1 :
考える名無しさん:
永遠のテーマ。
教えてください。
神を見たものは、未だかつて誰もいない
神は何もしてくれない
そこに「在る」だけ
それゆえに「神」なのだ
人見知りなんだろうな
5 :
考える名無しさん:05/03/02 16:16:39
>>3 重複していません。
ここは神は何故我々の前に姿をあらわさないのかについて論じるスレです。
古代人だって神は現実に姿を現さないものと確信していた。その媒体と
して天使とか悪魔がいるわけで。
7 :
考える名無しさん:05/03/02 17:05:45
あなたの心の中にいます
心の眼で見てください
必ずいます
まさか、もうすでに見えているとしたら・・・
9 :
考える名無しさん:05/03/02 20:40:59
世界中のあらゆる文明、社会で信仰される神々はそれぞれ外見が違う。
真の神はどんな姿であらわれればよいのか決めかねているんじゃないか?
10 :
考える名無しさん:05/03/02 20:43:30
>6
その天使や悪魔だって姿をあらわさないじゃないか。
媒体になどなっていない。
神は本当に存在するのか?
11 :
考える名無しさん:05/03/02 20:44:05
私が神であるから、姿をあらわさない。
12 :
考える名無しさん:05/03/02 23:48:54
神は卑怯なり
いないからだよ(プ
「徳川埋蔵金が見付からないからと言って、埋蔵金がないとは言えない。」
↓
「宇宙人が見付からないからと
↓
「神
15 :
考える名無しさん:05/03/03 00:31:18
神は思考停止した奴言い訳につかう「万能の存在」でしかないのです
>>2 神を見たと言われてる人ってのは古来から現代まで腐るほどいるんだが?
「そういう人は全員、キチガイか嘘つきに違いない」ってか?
それは、
「神なんて存在しないに違いない」→「だから神を見たという人はみんな嘘つきに違いない」という
思い込みにすぎないよ。
F1の故アイルトン・セナが、過酷なレース中に「神をみた」と語ったことがあっただろう。
俺は、無神論者だが、セナは「神をみた」と思うぞ。けして比喩ではなく確かに。
案外、神のイデアは、先験的に、人類のDNAなり言語能力なりの中に、組み込まれているのではないか。
ちょっと言い方が悪かったかな。もう一度言うと、
「全世界で、過去から現在までの全歴史上神を見た人はいない」なんてことを
証明することは、どんな人にだってできない。
だから、「神を見た人は存在しない」と思っている人は、単に
「神なんて存在しないに違いない」→「だから、神を見たという人はみんな嘘つきに違いない」
という推論に基づいているわけだ。
だから、このような推論から得られた命題を基にして
「神を見た人はいない」→「従って神は存在しない」
と主張するのは前提と結論を取り違えた誤りだ、ということね。
19 :
考える名無しさん:05/03/03 01:05:15
□神は何故我々の前に姿をあらわさないのか□
姿現わしたとき、おまいが目つぶってただけ
死ぬまで開けてろ、必ず現わす
これがもし、ウソだったら1億円やる !!
20 :
考える名無しさん:05/03/03 01:09:23
まだ生きているということは、死ぬまで目を開けてはいなかったという
ことだから、まだウソだと証明されていないと言うことだ、ってオチか?w
21 :
考える名無しさん:05/03/03 02:53:02
22 :
考える名無しさん:05/03/03 03:55:25
だったら、やめとくわ
23 :
考える名無しさん:05/03/03 17:29:07
日本には天皇という現人神がいるじゃないか!
24 :
考える名無しさん:05/03/03 23:26:39
マイガッ、マイガッ、オーマイガー、ジーザスクライスト
25 :
考える名無しさん:05/03/03 23:48:13
人類が神の領域に到達したとき
神は我々の前に姿を現す。
これはあらかじめ「予定」されているイベントである。
26 :
考える名無しさん:05/03/03 23:57:30
老人、貧しい人、病気の人、幼児の中に神を見ることができます。
神はそのような姿の中に現れ、我々に優しさを思い起こさせてくれる
のです。
聖書にもそう書いてあります。
27 :
考える名無しさん:05/03/04 00:06:57
>>26 統一教会は嫁不足の南朝鮮に日本人売ったりするし、関わり合いにならないでください。
28 :
考える名無しさん:05/03/04 00:10:26
>>1が神をどう思っているのかが聞きたい。話はそれからだ。
29 :
考える名無しさん:05/03/04 00:28:41
神はもう我々の前へ姿を現している。
ただ我々が気がつかないだけだ。
人類自身に問題があることに気づけ。
30 :
考える名無しさん:05/03/04 00:49:37
「俺のこの手が真っ赤に燃える〜 勝利をつかめと轟き叫ぶ〜!!
爆熱ゴッドフィンガー、ヒィィィトエンド」
31 :
考える名無しさん:05/03/04 00:55:57
「二人のこの手が真っ赤に燃えるぅっ!幸せ掴めと!轟き叫ぶっ!
爆熱!!ゴッドォッ!! フィンガァァァァァァァッ!!
石破っ!ラァァァァァァラブゥゥッ!天驚おおおおっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっ!!!」
32 :
考える名無しさん:05/03/04 04:36:41
>29
それは本当ですか?どういう問題が人類にあるの?どうしたら見えるようになるの?
33 :
考える名無しさん:05/03/04 12:03:47
星新一の「神」という短篇があったな。
スーパーコンピューターに世界中の神に関するあらゆる情報を何億といれていく。
そのうちコンピューターは黄金色に神々しく輝き始める。
しかし、完成に近づいたときコンピューターはどんどんぼやけていって最後には消えてしまう。すなわち、神の完成。
見たりさわったりできないもの、それが神。
34 :
考える名無しさん:05/03/04 12:07:31
全知全能の神が失敗作を創るわけがない
よって、何をしても全て神の思し召しさ
神は幼児を殺したりしてひどいやつだ
36 :
考える名無しさん:05/03/04 12:11:45
しかも、人間を懲らしめるために他の動植物まで巻き込んだりしてな
37 :
考える名無しさん:05/03/04 12:19:45
雑踏の中のあのおっさんが実は神である
とは言えないことを証明する方法を考え中
38 :
考える名無しさん:05/03/04 12:44:24
雑踏の中のあのおっさんが実は神である
と言うことは可能 真偽は別として
39 :
考える名無しさん:05/03/04 14:48:12
救ってくれない神なんか拝んでも仕方ねえと思うんだが。
キリスト教じゃ救済される人間は神が勝手に決めるんだろ?
40 :
考える名無しさん:05/03/04 14:56:36
神を見たと言う人は、何故それが神だとわかったのだろう?
もしかして、神と友達?お知り合い?お隣さん?
ロ神?
42 :
考える名無しさん:05/03/04 16:08:25
猪神さま?
43 :
考える名無しさん:05/03/04 16:09:58
おかみ
44 :
考える名無しさん:05/03/05 00:40:42
>>25 神の領域に達したら人類は神自身でわないか、確かに姿を現してるわないっぱい
しかもそんな時点で現れたところで役たたずだし、今ごろなんか用?みたいなw
45 :
考える名無しさん:05/03/05 19:53:33
人間は外見や第一印象で判断するでしょう。
姿を見せて、下手したら信仰を失いかねない。
だから見えない状態で各々のイメージに頼った状態が一番いいんだよ。
46 :
考える名無しさん:05/03/05 20:22:49
神様はいないから姿を見せない
そうでなければ世界中に異なった神様がいる訳が無い
同じようにその神から見て他の神って何なわけ?
結局は人間が作り出した理想
人が理想とするものは常に人の上にある
例え人間が天変地異を起こせたとしてもそいつは神でなく人間だろう
神は人間が作り出した虚像 そして神を信じる者は神を見たがらない
神を見ることに意味などないのだから
上で言われるように神を見た奴は何かどうかしてるに決まっている
ただ・・・
最近俺はこの世のルールや摂理が美しすぎて
それを作り上げた存在がいるのなら
そいつは(俺にとってだが)神だと思う
47 :
考える名無しさん:05/03/05 20:23:51
>>45 イスラム教では偶像崇拝が禁止されており
イスラム教徒は「石」に向かい祈ります。
なぜイスラム教徒が偶像崇拝を禁止するのかというと
人間の貧弱な想像力で神を偶像化することは神に対して失礼だという気持ちがあるからです。
いや失礼ならまだしも神を侮辱していると思うわけなんです。
所詮は人間の頭脳で導き出されたイメージ。
神には遠く及ばないということでしょうか。
48 :
考える名無しさん:05/03/05 21:20:05
猿の惑星を見ること
49 :
考える名無しさん:05/03/05 22:22:28
いうなれば神は自然そのもの
神の存在を求めるのは子供時代に大人に頼ってきたなごりであり自分達にとって絶対的な存在を求めるあまえの精神に他ならない
つまり大人になれてない人は神を求める
50 :
考える名無しさん:05/03/06 11:20:17
そもそも神を視覚のみで認識しようなどという発想自体が滑稽だな
だいたい神の姿を知っているのか?
これは神じゃなくて、あれは神だという違いが分かるのか?
何故今まで姿をあらわしていないと言えるのか
51 :
考える名無しさん:05/03/06 11:51:47
神様はいらっしゃる。それは心の中で自分をみつめる自分として。
52 :
考える名無しさん:05/03/06 11:54:25
神はあらゆる人間のうちに住むが、すべての人間は神のうちに住まず。
53 :
考える名無しさん:05/03/06 12:02:16
心の中では神様と自分は対立の関係にあるのだよ。
>>46 なんかこんなとこにはもったいないような文章だ…
こういうの登録できるサイトとかない?
55 :
考える名無しさん:05/03/06 15:05:05
なんということでしょう…。
匠は足の悪いおばあちゃんのために〜〜!
本日 18:56 10CH ミルコ
56 :
考える名無しさん:05/03/06 20:49:15
いわゆる預言者たちは神を見たのか?モーゼ、キリスト、マホメッド…
57 :
考える名無しさん:05/03/06 20:59:28
神はなどという絶対性を持ったものを人間がみたら、間違いなく我々は
無気力になってしまう。物事の真理(神)など知らないほうがいい。
むしろ、真理を追う過程こそ心理かもしれないから。
58 :
考える名無しさん:05/03/07 00:17:14
>>55 あのナレーション大袈裟すぎ。。
ウルルン滞在記といー、もっと普通でいーやんって…
59 :
考える名無しさん:05/03/07 01:46:23
神は偶像だから、この世には存在不可能である。
神を信じる者は滅びる運命にある。
地球を食いつぶす輩こそ神を信じているからあきれて仕舞う。
60 :
考える名無しさん:05/03/07 03:41:03
神は偶像だから・・・何を根拠にこんなことを。
偶像ならわれわれの前にいくらでも転がっている。
今はそんな話をしているんではないよ
でも神を信じている連中のほうが独善的に
なりやすいというのは事実だと思いまっせ
61 :
考える名無しさん:05/03/07 03:55:37
形而上学市ね
62 :
考える名無しさん:05/03/07 10:33:59
神…人類のつくった最大の失敗作
そもそも作品は 創造者の意図をこえ一人歩きするもの
そりゃ、姿を現したら不細工だの何だのと突っ込まれて、たちまち
神様じゃなくなっちゃうからだよ。
64 :
考える名無しさん:05/03/07 11:22:36
僕は予言のとらえ方を間違えていたのかもしれない
あるいはいついつ時代にも共有されている覚醒的な存在なのではないだろうか
事実仏陀やキリストの思想性は僕等が生きている社会に影響し続けている
そのような感覚的な物であると思われる
65 :
考える名無しさん:05/03/07 11:25:08
人生は観察 分析 応用の繰り返しである
あぼーん
68 :
考える名無しさん:05/03/10 23:53:58
でっなんで神はでてこないんですか?
70 :
考える名無しさん:05/03/11 19:15:11
みんなが考える神って唯一神的で人格を持った神なんだね。
何で神が人の目の「前」に姿を現さないか?というのは
神を見る視線そのものが神の視線だからだよ。
私が神を見る視線は、神が私を見る視線と同一である。エックハルト
神と私とは絶対矛盾的に自己同一である。西田幾多郎
(引用は記憶によるんで不正確だけど)
こういう問題は、実は既に昔の哲学ないし宗教哲学によって解決されてるんだけどね。
72 :
考える名無しさん:05/03/14 16:39:05
もっとわかりやすく教えて
73 :
考える名無しさん:05/03/14 16:48:02
神秘的という言葉があるが、神は常に秘匿された存在なのだ。
姿をあらわしてしまったら、それは神とは言えない。
触れることができるのは神の痕跡くらいなもので、これは「神露的」ということができよう。
見えないだけだよ。
今なら特別に、神が見えるようになる眼鏡2980円で売ってあげるから、メールちょうだい。
75 :
考える名無しさん:05/03/14 18:49:07
5円で仕入れて2980円?こら!
76 :
考える名無しさん:05/03/14 22:38:47
万物を生み、育む太陽は神を表わしています。地上を見れば太陽が照っているかどうか
分かりますが、私たちは太陽を肉眼で正視するなら目が破壊されてしまいます。それが
何を意味しているのかよく分かりません。無限の創造者・神を有限の被造物である人間
は直接全部把握することはできないという意味でしょうか。あるいは、それをしようと
すると私たちは脳が破壊されるという意味でしょうか。いずれにせよ、神が直接現れら
れたら人間は威圧されて自由を失うでしょう。そうしないためも普段は目に見えぬ神で
あるのでしょう。
>>77 神が存在しないことを証明してみてくださいな
できるのならね
79 :
考える名無しさん:05/03/15 10:37:03
このテーマに対する仮定としては、確かに最も衝撃的なものは「だって神は存在しないから」。
ほかに、このような仮定がある。
●「オレたちの目が悪いから」
●「われわれの前ではなく、われわれの後ろにいるから」
●「むしろ神の前には我々は姿をあらわしていないのかもしれないぞ」
●「神の勝手でしょ」
●「神は裸だから恥ずかしい」
80 :
考える名無しさん:05/03/15 10:39:16
●「神でないものはない」
81 :
考える名無しさん:05/03/15 10:53:53
それがあったか!!
まともな宗教ならば偶像すら拝んではならない。
つまり肉体と精神の二分論だろう。
神は肉体を持たない純精神だから、姿をあらわす必要はないの。
83 :
考える名無しさん:05/03/17 14:50:01
でも実際に姿をあらわしたほうが信仰心も厚くなるだろうし無神論者なんていなくなるだろうし
神にとっては世界を有利に支配できるんじゃないの?
84 :
考える名無しさん:05/03/17 15:21:56
↑神とカルト宗教の教祖様の区別がついてないようだ。
85 :
考える名無しさん:05/03/18 03:11:08
人類の歴史上最初の妄想は神
神が存在しないと思ってる人は、
「誰もが(というか、正確には自分が)神を見たことがないから、
神は存在しない」と思っているわけで、
そうすると、
「神は存在しないから、神は姿を現さないんだ」というのは
ただの循環論法にしかならないのだが
正確に言えば、「神が姿を現した」とされる事件は、
インドとかヨーロッパに行けば、幾らでもあるわけなんだが。
勿論それらの中には、ただのでっち上げに過ぎないものも含まれるでしょう。
しかし、それらの事件について全て知悉しているわけでもないにもかかわらず、
「神が現れたなんてのはウソに違いない」と判断するのは、
自分の判断の域外のことについて判断をしてしまったことに他ならない。
で、結論を言えば
「何故神は現れないか?」という問いの答えは、
「あなたがアプリオリに「神の非存在」を信じてしまっているために、
どのような事象もその眼鏡を通してしか見られないから」でFAなんですが。
>>87 ここが宗教板ではなく、哲学板という事でマジレスさせていただきます。
「経験」と「論理」からだけではで完全に否定する事ができない命題は数限りなく存在します。
いくつか例を挙げますと
・この世界は俺が見ている夢だ。おまえなんて俺の夢の中の登場人物にすぎないんだ。
「そうじゃない、俺も生きているんだ」なんて言うけれど、そのセリフだって俺の夢の中の設定にすぎないんだ。
・世界は3秒前に今のような形でつくられた。つじつまのあった記憶、つじつまのあった歴史の教科書
つじつまのあった世界遺産、これら全てがちょうど3秒前に作られた。
・人格を持った神は存在する。神はこの世界に多くの働きかけをしている。
量子力学における確率過程において、神はその意思を表現しておられる。
一体何がいいたかったかと言うと、他にも数多あるこのような可能性の中から、
何故 「神」についての命題だけを取り立てて考えるのか、という事です。
なぜ「世界は3秒前に今のような形でつくられた」ではダメなのでしょうか。
この点に答えてからでなければ、FAとは言えないのではないでしょうか。
89 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 12:34:37
神に期待するのは問題を解決してくれる事だと思うのだが、姿を現すだけなら普通の一般人と同じだと思う。
何もしない神なんか意味のない存在と同じで、むしろ煩わしいから居ない方がいい。
もし居るのならこれまでに何か問題を解決した事でもあるのか疑問だ。
90 :
あのね:2005/03/23(水) 12:47:37
>>1 お答え。
A:姿が無いからです。
Q:なぜ、神の声が聞こえないのか。
A:声が出ないからです。
Q:なぜ、全知全能の神は、地球が太陽の周りを回っている事を
教えてくれなかったのか。
A:神は一人で、忙しいので、人間の言う事を聞いていられないのです。
くだらね
92 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 16:41:53
いないから
93 :
87:2005/03/24(木) 00:41:16
>>88 (
>>92にも)
勿論ここは哲学板なんで、俺もマジレスさせていただきます。
1)
あなたの挙げた3つの「神」についての命題へのアンチのうち、
最後の一つが「神」についての命題になってるのがよくわからんが、、、まあそれは置いておいて、
残りの2つは「オッカムのかみそり」で削ぎ落とされる信念だよね。
そんなものを議論しても仕方がない。
もし神が本当に現れて色々奇跡みたいなものを行ったとしたら、それは当然
「オッカムのかみそり」では削ぎ落とされないわけだ。
だから、例に出すのならばオッカムに負けないような例えを出してくれ。
そうでないと、話が進まん。
2)
で、あなたの主張する論理がよくわからん。あなたの言いたいのは、
我々の経験から否定することができない命題は、(神に関する命題の他にも)沢山ある。
→ 従って、このようなことを否定するのは正当である。
↑こう言いたいのか??どういう論理ですか。
沢山あろうとなかろうと、否定する根拠のないものを否定しちゃいかんと俺は思うのだが。
94 :
87:2005/03/24(木) 00:41:52
(続き)
俺としては、例えばファティマの奇跡のようなものを、神の奇跡ではなくて
捏造あるいは集団催眠のようなもの(?)だ、とあなたが判断する根拠を聞きたいのだが。
ぜひ答えてください。お願いします。
(別に俺自身はファティマの奇跡を信じているわけじゃないので間違えないようにね。
俺はただ、こういうものを否定する根拠は何もないと思うよ、と言っているだけで。
もしファティマの奇跡を否定しない・神の奇跡があったかなかったのかわからない、と言うのなら、
その時点で
>>1のような疑問は決して生じなくなるはずだ。)
俺が推測するには、あなたのような人は、このようなものを聞いたときに、
まず何も詳しいことを知る前から、
「神なんか存在しないのだから、こんなのは捏造か錯覚に決まっている」と思うんじゃないだろうか。
ちょっと真面目に考えてみてほしいのだが、
仮に本当に神様が現れて奇跡を行ったとしよう。それを聞いたあなた(別にあなたでなくてもいい。神が現れたことなんかないと強く信じている人)は、
やはり「そんなの捏造に決まっている」として、否定してしまうだろう。
だから、神が存在する・しないにかかわらず、そのような人にとって「神が現れない」ことは、アプリオリに決定してしまっているわけだ。
なのでやはり
>>87でFAだと思う。
95 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 01:13:03
いないからに決まってんじゃんw
大事なものは全て目にみえないの…この真意わかるか?
加護はただの鳩胸じゃねーか。。。
96 :
あのね:2005/03/24(木) 09:07:08
>>04 既にご存知と思いますが、ローマ法王庁では奇跡はまだ禁止されている筈です。
余りにもインチキが多かったせいで、数百年間にわたり禁止されている筈です。
また、ローマ法王庁が奇跡と認めるには数十年、数百年掛かるのです。
最も神を理解している、ローマ法王でさえもね。
確かジャンヌダルクも最近聖人になったのではないでしょうかね。
また、神の啓示を信じる、神又は天使の声を直接聞くカソリック系アナバプテ
ィストとかプロテスタント系クエーカー教徒も迫害され、殺されてきたのでは
ないですか。余りに独善的であるという理由で。
天使を見て話を聞いたモルモン教のスミスもバラバラにされましたが。
勿論、これらも神の神聖な み技 でございますよ。
97 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 09:51:56
ほんまにおるんやでぇ
信じな罰当てるでぇ
まあ君らは生まれてきた時点で罰当たってるようなもんやけどなぁ。
まあそんな話はおいといて、ちょっと金貸してもらえんやろか?
98 :
87:2005/03/24(木) 10:27:50
>>96 あのね、既にご存知と思いますが、
ファティマの奇跡はローマ教皇庁によって公認されているんですが。
http://www.cbcj.catholic.jp/publish/roma/fatima/fatima2.html それなのに「ローマ法王庁では奇跡はまだ禁止されている」だなんて言うの?
何を根拠にそんなことを言うのでしょう。それこそソースきぼんぬ
というのと、あとあなたはキリスト教徒ではないのでしょう?俺も別にキリスト教徒ではないし。
何でローマ法王庁の権威があなたに関係あるの?
ローマ法王が何を言おうがそんなことに関係なく、正しいことは正しいし、
正しくないことは正しくないと思うのだけど。
せっかくマジレスしつづけてるのに、まともなレスが返ってこないスレだな・・・
99 :
87:2005/03/24(木) 10:36:38
あのねさん、俺のレスに対してレスするんなら、
ちゃんと内容的に
>>94みたいな疑問に答えて、
>>94みたいな理屈に対して内容的に反論してくださいな。他の人の権威を出してくるのではなく。
俺はあなたみたいな人が、こういう点についてどう考えているのか
本当に疑問に思ってるんだよ。普段から。
よろしくお願いします。
神様は見守っているだけです。
そして、どうしようもない時には、加護が得られます。
その加護は神様の力としてではなく、自分の力と錯覚させるやり方で。
101 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 12:42:42
お神さ〜ん、時間ですよ〜!
102 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 15:02:58
>>1 エルサレムがキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地になったことを神様たちは、
今すごく反省をしています。あらわれて、「いや〜まちがいまちがい」「南極点なんておつじゃない?」
ってなかんじで簡単に修正したいんだけれどね。だから我々の前に姿をあらわさないのです。
神様が全能なら、姿を現さずに歴史を修正するぐらい朝飯前のはずだが。
きっと朝飯っていう習慣がないんじゃない?
105 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 16:41:14
神は時間や物理法則でもある。
106 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 17:15:28
>>105 物理法則は時間を含み、十分なので神はいらない。
物理法則って、朝はけっこうちゃんと食べる?
108 :
あのね:2005/03/24(木) 18:09:45
>>98 確かに私は葬式仏教、結婚神道なので、
ファティマの奇跡はローマ教皇庁によって公認されている事は
知らなかったですね。どうも。
法王庁が認めたのなら奇跡でしょう。良かったですね。
109 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 19:11:12
物理法則は朝から三杯食います。うんこもします。
110 :
87:2005/03/24(木) 20:49:58
>>108 あなたは人のレスをあまり読まない人のようだから、
>>99をもう一度書くよ。
あのねさん、俺のレスに対してレスするんなら、
ちゃんと内容的に
>>94みたいな疑問に答えて、
>>94みたいな理屈に対して内容的に反論してくださいな。
他の人の権威を出してくるのではなく。
何度も言うように、俺は別にファティマの奇跡を信じているわけでも、
信じたいと思っているわけでもないのですが。
相手のレスを無視して勝手な煽りばかり書いている人には、
もともと議論なんかをする資格は、全くないと思うよ。
>>93 >で、あなたの主張する論理がよくわからん。
確かに、ちょっとわかりにくかったですね。
>>87は
>>87で正しいと思います。
私が言いたかったのは、その論理
>否定する根拠のないものを否定しちゃいかん
を進めていくと、実の所ほとんど何も否定する事ができないぞ、という点です。
にも関わらず、その中でなぜ「3秒前に世界は作られた」という論はジョークとして扱われてしまって
「神さまの存在」は真摯に扱われるのだろうか、という点です。この違いは何によって生まれるのだろう、という点でした。
そしてこれへのひとつの答えとしてオッカムの剃刀を引き合いに出されました。
これの意味する所はこういう感じでしょうか。
「 まったく同じ予言・説明をおこなう2つの理論が手元にあったときには、単純なほうの理論が、よりよい理論である。 」
しかし私は「神さまの存在」を否定できない論として保留し「3秒前に世界は作られた」が考慮に値しない論として捨てられる、
そういう思考を私たちが無意識的に取っている理由というのは
実際のところは次のようなものの比重が大きいのではないかと思います。
「 まったく同じ予言・説明をおこなう2つの理論が手元にあったときには、人をワクワクさせるほうの理論が、よりよい理論である。 」
(こちらはベッカムの剃刀とでも呼びますか)
(続き)
ではなぜオッカムだけでなくベッカムも考慮しなければならないのか。
それは実際のところ、ファティマの奇跡のような事を理解する為にも、
「この世界は私の夢だ」という以上に、はるかに多くのゴテゴテとした説明を必要とするからです。
なぜ奇跡は特定の人間の元にしか現れないのでしょうか?
それこそ人間に生きるべき道を諭したいなら、その全知全能の能力をもって
育ち盛りの子供の前に毎日毎日現れて、色々教えてくれたらいいだろうし
国会にだってドンドン出てきて、「おまえら、この法案を通せ」とか教えてくれたらいいじゃないですか。
こういった疑問に単純に答える事ができるでしょうか?
結局「奇跡が全員の前に現れない」という事を説明する為に
また色々と付けたしの説明をが求められるワケです。
そう考えると「説明の単純さ」という観点からでは、神様論というのもなかなか苦しいワケです。
そうなると当然神様論について私たちが考慮している理由というのが、別にあるんだろうな、となるワケです。
で、それが上に書いたベッカムの剃刀であろう、という事です。
「 まったく同じ予言・説明をおこなう2つの理論が手元にあったときには、人をワクワクさせるほうの理論が、よりよい理論である。 」
と、ここまで書けばFAだろか?
神は何故我々の前に姿をあらわさないのか
姿をあらわした途端、神ではなくなるからです
ビックバンやっちゃったヤシねぇ、あれ神。
絶対やるなって言ってたのにね。お舞それやったらまぢやべぇぞってね。
今すっげぇブルーになってるよ、神。
115 :
87:2005/03/26(土) 13:17:55
>>111-112 >でなぜ「3秒前に世界は作られた」という論はジョークとして扱われてしまって
>「神さまの存在」は真摯に扱われるのだろうか、という点です。
世界が3秒前に作られたと信じることによって、私の世界は具体的は、全く何も変らない。
従って、このような信念を持つことには意味がない。(←これが「オッカムのかみそり」の意味)
これに対し、神が奇跡を起すかどうかは、いちおう世界に影響を与ええる事象ですよね。
もし、「世界が3秒前に作られたのだから、世界は3秒後に爆発するはずだ」とかいう主張ならば、
それは世界に影響を与え得ますよね?そのようなことならば、
神に関する命題、及びその他の哲学的・科学的命題と同様、正しく検討する必要があるでしょう。
しかしそうではなくて、ただ「世界が3秒前に作られた」というだけならば、
それは我々の世界に何も影響しないのだから考える必要はないでしょう。
俺が言ってるのは↑こういうことなので、
このような理由により「3秒前」と「神」とは違う。
理論が単純だとか複雑だとか、そういうことではないわけですな。
116 :
87:2005/03/26(土) 13:18:25
>>112で言っていることは、例えばファティマのような現象があったとして、
それに対して「無神論的解釈」と「有神論的解釈」の双方によって説明しえ、
しかもその中で「有神論的解釈」の方がゴテゴテして複雑である、という場合のことでしょう。
もしそのような場合なら、俺も「無神論的解釈」を選択すると思う。
いま、この状況を、「オッカムの髭剃りによって有神論的解釈は退けられる」と言うことにしましょう。
でも実際には、↑このような状況にはなっていない。
ファティマの奇跡に対する有神論的解釈というのは、
「そこにいた全ての人はウソをついていたか幻覚を見ていたに違いない」というものでしょう。
それは、要するに「ファティマの奇跡は無神論的解釈によって説明できるに違いない」という主張ですよね。
実際には、個々の人を対象に精神鑑定などして、結局幻覚だったことが判明する、などで無神論的解釈が成り立つかも知れない。
或いは、成り立たないかもしれない。これは、やってみるまではわからない。
もし本当にあらゆる調査の結果として無視論的・有神論的双方の解釈が成立することが判明しているのならば、
「オッカムの髭剃り」によってどちらかが退けられるべきでしょう。
しかし、もしそれが判明していないのならば、そんな髭剃りなんかによって判断してしまうのではなく、
もっと実際に、具体的な調査を行って確認すべきでしょう。
理論の単純さ・複雑さ以前に、どちらがより正しく世界を説明できるかで決めるべきでしょう。
117 :
87:2005/03/26(土) 13:18:45
俺がわからないのは、あなたはあなたの言う「ベッカムのかみそり」が正しいと思っているのかどうか?です。
それで、「神様の説明の方がワクワクさせるから正しい」と、
>>112では言いたいの?
俺ならば、「これはワクワクさせるから真理に違いない」なんて断定は、絶対にしたくはないけどねえ。
(真理は必ずワクワクさせるものだ、という印象は確かに持っているにせよ。)
>>94で言ったように、あなた自身がファティマの奇跡(でなくとも、世界中に無数にある同様の現象)に
対してどのように考えているかを、俺は聞きたいのですが。
哲学というのは、可能な限り自明とされている偏見を取り除いて、
我々の「思い込み」を廃して正しい認識のみに留まること、
我々の知りえないことに対しては知りえないと認識すること(無知の知)、だと思う。
(思うというよりかは、これは当り前のことですが。)
だから、自分が確認していない事柄について判断してしまう
(この場合、「神なんて存在するわけないから、神が現れたなんてウソに違いない」と判断してしまう)ことは、
それこそ何らかの宗教だか主義だかに染まった人の日常の生活ならともかく、
哲学的には絶対にあってはならないことだと、俺は思う。
ところが
>>87のようなことが、いわば「無知の知」に明らかに反するようなことが、
実際にそこら中で起こっているというのが、いわゆる「哲学」的人間理性の悲しい現実なんだな。
118 :
87:2005/03/26(土) 13:23:33
すまん
>>116で、
> ファティマの奇跡に対する有神論的解釈というのは、
> 「そこにいた全ての人はウソをついていたか幻覚を見ていたに違いない」というものでしょう。
これは正しくは、
> ファティマの奇跡に対する無神論的解釈というのは、
>
ですた。
「あのね」さんは、自分がアホなこと言ったのに恥ずかしくなって出てこられなくなったかな。
119 :
87:2005/03/26(土) 13:46:52
度々スマン。
>>111 >>否定する根拠のないものを否定しちゃいかん
>を進めていくと、実の所ほとんど何も否定する事ができないぞ、
これに対する返事をしてなかったですね。
俺の回答は、上記のレスからもわかると思うが
「仮に何も否定することができなくなるのなら、それはそれで仕方がない。
それが哲学的態度だ」ということです。
まあ実際に、何も否定できなくなる、とは俺は思わないけどね。
120 :
考える名無しさん:2005/03/26(土) 15:49:07
おい神が髭を剃ったらしいぞ。
121 :
考える名無しさん:2005/03/26(土) 17:56:59
神って理性では捕らえられないもののことだよ。あくまで信仰の対象。
122 :
考える名無しさん:2005/03/26(土) 18:48:01
いや、神は物理法則に変った。
しかし、仮にファティマの奇跡を見た人が幻覚を見たのでなく、
そういう光景を現実に見たのだとしてですね、どうしてそれが
「神の起こした奇跡」だとわかるのですか。
わかるのは単に「不思議な現象が起こった」ということだけなのでは。
未知の自然現象かもしれないし、詐欺師や宇宙人が何かのいたずらを
したのかもしれないし。
どうして人々の「見た」ものが「神である」と、わかるのでしょうか。
124 :
考える名無しさん:2005/03/26(土) 19:30:45
すべては神だからです。
125 :
87:2005/03/26(土) 19:42:44
職場からかきこみなんですが(汗)
>>123 > わかるのは単に「不思議な現象が起こった」ということだけなのでは。
その通りだと思う。
もしキリスト教徒ならばローマ教会の公認の権威によって、それを信じるかも知れないけれど、
そうではない俺らには、それが「神の顕現」であるのか、UFOであるのか、何なのかわからない。
何度も言うけど俺の立場としては、これが神であるのかないのか、自分には判断できない。
(俺は実は別の宗教的体験から宗教というものの正当性を信じているわけだけれど、
まあそれはそれとして、いちおう別の問題なわけで。)
俺の言いたいのは、
>>1みたいな「何故神は世界に現れないか」という疑問を持つということは、
前提として「神は世界には現れない」ということを、即ち
「ファティマの奇跡のようなものは全てインチキである」ということを、既に信じてしまっているわけだ。
で、そういう判断をあなたが下せる理由というのは何なんだ、と。
初めから「神が存在するわけはない」と思いこんで、それで「何故神は現れないか」と問うのなら
ただの循環論法なんじゃないか、と。
126 :
考える名無しさん:2005/03/26(土) 19:57:09
>>117 検証可能性のない話については、その真偽が決定できないんです。
そういう領域の話を形而上学と言うのでしょうか。
で、何を言っても、どれだけ議論しても、どれが正しい説か決定しようがないなら
矛盾がない限りにおいて、一番ワクワクする話を信じておけばいいじゃないか!w
というスタンスが考えられるでしょう?それを、ああやって表現したワケです。
ファティマの奇跡、およびそのような奇跡についてどう思うか・・・ですか。
これについては、以下に書くような話と同じ事だと考えていますが、
あなたはここらへんについてはどう考えてるのでしょう。
・あなたは河童の不存在を証明できますか?
・あなたは天狗の不存在を証明できますか?
・あなたは人面犬の不存在を証明できますか?
・あなたはトイレの花子さんの不存在を証明できますか?
・あなたはユニコーンの不存在を証明できますか?
・あなたはラピュタの不存在を証明できますか?
そしてこれらは全て、もし本当の話だった場合に
それなりに私たちのこれからの種々の選択に影響を及ぼす事になる話です。
河童がいるとしたら、勝手に沼を埋め立てたりしたら大問題でしょう!?
ここらへんの所はどう考えますかな?
128 :
87:2005/03/30(水) 21:49:29
>>127 まず質問に答えておくと、
ラピュタなんてのはアニメのものだってみんな知ってるんで
あれが実在するなんて主張する人には会ったことがない。
誰も(少なくとも精神の正常な人は)「ラピュタが実在する」なんて言わないので
ラピュタが実在するか?なんて問いは初めから俺には疑問にならない。
なのでその辺はいいとして、あとは「河童」とかですかね。
俺自身は河童が実在すると主張する人は見たことがない。恐らく今の日本には(ということは世界でも)
いないでしょう。昔の日本人にはいたのでしょう。
で、俺の感じとしては「河童」が実在する可能性は全くないわけではないが、かなり低い。
「ツチノコ」とかもそう。或いは昔の日本には本当にいたのかも知れないね。
「宇宙人」になると、これは本当に存在するのかしないのかわからない。
カントは純粋理性批判の中で、「この広い宇宙の中に宇宙人が存在するのは確実である」みたいな
ことを真面目に言ってるんですよね(笑)
勿論、現在の時点で「宇宙人なんて存在するわけがない」という理由でカントをアホ扱いする人がもしいたら、
その人の方がアホというか、科学的感覚のない人だと俺は思う。
要するに、この辺のことは経験的に判断されるべきことであって、
経験によって蓋然性が高くなったり低くなったりする底の問題に過ぎない。
129 :
87:2005/03/30(水) 21:50:30
(続き)
「神が存在するか」と「河童が存在するか」とでは、確かにその価値の大きさは全然違いますよ?
当然、河童なんかよりは神の存在/非存在の方が重要な問題ではあり得る。
(まあ、それも人によるっちゃよるけど)
でも今論じているのはそういう問題ではなくて、
「神の出現」とか「河童の出現」とか「宇宙人の存在」とかの蓋然性の問題でしょう?
それはあなたに言われなくても、どれも「本当かも知れないしウソかも知れない」で
同じだと思うのだけれど。
何度も言うように、俺はファティマの奇跡を強く信じているわけではなくて、
「ファティマの奇跡について知りもしないのに、頭から否定する人はアホだ」と言ってるだけなんですが。
・・・で、
>>127に言いたいことの第一。
>以下に書くような話と同じ事だと考えていますが
って、もっと明確に説明して欲しいのですが。
「神」と「河童」と「ラピュタ」が同じだから、
それらはみな、存在するかも知れないししないかも知れない、と言いたいの?
それとも、それらはみな存在しない、と言いたいの?
どっちなんでしょうか。
130 :
87:2005/03/30(水) 21:53:07
第二。
>矛盾がない限りにおいて、一番ワクワクする話を信じておけばいいじゃないか!w
>というスタンスが考えられるでしょう?それを、ああやって表現したワケです。
それはわかるんだけど、
俺の聞いているのは、あなた自身は「ベッカムのかみそり」が正しいと思ってるのか?
ということなんですけど。
「ベッカムのかみそり」が正しくて、だから「神の存在を信じるのはワクワクすることだから、正しいことだ」と
言いたいのか。
そうであるのなら、あなたの他の主張とかなりトーンが違うように思えるので、
結局俺にはあなたが何をいいたいのかよくわからんわけです。
だから、その辺を明確に示してくれると有難いです。
あとついでだけれど、
あなたは「検証可能性のない問題については」って言うけど
今論じているのは、検証可能性のない問題などでは全然ないのですけれど?
>>116でも言ったとおり。
もし俺が河童を生け捕りにしたら、河童の存在を検証したことになるのではないですか?
131 :
考える名無しさん:2005/03/31(木) 11:08:33
すべての物事に確実性なんてないじゃん。
自分がそのように信じるか、信じないかの問題だ。
神だって同じでしょ。
信じるひとには神が存在する。それだけ。
>>132 しかし、河童はともかく神については検証可能性は「ない」としか
言えないのではないですか。
つまり、われわれが仮にいかなる経験をして何を見たとしても、
それが「神の業である」と、どうしてわかる術があるのでしょうか。
例えば紅海が真っ二つに割れても、空からパンが降ってきても、
盲人の視力が戻り脚の悪い人が立ち上がっても、それは単に
「不思議な出来事」であって、神の存在証明には全くなりません。
ある日キリストによく似た白髪の老人が雲に乗って天から降りてきて、
「私は神である」と言って奇跡を行うのを世界中の人間が目撃したとしても、
それが本当に神なのかどうか、知る術はありません。
逆に、ありふれた日常的な出来事でも、不思議といえばすべて
途方もなく不思議であり、信仰心の篤い人にとってはすべて
「神のあらわれ」と感じるでしょう。
「枯れ木に花の咲くのに驚くより、生木に花の咲くのに驚け」とかいう
言葉もあります。
スレタイは「神はいかにして我々の前に姿をあらわし得るのか?」
と変えた方がいいと思います。
133 :
考える名無しさん:2005/03/31(木) 13:39:05
如何にしても現わしようがない。妄想だから。
>>128-130 「河童はさすがにフィクションだろ、実際にいるものじゃあないよなw」
こう私たちが考えるのは、
まさに誰一人生け捕りに出来ていないし、マトモな証拠も一つも無い、その事からですよね?
写真にしろビデオにしろ、これだけ日本中に人間がいて、それこそ何百、何千という沼や池に日々出入りしてる。
それなのに何十年たっても確たる証拠は何一つ出てこない。
だから自然な感覚から「まぁ河童はフィクションだったんだなー」と考える。
そういう事ですよね。
そうであれば神様の話も、同じようなモノでしょう。
今まで、それこそ人類の誕生以来、私たちは神的なものを信仰し続けて生活して来ているワケです。
恐らくどんな時代であっても、地球上の80%以上の人達は、神的なモノを「アル」と考えて生活してきたのではないでしょうか?
にも関わらず確固たる証拠は、まだ何一つ私たちに与えられていないワケです。 となると
「目の前に現れて説教したり、パンを分け与えてくれるような、そういう神様はフィクションなんだなー」
と、こうなるのではないでしょうか?
実在の証拠を探そうと、真剣に考えた人はいたのか!?
そういう疑問も出てくると思いますが、
科学者と言われる人の中だけでも、そのような事を真剣に考えた人は、数限りなく居るでしょう。
例えばあのニュートンも熱烈な神の信仰者でした。
そして、その後今までの300年間、実に何10万人、何百万人という数の
科学者であり、且つクリスチャンでもあるような人たちが、ヨーロッパやアメリカで生まれ、
多くを考え、そして死んでいったワケです。これは単純な事実です。
一体彼らにとっては、これはどれほど重要な問題だったでしょうか?
無視できるような問題では無かったはずです。
恐らく彼らの内の誰もが、人生の中で何度もこの問題と向き合っているはずです。
にも関わらずです。
にも関わらず、明確な証拠が・・・何一つ発見されていないのです。
私にとっては、この歴史的事実が、これから証拠探しをしても徒労に終わるだろうと考える理由であり、
そういう神さまはいないのだな、と判断する理由の一つです。
135 :
87:2005/03/31(木) 20:39:15
>>134 ん?????????
俺は、ラピュタはフィクションだけど河童はフィクションじゃない、と
言ってるんだが??
相手のレスくらいは、ちゃんと読んでくれよ・・・・
で、何であなたは、人の質問に対して答えないんですか?
あなたが俺の質問に答えない限り、
俺はあなたのことを、
人と議論もしようとせずに一方的に自分の意見ばかりまくし立てる
新興宗教の信者と同一の人種だと判断せざるを得ないのですが。
136 :
87:2005/03/31(木) 20:43:57
正確には
「ラピュタは元々フィクションを意図されたものなのでアプリオリにフィクションなのだが、
河童はそうではない、だから河童の存在は蓋然性の問題になる」、ですな。すまん
137 :
かみ:2005/03/31(木) 20:53:24
なんでわざわざ 不完全動物の人間なんぞに
姿を見せなきゃならんの?
わしゃ いそがしいんじゃ。
その不完全動物を作ったの、あんたでしょうが。
責任取りなさいよ責任。
139 :
かみ:2005/03/31(木) 21:09:52
ちがうもん 人間だけは サタンが造った、
いやちがうな 造りそこなった動物だもんねー
140 :
考える名無しさん:2005/03/31(木) 21:14:29
宗教擁護者の方が反宗教者よりも論理的な、稀有なスレでつね、ここは
>>135 >人の質問に対して答えないんですか?
いや、それは私も気にしていた所で申し訳ない・・・
質問にどうやって答えればいいのか、非常に困っていた所です。
1.「何故ファティマの奇跡をそういうモノではないと思うのか」
2.「ベッカムの剃刀を正しいと思ってるのか」
3.「で、何が言いたいの」
という質問でよかったでしょうか。
1.に対する答えの一つとして
>>134を書きました。
2.に対しては、正しいとかいうものではないです。これはスタンスです。
オッカムの剃刀の方だって、別に「正しい」「間違ってる」で論じられるようなモノではないでしょう。
「二つの説明があったら、シンプルな方を選ぶ」というスタンスの表明でしかないでしょう。
3.この問題をちゃんと理解するには(別に理解する必要もないんですが・・)
蓋然性の問題だけでは無理なんです。
信じたがってる人間の側、そういう物語を必要としてる人間の側に注目することで
初めてこういう奇跡が、まず間違いなくフィクションだという事が分かるワケです。
それを書こうとしたら、長くなりすぎて困ってた所でした。はわわわ。
142 :
考える名無しさん:2005/03/31(木) 21:45:13
心霊写真などで、出てくるのでは・・・
143 :
考える名無しさん:2005/03/31(木) 21:54:48
それ、幽霊でしょ。
姿をあらわしていても、我々が気付かないだけじゃないの??
気付けるという前提の話でしょ。
全てに気付くほど人間は完全か?
144 :
考える名無しさん:2005/03/31(木) 22:26:44
>>132の言う通りで、一体何がどうなったら「神が姿をあらわした」
ことになるのか、わからん。
決定論の話と同じだ。どんな現象が観察されても、決定論が正しい証拠にも
間違っている証拠にもならない。同じように、どんな現象が観察されても、
それが神の存在を示すものなのかどうなのか、証明しようがない。
結局神の話というのは理屈でも経験でもない。
端的に「信じるか信じないか」それだけだ。
居ても居なくても
影響がなければどちらも同じ。
146 :
考える名無しさん:2005/03/31(木) 22:43:53
神に気付く力が人間にないだけで、
それと神の存在とは無関係です。
人々が神的なモノを必要とする動機の一つについて書きます。
人生に意味を与えるモノとしての神
今のところ、確認可能な所に、人生の目的および生に意味や価値がある事を演繹できるような物事は存在していません。
("コレコレ"故に人が生きることにはこういう意味がある事が証明された、と言ったような"コレコレ"がない、という事です)
しかし神さまという存在を自分の世界観に導入すると、人生の意味づけはいとも簡単に実現可能です。
つまり神さまという存在は非常に便利で、
その存在を仮定すれば、人生の目的や意味づけ・価値付けという問題にたいしても
望むような解答を導き出す事が、いくらでも可能です。
しかしこれは神様がどんな存在なのかを、誰も具体的に確認できないからこそ可能なのです。
つまり神様がどんな存在であっても、私たちの経験と矛盾しないからこそ
日常に必要な色々をそこから導けるよう、逆に「私達の方で」神様がどんなモノなのかを選ぶ事ができるのです。
これが神的なモノが常に隠れて存在している理由です。
闇の部分に、勝手に何かを仮定して、そこから自分たちが日常必要とするような
種々の定理を簡単に導出する事が出来るようにする。
このようなモノとして神的なものは私達に必要とされているのです。
148 :
小さなヨハネ:2005/03/31(木) 23:18:54
私はスウェーデンボルグによってイエス・キリストを唯一の神と信ずるように
なった者です。皆さんにとってそこまでは認め難いことを承知で申し上げると、
神が姿を現わさないのは色々な意味があるのだろうと思われます。
一つは奇跡(神が今姿を現わすという奇跡)は人間の認識を強制することであって、
よくないことです。しかし、神は個人的に姿を現わすのです。なぜなら、
「見る」という言葉には「理解する」という霊的な意義、あるいは「内意」があり
ます。ですから、神を理解する者は神を見ると言われるのです。有名な「心の清い
人は幸いである、その人たちは神を見る」(マタイ5・8)という言葉はそういう
意味です。
もう一つは人間が「冒涜」を犯さないための神の計らいという意味があるのでしょう。
これを説明するには少し手間がかかるので省略しますが・・・。
>>1 宇宙人は何故我々の前に姿をあらわさないのか、について君の意見を開陳して貰えたら、
俺は俺なりの意見を真摯に語ろうぞ。
150 :
小さなヨハネ:2005/03/31(木) 23:28:23
>>146 >神に気付く力が人間にないだけで、
>それと神の存在とは無関係です。
全く同感です。
見えてるけど見ようとしないから見えないだけだよ
世界は奇跡にあふれているよ
152 :
考える名無しさん:2005/03/31(木) 23:29:53
>>151 溢れているのは奇跡ではない。普通と言う。
153 :
87:2005/03/31(木) 23:38:19
>>141 俺が一番聞きたいのは、
>>129で書いたように、
「神」と「河童」と「ラピュタ」とが同じ、と言うけれども、
同じだからそれらはみな存在しない、と言いたいのか
同じだからそれらはみな、存在するのかしないのか自分には判断できない、と言いたいのか
どっちなんですか?ということです。
(俺は何度も言うように、ラピュタはアプリオリに存在しないし、
河童は「存在するかも知れないけど恐らく存在しない」ものだし、
宇宙人は「存在するかしないか、本当にわからない」ものなので
これらを同一視するのは、あまりにも乱暴すぎると思うけど。)
154 :
小さなヨハネ:2005/03/31(木) 23:38:26
カントが宇宙人、特に木星人について語っているというのを聞いたことが
ありますが(「視霊者の夢」にも出ていたかもしれません)、恐らくそれは
スウェーデンボルグから来ているのではないかと想像します。
なぜなら、カントはスウェーデンボルグの「天界の秘義」を読んだと言って
おり、スウェーデンボルグはその本の中で宇宙人の霊に、霊の目で会ってい
ることを記述しており、中でも木星人の性格のよさを指摘していたからです。
155 :
87:2005/03/31(木) 23:38:59
で、
>>134で言っている
>にも関わらず確固たる証拠は、まだ何一つ私たちに与えられていないワケです。 となると
>にも関わらず、明確な証拠が・・・何一つ発見されていないのです。
↑これなんですが。俺の問題にしているのは。
明確な証拠が何一つ発見されていない、ってどういうことでしょう。
第一に認めなくてはならないのは、
「神のようなもの」が顕現するという事件は、世の中に昔から今まで、腐るほど存在する。
まあ、これは認めるとしましょう。(←もし異論があるならば言ってください。)
で、そうすると次に、
>>132の言うように、
ではその「神のようなもの」が実際に「神」であるとは、どのように判断できるか?ということが問題となる。
というか、勿論それが「神」であるという判断は、いわば「宗教的に超越的」な判断なわけで
我々の立場からしたら、それが「神」であるかどうかは、わからない。(全く
>>132の言うとおり。)
しかし、実は今論じていることから言えば、それが「神」であるかどうかは、あまり問題ではないわけです。
なぜならば、ここでの論点は
>>134で言う、
>そういう神さまはいないのだな、と判断する
のが誤りだということを示すことだからです。
◎「神さまみたい」なものが存在する可能性は、それなりに高い。
という事実から、
◎「神さま」が存在しない
という判断は、どうやっても導くことができない。当り前ですが。
だから、「わさび茶漬け」さんや
>>1みたいな人は、根源的に認識を誤っていると俺は思う。
156 :
87:2005/03/31(木) 23:40:26
推測するに、
>>134では、やはり
「神」であれ「神のようなもの」であれ、それが顕現するということの「明確な証拠」も何もない、と言いたいのでしょうか。
そうすると、それはまさにもともと俺が
>>87で批判していたことに該当する。
即ち、それは単に、あなたが元々「神なんか存在するわけがない」という
色眼鏡のもとに物事を見ているから、
「神(のようなもの)」はあなたにとっては、アプリオリに出現し得ないのですよ、と。
>>152 普通のできごとがいかに有り難い事か気づく事が
神に近づく第一歩です。
158 :
87:2005/04/01(金) 00:03:31
>>156に自己レス。
恐らく
>>156に対する「わさぴ茶漬け」さんの答えは、
「今までに言われていた<神のようなもの>顕現というのは、決して<明確な証拠>にはなり得ない」
ということでしょう。
でも俺のいいたいのは、
一体どういう出来事が起これば、あなたは<明確な証拠>だと認めるのですか?
ということです。
何度も言っているけどファティマのように、何万人もの人が体験し証言していることに対してさえ
「それは本当かどうか曖昧だから、俺の判断に際しての根拠には全然ならない」と言うのなら、
今後仮にどのような現象が起こっても、あなたにとっては
<神のようなものの顕現の明確な証拠>は、決して起こりえない。
それは要するに、やはりあなたが「神」というものを、最初からアプリオリに排除している
ことに過ぎないのではないだろうか、というのが俺の主張です。
信心してる奴を、特にどうこう思いはしないんだが、、、
「アプリオリ」の意味が、俺とは違うようだ罠。
160 :
小さなヨハネ:皇紀2665/04/01(金) 00:18:52
>>158 なるほどね。
あなたの言っていることはこのことだろうと思います。(さっきから横レスすみません。)
「金持ちは言った。『もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、
悔い改めるでしょう。』アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾け
ないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れ
はしないだろう。』」ルカ16・30−31
これは信じない者は信じない、奇跡には何らの効果もないという意味です。
161 :
87:皇紀2665/04/01(金) 00:25:28
>>159 「アプリオリ」という語は、「経験によらない」という意味です。
「神の存在をアプリオリに排除する」という意味は、
「神について自分で経験・体験する前に、観念的に<神は存在しない>と決め付けてしまう」
という意味です。
ごく普通の用法だと思うけど。あなたはどういう風に使うんですか?この語を。
別にどう使っても、俺はどうこう思いはしないけど。
>>160 そうなんですけどね。
「耳を塞がれて人には、何を言っても聞き入れない」ということなんだけど、
耳を塞がれている人からみれば、耳を塞がれていない人の方が耳を塞がれているように見えるものだから
結局、それでは水掛け論にしかならんのですよ。
だから、ただ「あなたは耳を塞がれてますね」と言うだけではなくて、
具体的にどこがどう塞がれているかを指摘するのが、重要なんじゃないかな、と。
162 :
87:皇紀2665/04/01(金) 00:30:48
何だよ皇紀って・・・・w
今日はエイプリルフールなんだな。
(別に今年が皇紀2665年であることはウソじゃないけど)
もう寝る。おやすみ〜
163 :
小さなヨハネ:皇紀2665/04/01(金) 00:37:04
>>158 >第一に認めなくてはならないのは、
>「神のようなもの」が顕現するという事件は、世の中に昔から今まで、腐るほど存在する。
>まあ、これは認めるとしましょう。(←もし異論があるならば言ってください。)
ある理解できない現象が訪れて、人々が「これは神様の仕業だ」と解釈した。
そういう事件は実際数限りなく存在しています。まず、これは確かです。私も勿論同意します。
しかし「それが超常的なモノであるとしなければ説明出来ないような事件」が、本当にあるでしょうか?
私が言う明確な証拠というのはコレです。よく考えてみてください。
何かを信じたがっている人々によって伝えられる自作自演のぼんやりとした証拠では、
「狼がきたぞー」と同じレベルの情報量しか持っていないワケです。
>ファティマのように、何万人もの人が体験し証言していることに
ファティマの奇跡について、87さんに言われてググッて得た程度の知識に過ぎませんが、よく考えてみてください。
まず、声を聞いているのは少女「だけ」だという事です。次に予言の抽象性です。
あれほど(具体的な文言は知りませんが)抽象的な予言であれば、「今」あの予言がなされても
辻褄のあった事件を、いくらでも見つける事ができます。
さらに人から人に伝えられてきた間には、ドンドン話にバイアスが加わってきた事です。これは確実でしょう。
そしてクリスチャンによって担われたこの伝言ゲームの果てに、今私達があのような情報を得ているワケです。
この間に、元あった事がどこまで脚色され、どこまで編集されているのかなんて、全くわからないワケです。
普通このようなレベルの情報を基に自分の世界観の重要な変化を受け入れる事など、ありえないのではないですか?
それが信じたい世界を支える証拠となり得るから、ゆるい批判で素通りさせているんではないですか?
165 :
夜明けの香:皇紀2665/04/01(金) 03:48:27
神とか言っている人は現実というものを見ていないのデハ?
人はきずかぬうちに何かに縋って生きている。
まあ、神とか信じている人はその対象が見えない何かなんだろうけど。
実際の話、理屈っぽくない?
まあ、いいや。
人間の脳なんて完璧にできたものじゃないんだし、妄想でモノを言うのはねぇ・・・
そんなに神が見たいのならドラックやれば?
自分の世界に入り込んでいつでも神どころか天使まで見えると思いますよ。
166 :
夜明けの香:皇紀2665/04/01(金) 04:03:59
あっ!肝心な所に気がつかなかったよ。
せめて日本人なら仏様だろ!!!
167 :
ローカルルール審議中:皇紀2665/04/01(金) 04:06:15
神様も仏様も拝むのが日本人。
集落には社があり、農業の節目に合わせて祭りをし、
んでお盆には地域のお寺に墓参り。
四月には花祭り。(潅仏会:お釈迦様の誕生日)
そして道端の石にも魂を見出すのが日本人です。
今日も日が昇り日が沈み川は流れ風がそよぐ。
人家には灯があり人々の暮らしが有る。
ありがたや。
169 :
87:皇紀2665/04/01(金) 09:23:57
>>164 なんだか、同じ議論の繰り返しになってきましたねえ・・・
まあしかし、まず本題ではないけどファティマの奇跡について、
俺もネットで見た程度なんで全然詳しくないけど、まとめてみると
3人の少年少女に聖母らしき人が現れて、「これから毎月、6回現れる」と言われた
→それを聞いた群集が興味本位で現れ、最終的に数万人に達した
→聖母らしき人は3人にしか見えなかった。3人が群集に、聖母の言葉を伝えた。
群集には、「聖母の乗り物」のようなものが見えた。最終回には
太陽が踊りだすような現象、その他色々な超常現象が現れ、群集は一時的にパニックに陥った
→当時の新聞は、この事件を大々的に報道した
→聖母らしき人は3つの預言をした
→ローマ教会がこの事件について調査し、これが聖母の顕現であると公認した
→2000年にはヨハネ・パウロ2世が預言の解釈を公表した
→3人の少年少女のうち最後の生き残りが、2005年に死んだ
こんな感じですか。
預言なんてのはそれだけ取り出せばそれこそノストラダムスと同じで、
当っているとも当っていないとも言える。それは
>>164の言うとおり。
あと、俺だってせいぜいネットで見た知識程度しか持っていないので、
何度も何度も言うように、この事件が「マリアの出現」であることの
確証になる、と言ってるのではない。
170 :
87:皇紀2665/04/01(金) 09:24:27
俺の言いたいのは、既に何度も言ったことだが
少なくともファティマの顕現を否定する根拠は、あなたは全く持っていないでしょ?
ということです。
あなたは、あなたの言うところによれば「神さまはいないのだな、と判断」したわけですよ。
その判断は何によって正当化されるのか?ということです。
もし、世界の誰一人神を見たことがない、というのなら、その判断は正当だと、まあ一応言ってもいいでしょう。
しかし何度も言うように、そうではない。
俺らは自分でオーロラを見たことがなくても、だからってオーロラが存在しない、とは言わんでしょう。
例えば、鎌倉時代の藤原定家の「名月記」に、ある日夜中に突然夜中が明るくなった、という
記述がある。定家と関係ない他の人も同時刻に、同様な現象を記録しているらしい。
こういう場合、この記述が「昔のことだから当てにならない。これはウソだと判断できる」とは、
決して言えないでしょう。(超新星の爆発だとか解釈されるわけだけど)
勿論それが確実に正しいのかどうかは、何百年もたった現在では知る由もないが、しかしそれが「ウソ」であるとは、決して言えない。
しかしあなたは、それがウソだと言ってるわけですよ。要するに。
で、
>>164あなたは、俺の言ってることの全体ではなく、都合の良い部分を持ち出してきて
勝手にそれに反論しているようにしか俺には見えない。
例えば、
>一体どういう出来事が起これば、あなたは<明確な証拠>だと認めるのですか?
と言ってるのに、それには答えない。
何度も主張している上記のようなこと、それから色眼鏡のことについても、
あなたは何も答えていない。
と、俺は今のところ判断しております。
だから現状では、どうしても、
>>165もそうだけど、根拠もなく神を否定する人の方が、よほど現実を見ていない、としか
少なくともこのスレの議論を見る限りでは、考えられないと思う。
171 :
87:皇紀2665/04/01(金) 09:24:56
最後にもう一度いいますが、俺の言いたいのは、
「昔から今まで何百万も何千万も(というかもっと多く)の人々が見ているものについて、
よく知りもしないあなたがそれを否定するだけの根拠は何もないでしょ?」ということです。
これに反論することは恐らくできないでしょう。少なくとも、このスレでは今まで全く反論されていない。
ついでに言っておくと、「オーロラは北極圏に行けば運がよければ見えるが、
神はよほど特殊な人でないと見えない」というのは、ウソですからね。
キリスト教の神を見たかったら、一度キリスト教の教えるとおりにやってみればいい。
パスカルの言うように、やってみさえすればわかるのにやらないのは、ただの怠慢です。
仏教というものを知りたかったら、少し坐禅でもしてみればいい。たぶん数年も真面目にやれば見性できます。
それもしないで仏教だのキリスト教だのを頭から否定するのは、
北極圏に行かずに「俺はオーロラなんて見たことがないからオーロラは存在しない」と言ってるのと同じです。
或いはヘーゲルを読みもしないのに「ヘーゲルは形而上学者だからヘーゲルの言ってることは誤りだ」とか
言うのと、同じですね。
172 :
87:皇紀2665/04/01(金) 09:27:35
すまん「名月記」ではなくて「明月記」だった・・・鬱
>昔から今まで何百万も何千万も(というかもっと多く)の人々が見ているものについて
そんな話は初耳だぞ。
>キリスト教の神を見たかったら、一度キリスト教の教えるとおりにやってみればいい。
そんな話も初耳だぞ。「キリスト教の神を見る方法」なんて、
聖書かどっかに書いてあんのか。
キリスト教徒やイスラム教徒で「神を見たことがある」と主張
している奴なんて、聞いたこともないが。
174 :
ローカルルール審議中:皇紀2665/04/01(金) 11:47:22
ローマ法皇もそろそろお迎えだな。
175 :
◆FV29Dovtg2 :皇紀2665/04/01(金) 11:49:11
>>173 神を見たことがあるっていってる人自体(ほんとかどうか知らんけど)
はいっぱいいると思うけど
例えばアイルトンセナ(キリスト教徒)は優勝を決めた鈴鹿グランプリ
のスタート直後の第一コーナーで観客席に神を見たって公言してたよ。
176 :
87:皇紀2665/04/01(金) 12:57:10
このスレッドもいい加減常駐したので、もうそろそろ潮時かなあ・・・
87以降のレスは全てそれなりに注意深く読んでいるつもりだけれど、
結局
>>87や
>>171に対する有効な反論は、このスレでは一つも得られなかったと判断しています。
>>173 >>昔から今まで何百万も何千万も(というかもっと多く)の人々が見ているものについて
>そんな話は初耳だぞ。
自分の印象では、何らかの意味での宗教的体験をしたことのある人の数は
それくらいはあると思うけど。
まあ飽くまでも印象で、具体的な数字については何とも言えないので、それについて争う気はないけど。
禅の見性体験だとか、アウグスチヌスやイグナチウス・デ・ロヨラの記述するような
根底から世界を覆すような宗教的認識体験をした人ならば、もう少し少ないかも知れないが
でも、あなたが思っているよりはずっと多いのは、確かだと思う。
(余談だがアウグスチヌスの場合、このような意味での宗教的認識の体験よりも
その前の段階の、「回心」の体験を重要視して長く記述してることに、あの人の思想のすごさがあるのだけどね。)
>「キリスト教の神を見る方法」なんて、
>聖書かどっかに書いてあんのか。
それは神父さんなり牧師さんに聞いてください。
自分の感じでは、「求めれば与えられる」即ち「見ようと思いさえすれば見られる」
のではないかと、思ってますけど。
>キリスト教徒やイスラム教徒で「神を見たことがある」と主張
>している奴なんて、聞いたこともないが。
それは単に、あなたが知らないだけでしょう。
177 :
ローカルルール審議中:皇紀2665/04/01(金) 14:47:05
人間は平等であるべきという教えを説きながら、
実の親にすら虐待されて死ぬ子供や、
望みもしないのにレイプされて殺される女性、
生まれる前から中絶で殺される赤ん坊がいるにもかかわらず、
それを助けもしない神は万能であるか?
皆この世界のありのままの中に放置プレイされてるという意味では平等
179 :
ローカルルール審議中:皇紀2665/04/01(金) 16:07:30
神を見たという人は色々いるのでしょうけれど
そういう人たちが嘘をついているわけではないとしても
例えばキリスト教徒はイエス様やマリア様を見ていて
インドの人はヒンズー教の神々を見ているのであれば
脳が作り出した幻覚を見たと考えるのが合理的だと思います。
180 :
ローカルルール審議中:皇紀2665/04/01(金) 18:37:59
>>178 つまり、神が倫理的である合理的な理由はないということですね。
181 :
178:皇紀2665/04/01(金) 19:27:04
>>180 あー。言っとくけど俺キリシタンじゃないすから。
このスレってキリスト教前提で進んでるみたいだけど。
182 :
ローカルルール審議中:皇紀2665/04/01(金) 20:39:22
>>181 オレも違うし。
antiキリストでもない。
183 :
島国人:皇紀2665/04/01(金) 21:07:52
つーか神なんて人間の作りだした妄想で、各々の頭の中で困ったときにすがる我々人間にとって都合のいいもんだと思うな。
アンチを言うなら、アンチ・パウロであり、アンチ・コンスタンティヌス、アンチ・アウグスチヌスだろう。
政治と宗教の渾然一体となった、西欧の歴史を少しでも知るなら、
♪ツタの絡まるチャペルで祈りを捧げようなどとは少女趣味以外の何ものでもないわい。
185 :
考える名無しさん:皇紀2665/04/01(金) 21:23:01
>>1 あのなあ、神様ってののは、
全知全能、つまり、どこへでも好きなところへいけるんだよ。
なにを好き好んでむさ苦しい男の住んでる薄汚い
アパートなんかに行く必要があるの。
186 :
ローカルルール審議中:皇紀2665/04/01(金) 21:26:42
187 :
ローカルルール審議中:皇紀2665/04/01(金) 22:58:32
全裸全開の女神(ムチムチ女子高生)は何故我々の前に姿をあらわさないのか
189 :
小さなヨハネ:2005/04/02(土) 10:27:20
>>148で書きましたが、「神を見る」というのは「神を理解する」という意味です。
もちろん、霊眼が開かれて、キリストや聖母を見る人もいますが、私たち一般には
それはありません。恐らく。しかし、それでいいのです。私もそれをそんなにうら
やましいとは思いません。
ところで、では「神を理解する」方の「神を見る」はどうしたら出来るかというと、
それは聖書や啓示された文章を読んでいる時に、理解力が霊的に「照示(インライ
トメント)」されることによって可能となります。
しかしながら、そのことは全く自然的な人には無理です。真理を追究したいと願う人
だけに起ります。ですから同じ聖書の箇所を読んだところで、何も感じない人もいれば
まさにこれは神からの言葉だと感激する人もいるわけです。
190 :
◆FV29Dovtg2 :2005/04/02(土) 10:33:15
>>187 全知全能に我々が関与することが不可能じゃなくて?
>>188 ニュー速VIPへ行ってみろ
191 :
小さなヨハネ:2005/04/02(土) 10:49:53
そのことは、心に無垢なものが少しでもなければ無理です。
「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たち
はこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われ
た。『子供たちをわたしのところに来させなさい、妨げてはならない。神の
国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神
の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。』そし
て、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。」マルコ10・13〜16
「小さな子供」により無垢が意味されています。誰一人無垢を多少なりと持
たない限り、天界へ入ることは出来ません。主は無垢であり、無垢を通じて
主は流れ入り、私たちと主との間に霊的な連結が生じるからです。
その時に私たちは霊的に照らされ、啓示された文書(聖言と言いますが)が
本物であることを理解します。
ファティマの奇跡でも何でも、
キリスト教徒ならイエスやマリアしか見ないのがおかしい。
キリスト教徒がアラーを見たり、
仏教徒がマリア様を見たり、
イスラム教徒が薬師如来を見たり、
無心論者がタコみたいな変な神様を見た、という話なら、
ちょっとは信用してやってもいいが。
193 :
小さなヨハネ:2005/04/02(土) 16:32:26
>>192 キリスト教に反抗して、聖書を燃やしたりしていた少年時代のシーク教徒・サンダー
・シングに、ある明け方現れたのは、イエス・キリストでした。
やはりキリスト教徒を迫害していたユダヤ教時代のパウロ(サウロ)にもイエスが
現れました。
結局87さんは、信じたい、という状態のまま思考停止状態にある人だったようですね。
古来伝えられている宗教上の様々なノウハウ。これはホンモノです。
まさにあなたが体験されたように、その教えを実践する事で、精神の変容を体験できるでしょう。
しかしそれは実践によってあなたの身体および脳内の物理状態が変化したからなんですよ。
腕立て伏せを毎日することで、上腕二頭筋が隆起してくるのと同じです。
つまりこれはあなたが考えるような「私たちの外側」にあるものではないのです。
キリストも述べているように、これは「私たちの内」にあるものなのです。
つまりコレが外から来た現象でないからと言って、その価値が揺らぐことなど微塵もないのです。
あなたの内から来た、その意識の変容が、この上もなく貴重な体験である事には何等変わりはないのです。
これを理解しなければ、これからあなたは永遠に、存在しないものを追いかけ続けなければなりませんよ。
(まあ、それはそれで素敵な人生でしょうが・・・)
>>193 それもキリスト教を知っていた(意識していた)人だろ。
>>194の言うように、要は自分の頭(深層心理)の中にあったイメージ
(正でも負でも)を外界に投影しただけだろが、と。
全然見たことも聞いたこともない「神」をいきなり見た、というのでなければ、
目撃証言として価値がないわな。
196 :
ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 02:33:13
全知全能=宇宙
197 :
ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 02:38:09
198 :
ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 02:39:53
>>196 だが、再現も予見も確率的にしかできないぞ。
199 :
ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 04:33:07
神はいるが姿をあらわさないのは現す必要がないから。
世の中は秩序だけでは変化がない。混沌すぎてはすべてが壊れる。
そのバランスを保つため天使と悪魔をおつくりになり、人間に宿るよう送り込んだ。
つまり神の仕事は天使と悪魔にまかせてあり、自分はそちらの監督に忙しい。
悪魔も神の使いだが、その性質上神にすら歯向かおうとする。
これが哲学的か宗教的かわからないが、
書き込みついでにみんなの意見を聞かせてくれ。
復讐することは愚かなことだろうか
200 :
ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 09:40:01
↑宗教哲学か
201 :
ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 13:26:30
>>199 >これが哲学的か宗教的かわからないが、
これは新作の神話でしょう。
ついでに、俺は神だけでなく悪魔も天使も姿を見ないが・・・。
神・天使・悪魔がものではなくこと(機能・作用)であるなら
そのあらわす現象は認められてもよいのだが、それも見たこと無い。
どうしてだろう。
202 :
ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 17:32:55
こうして神がどうのこうのと架空の存在を崇拝し、
時間を費やしている君達を見ると、つい笑みが溢れてしまうよ。
ヒュームが宗教徒達を笑った時と同じ気分なんだろうな。
貴様等はそのまま夢を見ながら死んでいくがいい。
203 :
ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 17:39:29
神?うちの大事な商品だ、簡単に見られたら価値が下がるがな!
204 :
ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 17:40:54
こうして神がどうのこうのと架空の存在を崇拝し、
時間を費やしている君達を見ると、つい笑みが溢れてしまうよ。
ヒュームが宗教徒達を笑った時と同じ気分なんだろうな。
貴様等はそのまま夢を見ながら死んでいくがいい。
205 :
ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 19:40:58
存在しないから
206 :
ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 20:54:05
207 :
小さなヨハネ:2005/04/03(日) 21:30:50
>>194 >結局87さんは、信じたい、という状態のまま思考停止状態にある人だったようで
>すね。
そうでしょうか?87氏の思考は素晴らしく回転していたように思います。2CH
ではなかなかめずらしい・・・。
>これを理解しなければ、これからあなたは永遠に、存在しないものを追いかけ続
>けなければなりませんよ。
あなたの言う「これ」の意味がよく分かりませんが、神という意味なら神は存在す
るし、求めれば必ず姿を現わして(理解させて)くださるでしょう。
「求めよさらば与えられん、探せよさらば見出さん。天の父は求める者に良いものを
下さるに違いない。」マタイ7・7、11
「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。」黙示録3・20
208 :
小さなヨハネ:2005/04/03(日) 21:47:07
>>125 >(俺は実は別の宗教的体験から宗教というものの正当性を信じているわけだ
> けれど、まあそれはそれとして、いちおう別の問題なわけで。)
87氏、差し支えなければどんな宗教体験だったのか教えてください。
>>207 >87氏の思考は素晴らしく回転していたように思います
全然w
所詮は、「神はいる」という前提にたってしか語っていないから論外。
『「神がいない」可能性については思考したことがない』
=『信じたい、という状態のまま思考停止状態』 となります。
210 :
小さなヨハネ:2005/04/03(日) 22:08:51
>>209 そんなことはありません。なかなか良識的かつ論理的でくだらないへりくつ
をこねなかったと思います。本来、認識能力というのは理屈抜きで直感する
ことにあります。論ずることにあるのではありません。
「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上の
ことは、悪い者から出るのである。」マタイ5・37
211 :
小さなヨハネ:2005/04/03(日) 22:21:01
87氏は「不知の知」ということを言っていたかと思いますが、なるほど
そうです。私たちは謙遜ということを学ばねばなりません。
傲慢は恥ずかしい。何でも証明してみせろというのは自分の不遜、無知蒙昧
を語っているに過ぎません。特に神の存在については、それは証明するもの
ではなく、色々な事象、啓示された言葉(聖言)、カリスマを持った人たち
(見神者)の言葉などから認識するもの、感じるものです。
212 :
ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 22:57:03
存在するならば、姿を見せてはならず
存在しないならば、姿は見せられない
いずれにせよ、姿は見えない。
213 :
ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 00:41:08
おれは一時期の広末は天使に見えたよ。
それとおなじように本物のやくざも悪魔に見えた。
そういうものだと思うが。
ヒットラーも悪魔が宿ったものだろうしナイチンゲールも天使が
宿ったものかもしれない。
214 :
ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 02:53:24
>>210 あなたの神は聖書の神に過ぎない
世界はもっと広いよ
215 :
ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 03:15:24
216 :
小さなヨハネ:2005/04/04(月) 22:42:55
>>214 聖書の神であろうと、それが神なら神です。なぜなら神は唯一だからです。
217 :
小さなヨハネ:2005/04/04(月) 22:51:43
皆さんは神は唯一であるということを知らねばなりません。
神の定義は「万物の創造主であり、自らは自存するもの」ということになる
のではないかと思います。そうであるなら、神は必然的に一つです。
なぜなら、神以外のものは神の被造物であり、一つの神とそれ以外しかない
からです。
218 :
ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 22:55:27
他を認めようとしない一神教・・・・・・
方法・解釈をあやまると恐ろしい戦争になるじょ。。。。ぼそ
>>217 色んな神さんがポコポコ誕生して
それぞれ色々創ったかも知れんやんか?www
220 :
小さなヨハネ:2005/04/04(月) 22:58:32
聖書の神もいればアラーの神もいるだろうというのは勘違いです。複数の者
が一つの神を描写すれば神についての描写(名)が複数あるというだけです。
221 :
ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 23:02:15
>>216 その根拠を提示できるとも思えんが。
聖書のねつ造の歴史を知っている?
「古代のイスラエルが拝した神は、遊牧民族がその彷徨の中で出会った多くの神々
の融合から生まれたものである。」ジャック・マイルズ
223 :
ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 23:13:34
>>220 じゃ〜その、あんたの言うところの唯一絶対の神を作ったのは誰?何?
224 :
小さなヨハネ:2005/04/04(月) 23:15:41
225 :
ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 23:16:33
偶像崇拝されるから
226 :
ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 23:22:32
神様がどこかにいて、いつかみんなの前に姿を現すとか・・・・
者・物・・・じゃないんだから、姿を現すって変だよ?
まさか、キリストが神様だって言うんじゃ・・・・
私ならあえて神様と呼ぶとしたら、宇宙の法則みたいなもんを決めた人?っつうか
なぜだか、こうなってる自然の営みだとかね、ビッグバンの前とかさ
なんでそうなったのか・・・とかさ・・・人間の心のしくみとかさ、そういう見えない大きな力のことを
う〜ん・・・・とりあえず当てはめる呼び方ないんで、
神様とか仏様とか・・・・呼ぼうと思う。
227 :
小さなヨハネ:2005/04/04(月) 23:22:58
>>221 神が唯一であることは先程述べたように自明です。聖書の捏造などあっても
なくても関係ありません。
>>222 ジャック・マイルズ を知りませんが、たいしたことを言っているようには
思えません。
>>223 神は自存するものです。在りて在るのが神です。
228 :
218:2005/04/04(月) 23:25:26
まともな反論じゃなくてすみませんね。
ご期待に添えなくて・・・・
もっとも私は討論しに来ているわけではないのでね、
それに、反論のつもりで書いたレスではないよw
君には反論に聞こえたのだね?w
っつう・・・・ことは・・・・だ・・・・・・以下省略w
229 :
ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 23:27:38
明らかな作為を持った「万物の創造主」は考えにくいな。
現状をつくりだすのに必要なのは「万物の原料」だ。
それを神と呼び、それが宇宙の全てを作るもとになっているなら、
神は全ての物質の中に内在する、ということになる。
スピノザだっけ? 「全宇宙即ち神」なら理屈は通る。
231 :
小さなヨハネ:2005/04/04(月) 23:31:28
>>225 偶像崇拝ですか。おっしゃる意味がよく分からないので保留させてください。
>>226 >まさか、キリストが神様だって言うんじゃ・・・・
・・・全くその通りです!
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」マタイ28・18と
主は言われますが、これは謙遜して言われているのであって、実は神
ご自身なのです。
232 :
ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 23:34:04
すみません。もう寝ます。おやすみなさい。
>>220 アラーの神は聖書の神ですが何か?w
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の「聖書の神」以外にも神は居るだろ?w
>>224 あんたこそ
>>219に対するまともな反論をしてくれ。
神という物がそれ自身何かに作られるのではなく存在しうるものだとして、
それが唯一でないといけないという根拠はどこにある?
山の神が山を作り、海の神が海を作ったとして何がおかしい?
あるいはユダヤの神がユダヤの民を作り、大和の神が大和の民を作ったとして何がおかしい?
>>227 どこが自明やねん。
235 :
ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 23:12:16
>>233 >アラーの神は聖書の神ですが何か?
そうでしたか。失礼しました。
>神という物がそれ自身何かに作られるのではなく存在しうるものだとして、
>それが唯一でないといけないという根拠はどこにある?
>>217で申し上げた通りです。神が万物の創造主であるなら、神以外のものは
被造物であり、他の神も被造物というなら、神は自存するもの、造られざるもの
という前提に反します。ですから複数の神という概念は矛盾です。
>ユダヤの神がユダヤの民を作り、大和の神が大和の民を作ったとして何がおか
>しい?
ユダヤの「神」というなら恐らくその「神」はユダヤの民以外の凡ての民や物を造
られたと言うでしょうし、大和の神も「神」というなら大和民族以外の民や万物を
造られたと言うでしょう。ですから、そういう話はそもそも無いと思われます。
236 :
小さなヨハネ:2005/04/05(火) 23:14:37
すみません、名前が消えてしまいました。235は私です。
>>235 ああそうか。
あなたの中では「万物の創造主」というのが前提やもんな。
その前提が覆る場合というのは考えないんやろうな。
=======
あなた、古事記読んだことありますか?
日本人で、「神」を語るなら、読んでていいと思いますよ。
最初の創造のあたりだけでも。
238 :
小さなヨハネ:2005/04/05(火) 23:24:42
>>218 >他を認めようとしない一神教・・・・・・
>方法・解釈をあやまると恐ろしい戦争になるじょ。
他を認めないのではありません。信仰心に厚く、善良に暮らすなら敬意を表すべき
です。
239 :
ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 23:29:49
神を人間の論理で説明してしまおうとするのはムリです。
ある部分においては可能なことだと思いますが、
全ての説明は不可能だと思います。
神自身が人間の論理の外の存在だからです。
いくら論理的に神の存在の矛盾が見つけられたとしても、
それは神が論理で説明がつけられないというだけで、
神の存在を否定することはできないと考えています。
240 :
小さなヨハネ:2005/04/05(火) 23:34:04
>>237 古事記を読んだことはありません。
ところで、あなたの信ずるところの「神」の概念はどういうものなのですか?
それは古事記の創造神ですか?
241 :
sky:2005/04/05(火) 23:37:21
242 :
小さなヨハネ:2005/04/05(火) 23:37:47
>>239 >いくら論理的に神の存在の矛盾が見つけられたとしても、
>それは神が論理で説明がつけられないというだけで、
>神の存在を否定することはできないと考えています。
その「神の存在」とは「複数の神の存在」ということですか?
>>240 俺は特定の神を信仰しているわけではないのだが、
ユダヤの神(=聖書の神ですよ)にせよ古事記の神話の神にせよ
北欧神話の神にせよ
基本的にはまずある居住地域の住民の中で語り継がれた神話なわけで、
移動手段も限られてた時代、彼らが認識していた世界というのは
すごくせまい範囲なわけで、
神話の中で登場する「人」も彼らの部族の人間だけを指していると思っていいだろうと思うンですわ。
創造神話が地球全部とか宇宙全部を作った話と考える方がむしろ不自然かもしれない。
だったら各地域を各々の神さまが作ったって事でもいいんじゃないの?と思いますね。
それから一人の神さまがありとあらゆるものを作るという神話はむしろ珍しいのではないかと思います。
そのへんはむしろ民俗・神話学の板の方の方が詳しいでしょうけど。
244 :
小さなヨハネ:2005/04/06(水) 00:18:29
>>241 拝見しました。有難うございます。
あなたは主イエス・キリストを唯一の神、天の父なる神ご自身と信じて
おられるのですか?
>>243 仰る意味は分かりました。しかし伝承発生の経緯は置いておいて、あなた
ご自身はどう考えておられるのかお聞きしたいのです。つまり、過去の人間
がどう考えたかではなく。
245 :
ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 12:27:56
>>244 「小さなヨハネ」よ、ワシは自分が神だと名乗った事はないゾ。
ワシは一介のユダヤ教徒で、当時のユダヤ教を改革したかっただけぢゃから。
μακαριοι οι πτωχοι εν πνευματι(魂に於いて貧なる者等は幸いなるかな)
発音「マカリオイ ホイ プトーコイ エン プニューマティ」
でも唱えてをりなされ。天なる御父もお喜びぢゃろう。
246 :
♯Jeshah bar Mariah:2005/04/06(水) 12:36:49
すまぬ、245はワシぢゃ。
247 :
ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 13:13:37
神がいるかいないかはわからないが、
もし仮にいたとしても、我々人間の前には姿をあらわさず、ただ見守るのみだろう。
でなければなぜ神は我々に自らの生き方を自ら決める意志を、力を授けたのか。
神の存在を信じる者も、自らの意志で神を信じるに至ったはずだ。
己に関するすべては神の意志ではなく、神に与えられた自らの意志。
しかし、ならば何故神は始まりの人である、
アダムとイヴにそのような意志を与えておきながら、楽園から追放したのだろうか。
全知全能なる神が、何故不完全な二人の人間を作り出したのだろう。
いや、もしかしたら私たちが不完全であると認識している事こそが、
この宇宙においての、完成であり、真理なのかもしれない。
神は今も、私の問いかけに答えてくれはしない。
248 :
sky:2005/04/06(水) 22:11:00
>>244 >あなたは主イエス・キリストを唯一の神、天の父なる神ご自身と信じて
>おられるのですか?
ご訪問ありがとうございます。
私は正統的なプロテスタントですので、三位一体を信じています。
ですからキリストは、神ですが、「天の父なる神ご自身」と信じる
立場にはないといえます・・・。
249 :
ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 22:15:57
いでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ
いでぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええよ゛お゛ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!
250 :
ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 22:20:14
おしえない
251 :
ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 22:37:43
ウィトゲンシュタインも「語り得ぬ事に関しては沈黙しなければならない」って言ってることだし
不確定な前提を元に自論を展開してる香具師は沈黙してくれないか?
>>248 プロテスタントに正統ってあるの?
バラバラでしょ?
253 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/04/06(水) 22:46:05
>>248 正当なプロテスタントは正当なカソリックや正当なイスラムスンニ派や
正当なイスラムシーア派や正当なヒンズー教や正当なチベット仏教や
正当な曹洞宗や正当な大谷派や正当な創価学会や正当な大谷派や
・・・・それら「正当」を名乗る「政党」より数の多い「派」のなかで、
どうやって自分が「一番正当だ」と主張できるの?
たぶん『「私」が出会った宗教だから』という答えしかないと思うが・・・。
神はいるかもしれない上でなぜ神がいてもおかしくないか、から話そう。もし答えがある程度でてるなら聞かせてエロい人
255 :
小さなヨハネ:2005/04/06(水) 23:19:54
>>244 なるほど。了解しました。
>>250 >>251 語り得ない方はどうぞ沈黙されるのがよろしい。
>>247 「エデンの園」というのは認識・認識力を意味します。蛇にそそのかされて
知識の木の実を食べるとは、人間の感覚や知識で霊的なことを理解しようと
することです。霊的なものは神からの啓示(聖言)によって学び、賢明に
なる以外になく、人智で賢明になろうとすると益々盲目になる(認識力のあ
る状態から追放される)、すなわちエデンの園を追われるということです。
256 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/04/06(水) 23:28:07
>>255 >人智で賢明になろうとすると益々盲目になる(認識力のあ
>る状態から追放される)
あなたの言説には「盲目になることへの願望」しか読み取れないのですが?
「(真理を)自分で見ること(正視すること)」が恐ろしいので、
自ら「所詮人間は盲目だから」と繰り返すのは「どう?」かと思います。
それは、単なる「性格の弱さ」でしょう?
それから、「盲人協会」(というのがあるのか知りませんが)から、
「異議」が出ても、キリスト教は「聖書に書いてあるから」という理由だけで、
無神経に「盲目」という概念を、「愚かさの象徴」として使用し続けるのでしょうか?
なぁ小さなヨルネさん。哲学板以外でやってくれんかな?宗教をご教授してくださるのはいいんだが。俺のいってる質問に答えてくれよ
258 :
小さなヨハネ:2005/04/06(水) 23:34:19
ですから、私たちはあれこれ神について自分で考えるより、啓示された聖言
などから学ぶことが先決です。何の霊的な知識もなければ、考えることは不
可能です。スウェーデンボルグを読まれるのが早道です。
神は私たちに手段を与えておられます。求めよさらば与えられん、探せよさ
らば見出さん、叩けよさらば開かれん。すべて求める者は得、探す者は見出
し、叩く者には開かれる。
259 :
小さなヨハネ:2005/04/06(水) 23:37:06
>>257 ご質問の意味がよく分からないのですが。
260 :
ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 23:39:16
はっきり言って宗教は哲学の邪魔。
261 :
小さいヨハネ:2005/04/06(水) 23:39:22
私はこの板を左翼板にしたいのですよ。
262 :
小さなヨハネ:2005/04/06(水) 23:40:35
>>256 >「盲目になることへの願望」
私が、ですか?
263 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/04/06(水) 23:41:33
>>258 >叩く者には開かれる。
なるほど。やはり「現世の利得」を餌にして信者を増やそうとする
宗教の手口は変わらない・・・ということですね。
要は「自分(だけ)は救われる」ために一所懸命「信仰する」さらに、
「仲間を増やす」という「利己的動機」が「真理を正視する」ことの
拒否に繋がっている・・・という「単純な構造」がこの21世紀にも
「続いている」・・ということですね。
>>260 ついでに言いますが、「審議中」という単語を無神経に「哲学板」の中で、
使用するあなたについて、誰もが「邪魔」だと感じております。
264 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/04/06(水) 23:45:17
>>262 みんな「真理」に対しては「ニヒリズムの予感」を感じて、
「ああだこうだ」と理由を付けて「正視しない」態度を
自分に対して「説得しよう」とします。
「宗教・宗派に身を委ねる」というのは一番「安易」な方法です。
他の宗派の主張する「正当性」とあなたの感じる「正当性」の違い
・・・それについてどう考えるのか?・・聴きたいですね。
265 :
小さなヨハネ:2005/04/06(水) 23:52:27
>>245 >ワシは自分が神だと名乗った事はないゾ。
いえ、そんなことはありません。出エジプト3・14で神はモーセにこう言われ
ます。
神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、
「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしを
あなたたちに遣わされたのだと。
ヨハネ8・24で主はこう言われます。
「だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのであ
る。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうち
に死ぬことになる。」
つまり、それは、わたしは神であると言われていることなのです。
266 :
エビfly ◆n2YA6/6dfo :2005/04/06(水) 23:55:04
宗教者イラン。
なぜなら聖書が間違っているということを考えないから。
考えることをしないから発展しない。
要するに あなたにも私にも無益なのだよ。
と意見を言ったところで 機械さんの難しい意見の前には霞むわけだが(汗
267 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/04/06(水) 23:59:08
>>265 「私は神である」と言った「人類の個体」はイエス・キリストだけではありません。
麻原氏やヒトラー氏やスターリン氏や毛沢東氏・・挙げれば「きり」がありません。
私が知りたいのは、「何故あなたは聖書に書いてあることを鵜呑みにして」から、
その後に「他のテキストを読みなさい」というキリスト教の「宣教方法」に染まり、
それを実行しているのか?・・・という「心理学的興味」だけしかありません。
ある意味で、「宗教」を堂々と標榜するあなたは「哲学的」には貴重な標本
なのです。
268 :
小さなヨハネ:2005/04/07(木) 00:02:37
>>264 >他の宗派の主張する「正当性」とあなたの感じる「正当性」の違い
>・・・それについてどう考えるのか?・・聴きたいですね。
そうですね。最も違うのは、三位一体についてです。一般には (前出
>>248氏の
ように)キリストは父と異なる神と捉えています。私はスウェーデンボルグを読んで
学キリストは父なる神ご本人と認めるに至りました。その点が最大の違いです。
269 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/04/07(木) 00:06:48
>>268 >学キリストは父なる神ご本人と認めるに至りました。その点が最大の違いです。
「最大の違い」程度の「違い」ですか?要するにあなたが「認めた」だけですね?
>>266いやまさにその通り。「絶対」的思想は哲学ではないだろ。さっきから本かなんかで学んだうけうり並べてご教授くださってる方がいるがそれは板違いだって
271 :
小さなヨハネ:2005/04/07(木) 20:14:13
>>269 >「認めた」だけですね?
この、認めるというのが難しいのです。では、あなたは神をどう考えるのですか?
>>270 しかし、神を追求するのが「形而上学」の究極の目標ではないですか。過去におい
て哲学者は神について論じなかったのですか?それからあなたの神についての概念
を教えてください。
宗教と言う名において
子供たちに、いかがわしい行為をしているやつらの
スレって、ここですか ?
そのやり方を神の前に明らかにせよ。
で、ないと地獄に堕ちるぞ。
注)現代日本の政治中枢の○○○会も同類だね。
そのやり口が。
うさん臭い宗教団体の見分け方。
1. 指導者が外国人 (日本国籍ではない、日本を恨んでいる者)
2. (神の名のもとに)多額の寄付を要求する
3. (神の名のもとに)美少女をひとりだけ呼びつける
4. (神の名のもとに)生命保険の受取人を教団名にする。
5. (神の名のもとに)選挙のときには戦闘員にさせる。
6. (神の名のもとに)日本古来の伝統を批判する。
7. (神の名のもとに)敵対者には妨害するよう命じる。
って、結局これらは 結局○○○○じゃん。(放送禁止用語)
姿を現すはずがないじゃないか。
「神」は各民族がそれぞれに超越的なるものを独自の空想で体系化したものだ。
どれが真実でもない。どれも真実を反映はしている。
自分にとっての神を信じなければアイデンティティを保てない輩が世界にうんとこさいると思うと
鬱になるわ・・・
いっとくけど、おいらは壷や印鑑は買わないぞ。
ましてや、(略
276 :
ローカルルール審議中:2005/04/07(木) 22:32:00
まあ話は変るが、根くらべで優勝した者が次期法王だってことだ。
277 :
小さなヨハネ:2005/04/07(木) 22:37:40
神を見出し得なかった人の末路は哀れです。神は確かに隠れておられる。しかし、
それは理由のあることで、人間の冒涜を防ぐためです。なぜなら冒涜する者は悲惨
な地獄へ行くからです。しかし、見出そうと願う者には神はその道を示してくださ
る。
お久しぶりです。小さなヨハネさんの主張は「キリスト自身か゛神である」なので、神は姿を現したことになります。
279 :
ローカルルール審議中:2005/04/07(木) 23:17:01
神【悪魔でもよい】に 魂を売り渡した者の末路は哀れです。
善きことはすべて神のおかげ。 悪しきことはすべて自分の
信仰の不足のせい。
幸福も不幸もすべて神まかせ。
自分自身の道徳心や 存在理由さえ神まかせにしてしまう恐ろしき
依存精神と思考停止
オウムも宗教 キリスト教も宗教 本質的には同レベルである
>>271 形而上学が神を追求するもんだとは思わないなぁ。神学者は哲学からの枝分かれだよ。なぜ神学が、いやむしろ宗教信者が哲学ではないか、それはキミが今立ち止まっているという事が物語ってるじゃないか。
>>280原始宗教は、哲学より起源が古いように思われます。時間や死を意識できる脳にとっては、神の概念は痛みを和らげる必要悪なのでは?
>>281まぁそれもそうだね。確かに全部が全部哲学からの枝分かれではないな。ただあなたの話は納得する。だけど話がなんかすれ違ってる気がするんだが
小さなヨハネ氏はスウェーデンボルグの心酔者で、自説が異端であることも承知しています。
論理的正当性を望んでいるかは、疑問です。
神いるならおれんちにきてほしい。っつーかぶっちゃけいてほしい。俺も人間だからね
285 :
ローカルルール審議中:2005/04/08(金) 02:33:04
いつも思う事なんだが、
信仰してない者ばかりが信仰について語ってる光景を
おれはどう捉えてよいやら、いつもx」ぇrくぁthtjy5やくお… ^^;
>>285 私は「信仰してる」とは言えませんが、神的な概念・感覚は持っています。
もちろん外部にその概念に対応するような「何か」は存在してはいませんが。
神的な概念・感覚というのは、自然に生活していれば、自然と脳内に出現するものです。
なぜなら脳自体が持っている構造上、このようなオールマイティの概念なしでは、うまく思考が閉じないからです。
このような脳内で必然的に発生する不調和を打ち止めにするべく、神的な概念が(無意識の内に)生まれてくるワケです。
これは例えで言うと、次のような事です。
「一枚カードが足りないトランプで7並べをした場合でも、ジョーカーを使うと最後まで完成させる事ができる」
カードが足りないトランプが私たちの脳、7並べをする事が考えていくこと、ジョーカーが神的な概念、
7並べを完成させる事が思考の安定状態に至ること、という対応です。
>>277 お前のような輩どもがいるから、世界中で延々と血で血を洗う殺戮が絶えないんだ。
他の文化も平気で根こそぎ叩き潰し、根絶してきた。
反吐が出る。
神聖包茎だから。
まぁ自分の信仰を疑わないまっすぐな観念は俺にとって話しててもつまらん奴なのは確かだな
290 :
小さなヨハネ:2005/04/08(金) 23:28:06
>>278 またお会いしましたね。しかし、あなたのお名前は恥ずかしくて呼べません。
改名をしていただいた方がよいのでは。御自分の顔に泥を塗って歩いている
ようなものです。親御さんがそれを見たらどう思われるか・・・。
291 :
小さなヨハネ:2005/04/08(金) 23:54:52
>>280 >それはキミが今立ち止まっているという事が云々
立ち止まっているのではないのですよ。認識論のにの字も知りませんが、こちらか
ら見るとあなたの方が立ち止まっているように見えます。
>>287 単純な宗教戦争を想定しないでください。宗教が神から離れたから戦争をするので
す。どんな宗教も本来殺す無かれ、奪うなかれという戒律があるはずです。
それが神からの命令であるという認識から離れてしまったからそうなるのです。
つまりエデンの園が意味する認識力からの追放、すなわち認識の喪失によります。
神を否定する自己愛、無神論にこそ悪の起源があります。
292 :
小さなヨハネ:2005/04/09(土) 00:05:00
私たちは宗教という言葉に騙されてはなりません。神を信じない宗教は
宗教ではありません。例えばユダヤ教は一神教だと言いますが、決して
そうではないのです。多数の神の中から一番強い、自分達に功徳を施して
くれる神としてエホバ(ヤハウェ)を選んだのであって、モーセが山から
下りてこなくなると、すぐ金の子牛を作って拝むほどの節操なのです。
彼らはですから多神教であり、多神教というのは実は無神論です。なぜなら
神は唯一だからです。
そういう意味では
>>222氏のご指摘は近いかもしれません。
293 :
小さなヨハネ:2005/04/09(土) 00:12:43
ですから、多神教は無神論という意味では従来の所謂「三位一体論」も実は
無神論なのです。唯一の神のはずなのに3人の神などというのは自己矛盾
でしかないのです。従って、そのような「三位一体論」を信ずるキリスト教
も実は宗教ではないのです。最初はキリストを唯一の神と信じていました。
つまり、使徒的教会、原始キリスト教と言われる時代です。しかしキリスト
が唯一の神であることが信じられていない現代では、もう真のキリスト教
とは言えないのです。
294 :
小さなヨハネ:2005/04/09(土) 00:21:19
宗教が争いの元となっているというのは誤解です。もうそれは宗教ではなく
宗教の皮を被った人間のエゴイズムの戦いそのものです。確かに、彼らは
宗教間の対立と言うかもしれません。しかし表面的なことに騙されては
なりません。共産主義も最初は人間の福利を考えたかもしれませんが、
すぐに独裁のための言い逃れでしかなくなったことと同様です。
295 :
プチ機械的唯物論者:2005/04/09(土) 00:40:23
>>293 >彼らはですから多神教であり、多神教というのは実は無神論です。なぜなら
>神は唯一だからです。
その論理展開はどこかで見たことがあります。
@唯一の「もの」あるいは「唯一者」を神と定義する
実は、この@の定義をすると「何でも言えてしまう」のです。
要するに「何かの言説を主張する」
最後に「何故ならば神は唯一者である存在だからです」と付け加えれば、
「頭の弱い人」は全員納得してしまいます。
「悪魔が悪をなすのを神は見ていらっしゃいます。何故なら神は唯一者として
最期の審判を下す権利がある『唯一者』だからです」
・・・という「論理?」です。
頭の悪い人は「なるほど」と言わされてしまいます。
それが「論理になっている」と思う人が存在するから「宗教戦争」も
後を絶つことができず、「宗教を原因とする殺し合い」が絶えないのです。
宗教同士が「おまえのは正式な宗教ではない」といいながら相手を攻撃するのが
「宗教戦争の定義」です。
>>264あなたは立ち止まってるよ。疑いをもたずに確信しているその信仰によってね。俺は何もかも疑い、何もかも信じる。この意味が分かるまでもう少し歩いてみなよ。
297 :
プチ機械的唯物論者:2005/04/09(土) 01:22:25
>>296 自然界の掟はあなたがたが「すがろう」としている『「神」の掟』より厳しいのです。
すなわち、自然界(この宇宙)において「エントロピー(無秩序)の総量」は時間の
経過に従って、「必ず増大する」・・・「部分閉鎖系では減少することがあっても」
とういう「この宇宙の構造」は不変であり普遍です。
従って、善意の神=エントロピーを減少させる力のある意思を持った「神」よりも
悪意の神=エントロピーを増大させようとする意思を持った「神」のほうが、
「優勢である」というニュートン以後の「科学の成果」に変更はありません。
言い替えれば、残念ながら「キリスト教」と(自然)科学は両立できないのです。
298 :
小さなヨハネ:2005/04/09(土) 09:46:27
>>284 >神いるならおれんちにきてほしい。っつーかぶっちゃけいてほしい。
>俺も人間だからね
立ち止まらずに求め続ければ現れてくださるでしょう。それには啓示されたものを
読む必要があります。
299 :
ローカルルール審議中:2005/04/09(土) 09:48:28
Sometimes I like God, sometimes I don't.
That depends on my condition.
300 :
小さなヨハネ:2005/04/09(土) 09:52:25
>>297 なるほどエントロピーは増大するかもしれません。しかし、それにも拘らず
人体が維持され、宇宙が維持されているのは、神による不断の創造による
のです。
神の創造は、一週間で終わったんじゃありませんでしたっけ?
302 :
ローカルルール審議中:2005/04/09(土) 10:43:19
結論:神はスレタテ達の妄想である。妄想と現実の区別がつけられない人にはわからないかもしれないが、いないから現れない。
303 :
S:2005/04/09(土) 11:01:37
なぁ、【恐怖】の2文字をなんでそんなに長々と語るんだい?まるで自分が神の祝福が与えられたかのような傲慢さ、神や宇宙論を質量、形式的に考えてるって事が人間の想像力の壁を越えれてない。
305 :
アホンダラ! :2005/04/09(土) 17:13:33
神の存在を示す証拠は なにひとつ無く
神を人間が創ったという証拠だけが山のよ〜にある
306 :
ローカルルール審議中:2005/04/09(土) 18:36:40
なんか半角板によくいるみたいですよ
307 :
小さなヨハネ:2005/04/09(土) 23:05:00
>>301 >神の創造は、一週間で終わったんじゃありませんでしたっけ?
存在とは神の不断の創造によるものです。そうでなければ、エントロピーは増大す
るどころか、私たちは一瞬にして崩壊、雲散霧消します。
太陽は神を象徴していますが、太陽が無くなったら、一瞬にして太陽系の惑星は
地球も含めて宇宙に飛び去って行ってしまうでしょう。そこには死があるのみです。
308 :
小さなヨハネ:2005/04/09(土) 23:09:58
それから、創世記の冒頭の神による宇宙(地球)や人類の創造の物語は
実は、表象(象徴)による表現であって、人間の精神の再生のことを
語っているのです。エデンの園から追放されるというのも、人間が神を
離れて、人智のみですべてを考えるようになった結果、認識力を失った
ことを意味しています。
309 :
四式:2005/04/09(土) 23:16:05
そういやヨハネの黙示禄ってイエスキリストとは関係ないやつが書いたものらしいね。
どっかのヨハネさんが見た妄想らしいよ。
310 :
小さなヨハネ:2005/04/09(土) 23:21:09
皆さんは「知りもしないことをそしる」(ペトロの手紙2、2・12)前に
少し、スウェーデンボルグを読まれたらよろしいと思います。
もちろん、読んでも受け付けない人は多いでしょう。かのカントもそうだっ
たようです。彼は一応スウェーデンボルグの「天界の秘義」を読んだと書い
ていますが、(『視霊者の夢』)全く理解できなかったようです。
311 :
四式:2005/04/09(土) 23:21:52
法華経とかの大乗経典やヨハネの黙示禄なんかの悲喜こもごもは
ある意味での宗教的ドグマの不誠実さや政治性を反映していて面白い。
312 :
小さなヨハネ:2005/04/09(土) 23:26:00
>>309 ヨハネの黙示録は12使徒の一人、ヨハネによる福音書の著者、
使徒ヨハネによるものです。主イエス・キリストの最も愛した
弟子です。それは、ヨハネとは愛の業、実践を表象しているから
です。ペトロは真理、ヤコブは愛を意味しています。愛は愛の業、
実践の中にはじめて完全な形となって存在するからです。
313 :
小さなヨハネ:2005/04/09(土) 23:34:00
霊的なものを受け入れるためには、真理を希求する心が必要です。自分の
知恵にうぬぼれる者は無理です。そのことを「金持ちが天国に入るのは
難しい」と言います。真理や知識を「お金」と言いますが、間違った真理
や知識という意味もあります。「金持ち」とは、自分には知恵がたくさん
あると考えている人のことです。逆に「貧しい者は幸いである」の「貧しい
者」とは、自分の知恵、知識は何も無いと謙虚に考えている者のことを言い
ます。そういう者は天界の知恵を受け入れるのです。
314 :
四式:2005/04/09(土) 23:34:23
>>312 なんか知らんがそのヨハネの福音書とやらとは書かれている字も違うし時代も違うらしい。
何にどうゆう意味を持たせるかの様式はどうでも良いが、それが何かにとって意味がある分けではない
なぜなら人間にとって真実は外在化しているものであり、主観的な印象で語られるべきものではないからだ。
そうあなたこそ人知によるエゴを形にした、あなたの言う認識力を失った人間そのものなのである。
315 :
ローカルルール審議中:2005/04/09(土) 23:38:04
そもそも自分を小さいヨハネなどと称して
おこがましいともおもわぬ鈍感な心が好かん
貧しい者は幸いなりとは
文字通り、サイフの中身が貧しい者は幸いなりの意味である
これを精神的なものと読み直すのは
かねもちの信者のためにねじまげた解釈
そんなの常識だろ
316 :
小さなヨハネ:2005/04/09(土) 23:38:13
カントがスウェーデンボルグを理解できなかったのはまさに自分の知恵に
溺れていたのでしょう。それは知恵でも何でもないのですが。
彼はスウェーデンボルグに興味を示したのですが、どうせ酸っぱい葡萄だと
言って帰って行った狐のようにすごすごと、こんなものを取扱ったら馬鹿に
されるのを恐れるなどと言って、すごすごと退却したのでした。
317 :
小さなヨハネ:2005/04/09(土) 23:41:19
私たちの無知は許されますが、無知の上に開き直っていてはいけません。
318 :
小さなヨハネ:2005/04/09(土) 23:44:40
エマソンもスウェーデンボルグをアメリカに紹介した人だそうですが、
彼はスウェーデンボルグを推奨したにもかかわらず、スウェーデンボルグの
非常に重要な論点である「表象」を理解していなかったと、ヘレン・ケラー
に看破されています。(ヘレン・ケラー『私の宗教』)。
319 :
四式:2005/04/09(土) 23:46:30
この詐欺師の欲望への執着を信仰的熱心と取って
スウェーデンボルグなるものの本を高値で買ったりあまつさえな馬鹿達は確かに存在するんだろう。
こいつらの存在がビジネスモデルとして一応成立している事を意味しているし
つかコピペと営業叩いても仕方ないから帰る
320 :
四式:2005/04/09(土) 23:49:12
いやに馴れ馴れしかったり
目の焦点が後ろの方で交差してる関係の人でしょう
321 :
四式:2005/04/09(土) 23:51:35
まあ帰るといっといて何だが、この手の宗教なんかねずみ講の変化バージョンですよ
322 :
ローカルルール審議中:2005/04/10(日) 05:03:16
何回似たようなスレが立てば気が済むんだろう。
神は人間が創った存在。
科学がまだ全然発展していなかった頃に、
「おかあさ〜ん、なんで雨って降るの?」
「それはね、トールという神様がミョルニールの槌を振りかざしたからなのよ」
という具合に自分達が説明できない事象を神という存在を使って説明するための登場人物でしかない。
それが神話。
現代になって、雨の振る理由なんて余裕で科学で説明できる。
神を本気で信じている人には悪いが、はっきりいって時代錯誤です。
サンタクロースはクリスマスの飾りつけにすぎないっていうのと同じ。
黙示録は著者も書かれた時代も不明だと思ったが。
「666は獣の数字なり」は謎だ。
神は人間が作った存在だとすると、神を信じてる奴って
アニメ見て萌え〜とか言ってる連中と大差ないって事だな
アニメのキャラだって生身の人間だって「人間が作った存在」であることに
変わりないぞ。
326 :
ローカルルール審議中:2005/04/10(日) 10:04:28
神は現象として現れているってこった。
つまりオナニーこそ人間の本質だと。
328 :
ローカルルール審議中:2005/04/10(日) 11:32:57
まあ、神聖なる自作自演といったところだろ
>>291 >単純な宗教戦争を想定しないでください。
読解力に乏しい方ですね。
キリスト凶徒が己達だけが絶対的な正義・真実であるとの盲信のもとに宗教的帝国主義をとり
世界中の超多数の民族の宗教・文化・風俗・人命を破壊し続けてきたことを言っている。
文化人類学者でフィールドワークに携わった多くの人たちは凄く怒っていますよ。
まあ、君のような独善的な人間にとってはどうでもいいことなのでしようが。
330 :
小さなヨハネ:2005/04/10(日) 13:12:09
>>329 従来の所謂「キリスト教」と一緒にしないでください。
従来の「キリスト教」はキリストを神と思わなくなった時点でもう「キリスト教」
でもなければ実は真の「宗教」でもないのです。私が言いたいのは、キリストが
唯一の神であることを認識する「真のキリスト教」への回帰です。そうすれば、
あなたの仰る諸々の弊害は無くなるでしょう。「真のキリスト教」は他宗教に
対して寛容です。なぜなら、他宗教における神も実はイエス・キリストである
ことを知っているからです。私は昨日、千鳥ヶ淵の桜を見、靖国神社にも参拝
して来ましたが、何の違和感もありません。
原理主義カルトキタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。..。.:*・゜゚・* !!!!!
332 :
ニコラウス・クザーヌス:2005/04/10(日) 17:37:57
目は目(それ自身)を見(る事は出来)ない。
三浦です。
神の時代はまもなくやってきます。
今は前夜祭の前です。
嵐の前の静けさです。
人類が絶望のどん底に落とされたとき、初めて神が現れます。
これが断言できます。
334 :
ローカルルール審議中:2005/04/10(日) 18:31:47
キリストのような奴なんてごまんといる。
浜 まだ怖い話あんねん。アニオタ一人暮らしや、なぁ、アニオタ一人暮らしや。
居間んとこ座って、フィギュアの前で拝んでるのや、毎日女神様のフィギュアに
話しかけとんねん、寂しいから。アニオタ話し掛けてるわな。そしたら
後ろ襖や、スーと開いて女神様スーっと出てきた。こう、アニオタになんか
言いたいけど言われへん。わかるやろ?
松 これは女神様の気持ちよく分かりますよね。この女神様はなんか言いたいけど
いわれへんのやね
・・・・ 引っ込み思案。
浜 あほか、お前は!!!
違うがな。引っ込み思案てお前。
松 引っ込み思案女神いうて。
浜 違うがな、さっきも言ったけど、お前キモイからやめろと。
アホなことしとらずにバイトいくなり学校いくなりして親に心配かけんなと
いう意味で出てきたんとちゃうんか?って言えや。
松 なんや?俺に強制すんのか?
336 :
小さなヨハネ:2005/04/10(日) 23:56:06
>>323 >「666は獣の数字なり」は謎だ。
スウェーデンボルグ・黙示録講解847
「『そしてその者の数は六百六十六である』(黙示録13・18)は、にも拘ら
ずその性質は凡ゆる誤謬とそこから発する凡ゆる悪の綜合体から発している、を意
味している。このことは以下から明白である、すなわち、『数』の意義は生命から
分離した信仰の性質であり、また『六百六十六』の意義は凡ゆる誤謬とそこから発
する凡ゆる悪の総合体である。
このことがその数の意義であるのは、『六』は凡ゆるものを意味し、真理について、
そこから発する善について述べられ、その反対の意味においては誤謬とそこから発
する悪について述べられているためである。なぜならその数は二と三とを共にかけ
合わせた数から構成され、二の数は善について述べられ、反対の意味においては悪
について述べられ、三の数は真理について、その反対の意味においては誤謬につい
て述べられ、合成数はそれを構成している単純数と同じような意義を持っているか
らである。
それでこれが『六』は凡ゆる真理とそこから発する凡ゆる善との綜合体を意味し、
その反対の意味においては、凡ゆる誤謬とそこから発する凡ゆる悪との綜合体を意
味している理由である。この凡てのことが充分に意味されるためにその数は三重倍
にされ、三重倍により六六六の数が起こっている。なぜなら三重倍にされた物は初
めから終わり迄完全になったものを、充分になったものを意味するからである。そ
れでここではそれは真理と善とは何であれ何一つ残っていないことを意味している。」
337 :
厨房わからず地蔵 ◆C8Owz2mXKY :2005/04/10(日) 23:59:42
ディアーナが申しました
スレ立て規制が厳しいというのは
真理ですか?
横丁のラーメンは300円ですか?
北海道ですか
ボーン サバクタニ ハ コウラク
338 :
小さなヨハネ:2005/04/11(月) 00:17:19
以下、黙示録講解847・[2」〜[5」から要約。
『666』は善い業から分離した「信仰のみによる義認」という教義から凡ゆる
誤謬と悪が発生してるという意味であり、『人間の数』とは、その善い業から分離
した信仰の構成要素である誤謬と悪とを詮索し、認識することが人間の理知の事柄
であることを意味している。
そして、善い業が傍らに取り除けられると悪い業が代ってその位置を占める。
従って悪の総合体は、善い業を否定する信仰(信仰のみによる義認)を起因とし
ている。しかしながら、宗教とは実践を教えるものであり、避けるべき悪を教え、
行うべき善を教えるものである。実践を目的としない宗教は宗教ではない。
もし宗教が実践をその目的としないならば、そこから凡ゆる種類の悪を欲しい
ままにさせることが生まれてくるだろう。この信仰のみによる義認という説は
「竜」のように、教会の凡ゆる真理と善を剥奪し飲み込んでしまう。
それが、『その獣の数、666』の意味である。
339 :
ローカルルール審議中:2005/04/11(月) 00:25:20
神など想像の産物だから
>>336>>338むむ、そういう意味だったのか。解説ありがとうございます。
しかし、なんとまあ呪術的な。
>小ヨハネ
スレタイ嫁
342 :
四:2005/04/11(月) 02:32:16
三重倍って何だ?
黙示録関係って聖書の正式な文書として認められてないはずでしょ?
344 :
ローカルルール審議中:2005/04/11(月) 21:51:47
神の存在
神はそこいらにある
自分以外の全てが神と言えるんじゃないかな?
346 :
ローカルルール審議中:2005/04/11(月) 22:32:36
神の定義をどうするかが問題だけど
>>343 (旧約(ユダヤ教の聖典)+新約)聖書を決めたのは、西暦397年のカルタゴでの教会会議。
ヨハネの黙示録も含まれている。
これは、西暦313年のミラノ勅令(キリスト教がローマ国教になった)の後であるので、
ローマ帝国に都合の悪い書物や記述は破棄、削除、修正された点に注意。
ヨハネの黙示録は、西暦100年前後に、ギリシャ/小アジアの人が書いた。
当時、ローマ帝国によってキリスト教徒が激しく弾圧されていた。
666は、当時のローマ皇帝の名を(アルファベットでAを1、Bを2としたようなあんばいで)
足した数字という説が有力。
348 :
小さなヨハネ:2005/04/11(月) 23:12:16
三重倍とは六を三つ重ねたという意味でしょうか?
ここだけ読むと呪術的な印象を持たれるかもしれません。確かに数字の解説なので
そのような印象もあります。しかし他の箇所全体はそんなことはありません。
また、後半の要約部分をお読みいただければ、言っている内容は至極常識的、良識
的な内容であり、スウェーデンボルグの健全性は実際読んでみますと際立っていま
す。彼をオカルトと勘違いする人もいますが(実は私もそうでしたが)、決して
そうではありません。
349 :
ローカルルール審議中:2005/04/11(月) 23:25:21
何々、鉄人二重の∧号がどうしたって。
350 :
小さなヨハネ:2005/04/11(月) 23:35:56
まあ、黙示録に関する自然的な解釈はいくらもあるでしょう。しかし、
スウェーデンボルグの2つの解説書を読むなら、その驚異的な内容、
明快さ、整合性、健全性、等々、なるほどこれは神からの啓示によるもの
だと感じます。人智では到底ここまで書けないということを実感します。
351 :
ヨハネ・ルパンIII:2005/04/11(月) 23:48:48
10年以上前カトリック系学校に行っていて、聖書に関するいじわる質問を
毎週神父に投げかけていた者です。
>>83 私もその路線で考えました。
聖書では奇跡の話が沢山出てきて、それで信者の獲得、信仰心の強化をやってます。
(これ、神が御姿をあらわすと同等とみなします。効果は一緒ですよね。)
そこで、神父に聞いて見ました。「xxx神父、私みたいな天邪鬼も目の前で
そんなもん見せられたらさすがに信じますよ。じゃーなんで今出てこないんですか?
戦争でも何でも一発で解決するんじゃないですか?」無論、神父は答えられません。
つい300年も前なら火あぶり、200年前でも社会的嫌がらせで済ませてきた
団体だから歴史はあっても、論理による答えなんて用意してません。
しょうがないから自分で考えて、やりかたとしてはインチキですが神の立場で考える
ことにしました。
1)自分の姿を現す
2)そうすると、いわばトートロジカルに被造物(=人間)が神を信じる
ここで、考えるべきは上の二つの前段階
0)神を信じていない状態に被造物を作る
です。
352 :
ヨハネ・ルパンIII:2005/04/11(月) 23:49:34
並べると判りやすいですが、
0)神を信じていない状態に被造物を作る
1)自分の姿を現す
2)そうすると、いわばトートロジカルに被造物(=人間)が神を信じる
これだと、“神を信じている被造物を作る”なら一作業で済むのに全能の神にしては
モタついたやり方。となると、“トートロジカルに神を信じること”は神は望んで
なくて、“経験やら何やらで、神を信じることを選び取って欲しいと神が考えている”
と考えるべきではないかと思い至りました。
だから、証拠をつけずににおわす程度のことしかしないんでしょう。
神様というのは、人間界を何が起こるか眺めて楽しんでいる存在とも言えましょうか?
ここにいたって、神様っちゅーのは、普通は“秩序を建てたからエライ”と考えますが、
どうもそうではなく、神様自身でもよくわからない“偶発性・ランダム性”を作った
からエライと言うべきではないかと思うようになりました。
、、、神父は、教会秩序を崩す厄介者と思っただけのようでした。
353 :
小さなヨハネ:2005/04/11(月) 23:51:06
スウェーデンボルグは従来のキリスト教界では恐らく異端とされているので
しょう。従来のキリスト教はキリストが神であることを結果的に否定して
いますから、彼がキリストは唯一の神ご自身であると言えば否定するのです。
しかし、宗教に汚染されていない我が国はスウェーデンボルグの主張を
受け入れる素地があります。神は三人いるが一人であるなどという説は健全
な日本人ならすぐに噴飯ものと感じます。江戸初期前後に日本でキリシタン
が急増したのは、当時の宣教師は主イエスを天主、すなわち神と言ったので
はないかと思います。なぜなら、三神説は馬鹿にされるので、宣教師たちは
異邦人の地ではそれを口にするのを憚ったとスウェーデンボルグは言ってい
るからです。一神説を言ったからこそキリシタンは広がったのだと考えます。
354 :
小さなヨハネ:2005/04/11(月) 23:58:16
聖母マリアは別名『神の母』(テオトコス)と呼ばれますが、キリストが
天の父なる神ご自身であったのなら、それはまことに正しい名称です。
しかし、現在ではプロテスタントはおろか、カトリックでも聖母の権威は
失墜しています。それはつまり、彼らは最早キリストを神と認めないので、
聖母を『神の母』と認めないからであろうと思います。
355 :
ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 00:00:00
神とは完璧な存在の事である
完璧という定義の中には存在するという意味も含まれる
故に神は存在する
356 :
小さなヨハネ:2005/04/12(火) 00:06:16
しかし、考えても御覧ください。キリストを神と思うのがキリスト教でない
なら、何をもってキリスト教と言うのでしょう?
実はそれは宗教を名乗った無神論そのものなのです。三位一体説から諸々の
誤謬が生じました。信仰による義認説や刑罰代償説です。それらはまさに
狂気の沙汰です。常識では考えられないことを高尚だの正統だのと名乗って
いるのです。日本人がそういうものと無縁だったことを感謝します。
357 :
小さなヨハネ:2005/04/12(火) 00:10:39
>>355 なるほど、おもしろい。しかし、その先、つまり、その神とは
イエス・キリストであったということを認めるのが実に大変
なことなのです。
358 :
ローカルルールのルールとはオナニー:2005/04/12(火) 00:15:54
>>356 誰だって「絶対者」が居て「人生の全て秩序立てて欲しい」とは思うよ!
ミッション系の幼稚園出身の俺は「生誕劇」で「預言者」をやらされたが、
「ヨハネ」をやった奴の「インチキさ」も感じるほど「普通の感受性」は
あった。
大人になったあんた方が、何時までも「キリスト」に救いを求めている
「醜さ」を理解できないのは判る・・「死ぬまで馬鹿だから」けど、
おまいらに「歴史的存在価値」はないと思う。・・・畜群どもにはね。
359 :
小さなヨハネ:2005/04/12(火) 00:21:32
神は姿を現わさない。確かにそうです。しかし、実は啓示された文書に
よって自らを現わしておられます。スウェーデンボルグしかり、
マリア・ワルトルタしかりです。スウェーデンボルグには主は直接
登場されません。彼の主についての解説のみです。しかし、マリア・ワル
トルタの本には主が弟子たちとの会話を通して、また時には直接話法で登場
されます。それを読んで主を神と信ずる者は狂喜するのです。真珠をみつけ
た商人のように。
360 :
小さなヨハネ:2005/04/12(火) 00:30:05
主イエスを神と認識するには残念ながら尋常な認識力では不可能です。
自分が賢いなどと自惚れているうちは、サルが赤い尻を出して銀座を
徘徊しても恥ずかしいと思わないのと同様、何のことか分からないで
しょう。彼らは「知らないものをそしる」のです。
361 :
ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 00:31:00
神はツチノコ 説、ど〜よ
362 :
神に救いを求める利己主義者は居るが神は居ない:2005/04/12(火) 00:39:54
要は、
自分だけ楽したい
自分だけ苦しみたくない
自分だけは不幸でありたくない
できれば平凡でもいいから苦しんで死にたくない
・・・それが満たされるかどうか?・・「信仰」とは関係ありません。
なにせ「現世利得」はキリスト教の与える「報酬」ではない筈ですから・・
>>ヨハネ
ふむ、なかなか面白い。
けれども、大日如来も釈迦もアマテラスもおなじイエス・キリストの
現れと言うなら、なぜGodを大日如来と呼ばずに、キリストと呼ぶんだろう?
板によってコテを使い分けるちゃねらーも本名は持ってるってことかい?
君は「俺は大日如来を信じる。よって仏教典を研究する」とでも言うのか?
どうも君の口調から寛容さが感じられないな。イカンよ。
俺はなにがしかの霊的な存在はいてもいい、というかいたほうが面白いと
思うよ。麻雀の時にチョンボの神とかが降りてきて何度も俺に少牌させちゃうの。
道祖神とかいたり、厠の神とかがいたり。サンタさんだって信じちゃう。
(寛容さが良いことかというのはひとまずおいて)宗教の寛容さっていうのは
一神教では育たないと思うんだが。
>>355 デカルトの神の存在証明と似てるかも。
364 :
ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 01:36:08
キリストもまた釈迦の手のひらの出来事なのです
365 :
ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 01:43:39
神の沈黙さえも神の存在理由とする。
366 :
ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 01:47:12
神を信じぬ者は心に言う、
「神などいない」と。
人々は腐敗している。
忌むべき行いをする。
善を行う者はいない。
>>308 逆だと思う。人間は知恵の実を食べて、認識力を得たのだと思う。
知恵の実を食べたことで、喜びと苦痛を、暖かさと冷たさを、幸せと不幸を、
他、様々な認識をはっきりと識別出来るようになったのだと私は思う。
日本語には表裏一体という言葉がありますけど、コインは表だけでは存在でき
ず、裏だけでも存在できない。コインは表と裏があってはじめてコインとして
存在出来るわけでしょ。例えば、明るい光の中でローソクの火を灯しても、
その明かりは分かりづらいし、ありがたみもない。ローソクの火は暗闇の中で
灯すことで、はじめて、その明かりの明るさをはっきりと知り、ありがたみが
出てくるものでしょ。それと同じで、苦痛がなければ喜びは存在出来ず、また
冷たさを知らなければ暖かさの基準もなく、不幸がなければ幸せが何かを知る
ことが出来ないのではないでしょうか。
そしてエデンの園というのは、認識力に欠ける人たちの住む世界だったのでは
ではないかと私は想像してます。
そう思ったのは、有名SF小説の「アルジャーノンに花束を」を読んだ時です。
知能障害のある青年が脳外科手術によって超人的な頭脳を持つに至る話です。
今までは、からかわれても馬鹿にされてるとは思わず、皆が自分を好きだから
ちょっかい出してくるのだと思って、気楽で幸せな毎日だった。でも、知能が
増進するにつれて、周りの本当の状況を知るようになるんです。
今でいえば、ちょうどオタクの人たちがそれに近いのではないかと思います。
ちょっとお金を払えば簡単に自分の思い通りになる世界が手に入る、それは
苦痛がなく、ただただ幸せな毎日で、まさに理想郷を生きる人たちでしょう。
そんな人たちがある日突然、何でも自分の思い通りになる妄想の世界を奪われ
自分の思い通りにならない辛い現実を生きよと命じられたら、多分その人たち
は、「私は楽園を追い出された」と思うのではないでしょうか。
お釈迦さまは、生きることは苦しみだと説かれたそうですが、でも現実に足を
着けて生きている人たちが皆、生きることが不幸だとは思っていません。
旧約聖書の創世記の失楽園の話は、こういう事だと私は想像しています。
369 :
冗談じゃないよ:2005/04/12(火) 02:06:01
>>360 わざとつられるけど、冗談じゃないよ。
パレスチナに2000年ほど前に生まれた人間を神と信じるかどうかで、
こっちのやることに善悪つけるのはおやめ下さい。
キリストを神と認めようと認め無かろうと、私の馬鹿さ加減も賢さも
変わりません。
大体、キリストに限らず教祖ってのは、その前までの思想や歴史、書物を
全部ご破算にしちゃったひどい僭主だと思いません?ヤーヴェに兄貴が居て、パパが
居てって、聖書より古いらしいナグ・マハディ文書に書かれているのは
どうなるの?明らかにユダヤ教団・キリスト教団に習った社会学者マホメット
だって「啓示」って言葉で過去の人間の業績をご破算にして、自分の書いた
一冊の書物に人間を閉じ込めてるとは思わない。
370 :
冗談じゃないよ:2005/04/12(火) 02:06:49
頼むから人間性の冒涜はやめて欲しい。
あたしゃ、あくまで人間として、人間の力で現世の解決に乗り出すべきで
あって、その裏にどんな信仰があっても、そんなの表に出すもんじゃないと
思う。それが間違ってても、あの世で神に咎められて、改心すりゃーいー
じゃない。あの世で改心することがダメだなんて、そんなケチなこという
のかね?
世界の紛争、それも世界中の何千年って歴史を見てれば、宗教的なやり方が
限界だなってわかるじゃない。「隣人愛」なんて三文字の言葉唱えれば解決する
ほど、世の中優しくないってこと。じゃーそういう状態をどうしようかって、
難しさに飛び込まないで、相変わらず「神だ神だ、神の愛だ」なんて言ってる
ほうがよほど、赤い尻出して徘徊しているサルじゃないんかしら。
耶蘇系学校でうざかったのが、病人介護活動しているのを耶蘇教と結びつけて、
神の愛がどーのとほざく神父。1549年以前に病人介護した日本人はいな
かったのか?居たとしたら彼ら彼女らの行動や善意の価値は耶蘇教徒じゃないから
下がるのか?と聞いたら、神父「下がらない」と答えたよ。「じゃーキリスト
教徒でなくても、正しい行いができるんですな。」と言ったら、二の句が
つげなかった。誰が恥ずかしいサルなんですかね?
一回の非耶蘇教徒のサラリーマンだって、見えないところで、いろいろ善意の
行いをすることだってあるんだ。こんな人間的な行為が一宗教の専売特許な
わけあるかい。
内容は置いといて、ヲタをそこまで言うのもなぁ……
第一、平日のこんな時間に2chに書き込んでる時点でおまいも予備軍。
オレモナー
>>367>>368を要約すると、
光が光であるためには必ず闇が必要で、それが本当はどいうものなのかを知る
ためには実際に体験しなければ分からないし、体験するためにはそれらを
はっきりと識別できなければいけない。
人間は知恵の実を食べたことで、まさに知恵(認識力)を得たのではないでしょうか。
でなけば、何故この現実の世界が用意されているのか意図が分からないでしょ。
>>371 オタクの人たちが知恵遅れの様だと揶揄してるわけじゃないですよ。
妄想を生きてる人たちと現実を生きてる人たち、どちらが偉いとかも思いません。
ただ、何が違うかというと、うまく表現出来ませんが、妄想の世界を生きてると、
成長や前進がないように思います。
妄想の世界は安全で、毎日が楽しく幸せだと思います。知識も増えるだろうし、
驚きや喜びも当然あると思います。
ただ、妄想の世界は同じようなことの繰り返しで、ただただぬるい幸せが永久
に続くという前進のない世界だと思うのです。
それは確かに幸せでしょうから、どちらが良いとは思いませんし、それぞれが
自分の好きな生き方を選べばよかろう、と私は思ってます。
>>367,368
動物→本能によって生き方を知っていて、それ以上の事はあまり考えない。
生き方を迷わない。
人間→中途半端な知恵を持っていて、生き方を自分で考えなければならない。
不要な事も色々考える。煩悩に悩まされる。
>>373 『妄想の世界』?
w
安全な自分一人の世界に逃げ込み
煩わしい他人との関わりを避けていれば
他人との関わりのスキルは向上しない。
煩わしさを越えたところに有る収穫も得られない。
それはそうだろう。
だがあんたの言い方大仰で笑える。
自分と違う種類(と思っている)人間を見下して喜んでるだけじゃん。
オタク趣味の人間にだって同趣味の人間同士のつながりを持つものだって居る。
そこにある充実感とか嫌な現実とかを君が知っているのかい?
377 :
小さなヨハネ:2005/04/12(火) 17:48:09
>>363 >宗教の寛容さっていうのは 一神教では育たないと思うんだが。
それは単純な誤解です。従来の狭量な宗教はそうであったかもしれません。
しかし、スウェーデンボルグは次のように、他宗教に極めて寛容です。
天界と地獄319
異邦人も基督教徒と同じく救われることは、人間のもとに天界を作るものの何で
あるかを知っている者たちには知られることができよう、なぜなら天界は人間の
中に在り、己が中に天界を持つ者は天界に入るからである。人間の中の天界は神
的なものを承認して、神的なものにより導かれることである。
真の基督教729
実に、凡ゆる国人は、若し、神を認め、正しく生活するならば、救われるのであ
る。何故なら、凡ゆる人は霊的に生まれ、それ故贖いの益を受けることが出来、
主は彼ら凡てを贖い給うたからである。
神の摂理322
異教徒はその日々の生活では宗教的原理から神を基督教徒よりも多く考えている。
378 :
小さなヨハネ:2005/04/12(火) 18:02:40
私の主張が寛容でないと受け取られるかもしれません。しかし、真実を
主張するのは寛容とは別の次元の問題です。例えば地動説が真実である
と発見した者は天動説に寛容であるでしょうか?天動説を唱える人間に
対して寛容であっても、説を枉げることはないでしょう。そういう問題
なのです。キリストが神であることを知っている人は殆どいません。
クリスチャンもそれを知りません。そんなことは知っていますし、
それについては止むを得ないと思います。そのことを教えてくれる人は
いなかったのですから。
しかし、それが理解できたので主張しているというだけです。
サマリアの女が主を井戸のそばに見出して、それを村人に知らせるために
駈けて行ったのと同じことです。それを伝えたいだけなのです。
379 :
小さなヨハネ:2005/04/12(火) 18:15:31
主イエス・キリストが父なる神であることを主張することは従来のキリス
ト教とはいかに懸け離れているかご存じない方は、キリスト教と聞けば、
今までさんざん宗教戦争をし、魔女裁判をし、もうたくさんだ、と否定的に
思われるでしょう。しかしながら従来のものとは全く違うのです。その程度
の問題かとご指摘いただきましたが、それは天と地ほども違うのです。
スウェーデンボルグはそのために故国スウェーデンでは自著を出版すること
が出来ず、英国で出版し、その地で客死しています。
↑こいつうざい。
381 :
小さなヨハネ:2005/04/12(火) 19:29:07
>>369 >キリストを神と認めようと認め無かろうと、私の馬鹿さ加減も賢さも
>変わりません。
いえ、大いに変わります。
「主を畏れることは知恵の初め。」(箴言1・7)
主が神であることを知ると、頭の中でまさにコペルニクス的転回が生じます。
しかし、そのためには、啓示されたものをある程度読む必要があります。そも
そも知識(水)がなければ川(理知)は流れないのです。ですから、自分の知恵
でいくら考えても、想像しても残念ながらそれは無駄です。「天から与えられな
ければ、人は何も受けることができない。」(ヨハネ3・27)とは本当です。
蚕は天から与えられた桑の葉(真理の知識)を食べなければ、繭(真理の衣)を
自分自身で作ることは出来ないのです。
↑うざい
383 :
ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 20:09:25
小さなヨハネ氏はスウェーデンボルグを読んで
「理性」によって「キリストが神である」ことを理解したのかな。
だとすれば、「読みなさい」ではなく、理性を備えた人間なら誰でも
理解できるように「キリストが神である」ゆえんを自分の言葉で
説明しなければだめだね。大雑把でも穴があってもいいから。
本当に理性によって理解しているなら、大筋くらい説明できるはずだ。
もし「理性」以外の何か(直感とか啓示とか)によって
「キリストが神である」と知った、というのなら、それは哲学板で
やるべき話ではない。宗教板でやるがよろし。
キリストの時代に映像記録機器があれば
こんな嘘で塗りかためられた世界にはならんかったのになあ
たしか、スウエーデンボルグは、理系だったよね
386 :
小さなヨハネ:2005/04/12(火) 20:34:21
>>383 なるほど、私もそうしたいと考えます。しかし、何をどう説明すればよいの
でしょう。例えばどう説明すればよいのか教えていただきたいのです。
あなたは「キリストが神である」と思っていないかもしれません。しかし、
仮に思っているとしたら、あなたなら例えばどう説明するのですか?
どの箇所で読んだか忘れましたが、スウェーデンボルグは、なぜ自分がこれ
ほど大量に書くのかについて、それはあなた方が信じないからである、と
言っていたように記憶しています。スウェーデンボルグでさえ、実はそう
だったのです。わたしはスウェーデンボルグの本を読んで、その驚嘆すべき
内容に、これはまことに本当である、神から教えられなければ到底書け
ないと「感じた」のです。それを実際どう自分の言葉で説明したらいいかと
いうと分からないのです。ですからお聞きしています。
人々は、真実を欲しながら、
しかし、それを決して 見ようとはしない。
by おれ
388 :
小さなヨハネ:2005/04/12(火) 21:54:49
>>384 文書による映像記録とも言うべきものがあります。それはマリア・ワルト
ルタというイタリア人女性(1896〜1961)が主によって霊眼を開か
れ、福音書やそれ以外の当時の場面を見せられ、記録したものです。まるで
映画を観ているような感動を覚えます。映画「パッション」がありましたが、
それをはるかに凌ぐ素晴らしい内容です。興味があればお読みください。
(あかし書房、抄訳版全10巻。天使館、完訳版現在2巻まで。)
389 :
小さなヨハネ:2005/04/12(火) 22:01:11
>>385 確かにスウェーデンボルグは理系です。スウェーデンの鉄鋼業に関する冶金
の専門家であり、その他星雲説、原子物理(?)、大脳生理学、等々に足跡
を残しているそうです。現在の飛行機の翼の原型を設計したのは彼が最初と
も言われます。
390 :
小さなヨハネ:2005/04/12(火) 22:08:54
>>387 どのくらい欲しているかによるでしょう。本当に欲しているなら
見るでしょう。
391 :
小さなヨハネ:2005/04/12(火) 22:16:00
ところで、私からの質問ですが、皆さんはスウェーデンボルグを
読まないのはどうしてですか?有名ではないからですか?それともカント
が『視霊者の夢』でけなしたからですか?他の、哲学書を推薦するスレッ
ドでもスウェーデンボルグは全く入っていなかったように思います。
哲学を好まれる人に読書家はたくさんいるでしょうに不思議に感じます。
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゙゙|'!i, ゙ l,, .l(,,,, -=-´⌒=-´ ̄`ー,,,,,_,_),l".,/.l |゙’
l ゙l,,.ヽ ゙゙l~l l~/~,ll⌒l⌒l~ l l ノ゙゜/゜,√ ゙l| そうかな?
゙l 、゙゙l, ゙l, `ヽ`- ┴,┴.┴‐┴´, / .,i/ |
,l゙|,, 〉、゙l、  ̄`~´ ̄ 〈l゙`,lヘ .,/l、
l`゙゙!,/゙ l,.'l、 ノ「./ .l/ '゙i,
.ll ゙l,、'ト , ll ケ ./ .゙l,, 、
.l ゙l,、 | ,il° .゙l,、
.| .lト .゙‐ l′ .゙lr
>>391 仏教はなかなか興味深い。
だがキリスト教関係は、昔々、地球外から来た者たちがいろいろなことを我々の祖先にしたことを、
多大なショックを受けて、それなりの想像力を以て受け止めた当時の連中の妄想が、
いまだに継続している程度の戯言としか思われないw
文明人がまともに語るに値しない。
>>277 >神が隠れておられるのは人間の冒涜を防ぐため
>神を冒涜する者は地獄へ行く
聖書にあるとおり、神が辛抱強く、堅く真理に立っておられる方なら、
人間の浅はかなそしりやあざけりを、冒涜と感じるとは思えません。
大人にとって当たり前の事を子供に教えて、そのことで子供が揚げ足を取って
大人をからかっても、大人は、やれやれ・・と思うだけでしょ。
ましてや我々の創造主たる神が、そんなことで怒るとは思えません。
それに何故、地獄へ送るのですか?
聖書には、「我々は皆、神の奴隷」という表記がありますけど、自分の
思い通りの人間は天国行き、そうでない人間は地獄行き。それではまるで、
神は自分のした実験が成功か失敗かをずっと見張っている者のようです。
全ての創造主であり全知全能である神が、そんな間抜けな事を仕事としている
とは思えませんし、神がそんな不完全なものしか作れなかったと考えるのは、
それこそ神の力を侮った冒涜と私には思えます。
それとも神が人間を不完全に作ったことには、我々には遠く知恵の及ばない、
神の計画があったのでしょうか?だとすれば、その計画とは何ですか?
あるいは、>277の文章は、神の道を歩むことが幸せの道であり、そこから
外れた道を歩くことは苦しみである。という意味の詩的表現と理解すれば
いいのでしょうか?
395 :
ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 23:59:13
神さんも随分とかいかぶられたもんだな。
あきれて物が・・・あ、言っちゃた。
396 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 00:08:09
神ですが、お代はここにおいときますね。
「人生の苦しみに耐える自分は決して存在したことはなく、
存在しているのは神、源泉だけである。その源泉から、すべての現象が生じ
何十億という人間を通じて機能しているのは神だけである。」
神の意志ゆえに行為が起こり、どんな結果であれそれもまた神の意志です。
人間という対象物はどんな行為の結果も知ることができず、
同じ行為は毎回同じ結果を生み出す必要はないのです。
さらに、どんな行為の結果も、それが起こった個人に制限されるわけではなく
最初の行為とは何の関係もない多くの人たちに影響を与えることがあります。
それゆえ、たとえば大企業のトップが決定したことが、
よくも悪くもその決定をした人だけではなく、その大企業と関連する
ほかの多くの企業、そしてその大企業に勤めている従業員など、
他の多くの人たちに影響を与えることがあるのです。
「出来事は起こり、行為はなされるが、それについての個人の行為者はいない」
ブッダ
科学者はビッグバンの「すぐ後」の状態を創造することは遠い未来には
できるかもしれませんが、しかし、彼らはビッグバンの「すぐ前」の状態を
創造することができるでしょうか?
398 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 00:16:19
神さんて多力本願のめんどくさがりやで、現場はもう人間に任せたらしいよ。
さすがに、底力のある経営者が開き直ると強いよね。
待ってても助けちゃくれないよ。
行為も結果も神の意志。
とるに足らない人間の思考力で神の永遠性を理解することより
中学生が相対性理論を理解する方がまだ簡単です。
>>258 >求めよさらば与えられん。探せよさらば見出さん。叩けよさらば開かれん。
>すべて求める者は得、探す者は見出し、叩く者には開かれる。
だったら小さなヨハネ氏自身が神を見ようと、神の啓示を受けようと、
求め、探し、その扉を叩けばいいでしょ。
でも、上レスを読む限りでは、小さなヨハネ氏のしてることは、聖書を
鵜呑みにし、キリストに心酔し、スウェーデンボルグに傾倒しているだけ。
それではあなたが神の啓示を受けることも、神を見出すことも、神の扉が
開かれることもないのではないですか?
言ってる事が矛盾しているように思えます。
401 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 00:28:25
新入社員が会長と仲良くなるためには、
海で溺れた会長をそれと知らずに助けるしかないよ。
会社入ってから抜け駆けすると会長に嫌われたあげくに、
上司や同僚にまで相手にされなくなるよ。
いいかげんスレ違いUZEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!
403 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 01:03:48
果て?擦れ違い?
404 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 01:08:17
人間が狼のやさしさに気付いてくれなきゃ、神さんは暑くても羊の皮を脱げないでしょ。
地球も温暖化だが、人間社会の温暖化の方が始末が悪いな。
神は神話の登場人物でしかない。
過去ログ嫁。似たようなスレ腐る程あるから。
406 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 01:19:23
だそうだ。
>>406 たったそんだけの事をわざわざ書き込むなんて尊敬します^^^^^^^^^^^^
税金もNHKの受信料もはらってないんちゃう?
409 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 02:40:12
神がいるのならば、
なぜにそこまで徹底的にやらなければならないのか
人間は悪だ。
十人集まれば十通りの罠がしかけられる。
一人殺すのに十通りの理由ができる。
顔が漫画のキャラに似てるだけで悪人はできあがる。
ペンは剣よりつよいかもしれないが、あおられた大衆のなかの勇ましい者も無傷ではあるまい。
うすぎたなくあさましいまでの罠をしかけた者をおれは恨みながら耐えよう
そして復讐はまた起こる
それは俺以外の者によって
410 :
冗談じゃないよPartII:2005/04/13(水) 03:25:43
>>371 ほら、残業から帰って来て、妙にいらついてる時あるじゃないですか、、、
あっ、今日は呑んで帰って来て、気分が高揚してます、、、
>>369 あーたの理屈は「私は正しいけど、みんなわからない。キリストを信じないと
判らない」っていってるだけなの。”信じる”と”判る・理解”するは違うのに、
それらを都合よく混同するんじゃないっての。
前にもキリスト教徒の知人と交友関係絶ったんだけど、「読まないから判ら
ない、、、」とか抜かしやがって、俺の方が読んでるのに。次は「信じなければ、
判らない」というから、わかりたくないよってなる。
それが宗教的解決の限界ってやつでしょ?他に同じく頑固なヤツがいたとき
(例えば、イスラム教徒、例えばユダヤ教徒)、結局、殺してるわけでしょ?
なんか抽象的な高みに自分を置くんだよね。それで憐れみのまなざしをくれてる
気にでもなっているらしい態度と言葉。その時は、ずばりそれを指摘して、
「頼む判ってくれ。馬鹿に見えてしょうがないお前さんに、憐れみを受ける
言われがなさすぎるんだ。あんたが憐れなんだから。」と言ったら、すごい
怒ってた。そこで「怒りも大罪の一つじゃない?」って言ったら、尚更怒ってた。
******
そもそも、我々の前に姿をあらわさない理由に話をもどさんとね!
神がいる前提で論議すれば、今出てきたら何が起こるか?それがなんで気に
入らないかが考えるヒントだろう。
411 :
冗談じゃないよPartII:2005/04/13(水) 03:29:57
しつれい、、、371は368向けの言葉だったんですね。。。
412 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 03:43:27
>>369 >パレスチナに2000年ほど前に生まれた人間を神と信じるかどうかで
キリストは神様じゃないよ。キリストは救世主。
神様は聖書に出てくる神様。あの怒りやすい神様のことねw
「人は悪だ」「全能な神が人間に対し怒っている」とか
街頭で言ってる変な人たちがいるが、これっておかしいよね。
神が人を作り、なおかつ神が全能なら、人間が殺し合い、環境を
破壊したりするのも神の考えの中ということじゃないか。
これで人間が神様の予想外の行動をとったら、神様は全能ではない
よね。なんで「人間は悪」とかのたまうのだろう?なんで自虐的な
考えしかできないのだ?いつも不思議に思う。
人間も自然の一部なの。
>>412 私もそう思う。
自分の思い通りにならなかったから地獄へ送るというのなら、
初めから自分の命令通りに生きるよう、人間を作ればよかったじゃないかと。
聖書にあるとおり、神が全知全能で創造主というのなら、自分が不完全なもの
を作っておきながら、失敗作は地獄行き、だなんて行動はおかしい。
聖書はどうも神を奉っておきながら冒涜しているよう思える。
414 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 06:19:40
優しい言葉とは現実に人と人とが接してはじめて認識するものである。真理
>>414=
>>368かな?
認識っつー言葉が好きなあたり。
オタクもひきこもりも妄想性疾患もごっちゃまぜの人間が
優しさを語ってるのだとしたらけっこう笑えるけど。
>>412,413
講談社現代新書の「一神教の成立」とかいうやつ面白いよ。
418 :
416:2005/04/13(水) 11:57:42 BE:4469322-
書いた人はキリスト教よりっぽかったけど、
ユダヤ、キリスト、イスラムの3つの「聖書の宗教」について述べてあって
聖書の中の矛盾?みたいな事について触れてあった気がする。
419 :
小さなヨハネ:2005/04/13(水) 23:13:23
神が怒る、人間を地獄へ投げ込むというのは「外観」です。
スウェーデンボルグ・天界と地獄545
「神は人間に御顔をそむけられ、御自分から人間を斥け、地獄に投じられる、また
神は人間を悪のために怒られているという意見をもっている者もいるし、さらに、
神は人間を罰して、これに悪を行われると考えている者もいる。こうした意見を彼
らはそうした事柄が言われている聖言の文字の意義から確認しているが、文字の意
義を説明している聖言の霊的意義は全く異なったものであり、従って聖言の霊的意
義から来ている教会の純粋な教義は文字の意義とは異なったことを教えていること
を知っていない、すなわち、神は人間から決して御顔をそむけられず、御自身から
人間を斥けられず、何人も地獄へ投げこまれず、何人も怒られないことを教えてい
ることを知ってはいないのである。」
420 :
間違えました、、、:2005/04/13(水) 23:15:03
>>412 うっかりしてました、、、イエズスはキリスト教なら救世主・神の子、
イスラム教なら預言者の一人でした。ご指摘深謝いたします。
カトリック系学校に行ってましたが、「三位一体」の感じを度忘れして、
「三味一体」って書いたあほうでございます、、、
421 :
小さなヨハネ:2005/04/13(水) 23:18:07
例えば、人間は自分から地獄へ行くことについて。
天界と地獄547
「人間の中の悪は人間の中の地獄である。なぜなら悪と言うも、または地獄
と言うも、それは同じことであるから。さて人間は人間自身の悪の原因であ
るため、かれはまたかれ自身を悪に引き入れるのであって、それは主ではな
い、なぜなら主は人間を地獄に引き入れられるどころか、人間が自分自身の
悪の中にいることを欲しないに応じて、また愛しないに応じて人間を地獄か
ら救い出されるからである。人間の意志と愛との凡ては死後も人間のもとに
存続している(470−484)。世で悪を欲し、愛する者は他生でもそれ
と同じ悪を欲し、愛し、そのときはもはや自分自身がそこから引き出される
ことをがえんじない。ここから悪にいる人間は地獄にしばりつけられ、同じ
くその霊の方面では実際そこにおり、死後はその悪のある所にいることを何
ものにもまさってねがい、従って自分自身を地獄に投げ込むものは人間であ
って、主ではない。」
422 :
小さなヨハネ:2005/04/13(水) 23:22:28
天界と地獄548
「このことがいかようにして生じるかもまた述べよう。人間は他生に入ると、
先ず天使たちに迎えられるが、天使たちは彼のために善い務めをことごとく
果たし、また、主、天界、天使の生活について彼と話し、彼に真で善い事柄
を教える。しかし今は霊となっているその人間は、実際世にいた頃はそうし
た事を知ってはいたものの、心ではそれを否定し、または軽蔑したような種
類のものであるなら、彼は少し言葉をかわした後でそうした天使たちのもと
を離れようとねがい、また求める。天使たちはこれを認めると、彼を自由に
させる、彼はしばらくの間、他の者たちと交わった後で、ついには彼自身と
同じような悪にいる者らと交わり(前の445−452)、そうしたことが
起るようになると、彼は主に背を向けて、地獄に顔を向けるが、この地獄と
は彼は世にいた頃すでに連結していたのである、そこには同じような悪の愛
にいる者らがいるのである。これらの事から、主は天使たちにより、また天
界からの流入により霊各々を御自分へ引きよせられているが、悪にいる霊は
徹底的に反抗し、主から自分自身をいわば引きちぎって、自分自身の悪によ
り、引いては地獄により、綱で引きよせられるように引きよせられることが
明らかであり、それで彼らは引きよせられ、悪への愛のため自ら進んでそれ
に従うため、彼らは自分自身を自由から地獄へ投げこむことが明らかである。
>>420 『三味一体』おもしろいwww
何かすげーおいしい料理っぽい。
424 :
小さなヨハネ:2005/04/13(水) 23:24:37
(続き)
これが事実であることは、世の人間によっては、その人間が地獄について抱
いている考えのために信じられることはできない。事実他生でも地獄の外側
にいる者たちの目にはそのようには見えないのであり、ただ我と我が身を地
獄へ投げこむ者にのみそのように見えるにすぎないのである。なぜなら彼ら
は彼ら自身からすすんで入るからである。悪を求める激烈な愛から入る者は、
恰も頭を下に、足を上にして、まっさかさまに投げこまれるかのように見え
る。彼らが神の力により地獄へ投げこまれるかのように見えるのはこの外観
によっているが、そのことについてはさらに多くのことを下に見ることがで
きよう(574)。以上述べたことから、主は何人も地獄へ投げこまれず、
各々が自分自身を、たんに世に生きている間のみでなく、死後霊たちの間に
くるときにも、自分自身を投げおとすことが今や明らかである。」
冒涜についてはまたこの次に。
guest guest
426 :
大きなヨハネ:2005/04/14(木) 02:13:01
小さなヨハネよ、わしじゃ大きなヨハネだ。
スレッドのタイトルをよく嫁
すごい戻るけど、
>>271さん、「第一の学問」って言葉が、ちょっとした誤解で
「メタフィジカ形而上学」になっちゃったって木田元さんの『反哲学史』に
ありましたが、なんにせよ「形而上学」が神の追求を究極の目的にしたなんて
聞いたことないですぞ。アリストテレスもびっくりしてしまふのでは?
427 :
名無的発言者:2005/04/14(木) 04:56:33
悪魔が天界にやってきて勧誘する自由もあるのじゃない。
429 :
例えば:2005/04/14(木) 14:21:44
神は我々より次元が上の存在である。
二次元の存在が三次元存在を認識できないように、
(たとえば映画の中のキャラクターは制作者や観客を見ることはできない)
我々も神を見ることはできない。
>>429 たとえ話に揚げ足取るようなツッコミ入れるのは失礼かもしれないけど、
いちおう言っておくと、二次元のキャラクターは「二次元の生物」では
ないですよね。
それに、蟻は世界を二次元で認識しているという話を聞いた事があります。
だとしたら、蟻は三次元の世界を見る事は出来ないけど、その存在を二次元に
解釈して見ている、という事は言えるんじゃないかと思います。
431 :
小さな金保:2005/04/14(木) 19:10:10
いやー地獄上等っす。やれれば。
432 :
小さな金保:2005/04/14(木) 19:11:15
炉利最高っす。
433 :
ローカルルール審議中:2005/04/14(木) 20:51:14
二種免許とかの試験に遠近感があるのって、
すべての人間が持ってる能力じゃないんじゃないの。
こりゃ、事故があって当たり前だね。
こりゃ、車産業も赤信号だね。
↑
不器用な外科医よりは、マシだろ。
435 :
ローカルルール審議中:2005/04/14(木) 21:02:50
あと色盲のペンキね。
なんてさり気なく流したりして、おたく車屋さん?
>大きなヨハネさん
べつにスレ違いいいんじゃありませんかね?
小さなヨハネさんの話に興味があってみんなここに集まるんです。
スレ違いだなんて、つまらない制約で、議論をストップさせないでくださいな。
あなたのアリストテレスの話こそスレ違いだと俺は思います。
できれば専用スレがあるのでそこへいって下さい。
それができないなら俺はあなたの言葉は単なる揚げ足取りだと思います。
こんなこと本当はいいたかないが、
言わないと小さなヨハネさんの話が聞けないのさ。
437 :
小さな金保:2005/04/14(木) 23:15:23
いやそんなことより冒涜さいこーーーーーっす
438 :
小さなヨハネ:2005/04/15(金) 00:06:02
>>436 はあ、有難うございます。多少のスレ違いは認識しているのですが、全く関係ない
訳ではなく、「スレタイ」に関してなかなかそこまで説明が辿り着けないというの
が実情です。ですからもう少し説明すれば迂遠ながら行き着けるかもしれません。
最終的な結論は私にも分からないのですが、いくつかの回答(考え方)があるよう
な気がしています。
>>438 いたんですね。どうも。
いくつか確認したいことがあります。
俺はスウェーデンボルグ以外にも、あなた自身の考えも聞きたいと思っています。
そういう各々の齟齬が解消された上で、あなたはここでキリストの伝道師として
活躍されればそれでいいと考えています。
あなたの志向性は哲学徒のそれとは明らかに違いますから、
あなた自身は自由であってかまわないと考えています。
ちなみに、俺はあなたが神についての議論をすることに、多少興味があったりします。
なんでいくつか基本的な質問をしようと考えている最中です。
小さなヨハネ氏は神を見たことはありますか?
神を信じるのはなぜですか?
なぜあなたは神を必要とするのですか?
もしよろしければお聞かせください。
よろしくお願いします。
440 :
小さなヨハネ:2005/04/15(金) 00:18:33
>>394 >聖書にあるとおり、神が辛抱強く、堅く真理に立っておられる方なら、
>人間の浅はかなそしりやあざけりを、冒涜と感じるとは思えません。
>大人にとって当たり前の事を子供に教えて、そのことで子供が揚げ足を取って
>大人をからかっても、大人は、やれやれ・・と思うだけでしょ。
>ましてや我々の創造主たる神が、そんなことで怒るとは思えません。
>それに何故、地獄へ送るのですか?
さて、「冒涜」についてですが、394氏のおっしゃることはまことにその通りで、
神はそんな方ではないという確信は正当だと思います。「地獄へ送る」について
人間は自ら地獄へ行くのであって、神がそうするのではないということは前述しま
した。では神は「冒涜」されることを許さないのか、という点ですが、仰るとおり
神はそんなことで怒ることなどありません。そうではなく、人間は神を冒涜すると
より悲惨な地獄に行くので、神は冒涜させることを避けさせるということです。
441 :
小さなヨハネ:2005/04/15(金) 00:41:36
>>439 はい。「冒涜」について適当な引用箇所を探しておりました。なかなか思っていた
箇所が見つかりません。冒涜に関する説明は中断して、あなたのご質問にお答え
しようと思います。
1.小さなヨハネ氏は神を見たことはありますか?
所謂「見た」ことはありません。スウェーデンボルグやサンダー・シングは
「見神者」と言って、実際「霊眼」を開かれ、神なる主を「見」ています。
そういう「カリスマ」を与えられた人はたくさんいます。ピオ神父、マリア・
ワルトルタ、ヴァッスーラ、アッシジのフランシスコ、等々。
私にはそのようなことは全くありません。
しかしながら、スウェーデンボルグは「見る」の「霊的意義」あるいは「内意」
は「理解する」という意味であると言い、たとえば「心の清い人々は幸いである。
その人たちは神を見る。」(マタイ5・8)の「神を見る」とは、「これらの者
は聖言を読んでいる時明るくされる」(聖言57)、あるいは「『神を見る』とは
神を信じることであり、かくて神を信仰によって見ることである」(天界の秘義
3863)と解説しています。
そう言う意味では私も神を理解し、信じることができるようになりました。
442 :
小さなヨハネ:2005/04/15(金) 01:07:53
それはつまり「Seeing is believing.」ということでしょう。
2.神を信じるのはなぜですか?
これはご質問の意味がよく分かりませんが、神を信ずるに至った経緯という意味で
は、ある時、仕事上の人間関係で私が当初は正義感のつもりで上司を追い出してし
まったことがきっかけでした。策謀したわけで、思い通りになったら良心が咎め
てなりませんでした。自分は暗殺者であり(しかも後から刺した)、私の手は血塗
れていると本当に思いました。
すみません。今日はここまでです。
>小さなヨハネさん
あなたの書き込みを拝見しました。
質問に答えていただいて、ありがとうございます。
とりあえず今はそれだけ言いに書き込みます。
444 :
ローカルルール審議中:2005/04/15(金) 01:19:12
神様恥ずかしがり屋ナンじゃない?
445 :
ローカルルール審議中:2005/04/15(金) 01:59:03
(゚.゚)ホントニ?
446 :
ローカルルール審議中:2005/04/15(金) 02:25:37
神は今憎しみあいの戦争をしているのでそれどころでは無いのです
447 :
大きなヨハネ:2005/04/15(金) 05:42:19
>>436 そうは言っても、ここはスウェデンボルグ版でもないし、個々人の信仰告白
版でもないでしょ?
「神」って観念をやわなままに話を進めて、色んな傍証出してきても、実際に
見たのか、他人がそう言っただけなのか、自分の体験でも他人の話でも証拠が
証拠となり得る根拠はなんなのか全く無視してひたすら”自分の思い”の話し
進めて混乱してるようにしか見えませんが。
なにか自分に引っ掛かった言葉に、自分の言葉なり思いをひたすらつなげる
作業が「考える」ことかしら?「考える」ことと、「悩む」・「思う」・
「信じる」 って違うでしょ?
スレッドよめというのは当然まったくの皮肉。
スレッドから議論がはずれることはよくあり、それがまたいろいろ面白い
話になることもあるのでそれ自体は勿論構いませんが、ここまで「信仰告白」
が続くと、「哲学版」なんだからせめて、他人も推論を追えるような「考える」
話してもらいたいと思うのみです。
スレッドとここまでずれてることへの感覚のなさが、「考える」作業のもろさに
つながっていると思えた上での皮肉です。
448 :
ゆうた♂(2才) ◆AdBWPydoAc :
>>1 あなたの神についての定義を教えてくれない限り答えようがない。
いくら議論しようが、それがわからなければ答えにすらならない。