小学生からの哲学教育があったっていいと思うんです。 俺は、日本は高校生までにアリストテレスからライプニッツ、 ハイデカーまでを網羅するような教育体制でよいと思うのです。 微分積分なんてそのあとで十分なんです。 政治や教育についての討論が軽視されているのは、 哲学教育がなかったせいではないとどうして言い切れるでしょう? 窃盗や暴力などの犯罪が近年多発するのは、 哲学が、所有という概念について教えなかったせいではないと どうして言い切れるでしょう? 哲学の早期教育化をこのスレで呼びかけたいと思います。
世間ではゆとり教育が今批判を浴びて、 昔の詰め込み教育に戻そうという風潮に極端になってきていますが、 そのまえに、俺は今、どうして勉強しているのだろう? それがわからないまま、社会に放り出されたことが この日本の最大の不幸なんじゃないかと思っています。 職に誇りをもてない人が多くいるのがこの日本の実情です。 フリーターやニート、引きこもり、パラサイト。 生きることに、意義を見出せなかった人たちです。 おそらく多くの人にとって勉強している時間なんて テレビゲームと同じ、空白の時間だったのです。 おれはそれらがすべてまことしやかに教育のせいなのだと 責任転嫁するつもりはありませんが、もし哲学の早期教育が実現したら、 どうなっていくだろうか。そうやって哲学教育の意味についてこのスレで 具体的に考えていければと思いました。
3 :
ローカルルール審議中 :2005/04/16(土) 09:59:32
たぶん問題は教えられる人を育成できていないという点にある。 教員育成ができないんじゃないだろうか。
俺は哲学っていうのは、思わず顔がゆるむものなんだと思う。 もしくは顔がしかめたりするもの。 「へえ?」とか「なんでそうなるの?」とか「そんなわけない」 「なに言っているの?」そういう感想を持つものだと思う。
日本では一般的に、小中高と哲学教育がない。 だから大学で哲学を履修することがないかぎり、 ほぼ哲学に触れる可能性はなくなるわけだ。 もちろん独学でやろうという人は別だが。 俺はこれはすごく悲しい出来事だと思う。
とある本を読む分かったのだけどフランスでは中高と哲学を教えるらしい。 フランスはもともとそういう哲学教育に熱心な国で、さかのぼれば ナポレオン一世の学制改革以来の伝統なのだそうである。
>>3 たしかに哲学を誰が教えるかというのは、大きな問題だと思います。
簡単なことではないです。
哲学教育といっても、一歩間違えば宗教教育と変わらなくなってしまう。 たまたまその時、それを教えた人物の固定観念を、 教えられた人達に洗脳してしまうだけという危険性をもつこととなる。 思想教育は危険なものだ。 自らが好んで自らの選択によって自然に哲学の道へ進んでゆく者でなけらば、 すべての固定観念から免れた純粋な哲学の探求は無理だろう。 何を教えようとも、教育なんてものは所詮、固定観念を植え付ける洗脳だ。
9 :
ローカルルール審議中 :2005/04/16(土) 10:18:06
漫然と哲学というと一挙に難しくなるので、 ディベート(討論)や論文を書く技術を教えることを 主にして後は、哲学史の知識の基本中の基本 (それこそ「ソフィーの世界」程度の) を教えれば十分なんじゃないかと思う。
10 :
ローカルルール審議中 :2005/04/16(土) 10:18:28
日教組の思想統制に哲学は無用。というか厳禁だな。
11 :
ローカルルール審議中 :2005/04/16(土) 10:20:02
>>8 >何を教えようとも、教育なんてものは所詮、固定観念を植え付ける洗脳だ。
ブレインウォッシュとマインドコントロールの区別もつかないのか?
12 :
ローカルルール審議中 :2005/04/16(土) 10:21:05
自然哲学は理科で勉強するからいいよ ゆとり教育への反対は、古きを良しとしてるだけかな
日本は戦後そういう風にやってきたからねぇ(思想、宗教から中立) だけどそのおかげで日本が世界の常識や動きから取り残されている気はする 宗教や思想を「教える」ことと「教え込む」ことは別だと考えるが・・・ 哲学はまさに先人の考えを批判的に継承する学問、そういった能力の育成にはもってこいだと思うがね
14 :
ローカルルール審議中 :2005/04/16(土) 10:22:17
>>10 >日教組の思想統制に哲学は無用。というか厳禁だな。
哲学板でウヨは板違い。
15 :
ローカルルール審議中 :2005/04/16(土) 10:24:24
>>14 ウヨじゃないよ。お前はなぜ日本の教育が哲学教えないと思うの?
16 :
ローカルルール審議中 :2005/04/16(土) 10:29:35
>>8 を受けて一言。
個人主義たる西洋は、哲学と神学の二本の大きな学問がずーっと評価されてきたからね。
もとから全体主義の意識の強いアジア圏じゃどうしても異質になるよ。
中島義道だっけ?「ウィーン愛憎」書いた人。
彼のあの絶望感を見たら、日本にとって哲学がいかに理解されがたいものか
わかるよ。
いちいち個人観念を全体観念に置き換えてから、ドラマやマンガや
アニメや小説などのわかりやすい例でもって納得させる、
そうやらなきゃ日本の普通の人たちには理解されないの。
17 :
8 :2005/04/16(土) 10:45:56
要するに自分で考えろということだな。 どんな教育を受けても、それを鵜呑みにするような人は洗脳されるだけだ。 日本では、多くの人から偉人だと評価されている人の思想を鵜呑みにすることを素直だと思っている人が多い。 多くの人から偉人と評価されている。←この時点でもうその人の思想が正しいと思い込んでしまう。 そんなものは素直でもなんでもない、ただのバカだ。 そんな人が多いからこそ、バカな宗教の信者になってしまうバカがいつまでたってもなくならない。 また、流行に流され易いのもそうだ、皆自分で考えて行動しないのさ、 日本にはそういう人が多い(アジア圏ってことかもな)。 こんな状態で哲学教育したって、それは思想教育という洗脳になるだけよ、 今中国で起こってる反日行動なんて、その危険性をもろに露呈してるじゃないか。
18 :
ローカルルール審議中 :2005/04/16(土) 10:47:25
>>2 なんかその風潮はあるみたいやね。遊びに熱心になりすぎた人たちをみせしめにして淘汰する、
使い捨てのオタク狩とか。
まあ、国も数学できない国ニッポンが恥ずかしくてたまらないんだろ。
軍事力を誇示できない上に経済も頭打ち、学力くらいしか世界に認められる能がないからね…。
実際、富国強兵策のせいもあるけど、明(む)治(か)大(し)正の学生は
よく勉強してたよ。
ニートや無職が固い学問を学ぶことは、悪いことではないと思う。
尤もネットで晒したその思想や発言は、中間搾取されるようになってるんだが。
>尤もネットで晒したその思想や発言は、中間搾取されるようになってるんだが。 おう、上等じゃねえか!!搾取上等だ!!!
20 :
ローカルルール審議中 :2005/04/16(土) 10:55:28
>>17 チッチッチッチ、バカってのは、なるもんじゃない、着るもんなんだよ。
日本は上手にバカのふりができた人が、得をするようなシステムになってる。
哲学ってのは、ある種「心」に対する剥き出しの学問だしょ?
頭いい人は、哲学をやってたらバカを着る余裕がない。だから日本では
自然と哲学は根つかないということになっていく。
わりと、肯定的な意見が多いようですね。 スレ立てしたかいがあります。 俺は、今回はなるべくわかりやすいように言葉を選んでいますんで、 もしかするとウヨ、サヨと思想競争に走りやすい問題領域を選択してるかもしれませんが、 なるべく皆さんには冷静になって哲学の意味や、哲学教育の意義を論じられたらと思います。 ちなみに俺は、哲学も結局は思想なんじゃないかという意見には、 まず反対したいんです。 もちろん哲学の授業で扱うものは、西洋哲学中心になるとは思いますが、 そうでなくてもいいと思っています。中学生が東洋思想を学んでもいいと思っているし 俺は、文系なら文系の、理系なら理系の、俺たちが自分の好きな哲学書を選ぶように 哲学も自由であっていいと思っています。それは自分の履修する科目の問題領域の 濃度を濃くする。そういう意味で俺は哲学の効果はありだと思います。 自然科学を知るのに、ニュートンのことを理解する。またデカルトの思想を読み解く。 ライプニッツの微分積分。その方程式の裏にあるその哲学者の思想を読み解く。 方程式の意味。そういうことを細やかに理解するすべとしての哲学の可能性。 皆さんのラディカルな意見とは、おおよそ受け入れられない考えだと思いますが、 まあ、哲学に何が可能か、それを少しずつ論じることができれば幸いと思っています。
22 :
ローカルルール審議中 :2005/04/16(土) 13:22:34
簡単に言うと、フランスだと言語の教育に哲学を組み合わせている。 バカロレアの小論文で倫理学について書かせたり。 日本の「国語」教育は国学の流れをくむから、 「唐心」が望ましくないとする伝統がある。 それは変わらないと思うが。 日本で愛国教育というと、過度に論理的にならないことを意味するし。
ちょっと俺が、このスレを立てる動機となった文章を今からコピペします。 これを読んでの感想などをお聞かせください。討論などはそのあとでしましょう。
24 :
『デリダ 脱構築 』高橋哲也著 p33-36 その1 :2005/04/16(土) 13:43:43
『デリダ 脱構築 』高橋哲也著 p33-36 フランスではほぼ日本の中学高校を合わせた期間に当たるリセで哲学教育が行われている。 これもまたさかのぼればナポレオン一世の学制改革以来の伝統であり、さまざまな曲折を へながらも、哲学は現代でもリセでの学習の総合的な仕上げとして重視されているのである。 高校生にも哲学を学ぶ権利と能力があり、それは自由な批判的思考の能力を養うためにも 望ましいことだと思っても、それを現実化する社会的条件がほとんどない日本の哲学教師で あるわたしから見ると、まことに羨ましいかぎりだ。 ところが、その哲学教育の国フランスでも、教育の「現代化」や「効率化」などの名目で、 七〇年代半ばにリセの哲学教育への抑圧政策が仕かけられた。時間数を削減し、必修制を 自由選択制にし、教員の数を減らして哲学への志願者を減らし、ひいては大学の哲学そのものを 弱体化させて、産業界の要請にかなう技術的で実用的な教育に変えようというわけである。 デリダはこの動きの中に、あの六八年以来リセで増大した「異議申し立て」と哲学教育そのものに 対する「権力の圧力」を見てとり、七四年四月、教員と学生合わせて三〇名ほどで、この問題に 対処するための研究グループGREPH(「哲学教育研究グループ」の仏語表現のイニシャルを 組み合わせたもの)を結成した。
25 :
『デリダ 脱構築 』高橋哲也著 p33-36 その2 :2005/04/16(土) 13:44:14
翌年、文部大臣による「改革案」が発表されると、GREPHは公然と反対を表明し、 学生、生徒だけでなく、父母やその他の関心を持つ人々をも含む反対運動を広範に組織しはじめる。 デリダはこの過程で、過去の大哲学者たちの大学、学校、(哲学)教育にかんする言説を読みなおし そうした制度の問われざる諸前提を解明する一方、哲学教育を削減・廃止するのではなく、 哲学教育の伝統的内容を批判的に見なおしながら、逆に哲学の時間数を増やし、学習開始年齢を引き下げる という大胆な提言を行った。「たとえば一七歳か一八歳以前に哲学を学ぶことは不可能であり、 危険であると、プラトン以来信じられてきましたが、これにはいったいどんな政治的ないし 性的理由があるのでしょう?[……]実験的試みとして、フランスでは第六学級・第七学級と 呼ばれている児童、一〇歳や一一歳の子供たちに哲学を教えてみましたが、非常に成功しました。 若い少年少女たちは哲学に興味を持つだけでなく、哲学を必要とし、それを楽しんでいました。 難解なテクストと思えるものにも十分取り組んでいました」(インタビュー「戯れする貴重な 自由――ディコンストラクションと教育/政治」一九八六)。 この運動は、七九年六月、ソルボンヌで一二〇〇名の参加者を集めて開かれた公開討論会 「哲学の三部会」に結実する。この討論会の準備委員二一名のなかには、デリダのほかに、 ドゥルーズ、リクール、ジャンケレヴィッチ、シャトレ、ナンシー、ラクー=ラバルトなどが 含まれていた。こうした運動は海外でも関心を呼び、ヨーロッパ各国、南北アメリカ、 アフリカなどにGREPHに呼応する動きが生まれ、一例をあげれば、デリダは七八年一二月、 仏語および英語圏アフリカ哲学者連合国際コロキウムに招かれ、「哲学教育の危機」と題する 講演をしている。(残念ながら日本では呼応する動きはなかった)
26 :
『デリダ 脱構築 』高橋哲也著 p33-36 その3 :2005/04/16(土) 13:44:59
この運動は、八〇年代に入ると大きな副産物を生むことになる。八一年に登場した左翼の ミッテラン政権は、一転してリセの哲学教育の拡大方針を打ち出しただけでなく、 この政権の支援を得て、哲学のかつて例のない研究教育組織「国際哲学カレッジ」 (Collège international de Philosophie)が創設されたのである。デリダは準備段階で 他の三人の哲学者とともに、国内外から集めた七五〇に及ぶ提言を検討して政府に報告書を作成し、 八三年一〇月の発足とともに初代の議長に就任した。(一年後にJ-F・リオタールに引き継ぐ)。 世界の大学や著名な哲学者たちの協力を得て活発に活動しているこの組織の特徴は、 既成の学科や文化の領域によって禁止されていたり、周縁化されているような研究テーマを 発見し、積極的に取り組むことを奨励するという内容面だけでなく、各国から公募され、 絶えず更新される講師陣、セミナーへの参加にいかなる資格も問われないことなど多岐に わたるが、デリダはこのカレッジに、哲学の脱構築の制度的可能性を重ねてみているようである。 GREPHの結成から国際哲学カレッジの創設にいたる過程でデリダがおおやけにした文書は、 大学、学校、哲学教育にかんする脱構築的考察のテクストとともに、六五〇ページに及ぶ 『哲学への権利/法から哲学へ』(一九九〇)にまとめられた。哲学の脱構築とは、 哲学のあるラディカルな変形の試みであって、哲学の否定や破壊、死亡宣告ではないことが この本を読むとよくわかる。 (引用終わり)
俺が気に入っているところをそのなかでも抜粋します。
>実験的試みとして、フランスでは第六学級・第七学級と
>呼ばれている児童、一〇歳や一一歳の子供たちに哲学を教えてみましたが、非常に成功しました。
>若い少年少女たちは哲学に興味を持つだけでなく、哲学を必要とし、それを楽しんでいました。
>難解なテクストと思えるものにも十分取り組んでいました
これって不思議だと思うんです。つまりカントの純粋理性批判を読み解くのに
資格なんて要らないといっているようなものです。レヴィナスの難解な文を読むのに
練習なんていらない。ハイデガーがアリストテレスの形而上学を読み解くのと同じように
生徒たちもアリストテレスの形而上学を学べばいい。ギリシャ語を知らなくても、
先生すら知らなくてもギリシャ語を学ぶ機会があればいい。
そういうのは実に面白いと思うんですよね。
ちなみに言語学ってそういう面白さに満ち溢れています。この語源はこういう意味だった。
そういう発生論的な側面を知るのは、トリビア以上に人生の有意義な面を触発させると思います。
>>22 おそらくフランスでの言語教育と哲学の結びつきは、デリダのGREPHの運動によるところが
大きいのだと思われました。俺はもちろん言語の連関を哲学で解くとしてもいいのですが、
政治や法に関わる場として哲学の必要性を感じます。なぜ法を守らなくてはいけないのか?
この意味を教える教育は事実上皆無なんです。法は守るべきもの。
それ以上のことは今の社会では思考停止状態なんです。
俺は実は教育でこういったものを解体できたらと目論んでいるわけなんです。
法治国家の意味すら知らずに、法に遵守できるだろうか?
そういう問いかけが、俺が立てたこのスレに込められています。
28 :
ローカルルール審議中 :2005/04/16(土) 14:08:30
29 :
ローカルルール審議中 :2005/04/16(土) 14:13:48
いろいろな人の思想を教えれば特定の思想を強制することにはならないと思うが
30 :
ローカルルール審議中 :2005/04/16(土) 14:21:09
哲学者リュク・フェリーが教育大臣だったフランス。 BACの科目数を減らすことに反対して高校生がデモをするフランス。
>>29 ああ俺もそう思いますね。哲学って自分の好みを知っていくことだと思うんです。
そういう意味では万人に開かれた学問だと思います。
倫理、教育、政治、人生論、形而上学、システム論、身体論
何でもありだと思っていますよ。
俺は、哲学ってもっとアクチュアルなものだと思っています。
別にアンガジュマン(社会参加)までいかなくても、他者との違いを
痛烈に意識せざるをえないのは哲学のひとつの特徴です。
俺が哲学に触れてこんなにもショックだったのは、
俺と違う意見が多数存在するという事実に対してです。
それ自体が社会を実に構成しているという事実に対してです。
それを知る上でも教育の画一化という非難から免れると思うのですよ。
>>30 それが事実だとすると恐いですね。
日本だったら科目数を減らせとなるのに。
ちなみにフランスのBACについて調べていました。
ttp://t-i-e.com/2iniciateuir.htm フランスの教育は、少数精鋭のエリート育成を目指すものだ。
その上り詰めて行く困難さと落差から、フランスの教育をエッフェル塔に例えられる。
フランスは、徹底したエリート教育と「人権宣言」の国にふさわしく、
「教育の民主、平等」を実践している国といえる。
フランスでは、一般大学以外に行政、商業、技術など、角界の幹部を養成する
高等専門大学(グランド・ゼエコル grandes ecoles)がある。
グランド・ゼエコル生徒を生み出すためのエリート選抜は小学校から始まる。
16才までは義務教育だが、年齢と学年が一致する日本とは違い、落第、飛び級制度がある。
中学になればさらに追加指導が加わり、中学途中にして、職業教育教室に転入されるものもいる。
このように中学高校と篩にかけられ、成績の優秀なものはBAC(bacalaureat
大学入学資格試験)の中でも最難関とされる物理数学の試験突破後、
2年に渡る準備クラスでの入試で選別され、ようやくグランド・ゼエコル生となる。
たとえば日本では「ちゃんとしなさい」と教えます。 でもこの「ちゃんと」がわからないんです。 世論、常識、慣習、いろんなものに置き換えられてしまって 一歩外をでると、その「ちゃんと」が通用しない世界が多数あります。 そのちゃんとの一つして俺たちは礼儀を教わりますが、 実際に求められているのは礼儀ではなく、意識であるはずなんです。 どういった意識を持つべきなのか? これを実際に組み立てるのが哲学の場だと思っています。
「ちゃんと」は日本ゲームの規則に関してだろ。 >一歩外をでると、その「ちゃんと」が通用しない世界が多数あります。 そりゃ別ゲームだからさ。 野球やってるところに行って、手を使ったらハンドとか言っても通じないのは当たり前。 でもサッカーやってる限りではそういうことを教えるのも必要。
とりあえずいったん落ちます。 まず日本の教育の現状について、論じられていただくと助かります。 また各国の教育状況について詳しい方がいたらぜひ書き込んでください。 それから、どういう哲学教育が可能なのか具体的に論じていきたいと思います。 ちなみに俺はわかりやすい哲学なんて、基本的に大反対です。 哲学はわかりにくくていいと思っています。むしろ人生の大半がわかりにくいものばかりで、 教育の大半がわかりやすいものばかりを追い求めているような気がしないでもない。 俺は、小学生にカントを読ませるのは可能だと思いますよ。むしろああいう難解なものこそ 早いうちに理解させるべきだと思ったりするし。なぜか? 概念の意味を知るためです。 精神的実体である概念の意味を知る上でカントの本を読み解くことは実に有効だと思うからです。 そして哲学書はおそらく読まされるようじゃ、絶対に読めない。 これを読んでやろうという意気込みが必要なんです。 そういう意味では哲学書を読むことは自律精神を養います。 あと議論によって、実際に主体性を獲得するには 発言するしか方法がないということを実際に知るためには哲学の機会は有効かもしれない。 哲学は黙っていると一瞬にして相手に飲み込まれますからね。 そういう死の概念に接する機会としても哲学は充分、 人を成長させる素質がある学問だといえると思いますしね。 だらだらと話を続けてしまいましたね。 それでは、皆さんの意見をお待ちしています。
哲学を文学と勘違いしているからじゃないの?
>>34 そういうルールが存在するのはわかりますが、なぜルールがそこにあるのかが
最大の疑問なんです。社長室でのルールと、会議室でのルール、休憩室でのルールは
全部違いますよね?
そういうときに礼儀(ルール)をよくしろといわれても通用しないんですよ。
ではなくて、そのとき自分がどういう存在であるべきか、
そういう実存について把握したほうがむしろ物事がうまく進む場合がありますよね?
そういうことを解体し理解するには、はっきりいって今の日本の教育じゃ無理です。
実際的な経験が獲得される現場と平行して、哲学的思索が別途必要とされるはずです。
そういうリアルな思索の苦しみに対して、哲学は無視してはいけないと思いますが
いかがでしょうか? そういったことを簡単に割り切ることは
おそらく子供だろうと大人だろうと困難なものだと思うんです。
>>36 哲学自体は物語を用意しないんです。
そういう意味では自己獲得的な運動として存在します。
俺の主張はなんだか割れがちですが、とりあえずいろいろな哲学の可能性について
具体的に論じていけたらなと、だから哲学が文学というそしりを受けたとしても、
それはそれでかまわないけれども、俺はその指摘を受けるに充分な、
もっと具体的な一面を理解したいと思っているんです。
だから哲学教育の弊害ということを逆に論じられてもかまわないんです。
では本当に落ちます。
>>37 >なぜルールがそこにあるのかが
>最大の疑問なんです。
その疑問は解決できない。
ルールはあるといっても、sein,Dasseinではなく、gelt, Geltungとしてあるだけだから。
疑いはたとい可能であるにしても、不必要。言語ゲームの可能性は、疑いうるものすべてが疑われることを前提してはいない。
>そのとき自分がどういう存在であるべきか、
>そういう実存について把握したほうがむしろ物事がうまく進む場合がありますよね?
存在、実存などはゲームの中で把握されるにすぎない。ゲームを超越して何かが存在すると思うことは誤謬である。
将棋の「歩」は、「歩」として存在するが故に前に一歩しか進めないのではない。
前に一歩しか進めないというルールの中で把握されるからこそ、それが「歩」となるのである。
「歩」と書いた駒がなければ、かわりに百円ライターを立ててやっても、ルールがある限りそれは「歩」となる。
まず、ルール(文法)が疑いえない状態で妥当している。その後、そのルールの中で各人が存在しているように<思われる>。
訂正 Dassein→Dasein gelt→gelten
41 :
ローカルルール審議中 :2005/04/16(土) 18:25:44
日本では哲学を教えられる人がいない 中学生・高校生にあわせて教えられるような テキストの内容は 湯浅赳男の「現代思想のすべて」(その中で自分が追求したいテーマを探し、原典にあたる) 「ソフィーの世界」 のようなとっつきやすい感じのものがいい。 小学生には「うたがいのつかいみち」みたいなもの。 ただ日本の教育はゆとり教育とは言っても、個々人がそれぞれの思想、思索、哲学を 持ってしまうことを、危惧する傾向にあるのではないかな? どちらかというと、社会で生きるための調和や均質性が重要視 されるわけであって。
42 :
ローカルルール審議中 :2005/04/16(土) 21:18:49
哲学なんて他人から教えられるもんじゃねーよ
>>41 >どちらかというと、社会で生きるための調和や均質性が重要視
>されるわけであって。
その通り。
朝から出社して夕方すぎてもサービス残業して、休みを取ったら机が無くなる事に文句も言わず、使い捨てのコマになること。
そういった理不尽な社会が待っている事を前提とする教育においては、利益を生み出す(技術的思考)以外の思考を停止させること、これを徹底して覚え込まさなければならない。
いや、そちらのほうがむしろその人間のためだ。
哲学はよく現代においては「帰り道の学問」と言われる。
「なぜ、俺はこんな事しているんだろう」「俺の人生はなんなんだろう」・・・そんな疑問に答える、一種の社会批判、自己批判性を哲学は有している。
だが、そんな彼らにも5時間後には使い捨てのコマとしての労働が待っているわけで、
それにはビジネス成功書や自己啓発的な自己教化本の方が(例え理不尽にたいして様々な言葉を使ってその理不尽を覆い隠そうとするだけの本であったとしても)より役に立つ。
わかる?
つまりそんな哲学の素晴らしい側面である「批判的思考」は全くの無駄なのである。
開き直ってもそれらは雑多なビジネス、社会人啓蒙本と同じく、
「調和を維持ないし強化する」「現実社会をいやがおうにも覆い隠す、肯定する、もしくは社会に対しての(批判している)自分を否定する」ものとして
利用できるかできないかで計られると言っていい。
教育者がいかに「批判的思考を養う」と言っても
それは経済界には反抗的な社員を育てる学問として、「うけいれられない」であろうし
大多数が小市民である親にも「将来痛い思いをする」事は目に見えるのである。
44 :
考える名無しさん :2005/04/17(日) 01:03:49
>>39 それはあなたの意見ですよね。
あなたのそれは一般的な回答で、なるほどとは思いますが、
もしあなたが教師だったらと仮定して、あなたがその答えを言うことは
正しいことでしょうか? 俺は哲学は問いを投げ込むのが教師の役割だと思っています。
決して答えを与えるものではない。しかしアプローチはあなたの将棋の「歩」のように
さまざまであっていいと思っています。
哲学の教育の原理、在り方を俺と一緒に確認していきましょう。
45 :
考える名無しさん :2005/04/17(日) 01:11:11
>>41 俺の目指すところは、そんなところではありません。
とっつきやすい哲学なんてくそくらえです。
そんなことより俺は、ライプニッツの「予定調和」を子供たちに教えてみたい。
それを読んで子供たちがどういう感想を持つか?
俺はこの予定調和を知ることによって、たいていの社会の枠組みと、
心理学的な他我問題が解決可能だと思っていますよ。
抽象的なわかりやすい哲学というものには反対です。
徹底的に難しくするべきです。岩波の文章で十分です。
しかし教科書の字は大きく、行間を多く取る。
それくらいの配慮で十分だと俺は思います。
哲学教育を語るのならその前に、現実的に
>>43 に答えなきゃダメだと思う
47 :
考える名無しさん :2005/04/17(日) 01:13:18
48 :
ローカルルール審議中 :2005/04/17(日) 01:17:14
>>15 >日本の教育が哲学教えない
「教えない」じゃなくて「教えられない」んでしょう。
何を教えるべきか分からない。
哲学史だったら、「倫理」という科目がすでにあるし。
ま、確かにな ただでさえ民間が社員教育をする体力が無くなって、 その押しつけを大学や高校時代に実学いう名のものとに押しつけ始めている即戦力時代だからな・・・ 役に立たない代名詞の哲学が「こんな時代だからこそ」みたいな事を言って通るわけでもないしね
>>43 >例え理不尽にたいして様々な言葉を使ってその理不尽を覆い隠そうとするだけの本
まるで大陸合理論だねw
ま、知と主体性の獲得が権力への自己教化だって事はフーコーが指摘済みだが
俺も高校生にフーコーを教えたらどうなるかってのは考えたことがあるけど
51 :
考える名無しさん :2005/04/17(日) 01:25:34
>>46 >そういった理不尽な社会が待っている事を前提とする教育においては、
>利益を生み出す(技術的思考)以外の思考を停止させること、
>これを徹底して覚え込まさなければならない。
思考停止するために、思考するんじゃないですか?
それも俺は技術だと思います。俺はそういう悩みを持つ人は、
単に考えることが下手なんだと思います。思考の中でもモラルに縛られていて、
自分を解放するような思考に出会えていないのではと。
利益追求型の思考は、利益そのものにではなく、利益を生む一つ一つの行為に
積極的なモチベーションを傾けるものなんではないですか?
決してその思考はひとつの単元としてのイデアに回収できるものではないはずです。
俺はあなたの意見は、社会的な文脈にあるひとつの実体を持つことのない、
いわばロマン的な一意見だと解釈しています。なんかイデオロギーを前提に
していると思うんですよね。確かにイデオロギーは問題ですが、俺の答えはこうです。
そんなの気にする必要なんかない。経済なんて、生活のひとつの側面です。
その根幹には、衣食住を満たすことがあります。それを知ることでも、
十分あなたの意見に対立する立派な一意見だと思いますが、あなたはどう思われますか?
52 :
考える名無しさん :2005/04/17(日) 01:39:01
53 :
考える名無しさん :2005/04/17(日) 01:42:00
>>50 ちなみに俺は哲学議論ていうのは、喧嘩だと思っています。
で手を出したら負けなんです。
そういう種類のものでいいんじゃないでしょうか?
54 :
ローカルルール審議中 :2005/04/17(日) 01:50:16
俺は
>>43 ではないが、彼の言わんとしていることはよく分かる
まず、利益追従型思考にこそ積極的な思考を働かせるべきだという意見だが、そういった生産的な行為に参加できる職種(ないしは会社内での地位)が現時点では実に少ないと言うことだ
この社会状況を社会学的な洞察に立ち入ろうとすると100レスあっても足らないのでやめておくが、一種「奴隷的」な労働が以前にも増して増えてきていることがバックボーンとしてあげられる
特に日本の労働環境は現在アメリカのグローバリゼーションと日本の慣習的悪癖がいびつな形で融合している
とにかく「奴隷には奴隷の学問を」と言うことだ
大事なポイントなのは現在の社会的状況が君が言う
「経済的という生活の一つの側面を維持するために、我々は自らの有する全時間と人格を差し出さねばならなくなっている」と言うことだ
特に(思弁的)哲学の発達しているヨーロッパ(仏独)と、そうでない日米の社会状況、ないしは後期資本主義に対しての政策的方向を照らし合わせるのは一つの試みだと思うが?
ヘーゲルの「Herr und Knechit」をあげるまでもないが、労働者は対象に関わる思考以外は基本的にしない、できない
彼らに求められるのは主人から求められたことの達成によって自らの命を保つための「思考」である
この状態に求められるのは達成を導く「技術的思考」の他には「狂気に走らぬための自己教化的思考」しかないではないか
>>43 はその現実的ポイントを押さえ、重視ているのだと思う
これを止揚しようとしたマルクスの試みが全世界で頓挫した今の社会思想は、デリダにせよフーコーにせよこの状態を出発点にしているはずだ
(もっとも社会思想と哲学は異なるものだという指摘は甘んじて受ける)
確かにこれらは君の言うとおり実体のない「根源的」な思考ではない、その意味ではロマーン的であるかもしれない
だが、非常に「現実的な」ロマーンである
哲学を象牙の塔にこもり延々と研究するだけならよいが、教育は将来のために社会養成を受けざるえないことを前提としている
対し、きみの「そんなの気にする必要なんかない」のは潔くあるが、現在において「哲学の批判的思考」の無価値性についてなんら言及していない
少なくとも、いささか煩瑣ではあるが
マルクスの「疎外」からアメリカミクロ社会学が指摘した労働下での「自己馴化機能」まで包括した
>>43 の言うことはそう簡単には切り捨てられないと思われる
57 :
考える名無しさん :2005/04/17(日) 02:01:43
白熱な議論の間失礼、ちょっと
>>43 に関係して思うことを
>>57 のなかに例えば「なぜ自分は働かなきゃならないのか」とかいうのがあっても
(ここでの「働く」はいわば日本的強制過剰労働の事ね)
結局
>>55 の言うように経済的、社会的に間違いなく首輪を縛られているんだから
「やっぱり自分は行く」しか答えが決まってないんだよね
だから答えが最初から決まっているんだからいかなる疑問も、そこに集約せざるおえないんだから
フーコーの「自己教化に至る思考」、スピノザ・ライプニッツの「神の存在証明」と同じで不毛そのものだけど
社会に出てからの思考、思弁はそうならざるおえない
だから「批判的思考」は無意味、っていうかそんなの教えたら社会でれないよってわけだね
よく分かりました
結局
>>1 は働いてねーからわかんないんだよ
「気にする必要なんかない」「生活の一つの側面」なんて行ってる時点でDQN
高校生ですか?
大学1年生ですか?
60 :
考える名無しさん :2005/04/17(日) 02:30:57
>>59 今も働いていますが、それほど真面目じゃありませんね。
こうしてネットで戯れているくらいだし。
まぁでも
>>43 とか
>>58 は哲学の悪癖を暴露してるよ
・往々にして社会状況と乖離してしまうこと
・その反面、使われ方によっては現実の矛盾を論理的、道徳的に整合してしまう手段に成り下がること
よほどのアホでない限り、 哲学的に考察すればするほど、 哲学は無意味な存在なのだということに気づくから。 まわりまわって、哲学というもの、そのものの存在自体が自己否定しているのだ。
63 :
ローカルルール審議中 :2005/04/17(日) 03:00:50
範囲が広すぎてどこか摘んでも、その人が重要と思えるものに滅多と出会えないから。
65 :
ローカルルール審議中 :2005/04/17(日) 06:16:29
日本の中学生でも岩波文庫の哲学ものは全部読めるな。 高校でも岩波読んだり倫理をよく勉強してれば、そのうち哲学できるんじゃないか?
66 :
ローカルルール審議中 :2005/04/17(日) 08:44:31
>>65 それは他人任せだよ。
きみらパール・バックの「大地」読んだことあるかい?
あれとか、映画の「ラストエンペラー」。ベルトリッチ監督の。
突飛な例になるけど、日本で義務教育の枠内に哲学を導入するってことは、
国語を英語に変えるくらいの革命意識を持たないと駄目ってこと。
67 :
BMB :2005/04/17(日) 09:02:00
>日本で哲学教育が軽視されている理由 難しく考える人間が多くなると日本国というシステムを経営していくうえで このましくないんでしょ?人々はあくまで権力に対し従順であり、民は 国家に対し隷属していることが好ましいということなのでしょう だからテレビではおふざけタレントをじゃんじゃんだして 歌謡曲ではわけのわからんしゃくりあげるような甲高い声を出す 歌が跋扈する あれが民に対する国家の姿勢なのでしょう
ちょっと仕事場からアクセス規制に入っていたので書き込めませんでした。
実は自宅のパソコンがまた具合が悪くなっていて、とりあえず漫喫から
お邪魔しますね。(しかし連投規制は早くどうにかしてほしい。)
>>58 俺は、働くことに対して社会的な文脈を見つけるのは
単に無作法だと思っています。
>>43 さんは思考停止といったけど
思考停止ってことは、つまり沈黙を守ることです。
俺は今さら働くことの意義なんて見つけたくないので、
そういう話題について語りたくありません。
でもそういった問題について、解決出来ないかというと実は可能なんです。
俺の答えはこうです。仕事に意義を見出せない、生きる目的が分からない。
そういう苦しみを実際に抱いている方は、キリスト教に触れるべきです。
冗談じゃなくて、これは真面目な話です。自分が救われたいと感じるなら、
教徒となって、救う側になることで、その悩みは直ちに解消します。
こういうのは、答えが必要なんじゃなくて、精神的支柱が
必要なんだと思っています。俺は全ての人は万能であることは不可能だと
思っています。であればなんらかの宗教にはまったってそれは仕方が
ないことだと思います。しかし出来る限り自律した精神を持つならば、
宗教だけが持つ、救済の意味を実際に知っておくのは悪くないと思うんです。
(つづき) まあことさらここで進めることでもありませんし、俺も教徒ではないので 軽はずみなことは言えない立場なんですが、洗礼、及び入信に年齢は 殆ど関係ありません。親御さんがそういう人ならば、早くから洗礼式を 済ます人も多く居ますし。また実際にそういう悩みを持って教会の扉を 開く人は多くいるんです。看護婦や医師、演劇人など、そういう職業的 使命を宗教に求めてやってくる人は、俺も実際に見かけました。 俺はね、社会で宗教のような具体的な思想を知らないで若者が外に飛び出 されてしまうのは、ある意味、どこからでも俺を搾取してくれと言っている ような者です。誰が見たってカモなんです。計画性も成長の意識もない若者が カード破産するのはむしろ当たり前なんです。 俺は教育の現場で、宗教の位置を隠蔽するのは得策ではないと思っています。 宗教の存在を自明のものとして、その宗教の意味を考えるようでないと、 その自由な発想は単に妄想に終わってしまうような気がするんですよね。 今世間で言われているウヨサヨという言語連関は俺は、 知識人にのみに通じる言語空間の一つの妄想だと思っています。 その言葉は全く運動せず、そこで止まったままです。そんな言葉は 俺たちには必要ないんです。常に言葉を動かし続けることが哲学の意味です。 そこにおいてパロールだろうと、エクリチュールだろうと関係ないんです。
あと哲学の批判的価値なんて、言われていますが、 とりあえず立ち止まって考えて見ましょうよ? 哲学の批判的価値なんていったいなんですか? モラトリアムによる抗弁の為の批判的価値ならば、 俺はそれは、存在しなかったというしかないです。 いったい誰が(モラトリアムな)、生き死にを深く考えるだろうか? 哲学は暇人の遊び道具ではありません。あなたの隣人の死に対して あなた自身にリアルな慰みの言葉を投げかけるのが、哲学です。 ちなみにモラトリアムな、現代で言う引きこもり風情の活動しない青年に、 死は現前しません。 そして哲学は決して成長を促すものではない。レベルに応じて哲学的題材が 移り変わるようなものでもない。子供にとっても大人にとっても ニーチェはニーチェです。それは変わらないものとして不変の 価値を持つはずです。その人の傍に立ち、いつも同じ言葉を哲学者は 我々に投げかけます。哲学は我々を教化するのではなく、むしろ同じ言葉としての 同じ目線を何度も投げかけます。そして時が経つ度にその古びを意識するんです。 哲学の批判精神は、決して短い時に関わるのではなく、 もっと人生の長いスパンに対して働きかけるものと俺は思います。 もし哲学が、歓喜でもって迎え入れられるとしたら、 それは、哲学が思想となって意味を持ち始めたときです。 哲学は決してそういうものではないと俺は思います。
そういう意味では俺は哲学は道路の上の標識だと思っています。 同じ記号の標識が何度も何度も通り過ぎるもの。 守らなきゃいけないのは知っているけど、 時には違反するもの。 それはそれを知っているというただの記号なんです。 守らなかったら、ときどき事故を起こすくらいの、 それはとても不確定な代物なんです。 俺はその誇大とも思われる批判精神を磨くという哲学の効能に ついて批判的です。議論は多少上手くなりますが、 議論と哲学は別物なんです。逆に哲学が議論と一体化することは 危険だと考えます。なぜならそれは必ず思想を生み出すからです。 俺は哲学教育には、議論は出来るだけ隔離して起きたいと考えます。 哲学による、自分を知る機会がそれによって深く失われると考えるからです。 思ったことを書き、発表する(話す)。 そんな授業体系が望ましいと俺は考えるのです。 書くことは、思考を整理することによって、秩序を養う為に、 発表(話す)ことは、自分がどういう存在かみんなの顔を 伺うことによって確認する為に。また他人の考えを実際に知る為に。 長くなりましたがこれで終わります。 因みに長文なのは連投規制が恐いからです。 それでは。
72 :
考える名無しさん :2005/04/17(日) 09:57:07
あとそうだ。どの程度の人がこのスレを見ているのかわかりませんが 出来れば教授、学部生、院生、小中高の教師、塾講師など、 実際に哲学や教育に深く関わる人たちに関わる人たちの意見を ここで聞けたらと思っています。その際はその旨分かるように 記していただけると助かります。 例:(○×大学教授 4×歳 男)(学生 21歳 女) (無職 19歳 男)(主婦 28歳 5歳の男児の育児) (職業 年齢 性別などなるべく客観的な指標となりやすいもの) 俺自身はそういう人たちとは全く遠い場所に居るんで、 もしこの呼びかけが成功して、この呼びかけがある運動として成功したら、 俺のこのスレはお役御免ということになります。 期待しすぎることはいけませんが、夢見ることは自由です。 とりあえず長く、そして多くの意見をここで待とうと考えています。 あなたなら、どのような哲学の授業をしますか? もし宜しければお答えください。
>>44 横槍で申し訳ないが、
>
>>39 >それはあなたの意見ですよね。
ウィトゲンシュタイン→ハートの意見だと思う。
>>73 ウィトゲンシュタインなんだってことは、なんとなく理解できてます。
でも俺はあえてスルーしたんです(笑)。
でもウィトゲンシュタインを持ってきたところをスルーしたのはもしかすると
失敗だったかもしれませんね。ウィトゲンシュタインは
事実、小学校の教師をしていたことがあり、子供たちと触れ合うことで
自らの哲学的疑問を解消させていきました。
また哲学的思索の原石を多く作り上げていきました。
子供たちに哲学的疑問を与えることはそう多くなかったかもしれませんが、
逆に彼にとっては大きな実験場だったと思われます。
だから言語ゲームの理論について、小学低学年の児童が実際に触れ合うのは、
もしかしたら大変面白く興味深いことなのかもしれませんね。
たとえば言語を使用せずにどこまでコミュニケーションが可能か?
そういった設定を子供たちに与えたとします。
そういう実験は、子供たちなら抵抗感なく受け入れてくれるはずです。
おそらく子供は、表情を使って、判断の信号を相手に送ります。
怯えたり、あるいは顔を後ろに向けたり、もしかしたら手を出すかもしれません。
賢しい子供なら、筆談なんて方法を思いつくかもしれません。
そのような報告的資料は、それ自体が哲学的意味を持つでしょう。
またこのような実験に対して年長者と年少者が触れ合う機会を与えれば、
それはおそらく年長者の哲学的疑問を加速させることになるのかもしれません。
いえもちろん妄想ですけどね。
えととりあえずパソコンの具合は解消しました。報告です。
ま、多少出費がかさんだけど。
>ウィトゲンシュタインは >事実、小学校の教師をしていたことがあり、子供たちと触れ合うことで >自らの哲学的疑問を解消させていきました。 そうか? 授業が難解すぎて父母からクレームがついたうえに、小学生を殴り倒してるぞ。 それに小学校教師してたのは言語ゲーム以前だし。 >だから言語ゲームの理論について、小学低学年の児童が実際に触れ合うのは、 >もしかしたら大変面白く興味深いことなのかもしれませんね。 危険だろ。 悲観的で無気力な子供を量産すると思われる。 数学なんて完全否定されちゃってやる気が失せるし。 小学生の段階で本質や意味を葬り去る哲学まで教えるのは危険だと思う。 古代ギリシア程度で止めておくべき。 というか、哲学教育なんて学問を研究する人間以外にはいらん。 興味ある奴は勝手にやるし、興味ない奴は教えてもやらない。
有用性がないから軽視されるんでしょ
77 :
ローカルルール審議中 :2005/04/17(日) 15:14:33
日本は、欧米などと比較しても犯罪が少ないのに それを抑止する目的として、何故哲学を教えなければならないのだろうか。 犯罪の抑止に有効なのは、むしろ昔の日本的道徳観念だ。 欧米の精神文化の歴史である哲学を、小さい頃から教えなければならない意味がわからない。
とりあえず>1は社会思想と哲学を線引きしようとしているよな 後そこの道徳がどうのう言ってるカス もっかのそういう動きが新自由主義と連動してる事なんざ分かってるやつは分かっているぞ
日本の哲学者が馬鹿だからでしょ。
80 :
悪い習慣 ◆5qWyA8kfAU :2005/04/17(日) 16:09:12
>>42 いきなり原典に当たらせても
まず何を言わんとしてるかの
一端ですら理解不能でしょう。ここの人には信じられないだろうが
宗教と同じく哲学とはどういうものかだって知らない人が
中高生はほとんどなんだから
>子供にとっても大人にとっても
ニーチェはニーチェです。それは変わらないものとして不変の
価値を持つはずです。その人の傍に立ち、いつも同じ言葉を哲学者は
我々に投げかけます
ありえない…だって「神は死んだ」って言葉の解釈は
大人と子供、ニーチェの著作(例えば「この人を見よ」)を読んだことのある人ない人
で十分違うんだから。
81 :
悪い習慣 ◆5qWyA8kfAU :2005/04/17(日) 16:27:09
間違えた
>>45 でした。
だったら哲学「教育」は要らないのでは
82 :
ローカルルール審議中 :2005/04/17(日) 16:31:33
>>74 > 事実、小学校の教師をしていたことがあり、子供たちと触れ合うことで
> 自らの哲学的疑問を解消させていきました。
哲学の問題は、基本的には『論理哲学論考』ですべて解決したと考えて、
小学校教師になったんだから、「子供たちと触れ合うことで・・・・・・解消させて」
というのは違うんじゃないかな。再び哲学をやり始めるきっかけも、ブラウワー
の公演を聴いたことだって言われているけど。
83 :
悪い習慣 ◆5qWyA8kfAU :2005/04/17(日) 16:32:19
しつこいですが
>>45 アメリカの実験的数学教育(小学生に集合論・Zornの補題から勉強させる
当然失敗に終わった)
の二の舞をするつもりですか?
84 :
ローカルルール審議中 :2005/04/17(日) 16:33:02
公演→講演
85 :
ローカルルール審議中 :2005/04/17(日) 16:35:02
小学生に哲学? 厨房か工房になってからの方がよくない?
86 :
悪い習慣 ◆5qWyA8kfAU :2005/04/17(日) 16:35:05
> 事実、小学校の教師をしていたことがあり、子供たちと触れ合うことで > 自らの哲学的疑問を解消させていきました。 ヴィトゲンシュタイン伝によると、 むしろ逆です。ラッセル氏に無理解な子供・村人は 悪魔だとこぼしていたことがあったのですから。 哲学的疑問はむしろ深まったでしょう。
87 :
ローカルルール審議中 :2005/04/17(日) 16:37:19
>>86 1.「ラッセル氏に無理解な子供・村人は悪魔だ」
2.ラッセル氏に、「無理解な子供・村人は悪魔だ」
のどっち?
88 :
悪い習慣 ◆5qWyA8kfAU :2005/04/17(日) 16:37:56
2
89 :
悪い習慣 ◆5qWyA8kfAU :2005/04/17(日) 16:39:20
ラッセル氏に、(ヴィトに無理解な)「子供・村人は悪魔だ」 とこぼしていた
90 :
ローカルルール審議中 :2005/04/17(日) 17:18:38
1・・・「哲学」は封建的政府下に於いて発展する 今の浮ついた日本ではせいぜい既存の哲学を学ぶのが精一杯で (それを学ぶものを哲学者だと定義するなら話は別だが)、 哲学を行う者、哲学者と呼ばれる人材が育まれる環境ではない 2・・・社会の発展(需要と供給の活性化)のために学校は教育を施すので 哲学はそれに対して活きる学問ではない 3・・・哲学を教育の場に持ち込むのならば、根本的に、個人個人の 考え方の個性を引き出すためであるべきであり、ただ単に哲学者の名前や その人物が考えたことなどを暗記させるだけでは全くの無意味だ 4・・・己の確固たる考えを持つことを学校が助長するということは、 日本のムラ社会でもっとも大切な「和」を乱す考えを持つ人間を 創出することにも成りかねない 5・・・哲学が宗教と違う点は、同士が存在し得ないこと 単純に、人間は一人では何もできない 6・・・哲学は教育されるものではない 社会は哲学を批判し、哲学は社会を批判している それでバランスが取れている
91 :
考える名無しさん :2005/04/17(日) 19:29:31
>>80 えと、子供にとっては理解不能かもしれない(大人からすれば)
大人にとってはわかっているつもりなのかもしれない(子供からすれば)
「神は死んだ」という文字と言葉は変化しません。クレオパトラの鼻と
同じように永遠に同じです。理解はそれぞれです。
ですがそれを理解した気になるのは同じです。
>>77 >犯罪の抑止に有効なのは、むしろ昔の日本的道徳観念だ。
>欧米の精神文化の歴史である哲学を、小さい頃から教えなければならない意味がわからない。
確かに哲学は道徳的とはいいがたいですが、
逆に身を守るすべとしての、哲学は有効だと思いますよ。
不正や暴力に屈しないプライドを持つことは、
犯罪や暴力行為を無力化するのに何らかの効果はあるはずです。
いちおうこれから仕事なんで、返答はとりあえずこれだけ。
それでは。
自尊心の高さと自意識の過剰さはまた別問題。
93 :
ローカルルール審議中 :2005/04/17(日) 21:58:28
哲学を教えたがらないのは運命というものを知ると自殺者や無気力者が大量にでて社会が成り立たなくなるからだと思う。真実を知っているのは一部の支配者層だけでいい。
94 :
ローカルルール審議中 :2005/04/17(日) 22:03:28
哲学を知り、なまじ考えるようになると、扱いにくくなるから それに加え生と死の意味とか運命とか自分の出した答えを 受け止められず鬱になる人が増えるだろうし
95 :
ローカルルール審議中 :2005/04/17(日) 22:19:42
幼少の頃は、普通に読み書き算数、その後も高校レベルまでは、 素直に学問の初歩を叩き込んでおいたほうがよい。 変に屁理屈こねてサボるくせがつくと、脳が柔らかいうちに鍛えておくべき部分が凝り固まってしまう。
幼少の頃は、家庭教師をつけて、あとは有名音楽家のコンサートなどを自宅で開いておくとよい。 電車に乗り遅れたので自分専用の電車を用意させるなども良。 その後、戦争に出て捕虜になると良い。
小学生のころから哲学の教育がなされたなら、 フランスのように一流の政治家が日本からも出てくるように なる可能性がある。
>>95 お前さんが凝り固まっているように思える。
99 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 00:08:45
哲学を学べば自殺は減るんじゃないかな。物事の基礎もわからないで自殺するやつが多いから。
>>98 こーゆーのってネタなんですよ…(´・ω・`)
>>97 政治についてはもはやそんな問題ではないぞ
中世をひもとけば分かるが、ヨーロッパは典型的なトップダウン型、王についた者の政策、命令が絶対
そして、王は血筋によって守られる
今はこの血筋の部分が選挙になっただけ
日本は殿様は飾り、藩を維持することが目的だから、ろくでなしは殿でも座敷牢
そのため血筋も絶対ではなく、一定以上の家から優秀なやつをガンガン養子にして周辺を固めていた
ここは今で言う官僚にくりそつ
一流の政治家なんて育ちようがない
反面トップに左右されない安定型、先の戦争を見ての通り責任の所在も曖昧でOK
海外の人は驚く、だって首脳会議に首相が病欠しても日本は大して問題にならずに動くんだもの
無能者が増えるから
103 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 03:23:35
まあ、ぐだぐだ言ってるヒマがあるなら、黙って岩波文庫の哲学&古典を読み、 倫理を勉強し、その筋の文献を消化することだな。まあ、とくに哲学の必要ない 一流政治家も必要ない日本だから、浅田彰程度の大卒が毎年1000人くらい でれば、OKなんじゃないの?
104 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 03:53:03
103はラテン語も読めないバカ
105 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 03:57:55
>>104 ラテン語を読むことくらいしか取り柄の無い馬鹿かな?
106 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 08:34:56
世界を読めない奴は馬鹿。
107 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 10:29:20
江戸時代までの教育は逆に哲学に偏っていた気もするが。
108 :
考える名無しさん :2005/04/18(月) 11:32:43
いったいラテン語をマスターしている中学生が何人いるだろう? (あるいは漢語でもかまわない)もう少し、妄想なしで答えてほしい。 君らの高尚な知識は、正直食傷気味です。ウイトゲンシュタインや、 江戸時代やマルクス主義や、戦争論なんて、ほとんどの人は知らないんです。 もし哲学を知らない人がこのスレを見たら、きっと笑いますよ。 哲学ってなに? こんなに意味不明(でちょっと気持ち悪い)なものなの? おそらくほとんどのレスは哲学板住人によって書かれたものと思うけど、 雑談じゃないんだから、もう少し外部にわかる文脈で書いてくださいよ。 とりあえず日本の教育についてのレスは今後NGとします。 もうね、耳にたこなんです。なるべく話題を<哲学教育>に絞ってください。 どうぞよろしくお願いいたします。
109 :
考える名無しさん :2005/04/18(月) 11:33:58
ちなみに、俺は哲学はおしゃれだとは思わなくても、かっこいいと思っています。 たとえば小泉総理がいきなり国会でプラトンの国家論を話の引き合いに 出したらそれはとても面白いことだと思うんです。 あるいは小泉が、各国首脳会談で、カントの「永遠平和のために」を 話のネタに雑談し始めたら、それだけで日本の評価は内外ともに飛躍すると 思うんです。哲学の文脈は、世界共通なんです。これは文学ではおおよそ 無理な芸当なんです。経済原理ですら太刀打ちできない領域を哲学は 保有しているんです。 国際化のための、英語教育が盛んに叫ばれていますが、話にその中身が なければ、ただのおしゃべりの道具にしかならないんです。 哲学はその溝を埋めてくれると俺は思っています。 これは哲学教育の早期化に対して、 おそらく一番の武器になると思われるポイントでしょうね。 まあそんな感じです。 それじゃー
そんなの単なる哲学の記号消費だ
111 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 12:40:38
>日本で哲学教育が軽視されている理由 日本人の一般的傾向としては 人間関係の不安定性を嫌い、人間関係の流動化を望まないところがあると思う ここで言う人間関係は、民間企業の組織内関係も、 アカデミズムの師弟関係も、似ていると思う。 だから、アカデミズムも「過去の哲学者の専門研究者」の育成には熱心だが、 哲学者の資質を持った人の支援には、ほとんど関心がないことがある 流動性・不安定性を許容する土壌のないところでは、 過剰な敏感さ、あるいは表現欲を抱えた人間の、行き場が失われることは もっともなことのように思われる
儲からないからでしょ また快感を得られないから。 快感を得られる、儲かる、脳みそが快感を覚える。 これらに繋がる事は必然と多くの固体が求める。求めるから進歩する。
儲からないってのはある 大学がこぞって経済人材育成機関になりはじめてる今どないせいと
確かに哲学を究めれば非常に「合理性の高い」世界になるかもしれないけど、 合理性と人の幸福ってのは必ずしも結びつかないし、 そもそも合理性って誰に対しての合理性かと言われると「本人の合理性」だからなぁ・・・ 結局優先されるべきは大多数の幸福だからね。 人が殺されることは良いか悪いか?こんな事議論する意味はない。 多くの人は殺されたくないから悪いことだ、コレが正解。 案外ストイックな世の中ね ただ哲学を学ぶ事で視野を深める良いことだと思うんだけど 取り付きにくいくせに儲からないし。金ホシイナ〜
経済大国は欲望大国だよ、坊や。 まぁ、欲望がないのは辛いからいいのかもしれんがな、経済を発展させるのは。
116 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 15:10:54
そもそも、「何のために教育があるのか?」という視点から千差万別なので、簡単にはまとまらないと思います。 例えば「日本国を経済大国として維持する」なら知識学力を詰め込むでしょうし、「社会に出ても、頭の中で苦しまない様な人間になる」なら、前に出てきた「奴隷の教育」が良いのでしょう。 私的には哲学を学ぶことは、頭の中で苦しむ事だと思います。その点でもし、現実社会とは良識がないものなのであれば、哲学教育は、人をその分だけ余計に苦しめると思います。 ですから、教育の目的に良識があるのであれば、例え結果の一面として自殺者や鬱病者が増えたとしても、その点で前進と言えるかもしれません。悪い常識に対して苦しむことは、それを善くするインセンティブを生じます。 ですが、同時に哲学を子供に教えるのは正確なやり方ではないと思います。なぜなら、言ってしまえば、結局の所それは、「難しいから」です。 私は、意味を理解することは大変重要だと考えます。「難しい」ものである哲学の教育によって生じる害は、益より遙かに大きいと考えます。 残酷ですが、おそらく、彼等は哲学を宗教にします。そして、どちらに転んでも、その思想は破壊されると思います。 大人ですら、思想と宗教を区別がつかない人がいます。形而上で物事を考えられない人がいます。戦争の道具として使われたニーチェやマキャヴェリと同じ危険がそこにはあります。 それより、私はむしろ、論理学だとか論証を子供に教えるべきだと思う。ソフトを社会が与えるのはどうかと思うが、ハードは社会が責任もって教えたっていいと思う。 まぁ、どっちにしろオイラも、地位も名誉も学歴もないから、何の力にも成れませんが…
ただ、日本の政治家はじめ有力者に哲学・思想的な素養がない というのは、実際的にもかなり問題だと思うな。 西部邁がどこかで書いていたが、何か日本とヨーロッパの政治家が 集まったシンポジウムみたいなところに招かれて、文明論のような ことを喋ったら、日本の政治家はみんなポカンとして一言もなかった のに、ヨーロッパの政治家はみんな具体的な思想家の名前まで挙げて 活発な論争になった、とか。 欧米に限らず、これからは中国とでも、相手の根本的な哲学思想的 背景への理解や、こちらの思想的バックボーンが欠けていると、 本気で論争するときには不利は否めないと思う。
118 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 15:34:22
大人のほうでも、哲学には目を背けたいのだ 見てみないふりをしても、確かに、生きてはいける そんな大人は、子供にも、哲学を必要としない生活スタイル(例えば経済大国)へと 無意識に子供を誘導していく
119 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 15:34:37
単なる受け売りで語るなよ。。。
120 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 15:42:27
>欧米に限らず、これからは中国とでも、相手の根本的な哲学思想的 背景への理解や、こちらの思想的バックボーンが欠けていると、 本気で論争するときには不利は否めないと思う まあ確かに不利ってことはあるかもしれない ただ、結局、まともにものを考えてない、考えようとしてない人に 戦略的パートナーとしてであってさえも、心を開こうとはしないだろう 取り引きに都合がいいから哲学の素養を振りかざしておく、という程度では 相手にもその浅はかさがわかってしまい、 人間として信用する(まじめに政治の課題に取り組んでいると見なされる)には至らない 「ボク、よく勉強してるよ!どう?」こんな奴に誰が心を開こうか
121 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 15:49:20
哲学っていっても日本人には変わってるって思われてしまうよ。 哲学は世間と摩擦を生じさせる。
122 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 15:52:58
経済大国は欲望大国というか、欲望に依存している。 哲学は物的欲望を抑制するだろうよ。 そうなると困る人がいっぱい。
123 :
悟 :2005/04/18(月) 16:06:25
日本人は物的欲望を満たすことも満足できなくなる。 今さら「現在人が忘れてしまった何かを」とかいっても 無駄だと思う。
124 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 16:20:22
ここは中学の学級会かw
125 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 19:28:46
↑(>_<) そーゆーの「あらし」っていいますっ!
126 :
ローカルルール審議中。。。 :2005/04/18(月) 19:37:38
哲学者でない人がこの問題で心配しているのはなぜだろう 日本を心配してか? つまり、哲学が日本を良くするという確信はあるわけだ
127 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 19:40:46
まあ 近代的人間には 哲学は不要だからね 近代的人間を超克するには 哲学が必要だという訳だ 超克しちゃったら 人間は 波打ち際の砂のように消滅してしまうから...
128 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 19:41:58
ばーか DQN人間学でまどろんでれ
哲学を義務教育とかでやると、消費が落ち込んで 経済規模が縮小するでしょう。老化した国になります。 「ワクワク動物ランド」である日本とアメリカは 消費世界一、ニでなくてはいけません。
130 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 21:10:03
うるせーよビンボ人
131 :
ローカルルール審議中 :2005/04/18(月) 22:34:56
社会は水、哲学は油 油は水とは交じり合うことは無いんだよ
132 :
悪い習慣 ◆5qWyA8kfAU :2005/04/18(月) 23:07:59
教育なんてのは結局 否応無しにやらせる物です。 教育者の現場の立場から穿った言い方をすれば、教育ってのは、(個人にとっては)理不尽なルールに 耐えさせ、もっと(個人にとっては)理不尽な実社会に耐えさせるように 躾けるためのドリルな訳です。 だから学校特有の校則(ルール) があるわけであって。あれは全体の管理のためだけじゃないんです。 個人にとって理由のないことであっても、つまらないことを机に座って他人に 迷惑をかけずに聴く姿勢を持てるか、ひいては勉強出来るか。 良し悪しに関係なく人間関係を構築できるか、それらの中で悩みや楽しみを見出せるか ってことは、 哲学から見ると侃侃諤諤な議論の対象になることとはいえども、 人間の社会を生きる上ではかなり必要なことなのです。 ドリル的であって(個人にとっては)意味がなくても。 必要性を感じないことはことはやらなくていい、必要であるかどうかを 吟味してからやるべきだ なんてのは、一国の支配者か、それに類する人たちだけが 言えることです。 そんな状況で 学校が教えられるのはドリル的行動を省みる「哲学」ではなく 「倫理」だけです。悲しいながら。
133 :
ローカルルール審議中 :2005/04/19(火) 00:06:38
哲学は所詮は工学の応用のそのまた応用なのだ だから工学さえ学べばよいのだよ
134 :
ローカルルール審議中 :2005/04/19(火) 00:17:00
工学は宗教学の応用にすぎない
135 :
ローカルルール審議中 :2005/04/19(火) 00:18:34
それはどうかな?
137 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 00:18:40
工学さえ学べばよい=信仰=宗教
138 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 00:23:59
フランスの話は出てくるけど他の先進国ではどういう哲学教育をしているのかな?
基準点がモラルだっていうのが確立してるからだろ。昔から日本人は「痛がり」なのさ
>>138 >フランスの話は出てくるけど他の先進国ではどういう哲学教育をしているのかな?
《『デリダ 脱構築 』高橋哲也著 p33-36 【再掲】
>>24-26 》
>こうした運動は海外でも関心を呼び、ヨーロッパ各国、南北アメリカ、
>アフリカなどにGREPHに呼応する動きが生まれ、一例をあげれば、デリダは七八年一二月、
>仏語および英語圏アフリカ哲学者連合国際コロキウムに招かれ、「哲学教育の危機」と題する
>講演をしている。(残念ながら日本では呼応する動きはなかった)
または、以下のものを検索してみました。
他国の教育状況も確認できます。
〜 国語科系教科のカリキュラムの改善に関する研究アメリカ合衆国におけるカリキュラム 〜
http://www.nier.go.jp/arimoto/Recent/Curriculum/html/21MoritaSP.htm >アメリカでは、通常、カリキュラムの開発は、州、学区等によって行われ、
>全国的な画一的なカリキュラムは作成されないが、教育が危機的な状態に
>陥ったと判断される場合には、連邦政府や全国規模の学会等による
>カリキュラム作成が行われてきたという歴史がある。
141 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 01:47:19
まあこんなのもありますけど
アメリカの事例から学ぶ学校再生の決めて―ゼロトレランスが学校を建て直した 加藤 十八 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4761907088/250-3205616-1286667 レヴュー (アマゾンドットコムより)
>「日本の教育界は、アメリカが過去失敗した教育理念の後を追い、アメリカが教育を
>建て直した現実を知ろうとしない」一九九七年二月、クリントン大統領は「規制を強化し、
>ゼロトレランス方式の確立」を全国民に呼びかけた。この"呼びかけ"もあって、現在では、
>アメリカの学校はほぼ完全に規律を回復したのである。現在の日本の学校再生のためには、
>どうしてもこのゼロトレランス方式を知らずしては、学校を建て直すことはできないと思う。
>これらのアメリカの指導事例を背景にして、しかも現場の教師の側からの視点に立って、
>日本教育の改革の一つの提言を述べたのが本書である。
カスタマーレビュー
>今日までの教育理論及び教育改革論は、すべて現実的な人間のあり方から出発しない、
>あるべきと空想する理想から全てを編み出す空想的人間を前提とした空想的改革論議
>でしかなかった。どれほどそれによって教育現場が破壊され、秩序を失い、人の社会
>として尤も危険な無秩序な、平和からほど遠い空間を形成してしまったことか。
142 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 01:50:26
>>80 悪い習慣さん
>いきなり原典に当たらせても
>まず何を言わんとしてるかの
>一端ですら理解不能でしょう。
あの、そのために哲学の教師が必要になるんじゃないんですか?
ここここは、こういう意味だ。ここは実は別の……という哲学書の
あの部分を意識しているんだ。もし君が興味があったら、購入してそこも読んでおきなさい。
そこまではテストには出ないけど、面白いんだよ。
今日、ニュースで○×国の首相が聖書の「・・・」という文章を
引用していたのを覚えているだろうか?
それを言ったのはこれは今から習う、〜という思想家なのである。
いまその文章の書かれた英字新聞をここに持ってきた。
それを、読み上げるから、意味がわからなくても雰囲気を知っておきなさい。
キリスト教には、「隣人を愛するように」という教えがあるけれども
君たちは、隣の席の人に親切にしてあげていますか……
こういう雰囲気の授業は、いきなり(押し付ける性質のもの)なんでしょうか?
たとえば、中学で、古典の授業なんてありましたけど、なぜ哲学だとそれが駄目なんでしょうね?
俺はどんな形でもいいから、哲学の授業はしてみないと実際にわからないと思うんです。
(当たり前ですが)
143 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 01:52:24
レスが伸びるのは大変ありがたいんですが、少しだけ言わせてください。 いつの間にか日本の教育論になっているような気がします。 あと社会における哲学の一般論チックになっている。 ここのスレのテーマは、いちおう哲学教育なんです。 あと哲学板てあんまり頭の良い人いないんですかね。 はっきり言います。皆さん文章が下手なんです。 おそらく大学教育で、しっかり論文の書き方を多少習ってきた方も いるんだと思いますが、もう少し物事を整理して書いてください。 何に対していっているのか? まず、思い込みではなく、事実を引用してください。 そして文章を書く前に、自分で幾つかの事実を調べるとかしたほうが良いです。 それから、文章の読み直しもお願いします。 ここを見ていると本当に哲学教育が必要な方ばかりなんです。 いいですか? 言いたいことはわかるだけじゃ、駄目なんです。 効果的に訴えなきゃ駄目なんです。
144 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 01:53:49
(つづき) あなた方は、人生でいったいどれくらいの文章を書いたのでしょう? 高校生で、あなたがたはいくつの作文を書き上げましたか? 文章なんて、たくさん書き上げないと上達なんてしないんです。 ここを見ていると、俺は皆さんを作文教室に通わせたくなります。 それからみなさんが会社組織とか、経済とか、マルクス、右翼とか、 自由主義とか、そういう文脈が配置された思想などを述べるのは 全然、構わないんですが、とりあえず文章の質に対しても注意を払ってくださいな。 あまりにレベルが低いんです。 言っておきますが、日本の教育が駄目だと嘆いている人の文章能力が それほどのものでなかったら、そんなの当人のねたみや、鬱憤にしか聞こえないんです。
ずいぶん高飛車に書いているけれど、
>>1 での問題提起からして「まず、思い込みではなく、
事実を引用してください」という批判が当たる最たるものなんじゃないかな。
>政治や教育についての討論が軽視されているのは、
>哲学教育がなかったせいではないとどうして言い切れるでしょう?
>窃盗や暴力などの犯罪が近年多発するのは、
>哲学が、所有という概念について教えなかったせいではないと
>どうして言い切れるでしょう?
これはつまり、俺のこの問題提起ってどーよ?レベルのことでしょ?「哲学教育がなかっ
たせいで、政治や教育についての討論が軽視されたり、窃盗や暴力などの犯罪が多発したりしている」
ことの事実は引用されてないのだから。しかもあまり説得力のある仮説とも思えないし。
自分の主張は実証・説得力抜きの仮説で構わないが、お前らは実証・説得力共に備えたもの以外
書くな、と言われてるみたいで不快ですね。
146 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 02:06:13
>>116 少々苦言を言わせてください。
あなたのその意見が宗教板にいってまともに話が通じるか聞いてみたらどうでしょう?
>彼等は哲学を宗教にします。
確認します。 これはオウム的な(カルト)宗教なのでしょうか?
それとも西洋的な宗教でしょうか?
その上で確認しますが、哲学を宗教にするってどう意味なんでしょう。
俺はあなたのこの文脈に、多少のレッテルのようなものを確認しますけど、
それは意識してでしょうか? オウムによって、肩身の狭い思いをしている
普通に活動していらっしゃる他宗教の信者や教徒にたいする配慮はなかったのでしょうか?
>戦争の道具として使われたニーチェやマキャヴェリと同じ危険がそこにはあります。
そうなんですか? そういう趣旨の発言は初耳なんです。
ここを、もう少しよく聞きたいんです。
俺は、こういう思想的な文脈に対するあなたの文章のような無防備さは
一つに日本の哲学教育の欠陥だと端的に考えています。
それは、表面化しませんが明らかに差別の温床となると考えています。
おそらくあなたは無防備に書き上げたのだと思いますが、無防備だから怖いんです。
こういう風潮はいわゆる本音主義みたいなものだと思うんですが、
そのまえに思想をいろいろと知るべきだと思うんです。
こういうレスに俺は哲学教育の不完全性を認識します。
147 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 02:08:10
>言っておきますが、日本の教育が駄目だと嘆いている人の文章能力が >それほどのものでなかったら、そんなの当人のねたみや、鬱憤にしか聞こえないんです。 意味がわからんw 貧乏人が現代の資本システムがダメだといってもダメだのか? っというか鬱憤は「表に出さない怒り」という意味だよ。使い方がちがう。
148 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 02:11:01
149 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 02:16:09
哲学を宗教にする。ってあたりまえだろ。 宗教無き時代の真善美を確保するのが哲学の役割。
150 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 02:19:15
フロイト、フロイト、ニーチェ、ドゥルーズ以下ポモはR指定。
151 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 02:20:56
>>145 そんなレスを書く暇があったら本でも読んで勉強したほうがよっぽどいいと思います。
あなたも、うだうだ言う前に、そこまで言うならやってやろうじゃないかという
意気込みがほしいんです。
まあ忠告として片隅においておきます。
一応言っておきますけど、俺は論を主張するときには事実を元にすべきといっているわけで
それは問題提起から始まります。問題提起があって、それから論証、結論という流れになるんです。
問題提起はいわばキャッチコピーのようなものです。それはスレのテンプレとしてはふさわしいんです。
申し訳ないけど、あなたの文章能力を見ていると、そういう論の構成能力が、
非常に欠けているような気がします。一目で何を言いたいのかわからないんですよ。
ちなみに事実は、論証を有意味なものします。
あなたの忠告は承りますが、あなたの
>自分の主張は実証・説得力抜きの仮説で構わないが、お前らは実証・説得力共に備えたもの以外
>書くな、と言われてるみたいで不快ですね。
は下品な妄想以外何者でもないんです。
妄想の弱点は、経験則に訴えない点なんです。
その点、事実はいつの場合でも経験則に訴えます。
俺とあなたのレスの違いがわかりますかね?
ずばり言いますが、思いつきで書き込むのはやめましょうか。
>>1 教育カリキュラムを変えれば教育の実質が変わると思ってる時点でダメダメ。新しい教科書を
作る会や教育基本法改正論者、哲学板自治厨と一緒。独仏人には我々が織田信長や坂本龍馬を
見るのと同じくらいの距離にデカルトやマルクスがいるわけ。そういう歴史を軽視しすぎている。
>>151 ねえ、君「考える名無しさん1」なんじゃないの?はやくモナドスレ立ててよ。
逃げる気かい?
154 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 02:24:48
>>144 >鬱憤は「表に出さない怒り」という意味だよ。使い方がちがう。
あの、文脈を整理できていますか?
俺の文脈における「鬱憤」が内包しているのは「己の文章能力に対して」です。
日本の教育状況に対してではありません。
鬱憤を晴らすって言いますよね。
こういうのは読解能力の問題なんです。
155 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 02:26:46
156 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 02:26:49
>>153 俺はあなたに言いましたよね?
忙しいのだと。
俺にとっては、このスレが今重要なんです。
もう少し待ってください。
157 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 02:28:27
日本で西欧哲学教育を実施するのは不可能。右も左も反対する。 西欧哲学のベースはキリスト教だし、「聖/俗」「主体/客体」 「絶対/相対」という概念も日本の概念とはまったく違う。 そもそも日本人にとって西欧哲学なんて拝んでありがたがって 子供にまで教えるもんじゃない。同じようなことはアジアの哲学者 も日本の思想家(宗教者)も言ってる。 哲学教育の最終局面ではどうせ「第3の道」のギデンズや「正義論」 のロールズや「コモンズ」のレッシグで終わるんだろ。 これじゃあ伝統的価値観を守りたい右も、社会的平等を実現したい 左も反対するに決まってる。俺も子供に哲学教えるのは反対。意味ワカンネ。
158 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 02:30:17
>>148 どうして、俺という主語に敬語が駄目なんですかね?
ちなみにこういうずれからコミュニケーションというものが始まっていくんです。
このずれは、当然ワザとなんです。
スタイルとして受け入れてくれるとありがたいですね。
159 :
10代 :2005/04/20(水) 02:38:26
そんなもん知恵をつけさせたら、ゴミを奴隷化できないからに決まってるだろ?あとは戦後復興するためには哲学では食えなかったから。要するに余裕ができて暇にならないと人間って哲学やらないんだよね。
160 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 02:41:01
>>149 ははは、それじゃ真善美を信念対象にしていて宗教の神の変わらないんです。
ちなみに、そういうのをイデアというんですが、それは神秘主義やオカルティズムを
安易に誘発するに過ぎないんです。
161 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 02:41:11
>>159 忙しくて毎日追われるヤツラでも「なぜこんな毎日に絶える必要あるんだろう・・」
と思うことはあるよ。過労自殺もそんな感じだろ。
>>156 いつまで待つんだ?君の都合だけで保留されたんじゃたまらんな。あと三日以内に立てなかっ
たら約束は白紙だ。自治議論に戻るよ。君に哲学の知識がないのが解って、あえて追い詰めずに
おいてやったのに。君が真摯に学問系の書きこみをする努力をするならそれでもいいと思ってた
んだよ。それにこのスレが立ったのは約束の後じゃないか。忙しいだって?かなり幻滅したよ。
最後のお情けで3日やる。それ以外の道なし。
163 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 02:47:23
>>160 バタイユの「非-知の知」を「神の捏造」と誤読したサルトルと同じだね。
あなたフランクフルト学派にかぶれてるんですか?なんでもかんでも「ものがたり」
とか「価値のおしつけ」とか言ってるけど、神秘(超越性)を否定しながら内在に
充実した非流動的な個人などありえないんです。それをありえると主張すること自体
が「ものがたり」であり「価値のおしつけ」です。そのありえなさは説明の余地もないでしょう。
164 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 02:48:08
>>152 もう少し整理して書き込みしてください。
言っている意味がわからないんです。
一行目二行目三行目と、論旨がつながらないんです。
165 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/20(水) 02:53:20
>>143 俺は高校すらいってないし文章が下手だが、あんたはコミュニケーションが下手だな。高飛車モード(レベルがあーだこーだとか)になって文才を責めるなんてびっくりするよ。
しかも批判だけなら誰でもできるんだよ。高飛車になる位賢い人ならここをあーした方がいい。とか言うんじゃない?
166 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 02:54:31
>>153 もう一言付け加えておくけど、俺は君にお願いされて、
それを受け入れてレスを立てるという風に解釈している。
(違ったかな?)あのスレでの書き込みは当然約束だからしないが、
その俺に俺に批判で返すというのは、いったいどういうことなのだろうか?
言っておくけど、俺はきみの態度を改めない限り、
スレを立てるという強い動機がないのはわかるか?
>>162 仕事があれば、書き込みには制限されるよね。
破棄するのは君の自由だから、勝手にすればいい。
まあ破棄を持ちかけるんだから、すでに破棄とみなしていいかな?
ちなみにいつ立てるかまでは約束していないよな?
当然俺は約束を守りスレを立てるつもりなんだけど、正直当スレでは、
君の書き込みは俺にとっては必要ないんだ。
俺の問題領域だからね。
167 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/04/20(水) 02:56:43
168 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 03:01:04
>>165 そうですか。コミュニケーション能力が低いなんですね。
忠告承ります。俺が高飛車になったのには意味があるんです。
事実を認識すべきだということです。実際、多くのレスの
文章能力が低さが目立ちましたよね?
これを俺は、哲学教育がないことの欠陥だと俺は主張したいんです。
さっきまでの俺のレスはいちおうそういう構成なんです。
>高飛車になる位賢い人ならここをあーした方がいい。とか言うんじゃない?
だから俺は、そうしているんです。こうしたほうがいいんではないかと。
ちなみに説明方法はいろいろあるんです。
でも一番いいのは、実践なんですけどね。
169 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 03:04:03
>>167 じゃあ答えるんです。もう少し改行を打ったほうが良いんです。
じゃないと読みにくいんです。それ以外は特に問題ないんです。
ちなみにあなたの文章能力は悪くないんです。
>>166 解った。約束は破棄ね。どっちにしろ君はライプニッツに関しても詳しくなさそう
だからどっちでもいいけどね。
>君の書き込みは俺にとっては必要ないんだ。
>俺の問題領域だからね。
あとこれだが、スレはスレ立て者のもんじゃないから俺はこのスレに書きたいこと
を書きたいときに書くよ。君以外の書きこみは面白いと思っているからね。
171 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 03:06:00
オカルティズムや神秘主義はダメなんです。と批判した人って
>>1 ?
超越を否定した内在的に充実した非流動的な「個」があるかどうか、
考えを教えてくださいな。
グルの影響受けまくりな文体だな
>>168 ほほぉ〜。勉強になるなぁ。では本来あるべき「哲学教育」をご教授ください
174 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 03:09:31
超越/内在・流動/多様(非流動)は哲学、神学、社会学の基本的な概念です。
175 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 03:10:46
>じゃあ答えるんです。 >じゃあ答えるんです。 >じゃあ答えるんです。
176 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 03:14:18
現代思想は子供に教えるべきじゃないな。 ひたすら意味や価値を相対化する社会のなかの子供たちに ひたすら意味や価値を相対化する学問なんか教えたら、鈍い 子でもサカキバラになっちゃうよ。
177 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 03:15:49
>>163 非常に面白い書き込みです。
>あなたフランクフルト学派にかぶれてるんですか?
>なんでもかんでも「ものがたり」とか「価値のおしつけ」とか言ってるけど、
>神秘(超越性)を否定しながら内在に
>充実した非流動的な個人などありえないんです。
哲学的な批判としては敬服する限りなんです。
俺の文章にあなたのようなレスが持つ批判的要素がないのは認めます。
ちなみにサルトルは、バタイユをどのように誤読したのでしょうか?
もし手が空いていたら、書き込んでいただけるとありがたいです。
>超越/内在・流動/多様(非流動)は哲学、神学、社会学の基本的な概念です。
についても教えていただけると助かります。
俺は哲学的知識に強い人には端的に弱いんです。
(初心者なんで)
178 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 03:17:48
>177 な ん だ こ い つ (・∀.)
179 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 03:18:39
>>172 つまり君は約束を破棄したんだね。
死んでもらうけどいいか?
死んでもらうけどの解釈は、
2ちゃんねるに来るなという意味で使ったんだけどね。
180 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 03:20:33
181 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 03:23:13
いちおうレスが途中だったんで。
>>75 >そうか? 授業が難解すぎて父母からクレームがついたうえに、小学生を殴り倒してるぞ。
>それに小学校教師してたのは言語ゲーム以前だし。
それは知りませんでした。で確認。どうやらウィトゲンシュタインを
哲学と教師の二項関係の像になぞらえるにはいくらか問題があるようですね。
>危険だろ。
>悲観的で無気力な子供を量産すると思われる。
>数学なんて完全否定されちゃってやる気が失せるし。
そうか言語ゲームってそういう代物だったんですね。
>小学生の段階で本質や意味を葬り去る哲学まで教えるのは危険だと思う。
(じゃあ小学生にはどんな哲学がいいんでしょうか?)に
>古代ギリシア程度で止めておくべき。
という意見は、俺は面白いと思います。
>というか、哲学教育なんて学問を研究する人間以外にはいらん。
えと、政治家や外交官には、ぜひとも、それは必要だと思いますよ。
>興味ある奴は勝手にやるし、興味ない奴は教えてもやらない。
俺は、哲学に触れたのは2ちゃんねるなんです。
それまでは、そうだね大学の一般教養で少し齧ったくらいなんですよね。
プリントを渡されて、それを読みながらの授業でした。
なぜ高校のときに知ることができなかったのか?
と思うときがあります。ま、後悔してもしょうがないのですけどね。
かなり不真面目だったんで。
うちの高校の「倫理」の先生はけっこう情熱的にカントやデカルトについて語ってたよ。でも
悲しいかなほとんどの人が聞く耳もたなかった。先生も空気を全く読まずに授業を続けるのも
キツイから結局は「しゃべり場」レベルの話をするんだが、そうするとまた悲しいかな、2,3人
は釣れ、そのほうが授業の体裁としては整った感じになると。そういう現状なんだな。知り合い
の国家公務員一種の人はカント思想の概略も知らなかったし(いまや教養としての株価も哲学は
マーラーやモネについての知識以下なわけだ)。
こんな社会的バックボーンで哲学教育をしてもろくなものにならないのは目に見えてる。
一体誰が教えるの?ってことだ。
>>179 アホか。お前は放置だ。
183 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 03:23:58
>>177 1と2の書き込みから、あなたはおそらく啓蒙主義的な考えの人だろうと
思います。子供たちにはできるだけ生きる意味や価値を持ってほしいん
だろうと思います。そのための概念、近代的自我を子供たちに持ってもらおうと。
社会・共同体全体で同じものを真と思い、同じものに美を感じ、同じことを善
と信じて生きていたら(前近代)、犯罪もないし、生きる意味も価値も持つことが出来ます。
近代とはそれらを犠牲に「自由」を選択した時代。個人が個人だけの真善美を選ぶ時代。
そんなことが現実的に可能か?
2つの点で不可能であることが立証できます。
184 :
172 :2005/04/20(水) 03:28:41
ロムってたらイキナリ「死んでもらうけどいいか?」なんて言われてちょっと ビックリしたw はじめてきたけどなかなか面白いスレッドだね。お休み
185 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 03:30:10
>>173 そんな風に、言われても困りますね。
俺はそれを深めるためにこのスレを立てています。
ある程度の実践もつき物なんです。
俺があなたに改行を打ったほうがいいかも指摘したとき、
あなたは多少不快感を持ったと思うんです。
だから俺は、ミスを指摘するというのはあまりよい方法だとは思わないんです。
ではなくて、配慮の意識を持つように、いかに能動的な気持ちにさせるか?
そういったことを一応考えています。
俺の煽り文は、2ちゃんねるだからできる性質のものです。
煽ればレスも増加するし、それなりに面白いんですよ。
まだ200スレにも満たないんで、今のままではこのスレの意義も充分ではないと
思いますが、とりあえず口足らずなところはご容赦ください。
みんな(たとえばあなたに)このスレが面白いと思ってくれたら俺としたら幸いなんです。
186 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 03:35:31
1.価値や意味を持つにはある種の権威が必要。宗教やイデオロギーの 変わりに「体験」をあげる人がいるが、その体験を肯定するには権威 を必要とするというトートロジー。その権威の変わりに神秘やエクスタシー をあげる人がいるが、それ自体が宗教性を帯びるというトートロジー。 2.流動的な社会から流動的としかされることのない自分に、(流動的でしかありえない のに)非流動的であれというダブルバインドでしかないメッセージがつねに投げられる ると、「そもそも、なぜ近代的自我ではなければならないのか」という疑問を呈してし まう矛盾が生まれる。
公教育でダブルバインド的なものをどこまで教えるべきか、というのも議論すべきじゃないか。 たとえばメディアリテラシー教育は具体的な材料をもって主体的・懐疑的に考える訓練になる。 しかし行き過ぎると悪しき相対主義や懐疑のための懐疑を植え付けるだけのことになる。
188 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 03:44:16
>>183 >1と2の書き込みから、あなたはおそらく啓蒙主義的な考えの人だろうと
>思います。子供たちにはできるだけ生きる意味や価値を持ってほしいん
>だろうと思います。
あなたの指摘は、ほぼそのとおりなんです。
俺はああいう形で社会に訴える書き込みをしたのはあれが初めてなんです。
そしてその意味や価値について、どういう風に教えていくことになるだろうか?
つまりどうすればそれが可能かを、考えていきたいんです。
一応そういう自己主張的なニュアンスで立てました。
>そのための概念、近代的自我を子供たちに持ってもらおうと。
でも、実はそこまでの強い要求はあんまりないです。
でもあったらよいだろうとは思いますけどね。
>社会・共同体全体で同じものを真と思い、同じものに美を感じ、同じことを善
>と信じて生きていたら(前近代)、犯罪もないし、生きる意味も価値も持つことが出来ます。
俺に対する批判が代入されているんだと思いますが、じゃあ同じものを真と思っている人同士は
論争しないかというと、するんです。喧嘩もします。犯罪も起こります。
犯罪も、生きる意味に価値を持つことも、それはつまり幸福の追求であって
哲学的意味を模索し続けることとは、また趣旨が違うと思うんです。
違いますか?
189 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 03:56:33
>>187 >しかし行き過ぎると悪しき相対主義や懐疑のための懐疑を植え付けるだけのことになる。
いちおうそういうものに対するものとしては、すでに日本では東洋思想的な寛容の原則が
あると思うんです。そういう行き過ぎを、行き過ぎとして防止する装置が日本にはある。
欧米には、あまりないと思われるものです。
ちなみに日本の哲学状況はそんなに悪くないと思うんです。
他の国と比べても発展していると思います。
それは、そういう思想の土壌があったから、巧みに翻訳などをして異国の思想を受け入れてきた。
こういうのは他の国々と比べても珍しいと思うんです。外国の方々が日本に来て驚いたのが
本が豊富にあることといわれたりもします。
このスレで哲学教育は、日本にはあわないと言われていますが
現況から認識すれば日本人が哲学を学ぶことは性質の面でも
あっていると言ったほうがむしろ妥当のような気がしますね。
それから子供に思想を教えることの是非は、つまり土着的な家族信仰と
それと対比させた世界の思想の文脈に対してバランスを受け入れるためには
必要だろうと俺は思います。
190 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 04:00:19
>犯罪も、生きる意味に価値を持つことも、それはつまり幸福の追求であって >哲学的意味を模索し続けることとは、また趣旨が違うと思うんです。 もう一歩踏み込むと、幸福の追求は内在的であり、哲学的意味の模索は超越的ですね。 近代は相対的で、一人一人ことなる幸福の自由な追求(内在的)を認めました。 一方、超越性はその名のとおり全体的、絶対的です。それゆえフランクフルト学派は超越(哲学・ 宗教)に固執する者は近代社会への適応拒否であり、その態度がファシズムを生んだ。と論理 づけます。フランクフルト学派とは多くがホロコーストから亡命で生き残ったユダヤ人です。 要約すると、近代は個人に超越性の「虚勢」(哲学・宗教的真善美の放棄)と 内在性による近代的自我の育成(個人によって違う相対的な幸福の追求)を目指しています。 このことによる矛盾は上記の2つの立証通りです。 個人はこれまで超越の安定(宗教性)させ、それゆえに内在の非流動性によって成り立っていました。 近代は超越のみを否定し、内在の非流動性のみを守ろうとしました(「個人の幸福の追求こそが善」 という超越のみは残す)。 しかし、近代とは全体を崩壊させることで超越を否定し内在を流動化するものです。 単に、構造的矛盾です。
191 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 04:01:22
>>189 補足(限りなく訂正に近い)
>それから子供に思想を教えることの是非は →それから子供に思想を教えることの是非については
〜
>必要だろうと俺は思います。 → 必要だろうと言う主張を俺は持っています。
192 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 04:12:27
1は明治大正時代の教養主義を復活させたいと言ってるわけですね。
なにもしらないヤツラの相対主義ではなく、いろいろなものをわかってるヤツラ
の相対主義へ・・・。
なぜ、明治大正では可能で平成では不可能なのか?
それは近代主義の問題ですね。誤解を承知ではっきりと言えば天皇の不在です。
一つ質問しましょう。
>>1 はなぜ何も知らないヤツラのやりたい放題相対主義が嫌なんですか?
>>189 >土着的な家族信仰
というよりズルズルベッタリの世間主義というべきか。「世間様に申し訳が・・・」がまず
あってその建前として論理や正義があるという状況へのカウンターバランスとしては必要
でしょう。こういう意識は明治の人達のほうがあった気がするな。と言いつつ、
>日本では東洋思想的な寛容の原則があると思うんです。そういう行き過ぎを、行き過ぎ
>として防止する装置が日本にはある。欧米には、あまりないと思われるものです。
>ちなみに日本の哲学状況はそんなに悪くないと思うんです。
こっちのほうにはあまり賛成できない。いみじくも日本には本が豊富と書かれたでしょ。
本は確かに豊富なんです。だが欧米においてはそういう防止する装置(別の言い方をすれば
玉虫色的妥協)なく思想のために殺し合いまでするラジカルさがあったからこそ、筋金入り
の哲学が出来たのだとも言える。血で書かれた本がある。
ヘーゲルの「歴史は理性の自己展開」というのはいってみりゃ、殺し合いの歴史なくして
自由は生成しないということでしょ。このへんは日本人にはピンと来ないが、欧米人には
ものすごくリアリティのあることだと思う。
194 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 04:21:48
歴史やアイデンティティや権力ならわかるが、「思想」 のために殺し合いすることは病気。一神教という名の 病気。
195 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 04:22:45
>>190 特に反論はありませんでした。
面白いです。
>>192 >1は明治大正時代の教養主義を復活させたいと言ってるわけですね。
簡単に言うとそうだと思いますね。
大同小異です。(小異を捨てず、小異を残して、大同を取る)
>
>>1 はなぜ何も知らないヤツラのやりたい放題相対主義が嫌なんですか?
別に嫌じゃないですよ。でも不快ですね。
そのレス自体が文言の性質として、呼び捨て、命令的、独断的なんです。
>なぜ、明治大正では可能で平成では不可能なのか?
>それは近代主義の問題ですね。誤解を承知ではっきりと言えば天皇の不在です。
誤解を正すなら象徴的存在(神)の不在だと思われます。
196 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 04:24:22
>>192 西洋文明の入り始めに、天皇の求心力が人為的に強められたような感じだな。
明治以前も、天皇は権力の正当性を担保するためだけの装置だったような気がする。
197 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 04:28:49
>>195 >別に嫌じゃないですよ。
嫌じゃないなら、このまま動物的で虚しい社会でもいいじゃないですか。
なぜ明治大正時代の教養主義を望むんですか?
198 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 04:34:24
>>193 >こっちのほうにはあまり賛成できない。いみじくも日本には本が豊富と書かれたでしょ。
>本は確かに豊富なんです。
あn、どうでもいいんですが、
事実を肯定しておいて賛成できないってどういう意味なんですか?
そういうのはフェアじゃないですよ。
>ヘーゲルの「歴史は理性の自己展開」というのはいってみりゃ、殺し合いの歴史なくして
>自由は生成しないということでしょ。このへんは日本人にはピンと来ないが、欧米人には
>ものすごくリアリティのあることだと思う。
簡単な否定ですが、リアリティは当事者にかかる文脈なんで、
歴史に回収できるものではないと思います。そういった文脈を肯定してはいけないんです。
東洋の寛容の原則は、不条理の肯定ではなく、あくまで受容なんです。
その生起からパトス(受難)的な文脈を持つものなんです。
199 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 04:38:52
>>198 オマエ読解力なくない?w
「本は確かにほうだがしかし〜なので賛成できない」という文だろ?
>>192 明治大正の近代国家原理を貫くのなら天皇は敗戦時に退位すべきだった。それが近代国家
の論理からすれば正論だったんです。しかしまあいろいろあって、明治大正は日本史の
というより天皇制の例外時期とすることにしてしまったわけです。これは外圧とか、国際
情勢を鑑みてとか言う前に日本人が意思を持ってやったことだと思います。三島のよう
にそれを英霊に対して恥ずべきことと取る人も少なからずいた。
>>197 明治はともかく、大正時代の教養主義というのは逆に今の状況に近い。学問のヒエラル
キーによるエリート養成から、なるべく多くの大衆が学問に触れる「底上げ」に移行する
時期なんじゃないですか。
201 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 04:43:18
>>197 哲学板だからです。
そういう人が多いと思ったからです。
事実、ここでこういう類の話題に興味を持つ多くの書き込みを頂きました。
それで俺は安心して眠ることができる。
実際俺は、このスレがうまくいったらいいなという妄想を抱いていますよ。
でも、教育だから今俺には関係ない出来事なんです。
だから、俺ができることはその呼びかけまでです。
実際に教育機関に所属する人の気持ちに作用させる何らかの触発が起これば
充分意義深いことだと思っています。そんな人でも2ちゃんねる位は
見てくれていると信じたいんです。
ちなみに俺は明治は幸福の追求の時代だととらえています。
江戸時代がミラクルピースと言われていたみたいですが、そんなの嘘ですよ。
じゃあどうして仏教が日本で受け入れられたのでしょう?
江戸時代は不幸だったからですよ。ちなみにここでいう俺の不幸とは、
生活の困窮レベルに対してです。
202 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 04:50:38
>>199 そうか
>>193 >ちなみに日本の哲学状況はそんなに悪くないと思うんです。
に対して賛成ではないということだったんですね。
つまり日本での哲学状況は悪いということでしょうか?
あまりよくないと。そういう風には見えない文だったので
誤解してしまいました。
>>198 日本にはインクで印刷された哲学書は豊富だが、血で書かれた哲学書は少ないということです。
逆に血で書かれた詩、ドラマは腐るほどあるが。なので、文物としての「哲学」研究は盛ん
でも、それが即日本には豊富な哲学的土壌があることにはならないということ。
>リアリティは当事者にかかる文脈なんで、歴史に回収できるものではないと思います。
>そういった文脈を肯定してはいけないんです。
その意見にはすでにバイアスがかかっています。歴史に回収できぬものも歴史のうちなんです、
コアな西洋哲学(特に大陸系)においては。もっと西洋哲学を勉強すれば嫌と言うほど
わかります。
204 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 05:07:57
>>200 >日本人が意思を持ってやったことだと思います。三島のよう
>にそれを英霊に対して恥ずべきことと取る人も少なからずいた。
俺もそういう意見は認めますが、俺が訝るのは、そういう意見は
国際化の文脈では、あまり相手にされないことなんです。
侵略戦争を正当化したといわれたらそれでおしまいなんです。
俺が日本が国際状況に打ち勝つためには、(優位に立つには)
そういう論争に勝つしかないと思っています。そのための実際的な
力を持つ哲学の必要性なんです。別にコミュニケーションとかではなく
外交力なんです。もちろん、その恩恵にあずかる人は
ほんのわずかだとは思いますけどね。
そろそろ哲学の解釈者ではなく、哲学の行為者としての可能性を
俺は日本の哲学教育に抱いています。
もしあなたのそのヘーゲルの論法を諸外国の人たちが言ってきたら
マッチョなファシズム思想だと言い返してやればいいんです。
相手は黙ります。今の日本はそういう意味では黙らされている
状態なんです。
>>204 ちゃんと読んでくれてるのかなあ。
近代国民国家君主としての天皇という位置付けをあっさり捨てて明治大正を天皇制の例外時期
とする理論操作(後付け理論)を施すことを当時の日本人は意図的にやったと書いてるんだよ。
侵略戦争肯定がどうのこうのという話ではぜんぜんない。
>もしあなたのそのヘーゲルの論法を諸外国の人たちが言ってきたら
>マッチョなファシズム思想だと言い返してやればいいんです。
あなたがヘーゲル的(というより西洋近代国家の原理)に対してNoという立場なのは
わかりましたが、なぜマッチョなファシズム思想だと西洋に言い返すんですか?
西洋近代国家思想全てがマッチョなファシズム思想だという考えなんですか?
それともヘーゲル思想がファシズムのイデオロギーの源流になっているとでも?
ファシズムの定義が非常に曖昧ですね。
206 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 05:34:19
>>203 >日本にはインクで印刷された哲学書は豊富だが、血で書かれた哲学書は少ないということです。
一応俺の寛容の原則があるという主張は、そういう当の主張に対して
批判的なものだったんです。
そして、どちらかというと、全体主義(ウニベリズム)なものです。
実は、俺たちは同士なのだからという、友情的な結託があって可能なものです(同性的)。
ただこういう論理にかけているのは、他者の論理(異性的な)なんです。
他人の発言が誰彼には、受け入れられないものとして確かに存在するという事実です。
簡単に言うと、俺とあなたは違うでしょ? というものです。
でもこういう異性、同性的な他者の論理は、本来が相補的なものなんです。
それが哲学の形而上学の視線なのだと俺は考えています。
ちなみに哲学板にもギリシャ哲学を愛好する人は、結構多くいると思います。
>逆に血で書かれた詩、ドラマは腐るほどあるが。
ギリシャ時代にも、逆に血で書かれた詩、ドラマは腐るほどありますよね。
まあ、詳しくは知りませんが、そういう意味でも日本の哲学状況が本来的に
優位と捉えてもよいのではないでしょうか?(妄想チックですが、
俺の主張の仕方自体がペーソスで訴える性質とご理解ください。)
>コアな西洋哲学(特に大陸系)においては。もっと西洋哲学を勉強すれば嫌と言うほど
>わかります。
まったくそうですね。
とりあえず俺の書き込みはこれで終わります。
207 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 05:38:47
>>206 はちょっと雑なレスですかね。
いちおう
>>205 の批判も少し含んでいるとご理解ください。
>>205 のレスはいちおう議論の接ぎ穂として残しておきます。
それじゃ。
208 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 05:45:01
いちおうレスを読み返してそれから内容を整理するつもりですんで。 なんで読み忘れについてはいくつか訂正、 それから問題のまとめなんかも行いたいと思っています。 だから俺に寄せられた忠告なんかもちゃんと読み返すんです。 そういうことなんでよろしくお願いします。
209 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 05:51:50
>>206 >そして、どちらかというと、全体主義(ウニベリズム)なものです。
ああこれはデマです。見なかったことにしてください。>ウニベリズム
たぶん意味がわかってなくてつかってしまった用語です。
消すのを忘れてしまいました。
210 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 14:23:32
<哲学を教えるのはいいとしても、誰が哲学を教えるのか?> この問題に着目する人はどうやら多いようですね。 それは正しいと思うんです。しかし、やはりそれは無意味なんです。 先生が教えるべきものです。それが学校というものなんです。 <小学生のための哲学> 小学校では、通常、国語算数理科社会体育と一人の担任がその教科を教えます。 その一環でその担任が哲学を教えればいいだけのことなんです。 通常授業で行われるような読み書き、算数の訓練ではなくて、 それらと正対した形の、ただじっとお話を聞かせるんです。 どうして1+1=2なのか? どうして割り算はあまりがでるときと出ないときがあるのか? なぜ地球は丸いのか? どうして人は怒るのか? そういったことをいろいろな文脈のなかで話しをするんです。 子供たちが興味を持てば、いろいろな質問が生まれて 議論に発展すると思います。 そして最後にそういう議論が、本当に昔行われていたことを 教えてあげるんです。そういった授業を担任は哲学の授業で 行えばいいと思うんです。 つまり誰が哲学を教えるかではなく、 本質は、どういう授業をするかなんです。 もちろん誰が教えるかというと、 その答えは教員免許を持った人に限られるんです。 当たり前だし聞くまでもないことなんです。
211 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 14:23:58
あと、やっぱり文章能力の指摘した後では その後の書き込みのレベルが格段に上がりましたね。 だから、やっぱり言ってみるものなんです。 そういうふうにある程度、注意することは大事です。 しかししてはいけないことは試すことです。 もちろん試す思惑があっても構いませんが、 それを相手に悟られてはいけません。 じゃあどうしたらいいか? なるべく具体的に話すことなんです。 そういう風にすれば、相手はその文脈を追いかけます。 批判的態度から、むしろ能動的に理解しようと接するはずなんです。 あと昨夜は脱線してしまいましたが、思想議論はよそでお願いします。 そして、なるべく哲学板の外でお願いしたいんです。
212 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 14:24:32
俺は、ちなみに俺は、子供に議論はさせちゃ駄目だと思います。 大学生にだってさせてはいけないと思います。なぜか? 思想にかぶれるからなんです。間違った文脈が蔓延すれば それを回収するのに非常に多くの手間がかかります。 幼児教育に際して生徒の意見に対して、 生徒が答えるというのは間違っていると考えます。 そういうのは小学校教育ではじき早々と考えます。 小学教育の現場は、そもそもが自己承認プログラムとして存在するんです。 学校に通うことで自分が社会に参加しているんだ、 受け入れられているんだということを確認するために 子供たちは小学校に通います。もちろんこの意識は 中学、高校、大学でも必要な視点ですが(むしろこの点を 軽視してしまったがために、登校拒否などの問題が起こるわけです。 そしてこの病が進行してニート、引きこもりも生まれてしまうんです。) そういう自己否定のプログラムは、その少年期の自己承認のための儀式からは 対立するものなんです。教師は生徒の意見をどのようなものであっても受け入れる。 むろん生徒の発言が極端なものであった場合は、質問して意味を問い直すように してもいいのかもしれません。 とすると教師にとって必要な素養は、知識です。 それから責任を持って生徒の質問に答えるという誠実な態度です。 生徒の質問を一つ一つ書き留めて、それを次の時間までに答えを 用意してくるぐらいでないといけない気がします。
213 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 14:26:31
<中学生のための> じゃあ次は中学生にとっての哲学はどういうものがふさわしいだろうか? ということも考えてみるんです。 俺は、この時期の教育は、ニーチェやフロイト、マルクス、ハイデッガー、 カント、ヘーゲル、仏教思想、オリエンタリズム、神秘主義、宗教、資本主義など、 思想的な要素が強いものがいいと思うんです。 この頃になると子供は自我が発達し始め、精神的な構築に対して 強い要求を持ち始めると思います。そしてこの頃の子供同士の議論は されてもよいでしょう。議論の面白さに触れるべきだと思うんです ではなぜ、この時期にそういうものに 慣れさせておくべきなのか? 思想に対しての耐性を早く持つべきだとも、思うからです。 この時期に思想教育の概観をマスターしておけば、 おそらく高校生のころまでには成熟した思考が完成されうると思うんです。 高校でカントを読んでいるくらいではおそらく遅いと思います。 実践的な思考訓練としての時期に費やすべきです。 中学期では、古典に触れ合う機会を徹底的に多くすべきと俺は考えます。
214 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 14:28:11
<高校生のための哲学> それじゃあ、高校生にとってはどういう哲学がいいかと言うと まあ中学生の哲学と中身は基本的には同じですが 現代精神、科学的な哲学を知ることを問題の主眼とします。 この頃にポパーやベルクソンなど、 共通する科学的な批判精神を植えつけるべきなんです。 また思想に対するリアクションとして、 ポスト構造主義的な思想にもふれさせ、 人格的な批判に耐えうる、精神の基盤を構築していきます。 また授業内容を、中学生の読書中心から作文中心へと 切り替える時期と俺は考えます。 総合的な構成能力の育成を主眼に置くべきなんです。 こういった教育姿勢を徹底させると、例えば一介の主婦と 国を背負う政治家との議論が事実上可能になるわけです。 国(人)には国(人)の事情があるんだという逃げ口上が 通用しなくなるわけです。そして俺は高校生までに哲学的理念は 完成させておくべきだと考えています。 <大学生のための哲学> じゃあ次は、大学での哲学教育はどういう風にすればいいのかというと、 各々の専門領域を追求する、研究者という立場が大学の1学年から 実施されるべきなんです。あるいは哲学教師になるための養成プランでしょうか? 哲学徒、哲学者、哲学教師になるための職能に対して精査をかける時期だと俺は考えます。
215 :
考える名無しさん :2005/04/20(水) 14:32:36
また最初に戻りますが基礎教育である小学生の時期には、 子供の哲学の芽をつぶさないことが非常に大事だと考えます。 このときに驚きや、面白さなどに触れていれば、大人になった後でも それを取り戻そうとするはずなんです。ちなみに俺なんかはそうです。 驚きを取り戻すために今哲学に触れています。 だからそういう意味では今までの日本の小学校教育における育理念自体は 間違っていなかったと思う。問題はその驚きが、中学に入った途端分断されて しまったことだと思う。例えば中学に入った途端勉強に、 そういう驚きや関心が失われたと感じた人は多いのではないだろうか? そういうのは完全に受験教育の弊害だと俺は感じるがいかがだろう? そういう風に物事の意味を取り戻すために、中学以降の哲学教育は是非とも 必要だと思うんです。(もちろん小学生のための哲学的教育は今以上に 充実させるべきだと思いますが)もし受験教育がなくならないとしても、 中学生、高校生の頃にちゃんとした哲学の授業があったら嫌いな授業でも 意味を持ち始め、我慢できると思うんです。 さて皆さんにも哲学教育のビジョンができてきたと思います。 皆さんの意見をお聞かせください。 あと俺が思想議論を嫌うのは、馬鹿らしいからです。 中学生か、しゃべり場の議論と同じように幼稚に見えるんですよ。 彼らの知識合戦にはついていけないし、ついていく気もないんです。 議論好きが厨房と呼ばれるのは、いみじくも中学生の喧嘩と同じだからです。 そういう議論は生活者である俺にとってはうんざりなものなんです。
216 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 16:08:44
アホクサ
217 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 16:19:43
哲学が何であり、教育が何かの問題だが、 どちらも的外ればかりw そういう状態で哲学教育を語ろうとすると どうなるかがここでは展開されている ^^; (ノ_ _)ノ
それはまた大きく出たな
219 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 18:06:32
小さく出たつもりかw
たとえば、昔の旧制高校とかでは、哲学教育は充実していたのでしょうか。 「デカンショ」が流行したとか聞きますが。 西田幾多郎みたいな「大物」が生まれたのは、教育も関係しているので しょうか。あんまり関係ないような気もしますが。
221 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 18:22:35
日本は加工貿易国家であり、それ故、技術知が最重要視される。 また、日本は官僚国家であり、情報処理能力が(会社と同様に) 求められる。そのために必要なのは暗記力と瞬発力であり、 物事を深く掘り下げて考える機会など、ほとんどない。必然的に、 哲学は、「単なる教養」となり、欧米の様に、重要視されることは あまりない。日本に、哲学科卒の社長や官僚や首相が、どれ程 少ない事か・・・
222 :
ローカルルール審議中 :2005/04/20(水) 18:26:48
あと、最近の論壇人が、 山形浩生みたいな露骨な技術知主義者ばかりなのにも原因があるだろうな。
223 :
138 :2005/04/20(水) 23:16:52
224 :
ローカルルール審議中 :2005/04/21(木) 01:23:40
>>222 哲学なんぞ工学の応用にすぎないんだよ?
225 :
ローカルルール審議中 :2005/04/21(木) 01:26:05
↑この?マーク、どうゆう意味?
226 :
ローカルルール審議中 :2005/04/21(木) 01:29:51
227 :
ローカルルール審議中 :2005/04/21(木) 01:43:43
>>223 またこんなのも見つけました。
◇中国の大学教育の体制
http://www.yamanashi-med.ac.jp/~tosho/mokuji/kiyou/kiyou14/kiyou14--045to049.html >哲学教育は全国統一の教科書,指導大綱,教育検査などの特徴を有する。
>中国の一般教育の哲学はマルクス主義哲学である。
>この哲学は理論性や論理性といった長所をもち,中国では広く普及している。
>しかし,この哲学には,同時に,多くの弱点も指摘できる。
>例えば,内容の抽象性と論述の思弁性や,教育の強い政治性などである。
>さらに,この哲学は今なお1930年代のソヴィエトの哲学教育の影響を色濃く
>残していることもあって,現実の社会の変化に十分に対応しきれていない。
>そのため,哲学教育の改革の声がたびたびあがっているし,教科書の改訂も行われてきた。
◇日本における哲学教育の歴史を調査・研究するための資料
http://www2.toyo.ac.jp/~stein/uni.html >日本における哲学の歴史を探ろうとすると、哲学がいつ誰によってどのような問題意識
>をもって営まれたかではなく、哲学がいつ誰によってどのように教えられ学ばれたかとい
>うことに問題がすり替わっていることに気づく。日本では、哲学は〈営まれる〉のではなく
>〈教えられ〈学ばれる〉ものとしてあった。
◇また書籍では『フランス哲学・思想事典』がフランスの哲学教育について
論じられているようですね。
>(コラム)(3)フランスの哲学教育(20世紀前半)
>(コラム)(3)フランスの哲学教育(20世紀後半)
強制はしませんので、いちおう興味はある方はということで。
>>221-222 論壇レベルで技術知が現在称揚されるのは、技術知蔑視の伝統も少なくとも論壇レベルでは日本にはあって
その裏返しとしてその手の「技術」蔑視的な見方が批判されていることが原因だろう。
日本では(でも?)教養とは文学部的教養としての伝統であって、実学とは区別されたものだった。
技術知は「富国強兵」的なものの単なる便宜上の道具として蔑まれてきたのが実情。
最近、技術知的なものを教養として重視しようとする流れが強いのはその反動なのは、それを持ち上げてる連中の発言を見れば見て取れる。
技術知に限らず分析哲学などの「非文学的」思想を持ち上げてる連中も、それとパラレルに思える。
230 :
ローカルルール審議中 :2005/04/21(木) 02:33:40
>>224 上手く説明してくれ。それだけいわれてもピンと来ないし、
イメージできかねる。
分析哲学は、そもそもアメリカでの担い手が、 第二次世界大戦の時の暗号解読に協力したりと、 元々技術知の補完という側面が強いからな。
>>229-231 すみません。ここと関係ない話題は質問スレでお願いします。
スレ違いだし、迷惑なんです。
もちろん、このスレは公共の物として俺は運営していくつもりですから、 俺としては、参加者を限定する考えというのはないんです。 ただ、なるべくスレと関係ないレスは、遠慮してほしい。 なんでかって言うと、話が続かないからです。 皆さん自分の話がしたいのはわかりますが、 そういうのは自スレを立ててやってください。 思いつきで喋られたら俺もたまらないんですよ。 なるべく哲学を知らない人にもわかるような文脈で 話をされてください。過度に内容が専門領域に入ると その人たちだけで、ほとんどの人にとっては無内容な 話が続行されますからね。 申し訳ないが、注意してもらえないですかね? 俺は、そんなことのためにレスを消費したくないんですよ。
>>146 先ずは、誤解を与える様な文章だったことを謝ります。「戦争」という言葉を使ったのは失敗でした。
>>116 における「宗教」とは、「頭の中で苦しまない哲学」や「形而下でしか捉えない思想」、いわば「停止した思想」だと捉えて下さい。
勿論、宗教がそうであると断じているわけではありません。「宗教」という言葉の持つ意味空間を考慮し、「宗教」という言葉を使うのが適切だと考えた上で使いました。
そういう訳ですので、気分を害されたなら謝ります。
それから、あなたは私の文章を「無防備で怖い」とおっしゃってます。
その点で私は反省すべきと思いますが、同時に、哲学を「教える」ということに対して私が感じる怖さも、ちょうどそれと同じ物だと考えて下さい。
例えば「我思う、故、我あり」という言葉に対して、例えそれがどういう解釈であれ、「○○な考え方だなぁ」と捉えられればいいです。
ですが、「そうか、私は思っているからいるんだ。(停止)」とか「なんで、あかの他人の考えを、今、俺が再現しなきゃいけないんだよ。(拒絶)」と捉えられてしまうとマズイと思うわけです。
いわば、思想というものには、ここで言うところの「無防備」な一面があると思うのです。
私は、思想をより広く正確に知る為の学習を、思想だけに求める必要はないと考えてます。
だから、その能力が未熟な子供に対して、哲学を教えるのは「正確じゃない」と発言したのです。
その前提の上で、より理性的に、より冷静に、より正確に解釈できる様な人間に成長するためには、論理学の方が良いのでは? と言った次第であります。
>>233 哲学板なんだから、哲学を知らない人にサービスする必要はないんじゃないの。
哲学を知らない人が質問スレに行けばいい。それに
>>229 はスレ違いのレスじゃないだろ。
>>234 レスをどうも。実はあなたのレスをじっと待ってました。
いちおうスレの流れを読んでもらえれば、俺があなたを批判した意味というものが
わかっていただけたかと思います。
あなたの無防備さに対する考えは、俺が、思想論議に嫌悪を示すことと
同様のものと考えます。そして正直な話、俺は思想論議を議論の中でも
劣悪なものと考えるんです。
日本は悪者だ。中国人は性格が悪い、宗教にはまるやつは危険だ。
男は女を見下す。女は自分のことしか考えない。経済は停滞している。
日本人は無気力だ。日本人は技術立国としての精神を持たなければならない。
例えばこういう意見の一つにでも、あなたは受け入れることは可能ですか?
よく耳にする話です。しかし非常に耳障りの悪い言葉ばかりです。
俺が前に言ったマッチョなファシズムという言葉もそういう性質なものです。
こういう議論に共通するのは、本質がないことです。
俺はだから、こういう議論が嫌いです。だからニュース板にもいかない。
政治議論板にもいかない。主義主張板にもいかない。
もちろん人生相談板にも行かないんです。
では、こういう議論をわれわれは避けて通れるでしょうか?
必要に迫られて、そういう議論をするものがほとんどだと思います。
ちなみに、政治家や論壇の人たちは、そういう必要に迫られているから
思想議論をするんです。つまりほとんどの場合、避けて通れないものなんです。
だから俺は、あえて慣れさせるべきという選択を取りました。
この意見に反対で難色を示されるなら、意見をいただければ
また説明したいと思います。
(つづき) しかし、あなたの意見は、俺とは逆なもののように思えます。 いえ発想の転換というものでしょうか? 具体的な論理的な操作を身に着けるべき、というものです。 >その前提の上で、より理性的に、より冷静に、より正確に解釈できる様な >人間に成長するためには、論理学の方が良いのでは? と言った次第であります。 それは、俺にとって刺激的な意見でした。 やはり中学生、高校生時期に、思想教育とダブルに 教えていくのが望ましいと思われました。 たとえば中学生時期には初歩的なものを、それから高校生時期には 高度なものを与えるようにすればいいのかもしれません。 俺はその意見には賛成します。 俺のIF(妄想)の世界の哲学の教科書には、 論理学のカリキュラムが含まれました次第です。
>>235 >哲学板なんだから、哲学を知らない人にサービスする必要はないんじゃないの。
いえ、あなた方の意見は哲学を知っている人にも意味不明なものばかりなんです。
俺は、あなた方の論議の思想性を糾弾しています。
そして俺の意見は哲学板は、哲学を知らない人のためにサービスするために必要なんです。
それ以外の要求は、正当ではないと考えます。
>哲学を知らない人が質問スレに行けばいい。
だったら雑談スレへどうぞ行かれてください。
>それに
>>229 はスレ違いのレスじゃないだろ。
どこがスレ違いじゃないというんですか?
それを説明してください。まず俺は日本の教育状況のレスは
NGとするといったはずなんです。それはレスが停滞するからなんです。
無関係な雑談でレスは増えるかもしれない、しかし議論はちっとも進まない。
そのへんよろしくお願いしますね。それが気に入らないなら、
このスレを見なきゃいいだけのことです。
他人の批判しかできない人は去ってください。
俺は、そういう意見に巻き込まれたくない。
>>238 >俺は、あなた方の論議の思想性を糾弾しています。
> 他人の批判しかできない人は去ってください。
なるほど、つまりお前が去るわけだなw
>>239 俺はわがままな人間に振り回されたくないだけなんですよ。
たとえば分析哲学批判をする前に、実際にあなたが分析哲学を学んだらどうでしょう?
単なる自己肯定のために哲学が使われるのは、俺はうんざりなんです。
そしてそんな議論がここで行われることにはうんざりなんです。
この板では、多くの哲学批判が講じられます。
分析哲学は嫌い。実存哲学は嫌い。ポストモダンが嫌い。論理学は嫌い。
実践哲学は嫌い。あるいは宗教は怖い。外国語は難しい。
そんなことをここで言うなら、専門サイトに行けばいいんですよ。
迷惑とか考えないんですかね。
まあ、俺もよくそんなことを言ってきましたよ。
でもその後で必ず好きなって帰って来ました。
そしてもしかすると思想論議がいつか、
俺の中で肯定される日が来るかもしれません。
まあいまのところ不明ですがね。かなり確率は薄いです。
ちなみにここは思想板ではないんです。
論壇養成期間でもない。作家育成の場でも、
哲学研究者養成の場所でもない。
哲学的な雑談がしたい、あるいは建設的な議論がしたい
そういう初心者が集うような場所でいいと思っています。
このスレもそういう目的で立てられています。
>>239 さて俺は説明しましたが、
あなたは批判しかできない人なのでしょうか?
>>240 >ちなみにここは思想板ではないんです。
>論壇養成期間でもない。作家育成の場でも、
>哲学研究者養成の場所でもない。
>哲学的な雑談がしたい、あるいは建設的な議論がしたい
>そういう初心者が集うような場所でいいと思っています。
>このスレもそういう目的で立てられています。
そういうのはスレの流れで自然に決まっていくんだよ。君のほうがよっぽどわがままだ。
君がつまらないと思ってる専門的なレスを面白いと思って読んでる俺みたいなやつも
いるんだから、学級委員みたいな仕切りは遠慮してくれないかな。
>>242 だからこれ以上は、スレ違いだから雑談スレでどうぞと
言っているわけです。
俺には俺のスレタイ通りに進めていく権利があります。
俺は学級委員になったことはないからよく分からないけど。
これであなたの書き込みはおしまいにしてくれませんか?
もうお願いするしかないんです。迷惑なんです。
俺は学哲に参加してもらうためにこのスレを
立てたわけじゃありません。
ネタスレとして、誰でも参加できるように立てました。
初心者が楽しめるように立てました。
どうぞお引取りください。
俺はあなたにいくつか議論のネタを振っているんです。 それなのになぜそれには答えないのでしょうか? どうしてスレタイ通りに進めることの意義すら 理解できないのでしょうか? あなたには問いに答えるという誠実さは まるでないのでしょうか? それには初心者は迷惑だという強い偏見が あるからじゃないのですか? 俺は、事実そういう意見が迷惑なんです。 俺は哲学板の自称学哲には、参加してもらいたくないです。 それに、いまさらあの顔ぶれでローカルルールに参加したくもないのですよ。 俺は俺のやり方でことを進めます。それが了解できないと感じられるなら 参加しなければいいんです。そしてあなたが別に似たようなスレを 立ててしまえばいいんですよ。 そして、こういうのは理念であって、相手によって譲る性質のものではないのです。 だから学哲論者もこんなスレに参加しているとプライドを傷つけられるだけ だから見ないほうがましなんです。 自称学哲は自称学哲で高尚にやってればいいと思います。 しかし俺の立てたスレでやるのは御免こうむりたい。
>>244 どこが占有ネタスレなのでしょうか?
いきなり訳の分からぬ雑談を振ることを注意したことが
事の発端なんです。それには思想を峻別すべしという
忠告も含まれていました。
それに対する反応がなく、批判的態度を固持するのは
賢明だとは思えませんけどね?
あなたは、それをちゃんと反省していますか?
反省する気がなければ、
あなたの批判的態度も本質を持たないんですよ。
俺はあなたからまともな意見は一つも聞いていませんよ。
俺は君と議論したくないんです。俺に喋りかけるな。
それだけです。
いいですか、再度申し上げますが俺には スレをスレタイ通りに勧めていく権利があります。 それと脱線したから、注意したんです。 スレ立て者として当然の行為です。
なんだ。ネタスレだったんですか。早く言ってよ。なら俺も早期哲学教育に関して ちょっと意見がある。 公教育では哲学や倫理を一切教えないという案。学校が自主的に思考する態度に対して の絶対的アンチとなって立ちはだかり、敵役に徹すること。そうすれば子供達にとっては どんなにくだらない反抗でも「自分で考えた」こととしてプライドが持てるようになる。
つうかお前はもう俺に関わるなって言ってんだよ。
よろしくお願いします。
252 :
ローカルルール審議中 :2005/04/21(木) 05:20:13
(ノ_ _)ノ オマイラー
>>252 俺は、規制議論でもずっとはらわたが煮えくり返ってたんですよ。
もちろん相対議論とか真っ平でね。
>>249-251 2ch特有の関係妄想モードに突入か。ちゃねらーならだれもが一度は通る道。
いちおう議論は続行します。 とりあえず自称学哲は、相手にも、わかりやすい文章で書いてくださいな。 顔文字とか、AA(ほのぼのするもの限定)とか大歓迎なんです。 とりあえず議論の展開が進みすぎという批判があったので、 今後ゆっくりとした対応を考えようと思います。
>>254 そうっすか、これどうにかならないですかね?
嫌がっているのが分からないのかと。
>>256 お前が関係妄想に陥ってるんだっつーの
話を哲学教育に戻せよ。
>>212-215 あたりの意見にほとんど反響が
ないからいらだってるだけなんじゃねーの
>>256 >お前が関係妄想に陥ってるんだっつーの
分かってますって。
>話を哲学教育に戻せよ。
>>212-215 あたりの意見にほとんど反響が
>ないからいらだってるだけなんじゃねーの
そうかもしれませんね。
それとあと規制議論を思い出して、ずっと不愉快だったんですよ。
でも反響はあんまり気にしないんですけどね。
俺は大体自分の文章で判断します。
ここが言い足りないとか、
ここをもう少し書き足せばよかったとか。
で大体、一週間とか、一月とかたつと
俺の意見が浸透しているのが分かるんです。
今回のスレの目的は、哲学教育についてみんなに考えてもらうことです。
それは初心者にも、ふさわしいものです。
それに今回のスレは結構長期化を考えているんです。
こういうことをみんなに理解してもらうためには
時間がかかることだと考えているからです。
で、関係妄想の枠はあなたの妄想だと思いますよ。
ってことなんですよね。
何のために俺がスレを立てたのか?
それに対する考慮が一つもないのは残念なことです。
規制議論の建前をこのスレで実際に持ち込むことに、
罪悪感はなかったのだろうか?
俺は、誰彼がどこかで規制議論をするのは構わないが、 それには従わないことをここで宣言します。 誰も、連投規制などの哲学板の不便に対して、善処しない現実のなかで、 また反対派の意見に耳を貸さない横柄な口を重ね続ける人たちの 仕切る現実のなかっでどうして規制議論に納得できるのか? あいつらが仕切る規制議論なんていくらも守る必要なんてないんです。 耳を貸さない。それだけです。勝手に約束を持ちかけて勝手に条件をつけて 勝手に破棄して、いったい何様のつもりなんだろう? ならば俺は相手にしないだけのことだっつの。 ふざけんな。
ちゃんとやるなら受験・学校カテゴリーの「教育・先生」板に立てなおしたほうがいい と思うよ。哲学やるような輩は基本的に、学校教育なんて軽く見てるから。 音楽家や歴史家からすれば、学校の音楽教育や歴史教育で音楽の本質や確固とした歴史観 が確立すると思っちゃう連中なんて話にならないでしょ?それと一緒。
>>260 >ちゃんとやるなら受験・学校カテゴリーの「教育・先生」板に立てなおしたほうがいい
>と思うよ。
それは面白そうですね。
いちおう他板への遠征も少しだけですが考えていたんですよね。
262 :
BMB :2005/04/21(木) 10:35:01
>>260 果たして哲学は漢字や算数のように教え育てるものであろうか疑問を感じる
哲学は個人が発想しなければ何も伸展しないものだと思っていたが
263 :
& ◆cIYxGPRRGA :2005/04/21(木) 12:06:50
何様のつもりだよw
264 :
ローカルルール審議中 :2005/04/21(木) 13:11:21
歴史的な哲学者で、系統的な哲学の教育を受けた人なんて、ほとんどいないんじゃないの?
265 :
ローカルルール審議中 :2005/04/21(木) 13:15:40
哲学で食べていけるの?
266 :
ローカルルール審議中 :2005/04/21(木) 14:42:34
>>264 哲学が辺境で低迷してるワケがわかったよ ^^;
>>264 どういうこと?ウィトゲンシュタインぐらいでしょ、近代では。
哲学やってる人ってのは精神的に不安定な人が多いからなあ。
そんなのが増えたら困るしさw
ウィトは近代か? 現代だろ。
269 :
考える名無しさん :2005/04/24(日) 10:09:46
義務教育課程での哲学教育なんて必要ない。確かにフランスは哲学教育が盛 んだが、他の先進国で哲学教育なんてやっているところなんてあるのかな?フ ランスがちょっと変わっているだけなんじゃないかな? フツーの会社員や公務員になるべき人材に国家が哲学教育を施す必要はない。 まあ、国家目標として「哲学者立国」を日本が目指すなら、小学校から哲学教育 を行うべきだが、そんな国家目標は国民の合意は得られないからまず無理でしょう。 フツーの人にそんな教養はいらないでしょう。しかし、国のトップを担う人材 や企業でも国際競争に晒されているような大企業のトップには、哲学の教養はあ った方が良い思う。 一部エリート層への年少時からの哲学教育ならメリットもあるのでやるべきだと 思う。それなら税金を投入しても国民の納得は多少は得られる可能性がある。
エリート層だけに哲学教育を施すならば、 簡単なのは、大学入試にこれまでよりも高度な論文を課せばよい。 そこでは哲学の教養がないと点が取れない仕組みを作る。 そうすれば受験産業や進学校などの体制が動く。 対象は主要国公立大と大きな私大だけでいいじゃん。
>>264 いっぱいいるよ。
そもそも今のように専門によって学問が細分化されてるわけじゃなく
昔はクロスオーバーが往々だったから。
自然科学をやりながら、哲学って人もざらにいたわけ。
デカルト、ライプニッツ、カントしかり。
哲学蔑視は、西洋の思想的伝統に無知な東アジアの
島国の人間に顕著であるけど、西洋では全く認識が違うのだよ。
ニーチェやハイデッガーのような不健康で反社会的な哲学的系譜は
寧ろ、メインストリームからの逸脱であり、確かにそちらに
足を踏み出してる方は一般的に不健康な方もいるが、決してそれは
王道ではない。
>>271 馬鹿?
ニーチェやハイデガーこそ、文献学の(異端だが)鬼じゃねーか。
哲学における文献学の役割を軽んじすぎ。
273 :
ローカルルール審議中 :2005/04/24(日) 12:59:48
>>270 それ、鋭い意見だね。
小論文を導入しているところは多々あるが、たとえば
課題図書を与えて、1日いっぱい時間をとって
400字詰め原稿用紙10枚程度の論文を書かせる、
というような論文試験が、
もっと大々的に導入されてもいいよね。
ただ採点が半端でなく大変なことになると思うが。
白人の文化だ
中世はアラブ人の文化ですが?
歴史的な哲学者で、何の挫折も経験せずにエリートコースを通ってきた人は ほとんどいない。
お前等は半端者だ お茶を汲ませるんだよ。ぬるいヤツや熱いヤツや濃いヤツを出すヤツが高得点になるでしょうが。
>1の一連の書き込みを読めばすぐ分かるはずだけど、 まっとうな国語教育と外国語習得のほうがはるかに重要だろ。 まともな読み書き能力がない奴に哲学なんて絶対無理。
280 :
考える名無しさん :2005/04/30(土) 15:30:06
フランスにおいて哲学教育を受け 哲学を学んだ多くのエリート層 は、何故左翼思想・共産党を支持する誤謬を犯したんでしょうね? (サルトルが急先鋒だったが)
281 :
考える名無しさん :2005/04/30(土) 17:03:13
誤謬と断じてしまうのが、はたして哲学的態度なのかな?
282 :
考える名無しさん :2005/04/30(土) 17:18:23
十分誤謬でしょう。 文化大革命・スターリンの大粛清・ポルポト政権 を生み出した土壌なのだから。 それはマルクス主義を十分に理解できていないからだと いうことで片付けられる問題ではない。
283 :
考える名無しさん :2005/04/30(土) 17:41:20
現実世界に不幸や不都合をおよぼしたからといって 誤謬と断言できるのでしょうか。 哲学はそういった実学ではないのでは?
284 :
考える名無しさん :2005/04/30(土) 18:17:14
だったら哲学は 概念や言葉の軽業遊びだな 「電子は本当にあるのか」と某物理学者に聞いたDQN哲学者の様だ
285 :
考える名無しさん :2005/04/30(土) 18:20:12
おやおやw。 キミの3行目の書き様からすると まさに『概念や言葉の軽業遊び』なのだよ。 知らなかったとは…青すぎます。 それでくだらんと一刀両断してしまうなら、それまでの人だね。
286 :
考える名無しさん :2005/04/30(土) 18:21:21
数千万の人の命と哲学的態度を両天秤にかけられるのかね。 だったらナチの所業も「哲学的態度」によって正当化されるわけだ
287 :
考える名無しさん :2005/04/30(土) 18:25:21
『概念や言葉の軽業遊び』が哲学なら 教育によって身につける必要も無いのでは。
288 :
考える名無しさん :2005/04/30(土) 18:28:05
>>286 おやおやw。
論理の初歩もわかっておられないようだ。
「現実の様相から単純に誤謬と言い切る」ことの否定は
「誤謬ではない」でも「正当化できる」でもないんだよ?
だいじょうぶかな?
289 :
考える名無しさん :2005/04/30(土) 18:29:20
>>287 たしかに、大学以下、学校で教育するものではないでしょう。
290 :
考える名無しさん :2005/04/30(土) 18:32:43
だったら
>>286 から
下の行を抜いて読んでくれ
揚げ足取りしか出来ないキモい香具師が
291 :
考える名無しさん :2005/04/30(土) 19:01:23
>>290 まあそう青筋たてなさんな。
ちょっと絡んでみただけだよ。すまん。
292 :
考える名無しさん :2005/04/30(土) 19:37:46
哲学する事を小学校から学ばせるのは、とても好いことだ。 なぜなら、世界でいちばん哲学してるのが子供だからさ。 「それは何?」「どう使うの?」「なぜあるの?」 「神様っているの?」「ぼくはどこから来たの?」…etc. きみらと違い、猛烈な勢いで哲学をしてるのよ。 ただ、「教えよう」とすると難しいので、 あくまで「学習させる」ことに徹したほうがいい、自由にね。 だって教えれないだろ、哲学って。 ま、そのことは哲学にかぎらないけどねw 実行の障害は教師の側にある。 単に知識として哲学を伝えるくらいならできるだろうけど 「自ら学ぶプロセス」を踏ませるそのやり方を知ってる者が 少ないってこと。 それが何を意味するかといえば、 教師に対し「それを学ばせる教師」が少ない、 つまり、教育界に学習という「自ら学ぶプロセス」を指導 訓練できる教育者やその制度が必要だってことさ。 そこから始めないことには実現は困難だろうね。 できると思うが。
規範的な言語と知識を習得させるほうが先だと思うが。 子供は哲学なんて興味ないよ。 子供が興味を持つのは物語。
294 :
考える名無しさん :2005/04/30(土) 23:48:43
295 :
考える名無しさん :2005/05/01(日) 00:00:48
>>294 ああ、おかげで哲学書も読みこなせないくせに哲学に手を出したがる
阿保がいかに阿保かよくわかるようになったよ。
296 :
考える名無しさん :2005/05/01(日) 00:24:59
>>280 ノルマリアン全員が左翼だった訳ではないんじゃないかな。
どうせ行政側に行った連中は右寄りの政策を当時はやっていたわけでしょう?
たぶん、ド・ゴールあたりが、第二次大戦で、あっという間に負けてしまった
フランス軍の建て直しを必死にやっていたころだろうし。
となると、社会の上層階層の役割分担として在野の文学者は左翼というか
マルクス主義者ってことになったんじゃないの?
というか、日本だって当時のインテリは大体マルクス主義者でしょう。一部を除いて。
297 :
考える名無しさん :2005/05/01(日) 00:57:23
298 :
考える名無しさん :2005/05/01(日) 01:28:43
子どものための哲学(Philosophy for Children Michael Pritchard 哲学は一般的に、その正式な入門が大学レベルの課程に置かれている。高校では、 大学進学希望者のための特別な文学コースでしか、哲学入門を教えるところが増えて いない。このことは、真剣な哲学的思考が、青年期以前の者のためのものではないこと を示唆している。 この見方を受け入れる上で、2つの理由が挙げられるだろう。まず、哲学的思考は、 青年期以前の者が到達可能な範囲を超えた、認知的発達レベルを要求する。2つ目に、 学校の履修課程は既にいっぱいである。哲学のような科目を導入することは、生徒の 学ぶ必要のあることから目を逸らさせるだけでなく、勉強家よりも懐疑論者になることを助 長してしまうかもしれない。しかしながら、子どものための哲学に抵抗するこれら2つの 理由に、反対する根拠がある。今度は
299 :
考える名無しさん :2005/05/01(日) 04:07:52
300 :
考える名無しさん :2005/05/01(日) 04:08:25
(つづき) このような教育において決定的に欠けているものは批判的思考力の育成ということである。 さまざまな学習過程を支えている概念を批判的に捉えていくことが出来るための思考力の 育成が求められることになる。しかも、この批判的思考力は、哲学の基本である「対話」 を通じてなされるのである。 このように、子どもの批判的思考力を涵養し、民主主義的な市民社会の構成に必要な資質を 育成するために提唱されてきたのが、いわゆる「子どものための哲学」philosophy for children, P4Cである。P4Cはアメリカの思想家、マシュー・リップマンによって提唱され、現在では 世界の多くの国で取り上げられている教育方法である。また、同様の趣旨の教育方法にはドイツで 提唱されてきた「子どもとともにする哲学」philosophy with childrenがある。
301 :
考える名無しさん :2005/05/03(火) 07:56:01
どうしてこんなに考えることができるんでしょうね・・・俺にはまだまだわかりません
>>1 のいってることも時々「おっ」て思う時もあれば、どうしてそんなに貴方達のいう日本
にしたいって思うんだろう・・・貴方達のいう日本人が今の日本で起こっている事ならば、
それが必然的で、間違っているかもしれないし正解なのかもしれない。それはどうすることも
できないことなんじゃないかって思う時もある・・・俺にはわかんないや。
ただこのスレにいるような人たちを見ることができて面白いとおもうね・・・
日本は終わった国じゃないよ。やっぱり。
もっと勉強せんといけんな・・・まだ話についていけれん。
あと最後に、ヨーロッパは世界の全てじゃないよ、地球一個で世界だから。
ニーチェやカントやパスカルは個人的にすごく興味あるけど、彼等は自分の
思った事を本に残したから有名であって、まだまだ他にも俺らは学ぶこと
たくさんあると思う。もしかしたら歴史の偉大な先駆者達から、もしかしたら2chの掲示板のこの
スレの貴方達からかもしれんしね。
>>301 まさしくそれは正解だと思います。
世界は現に活動している実態だし、その中では歴史も知識も、いわば「たまたまあるものに過ぎない」と言えます。
それに、どんな知識や文明も、悪用もできれば有効に使うことだってできます。
例えば、ただ歴史を知っているだけでは、未来の失敗は防げないし、カントの考えを知ってるだけで、理性的だとは言い切れません。
その点で、世の中に絶対なんてあり得ないと思うのです。
まぁ、先の「哲学教育」が「思想の教育」ではなく「哲学の教育」であるのであれば、具体的な思想を学ぶことから入る必要はない…って発言にも通じるのですが…。
それと、仰るとおり、そもそも、我々の向かっている先が正解かどうかはわかりません。そこでは、「正解の概念」すら考察できるかもしれません。
だからって、何もしないのは生存に対する無責任(ニヒリズム)です。正解がないというのは、それだけ自由だということです。
正解かもしれないし、間違っているかもしれないということは、その前提として成功する自由・間違える自由があるわけです。
それは、ホンの一部かも解りませんが、少なくとも日本で生存している1個人であるという点で、我々個人がこの自由と責任の実体だといえます。
そして、そもそも「正解がない」ことをよく知っているからこそ、他人の話しに真剣に耳を傾けることができると思うんです。
自由であることを真剣に考えれば考えるだけ、その自由の恐さを認識できる様になるからです。その恐さこそ、最も確かな責任だと言えます。
ついでながら、そもそも自然体とは、なにも考えないことではなくて、環境に合わせて自身の「行動」や、行動の動機となる「考え」を吟味する姿勢のことです。
そして少なくとも私は、世界は必然ではなく、自然であると考えます。
先進国だけが「地球の平和のために」「環境の保護のために」「国交改善のために」を考えている。 これは先進国ならではの、おこがましい行為なのだ。 小さな部族や小国はそんなグローバルなことを目標にして生活していないと思うんだがなあ
>>303 それこそ環境の違いではないでしょうか?
小さな部族が先進国に害を与える可能性は殆どありませんが、
先進国が小さな部族に害を与える可能性は非常に高いと思います。
「どちらが正しいのか?」を考えるのも大切ですが、
その環境の存在を認識することも同じくらい大切なことだと思います。
たしかに、実際の個々の発言の内のどれだけが、そういった本質的な認識の上に立っているかは解りません。
ですが、だからといってそれを根拠にして本質的なことからすら目を背けるならば、
その点でその「おこがましい行為」に「してやられている」と言えると思います。
ちなみに、主観なのですが、私はそれほど現実を悲観視はしていません。
そりゃ、中にはイカガワシイと感じるものもありますが、世の中知れば知る程、
それ以上に沢山の意見が、主観的に見て信じられないくらい真剣に考えた末に絞り出されたものであると感じるようになったからです。
そこにある希望は、すなわち、「正しさ」の存在よりも、「正しさに対する誠実さ」があることです。
305 :
考える名無しさん :2005/05/04(水) 17:59:47
307 :
考える名無しさん :2005/05/04(水) 22:07:26
軽視されてるかな
暗記と反復訓練中心でなければ勉強嫌いにならずにすんだのに・・・ という>1の怨念を書き綴るスレ
309 :
考える名無しさん :2005/05/06(金) 05:33:46
>>302 自由の恐さ・・・
そんな考えどうやったらでてきたんですかいな?
「考え」を吟味する←これについても、
どういうふうに考えだしたか教えてほしいです。非常に興味があるので。
そんなにネットができないけど、できる時はできるだけ
返事もかえすので是非!!
そもそも「正解がない」ことをよく知っているからこそ、
他人の話しに真剣に耳を傾けることができる←これも是非!!
欧米社会じゃ、 哲学=西洋哲学=自らの思想的アイデンティティ の図式があるかね。日本の今の現状はいまだに 西洋からの借り物だかららね。
>>309 想像だが
>自由の恐さ・・・
>そんな考えどうやったらでてきたんですかいな?
無制限な自由という発想から生じるアナーキーさを言ってると思われ
「自由に対する無知からくる恐さ」ということではないかな?
>そもそも「正解がない」ことをよく知っているからこそ、
>他人の話しに真剣に耳を傾けることができる←これも是非!!
「正解が何か分からないしおそらく誰も正解ではないだろうけども、どこかに正解がある」ことを知っている
とすれば論旨が通じるように思える
313 :
考える名無しさん :2005/05/09(月) 02:45:31
恐さの最も恐い点は、対象の持つ恐さではなく 心に生れた恐がる精神である。 それは恐さを増幅させ、時間と共に消えるはずの 恐さを継続させ、自身を破壊にまで導くことがある。 いらぬ恐怖の遮断方法を学んでおかないと、 恐怖による人身誘導がまかり通ってしまう危険がある。 真の自由への恐怖もそれに起因する場合が多い。 暴力団や北朝鮮のケースはいうまでもないw
「自由の恐さ」ってそういう意味なの? 俺の理解だと、「真に自由である」ということは、自らがあらゆることを「責任をもって」選択しなければならないということ。 でも、行動の基準なんて自分で「これが正解ですよ」といって示すことはおよそ不可能。 何が正しくて何が間違っているかわからない中で、「自由ですよ」といわれても、あまりにも多い選択肢、 自らに降りかかってくる責任などによって、人間は動き出すことができない。 他人の意見を聞いたり、一定程度の制約を受けながらでないと、おそろしくて一歩も踏み出すことができなくなる。 ということじゃないのかな? 一定程度の制約は、選択肢を減らし、また制約に従う範囲で責任を解除するため、自由の恐さを軽減していると思う。 つまり、「何をしてもいいですよ。ただし責任はとってくださいね」といわれたら、恐い。そんな自由は不自由だ。 「AとBとCのうち好きなことをやっていいですよ。Dはやってはいけません。責任はそれぞれA・B・Cの選択の範囲内でとってくださいね」ならば人間は選択ができる。 幼稚園児に「自由に絵を描いていいですよ」といってもなかなか描き始めることができない。 クレヨンと画用紙を差し出し、「このクレヨンでこの画用紙に、お花の絵を自由に描いてくださいね」と言われればすぐに描くことができる。 人間は他者とのかかわりの中で選択肢を与えられて、やっとこさ自由でいられる。 もちろん、成長とともに選択肢を自分で獲得していくことになるけれども、そのプロセスの中で他者の意見に真剣に耳を傾けることがあり、 また、責任もどんどん大きくなっていく。
どっかで読んだな。 重力という自由の制限がなければ人間は自由に歩くことができない。 文法という自由の制限がなければ人間は自由に喋ることができない。 他人という自由の制限がなければ人間は生きていくことができない。 だっけな? うろ覚えだけど。
でも自由の制限条件を強調する香具師は、 日本においては「伝統的権威」による制限のことを考えがち。 「生意気な奴は黙れ」と言いたいだけのことが多くて萎える。 これは哲学にとっては致命的。
317 :
考える名無しさん :2005/05/09(月) 18:29:36
ホリエモンに対する野球界の反発もそのほとんどがロジックに基づいたものじゃなかったもんな 野球界の伝統的権威を盾に 「スポーツもロクにできないような生意気な奴は黙れ」
318 :
四式 :2005/05/09(月) 21:02:32
>>316 伝統的権威とは時代の風雪にさらされながら残った規範であって
その中にある必然を考えないエコノミックシンキングこそ哲学にあらず。
>>317 M&A企業が野球に参入して誰が見るかって話だろ、マネーゲームの興隆は何も生み出さない。
>>318 伝統的権威こそがエコノミックな規範
人類学でも学べ
320 :
考える名無しさん :2005/05/10(火) 17:43:55
もっと軽視するべきだろうな
321 :
考える名無しさん :2005/05/10(火) 23:14:11
>>320 軽視され、そして尊敬されるべき。
>>302 自然体ね・・・そう思えるようになりたいです。
私たちには「考えを吟味する」時間がもっと必要なのかもしれないですね。
「考えを吟味する」ことが考えだせたら
一体何が変わると思う??
322 :
考える名無しさん :2005/05/11(水) 16:02:02
俺は、哲学というものは、個人が幸福に生きるために、 また世の中が良くなるために、もっとも必要なものと思う。 特にこれから先の時代は。
「学校概念の哲学」と「世界概念の哲学」の溝をどう埋めるか問題だな。
内井惣七みたいな馬鹿がいるから。
325 :
考える名無しさん :2005/05/12(木) 03:14:23
GHQが修身の授業などを軍国だと廃止しただろ。 それを今でも引きずっているのが大きいのだと思うよ。 また、憲法でも国による思想教育・宗教教育が禁止されているからね。 これも哲学教育が出来難い理由でないかね。 加えておかしな中庸の思想が日本には流布している。兎角、公正だとか客観的にだとか拘るのだよね 確かにあまり我を張りすぎるのは問題かも知れないけど、しょせん人間である以上は真実に公正であることなどあり得ないのだから 個々の人間としての主観も、もっと大切にして良いと思うのだがね。
326 :
考える名無しさん :2005/05/12(木) 03:17:33
327 :
考える名無しさん :2005/05/12(木) 06:06:15
914 :名盤さん :2005/05/12(木) 02:31:39 ID:H/q164cV
>>898 じゃあお前は影響受けまくりだな。音楽に限らず文章構成はおろか、
言動にいたる何から何までオレの影響が見える。
さて、否定したらお前はバカ扱いな訳だ。
328 :
考える名無しさん :2005/05/13(金) 00:45:28
日本で哲学教育を行うとしたら「論語」は外せないよな あと「般若心経」などの仏教哲学 他に新渡戸稲造の「武士道」とかも良いか。 その全てを教育していれば、教えることが多すぎるからある程度圧縮しないと駄目だけど 哲学と平行して、「君主論」や「孫子」のような一種の戦略学とか帝王学のようなものも教えて欲しい
329 :
考える名無しさん :2005/05/13(金) 02:03:20
西洋哲学が全てではないからな。
日本に足らないものは世界の質量と原理という考え方だったのではないだろうか。 全ての人々に妥当する事柄はあったからだ。
331 :
考える名無しさん :2005/05/13(金) 12:37:11
>>330 日本では「公正」とか「中立」などの言葉がやたら尊重さえるけどね
絶対の善が存在しないように、真の公正も中立も存在するわけがない
所詮、人間は神ではないのだから、歪みや偏りが存在するものだ。
だから欧米では「神」なる絶対者のみを「善」と定めている。
しかし神ではない人間が絶対の善などあり得るはずはない。
だから私は主観があっても公正ではなく偏りがあっても良いと思うのだがね。
それが正しいと言えるだけの意思があって然るべきものなら
332 :
考える名無しさん :2005/05/13(金) 21:59:55
日本人は自分で考える習慣が無いのよ。 つか、オリジナリティを認めず、横並びがいいとされてる。 そうなると自分で考えたものと違うから本当の自信が無い。 そこで「公正」とか「中立」というどっちつかずが良いとなる。 そんな日本人が、おれは恥ずかしくてしょうがない。
哲学って役に立つのか? てか無意味だろ?
334 :
考える名無しさん :2005/05/13(金) 22:15:41
,i/||||||||||||||||\∵∴∵∴/||||||||||||||||||\ l . -=二二・二二=-∵∴∵∴-=二二・二二=- \|||||||||||||||||/∴∵∴∵\||||||||||||||||||/. ,i/||||||||||||||||\∵∴∵∴/||||||||||||||||||\ l . -=二二・二二=-∵∴∵∴-=二二・二二=- \|||||||||||||||||/∴∵∴∵\||||||||||||||||||/. ,i/||||||||||||||||\∵∴∵∴/||||||||||||||||||\ l . -=二二・二二=-∵∴∵∴-=二二・二二=- \|||||||||||||||||/∴∵∴∵\||||||||||||||||||/. ,i/||||||||||||||||\∵∴∵∴/||||||||||||||||||\ l . -=二二・二二=-∵∴∵∴-=二二・二二=- \|||||||||||||||||/∴∵∴∵\||||||||||||||||||/.
335 :
考える名無しさん :2005/05/13(金) 22:37:00
>>333 役に立つしかないだろ、たたない例があるか?
>>335 >>333 が言うのは生産性の意味だろ?
衣食足りて礼節を知るって言うじゃん?
日本は豊かだけど、相対的な豊かさがあるよな。
一切れのパンを盗むとう犯罪をしないですむ豊かさと常識は手に入れたけど、
不景気就職難やら、先行き不透明やら、哲学よりも優先すべきものがまだまだある。
それらを哲学で解決できるのか?
って意味なんじゃろ?
話が脱線してるね。 日本には哲学者はいないね。 その現状を踏まえて語ってるわけで。
338 :
考える名無しさん :2005/05/28(土) 03:42:04
いわずもがなのことはいわないの
339 :
純一 :2005/05/28(土) 05:47:01
俺はここのスレを立てた人間であり、純一という。 とりあえこれからずコテをつけることにしたことを報告します。 今回は哲学教育に関連して議論について述べようと思う。 俺が小学生のとき、授業で議論が行われなかったかと言うと、 実はあったわけで、今でもはっきり覚えているのは、「戦争は悪いことか?」 という趣旨のものだった。小学3、4年生ぐらいのことだったと思う。 その頃は、たしか教科書で世界史や日本史の概略を知っていて、 日本に過去戦争があったことも知っていた。 そのとき論陣は、真っ二つに割れたように思う。 「戦争は悪いことだ。」「戦争は良いことだ。」 俺は不思議なことに、当時、戦争は良いことだと考えていて、 まず産業が盛んになり活気が溢れることを上げ、「戦争は良いことだ」と 主張するつもりだったし、そう主張した。 しかし実際の議論では、戦争が悪いことだと言う意見が多かった。 反対に「戦争は良いことだ」という意見は極端に少なかった。 最初俺と同意見だったやつも次第に、「戦争は悪いことだ」と 意見を覆すようになり、結局俺は一人で「戦争は良いことだ」だと吼えていた。
340 :
純一 :2005/05/28(土) 05:47:26
俺はそのときどう思って、「戦争は良い」と言ったのかはわからない。 あえて皆の反対を述べるだけのひねくれ者だったのか、それとも他人の痛みの わからない未熟な人間だったのか、それとも本当に俺はナショナリストだったのか。 それはよくわからない。 そのとき、俺は一人で必死に議論をして戦争は良いことと主張したつもり だったのだが、誰一人聞くものはいなかった。 そのときの担任でさえ俺の意見には耳を傾けようとはしなかった。 次々と戦争はひどい、という意見が提出されていく。 俺は、そのとき自分が孤立しているなあとはっきり感じ取った。 俺はこいつらとは違うんだと悟った。周りの人たちのことを慮る態度も忘れていて、 無力感と倦怠感が生じて、みんなが生気のないロボットのように思えた。 そして俺は次第に議論なんてどうでもいいと思うようになった。 本当にお前らは、戦争が悪いことだと心の底から思っているのかよと。 議論というのはこういうものだ。リアリティーがない。 俺自身、実際にそのとき戦争の酷たらしさを実感していたかというと疑問でもある。
341 :
純一 :2005/05/28(土) 05:47:52
今では、昔より多少進歩して、悪や正義についての考え方や、戦争の悲惨さというのは 昔よりはっきりと理解できるようになった。しかし、俺の考えの大本である、 「戦争はよい」という主張も、よりくっきりと正当性を主張できるようになっている。 戦争は経済活動の一部であるという主張は、歴史が語る真実だ。 今、イラクで多くの自爆テロが行われている。戦争は終わっていない。 自爆テロによる死者数が、ほぼ毎日ニュースで累計表示されている。 俺はその数字を見るたびに息を詰まらせる。どうしてそんなくだらないことで死ぬのかと。 いつも思う。意味がわからない。それをわかっていても俺はそのニュースを見るようにしている。 なるべく目をそらさないようにと気をつけているつもりだ。 俺は、「人が死ぬ→悲しい、人が悲しむ→切ない」こういった共感による連関を 信じることができれば、戦争が悪いことだと根本から理解することはできると思っている。 これ以外ないとすら考えている。この考え方はショーペンハウアーの共苦にたいする考え方である。 そしてこれは生命倫理としての根本概念でもある。俺にとっての倫理の根本的な考え方も、 ここにあるといっていい。
342 :
純一 :2005/05/28(土) 05:49:38
俺は、ただ思ったことを言う議論は、それ自身正しいことだとは思わない。 しょせん子供の考えたことだ。 価値があるとは思えないし、結局はメディアが作り出したものでもある。 俺がもし哲学教育に期待するとすれば、こういう過去の偉大な哲学者の考えに 直接触れることができるという点にあると思う。 いろいろな考え方を学ぶ。 これは何より哲学教育としての価値があるのではないかと、 とりあえず強引に意見を纏めてみた。 また方法論的に、客観的に、主観的に、禅的に意見を述べる実践の場としての 議論の価値が求められるのは言うまでもない。 しかしそういう価値は学校で求められるものではなく、こういった2ちゃんねるの ような遊戯的な意味の強い環境や、大学や研究者などに求められる能力の開拓であって、 そこまでやる必要はないのではないかなと。 俺は、ただ哲学史を教えるだけでも、哲学教育として意義深いと考えるのだけど いかがだろう。 もし俺がその当時、哲学を知っていたら、あのときの議論も 違ったふうになったかもしれないのである。
343 :
考える名無しさん :2005/05/29(日) 23:20:49
抽象思考が嫌いなんじゃない?
344 :
純一 :2005/06/05(日) 16:25:30
>>343 うーん、しばらく考えていたんだけど抽象思考って何だろう?
ずっと気になってはいたのだけど、わからずじまいだった。
私の意見とどんな関係があるのかな?
純一さんの意見とは関係ない。スレタイに反応したまで。 抽象思考が嫌いというのは風土的なものかなと。 宗教性とも関係あるのかも。
言われてみると、 抽象思考への親和性の違いが、宗教性の違い(一神/多神)を 生み出してる感じがするね
347 :
考える名無しさん :2005/06/13(月) 00:43:43
具体性の国だもん
348 :
考える名無しさん :2005/06/15(水) 03:55:26
中学校では「何のために勉強をするのか」という事を考えさせないと中学生もすっきりしない。でもその答に導ける力量のある教師がほとんどいない。
甘え
「何のために勉強するのか」は勉強しないとわからない。
じゃあ勉強してきた教師が教えてやればいいじゃないか
道徳を無くして哲学にすればいいよ
ヨーロッパって高校に哲学の授業あるんでしょ?
354 :
考える名無しさん :2005/07/28(木) 02:04:13
いまの子供は理想を見失っているってとこはあるよ 昔はこうなりたいって理想があったものだ。 例えば軍人なら東郷平八郎なり乃木希典なり、一つの軍人の理想型があった 野球選手にしてもベーブルースになりたいとか、学者ならキューリー夫人やエジソン 誰もがそういう人間を称え、自分はこんな軍人になりたい。そう思うことも出来たけどね しかし現在は価値観が多様化し過ぎてしまい。 歴史上の人物だっていろいろな評価が有りすぎるよ。 例えば医者を目指す若者に対して、どんな医者になりたいと訪ねれば、昔ならシュバイツナー博士とか名前を挙げることが出来ただろう しかし今ではなかなか理想ってのは見出し難い そんな状況で子供達にどんな道を選べと言えば良いのか分からないのは正直な感想だ。 価値観の多様化と思想の自由は歴史の必然であり、それを否定する気はまったくないけど。 日本人の共通の理想と言うモノが現在では無くなってしまった。そんな気は正直言って感じてしまう
軽視されるのは日本だけに限らんと思うが。
356 :
考える名無しさん :2005/07/28(木) 02:26:28
日本人は哲学がない。これは間違いない。
357 :
考える名無しさん :2005/07/28(木) 03:19:19
明治いらい、いやそれ以前から社会にとって有用な人物 を育成することが国家の目標。 そこで哲学が社会にとって有用であったかが問われます。
358 :
考える名無しさん :2005/08/02(火) 02:15:30
GHQによって廃止された修身を、哲学なり倫理なり礼法なり、適当な新しい名前を付けて復活させろ 倫理教育の欠落こそ、個人がアイデンティティを失う最たるもんだ
>>358 それやったら日教組から「思想の押し付け!」って反対されるよw
歴史は教科書も教育もかったるすぎ。 言葉は覚えてても意義とか理解してる奴ってほとんど居ないんじゃね?って思う。 事実のみにこだわってるのか知らないけど、 教科書であーだこーだ言ってるのを見ると、そんなの無理って認めてるんだよな・・・。
361 :
考える名無しさん :2005/08/02(火) 03:12:23
>>359 日教組の平和教育も一種の思想の押しつけ以外の何者でもないが
そもそも教育とは強要し押しつけるものであって、生徒に勝手にやらせるようなもんではない
362 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 04:02:59
ミミ ヽヽヽヽリリノノノノ ミ ,,、,、,、,、,、,、,、、 彡 l i''" i彡 .| 」 ⌒' '⌒ | ,r-/ -・=-, 、-・=- | l ノ( 、_, )ヽ | お前ら貧民は黙って ー' ノ、__!!_,.、 | 堀江と投票用紙に書けばいいーんだよ(ブヒッ ∧ ヽニニソ l /\ヽ / / ヽ. `ー--一' ノ/ヽ / r‐-‐-‐/⌒ヽ-─'' `、 ヽ、 |_,|_,|_,h( ̄.ノヽ ヽ ー-ヽノ| `~`".`´ ´"⌒⌒) ヽ ノ^ //人 入_ノ´~ ̄ )
>>359 この前のNHKの戦後60周年記念番組で町村さんが言って
たね。「社会科の教師はマルクス・レーニン主義だから」って。
>>361 日本国憲法でも読んでから、出直してこい。
日本国憲法に日教組の平和教育を押し付けて良いと書いてあるとはしらなかった。
哲学教育について少し意見を変えたのでそれについての意見を提出します。 哲学の授業についてです。私は哲学って、たとえば相対性理論の公式を 理解できなくても、それについて話すことのできる自由な授業が望ましいと思う。 もちろん興味がある人は、それについて独自に勉強することに超したことはない。 ただ、たとえばカントの『純粋理性批判』を読まなければ哲学の授業ができないとか、 そういう哲学書の熟読を早期哲学教育を目的とした中学生や小学生の授業スタイルと するのは無理があると思った。 中学生といってもレベルは様々で、一つの特殊な哲学用語を理解するため、 ある人なら一晩で、ある人なら一年その用語を理解するのに費やしたとか、 かなりの差が生じると思うからだ。言語活動を第一の目的とした哲学の営為が、 そんなレベルの差で享受できる者とできない者が出てくるのは、正直、惜しいと私は思った。 私は中学生の哲学は、いろいろなテーマで話し合える、 そんな哲学の授業がふさわしいと考えている。テーマはなんでもいい。 別に高等での議論でなくてもいい、情報処理室のパソコンを使ってのチャット形式の 議論でも論文でもなんでもいいから、積極的に自分の意見を言い合う、あるいは提出する。 そういう授業。ディベートではなく、いかに生徒に自分の意見をそこで組み立てさせるかを 授業の狙いとした立論するための訓練として。 またあらゆるテーマに触れることで、自らの閉じた関係性に刺激を与えるものとして、 その人の夢、つまり彼の可能性を、広げる具体的な作業の場として、 哲学の授業が行なわれるべきなのではないか。
(つづき) またテーマはなんでもいいと言うことが条件になりうる。 政治でも、歴史でも宗教でも構わないし、科学、量子論でも、相対性理論でも、 ボーアの理論について話し合うのでも構わない。みながそれをその現場で 一から理解し合うのを前提として、その知識、そのテーマについて皆が感想を述べる。 そういう授業がいいと思うのだ。知らないと言うことは知ることの第一の条件である。 またタブーはない。マルクス主義の思想について、語り合う。 宗教について意見を出し合う。善悪について、思想について意見を出し合う。 科学の誤謬の可能性について、また学問のアポリアを認識しあう。 権威の構造を知る。情報の盲点を知る。そういう授業が、望ましい授業だと言える。 むろん議論そのもののダイナニズムも肯定する。 哲学の授業は、他の授業とは違って精神的なものに触れる授業でなくてはならない。 信条、教条的なドグマの可能性を認識ししつつ、それを活用しなければならない。 哲学の授業において、テキストは本来不要である。テーマとそれについて語りうる 情報の素材が十分にそろっていればいい。おそらく教えられる者は、 その素材を使って様々な意見を提出してくるだろうからだ。 しかし『哲学とはなにか』を知るためのテキストは必要になってくるだろう。 アポリアに直面したときの手引きとして『哲学とはなにか』の哲学が 具体的に今そこで必要とされるからである。以上です。
まあぶっちゃけ国文学および国語教育の時間を削らないとそういうのは無理だが、 日本の伝統思想は「唐心」が大嫌いだから無理だろ。
>>368 >日本の伝統思想は「唐心」が大嫌いだから無理だろ。
それって本居国学と平田傍流だけだろ。
>>368 「唐心」ってなんだか難しすぎますな
どういう意味ですか。
371 :
考える名無しさん :2005/08/21(日) 13:00:00
異国の精神っていみだお
「からごころ」 本居宣長を読めばわかる。
>>368 (多少意味がわかったのでレスします)
なるほど。
おそらく哲学の授業は、国語の授業とは、全く別の授業になるんだろうと思われましたね。
むろんあくまで想像なんですがね
ちなみにどういうところが、違うかというと、
1:議論形式の授業スタイル。
2:テキストの廃止。
3:授業やテストに正解が存在しないこと。
4:読み手レベル、作者レベルの考察がなくなり、自分自身の考えが優先されること。
いかがでしょうか。
>>374 いや、結局言語能力を磨く授業になるから、
国語の時間を削らないと実現しないんだよ。
今でも「論説文」を読む時間があるだろ?
あれを改善するしかない。
けど「国語」の人はロジックを重んじないんだ。
センター試験くらいならほとんどロジックで解けるんだけどな。 たまに答え見てもなんでそうなのかわからんのもあるけど。 つか受験対策としてロジカルに文章を読む訓練をされるんじゃないの。ふつうは。
>>375 思わず、同意しそうな意見ですね。別に国語だけ削らなくたって、
数学やら歴史やら削れそうな部分はたくさんありますよ。
ただ国語の問題が哲学の問題と近接しているというのには、同意です。
反国語的な考え方を哲学は実践しそうな気がします。
ちなみに
「論説文」の問題点についてあなたはどのようにお考えですか?
ご意見いただければと思います。
それと、国語って言うと、ロジックもそうですが、常識的な基礎が必要だったりしますよね。 隠喩表現が示すものとか、主語のない文章の主体を探したりとか。 あと要約(抜き出し)のセンスとか。ある程度様式化されすぎていて そこから国語教育が抜け出せないでいるような気がするんですが気のせいでしょうか?
>>377 アメリカの国語教育だと、
「事実」と「意見」を徹底的に区別させられるそうだ。
でも日本人は「事実」って奴に引っかかる。
「本当に客観的なものなんかあるのか?」と。
俺はアメリカ流の割り切りが単純化を含んでいると思うけど、
反面文章から論理を読み取る訓練にはなっていると思う。
でも日本の論説文は、
かなり初期から「行間を読み取る」ことを要求している。
2ちゃんで言う「空気嫁」って奴。
日本の場合、論説文が生まれるマスメディアが、 そもそも何かを主張する人間の足を引っ張るばかりだ。
381 :
考える名無しさん :2005/08/21(日) 13:42:27
ドラゴン桜なんてその雰囲気を更におしすすめるだけ
>>379 >でも日本の論説文は、
>かなり初期から「行間を読み取る」ことを要求している。
たしかに行間ていう抽象的なものに支配されていますよね。
古典を読む授業でも、それはその物語を知っているかが
重要な要素となっていて、それをもとに登場人物の心情を
推し量るような問題が出される場合がある。
行間を読ませたいという思いと、古典を読ませたいという思いが
混乱している結果だと私は思ったりする。国語教育には、
なにかそういう二重の問題がはらんでいるような気がするのは、
単なる気のせいなのかな。
そして、論理的な訓練はおそらく国語と切り離してされるべきだと思うし、
またその訓練は、数学的な訓練と同じように意味ある訓練だと私は思ったりする。
例えばそれは読書の仕方だったり、問題点のとらえ方だったり、探し方だったり、
テーマに関わりながら、アプローチの仕方に積極的に関わるようなスタイルが
望ましいのではと思う。
>>381 ドラゴン桜は面白いですよね。私も読んでますよ。
でも読んでいるだけじゃ、あれもただの思想ですよ。
実力競争主義の。
私はテーマが豊富というのは、哲学の絶対必要条件だと思うんですよ。
年齢やレベルに関係なくあらゆる知がそこに揃っていなければならないと思うんです。
私は哲学は、学問にではなく、最初に私自身に関わるものであってほしいと言う思いがあります。
小学校から哲学の授業なんてしたら、なんだか冷たい人間になる気がするけどな。 そんな事教えるより、宗教的だったり、偽善的でも「人間は優しくあるべきあるべき」 とか、教えたほうがいいんじゃないか? 人格形成される時期だったら特に重要だよ。 「命は大切な物」 これを刷り込ませる事で、殺人は減ってく。哲学で命の大切さって教えられるか?
385 :
凡人 :2005/08/21(日) 14:23:56
哲学の愛智とは物事の善悪を明確に意識する心ですので道徳の事では無いですか? 人類史は力を崇拝する蒙昧意識に依って支配され全て偽善で賄われ真の道徳は 反社会的で有り敵とされていますので、その壁を力を使わず知恵で崩さなければ 成らないという大きな課題が有ります。 愛智の意は教育では無く導育を行う必要が有りますが導育する者は愛智の真意を 会得していなければできません。 哲学者は愛智の意を会得できずにいる心の迷い人てすので哲学本は一切、参考に成りません。 外部から汚脳をされる期間の短い幼少の頃で有れば大人よりも遙かに高度な哲学意識を 備えていますが、それを育てる意識が大人社会に無いのが問題です。 幼子に導いて貰うつもりで同じ目線で話し合う事が良いと思いますが大人社会の影響で 悪知恵が発達している子供もいますので対処に工夫が必要です。 哲学書など他者の意識に捕らわれず自己、互いの持つ良心と対話を繰り返せば愛智の 真意を会得できます。 早期導育でしたら賛成しますが記憶「力」を重視する蒙昧教育には反対す。
>>384 面白いテーマですね。
実は私、そういう議論をしたいと思っていました。
それは、『性悪説』と『性善説』に基づく批判だと思われますがいかがでしょう?(確認を含めて)
哲学では、命の大切さを教えられるかというより、なぜ命を大切にしなければいけないのか?
なぜ、命を大切にする実態があるのかという考察が行なわれます。
そういう意味であなたの『冷たい人間』という解釈は正当のように思われます。
しかし、では逆に問いかけたいのですが小学校で命の大切さを教えられるものなのでしょうか?
そんなに教育とは尊大でおこがましいものなのでしょうか?
一緒に考えていただければと思うんですが、命の大切さは、上から下へ引き継がれるようなものではないと思います。
命に触れることで、命そのものへ愛着を得る、そういう作業によって育まれるものです。
そういう意味で命の大切さを与えるための画一化された授業は存在することはできないと私は思います。
また教育、良い師匠を見て手本にし、という観点で道徳に触れるということもあろうかと思います。
しかしそれの土台になるのは他でもない、哲学であるはずなのです。
どうしてそれがあの人において正しいのか? どうして私だとそうなるのか?
そういう問題点を考察する自己の考察は、他でもない哲学であると私は思います。
またそれによって、いったんはなれた『命の大切さ』を再認するという作用が生まれます。
この『再認』が"育み"と解釈されれば、『冷たい人間』という批判も
薄れるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
訂正 >またそれによって、いったんはなれた『命の大切さ』を再認するという作用が生まれます。 ↓ また哲学によって、いったんはなれた『命の大切さ』を再認するという作用が生まれます。
追加
>>386 すり込み教育、インプリンティングされた情報(価値)もそれを育てることをしなければ
元の木阿弥です。餌をくれない積み木のあひるによちよちついて行くよりも、不十分でありながらも
自分で餌を探す方がまだ希望が持てます。
その育てるという意味として哲学が、唯一その素質を持っているものと
思うのです。いかがでしょう。
>>385 >哲学の愛智とは物事の善悪を明確に意識する心ですので道徳の事では無いですか?
哲学は教条的に善悪を明確に意識するような絶対的なものではないと思います。
むしろ様々な意見に触れ、少しずつ自分の意見を修正する、そういう相対的なものです。
そこには反対意見もあり、矛盾点やアポリア(難問)も提出されますので、
道徳心そのものを向上させるまでには至りません。しかしその契機を与えることができます。
もしそのとき彼が精神的苦境に立っていれば、哲学に信仰以上の価値を見いだすことも
可能でしょうが、哲学の授業ではそれはまれでしょう。むしろ道徳の問題点に多く触れることが
大事なんじゃないでしょうか? それによってはじめて独善的な考えというものが現実問題において
滅ぼされるからです。それは方法論的なあり方を模索するものでしかありませんが、
謙虚さや、物言いの秩序について考えるきっかけにもなります。
あとは、おおよそ同意ですね。問題意識がだいたい私と共通していると思います。
391 :
エジプト軍 ◆VnUZ9WuidM :2005/09/28(水) 23:19:59
392 :
◆KANGEN8FpQ :2005/10/18(火) 23:30:43
ノウハウを培おうとしても遣っ付け合いでしかない環境で
哲学なんて教えるよりも 考える力付けさせた方がよっぽど有益だよ
日本以外では 哲学教育=考える力を付けさせる教育 なのに、そういう認識が一般にも哲学教育者にもないのが 日本で哲学教育が軽視されている理由
言語の教育と連動していないからだね 相対的に考える力を重視しているのは分析哲学だけど、 彼らは日本語の条件を無視しすぎていて、 文学教育中心の国語と連動しない
でもゆとり教育ってある意味哲学者産んでいるかも、 まぁ彼らの哲学は「歪んで」いると思うが。
基本的には国語教育の一環としてやるべきだと思うんだけどな。 欧米だったら自国の哲学者の古典を読むという方法があると思うんだが、 日本の場合は古文漢文の世界に行ってしまうから…。
なるほど。 哲学教育の成果として 現在、フランスで暴動やっているような優秀な若者が育つわけか。
400 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 23:18:08
日本じゃフランスのリセとか北欧のようにはいかないよ 哲学の教育なんてムリムリ マジで文科省がどうにもなんないし
哲学教育に力が入れられるより、教育勅語が復活する方が近いんじゃないの?
403 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 00:36:59
高校生だけど、『倫理』って科目ですでに カントまでやってます。ハイデガーもやるはずです。 でも、ライプニッツは、デカルトの説明のところで 「スピノザ、ライプニッツなどにこの思想が受け継がれた」 て書いてあって、注訳に『オランダの哲学者、宗教学者。 はじめはユダヤの宗教思想を研究していたが、デカルトの哲学に 傾倒し、のちに独自の汎神論哲学をとなえたーーー』(以降は 代表的思想が1行で書かれている。あとは著書。(これ以上書くと 著作権違反とかになりそぉだから)1人の思想は結構深くやるけど、 少ないね。1年と、センター用に講習で日本の近代哲学とか、 フロイトやロックルソーホッブズにソクラテスまで全部やるんだから。 ゆとり教育とかいってるけど、授業日数減らされただけだから、 今までの範囲やるために授業が早くなったし、講習取らなきゃ 本来やっているはずの範囲がおわらないとかありまくりです。 本当、意味ない。方向性完全に間違えてます。それよりまず 虐待とかにあってる子供を救うほうに力をつけるべきだと・・・(関係ない です、ごめんなさい
404 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 00:51:02
ゴルギアスとかなんか読みやすいのだからせめて教師が紹介してあげて欲しい。
405 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 00:56:19
左翼の上部構造イデオロギーと右翼の国粋主義反インテリ傾向の両方から哲学は無視されて教育から抜け落ちてる。 アメリカではビジネススクールでさえリーダー論の古典に国家が紹介される。
406 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 04:29:31
現在の日本国民は論ずるに値しないほど独善的でプログラムを書かれたような 動きと、無駄な知識集めでしか話せない厳しい現状がある。 1つの理由として教育に哲学がないから影響を受けてるように思えてしょうがない。 さらに、社会は露骨なほど哲学を色んな方面で駆逐している これを乗り越えるには相当な知恵が必要と思える。 さらには哲学をしたくても環境がないに等しい。 哲学に思慮の時間をさく自由が与えられていない。 経済のためにここまで奴隷にならざるおえない現実は、洗脳教育から 目覚めてしまった哲学の才能ある人達は自殺人生を与えられた気分。 そして哲学という知恵のない国は、あまり先は長くないような気がする。
407 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 04:32:01
だからあ哲学したいなら海外の大学へ行けってこった
408 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 14:24:51
>>407 ぜんぜん中身が見えないんですけど?
場当たり的な発言に思えるのは私だけでしょうか?
もう少し結果ではなく、考えを述べてもらえませんかね。
考えを聞いてからじゃないとなぜ海外の大学なのか、意見すら
いえません。
こういう会話しか出来ないから危険と言ってたのですが。。
正直、単純に海外の大学へ行くには意味がなさすぎると思い
ますが、あなたの考えを聞いてから具体的に意見を言いたいと
思います。
409 :
考える名無しさん :2006/01/04(水) 09:57:36
もっと活発な奴等に育てて、授業とか4分の1くらい議論の時間にした方がいいと思う
410 :
考える名無しさん :2006/01/04(水) 10:00:23
>>408 アメリカの話だけど自分の意見をいう事を恥ずかしがらないとか議論するのが普通みたいな感じだから
本当に頭いい奴等が居る大学に行くなら海外の大学へ行ったほうがいいって事なんだと思う
日本だと頭じゃいい事考えてるんだけど何人もいる授業や会話だと自分から意見いいだせない人とかおおいじゃない
411 :
教育者 :2006/01/04(水) 11:08:01
>>1 ↓こういう理由です。お前等がコイツ論破出来たら認める。
840 名前:店長[age] 投稿日:2006/01/04(水) 03:02:09 ID:???
あー昔このスレ見た事あるわ
とりあえずクダラネー哲学ごっこやめな
哲学なんぞ基地外になるためにあるようなもんだからな
844 名前:店長[age] 投稿日:2006/01/04(水) 03:09:23 ID:???
僕だよっ
ハードSだよっ
詳しく聞きたいの?
宗教もひとつの哲学じゃん
でみんな狂ってんじゃん
なぜわからん
412 :
教育者 :2006/01/04(水) 14:00:14
誰も論破出来ねーか。 ダメだな哲学板はw
413 :
考える名無しさん :2006/01/05(木) 01:55:32
>>412 余裕でできるぞ、哲学やれば人生の全てが楽しくなる。
そしてそれはフィーリングだけで理解してるものじゃなく
しっかり理解され言葉で支えてあるからフィーリングだけで理解するよりも
安定もするし修正も簡単。それとも哲学やれば人生の全てが楽しくなるってのが理解できんの?
>>412 論破ったら、その書き込みに対して、反対の見解を持たなきゃならんのだろ。
「狂気」を、積極的に肯定する哲学者が少なからずいるからねぇ。
俺も、ある種の「狂気」を肯定するし。
それに、哲学なんて、凡人(哲学的な価値観に生理的嫌悪を示す者)に教えたって意味無いだろ。
倫理とか教えりゃいいんだろうけど、これはキリスト教の色が濃いだろ。
よって、日本では倫理なんかより、道徳教育だとか教育勅語の復活が優先されんの。
哲学を凡人に教えても意味無いっていうなら 学校教育でやってもしょうがないことになるが…
>>414 そもそも
> 哲学的な価値観
って、どんなんだ?初めてみる言葉なんだよね
このエタイの知れないものがイヤンな人が凡人なんだということしか分かんないな
だから、俺は凡人なんだろな
でも、価値観が介入する哲学って何か嫌だな、思想みたいで、個人的に
418 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 11:58:50
結局哲学は不要という結論になったwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
419 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 12:03:00
猿に哲学は不要。 特に黄色い猿には
420 :
変態@童貞男爵 :2006/01/25(水) 18:54:55
○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○ このレスをみたあなたは・・・3日から7日に ラッキーなことが起きるでしょう。片思いの人と両思いになったり 成績や順位が上ったりetc...でもこのレスをコピペして別々のスレに 5個貼り付けてください。貼り付けなかったら今あなたが1番起きて ほしくないことが起きてしまうでしょう。 コピペするかしないかはあなた次第... ○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
421 :
考える名無しさん :2006/02/18(土) 01:52:52
日米の哲学科でやってる内容ってどう違うの
422 :
考える名無しさん :2006/02/18(土) 11:55:42
日本でもアメリカでも、大学によって哲学科でやっている内容はかなり違うんじゃね?
423 :
考える名無しさん :2006/02/18(土) 12:35:41
ウィトゲンシュタインを読んでるが楽しい。 常識外れのとんでもない結論が論理的に導きだされていく。 なんていうか、世界の見方が変わる。 宗教とも文学とも科学とも違う知的魅力がある。 これだけの知的体系が無駄であるとは思えない。
>>423 >常識外れのとんでもない結論が論理的に導きだされていく。
そうか?
ウィトゲンシュタインの結論事自体は別に常識ハズレではないと思うが。
むしろ、常識からおおきく離れていた哲学を、
「んなこといったってーわかんねーよお!!!」
「言葉でやりとりしてんだろーよーー!」
「言葉ってのは行為によって初めて意味をもつんだよーーー!!!」
「常識! 常識!」
ってところに戻したんじゃないか?
酒場のオヤジが
A「最近の新入社員は理屈ばっかりで、全然理解できん」
B「そうそう、そのくせきちんと報告しないんだよな」
A「会社の運営に参加してるという意識がないんだよな。行動で示さないというか・・・」
B「そうだよな。これまでわが社が積み重ねてきた実績とルールに従って行動してくれなきゃ、会社が成り立たないよ」
って愚痴るのと同じだろ。
ウィト本人は非常識だが。
425 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 21:05:24
トーマス・ローレン『日本の高校』(1983年)より 日本人が暗黙のうちにもっている教育観は・・・思索を深め、物事をよく理解して 成熟していくための時間は、学校卒業後に十分残されているのであり、経験が豊かに なれば成熟はおのずと深まるというのである。 こうした違いの一つの表れは、論理学の位置づけである。論理学は、言語の領域に おいて論理の一貫性と意味を知的に追求する学問である。これをうまく教えれば、早い 時期に思考力を成熟させることができる。しかし、日本の学校教育は、この可能性に ほとんど見向きもしない。 論理学上の論争や、論理的な対話が単に教育の内容や方法の中に位置づけられていない というだけではない。むしろ、知恵や分別は、公教育とは無関係にゆっくりと身について いくものだと、日本人は根っから思い込んでいるように感じられるのである。この知的 成熟をもたらすうえで不可欠なのは、実際に仕事について経験を深めることであり、それ を学校で提供することはできない。 ここで、我々は、根本的な文化の違いに直面する。西洋では、論理学を教える学校が、 文明そのものと同じぐらい古い歴史をもっている。これと対照的に、日本は、伝統的に 外国の文化と言語の習得に大きく依存してきた。長年にわたって、記憶することと模倣 することが重視され続けてきたのである。その底流にあるのは、知恵はゆっくりとしか 身につかないという考え方である。つまり、日本人は、上手な聞き手を育ててきたので あり、欧米人は、自立した表現のできる国民をつくろうとしてきたのである。
426 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 21:08:15
トーマス・ローレン『日本の高校』(1983年)より ・・・アメリカの生徒は、教えられる知識の量こそはるかに少ないが、自分の意見 を述べ、質問に対して複数の解答を思いつく・・・日本の教育者に対する警句として、 「学びて思わざれば即ちくらし」という中国のことわざを引用したが、このことわざ に対する孔子自身の注は、アメリカ人こそ記憶しておくべきである。つまり「思いて 学ばざれば即ちあやうし」というのである。アーサー・ウェーレーによると、これは、 しっかりとした学問に基づかない意見からは、混沌が生じるだけだというのである。 ・・・かつて私は、日本の教育の長所について講演したあとで、だしぬけに次のよう な質問を投げかけられたことがある。私が、私の子供を日本の高校で学ばせたいと思う かどうかというのである。とっさに私は「ノー」と答えた。そして、その質問に圧倒 されながらも、次のようにつけ加えた。ほとんどのアメリカの高校についても、同様に 「ノー」と答えるであろうと述べたのである。
427 :
牛氏 :2006/02/20(月) 21:10:50
「引き合いにして、意味がなければ用いず」
428 :
考える名無しさん :2006/02/21(火) 04:25:22
無意味さに感動できる魂を養わなければいかんよ。
429 :
考える名無しさん :2006/02/21(火) 12:41:50
>>426 を三度読み返してみたが、引用の意図も目的もわからない・・・
>>416 >>でも、価値観が介入する哲学って何か嫌だな、思想みたいで、個人的に
いやあ、価値観は介入せざるを得ないだろ、哲学のみならずほとんどのところに。
「べき」「せよ」(義務の)「しなければならない」「いい」「悪い」「好き」
そして君の「嫌」…これらすべての言葉は価値観が介入しなけりゃ意味を持たないぜ。
それと
>>414 のいう「哲学的価値観」って文字通り「何よりも優先して真理を知りたい」とか、「虚偽で覆われているのに我慢できない」とか
そういう真理至上主義とでもいうべき価値観じゃないの?
それとも君はそんなことは百も承知でまさにこの
A)「真理至上主義自体を胡散臭がっている」
のかな?
それとも君の哲学観は
B)「哲学ではそもそも価値を論じることが出来ない」
C)「たとえ正しく論じえたとしても所詮は理論、すぐに実践で(現実で)効果をあげるわけではないから無駄だ
(それどころか差し迫った危機に対処することは哲学では不可能なので理論が立派であればあるほど虚しさが強くなるだけだ)」
D)「もっともらしく論じているようでも実は真偽の決定しようのない議論(形而上学的議論)で単なる御伽話と変わらない」
といったものなのだろうか?
いや、俺の場合は、基本的に哲学が好きだけどこの真理至上主義自体に疑いも持っていて、
哲学に「好きだけど嫌い」という矛盾した感情を持っているんだけどね。
まあ、いずれにせよ上記A)〜D)にあげたような理由ならわからなくはないな。
431 :
430 :2006/02/22(水) 00:09:01
第一真理至上主義自体に根拠がないんだよな。 みんな「タテマエ」とか「ホンネ」とかしょっちゅう使い分けるほど「欺瞞好き」のくせに。 まさか「真理は善である」ということを信じているわけでもないだろうにさ。 それとも真理と現実とが同じものであるから自分の現実の姿・状況などを みんな知りたいと思っているのだろうか? 現実に裏切られるなんてよくあることだというのに、 もし私の言うとおりだとしたら哲学者達は何と楽観的なんだろう! 哲学者ともあろうものが驚くべきことに哲学の意義や価値に対する批判眼を持たないなんて! おおかた「哲学的価値」なるものは何らかのルサンチマン(怨恨感情)を引きずっていて、 その理屈っぽい復讐を哲学などと称しているんじゃないかと思うんだけどね。 復讐欲なくして哲学なんていう非常にくたびれる一種の戦闘行為を真剣に、執拗にやったりしないと思うけどねえ。
432 :
430 :2006/02/22(水) 00:11:15
うわあ、見事に誰も見ていないからといって 一人で突っ走ってる… 夜食かってこよ。 連投スマソ。
433 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 02:01:54
GHQは、日本を弱体化する際に哲学教育を完全に取り除いた
434 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 03:08:27
「西洋思想を教えるくらいなら、東洋思想を教えた方がいい」 って考える人の方が、圧倒的に多いんじゃない?
435 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 04:31:00
もし敗戦を経験せずに東洋を徹底したなら たぶん今頃日本は中韓レベル
436 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 04:58:29
確かに、日本にはこれといったスゴイ哲学者はいないように思う・・。 哲学では西洋・ユダヤ人・インド人に完敗
437 :
436 :2006/02/22(水) 05:06:56
ごめん、冷静に考えると哲学に限ったことではない・・・・・orz 逆にユダヤ人や西洋人に勝てる学術分野を探すほうが大変w
438 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 05:07:14
輸入し限りなく近いところまでマネる。 これが日本の「」思考・方法論」、独自性というもの。 他に何かあるかといえば神道がある。 しかしこれは教典も持たないし、 何かと定式化して考えることができない。
439 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 05:10:36
それと仏教も外来文化であることを決して忘れてはならない。 同じ東洋で生じたため、幾分近しいことは確かだが原始仏教は決して日本文化に馴染みのないものと見た方がまったく適当だ。
ちょっとうけたコピペ 製品とは ドイツ人が発明して アメリカ人が製品化して イギリス人が投資して フランス人がデザインして イタリア人が宣伝して 日本人が小型化して 中国人が低価格化して 韓国人が起源を主張する
441 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:39:49
良スレ
442 :
|o`)つミキ なま温かい踊り♪ ◆RsvHnujRZU :2006/03/30(木) 23:06:54
守備範囲がちがうんだよな。 科学で音楽のカテゴリーを論じるとしたらそれなりにまどろっこしいだろ。 経験論的な手法で語られたほうがわかりやすいよな。 学問の手法にもそれぞれの得意ジャンルがある。 様々な手法を駆使してより効率的に結論が導かれるということはあるだろう。 たとえば、精神の問題などについては文化的資料が重要な意味を持つように、 間違いや曖昧な学術体系が意味を持つことがあるわけだ。
日本は哲学教育ないから、むしろ廃れてるから終わり
445 :
考える名無しさん :2006/06/16(金) 11:13:06
考えるんじゃない、感じるんだ じゃいけないのかい? 教育に哲学なんてものを早い時期から押しつけて創造的な発想を傷つけてしまうのは あまり感心しないな。幼児に筋肉トレーニングをさせるようなものだ。 哲学は単なる論理の組み合わせでそんなものは後から学んでもけして遅くない。 その前にもっと日本的な精神というものを植え付けるべきだろう。 基本をまずきっちり体に覚えさせるということだ。 基本も出来ないうちから、他のことをさせても身に付かない。 事を急げば、和洋のわけのわからないミクスチャー奇形児が生まれかねない。 私たちは決して西洋人になりたいのではない。また日本を西洋と寸分違わぬ国にしたところで 結局の所、ネイティブになりきることはできない。日本という国家を捨てでもしない限り。 私たちは両方が欲しいのだ。
446 :
考える名無しさん :2006/06/26(月) 20:28:08
「すべての哲学は、言葉の誤った使用に基づく誤解に過ぎない」 ヴィトゲンシュタイン
447 :
考える名無しさん :2006/06/27(火) 06:47:25
日本は普通じゃないかな。アメリカもやってなさそうだし。 一番やってそうなのはフランスだが、それほどフランス人が哲学的とも思えない。
448 :
考える名無しさん :2006/06/27(火) 08:40:02
哲学なんて、家庭で教わるもんだろ。
449 :
考える名無しさん :2006/06/27(火) 09:54:31
反対。 「儒学を小学校で教えるべき」と言う主張が馬鹿らしいのと一緒。
>>449 「儒学を小学校で教えるべき」と言う主張は馬鹿らしいの?
なんで?
451 :
考える名無しさん :2006/07/08(土) 02:59:38
452 :
考える名無しさん :2006/07/08(土) 05:22:27
>>449 たしかに主義主張的な哲学を教育という場で一面的に押し付けるのは反対。
しかし倫理でいえば
メタ倫理学や論理に関しては、
万人に共通して適用される普遍的な事実の事。
だから自然主義的誤謬や虚偽論について教えたりする事は
何の問題もない。
むしろ教えないことがおかしいとさえ思われる。
けども、まあ、従順で優秀な労働力を産み出すこと
という義務教育本来の目的を考えると、
こんな期待は無意味かもしれんね。
453 :
考える名無しさん :2006/07/08(土) 08:05:01
もし哲学が現状を批判し変化のきっかけを与えるものなら、 日本ではなんで哲学教育が無いといえば、 日本が実は完成されたいい加減さをも持つ社会だからじゃないか? 権力無いものが、権力持つものをけん制出来る時代が、戦前まではあったのだよ。
454 :
考える名無しさん :2006/07/08(土) 23:03:16
日本は伝統的に集団を重んじる風潮がある。日本は哲学、特に西洋哲学をやった人間は我の主張が強くなると思い込んでる。
455 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 01:17:40
子供には老子を教えるのが良いだろう。
456 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 01:20:20
【4:13】哲学について家族で話し合ったら家庭崩壊 1 名前:考える名無しさん 2006/07/08(土) 13:09:51 4人家族、哲学について話し合った末、みんな みんな、頭がおかしくなってしまった・・・ 4 名前:考える名無しさん :2006/07/08(土) 13:39:57 ,. -‐‐‐‐--、 / \ / } |. | . \ -===- / . |\  ̄ _/ .. \  ̄⌒ ̄/ 5 名前:考える名無しさん :2006/07/08(土) 13:56:50 精神病院へ行ったほうが良いのか否か・・・
457 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 10:30:55
大学前に哲学教育をやっているフランスでなんてあんな糞哲学が生まれるのか。
大学前に哲学に対する先入観が生まれるからジャマイカ?
>>457 フランスの哲学は俺も嫌いだけど、彼らは従来の議論を網羅してから反論してる。
日本の自称思想家の場合、誰かが言ってること(あるいは論点が噴出しまくってる
こと)を平気で斬新だと思ってる。
460 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 11:30:51
>>450 学校は思想・宗教教育をするところではない。
弁論を国語の一環として教えるなら良し。
461 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 12:32:06
日本には思考原理としての下地がないから、 流行の学説に多くの人がとびついて色んなことを言うふうにどうしてもなっちゃうよ。 だからそれがイヤな人は仏教や神道、儒教やその他アジア圏の呪術・宗教をふくめた東洋思想に向かえばいい。
462 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 12:35:03
ちがう文化で生まれたものを持ち込むわけだから、 誰それの説を研究するばかりに尽きてしまうのもじつは仕方のないことでしょう。 欧米その他の人が東洋思想を研究するにもそんな感じになっているハズだよ。
463 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 15:02:46
しかし同じ東洋でも日本人がインド、韓国、中国、マレーシアなどを理解するにたちまち困難に出くわす。
464 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 16:45:10
「諸学のうちの一つ」という認識がまるでない。 人生論や政治運動の理論をあつかうもの、宗教的な訓話について深刻に思いつめるものといった観ばかりが横行する。 認識論などを知れば決してそんなことはないのだが…。
465 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 18:31:55
人の気持ちを第一とする、そんな文化は奈良時代以降既に明文化されて ます。 そんな文化と近代以降の憲法第一主義は、まったく矛盾しています。 日本人の絶対的価値観とは、現状を知ることによってしか形成されない。 よって、全国民海外留学を、徴兵制の変わりに制度化すべきだ。
466 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 19:55:02
哲学を齧っている奴の中には誇大自己妄想症候群の重篤患者が多い。 普通の学問では学べば学ぶほど、考えれば考えるほど、先人の業績の偉大さを 思い知ることになり、無根拠な自身は早晩に消失する。 しかし、哲学においては、学べば学ぶほど、考えれば考えるほど、先人が痴呆に見えてくる。
そんなことはない。
468 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 20:11:20
頭の悪そうな学生が「マイ哲学」やら「自分なりの思想」やらを 後生大事に抱え込んでいるのは笑える。既存思想の受け売り、 焼き直しに過ぎないのにね。 親や教師が「子供/生徒をあんな輩にしてはいけない」と 堅く決意するのも当然です。
469 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 21:10:09
>>466 おまい、哲学を学んだことがなく、想像で言ってるだろ。
現実はその逆。学んでいくと自分が痴呆に見えてきて、
自分で考えるのをあきらめてしまって、
過去の「偉人」の受け売り専門になっていく香具師が多いんだよ。
470 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 21:10:54
哲学徒が進むべき道は、もう出ている。 芸人の精神にのっとり、表現力を磨くことのみだ。 自分のみの価値観は内にしまっておけー。
471 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 21:46:49
466とか書いてるのは本当にバカだと思う。 いろんな板のいろんなスレで同様なこと書いてるけど。 気持ちの悪い漢字の使い方や浅薄さ、自分で自分に返答するなどまさにキチガイ。 本当にバカだと思う。 現実にどんな人間か知ってるけど今後は本当に相手にしたくないね。
472 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 21:49:34
ちなみに465から470は同一人物。 アタマおかしいでしょ?こういう奴がいるんです。 しかもコイツ哲学科に在籍経験ないし、五年前まで本なんか読めるアタマじゃなかった。
473 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 21:50:43
なんかしんないけどコイツ俺に憧れてて俺と同じようなこと言えばいいと思ってるしほんとキモいわ。
474 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 21:54:24
俺がなんか書くとすぐニートだなんだ絡んでくるしバカだよな〜って思って。 やっぱり哲学科にいたことがないとどうしても理解の仕方がねぇ…。 例えばしょせん柄谷なんてねぇ…。 いまだにトクワンAA貼って喜んでるのもコイツだけ。
475 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 21:58:26
あ、「あと日本語でおk」とかwwww 自分が文章の読み方知らないだけじゃん。 文法的に破綻してる文章なんて哲学書には往々であることも理解できてない。 分かりやすい文章なんて読み手に知識と理解のしかたの習熟度にもよるのにバカだなあと思って。 こういうバカが「在野の力」とかいって素人くさい哲学書の翻訳出しちゃうのかなと思ってさ。 このレスにまた「なにムキになってんの?」とか書いてきてなw なんかもうコイツ一日中パソコンにはりついててほんとゴミみたいな生活なのよ。
476 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 22:03:41
本題からずれてるから。
477 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 22:07:38
バカじゃねえのコイツ
478 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 22:22:13
こういう奴がいるから哲学は紛い物扱いされる訳です。
479 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/07/09(日) 22:27:32
紛い物そのものだけどな。
480 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 22:29:10
バカじゃねえのコイツ
481 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 22:34:44
レスからして恐らく一度も哲学の勉強をした事のないような奴が、哲学は意味が無いとか無駄とか言ってるのか不思議だ。 特に理系の奴は酷い。自分の無知からくる博識で理解した気になってる。 どこでブレーキがぶっ壊れたんだか。教育とかそういう問題ではなく傲慢さの問題で、勉強してないのに知った気になってる。 彼等はアリストテレスでストップしてる。「全ての学問は哲学から 始まった」、、、その事実だけが彼等のいう哲学の知識だったりするから相手にするのも 馬鹿馬鹿しい。もちろんこれは日本の話で外国では現代でも理系(まぁこの区分も日本的なんだなよな)の奴も哲学の世界に参入してる。
482 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 22:36:31
>>481 はげどう
哲学の基礎は数学と物理です。哲学科でも数学と物理を必修にすべきですよ。
483 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 22:40:05
484 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 22:41:02
数学と物理が判らん奴が哲学の評判を貶めているよね
485 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 22:42:41
日本の哲学は西洋思想の受け売りだから、そもそも不要じゃないの?
486 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/07/09(日) 22:51:33
アラビア数字もアラビア(いや、本来はインドであったりする) の受け売りだから、算数もいらないな。 あ、漢字だって中国の(ry
487 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 22:52:42
日本人科学者と欧米哲学者の交流は結構ありますよ。 近代の実証科学は欧米で生まれたものであり、欧米の哲学者は 科学における実証主義の重要性をキチンと理解している。 また、欧米の哲学者のなかには自然科学の素養を持つものも 少なく無く、科学者とキチンと意思疎通できる。 翻って日本の状況を見ると、このスレを読むまでもなく、 ・哲学者は自然科学に対してあまりにも無知である ・無知の結果として、哲学者は自然科学を蔑視する ・自然科学に対する乏しい知識を自由気ままに濫用しており、 科学者と意思疎通できない といった問題があります。 論理学や分析哲学をやっていると基礎論関係者から、こういった文句を聞かされるわけですw
488 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 23:02:34
>>487 それって確かに日本にも当てはまるけど、欧米の科学者が欧米の哲学者に言ってることにあまりにそっくりなんだが。
489 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 23:32:47
ていうか日本の場合は文系学者の理系学者に対する強烈なコンプレックスがあるでしょう。 文系の教授のほとんどが世界レベルの雑誌に論文を載せるどころか論文自体を書いてない んだもん。別に研究なんて何もしなくても首にならないんだから。知ったかぶりして学生 の目の前で威張ってるだけ。それが回りまわって理系と文系の受験の内容に反映されている。 使えない英語・どうでもいいような詳細な事実を丸暗記する日本史・世界史・地理。「だろ だつでに」な国語。こんな状態で哲学を小学校からおしえろだと。哲学の利権の拡大を狙っ ているだけ。単に文学部の就職難の鬱憤だろ。NEAT予備軍は氏ね。
490 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/07/09(日) 23:39:11
>ていうか日本の場合は文系学者の理系学者に対する強烈なコンプレックスがあるでしょう。 あるのかね、コンプレックス。ないんじゃない? あったところで君に関係ないじゃん、別に。
491 :
考える名無しさん :2006/07/10(月) 00:02:15
NEAT予備軍は氏ね NEAT予備軍は氏ね NEAT予備軍は氏ね
492 :
考える名無しさん :2006/07/10(月) 06:59:07
>ていうか日本の場合は文系学者の理系学者に対する強烈なコンプレックスがあるでしょう。 文系の教授のほとんどが世界レベルの雑誌に論文を載せるどころか論文自体を書いてないんだもん。 どうつながってるんだ?1億歩譲歩して論文を書いていないとしても、なんで理系に対してコンプレックスを抱くんだ? >知ったかぶりして学生の目の前で威張ってるだけ。それが回りまわって理系と文系の受験の内容に反映されている。 どうつながってるんだ?「回りまわって」とかさ、結局こういう奴なんだよな。 全てを単純化して知らない事を知っているかのように主張する。 関連のないものを感情で書き殴って関連させる粗雑な精神、生き方。 大学の教師は威張ってるどころかむしろ謙虚な人間が多く、むしろ威張ってるのはお前だ。 こいつこそコンプレックスの塊であると同時に本当の意味で馬鹿。
493 :
考える名無しさん :2006/07/10(月) 07:02:53
追記
こいつ
>>489 のレスをキーワード化したら程度が知れた
文系 理系 コンプレックス 受験 就職難 NEAT
>>491 =493
>NEAT
>NEAT
>NEAT
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495 :
489 :2006/07/10(月) 09:06:04
日本の文系学部の現状知らないからそんなこと言えるんだよ。帝大教授と良心のある 一部少数の学者ががんばっているだけで文系の学者の大半は研究なんて一切やってな いんだぜ。就職した段階で終身雇用権もらって、後は講義と委員会をあわせて週実労 よくて10時間ぐらい。建前では残りの時間は研究していることになってるけどね。就 職しはじめのころはちょっとがんばるけど歳とるごとにどーでもよくなって年功序列 で教授になったころには用事が無いとき以外は大学にこないのもいる。暇人でするこ とないから学生の前では威張り一人のときはそわそわしてるのが多いよ。口達者な暇 人集団だから教授会でもつまんねーことで延々と荒れる。駐車場の割り当てなんかで 夜8時まで論争するなんてあるんだよ。そんな集団が堕落するの当然だろ。嘘と思う なら自分の大学の文系教授の名前の論文検索してみな。査定のないところに何年に一 回しか論文出さない奴とか30歳以降論文一本も書いてない奴がいるぜ。「何で日本の 文系はヘボイのか」なんてスレがたまにでるけど答えは学者連中が堕落しているから。 そんな連中が文部省と教科書経由で日本の文系教育を決定している。官僚は基本的に 学問の内容にはタッチしないことになってるから。哲学だろーがなんだろーが文系科 目の拡大は反対だね。
496 :
考える名無しさん :2006/07/10(月) 09:47:01
簡単な話。 資本主義の理念に近づく分野程重要視され、離れるほど軽視されるだけ。 分野に問わず、学問の内容は資本活動を助長する内容に変わっていく。 人類生涯の最終目標が金銭に設定されている世界。
497 :
考える名無しさん :2006/07/10(月) 10:01:09
>>496 そんなんだったら大学自体が生まれる余地がないだろ。
不遇感の原因を他者に求める性向は自我確立とともに消失するものであるが、
2chには
>>496 のような自我未確立なオトコ子供が徘徊している。
500 :
威力 ◆jugenIcMoo :2006/07/18(火) 02:08:14
精神を整形する方法
502 :
考える名無しさん :2006/07/22(土) 20:40:27
Scienceの昔の意味は「知識」でした。 Natural Science/Philosophyが発展してニュートン力学が生まれ 科学(Science)、特に物理学が「知識」を具現するものになります。 結局残った残りカスの妄想が哲学なので、現代では 哲学=妄想 科学=知識 という状態になっています。 他の思想は社会科学(SocialScience)と改名してがんぱっていますが 理系からは相手にされていません。
503 :
考える名無しさん :2006/08/14(月) 12:58:34
今の高校には教養のあるやつをバカする風潮があるらしいと新聞か何かで 読んだんですが、本当ですか?
受け売り厨をバカにする風潮はあるけど、教養人をバカにする風潮はないなぁ
今さっきBSでフランスのバカロレアの話をしていた。 バカロレア=高校卒業資格と大学入学資格を兼ねる全国共通国家試験 その中で、主人公的な人物が高校の哲学教師になっていた。 授業の中でも、試験の中でも哲学って結構重要なんだね。 考えるトレーニングの役目も果たしているらしい。 ヨーロッパでは、哲学の科目が有るのは普通なの? 親戚が大学で哲学をやってて、研究者を目指してるらしいけど、大変みたい。 日本では何故授業で哲学をやらないの? ヨーロッパでは何故哲学をやるの? その差はどこから出来たの? と、書いておいてから、スレを読んでみます。
506 :
考える名無しさん :2006/08/16(水) 13:03:58
教養人=受け売り厨
日本の大学でやっている哲学は、西洋思想の翻訳・受け売りですから、 哲学をやると自分で考えなくなります。西洋の哲学書を翻訳する、 一般人向けの解説書を書く、という作業そのものには一定の意義が 認められますが、作業実施者は社会的には軽蔑されています。 つまり賤業です。
508 :
考える名無しさん :2006/08/17(木) 00:19:00
>>507 なぜそう思うのかね? 日本には独創的な哲学者は沢山いるよ。
西田、和辻、九鬼、田邊、三木、大森、廣松、etc...
>>508 はたしてそうかな?世俗的な評価を鵜呑みにしていないか?
510 :
考える名無しさん :2006/08/17(木) 09:36:47
西洋思想が今いる場所は仏教・儒教が2000年前に通過した場所だ。 仏教・儒教の伝統を捨てて西洋思想に傾倒した軽佻浮薄な連中は バカにされて当然。 日本の自然科学者の中には仏教・儒教などの東洋思想への造詣が 深い者が少なくない。また、欧米の哲学者・科学者が東洋思想に注目し始めて 既に100年以上たつというのに、未だに西洋思想の受け売りをする人は 学問の大きな流れを見る目が無い。東洋思想を学ぶ企業経営者は多いが、 西洋思想は完全に無視。東洋思想よりも格段に劣っていることは 素人の目にも明らかだ。 数学や理論物理は教科書を読めば誰だってロジックを理解できる。でも、直観が 働くレベルまでイメージを膨らませて理解するには、並外れた修練が必要だし、 そのレベルまで理解しないと研究を始められない。高校から大学、修士までは 大天才と呼ばれていても、研究レベルでは雑魚扱いされるし、その多くが 崩れ去っていくのが 数学と理論物理。
512 :
考える名無しさん :2006/09/03(日) 19:08:44
で、なぜ?
なんか今思うと高校の科目って簡単過ぎたな。何であの程度で苦労 してたんだろう。
514 :
考える名無しさん :2006/09/04(月) 00:42:07
495 :489:2006/07/10(月) 09:06:04 日本の文系学部の現状知らないからそんなこと言えるんだよ。帝大教授と良心のある 一部少数の学者ががんばっているだけで文系の学者の大半は研究なんて一切やってな いんだぜ。就職した段階で終身雇用権もらって、後は講義と委員会をあわせて週実労 よくて10時間ぐらい。建前では残りの時間は研究していることになってるけどね。就 職しはじめのころはちょっとがんばるけど歳とるごとにどーでもよくなって年功序列 で教授になったころには用事が無いとき以外は大学にこないのもいる。暇人でするこ とないから学生の前では威張り一人のときはそわそわしてるのが多いよ。口達者な暇 人集団だから教授会でもつまんねーことで延々と荒れる。駐車場の割り当てなんかで 夜8時まで論争するなんてあるんだよ。そんな集団が堕落するの当然だろ。嘘と思う なら自分の大学の文系教授の名前の論文検索してみな。査定のないところに何年に一 回しか論文出さない奴とか30歳以降論文一本も書いてない奴がいるぜ。「何で日本の 文系はヘボイのか」なんてスレがたまにでるけど答えは学者連中が堕落しているから。 そんな連中が文部省と教科書経由で日本の文系教育を決定している。官僚は基本的に 学問の内容にはタッチしないことになってるから。哲学だろーがなんだろーが文系科 目の拡大は反対だね。
査読を査定と言ってるところは減点だが まあまあよく書けてるんじゃないの
516 :
考える名無しさん :2006/09/04(月) 05:11:35
こまった現実だな
517 :
考える名無しさん :2006/09/05(火) 05:00:51
俺がなんか書くとすぐニートだなんだ絡んでくるしバカだよな〜って思って。 やっぱり哲学科にいたことがないとどうしても理解の仕方がねぇ…。 例えばしょせん柄谷なんてねぇ…。 いまだにトクワンAA貼って喜んでるのもコイツだけ。
518 :
考える名無しさん :2006/09/05(火) 14:04:16
日本の哲学自体が評価されてないから
519 :
考える名無しさん :2006/09/05(火) 15:39:42
>>502 なんか寂しいですよね
科学なんか未知の領域が99%以上の割合として証明できないもので未発達ばかりなのに。
大多数の人ははっきりとした事象のみを盲目的に受け入れ、グレー的なものは考えることさえも否定対象にする
なぜこうも科学の現実の段階を認識できないのか
>>519 そんな幼稚な意見を恥ずかしげもなく大きな声で話す哲学マニアが居るからだろ。
迷惑だから止めてくれよな。
502も幼稚だからちょうどいいんじゃないの
522 :
考える名無しさん :2006/09/06(水) 01:17:23
502は事実を言っただけじゃないの
ていうかただのコピペでしょ
ていうかオリジナルは事実でしょ
ネタと事実の混同はよくないよ
そんでまたオウム返しか
ネタとか言ってごまかすのが哲学の基本手法なのですか?
528 :
考える名無しさん :2006/09/06(水) 02:25:40
哲学はあるがな、インドでも、弁証法とかなったからな
学習度合いの進捗具合の数量化が難しいから。 よって、適任となる教師の養成が難しいから。
>>529 別に教師がやらなくてもいいだろ
近くの坊さんで十分だ。
小学校で実施されてる英語の授業みたk
531 :
考える名無しさん :2006/09/06(水) 23:44:01
哲学は学習させるものじゃない
532 :
考える名無しさん :2006/09/07(木) 01:34:50
お見合いや合コンだって いいきっかけになるんです
>>531 教育するもんだよ。 考える力を養う為にね。
534 :
考える名無しさん :2006/09/07(木) 02:09:46
もともと教育勅語に基づいて修身のような哲学教育が行なわれていたからな。 欧米では教会などが、子供の思想教育の場となっているが 日本ではお寺さんで子供に仏教説話を聞かせるような習慣もないし 結局のところ、子供達に哲学や人生観に関する教育をする場が学校教育から修身が取り除かれると無くなってしまったわけだ 日教組が進めている平和教育とやらは骨というのがまったくない平和主義教育だけに、ただのサヨク教育に過ぎないわけだし 実際、戦争は駄目、友好が正しいなど口にするが、国として人として何を守るべきか、誇りとは何か、そんなのまったく語っていない むしろそのようなものをあざ笑う風潮すら出来ている そのような状況を作り出したこと、国民一人ひとりに人生観や国家観をしっかり語れる場、考える場を教育の場で教えてこなかったことは確かに問題だ。
日本人もどこかでそれを無意識に必要としているから 細木の話を見たがるのかもしれないな
純粋な哲学は知識とは無縁。思考のトレーニングそのもの。 西洋哲学史・東洋哲学史的な知識を体系的に「暗記」する ことが哲学の目的であるわけではない。
>>534 修身:道徳教育と哲学とは別物。道徳教育は倫理学でもない。
538 :
考える名無しさん :2006/09/07(木) 03:34:18
>>537 哲学とは人生観ではないか
道徳も倫理もひっくるめた言葉だと考えていたがね
>534 中立的で良いだろ 基本的なことは義務教育の範囲で済むんだから、あとは個人で考えりゃ良いと思うよ 道徳やら倫理なんてのはほっといても日常生活である程度身に付くはずだし たまに変なのいるけど
思考のきっかけ、訓練が必用。 哲学でなくても良いけど、哲学がより適切。 哲学以外には、文学の読み込みや自分で文章作品を創作、数学・物理の難問を解くのも 良いけど、やっぱり哲学に一度は触れさせてあげたい。
541 :
考える名無しさん :2006/09/07(木) 10:59:33
義務教育期の哲学教育は教師が不足しそうだ。
542 :
考える名無しさん :2006/09/07(木) 11:19:02
思考が必要なのは事実だよ 大の大人、国家論や人生論を語らせたら矛盾だらけのことを言っているのをけっこう聞かされる もちろん国家論・人生論は、何もかんも整合性を取って語るのは難しいかも知れないが 例えば、国をどうあるべきかとの問いには、本人が国民に奉仕するべきものが国家だと言いながら 一方で自衛官などは国民の盾になるべきものだと、自衛官自身も国民であることを否定するようなことを言う 他にも例があるが、ともかくすぐに民主主義だの歴史だの大きなことを言い出す人間ほど、実のところ、その主張は矛盾だらけなんだよ 神の教えはこうだって感じで大きなものを持ち出すことで自分の思考を押さえ込んでいるからだと思うけど 何れにしても、人生論や国家論などを一本筋を立てて考える場を与える必要はある。 それには上から教えるだけではなく、哲学教育も良いのではないかと思ったりする
543 :
考える名無しさん :2006/09/07(木) 12:14:27
ウリナラには哲学はないニダ、別名。腐学とも表現している 哲学なんて腐った糞が行う愚劣の行為だと彼らは言い放つ。
544 :
考える名無しさん :2006/09/07(木) 15:15:10 BE:236093928-2BP(103)
545 :
考える名無しさん :2006/09/07(木) 16:16:53
日本には哲学者がいないから
546 :
考える名無しさん :2006/09/07(木) 17:01:21
光の末那識、希望の阿頼耶識
哲学が他の国に比べても軽視されているのは、もともと理性で考えるのが苦手な民族だから 我慢が美徳だとか、後付して解釈されているけど 日本人は元々頭を使うのが苦手なだけ 理性によって問題を解決するビジョンをもてないから、我慢するしかないだけなのに、それを美徳だとか言い出してるあたり、始末が悪い つまりは羊の群、どんなに数で勝っても、根本的原因の狼を倒そうとまでは頭が回らない 優しいとか大人しいとかもない、虐めは陰湿極まりないし、一旦火がつくと国民を上げて戦争万歳になる 日本人はバカなんだよ
548 :
考える名無しさん :2006/09/07(木) 17:36:40
しかし日本人が理性を発達させてこなかったのはそれ相応の理由があるわけで理性が自然な流れを制止して思向するのに対してその感性でもって物事を進めるのは日本人が自然の摂理に寄っていたからであってそのような感性を打ち消してまで理性を働かせることはないのではないか?
549 :
考える名無しさん :2006/09/07(木) 17:40:51
哲学って競争社会では不必要だからかも 組織のなかでうまく順応できる人間(会社人間、企業戦士など) を生み出すのが現代の教育じゃないの?
550 :
考える名無しさん :2006/09/07(木) 17:57:42
それは時間の経過で段々わかってくるよ。そのようなことはない
547どす ホントは日本人が羊のままでいいなら羊のままでよかったんだろう しかしながらアメリカに民主主義という飴を貰ってしまった 民主主義は一人一人が理性を求め、自らを言葉によって表現し主張しないと上手く機能しなくなってしまう 民主主義の味が忘れられない立場の私は、周りの態度が勿体無いように見えて仕方ないんです
>>551 文化の内には唯心論だったりアニミズムだったり経験主義的態度だったり
何らかの哲学的要素が含まれてるわけで
西洋哲学と比較して哲学的じゃないと言ってしまうと
自国の文化をまるごと否定することになりかねない
それと俗流合理主義に優位を置く姿勢にも疑問を感じる
ついでに言うと自分の勉強不足棚に上げて周囲の人間見下すようなことはやめたほうがいい
554 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/09/07(木) 22:18:55
>>551 <民主主義は一人一人が理性を求め、自らを言葉によって表現し主張しないと上手く機能しなくなってしまう>
↑
こういう個々人の「理性を前提とした民主主義」は、権力が最も怖れるもの。
愚民化策を前提とするから、名目的/形式的/祭儀的な「民主主義」が成り立っている。
555 :
考える名無しさん :2006/09/08(金) 13:42:58
歴史勉強しろよ
>>555 民主主義否定したいんならはっきり言いましょう
発言は自由だよ
また極端な受け取り方だな 民主主義の拠り所は合理的な個人ばかりではない 利益集団であるかもしれないし、信託を得た一部のエリートかもしれない 民主主義のあり方は多様であるということ
なんだか軽視したい人に骨抜きにされちゃったスレだな 1さんも、もういないんだろうな 民主主義の理念である平等を求める精神を骨抜きにしたい人って、結局いま美味しい汁すってんだろうな うらやまし
559 :
考える名無しさん :2006/09/15(金) 17:40:21
平等と哲学教育 どうつながんの? とりあえず平等って理念は社会主義のおかげで危険視されやすい傾向にあるね
この数十年間で日本の政治思想・評論業界は孤絶し、かなり立ち遅れてしまった。ドイツとフランスの 古色蒼然たる百年前、二百年前の政治思想の本を。訳も分からないまま読み続けてるのが現状だ。 全くヒドいものだの一語につきる。 日本の八十年代の言論を圧倒したフランスの構造主義の大家ミシェル・フーコのような、現代もの でも、かなり癖のある思想・哲学なのであって、本当はフーコや、ジル・ドゥールズらの思想は 「人文」である。文学あるいは文化研究なのだ。政治権力なるものを生まで扱う学問ではない。 現在のフランスやドイツの本当の最高の知識人たちとは「どうやったら、自分たちが、アメリカ の支配から脱却できる」を本気で考えている人々だ。日本知識人は文化研究しかできない人々だ。 副島隆彦「日本の秘密」 前ページに神学対近代学問(サイエンス)の壮大な対立図式を示した。これ以外に下等学問としての 「人文」というのがある。この人文というのはヒューマニティーズの日本語訳である。 ヒューマニティーズとは「人間、および記録された文学に関わること」という意味である。 だから人文は、簡単に言えば現在で言う文学(部)のことである。他には歴史学があり、その内容は 古文書や石碑の文の解説などを行うことだ。これらは、学問としては下等学問である。 副島隆彦「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ」
561 :
考える名無しさん :2006/09/19(火) 03:23:09
純粋な哲学は知識とは無縁。思考のトレーニングそのもの。 西洋哲学史・東洋哲学史的な知識を体系的に「暗記」する ことが哲学の目的であるわけではない。 然り。日本には哲学者はいない。
562 :
考える名無しさん :2006/09/19(火) 04:06:20
つまり義務教育受けてれば必要ないってことね
564 :
考える名無しさん :2006/09/20(水) 20:14:39
相対的=人それぞれ 重層的非決定=人それぞれ ニヒリズム=かっこつけ パラダイム=常識 イデオロギー=思いこみ テクスト=文章 エクリチュール=文章 コンテクスト=話の流れ コード=お約束 アイデンティティ=わがまま アフォーダンス=わかりやすさ アウラ=よくわかんないけどなんかすごい 現前性=ある 反グローバリズム=金持ちムカツク 身体性=ボクね、こう見えてもなかなか頭でっかちってわけじゃないんだなぁ。わかる?
565 :
考える名無しさん :2006/09/21(木) 08:39:58
> 日本には哲学者はいない。 あたりまえだろ 哲学研究者もいないことを強調すべきだな
「すべての哲学は、言葉の誤った使用に基づく誤解に過ぎない」 ヴィントゲンシュタイン
567 :
考える名無しさん :2006/09/28(木) 19:40:52
>>1 哲学にはまりすぎると、自殺する人が増えるからじゃねーのかなぁ
グダグダ同じ所を回ってばっかりで、煮詰まってるヤツ大杉だし
569 :
考える名無しさん :2006/10/25(水) 17:35:20
教育age
570 :
考える名無しさん :2006/10/25(水) 20:59:07
アホらしい論理に騙される人間が多すぎる 矛盾だらけの論理でも、テレビで有名なコメンテーターが言えばもっともらしく聞こえるものでね そうした扇動者の戯言に騙されないためには、国民に対してプロパガンダや洗脳から自己を守るメンタリティを持たせる必要があるのだよ その一つとして倫理学や哲学を教育することは必要だと思う
哲学というより、深く考えることを教える。 考えて結論を求める。 そんな教育、しつけが必要。 きっかけとして、機会作りとして哲学を使うのが良いとおもう。
572 :
日本@名無史さん :2006/10/29(日) 13:40:40
哲学=人格破壊。 子供の教育に必要なんて言ってる奴はキチガイ。
575 :
考える名無しさん :2006/10/29(日) 17:41:49
歴史の授業の中で、その時代の背景にどんな思想が根付いていたかという意味での哲学史を教える必要はあるかもしれない。
>>573 フランスの学生は全て人格が破壊されているのか?
教育者や親たちはみなキチガイか?
577 :
考える名無しさん :2006/11/19(日) 12:07:45
今や「哲学者」というものは「宗教家」と同じくらい胡散臭いものになったな まあ庶民の教育レベルが上がり、必要なものと不必要なものの区別が つけられるようになってきたのが原因だが。
578 :
考える名無しさん :2006/11/20(月) 17:07:14
哲学を教えられる人間なんて日本に10人もいないだろw 哲学文献学の専門家は腐るほどいるがwww
579 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/11/20(月) 17:19:44
哲学教育を重視すると、国民が「自立した市民」になってしまうことから、「自分でものごとを考えられない/自立しない国民」を前提とした日本国流似非民主主義が機能しなくなるのです。
580 :
考える名無しさん :2006/11/20(月) 17:27:56
>>578 哲学の「教える」は種を植え付ける動作だよね?
できないのかな;やってみたくもあるけど余裕は無いんだわ、これが
と厨房の俺が言っているんでビシバシ意見してくだしあ
>>578 哲学とは何かを教えれば良いだけ。 別にそんなに難しくは無い。
哲学とは何か・・・ 5分で説明終了だなwww
583 :
考える名無しさん :2006/11/27(月) 21:50:39
独仏英羅希はできないと、例えば哲学で知ったか以上の事を語るのは難しい。 よく文系理系の話で出てくる文系は文系というより単に勉強しない人。
584 :
考える名無しさん :2006/11/28(火) 00:06:57
哲学なんて狂気なんだから、無理して教える必要ないよ
585 :
考える名無しさん :2006/11/28(火) 02:07:08
哲学は、支配者にとって最も都合が悪い。 民が事物の本質を考えるようになり、思考が磨かれると、 政治上のごまかしやまやかしが通じなくなる。 大衆は常に搾取対象であり、言わば家畜。 家畜に智恵は必要はない。ただ生産してくれればよい。 支配する側からすれば、智恵をつけて欲しく無いという事。
586 :
考える名無しさん :2006/11/28(火) 02:25:31
おまえらみたいな役立たず増やしたくないからだよ
587 :
考える名無しさん :2006/11/28(火) 03:01:13
こうして、この国は家畜だらけになると。
人の意識の本質が結構表面的なとこにあって、「こうだ」とか自然と思いこまされてる、ぐらいは知っとくべき なにも知らない者は、なにも疑わないから
「独裁者が政権を握ったとき、最初に投獄されるのは詩人なんだよ。 詩は、真実だから」 (THE MAN UPSTAIRSから) 詩人・詩を、哲学者・哲学と置き換えても良いかと。
590 :
考える名無しさん :2007/01/10(水) 21:39:39
今や「哲学者」というものは「宗教家」と同じくらい胡散臭いものになったな まあ庶民の教育レベルが上がり、必要なものと不必要なものの区別が つけられるようになってきたのが原因だが。
591 :
考える名無しさん :2007/01/10(水) 21:51:53
それは違うんじゃね? 教養レベルが下がって、何も分かっていないのに 本人は分かっているつもりの香具師が増えたのが原因のような気がするがなあ。 この板なんか見ていると、ますますその感が強まる。w
592 :
考える名無しさん :2007/01/11(木) 00:45:55
まあ教養のある馬鹿もいるけどね
593 :
考える名無しさん :2007/01/11(木) 01:48:59
わざとそういうカリキュラムにしてるらしいよ。 民衆に考える力(=批判する力)を与えない教育プログラムにしてると聞いたよ。 なるべく考えない有権者であってほしいみたい。
594 :
考える名無しさん :2007/01/11(木) 06:43:34
595 :
考える名無しさん :2007/01/11(木) 20:50:48
おいおい、小泉だのアベだの文部科学省の役人だのに そんな知恵があると思うのかい? それに、戦後の日本ののサヨクなんか そんな凝ったことまでして防止するほどのもんじゃねえだろ。
596 :
考える名無しさん :2007/01/11(木) 21:35:17
>>591 残念だが正解・・・
少なくとも日本国民の近代的知性には明治以降、進歩がみられない。
欧州では、文明を直接的に支えている科学と、
その背後にある哲学は歴史上・方法論上の血縁関係であり、
不可分の連続性が文化の伝統として根付いている。
日本では、文明開化が技術主義であったように、
西洋文化を醸成した長年の思索を軽視して、
国力という成果物の模倣を一点に追及してきたから、
文化の空洞化も、別段不思議なことではないとはいえ。
だから日本の擬欧文明は、物質的な知識の蓄積は早いが、 観念的な知識の蓄積は遅いか、あるいは無い。 西欧文明においては科学とともに両輪の片方を担った哲学の教育は、 日本では周知の通り惨憺たるものになり、 批判力や創造力が養われる機会が失われ、 ある種の権威とその庇護物だけが強大化していく、 というサイクルの中で自己矛盾化していく。 無論西洋文明が全てではないし、本来は、哲学ではなくとも何かが 文明の表面に対する深層として、緊張関係を保って 新陳代謝を促進しなければならないが 日本にとってそれは何であって、何であるべきなんだろか・・・
598 :
考える名無しさん :2007/01/13(土) 09:26:37
日本の「哲学者」にとって「哲学」とは「西欧哲学の読解・翻訳・注釈」に過ぎないからね。 かくして「哲学書読みの哲学知らず」ばかりが量産される結果となる。
599 :
考える名無し(女) :2007/01/13(土) 10:00:49
そうだよ!どうして人間は考えられなくなったんだろう。 わかってくれる人なんていないもんね・・・
>>1 軽視というより、無視だろ。
確かに考えられなくなってる。どうしたらいいのかもうわからない。
自分の頭で必死に考えるよりも 権威者の説を丸暗記する方がアカポスへの近道だからね。
602 :
考える名無しさん :2007/01/13(土) 18:41:13
人が読むに値する新しい説を自分の頭で考え出してから言えよ。
ほら。こういう脊髄反射レスがつくだろ。
604 :
考える名無しさん :2007/03/07(水) 03:36:16
「日本哲学」を構築するスレを立てて
そういうのは病気なんだから医者に行って適切な治療を受けてください。 貴方の調子の悪い精神をどこまで掘り下げても、宗教的哲学的文学的真理なんて見えてきません。 貴方の心の中、貴方の実存のあり方に、世界の秘密なんて隠れてません。 それは全部貴方サイズの出来事、貴方の都合に収まる小さなこと、 世界の広さを前にすれば、吹けば飛ぶような砂粒に過ぎません。 どんなに深刻に哲学思想をこねくって観念遊びをしたところで、 それだけでは「嘔吐」のようにはおかしくならない。 あれは嘘なんです。 サルトルはメスカリンでトリップ体験をしたときに「自明性の喪失」を味わい、 それを何か哲学的な真理に通じるものだと勘違いしちゃったんでしょう。 宗教的神秘体験と似たようなもんですな。 砂漠で遭難して半死半生意識朦朧になって悪魔や天使と問答しちゃったイエスや、 合法ドラッグで宇宙の真理を悟っちゃった「NHKにようこそ」と同じです。 人は哲学や思想では狂わない。 一方でちょっと薬物を入れれば割と簡単に調子悪くなるもんです。 麻薬である必要さえない。 俺なんかカフェイン錠剤飲みすぎて一時的な不安神経症っぽくなったことあるよ。 いや、その時は確かにすごい怖かったんだけどね。 逆に言うと、人はそういう生化学的条件さえ整えば、 自動的に不安や恐怖に襲われたりパニックに陥ったりする、ということです。 どんな哲学も思想も、脳内化学物質をコントロールなんかしてくれない。抵抗力にはなりえません。 これは、宗教や思想が無力だと言っているのではなく、 脳が正常に働いてる時、正気のときにこそ力を発揮するものだ、と言ってるんです。 宗教の一部には、脳をそういう状態に慣らす修行はあるけれど それって思想というよりは筋トレ的な、まさしく物質主義の発想だよね。
606 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 11:24:11
外国の哲学者の書いた本を翻訳していれば哲学者と名乗れる時代はもう終わった
607 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 12:56:27
>>606 そんな時代はあったことがないですよ。
翻訳は哲学研究者の重要な仕事の一つですが、
翻訳しただけで哲学者と名乗るような人はいません。
哲学教育なんてバカなことするなよ。 フランスの真似なんかする必要ないだろ。 あんなものは知的エリートの支配を固定化するだけ。 ヨーロッパの若年失業率を見てみろ。 まぁそれを解消するためにEUの別のエリートが労働の流動化を進めているわけだが。 どっちにしろ善意に満ちた知的エリートどもがジタバタしてるだけ。
609 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 13:50:55
>>608 支離滅裂だな。
>あんなものは知的エリートの支配を固定化するだけ。
哲学教育のせいでそうなったとでもいいたいのか?
全く説明になってない。
人文主義的な教育の結果、 フランス人は非常に強い人間の尊厳や権利に対する意識を持つ。 それが労働者の既得権の過剰な保護につながり、失業率の高止まりを招いている。 もちろんサッチャリズム的な改革は支持されにくい。 一国福祉国家としてやっていくのなら、それはそれでいいわけだが、 一方で政治的理想主義からEUへのコミットもしないわけにはいかない。 周知の通りEUは域内の流動性を要請する。 言わば、フランスの知的エリートはその善意如何によらず自縄自縛の状態にある。
611 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 14:55:25
哲学=人文主義っていうのがそもそもおかしい。
>>611 フランスの場合はそうだろ。
人文主義的哲学じゃなくて、
クリティカルシンキングの技術を教えるとかなら、まぁ賛成してもいいが。
613 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 19:42:43
>>610 人文主義は啓蒙にとって普通に必要だろ。
それがエリート主義に直結するわけではない。
また、哲学軽視で愚民政策をとるなら、
物的資源の少ない日本の将来は、世界市場で
人材競争に破れ、衰退の一途を辿るだろう。
614 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 00:07:23
哲学って論理の教育にもつながると思うんだが。
よほど良心的にやればね
616 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 00:22:54
哲学重視の方が愚民を量産してしまうだろう
617 :
考える名無しさん :2007/03/20(火) 06:38:38
だわなあ
おフランスでは公務員が率先してストやデモをやる。 労働者の権利と人間の尊厳を守るために。 まさに哲学教育の成果であり共和国的伝統でもある。 彼らは当為としての権利を訴えることが弱者や低階層をも救う事だと信じている。 自分らが税金によって特権を享受している事は意識に上らないらしい。 理念優先の教育の弊害だね。
むろん現代日本と違って欧州のエリートにはノブレスオブリージュがある。 哲学教育導入を訴える人はこれに憧れているんだろうが、 当人がその厳しい自律と義務を負う事を覚悟しているようには見えない。 単に自分が欧州並みに知的エリートとして尊敬されたいだけのことじゃないのか。
620 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 12:11:26
フランス風の哲学教育じゃなくて、 論理的思考力やディベートの訓練ならやった方がいいと思う。
シルバーバーチの霊媒からのお願いアドバイスです。 心霊写真の取り扱いについてのことですが、某有名心霊写真鑑定家2女史の言う 処の先祖霊の祟り説・稲荷なぞの動物霊説は、誤りであることが大半です。 しかも3女史の言うとうりに放置及び処分は反って霊を刺激し霊現象が酷く起こりやすくなったり 精神的な病に繋がったりも十二分に考えられます。 心静かに考えてください、その写真の前に貴方が出遭った新仏様か無縁仏様が 必ず居たはずですよ。ご供養願います、その方の馴染んだ宗教によってですよ! 御酒・お花・御茶・和菓子などであればいいと想います、お供えください。 その後も不吉なことが起こるようであるならFを探して下さいね、心霊写真の主はお化け騒ぎ したい訳ではありません、あくまで霊界メッセージであるとお考え下さい。 以上 4月よりパート霊能者として営業いたします、悪戯電話・メールなどでも料金を 戴くことと致します、その前に一言、霊界情報サービスの書き込みさせて頂きました。 これは、霊能者のお方の秘密儲けの方法なのよwwww有名人でもFの霊耳より 情報薄いのが今の霊感商業のようです。Y。SX2思い知れ!!!
622 :
考える名無しさん :2007/03/22(木) 13:44:42
国家総ウィトゲンシュタイン
独仏英羅希はできないと、例えば哲学で知ったか以上の事を語るのは難しい。 よく文系理系の話で出てくる文系は文系というより単に勉強しない人。
624 :
考える名無しさん :2007/04/28(土) 02:20:30
スレ落ち 阻止 大成功^^
625 :
考える名無しさん :2007/04/28(土) 03:08:43
小学3年くらいでイデアについての作文書くくらいの教育が良い。
西洋、東洋の他、北洋、南洋がある。 北洋はアングロアメリカ、ヨーロッパ、アジアであり 南洋はアフリカ、オセアニア、東南アジア、ラテンアメリカである。 この内、東亜・南米・東南亜は中洋と呼べるかも知れない。
628 :
考える名無しさん :2007/05/31(木) 08:54:22 0
哲学や宗教心が弱いから左翼思想に傾倒するんじゃね
簡単にいえば、アメリカの仕業。
630 :
考える名無しさん :2007/05/31(木) 10:51:08 0
固体の発生は系統の発生を反復するといわれている。 一人の人生も人類の歴史を反復するのではないだろうか。 そういう限りでは、全ての科学、学問が哲学から系統発達したこと を考えれば、まずなににもまして哲学を中心的に教えるべきだど思います。 哲学こそ全ての学問の基本。選択科目ではなく必修にする。そうすれば すこしはましな人間が教育されるのではないか。 道徳も道徳哲学として捉える。道徳といえば戦前の<国家道徳>しか 思い浮かばない貧困から脱することができるだろう。右と左の偏狭な道徳観 から普遍的な真・善・美を救わなくてはなりません。 一流大学を卒業してもニーチェとヘーゲルの違いも分からないお馬鹿さん はゴロゴロいる。道具としての知ではなくよく生きることとしれの知を中心に すること。
631 :
考える名無しさん :2007/05/31(木) 11:57:09 0
日本の教育はテストの答えを覚えるシステムになってるのがヤバイ 哲学を教育に組み込んで自由に考える力を取り込むべき
632 :
考える名無しさん :2007/05/31(木) 12:42:24 0
答を覚えるというよりは、一定の考え方、答え方を覚えるという方じゃね? 暗記でいい点が取れるテストって、実際にはあまりないように思うんだが。
633 :
考える名無しさん :2007/05/31(木) 13:54:08 0
クレームが増えるからじゃよ。
634 :
考える名無しさん :2007/05/31(木) 16:29:59 0
阿部内閣の倫理教育充実で大学での哲学の教員、需要増 ってないよねw
635 :
考える名無しさん :2007/07/20(金) 18:07:19 0
神学がないから仕方ない
636 :
考える名無しさん :2007/07/20(金) 18:17:42 0
>>1 大賛成。でも、日本国は哲学者を増やしたくないんじゃないか?
637 :
考える名無しさん :2007/07/20(金) 18:57:24 0
哲学者はキチガイばかりだからなー
「816」崎谷博征(さきたに・ひろゆき) SNSI研究員 の 新刊 『グズな大脳思考 デキる内臓思考』
を紹介します。浅薄な「合理主義的思考」に代わる新しい思考法は、現実の生活にも大いに役立つ思考法です。
2006.12.24 副島隆彦が文末に加筆しました。2006・12・26
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#2401 始めの問題に戻るが、「人間は、生まれつき(生来)、その能力や性質が、決まっている」と考える立場である
ネイティビズムは、生来決定論と言ってもよい。
ルネ・デカルトが、この学派の創始者の一人とされる。もっとさかのぼると、アリストテレスが、この学派である。
だから、近代法思想の中の自然法派( natural law ナチュラル・ラー、 自然界の法則と同じように、人間界にも
自然の掟があるとする派)もここにつながる。中世のノミナリスト(個物派)もこの流れだ。
だから、ヘーゲルも、ニーチェも、ハイデガーなどの個物派系の思想家たちも、実はネイティビズムだ。
個人の能力は、それぞれ、生まれながらに決定されている、だから、後天的に変えることはできない、とする。
このネイティビズムの立場では、生まれた後の、環境や教育によっても、その人はほとんど変らない、とする。
それに対して、ビヘイビアリズム「行動科学主義」の立場では、「人間は、生まれた時は、真っ白な紙
( tabla rasa ,タブラ・ラサ)である。それが、環境と教育の力でどんどん書き込まれて、改善されて行く。
人はより優れた人物になることができる」という思想である。
これは、ジョン・ロックの思想(ロッキアン)の系譜とされる。さかのぼれば、プラトンのイデアリズム
(理想主義)にまでゆきつく。このビヘイビアリズムが、現在のリベラル派の思想の土台であることが分る。
それに対して、ネイティビズムが、保守派の思想である。
今の私は、当然、ネイティビストである。ただし2割ぐらいは、環境と教育の力で人格改善できる、しかし
8割は無理だ、とする中間の立場だ。
639 :
考える名無しさん :2007/09/02(日) 01:39:00 0
エリート層だけに哲学教育を施すならば、 簡単なのは、大学入試にこれまでよりも高度な論文を課せばよい。 そこでは哲学の教養がないと点が取れない仕組みを作る。 そうすれば受験産業や進学校などの体制が動く。 対象は主要国公立大と大きな私大だけでいいじゃん。
>>601 それが通用するのは、似非学問の世界ならでは。
641 :
考える名無しさん :2007/09/20(木) 18:23:51 0
ふむふむ。 で、それがどう問題なの?
642 :
考える名無しさん :2007/09/20(木) 18:43:57 0
>>639 エデュケーション・デバイド反対!
国家は全階級にリベラル・アーツを学ぶ権利を与えろ!
643 :
考える名無しさん :2007/09/26(水) 07:57:28 0
論理的思考そのものを必要としていないからな、日本の学校教育は。 テストだって、暗記である程度の点は取れてしまう。 まぁ、だからこそ日本の入試は平等だと言えるのだし、 欧米のように合格の基準をあいまいにしてしまえば、 それは事実上の裏口入学の容認ということになってしまうし、 決して一概に批判できるものでは何のかもしれないが、 しかしこんな教育をやっていれば学力低下もあたりまえだな。 暗記である以上、学習時間が長ければ知識は増える。 だがしかし、娯楽も増えたし、学習時間が減るのは仕方が無い。 また、得た知識は断片的なものでしかなく、実生活では役立たない。 言葉だけは知っていてやたら偉そうにしているが、結局は他人に付いていく ことしかできない、そういう連中を量産して何の役に立つのか。 やはり、ある程度は論理的思考を要求するべきだとは思う。
644 :
考える名無しさん :2007/09/27(木) 11:55:42 0
思索する人間像は困るからさ。 文部省は一貫して期待される人間像だから
理屈臭くて馬鹿な奴が一番うっとうしい。 馬鹿が哲学をやっても、馬鹿が強化されるだけで賢くはならないからなあ。
646 :
考える名無しさん :2007/10/03(水) 21:36:11 0
日本の大学の理科系(理学部、工学部)の教育の1年生の教育では、この「実験の大切さ」を叩き込まれると私は 聞いています。これは優れた教育法だ。実験の授業では、学生が、自分でやった実験の結果や、目視した物、 それから、実験の結果(成果)として得た数値などを、絶対に、ごまかしたり、改ざんしたりしてはならない。 と教える、という。 当たり前のことのように思われるが、この実験と観察の、初歩の訓練はきわめて大切である。 自分の実験の結果が、当初の予定から、どんなに外れていても、失敗に終わってもそれでも出現したおかしな 結果や数値を、そのまま、正直に書いて、教授に提出しなければならない。これが理科系の教育の良さである。 実験と観察の方法学(メソドロジー)が生きている。これが日本の優れた技術者を大量に育てた原因だろう。 それに対して、日本の文科系(社会学問系)は、悲惨である。 自分で何か仮説を立てて、それを実験的に考えて、現実の事柄に適用してみて、自分の頭で苦労して考えて、 そこから何かを導き出す、という訓練など、全く誰も、誰からも、全く、教えられていない。 頭の悪い日本の大学教授たちが書いた、どうしようもない硬直した教科書や、自分の思いつきを書きなぐっただけの本を、 ただ読まされる。あるいは寝言のような自分勝手な考えを、講義と称してひたすら聞かされるだけだ。 文科系の学問は、学問対象が、社会や国家や、人間集団だから、簡単には実験の対象にできない。このことを 言い訳にして、それで、欧米で作られた理論をただそのまま「換骨奪胎して」(つまり日本語という言語に 置き換えて、泥棒して)「和魂洋才」で垂れ流しているのがほとんどだ。 副島隆彦「人類の月面着陸はなかったろう論」P216~217
647 :
考える名無しさん :2007/10/03(水) 22:14:43 O
>それに対して、日本の文科系(社会学問系)は、悲惨である。 >自分で何か仮説を立てて、それを実験的に考えて、現実の事柄に適用してみて、自分の頭で苦労して考えて、 >そこから何かを導き出す、という訓練など、全く誰も、誰からも、全く、教えられていない。 三流大学はそうなのかな?
648 :
考える名無しさん :2007/10/11(木) 19:17:28 0
日本の偉い人って法律と経済さえ知っていればいいというスタンスだからね。
649 :
考える名無しさん :2007/10/12(金) 02:00:14 0
小学生から哲学教育だって!!?? 若者をポンコツにでもしようってのか? 哲学なんて大学で、変なヤツがやればいいんだよ。
650 :
考える名無しさん :2007/10/12(金) 02:34:30 0
まあ アメリカだと哲学専攻の人間って企業就職の際にすごい優遇されるんだよな。。 クリティカルシンキングを叩き込まれるからなのかな。
268 :考える名無しさん:2007/10/11(木) 07:12:33 O
>>238 すごく基本的な質問なんだけど
なんでソーカル事件を話題に出す人は
ソーカルの専門分野について説明できなきゃいけないんですか?
269 :考える名無しさん:2007/10/11(木) 07:15:15 O
と思ったら
>>257 >自分がコンプレックスを持っている対象を叩いているので、
>わけもわからず飛びついちゃったんだろ、この軽薄野郎。
あーなるほど、そういうことにしたかったんですねw
そして関係ないソーカルの人格や本業批判につなげていく、と
王道パターンですな
652 :
考える名無しさん :2007/10/12(金) 06:17:05 0
哲厨,絶対真理厨,相対主義厨,横綱の品格厨,アインシュタインマチガットル厨,思想厨,ポモ厨,ソカ厨,セコ厨,添え厨 これらはほとんど同類である。 地道に進展しているまともな学問に対するル・サンチマン(=知的ルサンチマン)で通底している。 自己主張をすればするほど滲み出るル・サンチマンが、実に豊穣な味わいを生み出している。
653 :
考える名無しさん :2007/10/12(金) 23:08:09 O
日本が西洋から輸入した学問は富国強兵のためだったから、哲学のような学問はいまだに扱いが低いんじゃないかな
654 :
考える名無しさん :2007/10/28(日) 04:30:25 0
芸大に入ると、ピアノだのヴァイオリンだの、油絵だの日本画だのを学ぶよね? 才能と努力が必要な立派な技能だが…あれを「学問」とはいいにくいだろう。 ま、そういう事だ。
655 :
考える名無しさん :2007/10/28(日) 23:29:51 0
万世一系のY染色体とDNAが継承されている という神話を疑うのが哲学 ところが日本ではこれを煙たがる人が多い。
天皇陛下万歳!
657 :
考える名無しさん :2007/10/31(水) 06:49:20 0
毛沢東同志 万歳!
658 :
考える名無しさん :2007/11/01(木) 03:12:01 0
万世一系のY染色体とDNAが継承されている という神話を疑うのが哲学 ところが日本ではこれを煙たがる人が多い。 という言説を疑うのが哲学 ところが日本ではこれを煙たがる人が多い。
表層、仮象等を取り除くといろいろな構造/事実が見えてくる。 それは統制する体制側にとって好ましくない。 だから、哲学等のやばい思考形式を涵養する学は、アカポスを与えたらおとなしくなるレベルの人物の占有物にしておく。
660 :
考える名無しさん :2007/11/01(木) 20:03:18 0
西洋哲学の大本には神学があるからな。理解できないんだよ。
661 :
考える名無しさん :2007/11/06(火) 21:33:25 0
儲からないからじゃね
奴隷がいなくなるから
663 :
考える名無しさん :2007/11/07(水) 04:56:25 O
哲学は教育には有害てのが古代ギリシアからのデフォルト 僕らの尊敬するあの人だって哲学教育の罪で 死刑にされたじゃないか 実際、哲学なんて一部の人だけでやればいいと思うな いつの時代でもアングラなコミュニティーであるに違いないよ
664 :
考える名無しさん :2007/11/09(金) 00:49:35 0
みんな忘れてるか、もとより知らないだろうけど、 貴乃花は大関時代、 舞の海から受けた力水を土俵に吐き出すわ、 その舞の海に負けて全く礼をせずに土俵を降りるわ、 濱の嶋に負けて降りた直後に土俵を蹴っ飛ばすわ、 尻の穴をほじくった手でツッパリして相手をひるませるわ、 負けたのに次の力士に力水を付けようとするわ、 大関どころか力士としてしてはいけない所作を 次々とやらかしていた。 土俵態度は何一つ褒められない失格力士だったんだよ
美しい日本の私! ちなみに美しいは私に係ってます。 日本語は難しいので注意してください。
666 :
考える名無しさん :2007/11/16(金) 08:29:13 O
哲学教育は今の日本に必要か? yes! イエス!キリスト! 神よ!
667 :
考える名無しさん :2007/11/16(金) 08:36:50 0
>>1 国民に賢くなられると困る人が、国の上のほうにたくさんいるからに
決まってんじゃん。政治屋とか寄生虫官僚とかね。
668 :
考える名無しさん :2007/11/16(金) 08:42:59 0
ddddd
669 :
考える名無しさん :2007/11/16(金) 08:46:45 0
国民には、ただ政府の言うことを信じ、それに従っていればいいと 思わせるのが正しく、真実を知らせるなど愚の骨頂であるというのが、 日本の古来からの統治の原則だったから・・・・・・。 最近は、「知る権利」だ何だと言うけど、まあ口先だけだろうな。 まあ、もし総理大臣が日本の政治に対するアメリカ政府の影響力について 細部に至るまですべて国民に公開するなんて言い出したら、 何かスキャンダルが発覚して辞任に追い込まれるか、 さもなければ病気で休止したりするんじゃね?
>>669 「知る権利」を代表するはずのマスコミが、この体たらくだからねぇ…
新聞社もテレビ局もおしなべてぜーんぶ政府・官僚の御用聞き。
671 :
考える名無しさん :2007/11/26(月) 15:51:39 0
>>669 知ったところでその情報をどう理解し行動したらいいか分からないから、
日本人に知る権利なんか与えちゃいけない。
673 :
考える名無しさん :2007/12/04(火) 01:07:37 0
674 :
考える名無しさん :2007/12/04(火) 15:45:05 0
675 :
考える名無しさん :2007/12/08(土) 17:28:26 0
哲学教育なんか、ふざけんな。そんな事したらもういい加減な事も、 騙す事も出来なくなるだろ。と言う奴等がいるんじゃね
学校の教員からバカ私大卒を排除しないと無理。 教師は全員院卒にすべきだろう。 ゆとり教育批判よりも、バカが教師になって学校で教えている 方が大問題なんだ。けど、それを指摘する人は少ない。 ただゆとりが悪いと馬鹿の一つ覚えでユトリ教育批判を繰り返すのみ。
哲学やると人生に疲れて自殺者が増えるから
678 :
考える名無しさん :2007/12/27(木) 05:47:00 0
IQ 分野 (学んでる分野と平均IQの関係)
130.0 物理学
129.0 数学
128.5 コンピュータ科学
128.0 経済学
127.5 化学工学
127.0 物質科学
126.0 電気工学
125.5 機械工学
125.0 哲学
124.0 化学
123.0 地学
122.0 生産工学
122.0 土木工学
121.5 生物学
120.1 英語文学
120.0 宗教学/神学
119.8 政治学
119.7 歴史学
118.0 美術史
117.7 人間学/考古学
116.5 建築学
116.0 商学
115.0 社会学
114.0 心理学
114.0 医学
112.0 対人コミュニケーション
109.0 教育学
106.0 行政学
http://motls.blogspot.com/2006/03/iq-in-different-fields.html
679 :
考える名無しさん :2008/02/19(火) 00:49:40 0
age
680 :
考える名無しさん :2008/03/29(土) 13:08:09 O
681 :
考える名無しさん :2008/04/01(火) 15:18:15 0
>>645 に一票。
哲学の早期教育もいいが、危険性も忘れちゃならない。
682 :
考える名無しさん :2008/05/01(木) 10:49:25 0
>>681 理屈は理屈で対応すべし。馬鹿はすっこんでな
哲学勉強して何の役に立つの?
685 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 23:15:35 0
さあ。 プラトンは死ぬ練習だと言ったが、 大法螺くさいな。
686 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 00:08:04 0
以前、精神科医の春日武彦先生から統合失調症の前駆症状は「こだわり・プライド・被害者意識」と教えていただいたことがある。
「オレ的に、これだけはっていうコダワリがあるわけよ」というようなことを口走り、
「なめんじゃねーぞ、コノヤロ」とすぐに青筋を立て、「こんな日本に誰がした」というような他責的な文型で
しかものごとを論じられない人は、ご本人はそれを「個性」だと思っているのであろうが、実は「よくある病気」なのである。
統合失調症の特徴はその「定型性」にある。
「妄想」という漢語の印象から、私たちはそれを「想念が支離滅裂に乱れる」状態だと思いがちであるが、
実はそうではなくて、「妄想」が病的であるのは、「あまりに型にはまっている」からである。
健全な想念は適度に揺らいで、あちこちにふらふらするが、病的な想念は一点に固着して動かない。
その可動域の狭さが妄想の特徴なのである。
病とはある状態に「居着く」ことである。
「こだわる」というのは文字通り「居着く」ことである。
「プライドを持つ」というのも、「理想我」に居着くことである。
「被害者意識を持つ」というのは、「弱者である私」に居着くことである。
「強大な何か」によって私は自由を失い、可能性の開花を阻まれ、「自分らしくあること」を許されていない、
という文型で自分の現状を一度説明してしまった人間は、その説明に「居着く」ことになる。
----
ttp://blog.tatsuru.com/2008/05/13_1156.php
>>1 の言うような哲学の早期教育が必要だとはあまり思わない
(たぶん間違いなく意図したところと正反対の結果が生じる)が
ここ十年くらいの脳神経原理主義の横行を見ていると
少しは何かあってもいいんじゃないかという気はする
…とは理科系の話。
研究室訪問とか「脳をほじくりゃなんとかなる」式に思いこんでやってくる奴大杉
理科系の仕事に哲学は要らんと言えば要らんのだが、こうひどいとうんざりする
「お前みたいな奴らが昔『第五世代コンピュータ』とか言って世界に赤っ恥曝したんだぜ
ごちゃごちゃ言ってると中国語の部屋に放り込むぞ」
なんて言ってみたくなるね。言わないけど
まあ現実にはほとんど不可能というか、端的に手遅れだと思う。
だって大学院の教師ですら(中略)
それでも絶望はしたくないというなら、まずは哲学教育が必要だと思う人自身が
自分で哲学を学んだり考えたりするのがいいんじゃなかろうか。
「読書の習慣」とか「2桁の九九」とかと同じで、
コドモに説教する割に自分ではやりもしねえ奴ばっかりだからな
689 :
考える名無しさん :2008/05/29(木) 22:47:49 0
やっぱりね、僕はね、日本の大学生に「哲学」を必修科目と するべきだと思うんですよ。人文系、社会科学系、理系を問わずね。 教え方、教える内容は様々でいいと思うけど、とにかく事柄の「根」から 考えるということを一度経験させる。あわよくばその習慣をつけさせる。 これは、その後どんな分野を勉強するにしても、絶対に「有用」です。 就職しても「効用」があります。金儲けに「悪用」する奴がいてもいい。 とにかく、「哲学」をやってない学生は卒業させない。こうするべき。 フランスのリセで「哲学」を学ばない生徒はいない。それと同じように、 少なくとも上位大学では必須とすればいい。
690 :
阿修羅∞落とし :2008/05/29(木) 22:59:10 0
国民全般的に精神性が低いうちは無理に決まっているだろう。 まず歴史を知った上で、身の程を知るべきだ。 哲学以前に歴史を強化しと毛。
んで、哲学を勉強して何のためになるのか、このスレに説明できるやついんの?
692 :
阿修羅∞落とし :2008/05/29(木) 23:12:38 0
哲学を勉強する意味も把握できずに哲学やってるヴァカは 彼女でも作って遊んでる方が幸せだよ。 もっと人間の脆弱性を知って社会のために補え。 すぐに頭カッカするやつは哲学やるな、時間の無駄だ。
693 :
考える名無しさん :2008/05/29(木) 23:15:46 0
何のためになるかって? 当然人生をよりよいものにするためさ。
694 :
考える名無しさん :2008/05/29(木) 23:25:12 0
俺は哲学を、為にするものだとは思ってはいない。
695 :
王陽明 :2008/05/29(木) 23:27:27 0
>>691 哲学を勉強して何のためになるのか?
哲学について知ることができます。
法律を勉強して何のためになるのか?
法律について知ることができます。
696 :
考える名無しさん :2008/05/30(金) 00:47:26 O
哲学とはなんぞや!!
愛
698 :
考える名無しさん :2008/05/30(金) 01:34:10 0
>>689 フランスの公立高校じゃ哲学は必修になってるし、
10年位前には履修時間の削減に伴って学生の反対運動とかも
結構大規模に起きてたと思う。
ミシェル・オンフレ(だったと思うけど)の本なんかを見ても、
すごい身近なとこから題材持ってきたりしてて、
わかりやすいんだよね、あっちの教科書って。
>>1 教育全般に言えることだろけど、内容ってより、
むしろ教え方とか制度の問題だと思う。
今みたいに、教師が生徒と関わる時間がほとんどない
状態だと、何やっても無駄だと思う。
699 :
考える名無しさん :2008/05/30(金) 01:42:21 0
>>678 俺物理学科だけど哲学書とか難しくてわけわからんぞ
700 :
考える名無しさん :2008/05/30(金) 01:52:55 0
>>678 それおかしくないか?
何で医学が生物学の下なんだ?
>>699 単に読み方知らないだけだろ。
>>700 偏差値=IQとか思ってんの?w
医学なんて所詮ほかの分野の知識引っ張ってきて経験則にあててるだけだろ
702 :
考える名無しさん :2008/05/30(金) 02:08:18 0
なるほどね
703 :
考える名無しさん :2008/05/30(金) 02:08:55 0
哲学は意外と低いな。 トップかと思ったが。
>>696 自然的世界を台とする森羅万象に「我在り」という形而上学的命題を適用すること
もしくはその結果から生成する超越的代数の全体またはコンパクトな部分について
体系的に論じること、あるいはまたその帰結を哲学という
705 :
考える名無しさん :2008/05/30(金) 15:26:14 0
哲学は教えることができる学問ではないよ。 哲学はあらゆることを対象とし、根本からそれを問うていく。 その行為が哲学するということで、だれもが同じ立場にある一研究者なんだ。 だから、これを教えることはきっとできない。 その事は大学の哲学科の教育を見てもわかる。 そこでは一定の評価という合意を得た研究者の哲学を追うことが 教えられている。つまりは学史、研究史がね。 あくまで先人の研究を教えているにすぎない。 本来の哲学はその先にある。 ただこのことを通じて、研究を学ぶんだよ。自分で考えて自分なりに解答を出す。 いや、そもそも問題自体を発見・考案する。 そこに確かな論理があるなら、合意が形成され、一定の評価が与えられ、模範として 研究における資料として保存される。 だから、哲学を教えるとするなら それは哲学史を教えることにほかならない。 だが制限ある学校教育では科目としての優先順位は低い、と見る。
哲学なんて、そんな小難しいもんじゃないよ。 イギリスなんて、5歳からInfant School(幼児学校)で 哲学的思考法の基礎を教えてるよ。
昔は倫理が必修科目だったのに現代社会という科目に替わってしまったらしいですよ 倫理の先生が嘆いてました、中高生が一番倫理をやるべき時期なのにみたいな事を、 青少年には犯罪の抑止、死を受け入れさせより良い人生を送らせるとか大事らしいですね、もったいない
708 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 00:46:16 0
何?今「倫理」ないの?知らんかった..
709 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 01:10:06 O
現在、倫理は社会の選択科目
俺は共通一次世代だから、日本史、世界史、倫理、政経から、 2科目選択だった。日本史と倫理取ったけど..
高校の「倫理社会」は学生が実存主義やマルクス主義にカブレちゃ困るってんで 基本的に骨抜きにされてた 俺の通った高校なんか露骨だったよ。ちょうどマルクスの手前のページまで来たところで 「倫理社会は今回をもって授業を終了させていただきます。長い間本当にありが(ry」 だって。 とっくの昔に学生運動の時代じゃなかったんだが、 校長が、始業式とかでは生徒にケツ向けて日の丸に最敬礼するような右翼だったからな
712 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 17:22:11 0
>>711 わろたw
ま最近も国民愚民化政策やってるみたいだね。
713 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 17:54:42 0
___ プキ? ,r' `ヽ、 ,i"-=・=-∵-=・= ぬのりぬぬのりるいじゃぬのりるぬのり / ;;;;;; ・・ ;;;; ) ぬぬのりるいじゃぬのりるいじゃなーなー ∧ ヽ. ヽニニソ l のりるいじゃなーるいじゃなーいじゃなーなー /∵\ヽ / のりるいじゃなーるいじゃなーホアどぶちゃ _,./‐' 、_ ヽ、_ ' ヽ、 ドエズットコち^゚)^゚)゚。プ。フぢっぷぷらだお! ,r'´ `''‐ ニ= '´,..-‐' ``ー、 / ', ', ヽ l l l ', | 、 l l l ./ ヽ、 人 ノ l i | `ー ---‐''''´l `ー─‐i' l ', l ! / l
714 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 18:11:25 0
いまどき実存主義やマルクス主義って、「カブレちゃ困る」対象にならんだろ。w
715 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 18:15:44 0
むしろかぶれなきゃだめだろ?
716 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 18:17:31 0
外国では哲学をバッチリ教えてるんだろ!? 宗教がないから日本では道徳が教えられないとか言うやつがいるが 宗教がないからこそ哲学の出番じゃないか
717 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 18:20:39 0
だよね
718 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 18:28:07 0
「外国」という一つの国があるわけでないことは分かってるか?w
719 :
考える名無しさん :2008/06/01(日) 01:15:28 0
哲学を教えることのほうが愚民化政策であるかもしれないという可能性も
720 :
考える名無しさん :2008/06/01(日) 02:28:55 0
なわけないwww
721 :
考える名無しさん :2008/06/01(日) 10:36:22 0
>>677 今の日本は、主に30代を中心に
毎年着々と自殺者が増え続けてますが
722 :
考える名無しさん :2008/06/01(日) 10:41:01 0
すべてを疑うことから始まるから、為政者(日本の)にとっては怖い罠w 欧州人は民主主義とは如何なるものかということを理解してるから、 当然「疑う事」は推奨される。
723 :
考える名無しさん :2008/06/01(日) 10:50:16 0
疑うだけで一仕事した気になって 自覚せずに一億総白痴化っていう恐れも
724 :
考える名無しさん :2008/06/01(日) 11:00:01 0
哲学をやってる奴は、いつまでも結論を出せずに考え続けるし、 何かを信じても同時に疑い続けているから、 自爆テロみたいなことは多分できない。 過激派予備軍の無害化の手段としての哲学は悪くないアイデア。
>>724 それは重要な事。おれが以前から言ってた事。
諸々の国家はそれぞれ哲学立国を目指す。
あらゆる宗教の放棄。
あと、なるほど、で、考えうると、いちおう言える訳ですね。 納得致しましたでごじゃりまする。
727 :
考える名無しさん :2008/06/04(水) 10:06:41 0
学校では金にならんことは教えんよ
保守
729 :
考える名無しさん :2008/08/07(木) 18:21:33 0
文教地区に仮出所更生施設 “寝耳に水”の住民反発 法務省が8月からの運用開始を予定している「自立更生促進センター」(福島市狐塚)が周辺住民らに波紋を広げている。 住民は施設の運用中止などを求めて署名集めを始めた。法務省も今になって付近住民や学校関係者らへの説明に追われ ている。運用開始を間近に控えたこの時期に、なぜこんな混乱が生じたのか−。(小野田雄一、写真も) 「仮出所者の保護施設がこんな街中にできるなんて知らなかった」。2日に記者会見した周辺住民らでつくる「市街地周辺 地域の安心を守る住民の会」のメンバーは、そう訴えた。 同会が危機感を抱くのは、次のような点を指摘できるからだ。一つは、この施設が、薬物依存や性的嗜好(しこう)、暴力 性向のある仮出所者を中心に受け入れる施設であること。そして、生活のめどがつけば退所するため、多くの仮出所者が 市内に居住する可能性もある。小中高校が密集し多くの子供たちが行き来する文教地区にあり、仮出所者が午後10時の 門限まで施設から外出できる点も、重要な問題点と指摘する。 以下略〜
730 :
考える名無しさん :2008/08/11(月) 14:07:12 0
>>719 実はそうなんだよ
必要最低限の知識すらもたずに
思索に耽った気分に浸れるのは哲学ぐらいのものだからね
オウムに引っ掛かったのは理系が多く、哲学科はほとんどいなかったはず。
>>731 理系はオカルト的な文脈に関してナイーブな人が多いから…
ツンデレしているうちに引きずり込まれたパタンが結構あると思う
あと哲学屋は「ハルマゲドン(笑)」の役には立たないから、誘われることもなかったんだろう
まあ、理系は政治の従者だからなあ。 オウムにせよ、イデオロギー的な動きに弱いんだよな。 民主主義本来の原則からいえば、為政者にとって「役に」立たない (批判的な)哲学が教育の根幹であるべきなんだけれどもね。
734 :
考えない名無し :2008/08/13(水) 03:43:24 0
哲学と一口に言っても、学校で教える基本は「哲学史」なんだね。 ただし、アメリカなどでは論理学を哲学として教えるコースもある。 しかし、これさえも多少は論理学「史」の視点で教えないと、 論理あるいは論理学の多様性が理解できなくなる。 この哲学史を一通りやってから、哲学史の一分野を狭くやる専門家や 現代哲学の文脈の中で新天地を開く専門家も出る。 もちろん論理学を進めて数学基礎論とかに入る専門家もいる。 で、じゃ、専門家になるつもりのない一般人は(実は俺もそう) 何のために哲学を習うのか学ぶのか? (できる限り、なるべく、少しでも)バランス感覚を整えて 状況に左右されず自分で判断する能力を身につけることだと思う。 言葉は違うがソクラテスのときからそれは同じだと思う。 「汝自身を知れ」は、謙虚さも含めてだけど、自分のことを よく知っているほど、メディアや詭弁に誤魔化されないようになるし オカルトや変な宗教に捕まることもなくなる。 いやー、どうして日本では哲学教えなくなったんでしょうね。 オリンピック観ていてもあまり日本選手は感動していないわ。 哲学教えたほうが理性的になるだけでなく情熱的になるのにな。 俺? まだ日本でも哲学が人気あった頃に大学行ってたじじいだよ。 ああ、もう息が切れた。しんど。
735 :
考える名無しさん :2008/08/13(水) 07:19:38 0
736 :
考える名無しさん :2008/08/13(水) 07:47:49 0
>>732 阿呆w
オカルト的な文脈にナイーブな馬鹿を集めといて、
そのなかで正真正銘の使い物にならないオオバカを排除したら
たまたま理系が残っただけの話だろうがw
737 :
考える名無しさん :2008/08/13(水) 10:26:08 0
哲学的思考をすると武士が戦略を思考してるムードがあって世の経営者が警戒するんじゃないの。
738 :
考える名無しさん :2008/08/13(水) 10:41:24 0
>>736 実際にオウムに転んだのはごくごく少数の馬鹿にすぎない、という意味では
そういう風に言っても構わないんだが、俺自身が理系だからな
この手のことに限って、他人事みたいな顔して侮ってる馬鹿の方が危ないんだよ
740 :
考える名無しさん :2008/08/13(水) 11:30:25 0
理系の大半は、よく言えば謙虚なんだね。 が、裏を返せば「力」に弱いということだ。 権力やカネにひれ伏すのは、彼らの性向である。
741 :
考えない名無し :2008/08/13(水) 11:58:48 0
こらこら、理系だとか文系だとかレッテル貼りしなくなるのが 哲学を学んでのメリットじゃ。 第一、そんなことを言われたら、理系と文系行ったおじさんは何なんじゃ。 ……… ん、お呼びじゃない? 失礼!
742 :
考える名無しさん :2008/08/13(水) 12:02:37 0
>>739 でも実際他人事でしかないんだけど。
どこをどうさがせば接点が見出せるのかわからんなあ。
743 :
考える名無しさん :2008/08/13(水) 12:06:55 0
権力やカネにひれ伏すのは、それらを持たない一介の弱者の性向である。 それはどうしようもない。 俺はひれ伏さないと嘯く者もいるかもしれんが、 そいつはよほどのバカだろう。 色々な意味で。 権力と金と言ったら、 常識的な一般人が生活環境を守るためにひれ伏さざるを得ないようなレベルの権力や金のことをさすのだから。
実際、哲学やって役に立つことの一つは 新興宗教の類いには絶対騙されないようになる ってことはあるよな。
745 :
考える名無しさん :2008/08/13(水) 12:21:04 0
118 :考える名無しさん:2008/08/13(水) 09:56:59 0 今夜始まる神々の宴。 あなたも参加してみませんか? 幹事から挨拶があります。 ...-ー、,-─ .-=・=- i、-=・=- .. / ー-' ヽ . . .. -=ニ=- ダラダラハゼ〜ってプーチャカピー
実際、哲学やって役に立つことの一つは 新興宗教の類いには絶対騙されないようになる っていう洗脳もあるよな。
>>740 哲学をやれば性向として権力やカネにひれ伏さなくなるとでも言うのかね
それには賛成しかねる
理系の場合、専門知識としての形而上学は素朴実在論しかないから
この場合の「力」のようなものを思考のうちで定位させるのが困難だということがある
権力なんて力は物理の教科書には書かれていない、ということだ
そこらへんを弁えていればいいんだが(そしてたいていは弁えているが)
たまに専門知識を過信して「『力』などすべて錯覚だ幻想だ」と言って開き直ってしまうのがいる
そういうのが一番危ない
物理的実在だけが存在なら「自分」だって存在ではなくなるということに気づかない
カルトや「権力」が狙ってくるのは、そういう意味で「自分」の怪しくなったやつだ
とはいえ、哲学をやれば「自分」の存在がより確からしく考えられるようになるかというと
これはこれですこぶる怪しい
ハイデガーのトンチキ野郎がしでかしたことを忘れるわけにはいかないな
>>747 >哲学をやれば「自分」の存在がより確からしく考えられる
哲学の本質は確からしさを得て安心することではなく、
徹底して疑いの目を向けて批判精神を保つことが
できるという点。
だから新興宗教には騙されない。救いもないけどね。
749 :
考える名無しさん :2008/08/13(水) 12:36:40 0
哲学の本質は確からしさを得て安心することではなく、 徹底して疑いの目を向けて批判精神を保つことが できるという点 にだけは疑いの目を向けなくなると言う点。 これが実は最も厄介な洗脳のされかた。
>>749 疑う、イコール命題の否定という稚拙な思考だな。
疑って得た結果は、かっこ付きで信じていいんだよ。
751 :
考えない名無し :2008/08/13(水) 14:09:01 0
君たち、議論そのものが議論になっていないよ。
哲学教育が軽視された結果かなあ。
例えば、他の人もそうなのだが
>>747 さんをちょっと借りる。
>ハイデガーのトンチキ野郎がしでかしたことを忘れるわけにはいかないな
という場合は、その前の議論とこの「トンチキ野郎」のどのような議論が結び
付くのか面倒でも引用するべきなのだ。そうでないと君の議論を受け入れることも
反論することもできないのだよ。
詩人の言葉の投げあいでは議論にならない。
詩人の言葉は味わうもので議論にはなじまない。
と、詩人の言葉になってしまったかなあ。死人の言葉、なんちゃって。
>>734 >いやー、どうして日本では哲学教えなくなったんでしょうね。
日本で哲学を教えたことなんてあった?
教えたのは既成の道徳観だけでしょう。
哲学を教えるというなら、論理の基礎を教えなくては。
イギリスなんか幼稚園から訓練してるのに。
753 :
考えない名無し :2008/08/13(水) 15:38:17 0
君、君だよ君、
>>752 >教えたのは既成の道徳観だけでしょう。
君は何か勘違いしているね。昔日本で教えたのは大学の
いわゆる哲学科のことだよ。今は少なくなったろう。
君の言っているようなことは哲学ではない。
そんなことを教える哲学なんてあるもんか。
哲学の分科の倫理学でも道徳ではないんだよ。
おじさんはもう寝るからね。また明日。
いまいち読解力に欠けるおっさんですね
755 :
考える名無しさん :2008/08/13(水) 17:49:45 0
>>750 >疑う、イコール命題の否定という稚拙な思考だな。
>疑って得た結果は、かっこ付きで信じていいんだよ。
はあ?
749のどこをどう読んだらそんなふうに読めるんだ?
大丈夫?
>>755 まあ、夏だし特別に講義してやってもいいんだが
哲学が批判精神を保つという748の発言に対し、
「その発言自体を疑わない」という指摘は的を射ていない。
なぜなら、対象への疑いは否定と同一ではないので、
748の発言は疑われていない、という結論は導けない。
そこで、749に対する評価の可能性は以下の二通り。
・748の発言が矛盾していると、誤って推理してしまった。
・感情的に、オウム返しで否定してみたくなった。
もちろん後者の場合、コピペ煽りと差がないので無視が妥当。
ただ、オレが好意的に前者と受けとり、助言してあげた。
オレクラスのようにこの程度の論理的齟齬は一瞬で見抜けないと(哲学は)難しい。
757 :
考えない名無し :2008/08/13(水) 19:13:46 0
>>754 おや、おっさんじゃなくて、私はおじいさんだが、
どのレス番がどういうふうに読解力に欠けるのかね。
どうも具体性に欠けるね。誰にでもわかるように書きたまえ。
それこそ哲学の第一歩だ。
ひょっとしたら君は
>>756 と同じか。どちらでもいいが、
そういうことは哲学のテーマじゃないんだよ。
哲学の授業になど哲学教育を軽視している国だから出たことはないのか。
それとも、まだ高校生か中学生か。そうだとすれば、このような板に
来ていることだけは感心だな。日本も見捨てたものではない。
758 :
考える名無しさん :2008/08/13(水) 19:19:24 0
>>733 為政者にとっては、天皇制に疑いを持って貰っては困るからなw
哲学なんて教えなくても分かっててくれなければ 困るだろ現代人なら。 普通に育ったものなら 哲学の本読んでも分かってることを再確認できるだけで 新しい発見はないはず
760 :
考える名無しさん :2008/08/14(木) 09:40:56 0
私こそが史上最強の哲学者でありテクノの真の元祖である、 ,.へ ___ ム i 「 ヒ_i〉 ゝ 〈 ト ノ iニ(() i { ____ | ヽ i i /__, , ‐-\ i } | i /(●) ( ● )\ {、 λ ト−┤. / \ ・・ / \ ,ノ  ̄ ,! i ゝ、_ | | ◎ | | ,. '´ハ ,! サ・ダハール長老じゃよ?  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄_|,..i'"':, ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |\`、: i'、 .\\`_',..-i .\|_,..-┘
761 :
考える名無しさん :2008/08/14(木) 10:03:45 0
まあ、夏だし特別に講義してやってもいいんだが 哲学が批判精神を保つという748の発言に対し、 「その発言自体を疑わない」という指摘は的を射ていない。 なぜなら、対象への疑いは否定と同一ではないので、 748の発言は疑われていない、という結論は導けない。 そこで、749に対する評価の可能性は以下の二通り。 ・748の発言が矛盾していると、誤って推理してしまった。 ・感情的に、オウム返しで否定してみたくなった。 もちろん後者の場合、コピペ煽りと差がないので無視が妥当。 ただ、オレが好意的に前者と受けとり、助言してあげた。 オレクラスのようにこの程度の論理的齟齬は一瞬で見抜けないと(哲学は)難しい。 という思い込み。w 似非学問らしい香ばしさですこと。ほほほ。
762 :
考える名無しさん :2008/08/14(木) 10:07:37 0
哲学が批判精神を保つという748の発言に対し、 「その発言自体を疑わない」という指摘は的を射ていない。 なぜなら、対象への疑いは否定と同一ではないので、 748の発言は疑われていない、という結論は導けない。 さよう。 748の発言は疑われていないといことではない。 つまり、哲学が批判精神を保たないかもしれない。 要するになんの結論も出さずに何某かもしれない と言い続けてこねまわす、幼児の戯言と変わらないのが哲学 かもしれないわけだねwww
763 :
考える名無しさん :2008/08/14(木) 10:25:57 0
私こそが史上最強の哲学者でありテクノの真の元祖である、 ,.へ ___ ム i 「 ヒ_i〉 ゝ 〈 ト ノ iニ(() i { ____ | ヽ i i /__, , ‐-\ i } | i /(●) ( ● )\ {、 λ ト−┤. / \ ・・ / \ ,ノ  ̄ ,! i ゝ、_ | | ◎ | | ,. '´ハ ,! サ・ダハール長老じゃよ?  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄_|,..i'"':, ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |\`、: i'、 .\\`_',..-i .\|_,..-┘
ミルコさんに陶酔している異常者の勘違いの入口は何だったのか? 「K1の選手が畑違いのハンデ戦を勝ち抜いてきた!!!」 と興奮したお馬鹿さんも少なくないようです。 単細胞クンには派手なハイキックが10割増しくらいに強く見える。 足を高く振り上げるポーズがカッコイイ!なんてトホホな輩もいる。 命失神の珍ポーズで目が覚めないよいなら重症だ。 数々の煽りに騙された詐欺被害者予備軍の君はとりあえず深呼吸だ。 「努力してるのはミルコだけ。」や「進化してるのはミルコだけ。」 などの盲目レスを一度でも書き込んだ残念な君!たまには外出しよう。 いわゆるミルヲタは最初の一歩を間違えてしまった可哀想な人達です。 第一印象って偶然による数々のフィルターで歪んでるものなんですよ。 思い込みの曇ったメガネを外して、ミルコ史を検証しましょう。 私達は単にミルコさんを貶めようというのではありません。 君達ミルヲタの成長を願っているんです。 君達の遠回りは反省することで大きな経験値となります。 人間は失敗を糧にして前進して行くのです。 ミルコさん自身は言い訳し放題で逃げてばかりでしたね。 こんな偉大な反面教師に出会えた君達は運がいい。 ちょっと嫌味な書き方かもしれませんが逃げないで下さい。 ミルコさんだって被害者なんです。マスコミに祭り上げられた被害者です。 地道に努力すれば本物の一流選手になれたかもしれない・・ スターとして作り上げられ祭り上げられ自分自身を見失ったミルコさん。 迷子のミルコさんに「地獄の底までついて行くぜ!」って君ぃ・・。 迷走する珍選手を崇めて追随しても未来は袋小路ですよ。 引き返せる内に引き返すべきではないかと提案しているわけです。 たかが格闘技とはいえ、些細な勘違いが思考力をスポイルするもの。 赤の他人であるミルコさんを見捨てるのか自分自身を見捨てるのか? 後者を選ぶというならもはや何も言いません。ご愁傷さまです。
765 :
考える名無しさん :2008/08/14(木) 13:03:52 0
フランス見てるとやる必要はないな
766 :
考える名無しさん :2008/09/03(水) 01:41:08 0
名前:「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q 投稿日:2008/05/27(火) 03:58:14 0
>>884 >物理法則に入る選択をしたのは、個々の人間の選択によるという事です。
脳は物質ですから「物理法則」を免れることは出来ません。
従って「脳選択」は全て「物理(・化学)法則の結果」なのです。
逆に言うと「脳に反することが出来ない」ということです。
ハンニバルさんが執拗にこのスレに粘着するのも彼の脳内で、
「この粘着嫌がらせを司る部分」が支配しており、
他の(前頭前野等々)理性的言動部分がハンニバルさんの「脳」でかなり
「特殊」であり、仮にハンニバルさんが
(色々言われているように)社会に不思議なことはないと
思わせる冷静に合わないことばかりに自分の物質ですら、
「物理法則」をなした選択なのです。
逆にハンニバルさんが司るとしても、それほど不思議な時間を
「意思のオブクソップティ」してないかずいぶんと哲学不能でもかまわないのです。
「合理的観点から理解できない」としてもそれを
「止めることが出来ない構造(的要因)」・・・ということになります。
それが「合理的構造的要因」・・・ということになります。
横からすみません。 最近哲学に興味を持ち出した女です。 まず、図書館でソクラテスのなんやらかんやらを借り、 難しかったのでまずは小学生向けの哲学の本を借りて見ました。 今まで恥ずかしながらこのような学問を勉強した事が無く、 自分の言葉で道理をたてて説明する事が大の苦手なのですが、 小学生の時に担任の先生に ”なぜ空は青いのか?”という質問をして説明に納得のいかない私は 授業を45分間潰して問いただしたような過去の経歴がございます。 その後どんどんと”普通”とされている事に疑問を持ち、 客観的に物事を自分で考えひねくれ者と呼ばれるまでになってしまいました。 こんな私に、哲学を勉強する素質はありますでしょうか?
768 :
考える名無しさん :2008/09/03(水) 02:55:05 0
ない
>>767 素質で哲学をやってやりおおせているという人は、
少なくとも日本では見たことも聞いたこともない。
だから素質を心配する必要はないと思う
貴女が書き込んだことの範囲で懸念すべきことがあるとすれば
周囲からヒネクレ者と呼ばれてしまうのはいいとして、ひょっとすると
その周囲を、「普通」の考えを見下してやりたいばっかりに
哲学に手を染めようとしているのではないか、ということ。
つまり哲学的な思考や記述の型の上に、人をして黙らせる権威めいたものを
見出したいと願望しているのではないか、
もしもそうなら哲学に手を染めることは不毛だし、危険でさえある
(この哲板にもたくさんいる電波な方々がその末路の姿ですよ)から
やめた方がいい。
哲学というのは、いかに途中がそうではないように見えても
最後は「なぜ、どのようにして『普通』の人はそのように考えるのか」
それを深く掘り下げて理解しようとすることです。
賢い考えはもともと理路整然としているので理解はたやすい。
難しいのは、愚かで非合理的で支離滅裂な(ように見える)考えを理解することの方で、
人間の存在がその種の愚かしさとほとんど不可分である(ように思われる)限り、
哲学はそれを理解しなければならないのです。
770 :
考える名無しさん :2008/09/03(水) 03:17:51 0
>>767 せいぜい十五分で止めるべきだよね。
他の子がどうして雲は白いのか聞きたいだろうし、
別の子もどうして先生の乳首は黒いのか聞きたいだろうしね。
>>767 あなたには、哲学より科学をアマチュアとして楽しむ素質のほうがある。
>>779 あなたは哲学板に常駐しすぎ。回線切って本屋に行こう。
>>771 >>779 に期待
というか769の打ち間違いで、つまり俺のことなんだろうな。
大きなお世話だ。
>>769 お返事頂きありがとうございます。
769さんのようなカッコイイ文章も出て来ないので、
てっきりスルーされてると思ってました。嬉しいです。
懸念すべき事でご心配頂いた事ですが、権威めいたもので黙らせるためでは
ございません。哲学を勉強してみたいと思ったのも、1冊の本に出会って
ああ、心が欲しかった物はこれだったんだ!としっくりきたのです。
宗教でも自己啓発でもなく、哲学こそ自分自身を知り精神世界の扉を開ける事が
出来ると確信しました。
ダンミルマンの”癒しの旅”という普通の文学本なのですが、1人の少年が
哲学師匠と出会い変わっていく物語です。
「おまえはどこにいる」という師匠の質問に、現在の居場所を答えていく少年が
カリフォルニア、それはアメリカにあって、大陸は地球に、地球は宇宙にとなり、
「宇宙はどこにある?」に答えられなくなった少年。
「いつまでたっても答えられん。宇宙のありかがわからないのは自分の居場所が
わからんということ。何がなんであるのか、それがどのようにして出来たのかわからん。
誰にもわからん。わしの無知はそういう理解からきている。お前の理解はそれすら
知らんという無知からきている。」
「知識だけではだめなんだ。必ず限界にぶつかる。いくら知識があっても
魂の栄養にはならん。真価は知識の中だけでなく行動のなかにある。」
というような内容で、もっともっと哲学を知りたくて此処に辿りついた次第でございます。
難しい哲学本を読めるようになるには時間がかかると思いますが、頑張ります!
>>773 なるほど。
まあ「懸念」については、かつてわたしの知人の女性が同じパタンで
ずっこけたのを見ているので、同じ心配をしたまでです。忘れてください。
では。
775 :
考える哲学 :2008/09/04(木) 02:46:53 0
心を捉える空間の欠如 空間認識力の欠如 今はすべてが歯車の一つ だから空間が 思考を生み出すスペースがない 空間を捉えるスペースもない 思考は常にいっぱいいっぱいだ 病になることはあっても哲学は生まれない だがそろそろ真の時空間よ 地上におりてこい!!
哲学も行き過ぎると意味不明だな
777 :
考える名無しさん :2008/09/05(金) 17:25:09 O
ウィリアム・ジェイムズのプラグマティズムだけは教えて置くべき。 資本主義競争社会を生きなくてはならないのだから。
>>777 じゃあ君が先生になって。俺生徒。
どうやって教えるのかな?
779 :
考える名無しさん :2008/09/05(金) 23:03:31 0
万世一系のY染色体とDNAが継承されている という神話を疑うのが哲学 ところが日本ではこれを煙たがる人が多い。 という言説を疑うのが哲学 ところが日本ではこれを煙たがる人が多い。
哲学なんてのは普通に生活していれば自然と身についている。 現代人がポスト構造主義の概略聞いても何の新鮮味も感じない。 といって昔の哲学を学ぶぐらいなら世界史を詳しく勉強した方が よっぽどためになる。 日本で哲学者はキチガイにしか思われてないしね
哲学教育の重要性がよくわかるレスありがとう
実際、哲学を小中高どれでもいいけど 教えるとしてどういう内容をどういう風に教育する?
783 :
考える名無しさん :2008/09/06(土) 09:37:32 O
いわゆる哲学て、西洋哲学でしょ それを東洋の日本で一般的に教えるってのは おかしいよ
785 :
考える名無しさん :2008/09/14(日) 01:50:03 0
小中高の教育制度の中で哲学を教えるというのは無茶だし無意味だとは思う
ただ、日本では理系文系問わず分析哲学系の流れが
とにかく一般に知られていない(
>>780 など典型的だ)
それが人社系の学問一般に対する無理解や
トンチンカンな侮蔑につながっているような気がするし
ひいてはこれらの研究分野の、日本国内での進展を阻んでいるように思う
(一般社会の理解がなければ本代だって出ないし、学生も集まらない)
そういうあたりで啓蒙なり何なりがもっと行われてしかるべきだろう
普通の本ですらろくすっぽ売れなくなってる現状でどうやって、
などと考えるだに絶望的ではあるけれど
分析哲学は現代のスコラ哲学。 分析系の連中は、哲学史も知らない連中が多いし、 無知と馬鹿ばっかり。
787 :
考える名無しさん :2008/09/15(月) 12:50:44 0
788 :
考える名無しさん :2008/09/23(火) 13:16:39 0
おシューなシューロールとラングだけでチューもさせている。 激馬鹿概念という言葉の意味も分からないのかね デリロールの対立概念としてチューロールだが、 じんのシュールはロールなんてない ようするにシューのおシュー。 シューだけでローさせている。
789 :
考える名無しさん :2008/09/23(火) 13:31:39 0
つまる所哲学とは「私はある事物に対し○○だと思っています」というだけの事である。 そこに正誤はなくただ思い込みと錯綜を無秩序に羅列できるのみ。 よってコミュニティの維持を目的とした共通了解、言い換えれば知識を得させんが為の教育制度には 全くそぐわないのである。 哲学は文化である。そして文化とは社会的、個人的余裕の上に成り立つ無駄の産物である。 哲学は比較的豊かな社会に於いて、個々人の余裕を無駄に浪費できる人間が嗜めばよい。 わざわざ時間を割いて小学生から学ばせる必要がどこにあるだろうか?。
790 :
考える名無しさん :2008/09/23(火) 14:26:09 0
>>789 別に小学生にこだわることはないだろw
それはそうと
教育制度の目的が「コミュニティ(共同体)の維持」だなんて初耳だ
たとえば、教育制度も、教育制度の概念もなかった江戸時代の日本では
コミュニティ(主に農村の共同体)は維持できなかった(ということは成立もしなかった)とでもいうのかね。
フランスの教育制度(というかカリキュラム)に哲学が含まれているのは
フランス革命が(ということは現在までのフランスの国家体制が)人間主義の理念(哲学)を基礎に置いて
成立っている(と、フランス人は考えている)からであって、他の理由ではない。
哲学を失うことは国家の存立根拠を失うに等しいと思われたら、そら熱心になるわな。
わが国の場合はどうだか知らんがな。
791 :
CROWN×CROWN :2008/09/23(火) 18:50:17 0
>>790 789ではないけど、教育制度の目的の一つは「コミュニティ(共同体)の維持」
であると私もおもいますよ。理念や熱心な教育者が、というよりも国家と自分の
地位を守りたいと考えている官僚達は。コミュニティーになじむような人材、
よく働いてくれる労働者、秩序を乱さない社会人、そのような人材に育てよう
と考えているはずです。
江戸時代の話しを持ち出して反論するのはよくないとおもう。
それじゃあ歴史では戦争の近代化が軍需をかきたてて経済をうるおした
から軍需と戦争は今でも経済活性化に必要だとかいうのと同じだ。
時代や場所で状況は変わってきているんだから、ナンでも歴史を引き合いにだせば
いいというものではない。
792 :
考える名無しさん :2008/09/23(火) 19:58:38 O
国民国家の形成と義務教育はセットだしね
793 :
考える名無しさん :2008/09/23(火) 20:04:17 0
>>791 近代国家の支配体制が存在しようとすまいと自然発生的に成立する「コミュニティ」と
近代国家の支配体制が確立して行く過程で道具化され、事実上国家の下位行政単位にすぎなくなった
つまり「国家と自分の地位を守りたいと考えている官僚達」が欺瞞的にそう呼ぶような意味での
いわゆる「コミュニティ」を一緒くたにするな、というだけだよ
江戸時代の例は別に「反論」したわけではない。
哲学を「ただの思い込み」「無駄の産物」呼ばわりする割に、
>>789 はそんな区別も知らんのかね、
という意味で皮肉っただけだ。
教育制度は近代国家に固有の、というより近代国家を近代国家たらしめる本質的な制度のひとつだ。
哲学教育が必要かそうでないかということは、したがって当然、その国家の成り立ちや利害と関連づけて
論じられなければならないわけだ。
そこで「コミュニティ」なんて言い出したら話が混乱してしまう。
前者の意味でのコミュニティなら、個々人がその中で生きて行く上でも、また
コミュニティがコミュニティとして維持されて行く上でも、哲学はもちろんのこと、
そもそも制度化された教育ということ自体がまったく無意味なんだからな。
794 :
考える名無しさん :2008/09/23(火) 20:21:39 O
現代日本の文脈で読み取るだろ、普通は。 国民国家における教育制度のことを指してるのは自明。 文脈無視して「コミュニティ」って単語に噛みついてる時点でおかしい。
>>794 >国民国家における教育制度のことを指してるのは自明
そうなのか?俺にはそうは思えなかった。
ストレートに国家だと言えばいいはずのものをわざわざ「コミュニティ」と言い、
「哲学は文化だ」「無駄の産物」「個々人の余裕を無駄に浪費できる人間が嗜めばよい」などと
ヒネクレた書き方をしているのを読んでいると
>>789 のアタマの中には「国家」の2文字が存在しないのではないか、あるいは
故意に回避(抹消)しているのではないか、と疑いを入れたくなったんだが。
まあ、俺はしばらく黙るよ。哲学教育に戻って話を続けてくれ。
796 :
考える名無しさん :2008/10/02(木) 05:48:25 0
_ _,,.. -''´ ̄._ ̄`''ー .、 / _,,. -''´ ̄  ̄`''ー-、.ヽ. ,/,,/ ヽ..ヽ. ┌..、 <./ ,. - 、 ヽ.ヽ. | `ビ_____________ノ__ ヽ.. ヽ! | ,ネ、.._ ヾミヽ、/-=・=-> └''~ <゙ヽ. ` ーヽ ヽ__7 ヽ. ヽ. `ー/ ゛、 }`i' .l"~ ̄{ ,/ ヽ; ;/ } l l { }.〈 { l { } 〈; .} // ,| l. | l l l // .i i' / }. { } /_〈 ,! 〉 ,.zk_/ /k._) '-^' 糞ウヨ必死だな(w
797 :
考える名無しさん :2008/10/02(木) 20:08:02 0
798 :
考える名無しさん :2008/10/03(金) 02:32:25 0
「809」 副島隆彦の「ミネルバの梟(ふくろう)は夜、飛び立つ」論。 私が原著は12年前に書いた本である「決然たる政治学への道」(弓立社=ゆだちしゃ=刊、2002年)の P.174に、「本当は学問の体系はこのようになっているの表」で、私は、はっきりと、「フィロソフィー (×哲学と訳すのは嫌いだ。知恵の学)と数学は、神学(セオロジー、テオロジー)の下女、はしためである」 そして、「サイエンス(ヨーロッパ近代学問)と、この神学が、大きく闘うのである」と書いた。 神学(セオロジー)は日本人には分からない。「神学論争」なる言葉は、日本語になっているが、その中身を 日本人で分かる者はいないだろう。そして、その下に、初級学問=下等学問としての、ヒューマニティーズ (人文、じんぶん、人間の文字による記録、石碑、古文書の解読、文学部の世界)があるのだ、と書いている。 「数学は、神学の下女」なのだ。これは、ヨーロッパの学問の体系の中では、はっきりしていることだ。 数学は、決して自然科学(しぜんかかく、ナチュラル・サイエンス)には、所属しないのだ。 ただ道具として多用される。私、副島隆彦がこのように書いて、まだ反論したり、何か異論を唱えることの 出来る、日本人は、誰でもいいから、名乗りを挙げて出来てください
799 :
考える名無しさん :2008/10/03(金) 20:56:34 0
日本に哲学が根付いていないのは自明のこととして、 西欧以外の国、たとえばアメリカやオーストラリアには哲学が根付いているの?
800 :
考える名無しさん :2008/11/08(土) 19:36:54 0
特に根付いてないんじゃねーの?
801 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 12:27:35 0
おいおい、アメリカくらい哲学の根付いてる国は他にないと思うぜ 「自由と民主主義と戦争の哲学」限定だけど オーストラリアの方はわかんねえな そもそもイギリスが心底からオーストラリアを独立国だと思ってるかどうか怪しいw
802 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 12:51:50 0
日本は哲学教育でなにを教えるの。 社会生活のマナーを躾けるだけでも、いいじゃないの。 それすら出来て無いじゃないの。
803 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 12:55:42 0
躾と哲学を混同してる馬鹿がいるな・・・
804 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 13:25:19 0
屁理屈ばかり言う子供、若者が増えても日本の未来は真っ暗。 哲学教育に希望など見えない。日教組が居る限り。
805 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 13:29:12 0
教育者は労働者に非ず。
806 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 16:05:08 0
>>804 哲学というのは、むやみやたらに世の中を斜めに見て、屁理屈を垂れることではないと思う。
大人でさえ混同することが多いのだから、義務教育課程の子供に理解させるのは至難の業だろうな。
808 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 18:06:47 O
公明党が反対してるから無理 理由はわかるよな?
809 :
考える名無しさん :2008/11/10(月) 10:14:34 0
そりゃ哲学教育が政策課題だとなったら公明党みたいな連中は反対するだろう 哲学することを教えて洗脳が解けたりしたらえらいこったw しかし、そもそも政策課題になんてなってないだろ…
810 :
考える名無しさん :2008/11/10(月) 16:14:10 0
811 :
心の仕組みドットコム :2008/11/10(月) 17:31:24 0
810>何故小学校から哲学を必修科目にしないのか? それは、大人達より賢い子供が現れたら恥ずかしいからで〜す。
ただでさえバカな教師が多いのに、バカ教師に哲学なんか教えてもらいたくないわ。
813 :
考える名無しさん :2008/11/10(月) 19:48:05 0
>>808 高校で哲学が必修になっているフランスで、
創価がカルト認定されているのも、うなずけるなw
哲学が必修になってるフランスで高校出ても馬鹿な人は一杯いるよ
816 :
考える名無しさん :2008/11/14(金) 01:43:16 0
哲学を教えたら馬鹿が減るなんてことはありえない(別に増えもしないだろうが) もしもあったら今頃は日本中「哲学塾」だらけになっとるだろうし つまんない哲学書でも初刷十万部とか ないない
817 :
考える名無しさん :2008/11/14(金) 01:52:07 0
哲学はむしろ無能をごまかす隠れ蓑として有効
>>816 あなたのいう「つまんない哲学書」が、中島氏のエッセーのようなものを指しているのなら、
それは哲学書では全くないと思う。
>>817 そういうのは単なる弁論術であって、断じて哲学ではないと思う。
日本の中高で哲学教育をやることの効能は簡単で 沢山余ってる哲学科出身のODたちの処分先が決まると言うこと
820 :
考える名無しさん :2008/11/15(土) 10:04:03 0
>>817 そもそも哲学で無能をごまかせる人物は無能ではないのではなかろうか
>>818 何を勘違いしたのか知らんが、その例で言うなら
「つまんない哲学書」とは中島義道の地味な上にも地道なカント研究の方だ
あんなもの面白いわけはないが、外国哲学の優れた研究書には違いない
小中高で哲学を教えたら中島のエッセイ集なんかに釣られる馬鹿が減って、
「つまんない」カント研究の方が初刷で十万部も捌けるようになったりするだろうか、ということだ
そんなこと世界のどこだろうとあるわけがないし
あっていいとも思わない
ところがぎっちょん、フランス式に義務教育に組み込んだ場合 参考書として毎年数万部売れちゃう可能性もなきにしもあらず…
>>820 そういうのは厳密には「哲学書」ではなく、「哲学研究書」では?>カント研究
本当に一般向けに書いてるもの以外の地道な研究の方は哲学書だな
>>822 >>818 を受けて「その例で言うなら」だ
そうでなくても一般に、二流三流の哲学書よりは優れた研究書の方が
優れた哲学と呼ぶべきものにより近い。違うだろうか
825 :
考える名無しさん :2008/11/29(土) 12:10:35 0
>>1 そもそも日本に哲学を行う土壌が無いからでは?
826 :
考える名無しさん :2008/11/29(土) 16:04:43 O
欧米行くと哲学的なムードがあったりなんかする 日本は経済のムード
>>826 もう少し具体的に言ってくれるとありがたい
欧米とか行ったことないし行く気ないし
828 :
考える名無しさん :2008/11/29(土) 21:55:07 O
欧米では小さい頃から日曜礼拝に行って牧師の前で告悔(罪を 告白して反省を示し神に許しを乞う)をしているから、内省 する機会が日常的にあるからな。 日本だと仲間うちの連帯感だけに固執して、どんどん利己 主義になっていく奴が多い。
829 :
考える名無しさん :2008/11/29(土) 22:55:56 0
告悔じゃなくて告解。それは日本のカトリックの訳語。 カトリックに牧師はいない。いるのは神父。 自分を投影した日本ダメ論にいそしむのは勝手だけど、 自分の常識も磨いた方がいいよ。
830 :
ラプラスの天使 ◆daemontaDA :2008/11/29(土) 23:12:12 0
>>1 ニホンジン自体が頭が悪いから無理でつ。
(俺様省く)
831 :
考える名無しさん :2008/11/30(日) 00:01:49 0
>>829 何故かいつも相手に対する人格攻撃に陥ってしまうのは仕方ないのだろうか。
それはさておき、西尾幹二「ヨーロッパの個人主義」(昭和44年発行)という本に、
西洋と日本との差異について興味深い記述があったので紹介したい。
>民主主義にせよ、平等の観念にせよ、自由の意識にせよ、いずれもそれを成り立たせている背景の
>社会との関わりにおいてしか理解できないものである。
>イギリスの民主主義はイギリス人自身の生活の"必要"から出てきた結果にすぎず、あるいは現在の
>生活様式、行動様式の釣り合いのとれたある全体をさして民主主義といっているまでであって、
>イギリスの現実から切り離されたらなんの実態もないものである。
>しかし日本の場合には、これら近代理念はいずれも日本の現実に否定的に作用する未来の目標、
>もしくは価値として外国から与えられる習慣が続いているため、頭の中にこの世にありもしない
>勝手な空想図、ある意味ではお伽話的な理想の世界を描き出してきて、それが無意識のうちに
>久しく日本人全体の世論を形成しているうちに、日本のほうがやがてある意味でははるかに進んだ意識、
>現実とは釣り合わない観念上の「近代化」のみが急速に進められて、その行き過ぎに気がついて、
>日本人がふと逆もどりしようとすると、こんどはそれがヨーロッパではもともと当たり前なことであったり、
>ヨーロッパ人にとって単なる現実であることが、日本人には無理に意識しなければもはやなしえないこと
>であったり、そういう倒錯と混迷の背理のすべてに犯されている心理を私は「抽象文化」と呼ぶのである。
832 :
831 :2008/11/30(日) 00:20:53 0
>>831 の5行目誤字訂正
>イギリスの現実から切り離されたらなんの実態もないものである。
→>イギリスの現実から切り離されたらなんの実体もないものである。
>>829 の
>自分を投影した日本ダメ論にいそしむのは勝手だけど
に関連して、同書から更に、ヨーロッパ人の自己否定精神についての引用。
>西洋ははたして「没落」するのだろうか?この有名なシュペングラーの主題は、正統・伝統思想の生きている
>世界では、伝統への反逆もまたその補強に役立つという自己批判の精神にほかならないのである。
>日本人は自分の文化を測る尺度を外に借りているために、外の世界の変化に応じて、自分を小さく卑下したり、
>大きく威張ってみせたり、たえず外の印象に振り回されるの大使、ヨーロッパ人は自分自身の歴史の内部に
>危機をよみとっているだけに、それを克服するためには、たくましい自己否定の形式を採用する勇気をもっているのである。
>「西洋の没落」はいささかも日本人の安心や自信を高めるていの主題ではない。
>むしろわれわれは西洋精神のかかる自己批判の厳しさを知るべきであり、「没落」を自分に向かって宣言することが
>できるほどのヨーロッパ文明の歴史の厚みと外延の広さに思いを致すべきだろう。
>われわれの場合は、ヨーロッパを崇拝し、憧れるこころがあっただけに、困ったことには、いっそう反動的に
>ヨーロッパを馬鹿にしてしまいたいという気持ちがたびたび出てくる。
>が、ヨーロッパで暮らしていてはっきりわかることは、ヨーロッパ人はただの一度も日本人に対する恐怖や
>競争意識にさし迫られたことはないのであって、日本の「西洋化」という歴然たる事実はあっても、
>西洋の「日本化」という事態はいっこうに起こらない以上、日本人が劣等感を感じようが、優越感を感じようが、
>それはすべて日本人のひとり相撲でしかないことである。
833 :
831 :2008/11/30(日) 00:35:12 0
>>832 スマソ。また誤字訂正。
引用の4行目。
>大きく威張ってみせたり、たえず外の印象に振り回されるの大使、ヨーロッパ人は自分自身の歴史の内部に
→>大きく威張ってみせたり、たえず外の印象に振り回されるのに対し、ヨーロッパ人は自分自身の歴史の内部に
あと同書からもう少しだけ続きを。
教育学者の永い道雄氏が「かつての先進国ヨーロッパ」という言い方をしていることに対しての著者の意見。
>しきりに自分で自分をほめたくて、日本人みずから日本の文明をたえずどこかと比較して、どこを追い抜き、
>今はどの辺にあり、したがってどこと対等になったとかならぬとか、そういうことをくりかえすこと自体がつまらぬ
>劣等感情の表現でしかないことに気がつかないことのほうがよほどどうかしている。
>それは端的に、ヨーロッパを克服していない証拠なのである。
>なぜなら、ヨーロッパ人は、なによりもまず自分の価値観をもってしか他を測らぬという自信に満ちた態度に
>おいて徹底しているからである。
>われわれは技術文明を輸入したが、ヨーロッパからこうした自己中心的な精神態度はいささかも取り入れて
>いないらしい。
>われわれの不幸は、日本文化が外国に対し影響力を及ぼしえない閉鎖性にあるのではない。われわれが
>外国を意識しすぎることにあり、またそうすることによってしかわれわれ自身の文明の位置測定をなしえない
>ことのほうにある。
ということで、自分は、
>>1 のような問いも、日本人のヨーロッパに対する一人相撲に過ぎないということかも知れないと思った。
外来主義の問題を主張する文章を 引用するだけのこの人が実に症候的で面白いと思うのだった
835 :
831 :2008/11/30(日) 10:15:02 0
>>834 確かに私の引用行為は、傍目には、軽薄な受け売りにしか見えず、
引用元の本に書かれた、つまらぬ劣等感情の表現と変わらないのかも知れないね。
ただ、そのことは自覚してはいるつもりだ。
>>831 の最初に述べたように、あなたも私の引用した文章そのものではなく、
私が本を引用する「行為」自体をあげつらって、皮肉的、嘲笑的に罵倒する
だけの行為に陥ってしまっているのではないかなあ。
836 :
831 :2008/11/30(日) 10:20:44 0
>>834 それから、私の今回の「行為」について別の言い方をすれば、
あなたを含む他の人たちにとっては特に目新しいものでもない
「最近仕入れた知識」を嬉しがって、「こんなのあったよ〜」と
得意げに披露しているのが滑稽に写るのでもあるのだろう。
ただ、わかり切っていることだからこそ、ここで改めて確認してみる
必要があるんじゃないかとも思うんだが、どうだろうか?
>>828 うーん。内省的になることがあってもネクラだとか変な奴だとか言われなくて済む、
(その度合いが小さい)というようなことなんだろうか。
俺は827なんで、答えてくれた人に変な文句は言いたくないが
ひとつだけツッコミを入れさせていただきたい
>日本だと仲間うちの連帯感だけに固執して、どんどん利己主義になっていく奴が多い。
これは変ではないだろうか。
利己主義それ自体がいいか悪いかはさておくとして、
そういうのは普通、連帯感を破壊する方に作用するものではないだろうか。
>一人相撲に過ぎない 結局この人も日本論にかこつけて自分のことを語っているだけなのよね
839 :
831 :2008/11/30(日) 23:09:45 0
>>838 とすれば、そういうケチをつけようもない意見とはどのようなものになるのだろう?
840 :
考える名無しさん :2008/12/01(月) 16:55:23 0
>>707 オレはセンター対策で倫理やったけど、君、高校の倫理見たことある?
そんな高尚なもんでもないし、マジで低レベル。いや、低レベルにすら辿り着いていない
倫理ではなく、倫理史だねあれは。ただの暗記科目でしょ
まずは高校倫理の見直しですよ
841 :
考える名無しさん :2008/12/09(火) 23:42:24 0
>>1 そもそも、教育する側に哲学を教えられる人がいません。
哲学的な考え方が実生活に根ざしている人もいません。
>>841 仮にやるとなったら教師は養成すればいいだけだから、それほど問題にはならんだろう
教師は少ないが、参考書だけは古今東西あらゆる哲学書の翻訳が揃ってる国だしなw
あと、哲学をカリキュラムに含めている国でも「哲学的な考え方が実生活に根ざしている」
ということは、まずないんじゃないだろうか
じゃ哲学を教える意義って何だ、それは誰にとってのどんな意義だ、というところが
一番の問題だな
>>842 単なる紹介レベルなら教育のうちに入らないと思う。
>>843 ふむ。ではどういうレベルなら教育になると言えるのだろうか。
哲学教育は現に行われていないので、何か他の教科の場合の例を挙げてくれると
わかりやすくていいと思う
845 :
考える名無しさん :2008/12/10(水) 23:46:43 0
>>844 教科として教えるのではなく、学校での生活全体が哲学的思考で染み渡ったものしていけばよいと思う。
具体的には、学校内ではあたりさわりのない「世間語」を禁止し、真実を直視する訓練をするということだ。
しかし、それはただ思ったことをただ垂れ流しにするということとは違う。
>>845 それは学校というよりは修道院とか、何かそういうものに近い感じがするのだが…
847 :
考える名無しさん :2008/12/11(木) 01:05:50 0
まず文学部がいらない 哲学研究者が授業を持てばよろし 専門的に研究せず、浅く広くやればおk 哲学、思想なんてそんなもんだろ
848 :
考える名無しさん :2008/12/11(木) 01:52:59 0
>>846 ドイツ人の行動様式を取り入れるだけでも、だいぶ違ってくると思う。
「ドイツ人の行動様式」ねえ…サッカーの話なら賛成してもいいんだが。
850 :
考える名無しさん :2008/12/11(木) 21:48:17 0
>>849 どんなことをイメージしていたのかな?
私は、例えば、あくまでも論理をよりどころとして議論するところだね。
ある事柄について、どんなに激しく揉めても、論理的に納得すれば、万事OKみたいな。
日本人ではなかなかそうはいかず、自分の意見をはっきり否定されることは、
人格まで否定されたように受け取られ、議論が終わったあとも、
両者に感情のしこりが残ることがほとんどだ。
ドイツ人の場合は、議論が終わるとお互いケロリとしていて、人間関係は良好なままだ。
>>850 に書いた日本人の特徴は、2chでも非常によく表れていると思う。
哲学を標榜するこの板でさえ、相手の意見を批判することから、
無意味な人格攻撃につながるということが往々にして起こる。
852 :
吉田メロウ :2008/12/11(木) 22:13:08 O
>>850 >>851 まあ、君らはお子様としか言い様がないね。議論は人格をか
けてするものですよ。論理とは言語の特性であって、我々が
直面する現象とはあまり関係はありませんな。
(´-`*)y―~゜
853 :
吉田メロウ :2008/12/11(木) 22:27:30 O
哲学教育といって俺が思い浮かべるのは、全人格な体験をせ ざるを得ない状況に自分を投げ込む。のっぴきならぬ課題に 直面することで人間は思想を持つようになる。これが自分の 中の羅針盤でありジャイロスコープだ。理屈や哲学史はその 後でいい。哲学教育とは、根源的な人間教育だといってよい。 (´-`;)y―゜
>>852 >まあ、君らはお子様としか言い様がないね。
こういう安易なレッテル貼りに陥らないようにするのも、哲学教育の一つだと思う。
自分のいう議論とは、決してただ相手を言い負かすことではない。
>>853 哲学は、そんな非日常的な体験にあるのではないと思う。
ごくありふれた日常の中に、問題はいくらでも転がっている。
>>850 どんなも何も、ドイツ人の知り合いとかいないし。ドイツ語は大学で習ったけど
まあドイツ人と話を、ましてや哲学について議論するなんざ冗談じゃないっていう程度のことだ。
あと、最近テレビは見てないが、以前は衛星放送でドイツのニュースとか、字幕つきで時々見ていたな。
まあ、そんな程度のところで、日本にいてドイツについて見聞きすることの中で一番尊敬に値するというか
見習うことができるなら見習ってもらいたいもんだと思うことがあるとすればサッカーだと思う。
そしてほかのことは、いいところもあれば悪いところもあるという意味で日本もドイツもそう違わないよな
というのが率直な実感だったりする
それでだ
>ドイツ人の場合は、議論が終わるとお互いケロリとしていて、人間関係は良好なままだ。
俺はコドモのころからこれとまったく同じ話を、日本以外のほとんどあらゆる国、
とりわけ欧米のあらゆる国の人の行動様式として、だいたい一度は聞かされたことがあるような気がする
あんまりさんざん聞かされてきたから、この手の話にはもうウンザリさせられているというのが本音だ。
要するにドイツ人やら何人やらが論理的だというよりは、「とにもかくにも日本人が」論理的に議論することを
まるで尊重する気がない、議論と言ったら最後は必ず低次元の感情的罵り合いまでいかなければ
おさまりがつかず、罵り合いをやめても、どちらかが死ぬまで(いな、本人が死んでも子孫の代まで)
感情的なしこりがたっぷり残る、そういうろくでもない、駄目な精神の民族だ、という話にしか聞こえんわけだ。
で、まあ、外人のことはさておき、平均的な日本人がいわゆる論理的な議論をとことん好まないというのは
別に嘘でもない、事実だろうという気がする。どう頑張っても哲学とかは苦手だということにならざるを得ない
というのもわかる。
だが、それは本当に日本人自身にとっても日本人のよくないところだと言うべきことなのか。
それは何らかの意味で弱点には違いないのだが、それはただ別の美点の裏面として弱点になってしまって
いるというだけのことではないのだろうか。
>>856 最後の3行はまさにその通りなのだが、その一方で、西尾幹二が「ヨーロッパの個人主義」で述べているように、
「自由」「平等」「法」「権利」「存在」など、現代日本人が日常用いている平凡な言葉の多くが、
ヨーロッパ発祥の概念であって、もはやそれらを完全に排して思考することが不可能である以上、
日本の美点だけにこだわり続けることには無理があるようにも思える。
>>857 別に美点にだけこだわり続けようと言うつもりはないよ。
パソコン(これだって「論理回路」でできてるわけだ)使って書いていながら
日本の古い美徳ばかり称揚するなんておかしな話だしな。
俺が西尾のその本を読んだのは30年も前のことだから記憶がひどく曖昧だが、
その後の西尾の論調からしても、その本は、ヨーロッパ人の論理性を絶対的な優位性と考え、
日本にそれがないことを嘆いてみせるというような内容の本ではなかったはずだよ。
むしろ「日本人にこんなものが身につくと思うなら大間違いだ」くらいのことを書いていなかったかな。
ドラッカーいわく「弱点を克服するなんて結局できはしない。長所によって補うことを考えよ」
そういうようなことを考えてみるべきではないだろうか。
>>858 >その後の西尾の論調からしても、その本は、ヨーロッパ人の論理性を絶対的な優位性と考え、
>日本にそれがないことを嘆いてみせるというような内容の本ではなかったはずだよ。
勿論。
しかし、この本に書かれていることは、30年以上たった今も全く変わっていないように見える。
>ドイツ人の場合は、議論が終わるとお互いケロリとしていて、人間関係は良好なままだ。 嘘嘘 ヨーロッパ人と付き合いが長くなれば分かるけど それぞれの国とそれぞれの分野、それぞれの人の間にそれなりに距離の取り方がある 例えばテーマが国民的な作家や哲学者で 相手のテーゼの本質を否定するような話題であれば、簡単に人間関係は悪化する 学会が分裂したりしてるの見てりゃ、外からでも分かるよ 単にルールが違うだけ どこにもそんな理想郷はありません
>>860 だからといって、何もしなくて良いということにはならないだろう?
>>861 存在しない理想郷を描いて、そこから離れているから駄目だという論法は何も産まない
>>861 まあまあ、気持ちは汲んであげたいが、
そこへもってきていきなり「ドイツ人の行動様式」では藪から棒にも程がある、ということだよ
むしろ
>>857 の
>「自由」「平等」「法」「権利」「存在」など、現代日本人が日常用いている平凡な言葉の多くが、
>ヨーロッパ発祥の概念であって、もはやそれらを完全に排して思考することが不可能である
こっちを先に出してくれた方がまだよかったと思う。とりあえずこの線で行かないか。
実際、これらの概念はわが国でも人々の社会生活において決して無縁なものではないし、
もともとそれ相応の哲学によって根拠づけられているということも確かだから、
これらをきちんと理解し運用する上でも(あるいは批判したり改革したりする上でも)、
その基礎たる哲学の理解もある程度までは必要とされるはずで、
とりわけ小中高の基礎的な教育課程においてそれが教えられてしかるべきではないのか、と。
864 :
考える名無しさん :2008/12/12(金) 18:53:44 0
教育学部ってカスだとしか思えんよ
865 :
吉田メロウ :2008/12/12(金) 22:36:28 O
>>855 「日常/非日常」この境界てのは、いくら探しても見つから
ない、いわば思考の方便みたいなもので、人が強烈に自己や
他者や世界について考えるのは、危機に際した時だと考える
のが自然だろう。むろん、日々の繰り返しの中にも思想や哲
学を宿すことができるのは言うまでもない。
(´-`;)y―~
866 :
吉田メロウ :2008/12/12(金) 22:45:41 O
>>855 議論が面白い瞬間てのは、お互いの意見から新しアイディア
が生まれ時ですね。自分の主張や立場に固執するだけの言葉
の応酬はそれこそ不毛だ。相手がクリエイティブな人間であ
るほど、議論は限りエキサイティングなものになる。
(´-`;)y―~
867 :
吉田メロウ :2008/12/12(金) 23:09:37 O
>>857 自由、平等、法、権力、存在。こういったものは本来的に分
けて考えることはできない。分かち難く結び付いているそれ
は人間関係や社会の在り方の問題だ。自由とは?平等とは?
こうしたことを一つ一つ分けて考えることに概念化の欠陥が
ある。そしてこういった問いが問題にしているのは常に人間
の幸福についてであり、西洋、日本。そんなことは始めから
問題ですらない。必要なのはビジョンとシステムであり、そ
こで生きる人間について考え続ける事が哲学の正体だ。哲学
は常に世界に生きる人間を冒険へと駆り立てる。そしてそれ
が人類と文明の栄光と挫折なのだよ。
(´-`;)y―~
>>862 確かに、我ながら、
>>831 で引用したことをそのまま再現してしまったようだ。
西尾幹二「ヨーロッパの個人主義」には、また、こうある。
>それでいて日本人は、一人でいるときは、自分の意思をはっきりさせず、じつに臆病で、
>曖昧な態度をとりがちだということが外国生活ではことに顕著になる。
>女性の留学生たちは(中略)ドイツの男性から求められれば唯々諾々と誰にでも自分のアドレスを
>教えてしまい、後で、会いたくもない人が訪ねてきたと不平をもらしている人が多かった。
>アドレスを教えれば、男が訪ねてくるのは当たり前で、その時になって断るより、最初にはっきりした態度で
>アドレスを教える意思がないことを明らかにすればよいのだが、それはヨーロッパでは決して非礼にはならない
>ということに気づくまでには相当の経験がいるものらしい。
(中略)
>ヨーロッパ人は自分の納得しないことは決して応諾しないし、若い、無邪気そうにみえる女の子でも、
>意見が違えばはっきり「否」という。それでも、そのことが対人関係の円滑を欠いたり、気まずい思いを
>相手に与えたりしないところに問題がある。
あるいは、氏がドイツ滞在中に日記に書きとめたこのような記述。 >昨日も、郵便局で、中年のドイツ婦人が、つまらないいさかいで局員と激しいことばを投げ合っている現場を >この目で見た。たとえ女性でも、ヨーロッパではどんなに激しい情熱をもって自己を主張するか、それは凄まじい >光景だとさえ僕には思えた。責任問題がからむと局員のほうも負けてはいない。それでいて、まわりの人は別に >驚いている様子もないのだ。よく見かける風景なのである。しかしことばで納得がいくと、感情的にしこりが残らないせいか、 >争いが終わって、その中年婦人は落ち着いた表情でその場を立ち去っていった。なかなかああはいかないものだ。 >日本でも衆人環境のなかで喧嘩をする人がよくあるが、逆上がさめても、なお興奮を残しながら照れ臭い顔をする。 >だいたいドイツ人には「照れ」という感情はまったくないのかも知れない。そのかわり、ことばが完全に感情を整理する >役目をはたすのだろう。あるいはことばだけではない、社会生活上のいろいろな取り決めや、慣習や、様式がしぜんに >それを整理することに役立つのだろう。 また、小塩節「ドイツ語とドイツ人気質」にも、こうある。 >ドイツ人はどんなに激しく論議をぶつけ合わせても、それが個人的な悪感情となって残ることがないのである。 >批判が個人的非難とされてしまう私たち日本人の風土とは違っている。 >個人どうしの日本語では何事につけ「・・・ではないでしょうか。」「・・・だろうと思うのですが。」と言わないといけない。 >ドイツふうの歯に衣を着せぬ批判をぶつけて、「あなたの方法はまちがいです」とのっけからやったら、一生のうらみを買ってしまう。 実のところ、私のレスは、「最近仕入れた知識の披露」に過ぎず、それらを充分に自分の中で 咀嚼できておらず、底の浅い、議論以前のものであったのかも知れない。 引き続き、自分の中でもう少し深く考えてみようと思う。
870 :
考える名無しさん :2008/12/18(木) 22:22:49 0
871 :
吉田メロウ :2008/12/19(金) 07:22:47 0
マンコ!
872 :
考える名無しさん :2008/12/22(月) 18:38:43 0
>>1 は馬鹿か。
哲学は自ら考えるもの。
教育する方がイカてる。
↑のマンコ。
お前は正しいよ
873 :
考える名無しさん :2008/12/29(月) 00:45:06 0
いちいちププピピーッ!! ーッ!! ーッ!! 騒ぎなさラピーッ!! ーッ!! レンチョピプピーッ!! ーッ!! プゲラレンチョピピーッ!! う る さ い よ 全 く !! ...-ー、,-─ .-=・=- i、-=・=- .. / ー-' ヽ . . .. -=ニ=- ダラダラハゼ〜ってプーチャカピー
874 :
考える名無しさん :2009/01/02(金) 06:52:09 0
そもそも哲学なんぞ工学の応用にすぎないんだよ?
875 :
エジプト軍 ◆VnUZ9WuidM :2009/01/02(金) 20:32:17 0 BE:926194493-2BP(1000)
876 :
エジプト軍 ◆VnUZ9WuidM :2009/01/02(金) 20:32:55 0 BE:926194493-2BP(1000)
877 :
考える名無しさん :2009/02/07(土) 02:20:57 0
878 :
考える名無しさん :2009/04/30(木) 09:45:39 0
あげ
>>869 なるほど、ドイツでは市民レベルで弁証に慣れているんですね。
>>826 アメリカの哲学教育って分析哲学中心らしいな
881 :
考える名無しさん :2009/07/03(金) 16:27:06 0
>>874 大学の現状に対する絶望感の表現として
同意、共感、支持
882 :
考える名無しさん :2009/07/10(金) 13:50:28 0
哲学は数学とリンクしてるって聞いたんだけど、どうなの?
883 :
考える名無しさん :2009/07/10(金) 14:02:06 O
暇なのでNHKで数学基礎でピタゴラスの三角形の定理やっていたが直感三角形の坂のところは空(天)から横の空間軸から時間軸に向かって認識が到達し一周してた。三角形は輪になるから全部に円はある。
非ユークリッドかね
885 :
考える名無しさん :2009/07/10(金) 14:15:54 O
ユークリッド幾何学は想像上のものだろ。宇宙空間である以上線が同質一本なんてありえずまあ必ず一周はするもので結びつけないものは五十七億六千年の後にあるか外につながりがあるものでしょう
886 :
考える名無しさん :2009/07/10(金) 14:21:13 0
別にユークリッド幾何学に限らず、数学はすべて仮想上の世界の話だが。
887 :
考える名無しさん :2009/07/13(月) 21:20:29 0
俺は工業高校から大学へ進学したが、工業高校では専門科目と実験・実習 以外は軽く見られているんだよね。社会の教師が哲学らしきことを言って いたが、それが哲学であることに当時は気が付かなかった。「哲学」という 言葉すら知らなかった。1浪して高校と同じ専門の理系に進んだが、今思う と、哲学科進めばよかったと多少後悔している。今はamazonで哲学の本を 漁る無職です。
888 :
考える名無しさん :2009/08/05(水) 15:05:25 0
>>652 | ! | |
| │ 〈 !
| |/ノ二__‐──ァ ヽニニ二二二ヾ } ,'⌒ヽ
/⌒!| =彳o。ト ̄ヽ '´ !o_シ`ヾ | i/ ヽ ! や ら な ry)
! ハ!| ー─ ' i ! `' '' " ||ヽ l |
| | /ヽ! | |ヽ i !
ヽ { | ! |ノ /
889 :
考える名無しさん :2009/08/05(水) 15:06:51 0
誤爆した、すまないw
890 :
考える名無しさん :2009/08/05(水) 21:06:20 0
つ「役に立たねぇ」 つ「脳みそ無駄遣い」
891 :
考える名無しさん :2009/08/05(水) 22:18:54 0
哲学教育の必要性は認める。
国民全体が哲学、もっと平たく言えば一過性の流行でない確固たる行動原理、理念を
持っていないと今のように国際社会の中で振り回されるだけだからね。
但し導入、実施には細心の注意が必要だな。只単に机上の空論を積み上げるのみで、
その論を社会に適用し働きかけていくに際して必要不可欠な人格形成を疎かにすると、
屁理屈を捏ね回すだけの自分勝手で傲慢な自己愛型人格障害者を産み出すだけだ。
その事はこのスレの
>>1 氏が身を以って教示してくれている。
892 :
考える名無しさん :2009/08/06(木) 01:38:41 O
哲学というか、先ず論理を鍛えた方が良い。日本人の性質として、意見はするけど理由を付けない悪い癖がある。だからマスコミや政治家に情報操作され易いと考える。 まあ私も悪い癖があるけどねぇ〜
>>891 >一過性の流行でない確固たる行動原理、理念を
>持っていないと今のように国際社会の中で振り回されるだけだからね。
まさしくそこが重要なポイントなんだけど、いわゆる哲学の専門家達が
そこをすっ飛ばしてソクラテスだニーチェだヴィトゲンシュタインだと
屁理屈を捏ねくり回してるだけだもんね。
そしてそれをわけも分からずただ有り難がるだけの一般人。
894 :
考える名無しさん :2009/08/06(木) 15:11:15 0
日本人に馴染みの「哲学」って、ある種の実用主義だと思う(例;和魂洋才)。 そうした立場を相対化して初めて、日本人にも「国際感覚」なるものが 根付くんだと思う。 軍国主義化とそれに続く敗戦にしろ、バブルとそれに続く経済停滞にしろ、 絶対的にそこに起因してると思うね。 その意味で、哲学教育は良。
895 :
考える名無しさん :2009/08/06(木) 23:08:17 0
そもそも哲学なんぞ工学の応用にすぎないんだよ?
896 :
考える名無しさん :2009/08/06(木) 23:17:42 0
>>891 >屁理屈を捏ね回すだけの自分勝手で傲慢な自己愛型人格障害者を産み出すだけだ。
いや、ある程度そうやって、社会をかき乱せばいいんじゃね?
そして、どうすれば他者とうまくやっていけるかということを、身をもって体得していけばいいのだと思う。
いくら理念ばかり押し付けたって、その理念と自分の実際の日常生活と結びついていなければ、
単なる絵に描いた餅に終わるだけだろう。
事なかれ主義というか、できるだけ対立とか相手を傷つけることを避けることばかりやってるから、
いざ、そういう問題が起きた時に、極端な手段に訴えることしかできなかったりするんだと思う。
哲学は学問ではなく趣味レベル。 故に教育なんて言葉はふさわしくない。 論理学は必要だと思う。
論理学こそ趣味だろ 実践的に必要なのは修辞学
自分のためには役に立つと思うけどね
900 :
考える名無しさん :2009/10/07(水) 01:52:49 0
そうだね
__ `ソ/-=・=- -=・=-\/ ̄/ \/゚ ,ハ \/ ヽ. ヽ. ⌒⌒ ノ / アポロ月面着陸を ヽ. ヽ、`==´ / / まだ信じてるのかね? / \ ぴゃぴゃぴゃぴゃぴゃ〜 ( | | ) \| э |/ / ″ ν. \ (( (( (( /_ ヽ、__炎_,ノ_ \ ウィンウィン  ̄ \_ \(U)/_/ ̄ ウィンウィン \/ / / /\ ⊂⌒__)__)
ハァ?
>>896 お前バカだな
ここのスレ主みたいな奴とどうやって折り合いつけるんだよ
貴方の言ってることの方がよっぽど絵に描いた餅です
904 :
考える名無しさん :2009/10/28(水) 13:04:18 O
欠けてるのは哲学でなく躾。豊かな体感の教育 口先だけで物事がわかったような糞ガキをこれ以上増やしてどうする?
そうでなくとも今は匿名のネット掲示板だの コメンテーターだの、ネット批評家だのブログだの 口先だけでペラペラ偉そうに文句言うだけで 自我を形成してる無能の大人達が席巻してるのに 哲学を与えてもここ2ちゃんねる同様、罵り合いの道具に使われるだけだろうな
906 :
考える名無しさん :2009/10/28(水) 13:53:27 0
やくま
触る
>>904 まあ、ガキに教育を行う親や教師が、全員聖人君子ってならアリだと思うよ。
909 :
考える名無しさん :2009/11/13(金) 01:02:20 0
910 :
考える名無しさん :2009/11/22(日) 19:10:10 0
>>1 の問いにに戻って考えるなら――
日本人に徹底的に馴染まないものが(西洋)哲学だと思う
なぜなら日本的言語行為とは完全に対極にある営みだから
ニーチェの時代から「誰も哲学になんか期待していない」
現代では常識となっている理念だって哲学者から生まれたというよりは
社会の軋轢の中から必然的にそれらが希求されたと言うべきだ
日本の教育過程は特に異常ではなく、哲学がなくても特に問題はなしと考える
(哲学はそれ自体が決して「倫理的」なものではない。そんなふうにゆがめて伝えられる方がもっとよくない)
911 :
考える名無しさん :2009/11/22(日) 19:14:51 0
俺は長年哲学をやってるが、哲学が日本人に馴染まないとか感じたことはないな。 おまいに馴染まないだけなんじぇねえの?
世間が狭いんだなww
哲ヲタとしか付き合いないんだろ
915 :
考える名無しさん :2009/11/26(木) 01:57:50 0
>>914 どんなところが哲学的ではないか述べないところが哲学的ではないよ。
日本人に馴染まないと言う一般的結論を出すのであれば、せめて根拠となる統計ぐらい取ってくれないと。
まともにものを考えられるようになったら、 日教組の教育が間違っていることがばれてしまうではないか! 日本語は、やまとことばでものを考えることを忌み嫌う? 言挙げせぬ国とかなんとか。 まず、古文漢文をきっちりと教えて、古典教養を身につけ、諳んじれるようにするべき。 何も無いところから、ものを考えるのは難しいから。 ものを考える土台や、前提になる共通認識が無いと、議論自体難しい。 現在の英語教育からは、ギリシャ哲学と聖書からなる西洋思想の二本柱を伝えることは出来ない。 やまとことばのみで理論を考えることを、日本はしてこなかった。 古文漢文の知恵や道徳の集積であるシナ系の教養を、戦後教育は否定してしまった。 戦後共産主義が幅を利かせて・・・・
918 :
考える名無しさん :2009/12/03(木) 23:49:09 0
>>916 統計なんか取らなくても、日本社会で生きてこれば、身をもって感じてることじゃね?
法律や契約よりも、義理や人情が優先されるとか、
正しいことを主張すると、和を乱す奴として阻害されるとか。
そういう風潮は、無意識のうちに、日本人のごく自然な行動様式として染み付いていると思う。
そして、それは哲学が日本人に馴染まない大きな理由とも言えると思う。
・・・と、このように、全く論理的でなく 「身をもって感じてることじゃね?」と、ただ実感に基づいた同意を求めてしまう まったく哲学に向かない人間であることを自ら示してくれているわけですね
920 :
918 :2009/12/05(土) 01:25:32 0
>>919 それはどうなんだろう。
哲学に向いてる、向いてないっていうのも、結局は感性の問題だと思うんだよね。
哲学自体は、なんら価値があるわけではなく、哲学に向いていないことが劣っているわけでも、
哲学に向いていることが優れているわけでもない。
あなたのそのレスは、ある面から読めば、まるで哲学に向いていないことが、軽蔑すべきことで
あるかのように受け取れるが、別の面から読めば、単なる現実を淡々と語っているとも言える。
西洋思想の輸入だけに汲々とするのは愚かなことだけど、 西洋思想起元の単語を他の論者が輸入したのを、 更にオレオレ定義で再援用して使うのはいたずらに混乱を増やす行為だと思う。 外国産牛肉を国産と偽ってはいけません
哲学教育を考えるより先に 教えるべき(すべての日本人が教わってしかるべき)哲学を構築する方が先だろうとは思う 当然の話だが、教えるべき哲学というのは大学院で研究されている種類の哲学ではない そういう哲学は必要だが、万人にとって身近な知識・思考として必要なものではない そうではなくて、必要なのは個々人が個々人として生きていくということに関連する哲学だと思う 自然科学には生物学的な個体性(individuality)という概念はあっても個人(personality)という概念はないし ましてやその中核であるところの実存(existence)という概念はない 社会科学は社会の中の個人ということは考えられても、個人が社会と対立的に、あるいは 社会と無関係に存在する相(phase)を持って存在している、ということは原理として考えに入れられない こういった概念や思考は哲学の領域にあるもので、かつ哲学の領域でのみ培われてきたものだ 今後の日本人は個々人が個々人として生きて行く上で、社会も国家も企業も家族もその他諸々の いかなるものにも安定した信頼を寄せられないような、極めて危なっかしいところで生きて行かなければ ならない可能性が高い。要するに自分で世界を眺め、考え、判断し、行為するよりほかにどうしようもない ということだが、それをするにも肝心の「自分」が確固として存在しなければいけないわけだ そもそもそれ自体が反制度的なものを内包するはずの哲学を教育制度として構築できるものなのか それ自体が不明だが、もし可能だとすれば、意義のある唯一のテーマはそれだと思う
哲学にしても思想にしても、単純に哲学の歴史だけを教えればよいってものではなかろう やはり倫理から始まりちゃんと教えないとね 四書五経を子供にちゃんと教えていくとか、そういうのも手だと思うが いまの時代には馴染まない部分もあるだろうからな。 自己の内面は老子や仏教哲学を重視し、外面は墨家の教えを そして世俗や政治の問題にはマキャベリを重視する。 これが私の基本的な考えだけどさ
GHQが、日本を堕落させるために、修身などを教育から取り上げた そろそろ旧に復すべきだろう 義務教育課程での哲学や思想教育の復活が必要だ
925 :
考える名無しさん :2010/02/11(木) 18:05:54 0
社会の歯車に成る奴に、哲学なんて不要。 新しい何かを生み出す人には必要だが、それは教科書に従う教育で なんとかなるわけではない。 経験と知識は越えられない壁の先にあるんだ。
戦前の日本では哲学教育は重要な教育の一つだったよ 旧制の高等師範学校では哲学教育がもっとも重要な教育だった。 だいたい哲学教育を疎かにしているから、阿呆みたいな平和思想や奇妙な新興宗教が幅を利かせるのだよ
927 :
考える名無しさん :2010/02/13(土) 11:44:12 P
>>1 哲学教育を重視したらどうなるかわかるよね?(w
日教組の教師ですら、集団主義教育、画一的教育、従順な人間を育成する教育を
行って来た。自民党政権に反対しながら、生徒には逆の教育をする。
トンでもない精神分裂的教育である。
ものごとをまともに考えられるようになったら、 日教組の存在そのものが間違っていることに気づくからじゃね?
教職の必須科目でなくなったから それだけ
930 :
考える名無しさん :2010/02/19(金) 08:42:51 0
哲学は必要だけど、純粋な哲学だけでは何の利益も、なんの発展も なんの効用もない。 それが現実ってこと。たの学問と組み合わせて存在するべき。
931 :
考える名無しさん :2010/02/19(金) 11:25:44 0
>>930 >純粋な哲学だけでは何の利益も、なんの発展も
>なんの効用もない。
哲学にそんなこと関係なくね?
効用とは何か自体を問うのか哲学なんだぜ?
>>931 君そんな認識だったら一生ジリ貧だぞ。哲学単体では物事を判断する物差しが形成されない。
行き着く先はエセ宗教で人生お仕舞いになるぞ。
933 :
考える名無しさん :2010/02/23(火) 03:12:49 0
915 :考える名無しさん:2010/02/22(月) 23:39:51 0 セクハラ事件を起こして龍谷大学を馘になった教授って大橋良介か!こいつは西田哲学会の会長だな。いい年して若い女を強姦とは、なんなんだコイツは? 916 :考える名無しさん:2010/02/23(火) 01:56:58 0 高尚な文系の最高峰である哲学研究者は 苧疾呼玖差亥苧饅湖にむしゃぶりつきながら 生と死をプシュワカハンニ哲学するのだよ? いい年して若い女を強姦することこそ、哲学の真髄じゃよ?
934 :
考える名無しさん :2010/02/23(火) 23:01:43 0
935 :
考える名無しさん :
2010/08/02(月) 13:34:25 0 こんなスレあったのか