1 :
考える名無しさん:
そろそろ文学者としてではなく
哲学者として評価しましょうカミュミュー!
2 :
考える名無しさん:2005/06/07(火) 21:50:11
シジフォスの神話
2ゲット
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
.∩∧,,∧ (´´
,,,,,,,,,,ミ゚Д゚,,彡 (´⌒(´
ど,,,, ,,,,,二⊃≡≡(´⌒;;;≡≡≡
~''(,,,,,づ゙゙ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ!!
4 :
くろしろー:2005/06/07(火) 21:51:31
自殺すべきか? 鬱がひどく安楽死できるなら。
5 :
くろしろー:2005/06/08(水) 07:46:12
いや今回の鬱はむごかった。起きているだけで気分が嫌になる。
碇シンジ状態、寝るのだけが救いだった。それが急に落ち着く
わけこれって一体なんだろうなと思うよ。
6 :
考える名無しさん:2005/06/08(水) 14:51:17
不条理の哲学から出発したそうだけど、カミュス以前にあったの?
7 :
考える名無しさん:2005/06/08(水) 17:46:29
単に鬱な奴はメンヘルに行けよ馬鹿。
8 :
くろしろー:2005/06/08(水) 18:43:25
>>7 オマエモナー
久々にでたぜ。この言葉。
この鬱野郎。自己嫌悪中で他人も嫌いか?ww
俺はすっかり治りつつあるぜ。w
カミュは文学としてはすごく好きだったから、
レスしたんだがな。
それに鬱こそ不条理じゃないか?
いきなりダウン、社会生活もままならない。
生保も障害者年金も当てにならない。
別に悪いことしてないのに何故だ?
ってのが不条理だろ。
シジフォスの神話は読んでないけど
自殺すべきかすまいかが問題ではなかったか?
俺のレスで、お前が傷つけばうれしいぜ。
そうすりゃコピペで粘着か?
まったくもって進歩ねーナ。
9 :
考える名無しさん:2005/06/08(水) 18:59:14
良い事も悪い事もしないからでは。
10 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/06/08(水) 19:00:42
カミュを語ろうよ。
11 :
くろしろー:2005/06/08(水) 19:07:51
「異邦人」は素晴らしかったな。特にラスト。
高校生のころ、俺は何度も読んで感動の涙を流したものだよ。
シジフォスも読みたかったが、なぜか読まぬままだ。
まあ自殺なんてどうでもいい問題だからな。
結婚と同じ、勢いだよあれは。
12 :
考える名無しさん:2005/06/08(水) 19:07:54
カミュス、と読んでしまう。
13 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/06/08(水) 19:13:26
サルトルとの論争も面白いよ。
14 :
くろしろー:2005/06/08(水) 19:23:09
>>9 うーんそれもあるのかなー。俺って別に特別悪いわけではないし、
特別によい人間でもないんだと思うが。じゃあ大半の人は
鬱になってしまう。科学的根拠はないね。だから不条理じゃない
か? これは仏教的な価値観だよね。オウムで有名になった
カルマの法則でしょう。よいことをすればよいことが、悪いこと
をすれば悪いことが帰ってくる。でもそれでは俺は救われないよ
ね。よいことも悪いこともそんなにはしてないんだから。
しかし聖書を見るとヨブ記っていう話があって神は不条理
な病気・不幸を善良なヨブに課すんだが、神は神であるから
えらい、それを端的に受け入れろって結末なんだよね。
で受け入れると昔どおりの幸福が帰ってくるという。
カミュはどんな結末をつけたのかな?
15 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 18:30:57
>>8 自殺そのものの善悪ではなく、論理を貫いた末に
感情に流される事無く自殺する事は可能か、というのが
シジフォスの神話のテーマなんですけど…
16 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 19:18:15
いま英語の勉強も兼ねて異邦人の英訳読んでます。
17 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 20:15:39
えらそうにいうんじゃねえよ。
カミュ?つまらん
>>18 頭悪そう・・・ププププププププププププププププッププププププp
今手帖読んでる
21 :
くろしろー:2005/06/09(木) 22:26:16
22 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 23:41:07
ニヒリストだよね、この人。
23 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/06/10(金) 18:59:02
>22
カミュを、あえて、なんらかのイデオロギーに分類するとすれば、
ニヒリストではなく、アナーキストだと思います。
24 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 19:13:05
カミュをイでおろ義0に分類する無意味。
25 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 19:14:20
>>21 カミュ自身は交通事故であぼん。
自殺については否定的。
神話を読まずに異邦人を理解する事はほとんど不可能なので読め。
26 :
くろしろー:2005/06/10(金) 19:21:54
>>25 そうか、否定的なのか。
異邦人は本当に感動した小説なので、
神話も読んでみたいが、
経済学や他の小説でいっぱいいっぱいで、ちょっと読めないな。
数年後時間があったら読もう。
27 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 19:43:48
もったいない。
おれには人生最良の書だぜ
28 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 21:29:20
カミュは死んだらゴミだって言いたかったんだろ?
30 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 23:37:23
ブランデイーと関係あんのか?
赤カミュカミュ 青カミュカミュ 黄カミュカミュ
32 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 01:34:50
本があまり分厚くないのがいいな。言ってることはニーチェとあまり違わないが。
34 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 23:51:55
ニーチェ好きにはたまらないよね。
35 :
考える名無しさん:2005/06/12(日) 12:18:48
異邦人の最後のパラグラフがちょっとよく分からないんで
誰か解説してくれませんか?
36 :
考える名無しさん:2005/06/12(日) 16:30:59
シーシュポスの神話買ってきた。ちょっとこれから読んでみるわ。
37 :
くろしろー:2005/06/12(日) 16:36:11
>>32 本は薄いよ。読んでないけど文庫本で買った記憶がある。
38 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/06/12(日) 17:22:45
>35
出だしのパラグラフは分かるんですか?
そして、太陽の光がまぶしかったから、というパラグラフは?
39 :
なな:2005/06/12(日) 20:21:21
今日ママンが死んだ。昨日かもしれないがわからない。
これだけで主人公の人格がてにとるようにわかるね!
40 :
なな:2005/06/12(日) 20:21:54
今日ママンが死んだ。昨日かもしれないがわからない。
これだけで主人公の人格がてにとるようにわかるね!
手元にあるので最後の最後の部分だけ書き出してみよう
・・私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された最後の望みと
いっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を
迎えることだけだった。−終-
・・何かわからないことでもあるか?
>>40 そこだけではまだはっきりとどういう人かはわからないよ。電報に日付
が書かれていなかったので、いつ死んだのかがはっきりわからなかった
だけ。ここからわかるのは「母親とはしばらく疎遠だった」ということ
43 :
考える名無しさん:2005/06/12(日) 23:05:41
太陽の光ってのは、結構わかりやすい喩えだよ。
ヒントは、ニーチェもあれしてたフランスの人
44 :
考える名無しさん:2005/06/14(火) 15:12:28
シーシュポスの神話読んだ人おせーてください。
この世界が人間の理性を超えていて、
それでも人間は理解したいと思うから、
両者の間で「不条理」が生まれるということは分かりました。
でも、どうしてそこから自殺の問題につながるんですかね。
生存っていう根本的なもの自体が「不条理」なものであるからでしょうか。
もしそうだとしたら、生存はどのように「不条理」なんでしょう?
「生きる意味が無いのに生きているから」でしょうか?
45 :
考える名無しさん:2005/06/14(火) 22:20:22
age
46 :
地獄極楽丸:2005/06/15(水) 00:22:03
もちろん自殺は不条理のひとつの解決にはなる。不条理そのものの消滅だから。
しかし人生に意味がない(人生を超えた何者かがあり、それが人生に意義を与える、ということはない。)ことから、「だから」生は生きるに値しない、従って自殺する、ということは不条理ということを理解していない。
世界は人間の理解を超えている、「従って」私は意識的でありつづけ、世界の不条理性そのものを侮蔑し、反抗し続け、経験し続ける。世界を経験し尽くす。
人間は死刑囚のように「完全な」自由を持っているのだ。
明日朝、処刑される死刑囚の完全な自由。
その自由の後に待っている避けられない「それ」。そんなものはあざ笑っていれば良い。
これがカミュ「シーシュポスの神話」の要旨。
47 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 21:34:32
>>46 ありがとうございます。
でも、主旨ならばわかっているのです。
私が引っ掛かっているところは、主旨よりも、それに至る前提です。
つまり「生きることは何故不条理なのか、どう不条理であるのか」ということです。
>>46 自殺したくなった時、似たようなこと考えるな。端的な唯物論者だから、
あの世なんて信じない。だったらこのバーチャルナ映画の結末を観てや
るかくらいな感じだな。で寝るとすっきり。
49 :
地獄極楽丸:2005/06/15(水) 23:13:30
>>47 >生きることは何故不条理なのか、どう不条理であるのか
これならご自分で
>>44に書いているとおりだと思いますよ。
>この世界が人間の理性を超えていて、それでも人間は理解したいと思うから、両者の間で「不条理」が生まれる
もちろん、それ以外のことを知りたいと思っていらっしゃるんでしょうが、もう少し詳しく書いてもらわないとちょっと分かりにくい。
50 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 23:47:39
>>44 カミュは貧しくとも青い海、白い雲、差別無き人々といった環境に
育ち頭脳優秀で全ては明晰でした。そんな彼にとって「分からなさ・不条理」は
圧倒する脅威だったのでしょう。
51 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 00:04:41
生きる意義がないのに生きている、それが生存の不条理性、ということは、
本来は、生きる意義があるからこそ生きるのだろう、ということを前提にしてますよね。
はて、どうしてその前提が成り立つのでしょう。どうして生きる意義が必要なのか。
そして、どうして生きる意義が無いことが、自殺という考えに結び付くのか。
私が知りたいのはそれらのことです。
私なりに考えてみたのですが、以下のような感じです。
我々がある行動を起こすとき、それを意識するにせよしないにせよ、
我々はその行動に必ず何かしらの意義を見出だしている。
一見、無意味と思われる行動にも、必ず意義を見出だしている。
もし本当に意義が無ければ、我々はその行動を起こさない。
だから、「生きる」という行動にも意義が必要であり、
もし意義が無いのなら我々は生きようとしない(自殺)はずだ。
検討宜しくお願いします!
52 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 00:25:46
生きることに意義など見出そうとすることは可能ですが
腹がへれば食う、ということは意義以前に生命の維持につながる
行動で、いちいち理由など考慮する必要の無いものであります。
つまり、食うことに意義などないのです。ここから言えることは
生きる意義は生き物として当たり前なレベルに生存の意義は無いと
いうことです。
生存の意義はそのレベルを超えたところにあるのです。
53 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 00:39:31
でも食うことには生命の維持という意義があるではないですか。
無意識のうちに我々はそれを欲しますが。
54 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 01:00:46
それは動物一般と違いないですね。
55 :
くろしろー:2005/06/16(木) 01:03:30
フロイトのエロスとタナトスですが、エロスには食欲もあると思います
ね。睡眠欲も。しかし生きる意味を失ってしまうと主の保存のために
タナトスが襲ってくるわけですね。それこそ不条理のようで実は全然
不条理じゃなくて。条理なんですよ。要するに負け組みですね。
私もその一人ですが、勝つとか負けるとかは相対的なものであって、
負ける私がいるから、勝つ人がいる。そういう座標としての意義がある
のだと思いますね。もちろん死後に意義をもてるならそれでいいでしょ
うが、端的な唯物論者は生のみが人生であって、それは一回しかない。
だとすればその条理な負け組を演じようというのが私の考えです。
56 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 01:09:47
勝ち負けにこだわらない条理とすれば無常観とかでしょうかね。
57 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 01:09:59
まあ、その議論は副次的なものですから、それはさておき、
人生に意義があるのか無いのかが、どうして生きるか死ぬかという問題につながるんでしょう。
日常的な感覚からすればわからないでもないのですが、
よく考えてみると、そこには飛躍があるように思うんです。
その飛躍をときあかして欲しいなぁと…
58 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 01:29:15
自己の存在の意義(意味)を求めるのが人間である。
ということは云えるでしょうね。
勿論、合理化やリストラに会えば構築してきた意義は崩壊する
のかも知れませんが。
59 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 14:42:52
60 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 15:12:06
メシを食うのは単なる習慣だ。特に意義はない。
食うことに意義を認めるものには意義があるが、特に意義を認めないものには意義はない。
意義は普遍的に存在するのではなく個人が勝手に付与したり剥奪したりするものだ。
61 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 23:24:55
いや、あるでしょ。
>>53のいうとおり。
メシ食わなきゃ死ぬってことは、生命の維持っていう意義がある。
メシ食わなくても生きられる人には意義はないと思われるかもしれないが、
彼らだって腹は減るだろう。メシには腹を満たすって意義もある。
62 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 23:27:55
ついでにいうとメシ食うのは「習慣だ」って意義付けも可能。
63 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 23:48:53
「ウンコするのに意義は無い」
果たしてそういえるだろうか?
「ウンコするのは単なる習慣だ。特に意義はない」
いえいえ、それは意識の前面に出てきてないからわからないだけで
本当は意義あるんですよ。「余計なものを外に出す」っていうね。
>>51 >我々はその行動に必ず何かしらの意義を見出だしている。
プラスにしろマイナスにしろ意義を見出すという事は
そこで飛躍を行っているという事。
意義があるかないかなんて事は、自分の理解を超えている。
なら、その飛躍を行わなわすに、意識的に世界を見続けること。
それがカミュの不条理クオリティ。
生きる意義の有無の問題→自殺の問題
この「→」の部分が
>>51=
>>57はよくわからないっていうんでしょ?
意義の有無の問題が、自分の理解の外にあるとしたら
自殺の事は自動的に問題にならなくなるんだけど。
一切の飛躍を行わないという事は
希望を見出さず、つまり未来を見ずに生きていくとこという事だから。
自殺なんていうものは未来に絶望して起こすものだから。
キリーロフの場合を除いて。
>人生に意義があるのか無いのかが、どうして生きるか死ぬかという問題につながるんでしょう。
ここら辺は不条理というよりも、虚無主義の範疇だと思うんだが。
67 :
考える名無しさん:2005/06/17(金) 01:49:18
>>51 驚いた。
人生が生きるに値するのか否か?という問いは普遍的だとばかり思っていたから。
人生が生きるに値しなければ、イコール、生きる「必要がない」、イコール、自殺。
一般に、人生というのは苦しいもので、その上、生に意味がないときたら、それは自殺するよ。
現実に、自殺者は、鬱病でなければ、これが原因で自殺していると思う。
というのは、ある意味、理屈づけを必要としない直感的な感覚だと思う。
もちろん、わたし自身はそういう感覚はとうに超克してはいるが。
68 :
考える名無しさん:2005/06/17(金) 02:13:47
>>67 タバコを吸う必要はない、イコール、タバコ吸わない。
時給750円の俺にとって、タバコ代300円とは痛いもので、
その上、タバコを吸う意味はない。でもタバコ吸う。中毒だから。
「中毒だからタバコを欲するんだ、だからタバコ吸うことにはお前にとって意味がある」
なんて反論を受けるかもしれないね。
じゃあ、人生を生きる中毒の香具師はどうだろう。
中毒になるくらいだからきっと人生に意義を見出してるんだろうけど、
結局そういう香具師の人生にも根本的には意義はないわけだ。
つまり生きるに値しないっていうのは同じ。でも、彼の場合も
人生が生きるに値しない、イコール、生きる「必要がない」、イコール、自殺になるかな?
69 :
考える名無しさん:2005/06/17(金) 02:18:08
すべては世のため人のため。
70 :
68:2005/06/17(金) 02:19:00
ちなみに
>理屈づけを必要としない直感的な感覚だと思う。
って言うのに関しては同意。でも理屈づけてみてもいい気もする。というかしてみよう。
71 :
考える名無しさん:2005/06/17(金) 02:25:46
カミュは自殺願望が強かったからね。
72 :
考える名無しさん:2005/06/17(金) 13:35:02
>>生きる意義は生き物として当たり前なレベルに生存の意義は無いと
いうことです。
食うことに意義はないけど、ある程度幻想がなければ食うこともできない
と思う。セックスも原動力に幻想がひつよう。穴があれば良いという訳じゃ
ない。人生も幻想が必要でしょう?私は美しい・・とか。
問題はその幻想を人から戴いている人と自分で作っている人がいる。
73 :
考える名無しさん:2005/06/18(土) 01:02:40
カミーユ
74 :
考える名無しさん:2005/06/19(日) 01:37:11
75 :
考える名無しさん:2005/06/19(日) 01:43:15
哲学の論理は大部分、気分やイマジネーションみたいなものでつな
がってるということでしょうね。
76 :
考える名無しさん:2005/06/20(月) 12:26:38
やはり「意義」なんて硬い漢語を使われると困る。
分かりにくいよ。気分とか錯覚とか言ってほしい。
もやもやとした気分で自殺もして、訳のわからん錯覚で生きる。
77 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 01:49:37
岩波哲学・思想辞典にカミュの名がないのは何故だage
78 :
考える名無しさん:2005/08/14(日) 23:53:34
著作少ないから?
79 :
考える名無しさん:2005/08/21(日) 11:17:02
ノーベル賞とってるのに…
80 :
考える名無しさん:2005/10/16(日) 23:34:13
「異邦人」は、人生とは、社会とは、神とは、・・とは、・・とは、・・・・の通常人の
世界に出現した、”・・とは”を気にしない人と読み取った。
そういう人は、カミュが結末をつけたように葬られてもしようがないと了解する。
つまり、個人的には、私に対する警告の書である。
サンクス カミュ。
81 :
◆EvilehrjfI :2005/10/16(日) 23:37:59
82 :
考える名無しさん:2005/10/30(日) 07:22:49
セイン・カミュは元気かいな。
83 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 17:34:49
「この今の生活を思い出すような生活だ」
難しいこと抜きにイイ!と思った
84 :
考える名無しさん:2005/11/30(水) 01:34:55
そもそも不条理そのものを語れる人間がこのスレにいるのか
そもそも不条理とはなんなのか
杉村タイゾーが聞きたいっ!といっておりました。
パラダイムに当てはまらない理由が不条理じゃないの?
86 :
セイン:2005/12/20(火) 17:50:47
問一、不条理をサルでも理解できるように説明してください。
なんだ、男か。
88 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 11:23:14
リーマン10年以上やってたら人生が不条理だってことくらいわかるじゃん。
で、不条理を生き抜くのが人生だってね。
しかし、不条理に絶えれなくて自殺(うつ病経由で)する。
不条理の克服は、本能を満たしてやること。
そのためには、金が必要だ。
89 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 11:24:50
で?
で?とかいわずに。
91 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 13:14:49
で、風俗のマナーを教えてくれるのか。
92 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 13:15:28
不条理のアンチノムは「予定調和」です。
後者にコミュニズムや植民地解放などを挙げれば、
カミュの、少なくとも、初期の動因としての不条理は説明できると思います。
93 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 22:07:13
>>92 不条理の通ですね。
っていうか、不条理そのままの人みたい。
ゴールドセイントだっけ?
95 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 10:54:06
この前、街行く小学生がノーブラだったんで
思わずムラムラして「おっぱい見ーせて☆(^・^)」って
声かけたら「うん!いいよ☆」って快く承諾して
くれて、その成長過程のおっぱいの谷間のところに
顔うずめて「ぱふぱふ!」ってしようとしたら
急にその小学生のおっぱいが膨張しはじめて、
そしてついに爆発した
これが世に言うビックバンである
宇宙はこうして生まれた
そして数十億年の歳月が経ち
現在の我々がここにいるのだ
このコピペ、カミュっぽくない?
96 :
哲学者 ◆PIln4q9LJc :2006/02/20(月) 12:09:57
神聖化age
97 :
考える名無しさん:2006/02/21(火) 20:55:42
カミュの異邦人で誰の訳のがいいかな?
ブックオフで100円で買ったのは何か誤訳が多かったorz
98 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 21:20:00
異邦人・・・
とりあえず、新潮社のを買っておりますが。
当たり前のことじゃないか、心配するな。
カミュは本当素晴らしいね。
でもどっちかっていうと文学者だよね。
102 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 03:46:25
ペスト読んだよ。
私は、ペストとはある意味、不条理を淘汰するものとしてカミュは物語につかったのではないかと思う。
103 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 12:10:04
ペストは途中でなげちゃったよ
105 :
考える名無しさん:2006/08/22(火) 06:48:22
「ペスト」今も昔も歴史は繰り返すのかな。
このスレ、活用するか…。
「一冊の書物の終わりの数ページは、はじめの数ページのなかにすでに
ある。この絡み合いは避けがたい。ここに限定した方法は、真の認識は
すべて不可能だという感情を告白している。ただ外見だけが数え上げら
れるだけであり、そして風土が感じられるようになるのだ。」
「不条理の壁」の章で語られる「自分自身を含む集合」の問題。
通して読んだのは、もう十とウン年前だから、こういう細部についてまで
じっくりと把握することは出来なかった。
ただ、一切を明晰に把握しようという徹底した態度が強烈に印象に
残ったボクはまだ二十代半ば頃。
110 :
考える名無しさん:2006/09/15(金) 01:06:20
10年前、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』を読んで、カミュに興味を持ち、
速攻で『異邦人』買いました。
「…私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。…」
↑この一節は、自殺論者には書けねぇと思うのです。カミュのどういったところが自殺論者なのですか。
無学でスマソ。
牢獄は人生の比喩さ。人間は皆、自然に死刑を定められている。
『シジフォスの神話』に自然の人間に対する「原初の敵意」という
言及がある。根にパウロ的なグノーシス主義を抱えてるんだろう。
比喩ってか、死刑を逃れる方法を考えたがるムルソーが「結果は一緒
なのだ」とか自分に言い聞かせて生存への執着を抑え込もうとする場面が
あるだろ。
「プロテスタンティズム。微妙な違い。理論的には、ルターやキルケゴールの姿勢は賞賛に
値する。だが実践においては?」
「カミュの手帖」の1936年のメモ。
思考の終わったところから認識が始まる。「思考の自殺」、しかしその
「思考」とは自己逃避に過ぎない。
時間に支えられる側から支える側になる。実存は因果律の外にある。
現在の永遠の持続に耐えること。なぜ、それが困難なのか?永遠に生きる
ことが何故?
この世界にいる時間は限られている。
つまり、この「始まりと終わり」のはざまにある場所に。
>>110 カミュがもっと若い頃に書いた『幸福な死』のなかで死の賛美がある。
死ぬと同時に「心は歓喜に満ち溢れ……」といったような描写があるんだよ。
自殺論者だ、という論拠はこの辺から来ている。
この章についてる副題も「意識された死」だ。
だから「意識された死」=「自殺」というふうに解釈するやからが、自殺論者論を唱えるわけ。
厳密に言えばけっこう突っ込みどころはあるんだけど、
たしかに『幸福な死』全体に退廃的な雰囲気があるから、自殺論者という感じもないとはいえないね。
で、カミュは自分ではこれを失敗だったと考え、同じテーマを
またあらたに書き直した。それが『異邦人』。
『幸福な死』ではほぼ主観的な面から不条理を考えた(つまり不条理に対する自分の心情を書いた)けど、
『異邦人』では裁判という比喩をつかってもっと客観的な面から不条理を捉えていった。(ど,う,不,条,理,な,の,か,。)
そうして考えて行った結果、カミュのなかで結構心理的な変化があったように見えるね。
「…私は、自分が幸福だったし…」のちょっと前の、
「そして、私もまた、まったく生きかえったような思いがしている。
あの大きな憤怒が、私の罪を洗い清め・・・」ってとこ。
『幸福な死』では文字通り、死んで不動の"世界"に還ってめでたしめでたし、な感じだけど
異邦人の最後はかなり論調が違うね。
「すべてが(書き)終わって・・・望みは・・・大勢の見物人が・・・私(ムルソー、『異邦人』)を迎え入れること」
これはもう自殺論者ふうなとこがあった以前のカミュと同じとは、とても言えない。
「不条理な壁」で「精神の第一歩は真であるものを偽りでるもから区別
することだ」〜以降で語られているのはゲーデルの不完全性定理。
天から地へ梯子を降ろすことは出来ても、理性の大伽藍を以て地から
天に手をかけんとするは正にバベルの塔を建てるようなものだ。
理性によって保証される真理とは、それが主観に依存しない普遍妥当性に
基づくものであると見なされるが故に反論を許さない全体主義的強制力を
伴いもする。
理性による真理の可能性は「自由という罰」を抜きに我々を救済して
くれる。だが、そのようなものは幻想に過ぎない。
…こんなことは分かりきったことだし、どうやったら毎日を楽しく
遊んで暮らせるかにしか関心のない連中には真理とは何かなんてことは
何の関係もない話題だかな。
オーロラエクスキューション!!
123 :
考える名無しさん:2006/09/19(火) 19:55:09
清水書院の人と思想シリーズのアルベール・カミュの巻の出来はどうですか?
読んだことある人いますかね。
お喋り禁止。
125 :
考える名無しさん:2006/09/21(木) 09:55:12
禁止って、ここ喋り場じゃんかよ。
ちゃうんか?
2ちゃんねる。
「自然保護」とは人間が自然を保護することではなく、
人間が必要以上に自然に悪影響を及ぼさないように
することである。
>>125 チラシの裏だが、あの番組のタイトルはそもそも、
俺が重視していたキルケゴールの著作の一節が略
ずーっと昔、俺はオシャベリをすることを一切止めてしまった。
孤立を恐れて興味も沸かない話題を自分に強いることを止めて、精神的
には随時と落ち着いたもんさ。代償として孤独になった。不利益は仕方の
ないことだ。選択の余地はなかった。
お前は独り言を止めてくれ。
131 :
考える名無しさん:2007/01/16(火) 10:17:41
カミュは本当に大好きだけど、結局何が言いたかったのかよくわからない、
部分部分はなんとなく飲み込める。
でも全体としてみると無理。
それでもサルトルとは比べ物にならんね。
132 :
考える名無しさん:2007/01/16(火) 12:11:29
断片が大切? なんかそういう気がする。言いたいことと、経験的なものが折り重なって生まれる小説だから、よくわからないことがある。。
133 :
考える名無しさん:2007/01/16(火) 12:12:17
愛の抽象的統一としか言うしかないような。。
134 :
考える名無しさん:2007/01/16(火) 21:58:04
今頃になってカミュ全集を集めだしたんだぜ?
俺はもともと世間の連中なんて地獄に堕ちるだけにしか
思ってなかったのさ。
この世に目的なんざいらねえんだよ。
137 :
考える名無しさん:2007/01/22(月) 09:47:13
手帖は読みましたか?
『異邦人』はヴィトゲンシュタイン、『ペスト』はヴェーユの影響かな。
「ユダヤの陰謀」じゃないぞw
139 :
考える名無しさん:2007/04/24(火) 10:03:04
age
140 :
考える名無しさん:2007/06/04(月) 05:01:02 0
俺はてっきり「カミュか・・氷河とアイザック ウホッゥ」なスレになってるとばかり・・・
流石は哲学板。
真面目に頭が石化・・もとい、化石となっている連中が多いなw
たまには気晴らしに好きなもん食いながらゲームでもしろよ。
ストレスぶっ飛ぶぜ?
141 :
考える名無しさん:2007/06/08(金) 00:58:57 0
異邦人の主人公って不合理なの?どこが?
142 :
考える名無しさん:2007/06/08(金) 01:04:31 0
不合理じゃないよ
143 :
夜這い ◆9OFycWSSXQ :2007/06/08(金) 01:13:02 0
作品の中でなら道理は成立している。外でなら
144 :
考える名無しさん:2007/06/11(月) 01:13:06 0
ペストを10年ぶりに読み直したら、妙によく分かった。ああいう小説は社会性そのものだな。
爺好み
145 :
考える名無しさん:2007/06/14(木) 11:46:40 0
だから何で秩序を立てるんだ?アナキストなのか?
146 :
武陽陰士:2007/06/16(土) 01:02:26 O
>>138 カミュはウィトゲンシュタインのことは知らなかったと思うよ。
今は人気あるけど、当時は狭い世界で知られていたにすぎない。
フランス語を母語とする「ヒューマニズム」の作家が知るわけない。
147 :
考える名無しさん:2007/08/29(水) 19:47:31 0
カミュの「シーシュポスノ神話」の「シーシュポスの神話」の章で、語り手は
シーシュポスのなす岩運び上げの苦役をやめさせようとしているというように読ま
ない哲学者(/ファン)がいたら、その論拠を語ってくれたまえ。
「人の人生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」
徳川 家康
149 :
考える名無しさん:2007/08/30(木) 00:50:41 O
ぶっちゃけ家康に言われたかねーよな
そうか?
両親が医者でも大変だとおもうが。
151 :
考える名無しさん:2007/08/31(金) 10:13:26 0
>>146 ちょっと正確を期しておくと、デリダの基準では人間主義ヒューマニズムは
終末論や黙示録に依拠しているので、カミュがヒューマニズムの作家ではない。
終末論や黙示録の外の人間を生かすという意味でのヒューマニズムの作家ではあ
るだろう。ま、多数派の無神論日本人は、後者の意味で、「ヒューマニストとして
のカミュ」をスムーズに受け入れることができてしまうが。
152 :
考える名無しさん:2007/09/01(土) 07:59:58 0
>>148 人の人生を、天罰によるシーシュポスの苦役と同じに見るそのような反動性では、
当然ながら、不条理主義カミュに共感してはいないですよね?
カミュ
sage
155 :
考える名無しさん:2007/11/26(月) 02:57:47 O
カミュ
156 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 14:30:48 0
異邦人
エトランジェ
157 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 10:09:42 0
158 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 10:11:52 0
159 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 10:12:16 0
160 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 20:50:39 0
異邦人って何が面白いの?
母親の死を悲しまなかったから死刑になるって言う
不条理が面白いの??
てかなんで最後主人公が牧師に切れて
世間の優しい無関心のおかげで
自分の人生は幸せだったなんて言うのかが分からない
意味が分からない
自分の死刑を多くの人に見てもらうのが幸せって
ただの変態じゃねーか
読みづらいし心にも残らないし
つまらない小説だった
感想に見せかけて実は異邦人にとっての世界を表現した巧妙なレス↑
162 :
中上:2008/01/26(土) 14:27:12 0
枯木灘!枯木灘!枯木灘!枯木灘!
163 :
考える名無しさん:2008/02/09(土) 17:05:16 0
>>146 小林秀雄がいみじくも『異邦人』の頃のカミュを「計算趣味」と評している。
>>108以後にも書いてあるが、『シジフォスの神話』の背後には論理学が
あるようだぞ。
メモ帳みたいだな。
>>119「精神の第一歩は真であるものを偽りであるものから区別
することだ」(誤植訂正)
特殊な時代だし、ドストエフスキーやキルケゴールのような共通項も
ある。カミュが『論考』を経ずに同じ道を見つけた可能性もないでは
ない。しかし、論考は出版当時から国境を越えた話題になっていたし、
だから戦前の段階でラッセルを介して日本にも波及してた。
166 :
考える名無しさん:2008/02/14(木) 00:52:45 0
「異邦人」は、馴れない土地で我慢を重ねてきた男がついに切れる
という高倉健ぽい話だよ。
カミュはアルジェリア生まれだろ。ムルソーも一緒だ。
168 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 22:01:41 0
刺す!
169 :
考える名無しさん:2008/02/17(日) 22:02:47 0
さ〜す
来いよ、ガキども。その汚い面のど真ん中にナタ振り下ろしてやる(ゲラゲラ
飛び散る鮮血。
響き渡るブタのような悲鳴。
繰り返し振り下ろされる厚い刃。
もう、想像するだけで夢見心地!
172 :
白蟻の巣:2008/02/19(火) 12:41:52 0
173 :
公共事業第一号:2008/02/19(火) 12:44:16 0
174 :
公共事業第@号:2008/02/19(火) 12:46:55 0
175 :
公共事業第壱号:2008/02/19(火) 12:48:49 0
176 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 12:50:50 0
177 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 19:34:27 O
178 :
考える名無しさん:2008/02/20(水) 19:22:57 0
>>166 別にキレちゃいないでしょ、
成り行き任せにやっちゃったんでしょ?
「転落」もいいね
180 :
考える名無しさん:2008/02/25(月) 00:59:05 0
転落は俺も今読んでいるが、みんなの感想を聞きたいな。
哲学的自殺って俺の好きなテーマだな。
自由意志は生存本能を克服出来るだろうか。
シジフォスの神話ちゃんと読め、コラ
ウィ!
「神は自分の持ち上げられない石を作ることが出来るか」だなんて
愚問にアタマを悩ませるヒマがあったか、こっちをちゃんと考えた
方が良いぞ。そうすりゃ例えばアメリカ人の大好きな自由なんて
ものは、動物的欲求を体よく呼び変えただけのものに過ぎないのも
分かるってもんだ。
ノン!
だろうと思った。
こんな奴らが俺の仲間か友達か子分気取りでくっついて来る。
アメリカ人は知的に素朴過ぎるって言ってたのはカミュじゃなかった
かな。『手帖』にヘミングウェイの『日はまた』みたいな作品の
着想があったが。
連中の外向きのやる気のない哲学を一皮向いたら無垢で素朴な
牧師の祈りが相変わらず続いてたりして。
自分は内向が過ぎるからいつか自殺しそうな予感
自殺というか病死になるのかな
前者はタナトスって奴、後者は単なる未来に対する不安。
タナトス≒処刑
マバタキを「する」。これは能動態か受動態か。
人は必ず「死ぬ」。これは能動態か受動態か。
自由であることは能動的であることだ。死が不可避なら、先回り
して死ぬしかない。
194 :
考える名無しさん:2008/03/19(水) 18:37:56 O
でもそしたら何もできなくなるじゃないですかぁ
死が消滅である以上に恐ろしいのは死後生があって、苦悩が永遠に
終わらないことだ。
俺が時代を捨てるに至る過程で考えたことの一つにのは、そういう
問題があった。ウィトゲンシュタインの論考にも同じようなことが
書いてあるが。
現代人は生に対して逃避的な潜在的シニシズムに感染してる。
死後生なんて余計なものはない方が良いと心のどこかで思ってる。
物理学者の夢はそれに向かって自我を合理化してしまえる、
観念的かつ科学的な理論大系を打ち立てることだ。
アインシュタインの相対性理論の根底にあるのは、結局のところ
我々のこの世界についての知識は物理的現象を介在させた間接的な
ものに過ぎないという認識だ。
年老いて現実の死が目の前にあるようになると、自分たちの理論が
妄想だって気付いたりするのな。ちょっとでもマシな奴なら後悔の
言葉の二つ三つくらいは残したりするかも知れない。もちろん、
そんな言葉は本人と一緒に棺桶に放り込まれて墓穴に一緒に押し
込まれて終わる。
無責任なもんさ。学者の垂れ流しの糞便にまみれて無学で哀れな
大衆はそれを真理か何かと勘違いして有り難がったままでいることに
なる。
渡し難しのバカは今日も頑張ってるな
生前は妄想垂れ流しでさんざ世の中迷わせて、死ぬ時だけはテメエの
持論なんかキレイに忘れ去って牧師に祈りでもしてもらって安らかに
天国に召されるつもりでいやがる。
お友達になりましょうだと?
俺のことを持ってるとハクの付くステキなアクセサリーか何かと
勘違いしてるバカが多くてよ。
渡し難しね〜♪
詩を持たない民族はうちまかされた民族だ。
人が恥ずかしげもなく、詩の領域を物理学者に譲り渡したりしなれけば、隠された意味が明かされ、その非凡な正体を現すだろう。
詩とは将来への命題であるのか、それとも権力が使う道具のひとつに過ぎないのだろうか。
俺は責任を押し付けて権威を横取りしようとする連中に疲れたんだ。
ま、縁なき衆生は渡し難し(笑 ...
俗世間の権威なんか俺が相手にするだなんて思うなよ。
俺は自分がどんなに孤独でありどんなに無力であっても、そんなことは
問題じゃないんだ。与えられた力の全ては最初の決意に対する
見返りのようなものであって、二次的な問題に過ぎないからだ。
人生に恐怖は付き物さ。性根の腐った豚の集まりが怖いもの知らずで
いるとロクなことにならないからなぁ。
俺に逃げを求めるなよ。俺が自分を神聖不可侵な存在だなんて
思い込んで安楽に耽る程マヌケだと思うか?
詰まり哲学とは自問自答し続ける事ですかそうですか
自殺の自由について自問する為にカミュは…?
ソフィストは大勢いるな。
縁なき衆生は渡し難しでつね
渡し難いだけなら良いが押し寄せて来るからよ。
哲学的な自殺は進歩思想の絶対的証明だろ。逃避的行為じゃない。
何故、死が進歩になるの?
雄の蜘蛛や蜂が交尾の後に雌に刺し殺されるのは進化論的根拠があるから?
クソ野郎が進歩したら、すげえクソ野郎になるだけだろ。
やっと終わったと思ったら、また似たような仕事でこの宇宙の
どこかに送り出されたりしてさ。
223 :
考える名無しさん:2008/03/20(木) 01:07:28 0
そうそう、すぐ規制かけて逃げようとする。
あ、クラーク死んだね。『地球幼年期の終わり』の。
この仕事を終わらして、さっさとこの腐った世界からおさらば
したいもんさ。
この世には二種類の人間がいる。自覚のあるクズと自覚のないクズさ。
自覚のあるクソ野郎はそんなことはしないだろ。
以後、再びこの路線で逝きますんでよろしくね。
この世には二種類の人間がいる。自殺する糞と自殺しない糞だ。
あなたはどっちの?
糞は糞だろ。
太陽と海と死と真実と
235 :
1:2008/05/25(日) 09:09:52 0
「一つ」と大時計が云つた。
「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響(こだま)のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。
「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。
「十一」と大時計が云つた。
「十一」と皆が合槌を打つた。
「十二」と大時計が云つた。
「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。
「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんでに懐中時計を隠しに入れた。
236 :
2:2008/05/25(日) 09:10:39 0
「一つ」と大時計が云つた。
「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響(こだま)のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。
「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。
「十一」と大時計が云つた。
「十一」と皆が合槌を打つた。
「十二」と大時計が云つた。
「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。
「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんでに懐中時計を隠しに入れた。
237 :
3:2008/05/25(日) 09:11:24 0
「一つ」と大時計が云つた。
「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響(こだま)のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。
「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。
「十一」と大時計が云つた。
「十一」と皆が合槌を打つた。
「十二」と大時計が云つた。
「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。
「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんでに懐中時計を隠しに入れた。
238 :
4:2008/05/25(日) 09:12:04 0
「一つ」と大時計が云つた。
「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響(こだま)のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。
「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。
「十一」と大時計が云つた。
「十一」と皆が合槌を打つた。
「十二」と大時計が云つた。
「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。
「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんでに懐中時計を隠しに入れた。
239 :
考える名無しさん:2008/05/25(日) 09:13:00 0
このようにツァラトゥストラは語った
彼は凄く純粋で素直な人だった。人間的過ぎたからゆえに誤解を受けただけ。頭脳明晰で、素直で純粋だっただけ。
会ったことあるの?
242 :
考える名無しさん:2008/07/11(金) 13:46:09 O
カミュ シーシュポスの神話 清水訳》
真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。
自殺ということだ。
人生が生きるに値するか否かを判断する。
これが哲学の根本問題に答えることなのである。《
それは暴力を肯定するかどうかにかかっている。
蟻のように子供に弄ばれるのを肯定できるかどうか、
馬のように鞭打たれて走らされ続け、挙げ句の果てに解体されることを肯定できるかどうかに。
というのも生は本質的にいって、苦というだけでなく、苦の強制であり、暴力だからである。
自殺も例外ではない。死ぬことも例外ではない。
ともかく最後まで暴力なのだ。
生まれたからには暴力を問答無用で実践的には肯定せねばならない。
生きることが暴力の肯定だからだ。
暴力を否定するならば、生きることを否定せねばならないが、そのための自殺は暴力の肯定となる。
生というこの巨大な暴力を否定したい者、生きるに値しないとみる者は子孫を残さないということが出来ることのほとんど全てだろう。
出来るだけ何もしないというような消極的な対策しかない。
そう。自殺するには暴力の積極的な肯定が必要となるのだ。安楽死が許されていないから。
これが問題だ。
ちょっとした刺激で自殺が他殺になりかねような、
暴力の積極的な肯定者になるまでは自殺し難いのである。
逆に他殺に明け暮れる人間も自殺しやすいこともここでわかる。
暴力、あるいは強姦といってもいいが、 それを防ぐには、暴力が必要に見える。
例えば食べることである。犯すことで己を守るのである。
そしてそれは快楽となるものだが、
実は快楽は我々の生を衰退させるものであり、やはり結局は各種の苦しみの強制につながる暴力なのだ。
強制される苦、暴力、強姦は恐らく、生きている限り防ぐことができない。
まったくどうしようもない。
個人差はあれども、どうしようもなく被害は集積していき、それは人の「内部にすこしずつ穴を穿って」いくのだ。
暴力を肯定する者とは、内部に穴が空いたしまった者であるにちがいない。
この状態になるまでは人は自動的に、習慣に従って生きてくるのだ。
だがそうなってしまうとどうだろう、
人は追放されてしまうのだ。一種の無感覚になる。
世界が内部の穴から抜け落ちてしまうのだ。
生と死が同様のものになる。存在が無になる。
暴力にも現実感がなくなる。
するといわば無敵であり、かつて思い描いていたように派手に行動することも可能になるが、
それによって内なる虚無を浮き彫りにしてしまうだろう。
果たしてこのある意味、生を克服した人間、快と苦をも現象、表像化してしまった虚しき闇の住人は生きるに値するのだろうか?
そもそも、そうなってしまっては価値も意味も幻ではないのか?
内心、全てが虚無ではないのか?
生きるに値するか、そんなことはどうだってことではないのか?
問題はそんな中身のない状態になるまで、生きるべきなのかどうかではないのか?
しかし、そういう状態にならないと自殺すべきだと判断して決行し難いのがまた問題なのだ。
ふん。
釣り師という生き方
生の肯定はまた死の肯定である。
しかし自殺は生の否定であり死の肯定であると思われがちである。
だが自殺もまた生の肯定なのではないか?
自分に対する致命的な暴力の肯定は、生の肯定なのではないか?
生きることは「実践的」には暴力の肯定なのであるから。
自殺は能動的な暴力であり、生に対する積極的な態度なのではないか?
生きている限り、我々は「実践的」に暴力を肯定している。
そんな生を「実践的」に肯定しているのだ。
当たり前ではある生きている限り、我々は「実践的」には生を否定することができない。
ただ我々は生に対して能動的であるか受動的であるかできるだけである。
生を精神的に否定すれば、無気力になり生に対して能動的となるよりは受動的になるはずである。
そして受動的になるということは自殺からむしろ遠ざかるだろう。
自殺には大いなる能動性が必要だからだ。
頭で自殺するべきだと判断したなら、安楽死が提供されてない以上、
心に不気味な深淵を抱えながらも、能動的に生に対するべきである。
死ぬために力強く生きるべきである。
たとえ演技でも。
死を含めた生の舞台に対して幽霊の如く、闇の中から不気味な視線を送りつつ… 死ぬためには積極的に生きねばならないのだから!
生こそ死に導く暴力なのだから!
英雄のように! 英雄!英雄!
輝かしき英雄! 2枚目俳優!
君の人生は英雄となるはるかに以前に終わっていたに違いない。とうに崖から落ちてしまっていたのだ。
没落していたのだ。
君は自分の人形が動き回るのを、底なしの深淵に落下しながら、不敵に眺めていた…
カミュ シーシュポスの神話 清水訳》
不条理という言葉のあてはまるのは、この世界が理性では割り切れず、
しかも人間の奥底には明晰を求める死に物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、
この両者がともに相対峙したままである状態についてなのだ。
今のところ、この両者を結ぶ唯一の絆、不条理とはそれである。
ちょうど、ただ憎悪だけが人間同士をはなれがたい関係におきうるように、不条理が世界とにをたがいに密着させている。《
不条理…
理性的なるものによる世界に対する独立、自由への第一歩ではないのか?
月への人類の第一歩ではないのか? 砂漠への? 然り…
カミュ シーシュポスの神話 清水訳》
思考がこの砂漠のなかに少なくとも足を踏み入れてしまったということを、すでに僕は知っている。
思考はそこに生きるためのパンを見いだした。
思考はこの砂漠に入って、それまでは自分は幻影を食べていたのだと悟った。
…不条理性は、それと認識されたその瞬間から、ひとつの熱情と化する、あらゆる情念のうちもっとも激しく心を引き裂く情念と化する。
だが人は果たして、熱情をいだきながら生きることができるか、
心を高揚させると同時に、他方では心を焼き滅ぼすものであるという熱情の法則を、ひとははたして受け入れることができるのか、
これを知ることがまさしく問題だ《
問題無用だ。受け入れざるをえないのであるから。
逃げようったって、自殺こそ最たる不条理性ではないのか…
あの三島の自殺は象徴的だよな。
カミュ シーシュポスの神話 清水訳》
不条理は、それに同意をあたえないかぎりにおいてのみ、意味があるのである。《
なぜだろう?
カミュ シーシュポスの神話 清水訳》
不条理は死とともに終わる。
…
ぼくにとって、唯一の所与は不条理なのである。そして問題はいかにして不条理から抜け出るか、はたして自殺はこの不条理から論理的帰結として抽き出されるべきものかを知ることである。《
所与か。
しかし不条理からの論理的帰結は不条理だろ。
問題は自殺が不条理か否かということか。
もし不条理ならば、自殺で不条理は終わらない。自殺では不条理から抜け出せないということだ。輪廻。
自殺こそ来世に繋がる可能性があるのではないかということか。
てか、繋がるに違いないと思う。
「人間の精神をよそにして不条理はありえない。だから、不条理はすべてのものと同じく、死とともに終わる。」
これは死によって精神が破壊されることを前提にしている。
カミュは死を知っているつもりなのだ。
輪廻が本当だとしよう。永遠回帰でもいいが。
とすると、
死が精神を破壊するという、死で不条理が終わるということの前提には、一理あると思う。
というのは忘れていながらも、我々には死=破壊だとする既視感、
よくわからんくせに死を思い恐怖するといういわばフラッシュバックがあるといえるからだ。
死が次の生への、次の胎児期に繋がるのだ。
勉強やトレーニングなど、成長には痛みが伴うことからして、胎児期は恐らく拷問である。
長期間に渡る拷問によって理性、精神、記憶はとりあえず破壊されるのである。
だから不条理は死で一旦、終わるといえるのだ。
ニーチェは、その後年、生きながらにして、精神が殆ど破壊されてしまう程の苦痛を味わっていたのだろう。
胎児の生成の拷問程ではなかったにしろ、それは、三様の変化の最後である幼児のそれを超えて、
まだ勢いよく成長する赤子の苦しみ程だったろう。
あまりにも苦しいと理性は吹っ飛ぶのだ。
女性が比較的非理性的なのも、生理的に男性より豊かな苦しみを課されているからである。
恐らくニーチェは永遠回帰の一端を「見た」に違いない。
>>252 そうゆう話が真相ならば、
理性で世界が割り切れないという不条理性は、救いを意味する。束の間の休息を。
理性の漏らすその溜め息は、地上を這う我々が天空の描きだす眩い夢を見ている時に図らずも漏らしてしまうあの溜め息と同様のものなのである。
まあ来世があるなら安楽死は…無謀だな。
胎児はヤバいだろ。胎児は。
もう冬眠したい。
「夏への扉」っていう滑稽なSFにあったな。 それだ!
希望はSFの中に! orz
さすがにチンコが震えてきた…。 怖じ気づいちまった。
もしも、ニーチェの言うように、
この世しかないなら、
この世からは死によっても脱走できないならば、
救いがあるとすれば、不老長寿しかないのかもな。
この夢が可能なのかというのを実験し続けなきゃいけないだろう。
常に「恐らくは」なのだ。
人は試行錯誤を続けなきゃいけない。
不条理なのだから… そして不条理は愛すべき所与の敵なのだ。
逆説的にこの絶望だけが希望なのだから。
生に至る病…
それは絶望と諦観
それが死に至る病に見える鏡の国。
もしくは地球は丸かった。
僕は左に向かって右に出た。
左がライトだった。
レフト!ザッツ ライト!
ワロタ 何このカラクリ武者w
ヨブ記 3 20-26》
なぜ、苦しむ者に光が与えられ、
心の痛んだ者にいのちが与えられるのだろう。
死を待ち望んでも、死は来ない。
それを掘り求めても、
隠された宝を掘り求めるのにすぎないとは。
彼らは墓をみつけると、
なぜ、歓声をあげて喜び、楽しむのだろう。
神が囲いに閉じ込めて、
自分の道が隠されている人に、
なぜ光が与えられるのだろう。
実に、私には食物の代わりに嘆きが来て、
私のうめき声は水のようにあふれ出る。
私の最も恐れたものが、私を襲い、
私のおびえたものが、
私の身にふり?%a
私の身にふりかかったからだ。
私には安らぎもなく、
休みもなく、いこいもなく、
心はかき乱されている。《
(><;) 痛い、痛すぎる…
260 :
孫引き:2008/07/14(月) 05:48:41 O
シェストフ》ここに神がある。たとえ神がわれわれの理性的範疇のいかなるものにも合致しなくとも、なお、神に身を委ねるのがいいことなのだ。《
シェストフ》唯一の真の突破口は、まさしく、人間の判断するかぎり突破口など存在しない所にある。《
キルケゴール》みずからの挫折のなかに、信仰をもつ者は、みずからの勝利を見いだす。《
カミュ シーシュポスの神話 清水訳》
ガリニア神父がデピネ夫人に語ったように、重要なのは病から癒えることではなく、病みつつ生きることだ。《
ふんふん。
カミュ シーシュポスの神話 清水訳》
不条理の状態、問題はそこで生きることである。
…ぼくはこの状態にある生を生きるための規則をたずね求めている…《
ほう。
キルケゴール》もしかりに人間が
永遠の意識をもっていないとしたら、
もしかりにいっさいの根底にあるのが、
暗い熱情の渦巻きのなかで、いっさいを、偉大なものもつまらぬものも、
すべてを生み出す荒々しい沸りたつ力でしかないとしたら、
もしかりになにものをもってしても埋めることのできぬ底なしの空虚が事物の下に隠れているとしたら、
そのとき人生とは、いったい、絶望以外のなんであるだろう。《
ふむ。
カミュ シーシュポスの神話 清水訳》
…すべてを十分に考えたとき、断固たる魂は、つねに、「絶望」という答えを受け入れるであろう。《
然り。
262 :
考える名無しさん:2008/07/14(月) 06:55:13 O
カミュ シーシュポスの神話 清水訳》
…フッサールの方法は理性の古典的な歩みを否定する。…
思考するとは統一することではない、
物事の現れを、あるひとつの大きな原理という顔つきの下に包み込んで、見なれたものにしてしまうことではない。
思考するとは、見ることを学び直すことであり、意識を向けることであり、心象のひとつひとつをそれぞれ特権的な場たらしめることだ。
別の言い方をすれば、現象学は世界を説明することを拒絶し、現実経験の記述にとどまろうとするものである。
唯一絶対の真理など存在しない、多数の真理があるだけだとまず主張するという点で、現象学は不条理な思考につながる。《
カミュ先生! あっさりわかりました!
わかった気がしてきますた!
「現象学とは何か」がよくわからなかったんですけども。
カミュ シーシュポスの神話 清水訳》
「真なるものは、絶対的に、それ自体として真である。
真理はひとつだ。それ自体と同一なものだ…」(フッサール)
この声をとおして、普遍理性が勝ち誇り、勝利のラッパを高々と吹き鳴らしている。
…
フッサールが、「もしかりに引力にしたがういっさいの物体が消滅したとしても、
引力の法則はそのために破壊されることはなく、ただ適用されることがないというだけで、そのまま存在しつづけるであろう。」
と叫ぶとき、ぼくの眼前にあるのは慰めの形而上学だということが、ぼくに解る。…「
もしかりにわれわれが、心理過程の正確な諸法則をはっきりと凝視することができるとすれば、
それらは理論的自然科学の諸法則と同じく、永遠かつ不変な姿を示すであろう。
したがって、たとえ心的過程がまったく存在しなくても、それらの法則はやはり有効であろう。」
たとえ精神が存在しなくても、精神の諸法則は存在する、というわけだ。
こうしてぼくは、フッサールが心理学的真実を純理的規則たらしめようと意図していることを理解する。
すなわちかれは、人間の理性の総合能力を否定したあとで、その斜面にしたがったまま、永遠の普遍理性のなかへと飛躍するのである。《
ふむふむ。
しかし飛躍なのだろうか?
そうではなかろう。
理性が己を否定するとき、理性は存在しつつ、その否定を肯定している。
己を否定せんとすることで、結局、肯定してしまうのだ。
破壊することならできる。それは極度の苦痛で吹っ飛ぶ。
神による生の虐待と、否定としての死も、愛顧であり生の肯定ともいえるんじゃないか。
恐らく転生するんだ。死は人間の力ではどうしようもなくぶっ壊れた生の神の善意による一種の大手術なのだろう。
幸せな話だな。
身も心も新品に取り替えてもらえるわけだから。 記憶もなくしてもらえる。
飽き飽きとしていたところで、もう一度、ゲームを新鮮な気持ちで楽しむことができるわけだ。
ありがたい話だ。
永遠に死ねない神にしてみれば、死というのはものすごいプレゼントのつもりに違いない。
死ぬ権利! 素晴らしいよこれは。
知らぬが仏だしさ。内臓とか見ないほうがいいだろ…
>>263に引き続き、フッサールについてカミュは以下のように述べている。
カミュ シーシュポスの神話 清水訳》
…ぼくがここに見いだすのは、具体的なものの味わい、人間の在り方の意義ではなく、具体的なものそれ自体を普遍化しようとするほど乱暴な主知主義なのである。《
カミュはこれを、「不条理の平行関係式の一方の項を否定することによって不条理を抹殺する…」ものだとして、退けているのである。
だがこれはむしろ反対概念が同じ土俵にあり、つながっているというべきであり、
不条理はすでに理性、精神に内包されているというべきだと思う。
理性が否定しているかぎり、存在しているかぎり不条理は抹殺されないのである。
大体、カミュが世界と精神という場合の「世界」は、精神上のものであるなどというべきであるのは、哲学的常識なのだ。
カミュのいう世界と精神は、「精神と精神」もしくは「認識と精神」ではないか。
カミュは理性の理を信じたいだけなんではないか?
そんな夢を打ち砕いたゲーデルの登場前なのか知らんが。
然り。
カミュ シーシュポスの神話 清水訳》
…不確実な郷愁を糧にして生きている、ぼくのなかのあの一部分については、
ぼくはそのすべてを否定することができる、
ただし、統一性へのあの欲望、解決したいというあの本能的欲求、明晰と整合性へのあの要求は別だ。…《
なんなんだろうこの人は…
カミュは哲学者じゃないね。
論証とかいっているが、何が論証なんだろうか。
論理的に見えない…。
あまり理性的な人ではないんじゃないんか?
ニーチェの熱のこもった詩的な文章の方が余程論理的だと思う。
カミュは素朴に「世界そのもの」を認識しているつもりなんだよな。
哲学者以前なのだ。
ニーチェやフッサールなどは、
哲学者の理性的な「世界そのもの」の追求への反動ではあるが、
結局、一周回って、「世界そのもの」の追求に戻ってんじゃんというような不条理な話だろう。
世界は合理的でありながら不合理である、不合理でありながら合理的である。
認識されている世界しかないとも、世界そのものしかないともいえぬ、
真でありながら偽であるよう世界しか認識できないという絶望…
しかもその絶望が希望になるような不可思議さ…不条理…
カミュはなんだろう?
それが不条理を抹殺するとは?
彼は参加しているつもりで参加してないのだ。
彼が「世界そのもの」を認識しているつもりである以上、
彼が意識しているのは「世界そのもの」の認識の不可能性、世界の体系化の不可能性、世界の不条理性ではない。
彼自身の不合理性だろう。
ふん。かのカミュ様に向かって舐めた口をきいたもんだなw
てかマジでアホに見えてきた。ヤバいな。
そう、ヤバいというのは、無論、おれこそアホなんではないかという疑念を抱いているということだ。
そういう疑いを忘れないというところは流石に哲学徒だけのことはあると思ってる。
カミュ「…
この不条理は対立を糧とするものであり、
対立の一方の項を否定することは、不条理から逃げだすことだ。」
違うだろう。
対立の意識的維持こそ、不条理から逃げだすことである。
対立があるのはむしろ合理的ではないか?
ぼくの精神と世界そのものというように?
だがそんな対立はあって、ないのである。
不条理の感覚とは、ある対立の一方の項を否定する試みにおいて、そのもう一方から、否定されるべきものが浮かび上がっきてしまったときのものだ。
不条理とは対立があって、ないということ…反対概念が円環をなしているということだ。
例えば敵を愛さねばならないというようなことだ。
良薬は口に苦しというような。
無論、SMも不条理だろう。苦は快である…
カミュのいう「反抗」は対立の維持だ。
統一への意志への反抗。
だが対立があって、ないことこそ不条理である。
対立の維持に努めるようでは、対立にある不条理性について無知に止まるだろう。
不条理とは「死を意識しつつ同時に死を拒否すること」ではない。
そりゃ当たり前ではないか…。
また死にたいけど、死にたくないということでもない。これは矛盾だ。
不条理なこととは、死を望みつつ、元気になってしまうことだったり、
陽気に張り切って一生懸命生きていながらも、死に向かって一生懸命に走っていたりすることなのである。
カミュのいう「不条理」は不条理とはとてもいえない。ではなんだろう。
本能の衰退と無理解による世界や己自身からの追放、乖離、つまり無能さ、孤独、虚無感に他ならないといえるだろう。
「不条理」な精神は自由だろう。
自由に失敗し、案外、自由に成功するかもしれない。
盲人の自由がなんだろう?
まともな自由は不条理にも必然性、規則性にある。
従うことによって支配するのだ。
274 :
孫引き:2008/07/15(火) 19:25:42 O
ドストエフスキー 作家の日記》
幸福についての私の問いに対して、意識わ介して明確に与えられるものが、
私自身には把握できず、将来もけっして把握することができぬような大きな全体と調和してでなければ私は幸福ではなありえないという回答である以上は、
明らかに…《
カミュ シーシュポスの神話 清水訳》
ところが反対に「悪霊」の作家は、こうした道に親しんでいながらも、結局はまったくちがう道をえらんでしまったということが、はっきりと解るのである。
事実、その創造者が、みずから創造した作中人物たちにあたえる驚くべき回答、
ドストエフスキーのキリーロフに対する回答は、つぎのように要約できるのだ、
――存在は虚妄であり、しかも存在は永遠である、と。
こうしたわけで、ぼくはいま気づくのだ、
希望を永久に回避することはできない、
希望から身をふりほどこうと願っていた人びとにまで、希望が襲いかかってくることがありうるのである。《
やっとお気づきになりましたか。
それでもやはり立派な道化を続けなさるあなたはやはり偉大な道化であられます。
カミュ シーシュポスの神話 清水訳》
否定的な思考ほど芸術に多くをもたらすものはない。
その隠れた謙虚な態度が、ちょうど黒が白に必要であるように、偉大な作品を理解するのに必要なのである。
…一方では否定し他方では賞揚するというふたつの作業を同時に行う、これが不条理な創造者に開かれている道だ。
かれは虚空に色を塗らねばならぬ。《
ふん、ようやく目覚めてきたな。
不条理な論証…( ̄□ ̄;)!!
カミュ シーシュポスの神話 清水訳》
忍耐と明察を学ぶためには、創造がもっとも有効である。
創造はまた、人間の唯一の尊厳――
すなわち、自己の在り方に対して執拗な反抗を試み、努力が不毛だと解っていながら、なお辛抱強く努力を続カミュ シーシュポスの神話 清水訳》
忍耐と明察を学ぶためには、創造がもっとも有効である。
創造はまた、人間の唯一の尊厳――
すなわち、自己の在り方に対して執拗な反抗を試み、努力が不毛だと解っていながら、なお辛抱強く努力を続けるという姿勢――の驚くべき証言である。
それは、日々の努力、自己統御、真なるものの限界の正確な測定、節度、そして力を要求する。それはそのまま苦行にほかならぬ。
こうしたすべてが、「なにもののためでもなく」、ただ反復し、足踏みをするためになされるのだ。
いや、おそらく、偉大な芸術作品の重要性はそれ自体のなかにあるというよりは、
むしろ、作品が人間に要求する試練のなかにあり、作品が自分の赤裸々な現実に少しでも接近してゆく機会に作品がなるという点にあるのであろう
。《
創造がただ反復するために……
自己への反抗が己自身への接近に…
これぞ不条理だ…
永遠回帰…
…
カミュ「 これまでぼくが自己の考えを明快に説明してきたとすれば、およそそれとは正反対だということが解っていただけよう」
プ なんなんだこいつは…。
不条理に同意せず反抗することによってこそ不条理へと…という不条理…の論証…
ふんふん
太陽のせい
280 :
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?:2008/08/27(水) 12:32:51 0
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!}
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」
アンドロイドは電気羊の夢鳥見るか?
281 :
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?:2008/08/27(水) 12:33:42 0
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!}
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」
アンドロイドは電気羊の夢鳥見るか?
282 :
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?:2008/08/27(水) 12:35:43 0
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!}
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」
アンドロイドは電気羊の夢鳥見るか?
283 :
考える名無しさん:2008/08/27(水) 12:40:04 0
アンドロイドは電気羊の夢を見るかw
284 :
考える名無しさん:2008/08/28(木) 00:21:19 0
重要なのは病から癒えることではなく、病を忘れて生きることだ。
D,カミュ
285 :
考える名無しさん:2008/08/28(木) 11:04:41 0
「一つ」と大時計が云つた。
「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響(こだま)のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。
「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。
「十一」と大時計が云つた。
「十一」と皆が合槌を打つた。
「十二」と大時計が云つた。
「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。
「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんでに懐中時計を隠しに入れた。
然るに大時計はまだこれでは罷(や)めない。「十三」と大時計は云つた。
「やあ」と爺いさん達はうめくやうに云つて、鯉が水面に浮いて風を呑むやうな口附きをして、顔の色が蒼くなつて、口から煙管が落ちて、右の膝が左の膝の上から滑つた。
「やあ、十三だ、十三時だ」と皆が歎いた。
286 :
考えるな無しさん:2008/08/29(金) 01:36:30 0
287 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 01:39:48 0
288 :
考える名無しさん:2008/08/29(金) 01:40:52 0
289 :
蝶々の巣:2008/09/02(火) 05:24:48 0
ヘミングウェーヘミングウェーヘミングウェーヘミングウェーヘミングウェー!
290 :
蝶々の巣:2008/09/02(火) 05:25:43 0
ヘミングウェーヘミングウェーヘミングウェーヘミングウェーヘミングウェー!
291 :
蝶々の巣:2008/09/02(火) 07:38:41 0
ヘミングウェーヘミングウェーヘミングウェーヘミングウェーヘミングウェー!
292 :
蝶々の巣:2008/09/02(火) 07:51:52 0
ヘミングウェーヘミングウェーヘミングウェーヘミングウェーヘミングウェー!
293 :
考える名無しさん:2008/09/02(火) 07:53:45 0
たがために鐘は鳴る
カミュは死んだ
彼の肉体は死んだが精神は今も生きている
身体は生きているのに心が死んでいるものも存在する世
296 :
蝶々の巣:2008/09/12(金) 21:33:32 0
無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!
297 :
蝶々の巣:2008/09/12(金) 21:34:48 0
無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!
298 :
蝶々の巣:2008/09/12(金) 21:36:44 0
無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!
299 :
蝶々の巣:2008/09/12(金) 21:37:43 0
無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!
300 :
考える名無しさん:2008/09/12(金) 21:39:34 0
日はまた昇る
無駄/脂肪の塊
302 :
蝶々の巣:2008/09/17(水) 05:54:06 0
アメリカアメリカアメリカアメリカアメリカアメリカアメリカ!
303 :
考えるな無しさん:2008/09/17(水) 05:55:13 0
アメリカアメリカアメリカアメリカアメリカアメリカアメリカアメリカ!
304 :
考えるな無しさん:2008/09/17(水) 05:56:00 0
アメリカアメリカアメリカアメリカアメリカアメリカアメリカアメリカ!
305 :
蝶々の巣:2008/09/17(水) 05:58:09 0
アメリカアメリカアメリカアメリカアメリカアメリカアメリカアメリカ!
306 :
考えるな無しさん:2008/09/17(水) 06:00:30 0
武器よさらば
307 :
考える名無しさん:2008/09/17(水) 06:18:44 O
母親の家系は自然性が父親の家系は常識とか決まりごとを重視するが今は母親がたの直感方を重視している。直感でわからないことがでたら考える
308 :
し:2008/09/17(水) 22:14:52 O
おまえら俺に馬鹿にされて悲しくないか?
309 :
し:2008/09/17(水) 22:20:47 O
おまえら何にもしらねえ。しょうがねえからひとつだけ教えてやるよ。腹がたったら思いっきり物を叩くんだよ。ただし叩いちゃいけないものは叩いちゃいけないしまして壊すなんてもってのほかだ。叩いちゃいけないものと叩いていいものの区別くらいつけろよ。馬鹿なんだから。
310 :
考える名無しさん:2008/09/17(水) 22:25:54 O
それから壊れてもいいものは決まってるからそれ以外は壊すなよ。優しくあつかえよ。いい加減にしねえとマジ切れるからな。人間も物も他者も杓子もわかんねえとかぬかすなよマジで
311 :
蝶々の巣:2008/09/18(木) 15:18:39 0
枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘!
312 :
蝶々の巣:2008/09/18(木) 15:19:15 0
枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘!
313 :
蝶々の巣:2008/09/18(木) 15:19:59 0
枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘!
314 :
蝶々の巣:2008/09/18(木) 15:21:09 0
枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘枯木灘!
315 :
考えるな無しさん:2008/09/18(木) 15:28:16 0
われらの時代
316 :
蝶々の巣:2008/09/23(火) 13:58:43 0
317 :
蝶々の巣:2008/09/23(火) 13:59:08 0
318 :
蝶々の巣:2008/09/23(火) 13:59:52 0
319 :
蝶々の巣:2008/09/23(火) 14:01:07 0
320 :
考える名無しさん:2008/09/23(火) 14:02:56 0
海流のなかの島々
321 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 14:47:41 0
?
青い空 白い雲 優しい人たち
淋しくて 悲しくて 出て来たパリの街
やさしいと 思ってもみんな他人さ
いつの間に こうなった 鏡の中には
知らん人 疲れた顔で悲しげに笑ってた
おお、鏡よ鏡
324 :
◆E/Z6ziueC. :2008/10/05(日) 17:44:47 0
勝者に報酬はない
325 :
◆E/Z6ziueC. :2008/10/05(日) 17:46:18 0
何を見ても何かを思いだす
326 :
◆E/Z6ziueC. :2008/10/05(日) 17:47:00 0
中継ぎだ
327 :
◆E/Z6ziueC. :2008/10/05(日) 17:47:36 0
中継ぎだ
328 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 17:48:43 0
中継ぎであった
我々は中継ぎ遺伝子の消耗品か
【提供 ル・サンチマン™ 】
331 :
考える名無しさん:2008/10/10(金) 21:12:16 O
哲学者としてのカミュは、
そのへんの入門書書くようなレベルで
悪くはないけど他と比べたら見劣りするよな
誰と比べたら見劣りするのかな。サルトル?
単純に極端だったりする。
自殺。生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ、と。
でもカミュは作品だけじゃなくて自ら不条理の中を歩んだと思う。
身体を持って範を垂れた人じゃないかな。
333 :
考える名無しさん:2008/11/08(土) 21:33:41 O
シーシュポスは何故だかものすごく怖かった
334 :
考える名無しさん:2008/11/08(土) 22:27:51 0
シーシュポスの神話 のあと、 メネシス(ネメシス?)の神話 を
書く予定だったそうですね。
335 :
考える名無しさん:2008/11/19(水) 19:37:08 0
カミュも、シシューポスから続けて、体系化した哲学を作りたかったのだろうか?
異邦人しか知らん。誰か感動順位つけてけろ。
ムルソーかリウーか
338 :
海燕の巣 ◆E/Z6ziueC. :2008/11/25(火) 20:36:51 0
339 :
海燕の巣 ◆E/Z6ziueC. :2008/11/25(火) 20:37:47 0
340 :
海燕の巣:2008/11/25(火) 20:38:45 0
341 :
考える名無しさん:2008/11/25(火) 20:40:34 0
罰がなければ逃げるたのしみもない
342 :
◆fVJ7IYRI/k :2008/11/28(金) 12:36:32 0
せいっ
せいっ
パタ
パタ
せいっせいっ
343 :
◆fVJ7IYRI/k :2008/11/28(金) 12:37:46 0
せいっ
せいっ
パタ
パタ
せいっせいっ
344 :
考える名無しさん:2008/11/28(金) 12:38:50 0
四時四時
345 :
考える名無しさん:2008/12/08(月) 16:18:42 0
346 :
考える名無しさん:2008/12/08(月) 16:19:28 0
「不条理」という言葉がいけない。
日本語で元からある「不条理」とカミュの言う「不条理」とでは全くニュアンスが異なるのに同じ言葉でひとくくりにされては
二つの意味合いがごっちゃになるし、結局ドイツ語だとか他国の言語に頼るほか無くなる。
そんなだと全く進展が起こらないとまでは言わないでも、思考の際に大きな障壁となって同じところの堂々巡りになってしまう。
もう少し判りやすい、日本人にしっくり来る様な言葉を捜すべきではないか?
348 :
考える名無しさん:2009/01/05(月) 14:30:47 0
349 :
考える名無しさん:2009/01/05(月) 14:31:44 0
350 :
考える名無しさん:2009/01/05(月) 14:33:21 0
351 :
考える名無しさん:2009/01/05(月) 14:34:32 0
352 :
考える名無しさん: