どうして人を殺してはいけないのですか?6

このエントリーをはてなブックマークに追加
227考える名無しさん
『悪魔の証明』
悪魔という架空の物は存在する証拠があるはずが無いように、
“存在しない物は証明出来ない”というのは刑法上でも常識である。
有るものを有ると証明することが正しいのに、無いものを無いと証明しろと言う無理難題を平気で言う。

加えて言えば、『日本の文化は韓国起源』と言っているのだから証拠を提出するのは韓国側のはずである。
しかし自分の身勝手な主張を日本側に調べさせようとしているのだ。極論すればこういう事である。
あなたはOO泥棒です。あなたはOOが好きなので、盗んだことがあるに違いありません。
もしこれに反証したければ、今までの人生で窃盗する時間が全くなかったことを証明しなさい。
もし10分間でも空白の時間があれば、その間に窃盗したに違いないのだから、あなたはは有罪です」
……これは無茶である。
だからこそ、『有ったことを証明』するのは原告側の義務であり、証拠を提出するのも原告なのである。

http://www.geocities.com/asianneighbors/z4eKoreanDebate/
228考える名無しさん:2006/01/24(火) 21:52:06
悪魔の証明とは
「ない」ことを証明することを悪魔の証明という。
「有ることの証明」は、なにかひとつ証拠を出せばおわりだが、
無いことの証明は事実上不可能である。だって全ての可能性、
場所を調べないとそんなことは言えないし、まだ探し漏れがあるかもしれない。
論敵からはそこを突かれる。
だから一般的に立証責任は「ある」と主張する肯定側が負う。
そして証明できなければ無いものと見なされる。「推定無罪の原則」がそれに当たる。

しかし現実社会ではこれがみなの共通認識となっているわけではない。
掲示板では悪魔の証明をせよと語って、
論敵が目を白黒させるとワシの勝ちだなどと雄たけびを上げている。
http://www.mars.dti.ne.jp/~saitota/book041113.htm