1 :
:
2 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/25(月) 05:11:31
じゃあ最高位、唯物論の見識の相違って事だな?俺含め、SNYさんや名無しさんみんなが間違っている。と。
そもそもみんなあんたに噛み付いてるのは「唯物論を破壊した」というあんたの発言を確かめてんだから。
まぁまとめると 。「意識という意味の自我」の存在根拠は脳だ。
「唯一の私という意味の自我の存在根拠」は分からない。だが分からないからといって唯物論を破壊したわけではない。なぜかというと「一つのものは一つだ」という意見は唯物論とは全く関係ないわけ。
「Aの鉛筆とBの鉛筆は物質的にみれば全く一緒だが一方の鉛筆から主観的にみると【隣に置いてある全く一緒の鉛筆】となり、別の存在だ」となるわけ。
つまりあんたは俺たちの唯物論の見識を、【物理学と唯物論を混同してる】というが、あんたは【主観というものを唯物論と同義に考えている】事が違うんだと思うんだよな
人間って哀れだな・・・。
すぐ争いを起こす。
こんな生物が宇宙の真理や自らの存在について理解できるわけが無い。
意識やきいも〜
6 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/25(月) 11:05:01
しかし、疲れたし飽きてきたな
もっと深い事を言ってるんだけどなぁ
キミ達の言ってる事は、一般に常識とされている事ばかりだろ
そんなのを、私が理解できていないとでも思ってるのかねぇ
そんなの、一般人が普通に持ってる認識じゃないかよ
誰でも普通は、そういうふうに考えてるんだよ
人間は物理世界に住んでいるんだから、物理的なものと関係があって当たり前だろ
しかし精神の根本に、物理現象では絶対に説明できない部分が存在した時点で
唯物論的価値観は崩壊するんだよ
物理学は物理学として存在すればいいんだ
思想としての、唯物論的人生観は、間違いなんだよ
キミ達のは唯物論ではなく、ただのトンデモ物理学だ
精神を理解せず、変な夢を膨らませてるだけ
人間の精神というものを、もっと深く、いろんな方向から考えてみんさいよ
いろんなヒントをあげてるんだからさ
いいかげんに気づきなさいよ
これだけ話してあげても理解できないんだったらさ
もう無理だわ
キミらには、次元の高すぎる問題だったようだね
自我や精神を理解できれば、次の事を説明しようと思ったけど
問題意識すら持てず、唯物論で思考が停止してるんじゃ
ヤメ、ヤメ
ヤンピ、ヤンピ
>>6 その前にその慣れなれしい口調をやめた方があなたにとって利益になりますよ
>>人間は物理世界に住んでいるんだから、
それをなぜ言い切れる?
そもそも学問などただの目安に過ぎないことを知るべき
「これは絶対正しくて、これは絶対違う」なんて傲慢もいいところだ
>唯物論的価値観は崩壊する
意味不明。 唯物論的価値観は崩壊するんだって(プ
>ただのトンデモ物理学
これまで散々、科学に対する自分の無知を晒してきた哲学者最高位
に言われたくないよな。間違いだらけの科学知識を突っ込まれ続けた
低脳で無知の哲学者最高位が、よくもこんなズウズウしい事が言えたもんだ(プ
まともな科学知識もない哲学者最高位が言うセリフじゃないよ。
>もっと深い事を言ってるんだけどなぁ
デカルトの第一原理しか言ってないくせに、お前が
哲学に対して無知なのはバレてんだよ。
しかも哲学者最高位は、デカルトを誤読してるのがバレてるし(プ
9 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/25(月) 12:51:00
>>7 唯物論というのは、人間が物理世界に住んでいるという事が前提だからだよ?
それを前提とした話
それともキミは観念論者?
>>8 価値観が崩壊するのが、そんなに面白いのかな?
それから
悪口ばかりじゃなく、もう少し内容のある事を書き込みなよ
それじゃキミが私の哲学を、理解する能力がない事はもちろん
普通の会話さえできない事がバレバレだよw
>>8も
>>9もこういう場では丁寧な言葉遣いのほうが説得力が増すことを学習しよう。
このままだと理性の無い子供のケンカに発展する恐れあり。
>>8様
謹んで訂正させていただきます。
「哲学者最高位」氏は、決して「デカルトを誤読」などしておりません。
なぜなら、氏はデカルトなど読んだこともないからであります(笑)。
12 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/25(月) 13:21:58
13 :
ローカルルール審議中:2005/04/25(月) 20:04:33
永井は「<私>」を一般化したりしない。
「<ぼく>は説明不可能なものである」と言っても、その<ぼく>とは永井のことでしかない。
最高位は、普遍的独我論をとなえているだけ。
14 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/26(火) 03:30:08
低脳最高位の単純な頭では、そんな高尚な話題は理解できません
16 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/26(火) 04:03:36
>>15 そんな高尚な って、
誰か高尚な話をしてるわけ?
どこ?
17 :
ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 04:11:20
意識とは感覚器官である。
18 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/26(火) 04:17:35
意識とは、『私』の主観性である
19 :
ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 04:24:44
すごい列車事故起きてるね・・・
人の意見をねじ曲げて解釈してばかりいる、理解力ゼロのくせに
曲解力だけは最高の最高位は、
意識とは何かなんて考えるより、
自分は何なのかを考える方が先だろ>哲学最高位。
バカの一つ覚えで割れおもうゆえに割れありの第一原理だけで突っ走る、
人の言うこともまともに聞く気持ちの余裕もない
幼稚な精神、哲学者最高位は子供っぽいバカの典型だわなあ。
間違いを指摘されても、間違いを認めず表現を誤魔化して
レトリックだけで逃げようとする
アホな子供そのものの哲悪者最高位。
まず自分とは何かを冷静に考えろ>哲悪者最高位よ。
それから書き込みに来な。
21 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/26(火) 06:14:11
>>20 たとえば?
具体性がないなぁ
ところで
自分とは何なの?
キミの考えを、ぜひ聞きたい
哲学者最高位は、哲学にも科学にも浅学、というか無知無能無学で
ある事を晒し続けているのに、よく恥ずかし気もなく書き込み出来るよな。
よほど鈍感で厚顔無恥で無神経でバカで自分の矛盾に気がつかない
低脳なのだろう。
意識とは?など難解な問題に手を出す前に、自分を見つめ直して、
自分とは何かを考える方が先だな。汝、自身を知れ、という言葉が身に
染みない幼稚なガキのまま育ってきたんだろうな、哲学者最高位
という野郎は。かわいそうな人だと思うよ。
23 :
ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 07:22:54
みんな似たよなもんだろ、叩いてみれ自分w
24 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/26(火) 08:06:56
やぁ最高位、あんたが俺の言葉を使い他のスレで「主観=自我」だというのは構わないがその前に
>>2を認めたらどうだ?
>「一つのものは一つだ」という意見は唯物論とは全く関係ないわけ。
>「Aの鉛筆とBの鉛筆は物質的にみれば全く一緒だが一方の鉛筆から主観的にみると【隣に置いてある全く一緒の鉛筆】となり、別の存在だ」
この説明が悪かったかな。つまりなんでも「主観」で見ると、あんたの自我だろうが鉛筆だろうが全ては「唯一の存在」になりえる訳だよ。
この「唯一の存在という意味を唯物論は提唱できないから破壊される」という意見だろ?
それは「唯一の存在」に限らなくても「生きてる意味そのもの」や色々置き換えれるわけ。
その問い自体は解明しようがないんだから、(つまり正しいか悪いかが解明できないのと一緒)そこを唯物論では「そのようなものでも何かに規定され、付随される」と考えてるんじゃないか?
じゃないと「唯一の存在の意味」が分からない事ぐらいとうの昔からわかってるだろ。
25 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/26(火) 08:54:26
>>22 哲学なんてのはセンスあるヤツァ、1聞いて10悟るのさ
センスないヤツはヒイコラ勉強したって何も悟れない
てか、変な方向へ行っちゃうみたいだな
キミらはデカルトとか、その人物に興味があるんだろ?
私は、そんなオッサンに、特に興味はない
命題にこそ興味がある
だいたい、有名なオッサンの本を、いちいち読まなくても、普通に習うだろ
それに、そういう環境にいれば、知らず知らずに学習するだろ
ヒイコラ勉強して、受け売りする事に価値観を見いだしているような一般人と
私を一緒にするなってーの
26 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/26(火) 09:00:30
>>24 ん?キミの言葉? アホか
しかしキミは、私の書き込みは、あきれるぐらい全然読んでないんだな
とっくの大昔から私が前提にしてる事じゃんか
キミが受けうりしてるのかと思ってたよ
しかも、キミが「主観性をおびた」という表現を使うから
それは、おびたじゃなく「主観性そのもの」じゃないか?と訂正してあげてるだろ
しかし会話のできないヤツだなぁ
それからね、Aの鉛筆とかBの鉛筆とか そんなの無いのよ
それは人間が勝手に、独立した単体と認識してるだけでね
AとBの鉛筆を、くっつけちゃったらどうなるのよ
または、元々は一本の木から、分けたものかも知れない
物理的な物は、切ったり張ったり混ぜたり、原理的には可能なんだよ
Aの個体もBの個体も、無い
ただ人間が、そう認識しているだけだ
くっつけたら鉛筆ABとなる
しかし、自我ABなんてものは、ない
性質が根本的に違うんだよ
物理的に、主観性の主体を特定する根拠は見つからない
しかし人間には主観性がある
これは「反則技」なんだよ
そのシステムは、解明される根拠がありえない
もっと本質的に考えなさい
つっても無理かな?
>>26 あのなぁ。んな事わかっとるわぃ!!
>>24での例えは鉛筆の自我じゃなく鉛筆を主観的に見ると。だよ?「唯一の存在」を分かりやすく言う例えですよ?
28 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/26(火) 09:16:47
>>27 実は
唯一的存在ってのは、全てのものに当てはまる
こういう普遍的な真理を語るのは、次のステップなんだよ
私の哲学の本質は、実はそこにある
しかしキミ達は、まず自我ってものを理解しなさい
物理現象ではない という事をね
でなきゃ教えてやんないw
29 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/04/26(火) 10:44:20
Part2 おめでとうございます。
30 :
ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 12:57:10
「私」が主観性なら、唯物論の論破も主観的なのではないか。
唯物論を支持しない個人的な理由にはなっているが、唯物論「者」を
論破しているようには見えない。
31 :
ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 13:15:04
最高位は自分勝手な主観だけを述べているだけですから。
自分勝手な主観にケチをつけられるとキレる子供みたいな
自己中心的な性格の最高位ですから。
32 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/26(火) 13:16:46
>>30 オイオイ
またまたビックリするような勘違いの登場だぞ(ため息
いったい、どこから読んだんだよ
何を見て、そう思ったの??
君の発言を分析すれば
主観性というものを
主観的な独断と偏見性 というように認識しているとしか考えられんな
いい加減にしてくれよホント
>>32 だから言葉遣いが汚い、みんな。
というよりも2,3人いや2人、それとも1人?
>>30のように丁寧な言葉使いをして始めて相手を説得させられる。
そんな言葉使いで異論を唱えられたって、相手は認めようにも気分が悪いじゃないか。
34 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/26(火) 13:54:18
言葉づかいが丁寧でも、内容がへんてこりんでは説得されようがないように思うが・・・
35 :
30:2005/04/26(火) 14:26:45
>>13を書いたのも俺なんだけど…
唯物論者は、脳の複雑な反応が意識を生み出すといっている。
最高位の考えはもともと最高位的な考えをもっている人には通じるが、唯物論者に対する
反論にはなっていない。
唯物論者が現れると、「キミは洞察が足りない」とわめくだけ。
>>34 あなたは極論ばかりですね。
自分の考えを認めてもらいたいのならば、普通に喋ればいいではないですか。
相手を愚弄したりするだけでは、ますます反感を買うだけですという私の勝手な忠告のつもりだったんです。
37 :
ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 15:04:50
♪ あ〜 だから今夜だけは〜 君を抱いていたい〜
38 :
ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 17:28:23
じゃ、結婚して♪
39 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/26(火) 19:09:35
>>27 >しかしキミ達は、まず自我ってものを理解しなさい物理現象ではない という事をね
脳の物理現象。あんたに脳があるから自我は発生する。この説を破壊するには、全く一緒の脳の実験(かなり無理がある為。故に仮説も無理があるものが適用できる。)じゃなく、
脳システム以外に自我が発生しうるか。を分かりやすく提唱しなければ破壊できない。
精神と身体の関係が分からないと、これは平行線のままだね。
どっちにも説得力あるんだよな。
人間は精神だけでもないし、物体(身体)だけでもないからなあ。
主観的な精神だけに重きを置く人と、物体的な活動だけに重きを置く人
と平行線だね。
早急に結論出しても分からないですよ。
41 :
意識って、いったい何だ? :2005/04/26(火) 20:16:11
そもそもスレタイと関係無いだろw
最高位って人が盛り上げてますね。
言わせてもらえば彼は大きな勘違いをしている。
今の世の中では、自然に哲学を学ぶことはできない。低脳な人が多いからね。
そして、もし哲学を学ぼうと思ったとき、教科書と周囲の人間だけでは
偏った見方しかできない人間になってしまう。
あなたが言う通りの人だったら、なおさら先人に学ばねばならない。
最も理想的なのは、自分の考えを持って、学んでみることだ。
それによって、更なる成長が望める。
43 :
ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 22:39:23
最高位は、わざと挑発的言葉づかいをして、相手の反発を誘い
極限エネルギーと論理を相手から引き出すという、高等テクを
試みてるだけかも… ^^;
44 :
ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 23:15:55 BE:72500966-
意識=ウロボロス
肉便器は「自分以外の奴がヤリ飽きて捨てた肉棒」とも結婚できるのか?
結婚できるなら、そんなに人としてのプライドが無いのか?
肉便器は自分以外の女の唾液や体液が少しも汚くないのか?
男としては自分以外の奴の唾液や体液が糞のように汚いんだが。
新型エイズをはじめ、あらゆる性病は洗ってもキレイにはならない。
間違いなく汚いヤリチンの唾液と精液にマミレた全身や、下手したら
小便や大便にすらマミレたかもしれない、まさに「肉便器」の全身は、
いくら洗っても、汚い肉便器。便器を食器洗いの洗剤で手洗いしても
死んでも舐めれないのと同じ。 肉便器はこれがなぜ分からない?
46 :
トガシ:2005/04/26(火) 23:36:06
とがししらない
48 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 00:36:06
見に行ったら目が痛くなって即、撤収 ^^;
49 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 01:05:56 BE:72500966-
青は痛すぎる。
50 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/27(水) 04:04:43
>>36 ありがとう
しかし、無駄なんですよ
私も最初は丁寧に話していました
しかし一方的に愚弄され、あまりにも子供じみた勘違いに、丁寧に解説を加える事が、本当にバカバカしくなってくるんですよ
あなたは極論だと言いますが、私は極めて普通の、極めて人間的な対応をしているだけです
私が、いかに丁寧な話し方をしても相手は、お前馬鹿?から始めてきます
しかし、私のポリシーとして、オマエという表現だけは避けるようにしていますよ
私が挑発していると勘違いしている人が多いですが、実は逆なんですよ
あなたも含め、ほぼ全員が、何らかのインネンをつけては、私を攻撃してくる構図なんです
まぁ、釣られる私も私なんですが・・・
51 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/27(水) 04:41:20
>>39 >脳があるから自我は発生する
そうです
唯物論は、そう言っているのです
ここで問題は、『発生』以外に選択肢は無いのか?という事です
唯物論者は、『発生』しているという選択肢以外には思いつかないのです
だから唯物論に、固執する
しかし事実は、脳があるから自我は、物理世界に『現象』している とは言えても、決して『発生』しているとは結論づける事はできないのです
更に、『発生』しているという事は、物質である脳が第一義的な存在であり、自我が二次的なものであり、性質的にも物理現象の範疇だという事になるわけですが、それらを論理的に崩せば唯物論は崩壊します
これが私の論法の順序です
自我は、主観性という『存在性』である事は、疑う余地がありません
物理現象ではないのです
それを再三、説明してきました
自分の精神の本質を突きつめて考え、物理現象の本質を突きつめて考えていく
すると本質的に交わらない性質のものである事が理解できるでしょう
それを私は、あらゆる角度から検証し、解説してきました
しかし唯物論者は『発生』という単一的な発想にとらわれ、思考停止してしまっているがゆえに、深い所まで理解できずに拒絶してしまっているのです
唯物論に呪われていると言っても過言ではないでしょう
52 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 04:45:17
53 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 04:46:04
54 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 04:46:31
VIPからの攻撃がきますよ
俺、この手の企画のユダをやるのが趣味だから。
ごめんね、ごめんね。
VIPPERごめんね。
55 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 04:46:37
VIPからの攻撃がきますよ
俺、この手の企画のユダをやるのが趣味だから。
ごめんね、ごめんね。
VIPPERごめんね。
56 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 04:46:40
57 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 04:46:52
VIPからの攻撃がきますよ
俺、この手の企画のユダをやるのが趣味だから。
ごめんね、ごめんね。
VIPPERごめんね。
58 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 04:47:12
VIPからの攻撃がきますよ
俺、この手の企画のユダをやるのが趣味だから。
ごめんね、ごめんね。
VIPPERごめんね。
59 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 04:47:25
60 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 04:47:48
VIPからの攻撃がきますよ
俺、この手の企画のユダをやるのが趣味だから。
ごめんね、ごめんね。
VIPPERごめんね。
61 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 04:47:49
62 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 04:49:34
>>51 >物質である脳が第一義的な存在であり、自我が二次的なものであり、性質的にも
>物理現象の範疇だという事になるわけですが、それらを論理的に崩せば唯物論は崩壊します
前段は正しいが、後段は間違い。
1 物質である脳が第一義的な存在であり、自我が二次的なものである
2 自我は性質的にも物理現象の範疇である
唯物論は1のほうの主張しかしていません。しかも最高位さんはまだ2の論駁しか
していないのです。1の論駁のほうをどうぞ。
63 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 04:53:43
以上、ラウンジの馬鹿どもの仕業でした
m n _∩ ∩_ n m
⊂二⌒ __) /\___/ヽ ( _⌒二⊃
\ \ /'''''' '''''':::::::\ / /
\ \ |(●), 、(●)、.:| / /
\ \| ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|/ /
\ .| ´トェェェイ` .:::::::| / それが、ラウンジ精神
\\ |,r-r-| .::::://
http://etc3.2ch.net/entrance/ \`ー`ニニ´‐―´/
/ ・ ・ /
64 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/27(水) 05:34:20
>>42 それは一般論としては、ほとんど正しいと言えると思うが、私には当てはまらない
まぁ、勉強するに越した事はないんだけどね
言いたい事は、偏見だけで全ての人を判断しない方がいいという事
>>62 言っている事が、よくわかりません
なぜ、分けて考える必要性があるのかも、その気持ちも理解できません
哲学者最高位の人物評:
科学の知識→小学生の理科レベル。無知。デタラメ。トンデモ。
哲学の知識→誰かが適当に書いたデカルトの入門書を読んで信じ込んでるだけ。無知。デタラメ。
科学哲学の知識→何も読んだことがない。
読解力→小学生レベル。自分が誤読している事に気がつかない。
文章表現力→小学生レベル。用語の定義がいい加減なので論理的にデタラメになっている。
ハッタリばかり書いているのが誰の目にも明らかなのに、自分のハッタリが
バレていないと思っている間抜け。ハッタリ人間。間違いを指摘されても認め
ない幼稚な情けない男。
66 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/27(水) 08:44:11
ここにいる自称唯物論者は、まだまだ未熟だから、代わりに私が反論してあげましょうw
キミ達が言葉にできない事柄を、明確に代弁すると、こうだ
自我は脳によって発生する
脳は閉じたシステムだから、脳が主観性を持つと、唯一性を持った存在性が生じるのは当たり前の事だ
存在性が物理現象でなくとも、物理現象によって発生しているとして、なんら矛盾しない となる
こう答えればいいだけなのに、キミ達はスグに翻弄されるんだねw
それに対して私は、こう答えます
その考え方には所々、飛躍があります
まず、自我が脳によって発生しているという事が前提になっているという事
物体が主観性を持つという事が、システムも解明されていないのに、前提になっている事 などが挙げられます
では自我の本質とは何か
自我とは、簡単に言えば、『この、オレ』という事です
このオレは、なぜ存在したのか という疑問から出発しなければなりません
しかし、『この、オレ』に関しては、物質をこねくりかえしても、それ以外の何を どうやったって解明される根拠などないのです
「これまでの歴史の中に、オレなんかいなかったのに、何で今はいるんだよ」
これからも、ずっと存在しなくても、それが普通だろ
なんでオレなんていう存在が、そもそも何で存在するんだよ〜 なんて疑問に思って、その根拠を物質に求めても、その存在の根拠など、どこにも無いのです
これが自我の存在性の本質です
自我とは『このオレ』という主観性そのものです
このオレを離れた、 自我を離れた主観性などというものは有りません
よって物理現象やシステムによって主観性が生まれるという前提は、飛躍があるのです
一番身近で、一番大切な、『私』の存在性が物理現象で解明されない事実だけで、唯物論は意味をなさず、崩壊するのです
人生の指針としての『思想』としては完全崩壊
ただし私は、物理学を否定しているのではありません
物理学は、物理学として存在すればいいのです
しかし、唯物論は間違いです
67 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/27(水) 09:27:27
>>65 そんな事を書いて、何の意味があるの?w
小学生、小学生というから、ある思い出を思い出したよ
確か、小学校4年生の時に提出した自由研究で、哲学的な疑問についてのレポートで最高点をもらったなぁ・・
無限についてとか、いろいろと日ごろ疑問に思ってる事を書きなぐったものだったけど、いまだにその疑問てのが解けないんだよね
その先生ってのは毎年、作文の全国大会みたいなので入賞する生徒を出してるような人だったから、テキトーな先生ではないよ
その疑問については先生も、わからないなぁ と逃げられたけどね
当たり前かw
私がなぜ自信満々なのかと言うと、確かに哲学界には無縁だが
昔、極左左翼とか共産党、社会党、その他の左翼団体をはじめ、もちろん一般人とも、相当やりあったからさ
だからキミらより、一般的に認識されている思想について、よく知っているんだよ
キミ達が私に、誤読だなんだと言っても無駄無駄
昔は、よく一夜漬けで哲学についての講義案なんか作ったりしてたなぁ
忙しかったしね、講義案に書くんだから年号とか人物名なんてのは暗記する必要なんてないわけ
内容にのみ関心があったからね
キミらとは思考回路が少し違うのさ
元々、私の中学時代の家庭教師が、過激なマルクス主義者で、その先生は過激さゆえに中学校教諭をクビになったような人物
私も活動に参加していた経緯がある
だから唯物論者が何を言っているのか 手に取るようにわかるんだよ
特に幹部クラスになるほど、何を言っているのか理解しやすい
キミ達が、いかに偉そうな事を言ってもバレバレなのさ
ヒヨコみたいなもんだ
68 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 10:24:13
ボケツ?バケツ?オケツ?フケツ? …ハンオチw
69 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 14:24:52
>>67 なんだ、やっぱりそうか。極左、共産党、社会党、その他の左翼団体などのイデオローグ
みたいなニセ唯物論者の唱えるいい加減な「唯物論」を見過ぎてそうなってしまったわけ
だ。予想通りです。でも今時そんなニセモノ唯物論というか、唯物論の明らかな拡大解釈
(自我は性質的にも物理現象の範疇である)などを唱えているやつは共産板にもいない。
哲学板にはなおさらいない。よって、デカルト的な「思惟と延長は独立して並立する二実
体である」という超古典的な二元論を持ち出しても反駁にならないわけです。
拡大解釈でない唯物論とは「自我(精神)なくしても物質や物質そのものが持つ客観法則は
存在するが、物質や物質そのものが持つ客観法則なくして自我(精神)は存在しない」
という以上のものではありません。ですから唯物論を反駁したいなら、「物質や物質その
ものが持つ客観法則なくしても存在する自我(精神)」の存在を具体的に提示しなければ
なりません(すでに具体的に示している、と反論されるかな?)。
でも最高位さんのとりあえずの目的がニセ唯物論(自我は性質的にも物理現象の範疇であ
る)の反駁でのみであるならば、特に反論はありません。
70 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/27(水) 14:49:10
>>69 ニセ、なんてデタラメ言っても無駄だよ
この板にだってイッパイいるのは経験済みなんだからね
>拡大解釈でない唯物論とは「自我(精神)なくしても物質や物質そのものが持つ客観法則は
>存在するが、物質や物質そのものが持つ客観法則なくして自我(精神)は存在しない」
>という以上のものではありません。
あはは、嘘コクなっつーの
ていうか、そんなこと言って何の意味があるの??
追いつめられて、そこにしか逃げられないだけじゃないかw
そんなことを言ったって唯物論として何の意味もないし、そもそも唯物論ではない
そんな事を力一杯に主張する気持ちがわからないよ
そんな当たり前な事を言って、いったい何がしたいわけ?
ところで
精神は物質から発生している という説はドコへ行ったの?w
そういうのを、支離滅裂というんだよ
71 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/27(水) 15:29:44
最高位、もう疲れた。前スレのみんなも来ないし、つまんねーよ。まとめるぞ。
唯一性自我という言葉がない。つまりあんたの主張する自我は一般的な意味がない。
俺の認識していた唯物論とは「物理的に説明できない事象(というより物理でだす答えではない問い)は二次的事象であり、その他は一次的事象である。
その一と二の因果は完璧な物理法則が成り立つ。すべての因果だ。つまりすべての事象は物理的に説明がつく」
なんだがこれじゃないんだろ?二次的事象すらも物理的に解明しなければ全て説明がつくとは言えない。って事だろ?
やっぱりそれはなんか変だよ・・・物理的に説明つく訳ねーもん。唯一性なんてよ。
もとくさん。
その通りです。
唯一のものは法則化できません。客観科学として法則化するには
共通性を見いだす必要がありますが、唯一のものは共通性を最初から
否定していますから。
73 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 16:07:29
唯物論、心脳二元論、創発主義的唯物論。
心脳問題に対する立場はせいぜいこの三つ。
「心の機能は脳のそれに還元されうる」
「心と脳とは独立した存在である」
「心の機能は脳に還元されはしないが、独立してもいない」
これらの立場はどれも決定的に証明されたことはないが、逆に否定されたこともない。
立場そのものについてインチキだ何だと言い争ったところで、何の意味もない。
宗教の派閥争いみたいなものだ。本人たち以外は楽しくない。
心脳問題に対する哲学的なアプローチとは、
問題に関する事実を分析し、それらの中に示される本質的、法則的なものを把握し、
より普遍的な規定の中でもう一度その事実を位置づけなおすこと。
そうして把握されたものの妥当性を問う段になって初めて、哲学板で議論するに足るテーマになる。
それをここでやろうとはいわないが、せめてそれ以前の論争からは抜け出さないか。
唯一性? 何言ってんだい。
机の上においてあるみかん一つ一つは唯一無二だが、「クエン酸が含まれている」という共通性を見出すのはたやすかろ。
自我の唯一性と科学的方法によってその機能が解明しうるか否かは、まるで別の問題。
自我の機能という現象と紙の上の言葉を、論理という約束事で結べるかというと、どうも無理っぽいがな。
75 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 16:54:58
>>74 なんで自我の機能なんで言葉が出てくるんだか。
論点ずらしすぎ。
>>75 事物そのものを科学的に記述できるはずがない、ってことは自明だと思って省略したのだが。
自我について科学的方法によって解明できることがあるとしたら、それは自我の唯一性とはまったく無関係なその機能や構造。
>>76 いや、ここのスレッドには、
唯一無二の主観性から一歩も外に出てこないで穴熊状態の
論者が一人いて、その論者が粘っているんだ。
78 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 17:59:30
「自己意識」や「自我」の問題と、<私>の問題を一緒にしているということですか。
79 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 18:02:33
犬や猫にも意識はあるのかな。
80 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 18:48:38
意識とはプライベートなもの。
定義によって他者の意識を知覚する事はできない。
ある対象に意識があるかどうかは、対象の違いではなくて、見る側の態度の違い。
81 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 18:59:31
ロボットにも意識があるのかな?
ロボットに意識があるかどうかは、ロボットに意識があると思うかどうか?
ってことなのか?
82 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 19:01:42
社会学における「ホッブズ問題」と似てるね
主体を前提とすると、出口がなくなる
主体を構成する場のようなものを考えればいいのかな?
83 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 19:07:37
最終的には「意識があると思うかどうか」で決まるんだけど、その「あると思うか
どうか」は様々な科学的知識によって左右される。
詳しい事は書かないが、意識を持つロボットは、作られる事がないと私は予想している。
84 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/04/27(水) 19:11:07
データのやりとりのためのプロトコルとのアナロジーでも考えられる。
感性→統覚→悟性→理性→・・・イデアという階層構造で、
理性をアプリケーション層とするならば、
せめては悟性の階層において共有できるものが、いわゆるa posterioriな経験知の総体。
これらは学校とか社会の中で共有される共同幻想的「常識」。
例えば、石器時代の人間でも、現代に生まれると、現代人になれる。
即ち、人間の生来の(a prioriな)認識なんて、地球の大気層程度の薄さのもので、
ましてや、理性が、生来、存在しているなんて、非常にあやしい。
85 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 19:18:09
あると思うかどうかは、様々な(科学的かどうかはよくわからないけど)知識によって決まる?
詳しい事はよくわからないんですけど、意識を持つロボットが、客観的に(科学的に)作られる事があるかどうかは
その客観的な(科学的な)知識には左右されず
主観的な(非科学的な?)ものに左右されるのでは?
>>78 <私>はともかく、「自己意識」「自我」ってのが何なのか、その文脈ではよくわからん。
・自我の唯一性=<私>
・自我の機能や構造=「自己意識」「自我」
でいいのか?
だとしたら言いたいことは伝わっているかと。
唯物論的、科学的な思考には限界がある。
りんごについてのデータを集めても、「美味しい」は記述できない。
だが、その限界をいちいちあげつらねて唯物は崩壊するだの破壊するだのと騒ぎ立てるのは、
七十年ばかし遅いんじゃないかい>最高な人
科学概論とってから出直してこい。
心脳問題について哲学的にアプローチしていくには、唯物論や二元論といった立場を踏まえた上で、
その先を見ることが必要、ってのは73の言い分だったか。
87 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 19:33:56
>>85 その主観的判断が、当時に流通している科学的知識な左右されるということです。
88 :
78:2005/04/27(水) 19:38:18
>>86 それでいいよ。
「自己意識」「自我」は一般概念だが、<私>はそうではない。
〈私〉のキリキリとした歯の痛み、のような私的言語は他者には分からない
というのを、とりあえず踏まえた上で議論に入ろうとしてるんだが、
最高ですか〜さんにとっては、それが崩壊の根拠であって、その先に
は進む必要のない理由らしいけど。この板で彼は何週間も執拗に
それを連呼してるが、そろそろ先に進みたいなあ。
90 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/04/27(水) 20:13:03
意識とは宇宙と考えてみては?
それぞれの立場(自我)によって色々な世界を見せる。
>>90 考えられた宇宙は、考えられた宇宙でしかないという意味では
全くその通りだと思います。
92 :
たずらちゃん:2005/04/27(水) 21:18:00
加速度
93 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/27(水) 21:23:53
>>90それも面白い仮説ですね。前スレなどで、私も唯一性を破壊する仮説をたてましたが最高位さんは可能性を認めもせず、「トンデモ仮説」と私自体を否定するかのような発言をおっしゃいました^^;
94 :
考える名無しさん:2005/04/27(水) 21:55:02
アホクサ
柔軟的思考の持ち主は、世間一般では異論と呼ばれるもの対しても寛容で
ましてや他の流派の唱える理論には耳を傾け自らの糧にしてゆく。
哲学者最高位さんは、そういった才能が欠如しているように思われます。
所詮哲学、されど哲学。
この世に存在するありとあらゆる思想を織り交ぜたとき、初めてその段階での限界的真意を理解できる。
96 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/04/27(水) 23:15:11
>>93さん
以前別スレ(前スレ?)で書いたのですが
本当の事(モノ?事象、宇宙)はそれ自体と同一にならない限り
解からないのではないかと思います、不確定性原理のように
100%真の姿を見ることは不可能ではないかと。
唯識で謂う所の阿頼耶識が大円鏡智に変わる(ありのままを映す)時。
>>96つまり、「主観性での認識こそ揺るぎない事実であり、その信憑性とは絶対である」ととらえてよろしいでしょうか?
98 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/04/27(水) 23:45:00
主(あるじ)である認識が「絶対」といえる状態が存在するでしょうか?
客(他人)もまた主であると思います。
主客の相対を離れ、且つ絶対でもない。
この辺りが仏教でいう「空」であるとか「無自性」になると思うのですが。
>>97さんの言われるような状態に自ら達したならば
一言で言えばそれは「自在」というものでしょう。
果たしてそこに「私」は存在するでしょうか?
なぜ、あなたは私ではないのか。
100 :
考える名無しさん:2005/04/28(木) 00:01:37
全てを疑っても、思惟する私があることは疑えない、というのはちょっと
反省的に考えてみれば誰でも分かるものだけど、禅などの修行によって
到達できると仮構されている意識は、誰にでも分かるようなものでは
ないし、どうやって位置づければいいのかな。
鈴木大拙の言ってる事などは、デカルト以降の近代哲学では、理解不可能な
のだろうか。
どう理解すればいいのだろう。
思惟は概念の規則が行う事だろう。それが由来する規則は独断で構わないのかということだ。
自分の中に含まれて、規則的に行われる思惟になるならば、疑い得ないとはどういった事なの
だろう。その思惟を司る規則は何なのかということでしょう。
102 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/28(木) 05:04:57
なぜか伸びてるなぁ
中途半端な、独り言みたいなのばっかりだけどね
>>71 前スレのみんなは反論しようもなく、逃げたんじゃないのかな?
物理的に説明ができる事が第一次的事象で
そこから説明できない事象が発生して、それが第二次的事象?
そもそも、その考えの順番がおかしくないか?w
そもそも物理学的な観点からしか出発しないのが、単一的思考回路なんだよ
私自身を分析する際に、物理学的な観点で観察するのと
私自身の内的な世界を観察するのとでは、どちらが第一次的だと言えるだろうか
そんな事は、結論がでるまでは言えない事じゃないのかな?
どちらが、より中枢的かといえば、言うまでもなく内的部分であろう
キミ達は、へんに科学かぶれしすぎて、思考回路が制限されてしまっているように見えるよ?
柔軟に哲学する思考回路が、制限されてしまっている
人間の精神を分析する際に、『私』という観点は、はずして考えるべきなのかい?
二次的事象として付録のような扱いでいいのかい?
私に言わせれば、アホか・・・という事になる
人間の精神とは『私』の活動そのものなんだよ?
それが、物理現象と、どのような関係があるのか こそ重要な観点ではなかろうか?
キミ達は、科学かぶれしすぎて、考える際の方向性が客観的な方法にのみたよっているが
人間の精神を分析する際には、主観というものを抜きにしては、どうやったって本質には至れない
人間の精神を主観的に観察すれば、『このオレ』の活動そのものなんだよ
もう一度、
>>66の最後の段落などを読んでくれ
>>102 あなたびっくりするぐらい浮いてますね。
馴れ馴れしい話し方は実に不愉快です。
104 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/28(木) 05:55:41
>>72 唯一性について、突っ込んで考えてみましょう
ここに、水の分子AとBがあるとしましょう
これはAとB、同じ性質のものです
しかし唯一性という点では別の存在であると言えるでしょう
ここで考えて下さい
水の分子というのは、水素原子2コと酸素原子1コで成り立っています
これらを入れ替えて水の分子CやDなどを作る事が可能です
更に、水素原子も素粒子レベルで分解する事も可能でしょう
このように、物理的なものは分解する事が可能なのです
物質の究極的な最小単位では、それは初めて不可能という事になり、ここで初めて
究極的な意味での、唯一的存在という事になるわけですが
人間の自我とは、不思議な事に、この究極的な唯一的存在のような立場で存在しているのですよ
分解する事も、付け足す事もできません
言うまでもなく、体は無数の分子によって構成されているにもかかわらず です
そして分子はたえず入れ替わっているのもかかわらず、私は私であり続けます
変わるのは精神の流動のみであり、自我そのものは変化しません
そういった突っ込んだ観点からも考えた事はありますか?
それから水槽Aの水の分子のかたまりAというものは、たえず蒸発し変化しています
その他の物体も、多かれ少なかれ他の環境と境目なく連結しています
このような常に他の環境と影響しあっている状態の物理的な存在の『唯一性』というものは
唯一性と呼べるのでしょうか?
人間が「なんとなく」そう認識しているだけではありませんか?
105 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/28(木) 05:59:22
>>103 あれは基本的に、もとく君に書いたものですよ
少なくとも、あなたに対してのものではありません
もとく君とは、なれなれしい関係なんだから
あなたに、どうこう言われる筋合いではありません
あなたこそ浮いていますよ?
106 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/28(木) 06:23:41
>>73 >「心の機能は脳のそれに還元されうる」
これを、完全に還元されうる とするのが唯物論だと、私は認識している
それを
>>69だけが、唯物論は「完全に」とは言っていない それはニセモノだと言って、論点をぼやかす事によって逃げようとしているわけなんです
話の流れを把握して下さい
私は、心脳問題に対する正しい哲学的なアプローチを示す事によって、唯物論によるアプローチは間違いだと明確に示しているんですよ
唯物的なアプローチしか知らない人が多いから、正しいアプローチというものを投げかけているんですよ
何か問題がありますか
107 :
考える名無しさん:2005/04/28(木) 06:41:11
そうですよね。分かりますよ。
還元主義批判は昔からさんざん言われてるし、みんな、もう飽きてるんだけどさ。
あんたが言わなくても還元主義批判くらいはみんな読んでるよ。
109 :
ローカルルール審議中:2005/04/28(木) 07:24:54
>>104 >分子はたえず入れ替わっているのもかかわらず、私は私であり続けます
>変わるのは精神の流動のみであり、自我そのものは変化しません
おっしゃりたいことは文脈上で、よく理解できますよ。
しかし、「私は私であり続けます」という記述はどうなのでしょうか?
記憶喪失の場合や脳にダメージがあった場合、私は私であり続ける
感覚を失う可能性があるわけですよね。
デカルトが「吾思う、故に吾あり」と言ってからというもの、
限りなく疑ってみても思惟する吾が存在するのは確かだ、
というのは近代人の共通認識だと思うのですが、
「私が私であり続ける」と「思惟する私は存在する」というのは
レベルが違う話ではないでしょうか?
脳や心が正常な人は「私は私であり続ける」という考えを完全に疑いなく
実感しています。
しかし、脳や心に異常がある人には「私は私であり続ける」とは思わない
のではないでしょうか。
私が言いたいのは、正常な人と異常な人の間でも共通なのは「私は私であり続ける」こと
は無いが、それでも「思惟する私は絶対に存在する」という考えだけであり「私は私であり続ける」
という考えは、まだ疑えるので、「私は私であり続ける」というのが哲学の
基本原理になるのだろうか?という疑問なのですが。
デカルトの懐疑は、「私は私であり続ける」というのさえも疑うもの
ではないでしょうか?
110 :
考える名無しさん:2005/04/28(木) 07:37:19
仰ってる通りですね
でも、文章が鬱陶しいですね
哲学だもんねw
111 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/28(木) 07:50:05
>>108 私は還元論そのものを批判しているのではありませんよ
唯物論を歴史上、初めて論理的に破壊したのです
そんなの誰も飽きていないでしょう?
実際、かなりの人が食らいついてきますよw
>>86 >七十年ばかし遅いんじゃないかい>最高な人
そうですね
生まれて来るのが遅すぎました
私が、もし100年、150年早く生まれていたら、そもそも世界は自由と共産になど分かれていなかったかもしれません
200年近く早く生まれていたらマルクス主義そのものが、人々に認知される前に消えていたのかも知れませんね
私の哲学は、マルクス主義から出発し、自力で作り上げたものですからね
あとの事は、みなさんのご指摘のように、専門的に学んだわけではありませんし、あとから参考までに付け足したものにすぎませんからね
釈迦もデカルトも永井均も、クオリアについても、私は参考までに名前を出してはいますが、全部、自力で開拓した事を、皆さんが認識しやすいように使っているだけです
それらは全て私のオリジナルであります
私は唯物論から生まれた、エイリアンみたいなものですよ
そして、その哲学は現代哲学を凌駕している
112 :
109:2005/04/28(木) 07:55:25
>>111 あなたの哲学が独創的だということは分かりました。
あなたの哲学で使用している用語の定義をそろそろ確定して
頂けないでしょうか。揺るぎの少ない確固とした定義というのを
足場にして哲学を語って頂けないでしょうか。
たとえば
>精神の流動
とは、どのような定義になるのでしょうか。文脈上、私なりにイメージは
分かりますが、あなたのオリジナルの哲学用語のようですので、
あなたの定義をまず、お聞かせ下さい。
113 :
109:2005/04/28(木) 08:08:07
>>111 「意識の流れ」という言葉は心理学や現象学でよく見ますが、
「精神の流れ」という概念は、初めて見ました。
あなたの文章を読んでいると、独特の概念規定で構成
されているので、私なりに文脈上で妥当な概念に言い替えてから
読み進めていかないといけません。
これは、悪戯に誤解や議論の混乱を生む要員となり、議論を阻害する
ものとなっているのではないでしょうか。
そろそろ、あなたオリジナルの哲学用語の定義を書いて頂けないでしょうか。
そうすれば、議論の参加者との不必要な衝突を避けられると思いますよ。
114 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/28(木) 08:15:33
>>112 独創的だが結果的に、有名な哲学者が、それら全てを裏付けてくれているんですよ
ただの独創や、トンデモではありません
私は特に、現段階において、定義定義とするつもりはありませんよ
定義しても勘違いする人は勘違いしますし、そもそも『私』そのものを言葉に言い表す作業そのものが困難です
言葉の性能には限界があるんですよ
すぐに一般化させるつもりもありませんし、哲学的センスのない、知能の低い人には理解が困難なようですしね
理解できる人達によって、徐々に定義されていけばいいと思っています
精神の流動
これは簡単に表現しただけです
精神は活動しているのであり、すなわち流動しているようなものでしょう
固定したものではなく、変化するものである
変化こそが精神である
というか精神とは、そもそも精神活動を指す
しかし私というものは変わる事はない
という事がいいたいだけです
115 :
109:2005/04/28(木) 08:27:12
>>114 ウザいと思われているようですが、あなたの哲学を正確に理解したいのです。
多くの人が使用しているものと異なるオリジナルな用語の使用法を続ければ、
議論が混乱してしまうのは当然です。
その混乱を見て、お前らはセンスがないと馬鹿にするのは、誉められた姿勢とは
思えませんね。
言語の限界という議論は、徹底的に定義しようとした果てに出るものであって、
最初から言語の限界といって、定義をしないで諦めるのは不誠実な哲学と思えます。
116 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/28(木) 08:38:19
>>114っつーか、唯物論主義じゃないぞ俺は。大体、物理的に分解できるものは一次的事象で分解できないものは二次的事象とすると、
「科学的思考」で考える場合、あんたの言ってるように、「「自我」は分解も付け足しもできない、地球上で唯一のもの」で理解できるんだよ。そんなの。
だが哲学的に考える(思考の幅を広げる)と、二つの仮定がでてくる。
その1、極小(分解できない)に、自我は発生している。大体素粒子レベルで考えると、付け足しではなく一緒にそこにいるだけだろ。同化という言葉はなくなる
その2自我は分解、付け足しができる。
言うまでもなく、「科学的思考」で考えればあんたの否定の仕方でいいんだよ。俺はその2について深く考えてみたが否定はできん。ここは哲学板だからな。
もうあんたに反論はしない!と思っていたが勘違いがありすぎる為我慢できなかった。
117 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/28(木) 08:38:34
>109さん
私の哲学を理解するためには発想の転換が必要なんです
固い頭でパズルが解けないのと同じようなものです
ヒントをあげてるのに、いつまでも解けない人を見ているようです
定義定義にこだわっていると、いつまでも理解できないかも知れません
ある時、発想の転換に気づいた時に、私の発言の全てが理解できるようになると思います
ある種の悟りにも似ているかも知れませんね
何度も何度も、しつこいほど丁寧にヒントをあげてるのに重要な事実に気づく人が少ない
でも、おかしな事に、マンツーマンで話して理解できなかった人は、ごくマレなんですよね
みんな驚嘆してしまいます
2chは活字だから、本を読むような形になり
人間の精神の事を言われてるのに、自分の事だと考える事ができないのが原因ではないかなと考えています
人間の精神とは客観的に分析できるものではなく、主観を理解できなければ無理ですよ
完全な主観を理解する為には、完全な客観に立って主観を考える作業なんかも必要です
そのへんの思考作業が、単一的だから、みんなは理解できないのかも知れません
118 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/28(木) 08:51:28
>>115 定義できないものだから、できないと言っているんですよ
だからこそバカ丁寧に、何十スレもかけて説明してきたんですよ
『私』とは『私』としか定義できません
この『私』が理解できなければ、何を聞いても理解できませんよ
たとえば、永井均先生が『私』を誰にでも確実に理解できるような定義を持っていますか?
持っていませんよ
だからこそ、長々と『私』について書き綴っているわけです
それでも理解できない人は多くいるでしょう
質問に対しては、誠実にお答えしてきましたよ
しかし、個人個人の認識に合わせた定義というものは、かなり疲れる作業ではありますけどね
>>116 もう少し落ち着いて書いてもらえないかな
何がいいたいのか、よくわからん
120 :
考える名無しさん:2005/04/28(木) 09:03:45
「私というものは変わる事はない」なんて非常識なことを
思ってる人がいるんだ。
常識では「年々歳々ひと同じからず」です。
私とは常に変わってるのに「私は私」と思う妄想です。
そんなのとっくの昔に哲学としては決着ついてます。
121 :
考える名無しさん:2005/04/28(木) 09:04:38
162 :ローカルルール審議中 :2005/04/17(日) 21:00:56
>>161 146ですでに答えは出ていると思います。基本命題を「信」じないと
思考はできませんし、数学など公理は「信じる」しかないのです。
次の瞬間は大丈夫だろうと信じるしかありません。
このスレッドに来る人はバカばかりなので、
出発点として他の命題を証明するべき前提になる基本命題は、
信じる他はないという事を知らないのです。
ですからあなたに的外れなレスしかできないのです。
あなたがいる場所は、もはや考える地点ではなく
信じるしかない地点なのです。
それから、、、哲学者最高位という人は哲学板では有名な馬鹿なので
無視してください。
122 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/28(木) 09:11:23
>>119 私の勘違いとは何?
>>120 そういう次元の低い認識は、もう飽きましたよ
外形は変化しるし精神的にも、もちろん変化する
しかし、私は私だという事
123 :
考える名無しさん:2005/04/28(木) 09:27:05
>>122 >しかし、私は私だという事
には何の問題もない。あたりまえのことです。
つまり唯一性が解明できないというのは昔からみぃんな知ってる。
125 :
考える名無しさん:2005/04/28(木) 09:45:21
外形は変化しるし物質的にも、もちろん変化する
しかし、バナナはバナナだという事
126 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/28(木) 09:48:28
>>123 人を非常識あつかいしておいて、その言い草はないでしょう
>>124 ではなぜ唯物論などを信じているのかな?w
人間の精神は唯一的存在なんだよ?
みんなそんな事も知らなかったって事かな?w
127 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/28(木) 09:50:13
>>125 バナナはウンコに変化する
しかし自我は変化しない
128 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/28(木) 11:28:11
>>127 わかったよみんなが来なくなった理由は。あんたを説得するのは無理だ。
ということは議論がある次元より先に進まない。そして無意味になってくる。
あとさ、現実的におまえ友達とかいるの?友情や恋愛なんかを論じてる姿みたことないからな。
「私」が変化しないのは「私」は“今”にしか存在しないからではないか。
つまり、「変化」という概念を適用できない。
>もとく
だな、最高位は話を飛躍させるので駄目だな。
最高位の脳内では
バナナ=ウンコ=食べ物=リンゴ=ゴミ=コップ=コンピュータ=ゴミ=ロボット
となっちまうからな。キチガイなんだろうね。
131 :
73:2005/04/28(木) 11:46:58
>>106 そのやり取りに限った話ではありません。
どのレスから も、唯物論の否定から先、最高さんの立場から展開される理屈がまるで見えてこない ことを問題にしているのです。
「唯物的なアプローチしか知らない人」への啓 蒙活動から続けて「正しいアプローチというものを投げかけて」いるのはいいんです が、
豪速球にも程があります。
109氏の言葉にもあるように、用語 の定義が不明確でオリジナリティーがだだ漏れ状態です。
言葉の定義は哲学に 限らず、言語を使う上での最低限の条件です。
「悟り」や「発想の転換」と いった言葉に内包された意味を分解して伝えること。
それができなければ、ど んな真理を掴んだ天才哲学者も「電波な人」にしか見えません。
お願いで すから、注釈や文献からの引用、紹介を駆使して、凡人にも理解できるように話して ください。
今のところ、貴方の天才っぷりが先行しすぎて、私たちにはついて いけないレベルにあるようです。
132 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/28(木) 12:02:23
>>128 あ、そお??
私は広範囲に、いろ〜んなスレで、いろ〜んな命題を扱ってきたよ?
しかし、心配してくれてアリガトねw
もちろん結婚もしてるし、嫁さんからストーカーのように電話がかかってきて少々困り気味w
仕事は、複数の店を経営してるんだけど、不景気でね
悲しいけど、実は今もネットカフェで店番中なのよ
まぁ業者は全部、事務所に呼んでるから都合いいんだけどね
友達ももちろん多いけどさ
もぉ遊びとかは、ほとんど飽きちゃってるんだよね
仕事の世話したり、世話されたり、相談受けたり、相談してみたり
ほとんどアホな冗談ばかり言ってるけどね
説得じゃなくてさ、真正面から論破してみなさいよ
私の哲学の本体を叩けばいいんだよ
私は唯物論の本体を叩き壊したよ?
叩き壊した根拠を、今度はキミ達が叩き壊せばいいだけの話さ
133 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/28(木) 12:14:54
>>136 結構人間味あるじゃねーか。びっくりしたよ
ところでバナナがAとBとCという何かで構成されているとする、そこにDが加わり、Cが減ると外見も変化し、あんたはそれを「ばななのうんこ」と言う。
まだ気付かないか?自我も一緒だ。自我は感覚(感覚そのもの)や主観(思考技術の発達により【俺は俺、唯一性】と発見してくる)をおびている【意識】にすぎないんだよ。
自我もAとBとCで出来ていて【これはバナナの大きさのように個性がある】、Dが加わり【発見という電気信号】Cが減っても【忘却という事】外見がないためあんたは【変化】と認めないだろう。
もう分かるか?自我は高度な思考技術により【自分を主観する】を覚え、あんたみたいな思いあがり(自我は不動w)を生んでるんだよ。
134 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/28(木) 12:16:58
135 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/28(木) 12:25:28
>>131 う〜ん・・・
いろんな事を、いろんなスレで、しゃべってるから、こっちはイチから全部説明してるつもりなんだよね(汗
途中から参加した人には、飛躍してるように感じて当たり前なのかもね
一応このスレの
>>4に、関連スレッドがまとめられているようですので、参考にされるのが良いかと思います
私が出てくるのは、『決定論 脳は物質だから意識は必然』のPart25の、しょっぱなあたりからです
私も最初はウイウイしかったですねw
みなさんと話しながら洗練されていった部分も多いようです
その意味では、感謝感謝ですね
興味がおありでしたら、私の書き込みだけでも追って行ってみて下さい
最高位の理論の本体を論破するのは不可能だよ。
だって中身が無いんだもんw
「AはBである。BはCである。BはAではない。AはCではない。CはBではない。」
最高位のこんな理論を論破できるわけがないよーう。
だって最初から壊れてるんだもんw
137 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/28(木) 12:50:34
>>133 人間味? 何をいまさらw
だからさ
精神活動は変化すると言ってるじゃないか
しかし、自我が変化するという事は、私が私でなく他人に移り変わるという事だよ
キミの精神活動は、活動してるんだから変化するだろう
しかしキミはキミであり続け、決して他人になったりしないんじゃないの?
多重人格なんてのもあるけど、それは他の人格が出てくるだけで、キミはキミだろ?
キミ自身が他人になるという事なんて、論理的に有り得るわけもないし、もちろん想像する事すら不可能
>>136 んな事は、ゆ〜とらん
言ってるんなら、具体的にどうぞ
138 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/28(木) 12:56:41
>>137 >私が私でなく他人に移り変わるという事だよ
ほんとにわかってんのか?俺の言ってる意味が。
それはあんたが高度な(人の平均頭脳)思考技術により自分を主観しているだけなんだよ。
もういいよ。あんまり相手すると俺まで馬鹿になる。勝手に言ってろ
>>137 他人も自分も同じかもしれないよ…。
過去の自分が今の自分で無いように、他人も自分がかつて通った(今後通る)軌跡かもしれない。
ビッグバンとビッグランチの間を何度も何度も通っているだけで…。
>>139 別にあなたをヨイショするつもりはありませんが、いつもこの命題でのあなたのレスは驚きとワクワク感がいっぱいですね。最高位のレスは驚きがない。って感じなんだよな〜。
141 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/28(木) 13:25:16
>>138 キミの言ってる事?
サッパリわからん
私が高度な思考技術で主観してるって?
私とは主観性そのものだよ?
いちいち技術を使わなくても、元々、主観性から出る事などできないんだよ
私の精神活動であって、主観性の活動なんだからね
で、結局何がいいたいの?
142 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/28(木) 13:35:19
>>141 >>133をよく読め。
もう一度言う。
その「私は主観性」はなんで生まれた?脳の高度な思考技術によって生まれた物理現象。例えるなら猫程度の思考技術なら「私は猫だ」という発見ができない。つまり自我は発生しない。
つまり脳の状態により自我は変化も、発生するか否かも左右される。
143 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/28(木) 13:36:58
もとく君
あれの驚きとは何?
>>139 詳しくよろしく
144 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/28(木) 15:54:01
>>143 SNY氏>過去の自分が今の自分で無いように、他人も自分がかつて通った(今後通る)軌跡かもしれない
考えた事ない(驚き)
最高位>しかしキミはキミであり続け、決して他人になったりしないんじゃないの?
誰でも考えてる(驚かない)
比べてみると笑えるな。
連投規制uze
最高位をフィルタに掛けた。
これで哲学者の声は届かない。
最高位さんさぁ、もういいよ。
一度自分がどんなこと書いてきたか読み返すといい。
そうやって、自分の意見持たずに人の意見聞いたらそれに反論を繰り返してるから意見が矛盾している。
そして、反論できるからって喜んでるのも見ててこっちが恥ずかしいよ。
はっきり言って他人の意見なんて反論は必ずできるものだから。
わかったら1から勉強しなおしたほうがいいよ。
君はまだ意見を人に言うほど知識も何もなさすぎる。
機械も人も、ちょっと傷つけられたくらいじゃ、壊れない。
自我も、機械の機能も、本質は、似ているものだと
かんじました。脳は記憶から自我を還元する作用とかあるんじゃ
ないですか?だから、変化に埋もれないとか、思いつきです。
私が私を認識することは、意識を拡大すること(それのみ)によってだけでは
成り立たず、一つ一つ経験を通して、認識の対象を増やして、
それを包括的に処理することによって、細かな違いが見つけられるように
なるからじゃないんですか?極度の損傷には、機械も、自我も、
機能しませんね。全ての記憶が消えると、温度も分からないそうですね。
もちろん自我も意識しないと思います。自我と記憶は密接で、ある程度
の知性と知識(記憶力)がないと自我が出現できないと、おもいます。
148 :
考える名無しさん:2005/04/28(木) 22:44:12
ちょっと一言いいかな?
人間の意識が脳と体の構造にあるっていうのは、
ちょっとよく考えれば簡単にわかりそうなもんなんだけど、
この世の中に無数にある脳と体の中で、どうして今の自分の意識が
今の自分の脳と体に存在しているのか?っていうのは、
少し考えただけではわからないことなんじゃないかな。
もちろんそこには何かしらの理由があると思うんだけど。
149 :
考える名無しさん:2005/04/28(木) 23:01:37
>>148 >どうして今の自分の意識が
>今の自分の脳と体に存在しているのか?っていうのは、
意識は脳の機能で産出されると考えればあたりまえのことです。
意識と脳は一体であるからでしょう。
なにも考えなくても他人の体ではなく自分の体が動かせる
のと同じことでしょう。
なにも悩む問題はない。
150 :
考える名無しさん:2005/04/28(木) 23:19:11 BE:90626459-
意識ってあれだろ、
我思った(う)、故に我有り。
一瞬前の記憶の認識だヨ、意識って。外界からの刺激を取り込んで
認識。己の思いの再認識・・・故に我有り・・・自己認識=意識。
メモリーとの差異かな、www
>>149 それはそうなんだが、
例えば彼は他の彼ではなく、今の彼として存在していて、
彼は彼女や私としては存在していない。
存在者の存在感の配置はいかにして決定されるのか?
何故そこに自由になる意識があるのか?
>>140 んじゃ、もう一発。
他人の意識は、自分の潜在意識のようなものかもしれない。
自分の意識は、他人の潜在意識のようなものかもしれない。
宇宙は元々一つの意識で、それが無数に分岐しただけなのかもしれない。
分岐して別々になっているように見えても、実は「氣」で繋がってはいるかもしれない…。
氣の不思議な現象については、ここではちょっとパス(笑)。
実際にやっているので、ヘタなことが言えないので。
>>148 >今の自分の脳と体に存在しているのか?っていうのは、
もしかしたら、本当の自我は同じ位置に存在していないかもしれません。
何かしらの手段で移動しまくっていても、結局憑依した先の記憶を使うことになるから、
自分がずっとそこにいたと勘違いするのではないでしょうか?
155 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/29(金) 02:14:48
>>142 自我と自我意識を、混同してるようだね
主観性は、生まれる思考技術ではない
『私』は元々、主観性そのもの
『私』の目で見るのも、『私』の耳で聞くのも、『私』が考えるのも
全て『私』の主観性
『私』が存在した時点で、それは主観性
人間は、主観性から出る事はできない
キミらは、なんで私の発言を理解しようとしないのかな・・・
156 :
哲学者最高の位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/29(金) 02:43:35
>>145 >>146 もったいないねぇ
私は終始一貫おなじ事をいってるんだよ?
のらりくらりしているように見えるのは、キミ達が根本的に理解できていないだけなんだよ
理解できてる人なら、そこで理解が深まるような解答を与えている
しかし、理解できていない人にとっては、のらりくらりしているように見える
>>156 何を勘違いしてるのか知らないけどさ、人の意見を聞きたくないのなら来ない方がいいよ。
君のやっていることはただの反論であって意見を述べているわけではない。
あと、君の言っていることは理解されているけど拒絶されているだけ。
自分だけが理解できるというのは恥ずかしいことだよ。
158 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/29(金) 11:32:09
>>155 >主観性は、生まれる思考技術ではない
絶対言うと思ったよ。【主観性】が人間が作りあげた概念でないとするなら、それこそ万物に共通する価値観なだけなんだよ。
つまり、あんたの言ってる【主観性】とは【唯一性】である。つまりオカルト。
あんたはその【自我意識】により【主観性】があたかも最初から備わっているかのように【錯覚】しているにすぎない。
いい加減わかってほしい。哀れだよ
159 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/29(金) 11:55:41
>>158 言っている事が全くわからない
主観性が錯覚???
自我意識による錯覚??
私は主観性を離れては思考する事も、存在する事さえも不可能なのだが、どうやったら主観性から抜け出せるのか教えて欲しい
その思考技術とやらを使わなければ主観性から抜け出せるの?
どうやったらいい?
キミは主観性から抜け出せるの??
逝っちゃってるとしか思えん・・・
キミは、どう考えても、私の場合と違うわ
160 :
考える名無しさん:2005/04/29(金) 13:02:15 BE:24167726-
何か純粋哲学と心理学の戦いみてえだ、w
絶対議論がかみ合うはずない、藁。
161 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/29(金) 13:08:32
>>160 いやいや
唯物論者に、現実世界の構造を教えているだけですよ
162 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/29(金) 22:25:49
>>161 おい、【構造を教える】という行為は科学的に教えなきゃ立証もあんたの言ってる正しさも教えれないはずだが。
あんたは矛盾しすぎてるんだよ。
哲学者ともとくってまだ暴れてんの?
おれにはフィルタのおかげで見えないからわかんないんだけど。
哲学書もろくに読んだことのないおれと、哲学者の決定的違いってなに?
誠意?生まれ持っての知能?語学力?
165 :
考える名無しさん:2005/04/29(金) 23:17:14
それに費やしてる時間以外は、おんなじよ。
166 :
考える名無しさん:2005/04/29(金) 23:20:12 BE:126876097-
>>161 漏れは素人であるが、ま、確かに、唯物思考には着いて行けないです。
確か、漏れの記憶によれば、自我は、自我コンプレックス、他色々な
コンプレックスの相互作用、相互間の認識といわれていたような・・・ゴメン忘れたw
>>162 たまには矛盾してるかもしれないけど、素人が言うのはおこがましいが、
体系的な知識はあると感じたけどな。ま、所詮、素人レベルだけど、w。
意識か。
俺の仮説なら意識とは
過去の記憶と、現在流れている脳内の電流の相互作用だと思うよ。
現在の+-0.00秒とその-0.01秒前を照らし合わせているその作業こそが意識であると思う。
ゆえに1秒後の自分はすでに「ちょっと似ているけど自分とは違う自我」に移り変わってると思う・・・
・・まぁ適当な事言ってると思って聞き流してもらっても良いけど。
もうひとつ、これはすでに誰かが提唱した問題かもしれないが、
例えば脳と同じデータをコンピュータ上に再現した場合、意識はどちらに移るか?と言う話が良く出てきていると思う。
(ゲームでは良く出てきてるけど)
これを解くために小話をさせてもらうと、白い部屋に裸の人物が呼ばれ、目の前にコピー人間が作られるとする。
この場合の意識はどちらにあるかという問題が出てくる?これは「どちらにあっても差異は無い」と言うのが正解になる。
仮にAに意識があった場合A=A’なのだから。A’に意識があると言うことになるからね。
これをコンピュータに当てはめても(体の有無の違いはあるが)意識がどちらにあっても問題がなくなってしまう。
と成ると今後電脳化でコンピュータデータ化した脳が出てきた場合、これに人権を認めなければならなくなるんだよな。
めんどっちい未来だな。と薄学の俺が戯言言っていましたよ。
168 :
考える名無しさん:2005/04/30(土) 05:30:28
最高位ってまじであほだからさ
あたま悪すぎるんだよ、ぜんぜん人の言ってる事が理解できてないだろ?
だから議論にならないんだよ
放っとけって
169 :
考える名無しさん:2005/04/30(土) 05:35:30
>>168 朝っぱらから、つまらないカキコしてるおまいよりはマシだろw
170 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/30(土) 07:55:24
>>167 何度も言ってるんだが
キミの考察にも『この私』という観点が抜けている
意識とは、この私の意識でしょう
白い部屋に『私』が呼ばれ、目の前にコピー人間が作られたとする
では、どちらが『この私』であるかと言えば、言うまでもなくオリジナルであろう
私の自我が移動するわけもなく、オリジナルの私が『この私』である
コピー人間には、自我が発生するのかどうかも、わからない
少なくとも、『この私』でない事は明らかだ
私は、ココにいるのであって、物理的に離れた別の個体をも、同時に所有できるはずもなく
私はココに一人の人間として、変わらない状態で存在するだけだろう
となる
今後電脳化でコンピュータデータ化した脳が出てきた場合、これに人権を認めなければならないのはマシな発想で
人間の人権が、機械レベルに下げられる可能性も出てくる
特に、左翼の過激派は、まさしく、この価値観だ
過激派でなくとも、マルクス主義者は、革命によって既存の価値観を破壊する事を標榜する
それがマルクス主義の教えだからだ
これは唯物論を突きつめれば、人間の価値は物体以上でも以下でもない という事になる
だから全世界共産化の大義名分の前では、粛清が正義となってしまった
古いけど、これが唯物論の価値観の行き着く危険性だ という事は忘れてはならない
171 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/30(土) 08:04:38
あ
話が逸れてしまってたw
コピー人間を作っても、『この私』にならないという事は
私が私であった根拠が、物理的なものである可能性が、ゼロだという事になるワケ
だから唯物論は崩壊する
オッケイ?
>白い部屋に『私』が呼ばれ、目の前にコピー人間が作られたとする
>では、どちらが『この私』であるかと言えば、言うまでもなくオリジナルであろう
>私の自我が移動するわけもなく、オリジナルの私が『この私』である
>コピー人間には、自我が発生するのかどうかも、わからない
>少なくとも、『この私』でない事は明らかだ
なぜですか。私にはちっとも明らかだと思えない。
やってみなくてはわからないとしか言えない。
173 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/30(土) 08:16:37
>>172 物理的に離れた個体を、私が同時に所有できるとしたら
何がつなげるわけ?
それから、更に突っ込んでいけば
私が存在した事じたいが、なにをどうやっても解明できない
なんでキミは存在したの?
今までの悠久の歴史の中で、存在しなかったんだから
そもそも、いなくて普通だと思うよ?
どうしてキミは、存在したの?
ひょっとして、物理的に解明できるとでも思ってる?
174 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/30(土) 08:33:25
ではあんたの言葉使って分かるように言ってあげよう
白い部屋に鉛筆aが始めから存在していて、後に鉛筆Bが物質上まったく同じコピー品として出てきた。
【そのコピーが鉛筆aなのか?】と言われたら紛れもなく違うだろ?【始めから存在している鉛筆aという存在】は、揺るぎない事実でそこに存在する。
【もの凄い早さでランダム】されても人間の目がとらえきれないだけで、【始めからある鉛筆a】は決して消せない。これが【唯一性】
この、何にでも通用する唯一性を自我と混同しているのが【最高位】。
唯一性=自我とするなら、全てのものに自我がある事になってしまう。そうなったときますます【自分でないと真相は分からない】というどーしようもない議論になるんだよ。
175 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/30(土) 08:52:37
>>174 でたなw
都合悪くなって隠れてたのかい?
得意分野だと思ったらスグでてくるんだねw
それは以前に説明ずみだろ
単なる物体は、人間がなんとなく唯一性があると思っているだけで
明確な唯一性などナイとね
くっ付けたり、分解したり、混ぜちゃったり、できるわけ
その瞬間、唯一性は消えるし、物体は常に変化し混ざり合ったりしている
何を以ってして、唯一性と定義するわけ?
人間が、なんとなく でしょう
人間の体だって同じだよ?
物質なんだからね
しかし人間の自我は、唯一絶対から外れる事などないんだよ
キミは、私を鉛筆に置き換えて話しているだけで、本質が見えていないんだよね
176 :
172:2005/04/30(土) 09:13:02
双方が同時に「私」になるわけではなくて、完全なコピーなら定義によって、
双方がお互いに相手をコピーといい、自分をオリジナルだと主張する。
177 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/30(土) 09:14:35
>>175甘いな
>明確な唯一性などナイとねくっ付けたり、分解したり、混ぜちゃったり、できるわけその瞬間、唯一性は消えるし、物体は常に変化し混ざり合ったりしている
自我は表面的には見えない【電気信号】によるものなので【変化】は確かにみとれないが、確実に【変化】している。
唯一性とは存在性と同様、オカルト。唯物論は最初からそんな事ぐらい分かってんだよ。
あんたこそ何をもって自我なんだ?【この私】?【考える私】?【存在する私】?
【この私】が自我なら、それは主観性により、唯一性をのべているので誰かを説得したい!教えたい!と思うなら客観的事実が必要。
ガキの討論じゃあるまいしこのぐらい分かるよな?
【考える私】が自我ならそれは常に変化し、あんたの言ってる事は即、崩壊。
【存在している私】が自我ならそれもほぼ唯一性と一緒というぐらい解明不可能。この論が一番、唯一性が明確というのを証明している。しかし唯物論破壊には触れてもいない。存在性の証明なんて無理。オカルト。
あんたはこの三つを自分の都合のいいように話を飛ばして飛躍して考えている。さぁ、どれがあんたの言う自我なんだ?自分で言えないようなので俺が準備してやったが。
ちなみに【この私】を自我とするなら上に書いてる【客観的事実】をきちんと持ってこいよ。無理ならもう反論すんな。うざいから
178 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/30(土) 09:34:34
>>177 自我は存在だよ?
昨日も説明したでしょう
自我とは、この私という主観性そのものな存在 とね
文章が読めないんだったら議論もクソもないよ?
我思う ゆえに我あり だよ
これは、我あり が結論で、思うは我の動詞ね
あるでしょキミにもw
否定できないよね?
それが、どうしてオカルトなのかな??
存在するかどうかもわからないものを、存在すると言えばオカルトかもだけど
確かに在るものを、在るとして話を進めて、どうしてオカルトになるの?
現実だよ?現実なのに物理的に証明できないわけ
それが人間の精神の土台にある
だったら唯物論なんて間違いじゃんか
なんでわからんのかなぁ・・・
そろそろ、電波認定しちゃうよ?
179 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/30(土) 09:53:53
>>178 ほら、また話を飛ばした。>それが、どうしてオカルトなのかな??存在するかどうかもわからないものを、存在すると言えばオカルトかもだけど確かに在るものを、在るとして話を進めて、どうしてオカルトになるの?
客観的事実を述べろと言ってるではないか。ほんとダメだなこの人。
できないのは証明にはならない。簡単な事じゃないか。偉く自身たっぷりだが。みんなの常識なんだろ?【この私】が、他の人に【確かに最高位だ】と理解できるシステムを言うのぐらい。さぁ言ってごらん、【唯物論】になるからww
180 :
考える名無しさん:2005/04/30(土) 10:48:01
哲学者最高位 = しろくろ
181 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/30(土) 11:39:37
>>179 証明?
そんなの必要ないよ?
デカルトだって、あんなの主観そのものだよ?
しかし、多くの人に理解され、世界的にも認知されている
私は、そういう手法だ
しかしデカルトでは、唯物論は破壊できない
だが、哲学は進歩してる
自我の本質を理解できる人は、確実に増えている
自我を、なんとなく理解しでいるが、唯物論が正しいのか どうなのかなと
悩んでいる人にとっては、私の哲学は、それこそ明確な答えとなる
唯物論は徐々に終焉を迎えるであろう
自我は主観性だと言ってるのに、なんで客観的事実なんだよ
アホちゃうんかい
んで、証明?
証明しなきゃならんのは唯物論側なんだよ
こっちは解明できない事実を突きつけてるわけ
唯物論に固執したいなら、していていいんじゃない?
私には自我などありません
私には唯一絶対性などありません
と言っていればよい
そのうち世間からアホ認定されるからさw
182 :
大辞林:2005/04/30(土) 11:54:56
【意識】
B〔哲・心〕〔ドイツBewusstsein ; 英consciousness〕
ア 単なる直接の盲目的な情意や知覚ではなく、自他の在り方自身を察知する
明瞭で反省的な心の状態。また、その作用・内容など。自己自身を対象化
する対自的・反省的働き、人格あるいは自我による統一・自律、一定水準の
明晰さなどによって規定される。
イ 思考・感覚・意志などを含む広く精神的心的なものの総体。主観。
物質・存在・世界・自然など、客観的なものに対する。現象学では世界に
対する自我の志向性、また唯物論では存在に拘束される観念一般を意識と
呼ぶ。
183 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/30(土) 11:58:41
馬鹿だねぇお前。俺は唯物論主義者じゃねーよ。お前の言ってる事では唯物論は破壊できないのよ。
あんたは常識を言ってるだけ。中学生でも分かるような【存在性は解明不可能】という幼稚な事をね。
もしかして自分が発見したとでも思ってんのか?自惚れもいいとこだな。早く次のステップにいけよ僕ちゃんw
いいか?森羅万象全てに【唯一性】【存在性】というものが含まれていて、これは解明不可能。というより解明する対象じゃないわけよ。
そこで【存在性、唯一性】を抜きで自我とは何か?と考えたら脳みそがあるからだろ?
【これは俺の体】というのを【記憶】や、【感覚】といった【情報】で【無意識(ここ大事だぞ〜)】に認識している訳、毎日ね。
いいか?これを、【意識】という。
そこで人間は賢いから【自分を主観】というのを【発見】する訳、幼い頃にね。
「あんたの自我はいつ生まれた?」と聞かれたならば「物心ついたとき【主観を発見したとき】」と答えればいいんだよ。(ちなみに主観を発見したのは記憶にはない。その前がないからだ)
まぁもちろん魂だの絶対自我だのじゃなく全ては【賢い脳みそ】が原因で【自我】が存在するんだよ。
184 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/30(土) 12:17:08
ていうかもういいよ。もう二百レスいくぞ?どんだけ説明すりゃいいんだよ。
あんたの言いたい事は分かる。物凄く理解できる。しかしそれでは唯物論は破壊できん。
最初から存在性だの唯一性は眼中にないんだからさ。
ていうか俺も唯物論聞いたときあんたと同じ事考えたが、すぐ「命題が違う」事を理解できたが。こんなに頑固な人間いるんだね。
この板で嫌われる訳わかるよ。まぁ本人は「周りは本質を理解できてない」だとか偉人ぶってるがね。もう過ぎた道だっつーの!!
185 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/30(土) 12:32:19
>>183 ごくろうさん
また
>>175へ戻る だな
それから何?
>【存在性、唯一性】を抜きで自我とは何か?と考えたら脳みそがあるからだろ?
存在性や唯一性から離れた自我など有りえないんだよ
なに無駄な事やってんの?
>人間は賢いから【自分を主観】というのを【発見】する訳
その前に自分が存在している事に気づけない所が、キミが理解できないユエンだ
>「あんたの自我はいつ生まれた?」と聞かれたならば「物心ついたとき【主観を発見したとき】」と答えればいいんだよ。
物心つこうが付くまいが、私は私として存在していた
存在と観測問題を混同しちゃいかん
まぁ、もはや何を言っても理解できる能力など持ち合わせていない事は明らかだから
もうキミとしゃべるのは、ヤンピだ
言っておくけどキミが、私の哲学が理解できてるなんて錯覚なんだよ
勘違いしまくりなのが、丸見え
186 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/30(土) 12:46:29
観測問題ってのは適切じゃなかった
認識能力だな
>>1 意識など無意識に逆らう小さな小さなコブのようなものだ。
意識すればするほど間違いを犯す。
君の大部分は無意識が動かしている、
無意識は無いのではない無意識こそ存在している。
意識していることなど、君を動かしている"それ"からの微々たる抵抗、
微々たる自由部分、間違える微調整部分だ。
そして、その微々たる自由部分によって人間は間違いを犯す。
そんな微かなものが自分を動かしている全てだと思い込んでいるのは人間だけだ。
極論すれば意識など無くてよい、そうであってこそ生命は間違いを犯さず、
天寿をまっとう出来るのである。
188 :
考える名無しさん:2005/04/30(土) 18:08:09
>>187 おまえの言ってる事は次だ→ 「私は動物です」
189 :
↑:2005/04/30(土) 18:31:46
モマイには
>>187を解読出来んだろう
思い込みに固まってしまった凡人君。
190 :
考える名無しさん:2005/04/30(土) 18:42:48
191 :
↑:2005/04/30(土) 19:07:01
モマイにはバカの壁を越えられん。
そんなモマイのようなヤシが哲板に張り付いて無駄な時間を過す。
才能の無いヤシが哲学にはまり込む程、痛い。哀れ
>>190
192 :
考える名無しさん:2005/04/30(土) 19:45:01
>>191 おまい、そもそも言ってる事が馬鹿なんだから、
せめてボキャ選んでカキコしないとマスマス…(笑
>>192 凡人は常識の範囲内でチョロチョロしてろよ
194 :
考える名無しさん:2005/04/30(土) 22:25:49
>>193 人に凡人も非凡人もない。
凡な事柄と非凡な事柄があるだけだ。
あ、すまん、むつかしこと言っちまって(笑
195 :
考える名無しさん:2005/04/30(土) 23:20:30
「意識とは何だ?」→「裏山の木とは何だ?」同じような答え。
196 :
考える名無しさん:2005/04/30(土) 23:24:24
私がバカの壁にぶちあたったのはちょうど10年前。今日、私はついにバカの壁を越えました。私は記念に広場で歌を歌いました。とてもすがすがしい気持ちでした。
賞賛がある事により君の成功は確かになる
おめでとう
198 :
考える名無しさん:2005/04/30(土) 23:31:54
宇宙はバカだ!地球よりかは100倍バカだ!
199 :
考える名無しさん:2005/05/01(日) 17:36:26
最高位晒しage
つーか俺の知り合い(中学生)でも最高位より先のステップに進んでいた
最高位は理解されたいのか理解されたくないのかわからない
自分の言っていることが中学生レベルだということを認めまいとしている
最高位はここにいるより本でも読んでみたほうがいい自分が恥ずかしくなるよ
最高位は議論するつもりはなくて、唯物論が正しくないということをアジりたいだけなのです。
その内容もお粗末。
単なる普遍的独我論。
202 :
考える名無しさん:2005/05/01(日) 21:30:28
人類がなぜ戦争するかをみてるようだ。
203 :
考える名無しさん:2005/05/01(日) 23:23:31
最高位は悪い大人のモデルにできそうだ
204 :
考える名無しさん:2005/05/04(水) 08:32:56
このスレもう終わり?俺の日記帳代わりにするよ?
205 :
考える名無しさん:2005/05/04(水) 11:14:52
>>204 どーぞどーぞ
最高位はきっと今頃ほかのスレで必死で威張ってますよ
最高位晒しage
206 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/04(水) 11:43:58
最後までボケていたが最高位は結局、俺の言ってる事理解してくれたんだろうか。
素直に心配だ
お前ら、まだ最高位タソが天才だって気づかないの?
人をイライラさせるということでは確かに・・・
しかし逃げるときには一言ぐらい欲しいですねw
210 :
前スレの「1」:2005/05/05(木) 07:15:47
_さん、PART2立ててくれてありがとうございました。
211 :
考える名無しさん:2005/05/05(木) 20:14:45
マジで最高位は逃げたの?
最高位発狂期待age
212 :
考える名無しさん:2005/05/06(金) 02:28:15
自我の議論は終わったのでしょうか?
213 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/07(土) 03:08:14
おい、最高位。
かなり前のレスになるが一応言っておく、あんたはデカルト「こえた」と言っていた。
デカルトを理解したいならまず三つの原理を教えておいてやる。
○「思考」と「物質」は「他」に依存する事なく独立している
○ヒトの思考技術はこの「物質」を認識できる
○人間は「物質を明晰たる判明により全ての人間が認識できる」つまり「理性は平等」である
この三つを統合する形で出来たのが「我考える故に我あり」なの。どれか一つでも無視して理解しようとすればあんたみたいに「唯我論・唯懐疑論」になるんだよ
わかったかな?デカルトさんはあんたが考えてるより賢いのさ
ん?
○ヒトの思考技術はこの「物質」を認識できる
どうやって?
215 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/07(土) 03:23:04
デカルトは「できる」と言っていますよ。っつーか最高位じゃないですよね?方法はうろ覚えですけどいいですか?
216 :
考える名無しさん:2005/05/07(土) 03:27:07
だからどうやって?
217 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/07(土) 03:33:07
まず即断や偏見をせず、疑う余地のあるものは自分の判断に入れない。
次に対象をできるだけ多数の小部分に分割し、単純なものから複雑なものへと達するように思考を秩序よく働かせる。
また、一つも落ち度がないと確信するほど広く検討する。
以上の方法を持ってすれば人間は物質世界を十全に認識可能だ。
だったと思います。
218 :
考える名無しさん:2005/05/07(土) 03:47:53
なるほど
認識可能か
その認識の妥当性、信頼性はどうなの?
私的には可能であってほしいです。哲学者は信頼性は微妙ですよね。証明=科学である限り
220 :
考える名無しさん:2005/05/07(土) 08:01:42
自己が十全と確信するなら、まず人類の一人に対する証明は
終えたわけで、自己への証明の元となったその論理をもって
他者においても、他者がそれを否定できなければ十分かと思われる。
それとも証明と呼ぶのに何%の他者の同意が必要というような
決まりがあるんだろうか?
デカルトは確か最終的には「神が人間を欺くようなことをするはずがない」
と言って外界認識の妥当性の根拠にするんだろ。
「我思うゆえに我あり」が近代の始まりだとか書いてある本があるが、
あれ完全な嘘だよな。本気で懐疑論を徹底したら、独我論の中に
閉じこもる以外の選択肢はないよ。
>>221 私の記憶ではデカルトはそれまでの完全な認識=神というものを否定し、全ての人間は理性において認識することは可能だ。
みたいな事になったんじゃなかったでしょうか?
223 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/07(土) 09:52:50
>>217もとくさん
>まず即断や偏見をせず、疑う余地のあるものは自分の判断に入れない。
この独断・偏見・疑い
このような働きを仏教では「煩悩」といいます。
これらが働く限り事象の真は解からないとされています。
物理的な死というのは無いからね。
何もなくならないし何も生まれない。
死後の世界、というのは物理的にはありえ無い。
意識は物質のある状態なんだろう。
そのある状態が質的に変化したら意識も消失する。
というか物質的状態そのものが変化運動する。
変化そのものは直接に捉えられない。
それは認識の在り方に原因がある。
225 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/07(土) 10:00:46
>>223 確かにそうです。恐らくデカルトは「理想の思考体系」を述べているんだと思います。
しかし、実際にそのような思考の縮図は簡単に毎日の生活の上で行なっている事なんじゃないでしょうか?
少なくとも哲学者はそうゆう機会が多いはずです
>>225 「理想の思考体系」というのは少し違うんじゃないかな。
デカルトはやはり、「すべて」を考えたわけです。理想でないものも含めて。
もちろん、その後の哲学史を踏まえて、今からみれば、それを「すべて」という
わけにはいかないけど。
問題は、デカルトが考えた「すべて」と、われわれの「すべて」のどこが違うかです。
ちなみに、デカルトの懐疑は、いったん物質を否定するわけです。
否定した挙句、考えている自分に到達する。
で、考えている自分は少なくともある。
なんであるのか、それは絶対的な何かによるものだ。
絶対的な何かが自分をあらしめるのと同じように、物質もある「はず」だ。
228 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/07(土) 11:44:31
デカルトはアウグスティヌスの「我疑うゆえに我あり」とは違い、もっと明晰な方だと思います。すでにこれがわたしの「煩悩」ですが・・・
229 :
考える名無しさん:2005/05/07(土) 13:28:47
神の証明をした気違いデカルト
230 :
考える名無しさん:2005/05/07(土) 14:24:25
「省察」読んでいると、デカルトは、本当は神を疑ってはいないのではないかと
私は疑う。
たとえば私はアフリカ大陸があるということを疑うことができる。
しかし、「アフリカ大陸が存在する」という根源的信念は変わることがない。
デカルトの場合も、「とりあえず、神を疑っているように見せた」のではないか。
231 :
考える名無しさん:2005/05/07(土) 16:04:43
私の世界には私しかいない んじゃないだろうか
232 :
考える名無しさん:2005/05/07(土) 16:10:40
デカルトの意識なんて
単なる主観にしか過ぎない。
さて、最高位の敗走が決定したわけだが。
しかしここは賢いスレだ
脳内の電気的現象
未知の物質の様々な様相
未知の物質の様々な作用
物質ではないが何かしらの存在
霊魂と同義
哲学とは、たとえ上記のどれであっても生じてくる
「俺は誰か?」「昨日の俺・今日の俺・明日の俺は同か違か?」
「俺を俺たらしめているものは何か?」
「俺が俺でなくなることはありうるのか?」
と問い続けるものではないのですか?
それとも、これでは宗教の範疇に寄り過ぎてしまいますか?
235 :
考える名無しさん:2005/05/07(土) 22:11:17
他人に意識があると考えるのは、テレパシーの作用だと思います。
236 :
考える名無しさん:2005/05/07(土) 22:12:31
(´・ω・`)
237 :
考える名無しさん:2005/05/07(土) 22:17:20
(´・ω・`) はぁっ?
表現する事で十分て香具師と表現を知る事っていう香具師とがいる。たぶん。
239 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 05:55:27
名スレの予感
240 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 07:51:13
デカルトの、我思うの我は自我かな?
241 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 07:53:32
243 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 07:59:04
>>242 つまり、本質・永遠不変の実体ということ?
>>243 「その世界」では、「不変」とか「実体」とかいう言葉は何の意味も持たない。
論理すら超越した存在。人間が否定でしか存在を測れない何か。
245 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 08:06:06
>>244 涅槃・絶対の境地といわれる場所。
では、思考すらも超越するってこと?
247 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 08:15:22
白痴は?
>>247 あらゆる存在は、在りて在るものが流出した全可能性の一つでもある。
249 :
涅槃:2005/05/08(日) 08:22:19
>>248 ならば、すべてを肯定しなければいけないの?
251 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 08:31:30
>>241 240です。自我=あなた自身 かとおもいます。
252 :
涅槃:2005/05/08(日) 08:40:46
>>251 241です。
それでは説明になっていません。
自我(私自身)とは何かを問うているのです。
253 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 09:53:03
チンポミルクでます
でちゃいますううううううう うぅ
254 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 10:03:28
意識:ファジーな関数
「我思う、ゆえに我あり」には色々なバリエーションがあるんじゃないか?
「我奇襲に成功せり、ゆえに我あり」とか。
>>252 あなた方のやり取りこそが、最高位先生と馬鹿どものすれ違いそのものでしょう。
唯物論者には、何を聞かれてるのかすら、意味が理解できないようです。
257 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 21:11:51
252 :涅槃 さん
251です。自我=自己中心の「心」の状態とでもいっておきます
258 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/08(日) 21:52:07
このスレで何度も言ってますが、自我は「自分を認識できる状態に発生する物理現象」です。思いあたる質問と答えを書いておきます
Q1.なぜ発生するか→ヒトの脳みそが賢いので主観を【発見】する。
Q2.自分を認識できる状態とは→脳が正常な状態
Q3.主観って?→主観というのはヒトが作り上げた概念【Q1により】であり、本当は森羅万象全てにあってもいい【法則】です。
しかし脳みそ(のシステム)がないので【もの】に【主観性】がないのは当たり前です。
Q4.【俺】というのは一人しかいないぞ!物質的に同じヒトを作ってもそれは【俺】じゃない!→それはあなたが【自我】を主観的に見ているからです。
(Q3の答え)にもあるように【主観性】つまり、【唯一性、唯我論】は唯物論的には解明不可能というより解明対象ではありません。
全部俺の仮説にすぎませんが、今出ている意見の中では信憑性があると思います。
質問あればどうぞ。
259 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 22:05:27
>>258 明解ですね。
つまり哲学者最高位さんは唯物論の解明対象ではない「唯一性、唯我論」の主張をもって「唯物論を論破した」と言っている。
そう理解してよろしいのでしょうか?
260 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 22:42:31
低脳スレ
261 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 22:45:45
意識とは感じること。
「あっそこ、そこ、感じるー」ってやつですよ!
わかりましたか?
でもね、あなた、
「そ・こ・は・だ・め・よ〜ん」
ウフフ
>>258 お主は、表面的なのじゃ。最高位先生の足元にも及ばん。
>>259 物理学の解明対象ではないが、唯物論という思想がそれを言ったらお終いぞ。
712 :考える名無しさん :2005/05/06(金) 01:04:50
お前達の話は、全く哲学的でもなく、面白くもなんともない。
そんな話がしたいのならば、どこか他の科学系の板に行けばよいのじゃ。
最高位氏の「私は何者なのか」の方が一万倍は哲学的じゃ。
天と地ほど、値打ちの違いがある。
その結論が「私の根拠は物質的な要素ではありえない」という事の説明で、わしは唯物論が間違いだと理解できた。
お前達は、自覚が無いようだが哲学をしているのではないのじゃ。
くだらぬ科学談義をしているだけじゃ。
身の程を知れぃ。
>>258 >このスレで何度も言ってますが、自我は「自分を認識できる状態に発生する物理現象」です。
これは自我意識の方ですよね。最高位さんのいう「自我」とは違うと思います。
自我意識であれば、Q1〜Q4すべて同意です。
266 :
素人:2005/05/09(月) 01:19:07
お互いに使う言葉の定義(→その言葉の指し示す所の意味)を
「この言葉はこの意味で使いましょう」という合意がなかったら議論は成り立たないと思われ・・・
|
|彡サッ
|
267 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/09(月) 02:35:43
>>266素人さん
ご尤もなご意見です。
でも定義付けは難しいですよね。
268 :
考える名無しさん:2005/05/09(月) 02:49:30
お互いの使う言葉の指す意味がわかれば、
調整せずともコミニュケーションは成立する。
お互い相手の意味で使えばいいんだからw
269 :
前スレの「1」:2005/05/09(月) 07:07:41
唯識さん、自我は仏教では何といってますか?
270 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/09(月) 08:14:34
>>265 確かに「自我意識」なのかもしれません。しかし、脳のシステムが上がるにつれ、「主観」を発見する。という意見にもご賛成ならば、その「主観」が自我でも結局は物理現象の範疇にすぎないと思うのですが。。どうでしょう?
271 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/09(月) 08:45:26
皆さん、私は唯物論主義者ではありません。
しかし、あなたの赤ちゃんの頃には「自我」はあったでしょうか?「意識」は確かにあったでしょう。その「意識」は「主観」の状態を認識する事ができたでしょうか?
「あなた」はいつ出来ましたか?卵子と精子が交わりあった瞬間?分裂後?出産後?それとも記憶できる程賢くなってから?
唯物論の見識の相違ならばくだらない議論はやめましょう。
しかし、今は誰もが知りたい「自我という唯一性」がそもそも話の主題ではないはずです。今は「自我で唯物論は崩れるか」でしたから、おのずと不毛な議論になってしまいがちです。
ここで、主題を「自我という唯一性」にしてみましょう。皆さんの貴重なご意見まってます。
>>270 自我は物理現象そのもの。しかし、脳には依存しない。
自我は、在りて在るものの一部。
>>271 >しかし、あなたの赤ちゃんの頃には「自我」はあったでしょうか?
あった。
>「あなた」はいつ出来ましたか?
自我は世界の創造の瞬間につながっている。記憶や意識は世界のありように左右される。
>自我という唯一性
自我は、在りて在るものの一部(もっと適切な言葉は無限小の一点)なのだから、
唯一性があって当然であり、また、一部という点で、無限にあっても当然。
273 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/09(月) 09:07:18
ちなみに最高位の言っているものが「自我」ならば
>>271の「精子と卵子が交わった瞬間」に「あなた」は存在した事になります。この意見は「自我」とは関係なく、読んで字のごとく「唯我論・唯我性」です。
以上の意見から私はやはり、「自我」はSNY氏の言うところの「自我意識」だと思います
274 :
涅槃:2005/05/09(月) 11:43:25
>>273 「精子と卵子が交わった瞬間」に受精卵ができる。
その受精卵に「自我」があるのか?
わたしは、自我は他者(主に親)のコピーだと考える。
個人が子供の頃から親の教育によって自分を認識する。
だから、自我(永遠不変の本質)なるものはない。
むろん、「自我意識」なるものも存在しない。
>>272 では受精卵の時点ではありましたか?認識できる状態でしたか?自我は脳に依存するでしょう!
>>275 >では受精卵の時点ではありましたか?
あった。
>認識できる状態でしたか?自我は脳に依存するでしょう!
脳に依存するのは自我意識。
認識は意識がするから、意識が無い状態では認識できない。
脳は自我と意識を連結するだけ。
277 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/09(月) 12:43:50
>>276意味が分かりました。
もちろん仮説でしょうけど。では自我意識については私の説明でよろしいですか?
279 :
考える名無しさん:2005/05/09(月) 14:59:23
自我が物理現象というのはどういうことか、私にはどうしてもわかりません。
どういう物理現象なのか、誰か説明してもらえないでしょうか。
280 :
考える名無しさん:2005/05/09(月) 16:14:56
ではあなたの言っている自我とは何をさすのか、くわしく述べてください
そもそも「物理現象」とは、いったい何のことでしょうか。
282 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/09(月) 16:48:44
>>278ところで「自我」と「自我意識」に分割する事ができましたが、まだあまり「在りて在るもの」が理解できません。そのSNY氏の言う「自我」は私自身にも認識可能でしょうか?
283 :
涅槃:2005/05/09(月) 17:21:51
>>282 「在りて在るもの」とは「神(何らかの超越者)」である。
「自我」は無い。あなたは「認識が在る」と言うべきだ。
自我が在るという根拠を、あなたは証明していない。
>「自我」は私自身にも認識可能でしょうか?
それ以前に、あなたは「自我」について、
あなたの考えを主張すべきだ。
今のままでは、「そう信じている」ということでしかない。
284 :
279:2005/05/09(月) 18:32:54
自我とは「私」という指示代名詞を一般名詞化したもの。
「私は○○する」という文の主語を、抽象概念として取り出したもの。
自己意識(反省意識)によって捉えられる、自分の意識のことを「自我」と
呼ぶ場合もある。
285 :
279:2005/05/09(月) 18:38:14
意識ある振る舞いが物理現象というのは当たり前のことだが、
意識や自我が物理現象というのは、端的に意味不明だ。
メタ認知
287 :
279:2005/05/09(月) 19:01:00
質問していいですか。
>>258 >Q1.なぜ発生するか→ヒトの脳みそが賢いので主観を【発見】する。
「発見する」の主語は脳でいいんですか。これは物理現象なわけですね。
その物理現象がおきると、なぜ自我が発生するのですか。
ここはもとくの自慰的スレですねw
つーか決め付けてるあたりは最高位とかわんねーよw
もとく君は、自分の考えを自分なりの言葉で表現しようとしていますね。
その姿勢だけは好感が持てます。
290 :
考える名無しさん:2005/05/09(月) 19:47:09
唯一の自我が、問題なのなら、そんなのは「今」にしか存在しないに決まってる。
「生じたり」「なくなったり」するものではない。
デカルトでも読もう。
人が自己意識を持つのは、ものごころつく頃、3、4歳の頃だろう。
291 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/09(月) 21:12:05
>>269=1さん
主に「執着するこころ」として捉えられています。
物事に執着する(いわゆる欲望)もありますが
この場合は「自分に執着」する事です。
「私のお金」「私の物」とかですね。
一般に言う「エゴ」でもよいのではないでしょうか?
これが無意識層(末那識)から働いているという事です。
マイナー?なイメージしかありませんが、これを如何にするかが
宗教(仏教に限らず)としては最も重要な事、根本と言ってもよいでしょう。
他スレでも同じような事を書きましたが
哲学と宗教の区別は対象を「自然界」「私(自他の関係」「こころ」の
どれに重きを置くかだけの気がします。
要は「科学」か「宗教」のどちらかですね。
292 :
前スレの「1」:2005/05/09(月) 21:45:30
>>291唯識さん ありがとうございます。
自我は「エゴ」ですか、同意です。
293 :
A:2005/05/09(月) 23:56:23
おや、ここはずいぶん静かなとこだね。
>>281 宇宙の全状態、全事象
>>282 「在りて在るもの」は、全ての存在、全ての現象、全ての論理、
そういった宇宙の全てを言い表すものなので、何と呼んでもいいのですが、
とりあえず、物質が全て「重力」で連結していることは誰にでもわかると思います。
>>283 >「在りて在るもの」とは「神(何らかの超越者)」である。
>「自我」は無い。あなたは「認識が在る」と言うべきだ。
>自我が在るという根拠を、あなたは証明していない。
言葉としては「自我」でなくてもいいんですけどね。
自我意識とは全然違うので、自我の元とか、「自然」でもいいのですが。
>>285 意識の仕組み(物理現象であること)はAIでもうすぐ証明されると思います。
>>291 それは私も全く同じ考えです。ただ、私はそれを「自我意識」と呼んでいました。
295 :
A:2005/05/10(火) 00:09:38
夜もおそいからかな?
明日でもいいから、物理現象を根本で支えているものはやはり物理現象
なのか、それとも何か別なものなのか検討してほしい。
もちろん証明不要、ただしあり得る度の高い仮説を聞きたい。
>>295 >明日でもいいから、物理現象を根本で支えているものはやはり物理現象
物理現象。
というのは、物理現象は影響を与えるもの全てを含むから。
何らかの仕組みが見つかれば、それは即物理現象に組み込まれます。
例えば霊魂というものが見つかり、それが物質に影響を与えていれば、
それは「霊子」とか「霊波」とか呼ばれて物理現象に組み込まれるわけです。(電子や電波のように)
297 :
A:2005/05/10(火) 00:38:56
>296
ではもうひとつ、物理現象とその客観性は切り離すことのできないもの
ですか。
それから、客観性には無限小、無限大の矛盾を伴いますが、
物理現象はそこについて行くことができますか。
>>297 >ではもうひとつ、物理現象とその客観性は切り離すことのできないもの
>ですか。
すみません、質問の意味がよくわかりません。
この場合の客観性とはどういうことでしょうか。
299 :
A:2005/05/10(火) 01:08:47
>296
人の意識は身体を通じて周辺の物質に影響を及ぼすけれど、
人の意識に客観性はない。
またそれは質量でもエネルギーでもない。
それでも物理現象に組み込まれなければならないのですか?
301 :
A:2005/05/10(火) 01:19:07
>298
観測対象となりうるもの、あるいは認識対象となりうる性質、
もっと別な表現があるかもしれませんが思いつきません。
>>301 客観性を伴わずに物理現象として理解できないということならば、切り離せないと言えるでしょうし、
誰もいない森の中で木が倒れた場合でも音がするという意味では、切り離せるとも言えるのではないでしょうか。
303 :
考える名無しさん:2005/05/10(火) 01:31:15
>>303 決定論的に動くAIと原理的には何も変わりません。
見かけ上は、両方あるように考えても問題はないでしょうけど。
305 :
A:2005/05/10(火) 01:46:58
私はSYNさんとは逆に意識が物理現象を作っているとかんがえます。
それは物理現象を質量・エネルギー、あるいは空間そのものの運動
とした場合のみに成立しるのですが・・・
私には質量やエネルギーに主体としての重みや
存在としての確かさを感じることはできません。
もちろんその確かさはこの私という漠然とした概念のようなものにも
感じない。
私が存在を確かに認めたのはいつも現れてはいつか消えていく
悲しみや喜びだけ。
そのような感情・気分、それだけが存在している。
>>305 >私はSYNさんとは逆に意識が物理現象を作っているとかんがえます。
では、その「意識」はどうやって物理的な作用を起すのですか?
物理現象以外で、物理現象に影響を与えるものとは一体なんでしょうか?
>私には質量やエネルギーに主体としての重みや
>存在としての確かさを感じることはできません。
MP3のバイナリデータに、音楽を感じられないのと同じですよね。
>私が存在を確かに認めたのはいつも現れてはいつか消えていく
>悲しみや喜びだけ。
>そのような感情・気分、それだけが存在している。
でも、その感情は自分で起しているわけではないですよね。
まず外からの作用が先にあって、潜在意識が先に認識して…。
307 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/10(火) 09:16:33
え〜っと、何からレス返せばいいでしょうか・・
とりあえず私の言ってる事は「仮説」と言っていますし、いい意見が出たらすんなりかえます。決め付けているつもりはありません。
とりあえず、定義は「自我意識」=「自己意識」(自分を認識できる事。正常な状態の脳で発生する。幼い頃に)
これが私の言ってた「自我」です。今度から「自我意識」と表現します。
次に、クオリアレベルの自我の素、つまり、真の自我的存在を「自我」そのものという事に致します(SNY氏の意見により)
そして、最後に「主観的自我」つまり、「他に類似しない唯一の私」という意味での自我を言葉のとおり「唯我」とこれからは呼びましょう。
これは最高位の意見ですね。今考えると対立して当たり前です。最高位さんすみませんでした。
とりあえず定義付けに不満のある方いらっしゃいますか?
308 :
考える名無しさん:2005/05/10(火) 10:09:00
意識と自我でイイんでない?
309 :
A:2005/05/10(火) 11:40:06
>306
鶏とたまご、どちらが先にあったのかという問いによく似ているけど、
おそらく全く異なる問いだと思う。
どちらが実体でどちらがつけたりか、という問いなのでしょう。
私の答えは意識という実体次元に変化が起こると物質はその影のように変化する、です。
私の側には意識があり、その意識現象は世界のすべてを飲み込んでもおつりがくるほど、
一方、日常の私は物質(身体)の側に自らの立場を置き換えるようにして生活している。
私は大宇宙の塵に満たない天体上で、さらに塵に満たない一個体として・・・
何が主で何が従なのか。もし意識が主なら、客観的な世界にはその客観を
支える意味で、無数の意識が隠されている。
身体やミトコンドリア、ウイルスや遺伝子、心に満たない程の微意識、
原子や電子、自らが現象としない意識、それらが意識の外界に
客観性で閉じた空間、つまり物理現象を形成している。
ごめん。こんなぶっきらぼうな空想じゃなにも書かないほうがましかな?
実は、ここに至るには長年積み重ねた想念の理論的な経緯があるんだ。
それらをすべて書き込まなければ、ただのおばけ。
でも私の文章力では百万文字を費やしてもうまくいかないだろう。
意識は意味に置き換えることのできない要素がかかわる全体、
むりやり文章にしてみても物理現象のよう整理できる可能性がある訳ではない。
むりな意味をあの手この手でいくつも積み重ね、質的理解に導いていく他に
手だてはないのです。
>>309 >どちらが実体でどちらがつけたりか、という問いなのでしょう。
>私の答えは意識という実体次元に変化が起こると物質はその影のように変化する、です。
いいところまで来ましたが、実際には物理現象と意識は同一のものです。
意識は付随すると考えて問題もありません。
ある意味、色即是空、空即是色に似ていますし、どちらも影ではありません。
物理現象やモノには、意識と同レベルの複雑さが存在します。
また、物質を影と見るのならば、結局あらゆる素粒子にそれが影となる意識を考える必要があり、
結局は全て物理現象に回帰します。
>無数の意識が隠されている。
そうです。全く制御不能の無数の潜在意識が存在していて、それが顕在意識を作っています。
その無数の潜在意識は、完全に物理現象です。選択の自由は全く存在しません。
顕在意識が思う前に、脳内でその状態が形成され、その後それを認識できます。
ゲームのキャラクターが自由に動いている程度の意味の自由ならありますが、
それは見かけ上の自由であり、系の世界に束縛され、決定されていることは何も変わらないでしょう。
結局非常に複雑な物理現象に回帰します。
311 :
A:2005/05/10(火) 13:03:39
>310
何か言葉の定義も漠然と人それぞれ、
よく考えてみるとお互い似たようなことを「よし」としているのに、
実際は異なることとして、言い争いに発展することもよくありますね。
ただ、広義の物理は意識現象も含んでいると定義するのは
すこし無謀と思います。
なぜなら両者は、キロメートルとキログラムほど質が異なるからです。
この両者は広さに統一することも重さに統一することもできません。
312 :
考える名無しさん:2005/05/10(火) 13:35:21
脳神経活動で意識が生じるんだろ?
脳の無い生物には意識はねーだろ
ただ情報を受信して反応してるだけ
>>311 >ただ、広義の物理は意識現象も含んでいると定義するのは
>すこし無謀と思います。
「意識」が物理現象に作用するならば、それは物理現象になります。
>なぜなら両者は、キロメートルとキログラムほど質が異なるからです。
光と音、メモリの電子状態と情報、それぞれ全く異なりますが、
物理現象に含まれます。統一する必要はそもそもありません。
314 :
A:2005/05/10(火) 16:23:24
SYNさんに聞きます。
虫歯の痛みの大きさに、例えばppmという単位を付けて、
「昨日の2時ころの痛みが1ppmだとすると、今の痛さは3ppm
はある」というような表現と、「昨日食べたりんごが20グラムだとすると
今食べようとしているりんごは40グラムはある」という表現は、
計量という意味で同じカテゴリーに属しているようにかんじるけど、
何か問題はありませんか。
。
Aさんは詩人ですね
316 :
考える名無しさん:2005/05/10(火) 23:31:58
死人 ^^;
>>314 >虫歯の痛みの大きさに、例えばppmという単位を付けて、
>「昨日の2時ころの痛みが1ppmだとすると、今の痛さは3ppm
>はある」というような表現と、
鎮痛剤を作る人間にはこういう分析の仕方が必要ですよね。
>「昨日食べたりんごが20グラムだとすると
>今食べようとしているりんごは40グラムはある」という表現は、
ダイエットをしようとしている人には、こういう視点も有用だと思います。
>計量という意味で同じカテゴリーに属しているようにかんじるけど、
>何か問題はありませんか。
問題はないと思います。
それに、目的によって単位系を変えたり、対象の捉え方を変えたりするのは
当然のことだと思います。
318 :
A:2005/05/11(水) 18:58:02
>317
確かにその通りですね。
りんごには物質としての質量がある。
そして、痛みには気分としての質量がある。
ところで、物質としての質量はエネルギーに置き換えることが
できて、永遠不変。
一方、痛みとしての質量は、不快、否、快不快の一元に統一して
利便化したにせよ、常に変化し、時に空白すら生じる。
昨日の痛みは消失し、今の私には他人事。
これでは、確かな存在は物質で、気分の重みなどただの現象に過ぎない
と考えるのも無理ありません。
ところが、存在には実質とか本質というように、
重さの意味が与えられる。
もし重さの意味を持つ多様なゲージを一つに統一可能とすることを
一元論とするなら、あの重々しい歯痛の実質は、「物」に、
どのようにリンクするのだろう。
それともあれほどの歯痛、重々しきつらさであっても、
それは単なるつけたり現象?
319 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/11(水) 22:50:30
量=一元論なら客観的に「量」を様々な捉え方するのもアリ。
林檎の重さの量もあれば「不快さ」の電気信号の量もまたあると思いますが。。どう思われます?
320 :
A:2005/05/12(木) 00:41:41
>319
情報としての電気信号は重みというよりも長さや数等のように
実質的というより形式的なことの範疇に入ると思います。
また、電気信号は実質的には電磁気力で、力の量、
つまり物理界の重みのひとつです。
いずれの場合にも、不快さという重みのなかに統一される可能性は
ないと考えられます。
不快さの電気信号という一種の不快、
そのようなものも考えられません。
ただし、量一元論というのは新発送ですね。
考えさせられます。
>>320 >いずれの場合にも、不快さという重みのなかに統一される可能性は
>ないと考えられます。
そうですね。
ある情報(刺激)が不快か快かというのも、状況によって違ったりしますし。
いくら好きな曲でも、眠い時にはノイズにしか聞こえなかったり。
322 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/12(木) 02:29:10
>>320 >いずれの場合にも、不快さという重みのなかに統一される可能性はないと考えられます。
そうですね^^;
(刺激が与えられた際に、生じる個別の不快さはそれぞれが量的なもの)というふうに逆に捉えておりました。すみません。
323 :
考える名無しさん:2005/05/13(金) 18:20:08
あげる
324 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/14(土) 00:35:15
あがってたんで自我意識について一人質問形式で少し考察したいと思います。
今まで自我意識=自分を認識できる状態と定義しましたが、
Q.1 詳しく言うとどういう事?
A.自分を認識できる状態とは感覚を考えれる、または本能、目的以外の自発的でない考えを考えれる状態。
Q.2 では考えるって?
A.ここでいう「考える」とは「判断」ではなく「判断【する】」という事。またはそのまま。
犬などは「判断を選び、する事ができるが記憶の掘り起こしや二次的考えができない」為、「自我意識」が発生しない。
今思ったがほんとに説明難しいよね
皆さんでこの意見に質問や反論をしてくれると尚よい意見ができると思いますのでどんどんどうぞ。
325 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 08:05:54
優良スレになってきましたね
>>324 A1:自分を認識している状態。これ以上掘り下げるのは不可能っぽい。
「在りて在るもの」が自分の姿を見ようとして、この世界が始まった。――という思想体系がありますが、
まさにこの神性が遍在化した結果だと思います。
全体が全体を認識しようとすることで、その認識している状態(無限小の一点)が生じ、
無限大の空間と無限小の点が分けられる。
これが物理層で顕在化すると、空間と素粒子(大きさの無い点)になる。
A2:計算している状態。
327 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 11:18:41
328 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 11:30:40
>>324 A1.自分と他の1点以上(内と外)を認識できる事。
A2.他の1点と自分との距離を測る事。
つまり、自分を原点とした座標系に他の点を射影する事。
>>327 内界。
329 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 11:43:50
居るという感覚、客観的に見ているポジション
330 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 12:16:48
331 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 12:20:10
客観的に見ているものそのもの(居ると意識している)、主体を見るものはいない、
332 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 12:21:41
>>330 内界:心地良い所:巣:テリトリー<俺定義>
【内界】<広辞苑>
1.内部の世界。心の中の世界。
2.{哲}個々人の思考・感情・意欲の世界。意識の内面的世界。
333 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 12:22:02
>>326 自分とは何ですか?
認識とは何ですか?
334 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 12:25:23
>>331 意味がわかりません
>>332 誰の内界ですか?
物質の内界ですか?
私ではないのですか?
私は物質なのですか?
335 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 12:30:14
私はあなたを関連づけられる記憶の総体、
336 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 12:32:32
>>335 文章がおかしいですよ
意味がわかりません
337 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 12:35:47
>>334 自分とは、心地良い所(感じる主体の内界)にしがみつく何者。
時間経過する程にそこから追い出されそうになる。
338 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 12:40:41
339 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 12:43:19
つまり、いねむりの前ということでは・・
340 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 12:47:04
いねむりの前とは、私の不在であり、
それを知覚しているのが意識かな
341 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 12:49:36
>>338 感じる主体が快感を得られるのが内界。不快感を与えられるのが外界。
気持ち良いものは内に取り込んで、気分悪いものは外に出す。(捕食・排泄)
342 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 12:52:37
>>340 いねむりしている時でも私は存在すると思えます
私とは、いねむりする度に存在したり消えたりするものなのですか?
では、死んでも生き返る事が可能でしょうか
343 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/14(土) 13:15:18
>>342 いねむりしているときは自我意識は発生しません。それは【自分を認識できる状態】ではない為だと思われます。
しかし【自我】は存在しているはず。というのが恐らく今の考察ポイントでしょう。
一応「在りて在るもの」や「無限小点に意識がある」など色々面白い仮説がでておりますので哲板パワーを振り絞ってもっと仮説を考えてみましょう
>>333 >自分とは何ですか?
認識しようとする主体
>認識とは何ですか?
存在を見分けること
345 :
A:2005/05/14(土) 13:26:44
もとくさんの自我の定義にはついていけません。
346 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 13:43:14
自我とは、思考システムの中の私にまつわるものの総体なので
意識が私をかき集めてこなければ、ないと言えるのでは
つまりポイントを意識に置くか、客体である自我に置くかでは、
ポイントが意識にあれば自我は見られるものに過ぎないが(私と勘違いされるもの)
ポイントを自我におくと、それが見られていない時はさも私が居ないと受けとってしまう
347 :
A:2005/05/14(土) 14:05:31
>346
例えば意地を張っている自分とそれを見つめてなだめている自分という構図
を思い浮かべてください。
自我はどのようの定義するのが好ましいのでしょう。
また、ただほんの少しだけ心地良いだけで、あとは何の思いもない状態や、
主もなく客もない、まさに無我的境地などはどうなるのでしょう。
記憶の中の矛盾した自己イメージの葛藤でしょうか
主客一体とはわたしが記憶の中の自己イメージの中で
さまよってなくただ意識としてとどまっていることでは
ないでしょうか
349 :
A:2005/05/14(土) 14:36:20
私は、一つには、無意識・潜在意識等を含めて、
「意識の系には必ず含まれている要素」
と定義したいですね。
今後、私には扱いやすいのですが・・・。
350 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/14(土) 14:53:05
久しぶりに来てみたら、相変わらず精神病院行った方がいい人も来てるなぁ
>>346 自我が客体だって?
キミは『私』という自我から離れては思考する事も、存在する事すらできないんだよ?
キミは自我から離れて、自我を客観的に見れるの?
キミという自我が、客観的に自分を認識しているにすぎないんだよ
自我はキミ自身
キミ自身は存在してるんだろ?
我思う ゆえに我あり だよ
何を思おうが、何を考えて発言しようが、全てキミという自我が根本にある
自我から離れては有りえないんだよ
自我がない という事は、すなわち『無』だね
>>343 もとく君
知らない間に、自我と自我意識の区別がつくようになってるじゃんかw
だったら、もう唯物論者とは言えないよ
最初の頃はさ
バリバリの機械的唯物論者が反論してきてたけどさ
「それが出来たらスゴイ」なんて言われてね
「できるよ〜」なんて言って、もったいぶってたんだけどねw
最近はバリバリの唯物論者は反論して来なくなったな
SY君やキミのような、勘違いしたヘンテコな自称 唯物論者しか、からんでこなくなったよ
私は正当な唯物論には勝利してるんだよ
これは歴史的な事実なの
キミ達のは、観念論の範疇なんだよ
神とか、(ありてあるもの=神ね)そんなのもってきたら唯物論なワケないだろw
んで、物理学とテキトーにつなげて、新興宗教を作ってるだけさ
意識が知覚している客体が自我ではないの、
だって寝ている間、「わたし、わたし」って自覚してないでしょう
無意識なときに自覚されていないということは客体でしょう
我思う ゆえに我ありなんてもはや故人の言葉なのに
353 :
A:2005/05/14(土) 15:36:55
>350
認識主体という認識構造の一要素と、自我という存在の重みを
伴ったものが同じ??
あなたの言っている自我の定義を教えてください。
>>350 『私』という自我から離れては思考する事も、存在する事すらできないんだよ?
キミは自我から離れて、自我を客観的に見れるの?
キミという自我が、客観的に自分を認識しているにすぎないんだよ
自我はキミ自身
めでたいやつだ、こういうやつが自我を墓場まで引きずって行くんだ
自我と思考の区別もついていない
355 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/14(土) 15:44:51
>>353 自我とは、『私』という主観性そのものな存在
その存在、『この私』の活動が精神活動であり、そして物理活動へとつながる
自我を認識するとか、そんなのは精神活動の範疇であり、自我意識なんていう言葉で表現するとわかりやすいかな
という程度
の事
その活動の事を、自我の事だと勘違いしている人が多いから苦労しているw
自我は私の本体だよ本体
キミはキミだろ?
そろそろ離席の時間なんでシツレイw
理解してよね
簡単な事なんだからさ
356 :
A:2005/05/14(土) 15:49:25
>351
引っかかってますね。
それには私もひっかかります。
奥深いところで・・・
357 :
無意識:2005/05/14(土) 15:51:29
漏れが忘れ去られてる・・・W
>>353 自我意識=馬鹿っぽい言葉をありがとう
おまえは生まれた瞬間から俺はって思ってたんだな、
幼児期に子供がわたしとあなたの区別を学習するのは
何故だか考えてみろ
359 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 15:55:15
君らいつもいるね、外で人に会えよw
漏れが忘れ去られてる・・・W
そうなんだ眠っている時は忘れ去られているんだ
全く
>>355 自我意識=馬鹿っぽい言葉をありがとう
おまえは生まれた瞬間から俺はって思ってたんだな、
幼児期に子供がわたしとあなたの区別を学習するのは
何故だか考えてみろ
362 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/14(土) 16:07:16
>>361 もっと、よく考えろ
てか、何が言いたいのか全くわからん・・・
『私』という主観性を持った、自我が存在するから区別できるようになるんだよ
幼い時の精神活動が、どうのこうのなど関係がない
無意識って言葉が出たけど、そうなのさ
意識していてもいなくても、私は私の無意識な部分があるんだよ
私は私なんだ
何をどうやったって、私は私
しかし、何で わからんのかなぁ・・・
363 :
A:2005/05/14(土) 16:29:13
>355
< 自我とは、『私』という主観性そのものな存在 >
というのは使えませんね。
主観性そのもの・・・は形式的な要素だし
存在・・・というなら主観性だけでは成立しない、
主客の全体、認識しているその気分的な全体となる。
気分は分かっていての気分ですからね。
とにかく矛盾してます。
364 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/14(土) 16:41:30
>>363 気分つーのは気分だけでは存在しえない
気分を持っている、または感じている主体が『存在』している
その主体は言うまでもなく、自我だ
我思うゆえに我あり の意味わからねぇ〜人?
それから
気分つーのも、主観的なもの
全ては主観性
だから『主観性そのもの』
自我とは『この私』という主観性そのものな存在
何も間違えてないじゃんか
じゃあ、自我を定義みたいに、わかりやすく説明してみなよ
読むのは明日になると思うけどね
365 :
A:2005/05/14(土) 16:49:49
364
気分の中に客観性が含まれている。
でなければわからないのですから
気分になりません。
366 :
s:2005/05/14(土) 16:51:28
自我は別の自我(他者)との関係の中で作られる。
つまり自我は間主観的に構成される。
「他者」やその複数性としての「社会」とのかかわりの中でしか自我は構成されない。
ところが、動物は違う。
イタリアの猫とフランスの猫は、種としての固定した自我があるから違いはない。
だからそこでは自我という言葉すら不要である。
したがってこうなる。
意識とは何か。
意識とは関係的に構成された自我を事後的に振り返ったとき見出されるもの。
もうちょっとうまい言い方があるかもしれないけど。
367 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 16:53:43
「意識は必然にすぎない」とかいうスレもあるということを何にも理解してないのね
すべて主観なら必然要素はドコからくるのか,という問いが欲しいな
368 :
Я:2005/05/14(土) 16:54:59
「失神」というのはよく当てた字だと思う
英語でFaint、lost godとも言わないのもまたいい
369 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/14(土) 16:55:49
>>365 客観性というのも、私という主観性が、客観的に考えているにすぎず
人間は主観性から離れては、思考する事も、存在する事すらできないんだよ
何度、説明すりゃわかるんだ??
主観性から離れて思考できるもんなら一回やってごらんよ
人間は絶対に『私』から離れては、何にもできないからさっ
常に『私』という主観性の枠の中にいて、絶対にそこからは出る事はできない
それぐらい常識だろ
>>362 『私』という主観性を持った、自我が存在するから区別できるようになるんだよ
自我が本体なら区別出来るようにならんよ、区別するのが自我なのに「できるようになる」
のはおかしい、もし本体なら最初から出来るんだよ、
そのバカ仮説が本当なら自己のアイデンティティで悩むやつなどいないよ、
それが客体であり、常に変化し、再構成されあやふやであるからこそ人は戸惑い、自己を求めなやみ
探求するんだろ、自分の自己を証明してみせようとするんだろ、最初から持ってる者を
証明しようとするやつがあるか? もしおまえの本性が自我ならそれは確定的なことであり
こんなとろこで書き込みする必要も無かろう、否、 人がそれぞれ模索している時点で本性なんかじゃ
ありえない
しかし、よかったな、私は私で、w w
371 :
s:2005/05/14(土) 17:03:28
>>369 これは独我論という古くからある考えだけど、では主観はどのようにして客観というものを確信しているのだろうか。
あるいは、「私は私である」という自同律が成立しない分裂病患者をどのように理解すればよいのだろうか。
答えは簡単。
主観は間主観的に構成されるから。
自同律=
そういのを自己同一化といいます
それ(自我)を自分と思ってしまうんでねぇ
373 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/14(土) 17:28:02
>>370 人間が生まれた時から成人していると思ってる人かな?
言葉も知らない、思考能力も弱い赤ちゃんが
なんで自我を認識しているかどうかなんてわかるんだよ
自我意識があるかどうかなんてのは、自覚の問題だけであって、思考技術の成熟度によるものだろう
大人と同じで赤ちゃんAは赤ちゃんAであって、赤ちゃんBになったりしないと思うよ?
キミが言ってる事は本当によくわからん
>しかし、よかったな、私は私で、w w
キミはキミじゃないのか?
「私」から離れて、他人にもなれると???
>>366 ん?
言ってる事がよくわからんが
キミにも言えるが
キミはキミじゃないのか?
キミは自存するのではなく、他によって存在すると?
では、他が存在すればキミが存在するのかね?
しかしキミは生まれる前には存在しなかったのではないのかね?
では、キミが存在する他による原因的根拠とは何かね?
>>371 「私が私である」と自覚できない人の気持ちはわからないが
それは自我意識というか、認識能力という基本的な精神活動に支障のある精神病の人の事だろ?
私という存在は存在だよ
それを認識できる出来ないは、関係がない
374 :
s:2005/05/14(土) 17:36:25
「私は私である」
ここで述語として使っている「私」は、学生である私、音楽を趣味としている私、弟である私といった様々な役割関係にある「個別的な私」。
主語として使っている「私」はそのような個別的な「私」を統括している「普遍的な私」。
「私は私である」という言葉をぼくらは自明のごとく前提としているけれど、実は個別的他者経験の歴史的同一性として「普遍的自己」が成立すると同時に、普遍的自己が成立していることを前提に「個別的自己」が確認されるという構造をもっているわけです。
このきわどい関係性のことを「自己同一化」というんですよね。
375 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/14(土) 17:52:34
>>374 キミは
他の誰でもない
他ならぬ、キミという存在ではないのか???
他人など関係がないだろう
他人が100人でも1人でも0人でも「私」に何の影響があると言うのか・・・
私は、他ならぬ私であって、それ以外の何者でもない
他人がいなければ、他人を認識できないだけで
私が私であり私という主観性からは、出る事ができない事に変わりはない
もしかして、精神病院とか、通っておられますか?
376 :
A:2005/05/14(土) 18:04:00
意識現象を知覚現象としてとらえたときに、
意識に表象されるもろもろから、
認識主体・認識対象という認識の形式を取り払う
ことができなくなる。
もちろん意識の中の自分探しをしてみると分かる通り、
純粋に自分といえるもの、認識主体などというものなど
どこにも発見できませんね。
認識主体は形式上の概念にすぎません。
一方、自我とは気分の一種と考えられます。
気分とはすでに感じているからこそ気分なので、
気分そのものは認識主体と認識対象という
二つの要素から構成されているということになり、
したがって自我には他者(認識対象)が、形式上
含まれることになります。
377 :
s:2005/05/14(土) 18:07:26
>>375 「私」は親や友人、音楽、映画、哲学書など様々なものから影響を受け、時代や国からも影響を受けて自己を形成してきた。
多分江戸時代に生まれいたら全く別の「私」が形成されていただろう。
ところが、いったん「私」が形成されてしまうとそのような来歴を忘却してしまい、「私は私に他ならない」という独我論に陥ってしまう。
精神異常と呼ばれる現象は、ぼくたちがいつのまにか独我論に陥っていることを教えてくれる。
君は自分がしゃべっていることを100%オリジナルなものであると思っているか。
自己とは複合化された他者のことだ。
自己について語るなら心理学や精神病理学の基本くらい勉強しておけよ。
378 :
Я:2005/05/14(土) 18:14:23
エゴとしての自我(ego [selfishな])は植物で言う成長点に似ている
生命その物の存在継続のために必要とされる事を成す
殆どの人間の自我はDNAによってまた生命として屈服された状態にあり
コントロールされているともいえる
つまり仏教キリスト教で言う「この世のことばかりに気をとられて」という状態である
一度人間存在としての自我を超えた自我の宇宙線に乗って宇宙の果てまで行って生命人間の自我を見てみよう・・
わたし
私
自分
自己
自我
自我意識
自己意識
主体
我
etc.
これらの意味が曖昧なまま、しかも好き勝手に使用するから混乱するんでしょ
エスペラントじゃないけど
みんな共通の使い方ができるよう、ちゃんと定義したら?
>>374 何を持って私の独自性を語るんだ
お前が言っているわたしとは、思考が始めに
獲得した私と言う認識の総体だまだわからんのか
自我の独自性と意識とは別なのだよ
知覚する者は常に見る者であって
見られている自我がある以上、自分(本体)
とは別物であるに決まってるだろ、、
×
>>374 → ○
>>375 何を持って私の独自性を語るんだ
お前が言っているわたしとは、思考が始めに
獲得した私と言う認識の総体だまだわからんのか
自我の独自性と意識とは別なのだよ
知覚する者は常に見る者であって
見られている自我がある以上、自分(本体)
とは別物であるに決まってるだろ、、
382 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/14(土) 18:58:04
>>379 確かにそれはあります。自我意識について考察しているのか唯我について考察しているかで討論もズレがちですね。
383 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 19:00:42
384 :
ユマ ◆HVwE1VVfFw :2005/05/14(土) 19:10:10
>>381 >知覚する者は常に見る者であって
>見られている自我がある以上、自分(本体)
>とは別物であるに決まってるだろ、、
でもなぜか、見る自分と、見られる自分って
繋がってるんですよね
何が自分を結合させてるのでしょうか
それは自我への執着ですね
それはあまりにも根深く密接なので
わたしはわたしという馬鹿な発想に帰結するのです
386 :
愛浦憂馬 ◆HVwE1VVfFw :2005/05/14(土) 19:17:58
>>385 >それは自我への執着ですね
確かに、執着を捨てたブッダのような人は
「私は私でない」というような、無私の境地に至りますね
(哲学とは違うかもしれませんが)
執着って一体、何に執着してるんでしょうか
始めからないものに、執着してるんでしょうか
意識に対して自我と言う認識が生じた瞬間だろうね
もっともその前に自分のボディ(体=乗り物)への執着が先ですが
388 :
愛浦憂馬 ◆HVwE1VVfFw :2005/05/14(土) 19:31:56
>>387さん
ということは
自分から執着がなくなれば
「外側の自分」と「内側の自分」が離れて
別々のものになるのでしょうか
執着以前に、自然的に
「認識する自己」と「認識される自己」が結びついているような気もするのですが
(たとえば、何の執着もなくても、自分が右を向けば右が見えるし、他人にも右を向いたように見える、というような)
執着は死ぬまで続くからね
ただ、寝ている間一瞬ではあるけど純粋な意識に戻る瞬間がある
もちろん起きた時は自己への認識が無いときなので空白の時間
と感じるけど
起こったことは無いだろうか、寝ていて起きたある時、自分が
誰か寝る前何をしていたか、そのときひっしにかき集めはしまいか
自己の断片を
390 :
愛浦憂馬 ◆HVwE1VVfFw :2005/05/14(土) 21:21:37
>>389 さん
つまり、自己において「根源的なもの」が執着で
それが内面と外面(二つの自己)をつないでいる、というわけですね
確かに、寝ている間は「見る側の自分」と「見られる側の自分」
のつながりが薄いと思います
「空白の時間」じゃないのですが、睡眠中に夢を見ているときも
「自分が見ている夢のヴィジョン=認識する自分」と
「寝ている体=認識される自分」は別物で、関連性がないですね
寝ている間の「空白の時間」は、死と同じかもしれません
つまり、自分の根源的な執着がなくなるとき、死ぬときが
「二つの自分」が離れるときなのでしょうか
そしてまた目覚めたときに
執着が「私」をつなぎ合わせるのでしょうか
とすると、執着が自己をつなぎ合わせている理由って、何なんでしょう
それと、その結合の度合や、性質といったものはどんなものなんでしょうか
391 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 21:26:51
君も無我の境地を会得してテニスの天才になるんだ!
392 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 21:30:18
撲落他物にあらず
死ぬまでに自分の欲求を使い果たせなかったんでしょうね
(悔いが残ってしまった)
だから再び乗り物が欲しいと思うのではないでしょうか
そして今度こそは欲求を叶えたいと思うのではないでしょうか
宗教チックになりましたが
意識が欲求に結びつき(出会い)それを実現出来る体に執着
し始める気がします。
394 :
愛浦憂馬 ◆HVwE1VVfFw :2005/05/14(土) 22:01:46
>>393 さん
そうすると欲求とは
「生きる意味」だとも言えると思うんですが
「執着によって結合した自己=現実世界の自己」にしてみれば
それが善なのでしょうね
「現実世界での欲求を叶えようという執着が
現実世界での自己を生み出し(連結させ)、目的を達成しようとしている」という風にも取れます
とすると、現実世界での「私は私である」という観念は、目的にかなったことであり
そうでない純粋な世界からは、欺瞞なのかもしれません
395 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 22:13:41
赤肉団上に一無位の真人あり
>>394 その目的を全うすることが
いってみれば善(義務感なしの使命(天命))なんでしょうね
いかに激しく最後まで燃やしきってしまうか
燃えきった後、欲求はなくなり無へとくつろぐ
のでしょうか
欲求は我々を自我たらしめる
贈り物と捉えるべきでしょう
それを抑圧する宗教が存在するから
抑圧された欲求は本来とは別の方向
負のベクトルへと流れてします
文明、文化は成熟とともに人から
快感、欲求(本来は贈り物)を取り去って
きた、便利さと引き換えに贈り物を蔑ろ
にしてきた
意識とは多くの場合、原初の光として認識される、
それが粒子として存在しているかということ
ではなくて感覚器官が人が認識出来るイメージ
へと変換してくれるみたいだ、その間に存在する
のが微細な、気分、感情、記憶、愛情の層
意識はそれらの層の全観を自我イメージとして
とらえ多くの人はそれと結合している
これら有限界の根底にあるの(あるという表現はおかしいが)
がアンチテーゼとしての無
398 :
愛浦憂馬 ◆HVwE1VVfFw :2005/05/15(日) 00:27:04
>>396 さん
欲求が目的であって
自己がそのために存在して
目的が達成されたら、無に帰る
目的が一回達成的なものであると仮定したら
そういうことなのかもしれません
そういうイメージも心地よいと思います
とすると、自己の目的とは(やがて自己が消滅してしまうので)
自己の「外側」にあり、執着も欲求もみんなそのためにある
ということになりますけど
でも僕は「自意識」そのものも、意味的なものだと捉えています
399 :
愛浦憂馬 ◆HVwE1VVfFw :2005/05/15(日) 00:32:27
>>397 さん
欲求が自己の根源的な性質だということですね
しかし文明や宗教などは、普通の欲求に対して「より高い欲求」のために生まれた
とも取れるのではないでしょうか
たとえば、音楽とか、文学とか、哲学などの文明・文化が生まれたのも
より高い「欲求」のためだとも言えると思います
肉体的な感覚が自我のイメージを作っているということは
自分もそう思います
皮膚感覚とか、聴覚とか、感情とか
そういうものが集まって自己を作っているけれど
その奥側には「意識の核」みたいなものがあるんでしょうか
欲求と身体認識的記憶の総体
と結びついた意識が自意識、
わたしがある、わたしはわたしだ
と感じているものでしょう
ひとを基準に考えると自意識を
わたしの単位としてしまっても
おかしくはないですね
音楽とか絵画そのた人間がつくりだした美しき
ものは天命を全うした欲求でしょうね、
ただそれらを抑圧する教団、宗教があったのは
たしかです、世の中にクリエイティブな牧師が
どれだけいることか、それら歪んだ欲求は天命を
全うすること無くぐるぐるといつまでものこりつづ
ける、たとえば罪悪感の残った欲求はずっと心に残って
後味悪いものでしょう、それらは歪んだ抑圧された欲求
であるがゆえ手放すことが出来ないのです
意識こそが核であり全てを知覚し、観ているものだと
感じますが
>>400 総体的なもの、色々ごちゃごちゃと集まったものが
「私」だという感覚があります
議論してゆくと、だんだん「私」が定義的になるように感じますね
「これ」は私かな?「あれ」は私かな?というように
すると「私が私を私ととらえる概念」が揺らぐようにも感じます
「私」に対しての「私」の観念は、絶対ではなく
思考の観念的な状態にも左右されるのかもしれません
つまり「私が今、私だととらえている、私の状態」が「私」なのでしょうか
403 :
愛浦憂馬 ◆HVwE1VVfFw :2005/05/15(日) 01:55:52
>>401 わずかな例を除いて、文明が悪い抑圧になってしまっているということでしょうか
しかし、原始時代に比べたら
高度な欲求が達成できるようになっていると推測は出来ます
善悪の度合いの計測は難しそうですが
1.「目的」のために「欲求」があるのか
2.「欲求」そのもののために「欲求」があるのか
つまり「目的そのものを欲求として感じている」のか、どっちなのでしょう
欲求の達成自体が目的の場合は、欲求(と自我)は果てることなく続いていきそうです
404 :
考える名無しさん:2005/05/15(日) 01:57:10
自我の総体としてのわたしであるなら常にそうだと思います
405 :
考える名無しさん:2005/05/15(日) 02:05:59
最終的に欲求の対象はわたしは誰かという問いになる気がする、いろんな欲求を達成したあと知りたいことは自分だけになるのではと、欲求は自我がただの寄せ集めであることを悟り燃えつきるんじゃないかと思っています
406 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/15(日) 02:14:23
欲がなければ生命を保てない。
これ自体がすでに「業(カルマ)」です。
407 :
愛浦憂馬 ◆HVwE1VVfFw :2005/05/15(日) 02:26:52
>>401 >>意識こそが核であり全てを知覚し、観ているものだと 感じますが
そうですね、意識がなければ、ものが見えたりしません
しかし「私」が「意識」に支えられていて
「意識」が「肉体の感覚など」に支えられている限り
頼るものがないと「意識」も存在できず
意識がなければ「私」も存在できないのでしょうか
そういう意味で「意識」が「私」を支えていると考えると
何か「究極的な私」が存在する、という思いにとらわれるのですが
つまり「意識」や「欲求」さえも持つことが出来る
「私」の芯のようなものがです
と思いますが、実際的には自己の核は意識であると思います
408 :
考える名無しさん:2005/05/15(日) 02:28:03
それをカルマととらえるか贈り物ととらえるかです、キリスト的、ヒンズー的自己否定か、自己せいていか、呼び方だけの違いですが
409 :
考える名無しさん:2005/05/15(日) 02:32:10
実際に意識は何かに向かって、拡大、進化してそうに思えますね
410 :
愛浦憂馬 ◆HVwE1VVfFw :2005/05/15(日) 02:34:01
>>405 自分の欲求(問い)が、最終的には
自分を壊す、自分をばらばらにするということでしょうか
とすると、「自分が自分でないことを知るために欲求する」
つまり「自分の存在」は「自分でないことを知るため」にある
ということでしょうか
とすると、そこにある意味性とは一体、何でしょうか
(欲求と自己が燃え尽きる、そのイメージの意味は
心では感じることが出来るような気がします)
411 :
愛浦憂馬 ◆HVwE1VVfFw :2005/05/15(日) 02:36:59
>>406 >>408 自分もそれは呼び方の問題であると思います
欲求が「罪」なのか「善」なのか「普通」なのかということは
意味をあとづけすることだという気がします
基本的欲求が罪であれば、生きることが罪、命が罪だ
という原罪の考えになりますね
412 :
考える名無しさん:2005/05/15(日) 02:48:14
自我は私でないことを悟り、自己は解体され、純粋意識に帰るのでは、
413 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/15(日) 04:14:02
私は私
何でこんな簡単な事が理解できないのかなぁ・・・
気が狂ってるとしか思えん
>>377 >「私」は親や友人、音楽、映画、哲学書など様々なものから影響を受け、
>時代や国からも影響を受けて自己を形成してきた。
だから!影響を受けてきたのは「私」なんでしょ??
>多分江戸時代に生まれいたら全く別の「私」が形成されていただろう。
私だったから私であったのであり、江戸時代には私は生まれていなかったから私はいなかったんじゃないのかい?
全く違う影響を受けた私であっても、それが私なんだったら私なんだよ
私でないなら、それは他人だ
いったい何を考えてるの???
もしかすると、みんな私に反発しようとするからヘンな方向へ逝っちゃうのかな?
私は登場しない方がマシなようにも思えるな・・・
>>378 >一度人間存在としての自我を超えた自我の宇宙線に乗って宇宙の果てまで行って生命人間の自我を見てみよう・・
人間は人間である限り、自我を超える事はできません
宇宙の果てまで行くのも私であって自我です
生命人間の自我???わけわからんけど、何を見るのも 私であって自我です
414 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/15(日) 04:22:36
>>378 >一度人間存在としての自我を超えた自我の宇宙線に乗って宇宙の果てまで行って生命人間の自我を見てみよう・・
人間は人間である限り、自我を超える事はできません
宇宙の果てまで行くのも私であって自我です
生命人間の自我???わけわからんけど、何を見るのも 私であって自我です
>>379 定義しようにも、どう説明したって理解できない人がいるんだから定義できないんですよ
そういう性質のものです
理解できている人どうしで、初めて定義を定める事もでき、有効なものとなります
それまでは、あらゆる手段を使って、まず自我というものの本質を気づかせる事が必要なんです
>>381 >自我の独自性と意識とは別なのだよ
そうだよ?しかし
>わたしとは、思考が始めに
>獲得した私と言う認識の総体だまだわからんのか
これは、おかしい
認識しているというのは私の精神活動であって、常に私が基点になっている
私が認識している状態が正しいものであるかどうかは別の問題で、私の思考は、常に私の思考であるという事は揺るぎない事実
思考の総体ではなく、思考する という動詞のの主語であって、思考の主体だよ
思考というものは「私」を離れては、ありえない
できるもんなら一回、「私」を離れて思考してみなさいよ
それを思考しているのは、どこまで行っても、他ならぬキミなんだからさ
どこまで行ってもキミはキミである限りキミであって、私は私だ
思考の基点が「私」
415 :
考える名無しさん:2005/05/15(日) 04:24:37
ひょっとして哲学者最高位がじゅんなのか?
416 :
s:2005/05/15(日) 09:45:17
おはよう!みんながんばってるね!
>>413 A:「自己」はアプリオリに存在している。
B:「自己」はアポステオリに構成される。
こういうふたつの考え方がある。
そして君はBの考え方が理解できないと表明している。
しかし「自己」は構成されるものであるからこそ、その構成に失敗した精神病や知的障害が存在する。
今日はこれから寺山修司の「奴婢訓」を観にいってきます。
諸君、書を捨てよ、街にでよう。
417 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/15(日) 12:07:37
>>416 キミも自我と自我意識を混同している
自分を認識する作業が自我だと思っている
しかし、認識作業をするのが、自分という自我であるという アホみたいに基本的な事を見落としている
その作業がうまくできない人が、いわゆる精神疾患なのだろうが
その作業が、できるできない と自我の存在性とは関係がない
確認できるかできないかという技術的な違いだけだ
アホみたいな事を、何度も説明させないでよね
418 :
考える名無しさん:2005/05/15(日) 13:47:16
大脳連合野の機能で生じるのが自我ですよ
419 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/15(日) 14:00:25
>>418 自我意識ではなく、自我が生じるんですか?
では私の死後、今の大脳連合野と同じものを作る事ができたら
私自身、私本人が、生き返る事ができるのですか?
生きてる最中に、もう一個同じものを作った場合は、どんな具合になるんですか?
もしかして4つの目から、ものを見る事ができたりとかするのですか?
いいかげんに、しなさい!←山田花子風w
>>、おかしい
>>私の精神活動であって、常に私が基点になっている
私が認識している状態が正しいものであるかどうかは別の問題で、私の思考は、常に私の思考であるという事は揺るぎない事実
思考の総体ではなく、思考する という動詞のの主語であって、思考の主体だよ
思考というものは「私」を離れては、ありえない
できるもんなら一回、「私」を離れて思考してみなさいよ
それを思考しているのは、どこまで行っても、他ならぬキミなんだからさ
どこまで行ってもキミはキミである限りキミであって、私は私だ
>>基点が「私」
そうではない、その精神活動を知覚している核が必要だ
私を観ているその背後にあるもの
私自体が核でそれを認識する核が無ければただの自立型のプログラムに
すぎない、わたにを認識するにはそれよりも大きな核が必要不可欠だ
鏡はただものを写すだけで私という認識は無い、これは生体システムが
必要という前に認識する核=意識が無いからだ、常に認識されているものは
みられているものであり、客体に過ぎない、わたしという認識にもとすく
からだも思考も自我もだ
>>409 進化の過程から見ると、そういう予測が立つかもしれません
まだ生命が単細胞生物だった時代は、意識なんてほんのわずかなものだったでしょうからね
そういった生命の過程から見ると
自己(意識)を持つことが必要だった
よって意識が生まれ、拡大した
これからも広がり続けるだろう、と予測できそうです
>>419 自我意識ではなく、自我が生じるんですか?
また君が同じ乗り物に執着すればね、
しかし、いくら服を着替えても進化するとは
思えない、また言ってるんじゃないか?
私は私って、 そんな発想意識の存在を
気づいてない者の言葉だよ、まだ自我意識は
自我意識っていってるほうが利口だよ
423 :
愛浦憂馬 ◆HVwE1VVfFw :2005/05/15(日) 15:10:38
>>420 >そうではない、その精神活動を知覚している核が必要だ
>私を観ているその背後にあるもの
鏡が鏡を写すように
「私」が「私」を写しているから
自分が万華鏡のように写って
矛盾(的な気分)が生じるんではないでしょうか
全ての存在には意識は存在するが
人のように自我を認識するにはいたっていない
ちょうど微風に吹かれる木の枝のように
無意識で眠っている、
人であるからといって全てを意識している
訳ではない、ときにはいろんなものに
こころを奪われ、それと同化してしまう
そのものと離れて認識出来ることにおいては
進化の可能性はあるのだろう
>>423 そのたとえは近いけど結局
その鏡を知覚しているものが
あるってことだね
426 :
愛浦憂馬 ◆HVwE1VVfFw :2005/05/15(日) 15:38:59
>>425 そしてその「知覚の核」は
知覚の主体であるがゆえに
(それ自体の存在は)知覚出来ないということでしょうか
(知覚の主体が知覚できたら、それをまた知覚する芯が必要で
絶対の知覚の芯がなくなってしまうので)
427 :
考える名無しさん:2005/05/15(日) 17:16:09
「対象化された“者”」に対しての「対象化という“事柄”」。
例えば、視覚であれば、感性的体験は常に一人称的事柄(つまり側面的―刹那的同一性)だが、
それを突破して(感性的には体験されていない)立体物(刹那を超えた二刹那以上の同一性)として知覚する。
「側面的な感性的体験からの突破」が対象化という事柄であり意識。立体物が対象化された者。
ちなみに、やたらと唯物論及びその類型(唯脳論的考も含む)が増殖しているが、
脳はあくまでも対象化された側であって、対象化という事柄ではない。
初めから客観時間・客観空間・無数の主観達、そしてそのうちの1主観の脳という具合に、
客観が自明されている、フッサール的にいえば自然主義的態度。
哲学はそれらの形而上学的前提を還元(括弧入れ)したところから始まり、
それらの諸前提が「如何にして成立するか」を客観を自明せずに厳密に経験的に問うのであって、
それらの諸前提を自明するなら、他の板へ逝くしかない。
428 :
ずぶな素人:2005/05/15(日) 17:30:11 BE:8056122-
意識とか自我とかいう言葉を耳にする度に永井氏が言ったところの三つの
私とか言う話を思い出しますが、これ如何に・・・
あとはウィトゲンシュタインか誰かが言った、
(世界を)取り込んで、認識して、解釈して、行動して?
みたいな言葉。
話を広げたので、その筋の方、次ドゾ。
いくら「客観を自明視せずに経験的に問う」てみたって、
常識に太刀打ちできるような成果が上がらないんだから、しょうがないだろw
>>客観時間・客観空間・無数の主観達、そしてそのうちの1主観の脳という具合に、
客観が自明されている、フッサール的にいえば自然主義的態度。
フッサールかフットボールか知らんが
言葉遊び的に言えば1主観なんて言い方になるが
コアである意識にとってそれは常に観ている者であって
観られるものは客体化される、客体同士で論議するのなら
どちらが主観でも客観でも同じだろ、相互関係上に
ウィトゲンシュタインが言っているように
語られるもののみが語られるのであって
語れぬものは語られぬままだ
既知のもの(客体)のみが語られ
不可知なものは不可知なままだ
それらはわれわれの生体認識システム
を超え、全てに気づき観ている者だ
432 :
考える名無しさん:2005/05/15(日) 19:17:13
>>429 そうか、ではおまえには哲学は不要だ。「常識」的な別板へ逝け。
>>430 >フッサールかフットボールか知らんが
なら、むやみに投稿するな。
>「側面的な感性的体験からの突破」が対象化という事柄であり意識
なんでこれが意識と言えるのか。
意識自体は決して知覚されることは無い
ただそれ自身が何かを知覚している
対象がなくなればコアは純粋な気づき
の状態にとどまる
435 :
考える名無しさん:2005/05/15(日) 20:50:47
今出ている問題は賢い脳みその存在で全て解決すると思う。
437 :
433:2005/05/15(日) 21:04:46
438 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/16(月) 02:02:46
みんな考え方がヘンなんだよねぇ・・・
自分というものを、ちゃんとよ〜く観察してるのかなぁ・・・
精神性というものが、物理現象だという前提から抜け出せないから
正確に認識できずに、ヘンな方向に逝っちゃうんじゃないかな
>>420 自我とは、自分も含めた全てを客体として認識できる絶対的な主観性だという事だよ
当然ながら、私に関する動詞の主語は、全て『私』である
感じているとか認識するのも、考えたり思ったりとか思考するのも全ては結局『私』
核がどうのこうのと言ったところで、それを認識しているのは『私』であって、他の何者でもない
自我とは、『私』という主観性そのものな存在
核は、どこまで行っても『私』という主観性そのものな存在であり、すなわち『自我』だよ
439 :
& ◆fAu2w0c0FI :2005/05/16(月) 02:24:23
哲学者最低位考え方がヘンなんだよねぇ・・・
自分というものを、ちゃんとよ〜く観察してるのかなぁ・・・ 自我というものが、主観性そのものだという前提から抜け出せないから
正確に認識できずに、ヘンな方向に逝っちゃうんじゃないかな
440 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/16(月) 02:57:37
>>439 ん?
キミは主観性から抜け出す事ができるのかい?
私の自我は、主観性そのものだから、何をどうやたって抜け出せないんだけど、キミは違うの?
私の場合、抜け出した瞬間に、私は私でなくなってしまう
私が私でありながら、主観性から抜け出すって、どんな感じ?
説明してみて
441 :
考える名無しさん:2005/05/16(月) 03:12:31
>>438 で、何?
きみはあいかわらず何が言いたいのかわからないな
その「私」とは何なのかという話をしているのだよ
442 :
考える名無しさん:2005/05/16(月) 03:17:27
だれか最低位さんが理解できるように
説明してあげて、
443 :
考える名無しさん:2005/05/16(月) 05:41:16
つくられつくりつづける記憶
444 :
ネオ:2005/05/16(月) 07:16:29
記憶によって改ざんされる実在の数々
445 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/16(月) 08:30:39
>>442 了解しました。
最高位さん、「主観性」というのは唯一絶対的なもので、物理的に解明される訳ありません。
ではその「主観性」の「存在【理由】」が解明不可能ならば、「存在【根拠】」は解明できます。
それは【賢い脳みそ】があるからです。あなたは「主観性思考」から逃れられないとさっきからおっしゃっていますが、ここではっきり断言しておきます。
逃れられます。
なぜ逃れられるか?
それは「賢い脳みそ」を「破壊」したり、「賢くない脳みそ」にいじってみたら分かります。
そこには「意識」は存在すれど、「主観思考」は存在しません。同様に赤ちゃんの頃【賢くない脳みそ】もそうです。
そもそも「主観思考」とは【記憶】が前提です。記憶ができる状態(賢い状態)で初めて生まれます。
言っておきますが、「ここにある【みかん】が何故ここにあるのか、別の場所にあってもいいんじゃないか?」
という【問い】は解明不可能です。それは、【必然・偶然】という答えしか用意されていません。
しかし「みかんがどのように【ここ】に存在するに至ったか」は解明できます。
同じ事なんです。
446 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/16(月) 09:36:27
しかし、吐き気がするほどアホが多いな
>>445 主観性思考??
そんなこたぁ言っとらんが?
主観性だよ主観性
まだ自我と自我意識とかが完全に理解できていないようだね
主観性を主観性思考だと思い込み、主観性よりも思考という動作に話が移行してしまっている
ダメだなコリャ 全然わかってねぇな
思考しなくても、感じているだけで、それの感じは主観なんだよ
この主観の事を自我と言っている
賢くなくても、赤ちゃんでも感じているだろうから、それはすなわち主観性という自我を持った存在だと言えるわけだ
『私』とは、主観性そのもの
だから、主観性から逃れるという事は、『私』が消えること以外にはない
>>446 そういうことをAIが言い出したら、
貴方はそのAIの自我意識とAIに関連付けられている自我を認めるということでよろしいでしょうか。
448 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/16(月) 09:47:13
>>447 AIは、言い出さない
音が鳴る と言うべきだな
>>448 だから、最高位さんが書くような文章を、AIが書く事ができないとはいえないわけでしょ?
(できないことを証明できたら、それはそれですごいです)
で、書いてきたら、貴方はそこに、自我意識と自我を認めるかってことです。
NOであれば、少なくとも貴方の自我の説明は失敗しています。他人に通じるわけが無い。
450 :
ネオ:2005/05/16(月) 09:52:06
どうしても自我システムと意識を切り離して
考えられませんか?
451 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/16(月) 10:10:48
なんでキミ達は、そんなに表面的な現象にばかり目がいくのかなぁ
私が述べてるのは、本質だよ本質
人間の内面の本質
私の内面には、『私』という主観性そのものな存在性があるんだよ
キミ達には無いのかな?
何度も言うが、キミ達に自我があるか無いか なんて知らないよ
しかし私にはある
自我がない人間がいたとしても、それはそれで仕方ない
私とは違う人間だというだけの事だ
いずれにせよ、それによってAIに自我があるという理屈とは反対方向であって、決してつながりはしない
私の根本には、物理現象とは根源的な関係性のありえない『自我』というものがある事実だけでいいんだよ
他の人に自我がなくても、なんら影響はない
それが事実なら、独我論が正しいという事になってしまうだけだ
決して唯物論にはならないよ
私は、「みなさんにもあるんじゃないですか?ないんですか?」と言っているわけです
みなさんには自我、ないんですか?
>>451 >みなさんには自我、ないんですか?
AIが自分にも自我があると言い出しました。さてどうしましょう。
453 :
ネオ:2005/05/16(月) 10:25:50
自我もある、わたしとも感じる、しかし
それを知覚する意識があるということですよ
454 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/16(月) 10:29:07
>>452 あはは!
それ、気持ち悪いなw
論理的に考えて機械に自我などありえないんだけど
それっぽい動きだと、きっと心理的には認めてしまうだろうね
私の場合、動きもしない、お人形さんにでも情が移ってしまう事があるw
自分から捨てたりするのに躊躇してしまう時があるね
しかし、それとこれとは話が違う
論理的にいえば、単なる物理現象の集積である物体に、自我などありえない
ありえないんだけど、バーチャルだね
その時になれば、私も「こいつには自我があるんだぁぁぁ」と言うかも知れない
いや、多分言うだろうねw
しかし本当は、自我など 無い
455 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/16(月) 10:30:22
>>454 >論理的に考えて機械に自我などありえないんだけど
ありえます。人間も生命機械だから。
自我の数を考えたことありますか?
子供を沢山生んでいけば、人間の自我を観測できる数は無限に増えます。
原子を赤ん坊の形に積み上げれば、そこに勝手に自我意識が生じます。
自我を認識できる自我意識は、物質を適切な構造にすると生じるものなのです。
そしてそれに対応する自我とリンクします。ある意味、自我を観測できる数は宇宙において無限です。
あらゆる素粒子は、「自我」と呼ばれるものとリンクしています。
全ては「在りて在るもの」に到達します。
俺らはもう死の状態を一度体験してる。
生まれる前、お腹に宿る前を思い出せばそれが死の世界。
>>454 >私の場合、動きもしない、お人形さんにでも情が移ってしまう事があるw
>自分から捨てたりするのに躊躇してしまう時があるね
その感覚、感性は正しいものです。
その気持ちをもっと大切にしたほうがいいです。
>論理的にいえば、単なる物理現象の集積である物体に、自我などありえない
しかし、単なる物理現象の集積である人間の肉体に、自我がありますが?
460 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/16(月) 11:00:32
>>456 それは、勝手なこじつけなんだよ
わからない事は、わからない としなくちゃいけない
『私』に関しては、何をどうやったって解明される根拠などないんだよ
まさに、生命の神秘 としか言えないわけ
物理現象としては有り得ない『自我』というものが、単に機械である体を使っている と考える事もできる
少なくとも『私』は物理現象はもちろん、何をどうやったって解明されない
この事実は、揺るぎない真実なんだよ
それからね
蛇足だが、気持ち的な事を言えば
私は人間を作るためにSEXするのであって
機械を作るためにしているのではない
心だよ心
しっかりした人間になってもらう為に、一生懸命に教育したりするんであってね
自由意志によって間違えて不幸にならないように指導したりもする
特に人間は、単純な動物みたいに勝手に大人になるんじゃないんだよ
ましてや機械のように、切ったり張ったりして完成させれるものでもない
一応、重ねて言うけど、これは蛇足ね
461 :
ネオ:2005/05/16(月) 11:06:47
じゃあ自我が無意識な状態とはどういうこと?
>物理現象としては有り得ない『自我』というものが、単に機械である体を使っている と考える事もできる
もしそうなら、物理現象としては有り得ない『自我』というものが、
単に機械であるAIを使っている という事態があっても、
なんら不思議ではないと思いますが。
>>460 >少なくとも『私』は物理現象はもちろん、何をどうやったって解明されない
解明されます。究極的には「それ」を受け入れるかどうかだけです。
そもそも「解明」とは、そういうことの積み重ねで成立しているものなのです。
でも、最高位さんの世界では解明されることなく、そのミームは無に消えるのでしょうね。
神は理解しないものを排除し、無の世界に投げ込みます。
「ミーム」とは何ですか?
465 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/16(月) 11:24:10
>>458 大切にした方がいい?
大切も何も、クルマにだって情がうつって話しかけちゃうんだから仕方がないw
しかしキミは、ホントに宗教家だなぁw
私も宗教哲学が大好きで、他の宗教スレなんかでは、うるさく熱弁も振るうが、こういうスレでは一切言わない
ゴチャ混ぜにしちゃいけないからね
思想構築は結構な事だし、それが哲学の本来の方向性だと思うのだが、ごちゃ混ぜにすると論理性を欠いた、トンデモになっちゃうよ
>>463 これも宗教的発言が色濃いな
>>462 それが言えるのは、自我と肉体の関係性や、結局のところ『私』とは、いったい何者なんだ?という根本的な疑問などが解明されてからじゃないと、何の根拠もない
ただの空想だという事になる
466 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/16(月) 11:26:40
>>446 あなたが言っている主観性とは厳密に言うと主観思考の事です。それは最初からあなたが客観的な論理構築を否定している事から言えます
いやまさに現時点では自我と肉体の関係性がわからないからこそ、
「論理的にはAIにも自我が有り得る」とも
「論理的にはAIには自我は有り得ない」とも言えないのでは
ないでしょうか。断言するのはそれこそ「ただの空想」というものでは?
>>465 宗教も科学も、世界を探究してより良く生きるための手段に他なりません。
やり方が違っていただけで、究極的には行き着くところは同じです。
>これも宗教的発言が色濃いな
「論理的整合性の無いものは生き残らない」と言えば宗教色を消せます。単なる言い方の問題です。
469 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/16(月) 11:47:49
>>466 自我とは『私』という主観性なんだから、客観的に考えたって本質には至れないんだよ
客観的考察のポイントが違う
自我は完全な主観性なんだから、本当は完全な客観に立つ事が、私というものの本質の基本を理解できる近道ではあるんだけど
ポイントが違うんだなぁ
自分を排除した世界を想像してごらんよ
それが普通の状態だよ
今までの歴史でキミは存在しなかったんだからさ
今も、これからも、キミなんて存在しなくて本当は当たり前で自然だったはずなんだよね
でもキミ、いたでしょ
自分て、いったい何なんだ??と思わないの?w
もし思わないんだったら、完全な客観にも立てていないという事さ
アリんこの社会にはキミは存在しない
今までのアリ社会の歴史にも、これからもアリ社会にキミは存在しえない
これなら容易に想像できるだろう
しかし考えてみれば、なんで人間社会にキミはいたんだろうね?
そんな事とか考えた事ない?
私って、いったい何なんだろうか とね
私だよ私
なんで『キミ』は、いるの?
そこで、唯物論に従って、物理現象に、私が私であった根拠を求めてみる
しかし、そんなものは実は有りえない事は、何度も説明したよね
もとく君には、ぜひ『私』というものを解明してもらいたいw
んで説明してもらいたい
なんでこんなもんが、いたのかをね
470 :
Я:2005/05/16(月) 12:19:04
障害者の脳に電極を取り付けパソコンを動かすということが現在なされているようだが
もし機械的人口脳を作り脳を完全移植をしたとする。私はそのときまだ継続された意識、自我があるように思う
工学的発想によって作られた人口脳に足りないものは本能、想像力などであり有機的な能力やDNAによって作り出されているといえる
そうしたことでおそらく脳が自我を作り出しているとは言い切れないはずである
植物の1個細胞での全化分能性的な1個の人間細胞の中でも意識や自我が存在する事を感じれると思うが
今あなたの中で産まれた一個の新細胞の中だけに意識を向けてその自我の存在を感じてみよう・・
そこには母親の中にあった一個の受精卵から継続されているあなたというものがあるはずである・・
DNAに変容を帰さない限り1個体人間としてのあなたの自我意識は変わらない
機械に自我はあるのか?という疑問
物と語りだす危ない人間になるのでご注意をw
有機コンピューターというのは必要になるかもしれない・・
>>470 >本能、想像力などであり
これは物理現象なので、AIで可能です。
>そうしたことでおそらく脳が自我を作り出しているとは言い切れないはずである
脳が作り出しているのは自我意識で、自我意識が自我を認識できるのです。
自我は全ての素粒子、空間に遍在しています。
自我は「在りて在るもの」の一部、素粒子も「在りて在るもの」の一部、論理も「在りて在るもの」の一部です。
存在も、認識も、論理もすべて「在りて在るもの」に集束します。
人間が作った機械と、生命は複雑さのレベルが違うだけです。
複雑な機械を作れるようになれば、それは生命に追いつき、やがて追い越します。
472 :
Я:2005/05/16(月) 12:43:10
想像力→創造力でした
細胞分裂的な機械の自己増殖、変化などは現段階で機械と呼んでいるものには難しいと思います
>>472 >現段階で機械と呼んでいるものには難しいと思います
当然です。それが出来た時が人間(が最上位)の時代が終わる時です。
474 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/16(月) 13:05:46
>>467 うん そうだね
しかし唯物論者はAIに自我が発生すると断言しているよ?
なぜ、それに対しては反論しないの?
言える事はね
たとえば人間のコピーを作った場合とかに、動き出して自我を持っていたとしても
それは、「なぜだかわからないけど、そうなった」としか言えないわけ
物理的根拠など、どこにも有りえない事には変わりはないんだよ
物理的に特定できない性質が発生しているんだから、いずれにせよ唯物論は間違いなんだよね
実は、作れる作れないは、唯物論の破壊には影響ないのさ
自我が物理現象として発生しているのではない 無根拠に存在する存在性だという事実だけで唯物論は破壊できるんだよ
私の目的は実は、そこだけにある
あとは実は、蛇足なのよ
しかしなんだな
キミ達は電子部品にしか目がいっていないようだけど
人間は有機体であって、化学反応で情報伝達とかもしているわけなんだよ
なんでそれを無視してるわけ?
>>474 唯物論の「物」の正体は「在りて在るもの」なので、崩壊も破壊も不可能です。
汎神論と唯物論と決定論は「在りて在るもの」として融合します。
>なぜ、それに対しては反論しないの?
無論、「できる」という断言にも「できない」という断言にも
論理的根拠はありません。論理的には「できるかもしれないし、
できないかもしれない」というしかないでしょう。
>たとえば人間のコピーを作った場合とかに、動き出して自我を持っていたとしても
>それは、「なぜだかわからないけど、そうなった」としか言えないわけ
「人間のコピー」とは何のことかわかりませんが、普通に赤ん坊を
生むと動き出して自我を持ちますが、まさに「なぜだかわからないけど、
そうなった」としか言えません。
ですから、同じように、研究や実験の果てにAIが「なぜだかわからないが」
自我を持つことがあっても、特に不思議はないと思いますが。
ちなみに、科学の歴史において「なぜだかわからないが、そうなる」ことは、
珍しくありません。ほとんどその積み重ねだといってもいいくらいです。
唯物論云々は、特に興味がありません。率直に言えば、唯物論ー観念論の
対立というのは、あまり必然性のある構図とは思えません。
>人間は有機体であって、化学反応で情報伝達とかもしているわけなんだよ
そうですが、そのことと自我の関係は全くわかりません。
「有機体である物質からのみ自我が発生する」とか「自我が使うのは
有機体である物質のみで、それ以外は使わない」とか立証されれば、
AIには自我は有り得ないと言えるでしょうが、「自我と肉体の関係性は
解明されていない」と強調しているのはあなた自身ですし、どうも
理解いたしかねます。
477 :
考える名無しさん:2005/05/16(月) 14:34:47
>>437 意識作用が常に対象に超越しているということ。つまり突破だ。
視覚の場合なら、与えられている側面的「感覚」的体験を超えて
立体物を構成すること「知覚」すること。
478 :
考える名無しさん:2005/05/16(月) 14:35:23
あいかわらず自然主義的態度が跋扈してんな…。
客観時間・客観空間・その中に無数の主観達、
そのうちの一個人の主観や脳という具合に、
二元論的形而上学的常識を自明するなら、理系版とかだろ。
動詞(見る乃至考える)は変化するが、基体としての自我は変化しない、
というような類の考えがあるが、こういうことはいえない。
第一に変化しないものには作用(動詞)は成り立たない。
第二に動詞から離れても在り得て、様々な動詞が付随する
純粋な基体なるものは、抽象や想像の産物。
確かに我々が自我と錯覚する事柄(経験の統一性)は起っているが、
いかに自我っぽくても自我ではない。
479 :
ネオ:2005/05/16(月) 14:41:36
鏡が己自身を写せないように、意識もそれ自体は純粋な気付きとして
存在する、私が存在する太古からそれは変わらない、知覚出来るものとして
の限界が自我なのだからそれが主観だと感じるのでしょう
480 :
考える名無しさん:2005/05/16(月) 15:00:21
「気付きの“作用”」ってのは肯定する。
例えば「知覚」の場合、「知覚された者」に気付いているだけでなく、
「知覚」という認識の作用にまで我々は気付く、
だからこそ、「想像」とか「予期」とかの別の作用に変化させ得るわけだ。
だがその「作用」をいきなり「自我」だってのは、暴力的じゃねぇか?
まぁ自我の定義が問題かもしれねぇ。
だって「我々は」気付く、って言ってるじゃない。
482 :
ネオ:2005/05/16(月) 15:06:55
意識が自我と生体システム(思考)を利用して
世界をリアルなものとして認識しているのでは
483 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/16(月) 15:17:44
>>475 何度も言うけど、キミの言ってる事は、唯物論なんかではない
>>476 いえいえ
AIが、なぜだかわからないけど自我を持つ では困るんですよ
というか、自我を作るんだから、ちゃんと自我の構造が解明されていないと作りようがないのは当たり前の事です
でも、自我や主観性については解明のしようがありません
作って自我が発生する可能性があるのは、構造がわからない部分においても、とにかく同じに作った場合だけでしょう
その場合、やはり、ある意味、生命の神秘の枠を出ません
それから
有機体に作れば自我が発生するなどとは言っていませんよ
有機体で出来ているのに、電子部品としてしか考えていないのは何故ですか?という素朴な疑問ですよ
484 :
ネオ:2005/05/16(月) 15:25:35
神秘とまでは行かないけれど自我を観ている
目線のようなものは感じるんだけれど
485 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/16(月) 15:46:54
自我が生き物にしかないように思われがちですが
究極的にはあらゆるモノに自我はあります。
そして、矛盾するようですが
あらゆるモノに自我があると「真に」解かったならば
自我という世界(領域)は別のものに変わります。
唯識的には順序があるのですが。
宇宙物理学(ビッグバン理論)にも似たような世界観がありますね。
486 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/16(月) 15:52:04
487 :
考える名無しさん:2005/05/16(月) 16:28:53
意識はいまや科学の対象である。
哲学で意識を対象とするのは意味がない。
488 :
考える名無しさん:2005/05/16(月) 18:49:36
>>485 中観も唯識も自我を肯定するようなことは言わないと思いますが。
何に基づいてるんでしょう? 如来蔵系の匂いがしますが。
もう一つ。唯識にせよ、仏教一般にせよ、哲学にせよ、
ビックバンとかと安易に結びつけるべきではありません。
計度分別された側、五蘊の上に仮説された側、対象化された側、所分別の問題であって、
計度分別という事柄、五蘊という事柄、対象化という事柄、依他の問題ではない。
489 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/16(月) 20:08:20
>>488さん
あくまでも「イメージ」ですので。
如来蔵とは鋭いですね。
究極では自我は肯定されるものですよ。そうでなければ・・・
ここから先はお解かりだと思います。
490 :
ネオ:2005/05/16(月) 20:13:23
肯定される客体としての、認識さえ得る
自我ということですか、
>>483 >自我を作るんだから、ちゃんと自我の構造が解明されていないと作りようがないのは当たり前の事です
いえ、ですから現に自我の構造が解明されていないのに、自我は毎日のように
作られているわけです。
例えば医学や化学の歴史では「なぜだかわからないが、そうなる」ことなど、
むしろ日常茶飯事でした。特定の病気にある治療法が有効だ、とか、
ある物質と他の物質を一定条件で混ぜ合わせると新しい物質になる、とか。
その種の発見は何千年も前から日常的に行われていることです。それが
微視的に解明されきたのはごく最近です。今でも全く解明されていない面も
多々あります。「虫歯の本当の原因」でさえ、まだよくわからないと
いうのが実情です。しかし、虫歯を作り出すことは、非常に容易です。
自我についても同じで、(有機体と自我の関係がわからない以上)
有機体でできることが電子部品(や他の何か)でもできる可能性を否定する
理由はないのではないか、と言っているだけなのですが。それをなぜ否定
されるのか、理解できません。むろん、この場合は、現実に自我がある物質
(人体)の構造や機能をできるだけ解明して模倣する、というのが出発点に
なると思われます。
>作って自我が発生する可能性があるのは、構造がわからない部分においても、とにかく同じに作った場合だけでしょう
これまたよく理解できませんが、「構造がわからない部分」について
(構造的に?)「同じに作る」ことは不可能だと思いますが…
492 :
考える名無しさん:2005/05/16(月) 20:26:58
>>489 >究極では自我は肯定されるものですよ。
中観や唯識では仮説としてならともかく、究極的には肯定されないと思いますが?
何の論書でそんなことがいわれてるんですか?
無分別智/四智か如来蔵をそれだと考えてるんですか?
しかし如来蔵系に根ざした、例えば禅や日本仏教の主流等はおくとしても、
中観や唯識は(特に中観は絶対に)肯定してないと思いますが。
イメージだとしても飛躍がありすぎて、誤解を生みます。
>そうでなければ・・・ ここから先はお解かりだと思います。
分からないです。
493 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/16(月) 20:49:09
>>492さん
ここは哲学板ですからアレ」なんですが
それでは哲学で終わってしまいますよ。
494 :
ネオ:2005/05/16(月) 22:42:41
宗教哲学まで足を伸ばすと、意識は
どのような位置づけになっているのか
495 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/16(月) 23:50:53
>>469 >自分を排除した世界を想像してごらんよそれが普通の状態だよ
>今までの歴史でキミは存在しなかったんだからさ今も、これからも、キミなんて存在しなくて本当は当たり前で自然だったはずなんだよね
>でもキミ、いたでしょ自分て、いったい何なんだ??と思わないの?w
何故そのような疑問がわくのか。=主観(思考)のできるモノがあなたの頭蓋骨の中に入っているからです。
まったく同じ疑問は全ての事に当てはめる事が可能です。
それと、私はあなたの【主観性の説明】を教えているのであって【主観性のあるべき姿】を説いているのではありません。
496 :
考える名無しさん:2005/05/16(月) 23:57:24
徒労
497 :
考える名無しさん:2005/05/17(火) 00:21:39
定義:意識=自己認知
498 :
考える名無しさん:2005/05/17(火) 00:25:18
馬鹿どもは窮するとすぐ神を持ち出す ^^;
499 :
考える名無しさん:2005/05/17(火) 01:06:59
小脳の働きによる内部モデル
500 :
考える名無しさん:2005/05/17(火) 05:55:46
500 GET!
>>483 >
>>475 >何度も言うけど、キミの言ってる事は、唯物論なんかではない
私は素朴な唯物論だと思っていますが、
違うというのなら、新しい唯物論にします。超唯物論ってことで。
>AIが、なぜだかわからないけど自我を持つ では困るんですよ
別に困りません。AIを他人で置き換えれば無問題ということがわかります。
502 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/17(火) 12:42:53
>>501 何のために唯物論という言葉にこだわるの??
その趣旨をハッキリ知りたい
>>AIが、なぜだかわからないけど自我を持つ では困るんですよ
>
>別に困りません。AIを他人で置き換えれば無問題ということがわかります。
しかし話のできないというか、文章の読めないヤツだなぁ
ちゃんと、その後に、こう書いてるだろ
というか、自我を作るんだから、ちゃんと自我の構造が解明されていないと作りようがないのは当たり前の事です
と書いてあるだろ?
自我を持った機械を作るのに、構造も知らずに作れないだろ?と言ってるんだよ
構造も知らない人が、なんだかわからないモノを作って「これには自我があります」と言われても、困っちゃうだろ?って事さ
>>495 意味不明な文章だなぁ
>私はあなたの【主観性の説明】を教えているのであって【主観性のあるべき姿】を説いているのではありません。
??? 私の説明を教えるの??
意味がわからん
なんのために?
んで、主観性の、あるべき姿??
なんか倫理道徳とか??
主観性そのものについて語るのに理想論とかは関係ないのでは??
存在性なんだからさ
意味わからないから全然、会話できないよ
それからね
疑問がわくシステムを説明しろ となんて言ってないんだよ
キミには、そういう疑問はわきませんか?ととうているんだよ
んで、その疑問を唯物的に解明できるのなら、説明してみなさいと言ってるわけ
せめて会話ぐらい出来るようになろうよ ハァ(ため息
>>502 >何のために唯物論という言葉にこだわるの??
我々の世界は、神性がまずモノという存在として流出することで作り出され、
そのモノに付随する神性によって、認識、論理が再構築されているから。
汎神論であり、唯物論であり、決定論です。神は真に完全であり、すべてに遍在します。
>というか、自我を作るんだから、ちゃんと自我の構造が解明されていないと作りようがないのは当たり前の事です
>と書いてあるだろ?
>自我を持った機械を作るのに、構造も知らずに作れないだろ?と言ってるんだよ
自我は全てのモノに存在します。それを適切に積み上げることで、
無条件に自我リンクする存在が現れます。
504 :
ネオ:2005/05/17(火) 15:46:43
医療が発達して脳を丸ごと移植できたとして
自我は入れ替わったりするのかな、
自我を形成するには物質は不可欠だけれど
入れ替わったりするならば、それを超えた存在
自我を認知しているものがあるってことだね、
現代では不可能だけれど
505 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/17(火) 16:27:21
506 :
考える名無しさん:2005/05/17(火) 16:48:11
>>503 自我のようなものを持った機械がいたとしても、その機械が持つそれを自我と証明するには、
まず自我とは何かを知らなければならない。
>>504 脳を移植して自我が入れ替わったら、「脳=自我」ということでは?
むしろ、自我が入れ替わらないと自我が脳を超越してることになるのでは?
>>506 それは他人についても同じことでは?
>>507 脳=自我ではなく
脳またはその機能の一部=自我だろう
脳を入れ替えて自我が入れ替わらないとするならば、魂という言葉が浮かび上がってくる
>>506 お前は自我がないのか?あるなら証明してみろ。
510 :
考える名無しさん:2005/05/17(火) 18:08:16
>>509 お前は自我とやらいうものがあるのか。
あるならここへ出してみよ。
>504
脳をまるごと入れ替えるならば、
変わった脳が主導権を握るだろうって想像もつく。
じゃ、この場合はどう?
「二人の人間が、脳の半分だけ交換する。」
半身を求めて一つになりたがりはしないだろうね
514 :
ネオ:2005/05/17(火) 19:07:56
512
異なった(混乱した)自我が出来るんじゃないかな
私は誰? って
このことから自我の形成には脳(生体システム)
が不可欠だと思う、ただ意識はそれを超えた存在の
気がするのです
515 :
考える名無しさん:2005/05/17(火) 19:38:42
脳を入れ替えるとか全く同じ脳をつくるとか
出来もしない妄想を語るんじゃねーよ
妄想ことば遊びだ
出来てから考えろ
出来たら実験ですぐ答えがでるからよ
516 :
考える名無しさん:2005/05/17(火) 19:42:37
>>512 >脳をまるごと入れ替えるならば、
>変わった脳が主導権を握るだろうって想像もつく。
それは違うだろう。免疫系は脳が支配するのではないから
脳を移植しても自己免疫違反で排除されるのは移植された
脳となる。
517 :
考える名無しさん:2005/05/17(火) 21:03:12
まともなことを言うと嫌われます。
意識ってのは無意識で答えの出せなかった余りの部分さ。
無意識回路で答えの出せなかった極わずかなバグだ、
その極わずかなバグの部分のみを意識回路で思考する、
そして人間はその意識回路の部分しか認識出来ない、
その極わずかなバグの部分だけをクローズアップしているだけなのに、
それが自分のすべての思考であり、それが自我であり、それがすべてだと、
思い込んでしまってるのが人間さ。
520 :
ネオ:2005/05/17(火) 22:04:49
意識的に解決出来なかったことが
無意識に幽閉されていくんじゃないかな
どんどんたまっていって、何かの拍子に
ひょっと出たりして本人もびっくりする
521 :
考える名無しさん:2005/05/17(火) 22:08:38
自我=自己認知
譬えが幼稚で恐縮だが
あるおもちゃがあったとする。
おもちゃの中には小人さんが何人も居て、その小人さんがおもちゃを動かしている。
小人=脳内物質 小人さんの動き・働き=電気信号等脳内の物理(化学)現象。
この場合のどの部分を指して『自我』『自我意識』と呼ぶのか?
あるいは、『自我』『自我意識』の上位に位置するもう一つの自我があるのか?
最高位の『私』が何を指しているのかわからない。
なんとなく、おもちゃそのものを指して『私』『自我』と言っているように見える。
あるいは、禅で言う『本来の面目』を指しているようにも見える。
だとしたら、話が噛み合わない筈だw
523 :
考える名無しさん:2005/05/17(火) 22:14:13
>意識ってのは無意識で答えの出せなかった余りの部分さ。
無意識で答えの出せないことはない。意識は無意識で出した
答えが間違っていたことの修正手段でしょう。
無意識のまま行為が完了してそれでよいなら意識には上らない。
524 :
ネオ:2005/05/17(火) 22:15:22
本来の面目は自我(エゴ)を超えたものですよ
禅としてですけど
>>523 どっちにしろ、意識してる部分なんてのは極わずかな部分、
実際は意識などせずとも人間は動いている、
意識が認識する前に無意識が認識して活動してるのさ、
だけど、無意識で認識してる部分は、自分では解らない、
無意識で気づいてることは、自分では気づいていることも気づいていない、
人間は意識して気づいている部分しか気づいていると認識しない、
だから、人間は意識している部分が全ての世界だと思い込むのさ。
526 :
考える名無しさん:2005/05/17(火) 22:35:45 BE:72500966-
意識よりも、寧ろ無意識の方が殆ど。
もまいら、キーボード打ってみろ、いちいち、Aはここ、Zはこことか
意識しながらキーボードうってるかよ、ぼけ。
>>526 ・・・・・・・・・・・
打ってまつ・・・ orz
ん?無意識は意識全体の部分集合ではないのか?
529 :
ネオ:2005/05/17(火) 22:40:58
無意識も含めて自我ということで
よろしいですか
531 :
考える名無しさん:2005/05/17(火) 22:43:06
自分が「これが自分の無意識だ」
と認識しているものは「ナンチャッテ無意識」さ。
その無意識は、自分が意識した後に認識した無意識だから、
そんなものは「ナンチャッテ無意識」なのさ。
「真の無意識」は意識する前に認識している、
「真の無意識」は自分では認識出来ないのさ。
533 :
いっぱい引っ掛けた臨時ヒキコ:2005/05/17(火) 22:52:54 BE:56389474-
>>528 もまいらは、自分の中に起きた全ての事柄を知ってるのか?。
てか、理由のない事柄は、無意識とちゃうのか?。
例えば、ジャガー(車のな)のボディーのカーブは、(・∀・)イイ!! とか。
一体どこがいいんだよ。w
534 :
いっぱい引っ掛けた臨時ヒキコ:2005/05/17(火) 22:54:50 BE:42292073-
535 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/17(火) 23:36:19
>>529ネオさん
それでいいですよ。
>>526さんが言われるような感じですが
これは行動パターンですね。
これに似たように、無意識に「私が」「私に」「私の」という感じでしょうか。
「私がなんで」「私にしてくれる」「私のもの」
仮に、この私を「意識」して消すように四六時中考え、そのために行動したならば
どうなるでしょう。
>>492さんの言われる事も正しいです。
ただ否定で止まってしまっては・・・ですね。
536 :
考える名無しさん:2005/05/17(火) 23:37:20
>>533 直線を緩やかな放物線でそぎ落とした美だよ、田舎もんw
537 :
考える名無しさん:2005/05/18(水) 00:21:31
>>526 手続き記憶
動物でもあるもの
人間には宣言的記憶が重要
538 :
考える名無しさん:2005/05/18(水) 00:28:11 BE:64444984-
539 :
考える名無しさん:2005/05/18(水) 00:32:29
>>538 田舎もんにゃJaguarは荷が重いってことよ。
ヤマハの発動機にしとくんだな、
バリエーションもいっぱいあるどw
541 :
& ◆5pju30LRwo :2005/05/18(水) 00:47:36
流線型な車体の中には混沌とした
パーツがつまってるってことですよ
542 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/18(水) 02:00:43
人間は先に「自我意識」によって考え、行動します。
しかし、生活の中で「慣れ」てくると(車のギアチェンジなど)いちいち「自我意識」を通らなくても行動する事ができます。
これは、賢い脳みそが「合理的」に動いているからです。つまり、【無意識】に行動できます。
しかし、もちろん「自我意識」を通ってないからと言って「自我」が無いわけではありません。
「自我」という円の中に「自我意識」という円がある。という構図を思い浮かべれば早いでしょう
「自我意識」は「脳みそ」が賢くなって、初めて誕生します。
そして「自我意識」を通る事で初めて、「唯我という考え」が発生するのです。
これが発生しなければ「唯我論」は「存在論」となります。
以上が今までの考えです。
543 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/18(水) 02:14:04
>>542 すいません。書き忘れてました
追記
「無意識」の円の中には「慣れている為、より合理的に行動する」という種類の無意識や、
「生命的本能」による無意識(赤ちゃんなど)などがあります
後者のパターンは自我意識が生まれていない生命全てに発生します。
544 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/18(水) 05:37:39
>もとく君
>>505 キミのは根本的に間違えているから、基本的な事を教えてあげているんだよ
それが
>>469なわけ
『私』という事が理解できなければ、人間の内面は理解できないんだよ
ハッキリ言って、キミの分析は、哲学的には次元が低いんだ
自分なりに心理学的に分析しているんだが、その根本に『私』という哲学的な課題がある事に気づいていない
もちろん『私』というものは、科学的な疑問でもある
だから、わざわざ
>>469で、ていねいに教えてあげているんだよ
なんでこんな事を書くのか、ちゃんと考えてくれないと、私がバカみたいじゃないか
わたしは、この『私』というものを自我と呼んでいるんだよ
キミの話に合わせて話すと こうだ
自我というものを客観的に考えてみよう
たとえばアリが、実は賢い脳を持っていて、自己認識しているとして も
そこに『私』という概念があるのかどうかはわからないよね
自己認識している「機械」だ という事を想定しての発言なんだけど
こういう発想で、これを人間にあてはめて考察した場合には、キミの発言は正しく見えるかも知れない
しかし、私という人間には、『私』という概念があるのだよ
人間の内面には『私』というものが根本にある
正確に観察すると、『私』の活動そのものが精神活動であり行動であるという結論なんだよ
ならば、『私』を解明せずして、何がわかると言うのさ
『私』とは何者なのか という疑問を解かずして、精神など語れない
『私』を解明せずして『私』は作れない
『私』が作れなければ、精神は作れないんだよ
実は、『私』という究極的な課題に取り組む事が、精神を作るという出発点なのさ
多くの科学者は、そこに気づけていない
表面的なシステム、「動き」だけに目がいっている
「動き」を真似れば、精神が発生するなんて、大きな間違いだ
私は、そういう基本的な事を気づかせるために、ず〜っと同じ説明をしているだけなんだよ
しかし、みんなは頭が固すぎるのか、なぜか理解できないんだよね・・・不思議だ
545 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/18(水) 07:10:33
>SY君
>>503 唯物論は、神を否定します
ただ(唯)、モノ(物)が存在しているだけで、それが全て
世界の根源は物質であり、それ以外の何ものでもない という一つの完成した思想です
だからキミは唯物論という言葉を使うべきではない
キミの思想は、『在りて在るもの』(神)が全ての事象を統制している世界で
その中で物理学を肯定しているにすぎない
だた、『私』という不可解な存在の、不可解さが理解できていないから
物理学を肯定しすぎて、人間の精神にまで物理学を持ち込んでいるにすぎない
または、とにかくAIを肯定したいがゆえに、ヘンにこじつけて、ヘンな思想体系を作ってしまっている
ある程度、おしいと思うけどね
緻密さに欠ける
だから論理性が低い
論理的飛躍が多くて、トンデモがひどいよ
546 :
没個性化されたレス↓:2005/05/18(水) 07:21:01
>>545 やれやれ、お前はバカだなあ。本当にバカだなあ。
お前は「私」も「自我」も何も分かってないのに、よく偉そうに
人に説教できるな。お前はまず自分を見つめろ。そして自分を
理解しろ。他人様に意見をするのは、それからだ。百年早い。
547 :
没個性化されたレス↓:2005/05/18(水) 07:23:07
>>545 お前は「私」など何も理解しちゃいないよ。まずは自分を理解しろよ。
548 :
考える名無しさん:2005/05/18(水) 07:29:22
ひでえスレだわな
549 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/18(水) 07:33:03
「私」も「自我」も解明できないものなんだよ
その事実があるだけ
その事実だけで、唯物論は崩壊するんだよ
人類は、その簡単な事を、論理性をもって説明する事ができなかったがために
唯物論対宗教 のような構図になっていた
だから宗教論では決定打が打てずに、唯物論が学術的、先進的 というイメージだったんだけど
私の登場によって、唯物論は、哲学的に破壊されたのさ
キミには「私」や「自我」が物理的に説明できるのかい?
だったら、ここでやってみてよ
「キミ」がなぜ今、存在したのか や
キミがキミであった物理的根拠を挙げてみてよ
550 :
考える名無しさん:2005/05/18(水) 07:53:12
最高位よ、まずお前は「私とは何か?」をよく考えることだな。
自分でしっかり考えてから意見をすることだ。
自分で自分を見つめない思索しない奴は、何を言っても欺瞞になってしまうよ。
自分さえ理解できていない人間が、人を説得できはしない。
今のお前は欺瞞と矛盾だらけだ。その矛盾を他人にぶつけているだけの腐った人間だ。
私とは何かを、よく考えてから出直せ>最高位
551 :
考える名無しさん:2005/05/18(水) 08:06:49
>私の登場によって、唯物論は、哲学的に破壊されたのさ
この人は本気なんですかw。それともネタ?
唯物派は手も足も出ないようです。
判定は、最高位先生の完全勝利だな。
>>550それ、お前自身の事じゃないのか?
>>551最高位先生は、ひとつの結論を出しただけで思考停止なんかしてないだろ。
批判する前に質問に答えてやれよ。
こじつけるトンデモ野郎なんかより誠実さを感じるし、俺は科学的手法だと思う。
>>552本気でも、間違いではない。
>>545 >ただ(唯)、モノ(物)が存在しているだけで、それが全て
以前からモノとは何かと聞いているのに、それには答えられてないですよね。
私は、モノこそが、『在りて在るもの』だと申し上げています。私の唯物論は汎神論なんです。
>『私』という不可解な存在の、不可解さが理解できていないから
この世に不可解な存在は、三つあります。存在、認識、論理。
こういった不可解さが存在自体が神の存在の現れともいえます。
意識して認識したものだけが全ての世界だと思い込んでる人間が多い。
このスレで「自我」がなんたらかんたらだと、
自分が認識できている世界が全てのように思い込んでるから、
そんな風に頭でっかちになっちまうんだよ、
自分が認識して理解しているものなど、ほんの微かな表面部分に過ぎないのに、
そんな微かな部分が全てであるかのように思い込み、あーでもない、こーでもないと、
難しく考え込み、その微かな部分である塵のようなものに、
自分勝手に妄想し、装飾品や付属品を取り付けて、なにもかも解ったつもり、
そういう奴は、自分が意識して認識し、自分の心臓を動かしてるつもりなんだろう、
無意識を認識できるつもりなんだろうよ。
556 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/18(水) 09:31:48
>>554 だからさ、キミのは唯物論ではないんだよ
唯物論という言葉を使うのは、やめなさいよ
唯物論というのは、キミの思想とは違う思想なんだからさ
不可解な存在が3つある?
存在?これは確かに不可解だ
論理?これは存在に付随するものだね
初めに存在ありきだ
存在に対する論理だからね
「存在するって、いったい何?」これが哲学的な究極の課題だと何度も言っているだろ?
認識?これは何を以ってして認識と言っているのかな?
物体は人間が認識するような認識はしない
物体と物体がぶつかって割れたり、何らかの反応をする
これを認識とするなら認識であるとしよう
これは単なる物質の性質であり、存在と論理に付随している
化学反応も同じだ、AとBが出会って何らかの反応を起こす
この時、AとBは互いに互いを認識しているという不可思議もあるとも言えるが、それは存在に付随した決まった物理現象だ
石ころが崖を転がり落ちる物理現象と同じく、決まった事が決まったように起こるだけ
すなわち存在には、決まった性質が、何故だかわからないけど、そう定まっている という不可解な事実があるのだが
AIが認識するというのもこの範疇だ
しかし、人間の認識は違う
人間というものは「私」という主体、『存在』だ
それがクオリアを感じる事によって抽象的な価値観へと変換する という認識方法を取る
「私」の存在性、そしてクオリア、抽象的な価値観
これらは、物質が物質として、なぜ存在し、そういう性質を持っているのか という次元の根本問題に匹敵する根本課題だ
すなわち、精神を作るという事は、キミが挙げた3つの不可解を解かなければ不可能なんだという事さ
キミの言う3つの不可解を内包しているんだから、これらをクリアしなければ、解明できない仕組みになっている
だから物理現象という次元ではない事は明らかで、精神の作成など、物理的に不可能だと言ってるんだよ
キミはFeという鉄の原子そのもの、またその素粒子、またその根源的な「存在」そのものを物理現象として、物理的に作り出す事ができるのかね?
人間とは、こういう宇宙の根本問題を内包した「私」という『存在』だという事だよ
557 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/18(水) 09:46:33
>>544 「私」が見えていない?「私」ですね?つまり自我意識の上にある「自我」ですよね?
このような説明すらできずに「私」?
だから今のところ「在りて在る存在」など色々「私」についてみんなで仮説を出しあっているところなんですよ?
あなたは「唯我論」と「自我の究明」がゴッチャになっているんですよ。
それと「在りて在るもの」の考え方があなただけ違う気がします
ただ私たちに食い付きたいだけの内容のない反論はやめてください。いっつも同じ事しか言ってないんですよ?あなたは。
「私がいる!私はモノじゃない!」と。
558 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/18(水) 10:01:37
>>557 相変わらず意味不明だなぁ
>「私がいる!私はモノじゃない!」と。
コレのドコが間違いなんだよ
モノに根拠がないんだよ
私は主観性という存在性そのもの
キミはキミだろ?
神と同じく、ありてあるものなんだよ
存在性そのものなんだよ
それをキミ達は、物理的に作り出せる と言ってるんだよ?
存在性そのものを、無から有を作り出す と言ってるんだよ
SY君が言ってるような、ありてあるものの一部じゃなく
ありてあるもの そのものなんだよ
そんなものが作れるかよ
>>556 >すなわち、精神を作るという事は、キミが挙げた3つの不可解を解かなければ不可能なんだという事さ
>キミの言う3つの不可解を内包しているんだから、これらをクリアしなければ、解明できない仕組みになっている
この三つは厄介なことに、それぞれが、それぞれを内包している。
合わせ鏡のように、フラクタルのように。
ところがこの再帰性こそが神のプロパティで、フラクタル的展開をすることで世界が生じた。
そのため、否応無しに神性が顕在化しするし遍在する。このフラクタル的な展開の特徴として、
・真実に辿りつくには無限が必要。どこまでも近づけるが、最後の神性がどうしても一点に残る。
・どんなものの内部にも再帰的に神性が現れる。出発点がどこでも真実に到達できる。
解明できない存在が、どういう形で解明できなくなっているのかわかればそれで十分。
最後は「在りてあるもの」を受け入れるだけでいい。
560 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/18(水) 10:05:26
>この『私』というものを自我と呼んでいるんだよキミの話に合わせて話すと こうだ
>自我というものを客観的に考えてみようたとえばアリが、実は賢い脳を持っていて、自己認識しているとして もそこに『私』という概念があるのかどうかはわからないよね
>自己認識している「機械」だ という事を想定しての発言なんだけどこういう発想で、これを人間にあてはめて考察した場合には、キミの発言は正しく見えるかも知れない
>しかし、
>私という人間には、『私』という概念があるのだよ
【しかし】?あなたは人間に当てはめてますよ?大体、アリにも【自我意識】が生まれないだけで【自我】はあります
>私という人間には、『私』という概念があるのだよ
そういう言い方をするのでこちら的にはあなたは【自我意識、自己認識】の事をいっていると思うんですよ
だから【自我意識の範囲】で説明すると、今度は【自我】の事だと言う。話にくいです。あなたは
>『私』を解明せずして、何がわかると言うのさ『私』とは何者なのか という疑問を解かずして、精神など語れない『私』を解明せずして『私』は作れない
>『私』が作れなければ、精神は作れないんだよ実は、『私』という究極的な課題に取り組む事が、精神を作るという出発点なのさ
だからその点ではあなたが言っている事と私のいっている事は結局のところ同じです。早く気付いてください
>多くの科学者は、そこに気づけていない表面的なシステム、「動き」だけに目がいっている「動き」を真似れば、精神が発生するなんて、大きな間違いだ
これです。お得意の飛躍です。誰も【動き】を真似ればなんて言っていません。唯物論的に言うと【モノを真似れば】です。
>私は、そういう基本的な事を気づかせるために、ず〜っと同じ説明をしているだけ
あなたは人を見下しすぎてあんたらは理解できてない!違う考えだ!とずっと思ってらっしゃるが、すでに二つぐらい次のステップにいっています
>>558 >ありてあるもの そのものなんだよ
>そんなものが作れるかよ
作れる。いや、作らされるという方が近いかも。
神が宇宙を作った。それは地球を作るため。
神が地球を作った。それは人間を作るため。
神が人間を作った。それはAIを作るため。
562 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/18(水) 10:16:58
>>558 >私は主観性という存在性そのものキミはキミだろ?
その【主観性】は【自我意識】の事です。その上に【自我】があります。
ではあなたに質問しましょう。【主観性】があなたそのものならば、寝ているときは主観性はありません。自分で感じれないからです。つまり寝ているときはあなたは存在しないと思っていいですね?
>神と同じく、ありてあるものなんだよ存在性そのものなんだよそれをキミ達は、物理的に作り出せる と言ってるんだよ?
【自我意識】はモノを真似て作れば全く同じ【自我意識】が生まれます。お互いが同時に【おまえはおれじゃない】と言いますが。
ただし、【存在性】はモノを真似ても無理です。存在性は【私】だけにあるものじゃないんです。
あなたは【私の存在性】だけしか見えませんか?
563 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/18(水) 10:17:48
>>559 何の解答にもなっていない
不可解さ、やっかいさを説明しているだけだ
神と同じ方法で、存在を存在せしめなければ人間を存在せしめる事はできない
すなわち作り出せないという事なんだからね
キミは神様と同じ方法で、宇宙を作り人間を作り、いわゆる存在を存在せしめる というのかね?
>最後は「在りてあるもの」を受け入れるだけでいい。
キミは、在りてあるものを、作る と言ってるんだぞ?
だんだんイライラしてきた・・・
『私』が物理現象なんだったら、物理的な技術的な説明をしてればいいんだよ
ふぅ
最後の最後で、全くもって、キミのは観念論になるんだよな
唯物論は結局、観念論には勝てないって事だな
564 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/18(水) 10:27:11
>>563 >キミは、在りてあるものを、作る と言ってるんだぞ?だんだんイライラしてきた・・・
SYN氏は言っていません。あくまで【自我意識(AI)】を作るです。自我意識が出来上がっても根本は【在りて在るもの】なんです。
理解できていないのがバレバレです。いつでも上の目線からさも理解しているように気取らないでください
>>563 >不可解さ、やっかいさを説明しているだけだ
「在りて在るもの」をもって、その存在を証明を完了するのと同じ。
論理構造に矛盾がないものは、それ自体が神性をもつ「在りて在るもの」の一部だ。
>すなわち作り出せないという事なんだからね
ある意味、人間は何も作っていない。神が人間を通してすべてを作っているともいえる。
>キミは神様と同じ方法で、宇宙を作り人間を作り、いわゆる存在を存在せしめる というのかね?
神は人間を通して、自己を再構築する。これが神の姿だ。
>だんだんイライラしてきた・・・
受け入れないことによる苦痛も、また神性の現われでもある。
>最後の最後で、全くもって、キミのは観念論になるんだよな
いいえ、唯物論です。
567 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/18(水) 10:32:32
>>562 アホ
寝てる時でも夢みたりな、ちゃんと活動してるんだよ
無意識であろうが何だろうが、私は私であるに決まってるだろ
起きても私は私のまんまだ
なんでキミらは顕在意識の『認識』とかにばっかり関心がいくんだよ
総合的に考えられんのかねぇ・・・アホだな
後半
私を真似て作るというが、私が理解できていなければ、どうやって作るの?
存在性や、主観性だよ?
仕組みは神様しか知らないんだよ?
じゃあ聞くけどさ
「存在するって、いったい何?」
私に反論するなら、まずコレに答えてよね
電子部品で、設計図で
存在性そのものを作り出すって言うんだから、答えられるはずだよね?
>>567 >存在性や、主観性だよ?
>仕組みは神様しか知らないんだよ?
知らなくても、全空間、全粒子、ありとあらゆるものに存在するから、そのまま使えばOK
569 :
ネオ:2005/05/18(水) 10:39:04
死んだらその私はどうなるんですか
570 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/18(水) 10:43:36
>>567 >なんでキミらは顕在意識の『認識』とかにばっかり関心がいくんだよ総合的に考えられんのかねぇ・・・アホだな
馬鹿ならそこに食い付くと思いましたが・・
では【認識】しなくても主観性はあるって事ですね?なら尚更、森羅万象全てに【主観性】はあります。
なぜ【人間の主観性】しか話さないんですか?というより分かってなかったんでしょ?意地はらずに認めてください
>「存在するって、いったい何?」私に反論するなら、まずコレに答えてよね
そこに逃げましたか、本当にチョコマカと逃げますね。最初は「存在性」は作れない!という論ではなく「主観性、つまり私そのものは作れない!」と言った論だったはずですが・・
ちなみにあなたが今発言するずーーーっと前から【存在性は解明不可能】と言っています。
まぁ、知ってて「これなら勝つ!」と思って言ったんでしょうね。。
確かに私的にはその問いには答えられません。
>>569 記憶や意志、自我意識は無に帰る。
自我は、あらゆる他人、生命、物質と融合し、在りて在るものに帰る。
いや、時間も存在しないのに「帰る」という表現はおかしいかも。人間的なイメージでの「帰る」
>>569 死んだら人間特有の意識回路というバグが止まるだけだよ。
どうも「哲学者最高位」さんはデカルト的な心身二元論を唱えている
だけのように思えますが。
574 :
考える名無しさん:2005/05/18(水) 11:01:30
なんで死んだ後が「死」であふれている世界だとか思ってるの?
そもそも「死」ってなにさ。知りたいなら体外離脱でもなんでもして悟ってみな。
俺は、所詮この世界が、「隔離された世界」でしかないと思ってる。
いいか?仮に、隔離された施設で、子供達がそこで生まれ、そこで育ち、そこで学ぶ。
そして世界は「ここ」しかないと思い込む。
しかし、ある年齢になると、子供は大人に、外の世界を知るため、施設から外の世界へ出ることになる。
外にでた子供は戻ってこない。それが掟だとしよう。
するとどうだ?残った子供達はどう感じる?
単純だろ。「有る年になると、殺されるのかも知れない」と思うんだよ。
今の世界って、それと一緒だろ?所詮隔離された世界の中で、ただ「あーだこーだ」って
思いつくまま考えてるだけ。外の世界に目を向けようとしない。
ってわけで、いっぺん外でてみ?
575 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/18(水) 11:21:58
>>564 自我意識が認識しているのは、唯一絶対な『私』という存在性なんだよ
どっちが先に存在するかと言えば、『私』なんだよ
自我意識とは『私』が自分を認識する作業の事で、自我意識が単独で存在するものではない
キミらは単独で存在すると思っているようだが
では、その自我意識は、誰の自我意識なの?
言うまでもなく『私』の自我意識だろ
しかしなんだな
キミ達は、結局のところ『私』という哲学的な根本問題が、理解できないという事なんだろうね
だから、わかりやすく何度も説明してるんだけど、知能ひくいの?
>>565 >いいえ、唯物論です。
アホだわ
>>568 存在性そのものってのは、組み合わせて作れるものじゃないんだよ
主観性ってのも『私』の仕組みが解明できないと無理
>>570 しかしキミは、そこまで行ったら究極的なバカだな
キミは夢を見たり、寝てる時に突付かれても何にも感じないのかよ
何か感じたら、それはキミが感じてるのであって、それは主観性だろ
森羅万象に主観性があるなんて知るかよ そんなのわかったらバカだろ
主観性ってのは自分にしかわからないんだよ なに考えてるんだ??
とにかく揚げ足とる事ばかりに関心があるみたいだけど、そんなんじゃ通用せんよ
>確かに私的にはその問いには答えられません。
答えられないなら、作れるなんて豪語するのは、おかしいんでねぇの?根拠がないじゃんか
都合のいいようにばかり話を逸らさないでさ
私は作れない根拠を挙げてるんだから、作れる根拠を挙げなさいよ
精神の本体は『私』なんだよ
私の精神は『私』を離れてはありえない
『私』が本質だ
なんでコレを考えないの?一番、大事な事だよ?哲学的にもさ
>>575 >自我意識が認識しているのは、唯一絶対な『私』という存在性なんだよ
それが「在りて在るもの」の本質です。
唯一にして絶対の存在が、自分自身を見ようとして世界が始まった。
>存在性そのものってのは、組み合わせて作れるものじゃないんだよ
>主観性ってのも『私』の仕組みが解明できないと無理
いいえ、組み合わせで作るものですよ。子供を作るのはその一つの手段です。
「私」を作るのではなく他人を作るのです。AIも他人を作るのと同じことです。
577 :
考える名無しさん:2005/05/18(水) 11:45:05
>575
主観性や私なんて、マンコ挿入中出しすれば作れるよ。
童貞の君には理解できないだろうけど。
578 :
考える名無しさん:2005/05/18(水) 11:47:49
まったまった。というか、どっちも正しいと思うよ。
でもさ、なんか、立ってる土俵が違うんでない?
自分がそういった考えまで至ったプロセスを示さないと、難しい事はなかなか納得してくれないよ;;
579 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/18(水) 12:30:46
>>576 キミ、へんな宗教を作ろうとしてるだろw
子供を作るというのは生命の神秘だろ
AIというのは電子部品で構成するんだから、構造が理解できていなければ無理なんだよ
精神というのは、唯一絶対な『私』の活動そのものなんだから、構造の解明なんて不可能だ
何度言ったらわかるんだよマッタク
>>578 新参の人かな? まぁ簡単に説明してみましょうw
私が自分の哲学に至ったプロセスは、何度も言ってるけどね
もともと私は、バリバリの唯物論者だったけど、常になんとなくひっかかっていた事がある
人生の指針として、それは正しいのか という事
人間の本質的な価値は、その辺に転がっている石ころと何ら変わることのない という事
本質的には物体と同じで、それ以上でも以下でもないんだという事
子供の頃から、哲学的な疑問を常に持ち、自分の存在性に対する疑問を、持っていたしね
それは
>>469に書いたような事だね
(あと今日の書き込みとかを、ゆっくりちゃんと読んでもらえれば、だいたい理解してもらえると思います 簡単に書いたからね)
ある時、自分の存在性が、物理的な要素でない事に論理的に気づいたんだよね
たとえば、自分と物理的に全く同じに、もう一つ体を作ったとしても、それは私ではない とね
それによって、私が私であった根拠が、物質によるものではないという事が決定的に判明した
「おぃおぃ、 オレがオレであったのは、この体だったからじゃないじゃないかよぉ!この体の要素にオレがオレであった根拠などドコにもないじゃないかよぉ」て事
もし、私という存在に気づかずに過ごしていたら、いまだに唯物論を信じていただだろうね
私というものがいなくて、他人ばかりの世界なら、唯物論でも穴は見つからないかも知れない
しかし『私』というものが存在する以上、決定的に唯物論では説明がつかない
特に『私自身』が物理的要素で決定されているのではない という事実は
私や人間の価値観を、根底からくつがえすものだ
だから私は、唯物論は人生の指針としての思想としては間違いだと言っているわけ
物理学は物理学として存在すればよい
哲学の分野に入ってきて人生観にまで言及するのは間違いだという結論
AIは作れない、とかいうのは、ついでだよついで
>>579 >子供を作るというのは生命の神秘だろ
物理現象であり、神秘でもあります。
>AIというのは電子部品で構成するんだから、構造が理解できていなければ無理なんだよ
人間が細胞からできているように、AIも電子部品という細胞でできるだけです。
自我は物質に質量があるのと同じで、勝手についてきますから何も心配はいりません。
質量を解明しなくても質量はついてきます。
>>579 ??
「自分と物理的に全く同じに、もう一つ体を作ったとしても」それは
「この体」ではなく「別の体」にすぎません。ですから
「オレがオレであったのは、この体だったから」だ、という思想への
反証にはならないと思いますが。
その思想を反証するには「この体を離れてもオレはオレである」ことを
示さなければならないのでは?
582 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/18(水) 13:33:32
>>580 しかし笑わせてくれるなぁ
質量なんてのは、何にもしなくても最初から付いている普遍的な性質だろ
キミは自我を作るんだろ? 主観性を作るんだろ?
そんなのは勝手には付いてこないんだよ
電子部品は、どこまでいっても物理現象であって、計算しかしないんだよ
起こる事が決まったように起こるだけだ
それは勝手についてくる
しかし自我という主観性そのものな存在性については、勝手にはついてこない
ついてくる根拠がありえないだろ
物理現象とは全く違う性質なんだからさ
全然わかってないんだよね
第一、唯物論の正当性を訴えるなら、物理的に『私』の存在性を説明しなきゃならないんだよ?
勝手についてくる じゃダメなのさ
しかも何度も言ってるけど、有機体である細胞と、電子部品が同じ構造にできるわけがないだろ
人間の体で、電気が影響を与えているのは、表面的な一部分で、ミクロな部分に行けば行くほど、化学反応になっていくんだよ
細胞の事、よく知らないの?
>>581 また、そのツッコミか (ハァ・・・
確かに、この体が私である事は間違いない
しかし、根拠がないんだよ
要素を特定できない
結局、なぜだかわからないけど、この体だった としか言えない
この体の、これがこうだったから、私は、この私だった という物理的根拠を、どうやっても特定できないんだよ
この体と、私との、因果的なつながりは発見できない 不可能
無い んです
だから物理現象で全て説明がつくようになる などと言っている唯物論は、インチキなんですよ
私の事など、唯物論では何も説明できませんよ
すなわち、人間の精神や人生観にまで言及するなど、もっての外 という事です
583 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/18(水) 13:35:42
>>575 前半は同じ考えです。そのように反発する意志がわかりません。
>キミらは単独で存在すると思っているようだが
一言も言ってません。
あと、寝ているときの事をぶつくさ言っていましたが、無意識には主観性などありません。感じて、初めて主観性は出てきます。
どうやらただ反発したいだけのようですね。内容がどんどん御粗末になってきてます。
584 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/18(水) 13:50:01
>>583 簡単な事だ
キミは、動作して初めて自我だと思っている
しかし私は、存在性が自我であり、自我は存在性
動作すれば主観性以外にはありえない
すなわち自我の特性とは、主観性そのものだ という事さ
ゆえに、寝ている時も、私は私である
寝ていても自我のある存在だ
消えたりしない
無意識で何も考えていない時があったとしても、全て主観性なんだよ
人間は、いかなる場合でも『私』という主観性から抜け出る事はできない
そういう存在だ
何が文句あるんだよマッタク
何が言いたいのか全くわからん
ただのバカなのか?
585 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/18(水) 13:55:48
>>584 自我=存在性ではありません。森羅万象=存在性です。
>「自我の特性は主観性」これもちがいます。「脳みその特性は主観性」です。
ここまできていよいよ煽りの文が長くなって、焦っているのがわかります
586 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/18(水) 14:08:50
>>585 あせってなんかいないよ?
キミらが、バカすぎてイライラしてるだけさ
自我が存在性でない という事は
キミは存在しない という事かな?
脳ミソによる現象がキミだという事だね
存在というのは目に見えるモノだけだという考え方みたいだけど
何度も言うけど、脳みそがキミである因果的根拠はないんだよ
脳みそってのは物体だから、原理的には切ったり張ったり自由自在なんだけど
キミの自我は唯一絶対な存在なんだからね
異質なののなのさ
しかしキミ達は、一つ言ったら一つ忘れるんだね
今日はチョット忙しいからくだらないレスにはイライラするんだよ
もっと私の書き込みをよく読んで、理解してから書き込んでよね
おんなじ事ばっかり説明させるなよ
587 :
考える名無しさん:2005/05/18(水) 14:12:00
宮里藍
納税額(2004) 9,570万円
19歳。
意識はバグ(幻想)。
自我はそれぞれのバグ(幻想)の世界に存在している。
589 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/18(水) 14:16:22
>>586 >自我が存在性でない という事はキミは存在しない という事かな?
自我=存在性ではない。というのは「存在性」とは自我だけではなく全てのものにある。
という意味です。
たとえば私が去年買ったボールペンという存在は作る事ができません。
作らないでも全く同じ存在性をもったあの日、あの時買ったボールペンはこの世には絶対ないのです。
>存在というのは目に見えるモノだけだという考え方みたいだけど
森羅万象という言葉は不適切だったようですね。【何もかもひっくるめた全て】という意味です。
590 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/18(水) 14:34:28
>>588 たとえ幻想だったとしても
幻想を見ているのは『私』
我思う ゆえに我あり
>>589 ループだなぁ
しかしキミ達は、人にループさせるのが好きだなぁ
疲れるよ
物体に関しては、原理的には、全く同じモノが作れるのよ
しかし、人間は物理的に全く同じに作っても、同じ自我は作れない
ボールペンを、いったん分子レベルに分解して、もう一度おなじに組み直せば、同じボールペンだ
しかし、この体を、たとえば分子レベルに分解して、もう一度組み直しても同じ『私』が生じる根拠が無い
全く同じに作っても同じ『私』にならない事実があるのだからね
しかも、この体は、刻一刻と変化しているのだから、この体というものも、これがこの体だと、特定なんてできはしない
しかし『私』は『私』というものであり、絶対に変化しない
変化するとしたら、私が消える時である
それ以外には、変化の形態はない
物体と『私』とは、全く異質なものなのである
そもそもボールペンという概念は、人間がボールペンと認識しているだけであって、固定したものではない
ボールペンはくっつけちゃう事もできるが、自我は独立した存在性だ
言ってる事、理解できない?
忙しいから、今日はココまでね
591 :
考える名無しさん:2005/05/18(水) 14:45:08
UTADA 納税額 3億6,595万円
納税 \1,000,000 a day
個別の幻想の世界に存在する自我を語った所で何になる。
意識している部分など無意識からはみ出た微かなバグ、
それも個人によって全然別個の幻想世界に存在している自我、
そんな微々たる塵について語った所で、
いったい自分の中の何が解ったというつもりかね。
>脳みそってのは物体だから、原理的には切ったり張ったり自由自在なんだけど
脳みそを切ったり張ったりしたら、死んでしまいますがなw
594 :
bbs:2005/05/18(水) 15:24:37
>>593 脳が半分だけでも生きている人はいます。
>>582 他の方のレスも読んで多少事情がわかりましたが…
「この体が私である事は間違いない」と認めてしまっては、全くの唯物論に
なってしまうと思います。
「この精神(私)」と「この体」の相互関係はいかに? と考えるのが
このスレの趣旨ではないかと思うのですが。
それに関しては、唯物論、唯心論、二元論、同一説、その他もろもろの
考えがあり、どれが正しいかは確定できません。哲学上最大の難問の一つです。
「この精神がこの精神であるのは何故か?」とか「この体がこの体である
のは何故か?」という疑問は、あまりスレの趣旨と関係ないのでは
ないでしょうか。
>>595 最高位の反唯物論が本当に唯物論を破壊し得ているかについては、
当初からさまざまな方達がそうではないことを指摘されています。
特に前スレでは、数字コテの人がまとまった検討をしつこく行っているのでそちらを読むとよいでしょう。
率直に言って、ネタとしてはともかくまともに取り合うのはあまりお薦めしません。
というか、ネタとしてもいい加減飽きてきた。。。
最高位及び最高位に付けられたレスをほとんどスルーしてるのは決して俺だけではないはずだ。。。
597 :
ネオ:2005/05/18(水) 16:21:13
私の思考(考えている脳)を
抜きにして自我がありえますか、
>>597 「私の思考」と「考えている脳」は、思考と脳は=ではない、という意味でも同じではないのですから、
そのような書き方は混乱の元では?
599 :
ネオ:2005/05/18(水) 16:40:38
私は思考に由来している、ですかね
600 :
bbs:2005/05/18(水) 16:42:50
この私はこの私がここにいると思うから存在します。
そう思わない人とはそもそも話ができません。ですが、そういう存在も実は沢山います。ですからそう思わない人もひっくるめて話を展開しなければならないでしょう。
この体が精神の所有物だというのは認識がそれを持っていると妄想しているからです。
あそこに自分がいるといえばあそこにも自分はいることになるでしょう。
体は認識の枠の一種です。脳を自分だといえばそれも自分になります。その枠内で自分の認識はあることになるためです。しかし、もし古典的に心臓が自分の構成要素だとすると心臓を取り出されたその時点で自分は決壊することになります。
崩壊した状態の人間を人間と呼ぶかはそれもまた認識問題です。しかしながら崩壊していようと自分は自分です。なぜなら崩壊しているとするのは外界の認識であり自分自身の特徴的性質ではないからです。
では、自分の最大要素とは何かというと、議論が分かれるでしょうが、それは無であると私は考えてます。
602 :
ネオ:2005/05/18(水) 17:07:00
思考とそれに基ずく記憶を抜きに
「私」と認識することはできない
んじゃないかってことです(自明のことかも?)
603 :
bbs:2005/05/18(水) 17:31:01
>>602 自明とは言いますが、では、自己を認識する自己は何なんでしょうか。
自己を認識する自己は認識されている自己ではありません。これはいわゆる中論ですね。
604 :
ネオ:2005/05/18(水) 17:52:20
自己を認識しているのは意識じゃないですか
自明かもってことで確証じゃありません
意識なんて遅い遅い。
意識して認識する前から心臓は動き続けてるぜ。
606 :
ネオ:2005/05/18(水) 18:18:52
それは知覚対象に過ぎず、
そのような対象は無限と存在する
無意識による認識と活動(瞬時)・・・"余り"。
その"余り"について、意識→思考→認識→活動。
"無意識による認識と活動"については人間には認識出来ない。
人間が認識しているものは、その後に残った微かな"余り"についてのみ、
そのカスについて意識して思考して認識して活動する。
その微かな"余り"について認識しているだけなのに、
そんな微々たる認識をもって全てを認識しているつもりになっているのが人間よ。
その微かな"余り"を意識し認識している世界(幻想の世界)に存在する自我、
そんなものについて、グダグダ尾ひれ葉ひれの装飾品で飾り立てて語り、
自分の中の世界が解ったつもりになって、尤もらしく語ってるのが、このスレの住人。
608 :
ネオ:2005/05/18(水) 19:10:02
思考と活動原理とはまた別の話じゃ?
>>590 >そもそもボールペンという概念は、人間がボールペンと認識しているだけであって、固定したものではない
私はそのようなレベルの低い話をしているんじゃありません。
610 :
考える名無しさん:2005/05/18(水) 20:08:15
>>607 感覚や知覚はすべて意識された事象である。
知識や認識も意識のはたらきによる。
重要な結果だけが意識される。
無意識の過程は意識する必要性がないから意識されない。
611 :
考える名無しさん:2005/05/18(水) 20:10:57
哀れなスレだ
612 :
s:2005/05/18(水) 20:51:10
デカルトは、あらゆることを疑がい抜いた果てに、疑っている自分自身は疑い得ないとして、「我思うゆえに我あり」と「自我」の存在を哲学の根本原理とした。
細かなことを除けば、まずこのように「自己」をひとつの実体として考える立場がある。
一方デリダは、自己が存在するなんていうのは悪しき形而上学にすぎない、自己は自己と非自己との、現在と過去との、こことあそことの「差異の運動」(差延)として生じると考えた。
たとえば「ぼくは学校へ行く」といった場合、「ぼくは」「学校へ」「行く」という文法的な連なり(シンタグム)の中で自己は表明される。
ここでは、微妙に過去が入り込み現在を差異化する運動によって自己が生じると言わねばならない。
自己とは何か。それは「差異の運動の痕跡」とでも呼ぶべきものだ。
しかし自己=「差異の運動」(差延)の痕跡と言うわけではない。
「差異の運動」は一切の根源を禁じ手にするような根源概念だ。
一方でこのように「自己は自己である」という自明性を脱構築する考え方がある。
613 :
考える名無しさん:2005/05/18(水) 21:02:22 BE:40278645-
>>1 だかだ、自己の影の再認識。
瞬自前の己の記憶の再認識≒制御回路≒フィードバック回路≒ウロボロス。
>>613 学のない私にはさっぱりなんだけど、
文字を書く際に”ボールペンがいるなぁ”という意識は
まず状況判断を過去からの経験学習で得たアルゴリズムに任せて自動で行い、
紙がある→次にペンが必要→ボールペン等が該当→探そう!
意識はそれらの結果として現れる現象って事で、あぁ俺は今ボールペンを
探しているんだなって感じの?
ボールペンを持とうという意識からボールペンを持つんじゃなくて、
ボールペンが必要だから意識が生まれるって事かな?
自分は何者だろう、意識はなんだろうと考える行為は、今までのアルゴリズムには
無い状態だから、試行錯誤の状態って事かな?
615 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/18(水) 21:26:05
以前にも書いたのですが
自我に限らず、「言葉」による説明には限界があると思います。
人の数だけ、或いはモノの数だけ自我は存在します。
総ては「縁」によって成り立ちその本質は「空(或いは無自性)」である、と。
しかし現実の人としての「私」とは程遠い。それはなぜか?
私は「仏教」を基にして考えていますが、人の数だけ様々な考え方があるでしょう。
自我を「普遍的」に説明する事は性質上超えなければいけない「壁」があると思います。
616 :
ネオ:2005/05/18(水) 21:41:13
「わたし」という自己知に基づく自我は
人にしかないんじゃないですか
仏教的にもそれ故に解脱があり、自我の
消滅がかたられてますね
>>615 言葉の壁はあるけれど、壁の向こうの事柄に最も近似した言葉は捜せるよね。
人間は決して真理を知る事は出来ないけれど、真理に近付く事はできる。
今知る事の出来る全ては真理ではなく、今までに矛盾が無くもっとも真理に近い
と思われる考えだよね。
真理を求められないからといって、それを求めようとしなければ近付く事すら出来ない。
そういえば数学はどうなのかな?
ごめんなんかスレ違いっぽかったです。
>>616 私という字はのぎへんにム。
もともと自己というのは無我的存在だという考えからきている。
619 :
考える名無しさん:2005/05/18(水) 22:36:02
無自性・無我を説く仏教に自我が成立するはずがない。
諸法無我、一切法空でしょう。
620 :
ネオ:2005/05/18(水) 22:40:09
自性・無我を説く仏教に自我が成立するはずがない。
成立しないものとして見破るべき「自我」ですね、
621 :
考える名無しさん:2005/05/18(水) 23:25:44
自性とは我の本質である。
自性が存在するなら我は成立する。
622 :
ネオ:2005/05/18(水) 23:28:58
623 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/19(木) 04:53:16
>>595 >「この体が私である事は間違いない」と認めてしまっては、全くの唯物論に
>なってしまうと思います。
>「この精神(私)」と「この体」の相互関係はいかに? と考えるのが
>このスレの趣旨ではないかと思うのですが。
ある意味、全くその通りです
私はこの体を通して現象しているのは間違いない とするべきでしょう
何らかの関係性はあるのだろうが
しかし『私』が、何故この体であったのかは、物理的な根拠がない
この事実は変わらない
実は精神にも根拠はなく、何をどうやっても、どこにも無い という結論です
この課題は、唯物論の論破とは関係がない と言う人がいますが、何を考えているのかと思いますね
唯物論というのは、世界の根源が物質であって、それ以外には何も無い 人間の精神も物質による物理現象である としているんです
全ての根源が、物質であり物理現象なのだから、物理現象で説明が不可能なものなど有りえない
これが唯物論の定義だと言えるでしょう
であるならば、この体に、私が私であった根拠がない という事実は、少なくとも唯物論の定義は崩れます
現実世界は、もっと深遠なる構造になっている事になるからです
物理現象では説明などしつくせない構造になっている
この事実で、唯物論は破壊されます
私自身も唯物論者でしたし、多くの唯物論者その他とも、過去に具体的に、深く話し合ってきましたので、よくわかっています
更に踏み込めば、唯物論(も)破壊される と言った方がわかりやすいでしょうか
唯物論だけが破壊されると言っているとおもわれるので、関係がない と思われがちなのでしょう
要するに、具体的な何かによって、根源的なものまで全てを語り尽くせる などとのたまっている今までの単純な思想は、全て間違いだと言って過言ではないという事です
それらは全て、前時代的な古い思想なんですよ
そういう部分は根本的に改定して、思想哲学そのものを進化させねばならない時代に入ってきている という事です
624 :
ローカルルール審議中:2005/05/19(木) 06:33:26
>>623 >しかし『私』が、何故この体であったのかは、物理的な根拠がない
>この事実は変わらない
おめーはバカだなーーーー
メタレベルから見てるからだろ。
何故この体なんだ?という見方を自分でしておいて、
何故この体なのかという答えがない言ってるオメェは
天然ボケ。
自分で100円使っておいて、何故100円が無くなったんだ!?と
言ってるバカと同じ。
625 :
ローカルルール審議中:2005/05/19(木) 06:39:52
>>623 >この体に、私が私であった根拠がない という事実は、
それは人間に想像力があるからだ。
もし、この体じゃなければ?
何故、俺はお前じゃないんだ?
何故、お前は俺で、俺はお前じゃないんだ?
もし、お前が俺の精神で、俺がお前の精神だったら?
もし、もし、もし
という想像力があるからだな。
哲学者最高位って頭弱いんじゃないの〜〜〜白痴かね〜〜〜
626 :
ローカルルール審議中:2005/05/19(木) 07:03:37
>>623 >しかし『私』が、何故この体であったのかは、物理的な根拠がない
>この事実は変わらない
>この体に、私が私であった根拠がない
おいバカ哲学者最高位。それは想像力の機能なんだ。
自分が、自分を他人として見るメタの視線を、人間は想像できるからなんだ。
もし、上空100bから俺とあいつと、この場の状況を見たらどうなのか、とか
もし、すべてが空無であったら、とか
もし、俺があいつであいつが俺であったら?とかな。
そういう想像をすると、何故、俺は俺なんだ?俺が俺である根拠はない!!
なのに、何故、俺は俺なんだ!!物質的根拠は無いのに俺は俺だ!!と考え出す。
お前のように。
バカ哲学者最高位。お前は本物のバカだw
627 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/19(木) 08:53:01
>>624 100円使って、なくなったら
使ったからだという理由が明確だろ
何を言ってるのかサッパリわからん
>>625 「もし」なんて関係ないよ
我思う ゆえに我あり だ
私が存在している事は、疑いようがない
そして、私とは何か を問うた時に、唯物論では、脳だという
では、脳の何の要素で、私は私であったのか を考えてみると
そこには根拠など有りえなかった という事実が明らかとなった
ゆえに唯物論は、間違えた思想だ という結論が出てくる
>>626 結局、何が言いたいのかサッパリわからんが
想像力を以って、色々な疑問を考えるのが哲学だ
考え出す事が、いけない事なら哲学そのものが成り立たない
キミは、来る板を間違えているんじゃないか?
628 :
考える名無しさん:2005/05/19(木) 09:11:26
まず最初に精神があって、
精神が「手よ動け!!」と思うと電気が発生して手が動くって言う奴は
オカルティストなんだよ。
意志によって物体が移動するだなんて・・・
精神によって電気が起こって筋繊維を動かすだなんて、
サイババの言う観念の物質化現象を信じるキチガイなんだ。
顔をつねると、痛いと感じると言う奴もオカルティスト。
物質が精神を動かすなんてありえない。
まず最初に精神、まず最初に「私」が先にあるんだ。
物質が自我に伝わるなんてテレパシーだ。
そんなのを信じるのはキチガイ。
まず最初に精神があるんだ。精神が痛くないと思えば痛くないんだ。
だから顔をつねられても俺は痛くない。
629 :
bbs:2005/05/19(木) 09:11:49
想像ですが例えば猫は自分が自分だとははっきりと思ってないとします。
でも、我々は猫は自分を自分だと思っていると感じています。
つまり、私が私であるというのはそのものがそのものであるということであり、本来的に自我とは無関係なのではないでしょうか。
まあ、「本来的」な考えなので「今」の私の問題とは違いますが、そもそも「我考えるゆえに我あり」というのは「そういう奴しか人間じゃない」という後世的な「定義」ですし。
ただ、そうじゃなくとも「私」という「一部的」な要素は存在すると思うのです。
完全な意味で「我」を「意識的主体」に定義する必要はないと思います。
前時代的、デカルト的クラッシックを
ループする男、バカ最高位
631 :
bbs:2005/05/19(木) 09:15:15
>>629 最後の文は仏教的には「我」じゃなく「自」と言ったほうがいいでしょうか。
なるほど。最高位はオカルティストのキチガイだったのか。
「私」が念じると体に電気を起こし物体を移動することが出来ると。
電気ウナギスト
634 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/19(木) 09:31:12
まず最初に「私」があるんだ。唯一の「私」が存在するんだよ。
この宇宙に「私」は「私」しか存在しないんだ。
まず最初に「私」が存在するんだ。
「私」が念ずると電気を起こすことが出来る。
「私」が念ずると手が動くんだ。これが念力だ。
感覚器→感覚神経→脳→運動神経→体という図式は全くのデタラメ。
嘘なんだ。
まず最初に「私」の存在→念力→観念の物質化・電気発生→物体移動・サイコキネシスと
いう図式が真実なんだ。
もちろん私は、哲学者最高位さんと同じ立場です。
最高位は電波を飛ばしまくってたからな。
オナニスト最高位
637 :
bbs:2005/05/19(木) 09:37:19
>>634 私は「私」はどこにでも点状に無限に内在し、それとは別に「行為(意識的なものも含む)」があると考えます。
「行為」が「私」を意識したものであっても「行為」は「行為」であって「私」ではありません。
「私」は
>>629でも言いましたがそのものがそのものであるということであり、「行為」とは別だと考えるのです。
サイコキネシスにレスしちゃやーよ、
639 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/19(木) 09:56:45
>>637 まず最初に「私」が存在します。デカルト様が、我思う故に我ありと
言っていまして、確かなものは「考える私の存在」だけです。
物体は物理現象ですから、全て物理学の原則で動いています。
「腕」は「物体」ですよね?だから腕は物理学の原則で動きます。
ですから、「私」が「腕よ動け!!」と思っても、動かないはずなんです。
何故なら、念力は物理学ではありませんから。
しかし、「私」が「腕よ動け」と思うと腕が動く。
そう考えるとなると、「私」は脳の現象の副次的なものではないかという
ように考えてしまう人がいるようですが、違います。
それが唯物論者の誤りなのです。
この世で唯一の「私」が念力で電気を起こし、腕を動かしているのですよ!!
ですから、「行為」と「私」は「念力・超能力・サイコキネシスパワー」
で繋がっているのです!!
唯一の「私」である「自我」は、思惟と行為の主体なんです。
我思う故に我ありなんですよ。
つまり「私が思惟する時に」脳に電気を起こし、「私」が電気で脳細胞
を繋げて、「私」が脳言語野に栄養や電気を送って、「私」が思惟して
いるのです!
「私」は念力で電気を起こし、脳細胞や脳内化学物質を動かす超能力者
なのです!
念力やサイコキネシスを信じない唯物論者が、このスレにはいますが、
そういう唯物論者はサイコキネシスを否定し、「私」が脳の現象だと
考えていますが、笑止千万です!!
「私」が思惟の主体であり行為の主体です。「私」が脳という物体を動かし、
体という物体を動かしています。もちろん念力です。
私と哲学者最高位さんは、念力を認める立場です。現在の物理学は念力は
認めません。ですから私と哲学者最高位さんは、物理学を否定します!!!
641 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/19(木) 10:31:07
まず最初に「私」が存在するんだよ。主観性をもった精神である自我がね。
「私」は思惟の主体だ。「私」が考えるんだ。
考えるためには物体である脳を動かさなきゃいけない。電気とか栄養
とかも物体だ。どうやって動かす?
私は超能力者なんだよ。念じると物体が動く。そうやって脳を動かして
思惟をしているんだ。脳を動かさないと思惟ができないからね。
物質は物理現象だ。だから物理学で解明可能だ。
しかし、物質である脳や腕を「私」は動かしている。こう考えると、
物理学は間違っている。
私と哲学者最高位さんは、唯物論だけでなく物理学も否定する。
何故なら、物理学は、念力を否定するからだ。
これで私は唯物論を破壊し、物理学も破壊した。物理学は崩壊したのだよ。
私たちは恐い物なしだ!!
徹夜学者最高位さんに質問です。
「私→物質」はそれでよいとして、「物質→私」という現象が
経験されることも否定できません。
たとえば、刃物で手を切ったりすると「私」が「痛い」と感じます。
舌で砂糖をなめると「私」が「甘い」と感じます。
自由になりません。
これはなぜでしょうか?
あ、今思いつきました!
「私」は念力だけでなく、無意識のうちに「被念力」を使うことも
できるのですね!!
う〜ん、「私」って万能。
643 :
考える名無しさん:2005/05/19(木) 10:44:18
クソスレ
644 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/19(木) 10:50:00
>>642 まず「私」が存在します。これはデカルト様が言ってます。
「私」が砂糖を舐める。もちろん念力で物体たる舌を動かし舐めるんですが。
この世で唯一の「私」という存在が、甘いと感じる。
つまり、物体が精神を動かしているのです!!
これはテレパシーや透視と言われています。
思惟の主体は「私」です。「私」が思惟しているのです。
思惟の主体である「私」が思惟しなければ、砂糖は甘くありません。
その「私」が砂糖を甘いと思ってしまう。これはテレパシーなんです!!!
私と哲学者最高位さんは、サイコキネシスと物体テレパシーを信じます!!
物理学はテレパシーを否定しますから、私たち2人に物理学は破壊された!!!
「私」万歳!!「私」万歳!!「私」万歳!!私最強伝説ここにあり!!!
基地外発言で誤魔化すしかなくなったという事は、最高位に対する実質的な敗北宣言かな。
646 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/19(木) 11:14:42
そこにいてのですか最高位さん!!!
私と一緒に唯物論だけでなく、物理学も破壊しましょう!!
今がチャンスです!!
物質はすべて物理学で解明できます。物体である腕の動きも物理学で
解明できます。
しかし、「私」が思うと物体である腕が動きます。
哲学者最高位さんと私の立場では、サイコキネシス・念力・テレパシーを
信じる以外にないのです。
念力を信じる哲学者最高位さんに、私も付いて行きます!!
私と一緒に唯物論でなく、物理学も破壊しましょう最高位さん!!!!
「私」万歳!!「私」万歳!!「私」万歳!!私最強伝説ここにあり!!!
>>645 何を言う。哲学者最高位=徹夜学者最高位連合の、高らかな
勝利宣言ではないか!
マルクス=エンゲルス連合の「共産党宣言」をはるかに凌駕する、
「唯物論徹底破壊」の不滅の記念碑だ!!
我々は歴史的な瞬間に立ち会っているのだ。ありがたいと思え。
誤魔化そうとしても無駄だぞ、この敗残の唯物論者め!!!
648 :
考える名無しさん:2005/05/19(木) 12:52:51
世界人口は60億人。平均寿命は65年。
今生きている人間だけでも全部で3900億年の体験をしている。
地球生命誕生40億年も可愛い赤ちゃんみたいな途方もない時間の流れだなぁと。
(並列つなぎなのを無理矢理、直列つなぎと比較しているのですが)
その人たちのその記憶の中の何%が幸せなら何百億年分の幸せな記憶が
あるんだなと思うと生まれて来て良かったなと。あはは、し あ わ せ 〜 ♪
649 :
bbs:2005/05/19(木) 12:58:19
>>639 そもそも、デカルトが正しいかが問題なのです。
考えなくても「私」が存在すると言っているのです。
「腕」は自ら動いています。たとえ意識しなくても微細な目で見れば血流や外界の環境などで無意識的に動いています。その無意識的な微細な動きは意識とは異なりますが、自発的な動きとしてみると腕の意識とも言えます。
人は自らのうちに自己認識と言う無限的に存在を映し出す合わせ鏡を持っています。それのことを「我考える故に我あり」とデカルトは表現しただけです。
唯物論が破滅するのはあまりにもつじつまが合いすぎているからです。
完全だと人はそれ以上を求めずに破滅する。ただそれだけのことです。
ちなみに、私は完全に自己が物質によって拘束されているとは考えていません。自己の本質が意識でないなら自己をそこから解放させることが可能だからです。
自己の矛盾というのはそもそも意識の中に内在します。それから自らを解放するためには意識的主体と言う考えを捨てる事が必要だと思うので、それを理論的に説明しようとしているのです。
650 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/19(木) 13:19:14
>>646 デカルトは誤読が多いです。アウグスティヌスの【我疑うゆえに我あり】とは違います。
>>213の原理を無視すれば唯我論、唯懐疑論に陥ります
651 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/19(木) 13:33:48
>>651 素早いレスですね。張りついていたんですか?
それはともかく、唯一のあなたの存在性があなただけにしかないという根拠をお聞かせ下さい。
653 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/19(木) 13:54:50
いいかい?「私」は「私」にしか考えられないんだよ!!
分かってるのかなあ。
唯一の私は唯一の私しか考えられないわけ!!!!
君が私を体験できないんだよ。君は君を体験するしかないわけ。
この「私」という唯一性と唯一の存在性は、唯物論では絶対に説明できないわけ。
その唯一の「私」が主体として脳を動かしている。そして腕を動かしている。
ここで唯物論だけでなく物理学も破壊されたわけ。
キミ達は、物質は物理法則で動いていると思いこんでいるようだけど、
精神の力で物体を動かすことが出来るんだ。これがサイコキネシス念力パワー
というものだ。これで物理学も破滅したんだよ。
654 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/19(木) 14:03:39
いや、たまたま
てか15分ほどあいてるじゃん
>それはともかく、唯一のあなたの存在性が
>あなただけにしかないという根拠をお聞かせ下さい。
ん? 質問の意味が、よくわからん
キミは二人以上いて、それを認識しているとか??
>>653 >いいかい?「私」は「私」にしか考えられないんだよ!!分かってるのかなあ。
わかりますよw
ではそれは【主観】により発見(思考)しましたね?
656 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/19(木) 14:13:08
キミ達は、「私」というのを誤解しているんだ。
主観性というのが私の本質なんだよ。キミの主観は私の主観とは混ざらないわけ。
>>654 すいません。やはりあなたには質問が適切ではなかったですね
【唯一な存在性が自我だけにある】という根拠です
>>656それは【主観である事】という事ですか?
いっておきますがあなたこそ主観性と存在性がゴッチャになっています。
主観は自我意識が認識できる状態ではないと発生しません。
あなたの赤ちゃんの頃には「これは私だ」という自我意識がない以上、
あなたの本質の存在性はその辺にある石ころと変わりません。
しかし、脳が発達し自我意識が生まれ「これは私だ」と
認識する事で初めて【主観的でいられる】事になるのです。
659 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/19(木) 14:37:25
>>657 さぁね
そんな事は言っておらんよ
しかし、言われて考えてみれば
個体としての存在性は、自我にしか発見できないんだよなぁ
宇宙そのものとしては確かに、それは存在性であろうし、もちろんその内容物も存在性であろう
しかし内容物としては自我以外には、明確な個体としての存在性が発見できない
全ての存在は存在なのだから、それは存在性 とも言える
しかし個体として、例えばイスというものはイスと認識しているのは人間の価値観であって
イスとしての存在性は、あやふやだ
たとえば床とくっついているイスは、どこからどこまでをイスとすべきかは人間の側が決める事であって
絶対的な基準などない
物質の最小単位があるとすれば、それは存在性と言えるとは思うが
それは、はたして物体なのだろうか
単なるエネルギーのような、実体のない『性質』の集合体であって明確な存在性と呼べるものではないのかも知れない
それすらも現代科学では解明されていない
それゆえ、言及は避けたいね
今日はここまで
>>653 「私」を「ある種の未知の物質的エネルギー」と考えてはどうでしょう。
ある程度発達した脳と外界の相互作用により脳の内部に発現して、
脳を通じて外界と相互作用するエネルギー。これなら、物理学を破壊
しなくても説明はつくと思います。
もっとも、これだと唯物論になってしまいますが…
あるいは、スピノザの「並行説」はどうでしょう。精神と物質は
あくまでも独立した二つの実体であって、相互作用は一切しない、
「正確な時を刻む二つの時計」がぴったり同じ動きをするように、
並行して作動するだけである、という考えです。
これなら、物質でない「私」と物質が相互作用する、という難点も
回避できます。
「サイコキネシス念力パワー」を持ち出すよりは、まだしも
合理的な考えだと思うのですが。
>>659 そうなんですよ!!つまり私達の言い合っている事は結論的には同じなんです。使う定義が違うだけで。
662 :
bbs:2005/05/19(木) 14:44:50
>>653 念力というものがもし仮にあるとします。しかし、念力もまた「力」です。力である以上は唯物論と矛盾しません。超能力とかも同じ事です。もしあったとしても唯物論とは矛盾しません。
>>658 主観的という言葉そのものに二重の意味が存在します。
まず一つはあなたの言うようなその自己認識の無限羅列です。
もう一つは内側からの主観性です。これが徹夜学者さんの言う主観性ですね。
内側からの主観性はどんなものにも無限的に存在しますが、自己認識はそれとは別に「人間的性質」として存在します。どちらを自分自身の最大特性とするかは認識問題です。自分は自分自身の最大特性など存在しないとは思っていますが。
663 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/19(木) 14:47:53
私の言うことを全然理解出来てないな。
まず私の存在から始めるべきなんだ。私というのは主観性。
〈主観でいられる事〉なんて所から考え出すから、キミ達はおかしくなって
しまうんだ。 主観性とは、簡単に言えば『この、私』という事だよ。
この私は何故存在するの?という最初の位置から考えないと駄目だ。
『この、私』に関しては、物質を物理学的にいくら分析しても解明するのは
不可能なんだ。物質的に根拠がない。これが自我の存在性の本質。自我とは『この私』
という主観性そのものなんだ。〈主観でいられる〉という外から出発するから
キミたちは思想的に限界があるのよ。
664 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/19(木) 14:53:42
>>662 すみません。構図的にはそのような考えだったんですがどうも説明ベタで。。
この人がゴッチャになってるいい例ですね
>>663
665 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/19(木) 14:54:44
>>660 スピノザの並行説はシンクロニシティとは違うようだな。
私は超念力を認める立場だし、まず『私の精神』が先にある
という立場だから、シンクロニシティと念力のどっちを取るか
というと、精神主導の超念力パワー説を採用するね。
666 :
bbs:2005/05/19(木) 15:00:07
>>663 分析しようとするとその「私」は「私の過去の幻影」になってしまう以上は確かに「力学的」な「現象的」意味において「私」を分析するのは不可能です。
ですが「考える」という行為が「時間的」意味を帯びてしまうとそれは分析可能になってしまいます。時間的に存在するものは物理学的なものに還元されてしまうからです。
自我とは物理学的な考えから生み出された幻影に過ぎず主観性とは異なるものです。なぜなら過去に自分自身の主観性が存在したというのは「今」においては単なる妄想に過ぎなくなってしまっているからです。
667 :
bbs:2005/05/19(木) 15:04:51
>>666 少し付け足します。
ですが、もちろん過去に主観性が実在しなかったとは言いません。ただ、過去の自分の主観性は今の自分の主観性とは異なるものであり、それは「人間的自我」とは異なるものなのです。
668 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/19(木) 15:07:04
人の数だけ宇宙がある。
それでいいじゃないですか?
669 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/19(木) 15:07:38
「私」を見る「私」と「私」を見る「私」と・・・と連鎖的に見ている、
その個々の「私」というのは自我ではないよ。
「私」を見る「私」・・・・と連鎖的に見ている私を考えている私が「私」なんだ。
はい、終了今日はここまで〜
>>667 うーん。どうも哲学用語はややこしくていけない。
ここであなたが「主観性」といってるのは「今、この私」の「裸の意識」ということかな。
そんで、「自我」というのは、
「主観が一度、分析、反省した結果、意識する主体として捉え直された「私」」
みたいなことだろうか。
そんじゃあ、「人間的自我」ってどういう意味でしょう。
671 :
考える名無しさん:2005/05/19(木) 15:20:39
よけい ややこしいだろが、こら!
672 :
bbs:2005/05/19(木) 15:33:23
>>670 「主観性」と言っているのは「あるものをあるままに眺める」ということです。宗教的意味合いを排すれば仏教的な「無我」に近いです。意識と言うと自我の話が混交するのであまり私は好きません。
自我とは意識に対する執着のことだと自分は考えています。もともと意識は人間にはありませんでした。それに感情的信念的要素である宗教が重なり、神という人間の理想像に近づけるという執着が生まれ、それが自我のもとになったと私は考えているのです。
673 :
考える名無しさん:2005/05/19(木) 15:50:36
発生論ですか。これは難しい。
実証性が問われる分野ですね。
というと、このスレが実証性を問われない無責任なジャーゴンを
並べ立ててもいいスレだったみたいな言い草になってしまうが。
674 :
考える名無しさん:2005/05/19(木) 15:55:38
ナスカの地上絵やピラミッドって、神の視点を想定して、
そこから自分を見ていた証拠だよな。
神の視点と地上に這いつくばってる視点とどっちが自分か。
>というと、このスレが実証性を問われない無責任なジャーゴンを
>並べ立ててもいいスレだったみたいな言い草になってしまうが。
このスレを、それ以外の何であるとお思いでw?
>672
宗教が自我の発生要因ってのは、どうかなぁ。
無宗教の国の人間でも普通に自我は芽生えるだろうし。
宗教とか神とかじゃなくて、
もっと単純に「社会性」によって生まれるんじゃないのかな。
まあ、どっちみちそういう「自我」についてなら、あんまり興味ないけど。
わたしはあなたがいう「主観性」、「今、この私」ということにだけ興味がある。
677 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/19(木) 16:09:03
>>670さんの
「裸の意識」は、
仏教(特に金剛乗仏教)で言われる
「阿摩羅識(第九識)」に近いものでしょうか。
678 :
670:2005/05/19(木) 16:16:35
>677
>「阿摩羅識(第九識)」に近いものでしょうか。
近いものでしょうか、と言われても、そんなマニアックなこと知らないし…。
あなたがそう思ったなら、たぶんそうなんじゃないですかね。
679 :
ネオ:2005/05/19(木) 16:21:16
私という認識は思考と記憶に由来していて、
日々瞬時に変化しつづける、思考を通して、言語を
通しての実在の把握であり、それはあくまで一個人とし
ての限定的な認識です、わたしという認識自体が
限定的なものであり、それは意識によって知覚される
私というものをそれ以上は語れず、当然のものとして
扱うならば意識という主題に対して語る意味も無く
神秘主義論となってしまう、
見るものと見られるものは同一ですか、同一なら
それは日々変化するのですか、
680 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/19(木) 16:30:37
>>670さん
私は「裸の意識」を
無垢あるいは原初の心の意味と捉えたのですが。
>>659 >たとえば床とくっついているイスは、どこからどこまでをイスとすべきかは人間の側が決める事であって
>絶対的な基準などない
そんなの、人間だって自我だって、何だって一緒じゃんw
意識とは何かと自分で自分の意識を分析する時に、
人の分析を参考にしながらすり合わせるように
考えるよな。そして論争になる。自分の意識なんだから
人の意識と意見が違ってもいいと思うんだが。
自分の意識なんだから、どんな妄想的理論でもいいと
思うんだけど。
自我はオンリーワンというなら、他人の自我論とは異なってもいいはず。
論争する意味はない。
しかし、他人の自我論と自分の自我論を寄り合わせたいという欲望がある。
自我が唯一性であるならば、自我論は人それぞれになるはずなんだが。
そして、他人の自我論との違いを楽しめばいいというだけになる。
全く同じ映画を見ても評論で論争になるくらいだから、自我が最初から
人それぞれ異なるなら、絶望的に同じ意見になるはずないと思うんだけど。
押しつける事ないじゃん。
論争すべきは、意識の共通点の解明だけであって、それは科学的に考察
可能。
別に自我だけがオンリーワンなわけではない。
どんな物だってオンリーワンだ。オンリーワンでない物などない。
生物の個体もすべてオンリーワンだ。同一の個体など二つと存在しない。
しかし「生物の個体」という同じ概念(言葉)で把握できる存在は無数にある。
そして、それらには「共通の性質」が見出される。
その共通の性質を研究することで、間主観的科学としての「生物学」が成立する。
どんな学問でも基本は同じだ。
同じように「自我学」が成立してもおかしくはない。
「自我学」が成立しない(しにくい)のは、自我がオンリーワンだからではなく、
他人の自我が不可視、というより五感で捉えられない(客観化できない)
からなのである。
「意識の共通点の解明」というが、「他人の意識」が不可視である以上、
その科学的考察はなかなか困難ではないか。
685 :
bbs:2005/05/19(木) 17:50:30
>>676 まあ、そこらへんについてはあまり考える必要もありませんね。
過去のことは完全には特定できませんし。
>>679 見るものは主観であり、見られるものは自我です。自我は瞬時的に発生し続けますが主観は「ある」ものです。
中論に当てはめますと例えば去りつつあるものは実体で主観的存在である「自」であり、去るという行為は自我の種子になります。
>>680 そもそも唯識の根本思想は八識ですしマナスやアーラヤ識も意識の分析ですから六識で十分間に合います。
阿摩羅識はアーラヤ識に染浄の二法が含まれているから仏教的にそれを区分するために作られたもので別に複雑に考えることはないでしょう。
分析論的に言えば十識なんてのもありますし。
ちなみに私は意識が「識」に過ぎないことに注目したのです。
>>681 そうです。自我を決定させるのは自己認識という認識に過ぎません。
>>682 意識は妄想的なものを含むのは確かです。しかし、主観的なものはどんなものにもあります。
その主観性についての分析を行っているのです。
>>683 科学は客観性を要求します。しかし、そもそもその客観性が成り立つかが問題なのです。
「他人」が存在するのは科学では絶対的ですがそもそもその根拠は何なのでしょうか。
それを解明しようと考えているのです。
686 :
bbs:2005/05/19(木) 17:56:12
>>685 >>中論に・・・
ちなみに自分は中論には少し文句をつけているので厳密な意味でこれは中論ではありません。
これは中論のパラドクスを自分なりに解釈したものです。
687 :
bbs:2005/05/19(木) 18:23:02
>>中論に・・・
もう一つ誤解のないように言いますが、「もの」という要素はその中に無限的にある「自」によって決定されるのであり、実体の境界区分的存在性はそれそのものの行為性と変わらないと考えます。
つまり、そのものがそのものだと主張(干渉)するから境界が生まれると考えるのです。
688 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/20(金) 03:12:30
>もとく君
私は、物理現象ではない自我という存在性の、存在を以ってして
唯物論を否定しています
キミ達とは違う哲学なのですよ
>bbsさん
どうやら、あなたも自我と自我意識を混同しているようですね
自我とは存在性
あなたの言う自我は、自我の動きである自我意識によって初めて出現するもの という解釈でしょう
しかし発動によって自覚しても、しなくても、自我は既に存在しているのですよ
存在していなければ、主観性はありません
存在が発動するのですから、存在→発動です
発動→存在ではありません
特に唯物論者は、この間違いをおかしています
もう一度いいますが
人間の本質、自我とは、『私』という主観性そのものな『存在』です
>>688 あなたの思想は、いったん独我論に陥って、そこから独我論を中途半端に克服しただけなんだよね。
古典的欺瞞に陥っています。
>>688 意識はすでに科学の範疇です。 主観性が発生するぐらいの脳みそのシステムを作ればいいことです。
それだけで何にでも自我意識は生まれるでしょう
691 :
考える名無しさん:2005/05/20(金) 07:59:28
>>690 もとく、おまいが便器と同じ”物”だということは
おまいのカキコ見れば、よ〜くわかるぞw
692 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/20(金) 08:06:27
>>689 具体性のない批判は、ただの中傷になるので気をつけましょう
>>690 主観性の、そのシステムが解明される根拠がないのだよ
そこが、とっても飛躍しているんだな
機械君のスレで、クオリアについて言及しているので、読んで理解してね
693 :
bbs:2005/05/20(金) 12:35:59
>>688 存在性がもし確固たるものとします。
そうすると自我意識の行為的存在は光に例えられるでしょう。
とすると自分の存在性は鏡に例えられる事になります。
しかし、光は存在性には完全な意味ではなりません。
入射したという情報性も反射したという情報性も鏡に到達した瞬間にはないからです。鏡が「確固たる存在」として「情報性」に何らかの影響を与えたとしても「情報性としての存在」は「確固たる存在」にはないのです。
物質というのにも二面性があるのです。一つは境界性です。これは行為的存在であり光線的なものです。一般的に与えられる物質要素はこれに起因します。もう一つは次元性です。これは空間性であり確固性です。
存在の境界性は発動し、主観の次元性は無として平均的に散らばる事でその確固たる存在性をあらゆる物に与えているのです。
自我は「ある」と言いますが、その「ある」が「次元平均性(確固性)」ではなく「境界性(行為性)」に属している以上は既に存在の存在性そのものが行為を表しているのと同じ事になってしまうのです。
最高位の言う「私の唯一性」を物的に説明するなんて、実は簡単な
事なんだよね。それは最高位の脳がこの世に一つしかないから。
以上で終わり。
これだけでは最高位には理解できないだろうから、もう少し説明
してみようか。
最高位はこんな事を言っている↓
>たとえば、自分と物理的に全く同じに、もう一つ体を作ったとしても、
>それは私ではない とね
↑最高位は、こういうトンデモ思考実験で、私の唯一性をイメージしているが、
こんな事は不可能な事なの。
最高位を、再び同じ体に物理的に作るのは不可能なの。
脳は時間と空間が異なれば、化学的に同じ要素を集めても、同じにならないんだ。
これは脳のシナプス可塑性と言って、時間と空間が異なればシナプスの
パターンが異なってしまうんだ。つまり、最高位の「私」が唯一の
存在なのは、脳のネットワークのパターンが最高位にしかないオリジナル
パターンだから。
最高位オリジナルの脳なんだよね。最高位が別の人間ではなく、最高位でしかない
理由は、そういう事。そして脳内のニューロネットは閉じてるから他人には
最高位の「私」は認識できない。
695 :
694:2005/05/20(金) 13:23:21
俺と同じコピー人間を作っても俺にはならないぞって、最高位はトンデモな
事を考えてるけど、脳のネットワークが閉じてるんだから当たり前。
テレパシーで遠距離の脳同士が繋がるわけがない。そして、大事なことは、
コピー人間を作っても同じ脳にはならないってこと。これは時間と空間が
他の脳と最高位の脳とは違うから、脳のネットワークも個々で異なってしまう。
そして一個一個、ニューラルネットは閉じている。
最高位は、分子レベルに物質を分解して、それを組み合わせれば物的に
同じ全体になるという、変な信念があるからこういうトンデモな事になる。
部分要素をただ集めれば全体になる、という最高位の考えは、実は嘘なの。
最高位に理解しやすいように、簡単な言葉でクドクドと説明したから、逆に
分かりにくくなったかな。
まあ最高位の言う「私の唯一性」は「物的なパターンの唯一性」って事。
ここまで説明してあげても最高位の知的レベルでは理解出来ないんだろうなあ・・・
696 :
694:2005/05/20(金) 13:39:34
最高位の思考は、全体を部分にバラバラにして、それから部分を集めれば
全体になるという思考にはまってて、そこから考えを作ってるから変な事に
なってるんだよね。
たとえば
↓
俺の人体とそっくりの要素をそっくり合わせれば、俺と似た体になる、
でも、そいつの自我は、俺の自我ではない、だから俺は唯一であり、物的に
は根拠はないと。
↑最高位のこういう考えは、要素(部分)を統一している全体的パターン(原理)
という考えがそっくり抜け落ちている。
最高位が最高位であるのは、情報を組み合わせる、統一的全体のパターン
が存在しているからなの。最高位はその統一的原理についてまったく視野に
入っていない、非常に唯物論的世界観から論理を組み立てている。
最高位が、唯物論者であったという過去があるので、部分と全体の関係に関して、
唯物論的に考えてしまう、そういう思考パターンから抜け出せていないんだ。
最高位の「私の唯一性と物的な根拠の無さ」というのは、
最高位の昔の唯物論的世界観から出た誤りなんだ。
もちろん俺は「私の唯一性」を肯定する。それは、最高位とは異なる
意味で。「私の唯一性」とは「物的な情報パターンの唯一性」による
ものだと考える。あ、それから俺は精神と物体が同じ物だなんて言ってないよ。
697 :
694:2005/05/20(金) 14:03:28
最高位の思考で粗雑なのは、時間性、空間性、部分と全体、統一するパターンや原理、
オルガニズム。関係性。情報理論。これがすっぽり抜けてる。これらを粗雑に考えて
いるから最高位は自己矛盾に気がつかないのね。
それと、
>たとえば、自分と物理的に全く同じに、もう一つ体を作ったとしても、
>それは私ではない とね
↑こういう昔のSFみたいな子供っぽい発想から、自我を考えるのはそろそろ
卒業したらどうなの?
分子構造の同じ物が寄せ集まったって、同じ全体性や統一パターンは出来ないって
知っておいた方が良いよ。と説明し上げても最高位は分からないんだろうな。
最高位って普段、知的な本読んでる?読んでないでしょ。まあいいや。
最高位は、大昔の唯物論やSFで思考回路や発想が止まってるんだろうね。
昔とったきねづかで。
>694
そんな反論では無理だな。
699 :
素人:2005/05/20(金) 15:00:40
っていうか
最高位の言ってることはさっぱり解らないんだがw
最高位は僧堂に2・3年行ってきたらどうだw
少しは君の方向性へ向けてスッキリすると思うがな(´ー`)y━~~
700 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/20(金) 15:19:32
最高位さんは「私」という標的に
一心集中しているのだと思います。
>>688 しかし発動によって自覚しても、しなくても、自我は既に存在しているのですよ
存在していなければ、主観性はありません
自我が主観なんですが、あなたは自我を誤解している
自我を意識している意識(主体)があるから、私が存在してると
感じる訳です、意識が自我を認識している状態が自我意識(自己知)
であり、それは主体性じゃないですよ、
自己中だけど、俺の基準では悪い人じゃないな。夜中から
昼間まで一定してテンションが高いので気になる存在。
703 :
A:2005/05/20(金) 21:15:59
意識というものは、微生物の意識から人の意識まで
本質的には皆同じもの。
個人の個性的な精神などというものは単なる形式的なものにすぎない。
ここでは、自分の意識を見つめる自分という意識を大きな問題として
取り上げているようですが、それも単なる形式。
そんなことはどうでもよい。
命題は 意識って、いったい何だ です。
意識の機能やその形態を問うているのではありません。
意識の本質を問うているのです。
704 :
弟子:2005/05/20(金) 21:22:38
最高位先生を未だに理解できずに、馬鹿だと思っている輩がいるが、先生の哲学は、完全無欠だよ。
>>701 いいかげんな事を言っても無駄。
>自我を意識している意識(主体)
意識が主体?
意識は、意識するという動詞であって、何が意識するのか、
主語はというと、私という自我ですよっと。
>私が存在してると 感じる訳です
感じているのは、私ですよ 。
わけのわからん意識というものが主体として存在して、私を感じているのではないですよ。
私の意識が発動しているのですよっと。
こんなのは俺でもあしらえる。
先生に対して失礼だぞ。キティちゃんですか?
705 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/20(金) 21:32:44
>>703 ん?意識の本質は「自分の意識を見つめる自分という意識」だよ。
これは微生物や昆虫には有り得ないし、なにしろ実体が無いw
>>704 ここで自我は、訳のわからんものを主体として自分の意識の上位に置く、というとんでもないことをする。
>>704 意識は動詞ではなく知覚している主体です
それによって自我が認識されるから「自己知」
が得られる訳です、
認識されている自我は対象ですよ、
自我なんて記憶とともに日々変動していく
あやふやなものですよ、お弟子さん
「私は日本人である」「私は男である」というように、自我は重層的なものである。あるレベルでは他我との共同作業によって成立している。
「私」は0〜100%の間で、様々な値をとるのである。
>>708 さて、それを知覚している主体とは誰ですか?w
711 :
A:2005/05/20(金) 22:23:15
>>703 >ん?意識の本質は「自分の意識を見つめる自分という意識」だよ。
これは微生物や昆虫には有り得ないし、なにしろ実体が無いw
何のことやら、そのもの自体ということの意味がわかっていない。
712 :
弟子:2005/05/20(金) 22:23:48
意識とは、
私という主観性そのものを指す。
(自我は存在性であり、意識は動作も含めた意味に用いられる。)
または、私という主観性が、認識し思考する動作作用の事
これを「意識する」と言う。
>>709 私は私である。他我によって存在性に影響はない。
私は0か100の、いずれかである。存在するか、存在しないかである。
50%だけ私、などという形は無い。
713 :
A:2005/05/20(金) 22:25:54
714 :
考える名無しさん:2005/05/20(金) 22:30:51
>>704 お弟子w様
最高位先生は確か「意識や体は変化するが、私という自我は一切変化しない
(唯一消滅だけはする?)」と述べておられました。
一切変化しない「私という自我」が、いかにして何かを意識したり
感じたりできるのでしょうか。意識したり感じたりする前と後で
一切変化しないとすると、「意識する」とか「感じる」という「動詞」には
いかなる意味があるのでしょうか。ぜひご教示ください。
715 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/20(金) 22:33:16
我に固執すれば同じモノしか見えなくなります。
静止画状態ですよ。
>>711 意識そのもの自体は、誰によって意識されるのでしょうか?
717 :
A:2005/05/20(金) 22:35:36
>>706 そんなメチャクチャな定義を用いていたんじゃ
三歩も先へは進めませんよ。
718 :
A:2005/05/20(金) 22:38:33
719 :
弟子:2005/05/20(金) 22:48:47
>>708 根本的な話、誰の意識かという事ですよ。
私の意識だから、私を自分だと認識できるのですよ。
あなたは、途中からしか認識できていない。
根源的な存在性にまで、考えが至っていないだけなのです。
最高位先生は、口は悪いけど、驚くほど正確に分析し、
しかも単純な基本の積み重ねによって、唯物論を完全に切り崩している。
俺は、身震いするほど感動している。
みなさんも、ゆっくり過去ログを読んでみるといいですよ。
>>717 学問ごとに専門用語による捉え方や、定義は異なると考えられるが、
メチャクチャだと批判するなら、あなたの定義を聞かせてもらえますか?
>>715唯識さん、
観測し、知覚し、他我や客観を想像し、梵我一如を感じるのは我ではありませんか?
721 :
考える名無しさん:2005/05/20(金) 22:55:28
意識は意識のために有るのでは無く
まして、成仏する為に有るのでも無い。
運動神経や自律神経に対して本能に変わる命令を発することで
身体のバランスを保ち環境の変化に対応しようとする深層意識が
急激な環境の変化や感覚神経からの刺激信号の量に対応しきれなくなると
刺激信号が迷走を始める、その刺激信号の急激な変化を認識するのが
意識の主体であり、その主体が認識を概念として投影したものが我である。
深層意識がもてあました刺激信号をそのまま放置するとストレスとなり
やがては身体のバランスを崩してしまい生きる力を弱めてしまう事になるため
主体が有害な刺激信号を認識して概念を発する、そしてその概念が投影されたものが我である。
我は主体に対して隔絶された別世界であり虚像でもある
主体の巧妙なダマシによって刺激信号は虚像の世界へと追いやられ
ストレスを発する事は終息する、この構造が意識である。
そして主体とは生命力という巧妙なプログラム。
722 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/20(金) 22:55:34
>>720ケツ学者性行為さん
一如の時(「時」で表現するのは正しくないかもしれませんが)
「我」は存在するでしょうか?
またその時「他」はあるでしょうか?
>>712 だからさぁ、自我の内部に他我も客観も無ければ、唯我論は世界を把握できないじゃないの?
>>722 我=他、が矛盾無く並立するのが、梵我一如ではないのですか?
725 :
考える名無しさん:2005/05/20(金) 23:06:15
お弟子w様
>>714にも、ぜひぜひご回答ください。
それと、
>>719に「私の意識だから、私を自分だと認識できるのですよ。」
とありますが、これは意識のヤローの心得違いというものです。
「私の意識」ならば、「私」のことは「自分」ではなく 「自分の所有者」
と認識しなければなりません。まるで飼い犬のポチが飼い主の私のことを自分だと
認識しているようなもので、僭越極まりないです。ぜひ意識のヤローに
厳重注意をお願いいたします。
726 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/20(金) 23:06:59
>>724ケツ学者性行為さん
ありきたりですが
それならば誰か?が梵我一如ならば私もそうであるはずです。
728 :
考える名無しさん:2005/05/20(金) 23:17:26
729 :
ノーマインド:2005/05/20(金) 23:23:26
>>729 わははは、何者でもない意識が、ただ意識を意識するのか?
観念論的にも実体が無いぞ?
731 :
考える名無しさん:2005/05/20(金) 23:35:36
個人の主体は心身一体の「自己自身」にきまってるじゃん。
それ以外にどんな自己が存在するの?
意識は自己の心の働きのほんの一部の機能でしょう。
732 :
ノーマインド:2005/05/20(金) 23:37:22
意識は、知覚するものであって意識されるものではない、 ばかケツ学が、
733 :
考える名無しさん:2005/05/20(金) 23:39:50
もしも意識が主体であったなら
人類の意識はカルト宗教に乗っ取られ
人類総馬鹿状態の末、人類はすでに滅亡しているよ。
734 :
ノーマインド:2005/05/20(金) 23:40:34
きまってるじゃんって、自己自身とはなんぞや
735 :
ノーマインド:2005/05/20(金) 23:43:26
は、主体が乗っ取られるの、意味わかりませんが
736 :
考える名無しさん:2005/05/20(金) 23:45:39
馬鹿は馬鹿だからノープロブレム
737 :
ノーマインド:2005/05/20(金) 23:53:56
ノープロブレムは、おまえの脳味噌だろーが、
738 :
ノーマインド:2005/05/20(金) 23:54:48
ノープロブレムは、おまえの脳味噌だろーが、
739 :
考える名無しさん:2005/05/20(金) 23:57:27
>自己自身とはなんぞや
「個人の主体」です。こんな単純な文も解釈できないの?
740 :
素人:2005/05/21(土) 00:01:31
もしまじめに議論する気があるのなら
細かく定義を決めたら?
例 『哺乳瓶』
哺乳瓶とは何か?(≒哺乳瓶を哺乳瓶たらしめている要素は何であるか?)
大きさ・形状・色・材質等様々ある差異のどこまでを採用するのか
そしてその機能の上から絶対に外せない部分(この場合は授乳の為の口だろうが)があるだろう
同様に『意識』を『意識』たらしめているものは何か?
同様に『私』を『私』たらしめているものは何か?
を誰かきちんと提示してみたらw
例えば、五位七十五法なんて分析方法がどこかにあったような気がするがw
741 :
ノーマインド:2005/05/21(土) 00:02:35
は〜、また始めに逆戻りか、ぜんぜん答えじゃないじゃん
742 :
ノーマインド:2005/05/21(土) 00:04:44
↑739へのレス
>>732 それでは言い換えましょう。
「自己が意識していることを、知覚できるのが意識の主体である」
しかし、この主体は自己の意識なくして存在が可能であるか?
744 :
A:2005/05/21(土) 00:32:24
>>719 意識は存在です。
何故か。
それは物質等とは異なり、意識には客観性だけでなく
主観性もあるからです。
意識は、たとえそれがどれ程些細な微意識であっても
認識であり、主客の形式がある。
何かを感じていなければ意識にならないからね。
しかしそこに主客に分離された個々の実体がある訳ではない。
主だけ客なしや、客あり主なしじゃ存在にならないんだ。
このようなことから、意識は、主客合一の「存在」をもってのみ定義できる。
それで私は意識を「感じている全体」と定義します。
また自我は、そのような意識、感じている全体の主体的な一面
を強調したものと定義する。
745 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 00:36:13
結局「我思う故に我あり」以上のことを言ってる奴はいない。
3流スレだな。
746 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 00:43:45
主体がプログラムだとすると
意識が完全に消滅するとプログラムは作動を停止して
時間の感覚も完全に停止する。
ということは、過去、現在、未来という因果関係を認識する
現実感覚も同時に消滅し、すべての秩序も消滅する。
秩序にそって生きる生物は生きていくことは不可能になるでしょう。
まず、主体はプログラムではない
仮に、仮にね消滅したとしても
存在に代わりはない、それは認識されて
いないだけのこと、月はあなたが見ていなくても
存在するでしょう。
748 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/21(土) 00:49:50
無垢への欲望
フロンティア=無垢の簡単な例は処女願望ですね。処女願望の意味は、
私が一番はじめに刻印するということ、すなわちそこに私は私であるという承認が生まれます。
これをボクは「上から二冊目の本」と呼ぶ。自己承認は欲望の根源です。
当然、「主体システムとは、欲望する対象に対する言葉に回収されない
「偶然性(社会の未規定性)」(=フロンティア、無垢)を、象徴界の回路へと回収し、
象徴界自体を組み替えていくことである。」
主体の基本はベタです。多くのメタも結局ベタな反復でしかない。それだからこそ、
欲望の対象として、無垢を必要とするわけです。象徴界とは、言語世界であり、
無意識であり、人は生まれたときから、言語(他者)の法則に無意識に従っている。
だからこそ、私だけの無垢を求めるし、それを消費することがこのいま、
この私というリアリティを紡ぐわけ。
現代は、この「偶然性(社会の未規定性)」(=フロンティア、無垢)の社会的な欠如が、
閉塞感なわけで、だからメタのない、無垢なもの=「生き生きしたもの」を求めるわけです。
749 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 00:50:50
「我思う故に我在り」はそのままそっくり
「主体在る故に我知覚する」の入れ子となり
世界に内在する世界という構図となる。
>>745 それは今でも重要な哲学的命題である。
チミはちょびっとでも良いから、これ以上のことを語れるのかね?
馬鹿が!w
751 :
A:2005/05/21(土) 00:54:10
>>745 「我思う故に我あり」は、存在論として正しくない。
私なら「我思う故に思いあり」とします。
我などというのは意識の中の単なる形式で
存在にはあたりません。
>>748 我々にわかるように説明していただけますか、
>>752 誤爆していることに今気が付きました・・・
失礼しました・・・
誤爆なのに、びみょーにつながってる…神……
756 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/21(土) 04:20:24
理屈の通じない相手に、いくら説明しても徒労だね
2chでは、相手の顔がみえないからね
今まで面と向かって話して、理屈の通じない相手なんて、そうそういないぞ?
キミ達は、私が日常では相手にしないような人達なのかな?
それとも、最近の若い連中って、みんなこんな感じだとか?
>>751 我思う しかし我なし か・・・
思う という動詞が、存在性だと思っているとはね
我走る しかし我なし 走りがあり なのかな・・・
話が、全く通用しないな
我思う ゆえに我あり というのは
私が認識している全ては、幻想なのかも知れない と、疑う事も可能だが
疑っている自分自身の存在は、どこまでいっても否定できない
どう考えても、考えてるんだから、疑う余地が無い という意味
こんな簡単な事が理解できないんじゃ、何を説明しても無駄だよね
>我などというのは意識の中の単なる形式で
>存在にはあたりません。
意識は、我の意識であって他の何ものでもない
自分が自分を意識しているから、自分を自分だと認識できるのであって
意識が自分を作り出して、それを認識しているのではない
我は、我を離れては何も意識できない
なんでこんな事が理解できないんだろうね・・・
こっちまで頭がおかしくなりそうだ
757 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 05:37:22
>>756 それって最近デカルトの入門書かなんかを読んだ中学生の書いた文章?
のコピペ?
いい歳こいて、書いてて恥ずかしくない?
758 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/21(土) 05:48:05
759 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 05:55:27
それが
760 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/21(土) 06:11:44
はぁ?誰に書いてると思ってんの?
バカでも理解できるように、誰でもわかる哲学入門を書いてるんだよ
それでも理解できないのか?キミは
761 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 07:54:32
>ぜんぜん答えじゃないじゃん
答えじゃないと思うなら答えを示せばいいじゃん。
質問にもなってない擬似問題に答えがあろうはずがない。
>>756 走るのは体ですので、「我走る ゆえに我あり」ですと、
「我=体」ということになってしまい、最高位先生のお考えと
矛盾してしまいます。いかがでしょうか。
763 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 10:11:07
死人は体があっても走れません
764 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 10:18:57
朝日は中立的な新聞だと思う。イデオロギーや政治に左右されない信念がある。
その点、読売や産経等は政府に媚びたり、戦争を肯定するような記事が目立つでは
無いか、日本人を右翼化しているとしか思えない内容の記事も目立つ、これらの
新聞を読んでいると善良な市民が戦争を肯定しかねないのでは?
朝日を読んでいる国民に戦争を肯定するような人は一人も居ないと断言できる。
765 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 10:28:12
ちいさい私が脳の中にいて
知覚を認識しています
錯覚です
そう錯覚こそが人が人たるゆえん
767 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/21(土) 13:06:32
>>762 何を言っているのですか
「我寝る、故に我あり」です
「我気絶する、故に我あり」なんです
我は主語です。我があるから我が死ぬんです
「死ぬ」は動詞ですよね。動詞の前には必ず主語が来るんです。
まず「私」の存在があって、「私」が死ぬんです。死んでいる「私」が存在
するんです。
死んでいる私が存在する!!これで哲学すべてを破壊しました!!!
唯物論、物理学を破壊し、さらに私によって哲学も破壊されました!!!
哲学者最高位先生、「私」はとうとうやりました!!!師に師事して本当によかった!!!
「私」万歳!!「私」万歳!!「私」万歳!!私最強伝説ここにあり!!!!
768 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/21(土) 13:22:00
まず「私」という主体がある。動詞の主体である「私」の存在がなければ
動詞は成立しないと。
これが、哲学者最高位先生から習った哲学です!!
私が死ぬ、これは死んでいる私という主体がある、という事です!!
死んでいる私が存在する!!!!とうとうサイコキネシス念力パワーを
超えた霊界パワー思想の領域に、私と哲学者最高位先生は入りました!!!
「私」万歳!!「私」万歳!!「私」万歳!!私最強伝説ここにあり!!!!
神が降りる、これは降臨する神という主体がある、という事です!!
771 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/21(土) 13:36:18
哲学者最高位先生は哲学の授業でおっしゃっていました(遠い目になる。。。はあ)
動詞の主体は必ず存在すると。
「死ぬ」は動詞です。死んでいる主体である「私」が存在しているのです!!
霊界万歳!!霊界万歳!!霊界万歳!!
「私」万歳!!「私」万歳!!「私」万歳!!私最強伝説ここにあり!!!!
772 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 13:37:03
>>767 >死んでいる「私」が存在するんです。
この文には、「死んでいる私」と、それを確認している、つまり「生きている私」の二人の私を必要とする。
故に矛盾している。
ここでいう存在ってのがどういうことかよく解からないし、
死んでも意識があるとか言われたらそれまでですけど。
>>768 >私が死ぬ、これは死んでいる私という主体がある
「私が死ぬ」と「私が死んでいる」は違いますよ。
前者は「未来において死ぬ」であり、現在は生きているのであって、
ここでいう「私」とは現在の私であって、未来において死んでいる私ではない。
後者は最初に述べたように矛盾している。
ただの言葉遊びでは? 言葉とは時として矛盾を生むものですよ。
>>756 疑っている自分自身の存在は、どこまでいっても否定できない
どう考えても、考えてるんだから、疑う余地が無い という意味
こんな簡単な事が理解できないんじゃ、何を説明しても無駄だよね
自己を認識しているということは否定出来ない、それならばどうして
それが自己(認識している)=自己(考えている自己)
根拠は? 閃きか、疑う余地がありまくりだから聞いてんだが、
お前の師匠を呼んでこい、
774 :
A:2005/05/21(土) 13:43:03
>>756 あまりにも初歩的で、何とご返答してよいものやら・・・
あなたの言われるところから真の哲学が始まる。
次々と立ちふさがる矛盾の壁に頭をたたきつけ、もがき、
めまいを起こしつつ一歩、また一歩と歩んでいく。
一つ仮説を立て、ぼろぞうきんの様になるまで執着する。
そして完全に挫折したとき、こりもせずまた一つ仮説が頭をよぎる。
貴方はよくそこで立ち止まっていられますね。
775 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/21(土) 13:57:41
>>772 私は哲学者最高位先生の哲学講義を当スレッドで受けている弟子の一人です
哲学者最高位先生の哲学を世に広め継承して行く義務のある者です
哲学者最高位先生の哲学を教えましょう。それは
「私に関する動詞の主語は、全て『私』である。そして動詞の主体は必ず存在する」
というものです。先生は明言しています。
「私」が「死ぬ」んですよ。動詞は「死ぬ」です。そして死ぬの主語は私。
動詞の主体である私は必ず存在する。
死んでいる私が存在する・・・
死後の霊パワー世界があるのですよ!!!
「私」万歳!!「私」万歳!!「私」万歳!!私最強伝説ここにあり!!!!
776 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 14:03:05
>自己を認識しているということは否定出来ない
否定できない根拠が不明だな。「そのように感じる」では根拠にならないが。
勘違いかもしれないからな。
777 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/21(土) 14:05:57
>>772 残念ですね。。。772先生は哲学者最高位先生の哲学を理解できないようだな。
哲学者最高位先生は我々にこう教えています。
まず「私」が存在すると。
>>772先生の言い方は矛盾しているのです。
772先生の言い方では、「私が思う」と「私が思っている」と違う事になってしまい
ますよ。
前者は「未来において私は思う」であり、現在は「私は思っていない」事
になってしまいます。これでは哲学者最高位先生の哲学と反します。
よって772先生は間違っているのです!!!
>>776 じゃあ、お前が現在認識してるのは
どっかの他人なんだな、 ばかか、
ややこしくなるからお前は出てくるな、
阿修羅ワンパターンだよ
絶対に正しい事。
「存在しないものは存在しない」
なんでもありって事かな。
だれに対するレスで、何を言っているのかな???
↑780へのレス
783 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 14:39:13
愛の立ちバックして〜
784 :
780:2005/05/21(土) 14:51:52
>>781 自己存在がどうこう言ってる人達に。
「存在が無いもの」をどうやって言葉や概念で説明或いは伝達できるんですか?
「認識されるもの」は「存在が在るもの」だと思います。
785 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/21(土) 14:58:55
哲学者最高位先生は「我走っている、故に我と我の走りあり」と教えています。
走るという動詞だけでは存在しません。
動詞だけでは存在せず、「私」という主体が必ず存在しているのです。
これが先生の教えです。
「死ぬ」は動詞ですね?死んでいる「私」が存在するのですよ!!!
霊界万歳!! 北斗の拳万歳!!
終了ーーーー今日はここまでだ
そりゃそうだが、
↑784
788 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 15:22:33
毒キノコを食ったら
痺れた。感覚麻痺。
宇宙と融合した。
神になった。すべてになった。
私と世界との
境界が消滅した。
と、そういうのを感じているのも
自我なんでしょ?
夢か現実か
自分が生きてるのか死んでいるのか
判らなくなった。けど、我思うゆえに我ありなんだろうと。
789 :
780:2005/05/21(土) 15:31:59
虚構のお話(フィクション)は在り得ない世界です。
しかし認識できると言う事は、話そのもの、概念、属性、或いはパターン
として存在できるのです。
また、他者(外界)は私(内界)から見れば概念(皮肉な言い方をすれば偏見)として存在している。
790 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/21(土) 16:08:25
>>785さん
それでは非常に不完全です。
その「私」とはどれ程ものでしょう?
791 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/21(土) 16:31:15
ああ唯識さん
シンプルに言うとですね、「私」というものは先に在るものなんですよ
これ以外に確実なものは無い
「私」が存在する、これが最初なんです
この存在する「私」が、動詞の主体として先にあるんです
そして、「私に関する動詞の主語は、全て『私』である。そして動詞の主体は必ず
存在する」という哲学者最高位先生の教えがあるんですが、
「私」の後に動詞が来るんですよ
ですから「私が死ぬ」とは、死んでいる「私」が存在するんですな
792 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/21(土) 16:39:02
>>791徹夜学者最高位さん
言葉遊びになりますが
「私の体が動く」ではダメなのでしょうか?
最高位まがいのコテはスルーしたほうがいいよ、疲れるだけだ
本人が自演してるなら別だが
794 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/21(土) 16:42:53
哲学者最高位先生は、
「私に関する動詞の主語は、全て『私』である」と我々弟子に説いています
「私」という主体は必ず存在します
「私の体が動く」その動いている「私」が存在する、という事です
これは「寝る」に関してもそうです
「私は寝る」その寝ている「私」が存在するのです
動詞ってのは主語の属性や状態を表すものだろ。
別に1人称じゃなくても、あなたでも彼でも名詞でも存在を前提にしているのでは?
お化けが出た
お化けが言った当人にとっては存在しているということでは?
徹夜学者最高位先生にお尋ねします。
なぜ「動詞」に限定する必要があるのでしょうか。
形容詞でも、形容動詞でも、どんな品詞であれ、「述語」が存在する限り、
それに対する「主語」も存在する、というべきではないでしょうか。
たとえば
「百年前には、私は存在しない」
「百年後には、私は存在しない」
「存在しない」という述語が真実である限り、その主語である「私」は
必ず存在するのでなければなりません。存在しないものについて、
何かを述べることは不可能です。まして述べられたことが真である、など、
考えも及ばないことです。従って
「私は存在しない」以上「私は存在する」のは必然であります。
私の考えは、間違っておりますでしょうか。
it rains
神が雨を振らせ給う
よって神の存在は証明された(終)
799 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/21(土) 17:03:22
>>795 お化けに関しては分からないな。
哲学者最高位先生は、分からないものは分からないとせよ、と教えている。
お化けの属性や状態は人間には知り得ない彼岸のものだ。
「私に関しての動詞の主語は全て『私』だ」という事しか先生は説いていないので。
お化けの事は知らんよ。
それにだね、「私の存在性」しか確実なものはなく、その他全て
は疑えるんだ。お化けだって幻覚や夢かもしれない。お化けは疑えるんだ。
そのお化けや幻覚や夢をみている「私」の「存在性」以外に確実なもの
はないからね。だからお化けの動詞については他の人に聞いてくれよ、
もとく君とかにね。
800 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/21(土) 17:13:59
>>796 うちの先生は「そう考えている『私』が存在する」というのが信念ですから。
ですから、「百年前には、私は存在しない」と考えている『私』が存在するんだ、
とお答えします。
先生は物理学のような外側からの視線ではなく、内側の唯一の「私」から
考えを出発させることを、我々弟子に説いていますので。
このくらいで勘弁してください。
>>792 唯識さん、それは全くお話になりません。
最高位先生は、私の体は客体としての物質であって、あくまでもそれを
動かすのは「主体としての私」であると述べておられます。
恐らく、私の心も客体としての精神であって、あくまでもそれを
動かすのは「主体としての私」である、というのが先生の真意でしょう。
なぜなら、「心や意識は変化するが、『私』は純粋な存在性だから、変化しない」
とたびたび述べておられるからです。
従って、最高位先生の真意に照らせば、
「我、体をして走らしむる、故に我あり」
「我、心をして思わしむる、故に我あり」
と言うのがより正確であると思われます。
心と体の関係? そのような些細な問題には、先生は一切関心を払っておられません。
802 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 17:23:31
本物の最高位より徹夜の方が解り易いのはなぜw
803 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/21(土) 17:24:17
>>796 うちの先生は、「私」を表す形容詞は否定すると思いますよ。
「黄色い私」とか「ボロい私」とか、そういうのは嫌いらしいです。
自我は半分に切れないというのが先生の教えです。主体となる自我が
受け身で形容されるてしまうのは、うちの先生は否定します。
804 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/21(土) 17:28:55
変わらない絶対的な私。
うーん、これこそが煩悩、迷いの根本だと思うのですが。
唯物(物質)論の論破には関係ないかもしれませんが。
805 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/21(土) 17:36:57
唯識さん
うちの先生は「私」の精神活動の内容は変化すると教えています。
ですから、「変わらない絶対的な私」ではなく「私の存在性と唯一性」
だけが確実、という事です。意識する内容が変われば、私の「行為」や
「思惟内容」も変わりますから、それほど煩悩を心配する必要もないと
思いますね
806 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 18:09:45
>>784 >「存在が無いもの」をどうやって言葉や概念で説明或いは伝達できるんですか?
いくらでも説明できる。たとえば、
「幽霊は存在しない」
「1+2=5となることはない」
「ある」と「ない」という言葉があるのだから
「ない」を説明できるのはあたりまえだよ。
「無は存在する」も真なる言明です。
「存在」とはそれがあっても矛盾を生じないこと。
存在しないものは、何を言ってもいいんじゃない?
うちゅちゅ虫は体長15pの優しい性格と勝手な事を言ってもいいと思う。
808 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 18:16:02
>>796 >形容詞でも、形容動詞でも、どんな品詞であれ、「述語」が存在する限り、
>それに対する「主語」も存在する、というべきではないでしょうか。
記号論理学では述語論理に主語はいらない。
述語には「ある」と「ない」の2種類がある。存在も非存在も示せる。
809 :
780:2005/05/21(土) 18:18:01
>>806 「幽霊」という概念が存在するんです。
「概念がある」とは「それと他とを認識(区別)している」ということです。
それで、「認識できるものは(実体の在る無しとは別に)存在している」
例えば、法律とかは実体は無くても存在しています。
810 :
780:2005/05/21(土) 18:25:02
>>807 「うちゅうちゅ虫はなになに」と語れば概念が出来て認識できるようになる。
認識できるようになれば虚構でも存在する。
811 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 18:25:37
>>807 >存在しないものは、何を言ってもいいんじゃない?
そんなことはない。言葉で物語る以上は合理的でなければならない。
論理に合わないことは語ることもできない。
現実にあうかいなかはまた別のことだ。
神話の合理性について考えてみよ。合理的だから神話を信じる。
812 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 18:28:37
ご先祖様は存在しますか?
おまえら先生は先生はじゃなく、
自分の論を展開しろや、
進歩が見られませんね
脳神経や心理学をやらないと
無駄なんじゃないですか
語る資格すらないというか
>>808 おお、それは興味深いお話です。
できれば「我思う故に我あり」を記号論理学で記述してみていただけますか。
816 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 20:22:08
>>815 >「我思う故に我あり」を記号論理学で記述
∃xT(x)
簡単じゃね。
817 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 20:23:43
>ご先祖様は存在しますか?
存在します。
で?
818 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 20:24:54
>>816 意識以外にも何にでも当てはまるが。
意味ないだろ。
819 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 20:37:59
>>818 記号論理学で意味といったら真か偽かの真理値しかないだろう。
「俺を誰だと思ってるんだ?」と言うところを、
間違って「俺は誰なんだ?」と言ってしまい、
その後まもなく、吉武というあだ名が付いた。
821 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 04:26:08
>>816 ん?
∃xT(x)だと、
「思惟する人がいる。」じゃないのけ?意味ちがくね?
822 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/22(日) 04:58:41
伸びてるなぁw
>徹夜学者君
だんだん、まともな事を言うようになってきたね
もぉ、サイコキネシスとかは、やめてよね
わからない事は、わからない としなきゃいけない
たとえ矛盾のない仮説でも、それはあくまでも仮説だと明言しなければならない
なぜなら、他にも矛盾のない仮説がありうる可能性があるからだ
わかっている事だけを使って理論構成しなければならない
あと、物理学そのものは、破壊できるような形態にはなっていない
物理的なものを物理学的に、物理学として研究しているのであり、その枠を出ない
事実的なものを解明しているだけで、人間の精神や、宇宙の根本問題など、全てにまで言及しているのではない
物理学だけで全てが解明できると言い出したら、それは物理学ではなく、唯物論だ
私は、この唯物論というトンデモ信仰を破壊した
物理学は、物理学として存在すればよい
823 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/22(日) 05:14:45
>>774 いやいや、立ち止まっているのではないんだよ
常に全てを疑い、いろんな可能性を模索していますよ
しかし現段階で、わかっている事はある
1+1は2だよと言って、よくそこで立ち止まっていられますね と言われている心境ですね
しかし、この場合の1+1+=2も、実は私は疑ってはいるのですよ
常識的に、それ以上の理屈が出てこないってだけ
824 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 08:29:12
最高位さんにお聞きします。
疑うとは逆に、自我以外に信じているものは何でしょうか?
825 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/22(日) 08:57:32
>>824 質問の真意がよくわかりませんが
基本的に常識的な事は、ほとんど信じていますよ
疑うとは 今、自分が認識し考えている世界が、100%正しいと決め付ける事はできないであろう という事ですよ
違う可能性もあるだろう という程度の事ですよ
疑う という言葉と、否定 という言葉を混同する人がいる
疑いの程度によって、全く違う価値観になってしまいます
あくまでも、違う可能性も考えないわけにはいかない という事です
>>822 おお、何をおっしゃいます最高位先生。
物質でない『私』が「体」を動かすのは「サイコキネシス念力パワー」
以外の、いかなる力によるとおっしゃられるのでしょうか?
物質でない『私』が「体」の影響を受けるのは「物体テレパシー」
以外の、いかなる力によるとおっしゃられるのでしょうか?
一度は達した悟りの境地が遠のいて行く思いです!!
お助けを、最高位先生!!!
827 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 10:18:51
>>826 神経科学や脳科学の知識のないバカの戯言だな。
828 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 10:39:32
>>826 あなたは、最高位先生の教えをまるで理解てきていませんね。
まず、あなたは『私』と「心」を混同しています。
「心」や「意識」は常に揺れ動き、変化しています。
同じように「体」も「脳」も常に揺れ動き、変化しています。
しかるに、最高位先生は「『私』は純粋な存在性であり、変化しない」と
喝破しておられるのです。
あなたのように「私=心+体」というような理解は、根本が間違っているのです。
『私』は心も体も超越した「純粋な主体」として、心や体を動かすことは
あっても、心や体からの影響を受けることは、ありません。いわゆる「不動の動者」、
神のごとき存在なのです。
こう考えれば、「心と体の関係、いわゆる心身問題」など、雲散霧消してしまいます。
どちらも『私』が動かしているからこそ、あたかも相互に関係しているかのように
見えるだけで、実際には、心と体の間には直接的な関係など、何もないのです。
いわゆるスピノザの「並行説」に近いといえば、理解しやすいでしょう。
おわかりになりましたか?
829 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 10:56:16
>>828 >『私』は心も体も超越した「純粋な主体」として
だから、そのような主体である実体は存在しない。
「私」の実体は存在しない。「私」がなくともなにも
困らない。
830 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 11:25:50
体は物質じゃねーだろボケ
物質だったらとっくに腐っとるわい
常に自己複製を行う生命活動をしている細胞の塊だ
831 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 11:30:31
体は物質である。
生体と死体という状態の違いがある。
生命がなくなったからといってすぐに
体がなくなるわけではない。
しばらくは遺体や死体として存在する。
832 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 11:35:35
活動のためのエネルギーが供給されなくなったとき
体は死んで物質になります
833 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 11:50:11
「我」と「主体」の隔絶された違いを理解できない人は
あまり考えすぎない方がいいよ。
おつむが プシュ〜
834 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 12:19:13 BE:80556858-
私、我、主体、体、・・・個人個人が勝手に意味する範囲を
変えるのがこの板の特徴ですかね。
辞書に載ってない意味、含みを勝手に再定義しても、
何もおもしろくねえよ。
同意
836 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 18:42:14
創造力の有る人間と、創造力の無い人間の差はかなりある。
837 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 18:48:37
意識も工学なのだよ?
838 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 18:57:11
心身二元論的意識を工学で設計してくれ。
839 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 18:58:35
ロボットの意識は工学により設計される。
840 :
THE グル :2005/05/22(日) 18:59:48
>>838 いいですか、
それは、
もう何度も繰り返してこの板で述べてきましたし、
また、
披露してきたことなんですがね。
どうかしましたか?
841 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 19:02:01
>>841 ほっとけ、春になるとこのような馬鹿がういてくる
843 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 19:55:49
徹夜学者は、最高位のモノまね、ホメ殺しネタで笑いを取れる天才芸人だねw
マジレスしてはいけません。唯識さんも無茶をするなぁ。
>821
議論領域を「人間」じゃなくて「私」だとすれば、
∃xTxも
「思惟する私が存在する」となって、一見よさげなんだが、
よく考えると、∃の意味では、
「(他に、思惟してても存在しなかったり、思惟しないアホな私なんかもいるかも知んないけど)
(とりあえず数ある私の中で一つは)思惟する私が存在する」
ってことであって、デカルトの言ってることとは違うよなぁ。
∃の「存在」は、あくまで集合論的な意味での「存在」だから、
「存在」を別に、述語 F とかにして「私」を定項 i で
Ti ⊃ Fi
でいんじゃね。つまんないけど。
846 :
bbs:2005/05/23(月) 12:50:45
まず「自」が確固として存在するとします。
そして見ている「世界」が現出します。
ところが、自分の見ている世界はそれ以外の「自」には見ることは不能です。
つまり、あなた方には私の見ている世界は「幻」となります。
次に「世界」が存在するとします。
すると自分の要素は「我」にしか見出せなくなります。
この時点で「自」はどこにも見出せなくなります。つまり「無」となります。
分かるでしょうか。つまり、「自己の実体性」は相対的にしかその実体性を言述できないのです。
>>823 余談ですが1+1=2は瞬間的には成り立たないと私は考えています。
なぜなら、この世には厳密な意味で同一なものはないからです。
同じではないものを同じであると思う「認識」がそれを成り立たせているのです。
1+1=2は経験論的な話に還元されるでしょう。
847 :
考える名無しさん:2005/05/23(月) 13:06:31
>>846 >自分の見ている世界はそれ以外の「自」には見ることは不能です。
どうして不能なのですか?
不能である根拠がない。
したがって以下の記述は意味をなさない。
>1+1=2
この等式に同じものを二つなどという意味はない。
同じであるかないかは「1」であるかないかとは
関係ない。個物と認められれば何でもその数は
「1」である。
848 :
bbs:2005/05/23(月) 14:38:36
>>847 >どうして不能なのですか?
もし、自分と同じ世界をほかの存在が見ていたと仮定すると、それは結局は自分自身と同じということになります。
なぜなら、違う「認識」が「同じ世界(認識を含む)」を観測しているということはありえないからです。
>個物と認められれば何でもその数は 「1」である。
「認め」なければ「個物」が「1」とはなりません。
認識問題という意味では結局言ってることは同じです。
「自」が「世界」の一部分として確固として存在する、で、
何がいかんの?
850 :
bbs:2005/05/23(月) 15:14:12
>>849 その「確固たる存在性」が問題なのです。
ここに「今」、「自」が時間を無視して存在しないとすると過去と今の連続性は失われます。
そこで、時間は妄想でありその影である「空間」に囲られる「認識」が「時間」を相対論的に表しているとすると、今度は空間の連続性が「今」有る「自」にとって失われます。
結局、自分の実在性は認識上は存在しないことそのものであるとしかいいようがないと考えられるのです。
自分が「確固たる存在」であるといえばそういえばそうなるでしょうが、それを通常の認識の用語で「一意的」に言うと、それは異なってしまいます。
なぜなら、「自」を「存在」というかもまた認識問題で相対的だからです。
サパーリわからん。
時間と空間の連続性の中に「世界」が存在していて、「自」はその「世界」の
一部分として存在していて、「認識」は「自」の存在の仕方の一面である、
で、何がいかんの?
852 :
bbs:2005/05/23(月) 15:54:36
>>851 では、こう言えばどうです。
ある点における主観とある点における主観が混ざり合うことはありません。
その点の「今」と他の点の「今」を繋ぐ「連続した存在」がその二つを繋ぐためには何らかの時間的パラメーター(別に時間でなくてもいい)が要求されます。
ところが、ある点における主観はその時間のみしか定義しません。
よって、主観は行為の内に内在することはあってもそれそのものの存在性として定義することはできないのです。
853 :
bbs:2005/05/23(月) 16:08:37
>>852 付け足します。
そして「認識」も行為ですから結局は主観から排除され、「自性は無」ということになると最終的に考えられる訳です。
ぬーん、もしかして難しい物理学とかの知識を前提にしてるの?
だったらお手上げw
>>852 なんか「主観」を「客観」に置き換えても同じように思えるが。
ある点の「今」と他の点の「今」を繋ぐ「連続した存在」って、
どちらの点も「今の世界」の一部分であるという事実、で十分じゃ?
だから、「違う認識が同じ世界を観測しているから、認識の内容は
微妙に違うけど、どちらも今の世界の一部分」で、いかんの?
「ある点における主観はその時間のみしか定義しません。」って、
何のことやらわからん。
「主観は行為の内に内在することはあっても」って、行為(物質の変化?)
の内に内在することが主観の存在性である、で、いかんの?
855 :
bbs:2005/05/23(月) 16:32:43
>>854 >どちらの点も「今の世界」の一部分であるという事実、で十分じゃ?
そうすると、時間の流れを認識できなくなります。
さっきあったはずだと思っている「何か」と今有る「何か」が同一の存在でありながら空間的に異なるという認識が時間の認識を「今」現出させています。
つまり、空間における存在は「今」において時間と同じことを表しています。
>「ある点における主観はその時間のみしか定義しません。」って、 何のことやらわからん。
単純に「今」が「今」でしかないということです。
>行為(物質の変化?) の内に内在することが主観の存在性である、で、いかんの?
この考えは相対的なのでそれもまた正しいでしょう。
うーん、何で「時間の流れを認識できなくなる」のか、わからん。
>さっきあったはずだと思っている「何か」と今有る「何か」が同一の存在でありながら空間的に異なるという認識が時間の認識を「今」現出させています。
これって、要するに「空間の変化が時間を認識させる」ということ?
別にそれでいいやん。それと、どちらの点も「今の世界」の一部分である
(次の瞬間には次の瞬間の世界の一部分である)という事実と、
何か矛盾するの?
「同一の存在でありながら」にこだわる理由も、よくわからん。
同一の存在が時間とともに変化する、でも、さっきあった何かが
消滅して別の何かが現出する、でも、空間が変化していることに
変わりないから、時間を認識するには同じことやん。
何なら、世界は一瞬ごとに消滅と現出を繰り返している、でも、
別にいいやん。便宜上「同じ世界」と考えれば同じこと。
「相対的なので」ってのも何だか。主観だって客観だって、
どんな存在だって、相対的といえば相対的やん。
これにて脱落。
857 :
考える名無しさん:2005/05/23(月) 17:36:28
>>857 輪ローター
ピアソン氏、知能指数とかすげー高いんだろうけどさ、哲学センスは0だな。
でも、この研究はおもろいぞ。
本人にとって、このダウンロードはまったく無意味だが、
家族や知人には意味があるんじゃないかな。
もし、故人とまったく同じ反応を示すA.I.ができれば、
他者にとっては故人が「生き返った」といえるんじゃないか?
どっちみち、他者の意識のあるなしなんて確認のしようがないんだから。
859 :
bbs:2005/05/24(火) 12:35:06
>>856 この考えは確かに非常にイメージがしづらいです。
まず、私は記憶が厳密な意味では正しいとは考えていません。そもそも「今」に「過去」は存在しませんから、記憶は「今」であり「過去」ではありません。
ではなぜ記憶が正しいと思っているのでしょうか。それは、記憶が正しいと思うことそのものに時間性が含まれているからだと考えています。
今見ているものが「今に有るこの地点」と離れているのに「今ここで認識出来ている」と「認識する」ことそのものが「時間性」を表していると考えられるのです。
つまり、あそこにあったはずの情報がここにもあるという事はその間に時間変化があったと考えられるという「認識」が「今見ている世界における時間性」を表現しているのです。
自分は「変化」という考えを認めず、それは本来的に認識そのものが作り出している錯覚に過ぎないと思うのです。
860 :
考える名無しさん:2005/05/24(火) 13:04:36
>>859→なぜ記憶が正しいと思っているのでしょうか。
ふつうの神経持ってるやつは誰も自分の記憶が(絶対)正しい
なんて思ってないよ。より確かな「記録」という方法を用いてる
のがその証拠。なんか言ってることおかしいぞ、おまえw
861 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/24(火) 14:04:50
>>859 私は人間の時間感覚は「今」を認識している事よりも、
「記憶」により「確認」しているものだと思います
例えば、10分前にあそこにあった車が今はここにある
という例の場合はあくまでも「今」が認識主体であり、連続する「今の情報」は「記憶」へと繋がります
まず、「車がここにある」という情報は「記憶」が前提でないと認識する事はできません
それと「記憶の確認」は「今」ですが「記憶」自体はあくまでも「過去」でしょう
862 :
考える名無しさん:2005/05/24(火) 14:16:33
まあ、事故や病気で記憶できない人なんかもちゃんと今を生きているわけだ
863 :
bbs:2005/05/24(火) 16:50:40
>>660 >ふつうの神経持ってるやつは誰も自分の記憶が(絶対)正しい
なんて思ってないよ。より確かな「記録」という方法を用いてる
のがその証拠。なんか言ってることおかしいぞ、おまえw
自分は「記憶」も「記録」も当然のごとく同じであると考えています。
それらの事実的な要素は結局過去の確認と言う意味では同じです。
>>861 ややこしいところなのですが、別に私は記憶の実体的な情報性を求めてはいません。
言っていることを簡略化してみます。
ある点Aにおいて主観が働いていたとします。
するとそれ以外のある点Bにおいて主観が働いていたとする認識が起こると自分自身がある点Bにおける情報性を受けていることになります。
ここで、情報の伝わる速度が有限でなければ認識が無限に働きます。
これでは自分の認識が時間を超越してしまいます。
しかし、認識は「今」においてのみあります。ということは情報の伝わる速度は有限です。
自分は光速が一定ということも疑いながら考えているのでこういう考えで光速の有限性をまず保証しておきます。
つまり、ある点Aに主観がある瞬間に点Bがその主観として同一の存在性を与えられると認識された時、その間に時間が存在するということになります。
もし点Bにおいて主観が働いていないと認識が判断したとすると点Aはその存在性を感知できないはずです。
なぜなら、存在性は何かしらの認識的共通性をもってその存在性が相互的に影響されると認識は感知するからです。
あと、自分の言っているのは「記憶」というよりも物質的な「記録」に近いです。実際には記録よりもさらにより単純化されていますが。
思ったんだが、言いたい事をまとめてから書けよお前等
無駄に長い
865 :
bbs:2005/05/24(火) 17:00:18
>>863 付け足します。
>>861 「今」と言うとき「連続した今」と「連続しない今」の二種類がありますが、私は「今」を連続しないものとして捕らえています。
「連続した今」は「連続」の中に「連続しない今」が内在することによって生まれた錯覚的なものだと捕らえています。
866 :
bbs:2005/05/24(火) 17:10:26
あと、
>>863で「光速」と表現した部分は、情報の伝わる速度の有限性を表現しているので、別に光でなくてもそういう存在なら何でもいいと考えています。
867 :
考える名無しさん:2005/05/24(火) 21:37:15
意識=自己認知
868 :
考える名無しさん:2005/05/24(火) 21:50:41
意識=余剰知覚
意識=認識するための知覚
870 :
考える名無しさん:2005/05/24(火) 23:48:20
意識=知覚に付随した認識
あいねす
872 :
考える名無しさん:2005/05/25(水) 00:29:18
意識=繰り返す認識と知覚の横やり
873 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/25(水) 10:23:52
しかし、キミ達は進歩しないヤツらだなぁ・・・
874 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/05/25(水) 10:29:40
>>828 あなたは、かなり理解できているようですね^^
最近『私』について理解できてるっぽい人が、ようやく増えてきたようなので、ひと安心だ
これで唯物論の勢力が歴史的に、縮小していくのは間違いない
875 :
bbs:2005/05/25(水) 16:46:15
もし、光速で動く鏡が存在するとします。
すると、そこに「自分」が存在するように感じるでしょう。
ところが、その部分には鏡しかありません。
実際にはその鏡も光でしかありません。
つまり、例えば我々が月を見るときは自分自身の約一秒前の情報性を認知していることと同じです。
しかし、我々はそれを自分ではなく月と認識しています。
よって、時間は流れず情報性を含む認識にのみそれは現出し、実体は時間的なものを含む認識に過ぎないと思うのです。
876 :
考える名無しさん:2005/05/25(水) 16:48:09
>>874 プッ、笑っちゃうね。
それじゃまるっきり小学6年生じゃん。
ただの認識主体の話ばっかして
本当に哲学やるやつはみんなその先のことを考えているんだ。
>しかし、キミ達は進歩しないヤツらだなぁ・・・
いや、キミよりはだいぶんマシだと思いますw
878 :
A:2005/05/25(水) 17:34:42
>>875 光についてお尋ねしたい。
光は波の長短によりエネルギーの大小をあらわし、
物理的に実質的な存在ですが、
光が波長であることの本当の意味は一体何だろう。
また、光が粒子でもある場合の二重性の意味は何。
879 :
bbs:2005/05/25(水) 17:52:14
>>878 波の波の形における存在性は本来的に重なり合っていて、それを一般的に言う存在にさせるのは認識に過ぎないと私は考えています。
個人的には多世界解釈が好きなのでそれにあった感じに私は理論を組み立てる傾向があります。物理学者は予言性を求めるため嫌う人が多いそうですが。
粒子性はエネルギーの量子性、波動性は干渉実験から来ています。
880 :
A:2005/05/25(水) 17:59:16
bbsさん、空間・時間・認識という三つのものの
組み合わせで説明できるでしょうか。
881 :
bbs:2005/05/25(水) 18:08:28
>>880 私は時間と空間は本来的に同じで、その二つを絡ませるのが認識となると考えています。
時間が他の次元と同じなら時間の一方性が説明できませんから。
その為には認識の働かない場所に新たなる空間が存在することが条件になると思っています。
882 :
bbs:2005/05/25(水) 18:13:10
>>881 少し混乱する言い回しになってすいません。
>時間が他の次元と同じなら時間の一方性が説明できませんから。
は、前の「時間」は空間と同じ見方における次元で、後者は有象変化という意味での時間です。
>>876 最高位タソは天才だよ。単純そうに見える基本に、とんでもない真理がある事を教えてくれてるんだよ。馬鹿には、それが理解できないだけ。
884 :
A:2005/05/25(水) 18:15:51
時間の一方性の説明に
なぜ、認識の働かない場所に新たなる空間が存在することが条件になると
思っているのですか。
885 :
考える名無しさん:2005/05/25(水) 18:16:17
886 :
bbs:2005/05/25(水) 18:23:05
>>884 自分の情報性は理想的には一秒で月軌道近くまで広がります。
つまり、私は今において最高的にはそれを認識することで過去を感じることが出来ます。
しかし、ここで問題が起こります。
もし時間が流れるなら、空間が膨張しなければいけないということです。
その空間がどこから来たのかがはっきりしません。
仮説に過ぎないところも強いのですが、どこかに空間が折りたたまれているか、もしくは隠されているかしなければ空間は膨張できないのではないかと考えたのです。
887 :
bbs:2005/05/25(水) 18:33:00
>>886 うーん、違うような気もしてきました。
別に空間が膨張しなくても情報さえ拡散されればいいのですから別に膨張する必然性はないかも知れませんね。
888 :
bbs:2005/05/25(水) 18:46:47
>>887 しかしながらこの自分近傍においては空間は広がっているんでしょうから正しいといえば正しいような気もします。
その辺りについて数学的に解明できたらいいんですが・・・。少し物理学に突っ込みすぎましたかね。
889 :
A:2005/05/25(水) 18:47:03
もし時間が流れるなら、空間が膨張・・・
ビックバン?
この空間にふうせんのイメージを持つべきではないと考えてます。
それはさておいて、空間のなかの「ここ」
時間の中の「今」というのは、認識上にしかありえないでしょう。
また、幾何学上、厚みのない平面は三次元空間のなかに
いくらでも折りたたむことが出来ます。
物理空間は四次元、そして世界のすべてはn次元と
考えるなら、認識ということもその中で説明されなければなりません。
客観性ではないものにまで意味を与えて・・・
890 :
bbs:2005/05/25(水) 19:29:02
>>889 >この空間にふうせんのイメージを持つべきではないと考えてます。
そうですね、少し一人で考えているうちに飛躍しすぎました。原点に戻って考えたほうがいいですね。
「今」の認識が瞬間的だとすると「今」と「今」が連続するのかが問題です。
それを繋ぐのが認識です。これは合ってます。そして、認識は有限です。
有限の中でそれを繋ぐことが、それの存在を与えます。
しかしながら、その実体性は行為をもってしか与えられません。
行為がない状態でそれを確定しようとすると単なるエネルギー的な何かにしかならないでしょう。
そしてそれは確定したとは言えません。
エネルギー的な状態は波としての状態が確定していないといえ、それは実在世界における認識とは異なると思います。
891 :
A:2005/05/25(水) 20:44:20
>>890 >「今」の認識が瞬間的だとすると「今」と「今」が連続するのかが問題です。
それを繋ぐのが認識です。これは合ってます。そして、認識は有限です。
有限の中でそれを繋ぐことが、それの存在を与えます。
アナログ・デジタル問題ですか?
認識の仕組みを考えてみます。
私は、認識とは自らの主体性を客観に置き換えて成立していると考えます。
例えば、私がいすをいすとして認識できるのは、
この私の主体性がいすの位置に移動することでそこが存在化し、いすとなる。
つまり、私はいすそのものになりすますことで認識が成立する。
なにせ、物理学上、いすなどというものは存在していない。
このことの延長上には木(材料)も存在しなければ、細胞も、分子も、素粒子
も存在していない。
つまり認識とは「個々に主体なる世界としての有り様」を知ることに他ならない。
だから時間は個々の連続、物質は原子論、そして認識するなら光も粒子。
四角形はどこまで分割しても四角形、ふうせんは永久に割れることがなければ
無限にふくらませてもやはりふうせん。
世界の真実は?というよりも、認識と世界は一元セットのもの、
我々は認識に適した都合上の世界しか知り得ない。
そのように私は考えます。
892 :
考える名無しさん:2005/05/25(水) 20:53:13
>つまり認識とは「個々に主体なる世界としての有り様」を知ることに他ならない。
意味不明、共感不能?。
主体なる・・・とは何か?、世界としての有り様?・・・とは何か?。
893 :
A:2005/05/25(水) 22:18:46
>>892 表現不足ですか、
存在は、自ら在る、でなければならないとすると、
私たちが五感でとらえるものは、自ら在るそのものの何らかの客観で
なければならない。
しかし私はいす自身でもなければ、ふうせん自身でもないのですから
そこに自ら在るのかは知るよしもない。
それどころか、物質に「物質そのものとしての立場」など無いのかも知れないのです。
しかし客観性というものはそのものとしての立場がなければ成立しない。
そこで意識は意識自らの主体性を認識対象の位置にあてがう、
すると私自らがそこに立場、そこは実体化し、改めて、いすという客観
や、色柄形という客観が成立する。
つまり認識主体は認識対象の位置に飛び込んでいる。
いすという主体がいすという客観をとらえているような・・・
もうこれ以上説明しきれません。
ご自分でそばに」あるものを見たり触ったりして
確かめてみてください。
自分が認識するそのものになっているような
気分になりませんか。
894 :
892:2005/05/25(水) 22:31:03
>>893 >そこで意識は意識自らの主体性を認識対象の位置にあてがう、
>すると私自らがそこに立場、そこは実体化し、改めて、いすという客観
>や、色柄形という客観が成立する。
理解できたよ、サンクスコ。ありがd。
895 :
考える名無しさん:2005/05/25(水) 22:53:09
見ている物というか他を認識するのは測距です。
「見る物」に関して言うと、光を利用して、
「触る物」だと、接触部の圧力を利用して、(目がやってるのもこれの応用)
「観念・概念」だと、自分とどう違うのか。
そして、認識するからそこに存在するんです。
違いが無ければ、存在しない。
よって、世界に在る物はたった一つということです。
896 :
895:2005/05/25(水) 22:58:08
或る同じ種類のいすを2脚用意します。
同時に見れば2脚あると感じます。
しかし、別々に分けて見ると想像するのは
その種類のいす1脚を見る。
つまりどちらを見てもその種類としか分からない。
897 :
895:2005/05/26(木) 07:14:20
何だよー。お話にならねーなぁ。
異論は無いでよろしいか。
898 :
bbs:2005/05/26(木) 12:16:10
>>893 確かに、実在性そのものは認識そのものです。
問題はその認識による実在性が何から生み出されているかです。
最高位さんはそれは「自我」から必然的に生まれる物だとしています。
しかし、私はそうは考えません。空間そのものが観測している物の実在性を与えているならば、認識は時間によって初めて与えられると考えます。
認識はアナログ的な要素も含んでいますがこの世界そのものは比較的単純でデジタルでしょう。
実感的に言えば「私たちは時間に動かされている」と言えばいいでしょうか。
もともと時空間そのものにエネルギー的な多元性が内在し、その反射が私たちの認識などを含む行為を生み出していると私は考えます。
899 :
考える名無しさん:2005/05/26(木) 20:14:26
>>896 種別と類別は違って当然です。
類とは同一性による分類であり、
種は似たものを細かく差別することです。
個物の認識は分類とはまた別の概念です。
900 :
考える名無しさん:2005/05/26(木) 20:20:58
腰が抜けるほどわらった
901 :
考える名無しさん:2005/05/26(木) 20:29:08
>>899 ( ・∀・)つ〃
凸 ヘェーヘェーヘェー
おもすろいお話が聞けますた。またやってくらはいね。
面白かったよ、ありがd。
902 :
考える名無しさん:2005/05/26(木) 20:44:53
認識だとか存在だとかこいつら精神科いった方がよくね?W
903 :
考える名無しさん:2005/05/26(木) 21:06:30
>>899 認識とは差異を見つけるまで類似性を追っていくというものである。
例:
「これは何か?」→「物体(という概念)に似ている」
「物体の何か?」→「いすに似ている」
「いすの何か?」→「うちにあるいすに似ている」
「うちにあるいすの何か?」→「ねじが1本取れたこっちのいすだ」
これはうちにあるいす2脚を同時に見た場合。
別々に見た場合、「ねじが1本取れたこっちのいすだ」までいかず、
「うちにあるいすに似ている」で止まってしまうだろう。
また、ピントのぼけた写真から認識する場合、
「いすに似ている」までで止まってしまうかもしれない。
904 :
考える名無しさん:2005/05/26(木) 21:06:52
現実に触れるところに在る物は差異を見つけるために
どこまでも類似性を追っていける。これは存在の確認。=認識。
五感が届く範囲外のところの存在を推定するのは、それの概念を思い出す。
法律は実体がありませんが存在してますよね。
例えば、著作権法を知らずにCDの音源をHPに載せた。そして逮捕された。
これは、当人にとっては著作権法の存在が無かったんです。
逮捕されて裁判を受ける時に著作権法を「認識して」存在を知った。
つまり、認識するまではその存在は無きに等しいものであるということ。
905 :
考える名無しさん:2005/05/26(木) 21:14:22
>>903 誤:別々に見た場合、「ねじが1本取れたこっちのいすだ」までいかず、
正:別々に見た場合、ねじが1本取れたのに気づかず
906 :
考える名無しさん:2005/05/26(木) 21:28:33
認識 = 類似性の創造とその類似物間(片側は記憶?)の差異認識かな
908 :
904:2005/05/26(木) 22:05:15
いしきやきいもーほっかほかーのにんしきだよ
人間の死なんて、体のアカみたいなものよ、本当の人間は大仏よりもっと、もっと
大きくて一人の人間の死は、ただの垢です。
911 :
bbs:2005/05/30(月) 15:50:23
もし主体だけが確かだと仮定すると主体が輪廻転生しなければこの世界は続きません。
もし逆に世界が確固たるものとすると世界に解かされるようにして主体の特異性は失われます。
結局は前提の問題なのでしょう。
912 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/30(月) 16:20:18
主体だけが確かなら、サイコキネシス念力パワーが存在しなければ肉体は
動きません!!!!!!
913 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/30(月) 16:24:29
主体だけが確かなら、予知能力がないと自転車も運転できないのですよ!!!!
気がつかないうちにハンドルをバランス良く操作していますから!!!
914 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 16:32:45
自己意識のほかに、「客観意識」とでもいうものがある。
「私は痛い」というのは自己意識だが、「地球は丸い」というのは客観意識である。
自己意識は脳を操作することによって操作することができるが、
客観意識は脳を操作しても変化しない。
915 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 16:34:50
我々が、「物体」と呼んでいるものは、客観意識の中の表象である。
916 :
bbs:2005/05/30(月) 16:36:27
917 :
bbs:2005/05/30(月) 16:50:54
>>914 しかしながら、例えば「丸いとは何か」ということがそもそも定義されていなければ丸いという認識も起こらないでしょう。
客観意識とは社会的な全体的意識です。社会が変化すればまた変わるでしょう。
918 :
bbs:2005/05/30(月) 17:02:57
>>915 一般的にはそうでしょうね。
しかし、それも究極的に細分化すれば「地平」に還元されるでしょう。
あるものを「隠す」から存在が存在するように感じるのでしょう。
表象の概念は実体的にはそれを常に超越する努力にみまわれているため、批判を浴びやすいですが、どこまでいっても地平線を単純な努力で越えることは不可能である以上は表象的な考えはある意味間違っていないとは思います。
919 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/30(月) 17:06:52
>>916 交通事故はサイコキネシスパワーと予知能力に限界があるという証拠です!!!
しかし、運転して気がつかない内に色んな物を避けています。
それは自我パワーに超能力があるからです。
自我パワーに超能力がなければ避けるのは無理です。
920 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/30(月) 17:40:41
尊敬する我が師、哲学者最高位先生の立場を弟子の私がご説明しましょう。
T「私」は行為の主体である
U「私」には物質的な根拠はない。
哲学者最高位先生の立場では、サイコキネシスやテレパシーを
認める以外にないのです!!!
哲学者最高位先生の鼻を思い切ってつねっても、哲学者最高位先生
は痛く感じません!!!!「私」には物質的根拠はなく、痛いと思う
かどうかは「私」の主体によって否定が可能だからです!!!!
「私」万歳!!「私」万歳!!「私」万歳!!私最強伝説ここにあり!!!!
921 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 17:47:43
>>920 やりすぎだよ・・・(^^;)
訴えられるぞw
そもそも、哲学者最高位先生のお立場では
「哲学者最高位先生の鼻」なるものが存在し得ないように思われる。
923 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/05/30(月) 17:53:59
あまりにも「身体」を軽視しているように思うのですが。
そして唯識的には「縁起」を無視しているようですが。
924 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/30(月) 17:57:38
破門ですか・・・・・_| ̄|○
先生の先周りをしたために破門か・・・・・_| ̄|○
私が優秀なためについ先生の思想を先鋭化してしまった・・・・_| ̄|○
破門されたらオルゴン集積器を作って地味に生活していこうか・・・・・_| ̄|○
925 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 18:11:41
>>924 そうして宗派や学問の流派、華道・茶道・武道etc.
は分派してゆくのだよw
イ`
○
ノ|)
_| ̄|○ <し
926 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 18:14:50
身体がなければ周囲を認識できない
周囲が認識できなければ自己の範囲も生まれない
自己の範囲がなければ意識の存在を認知できない
>>922 哲学者最高位先生のサイコキネシス念力パワーといえども、万能では
ありません。「なぜか」物質界のごく一部にしか効力がないわけです。
また、物質界は物体テレパシーを発しているわけですが、
哲学者最高位先生のテレパシー能力をもってしても、そのすべてを
感知できるわけではありません。「なぜか」物質界のごく一部の
発するテレパシーしか感知できないわけです。
物質界のうち、なぜか哲学者最高位先生のサイコキネシスが
効力を持つ部分、なぜか哲学者最高位先生のテレパシー能力が
感知できる部分、それを、便宜上「哲学者最高位先生の肉体」と呼びます。
後は、通常の用法に従い目鼻口等を振り分けるだけです。
あくまで「便宜上の呼称」なのです。おわかりになりましたか?
>>924 弟子が師を越えて行くのは、「出藍の誉れ」であり、むしろ誇るべきことです。
また、抜群の直観力で深遠な思想の本質を鷲掴みにするがゆえに、時に難解で
論理的矛盾をはらむやに見える師の思想を、理路整然とした体系に仕上げる
ことは、布教の上で欠くべからざる重大任務です。イエスキリストに
対するトマスアクィナスに当たるとも申せましょうw
なにとぞ従来通り後進をお導きくださるよう、伏してお願いいたしますww
928 :
徹夜学者最高位 ◆S3rSR5fyUo :2005/05/30(月) 18:21:54
私は先生の思想を純化しているつもりでしたが・・・
先生を越えたつもりで得意になっていましたが背伸びしすぎました・・・_| ̄| ̄ ̄ ̄○
私真理教は「私」には物質的な根拠が無いと先生がブツブツ・・・
オレ、徹夜学者のギャグ好きなんだよなぁ(最高位、ごめんよ)w
930 :
bbs:2005/05/31(火) 18:18:58
>>927 仏教に「行(物事の構成力)」から「識(要するに認識)」が生まれ、そこからさまざまなものが生まれるという説があります。
しかし、確固たる構成はそれ自体が全体の中のものですから、自分の本来的な力ではありません。
931 :
考える名無しさん:2005/06/01(水) 00:09:49
実のところ徹夜学者殿は
最高位先生のPSYCHO理論を的確に捉えていると思う。
面白いだけでなく、解析力も素晴らしい。
932 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/06/03(金) 17:45:51
勘違いしていたのは明らか
(唯一の存在性)など
933 :
考える名無しさん:2005/06/04(土) 10:14:41
934 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 10:06:11
話題が、自我から予知能力に変った?
935 :
bbs:2005/06/06(月) 12:56:20
>>934 そんな感じですね。
ですが我々は、それを超能力と呼ぶのかはともかくとして、未来を少なからず予知(そういう言葉に抵抗があるなら予期といってもいいです)していると本能的に思い込んでいますよね。
なぜならそのような能力がないとすると意識が無意識に下げられ時間が流れないと思ってしまうでしょう。
意識を考える上で大切なのは境界線を外し、画一的に捕える事でしょうから、ある程度の考慮も必要だとは思います。
936 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/06/06(月) 20:37:56
>>933さん
いろんなサイトがあるのですね。
私の考えとはかなり違うようですが、人それぞれですね。
937 :
高卒:2005/06/06(月) 23:34:08
インド哲学で問題にしている「認識作用」とはどの様な事を指すのか知ってる人いませんか?
>>937 聞くことの主体は聞くことの主体を聞くことは出来ない
というようなこと。
哲学の根幹さ。
940 :
考える名無しさん:2005/06/07(火) 01:38:33
犬が自分のしっぽを追い掛けてぐるぐる丸ような
ものだね。
話はズレルかもしれないけど
対象を意識する時
「私」が対象を認識するのだろうか?
対象を認識しているところの私を感じるのだろうか?
941 :
高卒:2005/06/07(火) 05:22:58
私はそれは見方によってどちらにもなり得ると思います。例えて言えば超ひも理論のひもと粒子のような関係
942 :
考える名無しさん:2005/06/07(火) 09:15:51
>>937 インド哲学では「認識」は「認識対象=客観(ものごと)」
「認識器官(感覚と知覚)」「認識内容(知識)」
の三項により構成されると考えられている。
たとえば、そこの「牛」が認識される過程は「牛」という
対象から色形を現す光が認識器官である眼に入り感覚・知覚
されて「これは牛である」と認識される。
牛のにおいは鼻で認識され、牛の鳴き声は耳で認識され、
牛乳のうまさは舌で認識され牛の角で突かれた痛さは皮膚の
触覚で認識される。
眼・耳・鼻・舌・皮膚の認識器官(感覚器官)の種別に
応じて得られる認識は眼識(視覚)・耳識(聴覚)・鼻識(臭覚)
・舌識(味覚)・身識(触覚)と区別される。
これを統合して知識とするのが思考器官(心)の意識である。
現代の認知科学と同じ考え方です。
943 :
考える名無しさん:2005/06/07(火) 09:21:01
インド哲学で認識主体は認めないのは仏教の唯識だけ
、認識主体がなくただ識のみ存在するから「唯識」
だね。
他のインド哲学では認識主体(我)を認める。
もちろん我は実体である、とするのが仏教以外の
哲学である。
944 :
bbs:2005/06/07(火) 18:19:35
>>942 感覚器官が根で対象が境で、分析器官が識ですね。
ただ、実体としての「我」は私は一応は存在すると思いますね。
ただし、それが自分の本質だとは思いません。
常に押すと押されるは裏返しの関係にあり、互いに二律背反しているにもかかわらず同じ地点にあるものでしょう。
つまり対象は常に地平であり、そこで二律背反の二つの事象がかみ合っていると考えられるでしょう。
そのため、「我」は自分自身の本質の裏がえしにあるものとなるでしょう。
945 :
考える名無しさん:2005/06/07(火) 19:05:53
>>944 5位75法のアビダルマなら5根5境1心王(意識)です。
5位100法の唯識なら6根6境8心王(識)です。
いずれでも実体としての認識主体である「我」はない。
識は主観(見分)・客観(相分)一体ととらえられ主客問題は
存在しない。
仏教以外で「我」を認識主体の実体とするインド哲学派でも
「我」の本質は言語表現できない、とされる。
認識主体が認識対象でとなることはできないから。
認識できないけど実体として存在するとされる、カントの
「物自体」と同じ概念が「我」である。
したがって「我」は世界内には存在しない。世界は私の世界
であるとする独我論の自我のように世界の境界に存在する。
946 :
bbs:2005/06/07(火) 19:36:23
>>945 認識主体の背反が認識対象ですね。
「我」は認識の壁のような場所になりますね。
その為見かけの「我」は実体として認識できてもその本質は表現不可能ですね。
ですが、言語がなくとも今のある認識(認識は常に完全でないと仮定する)と世界とのずれがあれば時間は感知可能です。
私の理解可能性が「無」なら「無い未来」や「無い過去」と関係できます。全て「無い」で繋がるからです。
現象と象徴はこの次元ではさほど意味を持たないでしょう。
外面的な物質性を言語的な認知不可能性で認識不可能とは言えないでしょう。
947 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/06/07(火) 20:59:32
>>946bbsさん
「壁」はいい表現ですね。
私はフィルターのようなもの思っています。
948 :
考える名無しさん:2005/06/07(火) 21:12:28
>>947 認識を構成する要素:分析論理哲学の見方
1.認識対象
2.認識主体
3.認識作用
4.認識結果
5.認識結果の言語表現
認識結果がただしくてもその言語表現が正しく
なければ言語ゲームは成り立たない。
949 :
bbs:2005/06/08(水) 14:07:08
>>948 実際の社会においては言語ゲームよりも伝言ゲームのような傾向が強いのではないですか。
950 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 22:54:05
951 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 23:00:17
意識は眼が見るものを視て、耳が聞くものを聴くのですよ。
952 :
bbs:2005/06/14(火) 18:22:47
>>951 幻影は視ているだけで見るものも目も一応は必要ありません。
ですが、先天的な何かだけで幻影を見ることは可能なのかといえばそれは微妙なのでその働きも否定はしませんし本来的に的外れでしょうね。
意識は少なくとも近代的理性的主体としての役割のみを持つのではありません。
死体も我々の客観上はその人のシンボルですし、その意味では、少し飛躍した言い方をすれば「生きて」いるとさえ言えるかも知れません。
興味深いよね
生まれつき全く目の見えない人はどんな夢を見るのだろう。
臨死体験といわれる状態の時に何をその眼は見るのだろう。
もし、細かな脳内のことがわかったら
電極の刺し方・電流の流し方でお花畑を見せることもできるだろうか・・・。
スレ違いスマソ m(_ _)m
質問スレかこっちで迷ったんだけどスレタイがずばり「意識って何だ?」なので
ここで聞いて見たいと思いまつ><
サルトル以降の「意識」の系譜についてでつ><
意識とはものではなく関係であり、
外部の世界に向かって直接関わっている「矢印」そのものである
世界と関わっているとは、人間が世界との間に裂け目を作りだすことであり
だから「意識」としての人間はいわば世界の中の裂け目そのものである
これがサルトルの「存在と無」ですよね?(違う?)
で、その後の構造主義やポストモダンではこの考えがどう受け入れられまた批判されていったんですか?
955 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 09:54:22
そうだとすればサルトルは馬鹿いうほかない ^^;
956 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 12:53:47
そうかな?
意識がものではないことは正しい見解と思うけど。
単なる比喩的表現で眼くらましされてるのと違うか?
>>956 > 意識がものではない
そんな分かり切ったこと、わざわざ言わんでも…
958 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 15:42:55
そうかな?
意識が魂と同じだと考えてるなら
魂はものだから意識もものとなる。
意識はものではない、関係性であるは思考の
新志向だよ。
959 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 15:53:28
新思考に飽きたらどうすんの?
960 :
bbs:2005/06/15(水) 16:33:28
>>959 また新しいものに切り替えればいいんです。
そういうわけで実存主義は二十世紀半ば以降衰退したのではないでしょうか。
しかし、必ずしも間違っている訳ではないでしょう。
特に、人間は単なるものではあってはいけない。
後に言う「去勢」だけでは人間はものになってしまうといった感じの批判は的外れではないでしょう。
>>960 > 特に、人間は単なるものではあってはいけない。
人間自体は単なるモノだけれども、その単なるモノからいまだ解明されていない
様々な現象が現れる、というのが今の多くの人々の考え方じゃないの?
962 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 22:01:55
963 :
bbs:2005/06/16(木) 14:47:14
>>961 そうですね、ですが一部の人には物というものを器官的に考える思想があり、それが我々の拘束具になりうるから人間は人間が「今」考えている物理学から絶対に逃れられないのだと一蹴してしまう人もいるのも確かです。
964 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 19:44:52
意識はひとつしかない。
脳はたくさんある。
965 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 21:17:09
>>964 >意識はひとつしかない。
ひとつの意識とはどのように数えるのだ?
ひとつの脳(からだ)に対応するひとつの
意識と数えるしかないだろう。
脳がたくさんあれば意識もたくさんある。
966 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 21:20:33
ワロタ
968 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 21:54:45
今日は、
養老孟司「考えるヒト」「解剖学教室へようこそ」(筑摩プリマ―ブックス)
を読みました。
969 :
考える名無しさん:2005/06/25(土) 20:01:26
意識の中に意識がある。
970 :
bbs:2005/06/27(月) 17:55:22
意識のそれぞれの要素もまた、本質的には意識でしょう。
971 :
考える名無しさん:2005/06/27(月) 18:31:26
意識は知覚して初めて意識でしょう
知覚しなければただの機械の作動でしょう。
972 :
bbs:2005/06/28(火) 17:13:43
>>971 知覚とは何でしょうか?
私は複雑な意識における知覚は客観的認識であるとは考えていますが、瞬間的な主観の知覚も意識的要素にありうるでしょう。
もし、客観的な知覚が完全なら意識の不完全性は生まれず、そこにあるものでありそこにないものでない単なる物になります。
これを防ぐには主観的な瞬間的知覚もまた意識的に考えるべきです。
>>953 TVで実験してたよ。
頭に電極付けて本人は起きたままで過去の経験した場面が思いだして
感動していた。
974 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 18:28:15
客観的認識ってのがわからないです
私が思うに認識も知覚、単純に痛いと感じるのも知覚
考えることも知覚、人間は主観により知覚するのみ。
例えば、考えるとは知覚の繰り返しにより記憶のつながりが起こり
それが理由と呼ばれる概念となり
概念となって初めて再び取り出すことのできる記憶となる。
975 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 21:43:17
他我や国家や法律は知覚することはできない。
しかし、それらも意識の対象である。
976 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 21:53:34
>>974 君は「地球は丸い」というのが客観的認識だと思わないの?
977 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 21:53:43
意識の対象は客体
「他我、国家、法律」は情報として
目や耳から知覚し概念として連結され記憶される客体です。
978 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 21:59:52
>>977 その考え方で、「美しさ」のようなものも説明できるのかな。
979 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 22:00:24
>>976 地球が丸いのは客体の情報
その情報を認識するのは主観です
主観が認識しなければ客体は認識されない。
980 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 22:03:43
>>979 お前は客観的認識と客観認識の区別もできないのか?
981 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 22:03:51
中途半端な懐疑論信仰も中途半端な実在論信仰も欺瞞だよ。
懐疑論者はこの世界が主観の錯覚だと言っていても、
電車には飛び込まないわけでしょう。
その程度は客観世界の実在を信じてるわけだ。
それがなぜ哲学的な議論の時だけ
「ほんとうに1+1=2なのか?」とか
「物理法則は明日なくなるかもしれない」とか言うのか。
無意識のうちに自分の信念にウソをついてますよ。
982 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 22:06:02
>>979 よくわからんが、「地球は丸い」というのは主観的認識だということですか。
983 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 22:14:22
美しさは快感
目や耳からの情報がシナプス系の増幅作用で快感物質を放出して
快感を伴う概念として記憶され知覚される
そして記憶の循環のなかで絶えずその情報は修正され新しい記憶が取り込まれ
「美しさ」を知覚した感動は一時として同じ形態を維持できず
故に人は美しさをなつかしむ。
984 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 22:21:36
人は主観でしか認識できない。
客観的認識とは?
主観により客観視することにより認識することはできる。
よくわからんが、「ノモとホモ」というのは主観的認識だと言うことですか.
完投して喜ぶのが野茂、浣腸して喜ぶのがホモ
打たれるのをいやがるのが野茂、打たれるのを喜ぶのがホモ
野茂はホモを狙わないが、ホモは野茂を狙うことがある
好プレーするのが野茂、チンプレーするのがホモ
家族で楽しく見るのが野茂のプレー、家族で楽しく見れないのがホモのプレー
お尻を見せて球を投げるのが野茂、お尻を見せて玉を揺らすのがホモ
フォークが得意なのが野茂、トークが得意なのがホモ。
アメリカで観戦するのが野茂、アメリカで感染するのがホモ。
野茂は講演に行くが、ホモは公園に行く。
野茂はカレーが好きだが、ホモは彼が好き。
野茂のプレーは素晴らしいが、ホモのプレーは凄いらしい。
優勝して感動するのが野茂、融合して浣腸するのがホモ。
タマを投げてチームを守るが野茂、タマを触って彼を攻めるのがホモ。
野茂はバーモントカレーが好きらしいが、ホモはバーの元彼が好きらしい。
野茂は投手、ホモは同種。
野茂はお尻を向けて投げるが、ホモはお尻を向けて誘う。
野茂はあまり喋らないが、ホモはよくしゃぶる。
野茂はトレーニングをするが、ホモは彼にングッする。
バックに守られるのが野茂 バックから攻められるのがホモ
野茂の高校は成城だが、ホモの行動は正常じゃない。
ただの投手じゃないのは野茂 多田野投手はホモ。
986 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 11:07:26
主観・客観も意識された知識でしょう。
987 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 13:25:25
クォークが存在するということは主観的(個人的、私的)には認識されていない。
しかし、客観的には認識されている。
988 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 13:28:25
客観的知識とは、人類的な知識。
それを受け入れるのは個人(主観)。
個人的には受け入れられないが、社会的には受け入れられている知識というのもありえると思うが。
990 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 13:35:19
それを客観的知識と受け入れられないということでしょう。
991 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 13:53:42
神は存在するということは、客観的認識だろうか。
神なんて概念じたい日本人にはないでしょ
神が存在するというのは宇宙人が地球に来てる
と思い込んでる人くらい主観的では
993 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 14:47:37
994 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 14:51:54
>神なんて概念じたい日本人にはないでしょ
安易な一般化をするな!
997 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 16:46:58
やだ。
誰か新スレ立ててください。
言うと思った。
┏┳┳┓ ハイ. ┏┳┳┓
┏┫┃┃┃ 雑談は ┃┃┃┣┓
┃┃┃┃┣┓ ここまで ┏┫┃┃┃┃
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┃ 雑談 ┣┫ . ・∀・ ┣┫. STOP!┃
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