愛とは何か、本当に存在するのか。

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2考える名無しさん:2005/09/22(木) 18:02:34
もともと日本語の文脈における愛は、仏教用語からきたものであり、愛別離苦の1を占める煩悩の意味であった。
近代に入り、西洋から新しい意味が導入された。その際に、「1. キリスト教の愛の概念、2.ギリシャ的な愛の概念、3. ロマン主義小説の恋愛至上主義での愛の概念」などの異なる概念が同時に流れ込み、混乱の中から、現在の複雑な愛の意味が作られてきた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B
3考える名無しさん:2005/09/24(土) 09:27:31
愛と言う気持ちは言葉で言うからわかるものじゃないのか
4Tar ◆SQIDAUQYpc :2005/09/24(土) 10:29:49
おさーるさーんだよー♪
5考える名無しさん:2005/09/24(土) 11:11:11
定期的に立つね、
この手のスレ。

そんなことよりお前さん聞いてくれ。
今朝鶏丼もどきを作ったら、割り入れた卵が双子でやんの。
珍しくて壊せずにそのまま煮て、食卓に運んでいっちゃったよw
6考える名無しさん:2005/09/24(土) 11:35:36
>>5

しかも 11:11:11 ですねw

宝くじ買ったら当たるかも。
7考える名無しさん:2005/09/24(土) 11:58:24
あたしゃ猜疑心のあまりに他人の全てを握らないと
安心できない人は嫌いだな。

そういう人はだれかの作った「支配⇔被支配」の概念の奴隷だからさ。

面白い話なんだけど、そんな人はなぜかいつも寂しい。
8考える名無しさん:2005/09/24(土) 19:44:51
9考える名無しさん:2005/09/25(日) 06:14:12
何かを得るということはそれに支配されること。
その支配を拒否するということはそれを捨てることだ。
10考える名無しさん:2005/09/25(日) 06:36:16
支配されることで支配することになる。
逆も然り。

何かを本当にものにしようと思ったら命を賭けなきゃいけない。
そうしないとそれと一つにはなれない。
まぁ、道具として利用するだけなら命を賭ける必要はないが、道具は漸次的に廃れていくし、道具に自分も廃れさせられることになる。
11考える名無しさん:2005/09/25(日) 06:48:06
自由の対価は消費である。
生の対価が死だ。
自由な社会は自他の消費社会である。
12考える名無しさん:2005/09/25(日) 08:41:32
>>1
公開オナニー乙(・∀・)
いやん何この恥ずかしいスレタイw
13(-.-):2005/09/25(日) 13:58:48
何でも遠くにあり、しかも尚、それらは時につれて遠ざかる。
あらゆる方向に向かって。
さぁ、何に向かい、何を追い、何をものにしてやろう?
それとも静止するか?さすれば存在というブラックホールに飲み込まれるだろう。
そしてそのあまりに巨大な重力は何人をも完全に押し潰すだろう。
生きるなら歩み続けねば。
一時にあらゆる方向に向かうならほとんど進めまい。
目標を絞り矢のように真っ直ぐに歩まねば何にも追い付けまい。
進み続けるよりない、存在に飲み込まれないために。
そう、存在の彼方へと。
だがいつか力尽きて存在に飲み込まれるかもしれない。
現象の終焉、存在への帰還、それが死か。
14考える名無しさん:2005/09/27(火) 23:53:45
>>1
重複につき誘導

愛とは何か、本当に存在するのか。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1127379676/
15考える名無しさん
やりなおし。

>>1
重複につき誘導


http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1086785637/