【ドゥルーズ】差異と反復を読みたい【頑張るから】

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907881:2005/11/28(月) 08:10:20
>>904
水滴のたとえってカントから?
もしそうだとしたら純理の影響は凄いですね。やっぱマジメに古典読むと効果あるのか。
908考える名無しさん:2005/11/28(月) 19:38:17
初学者が原書を手に入れたよ。
やっぱ原書なしじゃキツイな、と思った。いくつか成果を示す。

p19下段、「反復は…必然的で根拠のある行動になるということがわかる。」
     の「行動」はconduite。通常は導きなどと訳す。
同、   「反復すること、それは行動することである」
     の「行動」はse comporter。これは通常から行動と訳すもの。メルロポンティの『行動の構造』もcomportment。


p20上段、「心は反復を愛する器官である」の「心」はcoeur。心臓と心の両方の意味を持っている。
     心臓がドクンドクン脈を反復するのと、暗誦するときに何度も詩を反復するのを掛けてるわけね。
     財津訳ではこの駄洒落感が出てない。まあ無理か。

同下段、 「一般性は法則のレヴェルに属している」の「レヴェル」はordre。通常は秩序と訳す。
     レヴェルという意味もあるようなので、財津がこれを採択するには何か意味があるのだろう。

p21上段、「自然の中には、・・・もろもろの恒久性、持久性もある」。の「持久性」はperseveration。
     この語に「持久性」という訳語は当てられない。おそらくpreservationあたりと見間違えたのだろう。
     perseverationは「保続症」と訳されるのが正しい。
この症状についてはこちらを参照。
     http://r-sports.web.infoseek.co.jp/yougo/H/hozoku.html
     そんで、「しかし保続症にしても反復をつくりはしない」、とちゃんと意味の通じる文章になるわけだ。
909考える名無しさん:2005/11/28(月) 19:44:50
で、二種類の話のどこがわからないか、という質問をしてくれたけど、
何が「二種類」なのかよくわからないのでそれはおいておく。

基体と諸項の話でわからなかったのは、法則が反復を基礎付けるどころか
逆に反復の不可能性を示している、というテーゼの論証。
どうやって反復の不可能性が法則によって証明されたのかしら?
ドゥルーズは法則やら定数やら言っているので、ここは物理法則のようなものを考えるべきだろう。
さしあたって食物連鎖やポトラッチの話は脇においておくべきだ。

まあ俺も今から考えてみるよ。
910考える名無しさん:2005/11/28(月) 20:08:40
conduiteは河出のブックガイドでフーコーが多用したとして話題になったところだな
指導すると同時に自らを指導するという2重のニュアンスを持っている
911考える名無しさん:2005/11/28(月) 20:14:08
「言葉と物」の英題はThe order of thingsでモノの秩序ということなんだがそれに近いね
モノのレヴェルと言っても良いしモノの次元と言っても良い
912考える名無しさん:2005/11/28(月) 20:27:49
>>910-911
さっそくありがとう。河出のガイドブック買ってみようかなあ・・・。

あとピウス・セルヴィアンについて教えてくれた人もありがとう。
みんな詳しいなあ。
9131 ◆XnUmOCT0wA :2005/11/28(月) 23:51:42
>>909
あー…。
そこでしたか。
そこら辺はp20-21に書かれている話ですね。
これもひいては食物連鎖や蕩尽の話に繋がるのですがそこはおいておいて。
そのテーゼの理由は、20ページの最後の方の
「差異の空虚な形式、変化の不変の形式である法則は、その諸基体に関して、
それら自身の変化を代償とするときだけその法則の例証となるよう強制する」
という文であると思われます。
ところで、変化とは同一物が二つの異なるものであるという点で、既に矛盾であるのでした。
(=名目的な概念の阻止)
(参考⇒21ページ最後の方:「法則の名目的あるいは一般的な性格を告発する」)
法則は、一般的に特定の条件下で、同一事物が二つの状態を移り変わる、ということを言うものです。
例えば「リンゴは地球上で手を離せば、下に落下する」という(微妙な表現ですが)法則を思い浮かべてください。
ここでは、落ちる前のリンゴと落ちた後のリンゴが、きっと、共時的な平面上に書かれているハズです。
(法則は平面を要請すると私は考えました)
場合によってはvt図にv=gtというグラフとして、あるいは、場合によっては●が二つ書いてあってその間に矢印が書いてあったり。
続く。
9141 ◆XnUmOCT0wA :2005/11/29(火) 00:25:53
つまり、法則とは矛盾たる変化を強引に記述するものであると言えそうなわけです。
紙の上に書かれた二つの●と一本の→。
vt図に書かれた落ちた距離の合計を表す三角形。
これが「差異の空虚な形式」「変化の不変の形式」と法則が呼ばれる所以です。
ところで、実際の事物はどう動くのでしょうか?
一つのリンゴは、一つの●は、特定ののv=gt'の値は、
まさか、
樹の上と下にあったり、二つに分かれて矢印で繋がれたり、三角形を描いたりはしますまい。
それは変化を生きて生成し、他のものになるのです。
そして取り返しのつかない(=命がけの)その際に、法則の上をなぞらされ、
その侵犯の結果として、法則を反証あるいは例証するのです。
(参考:21ページ最後の方の、この節最後の一文。)
ところで、反復とはなんだったのでしょうか?
それは同じものを再びなぞることです。
しかし、丁度つい今さっきそのリンゴは落ちてもとの状態を永遠に失ってしまったわけでした。
ちゃんと反復したいなら我々はここで永遠回帰を要請しなくてはならないように思われます。
このような置換不可能な個別的ドラマが、実際に起こっていることです。
かくして、置換可能な一般的ドラマである法則は、生きていない、とよく表現されるわけです。
線のような時間は生きれず、三角形は物体の落下を表現しきれない。
…という感じの理解をしていたわけです。
改めて考え直すとかなり半端ですね。
9151 ◆XnUmOCT0wA :2005/11/29(火) 00:30:50
だから「反復の不可能性が法則により証明される」のではなく、
「法則は死んでいる」のではないかと。
なんかヤバいな…。
自分で自分の考えの曖昧さに気が付いてきた…。
ところで、原書ゲットおめでとうございます。
恒久的って恒久的という訳でいいのでしょうか?
916考える名無しさん:2005/11/29(火) 05:14:48
>>915
恒久的はpermanent。まあ悪くない訳じゃないかな。ヘン?
髪型のパーマ、あれと同じ語ね。大きなスパンで長持ちする、そういう語。
解説してくれた内容に関してはまた明日レスします。今日はもう寝る。
917考える名無しさん:2005/11/29(火) 06:07:59
>>914
> ところで、反復とはなんだったのでしょうか?
>それは同じものを再びなぞることです。

どういうこと? 何でこういう理解になるんだろう?
「反復とは侵犯なのである」(P21)を、1はどのように理解しているんだろうか。
9181 ◆XnUmOCT0wA :2005/11/29(火) 08:21:05
ごめん、その引用された部分はでっちあげ。
侵犯ってのは、スレの前半に書いたように、
法則に侵犯を仕掛け、
その基体の変化を代償として(その命の代償として)、
法則を例証あるいは反証するものが現象であり、
法則をなぞるということは、
《同じこと》を繰り返すという意味で反復だから、
反復が法則に侵犯を仕掛けることにより、
それを例証あるいは反証するといえる。
と、考えています。
うまく説明できないなァ。
「一般的にリンゴは落ちるものだ」という法則は、
個物たるリンゴ(=基体。加算名詞。複数形)が、
その状態を変えてしまう過程で次々と一つずつ法則の上をなぞらされることにより、
例証あるいは反証される。
…ていう感じ。
9191 ◆XnUmOCT0wA :2005/11/29(火) 08:24:55
いや、反復は法則に「反して」可能であるとか書かれていましたし、
これもほとんどでっちあげのようなものなのですがね。
すみません。
恒久的に関しては、少し違和感を覚えただけですので、そうですか、ありがとうございました。
9201 ◆XnUmOCT0wA :2005/11/29(火) 08:30:18
法則を差異の空虚な形式であり変化の不変の形式であるとするならば、
このでっちあげもそう無理はないと思ったのです。
実際の女の贈与は、贈与元の集団と贈与先の集団の変化を必然的にともない、
「二つの●と一つの→」という法則の普遍的な表現に反して行われる。
リンゴも同じ…という具合いに。
921考える名無しさん:2005/11/29(火) 14:55:00
さて、と。初学者がやっとこ序論を読み終えたよ。

後半に行くにつれてだんだん読みやすくなっているような印象を受けた。どんな本でも序論の頭の方って難しいしな。
まだまだわからないとこだらけなので時間をかけて取り組みたいもんだ。
フロイトに関しての反復の話や、図形に関しての反復の話はすげードキドキした。
さまざまな登場人物や概念が反復なり差異なりを繰り広げていて、本当に楽しい。

で基体と項の話なんだけど、まだちょっと良くわからないな。
というか、>>1の解説で正しいのかもしれないけど、テクストに述べられてないところばかり参照していて、
これではわざわざドゥルーズを読む、という意味がないよ。
少なくとも、pp20-21のあたりで出てくる変数・定数や、柔らかくなる岩についてはぜんぜん触れれてないよね?
感触としてだけど、テクストの内部で十分理解できるように書いていてくれてると思う。

まあかく言う俺もまだ消化できてないので、また後ほど現れます。
取り急ぎ感想まで。
922考える名無しさん:2005/11/29(火) 15:45:10
序論はそうだけど、それだけじゃ駄目になるよ。
俺は二章の途中で挫折した。
9231 ◆XnUmOCT0wA :2005/11/29(火) 15:47:05
全て読み終えましたか。
早いですねぇ…。
変数・定数は、ただ、今は手元に本がないのでうろ覚えなのですが、
たいしたことがなかったように少なくとも私は思いました。
定数と変数はそれぞれ「恒久的なもの」と「変化する個物」に対応しており、
それを条件として世界は物理学=数学として見ることが出来、
そしてそれは数である以上、法則の側にある。
分け方次第によっては世界は雑多なもののそれ自身に対する類似としても見ることができる。
そして「恒久的なもの」もいつか変化していき(柔らかくなる岩)…云々。
という具合いに。
ですが、なるほど、なるべくテクスト内部だけで理解しようという事を怠っていたようにも思い、
そうですね、反省したいと思います。
9241 ◆XnUmOCT0wA :2005/11/29(火) 15:48:31
>>922
知恵を分けてくださる気はありますか?
925考える名無しさん:2005/11/30(水) 22:35:02
遅くなってごめん。

うーん、いっしょうけんめい考えてみたけどまだ完全には腑に落ちないな。
ドゥルーズの思考の流れに上手く乗れない。
だいたいこんな感じだろうか。

 前提:法則は、特定の条件が満たされれば当該の事象を何度も繰り返し引き起こせるような、そのようなものだ。
 法則の例: 自由落下の法則 (s=1/2*g*t^2)


●議論は二段階構成になっている。

 1、まずは法則の一般的な性格からして、反復が不可能であると言うことを述べる。(p20下段、段落内の6行目から10行目)

 2、次に、法則をもうすこし内実に照らして考え、反復の不可能を述べる(同10行目からエリー・フォールのところまで)。

926考える名無しさん:2005/11/30(水) 22:36:32
●これらを、かなり言葉をおぎなって、考えてみた。

1、法則は、変化する現実を不変の形式で記述するものだ。
  そもそもからして抽象的な性格を有しているのであり、基体たち(リンゴ)に固有の変化を捨象して
  初めて法則というものがなりたつ。(変数→定数という捨象、法則が基体に余儀なくさせるところの「変化」)
  
  逆に、固有の変化をすべて考慮に入れたら法則なんて成り立つはずもなく、すべてを変数項として考えなくてはならない。
  固有の変化を考えるとすれば、たとえば青森産のリンゴ、一回地面に落ちて変形したリンゴ、
  数秒前のリンゴと数秒後のリンゴ、これらはすべて異なるものと考えなくてはならないので、
  これではあらゆるリンゴに共通の法則など成り立ちようもない。

2、なるほど、そうは言ってみても、法則の中には変数項ばかりではなくて定数項というものがありそれは基体たちの変化とは独立してある。
  自由落下の法則の場合では、重力加速度定数g=9.8が定数項にあたる。
  こう考えれば法則というものに反復の余地を考えることができるのではないか。
  ところがそうはならない。
  なぜならある法則の中の定数というのは、もっと一般的な法則の中では変数であるからだ。
  重力加速度定数gは地球の上でのみ定数であって、地球を離れた法則(たとえば万有引力)においては変数でしかない。
  それゆえここでもまた反復は可能ではない(変数ばかりだから)
  自由落下法則においてリンゴの落下が反復可能だとしても(1)、万有引力法則という水準では反復不可能だ(2)。
9271 ◆XnUmOCT0wA :2005/11/30(水) 22:56:50
うーん、わかりやすい。
なるほど、ありがとうございます。
さしあたり反論の余地は無いように思われます。
928考える名無しさん:2005/11/30(水) 23:01:47
●そして、例を伴っての説明。

・エリー・フォールによるワトー解釈:
 :移ろいやすいものを堅固なもののうちに。

→脆く儚いために、人間は絶えず変化して反復不可能である

こうしたことは18世紀全般に見られる手法であった。

・ルソーの『新エロイーズ』:
 :サン・プルーやジュリという基体(=sujet主体)は、自分が自身が変化するゆえに(1)、
 :さらに自然の巨大な変化(万物流転のような)のゆえに(2)、
 反復が不可能であることを悟る。

なおワトーの絵はこんな感じ
http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/watteau/

『新エロイーズ』に関しては
サン・プルーはジュリーの家庭教師だそうだ。
二人の愛は自然にかなったもので、徳のあるものだが、
社会はそれを認めず、ジュリーをヴォルマールと結婚させたんだと。
最後、ジュリーは死んでしまうらしい。
http://www.alalettre.com/rousseau-julie.htm
ジュリーとサン・プルーが望む「反復」というのは、愛の回復のようなものかもしれんね。
929考える名無しさん:2005/11/30(水) 23:09:42
>>927
あ、待たせてごめんな。
実はまだまだ未消化なままなんだ。
一方では
・自然=恒久性(不変)であってそれが反復を不能にしているみたいだけど、

他方では
・反復を不能にするのが一般的条件としての「変化」とも言われているようで、

上手くこのシフトチェンジを掴めない。

まあそれでも、まだまだ反復を一般性と区別する、という土台作りをやってるにすぎない箇所だから、
いい加減先に進んだ方がいいかな。

とりあえず、ドゥルーズのような密度の高い文体のテクストを読む場合は結構注意深く読まないと何もわからない、
このことは頭の片隅にでも置いておいてほしい。
930考える名無しさん:2005/12/01(木) 08:56:12
なんだかスレッドストッパーになっているような気がして申し訳ない。皆寝てるだけだといいんだけど。

以下チラシの裏。大法螺かもしれんので読み捨てて欲しい。
あくまで気を軽くするためにいい加減なことを書きちらしてみる。
俺はまだ一回しか序文を読んでないので。

阻止のあたりが良くわからんちゅう話まで進んでたんだったけね。
これまた何がわかって何がわかってないのか、それが良くわからなかったりするんだけど、
大まかな話の流れをつかんでおくと、
ドゥルーズとしてはいわゆる「概念」ちゅうのをやっつけたいと思っているわけだ。
だから「概念の阻止」って箇所でやってるのは、いわゆる「概念」ってのが本当は成り立たないんだバーカ!って仮想敵に向かって言い放ってる場所なんだ(と思う)。
どういう風に話は進むのか。こんな感じ(だと思う)。

1、まずは定義してから概念なんて成り立たないじゃん(名目的概念の阻止)
2、しかし一歩譲ってやろう。自然のうちには確かに概念と呼びたくなるようなものがある。でもやっぱ駄目じゃん(自然的概念の阻止)
3、俺は寛大だからもう一歩譲ってやるか。でもやっぱ無理。(自由の諸概念の阻止)

結局どうしたって概念(=concept=共につかむこと)なんてあり得ない。あるのは反復(微妙に違ったものどもがそれ自身としてある)ばかりなんだ。

こうしてドゥルーズはいわゆる「概念」と手を切ることで、一般性という名のもとに理解されている反復を、いわば外側から純化しきったわけだ。
931考える名無しさん:2005/12/01(木) 09:00:12
反復を外側から純化したというわけで、当然次はその内実を知る必要がある。
それで、反復を積極的に理解しようという話が始まる。
それが翻訳では「超概念的な定立的威力」と訳されているものだ。
なんかスレの前の方でえらく難解に理解されているような雰囲気があったけど、
要は「自然的な概念の阻止」(つまり「概念を作ることは自然の領域においても無理」だ)、ということを突き詰めて考えると、
「概念という考えではもう収まらず(=超概念的)に、積極的(=定立的positif)に、別のものを考える必要性(=威力force強制力)がおのずと出てくる」
ってだけの話じゃないかと思う。
ここらは財津の思わせぶりな邦訳のクセの悪さが前面に出てきる感じがする(と思う)。

で、積極的に反復を考えると、良い反復と駄目な反復がある。
それから、差異はそれ自身として捉えられなきゃだめで、
そいつはどうも良い反復のあいだに挟まってるらしい。
まあ土台最初から差異と反復をいっぺんに理解しようってな話にそもそも無理があるわけで、
それぞればらばらに考えて、そしたらふたつの延長線上に「差異と反復」の合体した姿が現れるに違いない。
これにて我らの論文『差異と反復』は幕を開ける、そういうわけだ。

序論を流し読みした感じではこんな感じだった(と思う)。

遅れてやってきたのにスレの流れをぶっ壊してるようで本当に申し訳ない。
なんといってもここは>>1のスレなんだし、鬱陶しかったら消えます。
9321 ◆XnUmOCT0wA :2005/12/01(木) 09:27:18
消えないでくださいね。
少しも問題ありません。
>>928-929
そこの辺りは難しいですね。
私もこれ以上当てずっぽうにいろいろと解釈をでっちあげようとは思いませんし、
先に進むことにしたいと思います。
(概念が成り立たないんだという言い方はどうだろうとおもいますがね)
933考える名無しさん:2005/12/03(土) 06:16:29
 ちょっと間が開いて、誰も書かない(書けない)状況を、勝手に分析すると、
おそらくみんなは何となく序論を理解しているつもりだが、いざ言葉にしてい
みると、うまくいかない。ちょっと違う、あるいは、どうもドゥルーズの言って
いることとは違うようだが、それをうまく説明できない、といった感じなのだろう。
 ちょっとした誤解やよくわからなかったところが、それぞれあって、そのような
状態で、レスしてしまうと、その誤解が増幅してしまっているようだ。たとえば、
>>930さんの場合は、概念を(=concept=共につかむこと)として理解している
ために、あるいは、概念の哲学的な理解がないために(決して非難しているのではない)、
「概念の阻止」をうまく理解することができないようだ。哲学事典等で「概念」を
きっちり理解してから、「概念の阻止」のあたりを読み返すと理解が深まるのでは
ないだろうか。
 以前、ちょっと触れたように、「概念の阻止」に関する記述は、概念の欠如による反復、
否定性の反復、つまり後半に出てくる「裸の反復」に関する記述なので、「着衣の反復」
(理念の過剰による反復)とセットで対比的に検討した方が理解が深まるのではないだろうか。
934考える名無しさん:2005/12/03(土) 15:01:10
書きにくい雰囲気を作ってしまった初学者です。

>「概念の阻止」に関する記述は、概念の欠如による反復、
>否定性の反復、つまり後半に出てくる「裸の反復」に関する記述なので

すごく納得です。
自分は概念に関する深い哲学的理解はたしかにできていなさそうです。
あとで岩波の哲学事典でも調べてきます。
ネットで青木書店の哲学事典からの引用を見つけましたので何かの参考に。
ttp://web.sc.itc.keio.ac.jp/~funatoka/pavlov/concept.html
9351 ◆XnUmOCT0wA :2005/12/03(土) 16:01:55
>>933
少なくとも私は、全く、その通りの理由で、レスを躊躇っていました。
なんとなく全体像は把握できている。
でも、様々な点で、どうも理解できていない。
解釈をでっちあげてもうまく説明がつかない。
…という具合いに。
(初学者さんのせいではないですよ、むしろ慎重な空気になって感謝しています)
そうですね、少し先に進んで着衣と裸の反復の辺りもセットで阻止を考え直してもみたいと思います。
追伸:キルケゴールの岩波文庫版『反復』を手にいれた。
やっぱりキルケゴールは(本人存命なら怒られそうだが)どこか肌に合う気がする。
これから私用によりどんどん忙しくなるけれども、
空いた時間を見付けてドゥルーズを読解していきたいと思う。
936考える名無しさん:2005/12/03(土) 19:51:19
ドゥルーズ版のエポケー。
937考える名無しさん:2005/12/06(火) 03:13:00
http://www.univ-paris8.fr/deleuze/

講義録が録音付きでうpされてる.シランッタ...
938考える名無しさん:2005/12/06(火) 03:19:38
おお
結構高い声してるな
939考える名無しさん:2005/12/06(火) 03:41:15
>>937
素晴らしい!
940考える名無しさん:2005/12/07(水) 00:33:23
>>937
(=ヮ=)bGJ!

差異と反復もスピノザもとても手が届かないので
「哲学とは何か」で「スピノザ主義の小説を書いた」と
書かれているヘルダーリンカフカランボーマラルメ
ミショーペソアアルトーロレンスミラーメルヴィルを
入手し易い順に読んでったら結構面白くなってきた。
ドゥルーズって実はロマンティストなのか?っていう
とんでもない誤読をしてるかもしれないが気にしないことにした。
941考える名無しさん:2005/12/07(水) 01:16:22
mp3のファイル保存できない...何かのフリーソフトが必要なんだろうけど,
どなたかご存知ありませんか.擦れ違いで恐縮なんですが.
942考える名無しさん:2005/12/07(水) 03:40:26
何か有益な発言をしたら教えてやろう。
943考える名無しさん:2005/12/08(木) 02:21:36
初学者です。「概念」について岩波の『思想・哲学辞典』調べました。
が、基本的には「con-cept」=「共に-つかむこと」のライン以外のものはなかったように思えます。
以下軽く岩波での概略を述べますので、なにか足りないところや間違っているところがあったらぜひ補足ヨロシク。教えて。


「概念 concept,Begriff」

一、概説

・概念とは「一つにしてつかまれたもの(conceptum)」や「把握する(Begriff)」である。

・複数の事物に共通する「内包」(意味内容)と、
 その内包が共通するところの複数の事物すなわち「外延」(適用範囲)を有する。

・その包括度に応じて上位概念・下位概念が区別される。


二、論理学における概念

a:伝統論理学における「概念」
・概念は判断を構成する基礎単位。
・主語概念(「ソクラテス」)と述語概念(「は人間である」)を繋辞によってつなぐ。これによって判断が成り立つ。

b:現代論理学における概念
・「( )は( )を渡る」という命題の日本語(述語)部分。
 ・( )に埋められるもの(カエサル、ルビコン河)は完全な個物である。それゆえ知覚の対象となる。
 ・他方、( )に埋められるものが個物であるのに対し、述語部分は一般者・普遍者である。それゆえ知覚の対象とはならず把握conceiveされる。
944考える名無しさん:2005/12/08(木) 02:22:01
三、概念は個に内属するか?
・上に見たようであるとはいえ、裸の個物、述語を伴わない主語というものは現実にはない。
 それゆえ個物には一般者が内属するという必要があるように思える。
 それを引き受けるのがライプニッツである。
 (途中よくわからず。とりあえずジレンマが生じる)
 それゆえライプニッツは「可能世界論」を唱えた。
 

四、概念の同一性
・概念はきわめて自己同一的なものである。その理由。
・対象は「一」つであり「同じ」であるといわれるが、実は変化する(赤いリンゴが腐ってドス黒くなる)
・一方概念(<赤であること>)は自分でなくなることはない(<赤である>ということが<白である>ということにはならない)

この例としてはソクラテス・プラトン・アリストテレス


五、概念の自己同一性の源泉
 ・(細かいことは良くわからない)ギリシャ哲学と異なり、カントの場合、概念の自己同一性の源泉は統覚にある。
  もっとも、この場合の概念とは純粋悟性概念のことでありカテゴリのことである。
 ・(細かいことは良くわからない)ヘーゲルはカントを評価している。
945考える名無しさん:2005/12/08(木) 02:23:26
さて、>>1がかえってくるまでの間、細々と「阻止」に至るまでの話をレジュメしていこうかと思ったりするんだけど、どうでしょうか?
946考える名無しさん:2005/12/08(木) 09:20:28
>>945
「レジュメ」程度ならやっても構わないんじゃない?
というか是非やってほしい。
947考える名無しさん:2005/12/08(木) 09:33:23
onagaisimasu
948考える名無しさん:2005/12/08(木) 10:47:08
オハヨウゴザーマス。初学者です。
「左右」について一言メモしておきたい。
直接的にはカントを念頭においているのだろう。
ところで「差異について」でも左と右の話が出てくる。
ここでのドゥルーズはプラトン=ソクラテスを念頭においているように見える。というかそのはず。
読んでたらそれと思しき箇所に当たったので示しておきます。

プラトン『パイドロス』岩波文庫pp76-77
「われわれは、それぞれの魂を三つの部分に分けた。その二つは、馬の姿をしたものであり、第三のものは、
御者の姿をもったものであった。(・・・)ところで(・・・)これらの馬のうち、一方はすぐれた馬であり、
他方はそうでないということであった。しかしわれわれは、そのよい馬がどのようなよいところをもち、
悪い馬が持っている悪い点とはどのようなものかということについては、詳しく話さなかった。
それをいま、話さなくてはいけない。

そこでこの二頭の馬のうち、よいほうの位置(右)にある馬を見ると…[毛並みがよくて姿が立派で言うことをきく]、
これに対してもう一方の馬はとみれば、…[不細工で放縦で高慢]。」

949考える名無しさん:2005/12/08(木) 23:32:02
初学者ですなんか元気が起こらんので今回はユルめにまとめます。

前段落では法則と反復を断ち切った。
ところがそうは言っても「科学実験」というものがあって、現に実験室では同じ現象の反復が起こっている。
そうすると法則と反復の関係を完全には否定できない。では実験について考えてみることにしよう。

(「類似の広大な循環」とか「雑多なもののそれ自身との類似」とかが良く分からんかったので、
言葉をかなり補いつつ行く。誰かヒントくれ。)

科学のやることは諸事物のなかの微細な変化を無視することだ。こうして、原子から地球に至るまですべて丸いなにかとして考えることができる。
丸さという点ですべて類似しているわけだ。こいつらはどんな小さな原子であっても互いに影響を及ぼしあうので、どこからどこまでが
一つのものであるか言えない。また逆に、あるひとつの原子の位置は他の諸力すべてから受けた影響によって決定されているので、
それの示す位置はすべてを代表しているともいえる。それゆえ「すべてのものはすべてのものに類似する」ことになる。

しかしこんな無限に連鎖した予測不能な世界で実験なんて成り立つのか??

大丈夫、実験というのは孤立系を立て、少数のファクターに即して現象を定義するものなのだ。
めちゃめちゃ抽象しているのであって、物理をやっているというより数学をやっている。
これだけファクター限定しているので、現象はもう「選択された諸ファクター間の一定の量的連関と等しいものとして現れる」。
950考える名無しさん:2005/12/08(木) 23:33:34
実験がしていることはどういうことなのか?
それは、一般性の二つのレベルを置換すること、すなわち類似のレベルを等しさのレベルに置き換えることだ。
さらに言えば物の世界(現実の運動)を数の世界(等式によって結ばれる、無時間性)に置き換えることだ。
たしかに実験において反復は生起する。だが反復は類似性が壊されて等価性に、現実的運動が無時間性にされる
その過程に姿を見せるだけだ。現に起こりつつある運動には反復はないし、等式-法則にはもちろん反復などない。

もっとも、こう述べたからといって、二つの一般性(類似と等価)の中に反復があるなどとは言ってはならない。
反復と一般性のあいだには本性の差異がある。
というのは、一般性=実験が要請するのは、「もし同じ諸状況が与えられれば…○○が生じる」という仮言的反復なのだ。
しかしそんなことでは真の反復における定言的なものも、反復を定立するものも理解できない。

そういうわけで「一般性」と「反復」の第一の区別が、「交換」−「盗み」という経済的差異であったに対し、
第二の区別は「仮言」−「定言」という、ある意味、倫理・道徳的差異なのである。
それゆえ次の段落では道徳法則/道徳律が問題となる。


こんな感じ。わかりにくいところや間違っているところあったら指摘ヨロシク。
今日はもう一段落ぐらい進みたいけど、元気が出ないのでやらないかも。
951考える名無しさん:2005/12/09(金) 18:26:42
序論の範囲内で、概念の阻止からシーニュやタナトスにどのように繋がるのか
まで片づけてほしいな。一参照者の感想です。
952考える名無しさん:2005/12/11(日) 09:47:49
>>930->>931のノリで(とまではいかないが)序論のイメージ的理解を試みてみよう。
ちょっと長いが我慢してくれ。
 ドゥルーズは、序論で「反復と一般性」の区別を三つの視点からとらえようと目論んでいる。
三つの視点とは、行動の視点、法則の視点、概念の視点だ。最初は行動の視点だ。ところが、
この視点はオレの場合、今ひとつしっくりこない。「反復すること、それは行動することである」
(P19)がイメージ的に理解できないのだ。
 仕方ないから、次の「法則の視点」へ行こう。ここでは、反復は、法則のレベルに属さない
もの、法則に反しているものとして捉えられている。「反復の不可能性」などと紛らわしい
言い方がみられるが、そんなことにはお構いなく、ここで重要な点は「反復とは、(法則にたいしての)
侵犯なのである」(P21)、と勝手に理解しておこう。それから、ドゥルーズはP21−22に
、「法則の視点からする第二の区別」について書いているが(P22)、ちょっとわかりにくい。
ここではとりあえず、「反復は、一般性の一つのレベルからもう一つのレベルへ移行の際、
ちょっとだけ顔をのぞかせるもの」(P22上段)だと考えておこう。
 法則の視点でちょっと面白いのは、道徳法則の転倒(侵犯)の場面だ(P24ー25)。
道徳法則を転倒させるには二つのやり方があり、一つはイロニーの技法で、もう一つはフモール
(ユーモア)の技法だ。イロニーの技法はサドに対応し、フモール技法はマゾッホに対応している
(『マゾッホとサド』を参照)。イロニーの技法は柄谷的で、フモールの技法は蓮實的という人物もいる。
蓮實は、マゾッホ的なやり方で(フモールの技法で)制度的で思考停止の状態にある批評界を侵犯
したようだ。フモールの技法はデリダの戦略に似ているからまぎらわしい。

953考える名無しさん:2005/12/11(日) 09:48:56
 「キルケゴールなどの反復の哲学のプログラム」(P25〜)は省略して、「反復と一般性、第3の区別、
概念の視点」の理解に挑戦。
 概念とは何かについては初学者さんが語源を紹介しながらうまく要約くれたので、そこを参照。
(<<943)概念を分析的に理解しておく必要がありそうだ。外延と内包は、お互い反比例的な関係
(たとえば外延が大きいと内包が貧弱になる)にあることを付け加えておきたい。そうすれば、
外延=1とか外延=∞などが理解しやすくなる。また、表象と概念、概念と理念などの違いなども
押さえておくべきかも。とりあえず、表象はイメージ的で概念は言語的であると理解しておこう。
カントの感性、悟性、構想力、図式、理性なども理解しておきたいところだ。
 阻止でわかりにくいのは何が何を阻止するのかという点だ。何が概念を阻止するのかはよく
わからないが、何を阻止するのかを理解できそうだ。もちろんそれは概念を阻止するのだが、
概念とはいっても、概念のどの水準で阻止が起きるのだろうか?ドゥルーズは述語の水準で阻止される
と言っている。(P34下段) 外延と内包という観点から言うと内包が阻止されるということになり
そうだ。内包が阻止されるとどうなるんだろう。答えはたぶんこうだ。内包が阻止されると反復が構成される。
それじゃ、阻止されなければどうなるのだろうか。阻止されなければ「表象=再現前化」されるのだろう。

954考える名無しさん:2005/12/11(日) 09:49:39
 では、具体的に、どのような場合に(どんな条件の下に)反復は構成(現出)されるんだろうか。
ドゥルーズは「阻止」の現象(反復が現出する状況)を具体的な事例を挙げて述べていく。それが
「人為的な阻止」と「自然的阻止」の三つの事例なんだろう。これらについては、字面読みさんがまとめ
ているのでここでは省略。
 「自然的阻止」の三つの事例がちょっとわかりにくいので、内包の阻止という観点から補足してみたい。
名目的な概念とは「内包が有限であるような一定の契機においてとらえられた概念」(P35下段)のこと。
自然の諸概念とは、無際限[不定な](潜在的に無限な)内包を持つ概念」(36下段)のこと。
自由の概念とは、これが一番わかりにくいのだが、P37下段の後半に書かれている。自由の概念とは、
「無限の内包をもち、記憶を備えているが、自己意識を持たない個人的観念」(つまり無意識)のこと。
 内包の観点から阻止と言われてもよくわからん、という人のために平たい言い方に換言するとこうなる
(P40上段)。名目的概念が阻止されると、われわれは理解できない、判別できない状況になる。
自然的概念が阻止されると、記憶が疎外され、想起できなくなる。自由の概念が阻止されると、意識できな
くなる(無意識だから)。そしてこのとき、表象=再現前化が不十分になり、反復が構成される(現出する)。
 しかし、これらの反復は「概念の欠如」(つまり理解できない、想起できない、意識できない)による反復と
いわれる。これに対応するのが「理念の過剰」による反復だ。これについては、今後1が読んでいくことになるんだろう。

955考える名無しさん:2005/12/11(日) 23:21:48
http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/nisenikki.html
05/12/10(土)
●ドゥルーズや樫村晴香を導きの糸としつつ、クロソウスキーの『ディアーナの水浴』を
少しずつ読んでいるのだが、とても難しい。もう少しで「面白く」読めそうな感じはあるのに、
なかなかそこまでいかない。シュミラークルという
概念の位置づけが鍵になりそうな感じではある。シュミラークルは、反復と関わる。ドゥルーズにとって反復は、
956考える名無しさん
ドゥルーズにとって「他人の家の玄関先でする野糞」とは?