945 :
考える名無しさん:2007/04/07(土) 02:59:45
キリスト教とかと同じパターンですが、
ただ、キリスト教はイエスの死後400年後に公会議を開いて、
「正典」を教団の権威の下で選定しました。
それ以外の経典は外典として排除されました。
仏教では、そういう会議はなく、百花繚乱。宗派ごとに根本経典が違う。
さらに、中国や日本で作られた偽経もたくさんある。
>>938 ウェブで見るまでもなく通読して蔵書にあるんだが、
一番目立っている自己言及ぶりを看過して
部分を読めと指示する理由を聞きたいもんだね。
創○学会もそうしているようだが、何ゆえ?
>>944 経典のほとんどは後代の人が釈迦のお弟子さんが発展させたものを釈迦の言った事と間違って伝えたものや釈迦が言いたかったのってこういう事じゃないかな?
と思った事を釈迦の名前で書いたものです。
948 :
考える名無しさん:2007/04/07(土) 06:48:14
>>939 浄土真宗では浄土三部経(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)が教判だよ。法華経は道元など禅宗者もよく取り上げているし親鸞なんかも言及している。あと日蓮宗以外にも融通念仏宗は華厳経、法華経を正依に浄土三部経を傍依としている。
中沢さんの本を読んで気持ち良くなるのが目的なので、あまり
水を差さないで下さい。醒めちゃうので。
950 :
考える名無しさん:2007/04/07(土) 12:17:02
もしも中沢新一が東大教授としてオウムを擁護していたら
大変なことになってたかも、、、
952 :
194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/07(土) 16:27:34
>>949中沢の本がいけないわけではないよ 彼は優秀な学者であることに
間違いは無い 文章も美しいし魅力的だ 民俗学も人類学も否定されるべきでない
ただ島田氏とか世間からの批判を答えるべきじゃないのかってことよ
苛められてます じゃ駄目だろう 陰謀論めいたこというなら
思うに至った確証なりを提示してくださいといいたいし世に発表すべきだろ
そもそも資本主義がなんで発達したのかはいろんな語り口がある
ホッブズロックからなる自然状態が重要だとか
消費されない蓄積される富の増大だとか
貨幣の発明や市場の発明だとか
一神教の契約の概念が売買取引の契約に重要だとか
ウェーバーのようにプロテスタントの予定説が重要だとか
ナポレオ支配による私的所有権の大衆理解や
為替制度の発達や簿記の発達などテクニカルな発明が重要だとかいろいろいわれてる
「煉獄」の発明が利殖行為を肯定するのに重要だというのもわかる
しかし霊的なタームでのみの説明に重きを置きすぎていると私は思う
これはどの場面においても中沢氏に一貫する姿勢だと思う
そしてこれは霊的なものに自覚的でない人間にたいして危険であるとも思う
私は資本主義は生贄や捧げ物など霊的なものへ捧げる富と
所有する富の量のバランスの均衡が崩れた所に発生の契機を感じる
「生」と「死」の価値の変換が行われたところに発生があると思う
霊的な説明はあとから付随する現象であると思う
しかしこれも一つの持論にすぎないのだ
その持論でもって全てを説明するには至らないことは明白である
そのような唯物論的立場から霊的なものを二次的に見るというありきたり
な思考をのり超えなさい。もっと高い境地に立ちなさい。
954 :
194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/07(土) 17:09:57
どうようにすればその境地にたどりつくのでしょうか?
ご教授賜りたいです
955 :
考える名無しさん:2007/04/07(土) 19:20:56
194 痛い奴。そもそも教えて君なんだから陳腐な長文書くなよw。
徹底的に場の空気が読めない人間だな。
唯物論的な聖霊論を練り上げようとしてきた中沢のスレに
仏教系の新興宗教のただの信者が来ている気がするんだが。
唯物論的という言葉の意味分かって言ってます?
>>958 ここは哲学版なんだから、君みたいな学会のお子様が
全能感を見せびらかす場所じゃないんだよね。
宗教板に行きなさいな。
>仏教系の新興宗教のただの信者
中沢には相応しい人材だなw
>>959 出た!「学会」厨w しかもまたまた的外れ。
唯物論は宗教板じゃなくて哲学板だろw
>仏教系の新興宗教のただの信者
957は仏教系新興宗教信者レベルのヲタなので相手にしないでください。
>>960 〜
>>962 霊性男の自演orz
んで、そろそろ島田本のまともな感想が出てきてもいい頃なんじゃないかと。
太田との憲法本で中沢厨になった連中はいずこ?あと『森のバロック』マンセーな人とか。
964 :
考える名無しさん:2007/04/08(日) 13:32:17
島田本の感想。2ちゃんねると同じで、何か言って目立つとかならず攻撃
するやつがいる。発言を流用したり悪用したりするやつもいる。
それが人生ですねぇ、というだけの話。
行き倒れの人がいてもまったく気にも留めないような文明が、インドやネパール
やチベットにはあるし、そういうところが倫理について考えていないかというと、
そうでもない。
近代ヒューマニズム的なオキャワイソー感覚が、一面的なものでしかないということも
あるのではないか。
965 :
考える名無しさん:2007/04/08(日) 17:17:06
どっかに島田本の概要とか載ってないかい。
なんか俄然興味がわいてきた。
ああ、高橋君に言った言葉だったんだ、彼は、今、何してるんだろ
立ち読みだけど、島田裕巳の『中沢新一批判』の感想。
出版のタイミングは納得できる。『幸福の無数の断片』や『三万年の死の教え』の頃と似た
「メディアの寵児−中沢新一」が復活してきた時期だったからだ。
『精霊の王』『フィロソフィア・ヤポニカ』『カイエ・ソバージュ』などの地道な労作を
書き続けていれば、批判本のインパクトは5割方以上は減衰していただろう。
内容的には、『虹の階梯』の成立過程のテキスト・クリティークが面白かった。
要するに、この本が出版された段階では、中沢のチベット語学力と修行の度合いは、
同書を成り立たせる水準では無かったということを、ほぼ論証している。
早い話が、共著者のラマの講義本の英語版草稿を中沢が美麗に脚色しつつ日本語訳した本だった
ということ。
個人的には、オウム問題については、「尊師のニヒリズム」で中沢新一は十分に総括を終えている
と思っているので、島田氏の「こだわり」には共感できない。どちらかと言うと、読んで後味の悪い
告発本の類だと思う。しかし、最近また派手に活動し始めた中沢氏に対して、嫉妬まじりで
こういった批判本が出ることは、十分理解できるし、今後もまた繰り返されるだろう。
971 :
考える名無しさん:2007/04/11(水) 21:59:52
『ミクロコスモス』面白い。『カイエ・ソバージュ』級の代表作の一つになるだろう。
フムン。実は小説だった、というのは嘘ではなかったんだな。
973 :
194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/12(木) 01:08:19
中沢は最高の思想家だな ミクロコスモスは凄い
大型書店では、版型が同じだということもあり、『ミクロコスモス』T,Uと、
『中沢新一批判』が仲良く平台に並んでいて、思わず笑いを誘う。
批判本冒頭で言及されている「中沢新一の復権=またぞろ調子に乗りやがって」
の象徴のような書物が『ミクロコスモス』だからだ。
俺はわりかし中沢新一は好きだが、こんな書き飛ばしの頼まれ原稿の寄せ集めを
麗々しくパッケージングして、砂糖菓子みたいに売り出すのも、それを買って
ろくに読みもしないではしゃいでいるファンというのも奇態なものだと思う。
賭けてもいいが、こんな連中は絶対に『フィロソフィア・ヤポニカ』も『精霊の王』も、
それどころか『芸術人類学』すらも「通読」してはいない。
島田は『中沢批判』の中で、中沢の書物に頻出する「潜在性」の意味が不明だと言っている。
むろんこれは、ドゥルーズ哲学における「潜在性」とほぼ同じ意味合いで使用されて
いる語彙だ。島田はドゥルーズには全く言及していないが、これは不自然極まりないことで、
例えば『森のバロック』で展開されている熊楠マンダラの解釈は、まるっきりドゥルーズからの
剽窃である。
はっきり言って、中沢の言説の半分以上は、ドゥルーズがあれば本質的には不要なものだ。
少なくとも『森のバロック』まではそうだ。ネタは割れているが、トッピングは巧みというに
過ぎない。同様に断言してもいいが、『カイエ・ソバージュ』の読者で、翻訳でもいいから、
ラカンの『エクリ』『セミネール』、レヴィ=ストロースの『やきもち焼きの土器つくり』『神話論理』を
熟読玩味している人は、0.5%に満たないだろう。
だから中沢新一の「商売」が成り立つ。逆に言えば、海外に翻訳される価値がある中沢の書き物は、
最大限好意的に見積もって、チベット密教についての釈義の類いだけだろう。
975 :
194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/12(木) 02:57:14
俺クラスになると中沢読まずに中沢絶賛できる 無論ミクロコスモスも読んでない
アマゾンで序文を読んだのみで絶賛できる 表紙の絵が最高だ
>>974 >チベット密教についての釈義
つーか、これが一番日本の印度(チベット)学者から学問的に
叩かれてるんじゃないの?
977 :
974:2007/04/12(木) 07:24:56
>>975 何クラスだか知らないが、田舎者の引きこもりニートは黙っていろよ(笑)
>>976 チベット密教+レヴィ=ストロース+ドゥルーズ=中沢新一なのだから、
「修行者/弟子」を自称できるチベット密教しか、残り得ないんじゃない?
少なくともゾクチェンに関してだけは、一次資料と言えなくもないんだし。
井筒俊彦もその点を評価したのだろうと推察できるしね。
978 :
194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/12(木) 10:10:44
979 :
考える名無しさん:2007/04/12(木) 12:04:36
>>974 勝手に断言してるけど、俺はもちろん全部通読してるよ。
ドゥルーズと中沢は違うだろ。ドゥルーズの「狼人間」の話と
中沢の神話的な動物についての考え方はまるきり違う。
ドゥルーズは動物性を人間の下位に位置付けて、そのうえで潜在性を
そこにみようとしているけど、中沢がvirtualiteとしてみようとしているのは
むしろ水平的な関係。
ドゥルーズは説明の方便としてでてきただけで、中沢の一番基底にあるのは
子供時代からある、生成する質料みたいなものへの関心だろうに。
「蜜蜂の巣」の話だとか、さりげなく書かれたものにそういう主題を読み込むの
でなければ、読めた事にはならない。ただ、お前がマニュアルとしてドゥルーズだけを
読んで、分かった気になっているだけだ。
980 :
974:2007/04/12(木) 19:36:48
>>979 まずのけぞったのが「ドゥルーズの「狼人間」の話」という箇所。
『千のプラトー』に「狼男」についての言及があるが、これは実在した
フロイトの患者のあだ名だ。精神分析批判の文脈で登場する人物なので、
文化人類学的な文脈で言及される中沢新一の「中沢の神話的な動物に
ついての考え方」なるものと関係するはずがない。
その次の三行は全く意味不明なのでコメントは差し控えるが、
ドゥルーズの「潜在的なものの現勢化」の意味が全く分かっていない。
これは、「可能なもの」という概念のカテゴリーを廃絶するために
導入された、ドゥルーズの存在論のキーコンセプト。
とにかく何でもいいからドゥルーズの入門書なり、原著なりにあたってくれ。
第二段については、まさにその「生成」についての哲学者が、ベルクソニアン
としてのドゥルーズであることに注意されたい。
残りの三行は単なる罵倒なので無視して、一言付け加えさせてもらえば、
『フィロソフィア・ヤポニカ』を本当に通読したのなら、ドゥルーズの存在論と
中沢新一のそれとの間の影響関係について、誤解の余地は無いはずだ。
何のために俺が「チベット密教+レヴィ=ストロース+ドゥルーズ=中沢新一」
なんて自明の図式を書いたか少しは考えてもらいたいもんだ。
中沢のラカン理解の欠陥はあまりに有名だが、あえて中沢ファン向けに言い直せば、
上記の三項目は、「ボロメオの環(三位一体モデルね)」を成している。
つまり、どれが欠けても中沢新一の言説は成立しないし、重点をどの二項の関係に
置くかで、重点が大きくシフトするということ。
だいぶん挑発的な物言いをしたことは申し訳なく思うし、
>>979が真面目なのは
分かったかから、まあ別に誰もが同じ意見を持つ必要も無いわけだし、
ご自分の関心に沿って勉強して下さい。俺もそうするし(笑)
981 :
考える名無しさん:2007/04/12(木) 20:46:05
>まずのけぞったのが「ドゥルーズの「狼人間」の話」という箇所。
『千のプラトー』に「狼男」についての言及があるが、これは実在した
フロイトの患者のあだ名だ。
これはミルプラトーでドゥルーズが動物性と人間について書いている
場面なので、大いに関係しますよ。ドゥルーズと中沢の相違が端的に現れて
いる場面じゃないか。
>ドゥルーズの「潜在的なものの現勢化」の意味が全く分かっていない。
これは、「可能なもの」という概念のカテゴリーを廃絶するために
導入された、ドゥルーズの存在論のキーコンセプト。
これも百も承知。お前が三行理解できないといったところが重要で、
これが分からなければ彼が最近語っている「対称性」の概念が理解できる
はずがない。ラカンの理解にしても、中沢は意図的にイマジネール(想像界)
の解釈をラカン自身とは変えて語っており、しかも肯定的に語っている。
その場合イマジネールは流動的知性と結びつけて語られ、これは自然と人間
との間に「対称性」を見出そうとする原初の神話的想像力であるとされる。
ドゥルーズのヴィルチュアリテの議論はもちろん評価しますが、潜在性の
ニュアンスが強すぎて彼自身の議論がポシビリテとあまり変わらなくなっている。
二元論的な際どい対立になりすぎている。
そういう議論はピエール・レヴィもセールからの議論と結びつけてやっているけど、
彼の場合はネットワーク論と結びつけてやっており、むしろアクチュアリテのほう
から発想するという立場を採っている。中沢もラトゥールとか、セールの弟子の
流れを吸収しながら最近は論じていて、「技術的対象」だとか、「庭園」だとか、
あるいは「十一面観音」(!)そうしたアクチュアリテが結節する場所を見出そうとして
いる。
982 :
考える名無しさん:2007/04/12(木) 20:54:46
それらの結節点では、むしろネットワークを修練させたものとしての
水平的結節が見られるのであり、そうしたものに自然と人間の二元性を融和させる
方法を予感しようとしたり、人類の神話的な想像力にそうした二元性の背後に
控える第三の場所を見出したりしているのが中沢。こういう発想は、ドゥルーズにはない。
『フィロソフィア・ヤポニカ』は、俺はまだ評価しない。田辺流の質料主義はまだ
二元論の色彩が強すぎる。質料的なものを生成と結びつける視点は、中沢の場合
子供の頃からものであり、それが時々ベーメについて語られたりレーニンについて
語られたりするわけだが、ドゥルーズに学んだというわけではない。ましてやベルクソン
からお勉強したわけでもない。だから剽窃呼ばわりするのはとんだお門違いで、思い上がり。
大体お前学問が古臭すぎw
983 :
考える名無しさん:2007/04/12(木) 20:55:12
苦笑
984 :
974:2007/04/12(木) 21:31:18
>>981 レスありがとう。成る程、君の言いたいことは大体分かった。
以下は、おそらく解釈の違いに類するものなので、まあこんな見方も
あるんだな程度に読み流してください。
まず第一段落について。『千のプラトー』の当該プラトーは、俺には
精神分析批判の文脈で、ベルクソン的な生成変化(動物になること)を
打ち出したところだと思える。神話的思考とは関係しないと言い切っても
別段文句は出ないと思う。しかし、示唆してもらった考え方はユニークなので、
機会があれば、丁寧に再読してみるよ。
「三行理解できないといったところが重要」というのは、神話的想像力の働きにおいて、
動物と人間は相互に交換可能な項(対称性を持つ項同士)だと中沢は主張しているから、
つまりこれは、動物と人間とが「水平的=対称的=交換可能」なのだ、それに反して
ドゥルーズはいわば階層性を導入していて、そこが中沢と異なる、という意味だね。
潜在性は「深層」ではないので、ドゥルーズの思考が階層的という解釈には賛成できないし、
レヴィ=ストロースに依拠している主張がドゥルーズにも関係するという解釈にも賛成できない。
ただし率直に言って、マテ・ブランコなんかまで援用して「対称性」を強調する近年の中沢が、
『森のバロック』までとは異なる思想を持ち始めた(端的に言えば、スピノザ−ドゥルーズのラインから、
レヴィ=ストロース−ミルズ−ブランコのラインへの移行)とは俺も思うので、
この点、自分なりに関心がある。ので、今『神話論理』と『無意識の思考』を読んでいる。
俺が中沢のラカン理解の欠陥と言ったのは、むしろ「現実界」の解釈に関わる。
ラカンにおいて、「現実界」が見出されるのは、あくまで「象徴界」への参入後なわけ、
論理的に。これは譲れない一線なんだけど、中沢は「現実界との真実の性交」とかなんとか、
ダイレクトに「現実界」に触れることができるかのような言説を「ラカンの名の下に」
振りまくから問題視されるわけ。むろん、盲目的な中沢ファンは、これをチベット密教の
修行からくる認識と解釈する。俺はこれは危険だと思う。
セールについては、精読したことがないので、俺には何とも言えないな。
示唆してくれたことには感謝する。
985 :
974:2007/04/12(木) 21:48:27
蛇足ながら付言しておけば、俺は学問に新しいも古いもないと考えている。
「新しい」ということは、「いずれ古くなる」ということだ。
従って、新しい学問に依拠していると主張する人は、いずれ古くなる学問に
依拠していると主張しているわけだね。悲惨な話だ。
問題は、新しい、古いではない。思考の徹底性だ。スピノザもベルクソンも
古くなるというような性質のものではない。中沢で俺が評価しているのは、
「古いものにも」からも、いわば滅びない観念を取り出してくるところだ。
従って、「お前の学問は古い」などと中沢の愛読者に言われるのは、
気持ちとしては残念で、深い落胆を中沢ファンに感じるね。
986 :
194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/13(金) 21:26:41
負けを素直に認めろよ
194 ◆JMEUe1jdXc って読解力のかけらもないのな
>>984は、
>>981の言っていることを殆ど否定してるじゃん
単に言葉使いを丁寧にしただけで、それは一応対話の相手として認めたってこと
194 ◆JMEUe1jdXc は一度もまともに相手にされてない
当たり前だけどね、自分のポジティヴな見解は何も書けない白痴なんだからさ
988 :
考える名無しさん:2007/04/13(金) 23:10:43
982だが、可哀想だから放置しておいてあげているだけでいくらでも
反論できますよw 大人気ないからしないだけで。
たとえば
>むろん、盲目的な中沢ファンは、これをチベット密教の
修行からくる認識と解釈する。俺はこれは危険だと思う。
こんなのとか
対称性をレヴィ=ストロース由来のものと考えているあたりとか、
しかもそれを戯画化された構造主義(ソシュールのアナロジーとしての
構造主義)にしちゃっている点とかw
なんでもかんでもフランスから引っ張ってこないと物が考えられないと
思うのは大間違いです。自力で考えられるんだよ。ただ説明の方便でつかっているだけ
です。
来週11時からNHKに中沢さん出るよ〜
>>974も
>>981もなんとか理解できる程度の俺には、こういう真面目な議論は
歓迎したいな。罵倒で始まったのは残念だが、ちゃんと話がかみあったのは良かったし、
さすが。俺の中沢新一への一番の興味は(まあ平凡なものだが)、あまりにも矛盾の
ひどい現代の世界の矛盾(大きく出るのを許してくれ)に対して、社会システム
だとか、世界を外部から変えるのではなくて、宗教家として、われわれの意識の方を
変えてゆくことによって対処していこうとしている点にある。ただし、教団をつくったり
しないで、また簡単に「意識革命」とか判りやすいことは言わないで、孤独に。
だから、あくまでも世界をかえていこうという意思はあるのだから、毒があるのは
当然だし、非難されたり、敵をつくったりすることもあるだろう。ただ、「知との
軽やかな戯れ」だとか、そういうのは、たぶん中沢が本当にやりたいことでは
ないと思う。まあ、俺の興味は、そんなところだ。
991 :
990:2007/04/14(土) 01:01:23
ああ、我ながら酷い文章で嫌になる。「矛盾」が重なっているし。
ちょっと
>>976で気になったので。
中沢以前には、もちろん日本にチベット仏教学者がいなかったわけではないだろうが、
たとえば「ゾクチェン」なんていうのも、専門家にもその存在すら知られていなかった。
河口慧海のチベット仏教の「理解」が、ひじょうに誤解に満ちていたというのも有名だ。
だから、本格的なチベット仏教の研究が始まったのは殆ど「中沢以降」といって良いし、
ましてや日本でチベット仏教が広く知られるようになったのは、まったく中沢のおかげと
言って良いのだ。
それは褒めすぎ
993 :
考える名無しさん:2007/04/14(土) 09:17:52
994 :
974:
スレッドも残り少ないので簡潔に。
>>988 中沢の「現実界」の解釈がおかしいのは明らかなので、この点撤回する
必要を認めない。「レヴィ=ストロース−ミルズ−ブランコのライン」と
明記したことに留意されたし。対称性の思考についての
>>988からの批判は、
例えば『芸術人類学』のP.39からp.49までを読めば書いてあることで、
それは俺も分かっている。だが、中沢にとってはやはり、マッテ・ブランコ
よりレヴィ=ストロース(『神話論理』)の方が、「対称性人類学」を構想
するにあたって決定的に重要だったと俺は判断する。字面をそのまま読むのが、
「読むこと」であるわけではない。あと、下らないナルシシズムに耽っている
暇があったら、勉強したほうがいいと思う。
>>990 ある思想家(この場合は中沢新一)を読むにあたって、その本来的なモチーフ
から理解を進めていこうとするのは、正当な姿勢で、その点賛同する。
書かれている「中沢新一の本来的なモチーフ」は、そのまま島田の『中沢批判』本への
反批判になっていると理解した。それが真実かどうかは、中沢の愛読者ではない
俺には、最終的に判断することはできないが、
>>990にとって善いことであればいいと思う。