/02/01(水) 22:46:45
急峻な山も放っておけばやがて浸食によって平になっていく。 これは自然界の掟であり法則でもある。 だが生命の多様性を見よ草花は様々な色合いで咲き誇り、 虫は我々人類が補足不能なほど多様性に満ちている。 キリスト教の過ちは神を絶対的上位におくことで支配を可能にさせたことである。
>>103 「愛を知らない」と他人に対して言えるということは
あなたは愛について知っているということだね。
なぜなら愛について何も知らない人が愛について語ることは
単なる詭弁であることは認めていただけるであろうからね。
ではお答えいただきたい「あなたの言う愛とはいったい何であるのか」
111 :
考える名無しさん :2006/02/02(木) 11:29:59
侵略者の愛ってやつだね
112 :
考える名無しさん :2006/02/02(木) 12:47:57
キキキとクククの攻防
113 :
考える名無しさん :2006/02/02(木) 19:44:48
↑バカが寄ってきた
ST Mariaさん、キリスト教の信者の方ですか? ここは危険ですよ。なぜ迷い込んでしまったのですか? あなたはさ迷える羊として同じ元達の人と幻想を見ていなさい。 まず、あなたの全ての発言を見直し考えることからお勧めします。 それが出来ないのなら、あなたの化けの皮が剥がされますよ。 その前にあなたは真実から背を向け逃げることが得意なことを初めに 言っときます。
115 :
考える名無しさん :2006/02/03(金) 17:49:24
>>107 チンポってはしたないんですかね?
アーメン
116 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 23:25:53
聖書ってどこでうってんの?
本屋。
118 :
考える名無しさん :2006/02/05(日) 11:31:15
ホテルの部屋に聖書をおくのはやめてほしい。
119 :
考える名無しさん :2006/02/05(日) 14:49:47
日本のキリスト教は左翼の温床。もっとも、キリスト教の教えそのものに 左翼イズムの要素があるんだが。 いろいろな宗教見回したけど、日本の神道が一番いいと思うようになった。
>>119 歴史的に見ればキリスト教に左翼の温床があるのではなく、
左翼思想がキリスト教の影響下から出られないでいる。
>>118 日本ホテル協会に尋ねてみたところ、次のような答えだった。
「聖書は、ホテル側が積極的に置いているわけでもないんです。
ギデオン協会という団体が個々のホテルに対して、
“海外では寝る前に聖書を読む習慣があるので、
外国人宿泊客向けに”と、寄贈してくるんです」
「日本では戦後、日本人の再教育にはキリスト教が必要だとして、
マッカーサーがギデオン協会を呼んだのが始まりです。
現在、主に学生を対象に年間約90万冊の聖書を配布しています。
ホテルへの寄贈は外国人客向けという名目もありますが、
日本語も併記してあります。
ホテルの聖書がきっかけでクリスチャンになった人もいます」(日本国際ギデオン協会)
引用元記事は GENDAI NET だったりする…
>>121 それが本当だとすると結構タチ悪いな。
S価とそう変わらんだろう。
123 :
考える名無しさん :2006/02/05(日) 21:48:54
>>121 調査ありがとうございます。
ていのいい洗脳ですね。たとえば、ホテルにオウムの機関紙が送られてきても置かないわけでしょう。
コーランが送られてきたら置くのかな?
キリスト教を特別扱いする根拠についても、ホテル協会には問いただしたいですね。
>>121 気持ちはわからんでもないが難しいな。
"すでにそうである状態"─キリスト教が公認されてる状態─
にケチをつけても変人扱いされるのが世の常。
話がちょっと飛ぶが、政治形態だって君主政、貴族政、民主政とあって、どれも長所と短所がある。
(「法の精神」参照)
今の世の中は民主政であるけど、(これこそキリスト教的であるわけだが)
これを国会に対して「なぜ民主政に固執するのか」と問いただしても
ほとんど(全く、とは言いたくない)通用しないだろうからな・・・
125 :
124 :2006/02/05(日) 23:57:40
>>122-124 ちなみに、ホテルに置いてある書籍で聖書に次いで多いのが仏典だとか。
こちらは仏教伝道協会からの寄贈だ。
この引用元記事も GENDAI NET だったり…
朝日新聞(1979-8-9付)によると、
http://www.bdk-jp.org/dendou/dendo_01.html 『ホテルの「仏教聖典」に人気』らしい
『泊り客がつい失敬』という大見出しの煽り文句が付いてます
ちなみに、私はキリスト教も仏教も邪教とは思ってないです
問題があるとすれば、宗教の利用者に問題があるのであって、
宗教自体に問題があるのではないと思えるんです
そして、私は何も信仰しない信仰者です
127 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 02:21:14
こんな話もある。 マリアとソフィアの2人の姉妹のうち、ソフィアは東方に向かい、そこでたくさんの悲しみを見たが、 マリアは西方に向かって、そこで栄えることとなった。 (中略)・・・妹思いのソフィアは、西方に向かったマリアに、彼女に迫っている危機を告げ知らせようとしていたのだ。 世界中が、マリアのものとなるとき、そのときこそが、彼女の真実の危機のときなのであると。 "Love"について 切支丹達は当時"大切"という言葉を当てていたようだ。 イエス様のご大切→イエス様の愛に変わったんだな
128 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 02:27:58
129 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 03:10:47
どこが「悪質」なのかわけわからん
と俺も思った…
131 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 13:11:46
旧約が置いてないのはなぜなんでしょうか?
>>131 > ギデオン協会の聖書は、市販の新共同訳新約聖書と同じ内容。
> しかし、表紙に協会の名を入れた特注版で、冒頭には「災難
> の時の救い」「疲れた時の休息」など、場面に応じたお薦め
> ページの紹介が加わっている。「ホテルは単に寝泊まりの場
> 所ではなく、悩んだり行き詰まった人が利用することもあり
> ます。人生に悩む人に読んでもらいたいんです」(ギデオン協会)
(この引用元記事も GENDAI NET だったり…
そんなんだったら、最初から URL 貼っときゃよかった…
でも、Google のキャッシュにしか残ってないんだよなあ…)
ギデオン協会が寄贈してるのは「市販の新共同訳新約聖書と同じ内容」らしいね
だからじゃないの?
よく、知らんけど、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%9B%B8 > 新約聖書の範囲は、ほとんどすべての教会に共通している。
> 一方旧約聖書の範囲は、教派により異なる。
という事情も考慮してたりして
聖書の資金源は、
http://www.gideons-jp.org/shikin.shtml > a.ギデオン会員による聖書献金
> b.プロテスタント教会にて、ギデオン会員がギデオンメッセージを述べて頂く、教会よりの献金
> c.慶弔記念聖書献金(お祝い、記念、感謝、その他)
> d.遺言による献金等
らしいし…
133 :
考える名無しさん :2006/02/07(火) 00:23:20
いずれにしても特定宗派のプロパガンダ本を、さも当然のように置くホテル側と、置くのが当然とばかり送りつけるギデオン協会はどうねんでしょうか? あまりいいことだとは思えません。
134 :
考える名無しさん :2006/02/07(火) 01:40:00
盗聴先の大半、テロ無関係 対象は5000人と米紙 【ワシントン5日共同】米紙ワシントン・ポストは5日、ブッシュ政権がテロ対策で進めている令状なしの盗聴の対象者は約5000人に上るが、盗聴の結果、ほぼ全員がテロ容疑者ではないとの結論に達したと報じた。(共同通信) アメリカにだけは住みたくない……
136 :
考える名無しさん :2006/02/07(火) 20:16:44
>>135 特定宗派→特定宗教の間違いです。すいません。
私が言いたかったのは、オウムや統一協会のパンフレットだったら置かないホテル側が
聖書だったら受け入れてしまうという、配慮のなさ、頭の悪さを問題にしただけです。
137 :
考える名無しさん :2006/02/07(火) 22:03:46
>>135 >それを置く置かないはホテルが決めるんだしさ
ニーチェが自由意志説に矛先を向けた理由がここにあるんだと思うのだよ・・・
>>136 > オウムや統一協会のパンフレットを置かない
それは宗教じゃないから、と俺は思う
> 聖書だったら受け入れてしまうという、配慮のなさ、頭の悪さを問題にしただけです。
あなたが、1)、2) のどちらを問題としているのか?ということだと思うんだよね
1) ホテルが聖書を無批判に受け入れることは問題
2) ホテルが宗教の聖典を無批判に受け入れることは問題
例えば、これが仏教聖典であれば問題になるのか?
ということだと思うんだよ…
で、それが指す問題とは何かということにならないかな
キリスト教、仏教、イスラム教は普遍宗教として認められてるだろう、
という前提で、それを考えたほうがいいんじゃないかな、
と俺は思うんだけどね
>>137 どういう理由なのかよくわかんない(ニーチェを俺が知らんからだと思う)
もし、よかったら具体的な理由を教えてほしいな、と思う…面白そうだから
139 :
137 :2006/02/08(水) 21:42:39
>>138 自由意志説においては自由意志には責任が伴う(と解釈することができる)。
断罪の理由ができるんだよ。
不都合な結果に陥っても
「それはお前が選んだことだろう(悪いのはお前だ)」とね。
多分ニーチェが攻撃したのは「自由意志"説"」であって
「自由意志」ではなかっただろうと思う。
むしろ自由意志説こそが自由意志を攻撃したんだろうな。
140 :
考える名無しさん :2006/02/09(木) 15:12:15
>>138 キリスト教が宗教で、オウムや統一協会が宗教でない?
よくわからないのでが、どこが違うのですか?
近所の掃除からでも始めたらいいんじゃないの。 だが、市場を通した社会参加ではない。 例えば、自治会に参加して、世の為に働く。 一方、露天のホットドック屋台で納税して、世の中に貢献する。 それらはこれくらい異なるくらいかね。
>>139 もっと、よく分かんなくなったです…
>>135 > それを置く置かないはホテルが決めるんだしさ
>>137 > ニーチェが自由意志説に矛先を向けた理由がここにあるんだと思うのだよ・・・
仮に、自由意志説を支持して、聖書を置く置かないを決めたとするよね
そうすると、
>>139 によると
1. 聖書を置く置かないを選択することは責任が伴う
2. その選択に対して罪を問うことができる
3. その選択で不都合な結果に陥っても、選択したお前が悪い
になると俺は思ったんだよ(間違ってるかもしれないけど…)
俺がニーチェを知らんことに、大きな原因があるんだろうけど、
1.〜3. に矛先を向ける理由がよく分かんなかったりするんです…
>>140 > オウムや統一協会のパンフレットを置かない
まず、パンフレットと聖典は違うというのはいいよね
> キリスト教が宗教で、オウムや統一協会が宗教でない?
> よくわからないのでが、どこが違うのですか?
明確な違いとなると難しいけど、
目的が違うから、と俺はおおざっぱに考えてるよ
宗教の目的は人を救うことだよね
オウムは純粋に詐欺が目的で、統一協会は政治活動や経済活動を目的にしてないかな?
「勝共理論」とか宗教と関係ないし、
「日本は悔い改める必要がある」とか宗教と関係ないし、
「霊感商法」とか宗教と関係なくないかな
仮に、オウムや統一協会に救うという概念があったとしても、それは目的ではなく、
目的を達成するために、体良くみせるための手段だと思うのだけどね
反社会的なカルトに分類されるのは、大抵はそんなんだと俺は思うんだよなあ
144 :
考える名無しさん :2006/02/10(金) 21:45:25
>>オウムは純粋に詐欺が目的で、統一協会は政治活動や経済活動を目的にしてないかな? キリスト教は純粋に詐欺が目的で、政治活動や経済活動を目的にしているというのが、 このスレで議論されてきたことだと思うんだけど。
145 :
137 :2006/02/10(金) 21:47:02
>>142 まず、「自由意志」というものがさほどアテにはならないということ。
あまり公言することじゃないだろうけど、奇術師のテクニックでフォーシング(強制法)というのがある。
複数の選択肢の中から観客に奇術師が(ある程度)選ばせたい物を選ばせるテクニック。
慣れれば52枚のトランプの中から好きなカードを選ばせるということもできる。
さてこの時、観客は自分の自由意志で選択をしたのか?
というと「自由意志で選択した」とも言えるし「強制的に選ばされた」とも言える。
(もしくは、どちらとも言えない?)
もちろん後者は普通気付かれない。気付かれたら奇術として成り立たないからね。
それでも観客は自らの「自由意志」で選んだと信じているわけだ。
なんとなくその場の雰囲気でそうしてしまった、という経験はないかい?
「その場の雰囲気」という"見えない強制力"に動かされて決定してしまったことは
"自由意志"による決定と言えるのか?
答えはおそらく前述と同じく"分からない"としか言いようがないはず。
自由意志も、それに対する"因果律"も──そもそも言葉自体が──事象を捉える一手段なのに
自由意志"説"となると一つの捉え方に過ぎないものを確かなものとして確立させてしまうことになる。
(ニーチェが「体系への意思は正直の欠如」だと言ってたのはここに当たるだろうと思う)
146 :
137 :2006/02/10(金) 21:49:22
147 :
考える名無しさん :2006/02/11(土) 15:42:22
『アンチクリスト』を超える問題作『ウンチクリスト』
148 :
考える名無しさん :2006/02/11(土) 23:50:58
>>106 >>107 言葉を汚してはいけませんね。
言葉を汚すと、
自分の心が汚れる
それを聞いた者の心が汚れる
その者が汚された心で汚れた言葉を発する
このような負の連鎖を起こす罪を犯してはなりません
心乱れる者が多ければ秩序が乱れます
言葉を汚さない
汚れた言葉を聞かない
もし、これを見聞きしてしまったら、
祈り、受け止め、これを背負い、浄化しなさい。
言葉を汚してはいけません。
言葉の神聖さを学ばなければなりません。
赤誠により司られた言葉は、全てを、太平へと導くでしょう。
アーメン
>>138 > といったような例を期待してたんだけど…。こういうのは無理?
前に出てた与太話の例(
>>125 )をまんま使うけど、
まず、人は相対的な認識を通して現象を観測してると仮定してる
となると、人が自然を解釈をしようとした場合、その解釈は全てが相対的になる
人の自然に対する認識が相対的なので、
人は自然も相対的であると信じているのかも、と思ったわけ
ただ、アプリオリを仮定しない自然そのものを人は認識できない
そして、ありようや働きは自然に対する人の相対的な解釈にすぎない気がするし、
人の解釈が自然でないことは確かそうな気がする
で、ありようや働きのない自然そのものというのを想定すれば、
それは、相対がありえなさそうな感じがするから、絶対なのかも、
と思ったわけなんだよ
ありようや働きのない自然を人が想像できないから、絶対は想像できないだろうと
(認識すらできないから想像すらできないわけで)
与太話を詳細にしただけで申し訳ないんだけど、これじゃ足りないかな?
こんなしょうもないことを延々と書かなくても、
「人の認識は有限」だからっていう一言で済む話かもしれないけどね…
ご迷惑をお掛けします、
>>149 は書き込み先を間違えました
>>144 俺は、単純に、
>>126 > ちなみに、私はキリスト教も仏教も邪教とは思ってないです
> 問題があるとすれば、宗教の利用者に問題があるのであって、
> 宗教自体に問題があるのではないと思えるんです
> そして、私は何も信仰しない信仰者です
だったりするんだよね…
宗教に対する見方が、あなたと異なるだろうから、
多分、会話は成り立たないと思う
宗教とは?そういった点での認識のズレだと思うし、
不毛な気がするんで、この辺にしときます
>>145-146 あなたの説明する自由意志"説"と自由意志は分かったんだけど、
>>142 > 1.〜3. に矛先を向ける理由がよく分かんなかったりするんです…
は、未だよく分からないままだったりするんです
152 :
137 :2006/02/12(日) 09:56:18
>>151 すまんね。
そこまで話持っていこうと思ったんだけど、途中で考えをまとめきれなくなった。
あまりいい例が思い浮かばないけど、
何人かで外食に行くことになった場合、
「どこに行こうか?」「どこでもいいよ」「お前の好きなとこでいいよ」
みたいな会話になったことはないか。
なぜか誰も自分で意思決定をしようとしない状態。
決定をすれば自分にその責任が回ってくることを感知しているから、
自分ではない誰かに"決めさせよう"とする状態。
(見えない強制力に押されながらも)主体性を持って決断し自分で責任を取ろうとするものが、
責任を取りたくないがゆえに他人に決めさせようとする無責任な者に責められる。
そこでは、他人の決定に任せるという自らの意思決定を振り返ることさえなされない。
結局のところ「不都合に陥ったのは決めたお前が悪いんだ(俺は悪くない)」の一本槍。
このような構図を見たことないかな?
153 :
考える名無しさん :2006/02/12(日) 17:33:03
要するにフリーライダーか……。
>>152 責任の所在を明らかにしないことを問題にしてるのか、
責任の押し付け合いという行為そのものを問題にしているのか、
無責任な者が責任を取った者を責めることを問題にしているのか、
それとも、別のことを問題にしているのか、
どういったことなんだろう?
で、
>>142 > 1. 聖書を置く置かないを選択することは責任が伴う
> 2. その選択に対して罪を問うことができる
> 3. その選択で不都合な結果に陥っても、選択したお前が悪い
> 1.〜3. に矛先を向ける理由がよく分かんなかったりするんです…
聖書を置く置かない、という問題についてあらためて考えてみたけど、
今一つよく分からないんだよね…
155 :
137 :2006/02/12(日) 21:29:21
>>154 自分もどう説明していいものやらよく分からないんだよなw
手探りで書いてるから、納得できなくても気を悪くしないでおくれ。
自分はそもそも「責任」や「罪」というものが"ない"という立場をとって
モノを言ってるから、その辺の考えが噛み合わないのかもしれないな。
また、聖書を置く置かないくらいの話じゃそこまで目くじら立てる問題か?とも思うだろうし・・・
まぁ不都合の原因はどこにでも探し出せるってことよ。
聖書を置く置かないの問題で言うなら、
(ここでは一応「キリスト教反対」の立場で「〜だったらよかった」と言ってるわけだが)
「自分が置くことを選ばなければよかった」から始まって
「布教しに来るやつがこなければよかった」とも言えるし
「周りで傍観してるやつらが止めてくれればよかった」
「そもそもザビエルが日本に来なけりゃよかったんじゃね?」
「そんなこと言うならイエス・キリストが生まれたこと自体・・・」
原因を見つけようと思えばどこにでも見つけれるってことだ。
(この考え方を広げて適用したものが『原罪思想』だろう)
その場その時においてそうするしかなかったものを、
そして、もはや変える事ができない過去をどうして咎めるのか?
(「未来への教訓の為」でもあるだろうがこの場合は当てはまらないとしておく)
それは相手を責めること自体が一つの快楽であり、自分の優位性を確保する手段でもあるから。
(この辺は『道徳の系譜』〔負い目・良心の疚しさ〕を参照)
この優位性というものが「優れた者が持つ力」から来るものではなく「無力から生み出される特殊な力」。
無力な力による支配はデカダンス(頽廃)の原理であるから
(その力を振るうための武器となる「自由意志説」をも含めて)ニーチェは攻撃した。
のだと自分は考えとります。
>>155 ありがとう、とてもタメになったよ
で、雑感みたいなので申し訳ないんだけど、
過去を咎めなかったら、現在はなんでもありになる、
と凡人の俺には思えたりするんだよなあ…
多分、俺の思慮の足りなさだと思うけど
157 :
考える名無しさん :2006/02/13(月) 20:23:44
キリスト教は邪教じゃない! 確かに、信じようとはとても思えんが、キリスト教の思想を知っていれば 極めて謙虚に、誠実に生きられる。 確かに、論理的に「神は全知全能」な訳無いし、キリスト教が、人間の意味を 論理的に穴の無い説明をし切れていないが、 クリスチャンはそこらへんの無神論者より、よっぽど倫理的だし器が大きい。 もう一度言わせろ。キリスト教は邪教じゃない!
158 :
考える名無しさん :2006/02/14(火) 01:20:39
>>157 倫理的とはどういう意味ですか?
少なくとも歴史上もっとも多く人を殺したのはキリスト教だと思う。
>>157 キリスト教というのはニーチェ的な意味では一つの病名みたいなもんなんだよ。
一般人でも(ニーチェ的な意味で)キリスト教徒はいる。
哲学者でも(ニーチェ的な意味で)キリスト教徒はいる。
仏教徒でも(ニーチェ的な意味で)キリスト教徒はいる。
無神論者でも(ニーチェ的な意味で)キリスト教徒はいる。
キリスト教徒でも(ニーチェ的な意味で)キリスト教徒じゃない場合がある。
>キリスト教の思想を知っていれば 極めて謙虚に、誠実に生きられる。
キリスト教の思想を知る知らずに関りなく"そういう人"がいるだけだ。
160 :
考える名無しさん :2006/02/15(水) 00:59:36
それでは神が存在しないことを証明して下さい
161 :
考える名無しさん :2006/02/15(水) 12:57:32
それは「悪魔の証明」の要求ですね。 事実上不可能な要求なので 逆に神が存在していることを立証してください。 もちろん反証可能性のある形で。
キリスト教ってさ、ありもしない罪を 人に被せて信じ込ませてるような気がすんだよね。 いくら信じる信じないが自由だからと言ったって、 将来的に信じない人が地獄へ行き、信じてる人が天国に 行く事が決まっているなんて言われたら苦しい方に行きたくない のが人間なんだから、信じるしかないじゃん。 人間の不安につけ込み、表面的には入れと言ってないけど入るよう操作してる。 これって、キリスト教の教えに反してるような気がすんだよね。
163 :
考える名無しさん :2006/02/16(木) 04:02:05
>>160 「ない」ことの証明はできませんし、する必要もありません。
存在の証明をしなければならないのは、「ある」と主張する側にあります。
近代法の成立うんぬんよりこんなことは常識でしょう。
イラクの大量兵器問題のときも、アメリカがへんなことをいっていましたが。
世の中ばかばっかですな。
164 :
考える名無しさん :2006/02/16(木) 09:43:27
僕はダイヤも宝石も興味ない、 でも高い金出して買う人もいる、 この違いわかる?
165 :
考える名無しさん :2006/02/16(木) 10:32:59
違いは分かるが、何を言わんとしてるのかは分からない。 信教の自由があり、人それぞれだと言いたいのか? 何か他に言いたいことがあるんだろうから、まずは話を聞こうか。
宝石に価値が無いという人、 逆に価値が有るという人、 何が価値を生み出してる?
167 :
考える名無しさん :2006/02/17(金) 01:02:05
結論 神の存在は肯定も否定も出来ません
証明が必要か?
169 :
考える名無しさん :2006/02/17(金) 04:36:37
結論 神の存在は肯定も否定も出来ません だから肯定派は証明しなければならない それでは神が存在しないことを証明して下さい といってきたのは信者側だから
相手が先に行ってきたからって、、個人的な理由じゃん! 客観的にならないと迷子になるぞ!
171 :
考える名無しさん :2006/02/18(土) 01:17:23
172 :
考える名無しさん :2006/02/18(土) 01:24:30
>>163 そんなもん、勝手に信じ込んでいるひとがいるだけで常識でも何でもありません。
結論 神の存在は肯定も否定も出来ません
174 :
考える名無しさん :2006/02/18(土) 04:29:19
>>172 常識に決まっているだろう!!
あるというなら一つでも証拠をしめせば、存在しないという立場は崩れるのだから。
その逆は成立しない。
バカだからキリスト教にだませれるんだよ。
175 :
考える名無しさん :2006/02/18(土) 07:46:59
本当に神がいると思ってるキリスト教徒の人はどんどん減ってるんだろうな。
177 :
考える名無しさん :2006/02/18(土) 17:20:44
↑ 電波のサイト
178 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 10:59:18
神はこうおっしゃりました。 イエス・キリストは私の子供じゃありません。 コリント人への手紙6節
179 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 17:02:55
結論 神の存在は肯定も否定も出来ません 「真偽不明」が正解です
181 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 18:08:31
>>174 常識だとしても、論理を知らない人たちの間だけの常識でしょう。
「○○は存在するか否か」という問いに答える仕方は、
○○に何が入るかによって違っており、
「存在しない」ということが容易に証明できる場合もあります。
182 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 18:12:11
183 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 18:38:40
キリスト教徒ってさ、罪という名の檻に 閉じこめられた奴隷だよ。 僧侶「神を信じなさ〜い!信じればあなたは救われるのですよ」 キリスト教徒「私は神を信じます!!私は罪を償います!!」←神の代弁者を語る 僧侶の奴隷
184 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 18:43:01
185 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 22:14:24
イエスさんはいい人。キリスト教は悪い。
186 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 01:13:46
確かに神の存在は未だ科学的には証明されていない。 しかし、哲学的真理としてこの世に神が存在しないなんて証明抜きの独断でで何故言い切れる?
187 :
考える名無しさん :2006/02/21(火) 20:32:30
>>186 本当に低脳だな、お前は。
証明する必要はないんだよ。そもそも、いないなんていっていないし。
いるんだったら、証明しろとだけ言ってるんだろう。
>>187 「神は死んだ」は「神はいない」というよりも
ずいぶんと言い得て妙だったんじゃないかと、ふと思った。
189 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 08:18:44
>>188 ニーチェは無神論者ではないと「キリスト教は邪教です」に書いてあったな。
190 :
考える名無しさん :2006/02/23(木) 08:42:52
哲学的真理か…… しょうもねえな
哲学というより思想みたいなもんを俺は感じるんだけど…
>>189 ニーチェは神にいて欲しいと思ってたんじゃないか?
いるわけ無いし、科学的事実に反していると信じようとするほど真剣にもなれない。
だから喩えて神は死んだ、と。だから神抜きで超人の哲学を、と。
193 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 11:44:09
>>187 冷静な議論を放棄して「お前」「低脳」と誹謗中傷を繰り返す荒らしはスルーで。
194 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 11:55:30
>>187 本当に低脳だな、お前は。
証明する必要はないんだよ。そもそも、科学的に存在するなんていっていないし。
未だ科学が到達できない哲学的真理としていないんだったら、証明しろとだけ言ってるんだろう。
195 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 15:02:01
>>192 超越的な存在を、人減の理解の範囲内に押し込めて利用したキリスト教を批判しているということですね。
196 :
胎内記憶保持者 :2006/02/24(金) 15:20:38
1.火 2.紙 3.ゼロ 4.電子 5.お金 6.・・・
197 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 19:51:04
ついでに低脳もスルーで。
198 :
考える名無しさん :2006/02/25(土) 18:52:11
神は科学的には未だ証明されていないが、 哲学的真理としては存在するかもしれない (この世ののどこかに隠れていて未だ見つかっていない)
199 :
考える名無しさん :2006/02/25(土) 20:34:15
>>198 あなたの定義する神とはどんなものなのですか?
隠れているようなものなのですか?
宗教の神は悪魔だ。 違う宗教を信じただけで裁きを下す神は悪魔と言える。 神は広く何事も許せる心の持ち主だと思う。
神 =五感で認識出来ない 五感で認識出来ない =存在しない それでも在ると信じる =脳内で発生する偶像
202 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 13:15:19
>>199 当たり前の話ですが、国語辞典に載っている神でいいと思います
203 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 13:17:51
>>201 君は電磁波を五感で認識できるのか? 認識できないとすれば電磁波は存在しないのか?
あるいは
君は虚数を五感で認識できるのか? 認識できないとすれば虚数は存在しないのか?
あるいは
君は人権を五感で認識できるのか? 認識できないとすれば人権は存在しないのか?
204 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 14:09:22
>>203 だよな。
【結論】
ウンチマンは存在する
205 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 14:14:22
虚数と人権は本来存在しないな。 強い電磁波なら何か感じるんじゃね?
206 :
201 :2006/02/26(日) 16:04:31
んー、まあ五感で感じ取れないなら尚更人間の認識能力は 限られる訳だから、神なんて出すのは馬鹿らしいと思うけど。 訂正すれば 神 = 五感を通して認識出来ない (五感で不可能な存在は機械によって視覚的に捉えられる) 電場や磁場は下敷きを頭に付けて擦ったり、磁石を砂に落としてみれば 実態として現れるけど、神は何で現れるのかな、何もないよね、しいて 言えば、人間の意志か。津波やカミナリなんて、科学的に分かりきっている もんで、昔は神が起こしたものだと信じられていたよね。あれ、今でも信じられ てるのかな、ころころ定義が変わるのかね、神は。 それと、神を認識出来るのなら、昨今客観妥当性が最もある 科学で証拠を出さないといけない、技術的に不可能だと言うのなら 、どの過程まで不可能か明確に示すべき。存在の具体性がまるで ないし、そんなものに普遍妥当性は全く無い。
207 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 17:30:06
>ころころ定義が変わるのかね、神は。 ころころ定義を変えられて神は死んだ。殺された。 自称「神を信じる者たち」に。
208 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 02:10:05
神という言葉でなくて、 超越的なものという言葉なら少しはわかる気がするけど。
『現代の悪魔は活字を通して入ってくる』 大学卒業後、若きゲーテ研究者として活躍を始めたシュタイナーの霊能力は、36歳の時に一段と深まった。夜中に静寂 の中で椅子に腰掛け、深い瞑想に入るうちに、霊体が肉体から解放され、「霊的人間」として霊界で活動することが可能になったのだ。 当時のことをシュタイナーはこう語っている。 「生物が進化の途上で肺呼吸を必要とするように、私の霊的生活も、瞑想を必要とする段階に達した」と。 こうした瞑想は、以後の生活に欠かせなくなったが、その中でシュタイナーを襲ったのが、彼がアーリマンと呼んだ存在である。 アーリマンとは、人間の思考を物質世界に縛り付けようとする悪魔で、唯物論の背後に潜む巨大な闇の霊の総称。シュタイナー がその実態を知ったのは、当時名声が高まりつつあった哲学者ニーチェを訪ねた時である。 「神は死んだ」−。ニヒリズム(虚無主義)を、こうした言葉で表現したニーチェは、当時精神錯乱状態にあった。彼の妹の招きで 病床を訪ねたシュタイナーは、繰り返し悪魔に憑依されて肉体から霊魂が飛び出し、かろうじて霊子線で体につながって漂ってい るニーチェの衝撃的な霊的姿を透視したのである。 シュタイナーによれば、ニーチェの前世は苦行をやり過ぎた修道士。今世で人生を無価値なものと見なしたため、次第に悪魔アー リマンに支配されるようになった。『反キリスト』など、霊感によって書かれたとされるその著書の多くも、実はニーチェの肉体に入り 込んだアーリマンによって書かれたものだったのである。 この訪問を通して、シュタイナーは現代の悪魔が活字を通して現れ、20世紀末にはあらゆる分野で悪魔の書いた印刷物が氾濫 するという、慄然とする未来ビジョンを見た。 彼は後に『いかにして高次の世界を認識するのか』、『神秘学概論』などを刊行、オカルティストとしては初めて神秘主義の秘儀を 世間に公開したが、そこにはアーリマン的なるものから未来の人類を守ろうという意図があったと言える。
210 :
考える名無しさん :2006/02/28(火) 01:30:02
211 :
考える名無しさん :2006/02/28(火) 02:32:07
神を信じる者が居てるから悪魔が存在し、 悪魔を信じる者が居てるから神が存在する。 神と悪魔は表裏一体。 人間が無を意識する事は難しい。 イエスは自分が亡くなった後、崇拝される事を予知していたかも知れないが 決してそれを望んでいた訳ではないはず。
212 :
考える名無しさん :2006/02/28(火) 02:49:18
神は存在するが、人間に興味は無いだろう。 人間がどうなろうと知ったことではないだろう。 でなければ、こんな世の中になるかね。 これは、試練かね。 都合が良いねぇ。
213 :
考える名無しさん :2006/02/28(火) 18:24:38
>>212 神は善悪の彼岸にいる
言っている意味わかるかね?
214 :
考える名無しさん :2006/03/01(水) 19:13:02
存在のレベルが違うから人間は神を理解できない。
215 :
神 :2006/03/01(水) 19:18:57
予は必然のみを与える 宗教の神、必然の中から産まれた汝の世界の偶像
216 :
考える名無しさん :2006/03/01(水) 21:51:49
>>213 意味わかりません。
人間の言う善悪の向こう側に居るという事?
そうすると、神は人間に興味ないんじゃないの?
というか神も人間がよく生きていくために考えた工夫でしょ。
思考の基準でしょ。
217 :
考える名無しさん :2006/03/02(木) 01:24:38
>>216 ここはキリスト教に関する板です。
貴方にとって神とは何でしょうか?
神とは『全て』です。
全ての善で在り全ての悪です。
当然、善悪の彼岸に『在り』ます。
私は貴方に教えます。
人は、全てを受け止め、善とするしか生きる道は無いのです。
ですから、クリスチャンはこう祈ります。
父(神・+・善・全て)と
子(意志の神格化とそれを言葉として伝える神の御子イエス・+であり・善である)と
聖霊(実在として与えられる全ての+・実在意志・善)
の御名によりて。
余りにも有名な三位一体です。
善として生きる事に祈るのです。
父と子と聖霊の御名によりて
アーメン
218 :
考える名無しさん :2006/03/02(木) 01:57:35
213だけど、217が言っているような意味で言ったんじゃないよ。
キリスト教の神はキリスト教徒の神にすぎない。 ノンクリスチャンに布教するのは争いの元。 まして他の神を信じている人に、ゴッドこそが真実、とは横暴にもほどがある。 門戸は誰にでも開かれているなら教えを求める人のみが門をたたけばいい。 教えるために門の前まで連れてくるのは横暴だ。
クリスチャンがキリスト教という組織を構成する。 イエスの精神は、キリスト教会が存続するためという至極現世的な目的によって行なわれる横暴な布教方針に反映されていない。 イエスの精神は、クリスチャン自身の手によって貶められている。 よってイエスとキリスト教会は関係がない。
西洋の哲学者は、特にローマカトリック成立以後は、 キリスト教会が作り上げた「真実」を真実だと仮定した上で哲学的態度をきめていた。 しかし実際は、それは作られた真実であるかも知れず、虚構であるかもしれない。 その「真実」という意味だけが浮き彫りになり、真実とは何か疑わない。ただ真実を求める。 キリスト教の土台に乗っかっている限りインチキだ。 1のインチキの意味はよくわかってないが…。
しかし神の実在、ひいてはまた、宗教の存在には意味はある。
223 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 21:57:57
しかしウンチマンの実在、ひいてはまた、ウンチマン教の存在には意味はある。
ウンチマンという虚像を信じている223にとってはもちろん意味はあるだろう。 しかしウンチマン教の影響は223一人にしかないので、ウンチマン教の存在には意味がない。
>>224 では、この世に創造主ウンチマンが存在しないことを証明して下さい
>>225 わたしは知らない。三千年前からある書物を数多く読んできたが、その名を知ったのはここを見たのが初めてだ。
よって、経験則的に照らして考えれば、ウンチマンが私以外のこの世に存在する可能性は極めて低い。
君はウンチマンという創造神から自分ができたと考えているのか?そうであるならば、君の確信を聞こうじゃないか?
ウンチマンが創造神だということも今始めて知った。しかし、たちまちのうちにそれは嘘であると私が思えてしまうのは、私の経験則に照らして私が考えているからだ。
君はどうか?なぜウンチマンが創造神だといえるんだ?
というより、224ではウンチマンの存在を否定した覚えは無い。 ウンチマンは223=225にしか存在しないと言ったまでのこと。
所詮ウンチマンも人間の妄想が生み出した神と言う名の偶像なのだよ。
違うよ。ウンチマンとは、223の生み出した妄想だよ。 そして223だけがその存在を確信している。多くの人間にはその確信は無い。 ゆえに神とウンチマンとは全く違う存在である。 神は人の観念を離れ、「客観存在として」大多数の人間が認識しているものである。 ここに、神実在の意味があるのである。
230 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 02:18:22
230が神道信者だったり、あるいは仏教信者だったりするののであれば、 キリスト教は邪教でしょう。 哲学としてとらえるとするならば、それもまた邪教でしょう。 しかし、キリスト教信者にとっては、 哲学としてとらえても科学としてとらえても邪教ではないでしょう。 アンチキリスト、というのは、何についての「邪」なのかな? 前提を踏まえなければおそらく誤解するよ。
232 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 05:00:51
>>231 神道に対しても、仏教に対しても、哲学に対しても、科学にとっても邪教でしょう。
つまり、人間にとっての「邪」。
230のようなのは、相対主義者の陥りやすい罠。
>>231 >アンチキリスト、というのは、何についての「邪」なのかな?
道徳を標榜しながらの反道徳
生の退廃・デカダンス
234 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 16:21:30
235 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 19:01:58
このように、ウンチマンを完全に否定できないことが 創造主ウンチマンが存在することの証明である
236 :
小さなヨハネ :2006/03/05(日) 19:19:43
現代のキリスト教はキリストが唯一の父なる神であることを知らないので 本当のキリスト教とは言えません。真理を離れれば邪教などと言われる結果 となるのでしょう。真のキリスト教とは主イエス・キリストを真の唯一の神 と認めるものです。
237 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 19:51:30
まあこういうスレには…いわゆる無自覚的な「信者」が湧いてきますね。
例えば、
>>236 とか。
こういう御仁はスルーの方向で。
>現代のキリスト教はキリストが唯一の父なる神であることを知らないので
…というか、これ異端じゃ……。
本当の、たった一人のキリスト教信者は 大昔に死んだよ。十字架に貼り付けにされてね。 今世界に広まってるのは、キリスト教じゃなくてパウロ教でしょ?
239 :
小さなヨハネ :2006/03/05(日) 21:56:48
>>237 識別能力のない人には「異端」という既成概念しかないのでしょう。
そういうのを「記憶による信仰」と言うのです。
240 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 22:14:56
>>239 馬鹿。
キリストは「子の位格」だろ。
三位一体、二ケーア公会議位調べろよ、この異端者。
241 :
小さなヨハネ :2006/03/05(日) 22:56:41
>>240 ははは。神は唯一なのですよ。子とは見えざる神の顕われた姿を指して
言うのであって神その方なのです。つまりキリストは父なる神ご自身な
のです。
神なんてウンチマンの気まぐれ創作物にすぎない。 唯一だろうがなんだろうが大したことはないのだよ。 つまりウンチマンの示すところ「神も人もミソも糞も一緒」。
243 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 23:11:40
>>241 馬鹿。
そんな事、狂信者のお前に言われなくても分ってるよ。
ってか、人を嘲笑するとは随分と徳の高い方で。笑
…三位一体くらい知ってるよ。
お前、頭悪いんじゃない、こんな常識を得々と語ってさ。
因みに正統神学においては、キリストは「子の位格」を持つ、ヤーゥエの
位格の一つであり、唯一神自身という解釈。
>現代のキリスト教はキリストが唯一の父なる神であることを知らないので
キリスト=父なる神→×
キリスト=子なる神→○
244 :
小さなヨハネ :2006/03/05(日) 23:50:35
もう1の回答は出ていると思われます。 不毛な議論はやめましょう。 信仰はどんなものであれ、他人にそれを否定できる権利はありません。 例えば、キリスト教徒が仏教徒の偶像崇拝を非難する権利はありません。 どんなキリスト教であったとしても、243と244はなんら矛盾する事はないのです。
金を稼ぐことを美徳とし金持ちになることを目的とし強者となることができる。 この思想を発展途上国へしきりに押し付ける。 盲者はトラックの影で怯え、難聴者は自転車に行く手を阻まれ、 車椅子はその段差の餌食となる。 日本教は邪教です。
247 :
考える名無しさん :2006/03/06(月) 21:38:02
>>246 それは日本教ではなく、資本主義社会の弊害だよ。
しかし盲者や難聴者の人数が今よりもさらに多くなってゆけば
おそらくそんな弊害はあっさり解消されるよ。資本主義社会故にね。
249 :
考える名無しさん :2006/03/06(月) 23:12:15
250 :
小さなヨハネ :2006/03/06(月) 23:56:59
>>245 どんな信仰もそれを信ずるのは自由ですが、だからと言って信仰において
何が真理かを追究することを否定するならそれは哲学(理性)の死です。
混同してはいけません。
>>250 神学と哲学とを混同していませんか。
信仰において何が真理かを追究すること、は神学です。
この場合の哲学とはまず、信仰をすること自体の真理を追求することでは?
もっと言えば、真理なんてあるのか?という事では?
信仰する対象やその形体・形式は何でもいいものです。それは神学の領域です。
252 :
考える名無しさん :2006/03/07(火) 05:59:45
<ブレア英首相>イラク戦争への派兵決定時「神に祈った」 【ロンドン山科武司】「神に祈った」――。ブレア英首相はイラク戦争で英軍派兵を決めた時、 自らの判断が正しいように神に祈ったことを「告白」した。4日放映予定の民放テレビのトーク番組で語った。 ブレア首相は番組の中で「困難な局面では自らの良心に従って決断する。 しかし、人の生死を左右するような重要な局面では、信じる神に委ねる」と述べた。 判断を神にゆだねて、虐殺をくりかえすのがキリスト教。 『キリスト教は邪教です!』を熟読するべし。
253 :
考える名無しさん :2006/03/07(火) 22:49:49
イスラムが邪教なのです。 キリスト教徒はそれを罰しただけです。 それが神の御心です。
そんなこと言ったら イスラム教の神の御心の方はどうするんだ? 邪教だと指差して非難するのか?無視するのか? キリスト教徒に罰を下す権利がどこにあるのだ? 罪人に石を打ちつけることができるのは、 これまでに一度も律法を犯したことの無い人物だけではないのか? それができないのであれば、キリスト教にできる最善のことは、ただ祈ることのみじゃないのか?
>>251 われわれが他者と対話をするにあたり「答えなんて本当にあるのだろうか」と考える余地は常にある
この問いに「答えがあると考えることだけが他者との対話を成立させる」という答え以上の理由付けを求める必要ない
それと神学も哲学の一部だよ
>>255 251は「信仰において」という断わり付での話です。言ってることはわかっているつもりです。
255のように信仰という土台をも疑う立場に立てれば、「考える余地」というものは無限に生まれてくるでしょう。
しかし、その次文の意味がわかりづらい。
>この問いに「答えがあると考えることだけが他者との対話を成立させる」という答え以上の理由付けを求める必要ない
何のことを指して言ってるんですか?
また、確かに神学は哲学の一部ですが、哲学は神学ではありません。「混同」の意味はその点にあります。
>>256 「実在(真理)のために、さらにそれ以上の根拠、支柱、目的を求める必要はない」というキュンク批判のシュテークミュラーの言葉をもじっただけ
「「神」のために、さらにそれ以上の根拠、支柱、目的を求める必要はない」という事ですか? 「「在る」もののために…(省略)」ということですね? このように転用できうるのだとすれば、客観的な真理の在る事を否定し得ない、まさしく西欧的な物の見方と言えますね。
>>258 >まさしく西欧的な物の見方と言えますね。
まさに西欧的な物の見方だが、
客観的真理のあることを否定できる可能性は残されているよ
キュンクは神は存在するという立証の擁護者で
シュテークミュラーはこれを批判している
これは神学問題における哲学論争のひとつだろうね
>>259 > 「実在(真理)のために、さらにそれ以上の根拠、支柱、目的を求める必要はない」
> 客観的真理のあることを否定できる可能性は残されているよ
量子論におけるベル不等式の破れはどう考えるのかな?
実在を前提にした理論の可能性って、今、あるのかな…よく分からんけど
ゾルレン氏が非常に影響受けているというポパーもエライこだわってた問題だと思う
というより、そういう話でもないのかな…書いてて不安になってきたけど
>>260 >量子論におけるベル不等式の破れはどう考えるのかな?
ポパーは遠隔作用の可能性を認めている
>実在を前提にした理論の可能性って、今、あるのかな…よく分からんけど
実在を前提にしない理論の方が稀有
本気で実在を前提にしないことを考えると形式論理が崩れるから学問が崩れかねない
それを崩さないために「有用性」という概念を「真理」の替わりに使用するという方法もあるが
口先だけの印象は消えないだろうね
>> 「実在(真理)のために、さらにそれ以上の根拠、支柱、目的を求める必要はない」
>> 客観的真理のあることを否定できる可能性は残されているよ
それと、これはキュンクの論証への批判なわけだが、
キュンクはニヒリズムの危険を訴え、超越的なものの存在を根拠付けようとしたわけだが
それに対するマッキーからの批判のまとめだ
もちろん、マッキーもシュテークミュラーもニヒリズムではないし、西欧的な物の見方からは抜けていない
選択肢は「神の存在を狂信すること」と「無神論者でありニヒリズムに陥ること」の二択なのかねぇ
仮にそれしか選択肢がないなら俺は迷わず前者を選択するが。
262 :
考える名無しさん :2006/03/08(水) 03:25:37
↑ なんでそうなるのっ!
キリストが十字架に架けられて死んだ後、弟子達は思った。 「どうして神はこんなことを許す気になれたのだろう!」 小さな教団の狂った理性は、この疑問に対して、まことに恐ろしい ほどばかげた解答を見つけ出したのである。 すなわち、神は罪の赦しのために、その一人子を犠牲として与え給うた、 という事である。これでは福音もたちどころにおしまいだ! 罪過のための犠牲、しかもこのうえなくいやらしい野蛮な形式における犠牲、 罪過ある者らの罪のために、罪過なき者が受ける犠牲! 何というむごたらしい異教主義! イエスは神と人間との間のいかなる隔絶をも認めなかったはずである。 彼は神と人間との一体感を、己れの「福音」として生きた人であった。 ……しかも特権としてではなく!
この一刻を境にして少しずつ救世主の型のなかに混じり込んで来たものがある。 つまり、審判、および再臨の教え、犠牲死としての死という教え、 復活の教え、これである。この復活の教えによって「浄音」というものの 全概念、すなわち福音の一にして全なる現実性をなすものが、どこかへ 消えてなくなってしまった。−死後のある状態のためである!− パウロは、あらゆる点で彼の特徴となっている あのラビ的な厚かましさをもって、この問題に関する見解を、この見解の 無節繰を、次のように論理化したのである。 「キリストも死者の中より蘇らざりしならば我らの信仰もむなしからん」
ここにおいて福音はたちどころに変貌し、 あらゆる実現不能な約束の中でも最も下劣な約束、 個人の不死という恥知らずの教義となってしまった。 ……パウロ自身は、その上になお、 不死の報酬として説いたのであった!……
>>261 > >量子論におけるベル不等式の破れはどう考えるのかな?
> ポパーは遠隔作用の可能性を認めている
というのはいいんだけど、ここでの問題は実在についてだったんです
ベル不等式の破れが実在にどういった意味を持つか、ということだったんです
> 実在を前提にしない理論の方が稀有
そうかなあ…実在を前提にするってことは、自然科学のことをいってるんだよね?
量子論では、その実在って、どう解釈するのが妥当なんだろね
(量子論を前提にした理論は腐るほどあると思う…)
量子論では実在って、雲を掴むような話というより掴めてない話になってる、と俺は思うんだよね
実在するしないは関係なく、実験結果の実証を前提にしかしてないんじゃないかなあ
と俺は思うんだよ
(客観的実験状況という書き方もあるみたいだけど、平たくいえばこうなるんじゃないかな)
で、
> 実在を前提にした理論の可能性って、今、あるのかな…よく分からんけど
ということを考えちゃうんだよなあ
こんなんだから、こういう世界へ俺は逃避しちゃうんだろうけど
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1140273935/878 (何かしらの実在を考えないと俺は気持ち悪いし…)
なんか、えらいスレ違いみたいだし、この辺にしとこ…
>>266 ベルの不等式はEPRパラドクスに発想を得ている
EPRパラドクスとは、
量子論と相対論が同時に成立すると考えると、実在についてのわれわれの常識が敗れる
だから"量子論は間違っている"
というものだ
これにポパーの反証可能性のアイデアを得てつくられたものが「ベルの不等式」だ
ここで得られる実験結果は、量子論は実験によってテストされる内容をもつ、ということだ
これは量子論に素直に×印を打つのは科学的には素朴であるということだ
ここの関係は
「量子論」かつ「相対論」かつ「実在」→パラドクスをひきおこす
というものだ
ここで「量子論」と「相対論」が正しいから実在はないという考えを出すこともできる
しかし、実在を擁護するなら相対論の修正という手もある
EPRパラドクスでは光速不変原理から遠隔作用が禁止されている
これを修正して遠隔作用の余地を認めれば、量子論と実在はともに維持することも理論的に可能である
俺はポパーがここまでこだわる必要性はないと考えている
実在を認めることはポパーの理論には重要だが、
それを知識として得ることができるという知識テーゼは不必要だ
にも関わらずポパーが量子論の論争に進んで参加したのは
彼が哲学者として他と一線を引くのではなく、自然科学者の一人として量子世界に興味をもったからなのだろう
この辺にしとこと思ったんだけど、俺がおかしいと思う部分について…
>>267 > 量子論と相対論が同時に成立すると考えると、実在についてのわれわれの常識が敗れる
> だから"量子論は間違っている"
間違っているとはいってないと思うよ
量子論は正しいかもしんないけど、完全な理論じゃない、ということだと思うんだけど
> A. Einstein, B. Podolsky, and N. Rosen
> Can quantum-mechanical description of physical reality be
> considered complete?
>
> Physical Review 47 (1935) 777.
> In a complete theory there is an element corresponding to each element of reality. A
> sufficient condition for the reality of a physical quantity is the possibility of predicting
> it with certainty, without disturbing the system. In quanutum mechanics in the case
> of two physical quantities described by non-commuting operators, the knowledge of one
> precludes the knowledge of the other. Then either (1) the description of reality given
> by the wave function in quantum mechanics is not complete or (2) these two quantities
> cannot have simultaneous reality. Consideration of the problem of making predictions
> concerning a system on the basis of measurements made on another system that had
> previously interacted with it leads to the result that if (1) is false then (2) is also false.
> One is thus led to conclude that the description of reality as given by a wave
> function is not complete.
>>267 > 彼が哲学者として他と一線を引くのではなく、自然科学者の一人として量子世界に興味をもったからなのだろう
どうなんだろ
あくまでも、自然哲学者としてだと俺は思うけど…
『傾向性と非決定論的-実在論的世界像』
http://www.law.keio.ac.jp/~popper/v9n1kageyama2.html 『「観測問題」とポパー量子論』
http://www.law.keio.ac.jp/~popper/v10n2shinozaki.html (A.アインシュタイン,L.インフェルト,『物理学はいかに創られたか』, 石原純訳, 岩波書店, 1939, 下巻, p.189)
> 自然科学は単なる法則の集大成、無関係な事実のカタログではない。それは思索過程特有
> の自由に発想されたあらゆるアイデアや概念をともなった人間の知性の創造物である。物
> 理学の理論は、一つの世界像を形成する試みであり、この像と広い知覚領域との間の関係
> を確立する試みである。
(Popper, Quantum Theory and Schism in Physics, Volume III of the Postscript to the Logic of Scientific Discovery, London, Hutchinson, 1982, p.1)
> この宇宙についての、首尾一貫していて理解可能な描像を描くことは、自然科学と自然哲
> 学の偉大なる課題である。
>>268 「不完全」とは世界を描く内容があるかどうかということで、これは科学論と関わってくるだろう
正直、そんなことを考えたところで量子論についての考えは進展しない
アインシュタインは端的に量子論を否定している
アインシュタインはどうやって量子論を否定しようとしたのか(その試みは失敗だったとしても)
それを理解し論争を理解することが、量子論の世界を理解することにつながると俺は思う
>どうなんだろ
>あくまでも、自然哲学者としてだと俺は思うけど…
「自然科学者」と「自然哲学者」という言葉にはほとんど差異はない
昔は自然科学は「自然哲学」と呼ばれてた
>> この宇宙についての、首尾一貫していて理解可能な描像を描くことは、自然科学と自然哲
>> 学の偉大なる課題である。
われわれは課題と事実を混同すべきではない
課題は事実ではなく「当為」(ゾルレン)と呼ばれるものに属するものだろう
少なくとも「哲学」と呼ばれる文化に属するならばその区別を保つべきだ
ついでに言うと、ポパーは物理学の教授資格ももってたはず
>>270 > >> この宇宙についての、首尾一貫していて理解可能な描像を描くことは、自然科学と自然哲
> >> 学の偉大なる課題である。
とポパーは QSP で書いてたんだよね
> われわれは課題と事実を混同すべきではない
> 課題は事実ではなく「当為」(ゾルレン)と呼ばれるものに属するものだろう
> 少なくとも「哲学」と呼ばれる文化に属するならばその区別を保つべきだ
あくまでもポパーは量子論における、その「解釈」を問題にしてたと思うけどね…
>>272 だけでは、勘違いがあると思うので
>>270 > >どうなんだろ
> >あくまでも、自然哲学者としてだと俺は思うけど…
> 「自然科学者」と「自然哲学者」という言葉にはほとんど差異はない
> 昔は自然科学は「自然哲学」と呼ばれてた
といっても
>>272 > あくまでもポパーは量子論における、その「解釈」を問題にしてたと思うけどね…
というのは、自然哲学の領域だと俺は思ったからなのです
>>275 はゾルレン氏に向けてます、たびたび申しわけない
>>278 でもさ、
>>267 にあなたが書いた、ERP の実在も客観的実在を前提にしてると思うし、
何について、会話してたのか、わけが分からんかったりします…
>>279 >でもさ、
>>267 にあなたが書いた、ERP の実在も客観的実在を前提にしてると思うし、
してるだろうね
というか、客観的実在を前提にするからパラドクスが生じる
>何について、会話してたのか、わけが分からんかったりします…
とりあえず実在について考えてみることをおすすめする
>>280 > というか、客観的実在を前提にするからパラドクスが生じる
というのは、俺も分かってるよ…
別に俺も素朴実在論者でもないし、
あなたが素朴実在論者ではない、ということと今回の議論とは何にも関係ない、
ということを一度考えてほしいです
おやすみ…
このスレのキリスト教は何処へ行ってしまったのだ!?
283 :
考える名無しさん :2006/03/09(木) 14:56:46
この世にウンチマンは空想ではなく現実に存在します。 これは紛れもない事実です。 それでも否定する愚か者は ウンチマンが存在しないことを証明してください。
284 :
小さなヨハネ :2006/03/09(木) 23:56:56
皆さんが何を言っているのかよく分かりませんが、皆さんも自分が何を言っている のか分かっていないような気がします。 キリスト教の定義も人によって様々でしょう。邪教と堕したキリスト教を指して 邪教と言う人やアタナシウス以前の原始基督教を指してそれはまともであると 言う人もいるでしょう。表題のニーチェの本を一度読みましたが内容は忘れて しまいました。ニーチェも後世の所謂キリスト教を見てそう言ったのでしょう。
特定の宗教に立脚した立場で物を言っても哲学にゃならん。
286 :
考える名無しさん :2006/03/10(金) 01:02:00
そういうのでも哲学者と呼ばれる人もいるけどね。
それはニーチェ以前の「哲学者」じゃないの
288 :
考える名無しさん :2006/03/10(金) 03:30:00
>>284 もう一度読み直してごらん。
ニーチェはキリスト教の誕生から現在までの歴史を否定しているんだよ。
神を勝手に引っ張りだし、 自分の言う事を聞かない人間は問答無用で地獄に叩き堕とす。 死ぬ事を否定し生を堕落させ実現不可能な約束を取り付け 善の為に生きるなどと言う糞偽善者、それがキリスト教とその僧侶どもだ。
290 :
考える名無しさん :2006/03/10(金) 20:54:42
キリスト教の信者はMだから攻撃すればするほど快感を感じる。 むしろ無視するか、からかえばいい。 そういう意味で、この超訳は成功していると思う。
291 :
考える名無しさん :2006/03/11(土) 02:26:29
おまえらって日本人の考えかたすぎるよ、普通にネイティブはわきまえている。
292 :
考える名無しさん :2006/03/11(土) 19:44:19
>>289 まぁ、要するにそういうことなんだけど、それだと少し語弊があると思うな。
それは、ニーチェの考える歴史的に起こった事実なのであって、それまで生きてきたキリスト教徒たちにも、いくらか種類がある。
そして、興味深いことに、誰もそのようなことが起こっているとは思えなかった(思わなかった、ではない。不可能だったのだ)。
まず、ユダヤ教徒。
彼らは歴史的に何だかよくわからないがヤケに虐げられていた。
理由をいくら考えても釈然としない。
そこで、神は云々、という説を考え出したわけだ。
次に、イエス。
彼はニーチェに言わせればブッダみたいな事を主張した人であり、白痴のように無垢であった。
で、こいつ、パウロ。
こいつが初期キリスト教をその出鼻から挫いてしまった。
彼はキリストの死をもってユダヤ教を当時の宗教としては決定的な論理整合性(に見えるもの)を持つキリスト教にしたのだ。
まぁ、そのあとルターが出てきたり、ブルジョアが恥知らずになったりするわけだが、そこは省略。
で、なんでみんなこれが嘘だと、言おうとすら思わなかったか。
これの肝心さが、普通の日本人にはわかりにくい点ではないか。
まず、初激が否定であるという点がある。
否定は、現実があって、その後で、なされるものだから、いくら否定しても現実が変わることはないので、否定しきれない。
しかも、そこで、否定しきれないならあきらめればいいじゃん、ってのは浅はかな考えで、否定ってのは、し始めるとやめられないわけ。
これをルサンチマンというんだな。
だから仏教は凄いんだよ、あきらめちゃうから。
で、これと同じくらい重要なもう一つの理由が、奴隷根性、あるいは、臆病。
要するに、裸のおおさまが裸だなんて誰も言えないってことだ。
自分がバカだと思うしかない。
そうでなきゃ、目の前の苦痛に耐えられないし、周りからたたかれるし、天国にいけなくなるかもしれない。
こんなことが起こっているなんて、普通は誰も言えない。
だから、ニーチェは偉い。
293 :
考える名無しさん :2006/03/11(土) 19:47:33
と、素人の俺は思うわけ。 訂正すべき点があったら、よろしく。
294 :
小さなヨハネ :2006/03/11(土) 21:23:31
>>289 おかげさまで読み直してみました。しかし、ニーチェはまさに自己崇拝その
ものであって、神など全く否定している無神論者であるということがよく分
かりました。神と富とに兼ね仕える当わずです。
こんなものを皆さんは有難がっていてはいけません。レベルが低すぎます。
295 :
小さなヨハネ :2006/03/11(土) 21:35:41
実に神を認識するということはなかなか大変なことであり、神を認識出来 ない哲学者など話しになりません。無学な市井の人間でも、神や仏を認識 しているならその知恵は凡百の学者を遥かに凌駕しています。
296 :
小さなヨハネ :2006/03/11(土) 21:53:07
皆さんはまだ自分で認識することが出来ないので、世間ですごいと言われる と額面どおり受け取るのでしょうが、(皆さんだけでなく、学者も得々と して通説を支持する者は多いでしょう)この本などおよそくだらないものの 一つです。
297 :
小さなヨハネ :2006/03/11(土) 21:56:57
298 :
考える名無しさん :2006/03/11(土) 22:14:09
はい、邪教です。 完 制作・著作 ―――――――― 場末 2ちゃん
キリスト教というか宗教は使う人によって薬にも勝るものにもなるし、毒にも 勝るものにもなると思う。まあ、選択することすらできない宗教は別だけど。
300 :
考える名無しさん :2006/03/12(日) 01:24:41
>>294-297 あなたには読解能力がないみたいですね。
キリスト教信者の悲しいところです。
どのように読んだら、ニーチェは神の存在をまったく否定しているといえるのでしょうか。
ニーチェが否定しているのは、神ではなく、キリスト教の神です。
301 :
考える名無しさん :2006/03/12(日) 02:47:20
ニーチェは仏教とウンチマン教を褒めている
302 :
小さなヨハネ :2006/03/12(日) 11:27:50
>>300 本書P36〜P39を読むと明らかに彼は神を人間の想像の産物と見なしています。
そういうものを神と呼ぶならそうでしょうが、そんなものは本来の意味の神では
ありません。神とは万物の創造主のことです。彼は万物の創造主を信じている
訳ではないでしょう。すなわち彼はキリスト教の神のみならずすべての神を否定
する単なる無神論者です。
哲板にもプロ市民っているのかね
いや、プロ固定だった。
神なんて居ても居なくてもどうでも良いが、 少なくても俺は現実性の欠片も無い キリスト教なんて信じる事はできんね。 まぁ本人が信じたきゃ勝手に信じろよ、て感じ。
306 :
考える名無しさん :2006/03/12(日) 13:50:57
汝隣人を愛せよと、キリスト教はこれを守れているのか? 隣人は悪の枢軸としてないか?国から個人にいたるまで。 まあできないから許しを請うのだろうけど、どうもキリスト教は キリスト教以外の人よりも排他的な気がする。
307 :
考える名無しさん :2006/03/12(日) 14:01:08
>>292 に言及がないのが疑問。
>>306 アメリカはキリスト教徒の皮をかぶった資本主義教徒です。
そして、それが出てくる土壌がプロテスタントのキリスト教だというのが、邪教本の主張だろう。
とりあえずキリスト教だといえそうな国家はバチカンくらいだろう。
本来の意味の神を知ってるってあなたはキリストか? 万物の創造主だと信じているということは、万物の創造主だと固く想像していることではないのか? 逆を言えば、想像の産物と言うかたちで、信仰をもととする宗教を分析し、想像と言う形として神の存在を認めているではないか。
309 :
小さなヨハネ :2006/03/12(日) 19:59:45
>>308 ご指摘は言葉の定義の問題かもしれませんが、彼は人間が神を創造すると言って
おり、それは逆でしょうと申し上げているのです。神が人間を創造するのであって
人間が神を創造するのではありません。それは神の定義に反しており、それを神と
呼ぶのは間違いです。
『それ以来、彼らは自らの神を創造しなくなってしまいました。2000年もの間、
新しい神は生まれず・・・』P42
日本人なら、神道 だろ
311 :
考える名無しさん :2006/03/13(月) 00:33:34
>>309 小さなヨハネさん。
あなたの理解はまったくの正反対です。
普通に本を読むことができないのですか。
ニーチェは本来の神(善悪の彼岸にあるもの)が、キリスト教(善のみの神)
という人工的な神に入れ替わってしまったことを批判しているのです。
ニーチェはキリスト教が都合のいい神をつくりだして、利用したことを批判しているのです。
『キリスト教は邪教です』には、きちんとそう書いてありますが。
312 :
考える名無しさん :2006/03/13(月) 01:07:42
キリスト教徒の立場からニーチェを読めば、小さなヨハネさんの 言ってることで、だいたい合ってると思うけど?
日本のキリストは日蓮ということで
314 :
考える名無しさん :2006/03/13(月) 02:11:36
315 :
考える名無しさん :2006/03/13(月) 02:14:24
クリスチャンの哲学者なんて、いくらでもいますが?
316 :
考える名無しさん :2006/03/13(月) 20:53:39
だから何?
クリスチャンの哲学者(哲学者?) なんかに真理なんて分かるのかよ?
318 :
小さなヨハネ :2006/03/13(月) 23:55:49
>>311 >ニーチェは本来の神(善悪の彼岸にあるもの)が、キリスト教(善のみの神)
>という人工的な神に入れ替わってしまったことを批判しているのです。
本書でニーチェの言う本来の神とはどういうものですか。頁も教えていた
だけますか。
319 :
小さなヨハネ :2006/03/14(火) 00:10:20
>>1 >1イエスとキリスト教は関係ない
>2西洋の哲学者はほとんどがインチキ
>3キリスト教が戦争を生み出す
>だそうな。ホンマかいな?
1.関係ないようなキリスト教もあるでしょうが、それは最早キリスト
教とは言えません。主イエス・キリストを神として認識するのが本来の
キリスト教であって、関係は大有りです。
2.哲学者を殆ど知りませんが、もしそうなら、ニーチェなどその筆頭
でしょう。
3.戦争するのは人間がその欲望や誤謬からすることで、キリスト教で
戦争が起るのではありません。よくそういう意見を見聞きしますが、
全く初歩的な間違いです。
320 :
考える名無しさん :2006/03/14(火) 00:39:41
俺の神は俺の信念です。
1 パウロ教をイエスと関係ないと言うなら、その通り。 2 然り! ただし、それを容認するなら、全てがインチキと言わざるをえない。 3 かつてそうであったし、これからもそうである。
322 :
考える名無しさん :2006/03/14(火) 04:04:46
>>318 たとえば38ページ。
「悪いことにおいても、善いことにおいても、神は必要とされるのです。
それが本当の神の姿です。
神の持っている一面を捨ててしまって、単に善のみの神にしてしまうことはできません。
悪い神は善い神と同様に必要なのです」
ニーチェが単純な無神論者だったら、ここまでの影響力を持ちえないと思いますよ。
219 :考える名無しさん :2006/03/02(木) 02:00:49 キリスト教の神はキリスト教徒の神にすぎない。 ノンクリスチャンに布教するのは争いの元。 まして他の神を信じている人に、ゴッドこそが真実、とは横暴にもほどがある。 門戸は誰にでも開かれているなら教えを求める人のみが門をたたけばいい。 教えるために門の前まで連れてくるのは横暴だ。 220 :考える名無しさん :2006/03/02(木) 02:14:06 クリスチャンがキリスト教という組織を構成する。 イエスの精神は、キリスト教会が存続するためという至極現世的な目的によって行なわれる横暴な布教方針に反映されていない。 イエスの精神は、クリスチャン自身の手によって貶められている。 よってイエスとキリスト教会は関係がない。 221 :考える名無しさん :2006/03/02(木) 02:20:42 西洋の哲学者は、特にローマカトリック成立以後は、 キリスト教会が作り上げた「真実」を真実だと仮定した上で哲学的態度をきめていた。 しかし実際は、それは作られた真実であるかも知れず、虚構であるかもしれない。 その「真実」という意味だけが浮き彫りになり、真実とは何か疑わない。ただ真実を求める。 キリスト教の土台に乗っかっている限りインチキだ。 1のインチキの意味はよくわかってないが…。 222 :考える名無しさん :2006/03/02(木) 02:33:54 しかし神の実在、ひいてはまた、宗教の存在には意味はある。
喧嘩をやめて〜、二人を止めて〜、私のために〜、争わないで〜♪
325 :
小さなヨハネ :2006/03/14(火) 20:23:58
>>322 彼は人間の作った何かを神と言っており、それは本来の神ではありません。
神という言葉を使えばすべてそれは神というのはあまりに幼稚な欺瞞です。
騙されてはいけません。
326 :
小さなヨハネ :2006/03/14(火) 20:44:05
この本を読んでいると、全体主義の中国や北朝鮮の日本に対する言い がかりを聞いているような気がします。そこにあるのは虚偽と欺瞞と 悪意だけです。
327 :
小さなヨハネ :2006/03/14(火) 20:45:22
こんな醜悪なものをよく皆さんは崇拝するものです。
>こんな醜悪なものをよく皆さんは崇拝するものです。 つキリスト教
329 :
考える名無しさん :2006/03/15(水) 05:00:12
>>325 論破されたら八つ当たりですか?
あなたはキリスト教徒以前に、人間としてクズですね。
>>322 神=善=必要悪
てことか?神と悪魔が一緒にならん?
331 :
考える名無しさん :2006/03/15(水) 18:42:05
オモロイなこのスレ
332 :
考える名無しさん :2006/03/15(水) 21:16:18
333 :
考える名無しさん :2006/03/15(水) 22:44:56
現在の宗教なんて ぜんぶ邪教でしょ
334 :
小さなヨハネ :2006/03/15(水) 23:22:45
>>329 >論破されたら八つ当たりですか?
>あなたはキリスト教徒以前に、人間としてクズですね。
ははは。何をどう論破されたのでしょう?
335 :
考える名無しさん :2006/03/16(木) 16:44:32
戦争の歴史を調べているが、相手に無条件降伏、さもなければ皆殺し を迫り、特に大規模かつ残虐な殺戮を伴ったすべての戦争には、キリ スト教の思想が関与している。 二度にわたる大戦、および内戦を含む無数の戦争において、合計すると 「最も多くの人間」を殺したのは、疑いなくキリスト教徒である。 イスラームは、相手が金を払えば強制改宗や皆殺しはしなかった。しかし、 キリスト教には、それが出来ない。 往古のモンゴルも、景教の影響を受けていた。1996年のウガンダに おける100万人の大虐殺にも、キリスト教が絡んでいる。 「あなたのして欲しいことも、他にも施せ」「神の国待望」という、キリ スト教の教義の表れである。その背後にあるのが、イエスの狂気から発した 「愛」の観念である。
小さなヨハネには323を読破してもらいたい
337 :
小さなヨハネ :2006/03/16(木) 22:52:36
>>336 323はあまりに支離滅裂なので、なんともコメントのしようがありませんが、
たとえば一つ例をとって説明しましょう。
>キリスト教の神はキリスト教徒の神にすぎない。
創造主なる神は唯一ですので、それは誤解です。唯一の神はどんな宗教に
とっても唯一の共通の神なのです。キリスト教徒も回教徒も(大乗)仏教徒も、
皆さんも、実は同じ神を崇めていることを知らないのです。
338 :
小さなヨハネ :2006/03/16(木) 22:59:30
>>335 何べん言っても分からないようですが、キリスト教を名乗ればそれが
本当のキリスト教だと思うのはニーチェ程度の全く幼稚な間違いです。
宗教で戦争しているのではないのです。戦争は人間の自己愛や誤謬か
ら来るものです。回教同士なのにスンニー派とシーア派が抗争するの
をみたら理解できるでしょう。
339 :
小さなヨハネ :2006/03/16(木) 23:02:31
哲学板といっても、皆さんはおよそ非論理的なのにあきれます。
340 :
小さなヨハネ :2006/03/16(木) 23:11:49
二―チェの出鱈目をはいそうですかと鵜呑みにするなら、中国から日本 は南京で30万人殺したと言われてはいすみませんというのと同じくらい 愚かです。本当かどうか少し考えたらどうでしょう。嘘はあくまで嘘な のです。
341 :
考える名無しさん :2006/03/16(木) 23:14:54
キリスト教も永い歳月の中で変わったんだろうな。 組織が拡大すれば、てっぺんと底辺の差は増すし、 未熟な底辺が広告塔になってるせいもあるかな。 個人的には自ら出向いて学び得てもあえて外に広げないスタイルが好き。 キリスト教には、サソウとイザナウの違いが無いのかな? 元もとの文化がごく最近の人が歩き始めてからなんだろか。
342 :
考える名無しさん :2006/03/16(木) 23:32:39
アメリカが原爆で実際に無差別大量虐殺をやったのを正当化するために 日本が南京でそれと同じくらいの数の大量虐殺をやったと嘘の数字をでっちあげて 自らを正当化する行為は現実に彼岸を対抗させてきたキリスト教社会だからこそ出てきた発想だろ。 北朝鮮の政治のやり方も現状は悲惨で目を覆うばかりなのに生活基盤の実質的改善をしないで いいことはみんな指導者のおかげで悪いことは全て日本、米のせいというと主張するやりかたは 政治というより独善的な宗教の論理を思わせる。
343 :
考える名無しさん :2006/03/16(木) 23:34:29
>>338 すぐに人間のせいにして、人間に責任を押し付けるのが、キリスト教の
常套手段。キリスト教にとっては、すべての人間が「罪人」だそうだか
ら、当然のことだろうが。
生来は善である人間が、イエスを信じたばかりに狂わされ、そうなった
ことを、忘れてはならない。イエスの狂気に感応したのである。それと
も、生来悪である人間ばかりが、イエスを信じたとでも。
すべての戦争の背後には、イエスの教えがある。
344 :
考える名無しさん :2006/03/16(木) 23:40:42
アメリカも北朝鮮も是非はともかく思いっきり正直に生きてるのに、 ネコを被ってる日本が安目を負うのは当たり前。 で結局すげー責任背負わされて大きくなって行くのであった。 めでたしめでたしじゃん。
>>337 具体的にどこが「支離滅裂」なの?
>キリスト教徒も回教徒も(大乗)仏教徒も、
>皆さんも、実は同じ神を崇めていることを知らないのです。
この「神」ってキリスト教で言う三位一体説は当然含まれているんだよね?キリスト教で神というんだから。
だとするなら、イエスと仏陀は同じように崇められるべきだと言うこと?マホメットとイエスは同格ということ?イエスは預言者?支離滅裂じゃない?
非論理的ってどんなところを言ってるの?
本当のキリスト教って何?本当のキリスト教なんてあるの?
バチカンが本当のキリスト教?それともルター派?一度バチカンから放逐されたイエズス会は偽のキリスト教になるの?
>戦争は人間の自己愛や誤謬か
>ら来るものです。回教同士なのにスンニー派とシーア派が抗争するの
>をみたら理解できるでしょう。
というけど、「同じ人間なのに」キリスト教徒がイスラム教徒に戦争を仕掛けるのはなぜ?その逆も然り。
自宗教に対する自己愛はそこにないの?
十字軍の遠征はどう説明できるの?またブッシュは神の名の下にイラク戦争をはじめているけど、あれは何?
南京大虐殺はその虐殺された人の数が10万なのが問題なの30万なのが問題なの?
それとも数はいくらでもよくて、原爆投下同様に、いわれない民間人が虐殺されたという事実自体が問題なの?
あくまでも罪を認めないと言うことが、神の教えなわけだね?
ニーチェ以前に小さなヨハネの説明事態に出鱈目さ、論理的非一貫性を感じる。キリスト教理解も浅いかと思う。
346 :
考える名無しさん :2006/03/17(金) 01:00:44
>>345 >ニーチェ以前に小さなヨハネの説明事態に出鱈目さ、論理的非一貫性を感じ
>る。キリスト教理解も浅いかと思う。
クリスチャンは、みな、同じようなものだよ。宗教板のキリスト教談話室に行って
ご覧。コテハンたちが、24時間中、とめどもなく愚にもつかない戯言を書き
こんで、完全な狂乱状態。
イエスを信じると、あのように気が狂うのは、一体何故だろうか。イエスの
の狂気の感染としか思えない。
347 :
考える名無しさん :2006/03/17(金) 01:20:57
どんなに自分たちが罪を犯しても、キリストを信じてさえいれば 最後には必ず救われるという発想が、西洋社会の独善的な価値観を生むと共に 彼ら(西洋人)があえてリスクを犯すことに対するも勇気も育んできた。 日本人が「清水の舞台から飛び降りる」といった慣用句で表現する行為判断は キリスト教徒にとっては神の名の下で完全に正当化されうる英断となり 教会の追認を通じてさらなる社会的正当性を帯びることとなる。 結果、キリスト教徒たちの熱烈な行動意欲は教会の名の下に統制され 宗教的統一性を持たないアジア社会などと比べてはるかに“人為的”な 大衆世論の操作が「一部の頭のいい人たち」によってはできるようになる。 教会の最高指導部としてのバチカンは、今でこそその勢力が衰えてはいるものの キリスト教を通じて醸成された彼ら西洋人の行動規範は、フリーメイソンなどの ゆるやかなつながりを通じて今でもその枠組みを保全し続けている。 もしキリストが、上記のような西洋社会の枠組み的発展をあらかじめ予測して 自己の言行に及んだのであれば、やはりキリストは(西洋)社会の発展を 決定付けた(地域限定の)救世主だったといえなくもないだろう。
348 :
考える名無しさん :2006/03/17(金) 03:24:17
宗教=金儲け
349 :
考える名無しさん :2006/03/17(金) 06:43:28
350 :
小さなヨハネ :2006/03/17(金) 23:12:24
うーん・・・。まったく皆さんの無知と非論理性には敵いません。本物と偽物の 区別がつかないのですから。泥棒が私はやっていませんと言ったら、ああそうで すかと信じるのですか。ニーチェが神を信じますと言っても、その神とは真の 神ではないのです。例えばそういうことです。所謂キリスト教徒が言う神も 実はそれに近いのです。
351 :
小さなヨハネ :2006/03/17(金) 23:15:20
そもそも皆さんの信ずる神とは何ですか。私に反論した方は参考までに 言ってみてください。そうすれば、それらがいかにあやふやなものか分 かるでしょう。
一神教がなくなれば世界は幸せ 一神教こそがサタン
小さなヨハネさんは、
>>347 の意見にはどういったご見解をお持ちですか?
一応この場合、キリストが“ご当地もの”の救世主であることは
どのような側面においても否定していないわけですが。
>>351 いいや、私は無学なので神がなんなのかもよく分からないのですよ。
その前に小さなヨハネさんの信じる神というものはなんであるのか
ということを教えていただきたいのですが。
>>491 まあ、日本の思想界なんて
西洋哲学を適当にあしらっただけでいい気になってる
芥川みたいなのを祭り上げてる世界だから、
男と女の間に確固たる区別なんて付けられるはずもないわな。
そういう点から見ればある意味、近年の文芸賞が
婦女子に乗っ取られつつある(というよりもう既にry)
のも当然の帰結だといえないこともない。
356 :
355 :2006/03/18(土) 04:19:59
誤爆です。
357 :
考える名無しさん :2006/03/18(土) 08:56:51
小さなヨハネに、キリスト教の典型的な薄汚さを見ることができるね。 泥棒を例にだすなら、キリスト教こそが泥棒集団だろう。
宗派の違いで数百万人殺し合ったアホ宗教と聞くけどさ、 なんかキリスト教徒でいいことした人いるの?
359 :
小さなヨハネ :2006/03/18(土) 11:02:42
>>353 そもそも真のキリスト教を知らないなら、その上にどのような考えを構築
しても砂上の楼閣(誤謬の上塗り)です。例えば347の次の説もそうです。
>どんなに自分たちが罪を犯しても、キリストを信じてさえいれば
>最後には必ず救われるという発想が、西洋社会の独善的な価値観を生むと共に
>彼ら(西洋人)があえてリスクを犯すことに対するも勇気も育んできた。
そこまで言えるのか私には分かりませんが、まあ見方によってはなるほどそう
かもしれません。しかし真のキリスト教では刑罰代償説や信仰のみによる義認
説など在り得ないのです。
「父は子のゆえに死に定められず、子は父のゆえに死に定められない。
人はそれぞれ自分の罪のゆえに死に定められる。」(申命記24・16)
「わたしは悪人を正しいとすることはない」(出エジプト23・7)
「わたしはそれぞれの行いに応じて報いるのである」(マタイ16・27)
「主は人の業に従って報い」(イザヤ59・18)
「わたしは、あなたがたが行ったことに応じて、一人一人に報いよう。」
黙示録2・23
至極当たり前であって、キリストを信じていたらどんな悪いことをしても
救われるなどというのはナンセンスであることくらい常識で分かるでしょう。
ですから、すでに間違ってしまったものの及ぼす悪影響について、その指摘が
仮に正しくとも、本来のキリスト教まで間違いだと思うのは論理的に飛躍して
いるのです。
360 :
小さなヨハネ :2006/03/18(土) 11:21:00
>>354 私の信ずる神とは万物の創造主たる唯一の神、そして今もすべての存在を
支えておられる神その方です。そしてその神は人間の姿を取ってこの世に
現れました。それが主イエス・キリストです。つまり、主イエス・キリスト
は父なる神ご自身です。私は主イエス・キリストを父なる神ご本人として
信じています。
361 :
小さなヨハネ :2006/03/18(土) 11:29:59
所謂キリスト教における間違いはこのキリストを何と考えるかに起因する 間違いです。使徒時代のキリスト教徒は主イエス・キリストが神ご自身で あることを知っていました。しかし、後世になりそのことが信じられなく なってしまいました。ニケヤ公会議の三位一体論はその結果です。 それ以降はキリスト教といっても真のキリスト教ではないのです。 皆さんの知っているキリスト教とはそれなのです。
362 :
考える名無しさん :2006/03/18(土) 11:46:53
>>359 絶対伸で正邪を線引きしたのがキリスト教なんですか? つたない質問ですみません。
>>359 ちょっと誤解してらっしゃいますね。
>347は別にキリスト教の教義に関して何らかの意見を述べているわけではなく、
ただ事実としてキリスト教徒を自認する西洋人たちが(教義を誤謬しているにしろ)
キリストの名の下に人種差別や植民地支配などの人道的罪悪を犯し、その結果
自国や自民族への利益誘導のルートを確立して自分たちの繁栄を獲得したという
その事実のみを鑑みて、もしかしたらキリストはそれらの経済的効果まで見抜いて
自身の教説を流布したのではないかと意見を述べているだけなのです。
つまりここで問題になってるのは、キリストの教義を真に理解している人間ではなく、
キリストの教義を自分の都合のいいように解釈してそれを利用する人間なわけです。
ここでキリスト教の問題点について議論しようとしている人の大部分が述べようと
しているのはこの、キリストの教義に対する誤謬を犯した人々に対する意見であり
そこを基点に話をしようとする人々と、イエスの真なる教義を基点に話をしようとする
小さなヨハネさんとの間に議論の食い違いが生ずるのは当然のことなわけです。
どちらかといえば、ここで「砂上の楼閣」を築き上げようとしているのはヨハネさん、
あなたのほうではないかと思いますよ。
364 :
考える名無しさん :2006/03/18(土) 16:06:38
聖ニコラウスは泥棒の守護神だね
365 :
考える名無しさん :2006/03/18(土) 16:10:11
泥棒が悪いとは言ってませんので誤解の無いよう
366 :
考える名無しさん :2006/03/18(土) 17:48:50
大英博物館に行けば、キリスト教が世界最大の泥棒集団だったことがわかる。 実際にやったことは、泥棒より強盗に近いが。
泥棒は悪いだろう。 他の人の権利を否定するんだから。 それが許される権利が泥棒にあるとは思えない。 単純にいえば所有権を無視する行為は許されない。
368 :
考える名無しさん :2006/03/18(土) 19:17:45
端的に言うと、所有権の設定自体キリスト教的で怪しいもんなんですよ 人類の普遍的な感性はもっとおおらかだったんですね。
369 :
考える名無しさん :2006/03/18(土) 19:18:49
あの嫉妬深く、猜疑にみちた神は世界をどのようにしたいのでしょうか
370 :
考える名無しさん :2006/03/18(土) 19:24:17
>369 あの嫉妬深く猜疑にみちた契約の神は、世界を、その愛で包もうとしているのです。
371 :
考える名無しさん :2006/03/18(土) 22:36:38
あんまり包まれたくないな……。
372 :
考える名無しさん :2006/03/18(土) 22:55:33
..⌒ヽ ' ⌒ヽ /.|:::::::::::| 乂乂|| |乂乂|| | |:::::::::::| 乂乂|| |乂乂|| ___|_|:::::::::::|___ 乂乂|| |乂乂||. /|:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|  ̄ ̄  ̄ ̄ .l |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| _____.. .|/ ̄ ̄./|:::::::::::| ̄ ̄/ ||L L | L L ||  ̄ ̄ ̄| |:::::::::::| ̄ ̄ ||L L | L L ||_________ .| |:::::::::::| ===========l| L L |=================...| |:::::::::::|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∧_∧ _____| |:::::::::::|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|......( ´Д`)_______| |:::::::::::|__ ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: | / (S)::::::|\ | |:::::::::::| \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| \ \|:::::::::::|.. \ ______/(___ | \.  ̄ ̄ / | 邪教徒に神罰が下りますように… \
373 :
小さなヨハネ :2006/03/18(土) 23:34:57
>>362 意味がよく分かりませんが、神は相対的なものではなく、絶対唯一であり、
正邪の別も神から来る正義と真理によって初めて判断されるものと思います。
374 :
小さなヨハネ :2006/03/18(土) 23:49:31
>>363 誤謬を犯した偽りのキリスト教についていくら議論してもつまらない
ように思います。何のためにそんな議論をするのですか。最終的に
問題は摩り替えられ、結局それはキリスト自身を攻撃することが目的
のように思えます。
>>363 の次の意見などまさにそれです。
>もしかしたらキリストはそれらの経済的効果まで見抜いて
>自身の教説を流布したのではないかと意見を述べているだけなのです。
万人にとっての主なる神がそんな馬鹿なことをするはずはないではな
いですか。どうしてそんな愚劣なことがあるでしょう。
375 :
小さなヨハネ :2006/03/18(土) 23:51:59
皆さんは神についての考え方が全く誤っており、実は神など信じては いないのです。ニーチェがそうであるように、単なる無神論者なの です。
376 :
小さなヨハネ :2006/03/18(土) 23:59:11
>>365 泥棒が悪でないなら何が悪ですか。どうしてそんな非常識な議論が
できるのですか。その非常識さで語ることなどすべては誤謬です。
377 :
考える名無しさん :2006/03/19(日) 00:08:34
確かにバンパイアになってしまえば、吸血される恐怖は消えるけどね。 キリスト教の布教によって安定した共同体が個人に分断され、 横軸の繋がりが破壊された、不幸な例はたくさんあるように思うな。
宇宙や世界を知ろうとすると、どうしてもキリストに行き着かざるを得ない。 だけど自分はキリスト教徒ではない、キリストに帰依したいと思ったこともない。 だけどこれだけは言わせてくれ。 この世界に“原点”は必要だ。 この世界に原点が存在することを肯定しない限り、 世界はいつまでも混沌の闇に包まれることになるだろう。 もしイエス・キリストが世界の原点の代役(ことによっては主役)を 果たしてくれるというのであれば、僕は今にでも貴方の弟子となって 宇宙の真理を人々に知らせるだろう。 どうですカ? 私はキリストを信じるべきですか?
神が唯一絶対だとしたら、イエスとシヴァ神は一つなの? 神ってのは、キリスト教徒にとっては、イエスでありヤハヴェーであり、 ヒンデゥー教徒にとってはシバ神やビシュヌ神やら諸々なんだろう。 神は唯一絶対だと「主張」する人は、唯一神を「信じている」人であり「その人の世界」での話であって、 「現実的な真理」ではない。「神は様々」だと考える人がいるんだから、神はすでに多数存在しているんだよ。 単に創造神だけを崇めるのはヘブライ文化での考え方ってだけ。 小さなヨハネはそのことはわかってないよね。よくわかってないのにキリスト教に入信したから非クリスチャンと齟齬が出てきてるんだと思う。 神とは現象にすぎない。 378は、別にキリストじゃなくてもいいよね。 キリストも仏陀も孔子もソクラテスも信じればいい。
380 :
考える名無しさん :2006/03/19(日) 07:06:54
381 :
考える名無しさん :2006/03/19(日) 09:41:20
神もうんこするのかなあ?
382 :
考える名無しさん :2006/03/19(日) 12:21:14
>>373 正義と真理を持つ絶対神とういうのが危険なんじゃないかなあ
その神を正義と真理と判断するのはだれなの?キリスト教徒でしょ。
神→キリスト教徒→神… 責任の所在がない。
少なくともほかの真理を認める謙虚さが必要では。
>>374 とりあえず、あなたが>363の中から引用した意見については、
憶測の範囲を出ることはないため、捨て置くことにします。
問題はあなたの
>誤謬を犯した偽りのキリスト教についていくら議論してもつまらない
>ように思います。
という意見です。
小さなヨハネさんがどう思うかはともかく、多くの現実主義的な日本人にとって
キリスト教が現世においてもたらし続けてきた影響を検証することは、むしろ
勉強の進んでいない(というよりも勉強できる境遇にない)キリスト自身の教説
に関する検証よりも急務なこととして受け止められるのです。
それをすることなく、無条件に(正当性の疑わしい)キリスト教を受け入れたことで
西洋社会の餌食になっていった国や地域は星の数ほどにも上るからです。
もし小さなヨハネさんが、本当の意味で、日本人たちの、イエスの真なる教えに対する
誤謬を解消したいと思うのであれば、たとえそれがつまらないにしても
(主に)西洋社会がイエスの名の下に繰り返してきた罪悪の数々について
効果的な意見を述べる必要があると思います。それができない限りは、
あなたのここでの議論は「独りよがり」の範疇を出ることはないでしょう。
384 :
考える名無しさん :2006/03/19(日) 15:36:23
>>374 誤謬を犯した偽りのオウム真理教についていくら議論してもつまらない
ように思います。何のためにそんな議論をするのですか。最終的に
問題は摩り替えられ、結局それは麻原彰晃自身を攻撃することが目的
のように思えます。
って、ことなんでしょうかね??? 嫌だね邪教は。
小さなヨハネの言っている神も、 キリスト教を聞いて小さなヨハネ自身が 妄想し生み出した偶像に過ぎない。 キリストの妄想を、さらに妄想しただけ。
386 :
小さなヨハネ :2006/03/19(日) 18:27:12
>>378 >宇宙や世界を知ろうとすると、どうしてもキリストに行き
>着かざるを得ない。
>この世界に原点が存在することを肯定しない限り、
>世界はいつまでも混沌の闇に包まれることになるだろう。
>私はキリストを信じるべきですか?
その通りです。しかし、キリストを信じるためにはキリストを
知らなければなりません。なぜなら人間は知らないものを信じたり
愛したりすることはできないからです。
キリストが神ご自身であることを知らなければ信じることはできません。
そのためには学ばなければなりません。スウェーデンボルグの
『真のキリスト教』を読む事をおすすめします。そこには驚くほどの
真理がつまっています。
ヨハネ14・7−11
「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ること
になる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」
フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば
満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに
長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者
は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言
うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信
じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているの
ではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのであ
る。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言
うのを信じなさい。」
そうすれば、目が開き、主(イエス・キリスト)が父ご本人であることが
理解できるようになるでしょう。
387 :
小さなヨハネ :2006/03/19(日) 18:31:29
>>379 >神が唯一絶対だとしたら、イエスとシヴァ神は一つなの?
恐らく同じです。唯一の神の様様な特性をそれぞれの観点から描写した
ものが、それぞれ名が付けられ、別の神のように思われるに至るからです。
多神教の起源はそういうことです。それらの神々の名は唯一の神のたくさ
んの特性を意味しているに過ぎないのです。
無神論者にはこういうことを説明しても全く理解できないようですが、
少しでも理性(知性)のある人なら理解できるでしょう。
388 :
小さなヨハネ :2006/03/19(日) 18:42:36
今の質問はまともな方です。 宗教板もそうですが、哲学板の皆さんの知性もおよそ低いことに あきれます。泥棒も悪くない、嘘も平気(一人二役、三役など平気) というのではその知性・品性を疑います。ニーチェの言っていること などお話にならないのに、ニーチェレベルの反論しかないのでしょうか。 もう少し向上してください。
389 :
考える名無しさん :2006/03/19(日) 19:38:56
>>388 >宗教板もそうですが、哲学板の皆さんの知性もおよそ低いことに
>あきれます。
木の実1個食べたら、人類全体が永遠に罪人になった、聖霊によって
妊娠した、死者が生き返った、人間であるイエスが世界を創造した、
犯罪者イエスが処刑されて人類の罪を贖った、などと大真面目に信じ
込むことが、知性ですかw。むしろ、知性と批判力の完全な喪失です。
390 :
考える名無しさん :2006/03/19(日) 19:40:50
>嘘も平気(一人二役、三役など平気) 月とスッポンと、馬と鹿と、泥棒と煙突が同じじゃだめ?
391 :
考える名無しさん :2006/03/19(日) 20:05:44
>>388 小さなヨハネさんは人を挑発するのがお好きなようですが、
それも父であるイエスの教えに則ったものなのでしょうか?
392 :
小さなヨハネ :2006/03/19(日) 21:28:26
>>389 少しスウェーデンボルグを読んでから反論してみてください。
話になりません。
>>391 ははは。愛の鞭も愛なのです。洗者ヨハネに較べたら私などソフト
そのものです・・。
「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。
悔改めにふさわしい実を結べ。」ルカ3・7
393 :
考える名無しさん :2006/03/19(日) 22:15:12
380 :考える名無しさん :2006/03/19(日) 07:06:54
>>376 聖ニコラウスは泥棒の守護神だね
まあ実際、ここの住人がキリスト教に関する知識がからっきしっていうのは事実だろう。 自分も新旧両約を断片的に通読した程度だし。(福音書は何度か読んだ) ただ、それだけの知識で言わせてもらうと、キリスト教の世界っていうのは なんていうかこう、メンタリティ自体があまりにも日本人とかけ離れてる気がする。 感情の起伏とかがあまりにもハッキリしすぎてて、日本的な「わびさび」とかの 入り込む領域がどこにもかしこにも見受けられない。 「言ってることが正しいかどうかは別にして、 そのテンションで語られるのが気に食わない」 (所謂「知ってるけど、お前の態度が気にいらない」の派生系) ってのが大部分の日本人の本音だと思う。
395 :
小さなヨハネ :2006/03/19(日) 22:55:40
>>394 私も旧来のキリスト教の知識はありません。
>>393 のような雑学も。
しかしそれらはむしろ有害です。論理的にナンセンスな三位一体論
や、正気の沙汰とは思えない刑罰代償説、信仰のみによる義認説、
予定説等々、知らない方がはるかに良いのです。
現在のカトリックもプロテスタントも主(イエス・キリスト)は
神だなどと思っていません。誤った教義に毒されてしまい、もう
真のキリスト教(主こそ神という教義)を受け入れることは不可
能なのです。
その点、日本は旧来の宗教に汚染されていないため、その教義を
受け入れられる素養のある唯一の民族と思います。現に、1600年
前後、カトリックが天主教として爆発的に広まった際は、主
(イエス・キリスト)は真の神、唯一の天主として教えられた
ものと思われます。なぜなら、宣教師が三位一体を三人の神が
いるなどと教えたら、馬鹿にするほどの洗練された常識を日本人
は持っていたので、宣教師たちは主を唯一の神と言わざるを得な
かったたためと推測されるからです。
396 :
考える名無しさん :2006/03/19(日) 23:20:40
キチガイが一人いるようですね。 スウェーデンボルグは、日本で言うところの矢追純一さんみたいな人です。 といったら、矢追さんに失礼か……。
397 :
小さなヨハネ :2006/03/19(日) 23:21:51
恐らく哲学にもくだらないものはたくさんあると思われますが、 (ニーチェなど私の知っているわずかな哲学者のうちその最たる ものです)、宗教にもどうしようもない誤謬が多いのです。 皆さんの反論はそういう間違いをそれについて自ら真贋の区別をする こともなく、あげつらうので私から話にならないと言われるのです。 しかし、真の知識をスウェーデンボルグなどから学んで冷静に 考察すれば、スポンジが水を吸収するように良く真実を理解する 素質を皆さんは持っていると考えます。 皆さんに期待するのは、真実を学ぼうとする意欲と嘘をつかない 誠実さです。(よく理解できないことを受け売りするのもある意味で 嘘つきです。)
398 :
考える名無しさん :2006/03/19(日) 23:25:21
>>395 三位一体って3つの顔を持つ神であって、ある時現出するのが父だったり、子だったっり
するっていうやつでしょ。
フィリオクエ問題は、その三位一体であるうちの聖霊が父と子より流出するものだという
ある意味他の二位よりも下位に置かれたことが問題となり、西と東に分かれたわけでしょう。
それで東に分かれたキリスト教は正教とされているわけですね。
399 :
小さなヨハネ :2006/03/19(日) 23:26:44
>>396 まあ、スウェーデンボルグを理解するには相当の知性と魂の純真さ
が無ければ難しいと言っておきましょう。少なくともニーチェを
受け売りして有難がる程度の知的レベルでは到底無理です。
400 :
考える名無しさん :2006/03/19(日) 23:32:44
ヨハネでは小さすぎるので喰いたりません。 パウロ召還きぼん
401 :
考える名無しさん :2006/03/19(日) 23:35:58
>>399 スウェーデンボルグは邪教のキリスト教の中でも異端扱いされているオカルトですが、知ってて言ってんの?
妄想狂だったらしいから、たしかにお前と一緒のレベルだよ。
402 :
考える名無しさん :2006/03/20(月) 00:14:30
活字を目だけで読むなよ、小せーの^^
403 :
考える名無しさん :2006/03/20(月) 13:40:11
特に小さなヨハネに問いたいが、 神を唯一だとする一神教の信者は、 多神教を信仰する信者の存在を、同じ社会の中でどう認めるのか? 同じ社会に生きる人間に対して、それも是だと言えるか? 哲学的に一神教信者の存在を見ていくならば、この一点だけが問題である。 神の存在や非存在など、哲学的命題としては古すぎる。そんなことはどっちだって良いし個人の自由だし個人的な願望のレベルと言っても良い。 哲学的な問題としては、一神教は多神教をどうとらえるのか?そしてそれはどういった根拠に基づくのか? いっとくが、ここで「一神教徒の信仰」を原則とするような回答を持ち出せば、当然多神教信者にも「それなりの信仰」があるわけで無論説得力に欠けますよ。
小さなヨハネさんは、 どうしても神に頼りたいんですね。
神は自身を信じない者さえ地獄に叩き堕とすのか! 自分自身に誠実で、嘘さえついていない者も地獄に叩き堕とすのか! 信じる者と信じない者。神よ、なぜ信じない者だけ地獄に堕とす? 信じない者を堕とすのなら、信じる者も堕とすべきだ!
406 :
小さなヨハネ :2006/03/20(月) 22:59:10
>>403 多神教の起源については
>>387 で説明した通りです。どう認めるかといっても
仕方ないとしか言えません。そんな他人のことよりあなた自身、神について
どう思うのですか。その方が問題でしょう。
407 :
小さなヨハネ :2006/03/20(月) 23:01:34
>>401 物知りの子供のように受け売りをすると恥ずかしい、自分の目で
判断しなさいとだけ言っておきましょう。
408 :
小さなヨハネ :2006/03/20(月) 23:05:50
>>403 >神の存在や非存在など、哲学的命題としては古すぎる。
>そんなことはどっちだって良いし個人の自由だし個人的
>な願望のレベルと言っても良い。
どう解決したのですか。
キリスト教は芸術的で人助け 仏教は哲学的で人助け それを邪魔するものは独裁者?
>>395 の内容について小ヨハネ氏にお聞きしたいのですが、
この日本において、真のキリスト教が受け入れられるというのは
具体的にはいったいどういった場合を指すのでしょうか?
貴方の見解に従うのであれば、カトリックやプロテスタントなどの西洋で
正当とされているキリスト教権力は、実は正当でないということになる。
それでは真のキリスト教が正当な方法によって受け入れられる
というのは、たとえばどのような状況を指し示し得るのか。
たとえばそれは東方正教会なのか?
異端派(グノーシス等)や新興宗教はいったいどうか?
それともそれらの内のどれでもありえないのか?
ぜひ具体的な見解をお聞かせ願いたい。
お互いが強く張り合うのも真理かな
412 :
小さなヨハネ :2006/03/21(火) 23:39:44
>>410 東方正教会もカトリック等と同様です。ところでしかし、真のキリスト教は
旧来の宗派の中で受け入れられることになると考えます。すでにクリスチャン
の国では無理でしょうが、日本では可能と思います。一人一人が主(イエス・
キリスト)が本当の神であることに気がつくようになるでしょう。
実はスウェーデンボルグを信奉する者たちが英米で「新教会」「ニュー・エル
サレム」という宗派を作っていますが、スウェーデンボルグ自身は自分で新しい
宗派を作ることもしませんでしたし、将来それができることも述べてはいません。
彼は教義が新しくなるということを述べているに過ぎません。ですから、旧来の
宗派の認識が新たになるという形でその時代が来ると思います。
ただ、私は個人的には恐らくカトリックがその柱となるのではないかと考えて
います。なぜなら、それが聖体拝領を行うなど伝統を守っており、器としては
それで十分であるからです。また、主の作られた教会だからです。主は教会の
分裂など望んでおられないのです。
413 :
考える名無しさん :2006/03/22(水) 18:10:40
主って何?
414 :
考える名無しさん :2006/03/22(水) 18:38:51
多分ムコ殿のこと
415 :
考える名無しさん :2006/03/22(水) 19:11:16
主とは全能の神の事。 神は一人しかいなくてその子供がキリストである。誰かが言っていたが その他釈迦・観音等色々居るらしいが・・・言っていたのはサイババだったかな? 宗教はあまり興味ないのでよく解からない。哲学や宇宙のほうが興味あるので失礼します。 でもキリスト教はやさしさがあるように思う。
416 :
考える名無しさん :2006/03/22(水) 19:43:11
失礼!主とはイエス・キリストの事でしたね・・・がんばれ宗教家さん達
417 :
考える名無しさん :2006/03/22(水) 19:59:28
サイババと主はどっちが強いのかなあ?
418 :
小さなヨハネ :2006/03/22(水) 22:36:58
>>415 >神は一人しかいなくてその子供がキリストである。
神はアメーバではなく、唯一の存在であり、神に親子などない
のです。キリストは神ご自身というのが正解です。
イザヤ9・5
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は『驚くべき指導者、力ある神、
永遠の父、平和の君』と唱えられる。
あなたが宗教に興味はなくとも、哲学に興味があるというなら
それが論理的な帰結であることは分かるでしょう。
ヨハネさん相変わらず頑張ってますなぁ わははははは わたしはちょっかい出さずに見てることとしましょう まあでも、カトリックや正教がス氏の教義を受け容れるのは まだまだ困難だとは思いますがね、しかし2chではどうでもいいことですな。
420 :
考える名無しさん :2006/03/22(水) 23:53:42
全訳を読んでから、再度超訳を読み直したが、内容的には、全訳と 殆ど変わりない。 誠に勝れた著書で、全人類必読の人生の教科書でもある。 適菜氏の翻訳態度には、ほとほと感心する。今までに、哲学書の翻訳で これぼど「内容」を把握し、わかり安いものは皆無であった。 今後も、めぼしい哲学書については、どうでもよい言葉には囚われない 内容本位の超訳を希望する。西洋哲学書は、言葉がやたらと難しいだけ で、内容そのものは、生活感情の言い換えに過ぎず、また、そうである べき筈だから。
私は無神主義者なので宗教は深く勉強したわけではないが キリスト教が邪教に見えるのは 契約によって人を縛る視点が根幹にあるからではないだろうか? すべては神の導きとか、神に頼りすぎている気がする。 まぁ言い換えれば神との契約によって考え方自体を束縛させてしまう感じかな? だから、聖戦とかうたって平気で大量虐殺とかできるのかもねぇ 私にはこの神との契約は悪魔との契約に見えるんだが・・・どうなんでしょ? もちろん正しい道だけを選べば素晴らしい宗教であることも事実だとは思うんだけど。
>>421 付け加えると
今の布教状況を見ると、神ばかりに視線が行って
人を見るという点がおろそかになり過ぎている気もする
勿論聖書には人を見ることも書かれているだろうけど
普通の人は聖書を熟読しないだろうしな
423 :
考える名無しさん :2006/03/23(木) 14:14:28
>>422 ユダヤ教や、カトリックは布教しないんだがな。
>>423 その方が自然な気がしますね。
どうもキリスト教の布教方法みていると
教えているというより、洗脳しているように見えるのは
私だけでしょうか?
425 :
考える名無しさん :2006/03/23(木) 15:33:00
>>424 だから、カトリックは布教しないって言ってるだろ?
キリスト教でもプロテスタントは異端(カルト)なんだよ。
426 :
421 :2006/03/23(木) 16:50:19
>>425 ふみふみ、そうなんですね〜
勉強になります。
(そんな事すら知らない無知な私だったり(汗))
ふと思ったんだが、天動説や進化論のような 科学的真実を真っ向に否定してきた点も (魔女狩りもそうかな???これは憶測にすぎないけど) 好ましく思えない気がする。
428 :
小さなヨハネ :2006/03/24(金) 00:13:05
>>425 >だから、カトリックは布教しないって言ってるだろ?
カトリックはなるほどあまり布教に熱心ではありません。その理由は
押し付けることはしないというよりも、実は布教しようにも布教でき
ないからというのが本当でしょう。なぜならそれは本来、主(イエス・
キリスト)の意志に反しているからですす。
主は次のように言われます。
マタイ28・18−20
イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を
授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの
弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あな
たがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは
世の終りまで、いつもあなたがたと共にいる。」
では、なぜ布教できないかというと、現在の間違った3神論
(三位一体論)では誰も受け入れてくれないからです。神が
唯一であることくらい誰でも知っているからです。
ですから、現在のカトリックがそのまま正しいと思うのは間違いです。
429 :
考える名無しさん :2006/03/24(金) 09:54:57
>>428 >その理由は押し付けることはしないというよりも、実は布教しようにも布教でき
>ないからというのが本当でしょう。
いいえ違います。
布教しようにもできないという事はありません。
単純に押し付けることをしないだけです。
興味をもって来るものには、ちゃんと要理を教えます。
>では、なぜ布教できないかというと、現在の間違った3神論
>(三位一体論)では誰も受け入れてくれないからです。神が
>唯一であることくらい誰でも知っているからです。
三位一体論でも、唯一の神です。宗教的には間違ってはいません。
あなたが三位一体の意味を正しく理解していないだけでしょう。
430 :
考える名無しさん :2006/03/24(金) 10:46:22
「走・攻・守」三位一体の完全勝利 ___________________ | 王国┃4 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 4┃10|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 人間おめでとう♪
431 :
考える名無しさん :2006/03/24(金) 11:23:20
カトリックといえば、布教のためには自ら殉教するのはもちろん、 布教対象の国を軍事的に侵略することも辞さず、 魂を救うためには、火炙り水責めなどの拷問やり放題という もっとも布教熱心な宗教団体だったではないか。 まったく、何言ってるんだか。w
ある聖職者が旅の途中に言いました。 聖職者「あなた達は何をして遊んでいるのですか?」 村の子供「鬼ごっこに決まってるじゃないか!」 聖職者「それなら逆ですよ」
ある聖職者が旅の途中に言いました。(その二) 聖職者「鬼は誰なのですか?」 村の子供「僕だけど、みんな逃げ足が速くって、」 聖職者「では、あなたにパンを差し上げましょう。」
ある聖職者が旅の途中に言いました。(その三) 聖職者「あなたは何んで泣いているのですか?」 村の子供「みんなにパンを取られちゃったんだ〜」 聖職者「うれし泣きでしたか。」
ある聖職者が旅の途中に言いました。 聖職者「そろそろ仕事に戻らなければなりません。」 村の子供「おじさんの仕事ってな〜に?」 聖職者「鬼ごっこですよ。」
436 :
考える名無しさん :2006/03/24(金) 12:45:56
>>431 かつてはそうだったが、今のカトリックはそういう過去の過ちを認めている。
それは知っているよな?
437 :
考える名無しさん :2006/03/24(金) 13:27:40
>>436 俺はキリスト教徒ではないが、キリスト教、特にカトリックには親近感を
持っているし、その価値を認めないわけではないが、その点に関しては、
「過ちを認めている」で済むのかどうか疑問だ。オウム真理教やナチズム
についても「過ちを認めている」とさえ言えば、あなたは許せるのか?
438 :
考える名無しさん :2006/03/24(金) 13:57:12
>>437 実際に問題を起した人間に対して、被害者が許さないというのならわかるが、
現在の態度に問題が無く、今生きている人に罪がないなら許せる。
そんなことを言っていたら、2000年前の土地の所有権を主張するユダヤ人と同じだ。
元寇や戦前の日本の罪を、我々の世代にまで持ち込むのはおかしいと思う。
439 :
考える名無しさん :2006/03/24(金) 13:59:41
>>437 麻原は間違っているとし、過去の教団の罪を認め、
全く罪のない新しい時代の信者になれば、それがオウム真理教でも問題ないだろ。
英訳でpowerのところを権力と訳してましたが、全訳では何なんでしょうか。 またドイツ語では、powerに即した単語なんかな
441 :
小さなヨハネ :2006/03/24(金) 21:48:59
>>429 >三位一体論でも、唯一の神です。宗教的には間違ってはいません。
>あなたが三位一体の意味を正しく理解していないだけでしょう。
そうですか。では、どうして三位一体論でも唯一の神なのですか。
三位一体が主(イエス・キリスト)は父なる神ご本人という意味
であるなら正しいと思いますが、そうでないなら間違いです。
442 :
小さなヨハネ :2006/03/24(金) 21:58:11
現在のカトリックでも、プロテスタントでも、恐らくギリシャ正教でも 主(イエス・キリスト)を父なる神ご自身と思っている人はいません。 彼らは主が誰なのか知らないのです。主イエス・キリストを父なる神、 唯一の神と思うのが真のキリスト教なのに、それらはもう本当のキリ スト教ではないのです。ですから、ニーチェを始め、皆さんが難癖を つけるキリスト教とはキリスト教の形骸に過ぎないのです。その辺が 皆さんはなかなか理解できないようです。
443 :
小さなヨハネ :2006/03/24(金) 22:06:38
クリスチャンでさえ真の神(主イエス・キリスト)を知らないのですから 皆さんが無神論になるのも無理はないでしょう。 しかし、だからといって、皆さんが無神論であることはそれ自体恥ずか しいことであるのは事実です。なぜならそれは神の存在を認識する能力 が不足していると自ら表明しているに過ぎないからです。
444 :
小さなヨハネ :2006/03/24(金) 22:14:37
>>427 >天動説や進化論のような科学的真実
進化論は科学的真実なのですか。もしそれが無神論から
来るものならナンセンスです。
神を尊ぶという行為そのものはなにも、廃絶されてしかるべきものでもないと思う。 ただ、弱者の神に対する依存が「信仰」という概念のいわれなき卑俗化を招いているように思う。 その意味で言えばキリストにとっての最大の敵は依存的キリスト教徒ではないかと。
446 :
小さなヨハネ :2006/03/24(金) 22:38:07
>>445 それは間違いです。主は尊大な者を嫌います。自分は弱い者である
と認める者こそ主の愛する真の勇者です。
448 :
考える名無しさん :2006/03/25(土) 02:43:41
かむい伝のその真摯さとは儒教的なものだろうな。 神を主と仰ぐ人にとっては、神の存在は重要だ。 神を主と仰ぐ人たちの社会的影響というものもある。 しかし、一方で、無神論者も存在する。どの立場も否定すべき立場でも肯定すべき立場でもない。 自由である。 ただ言えることは、真理は真理であり、絶対は絶対であり、わざわざ神と真理や絶対とを結びつけなくともよいということ。 それで十分思考材料足りえる。余計である。すべて神と結び付けようとしても、また否定しようとしても、それぞれに明確なる客観的根拠は示し得ない。 で、あるならば、上記の小ヨハネをめぐる一連の議論は、哲学的思考・議論を行なっているとは言えない。
449 :
考える名無しさん :2006/03/25(土) 02:44:18
例えば、神の愛とはどのような客観性が認められるのか? 旧約聖書ヨブ記における、神のかしたヨブの人生とは、神のヨブに対する愛ゆえの人生だと、どう証明できるのか?ヨブがそう信じた、であろう事は読み取れるが、それではヨブの主観に埋没してしまう。 つまりその客観的証明は不可能。できません。 ただ、読み手もそれが「神の愛」だと「信じる」、そしてヨブも真にそう信じていたのだと「信じる」他ない。そのように「信じられない」人はクリスチャンではない。 ヨブが「苦難」の人生を敢えて選択したからこそ、「神」を介在させ、その神を「信じる」ことのできる要素が読み手に生れるわけであるが、 そこに神の介在を認めないとするならば、ヨブはまるで「こうしなければ自分にとって悪くなってしまう。そうなりたくなければ「苦難」の道に敢えて進む」などというような、「自分ルール」でも課したかのような、単なるただの馬鹿である。 また、わざわざ、「自分」と「自分の運命」の間に「神」を介在させる必要を見出せない、という人もいよう。その「意味」づけなどはいくらでもできるが、「必要性」はない、と。 必要もなにも、それは必然性があるからだ、ということであれば、その根拠は何か?これも同様にやはりまず「信じる」以外に補強しうる知識はなく、ただいきなり「そういうものだと信じてみることからはじめる」以外に確信に近づく道は存在しない。 そして現実に存在する「神の言葉」とされる「バイブル」という「既成の権威」「文字」が、神の介在を無視することのかせとなっている。 以上のように、「信じる」ことを根拠、前提としなければ、神の絶対性や神の真理は語りえない。 したがって、それらは信仰を土台にした議論となる。根拠は信仰という主観以外に無い。それは哲学ではない。 神はいてもいなくても、絶対や真理などという言葉があれば、その言葉だけで問題は立てられる。 思考材料として初めて神の絶対性や真理を参考にする。神の主宰する人間=神によって思考する人間はもはやおらず、人類は神を逆に思考の材料とした。 ここに神は死んだのである。
450 :
小さなヨハネ :2006/03/25(土) 10:48:39
>>449 >例えば、神の愛とはどのような客観性が認められるのか?
宇宙や私たちの存在それ自体が神の愛の証明です。神が愛によって
万物を造らなくて一体どうして存在が可能でしょう。
>ここに神は死んだのである。
神は死なず、あなたの霊魂(霊的生命→理性・知恵)が死んだのです。
451 :
考える名無しさん :2006/03/25(土) 12:28:18
> 主イエス・キリストを父なる神、 唯一の神と思うのが真のキリスト教 「天皇陛下を唯一の現人神と思うのが真の日本人」と同じぐらい理解しがたい。w
452 :
考える名無しさん :2006/03/25(土) 12:33:00
>>450 ですから、
「宇宙や私たちの存在それ自体」が「神が愛によって」造られたと言える根拠を提示してみて下さいなw
ずばり旧約聖書ヨブ記における、神のかしたヨブの人生とは、神のヨブに対する愛ゆえの人生だと、どう証明できるのですか?
あなたのうように「考えること」をせずただ、「信じている」だけではなんの説得力もないんです。哲学板でそう語るならそれは単なる「思い込み」です。単なる信仰の押し付けです。議論になりません。
哲学に対する冒涜です。
証明材料として「神」の性質が語られる時、神によって考えさせられ、神によって話しをしていた中世までの人類は、神のその主宰から逃れ自立し始めたのです。
なぜならば、神を頭で知識として認識できるはずが無かったのに、人間は神を知ってしまったんです。もしそれすら神がそうさせたのだと言うのなら、神は自殺したと言っているのも同じです。
あなたは「神を知っている」とお思いですか?つまりは、神は本来、人間の小さな器では理解できるほどの小さな存在ではないんですよ?お分かりだとは思いますが。
しかし人類は「無限」の端っこを「神」という言葉で限定してしまったわけです。また逆に神を無限(または絶対・真理・唯一など)という人間の概念に押し込めてしまったんです。違いますか?あなたは神を唯一絶対などと説明してませんか?
453 :
考える名無しさん :2006/03/25(土) 12:33:35
「神は人間には計り知れない」はずなのに、神と人間の間には神になろうとすれば絶望するほどの埋められない溝があっていいはずなのに、人間には「神は無限であるとわかってしまった」んです。まさしく神は唯一絶対であることに間違いはないと気づいてしまったんです。 しかし考えてください。 本来神を神以外の、まして人間なんかが説明できるわけがないじゃないですか。それなのに、わからない存在であったはずの神の本質を、わかってしまったんです。きっとあなたもそうです。 神を唯一絶対などと「説明」し始めた人間は、神の主宰から離れ、己の主宰者である神を殺してしまったんですよ。人間の「理性」と園の実を食べて手に入れた「知恵」とによってです。 あなた自身の理性と知恵による一連の宣教は、その存在を信じる立場にあるのなら、神に対する冒涜でもあります。 イエスの抱いた、死の前夜の不安と恐怖はなんだったのか?あの祈りの意味は、なぜ祈る必要があったのか?まさしくイエスは神を信じていたが、神を知らなかったからです。
なんで宗教家に論理で勝てないんだっけ?
455 :
考える名無しさん :2006/03/25(土) 15:32:52
「この人を見よ」の中で、少年時代のニーチェは、満天に輝く星に感動し、 「創造主など考えるほうがおかしい」と言った。まさに「栴檀は双葉より 芳し」である。 人間には計り知れないはずの神を、人間である身の程も忘れて思考し、饒舌に 語るのが宗教者。 宗教ほど、神に遠いものなないのである。 小さなヨハネさん、あなたはどうですか。
456 :
小さなヨハネ :2006/03/26(日) 00:20:27
>>452 全太陽系の中心である太陽は人間に較べてはるかに巨大なものです。
地球も私たち人間の物理的な存在も太陽によって支えられています。
私たちは太陽を肉眼で直接見つめることすらできません。まさに太陽は
すべてを把握することが出来ない存在です。しかし、私たちは太陽が
存在することを知っていますし、太陽系は太陽から発生し、太陽によって
維持されていることも知っています。
それと同じです。神は私たち人間とは比較にならない存在だからと
いって、また神のすべてを把握できないからといって、神の存在を
認められないということはないのです。それが不可能という人は
太陽は存在しないと言うのと同じくらい馬鹿げています。
457 :
小さなヨハネ :2006/03/26(日) 00:26:47
全く最近の哲学徒というのはニーチェを筆頭にくだらないこと ばかり言っています。自分の理解力が不足しているからと言って、 他人までそうだと思うのは論理の飛躍であり、単純なミスです。 そんなことが分からないというのでは恥をかくばかりです。
458 :
小さなヨハネ :2006/03/26(日) 00:32:26
それから、よく証明せよ証明せよという人が多いのですが、何が どうなら証明したことになるのですか。 分からない人に何を言ったところで、分からないと言うばかりです。 そういう人に限って、逆に何かを「証明」してもらうと、全く論理 的に整合性のないことを言って、証明したと言うのです。
459 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 00:49:20
>>456 太陽は実在するが、神は実在ではなく、人間の空想の産物。勘違い
しないで。
460 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 03:57:51
>>458 小さなヨハネは、「ただ太陽はあるんだ!太陽は存在する!太陽を見えない、認識しない人間は魂が腐っている」てな事を言っているだけですね。
こんなことではこれまでに論理的に整合性のある論旨を組み立てていたのか、人に分かるように理解させる努力をしていたのか、まったく疑問ですね。
説明できるだけのものを持っているのか、あなたの理解力をまず問いたい所ですよ。
あなたの「太陽系」の話をお借りして「認識」の問題について言わせてもらえば、
例えば「盲目の人間」は自分の宇宙をどのように「認識」すると言えるのですか?盲目でも人間ですよね?
>全太陽系の中心である太陽は人間に較べてはるかに巨大なものです。
>地球も私たち人間の物理的な存在も太陽によって支えられています。
まさにこの事を盲目のその人間はどうやって知り得るというのですか?説明してください。できるなら。
果たして本当の宇宙を盲目の人間は理解する事が出来るでしょうか?
盲目の人間は、人間に非ず、例外、なんてことは言わないで下さいよ。みな同じはずです。
>私たちは太陽を肉眼で直接見つめることすらできません。まさに太陽は
>すべてを把握することが出来ない存在です。しかし、私たちは太陽が
>存在することを知っていますし、太陽系は太陽から発生し、太陽によって
>維持されていることも知っています。
太陽を知るための手段とは「視覚」だけですか?
小ヨハネはこの地球上のどこかの野原で、天気のよい日に昼寝をしたことはありますか?目をつむって暖かさに包まれウトウトとした経験はないですか?
461 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 04:00:47
つづき 経験があればいくら何でもわかると思いますが、太陽を見なくとも、たとえ盲目であったとしてもおそらく太陽の存在を知る事は出来ると思います。 すなわち我々は、太陽を目視できなくとも、皮膚で感じることが出来るのです。布団を干すと太陽のぬくもりにおいのようなものを感じます。 あなたは「宇宙」をどのように理解してますか?「宇宙」も「太陽」も同じですか? 「宇宙」と「太陽」とは全く異質の物ですよね。 つまり宇宙空間こそ、見ても聞いても嗅いでも触れようとしても舐めようとしても本当にわかり得ないものです。 人間にわからないのは太陽系でも太陽でもなく、太陽系を形成している無形の空間そのものです。 その無限さを五感で理解することはやはり到底不可能です。盲目ならなおさら、のように思えます。 誰もがつくずく、宇宙を知ろうとすればその無限性に対する有限なる己の認識不足に悩まされるのみです。 さて、あなたの太陽系の例で「神」の比喩とすべきだった事は「無限の宇宙」の事ですか?「有限の太陽」の事ですか? 我々は視覚のみで何かを認識している訳ではありません。 しかし、「宇宙は無限であろう」と言う認識は、当然のように誰もが思い至る事ではあります。何故ですか? 本当はあるかもしれないけれども、宇宙の果てをまだ見つけていないからですか? 宇宙がつかみ所のない無形の空間だからですか?人間の感覚の及ばない所だからですか? そのすべてだと思いますね。まだあるかもしれませんが。
462 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 04:02:28
つづき
この「宇宙の無限」と言うところを「神の普遍性」にたくしてみても、上記の事は言えるのではないでしょうか?
我々人間には、「神」を知るための目も鼻も耳も舌も皮膚も無いのではないのですか?あなたにはあるんですか?神の肉声でも聞きましたか?
以上は「有限の太陽」よりも「無限の宇宙空間」を認識する方が、「永遠普遍の神」を認識する方法に近いという認識の問題です。では次に対象についてです。
さて、では「宇宙」は「神」でしょうか?
「宇宙」はロケットで大気圏を突き抜ければ到達できる「空間」でしょう。では「神」とは「空間」ですか?「神」とは何ですか?
宇宙は望遠鏡で見る事が出来ます。宇宙飛行士の映像を見ればフワフワ浮いています。無重力のようです。ある程度分かる部分はあります。
しかし、ブラックホールやホワイトホール?、太陽の何億倍もの大きさの恒星の存在など、我々の理解の及ばない事柄はまだまだたくさんあるでしょう。
我々の理解の及ぶ範囲で宇宙の一部を知ったところで、宇宙を知ったことになりますか?
宇宙空間とは無重力で、空気がなく、マイナス何百度の世界で熱は無く、べらぼうな宇宙線が存在し、巨大な星という固まりが重力を発しながらその空間に点在しており、地球は宇宙にあって、人類は宇宙の中に存在していて、地球の重力大気によって生きている。
まだまだありますが、「人間の周りの宇宙での認識」があれば、「全宇宙すべてを理解」したことになりますか?
ならないと思います。宇宙を人間の足らない認識で「宇宙とは〜である」と言ったところで、そのすべての理解などできてないのです。
そんな小さな人間の精一杯の知識を、全宇宙のすべてだと言ってしまうのはいかがなものでしょうか?たぶん滑稽ですよね。
「神」についてもそれと同じです。
>>457 の言葉はそっくりあなたに返します。
463 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 04:02:58
つづき あなたがクリスチャンであったとしたら、「我々人間は、神の前にはまさに「盲目」的であり常に迷いの中にいる」とはお思いにならないのでしょうか? 神の前では、我々はおそらく常に「盲目」ですよ。何も解らない。あなたは解ったつもりになっていますがね、その小さな頭で。 われわれは「神」を説明するとき、どうしても「我々の言葉」を使わざるおえませんが、しかし、我々の言葉に神の存在すべてを押し込める事は可能ですか?無理でしょ? なぜ、神の名をみだりに唱えてはならないのですか?神はを絶対、普遍などと言ってしまえば、神の存在は、「絶対」や「普遍」という我々の言葉の意味以上のものでは無くなるからではないですか。 しかし、神を説くとき、人類は「神は絶対普遍の唯一の真理である」と言ってきました。 人類がそのように「神」理解しているのだとすればそれは、神の「本当の絶対性普遍性唯一性」を損ねる理解の仕方と言えるでしょう。宇宙理解と同様の原理です。これが「神を人間が殺害した営み」です。あなたがやっていることです。 キリスト教会はその組織維持のために、幾度となく神を人間の言葉で説明し、そのたびごとに神の本質をゆがめて理解してきました。 あなたは「人間はすべてを理解できる」、と「おそれおおくも」神をさしおいて過信してやいませんか? 人間には捉えきれないもの、把握しきれないもの、理解しつくせないもの、説明しきれないもの、が他でもない「神」なのではないですか? 聖書にも神はただ「在られる」と書かれているだけです。人間にとっての説明は何もなありません。だからこそあなたも、神は「居る」「居る」としか言えないのでしょうけど。 人類が足を踏み入れた事のある宇宙の理解ですら、我々は遠く及んでないのに、まして神の理解などに到底到達できうるわけがないのではないですか? 神とはただただ、まあせいぜい、人間とは隔絶断絶した存在であると言うことが分かるぐらいではないですか。 さて、では、人間にとってそのように理解不能の「神」とは、何の意味があるのですか?在るのだというなら、それでいいし、無いというなら、それでも人間は人間なんじゃないですか? いろんな人間がいてよい。魂にきれいも汚いも無い。自分と接するすべての人間に嫌われないように生きていければ、それだけで十分でしょう。
464 :
小さなヨハネ :2006/03/26(日) 11:24:16
>>463 地を這う蛇に鷲の視力は与えられていないとだけ言っておきましょう。
465 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 12:54:03
太陽って宇宙には無数にあるよね、 恒星って太陽と同じだよね 太陽系が宇宙の中心とは言えないよね、系も無数にあるんじゃなかったっけ? あと人間がカミを作るわけないだろ、逆だろ、 別に堅苦しいこと考えなくても、身の回りの不思議について考えてみたら、 人間の理性なんてちっぽけだろ。
466 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 19:42:58
>>465 >別に堅苦しいこと考えなくても、身の回りの不思議について考えてみたら、
>人間の理性なんてちっぽけだろ。
そのちっぽけな理性で神や創造主を考え、判った気になっているのがキリスト
教徒。
「身の回り(自然)の不思議」は、不思議でも何でもない。自然そのものが
神だから、何でも有りである。人間が、厳然として存在する自然以外の神な
どを思考することは、神である自然の冒涜。
467 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 19:47:15
>「身の回り(自然)の不思議」は、不思議でも何でもない。自然そのものが >神だから、何でも有りである。 古い神の概念に囚われてるなぁ。 自然以外の人格神は大勢いるよ。 自分の狭い範囲っでわかった気にならないこと。
468 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 20:01:53
神がこの宇宙の中に起こる物理現象に因果的に作用を及ぼすことはありえなくね?
469 :
d :2006/03/26(日) 20:18:41
大体、神を信じるだけで救われるなんて楽な生き方だよな
470 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 20:42:19
小ヨハネ氏が蛇=サタンとして 比喩を用いていることに キリスト教の本質が見えないか …ただのいやみだろうけど
>466 >そのちっぽけな理性で神や創造主を考え、判った気になっているのがキリスト教徒。 少なくともス氏は自分の自説を著書にしたわけではないんですよ。
472 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 21:57:47
>>469 信じるって言葉と行動が一致してるってことだよ、
楽か?
神を信じてもいいので、誰にも迷惑をかけないでください。
474 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 22:49:03
>>466 >不思議でもなんでもない?
そうか?恋愛も不思議だし、心の働きも不思議だし、動植物も不思議だし、
人間がめちゃくちゃ頭良かったら考えそうなこと自然界では当たり前のように形になってる、
人間の知性がいかにちっぽけか感じると思うよ。
つまり人間より大きく高尚な何かを感じると思うよ。
475 :
小さなヨハネ :2006/03/26(日) 23:35:11
蛇は地面を腹這いになって動きますが、それは感覚の中で最も代表的な 触覚を意味しており、感覚的な者は蛇と呼ばれます。感覚的な者は感覚 で把握できることしか理解せず、霊的な真理を認識することはできません。 彼らは頭を天(神)に回らすことはできず、地の塵(誤謬)を常食とし ます。蛇はまた自己愛を意味し、自己の理知を崇拝する者たちを意味 します。古代人をたぶらかしたのもこの自己愛、すなわち知識の木の蛇 です。自己愛に犯されたことにより、人間は認識力を失った(エデンの 園から追放された)のです。
、<( /^ ー'^ヽ > ー┐ . |/V⌒V、| <::::::_::゚::ノ ,、_,, ______,、_,, _ 7::〈 ,rl─<,r┐} _ヽ> __rl_<,r┐} /7 /::::::: ノ l<ヽ,, (ノ ^´,,ィ>`ーャッ/ (ノ //! //:::::: < / ヽ >r--┐^ l」 〈/ .| . //':::::::: " `t===┐[HAKUSYAKU-no-TENSHI] // /::::::::: "フ 「 ○.,r、 _ヽ> | <:::::/ ノ:::::::::::: ,、 -、 `ー┘ ̄</ ̄^´,,ィ> ̄ ̄ ハ,,ノ< ` ‐┐:::::: r':::::::::::ヽ `" <wベヽ †−|:::::::: l:::::::::::::::l (゚A゚ レュ |::::::::: ─l:::::::::::::::l─────────────‐lV>ヽ──── T::::::T l_l_|〉 . l:::_l l_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | だって鉄っぽい味がするし、 | ドロドロして気持ち悪いんだもん \______________
477 :
小さなヨハネ :2006/03/26(日) 23:47:07
先日、ある駅の構内に大きな満開の桜の木が置いてありました。 本物かと思って近づいてみると、それは良く出来た造花でした。 誰かが作ったのです。しかし私たちは、造花でさえ知能を持った 製作者がいると思うのに、それよりもはるかに素晴らしい生きた 桜には製作者はおらず、自然に発生・存在したと思うのです。 石ころ(自然)にそんな知恵や力があると思うのでしょうか。
478 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 00:04:11
科学で証明できません
479 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 00:48:13
>>475 だからなんですか?何を言いたいのですか?
なぜ蛇を非難し、
>感覚的な者は感覚で把握できることしか理解せず、霊的な真理を認識することはできません。
などと言うように、「神を認めない否定する者」、つまりノンクリスチャンには、霊的な真理を認識することができない、
神を認めることができる人とは、感覚によって理解するのではなくして霊的な真理を認識できるものである、というような事をなぜあなたが言えるのですか?
ノンクリスチャンは、感覚で物事を理解することができない、だからダメなんだ、などと何故あなたに言えるのですか?
今のあなたこそ、「自己の理知」に侵されていやしませんか?あなたも人間故に、賢しらな理知を用いて、神存在を認めたいがあまり、くだらない妄想に取り付かれていませんか?
いったいあなたは本当にクリスチャンですか?ご自分の存在を理解しているのですか?
つまり、あなたはご自分が「楽園追放者の末裔である」ことを、きちんと信じているのですか?
あなたは、あなた自身が罪人アダムとエバの子孫だと信じているのですか?
あなたの発言を読むと、どうもそうとはうつりませんね。
蛇とは何のことですか?人間の触覚の比喩だと言いたいのですか?
ではあなただって「蛇」ではないんですか?あなたは感覚的なものを超越して今現在、物事を認識できているのですか?
人間は認識力を失った、というのであれば、クリスチャンのあなたも、人間でしょ?あなただけ神に認められた能力があるのですか?あなたはキリストですか?
あなたも感覚でしか生きておらず、あなたも霊的には「盲目」であるはず、だと思いますが違いますか?あなたは最初の人間たちの一族とは異なる種の人間ですか?つまり、代々の肉の関係を経てこの世に生を得たわけではなく、乙女から生れた存在なのですか?
480 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 00:48:54
つづき 「蛇とノンクリスチャンとを結びつけ」て、それらが「クリスチャンと異なる存在」だと考えているのであれば、 あなたは「クリスチャンやご自分」を他の人間よりも一段高く置き、クリスチャンは決して蛇には騙されていないのだ、などと哀れにも思い込んでいませんか? しかし、あなた自身こそは、紛れもなく楽園追放者の子孫である、とはあなた自身が一番よく思っている自己認識のはずです。すくなくとも、クリスチャンであるのなら。 しかしあなたにはこの自己認識を欠いたまま、ノンクリチャンを蛇に等しい、と誹っている。あなた、ご自分は高慢だとは思いませんか? それで、ここで蛇の例など持ち出して、これ以上あなたは何を言いたいのですか? あなたには、自分は神を認識していると言い切ることが許されるのですか?神とは何かを知っていると言えるのですか? 言えるとお思いのあなたの、神に向けられている考え方は、終始、高慢なる小さなヨハネご自身の、賢しらなる理知にもとずく「思い込み」の域を出ていないんじゃないですか。 あなたのような、クリスチャンが、きっと神を殺したのでしょうね。 とりあえす、あなたをクリスチャンであると思っていましたが、あなたが何を言いたいのか理解不能です。
481 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 00:58:48
>>477 製作者がいたのなら、その製作者は一体だれが製作したのか、その誰は
誰が製作したのか、という問いが無限に連続する。
製作者が自然に発生し、アルファでありオメガであるのなら、自然自体
がそうであってもちっともおかしくない。
自然自体の複雑さ、神秘、奥深さを考えると、自然自体がまさに神で
あり、そのような自然の製作は、単一の人格神の能力の及ぶところ
ではない。
自然以外に、その製作者などと考えることは不可能で、またその必要
は全くない。
すべての宗教の教典を集めても、石ころ1個、木の葉1枚に宿る神秘
さえ解き明かすことは不可能なのである。
482 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 01:14:43
すべてのクリスチャンは、小さなヨハネ氏と同様、倒錯と矛盾の 塊です。いくら言っても無駄なのです。 これがマインドコントロールなのでしょう。
your god is dead and no one cares drowning in his own hypocrisy and if there is a hell i will see yo there
客観的神は殺される、そして、やつらはあの人自身の行く末と 俺は奴らがそこにいくであろうクソッタレを気にもかけない空虚さだ。
485 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 09:06:47
前にテレビでアメリカの教会のミサの映像を見た。 みんなで歌唄って、みんなで抱き合って、牧師の説教聴いて、なんか 「何してんの?」って感じだった。 「私たちは間違ってないよね?」「私たちは正しいよね?」っと、みんなで 確認し合ってるような気がした。 自分の人間としての向上を放棄して、神に身を委ねているようにしか見えなかった。 理由はそのほうが簡単だしそれらしい答えが目の前にあるから。 裸で獣を追っていた数万年前の人間は、キリスト教を知らなかった。彼らは 不幸だったか?キリスト教を知らない未開の地に生きる人々は不幸だったか? 人間は木と同じだと思う。大地にしっかりと根を張って生きれば、初めて青々と した枝が天を仰ぐことが出来る。根が腐っていれば枝もそのうち朽ちる。
天動説を唱えて そして世界の広大さを訴え 産めよ増やせよで世界支配をねらい 極めて狭い観点で物事を決めつけ その様子を見てると 「ネズミ講」?って思ってしまったりする・・・ 本当はキリスト教にも、もっと良い点 いっぱい有るとは思うんだけどね。
487 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 17:20:18
だからよ〜、お前ら末端が下からスカート覗いたっていつまでたってもビーチクが見えないのと一緒だ! と大きなヨハネさんは思ってると思う。
488 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 18:56:50
>>485 お前キリスト教のことわかってないだろ、
栄華を誇ったソロモン王でさえ小鳥ほども着飾ってはいなかった、
とか神のもとに立ち返り、 とか
神の愛とか、
そんな僕もわかってないことだらけなのかも。
489 :
小さなヨハネ :2006/03/27(月) 20:12:07
自然が神だと言う者は、石ころが生命を生み出すと言っているの と同じです。生命のないものが生命を生み出すことは出来ません。 生命は生命からしか生み出すことはできないのです。 そして、生命は生命そのものである神に由来します。神は造られ ざるもの、在りて在るもの、自存するもの、そして生命そのもの です。
490 :
小さなヨハネ :2006/03/27(月) 20:26:28
皆さんは存在するということがどういうことがご存じですか。 存在するとは絶えず在らしめられていることに依存します。 それはすなわち創造主である神による不断の創造によるの です。 哲学においてそれは認識論なのか存在論なのか知りません が、ただ在るから在るのではありません。神による絶えざ る創造によって在らしめられねば、一瞬にして私たちは 雲散霧消するのです。
491 :
小さなヨハネ :2006/03/27(月) 20:31:52
2CHの哲学板においても、長く続いているスレッドは誰かが 絶えずスレッドを建て直すことによって初めて存続します。 存在は不断の創造であるとはそういうことです。
492 :
why :2006/03/27(月) 20:45:53
小さなヨハネさん 生命(神)は何から生み出されたの? いじわるしないでちゃんと教えてね。
>492 永遠ということがどういうことか分かる?
494 :
why :2006/03/27(月) 20:53:38
永遠って、客観的なだけで 実のないことの 例えだろう。
そう、この自然界には永遠や無限はあくまで概念の話であって 実際にはそれらは存在し得ない。つまり自然は無限でも永遠でもない。 つまり自然は自動発生しない。永遠が自然を産み出すしかないのさ。 でなければ何ものも存在し得ないだろう。そのことについてはヨハネ氏が全く正しい。 つまり永遠は存在する。我々には完全に把握できないがね。 そうして君のようにそれは虚ろであるとしか思えない。 実は全く逆だが。
496 :
why :2006/03/27(月) 21:06:30
自然って自動発生のことだよ
ではまず489でヨハネ氏が書いてあるとおり、 石ころが生命を生み出せるかどうか答えてみなさい 石ころに人間の心臓や肺の構造をデザインできる知性が存在するかどうか そもそも石ころに生命が存在するかどうか、これらの問いに答えてみなさい
498 :
why :2006/03/27(月) 21:55:35
石ころに俺は石ころだぞ という生命は存在しないだろうね。 なぜなら原子同士、がんじがらめで 流動がない。 もし、知性や心というものについて、 そこからはるかに遠ざかる 微細な(心的)単位を認めるとするなら 石ころは無数の「生」の影として 表現されたものといえる。 もしそうなら、石ころに生命が存在するかという問いは 自分の影の中に我が身体は存在するのか と問うほど的外れなものとなるけど・・・・
499 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 21:58:23
バカじゃねーの!?お前らは石ころに核爆弾以上のエネルギーがあることもしらないんだろ、 自然そのものというより、そこからわかる神秘を感じることだよ、 石ころから生命が生まれるかって? 生まれるかもしれないよ、石ころが核爆弾になるぐらいだからね、 あんたらが頼りにしてる理性がその程度だったらあんたらがわかった気になってる神もたいしたもんじゃないんだろうな。
500 :
why :2006/03/27(月) 22:13:50
>499 プー zyama
501 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 22:50:54
やっぱりチンカスヨハネは石ころにエネルギーが隠れてることもわかんなかったみたいだね、 ぷぷっ!
502 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 22:54:15
>>489-490 生命は生命から生れる。
では非生命である石ころは神(生命)から作られてはいないのですね?
非生命の石ころは非生命の石ころの神から生まれ、その神にあらしめられていると言うことですね。
我々が石ころを作ることができないように、当然生命は非生命を作ることはできません。せいぜいできることは、非生命体を作り変えることぐらいです。
故に唯一絶対の神が、この世界をすべて作ったのではないということになります。物の数だけ、神が存在するのです。
キリスト教の神は、生命の神です。その神が、石ころの神を生んだと言うことは言えても、ヤハウェーは石ころを作れませんでした。
世界創造の神は一人ではないのです。
503 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:03:40
石ころは石ころを作れるが、人間は作れない。 人間は人間を作れるが、石ころは作れない。 神は神を作れるが、人間や石ころは作れない。 石ころの神といわれるのは、最初の石ころ。 人間の神といわれるのは、最初の人間。 神の中の神といわれるのは、最初の神。原理としてはこれだけのこと。 人間は人間のことならある程度深く知ることができるが、 石ころや神のことはわからない。どうとでも後付の小理屈を言うことができる。 では、人間が石ころや神の本当のことを知ろうとする必要性はどこにあるのでしょう? 先人の営みから、未来を切り開く叡智をもらえれば、それ以外のことに考えを及ぼす必要性がどこにあるのか理解できない。
504 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:12:12
人間を作ったのは人間とは言えないわな、 人間は持って生まれて子孫を残す機能がある、 それは人間が作ったんじゃないよ、 それと全てはカタチを変えてるだけで何一つ作ったり生み出しなんかしてない、歴史上ただの一度もだよ、過去現在未来何も変わらないまま。
505 :
why :2006/03/27(月) 23:38:29
物質(石ころ)と人間(心)には 何らかの関連があるに違いない。 この両者の関係する一元的世界に なんでよけいなものを割り込ませるんだ? とことん考えもせず早々と挫折 したからかい! 哲学2ちゃんのメンツが神を持ち出すのは百年早い。
506 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:02:59
クリエイト=創造には知性が必要というのは ひとつの仮説でしかない。 なぜなら数ある選択のうち生命を生み出す最良の選択 (これも西洋哲学的傲慢だが)を持ち現在があるという考え方のほかに たとえば他の仮説、無限の可能性(宇宙・次元等)の内、 観測者(人間)の都合のよい世界しか認識していないからだという 仮説も成り立つからだ。量子力学とかそういっている。 科学も哲学も宗教もすべてひとつの仮説だということを認識すべき。 神も仮説にすぎない。
508 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 19:59:11
石ころに知性は無い? 石ころというか金属の金はまだ人類が精製できませんね、 自然が作り出したとしても僕はそこに知性を感じます!
>>508 理論的には可能かも〜
加速器使って核融合させればできると思います。
ウランより原子番号が大きいのは人造の物がほとんどだったかも。
ただし1gの金を合成する場合、とんでもない費用になりますので普通やりません。
つまり、科学者も自然の恩恵を受け入れないほど馬鹿ではないって感じかな。
石でも何でもそこに存在するってことは大変にありがたい事なのです。
510 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 21:53:36
>>509 現実的には無理ってことだろ?
ニュートンでも無理だったのに理論上可能ってのもにわかに信じられないな、
結局1gも作れてないんだろ。
いやー、いろんな人がいろんなことを書いてくれているようですね でもちょっかい出したせいでこのスレをヨハネさんの望まぬ方向に 進ませてしまったかもしれません。余計なことしたかなw ヨハネさんがバカげた問答の続きを見たいというなら 多少ご期待に応えてもよいが、そうでないならやはり皆さんの相手は ヨハネさんにしてもらいましょう。だいたい他にやることあるし じゃこの辺で失礼
512 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 13:19:53
クリスチャンが、人間の脳も創造主が造ったというのなら、その造られた ちっぽけな脳で、造った者のことを何万年考えても判るわけがないではな いか。 クリスチャンは、全くの倒錯。「在りて在るもの」即ち「全存在」が神で あるという旧約聖書の方が、はるかに真理を穿っている。
元素って熱と圧力があれば作られるんじゃないの? 超新星爆発とか隕石の運動エネルギーとか 生物の元であるアミノ酸も物質と落雷によって生成されるし
514 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 16:01:21
>>512 少しはキリスト教を勉強してから批判しろよ。
カトリックでも「在りて在るもの」即ち「全存在」が神には変わりない。
515 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 16:38:12
>>514 キリスト教には、「在りて在るもの」即ち「全存在」が神などという
概念は全くない。それどころか、すべての人間は「罪人」だし、自然は
人間が支配すべき対象に過ぎない。
キリスト教においては、唯一の神は、自然と人間から隔絶した父なる神
と、神格化されたイエス・キリスト、及び得体の知れない「聖霊」だけ
であり、全存在、即ち厳然として実在する人間と自然とが神であるなど
いう思想は絶対に受け入れない。イエスの面子が丸つぶれになるからで
ある。
旧約聖書では、神は「自分に似せて人を造った」はずだが、キリスト教
は、なんと、この人を「イエス・キリスト」と解釈している。新約聖書
の英文では、「すべての人間(human beings)」となっているというのに。
イエスの神格化のための、なりふり構わぬコジツケである。
516 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 16:46:34
517 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 17:01:48
人間が自然を支配すんの?逆じゃなくて? そうか、逆だと思ってた。
518 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 17:26:51
>>515 >キリスト教には、「在りて在るもの」即ち「全存在」が神などという
>概念は全くない。
あるよ。お前カトリックの要理勉強したこと無いだろ。
きたきた、キリスト者的いいとこ取りw
520 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 21:17:16
自然は人間の管理下にある。 だから人間にとって都合のよいように、いわば人間のエゴであっても、動物を殺すことは良しとされる。 そして、「人間」という概念が一つあやふやになれば、 仏教や儒教を血肉としている東洋人には人間だと思えるような人々が、キリスト教徒にとっては人間で無くなる。 肌の色で人間か動物かを見分けていた黒人差別や大量虐殺事件の数が歴史的に西洋に多いのもこのおかげである。 また、神との契約を結べない人間を、神と契約を交した人間が、あまねく人間の上に立っていると信じる絶対の神の名のものと、殺すこともまたキリスト教徒にとっては善である。 神の作りたもうた「自然」にその「人間に似た動物」が組み込まれるからである。契約を結べるのは選ばれた人間のみである。 しかし現在、このようなかつてのキリスト教での常識は滅んだ。同時に神も死んだのである。かつての神と人間との関係が誤りであったのか?今の平等社会の方が実は誤りなのか?
521 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 23:23:18
>>520 >かつての神と人間との関係が誤りであったのか?今の平等社会の方が実は
>誤りなのか?
自然科学が存在しない往古の時代においては、神概念しか頼るものがなく、
神は必要悪だった。しかし、圧倒的大多数の人間は、宗教などに現を
抜かすことなく、自然の人間性や本能に基づいて生存してきたと推測される。
自然科学が宗教のいかなる奇跡を上回る発達を遂げた現代においても、未だに
神概念が惰性的に残存していることが、人類の大紛争の原因となっている。
架空の神から、現実のすべての人間と自然にパラダイムの大転換を行わない
限り、人類は宗教で滅亡する。その兆しは、すでに明らかである。
522 :
小さなヨハネ :2006/03/30(木) 00:06:52
「在りて在る」を全存在(在りと在るもの、凡ゆるもの)という意味に 捉えている人がいるようですが、そうではないと思います。 原文を知りませんので詳しく分かりませんが、英語ではIam Iam であろうと思います。恐らくその意味は「私は存在である」ということでは ないでしょうか。 出エジプト3・13−14 モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところ へ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに 遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問 うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言わ れ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』 という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」 ヨハネ8・24 だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは 言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あ なたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。
523 :
513 :2006/03/30(木) 00:20:57
>>513 訂正
元素が作られるのは、恒星内の熱核融合時であって、超新星爆発は主に元素の拡散。
隕石の衝突では、主に鉱物資源が作られるが、元素の核融合はおきないかも。
524 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 00:35:11
>>522 >「在りて在る」を全存在(在りと在るもの、凡ゆるもの)という意味に
>捉えている人がいるようですが、そうではないと思います。
それは、キリスト教の、イエスの神格化や超越的唯一神概念の目的のための
なりふり構わぬコジツケ解釈に過ぎない。
「在りて在るもの」の英文は、"I am that I am". 言い換えれば、"I am that
which exists". まさに、「全存在」(Existence)」の意味である。この意味は、
スピノザの「神即自然」と同じ。自然に「神が宿る」のではなく、あるがまま
の自然そのものが神なのである。
キリスト教は、このような意味は、言を左右にして絶対に認めない。認めれば、
キリスト教が瞬時に崩壊するからである。
キリスト教の教義がひどく非論理的なものであることはほとんどの現代人が認識している。 ただ、かといってニーチェのような思想や人生にあやかりたいとも思っていない。
英文って
,、 ,、
( ( __) ) 糞スレ立てた邪教徒を
/\ l\< 、_ ゝ 今、地獄の業火で焼いています。
/ /|ヽ\ | ヽ (io\ ル、/,)
| ヽ\ | c) フ 、, ヾ
| ヽ\ ゝ_ , ヽ ,_、_,ノ 、 、 、 、
| ヽ\ ヽ VwwwV ヽ / UUUU アツイヨ!
| / ⌒ ヽ_ノ ヽ\_ヽー''ノ ) (つ(;´Д`)ノ アァッ-!!
レ' / ヽ ーヽ | ヾ\/ (
>>1 )へ
\ ゝ ) | ノヽ イ ' > , '
ヽ 丿\ヽ ノ ) \_ノ 人 '人 , ゴオオオォォォーー
_____/|\ 、|ヽ ノ ) ' ( ( 人( ))
\\ ⌒ ̄ ̄~`へ ( 人( ))人 , チリ チリ
火にでも | \__ニ ヾ ) =从 从 ())=
あたってけや。 | >/ //// \ヽ\
>>527 議論の場というのは人にとって、とても重要な場だと思うから、
許してあげたら〜?
529 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 09:15:56
キリスト教を一まとめで語るな。 少なくともプロテスタントとカトリックは分けろ。 そうでないと的外れで全く批判にならない。
530 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 11:32:24
>>529 イエスの思想や聖書の盲信という点では、いずれも同じ。
531 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 11:35:20
>>530 イエスの思想のどこに問題があるのか?
批判するならまずそれから言うべきだろう。
盲信しているとする方が根拠が無い。
532 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 11:49:42
>>531 聖書を、初めから有り難たがらずに、現実のすべての人間と照合
しながら、眼光紙背に徹して批判的に読めば、おのずから明らかに
なる。
史上、生来は純粋、善良な人間が、イエスを信じたばかりに狂い、最も
多くの人間を最も残虐な方法で殺してきた、という事実も、それを証明
している。要するに、本来的には生物としての人間の、人間性の洞察と
人間に対する本当の「愛」が欠如しているということだ。
イエスは、現代で言えば、統合失調症患者で、跳ね上りのサヨク革命家
に該当する。信者のイエスに対する愛着心は、精神医学的現象(感応
精神病)に過ぎず、神とは関係ない。
533 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 12:02:21
>>532 どこにもイエスの思想の問題は書かれていませんね。
それに全ての信者が批判的に読んでいないかどうかを
あなたが知っているわけではないでしょう。
過去の罪も科学や宗教を利用する人間の責任であって、
信仰の問題ではありません。まったく見当違いの批判になっています。
信仰を大切に守ってきた人、例えばマザーテレサの行為に問題があれば、
カトリックの教えに問題があるかもしれません。
しかし、信仰から離れた人間が問題を起したことを理由に、
教えを批判するのは間違いです。
534 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 14:59:09
>>533 >過去の罪も科学や宗教を利用する人間の責任であって、
>信仰の問題ではありません。まったく見当違いの批判になっています。
宗教者お決まりの、自分の宗教のあくなき正当化と、人間である信者への責任
転嫁。キリスト教にとっては、人間はすべて罪人であるのだから、当然のこと
だが。
生来悪である人間ばかりが、キリスト教やオウムに入信したとでも言うのかね。
すべて、宗教の影響であることは明らかでしょう。キリスト教の殉教者やオウ
ムの死刑囚及びその家族たちは、宗教の痛ましい犠牲者なのです。
またマザーテレサw。20億人のキリスト教徒の中には、他に人材は居ない
のかねw。
マザーテレサは、異教徒も尊重したのだから、キリスト教から見れば異端。
彼女が、その行為を、自分の自然の感情からではなく、聖書や神の命令で
行ったのなら、それは「愛」などではなく、偽善に過ぎない。
キリスト教が「愛」などを唱えたことと、「自分がして欲しいことを他にも
施せ」という中心的教えが、諸悪の根源。
本当に愛のある人間は、人知れず行為で表し、その言葉を絶対に口にしない。
口にした途端に観念化し、実質が失われ、偽善となる。
キリスト教徒は、「自分がして欲しいことを他に施す」ために、侵略、異教徒
の強制改宗や大虐殺をやりまくった。東洋の「己の欲せざるところを他に施す
こと勿れ」という教えとは、似て非なる意味であることを自覚すべき。
>>534 まあ問題は、その宗教の中と外での犯罪者の割合になるだろうね。
多くの宗教のほとんどの信者は善良なんだよ。
宗教で救われた人間がどれほど多いかも検討する必要がある。
そういう比率を出さずに、闇雲に諸悪の根源と呼ぶお前の方がおかしいと思う。
536 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 15:27:43
>>534 >異教徒も尊重したのだから、キリスト教から見れば異端。
カトリック的には異端ではありません。あなたは知識が無さ過ぎます。
キリスト教でもカトリックから見ればプロテスタントが異端やカルトになります。
>彼女が、その行為を、自分の自然の感情からではなく、聖書や神の命令で
>行ったのなら、それは「愛」などではなく、偽善に過ぎない。
それはあなたが勝手に、文句言っているだけで、
実際には、自分の自然の感情から発生し、それは愛であり善です。
>キリスト教が「愛」などを唱えたことと、「自分がして欲しいことを他にも
>施せ」という中心的教えが、諸悪の根源。
そんな教えはありません。
>本当に愛のある人間は、人知れず行為で表し、その言葉を絶対に口にしない。
そんなことはありません。あなたの思い込みです。
もちろん、それも愛の一つのありかたではあると思います。
>口にした途端に観念化し、実質が失われ、偽善となる。
そんなことはありません。あなたの思い込みです。
>キリスト教徒は、「自分がして欲しいことを他に施す」ために、侵略、異教徒
>の強制改宗や大虐殺をやりまくった。東洋の「己の欲せざるところを他に施す
>こと勿れ」という教えとは、似て非なる意味であることを自覚すべき。
全く見当違いもいいところです。
537 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 18:28:44
>>536 横槍ですまんが。ちと知識不足ですね。
聖書には黄金律と呼ばれるものがあります。
聖書をお持ちなら開いてください。
マタイ7−12です。同様の記述はルカの6−31にも書かれてあります。
あなたの記述は間違っています。
キリスト教からすれば、とは言っても、プロテスタントもキリスト教です。
自分の自然の感情と言うものは、キリスト教では最も注意せねばならないものです。クリスチャンは自分の自然の感情を殺し、神の命令に従わなくてはならないのでは?神の命令でアブラハムはイサクをどうしようとしていたでしょうか。
言葉は「概念」です。実存在とは別に、「観念」を生じさせます。ギリシャ神話などはその良い例でしょう。
自分が他人からして欲しい事、というのは、その「欲しい事」と言う部分は人それぞれです。
例えばイスラム教徒の欲する物事と、キリスト教徒の欲する物事とは異なります。
例えば、Sの人、Mの人。それぞれ欲するものが違うのです。
「欲する」というのには「拒絶」は含まれず、「肯定」するもののことをいう。
つまり、「〜されたくない」というのは「欲する」対象足りえないし、「施せる」ものでもない。
538 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 18:54:26
人間がすべて悪であるという認識であるのであれば、 人間である自分のしてもらいたいことを、人にも施せ、という律法は、キリスト教では悪を他人に施すことを善しとするものととらえることができるだろう。 逆に、人の悪を自分も押し付けられかねない、と言っているようなもの。やらなきゃやられる。世知辛い現世。 「キリスト教の人間観は悪」だとするなら、これ故に神の国はすばらしい。となるのか。
539 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 19:05:17
主よ、 どうか
>>1 の罪をお許しください。彼は何も知らないのです。
「情けは人のためならず」って言葉はここの住人には無意味なようだな
宗教は相対化されなければならないだろう。 宗教だからダメ、だとか、宗教だから信じている奴はダメだとか、 そういった意見もおかしいのであって、宗教だから何なのか、をきちっと考えなくてはならない。 ただ一方的に、善し悪しを論じること自体こそが、危険である。 大方の日本人が宗教に違和感を覚えているのは、 ただ一方的に宗教信者が自宗教を「善い」と言いふらしているからである。と思う。 しかし同様に、本来は一方的に宗教だからダメだとも言い切れないはずである。 真理はあらゆるものに存在し、矛盾もまた然り。故に、あるものがあったとするならば、 だから何なのか、をあらゆる角度から吟味する必要があるだろう。
異端論争になってしまっているので・・・ 私個人の見解ですけど 宗教に限らず1つの物しか認めないっていう時点でそれは尋常ではなく ある意味、異端なのではないでしょうか あらゆる物を受け入れ、その中の1つを尊重するってのは良いと思いますけど 1つのみを信じ、それ以外のすべてを否定するって 悲しい事だと思うのです。 せっかく楽しい事も知れる存在として生まれたのですから 自らを悲しみで満たす必要はないかと思うのです。 もちろん楽しい事ばかりじゃ駄目ですけどね♪
543 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 09:39:44
>>537 >マタイ7−12です。同様の記述はルカの6−31にも書かれてあります。
それが何か?あなたの読み方が間違っているだけでしょう。
>クリスチャンは自分の自然の感情を殺し、神の命令に従わなくてはならないのでは?
イエスはそんなことは言っていません。
>神の命令でアブラハムはイサクをどうしようとしていたでしょうか。
キリスト教ではイエスの教えによって旧約は修正されてます。
>自分が他人からして欲しい事、というのは、その「欲しい事」と言う部分は人それぞれです。
>例えばイスラム教徒の欲する物事と、キリスト教徒の欲する物事とは異なります。
>例えば、Sの人、Mの人。それぞれ欲するものが違うのです。
>「欲する」というのには「拒絶」は含まれず、「肯定」するもののことをいう。
>つまり、「〜されたくない」というのは「欲する」対象足りえないし、「施せる」ものでもない。
関係のないどうでもいい話です。
544 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 09:40:59
>>538 >人間がすべて悪であるという認識であるのであれば、
カトリックではそんな認識はありません。無関係ですね。
545 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 09:42:11
>>537 >プロテスタントもキリスト教です。
プロテスタントは異端です。
プロテスタントとカトリックの違いは正しくわかってますか?
546 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 12:05:44
宗教は、同じ宗教の内部でさえも、すぐにこのように争いが生じる。 確固たる現実上の判断基準が皆無な、妄想に過ぎないからです。 「宗論は、どちらが勝っても釈迦の恥」。昔の人は、旨いことを言った ものです。
547 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 12:14:39
>>543 あなたニーチェの指摘を読み取れてますか?
ではプロテスタントからみたらカトリックは異端ですか?ルターはカトリック信者ですよ。
バチカンが正統ですか?キリスト教に正統なんかあるんですか?
神に祈るための正統な神殿は、バチカンの認めた建物にしかないんですか?
カトリックはかつて同じカトリックのイエズス会を異端としましたが、
イエズス会は昔から今まで変わっていませんよ。あなたは、何をもって異端と言えるのですか?
山上の説教で、イエスが述べていることです。読み方が間違っていたとしたら
どこが間違っていたのかご指摘いただきたい。
新共同訳:マタイ7−12
「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。
これこそ律法と預言者である。」
ルカ6−31
「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」
また、ルカの11−13
「求めれば与えられる」という文脈での「人間の存在」について
「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」
>>神の命令でアブラハムはイサクをどうしようとしていたでしょうか。
>キリスト教ではイエスの教えによって旧約は修正されてます。
どの箇所で言われているのですか?
548 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 12:34:41
549 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 12:47:28
>>547 >ではプロテスタントからみたらカトリックは異端ですか?ルターはカトリック信者ですよ。
>バチカンが正統ですか?キリスト教に正統なんかあるんですか?
>神に祈るための正統な神殿は、バチカンの認めた建物にしかないんですか?
>カトリックはかつて同じカトリックのイエズス会を異端としましたが、
>イエズス会は昔から今まで変わっていませんよ。あなたは、何をもって異端と言えるのですか?
プロテスタントという言葉と、カトリックという言葉が何を意味するか
調べてから出直してきてください。
550 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 12:49:47
>「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。 >これこそ律法と預言者である。」 >「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」 これは、対象とされる人が「望むこと」の中でそうすると取るのが普通でしょう。 人が嫌がってもしろとはイエスは言っていません。
551 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 14:24:49
>>550 >これは、対象とされる人が「望むこと」の中でそうすると取るのが
>普通でしょう。
>人が嫌がってもしろとはイエスは言っていません。
英訳(Today's English Version)では、
マタイ7:12
Do for others what you want them to do for you:
ルカ6:31
Do for others what you want them to do for you.
あきらかに、"you"と"others"とが対比されている。人が望むことを
その人にしてあげるのなら(明らかに、そのことのみが真実なのだが)、
Do for others what they want you to do for them.となる筈。
イエスは、「私を信じない者は裁かれる」と脅迫しているではないか。
552 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 14:29:24
>>549 カトリック教会に対して抗議する立場として、プロテスタント教会があるという位置づけで
プロテスタントは異端なんだ、と単純に言ってるのでしょうか?カトリックの方こそが普遍的な教えであると。
プロテスタントとはまずカトリックの存在有りきのもので、その反発に過ぎないと。
はたしてそれでいいのでしょうか?
だとしたらキリスト教は、同じヤハウェーを唯一の神と崇めるユダヤ教に対するプロテストとして、
イエスを神として教会ができてきたわけですが、ヤハウェーの名の下ではキリスト教自体が異端ということになるんでしょうか?
「プロテスタント」という言葉尻や、発生の前後などは、異端と断じるための根拠足りえるのでしょうか?
結局のところ異端かどうかの判断は、人間にはつけられませんね。その場合の「異端」というのは一方の人間的な立場に立っての組織や教会の都合によるものでしょう。真に普遍的な神の視点ではない。
そもそも人間の存在は「悪」である、と信じる事から、まずキリスト教は存在しているでしょう。善なる神と人間との絶対的な隔たりを認識することからです。
だからルカでも、あなたは悪い者でありながら、と述べられているわけです。
では、己のして欲しいことが、全人類の父である神に祈りを捧げることであったとしたらどうなりますか?
キリスト教徒の中に、神の存在を頭から否定する人を許容できる人間はいますか?カトリックやプロテスタントのクリスチャンでも、あくまでも人間は「悪い」存在です。
新大陸発見のカトリック教徒が、虐殺を繰り広げ、いくつかの開明的な帝国が「未開の国」だとの烙印を押され無抵抗のまま滅亡の憂き目にあったことは衆智の事実です。
彼ら敬虔なクリスチャンが「善意」の下、「人にしてもらいたいと思うこと」とは?そして、実際に「人にしたこと」とは?
歴史が証明しているのではないでしょうか?
553 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 14:35:22
>>552 >はたしてそれでいいのでしょうか?
それでいいですよ。
>ヤハウェーの名の下ではキリスト教自体が異端ということになるんでしょうか?
違います。ユダヤ教から見れば、キリスト教が異端というだけのことです。
>真に普遍的な神の視点ではない。
「真に普遍的な神の視点」とは何ですか?知りもしないで否定しない方がいいですよ。
>そもそも人間の存在は「悪」である、と信じる事から、まずキリスト教は存在しているでしょう。
違います。
自分に罪があるならば、それを認めることから始まるだけです。
554 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 14:37:46
>>551 の訂正。
ルカの英文は、
Do for others just what you want them to do for you. と"just"が
加わる。
読むときには、"others", "them", "you"にアクセントが置かれ、強調
される。「『あなた』がしてもらいたいこと」であるのは明らか。あく
まで、「自己中心」である。
555 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 14:38:07
>>552 >キリスト教徒の中に、神の存在を頭から否定する人を許容できる人間はいますか?
いますよ。普通に。むしろほとんどの人がそうです。
カトリックの教会に行けばわかると思いますが、全然問題ありません。
現実を見ないで妄想だけで批判されても見当違いになるだけですよ。
>>554 英文なんかを根拠にするなよ。日本語かラテン語かギリシャ語にしとけ。
557 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 14:50:29
>>556 聖書の日本語、英語、ラテン語、ギリシャ語。すべて、翻訳、又は翻訳
の翻訳である。
キリスト教は、すべて伝聞とその翻訳の宗教。イエスの肉声など、一言
もない。クリスチャンが、そんな聖書を大真面目に信じているのは不可
思議。「逐語霊感主義」などという、馬鹿馬鹿しいものもある。
558 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 14:59:48
キリスト教は、その中心教義(Golden Rule)が、すでに誤りであり、 従って、諸悪の根源であるということ。
559 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 15:04:37
>>557 まあ、お前がそう思うなら、それはそれでいいんじゃね?
でも、現実にそういうプロパガンダをしても大多数の人はお前の方がバカだと思うだろうよ。
>クリスチャンが、そんな聖書を大真面目に信じているのは不可思議。
その理由をお前は知らないんだろう?
知りもしないで勝手に決め付けるのはそれこそバカだと思う。
>>557 >聖書の日本語、英語、ラテン語、ギリシャ語。すべて、翻訳、又は翻訳
>の翻訳である。
なら英語で書く必要は無い罠。英語の方がマシというなら、ギリシャ語のがマシだわ。
561 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 15:18:55
>>560 英語は、その性質上、日本語に比べてはるかに論理的だから、
あいまいな日本語の解釈の助けとなる。
日本語訳では、「あなた」を省き、「他者」を単に「人」としている
が、これは故意の翻訳操作か。キリスト教がよくやることである。
例えば、旧約の「妬む神」を、最近の訳では「熱情の神」などとして
いるものがあるが、「妬む神」では都合が悪いから、「熱情の神」など
と故意に改訳したのだろう。しかし「熱情の神」では意味不明。「妬む
神」のほうが、人間的でなかなかよろしい。旧約の神は、もともと人間
なのだから。
>>561 >日本語訳では、「あなた」を省き、「他者」を単に「人」としている
>が、これは故意の翻訳操作か。キリスト教がよくやることである。
ギリシャ語やラテン語では入っているの?
英語がおかしい可能性は無いの?
ちゃんと確認して批判している?
>>561 >人間的でなかなかよろしい。旧約の神は、もともと人間
>なのだから。
デタラメだな。
何故「妬む神」と呼ばれているか、何に妬むのか知らないのに
いい加減な批判をしない方がいいぞ。
564 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 15:49:27
ユダヤ教やキリスト教というのは、人間が作った集団ですよね。 しかし奉っているものはヤハウェーですよね。 ユダヤ教から見て異端だとか、キリスト教から見て異端だとか、こういうのは 人間が帰属集団の立場を得た時に感じるものでしょう? プロテスタント、カトリックの場合も同じです。その場合、異端というのは帰属集団あってのことです。 プロテスタントと言うのは、カトリックから見て「あれはプロテスタントだ」、と言ったにすぎないのですよ。 ルターはカトリック信仰者としては敬虔な人物だったのでしょう。 昔イエズス会がカトリックから異端とされたのも、彼らの布教方針がバチカンとそれと乖離したからにすぎません。 しかしキリストを崇める限り、すべてもとを正せば同じキリスト教です。 あなたも、カトリックの立場で、プロテスタントを異端だ、と言っているに過ぎません。 プロテスタントは原理主義でもありますが、その立場ではカトリックを異端とも言えることになります。 あなたの言ってることはナンセンスです。 確かにマザーテレサを異端とは思えませんが、プロテスタントをも異端とは思えませんね。 あなたは、自分に罪があるならばそれを認めることからはじまる、という条件をつけたようですが、 なぜ、自分に善行があるならばそれを神の導きと認めることからはじまる、という条件ではなく、罪なんですか? それは、人間がそもそも悪い存在である事を知っている(認めている)からだと、ご自分で暗に示しているようなものですよ。 カトリック教会は確かに寛容ですが、プロテスタントの立場ではそれこそが忌むべしとうつるかもしれないですよね。 しかし、いずれにせよ異端論争はみじめです。 最も、558の言うように、黄金律のギリシャ語からの日本語翻訳が間違っているという態度をとる教会もあるようです。 その場合はより一方的な立場を擁護する形になるようです。しかし現行訳そのままでも、自己中心的な教えであることは間違いありません。
>>564 >あなたも、
誰に言っているのかわからんが、理解があまりにも酷い。
プロテスタントという宗派は存在しない。
プロテスタントという言い方自体が既に異端扱いした上での総称だ。
566 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 15:59:02
>>564 >プロテスタントは原理主義
ハア?
原理主義のプロテスタントもあるだけだろ。書いている事がおかしいぞ。
567 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 16:05:51
>>564 >あなたは、自分に罪があるならばそれを認めることからはじまる、という条件をつけたようですが、
>なぜ、自分に善行があるならばそれを神の導きと認めることからはじまる、という条件ではなく、罪なんですか?
別に善行から認めてもいいですよ。
あなたが人間は悪とか言い出したから、それに関連することを書いたまでです。
>それは、人間がそもそも悪い存在である事を知っている(認めている)からだと、ご自分で暗に示しているようなものですよ。
それは、あなたの勝手な飛躍だと思います。
568 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 16:56:22
プロテスタント命名の起源は、カトリックに対するものだが、 今のプロテスタントは、異端とよべうるものではないな。 プロテスタントはプロテスタントでの地位が確立されている。 カトリックに比べれば、プロテスタントは概ね原理主義というのはその通り。
569 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 17:06:47
>>568 >プロテスタントはプロテスタントでの地位が確立されている。
プロテスタントという宗派は無い。
プロテスタントは単にカトリック以外というだけであって、中身は同じではない。
批判するなら、どの派かちゃんと書くべき。
570 :
542 :2006/03/31(金) 17:14:58
ふみみ、 お互いの考え押しつけ合う事しかできないんでしょうか・・・ まぁそれも一つの道でしょうけど・・・ ほどほどにね〜 (少し呆れたわ・・・実際)
571 :
542 :2006/03/31(金) 17:21:40
572 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 19:12:53
宗教家は生きた死人、ゾンビ
573 :
小さなヨハネ :2006/03/32(土) 00:27:24
>>524 >「在りて在るもの」の英文は、"I am that I am". 言い換えれば、"I am that
>which exists". まさに、「全存在」(Existence)」の意味である。この意味は、
>スピノザの「神即自然」と同じ。自然に「神が宿る」のではなく、あるがまま
>の自然そのものが神なのである。
それは間違いです。神というのは「創造主」のことです。被造物である自然が
神ではありません。あなたの言う「神」の概念を説明してください。
何でも神と名づければ神になると思ったら間違いです。
574 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 01:24:16
>>573 その理由と根拠は?あなたは、人間の歴史において、神概念がどのように
発生したと思いますか。
人間が神を思考する以上、どこまで言っても「人間」の観念作用に過ぎ
ません。従って、神概念は百人百様です。「創造主」だけとは限りませ
んよ。
神概念の発生は、自然科学が存在しなかった古代の人々が、その生存を
助け、又は脅かす自然現象の不可知な力を「便宜上」神と呼び、感謝し、
又は憎悪したものです。自然科学の発達により自然現象の原因が殆ど
解明された現代においては、神概念は、未開時代の遺物の惰性的残存、
又は元手要らずのおいしい営利の道具に過ぎません。
唯一神創造主の概念は、人間の生活の中から発生したものではなく、
精神異常者であった創唱宗教の開祖がでっち上げたものです。
575 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 06:25:51
カトリックもプロテスタントもエホバの証人の目から見たら邪教 全く聖書を無視してる 人間はサルから進化したとか、もうキリスト教の主張とは思えんね
576 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 08:29:33
>>575 聖書自体に何の現実上の根拠もないのだから、聖書を無視することは
むしろ健全。
聖書にしがみ付くのは、カルトで精神異常者。
578 :
小さなヨハネ :2006/03/32(土) 10:26:38
・・・本当に○○○○ばかりだ。 どうか聞く耳のある人は聞いてください。 自然が神と思うのは単なる外観による迷妄なのです。
聖書だけだと、範囲狭いですよねぇ 科学的な裏付けも弱いですし (そもそもキリスト教は科学を否定している面も多いかも?) 聖書+科学+その他の宗教を踏まえて見ると 見渡せる世界も広がるかも? 私の場合は最初に科学から入りましたけど・・・ ブルーバックス片っ端から読むとかしましたねぇ 結構面白いし、為になるかも? 否定する事から始めるのは簡単ですけど視野が狭くなっちゃうので 肯定する事から初めてみませんか? 別に押しつけるつもりはないですけどね♪
>>578 これは、どれが『宗教的に間違っているか』という問題なのではない。
「唯一の創造主」という神観も、宗教における神のあり方の一つである
ということだ。
でも、
>>524 のコジツケに何かいってやりたくなる気持ちは十分わかる。
ネタレスはほどほどに。
宗教の言う『神』ってその人たちの為の『神』ってイメージなんだけど 違う?
最近でかい戦争した某国は議会で聖書に手を置いて神に向かって宣誓したりしてんだよな キモクね? 結局宣戦布告の名分は嘘だったみたいだけど 異教徒は死ねってスタンスなんかな・・・・
584 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 22:13:56
あのさ、聖書の解釈ってそのままストレートに受け取るもんじゃなくね? 抽象的なのがたくさんだと思うんだけど、 たとえば蛇は二枚舌とか、 聖母は生命を産み出すものとか、 処女は:。とか、
聖書みたいな曖昧な記述の本を 徹底的に分析しようとする意欲から 西洋における精密理論科学が発展した。
586 :
小さなヨハネ :2006/03/32(土) 22:21:40
皆さんは聖書の文言の霊的意味も知らずに批判していますが、全く 無知の限りです。聖書の文字には一字一句霊的意味があるのです。 それから、宗教が科学的でないという批判ですが、皆さんは何を 科学で説明できるというのでしょう。生命の存在理由をどう科学で 説明できるというのですか。 この世の生命を説明できないのであれば、あの世の存在・霊魂の 不滅の可能性をどうして否定できるでしょう。少なくとも、その 存在の可能性は否定できないというのが科学的に正しい姿勢とい うものです。全く皆さんは嘘ばかりついている。 知識の木の蛇はすべて大嘘つきです。しかも愚鈍です。
相変わらず小ヨハネは攻撃的だな。 人間ああはなりたくないな。
588 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 22:26:50
具体的に説明してくれ
589 :
小さなヨハネ :2006/03/32(土) 22:28:03
蛇(感覚的な人間)は自分の感覚でものをしゃべります。 ですから自分の愚鈍に気が付かないのです。蛇は地を這う ことしかできません。同様に感覚的な人間は感覚を超えて 思索を霊的なものにまで持ち上げることができないのです。 砂漠の蛇には上空高く舞う鷲の存在など思いもよらないこ とでしょう。
590 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 22:31:16
ミニヨハネさん最近邪な想いに捕らわれて自分でも嫌であと多分今心の病気にかかってると自分で思うんですが、こうゆうのって人に伝染するみたいで、自分はあまり人と関わったらいけないのかなと悩んでます、どうしよう?
591 :
小さなヨハネ :2006/03/32(土) 22:34:59
鷲が存在することを知っている人間は、愚鈍な蛇がそんな鷲などと いう生き物は存在しないといくら主張しても、馬鹿馬鹿しくて相手 に出来ないのです。それと同じです。
592 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 22:36:34
死んでやる!
593 :
小さなヨハネ :2006/03/32(土) 22:38:52
蛇たちには気の狂ったニーチェ程度がお似合いです。晩年は認知症に なったというカントでもいいかもしれません。自然が神と言ったとい うスピノザでも結構です。
別に鷲が存在しようがしまいがそんなことは蛇にとって関係ない。 むしろ鷲が自分たちを餌食にするのを怖がっているのが実情。
595 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 22:47:13
小さなヨハネさん、あなたは敵を愛することができますか?
そういえばニーチェは、「ツァラトゥストラ」で自己の精神を 「蛇の巻きついた鷲(狡猾さと勇敢さの止揚)」と形容してたっけ。 ちびヨハネさんはそのことを皮肉っているのかな?
597 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 22:49:56
てか寛容の精神は無くなったのか? 栗もかわったんだな・・・
>>586 >それから、宗教が科学的でないという批判ですが
ん?「科学的ではない」という批判があったのか。
別にいいじゃない。そもそも科学と宗教は扱うものが違う。
生命の存在理由やら何やらは科学(自然科学)の扱うことではないし、
科学に必要な疑う精神なんて宗教に持ち込む必要はない。
>存在の可能性は否定できないというのが
「肯定も出来ない」も忘れちゃ駄目だよ。「霊や神が存在するかしないか」も科学の扱う範疇ではない。
600 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 00:52:46
>>599 まあ、小ヨハネはこうやって俺らにイチャモン付けられること自体が
「悪魔の誘惑」かなにかと思い込んでるみたいだから、
多少自分の論弁に飛躍や矛盾があっても気にしたりしないんだろうよ。
どこまで自分の感情(信仰心)が折れずにいられるかどうかが
彼にとっては最大の“試練”であるわけだからさ。
>>600 こら、ちゃんとハンドル入れて書きなさい。
主は姑息な嘲笑をお許しになられているのですか?
602 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 02:04:16
>>599 何を寝ぼけたこと言ってるのか。科学も宗教も、同じく人間の営みの
一部。
現代社会は、基本的に、科学性・合理性・理性に基づいて存在し、
維持されている。
未開時代の遺物の惰性的残存に過ぎない宗教だけが、これらのものと
無関係に存在することが許されるわけがなかろう。
精神医学が発達した現在、妄想が治療対象とされるのと、同じ理由で
ある。
603 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 02:08:38
>現代社会は、基本的に、科学性・合理性・理性に基づいて存在し、 >維持されている。 これを別称でなんと呼ぶかわかる? 「○械○人間」だよ。つまり君のこと。
お前らキリスト教、特にカトリック批判したいんだったら 聖書より世界の名著のトマス・アクィナス嫁 神と自然の違い、聖書解釈、合理的精神と宗教の関係 一通り全部言及してある
問題は、神->信仰->信仰の拡大 神ならざるもの混入発現->悪 ではないか 根拠や理由を述べずに言いっぱなしにする。 理由もないことを人は勝手に解釈してしまう。 これで、小さな神話の始まり。 平民はこういうのが好きで、 忍耐強くきちんとものごとを批判的に読むことはしない。
606 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 15:58:53
>>604 アウグスティヌスも。ラッセル曰く
共産主義=神の国 だと。
宗教の全体主義的な部分を解消することはできんかね。
607 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 16:37:09
バートランド・ラッセルの「西洋哲学史」によれば、 ヤハウェ=弁証法的唯物論 救世主=マルクス 選ばれた者=プロレタリア階級 教会=共産党 キリストの再臨=革命 地獄=資本家の処罰 至福千年=共産主義的共同社会 マルクスやナチスの反ユダヤ主義が、キリスト教由来であることは、 あまりにも自明。 ホロコーストのプログラムは、既にルターがその著書で、ほとんど そのまま述べている。
608 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 18:08:17
ルターたんは反ユダヤの本を書いたニダ。
609 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 18:11:14
610 :
小さなヨハネ :2006/04/03(月) 00:09:46
感覚的な人間・自然的なレベルの人間には霊的なことは理解できない というのは全く本当のようです。蛇は蛇同士では大きい小さいの差が あって、強い、弱いの差もあるでしょう。また無毒のものもあれば毒を 持つものもあります。しかしすべての蛇に神の存在は理解できないのと 同じです。しかし動物の蛇は理解できないことを考えないので狂いはし ませんが、自然的な人間は霊的なことまで考えようとすると狂い始め ます。
611 :
小さなヨハネ :2006/04/03(月) 00:13:54
自己愛が強すぎて、己の知識を過信するからです。人智など 梟の視力のようなもので、暗闇では役に立ちますが、太陽の 光のもとでは盲目となるのと同じです。
612 :
小さなヨハネ :2006/04/03(月) 00:17:39
皆さんは神の存在が理解できないうちは梟や蛇でしかないのです。
613 :
小さなヨハネ :2006/04/03(月) 00:21:11
ラッセルは4回結婚したのでしたか。まことに気違いです。
614 :
考える名無しさん :2006/04/03(月) 01:07:53
>小さなヨハネへ 発言には、必ず具体的根拠をあげてください。口から出任せでは、 あなたの妄想に過ぎません。
キリスト的なものの闊歩するうちは、知性的なものが論議に入り込む余地はない。 それは丁度、太陽の間近を周回する水星や金星に人類が居住できないのと同じこと。
616 :
考える名無しさん :2006/04/03(月) 11:02:31
小ヨハネの書き込みの内容がどんどん小さくなっている件についてw
617 :
考える名無しさん :2006/04/03(月) 11:22:59
バートランド・ラッセル(爆笑)
618 :
考える名無しさん :2006/04/03(月) 11:57:05
小ヨさんバートランド・ラッセルのどこが笑えるのか教えて!
619 :
考える名無しさん :2006/04/03(月) 12:36:33
ラッセルの西洋哲学史なんて客観性の欠片も無い フィルターバリバリのオモシロ読み物じゃねーか 少しは割り引いて読めよ
620 :
考える名無しさん :2006/04/03(月) 16:53:19
キリストが神だなんて聖書のどこにも書いてないわけだが・・・ 三位一体って何だよww改造しすぎだろw エホバの証人こそ真のキリスト教
やっぱり仏教ですよ
西洋哲学史だったら ヨーロッパ思想入門 岩波ジュニア新書 がいいよ。
,ィィr-- ..__、j
ル! { `ヽ, ∧
N { l ` ,、 i _|\/ ∨ ∨
ゝヽ _,,ィjjハ、 | \
>>596 `ニr‐tミ-rr‐tュ<≧rヘ > ニーチェは自己の精神を「蛇の巻きついた鷲
{___,リ ヽ二´ノ }ソ ∠ (狡猾さと勇敢さの止揚)」と形容している。
'、 `,-_-ュ u /| ∠ つまり、ニーチェはゲルショッカーだったんだよ ! !
ヽ`┴ ' //l\ |/\∧ /
--─‐ァ'| `ニ--‐'´ / |`ー ..__ `´
く__レ1;';';';>、 / __ | ,=、 ___
「 ∧ 7;';';'| ヽ/ _,|‐、|」 |L..! {L..l ))
| |::.V;';';';'| /.:.|トl`´.! l _,,,l | _,,| , -,
! |:.:.:l;;';';';'|/.:.:.:||=|=; | | | | .l / 〃 ))
l |:.:.:.:l;';';'/.:.:.:.:| ! ヽ \!‐=:l/ `:lj 7
| |:.:.:.:.l;'/.:.:.:.:.:.! ヽ:::\:: ::::| ::l /
やっぱり仏教だな。 ただ今の時代新鮮なのは儒教かもしれない。鬼神は敬って遠ざける。これでもよいと思うね。
625 :
小さなヨハネ :2006/04/03(月) 23:50:16
>>623 >>596 ゲルショッカー(?)も知りませんし、ツァラトストラも読んだことは
ありませんが、蛇と鷲が共存出来るとは到底思えません。鷲は鷲だけで
知恵も表わします。蛇と鷲とを止揚するとは狂人の狂人たる所以でしょう。
626 :
小さなヨハネ :2006/04/03(月) 23:58:37
>>620 ヨハネ20・28
トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。
ヨハネの手紙1・5・20
わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの
内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。
627 :
小さなヨハネ :2006/04/04(火) 00:00:30
>>618 ラッセルが何を言ったか知りませんが、結婚を4回もしていれば
それでもう十分です。
628 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 00:06:41
ヘンリ8世に比べればどうってことないだろ。 しかし、英国国教が離婚にあまり寛容でないのは面白い現象だな。
629 :
小さなヨハネ :2006/04/04(火) 00:07:48
>>615 >キリスト的なものの闊歩するうちは、知性的なものが論議に入り込む余地はない。
ははは。こんなスレッドを建てているから反論しているまでです。知性的なもの
(?)、哲学がキリスト教を批判するなら、それについての反論も甘んじて受ける
べきです。
>それは丁度、太陽の間近を周回する水星や金星に人類が居住できないのと同じこと。
まあ確かに、モグラには真理の光は目に痛いことでしょう。
>>629 まさにあなたは、地を這う蛇を狩る鷲そのもの。
あなたの爪が体に食い込んでみんな痛がっています。
>ははは。こんなスレッドを建てているから反論しているまでです。
なにか誤解があるようだね。ここはキリスト教アンチスレじゃなくて
本来
>>1 にあるようにニーチェの著作の一つである「アンチクリスト」
を語るスレなんだよ。「キリスト教は邪教です!」は
講談社+α新書で出たときにつけられたタイトル。
それにしてもずいぶん横道にそれちゃってるなぁ。
自分の知識や理想に惑わされずに冷静になって自然を見れば、まさに鷲と蛇は共存している。 共存できないというのは思い込み、であり、世を惑わす意見である。事実ではない。 よしんば蛇が鷲の餌になろうとも、その際蛇が鷲に噛み付き痛手を負わせようとも、 この世は至って平和である。 とりあえず、生物図鑑でも見て、鷲と蛇の生息域を調べろ。かなり重なっているはずだ。
633 :
世界@名無史さん :2006/04/04(火) 03:04:39
そろそろ本題に戻ろうよ。みんな。
>>633 本来のキリスト教自体は邪教ではない
ただし、邪悪な利用する人もそこそこ居るように思える。
そういった人々の活動によりキリスト教自体が邪教に見える事も否定できない。
一番の原因は、宗教として完成する前にキリストが処刑されてしまった事により
呪われた存在になってしまったのかなぁ?って思ったり・・・
以上が私の個人的見解です。
635 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 12:55:39
一通り見ましたが、小さなヨハネさんの 傲慢というか独善というか、無神経さに唖然としました。 どれだけ語っている内容が素晴らしくても、これでは クリスチャンのよき規範とは到底言えないのではないでしょうか。 なぜこういう本が日本で人気になるのか、 図らずしてその理由を象徴しているような気がします。
636 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 14:56:51
>>634 そうやって、すぐに人間に責任を押し付けようとするのが、キリスト教
の特徴。キリスト教は、すべての人間を「罪人」扱いするのだから、
当然のことであるが。
生来は善良で純粋な人間が、イエスを信じることにより、必然的にそう
なってしまうのである。キリスト教が邪教である所以。
それとも、生来悪である人間ばかりが、イエスを信じたとでもいうのか。
637 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 15:03:30
>>636 >そうやって、すぐに人間に責任を押し付けようとするのが、キリスト教
>の特徴。キリスト教は、すべての人間を「罪人」扱いするのだから、
>当然のことであるが。
全く理解が違います。
カトリックやイエスの教えでは他人に罪を押し付ける事はありません。
その人に罪がなければ、教会にも、教えを学びにも来なくてよいのです。
要理の病人にこそ医者が必要という箇所を知らないのでしょうか。
638 :
634 :2006/04/04(火) 15:52:10
>>636 私はもともと、どの宗教も信じていない無神論者でしたがナニカ?
今は、宗教の利点もようやく理解できるようになって勉強してるとこですが・・・
私が持っているイメージに一番近いのは今のところ仏教かなぁ・・・
(まだまだ勉強不足ですけどね(汗))
639 :
小さなヨハネ :2006/04/04(火) 21:15:44
>>614 >発言には、必ず具体的根拠をあげてください。口から出任せでは、
>あなたの妄想に過ぎません。
実は私も皆さんから具体的根拠のある発言なるものを聞いたこと
がありません。
640 :
小さなヨハネ :2006/04/04(火) 21:19:41
>>638 くだらない発言など気にすることはありません。しっかり勉強して
ください。仏教も阿弥陀如来を信ずるものは救いに通じます。
そしていつかスウェーデンボルグをお読みください。きっと
視野が大きく開けるでしょう。
641 :
小さなヨハネ :2006/04/04(火) 21:23:47
私も昔は宗教など無関心でしたし、神の存在など知りもしません でした。しかし今は違います。神はおられます。ただ、そこに至る には長期間の苦しみを経なければなりません。若い人が神を理解で きないのは無理もありません。それ相当の人生の年月が必要なのです。
642 :
小さなヨハネ :2006/04/04(火) 21:37:23
>>635 そうですか。私は世を惑わす巨大な竜、年を経た蛇・無神論と
戦っているだけです。ところであなたはクリスチャンですか。
もしそうなら主イエス・キリストは何だと思っていますか。
643 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 21:46:28
>>640 >仏教も阿弥陀如来を信ずるものは救いに通じます。
大日如来や日蓮上人や釈尊では、何故駄目なの。阿弥陀仏がキリスト教
に似ているからだけではないのか。語るに落ちるとは君の事。
644 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 21:48:57
まあ宇宙がカミだよな。 宇宙と一つになった時人は人間でありながらカミに成る、 でいい?
ニーチェ著「アンチクリスト」の中身を叩こうぜ。 「その理屈はおかしい」って思われるところはない?
646 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 22:02:16
ある時、イエスが弟子たちを連れて街中を闊歩していると一人の女性が民衆から石を投げつけられていた。 なぜこんなことをしているのかと、弟子が民衆の一人に問うと、 「この女は罪人だからだ」 と答えた。 それを聞いたイエスは民衆にこう言った。 「ならばしかたがない。続けなさい」 そしてこう続けた。 「ただし、一度も罪を犯したことのない正しき者だけこの女性に石をぶつけなさい」 民衆は、とまどい、やがて一人また一人とその場を離れ石をぶつけているのはイエスただ一人だけとなった。 おいおい、イエス何やってんだ
647 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 23:16:46
神とか信じてる奴は気持ち悪い 神について他人に語る奴はもっと気持ち悪い
何も信じてない奴が気持ち悪い。無理やり友達扱いされたり。
親戚のキリスト教徒、心が狭い。 実家の仏壇に線香の一本もあげない。
651 :
小さなヨハネ :2006/04/04(火) 23:25:37
>>643 大日如来なら良いかもしれません。しかし日蓮上人や釈尊ではだめです。
救われるというのはそもそも心が神と結ばれることです。日蓮や釈尊は
人であって、神ではないからです。
>>小さなヨハネ まずは目に入ったこのスレから始めようか…いいか…今現在キリスト教と「されている」物はキリスト教では無い。断じて。 ユダが何故裏切ったと「されて」いるのか? イエスが何故磔にされたのか? …まぁ盲目な信者は性質が悪いので深くは話さんし話した所で 「聖書ではこう言っている」 「ソースは?」 「キリスト教が全て正しい」 等とほざくだろうから話さんが… とりあえずこれだけは言っておく。 全ては弟子によって改悪されている。 今のキリスト教はキリスト教ではない。
653 :
考える名無しさん :2006/04/05(水) 03:02:02
>>637 人を罪人ではないとするのはキリスト教ではありませんよ。寛容なるカトリックでさえね。
人が原善であるなら、完全なる神などは論理的に不要となります。
小ヨハネ氏の、大日如来なら良いが釈尊などはダメというのは、味噌糞も一緒という論理です。
神の文字無き声の日本語訳の問題はあるのかもしれませんが、それぞれの文化体系をも考慮しなめれば固有の文化・思想に対する冒涜です。
クリスチャンの人に言いたいが、そこに生きる(生きた)「人」を、もっと大事に思ってください。
654 :
考える名無しさん :2006/04/05(水) 03:10:41
>>651 「心が神と結ばれる」とは、具体的にはどういうことか、説明されたし。
神は、架空の存在で、人間のように心を持たないから、人間と心が結ば
れることなどありえないはずだが。「心が結ばれる」のは、むしろ心を
持った、生きた人間同士ではないのか。
釈尊もイエスも人間だが、死んだ人間だから心はない。
655 :
634 :2006/04/05(水) 07:13:01
>>640 お導きありがとうございます。
参考にさせていただきますが、
私にはそれほど重要ではないかもしれません。
無神論者というのは過去形にすぎません。
私は科学という真実の追究の道を歩んできました。
科学には神という存在を徹底否定するところから始まります。
でも、私が見つけた答えは確かに神と呼ばれるような物は存在する。
そして、物でもエネルギーでも空間でもあらゆる物が
神であり神からの派生物であるという認識に到達しました。
この時点でそれが科学かどうかという意味は消えてしまいましたけど・・・
656 :
655 :2006/04/05(水) 07:17:19
>>655 てにをは とか文章変なとこあるけど細かいとこは見逃してね(汗)
657 :
考える名無しさん :2006/04/05(水) 09:13:35
>>653 >人を罪人ではないとするのはキリスト教ではありませんよ。寛容なるカトリックでさえね。
カトリックは他人を罪人扱いしません。罪人でないとも言いませんが。
>人が原善であるなら、完全なる神などは論理的に不要となります。
原善であるかどうかなど、誰にもわかりませんし、
その人にとって不要で構わないでしょう。
あなたには必要ではないかもしれませんが、罪を負った私達には神が必要、でいいのです。
それから、あのですね、小ヨハネ氏をクリスチャンだとは思わないでください。
659 :
考える名無しさん :2006/04/05(水) 11:16:36
>>658 ありのままの自然に徹頭徹尾向かい合って、その中に法則を見出す
のが自然科学。「神は細部に宿る」。
自然を超越した神などを考えることは、自然に対する冒涜であり、
科学者としての判断を曇らせ、その責任を放棄することである。
自然という神を超越したSomething Greatなどを口にする科学者を、
「トンデモ科学者」という。
自然を超越する神というのは徹底否定するということか
>>657 「他人を」とは言ってませんよ。「人」の存在をです。
人の存在は罪人であるという人間理解は、キリスト教のものです。
>あなたには必要ではないかもしれませんが、罪を負った私達には神が必要、でいいのです。
この部分は同感です。
神は「存在」の問題ではなく、「必然性」の問題だと思います。
しかし、「人は原善」かどうかなど、誰にもわからないように、「人が原罪を負っている」かどうかなども、誰にもわかりません。
自分は本当は善なる存在であると信じ、「完全なる神」を見なくても善悪の区別がつく、のであれば神の必然性は弱い。
また、人間に対して罪を負った場合、自分の犯した罪に責任を持ち、相手のために自他共に納得のいく罰を自分自身に科す努力のできる人は神の義を必要としない。
自分の行動は自分が責任を持ち、極端な話自分の罪を背負って切腹する。相手や周囲に恥をさらさせた自分(の罪悪感)を、彼らのために消せばよいと信じる。
一方自分は本当は悪なる存在であえると信じ、神の導きがなければ、何が善くて何が悪いのかもわからないという人には、人間生活をおくる上で神は必然。
人間に対して罪を犯した場合、その人や周囲に許しを請いながらも、自分が神の国に入るためにも、自分が神から遠ざからない事を神に示すためにも、神に許しを請うことを考える。
そして自分のかわりにイエスが「切腹」してくれた、と信じれば、たとえ人に許されることは無くとも、自分(の罪悪感から)は救われる。と信じる。
要するに信仰の問題。ただキリスト教の場合、罪を犯した人間は、被害を受けた人に対して謝罪する意味をもてるのかは疑問。その人が善かどうかわからないとする故に。
まあしかし、自分の人生をどう生きたいか、という自己中心的な人生の選択の一つが、信仰心のおき場所なんでしょうな。
662 :
考える名無しさん :2006/04/05(水) 13:59:37
>>661 >人の存在は罪人であるという人間理解は、キリスト教のものです。
違うよ。
それはキリスト教徒の中の人であって、
それ以外の人について言及しているわけではないよ。罪が無い人がいてもいい。
キリスト教でも原罪無き人はいる。
>>660 意識だけは自然を超越できるかもだけど、
最終的には自然を受け入れないとその時点で廃人になってまうので注意。
何せ自分が自然の一部に過ぎないからねぇ。
今になって凄く危険な事をしたと猛反省中(ぉ)
自然を素直に受け入れる方がよっぽど賢い選択だと思ってる。
意識は自然を超越できるんですか。 オイラーとかの超人的思索を持つ人は 思索の範囲が広大で豊潤自由なはずだ。 最終的に自然に戻るとしても、 産み出すときには超自然の範囲まで思索が及ぶんでは まあ、この場合の超自然とは無意識のことかもしれないけど。 つまり、超越って簡単に切り離していいのかなというのが問題提起
665 :
小さなヨハネ :2006/04/05(水) 23:10:54
>>654 >「心が神と結ばれる」とは、具体的にはどういうことか、説明されたし。
>神は、架空の存在で、人間のように心を持たないから、人間と心が結ば
>れることなどありえないはずだが。「心が結ばれる」のは、むしろ心を
>持った、生きた人間同士ではないのか。釈尊もイエスも人間だが、死んだ
>人間だから心はない。
1.神は真の「人間」であり我々が神のレプリカ。神が我々のレプリカ
ではない。人間が神を創造(想像)したというのは大きな誤り。
2.神こそ「心」を持っている。その心とは慈悲のこと。我々に心がある
なら、我々を造った神にどうして心がないだろう。
3.「心が神と結ばれる」とは「再生」のこと。まず神をあるいは神の
掟を「知り」「理解し」「欲し」「行う」ことによって初めて
人間は魂が再生し、心は神と結ばれ、平安を得る。
4.イエス・キリストこそ神。唯一の父なる神。神が有限の人間の姿を
まとって出て来たので我々は初めて神を把握できる。
5.イエス・キリストは主なる神その方のこの世の姿であり、永遠から
おられ、現在も未来も永遠におられる。
666 :
小さなヨハネ :2006/04/05(水) 23:16:19
意識が自然を超越するとはどういう意味で言われているのか 不明ですが、少なくとも自然をもとにしないと人間は考える ことができないのは事実。時間と空間の中に暮らしている 我々はそれらの要素をもとにして考える以外に不可能。
667 :
小さなヨハネ :2006/04/05(水) 23:17:28
そのためにも神は人間の姿をまとって出て来られた。
668 :
考える名無しさん :2006/04/05(水) 23:17:50
>>665 根拠の皆無な妄想を、人前で語るのは止めなさい。
クリスチャン以外のすべての人間にとっては、聖書など何の根拠にもなりません。
669 :
小さなヨハネ :2006/04/05(水) 23:20:16
>>668 わたしも皆さんから根拠のある話を聞いたことがありません。
自分も根拠のない話をしてる自覚があるってことかな?
672 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 00:01:17
偏狭な中世哲学研究家と偏狭な分析哲学者って何か性格が似ない? 偏狭なところが似てるだけかwww この二つの分野はどうも苦手だ。
ついでだからスレとは関係無いかもだけど 私の場合どうだったかを書いておきますね。 最初に言っておくが自分が自然界の中の人間社会の中に居る 一人という存在であるということを充分に理解し そこに帰ってくるということをしっかりと意識しておかなければならない。 数学的と物理的な方法で話すのであれば 数の多様性を否定していくと 1と0の先に0か1だけしかない世界があって その世界の発想に到達する直前に虚数の存在を直感でき、 最終的に我々の世界は、虚数〜0〜1の間を 揺らぎながら存在している柳の木の様な物であると理解できる。 量子物理学で量子単位が存在するのは枝の構造によるもので、 観測結果が確率論になるのは揺らいでいるからと表現できる。 z粒子(だっけかな?)が点対称的な図形を描くのは、1つであったクオークが分岐して 超光速で未来と過去に飛散しているからの様に思える。 まぁ、なんだねトンデモ科学っぽい臭いするかもだけど、参考までということで・・・ あ、あとこの発想への旅の始まりは クリスチャン系幼稚園で遊んでいた時「死ね」という言葉を使った事を 強く否定されたことが始まりだったのかも・・・ キリスト教のおかげで得た発想といっても過言ではないのよね。
論理構造というものは一元的なものの見方の一つであって、 この一元的見方と言う点で言えばキリスト教の発想に近い。 しかし、現象を見る角度、見方とは一つだけではないのだろう。
675 :
673 :2006/04/06(木) 10:30:08
676 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 11:07:42
>>674 見方を含めるなら論理構造だって一つにならない。
1を表すのに、1+0でも2-1でも1*1でもいい。
対象が一つでも記述方法は無限にあるのは当たり前のこと。くだらない。
677 :
673 :2006/04/06(木) 15:46:33
>>676 分かってしまえばくだらない事が
分からないときにこそ重要だと思う。
その大切さを忘れてはいけない気がするんだが・・・
記号方法というのは結局のところ論理構造を構成するためのものだから、 記号方法のことだけを言ってんじゃないだろ。 「1」と言うのは数に過ぎない。 「それ」を表すのために数だけ述べても数以外何の様子も伝わらない。 これは恐らく記述方法程度の問題なんかじゃない。 「唯一の価値」などというのは、確かにほんとにくだらない話だ。
>>678 うん、唯一の価値なぞ存在しないしくだらない事だと思う。
その理解に到達する道筋は多い方が良いのではということで
その1例を挙げているまで、
1つにこだわる事がくだらないと思う事に
こだわる事がくだらないと思うのだが?
680 :
678 :2006/04/06(木) 16:14:08
>>679 追加、まぁそれにこだわるというのもくだらない話かw
>>680 すまそ、名前678ではなくて679のミスでした・・・
682 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 18:57:03
中国マフィアは蛇頭です!
683 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 18:59:59
そういう考えは妥当です!
684 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 19:08:44
小林亜星は童貞です!
>>684 マジで!?
(うは、俺も気をつけよ〜)
686 :
一言居士 :2006/04/06(木) 21:05:21
キリスト教はあまり好きになれません。そもそも永遠の生命って何ですか?私は永遠の生命なんてまっぴらごめんです。人間いつか死ぬから、人生が尊いんです。苦痛の無い天国なんて苦痛のかわりに退屈が存在すると思います。限りある生こそ人生をおもしろくしてくれるのです。
来世を信じているんですね。それよりも、ぼくの美しい肉体を永遠に残す 仕方があるのだろうかとやきもきしている今日現在。
688 :
小さなヨハネ :2006/04/07(金) 00:58:47
>>686 大丈夫、永遠の地獄もあるそうです。そこの苦痛は果てしないようです。
そして私たちの大半は地獄へ行くのではないかと思われます。
この世を認める人も、あの世は認めません。それは論理的に整合性が
あるのでしょうか。この世があるならあの世があってもおかしくない
でしょう。どうしてあの世はないなどと言うのでしょう。皆さんは
口を開けば根拠根拠と他人には要求するのに、自分の考えに根拠など
ありはしないというのが笑えます。それで哲学なのですか。
689 :
小さなヨハネ :2006/04/07(金) 01:06:44
私も毎日自分の地獄と向き合っています。自分の悪辣さに愛想が尽きます。 今日もひどかった・・・。皆さんはどうですか。反省することなどありま すか。
わたしは自分中心に世界が回っているので 反省することがあっても、自分に対してだけです。
691 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 02:55:28
あなたがたはすでに天の国に住んでいます
692 :
回れ回れ木製回転楽園。 :2006/04/07(金) 03:40:57
>>690 又、すぐそのように、あなた方は“真実”を偽る!!あなた中心に回ってるだって?!しょうが無い程、聞き分けが在りませんね!?それでは“真実“をお教えしましょう!!
「地球は俺が回してやってるんだ!!馬鹿者!!まぁ良い。感謝しろ。時速43キロで。これが寝実だ。」
>>692 しかも地球は太陽を中心に回っているし
太陽系は銀河を中心に回っているみたいですし・・・
銀河は・・・・・・・・(ぉ
中心ってどこ?気にしない〜
我々にとって一番の中心は重力で支えてくれる地球ですからそれで良いってことで〜♪
694 :
一言居士 :2006/04/07(金) 11:06:22
小さなヨハネさんへ 私だって永遠の地獄くらいあることは、知っています。地獄の苦痛は果てしないと おっしゃいましたが、その苦痛なんか長いこと受けているうちに、慣れてしまうと 思います。あなたは、そうでないというでしょうが。あの世を完全否定は出来ませ ん。逆にこの世とされているところが、あの世なのかもしれません。あの世…それ は、死後の世界です。しかし、我々は、一度死んで、この世とされる死後の世界に 生きていないとも限らないのです。その可能性も考えないと、あなたの言う天国・ 地獄もありえないでしょう。だいたい、キリスト教にもいろいろあって、エホバの 証人のように、地獄はあっても、そこでは完全に死んで、苦痛を受けないというのも あるのですよ。
695 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 11:39:16
そろそろニーチェの話に戻りたい
696 :
一言居士 :2006/04/07(金) 11:53:33
神は信仰するものにとっては、存在する。信仰しないものには存在しない。 神がいると思えば、神はあり、神がいないと思えば、神はない。 神は存在しない、実体として。霊的とは、あると思えばあり、ないと思えばない、ということ。 いや、神がいるいないということさえ存在しない。
697 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 11:59:58
>>696 地球の存在も、信仰しないものには存在しないのですか?
なぜ実体として存在しないという事がわかりましたか?
698 :
一言居士 :2006/04/07(金) 12:00:43
695さんへ そうしましょう。まあ、ニーチェは私にとっての精神の師匠です。「キリスト教は邪教です」のなかで、真理はここにあるとか、ここにないとか言うことは出来ないとありました。あれは、良い考えですね。 それと、不死の否定こそ救済だと言っていました。同感します。良心の呵責なるものは、内向する残忍性という善悪の彼岸に立った解釈はすばらしい。
ああ、安易な救済ではあるがね。 NHK、コルァ
700 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 22:30:53
結論:キリスト教は妥協です! というわけで・・700ゲットォ!
701 :
考える名無しさん :2006/04/08(土) 09:41:31
米国の科学教育団体「ナショナルジオグラフィック協会」は6日、 1700年前の幻の「ユダの福音書」の写本を解読したと発表した。 イエス・キリストの弟子ユダがローマの官憲に師を引き渡したのは、 イエスの言いつけに従ったからとの内容が記されていたという。 解読したロドルフ・カッセル元ジュネーブ大学教授(文献学)は 「真実ならば、ユダの行為は裏切りでないことになる」としており、 内容や解釈について世界的に大きな論争を巻き起こしそうだ。 13枚のパピルスに古代エジプト語(コプト語)で書かれたユダの福音書は、 「過ぎ越しの祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話で イエスが語った秘密の啓示」で始まる。イエスは、ほかの弟子とは違い唯一、 教えを正しく理解していたとユダを褒め、「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、 すべての弟子たちを超える存在になる」と、自らを官憲へ引き渡すよう指示したという。 同文書は3〜4世紀に書かれた写本で、1970年代にエジプトで発見され、 現在はスイスの古美術財団で管理されている。同協会が資金援助し、 カッセル元教授らが5年間かけて修復、内容を分析した。 福音書はイエスの弟子たちによる師の言行録で、実際は伝承などをもとに 後世作られたものと見られている。うち新約聖書に載っているのは、 マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人分だけ。ユダの福音書は、 2世紀に異端の禁書として文献に出てくるが、実物の内容が明らかになったのは初めて。 詳細は、28日発売の「ナショナルジオグラフィック日本版」に掲載される。
702 :
考える名無しさん :2006/04/08(土) 09:58:08
sine
コプト語のグノーシス文書なんか今更取り上げて、 無知な大衆はキャーキャー驚くってわけさ。
ナザレのイエスの活動が引き起こした広範な宗教的影響の 生々しい歴史的痕跡を辿ることは、それ自体としては無意味 なことではないし、グノーシス主義はすぐれて現代的な精神 の問題であるとも言えようがっ。
あ、『ダヴィンチ・コード』の盗作裁判の原告って、 マイケル・ベイジェントとリチャード・リー?w 禿藁。
余りにおかしくてage忘れちまった。あそこら辺の連中は確かに、 皆、そういう風だよなw
朝から教育でやってんな・・・。
そんなに信仰を踏みつけたくば、ダヴィンチの作品を 一つ残らず教会の壁から引っぺがして、コナゴナに 踏み砕いてしまったら良い。あんなものはなくても 困らぬ。
ムカ付いたら地震起きちゃったよ。 ムキになるほどの話でもないんだろうがよ。どうせ流行りもの。 AQUA-CMT セントロイド時刻 2006-04-09 09:37:15 セントロイド緯度 41.6N セントロイド経度 142.8E セントロイド深さ 44km Mw 4.6 走向1/走向2 110.9/315.2 傾斜1/傾斜2 39.3/53.3 スリップ角1/スリップ角2 -109.3/-74.9 品質 75.57 使用観測点数 9
ユレルユレル・・・
あれ、宗教板の『ダヴィンチ・コード』スレ、どこだっけ・・・。 震源地 北海道東方沖 発震時刻 2006/04/09 10:07:25.19 緯度 43.300N 経度 146.817E 深さ 23.9km マグニチュード 4.3
ああ、違う。コプト語文書のスレだった。 ・・・いや、良いんだけどw
福岡の震災後、NHKでやってんな。あーあ・・・
715 :
小さなヨハネ :2006/04/09(日) 11:42:51
>>696 学者モグラが太陽など存在しないとまた言い出しました。
716 :
一言居士 :2006/04/09(日) 12:08:27
697の方 715の小さなヨハネさん そんなことは、言ってません。太陽は空に見える、昼はやって来る。地面があるから、地球はある。 地球があるから、我々も存在する。だから、これらは具体的に確認できるでしょう。 小さなヨハネさん、神を具体的な形で存在を証明してください。あくまでも具体的に。 それと、養老孟司教授の著書を一度お読みになったらどうですか。
717 :
考える名無しさん :2006/04/09(日) 14:27:31
>>716 >小さなヨハネさん、神を具体的な形で存在を証明してください。あくまでも
>具体的に。
何万年かかっても証明できるわけないよw。神など、どこにも実在しない、ほ
かならぬ「人間」の空想の産物に過ぎないのだから。
認識できない神を、あたかも認識した如く饒舌にに語る宗教ほど、論理矛盾は
ない。
宗教の論理矛盾とはそんなレベルの話じゃないと思うよ。
確かに多くの哲学本や哲学系掲示板に投稿される文章は難解な語彙・言い回しが多いです。 恐らく哲学の偉い先生たちや哲学系掲示板の投稿者は、 自分は難しい文章が書けるんだとか、 一般人にはわかんない難しいことまで知っているんだ、 頭の悪いヤツにはとうてい理解できないでしょ!? とかって威張ったり自慢したり見せびらかしたりするための「権威付けの文章」を書いて悦に入ってるんじゃないか、という印象を受けてしまいます。 伝えたいことが同じなら、わざわざ難解な言い回しをする必要はないし、 「いかに噛み砕けるか」ってのも“才能”でしょう。
720 :
小さなヨハネ :2006/04/09(日) 21:35:24
>>716 まあ、モグラには太陽の存在などいくら説明しても無駄でしょう。
太陽を見せても目が見えないのですから・・・。
仕方がないので、では、自分が存在しているのは誰かが創造して
くれたからではないでしょうかと言っても、理解できないのです。
『モグラの壁』とでも言うのでしょうか。
721 :
小さなヨハネ :2006/04/09(日) 21:36:52
722 :
考える名無しさん :2006/04/09(日) 21:40:58
>>721 時代も異なる大昔の、一握りの精神異常の「人間」が書いた聖書から
一歩も踏み出せないキリスト教徒こそ、モグラと呼ぶにふさわしい。
723 :
小さなヨハネ :2006/04/09(日) 21:44:31
私が語りかけているのはモグラや蛇にではなく、鷲の子供たちにです。 鷲自身はモグラや蛇に騙されることはありませんが、まだ鷲の子供たち は騙されます。まだモグラは悪意はないのでしょうが、蛇は鷲の卵や 雛を襲います。 ニーチェはいかにも狂っているのが明らかなので人畜無害のモグラか と思いますが、カントクラスになると蛇の可能性があります。
鷲も好きで蛇も好きなボクはどうしたらいいでつか?
725 :
小さなヨハネ :2006/04/09(日) 22:08:30
>>724 蛇も良い意味では賢さを意味します。しかし大体悪い意味
で、感覚的なもの、自己愛、悪の頭、等々です。
良い蛇か悪い蛇かを見極めなさい。
726 :
小さなヨハネ :2006/04/09(日) 23:24:39
>>716 >神を具体的な形で存在を証明してください。あくまでも具体的に。
イエス・キリストこそ具体的な神そのものです。
727 :
考える名無しさん :2006/04/10(月) 01:10:04
>>726 父なる神を冒涜し、ユダヤ社会の秩序を乱した大罪で処刑された犯罪者である
イエスが、神である根拠は?「聖書に書いてある」では根拠にならないから、
念のため。
クリスチャンである遠藤周作氏も、イエスの「神格化」には頭をひねっている。
728 :
考える名無しさん :2006/04/10(月) 02:21:19
>>719 そういう意味でいうと、アンチ・クリストを翻訳した適菜収は天才だと思う。
729 :
一言居士 :2006/04/10(月) 11:22:12
>720 創造者は最初から存在し、世界を創造したと言う。どうしてそんなものが必要なんだ。 このことで、ニーチェも私と同じ意見でした。創造とは変化のことだ。世界自身が変化 すれば、神が創造したのと同じ結果になる。我々の髪は伸び、草もはえる。これは、 我々やそれらが変化してそうなっただけだ。逆にいえば、変化するものは、よかれあしかれ 創造者である。中ごろから後半は私見です。 老荘思想や本居宣長の考えや汎神論を読んだらどうですかね。以上、モグラが申し上げました。
730 :
一言居士 :2006/04/10(月) 11:24:33
PS:創造とは変化の…からの一連の文章が、私の意見です。
731 :
小さなヨハネ :2006/04/10(月) 19:27:49
モグラが自ら光を求めて地上に出てくるなら、鷲もモグラを空中高く 持ち上げることも出来ますが、地中の闇を求めるなら鷲もモグラを 掘り出すことは出来ません。
>>729 >どうしてそんなものが必要なんだ。
快適に暮らせるように家を作っただけです。
733 :
小さなヨハネ :2006/04/10(月) 20:29:36
>>727 >クリスチャンである遠藤周作氏も、イエスの「神格化」には
>頭をひねっている。
はははは。遠藤周作氏も相当なモグラです。
734 :
小さなヨハネ :2006/04/10(月) 20:35:07
>>728 モグラの好物はミミズです。ニーチェはさしずめミミズでしょう。
人間には臭くて食べられません。ミミズの餌は腐った木の葉です。
木の葉は真理を意味しますが、腐った葉とは誤謬のことでしょう。
735 :
小さなヨハネ :2006/04/10(月) 20:42:21
>>729 >創造とは変化のことだ。世界自身が変化すれば、神が創造したのと
>同じ結果になる。我々の髪は伸び、草もはえる。これは、我々やそ
>れらが変化してそうなっただけだ。逆にいえば、変化するものは、
>よかれあしかれ 創造者である。
ははは。では変化するものは誰が造ったのですか。
736 :
一言居士 :2006/04/10(月) 21:13:12
>735 では、創造者はどこからきたのですか、あるいは創られたのですか?729で、私は世界自身が創造者だと言ってるんです。世界が 自身を変化させ、創造するんです。
言ってることの正当性はともかく、ヨハネのレスはこのスレの趣旨から脱線しすぎ。 つまり準・規制対象。
738 :
一言居士 :2006/04/10(月) 21:17:19
それと、735の方は、いわゆるユニテリアン派に属しているのでしょうか?三位一体を否定 するところから、そう思いました。
>>736 横レスごめんね
創造者は来たのではなく、いたの。そしてこれからも、いるの。
来たのは創造者以外の方。信じないだろうけど、創造者って私のこと。
無抵抗の一言で恒久平和も永久機関も作ってるの。ホントダヨ。
740 :
小さなヨハネ :2006/04/10(月) 23:45:41
>>736 世界は被造物で造物主ではありません。目に見えないものは存在しない
と考えるのが『感覚による迷妄』というのです。皿や器には誰かそれを
作った人間がいるのは明白です。皿や器が自ら変化したと言ったらこの
人は狂っていると言われるでしょう。
741 :
考える名無しさん :2006/04/10(月) 23:47:19
キリストはどうして僕たちが困っていても実際に現れて助けてくれはしないのでしょうか?
>>741 無抵抗になったときに救われます。←原則
それまではせいぜい足掻いてみましょう。
ただ、下手な(原則から大きく外れた)足掻き方は身を滅ぼすかも。
しかし、それが一番無抵抗な形かもしれませんね。
>>740 言われるから?それが何だというのでしょう?
>>739 世界をそうだと認識しているのが「自分」だよ。創造者が自分ではないよ。
>>740 自分の感覚を超越して己以外の自然を知ることが不可能であるばかりでなく、神を知ることも不可能である。
人間が皿や器と同じであると言ったら、この人は狂っていると言われるでしょう。
>>741 キリストにとっては、現世での我々の苦しみなど大したことではない。
キリストってのは、我々が死んでから天国へ行くための導き手に過ぎないんだよ。
しかし死後の世界の理解と言うのが根拠の無い出鱈目なもの。
ただそれをかたくなに信じられれば、やがて来る死の不安がまったく信じないよりも和らぐというだけ。
だから人間の抱く荒唐無稽な神に対する宗教心というものは利己心からきている。
日本人は、宗教心のその自己中心的な利己心に嫌悪感を抱くのであります。
>>727 聖書に「イエスが神である」などとはどこにも書いてないよ。
自分たちの死への恐怖をやわらげるために、 神を信じ、神の与える死に感謝し、天国への道を開いたキリストを崇める。 しかしそれを自分ひとりだけが熱烈に信じると、当然ながら冷めてる周りからは冷笑をかう。 それでは自尊心が傷つき、虚しくなり、なんとなく惨めである。 だから布教をすることで、世論を形成し、仲間を集う。 最初の教会人は、事実たった一人、神を思って死ぬことはできなかったのである。死とはそれほどに圧倒的に孤独なのだ。 自分の安らかな死のために、他人の考え方に余計な価値観を植え付け、己の安らかな死に対しての邪魔をさせない。 そういう考え方もあると、世間に認知させる。自分のためにそうする。 この世に生きた痕跡を残さず、誰にも悟られず死ぬことができれば、その人は自己中心的な考え方を持たないと言う意味ではすばらしい。 しかし、そういう人ばかりではないから、今ある宗教が存在するのである。
ヨハネぷろ固定でいいんじゃね
748 :
一言居士 :2006/04/11(火) 09:45:12
>740 皿が何かの拍子で落ちたら、割れます。皿が割れることは、粉々に変化すると言ってもいいでしょう。 人為でなかったら、神がそうなさったのだ、とでもいうんでしょうかね?人間の多少の不注意、滑り落ちやすい 環境もあるのに。
749 :
一言居士 :2006/04/11(火) 19:03:52
だれかの意図したとおりに世界は出来ていないと思うのです。思いもよらぬことで世界はできあがっていった、つまり偶然できあがったとしても いいんじゃないですか。世界に意志があったとしても、世界自身が意図していない変化があってもいい。全部、神の思い通りなんていやです。
じゃあ、神は人間を創造して、残りの環境や条件は 人間の持つ創造する力が創造している・・・じゃダメなの? でも、いわゆる決定論は否定できない考え方だと思うから、 こういった自由意志を認めるなら、 相容れない決定論と自由意志が矛盾なく両立する理屈を 見つけ出さなくてはならなくなるんじゃないかな。
>>750 正気ですか?環境や条件を人間が作る?
科学っていうのは自然法則を発見しただけ。
作っているわけではないですよ。
力学とかを人間が作ったと思っているの?発見ですよ。
自由意志を持ち出してるんだから、自然環境や条件のことを言ってるんではないんでないの?
753 :
一言居士 :2006/04/11(火) 23:18:59
今までの自分の意見をまとめれば、生命体の意志と、偶然が世界を構成している。神の意志という必然、それも偶然の要素の 入り込む余地などないものは、不要である。
754 :
小さなヨハネ :2006/04/11(火) 23:26:17
>>737 ニーチェの言っていることが出鱈目でくだらないからそう言っているまでです。
>>738 私はただのクリスチャンです。ユニテリアンが何か知りません。三位一体も
3神論は間違いですが、三一論なら正当です。しかし、一般のクリスチャン
は3神論を考えており、それは間違いです。神は唯一です。
生物が生物として現に生きていることこそが生物である我々にとって重要なのであって 世界が被造物だろうと、造物者だろうと、そんなことはどうでもいいことだ。 世界は世界に過ぎない。神の存在証明は不可能。哲学史上失敗の連続である。 それ以上でもそれ以下でもない。 あらゆる種類の人間がこの世の中で肩をこすりあわせている。そっちの方が問題だ。 その点で、教団と言うものほど、そのこすりあいを深刻にするものは無いだろう。
756 :
小さなヨハネ :2006/04/11(火) 23:37:27
>>727 遠藤周作氏がキリストを神でないと考えていたようですが、それが現代の
間違った三位一体論の当然の帰結であり、もはや真のキリスト教ではあり
ません。
>>745 ・・
>>626 などご参照。
757 :
小さなヨハネ :2006/04/11(火) 23:42:33
>>755 >神の存在証明は不可能
それはその人が神の存在を認識できなかったというだけのことです。
758 :
一言居士 :2006/04/12(水) 08:34:16
キリスト教は、性欲自体を悪とみなしているようですが。確かに、強姦のように悪い性欲はありますが、性欲自体や性的快感自体は、 べつに悪くはないと思います。
759 :
考える名無しさん :2006/04/12(水) 09:07:12
>>753 偶然とは情報の欠落によってそう見える現象である。
主体が原因を知らないことによる見方。
必然偶然はものの見方で変化する。事象そのものは変わらない。
760 :
一言居士 :2006/04/12(水) 12:17:17
>740 信仰義認論とは、信仰に基づく行いによってのみ救われるという考えです。別に、信仰だけすれば救われるというのではありません。それと、万物はすべて神の意思で創られるのですか?変化はすべて神の命令でそうなるのですか?
>>754 >>私はただのクリスチャンです。ユニテリアンが何か知りません。
>>三位一体も3神論は間違いですが、三一論なら正当です。
はいいとして
>>しかし、一般のクリスチャン は3神論を考えており、
これはないだろw
762 :
小さなヨハネ :2006/04/12(水) 23:25:52
>>761 >これはないだろw
いいえ。それは現実を知らないのです。正確には無神論です。
キリストはただの人間であって神ではないと思っています。
人間には父なる神という抽象的なものは考えることは不可能
であり、結局それは無神論なのです。
763 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 13:45:24
キリスト教徒がバカだったから便宜を図ったんでしょw 大多数の聖書を精読するキリスト教徒はそう思っているわけですよね。 フィリオクエ問題でググってみ 笑えるから
やっぱりねえ 信じてる事を扱うのと 計算するのとじゃあ 天地の差があるだろうね
ヨハネさん宗教板の三位一体スレはなくなっちゃいましたよ
やっぱヨハネさんがいないとねー
>>727 ヨハネ書簡第一、5:20
おっと、ちょっかいは出さない・・・っと
まちがえた、
>>727 は
>>747 ね
それにしても聖言に書かれてあることが何の根拠にもならぬとは・・・
ま、いいでしょうw
767 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 01:21:54
人によって真理を見て真理によって人を知ることはよろしくない。 キリスト教というフィルターをかけて世の中を見る人には 聖書が聖なるものであるというのは当たり前。 結局集団でオナニーしてるだけ。 キリスト教のフィルターがない人にとっては意味が分からない。 キリスト教徒の言う「蛇」だとか「モグラ」だとか「ミミズ」ってのは いわゆる不信仰者のことを指してるわけだから 「蛇」=「キリスト教のフィルターがかかっていない人」ということと同義でしょう。 そこにある程度の日常的な共通判断(例:蛇やモグラは卑しい)を 持ち込んで相手を下に決め付けるから反発されるわけです。 元々日本はキリスト教国ではないわけですしね。
768 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 01:22:50
キリスト教徒のフィルターの中【のみ】で 「イエスキリストは全ての存在を支える神のあらわれである」 「聖書に書かれていることの全ての言葉は正しい」 とか考えるわけです。 これで分からなかったら別のパターンとして 例えばラッセルが 「神の国=マルクス主義だ」(ラッセル読んでないけどwww) と言った事に関してキリスト教徒の方は反発なさるでしょう。 「ラッセルは何度も離婚したのでしたね、実に気違いです」 しかし中世の最も偉大なキリスト教徒の一人である 聖アウグスティヌスも離婚(捨てた?)はしておりますし 離婚した人間であることは真理から遠ざかることである、とも言えないわけです。 ラッセルはラッセルのフィルターがかかっているのですから。 ラッセルは非信仰者だから間違っている、というのはキリスト教徒【のみ】の考え方です。
769 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 01:24:17
客観的な真理を追及するような分野だったらそういうフィルターをかけないように努力します。 自分の考えは自分のフィルターを通した考え(他人とある程度共有できるにしても)でしかない。 共有できる部分を追求、吟味するのが哲学みたいなもんでしょう。 本当に聖書が客観的な真理であることとを証明したいのなら キリスト教徒であるフィルター抜きで証明していただきたい。 スウェーデンボルグも本当の神の定義、我々が蛇であるなどもどうでもいい。 「キリスト教、ないし聖書が客観的な根拠を持つ理由」をおねがいしたい。 絶対無理だと思いますが。
770 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 01:48:44
例えば、太陽がある日突然消滅した場合 これは就学児童以上の年齢であれば、ほぼ100%ヤバイと想像できるよね でも、ある日突然キリスト教徒が信じさせたがっている神 「GOD」が消滅したとしても キリスト教の神「GOD」を振興しているキリスト教徒は激ヤバかもしれないけど、 普通の日本人である俺らは別にどうってことないことなんじゃないかと想像する。 法華経が突然、すべて消滅したら一部の日本人は激ヤバかもしれないけどw
771 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 02:24:47
>>770 「GOD」が消滅するわけないだろ。
どうやったら消滅するんだよ。
>>771 例えば、君が「GODなどいない」と、強く信じれば消滅するだろう。
どうやら神存在の客観証明は出来ないみたいだからね。
しかし、神はいないと信じるということは、
逆説的に神の存在を認めることにもなりかねないかな。
つまり消滅する対象が存在することになってしまう。
773 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 11:40:57
>>770 YHWHの間違いだろ。YHWHは消滅させれないよ。この世の存在そのものだから。
宇宙を消滅させることができるなら話は別かもしれないが。
774 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 11:47:30
太陽を知らない人はいない キリスト教徒が振興している神「GOD」を知らない人はかなりいる。
775 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 11:52:35
776 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 12:48:54
777 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 12:54:50
太陽を知らない人はいない キリスト教徒が振興している神を知らない人はかなりいる。 絶対的な他者を想定しそことの対応を計っていくという西欧的な態度が 科学の発展の原動力となったと想像している。 だがグローバリズムとキリスト教徒の押しつけがましさは同根だよな
778 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 12:58:23
>>777 太陽という日本語を知らない人は、キリスト教の神を知らない人より多い。
太陽の真実の姿も、神の真実の姿も、どちらも知る人はいない。
779 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 13:00:10
>>777 太陽を知らない人だっているだろ。
そもそも何をもって知っているとするのだ?
太陽の重さとかは知らない人がほとんどだし。
780 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 13:50:50
>>778 太陽の与える恩恵は計り知れないが
キリスト教の神の恩恵はどんなものがありますか?
781 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 13:55:50
782 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 13:59:50
>>781 そんな電波なこといわれても困ってしまうよw
783 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 14:05:50
>>779 太陽は触れることができませんが、その明るさ、暖かさを実感できます。
これは観念ではなく実在です。
なにより、自転によって太陽が裏側に隠れてしまうと、地域によっては環境ははげしく変化します。
神の不在によって何が変わりましたか?
784 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 14:13:35
>>783 それは実感の実在。実際に太陽が存在しているかどうかは誰も知らない。
太陽のようなものが見える現象が存在するだけ。
神は不在にならない。永遠に在りて在るものであり続ける。
785 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 14:26:12
>>784 神を実証的に証明できないんだから神の実存の証明にならんだろ。
もっとも、神の不在も実証的に証明できないのだから結局は神は
いるか、いないのかは現在の我々には到底しりえないということだろ。
つまり、今のところ個人が神を信じるか、信じないのかの主観的な領域に
神の存在また不在はとどまるということだよ。
したがって、神が存在すると断定するのはおかしいよ。
786 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 14:31:33
>>785 神の存在は証明されている。在るものはあるのか?ないのか?
あるなら神の存在証明となる。
この世に何も存在しないというのなら、神は不在だろうが。
787 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 14:36:31
観念的なら神は確実に在るだろう。 見て触れるのか、どんな姿をしているのかが問題なんだな。 姿などない、と仮定すれば神は既に証明されていると言えそうな気が。
788 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 14:39:25
>>785 どれがきちんと神の証明を実現できたのですが?
教えてください?
古代教父のテルトゥリアヌスは不条理ゆえに我信ずといっているし
カントも信仰に場所を空けるために知に制限をくわえるといっていますよ。
あたができるのならコペルニクス的な大発見かもしれませんよwwww
789 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 14:40:52
宇宙=神 この世に宇宙は存在するか? 存在するなら神は存在する。
790 :
788 :2006/04/14(金) 14:41:56
791 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 14:42:14
神というのは便利な概念だ。 上手に使った奴が勝つ。
792 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 14:44:21
793 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 14:45:41
794 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 14:48:40
>>793 抽象的でわかりません。もっと具体的かつ論理的に
説明してください。
795 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 14:51:35
>>794 宇宙は神の一部か全部で出来ている(定義)。
故に宇宙が存在するなら、神は存在する。
796 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 14:54:15
>>795 なぜ宇宙が神の一部か全部でできているかを
きちんと説明してください?
797 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 14:55:24
>>796 宇宙と(もしあれば)それ以外を含めて神と呼ぶからです。
798 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 14:58:23
>>797 なぜ宇宙とそれ以外を含めて神と呼べるのですか?
キリスト教のような人の形をした神もいますが
799 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 15:01:27
>>798 そう呼んでいるから。
キリスト教の神はYHWHですから、存在するもの全てになります。
800 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 15:06:31
>>799 >そう呼んでいるから。
あなたの定義が反証に耐えられないということですね。
つまり、あただけが共有する相対的な神であって絶対的
な神でないということですよ。
したがって、あなたの神はあたの主観的な領域にとだまり客観的で
ありません。
801 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 15:07:33
じゃあバアルやアシェラの偶像もYHWHなんだねww
802 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 15:09:22
宇宙の外
803 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 15:09:58
>>800 反証に耐えられるでしょ。
宇宙が存在するかどうかわかれば、神が存在するかどうかもわかります。
あなたはわからない振りをしているだけです。
相対的な神とはなんですか?
804 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 15:10:46
>>801 偶像自体も太陽や地球と同じようにYHWHの一部ですが、全部ではありません。
805 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 15:39:47
なぜ宇宙を創造したような想像を絶する能力を持つ神が あのように矮小な嫉妬や偏狭な不寛容であるのかが私にはわからないのです。
806 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 15:41:21
これはキリスト教徒の側の問題ではないかと思うのですが
807 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 15:43:03
>>805 寛容ですよ。すべてを許してくださる神ですから。
808 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 15:43:37
また、すべての人を愛しています
809 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 15:44:27
ではなぜ異教徒をあのように罰するのでしょうか
810 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 15:45:15
たしか雷をもってなんとかするとか…
811 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 15:48:30
>>809 異教徒も罰しません。少なくともカトリックの教えでは。
812 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 15:49:46
信じるものが救われるのではないのですか?
>>812 信じている人は救われるでしょうし
信じていない人も救ってくれるでしょう
そこまで寛容でなければ真の神ではないと思います。
ただし、無茶な願望まで叶えてくれるほど寛容では無いと思います。
815 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 21:45:43
まあ、便所の神様ってのもいるしね
>>811 あなたはカトリック教徒ではない、に一票。
817 :
一言居士 :2006/04/15(土) 15:29:26
アウグスティヌスの、性に関することばに、「快楽は悪、生殖は善」というのがあるが、どうして性的快感が悪なのだろうか。それは、うまい飯が食いたいというのを 悪だ、というのに似ている。不条理だ。
818 :
考える名無しさん :2006/04/15(土) 15:48:15
簡単なことだ。快楽というのは自己中心的なもの。本人のエゴ。 快楽だけを求めて生きていると悪になるから快楽=悪。 生殖は愛があるから善。愛というのは恋愛だけのことではない。 ほんとは何に対しても愛を持って接しなくてはならない。 愛がなければ意味さえないのかもしれない。 逆に愛があればすべてのことに意味が見出せるかもしれない。 しかしそれは不可能である。 人間は無いものだからだ。 有るのは神のみだ。 簡単に言えば性は性でも善悪がはっきりしているということを言った言葉だろう。 もっと奥深い言葉である。 不条理ではない。
819 :
一言居士 :2006/04/15(土) 16:33:17
>818 私は、相手をもののように貶める性欲が悪だといっているだけだ。相手を見て、きれいだなあ、と深く感銘を覚えて心が安らぎ、その際性的にも快く感じられることが悪とされるのか? いっておくが、心がゆったりとしてないと善は成すことができない。沈んだ顔は、存在悪である。なぜか?いるだけで周りの人間の心も暗くさせるからだ。恋愛において私の意見としては、 相手から安らぎを与えられた思う(正確には錯覚する)から、その人への愛が生まれるのではないか、と思っている。ところで、ぜひともあなたの「愛」の何たるかをおしえてほしい。
820 :
考える名無しさん :2006/04/15(土) 16:50:45
>>819 相手から安らぎを与えられる(錯覚)とあるが錯覚ではだめなんじゃないのか?
相手から安らぎを与えられるから愛が生まれるとあるがそれも違う気がする。
つまりあなたがその人を望んでいるから愛と錯覚しているにすぎないのではないだろうか?
あなたのことを知らないからはっきりと断言できないが。
こういう話題になれば「そもそも相手に愛があるか」というところから始めなければならない。
相手が愛のある人間か見極める能力が必要である。
今は世界じゅうで愛という言葉が軽々しく使われすぎなのだ。
今の世界は愛はほとんどないからだ。
探し求める、探求し続けるのが人間だと考える。
「人間は考える葦」である。
愛とは簡単なことだ。誰でも知ってるだろう。「思いやることや安らぎ」でいいと思う。
しかし曇りがあってはいけないのだ。
宗教的なスレだからあえてここまで言う。
>今は世界じゅうで愛という言葉が軽々しく使われすぎなのだ。 >今の世界は愛はほとんどないからだ。 鋭い
気色悪いスレだな
『マトリクス』って、何かあるたびに「ジーザス・クライスト!」って ワザとらしくやってたっけ。平和な時代だったもんだ。
コシッコして来る。
映画館で見せられる広告って妙に田舎臭いもんだよな。
ま、お馴染みの世界ってわけだ。
次へ続く。 3Kテレビ系らしいな。第一作はテレ朝系で盛り上げようとして、 脱力させられたがw
828 :
小さなヨハネ :2006/04/15(土) 23:35:57
神について述べると、では神の存在を証明してくれと言われます。 しかし、そう言う人に質問したいのですが、一体何がどうなら神の 存在を「証明」したことになるのでしょう。ただ証明、証明と求め られるのですが、その「証明」とは具体的にどういうことなのでし ょう。
829 :
小さなヨハネ :2006/04/15(土) 23:40:32
もぐらに太陽の存在を証明するために、太陽を指し示しても、 もぐらは目が見えないので、あくまでも太陽などないと主張 するでしょう。もぐらに太陽の存在を「証明」するとは具体的 にどうすることなのですか。
830 :
小さなヨハネ :2006/04/15(土) 23:43:14
証明というより、それはやはり認識能力の差としか思えません。
831 :
考える名無しさん :2006/04/15(土) 23:43:24
ただ、神、神言ってるのですが、 その「神」とは"具体的に"どういうものでしょう? ということですよ 証明の証明が先か、神の証明が先かというなら 神から全てが始まったんだから神の証明を先にするのが筋ってモンでしょう。 証明の証明なんてそれこそ言葉遊びじゃありませんか。
832 :
考える名無しさん :2006/04/16(日) 00:49:30
曇りがあってはいけないのだ この排除の姿勢こそキリスト教の神髄なのではないでしょうか ロゴスによる2項対立から抜け出さねばなりません。 それはキリストへの道でもあるからです。 コスモスとともにあらんことを エイメン
833 :
一言居士 :2006/04/16(日) 08:11:38
>820 私の言っていた愛というのは欲望のことであるが、あなたのいう愛というのも、所詮は欲望のひとつにすぎないと思う。本当の意味で人を愛することは難しいのだ。 博愛だなんていうが、「薄愛」ではないのか。いっておくが、わたしが818で書いたのは、相手から愛されることではなく、その反対を書いたのだが…相手から 愛されることなんか、とくに望んではいない。
834 :
一言居士 :2006/04/16(日) 08:46:18
すいません。あて先は820ではなくて、818でした… 818で書いた…じゃなくて、819でした。
闇の中では何も見えぬ (自分が闇の中にいることさえ分からない連中ばかりだが) 光が必要ですな 光? インバーター蛍光灯?w 確かにアレは20Wにしては明るいよね〜 私も愛用してます、ってそういう話かぁ?w にしても、処刑さんも最近哲学板に顔を出しているのですな それともヨハネさんの追っかけ?(ハハハ) まあ、認識を持つ人は真の光を見てますからな 否、真の光が認識を与えるべくその人の○○ぺけぺけを照らすと言うべきか・・・(一部伏字) (ぉぃ) で、真の光とはいずこに? で、それは何を照らす? 何を見えるようにする? 何を認識させるようにする? (ちなみに宗教麻痺仮、もとい崇教真光とは何の関係もございません) 念のためw
うるせえよ、宗教板だけコテハンがなぜか逆に増えるんだよな。 カルトうざくて、最近、遠のきがちなんだが。
宗教って基本的に集団でやるもんだしな。哲学板の方が 俺的には何となく居心地が良いという事情もあるんだが。
宗教のメカニズムを暴露しただけでも価値があるな
839 :
小さなヨハネ :2006/04/16(日) 13:05:07
>>831 >ただ、神、神言ってるのですが、
>その「神」とは"具体的に"どういうものでしょう?
>ということですよ
ああ、なるほど。そういうことですか。
841 :
小さなヨハネ :2006/04/16(日) 22:31:32
神というものがどういうものか知るためにはまず霊的な世界があること を知る必要があります。それを信じられないうちは、まず神の存在は 信じられないでしょう。まさに来世を信じることと神を信じることと はセットのものなのです。
842 :
小さなヨハネ :2006/04/16(日) 22:41:37
『キリスト教は邪教です!』P36でニーチェはこう言っています。 「ここでキリスト教の問題点をまとめておきましょう。 第一に、「神」「霊魂」「自我」「精神」「自由意志」などといった、 ありもしないものに対して、本当に存在するかのような言葉を与えた こと。(中略)第三に、「神」「精霊」「霊魂」など、ありもしない ものをでっちあげたこと。」 「精霊」も「霊魂」も来世があることと同義ですから、彼も来世と神 の存在は信じていなかったことが明らかです。
843 :
一言居士 :2006/04/16(日) 22:42:41
この世界があることがどうして、神がいる、という証拠なのでしょうか?
リトルジョンがどう思おうと、霊的とは言葉のことだ
845 :
考える名無しさん :2006/04/16(日) 22:58:11
「自我」「精神」「自由意志」 いまだに哲学史上の難問ですわwww
846 :
小さなヨハネ :2006/04/16(日) 22:59:21
証明せよというのが具体的にどういうものか説明せよということ なら、スウェーデンボルグを読むのが一番です。彼の霊的能力に 関する3つの逸話は有名であり、カントもそれを『視霊者の夢』 の中で紹介しています。それらを知ることによって興味を持つ なら、さらにスウェーデンボルグの『天界と地獄』を読んだら よいでしょう。霊界に関して克明な報告がなされています。
847 :
小さなヨハネ :2006/04/16(日) 23:06:46
神を知るにはそれらのものの知識の積み重ねが絶対に必要だと 考えます。何も知らないで空虚なままでは何も判断できない でしょう。
848 :
小さなヨハネ :2006/04/16(日) 23:12:04
>>843 この世界のことだけではそれが神の存在する根拠とは思えないでしょう。
しかし、あの世の存在を学んで、信じられるようになれば、この世の
存在だけでもそれは神の存在する根拠として十分であることを理解
できるようになります。
849 :
一言居士 :2006/04/16(日) 23:13:58
843のつづき 「この世界があるなら、神もある。」これでは、この世界は神である、と定義したということしか導けないと思います。これでは、 天国・地獄の存在証明になりません。だって、証拠が言明されてないもの。
一気に16世紀に逆戻り
人間は知らないことを考えることはできず、考えないことは欲することもできない。 (天界と地獄512より)
852 :
一言居士 :2006/04/16(日) 23:21:17
>848 あの世のことをこの世で学ぶ…それは、畳の上の水練である。
>852 それはあの世(霊界)が存在しない、あるいは霊界が存在するとしても、 霊界と自然界が全く交流していないのならそうも言えるだろう しかしなんつーかw 無知は所詮無知ね(キャハハh) じゃ消えるとするか
854 :
考える名無しさん :2006/04/16(日) 23:36:27
死んでからの自分を考えても無駄です 生きてる限り答えは出ません 死後についてはすべて妄言です それは生きてる人の考えですからね
855 :
853 :2006/04/16(日) 23:38:45
あ、もう一言付け加えておくと、 あの世のことなんぞ知らんでも、あるいは哲学なんぞに興味が無くとも、 そら飲んだり食ったりするのに何の差し支えもないがねw ま、そういうことさ じゃね
856 :
一言居士 :2006/04/16(日) 23:42:08
人間がどうしてもわからないこと…例えば、25000ヘルツの音色はどんなものでしょうか?人間にはわかりません。けど、犬にならわかります。ほかにも、犬というのは嗅覚が人間の10倍もあるらしいです。 ですから、この世でも、犬にわかっても人間にわからないものもある。この世にいる身でスウェーデンボルグがあの世を報告したって、さっき挙げた音や嗅覚、つまりこの世のことすらろくにわからない分際である、 そんな人が実際にあの世に行きもしないで、あの世のことが克明にわかるわけないのだが。
857 :
最後の審判 :2006/04/17(月) 17:57:34
最後の審判のリアルな解釈 ペルシア人が他国を征服した後に二者択一の最後の審判が始まる ・侵略軍に随う人は生かす=天国 ・逆らう者は皆殺し=地獄に堕ちろ 勝手にそう思いこんでるだけですが、どうっすか?
858 :
小さなヨハネ :2006/04/17(月) 21:57:07
>>856 もぐらには太陽のことは永遠に分からないでしょう。
859 :
小さなヨハネ :2006/04/17(月) 21:57:58
860 :
一言居士 :2006/04/17(月) 22:01:11
>858 わかりませんとも!ただ、私はわからないということを自覚しています。あなたこそ、わかっているようで、わかっていないんじゃないですか。
861 :
小さなヨハネ :2006/04/17(月) 22:06:22
神を理解出来ない哲学者は霊的に盲目なもぐらです。もぐらの言うこと など愚にもつかない世迷いごとです。皆さんは騙されてはいけません。
862 :
小さなヨハネ :2006/04/17(月) 22:08:34
863 :
考える名無しさん :2006/04/17(月) 22:22:18
スウェーデンボルグはキリスト教では異端です キリスト教論議がしたければ宗教板でしてください。 まあ宗教板で叩かれたから逃げてきたのでしょうがwwww
864 :
一言居士 :2006/04/17(月) 22:54:22
霊的とか…それは、遁辞ではないでしょうか?
865 :
一言居士 :2006/04/17(月) 23:02:24
霊魂の不滅とやらを証明してください。だいたい、霊魂とはなんですか?それと、霊魂と生命のちがいについて説明願います。
866 :
小さなヨハネ :2006/04/17(月) 23:07:29
>>863 >キリスト教論議がしたければ宗教板でしてください。
ははは。それを言うならニーチェに言うか
>>1 氏に言うかしたら
いいでしょう。それに、あなたの指摘「スウェーデンボルグが
キリスト教の異端である」というのと何の関係があるのですか。
>>864 それはもぐら氏に言いたい。読んでから批判したらいいでしょう。
867 :
考える名無しさん :2006/04/17(月) 23:13:36
ようは小さなヨハネは証明できないからスウェーデンボルグ を読めとしか言えないのよ。 なんか彼はイエスと阿弥陀さんを同一神とか言っていたへんてこ だからいってもしょうがんよ。
868 :
一言居士 :2006/04/17(月) 23:15:13
>866 本屋にスウェーデンボルグとやらがあるんですかね。わざわざスウェーデンまで行ってその聖典とやら読むのは、できない。金がないから。
869 :
小さなヨハネ :2006/04/17(月) 23:15:33
私にはもぐらに太陽の存在を証明することなどできません。 霊魂の不滅について証明することも、霊魂と生命の違いに ついて説明することも同様にできません。それができるく らいなら、とっくにすべてのもぐらは鷲になって空高く 飛んでいることでしょう。
870 :
考える名無しさん :2006/04/17(月) 23:16:27
あと小さなヨハネはあるスウェーデンのサイトのコピペを していたよね。だから何の説得力もないよねw
871 :
一言居士 :2006/04/17(月) 23:17:31
では、霊魂が滅びることを反証してください。あの世がないことも反証してください。
872 :
考える名無しさん :2006/04/17(月) 23:19:47
証明できないのだから存在の有無をはっきり述べることはできないよねw それが論理の筋だろw だけどそれをはっきりという小さなヨハネは預言者だねw
873 :
一言居士 :2006/04/17(月) 23:20:40
では、なぜあなたは神を真実と思っているのでしょうか?
874 :
小さなヨハネ :2006/04/17(月) 23:22:02
>>868 新宿の紀伊国屋か八重洲のブックセンターに行けば置いてある
でしょう。あるいはそこが近くないならインターネットで探せ
ばいくらでもあると思います。
>>867 もぐらに付ける薬はないと言っているのです。イエス・キリスト
と阿弥陀仏の同一性は相当勉強しないと分からないでしょう。
横着者には無理です。
875 :
考える名無しさん :2006/04/17(月) 23:25:45
>>874 >阿弥陀仏の同一性は相当勉強しないと分からないでしょう。
>横着者には無理です。
証明を逃げたw
何の経典のどこどのように一緒かを証明してください。
哲学は信仰告白ではないのですよ。あなたがそう思うなら
きちんとした根拠を述べてください。
勉強とは洗脳のことである
未熟者なのでで合っているかは分かりませんが・・・ キリストと阿弥陀の共通点に関して 両方とも真理にたどり着いた(悟った)人という点で共通なのだと思います。 その真理とはキリスト教であれば「主」と表現され、 仏教においては「大日如来?」と表現されているのだと思います。 私の見解では、この真理とは理論的には1つに収束されるのですが、 実際には、全ての物質、空間、時間等あらゆる物の共通点でもあるので、 ミクロ的に見てももマクロ的に見ても同じような感じがしますね。 目の前の原子を構成する素粒子と、我々の居る宇宙が同じ様に見えるって感じです。 あ、この真理は私独自の見解なので・・・もっと違う見解もあるでしょうし、 私が感じている真理が本物である証明もできません。 う〜ん、あんまりうまく説明できなくてすいませんです・・・ あぅあぅ・・・。
立派な見解だ
879 :
考える名無しさん :2006/04/19(水) 15:15:53
嵐は去ったか…… スレタイへ戻ろう
880 :
考える名無しさん :2006/04/19(水) 15:50:08
俺は、どこから来たんですか?
881 :
考える名無しさん :2006/04/19(水) 15:51:22
ての物質、空間、時間等あらゆる物の共通点でもあるので、 ミクロ的に見てももマクロ的に見ても同じような感じがしますね。 目の前の原子を構成する素粒子と、我々の居る宇宙が同じ様に見えるって感じです。 あ、この真理は私独自の見解なので・・・もっと違う見解もあるでしょうし、 私が感じている真理が本物である証明もできません。 う〜ん、あんまりうまく説明できなくてすいませんです・・・ あぅあぅ・・・。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください) 878 名前:考える名無しさん :2006/04/19(水) 02:34:24 立派な見解だ 879 名前:考える名無しさん :2006/04/19(水) 15:15:53 嵐は去ったか…… スレタイへ戻ろう 880 名前:考える名無しさん :2006/04/19(水
882 :
考える名無しさん :2006/04/19(水) 18:06:37
わかったもういい
883 :
一言居士 :2006/04/19(水) 22:31:10
真理と、「真理である」という信仰、という一節がありましたよね。真理はここにある、は嘘とも。 真理は、やすやすつかめたりはしないとニーチェは言いたいのですね。
884 :
考える名無しさん :2006/04/20(木) 03:47:25
神が人間を造ったとすれば、造られた人間が造った神について思考する ことは、実は絶対に不可能なのである。人間は脳で思考するが、その 脳も神が造ったのであるから、思考主体と思考対象とが同一であり、 従って、思考は不可能・ナンセンスということになる。クリスチャン や創造主を信じる他の宗教は、この点について一体どう考えるのか。 古代人は、生存のための厳しい自然との闘いの中で、創造主など考える 余裕があった筈がない。専ら、生存を助けてくれる自然現象を引き起こ す不可知な力に対する感謝と、生存を脅かす自然現象を引き起こす不可 知な力に対する反感と憎悪があったのみであろう。 人間が知恵付いたため、当初の生存の努力を離れ、人間を造った者 を人間が考えるという不条理な行為を始めてしまった。このために、 生存とは全く関係ない、むしろ生存を脅かす宗教紛争が生じるに至り、 現在もなお絶え間なく続いている。 人間が知恵付いたために神を思考し始めたことが「原罪」だとすれば、 旧約聖書は、誠に物凄い真理を語っていることになる。
イエスが阿弥陀だなんていわず、 阿弥陀がキリストだと言え。ヨハネよ。 神が阿弥陀でもあるのではなく、 阿弥陀が神でもあると言えるのなら、 イエスキリストと阿弥陀に同一性があるんだろう。 しかしそれは無理だ。阿弥陀に復活は無い。 キリストも阿弥陀もただの救済信仰に過ぎない。同一性と言ったって哲学的意味はまったく無い。 宗教上の意味はあるのかもしれんがね。
886 :
考える名無しさん :2006/04/20(木) 13:28:27
そもそも大乗ヒンズー教徒が作った架空の仏である阿弥陀仏を 実在の人物であるイエスと同一視する精神構造が理解できん。
887 :
考える名無しさん :2006/04/20(木) 19:13:13
____ __,,/ _, ----`ヽ :. :. / _ ___ 、\ / / i \ \\ :. :. ,'./ i ヽ:. ヽ:.:.. ヽ.ヽ ,'/ / .ハ ヽ ヽ:.:.:.:. ヽ::.. ヽヽ :. :. |i .i i .i / ヽ ト 、 \、:.:.:. ',:.',:.:.lヽ} |i .i l :N_, -弋 \弌弋ナ:}:.:} :. |i∧ ', :{ ,ィjモト \ イjミトイイV :. な… .| :メヽ.', `ozZ} izN。ハ::{ なんなんですか? :. | :ヾ_! ゝ "゙゙ ' `゙ ハ.:', :. ここどこですか? | :.:_イ .:.ヽ. (二フ , イ :.:.:!:.ヽ なんで私 :. / rィイ | :.:.ヽ: >r/`<ノ .:.::.}ヽ、\:. 貼られたんですか? / ∧l;l ! :.:.:.://{二 ̄ .} ..:..::リ//ハ.:\ :. / .{. ',ヾ、ヽi .:.:.{ /(^` |.:.:.:.//: : :.}: . ヽ.:. / / ) ヽ ヾ、ヽ:.ハ ヤ{ ∧/.-‐'": : |:.:. i ', ./ .,イ .:..} : :\ヾレ'ハ ∧__ノノハヾ、 : : : l:.:.: .ハ ', { /| .:.:ハ : : :i Y {ヾ`Yヽニン'ノ}: : } : : : :/:.:.:/ }:.} V | .:.:/:.:|_,ィ' ̄ ヽ三{ `ー-ノ : イ : : :/:.:i.:{ リ ヽ:.:{、.:.V : : ヘ : : {: : :/:.::∧| ヽ! )人 : : :人 : : : / \! :. " ヽ : : : : :/イ{ :.ノ: : : :.\ :. :. \__///: :\______/: : : : : : : ヽ / //: : :|;|: : : : : : i: : : __: : : : ', :. / 、 {;{ |;| . : i/. : : : : : :| / `Y;{. . . .|;|. : : : /i: : : : : : : : :l
>>887 _|_ _|_ .┌─┐ / ヽ |  ̄ ̄フ. │
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|_, ─''''''''''''─ ,、 / _|rヾノ i ̄r;`ヽァj,∠7 ,∠ノノハトNヘ「r''"´ ̄ ̄``≦
/ \ ij  ̄ " '{.ゞ'ィスi/ <´n`ー'rf;Yl ,.ィィjノノl i 、 ミ
/ / i , - 、._‐ノ v}r_ ij "" _ -フ''〈/ ̄ニゞノ_ハlゝ〃
| ● (__人_) ● |\. 〈ニ=;‐-/ ./!ー.l /ー`ニ7vノソij ゙ー゚=゙ {セ7′
! ノ: ヽ`ー‐'// | : \ヾ三//ァl. u , - 、_-フ 〉
丶_ ノ\ ::  ̄∧\. \:  ̄/| \ ヽ. l_ ̄`/./´・ω・)
889 :
小さなヨハネ :2006/04/20(木) 22:45:29
阿弥陀仏によって救われた人はたくさんいます。それは浄土真宗に おいて「妙好人」として紹介されている人々の例によって明らかです。 しかし、救い主は主イエス・キリストをおいて他にありません。 使徒言行録4・12 「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われる べき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」 従ってもし阿弥陀仏で救われるなら、阿弥陀仏とは救い主イエス・キリスト に他ならないのです。 それはちょうど、太陽が民族によって違う呼名で呼ばれていても、同一で あるように、真の救い主とは主イエス・キリストなのです。
890 :
小さなヨハネ :2006/04/20(木) 23:13:45
なお、阿弥陀仏の名はサンスクリット語のアミターユ、アミターバ から来ており、その意味は無限の命、無限の知恵(順番は分からず) であって、それはイエス・キリストの名と同じです。 また、阿弥陀仏の発祥は1世紀のインドと言われており、その時 すでにキリストの12使徒の一人、トマスがインドで布教していた ことを考え合わすと、イエス・キリストが阿弥陀仏として布教された 可能性は非常に高いと思います。
>>889 その「救われた」は精神的な安息に過ぎず、どの宗教にもあるありふれたものです。
>>890 イエス(主は救い)・キリスト(油を注がれた者)
全然違う名です。
892 :
考える名無しさん :2006/04/21(金) 00:33:32
>>890 ナ ゝ ナ ゝ / 十_" ー;=‐ |! |!
cト cト /^、_ノ | 、.__ つ (.__  ̄ ̄ ̄ ̄ ・ ・
,. -─- 、._ ,. -─v─- 、._ _
,. ‐'´ `‐、 __, ‐'´ ヽ, ‐''´~ `´ ̄`‐、
/ ヽ、_/)ノ ≦ ヽ‐'´ `‐、
/ / ̄~`'''‐- 、.._ ノ ≦ ≦ ヽ
i. /  ̄l 7 1 イ/l/|ヘ ヽヘ ≦ , ,ヘ 、 i
,!ヘ. / ‐- 、._ u |/ l |/ ! ! | ヾ ヾ ヽ_、l イ/l/|/ヽlヘト、 │
. |〃、!ミ: -─ゝ、 __ .l レ二ヽ、 、__∠´_ |/ | ! | | ヾ ヾヘト、 l
!_ヒ; L(.:)_ `ー'"〈:)_,` / riヽ_(:)_i '_(:)_/ ! ‐;-、 、__,._-─‐ヽ. ,.-'、
/`゙i u ´ ヽ ! !{ ,! ` ( } ' (:)〉 ´(.:)`i |//ニ !
_/:::::::! ,,..ゝ! ゙! ヽ ' .゙! 7  ̄ | トy'/
_,,. -‐ヘ::::::::::::::ヽ、 r'´~`''‐、 / !、 ‐=ニ⊃ /! `ヽ" u ;-‐i´
! \::::::::::::::ヽ `ー─ ' / ヽ ‐- / ヽ ` ̄二) /ヽト、
i、 \:::::::::::::::..、 ~" / ヽ.___,./ //ヽ、 ー
893 :
考える名無しさん :2006/04/21(金) 00:38:03
>>890 そう考えてるのは君だけです。
そういうのを妄想といいます。
少なくとも、君のいうことを自分で実証できないかぎり
所詮妄想の域をでない世迷言にすぎず学問とは言えません。
895 :
一言居士 :2006/04/21(金) 21:43:00
神がいたっていなくたってどうでもよい。いる、いないすらどうでもよい。いまになってそう思ったのだが。
>>895 それも君の信仰の有無という域を出ません。
つまり無神論者というだけです。
だが「神」という概念がありその概念で哲学がなされてきた以上、
個人の信仰はどうでも、哲学の徒であれば考えなくてはならないテーマです。
897 :
キキキ(完成形) ◆QIkCZQQdpM :2006/04/21(金) 22:09:01
キリスト教がなければ、 戦争の数は増えているだろうな。 ソレがわからないなら、頭が悪い。
898 :
一言居士 :2006/04/21(金) 23:24:30
>896 では、あなたは神をどう考えているのですか。わたしは、895で言っているように考えています。つまりいようがいまいがどうでもよい存在と。 それと、神について語るということは、ある程度自分の信仰によらざるを得ないと思うのですよ。
たしかに阿弥陀というのは、サンスクリット語のアミターユス(無量寿)、 アミターバ(無量光)の語幹、すなわちアミタ(無限)から来ているそうですな ここでミソなのは、(阿弥陀は)無量寿のみならず、同時に無量光でもある、ということ さて無量寿、すなわち無限の生命とはどういうことか? (おそらくは、ここでは2通りの解釈が考えられる?) 「何人も生命とは何であるかを殆ど知っていない〜」 (神の愛と知恵363より) ま、ヨハネさんが知ってるからいいでしょう(ぉぃ) ともかく無料、ではなく無量、無限、無辺というのはまさに捉えがたく、測りがたく、 有限の我々にとっては概念でしかない、あまりに圧倒的すぎて・・・ 誰も神(父)を見たものはいない(ヨハネ6:46)、つーのはある意味当然ですな だから「阿弥陀」(アミタ)のみならむしろ父性を現していると言えるかも (解釈によっては子性とも言えるが・・・いずれにせよこれは三一性を知らんと理解できんな) さて、阿弥陀の後ろに仏、あるいは如来と付くと、仏教に詳しいわけではないが、 仏(如来)とは(無量光における?)顕示されたものの顕現(された人間性)と考えれば・・・・ (あるいは「時間における贖罪者」・・・か?) な〜んだ、まったく同じじゃんw つーか同じすぎるわw
名前だけならバアルだって「主」だし モロクだって「王」だ。
898が使っている「考える」という言葉の意味は、「思考」というよりも個人的な「認識」の問題のであって、ずばり「自分の信仰」によっている。 それは898自身も自覚している。まして認識の仕方有り様といった哲学的なものではない。 確かに思考するための出発点としてはそれでもいい。 しかし、「考える」「思考する」というのは、神の性質がどうであるか、それは本当か、ではなくて、 神は存在すると仮定して(なぜなら西洋哲学史の軸にはまず神がいるから)、 その性質の意味するものが何であるかを「考える」ということ。この考える過程こそが重要なのであり哲学的なのであり、結論は重要ではない。 神などいてもいなくてもどっちでもよいという「価値付け」は、思考を止めた証。 哲学は永遠に結論に至れない思考の営みというだけで、無神論者、有神論者の立場があったとしてもそこに絶対的に定住を決め込むのは哲学的じゃないと言ってるだけ。
902 :
一言居士 :2006/04/22(土) 14:04:32
>901 では、神がいたと仮定しましょう。神の存在は、いってみれば世界の意義を示すものだと考えられます。また神とは、ある種の法則のことです。神がいるなら、世界はそのきまりに 従って展開されるでしょう。以上が私の意見です。
突然だが、キリストは、改悛の意志のない輩には掛ける情けは 持っていないんじゃないかと思う。
902 では神がいると仮定したあなたの考えに対して質問させていただきます。 まず、神による「世界の意義」とはどう示されていると考えるのですか? 「ある種の法則性」とはあなた自身にあてはめる事が可能ですか?神はこの世の創造者だと聖書には書いてあり、それを敷衍させればあなた自身も神の被造物です。また「法則性」とはどのようなものを指して言っているのですか? 無論、ここでは神の存在は仮定の話ですが、「この世界の展開」とは具体的に言えば例えばどのような展開なのでしょうか?どんなきまりに従って展開されるのですか? もちろん存在を仮定しての話ですよ。
905 :
一言居士 :2006/04/23(日) 11:42:07
>904 ある種の必然…持っているものを手放せば、まず地面に落ちる。まず浮かんでいることは無い。ある種の法則とは、いうなれば自然法則。 自然法則だから、私にもあてはまる。世界の意義とは、なるようにしかならない、ということで示される。人間は道具なしで空を飛べないし、 25000ヘルツの音がどういうものかわからないなどのことから。私の神の概念は、明確な意思を持たない存在としてである。自然法則と いうものは、そのときの状況・確率・人為によって変化するものをとりあえず規則性を見出そうとして人間がつくったもの。でも、物を手放せば 落ちる。これは事実だ。もろもろの事実、これが神的なもの。
>905 重力の働きなど、「自然法則」と言われる事実・現実を「神の概念」と言っている。 しかし、我々の前提としていた事は、神の存在を仮定しての話だったはず。 生の現実に神の存在を当てはめるというのは、存在を「仮定」していることにはならないのではないでしょうか? 現実と神の存在とがリンクしてしまう。「仮定」であったはずが現実認識に摩り替わってしまう。
続き 神は存在すると仮定する。しかし、神が我々の環境にどうかかわっているのかなどは、わからない。 25000ヘルツの音が我々には聞こえないのだから、25000ヘルツの音は我々の日常生活にとって何の意味があるのか? よしんば神の存在が自然法則だとして、それが神の存在だと言ったところで、我々に自然法則以上の何かがわかるというものではない気がする。 25000ヘルツの音や神の存在は、現実にある自然を見るために、我々が用いる尺度に過ぎないとも思える。 この尺度と言うものは、人間がつくりあげたものながら、人間をはかる道具としても使える。 25000ヘルツの音は人間に聞こえない、とするならば、それを基準として人間は25000ヘルツの音が聞こえない性質を持つと言うことがわかる。 しかし所詮は人間の「限界」を越えたものについては解りかねる。25000ヘルツの音と言うものは、あるのかも知れないが、無いのかもしれない。その意味では確かに「どうでもいい」数値である。 ただたまたま音量をはかる機械の数値がそう示しているにすぎない。それ以上我々に迫ってくる意味は無い。 神も同様ではないでしょうか。しかし、現代において問題なのは、その「尺度」が今どのような場面で有効なのか?と言うことではないでしょうか。 つまり、我々には聞こえない25000ヘルツの音をいかに有効活用するか。「神」という尺度をどう人間生活に応用するか。 「神」の存在を証明するための科学など不要。証明の必要は無い。音のように「数値」が出てもどうせわからん。 それよりも神のためになり人のためになる「科学」こそが求めるべきものであると思う。もちろん、神の存在を仮定しての話。 哲学史上ヒューマニズムを経験したのなら、人を見てそこに神を見る方が現代らしい。ちなみにになるがその意味では中国哲学に現代的意義の可能性を予感する。 宗教と哲学と科学とは常に同じ問題を扱ってきている。しかし、それぞれの果たしている役割はいずれも異なる。 仮定・理想、真実に到るための思考、現実をありのままに捉える過程、どれにも結論はないでしょう。 その意味で895に苦言を呈したまでです。あわせて、これが私の、神の存在を仮定して考えることです。
いーね、このスレ。 キリスト教徒は別格のキチガイだということがよく分かる良スレ。
908 キリスト教徒の存在意義は現実において十分にあると思います。 しかし多くのキリスト者が自己を相対化できていないだけだと思います。
910 :
一言居士 :2006/04/23(日) 15:54:54
>907 キリスト教の神の存在意義は、悪の抑止力ということです。永遠の地獄や最後の審判というもので悪を抑止し、永遠の生命・福音で善を勧めているのです。 勧善懲悪なんです。しかし、ニーチェは、キリスト教は教化の(手段)としては有益だが、それ自体が(目的)になるとキリスト教がない状態よりひどい状態 になる、といっています。彼曰く「崇高な奇形児」と、その最悪の状態を形容しています。
911 :
考える名無しさん :2006/04/23(日) 16:26:32
912 :
考える名無しさん :2006/04/23(日) 16:33:02
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913 :
考える名無しさん :2006/04/23(日) 16:44:26
質問! キリスト教が戦国時代の日本に伝わった意味とは そして日本人のキリスト教徒の日本人における割合は
>910 なるほど。 しかし私の「「神」の存在を証明するための科学など不要。」とは あなたの言う「それ自体が目的になると…」が意味するところに近い、と思いますです。 しかし、ニーチェの「崇高な奇形児」と言い切れる部分などは、 彼自身の思考原理がかく言う「勧善懲悪」の原理に則っていると言えるとは思います。 つまりニーチェは、キリスト教会の在り方には疑問を差し挟みましたが、 イエス・キリスト自身に対してはかなりの信奉者であり、彼の言う「崇高」(善)なる所以とはイエス・キリストにおけるそれです。と思います。 奇形(悪)たる所以とは、絶対の権威を我が物として自己保身に走りすぎる当時の教会組織に対してのものではないでしょうか。 いうなれば、イエスキリストという「すばらしい」思想の、当時の社会に対する具現化のありように、ニーチェは異を唱えた、という立場にあったのではないかと思います。
915 :
一言居士 :2006/04/23(日) 20:00:15
>914 そういう意見もあるとは思いますが、ニーチェの根本思想は「善悪の彼岸」です。なにしろ、同名の著作があるくらいですから。すなわち、 キリスト教のような評価(善悪の観点から)ではなく、生命力がみなぎっていくか、しぼんでいくか(権力への意志)から思索しているのです。 だから、「崇高な奇形児」とは、イロニーつまり皮肉です。善悪の観点からみれば崇高でも、権力への意志の観点では実は奇形児である、と。要するに、 勧善懲悪は、生命力上昇の教化手段でしかないのに、それが目的となってしまったから「奇形児」なのです。 それとニーチェは、イエスと現今のキリスト教はぜんぜん違うものだ、と言っています。組織云々ではなく、 今、キリスト教精神とされているものを批判しているのです。
「キリスト教は、政治的革命を企てたが、失敗したので、のちに道徳的なものになった」 ――ゲーテ――
917 :
一言居士 :2006/04/23(日) 21:03:52
>913 鎖国の遠因となったといえなくもない。日本人におけるクリスチャンの割合は、数パーセント程度。
>915 「イエスと現今のキリスト教はぜんぜん違うものだ、と言っています。」 914で言いたいのは、まさにこの点です。 善悪の彼岸もありえると思いますが、 ただニーチェの根本思想そのものが、そのまま「善悪の彼岸」だというのは少し疑問です。 彼はより多くの問題提起をしていると思います。 確かにあなたの言うこともその一端だとは思えますが。 生命力上昇の源とはイエスの愛だという主張は強いだろうとは思います。
919 :
一言居士 :2006/04/24(月) 09:47:09
>918 その愛とはどんな愛でしょうか?
簡単に言えば、生命力の上昇を善とするならば、その善為る所以となりうるものは愛、いわばアガペーではないかと思います。 皮肉にも伝統的な教会には無いであろうキリスト教の根本思想です。 教会はキリスト教会に来ない異宗教信者を、教会存続のためにはなかなか容認できませんが、イエスは違った。
921 :
小さなヨハネ :2006/04/24(月) 20:09:13
全く最近のテレビの俗悪さには堪えられません。オカマを多用するとは 一体どういうことでしょう。本当に大人も判断力を失ってどうしようも ありません。この2CHの哲学板でさえ、神も分からないわ、人を殺して どうして悪いかなど、話になりません。一体皆さんの知性はどうなって いるのですか。これで哲学とは・・・!小学生以下です。
922 :
小さなヨハネ :2006/04/24(月) 20:13:58
気違いのニーチェや認知症のカントなど崇めるとは呆れます。 神を人間が創ったなど、皆さんの知的レベルには本当にあいた口 がふさがりません。日本人なら、ニーチェ、カント何するものぞ という気概を持っていただきたい。どこそこの大学教授が、それら のくだらない哲学者なるものの巻頭言を書いて崇めるなど、もう少し 自分で考えなさいと言いたい。
923 :
小さなヨハネ :2006/04/24(月) 20:17:11
皆さんはもっと勉強しなさい。お話しにならない・・・。 スウェーデンボルグも読んでから文句を言ったらと 思います。あのカントでさえスウェーデンボルグ読んだと 言っているのですから。(彼にはスウェーデンボルグを 理解することはできませんでしたが。)
924 :
小さなヨハネ :2006/04/24(月) 20:19:42
哲学もソクラテス以降は、全くテイタラクです。進歩どころか 退歩しています。
>>921 .922.923
あんたの話なんてどうでもいいよ。
神を信じたければ信じればいいし、
信じなければ信じなくていい。
信じれば善、信じなければ悪、なんてもんは無いし。
ただ信じただけ、信じなかっただけ、と言う事。
926 :
小さなヨハネ :2006/04/24(月) 20:28:03
哲学は日本をどうしたらよく出来るか、世界の人を救うには どうしたらよいのか、その熱情を持って欲しいと思います。 何のために皆さんは良い頭をもらっているのですか。皆さん にはノブレス・オブリジェという義務があるのです。 くだらない世迷いごとと決別して欲しいと思います。 しかし、それにはスウェーデンボルグを読破するくらいの 熱意が必要です。
927 :
小さなヨハネ :2006/04/24(月) 20:29:56
>>925 もぐらを卒業してください。勉強不足です!
スウェーデンボルグを読んでから文句を言ってください。
928 :
小さなヨハネ :2006/04/24(月) 20:33:39
無理やり信じろなどとくだらないことを言っているのでは ありません。皆さんの知性によって、理性によって、信じ られるなら信じたらいいと言っているのです。残念ながら そこまで行かないなら、仕方ありません。もぐらに鷲になれ と言う方が無理です。
書きたい事はそれだけですか?
>>926 世界の人を救う。とはどういう状況の人を救うのですか?
誰かを救ったとして、その救った人が悪い行いをしたら?
不公平はいけませんね。
しかし、例えば今までにヒトラーだけ救わなかったとしたら、
救われないのも当然かもしれませんが、不公平かもしれません。
あなたの思う尺度を示してください。
931 :
小さなヨハネ :2006/04/24(月) 20:40:14
腐った葉を食べ、臭い汁を出すミミズがもぐらの大好物です。 皆さんはもっと高貴なものを食べてください。
932 :
考える名無しさん :2006/04/24(月) 20:48:27
誰もがキリスト
933 :
877 :2006/04/24(月) 20:52:56
>>927 私が未熟なだけかもしれませんけど、
私にはあなたが「もぐら」に見えるのですが・・・
そう、キリスト教という土の中からでられない「もぐら」に見えるのです。
もっと広い世界があっても良いじゃないですか?
私は他人を批判するのは好きでは無いのですが、
あなたがあまりにも他人を批判するもので、つい・・・
悪気が有るわけでは無いんですけど・・・ごめんなさい。
934 :
考える名無しさん :2006/04/24(月) 21:01:59
>あ、この真理は私独自の見解なので・・・もっと違う見解もあるでしょうし、 >私が感じている真理が本物である証明もできません。 どこにでもある相似学や精神世界の見解を、独自の見解とすることで周囲から際立たせようとする心理は、 はっきり言って卑怯です。 単に無知なだけかもしれませんが、世界はもっと広いのだという意識を持ってください。 そうすれば、独自だの個性だの強調しないようになります。
935 :
考える名無しさん :2006/04/24(月) 21:05:32
キリストがといたのは愛だ。キリスト教が残したのは罪と罰のシステムだけじゃねーか。と、耕さんはおっしゃっておられました。
>>921 オカマや同性愛の何が悪い?異教徒殺戮厨のモーセやヨシュアより
100000000000000000000000000000倍はマシだ。
>>922 病気に対してつまらない偏見を持っているな。
ある論を唱えた人が病気に掛かっていたところで「それがどうした?」
としか言いようが無い。
>>936 ニーチェって同性愛の気があったんじゃなかったけ?
ルーサロメ善悪の彼岸とかいう映画でそういう描写されてた希ガス
938 :
一言居士 :2006/04/24(月) 22:29:09
神・「ありてあるもの」の意味について調べて考えてみた。ありてあるもの・ヤハウェーとは、ヘブル語のbe動詞「ハーヤー」から派生した語ということがわかった。 そこで、私はbe動詞の意味を考えたところ、be動詞は「様相」を示すものだということに至った。だから、神とは様相つまり、ありさまということがわかった。921さん これでよろしかったでしょうか。
939 :
考える名無しさん :2006/04/24(月) 22:38:01
940 :
一言居士 :2006/04/24(月) 22:41:44
>920 以下ニーチェの言 人と思想22ニーチェより 「心理学における大犯罪、つまり愛が献身(そして利他主義)にされてしまったこと。ところが、愛は奪取であり、 または、積み重ね受け取ることである。全き人格の者のみ愛することができる。没人格的な者、「客観的な者」は女性 にとっては最悪の恋人であろう。」 このように、愛は奪取と言っています。アガペーのような献身とは違います。
941 :
小さなヨハネ :2006/04/24(月) 22:52:48
>>930 >世界の人を救う。とはどういう状況の人を救うのですか?
皆さんのように暗闇にいる人たちを救うということです。
皆さんは自分が暗闇にいることすら理解していません。
>>933 まあ、スウェーデンボルグを読んでみてください。
視界が開けるでしょう。皆さんは樹海を彷徨っている
のです。スウェーデンボルグは富士スバルラインの5合目まで
皆さんを連れてきてくれるでしょう。しかし、救われるとは
さらにその上に登ることです。
942 :
考える名無しさん :2006/04/24(月) 22:59:24
>>922 ニーチェやカントがキチガイと言うのなら
君の神は正気なのかね?正気だと証明できるのかね?
943 :
一言居士 :2006/04/24(月) 23:05:57
ひとはパンのみにて生きるのにあらず。神の言とともに生きる。 されど、神の言あるともパン無しでは生きられず。by 偽イエス
>>941 >皆さんのように暗闇にいる人たちを救うということです。
モグラを救うにしては発言が?です。
モグラを批判しているのではなく発破を掛けているのですね。
それとは関係ないですが、
ヨハネの黙示録では、救世主は羊です。
記した人はなにも考えずに羊と譬えたのでしょうかねぇ?
945 :
考える名無しさん :2006/04/24(月) 23:25:34
スウェーデンボルグを読んで批判しても『わかってない』『読めてない』って言うんでしょどうせ。 自分勝手で独りよがりな定義で神に救われたと思っといてくださいよ。 それが「救い」でしょうからwwww
946 :
一言居士 :2006/04/24(月) 23:26:45
>923 あなたこそもっと勉強せよ!哲学とは疑うことだ。道徳・宗教とは違うのだ。人生をどう生きるかとか、既存の知識を疑い、本当に真・善・美なることは何か?と疑うこと。 一例を挙げよう 「人間は平等である。」しかしそもそも、テレビに映っている人間と、いま目の前にいる人間が同じものなのか。テレビに映ったのは概念にすぎぬではないか。 生中継のテレビに殺されかかている人が映し出されている。目の前には、「吐き気がする、気持ち悪い」 と訴えているが死にそうではない人がいる。あなたは、テレビの人間を指差し、「この人は殺されにかかっている、お前は後回しだ。」と目の前の人にでも言うのか。 そんなはずないだろう。自分の目の前の人とテレビに映っている人を同等なものと考える…これのどこが人道主義だろうか。 人間は平等であるとは、どういうことか考えてみたら如何か?
947 :
考える名無しさん :2006/04/25(火) 00:35:10
ヨハネみたいなキ印は「救った」気になって自分が救われるのを望んでるだけだな。 お前がいなきゃ気分爽快なんだから救いたければ消えてくれよと。 キリスト教徒ならまだ可愛げがあるが、 キリスト教の徒でもなく、まさにキリスト者。 ただの独り善がりな救世主気取りだな。
ヨハネさんはどういった理由で同性愛が悪だとお考えですか? 是非聞かせて頂きたい。 キリスト教で禁じられてるからってのは無しで
>>945 スウェーデンボルグの著作を読みもしないで何が分かる?
「自分勝手で独りよがりな定義」だと、何を根拠に断定できる?
その言い種では残念だが読んでも批判できるほど理解できないのが怖い、
という逃げ口上にしか聞こえないぞw
何も知らないものを偏見であれこれ決めつけるのが哲学というものか?
なるほどまことに理知的で合理的な学問ですな(キャハ)
>>946 ソレ、一例になってないよ(哀)
当たり前のことをなに必死に書いてる・・・
盲信することが真の宗教だとでも思っているのかね
ソレが君の定見というものかい
だとしたら既存に知識にどっぷり浸かっていることになるな
ま、健闘を祈るw
951 :
一言居士 :2006/04/25(火) 09:55:19
>950 わたしは、自分の目で直接見もしないで、人間がいる、と認識して今の人たちがテレビに映る人たちのことをあたかも 自分の知り合いみたいに言っていることに文句を言いたいんだ!自分が直接知っている人間と、テレビ・新聞通してしか見たことない人間を同じ人間という 概念におくことがおかしいと言っているだけだ。自分の直接経験と、テレビの間接経験を同一視するな!自分の直接経験には、確かに存在する人間がある。 生身の身体をもった存在が。けど、テレビじゃあ、確かに存在する人間がいるか!生身の身体を持った人間がいるか!生(テレビじゃないぞ)で見た人間と ブラウン管の幻を同一視するな、と言いたいんだ。 どうせ、私の言っていることなど何のことかわかるまい。テレビに映し出されるものと、自分の肉眼が映し出すものについてかんがえてみたらいいんでないの。 >いやみで健闘祈られるくらいだったら呪われたほうがましだよ!
>>940 認知症に対しての偏見・差別・蔑視を抱くような信仰者は、
所詮新興宗教のそれと変わりません。功利的な且つ利己的な思考には普遍性はありません。
小ヨハネの述べることに関わらないほうがよいと思います。
さて、あなたの誤解と思われる節を指摘させていただきます。ニーチェ風の皮肉の理解についてです。
>心理学における大犯罪、つまり愛が献身(そして利他主義)にされてしまったこと。ところが、愛は奪取であり、
または、積み重ね受け取ることである。全き人格の者のみ愛することができる。没人格的な者、「客観的な者」は女性
にとっては最悪の恋人であろう。」
このように、愛は奪取と言っています。アガペーのような献身とは違います。
ここでのニーチェは、端的に言えば「アガペーとは奪取である」と言っているのであって、「アガペーは献身である」とは言っていないと思います。
むしろ、アガペーを意味する愛を利他主義(献身)としたのが心理学の功罪だと言っているのです。
そしてその「奪取」とは全き人格の者にのみあてはまる行為だ、と言っているに過ぎません。
あなたの理解は、「愛を献身とする」という、ニーチェが批判した「心理学」における理解の仕方です。
彼はアガペーそのものの批判はしていないと思います。アガペーに対する人間一般の理解(ここでは心理学)に誤解があると提言しているのだと思います。
953 :
一言居士 :2006/04/25(火) 10:03:20
>952 なるほど。言い方のちがいというだけで中身は同じなのですね。わかりました。
>>951 この意見は中国哲学における儒家の偏愛に近いものです。
兼愛や博愛とは違い、ヒューマニズムの真髄でしょう。
アガペーを標榜するキリスト教の理想でないことは確かです。
955 :
考える名無しさん :2006/04/25(火) 10:44:09
956 :
小さなヨハネ :2006/04/25(火) 20:01:26
>>948 同性愛は吐気がします。だからです。男女の間でも淫らになるのに、
同性など許されません。神に対する冒涜です。
957 :
考える名無しさん :2006/04/25(火) 20:45:01
>>956 お前の生理的なことを押し付けるな
神は理由にならんといってるだろ
958 :
小さなヨハネ :2006/04/25(火) 22:59:52
>>957 善悪の判断に神がなくして何が理由になるでしょう。
959 :
小さなヨハネ :2006/04/25(火) 23:07:19
現代哲学に決定的に欠けているのは善悪の判断力です。その原因は 哲学は無神論だからです。神を認識する能力のない者に正常な判断 力などないのです。皆さんがまさにそれです。
960 :
一言居士 :2006/04/25(火) 23:10:57
「根拠を論破されても、まだその事柄に確信をもつことを信仰という。」と、善悪の彼岸にありました。よって958の意見は、理由にあたらず信仰ということに なります。
961 :
一言居士 :2006/04/25(火) 23:12:15
善悪ってなあに?
962 :
小さなヨハネ :2006/04/25(火) 23:16:20
ニーチェがそうであるように、無神論者の本質は狂気です。 カントは神の存在は証明できないと言ったそうですが、 神の存在はその人間個人の認識能力に懸かっています。 同じ自然を観察しただけで認識できる者は神の存在を 確信し、認識できない者は自然が神だと思うのです。 もぐらに太陽の存在を証明することが出来ないように 確かに神の存在は証明できませんが、それは証明の 対象ではないのに、証明の対象だと思う間違いです。 カントは晩年狂気の持つ一つの特質・愚鈍が出て来て しまいました。
小さなヨハネは釣りの臭いがする。
964 :
考える名無しさん :2006/04/25(火) 23:21:33
ユダヤ、キリスト、イスラムは3馬鹿兄弟。 神は存在しません。 信じられないものを信じるための戦いが宗教ですが よーするに、ウソ・誤魔化し・詐欺師に預金通帳と印鑑を渡すこと。 ここまで馬鹿は面倒見切れん。
965 :
一言居士 :2006/04/25(火) 23:22:25
狂人は自分のことを正気だと思っているものだ。また、千慮の一失、千慮の一得とあるように、真理とは占有的に誰かが知っているものではない。神と言えども同様である。
966 :
小さなヨハネ :2006/04/25(火) 23:27:37
>>961 善とは神を愛することです。それは神から与えられた掟を
守ることです。その掟を守るとは具体的には隣人を愛する
ことです。隣人に悪をなさないことと隣人に善をなすこと
が隣人を愛することです。
悪とは神を愛さず自分を愛することです。それは自己愛です。
自己愛は隣人に悪をなします。
951>いいたい事よく判ります。 しかしテレビに出てくる人,結構知り合いが居るのです。 聖書は一番古い本だと思う。 全部は読んでないので理解するのは難しいが 人間はどうあるべきか等といた最高の本ではないかな?
>>966 自己愛があるからこそ、他人愛があるんだよ。自己愛=生存本能。
他人愛と言うのは自己愛の上に成り立つのであって、
自己愛が無かったら他人なんてどうでも良くなるよ。
問題は、愛と自己の定義だろうな。 愛というのも、他者との関係で成立するし、自己というのも他者との関係で 成立する。最初の他者は母とその家族。子供のコロの家族関係が大事。 自己愛が肥大化しているという形容があるけど、よく見るとそれ、実は自己憎悪と 自己愛を往復している病的な状態なんだ。そういう病的な愛は他者への憎悪と 他者への愛情を激しく往復するものでもある。 そして、ほとんどの人間は病的な自己愛を持っている。生まれてから全ての 人間関係が完璧に良かった人などいないからね。病的な自己愛を持っている人々は、 神を愛し神に愛される存在になりたがる。完全な愛の世界。これが宗教を必要とする 心なんだ。人間界で極限まで苦しんだ人は、けっきょく人間世界を離れた超越的存在 を求めると思うね。
970 :
考える名無しさん :2006/04/26(水) 08:09:28
>>970 「だけ」と性病だけに還元できるものなのでしょうか。
972 :
考える名無しさん :2006/04/26(水) 08:38:48
> カントは晩年狂気の持つ一つの特質・愚鈍が出て来てしまいました。 狂気の持つ一つの特質かどうかは知らないけど、 「愚鈍が出て来てしま」っている人はこの板にもいるようだけど。w
973 :
考える名無しさん :2006/04/26(水) 16:42:05
狂気とは、「現実との接触の喪失(loss of contact with reality)」。 実在しない神や霊を信じる、クリスチャンを初めとする宗教信者がその好例。
懐かしいログをハッケン・・・
うお、重大な勘違い発見!
>>716 で触れた鑑定結果が明らかにしたのは、
二行目のΝの方だ。すると、・・・
]+[
]+ΤΩΝ+[
]+ ΚΑΙ ±+[
]ΝΝΗ+[
]+Η++[
+は、消極的に本文を支持する文字。
±は、評価不確定。
−は、支持に消極的。
でも良さそうだな。Muro氏のサイトがこの鑑定結果を考慮している
かどうかは分からないが、一応、6:4くらいでマルコ書説支持にしと
くか・・・。
975 :
考える名無しさん :2006/04/26(水) 20:50:29
信者や祈る人しか救わないって、全知全能の神とは思えないな。 それに宗教全般に言えるが、 祈って救われるならみんな幸福だし争いや犯罪はないでしょ。 所詮は現実逃避の材料さ。 自分の力で変えようとせず、他力本願になってるだけ。 くだらん
お前、自分の力で何ができる?
977 :
漢人 :2006/04/26(水) 22:28:37
何やらある定義集に載っていたのをちょっと覚えてるんだが、 狂人というのは、非常に頭の中が論理的に構成されている。君たちが 狂人と話したことがあるならば、わかるだろう。狂人と議論してみたまえ。 議論して勝てるはずが無い。なぜなら、頭の中を網の目のように細部まで 論理が走っており、それはくもの巣の比ではない。世間の人々は勘違いしているが、 狂人とは、理性を失った人ではない。 狂人とは理性以外のすべてのものを失った人である。 ってなことが書いてあった。そのままの文じゃないけど。
俺に仮に感情が欠けているとしても、俺には規範がある。
つい苦しみを表に出したがるのは、苦しんでいるところを 見せると誰かが同情してくれると思っているから。 自分が苦しむと小躍りする連中の前で弱音を吐くバカはいない。
毎日、仕事帰りに茶封筒で日当を貰うような肉体労働で 一人暮らしを続けながら学びました(チラシ略
ああ、中味貰ったら封筒は返さなきゃ駄目だったっけ・・・。
自分の理解を超えるような力を身体の芯からしぼり出すような 労働って、最近、ないんだよな。あれが良かったんだが・・・。
失礼いたします。変なタイトルだと思っていたら、これはニーチェの本だとは(笑)。この翻訳知りませんでした。 私は西尾幹二訳の結構前に出ていた翻訳を読んだことがあります。 感想ですが、これはニーチェが既に精神をやられていた時期に書かれたといわれてますけど、かなり面白いです。 キリスト教に関して、ダイレクトにこんなに面白く書かれた本というのはあまり無いかと思います。 私の意見としては、キリスト教は最初から「神の死」を通過した宗教であり、西尾幹二訳では「アンチクリスト」が タイトルでしたが、キリスト教を直接愛でるよりも遥かにキリスト教にとっては正しい考え方だと思います。また、 キリスト教は最初から「神の死」、つまり人間にとって、人間的思考にとっての「神」を徹底的に殺した後にこそ 存在する「神」の宗教です。 ちなみに、私はプロテスタント信者です。
労働が俺の宗教だとか時々言う。信仰となると、また別の話だが。 神は永遠の労働者であり、信じる者もまたそのようにあれ。
キリストがそんなこと言ってるだろ?
嗚呼、友達の欲しかったあの頃、・・・ららら♪
全人生を、与えられた任務を真っ当するために、人格を最適化した。 途中、強引にやりすぎて危うく廃人になりかけたこともある。
俺は精神病理学的には典型的な境界例だ。病識があるから本物の 狂人とは言えないだろうが。
989 :
考える名無しさん :2006/04/27(木) 23:32:46
宗教、儀式としては胡散臭いこともやってきた。キリスト教はしかし、
これだけがフロイトも触れてた気がするが、神の死に気づいた、貴重な
宗教。人間の最期の切り札というか、賭けだと思う。絶対的な無力から
生まれるマゾとおもうかもしれないが、人間は弱いものだ。それに、我
々人殺しの息子が正しくなれないのだ。日本宗教は外部を神としてき
ることで共同体を守る。キリスト教は理想・神(真の命)にこだわ
り外部の中にも光を見つけようとする。この点をたかく評価したい。
http://blog.goo.ne.jp/daslebenistschoen 個人的には東方教会のことも触れてほしい。
やはり、偶像破壊運動(イコノクラスム)こそ、 父なる神を生んだセム系一神教の嫡子だろう。
神を信じてないのに、発現する人間はいるよな 愛を説明できなくても、知っていることに気づくことはあるよな ほとんど起こりえないごくまれな例外的出来事において
992 :
メフィスト :2006/04/28(金) 01:00:50
ケケケケ・・・ このあいだ先斗町でキリストにあったら えらい荒れとったで。 俺のオヤジはいったい誰やねん! ついてはDNA検査してもらいたいんやて。 候補者その1)母親マリアは当然 2)マリアが懺悔したときのセクハラ坊主 3)ヨゼフ マリアとやったことがないのに 妊娠しとったら、怒るのが男や。 4)神 おまい、モーセとキリストとマホメットと・・ アホか!おまいのDNA検査の方法は 内容証明郵便で知らせる事。もう、こうせんと 信じられん。 いっちゃん怪しいのは2)のセクハラ坊主や! ケケケケ・・・
我に大いなる事を成し給える者、それは力ある者なり、 しからばその御名は聖なり 主は御腕にて力強い技をなし、高慢なる者を追い散らし給う、 おのが心の思いの高慢な者をば 飢えたる者を良きもので満ち足らせ、富める者を空しく去らせ給うた 我らの先祖に告げ給うた如く、アブラハムとその子孫とに対する 憐れみを永遠におぼえ給えり