絵画について

このエントリーをはてなブックマークに追加
1考える名無しさん
写真技術によって、絵画は一部の役目を終えた。
なぜ人は絵を描くこと、そして観ることを求めるのか。
絵画の意義とは?
哲学の視点から語ってほしい。
2考える名無しさん:04/12/21 20:42:15
>>1
語るより描け。
ほんとうに「絵画の意義」とやらを知る気があるのなら。
3考える名無しさん:04/12/21 21:24:45
((今日,18世紀の言うことを真だと信じる人は誰もいないのに,
18世紀の絵画は感動をもって観る人々がいる.))

ここに意義がある.
4考える名無しさん:04/12/21 21:47:24
写真技術が発達してから、なおも描かれている写実主義とは
なんなのだろう。
5考える名無しさん:04/12/21 21:51:01
>>3
興味深い。
絵そのものは、それが生まれた時代、思想、背景など
全く関係ない
6考える名無しさん:04/12/21 22:10:00
主観の状態と時間的背景として絵画を捉えるという方法と芸術作品として作者の意図を読みとることの間にあることについてそして絵と見るものの関係とそれに描き手との三角関係についてちょっと見解があるわけだが
71:04/12/22 00:05:29
>>2
そうすることで、本当にみえてくるのだろうか。

>>3
面白い。少し詳しく聞きたい
81:04/12/22 00:06:33
>>4
これについては自分も興味が在り、難しいことだが
一般的に人間というフィルターを通したものに写真とは違う面白さがある、
というのはよく聞くところだ。
別の見方だが、
もし絵画が存在しないなら、人間が目を開けているときに目に入るのは
現実ばかりなのではないか、ということだ。
厳密に言えばもちろんそうなのだろうが、絵画を見るときに見えているのは
その絵画の質感そのものではない、という考えだ。
91:04/12/22 00:07:46
>>6
気が向いたら聞かせて欲しい
10流石50 ◆N9UVc6io0I :04/12/22 00:11:40
>>1の言う絵画ってのは、ピカソの絵や漫画やアニメみたいなのは入らないらしいな(笑
11流石50 ◆N9UVc6io0I :04/12/22 00:16:08
ぶっちゃけ結論から言っちまえば、美術ってのは人間の精神的満足のためにあるもんだから対象を正確に写実した絵には写真とは違った内容の意義があって、だからこそ現代でもそれの需要があるんだろうな。
12考える名無しさん:04/12/22 00:17:31

背中が、ちょっと絵画   ポリポリ
131:04/12/22 00:38:57
>>10-11
抽象、アニメ絵なども歓迎だが、これは需要が比較的分かりやすいからな
知ってみたいのは鑑賞者と画家、それぞれが絵そのものを
どういった存在としてもっているか

>>12
詳し(ry
14考える名無しさん:04/12/22 00:41:17
北朝鮮のように、だったらいいなの写真もあるし。
15流石50 ◆N9UVc6io0I :04/12/22 00:48:51
>>13鑑賞者の捕らえ方について一つ言える事は、絵画には現実の対象をこえた美が存在すると認識されてるって事だろうな。
単なるアンティークドールも、アニメで一個のキャラクターになった途端に鑑賞者にとっては萌えの対象となる。
16考える名無しさん:04/12/22 00:50:09
画家自身の
視点・思考・真実
それらを表したものが絵画だろ?
覗き見るのは絵ではなく画家そのもの

そう言えりゃぁ良いんだけどな…
17考える名無しさん:04/12/22 00:55:03
>>15
ローゼンメーデンw
181:04/12/22 00:55:47
確かに、願望のより顕著な顕れという
見方もあるのかもしれない。

萌え は完全に日本の文化なのだろうか?

ルネサンスなどにそういったものは、全くなかったのだろうか‥‥
191:04/12/22 01:01:48
いや、カタイこと言わずに語ってみてくれ。

かなりずれる気がする。あえて言うが、冷静にみれば
アニメ絵の女はごく客観的にみればパーツが変に強調されるなど、
人間という生物としてややおかしい。
にもかかわらず、これに性欲すら燃やすことができる、
挙句の果てに3次元を忌む など‥‥‥

真面目に考えたくなってくる。
20流石50 ◆N9UVc6io0I :04/12/22 01:15:06
つまり三次元(現実の異性)と同じように扱えるくらいに、そうした二次元(絵画・アニメ・ゲームの異性)の方が魅力を感じる鑑賞者が秋葉原周辺に集まってるって事だろうな。
ローゼンメイデンの続編が製作されるなら一生彼女ができなくても構わない、とか(笑
211:04/12/22 01:36:00
フランスやイタリアなどに
「ヴィーナスを舐め回したい」だのいう人種は、そうはいないだろう。
同じ2次元でも、ミケランジェロやピカソをオカズにできる
人間が少なすぎるのでは、と思う
22考える名無しさん:04/12/22 02:03:42
ヴィーナスは後ろからみると半分尻が見えていてエロイ
23Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/12/22 02:51:15
>>21
ミケランジェロと、ほぼ同時代のブロンツィーノはどうだろう?
ttp://www.knua.ac.kr/images/mannerism/bronzino.JPG
24考える名無しさん:04/12/22 08:58:03
>>21
アホですか?
西洋美術史なんて、ある意味オカズの歴史ですよ
日本文化を特権視するのはくだらないよ
25考える名無しさん:04/12/22 09:20:42
>>23
それエロいけど俺的にはムリ

これなら何故か抜ける
ttp://www15.tok2.com/home/dorian/Greek/CupidPsyche/gerard01.jpg
26考える名無しさん:04/12/22 11:54:31
>>1
>絵画の意義とは?

北朝鮮では金正日の肖像画はいまでもプロパガンダとして有効なわけだが。
壮大な山々を背後に、トレンチコートを着て哲学的な思索に耽る金正日。。
27流石50 ◆N9UVc6io0I :04/12/22 12:05:45
その背後にある300万人の餓死者の姿はカットしてな(笑
28考える名無しさん:04/12/22 12:10:21
ちょっと質問ですがスレタイの絵画が「えが
29考える名無しさん:04/12/22 14:16:21
>>26
文字より即効性が高く、有効的であることは
絵の力だな
文字なんて絵より後にできたもんだろ
30振り込め詐欺:04/12/22 14:32:17
単に、絵画が描こうとしているものが、現象ではなくその向こう側ということでしょ
絵画が描くものは世界の一部でしょ

美術史を見て、絵の描き方の変遷を見ると、どれもこれも世界を捉えようとしているなぁと感じる
31考える名無しさん:04/12/22 18:18:26
広い意味で対象を象徴させるものと思う。人の心として作家自身を象徴したヴィジュア
ルであったり、社会などの環境であったり、神秘というまだわからないものまで含んだ
全体の象徴であったり。そしてそれらは幻影と呼ばれる。
しかしそこから多くを読み取れるようなものなのだろう。
文字表現なら比喩のようなものかな(?)と思う。
32考える名無しさん:04/12/22 18:37:57
>>1
「写真技術によって、絵画は一部の役目を終えた」とはいっても、
むしろ、「見えないものをいかに描くか?」というテーマこそ、
絵画にとっての重要なことだったのだと思います。
33考える名無しさん:04/12/22 18:47:15
>>32
ほんで印象派が生まれたと。
34考える名無しさん:04/12/22 19:03:09
絵画は何も答えてくれませんよね?
35考える名無しさん:04/12/22 19:03:37
つか写真技術よりも前に、絵画芸術はミメーシスから脱却しつつ
あったわけだが。
36考える名無しさん:04/12/22 19:06:16
それでも絵画は謎であるわけですよね?
37Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/12/22 23:03:23
>>32-33
これは話が逆だ。
写真って、なんか煌いてないだろう。少なくとも当時のモノクロ写真は。
で、花や水面が光を反射して、それが網膜に映じる印象を、
いかに忠実に画布に再現するか、というのが印象派だからね。
つまり、もろに写実主義の系譜に連なっている。

それよりも、写実主義とは何かということを、まず確認しておきたい。
写実主義の巨匠、クールベの傑作の一つが、これ。
ttp://www.chass.utoronto.ca/epc/langueXIX/laforgue/courbet.htm
38考える名無しさん:04/12/22 23:20:14
絵画は読み取るものです。
39考える名無しさん:04/12/22 23:26:21
だからと言って写真は読み取らないものとはならない。
40考える名無しさん:04/12/22 23:31:04
写真はただ眺めるものです。
41考える名無しさん:04/12/22 23:44:25
読解力のない人にとっては本ですら眺めるものだよね。
42考える名無しさん:04/12/23 13:06:52
「見えないもの」「不在」を暴くのは、何も絵画だけの特権じゃないだろ。
「写るんです」で撮影したスナップでも、それは可能。
43しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/23 13:15:37
選ばれし芸術家だけが描けるという絵画の特権性を崩したのが写真
44しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/23 13:18:01
この可視化の技術の拡大を示す例として携帯のカメラが挙げられます
45考える名無しさん:04/12/23 13:18:25
それ大嘘だから。
写真によって困ったのは街の職人的な似顔絵描き。
46振り込め詐欺:04/12/23 13:18:49
>>43
写真って誰でも撮れるか?
ストロボの調整、ピントの合わせ方、結構奥が深いと思うよ
誰でも同じ写真をとれるわけではないし
絵だって筆と絵の具とキャンパスがあれば誰だって描けそうだけどねぇ
47考える名無しさん:04/12/23 13:24:23
絵描き職人が街の写真屋になった。
そして今、デジタルプリントショップに転身中。
いずれにせよ、ハイアートとは独立した別の問題です。

当然、相互関係はあるけれど、
しろうとさんが考えるような因果関係はありません。
48考える名無しさん:04/12/23 13:25:47
ていうか、絵画の話をしてほしい。
しろうとさんはなんでもデジタルの話に還元する。
あなたのオタク趣味はわかりましたけど。
49しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/23 13:38:12
>>45-48
当然プロの写真家はいるけれども
一定水準の写実的な画像を機械的に量産できる
という点を軽視してはいけない
これはデジタルというより複製芸術の話だと思う
50考える名無しさん:04/12/23 13:52:35
でも選ばれし芸術家の特権
という言説はやめましょうや
51考える名無しさん:04/12/23 15:01:03
デジタル化で、写真は絵画復帰(データ変換に拠るあらゆる加工が可能になったこと)と
完全な複製(オリジナルとコピーの区別ではなく、意味そのものがなくなったこと)を手
にした。
52考える名無しさん:04/12/23 15:05:11
だから絵画について語れよ
53考える名無しさん:04/12/23 15:06:40
>>52
表現「技法」の一つに過ぎない。
54考える名無しさん:04/12/23 19:13:17
>>37
「リアリズム」が西洋における光と影による空間の体現だとするならば、写真技術の普及
に伴って写真では体現できないものを求めるようになって行った部分もあるだろう。
たしか印象主義のドガも写真を撮っていたようだが。そんでかつて一つの価値観だった
であろうリアリズムはもはや価値観を縮小していったところもあるんだろう。より
人間にとって「リアリティ」のあるヴィジュアルが求められ、試されていった結果、現
代があると思う。「リアリティ」は常に必要とされているしそれは時代と共に変化して
ゆく。メディアが変遷すれば表現も変遷する。当たり前だが。
ラスコー洞窟の動物画はバタイユの解釈によれば描かれた壁の物自体の価値ではなく、
「出現」することにこそあったという。現代においてもそのような情動を感じることが
あると思うがそれは価値とはされていなそうだな。
つーか写真技術はいつぐらいに生まれたんだ?
55考える名無しさん:04/12/23 19:24:08
>つーか写真技術はいつぐらいに生まれたんだ?

無知は帰れよ。そもそも日本語が変だよ、お前
56考える名無しさん:04/12/23 19:26:29
>>55
けち。教えろや。無知は罪か・・・。
57哲子:04/12/23 19:34:20
徳川慶喜とか坂本竜馬の写真なんかあるから
そのころじゃないかな。
58考える名無しさん:04/12/23 19:38:26
>>57
いやぁ何かピンホールカメラとかいうのが、西洋でずいぶん昔にあったような
うろ覚え。正確なところどうだろうみたいな。たぶん19世紀以前だった気が
する。
59しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/23 19:49:59
写真の発明は1839年のダゲールが起源とされています
しかし自分的には19世紀前半、くらいに思っています
60考える名無しさん:04/12/23 19:50:06
あーあ。調べちゃったよ。16世紀ですって、たぶん。
俺を無知と認定したケチにこの情報を捧げよう。俺の日本語なんか変か?
61考える名無しさん:04/12/23 19:59:53
>>59
情報にズレが・・。
「巨大なピンホール・カメラであるカメラ・オブスキュラの原理は既にアリ
ストテレスによって知られていた。
<1568>,ダニエル・バルバーロ(伊)はカメラ・オブスキュラの像を尖鋭に
するために「絞り」をつけることを提案した。」ですって。
より一般化したのは19世紀なのかもね。
62しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/23 20:21:59
>>61
カメラ・オブスキュラはギリシャ時代まで遡れるので
確かにカメラの起源と言えるかもしれませんが
画家のトレースのための道具なので「写真の発明」というには違和感を感じます
19世紀前半というのは感光剤で焼き付けるもののことです
63考える名無しさん:04/12/23 20:27:34
>>62
なるほど、道具としての実用性を持ったのは19世紀前半ということなんですな。
ありがとう。              やーい>>55のケチバカ。見習えや。
64考える名無しさん:04/12/23 22:08:31
65考える名無しさん:04/12/23 22:09:45
教えてもらって自慢するやつがあるか
66考える名無しさん:04/12/23 22:21:01
2chはできてもgoogができないなんて香具師もいるのかな?藁
67考える名無しさん:04/12/23 22:26:02
「写真について」のスレになっちゃったよ……
68考える名無しさん:04/12/23 22:36:07
写真も絵画も技法的に繋がってしまっているのだよ。
69考える名無しさん:04/12/23 22:39:45
だから「意義」の議論じゃなかったのかよ。
70考える名無しさん:04/12/23 22:48:35
区別できないものの間に意義は見出せるか?
71考える名無しさん:04/12/23 23:11:54
出せないことはないでしょう。芸術の問題なんだから
72考える名無しさん:04/12/23 23:21:25
>>71
それは絵画か写真かではなく、誰が、だったりして。
73考える名無しさん:04/12/23 23:40:43
写真の話はスレと関係ないんじゃない?
何故絵画が娯楽になったのか?って事でしょ
人間は何故か美しいモノを好むんだよね
だから綺麗な絵を見て喜ぶ
それと一部の人間は希少な物、個性的なモノを好む
これが芸術性

何を思って描くのだろう?「地位」「名誉」「金」
そういったモノを求める部分も多少あるかもしれない
けれど「とにかく描きたい!!」という衝動もあるはず
これは何だろうね?自己実現?自分を表現したい?

レベル低いかな?
74考える名無しさん:04/12/23 23:57:02
つかこのスレに出入りしている奴で、
美術館なりで本物の絵画なりを見たことある人いるのか?
75考える名無しさん:04/12/24 00:01:02
本物の絵画って何ですか?
素人の書く絵ではだめなんですか?
美術館に置いてある素人の絵はどうなんですか?
76考える名無しさん:04/12/24 00:01:08
偽物の絵画ってあるのかね
77考える名無しさん:04/12/24 00:01:35
2chのAAは絵画だ
78考える名無しさん:04/12/24 00:04:43
結局写真の出現で食い扶持に困った画家が
自己表現に絵画の存在意義を見出したって事だろ
けど今じゃコンピューターグラフィックとか多様な視覚的表現手段が
出現したせいで
画家の存在意義はその筆さばき=筆の跡が存在意義
79考える名無しさん:04/12/24 00:07:48
また頭悪い奴がでたな。なんで本物 vs.素人になるんだ。おそらく
いいたいのはオリジナルか複写かってことだと思われ
80考える名無しさん:04/12/24 00:08:20
>>78
釣りはヤメレ
81考える名無しさん:04/12/24 00:11:25
>>79
それはおかしいでしょ
絵画見た事無い人は盲人ぐらいじゃないの?
みんな学校で美術習うんだから
82流石50 ◆N9UVc6io0I :04/12/24 00:18:06
例えば印象派であるとか写実以外の芸術技法に関しては、コンピューターで擬似的に模倣できるもののやはり人間の絵筆による創作が必要な訳だな。
さらに出来上がったそれを評価するのも人間の芸術感覚による訳だから、いわば絵画というのは文化的素地に立った娯楽なんだろうな(笑
83Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/12/24 00:20:50
だから、印象派は「写実」だといってんだろうが!
84考える名無しさん:04/12/24 00:33:26
>81
君が無教養君であることはよくわかった。
85考える名無しさん:04/12/24 01:13:59
印象派の作品は写実主義とは違うでしょう。印象派は描く人間の「いま」に集約されたものを忠実に示すものではないでしょうか?つまり精神の状態です。そして自然の時間的背景に支配された人間の意識が描くもの。だから光と影、そして明るさと暗さに意味があるのでしょう
86考える名無しさん:04/12/24 01:17:47
写実的であることの意義は、
最早、絶対ではあるまい。


アニメ絵でなけりゃ萌えねーよ、
という歪んだ連中が存在する現状、
写実的であることは、最早、意味を失ったと言わざるを得まい。
87Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/12/24 01:24:09
>印象派の作品は写実主義とは違うでしょう。
もちろん、印象派の絵を指して「これは写実主義だ」とは呼べない。
>>37では、写実主義の系譜に連なる、と書いた。

この後の文章は、まるっきり悪文だなあ。なんで、
>印象派は描く人間の「いま」に集約されたものを忠実に示すものではないでしょうか?
が、
>精神の状態です。
に、「つまり」で結ばれうるのか。
>自然の時間的背景に支配された人間の意識が描くもの。
が、
>光と影、そして明るさと暗さに意味があるのでしょう
に、「だから」で結ばれうるのか。
ちょっとレスの仕様がないね。
88考える名無しさん:04/12/24 01:29:41
古い本だけど、
最近やっと翻訳が出たリヴォルド「印象派の歴史」ぐらい読んでからこいや
89Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/12/24 01:34:09
>>88
どっちにいってんだ?
君が85なら、まともな日本語が書けるようになってから来い。
90考える名無しさん:04/12/24 01:34:17
「つまり」は要約的につかわれていて前文を抽象的にいっています。いまという作家のそのときをつまり精神の状態という言い方に抽象して言い直したのです。ではあなたはどのように繋げますか。ちなみに最良の言い方ではないことは認めますが
91考える名無しさん:04/12/24 01:36:31
欧米人がアニメ絵に傾いたなら、
つまり、それが一瞬でも、
何らかの意味はあるという意味か。
92考える名無しさん:04/12/24 01:37:54
ところで54なんだが俺の日本語なんか変だったか?
絵画以前の問題になっちゃうが。
93考える名無しさん:04/12/24 01:40:54
「だから」の部分は言葉が足りなかったかもしれません。「だから」にすることで間違いはないのですが読み手のために順節の前文が説明不足かもしれませんね。すみません
94Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/12/24 01:44:18
>>90
最良の言い方を得たときに、>>85が何を言いたかったのかを理解していないので、
繋げようがない。
とりあえずは、なぜ「いま」が「精神の状態」に繋がるのか。そこが説明不足。
説明のしかたによっちゃ「喉の状態」「足裏の状態」「日本経済の状態」、
何にだって繋げることはできる。
95考える名無しさん:04/12/24 01:46:13
それから文章は書いて直すを繰り返して完成になりますがはっきりいって面倒くさくて書き込みボタンを押してしまいます。よければ文章の善し悪しを何かを基にカキ比べてみますか?じかんがあれば
96考える名無しさん:04/12/24 01:48:22
>>95
誰に言ってんのかね君は。ところで>>54の日本語どこが
おかしいんだろ。
それとも「可笑しい」のかな?
97考える名無しさん:04/12/24 01:50:54
たしかに文章はよくないですね。書き直しますと
98Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/12/24 01:51:04
>>96
私は、>>55ではないが、
この辺が、ちょっと危うい感じだね。
>それは価値とはされていなそうだな。
99考える名無しさん:04/12/24 01:53:58
>>98
サンキューカルタゴの名将。
100考える名無しさん:04/12/24 01:54:03
>>54か?
「空間の体現」 再現とか表現ならまだ理解できるが。(リアリズムが「空間」
を表現するものと言えるかは、別問題)
「かつて一つの価値観であったであろうリアリズムは〜価値観の縮小していった」
主語がリアリズムだと思うんだが、なんかトートロジーな様な気がする。
「試された結果、現代があると思う」 変だよ。何が試されたんだよ。
で現代がではなく、現代の○○と言うべき箇所だと思われる。
ラスコーのところの、「その情動」ってなによ。

つか作文教室じゃねー
101考える名無しさん:04/12/24 02:07:07
>>100
お。すまんすまん。
>(リアリズムが「空間」
>を表現するものと言えるかは、別問題)
絵画はすべて2次元上に3次元的イリュージョンを造り出す歴史だ。つまり
空間を体現(再現)して自らの表現に役立てたのだよ。
写実主義(リアリズム)は後に名づけられた名称だが、かつては絵画の価値
基準であったろう。今は写真の発明・普及の影響も受けて写実主義(リアリ
ズム)は価値足りえない。まあ、予想しているだけなんだが。という感じ?
>ラスコーのところの、「その情動」ってなによ。
ラスコーの壁画における絵画の意味は、描くことによってその動物が「出現」
することにあったというバタイユの解釈。その情動とは絵を描くときに現実感
が現れた場合の感動のこと。
なんかすまんね。文章へたで。はは、ゆるせ。
102考える名無しさん:04/12/24 02:14:38
印象派の作品は絵画に示されている光と影、明るさと暗さに特徴があらわされます。この特徴は作者自身の「いま」の状態を時間的背景との関係によって捉えられるものだと思います。
103考える名無しさん:04/12/24 02:16:14
作者が置かれているいまの状態は昼なのか夜なのかまた雨なのか晴れなのかによっても違います。作者の気分は暗いのか明るいのかによっても絵の特徴は違うでしょう。また逆に作者の精神の状態と外観にある自然の状態は関連しているとも言えます
104考える名無しさん:04/12/24 02:17:01
そして内観にも外観にも支配されている作者が絵に描く光と影は時間の一点にいる作者自身の印象であり写実的ではなく作者のいまの意識の集約としてあるものだと思います
105考える名無しさん:04/12/24 02:20:54
リアリティ=現実感なんてのは、感受する主体によって随分異なるもんだよな。
いい例とは思わないけど、ポートレートを撮影するときは、だいたい人物の
背景をぼかして採るのがイイ とされるね。しかし、人間の眼球はその様な知覚は
行われない。しかしながら、例えば素敵な人の顔なんかを見たりするとき、
「その人以外はなにも目に入らない」といった、主観的な現実感が問題となる
わな。 となると、必ずしも現実を忠実に写し取ることがリアリティの再現
とはならないわけだが。どうでしょうね。
106考える名無しさん:04/12/24 02:27:34
絵画は全体的にそういうものだと思います。写実的だと一口に言っても写真のようにそのまま描き写すのが写実的か光の印象を心象風景として忠実に描き写すことなのか厳密に写実主義の意味も変わってきますし
107考える名無しさん:04/12/24 02:31:07
>>105
>リアリティ=現実感なんてのは、感受する主体によって随分異なるもんだよな。
そうそう。だからリアリティーはいつも求められているが、現代においてはそれ
ぞれによって求められるヴィジュアルが違う。人によっては秋葉系がリアリティ
を持ったヴィジュアルだったりするわけだ。現実を忠実に写し取ることはかつての
おそらく14〜18世紀とかのリアリティーだったんだと思う今日このごろ。
108考える名無しさん:04/12/24 02:35:30
写実主義は19世紀の芸術運動なわけだが。まあいいや。

絵画の場合、つか写真もだけど、結局「美」の問題なのよ。
それは現実を写し取ることと等価じゃないでしょう。
109考える名無しさん:04/12/24 02:36:05
アバンギャルドはどちらの意味に於いてもそれを壊していく要素が強いですが。シュルレアリスムの現実の意味は印象派の現実とは種を異にしてますしシュプレマティスムの現実は幾何学的に捉えた現実のようですし
110考える名無しさん:04/12/24 02:37:32
哲学における独我論的主体については絵画者にも大きな問題とおもわれ。
111考える名無しさん:04/12/24 02:39:38
今風に言えば「美」じゃなく「萌え」になるのか。
対象Aに対して「萌えてる」ときに、対象Aではなく、「萌え」の
リアリティーを如何に表現するか。


なんだかなあ。
112考える名無しさん:04/12/24 05:48:47
>>111
今の日本のオタク文化を象徴する意味で「萌え」は「美」に近いのかもな。
@「狩り」と「出現」
A「宗教」と「写実主義」
B「写真技術」と「印象派または抽象表現主義」
C「哲学や心理学」と「シュルレアリスム等」
D「物理学」と「ミニマルアート」
E「大量生産&消費」と「ポップアート」
F以降知らん
・・・こんな解釈であってんのかな。
>>1は「哲学」との関連による「現代の絵画の意義」を聞いてんのか?
113考える名無しさん:04/12/24 06:46:16
単なる感性の評価を換言しているスレッドではありませんよね?
114考える名無しさん:04/12/24 13:02:20
メルロポンティやドゥールーズ等、哲学者の取り上げる
画家は、セザンヌやらベーコン等メジャーどころばかり。
おまけにピントずれてるし。
115考える名無しさん:04/12/24 13:04:56
ずれてねーよ
116考える名無しさん:04/12/24 17:59:45
ズレまくり w
117考える名無しさん:04/12/26 00:22:00
結局明日は有馬記念があるんだが
118考える名無しさん:04/12/26 16:20:57
絵画について語ってね。
119考える名無しさん:04/12/26 16:30:20
最近、マネとクールベをよく見るね、流行なのかな
120考える名無しさん:04/12/26 16:48:12
近代絵画を印象派から始めると、
絵画の豊かさが視覚性に還元されるからでは?
でもマネやクールベは、主題も重要。
つまりモダンの原点回帰。
121考える名無しさん:04/12/26 17:48:52
マネは印象派の父
122考える名無しさん:04/12/27 01:22:51
三人の女が居るとする。
絵を描く男がその内の一人に恋しているとする。
このようなときに描かれた三人の女を見れば、男が恋している女
が分かるだろう。

しかしながら、写真に撮ったときは写った三人の女を見ても、男が
恋している女は分からないだろう。

123考える名無しさん:04/12/27 01:35:50
俺の友達の場合、
真中に移ってるから、
すぐ分かる。

いや、端に立ってても。
124考える名無しさん:04/12/27 07:35:56
女の大画家はいないな。能力のせいか、男との世界観の違いのせいか。
125考える名無しさん:04/12/27 19:32:29
>>124
大画家かどうか知らないがフリーダカーロは?草間やよいは?有名な人は沢山いそうだな。
126考える名無しさん:04/12/28 12:45:56
ウィトゲンシュタインの絵画評が確か
絵画は言語では語りえない、てことだったと思う。
言語には限界があって語りえることと語りえないことの限界の線を定めるのに
ウィトゲンシュタインはやっきになってたみたいだけど、
絵画は語りえないものの部類に入るっぽいよ。
何で創作があるのか、て言ったら現実逃避もあるだろうが
本質的には創作でしか語りえない「何か」
が存在するからだと思う。それは結局言語化できるものじゃない、ていう。

あと印象派ってのは光の表現が古典派と違うだけで
基本的には写実主義の部類かと。

絵の具を混ぜると黒くにごるけど
ライトを混ぜると白くなるでしょ。そういうの
127考える名無しさん:04/12/28 12:55:50
絵画の命題って要するに美とは何かってことでしょ。

情報を伝達する場合にも使う写真とは根本的に違うと思う。
128考える名無しさん:04/12/28 19:23:24
>>126
言語の限界よりも論理の限界では?論理の限界を超えるため文学者達は比喩表現の
様々な形を使う。コンセプチュアルアーティスト達は論理を昇華した。禅は論理を
捨てた。哲学は常に論理の可能性を体現する。とか思う今日この頃。
129考える名無しさん:04/12/28 20:03:04
>>127
絵画にその命題が成り立つのなら写真にも成り立つでしょうね。
130考える名無しさん:04/12/28 20:10:28
「つまらなさ」を伝達できる絵画とかないのかな。
見てると何とも言えず、退屈な所与のある作品。
誰も作った事無いぞ。
131考える名無しさん:04/12/28 20:19:41
>>130
たくさんあるんじゃねぇですか?アンニュイやデカダンが大きな価値観だった
時代もありますから。ニヒリズムとかも。必要悪的な作家もいた。
などとほざく。
132考える名無しさん:04/12/28 20:23:24
絵画の表現は、
美しさに限らないわな。

醜悪、嫌悪、憎しみすら、
言語によらない表現として、
絵画に表すことができる。
133考える名無しさん:04/12/28 20:25:11
ならば、退屈、無意味、
見るだけ無駄、

そういう表現があっても、
変ではないと思う。

でも、まあ、
無いだろうね。

大抵の人は、
誰でも、他人に誉めてもらいたい、
認めてもらいたいという欲望を抱いている。

出家する程の覚悟が無ければ、
実験的な作品は作れないだろう。

それは、仕方が無い。
134考える名無しさん:04/12/28 20:27:12
だから、つまらなさの見所を一枚の絵画に封じ込めた作品だよ。
多分、絵画により何か同様の感動をさせたいと考えてるけど、
それが全然伝わらないからつまらない訳なんだ。
そうではなくて、つまらないだけを伝えたい作品だ。
135考える名無しさん:04/12/28 20:35:17
>>134
だから退屈さを文学性に押し上げた作品もあるし、芸術も絵画に限らず写真でもある
よ。ただ、作家の気持ちはわからんから「つまらないだけ」かどうか知らん。
ちなみにミニマルアートはその「だけ」という部分を追いつづけた。音楽ならジョン
ケージとか。と妄想する。
136考える名無しさん:04/12/28 20:41:57
・・・ちょっと、忠告、

現在の芸術市場は、
見た人の評価よりも、
芸術市場の文脈が重要視されている。

つまり、どのように革新的な表現を行なっても、
それを認める人とは無関係に、芸術市場が動くということだ。
大金持ちになるかもしれないが、その金は、理不尽な金だ。

結局、絵画は、
言葉よりも、自由なのだろうと思う。
言葉、文章、内部告発、
立場は違っても・・・。
137考える名無しさん:04/12/28 21:03:25
退屈な人間が退屈に描いた絵かー。
普通に退屈な絵ならいくらでもあるけどな。
なんの抑揚もなくフラットにスケッチするだけで退屈な絵なら完成するが

退屈を表した上で見る人を退屈させる、退屈な絵を描こうと思って
描いたのだと解釈させる絵は難しいかもしれない。
つーかパラドキシカルだねえ。
描いても認められにくいだろうね。

スポーツアスリートとかでもそうだけどさ、
限界まで魂を込められないと表現、てのは難しいからな。
無気力なアスリートってのはやっぱしょぼい。
138考える名無しさん:04/12/28 21:18:54
戯曲「ゴドーを待ちながら」のような絵画ってことだね。
139Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/12/29 00:05:04
>>102-104
わざわざ書き直してくれたんだね。
が、申し訳ないが、>>126の方に代弁していただいたということで。

>>133-137
大衆消費社会の退屈さを表現した、みたいなのはありそうだ。
ヌーヴォー・レアリスムとか。
140考える名無しさん:04/12/29 09:05:12
前衛芸術家が意図して「退屈さ」を追求したら、パフォーマンスであれ、
それすらが「作品」になってしまうだろw

退屈な絵とは「イルカが海中からピョーン」と飛び跳ねてる、ラッセン
のようなクソ絵のことだ。
141考える名無しさん:04/12/29 09:12:19
>>140
そうそう。我無スレのAAや、くまさんのAA。
あれこそ芸術だよな。うんうん。

心の内面が抽象化され表現されてるからな。
てか、害基地でなければ絵画じゃない。(プッ
142考える名無しさん:04/12/29 09:37:25
はたしてそうかな?
143考える名無しさん:04/12/29 09:40:12
オマエとは確かに縁遠い世界だよ
オマエは指ケツノ穴にさしてシャブッテ、ひたすら嫉妬するしかないんだろう
↓    ↓      ↓      ↓
 ↓無職の引き篭もりのキモヲタの精神障害者フマ
   彡ヘ i i ,.-''";;;;;;;;;`ヽ、        ヾllllllllllllllllllllllll
  lヽゞノ ', ''i"~`゙`‐-、,;;;゙、         ヾllllllllllllllllll
  _____,  ,...,,,,__        `ヽ  _,,,..、-‐'ヾlllllllll
 l  `ヽ l   ヽ      ,.r‐'''"゙     WV 
 'i   「ヽ,    ヽ7''~ ̄  `ヽ し     ::::::
  ゙、  l,'゙ヽ    ゙、'"´          ::::::::::
   ゙、 {   \   .)     し      :::::::::::  殺人的ブスいないかなぁ?僕ちゃんブス大好き☆
     ヽlllulllll`~´::::::::::ヽ    ・
     ゙、-,,,,,,,,,..,_..,_、 ヽ ::::::::::::    し   :::::::
    ,,-'"゙`;;;;;;;;;::::.  υ 、 :\  ):::::::::::::::: ::::::::::::
    .(ゝ;;;;;;;;;;;;;;;;, 'u ::::::::::::::::::::::::::::::
   ../""ヽ;;;;;;;;;; .υ::::. '" ν:::::::::::::::::::::::::    /
 ../  ´ ^ ゞ.ノυ:::::::,,,,,,:::::::::::::::::::::::  , . - '"
/        / ヾ゙i;;;;;;;;;;::::::::::::::::::,.、,.、-' "
´,     .,/    ヽ、;;;;;;;;;;;;,.、-‐''"  \
144考える名無しさん:04/12/29 10:15:07
やっと哲板らしくなってきたな
145考える名無しさん:04/12/29 10:22:44
本物の基地害だ(藁
146考える名無しさん:04/12/29 10:36:34
強迫観念が強いと、統合失調症の病識があると言うからね。
君の場合、全て確信犯だよ
147考える名無しさん:04/12/29 10:43:15
忌みがさっぱりわからんw
148考える名無しさん:04/12/29 10:46:46
忌みがなくても、AAは書けるw
149考える名無しさん:04/12/29 10:48:06
我無って誰 ?
150本物の基地害(藁:04/12/29 10:50:42
 ↓無職の引き篭もりのキモヲタの精神障害者フマ
        〜∞
    /⌒⌒ ̄ ̄ ̄\ 〜∞
  /           \   〜〜〜〜〜
  |     ____丿ノノ.__|  つ〜ん
  |    /U  ._)  ._)    プゥ〜ん
  |   |           (    〜〜〜
  | ノ(6   ∵ ( 。。) )  _______
        U    ) 3 .ノ  / ________
/  \ ヽ ,,_  U  ___,,ノ  / /
     \,,______,ノ \/ /  _____
                ./ /  /|
..              ./ /  ./ .|
  「殺人的ブスいないかなぁ?僕ちゃんブス大好き☆」
151考える名無しさん:04/12/29 10:51:18
ゴッホは統合失調症かつ本物の凶人だわなw
ストーカー、耳切事件、耳の送りつけ、拳銃自殺。
152考える名無しさん:04/12/29 10:55:56
名古屋の下層社会の肥溜めエッセンスとゴッホを糞味噌にするなよw
153考える名無しさん:04/12/29 10:56:50
>>149 強迫観念が強い、統合失調症の人だろwww
あまたのコテハンを使って自演している、我無(われなし)
一人で永遠と自分にレスして、自演しているのを見かけるよ。本当に病気らしい
154考える名無しさん:04/12/29 11:04:14
皆が既に知っていることだが
夫馬の場合は本当に病気どころか本物の基地害だろw
155考える名無しさん:04/12/29 11:06:46
夫馬って誰 ?
名古屋市瑞穂区 堀田地域の紹介 製作:大日本化工機販売株式会社
居酒屋・スナック
● ピッコロ(スナック) 明朗会計の店。年末31日と元旦のみ休みです。●詳細地図1
● 八丁畷 (居酒屋) 鍋物がおいしい。小グル−プなら宴会もできるよ。● 詳細地図3
● 品 川 (居酒屋) 串カツ(50円/本)ドテが安くておいしい テレビでも紹介されたよ ●詳細地図1
● パンジ− (スナック) マスタ−がサラリ−マン風、ヤキソバ・お好み焼が美味しい
● 山恵(炉ばた) 名鉄パレ1階一番奥。つまみの種類が多いよ
うどん
● 岩 野 屋 うどん屋 はりきり かあちゃんが待ってるよ 詳細地図4
● 山 重 うどん屋 待たないで直ぐに食べれる店 ランチタイムには安い うどん定食が御薦め 詳細地図4
公共機関
●愛知県トラック協会 (社団法人)フォ−クリフトの免許の申請・取得詳細地図4
●中部建設協会(社団法人) 中部地方の代表的な道・橋の写真展示がされている。
コンニャク・ところてん
● 大川商店 製造販売 新鮮なヘルシー商品を個人売りしてくれるヨ 詳細地図1右
寿司
● しげ寿司(持ち帰り寿司) やすくて、美味しい。店主がまじめで新しい寿司を工夫しているよ
● 魚 友 (寿 司) 午後9時には、ネタ切れで閉店するかも? 早く行ってね 詳細地図4
● 第2だるま寿司(寿 司) 地元の社長さんがよく利用する店とか 詳細地図3
たこ焼
● 蛸ん壷 (たこ焼) テレビで紹介された店。たこ・えび等の具があるよ。電話予約をすると待ち時間が少ないヨ 詳細地図1
中華・ラ−メン
● 牛巻飯店(中華) 夜中2時頃まで営業している。四川ラ−メンがおいしく二日酔い防止にはよい ●詳細地図4
接骨院
● 小川接骨院 緊急時の骨折・打撲・ねんざは、事前に先生へ連絡すれば治療時間外でも応急処置をしてもらえる。
焼き肉
● 大香園 夕方になると焼き肉のおいしい香りが広がり仕事が手につかなくなるよ。おおきな駐車場あり。深夜1時まで営業 詳細地図1
http://www2a.biglobe.ne.jp/~a0horita/index.htm
157考える名無しさん:04/12/29 11:15:23
>>155
/*------------
我無 ( フ マ フ マ)

1:考える名無しさん

わかるかね
-------------*/

というスレが、昔あったな〜
158考える名無しさん:04/12/29 11:19:40
夫馬さん一体いつまでここで基地害続けて
公共の迷惑かけつづけるんだろう?w
159考える名無しさん:04/12/29 11:35:01
2ch(哲板・宗教板・タリ板・数学板) の鉄則

1) コテを見たら我無と思え(我無の自演)

2) コテ同士の会話には参加しない(我無の釣り)

3) 一定の会話をして相手が納得しない場合、会話を打ち切る(我無の信仰)

4) 我無の典型的思考パターン
  ぴかぁ〜型、うみねこ型、しろくろ型、処刑ライダー型、ハルカ型 ・・・

なれると、一発で見抜けます。
自称、多重人格障害だが、本物ではないと思う。
強迫性障害とアダルトチルドレンは、間違いなく持っている。
自称、統合失調症だが、こちらは本物かも知れない。(確かに何らかの薬物を常用している)
160考える名無しさん:04/12/29 12:12:32
>>159
気持ちは良いですか?
161考える名無しさん:04/12/29 12:48:23
>>160
             / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             | スクール水着とラインプリムとレース長手袋とニーソと
     ,__     |   眼鏡と首輪をお願いします(*´Д`)
    /  ./\    \_______________________
  /  ./( ・ ).\       o〇      ヾ!;;;::iii|//"
/_____/ .(´ー`) ,\   ∧∧        |;;;;::iii|/゙
 ̄|| || || ||. |っ¢..|| ̄  (,,  ) モナモナ   |;;;;::iii|
  || || || ||./,,, |ゝ iii~ I⊂   ヾwwwrjrjww!;;;;::iii|jwjjrjww〃
  | ̄ ̄ ̄|~~凸( ̄)凸 .(  ,,)〜 wjwjjrj从jwwjwjjrj从jr

うみねこ、人工少女のやりすぎ
162考える名無しさん:04/12/29 12:50:42
>>161

宗教板とエロゲー板をかけ持ちするヤツも珍しいwww
163二酉:04/12/29 16:27:55
>>140
はげど。個人的に、ビジネスの絵は程度の差こそあれ退屈だと思うです。
164考える名無しさん:04/12/29 21:12:23
ポストモダンは絵画にどれくらい影響を与えたのだろうか?
165考える名無しさん:04/12/30 08:30:06
「絵画」と一括りにされてもなあ。世の中には、工藤静香や鶴太郎のような
絵が単純に好きって人もいるわけで。

「哲学的な絵」をイメージすると、象徴主義のA.ベックリンの『死の島』辺りが
浮かんだりもする。
166考える名無しさん:04/12/30 10:41:32
描かれたコンテンツでしか絵画が語れない人間に、
哲学を語る資格ないな。少なくとも美学には疎そうだ
167考える名無しさん:04/12/30 15:15:47
>>166
 美学の半可通はすっこんでろ
168考える名無しさん:04/12/30 23:37:20
165もこっぱずかしい。
哲学板住人の絵画教養ってこんなものか。
169考える名無しさん:04/12/31 08:24:24
スレ主の>>1はカントの美学論すら読んでないだろ?
170考える名無しさん:04/12/31 09:22:25
美学論ばかりよんで
絵画を観てないだろう
171考える名無しさん:04/12/31 09:38:44
まあ見てから言えってやつね。

人の感性なんてどうでもいいから、自分がどう思うかが重要。

まあ、まず自分で絵を見てそれなりに考えてから、美学書なりなんなり読んだ方が良いんだろうな。

172考える名無しさん:04/12/31 10:14:35
読む前に書いてみるのも手かもね。

自分は〜〜に美を感じた、と。
173考える名無しさん:04/12/31 12:31:53
カントは美学論ではなんて言及してんの?
174考える名無しさん:04/12/31 13:47:01
朝日新聞夕刊 1978年11月29日'78初冬・北朝鮮:3
文化革命

滞在中は好天に恵まれ、朝、霜を見た。が、日中は穏やかな日和となり、平壌
市内を流れる普通江のほとりや公園では、絵筆をとる学生たちの姿をよくみか
けた。カンバスをのぞくと、水彩の風景画であった。
「この国には抽象画はないんですか」。通訳氏にそう尋ねると、一瞬、表情が
きつくなった。「何を描いているのか分からないような絵はありません。人民
が見て分かるような絵でないとダメです」
そういえば、国立美術博物館に陳列されている現代絵画はすべて具象画。それも
金日成主席の活動ぶりや、解放前の抗日武装闘争、朝鮮戦争での人民軍兵士と
それを支援する人びとの英雄的行動、社会主義建設の生産現場などを描いたもの
が多かった。裸婦を描いたものなど、一枚もない
175考える名無しさん:05/01/10 16:40:08
age
176考える名無しさん:05/01/10 19:26:39
いやぁ、オプチカルアートって凄いね。なんか凄いね。
錯覚や盲点や色彩の強弱ってもう原始回帰だね。きっと宗教性抜群だね。
177考える名無しさん:05/01/10 19:46:44
オプチカルアートって、最近また盛んになってるの? CGとかが手軽
になったから、そういうのを使うと進化させることができそうだけど。
178考える名無しさん:05/01/10 20:34:25
『哲学とは何か』にのなかの芸術論についてどう思われました?
179考える名無しさん:05/01/10 20:37:36
それは誰が書いた本?
180考える名無しさん:05/01/11 21:47:25
>>179

ドゥルーズとガタリですよ。ドゥルーズはフランシス・ベイコンの本も書いているのですが、
読んだことはまだないのですけど、感想をお持ちの方いらっしゃいませんか?
181考える名無しさん:05/01/11 21:50:39
>>180
専用スレあるよ
いろいろ書評も出ているようだ

▽▲ジル・ドゥルーズ、『感覚の論理』を読む▲▽
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1098529983/l50
182考える名無しさん:05/01/11 22:40:06
>>181

ありがとうございます!
183考える名無しさん:05/01/12 02:07:08

意識が崩壊していく過程
http://gazo01.chbox.jp/misc/src/1105365902795.jpg
184考える名無しさん:05/01/12 02:19:38
右下の絵は自分を失った姿の表現としてみると凄いな。神秘すら想起する。
ラスコーのリアリティー動物に対する記号人間みたいな。
185考える名無しさん:05/01/12 18:22:46
言葉を尽くしても右下の表現には及ぶまい
186考える名無しさん:05/01/13 05:12:44
表象の臨界点に物質があるという現実がどれだけものすごい生々しいことか
考えてみれば、絵画はやはり永遠だと思う。写真も同じことかもしれないが、物質としては絵画には勝てない。
187考える名無しさん:05/01/13 06:11:23
ぼくらが与えられている言葉は表象作用を停止する地点までいけば、金しかもうそこには無いんだから
絵画とか写真とかはやっぱりあったほうがいいんだよ。金以外にも信頼に値するなにかは生きるためにはやっぱり必要。
音楽や映画って時間の限定があるけど、いつでもそこにあり続ける物質としての絵画とか写真は大事だよ。とか思ってみたんだけど
なんか変なこと言ってるかな?
188考える名無しさん:05/01/13 17:47:50
>>187
お金がもっとも信頼に値しないと思うんだが・・。ころころ価値かわるし通用しない
紙切れになるし。銅は昔、金と同じ価値だったらしいよ。そんで金同と書くんだって。
どっかの坊さんが言ってた。まあ、いいか。つまらん話すまん。

私も大事と思いました。
189考える名無しさん:05/01/14 11:27:35
>>187
結局芸術も人が競争するために生まれた物にすぎない
競争して人間の「何か」が向上するための競技のような物
190考える名無しさん:05/01/14 13:17:25
「結局〜でしかない」
「結局〜すぎない」
といった概括はいらない。それが概括であるという自覚があるのであれば、
より正確な考察を求めたらどうだ?
191考える名無しさん:05/01/14 13:27:29
写真技術によって絵画は一部の役目を終えた。

とは言うが、その「一部」は何なのかと考えると、
記録として、効率として、その場を多分に譲らされただけであって、
表現としての絵画は何も失っていないように思う。ただ方向性に影響はあったが。
192考える名無しさん:05/01/14 13:32:31
萌えってそもそも昔は今よりも多義的でうわっついた言葉だった気がするんだよね。
これを現代的な「プラトニックな性愛」と解釈するのであれば、
萌え的な表現っていうものは、二次元対象に抱く性愛をプラトニックに陥らせやすい表現っていうことで、
必要になるのは多元的な表現よりも、要所を拡大した翻訳的表現なんだよな。
193考える名無しさん:05/01/14 14:43:34
絵画は誰が見てもわかりやすい。
本と違って考える必要がない。
文字が読めない人向けの娯楽だったのでは。
知識が高い層の間では、昔から低く見られていたし。
194考える名無しさん:05/01/14 14:48:47
>>193
音楽、スポーツもそうだろう。
非知識階級の産物。
195考える名無しさん:05/01/14 20:32:08
>>193
宗教的な布教にも便利に使われていたようだね。ヨーロッパとかで。
文盲の民衆たちへの啓蒙だったり、実際喜びだったり、その娯楽だったり色々だろうが。
196考える名無しさん:05/01/14 20:56:30
金持ちの道楽じゃなかったのか。

今の美術界も、その流れで、
文脈が価値を維持する柱になってるような気がする。
197考える名無しさん:05/01/15 07:44:49
>>193
言葉の限界を感じた人がいきつくモノでもあるけどね。
198考える名無しさん:05/01/15 10:26:29
>>193-195
あぁ?
199kurahito ◆XEF65wQsug :05/01/15 11:42:56
>>195
最近は、スポーツが布教に利用される傾向にあるね。
オリンピアとか、絵画的とも言えるんじゃないか?
200考える名無しさん:05/01/15 14:10:34
オリンピアって布教活動だったのか。

ともあれ。祭壇画で食っていた画家が昔はかなりいたからね。
これを写真に置き換えるとどうなるんだろうな。
祭壇に写真がある例を残念ながら知らないが。
201考える名無しさん:05/01/15 15:26:25
>>200
遺影と言わせるための釣りかもしれないが釣られてみよう。
ちなみに絵のほうが良いと生前に絵描きに描かせる需要もある。
当に種種雑多な価値観よ。
202鬼谷晴喜:05/01/25 04:20:04

少し前に、二〇〇五年一月二五日午前三時が過ぎたことを確認しました。
鬼谷晴喜と言います。九月一四日生まれ。

わたしは、ニーチェを始祖とする悦ばしき学問から、
フロイトを始祖とする精神分析学を断ち切るために必要な二つの重要な発見をし、
西洋絵画史上最大の謎と呼ばれる二つの絵画の謎を解明した論文を、
ウェブサイトにて発表しました。
それらの文章の著作者が私であることを広く報せるため、
この掲示板にそれらの概要を書き込みます。

二つの発見と、謎が解かれた二枚の絵画は
1:『テセウス・コンプレックス』
2:『アテナ的なもの』
3:『嵐(ラ・テンペスタ)』(ジョルジョーネ作)
4:『聖愛と俗愛』(ティツィアーノ作)
です。

http://www2.tbb.t-com.ne.jp/oniya/

203『嵐(ラ・テンペスタ)』:05/01/25 04:21:15

1 精神分析学とハイデガーの不安理解。『西東詩集』より――殿方の目を――。
2 『嵐(ラ・テンペスタ)』の謎は人物同士の知と無知の関係によってもたらされるの
  であって、アダムとイブなどのイコノロジー的解釈は謎解きとしては失格である。
3 キルケゴールの不安論。不安は過渡的な感情に過ぎない。
4 オイディプスとイオカステ、負い目無き不安と堕罪以降の不安の相関関係。
5 自我・超自我・エスの相互的な関係における重要な二点。
 「エスは超自我の存在を知らない」
  「自我は超自我の欲望の対象だが、その逆ではない」。
  上記二点から解る『悲劇の誕生』の特異性。『少女革命ウテナ』における回帰思想。
6 『オイディプス王』の悲劇は、それを読解する精神分析学によってもたらされる。
  サントーム化した王制主義者オイディプスと全体主義的代理人クレオンの齟齬。
  また、ユングとフロイトの争いは、オイディプスを巡るクレオンとテセウスの争いと
  して繰り返される事になる。
7 無意識に父を殺し母国を手に入れた人物は、オイディプスではなくテセウスである。
8 ニーチェの詩「アリアドネの嘆き」。『エスがあったところが、超自我にならなければ
  ならない。超自我があったところが、自我にならなければならない』。

ttp://www2.tbb.t-com.ne.jp/oniya/
204『聖愛と俗愛』:05/01/25 04:22:34

1 『聖愛と俗愛』には、『嵐』に登場するすべての道具が引用されている。この絵にお
  いて、鑑賞者を含む全ての人間が、見るものでありながら見られるものであるという
  位相の転換に巻き込まれる。
2 この絵が結婚のために描かれたという点から見た、絵に登場する各道具の解釈。
3 ドゥルーズとハイデガーの「力への意志」解釈の比喩としての中央の天使。
4 『バッコスとアリアドネ』へ。他意識の体験は、他我ではなく他者にとっての他者、
  すなわち他汝(たな)の存在を証明する。『プリンツ・フォーゲルフライの歌』。真昼。
5 ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ティントレットの三人は、ショーペンハウアー、
  ニーチェ、ワーグナーの関係に相当する。
6 説明できなかった二つの道具。

 『聖愛と俗愛』を挟むように、ティツィアーノの自画像をジョルジョーネの自画像の右
に置くと、この二人の関係は、『聖愛と俗愛』の二人の女性の関係を反復する。自画像を
横顔で描くのは正面で描くのよりも難しいので、ティツィアーノはこの効果を狙っていた
のだと思われる。二人の女性の間にいる幼子は、自画像の二人にとっては、『聖愛と俗愛』
という絵画自体であるということになる。

ttp://www2.tbb.t-com.ne.jp/oniya/


205鬼谷晴喜:05/01/25 04:30:46

『テセウス・コンプレックス』
『アテナ的なもの』
に関しては書き込みを控えます。

絵についての要約だけではよく解らない場合は、
他のスレッドに既に書き込んでいるので、そちらを参照して補足にして下さい。

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1097380481/l50
206考える名無しさん:05/01/30 11:12:52
背中がムズムズ。
207考える名無しさん:05/02/13 23:30:09
結局、作家から見た絵画に限って言えば、絵画は感情だと思う。
208考える名無しさん:05/03/04 01:53:49
209考える名無しさん:2005/03/26(土) 14:18:41
スレ
210考える名無しさん:2005/03/26(土) 14:34:08
言語により「そのもの」を写像するのに比べ
絵画においては「そのもの」に近いものを写像できる。
また、私的言語の表現の可能性は、言語よりも絵画においてより強く見出せる。
211考える名無しさん:2005/03/26(土) 17:37:14
哲学の視点ではないですが、いちおう。。。

日常生活の中において絵を描くことは、人が喋ることに近いですね
目の前の人に何かを伝えたいときは、よく喋りながら文字と絵を混ぜて描きます
その方が伝わりやすいし、字だけを書くより早いので。写真だと現物が必要ですが
絵は物が実在しなくても描けます。実社会ではそれを利用し、エンタメや建築設計
といった新しい何かを創造することで社会の為、自分の為に描くのだと思います。

日常を離れ絵を描くことは、みなさんが物事を考えることに近いですね
もちろん頭でも考えますが、自分の人生で憶えたもの(これは物質ではありません)
感じたものを言語で表わすのではなく、絵で表わします。このほうが楽なので。
自分の人生で感じたものを表現し、それを自分で確かめたいというのが本来の目的
ですのでただ単に物=光を捉えて描く事とは少し違います。


















212考える名無しさん:2005/03/26(土) 17:38:17
>>211のつづき

勉強して描ける人と、生まれつき描ける人ではその種類が異なると思います。
写真と見間違う絵を描くだけでいいのなら、だいたい子供の頃に描けます。が、
10人の絵を並べると、それがより完璧に近い程、どれも同じになりますので
それらの絵にはまったく興味がありません。(考え、想像する必要がないので)
絵を描く人は、実際に描いた絵そのものよりも、筆を取る前と後に考えることや、
自分は何を考え生きてきたかのほうが重要だと感じています。
213考える名無しさん:2005/03/26(土) 21:12:18
>>212
俺美大の受験生だけど、生まれつき描けるってのはおかしいよ。
単にそいつは絵が好きで枚数重ねただけ。
枚数重ねずに絵が描けるなんてありえないんだよ。
214考える名無しさん:2005/03/27(日) 05:44:35
>>213
そう考える人が普通かもしれません、実際そう言われる人が私の周りにも沢山いますし、
私もそこらへんが疑問で、その人達と話したのですが結局違ったんですよ、根本的に何かが。
絵は本能で描きます、それは生まれつきのものです。努力することや、好き嫌いの問題とは
関係ありません。そういった意味では才能と言えるかもしれませんし、天命かもしれません。
あなたの言う絵がどんなものか知りませんが、もしもその人が考える絵を描くことの意味が
他人に認めてもらえるかどうかであるなら、生まれつき絵が描けるとは言えないでしょうね。
いずれにしても、人に教えてもらうような技術、技法に関する事は、本来の絵を描く意味を
考えたときに、たいした意味を持ちませんが。

>>212 写真と見間違う絵を描くだけでいいのなら、だいたい子供の頃に描けます。=枚数
これは普通に理解できますよね?これに疑問を持たれたらもうどうしようもありませんので
これだと「出来る人←→出来ない人」「ありえる←→ありえない」の問題になります。 
215 :2005/04/20(水) 01:57:08
写真と絵画は全く別物
絵画は描かれた対象そのものを表しているのではない
216ローカルルール審議中:2005/04/20(水) 17:30:18
>>215
写真だって描かれた対象そのものを表していないだろうが
217考える名無しさん:2005/05/11(水) 11:32:08
写実的かどうかってことかな?
218言い逃げ厨房 ◆PLAYBOYc7c :2005/05/28(土) 09:01:41
主語-述語のあいだ。いやただなんとなく…
219考える名無しさん:2005/06/16(木) 04:08:04
絵を見てる人間が、様々な物事に影響受けてきてる=描かれたもの
………絵が絵を見てる、と。
220考える名無しさん:2005/06/30(木) 21:01:38
絵画の世界もアニメーションの世界も、
壁やら布やら紙やら「物の表面に描くやりかた」から、
「光そのものを並び替える方法」へと、どんどん
遷り変わってきているよね。

絵画から写真、写真から映画、映画からブラウン管、
ブラウン管から液晶、プラズマ、
コンピューターのディスプレイ……

みんな観る側として何気なく適応しているけれど、
これって相当大きな変化だと思うよ。
そのうち網膜を使わずして脳内に信号を送り込むのが
絵画の主流になったりして。
221考える名無しさん:2005/07/02(土) 04:33:33
写真やP.Cが無から何かを創造するとでも言うのか
根本が違う、絵は人であり思考の姿でもある
それらハードに精神、頭脳が備わっていれば別だが
222考える名無しさん:2005/07/02(土) 13:32:41
まず220は、PC画像と「絵画の主流」の問題を切り分けていない。

221は、絵画に勝手に精神性を仮託して、
「新しいものには心がこもっていない」という粗雑な一般論に回収している。

両者とも、非哲学的である。
223考える名無しさん:2005/07/02(土) 14:38:34
不立文字。
224考える名無しさん:2005/07/02(土) 14:46:52
哲学で済んだら絵画はいらない。
225考える名無しさん:2005/07/03(日) 02:42:05
対象そのものができてしまう写真と特定のものを描いてもその対象そのものではありえない絵画。

つくる側からすればこの辺りが表現方法の選択の理由になってきたりもします。
226考える名無しさん:2005/07/03(日) 03:03:14
写真vs.絵画って見方は違うんじゃないの?
どっちも視覚映像を使って何かを表現するものなんだから。
写真は絵画制作の技法のひとつだと考えたほうがよくない?
 
227考える名無しさん:2005/07/03(日) 03:16:46
yes
228考える名無しさん:2005/07/03(日) 03:43:37
無理やりにでも総括しちゃうとこの世のあらゆるすべては
美で包括されてるとしかいえないな。
で、われわれはその美の中の一要因を抽出していて
それを美しく感じるかどうかは人次第でしかない。
よりたくさんの人にとってそれが美だと感じられるのならば
それはより美に近い絵画なのだろうと。

もちろん耽美主義なんて絵画のひとつの立場でしかないのだけど
イデオロギーに先立った絵だって起源は美しいものをあらわしたいという欲求からでしょ。
だから美の表現のあらゆるものは絵画だといえる。
写真も空間芸術もデザインも、石膏もフィギュアもアニメも漫画も、文学以外のあらゆる視覚的な
芸術は「絵画」だよ。ある意味では言語もパロールの単体としては美の一部だけどな。
羅列されるとそこに意味が介在してくるので絵画とは呼べなくなる。
229考える名無しさん:2005/07/03(日) 05:13:00
絵画とは何ですか?
230考える名無しさん:2005/07/03(日) 05:23:53
えだよ。
しゃしんとかふぃぎゅあとかはえじゃないよ。
228のいうことはわすれたほうがいいよ。
231考える名無しさん:2005/07/03(日) 05:40:22
まったく逆
想像、創造する頭脳が主体で絵画は表現手法の一部
彫刻でもいいし、写真でもデジタルでも、紙と鉛筆でも構わない
ただ、実在しない空想は写真では表現できないからたまたま絵を描くだけ
ようするに、道具じゃなくて「人の考え方や生き方」そのもの
逆に、その道具じゃないと表現できない人は、ただの「道具を使う人」
そんな人は、頭の中に明確なイメージや伝えたい事があるわけじゃなくて
ただ単に道具を利用して遊んでるだけ
根本的にまっっったく違うもの
232考える名無しさん:2005/07/03(日) 06:36:09
明確な意思から選んだ道具(手法)でしかできない表現というのもあります。ウォーホルの作品はシルクスクリーンによる写真の転写で、同じものを羅列した形式でした。「道具を使う人」もコンセプトさえあれば表現者です。それくらい表現手段の選択は重要なものでもあるとも言えませんか?

だから貴方の言ってることは普遍的ではないと思う。絵画から派生した表現があるとしても、全てを絵画でくくるのは無理があります。
233考える名無しさん:2005/07/03(日) 07:18:18
「その」絵には意味があるのか。「その」写真には意味があるのか。美的かどうか。
明確な意図を伝えようとする絵画や表現に意味はあるか。
などということに意味や意図を見いだせるのは、表現者本人以外の全ての人です。

228さんのいうように、明確で誤解の無い意図や意志を伝達したいなら
詩的なもの意外は「言葉」によって伝える方が賢明な気がします。
表現者は、言葉にはならないその曖昧な部分を、あくまでも自分以外の者の主観によって
決定づけられる余地に、創る必要性を見いだしていると感じます。模索=表現

表現者本人(または他者の発言、評論や文献)が言葉でそれを説明したことを受容して観賞するなら、
言葉で伝えられたことを手がかりに絵画や写真、その他の表現を受容してきたという事です。
ただ一本の線も、アニメも見る側次第でどうにでもなりますが、
表現者自身がそれを受容するかしないかはまた別の話で、受容できない者は「発言」するでしょう。
>>228さんの意見にはおおむねには同意ですが、「美」という観点だけでは無かった可能性と
「絵画」という言葉の扱い方は230さんが一般的ではないかと感じました。
234考える名無しさん:2005/07/03(日) 07:49:10




■ 超暇人スレッド
235考える名無しさん:2005/07/03(日) 07:59:50
え、絵、屁?
236考える名無しさん:2005/07/03(日) 08:08:14
視覚表現全てを絵画に入れないでよ。
絵画を見る楽しみって、自分が絵筆を持ったらこう描けるかな?とか
ど素人なりに想像したりするのが楽しいんだから。フォトショップで
加工した画像と手で描いていった絵は体の感覚の移入が違うと思うな。
237考える名無しさん:2005/07/03(日) 11:19:33
視覚表現をすべて絵画という立場でないと
コラージュや広告デザインを絵だと呼べなくなる。
その辺を考えて欲しいなあ。

デザイナーと呼ばれる死人のような職業に順ずる人たちに
それは絵じゃないよ、なんていっちゃったらじゃあ俺はどうやって
生きればいいんだよ、てなる。
238考える名無しさん:2005/07/03(日) 13:07:05
>視覚表現をすべて絵画という立場でないと
>コラージュや広告デザインを絵だと呼べなくなる。

ならねえ。もうやめて。
239考える名無しさん:2005/07/03(日) 13:17:54
でも絵を描く人間の大半は描くことではなくて
デザインの畑に移行すんだぜ?デザインは描く事じゃない。
でもそういった職しか逃げ場がないからそうすることでしか
元絵描きは絵描きを名乗れない。
240考える名無しさん:2005/07/03(日) 14:02:18
デザインは商業芸術。
デザイン全般を絵画でくくるのは無理です。
デザインが絵画より劣っているという意味ではなく、機能性や伝達という役割が割合を多く占めるので、純粋な絵画とは違ってきてしまうのではないかということです。
現にデザインで描く行為そのものが問題にされていないですよ。
映像や写真という視覚表現が発達してなお原始的な表現手段の絵画の意義を考えるには、純粋芸術の絵画を絵画と定義づけたほうがいい気がします。
241考える名無しさん:2005/07/03(日) 14:28:04
>絵を描く人間の大半は描くことではなくてデザインの畑に移行すんだぜ?

んな馬鹿なwwwそんな話聞いたことも見たこともない
大体どんな絵のことを言ってるの?
ていうかデザイン業界に絵が描ける人なんて滅多にいないし
デザインと絵画は別世界、そばとラーメンくらい違う
さらに写真と絵はそばとスパゲティくらい違う
絵画は絵画で、画家は画家だよ


242考える名無しさん:2005/07/03(日) 14:37:55
>デザインは描く事じゃない。

違うよ。
空間、タイポグラフィ、光、ランドスケープ、ファッション、カラー、コーディネート
少なくともこれらは描くことじゃない。(描くことではない)
絵画とは関係ないし
243考える名無しさん:2005/07/03(日) 15:45:10
要はどう受容されるかという点では?
デザインは受容のされ方の範囲を規定したモノですが、
その枠を超えて他者が解釈したならば、芸術にもなりうるという事です。
ただし、デザイナーがその矛盾を受け入れるならばということですが。
意図を明確に伝達したつもりが、そうは受け入れられなかったという事実は
現役のデザイナーにとっては死活問題です。定義した範囲にもよるでしょうが。
244考える名無しさん:2005/07/03(日) 17:08:34
逆もあります。村上隆がいい例で、彼は日本の既存のアニメ文化を独自のコンセプトによって絵画の領域に新たに認めさせたりもしてる。受容のさせかたというのも作家の意志で変えたりもしますよね。
普遍的定義というのはありえないのかもしれません。
絵画が未だ表現の重要部分を担っているのは、どんなものも絵画へと変換してみると絵画の可能性が無限に広がっていくからではないだろうか。

どんなにメディアが発達しても言語が消えないように、言語は時代によってその在り方が変化していく可能性に満ちている。
絵画も似てる気がする。
245考える名無しさん:2005/07/03(日) 17:12:12
些細なことだが途中から文体が変わってるのはなんでだい?
246考える名無しさん:2005/07/03(日) 17:19:57
間違えただけ。
247考える名無しさん:2005/07/03(日) 20:00:12
>>244そうですね。
描かれた物としての「絵画」としての在り方とは少し違う。
作者の発言・意図まで含めた時点までを表現している訳ですから。
しかし、解釈の自由は受容しているので表現として成り立っている。
ただ、誰もが多かれ少なかれ「そこまで作者の介入した」(と感じる)ものを
現代になろうが、いつの時代になろうが求めてはいるわけではありません。
そこでですよ、現代における純粋な「絵画」(コンセプトを含まない)としての在り方の可能性ですが
なぜ未だに受容があるかというと作者による規定を受けたくない人々がやはり多いのではないかと
思うのです。鑑賞者の自由度が確保されていると安易に感じとれるからではないでしょうか。
248考える名無しさん:2005/07/03(日) 21:15:51
素材を馬鹿にする奴は素材に死ぬ。

脳内イメージに遊びたい奴は脳に電極埋め込んで死んどけ。
249244:2005/07/03(日) 21:51:43
コンセプトを全く含まない絵画というのは無いと思うのですが、つくり手の意思はあるが作品の解釈は開かれている絵画と考えることにします。

絵画は現代においても、どの時代においても、時代の鏡、メタファーのようなもので在ったと思います。
絵画表現の多様性というのも「芸術」の中だけで展開されていたわけではなく、作家がその時代を生きているという意味でも社会の影響を受けてきたわけです。
ですからその作品は作家自身の鏡でありながら、時に同じ時代を生きる人々(鑑賞者)の心理的メタファーであると思えます。受容されやすい作品というのも時代で変わってきているはずです。

ですから現代においてそのような鑑賞者の自由が確保されている絵画が受容されやすいということは、
現代において安易に自分の心理を代弁してくれるような、自分のこころを投影できるような(そう感じられる)隙間のあるものが求められているとも考えられると思えます。
これも絵画のひとつの側面であって、違う在り方もあるかと思えます。
250247:2005/07/03(日) 23:33:48
なるほど。>>249
時代との関係で、表現者も観賞者も意識的なのはもちろんですが、無意識的な部分でもそれを
選びとっている瞬間があるというのが面白いですね。
それと、隙間のあるものの方が安易という可能性というのも気がつかなかったので興味深かったです。
251247:2005/07/03(日) 23:38:05
連投すいません。言葉足らずでした。上の「安易」の部分は
>安易に自分の心理を代弁してくれるような
に関してです。
252考える名無しさん:2005/07/04(月) 00:17:57
いや、隙間のある方が安易なんじゃなくて、隙間がある方が安易に鑑賞者が解釈していけるって話です。

253考える名無しさん:2005/07/04(月) 00:20:00
あ、そうでしたか。
じゃあ↑の投稿スルーして下さい。
254考える名無しさん:2005/07/04(月) 01:12:27
素材をバカにする危険よりも、
ただの素材フェチに終わる危険の方が大きいと思う。
255247:2005/07/04(月) 01:42:25
>>257誰ですか?(笑 でも、確かに話しすぎたのでこの辺りにしときます。
>>252ああそうですね、その事が興味深かったという事です。
256244:2005/07/04(月) 02:01:47
252、253は私です;
251を読まずに投稿してしまったので、あ、そうゆうことならスルーして下さいって事です。
紛らわしくてすまんです…
257考える名無しさん:2005/07/04(月) 03:17:29
画家は
デザイン、写真映像というより
どちらかというと科学者の感覚に近い
作家、音楽家に通じるものもある
自分の内から出るひらめきを表現したり物事を追及するもの
いずれにしても他人の考えに近づく必要性はない
258考える名無しさん:2005/07/04(月) 03:35:31
>>257
そして極貧のうちに死ぬ。
259考える名無しさん:2005/07/04(月) 03:49:12
それもまた人生なり。
260考える名無しさん:2005/07/04(月) 04:12:35
さて、極貧のうちに死につつある俺が来ましたよ
261考える名無しさん:2005/07/04(月) 04:39:02
>>260
作品あるならただで置いて逝け。
262考える名無しさん:2005/07/04(月) 06:54:57
age
263考える名無しさん:2005/07/04(月) 12:58:41
257
画家と科学者の具体的な共通項、そして画家科学者、とデザイン写真映像、の違いを教えて下さい。
264考える名無しさん:2005/07/04(月) 13:43:45
そこに書いてあるとおりでしょ
発端は自己の発想や思考で他人と関わっていては出来ない。
一方、デザインや写真映像は他人と関わるべきもの。
265考える名無しさん:2005/07/04(月) 15:45:31
デザインに関しては、発端に人が関わっていくということが言えることがわかるんですが、デザインに関わってこない映像や写真(デザインの媒体でないもの)は人が関わってくる、と言い切れないんじゃないかと思うんです。
映像と写真の役割として伝達としてつかわれることも多く、そういう印象が大きいのは確かですが、
それはあくまで印象でそうでないものもあると思います。
映像、写真に関して言えば、純粋芸術にもなり得ると思うんです。映像と写真という素材がデザインの媒体の他にそういう可能性も持っているということです。
現にファインの分野でも写真や映像があげられます。
266考える名無しさん:2005/07/04(月) 15:57:28
絵画から物質的な素材をとっても、ペルセプトは残る
知覚の対象としてわれわれがいる限り永遠に残る
267考える名無しさん:2005/07/04(月) 16:07:34
ペルセプトの意味は不わからんが、なんだか良いこと言ってるきがする…
268考える名無しさん:2005/07/04(月) 16:44:32
ファインが人と関わらない、というのは迷妄。
「間接的には」絶対に他者と関わりを持つに決まっている。
269考える名無しさん:2005/07/04(月) 17:11:38
そりゃそうだ。
270考える名無しさん:2005/07/05(火) 14:12:59
哲学で絵画について語れるんだろうか?

絵画という、うっすらとした概念しか持っていないのに。
画家のほとんども哲学についてうっすらとした概念しかない訳だが。
271考える名無しさん:2005/07/05(火) 17:53:51
そんなこと言ったら、哲学は何についても語れてない罠。
そういう発展途上下でぐだぐだやるのが哲学。
272考える名無しさん:2005/07/05(火) 23:39:07
どうりで話になんない訳だ…
273考える名無しさん:2005/07/09(土) 09:21:54
現実そのものを再現できるかどうかは絵画、哲学の共通のテーマ
哲学も絵画も最終的には抽象的になるところも似てる
274考える名無しさん:2005/07/09(土) 11:06:38
長年絵を描いて暮らしている浮き世離れ者ですが
逆に質問があります、哲学とはなんですか?
スレ違いですが、私はこのスレにしか来ないので
ぜひとも哲学板の方に教えて頂きたいのですが
275考える名無しさん:2005/07/09(土) 15:43:56
科学も芸術も哲学も普遍性を目指してるという点では一緒でしょ
超越性とか固有性とか
276(^J^):2005/07/15(金) 08:48:05
 絵画ってさ、最大の自己満足手段で、
他人が見てどう思うかはどうでもいいじゃん。
作者に哲学があって伝えたいんなら、伝わるように描けばいいし、
私なんかは、完全な自己満足。
たまに、共感してもらえたらもうけもん。
だから、お金になんないのよおお!!!
 哲学も理想も美学もあっても伝わるか伝わらないかは
見る側の人による気がする。。。
277考える名無しさん:2005/07/15(金) 10:25:33
画家はなぜ絵を描くのか。
たまに哲学書をひもとき、さらにごくたまに絵筆を手にとる私には
とても興味深いことがらです。

なぜ描くのか。
描かなければならないのでなく、描きたいのでもない。
画家は絵を描く。ただただ絵を描く。
これが現時点での私の拙い認識です。

274さんの質問に沿って考えてみる。
なぜ私は哲学をするのか。
哲学をしなければならないのでなく、哲学したいのでもない。
ただただ哲学する。
どこか宙に浮いたものでなく、ただその行為をしている。
その意味で哲学とは、哲学という言葉自体に意味がそれほどありません。
むしろ、考えることであるとか生きることとかと
異なるところが私の場合ほとんどありません。

こう述べてみても274さんの質問にたいするじゅうぶんな回答にはならないのですが・・・。
もしよろしければまた書き込みしてくださいね。
278考える名無しさん:2005/07/15(金) 13:29:45
絵画てルネサンスだか古典主義くらいまでは
自己表現手段とかじゃなかったんじゃなかったっけ?
表現手段となったのは近代に入ってからで、それまでは
写実主義とか思想的な側面が重視されてたとか何とかだった気がする。
自己表現手段になったのは絵画の凋落だと見てる人もいるみたいだし。
279考える名無しさん:2005/07/15(金) 13:37:02
絵画もかつては大きな物語だったんだろう。
絵描きというのは今でいうところの映画とか漫画とかアニメとか
プロパガンダとしても使用可能な権威的かつ国家的な偉大な職業だったのでは。

それが今は小さな物語としての一部の鑑賞者にしかもてはやされない
マイナーな趣味に成り下がっているとかなんとか。
そんな感じのこと書いてる人がいたような。

絵画と哲学て普通に通低するもんだと思うんだけどな。
フーコーとか構造主義者はこぞって絵画批評を述べてるやん。
時代背景の思想やその根底のエピステーメーを汲むには絵画分析は
欠かせない分野だったんだと思う。
280考える名無しさん:2005/07/15(金) 14:23:35
最近ではそれが映画に移っていますね
281考える名無しさん:2005/07/15(金) 18:17:11
映画?見ないよ!テレビニュースだけしか見ない!
282考える名無しさん:2005/07/27(水) 00:43:33
>>266
文学者になれ。
283考える名無しさん:2005/09/04(日) 12:29:47
>>282
どゆいみ?
284TAKE ◆Aly8.nO9vQ :2005/09/05(月) 09:14:47
他人の絵を見て感動して、絵を描き始める人もいるんじゃないだろうか。
そういう絵に出会うと言葉を失う。
ミケランジェロのダヴィデ像(彫刻だが)は、何か感じるものがある。
それが何かを言葉にできない。
そして、作者は何故こんなものを大理石まで削って作ったんだろうという思いに馳せられる。
ミケランジェロのパトロンの依頼だとしても、依頼のために作ったというのではなく、
それ以上のものを感じる。

この言葉にできない感じをたくさんの人に与え続け、芸術作品は生き残ってきたのだろう。
それは製作者も言葉にできない。
だから、彼らは描く。
私はそれを見て、感じ、考える。
285考える名無しさん:2005/09/05(月) 22:47:07
>>283
大雑把に言うと、ペルセプトの意味が分からない。説明してちょーだいという意味。

266の書き込みだけからだと形式という意味にしか取れない。
違うんなら説明が必要だけど説明する気がなさそうだし、「形式」を
言い換えてるだけならそんな言い換えはしない方がいい。
でも、文学表現としてなら、説明せずにそのままの方がいいだろうから
文学者になったらどうだ?ってこと。
286考える名無しさん:2005/09/06(火) 01:17:59
percept(知覚表象)のフランス語の読みだね。
287考える名無しさん:2005/09/06(火) 01:18:43
ルネッサンス期の作品の数、迫力は図録で見てもすごいよなー。
この創作意欲の出処って何?何?って単純に圧倒されちゃう。
絵画や芸術なんてなくても死なないのにさ、なんで絶えまなく制作に向かうんだろうね人間は。
288考える名無しさん:2005/09/06(火) 01:42:39
自分の何かを世の中に残したいんだよ。それが子供が芸術かってことじゃないか。
289考える名無しさん:2005/09/06(火) 05:48:37
猿が絵を残す
象が絵を残す
蜂が絵を残す
蟻が絵を残す
バクテリアが絵を残す

歴史書(含神話)や学参書、小説とおなじ働きで、
ひとは絵を残す

しゃれや諺、漫才とおなじ働きで、
ひとは絵を残す

遺伝や魂、職人業とおなじ働きで、
ひとは絵を残す
290考える名無しさん:2005/10/21(金) 09:01:17
てんでばらばらに
なったものを 
ヒトツにまとめる行為  

自称作家より  
291考える名無しさん:2005/11/12(土) 01:13:12
>>1
ある絵画を見て、なんとも言いがたい感銘を受ける。
それで十分じゃないか。
292考える名無しさん:2005/11/24(木) 21:19:10
ジュブーン・ジャ・ノン(´・ω・`)
293考える名無しさん:2005/11/24(木) 22:33:18
美大生です。昔から、自分は絵を描く為に生まれてきたと思い込んできた。しかし冷静に哲学をすればするほど、俺の見ているもの、追いかけているものの正体が幻想なんだと分かってくる。その度に絶望感に襲われる。

哲学者やその他学者で絵を描いていた人はいるが、彼らは何を思って描いてきたのだろう。哲学者で詩人だった人もよくいるが、真実を追って哲学をすればするほど、芸術、すなわち人の手による創作は不自然な事のように思えてこなかったのだろうか。

星空は美しい。しかし、星空より美しい星空の絵を、自分はまだ見た事がない。
294考える名無しさん:2005/11/24(木) 23:25:57
おまいの芸術というのは、星空よりも美しい星空の絵を描こうとすることなのかい
295考える名無しさん:2005/11/24(木) 23:28:34
おまい恥ずかしい(*´・ω・`)
296293:2005/11/24(木) 23:38:33
>>294
おお…そもそも芸術作品の美と現実の美を同列に並べて考えているのが間違いかも…。考え直してみます。
297考える名無しさん:2005/11/25(金) 00:08:15
所詮芸術なんて作り物、だからこそ美しい

by オスカー・ワイルド
298考える名無しさん:2005/11/25(金) 00:32:44
>>296
あなたは芸術をやるには物分りが良すぎるのと違うか?
299293=296:2005/11/25(金) 02:10:23
>>298
そうなんです(・ω・`)
芸術をやる人間としては適性が薄い。
根拠の無い夢を見るより、確実に目に見えるもの、例えば星をただ眺めているほうがいいと思うからです。
疑い深いせいか、他人の絵を見ても、感じる前に作者の意図や狙いや精神状態が推測できて(あくまで仮説ですが)冷めてしまうことがある。

とまぁ、スレ違いになってきましたね、すいません。
ただ、僕の場合、普段考えている思想のようなものを(そう呼ぶにはまだまだ未熟なものですが)なんとかして絵として表現できないか、と奮闘していたりします。

極端な例ですが、紫色のミカンを見たとします。
しかし口で説明しても友達は信じてくれない。
ミカンなんだから橙色のはずだと言う。
しかし僕が紫を使って描いたミカンの絵を見て「これは間違いだ、ミカンは橙色でなければならない」と主張する人はほとんどいません。
絵画表現においては、何色を使おうと、あたかもミカンがそこにあるように描くことができるのです。
この時、僕にとってミカンは特に橙色である必要はなく、ただ「ミカン」であれさえすれば良かったわけです。
「ミカンとは何か」という問いの答えを、理屈ではないもの(技法におけるそれは別として)で表現できるわけです。

こんな事を書いているとまるで気違いと思われそうですが…
僕が言いたいのは、とにかく今、理屈と感性のジレンマに陥って発狂寸前という事です。
ご静聴ありがとうございました。
300考える名無しさん:2005/11/25(金) 02:36:42
なんかわかる。
メモ帳にでも書きなぐるといいよ。
301考える名無しさん:2005/11/25(金) 13:22:57
ラファエロのアテネ学堂が印象的な芸術作品だよね。
302考える名無しさん:2005/11/25(金) 13:35:20
ローマの美の基準に文句があるなら、ミケランジェロに言えよ
303考える名無しさん:2005/11/25(金) 18:57:34
304ぬえ:2005/11/25(金) 20:03:26
絵は誰がいいとかあんまり知らんけど、デ・キリコは好き。
305考える名無しさん:2005/12/23(金) 23:21:55
age
306考える名無しさん:2005/12/23(金) 23:39:02
なんか言ってる事が古い。
技術がない人がビジュアルソフトを気軽にいじれる時代なのに。
307ぬえ:2005/12/24(土) 00:27:02
芸術関係すべて、精神のものを物質化するものだからね。
写真とはまたちがうよ。
308考える名無しさん:2005/12/24(土) 01:27:41
>>299
いい線行ってるよ。
本質さえ描いてあれば、他は単純化してもいい。いや、やっちまえ。マティスやピカソだってそう思ったのだから。
309考える名無しさん:2005/12/28(水) 00:45:45
このスレ、芸術哲学とか美学と無縁なヤシばかり集まってるんか・・・
310考える名無しさん:2006/02/12(日) 17:53:32
再生
311考える名無しさん:2006/03/18(土) 03:04:37
再再生
312考える名無しさん:2006/04/11(火) 11:40:52
絵画論じるには美学必須?
313考える名無しさん:2006/04/11(火) 11:57:20
技術や作業を電子メディアに頼りすぎることで脳力が失われるわけだな
連鎖的に価値観の道徳性、思考のレベルも退歩し、そのうち崩壊しまつよ
314考える名無しさん:2006/04/11(火) 12:17:16
何故、茶色なのか!
315考える名無しさん:2006/04/13(木) 13:45:11
うんこ
316考える名無しさん:2006/05/24(水) 01:48:02
そういう書き込みしてて、楽しいの?
317考える名無しさん:2006/05/24(水) 03:22:42
なんか、近くて遠い存在な気がする。
今の哲学って究極的には「理屈」でしょ?
絵画は「視覚」、ダイレクトなメッセージ性はありますよね。

言葉のニュアンスを「感じろ」って言われても「詩や歌じゃないんだから」
ってのが哲学。
見たまま「感じるか、否か」で先ず勝負を迫られる(少なくとも描き手に
とっては)のが絵画。
答えが無い、またはその時により信じ選択するのが答に近いものと信じる、
信じながら疑いが晴れない、晴らすべきでもない。
晴れたとしても次の日には違って見えるw
難儀なものには変わりない。
318考える名無しさん:2006/05/24(水) 05:47:01
カメラは感情を持たないが、画家は感情を持っている。

だから絵画はありのままの現実を描いているわけではなく、画家が解釈したものを描いている。

そこが絵画と写真の決定的な違い。

自然は美しいが、絵画もそれにひけをとらない。

一度、心を通して描かれているだけに要点が集約され、真実が強調されて表現される。
319考える名無しさん:2006/05/24(水) 09:49:46
「要点が集約され」るっていう点ではマンガの方がもっとすごいぞ。
320考える名無しさん:2006/05/24(水) 09:59:23
>>317
人間はフォーカスを選びますから。
321考える名無しさん:2006/05/24(水) 12:50:43
見たままの状態を言語で説明するか視覚で説明するかなら
論理的説明文と写真。
見たものの印象(表現者のフィルターを通して)を説明するなら
詩や散文と絵画やアートでしょう。

ま、境界は無いけど…

ん〜、フォーカスを選ばない人もいるけどなぁ
322考える名無しさん:2006/05/29(月) 16:32:25
今世紀最大の謎
http://www.vipper.org/vip265278.jpg
323考える名無しさん:2006/06/02(金) 02:38:23
・模写モシャしてやった説
・コンセプチュアルアートの新たな可能性説
・立体視作品説
・間違い探し説
・痴呆説
・チャネリング説
・シンクロニシティ説
・同一人物説
・リトグラフ説
・ギャラリーフェイクの下請け説
・反面教師説
・単なる基地外説
・週刊アルベルト・インスパイア説(ディアゴスティーニ♪ 創刊号は芸術選奨文科大臣賞つき)
・10^-34の確率で「たまたま似ちゃった」説
・作家生命を投げ打ってスギ氏の作品を日本に紹介した説
・和田はゼロックス社員説
・次世代高性能複写機WADA説
・スギ氏への倒錯した愛情説
・絵画版「ドンキホーテの著者、ピエール・メナール」説
・ツンデレ説 「な、なによ。たまたま似ちゃっただけで、あなたの作品を意識したわけじゃないんだからね!」
・おスギと和田義ピーコという、画家生命を賭したダジャレ説
・ぬり絵作家説
・写真から版を起こしたシルクスクリーン説
・念写説
・実はあぶりだしで別の絵が浮き出てくる説
・トリビュートしてオマージュしただけの現代のサンプリングメソッド説
・スギ氏のスタンド能力説
・スギ氏、タイムマシン操縦説
・和田はパラレルワールドから迷い込んだ説
324考える名無しさん:2006/06/02(金) 02:48:07

おすぎをピーコしただけです
325考える名無しさん:2006/06/12(月) 15:52:46
 写真が生まれたことで、ある意味絵画の役割は終わったといえるだろう。
事実の写しを作ることだけでは、考えられないものがあるんじゃないのか。
326考える名無しさん:2006/06/12(月) 16:32:24

(´,_ゝ`)プッ
327待宵:2006/06/14(水) 01:28:10
 きみも、そう、きみも、そこのあなたも、もちろん彼のこともだよ、彼女もおいでよ。
きみは絵画が本質を表すと思わないか。そう、きみも絵画を描くのが大好きだそうだね。
そこのあなたは絵画こそ芸術だと考えているね、もちろん美しいとも。彼女の好奇心を
刺激したみたいだね。
328待宵:2006/06/14(水) 02:17:12
 そうですとも、私は絵画を描くのが大好きなのです。私の感性が刺激され
とてもいい感じです。あれも描きたい、これも描きたい、それも描きたい、
やや、わたしはどれでも描きたいようですな。わっはっは、色々なものに目
移りしてしまいます。でも、美しいものはその貴重さから、自ずとその地位
を占めて、我々に優先させるのです。
あなたもそう思いませんか、マドマーゼル?

 ウイ、ムッシュ、まあ、なんてことでしょう。これは緑、ピンク、
絡み合った枝に、飛び出した葉、そう、これはバラね。こんなめずらしい色てないのよ。
こんなに沢山のものがあるなんて、私はあなたに言われるまで気付かなかった。
この感情になんて言っていいのか判らないわ。
あなたって豊かな精神をお持ちなのね。
329待宵:2006/06/14(水) 02:56:56
 御婦人、驚かれるのは当然です。何故なら、我々は美について考える良識が
具わっているからです。ですから、現に、バラがゆるみ、花びらが広がってい
くのを目の前にして、優美であると考えさせずにはおかないのです。しかれど
も、各々、この僭越を許されたし。

 メルスィ。

 ダンケ、シェーン。それは鮮やかな弁舌に霧が晴れる思いをした。よかったら、
我々が共に具える良識について教授されたい。手探りで進むには深く、夢中にさせ
るほど知り難いことが多いのですから。それは様々な繋がりを解き明かすことでしょう。

 サンクス。
330待宵:2006/06/14(水) 03:44:34
 我々の国はご存知の通り深い霧が立ち込めており、朝の始まりには最も濃密である、
空に太陽が昇り霧が晴れるまで、二頭立ての馬車に業者をしたてるのが、物の判った人
間の振る舞いであります。
 我々は目にしている、太陽が照らし上げ、月を輝かせるのを。しかし、まだ、月の間に
は太陽と隔たりがあり、それ故に、数多の星があり得るというものです。例え、太陽が目
を刺すほどに光り輝こうとも、月が太陽の光に反射して優しげな光を投げかけようとも、
これらは空間があるからであると我々は知っているのです。
 バラがあり、バラが美であると考える。ただ、バラが美であると考えるだけでは、私の
独断に過ぎない。私に考えられるだけでは、バラは一瞬に捉われるだけである。一時の戯
れに美を閉じ込めるだけでしょう。
だから、バラは世界において考えなければならない。これが良識なのです。
331待宵:2006/06/14(水) 21:29:44
 コメスタイ?
 確かに、バラは世界において考えるかもしれないけれども、外界は霧で覆われている。
例え、我々がバラを愛でたとしても、バラが霧深い外界に覆われているというと、
我々は美しいバラに振り向かせることもできないでしょうから。
 日が昇ると世界が暖まり霧が発生する、しかし、霧が終わるまで待たなければ世界とい
えども美しいばらを初めて目にできるというものです。

 アン、その通りだと思いますわ。山吹色の太陽がブルーの海を暖め、グリーンの葉に朝露
が湿り気を与え、紫の世界がピンクのバラに緋色に和ませるようだわ。この彩は霧を待たな
ければならなかったわ。
332待宵:2006/06/15(木) 05:56:46
 ピンクのバラ、山吹色の太陽、緋色に染まった花びら、心が和むようね。
それに対して、ブールの海、紫の霧、グリーンの葉、大自然の厳しさを感じてしまう。
太陽が霧を立ちこめ、湿り気がバラに彩を添え、一輪の葉と花弁がある。
山吹色、紫、ブルー、緋色、グリーン、ピンクが集っているんだわ。
海と霧を太陽が際立たせ、霧が世界を覆い尽くし、太陽がバラを照らし、バラには緋色があり、
葉は霧の影響を受けてきらめいている。
 空に太陽が輝いて世界を山吹色に照らし、遠くにはブルーの海がみえるのね、そして、バラの
花をやさしく霧が包んでいるのがみえるようだわ。
333考える名無しさん:2006/06/29(木) 20:21:31
私、絵を見ないようにしているんですけど、この文章を見て感動させられました。
334考える名無しさん:2006/08/10(木) 11:10:53
age
335考える名無しさん:2006/10/08(日) 15:44:11
(≧ε≦)
336考える名無しさん:2006/11/09(木) 14:20:32
337考える名無しさん:2006/11/09(木) 17:57:10
僕の描く絵はラファエロより進歩しているそうだ
338考える名無しさん:2006/11/09(木) 22:23:56
想像力という産物が目には見えない真実を描き出す
339考える名無しさん:2006/11/12(日) 11:10:22
〜を描き出す、とは見えてるわけか。目には見えないと言いつつ。
340考える名無しさん:2006/11/12(日) 20:51:31
そうだよ見えないものを心の目に映し出すんだよ
341考える名無しさん:2006/11/12(日) 20:52:09
想像力は偉大だね
342考える名無しさん:2006/12/18(月) 20:38:40
対象から発散される意味を受け止め
その印象を伝える。
343考える名無しさん:2006/12/18(月) 22:08:46
>>325 言えない。
写真には時間が一瞬しかないが、絵画には時間が多様にある。多様と言ってしまうのは、すでに印象だけれどね。文学が時間を保存しているように、絵画もまた時間を保存している。一
344考える名無しさん:2006/12/19(火) 01:14:57
意味や価値は普通付与するものだが、
芸術においてはそこここに表出しているものを描写するものだ。
つまりいわゆる創作こそ模倣であり、またいわゆる現実こそ文字通り創作というのが実態だろう。
345考える名無しさん:2006/12/19(火) 01:57:04
人間謙虚にならんといかんな。
己や社会という人間的創作を横においといて、神秘的な世界の姿を捉えると。
346考える名無しさん:2006/12/19(火) 17:06:56
絵を認めてくれ
347考える名無しさん:2006/12/19(火) 18:57:04
>>346 みとめますた
348考える名無しさん:2006/12/19(火) 19:11:43
スーパーリアリズムだけは理解できない。
349考える名無しさん:2006/12/19(火) 19:22:59
>348
もとは広告の需要からきたもので絵画でなくイラストだね。
写真ではどこかに焦点が定まってしまい他がボケてしまうが、絵だと
すべてに焦点をあてて精密に描ける。
70〜80年代に珍しさからそんなイラストブームがおきた。
今ではCGにすべて置き換えられたけどね。 
350考える名無しさん:2006/12/19(火) 19:30:17
ついでにアートでもそうしたブームというか表現ジャンルがある。
キレイな広告と違って、人の肌の粗さやシワなどの肉感など、
普段隠すものをわざと克明に曝け出して見せつけ、見る側の心の動揺を
誘うものがあるけど、今やアートじゃ絵画は死んだも同然だね。
これは前述にもあるとおり、写真の発明で絵画の目的性が曖昧になった事が
大きい。
なぜなら、写真機の発明・普及と絵画の抽象性への転嫁は同時期におこっている。
351考える名無しさん:2006/12/19(火) 20:34:29
昔一眼レフで独自モードで有名写真家の〜のように撮れるってのをカメラに
入力するとその写真家みたく撮れるってのが売りなのがあった。
今じゃビデオの手振れ防止などさらに技術が進み素人とプロの差が狭まったかに見える。
また逆にプロがアクションカメラよろしく手振れやピンボケありの瞬時の表情を捉えた
ものもあり、それは一見素人が撮ったと言ってもわからないものである。
写真は特にシャッターボタンを押せば誰にでも気楽に撮れる、視覚をフレームで区切る作業である。
しかし、手軽で仕上がりが一緒だからといって、有名写真家そっくりに撮れた素人の作品がそのまま
評価されるわけではないのは当然の事であるし、素人もそれを発表しようとは思っていないだろう。
つまり、技術の進歩により、一段と撮る側の姿勢や思想に重点が置かれるようになるということだ。
同じ事が絵画や現代アートにいえる。
しかし現代において絵画は、キレイだからといった感情からキャンバスに向かうものと
アートのように思想から向かう二つの傾向に分けられるから、一見しただけではわからない
ようになっているから、見る側もその鑑賞眼が問われるもの確かだし、その目的性によって
見る側の評価が大きく異なるのも事実である。
ラッセルのエアブラシ絵画でも、そこに癒しを求めている人にはアリとなるし、工藤静香の絵が
好きな人もいるわけだ。
ここでは相対性よりも主体性でその意味作用が大きく異なるため、ウィトゲンシュタインの言うように、
語りえないもの、とまではいかないにせよ、定義づけることは難しいものだと思う。
352考える名無しさん:2006/12/27(水) 00:22:32
>>343
>写真には時間が一瞬しかないが
否。
353考える名無しさん:2007/02/21(水) 02:26:33
あげ
354考える名無しさん:2007/02/23(金) 23:23:53
写真の評価が写真以外の評価で決められるなんて変な話だ。
355考える名無しさん:2007/02/23(金) 23:28:47
絵画が時間を保存してるなら写真だって同じはず。
356考える名無しさん:2007/04/02(月) 11:36:35
はいはい。で?
357考える名無しさん:2007/04/03(火) 16:37:14
しかし現代においてウンコがしたいからといった感情からトイレに向かうものと
テツガクのように思考から向かう二つの傾向に分けられるから、一見しただけではわからない
ようになっているから、見る側もその鑑賞眼が問われるもの確か
358考える名無しさん:2007/04/03(火) 16:38:09
からからから〜
359考える名無しさん:2007/04/03(火) 16:50:11
このような場合、「鑑賞癌が問われないのも確か」の誤りです・・・
謹んで『訂正』させて戴きます。
360考える名無しさん:2007/04/24(火) 13:08:16
犬のアートコンクール
http://news.ameba.jp/2007/04/4290.php
361考える名無しさん:2007/05/18(金) 13:25:49 0
>>360
だから何?
362考える名無しさん:2007/05/18(金) 17:31:49 0
本物の哲学者って絵画などの芸術を高く評価していますね。
ハイデガーの<芸術作品の起源>メルロ・ポンティの<眼と精神>
ドゥルーズの<感覚の論理学>・・・・
 しかしどうも哲学者はあくまで悟性の人であるらしく、抽象絵画がやはり
最後のところで分からないらしいのです。レヴィ・ストロースも抽象絵画が
分からないらしい。ワタシに言わせるとそれが分からないと絵というものの
全てが分からないということになるのです。
363考える名無しさん:2007/05/18(金) 18:46:41 0
あなたの言う「絵画が分かる」ということが何を意味しているのか、
知りたい。挑発的な表現を使っていいなら、
そこに「分かる」と「分かったつもりになる」を
区別できるような何らかの基準がある否か、疑わしいという気もする。
「抽象絵画が分かる」というときの「分かる」の意味は何だろう?
364考える名無しさん:2007/05/22(火) 16:33:57 0
感動するということに他なりません。
美しい、すばらしい、なんていいんだろうという感性の次元
の超越的な体験ですね。
ピカソの言葉に「人はなぜ小鳥のさえずりを理解しようとせず愛する
のに絵を理解しようとするのか」よいう有名な言葉があります。
あなたがもし青春時代に或る女性の美しさにこころを奪われたとする。
それをデカルトのように疑わしいなどと考えたりするでしょうか。
1億人がそれは虚妄だと言い放とうがワタシはその感動とときめきを
無意味だとは思わないでしょう。
 実はワタシは絵をやっております。もうすこしつっこんで絵が分かる
とはどういうことか説明してみましょう。
 例えばここに子供の落書きとデ・クーニングかあるいはポロックなどの
抽象表現主義の絵があったとします。残念なことに、絵を描いたり現代絵画
に広く接するなどしていませんと、これらの質的な違いが分かる方は少ない
ようです。ほとんどの方には、両方ともでたらめのぐじゃぐじゃにしか見え
ないようなのです。イラストの失敗でしかないとしか見えないらしい。(
何かを説明するためのイラストと芸術としての絵画は違います)しかし、後者
は何かを説明する為のものではなくともでたらめではない。
 一枚の絵の中のこの線、ここの隆起した絵の具の肌理、この色の諧調を帯びた
支持体への流れついた仕方、この明度の意味はそこで絶対にそうでなければなら
ないように描かれています。もしこの部分の黒い線がもうすこし違うニュアンス
でひかれていたとすれば全体が台無しになってしまう。
 しかしこれは実は抽象絵画のみにいえたことではありません。セザンヌや
ダ・ダヴィンチ等具象絵画にもまったく同じことがいえるのです。
 これは絵画の形式的な判断といいます。この形式的な判断がつくようになる
ためには、実際に絵を描くなり音楽であればピアノをひくなりの訓練をし、
感覚の論理、素材の文法を身に付ける必要があります。
 
365考える名無しさん:2007/05/22(火) 19:12:00 0
俺は恋愛なんて幻想だと思う。
だって射精すると虚しくなるもん。
射精すると欲が無くなる。
従って射精後は欲の無い心で世界をありのままの状態で見る事が出来る。
射精後の世界がこの世の本質であり真理だ。

女は射精しない。
つまりいつまで経っても欲が無くならない。
男よりも女の方が欲深い。
女は強欲で醜い生き物だ。

男は射精によって悟りを開く事が出来る。
男はピュア(純粋)な生き物である。

虚しいが恋愛は幻想なんだ。
いや何も恋愛だけに限った事では無い。
そもそもこの世の全てが幻想なのだから。
全ては無である。
366考える名無しさん:2007/05/22(火) 20:03:33 0
>>364
トイレの便器を作品だと言って展示してやったら、
馬鹿どもが感動してやんの。wwwwww

367考える名無しさん:2007/05/22(火) 20:46:08 0
僕は音楽の勉強を小学生の頃にしかやったことがなく、ただ迫力のある雰囲気
が好きでメシアンなど現代音楽を聴いていたのだが、2ちゃんねるで
「楽理を知らない低脳のお前に音楽が理解できるわけねーよ」と批判された
事がある。確かにそうだと思った。どのような理論で作られているか、また
作曲者の意図などは僕には全く分からない。大学の作曲科で音楽を勉強してい
る人には、僕には分からない作曲者の意思が分かるらしい。僕は現代音楽の
雰囲気に合わせて、なんとなく自分のイメージや気分を楽しんでいるだけであ
る。理論的な理解や解釈は学問的客観的なものと言える
だろう。僕が音楽に触れる時は、客観性はなく主観的に音を楽しむ気持ちだけ
しかない。僕は間違った音楽解釈をしていた。

音楽はノイズミュージックを除いて、音楽理論の縛りがあり、建築のように
自由がきかない所があるが、現代絵画の場合は自由度が高く、理論的
な縛りから離れて想像力に忠実になれる面があると思う。個人的主観的で
勝手な解釈を許容するところが現代絵画の特徴ではないだろうか。それが
現代音楽とは異なるのだろう。音楽の場合は理論を知らない聴き手は駄目
で、正しい解釈というあらかじめ決まった正解が押しつけられるが、現代の
絵画の場合は遠近法を気にしないルソーを許容したり、カンディンスキーの
思想を無視して鑑賞する事を許容したり、そういう自由度があると思う。

ダリは、自分が表現したいものの正体が分からず、良く分からない直感を自分が
理解したいから描いているという。作者であるダリにも謎であるから鑑賞者
の共感を得ているのだとダリは言う。音楽にはそのような探求性は無い。
音楽理論が分かる人には作者の意図がはっきり分かる。音楽には何が正しい解釈
なのかが決まっている。ところが現代絵画には、
作者自身も作品が謎であるという事を許容しているようだ。直感を直接的に
表現するという面も、絵画という芸術の特徴ではないか。それは、絵画鑑賞は
音楽鑑賞よりも時間的に鑑賞者の自由に任せられるという所があるからだと
思う。時間的な縛りが少ない事で、ロールシャッハ・テストのように、
鑑賞者が自分自身に向き合う関係性を作っている。
368考える名無しさん:2007/05/22(火) 21:00:20 0
>>366
出品拒否された。
369考える名無しさん:2007/05/23(水) 10:34:07 0
365へ、幻想だっていいじゃないか。
366へ、デュシヤンの泉は彼の芸術活動の全体と当時の文化体制への
    破壊的問題提示として意味があった。そんなもんあんたが今
    やったってまったく無価値だろう。しかしいえることは
    デュシヤンとそこいらの例えば母親の首や手をのこぎりで切断し
    オブジェにした語るに値しない行為とデュシャンの作品のそれこそ天と地
    ほどもある違いが分かるかどうかということだよ。お若いの。

367へ ワタシも聞く音楽は好きで昨夜もフルトヴェングラーの復帰コンサート
   で痺れまくっていたんですがね。
    ワタシも音楽を自己の表現とはせず、形式的な判断は音楽については
   できません。形式的な判断こそ最もその作品理解を深めるでしょう。しかし
   自分には絶対音感というものがなく、ブレーズやシュトックハウゼンの
   音楽語法を形式に理解していなくとも、それなりに感動できる力を自分に
   感じ認める限りにおいて音楽を愛しております。だからあんたが自分で
   現代音楽を聴くことについて悲観的になることはないと思いますよ。
   
    それから絵画にも絵画論というものがあり、勉強すればより広い視野で
   作品に接することができるでしょう。しかし、いろいろ知っていても
   <感ずる力>がなければどうにもなりません。
    知識よりも感ずる力が芸術においては何より大切です。

    現代の日本社会では真理がどこか別のところにあり、大地と感性と肉体が
   不当に貶められています。真理が独占されているわけです。自分は深く芸術
   を勉強していないから音楽が分かっていないかも知れないなんて卑下する必要
   はだからないですよ。自分の感動のなかにこそ芸術の真理が同一性ではなく
   非同一的、差異的、非隠匿的なものとしてあなたの存在と世界を照らすの
   ですから。  
370考える名無しさん:2007/05/31(木) 00:57:58 0
>>369
「知識よりも感ずる力が芸術においては何より大切」なら
「デュシヤンの泉は彼の芸術活動の全体と当時の文化体制への
破壊的問題提示として意味があった。そんなもんあんたが今
やったってまったく無価値だろう」とは言えないはずです。
371考える名無しさん:2007/05/31(木) 11:38:33 0
370さんへ
 感ずる力があれば、デュシャンの物まねじみた反復はしないはずだ。
なぜならデュシャンの時代には破壊すべき生を抑圧するものがあった。
勿論今の時代にもそのようなものはありますよ。でも芸術の世界では
もはや破壊すべきものなどないとすらいえる。
 デュシャンなら今何を作るかを考えなくてはならないわけ。そこには
言うまでもなく感じとられたものとしての芸術的インテリジェンスは必要
です。でもそれはその人の生にとって意味のない、感動もなく得られたあたかも
所有物でしかないような知識であればなんの意味もなく、優れたものを生み出す
力とはなりえないだろうといいたいわけです。
 デュシャンのダダと観念芸術の系譜を引く優れた現代芸術はありますよ。
しかしそこにも優れたものと下らないものの違いはあるわけで、感ずる力
の差異があるんですよ。
372考える名無しさん:2007/05/31(木) 12:26:40 0
>>366,368は単に「泉」がニューヨーク独立芸術協会主催の展覧会に出品拒否された件(1917)
を言っているだけだろ?ww
しかし真相は
デュシャンが『泉』を出品したのは、アンデパンダン協会による展覧会で、
デュシャンはその設立メンバーのひとりであり、またこの展覧会は誰も「出品拒否」をできるような
性格のものではなかった。だが、『泉』はカタログにも載らず、会期中も会場に見あたらなかった。
会期が終わった後、デシャンはそれが「仕切の後ろにぽんと置かれていた」のを発見する。
これについてデュシャンは語る。「拒否されたのではなく、単に抹殺されたのです」。
そもそもデュシャン自身もこの展覧会の審査員だったわけだが「なんの相談も受けなかった」
という。
Mデュシャン、Pカバンヌ著『デュシャンの世界』(岩佐鉄男、小林康夫 訳、朝日出版社刊)による。
http://www.h5.dion.ne.jp/~sujaku/rensai/art/maruseru/maruseru.html
373考える名無しさん:2007/05/31(木) 16:33:21 0
この文脈では366はデュシャンはあたかもペテン師のようにされている
ではないか。
 366はデュシャンの言葉を借り、「馬鹿どもが感動してやんの」と
本人が言ってもいないことを言い、ひいては芸術を誹謗したのである。
だからワタシ369はその意義をわざわざ書かねばならなかったんだよ。
 ワタシ自身はデュシャンは非常に尊敬しており、こんなにカッコイイ
爺はそんじょそこらにゃいないとすら思っているが、コンセプチュアル・
アートは好きではない。悪しきプラト二ズムへの退行という感じでね。
 ついでに言っておくと芸術を何か非合理主義や非科学的なものとして
経済や政治の合理的理性の立場から排撃するのは<幼児的退行>であり
暴力への退行でしかないことも付け加えておこう。
 言葉では語りえないものが存在し、そこにこそ汲みつくし得ない豊かな
生に意味を与えてくれるものがある。感じる力なくしてそれに近づくこと
はできない。
374372:2007/05/31(木) 16:51:00 0
スレ主?ふつうにしゃべれる?
375考える名無しさん:2007/05/31(木) 17:30:36 0
美術史家のほとんどは芸術家ではない。
オタクのほとんどは作家ではない。
野球観戦してビール飲みながら野次飛ばしてる奴のほとんどは野球選手ではない。

芸術家による美術史論。
作家によるオタク論。
野球選手による試合解説。
これらだけが意味のあるもの。

他は素直に消費者やってれば良い。
376考える名無しさん:2007/06/01(金) 09:03:02 0
文化の難しさってそう単純に線をひけないところにまた
おもしろさがあるのよ。
 消費者の中に下らない生産者より質の高い芸術作品を生み出す者
がいたりする。
 芸術や哲学が一部の職業家の中、いわゆる専門家の中だけに流通する
ものだとでも思っていたら大間違いだね。
  要は質の高いものを生み出すものが増えること、質の高いものとそうではないものの
違いを識別する受容者が増えていくことが望ましいのだ。
377考える名無しさん:2007/06/01(金) 09:23:07 0
>>371
「感じる」とか「感動」とかには、
美術史の知識なんか関係ないよ。
何も知らない奴なら、
あなたが「物まねじみた反復」と見るものに
感動するかも知れないだろ?
そこにあるものだけ切り離してみれば、
オリジナルも物真似も分からないんだから。
378考える名無しさん:2007/06/01(金) 10:02:22 0
>消費者の中に下らない生産者より質の高い芸術作品を生み出す者がいたりする。
芸術家じゃん。 まあ、>>375では芸術家の定義すらしてないけどね。
美術史家、芸術家、消費者を集合で捉えないで、そのうちどれかを職業家で置き換えてしまっているよ。

>大間違いだね。
集合的に整理すると、大間違いな誤解をしていたことに気づかないかな?

>要は質の高いものを
質の高さの定義を聞くと薀蓄垂れてきそうだから聞かないが、
質の高さが決められるのは、どの集合によるもの?
もしそれが美術史家ならば、美術史家が芸術を生産すればいいんじゃない?

>増えていくことが望ましいのだ。
どの立場から?消費者?それとも新たな集合要素を追加する?
379考える名無しさん:2007/06/01(金) 10:31:35 0
377へ
 差異もあるけど同一性もあるんだよ。ばかだねえ。
だから作る者はみずからの個性だけでなく普遍性への
命がけの飛躍を賭けるんじゃないか。
 おれの言う<物まねじみた反復>には単なる効果を
狙うだけの非芸術の質の悪いものという意味がこめられている。
 馬鹿なやつが馬鹿な作品に感動するということもあるだろう。
質の悪いものにむしろ人々は群がるものだ。モーニング娘は売れる。
実際それに萌える馬鹿(失礼)がいるんだから。だけど俺はそういうの
に寧ろ寛容なほどだ。そいつらが将来現代音楽に目覚めることもあるだろう
からだ。でも俺はそんなもん作りたくないわけ。売るのが目的ではないからだ。
売るのが目的だったり、人を例えば政治かなにかの目的に煽動したりするため
に作品をつくるのではないのだ。
 それと、感じるということの中にはね、教科書的な美術史の知識とは
別にその人の美的体験としての知識が不可欠な場合がある。いろいろな
作品をみて初めて感動できるような感動というものがあるんだよ。俺
が前にデュシャンの泉に触れたとき、彼の作品の全体のなかでの泉=便器
ということを言ったはずだ。便器だけを見せられたら、確かに人は拒絶する
だけだろう。しかし彼のそれまでの美術の歴史がすべて流れ込んだ、それ
までの美術が全て感光された感性の感光紙によって生み出されたものである
ことを知るとき(そのためには泉以外の彼の作品を知る必要がある)、
それがたんなるペテンではないことを知り比類のない感動に襲われるだろう。
抽象絵画だってそうなんだよ。
 ペテンなものにペテン師が感動し、政治的悪巧みを思いつくというのは論外
である。
 
380考える名無しさん:2007/06/01(金) 10:35:18 0
 378は論争したいだけの政治野郎だな。
381考える名無しさん:2007/06/01(金) 10:53:29 0
 378は文脈の中で言葉の意味を読み取れない、
要するにアホである。
382考える名無しさん:2007/06/01(金) 10:54:16 0
消費物と芸術を分けて考えないから、
感じることなんて曖昧なものに逃げ道を探すことになる。
それ以前に資本主義のフレームから抜け出だしていない。

DuchampのFountainが茂木の言うアハ体験を与えてくれただけ。
主観的な価値観の変化の構造を自ら説明できない有耶無耶が、
美術史上の文脈に論理的整合性を求めている。

主張が整頓されないまま形にしようとしているので、歴史に根拠を求めることになる。
要は、言いたいことはわかないでもないが、うまく表現できていない。
383考える名無しさん:2007/06/01(金) 11:20:40 0
382
感じることがあいまいでどこが悪い?
 俺の言っていることは、あんたが言葉で理解できたとしても
芸術作品に感動したことがなければ永久にわからないだろう。

 悪しきプラトン・ヘーゲル的同一性の真理なんて芸術のなかに
ここではないと言っておこう。
 なにが資本主義だよ。政治野郎がよ。
 お前が感動した作品を言ってみな。
 
真に感ずるものだけが自分のあたまで考える。もうちょっと
芸術や哲学やなによりオタクの生にとって意味のあることを
言ってみな。お前さんのようなのが、いかに日本の文化を
貧しくしていることに貢献しているか考えろ。
384考える名無しさん:2007/06/01(金) 11:41:27 0
表現できないならば勝手に浪漫を語っていれば良い。
受動的に、感じるだけで停滞していては、芸術は出力できないのだよ。

シェフと美食家の違い。
美食家でありつつ芸術生産も行うというのなら、
君のいう感動を、見るものが感動できる形で表現してみれば良い。

オタクの生にとって意味のあるものは、美食家のそれと同じ。
385考える名無しさん:2007/06/01(金) 12:08:00 0
384さんへ
 
  実はワタシ絵画をやっております。
 それにしても現代日本の、特に文化的レベルはひどく、
 抽象絵画の全部はゴミだなどと平然と言い放つスレさえ
 あります。(芸術鑑賞のなかに見つけた)
  ここで政治野郎どもが、下らない無意味な論戦を仕掛け
 てきましたが、彼らが芸術を頭のレベルでも誤解している
 ようにとにかく驚異的なレベルの低さ。
  感ずることは現代思想のレベルでは復権しているはずなのにねえ。

 せめて少しでも質の高い作品がつくれるように、状況の悪さにめげず
 がんばりたいと思います。

  
386372:2007/06/01(金) 12:18:28 0
お、おれも一応げいじつかw
むかし公募展に入選してグランパレに作品飾られたことあるからな。
なんか話するか、論争じゃなくてなwww
387考える名無しさん:2007/06/02(土) 10:16:57 0
驚異的にレベルが低いのはここも同じじゃね?
「俺は芸術に感動する。おまいら感動する能力がないだろ」
ぐらいしか言えない阿呆が、偉そうに発言してる。w
388考える名無しさん:2007/06/02(土) 10:30:07 0
>>386
グランパレというとあのパリ万国博覧会のときに作られた巨大な建物ですか?
389考える名無しさん:2007/06/02(土) 13:05:10 0
芸術や絵画に対する愛のかけらもない奴らが、
人類の宝のようなデュシャンの言葉を捏造し、
現代芸術を誹謗している有様に対して、俺は
下らない、と言っているんだよ。
 どこかのお馬鹿さんがだな、芸術において
なにより大切なのは、詰め込み教育で得られた様な
美への自らの欲望にもとずかない知識などより、
感ずる力が何より大切だという俺の言葉に、なにやら
偉そうなものを感じたらしく、つまらないいいがりを
つけてきたんだよ。こんな、あたりまえの言葉にいいがかり
をつけ、ひいては文化的な創造力を枯渇化させる教条的な
合理化を推し進める、その結果としての<幼児的退行>を指摘することはむしろ
人間の良心の義務だ。
 この国には相当な教育をうけたはずの社会的地位のある
人ですら、抽象絵画にたいしてある種の偏狭な解釈が転移
されているのを、俺は幾度となく目の当たりにしてきた。
2chにはどこかの馬鹿が<抽象絵画の全部はクズ>などという
スレを立ち上げている。(美術鑑賞のスレ)
 ある偉人は肌の色ではなく人間性で評価されるのを夢見ると
った。しかり、芸術文化に糞も味噌もごちゃにする教条的な平等
などない。アホな言葉はその劣悪さにおいて、その危険性、全体主義
の変異体の愚劣さにおいて指弾されなくてはならないだろう。
 再び偉そうに聴こえるかもしれないが、おれの軽蔑と侮蔑の根拠
が多少ともご理解いただけただろうか。
政治的な闘争ゲームはどこかほかでやってもらいたいのだ。
390考える名無しさん:2007/06/02(土) 13:29:57 0
「人間の良心の義務」とはまた大げさな。
「抽象絵画は屑」って思っている奴がいたって、
別にどうってこともないでしょうに。
あなたは、「自分こそが真に芸術を愛し芸術を理解している者」
と自称して、啓蒙者か何かになるつもりなの?
391考える名無しさん:2007/06/02(土) 14:22:24 0
 こういうアホなことを言う奴がいました。
抽象絵画が分かるのと分かったふりをする、その
違いはどこにあるのか、それが分かるとはどういうことか。
 存在忘却もきわまれり。ここまで感性的なものが疎外されてる
のかと、これはワタシには驚異以外のなにものでもありませんでした。
 そしたら、今度は自分だけが感動できるかのように受け取られたんです
かねえ、<感ずる力>なんていうワタシの言葉がそんなに気に食わないの
か・・・。ほんとに感ずる力がないのか、世の中には一生芸術に感動しない
で亡くなるかたもいるかもしれない。
 そう思っているのなら、せめてその人はこういうべきです。
<自分にとって抽象絵画はなにも感じず、少なくとも自分は評価できない>
抽象絵画は屑というと、わたしはその偏狭さに是非オーバーだと思わない
でいただきたいがあの愚劣な右と左の全体主義を感じてしまうんですよ。
ヒトラーとスターリンの誤れる文化政策をね。
 ワタシは抽象絵画も具象絵画も両方描きますが、もう政治的なこと
にまきこまれたくないですね。というわけでこの件はお開きということ
にいたしましょう。

392考える名無しさん:2007/06/02(土) 16:16:30 0
俺は「分かるのと分かったつもりになるのに違いがあるか?」という
いかにも分析哲学的質問をしたが、「分かるのと分かったふりをすることの
違いはどこにあるのか?」と言った奴は別人か? 
まあいいや。ともかくその答が「感動」ってのは、答になってないか、
「分かるのと分かったつもりになるのには区別はない」と言っているか
どっちかなんでしょうな。
ともあれ、私の方としては、このやり取りで特に「抽象絵画」を問題に
していたつもりはないよ。抽象か具象かなんてことには関係なく、
「絵画が分かる」というのはどういう意味か聞いてみただけで。
具象絵画についてだって、その絵画が分かるっていうのは、
描かれている動物がヤギなのかヒツジなのか分かることじゃないだろう?
393考える名無しさん:2007/06/02(土) 16:42:44 0
これで本当にラスト、クレメント・グリンバーグと
哲学ではアドルノ、ドゥルーズの美学が頭で理解したい
あなたの絵画理解をたすけるでしょう。
 ほんじゃさいなら。
394Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/06/02(土) 19:59:13 0
>>382
>消費物と芸術を分けて考えないから、
>感じることなんて曖昧なものに逃げ道を探すことになる。
消費物と芸術を分けて考える制度をオチョクッたのが
デュシャンの『泉』だ。

>>385
>それにしても現代日本の、特に文化的レベルはひどく、
> 抽象絵画の全部はゴミだなどと平然と言い放つスレさえ
> あります。(芸術鑑賞のなかに見つけた)
まあ、現代芸術は総じてゴミだ。

>>371
>なぜならデュシャンの時代には破壊すべき生を抑圧するものがあった。
>勿論今の時代にもそのようなものはありますよ。でも芸術の世界では
>もはや破壊すべきものなどないとすらいえる。
現代は、ゴミを「芸術」として崇める制度が、抑圧として
働いているんだ。
395考える名無しさん:2007/06/02(土) 23:10:39 0
美術鑑賞板の名無しの名前:わたしはダリ?名無しさん?
これはひどいよな。
396考える名無しさん:2007/06/03(日) 11:32:56 0
美術鑑賞板っていうのがあるのか。行ってみよ。
397372:2007/06/04(月) 13:17:49 0
>>388
それ。作品が行っただけで、おれは行ってないんだけどねwww

まあ抽象画に限らず、「絵」が「わかる」っていうのは「わかったこと」を
言葉で表現しにくいからねえ。個人的な「はまり」や「感動」でしょ?
友だちと話す時は「言葉で表現できるんだったら、絵にしないよw」ってよく言うよww
ある絵に感動して、それをなんとか言葉で表現しようとして、
既成の政治的、経済的価値観に(実際は違うんだけど)シフトしちゃうってこともよくあることだ。
それは言ってる本人的にも実際の「感動」とはあまり関係のない領域に行っちゃってるんだが、
うまく言葉で「言えちゃう」と以降自分でもそんな気がしちゃうもんさwww
そうなると後はその言葉尻を捕まえて論争するのはたやすいwww

「現在」の、特に国内での現代美術はゴミに「なってしまった」よなww
これはニューヨークの現代美術バブルが崩壊して、有名どころがヘタな映画撮ったり、
わけわかんないcd出したりし始めた頃から始まっている。
それ以前の「現代美術」にはおもしろいものもあるよ、
デビッド・サーレのペインティングとか、
アンゼルム・キーファーの沈鬱なインスタレーション、
理屈っぽいのが好きならヨゼフ・ボイスとか
ハンス・ハーケとか。
398考える名無しさん:2007/06/04(月) 13:41:58 0
理屈こねてないで絵の具こねる。
頭でっかちでは、うまい絵は描けてもいい絵は描けない。
399考える名無しさん:2007/06/04(月) 14:27:34 0
>>398
自分の求める成長に合わせたバイアスを持つことは良いことだ。
バイアス装着はカメラのFストップ調整のようなものと考えている。
到達点にフォーカスが定まっていることで、努力が意味のあるものとなる。

俺の場合にはデザインにも絡むので、媒体よりも表現に特化するが故に
言語表現を流暢に操ることにも気を払う。
複数言語を話すこともあって、俺自身は自然言語の記号にあまり左右されない。
そういう流れの上で、感動であれども媒体に関わらず表現は可能であると推測している。
また、自然言語の下に表現不可能な伝達要素を頭の中に持っているので
プラトンのイデア論を否定する気にはなれない。

人それぞれ、主張の元には何かしらの事情があるのだろう。
400考える名無しさん:2007/06/05(火) 00:04:17 0
>>371
「デュシャンの物まねじみた反復」と言えるのは美術史の知識があるからです。
「知識よりも感ずる力が芸術においては何より大切」なら
ある芸術作品を「物まねじみた」と感じようと、「素晴らしい」と感じようと
どちらも正しいはずです。
誰にとっても、優れたものと下らないものの違いはあります。
その誰かの感性が他の誰かの感性より優れているとする「感ずる力の差異」には
感じる力以外の根拠が必要だと思います。
401Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/06/05(火) 00:40:49 0
優れたものがあるとか、劣ったものがあるとか、
作品を見て感じるとか、感じないとか、
その構図自体をオチョクリたかったんだと思うぞ、
デュシャンは?
402372:2007/06/05(火) 12:00:41 0
>>401
同意。やったもん勝ちの一発芸であることは自覚してただろww
しかし「手術台の上のミシンと蝙蝠傘の不意の出会いのように美しい」
というシュルレアリスム独特の「美意識」もあっただろうな。
あとは自分も審査員を勤める展覧会(だけど無審査の展覧会だったはずw)の
アンデパンダンさ(自由・独立、英語だとインディペンデント)を
アピールする意味合いもあっただろうね。
403考える名無しさん:2007/06/05(火) 12:52:09 0
 芸術においては知識より感じる力がなにより大切である。
なぜなら感じることが芸術の最終的な目的に寄与するから
である。知識はそれだけでは美に出会うことすらできない。
知識はそれだけではなんら美的現象を生みだすことはできない。
 知識があればそれでことたりるというのは理性の度し難い思い上がり
である。どこか感じることのほかに基準があるのではない。それらを
評価するときでさえ感ずる力がものをいう。
 質の差異を感じる力、感性にも論理があるのをご存知だろうか。
芸術は哲学でも科学でもない。



404考える名無しさん:2007/06/05(火) 13:26:48 0
芸術にあるのは<質>である。知識だけではこの<質>と
出会えない。量ならロボットにも知識だけで判定がつく。

また感性は磨かれていくものである。心理学でいう欲求に
対応する感性の次元から、それを超えて高度に繊細に育ち
欲望の対象となるものである。

感ずる力、感性の力、感覚の力は書物だけでは得られない。
実際に作品と接し、実際に作品を作るなかでしだいに成長
していく。
 美は知識として人に所有されるのではない。所有しよう
としたとたんに姿を消す。
405考える名無しさん:2007/06/05(火) 13:43:04 0
宮廷絵画や印象派や象徴主義は美しいと思うけど、キュビスムや
ダダやシュールはイイとは感じるが、美しいという感じがしない。
406考える名無しさん:2007/06/05(火) 13:57:29 0
芸術は、そもそももともと知識なんて問題に
なったことすらなかった。

 芸術においては、知識より、<技術>より
感ずる力が、そしてなにより<心>が大切
だった。

 心ある純粋な感動のなかでこそ作品はその
真の姿を開き、そのものを美の王国へと招き
入れる。
 よこしまな政治野郎どもには陳腐な<知識>
とやらをくれてやり・・・。
407考える名無しさん:2007/06/05(火) 14:08:31 0
>>406
ワイドモニタの16:9の比率が黄金比の1:1.61803に由来しているけど、
これは最も美しく見える形を、知識を使って表現しようとしている。
このあたりについて、何か感ずる力と心を関連させることはどうだろうか?
408考える名無しさん:2007/06/05(火) 15:17:12 0
 油絵のカンバスで人物画用はF何号と
いいますがこれも黄金比で出来ています。
造形上の約束事にも、たとえば対角線上
やど真ん中に直線をひいてはならないな
どといった、知識として共有できるものは
無数にあるといえます。
 けれども自分の実現したいなにかを
表出するためにどうしてもそれが必要
ならそういう決まりごとを破ってもかまわない
し、むしろそうすべきでしょう。
 フォンタナという画家は実際カンバスを
切り裂きさえしました。
 それは彼がそうせざるを得ないものを
感じていたからです。
 知識だけでは一枚の絵さえ描けないでしょう。
そして勿論それら知識は自分の感覚の実現のため
大いに利用すべきものです。
 知識は感覚に利用されるべきでありその逆ではない
と考えます。
409考える名無しさん:2007/06/05(火) 19:05:31 O
406みたいな奴が心をおいやっているのだろ
410考える名無しさん:2007/06/05(火) 19:06:48 O
美しさと醜さと
金閣寺は美しいとは思わないな
411Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/06/05(火) 21:19:15 0
もう一度いうけど、>>403 >>404 >>406 が奉じている、
19世紀以来のお約束事を、デュシャンはオチョクリ
たかったんだろうね。
412Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/06/05(火) 21:57:59 0
>芸術は、そもそももともと知識なんて問題に
>なったことすらなかった。
この「そもそも」が、いったい、どの時点を指しているのかが問題だ。
芸術が誕生した18世紀末以来の話をしているのなら、まあ、正しい。

むかし、この板のどっかのスレに書いたことがあるけど、
18世紀以前、絵画や彫刻は存在したが、芸術は存在していなかった。
18世紀以前、絵画や彫刻が問題にしていたのは「感ずる心」なんかでは
さらさらなく、まさに「技術」であり、キリスト教的寓意や黄金比に関する
「知識」だったのね。覚えといてね。
413考える名無しさん:2007/06/06(水) 10:54:14 0
 そういう教条的な美術史の知識だけだから412みたいな
つまんないことしか言えないんだよ。
 <芸術>も<人間>もたかだか2百年あまりの間存在していた
にすぎないのは書物からの<知識>。
 おたく18世紀以前の絵画に感性のきらめきを感じないの?
そうだとうれば知識に毒されていおり、一番大切なものを見失っ
ている証拠だ。
 モナ・リザ(この世界で最も有名で最も孤独な絵画)にある
技術は現代のいかなるリアリズム絵画の技術にも到達できない。
 ワタシは感性の重要性を強調したいがために知識、技術を
引き合いにだしたのであり、知識も技術も無価値だと言って
いるのではない。あたりまえだろうがよ。

 知識だけだと412が言葉でもそうであるように<紋きり>
しかできずそんなものはイラストではあっても絵画ではないのだ。

 哲学のなかでも偏狭で教条的な奴が感性、感覚の芸術における
優位性を承認できないらしい。
 雑魚は以後相手にしない。
 
414考える名無しさん:2007/06/06(水) 11:31:10 0
 ワタシは403.404.406.413と同じ人物だけど
411は間違えているので指摘しておく。
 ワタシのいう造形上の約束事は19世紀以後
だけのものではない。
 いや驚いたな、まあこんなもんか、ここでまた
前に使った感想を反復するのも馬鹿らしい。
 自分の目と感性をもたないと言葉の世界でも
たいした仕事はできませんよ。
 感覚の優位をドゥルーズがその比類のない絵画論
で展開したとしても、なにも感覚はセザンヌやべーコン
において初めて浮上したのではありませんよ。
 いついかなる時代においても感覚の実現は絵画の
究極の目的だったのである。
 ダ・ヴィンチはさすが真の画家であったのであり、
キリスト教の寓意を表面上描く形をとりながら、その
実自己の絵画感性を見事に実現させているのだ。
 感じる力がないとそういう真実が見えないのだ。
まあ、あんたには永久に不可能だろう。
415372:2007/06/06(水) 11:33:22 0
あんま人と話したくないのか?
416考える名無しさん:2007/06/06(水) 12:22:40 0
俺が思うには、無意識的に表現不可能性を表現しようとしているように思える。
本人の意図ではないと思うが。
417372:2007/06/06(水) 12:32:16 0
そーなのかよww
なんか視線を30度程ずらしてまくしたててるような感じがあるんだがww
418考える名無しさん:2007/06/06(水) 13:17:31 0
413で「雑魚は以後相手にしない。」と言い放ちながら、414で再度突っかかっている。
我々には、彼の「いらだち」がまっすぐに伝わる。
感ずる力を最重要ポイントに置いていることは我々には伝わっている。
それを表現する術が今のところ見当たらないはずだ。
知識に過剰に反撃を加えるのは、
どうやら知識を差別化することで感ずる力の領域を見出してきてるからじゃないだろうか。
恐らく今本人の中で柱となる信念が確立されている最中なので、
それを壊さないように過敏に守り続けているように見える。

と、エスパーしてみた。
419372:2007/06/06(水) 13:32:11 0
ああそんな感じだなw
よっぽどなんかいじめられたんじゃないかと、おれは思っているがww
しかし「感ずる力」じゃなあwww
そこを「力」とするから膠着しちゃうんじゃないか?
420考える名無しさん:2007/06/06(水) 13:43:32 0
あのねワタシの言っていることはね、芸術に
多少とでもかかわりのある人なら問題にすら
ならん類の、自明すぎて問題にすらならない
ことがらです。
 知識に過剰に反撃などしているつもりも
ありません。
 感性がなかったらピアノもバイオリンも
弾けませんし、一枚の絵いいものは描けません。
 感性がすべてだという世界があってどうして
いけないのだろう。まさかスポーツの世界も
知識が運動神経よりものをいうとでもいうのだろうか。
 その頑迷な偏狭さはどこからきているのか、恐らく
わたしの推測するあんたの好きな哲学者だって感性の
人でもあったんじゃありません?
 だからワタシはどこの団体にも所属しない主義なんです。
ま、永久に埋められない溝がありますのでこれで本当に
お開きということで。
 
421考える名無しさん:2007/06/06(水) 13:48:02 0
>>420
知識に対して感性とかいうのは最も素朴で稚拙な
反知性主義的な理論の知識です。
あなたのそういう考え方もね、完全に知識に依存
しているわけです。
感性万歳とか言っている奴こそ感性主義という知識や
思考法を押しつけているということなんですよ。
422372:2007/06/06(水) 14:10:36 0
お、角度15度くらいになったなww
「感性がすべてだという世界」っていうのも、まあなんとなくわからんでもないが
おれも、もの作ってるからひいき目かなww
おそらくそういう「言語表現」が稚拙だから>>421みたいにあっさり刺されるww
だけど絵描きなんて土台右脳特化人間だから、言語表現稚拙であたりまえだww
そういう時こそ哲板の左脳はガチガチ、右脳はスポンジ状のやつらと話し合うことによって
おもしろい考え方に出会えたりするんじゃないかい?www
まあやつらは右脳はスポンジ状だから他者に対するリスペクトが足りないが、
足りないところはおおめに見てやんないとwww

例えば>>421でいえばラスト2行なんて無視してあげるわけさww
すまんな例にとってww
423考える名無しさん:2007/06/06(水) 15:24:29 O
絵を描くには知識も必要ですが
絵を描く場合の知識は感性が求めるもので
絵を描く為の知識です。
絵を描かない方の知識は、知識を求める為の知識であって
知識の為の知識なのではないでしょうか。
絵を描く人の知識の構造と感性は
絵が描けない人には解らない
場合が有るかもしれないと思います。
424372:2007/06/06(水) 15:46:42 0
まあそう言い切っちゃうと何も書くことなくなっちゃうだろww
そもそも哲学が相手にするものごとなんて、日常ではとても言葉に表せないようなことだし、
それをなんとか言表し、連続性を見出してきたのが哲学の歴史だろ?
「解らない」と言った地点で哲学は終わる。おまいが哲学板にいる理由も無くなる。
「絵を描く人の感性」「感性がすべてだという世界」という
おまいが実感として持ってはいるが、未だ言表に至らぬもの、それが片鱗でも
言葉に表すことが出来たなら、おまいがいままで長文を連投してきた行為にも
意味が生まれるだろう。
425考える名無しさん:2007/06/06(水) 17:44:26 O
「絵を描かない人には解らない」言い切ると「哲学は終わってしまう」
では何故解らないのか、何故終わるのか。
それと「言い切ると」は何かについて
掘り下げるのが哲学なのではないですか?
絵画も同じく掘り下げるの行為でもあるね。
この色は何を元に言い表され、何を元にその色をしているのか
その知識を求めるのは何故か?
そう考えると
哲学が終わるわけがないね。
では何故に終わるわけが無いのか
延々と掘り下げる
そうすると、長文になるんじゃないですかね。
意味は後付けですわ。
となると感性が先で、知識が後なのかという疑問が沸くわけです。
では何故に疑問がわくのか?
解らないからでしょう。
ということでループします。
では何故にループするのか
解ろうとしているからではないですか?
理解しようとするからと等と
哲学的に爆発だw
スレ汚し申し訳ない。
426Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/06/06(水) 20:14:24 0
>>413-414
19世紀以来の制度に100%乗っかった書き込みであるけれども、
しかし、これほど見事なサンプルというのも珍しい。
人が制度への隷属に無自覚であるばかりか、むしろ、喜んで
隷属したがるということは、フーコーがパノプティコンの例を用いて
解明した通りである。
そんな鈍感な手合いをオチョクッたのが、デュシャンだ。
413-414の心性は、小便器が出品されたことに腹を立てた
展覧会主催者のそれに、ほぼ等しいといえる。
427Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/06/06(水) 20:16:11 0
>>420
>あのねワタシの言っていることはね、芸術に
>多少とでもかかわりのある人なら問題にすら
>ならん類の、自明すぎて問題にすらならない
>ことがらです。
自明であるという以上の説明が、何故できないのだろうか?
制度にどっぷり浸かるとは、つまり、そういうことである。
428Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/06/06(水) 21:21:31 0
芸術とは何であるかというと、19世紀が生んだ市民宗教なんだ。
で、「感性」とは、その御題目なのね。
「とどのつまり、感性とは何ですか」なんて聞いたら、
南無妙法蓮華経に少しでも疑問を挟むものに、
創価学会員がするかのように、もう喰ってかかってくる。
413-414が言葉足らずなんじゃない。
カ・ン・セ・イは神聖不可侵の四文字なんだよ。

けっこう、わかりやすい説明だろ?
429Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/06/06(水) 21:24:43 0
ちなみに、私は絵を描くんだ。職業としているわけじゃないが。
「感性」なんて卑怯な言葉に逃げない分、413-414より、
いい絵を描くと思うよ。
430考える名無しさん:2007/06/06(水) 21:31:29 0
Hannibalは、ウザイ連投コテの処刑ライダーに同類としての親しみを感じる? それとも嫌悪?
431Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/06/06(水) 21:35:45 0
あっちより教養がある分、だいぶマシだと思うが?
432考える名無しさん:2007/06/08(金) 08:25:13 0
>>420
このスレにおける知識と感性の対立で、君が感性側に立ってしまう「先入観」を壊してみようと思い、
もっと感性寄りの板を探して、似たような論点に人が集まるようなスレッドを探してみた。
単発のわかり易い煽りのレスを入れてみて、反応を見てみた。俺の性格が悪くて冷酷なのは今回は無視して頂きたい。
976が俺のレスだ。
ttp://pc11.2ch.net/test/read.cgi/cg/1168090173/

君はその「感ずる力」を何とか言葉なり何なりの形で表現しようとした。これは意味のある行為だと思う。
感性や「感ずる力」が大切なのは、自分らも皆気づいていることだ。皆そこへ向かっている。
その最中で、別の知識的な事柄に重要性を見つけたりしている。

「感性」の解明を諦めて、絵を描くだけで、あとは他人の評価に委ねるだけという生き方は誰にでもできる。
知識を避けることが理由で絵に逃げる人間も沢山いる。絵を描く人全てが強い信念を持って努力する人ではない。
上のスレッドの住民と比べると、君は十分知識側にいることがわかると思う。
まあ、学生や人生経験も少ない層とわざわざ比較するのも、ずるいこととは思うが。

でも、本当に「感性」だけでやっていくということは、
上のスレ住民のように、何の指針も持たずに、意味があるのかもわからない努力を重ねていがみ合う、
何十年経っても、彼らと同じ土俵で泥沼をもがいているのと変わらない、進歩がないことを繰り返す行為だと思う。
芸術としての絵画であろうとイラストであろうと、感性一元論に徹してしまうのは決定論にも似た、芸術自体を否定する考えだと思う。

433考える名無しさん:2007/06/08(金) 21:34:41 0
やや極論を言うと、一鑑賞者が一作品を鑑賞する際の感性的な体験と、
何を芸術とするかという芸術制度の問題は全く別物だと考えることも出来るだろ。
この関係は語りえぬものには沈黙しろといったウィトゲンシュタインが、
後になって全ては言語ゲームとして語りうるといったのと似てる。
434Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/06/09(土) 01:51:08 0
>>433
まあ、そうなんだよね。
あと、人と人の感性が出会うための解決策として「オカルト」というものがある。
カントの『判断力批判』というのもあるけど、あまり成功しているとは思えない。
つまり、語りえぬものを語ろうとするのは、オカルトが必要ということ。
一応いっておくと、私はオカルトを一義的には否定していない。
435考える名無しさん:2007/06/09(土) 20:33:46 0
>>434
俺はオカルトよりはカントを推すけどなw
判断力批判はあくまで美そのものは語りえないという前提の上での話でしょ。
オカルトと言えば原始芸術や原始言語なんてのは、須く神と語らうために作られたなんて話があるな。
436Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/06/10(日) 09:14:25 0
一鑑賞者の「趣味判断」は「範例的必然性」をもつ、
とかいうんだよ、カントは。
え? なんで? って思う。
オカルトの方が、ずっとわかりやすい。
437考える名無しさん:2007/06/21(木) 12:51:14 0
スレ見ないでカキコ
写実的という意味合いではなく、現実(非現実をも内包した)を
体現したそれらにある種の定義や共感を得る、または得ようとするのではないか。
その場合、同じ感覚(構造主義的な経験)も必要となるが、まぁそれは別の話。
438早 ◆yxoSe0qFeA :2007/07/05(木) 12:05:44 0
写真や実物を見るときの人間の認識は、実用性功利性に囚われた不純な知覚や認識でしかない。
例えば静物画を描く画家は、もっと純粋なもので静物を凝視する。画家の心の目で、対象のイデア的本質を見抜く。
そうやって描かれた絵には、その画家が見抜いた対象の純粋な存在のあり方がにじみ出ているから、たとえ実物的な静物から二次元へあるいは絵の具とキャンパスへと変化してしまっていても、
それを一般的生活的な認識になれた人が見たとき、対象の本質といえるようなものを、実物を見るよりも際立って認識することができる。
生活的認識になれると、ものを見るとき、頭の中にある語彙集や観念群によって、直接の印象がろ過されて、
生活するのに役立つ知覚的印象しかのこらない。あらかじめ印象を外へはじき出してしまっている。
でも静物画家は、見るとき、全ての感覚印象を逃さず見据え、対象の本質まで透視する。

印象派とかの絵画は、ものを見るときに動く心の躍動を情感的に表現してくれている。
だから、そういう絵をたくさん心のキャンパスに焼き付けておくと、自然の風景を見るときなどは、
その画家の心というスライドガラスを通して、美しく見ることができる。

絵をたくさん見る、あるいは絵を描くためにものを凝視したりものに対して自分の心で詩的な印象をあたえてみたりすることによって、
世界の視覚的な見え方もどんどん変わってくるもんだと思う。
439Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/07/15(日) 16:28:21 0
絵画を語ろうとすれば、制度論になるかオカルトになるか、
極論をいえば、その二者択一になる。

>>438
その「イデア的本質」ってところが、ほぼオカルトなわけよ。
結局、美学芸術学ってのは、歯切れの悪いオカルトにしかならない。
制度論に行っちゃうと、自らの学の成り立ちまで疑うことになるから、
これはできない。
かといって、オカルトに行っちゃえば学の範疇を超えてしまう。
というわけで、中途半端なオカルト議論になるんだ。
440考える名無しさん:2007/07/16(月) 03:11:21 0
よお、カスw
まだ生きてるの? 氏ねばいいのに
441考える名無しさん:2007/07/16(月) 05:07:40 0
442Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/07/16(月) 07:49:41 0
>>440
2ちゃんで「氏ねばいいのに」っていわれて、
実際に死ぬ奴、いると思う?
ホント、頭悪いな。
443考える名無しさん:2007/07/16(月) 08:01:01 0
必死だなw
444Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/07/16(月) 08:41:23 0
おまえがか?
445考える名無しさん:2007/07/24(火) 02:48:55 0
>>439
イデア的本質なんてのがもう通用しないだろうというのは尤もとして、二者択一はやはり極論なんだよね。
「感性的に把握されるものこそが芸術である」という言語ゲームが存在するわけだ。
どんなに概念的なものであろうと鑑賞者はまず、直感的に作品を把握するように思える。
つまり、「よくわからないが、これは芸術作品足りえる」という印象を様々な経験によって形成された感性によって得るわけだ。
それからはじめて芸術をめぐる言語ゲームが開始される。
二者択一ではなく、むしろ切り離せないものと考えるほうが自然だと思う。
例えば、デュシャンの泉ですらデュシャンが作品媒体に便器を選んだ根拠には、そこに美しさも、醜くさも認められないという
逆向きの感性が存在するんだよ。
446Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/08/11(土) 22:03:15 0
>>445
そんな曖昧な思考を許すから、
ゴミだか芸術だかわからない曖昧なもの
つまり「現代芸術」が生き延びてしまうんだ。

>それからはじめて芸術をめぐる言語ゲームが開始される。
開始されるかどうか知らないけど、
そのゲームとやらのルールに従うってことは、
要するに制度に従うってことだろう?
そんなもんに従う義理はないな、私には。
447考える名無しさん:2007/08/11(土) 23:32:56 O
芸術学の友達曰く、芸術学の半分はロゴスでもう半分はパトスらしい
だからオカルトって見方は当たってるかも
むしろ彼らにとっては、公然なことかもよ
まぁ、その友達だけの話だけど
448Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/08/12(日) 00:11:17 0
うん。「歯切れの悪いオカルト」だ。
449445:2007/08/12(日) 03:26:22 0
>>446
たぶんhannibalが言ってる感性はクオリアと呼ばれてるようなものの事に思えるんだが、
俺が感性という言葉で表したかったのはむしろハビトゥスの事だ。
これはセックスとジェンダーの違いみたいなもんで、制度的に形成される感性とか、その時代特有の共感覚のようなものはあるはずだ。
「あるはずだ」としか言えないので曖昧で歯切れは悪いが、二者択一とも言い切れないだろうと思うんだがな。
もちろん制度に従う義理などないが、感性のようなものも不可避的に制度に影響されるし、特殊な感性のあり方によって特殊な制度のあり方が形成されると考える方が自然だろ。
450考える名無しさん:2007/09/14(金) 12:01:41 0
>>448
よお、カスw
まだ生きてるの? 氏ねばいいのに
451考える名無しさん:2007/09/30(日) 22:31:07 0
写真が登場して、一部の絵画の役割は終わったといいます。
写真では捉えきれないものとして、絵画で何をしているのでしょうか。
452考える名無しさん:2007/10/01(月) 12:20:55 O
何故人は字もろくに書けない、言葉もろくに喋れない時に、クレヨンを持てば紙に何かを書き始めるのでしょう?
そこから人間の絵を描くという行為が始まるのですよ。
その謎が分かれば、何故人が絵を描くのがが分かると思います。
453考える名無しさん:2007/11/01(木) 18:41:59 0
sage
454 ◆iTZyANGeLU :2007/11/09(金) 21:50:22 O
絵画はひとのこころを慰めてくれる
455考える名無しさん:2007/11/14(水) 23:25:54 0
456考える名無しさん:2007/11/14(水) 23:50:59 0
>>451
写真vs.絵画っていう対立関係で考えるのはよくないんじゃね?
油絵も写真もCGも画像を作るための手段であって、
作りたい画像を作るのに適したのを選べばいいだけのこと。
一方で俺も、インクジェットプリンタの進歩で、リトグラフだの
シルクスクリーンだのはもう伝統芸能保存会みたいなもんだとは
思うが。
457考える名無しさん:2007/11/14(水) 23:58:03 0
少年のころ、シルクスクリーン使って年賀状つくってたな、そういえば
絵の具にまぜるのりの塩梅がむつかしいw

いま?プリンタ使ってますよ、もちろん
458考える名無しさん:2007/11/15(木) 00:08:00 0
いや、年賀状の話をしてるんじゃなくて・・・。w
459考える名無しさん:2007/11/18(日) 13:32:46 0
>>1
絵画の意義?
そんなのきまってんじゃん
描く人が楽しいと思ってるからだよ
460考える名無しさん:2007/11/18(日) 23:46:15 O
光の画家レンブラントの代表作「夜警」は、光を
作品に封じ込めたようだ。
しかし、暗闇の中ではその光は見えない。

だがそれこそ見事な表現の証。
461考える名無しさん:2007/12/11(火) 18:44:42 O
462考える名無しさん:2008/01/12(土) 17:02:56 0
age
463考える名無しさん:2008/01/12(土) 17:22:12 0
生まれて最初に制作した芸術作品は、
白いおむつに思いっきりウンチを塗った作品でした。
464考える名無しさん:2008/03/04(火) 14:35:34 0
age
465考える名無しさん:2008/04/17(木) 22:20:51 0
age
466考える名無しさん:2008/06/04(水) 11:05:00 0
age
467考える名無しさん:2008/08/01(金) 17:17:24 0
>>463
それは単なる脱糞
468恥ずかしいやつ:2008/08/01(金) 17:31:38 0
>>460
盲人のための、触って感じ取る絵画もあるんだぞ。
光はなくとも光は表現できる。
光は視覚だけで感じ取るものじゃない。
人の心の内にこそ真なる光が存在するからだ。
469考える名無しさん:2008/08/01(金) 19:01:30 0
光の表現なら詩や文学でもいい事になる。

絵画って何なんだろうな。
大昔の洞窟絵はサヴァン症候群が描いた絵と同じらしい。
自閉症の人が人形遊びのような感覚的な面白さを絵で追求していくうちに、
錯覚を利用した絵で人を畏れさせる事ができるようになった。
そこから反転して、人の現実認識は多くの錯覚が入り交じって
組織されているという認識哲学と結びついたが、
そういう騙し絵作品は絵画として深い味わいは無い。
470考える名無しさん:2008/08/01(金) 19:10:00 0
動きの流れを一瞬止めると、劇的な効果が出る。
次はどうなるんだ?何でこのように存在しているんだ?
と色々と考えさせる時間の余白を生む。
471考える名無しさん:2008/08/02(土) 13:22:47 0
写真も撮れるけど絵も撮れる
絵をそのまま撮るには天才でなければならない^^
472考える名無しさん:2008/08/24(日) 17:18:04 0
お聞きしたいんですが、TVで一枚の大きな絵の裏にまた絵があったという内容のやつを見ました。
どこの、どういう名前の画家がかいたものなのか、しっている方いませんか?
473考える名無しさん:2008/08/25(月) 20:08:22 0
大きなどんな絵よ
474考える名無しさん:2008/08/26(火) 16:31:13 0
>>472
壁画ならダヴィンチ
475考える名無しさん:2008/09/08(月) 15:10:28 0
ポール・デルヴォー 「こだま」 なのか?
http://mitleid.cool.ne.jp/kodama.htm
476考える名無しさん:2008/09/08(月) 16:41:36 0
>>472
フィレンツェの市庁舎の大広間の壁画の裏に、
ダヴィンチの何とかの戦いとかいう壁画が隠されているらしいとか。
477考える名無しさん:2008/09/09(火) 11:09:30 0
絵を見ることって、その絵の中に自分を見ることに帰結する気がして仕方ない。
478考える名無しさん:2008/10/06(月) 23:51:07 0
「ゴミと芸術」
言えることはゴミも芸術である可能性があるってことだけで、芸術=ゴミなんて言えない。
曖昧というより、誰にも分かっていない。
芸術家は今もゴミと芸術の境界を探している。

479考える名無しさん:2008/10/07(火) 07:04:36 0
>芸術家は今もゴミと芸術の境界を探している。

その言葉は胸に刻み付けておこうと思う。
480考える名無しさん:2008/11/19(水) 00:54:37 0
Chim↑Pom
481考える名無しさん:2009/03/17(火) 08:27:26 0
,
482考える名無しさん:2009/03/17(火) 17:06:12 0
>芸術家は今もゴミと芸術の境界を探している。

自称芸術家は今もゴミを芸術と強弁している、じゃね?
483考える名無しさん:2009/05/07(木) 14:40:45 0
↑大きなお世話(笑)
484考える名無しさん:2009/05/07(木) 21:34:31 0
たしかな大きなお世話(笑)
485考える名無しさん:2009/05/09(土) 21:32:33 0
たしか「に」大きなお世話(笑)
だった
486四国:2009/05/11(月) 21:22:50 O
アニメージュ
487考える名無しさん:2009/05/17(日) 05:24:22 0
目に見えないはずなのにどうして絵が描けるのかという人の為に用意してみた

ttp://creyon.accela.jp/otona_no_nurie/
488考える名無しさん:2009/08/02(日) 22:47:24 0
age
489考える名無しさん:2009/08/02(日) 22:52:26 O
やくまがきたりてふえをふく
490^^ミルキュ〜:2009/08/02(日) 22:53:29 O
にゅーふふ

イマシタネ♪
491考える名無しさん:2009/08/03(月) 20:44:14 0
絵を描く、図に載る、平たい

中央、ライン、領域、境界

これらは紙に図形を書いた物であり、純粋な概念でない
492上智スライム:2009/08/04(火) 03:24:53 O
493考える名無しさん:2009/08/13(木) 12:33:34 0
(^笑^)【論理卿】スパゲティを語る【ロゴス】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1236253677/
494考える名無しさん:2009/10/07(水) 01:44:31 0
age
495考える名無しさん:2009/10/13(火) 17:11:06 O
「実写にする」という概念があるが、無音映画で漫画の吹き出しを映像化した映画はなさそうだな
496考える名無しさん:2009/10/15(木) 08:43:59 O
紙との摩擦
497考える名無しさん:2009/10/15(木) 09:05:44 O
あんまり下手に包囲してくと誰か病気になって事故だけじゃすまねえぞ
498考える名無しさん:2009/10/15(木) 09:32:32 O
小田原城の包囲網は関東管領の時には落ちなかったが豊臣で落ちた。何故かはわかる。北条早雲の代から正義があった。それでも落ちたのは兵の規模のまえにもうひとつだけ理由がある。本当はそれでも落ちない筈だ
499考える名無しさん:2009/10/15(木) 10:28:13 0
武田信玄の西への上洛には間違いがあった。
西へ向かうということは星の完成には程遠い
500考える名無しさん:2009/10/15(木) 17:21:13 O
八卦
用意
501考える名無しさん:2009/10/15(木) 18:21:58 O
写真じゃ肉眼の再現は不可能

だが絵画にはそれが出来る
502考える名無しさん:2009/10/15(木) 18:46:19 0
写真じゃ自分の内面を表現する事ができない。
写真は現実
絵は超現実
503考える名無しさん:2009/10/15(木) 21:50:19 O
写真は画面として見ても遠くが歪んでるから肉眼とは全く違う
504考える名無しさん:2010/01/15(金) 11:25:35 0
tesuto
505考える名無しさん:2010/05/27(木) 03:36:28 0
絵画とは何ですか?
506考える名無しさん:2010/05/27(木) 04:25:26 0
自閉症っぽい人は写実的に、言語伝達的な人は記号的に
507考える名無しさん
ナルシスティックな人はシュールに、年寄りは印象派ぽく