無の形

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1考える名無しさん
「無」に形は無いのかなー。
色即是空の空ってのは色が空たりえるということだから
無とは違うと思うんだけど
無と有(在でもいいや)の関係で
無が形づくられてくことって、ないのかなー?

たとえばケースの中にペットボトルつめてあるじゃない?
あれのペットボトルとペットボトルの間の空間って
ペットボトルは「無い」けど、形はあるよね?
いや、これは「無」そのものとは関係ない話だけど
たとえばの話。「あるもの」の輪郭によって「無」の形も
きまってしまうんじゃないのかなぁ。っていう感じ。
ドーナツの穴、とかわかりやすいね。
2考える名無しさん:04/10/15 17:24:00
>1さんの夢精に形は無いですよね



3考える名無しさん:04/10/15 17:25:08
>>2
そうなのかなぁ?
だって、形があるから、僕のものになるんじゃないのかな?
ほかの人が直接見ることはできないけど
僕という領域(その輪郭が形)におさまってるから
僕の夢想であって、君の夢想じゃないんじゃないかなぁ。
4考える名無しさん:04/10/15 17:32:02
あのさー、たとえばさー
今ここにあるドーナツの穴はさー
今ここにあるドーナツにの穴にはドーナツは「無い」し
世の中的にも一応空間、ブランク、「無い」じゃない?
でもこの穴はさー、今ここにあるドーナツの穴の形をしていてさー
今ここにあるドーナツがなくなったら
この穴の形をした「無」もなくなってしまうじゃない?
でもさー、よく考えると、ドーナツの穴も
地球上のものであってさー、決して絶対的な「無」じゃないわけでさー。
「無」っつー概念にたいしてさ
そういう勘違いをしてることはあるかもしれないよね。
つまりさ、僕らはさ、「在るもの」でさ、「在るもの」が「無い」ことを「無」として
考えてしまっててさ、。僕ら「在るもの」の輪郭で「無」の形を作っちゃってて
それは絶対的な「無」じゃないかもしれないの。
そーゆーこと。
5考える名無しさん:04/10/15 17:40:38
よるになったらまた来るから
頭の良い人いたら教えてください。
教えなくてもいいから一緒に考えてください。
6考える名無しさん:04/10/15 17:59:41
>1さんは一緒にオナニーしなくてもよいから、頭のよい人に考えてもらいたいだけではないですよね


7考える名無しさん:04/10/15 18:15:56
>>6
その前に>>3の説明には納得してくれたー?
86:04/10/15 19:25:51
>1さんの夢であるのは納得するけど、領域にあるから無ではないとは思いませんよね。



9考える名無しさん:04/10/15 19:27:04
宇宙は無から始まったんだろw
10考える名無しさん:04/10/15 20:07:15
>>4
だからそのジレンマを乗り越えるために「空」があるんだって。

無はその通り有により決定付けられますが、
有もまた無によって決定付けられます。

例えば先のドーナツの話でいけば、
もし世界に何もない空間というものが無ければ、
私たちはドーナツが丸いとか穴が空いているとか認識することができない。
「何もない空間」があるからこそ
「ドーナツ」というものが区別され、認識されうる。

こういう、
「無も有も相互依存する概念であり、だから世界の本質は無でも有でもない」
という考えが空の基本。
11考える名無しさん:04/10/15 20:27:23
ん?
12考える名無しさん:04/10/15 21:32:10
>>8
うん、無でないとは思ってないんよ。
領域はあっても、無は無だろうということ。

だから>>10の意見は受け入れがたい!
無は無で有は有じゃだめなのか!
なぜわざわざ空という概念を持ち込む必要があるのか
ピーンと来ないの。
だって、あるものは「ある」し無いものは「無い」じゃない。
ドーナツの穴はドーナツの穴であって、ドーナツそのものではないのだから
色即是空って考え方はちょっと理解しがたい。
世界の本質はあるものはあるし、無いものは無いんじゃないの?
「無も有も相互するけれども、無いものは無いし、あるものはある」んじゃないの?

空ってのはさ、見方がちょっと違うと思うんだよね。
無と有を追及しないで、いっしょくたにしちゃっただけに感じる。
あるものはあるんだから!無いものは無いんだから!
13考える名無しさん:04/10/15 21:36:57
無って何だろ
ペットボトルの隙間、ドウナツの穴
空気があるやんw
いや、その前に空間がある、空間さえもない場所が無なのか?
14考える名無しさん:04/10/15 21:37:47
>1さんは美少女ではありませんよね


15考える名無しさん:04/10/15 21:43:44
空は状態だと思うけど
存在と無は状態とはちょっと違うと思うんだよねー。

ドーナツがある 「無い」 とか
人がいる いない とかの次元の 「無い」 と

「無」はちょっと違うんじゃないかなー。

つまりさ、「あるものが無い」ことの「無」と
「無」としての「無」の違いかな。

前者はドーナツの穴とか、その周辺だよね。
で、後者は、空じゃないの。だって無としての無なんだから。
概念の問題だね。

>>13
僕はドーナツのたとえの空虚さについては
ちゃんと説明しといたつもりだよー。

もちろん、ドウナツの穴の中には空気がある。

>>14
料理が下手で、身長が150センチくらいで
語尾には「です」をつけて、黒髪のストレートで
お裁縫とか、茶道とかが得意でお勉強もよくできます。

ただし、おっさんです。
1613:04/10/15 21:49:38
自分がある状態の時、ペットボトルの隙間の無、ドーナツの穴の無が識別
出きる(空間があるってのが前提)、自分が無くなってもペットボトルの隙間の無ドーナツの穴の無が識別
出来ないけど、多分あなたの言う無があると思う。
ほんと世界と私の存在は不思議だね
1716:04/10/15 22:00:06
無て、普通体験出来ないかもね
自分がいれば、無じゃない(自分が居る)
無でない空間で、無を感じるってことか
18考える名無しさん:04/10/15 22:02:45
ドーナツの穴の部分にはチッソ原子や酸素原子が大量につまってるんだかが
19考える名無しさん:04/10/15 22:20:06
>>18
もー!!そういうことは考慮済みだって言ってるのに!
ただぼくちんの思ってることをわかりやすく
例にするために抽象次元におけるドーナツという例をさ
出したの!

>>17
そーなんすよね。でもどっかに無が無として「無い」と思うんですよ。
僕たちは「在る」から「在る」の限界、その境界が「無の形」だと思うんス。
で、僕らはあくまでも「無の形」を「無」と認識しているだけナンス。
無の本質ってのはわからないんス。

で、こうやって考えてたらアートポイエーシスに行きついちゃった。
20考える名無しさん:04/10/15 22:22:29
オートポイエーシスね。打ち間違えた。
21考える名無しさん:04/10/15 22:24:45
俺の未来
22考える名無しさん:04/10/15 22:51:47
無の話をすると、くろしろ師匠がくるぞ
23考える名無しさん:04/10/16 16:08:53
あの、ちょっと確認しておきたいんですけど、要するに>>1さんの疑問てのは、
「絶対的な無」はあるのか?
ということと、
その「絶対的な無」は「絶対的な有」によって形作られているのではないか?
ということなんでせうか。
24考える名無しさん:04/10/16 23:10:41
>>23
そんな感じだと思います!

僕らは有の境界としてしか無を認識できないのではないかなー。
とゆーことです。
有と無は対等じゃなくて、境界しかわからないのです。
境界がつまり形なわけです。形は見てるけど、無そのものは
わかってないんじゃないでしょか!
25考える名無しさん:04/10/16 23:16:46
「無」の書き順には気をつけろ!
26考える名無しさん:04/10/17 00:41:59
書き順っておもしろいね!
だってさ、「無」っていう字はすでにできているし
記号としての意味は、書き終わった「無」っていう字から生まれるじゃない。
書き順なんて本来どうでもいいはずなんだよ。記号としての意味から考えたら。
じゃぁ、書き順ってなんなんだろう。
正しい書き順はなぜ「良い」んだろうね!?
27考える名無しさん:04/10/17 03:03:18
死んだ精神には死んだ精神なりの役割がある。
28考える名無しさん:04/10/17 20:36:15

無形文化財の形を示してください。
29考える名無しさん:04/10/21 09:34:47
たとえば、能は無形文化財だとしても
能には「型」(カタ)があるじゃないすかー。
30考える名無しさん:04/10/21 09:42:45
無形文化財は「形」を生み出す文化財ですね。
無形から有形を創造する才能。
31:04/10/21 23:37:36
2通りの無がある(?)と思われる

一つは1の言うような
全て-全て=無
要するに有が基準になって、その範疇に入らないものを無としたもの

もう一つは
有の対極に位置する無
有とは相容れないONかOFFかの無
形作ることすらできない概念的な無
32考える名無しさん:04/10/29 21:00:13
保守age
33考える名無しさん:04/10/30 09:45:22
最近僕は「理」「気」についてちょっと学んだんですが
この「理」「気」という考え方をとりいれると、「無」というのが
わかりやすくなってきますね。
ただ、「理」「気」は哲学的に許容されるかどうか微妙ですから
あえて触れませんか。

また、「理」「気」で説明がつく、とするならば
「無」は思想体系にとりこまれて、概念としての形を変えていくことになりますね。
34考える名無しさん:04/10/30 15:52:58
もう少し詳しくキボン
35考える名無しさん:04/11/06 06:11:57
こういう思想は
武道にもあるよ。
36考える名無しさん:04/11/11 12:46:13
人間にとって選択肢が多いことは良いことばかりではない。
むしろストレスであり、苦痛でもある。
制限や負荷によって自由選択の不安(未来への不安と言えるか)
から解放されるというと言うこともあり得るのではないか。
37考える名無しさん:04/11/26 08:48:16
物の存在には背景が必要。
地平線で分けられた海と空で考えてみると
海を見ると空は背景。空を見ると海が背景。
物体は必ず他物との比較により存在域が
確定し認知される。
38考える名無しさん:05/02/08 13:28:24
有の形は、どうよ?
39考える名無しさん:05/02/08 22:01:50
有の形って無限・・?
40考える名無しさん:05/02/08 22:10:59
>>38
気体は有るよな?どんな形してる?
41考える名無しさん:05/02/13 14:06:45
>>38
1です。無の形という問の意図を述べます。

無の形と有の形は補完的だけど
有の形は「有」という形があるわけじゃない。
「無」は無として無だけど「有」は具体的に”ある”ものの集合の名前。
そして、無の形と有の形は補完的であるから
有の形の輪郭は、無の形の輪郭と一致すると思います。

しかし、ここで考えなければならないのは
本当に無と有は補完的なのか、ということだね。
無と有の境界に中間層は存在しないのだろうか?
直感的に、無いとは言えるんだけど。
42考える名無しさん:05/02/20 05:18:09
有の中に無は無い。
43チラシ:05/02/25 22:20:28
坐禅と見性 第十四章
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1108144172/
一粒の芥子、よく須弥山(しゅみせん)を隠す。
一掬(きく)の水の中に人魚たちが心ゆくまで踊る。
私は終日汝に相対していて、劫初以来会った事がない。
看よ、東山全嶺が水上を歩いている。
エックハルトの乞食の挨拶 「[朝な朝な好(よ)き朝です」。 雲門 「日々是好日」
扇を扇と呼ぶな、鋤(すき)を鋤と呼ぶな。
昨日は痛かったが、今日は痛くない。 さっきは泣きわめいたが、今は笑っている。
腹が減れば食い、疲れれば眠る。
雪がすべての山を白く覆うている時、なにゆえにあるひとつの山は覆われずにあるのか。
清浄の行者、涅槃に入らず、破戒の比丘、地獄に堕ちず。
我の知っている事を汝は知らず、汝の知っている事を我はことごとく知る。
大力の人がどうして彼の両脚を挙げることができないのか。
柱が毎日動き回っているのに、どうして私は動かないのか。
わたしは釈迦の出現以前からさとりの状態にある。 光あれと命ずる以前の神と共にあれ。
44考える名無しさん:05/03/03 19:12:18
>43
まるちやめれ
45考える名無しさん:05/03/03 20:14:40
無形文化財には形がある。
46考える名無しさん:05/03/03 20:29:28
>>45
あるの?
47A:05/03/05 10:56:39
>>1
そもそもからおかしいな。
空間の定義もしないでよくいうよ。
48考える名無しさん:05/03/05 11:16:41
こいつら馬鹿ばっかだな
49考える名無しさん:05/03/05 11:27:32
>>47
空間の定義が必要かな?
それはなぜかな。
それが君にどのような誤解を生んだかな。

有と無の補完性についての疑問なんだけど
この文脈で、ペットボトルとペットボトルの間の空間と言った場合
ペットボトルが無い、という意味だと解釈できなかったかな。

空間の定義をしないと、できないような問題だったかな?
複雑な意味で空間という言葉を用いたわけじゃないし
それは文脈から理解可能だと思ったのだが、
解釈の違いによって、どのような問題が生じたのか、説明してくれるかな?
50考える名無しさん:05/03/05 11:44:13
>>1
ペットボトル「でない」ものによって、ペットボトルが「ある」わけじゃないだろ。
ペットボトル「でない」ものがペットボトルが「ある」ことの原因になっているのではない。

「ない」が「ある」に作用を及ぼすなんてことはないんだよ。
51考える名無しさん:05/03/05 11:47:55
>>50
うん、それはそうだよ。
誰もそんなことは言ってないと思うんだけど。
どこかで言ったかな?

僕は有の形から無の形がきまるのかなぁ、とは言ったけど
無の形から有の形がきまるとは言ってないじゃん。
52考える名無しさん:05/03/05 11:51:46
>>51
「ない」が「ある」に作用を及ぼすことがないのなら、
「ある」は「ない」に影響を及ぼすこともないのでは?

「無の形」という表現はおかしいよ。
「ある」の隙間は、「ない」のではく、別のものが「ある」んだよ。
53考える名無しさん:05/03/05 12:47:31
>>52
>「ない」が「ある」に作用を及ぼすことがないのなら、
>「ある」は「ない」に影響を及ぼすこともないのでは?

作用反作用が必ず成り立つとは限らないんじゃないのかなー。
それから、作用を及ぼすって言葉が抽象的で誤解を生みやすいと思うな。
有が直接無に触れているのではなく、あくまで、相互の領域の問題だし。

>「ある」の隙間は、「ない」のではく、別のものが「ある」んだよ。
隙間といのがよくわからないけど、「ある」ならそれも「ある」だよ。
54考える名無しさん:05/03/05 12:50:58
そもそも、僕は、そのペットボトルの隙間を「無」と言ったわけじゃなく
無と有が補完的であるかどうかについて
補完的である例のイメージを伝えやすいように
ペットボトルとその隙間の話をしただけだよ。

じゃあ、無って何?
無ってものは存在するの?ってことになるけど
無が存在する(この言い回しはちょっとおかしいが
無の形が有の輪郭として認識されているとすれば理解はできる)と
仮定した上で、>>1の質問をした。
55考える名無しさん:05/03/05 13:19:55
>>54

|ペットボトル|非ペットボトル|ペットボトル|

こうなってるわけでしょ。
非ペットボトル=無という考えは受け入れ難い。
非ペットボトル(隙間)の形とは、あくまで「ペットボトルでないものの形」であり、
無の形ではない。 無に形が「ある」わけがない。
「無い」は端的に「無い」。
56A:05/03/05 14:40:09
>>49
ペットボトルが無いと言ったって、
現実問題、空間が定義されていないと
完全な無だとか広がりはあるけど虚無だとか、
物質の立場は空間の内か外か、あるいは
ものという認識上の物体は空間に所属するか否か
などにかき回されて、頭の中はちゃんこなべの状態になるよ。
有るものは有る、無いものは無いということで
すっきりと日常生活に戻れる人は別だけど。
57考える名無しさん:05/03/05 16:19:46
>>55
だから、比喩だっつってんじゃん。
無とは違うけど、ってしっかり言ってあるでしょ?
それでもダメなの?
じゃあ、君は石田光成の「三本の矢」の話を聞いたときに
「われわれは矢ではない」「われわれは矢のようにまとまってあるわけではない」
「われわれが協力すること、と矢が三つ束ねられることには関係性がない」などと
ナンセンスな反論をするわけ?

>>56
あのさ、空間って言葉がわるかったかな。ブランクスペース。ね。
これでもダメならなんとも言えん。比喩を使うな、って話になる。
別にこの比喩は、重要なことじゃない。
ただわかってもらうために、身近なもので簡単なイメージを
伝える方法をさぐっただけで、それについてまた細か説明をするなら
わざわざ比喩を用いるメリットはない。

一般的に 無 とは あるものが ない こととして認識される。 
ゆえに ある もの の 輪郭が ない のかたち として認識されているのではないか。
ある があるところには ない は ない。 あるとは とある空間をとある時間の一点において
占有することで(ハイデガー的な話はぬきで)
あるものがなくなる・・・という移動などによる時間的な変化は考慮しない。

無とは、何も ない という意味で考えられるが、それは、ある時間の一点における ない と ある の関係は
ある の 輪郭によって 考えられている とするならば、無にも形があるだろう。 

われわれが一般に語る 無 は 形ある無 としてしか想起、認識されないのではないか。

58A:05/03/05 17:42:44
>>57
とても、承知。
確かに、認識の構造上、何かでもないものを認識することはできない。
ペットボトルの外が形のない無だとするなら、ペットボトルの側面の寸法に
ふれる部分に寸法は無いことになってペットボトルの側面に寸法があることと
矛盾するからね。
ところで、ひとつ教えてくれませんか。
あなたなら空間をどのように定義しますか。
59考える名無しさん:05/03/05 18:23:52
言葉の定義は文脈で変る。

平面と対比させた時の空間ならば奥行きという特性を重視することになる。
この時の空間は立体という意味とほぼ同じである。

言説空間、というならばある一定の領域を考慮した上で、高さ、幅、奥行きの
三つの要素に平等の価値を置き、その広がりの中に言葉がいくつもちらばっている箱、もしくは球体を
イメージするだろう。同時に、階層意識も生まれてくると思う。箱もまた箱の一部でしかない。

ものとものと間に空間ができた、という場合、これは空隙、とほぼ同じ意味を持つと思う。
この場合は、必ずしも三次元の形をとらない。二次元的なイメージを持つこともある。
また、空隙はかすかな隙間をしめすが、空間の大きさは自由度が高い。
60A:05/03/05 19:16:33
今の時代、またこれからの時に、物理学上、あるいは哲学上、
空間の規定を明確にすることはもっとも重大と思う。
物理学上はともかく、哲学上広義に空間を規定することは基礎。
私は空間とは量の概念を持つものと定義したいけど、なにか
問題点があるなら教えてください。
61哲子:05/03/05 19:22:05
空と無が違うことくらい理解してから哲学しなさい。
62考える名無しさん:05/03/05 19:28:14
私は頭悪いんでよくわからんのですが・・・
>>1さんは何が疑問なのでしょう?
無いというのは物を数える上で言えば0ですよね
様は「有る」物が無い事を無いと言うのでしょう
ドーナツの例えで言えば「無い」=「ドーナツが存在しない部分」ってとこでしょう
確かに有る物の存在によって無い部分の輪郭は捉えられる
しかしドーナツを割れば輪郭が変わり、言うなれば無の形も変わる
つまりドーナツに対する空気のように形が変わるので形は無い
ペットボトルの例も詰め方変えれば空間の形も変わりますよね
でもこの「無い」というのは「有る」物により相対的に位置付けられた(定義された)無だからってことで・・・
>>1さんはこんな事はわかっていて、もっと別の無に対しての疑問のように思えます
なら「有る」に対する無ではなく、別の例えや定義をいただけるとこっちももう少し
>>1さんの考えている所に辿りつけると思うとですが・・・
いかがなもんか
63A:05/03/05 19:50:33
虚無に接するもの(ペットボトル)という文節は矛盾してます。
虚無はかんてんや透明ぜりーではない。
真の無を知ろうとするなら、存在を知らなければならない。
そのために広義の空間を定義しておかねばならないのです。
なぜなら、数学を、幾何学を用いずに理論は成立しないからです。
64考える名無しさん:05/03/05 20:01:59
>>63
矛盾してるって言うよりも
Aさんの言ってる虚無の定義を教えてくださいよ
65考える名無しさん:05/03/05 20:08:31
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   / ̄ノ( ヘヘ ̄ ̄ ̄
66A:05/03/05 20:12:11
虚無とは、長さとか重さとか意味とかの一切の量概念と切り離されているもの。
つまり、認識対象ではなく、また認識の主体でもない。
67考える名無しさん:05/03/05 20:14:44
虚数の意味って何ですか?
68考える名無しさん:05/03/05 20:15:13
無は有無ではないのだよ
69考える名無しさん:05/03/05 20:21:02
>>61
無と有の話をすると
「色即是空」って言われそうだから
わざわざ無とは違う、って書いてますけど問題ありますか?

>>62
あなたのおっしゃるとおりです。
ある、ないを敷衍して有と無の次元にもっていくのは、ちょっと無理がある。
間違った道に入り込んでいる自覚はあるんです。
ただいったいどこで間違ったのかはよくわからない

しかし、僕が言いたい「無」はまさに「無」です。
「有」と対置される「無」。概念としての「無」。

>>66
虚無の定義は、まさにその通りだと思いますが
はたしてわれわれはそういう「思惟と延長」の存在しないものを
想像しえるのか。われわれは定義と矛盾していても
「有に接するもの」としてしか無を認識できないのではないかと思います。
70A:05/03/05 20:24:04
>>67
存在を打ち消す要素さ。
71考える名無しさん:05/03/05 20:27:49
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    |  (   ゚)        ─
   / ̄ノ( ヘヘ ̄ ̄ ̄
7262:05/03/05 20:35:12
全く無いものとなると・・・難しいですね
私達は有の存在だから、不可視の領域ですよねぇ
まるで宇宙の端のようだ
73A:05/03/05 20:45:06
>>69
認識できないものを扱おうとする、これこそ哲学。
どこかに意識や心について人間にはわかりっこないと
言い切った哲学者がいたけど、それで、我々から知の欲求を奪えたかな。
だれもあきらめない。
それで、このサイトに参加してくる。
74考える名無しさん:05/03/05 20:49:05
>>73
しかし、ポストモダン以降は他人の気持ちや本当の言葉の意味は
わからないってことが主流じゃないすか?
クリプキとかそうでしょ。哲学自体をぶっこわしちゃった。
これから哲学はコレを乗り越えてゆけるのかね。
7562:05/03/05 20:52:53
はいはいだんだんズレていませんか?^^;
76考える名無しさん:05/03/05 20:56:53
ああすまなかった人間は皆不安定なもの不完全なもので安定を得られた人間は二千年で百に満たないということを忘れていた。精進とは難しいものだ
77A:05/03/05 21:21:49
>>74
たった一つの新しい考えで、従来の思想はすべて無価値となることもあるんだよ。
78A:05/03/05 21:23:15
>>74
たった一つの新しい考えで、従来の思想はすべて無価値となることもあるんだよ。
79考える名無しさん:05/03/05 21:43:58
思想の価値てなに?
例えば数学は役に立ってるが。
80A:05/03/05 21:48:05
俗評価のことさ。
81考える名無しさん:05/03/05 21:54:06
国語辞典 [ 俗評価 ]の完全一致での検索結果 0件
82A:05/03/05 22:01:57
小さな事にはこだわらない。
83考える名無しさん:05/03/05 22:10:34
>>1
その「無」に拠り所を見い出したのは老子。
無を考え抜くっていうのも生きる力となりうるんだろうね。
まだ自分には理解しきれていないけど。
84A:05/03/05 22:34:43
人間、希望を持てば無を恐れ、
希望を失えば無に憧れ、無を拠り所とする。
生の基準としての無もありうるよ。
85考える名無しさん:05/03/05 22:55:15
>「ない」が「ある」に作用を及ぼすことがないのなら、
あります。
人間の欲望です。飢えているのです。
86考える名無しさん:05/03/06 00:13:39
>>83
「無」が拠り所で生きる力につながるという老子の言葉を紹介してくださいよ。
87四儀 ◆unSIGITrGc :05/03/13 08:51:42
捉えられないのが「無」だったら、
このスレで考えられてる「無」は「無」でないのか?
88考える名無しさん:2005/03/25(金) 22:31:25
そうです、似て非なるものでしょう
89考える名無しさん:2005/03/26(土) 13:52:18
だったら「存在しない」が答えだな。
90考える名無しさん:2005/03/27(日) 04:29:51
捉えようと欲すればそれは概念として形を帯びる。
捉えられないのは捉えないことによってのみ後に成立する。
本当の無ってやつはいつでもそこにある。
けれども誰も捉えないからこそ、それは存在しない。
91考える名無しさん:2005/03/27(日) 18:54:18
語りえないもの
92考える名無しさん:2005/03/27(日) 18:54:43
という、ウィト様の言葉に行き着いたのでした。
93考える名無しさん:2005/03/28(月) 20:13:13
三百六十の骨節、八万四千の毫竅を将って、通身に箇の疑団を起こして、
箇の無の字に参ぜよ。
昼夜に提撕して、虚無の会を作すこと莫れ。有無の会を作すこと莫れ。
箇の熱鉄丸を呑了するが如くに相い似て、吐けども又た吐き出さず。
従前の悪知悪覚を蕩尽して、久久に純熟して自然に内外打成一片ならば、
唖子の夢を得るが如く、只だ自知することを許す。

「無門関」より
94ローカルルール審議中:2005/04/20(水) 15:59:57
無は全てが無い。
生き物も空間も時間も宇宙も神も始まりも終わりも無常も輪廻も矛盾も
希望も絶望も無に対する恐怖も・・・全てが無い。
無からは何も生まれるわけがない。

有は全てがある。全ての可能性があるし、矛盾も当然あるから
すべての可能性がないときもある。
時間もあるときもあるし、生命も神秘も謎もあるときもある。
有は本当にきまぐれなものだと思えばいい。
だから宇宙は 無の状態が続いていた有から
生まれたものだと考えるのが正しい。・・・とオレは考える。

人それぞれに答えがある。だからオレ達が生きている間は
無の形なんて推論と憶測に終わるだろうね。
↑これを言ったらオシマイだけど・・・。
95bbs:2005/05/16(月) 18:07:16
何も考えなければ何も存在しないのと同じになります。
つまり「無」とは何も考えないことでしょう。
96考える名無しさん:2005/05/16(月) 19:14:10
幻存。
97考える名無しさん:2005/06/20(月) 03:08:30
人間として生きてる限り無にはなれない。
98考える名無しさん:2005/06/20(月) 03:12:47
寝てるときは無。
99考える名無しさん:2005/06/20(月) 03:17:55
韓国の国定教科書では「我が民族は外国を一度も侵略した事が無い、
平和を愛する民族である」と書かれていますが、ところがこの話しは大嘘なのです!
彼らは日本に9世紀から侵略をしていて、その後に現れた倭冠の発生原因を
作ったのでした。
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/genko/genko.htm
100考える名無しさん:2005/06/20(月) 03:21:25
>>99
で?
101考える名無しさん:2005/06/20(月) 07:45:33
二元論の統一は陰陽のバランスをとることによる人工的な無為による安静に至ることではない。むしろ陰陽の不調和による有為を自然なもの当然とする無為的有為に至ることだろう。無意思における意思、必然性における自由だ。無形における形だ。水のような振る舞いだ。
102くろしろー:2005/06/20(月) 08:30:27
昔無に凝ったよなあ。もう思いだせんが。
1とー1のあいだをブランコがゆれており、
その中間点が一つの無だと思う。
103考える名無しさん:2005/06/21(火) 22:52:52
>>48が一番まともだね。
104考える名無しさん:2005/06/30(木) 20:51:59
立て看板設置
スレを支える参加者、発言者、の参加を募ります。

坐禅と見性 第20章◎飯袋子の集い◎驢年横行◎
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1119079479/

現在、下記の公案に取り組んでいます。
参禅をお待ちします。
三毒の人、貪瞋痴(とんじんち) 「貪(むさぼり)瞋(いかり)痴(おろかさ)」または、インテリバカセ、とも言うらしい。

眼が見えず、
耳が聞こえず、
口がきけず、
この三毒の人が、さくらを知るために、さくらの木に抱きついた。
この三毒の人に これがさくらだと悟らせるには、どうしたらいいのだろうか。
105:2005/08/15(月) 08:50:17
 無には何も無いわけではありません。何も無いところからの爆発も起きるは
ずがない。
 ただ宇宙の誕生前の事を無と読んでるだけです。
106:2005/08/15(月) 08:51:36
無に人間は入れるか
答えは無理です。なぜなら、無の世界など無いからです。「無」とい
うのは無いから「無」であるので。「無の世界」という表現では、既
に「世界」が有るので「無」ではありません。
107:2005/08/15(月) 08:53:37
上の続きです
宇宙膨張するために、あらかじめ空間が用意されているのではなく、
宇宙が空間を作りながら広げている。
壁の向こうは一切遮断されていて、質量、エネルギー概念が無い。無。
108dfじゃお:2005/08/15(月) 08:54:34
よくわらん
109& ◆tNtHsziLno :2005/08/15(月) 08:55:46
肉体そのものは入ることは不可能だと思います。
しかし,私たちは○○のサイトに入るとか,行
くなどとよく表現しますよね(自分だけだったりw)
でも実際には入ってもないし行ってるわけでもな
い。そもそも,人間が自分がそこにいると感じるのは
感覚器官が脳にそこにいると感じさせるからです。
つまり,無の世界を感じることが出来ればそこにい
るのと何も変わらないのです。人類科学は自分の意
識を送り込むという領域に達すると思います。信じて
います。しかし,そこまでの領域に達するころには人
間の意識は原子の集合体になんか宿ってはいないと思いますがw
110:2005/08/15(月) 08:57:01
1部間違えました。管理人さん上のを消去してください。

肉体そのものは入ることは不可能だと思います。しかし
,私たちは○○のサイトに入るとか,行くなどとよく表
現しますよね(自分だけだったりw)
でも実際には入ってもないし行ってるわけでもない。そ
もそも,人間が自分がそこにいると感じるのは感覚器官
が脳にそこにいると感じさせるからです。つまり,無の
世界を感じることが出来ればそこにいるのと何も変わら
ないのです。人類科学は自分の意識を送り込むという領
域に達すると思います。信じています。しかし,そこま
での領域に達するころには人間の意識は原子の集合体に
なんか宿ってはいないと思いますがw
111考える名無しさん:2005/08/15(月) 09:27:46
               .|   |  | |   |    |  | |   |   |   || | |
               .|   |  | レ  |    |  | |   |  J   || | |
    ∩___∩    |   |  |     J    |  | |  し     || | |
    | ノ\   ,_ ヽ  .|   レ |      |  レ|       || J |
   /  ●゛  ● |   .J      し         |     |       ||   J
   | ∪  ( _●_) ミ             .|    し         J|
  彡、   |∪|   |              .J                レ
 /     ∩ノ ⊃  ヽ
 (  \ / _ノ |  |
  \  "  /  | |
   \ / ̄ ̄ ̄ /
      ̄ ̄ ̄ ̄
112考える名無しさん:2005/08/15(月) 14:27:57
人間は『有』しか認識できない。よって『無』など人間の意識下では存在しない。
113考える名無しさん:2005/08/15(月) 15:37:33
「そこに存在する」(有)という概念を顕在化するために、
反対概念としての(無)の概念が生み出されたのだと思う。
これは世界を概念で二極化する手法の中でも最強に秀でたもので、
だいたいが有る・無いで説明することが出来る。
また、全ての思考がこのあまりにも支配的なルールに従って統制されているため、
有る・無いという概念については深く探求することは不可能なように思われる。
簡単に言っちゃえば「無い」っていうのは無いという状態が「存在する」訳で
つまりこの世の人間の知覚する全てがもともと「有」であるということだ。
114エジプト軍 ◆VnUZ9WuidM :2005/09/28(水) 23:22:14
115生肉係長 ◆vPc8fNVFxs :2005/12/12(月) 22:11:54
ちょくちょくなんか書き込んでおいてくれ。過疎スレだ。
>>115
レスの傾向を把握しました。



だが断る!
117考える名無しさん:2005/12/31(土) 22:50:07
無は何種類かあるが人間の言う完全な無は人生、そして死後の世界の中で
触れることが出来ないのでそれについては説明できないが、無いという状態
に関してはやはりある物質そのものが境界となって無いという事が
認識されるのだと思う。
118考える名無しさん:2006/01/08(日) 04:18:55







119(〃ー〃)ポッ:2006/03/06(月) 20:47:32
>>117
無は、有を、
有は、無を

差別しない。
区別しない。

無は有であり、
有は無である。

古来ひとは、こう言ってきた

色即是空

空即是色、と。
120考える名無しさん:2006/03/16(木) 01:15:07
ファイル共有ソフト「Winny」経由で感染するウイルスの駆除ツールが無償公開
 http://www.forest.impress.co.jp/article/2006/03/13/winnyvirus.html
121考える名無しさん:2006/03/16(木) 14:34:43
A禅とは、  釈尊(しゃくそん)(釈迦のこと)は、輪廻転生(りんねてんしょう)から解脱(げだつ)して、永遠の安らぎ(涅槃(ねはん))を得るために苦行をした。しかし苦行では目的を達成できないことを知って、菩提樹(ぼだいじゅ)下に坐禅を組んでヨーガの行に入ったのである。
 こうして自らの自己に目覚め悟りを得られた。これが仏教の始まりである。
 こうした坐禅によって悟りを得る、インドの禅を中国に伝えたのがボーディーダルマ(Bodhidharma:菩提達磨(ぼだいだるま))でした。この菩提達磨を祖師として中国禅は始まる。
 その後、慧可(えか)、僧(そうさん)、道信(どうしん)、弘忍と継ぎ、弘忍の弟子神秀と慧能が出る。中国禅を大成したのがこの六祖慧能である。
B臨済宗  慧能の門下に南岳懐譲があり、その下の馬祖道一の弟子百丈懐海は「百丈清規」を著し禅院の制度を確立した。そして懐海に嗣法(しほう)した黄檗希運の弟子臨済義玄によって臨済宗が興る。
 その他洞山良价、曹山本寂師弟によって曹洞宗が始まることになる。 このように中国の禅は、唐代から宋代にかけて盛んになり、さまざまな宗派の流れを形成した。
C日本の禅  日本に伝わった禅は、栄西(えいさい)禅師のように日本から中国に渡って禅を学び伝えたものがあるが、宋代末、異民族の侵入によって元が興ると、異民族の支配を嫌って日本にやってきた(鎌倉時代)渡来僧によっても伝えられた。
 最初に日本に禅を伝えたのは栄西禅師の臨済宗である。道元(どうげん)禅師は曹洞宗を伝た。 その他隠元(いんげん)禅師によって伝えられた黄檗宗がある。
D公案禅  中国宋代の禅には看話禅(かんなぜん)と黙照禅がある。 前時代の優れた禅僧の言葉や行為を記したもの(古則)を用い、参究の課題として師から弟子に与えられる公案によって悟ろうとする修行を看話禅という。
 このような方法を確立したのが、五祖法演とその弟子で碧巌録を著した圜悟克勤である。  黙照禅は宏智正覚が唱えたもので、インド伝来の坐禅を重んじ、公案の参究によらずただ坐禅によって修行をしていくというものである。
黙照禅は曹洞宗が、看話禅は臨済宗が、その流れを伝えている。
 白隠禅は、単に観念や思想にとどまらず、今、ここにいる、現実存在としての自己の問題を解決するための実践修行を重んじる。以後臨済宗の指導者はすべてこの白隠の法を受け継いでいる。
122考える名無しさん:2006/03/16(木) 14:52:46
3 「十牛図」の説くもの                    
 本来の自分を見失った者が、”自分”を捜す様を牛の図によって示す。"本来の自分"が牛によって表されている。  十枚の絵の中では、牛は途中で一度消えるが、また出てくる。 十牛図は→ 無我とは何か?を10の段階を追って示したものである。
(1) 尋牛(じんぎゅう)
 =不安げにきょろきょろ何かを探す若者の図  ・・画中に牛は未だ居ない。「何か大切な物を失った」と言うような様である。・・・・・。しかし、何を探したらよいか、本人にも解らない。・・が、「何か大切なモノを失った。」と、感じている。
 「何かおかしい?!」「ゆがんで居るぞ!」との想い。
これは人として個有の意識  これを、”自意識”という。仏教では「我」のことである。 「我」は、本来の自分ではない。 「我」により、物事が歪んで見える、と仏教では言う。→そこで無我を求める。そこで、無我 とは何かを段階を追って示す。
 ”力つきて求むるにところなし”→ 行き倒れる寸前である。
 そもそも何を探したらよいかも解らない。最後に、奇妙な声も聞こえてくる。
 秋。大きな楓の樹に蝉が鳴いている。・・が、この蝉をつかむと、 邪宗を掴むことになる。本当に行き詰まったら、妙な声も気にならない。 注: 大きな楓=不気味なものを意味する。
茫々(ぼうぼう)として草を撥(はら)い去って追尋(ついじん)す 水闊(ひろ)く山遙(やまはるか)かにして路(みち)更(さら)に深し 力尽き神(しん)疲れて覓(もと)むるに処無し 但(た)だ聞く楓樹(ふうじゅ)に晩蝉(ばんせん)の吟ずることを
中国  かくあん 和尚
 この命!! 『我』とは何か??? 自分の本心とは何か?
悟り:自分の本性を牛にたとえる。これを尋ねる。 ・・・・ これが第一段階。
 自分の本性は無生で不生で何もないのだけれども、長く生きているとそこに茫々として草が生えてきてしまう。
 さぁ!さあ探そうとするが、眼前には湖や山があって求める牛はなかなか見つからない。 探し求めて・・・、疲れ切って途方に暮れるが・・・・・、ただ秋の蝉の声がするのみである。
  たずねゆく みやまの牛は見えずして ただ空蝉のみぞする
  東福寺 小雪(しょうせつ)和尚
123考える名無しさん:2006/03/16(木) 14:56:59
(2) 見跡(けんせき)・

   ・・牛の足跡を発見。
 『ここにあった!』

 相変わらず牛は見つからないが、力尽きた青年はその足跡を見つける。

 これは、大師の言葉にふれる様を言う。 真の自己の在り方を、言葉で聴ける。 『そうは言うけれども・・・?!』などと疑わないで聴けるようになる。

 ○ 「本当にこれに違いない。」と、” 弁別” が必要な処である。
       
 力つきていないと、自力がつきていないと、この時に言葉はすんなりと青年のこころに入って来ない。なおかつ”足跡かどうか”も分からないものである。
       
 だが、ここでは、「言葉」で、足跡のみが解っただけである。
 良い言葉を聞くと、本当に判ったような気がするものだ。
 さて、・・・・・、そこから、“行”が必要なのである。

124考える名無しさん:2006/03/16(木) 14:59:46
(3) 見牛(けんせき)

   ・・・牛のお尻を発見。

 青年は右手に綱を持って、見つけた牛を捕まえるべく構える。→ 目指して追う。→ 座禅を“行“として始めるようになる。

・・・本当の自分を発見。 座禅等により、無我を知る。万物との一体感を知る。
       

 しかし、ここで”慢心”が起きやすい。
 言葉の世界で察知したのみで、いわば牛の尻をちらっと見たに過ぎない。
       
 
 しかも、牛はどんどん逃げて行く。彼は追いかけようとする。
 これでは、“行“に埋没でき得ない。

 従って、これを追えば良いと言うことだけが解っている状態。

125考える名無しさん:2006/03/16(木) 15:02:14
(4) 得牛(とくぎゅう)

・・牛を捕まえるが、
  牛は暴れて逃れんとする。


  ようやく牛を捕まえた。足を踏ん張って綱を引く青年。
      
 ○ 座禅を日常的にするようになるが、しかし、その途中、自己の煩悩が湧き出す。葛藤が起きる。
  この状況下では、逃げようとするのは、牛ではなく青年の方か?
  (図からそれが伺える)  綱が切れるかも知れないぞ!
      

 体の中に染み込んでいた煩悩が湧きだしてくる。
 人間の方が、本来の自己から離れようとしている図とも思われる。
  → 『私が神をもとめていたのは、本当は、神が私を求めていたからだ』

 自己と自己との葛藤を現してもいる。
 時には、自分の方が逃げ出そうとも考える。
  だが、次第に真の自己の具体性が明確になる。

126考える名無しさん:2006/03/16(木) 15:04:39
(5) 牧牛(ぼくぎゅう)

 ・・・紐で結んで、牛の先を歩く。


 牛は素直になって青年に従う。 綱は緩んでいる。

 動中の工夫=何をしていても本来の自己から離れないように努めることが必要である。

 日々の生活・行いを“行“として、入念に行っていくさまを表す。
   ”せぬ座禅”=動中の工夫。
  綱がゆるんでいる。=葛藤がゆるんでいる。
     
 自己の中の葛藤が無くなり、牛が馴染んでくる。
 牛の示す方向に進んでいるとも見える。
 だがしかし、まだ、綱が付いている。油断すると本来の自己が、また逃げる。
     
 どこでも、いつでも本当の自己でなくてはならない。・・が、
 まだ、油断できない。

127考える名無しさん:2006/03/16(木) 15:06:44
(6) 騎牛帰家(きぎゅうきか)
・・・・紐はつながない.
  牛の背に乗って笛を吹く。


 楽しげに先へ進む。青年の目は雲梢(うんしょう)を観る。
 遙か彼方に思いをはせることができる。そして、安らぎの「家」を想う。
 自己と自己の調和を成し、趣を得てくることを表す。
     
  
 ○ 自分と自分の居場所とも調和し、周囲とも調和した状況。
  広くなった段階。
 自分と自分の置かれている場所との調和も表す。
 ここで初めて「家」という概念が現れる。本当に自分が落ち着けられるところ。
     

   ・・・・ここに至って、本来の自己に帰られるとの予感を感じる。=笛
 ここでは、まだ、牛の暴れる心配も、牛から落っこちる心配もある。
  従って、牛と一体であるようだが、まだ、別であることを表す。   
128考える名無しさん:2006/03/16(木) 15:09:08
(7) 忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)
 ・・・本当の自分になったことを表す。
  ・・・家の外に出て、遠い山の彼方の月を拝む。
        →「修業のお陰でここまで来ました。」
○ 牛は、描かれていない。→
 牛(暴れる自我=本当の自分ではない自分)は青年の中に入ってしまって、
 真の人間がここに在る。『勝ち得たり、天地人』の状況。
     牛とは、「本来の自分ではない自分」⇒だから、牛の姿は消えるべきもの。
 ここで、
 十人中十人が、「もう得たり!」と思う。しかし、ここからが重要である。
 『一体になった』と思う”自分”がいる。 ここが最も危ないところである。
 まだ、そこに”我”がある。
 この段階で「これで悟った」と思うのは、”天狗禅(てんぐぜん)”といわれるものである。
    
◇ 白隠は、この辺の段階で、『自分ほどに悟った男は居ない。』と
   言って、師に叱られ縁側から突き落とされたという。
 これを天狗禅だと諫められた。   「絶対無を求めなさい!」 
 ・・・まだ、完成ではない。
     「完成」観を、もう一度
129考える名無しさん:2006/03/16(木) 20:14:25
(8) 民牛倶忘(みんぎゅうぐぼう)

 ・・・唯の円。


 ここで、”我”の根が切られる。
   自分の姿もない。
   家も自分も牛も消える。空円相という。円は真実を示す。
    

 見えない姿で収っている。”無い”ことは、「空」を示す。
          <ニーチェのニヒリズムとは異なる>
    

 仏教では、「空」もまた「空」→ 空の動き → 『空円転』
 今までの段階もすべて、貴重な真実であった。
 それをすべてこの円が包み込む。
 家も自分もすべてが消える。
 今までの真実は、”円”なる場の中で行われていた。
 行とは、このように見えない姿で行われなければならない。
130考える名無しさん:2006/03/16(木) 20:16:46
(9) 返本還源(へんぽんげんげん)

  ・・青年は居ず。

 老梅樹、川辺に開花す。
   ⇒ これが、”我”の源(みなもと)。→ 自分でない自分の存在。
     
 <我を忘れて、花になっている。>→純粋経験(西田哲学)

 ”水は自ずから茫茫(ぼうぼう) 花は自ずから紅(くれない)”
  ⇒ 死してまた蘇る我。 = 絶後再蘇(ぜつごさいそ)
             =本当に蘇った我。
 無我性の具体性である。
 梅花は、我ならざる”蘇った無我の我”である。
 アンゲルス・シレジウス(1624〜1677) 「バラは、何故(なにゆえ)無しに有る。
 バラは咲くが故に咲く。」と言った。・・・・この描写に近い。
 だが、西洋思想とは微妙な違いがある。西洋思想には”思惟性”がある。
 薔薇の絶対性に触れているが、「○×故」と観念の「故」があるからである。
     
 目は雲梢(うんしょう)を観るとの、『超越』観が仏教にはある。
 このように超越できないと、「俺は悟った!」という、則ち「他とは違った」と言う、偉い(高慢な)自分が湧き出てくる。
 この場面には、そう言う”無我性の自分”の姿の状態を示す。
131考える名無しさん:2006/03/16(木) 20:17:21
(10) 入てん垂手(にってんすいしゅ) ・・”お店の並んだ町に入る”の意。

 樹木の横に佇む、大きな袋を背負った布袋様のような老人と向かい合う青年。
 そして二人してぶらぶらと歩く。

 老人は、自らの過去の経歴・経験も忘却し、青年と同じ(一体)になり、
 相手のことを考える。
  すなわち、・・・・・
 自分と他者との交わりそのものが、無我(自己ならざる自己)の状態となることを表す。
     
 我と汝の二人が、そのまま”我”である。
 従って、ここでは、お説教等はしない。
 <7 忘牛存人では、『俺は、ここまで到達したぞ!』などと思うであろう。
  しかし、ここに至るとそう思わない。言わない。>
 ここには、単なる”出会い”があるのみ。
 我と汝の自覚。出会うだけで響き合うものが、そこにある。
     
 例えば、「良寛さんが居ると、居るだけで一家和気藹々、良寛さんが帰っても、
 穏やかな雰囲気が家中に満ちて残る。」と、言われたようなものである。
132考える名無しさん:2006/03/26(日) 02:46:02
> あれとこれとそれと、区別しなけりゃいいのにさ。ね、そうじゃないか。長広舌だって、それって。

> わたしが歩いてきたのは、神がわたしを喚(よ)んでいたんだ!!
> 出会いたいねー、お師家さんに。

> 慧能さんは、文盲だった。 貧しい生まれで、老母を養うために、薪を売り歩いていたが、まちなかで誰かが読む、金剛般若経を聞いて悟り、五祖法演のもとへと出家した。

> わたしはね、いま咲いている さくら だ。
> わたしとさくらは、地続きの一枚 だ。 でも、わたし と さくら、と、べっこに立っているんだよね。
> そこが、大切かなぁ〜・・・(笑)

> 騒動衆のせったんにくっつく事もなく、唯我独尊と言えばいいのか、涅槃と言えばいいのか、自由と言えばいいのか、主体性と言えばいいのか、主人公と言えばいいのか、
> 色から空へ、更に空から色へと、もとのまんまのふたりか、もっとそれ以上のひとが、七誌さんで、慈悲行やってるよ。がしゃべっているよ。
> つまり、ふたり以上、いるってことだよ。 ID, を見れば、簡単に見分けがつくよ。
> > (5) 牧牛(ぼくぎゅう)
> >  ・・・紐で結んで、牛の先を歩く。
> >  牛は素直になって青年に従う。 綱は緩んでいる。
> >  動中の工夫=何をしていても本来の自己から離れないように努めることが必要である。
> >  日々の生活・行いを“行“として、入念に行っていくさまを表す。
> >    ”せぬ座禅”=動中の工夫。
> って、あたり・・・かも、七誌さん達は・・・

> このしゃべりっくち、無礼なのか、不作法なのか、氏より育ちなのか、生活の場でこんなこと言うやついないよなぁ〜
> 願わくば、早く、出家した方がいいですよ。 そして、お坊さまを、目指しなさいよ。

> 会話って、自分の言いたい事を聞いてもらうには、まず、相手の言いたい事を徹底的に聞く事だね。 それで、その次に、こちらの話しを聞いてもらう。
> ひとりごと、言ってるよ、せったん、それ、会話じゃないし・・・

> あれも、これも、全部に駄目連発は、せったんの得意技ではなかったのかな?
133考える名無しさん:2006/03/32(土) 02:22:54
たもと
134考える名無しさん:2006/04/03(月) 20:47:32
> 片手の鳴る音は知らん。
> 両手の鳴る音は聞こえん。

片手の音は聞こえた。

片手の音が聞こえた者に、尋ねる(たずねる)。
実際には、片手でたたく拍手は、打てない。
だから、聞こえない。

聞いた。
聞かない。
には、とどまらない。
いわば、どうでも、いい。

古人は、こう言った。
色不異空。
空不異色。

色即是空。
空即是色。 と。
135考える名無しさん:2006/04/03(月) 20:54:29
仏教の理屈は22が4というほどに簡単明瞭なんです、それを研究する学者や、悟ったからといってとやこういう、まったくの無意味です。理屈は簡単=自分失せればいい
自分失せれば宇宙ぜんたい=もとのもくあみ。簡単明瞭を実践は困難です、困難ですが必ずできます、是非おやり下さい。無上道です。
ほどけば仏、自縄自縛の縄をほどけばもと生まれたて、あるいは生まれる以前。ここに満足大安心する以外に道はないと知った、お釈迦さまです。もとあるがものしかないんだということ。
禅問答が謎掛けではないことを知って下さい、一休頓知もまったく同じです。たとい白陰に出会おうが一目瞭然です、吹毛剣真っ二つ。
祖師の関を透過することはたった一種類です、心のあるうちはそりゃだめかな。
いいえあなた自身が正師なんですよ、わずかにそれに気がつかないだけです、仏は常に仏、時代にもよらず世間にもよらず、他との比較ではなく、まさにここにこうあるあなた自身、他には一切ないことを知って下さい。
だめだよ知識で物云ってるだけだよ、なんにもならんかす。なんかあったらにっちもさっちもいかないよ、ものは真っ正直。
いいえ自分失せればなにもかも真正面、人一倍の苦労もいとわない、しかもあとかた残らない、気がつくと楽しいってふう、あるいは夢中の歓喜も、よそ人みたいはた迷惑しないよ。
我と有情と同時成道あって、はじめて無体験です、お釈迦さまのような方でさえ、37二十一日の間歓喜の中にあったんです、想像を絶するんです。これなくば仏教はないです。
そこにとどまらないんです、とどまったら他の思想信仰と同じです、根にもっちゃうですよ。それに無心の体験は無自覚ですよ、わからないんですすなわちわからないー知らない人達磨さん。
136考える名無しさん:2006/04/03(月) 20:55:08
達磨の不識、これなかなかですよ、できた人ちょっとあんまりいないんです、でも真実人は彼のみ、他はうるさったい偽者ってこってす。どうか必ず達磨をお釈迦さんを得て下さい。
拈華微笑ねえ、ちゃーんとやり遂げた迦葉尊者ただお一人、大衆右往左往する中に、なにをまあいらんことをといってふっと笑ったんです、
たとい笑わずともなにしなくたって、お釈迦さまは我に正法眼蔵涅槃妙心の術あり、迦葉に授くといったんです、いまあなたが22が4ですかという問いに、是なら是です、本来是のはずです、さあどうしますか。
机上空論のすべてを捨ては、紙ぺらのように空虚になるでしょう、実際の捨ては普通の人とまったく変わらないんです、たいていの人これがわからない、無制限生きなんですよ、いいですか、捨てきってどこへ行くんです、火星でも行くんですか、
137指し指 ◆6wmx.B3qBE :2006/04/03(月) 23:30:49
包茎こそちんぽの無の形
138考える名無しさん:2006/04/04(火) 12:26:13
なぎさは公園でデブにナンパされた時「ありえな〜い!」とか言ってたけど
ほのかは「何で笑ってるんですか!!」とか言って怒ってたな。
139考える名無しさん:2006/04/14(金) 10:25:12
つまりほのかの方が無に近かったと。
140考える名無しさん:2006/05/07(日) 16:06:30
141考える名無しさん:2006/05/18(木) 06:10:35
だから寝てるときは無じゃねーか
142考える名無しさん:2006/05/21(日) 21:09:39
ここで語ってる無は絶対無じゃないのか?
143FETI:2006/05/21(日) 21:16:36
言葉の遊戯だね
144考える名無しさん:2006/05/22(月) 14:53:05
完全なる無は存在できない。なぜならもうそこに無が存在しているから。
145考える名無しさん:2006/05/28(日) 10:49:02
穴は存在するか?
146考える名無しさん:2006/05/28(日) 11:06:49
右脳は無形(液体、気体)左脳は有形(固体)
認識の差こそあれ、無形も有形も存在する。
147考える名無しさん:2006/05/28(日) 20:37:02
右脳は無形(液体、気体)左脳は有形(固体)
認識の差こそあれ、無形も有形も存在する。
    / ̄ ̄ ̄ ̄\
   (  人____)
    |ミ/  ー◎-◎-)
   (6     (_ _) )
  _| ∴ ノ  3 ノ
 (__/\_____ノ  
 / (__))     ))
148考える名無しさん:2006/06/01(木) 03:58:14
意識がないときが無。寝てる時も無。貧血で倒れた時も無。
149トリップを是非:2006/06/08(木) 02:47:33
FtOBzensys <= #q/b.D@z=
ezC5Szenuc <= #(/bW~dsn
lzenQy5abw <= #-/bZj1Cf
zenUPyVdmo <= #v/bcyqfQ
ZzenJs1Mfo <= #I/bj#1~$
dBjUzenAZo <= #|/bm-'H]
1zenEqeWhg <= #l/bxiR^K
zeng7iF0sM <= #x/by#1~$
gVT.FzenNQ <= #A/bzSnP2
0MXzenjZqE <= #+/b(q4[4
0zenNsPXgs <= #|/b-s,O.
VvzenGwPT. <= ##/b:9G[c
Jhrzen/5is <= #|/b^D@z=
hHZhtzenwE <= #L/p.8d1R
zen262JIuE <= #2/p0o[nZ
TprDqzenU6 <= #&/p3#e)M
6zencZQUXs <= #F/p9#e)M
pVhCOzenUc <= #Q/pE@UJ0
ipzenICc92 <= #N/pGtos5
GfzenIr9hs <= #t/pGwPBv
N0Uf8xzenU <= #+/pGKWee
zenNoYL0sM <= #u/pK-4DE
.zenYAIqJU <= #?/pNH+^}
07Vezengd. <= #4/pT.4V+
ExbzencP7M <= #E/pf.4V+
zenyCV3taE <= #_/pjq\\K
34uTzeny3M <= #|/pkwPBv
zene6cP1/. <= #)/pu-Ht:
zen5Gg5HkE <= #D/px=JJj
ltzenTNDFk <= #,/p(&0,F
WP1zenraHM <= #e/p;.4V+
zenneU/YzE <= #y/p[lRoC
150トリップを是非:2006/06/08(木) 02:48:35
zenhjXFkTQ <= #E/p|6D!c
zenL5oeZKw <= #J/p~=JJj
nWiEByzenU <= #Y7g7u*aD
GdbzenGbiE <= #S7gA%tp/
zenqWfqr26 <= #i7gBwkB$
V0VQczentg <= #e7gE:!qD
ozencm4LY2 <= #E7gFUMWy
zenLwBEqhY <= #Y7gK]Oy3
zenvsqXbO2 <= #a7gP?wEn
68TM9yzenQ <= #=7gaxP+C
wVZ3zenabQ <= #K7ge[{@&
2EIprPzenY <= #Z7gjUGg2
ixtZQzencA <= #u7gx?r3s
zenuIqcTEY <= #i7gy.6'k
SmzenaZhhY <= #n7g'?wEn
FQA6vpzenk <= #q7g+V*(g
zen4QUi6tE <= #o7g;2)#f
Q1ozenVcbg <= #!7g;ha9n
RzenokLYFE <= #Z7g?F*jR
FzenH9zA8Q <= #M7g\ewJC
hXWYzencVI <= #;ww4}Oh=
YRSF2zenyg <= #xww64Vpq
jeOuuzenKo <= #MwwBR!Se
OzenBmh/cw <= #VwwTy/Xh
j4PxgzentY <= #uwwaj8V/
BydXtzenZI <= #^wwa!WVd
3cCIMzenug <= #.www(411
sizeniSrzw <= #%wwz(411
ROb1zen5jw <= #Uww%_9/#
0mwfZzenCA <= #nww,A4uj
LF22zenRf2 <= #^ww-]U$.
BzzenHUel. <= #5ww~o9YF
151トリップを是非:2006/06/08(木) 14:11:40
2ZENclTMS. <= #fuXVv+1}
OZENl//G.s <= #EuXWJl]'
ZENsMuwbPI <= #DuXbwa?S
aRZEN3h1ZA <= #*uXbkk?O
.9pYOZENxU <= #0uXewa?S
pHCu7ZENzA <= #ZuXj1!K3
4klMLZENmI <= #+uXp*}@@
cBZENVCJik <= #huX#S|x@
ZENHrXZQ/U <= #9uX$`|Lc
D1laEZENG2 <= #QuX%S|x@
WYas1ZENQ2 <= #-uX=q5X/
ZENQ67v5As <= #buX@wa?S
8vHq4xZENs <= #qh:CFwfy
kZENsEk1kU <= #xh:GD-Gk
JjZENpnWd2 <= #Nh:H=XX%
TmZENlNQnw <= #Wh:I(;Q,
Mx6ZENvpNM <= #zh:IG;P?
6IAJhZEN2w <= #Rh:REaoA
mrZEN2fb8M <= #Eh:SYk/D
Mhc1qZENb. <= #Xh:U!]p:
vtZENt45P2 <= #eh:kB5oS
ZyZEN3xe5s <= #Rh:l]H,_
mZENjxaQ2U <= #6h:'tvP]
VfZccZENP. <= #Sh:`YwXd
7papZENPSY <= #sP4/\hj}
EIV5ZENguQ <= #]P42,^8u
ZENkbj9S8U <= #OP4F^Gra
XmO2sZENsE <= #FP4KjwWB
Y3ZENICrGg <= #zP4KFDOw
tpdZENoVGU <= ##P4KEuxi
fZENgDKyzU <= #rP4MGgN$
ZEN/IiztS6 <= #yP4WmO+R
152考える名無しさん:2006/06/09(金) 05:08:24
俺今 無
153考える名無しさん:2006/06/23(金) 06:36:19
無になったよ
154短パン:2006/06/23(金) 07:54:32
しかし。無駄無駄無駄ーーーーーーー!!!!!!
155短パン:2006/06/23(金) 07:55:48
BY

DIO様。
156考える名無しさん:2006/06/26(月) 05:19:30
無はつまらんね、何も覚えてないし、いつ頃無になったかわからん
157考える名無しさん:2006/06/28(水) 05:13:42
おっと、無になるところだったぜ
158考える名無しさん:2006/07/07(金) 05:30:29
無視するな
159考える名無しさん:2006/07/11(火) 03:44:31
無になったのに無視するな
160傍□□の□□ ◆4Rax5D4KLQ :2006/07/18(火) 01:56:41
161考える名無しさん:2006/07/19(水) 23:08:45
宇宙の外は時間も空間も無い無だよね。
無が無いと宇宙は有にはならないよね。
無が有限なわけが無いから無限の無があるわけだ。
つまり、無は無限のことじゃない?
162考える名無しさん:2006/07/20(木) 00:30:51
本当に無限が無限であるなら、
それは存在する次元全ての物事を指す言葉なんだと思う。
そして、いくつ次元があるか分からないけど、その全てに意識される事のないモノこそが「無」なんじゃないかな?
無いものは誰も気付くことが出来ないし、知る事も、対になる事もないんじゃないかと思う。
なんか言葉では上手く表現できない…orz
163考える名無しさん:2006/07/20(木) 00:49:17
どいつもこいつも下らない議論ばかりしているな。
無というのは否定なんだから、
存在の否定。何かが在って初めて出てくるリアクションであり
アンチに過ぎない。
ようするに無というのは、存在していたものを隠したり
消しているに過ぎないってこと。無を考えるときに、
その概念を一般化して間違って使うから脳が混乱して
何か神秘的な概念のような気がしてくる。まやかし。
164考える名無しさん:2006/07/20(木) 08:22:44
無から有が生み出されたんだから、
無は有の上位概念だよ。
165塩水 ◆1FrMT.vzQQ :2006/07/20(木) 19:50:53
自分は有から無が生み出されたと思ってる。
インドで0の概念が発見されるまでは0というものが無かったように。

有を基準として何もないという状態「無」が概念としてつくり出された。
りんごが0個の「無」もみかんが0個の「無」も、有の概念があって初めて成立する。
有と無は相対的な「有る」関係で結びつけられていている。すなわち有は無であり、無は有である。

で、「空」の概念というのは、そういう有と無の相関関係もない。
絶対的に空虚なものというニュアンスだと考えてる。
166考える名無しさん:2006/07/20(木) 20:14:47
>>165
勝手な定義?
それとも妄想?
167塩水 ◆1FrMT.vzQQ :2006/07/20(木) 20:39:43
>>166
道筋としては0の概念が昔は存在していなかったという歴史的事実を基本に考えたの。

無というものを有から切り離してそれ自体考えることってできないよね。
だって有という存在があるから無というものがつくりだされ、それを理解することができたんだから。
だからもし有というものがなかったら、無というものもこの世に存在しえなかっただろうって思ったの。

だから、無が絶対的なものだって主張してる人の無ってのは、どっちかというと空の概念だと思う。
あくまで「無」は「有」があって、そこで初めて存在しえる有なるものかと。
168考える名無しさん:2006/07/20(木) 20:50:01
絶対無=空ということでいいのかな?

人間は有だから、そりゃ無の概念に気付くのは遅いだろう。
だけど、無は無限で有が有限なのだから、無∋有という事実は変えられない。
169塩水 ◆1FrMT.vzQQ :2006/07/20(木) 21:10:17
そうですね。
完全にイコールとなりえるかは、まだなんとも言えないけど、
絶対無というものは無よりも空の方がよりふさわしいと言えるかなと。

無∋有ってのは人が拡張したより広い範囲をカバーした概念であるかとは思うんですよ。

数の世界に虚数というのがあるけど、これはもともと実数などの概念があって、
自乗して-1になるものをiと置いた、「人の都合で拡張した概念」ですよね。

「その概念がより大きな範囲をカバーしているか」と言う問題と、「その概念がものの本質をとらえているか」
と言う問題は、わけるべきだと考えている。
だって拡張して広げた範囲をカバーした概念は「人の都合で」拡張された概念だから、
資意的なものが混入されている可能性を拭いされないと思うんですよ。

より広い範囲をカバーした概念というのは、そのものの本質を考える場合の一指標には成りうるとは思いますが、
それをもってして本質であるというのは少々抵抗があるんですよね。
個人的な直感の話になるのですが。
170塩水 ◆1FrMT.vzQQ :2006/07/20(木) 21:16:17
虚数のiというのも、厳密に言うと数じゃなくって、行列の別表現であるといえるんですよ。
行列をあたかも数のように計算できる画期的に便利なものなのですが、厳密には数では無いんですよね。
人間が「自乗するとー1になるものは数である」という思い込みが原因で虚数というものが作られた。
この直感というのは、そういうことがひっかかってるのかもしれないですね。
171考える名無しさん:2006/07/20(木) 21:25:13
虚という概念もあるのかな。
宇宙の始まりには虚時間があったとホーキング博士も言ってるからね。

虚や絶対無は人間が生み出した概念か、実際に存在する物かという議論はあるだろうね。
あると思うけど。
172考える名無しさん:2006/07/24(月) 03:56:24
寝てる時は無じゃないの?
173考える名無しさん:2006/07/25(火) 04:28:59
無になりましたよ
174考える名無しさん:2006/08/09(水) 05:01:56
無無無無無
175考える名無しさん:2006/08/19(土) 04:05:35
無になったのに無視するな
176考える名無しさん:2006/08/21(月) 03:47:51
無から抜け出せない!
誰か助けてくれ!
177考える名無しさん:2006/08/26(土) 02:38:57
(´・ω・`)知らんがな
178考える名無しさん:2006/08/29(火) 03:44:19
無念無想・・・・
179考える名無しさん:2006/09/06(水) 19:59:45
      /!/{  / ヾ--r
   _  /     ̄    <_
 _>`´    >>1  ___<_
  >    r‐'" ̄ ̄ ノ ̄ ̄`ヽ、―ニ 二
/ ,    |  `ヽ/ ´`ヽ _  三,:三ー二
 ̄/    |   ノヽ--/ ̄ ,    ` ̄ ̄ ̄
 / /⌒ヽ,|  ミ }  ...|  /!
 レ l d     _}`ー‐し'ゝL _
  | ヽ、_,   _,:ヘr--‐‐'´}    ;ー------
  |/|  \   ノ`ヾ:::-‐'ーr‐'"==-
    ヽ/l/|` ー------r‐'"    ̄ ̄
      |└-- 、__/`\-:、
     __,ゝ,,_____/ \_」 \


      /!/{  / ヾ--r
   _  /     ̄    <_
 _>`´    >>1 ___<_
  >    r‐'" ̄ ̄   ̄ ̄ |         ―ニ 二ノ ̄ ̄`ヽ、
/ ,    |  `ヽ   ノ  .|        三,:三/ ´`ヽ _
 ̄/    |   ノ   し  |        ―三 (--/ ̄ ,    ` ̄ ̄ ̄
 / /⌒ヽ,|  ミ  ヽ /   |        ―ニ (  ...|  /!
 レ l d     _ヽ/ヽ   .|        ―三 (`ー‐し'ゝL _
  | ヽ、_,   _,:  こつ  |         - ニ (--‐‐'´}    ;ー------
  |/|  \   ノ   し ノ        ==- `ヾ:::-‐'ーr‐'"
    ヽ/l/|` ー------r‐'"                ̄ ̄
      |└-- 、__/`\-:、
     __,ゝ,,_____/ \_」 \

180考える名無しさん:2006/09/07(木) 07:22:17
無は無理です
181考える名無しさん:2006/09/07(木) 12:04:59


無とは鉄格子に入れられ下から火炙りになっているところです


182考える名無しさん:2006/09/10(日) 03:21:57
無ンクの叫び
183考える名無しさん:2006/09/18(月) 04:26:52
無すな〜無視あついな今日は無すっとした顔になっちまって無っとさせてしまった。
184考える名無しさん:2006/09/20(水) 04:18:09
無無っ!このスレには俺しかいない!無をもっと広めなければ。多少は無理しても無を広げないと、みんなが無を無意識のうちに無理なく感じられるよう無茶苦茶無心で頑張ろうとおもいます。
185考える名無しさん:2006/09/26(火) 05:47:50
なんということだしゃれで無を広めた結果本当に俺しかいなくなってしまった。無は偉大だ!今から無になってくるぜ!(-.-)zzZ
186考える名無しさん:2006/09/30(土) 01:53:37
まだ無中ZZzz....


(ρ_-)o


コーヒー(゜д゜)ウマー
187考える名無しさん:2006/10/04(水) 02:42:15
誰か〜いい加減気付いて〜(´∀`)無無無無ムスカ
188考える名無しさん:2006/10/04(水) 02:44:17
こうなったらもうこのスレはもらいます。無になります。頑張ります。誰か来たら止めます
189考える名無しさん:2006/10/15(日) 21:49:21
忘れてた!と思い急いで戻ったがなんも問題無し無し無し無し無し無し
190考える名無しさん:2006/10/22(日) 23:47:37
191考える名無しさん:2006/10/26(木) 02:12:34
>>190
キテターヽ(゜▽、゜)ノ
無無無無無無無無無
192考える名無しさん:2006/11/20(月) 22:57:05
雑念を消し去りたい
193考える名無しさん:2006/11/22(水) 09:23:40
お前等、無とかカッコいいと思って言ってるだけじゃネーかと

南無阿弥陀仏!!!111
194考える名無しさん:2006/11/24(金) 16:53:56
仕事を休んで無になった
195考える名無しさん:2006/11/28(火) 23:52:26
本当に無になりたい。寝てる時以外で無になりたい。しかし無になるのは無理だすスネーク ヒドいな我ながら無になります
196考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:18:16
つうどう
197考える名無しさん:2006/12/21(木) 02:30:49
海の波の形、雲の形。
唄の形。
おまいらは単純な形しか見ていない。
何故か?
理屈で考えすぎ。
198考える名無しさん:2007/01/05(金) 23:59:45
無と有を超越した何かが解れば
199考える名無しさん:2007/01/06(土) 15:45:08
無は有る。
200考える名無しさん:2007/01/06(土) 19:39:57
時間的に空間的に無いものを人間は認識出来ない。
認識できたら、有ることになるから。
想像することは出来る。百年前は自分は無だったとか。
201考える名無しさん:2007/02/11(日) 07:14:59
202考える名無しさん:2007/04/24(火) 00:39:08
203考える名無しさん:2007/06/15(金) 02:03:43 0
無は分ける物。全てが何かに満たされたこの空間でそれぞれを分けてるもの。
204考える名無しさん:2007/06/15(金) 03:00:48 0
無は分けないさ。分けないこともしない。
205考える名無しさん:2007/06/15(金) 03:04:53 0
0が発明なら無も発明。
206考える名無しさん:2007/06/21(木) 00:59:14 0
0と無はまったく異質のもの。
207考える名無しさん:2007/08/05(日) 04:51:56 0
霊感商法の一種、名前商法にご注意!

「その名前は悪い名前だ」とか「その名前では事故にあいやすい」などと
難癖をつけて、改名させたり数珠を売りつけたりする商法です。
知恵のある人はひっかからないとは思いますが、
世の中には名前で運気が決まると思っている人もいるんです。
名前が良ければ宝くじが当たるとか、病気にならないとか、
そういう○○学会みたいなことを言う人々が社会にもネットにもいるんです。
そういう人たちに、「誰もが納得するように科学的根拠を示してみなさい」と言うと、
屁理屈が返ってくるだけなんです。
運とは不変のものではありません。良いときもあれば悪いときもある。
それが人生で、そんなのは当たり前です。
運というものは動物がコントロールできるものではありません。
どうか騙されず、また知らず知らずのうちに加担しないようにしてくださいね。
偽化学や偽統計に惑わされない、正しい知識を持ちましょう。
208考える名無しさん:2007/08/15(水) 17:48:34 0
age
209考える名無しさん:2007/08/15(水) 17:56:37 0
ドーナツの穴が一番おいしい
210考える名無しさん:2007/08/29(水) 23:59:20 0
何というラカンスレ
211考える名無しさん:2007/09/28(金) 08:21:55 0

無の状態とは無限個の無が”平坦”に広がっている状態である。
無の形とはあえていば「点」である。
212考える名無しさん:2007/09/28(金) 15:33:46 0
>>211
次元で考えればそれに似ているが、点未満。
つまり点ですらない。

数の概念も無い、
時間の概念も無い、
長さの概念もない、
状態の概念もない、
形の概念もない、
存在、実在の概念もない、
変化の概念もない、
多様性の概念もない、

つまり何か概念があれば、それは完全なる無ではない。
無は無以外で表せない概念であり、それを他の概念で計ろうと
すれば矛盾に満ちてくる。
形があれば、それは無ではなく、「無の形」という新しい概念が
作られたことであり、「無」と説明するのは愚かである。

唯一言葉で説明できるものがあるとすれば、
「はかれない」「理解できない」「わからない」「確認できない」
「定義できない」「説明できない」そいういう類の概念である。
213考える名無しさん:2007/10/04(木) 20:57:53 0
あげ
214考える名無しさん
0次元が一つの無の形?