◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない42◆
1 :
偶因論 ◆dIcXXXXlPE :
2 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/28(日) 12:09:05
物質→必然
はどうして言えるのですか?
機械さん、出番ですよ〜
5 :
考える名無しさん:2005/08/28(日) 12:49:27
>1 名前:「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I 投稿日:2005/08/02(火) 00:44:01
>人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
>しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
>・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
>人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
>分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
>勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
>分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
>「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
>全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
>すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
>『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
>「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
>決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
>量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
>以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
>『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
7 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/28(日) 13:10:14
ある因果系列で進んでいるところに別の因果系列が交錯する。とは、偶然の事です。
例:
駅に行くつもりで道を歩いていた。(A)
歩いていた頭上でマンションの住人が植木鉢を落とした。(B)
頭に植木鉢がヒットした。(C)
そして、病院にいくことになった。(D)
(A)(B)は独立で、(C)は(A)(B)によっている。
そして(C)の事を偶然といいます。
(D)となる事で(C)は(A)をリセットしています。
物質→必然って意味が分からないんだよなぁ。
9 :
偶因論 ◆dIcXXXXlPE :2005/08/28(日) 13:22:11
10 :
偶因論 ◆dIcXXXXlPE :2005/08/28(日) 13:25:58
不可抗力な状況は焦りとか出来ちゃったから助けろみたいな事柄を意味します
必然性とは脳が楽をしたいといった作用と思うわけです
11 :
考える名無しさん:2005/08/28(日) 13:26:44
\ /
\ /
\ /
\ /
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\∧∧∧∧/
< 俺 >
< 予 し >
< か >
─────────< 感 い >──────────
< な >
< !!! い >
/∨∨∨∨\
/ \
/ \
/ (-_-) \
/ (∩∩) \
/ \
956 考える名無しさん 2005/08/26(金) 19:39:10
『自由意志』
ある 〔A〕 その行為の
という行為 根本的意志
┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫
↑ ↑ ↑ ↑
物理的 成功への希望 現在の 過去の
肉体的制限 失敗への怖れ 環境 経験・記憶
ある 〔A〕
という行為 『自由意志はない』
┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━ ・・・・・
↑ ↑ ↑ ↑
物理的 成功への希望 現在の 過去の
肉体的制限 失敗への怖れ 環境 経験・記憶
荒っぽく言えばこういうことかな?
下図は、「根本の意志はなく全ては各種条件の加算によって行為がなされる」と・・・。
そして、外的因子がどの程度の強制力をもって個人へ影響するかの見極めで、
この線上の線引き(即ち「何を自由意志とみなすか。どこまでを自由意志とみなすか。」)
が変わってくるのでは? (とりあえず反射的反応は除外してるが・・・)
962 考える名無しさん 2005/08/26(金) 19:52:18
ってか、そうした細目の名称はポイントではないんだが・・・
様々な要因の影響を受けた上で、我々の思考・行為は成り立っているのだろうという仮定を表したつもり。
その上で、そうした(外的・内的)要因と関係無しに根本的意志があるのかどうか?
ないならば、どこからが自由意志と呼べるのか?
という視点の人が誰もいないようだったから、ない智恵絞って図にしてみたまで。
不備は承知の輔(^^)v
975 考える名無しさん 2005/08/26(金) 23:28:42
>>965 だから、その定義は
>>956の線上のどこを採るかでしかないわけで、
まったくもって恣意的にならざるを得ないだろう。
(つまり、拠って立つスタンス・思想・価値観に合わせて必要なレベルで区切ってしまえばいいw)
この話題の時にはここにしましょうw という話者間の共通理解をとるしかないでしょう。
脳死・臓器移植問題の死の基準なんてまさにそれなんじゃないですか?
983 考える名無しさん 2005/08/27(土) 00:32:26
選択の際の基準(強制要素)は
道徳とか正しさとかで単純に規定されるのでなく、多様な要因・条件の複合的結果であり
場合によっては不道徳で非倫理的で正しくない選択も当然なされるであろう。
その意味で極論すれば、
全ての選択は
『過去に自分の中に積まれた経験や記憶と、
現在置かれている環境・状況に規定されるものでありそこに自由はない。』
という主張はもっともなものであろう。
14 :
偶因論 ◆dIcXXXXlPE :2005/08/28(日) 14:47:29
>>2 スマトラとベタは共存できるかイソギンチャクとクマノミは申し合わせがあるから
人間の脳は必然的に出来上がったレールを走っていて単なる甘えとか色々な考えが
あって各々何に付随しているかは違うから自意識は過剰になり緊急な判断と自分は
定義していても相手に伝わらなければならない一方で必然的に出来上がった街並み
15 :
考える名無しさん:2005/08/28(日) 14:58:46
コンピュータが「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、コンピュータには物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
DVDが「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、DVDには物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
本が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、本には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
16 :
考える名無しさん:2005/08/28(日) 14:59:37
2ちゃんねるが「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、2ちゃんねるには物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
17 :
考える名無しさん:2005/08/28(日) 15:06:00
>>7 ざっくり簡単に考えすぎてる
AからCそれぞれの行為について何故?をトコトン×100
深く追求するといい
そしたら何かが見えてくるから
18 :
考える名無しさん:2005/08/28(日) 15:19:59
駅に行くつもりで道を歩いていた。(A)
歩いていた頭上でマンションの住人が植木鉢を落とした。(B)
頭に植木鉢がヒットした。(C)
駅、道、マンション、マンション住人、植木鉢、頭が
すべて「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、そこに物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
19 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/28(日) 15:27:43
>>17 (A)(B)が独立。→(C)は偶然である。
(A)(B)が独立でない。→(C)は必然である。
(C)となったのは説明の為に私が作った事なのだが、
(A)(B)それぞれから見て私が作ったというのは認識の地平線下なので・・・
てゆうか、(A)の原因、駅に行く。(B)の原因、水をやっていた?←書いてないけど
それより原因を追究することは地平線下に潜り究明する事が出来なく(分からなく)
なるので(A)(B)は独立となると思う。
>>18 >しかし、そこに物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
>・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
何かを原因に変えてみると面白い。
頭に植木鉢がヒットした。(C)
は本人にとっては仰天の出来事だろうけど
実際には必然の出来事だという事です
22 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/28(日) 15:34:39
しかし、そこに物質による「原因」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
とも言えなくない?
∧∧
_ (;゚Д゚) __
/ ( (つ┳つノ \
/ ヽ
| / \ |
| ヽ-=・=-′ ヽ-=・=- | < <<22 遠まわしに言わなくとも、<ハッキリ>とそう言える
| |
ヽ (_人_) ノ
〜〜〜〜 ◎――――――――◎
24 :
MORALITY ◆oMyMORALjQ :2005/08/28(日) 15:42:51
25 :
考える名無しさん:2005/08/28(日) 15:43:10
26 :
MORALITY ◆oMyMORALjQ :2005/08/28(日) 15:44:59
27 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/28(日) 15:59:42
>>25 全部は読んでないけど25位から飛ばし飛ばし読んでいます。
ある因果(A)と「別」の因果(B)が交錯した時、それを偶然と呼ぶ。言い換えると
(A)(B)の原因が独立でそれらが相互作用を起こた結果、それを偶然と呼ぶ。
つまり、原因が複数あれば偶然で、単数であれば必然です。
ビッグバンというのが単数の原因であれば全ては必然でしょう。(複数の原因かもしれませんよ)
しかし、生体の原因は精子と卵子で複数あるので偶然ではないのでしょうか?
29 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/28(日) 16:13:26
30 :
考える名無しさん:2005/08/28(日) 16:16:04
>>22 そこに物質による「原因」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です
なんでだ・・では物質による原因は無いのですかそうですか
>>27 >ある因果(A)と「別」の因果(B)が交錯した時、それを偶然と呼ぶ。言い換えると
>(A)(B)の原因が独立でそれらが相互作用を起こた結果、それを偶然と呼ぶ
Aにとっては偶然(に見える)だけの事
>ビッグバンというのが単数の原因であれば全ては必然でしょう。(複数の原因かもしれませんよ)
宇宙がビッグバン(主流な説です)により始まったのならば全ての原因がまずはそこに集約
されるでしょう
>しかし、生体の原因は精子と卵子で複数あるので偶然ではないのでしょうか?
なぜそうなる・・
31 :
考える名無しさん:2005/08/28(日) 18:47:45
*^v^*y-~~~
32 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/29(月) 00:36:24
>>1 すみません。ちょっと留守にしている間に1000まで行ってしまいました。
で、深夜の帰宅後に言えることは、
@コペンハーゲン解釈
・・・・基本的に「この4次元宇宙」は、3次元的始点(ビッグバン)と3次元的終点(ビッグクランチ)
を「両極」に持つ「線形的時間経過のトレースである」・・・という世界観
Aエヴェレット解釈
・・・・基本的に「この4次元宇宙」は、(あたかも)たまたま迷走してきた「ゲームの中のシチュエーション」であり、
「次の瞬間」に「世界」は多様に分岐して「多数の『自己』が多数の世界を生きるだけ」・・という
2者択一の領域に達しつつあるように思います。
私が「真理」であると(終始一貫)主張している「世界観」は@の方です。
22世紀からみた「過去」は「たった一つ」であり、・・・従って歴史は
「必然性に基づいた一本の線」なのです。・・・・「人間の(脳の)『自由意思』
により分岐する」ことは、「ない」・・・ということです。
33 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/29(月) 00:42:28
No Future But No Cry
34 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/29(月) 00:51:30
No Need To Cry For People Who's Future's dicided
at Some 『「MOMENT」 at Past』(And・or Future)
35 :
考える名無しさん:2005/08/29(月) 00:54:24
>>34 そんなうまいこと俺の脳みそは合理化できないぞ。
37 :
暗黒軍 ◆SONYnbfBLY :2005/08/29(月) 01:35:28
贅沢に囚われると頭が正転しなくなり理論的な展開になるだけでなく狡賢い方法に匹敵する
38 :
考える名無しさん:2005/08/29(月) 07:58:09
>>32 >22世紀からみた「過去」は「たった一つ」であり
相変わらず、意味不明の言明だな。
言明の意味を明確にしたとき哲学のなぞはなくなる。
「過去がひとつ」とはどういう意味なの?
時間を過去・現在・未来に三区分した場合、過去はそのひとつ
である、ということなら前提からの必然的な演繹であり論理として
何の問題もない。
「歴史は必然性に基づいた一本の線である」は何も言い表さない
文学的な修辞であり歴史科学ではない。
何が歴史を作るのか、さえわかっていない。
世界(宇宙)がひとつという立場なら時間はひとつで、歴史も
一様であるだろう。
多世界を認める立場なら時間も空間も当然、一様ではなく、
歴史も世界ごとに異なるだろう。
なぜ一世界が正しいのかその根拠づけをするのが哲学だろう。
39 :
考える名無しさん:2005/08/29(月) 08:39:44
プ 鼻でワラタよ クダラネ
40 :
考える名無しさん:2005/08/29(月) 10:12:06
つまりこう言うことを言いたいんだろう。
「物質は存在を規定するが、存在は物質を規定しない。」
しかし、物質という言葉も、物質だとは思えないが。
41 :
考える名無しさん:2005/08/29(月) 11:38:20
この世界は、なぜ因果律に支配されているのですか?
42 :
考える名無しさん:2005/08/29(月) 11:45:13
>>41 因果律は思考の形式です。
この世界が因果律に支配されているのではなく、
あなたの思考が因果律に支配されているだけです。
因果律など迷信だと柔軟に思考することも大切です。
43 :
考える名無しさん:2005/08/29(月) 11:57:24
因果律が論理の訳ないだろう、なぜならば、論理は人間の思惟を規定
しているものだが、物質を規定してはいない。因果律は、物質を規定
しているものだが、人間の思惟を規定してはいない。因果律と論理を
同じと考えてしまった哲学者は多い。
>人間の思惟を規定してはいない。
規定しているように見えるが、因果律に従っていないといえる証拠はなに?
46 :
考える名無しさん:2005/08/29(月) 13:39:18
思考の形式を論理としている辞書もあるので、
因果律は自然法則の形式です、に訂正する。
言いたかったのは因果律は論理法則ではない、
ということです。
というか、因果律の存在自体に根拠が無い。
|
| ('A`)y- ヘントウスルノマンドクセ
/ ̄ノ( ヘヘ ̄ ̄
50 :
考える名無しさん:2005/08/29(月) 14:40:23
>>48 >人間は因果律に支配されているな
「生まれたものは死ぬ」という法則にはだれも
逆らえないと思われる。
51 :
考える名無しさん:2005/08/29(月) 19:06:05
ただ、因果律は、客観的に存在するのではなく、主観に存在すると考える
哲学者は結構いる。因果律とは何か?と言うことを、具体的に、明確に
提起したのが、ヒュームで、それを引き継いだのがカントだ。純粋理性
批判は、因果律とは何か?と言う疑問から生まれたと言っても良い。
ブルジョアは不可知論(ヒューム・カント)、プロレタリアートは唯物論。
53 :
考える名無しさん:2005/08/29(月) 19:19:11
唯物論と言うのは、物質ではなく、思想でしょう?
思想というのは、物質ではなく、精神ではないでしょうか?
もし唯物論(精神)が物質なら、観念論(精神)も物質でしょう。
54 :
考える名無しさん:2005/08/29(月) 19:58:01
物質というのも思想でしょう。
物から感じられる知覚・知識が物質でしょう。
物質の論理を語る物語が物理学でしょう。
55 :
考える名無しさん:2005/08/29(月) 20:05:33
物質だけを語るのが唯物論と言うのは超馬鹿な誤り、馬鹿のきわみ
物資(物質でない)を通して精神を語るのが唯物論、しかも主に生活物資を通してだ
>グルっち
「そんな次元ではない」という返答は正しいとしても良くないと思うのです
このスレや自由意志スレを見てもヒュームを読んだこともないようなやつが多いのです
そういうやつらを無視して話を展開するのはなんとなく傲慢に思えるのです
人間の意志が完全に自発的なものでなく多くの外的要因によって影響を受けること
また、人間の行動が物理法則を破ることはできないことは問題ないと思うのです
このスレで言われていることは人間の意志が物理法則に従っているのかどうかなのです
返答において「物理法則に従っているだけ」と返されるのは
「心理的要因について考えたところで、そう見えるだけで実際は物理的な法則にしたがっているだけ」ということなのです
これはもはや自由意志論ではなく、物理学がすべての学問の基礎に横たわるという信仰なのです
前スレにも書きましたけど、このスレの決定論者は
18世紀のダランベールの「力学は全自然学の基礎である」という宣言を受け継いでおり
世界を支配する数式がありその数式に従って世界はあらわれる
だから世界の一部である人間の行動や人間の意志もすでに数式として決定されている
という態度をとるのです
これに対して自由意志をもって反論することは問題がズレているのではないでしょうか?
非決定論者が論駁する必要があるのは、そのような古典的決定論的世界観に何の根拠もないということでしょう
(「古典的」という言葉を使ったのは量子力学と決定論が無関係であることを強調するため)
だからオレは、ポパーの反論方法
物理学が非決定論的世界のモデルを採用しても何ら問題なく研究できること
物理学において決定論は必ずしも必要不可欠なものではないことを説明して
それによって古典的な決定論的世界観のモデルそのものを批判する必要があるように思えるのです
それがこのスレにおける決定論者に対してきちんと対話することじゃないですかね?
>グルっち
どうでもいいですけど
自由意志スレのところの倫理の否定はひどすぎです
人間の精神がいかなる他律にも支配されないという「意思の自律の原理」が
カントにおいては客観的価値の存在と自由の要請における重要な点なのに
そこから客観的価値の存在を否定して自由意志を否定するなんてひどすぎます
ちょいと説教してやってくださいよ
59 :
考える名無しさん:2005/08/29(月) 21:36:20
埋 め
60 :
考える名無しさん:2005/08/29(月) 21:37:21
うんちょっとまて、
決定論が正しいかどうかは知らんが
人は自分の人生にまったくかかわることはできない傍観者にすぎない
なら簡単に証明できそうじゃない?
http://anime.2ch.net/test/read.cgi/x3/1125302617/ ここに(-人-)ナムナムと一回でいいのでカキコして下さい。
今皆さんの力が必要なんです!色んな板から来てます。
開成を騙る哀れな少年の為に是非一人一(-人-)ナムナムを!
または
哲学板から来ました
/⌒ヽ
二( ^ω^)二⊃ /⌒ヽ
| / /⌒ヽ ⊂二二二( ^ω^)二⊃
⊂二二二( ^ω^)/⌒ヽ | /
ノ>ノ ⊂二二二( ^ω^)二⊃ ヽノ /⌒ヽ
レレ ( ヽノ| / ノ>⊂二二二( ^ω^)二⊃
ノ /⌒ヽ ヽノ レレ | /
⊂二二二( ^ω^)二⊃ /⌒ヽ ( ヽノ
| ⊂二二二( ^ω^)二⊃ ノ>ノ
( ヽノ | / レレ
ノ>ノ ( ヽノ
三 レレ ノ>ノ
開成 ◆QRXqyPRNBo きんもーっ☆
とカキコしてもいいです
>>57 横レス失礼
>「そんな次元ではない」という返答は正しいとしても良くないと思うのです
>このスレや自由意志スレを見てもヒュームを読んだこともないようなやつが多いのです
>そういうやつらを無視して話を展開するのはなんとなく傲慢に思えるのです
わかるけど、そんなのにいちいち一から説明していたらキリがないでしょ
毎日毎日、初めて見て書き込んでる人がいるわけで
逆にこっちが宗教板に行って議論しようとしても多少なりそっち方向の
知識がなければ正しく趣旨を掴めなくてピントはずれになりがちで
迷惑をかけてしまう
ちゃんと相手されたければそれなりに個人努力も必要かと
なんで法則にしばられるのを嫌がるのかな、
まるで宇宙の一部である事すら拒否しているかのような
思い上がりはいったいなんなんだろうか
愛情が足りなく育つとこうなるのかな?
88 考える名無しさん 2005/08/29(月) 11:30:47
強姦された女性がいたとする。
A、彼女は男性との関わりを避ける。
1.嫌悪感や恐怖が生じるので男性との関わりを避ける。
コミュニケーションは可能。 → 自由意志?
2.男性を前にすると、動悸が激しくなり息苦しくなり
気分が悪くなるので男性との関わりを避ける。というか相対することが出来ない。
コミュニケーション不可。 → 自由意志?
Aという同じ行為(選択)には変わりが無いが大きな隔たりがある。
また、どちらも強姦されたという経験が、後の思考・行動に制限を与えているという点において
自由ではない、と言う(記述する)ことが可能なのだろうか?
それとも、そうした条件を情報として踏まえた上での判断であるから、自由意志と見做せるのだろうか?
92 考える名無しさん sage 2005/08/29(月) 12:16:53
>>88 つまり、ナイフを持った男がそのナイフを女に突きつけ、1日中正座をしろといったとする。
その女は仕方がないので、1日正座をし、後日仲間引き連れ男を責め立てた。
しかし男は言い返す。
「確かに俺は正座をしろと言ったかもしれない。しかし、彼女は自由意志で正座をしたはず。
刺して被害を与えたならまだしも、彼女が勝手にしたことに責任は持てない。
彼女は自由意志で行動を決めたのだから、その行動の責任は彼女が取るべきだ。」
でも女は、そんなのは自由意志じゃないという。
まー女なんてのは、みんな頭がおかしいからしゃーないか。
法則云々ではなく、
「自由(意思)」ってなんだろう?
どこまでが強制的に選ばされている部分なんだろう?
っていう素朴な疑問だと思うが?
専門知識のない一般人の感覚は、
「思うとおりに行動できてるから自由じゃん」なのだ。
「その「思うとおり」の部分も思わされているんだよ」というのが決定論的考え、かな?
68 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/29(月) 23:04:44
決定論に於いて、成長や死はどうなっているのでしょうか?
「1パスの時間が固定されている」(A)のなら、
その中の部品の「死によって失われる」「部品自体の成長」は不安定要素になり不合理です。
(A)を運営するのには完成された壊れる事の無い部品によって動かされるべきだと考えますが。
俺の感覚だと、従わされてるというより、価値観や判断基準もマクロな因
果法則の一種という感じだな。
入力に対する出力がシステマティックになされるから哲学的・決定論的意
味での自由意志には当たらないけど、その処理プロセス自体は各々におい
て自発的なもので、強制されてるわけではない。
>>69 もう少し柔らかい言葉で・・・・ orz
シックスナインおめw
>>69 強制ってのは自分と違う個体による、ってこと?
>>69 > 入力に対する出力がシステマティックになされるから哲学的・決定論的意
> 味での自由意志には当たらないけど、その処理プロセス自体は各々におい
> て自発的なもので、強制されてるわけではない。
言いたいことはよく分かるが、そもそも我々は入力に対して出力しているのではなく、
全てはまず自発的に活動し、その活動によって帰還してくるフィードバック情報を収集して
いるのだと考えるべき。
入力が先行するという考え方は、暗に入力してくれる者の存在を仮定してしまっている。
コンピュータの場合は常に入力してくれる者、すなわち人間が存在するからそれでいいの
かも知れないが、生物にとってはそんな者は存在しない。常に自分から自発的に活動を
開始しなければ情報は収集できないのだ。
73 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/29(月) 23:52:11
PCのプログラムみたいに完成された部品(コード)で記述すればいいのに
なんで無知で生まれてくるのでしょうか?
最初から完全な部品を作るのがコストがかかると言うのなら成長はOKとします。
ではなぜ、成長した部品を壊す必要があるんでしょうか?
決定論では成長と死はどう扱ってるのか教えてください。
もしかして、決定論では死を扱えない?w←相手してくんないから挑発的
74 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/29(月) 23:56:20
>>7 >物質→必然って意味が分からないんだよなぁ。
「偶然」と「必然」は、併せて「全体集合」を構成することになる・・
いわゆる「対偶概念」ではない・・・ということです。
「必然」とは、「唯一の時間軸上で唯一の三次元空間が推移する」・・
という「この世界」に関する「世界観」であり・・・ある意味で「客観」
個体(個々の脳)にとって・・それらの『必然』はあたかも「サイコロを振る神」
のように(非情に)見える・・ことがあるということ・・それが「偶然」という悲運
(時には「幸運」)です。
>>71 他者や環境による制限は、俺は入力の一部ととらえてる。
前スレに落としてた俺の自由意志観を、説明のために再掲してみる。
> 俺が自由意志に否定的な理由。
>
> 1.自由意志を肯定するためには、未来に対する選択肢がなければならない。
>
> 2.しかし、その選択肢の間に主観的な優先順位を付けることができ、最も
> 優先度の高い選択肢がただ1つならば、その選択肢が必然的に選ばれる
> はずである。これは意識的選択においても決定性が存在すると解釈でき
> る。
>
> 3.したがって、自由意志を認めるには優先度に差のない複数の選択肢が同
> 率一位となる状況を想定し、その上で確率的偶然ではなく意識的選択に
> よってただ1つの選択肢を有意なものとして選ぶことができなければな
> らない。しかし有意なものを選ぶ前提となる優先順位の存在はすでに否
> 定されているから、このような選択ができるとは俺には思えない。
この2.と3.の部分と同じ意味合いでいったのが
>>69。俺は、決定論だけで
なく確率論もありかなと思ってる。自由意志には否定的だけど。
>>75 選択肢は常に無限の選択肢が存在する。
そして、どの選択が有意であるかは選択してみないことには分からない。
77 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/30(火) 00:05:11
>>76 「有意である」という概念を至上としており、疑わないこと自体が
「イデオロギー的」であり、「間違いの基」です。
>>75 いい? 選択する前から有意かどうかなんて分からないんだよ。
選択して初めて、その選択が有意であったかどうかが分かるんだよ。
79 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/30(火) 00:11:50
>>78 「有意である」という概念を(無批判・無条件に)『至上』としており、
それについて、「全く疑わない」こと・・という非哲学的態度自体が、
「イデオロギー的」であり、「全ての観念論的(間違い)の基」なのです。
>>79 あなたの応答はまるで頓珍漢なの。何度繰り返しても同じだよ。
あなたは誰にも相手にされていない。そんなことも気がつかないの?
>>73 >最初から完全な部品を作るのがコストがかかると言うのなら成長はOKとします。
>ではなぜ、成長した部品を壊す必要があるんでしょうか?
決定論とはカテゴリが異なると思うけど、専門家じゃないから確かでは
ないけど多分、それは進化する為に古いシステムは廃棄するという事じゃ
ないかな?古くなった機種のPCと同じ、とても合理的で効率がいいと
思いますよ、ただこの仕組みは神さまが意図して作ったのではなく
その昔は多様な生物の生き残りシステムがあった中で生き残る事ができた
システムがこれなのでしょうね
>>81 > それは進化する為に古いシステムは廃棄するという事じゃ
> ないかな?
進化では古いシステムが破棄されるということはありません。現に、
我々よりずっと古いシステムである単細胞生物もちゃんと生き長らえているでしょう。
83 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/30(火) 00:19:59
非決定論に於ける成長は幸福な未来を得るため。死はその結果。
決定論に於ける成長は生産消費部品としての性能の向上。死は?
84 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/30(火) 00:22:48
>>80 あなたは「相手にされる」ことが至上価値の世界の俗世間の方ですので、
「あなた自身」が「哲学」という「俗世間とは無縁な純粋学問」を理解し得ないのです。
要するに「俗物」という人間の「一部分」が「哲学」に近寄りたがる「動機」は、
ニーチェの言う「権力の意思」・・と持ち上げても・・意味無いので、
「単なる俗物根性」・・・という「真理」を指摘します。
「優越への意思」が全部「権力への意志」であるとは限りません。
85 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/30(火) 00:26:44
>>80 意図を掴めてないかと
>>82 書き込んだ後に気づいたけど、訂正
古いシステム → 古い機種
単細胞生物については古い云々というよりもシステムの優劣で考えてください
87 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/30(火) 00:27:52
ホリエモンは「超大金持ち」ですが、私は彼に替わりたいとは思いません。
(ほぼ次の高度高々度情報化社会の「ニーズ」と「シーズ」をご存じですが、
・・短い会話の感触では「ある意味で(マスコミ至上主義に踊らされて)判ってない」
からです。
ビジネスパートナーとしては「ごめんなさい」です。
進化は古いシステムを破棄するのではなく、常に、あるシステムから
さらに効率のよりシステムが出現するという形で進行するのです。
以前のシステムは破棄されるのではなく、それはそれとして存続していく。
これが生物が多様であることの理由なんですよ。
89 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/30(火) 00:31:23
>>83補遺
>生産消費部品としての性能の向上(出力入力のチューンアップ)
90 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/30(火) 00:34:42
>>88 >さらに効率のよりシステムが出現するという形で進行するのです。
そういう側面はあります。
しかし、「美(術)の進化」が「更に効率の良い美術鑑賞システム」だと
いう主張に繋がるとしたら・・・それは??疑問です。
「美は効率にあらず」・・・ということは「真も効率にあらず」・・と同じ程度に
「真理」だと思います。
>>88 そして劣ったシステムはいずれ淘汰されていきますよね
>>83 もう少しかみくだいて説明してくれるといいんだけれど
92 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/30(火) 00:37:09
>>86 でも、成長も作為的なんでしょ。
成長はOKと書いたけど、不完全に生んでわざわざ成長させてそれから殺す。
何の為でしょうかね?
>>92 決定論では何の為にとかは扱わないと思うよ、あるがままです
そのような疑問は生物カテゴリでしてください
94 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 00:42:25
なんで機械は流れをぶった切るかなw
ついてけない話題だからか?
95 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/30(火) 00:43:09
>>92 「成長」って「何からどこを目指す善のベクトル」を基準にしているのですか?
要は「基督教的善悪(世界観)」だけなのですか?
「余興」でもいいですから「イスラムの一夫多妻制の解説」などがあれば、
「より哲学的」・・・なのですが。
96 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 00:45:10
>>95 イスラムの一夫多妻制は戦争未亡人に対する救済策だよ。
しかし上限を四人に決めて貧乏な男性にも配慮したのだ。
一夫多妻制度では男性が結婚できる年齢が上昇することが
知られている。
97 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/30(火) 00:48:47
>>94 あなた方の「雑談」が、「あなた方が信じているように」『哲学』・・・ではない。
からです。「2ちゃんる」?・・・ふふふふ「異常者のはけ口ね」・・・
それは「哲学板」だろうが「自殺板」だろうが・・・「世間」から見れば「異常者」
・・・という「ひとくくり」です。・・・よ・・私もそれでも「いい」ですが・・
100 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/30(火) 00:55:02
>>91 私の理解で書きます。
非決定論=未来は(詳細までは)決まっていない。
・個のやる事は不確実な未来に於いての最大幸福を目指す。
・公にはシステム(世界)を構成する。
・その手段としての成長。
・その結果としての死。
決定論=未来は(詳細まで)決まっている。
・個のやる事は決まった道(ジェットコースター)を体感する。
・公には情報等の入出力でシステム(世界)を支える。
・その糧(快感)とシステム(世界)を支える為の成長。
・?としての死
101 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/30(火) 00:56:12
>>96>>98 『そのての「社会学的説明」は、おおかた全部「インチキ」です』
と言える「論理」・・論理的に説明する説得力・・・それが「哲学」
である(あった)筈なのですが・・・・・
哲学・現代思想というバックグラウンドをもてる者同士の雑談の場=哲学(しゃべり場)板
だれも〜哲学すんじゃなくて議論しにきたの〜。
103 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 01:03:28
では、蒸し返してから寝るw
>>72 >66>67>69>75
962 考える名無しさん 2005/08/26(金) 19:52:18
略
様々な要因の影響を受けた上で、我々の思考・行為は成り立っているのだろうという仮定を表したつもり。
その上で、そうした(外的・内的)要因と関係無しに根本的意志があるのかどうか?
ないならば、どこからが自由意志と呼べるのか?
という視点の人が誰もいないようだったから、ない智恵絞って図にしてみたまで。
不備は承知の輔(^^)v
975 考える名無しさん 2005/08/26(金) 23:28:42
>> 965
だから、その定義は
>>956の線上のどこを採るかでしかないわけで、
まったくもって恣意的にならざるを得ないだろう。
(つまり、拠って立つスタンス・思想・価値観に合わせて必要なレベルで区切ってしまえばいいw)
この話題の時にはここにしましょうw という話者間の共通理解をとるしかないでしょう。
脳死・臓器移植問題の死の基準なんてまさにそれなんじゃないですか?
983 考える名無しさん 2005/08/27(土) 00:32:26
選択の際の基準(強制要素)は
道徳とか正しさとかで単純に規定されるのでなく、多様な要因・条件の複合的結果であり
場合によっては不道徳で非倫理的で正しくない選択も当然なされるであろう。
その意味で極論すれば、
全ての選択は
『過去に自分の中に積まれた経験や記憶と、
現在置かれている環境・状況に規定されるものでありそこに自由はない。』
という主張はもっともなものであろう。
104 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/30(火) 01:15:28
非決定論=未来は(詳細までは)決まっていない。
最大幸福を目指し、その結果としての死。
決定論=未来は(詳細まで)決まっている。
ジェットコースターの終点(不要)という死。
捨てられちゃうよーーー。
漏れも寝る。
>>76,78
>>75で優先とか有意とかいってるのは、その選択をすることに当事者が
肯定的という意味だよ。情報・状況および価値観や判断基準に照らし合わ
せて、「俺はこうしたい・こうしよう・こうすべきだ」という恣意性を与
えるものだ。
それを否定してしまって、確率的偶然ではなく意識的判断による選択肢の
選別ができるの? できるなら、適当なモデルを示してみて欲しい。
>>100 > 決定論=未来は(詳細まで)決まっている。
これについては、法則的決定論者と事実的決定論者とではニュアンスが多
少違ってくると思う。俺は法則的世界観を前提に決定論か確率論かでふら
ふらしてる立場だけど、法則的決定論の立場をとるなら、決定性はあくま
で漸次処理の積み重ねによる結果論ととらえる。
>>100 せっかくですが多分
決定論と非決定論(決定論否定の立場)をわかってないと思われます
決定論的解釈では世界は原因結果のドミノ倒しによって構成されて
いる(ビデオ映画と同じ、1シーン1シーンではハラハラドキドキ
し試行錯誤するが、結局最後までシナリオはきまっている)
ここで勘違いする人がいるが努力してもしなくても結果は同じと
考える人、それはぜんぜんわかってない証拠なので
非決定論は量子の不確定性に代表されるように世界は因果律だけでは
なりたっていないとするもので、予想外(法則外)の結果が起こりえる
とするもの
これを自由意志と誤解する人がいるようだけれど、非決定性は自身の
意思に反した(ぜんぜん意図しない)結果をもたらします。
稚拙ですが少しは参考になるでしょうか?
>>106 仰るとおりだと思います。
選択の自由はこの世に存在していません。選択している自由感ならありますが。
日常的な意味であれば、意識は選択していない瞬間はありません。
常に選択の連続であり、それが意識の流れになっています。
グラスの中で揺れる水のように、外部から作用がない限り、
時と共に決定論的に波打つことしかできません。
選択に理由があるならば、同じ状態の中で何度やっても同じ選択をするでしょう。
理由のある選択の意志を保証するのが決定論です。
選択に理由があっても、その意志が因果的物理作用に関係なく勝手に変えられてしまうのが、
非決定論です。 非決定論の世界では自由意志が妨害されます。
自由意志は、それが未来において決まっているかどうかは無関係で、その意志が妨害されないことが重要です。
なので、
決定論(自由と秩序) vs 非決定論(不自由と混沌)
という図式になり、
非決定論の非決定性は、自由意志を妨害する敵になると思います。
108 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 01:54:00
決定論と偶然論は、ともに自由意志を認めない。自由意志を認めるのが非決定論、では?
まだ因果律なんて言ってんのかよw
んなもん、ねぇ〜よ!
>>108 その場合の自由意志の自由とは、どういう自由ですか?
111 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 01:59:17
唯物論的還元主義は破綻したんじゃ?
112 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 02:01:07
>>110 個人が未来に干渉できる、という意味での自由意志ですが?
(神とかは一応、なしにして)
114 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 02:01:39
115 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 02:02:18
116 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 02:02:37
>>112 未来を知らないので、人間の意志で未来を変える事は不可能です。
118 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 02:04:43
119 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 02:05:55
意志とは死ぬまで呼吸を我慢すること
120 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 02:06:20
>>117 過去の予想に関する記憶と現在の状況が一致するとき、
意志が発揮されたと考えればよいのでは?
>>120 そうですね。そしてそれは決定論的な意志です。
122 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 02:07:47
123 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 02:08:23
センズリするとは別の仕方で
124 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 02:08:45
>>121 だから、意志って何?
どうゆう意味で使ってんだ?
125 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 02:10:52
>>121 過去の予想に関する記憶と現在の状況との一致度が、
過去の意志に関する記憶と相関関係があった場合は?
つまり、強く意志を発揮したという記憶と過去の予想の記憶が
深く結びついていて、かつその予想の記憶と現在の状況が
一致している場合は???
126 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 02:11:43
SYN、相変らず言葉の意味を考えずに
屁理屈こねてるなw
>>125 その一致度が決定論的に決まることになるので、結局同じです。
コンピュータのプログラムの動作でも同じ事が言えます。
129 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 02:17:41
>>127 我々に意志を発揮したという記憶が残るのは何故?
130 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 02:20:05
警報!警報!
最高位が名無しでかきこんで荒らしておりますw
>>129 プログラムでも意志を発揮したという記憶がメモリに残ります。
>>130 ちなみに名無しの「うみねこ」さんもいらっしゃいます。
133 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 02:58:21
唯物論って思想なのか?じゃあ思想が物質を規定しているじゃん。
134 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 03:00:57
存在は、意識されない場合は、非存在である。観念論が正しい。
>>91 > そして劣ったシステムはいずれ淘汰されていきますよね
違いますよ。淘汰されるのは劣っているからではないのです。出現し得たということは
その時の環境に適応していたということであり、淘汰されたのは変化した環境に
適応できなかった、ということであって、劣っているからではありません。ある環境に
適応できたということに優劣はなく、同等なのです。
たとえばいつかは太陽が膨張して地球が飲み込まれる時が来ると、おそらく地球上の
生命は全て滅ぶ、つまり淘汰されるでしょう。それらの生命は劣っていたのではなく、
環境の激変に適応できなかっただけです。
その頃には人類は地球を脱出しているという人もいるかも知れませんが、では地球上の
全人類が脱出できると思いますか? 全人類が脱出するためにはおそらく大変な量の
資源が必要です。その資源が足りなかったら、当然地球上に取り残される人々も出てきます。
ではその人々は劣っていたのでしょうか? そうではありませんよね。
>>105 >
>>75で優先とか有意とかいってるのは、その選択をすることに当事者が
> 肯定的という意味だよ。情報・状況および価値観や判断基準に照らし合わ
> せて、「俺はこうしたい・こうしよう・こうすべきだ」という恣意性を与
> えるものだ。
それは先にあらかじめ情報をもっている場合にできることです。あなたは
すでに情報をもっている、となんの断りもなしに仮定してしまっている。
しかし、一番最初は何も情報をもっていないのです。あらかじめ何も情報をもって
いなければ? 選択してみないことには、やってみないことには分からないでしょう。
そうやってうまく行った時(生き長らえた時)に初めて情報が収集できるのです。
こうして情報が収集できてから初めて、あなたの言うことが可能になるのです。
敵と戦う方法は殴り合いから始まって投石、弓矢、銃剣、爆弾…と進歩してきましたが、
爆弾や銃剣、弓矢が利用できなければ投石、挙げ句の果ては殴り合いになるでしょう。
ということは、いくら戦う方法が進歩しても、原始的な方法もそれはそれで有効である。
つまり、これらの原始的な方法も生きているということです。進化とはこういうものです。
>>136 情報を持っているか否かによらず、その情報のある状態を元に、決定論的に選択してしまうだけです。
実際には、主体の構造自体が情報を持っているので、情報が無いという状態は存在しません。
/\___/\
/u゚⌒ ゚。 ⌒u ::\
| (●), 、 (●)゚u:|
| 。 ,,ノ(、_, )ヽ、,, 。 ::|
|゚。 u ト-=-イ`゚u :::| <外に出て、汗でもかかないか?
\ 。゚ `ニニ´。 u :/
/`ー -r-r 一''´\
/`ヽ。゚ u /:ヽ ゚u ハ
/u゚ ,, |:: | r--、 y |
/ / |:: | |__| | |
( k 。゚ O=.| ゚ u | |
\ \ |:: | ゚ 。 | |
>>135 >変化した環境に適応できなかった
これを適応できる種と比較し、その環境において「劣っている」
と言ってるのですがここまで書かないといけませんか?
>当然地球上に取り残される人々も出てきます。
脱出できるできないには理由があるのでは?
たとえば金銭や地位、はたまた腕力など
適者生存・生存競争はたまたまの運で成り立っている
わけではなくそれなりの理由があるのではないでしょうか?
それを言葉足らずかもしれませんが(常識だと誤解しました)
優劣と表現しただけです
>>141 > 脱出できるできないには理由があるのでは?
> たとえば金銭や地位、はたまた腕力など
なぜこのことが優劣の根拠になるのでしょう?
> 適者生存・生存競争はたまたまの運で成り立っている
> わけではなくそれなりの理由があるのではないでしょうか?
イワシの大群は遺伝的にも形態学的にもきわめて均質な個体の群れです。この群に
シャチが襲いかかったとします。でも、その大群は一匹残らず食べられてしまうわけではなく、
助かる個体も出てきます。ではこの個体はどこかがすぐれていたのでしょうか?
この論理は今は亡きスティーブン・J・グールドがよく好んで用いたのですがね。
>>137 兵器を装備した軍隊とアフリカのマサイ族は同等ではないですよね
明らかに兵力において優劣がありますよ
殴り合いや武器による交戦、これらはそれぞれの状況(環境)において
有効なだけで同じ土俵で戦うならば生き残れるでしょうか?
もちろん兵器を使う側が生き残っていきますよね、
そして殴り合いしかできない人はいなくなる
つまり環境ごとに生き残る種が異なってくるという事でしょう
環境になんらかの方法で適応できないものは淘汰される
進化とはこうゆうものです
>>143 > 兵器を装備した軍隊とアフリカのマサイ族は同等ではないですよね
> 明らかに兵力において優劣がありますよ
ベトナム戦争は強力な兵器を装備した米軍と、原始的なブービートラップを使用する
ベトコンと、結局どちらが勝ちましたっけ・・・
相撲の土俵上で兵器を装備した米兵と裸の力士はどちらが勝つでしょう。
米兵が兵器で力士を狙う前に、力士は米兵を張り飛ばすんじゃないかなぁ・・・
>>142 >なぜこのことが優劣の根拠になるのでしょう?
何度もいいますがその状況(環境)に適用できるできないを
生存競争における優劣といっているのです。
人間的価値観の話ですかこれは?
>ではこの個体はどこかがすぐれていたのでしょうか
他の個体よりも泳ぐのが速い、回避運動力が高い、
敵の感知力に優れている、
いくらでも考えられますよ
運がよかったケースもあるでしょうけどそれだけではずっとは
生き残れないでしょう
スティーブン・J・グールド氏は何がいいたかったのでしょうか?
でなんか話がずれてきていますね、個体ではなく種のレベルで
話していたはずなのですが
>>146 >イワシの大群は遺伝的にも形態学的にもきわめて均質な個体の群れです。
と最初に断っていますよ。
> 他の個体よりも泳ぐのが速い、回避運動力が高い、
> 敵の感知力に優れている、
> いくらでも考えられますよ
こんなことを言う方がよほど馬鹿馬鹿しいことに気がつかないとね。
機械タンが誰にも相手されなくなり、SYNクンも同じ道を歩み始めている。
このスレは一体何なんでしょう。本人たちが気にしていないから関係ない?
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
λ...?
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
しまった!ここは迷宮だ!
俺を早く脱出させてくれ!
>>148 ほんとですね、ちゃんと読んでなかった、失礼しました
するとタマタマなんでしょうねその場合
で、それが何か生物の進化に関係が?
>>151 生物学においては進化を説明する際に「自然淘汰」という考え方をする
この考え方は生き残るかどうかは偶然によるという説明だ
つまり決定論とは相容れない考え方だ
もちろん決定論的世界観が正しいならば、何が生き残るかは法則に(非明示的ではあるが)記述されているわけだし
そうである(決定論が正しい可能性)も当然残されてはいるだろうが
結局のところ、決定論は、
物理学に代表されるような要素論-力学的な説明方法が完全な説明であるという権威付け以上のものを主張してないというわけさ
ところで、ソクラテスは次のように言った
「なぜわたしは椅子に座っているのだろう?」と訊ねて
「それはひざがどうこうなって関節がどうこうして・・・」と説明されてもわたしは満足できない、と
説明の方法は多種多様であり、疑問の持ち方も多種多様である
問題のたて方もまた多種多様である
決定論は、要素論-力学的な説明付けばかりに目が向いてしまい、
目的や価値について考えることに価値を見出しにくいように思える
倫理学や心理学を馬鹿にする結果を招くのではないかな
ついでに言うと、自然淘汰という考え方でも合理的な説明を考えることは可能である
例えば「キリンの首が長い理由は、遺伝子として首の短い形質をもつキリンは生き残りにくかったのだろう」とか
「寒い地方では突起物が少ない生物の方が生き残りやすかったのだろう」とか
これは外界の影響とまったく切り離されて自然淘汰が起きるわけではないことを示しているが
逆に、どの個体が生き残るかについては完全な運任せに過ぎないという考え方でもある
偶然という考え方にも必然という要素が入ってくるのは当然だろう
もしそういったものが一切ない偶然というものがあるならば、それは「偶然」と呼ぶこともできない
しかし、これは一切が必然によって支配されているということを必ずしも意味しない
また、どこか一部にでも偶然が入る余地がある決定論ならば、それは完全な決定論とは言えない
何と呼ぶかは個々人の自由だが、俺は「世界が完全に決定されているわけではない」という考えを「非決定論」と呼ぶ
俗な言い方でいけば「未来は何が起こるか分からない」「過去をいくら調べたところで未来を知ることはできない」
そして「事実から価値を導き出すことはできない」
事実の世界と価値の世界は分断されている
もちろん人間の意志とそれによる行動が世界を変化させることができると考えている
家族を殺された被害者が加害者に対して「あなたの行動がわたしの身内の人生を壊したのだ」と言う時
加害者が「俺は何も壊していない、俺は世界についていかなる変化も起こせない」と答えることは
加害者が言葉を通じてコミュニケーションを取ることを拒絶する態度だと俺は思う
価値が事実から分離しているという考えには反対です。
むしろ価値は事実(陶酔感、恍惚感、幸福感、正義感など)だと思います。
宅間守には宅間守の価値=倫理があるのです。
倫理=価値え結ぶと変ですね。倫理⊂価値でしょうか。
よく自然淘汰説から価値に対する変な考え方をするやつがいるけど、それちゃうからね
2年ぐらい前のぴかぁ〜はそうだった
「未来における事実が価値とすべき正義である」は事実と価値の二元論という哲学的伝統をまるで無視している
>運命論者
>>154 >宅間守には宅間守の価値=倫理があるのです。
こういうセリフが返ってくる時にこそ言う言葉だろう
次元が違う
価値の世界を認めることは、
何らかの客観的価値が我々の知るところとなり人間が判断において決定論的行動をとるようになることを意味しません
客観的価値はありません(多分)。
>>158 俺はあると思うよ
客観的価値がなければ、異なる価値を比較し検討することができないと思う
俺は価値を比較検討できると思ってるし、また進んでそうしたいと思う
客観的価値の存在なくして価値を比較し検討することができないならば、空想の中だけででもその存在をつくるだけさ
>>152 お前は何を勘違いしているか知らんが、生物学も進化も自然淘汰も決定論。
決定論者が倫理や心理を馬鹿にしていることもない。そう思うのはお前ぐらいだろ。
関係ないけど、結構前に見た文章なんだけどこのスレの流れ見ててアプした方がいいかなとか思ったのでアプする
哲学辞典で英語表記の確認をしてて目にしただけなんだけどね
「わかる」という単語の項目なんだけど・・・・
・・・・前略・・・
<分ける>と<結びつける>、この間の往復運動を重ねることで古い引出しを整理し、
それをもとにして次々と新しい引出しをつくりだし、世界についての<わかる>ことを私たちは着実に増やしつづけているのである。
・・・中略・・・
<分ける>と<結びつける>は、<わかる>ための欠かせぬ手続きであるが、
その前に「わからないことは何か」、そして「なぜそれがわかりたいのか」がわかっていなければ、
<わかる>には至らないし、<わかる>必要も生まれてはこないはずだ。
自分の中の問題に抱き、それを見定めることが<わかる>ための必要条件であり、
互いの間で共通の問題が設定され、互いの間に<わかりたい>という衝動がない限り、
<わかりあえる>事態は生み出されてはこない。
何らかの問題にぶちあたって知的困難にあえいでいる青年みんなに送りたい言葉だよね
ということでこのスレにアプしてみる
>>153 >また、どこか一部にでも偶然が入る余地がある決定論ならば、それは完全な決定論とは言えない
>何と呼ぶかは個々人の自由だが、俺は「世界が完全に決定されているわけではない」という考えを「非決定論」と呼ぶ
偶然か必然かは視点によるだろ。知らない個人が偶然に感じるだけで、世界全体では必然だ。
だから個人の目からは非決定論的に見えるだろうが、世界全体では決定論だ。
>もちろん人間の意志とそれによる行動が世界を変化させることができると考えている
できないね。
未来を知る事が出来ないのなら、変化させることができるわけじゃなくて、勝手に変化しているだけだ。
世界全体の流転を変化させることは誰も出来ないだろ。
163 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 15:29:32
>>161 オレオレって何でこんなに必死なの?w
知的困難にあえいでいるのはお前ぐらいだろw
>>162 >偶然か必然かは視点によるだろ。知らない個人が偶然に感じるだけで、世界全体では必然だ。
>だから個人の目からは非決定論的に見えるだろうが、世界全体では決定論だ。
世界全体?
いえいえ、世界から切り離された傍観者の視点から見てはじめて決定論ですよ
個体から見たらその個体は決定してない
俺から見て俺は決定してない
当然世界全体から見ても世界全体は決定してない
>世界全体の流転を変化させることは誰も出来ないだろ。
言葉の修辞はやめにしようぜ
「流転」てなんだ?「変化」のことじゃねーか
「世界の変化を変化させることは誰にもできない」
この言葉がいったいどれほどの内容を語っているというのだろうか
165 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 15:31:53
「世界全体」というのが把握可能だとしてしまうのが浅はかな直感。ただの唯物論。
>>163 >知的困難にあえいでいるのはお前ぐらいだろw
ありがとう
でもそれが誉め言葉だってこと、わかって言ってる?
俺はエリート思想だから馬鹿には何言っても通じないと思ってるし
馬鹿に対してまじめに言葉を発する気はないよ
あたまのいい人だからこそ知的困難にあたると思うし
そういう人にこそ知ってほしいと思ったのさ
もちろん君は知らなくていい言葉だ
>>164 「世界の変化の方向」を変えることは誰にもできないってだけだ。
168 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 15:48:27
>>167 >「世界の変化の方向」を変えることは誰にもできないってだけだ。
なぜならば、変えた例を挙げても「それはもとからその方向に変化することになってたんだ」と答えればいいからだ
君はパトリックの後を継げるよ
170 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 15:51:35
>>166 馬鹿には何言っても通じないというのに、スレに粘着する馬鹿w
>>168 でもそのこともわからなかったんだろ?
辞書の<わかる>という言葉の説明もわからなかったというのは
まぁ君が楽しく人生を謳歌できれば素敵だね
本気で祈ってるよ
>>170 おいおい、俺はSYNをはじめ何人かの決定論者は馬鹿じゃないと思ってるよ
このスレは玉石混合さ
173 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 15:58:15
唯物論だ。世界全体は物質、俺は神。くだらね
つまり俺様が優秀なのは既に決定された事項だ。
やべっ、すっきりしてきたわ
やっぱこういう皮肉全開の討論の方が俺には合ってるんだよね
まじめに道徳ぶって議論するのはさ、リアルでやりゃいいんだよ
2ちゃんはこうでなくっちゃ
こういうやりとりの方がROMも楽しめるってもんでしょ
ほんと、今までは馬鹿にしたい意見もまじめに相手してたから疲れちったよ
いまどきオレオレ詐欺って、失笑w
177 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/30(火) 18:36:04
>>106 >ここで勘違いする人がいるが努力してもしなくても結果は同じと
>考える人、それはぜんぜんわかってない証拠なので
努力する事が決まってるなら、努力しない事も決まってるんですよね。
未来は変えられないんだから、自分が努力しない役割を持たされたらどうするんですか?
>非決定論(中略)非決定性は自身の
>意思に反した(ぜんぜん意図しない)結果をもたらします。
決定論だからといって意思に反しないという事は無い。
むしろ意思に反して決まっているのだろうと考える。
なぜ、決定論だと意思に反しないのか。
死ぬ事が決まっているとして、死は意思に反していないのか。
突っ込みどころ満載ですなぁ。
オ〜レ〜♪オ〜レ〜♪待つ件産婆〜♪オレオレ〜♪
180 :
用件 ◆mxUXsBACKw :2005/08/30(火) 20:31:59
181 :
105:2005/08/30(火) 20:41:26
>>136 何らかの感覚・知覚能力があれば、判断の瞬間においてその場の状況を知
ることができるよな? それだって情報の一部だ。経験則を構成するもの
だけが情報ではない。
ただ、その辺はそもそも俺がいいたかったことの本題ではない。
情報が判断にどのくらい寄与するにせよ、その場において主観的に最適な
選択肢がただ一つならばそれを選ぶだろうし、最適なものを一つに絞れな
ければサイコロでも振るようにしてランダムに決めるしかないはずだ。
しかし自由意志にもとづく判断とは、意識的判断による未来のコントロー
ルを指すんじゃないのか? 確率的偶然による非決定性は、自由意志の非
決定性とは別物だと思うのだが。
182 :
偶因論 ◆dIcXXXXlPE :2005/08/30(火) 20:48:59
>>177 贅沢の為に苦労している狡賢い訳と誓約は同じ意味でしかなく甘やかせた状態について
次第に勘違いはコントロール不能に近い状態に陥る非合理的心理状態がフランチャイズ
>>152 > 生物学においては進化を説明する際に「自然淘汰」という考え方をする
> この考え方は生き残るかどうかは偶然によるという説明だ
> つまり決定論とは相容れない考え方だ
と言いますか、決定・非決定を論じること自体、意味がないという立場ですね…
>>181 > 何らかの感覚・知覚能力があれば、判断の瞬間においてその場の状況を知
> ることができるよな?
いや、できません。たとえば視覚にしても、まず瞼を開くという行動をしないことには
感覚を受容することもできないし、聴覚もまず注意を向けるという活動をしないことには
受容できないでしょ。
後のことについては別に異論はありません。
184 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 21:21:26
>>181 主観的にでも客観的にでも人が必ずしも最適な選択をするとは限らないのは言うまでもないでしょう。
だから最適な選択か確率かという分け方はちょっと乱暴だと思う。
それを考えると
>>75だけでは自由意志の否定にも肯定にもならないのでは?
偶然はどこにある?
188 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/30(火) 21:37:27
>>187 私にとって187さんの書き込みを見る事は偶然です。
主観てことか
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.l''',! .r-、 .,、=@ .l''',! ./ー、,,,_ .r-,
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.゙l, .,/`∪ ゙〃 .`ー--丿 .゙'--ヽ{,,,./ .゙l,, _/`∪ .゙l.,i´ .!,_,,,/ .l゙../ | .,i´
ペンローズ・タイルやフラクタルが釀し出すファンタジーは、それなりに美しいけどね。
「一見、混沌に見える部分にも、秩序が内在している。全ての力は最適化を目指す。」
>>185 「優先」とか「最適」とか書いたのは、合理や倫理だけでなく、判断や選
択に何らかのバイアスを与えるすべての要因の影響を指した。
たとえ他者や冷静になった後の自分からみて明らかに阿呆な選択だったと
しても、判断の瞬間にその選択をさせるバイアスがかかってたなら、その
選択肢がそのときは「最適」だったという意味合いになる。
◆まぶしいのでブラインドを下ろす。
→光(まぶしさ)を受けて行動しているので自由じゃない。
まぶしさを避けたいという思いが行動させているので自由意志。
→まぶしさの感受は自発的事象ではなく外的強制因子なので自由じゃない。
その因子を避ける・除くための行動がとれるのだから自由。
→その行動は、まぶしさを避けなければならない事情が
既に因子として当人に積まれていたことによるので自由じゃない。
様々因子はあるだろうが、その影響を受け止め・把握し・検討し・行動に移しているのだから自由。
→そうした様々な因子が、その人に検討を迫るような事柄であり
その因子の存在がその人を行動させているのだから自由じゃない。
◆悲しい映画を見て、その後恋人に電話をした。
→その映画の悲しさが寂しさを生じさせて、電話をかけさせたので自由じゃない。
寂しさを感じて、その感情をどう処理すべきか検討した結果恋人への電話を選んだので自由。
→感じられた寂しさが、人とのコミュニケーションを誘う種類のものであり、
その寂しさは人とのコミュニケーションによって癒されるものであるという
情報(伝聞・過去の経験(≒刷り込み))が電話をさせたので自由じゃない。
◆赤子が、あやす人の手の中のおもちゃを喜々として目で追う。
→動く物・自分に対して働きかけてくる物へ反応するのは、
生物として本能的なものなので自由じゃない。
自分に働きかけてくるものがどういうものなのか見究める
(興味を持って把握しようとする)のは自由(な働きだ)。
→動く物・自分に対して働きかけてくる物を(視線で)追尾するのは、
もともと備わった生きるための(防衛)システムであり、なんら自由なものでない。
反射的反応である。
>>195 そりゃまた不自由な話だな。寂しさの囚人じゃないのw
198 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/30(火) 22:41:00
決定論では少なくとも、成長、死、自由意志、を扱えないのだろ。
しかし、現実としてそれらはあるので、現実を決定する論ではないって事だ。
言い換えると、現実にあるものを説明できない論が現実を作っているとは言えない。
隙というか不備がある。
199 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 22:47:00
>>198 扱えるだろ。決定論が自由意志を支えているという意見もある。
200 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 22:49:36
決定論的な宇宙を神の視点で見下ろし、しかも宇宙には干渉しないという
傍観者的な立場を取る。人生の真の傍観者。それが決定論者。
>>196 > ◆赤子が、あやす人の手の中のおもちゃを喜々として目で追う。
その前に瞼が開けるようにならなければ始まらない。
瞼を開くのは本能(?)であっても、赤ちゃん自身がそれを始めなければ
ならない、という意味ではやはり自発的な行動。
>>198 それは決定論で扱える。死は特に決定論的。途中経過がどうであっても、訪れる結果は死である。
オレは非決定論的立場だけど、あんまりヌルいから燃料投下ね。
>>201 子鹿等草食動物が生まれてすぐ立ち上がるのは
自発的な(≒自由な)行動だろうか?それとも、既に遺伝子から決定されている行動だろうか?
決定論的であるかどうか、自由であるかどうかなどはどうでもいいんです。
外部刺激ではなく、システム(典型的には脳)から活動を開始しないことには
何も始まらない、ということが重要なのです。
>>203 自発的だから自由だといっているわけではありません。
206 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/30(火) 23:03:55
>>199 >>100で書いたけど、決定論に於ける死の意義は?
無知に生んで成長させて殺す。(A)←わざわざ、こんな面倒な事をする意味は無い。
不要になったから破棄する。っていうのもあったけど、
不要になる事が決定されているんなら作らなければいいのに。
(A)のプロセスを必要とするのは何故?
なんで最初から完成形で作らないで成長させんの?
俺は死という最長不倒点へ飛ぶ為だと思う。
最長不倒点とは自分固有の位置(自分だけの到達点)ね。
そこは自分だけの何も決まっていない位置の事。
作られた世界から抜け出す事。
>>207 > それは動物行動学的に生得的な欲求
これは自明ではないので、あなたの言葉で説明していただけますか?
欲求というのはどういう仕組みで発生するのですか?
210 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 23:07:46
>>206 そもそも世界の成り行きに意味など無い。
>>206 そういうのは予定説みたいな立場に対してはともかく、決定論一般への反
論としてはズレてると思う。
決定してることと、その決定内容に人間的価値観に合致する意味や目的が
見出せることとは別の問題だろう。
呪文やお題目を唱えたり、写本しているのではダメです。
214 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/30(火) 23:09:10
>>202 >死は特に決定論的
そう、決定してますよ。でも、決定論では死の意味を問えません。
>>206の(A)は決定論で何の意味があるの?
成長も決定されていて到達点も決まっている。
それをわざわざ体験させる意味があるんですか?
ポイントその1
意志や行為の中には、明らかに
「決められたレールの上を走るように、ある一つの
或いは複数の要因の影響を受け機械的に為されるものがある」
ということは万人が認めるようですね。
では、それ以外の場面ではどうなのでしょうか?
恣意的にならざるを得ないのではありませんか?
話題に合わせてコンセンサスを設定しなおす以外にコミュニケーションは不可能では?
216 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/30(火) 23:14:51
>>212 >決定してることと、その決定内容に人間的価値観に合致する意味や目的が
>見出せることとは別の問題だろう。
別じゃないですよ。「現実にあるもの」を「現実を作っているという決定論」が
説明できないって言うのはおかしいですよ。
扱えない。意味が無い。と言うのは、決定論が現実に対して意味が無いという事になる。
>>216 テレビゲームを考えれば分かるのではないか?
テレビゲームのキャラが「これはゲームだ!」と言うことと
ストーリーがどういう関係にあるんだよ?
>>216 物を食べてもまた腹が減るなら、食事は無意味か?
息を吸ってもまた息苦しくなるなら、呼吸は無意味か?
しかしこれらは生理現象で、逆らって生きることはできない。
219 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/30(火) 23:26:34
>>217 TVゲームのキャラはTVゲームを作っていません。
決定論が現実を作っているんですよね。
「全ての」現実を作る以上、個々の現実を説明出来ない訳が無い。
出来ないのなら作っていないと言う証拠ですよ。
>>208 遺伝子に組み込まれた本能的行動、ということだね。コンラッド・ローレンツでも読みたまえ。私の手前味噌を開陳するには及ばない。
>>214 そうだな。相変わらずフェアだねw
221 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 23:30:16
自由意志の感覚を生む部分が実際には何の役にも立っていないなら、
なぜ進化の過程でその部分がなくなってしまわなかったという疑問が出るな。
>決定論が現実を作っているんですよね。
なんでそうなるのか?
223 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 23:31:42
決定論ありきで議論しているんだろ。矛盾からは何でも証明できるから、
本当に決定論を信じていたらそこから何でも証明できる。
決定論は現実を作ってないよ。
ゲームを作ってるのが「これが」
決定論は現実を作ってないよ。
ゲームを作ってるのが「これがゲームだ!」理論ではないのと一緒。
>>193 結果として選択されたものが「最適」だった(サイコロはどこにいった?)のであり、
自由意志で選ばれたのではないということですか?
でもそれは自由意志への反対表明でこそあれ、やっぱり自由意志の否定の理由にはならないのでは?
>>194 こうした例を書いてもらうとわかるが、物と違って、人間って
どんな条件に対しても反対の行動が取れるところがミソだな
まぶしいのでブラインドを下ろす人もいるし、下ろさない人もいる
投げられた物が自分の意志で曲がったりすることはないもんね
>>221 うん、生きて在ることのダイナミクスは決定性を翔び越える、と私は信じている。
しかし決定論への反証は、それだけでは駄目だ。
>>226 > 結果として選択されたものが「最適」だった(サイコロはどこにいった?)のであり、
違う。選択の結果については、この時点では一切を問わない。
判断の瞬間において、その選択が「最適」だったということ、例えば分か
れ道でどの道を選ぶかについて、何にせよその道を選ぶ理由があったとい
うこと。
それはそっちの方が近いとか安全だとかいう合理的な理由かもしれないし、
その時はそういう気分だったとか、迷ったら右を選ぶのがポリシーだとか
いう理由かもしれない。
>>218 拒否していきることはできないけど、逆らって生きることはできる
食欲や呼吸をコントロールする方法がいわゆるヨガとかだからね
そうした生理現象をコントロールしようとするところも人間の特徴だな
>>229 決定論的には、全ての選択が
「そうした理由によって選ばされたものである」
というスタンスなのではなかろうか?
>>230 決定論的には、「このようにコントロールしなければ!」
という思考を導き出させたのは、その人にそれまで積まれてきた数々の情報であって、
「このようにコントロールしなければ!」と思わせる形での影響であった
と主張するのではなかろうか?
これこれの理由・経験・環境からすれば、そのように思考する以外彼にはなかった、と・・・。
>>220 コンラート・ローレンツだって? 時代錯誤もいい加減にしてくれたまえ。
というか、生物学者に対してそういうことを言うかね…
好みはあるが、リチャード・ドーキンス、スティーブン・J・グールド、ジョン・メイナード=スミス、
スチュワート・カウフマン、リチャード・レウォンティンくらい、一度は読んでみな。
233 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/31(水) 00:09:37
>>225 決定論が現実を作っているわけでないのなら、
ある行為をした時に「その行為をした事は決まっていた」という、
決定論の「」内を説明する決定権はどこにあるんですか?
結局は結果論から導かれる予定論(212さんの拝借)っていうのが
私が見る決定論のイメージなんですが。
分かったよ、練馬がどの程度のヤツか。もうあぼーんだ
235 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/31(水) 00:17:01
>>198 >決定論では少なくとも、成長、死、自由意志、を扱えないのだろ。
そうでしょうか?
@「自分の死」だけは「特別」に、他の人間の死と「区別される」(べき)根拠
A「人間の(個体の)死」だけは、他の種の動物の死と「区別される」(べき)根拠
B「死」という状態と「生」という状態とが、『格別』に「区別される」(べき)根拠
・・・
はあるのでしょうか?
「タバコモザイクウィルス」は「結晶」として半永久に保存されますが、何故か
「タバコの葉の上に載せられる」と「タバコモザイク病」を発現するため(?)に、
あたかも「生物」のように『増殖』を始めます。
私は『「ウィルス」(DNAの塊)も生物の一種である』という説に賛同いたします。
>>235 > 私は『「ウィルス」(DNAの塊)も生物の一種である』という説に賛同いたします。
君がいくら賛同しても、生物学者はあんなもの生物とは思っていないよ。
>>232 ドーキンスは機械主義的世界観への逆行だよ。
ロバート・アードレイやアーノルド・ダート並に面白がられるだろうけど。
>>237 ドーキンスにしか反応できないのか?w
あそこに上げた生物学者の主張は様々だよ。
239 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/31(水) 00:24:47
>>236 生物学者が『どう思っている』かどうかは知りません・・・が、
「生物(あるいは生命)」と高分子有機物の「境界線」は、
現在のところ「判然としている」訳ではありません。
・・・逆に言えば「生物か単なる高分子有機物であるか」は、
「言いようである」・・ということです。
「自己増殖機能のあるDNA様の物質」であるウィルスは
「生物である」と言っても「生物でない」と言っても「良い」のです。
要するに「生物と無生物の境界は存在しない」ということが「真理」です。
240 :
212:2005/08/31(水) 00:25:30
>>233 予定説というのは、キリスト教神学絡みでそういう説があるんだ。
俺の造語じゃないよ。
それはそうと、決定論者どうしでも
「その行為をする事は決まっていた」⇒事実的決定論
「その行為をする事は一意に決まる」⇒法則的決定論
という意見の違いがあることは念頭に置いてる?
241 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/31(水) 00:25:32
>>235 区別する必要はありません。
生命一般として何故死ななければならないのか。
何かの意思によって現実が決定されているのなら、
その何かは、必要かつ壊れないものだけを作ってそれらだけで
現実を運営すれば良いと思うんです。
>>232 君は生物学者だったのか。
決定論は支持するかい?
>>239 > 生物学者が『どう思っている』かどうかは知りません・・・が、
なら勉強してくださいよ。
>>242 最近かなり書き込んでいるのだが、どれが私の発言か識別することもできないんだね。
たとえば
>>183が私の発言。
245 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/31(水) 00:28:51
>>240 一意に決まるって言ったって現実の試行回数は一回だけなんだから
決まっていたと言っているのと同じです。
246 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/31(水) 00:32:40
>>243 その言説に「意味がある」とお考えなら、「生物学板」でどうぞ。
ここは「哲学板」であることをお忘れなきよう・・お願いします。
>>246 誤った主張は見過ごすことができないだけですよ。
>>246 このスレの人間は騙せてもね、君の言うことは私はまったく相手にする必要がないと考えているので。
ここにコンラート・ローレンツに言及する人間がいまだに居たとは大笑いさ。
>>244 コテハン付けてくれなきゃ識別は無理だよ。
進化論の解釈については
>>183に同意だけど。
250 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/31(水) 00:38:52
>>247 「誤った」部分と
「誤った」内容と
「誤った理由」
を述べないで「誤っている」と述べることは「哲学板」では、
「幼稚園児の世界」なのです。
>>246 哲学をやるならあらゆる知識を仕入れないとダメだろ。
生命について哲学するなら生物学を勉強しないとダメ。
経済について(以下同様
数学について(ry
252 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/31(水) 00:42:52
>>251 「誤った」部分と
「誤った」内容と
「誤った理由」
を述べないで(指摘することが出来ないで)
『(とにかく)「誤っている」』んだぁ〜〜と述べることは、
「哲学板」では、「幼稚園児の世界」(である筈)です。
253 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/31(水) 00:45:19
>>251 車輪の再発明でも自分で考える事が哲学じゃないんですか?
知識が求められるのでなく知恵が求められるのだと思います。
私は知識も知恵も底が知れてますが。
254 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 00:47:09
哲学板っていうか、自然科学が段々進歩しているのに、
哲学がその中で割りと一貫した主張をしているのが大切なのであって。
その立場からあらゆるものを説明しようとするのが正当な哲学であって
そのためには各分野を勉強する必要があるのであって…
後1万年生きてても多分無理ですよ。
256 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/31(水) 00:49:47
>>253 >自分で考える事が哲学じゃないんですか?
その一言で、あなたを信用してしまいました。
うーむ、この国も捨てたもんではない・・・!
で、本日は就寝させて戴きます。
>>232 生物学者なら職業上の基礎知識なんだから、別にひけらかすことじゃないな。
258 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 00:56:27
>>257 生物学の啓蒙書を書いている人のリストでない?
>>245 持論に固執するあまり、異論の異論なりの筋道に対する考察を放棄してな
いか?
事実的決定論における時間発展は、時空全体に既に配置された図形の時間
軸に沿った断面をトレースしているに過ぎない。それは、そもそも「変化」
ではない。
それに対して、法則的決定論における時間発展はあくまでも「変化」だ。
原因に対する結果、それを原因とする結果、それを原因とする結果、……
の繰り返しが全体として一意になるという主張。
だから、還元主義に対する批判をもって批判できるのは法則的決定論の方
になり、結果論に過ぎないという批判で批判できるのは事実的決定論の方
になる。これを逆にすると、ズレた批判になってしまう。
>>253 はぁ〜哲学が知恵を受け持つんだったら
なおさら知識は各個別学問から仕入れてくればいいじゃなぁ〜い。
テーマによっては必要になってくる知識はあるのではないか?
なんでもありで良いのならご自由にという感じだが・・・
262 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 01:04:16
知識の重みに耐えられる知恵こそ本物の知恵だと思うんだが…
まあいいけどさ。
>>262 データ・ベースの広さとロジックを展開できるセンスは別のものだ。
つまらんことを言っちゃいかんよ。
264 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 01:16:03
>>263 センスとかじゃなくて、より多くの知識を整合性を持って説明できるのがよい哲学なのであって。
ロジックは手段に過ぎないが、もちろん論理学の知識も必要だと思われるよ。
それでレトリック皆無の馬鹿が量産されると。
266 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 01:22:32
レトリックがなってないというのは哲学以前の問題でしょ。
まあいいけどね。みんな会話を楽しんでいるんだから。
287 :8:2005/08/26(金) 21:40:17 ID:g9YrvNNM0
286さん
>(願望の)限界点はどこにあるのか、という事に非常に興味を覚えるのです。
↑ ↑ ↑ ↑
あなたの疑問は、あなたのレスの、これ「願望の限界点は?」なんですね。
ちょっと長くなりますが、聞いてください。
私たちは、心の癖で判断したり、行動してたりすることが多いようです。
例えば、食事をするのは本性ですが、箸や食器がなければならぬと考えるのは癖です。
いや、癖と言うより習慣といったほうがいいかな。
そういう癖や習慣で考え、動いているに過ぎないのです。そして、習慣や癖で動いてい
る方が楽で安心なのです。少々の不満はあってもね。それにしても癖というのは、変な
言い方になってしまいました。癖も習慣も「いったん身についてしまった考え方や行
動」と言うことでは結局は一緒ですが、あえて癖と呼んでしまったのは、私は都合の良
くない癖なら「そんな癖は変えてもいい」と思うからです。「願望は全て叶う。」とい
うののも、私の癖なのかも知れません。あなたが「願望実現には限度がある」という思
いも、癖になっているかも知れません。
この頃は、陸上競技も室内で行われることも多くなったようです。ただ、記録は野外
の方がいいようですね。やはり室内という空間や天井や壁という限度を意識して跳んだ
り走ったりするより、無限の空間に向かってたほうが、高く飛べ、早く走れるのでしょう。
願掛けも一緒です。特に「壁・天井」に似た「限度」を意識するとは願掛けは生き生き
してきません。潜在意識は物理法則が壁になるのか?、物理法則を作っているのか?
※続く
288 :8:2005/08/26(金) 21:41:31 ID:g9YrvNNM0
※さっきの続き
願望の限界点について、仮に私が、「そうです。物理法則外の願いは叶いません。」
と言えば、あなたは安心して、癖を変えることなく、少々の不満はあっても、今まで通
りの願掛けを続けるかもしれません。でも、もっと難しい願掛けに挑戦したくなります。
これは、人の性(さが)です。陸上競技だろうが、テレビゲームだろうが、願掛けだろ
うが一緒です。 これは、286さんの言葉です。↓
【限界点はどこにあるのか、という事に非常に興味を覚えるのです。】
どんどん突き詰めたくなる。さらには超えたくなる。
そうしたら、私がいくら反対しようと、限度を超えて挑戦するのはあなた自身なのです。
それは、こういう意味なのです。
>>251 ↓ ↓ ↓
>小野田氏「嘘だと思ったら、やめなさい。嘘じゃないと思ったらやってみなさい」
>小野田氏「どっちを選ぼうと、誰も止めないし、貴方自身も止めることが出来ないから」
これは、仮の方便として「限度は無限」と思いこむということではありません。
そんな嘘は潜在意識に通じません。「限度は無限」と「刻印」するのです。そうすると、
潜在意識は限度は無限であることを説明してくれるでしょう。
反対に「限度はあるはず」って思いこむと、潜在意識はその意見を支持するようなこと
ばかりを見せてくれます。
※続く
289 :8:2005/08/26(金) 21:43:03 ID:g9YrvNNM0
※さっきの続き
>やはり人間は神が作った(かどうか知りませんが)物理法則という手のひらの上で
>踊っているに過ぎない事は間違いないようです。
その物理法則ですが・・
ボームの模型理論、これはまだ、ほとんど仮説の領域ですが、さらにそれから推論で
きる仮説を何人かの物理学者が立てています。そのなかに究極の最小の「モノ」は「意識」
であるというのがあります。「モノ」を観察する人が、これは「物」だろうと思えば「物」
になり、「無い」と思えば消えてしまうという仮説理論です。一時期、アメリカの「ニュー
エイジ」というオカルト好き達に支持された考えですが、私はあながち間違っている
とも思えません。なぜなら物理法則も潜在意識が支えていると思うからです。
>何事にも常識ってモンがある訳だよ‥」みたいな事を言うオトナに対して、
>子供じみた反発をしているだけなのかも知れませんね。
286さん。でもね、常識という癖をもった大人なんかにならないでくださいよ。
子供じみたものとして捨ててしまったものの中に、無限はなかったですか?
しかし、無限を拾い戻しても、私のように吹聴するのは考え物ですね(^^;)。
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1120178718/l50
>>264 哲学の知識ももちろん必要な知識のひとつだとつけくわえてくれー
"Transzendent"は越権だが"Transzendental"は許されるとかもさー
271 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 01:59:05
本当は経験主義・不可知論が正しくて合理主義・唯物論が間違っているのだ。
しかしそれは知識の重みを加えていかないと理屈だけじゃ分からないのだった。
>>271 唯物論は間違っていないと思います。批判者は唯物論の「物」が何かわかっていないようです。
273 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 02:08:39
名詞や表象のラベリングがつきまとう、それそのもの?物質でなく現象も含む?
274 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 02:14:01
知恵があるやつは、こんなスレに長文書かんわな
なんとなく自由意志についてズレている感じがしたので
「自由意志」というのは
いかなる目的であれ、有無をいわさず必ず精神が追従するような目的はないということ
これが意思の自律であり、自らが自分の精神に規律を課せるということは自由なんだよ
一度した約束を破ることは行動可能にも関わらず
約束を破る行動をしない理由は自らの意思による制約でしかないということ
そして他の利益を無視して約束を守る行動を選ぶ自由があるということ
これが意思の自由ということだよ
目的地に急いでいるにも関わらず、
まったく車が通らない横断歩道の赤信号を無視しないで待つことができる
その選択が可能であること
これが自由だよ
>>273 もちろんあらゆる物理現象も含まれています。
>>275 しかし選択するための評価関数と状態が、選択行為をする前に存在しているので、
自由な感じがしているだけで、他の選択を選ぶということ自体がありえません。
>目的地に急いでいるにも関わらず、
>まったく車が通らない横断歩道の赤信号を無視しないで待つことができる
>その選択が可能であること
>これが自由だよ
ロボットでも出来る程度の自由ですね。選択可能に見えるに過ぎません。
278 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 02:23:55
関数のみなしの挙動は、切り取りの『範囲』に依るよね?結局、観測論になりますか?
>>277 まぁロボットならできるかもしれないね
でもそのロボットは赤信号を無視することはできないんじゃないか?
で、他の生物と比べてみる
例えば、チンパンジーにオナニーを覚えさせると死ぬまでやりつづけて衰弱死してしまうという話がある
これが本当かどうかは知らないが、
人間はオナニーを覚えてもずっとやりつづけはしない
オナニーをしない自由があるんだよ
つまりね、快楽に従わない自由があるということなんだよ
人間の精神は快楽や利益に追従せずに自らが自らの精神を律せるんだよ
これが「自律」であり、教育によって磨かれる人間の文化的な産物のひとつなんだよ
ロボットが与えられた初期命令を書き換える行動ができたらすごいことだと思うよ
もしかしたら将来そういうロボットは可能かもね
280 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 02:30:34
>>275 それは決定論絡みの文脈で与える定義としては抽象的すぎる。
選択による未来の主体的コントロールが自由意志だろう。
>自由な感じがしているだけで、他の選択を選ぶということ自体がありえません。
あー、言い忘れてた
つまりね、次元が違う
283 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 02:31:55
>>279 >でもそのロボットは赤信号を無視することはできないんじゃないか?
なんでやねん
>つまりね、快楽に従わない自由があるということなんだよ
その程度かオレオレは
たぶん自分を客観的に見るの苦手なタイプでしょ?
284 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 02:32:42
ぷ。うまくない例え話をしたがるぴかぁ〜みたいな奴だな
>>279 >でもそのロボットは赤信号を無視することはできないんじゃないか?
できます。
>ロボットが与えられた初期命令を書き換える行動ができたらすごいことだと思うよ
既に出来ています。今時、自己書き換えも出来ないファームウェアなどほとんどないでしょう。
>>280 なるほど、この世界を自らの思うがままに実現させる意思
だから「自由意志」か
そんな王様みたいな意思は存在しなくていいな
>>281 >つまりね、次元が違う
これは仰る通りかもしれません。
決定論は、見かけ上選択の自由や非決定性が見られる次元より、上の次元にあります。
>>283 「赤信号を無視するな」とプログラムされているからさ
プログラムは命令に従うことで作用するからね
複雑なプログラムも単純な命令の複合なんだよ
289 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 02:37:34
>決定論は、見かけ上選択の自由や非決定性が見られる次元より、上の次元にあります。
ほとんど宗教的次元だね。
290 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 02:38:12
ローカルとグローバルでは、どっちがうまく自由意志の決定性を捉えているの?
291 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 02:38:37
いつ働いてるのん?
>>285 >既に出来ています。今時、自己書き換えも出来ないファームウェアなどほとんどないでしょう。
じゃあロボットの自殺とかもあるわけ?
原子力発電所の管理統制プログラムが自殺したら大問題だわな
>>289 どうしてそれが宗教的になるのかわかりませんが、
私は非決定論や選択の自由こそ宗教的だと思います。
非決定論は、見かけ上選択の不自由や決定性が見られる次元より、上の次元にあります。
と返されたらアウトだね
295 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 02:41:32
>>177 >突っ込みどころ満載ですなぁ。
・・・あ・そう・・
>>292 作り方次第ですね。人間でも育て方で、戦闘マシンの工作員にも、ニートにもなりますから。
297 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 02:43:44
>>288 >「赤信号を無視するな」とプログラムされているからさ
勝手にそんなプログラミングしないでくれ
>>294 別にアウトではありません。
世界階層のどこかに決定論の世界が存在すれば、それ以下の階層はすべて決定論的作用に束縛されます。
299 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 02:46:43
>>294 それこそ不可知で無意味でしょう、宇宙の外みたいなもんだ
300 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 02:49:52
>>286 そういうものだよ。
決定論=全知というのと同じくらい短絡的かつ極論でとらえれば、
たしかに自由意志=全能になってしまう。
ふつうはそこまで極論にはしないけど。
>>297 おいおい、
じゃあ「赤信号を無視してでも目的地に最短の方法を選択せよ」と命令して
そのロボットが赤信号を待てるのか?
それができたらすごいことだよ
>>296 人間が育て方を失敗したら畜生や機械同然になることはあるだろう
逆が可能かどうか
言語機能説における高次の機能を機械がどこまで再現できるかはわからないが
具体的な実現可能性を提出することもなく「可能」という言葉を吐かれてもね
>>300 人間は世界と切り離されて存在しているわけではない
人間もまた世界の一部だし、個人の意思もまた世界の一部だ
世界が目まぐるしく変化するということについては誰もが認めることだろう
「このリンゴはその重力によって地面に落ちた」という表現が可能ならば
同じように
「その対象はわたしの意思と行動によってその結果に至った」と表現することも可能であろう
それを「自由意志」と呼ぶか「人間の行動が世界に変化を与えた」と呼ぶかは
呼び方の問題だから好きにすればいい
「人間の意志が世界を変化させることができない」という表現は
「物理法則を含めたこの世界のあらゆるものが世界に影響を与えることができない」という表現と同じことだ
それは人間の意志も物理法則もこの世界のあらゆるものがこの世界の一部であるという以上の内容を何も語っていない
そういう、言葉だけでその内容はほとんど何も語ってない文章は適当にあしらうに限る
303 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 03:57:38
誰もいないのか・・
>>177 >努力する事が決まってるなら、努力しない事も決まってるんですよね。
>未来は変えられないんだから、自分が努力しない役割を持たされたらどうするんですか?
どうするんですか?って聞かれても困るんだけど・・
逆に質問:その役割を持たされてるってどうやって知る事ができるんですか?
>決定論だからといって意思に反しないという事は無い。
>むしろ意思に反して決まっているのだろうと考える。
>なぜ、決定論だと意思に反しないのか。
決定論だと意思に反しないと言った覚えはないんだが・・
非決定で物理法則にしたがわないめちゃくちゃな世界を想像してみてくれ
そこに君の意思は反映されてるかい?君の意思すらなんだか怪しいよ?
>死ぬ事が決まっているとして、死は意思に反していないのか。
死ぬ事はなぜ決まっていると言えるんだろうか、考えてみた?
またここでの意思とは君のその時の状況や思考方法やその時の感情等から
導出される要望ってとこかな?この導出されるってとこに着目してほしい
世界は必ずしも君の要望どうりにはならないのは経験的に知ってるよね?
場合によっては要望に反する結果になる事もあるって事
これは個人的感想だが、決定論が嫌いな人って自分が特別な存在でない事を
受け入れられない人が多いように思う・・ゲーム脳ってやつか?
個人は世界の主役じゃないって事(自分を特別視するのは間違い)
自分が中心ならば、自分を中心に世界を説明できるはずだよね
>>302 >それを「自由意志」と呼ぶか「人間の行動が世界に変化を与えた」と呼ぶかは
同様に、世界の変化が、その人間の意識を変えたと呼んでもいいですね。
>「人間の意志が世界を変化させることができない」という表現は
ちょっと違いますね。
決定論的にあらかじめ決まっている変化を、別のものに変化させることは不可能ということです。
映画の映像は変化していきますが、登場人物が映画の進行を変える事は原理的に不可能です。
>人間の意志も物理法則もこの世界のあらゆるものがこの世界の一部である
そうです。そして完全に束縛しあっています。
>たぶん自分を客観的に見るの苦手なタイプでしょ?
これとSYNの
>どうしてそれが宗教的になるのかわかりませんが、
について
「客観的」と「超越的」を混同しているのだろう
306 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 04:02:23
>>301 >おいおい、
>じゃあ「赤信号を無視してでも目的地に最短の方法を選択せよ」と命令して
>そのロボットが赤信号を待てるのか?
>それができたらすごいことだよ
この程度の事がすごい事だと思うのか??
もっと考えてみろ
>SYN
>決定論的にあらかじめ決まっている変化を、別のものに変化させることは不可能ということです。
「あらかじめ」って表現つかったね?
「あらかじめ」ってどういうこと?
>>306 ロボットの返答次第によってはすごいことだよ
>>309 後から付帯条件をつけてますね。「すごい返答」をすごいというだけでしょう。
>>308 「前もって」ってことだろ
その表現を使用したら「世界が法則に束縛されている」ということになるぜ
313 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 04:09:16
>>309 あなたをオレオレロボ1号と名づけてあげましょう
さあ信号へゴー!
>>310 逆さ
付帯条件をつけているのは常に決定論者だ
「最短の方法を選んだら赤信号を待つのが最善だった」だとすごくない
でもね
人間は馬鹿な行動ができるんだよ
それが人間の特性
ロボットが「命令と関係ないけど待ってみた」と返事したらすごいぜ
噛み砕いて言うと「意思の自律の原理」ってのは、お馬鹿な行為ができるってことだよ
316 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 04:14:34
>>315 そんな事いちいち説明すればするほど哀れになってくるから・・
>>314 >ロボットが「命令と関係ないけど待ってみた」と返事したらすごいぜ
その程度のプログラムなら私でも可能です。
>噛み砕いて言うと「意思の自律の原理」ってのは、お馬鹿な行為ができるってことだよ
森川君をやったことないでしょう?
自由意思を持つということは、自分自身による原因がある「かのように」考えたり、
行動できたりする能力を持つ、ということと同義です。
物質によって人間の思惟過程が決定されているかどうかということとは次元の違う話です。
スレの問題の立て方が最初からずれていると思いますね。
>>316 お馬鹿(非合理的)に見えるだけで実は合理的選択の複合なのだってか
解の出る方程式の複雑な組み合わせでカオスを表現して
「だからカオスはない」と言うことも可能だろう
だが、簡単な方程式でも条件によっては予測不可能な解は生じる
自然世界についてはカオスを含めて説明するという考え方も最近では生じている
>SYN
俺はそのゲームをやったことがないけど
そのプログラムは言語機能説における最高次の機能、議論機能をもってるのか?
322 :
怨霊 ◆evilme7pG2 :2005/08/31(水) 05:11:17
323 :
◆EvilehrjfI :2005/08/31(水) 05:19:40
>>321 物事をロッククライミングに考えるとすると案外世の中は丸いといった幻覚に囚われ本当は直角ではなかろうか
>>323 言うねぇ
今日一番のレスだよ
こういう返事を受けるととてもうれしく思う
結婚してくださいって気分だよ
なるほど、本当は直角かもしれない
だが、それは理性を働かせてない考察ではなかろうか
われわれは理性をその効果がもっとも適切にあらわれる状況において使用するべきではないだろうか
財産目当てで働かない割りに贅沢がしたい香具師は矛盾の源である
色々と問題を解決するにはカラーではなく白黒時代を味あわせる又は思い出させることが肝要である
/⌒ヽ
/ ´,_ゝ`)
プッ | /
.ε= | /| |
// | |
U .U
328 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 10:59:07
>>321 >解の出る方程式の複雑な組み合わせでカオスを表現して
>「だからカオスはない」と言うことも可能だろう
>だが、簡単な方程式でも条件によっては予測不可能な解は生じる
これは、その予測不可能な条件の場合だけ君は自由だって言いたいのかな?
なんだかしょぼい自由なんだね、君の自由は・・
329 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 11:13:52
人には普通に想像されているよりはるかにしょぼい自由しかないという事実があるから、
飛躍して決定論に飛びつく馬鹿が出るのです。
急に腹が痛くなった
うんここいてくる
331 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 12:22:37
>>329 そーじゃなくて、321にそれのどこらへんが自由なんだ?
と皮肉なんだがね・・
そんな事もわからないで文面通りにしか読めずに飛びつく馬鹿も出る事が
わかりました
332 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 12:29:22
予測可能性と自由は何の関係もない。
予測可能であるためには何らかの法則を
必要とする。
その法則を知っているか知らないかとは
関係なく意志の自由は存在する。
333 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 12:34:59
意志の自由が経験的に存在する。そこん所を説明しろやゴルァ
334 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 12:35:07
愛・ダメ人間万博 '05
335 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 12:41:07
>>332 それが一般的にいわれる自由意思というものであり
同時に決定論に含まれるている
そしてなんの不自由も感じる必要はない
地球は回っている事を知る前と知った後で何か違いがあるのかと言うことだ
336 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 12:44:58
>>335 決まってたら自由に感じる訳がないだろボケ
337 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 12:45:29
>>335 >同時に決定論に含まれるている
決定論と自由意志は関係ない。
決定論を信じなくても意思の自由は存在する。
>>331 次元が違うぜ
いいかげんに「自由」についての馬鹿な議論に終止符を打とうぜ
なんでこうも事実と価値の区別がつかない馬鹿ばっかりなんだ?
>>336 自由に感じることが決まってただけなのです
哲学においては解ではなく問題の建て方の方が重要
何が問題となってるかを把握することで無用な言葉の混乱を避けることも哲学のひとつ
ま、決定論者が何を言おうと
俺がどのような価値を選択するかは自由だよ
341 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 13:16:34
>自由に感じることが決まってただけなのです
この命題が既に矛盾を含んでいるだろ。矛盾からあらゆる事が証明できるから、
この命題を真とする論証体系を構築することは可能だ。証明過程は全て真だ。
それでもそんな論証体系には価値が無い。形而上学を完成させただけだろボケ。
>>341 一応言っとくと、その文章は全然矛盾してないぜ
343 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 13:32:21
>>342 おまえが、決定論を支持してないのに二股膏薬で中途半端な事ばかり言うからかえって事体を紛糾させるんだよ。蝙蝠野郎。
>>340 どのような価値を選択するかも決まっていますけどね。
事実と価値の分離があるかどうかは未解決の哲学的問題だろ。
一元論の立場からは当然認められないんだが。
いや一元論からでも認められるけど、一言みたいに
「価値は存在の一種だ」ということになるわけで。
>>349 存在ではなくて「現象」の方がいいと思います。
あと事実⊃価値も現象⊃価値に訂正します。
あとオレオレさんと私の見解は途中まで同一なようです。
分岐点は「事実と価値を分離させるとなんでもありになる
のではないか?」という問いに対して「そう。何でもあり
だ。」と答える(私)か否かです。
351 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 14:48:12
混乱してるな。概念だけからなる論証体系(形而上学)は、「事実」、「価値」、「現象」のどれに含まれてどれに含まれないのよ?
◆まぶしいのでブラインドを下ろす。
→光(まぶしさ)を受けて行動しているので自由じゃない。
まぶしさを避けたいという思いが行動させているので自由意志。
→まぶしさの感受は自発的事象ではなく外的強制因子なので自由じゃない。
その因子を避ける・除くための行動がとれるのだから自由。
→その行動は、まぶしさを避けなければならない事情が
既に因子として当人に積まれていたことによるので自由じゃない。
様々因子はあるだろうが、その影響を受け止め・把握し・検討し・行動に移しているのだから自由。
→そうした様々な因子が、その人に検討を迫るような事柄であり
その因子の存在がその人を行動させているのだから自由じゃない。
◆悲しい映画を見て、その後恋人に電話をした。
→その映画の悲しさが寂しさを生じさせて、電話をかけさせたので自由じゃない。
寂しさを感じて、その感情をどう処理すべきか検討した結果恋人への電話を選んだので自由。
→感じられた寂しさが、人とのコミュニケーションを誘う種類のものであり、
その寂しさは人とのコミュニケーションによって癒されるものであるという
情報(伝聞・過去の経験(≒刷り込み))が電話をさせたので自由じゃない。
>>352 まぶしいからと言ってブラインドを下ろす以外にも無数の選択肢が残されている。
まぶしいというのは、無数の選択肢のうちのごく一部を選択不能にするに過ぎない。
>>354 選択肢はあるように見えるだけで、実際にはない。
>>355 当の本人にとって選択肢があると感じられるのであれば、選択肢はある。
357 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 18:15:14
選択肢の問題ではないんだが・・・(^^;)
選択肢があることが自由意志を発揮できる状態なのであるから、
選択肢はきわめて重要な問題。
「選択肢があるかどうか」を立証するには
「そのとき別の行動を取ることも可能だったか否か」を検証しなければならない。
しかし、これは立証も反証も不可能。
だから所詮は水掛け論さ。それ以外に、どんな結論が有り得るのか。
それから、決定論の問題と「事実と価値」の問題と、一体全体
何の関係があるのか、誰かわかりやすく説明してくれ。
アドベンチャーゲームの全選択肢の構造はあらかじめ決まっているとしても、
その中を冒険する個人は「1回限りの生を生きる」のであり、全選択肢の構造を
知ることは原理的に不可能。であれば、全選択肢の構造は決定していると
述べるのは無意味。
∧_∧ あっそ、つまんね、はい次
( ´Α`)y─┛~~
〜( )
仮に各選択がどのように行われるかも決まっているとしても、我々は
一回限りの生を生きるのであり、一度選択したことをその時点に戻って
選択し直すことはできない以上、どちらを選択するかが決まっているか
どうかを検証することは原理的に不可能。であれば、なにを選択するかは
決まっていると述べるのも無意味。
意味のない断言に惑わされてはならない。
363 :
考える名無しさん:2005/08/31(水) 18:39:51
選択肢があり自由意志はあるが、宇宙全体の構造は決定論的で決まっている、という主張はありうる。
しかし宇宙全体というのがそもそも矛盾を含んでいる。宇宙は無限だが、全体と言うからにはそれは有限だからだ。
そういう議論を踏まえてポパーは「開かれた宇宙」という主張をして決定論を退けたのだ。
宇宙全体という概念を含む論証体系は、概念上の物でしかありえず実際の宇宙の性質を何ら証明するものではない。
自然数の全体、という概念を含む論証体系である数学が、それ自身では自然の性質を何ら証明できないことと同じだ。
ある行為がなされる。自由だ。
→その行為は、ある(幾つかの)条件から導き出される行為なので自由じゃない。
いくつかある影響(条件)を比較検討し選択している(導き出している)のだから自由。
→過去その人の中に積まれた情報がその行為を選ばせているのだから自由じゃない。
情報の比較検討や取捨選択は自ら判断しているのだから自由だ。
→そうした検討や吟味も、過去の情報の蓄積がもとになっており、
その時の条件下に於いてはそれ以外の選択へのベクトルを
持ち得なかったにすぎないから自由じゃない。
比較検討や吟味が、そもそも自由な行為ではないのか。
→そうした判断の基準や、選択が行われる時点での種々のプレッシャー(影響力)は
既に当人の内に積まれたものであり、その影響下においての選択であり、
それは、過去の情報や影響力によって選ばされていると見なければならない。
その行為が選択された時には、その選択へ思考が向かう形で
種々の影響があったに過ぎない。 そこに自由な選択はない。
以下、顕微鏡のようにどんどん細かく分析を続けながら言い合いをし、
最後は・・・ どうなるんだろう? (´・ω・`)
>>362にほぼ同意
その「一回限りの生」というのが問題だよな。
決定論の根拠の一つに「世界は物理法則に支配されている」という
のがあるが、「法則性」というのは要するに「同じことが繰り返す」
ということだから、一回だけしか起こらないことに法則性がある
というのは、本当は矛盾だよ。
「歴史の法則性」と称する理論が結局は単なるイデオロギーで
しかないのが、その証拠。
>>365 これは人間が特別だと思うことから出てくる錯覚。一回限りの生とは、
個人の話であり、地球上には60億もの人間が生まれ、死ぬという現象が
起こっている。それらはすべて物理法則に従って生起しているのであり、
そこに特別な生があるわけではない。
>>366 錯覚だってよ プッ
錯覚だの幻覚だの言い出したら、哲学する意味ないじゃん
お前、日本語読めないらしいな
「人間を特別と思うこと」が、錯覚ってことだ。
そんなこともわからんようでは、哲学板に来る資格なし
369 :
考える名無しさん:2005/09/01(木) 17:15:43
>>368 特別なのではなく、個別なのだよw
誰一人として同じ人間はいない。同じ死はない。
>>365は、単にその個別性を述べているだけではないかな。
誰一人として同じ人間がいない差別があるからこそ、全ての人間は平等なのだよ。
ま、これは余談だが・・(^^;)
>>366は、小泉の「痛み」という発言に疑問すら持たず、「兵士は使い捨て」という考えの持ち主なのだろう。
多数決の民主主義としては当然かもしれないが・・・
これも余談だな・・w
>>369 366と368は同じ、俺なのだが、どうも論点がズレてるな。
>>367には、一回限りの生であるから、法則性が適応されない
というようなことが書かれているが、それは違うだろうということ。
個別性を考慮していては、生物学は成り立たないだろうし、
哲学だって成り立たない。
民主主義は権力を国民が監視する制度だよw
哲学よりとっつきやすい政治がダメと言う事は、哲学もむずかしいと思われるよ。
373 :
369:2005/09/01(木) 17:54:25
>>370 了解。
ただ、
>>365は、既に何度も出てきている
「厳密な意味で(究極まで突き詰めると)、同じ事象は存在しないのだから
実験や法則って間違ってるかもしれないね」という部分を指したレスじゃないかな?
99回目までは規則性があった。が、100回目で(100回目以降に)全く違う現象が起きるかも・・・というw
違ってたらごめん。>365
ま、そんなこと言ってたら何の進歩もないだろうから、見做しでいかざるを得ないのだろう。
374 :
369:2005/09/01(木) 17:56:06
そうか・・
じゃ、民主主義という言葉を抜きます。 m(_ _)m
>>366 そもそも「人間」というのは「概念」であって「事実」ではない、
ということだろ。「生まれる」も「死ぬ」も、「概念」であって
「事実」ではない。
現実に存在するのはすべて異なる個別の何かであって、
現実に生起するのもすべて異なる個別の事象。
それを一くくりにして「人間」とか「生まれる」とか「死ぬ」とか
呼んでいるのは、いわば「言語的世界把握」の都合に過ぎない。
物理学も所詮は「言語的世界把握」の一体系。
このへんを突っ込んでいくと中世の普遍論争みたいになると思うが、
むしろ普遍を肯定する実念論は観念論的で、普遍の実在を否定して
「実在するのは個物のみ」とする唯名論の方が、近代の唯物論の
立場に近いはずなのに、物理学主義ではそれが逆転してしまう。
そこが不思議。
>>375 正直、概念であって、事実でないと言う意味がわからん。
事実としての人間が存在するから、人間という概念が生じるのでは?
「人間を特別と思うこと」が錯覚と思う錯覚をしている
380 :
楽餓鬼 ◆EvilehrjfI :2005/09/01(木) 20:29:57
381 :
偶因論 ◆dIcXXXXlPE :2005/09/01(木) 20:34:07
神経細胞を模ったコンピューターであっても本物には歯が立たないでしょう
【 html化されたこのスレを読んでいるお前へ 】
おい、お前。そう、お前だよ。
どうだ、このスレつまらんだろ。
でもな、お前はこのスレを読むだけで、参加することはできねーんだよ。
可愛そうにな、プププ。
俺は今、ライブでこのスレに参加してる。
マジつまらんよ。
384 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/01(木) 23:01:22
久しぶりに、のぞいてみたけど
みんな、まだおんなじ事やってるんだな・・・
385 :
V2 ◆qIpDrzzZO2 :2005/09/01(木) 23:01:23
386 :
考える名無しさん:2005/09/01(木) 23:04:17
>>383 つまらんのに書き込まずにはいられんとは、
可哀相な奴。(ちなみに、可愛そうじゃないからね)
>>384名無しで毎日来て荒らしてたじゃねーかwwwwww
389 :
美味「ミ゛」 ◆KAELOWEE56 :2005/09/01(木) 23:20:26
なんていうかみ゛って感じだな
390 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/01(木) 23:20:52
>>375 >このへんを突っ込んでいくと中世の普遍論争みたいになると思うが、
>むしろ普遍を肯定する実念論は観念論的で、普遍の実在を否定して
>「実在するのは個物のみ」とする唯名論の方が、近代の唯物論の
>立場に近いはずなのに
そちら(中世の神学論争の方が好みである)方が「不思議」です。
(少なくとも)この「最近50年」の理論物理学の進展
@極微の世界(量子力学)
A宇宙論(相対論+量子力学)
B分子生物学
C大脳生理学
の「端くれ」の知識があれば、今どき「カントの物自体がどうのこうの」
とか、フッサールの「超越的自我がどうのこうの」とか言い続けることの
「あほくささ」の片鱗でも「気づく」事が出来る(筈)なのですが・・
391 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/09/01(木) 23:23:42
>>390 なら、この世界がボクの妄想でないことを証明しれ!
392 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/01(木) 23:26:45
>>391 神学的証明・・は全く無意味です。
そもそも、その「無意味さ」に気づかない方には、(科学的)
「証明をする意味がない」・・ということです。
393 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/09/01(木) 23:31:36
394 :
考える名無しさん:2005/09/01(木) 23:32:41
395 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/09/01(木) 23:33:38
「一度でいいから見てみたい。「機械」が証明してるとこ。」
ぴか丸で〜す!
397 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/01(木) 23:36:14
>>393 沈黙する・・・というよりか・・むしろ「就寝」させて戴きます。
>>395 昔の「ぴかぁ〜」さんと同一人物なのですか????
・・・ともかく「あほらしい」ので・・・・すみません。
399 :
考える名無しさん:2005/09/01(木) 23:39:14
機械論的世界観の基礎は「質点の力学」なんだが、
「質点」は抽象的観念であって実在するものではないね。
┣ひきこもり┛ドロドロ お茶持って来い┳価値が下がる お茶持って来る┛
┣┛┗━━━┛┗━━━━━━┓ 実力はある┳価値が上がる┛
┣安定を求める━普通になる ┃ 無理がある
┣最初から普通━━まだ甘えられる ━━やばくなる━安定を求める━普通になる
┠学生が雪崩れ込み介入する┐┗┯━━━┯┛
├埋め合わせ┬行き場を失ったエネルギー └∞┐
└面食らう妙な静けさ 甘え続けられる └面食らう妙な間誤付き
適当にじりつさせる┼親がはやくじりつさせようとしている
全体パワー不足┴矛盾
自律神経失調症┘
401 :
考える名無しさん:2005/09/01(木) 23:43:10
>>395 数学の自動証明をするプログラムと言うのがあるよ。
402 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/09/01(木) 23:43:35
まだまだこれからだぞおまえら
/ ̄ ̄^ヽ /::.__ .::::::::::::: __ ヽ_
l l / / ヽ_ヽv /: / ヽ ヽ
_ /,--、l ノ /  ̄ ̄ √___丶 ̄ ̄ |
,--、_ノ:: `ー':: 、ミー---‐,,l | // tーーー|ヽ |
,/ ::: i ̄ ̄ | | ..: | |ヽ |
/ l::: l::: l | | |⊂ニヽ| | |
l . l !:: |::: l | | | |:::T::::| ! |
| l l |:: l: l \: ト--^^^^^┤ 丿
| l . } l:::::,r----- l \::  ̄ ̄^ヽ 丿
ヽ :l:::: ト:;;;;;;;/-/__........... /
>>359 >それから、決定論の問題と「事実と価値」の問題と、一体全体
>何の関係があるのか、誰かわかりやすく説明してくれ。
ここの決定論者はすぐに「自由」という言葉を否定したがる
論証の内容とか無視して、事実と価値の垣根を無視した問答に俺がぶちきれただけ
カントを例にすると、
「人間の行動の自由」はまず先に価値自由があってそこから要請されるものだ
ところがその意思の自律における価値自由すら決定論者が「事実として自由でない」と否定するから
事実と価値の区別もついてない馬鹿問答ということ
決定論は「過去から未来を導き出せる」という考え方だが
これがその主張を超えて、「事実から価値を導き出せる」とか
いくつかの倫理についての主張もしてしまうあたりがどうしようもない
そのくせ「倫理学を否定してない」などとのたまう
自分たちが何を言ってるのか理解してないんだよ
その証拠に「宇宙が法則に支配されているか」という問題については誰もついてこないのに
いざ「自由」という言葉が出ると意気揚揚として自由を否定する
その「自由」という言葉がどのような意味で使用されているかに関係なくね
ほんとにどうしようもないよ
>>404 自由を否定することに意義があると彼らは思っている。
自由は幻想なのだという観念が出発点。
自由という幻想に縛られているのはアホで
それを知ってる自分たちは偉いというわけだw
407 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/02(金) 00:25:32
>>405 自分の「自由(感)」が「海老・蛸」の「自由(感)」より「高等・高度」
だと思いきっている「人間至上主義者」(要は「基督教的世界観」)にとって、
「あなた方神に選ばれた種族=人類」が「自分は偉い」と思うのは勝手です。
でも実は「科学の客観的観測」によると「偉いと思うことに固執して滅びた哺乳類」
・・・という分類が、未来史を鳥瞰する上で「人類には相応しい」のかもしれません。
>誰一人として同じ人間がいない差別があるからこそ、全ての人間は平等なのだよ。
>ま、これは余談だが・・(^^;)
「法則」というのは法則内のものを個別的な理由をもって差別しないということの"アラワレ"でしかないんだよな
このことは法学における法律だろうが科学における法則だろうが変わらない
・ここからは機械君へのグチ
こういう認識の仕組みはカントを学ぶことで触れることはあっても物理学じゃ無理だろ
自然哲学の基礎付けを試みたカントを自然科学の発展からすれば時代遅れなんて言えるはずがない
機械はカントを読んだことすらないし、読んだこともないのに時代遅れなどと言えるとは侮辱も甚だしい
だいたい自然科学者ですら「古すぎてまともに相手にする必要のない理論なんてない」ということは分かっている
例えばケプラーも自然科学における斬新な仮説も古代ギリシャにおいてそういう発想があったことを例に出しているし
影響を受けたり自分の理論に自信もつ根拠になったりしている
似非哲学フェチの群れ愛
>>407 だから、そう思っている自分は偉いというわけだw
411 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/02(金) 00:35:44
>>410 (ご希望通り)あなたの方が「偉い」(に違いない)と思いますよ。
私は「真理に誠実な一市民」にすぎませんから。
412 :
考える名無しさん:2005/09/02(金) 00:35:58
機械論者の真理(感)は海老、蛸程度なのだ。
413 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/09/02(金) 00:37:47
>>408 >機械はカントを読んだことすらないし、読んだこともないのに時代遅れなどと言えるとは侮辱も甚だしい
機械はカントを読んだことがない、ンじゃないんだよ。
機械は何も読んだことがないんだ。
414 :
考える名無しさん:2005/09/02(金) 00:37:55
で、この世界が決定論的だと理論的にどんなメリットがあるの?
>>411 では何でそんなにエラソーなの?
他人を見下す態度が見え見えなのでw
一市民の態度としてはとても尊大に見えますが、誤解ですか?、
416 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/02(金) 00:41:29
>>412 「犬・猫程度」になると、そこらのホモサピエンスより「上」の
「個体」は結構多いです。・・・なかなか「色々な事情」で、
「A氏はB犬より『害悪をばらまく存在である』・・という「真理」を
公言することは難しい場合がありますが・・「真理は真摯」・・です。
>>416 自分が真理とともにあるという「確信」が他人を見下させるわけですね。
そんな「真理」は要りませんw
418 :
考える名無しさん:2005/09/02(金) 00:47:10
機械論者の基本的な間違いは、ワラ人形(モデル)と人間(実際)を混同している
ことだな。
419 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/02(金) 00:48:48
>>415 >一市民の態度としてはとても尊大に見えますが、誤解ですか?
なるほど。選挙運動の「握手作戦」の延長線上ですね。
「哲学」は「間違いは間違い」「土塊は誤解」「勘違いは勘違い」
ということを明確にすることが「非情に重要」なので、
「政治的(だらない3流のコピーライティング)」とは、
明らかに「一線を画し」ます。
「哲学」のめざす「ゴール」は「最終真理」ですので、「馬鹿は馬鹿」
・・・「勘違いを繰り返す性癖のある『修正できない人格』・・には「馬鹿」
と・・言う称号(を進呈すること)で「学問の効率化」を計ります。
その「動機」は「自尊心」などという「軽薄な精神」ではありません。
420 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/09/02(金) 00:51:36
> 「哲学」のめざす「ゴール」は「最終真理」ですので、「馬鹿は馬鹿」
>・・・「勘違いを繰り返す性癖のある『修正できない人格』・・には「馬鹿」
>と・・言う称号(を進呈すること)で「学問の効率化」を計ります。
うん。たまにはいいことをいう。
おまえは馬鹿だ。
後に考えられたものが真理であるということですか?
馬鹿を馬鹿と断定するのが哲学ですか。そんな哲学は要りませんw
_,,..,,,,_
/ ,' 3 `ヽーっ
l ⊃ ⌒_つ =3 プッ
`'ー---‐'''''"
424 :
考える名無しさん:2005/09/02(金) 01:03:22
「お前はそれをはじめに言い出すものの利益を知っている。
はじめに言い出したもの、あるいはもっとも強い情熱を
もって言い出した者だけが、人々の熱狂が生み出す果実を
独占できるという事を知っている。」
「理想」、「主義」、「信念」を率先した者だけが、
自らの「自我」をそれらと同一化することができる。
彼は自分の「自我」をその内に投げ入れる代わりに、
「偉大」、「不滅」、「永遠」、「至高」の観念と
自分自身を結びつけようとする。彼は「真理」や「正義」のみを愛する。
そのことでじつは彼は実存のみを愛する。
馬鹿とは哲学の始まりであり終焉である
馬鹿に始まり、馬鹿で終わる
己を馬鹿だと言い切れる者こそ哲学者の名にふさわしい
426 :
考える名無しさん:2005/09/02(金) 01:07:32
つまり「馬鹿」=「馬鹿」、が哲学の最高の真理を現わすている。
>>426 トートロジ・・・それは哲学を極めた者が行き着く処
まるでガキの喧嘩だな
語りえないものについては沈黙しなければならない
_,,..,,,,_
./ ,' 3 `ヽーっ
l ⊃ ⌒_つ
`'ー---‐'''''"
430 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/02(金) 01:32:21
>>388 ほお
あれから毎日、私の亡霊に翻弄されてる人がいたとは
気の毒にも思うが
なんとなく、嬉しくもあるなw
>>430 お蔭様で、毎日が水道の蛇口から滴り落ちる雫を数えている生活だ
432 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/02(金) 01:43:15
>機械君の文章より
>自分の「自由(感)」が「海老・蛸」の「自由(感)」より「高等・高度」
>だと思いきっている「人間至上主義者」(要は「基督教的世界観」)にとって、
>「あなた方神に選ばれた種族=人類」が「自分は偉い」と思うのは勝手です。
ちょっと待てよ
生物の行動には、走性、反射、本能、学習、知能がある
ゾウリムシには走性に反して行動する自由はない
では人間はどうだ
走性、反射、本能に反して行動することができる
学習を無視して行動してはいけない理由はない
それどころが「何を目的とすべきか」という問いには未だ答えが出ない
多くの宗教団体が目的を掲げようとそのどれが正しいかは判断できない
(もしかしたらどれも正しくないのかもしれない)
人間は本当にゾウリムシと同程度の自由感なのだろうか
サルトルは「人間は自由の刑に処せられている」と言ったが
435 :
考える名無しさん:2005/09/02(金) 02:29:13
決定論という真理から必然的に倫理の否定が導出されるんだろ。
なんならお前、倫理の否定から決定論を導出してみろ
436 :
& ◆RWwNEVt54c :2005/09/02(金) 02:30:36
決定論はペシミズムの一種だから・・・
>>435 倫理の肯定から非決定論を主張するのはザラなんだが
>>433 > ゾウリムシには走性に反して行動する自由はない
では、まったく恒常な環境においてはゾウリムシは細胞内小器官を含む
全ての構造物が活動を停止するか? そんなことはないだろう。つまり、
走性を引き起こす刺激に反応する、という考え方が誤っているということ。
そうではなく、生物はもともと自発的に活動を継続できる性質(それは
酵素蛋白の環状連鎖反応によって保証されている)を持ち、走性を
引き起こす刺激は、その性質に対して擾乱を加える、と考えた方が
いいんだよ。
>>438 レス感謝
なるほど、そうすると人間が麻薬を欲しながら「これは自分の意志で欲している」と言うように
ゾウリムシの走性にも自由感を見出す解釈は可能だということですね
すると自由については価値問題から攻めるしかないのかな
「自由」とは少し話がズレるけど、
生物学者のジョン・エクルズは汎心論の可能性を説いてた
もちろんこれは人間と同じレベルの精神が他の生物や物質にもあることを意味してない
物質が単純な原子の組み合わせから複雑な混合物になるにつれて多くの性質を持つように
単純な物質にもアニマ的な極めて低次な精神の状態が存在する
それが生物としてさらに高次になり、人間の脳のように複雑になることで自我のレベルが形成されるという考えだ
この自我の特徴はやはり言語にあると言えるだろう
ミツバチのダンス言語が本能による行動であり高次な精神を有していないと考える根拠として
ミツバチが意図的に嘘をつけないということが挙げられている
人間の操作により誤った情報を与えて間違えたダンス言語を行うことはある
しかしミツバチが意図的に嘘をつくことができないということが人間の精神と区別される理由付けになっている
でだ、人間だけの特別な自由なんてのは「嘘をつく自由」とか「言葉の迷路にはまる自由」なのかもしれんな
単にこれを言ってみたかっただけなんだが
440 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/02(金) 08:42:42
ゾウリムシに自由意志があるか無いかって??
同じ人間である他人の事もわからないのに
なんでゾウリムシの事がわかるんだよw
他については、どこまで行ってもわかる道理がないの
唯一、可能性があるのは自分の事だ
何度も言うように、自分をサンプルにして深く考察しないと
キミ達は永遠に、この問題から卒業できないよ?
あと、倫理の肯定とか否定とか
どっちでもいいのよ
倫理ってのは、人間の無形なる価値観だ
すなわち主観性によるもの
この主観性は、『私』という存在性につながっている
真理の根本は、存在性なのよ
物理現象じゃない
唯物論てのは結局、物理学の域を出ないレベルの事なんだよ
この宇宙の存在性という根本真理については、全くの無力
次元の低い、前時代的な思想なんだ
それで全てが語りえると、真剣に考えているんだからね
ホントわけがわからんよ
まぁキミ達に、いくら説明しても理解できない事はわかっているんだけどね
>>440 自分のことだって分かるかどうか分らないぜ
問題の建て方は千差万別
自分の関心を他人に押し付けることなかれ
しかしまぁ機械君も最高位もなんで道徳を主観的なものと考えるのだろうか
(ちょっとしたグチだ、気にするな)
道徳は主観的なものでしょうよ。主観は客観的なものかもしれんが。
道徳は精神の一部であって、精神は客観的なものかもしれん、ということだが。
ヘーゲルなんて客観どころか「絶対精神」とかいうよね。
443 :
考える名無しさん:2005/09/02(金) 09:16:45
>>442 「精神」って普通そういう意味で使うか?「絶対精神」とか「一般意思」とかいうのは
人の集団を抽象化したから出てくるもので、主観じゃないでしょ。せいぜい間主観。
445 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/09/02(金) 20:23:24
獣医師は錯覚です。
446 :
THE グル :2005/09/02(金) 23:29:41
>>57 いいですか、
>「そんな次元ではない」という返答は正しいとしても良くないと思うのです
とおっしゃっておられますが、この発言には理由がありまして、
最近頓(とみ)に哲板のレベルが下がってきているように感じましたので、
また、以前のように少々挑発的に啓発しながらそうした無知や蒙昧を退ける形のスタイルに戻し、
より知的な議論にしてゆこうとする意図によるものなんです。
即ち、本論と外れたところで議論をしたり、
趣旨を見失って目的を失った議論を展開させたりすることは徒労でしかないということなんです。
それから、
>人間の意志が完全に自発的なものでなく多くの外的要因によって影響を受けること
>また、人間の行動が物理法則を破ることはできないことは問題ないと思うのです
>このスレで言われていることは人間の意志が物理法則に従っているのかどうかなのです 云々。
と言われておられますがこれは大きな錯誤なんです。
といいますのも、まずこのスレを立てられた方の文章から忖度しますに、
この問題の焦点は量子論に趣旨を置いて語るものではなく、
「脳」つまり私たちの意志をして認識為し得る事柄は、
外界に存在する法則に依って規定され、そこに従うかという過去何度も問われた問題提起に過ぎません。
また、あなたが奇しくも挙げておられる懐疑論者でもあるダランベールは、
その実、認識は現象相互間の関係に限られるものであり、
その原因や実体は不可認識的なものであるとしております。
そして、こうした一切の認識は「感覚」に帰し、
思惟は感覚内容の結合に過ぎないとし「感覚」に問題を帰しております。
ですから、
>これに対して自由意志をもって反論することは問題がズレているのではないでしょうか?
ということにはならないんです。
ちなみに、彼の言う力学はその後のいわゆる19世紀の「力学批判」期に、
ことごとく概念のあいまいさを指摘されることになるんです。
まあ、量子論についての言及があちらこちらで見受けられますが、
それ自体が水掛け論的なものであり、
自己励起機構の渦の中に身を投じることでしかないんです。
どうかしましたか?
447 :
THE グル :2005/09/02(金) 23:32:34
>>58 いいですか、
そうですか、
では、
暇な折にそちらのスレに寄ってみるんです。
どうかしましたか?
>主観は客観的なものかもしれんが。
????
>>440 ありゃ、最高位。引退したのかと思って改名しちゃいましたよ。w
(元ネタがわかんなくなっちゃうし)
450 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/03(土) 01:18:18
>>441 >しかしまぁ機械君も最高位もなんで道徳を主観的なものと考えるのだろうか
では「道徳」が客観的なモノであるという根拠は、どこかの宗教書以外にあるのでしょうか?
そもそも「汝殺すなかれ」は、基督教の基本的教義ですが、「例外」が一杯ありすぎて、
「意味ありません」の世界です。
むしろ「日本国威憲法第9条」は、「前項の規定を達成するため・・・」という高邁な「理想主義」
で、「他国に攻められても応戦しません」という「右の頬を撲たれたら左の頬を差し出す」
・・という馬鹿げた基督教理想主義をアメリカという基督教を国教とする国が「試しに押し付けてみた」
結果です。・・・むろん「馬鹿げた理想主義」を無視する「北某国」が攻め込んできたときに、
憲法がどうのこうの・・とか、自衛隊法で与えられた権限ではどうのこうの・・・と言っている間に、
「通常兵器」で首都は陥落してしまいます。
・・・そうならない為には「非核3原則」に反しているけれど、「核を持った米軍」を、
「核を持っていない米軍」として、受け入れざるを得ない・・・という「茶番劇」が生じるのです。
>>446 >この問題の焦点は量子論に趣旨を置いて語るものではなく、
>「脳」つまり私たちの意志をして認識為し得る事柄は、
>外界に存在する法則に依って規定され、そこに従うか
>という過去何度も問われた問題提起に過ぎません。
いいですか、グルさんの言うことは尤もな話なんですが、
「対象化される存在=客観」については量子論だのニューロンだのと
みんなで議論することができますが、
「対象化する存在=主観=形而上学」についてそれとして語ることは必然的に、
独我論的な風味を帯びることになって、議論が成り立たない訳なんですよ。
まあ、このスレの非決定論者には、自分の立場が「人間」を
「対象化する存在」なのか「対象化される存在」なのか、
どちらに徹底して置くかすら自覚できていない手合いもいて、
それはそれで問題なんですね。
独我論的な風味と独我論は違うわな。独我論的な風味、なんて妙な言い方をするなら
形而上学とはっきり言ったほうがよい。
それで、独我論=形而上学と短絡する輩はシカトしときゃあいい。
453 :
THE グル :2005/09/03(土) 02:08:15
>>451 いいですか、
>「対象化される存在=客観」については量子論だのニューロンだのと
>みんなで議論することができますが、
>「対象化する存在=主観=形而上学」についてそれとして語ることは必然的に、
>独我論的な風味を帯びることになって、議論が成り立たない訳なんですよ。
とおっしゃっておられますが、
それは大きな間違いなんです。
前のスレで、
如何にこの問題が客観化されて来たかという変遷を書いたので、
このことについては、
それをお読みになっていただければ、
決して独我論ではないことが分かるはずですが、
むしろ、
量子論を議論といっても、
ここで為されているのは世界解釈に終始するだけで、
その実、意味があるようには見えませんし、
また両世界解釈間の間で明確な定義が出来ていない以上、
独我論的な解釈に陥るのが落ちなんです。
また、
あなたが、
後半四行でおっしゃっておられるような事柄につきましては、
全く同意なんです。
どうかしましたか?
>>446 スレタイの趣旨は、脳の唯物性を根拠にして意識や意志の唯物的決定性を主張するものだと思うのだが。
量子論に言及せざるを得ないでしょう。
455 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/03(土) 02:22:53
>>449 おう!ケツ君w
疲れて飽きて、引退していたよ
これからはまた、たま〜に覗くかもねw
>>441 オレオレ君
ちゃんとよく読まなきゃね
国語は難しいよw特に議論は、まず相手の言葉を理解しなきゃね
趣旨は、自由意志という事を考える場合
精神について深く分析しなきゃならん
精神とは自我という「存在性」を土台としている
または、その活動であって、単なる現象ではない
主観性そのもの
他我の主観性については、どこまで行ってもわからない という結論なんだよ
唯一、主観性について認識できるのは、自らの主観性についてのみ
しかしキミ達は、他我についてのみ分析しようとし、そこから結論を得ようとしている
それでは、何を分析しようが
どこまで行っても無理だよと言っているわけ
倫理道徳については、これについて絶対的な結論があるのならば
それに無条件に従っているのではない人間には、すでに自由意志がある という結論とならざるを得ないが
しかし
倫理道徳というものには、絶対的な答えはなく
人間の価値観、観念によるものである という見方が大方であろう
結局、この価値観、観念、精神などというものについての結論を導かない限り
議論は行き詰ってしまうんだよ
だから私は先回りして、もっと本質的かつ根本的な話をしているのですよ
456 :
THE グル :2005/09/03(土) 02:29:27
>>454 いいですか、
おっしゃっておられることが無茶苦茶ですね。
なぜ、
脳の唯物性とやらを根拠にして、
意識や意志の唯物的決定性とやらを主張することが、
量子論の言及を必要とするんですかね?
また、
これに依って何がしたいのかも不明ですね。
どうかしましたか?
>>456 > いいですか、
>・・・
> どうかしましたか?
グルさんはこのレトリックをやめませんか? まともに相手する気が失せるんだけど…
>>439 オレオレ詐欺さんは、生物学・医学関係の知識の解釈がねじ曲がっているんだよね。
いったいどんな本を読んできたのか知らないけれど…。カッパブックスとかばかり読んで
きたんじゃないの?
> 生物学者のジョン・エクルズは汎心論の可能性を説いてた
エクルズは生物学者ではないし、彼の主張は汎神論ではなく二元論というべきですよ。
> ミツバチが意図的に嘘をつけないということが挙げられている
これは面白い指摘かも知れないけれど、たとえば白鳥は頭部を前にしてしか飛び立つことは
できないでしょう。これは身体構造がそのようにできているからだが、ということは前を向いて
飛び立つように見せかけて後向きに飛び立つような真似はできない、つまり意図的にウソをつけない
ということでしょう。
一方、ハエのような双翅類の飛行は実に見事で、身体の向きから飛び立つ方向を予測することはできず、
いきなりあらぬ方向に飛び立つことができる。だからといってハエが意図的に嘘をついている、とまで
言う気はないが、はたから見るとそのように見える。
459 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/03(土) 05:12:50
結局は、そこに自身の意思決定があるのか、ただ単なに機械的に動いているのか
という問題でしょう
何度も言うように
主観性に関しては、本人にしかわからない
他の主観性に関しては、どこまで行ってもわからない
という事なんですよ
相手を欺こうという発想を持って、考える事のできる精神構造を持っているかどうか
という問題であって
そこに意思決定があるのか、ただ単なる機械であるのか
という問題とは別物だ
いくらミツバチさんの事を分析したって、たとえ本人が答えたって
真実はわからないんですよ
だから何で、いつまでも「他」の分析ばっかりやってるの?と言ってるんです
無駄だよとね
何度も言うように
このスレで行われている議論は、哲学ではない
単なる、トンデモ科学論考です
何で誰も気づかんの?
皆さんのやってる事は、哲学ではありませんよ?
460 :
考える名無しさん:2005/09/03(土) 05:18:31
つまり、独我論最強!
>>458 エクルズは大脳生理学者でしょ
知ってたけど機械君が「大脳生理学を知ってればうんぬん」てよく言ってたので
権威付けで言ってるて思われたくなかったから生物学者って言った
でもエクルズの主張は汎心論に近いよ
これは対談で「それは汎心論じゃないか」とか突っ込まれてるから
すべての物質について精神的な部分が付随することを主張するならそれは「二元論」と呼ぶべきじゃないでしょ
>つまり意図的にウソをつけない
>ということでしょう。
これは意図的に嘘をつけるかどうかが問題になってるんじゃなくて
言葉のパズルにはまって真剣に考えてしまうあたりが人間が自由と言える部分なのかもねってことさ
人間の知能がほかの動物の能力より高次な産物であることは認めれることだろうし
決定論的世界観からすれば知能だろうが何だろうが決定されているというだけで水掛け論に過ぎない
人間の自由感が他の生物と違うかどうかなんて分かるはずがない
ちょっと比較してみることで人間が自由だと感じる点がどのような部分に由来するかを探るだけさ
>量子論を議論といっても、
>ここで為されているのは世界解釈に終始するだけで、
>その実、意味があるようには見えませんし、
まったくもって、俺が不思議に思うのは
「異なる解釈同士では議論ができない」という考え方だ
俺は異なる解釈の間でしか議論ができないと思ってるんだよね
議論のほとんどは解釈論争でしょ
光の性質が波か粒子かという論争についてもそうだし
たいていの議論は反論に対して言葉や観念を改造しながら議論していくから
解釈論争のような性質をもつものじゃないの?
だけどそれは有意義な行為なんじゃないの?
ある問題に対して多くのアプローチから考察することによって
問題に対する認識が一段と深くなることが議論の有意義さじゃないのかとか思う?
議論の有意義さってのは一つの結論が出ることじゃなくて自分の考えを深めることでしょ
問題を整理して相容れない考え方を整理して・・
その結果、もしかしたら画期的で世界観を一気に変貌させるような理論が登場するかもしれない
その程度でしょ
ついでに言うと
>生物学・医学関係の知識の解釈がねじ曲がっているんだよね。
「解釈が捻じ曲がる」ってあるけど、解釈なんて人それぞれ自由に解釈していいものでしょ
どのような解釈をするかということまで口出して強制するのは学問の越権だよ
463 :
考える名無しさん:2005/09/03(土) 05:57:20
意識は必然ってなんだ?始めてきたが。
悩んだり、恐怖したりっていうのが嘘って事?
464 :
考える名無しさん:2005/09/03(土) 06:03:01
>>459 >主観性に関しては、本人にしかわからない
主観性が本人に分かるという証明をしてくれ。
だから物理学でも
コペンハーゲン解釈だろうがエヴェレット解釈だろうが、どのような解釈をするかは個人の自由だよ
「コペンハーゲン解釈をする人は物理学の知識がない」などと言う人がいるなら
その人が知識に対して無頓着でしょ
もちろん物理学者の大半はエヴェレット解釈を支持するだろうが
これはそうすることで研究を前進させることができるからであって
エヴェレット解釈はコペンハーゲン解釈と比較して、問題をよりよく解決していると言える
でもこれはその問題に携わる人に対してそうであるだけで
誰もが共有しなければならない問題なんてないでしょう
物理学の問題に無関心な人に対してエヴェレット解釈を強要するのは越権じゃないのか
長くなったけど
議論に対して、「それが答えが出ないから」とか「真実を得られないから」という理由で無意味と判断することが、
俺には無意味に思える
有意味/無意味の判断は問題解決とともにあって、問題とまったく無関係な議論を「無意味」と呼ぶことはできるだろうけど
何が問題になっているかを無視して、有意味/無意味と叫ぶのは良くないんじゃないのだろうか
わからないことについて議論することは無意味だと叫ぶ最高位に特に言いたい
>>459 あなたの独我論は、考える事のできる精神「構造」などを問題にする
以前のレベルですわ。
「無意味」という言葉を聞くと、論理実証主義を想像しちゃうんだよ、俺は
468 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/03(土) 06:14:24
>>461 人間の知能が高度だとか嘘がつけるとか
他の生き物は嘘はつけないとか、そんなの関係ないんだよ
人間(私)には主観性がある
主観性は『私』という一個の『存在性』そのものであって
その他の単なる現象とは、明らかに一線を画しているわけ
『この私』とは、突き詰めれば、物理的に特定する事ができない事がわかる
物理現象とは因果的な関係性のありえない一個の『存在性』だ
キミ達は、そういう事を考慮に入れず
ただ単に、他の現象の分析にのみ終始しているでしょ
私が、この私、この体であった根拠は
物理的な要因で決定されているのではないんだよ
これによって、すでに唯物論は破壊されているわけ
それと同時に、唯物論を根拠とする決定論も根拠がなくなる
>>最高位
>人間の知能が高度だとか嘘がつけるとか
>他の生き物は嘘はつけないとか、そんなの関係ないんだよ
お前には関係なくても、この議論の参加者(機械君)には共有されている関心だ
470 :
考える名無しさん:2005/09/03(土) 06:20:48
なにを問題にしているのかわかりやすく
説明してください。意味不明です
>>458 それと、ミツバチのダンス言語が知能ではなく本能に従った行動であることは生物学では周知ではないの?
また、その根拠は先に挙げた「意図的に嘘をつけない」という以外に、どのような根拠があるの?
472 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/03(土) 06:26:16
>>464 質問の意味がわからん
キミには主観性の意味がわからんのかい?
主観性があるのか無いのかも、わからんの?
それとも、自分が本人であるのかどうかもわからんとか?
>>466 べつに独我論ちゃうよ?
以前というよりは
より、本質的観点 と言ってもらいたい
>>470 「世界が決定されているかどうか」
これが一番の問題
これは「決定」という言葉の解釈によって問題も変遷する
「世界全体を支配する法則が存在するか」と俺は理解している
また、機械君の問題意識は世界の決定性よりも、人間の特別さを否定することにあるように思える
「自由」についての多くの議論は、世界についての考察よりも、
人間を特別視することを否定することが念頭におかれているように思える
474 :
464:2005/09/03(土) 06:42:10
>>472 バカかお前。お前はバカか?
主観性は本人の意識そのものであって、分かる分からないの対象じゃない。
どうしようもねえな。
475 :
464:2005/09/03(土) 06:47:12
>>468 >『この私』とは、突き詰めれば、物理的に特定する事ができない
できないという証拠はないね。証拠がないのに決め付けるなよ。
分からない事は分からないとすのが正しいんだ。お前は間違っている。
476 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/03(土) 06:52:55
>>469 そういう問題点に引っ張り込まれているだけ
いまだに科学的に解明されていない話題を議論したところで結論は出ないし
そもそも証明という観点は、物理法則などに則ってなされる
物理世界の物理法則について議論しているうちは、物理法則を否定しない限り無理なんであって
それは無理な注文だ
これが唯物論者が使う論法
こっちが言いたい事は、物理法則のみでこの世の全ては解き明かせないよ
だから唯物論なんて間違いなんだよ
という事だから
ごまかされちゃいけない
もっと本質的な話をしなきゃ、唯物論にごまかされるんだよ
なんせ私が現れるまでは
唯物論は歴史的に、誰も論理的に破壊できなかったんだからね
今でも一般的に信じられている
やっかいで、強力な思想なんだよ
妄想(の産物)が物理法則で解き明かせるか
出来ないならこの世の全てでない、と
478 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/03(土) 07:02:28
>>477 妄想するのも『私』であってね
『私』の存在性を否定してごらん
我思う ゆえに我あり
これでいいや
これを否定してごらんよ
自分の存在性を否定してごらんなさいよ
479 :
369:2005/09/03(土) 07:07:04
名前欄・・ ?
>>478 否定できないからといって確実とは限らない
>>478 我なくば、我思わず
多世界が現実だったらこの世にいなくても我思っているのでは?
483 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/03(土) 07:13:03
>>481 はぁ??
否定しようとしているキミが、いるだろが!
いないんだったら、そもそも否定しようともしないんであって
そんな訳のわからない事を言い出したら、全てが無意味だぞ?
484 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/03(土) 07:15:01
>>482 ダメだな
>我思っているのでは?
思ってる存在を認めているじゃないか
486 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/03(土) 07:18:08
我ありが「この世」に存在している事を言っているのであるとしたら
あの世があれば否定できます。
>>484 ってか「思ってる存在を認めてるじゃないか」=「我思う、ゆえに我あり」
って言ってるんですよ。「それ」を否定しろって言われて否定したら
否定した事について「それ」で反論されたらどうなんよ。
そんなわけないだろ・・
>>459 > 皆さんのやってる事は、哲学ではありませんよ?
私は別に、このスレにいる多くの連中と話を合わせる気はないけれども、
> 結局は、そこに自身の意思決定があるのか、ただ単なに機械的に動いているのか
> という問題でしょう
というか、自ら動作を開始できること、すでに開始された動作を自ら変化させることができること、
これが重要だと思うんだな。
>>471 > それと、ミツバチのダンス言語が知能ではなく本能に従った行動であることは生物学では周知ではないの?
こういうのを読むと、いかにもカッパブックスのような素人向けに書かれている本の内容をそのまま鵜呑みに
しているな、と思って笑っちゃうんだよ。この種の本というのは、まだ何も解決していないことをいかにも
解決済みのように書いてある。これは問題だよ。
> また、その根拠は先に挙げた「意図的に嘘をつけない」という以外に、どのような根拠があるの?
>>458の後半はそれに対する反論になっているとは思わないの?
>>489 多世界全てをまとめてこの世と呼ぶんなら逃げ道はないですね。
この世が世界の一部に限られるのなら逃げ道はある。
それと、過去(or未来)についてはどうなん?
現在は存在していない過去(or未来)の我は思っている(いた)んですよ。
493 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/03(土) 08:40:39
>>487 アホだなぁ
『存在性』を否定してごらんと言ってるんだよ
唯物論者のよく言う妄想とは
存在性を抜きにした、単なる現象だという意味
唯物論でいくと、精神活動も、単なる機械的な現象にすぎないんだからね
存在性は認めない事になる
しかしね
妄想だ妄想だ、存在性なんて無くて、妄想だけが現象しているのだ としても
どこまで行っても、そう考えている主観性
『私』という存在性は否定できないんだよ
>>490 >というか、自ら動作を開始できること、すでに開始された動作を自ら変化させることができること、
>これが重要だと思うんだな。
だから
それを「自身の意思決定」というんじゃないの??
というか、って何?
キミはカッパブックスを批判する前に
国語から勉強した方がよくないか?
>>491>>492 存在性を否定しなさいと言ってるんだよ?
意味わからんみたいだね
>>493 何で俺が存在を否定しなければいけないかは置いといて
意向に沿うけど、
死んで灰になれって言いたいの?
あと
>>488をちゃんと読んでくれ
495 :
竹田マニア:2005/09/03(土) 09:09:45
「すなわち、<主観/客観>という前提から出発する限り、
わたしたちは、論理的には必ず極端な「決定論」か、
それとも極端な「相対論」、「懐疑主義」、「不可知論」
かのどちらかにいきつくことになるのである。」
竹田青嗣『現象学入門』1989年
君たちの歩んだ道は、既に15年前に竹田先生が乗り越えている。
すべての答えは竹田先生の著作にあるのだ!!
>>488の言い方を変えようか。
「我思う→我あり」を否定するのに「我なし→我思う」の例を提示して
その例で「我思う」を使ってるから「我思う→我あり」ではないか
と言われるのは心外です。
>>493 > それを「自身の意思決定」というんじゃないの??
「意思」という、人によって解釈が異なるかも知れない掴み所のないものを引き合いに
出すからいけないんじゃないの?
自ら動作を開始できること、すでに開始された動作を自ら変化させることができること、
という具合に書けば、それはどういうことを指すか具体的にイメージできるだろう。
498 :
THE グル :2005/09/03(土) 09:47:29
>>457 いいですか、
>グルさんはこのレトリックをやめませんか?
とおっしゃっておられますが、
それは、
実に貴重なご指摘だと受け止めながらも、
これは、
グルのスタンスであり、
チャームポイントなので、
軽々に変えるワケには行かないんです。
また、
敢えてこのように言葉を限っているのは、
緊張感を保つためでもあり、
語りかけていることを表しているからでもあるんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
499 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/03(土) 10:02:12
>>495 竹田先生に
で?
と言いたくなる内容だなw
そこだけ抜粋しても意味わからんよ
だから何なのよ
結論書いてよ
竹田先生は
><主観/客観>という前提
それ以外の何を推奨してるわけ?
>>496 言い方を変えても、まだ意味がわからんなぁ
>「我なし→我思う」の例を提示して
まず、それをやってみてよ
キミが何をしたいのか、全くわからんのよ
500 :
考える名無しさん:2005/09/03(土) 10:06:41
客観が先で主観など無い、と言うと個人無視の全体主義に繋がるが、
主観が先で客観などない、と言っても単純な独我論に陥るとは限らない。
その決め付けは極端だとおもわれ。
素朴な人間は素朴な唯物論的世界観で生きてるし自分自身の主観に無自覚だから、
そういう人向けに書かれた書物は(ポピュラーサイエンスも含め)客観を優先して
書かれてしまう傾向がある。しかしそれが真実であれば、なぜ認識の本質を問う
哲学と言う学問が今日まであるのか!!!!
でも、今日では哲学という学問はあんまり相手にされていないような…
502 :
考える名無しさん:2005/09/03(土) 10:15:46
>>501 政治家がご意見番として哲学者に相談するという事はままあるのよ。
日本の場合は伝統的に東洋哲学が優位だけどさ。責任の軽い大衆には
向かない学問だし、一生懸命勉強しても割りに合わない内容と思われるよ。
同じような傾向の学問に、政治学、法学、経済学などがある。
503 :
THE グル :2005/09/03(土) 10:18:25
>>462 いいですか、
グルが、
>>453において、
オレオレ詐欺さんがご指摘のように、
>量子論を議論といっても、
>ここで為されているのは世界解釈に終始するだけで、
>その実、意味があるようには見えませんし、
と申し上げたのは、
あなたが言われておられるような、
>まったくもって、俺が不思議に思うのは「異なる解釈同士では議論ができない」という考え方 云々。
に基づくものではないんです。
といいますのも、
問題の一つにはコペンハーゲン解釈も多世界解釈も曖昧模糊としており、
それらは断定形は取っているものの、
その実、各々の解釈の中にある都合の悪い点については言及を避けるものであって、
正しい意味においての議論が成り立つものではないからであり、
もう一つ重要なことには、
「決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない」という、
このスレについての問題に対する方法として正対しておらず、
いつの間にか量子論に基づく両解釈問題について語ることに終始してしまっていて、
主語である「脳」や語られるべき「決定論」とは乖離したものになってしまっているからなんです。
ちなみに、
>ついでに言うと〜
とおっしゃって以下に引用されておられる文章は、
併記されておられるようですが、
グルの書いたものからの引用ではではないので、
言及はしないんです。
どうかしましたか?
>>499 日本語変かな。
この命題(我思う→我あり)に正面きって命題の否定(我思う→我なし)は困難なので、
対偶(我なし→我思わず)の否定(我なし→「我思う」)を
>>487>>491>>492で仮に出した。
ここで対偶の否定(上記「」内)が命題の前提と同じになるのですが、最高位さんはそこで短絡して
命題の前提を使ったから命題を否定していないと言うんです。
>キミが何をしたいのか、全くわからんのよ
って否定してみろって言うからやってみようと思っただけです。
ああ、連投規制だ。
竹田先生は「独我論的主観」からすべてを始めるべきだとおっしゃっているのです。
そして独我論的主観から分かる世界とは、物理法則が実在するかどうかは
どうでもいい事で、では何がどうでもよくないかというと
我々が万事を「疑ったり信じたりする」のはなぜか、
また確実な知=真理とは単に100%の不可疑状態だと言うことなのです。
「現象学的還元」から「真理とは何か」を定義すると、
真理とはある人間の意識において100%の不可疑状態が死ぬまで永続することなのです。
つまりこれは本質的に論理や実証の問題ではない。
私の提案を示しますと、
滝に打たれるなどの極限的苦行による悟りという「完璧な洗脳」か、
あるいは「MKウルトラ」の類による装置による「完璧な洗脳」か、
もしくはロボトミー手術や薬物投与による認知・思考能力の破壊による
問いの消失などが、この問題を解決する具体的方法になるでしょう。
507 :
考える名無しさん:2005/09/03(土) 10:57:00
>(我なし→「我思う」)
無いものが何も思わんがな。
>確実な知=真理とは単に100%の不可疑状態
たから経験論で白紙の認識主体を最初に置くんじゃん。主観が何も疑わない状態の事だろ?
>真理とはある人間の意識において100%の不可疑状態が死ぬまで永続することなのです。
だとすると、真理とは「ある人間」にとっての真理であって、
「他の人間」にとっての真理と一致する理由がないことになりますが、
それでよろしいので?
それと、「死ぬまで」とありますが、人間いつ死ぬかわかりませんので
「死ぬ一日前に気が変わった」りすると、どうなるのでしょうか?
509 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/03(土) 11:10:12
>>504 難しく考えすぎじゃない?
何でもいいから『私』の存在性を完全に否定すればいいんだよ
だから早く、具体的にやってよ って言ってるの
前提にする とかじゃないのよ
この命題は
どこまでいっても命題を出し続けている『私』の存在性は否定できない
という一つの真理なんだよ
だから、この存在性というものは
単なる前提としてではなく『前提』として不動なわけ
キミは、この前提は不動ではない と言うんだろ?
だからやってみなさい と言ってるんだよ
>>505 >では何がどうでもよくないかというと
>我々が万事を「疑ったり信じたりする」のはなぜか、
>また確実な知=真理とは単に100%の不可疑状態だと言うことなのです。
ここのつながりが結論として、わけわからん
全然まとまってないじゃん
結局何なの?
何で独我論的主観から全てを始めるべきなの?
そこに、まとまってないんだよ
>キミは、この前提は不動ではない
言った覚えは無いけど。まぁいいややってみる。
・じゃあ、おやすみなさい。
とかは駄目なの?あえて明示すると、寝るとか意識をなくすとか死ぬとかね
>>507 >たから経験論で白紙の認識主体を最初に置くんじゃん。
>主観が何も疑わない状態の事だろ
「白紙状態」でも人間の認識能力には違いがあります。
障害者の方や霊能力者やアインシュタインといった極端な例を
出すまでもなく、個々の人間の捉え方は違っていますね。
また白紙状態から「正しい知識を重ねていく」というへーゲル的ストーリーは、
「正しい知識」の正しさを根拠づけられないので背理です
>>508 >だとすると、真理とは「ある人間」にとっての真理であって、
>「他の人間」にとっての真理と一致する理由がないことになりますが、それでよろしいので?
「共感」という現象を考えていただきたい。この人間社会に
道徳や法律や科学といったある共通了解が成立しているのは、
他者の語りに自分の知覚が妥当を感じるからです。
近似的な共通了解は可能性的に可能です。
しかし社会全体との真理の完全一致は洗脳しないと不可能です。
>それと、「死ぬまで」とありますが、人間いつ死ぬかわかりませんので
>「死ぬ一日前に気が変わった」りすると、どうなるのでしょうか?
真理とは確信ですから、確信がなくなった瞬間に真理ではなくなります。
513 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/03(土) 11:28:04
>>510 キミはいったい何歳なんだよ・・・
中学生ぐらいか?
せめて基本的な事ぐらいは押さえてないと会話が前に進まんわ
そんな事を真剣に投げかけて来ないでくれよ 疲れるだろ・・・
寝てても意識を無くしても、私の存在性は消えないだろ
その最中も肉体は活動しているし潜在意識は働いている
死んじゃったらね
命題もクソも、前提も何にも無くなっちゃうだろ
我思う
これ自体が無くなっちゃうだろ
話が前に進みそうにないから、もういいよ
>>509 例えばあなたが独我論者だとして、万が一わたしが意識を持ち存在していれば、
あなたの主張はとんだ茶番となって、わたしは部屋で苦笑していると思います。
他のみなさんもそうでしょう。
議論をするならば、独我論は方法的にしか使えません。
独我論をそのまま議論に持ち込む者はその時点で論破がなされています。
100%の不可疑状態って
決定論の「未来に干渉不能」っていう、「為すがまま」っていう状態
に似ているトオモタ
決定論というのは「未来に干渉不能」なのではなくて
「未来に干渉する仕方は一義的に定まっている」という考えではないの?
>>513 >その最中も肉体は活動しているし潜在意識は働いている
「潜在意識は働いている」などと、どうしてわかるのですか?
夢も見ずにぐっすり眠っている間は、死んだ後と全く同様に
何も「思って」いないわけですから、「我思うゆえに我あり」である
ならば、「その間は我はない」と考えるほかないのでは?
「肉体の活動」を「我あり」の根拠にするなら、唯物論になってしまうと
思いますが。
一義的にと言うと因果関係の原因が一つのみということ?
>>518 「因果関係」でいえば、
「干渉する現在」が「原因」で、
「干渉される未来」が「結果」で、
両者の対応関係は一つのみ、と考えるのが決定論ではないのか?
520 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/03(土) 12:07:09
やっぱ、だんだん変な人が出てくるな・・・
>>514 だから?
>>517 もういいです・・・
キミ達は、考えていく順番とか
何を議論しているのかとか
途中からおかしくなっていってても
全く気づくことのない人種ですね
どこまでもイッちゃってて下さい
521 :
考える名無しさん:2005/09/03(土) 12:09:03
サールは unconscious と nonconsciousは区別すべきだと言うておりますし、
そうだと私も思いますよ。
原因を始めとするある期間とシフトできるのは問題ない?
複数になっていくような気がするけど。
>>521 それはそうですが、肉体(脳波等)との関係づけを抜きにして
両者を区別するのは無理ではないか、と思うのですが。
もっと言うと、「死んだ人間は何も思っていない」という考えも、
むしろ熟睡状態からの類推に過ぎない、とも言えると思います。
「肉体(脳)の活動が低調になると何も思わなくなるのだから、
肉体の活動が停止した状態で何かを思うはずがない」という。
524 :
考える名無しさん:2005/09/03(土) 12:33:13
525 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/03(土) 12:38:22
>>524 キティちゃんに勝つ方法を教えてもらいたいわホント
>>465 物理学者の大半は「量子力学の解釈問題に興味ない」人だよ。
解釈なんかしなくても研究は上手くいくわけ。
だいたい物理学は物理量を扱うんだから、観測前の状態が
実際はどうなのかなんて知らなくてもいい。
「シュレーディンガーの猫の問題を解決する最も手っとり早い方法は、
箱を開けてみることだ。」
ココみていると哲学はほんと糞だなと感じるわ
>>526 「シュレディンガーの猫」を理解してから薀蓄を垂れてくれ。
529 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/03(土) 13:22:02
>>527 短絡的な人だなぁ
2ちゃんの哲学板に糞が多いのは事実だが
それを以ってして哲学が糞だと結論づけるとすれば
キミも糞だ
冷蔵庫の中の電灯は果たして消灯しているのか?
531 :
考える名無しさん:2005/09/03(土) 14:30:52
このスレ見ていると物理学者って腐ったたまごみたいだという事がハッキリ分かるよ
_ □□ _ ___、、、
//_ [][]// ,,-―''':::::::::::::::ヽヾヽ':::::/
// \\ // /::::::::::::::::::::::::::::::i l | l i:::::::ミ このタマゴチャーハンを
 ̄  ̄  ̄/ /:::::::::,,,-‐,/i/`''' ̄ ̄ ̄ `i::;|
―`―--^--、__ /:::::::::=ソ / ヽ、 / ,,|/ 作ったのは
/f ),fヽ,-、 ノ | 三 i <ニ`-, ノ /、-ニニ' 」')
i'/ /^~i f-iノ |三 彡 t ̄ 。` ソ ハ_゙'、 ̄。,フ | ) 誰だぁっ!!
,,, l'ノ j ノ::i⌒ヽ;;|  ̄ ̄ / _ヽ、 ̄ ゙i )
` '' - / ノ::| ヽミ `_,(_ i\_ `i ヽ、 ∧ ∧ ∧ ∧
/// |:::| ( ミ / __ニ'__`i | Y Y Y Y Y
,-" ,|:::ヽ ミ /-───―-`l | // |
| // l::::::::l\ ||||||||||||||||||||||/ | // |
/ ____.|:::::::| 、 `ー-―――┴ / __,,..-'|
/゙ー、,-―'''XXXX `''l::,/| ー- 、__ ̄_,,-"、_,-''XXXXX |
/XX/ XXXXXXXXXX| | _, /ノXXXXXXXXXX|
533 :
考える名無しさん:2005/09/03(土) 15:40:18
>しかし社会全体との真理の完全一致は洗脳しないと不可能です。
バカだな。完全に一致すべきだとか、すくなくともそういう印象を与えたから
ヘーゲルは全体主義を預言しているとして非難されたんじゃないか。
完全に一致することはありえない、高々個々人の間で間主観的な(つまり客観的とはいえない)
合意が成り立つに過ぎないとしてその点を整理したのがフッサールで、フッサールの現象学を
踏襲している竹田だってそういう前提だろ。そこを「完全に一致する」とか勝手に思い込むから
竹田を誤読するんだよ。しっかりしろよ。
なんだ、最高位は久しぶりに出て来たと思ったら、もう撃沈されちまったのかw
「世界が変わる現代物理学」って最近でた新書によると、
突き詰めれば時間も空間も存在しないらしいぞ。
すべては関係であり、唯物論より唯事論が正しい
>>535 つーか、そんなこと、カントが既に・・(以下略)
537 :
考える名無しさん:2005/09/03(土) 18:15:28
↑カントは厳密じゃないし数式理論じゃないし役に立たないからダメ。
そんなこと言ったら唯識派がカントよりとっくに前に見抜いてる
538 :
考える名無しさん:2005/09/03(土) 18:23:03
唯佛論も唯神論も宗教論であって哲学ではない。
ちんちんに脳がついていれば良かったんだ
>>539 お前は既にそうだろう?
この、さかりのついた雄豚めw
M心くすぐられた
餌を与えないでください。
>>535みたいなことは、廣松渉が昔さんざん言っていたろう。
「関係の第一次性」とか「事的世界観」とか。
ちなみに廣松は自称マルクス主義者だが。
544 :
考える名無しさん:2005/09/03(土) 19:24:12
↑だから、それを科学的に厳密に理論化したことが超絶に偉いの!
「みたいなこと」程度なら数千年前から誰かが言ってる
俺俺、俺が言った。
546 :
考える名無しさん:2005/09/03(土) 20:08:37
偉いかどうかなんて基準で考えてる奴はダメだな
転んでも泣かなかった場合とどっちが偉い?
>>547 パン!パン!
∩___∩
| ノ ヽ
/ ● ● | クマ──!!
| * ( _●_) ミ
彡、 |∪ | 、`\
/ _ |_,,ノr::::::::::::〈:::::::::) ィ::::::ヽ
〃 (___) 〃::::::::::::;r‐''´:::::::::::::::::::::ヽ::ノ
| ■:;'::::::::::::::/::::::::::::::::::::::::::::::::::::
ヾ | /ヽl::::::::::::::::::l:::::::::::〃:::::::::::::::ヾ::::ji
| / |::::::::::::::::::、:::*::::::( _●_)::::::,j:l クマー!
∪ ,}::::::::::::::::::::ゝ、::::::::::|∪|_ノ::;!
{::::::::::::::::::::::::::::`='=::ヽノ:::::/
';::::::::::::ト、::::::::::::::i^i::::::::::::/
`ー--' ヽ:::::::::::l l;;;;::::ノ
549 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/04(日) 00:27:13
>>495 >君たちの歩んだ道は、既に15年前に竹田先生が乗り越えている。
>すべての答えは竹田先生の著作にあるのだ!!
私も一時「すごい若手の哲学者が顕れたモノだ!」と心酔したことがありますが、
「もう片方の知識」・・・理論物理学の方の知見を広げていくと・・・、結局
(竹田氏のものを含む)「観念論」は、(理論)物理学に追い越されるであろう・・
という結論に達したのです。
「極微の世界」は「シュレディンガー方程式の不確定性どうのこうの」で(仮に)
『良し』としても・・・、
「極大の世界」はあくまで「あまりにちっぽけな存在」である「地球」上の「あまりに
ちっぽけな人類という種」の・・・「あまりにちっぽけな『私』」・・・
ということが「真理」であることには「間違いない」からです。
若手って。。。あんた一体いくつなん?
551 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 00:29:54
>>549 そうやってあなたが知覚している宇宙とやらも、世界をあなたが認識する形式に縛られてそうなっているだけなのであって…
552 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/04(日) 00:35:10
>>551 いまや「この宇宙の始まり」を「望遠鏡」(ハッブルorすばる)で「実際に見る」
事が出来るのです。
その「距離」は「137億光年」・・・ほぼ固定です。
遠くを見れば見るほど「過去を見る」事を意味します・・従って、「137億光年」
以上の「遠く」を「見る」事が出来ない・・・この「真実」は、「時間が始まったのは
137億年前である」・・という単純且つ正確&唯一の「真理」を指し示すだけです。
553 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 00:54:09
>>552 そりゃ真理じゃなくて合意。情報が極端にそぎ落とされているからもっともらしく見えるだけ。
>グルっち
グルっちの文章から引用したけど
グルっちがそういう気がないのは分かってた
「本論とはずれている」とかちゃんと表現にも気を使ってたと思う
スレの流れからちょっといろいろとカチンときて書いちゃったんだ、ごめん
俺はさ、認識と完全に切り離された考察は正しいものと誤りを分ける働きをもつ理性が働かないと思うから
そういう物言いはすべきじゃないとは思うんだけど
でも形而上学を無意味というのも好きじゃないんだ
形而上学を無意味って言ってたら議論なんてほんとにできないと思うんだ
なんか実証可能なことだけが議論可能で他の議論は無意味って雰囲気を感じたから
ダラダラ書いちゃった、すまん
555 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 00:59:15
宇宙の始まりは小さくて見えないんじゃないかい?
>>490 なるほどね
ミツバチのダンス言語はまだ研究途中なわけか
ミツバチに知能があるという意見も生物学にあるんだね
知らなかったよ
感謝
>>556 そう単純に反応してくれても困るんだけど…
以前、別のところで話題になったのだが、一般にミツバチは最短距離で
ミツの在処に向かう。しかし、途中に池があった場合、ミツバチは池の上を
飛行するのを避けて周囲を迂回するという。こういうのはどう考えるかな?
>>556 > ミツバチに知能があるという意見も生物学にあるんだね
こういう見解をはっきりと表明する人はいない。しかし、大多数の生物学者は
興味があっても、こういう研究に実際に携わるのはごく一部だ。
携わらない多くの生物学者はせいぜい又聞きでしか、そういう情報に接することがない。
しかし、実際にこの種の研究に携わっている人がいるということは、未だ解明されていない
問題が存在するということだ。解明されてしまえば、誰もそういう研究をしないもの…
ある命題があって、それは偽であることを示す証拠がすでに十分積み上げられているとする。
しかし、それでもその命題は真ではないかと考えて研究を続ける人がいる。
人はそういう研究を指して無駄骨を折っているとまで言う。
しかし、実際はどうなんだろう? そういう研究をしている人に直接話を聞けば答えが
出るかな?
賢明なのは、判断を保留することだと私は思います。
561 :
偶因論 ◆dIcXXXXlPE :2005/09/04(日) 02:27:00
563 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/04(日) 05:01:29
ミツバチに知能があるとか無いとか
何の為に議論してるの??
あったら何なの?
私が思うには、ミツバチに主観性はあるのか ではないの?
単なる物体、物理現象に主観性はありえない
しかし生物には主観性がある
いや、少なくとも私には主観性がある
私の主観性と、物体である肉体とは、因果的なつながりはない
物理的な、何の要素で、この体がこの私であったのか
特定する事は不可能であって、その根拠は、どこにも有りえないのである
それは以前、再三に渡って証明した
で、あるからして
物理現象以外の要素が、この宇宙に存在する事は疑う余地は無い
ゆえに、唯物論は間違いであるという結論に至る
簡単だろ?
564 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 05:07:56
>>563 唯物論も間違いであり、君の観念論も間違い。
どちらも間違い。
なぜなら心身問題を解けないから。
簡単だろ?
565 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 05:08:29
簡単じゃねえよ。おまいの脳の網様賦活系をピンポイントで破壊すると、
おまいの意識はすみやかに失われて昏睡状態になるんだよ。因果的なつながりがあるから困るんじゃないか。
566 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 05:10:21
>>563 ミツバチに主観性があるかないか、きっちり証明してみろ低脳
567 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/04(日) 05:24:19
お!早くも3匹も釣れたかw
>>564 私は別に観念論を主張しているのではないよ?
唯物論は間違いだ と言ってるだけ
唯物論者は、心身問題も唯物的に解けると主張してるんだよ
そして一般的には、それは受け入れられている
解けないと主張しているキミにも論理性はなく、信仰のレベルなんだよね
それを私は論理的に、完璧に破壊したわけ
>>565 それは相互に影響を与えているという事であって
因果関係ではないんだよ
>>566 人を低脳よばわりする前に
落ち着いて文章を読んでから発言しましょうね
568 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 05:28:19
>>567 相互に影響を与えているのいうのは、互いが互いに対して因果関係を持っているという事じゃないか。バカメ。
569 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 05:32:29
>>567 残念だけど君のレベルでは、心身問題は全然解けないよ。
570 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 05:37:45
>>567 >相互に影響を与えている
どのような力と構造によって影響を与え合っているのでしょうか?
風呂敷を広げたついでに、少し説明してもらいたいのですが。
571 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/04(日) 05:37:46
>>568 はぁ?
キミは基本的な部分で間違えている
唯物論者はね
物体の物理現象によって精神が生み出されている と言ってるんだよ
物体が原因で、精神は結果だとね
その原因と結果を因果関係と言ってるわけ
しかし物体の、いかなる要素を探ってみても
私が私であった根拠など、出てこないんだよ
ところで
私の発言がキミに影響を与えているのは
私とキミに因果関係があるという事か?
私がいたからキミがいたと?
あはは!キモイよw
572 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 05:50:43
>>571 >私の発言がキミに影響を与えているのは
>私とキミに因果関係があるという事か?
>私がいたからキミがいたと?
>あはは!キモイよw
571の論理は粗雑で滅茶苦茶だな・・・
事実は、567の発言を568が読み反論。
それなのに
567の発言が568の存在を生み出したという結論にどうやったら
なるのだろうか・・・
>>571は基地外だと思う。
573 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 05:53:28
ついに戻ったな最高位よ!
3000年前まで人間に意識は無かった。
だから唯物論は意識ありきではじまる。
意識する物体があるから実際に意識されない物体ありきではじめられる。
ミツバチかー
そういや主観性が生まれたのは生物の進化でどの時点なのかな。
主観性というものが実際にあるのか、もしくは現象の連鎖を主観性と勘違いしているのかも知れないが
俺の持論だけど、「記憶喪失」と「1秒前の自分と今の自分の違い」に相違は無いってのがあるんだよね。
1秒前の自分なんて今の自分からしてみれば別人で彼が死のうが今の自分には痛みも無いわけで。
主観性ってのはこの0点数コンマ1秒の間に生まれている、自己の再認識じゃないのかなと思う。
つまり「今この瞬間」にしか主観性というものは無く、自我・人格と呼ばれるものはあらかじめ有るものではなく
自己の再認識が連鎖的に発生しているものを「主観性」と『かんちがいしている』のだと思う。
勉学が足りないど素人の意見なんで気分を悪くされた人が要たら申し訳ない。
哲学者最高位という方は、哲学に関係する本は
永井均と茂木健一郎しか読んでなくて、
荒唐無稽な事を哲板に書きまくってた幼稚な人でしょ。
ファンでした。
復活おめでとう。
僕の思想的敵対者であるトンデモ唯物論者をどんどん叩いてください。
意識、感覚、感情すべて脳の作用であるとは思う。
ある部位を刺激すればある感情が起きる。しかしその
感情、例えば悲しいと感じているのは何?物質の作用で
起きた悲しみを悲しんでいるのは何?物質のみで構成された
ものでも泣くことは可能である。けれども悲しむことは不可能では?
オウムや北朝鮮だって、ミツバチみたいなもんだw
ミツバチだって、自分とそれ以外を区別はしてると思うが。
>最高位
>単なる物体、物理現象に主観性はありえない
>しかし生物には主観性がある
>いや、少なくとも私には主観性がある
われわれは人間には自我が存在し下等な生物や物質には自我が存在しないと考える
しかしながらその根拠は希薄だ
ミツバチの知能の例は「ミツバチに自我はあるのだろうか?」というひとつの考察だし
もしかしたら物質にも自我があるのかもしれない
自我が存在するとして、それが物理現象とどう作用していくのか
精神は自由なのかどうかということがスレの本題だと思う
>私の主観性と、物体である肉体とは、因果的なつながりはない
>物理的な、何の要素で、この体がこの私であったのか
>特定する事は不可能であって、その根拠は、どこにも有りえないのである
因果的なつながりはある
因果律は「〜とは何か」という問いに答えない
例えば「散歩をしよう」という精神と決断が俺の足を外に向かわせるわけだし
ご飯を食べたら満腹感を感じる
これは物質と精神に相互作用があるということだ
>物理現象以外の要素が、この宇宙に存在する事は疑う余地は無い
>ゆえに、唯物論は間違いであるという結論に至る
確かに物理現象以外の要素はこの世界に存在する
しかし、それらはすべて物理現象に還元できるというのが(ここでの)唯物論の主張ではないのだろうか
俺は、精神は物理現象に還元できない(記述できない)と考える
おそらく非決定論者の大半はそうだろう
最高位は「物理現象以外の要素があるから唯物論は論破された」とだけ言って
「精神が物理現象によって還元できる」という主張を相手にしていない
それでは唯物論を論破することに失敗している
579 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/04(日) 07:29:21
ちょっと忙しかった〜w
>>569 聞くけどさ
どのレベルの人なら解けるの?
いったい誰が、心身問題を解き明かしたと言うのさ
テキトーで、いいかげんな事ばっかり言うなよな
キミ、何様?
私の発言を、真正面から否定してみなよ
>>570 この程度の事も理解できない人間に
いったい何を説明しろというのさ
2ちゃんでいろいろ説明しても、変な人が寄ってきて
話がグチャグチャになるだけなんだよ
それにね
>どのような力と構造によって
話にならんな
580 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/04(日) 07:42:35
>>572 かなりイチビッて、からかってるんだけどね
キミが、もう少しだけ
ものごとを深く考える事ができるようになったら
理解できるはずだよ?
>>575 いやいや
私は、その人達の本なんて読んでないよw
私が勉強したのは、マルクス主義と、その周辺だけだ
>>576 うむ
いい所まで来ているな
その悲しみを感じているのは
『私』という存在性であって、それは主観性である事に気づきましょう
主観性の本質が理解できれば、キミはまだ先に進めるよ
ここは各自の妄想の発表会なわけですね
582 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 08:33:53
>580
頭悪すぎでつねww
>>578 ミツバチに知能や自我、主体性があるかなんてそういうことを考えても
答えは出ない。だから私は判断を保留するのが賢明だと書いた。
そういう判断を下すのではなく、それを考えるための材料、すなわち
観察(または実験)から得られた知見を知識として蓄積していく。
自然科学者の本来の在り方はこうだと思うよ。
584 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/04(日) 09:12:20
しかし本当にキミ達は面白いなw
キミ達と会話していると
例えば、水槽の中の愚かなカエルを見ているようだ
私が「そこにあるハシゴを使えば、そこから出られるよ」
と教えてあげてるのに、ジャンプする事しか思いつかない
「こんな重い物を持ってたら、ジャンプできないだろが!頭悪すぎでつねww」
と言ってるようなもんだ
私が「いや、足をかけて登るんだよ」
と教えても意味が理解できない
「足はジャンプするためにあるんだぞ!アホ!バカが!」
いくらわかりやすく説明しても、全く理解できない
ただ相手を、罵るばかり
「ここにいる親分も、みんなジャンプ力を鍛えているんだよボケ!」
こんな感じかな
585 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 09:24:49
>>584 それは自分自身のことではないかと自省するくらいの知能はほしいものだな
586 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/04(日) 09:32:54
>それは自分自身のことではないかと自省するくらいの知能はほしいものだな
と、カエルは言いましたとさ
で、キミはいったい私に、何を教えてくれるわけ?
587 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 09:33:38
588 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 09:35:33
>私の発言がキミに影響を与えているのは
>私とキミに因果関係があるという事か?
>私がいたからキミがいたと?
>あはは!キモイよw
こまったな。一つの結果には一つの原因しかないと考えるレベルだな。
外からの刺激は人格を保つのに必要だろう。情報がないと精神は鈍磨して
人格もあやふやになっていくからな。とはいえ発言を呼んでいる最中は
私の人格はあなたの書き込みを呼んだ事が原因で大いに成り立ってる部分があると
大いに言いたいね。肯定的な影響を受けるのか否定的な提供を受けるのかは
さておきね。しかしそれだけが原因じゃないけどね。
一つの結果に複数の原因がある可能性も考えよう。今日は一つ賢くなったね。
この哲学者最高位という人は、唯物論を補強するために
マルクス主義陣営が送り込んだ刺客ですかw?
590 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 09:54:52
多分本人は、唯物論を否定してマイ哲学を構築したんだと思う。察するに、
1)彼の世界には唯物論とマイ哲学しかない。
2)彼は唯物論に反証を見出している。
3)ゆえに彼はマイ哲学を正しいと思っている。
4)しかし彼のマイ哲学は他者には理解されない。
5)よって彼は自分以外の人間を全員唯物論者と決め付けている。
こんな感じではないかと思う。過去の自分の影と戦っているのだね。
それでこんなに必死なんだね。マルクスの罪は深い。
591 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/04(日) 09:54:53
>>588 しかしここのやつらは
どうしてこんな、どうでもいい事にばかり関心を持つのかねぇ
本題ではなく、自分の世界にのめり込んでいくんだろうな
んで、ドンドンどうでもいい世界入ってイッて自覚なし
いちいち解説してもさ
そういう人は、元が変だから相手にしない方がいいんだよね
こっちも2ちゃん住民について、学習してるんだよ
へんな世界に連れて行こうとしないでね
一言だけ教えてあげるとね
唯物論は、精神(人間の内的世界)は全て、物理現象によって生じると言ってるわけ
その因果関係の事なのよ
なんでもかんでも、因果関係という言葉に反応すりゃいいってもんじゃない
話がグチャグチャに飛んじゃうだろ
592 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 09:59:13
>話がグチャグチャに飛んじゃうだろ
混乱しておびえて言いるんだね。かわいそう。むりはいわない。すこしづつがんばろう。
この世には結果あるところ必ず原因がある。でも一つの結果に一つの原因があるとはかぎらない。
複数の原因がある場合もある。また一つの原因に一つの結果があるとは限らない。複数の結果が
ある場合もある。またあるものが別のものの原因であり、同時にその別のものがそのあるものの原因で
ある場合もある。そうやって因果の網の目が入り乱れているのがこの世の中なのだ。
593 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/04(日) 10:01:54
594 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 10:06:12
>>593 で、ではあらゆるものの原因であり結果でないものをアリストテレスは仮に第一原因であると考えた。
彼によるとこれは宇宙全体の意志のようなもので宇宙にそれが存在する目的を与えるとする。
もちろんそんなものはないが、整理の方向としては正しいように思える。他に影響を与え
(他に生じる結果の原因になり)他から影響を受けない(他の原因の結果にならない)ものを
意志であると考えたからだ。
私は「引力」の作用だけ考えても私と全宇宙のすべての事象との
間には、というより宇宙のすべての事象相互の間には
「因果関係」があると考えていたのですが、「因果関係」の理解が
おかしいのでしょうか。
私の考えでは、ある瞬間の世界の状態が「原因」であり、次の瞬間の
宇宙の状態が「結果」であり、従って
1.「原因」「結果」「因果関係」自体を、言語によって記述することはできない。
2.同じ「原因」「結果」「因果関係」が繰り返されたことは、少なくとも
今までは一度たりともない。
このように理解していたのですが。
そして
3.「法則」とは、原因と結果と因果関係の特定の局面を抽象し、さらに
それを反復的に記述した「言語」であって、「事実」ではない。
4.だから、「世界は物理法則によって支配されている」という考えには、
根拠がない。「世界のある局面を抽象的に物理法則によって記述する
こともできる」だけだ。
このように考えていたのですが。
少なくとも、私が見たり聞いたりするすべてと「私」の間に因果関係が
あることは当然であって、私がここで読むすべての書き込みと私の
間に、ということはそれを書き込んだ人と「私」の間に因果関係が
あることは、疑いようがないと思うのですが。
596 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 10:12:52
>>595 因果関係は人間が世界を整理する際に用いる経験則であると思われます。
宇宙が不断に生成と消滅を繰り返すという考えは、たしかガッザーリが
唱えていたと記憶しますが(ちがったらスマソ)、それを裏付ける経験が
ある訳ではないので、仮説に留めてよいと思われます。人間が意志を
行使し、その結果が外界に現れるという素朴な経験の延長上にしか、
人間は仮説を立てる事もその確かさを裏付ける事も出来ないのでは
ないでしょうか???
597 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/04(日) 10:16:56
598 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 10:27:28
>>597 原因から結果が生じるとき、結果が原因から受けるものを影響と呼ぶとしよう。表記の都合上ゴメン。
そしてあらゆる物から影響を受けず、あらゆる物に影響を与える物を何と呼ぶにせよ、それには意志という
性質があると考えるのがよいだろう。ただしそれはどうも宇宙全体ではないらしい。そこで作られた仮説が、
意志は人間の主観に近いところにあるらしい。それはそうだ。意志と言うものが素朴に何を指すかという事を
考えるとこの仮設は妥当に思える。しかし主観はあらゆる物から影響を受けないという事はないじゃないかと。
そこで、タブララサ、つまり外部からの影響を受ける前の白紙の状態というのが仮定された。最初は意志だけが
あって、そこに影響が来てそれにより知識が積み重ねられる。
>>597 君の言う主観(性)も
種々の条件・要素の和合によって成立していて、
常に更新され続けている不安定なものだ。
という見方も可能だとうことではないかなw
600 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/04(日) 10:35:08
>>598 だから何なんだよ
早く結論を書いてよ
あと何回かかるの?
>>599 それは精神活動の事だろ
602 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 10:42:56
>>600 いや、マイ哲学に閉じ込められてかわいそうだと思ったから従来の用語で解説してるのでさ。
でもなんかそういう気はなさそうだね。で、タブララサというのは意識で、意志とはそこから
発するなにかで、それが外部に対する原因になるものでしょう、程度で納得しましたとさ。終わり。
603 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 10:45:21
「精神活動」抜きの「主観」とは何ぞや?
「思う」抜きの「我」とは何ぞや?
604 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 10:48:15
観念的に遊離した「我」だろ。独我論の我。独善的な「我」さ。
>>600の信念は単純で「精神と物質は違う」という古典的なもの。
これは旧来の科学的世界観と矛盾しないし、非常に便利な方便。
現在の心脳問題・認知科学を深く考えない立場ならこれでOKだと思う。
大天才が科学革命によって引っ繰り返さなければ、600の思想的立場は
これからも長い間にわたって崩されないはず。
そういう意味で、哲学者最高位さんは大筋で正しい事を言っている(細かい部分では
間違い箇所も多々見受けられるが)。
606 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 12:02:40
物質がなんなのかすらわかっていないのにね
607 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 12:05:08
物質がなんなのかわかったら、革命も起きそう
僕が生きてる間に説き明かされるとは思ってないけど
がんばれ天才W
608 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 12:05:44
「物質」って定義のしようがないんじゃないの?
609 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 12:12:55
なんで?
610 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/04(日) 12:17:25
>>601 精神活動
すなわち精神の活動、動き
どういう動きなのかは、動詞
動詞には主語がいるよね
何の精神で、何の動きなのかと言えば
それは紛れもなく『私』という存在性
『私』の精神の活動なわけ
『私』は常に、主観性というものを以って精神活動を行っている
『私』という存在性は主観性そのもの
私は私を離れては思考する事も、存在する事もできない
それと同時に、主観性から離れて思考する事も、存在する事もできない
こういう意味での主観性だよ?
理解できた?
よく主観的とか客観的とか
なんだか勘違いして反論してくる人がいたりするんだけどね
ちゃんと理解した上で発言して下さいね
何回も説明するの、しんどいから
>>603 存在性という部分のみを取り上げて論述する場合でないかな?
>>604 別に独善的でもないと思うぞ?
それは勝手な解釈、価値観によるんじゃないかな?
我とは『私』という『存在性』だよ
あほが考えすぎるとめちゃくちゃな理論を展開してしまうよな
わからない試験問題を考えすぎて変な答えをだすのと同じ
思い当たるんじゃないか?w
612 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/04(日) 12:25:27
>>605 >
>>600の信念は単純で「精神と物質は違う」という古典的なもの。
古典的なものは論理性が欠けるのよ
私だって論理性がなければ
唯物論を論理的に破壊した なんて言わないよ
それから、あえて言うなら逆ですね
現代まで支持されてきた唯物論を
私という大天才がひっくり返した というところでしょうか?w
ちなみに
言っておきますが、私は物理学を否定しているのではないですよ?
唯物論という思想が間違いだ と言っているだけです
>>606 そそ
物質とは何かなんて、わかっていない
もっと言うなら、そもそも『存在』そのものが何なのか、わかっていない
613 :
膠 ◆MjAVYHSipQ :2005/09/04(日) 12:30:02
>>612 唯物論も実は形而上学の一部だって知ってるかい?
614 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 12:37:19
>物質とは何かなんて、わかっていない
あのー、それでしたら、唯物論が正しいかどうかも、わからないと思いますがw
>もっと言うなら、そもそも『存在』そのものが何なのか、わかっていない
あのー、それでしたら、「我とは『私』という『存在性』だよ」 というのも、
何なのかわからないことになりますがww
ここ見て哲学は無用だと痛感した。
今更ながら見なきゃ良かったと思う。
>>615 「哲学者最高位」さんが無用なのは確かだと思いますがw
哲学全体が無用だと判断するのは早計だと思います。
哲学部に入らなくて本当に良かった。
あの時選択していたら、今頃ここの変人の一人としての人生だったのかと思うと
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
なんだか殺伐とした雰囲気だな
2chらしくて安堵したぞ
619 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 13:46:16
数学のほうがまとも
>>535 竹内薫さんですね。新書なら手頃だし今度読んでみようかな。
世界の基礎を事や心におく考えは本職の物理学者からも時々出てきますね。
数年前には中込照明さんの『唯心論物理学の誕生―モナド・量子力学・相対性理論の統一モデルと観測問題の解決』というのもありましたね。
物理、哲学は変態
>>614 >唯物論が正しいかどうかも、わからないと思います
今頃理解したのかよ
>「我とは『私』という『存在性』だよ」 というのも、 何なのかわからないことになります
『存在性』はわからない、かつ『私』である
また我とは『私』である
故に「我とは『私』という『存在性』だよ」もわからない
はあ?
623 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 14:02:08
哲学やっても意味ないから早く数学にしなさい
しかし、「物」が何だかわからないのなら、「事」だってそれ以上に
何だかわからないんじゃなかろうか。
>>610 そうしたもの(精神活動)を『私』として仮に名づけたものだという視点を提示しているだけ。
或いは、君が主語が必要だというなら、
弁別するための主語として、仮に『私』と名づけている、と言ってもいい。
『私』というものが先に(アプリオリに?)存在するのではなく、
いまここに起きている精神活動に対して『私』とラベリングしているに過ぎない。
(当然それは、ここにあるこの肉体を離れてはあり得ないわけだが・・。)
君が言う『私』は、そうしたラベリングされたものではないのか?
少なくともそのように見做し得るのではないか?ということ。
もし、そうした名称抜きに自分の存在を捉えるなら(→最高位の言い分を素直に理解するなら)
それは、禅で言う「一無位の真人」「本来の面目」に相当するかもしれない。
でなければ、この肉体も含め様々な要素・条件の総体としての、
一般的叙述の為の、「素朴な『私』という感覚」、普段会話で使う「私」で十分じゃないか。
それとも、最高位は、霊体とか霊魂とかみたいな意味での魂を言ってるのかなw
全ては分別の仕方(解釈の仕方)の差に過ぎない。
より妥当性のある視点はどういうものか?
という比較議論しか、現在の人類の知識では不可能なのではないかな。
なんかスゴイ発見でもあれば変わるだろうけど・・。
>>626 最高位はアホだから、そんなまともな話しても無駄ですよ
たぶん精神病患者だと思われます
628 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 14:57:01
>>627 最高位という奴は、存在一元論を再発見したんじゃないか?
概念の問題は「存在性」という装置を発明することで回避しているのであって。
血液の色は赤い。
ではこの性質は血液に備わったものか、我々の側に備わったものか?
631 :
νs ◆OOXX4TmbF2 :2005/09/04(日) 18:51:25
632 :
νs ◆OOXX4TmbF2 :2005/09/04(日) 18:52:55
>>630 「我々」とは何?具体的に言明しないと物性は語れない。
おっとクオリアは抜きね。物性としての質問ね。
634 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/04(日) 23:15:22
>>553 >そりゃ真理じゃなくて合意。情報が極端にそぎ落とされているからもっともらしく見えるだけ。
はぁ?グローバルな「自然科学の真理」を「単なる『合意』にすぎない」と言い張るのですか?
最も『「宇宙の誕生から137億年(という説に)はプラスマイナス5億年あるから」』・・という程度の
「誤差」で・・・「真理ではない」という「言いがかり」のつけかたは、「宗教団体の常套的やり口」ですが・・
「どこがどう『そぎ落とされている』」のか??、「現在(地球上で)見える『この太陽』は8分前の太陽である」
という「真理」について・・「そうではない」と言い張る根拠がある(あり得る)のか?お教えいただきたいものです。
635 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 23:25:22
>>634 なんだか、最新の自然科学の知識を真理と呼んでいるようだけど、
それは自然科学の進歩でまだまだ変わる可能性があるものなんじゃないかな。
そういう不確かなものを足場にするのは不安定とおもわれるけどね。
636 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 23:29:04
>>635 あんたにとって確かな足場ってなんだよ?
637 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/04(日) 23:32:14
>>635 別に「足場」が必要でそれを自然科学に求めているのではありません。
まず「精神的な足場が欲しいからこそ・・哲学なぞに嵌る」・・という
「俗物主義的学問感を捨てる・・」・・それが「哲学の入り口」です。
自分の足場が揺らごうが、経済的地位が下がろうが・・「真理は真理」
・・・(せめて)それを知ってから死にたい・・というのが「哲学」であり、
それ以外は、大学で教授をやっていようが、自著の「哲学書」が何冊売れようが、
「『職業哲学者』ではあり得ても、『哲学する人』」ではありえません。
638 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 23:34:58
確かなものなんて、
いつか必ずだれもが死ぬこと以外ないだろ
639 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 23:35:04
>経済的地位が下がろうが
いや、そういう意味で足場と言った訳じゃないので…
いや、そういう意味かな???もうちょっと考えさせて。
哲学者最高位=くろしろかな?
働くために仕事を探すとか、食う為に仕事を探すとか、食いっぱぐれたくないから働いているだけとか
643 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 00:01:19
>>637 「地球から観る太陽は八分前の太陽である真理」
それは君や僕らのこの脳がそう理解しただけで、真理とは違うのではないか?
人は理解しえるもの以外理解できない
理解と真理は同じものか?
また、この脳が理解できることを理解するものが、人間か?
では、人間が理解できない世界を理解する生きものがみる世界は、
人間が理解できないのだから真理ではないのか?
どちらも理解しえているのだから、
同じ世界を違う角度で観た違いによる理解の相違ではないのか?
人が観ている世界なんてこの体をフィルターにしてみることしかできないんじゃないか
フィルターが違えば違う世界を観れるかも?
だけど僕ば真理を知ることはできないにしてもこの世界に生きているのだから真理の面影ぐらいは触れれると思っている
後よかったら、なんで僕は馬鹿で不細工なきもでぶなのか?についても
どう思うか答えてよ
>>643 それよりもっと浅い段階で、
自然科学において事実と了解されるものは、
あくまで(いかに後々修正される可能性が少なくとも)暫定的なものであるはずです。
つうか、真空中の光速度が誤りだと広範にわたる修正が必要。
646 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/05(月) 00:17:12
>>643 「光の速度」について、100年以上前に「グローバルに自明」である
事を争っておられるのですか?
まさか400年以上に確立した「速度の定義」・・・「距離/時間」を
「争う」つもりはないですよね?
「太陽から来る光(電磁波の一部分)」が「我々の眼球」に到達するので、
我々は「太陽」を「視認」できるのです。
太陽から来る光(電磁波)の「速度」は「この宇宙普遍」・・約30万km/秒
です。
従って、「眼で見ている太陽」は「約8分過去の太陽」であり、「見ている瞬間」に
「太陽が実在しているか爆発しているか」を観測(確認)する手段は「皆無」です。
647 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 00:20:41
>>644 ごめん、おれ馬鹿だから
君のいいたいことが良くわからない
それはつまり、科学における世界観をおれに教えてくれた、でOK?
648 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 00:21:50
「速度の定義」・・・「距離/時間」
これを認めたとしても、分母分子ともglobalには自明でないのだよ
>>646 地球の大気で光速度が減速してるかもしれない。
そうじゃなくても、真空中の光速度としているもののコンマ何桁の数値が
違ったら137億光年と言う数ならかなりの誤差が出るはず。
機械の言うグローバルとは、
世界各国共通のってことだったりしてww
宇宙全体の構造が既知の自明なものでない以上、
globalな距離関数を自明としてしまうことはdでもない暴挙なのだよ?
そもそもglobalには時間と空間の直積ではないのだし
仮説は、建築する前に設けられ、建物ができると取り払われる足場である。
足場は作業する人になくてはならない。
ただ作業する人は足場を建物だと思ってはならない。
ゲーテ
653 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 00:30:19
>>647 いえ、真理についてです。
自明と理解できることと、真理とは別物じゃないですか?
自明が正しいとする自明はないじゃない?
だから、太陽が八分前というのも真理では無いのではないですか?
自明が真理というなら太陽が八分前というのも真理でしょう。
(僕がきもでぶのはするーされてら うぇ うぇ
>>646 >「この宇宙普遍」
太陽系自体が動いている事は計算に入ってないだろ。
というか今はまだ入れられない。ハズだ。
655 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/05(月) 00:37:29
>>650 「世界共通のイスラム教原理主義自爆テロリストに関する評価」
というモノが「あり得る」のなら、おっしゃる意見は理解できますが、
「そうではない」・・というのが「厳然たる世界情勢を観測した結果の
『真理』・・」なのです。
「自分の命を投げ出してアメリカの政治支配に抵抗する」・・そういう思想
も、「現時点」では「一つの主張」ですので、「真理はアッラーにしかない」
と爆弾テロリストに抱きつかれたとき、・・「あのイスラム教を信じないといけませんか?」
とかの「勘違いな平和ボケの質問」をしかねない(即死刑でも)のが「現代日本人」なのです。
>>583 自然科学は本来そうあるべきでしょうね
心身論は哲学問題であり、観察や実験を通じて理論を吟味することが困難なテーマです
しかし、答えが出ないことについて考えることも有意義だと俺は考えるし
哲学を自然科学と切り離して空想だけで考えるのも好きではない
哲学と諸科学は互いにフィードバックできると思う
科学が暫定的な仮説に過ぎないとしても、自然科学の成果から哲学問題を振り返ることは有意義だし
科学とのフィードバックを切り離すならば、哲学は本当に無駄なものになってしまいそうだ
精密だなぁ
658 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/05(月) 00:47:20
>>654 >太陽系自体が動いている事は計算に入ってないだろ。
うーむ。「あまりに痛い」レスですが・・・そもそも「太陽系自体」
の「銀河系中心に対する移動速度」は計算されましたか?
「銀河系」の中では「太陽系」は「知床半島のホームレスの穴」以上に
「ちっぽけな太陽」ですが、確かにその「ご立派な銀河系」内で太陽は動いております。
「君たちの『太陽(系)』が、どれだけ・・・・・どーれだけ・・どれだけと言っても
言い切れないほど『どどどちっぽけ』に動いているか認識する劇場」を準備を始めております。
請::ご期待
>>646 時間、距離を自明なものとして
400年以上に確立した「速度の定義」・・・「距離/時間」
でもって
光速=「光の速度」という認識
これじゃあ特殊相対論以前の世界観ではないですか?
いやはやですよ。
今やi915とかジ(ゼ)オンプロセッサ並みのスペックが家庭用とされているからな
>>656 > 科学とのフィードバックを切り離すならば、哲学は本当に無駄なものになってしまいそうだ
ここでの哲学談義は本当にそういうものになっていませんか?
>機械
機械君は一度「真理とは何か」とか考えてみてはどうか
機械君は「何が真理か」についてはよく知っているようだが
「『真理』という言葉はどのような時に使用されるか」については吟味不足に思える
>>652 分解能が高い展開概念と擬似的な臨場空間が物理的に確立されている場合デ(ィ)ジタルはアナログを凌ぐ倍率…‥
664 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/05(月) 00:57:13
>>659 相対性理論の登場で「光の速度」の観測結果は変化したのですか?
変化したというならば、
どういう「特殊な状況」・・ブラックホールや巨大恒星の近くでは「こう」
とか・・・の「精細なご説明」をお願いいたします。
「巨大な重力の白色矮星付近で『重力レンズ効果』が観測された」程度の
常識は「抜き」で・・お願いします。
>>661 まぁね、そう思うよ
例えば俺の知ってる唯物論批判を見ると
唯物論を
1徹底的行動主義
2汎心論
3随伴現象説
4同一説
とかに分類して、
1より4の方が吟味を受けて多くの批判を説明できるということと
また、それぞれの説明の困難な部分が指摘されている
ここでの唯物論は決定論と融合しているからもっと素朴な世界観なのだろうとは思うが
>>658 >確かにその「ご立派な銀河系」内で太陽は動いております。
だからー。真空中の光速度というものが僅かでも誤差があれば
銀河系中心への距離はどれだけ変わるの?
人工衛星で真空中の光速度が分かるっていっても、それは
太陽という重力圏内近傍の値で太陽から離れたら
光速度が変わるかもしれないということは無いですか?
>>666 僅かな誤差なら、僅かな距離しかかわらんぞ。比率的に無視できる。
>>666 お前が思いつくような事は、天文学者はちゃんと考慮している。
どれだけの精度で測定されているか調べてから言えよ。
>>656 地球の殆どはマグマでギャンブラーが吸寄せられると同様に何らかの磁力が可換していて劣化することがない誘電と稲妻
670 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 01:04:00
この馬鹿はGPSを知らんのか
>>664 afoまるだし。
どちらをより基礎的なものとしているか(定義に際して)ということだよ。
400年前の時間・距離の概念と、相対論以降では全く意味が違う。
たとえ我々の住む通常スケールの世界では「観測結果」がほとんど同じだとしてもね。
672 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 01:04:36
>>671 点火プラグの話とか?イリジウム合金とか転嫁フラグなど(言迷
> 相対性理論の登場で「光の速度」の観測結果は変化したのですか?
この質問は相当重症だよ? 変化したかだって??w
特殊相対論すらまるでわかっていませんな。
> 変化したというならば、
> どういう「特殊な状況」・・ブラックホールや巨大恒星の近くでは「こう」
> とか・・・
挙句に一般相対論(重力理論)とごたまぜにしてるし。
そっちが関ることはひとつも言ってないのに。終わってま砂。
675 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/05(月) 01:10:57
>>665 だから「137億年前」が「プラスマイナス5億年」である「可能性」
はある・・・ということに拘泥して、
「約150億年前に宇宙が誕生した」・・・という「周知の真理」から
逃亡する・・・試みを・・「心理的に分析する」・・と、
@基督教的世界観を壊したくない
@基督教的世界観を壊したくない
A基督教的世界観を壊したくない
B基督教的世界観を壊したくない
C基督教的世界観を壊したくない
D基督教的世界観を壊したくない
・・という5個の原因に帰着そます。
「逆に言うと」@〜Dの「結論」を出すために「ああだこうだ」と
「屁理屈を考える(無意識を含めた)教徒達」が、「真理」を隠蔽しよう
・・とあらゆる手段でレスしてきます。
「宗教はアヘンです」・・そう言ったマルクス主義も「アヘン」です。
「機械的唯物論」・・・だけが「真理」です。
>>666 もしかして、銀河系中心への距離を光速度=移動距離の時間微分の関係を
使って距離を算出してると思ってる?
>>675 キリスト教的世界観は予定説に代表されるように決定論的世界観なのだが
>>676 いや、知らんけど、そう思ってたよ。
じゃあ、ドップラー効果かなんか?
679 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/05(月) 01:20:11
>>677 オレオレさんは自分が最期の審判以後「天国に行くに違いない」
と楽観されておるようですね。
まあ、それも「自己欺瞞の方法と技術」・・近日刊行のバリエーションですが、
「あなた自身」は、フーブリスの咎により「地獄落ち」だと誰もが思っております。
「気にしない」のなら・・結構です。
>>679 最後の審判は来ないと思ってる人間だ
機械君はキリスト教に詳しいみたいだね
681 :
偶因論 ◆dIcXXXXlPE :2005/09/05(月) 01:23:30
>>677 予定説はキリスト教神学においても一説であり、定説ではないのだが。
>>678 そんな方法だった気がする。うろ覚えだけど。
そもそも、銀河系中心までの距離も所要時間も分からん状態で、速度だけ
分かってても距離に換算できない。
683 :
偶因論 ◆dIcXXXXlPE :2005/09/05(月) 01:26:46
新しい物は開発費が凄い。だから普及してから、おこぼれを頂くが安定要素
684 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 01:27:50
あれぇ?おれの653スルーされてらぁ。
もう少しどう思うのか聞きたかったのに
685 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/05(月) 01:28:20
>>680 では、ご自身の「肉体死」以後に「魂」とか「霊魂」は残るのですか?
仮に、残るとしたら「それ」は「墓標上を浮遊する」のですか?
それとも「永遠に退屈である」天国・・か「永遠に苦痛を味合わせてくれる」地獄
・・・どちらにいらっしゃるのですか?
>>682 俺はキリスト教には詳しくないが
世界はある方向に決定していて
出来事のすべては神の全能の力によって決定されている
というのは神学的決定論と呼ばれる
キリスト教的世界観は決定論と相性がいいように思えるが
687 :
偶因論 ◆dIcXXXXlPE :2005/09/05(月) 01:31:48
>>682 無論ナビシステムが完全普及するとすると大型車が速度リミッターを装着しなければならないと同様になる
690 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/05(月) 01:35:11
>>686 「決定論」の定義は「誰(例え神)」であろうが「決定された事物の推移」
を「一部たりとも変更できない」ということです。
「変更できない」という意味では「神」も「自分の自我」も「同レベル」です。
>>690 誰が決定するかは問題にならない?
神様が決定したことであり神様以外は誰も変更できない
だと神学的決定論だろう
694 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/05(月) 01:46:36
>>691 (現在対立して殺し合っている)
@キリスト教の神:エホバ&イエス
Aイスラム教の神:(救世主)マホメッド
Bユダヤ教の神:エホバ
C@〜Bの「どれ」が本物で、どれが「偽物」であるか?
D「C」の対立する見解のために「殺し合った人数」は歴史上「何億人」か?
Eそもそも「その対立」に「意地の張り合い」以上の「高邁」な「根拠」はあるか?
695 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 01:56:22
それよりも科学技術自体が作り出している先進国-途上国の
構造収奪で死んでる人数の方が多いよw
>>686 予定説は、全能よりも全知との兼ね合いで言い出されたんだったと思う。
「神はなんでも知ってる」
⇒「俺らがいつどこでどうするかもすでに知ってる」
⇒「誰が天国に行くかもすでに知ってる」
こんな感じの論法。
しかし論理的には整合性があるものの、天国に行ける者が最初から決まっ
てるなら信仰や宗教的行為は無為になってしまうといった批判がある。
697 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/05(月) 02:03:16
>>696 >信仰や宗教的行為は無為になってしまうといった批判がある。
そうですね。みんな「無為」だと知っていながら「従っている宗教行為」
は「趣味の領域」と「全く同じレベル」です。「星占い」「血液型」・・
「趣味の領域」を「矯正」すると「憲法違反である」と言われますが・・
第9条は「違反されていない条文」・・・という程度の解釈で「良し」とする
民族なんですから・・・あはははは・・・ですね。
700 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/05(月) 02:10:14
>>695 そこまで、「かっこいいことが言いたい」のなら、『せ・め・て』
>構造収奪で死んでる人数・・・の
@「構造収奪」の(実際的)内容を説明してください。
A「死んでいる人数」の数と@との因果関係を「説明」して下さい。
701 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 02:15:54
↑でしたら貴方様も「宗教」と「死亡者」の因果関係を証明してくだされw
「自分が本物を知っている」という"確信"が他人を尊重する精神を阻害する
「神」という名だろうが「物質」という名だろうが
議論ではなく殺し合いをしなければならないほどの対立の問題点は名称にはない
まあ仮に、決まっているとして、
どう決まっているかを事前に知ることはできるの?
>>699 あらゆるもの、あらゆる神は、在りて在るもの(=YHWH)の部分集合。
>>703 自分が干渉できないことならば、ある程度知る事ができると思います。
>>697 的外れ。少なくともキリスト教では、そういう意味で予定説が批判された
わけじゃない。
キリスト教徒はみんな天国に行きたいんだよ。そのために宗教的努力をし
てる。でも結果がすでに決まってるなら、努力の甲斐がなくなってしまう。
>>705 日本の次のロケット打ち上げは成功するかしないか
これは研究に携わるかかどうかは関係なく知ることができない
「明日になってはじめてわかることを今日知ることはできない」
とはこういうことさ
>>706 >でも結果がすでに決まってるなら、努力の甲斐がなくなってしまう。
それは違うでしょう。
決定論では、努力するかどうかが決まっています。
>>707 >これは研究に携わるかかどうかは関係なく知ることができない
それは違いますね。テロリストは知っているかもしれません。
>>709 テロリストは自分たちのテロが成功するかどうかをどうやって知るのだろう?
>>710 それはテロの方法によると思います。
気が付かなければ100%成功するテロの場合、直前には成功することがわかるでしょう。
>>705 知ることができないこともあるということ?
>>711 >気が付かなければ100%成功するテロの場合、直前には成功することがわかるでしょう。
「気が付かなければ100%成功する」とはそれ自体決定論の発想だ
説明部分において決定論を密輸入しているのだから
決定論が予測可能であるということの説明になってない
>>712 それ以前に、どういう条件下で知る事ができないとするかという問題もあると思います。
>>713 決定論は、系全体の完全な予測の不能性を保証しています。
>>715の文章は予測が不可能だとしても、それがただちに決定論の論駁に結びつくわけではないということだ
たしかにそのとおりだ
認識的に非決定的な立場をとっても、形而上学として決定論の立場をとることはできる
しかし、そのような立場は形而上学としての非決定論の可能性を考慮していない
>>716 可能性は考えてますが、独我論と同じで、非決定論は無駄ですから。考慮するに値しません。
また、原理的に決定論を否定する事は不可能です。
さらに非決定論は有害。
選択の自由はこの世に存在していません。選択している自由感ならありますが。
日常的な意味であれば、意識は選択していない瞬間はありません。
常に選択の連続であり、それが意識の流れになっています。
グラスの中で揺れる水のように、外部から作用がない限り、
時と共に決定論的に波打つことしかできません。
選択に理由があるならば、同じ状態の中で何度やっても同じ選択をするでしょう。
理由のある選択の意志を保証するのが決定論です。
選択に理由があっても、その意志が因果的物理作用に関係なく勝手に変えられてしまうのが、
非決定論です。 非決定論の世界では自由意志が妨害されます。
自由意志は、それが未来において決まっているかどうかは無関係で、その意志が妨害されないことが重要です。
なので、
決定論(自由と秩序) vs 非決定論(不自由と混沌)
という図式になり、
非決定論の非決定性は、自由意志を妨害する敵になると思います。
自分の時間が世界の中心でも、最前線でもありません。時空は相対的なものです。
「時間の瞬間」というのも自己にとってはそうですが、観測する世界は常に過去のものです。
8分前の太陽を見て、1秒前の月を見て、10億分の1秒前の隣人を見ているわけです。
自分以外の未来は既に先に進んでいます。
自己が認識できるのは自分いる場所と瞬間だけで、独我論でないならば、
自己のいる時空以外にもあらゆる時間と空間は既に存在しています。
未来も過去も一つしかありません。神が作った法則、制限には誰も逆らえません。
円周率の値を変えることが出来る人間が出てきたら、認識を改めますが、その可能性は0でしょう。
哲学的に考えるなら、円周率を変えられたり、世界が1秒前に出来た可能性、自分以外は
仮想現実であるシミュレータの可能性など、いくらでもあると思います。
でも現実には、そんな想定をしてても幻想世界を楽しむ以外何もないでしょう。
「決定論」は過去が存在する程度に、尤度の高い仮定だと思います。
>>714 私はその点には興味がありません。
私が質問しているのは、「知ることができないこともある」が真かどうかです。
この命題の真偽には「どのような条件か」は影響しないと思いますが。
仮に、条件によって知ることができたりできなかったりするのであれば、
この命題は真であり、どのような条件でも知ることができる場合のみ、
偽であるということであって、条件の内容は命題の真偽とは関係ありません。
音楽理論は短調の和音は暗く感じることを前提に構築された体系であるから、
短調の和音はなぜ暗く感じるかを音楽理論では説明できない。
同様に、物事は客観的に分析できると信じるためには自らの主観に
全幅の信頼をおいていなければ不可能。よって、客観的であることを
旨とする現在の自然科学には主観を説明することはできない。
このことを分からない人がいるから議論が紛糾する。
>>720 >私が質問しているのは、「知ることができないこともある」が真かどうかです。
そういうことであれば、馬鹿には知る事ができないこともあるから「真」になります。
「知る」というのは能力ですので、主体のスペックを無視する事は通常は出来ないと思います。
>>721 客観と主観は、同じ事象の表裏に過ぎないため、説明不可能とはいえないと思います。
>>722 そうすると、ある人が、ある事柄について、
事前にどうなるか知ることができない程度に馬鹿であった場合には、
その事柄が、事前に決定されているか決定されていないかということの違いは、
どのような影響がありますか?
>>724 肝心な記述が抜けてました。
× どのような影響がありますか?
○ その人にとってはどのような影響がありますか?
>>724 どんな状況下であれ、「決定されていない」とは原理的に言えないため、違い自体が存在しないでしょう。
必然である事象が、主体の能力の低下に従って偶然性が高くなるというだけのことです。
727 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 03:11:16
>>726 決定されていても、決定されていなくても、なんの違いも無いとすれば、
決定されているかどうかを議論することに、何の意味があるのですか?
>>727 違いが無いのは主体にとってであり、それ以外の人には意味はあります。
>>727 「主体以外の人」には、具体的に、どのような違いがありますか?
730 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 03:21:01
★★★ また韓国、意図的な、でっち上げ反日報道 ★★★
韓国大手テレビ局の8月15日番組「日本軍731部隊の生体実験」が、実は真っ赤なウソ、中国映画の盗用でっち上げだった。
韓国マスコミは反日番組で、この種の歴史歪曲(わいきょく)をよく行うが、今回の事件で 「日本攻撃ならウソも平気」 という腐った民族性が改めて確認された。
番組では実験の様子を「白黒の記録フィルム風」に紹介したが、視聴者から「映画の場面と同じ」との声が上がり、悪質なでっち上げが露呈した。
この中国映画はカラー作品だが、テレビでは本物に見せかけて「白黒」に変えられており、意図的なでっち上げであることは明白。
日本の 民 主 党 【岡田党首】 は、日本国内に数十万人もいる反日的な在日韓国・朝鮮人に、日本の選挙権を与え、 民 主 党 に投票させようと画策している。
在日韓国・朝鮮人の大部分は、戦後のドサクサで勝手に密入国した不法滞在者とその子孫だが、「強制連行された」と真っ赤なウソをつき、被害者のフリをして日本国内に居座っている。
収入あっても税金払わず、さらに毎月二十数万円の生活保護をもらい、日本人の悪口を言いながら優雅に遊び暮らしている。
>>729 一例をあげるなら予測。星や銀河の未来の姿に価値や意味を見出す人もいます。
>>731 予測とは、「どう決まっているかを事前に知ること」のことですか?
>>733 そうでない場合というのは、どのような場合ですか?
>>734 SYNもいなくなったようだしレスするが、
君の意図もまったくわからないわけではないが
やはりある種の議論を無意味というのは俺は好きではない
たしかに表現の問題に固執しすぎることはわれわれが知的に新しい観点を得ることをもたらさないが
議論に参加し議論し続けることで思考が練られることもあるのではないか
俺はこのスレでおもしろい意見を見ることができたと思ってるし参加してよかったと思ってるよ
ミツバチの件にしても量子力学にしても
未だ俺はわからないことだらけだが、以前より見識を深めることはできたと思ってる
人間には知覚や思考の限界がある。
たとえ決定されているとしても、人間にはどのように決定されて
いるか分からない。つまり人間にとっては、決定されていようとも
されていなくても、結局は「決定されていない」というのと同じ事なのだ、
という説に僕は共感します。
>>735 いえ、私は、「無意味である」とは申し上げていません。
「何の意味があるのか?」と伺っているだけです。
つまり、「議論すること」には、「おもしろい意見を見たり」、
「見識を深める」といった意味があるということですね。
しかし、これは「議論すること」一般についていえることではないでしょうか。
(あるいは議論に限らず会話全般について)
そういった事それ自体を目的とするのであれば、
「決定されているかどうか」という問題自体の意味は無くても構わないことになりますね。
主婦の井戸端会議や酒場の雑談のように。
>>737 決定論について議論することの意義としては倫理的なものがある
責任は別の選択をできる可能性があってはじめて吟味することができる
われわれは不可能なことについて責任を求めるようにはできていない
もし、世界が法則によって一義的に決定されているとしたら、倫理について考えることは不毛になってしまうだろう
もちろん議論もだ
議論をするのはそれによって正しさを探すためではなく、
物理現象によっておきる世界のしゃっくりと同じことになってしまう
これでは真剣な議論は望めないし真剣に見えても何も得られないことになってしまう
議論や問題の意味をしつこく質問するのは
議論によって答えが一義的に決まることを要求しているからではないだろうか
しかしそれは不可能な要求なのではないだろうか
理想的過ぎる要求は要求の実現の困難さから悲観主義に陥るものだ
しかし問題は不可能な要求をする側にあるという見方もできる
PCの調子が悪くて表現をはしょった
レスがあればもう一度きちんとまとめる
740 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/05(月) 06:54:25
もし唯物論が正しければ
そして決定論が正しければ
善も悪も、倫理も道徳も無意味な価値観となる
この世界の全ては、ただ物質が現象しているだけなのである とする唯物論の価値観からすれば
『価値観』そのものが無意味なのだという事になる
ゆえに価値観を求める『思想』そのものが無意味だという事になり
唯物論そのものも、無意味になってしまうのだが
唯物論者自身も、それに気づいていない
全てが無意味
それが唯物論
全てが機械的に計算された通りに現象するのみであり
そこに、人間が取るべき方向性などという価値観は存在しない
こういう価値観に人心を導く危険性があるのが唯物論なのだ
実際、共産主義革命の根幹に、唯物論がある事はご存知の通りだ
それはさておき
世界の全ては物質が現象しているだけなのであり、全ては物理現象で論述できる日が来る
というのは正しいのだろうか?
一般人は気づかないのだが、唯物論者の論法は
全ての物理現象は、現象である という所で論じているだけなのだ
もし、全ては物質が現象しているだけなのならば
無形なる価値観を持って情報交換し、互いに影響しあい社会を形成している人間
この人間に、価値観や感情などのクオリアは必要ないのであり
また物理現象であるならば、ありえない事なのである
物理現象をいくら研究したとしても
クオリアの起源を解明できる根拠など、どこにもありえないのだ
全くのデタラメである
唯物論者は
そのクオリアを感ずる「主体」である『私』の「存在性」を無視しているのである
というかアホ
>>740 >そして決定論が正しければ
>善も悪も、倫理も道徳も無意味な価値観となる
あべこべだな。
決定論が正しいかどうかなど分からない。
もし正しいと証明できるようになったら、人間が完璧な神の存在
になったという事だ。完全な存在なら倫理も道徳も必要ない。
人間が神になる、そんな事はありえないので、君の意見は前提が間違ってる。
決定論が正しいかどうかなど分からないんだよ。
742 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/05(月) 07:23:43
>>741 はぁ?
バカ?
ちゃんと話が把握できてるの?
ちゃんと読まずに反論してくるヤツばっかりだな
743 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/05(月) 07:29:49
こういう価値観に人心を導く危険性があるのが唯物論なのだ
実際、共産主義革命の根幹に、唯物論がある事はご存知の通りだ
この2行は、文章として失敗
削除します
いい加減自作自演は飽きた(゜凵K)
745 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 08:07:05
>>741 背理法が分からんのか。ゆとり教育の弊害だな。
>なので、
>決定論(自由と秩序) vs 非決定論(不自由と混沌)
>という図式になり、
>非決定論の非決定性は、自由意志を妨害する敵になると思います。
まあ、こういう奴のいう自由意志と言うのは、全体主義国家の自由意志というのに
ならざるを得ないからダメなんで、最高位の言う事はあってるんだが。
こいつはルソーの「一般意思」を再発見して「自由意志」と呼んでるだけなんだよな。
746 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 08:23:46
>>742 >>744 いや、君達の考えが浅いだけなんだけどね。
唯物論は正しいと証明できないが、しかし唯物論は一つの手段ではあるんだな。
これ、バカには分からないんだろうなあ。
747 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 08:28:49
>>746 手段として劣っているというのが歴史的に証明されているからダメだといっているのでは?どうしても全体主義に繋がるし。
論理学の重要性を引き下げ、経験を重視しているのが現代の哲学だと思われますよ。
論理学で押したければ数学基礎論や情報科学でも勉強した方がいいのでは?
それでも(記号)論理学や数学基礎論や情報科学から人生の指針を得ようとするのは
バカげているとおもわれるんですが。
哲学者最高位くんさぁ
折角君の重大なミスをついたんだから
スルーしないでよ
749 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/05(月) 09:19:11
751 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/05(月) 14:04:46
>>750 はぁ?
あれのどこが、私の重大なミスを突いてるわけ?
>>737 >決定論について議論することの意義としては倫理的なものがある
>責任は別の選択をできる可能性があってはじめて吟味することができる
仮に、別の選択をできる可能性が存在したとして、
責任を問われる人が、責任を問われている行為について
それを為した(為さなかった)時点で、その存在を知ることができなかった場合、
その可能性の存在の有無には、倫理的に有為な違いがありますか?
あるとしたら、それはどのようなものですか?
他の可能性はその行為の概念を打ち消す結果となるものであると
異なるものとして考えられるのではあるまいか。
754 :
素人:2005/09/05(月) 16:20:40
>>736 まともな人キタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ ! ! !
勿論、こうした意見はスレ違いでありこのスレに来る必要がない、という指摘は甘んじて受けねばならないが、
こうした一般的感覚がどこから生じているのか?
この感覚を持つこと及び各種決定論的思考を知らないということが、何か(日常の)不利益になるのか?
もし決定論的思考を持たねばならないのであれば、万人が物理学や量子力学等を修めねばならないのか?
決定論的思考は、そういった専門知識無しでも理解・納得が可能なものであるのかどうか?
「ぶっちゃけ、不要なんじゃない?個人の趣味で勝手に考えとけばいいじゃんw」という批判にどう答えるのか?
或いはまた、「決まっている」というのはどういうスパンのものなのか?
刹那的直前に逐次決定してゆくのか?数分・数時間前に決定するのか?
ある程度の時間・年月の幅を持ってもなお決定しているのか?
100年200年はもとより、気の遠くなるほどの過去から既に決定しているのか?
倫理道徳との整合性はつくのか?(←その前に自由意志の問題が先であろうが・・)
etc.etc.etc.
という視点があっても面白いのでは?(「論点がまとまりかけたら脱線w」がこのスレのデフォのようではあるw)
(一言さんは、この点について誠実だったなぁ(  ̄_ ̄)°°° 惜しい人をなくしました・・・ (-人-) )
或いは、
>>737の言うように
まさしく議論の為の議論、やりとりを楽しむスレであると開き直るのも一興かとw
>>754 >もし決定論的思考
決定論的思考という思考様式は無いです。
もしあるとすれば決定論的知識のみ。
756 :
素人:2005/09/05(月) 16:33:21
あ、居たw
>>755 いや、何度も、決定論にもいろいろあるよってレスがあったから
まとめて称するにはどうしたらいいかな、と。 (^^;)
ま、確かに幅のありすぎる括り方だったね。けど、他に言い方思いつかない・・・ orz
決定論と倫理道徳とは、文字通りいかなる関係もないと思うがね。
「決定論が正しいとすると、人の行為の責任を問うことができなくなる」
という考えがあるが、決定論が正しいことによって「できなくなる」のは
「決まった未来を変えること」だけだろ。
決定論によれば、倫理も道徳も「人の行為の責任を問う」ことも、因果関係に
従って過去ずっと行われてきた人間相互の「自然現象」なんだから、
「決まった未来」の中でも変わらずに行われていくだけだろう。
それが変化する要素が、どこにあるというんだ?
>>756 決定論的思考というと、
決定論という理論体系があって、そこから(演繹的に?)導きだされる
様々な考え方。
というイメージでレスしました。しかし、決定論という
理論体系から導きだされる特定の考えはまず無いと言って
いいと思います。
ですから「決定論を指示すると倫理的にはこうなる」
あるいは「こう考えなければならない」というような
発言は私としては?としか言いようが無いのです。
>「決定論が正しいとすると、人の行為の責任を問うことができなくなる」
>という考えがあるが、決定論が正しいことによって「できなくなる」のは
>「決まった未来を変えること」だけだろ。
犯罪を犯すことがその犯罪者以外の意思によって決定済みであれば、
責任を問えなくて当たり前だと思うが。
犯罪を起こすと決まっていたら犯罪者の意思では変えられないのだろう?
>>736 わからないだけで、決定されていると同じことでもある。
>>760 >犯罪を犯すことがその犯罪者以外の意思によって決定済みであれば、
ここが間違い。
正しくは、その犯罪者の意思によって決定済み
>>762 じゃあ、人間は自分の意思で未来を決定する事ができるというんですね。
それではどの瞬間から未来を変更不可能になるんだろう。
>>760 つまりお前は、仮に決定論が証明されたら、責任を問えなくて当たり前と思うわけだ。
キチガイだな。
世界が決定論だろうとそうでなかろうと、法律も倫理もあり続ける。アフォにはわからんかもしれんが。
>>763 どうしてそうなるんだ?意思のあり方が決まっているだけだと言っているのに。
>>764 本人に選択の余地が無い状態で犯罪が起きた場合、責任を問えなくて当たり前じゃないか。
例えば、ボタンを押すと別の人が死ぬ。しかし押さない間は刃物が進んできて自分が死ぬ。
その選択を10秒以内に行え。という状況の場合で、ボタンを押したからって責任が問えますか?
責任は押した人にあるのでなくその状況に置いた者にあるのが当然ですよ。
>>766 そんなことは関係ないだろ。
仮に決定論であることが証明されても、この世界はこのままだ。
そんな中で、この世から法律や倫理を無くせとも言うのか?
>>767 自分の意思以外で決定されてたら法律も倫理も意味がない。
それは
>>766のようなこと。
自分の意思で未来が決定されるのなら、非決定論である。
犯罪を犯す場面で、いつでも、やるかやらないか選択できるのなら
未来は決まっていないということ。
>>768 その選択すら決まっていたらどうするんだ?それが証明されたとしてだが。
お前が法律も倫理も意味がないと思ったからといって、
世の中にとって意味が無いわけじゃないだろ。ふざけんな。
決定論の世界でも法律も倫理も意味はある。
771 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 17:55:18
>>768 実際には、犯罪を犯す場面で、いつでもやるかやらないか選択できる気がするだけで、何を選択するか決まっている。
つまり、未来は決まっているということ。
>>770 >決定論の世界でも法律も倫理も意味はある。
ほほー、どんな意味があるの?
>>766のボタンを押した人の責任を教えてもらおうかしら。
>>766 「責任が問えますか」とあるが、「責任を問う」というのは事実行為であって、
一定の前提から論理必然的に「責任を問わなければならない(問うてはいけない)」
ことなど、有り得ない。
その意味では、誰のどんな責任だろうと、問おうと思えば「問えない」こと
はない。例えば殺人犯の3軒隣に住んでいる人の「責任を問う」ことですら、
やろうと思えば「できる」。しかし、現実にはそんなことを「する」人は
いないし、いれば世間からは狂人扱いされる。すべては世間の「意識」が
決めることだ。
ある書物に出ていた例だが、例えば銀行強盗に刃物を突きつけられた行員が
金庫を開けて金を渡した場合、その行員は、現代では責任を「問われない」。
しかし、これが江戸時代の武士であれば、その武士は社会的にも
「責任を問われる」だろう。どちらの場合も行為は「必然的」だったかも
しれないし、そうでなかったかもしれないが、そのことと「責任を問われる
かどうか」は、関係がない。責任を問うかどうかは、社会的な必要性を
満たすための、一種の「政治的決定」だと思えばいい。
>>735 韓国の海苔がカチカチで固すぎて食べ難いだけだけど
775 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 18:12:24
ある放火魔は火事を起こして人が集まってくると興奮して初めて射精する。
その放火魔は、それ以外の状況では性的無能者である。その放火魔に、
放火に執着するなと説得してそれが通るだろうか?そうじゃないから
放火魔は放火魔なのだ。(決定論など)思想に執着するというのも
同様の現象だ。説得すれば納得すると言ったものではないのです。
776 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 18:16:46
>>772 洗脳されて犯罪を犯しても裁かれて当然だ。
信者が麻原の洗脳の超能力で犯罪を犯してもだ。信者が麻原の力で信者にされてしまっていたとしてもだ。
決定論の世界でも法律も倫理も意味がある。お前にとっては意味がないかもしれんが。
>>776 もまいが洗脳された時の為に今言った事を覚えておいてね
NAS6 ◆o1AYEkZmQUは馬鹿だな。
責任がなくなるからという理由で、決定論を否定しているが、それは真理とは無関係。
実際の世界は決定論かもしれないしそうでないかもしれない。
こいつは、責任や倫理の問題とは別だという事がわかっていない。
779 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 18:25:48
自分が、ある罪を犯してしまったとする。
「なんであんなことしちゃったんだろう・・・orz」
そうか、あそこで自分がこの行動に出る事は決まっていたのか・・。しょうがないな・・。
では、『何があの行動をとらせたのだろう?』・・・・・延々と過去の経験の分析(
>>352後段
>>364的考察も含む)。
そうか・・こういう過去があるんだから犯罪犯しちゃってもしょうがないな・・。
どれだけがんばったって、こういう過去やこういう経験からはこんな犯罪者しか生まれないよね・・・。
死んだ方が世の中のためだな・・・。さようなら・・・
>>776 「裁かれる」のは当然だわな。
どのように「裁かれる」のかが問題なわけで。
洗脳されてる場合は責任能力を認められないので刑罰は与えられません。
決まっていても誰も知らないだけ。
日常生活は非決定論的に考えればいいだけじゃないの?
それが決定論の世界の中であっても。
782 :
◆EvilehrjfI :2005/09/05(月) 18:32:41
>>764>>772 連帯責任については部活などで落ちこぼれ即ちヒキコモリみたいな香具師が出来る様になるまで模範的に周囲も合わせなければならない
>>778 >責任がなくなるからという理由で、決定論を否定
今回のレスの中でどこで決定論を否定した?
決定論では倫理や法律は意味がないと言っただけ。
784 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 18:44:31
>決定論では倫理や法律は意味がない
なんでそうなるんだ?お前にとって意味がないだけじゃないのか?
俺とっては意味があるのまで否定されているようで気分が悪い。
意味が無い事を押し付けんなよ。
785 :
◆EvilehrjfI :2005/09/05(月) 18:47:27
786 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 18:48:13
>>784 決定論は現行の法体系と相性がよくないんじゃないか?
現行の法体系にあわせると、全ての人は神に洗脳されているから
一切の罪が問えない、とか、そういう解釈になってしまわない?
罪を犯すのも必然なら、罪を問うことも必然。
何の問題があるのだ?
788 :
台風 ◆EvilehrjfI :2005/09/05(月) 18:53:52
789 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 18:59:27
>>789 そういう理由で決定論を論ずる事は本末転倒だと思うが。世界が法律に合わせてくれるわけでもない。
例えば人間を作った宇宙人が現れたとして、俺らが彼等のロボットに過ぎないと証明して去っていったら、
俺らは、責任を問うのをやめるのか?違うだろう?
792 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:06:48
>世界が法律に合わせてくれるわけでもない。
世界って、790の世界観の事???そりゃ世界観なら簡単には変わらんから別にいいが、
世間で普通に生きるときは決定論は引っ込めて生きているんだろ???
どういう風に決定論を信じるようになったのさ???
>>789 ならないよ。弁識に従って行動する場合は必然的にそうするし、
しない場合は必然的にそうしない、というだけだろ。
弁識に従って行動する能力のある人は必然的にそういう人だし、
ない人も必然的にそういう人だ、というだけ。
決定論が正しくても間違っていても、既知外は既知外だし
泥酔者は泥酔者だし普通の人は普通の人だ。
既知外や泥酔者を「心神喪失」としてその責任を問わない、
というのは、単に現行刑法のお約束。もちろん、そういうお約束が
出来上がるのも、因果律による必然。
どこに問題があるというんだ。ちなみに俺は決定論者でも何でもない。
というか、決定論が正しかろうと間違っていようと、実質的に何の違いも
ないとしか思えないのだが。
>>792 別に引っ込めてないで生きているが。
生きていくのに決定論を否定する必要も無いし、否定できる根拠も無い。
どう決まっているか俺にはわからんだけだと思う。
795 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:11:14
>もちろん、そういうお約束が出来上がるのも、因果律による必然。
ここがわからん。何が因果律で何が必然なの???
796 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:12:49
>>794 同意。
何でもかんでも否定すればいいとおもっている奴がいるのが問題。
797 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:13:18
>>790 自由による行為でないのにどうして責任を問えるんだ?
>>797 決定論的な自由の行動を、決定論的に責任を問うだけのこと。
799 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:18:13
>>798 それは決定論ではない。何も決定していないということだ。
因果律?ちゃんちゃら可笑しい。
まだそんなの信じてんのか・・。
それがすべてのマチガイの始まりw
>>801 お前も因果律に従っているだけだよ。知らないのは幸せだろうが。
803 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:39:30
>>800 決定していることを知らないのは不可知論であって決定論ではない。
804 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:41:17
>>802 知らないことには従いようがない。
偶然一致しただけだ。
違った訳だがそうでないと認めるのかい?
>>803 決定している事は知っている。だが、どのように決定しているか知らないだけ。
茶碗に賽をいれて伏せる。
半か丁か決まっている事は知っているが、どのように決まっているかは知らない。
決めた人が罰せられる訳だが何を賭けたんだい?
808 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 20:06:04
決定論を否定することはできない
終了
809 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 20:20:36
>半か丁か決まっている事は知っている
結果を見るまでは知らない。結果をみて初めて決定する。
810 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 20:21:37
>>809 決まっているからこそ、結果を見て知る事が出来る。
811 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 20:22:27
>>808 否定できない論は論ではない。決定論を否定すれば非決定論となる。
812 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 20:24:22
>>810 結果を見たから決まっただけの結果論にすぎない。
>>795 決定論者にとっては、起こることはすべて「因果律による必然」なんだから、
実際にそういうお約束があるなら、それも「因果律による必然」ということに
なるだろう、というだけのことよ。いわゆる「歴史の必然」というやつ。
俺は決定論者ではないから、どんな因果律によるどんな必然か、なんて知らない。
どんな決定論者でも、そんなことに答えられるはずがない。
「制度がどんな沿革で出来上がったか」を説明して、「必然である」
と称するだけだろ。証明する方法なんか、あるわけがない。
ちなみに、「心神喪失者の行為については責任を問わない」というお約束は、
別に絶対のものでも何でもないよ。現に改正しろという意見もある。
参照↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/489691855X/250-1963326-2751419 この場合も、「改正するべきかどうか」は、「改正した場合に何が起こるか」
を予測して決めるんであって、決定論が正しかろうと間違っていようと、関係ない。
どんな結論が出ても、決定論者は「それもまた因果律による必然」と
言うだろうが、そんなの「解釈の問題」に過ぎないわな。
814 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 20:48:22
>>802 他のものの原因にはなるが、他のものの結果にはならないものというもの想定できるのでは?
どうでもいい
しかし証明方法となると、自由意志の有無の方がもっと無いわけですから
あんまり実証主義的に考えないのがいいと思いますよ。
YNASE IYAGALASE ディーラーが悪いとか
818 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 22:00:28
プロスタグマ?
シキーパン!
>>736 重要な事は、知らないということは決定されていないということではないということです。
貴方が見ている世界(主体の肉体も含めて)は、全て過去の姿です。
観測対象物は既に未来に行っているのに、貴方にはわからないだけです。
自分の時間が世界の中心でも、最前線でもありません。時空は相対的なものです。
「時間の瞬間」というのも自己にとってはそうですが、観測する世界は常に過去のものです。
8分前の太陽を見て、1秒前の月を見て、10億分の1秒前の隣人を見ているわけです。
自分以外の未来は既に先に進んでいます。
自己が認識できるのは自分いる場所と瞬間だけで、独我論でないならば、
自己のいる時空以外にもあらゆる時間と空間は既に存在しています。変える事は不可能です。
未来も過去も一つしかありません。神が作った法則、制限には誰も逆らえません。
円周率の値を変えることが出来る人間が出てきたら、認識を改めますが、その可能性は0でしょう。
哲学的に考えるなら、円周率を変えられたり、世界が1秒前に出来た可能性、自分以外は
仮想現実であるシミュレータの可能性など、いくらでもあると思います。
でも現実には、そんな想定をしてても幻想世界を楽しむ以外何もないでしょう。
「決定論」は過去が存在する程度に、尤度の高い仮定だと思います。
>>738 >もし、世界が法則によって一義的に決定されているとしたら、倫理について考えることは不毛になってしまうだろう
なりません。
決定論の世界の中で、非決定論の世界が作られますから、その中で考えれば良いでしょう。
映画の中の世界でも倫理がありますが、不毛ではありません。
>>763 >それではどの瞬間から未来を変更不可能になるんだろう。
未来の変更は原理的に不可能です。やった人間は誰もいません。
>>766 >例えば、ボタンを押すと別の人が死ぬ。しかし押さない間は刃物が進んできて自分が死ぬ。
なぜ死ぬと知っているのでしょう。決定論でも完全に未来を知る事は不可能です。
>その選択を10秒以内に行え。という状況の場合で、ボタンを押したからって責任が問えますか?
ボタンを押さなければいいだけでしょう。
「誰かを殺さないとお前を殺す」と脅されたらといって、殺人が許されるわけではありません。
責任は問われます。
823 :
MORALITY ◆oMyMORALjQ :2005/09/05(月) 23:31:20
レクサスがオープンしてセルシオが必然的に格下げになった精神的影響について
/ ̄ ̄^ヽ /::.__ .::::::::::::: __ ヽ_
l l / / ヽ_ヽv /: / ヽ ヽ
_ /,--、l ノ /  ̄ ̄ √___丶 ̄ ̄ |
,--、_ノ:: `ー':: 、ミー---‐,,l | // tーーー|ヽ |
,/ ::: i ̄ ̄ | | ..: | |ヽ |
/ l::: l::: l | | |⊂ニヽ| | |
l . l !:: |::: l | | | |:::T::::| ! |
| l l |:: l: l \: ト--^^^^^┤ 丿
| l . } l:::::,r----- l \::  ̄ ̄^ヽ 丿
ヽ :l:::: ト:;;;;;;;/-/__........... /
824 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 23:37:36
>>822 >ボタンを押さなければいいだけでしょう。
しかし、あなたの理屈だと、ボタンを押すことは前もって決まっていて、
押さないことは不可能だったのでは。
>>824 決定論世界の階層まで上がるとそうなります。
見かけ上の選択は、決定論世界の中の非決定論的世界での話です。
826 :
考える名無しさん:2005/09/06(火) 00:01:27
「階層」って、この世界が決定論世界なんでしょ。
「見かけ上可能に見えるけれども、現実にはボタンを押さないことは
不可能だった」のなら
「ボタンを押さなければいいだけでしょう」などと言えるはずないのでは。
>>826 >「ボタンを押さなければいいだけでしょう」などと言えるはずないのでは。
それはそうです。
そういう意味では、責任を問うかどうか以前に、元の問題がおかしいのですけどね。
828 :
考える名無しさん:2005/09/06(火) 00:08:43
>>825-826 >>364および
ある 〔A〕
という行為
┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━ ・・・・・?
↑ ↑ ↑ ↑ ↑
物理的 現在の 成功への希望 伝聞等 過去の 遺伝子レベルでの
肉体的制限 環境 失敗への怖れ 関連情報 経験・記憶 行動への縛り
さて、どこからが決定してるんでしょう?
一般的感覚と、哲学者の感覚と、決定論から見た線引きと、
かなりの違いがありそうですね
829 :
考える名無しさん:2005/09/06(火) 01:16:12
740 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/05(月) 06:54:25
もし唯物論が正しければ
そして決定論が正しければ
善も悪も、倫理も道徳も無意味な価値観となる
この世界の全ては、ただ物質が現象しているだけなのである とする唯物論の価値観からすれば
『価値観』そのものが無意味なのだという事になる
ゆえに価値観を求める『思想』そのものが無意味だという事になり
唯物論そのものも、無意味になってしまうのだが
唯物論者自身も、それに気づいていない
全てが無意味
それが唯物論
全てが機械的に計算された通りに現象するのみであり
そこに、人間が取るべき方向性などという価値観は存在しない
こういう価値観に人心を導く危険性があるのが唯物論なのだ
実際、共産主義革命の根幹に、唯物論がある事はご存知の通りだ
それはさておき
世界の全ては物質が現象しているだけなのであり、全ては物理現象で論述できる日が来る
というのは正しいのだろうか?
一般人は気づかないのだが、唯物論者の論法は
全ての物理現象は、現象である という所で論じているだけなのだ
もし、全ては物質が現象しているだけなのならば
無形なる価値観を持って情報交換し、互いに影響しあい社会を形成している人間
この人間に、価値観や感情などのクオリアは必要ないのであり
また物理現象であるならば、ありえない事なのである
物理現象をいくら研究したとしても
クオリアの起源を解明できる根拠など、どこにもありえないのだ
全くのデタラメである
唯物論者は
そのクオリアを感ずる「主体」である『私』の「存在性」を無視しているのである
というかアホ
830 :
考える名無しさん:2005/09/06(火) 01:47:28
584 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/04(日) 09:12:20
しかし本当にキミ達は面白いなw
キミ達と会話していると
例えば、水槽の中の愚かなカエルを見ているようだ
私が「そこにあるハシゴを使えば、そこから出られるよ」
と教えてあげてるのに、ジャンプする事しか思いつかない
「こんな重い物を持ってたら、ジャンプできないだろが!頭悪すぎでつねww」
と言ってるようなもんだ
私が「いや、足をかけて登るんだよ」
と教えても意味が理解できない
「足はジャンプするためにあるんだぞ!アホ!バカが!」
いくらわかりやすく説明しても、全く理解できない
ただ相手を、罵るばかり
「ここにいる親分も、みんなジャンプ力を鍛えているんだよボケ!」
こんな感じかな
どうでもいい
唯物論は知的玩具
決定論は知的怪談。
このオモシロさが分からん人は
やっぱちょっとつまらない人。
議論ができるかどうかではなく議論が不毛かどうかだよ
この部分を勘違いしてレスしてる人が大半
>>752 >その可能性の存在の有無には、倫理的に有為な違いがありますか?
>あるとしたら、それはどのようなものですか?
当然ある
われわれは価値や目的を吟味する時に具体的な行動可能性や不可能性をもちいて
問題となる目的を批判する
具体的な例としてはアインシュタインとボーアのソルヴェイ会議における議論がそれに該当する
異なる目的の吟味に意義がなかったら倫理的に有為なものなど何一つないことになってしまうだろう
「不可能性によって価値を批判できる」という考えは、それ自体が倫理を有為なものであると解釈するひとつの価値観である
>決定論の世界の中で、非決定論の世界が作られますから、その中で考えれば良いでしょう。
>映画の中の世界でも倫理がありますが、不毛ではありません。
しゃっくりと議論に違いがないのなら
不毛な議論と有意義な議論にはどのような違いがあるのだろうか
不毛さと有意義さの間に線を引くことすらできないだろう
>>834 決定論の世界の中で考えることが不毛だと思うのなら、非決定論的世界の中で考えればよろしいでしょう。
決定論は、その考えも決まっていたというだけのことです。
私が不毛だと感じる議論は不毛な議論。
私が有意義だと感じる議論は有意義な議論。
837 :
考える名無しさん:2005/09/06(火) 11:01:21
因果律と決定論の区別もつかないくせにw
【因果律】〔哲〕
「どのようなものもすべて何らかの原因の結果として生起するのであって、
原因のないものは一切存在しないという考え方。因果法則。」
この伝で行くと、
決定論は「特定の原因からは特定の結果しか生じない」
非決定論は「特定の原因から異なる結果が生じ得る」という考え方、
でいいのか?
>>835 たしかに世界は決定されているのかもしれないし
人間の行動は世界自身がおこすしゃっくりやくしゃみと同じで、真剣な議論もただ真剣に見えるだけなのかもしれない
だが、目的や価値を吟味しようとするならば非決定論的思考をする必要があり
その意味では非決定論もまた"過去が存在する程度に、尤度の高い仮定だと思います。"ってわけなのさ
840 :
考える名無しさん:2005/09/06(火) 12:26:04
エヴェレット解釈についてお聞きします。
決定している未来が複数あるだけで、
私がどの未来に行くかは分からないですよね。
地球が無い未来に分岐していつのまにか
私もいなくなっていた、
という確率はあるのでしょうか?
>>840 エヴェレット解釈ってそういうことじゃないんですが
コイツら何度同じことを繰り返したら気が済むのやら
いっそ世界については「決定論解釈」と「非決定論解釈」があります、
ってことでいいじゃないか。何か問題あるのか。
いっそ量子力学については「コペンハーゲン解釈」と「エヴェレット解釈」があります、
ってことでいいじゃないか。何か問題あるのか。
845 :
素人: