817 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :
たとえば、ナチズムの問題を考えると、ナチズムを疑うことそのものに価値があるわけではなく、
ナチズムを疑い続ける、さらには一部の極右がナチズム信じ続けることが、忘却(反転)を妨げる
「転倒の継続」に価値がある。ということです。
このような考えの、容易な反論は、「間違ったこと」を継続して信じることは「正しい」ことか、というものです。
これに対する反論の一つが、結局、「間違ったこと」という価値はどこからくるのか、ということです。
さらには、そこには柄谷の他者、「私の中の他者」=「超霊」はある。すなわち進化論的経験において、
共有する価値=同一種としての共有性はあるだろう、という考えがあります。そして単発の懐疑/信仰では
なく、「忘却(エントロピーの増加)」という力に対抗し、継続することができる「力」は、
「私の中の他者」=「超霊」に繋がるだろう、ということです。この「忘却(エントロピーの増加)」という力に
対抗し、継続することができる「力」のバランスとは、「自然淘汰」であり、「進化論」です。
注)ダーウィンの進化論とは、進化する(前進する)ことではない。本当の意味は変化論である。
ポストモダン思想の間違いは、忘却を、懐疑と勘違いしたことにあるのではないでしょうか。すなわち、
ポストモダンという状況は、懐疑が生み出しているわけではなく、情報量の増加が、忘却を加速化させている
状況のことです。それこそが「反転」なのです。それを「反転」を懐疑であり、脱構築とすることは、
単なる転倒でしかない。新たな神性でしかない。だから、価値は、継続と忘却にしかないのです。
ボクがこのような状況を表現したのが、「マイフェイバリットからマイブームへ」です。
818 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 23:01:59
真剣に継続するのは意味があるね。多分。
一般に人類が神と呼んでいる機構が人間に感染させた
最大の病気は『退屈病』である。この宇宙は、細分化と
運動の複雑化に向かうことを「ある時期に」決定した。
では、統一的な全体を細分化する最大のメリットは何で
あるかを見れば、それは明らかにそこから生まれる「動き
の複雑さ」である。端的に言えば「単純さに飽きた」という
のが、現在のこの宇宙の中に生きる生物の創造とその
改良作業の発端であったのだ。
宇宙の細分化は人間がコンピュータを発達させたプロセス
に非常によく似ている。そして加えて多くの部分が「自動化」
されることだ。つまり処理できる「現象は複雑に」、ただし
「操作は簡単」にというわけである。
もしかしたら、自分は宇宙の中の単なるマイクロチップ、
あるいはそれどころか、スイッチの一つか、導線のひとつ
にすぎないのではないか、などと、宇宙の中での自己の
存在位置について、被害妄想をする者もいるだろうが、
残念ながらそれは非常に正確な洞察でもある。あなた
という歯車がひとつ抜けたところで何の支障もない。
余談だが、宇宙で最初の車輪は、実は2つではなく3つ
であった。
つまり、最初の分化は、陰陽の2極ではなく、拡散・収縮・
とその境界の3つである。あるいは、光・闇・分化の支点の
3つでもよい。
定義などは何でもよいだろう。ちょうど、陽子、電子、中性
子のように原初には常にまず「3つの部品」が作られる。
そして、その「回転方向に2つの方向」が設定されて、ここで
始めて陰陽が生ずる。こうして3パーツに各2種類の方向
性が与えられて合計6つの動きのパターンの個別性が
発生した。
したがって宇宙に最初に存在した創造の化身がヘキサ
グラム型の6体であったという「かの宇宙史」はこの事を
意味している。言い換えれば、この3部品が最初の退屈病
の感染者・・・つまり『宇宙最初の3馬鹿トリオ』というわけ
である。
821 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 23:09:48
>>818 ありがとうございます。
継続/忘却=エントロピーの減少/増大、というときには、
「生き続ける」という意味があります。
単なる反復では、死んでしまいます。そこに絶えず新たな差異が
入り込む、神話が生まれ続けるということ、
神話が生き続けるということ、欲望され続けるということ、
「生き生きし続ける」ということが「継続」の意味です。
「アウシュビッツ」は善悪ではなく、いまも「生き生き」し
続けていることに価値があるのです。
822 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 23:16:37
しかしよくもまあ、垂れ流し続けるもんだね。
一般に、この工程は神の「創造」として称賛されているが、
その発端というものは人間が退屈から抜け出すために
物事をわざと複雑に多様にするのと全く同じことである。
物事を複雑にするというよりも、変化と現象の動きを多彩
にしようとするのである。さて、そのあとは、めくるめく、
ただの分化につぐ分化、個別化につぐ個別化である。
まるで人間が作るコンピューターそのもののように、動きの
パターンに飽きないために、常に改良され続ける。宇宙
では基本的には誰も単純性など求めてはいないのである。
さて、当然のこととして複雑な動きを眺めたいという創造の
意志にしてみれば、創造の手間や管理の面倒さは省きたい
ものだ。そこで毎度考案されるのが自動化システムだ。
創造者が自分でその細部まで企画や設定をしなくとも、
ある程度偶発的に複雑な動きが作られるようにしたので
ある。全く同じことを人類はコンピューターにやらせている。
つまり、マンデルブロート幾何学などである。
824 :
純一:2005/06/15(水) 23:23:44
いやぁ、荒らしっていうか、読み応えのある論じゃん。
825 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 23:27:48
じゆん、お前は小さなヨハネかよ。議論する気ないなら帰れ
826 :
純一:2005/06/15(水) 23:30:18
ヨハネ?
さて、問題となるのは、自動化の中でも、とりわけ『学習
機能』なるものだ。人間が作るコンピューターの学習機能
にも常に「基本的な命令」がある。「何の為に自分で何を
組あわせ、自分で検索し、自分で選択するか」がプログラ
マーによってあらかじめ決められる。これと同じように、
「動き続けろ」という指令を成就するために人間に施された
最大の機能は2つある。
ひとつは、既に述べた創造病の感染だ。つまり、神自体が
持つ『退屈病』の特性である。これを人間に発生させるため
に使われたのは、記憶を振り返ること、つまり内省機能で
ある。何度か同じパターンを反復した場合には、その経験
パターンを記憶として閉じて独立させ、早々に次の運動
パターンや位置に移行するようにしたのである。つまり、
創造者が自分でやっている事を面倒であるので代行させた
わけである。つまり第一の指令とは、細分化の「さらなる
増殖」のためには、同じ経験パターンを繰り返すなという
命令である。むろん安定して繰り返されるべきパターン、
例えば生存や生殖に必要な欲望や感情は、それはそれと
して別に保存され機能し続けるのではあるが。プログラム
には固定部分と流動的部分があるのは、コンピューターと
全く同様である。
そして問題なのは、もうひとつの感染因子だ。それは、
全体への回帰という飢えを作り出すものだった。
全体意識が個別化した枠の中に押し込められると、元の
全体性に戻ろうとする欲求が生ずる。創造者はこれを
知っていたために、ひとつである意識を、複数の部品に
分割して投入するのである。すると、その個別体はお互い
に引き合うのである。
また、その分化もまるで家系図や木の枝のようであり、
何も全体意識がいきなり無数の意識に爆発して分化した
わけではない。そして個別化したものは決して物質的
形態あるいは情報の形態としては融合は出来ないので
ある。
実は、それが融合できる地点がたったひとつだけ存在
するのだが、それは個別化した魂には発見出来ない盲点
部分に設置されている。
その地点は分化した意識の断片を投入した「入り口その
もの」、神が土くれの人間に息を吹き込んだ場所である。
そして、その分化した意識の核それ自体だけは、「対象
として」は発見が出来ないのである。この原因が存在する
ために、人間は自分の意識そのもの、主体そのものだけ
は見ることが出来ない。つまり、自分の「本質だけは正確
に感じ取ることが出来ない」のである。
829 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 23:36:58
韋駄天はブログへ帰れ
830 :
純一:2005/06/15(水) 23:40:25
>>783 東洋思想が若干入ってますね。
タオとか、よくわからないですけど。
831 :
純一:2005/06/15(水) 23:45:16
>>778 >ろくな探求者
ここの件は面白かったです。
>犯した最大の誤ちは、哲学つまり
>「考え抜く」というワークを除外したことだ。
この箇所なんか、私の立場と近いとこにありますね。
メディシンに重きをおかないの現在の形態よりも
なかなか良いと思いますよ。
832 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 23:46:45
悟りとは、分化した意識が、いきなり元に戻るということだ。
通常は分化した魂が次第に戻るパターンが多い。つまり、
ある意識の12体の分身のひとつとしてあなたが生きている
場合には、まず残りの11体と出会って融合し、さらに、その
融合した意識は、当然別の大きな意識の分化したもので
あるので、それがまた次の融合に向かって検索を開始する。
これは、全く気の遠くなるような無駄な作業であると言える。
ところが、いきなり原初の意識に戻ることがある。分化した
意識でも、その「核」は絶対無であるために、それは全宇宙
の母体自体であるからだ。つまり「いかなる細分化の位置」
からでも、もしも、この「絶対無の核」との一致がなされると
突如として、細分化のゲーム、多様性への飢え、そして個別
化の意識が全体に回帰しようとする遊びは、そこでゲーム
セットとなってしまう。
既に述べたように、核は、もともと非相対的な主体あるいは
絶対無であるために、対象としては経験することが出来ない。
唯一それが体験される方法は「一致」という現象にのみよる。
従って、存在の軸や存在の核に向かって、あとずさりする
かのように意識の視点を内部に向かって「引いてゆく」という
方法が頻繁に使われる。死人禅の『0.1秒の悟り』『存在感の
認識の手前』の公案などはこの技法に入る。
834 :
純一:2005/06/15(水) 23:56:09
>>779 >ひとつの特徴は、いわゆる「腹」が全く出来ていない。丹田
>というものは何も「気」を練るためだけのものではない。丹田
>というものに莫大なエネルギーがなければ思考は使えない
>のだ。思考、それも単なる思考ではなく哲学のように「持続
>的に」何カ月も、あるテーマについて自問自答するという気力
>と集中力は丹田が発達していないと不可能なのものだ。
「丹田」というのが、たぶん、このスレの皆さんには怪しいものに
映ると思うのです。私は、あなたの丹田を一種の喩として考えました。
丹田を語ると同時に、あなたは通常の知識ではないあるものを丹田と
呼んでいるのだと思います。例を挙げます。
>丹田が出来ていない者のインテリジェンスには独自性がない。
>ただ本で詰め込んだ知識の組み合わせしか彼らには出来ない。
ここはまなざしの快楽スレに対する一般的な批判と重なります。
>>664は、まさにこの>丹田が出来ていない者の定義枠にかかりますので。
丹田とは何か…。
835 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 23:56:41
てか、なんでじゆんはよってくるかな。
わしの内容理解する力無いし、
じゆんと絡むと、ほんと体中の力抜けるんだよ。はぁ〜
836 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/15(水) 23:58:15
コピペして、レスする。削除されないための対策ね。
ほんと考えるな。
837 :
純一:2005/06/15(水) 23:59:43
>>835 ぴかぁだったら要点だけをもっと噛み砕いて
単刀直入に書いてくれよ
ぴかぁの哲学はなにをよしとするのか?
ぴかぁの人生哲学なり生き方だよ
838 :
純一:2005/06/16(木) 00:00:26
>>835 >わしの内容理解する力無いし、
いや、理解してるよ。
>>779は遠まわしに、君のそういう姿勢を非難してるのさ。
839 :
純一:2005/06/16(木) 00:03:09
>>873 >ぴかぁだったら要点だけをもっと噛み砕いて
>単刀直入に書いてくれよ
まったくだね。
単刀直入に言ってもらいたい。
ぴかぁ〜は自分の薄っぺらさをわかってnの?
前だってオートポイエーシスだかをまんまパクってたし。
ぴかぁ〜こそが粗製濫造の繰り返しだぞ。
841 :
純一:2005/06/16(木) 00:05:46
>>836 >コピペして、レスする。削除されないための対策ね。
>ほんと考えるな。
削除人がIP見られるなら、今このスレには別々のIPが三つ出てる
と思うから、それはないね。
842 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 00:05:52
843 :
純一:2005/06/16(木) 00:06:50
間違えた、少なくともスレ主以外四人居る。
844 :
純一:2005/06/16(木) 00:07:47
顔近い?
ってどういう意味だ?
845 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 00:08:11
>>841 あ、そ。とにかくお前がいないと荒らしがこないことだけは、
事実だから、どっかいけ。
ってか、なんで近寄ってくるんだよ。臭いんだけど。
846 :
純一:2005/06/16(木) 00:09:52
しょうがないなぁ…。
じゃあ、ぴかぁ〜にもわかるように説明してあげるよ。
>>844 自分の手品のトリックの底の浅さがばれるから、
あんまりこっちに近づくなって意味だよ
848 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 00:11:06
やっぱ、じゆんと会話するとコピペ止まる(w
ってか、なんでもいいよ。
とにかく、もう二度と絡まないと思うから、
じゃあな、じゆん元気でやれよ。バイバイ〜
849 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 00:13:03
非難しても変わるわけじゃあるまいし。
ピかぁ〜はピかぁ〜なりに続ければいい。クヌース的な才能はあるだろ。
それはそれで有用なんだよ。
850 :
純一:2005/06/16(木) 00:16:00
>>780は、瞑想の現実的な契機のことについて書いているのさ。
ぴかぁ〜の場合は、
>>664で他人から盗作してるのがバレちゃった訳だから、
丹田とかの肉体的ハードなものによって、考えるってことをしないんだな。
そりゃあ、他人のサイトから複製すれば、考えなくて済むのでこうした訓練を
使っていないってことさ!
851 :
純一:2005/06/16(木) 00:17:33
852 :
純一:2005/06/16(木) 00:19:21
>>849 >クヌース的な才能はあるだろ。
クヌースって何ですか?
853 :
純一:2005/06/16(木) 00:32:04
854 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 00:32:56
人名だ。ググってみ。
knuth
855 :
純一:2005/06/16(木) 00:34:17
誰か教えろよ!
てっきりこれ関係かと思ったじゃんよ。
ヌース【(ギリシア)nus】
古代ギリシア哲学で、心・精神・理性の意。
アナクサゴラスでは、混沌状態に運動を与えて秩序ある世界を形成する
原理とされたが、プラトンでは、イデアを認識する理性的能力をさす。
856 :
純一:2005/06/16(木) 00:36:11
てか、
>>849の
>クヌース的な才能
ってのは、プログラミングの先生みたいな才能ってことか。
…ないだろ。
857 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 01:43:25
858 :
純一:2005/06/16(木) 01:45:53
ほう、これは素晴らしい才能だ。
859 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 01:53:15
>>857 原稿の依頼は絶対ないよ、ましてや本、マジない。
ぴかぁ〜タンの本心読んだり、藁藁藁。
寝よっと。
ピかぁ〜は哲学学者の才能ありということだな。
その道を極め、哲学の歴史や事典でも書いたらどうだろう。
君ならできるよ。
と、利己的な事を言ってみるテスト。
哲学事典買おうかな。
861 :
純一:2005/06/16(木) 01:57:01
862 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 11:31:49
継続は真なり
863 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 11:38:44
私の中の他者
象徴界の他者…言語獲得によりインストールされる
現実界の他者…生物学的同一種、遺伝子プログラム
864 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 11:47:11
私は世界を「(現実界の)他者」としてみる
石であれ、空であれ、机であれ、犬であれ、人形であれ。
すなわちコミョニケーション可能=気持ちが通い合うだろう他者(の痕跡)である
それが「(象徴界の)他者」である。
すなわち「(象徴界の)他者」とは、決して到達しない「(現実界の)他者」の幻影である。
865 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 11:51:31
デリダの、柄谷の「他者」とは、「(現実界)の他者」であり、「(象徴界の)他者」を払い除けて、「(現実界)の他者」へ到達しようという終わりな試みへの決意である。
866 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 11:58:56
しかし「(現実界の)他者」へは決して到達しない故に、
ここで行われていることは「継続」である。
「継続」とは「(象徴界の)他者」の終わりなき書き替え、忘却しない成長である。
867 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 12:07:56
欲望とは「(現実界の)他者」への欲望である故に無への欲望である。
そして「(現実界の)他者」とは「本物の無垢」である故に欲望は「本物の無垢」への欲望であるが、
「本物の無垢」へは到達しない故に、「幻想の無垢」=「(象徴界の)他者」を捏造し欲望する。
868 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 12:13:17
「本物の無垢」への欲望とは、「今度こそわかりあえるだろう」という期待である。
869 :
bbs:2005/06/16(木) 12:39:17
到達しない場所を到達しないと割り切る(忘却する)ことは本物の無垢ですね。
そして、そこにたどり着く事は不可能である以上はそこに向かう理性的欲望は全て幻想を抜け出ることはありません。
しかし、そこに向かう理性が生まれうる事は幻想の枠を出る事はないにせよ、我々が一般に言う幻想と一意的に統一する必要はないでしょう。一般に言う幻想はシミュレーション的であって現実との背反であり、表象がそれ単独で存在しうるものでしょう。
自己の内に内在するものに「反転」の中で追いつめられた「人間」が「転倒」したとも言えるかもしれませんが、それが外界に対して飛躍しない以上は理性的欲望とは異なるでしょう。
おまえらアホだな。
このスレの『煽り』も含めて丸ごと
だったら出版価値はあるぞ。
つーか『煽り』が面白いんだけど。
電波哲学男
872 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 16:11:35
ついに映画化
出版価値を上昇させるためにはコピペやAAがよい。
874 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 18:45:58
カオス辞めたんだね。残念
875 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 19:12:00
「継続」こそが正義であり、真である。
私の中には、「他者」がいる。そして「私の中の他者」には二種類ある。
「現実界の他者」…生物学的同一種、遺伝子プログラムで共有される「他者」
「象徴界の他者」…言語獲得によりインストールされる「他者」
欲望とは「(現実界の)他者」への欲望である。「(現実界の)他者」への欲望とは、
「完全にわかりあえる」ことへの期待である。しかし「(現実界の)他者」と出会うことはできない、
故に「欲望は無への欲望である。」
この不可能性は、「(現実界の)他者」にかわって、欲望の対象としての「(象徴界の)他者」を捏造する。
「(象徴界の)他者」はそこに「(現実界の)他者」がおり、そのために「みんな」がその対象を
欲望しているだろう、ことによって、現れる。世界は、超越論的他者のまなざしの世界としてあり、
私は世界を「(象徴界の)他者」としてみる。それは、石であれ、空であれ、机であれ、犬であれ、
人形であれ、コミョニケーション可能性=気持ちが通い合うだろう他者(の痕跡)としてみるのである。
これは、ボクが「転倒」と呼ぶものである。「偶有性から単独性への転倒において神性は捏造される」は、
このように世界を「(象徴界の)他者」としてみることを意味する。
876 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 19:12:24
超越論的他者のまなざしによってつくられる「(象徴界の)他者」という幻想が、「(幻想の)無垢」である。
欲望は「(幻想の)無垢」への欲望であるというとき、「(幻想の)無垢」は、「(象徴界の)他者」を
払い除けて、「(現実界)の他者」へ到達しようとして、解体(消費)される。これをボクが「反転」と呼ぶ。
「単独性から偶有性への反転において神性は暴露される」
しかし「(現実界の)他者」へは決して到達しない。「(幻想の)無垢」は汚される。このとき「反転」は
どこかで「転倒」する。あるいは「反転」そのものが「転倒」である。
主体とは、このような「転倒/反復」の運動である。
877 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 19:12:49
デリダの、柄谷の「他者」は、倫理的な意味をもつ。到達不可能であることはわかっているが、
「(現実界)の他者」へ到達しようという、「(象徴界の)他者」を「反転」しつづけるという
終わりなき試みへの決意であり、それが「正義」である、ということだ。
しかし「反転」はどこかで「転倒」する。これが否定神学の構造である。
このために、結局のところ、ここで行われていることは「継続」である。「反転」の本質とは、
「暴露」ではなく、「忘却」である。故に、「反転」への抵抗は、「忘却」への抵抗としての「継続」である。
そして「継続」とはある対象に対する「転倒」の継続であり、ある「(象徴界の)他者」の終わりなき書き替え、
忘却しない成長である。 すなわち「継続」とは、対象への賛否によって対象を成長させ
続ける行為である。「継続」が正義であり、真である。
878 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 19:15:01
俺も外界に対しての
飛躍だ ∩ノつ
いけぇ!/⌒⌒ノ
=ネ ∧ /
⊂(゙Д゙;)彡
☆ ゞ∪彡
☆__●●●__
/◎◎\|/ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
なにかいっているようでなにもいっていない人っているよなぁ
ぴかぁ〜もそのたぐいだったりして
880 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 19:33:51
それ位読み解いてあげなよ。生暖かく見守りな!
ぴかぁ〜ってもう死ぬまで延々と
この調子で繰り返すだけなんだろうなぁ
彼女作れよ 変わるから
>>877 「継続」が正義であり、真である。
「継続は力なり」という慣用句とどう違うんだ!?
後「暴露」と「忘却」を対比させて
忘却のほうに可能性を感じることは結構だが
過去にとらわれずに未来を向いて進もう、といった常套句と変わらんぞ
後、人は忘れる生き物である、といった決まり文句もある
理屈を散々言っても、結論は決まり文句かよ
884 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 19:59:39
「継続」が正義であり、真である。
これは哲学にならない
絶対無理w
886 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 20:20:01
傾きの程度を顕す微分係数やろ?
887 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 20:21:04
微分・積分は基本だよなあ
888 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 21:07:41
出版ねらってんのか、ぴかぁ〜
本当に死ぬまでこのまま繰り返しそうで怖い
891 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 21:36:13
ただいま出版社募集中です!
連絡はこちらまでお願いします!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
無理だろ
893 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 21:41:45
じゃあ、やめる。
普通に働けよ
895 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 22:00:14
せまるしか
896 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 22:11:57
どうせ無垢への欲望だろ
897 :
純一:2005/06/16(木) 22:15:59
?
意味不明ですが。
898 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 22:19:47
名無しでいろ
899 :
純一:2005/06/16(木) 22:22:46
?
更に意味不明ですが。
900 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 22:23:48
901 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 22:28:54
902 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 22:36:14
「(幻想の)無垢」とは、超越論的他者のまなざしによってつくられる「(象徴界の)他者」という幻想である。
欲望は「(幻想の)無垢」への欲望であるというとき、「(幻想の)無垢」は、「(象徴界の)他者」を
払い除けて、「(現実界)の他者」へ到達しようとして、解体(消費)される。これをボクが「反転」と呼ぶ。
「単独性から偶有性への反転において神性は暴露される」
いろいろ職業が代わるやつだ
904 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 22:37:58
しかし「(現実界の)他者」へは決して到達しない。「(幻想の)無垢」は汚される。このとき「反転」は
どこかで「転倒」する。あるいは「反転」そのものが「転倒」である。
主体とは、このような「転倒/反復」の運動である。
905 :
純一:2005/06/16(木) 22:39:55
>>891 ちなみに、出版目指すんだったら著作権のこと考えないと
盗作で捕まるんじゃないか。
906 :
純一:2005/06/16(木) 22:41:06
これだけおおっぴらにパクってる訳だし。
出版は、笑わせたら許されるようなところでもないのだから、権利を考えないと
いけないでしょうね
908 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 22:48:08
「転倒/反復」の運動とは、「(現実界の)他者」へ到達をめざし、
「転倒」された「(幻想の)無垢」を「反転」する主体維持の新陳代謝である。
この主体とは、「幻想の主体」である。
その遠くに、「(現実界)の他者」があり、声が聞こえてくる。
真っ先に問題になるだろうけれど、起源によるわな
910 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 22:53:50
その遠くに、「(現実界)の他者」の声が聞こえてくる。
それが決して到達しない「(本当の)無垢」である。
「ぴかぁ〜が精神に異常をきたしている」、という設定にして
私小説やドキュメンタリーという形式にすればよいのでは?
パクリの件なら巻末に引用を書けばよい。
912 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 22:56:31
■私の中には、「他者」がいる。そして「私の中の他者」には二種類ある。
「現実界の他者」…生物学的同一種、遺伝子プログラムで共有される「他者」
「象徴界の他者」…言語獲得によりインストールされる「他者」
■欲望とは「(現実界の)他者」への欲望である。「(現実界の)他者」への欲望とは、
「完全にわかりあえる」ことへの期待である。しかし「(現実界の)他者」と出会うことはできない、
故に「欲望は無への欲望である。」
■この不可能性は、「(現実界の)他者」にかわって、欲望の対象としての「(象徴界の)他者」を捏造する。
「(象徴界の)他者」はそこに「(現実界の)他者」がおり、そのために「みんな」がその対象を
欲望しているだろう、ことによって、現れる。
■世界は、超越論的他者のまなざしの世界としてあり、私は世界を「(象徴界の)他者」としてみる。
それは、石であれ、空であれ、机であれ、犬であれ、人形であれ、コミョニケーション可能性=気持ちが
通い合うだろう他者(の痕跡)としてみるのである。これは、ボクが「転倒」と呼ぶものである。
「偶有性から単独性への転倒において神性は捏造される」は、このように世界を
「(象徴界の)他者」としてみることを意味する。
913 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 22:58:36
■超越論的他者のまなざしによってつくられる「(象徴界の)他者」という幻想が、「(幻想の)無垢」である。
欲望は「(幻想の)無垢」への欲望であるというとき、「(幻想の)無垢」は、「(象徴界の)他者」を
払い除けて、「(現実界)の他者」へ到達しようとして、解体(消費)される。これをボクが「反転」と呼ぶ。
「単独性から偶有性への反転において神性は暴露される」
■しかし「(現実界の)他者」へは決して到達しない。「(幻想の)無垢」は汚される。このとき「反転」は
どこかで「転倒」する。あるいは「反転」そのものが「転倒」である。
主体とは、このような「転倒/反復」の運動である。
■「転倒/反復」の運動とは、「(現実界の)他者」へ到達をめざし、「転倒」された「(幻想の)無垢」を
「反転」する主体維持の新陳代謝である。 この主体とは、「幻想の主体」である。
その遠くに、「(現実界)の他者」の声が聞こえてくる。それが決して到達しない「(本当の)無垢」である。
全部、ソクラテスのパクリだになるんだよ。
それか、云々主義的2ch思想は甲乙的2ch思想でない、甲乙的2ch思想はパクリだ。
一方、甲乙的2ch思想はそうではない、我々は2ch思想を学んでいる、決して云々主義的2ch思想
を学んだわけではない。
こんなかんじだ、また、本なら引用が欠かせないでしょうね。
915 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 23:19:21
なぜ人は一夫一婦制なのか。
人の知能の向上は脳を大きくした。この大きな脳をもつ子供が産道を通すためには、
まだ未熟児の段階で、生む必要があった。だから人間の子供のみが、出産後も
脳が急激に成長する。
そしてこの未熟児は生まれた後も手がかかる。そのために父親は多妻で、
多くの子供を持つことは、困難になるのである。
916 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 23:23:12
このような物語が、未熟な幼児、父と母というエディプスの物語へつながる。
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴∵∴\
/:: ∵∴∵∴∵ ∵ヽ
/∵ ∵ ∵丶
/∵▲▲▲▲ノ ▲▲▲▲ッ∵ヽ
/∵∵∵ / ヽ / ヽ . :::|
|∴∵ | ● | | ● | :::|
|∵ `ヽ ノ ヽ ノ`ゝ'' ::|
._|∴∵ "  ̄ / ̄ヽ  ̄ ` .:::|_
/ .|∴ ‐‐-- ヽ_/ --‐‐ ヽ :| ヽ
| |∴ ‐‐-- | --‐‐ ::| |
.\∴‐‐--/ | \--‐‐ ::::|/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|∴∵:/::::::::; −vー 、::::: ヽ ∴| <
|∴∵/:::,--=二二=--::::ヽ:::::::::| |をはよう馬鹿!
|\:::::::::::::::::::::::ー‐‐:':::::::::::::::::::ノ| |
|::::::ヽ::::::::ヾ:::::::::⌒::::ヽ:::::::::/ | .\________
|::::::::::::ヽヽ:::::::::::::::::::::::::::/ |
/ | . \::::::::::::::::::::ノ/ | \
918 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 23:30:04
これが、超経験主義である。
先天的、後天的という差異、誕生というゼロ点を消失させ、
経験を進化論的に過去へと延長する。
ここでは、固定された先天性はない。
遺伝子情報は未完成のスイッチである。後天的な経験が、そのスイッチを押し、
遺伝子情報を作動させるのである。すべては経験である。
ここに経験論と合理論の矛盾は解消される。
919 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/16(木) 23:56:48
出版したら負けかなと思っている。
920 :
純一:2005/06/16(木) 23:59:28
負けるというより敗訴だが。
921 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/17(金) 00:02:22
>>920 なつくな〜、仕方ないなあ。
最近、哲学の話しないが、どんな本よんどるん?
922 :
純一:2005/06/17(金) 00:05:48
哲学の話?
そんなものいつしたっけ?
923 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/17(金) 00:07:24
>>922 したことなかったっけ?どんな本よんどるん?
924 :
純一:2005/06/17(金) 00:10:04
>最近、哲学の話しないが、
って前に、哲学の話したっけ?
マイ哲学の話しかしてないような…。
中二病よりも高二病のほうがキモイね。
926 :
純一:2005/06/17(金) 00:17:20
検索してみた
中二病
■ 基本的な語義*1
バカドリルによってこの病気がはじめて世に知られる事となった。
中学2年生程度の屁理屈で社会を否定し、結果何の行動も起こさなくなる病。
特に引篭もり患者に多く見られる。重度の患者は勝手な思い込みから社会の規律に
反した行動を引き起こすため、早めのケアが必要。闘病患者としてタレントの
伊集院光氏が有名。(未完治)
927 :
純一:2005/06/17(金) 00:18:49
高二病はこちら
■ 最近の一般的な意味
自分に自信が無いので「他人とは違う趣味を持っている」ということで無意味なキャラ作りをすること
男子が中学二年に取りがちな痛い行動
自虐ネタ
■ 関連語
→女子の似たような現象は小六病と呼ぶ。
→中二病の人を嫌悪したり「この人はここが中二病だよ」とバカにすることは高二病と呼ぶ。
→計算の無い単なる面白い子供らしい行為は小二病と呼ぶ。
→「高二病の人は中二病の人を嫌悪してみっともないよなぁ」と思うのは大二病と呼ぶ。
→中ニ病は誤変換
→中二病を過剰に意識して何も行動を起こせなくなることは裏中二病と呼ぶ。
928 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/17(金) 00:19:51
>じゆん
次スレ題、なににしたらいいと思う?
929 :
純一:2005/06/17(金) 00:25:33
ちなみに、中二病も高二病もこのスレではじめて知った。
930 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/17(金) 00:38:17
◎ まなざしの快楽 PART7◎
最近の脳科学の研究で、人はアイコンタクトによって他者に自分が認識されたときに脳内で
ドーパミンが分泌されて快感を感じる。自分が好んでいる人に認識されるほど反応が大きいらしい
ということがわかった。
このような「まなざしの快楽」は、実際に見られていことを確認したときにだけ生まれるのではないだろう。
「私は見られている」という自意識が快楽を生む。おしゃれをして街にでることの楽しさは、実際に
どれだけの人が彼女をみるかではなく、「今日はいけているからみんなにみられるだろう」という
まなざしの捏造が快楽を生む。
そしてさらに「まなざしの快楽」は、他者との関係性、コミュニティの中の位置によって、
私が何ものである承認される快楽ではないだろうか。だから社会関係において、ボクたちは様々な人と
まなざしを交換し、さらに交換されているように捏造して、私が何ものであるかの承認を得ているのである。
注)このスレには数年に渡ってまなざし過剰な粘着荒らしじゆんが常駐しています。完全放置でお願いします。
PART6
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1116841958/l50 はてな
http://ime.nu/d.hatena.ne.jp/pikarrr/
931 :
純一:2005/06/17(金) 00:39:22
また、同じスレ題か…。
932 :
純一:2005/06/17(金) 00:41:59
>>930の注記はむしろ、
注)この板には数年に渡ってまなざし過剰なクソコテぴかぁ〜が常駐しています。完全放置でお願いします。
これが適切。
ローカルルールでもいいよ。
自らの身体が、他者(男性)から
「性的に欲望される客体」となることに
よって主体化されるという女性独特の立場を、
簡単に引き受けられない人たちが思春期を遅延
しているということをまずはクリアにしていか
なければならない。摂食障害やリストカット、
セックス中毒などは、それが極端化した例だと
思うし、実際風俗嬢やAV嬢にはそういう子たちが多い。
http://d.hatena.ne.jp/./TRiCKFiSH/
13 :考える名無しさん :2005/06/16(木) 18:20:22
だが、残念ながら、マルクスの理路によるならば、
そこにたどりつく過程で労働者たちは「収奪された労働価値の奪還」
という社会主義革命を経由しなければならない。
それは言い換えると「オレの稼ぎはオレだけが享受する。
オレのものは誰にも渡さない」という言い分に理ありとすることである。
それは「人間的」な考え方ではない。
14 :考える名無しさん :2005/06/16(木) 18:21:10
人間は「すねを囓られる」という経験を通じてはじめて
「自分にはスネがある」ことを確認し、「骨までしゃぶられる」
という経験を通じてはじめて「自分には骨がある」ということを
知るという逆転した仕方でしかアイデンティティを獲得すること
ができない「生き物」である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
サラリーマンの基本心性はむしろこれを倒置した「享受される」に近いであろう。
しかし、この「不当に収奪されている」という実感が「自己を供物として捧げることで
共同体を維持する」という太古的・呪術的な社会観に深いところで通底していることに
気づいている人は少ない。
「自己を供物として捧げる」ということは、人間に深い感動をもたらす経験である。
おそらく「自己を他者への供物として捧げ、他者によって貪り食われる」という事況
そのもののうちに強烈な快感を覚える能力を得たことによって人類は他の霊長類と分岐したのであろう。
http://blog.tatsuru.com/archives/000973.php
936 :
純一:2005/06/17(金) 01:42:45
パクリ元ネタ?
933・934・935
を踏まえ「ぴかぁ〜哲学」
(欲望される主体・欲望のまなざし)でまとめよ。
938 :
考える名無しさん:2005/06/21(火) 23:27:09
ぴかぁの理論は形式的だが、それをさらに形式化してくれ。くだらん二冊目の本とか、そういうのはいらないよ。僕はぴかあの内省と遡行が見たいんだよ。
939 :
考える名無しさん:2005/06/22(水) 16:06:32
↑アスペ
????
このスレに内省も遡行も無いだろ
943 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/31(日) 21:26:01
ん?
944 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/31(日) 21:36:37
猪股の本かで読んだが、万博などの高層物は、その眺望を人々に見せることにより
町の俯瞰という意識を与えた
それはすなわち新しい自分の発見である
少年↓
946 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/31(日) 22:33:08
独占的使用ということで、新スレ、削除人に削除されたようです。
有志の方で、スレ立てていただける方、お願いします。
★ まなざしの快楽 PART8.2 ★
最近の脳科学の研究で、人はアイコンタクトによって他者に自分が認識されたときに脳内で
ドーパミンが分泌されて快感を感じる。自分が好んでいる人に認識されるほど反応が大きいらしい
ということがわかった。
このような「まなざしの快楽」は、実際に見られていことを確認したときにだけ生まれるのではないだろう。
「私は見られている」という自意識が快楽を生む。おしゃれをして街にでることの楽しさは、実際に
どれだけの人が彼女をみるかではなく、「今日はいけているからみんなにみられるだろう」という
まなざしの捏造が快楽を生む。
そしてさらに「まなざしの快楽」は、他者との関係性、コミュニティの中の位置によって、
私が何ものである承認される快楽ではないだろうか。だから社会関係において、ボクたちは様々な人と
まなざしを交換し、さらに交換されているように捏造して、私が何ものであるかの承認を得ているのである。
さあ、みんなで、「まなざし」について哲学的に、語り合おう!
PART7
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1118940448/ PART8.1
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1122301212/
947 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/31(日) 22:34:29
有志の方で、スレ立てていただける方、以下の内容で、スレ立てお願いします。
武蔵の戦い方イタリアサッカーみたいで好き
リスクを最小限にじわじわと
うんこ
第2うんこ
うんこ終了
947 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/31(日) 22:34:29
有志の方で、スレ立てていただける方、以下の内容で、スレ立てお願いします。
948 :考える名無しさん :2005/07/31(日) 22:34:45
武蔵の戦い方イタリアサッカーみたいで好き
リスクを最小限にじわじわと
やあ
ぴかぁ〜のマルクス論を読んだよ。
内容は相変わらずだったね。
気付いたんだが、ぴかぁ〜のはてなって最近引用元も
書くようにしているみたいだが、これって著作権対策?
姑息な事考えずに、素直にパクリやめて論くらい自分で考えたら
どうかね?
で、前のスレ辺りで、
「電車男」に言及してたけど、これも浅いですね。
元々、このスレ最初の
>>16-18の辺りは、
最近ではもう既に語られていないのですから。
無垢とか言ってるのも最初だけですね。
キーワードの取替えがいくらなんでも早すぎると思いませんかね?
最近のスレだけでも、
無垢→生き生き→セカイ系
とか、キーワードを自作しては、
飽きると別のキーワードに取り替えるだけって感じですよね。
で、前のスレで私が分析したみたいに、
>>957みたいなキーワードの取り替えしかぴかぁ〜がしないってのは、
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
が、ぴかぁ〜の思考のベースになってるからだと証明した訳です。
例を出しましょう。
前のスレでも出したものですが、これを見てください。
>1 :腐敗 ◆lF86EsedsY :2005/04/06(水) 02:59:11
>個人的な例で申し訳ないが。
>なんかもう、当たり前のことが、当たり前に見えてしまう。
>感覚器官を通して我の意識に顕現する全てが、あるがままに見えてしまう。
>疑問符が浮かばない。
>もうこうなったら終わりだよな。学徒として。
>いや全然悲しくないしせいせいしてるぐらいだ。
>「哲学は驚きに始まる」とは的を得ている。
>その他、目からウロコ、とかいろいろな表現で哲学の始まりを聞くが。
>しかし今、全く別の驚きを俺は感じてる。
>「あるものが、あるがままに見えている感覚に驚いている」
>哲学は「驚きに終わる」のかもしれないと思った。
>まあ気が向いたらマジレスでもくれ。
>今は……表象に没入する喜びに酔いたい。
これが
>>958の
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
から読むとどうなるか。
>>959のスレの、1のレスは、
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
をとおして読まれると、
最初に、データに分解される訳であります。
で、何の情報なのかと申しますと、
「哲学の学問的な固有名詞」の要素が入っているか、
もしくは、入っていないかという基準なのです。
ぴかぁ〜の前のスレを思い出していただけると分かるのですが、
これは大部分が、「お笑いのオタク話」に終始しています。
普通、これなら学術用語を使うことはない訳ですね?
だが、ぴかぁ〜やミスターXはむしろ積極的に、
「ポストモダン」や、ラカンなどの用語を使って
オタ話を繰り広げていく訳であります。
で、おかしいのは、普通、哲学に興味があるか、
自分で考えたことがある人っていうのは、
>>959の
ように、全く哲学の固有名詞を使わなくても表現できる訳です。
だが、そのような言葉を使うと、
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
では、「無意味」と判断される訳であります。
これはなぜでしょうか。
>>962の答えってのは、簡単なものなのです。
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
ってのは、彼等自身がよく言うように、
萌え要素=学術風な固有名詞が入っていれば、
それで満足だからなのです。
だから、ぴかぁ〜やミスターXは、
学術風の固有名詞が入っていない
>>959みたいな文章に
出会うと、思考のコードである、
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
が脊髄反射し、
「萌え要素=学術風な固有名詞が入っていないから、無意味」
と短絡的な判断をするに至るって訳です。
どちらかというと純一の私物化の方が目立つんだが?
まとめますと、ぴかぁ〜・ミスターXは、
文章の意味を判断してまで読むつもりは無くて、
「萌え要素=学術風な固有名詞」
に反応するか、いなかで決めてるってことです。
>>965 具体的にお願いします。
どのレスですか?
で、
>>966で証明した判断基準ってのは、
まんまオタクの消費の仕方でありまして、
前のスレで私がやった分析は、
ぴかぁ〜・ミスターXにかなり当てはまると
証明された訳です。
>>968で私がいったのは、
ぴかぁ〜とミスターX(2オタク)の、電車男の消費のしかたにも
現れていますので、それを分析してみましょう。
ぴかぁ〜は、前のスレ辺りで、
「ドラマ版電車男はつまらない」
などと申しておりましたが、これなんか典型だなぁと思うのであります。
なんで、そのような判断がなされたのか、
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
で読めば理解できます。
いかに理解しがたくてもですよ。
電車男は、大人気なのでありますが、
普通の世界では、オタク=ぴかぁ〜とミスターXってのは、
気持ち悪がられるものなのであります。
で、ぴかぁ〜とミスターXの電車男の批評は、
この基準をオタク独特の世界観で、
>普通の世界では、オタク=ぴかぁ〜とミスターXってのは、
>気持ち悪がられるものなのであります。
これみたいな普通の基準を逆転させる訳であります。
どうやるのかというと、
ぴかぁ〜みたいに、電車男はベタだと言ってみたり、
ミスターXみたいに、オタク描写が甘いと言ってみたりする訳ですよ。
で、自分のセカイが完成する訳ですね。
ぴかぁ〜のドラマの批評も、ミスターXの下ネタも同じでありまして、
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
が一番すぐれた認識だとのオーラが一挙一動に出てくる訳です。
で、それが終わりになればなるほど、
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
の思考法は、同じ思考法を共有する者同士にしか伝達されなくなります。
同年代や、同じ成育環境を持つものとの交流のみ、受け入れるのですね。
2人同士の伝達的なパラグラフには、
特殊なコードが存在すると考えるのでしょう。
一方に伝達されるべきコードは、彼我のコードの
差異があってはならない訳ですから、
当然、ここに起こるのはコードの同一性であります。
セカイ系との用語はどうでしょうか?
ぴかぁ〜は、何の疑問も持たずにこの用語を使っております。
しかし、セカイ系とはなにか?
ここは空白のままだといえましょう。
コードの同一性は、同じコミュニケーションでの
同じく正しいコミュニケーションを保障しますね。
ぴかぁ〜の情報は、コードの同一性によって、
ミスターXへと伝達されるのです。
コードの同一性と、セカイ系との接続はもっと簡易なものです。
電車男ではどうでしょうか?
電車男の処理の仕方までもが、コードにゆだねられている。
ぴかぁ〜もミスターX(ロウシ)も気付かぬまま、コードに
従って処理している訳です。
>>959もこのコードに従って
処理されるのが、オタク同士のコミュニケーションのあり方なのです。
じゃあ、そのコードは何か?
ぴかぁ〜・ミスターX=30代のオタク・オッサン的思考
でありまして、普通の文章では感覚で話をする行為を
このコードによる処理と置き換えが可能なケースに限り、
思考モデル化ができるのです。
まあ、今回はこんなところでしょうか。
感想あったらどうぞ。
ヒント:クッサ〜、こりゃまたクッサ〜、ごめんくっさ〜。