1 :
考える名無しさん :
05/01/06 23:55:21 それではGO!!
「判断力批判」を読むと、快楽や芸術に進化や発展はない、全ては組み合わせだよ、 と言われてるようでなんとなく鬱になる。
3 :
考える名無しさん :05/01/07 00:13:54
>>2 >全ては組み合わせだよ
こういう考えがどうして『判断力批判』から出てくるのかわからないなぁ。もう少し詳しくお願い。
ちゃんと読んでない かじっただけ
5 :
考える名無しさん :05/01/07 01:18:56
「判断力批判」によれば、美とは快楽の享受なんだよね。
『判断力批判』の邦訳だが、 岩波文庫の篠田訳は糞
7 :
考える名無しさん :05/01/07 17:39:24
さいな、糞疫の糞厄でんな。
8 :
考える名無しさん :05/01/07 18:02:59
今更、死のだの糞訳なんぞ、もう古いです。 当の昔から糞訳って評価は決定的なんです。
9 :
考える名無しさん :05/01/07 18:05:14
じゃ、誰の訳で読めばいいの?
原書が無理なら英訳にしとけ
11 :
考える名無しさん :05/01/07 18:08:25
俺の訳
こういったスレって、1が率先してやらないとたちまちdat落ちするぞ
目的なき合目的性&無関心性でキメッ
14 :
考える名無しさん :05/01/07 19:45:38
今、カントの判断力批判を読む意義ってどういうとこにあると思います?
美学やる人は基本文献だし、価値感の相対性について 考えるときとか、各自の勝手な読みかでいろいろ引き出せるかな、と。
16 :
考える名無しさん :05/01/07 19:50:23
古典など歴史的興味以外に読む価値などないと思うが
17 :
考える名無しさん :05/01/07 19:54:11
ポストモダンやポスト構造主義から読みなおすとどうなるのか
18 :
考える名無しさん :05/01/07 20:06:04
んじゃ、なにを読むんだ?
ポストモダンから読みなおすの意味を小一時間(ry
20 :
考える名無しさん :05/01/07 20:10:04
ポスト構造主義の連中なんて古典の研究者ばっかじゃん。
21 :
考える名無しさん :05/01/07 21:17:57
ポストモダンのほうが馬鹿かな
23 :
考える名無しさん :05/01/08 11:04:54
>>9 岩波のカント全集8、9巻の牧野英二訳が吉。
高いけど、本気で読む気があるなら、これ+原書で
じっくり取り組もう。
24 :
考える名無しさん :05/01/08 13:48:38
牧野英二ってカント研究者の中では日本で一番ですか? この人の本買おうか迷ってました。
25 :
考える名無しさん :05/01/08 14:23:25
何で今カントなのか?悟性の形式によって、ポスト・構造主義によって 失われた主体の復活を図るためだろうか。再度定立する基盤を探している。 あるいはヘーゲル的に差異を内在させ、それを統合する主体を復活させる為 だろうか。
もってるのは世界の大思想のだ 古本だけど実理もついててお買い得だった
27 :
考える名無しさん :05/01/08 14:50:52
28 :
考える名無しさん :05/01/15 11:18:03
>>23 以文社の宇都宮芳明訳も「判断力批判」の訳としては定評がある。こちらでもいいね。
29 :
考える名無しさん :05/01/21 01:12:29
『判断力批判』については 日本人の研究者で優れているのは 神戸大の長野順子さんかなと思います。
ドゥルーズもデリダも結局この本に立ち戻る
31 :
考える名無しさん :05/01/21 09:41:32
『判断力批判』については 日本人の研究者で優れているのは 神戸大の長野順子さんではないと思います。
32 :
考える名無しさん :05/01/21 10:46:28
33 :
考える名無しさん :05/01/29 15:42:57
age
俺
35 :
考える名無しさん :05/02/06 21:36:27
プププ
36 :
考える名無しさん :05/02/06 21:42:13
カント『判断力批判』と現代 ―― 目的論の新たな可能性を求めて ―― 佐藤 康邦 ■体裁=A5判・上製・カバー・380頁 ■定価 6,510円(本体 6,200円 + 税5%)(未刊) ■2005年2月25日 ■ISBN4-00-022444-1 C3010 ------------------------------------------------------------- ------------------- 哲学における〈目的論〉概念を今日に生かすべく,『判断力批判』を考究 する研究書.ときに内在的な読解を越え,現代の哲学や科学との接点をと らえることで,一層重要性を増しつつある同書の新しい読み込み地点を示 す.
37 :
考える名無しさん :05/02/06 22:37:36
これもおすすめ! 『判断力批判』を読み直す 渡辺淳一 ■体裁=A5判・上製・カバー・560頁 ■定価 3500円(税込) ■2005年2月25日 ■ISBN4-00-022444-1 D990 ------------------------------------------------------------- ------------------- 齢71にして新境地を開くなべじゅん初の哲学書.「無関心」としての「美」を女体盛りに てんこ盛り.バイアグラはもういらない.
38 :
考える名無しさん :05/02/06 22:43:21
↓読んだ方いませんか?感想&批評など聞かせてください。 ◆カントを読む―ポストモダニズム以降の批判哲学―◆ 牧野英二 岩波セミナーブックス87
自己の総合観を相手に伝えるにはどうすればいいのか。 これはこの総合である、この総合に、これは入るのか、入らないのか、という事か。 お前のしている事はこの総合では無い。 我々は、意識において直観から次にどのように概念とそれ以前をかかわらせているのか。
40 :
考える名無しさん :05/02/11 18:17:19
ごめんなさい、私です これから買って読みます
43 :
考える名無しさん :05/03/05 13:15:07
44 :
考える名無しさん :05/03/12 22:56:57
やっぱカントは『判断力批判』で頂点だな。
45 :
考える名無しさん :2005/03/22(火) 22:02:46
原著で読み出したのですが、ドイツ語が難くて序言から躓いてます。 この先が思いやられます…。
カントのドイツ語はいろんな意味でやばすぎw
カントのドイツ語はムズいよね。。。
カントのドイツ語にはガムがついています。
49 :
考える名無しさん :2005/05/06(金) 00:29:05
保全
カント _,.r::'::::::::::::::-.、 r::::_;:---、、;;::-'ー、ヽ /':::i' ヾi ,,.r、:::::::i .: ll rr;i:::,r:::::! _,,,__, _,,,..._ .l:i ヾ:r::;:-、:r i'tテ;:. i:'tテ:r i::ヽ `ヾ::rt' ´ ' l::. ´ !r' ヾ.ィ -、ノ:. l ./!、 ー-‐;':. / / ヾ ヽ、 ' / ∧ ヽ ` 7‐r_'/ヽ ,r ヽ、 ` <ニrヽ 〉 ,r' -、 ヾ il l、 r  ̄ t- ヾi: lヽ
うまいなあ。
52 :
考える名無しさん :2005/05/28(土) 16:47:19
『判断力批判』で日本一は誰?って言っても、美感的判断力を中心にしてる研究者
と目的論的判断力を中心にしている研究者とでは比較のしようがないよ。
後者であれば牧野さんなんじゃないかな。それにしても
>>50 上手すぎ。
53 :
考える名無しさん :2005/05/28(土) 23:37:32
モーツアルトにも似てねえか?
たしかに。
55 :
考える名無しさん :2005/05/30(月) 01:43:08
美形のカント
佐藤さんの『判断力批判』と現代を読んだ方っています? 感想など教えてもらえると、ありがたいです。
57 :
考える名無しさん :2005/07/05(火) 12:36:07
↑ 私も知りたいなあ。
誰も読んでません
>>59 カントはもっともメジャーな哲学者の一人なので
主著ごとにスレはあってよい。
カント研究者のなかでも認識論・倫理学・美学等で
専門が分かれるという事情もある。
61 :
考える名無しさん :2005/07/31(日) 14:20:21
美学スレのウダウダした連中をこっちに誘導して欲しい
62 :
考える名無しさん :2005/09/04(日) 12:31:03
『判断力批判』は美学の本なのかなあ? 目的論は自然哲学みたいなものだし。
63 :
考える名無しさん :2005/09/05(月) 20:56:44
美学的に読むにしろ自然哲学的に読むにしろそれは切り口の違いなんだからきにしないでいい。 いろんな方面から読まれるってのが名著の証だよ。 第三批判は共通感覚論から政治哲学として読む向きもあるし。
64 :
考える名無しさん :2005/09/14(水) 20:03:12
あんまり美学の本と考えすぎるのもどうか、 少なくとも芸術の本ではないでしょ。
>>64 『判断力批判』でも、技術/芸術/美術の話はありますよ(43節以下)。芸術の本ではない、と断言するのは言い杉。
美学に反感でもあるんじゃねーの
67 :
考える名無しさん :2005/09/15(木) 13:27:37
>>65 そんなことは知っている。何年もこの本につきあっているから。
俺がいいたいのは、判断力批判の中心は「芸術」ではない
ということ。
それと、あまりにも「判断力批判」=美学 という考えが強すぎるの
ではないかということ。
カント自身、もともといわゆる造形芸術に広い関心をもっていた
ひとではないし、限られた芸術体験を自己の学説に役立てた、という
ことに過ぎないわけで。(挿絵とかそんなのばかり見ていたからね)
ただし、美学=芸術理論 と考えるか 美学=感性学 と考えるか
美学=芸術の哲学 と考えるか(などなど)
という基本的な美学の認識によっても評価は変わってくるだろうと
思う。
>あんまり美学の本と考えすぎるのもどうか
という微妙ないいかたを理解してほしい。
フリードリヒの詩が崇高とかいって追従するような香具師だしな
>>69 哲学者なんだから作品に対して目利きである必要はないと思う。
芸術音痴なのに概念の力で後世に残るような芸術論や美学をあそこまで展開したことこそが哲学者たる所以だろう。
71 :
考える名無しさん :2005/09/16(金) 14:43:55
>>70 逆にいうと、彼の芸術音痴を考慮したうえで、
カントを読まなければならない、ということだと思う。
諸芸術のうちで詩の優位とか、線描性がゆえに造形芸術内での
絵画の優位とか、彼がその貧しい芸術経験から主観的に引き出した
結論はとても鵜呑みにできないから。
>>71 >彼がその貧しい芸術経験から主観的に引き出した結論
いや「主観的」なんじゃなくて、カントの哲学体系の
強力な論理で、芸術論を展開しているから、
読むに値するんだろう。
カント哲学全体に照らして齟齬を来しているなら問題だが、
そうでないなら、 カント個人の芸術経験が貧しいかどうかは
さしあたり切り離して扱わなければならない。
73 :
考える名無しさん :2005/09/16(金) 14:55:18
カントについてちょっと知ってるけど、 芸術系はだめだと思う。でもファッションはおしゃれだったらしいよ。 金髪のカツラをかぶって、ステッキ持って。カントは体の見た目があんまりよくなかったらしいけど、 それを隠すために仕立て屋にいろいろかっこよく見える服を作ってもらってたらしい。 特に「音楽」は興味なかったみたい。演劇は人間関係が面白いから見てたみたいだけど、 そのあとの音楽は聴かずに帰っちゃったんだってさ。
カントは食にもこだわりがあったよな 体系における地位は低いんだけどさ そしてコーヒー好き
芸術作品についての知識は怪しいが、社交性もあったし、 諸々の趣味には独身なりに色々なこだわりがあったみたいだね。
76 :
考える名無しさん :2005/09/16(金) 16:37:32
>>72 「主観」という言葉に反発したんだろうけれど、
やはり芸術については「好み」としかいえないと思う。
造形芸術についていえば、彼はミケランジェロとか
レンブラントのような画家は生涯見ることはなくて、
自分の周りの挿絵とか、建築とか装飾品とかばかりにせっしていた。
その芸術経験と、彼自身の哲学体系とが結びついたうえで
いくつかの結論を下したわけだから。厳密な体系のところどころ
で彼の「好み」が透けて見える。それが楽しいところ。
もちろん、それだけに有意義なところもあるんだけど。
俺はひとこともカントは無価値だとはいっていないよ。
でも、美術史系の人なら捕らえ方は異なってくると思う。
h
78 :
考える名無しさん :2005/11/29(火) 11:45:48
>>76 >やはり芸術については「好み」としかいえない
「好み」で芸術を捉えるのは
カント的には美的判断ではないな
「ではないな」で終わりにしないで、せっかくだからもっと語りましょうよ♪
もっと語りましょうよ♪
81 :
考える名無しさん :2006/01/04(水) 07:28:02
age
カントはワイン大好き
83 :
哲学者 ◆PIln4q9LJc :2006/02/20(月) 12:11:02
神聖化age
84 :
考える名無しさん :2006/03/07(火) 02:10:04
私もカントを知り始めた。でも全然読めない。理解不能。 判断力批判って、芸術美を考察しているって倫理の教科書に書いてあったけど ちがうの? でも文才はなかったらしね。芸術についてはショーペンハウアーに頼ったほうがよさそうだね。 でも図書館においてなかった。
85 :
考える名無しさん :2006/03/07(火) 02:17:59
でも美学イデオロギーなんかでも判断力批判を重視してるみたいだから その辺りを調べるなら避けて通れないでしょ
86 :
考える名無しさん :2006/03/07(火) 02:35:02
美学じゃないけど、芸術ならハイデガーが一番鋭い 迷いながら書いてるよ、きっと。現代にも参考になると思う
87 :
考える名無しさん :2006/03/07(火) 03:27:12
芸術に対する目利きであればニーチェが最強であることは間違いない。 カントもヘーゲルも貧相な芸術経験しかないし、ハイデガーに至っては ゴッホの贋作をゴッホの絵と見なして芸術論をぶっているし。 ベンヤミンにしてもガダマーにしても文学テクストに習熟しているだけで 絵や音楽が分かっていたわけではないし。
88 :
考える名無しさん :2006/03/07(火) 04:47:33
確かに、道具存在からいきなりゴッホの「靴」だもん! ベンヤミンも今の芸術には射程が足りない、 礼拝的価値と展示的価値に割り切っちゃったり・・・ カントに戻ってあげた方がいいね。
89 :
考える名無しさん :2006/03/07(火) 04:59:53
もっと云えば、ニーチェは哲学者ではないしね。 皆は知っているだろうが、改めて 「神は死んだ」 実はこの続きが色っぽいのだよな。 「そして、神は死んだままだ」
90 :
考える名無しさん :2006/03/07(火) 05:10:35
フランスに5年間住んでました。 ヨーロッパの人間は結構、宗教のもろさを意識していて ニーチェコンプレックスだよね。 カントに戻ってあげよう 確かにニーチェは魅力的だけどさー
91 :
鉄額ロン :2006/03/07(火) 05:34:04
デカシタはどうした!
92 :
考える名無しさん :2006/03/07(火) 14:37:30
ドゥルーズだろ!芸術に理解あったのは。 音楽に限ればジャンケレビッチとアドルノ
93 :
考える名無しさん :2006/03/20(月) 21:14:19
おれがカントだったらもっとわかりやすく文章を書いたな。 まあ、地方の駅弁大の中クラスでもわかるように。 まあ、本は10倍くらい膨れ上がったかもしれないがね。
さぞかし、魚眼レンズから逆さまに覗き込むような世界なんでしょうね
96 :
考える名無しさん :2006/05/25(木) 12:43:34
判断力って美学なの?
97 :
考える名無しさん :2006/06/14(水) 20:28:52
カントの判断力批判には美学に関する記述もあることは確かなんだけど。 美学と同義にはできないな
98 :
考える名無しさん :2006/06/25(日) 11:43:35
長野順子さんのこともっと教えてください
誰も知らない
100 :
考える名無しさん :2006/08/16(水) 22:26:38
順子さん
101 :
考える名無しさん :2006/09/03(日) 19:52:05
>>87 ハイデガーはハンマーフェチ、靴フェチだからね
んなこたない
あぼーん
コピペウザ
105 :
考える名無しさん :2006/11/28(火) 19:52:34
読みたいけれど、高くて手がでないなぁ
106 :
考える名無しさん :2006/11/29(水) 00:54:52
石川文康のカントはこう考えたは解りやすいな
107 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 01:15:13
石川のカント入門がいみわからん 助けて‥
108 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 01:21:43
「皿の並べ方」や「挨拶」の判断もできんようではダメだねということだ。
109 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 01:23:03
石川は合理論と経験論、懐疑論を完璧に理解してれば平気だよ
>>107 「カントはこう考えた」(筑摩書房)を併読すべし。
こっちの方が読みやすいかも。
111 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 03:27:39
読んでみます ヒュームの因果律がどうとかあの辺からつまづいて先に進みません。トホー
112 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 19:08:25
カント入門を1200字で要約せよという課題なのですがこれって字数少なすぎません? 全体からまんべんなく要約できるようにって言ったって、中身がないような文にしかならないんだけどいいのだろうか
113 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 22:09:50
>>112 読みながら大事なところを箇条書き式に抜き取って、あとで読みやすく文章にすればいいんじゃない?
中身がない文章になったところで少ないんだから仕方ないじゃん。
115 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 03:31:40
レヴィナス関係で有名で、最近西洋哲学史出した熊野氏いわく、 カントの最高傑作は判断力批判なんだとさ。 本当は宇都宮訳の判断力批判欲しいけれど、高くて手が出無いから 当分はブックオフで買った岩波文庫から出てる判断力批判読んでみます。 その前に純理を読まなきゃいけないけど。
116 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 21:59:39
カントの考えについて自分はどぉ思うのかという課題がでたのですがみなさんの意見をきかせてください!
117 :
超越論 :2006/12/12(火) 22:24:03
>>116 それは大学の授業でですか?高校ですか?
大学生だったら、「嘘論文」を読んだら色々自分の意見が言えると
思うよ
高校生だったら、「定言命法が分かりません」と書こう。
>>116 ・理性界-自然界という区分法のもと、動物一般をすべて自然界に帰し、
動物と人間を決定的に区別するのは違和感がある
→動物だって理性があるはず。ダーウィンの進化論による限り、
動物と人間は決定的に区別されるのではなく、両者の間は緩やかな段階がある
→だとすれば、理性にだって度合があるはず。
人間においても理性能力に優劣があると思う
→そう考えると、カントの思想は根底から瓦解するのではないか
・しかしカントの道徳論は画期的であると思う
→道徳の基礎を「憐れみ」といった感情におくのではなく、
理性によって基礎づけようとする試みは大切だと思う
→感情で善悪を判断してしまったら、善悪について一定の普遍的基準は得られない
→そう考えると、理性界−感性界という区分法にも共感できる
高校でも大学でも通用するレベル
119 :
考える名無しさん :2006/12/15(金) 19:03:08
117さん 嘘論文とはなんですか??大学なんですけど哲学がまったくわからなくて… 118さん 2000字で書けといわれてるのですが長くどぉいうのを書けばいいのですか?
120 :
考える名無しさん :2006/12/19(火) 08:38:01
宇都宮判断力批判 入手したあげ
122 :
考える名無しさん :2007/02/11(日) 13:02:15
嘘論文の嘘
123 :
考える名無しさん :2007/03/27(火) 02:50:53
順子さん
124 :
考える名無しさん :2007/04/08(日) 17:49:46
保守
>>118 >高校でも大学でも通用するレベル
ほとんど通用しそうにはないんだが。。。
126 :
考える名無しさん :2007/04/13(金) 22:22:42
>>125 じゃあどんな風に論ずるの?
まさか超越論的観念論云々、定言命法云々の
ネットで検索すりゃ一発で出てくるような説明に終始すんの?
118形式で論旨の流れを箇条書きしてみ。
お手並み拝見。
>>126 箇条書きというのは大学では通用しないんじゃないんですか
高校は知りませんが
128 :
考える名無しさん :2007/04/14(土) 14:19:36
>>127 はあ?なにいってんの?
レポートを書く上で下敷きにする「論旨の流れ」を
箇条書きで書いてみって言ったんだけどね。
実際の提出レポートで箇条書きにするわけないじゃん。
129 :
考える名無しさん :2007/04/26(木) 20:50:41
130 :
考える名無しさん :2007/04/27(金) 00:19:53
高等教育受けられなかった可哀想な人を相手にする趣味は無いんだよね 後味悪いし
無難な奴
132 :
考える名無しさん :2007/04/27(金) 20:27:20
>>130 「論旨の流れ」を示しただけなのに
「箇条書きは通用しない」なんて馬鹿丸出しの突っ込みをするド低脳くん、
敗走おつかれ。
133 :
考える名無しさん :2007/04/27(金) 20:42:39
なにが「箇条書きは通用しない」だよ。 たかだか2ちゃんのレスなのに 実際のレポート提出形式の文体で書くわけないじゃん。 ド低脳の猿介が。
134 :
考える名無しさん :2007/04/27(金) 20:45:11
135 :
考える名無しさん :2007/05/09(水) 17:19:06
保守
あぼーん
139 :
考える名無しさん :2007/08/11(土) 00:31:15 0
age
140 :
考える名無しさん :2007/08/11(土) 00:49:32 0
sage
sage
sage
(´・ω・`)ボンショリ
145 :
考える名無しさん :2007/11/07(水) 19:09:31 0
この本は難解だけど、趣味論から天才論を導出したり、美学では女性論もあるし あるいは宇宙論から創造の最終目的(それは道徳主体としての人間と結論される)を 論じるなど、幅広く森羅万象にわたってのカントの雑学的世界観がよく分かる。 そもそも「世界観」という言葉もカントがこの本の中で使用したのが最初らしいね。
良スレ
あぼーん
金田千秋氏のアレはなんというか色々とでかくて桁が違うよう。
149 :
DONADONA :2008/02/03(日) 15:25:00 0
150 :
考える名無しさん :2008/02/03(日) 15:27:11 0
151 :
考える名無しさん :2008/02/10(日) 15:57:31 0
感想という点では
>>118 くらいが妥当だと思う。
二千字だったらこれを引用とか例とかで膨らませばそれで終わるだろうし。
152 :
考える名無しさん :2008/02/18(月) 04:43:53 0
sage
sage
sage
155 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 13:47:59 0
あげとくぜ?
童貞だろカント?
157 :
考える名無しさん :2008/06/07(土) 04:56:23 0
カントンと間違ってないか
158 :
考える名無しさん :2008/06/08(日) 11:43:40 0
>>157 今更何を。
ラッセルとかウィトゲンシュタインが「カントの間違い」を指摘して、
20世紀初頭にはカント哲学は訓古学・文献学になったはずだが。
159 :
考える名無しさん :2008/06/20(金) 23:25:31 0
実践理性批判のスレが消えてしまったね。 方法論と結びのところに価値があるのに。
160 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 21:38:28 0
今、再びカントが新しい! 昨今の日本の教育にもカントを取り入れるべき!
161 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 21:42:44 0
名前がカントって可哀想だよね 陳保太とか草井亜菜瑠とかみたいで
162 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 22:38:47 0
カントン包茎w
163 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 12:15:36 0
164 :
・・・ :2008/07/12(土) 19:26:09 0
カントの理性の事実ってなんですか? 突然すみません><
166 :
考える名無しさん :2008/07/13(日) 10:18:44 0
大学の試験なんですよね〜 失礼しました><
167 :
考える名無しさん :2008/07/13(日) 10:50:17 0
「心の仕組みドットコム」という奴がいるスレに行って、 そいつに聞くといい。w
判断力批判の解説書、ないものかねえ。 三批判の中で、一番難解じゃない?
169 :
考える名無しさん :2008/08/03(日) 23:25:17 0
あぐぇ 合目的性、というものが捉えられない。
170 :
考える名無しさん :2008/08/07(木) 16:49:18 0
物体は延長を持つ。
171 :
考える名無しさん :2008/08/07(木) 16:54:57 0
物体はすべて重力を持つ。これは総合的判断である。 物体は延長を持つ。これは分析的判断である。 合目的性? 目的論だな。 たとえばどんな生物の形態でもその目的にかなった姿をしている。 像の鼻が長いのは像は首が短く体重も重いために あそこの高いところの枝葉を食べたいと意欲しても食べられんない。 しかし意欲だけはあり続ける。そこで始めは短かった洟が長くなる。
172 :
考える名無しさん :2008/08/07(木) 16:57:08 0
鼻が長くなる、の間違い。足を折り曲げなくとも水も飲めるようになる。 ハチドリのくちばしは吸いたい花の形状に応じて長くなった。
173 :
考える名無しさん :2008/08/07(木) 16:59:06 0
象の鼻が、が正しい。
この本での美学と目的論のつながりがよくわらかん。
175 :
考える名無しさん :2008/08/07(木) 21:36:27 0
カントはそもそも美的感覚も芸術鑑賞の趣味もない人でそれなのにそういう美学について語るのだが まるで物理学のようにして美学を追求する本来、芸術や道徳や文学には語る資格のない人である。 しかし「純粋理性批判」だけは素晴らしい仕事と言える。 「判断力批判」も「実践理性批判」も読む必要なし、と言える。 これはカントを徹底的に研究したショウペンハウエルも言ってることである。
『判断力批判』を読みもしない奴にそんな受け売り言われても説得力皆無。 ちなみにゲーテは『判断力批判』を絶賛した。
はぁ?
178 :
考える名無しさん :2008/08/08(金) 10:19:44 0
「判断力批判」を読むと人の判断力をますます混乱させ君のような人間が じゃんじゃん湧き出してくるからやめたほうがいい。まず、「純粋理性批判」 を十年研究しなさい。
179 :
考える名無しさん :2008/08/08(金) 17:54:42 0
美しいもの、という考察から初めて美を理解して美しいものを鑑賞するのは 本末転倒で、まずはじめに、美しい、と感動なり感じることから、その考察は はじめなければならないものであろう。だからカントは美を弄繰り回すが たった一度も美しいと感じたものが無かったのでないか?しかしそういうコンプレックスがあった ので美しいものを、考察した。その当時、カントは同世代の人でありながら ゲーテについていとことも触れていない。つまり彼には美的趣味、美的感覚 、美についての感受性が哀しいくらいに無かったのである。
カントに美的趣味、美的感覚 、美についての感受性が哀しいくらいに無かったというのは よく言われる紋切り型にすぎないが、にもかかわらずそんなカントが『純粋理性批判』に 飽き足らずに『判断力批判』のようなテクストを書いたということこそ重要なのだ。 『判断力批判』の偉大さはそれを真剣に読もうとする読者にしか到底理解できぬままだろう。
181 :
考える名無しさん :2008/08/09(土) 00:17:48 0
カントは自分の勝手な均斉を好むという趣味から適当に余計な判断力批判を 謙譲したのだ。判断力批判はちゃんと読んでいる。
182 :
考える名無しさん :2008/08/09(土) 00:24:34 0
献上した、と訂正
183 :
考える名無しさん :2008/08/09(土) 00:39:20 0
純粋理性批判の裁断の寸法にあわせようとしたもので、理性、判断力、および悟性 という均斉の取れたものを美術のなんの資格もないカントがやるものだから 、まず美について研究し考えてから、あ、そうか、こういう考えが美だと思って その後に美を鑑賞する、という具合に本末転倒なのだ。美的な判断力の二律背反を牽強付会するという まったく盲目の人が色彩について語るのと同じくらい信用ならない。
>>181 >カントは自分の勝手な均斉を好むという趣味から適当に余計な判断力批判を謙譲した
とても『判断力批判』を読んだ人間の発言とは思えん。
『判断力批判』の要点の一つは没関心性だ。
基礎から勉強し直せ。
185 :
考える名無しさん :2008/08/09(土) 03:55:45 0
カントは偉大な凡人だな。 凡人が考えそうな事ばかり書いてあって全然面白くない。
187 :
考える名無しさん :2008/08/09(土) 10:59:07 0
184はまったく美に対する感受性を持ち合わせていないと思う。 多分ピカソの絵を美しいなあ、と理屈で考えてしまうのだろう。 よく運動選手がインタビューで今の気持ちは訊かれて 「嬉しいと思います」と答えているのがあるけれど、「嬉しい」でいいのだ。 「思う」はいらない。嬉しいという感情を考えなければわからない奴だろうと思う。 おもしろいな、しかし、判断力の無い奴が「判断力批判」を読むなんて。しかも、 美について、だって(笑)
幼稚な煽りで萎える
189 :
考える名無しさん :2008/08/09(土) 15:05:45 0
君が合目的なものが美しさとどう関係のあるかわからないのは そういうわけで当然なのだ。カントは自然界の合目的性をそのまま美しいものの 合目的性にあてはめ、無理やりそういう理論にしたからなのだ。
190 :
考える名無しさん :2008/08/09(土) 17:25:04 0
つ自由美
趣味として相対化して終了。
趣味は普遍でありうるので相対化すべきではない、と言ったのがカントなのだが。
>>192 そこが微妙だと思うんだよね。
カントの趣味をカントの文脈だけで考えるべきならば、無敵だよね。
>>193 カントは、私的な趣味は普遍的でないからダメだと言ってるわけですよね?
カント自身の個人的な趣味なんぞは初めから問題外なのですよ。
何を言っているんですかあなたは?
195 :
考える名無しさん :2008/08/10(日) 11:03:51 0
芸術鑑賞に判断力なんて要らない。 創作者でも判断力はいらない。山下清を見よ。 熱い情熱とた豊かで鋭い感受性があればよい。
196 :
考える名無しさん :2008/08/10(日) 12:06:44 0
197 :
考える名無しさん :2008/08/10(日) 14:45:41 0
考える名無しさん:2008/08/03(日) 15:57:36 0 ポルピュリオス『プトレマイオス「音階学」注解』 ピタゴラス学徒のアルキュタスのことばを取り上げておきたいと思う。 彼の書いたものは最も信頼できるものであるといわれている。 彼は『数学について』において、その議論をはじめるにあったて次のように語っている。 「数学上の諸問題について、それがどういうものであるか、彼らが正しく思惟していることは、何ら意外ではない。 なぜなら、万有の本姓について立派に認識するほどの者は、その部分にわたる問題についても、 それがどういうものか、立派に洞察するだろうからである。かくして彼らは、星の速度やその出と入りについて、 また、幾何学、算術(数論)、天文学について、そしてとりわけ音楽について、明確な認識をわれわれに与えてくれたのである。 これらの数学的諸学科は姉妹関係にあるように思われる。というのも、それらは、(互いに) 姉妹関係にある存在の第一のものたる二つのもの(数と大きさないし量)をめぐって、 その存在を有するものだからである。
198 :
考える名無しさん :2008/08/10(日) 14:46:50 0
四科(算術、音楽、幾何学、天文学)の共通の主題は大きさと多数性、すなわち量である。
量の基本的要素は数であるが、ボエティウスはその理論を新ピュタゴラス主義者のニコマコスの「算術入門」に立脚しながら展開している。
数とは純粋に理性的な可知の原理、すなわち割合、比率、順序であるという。数という根本原理は、四科に属する四つの学科において順次展開されている。
数はそれ自身としては算術において、また他の数との関係あるいは比率において音楽によって、
ついで連続量の原理としては、静的には幾何学、動的には天文学において考察される。
ボエティウスは次のように述べている「多数性のあるものは、3,4,・・・のようにそれ自体存在する。
・・・またあるものは、倍や半分・・・のように、それ自身では存在せずに、他のものとの関係で存在する。
・・・大きさのうち、あるものは静的で運動を欠き、またあるものはたえざる変化の内に変転し、止まることを知らない。
ところでこれらの種類の内、算術全体は、それ自身で存在する多数性を考察する。
音楽における音程の測定は、他のものとの関係のうちにある多数性を把握する。
幾何学は不動の大きさについての知識を提供する。
運動するものについての知識は、天文学の考察が獲得した
http://www.geocities.jp/ja1tmc/yonka.html
199 :
考える名無しさん :2008/08/10(日) 15:11:23 0
200 :
考える名無しさん :2008/08/10(日) 15:18:36 0
ロジャー・ベイコン「大著作集4巻」2章 ボエティウスは「算術」の第二序文でこう述べている 「もし探求する者が数学の四部門(算術、音楽、幾何学、天文学)をかいているならば、 実際その人は全く何も発見しえない」
201 :
考える名無しさん :2008/08/10(日) 17:59:47 0
カントは音楽を単なる心地よい娯楽くらいにしか見てなかったけどな 中世の音楽論をカントが受け継いでいるわけではないし
202 :
考える名無しさん :2008/08/10(日) 19:44:23 0
数学的理性を通してでないと、芸術の真の意味は知ることが出来ないということだよ。
>>202 『判断力批判』は、数学的概念で美を語る連中を否定しているわけだが。
204 :
考える名無しさん :2008/08/10(日) 19:54:24 0
判断力批判における数学的理性批判自体も、数学的理性に基づいて理性から導かれているのだよ。 本当はカントも理性主義者である。
>>204 カントは数学的理性なんてことはそもそも言わない。
君のいう美の概念はせいぜい中世どまりの代物だ。
206 :
考える名無しさん :2008/08/10(日) 20:02:09 0
数学と美学の関連性について気付かんとは。 西洋哲学全体を貫くことだというのに。
207 :
考える名無しさん :2008/08/10(日) 20:22:50 0
「数学と美学」って一般化しすぎだろ。美学史上はせいぜい「数学と音楽」あるいは「数学と音楽美学」だ。 しかもカントは音楽と数学を関連づけて論じていないし。
208 :
考える名無しさん :2008/08/10(日) 22:53:42 0
世の中に出る見込みのないものは度の強い服装や振る舞いをします。 精神的に死んでいる人は鬱屈しています。 こういう人を傾物といいますが、 こういう人たちは死刑が必要になりますね。
209 :
考える名無しさん :2008/08/10(日) 23:00:16 0
精神的に死んでいる人は、濃い化粧、性的な露出、派手、金色、色の濃い蛍光色、 サングラス、パーマ、落ちこぼれた思想を感性化した身なり振る舞い、こういった状態 になる特徴があります。 法は内面を文章化したものです。 ですから、死刑が必要になるのは趣味なんじゃないですかね。 殺すのが好きで、死んで当然だと気持ちよくなると、殺す趣味を持つんだと思いますよ。
カントの数学は小学生並みだよ。
211 :
考える名無しさん :2008/08/17(日) 17:47:43 0
フィナボッチ数列、黄金比など、建築とデザインにおける幾何学など 数学が理念の基礎を与えていることは確かである。 ホワイトヘッドが「哲学はプラトンの注釈にすぎない」と述べたのだが、 数学的理性を理念とする哲学が、西洋文明の伝統であり、 現代に至るまで、この理念伝統は継承されている。 数学は理念の基礎を与え、文明の伝統といえるのだ。
213 :
考える名無しさん :2008/08/17(日) 20:04:56 0
数学的理性とは、有理数のことであり比率のことである。ロゴスである。 根源であり、世界の根源的構成要素であえりラチオである。
214 :
考える名無しさん :2008/08/19(火) 11:28:14 O
黄金比って有理数じゃなく無理数だが?
215 :
考える名無しさん :2008/08/19(火) 15:56:43 0
始めピュタゴラス派にとっては比率で示めせると考えていたのだが、 その後に研究が進展して無理数が発見されて 「無理数が存在しない」という考えが修正された。 探究の積み重ねが、数学を発展させて来た歴史がある。 ヘーゲルが言うように、人間理性は拡張していけると思うし、 数学的理性の発展は、止まることを知らない。 数とは理性的な原理であって、数学的理性の意味も拡張されるのだ。
「判断力批判」は、表出主義や疑似実在論との類似性が指摘されて、分析哲学では静かなブームなんだが。。。。
>>216 もうちょい詳しく教えてくれないか?扱ってる本、論文、著者なんでもいいんだが
>>217 Kant, quasi-realism and the autonomy of aesthetic judgement (2001) Robert Hopkins
European Journal of Philosophy 9 (2001):166-189
分析美学での美的判断の分野では必読の文献
>>218 サンクス!勉強になるよ。早く大学図書館開かないかな。読みて〜
220 :
考える名無しさん :2008/09/15(月) 15:39:51 0
>>210 カント・ラプラス星雲説を知らないのか。
カントの著作には科学論文が多いんだよ。
221 :
考える名無しさん :2008/09/15(月) 15:46:38 0
カントの著作・論文・講義 1747年04月22日 - 『活力測定考』 1754年06月 - 「地球が自転作用によって受けた変化の研究」 1754年09月 - 「地球は老化するか、物理学的考察」 1755年03月 - 『天界の一般的自然史と理論』 1755年04月 - 学位論文「火に関する若干の考察の略述」 1755年09月 - 就職論文「形而上学的認識の第一原理の新しい解釈」 1756年01月 - 「地震原因論」 1756年 - 「地震におけるきわめて注目すべき出来事について」 1756年 - 「続地震論」 1756年04月 - 「物理的単子論」 1756年04月 - 「風の理論の説明のための新たな註解」 1757年04月 - 「自然地理学講義草案および予告」 1758年04月 - 「運動および静止の新説」 1786年 - 『自然科学の形而上学的原理』 1794年05月 - 「天候に及ぼす月の影響」 1802年 - 『自然地理学』
222 :
考える名無しさん :2008/09/15(月) 15:53:57 0
西洋では、哲学者が科学研究するのは、当たり前。
hο∫hμ..._〆(゚▽゚*)
224 :
考える名無しさん :2008/10/19(日) 15:17:26 0
ageホシュ
225 :
考える名無しさん :2008/10/19(日) 20:12:44 0
池田雄一 著 カント を読んでいます。面白いけどちょっと劇画的かなと 思いますが、どう思われますか? 唐突なふりで申し訳ありません。
実践理性批判だったか高峰さんの訳がいいんだっけ?
高峯の訳は図書館にもなかなか無い。
『判断力批判』高峯訳はアマゾンで25000円だよ。
229 :
考える名無しさん :2008/11/05(水) 21:49:04 0
25000円は手が出ません。
230 :
考える名無しさん :2008/11/07(金) 18:49:46 0
>>221 1802年 - 『自然地理学』
これはどうかと思うよ
街から出たことない人間が世界について語ってて、へんなとこ多い
質問です。時間と空間が人間の感性の形式に過ぎないとするならば、 人類が存在する前にあるはずの「時間・空間」とは何なのでしょうか?
>>232 お前あちこちに同じ質問するんじゃねぇよヴァカ。
レポートの課題なら自分で調べろや、クス。
234 :
考える名無しさん :2008/11/13(木) 06:58:52 0
そのとおり、ここはレポート作成援助機構ではありません。 それに なにからなにまで このスレに書いてくれると思うのは 期待しすぎ。
>>233 ,234
まさか、わからないからそう言って逃げているのではないでしょうね。
236 :
考える名無しさん :2008/11/13(木) 17:23:13 0
>>232 >人類が存在する前にあるはずの
これが仮象なんじゃねぇの?と哲学素人の俺がレスしてみるw
前提が正しいなら、「人類が存在する前にあるはず」というのが馬鹿げている。 前提が正しいなら「ないはず」なのである。
物語、映画の中に時間と空間はあるだろうか? 時空間が感性形式にすぎないというのは、この世、この現実の時間と空間が物語上のそれらと同等のものであり、 人間にとっての現実は所詮物語なのであり仮想現実であり、 各人間はその、一登場人物にすぎないということである。
登場人物でありながら同時に観客でもある。
人間の住まう現実という物語上に時計、時間があり、空間がある。 そしてその物語上、過去があり、未来があり、人類以前があり、場合によっては人類以後もあるとみなされるわけだ。 時間、空間が人間の感性形式にすぎないとすれば、 現実とはそんな物語だということになるし、 人類以前というのは人間の解釈する現実という物語上にしかないはずだということになる。 この世における誕生と死を、どこからともなくやってきて、どことも知れずに去っていくなどと主観的にみてみれば、 この世は物語であり、物語の彼岸があるはずであるというのも、非現実的な話ではないだろう。 現実に誕生と死があるということ、この現実の裂け目、スクリーン上に破れ目があるという事実が現実の物語性と現実の彼岸、超現実の存在を暗示しているのだ。
悪いけどカントは全然そんなことは言っていない。 それどころか人間と似た知的活動をしている宇宙人がいれば 同じように世界を認識するだろうとさえ言っている。 つまり、神やら天使やら人間には理解できない認識形式を持つ存在がいれば分からないが とりあえず、私たちが知りうる限りでのこの世界は、 まさに私たちが認識しているようにある、ってそれだけの話なのよね。 >時間、空間が人間の感性形式にすぎない 「すぎない」ってレトリックはカントに関して使うべきではないのよね。
宇宙人だって天使と変わらんだろw
カントがどういったかという話じゃないんだよね。 妙な質問に関連する話であって。
> とりあえず、私たちが知りうる限りでのこの世界は、 > まさに私たちが認識しているようにある、ってそれだけの話なのよね。 「それだけ」ってのもやめときなw
質問者よ、君はクニと同類である。
カントに関係のない話なら別のスレでやってくれ
この質問者は昨今常駐してる哲板荒らしだ。 高慢で卑劣であることから老衰したぴかぁであるとも考えられるが、 おそらく受験に失敗して社会に己を投影せずにはいられなくなった一腐女子であろう。 今後10年程続く可能性が十分にある。 その間、高慢さと卑劣さに磨きがかかっていくことは間違いない。
「カントの判断力」批判
249 :
考える名無しさん :2008/12/02(火) 16:31:37 0
崇高の概念 崇高の概念は絶対的であり、それ以外のものが下にあることである。 だが、対象に崇高の概念を与えない。反対に、軽蔑と無知を与える。しかも、足らないこと であり、狭い感じを与える。 それなので、自己満足でしかない。 崇高の概念はそれ以上に立派な事が必要である。みなに恩恵を与えたり、基本的な 整備をすることでなければならない。 立派な事がそれらを含めて崇高なんです。
250 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 03:48:15 0
崇高の概念 崇高の概念は失敗的である、もし根源的であるならば、成功するが、根源としないなら、 失敗するものとなる。失敗したら、もっと大事なものが無くなる。
カントの威光は衰えたな。
252 :
考える名無しさん :2008/12/18(木) 12:59:54 0
253 :
亀レス :2008/12/18(木) 13:06:12 0
254 :
考える名無しさん :2008/12/20(土) 22:34:57 0
カントは純粋理性批判し実践理性批判し判断力批判もした。 じゃあ何を信じればいいんですか? 新たな形而上学ですか?
カントの言うことを鵜呑みにする必要はないでしょう。
批判というのは自己吟味ですから、信じられる範囲は限定されるかも知れませんが、 確実な部分も明らかになる訳で,,,
____________判_____断_____力_____批_____判____________ | | | 数学的#25-7|#6-9|#1-5| | | | |_崇高__|__美__| | | | 力学的#28-9 #10-17|#18-22 | | | |__|_分析論_|__| | | | | | | | | | | | |_演繹#30-54__|__| | | | |(共通感覚#40) | | |___________|___________|_________美 学#1-60 __|__|__| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |___弁証論#55-60__| | | | | | | | | | |二律背反 | | | | | | #56-7 | | 付録:方法論なし#60 | |___________|___________|_(概念/)_|_____|___________|
| | | 実質 | | | |規定/反省| / #62| | | |#61 | 形式 | | | |___分析論#62-68__| | | | 内的#66| 機械的 | | | | / | / #64 | | | |相対的#63 | 有機的 | | |_______目 的 論#61-91 __|_#65,66,67,68 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |__弁証論#69-78___|_付録:方法論#79(体系)-91 | | | | スピノザ#73,|ヒューム | | | 二律背反|_体系etc_|,80,85,87 | #80 | | | #69-73 | #72-78 | 最高の善| 道徳神学| | |_(機械論/)_|総注、関係|_自由#91 |___#86 |_______________________|
カント三批判書
|『純粋理性批判』
| 感性論 分析論
| (カテゴ
| リー)
| 弁証論 方法論
|(二律背反)
_________|____________
『実践理性批判』 |『判断力批判』
>>257-258 分析論 | 美学
>>257 (カテゴリー)| 分
| 弁
弁証論 方法論 | 目的論
>>258 (アンチ | 分
ノミー | 弁 方
261 :
考える名無しさん :2009/03/25(水) 17:54:40 0
・ォ・ネセ莨ッ Alles, was die Natur selbst anordnet, ist zu irgendeiner Absicht gut. Die ganze Natur ィケberhaupt ist eigentlich nichts anderes, als einZusammenhang von Erscheinungen nach Regeln; und esgibt ィケberall keine Regellosigkeit. 、ケ、ル、ニラヤネサ、ャラヤ、鬢ヒヨクチタケ、・筅ホ、マ。「、ハ、ヒ、ォ、ホメ竍タヒ、ネ、テ、ニ、隍、、筅ホ、ヌ、「、・」 ネォラヤネサメサー网マ。「アセタエ。「メ私t、ヒ樟、ヲヨTャFマポB騅メヤヘ筅ホ、ハ、ヒ、筅ホ、ヌ、筅ハ、、。」 、ス、キ、ニオス、・ヒメ私t、ャミミ、ュカノ、テ、ニ、、、・ホ、ヌ、「、・」 In jeder reinen Naturlehre ist nur soviel an eigentlicher Wissenschaft enthalten, als Mathematik in ihr angewandt werden kann. 、ケ、ル、ニ、ホシ・うハラヤネサムァ、ヒ、マ。「、ス、・ヒ、ェ、、、ニハ�ムァ、ャ゚m場、オ、・テ、・ホ、ネヘャ、クハ�、タ、ア、ホケフモミ、ホムァ、ャコャ、゙、・ニ、、、・ Mathematik ist eine Bedingung aller exakten Erkenntnis. ハ�ムァ、マ、ケ、ル、ニ、ホユ�エ_、ハユJラR、ホヨニシs、ヌ、「、・」
262 :
考える名無しさん :2009/03/25(水) 17:58:43 0
カント句集 Alles, was die Natur selbst anordnet, ist zu irgendeiner Absicht gut. Die ganze Natur überhaupt ist eigentlich nichts anderes, als einZusammenhang von Erscheinungen nach Regeln; und esgibt überall keine Regellosigkeit. すべて自然が自らに指令するものは、なにかの意図にとってよいものである。 全自然一般は、本来、規則に従う諸現象の連関以外のなにものでもない。 そして到る所に規則が行き渡っているのである。 In jeder reinen Naturlehre ist nur soviel an eigentlicher Wissenschaft enthalten, als Mathematik in ihr angewandt werden kann. すべての純粋な自然学には、それにおいて数学が適応され得るのと同じ数だけの固有の学が含まれている Mathematik ist eine Bedingung aller exakten Erkenntnis. 数学はすべての正確な認識の制約である。
sage
中島義道のカントを読んでる。わかりやすい気がする。
265 :
考える名無しさん :2009/07/26(日) 21:34:03 0
>>264 そりゃ結論だけ書いて肝心の所をなにも説明してないんだから読みやすいだろ。
大昔にメモった『純粋理性批判』のノートを読み返している。 岩波の奴を使ったから混乱しているのかも知れないけど、 誰か教えてほしいんだけど、判断と判断力って別物なのか? 判断は悟性が感性をカテゴライズすることを言うように見えるし、 判断力は『判断力批判』では何か美とかに関わっているように見える。 両者は名前が似ているだけで違う領域のものなの? それとも判断力は何か判断に関わっている? (『純粋理性批判』スレがあればそこでやれという話になるのかも知れんが、 ないのでここで訊きます)
>>266 >
>判断は悟性が感性をカテゴライズすることを言うように見えるし、
>判断力は『判断力批判』では何か美とかに関わっているように見える。
第一から第三批判へ至る過程で、カテゴリー(判断と範疇がセット)を支える受動的な構想力(図式)が
判断力という形で格上げされたといえるのではないでしょうか?
以下の図が参考になるかと、、、、
http://www.nagaitosiya.com/b/ethische_analytik.html http://www.nagaitosiya.com/b/kant008.png カント概念図:
●:範型/象徴
純粋理性概念→|\ ←理性 ■:図式
(超越論的理念) | \
|___● ←(規定的/反省的)判断力
| |\
| | \
純粋悟性概念→|___|___\ ←悟性(超越論的統覚)
(カテゴリー)|\ | /|\
| \ | / | \
|___■____|___\ ←構想力
| /|\ | \
| / | \ | \
感性的多様性→|/__|__\|_______\ ←感官
(経験的統覚)
図:カントにおける媒介的第三者の位置
>>267 ありがとう。
俺の理解だと統覚って悟性から感性への働きかけの力で、その意味では構想力と同じだと思っていたけど、
この図だとちょっと違うみたいだね。
で、判断力って悟性と理性をつなぐ、判断と範疇を支える構想力なんですね。
269 :
267 :2009/09/22(火) 20:27:02 0
あ、もちろん統覚と構想力は別物だって分かってますよ。 どちらも共に悟性が感性に働きかける能力だって意味。
270 :
268 :2009/09/22(火) 20:28:48 0
上の番号間違えた。
271 :
267 :2009/09/23(水) 13:01:31 0
追記です。 基本的にカントは理性と感性を構想力でつないだわけですし、 構想力自体は産出的能力を持ち得るということでいいと思います。 ただ、カントは第一批判初版の積極的な構想力の適用を第二版で撤回しており、 それを第三批判でまた新たな形で採用しているのでややこしくなります。 また(以下周知のことですが)、構想力=統覚と考えてもいいと思いますが、 統覚は物自体を前提とした総合なので、感性よりも統整的理念として理性に適応さ れるべきだと考えます。 (先験的主観=統覚Xは、倫理的には自律の概念が要求され、文字通り刑事上の 責任問題まで発展するので、第二批判読解を必要とするでしょう。) さらに、先に紹介した図はカントのテクストに則した正確なものだとは思いますが、 個人的には以下のように、 美 / \ 真 ー 善 真善美(=三批判書にそれぞれ対応)が互いに牽制し合って同格に共存すると考えた方が カントの変遷が説明しやすいと考えます。
分析論第一章まで読んでいます。 人間には ・感覚する能力である感性 ・像にまとめる能力である構想力 ・概念を作る悟性 ・像に法則を与えて概念にまとめようとする(そして快をもたらす)判断力 などがある。 多様な感覚を、像がまとめ上げ、法則を与えて、概念としてまとめることで経験と快適が成り立つ。 多様な感覚の形式にのみ着目して、像がまとめ上げ、法則を与えて、概念にまとめようとすることで美が成り立つ。 美は感覚の実質を捨象しているので、概念に結実しないし、経験としては成り立っていない。 快適は個別の経験の産物であり他人に要求できないが、美は人間一般の内的能力の産物であり他人に要求できる。 私は判断力を構想力と悟性をつなげるものと解釈しました(がそれでいいのかどうかは分からない)。 今読みかけの崇高に関する第二章を見ると、構想力と理性をつなぐ面もある? 『純粋理性批判』を思い起こすと、判断力は複合体である経験や悟性の概念を理性とつなげる面もある? こうすると判断力は構想力・悟性・理性をつなぐものである? という理解で大体よろしいのでしょうか?
あぼーん
274 :
271 :2009/10/02(金) 10:50:37 0
>こうすると判断力は構想力・悟性・理性をつなぐものである? という理解で大体よろしいのでしょうか? 『判断力批判』50節の注にもほとんど同じ記述がありますから、ご指摘の通り、(規定的ではなく反省的な)判断力はそれらをつなぐ媒介と考えていいのではないでしょうか? ただ、構想力は悟性に含まれるという方向にカントは転換したのではないかと思われますから、あくまで悟性と理性をつなぐ媒介ということになります。 天才論(46〜50節)では構想力を天才の証と考えているようですが、最終的にカントは理性の越権行為ならぬ天才(構想力)の越権行為を認めていないように思います。つまり、 理性 / \ / × / \ 趣味 →×← 天才 (判断力) (構想力) \ / \ / \/ 悟性 あるいは、 (天才)構想力____悟性 |\ | | × | × \ | |___\ | 理性 判断力 (立法的) (趣味、特殊から普遍へ) という離反した状況化ではカントは理性、判断力の側につきます(#は『判断力批判』の節番号)。 もちろん『オプスポストゥムム』まで含めれば違う解釈も可能ですし、カントのテクストはダイナミックに読み替えうる、と言ってしまえばそれまでですが。
275 :
274 :2009/10/02(金) 10:53:36 0
>>274 :訂正
(天才)構想力____悟性
|\ |
| × #50 |
#29○,#49× \ |
|____\|
理性 判断力
(立法的) (趣味、
特殊から普遍へ)
(注:#は『判断力批判』の節番号)
すみません、この図の×とか○とかってどういう意味ですか?
カントの考える自由は悟性なのか実践理性なのか。 『道徳形而上学原論』を読むと「超感性的=悟性=自由=道徳性」とも言っている。 まあ普通に考えたら考えが変わって実践理性にしたということか?
自然は感性直観から悟性概念に要約したもの、 自由は悟性概念から発して実践理性として体系化したもの、かな?
快適:単純に経験から快を感じる。 美:判断力がパターン(構想力)と法則・概念(悟性)を関連付ける。 経験ではなくそのパターンから何らかの法則・概念を見出そうとする過程で快を感じる(法則・概念が先にあるのではない)。 崇高:判断力がパターンと理念(理性)を関連付ける。 パターンが理念にたどり着こうとしてたどり着けないが、逆説的に理念のすごさを感じることによって快を感じる。 自然目的:判断力が自然に関する経験と自然目的=神理念を関連付ける。 という解釈で大体よろしいでしょうか?
前半は読み下せないな
281 :
考える名無しさん :2009/12/11(金) 18:49:41 0
NHKブックスの「カント 信じるための哲学」ってのを 立ち読みしたが、著者が自分に酔ってる臭いプンプンで激しくツマランかった。
竹田学派の連中はみんなそう。 理性やなんだ言いながら、言い回しには判断留保も緻密さもない。 かといって社会思想史や哲学史の理解もない。
283 :
アプリオリな趣味の読解 :2009/12/23(水) 11:58:10 0
趣味は物が気持ちいいってことだろ。 趣味が快と結びついている、これが趣味らしさだと言うと、これだけだと経験の話を言ってるだけだ。 じゃあ、快をもっと高いものにして、初めから快を持っておく。一定の感情だけを用意してそれと結び付 くものばっかり集めるとすると道徳的判断だ。快で考えると、経験的な感情とか、道徳的な観念の結果 を見てるだけという話になるのが、趣味は経験論でも、道徳論でもないんだよ。 じゃあ、経験でも、元々、持ってる道徳でもないなら何だというと、物が気持ちよいってことを一つの セットにすると、セットに判断するってことなんですよ。 じゃあ、判断があるので、幾つも判断を多くしてやって焦点にしてやればいいかというとそうじゃない。 判断と理性が判断される。理性というのは普遍性だと。 物が気持ちいい、これがみなさんに通じるんだよというと、良いご趣味ですねって言うんです。
284 :
考える名無しさん :2009/12/25(金) 15:15:40 0
≫283 ?????
285 :
考える名無しさん :2010/01/13(水) 09:44:35 0
>>283 言わんとしていることはまあ分かるし、大体それで合ってる。
認識能力が生み出す事柄には
・感性、構想力、悟性による経験
・構想力、悟性、判断力による美
・構想力、理性、判断力による崇高
・理性による道徳
などがある。
でも物が気持ちいいというよりは、「構想力によって物から抽象化された、悟性には何かよく分からないもの」が気持ちいいというのがより正しいんじゃないかな。
286 :
考える名無しさん :2010/01/13(水) 22:15:44 0
287 :
考える名無しさん :2010/03/11(木) 15:31:53 0
「858」 冒頭加筆します。ここのうしろに「722」番の中から、「合理
(ratio ラチオ)と「理性(reason リーズン)」について、再掲載します。
お読みください。2007.6.18 今月6月30日
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200706.html 私たちは、3年ぐらい前から、reason リーズン は、「理性」(あるいは、理由)などと
いうコトバに訳して、日本人の知識階級は、それで分かった気になって、実際は、何にも
分かっていない。「理性」という言葉にして、アホダラ経の有り難い、お経を読むように
難解な日本語翻訳文で、何か分かった振りをして、それで、偉そうに、「自分は高学歴で、
知識階級に所属する」と、勝手にうぬぼれてきた。
私、副島隆彦は、そういう人間全員を許さない。もし、上記の私の「真実読み破り訳」に
ケチを付け、異議を唱える者がいたら、その者は、どうどうと名前を名乗った上で、私に
問答を提起してきなさい。私が、10時間ぐらいかけて、懇切丁寧に説明します。
分かったふりは、一切、無しだ。どこからでも、どんなコトバを使ってでも、すべて解明
されなければならない。自分が分かったふりをして、私、副島隆彦をせせら笑うようだと、
その自分自身の、脳天が逆襲を受けて、激しくもんどり打つから、覚悟しなさい。私には、
いい加減な日本土人(どじん)の分かった振りは、一切ないのです。
288 :
考える名無しさん :2010/05/21(金) 19:17:23 0
289 :
考える名無しさん :2010/05/23(日) 07:59:11 0
カントを読むならば、現代科学の知見から批判的に読む事が必要なのではないでしょうか? 悟性や理性と言うのは大脳生理学でいうところのどの部位に辺り、実際にその機能とどの辺りが同じでどの辺りが違うのかとか カントがやっていたのは今で言う、機能脳科学と共通している部分が多いと思います。
290 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2010/07/11(日) 16:03:58 0
kらあ!藤本忠!出てこんかい!!!!!!
291 :
考える名無しさん :
2010/07/17(土) 16:47:44 0 2 3 5 7 11 13 17 19 23 29 31 37 41 43 47 53 59 61 67 71 73 79 83 89 97 ・・・