1 :
ソーカル大好き! :
05/01/15 17:10:11 さあ、もまいら!分析哲学の神デイヴィドソン様の話題で大いに 盛り上がるのだ!
ソーカル厨にデイヴィドソンは読めません。
冨田やす彦とか?
4 :
考える名無しさん :05/01/15 17:24:44
真理ふたいじょうけんつきかいしゃくだろ?
言語学板のスレはどうしたポ。
多分とめられていたようなきがするポ。 ま、あれじゃむりもないけどw
7 :
考える名無しさん :05/01/15 18:19:50
バカ必死だなw
ばーかばーか
9 :
考える名無しさん :05/01/15 18:47:33
ダマシオ氏まだ
10 :
考える名無しさん :05/01/15 18:53:28
破棄するタルスキは
11 :
考える名無しさん :05/01/15 18:54:52
あり得ない
12 :
考える名無しさん :05/01/15 19:02:39
サモンもさ
13 :
考える名無しさん :05/01/15 19:10:53
明るいライルかあ
14 :
考える名無しさん :05/01/15 19:17:32
ルイス明日いる?
15 :
Donald :05/01/15 21:15:49
クワイン曰く
デヴィッドさん
17 :
考える名無しさん :05/01/15 21:37:57
ドネラン知んらねど
18 :
考える名無しさん :05/01/15 21:56:39
ヘンなスレだなあ。。。 なんで全部以下回文是でんな
19 :
考える名無しさん :05/01/15 23:22:22
なんでもいいから著作集の表紙デザインとっとと変えてくり 顔怖すぎ つか水死体にしか見えない
21 :
考える名無しさん :05/01/16 01:18:45
うんこ
23 :
考える名無しさん :05/01/16 01:23:06
おまいらはまずはこれで勉強。 Michael Luntley Contemporary Philosophy of Thought
24 :
考える名無しさん :05/01/16 01:24:50
植村さんがデイヴィドソン読めるわけねーだろw
ぬぬ・・ミチャィリ・・リャンツゥリェイ・・カンティエ・・・・(舌カンダ) 意味わからん。
26 :
考える名無しさん :05/01/16 02:02:19
佐藤氏ねよ
27 :
考える名無しさん :05/01/16 23:54:46
デイヴィドソンをこてんぱんに論破したキムって何人? やっぱり韓国人か中国人ですか? 韓国哲学>>>>>>>>>>>デイヴィドソン>>>>>ソカ房>>>>>>ポストモダン
>>27 誰のことを言ってるんだろ。もしかしてJaegwon Kim?
このKimを「韓国哲学」と呼ぶのは笑止だが。
30 :
考える名無しさん :05/01/17 04:51:21
デイヴィッドソン、、、 初歩からはいるなら、野矢茂樹の『哲学航海日誌』が良いと思うよ。 といっても自分はここ止まりだけどさ。 そうだねウィトとの対比がおもしろかった。 ちなみに今日読了したからほやほやの感想だよ。 それと論理関係を概観するなら分析哲学は面白いね。 あー話が続かない。誰か面白いこと語ってください。(議論丸投げゴメン)
デイヴィデドソンは翻訳マニュアルにすぎないものを意味論と呼んでいる と、ダメットが批判して検証条件的意味論ってのを考えたらしいけど、 日本じゃあんまり聞かないな。
「真理と解釈」っつーのを読んでみたいんだが、本屋さんに置いてるのか? なんとなくざっとどんな内容なんだ?おちえて。
34 :
考える名無しさん :05/01/17 23:57:02
解説書書いてるエヴニン自身が、デビッドソンをかなり批判しているんだよな(w。 エヴニンは単なる院生。
35 :
考える名無しさん :05/01/18 05:08:40
>>34 >解説書書いてるエヴニン自身が、デビッドソンをかなり批判しているんだよな(w。
なにが可笑しいんだ?
よく言われることだし、言うまでもないかもしれないが、
哲学の著作の価値は、
それに対する良質な内在的批判の数によって決まると思われる。
>エヴニンは単なる院生。
真面目な院生の書いたものは、
既に社会的地位を得た人物の記したものより優れていることもあるよな?
>>30 で掲げた本が、
素人でも注意深く読めば理解できるように書いてある良書であることは認るだろう?
しかも、デイヴィドソンの全体像を描き、それに検討を加えているという点で、
独創的な書物でもあると翻訳者は述べている。
つーか、名無しの記したものにどのような意図があるのかを解釈することは難しすぎる。
これは、先行理論が殆どない根元的解釈ですよ?
36 :
考える名無しさん :05/01/18 05:26:27
>>32 しばらく前に出た『思想』のフレーゲ特集号に
ダメットのインタヴューが載っているし、
最近出た『現代思想』の分析哲学特集号にも
反実在論についての解説が載っているぞ……
ダメットのデイヴィドソン批判については、
>>30 の287-95頁に分かりやすく記されている。
>>33 とりあえず、
>>20 を読むことを薦める。
地道に検討を加えていったら、
「意味論には意味が不要である」
という類の驚くべき判断が出てくるという、
まことに哲学らしい本……で良いかな?
33だ。 チョーサンクス。それにしてみる。ぞよ。
38 :
考える名無しさん :05/01/18 11:40:00
先祖はたしかデビットの息子なんだよね。
>>35 >それに対する良質な内在的批判の数によって決まると思われる。
確かに。
クワインとかそうだよね。
40 :
考える名無しさん :05/01/18 13:30:27
>良質な内在的批判 なんてものじゃないよ。デイヴィドソンが完全に瓦解するような批判w。 そもそも良質な批判によって価値が決まる哲学の著作と言うのは、 もっと体系的で、かつ体系的な先人の哲学をちゃんと踏まえたものだな。 デイヴィドソンのデカルトの解釈なんて杜撰すぎて話にもならないね。
41 :
考える名無しさん :05/01/18 13:34:15
じゃあ、とりあえず今からお前がデイヴィドソンの非法則論的一元論の 弁護してみろ。
42 :
考える名無しさん :05/01/18 13:39:23
<丶`∀´>金>>>>>>>>>>>デイヴィドソン
43 :
考える名無しさん :05/01/18 13:49:43
金?ジョンイル?
44 :
考える名無しさん :05/01/18 16:31:50
>>40 >そもそも良質な批判によって価値が決まる哲学の著作と言うのは、
>もっと体系的で、かつ体系的な先人の哲学をちゃんと踏まえたものだな。
プラトンの対話篇およびそこで描かれているソクラテスの活動は、
その価値を検討するに及ばない、ということでよろしいか?
>デイヴィドソンのデカルトの解釈なんて杜撰すぎて話にもならないね。
もう少し具体的に頼む。
>>40 》良質な内在的批判
>なんてものじゃないよ。デイヴィドソンが完全に瓦解するような批判w。
エヴニンに関しては、それは言い過ぎ。もう少しよく読もうよ……
邦訳387頁11-15行目 および 391頁16行目から392頁5行目 を参照。
後者より抜粋。
だがデイヴィドソンは、それでもなお、ふたつの構想が不整合ではないことを
われわれに納得させることができるかもしれない。観念論的内容理論は、
少なくとも、心的なものと物的なものとの同一性だけの主張や、また、
理由は行為の原因であるとする説そのものには、圧力を加えてはいない。
この理論によって圧迫を受けているのは、心的性質と物的性質の関係をめぐる
デイヴィドソンの見解なのである。
46 :
考える名無しさん :05/01/18 20:36:56
>プラトンの対話篇およびそこで描かれているソクラテスの活動は、 その価値を検討するに及ばない、ということでよろしいか? プラトンの対話編は先行する哲学者との対決を含んでいないとでも? 『パルメニデス』読んだことある? そもそも、パルメニデスは体系的でない、とか哲学の始源の時代の例を持ち出しても しょうがないよねw。悔しまぎれの詭弁。次第次第に体系的になっていくのは当たり前だろ。 もう少し真面目に物をいおう。
47 :
考える名無しさん :05/01/18 20:51:35
>>45 むしろ邦訳で言うと358のあたりが顕著だよな。ああいう疑問を呈して
縞ったら、デイヴィドソンの理論なんて何も成立しないことになる。
そもそもデカルトをことさらに二元論呼ばわりできるほど、デイヴィドソンが
一元論であると言うことを、納得いくように説明してくれないかな?
48 :
考える名無しさん :05/01/18 23:13:09
言語学板のクソすれの方がレベルが高かったなw
49 :
考える名無しさん :05/01/19 04:13:04
>>46 おいおい、『パルメニデス』は
哲学体系への「良質な内在的批判(
>>35 )」の模範例じゃないか。
もしおまいさんが
プラトンの著作の価値を認めるなら、
仮に「デイヴィドソンの理論なんて何も成立しない(
>>47 )」としても、
デイヴィドソンの著作の価値は認めるべきだな。
>次第次第に体系的になっていくのは当たり前だろ。
これは本当に当たり前なのか?
50 :
考える名無しさん :05/01/19 04:31:07
>>47 >むしろ邦訳で言うと358のあたりが顕著だよな。ああいう疑問を呈して
>縞ったら、デイヴィドソンの理論なんて何も成立しないことになる。
繰り返しになるけど、それは言い過ぎ。(
>>45 )
>そもそもデカルトをことさらに二元論呼ばわりできるほど、デイヴィドソンが
>一元論であると言うことを、納得いくように説明してくれないかな?
いや、だから名無しを納得させるのは
>>35 の最後の2行の理由で難しすぎる。
基本的なことを確認しておけば……
エヴニンの132頁10-11より抜粋 および 328頁2-3行目より孫引き。
デカルトによれば、心と物はまったく別個なものである。
彼は、これを種類を異にするふたつの実体の相違とみなした。
「私の考えるところでは、心的なものとは、
存在論的範疇ではなく、概念的範疇である」
(デイヴィドソン『行為の説明における諸問題』46頁)
>>20 レビューより
>デイヴィドソンは、「まず人間がいて、そして言語がある」と考える。
>逆ではない。言語規約説や規範説など一切の「言語=実体説」を
>ぶっとばして、「向かい合って発話を交換している私とあなた」(p91)
>という根源的場面に定位し、二人のコミュニケーションの道具として
>言語を捉える。絵は対象と似ていなければ世界を表現できないが、
>文は、それが「真である」という一点で世界と結びつく。言葉は真で
>さえあれば、世界と似ていなくてもよいのだ。この自由さにこそ言葉
>の力の源泉がある。
>「分かり合いたい!」という二人の欲求さえあれば、後はすべてついて
>くるのだ。つねに「ぶっつけ本番で、共感、好み、幸運、機知などを頼り
>に相手の言葉を解釈し合う」(81f)ところに、言語の本来の姿がある。
昨日
>>20 を買って読んだのだけど、やっぱりまだ分からない部分がある。
でもすごく面白いのは確か。
T−文の真理が前提された条件文の発想はなるほどと思った。
意味以前に構文がある、ここまでの発想は他でも少し見たことがある。
でも構文以前に真理があるというは思い浮かばなかった。
では真理はどこにあるか?
言語の成立の必要条件のためにはまず真理(※1)が私と他者の“中間”に
なければならないと言われているような気がした。
つまりそれが言語の生成の必然(つまり理論の前提)であると。
※1:この真理はたんに事実としてもよい気がするが、発話者の意図そのものも含まれるため
決して事実が適用されるだけではない。むしろ発話者は己の意図を
他者の応答の真理条件として採用することの多いはずだ。
まあ、まだ自分は、この本の半分も理解していないはずなので、これから何度も読んで
理解していくつもり。ただデイビッドソンの理論は奥が深そうですね。
今後、思ったことをこのスレに書こうかなと思っているので、
もし指摘があったらよろしくお願いします。ただこのスレの議論すら半分も
理解できないのにいいのかなとか思うけど。まあたまーに書き込みますよ。
よろし?
53 :
考える名無しさん :05/01/19 14:09:18
>>46 >おいおい、『パルメニデス』は
哲学体系への「良質な内在的批判(
>>35 )」の模範例じゃないか。
だからそう言ってるんじゃないか。日本語通じてますか?
54 :
考える名無しさん :05/01/19 14:22:00
>>53 殆ど時間差が無いなんて奇遇だな。
>だからそう言ってるんじゃないか。日本語通じてますか?
それはこっちの台詞だよ。
君は『パルメニデス』で何が批判されたか知っているんだよな?
だったら、
>>49 についてそんなふざけたことは言えないと思うんだが。
55 :
考える名無しさん :05/01/19 14:23:02
言語規約説を採らないで、コミュニケーション一元論だって言ったって、 そんなの「先行研究のない」独創的なアイデアでもなんでもないよ。 ウィトゲンシュタインがいれば十分じゃん。 なおかつそれを唯物論と折衷しているというんなら、結局は二元論だよな。 デカルトだってその程度の折衷はしてるんだよ。 それにエヴニンの本の邦訳138に、 >デイヴィドソンは、出来事を特殊者とする彼の理論と、出来事とその記述の 区別を用いて、非還元主義を存在論的一元論に結びつけているのである。 と書いてあるぞw。これはどうしてかなw?
56 :
考える名無しさん :05/01/19 14:25:26
いるんだったらすぐ答えろよw。
57 :
考える名無しさん :05/01/19 14:35:53
>>55 「どうしてかなw?」じゃないよ。話にならん。
そこが面白いところなんじゃないか。
とりあえず、心《的》なものと心を区別して
その頁を注意深く読んだほうがいい。
58 :
考える名無しさん :05/01/19 14:42:35
>そこが面白いところなんじゃないか。 あ、誤魔化したw。ようするに指示対象とそれに対する記述の相違を持ち出して、 フレーゲやウィトゲンシュタインのアイデアを引きながら、それが 還元主義とは違う理論の軸にならないかと思ったわけだろ? そしてそれと唯物論は矛盾しないと。唯物論と矛盾しないから一元的だと 後付けで言ってるだけ。後付けで整合させるだけなら、デカルトだってやってるって いうんだよw。いいかげんで笑わせるねぃ。
59 :
考える名無しさん :05/01/19 15:01:13
ついでに言うと、こういう英米系の哲学って、事後的に行われる行為の帰責の問題も、 他者とのコミュニケーションの問題と似た構図で考えることが多いけど、 エヴニンの本のp102で言ってることも大同小異だよね。 「法則論的には分からないが、あとから考えるとそれは唯物論と矛盾しないのだ」 という先の主張が、「ある行為の理由は、それが意図的な行為であったのであれば、 因果性にもとづくものであったと考えられるべきだ」 という説明になっている。しかし、どっちにしても苦しい後付けの言い逃れだねw。 デカルトの連続創造説と何が違うわけw?
60 :
考える名無しさん :05/01/19 15:04:49
>>58 誤魔化しているように見えるとしたら重症だぞ……
>>55 を見れば、
君はデイヴィドソンの独創的だとされているところを
把握していないと疑われても仕方がない。
61 :
考える名無しさん :05/01/19 17:56:24
とりあえず参照すべきところを掲げておくよ。
>>55 >独創的なアイデアでもなんでもないよ。
たとえば、エヴニン 392頁6-12行目 を参照。
(というか、煽るための方便じゃないなら全部読み返したほうがよいと思う。)
>結局は二元論だよな。
特に、同書 8章3節 心の消滅 および
8章4節 合理主義的観念論とその諸問題を参照。
>>58 >後付けで言ってるだけ。
同書 139頁9行目 から 140頁末 を参照。
>煽るための方便じゃないなら 無粋なこと言ってすまんかった……
63 :
考える名無しさん :05/01/19 20:58:04
>エヴニン 392頁6-12行目 ここは特に説得力がないところだよね。内容的には 8章3節 心の消滅 ともかかわっているわけだ。たとえば320頁9行目あたり。 「デヴィドソンは、信念と世界との間の認識論的媒介者のいっさいを拒絶してしまう」 とあるけれど、本当にそうか。そうまでしてコミュニケーション一元論であることを 強調しておいて、それをまた事後的に唯物論とくっつけているだけのことじゃないか。 行為とその理由の問題にしても、心理法則などというものがあらかじめ立てられないにしても、 意図的にそれが行われたと言われるためには、それは因果性にもとづいていたと言うことだ、 とされる。 こういうところが帳尻合わせで苦しいんだよね。
64 :
考える名無しさん :05/01/19 21:01:53
この「媒介者の拒絶」がいかにも怪しいとうことについては、 ポール・リクールが「他者のような自己自身」のなかで丁寧に論じているよね。 「命題的内容と合理性のつながりを探求する解釈学の構想」 と言うのなら、リクールのほうがよっぱどガダマーやウェーバーやアリストテレス やカント、スピノザなどにも言及しながらねちねちやっているよね。
65 :
考える名無しさん :05/01/19 21:03:07
あと、解説書に丸投げしないで、もう少し自分の言葉で論じたらどうなの?
66 :
考える名無しさん :05/01/19 21:54:56
んだね。
67 :
考える名無しさん :05/01/20 05:27:07
>>65 いや、言及して感想を述べることなら俺にもできる。
正確な把握を促すためには、俺の不正確な記述より
定評のある解説書のほうがよいと思っただけ。
(もっとも、おまいさんにとっては余計なことだったかもしれんが。)
以下感想。
>大同小異だよね。(
>>59 )
その小異のところが面白いんだよね。
>帳尻合わせで苦しいんだよね。(
>>63 )
苦しいところをなんとか整合性を保とうと努めているところに
趣があるんじゃないか。しかも日常に即しつつ。
68 :
考える名無しさん :05/01/20 05:29:09
>>64 >ポール・リクールが「他者のような自己自身」のなかで丁寧に論じているよね。
こういう情報は本当に有難い。
>リクールのほうがよっぱど〔中略〕ねちねちやっているよね。
ある価値観の下ではデイヴィドソンの論述スタイルのほうが
優れているとも判断されうるでしょう?
たとえば次の本の6-7頁あるような「アカデミズム」の下では。
奥雅博『ウィトゲンシュタインと奥雅博の三十五年』勁草書房
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4326153539 >ガダマーやウェーバーやアリストテレス
>やカント、スピノザなどにも言及しながら
上の本にあるような理由であえて言及しないんじゃない?
デイヴィドソンが主に言及する著作についていえば、
論理実証主義やクワインを《内側から》批判しているところに
デイヴィドソンの著述の面白さがあるのだと思う。
69 :
考える名無しさん :05/01/21 13:06:39
DQNはみんなおんなじだ。 これを俗に、ドキュン−ドキュン同一説とゆうらしい。
70 :
考える名無しさん :05/01/22 03:16:26
リクールとか読んでるとバカになる つか、バカしか読まない
↑読んだこともないくせにバカよばわりするバカ
72 :
考える名無しさん :05/01/22 03:19:58
ばーか
73 :
考える名無しさん :05/01/22 03:23:49
ここはDQNが物凄い勢いでエヴニンの本から引用するスレですから
74 :
考える名無しさん :05/01/22 03:48:49
リクールを読んでも、バカが賢くなるわけではないらしい。 バカが読んでもバカのままだし、読まないバカもバカのままだからだ。
75 :
考える名無しさん :05/01/22 08:29:30
イデア論だとか連続創造説だとか 途方もない(あるいは馬鹿らしい)主張を真面目に検討することも 哲学の醍醐味なわけだが。
76 :
考える名無しさん :05/01/22 09:54:34
取りあえず著作集全五巻予定を読もうよ。 ペーパーバックだったら安いし、入り組んだ邦訳読むよりも、 まだましだからさ。
77 :
考える名無しさん :05/01/22 10:25:56
分析系の哲学者はお手軽だね。 デイヴィドソンなら5冊読むだけで専門家になれるわけだから。 大陸系の哲学者なら何十冊もの著作があるのが普通だから 一通り読むだけでも大変な労力と力量が必要だ。
79 :
考える名無しさん :05/01/22 11:58:00
大陸系の哲学者の場合、読むだけで専門家になれるらしいが、分析系の 場合は読んで理解しなければダメなんだよ。君にはやっぱり大陸系が向 いてるんじゃないか?w
80 :
考える名無しさん :05/01/22 12:12:29
分析哲学をやっても、バカが賢くなるわけではないらしい。 バカがやってもバカのままだし、やらないバカもバカのままだからだ。
81 :
考える名無しさん :05/01/22 12:15:49
当然だろう。大陸系の哲学をやると、バカが賢くなるのか?
82 :
考える名無しさん :05/01/22 12:21:57
w
>>79 >大陸系の哲学者の場合、読むだけで専門家になれるらしい
んなこと言ってるからバカだって言われるんだよな、分析厨は。
84 :
考える名無しさん :05/01/22 12:42:49
なんでデイヴィドソンの著作を読破したら専門家になるんだYO! それだけなら只の読者じゃねーかよw
85 :
考える名無しさん :05/01/22 12:43:34
2ちゃんの分析従事者はとりわけ質が低いな 現象学とかポモの方が、まだマシなんじゃないの? もちろん研究現場ではそんなことないと知ってるが、 なんというか、どうして厨を引き寄せるんだろう? その方が活気があるのかもしれんが。
86 :
考える名無しさん :05/01/22 12:45:54
分析従事者だってよw いまどき分析なんてやってる分析哲学者なんていねーよw
87 :
考える名無しさん :05/01/22 12:47:59
厨が質語ってるよw
88 :
考える名無しさん :05/01/22 12:58:14
ドキュソの前ではチャリティーも無力なので けっきょく解釈できませんでしたとさ ラッキー チャチャチャ うー
89 :
考える名無しさん :05/01/22 13:04:42
まあエヴニンについてエラそうなことゆいたかったら William Child の Causality, Interpretation and the Mind (Oxford U.P.) くらいは読んどくこった
>>85 >どうして厨を引き寄せるんだ
分析系には入門書の類が多いし、
分析系の研究者が入門書を書きたがるような気がする。
それに大陸系より哲学史の知識を前提としなくても
入っていけるので、厨や理系崩れが専門家きどりで
何かを言った気になれる背景がある。
91 :
考える名無しさん :05/01/22 13:14:07
と、専門家をきどってみました
92 :
考える名無しさん :05/01/22 13:16:50
まあマジレスすると、 デイヴィドソン原理主義者 vs. ネオ・フレーゲアンの ガチンコ勝負が見てみたい
93 :
考える名無しさん :05/01/22 15:24:00
ミル ダケノ ジンセー (ノ_ _)ノ
94 :
考える名無しさん :05/01/22 17:53:12
>>83 >>79 は、著作の冊数で読解の労力やそれに必要な力量が決まるというアホらしい
考えに対する皮肉なんだが、それも分からんかね? 底なしの馬鹿だな。w
皮肉ね。お疲れw
76 :考える名無しさん :05/01/22 09:54:34 >取りあえず著作集全五巻予定を読もうよ。 >ペーパーバックだったら安いし、入り組んだ邦訳読むよりも、 >まだましだからさ。 あくまで「取りあえず」だからさ、そんないきり立って皮肉言いなさんな。 もちろん著作集を読んだところで専門家にはなれないよ。 大陸哲学も同じでしょうに。 語りたいのなら「取りあえず」著作集を読もうよって事だよ。 それとね。 日本語訳は、訳文が入り組んでるんだ。 だから著作集読んだほうが分かりやすいよ、って事さっ。 (もちろん「知の考古学」やパトナムの最初の邦訳ほど ひどいものじゃないけどね。)
97 :
考える名無しさん :05/01/22 20:27:26
そう冷静に言われても、困ってしまうが。w
98 :
考える名無しさん :05/01/22 21:05:11
99 :
考える名無しさん :05/01/23 01:28:02
英語嫁るんなら、他にも読む本は幾らでもあるだろうに
100 :
考える名無しさん :05/01/23 02:01:01
奥の本なんか見あたらないし別に関心もないけど、分析哲学が厳密というのは 大嘘ですね。ボロボロで形をなしていない。 一生研究テーマにできるのはせいぜい一世代くらいで、それももう終わりだろw。
101 :
考える名無しさん :05/01/23 02:05:07
アメリカって哲学にまでインパクトファクター取り入れているDQN国家だからな
>>20 の本を読んで、質問です。
ディヴィドソンを理解するための重要なきワード、T-文について質問です。
「 デイヴィドソン | 言語なんて存在するのだろうか」
森本浩一著(シリーズ・哲学のエッセンス)の37nにおいて
・「雨が降っている」が真であるのは、雨が降っている場合、その場合に限る。
と説明があり、この形式の条件文を「T-文」(真理条件文)と呼ぶようですね。
で、思ったのですが、この文てトートロジー(同語反復)ではないでしょうか?
たしかウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」では命題文にはトートロジーの
使用には禁忌的な表現を使っていたような気がします。
しかし、「論理哲学論考」では
6.1 論理学の命題はトートロジーである
と特例表記をしていたりはするのですが。
それとこの本の著者である森本浩一によるとT-文(真理条件文)を構成する
「真理条件的意味論」が、デイヴィドソンの最大の特色(キーワード)のようなのです。
と言うことはこのあたりに「独我論」と呼ばれるウィトゲンシュタインと、
コミュニケーション論と呼ばれるデイヴィドソンの違いが現れていると言ってもよい
のではないかなと思われたのです。それについて詳しい方がいれば、教えてくれるとうれしいです。
また同じような疑問を持った方はいないでしょうか?
103 :
考える名無しさん :05/01/23 02:21:08
>>102 飯田隆の『言語哲学大全』読むと良いんじゃないかな
>>102 >ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」では命題文にはトートロジーの
>使用には禁忌的な表現を使っていたような気がします。
そうなの? ちゃんと確認してから質問しようよ
>>102 そうですか、明日にでも著書をチェキしておきます。
>>103 と言われても、読んだ感想なので
まあチェックしてみました。
4.461 命題はそれが語っていることを示しているが、トートロジーと矛盾は、
それが語らないことを示している。トートロジーは無条件に真であり、
それゆえ真理条件をもたない。。そして、矛盾は真となる条件をまったく
持たない。トートロジーと矛盾は無意味である。
デイヴィドソンとは、反対ぽい印象(現時点ではあくまで印象です)を私は持ちます。
デイヴィドソンの「真理条件的意味論」と言う言葉で分かるとおり
今で、両者の論には多くの接点があることが判明しました。
(
>>104 さんありがとう)
で、二人の論を比較すると
・トートロジーの真理条件文は有意味である。(デイヴィドソン)
・トートロジーの真理条件文は無意味である。(ウィトゲンシュタイン)
と言うところでまず、双方の主張が対立するように思われるのです。
もちろんデイヴィドソンの方が後の著作だったように思われるので、
彼本人がウィトゲンシュタインの論(論理空間)の止揚を意図したと
考えるのが当然だろうとは思うのです。ま、とりあえずいちおう。
デイヴィドソンとウィトゲンシュタインどちらが先か? ・デイヴィドソン :論文「真理と意味」 1967年発表。 ・ウィトゲンシュタイン :「論理哲学論考」 1918年完成。 まあ、あほらしいですがいちおう念のため。
こんなに早く反応があるとは思わなかったので、手荒なレスをしてしまいました。 ちょっと落ち込んじゃったので、落ちることにします。
109 :
考える名無しさん :05/01/23 05:10:50
理系教養生>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>デイヴィドソン
110 :
考える名無しさん :05/01/23 06:52:24
>>102 >・「雨が降っている」が真であるのは、雨が降っている場合、その場合に限る。
「……」内の文は対象言語の文への言及であり、
「……」の外の文はメタ言語の文の使用である。
ウィトゲンシュタインは、対象言語-メタ言語という枠組みを用いていない。
111 :
考える名無しさん :05/01/23 07:10:31
哲学史を研究するにしても、 分析哲学についての或る程度の知識がないと、 研究の幅をかなり狭めることになります。
112 :
考える名無しさん :05/01/23 14:36:30
「「雨が降っている」が真であるのは、雨が降っている場合、その場合に限る」 がトートロジーなわけないでしょ。このスレの展開、なに?
対象言語とメタ言語の区別もデイヴィドソンの重要な所でそ
114 :
考える名無しさん :05/01/23 16:52:35
まあ、煽り叩きを誘発させるスレタイだから。 かといって重複スレも立てられんし。 叩かれてもめげずに書き込もうや。
115 :
考える名無しさん :05/01/24 00:08:54
>>110 追加
つまりウィトゲンシュタインにおいては、
>4.461 《命題》は〔それが語っていること〕を示している(
>>105 )
のである。
>・「雨が降っている」が真であるのは、雨が降っている場合、その場合に限る。
において、
「……」内の「雨が降っている」は《命題》と、
「……」外の雨が降っているは〔それが語っていること〕と、
それぞれ似た役割を担っている。
しかしウィトゲンシュタインは次のように考えた。
《命題》と〔それが語っていること〕の関係をT-文のようなものを用いて語ることはできない。
それは示されるのみである。
なお、
>トートロジーは無条件に真であり、それゆえ真理条件をもたない。(105)
のだとすれば、真理条件を語るT-文がトートロジーであると考えることはできない。
116 :
考える名無しさん :05/01/24 00:35:36
>>115 ごめん訂正。最後の3行。
なお、
>トートロジーは無条件に真であり、それゆえ真理条件をもたない。(105)
のだとすれば、
T-文が偽であることもありうる(たとえば解釈が失敗したときなど)のだから、
T-文がトートロジーであると考えることはできない。
117 :
考える名無しさん :05/01/24 00:58:50
>>116 更に訂正……。もっと検討してから書き込め……。
なお、
>トートロジーは無条件に真であり、それゆえ真理条件をもたない。(105)
のだとすれば、 T-文がトートロジーであると考えることはできない。
なぜなら、T-文【全体】が真でないこともありうるから。
(たとえば解釈が失敗したときなど)
蛇足ながら、「T-文【全体】が《真でない》こと」としては次のようなことを念頭に置いている。
・「雨が降っている」が《真でない》のは、雨が降っている場合、その場合に限る。
というようなことではない。
・『「雨が降っている」が真であるのは、雨が降っている場合、その場合に限る。』という文が《真でない》。
というようなことである。
なんかウィトゲンシュタインが正しいような気がしてきた……。
118 :
考える名無しさん :05/01/24 01:04:10
T-文内の「真である」という述語と、 日常的な「真である」という述語とを、 混同してるから混乱するのかも。
119 :
考える名無しさん :05/01/24 01:07:59
飯田隆以外に、 日本語における日常的な真理の用法に興味がある 分析哲学者がいないのがよくない
分析哲学の最近の流れの、日常言語の形式化の試みって、すでに哲学の領域からははずれてると思うんだけど、 言語学からはどう見られてるのか。 モンタギューは言語学にも影響を与えただろうけど、他はどうなのか。
121 :
考える名無しさん :05/01/24 03:17:40
言語学者の関心は引いていないな チョムスキーが圧倒的だから それにモンタギューはトンデモ扱いだよ
チョムスキーって圧倒的だったのか…。
チョムスキーも結構やばくない? なんでここまでチョムスキーが 人気出たのかわかんないな。 科学的にはまだまだ証明不可能なことをあまりにも多く含んでると 思うけど、チョムスキーって。
死後いっせいに廃れる可能性はあるが、 なぜか言語学者は極端に威勢が良いんだよ。 チョムによって「科学」になった云々と。 認知科学と結びつくと、ピンカーのような展開も遂げる。 俺は分析哲学の意味論の方が面白いと思うけどな
言語学会でのクワインみたいな存在かな?>チョムスキー
>チョムによって「科学」になった云々
なるほど。この説明でよくわかった気がする。
>>1251 クワインだめかな? 俺最近ちょっと古い本だけど
『哲学の現在』って本でクワインのインタビュー読んで
かなり興味もったな。
127 :
考える名無しさん :05/01/24 03:46:42
>>123 チョムスキー自身、現段階の言語学を「ガリレオ以前」と言っている。
人気の理由は、言語学史の概論の本でも読めばわかるけど、
文法へのアプローチの枠組みを作ったこと。
チョムの目指しているのは、今までの言語学の対象としてきた
「ある言語の使用者たちの発話の総体」の解明ではなくて、
「ある個人の脳に備わっている言語能力」の解明。
だから、文法という現象を記述する法則を提出することじゃなくて、
文法そのものを産み出すことが可能になる法則
(赤ん坊に備わっていて、環境と相互作用して個別の文法を産み出す法則=普遍文法)を
提出することが最終目標。
チョム自身は長年、言語起源論に言及してこなかったんだけど、
結局手を出してしまった(比較認知科学者のハウザーらとの共著)。
Hauser, M. D., Chomsky, N., & Fitch, W. T. (2002).
The faculty of language: : what is it, who has it, and how did it evolve?
Science 298, 1569-1579.
http://icnc.huji.ac.il/Files/HauserChomsky.pdf チョム御大自身が言語起源論に手を出したことで、認知科学化が促進したっぽい。
verbal performance と competence の区別ですね。後者がチョムの研究対象。 前者はオースティン以後の言語行為論が扱っている。
129 :
考える名無しさん :05/01/24 03:55:24
去年の『科学』7月号で「言語の起源」特集をしていて、
>>127 のハウザー=チョムスキー論文の邦訳が出ている。
ハウザー, M. D., チョムスキー, N., & フィッチ, W. T. (2004).
言語能力: それは何か, 誰が持つのか, どう進化したのか?
科学, 74, 871-877.
ただし原著うち1569-1571の抜粋。
130 :
考える名無しさん :05/01/24 04:10:47
>>128 認知系(cognitive system)と運用系(performance system)との区別は、
今の生成文法パラダイムである極小主義プログラムでもなされているみたい。
ただ、運用系は調音知覚系と概念意図系との2つが考えられているので、
言語行為論だけで運用系をカバーできているとは言い難いが。
なんか詳しい人がいるみたいだからチョムの知識が全くないけど 質問させてもらおう。俺は認知科学なんかを勉強してきたんだけど 脳は個体差が結構あって、例えば言語をつかさどる言語野の欠損を ほかの領野の部位が補完的に埋め合わせすることがあるわけさ。 チョムの用語でまずひっかかってくるのは「普遍」って言葉で、言語を使う からと言ってその脳からの出力の仕方は一定ではない場合がありうる。 同じ言葉を使っていても脳からの出力の経緯が2人の間で異なることが 考えられるんだけど、この場合でのチョムの主張するような普遍文法って のは成立するの? まあまだまだ認知科学ではそこらへんのことはとても究明できないだろう けどね。
132 :
考える名無しさん :05/01/24 05:24:01
「2言語間で翻訳可能」=>「2言語に共通するものがある」 「すべての言語間で翻訳可能」=>「すべての言語に共通のものがある」 といういうような思考過程で、「普遍文法」があると仮定されるんじゃないか? 1つの普遍文法が存在していれば、すべての言語を相互に翻訳する機械が作成できる。 目指されているものが、「言語を機械的にあつかうことができる」ことだと思われる。
133 :
127 :05/01/24 06:29:36
>>131 俺も詳しいわけじゃないけど。
前期理論と後期理論とで話が違うが、後期理論では、
原理とパラメータで言語が決定される。
たとえば、英語はSVO型(主要部先頭)、日本語はSOV型(主要部末尾)の言語だけど、
それに関して「型」の“原理”というのがあると考える。
各個人の言語環境によって、言語発達のどこかで、
SVOまたはSOVという“パラメータ”がスイッチされるということ。
SVO、SOV(指定部先頭)言語に対して、VOS、OVS(指定部末尾)言語もあるので、
そんな単純ではないが。
で、この原理に相当するのが普遍文法。
顕在的に普遍的な何らかの文法が存在するということではない。
134 :
127 :05/01/24 06:42:12
ちなみに現在の極小主義プログラムでは、Xバー理論自体が消滅しているので、 SVOとかも完全になくなっているはず。 Xバー理論というのは、 Willard's love of Ludwig at first sight (ウィラードのルートヴィヒへの一目惚れ) 指定部 主要部 補部 付加部 Willard love Ludwig forever (ウィラードはルートヴィヒを永遠に愛す) 指定部 主要部 補部 付加部 というように、名詞句も動詞句も同様に捉えるための下位理論。
135 :
127 :05/01/24 06:43:12
>>134 ミスった。
Willard's love of Ludwig at first sight (ウィラードのルートヴィヒへの一目惚れ)
指定部 主要部 補部 付加部
Willard love Ludwig forever (ウィラードはルートヴィヒを永遠に愛す)
指定部 主要部 補部 付加部
136 :
考える名無しさん :05/01/24 09:45:52
あのぉ、自炊部はどこでしょうか
137 :
考える名無しさん :05/01/24 10:52:47
自炊かあ キャンプいきたいなあ 美人のおくさんもらってかわいい娘たちと幸福な家庭を築きたい 現在崩れ院生&ひきこもり&ウツ気味です
138 :
考える名無しさん :05/01/24 11:32:34
そこまで来たんだから、そういう変な夢は捨て、自分の道を進むしかないだろ。
139 :
考える名無しさん :05/01/24 12:03:53
>>137 美人だが、お胸もヒップもペッタンコ、おまけに不感症。
一方、ブスだが餅肌、グラマラス、手に触れただけで
「あたしのこと好きなよ〜にしていいのよ」を連発。
ガールフレンドにするなら、どっちがいい?
141 :
考える名無しさん :05/01/24 12:05:47
手に触れただけであたしのこと好きなよ〜にしていいのよ」を連発する 女は、たとえ美人でも避けるだろ、ふつう。
142 :
考える名無しさん :05/01/24 12:11:00
>>141 きみが触れたときの反応のことなんだけど…。
ある女の自分に見せる行動は、必ず誰にでも
見せている、という人間観、てか信念に裏付け
られてるように聞こえるが、そうなの?
場所に拠るでしょう。公衆の面前で濃厚な事をされると、 何だお前は痴女か、痴女は嫌だよとなるでしょ。
144 :
考える名無しさん :05/01/24 12:28:27
>>143 場所は相手の部屋、もちろん二人きりのとき。
綺麗な容姿は感覚を刺激するだけのようだ、美を感じるとなると認識能力も 刺激されないといけないようだ。女に許されない事をすると美人ではないとか。
146 :
考える名無しさん :05/01/24 12:40:03
美人がどんな女性を指すのか 聞いてみたかっただけ
相手の中に感覚を奮い立たせる所のものがなく、何か表現するような 纏まりも身に付けてないなら、 自分が相手より与えられる印象に自己の内部から取り出したものを加えて 合成するといいだろう。そうすれば、相手が一割でも残りの九割を自分で 出したものにするぐらいがんばれば大丈夫なんじゃないの?
美人というと遠くから目で見た感覚に負う所が多いのではないかな。 溜まると相手と自分の欲望を加えてどうでもよくなるように思うぞ。 長い事一緒にいれるのがいいんじゃないの。
150 :
考える名無しさん :05/01/24 12:56:32
たしかに綺麗な女はいる。シビレルです 綺麗すぎて触れる気、起きないw なんかヘンだな…
151 :
考える名無しさん :05/01/24 12:58:12
デイヴィッドの股間のソンが猛ってやがるんだよ
152 :
考える名無しさん :05/01/24 13:00:17
>>149 だんだんデイヴィドソンに接近、
もうすぐ遭遇するんだが
わからんだろねぇ、無粋にはw
せっかくの良スレも荒らしのせいで無茶苦茶
154 :
考える名無しさん :05/01/24 14:12:14
哲学は人のするもの、 人らしさを失くして はたして可能なんだろうか…哲学。
>>133 素人の目から鱗。
前期理論もやさしく教えて(;´Д`)ハァハァ
156 :
考える名無しさん :05/01/25 00:07:02
>>127 詳しい説明ありがとう。チョムスキーってやっぱり人気あるだけあって
おもしろうだな。
159 :
考える名無しさん :05/01/25 07:48:28
>>110 ,
>>115-118 (特に115)
引用文中の(……)内は追加。
>「……」内の(対象言語の)「雨が降っている」は《命題》と、
>「……」外の(メタ言語の)雨が降っているは〔それが語っていること(事態)〕と、
>それぞれ似た役割を担っている。
次のように言うこともできるのかもしれない。
メタ言語を使用するためには、
メタ言語の《命題》(「……」外の(メタ言語の)雨が降っている)が、
〔それが語っていること(事態)〕を示していることを把握していなければならない。
だからこそ、「メタ言語を通して示された事態」と「対象言語の命題」との関係を、
T-文において語ることができる。
160 :
考える名無しさん :05/01/25 07:53:12
>>152 世界におけるある人物の振舞いが《原因》となって、
「そのある人物の振舞いは好ましい」という信念Aが惹き起こされ、
その信念Aが「そのある人物は美しい」という信念Bを《正当化》する……
とかそういう話か?
161 :
考える名無しさん :05/01/25 14:00:07
>>102 みたいな典型的な誤解をしてる人は、
メタ言語てゆうのは(対象)言語について語るためだけのものだとかって
なぜか禿げしく思い込んでるから、
そうゆう人に向かって対象言語とメタ言語の区別とかって言っても
かなりミスリーディングなんだよな。
(その辺は飯田さんの本でもかなり気を使った書き方はしてたはずだけど。)
だからそうゆう人にとっては、T文てのは、対象言語とメタ言語との間の
何か全くトリヴィアルな対応関係(homophonicな翻訳関係)を述べてるだけにしか
見えなくなっちゃうわけで、「そんなの意味ねーよ(プ」とか言い出しちゃうわけだ。
まあ真理条件的意味論がどうたらゆう前に、きちんとした入門書くらい嫁
て話なんだけど。
162 :
呑む・鬱・買う :05/01/25 14:11:17
てゆうか、このスレばか多杉 もう帰るわ
163 :
考える名無しさん :05/01/25 14:12:43
>>161 お前自身がそのレスの範囲内でトリヴィアルじゃない理由書けよ
ばかだな
164 :
考える名無しさん :05/01/25 14:17:51
素直に「教えてけれ」て書けよ ばかだなw
トリヴィアルじゃない理由なんか人によって違うだろう。 俺は飯田本持ってるし、教えてもらわなくてもいい。 ただ、 Tをバカと言うわりに詰めが甘いんだよ 「本読め」だと分析哲学の流儀に反するのではないか?
166 :
考える名無しさん :05/01/25 14:22:32
「人によって違う」て何だよ。ぜんぜん分かってないじゃん。 だいたい、読まずにテケトな与太飛ばすのが分析哲学の流儀に適うとでも?
ただの煽りかよ バカだな
168 :
考える名無しさん :05/01/25 14:28:32
ばっかでーす♪ Truth and Meaning の introduction くらい読んどくのが 分析哲学の流儀だと思うけどね
169 :
考える名無しさん :05/01/25 14:31:42
ほんとバカだな
で、美人はどんな女性を指すのですか?
171 :
考える名無しさん :05/01/25 14:37:02
xが「美人」を充足するのは、xが美人である場合、この場合に限る。 まるっきりバカだな
173 :
考える名無しさん :05/01/25 14:41:22
何がスコープだよw
174 :
考える名無しさん :05/01/25 14:41:56
あきれるほどバカだな
175 :
考える名無しさん :05/01/25 14:42:58
充足条件はなんだよ? xが美人である場合? びっくりするほどバカだな
176 :
考える名無しさん :05/01/25 14:46:18
また出たよバカw おもしれーな
177 :
考える名無しさん :05/01/25 14:49:38
デイヴィドソンの意味理論の公理はぜんぶトートロジーw
178 :
考える名無しさん :05/01/25 14:56:05
雪は白いに決まっているww
179 :
考える名無しさん :05/01/25 15:08:11
178はバカに決まっている
180 :
考える名無しさん :05/01/25 15:15:22
「179はバカである」は、179がバカである場合、この場合に限る。
181 :
考える名無しさん :05/01/25 15:23:01
氏ね
182 :
考える名無しさん :05/01/25 15:23:02
まともなT文さえ書けない奴もいるしw
183 :
考える名無しさん :05/01/25 15:35:04
ただの煽りかよ バカだな
184 :
考える名無しさん :05/01/25 15:38:36
早く バカ消えねーかなw
185 :
考える名無しさん :05/01/25 15:47:39
よし、もまいら!ここでヒステリーのげいいん物質、ヒステルゲンを完全に除去し、 デイヴィドソン様の話題で一気に盛り上がるのだ!
186 :
考える名無しさん :05/01/25 16:37:53
早く バカ消えねーかなw
187 :
考える名無しさん :05/01/25 16:40:14
ただの煽りかよ バカだな
188 :
考える名無しさん :05/01/25 16:40:52
早く バカ消えねーかなw
189 :
考える名無しさん :05/01/25 16:42:19
バカトートロジーが1000まで続く
190 :
考える名無しさん :05/01/25 16:50:50
トートロジーじゃありませんw
191 :
考える名無しさん :05/01/25 16:51:47
ただの煽りかよ バカだな
192 :
考える名無しさん :05/01/25 16:53:28
早く バカ消えねーかなw
193 :
考える名無しさん :05/01/25 16:54:18
1のレベルに見合ったバカしかいねーな
194 :
考える名無しさん :05/01/25 16:54:19
量化子のスコープくらい考えような
195 :
考える名無しさん :05/01/25 16:55:32
何がスコープだよw
196 :
考える名無しさん :05/01/25 16:55:52
バカのゆうことは有限の文で間に合うから デイヴィドソン型の意味理論は不要なのだった
197 :
考える名無しさん :05/01/25 17:01:48
スレ立てる奴とかキチガイなのな
198 :
考える名無しさん :05/01/25 17:18:32
デイヴィド、損?
199 :
警報 :05/01/25 17:29:48
ソーカル厨に煽られたポモ厨発生中!
200 :
考える名無しさん :05/01/25 17:36:30
ただの煽りかよ バカだな
201 :
考える名無しさん :05/01/25 18:21:29
デイヴィドソンて バカだなw
202 :
127 :05/01/25 18:24:52
>>155 前期理論(標準理論)は、規則の体系で、
句構造規則と変形規則とでできていた。
句構造規則は大本を生成する規則でたとえばDerrida kissed Searle.(深層構造)が生成したとする。
実際にこのまま出力されることもあるけど、Searle is kissed by Derrida.とも出力されうる。
実際に出力されるように派生させる規則が変形規則で、完全に派生しきった構造が表層構造。
だから、表層構造が音声との、深層構造が意味とのインタフェースと考えられていたんだけど、
Everyone read one book.とOne book was read by everyone.とでは意味が異なることもあるので
(前者はみんなそれぞれが1冊ずつ本を読んだことを意味しうる)、
拡大標準理論では、表層構造、深層構造の両方が意味にかかわるとしている。
さらに、改訂拡大標準理論では、意味にかかわるのはS構造(従来の表層構造)だけが担う。
だから、この調子で普遍的な文法形式を提出しようとすると、補足の規則が莫大に増えていくだけで、
普遍文法が単純であるべきということから離れていってしまう。
そこで、なるべく普遍的な部分だけ普遍文法に繰り込んでいって、結局、
原理とパラメータとのアプローチ
>>133 に到ったということ。
らすぃ。
203 :
127 :05/01/25 18:30:20
>>202 >Everyone read one book.とOne book was read by everyone.
上で量化子の話が出ているけど、これも量化子の問題とされている。
everyやoneのような数にかかわる言葉は、スコープを取ることが知られている。
「何」や「誰」のような疑問詞もスコープを取ることがあるので、
量化子の仲間にされることがあるようだ。
204 :
ジャン=リュック・名無しー :05/01/25 18:52:09
おいこら、モンタギュは電波じゃねーぞ。性格的には逝ってるけどな。 まあラムダ計算くらいは勉強しとけ。
205 :
考える名無しさん :05/01/25 18:57:13
>>204 をまいも小遣い帖ぐらいつけろ!話はそれからだ
206 :
考える名無しさん :05/01/25 18:59:07
モンタギューは電波ですよ。それに学派の世代交代に失敗しました。
207 :
考える名無しさん :05/01/25 19:01:14
形式意味論の単位取れなかった香具師と見た
208 :
考える名無しさん :05/01/25 19:09:26
ただの煽りかよ バカだな
209 :
考える名無しさん :05/01/25 19:49:24
オワタ?
210 :
考える名無しさん :05/01/25 19:51:21
早く バカ消えねーかなw
211 :
考える名無しさん :05/01/25 20:30:15
モー デテ コレナイッショ
212 :
考える名無しさん :05/01/25 20:36:31
何がスコープだよw
213 :
考える名無しさん :05/01/25 20:38:55
デイヴィドソンの意味論は 様相論理もラムダもいらねーから バカには楽チンだなw
214 :
考える名無しさん :05/01/25 20:41:13
早く バカ消えねーかなw
ラムダwww
216 :
考える名無しさん :05/01/26 02:01:43
□(215=ばか)
「ソーカル問題」より日本にとって切実なのは「黒木玄問題」かもしれない。 「黒木玄問題」とは: 日本の大学教師の人事では実力による評価が行われず、公正な競争も無い。 (理系より、評価の難しい文系の方が顕著) 大学人がやる気を無くして、ボスの機嫌取りだけを気にするように成り易い風土である。 そのため、国立大学の設備コンピュータHPなどを、本来の研究成果の発表などに使わず、趣味に使っている例がかなりある。 「黒木玄」の場合はネット上なので公になったが、「小人閑居して」 趣味にばかり走るだけでなく、セクハラなどに走る大学教師もいるだろう。 このような問題を「黒木玄」が象徴している。
218 :
考える名無しさん :05/01/26 11:08:13
早く 山形浩生消えねーかなw
219 :
考える名無しさん :05/01/26 11:28:51
分析哲学と日本におけるソーカル問題の取り扱いとはまったく関係ありません。
221 :
考える名無しさん :05/01/26 13:35:36
黒木かおる…、どうしてんだろ
I am not a Davidsonian.
223 :
考える名無しさん :05/01/26 20:29:00
アカデミック・ストーカー・玄
225 :
考える名無しさん :05/01/27 00:30:58
226 :
下衆ヤバ夫 :05/01/27 01:51:47
∃x(x=224∧□(x=バカ))
227 :
下衆ヤバ夫 :05/01/27 01:59:29
言語学板も終わってんな
>>227 なにせチョムスキアンが最大多数派だからな
230 :
考える名無しさん :05/01/28 00:42:27
この板は低脳が最大多数派だからな
231 :
考える名無しさん :05/01/28 00:49:48
まあ、それはこの板に限ったことではないかもしれないが。
232 :
考える名無しさん :05/01/28 01:20:05
謙遜するな、飛び抜けてるよ
233 :
考える名無しさん :05/01/28 01:26:35
そうでもないよ。○○大学とか、行ったことないだろ?
234 :
考える名無しさん :05/01/28 01:38:31
ほーそー? いや、ほーけー?
ぽーもー?
236 :
考える名無しさん :05/01/30 21:50:06
>>159 命題やら事態やらを持ち出してきたら、既にデイヴィドソン的ではないのかもしれない。
なぜなら、
事実〔事態〕を表しているのはひとつの文全体であるとされる。
これに対し、デイヴィドソン流の特殊者としての出来事とは、
単称命辞によって指示されるものなのであった。
(エヴニン前掲書 (
>>30 ) 301頁1-2行)
また、
タルスキの理論では、真理は充足によって定義されている。
さらに、充足とは、言語の一部分と世界の一部分との間に成立する関係にほかならない。
だが、ここで言う世界の一部分とは、事実や事態、
つまりウィトゲンシュタインやラッセルが世界の一部分として考えていたようなものではなく、
特殊者(対象や出来事)である。
(302頁10-13行)
からである。
デイヴィドソンにおいては、文が事態を示すことはないのかもしれない。
しかし、文には論理形式が与えられることがある。
そして、そのような枠組みにおいて、特殊者としての出来事の存在が要請される。
特殊者としての出来事の存在に対してデイヴィドソンが与えている論証のひとつは、
まさに、言語に含まれている副詞の役割を説明できるようになるということにほかならない。
(198頁8-9行)
237 :
考える名無しさん :05/01/30 22:44:04
>>236 ∃出来事[{引用する(DQN,エヴニンの本,出来事)}∧{At(物凄い勢いで,出来事)}]
ブランダムはすげえなあー
>>206 四十そこそこで死んだ人間がどうやって世代交代すんだよ
こいつアホか
240 :
考える名無しさん :05/01/30 23:36:08
241 :
考える名無しさん :05/01/30 23:36:53
バーバラ・パーティ嫁
242 :
考える名無しさん :05/01/30 23:40:57
>まさに、言語に含まれている副詞の役割を説明できるようになるということにほかならない。 だから、それをリクールが粘着批判してたんだよな。主体とそれは区別つかなくなってしまうよ。
243 :
考える名無しさん :05/01/30 23:49:26
リクールのどの本?
244 :
考える名無しさん :05/01/31 00:44:53
他者のような自己自身・・・(日本語タイトル誤訳)
245 :
考える名無しさん :05/01/31 00:49:44
出来事個体を想定すべき理由は、他に補語の数の不定性とかもあるだろ。
246 :
考える名無しさん :05/02/02 15:22:43
247 :
考える名無しさん :05/02/04 03:03:28
デヴィたん初心者です 古い『現代思想』誌に掲載されてた「第3のドグマ」よんでもさっぱりわかんなかったけど、 『言語哲学を学ぶひとのために』の解説論文読んでやっと内容がわかるようになりました。 科学哲学の世界でパラダイム論の人気がないのも理解できるようになりました。 関口さんに感謝。知り合いの人類学者に読ませたら面白がるだろうな〜
248 :
考える名無しさん :05/02/04 13:35:52
世代交代厨て初めて見た。わけわからん。。。
249 :
考える名無しさん :05/02/04 13:57:44
>>247 そういえば、最近では「人類学としての意味論」なんてことを
おっしゃる方々もいらっしゃるみたいですな。(Almog とか Wettstein とか。)
デイヴィドソンとはあんまり関係無いですが。
250 :
考える名無しさん :05/02/04 15:08:26
デヴィって省略するの、やめてくれ。ケバいオバさんが思い浮かんでしまう。
252 :
考える名無しさん :05/02/04 16:12:21
三度もケコンしたのは偉いと思う
253 :
考える名無しさん :05/02/04 16:21:23
女房の数だけドグマ退治をする
254 :
考える名無しさん :05/02/04 16:22:13
ドクママグラ
255 :
考える名無しさん :05/02/04 16:22:15
ラッセルの方がもっと偉い。
256 :
考える名無しさん :05/02/04 16:23:07
ラッセル厨は逝け
257 :
考える名無しさん :05/02/04 16:24:10
ラッセルは、ケコン回数だったら、まけてないぞ。
258 :
考える名無しさん :05/02/04 16:25:43
短小命題でケコン生活破綻
259 :
考える名無しさん :05/02/04 16:28:15
「私の唯一の妻が交代した」を記述理論で分析せよ。
260 :
考える名無しさん :05/02/04 16:29:06
充足が肝心
……。
262 :
考える名無しさん :05/02/04 16:30:32
わけわかんね
33だ。 今日買って読み始めたぞ。中々面白いな。
>>264 まだ33ページなんだが・・。
「真理と解釈」じゃなくて
>>20 のやつだよ。
「中々面白いな」と感想は述べたじゃないか。
そっか、はやとちりか(汗)
>>37 を見てなかった。
ちなみに表題の「言語が存在するのか」って実際読んでみてどう思った?
途中まででもいいので、言ってくれるとうれしい。
>>266 む。33だが。なかなか面白いよ。1050円
読み終えてから感想文でも書こうか。
つまらないことこの上ないんじゃないかと思うが。
「言語の社会性」とか俺はおもろいよ。
268 :
考える名無しさん :05/02/11 00:59:24
そろそろ感想たのんます
269 :
考える名無しさん :05/02/11 01:17:56
言語論もいいけど、「第三のドグマ」語ってほしいな。 クワインの論文(「経験主義の2つのドグマ」)含めて。
>>268 33だ。今66ページなんだが。何かやばいぞ。
聞き手の解釈だと。勿論我ら無意識か潜在意識かしらんが普通にやってることが淡々
と述べられているところだぞ。何かやばいぞ。
271 :
考える名無しさん :05/02/12 00:05:22
やっぱやばいか
272 :
考える名無しさん :05/02/12 12:36:35
なにがやばいん?
273 :
考える名無しさん :05/02/12 13:32:24
おっぱいん
>>249 そうなんですか、それは知りませんでした
アメリカの人類学や社会学なんかだと分析系より大陸系の影響が強そうですよね。
哲学科は分析系が強いのに。
論理学を勉強しないといけないのが敬遠される理由でしょうか。
「科学大好き」的なところが人文系の人にはいやなのかな?
もったいない話です。
275 :
考える名無しさん :05/02/13 14:30:44
逆で、「人文嫌い」な人が多いからだよ
276 :
考える名無しさん :05/02/15 13:48:20
僕も識者の方々に「第三のドグマ」について語って欲しいです。 「第三のドグマ」批判のあとでも分析/総合の区別、原子論的言語観をドグマと糾弾し た クワインのホーリズムの基本テーゼは無傷なんですよね? それと「言語なんて存在しない」というのは、「言語による世界製作」といったような 意味での「言語」ならそんなものは存在しない、ということなのでしょうか。 デイヴィドソン面白い。もっと勉強したくなってきた。
グッドマンが言うような意味での世界制作とは抵触しないと思うけどね。
>>277 反事実条件法とか可能世界意味論みたいなやつですか?
ところで「第三のドグマ」批判以降はデイヴィドソンによると経験主義は経験主義の
特徴を失う(と言っていいのか・・・)ことになったわけですよね?
これっていわゆるタブラ・ラサ説みたいなやつが疑わしいってことですか?
だとすれば、「すべてに先行する言語認識」よろしくこのことも認知科学の成果と合致するわけで
やっぱデイヴィドソンは凄いなあと思いました。
279 :
考える名無しさん :05/02/18 14:03:17
>>276 デイヴィドソンの第三のドグマ(概念枠)の話は、「言語なんて存在しない」つう話とは
ちょと違うんじゃないの?
「世界を構成する概念枠としての言語」なんてものは無いんだ、つう話は、
「これまで哲学者や言語学者が考えてきた意味での言語」が端的に存在しない、て話とは
また別でしょ。
>>278 それは「いわゆるタブラ・ラサ説」をどう取るかにもよるだろ。
ある意味ではクワインだって「タブラ・ラサ説」なんてものは否定してるわけだし。
「認知科学の成果と合致」とかってことで言えば、むしろクワイン=デイヴィドソン流の
ホーリズムてのはかなり評判が悪いように思うんだけど。
ダメットとかフォーダーとか、その辺は盛んに批判してるわけだし。
280 :
ジン :05/02/18 14:06:51
デビットソンはなかなかいい論理学者
281 :
考える名無しさん :05/02/18 14:09:06
変な人はinscrutableなので あぼんします
282 :
ジン :05/02/18 14:10:48
勝手にしろよ。 俺は神だし、別に気にせんよ。 言わなくてもよい。逝け
283 :
考える名無しさん :05/02/18 14:14:15
あら、自分が言われたとおもっちゃったの? 自意識過剰の神さまだこと。w
284 :
考える名無しさん :05/02/18 14:35:23
皮剥がれてるしw
285 :
ジン :05/02/18 14:38:24
俺って神だよな? 自意識過剰?それは人なら当然なのではないのかな
286 :
考える名無しさん :05/02/18 14:44:33
便所にも神はいる。一生、入ってろw
287 :
考える名無しさん :05/02/18 14:46:00
> それは人なら当然なのではないのかな あれ、ネ申じゃなかったのか?
288 :
ジン :05/02/18 14:55:32
神も人だからね。願いはないか? 崇拝すれば何でも与えてやる
289 :
考える名無しさん :05/02/18 15:55:23
とっとと消えて♥
ダメットって心の哲学自体を批判してなかったっけ
291 :
考える名無しさん :05/02/18 18:12:41
>>290 「心の哲学を否定する」てどーゆーことだよ。
「心の哲学」てことで、例えばフォーダーがやってるようなことを意味するんなら
たしかにダメットはそれを批判してる、とも言える。
でもダメットも、言語を解明することで心(思想)を解明する、つう
フレーゲのプログラムに従ってるわけだから、
そうして見ればダメット自身だって心の哲学をやってることに変わりはない。
292 :
考える名無しさん :05/02/18 19:02:37
>>291 >ダメットも、言語を解明することで心(思想)を解明する、つう
>フレーゲのプログラムに従ってる
ダメットはフレーゲを換骨奪胎した、って言った方がよさげ。
フレーゲの「思想」は、
時空の内側に無く(無時制の存在で)、
原因にも結果にもならないものだったはず。
間違ってたらゴメンよ。
293 :
考える名無しさん :05/02/18 19:53:49
言語論的転回スレのこともあるし新たにダメットスレ建てる?
294 :
考える名無しさん :05/02/18 23:16:03
いやん、そこは触っちゃダメット♥
295 :
考える名無しさん :05/02/18 23:54:00
296 :
考える名無しさん :05/02/19 03:59:27
>>295 ↓でたてようとしたら
よーわからんがホスト規制くらったぞなもし。誰か頼む
【騎士】マイケル・ダメット【長老】
名前: 考える名無しさん
E-mail:
内容:
イギリス哲学の重鎮マイケル・ダメットのスレです。
おまいら語れ
スレタイや文章は適当に変えてください
297 :
295 :05/02/19 04:12:15
おいらも規制くらったorz...
マイケル・ダメットの何を語るの? 教えて〜
家庭環境や生い立ち、初恋の想ひ出とかいろいろあるだろ?
笑〜
そんなこと言っちゃダメット〜
302 :
考える名無しさん :05/02/19 14:40:45
>>290 で言ってる「心の哲学」てのは、たぶん
ピーコックがやってるみたいな「思想の哲学」のことなんだろ。
ダメットの言う「意味の理論」つうのは、
フレーゲ以後の「心の哲学」(つまり、思想を把握するということが
どういったことなのかの哲学的解明)がどうあるべきかって問題に対する
ダメットなりの答え、て風にも言えるわけだから。
303 :
考える名無しさん :05/03/01 14:49:26
ダメットに対抗age
304 :
考える名無しさん :05/03/08 03:30:30
ダメットに対抗age
305 :
考える名無しさん :05/03/08 14:49:52
英語読める奴がいないんだからあげたってしょうがないだろ
そんなレベルの低い話なのかよw
307 :
考える名無しさん :05/03/09 23:24:37
そういえば「よい子の分析哲学」の最後の部分でも寛容の原理への批判?がなされてたけど、 あの手の批判への反論てどんなのがあるの? あの手の「政治的」なことには関わらないってのが分析系の方の基本的スタンス? (別によい子氏を批判してるわけではありません、あしからず)
デブ
309 :
考える名無しさん :05/03/18 15:10:16
おいおいおまいらこのままじゃダメットにレス数抜かれっちまうじょ
だってあっちは邪道気味の翻訳スレだし
311 :
考える名無しさん :05/03/18 15:34:31
英語読める奴がいないんだからあげたってしょうがないだろ
泣ける
314 :
247 :2005/04/07(木) 23:22:29
>>247 の関口論文を読んで気づいたのですが、関口さんは論文のシメで
「未分節のXを言語や概念図式によって『マロニエの根』として分節化したうえで、マロニエの根について語っているのではない。端的にマロニエの根について語っているのである」(72ページ)
と解説されています。また、「対象との直接的な接触」(73ページ)について述べられています。
ふと思ったのですが、これはいわゆる観測の理論負荷性の問題とは別のことなのでしょうか?
もしかしたらものすごい厨房なことをお聞きしてるのかもしれませんが、気になりました。
そこら辺に関しては凄いたくさんの議論があるんじゃなかったっけ? よく知らないが。
ダメットに対抗sage
317 :
考える名無しさん :2005/05/05(木) 08:57:46
hosyu
318 :
考える名無しさん :2005/05/06(金) 20:31:21
観測の理論負荷性というと、観測以前に理論自由的な実在を措定して、さてそれを 観測する際には理論負荷性がという感じだけれど、関口さんの当該箇所はわれわれ が>言語で言及する限りその語が名指し語っている<のは、未分節な何かを想定し た上での分節化されたマロニエの根ではなく、端的にマロニエの根なのだ、という ことだと思います。 いいかえれば、認識論において未分節な物自体や感覚与件み たいなものが持ち出されえるかどうかは論じないが、少なくとも意味論的には未分 節な何かが先にあって、次にそれを言語で分節化して指示するのではなく、言語( つまり有意味な言語)が使用される限り常に言語の分節化と相即的に対象もはじめ から分節化されたものとして与えられているのだ、というのが主張の論点じゃない?
h
320 :
考える名無しさん :2005/05/30(月) 07:15:57
fosyu
この人の理論的な正しさとかわからないけど、なんか言ってることはすげぇ共感できる。 大好きだな。
322 :
考える名無しさん :2005/06/22(水) 19:09:03
ていうか落ちる寸前じゃん。 質問。 どうしてもこの人の話を理解したい。 やっぱりヴィトゲンシュタインあたりの分析哲学を一通り目を通してからのがいい?
323 :
考える名無しさん :2005/06/22(水) 20:43:13
俺が馬鹿にするために作った晒しスレなのに、まだあったのね(w。
いや、だってマジでデイヴィドソンこそ「最終哲学」だと思うよ。 ポストモダンなんか彼のための地ならしにすらならなかったねw
325 :
考える名無しさん :2005/07/01(金) 01:29:20
「Philosophy Now」シリーズの「Donald Davidson」読んだいませんか?
どうやらいないようだ
327 :
考える名無しさん :2005/07/14(木) 16:39:25
ディヴドソンについて説明して下さい・・・100字でw
329 :
考える名無しさん :2005/08/04(木) 13:21:52
「なぜあなたは口笛を吹いているのか」って聞いて、 「なんとなく」って言われたらどうするの?デイヴィドソン的に。
330 :
考える名無しさん :2005/09/07(水) 03:56:17
世界内における言語の理解と、コミュニケーションにおける言語の理解って
視点自体が違うでしょ。
どちらも理論だてすると襤褸が出る、が、云っている事は正しいでしょ。というか、
普段の生活で気が付かない、瑣末ごとを敢えて語ってくれているだけかと。
>>329 「それで問題が無ければその場はオケ」って感じで会話は進行するかもしれん。
331 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/09/07(水) 08:10:00
ラカンのパクリ? 隠喩の効果、シニフィアンの連鎖、意味は現実界にある。
332 :
考える名無しさん :2005/09/07(水) 14:10:43
うすらバカキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
333 :
考える名無しさん :2005/10/30(日) 05:41:24
hosyu
エブニンの本買ったよ〜
プニッ
336 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 20:06:23
『あなたの人生の物語』所収の 「あなたの人生の物語」おもすろい。
337 :
考える名無しさん :2005/12/13(火) 09:56:03
「言語は、言語によって客観化された知識を共有するから社会的なものだ」 ではなくて、 「言語は複数の人間を必要とするから社会的だ」という。 で、コミュニケーションの言語に向かうんだ?
ある前提から結論を導くとき、その過程は言語によって 展開されるけど、そのときの言語がどうとかって話はこの人的には どうなんだろう?
ハーレーデイヴィドソン
こわいよ デイブ
343 :
考える名無しさん :2005/12/21(水) 00:55:46
"Snow is white" is true if and only if grass is green.
344 :
考える名無しさん :2006/01/21(土) 07:49:11
デイビッドソン 「もし言語がかつて哲学者たちが 考えてきたようなものだとするならば 言語なんて存在しない」
345 :
考える名無しさん :2006/02/10(金) 16:42:27
デイヴィドソンさん 言語っていったいなんなんですかね。
書店に並んでる雑誌のなかで一番高い奴 って前に”笑っていいとも”でやってた でもあれは『言語』の臨時増刊号なので,あれを持ってきた番組スタッフはあほだと思う
347 :
考える名無しさん :2006/03/09(木) 15:25:37
俺が馬鹿にして晒すために作ったスレッドが、一年経ってもまだ消化されずに 残っているぜw。 よっぽど人気ないんだな。このデモシカ先生w。
348 :
考える名無しさん :2006/03/12(日) 01:18:55
「雪は白い」は真である⇔雪は白い。
349 :
考える名無しさん :2006/03/12(日) 03:11:30
医学関係書なら1万する昨今、店頭で言語の臨時くらいがそんなに高値かねえ?
350 :
↑ :2006/03/12(日) 03:14:40
ぼったくられてるバカ
医学関係の雑誌って1万もするのかガクガクブルブル
352 :
考える名無しさん :2006/03/14(火) 03:37:43
タルスキの真理の定義について説明してください。
353 :
考える名無しさん :2006/03/19(日) 20:38:58
誰も説明できねえのかよwww
354 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 13:50:47
うわ なにこのスレつまんね(^ω^;)
誤審の?
356 :
考える名無しさん :2006/04/08(土) 22:27:03
プラグマティズムと関係あるの?
357 :
考える名無しさん :2006/04/12(水) 02:27:04
哲学やってる奴って実質高卒だろwwwwwwwwwwwww
358 :
考える名無しさん :2006/04/12(水) 02:58:13
デイヴィドソンってWBCで西岡のタッチアップをアウトにした審判か? 日本でいうところの◯高審判員みたいなもんでしょう? これわかるかな???
359 :
考える名無しさん :2006/04/12(水) 13:17:59
>>357 サラリーマンやってる奴って実質奴隷だろwwwwwwwwwwwww
しかしリーマンと哲学者の喧嘩ってのも程度が低いな どっちも社会の最底辺じゃねーか
361 :
考える名無しさん :2006/04/12(水) 23:16:25
本当にデイヴィッドソンの言語哲学が分かっているヤツなら、Reply to Foster ははずせないはずだ。
別の論文集の翻訳って出ないの? 結局、一冊も書き下ろしの本を出さないまま死んだの?
363 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 21:37:10
別の論文集の翻訳もいずれ出るかもしれんが、この人の論文は素人や学部生には歯が立たないね。
364 :
ドゥンス・スコ蔵 :2006/04/13(木) 22:26:13
コロンビア大学かどっかでやった講義が本になってたんじゃね? 書き下ろしと呼べるかは疑問だが
365 :
考える名無しさん :2006/05/23(火) 12:12:41
千葉大の柏端達也はどうですか。
366 :
考える名無しさん :2006/05/23(火) 13:54:36
どうですか?とか聞く前に気になるなら本嫁
367 :
考える名無しさん :2006/05/23(火) 19:04:43
入手困難
(’A`)
369 :
考える名無しさん :2006/08/06(日) 13:13:13
保守age点検
370 :
考える名無しさん :2006/08/06(日) 21:04:42
赤ちゃん人間
数学ができなかったんだってね
372 :
考える名無しさん :2006/10/02(月) 08:25:28
age
373 :
考える名無しさん :2006/10/31(火) 14:05:55
誰かデイヴィドソンの話しろよ
デイヴィド孫正義
僕達は同じ話に拘束されているんだ! ってのいいね。
376 :
考える名無しさん :2006/11/03(金) 15:15:25
ブランショあげ
sage
なんで人間の生得的な言語能力を無視すんの?
380 :
考える名無しさん :2007/03/02(金) 17:26:21
パトナムかデイヴィドソンかローティか三浦俊彦か……。
381 :
考える名無しさん :2007/03/02(金) 19:21:08
デイヴィドソンの哲学について 誰も話せないところがワロタwww
オマエモナ
デイヴィッドソンはおしいねえ。 もうちょっとなんだけどねー。
なにがおしいの?
>>383 みたいな書き方するやつがまともに答えられた試しはない。
ただほのめかして、上に立ったふりをしているだけ。
いやあ、まじでおしい。残念だ。
387 :
考える名無しさん :2007/03/21(水) 12:02:34
前の新刊情報スレにあったこれ、どうなったの? もう春じゃん・・・ ドナルド・デイヴィドソン / 信原幸弘 監訳 『合理性の諸問題』 春秋社 カテゴリー Great Works (現代の名著) 2006年秋刊行予定 言わずと知れた分析哲学の大御所の「合理性」をめぐる論文集。 初期と比べてずっと理解しやすくなった老練・熟練の論文を収録。 著者がどのように哲学をはじめ、どのような人々の影響を受けたのか、 あたかもアメリカ現代哲学史の証言ともいえるインタヴュー付。
シルバーバーチの霊媒からのお願いアドバイスです。 心霊写真の取り扱いについてのことですが、某有名心霊写真鑑定家2女史の言う 処の先祖霊の祟り説・稲荷なぞの動物霊説は、誤りであることが大半です。 しかも3女史の言うとうりに放置及び処分は反って霊を刺激し霊現象が酷く起こりやすくなったり 精神的な病に繋がったりも十二分に考えられます。 心静かに考えてください、その写真の前に貴方が出遭った新仏様か無縁仏様が 必ず居たはずですよ。ご供養願います、その方の馴染んだ宗教によってですよ! 御酒・お花・御茶・和菓子などであればいいと想います、お供えください。 その後も不吉なことが起こるようであるならFを探して下さいね、心霊写真の主はお化け騒ぎ したい訳ではありません、あくまで霊界メッセージであるとお考え下さい。 以上 4月よりパート霊能者として営業いたします、悪戯電話・メールなどでも料金を 戴くことと致します、その前に一言、霊界情報サービスの書き込みさせて頂きました。 これは、霊能者のお方の秘密儲けの方法なのよwwww有名人でもFの霊耳より 情報薄いのが今の霊感商業のようです。Y。SX2思い知れ!!!
389 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 18:07:16
主観的、間主観的、客観的D・ディヴィドソン著/清塚邦彦訳 春秋社 4月下旬 税込価格:4,200円 ISBN:9784393323076 外界と心の二分法を否定し、人間の内面を消去する「外部主義」 で新しい知識観を構築した現代最高の哲学者の論文14編。
二分法は否定すべきものという強迫観念があるよね
その強迫観念に支配されると「最終哲学」という観念が生まれるんだろうね。 システム論みたいな一元論を唱える哲学者が日本で結構人気があるのが 気になるな。長いものに巻かれているという感覚が心地よいのはわかるが。
393 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 21:46:04
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
中山康雄「言葉と心」200Pに 「日常においてデイヴィドソンの寛容の原則が適用できるのも、 この公共の意味の共有が言語共同体の中である程度成り立っているからだと 考えることができる。」と書いてあるが、そうなのかな。 公共の意味、というのは集団的に承認された権威によって確定する意味というから 寛容の原則の基礎は言語的権威の承認?何か少し違うような・・・
398 :
考える名無しさん :2007/04/26(木) 15:02:06
原書のSubjective, Intersubjective, Objectiveは日本のAmazonだと ハードカバー版しか出てこないな。Amazon.comだと普通に出てくるが。 取次ぎか日本語訳を出した出版社の仕込みかね?? アメリカのマーケットプレイスで買うと20ドルぐらいで 買えるから送料入れても日本語訳よりは安いよ。
400 :
考える名無しさん :2007/04/27(金) 21:58:32
洋書買おうとすると日本のアマゾンは 最近dと使えない。 他の洋書屋を駆逐しといてこのザマかよ
たぶん翻訳書を売るための出版業界の策略。 アマゾンはレヴューも検閲されていて 日販と東販への批判はカットされるらしい。
402 :
考える名無しさん :2007/05/05(土) 18:01:29
デイヴィドソン『主観的、間主観的、客観的』購入。
403 :
考える名無しさん :2007/05/06(日) 19:18:49
>>402 内容のわかりやすい要約をお願いします。
ものすごかったよ
ど、どんなふうに。
うふふ
初期ほどは、かな。
もうおじいさんになってからの論文だしな。
>>402 「主観的」のところ、なんて言ってますか?
あとで解説してください。
410 :
考える名無しさん :2007/06/20(水) 04:21:26 0
主観的、間主観的、客観的の感想を希望age
411 :
409 :2007/08/01(水) 20:59:33 0
もうね、だれも感想とか要約とか書いてくれないから 自分で読むことにしたよ。
良い心掛けだ!
413 :
409 :2007/08/03(金) 02:08:06 0
とはいったものの、仕事がいそがしくて ぜんぜん読めないや。
414 :
409 :2007/08/13(月) 14:50:09 0
ちょっとだけ読み進んだ。 納得できないことは多いけど、 面白くなりそうだねえ。
がんがれ
416 :
409 :2007/08/14(火) 21:11:12 0
いそがしくてぜんぜん読めない。 せっかく読んだのに忘れちゃいそうだよ。
417 :
考える名無しさん :2007/08/22(水) 21:09:36 0
>>409 >>402 ですが、すみません、間主観的から読みはじめました。
「合理的動物」から読んでます。
次は「思考の出現」の予定。
「合理的動物」では、こんな感じ。
0 動物が合理的であるには、信念などの命題的態度をもたなきゃ。
⇒1 信念をもつためには、信念の概念をもたなきゃ。
⇒2 信念の概念をもつためには、言語をもたなきゃ。
1については、
「ここでまさに主張したいのは、
自分自身の信念の正しさについての信念を伴うような驚きに服することなしに、
そもそも信念をもつために必要な種類の諸信念のストックをもつことなどできないだろう」
がよい要約。
驚きを、信念の必要十分条件としている。
2についてはほとんど何も説明せずに終わっている。
ただ、三角測量の比喩を提示しているので、ほかの章を読めばよいだろう。
ちょっと疑問なんだけど、驚きを必要十分条件にしてしまってよいのかな。
言語をもたない赤ん坊や動物でも驚くと思うんだけど。
発達心理学や動物心理学でも、期待違反法として方法論が定式化されているように。
418 :
考える名無しさん :2007/08/22(水) 21:49:40 0
なんだこの莫迦
>>417 デビッドらしい議論だな
「合理的」の定義を示さないあたりも彼らしいごまかし方
デビッド…
デビッド・アンダーソン
デビッド伊東
くだらん
だったらくだること書け
>>419 いままで「合理的」を定義した哲学者っていますか?
いるとしたらそれはどんな定義でしたか?
426 :
考える名無しさん :2007/10/10(水) 11:54:40 0
「858」 冒頭加筆します。ここのうしろに「722」番の中から、「合理 (ratio ラチオ)と「理性(reason リーズン)」に
ついて、再掲載します。お読みください。2007.6.18 今月6月30日
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200706.html#1101 私たちは、3年ぐらい前から、reason リーズン は、「理性」(あるいは、理由)などというコトバに訳して、日本人の知識階級は、
それで分かった気になって、実際は、何にも分かっていない。 「理性」という言葉にして、アホダラ経の有り難い、お経を読む
ように難解な日本語翻訳文で、何か分かった振りをして、それで、偉そうに、「自分は高学歴で、知識階級に所属する」と、勝手に
うぬぼれてきた。
私、副島隆彦は、そういう人間全員を許さない。もし、上記の私の「真実読み破り訳」にケチを付け、異議を唱える者がいたら、
その者は、どうどうと名前を名乗った上で、私に問答を提起してきなさい。私が、10時間ぐらいかけて、懇切丁寧に説明します。
分かったふりは、一切、無しだ。どこからでも、どんなコトバを使ってでも、すべて解明されなければならない。自分が分かった
ふりをして、私、副島隆彦をせせら笑うようだと、その自分自身の、脳天が逆襲を受けて、激しくもんどり打つから、覚悟しなさい。
私には、いい加減な日本土人(どじん)の分かった振りは、一切ないのです。
私は、5年ぐらい前から、reason リーズンとは、reison レゾン(存在の根拠)と同義であり、さらには、ratio ラチオ、レイシオ
「合理」と同義である、とずっと説明してきました。
ですから、rationalism ラシオナリズム、ラッショナリズム、「合理主義」とは、「利益の法則」であり、「損得勘定の思想」であり、
「投下した労力に対してそれに相当する利益を得ることである」である、と解読してきた。
金儲けの精神であり、ラチオ=リーズンなのだ、ということだ。これを、強欲の精神とか、拝金主義とか、訳してもいい。えー。
そんなに簡単なことなのか、と私に聞き返しても、どうにもならない。これで、読み破れたのだから、それでいいのです。
427 :
考える名無しさん :2007/10/10(水) 14:25:16 0
君はその返しばっかだなw
429 :
409 :2007/10/30(火) 22:26:57 0
ようやく読み終わったんだけどさ、 なんかものたりなかったなー。
430 :
考える名無しさん :2007/11/22(木) 16:39:15 0
エヴニンの第2章「出来事・因果・因果的説明」 恥ずかしながら何回読み直しても??? 形而上学の世界に迷い込んだような気分。 他の章はおぼろげながら輪郭がつかめる気がするが(するだけだが)、 2章はどうにもならない。 しかたがないので、図書館でデイヴィドソンの原著「行為と出来事」と 柏端の「行為と出来事の存在論」借りてきた。 早速、と思ったが、まずは一息入れて2ch眺めてっと・・・orz
>>430 クワイン、オースティン、サールを読んでからの方がいいよ。
エヴニンの『デイヴィドソン』はデイヴィドソンのモノローグとしては入門版
なんだろうけれど、そこに至る重要概念は上の三人の方がはっきりしている。
> エヴニンの第2章「出来事・因果・因果的説明」 を理解するのにオースティンとサールは要らんでしょ
ドナルド・ディヴィドソン『合理性の諸問題』 金杉武司・塩野直之訳、春秋社、2007年12月下旬頃 刊行予定。 ISBN: 9784393323113 「現代最高の哲学者の哲学大系を一望できる論文14編。 合理性を鍵に心と行為の哲学と言語哲学を架橋し、更に 人間の不合理性を解明」(取次)。
434 :
考える名無しさん :2007/12/13(木) 20:03:08 0
分析系は伸びねぇな 内にこもりすぎなんだよ英米系 ニーチェ厨みたいにガンガンいけよ
分析系は2ちゃんなんか見ませんから
436 :
考える名無しさん :2008/01/02(水) 04:19:33 0
合理性の諸問題 を大晦日にかいますた!!
437 :
考える名無しさん :2008/02/29(金) 02:18:02 0
「合理性の諸問題」所収のインタビューが生き生きしててオモロイネ。
438 :
考える名無しさん :2008/03/02(日) 05:29:57 0
インタビュー読み終えた。 海軍への参加が大学デビューへの重要な一歩になっていたのが、この人の得意な業績に 影響していることがわかった。 なんだか、本格的に教育者としてデビューしても素人根性があったって印象ね。 それゆえ、大学行政とのいざこざもあったようだ。
439 :
考える名無しさん :2008/03/02(日) 05:31:30 0
あと、R ローティに叱責をうけて考えを改めるデイヴィド、萌え。
440 :
考える名無しさん :2008/03/02(日) 15:12:28 0
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) 【上戸彩】ホカベン File.1【日テレ初主演】 [テレビドラマ] 【上戸彩】アテンションプリーズ スペシャル [テレビドラマ] デイヴィドソンと上戸彩がどうしてもつながらないw
sage
デイヴィドソンの入門には何から読めばわかりやすいでしょうか。 合理性の諸問題が売ってたので買ってしまいたいんですが・・・。
444 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 19:53:12 0
「全知の解釈者」の意味が分からない。
無知の読者
森本さんの本は分かりやすいけど、本当に一面的な内容だよね。 やっぱりエヴニンが一番だね。 そもそも和書ならエヴニン・森本・柏端しかデイヴィドソンを解説している本はないけどね。 いんちき冨田先生の本にもデイヴィドソンについて書いてあったかな? どっちにしろ読むべきではないね。
>いんちき冨田 >どっちにしろ読むべきではない ワロスww
富田って富田恭彦のこと? インチキなの?
富田じゃない、冨田だ。
でその冨田さんはインチキなの?
どういうところがインチキなわけ? ロックを過大評価しているところとか? 冨田氏の自己陶酔的なところ? それだけじゃあ、インチキとは呼べないと思うけど・・・
〜〜がインチキであると言えるためには どういう条件が満たされなければならないか?
インチキであるときかつそのときに限り「インチキ」なんじゃね?
T文wwww
よく読むと当たり前のことしか書いてないね
じゃあダメットでも読めば? 理屈は正しいのに、おかしいだろってこと言ってるよ。
春秋社の「現代哲学への招待シリーズ」は次ぎは何が出るんだろう・・・ ディヴィドソンの「行為と出来事」「真理と解釈」の全訳でも出してくれないかな。 あるいはダメットの「フレーゲ」あたりか
459 :
考える名無しさん :2008/06/26(木) 00:35:04 0
パトナムの『意味と精神科学』を前とは違う訳者で……! 「実在論の多くの顔」もお願いします!!
冨田先生がインチキならば、 丹治先生は『クワイン』での推薦によりインチキ幇助じゃ。
どこらへんがどの程度インチキなのか見極めるために むしろしっかり読まなきゃならん気がしてきた。 ロックの本はオモロかったし……
インチキであることを誰も否定しないってことは本当にそうなのか?
具体的な指摘がないからなんとも。 ただエヴニン本や柏端本と比べちゃったら、 デイヴィドソンに関しては優先度は低そう。 なんの根拠もないが、 ローティを哲学を終わらせようとする一派だと見做すような人からすれば、 その流れでクワインやデイヴィドソンを扱う点でいんちき臭いのかもしれん。
春秋社がデイヴィドソンの遺稿集刊行するらしいよー。
465 :
417 :2008/06/28(土) 13:22:00 0
>>417 自己レスですが、カラザースがデイヴィドソンの「驚き」の情動について言及してました。
このスレの人はカラザースとかドレツキとか興味ないのかな。
ドレツキは本は持っているが、まだ読んでいない。 カラザースは絶対年齢サボ読んでいる。
>>417 >言語をもたない赤ん坊や動物でも驚くと思うんだけど。
物音なんかにびっくりするという意味じゃないとは書いてあったが。
>>446 冨田恭彦の小説風哲学は結構良い(ちくまの入門も良い)。
会話形式で基本的なポイントだけ語る論理進行だから気軽に読める。
冨田流の全体像と流れをつかむのには良いと思う。
野矢や飯田の理詰めは読んでいて疲れるし、流れも全体像も見えにくい。
エブニンはいきなり読んでも理解できずに文字を眼で追うだけになる。
柏端はむしろ原著の方が分かりやすい。
森本は論点が狭すぎる。
ちくまじゃなくて講談社現代新書では。 初学者は憶えることも多いから速くは読めないだろうし疲れるかもしれないけど、 理解できずに文字を眼で追うだけ、ってのは言い過ぎでは。 初学者にも分かる部分もあるだろうし、 分からなくなったので最初から読み直してみたら、分からなかったところが分かるようになって、 分からない部分より前に書いてあったことを押さえてなかっただけってことが判明するなんて、 まともな本を読んでたらよくあることだと思うし。 正直野矢や飯田や柏端やエヴニンのを読んでも疲れるだけで面白さを感じないとしたら、 残念だが今とのころは論証とか議論を重視する哲学の流派には向いてないのかも。 初学者はそれらの本は体調のよいときに読みましょう、ってくらいなら完全に同意ですが。
全体像も見えにくい飯田氏の本って、デイヴィドソンスレだし大全4限定ですかね。 ってことは野矢氏のは航海日誌のみかな。
失礼。ちくまの入門って『アメリカ言語哲学入門』のことか。 これの元になった『アメリカ言語哲学の視点』は大昔に読んだ。 この本は良いのかもしれないけど疲れないわけではないのでは。 少なくとも野矢の航海日誌や飯田の大全1や2の最初のほうよりは疲れた気が。 改訂で読者により配慮した書き方になってるんですかね。 『アメリカ言語哲学の視点』はたとえば近世英との関連とかには強いのかもしれないけど、 論理実証主義の記述では大全2の最初のあたりのほうが詳しくて分かりやすかった気がするし、 単純な比較はできませんな。
472 :
417 :2008/06/29(日) 21:57:09 0
>>467 もちろん
>>417 でいった「驚き」は、物音に反射的に注目するといった意味ではないよ。
期待違反としての驚き。
>>469 もちろん初学者向けの話です。
初学者がいきなりエブニンや柏端を読んで理解できるとも思えません。
野矢氏の航海日誌は局所ごとの理屈は分かりやすいし、多くの論点に
短期停泊する初学者向けの著書であると思いますが、あれを読んで
理解できるのなら初学者とはいえないと思う。
初学者は服部の入門あたりから読んだほうが良いと思う。
あれが分からないならあきらめもつくというもの。
『アメリカ言語哲学入門』が本気で入門書だと思ってるの? ウィトゲンシュタインやデカルト、ロックしってないとあれ読めないよ。 前半部分は簡単だけど、後半になると、上述の三者の哲学を知ってないときついよ。 ちなみにクワインもそれなりに知っているとなお読みやすい。
『入門』なんだから入門書じゃないとある意味「インチキ」だなw
デイヴィッドソンの入門としては『主観的、間主観的、客観的』の解説が一番入門としては良いと思う。 森本氏のは読みやすいけれども、話しが狭すぎる。 エヴニンと冨田氏の本は全部わからなくても、通して読めばそれなりに掴める構成になっていると思う。 冨田氏のはデイヴィッドソンと関係のない話しもあるけど、クワインやローティの話しはデイヴィッドソンを読む上で大事になると思うので読んで損はない。 春秋社ががんばってくれたおかげで、主要な論文集は刊行翻訳されきったことになるね。(次ぎに出る本は恐らくは『真理・言語・歴史』) あとは最重要作である、あの二冊を全訳で出してくれることを祈るのみ。
ん?
今エヴニンを読んでいるんだが、何か8・2章で急に話がおかしくなっているような気がする。 真理について「懐疑論の挑戦に応じる」って、どうしてそんなことするかな。 それって、釣りにマジレスとどう違うのか。 人間はいろんなことでよく間違うのは事実で、真理性の保証なんか欲しがる方がおかしい。 「1+1=2」だって、それが真なのは、間違いと言われても意味不明だということであって 真理性の保証があるからじゃないし。 「保証を得ようとして全知の解釈者という虚構を導入」なんて、悪いけど相手のペースに 乗せられてムキになってしまっているとしか思えない。 懐疑論者なんて、自分専用の言語を話す人たちだと思って放っておけばいいのに。
2 の定義って 1 + 1 のことじゃなかったっけ。 全知の解釈者という虚構云々はアレだがw
1 + 1 = 2 はともかく、 「独身男性は未婚の男である」には真理性の保証は得られているんじゃないの? 真理という概念が意味を持つとしてのことだが。
クリップキー
エヴニン「デイヴィドソン」の3・4章、 行為の理由の傾向性概念による因果的解釈という趣旨は分かるけど、 説明のための具体例が「カタツムリを押し潰したい欲求」ってのはちょっとひどい。 確かに行為の原因かもしれないけど、それ自体不可解な突発的衝動みたいなものだろ。 例えば「食事をする欲求」なら、食事行為の原因であるだけでなく、 しぱらく食ってない事実の結果でもあるわけで、自然に因果連関に組み込めるから 行為に対する説明効力も申し分ない。 そういう適切な例がたくさんあるのに、なぜわざわざ不自然な例を使うのよエヴニンさん。 具体例がいまいち良くないというのは、好意的読者はあまり気にしないかもしれないが とにかくカタツムリはイヤだ。
485 :
考える名無しさん :2008/08/18(月) 13:11:20 0
>>480 >「懐疑論の挑戦に応じる」って、どうしてそんなことするかな。
哲学だからでしょ
柏端本はどうでっか?
>>480 なんて、自分専用の言語を話す人たちだと思って放っておけばいいのに。
デイヴィドソンの「根元的解釈」って、コミュニケーション理論としては 音声言語至上主義過ぎではないでしょうか。 あいさつとか依頼とか何かに注意を向けるとか、音声言語なしでもできる 重要なコミュニケーションは結構あると思う。 つまり身振り言語や表情のような、半ば自然的で半ば慣習的な記号の「意味」を 人間はあらかじめかなり共有しているから、相手の信念とか欲求とか意図とか 結構分かっちゃうし、真偽を問うような文の解釈はそれを前提として後から行う という順番になるのではないかな。普通は。 信念というと「地球は丸い」とか、言語解釈というと「古代文書の解読」とか、 そういう例をまず思いつくとすればそれはバイアスかかり過ぎと思う。
別にデイヴィドソンに限らず多くの哲学者が音声言語中心だろう。 コミュニケーション哲学ではなくて、言語哲学だからね。
490 :
考える名無しさん :2008/08/24(日) 23:46:36 0
アホ対話でワラタ 続編プリーズ
アホ対話って何?
492 :
考える名無しさん :2008/08/25(月) 13:43:00 0
>>488 通りがかりのものですが、
記号の「意味」はそれを使って「何か」を伝えようとした主体の、
その「何か」であって、それとは独立に存在するものではないのではないでしょうか。
そしてそれは他者には根本的に理解不能なので、推測し、問題が生じないかぎり意味が特定できたとするしかない
のだと思います。
>>489 そうかもしれないが、例えば指差し行為が理解できない人は「これ」というような
指標的指示表現も理解できないだろうし、結局音声言語は習得できないでしょう。
「身振り言語」って大森荘蔵用語だけど、そういう連続的観点が大事だと思うよ。
sage
sage
496 :
考える名無しさん :2008/12/13(土) 00:05:04 0
age
497 :
考える名無しさん :2008/12/13(土) 14:54:46 0
>記号の「意味」はそれを使って「何か」を伝えようとした主体の、 >その「何か」であって、それとは独立に存在するものではないのではないでしょうか。 そのとおり、しかしクリプキは固有名という記号は、その使用者の意図とは関係なく 対象を一意に指し示すという。 馬鹿げているとおもわんかね。
えー?公共の言語で使用者の意図は基本的に関係ないでしょ。 意図したからといって、「犬」で猫を意味したり、「家康」で信長を意味するのは無理。 本人専用言語なら別だけど。
Frege以降ほぼ全ての分析哲学者は 言葉の「意味」は文脈によって変わることはあっても 使用者の心的状況によって異なり得るようなものとしては 扱っていないと思うけど。 まあ「意味」という言葉をそういう意味で使っているだけで 一応表層的な違いだとも言えるけど、意図よりも 文面と文脈さえ確定すれば共通に理解されることが前提の 「意味」を重視するという点では、他の哲学者と違うと思う。 例えば「明日午後8時に集合」と言いたかったのに 間違えて「明日午前8時に集合」と書いちゃった場合、 書いた文章の意味は後者にはなりえない、とかそういうことで。 そういえば「意味の意味」なんていう本があったなあ。
「意味」の意味次第ってことですか。確かに、同じ「犬」でも、一般人と専門家と愛犬家とでは 言葉の意味内容の豊かさみたいなものが違うような気もしなくはない。 でも「家康」ではそれについての知識に個人差があっても指示対象自体は全く同じであって そうでなきゃ会話が成り立たない。それはクリプキでなくても普通にそう思うでしょう。
501 :
考える名無しさん :2008/12/13(土) 18:55:14 0
クワインのギャバガイ(指示の不確定性の議論)が簡単に忘却されてしまう のはなぜなのか。 やはり哲学もブームにすぎないのか。
クワインも発話者の意図がどうのとかは言ってないし
言語哲学の基礎中の基礎をスルーしてこのスレに来る奴には、 どこかの入門スレを紹介すればいいのかな
言語哲学の基礎中の基礎ってPrincipiaとかAufbauとか?
業界常識を前提した話しかできない哲学者ってのも相当無能だよね。
>>498 意味論でも認識論でも伝統的に個人主義的モデルは馬鹿にできないよ。
最終的には個人の意識や経験に根拠があるというような考え方ね。
それを批判して、例えば「赤」が赤感覚ではなく客観的赤(ポストの色)を否応なく意味する、
というようなことを論証したのが、後期ウィトゲンシュタインの一番良く知られた仕事だろう。
>>498 言語の社会性自体は誰も反対してない。
でも、その(言語という)社会的制度をどう利用するかという話者の「意図」が
意味にとって決定的だというのは普通にありうる考え方でしょう。
松坂アンチが「あの豚」といえば、客観的にはデタラメだが意味は通じる(ある程度。)
それ単に文脈じゃないの?
野球の話であるとか或いは話者が松坂アンチであるとか
そういう情報を聞き手が持っていないのに、単に
松坂を意図して「あの豚」と言っても誰にも通じないと思うんだけど。
ちょうど
>>498 の例と同じで。
ポイントは「意図さえ分かれば意味が決まる」ということ。 「例の件」「the man」と同様。
510 :
考える名無しさん :2009/02/26(木) 19:07:18 0
age
デイヴィドソンは何から読み始めれば良い? とりあえず表紙が格好良かった『主観、巻主観(略』を買ったがこれだけで読めるだろうか?
本人の著作はどれも入門的(と言うか、導入にオススメのもの)って言うのはないと思う。 あの人は体系的な大著はなくて、濃縮された短い論文を集めた本ばかりだからね。 ただ『主観性、看守(ry』は解説が良いから、解説から読み始めて気になった論文をつまみ食いすればいいんじゃないかな? 論文を一つ二つ読んでわからなくても、気にする必要は無いよ。 細かい議論が多いから、結構論文読んでいかないと、よくわからないんだよね。 ってそんなこと言いながら、俺も未だにわかってないけどねw
『主観、却下・・』は買ったが読んでいない。 『行為と出来事』で挫折して、入門書レベルから読み直している。 理解できないのに読み進むのは苦痛だから。 デビは適当な入門書がないから、色々な入門書を読みまわしている。 冨田の対話形式物、野矢の航海、入不二の極北なんかを読んだが、 ほかにデビについて触れている分かりやすいものはないものか・・・ 因果関係論について役に立ちそうな本があったら教えて欲しい。 一ノ瀬は除いて。
冨田さんの『アメリカ言語哲学』、飯田さんの『言語哲学大全 4』、ハッキングの『言語は〜』 『哲学者は何を考えているか』では、本当にさらっとデイヴィドソンについて触れられていたと思う。 とりあえず、ハッキングの『言語は〜』か『主観的〜』の解説がいいと思うよ。 あとはデイヴィドソンの直接的な入門書ではないけど、クワインの入門書で部分的に補える。
>>514 サンクス
冨田とハッキングは読んでいます。
ハッキングは、題名と内容が合わなかったような記憶・・・
もういちど読んでみます。
クワインは『論理的〜』で2つのドグマなどを読んだけど、よく分からなかった。
翻訳が悪いということで自己解決しましたw
デビの分かりにくさは、背景というか入り口のところで特殊な前提があるような
感じがするので、入門書等でその点の感覚を身につけようとしたのだが、
どうもうまくいかない。
青土から出てる哲学の歴史11巻を読め!
>>516 サンクス
中央公論の『哲学の歴史』11巻にデビが少し載っていました。
青土>誤用への対処から根源的解釈を論じるという趣旨でしょうか。
ああ青土じゃなくて中央公論だったかw間違えちゃった(/ω\)イヤン
なんでサイモン・エヴニンの本を挙げないのはどうしてなんだぜ
あと因果に関する議論の流れの中でデイヴィドソンがどういった 位置づけにあるかを知るには J.キムの本は必読だね
>>520 Jキムは普通に読めるのだろうか?
『知識と実在 ― 心と世界についての分析哲学 (世界思想ゼミナール)』
を経由した方が良いだろうか?
しらんがな 問題の立て方は明快だし、普通に書いてある本だから普通に 読めるだろ。
キムはまあ読める どうしても予習したいなら シリーズ心の哲学T 人間篇 シリーズ心の哲学V 翻訳篇 の該当部分とか?
>>522 じゃあ読んでみます。
同じ双書のドレツキとか、ルイスはかなり分かりにくくて難儀した。
たぶん理解には程遠いw
反事実的条件法?あれは難しいよw
>>525 やっぱりww
分かりにくいってレベルじゃなかったよ・・・
ハナクソどもの感想はどうでもいいから
528 :
考える名無しさん :2009/03/03(火) 23:55:58 0
ライカンの『言語哲学、入門から初級まで』にデビット損の解説がある。
NHK出版の『デイヴィドソン』(1050円)で十分
ハナクソどもにはそれで十分だって言ってるだろ
531 :
考える名無しさん :2009/03/04(水) 01:18:42 0
ハナクソってw
北朝鮮への帰国事業みたいだな。 「行けば地上の楽園、住居と職は用意されています。 職場には生き生きとした笑顔があふれ、失業者はゼロ。 わが国で理想を実現しよう。」と朝日から読売まで絶賛! ・・・行った人は自力では帰ることはできなかった。
失礼!誤爆><
デイヴィドソンとかけて北朝鮮への帰国事業と解く
デビット損ってチョムスキーの影響があるよね。 言語より以前の言語なき思考を想定している。
536 :
考える名無しさん :2009/03/05(木) 00:46:25 0
また変なの来たなぁ
『言語哲学を学ぶ人のために』もデビットソンがちょくちょく出てくる。 各部の執筆者がそれぞれ癖のある文章で独自の論文を書いているので、 全体としての統一性もなく、入門書とは言いがたいが・・・
>>535 デイヴィドソンのやっていることは、結局、言語哲学の問題ではないんだよ
言語哲学は言語が出来てから以降のことを探求する学問
言語ができる以前にまで遡るのは、ソシュールなんかの言語学の研究領域
そこがデイヴィドソンに対してイチャモンをつけられるてしまう大きな欠点かな
哲学って議論の前提を共有しているようでいつもずれているね。 問題意識も目的もはっきりしない議論も多い。 根のない花のようなところがある。 それでいて惹き付けるところがある。
>>540 哲学の議論で、相手を批判するとき、そもそも前提が少し違うのに、
自分とそれを共有してるかと思いこんで、批判してることは結構よく
ある。ダメットとデイヴィッドソンの意味と真理の話とかw
542 :
考える名無しさん :2009/03/20(金) 15:21:07 0
16 :考える名無しさん:2009/03/03(火) 02:55:52 0 ホマキはおしっこだけじゃなく存在感が小便臭いからやだ 17 :考える名無しさん:2009/03/08(日) 14:40:50 0 いや、そこがいいんだよ。 18 :考える名無しさん:2009/03/08(日) 14:41:33 0 ていうか、おしっこが小便臭いのはアタリマエ。
543 :
考える名無しさん :2009/04/19(日) 04:40:19 0
哲学板なのにクワインもクリプキもデネットもスレがないとは・・・・なのにデイヴィドソンだけはあるんだなw このスレも人気がないし言語哲学ってもう死んだのか?
544 :
考える名無しさん :2009/04/19(日) 08:43:28 0
確かデネットは少し前まであったよ。落ちていったけど。 言語哲学とかいかにも専門的なスレはこの板では無理だろう。
ここは実質ポモ板だからw
デイヴィドソン以後の言語哲学は認識論に取って代わられたから感じ ここは認識論も扱ってないけど
548 :
考える名無しさん :2009/05/22(金) 17:40:09 0
>言語の社会性自体は誰も反対してない。 >でも、その(言語という)社会的制度をどう利用するかという話者の「意図」が >意味にとって決定的だというのは普通にありうる考え方でしょう。 >松坂アンチが「あの豚」といえば、客観的にはデタラメだが意味は通じる(ある程度。) その通りである。 Aという人物が「あぶんぶく」という発声をしたとき、 「あぶんぶく」が意味をもつのかいなか。 意味をもつとしたらその意味はなにか。 それを決めるのは社会ではなく本人の意図である。 それを否定するのは愚人の振るまいといわざるをえない。
549 :
考える名無しさん :2009/07/16(木) 01:07:54 0
あげ
deepbluedragonとかいうアホをどうにかしてくらはい
にさ
「雨が降っている」が真であるのは、雨が降っている場合であり、その場合に限る ↑ これって何が言いたいんですか? これは自明であって、雨が降っている場合とはいかなる場合か のほうが問題なのではないのですか?
553 :
考える名無しさん :2009/08/13(木) 00:16:57 0
それがデビ流のラディカル翻訳だよね。 言語の通じない国に行って、現地の言葉を習得する場合に、「アメガフッテイル」と 発音したときに雨が降っていれば真である。 ゆえに、「アメガフッテイル」が真であるのは、雨が降っているときであり、かつその場合に限る。 でよいのであります。 って、本当に良いのかなと思うが、なんとなく納得している。
「A」が真なのはAであるときのみである 当たり前だろ・・・
iffの片方しか言わない奴って何なの?
556 :
552 :2009/08/19(水) 13:16:20 O
では、デイビッドソンの話はどんな主張に対する反論になってるんでしょうか
まだいたいのかよw
「A」が真 ⇔ Aである 当たり前だろ・・・
>>552-558 The Japanese sentence‘真理規約Тは当たり前だ’is true if and only if Convention Тis obvious.
飯田隆さんの本は初心者にはちょっと難しいな
サルの感想を述べられましても・・
「サルでもわかるデイヴィッドソン」を誰かかいてくれ
初心者はデイヴィドソン読まんでよろし。
>>552 その文が真であることは日本語の話者にとっては自明だが、その内容は有益な情報である
この点は、対象言語が日本語でない場合により明瞭であろう
"Snow is white" は英語において真である ⇔ 雪は白い
"Der Schnee ist weiss" はドイツ語において真である ⇔ 雪は白い
これらは決してトートロジーではなく、有益な情報(カント的に言えば、総合命題)を表現する
同様に
(A) 「雪は白い」は日本語において真である ⇔ 雪は白い
は無内容ではない
上の文を英語に訳してみると
「雪は白い」 is true in Japanese ⇔ snow is white
これが有益な情報であることは、日本語を知らない英語の話者にとってそれがどんな情報を伝えるかを考えればいいだろう
なお (A) の文において、左辺の「雪は白い」は使用されず言及されているため、英訳においては "Snow is white" にはらなないことに注意
同じような例: 犬は日本語において「犬」と呼ばれる これはある意味で自明だが、日本語についてのある経験的、偶然的内容(総合命題)を表現している
いっこいっこのT文じたいが有益かどうかなん、てデビドソンからしたら どうでもいいことなんだよ。 しかも、有益な情報を伝えてるから総合的なんて言い方は、 はっきり間違い。
有益な情報っていうか、有用な情報っていうか 経験的内容を持つということな 経験的内容を持つなら当然総合的だろう
なんじゃそりゃ だったら「Pあるいは−P」みたいなトートロジーにかんしてT文を作っても 総合的真理になっちゃうじゃん
>>568 そうですよ。例えば、
"Either snow is white or snow is not white" は英語において真である ⇔ 雪は白いか、または、雪は白くない。
は経験的、総合的な文です。 これが偽となる状況(可能世界)があります。例えば、英語において "or" が連言の意味を持つ世界など。(なお、⇔ は実質的相互条件。)
こういったことが書いてある入門書ってないのか?
570 :
569 :2009/08/28(金) 22:50:55 0
補足ですが、その可能世界においては "not" が否定を表すことを前提としています。
>>569 それじゃ単純に話がズレてるよ。
それは単に、"Either snow is white or snow is not white"が
トートロジーじゃないかもしれない、ってだけじゃんか。
じゃあ何が問題なのか?問題はトートロジーに対するT文が総合的であるかいなかということだろ?
>>571 569のT文は、現実には真だけど、ある可能世界では偽になる。だから、それは経験的、総合的命題を表現する。
なんだよ頭悪いのばっかだなあ・・
>>569 で言われてるのは、どんな文であっても偽になりうる、
だから総合的だ、ってことだろ。それはつまり、
分析的/総合的という区別は意味ないよ、ってだけのことじゃん。
そういうクワインみたいな立場は仮に認めるとしても、
そしたら特にT文に関して、T文が総合的だと言うことにも
何の意味もなくなるわけじゃんか。だってどんな文も総合的なんだから。
569が言っているのはそういうことじゃないだろう (1) 「雪は白いか、または、雪は白くない」は日本語において真である (2) 雪は白いか、または、白くない 「(1) は経験的、偶然的、総合的だけど、(2) は論理的真理であり、必然的、分析的である」という考えに矛盾はないことが分かれば、569の意味がわかると思うけど
当たり前のことをもったいぶった表現で言ってるだけ
>>575 わかんない人だなあ・・
そこに矛盾があるかどうかを言ってるんじゃなくて、
そこに矛盾を見出さないということだけでは、T文がデイビドソンの
意味論的プログラムでどういう役割をはたしているかについて
何も説明したことにもならない、ってことだよ。
だって、そこに矛盾はないっていうだけなら
翻訳意味論の流儀でT文を解釈したっていいんだから。
>>577 すみません、私は初心者なもので…
たんにT文が経験的、偶然的内容を持つことを言いたかっただけです
ところで、デビッドソンの意味論プログラムにおいてT文が果たす役割とは何か、ご教授いただければ幸いです
>>578 タルスキにとっては、個々のT文は真理理論からアプリオリに導出されるべき
定理だし、それに対してデイビドソンにとっては、T文は経験的にテストされるべき
仮説になるから、
そういう理論的背景を抜きにしてT文が総合的だなんだというのは
単なるデマゴギーにしかならんでしょ、と言いたかったわけです。
デビドソンのことを知りたければ、こんなところでいい加減な知識を
聞きかじるよりも、
飯田先生の『大全W』でもゆっくり読むのがいいよ。
「A」が真 ⇔ Aである 当たり前だろ・・・
当たり前厨がんばってな・・ そいじゃ
582 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 23:14:56 0
――むかしむかし、ある所におじいさんとおじいさんがおりました。 ――ゲイかよっ!
583 :
a :2009/08/30(日) 15:48:56 0
d
>>554 は「のとき、そしてそのときのみ」と同じ意味じゃん
最初から勉強しなおせ
587 :
考える名無しさん :2009/09/02(水) 23:23:49 0
>>564 横からだけど。
"Snow is white" は英語において真である ⇔ 雪は白い
ようするにデビは「雪」とか「白」とか「である」などの個別の単語を一個一個翻訳せずに、
文章を全体として翻訳するということで良いのかな?
こうやれば語の意味は指示対象だとか、そういう面倒な議論に関わらずに済むという
利点があると言うことかな?
けど、全体として翻訳するときに、いったい誰が翻訳して、誰がその翻訳の正しさを検証
できるのだろうか?
翻訳の正しさは個々の語の意味ないし指示対象と無関係に判断できるのかな?
個々の翻訳について「本当に正しいか検証」するなんて無意味でしょう。 同じ翻訳が導かれても、正しい解釈理論からならOKだし、間違った解釈理論からならNGなんで。 重要なのは理論の正しさ。それはもちろんsnowやwhiteを含む他の文の処理と合わせて判断される。
>>587 単語を一個一個翻訳できるのは、
翻訳のためのマニュアル(特に辞書)が
ある場合に限られるでしょ。
根底的翻訳とか根底的解釈で問題になるのは
そうしたマニュアルが作成される以前の段階。
つまり、対象となる言語の発話者の発言のうちの
どの部分をもって一単語と見るべきかも分かっていない
ような段階。
でもって、どうしてそうした段階を考察することが重要かというと、
意味をまず第一に担っている単位を文と見るか、単語と見るか、
という問題(いわゆる「文脈原理」にかかわる問題)が
深く関わってくる。
590 :
考える名無しさん :2009/09/04(金) 23:32:52 0
>>589 翻訳が一部しかできていないから、根源的解釈で文と現実の出来事を対比して、
その対比の繰り返しから、文の意味が分かるということかな。
それで翻訳が進行していって、個々の単語の意味にまで翻訳が進んだときに
再度、「この単語の意味は指示対象だろうか」なんて問題を議論するのだろうか。
なんか問題を先送りして堂々巡りしそうな悪寒。
591 :
考える名無しさん :2009/12/17(木) 23:15:07 0
あげますよ
592 :
考える名無しさん :2010/03/27(土) 11:53:01 0
「デビッドソン」言うたらあかんの?
593 :
考える名無しさん :2010/03/28(日) 13:06:10 0
ダビッドソンでもおk
594 :
考える名無しさん :2010/04/18(日) 01:02:15 0
真理と述定あげ
595 :
考える名無しさん :2010/04/19(月) 10:10:00 0
読んでどうだった?
596 :
考える名無しさん :2010/05/07(金) 13:27:04 0
ものすごかったよ
597 :
考える名無しさん :2010/08/03(火) 16:47:06 0
真理と述定について全く語られてなくて 笑ったwww
読んだけどたいしたこと書いてなかったよ
599 :
考える名無しさん :2010/08/20(金) 21:26:21 0
もう2ヶ月ちかく2ch書き込み規制がかかっていた。 またすぐ規制がかかるのだろう。 ああ、やだやだ。
●買えば? ひと月300円くらいだよ