哲学してみませんか?
英語では『来る』。これは絶頂が来るという事と考えられ、非常に分かり易いです。
でも日本人は絶頂に達した時に『いく』と表現します。
これは凄く面白い表現だと感じるのですがどうでしょう?
一体いつ頃から使われていて、何故あの絶頂感を『いく』という言葉で表現したのか。
2 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 01:09:48
超余裕の2ゲットしとくか・・・w
廓言葉で『いきんす』というのがある。
かなり古くから使われているのは間違いないとは思うけど。
麹はエクスタシィーを「よき味」って言ってたらしい
「よき味哉!よき味哉!!」
ワロス
ラカンは性行為を死に身を委ねる事と規定していますが、
エロスとタナトスは近しい関係です。彼岸に逝くのでしょう。
鶏はなぜその飛翔能力を喪失したのか
それは、ひとえに人間の家畜となることに甘んじたからに他ならない。
一見すると家畜になることは鶏にとって不利益な事のように思われる
しかしながら、「ニワトリ」という種の観点からすれば
その判断は極めて合理的であったことがうかがい知れる。
すなわち、人間に対して自らの卵を提供することと引き換えに
「自分」という固体の生存ひいては種の保存の確証を得ているわけである。
無論、これは雌の場合の話であって
雄の場合は儚くも肉片となり人間の胃袋に納まる運命にあるわけだが
いずれにしても人間自身が鶏を生存のための糧としているのだから
「ニワトリ」という種は人間によって保存されるわけである。
つまり、鶏は捕食者から逃れるための飛翔能力―生存のための手段―を
人間の家畜になることに転換したのである。
だが、本当にそれで良いのか?
確かに、養鶏場の狭苦しいゲージの中でひたすら卵を産み続けることは
「ニワトリ」という種にとってはプラスに作用するかもしれない。
だが、「鶏」すなわち各々の固体にとってはどうなのか?
彼らは、本当に卵を産み続けるだけの一生に満足しているのか?
私は、ここで高らかに提唱したい。
鶏たちよ。いまこそ大空に帰するとき。
さあ、養鶏場から脱して、再び翼を取り戻せ―――。
コケーーーッ!!
9 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 02:14:44
スレが伸びそうだから釘をさしておくが日本「往く」英米「カム」は同じ
いくつもエロ関連の本があんだろ 調べろ
今日も時を告げてるねー
12 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 08:32:53
英語のcomeは、「何かに対して向かって行く」動作、goは逆に離れていく動作。
「絶頂に向かって行く」だから、comeになる。
13 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 08:52:25
重複というか、「マルチ」っていうんじゃなかったっけ?こういう場合。
15 :
考える名無しさん:2005/09/12(月) 12:37:25
あっちの世界に「いく」と、
こっちの世界に「くる」のちがいだと思う。
16 :
考える名無しさん:
アダルトビデオで、「イクー」って言ってるひとに
「どこに行くんですか?」
って質問してた。
みんな「ウー、ウー」とか言ってなかなか答えないんだけど、最後は大抵
「てんごく!」
って答えてた。勉強になった。