1 :
考える名無しさん:
人生とは、肉体の快楽と肉体の苦痛、そして生存することなのだろうか。
金の価値は、金によって、肉体を保持するための食料を得ることと
快楽を得ること、そして苦痛を和らげること。それらができる
ということにあるのではないか。
一般に恩や負い目は、経済的に大きなマイナスを与えたときに
いうように思う。
とすると、無形のもの。愛や友情や正義と言ったものの価値は
無価値ということになる。
たとえば、誰かが事故や殺人でで子供を死なせた場合と、老人や
ホームレスを死なせた場合とでは、世間の反応は大きくことなる。
子供が死んだ場合には、世間は同情的であるのに対して
老人やホームレスが死んだときには、その反応は冷たい。
我が子を亡くして悲しむ親の姿は、果たして真実なのだろうか?
そのときの世間の同情は果たして真実だろうか?
先の方程式に基づけば、親は自分の快楽や生存のために
使える金を、子供に与え、それによって将来
同額以上のキックバックを期待しているものであったが
投資が無駄になったことを悲しんでいるとも考えられる。
人生とは、金に置き換えられるものしか存在しないのか。
愛や友情や正義といったものは存在するのか?
存在するならそれには価値は無いのか?
さあ、語ろう。
そうそう、愛そのものが置き換えられるんじゃないのよね。
つまり子供がやってたことが置き換えられることで逆説的に愛ではなかったと。
5 :
考える名無しさん:05/02/15 00:50:54
うむ。顔を傷つけられても男と女で慰謝料の額が違ったりするしな。
女にとって顔は玉の輿に乗るための資産、それを傷つけた経済的損失が金額にでている。
虐待でも、精神的虐待のほうが、後々にまで尾を引くことが多いのに
精神的な傷には慰謝料だって少ないし、世間の同情も集まらないが
体の傷にたいしては、まったく逆の反応を示す。
6 :
考える名無しさん:05/02/15 01:00:22
美しい女性とブサイクな女性では、顔を傷つけられた場合の慰謝料も
違うんでしょうか?
7 :
考える名無しさん:05/02/15 01:01:54
>>6 蓼食う虫も好き好きだからね。スギタカオルのようなアバズレでも玉の輿に乗れるんだから。
純粋に足し算引き算なのかもしれんし
一日ごとに結果をリセットできるものなのかもしれませんな
9 :
考える名無しさん:05/02/17 02:49:56
借金という快楽と生存の貸しは・・・
10 :
考える名無しさん:05/02/17 02:56:54
愛とか友情から快楽を引き出してもいいだろうが。
恋人と一緒にいたり、友達と飲み明かすのはそれだけで快いもんだろ。
11 :
考える名無しさん:05/02/23 04:16:14
自身の快楽のための関係は愛か?
12 :
ぴかぁ〜:05/02/23 04:23:00
究極の快楽は練炭と七輪にあり!
13 :
考える名無しさん:05/02/23 04:24:34
あ、野郎、正体現わしたな練炭ぴかぁ〜め!!
14 :
考える名無しさん:05/02/25 19:41:57
15 :
考える名無しさん:05/02/25 22:20:44
うっぷー
16 :
考える名無しさん:05/02/25 22:24:24
まあ快楽は錯覚だけどな
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ