1 :
考える名無しさん:
私は、哲学というものを血路であると考えています。
様々な意味でそういっているのですが、私の意見を述べる前に、皆様の意見を聞かせて頂ければ幸いです。
思考の整理とも言われますが、剣呑なのは当然です、はい。
おれは哲学とは晴れた日に神社の石段を登ることだと考えている
4 :
考える名無しさん:05/03/05 00:21:13
私はあまり断定するの好きではなかったのですが、ついやってしまいました。
まあそれはいいとして、私が哲学が人間の血路であると思うのは、単純です。
まず第一理由から説明しましょう(これが一番単純です)。
哲学の本を読んでいるとしばしば本質を見抜こうとするものが見受けられます。すなわち普遍のものを見出そうとしているのです。
ばらばらなものがあると非常に不安であるから、普遍のものを見つけて安心をしようとしている。
科学で言えば法則を見つけようとすることです。これがまず一つ目の理由であります。
ご理解頂けたでしょうか。
5 :
考える名無しさん:05/03/05 01:06:48
ばらばらの方が安心できる
6 :
考える名無しさん:05/03/05 01:07:28
第二の理由は少し表現がしにくくなるので、うまく伝わらないかもわかりません。
哲学というのは、非常に物事を客観的に見るものです。客観的というと語弊があるかも知れませんが、
物事を語るときは自分が第三者になります。そうすると、恰も自分が周囲を冷徹に観察し、冷静沈着
に意見を述べているような錯覚をします。人間が高尚になった気分に浸れるのです。
論説文や小説を読んだときも同様の錯覚に陥ります。その本に書いてあった事が周囲で起こっている
と、その出来事が愚劣で自分の予測内のことであると思い込んでしまうのです。
周りのことが下らなく思えれば、何が起きても平気になります。だから、最高の現実逃避なのです。
哲学かであれば、自らを非凡人化することで周囲と断絶する人もいるでしょう。
これは罪と罰で言うラスコーリニコフに当たります。
>>6 こんなスレで油売ってないで自スレの質問に答えろよ
8 :
考える名無しさん:05/03/05 01:49:35
第三の理由。それは哲学は死であることです。
三島由紀夫大先生が戦争と寝床を共にしていたのと同様に、哲学とは死と共に
横たわっているものであると思うのです。
死。これは人間の理想であり、最後の逃げ道であると思うのです。
そうです、理想なのです・・・・・・。
漆黒の雪
隘路だと思う。
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ