1 :
考える名無しさん:
自分を見つめていく2 の続編として ご利用ください。
2 :
考える名無しさん:04/06/18 21:00
>1さんは自分の裸をみつめてもだえる事が得意ですよね
3 :
考える名無しさん:04/06/18 21:00
「自分を見つめていく 2」に 書き込めませんでしたので 立ててみました。
Kさん 続けてくださいませんか?
4 :
考える名無しさん:04/06/18 21:04
>1さんは自分の裸に突っ込めなかったので立てたチンポを持続させているのですね
私をこの個人の私と言うことは不可能。
自分の心理を自分で知るのは不可能。
だって、自分以外の誰でもないのですから。
〜〜〜そして・・・アポリアが始まった〜〜〜
>>4 自分13歳なもので・・・そういう発言はよしてもらいたいと思います。お願いします
7 :
考える名無しさん:04/06/22 08:19
Kさん 及び パート2に書き込みしていた皆さん
気がついてくれないかな。
>>7 今気づいたよ。
きみが立ててくれたのかな?差し支えなければ、どなた?
>>1 続編ということで了解。
>>2 きみは「わかったんだよ」でしつこく書いてきた人かな?芸風は変えていないんだね。
>>3 ありがとう。気が向いたら立てるつもりだったんだけど、折角だから続けよう。
>>4 これはちょっと面白いな。失笑した。でもこのパターンは見飽きたな。君自身このやりかた
を見つめ直したらどうかな?そんなに好き?
>>5 アポアリアとは?
>>6 そうだね、ちょっと大人気ないかな。その人の芸風らしいんだけど辛いものがあるね。
>>8 ロムばかりの Tです。
気づいてくださってありがとう。
つづきを 楽しみにしています。
>>10 そうか。納得。ありがとう。
きみははじめからずっと読んでくれているんだね。
こういう人のおかげでこのスレは続いていけるね。
kは数日後よりまた書き込む予定。
いったいどこまで進んだんだろうか・・・
商売繁盛しているのだろうか。
パート2はほとんど見ていないけど喜びの本質がどうとかの話
が途中だったのが気になるが・・・
何か新しい発見でもあったかなあと、のぞいてみた。
>>12-13 特に進展はなかったかな。
きみは「2」をあまり知らないということなので、簡単に経緯を書くよ。
某107とやりとりしているところへ、エヌがやってきた。次にもう書き込まないはずの
カオルも登場。続いてハルカもやってきて、一斉にkを罵倒。
いろいろな人も加わって活気のある討論が繰り広げられたが、内容的には進展はなし。
kの本性がお好みのカオルに対するレスは「わかったんだよ」に掲載中。
そこへ6/12早朝の大量スレ立て事件によりdat落ち。
kは「2」の中で過去に使用してきたキーワードについてまとめていた。
多くの討論によってそれらキーワードが生きる上でどれほど密接にわれわれに関わっているものかに
あらためて気づいた人もいるかもしれない。
新しい発見はやはり人は自分の気持ちに左右されて必死に生きているということをあらためて
気づかされたよ。
気が向いたらまた書き込んで欲しいな。
>>14 なるほど。ありがとう。
進展はないけど変化はあったって感じかな。
それにしてもみんなに愛されているんだなw
ところで質問があるんだけど、kは何故超人を目指しているのかな?
そのモチベーションを分けてほしいくらいだ。
超人になって優越感に浸りたいとか何でもいいんで。
前にも聞いたっけ?
>>15 確かに愛されているね。憎愛が多いみたいだけど。
超人を目指す理由だね。
これは幼少の頃から培われたものだと思う。
世代的に鉄腕アトムから始まってウルトラマンや仮面ライダーといったヒーロー者の
全盛期に育った影響が強いんじゃないかな。
「なんかすごい」ことを実現したかったと思う。
それが成長するにつれとても現実的になっていった。目先のことに囚われ、人間関係や
進路のことに悩まされるようになる。
面白くない。
思考は固まり、体も固まった。しまいには生きているのも辛くなった。
つづき
二十代前半には階段を十段ものぼると息切れがして、みぞおちはいつも痛くて、身体能力が
実年齢をはるかに下回っていた。新卒の教員の時38歳の人に体力測定で全て負けたんだよ。
少し病気もして、もうこのままでは生きていけないかなとかんじた。
立っていることも座っていることも寝ることすらままならなかった。
その原因は、徹底的な自堕落な生活を送ったこと。気持ちはなんとなく楽だったんだけどね。
まあ、つけがすぐまわってきたね。堕落振りはちょっと披露できないな。とにかくひどい。
自分のその場の気持ちを満足させるために生きた結果だね。
つづき
死ぬのは嫌だったので生きることにした。
でも大変なことは予測可能。普通に生活すら出来なくなりつつあったので、どうせ辛いなら
普通を超えたところを目標にしてみたら面白いかなと思った。
することは実に地道で地味。面白さは全くない。苦痛しかない。普通に歩くことすら出来ない。
座っているのが辛い。体が動かせない。
そんな状態でこつこつトレーニングを重ねるにつれ、結果が見えてきた。遅々として進まないようだが
年単位で振り返ると、ああこんなことも出来るようになったんだな、と気づくようになった。
つづき
設定を超人などばかげたものにしておくと、目標に終わりがないので、日々のトレーニング
にも死ぬまで(超人は不死かな?)終わりがないね。
いま以前の自分を振り返ると別人のよう。今現在の自分は辛さの中で必死に生きているが、
それを真正面から受け止めて対処しようとしている。そこが以前と大きく異なる。
体の動かし方ひとつに関しても注意を向けていく生き方は、いかにも面倒だ。
しかしそれを極力しない生活をして地獄を体感したものとしては、面倒も喜び。
その細かい作業はいつでも思考が自由になる状態を可能にしてくれると思うよ。
>>16-19 マジでありがとう。非常に参考になったよ。
いわゆる最初からできるやつみたいなのではなかったと・・
今のkがあるのも努力のたまものということかな。
実は俺も階段十段息切れに似たような経験があって、このままではいかんと思い
最近ジョギングを始めている。
だが先日腰に違和感を感じてそのまま続けて走ってら
グキだかバキだか変な音がして今腰が痛い。正確には左足の付け根なんだけど
もし良かったら何かしらのアドバイスをくれると非常にありがたい。
日頃の姿勢が悪いのかなあと思っているが・・・
自分を見つめていくとあまり関係がないのが悲しいがw
>>20 そう。大変そうだね。
kは23歳の誕生日に初めて腰を痛めて(いわゆるぎっくり腰)依頼十数回痛めたよ。
そこでかなりいろいろ考えた。
きみの怪我の具合がわからないから的確なアドバイスにはならないけど、とりあえず
気をつけたほうが無難かと思われることを書くよ。
まず、なるべく痛みを確認しないこと。加えて可能な限り痛くないように体を使うこと。
傷めた場所はおそらく左の仙腸関節か股関節だろうね。痛めたばかりならなるべく安静が望ましい。
一週間以上経過しているなら、仰向けで片足ずつゆっくり膝を抱えるストレッチや横座りのように
左右に足を投げ出すようなストレッチをしてみたらどうだろう。痛くなる手前でとめて数十秒保持して
解放するようなことを無理せず根気よくしてみて欲しい。
つづき
かなり痛むようなら具体的にどうすると痛むかを書いてくれるとたすかる。
とりあえず、腰に関する負担は前傾になって体を起こすようにすることでかなり減らすことが出来る。
その分腹部にかかる負担が増えるので辛いし面倒だが、これをマスターすると腹筋運動を特別せずとも
起きている間は全て腹筋を鍛えている状態になるので、海やプールでも海パンになるのが
恥ずかしくないよ。
そのためには腹を凹ます腹式呼吸が必要になるけどやればわかると思うよ。
椅子に座っている時も少し前傾が望ましい。前傾で左足の付け根が痛むようなら致し方ないけど
後ろに傾く状態は重力の関係上腰に負担がかかるので注意。
つづき
板違いの内容だけど、スレ違いではない。
自分を見つめるということは、言動を省みることだから体の動かし方も当然含まれる。
思考を自由にするのも大変だとは思うけど、経験上体の使い方をマスターすることのほうが
至難の業だと思うよ。本当に厳しい。
トレーニングは無理せず徐々にすることが肝要。これがとても難しいんだね。
kは極真をやっていた関係でかなりむちゃくちゃなこともしていたけど、そういうトレーニング
のほうがやった気がしてその場の気持ちは納得できる。でも体はボロボロ。
だから、満足感は得られないかもしれないけど少しずつトレーニングを積み重ねることをすすめたい。
もの凄いことになると思うよ。本当に。
厳しさは細かいチェックを自分でするところにあるんだよ。
いい加減に流したり、反射的自動的機械的な動きを意図的に操作する過程でいろいろなことに
気づくと思うよ。
>>23 >板違いの内容だけど、スレ違いではない。
なら他所でやれってことにはならないのか?
>>24 当然なるだろうね。
哲学板で体の使い方に関して考察してはならないという決まりがあるならそうするよ。
しかし、ここは自己の言動を省みて日々の生活に生かすための気づきの場であり、生きる
ことに関する総合的かつ極めて具体的に考察をすることは哲学に通じると考える。
>板違いの内容だけど、スレ違いではない。
板違いなら他所でやれって。
自分で板違いと言ってるだろう。
自分の話す言葉、聞く言葉、理解できるよね。
揚げ足とって楽しいか?
>>26 そうだね。
一見板違いであることは通常の2ch利用者であれば感じることだと思い、「板違いの内容だけど」
とした。
むろん
>>26で説明したとおりk自身は板違いとは思っていない。
また、きみの希望を叶えることも可能だが、体の使い方メインに話をすすめるわけではない
ためその必要はないと判断する。
きみが板違いに関してkと意見を交わしたいということであれば、今後もきみの意見を書き込んで欲しい。
>>27 わざわざここを覗いているところが気になるね。
人は何のために生きているだろう。
生きる意味を探したり、考えたりする人は多い。
何をするために生まれてきたのか。
何をすればいいのか。
生きるとは何か。
どうやって生きればいいのか。
それらは結局自分で見出し、自分で選択し、自分で決めることだ。
生きる指標は自分で見出し、自分で選択し、自分で決める。
全ての人がそのようにしている。
そのことに気づかずに漠然と悩む人も多い。
そのような社会環境で生まれ育った結果であり、気づかぬこともそれを考慮すれば
当たり前のことかもしれない。
全ての人は生まれてから何かしら「他」の影響を受けて育つ。
必然としてはじめは目先に存在する「他」を絶対的な生きる指標ととらえる。
時が経ち、経験を積むにしたがって自らの選択の余地があることに気づくものも出てくる。
また、社会において自立心を促す教育が徹底されれば、自己の選択を強く認識しながら
生きる術を学習するだろう。
これらは先天的なものに加えて後天的に培う要素が強いため、当然千差万別であり地域や
血縁的な傾向は見られるものの、すべての人においてそれぞれ異なる。
どのような環境で育成しようが、自らの選択によって生きかたを選択している事実はある。
洗脳されていようが、気づく機会がほとんど奪われていようが、言動の主体は自分であり
反射的・機械的・自動的であっても自らの選択の結果である事実は変わらない。
これらのことは、自己の言動を「他」のせいにするという手法で多くの人の言い訳・言い逃れ・
自己弁護などに頻繁に利用されている。
曰く、あの人がこういったから。
曰く、社会が悪い。
至極最もな意見だが、十分反論も成り立つ。
あの人のいうことを信じる選択をしたのはだれ?
社会を変えず、社会の中に甘んじて利益を受けつつ都合の悪い時には叩く。自分が属し
関わり、築いている自覚を持たずに依存する選択をしているのはだれ?
言い逃れや言い訳がいくらでもできるように、反論も同様にできる。
そのような作業が自分に有益かどうかを考えることも生きる上では必要だろう。
そして、多くの人がその作業を経験しており、くだらない・ばからしい、と感じている
ように思える。
書いてあるのはかなり初歩的な事柄ばかりですね、と言っておきますね。
>>34 そうだね。
きみにとってはこのくらいのことは初歩的で当たり前なのだろう。
そして多くの人にとってもそうであるはずだが、そうでもない。
思考して理解し知識とすることはできても、実践すること、気づき続けることは容易いことでは
ない。思考して理解することから始まる場合が多いだろうが、実践を通して気づき続ける
ことでより理解が深まるかもしれない。
自分が何をすべきか
それに関して考える前に
自分が何をしたいか、もしくは自分をどうしたいか
を決めておかなければ見つかりようもない。
日々をどのように暮らすか、今をどのように生きるか
これらに関する思考は希望・願望を絡めつつ実践している瞬間の現実を見つめることを
せずには見えてこない。
>>36 きみは学生かな。
そして人付き合いがないしできないのかな。
自分以外に気づいていないと見下しているけど、
当たり前のことばかり書いててどうしたいの?
こんな馬鹿でもわかることを、喜んでみるのは、消防や厨房、せいぜいヒッキーぐらいだろうな。
たぶんきみはヒッキーだろ。
人を治そうとする前に自分を治そうね。
>>37 忠告ありがとう。まさしくそれを日々実践しているのでこれからも鋭意努力する所存。
今回のきみの書き込みは推測から始まり、最後に決めつけ、忠告で締められている。
きみと予想で競い合っているわけではないから、きみの推測が外れていてもきみにとっては
それまでのこと。そう、ちなみにすべて外れているが、証明するつもりもないのでご自由に。
このスレに関連付けてレスをすると、きみの行動をきみ自身でどのようにとらえているか
よく見つめて欲しい。
きみは自らの意志でここを開き書き込みをした。何のために?kに忠告するため?その本質はなんだろうか。
きみは何のためにそれらの行動をしたのだろう。よく考えてごらん。
>>38 kももうすこし柔軟になろうぜ。
37は37なりに気づきがあったみたいなんだし、
その気づきを引き出すようなレス返したほうが面白い。
38のようなやり取りはもう見飽きた。
きみは奇妙なことを聞くねー。
>きみの行動をきみ自身でどのようにとらえているか よく見つめて欲しい。
少しノイローゼ気味だね。
しょちゅうそのようなことを聞いているの?
コンビニ言ってレジで
きみはなぜレジで働いているの?
きみはそれをどのように捉えているの?
その行動を欲見つめて欲しい。
なんて言ってるのかな。
こんなこと言われりゃたまらない。
まったく、人をノイローゼにしようというのか。
きみのノイローゼを振りまいているね。
>>39 期待にそえなくて申し訳ない。
「その気づきを引き出すようなレス」の例を具体的に示して欲しいな。
>>40 >コンビニ言ってレジで
このスレに37が書き込んだことが前提だ。
人は折り合いをつけて生活をしている。それを本質的に理解しているかどうかは人による。
きみがそれをよく理解しているなら、コンビ二やその他の「なぜそういしているか」を尋ねるの
に不適切な場所、もしくは相手に質問をするかどうかは判断できるのではないかな。
きみがここに書き込んだことに関してkが理由を尋ねることと、レジでこちらにそのような働きかけ
をしていない人にそのようなことを尋ねるのでは、根本的に異なることはきみも理解していて
書いていると思うよ。きみが突っ込みたいのはそのようなことなの、それとも違う?
きみはkにどうして欲しいのかな?
ここで偉そうに語っている(と受け取られがちな)「自分を見つめていく」という作業は、
実践を通して理解が深まると期待するが、きわめて煩わしく面倒だ。
多くの人にとって当たり前と考えられるであろうことを書いているつもりだが、見方によっては
滑稽に映るだろうし、逆に理解しがたいと感じる場合もあるだろう。
人は生まれて死ぬ。その当たり前のことを難しく意味付けることはこのスレの主旨ではない。
当たり前のことを細かく分析して、今この瞬間を生きる上で役立てるために、さまざまなことに
気づくための場だ。
質問や突込みには最大限付き合うつもりなのでよろしくお願いしたい。
「つもりちがい十ヶ条」というのをご存知でしょうか?
和尚さんから教えていただきました。
有名なものなのかも知れませんが、
ここの主題である「自分を見つめる」ときに役に立つのではないかな
と思ったので書かせてください。
つもりちがい十ヶ条
たかいつもりで低いのが教養
低いつもりで高いのが気位
深いつもりで浅いのが知識
浅いつもりで深いのが欲望
厚いつもりで薄いのが人情
薄いつもりで厚いのが面皮
強いつもりで弱いのが根性
弱いつもりで強いのが自我
多いつもりで少ないのが分別
少ないつもりで多いのが無駄
そのつもりで頑張りましょう
>>43 実に面白い。
これをkに当てはめてみよう。
「教養」これは周知の通り「低い」。「気位」そういう「つもり」はないが「高い」偉そう
と評判。「欲望」これは浅薄というより「多い」。「人情」これは周知の通り「薄い」。
「面皮」これも周知の通りかなり「厚い」。「根性」これは「強い」かもしれない。
「自我」これはかなり「強い」。「分別」これはある「つもり」だが、他人の評価はわからない。
「無駄」これはあっちのスレでじゆんにさんざん指摘されたが、ものすごく「多い」ようだ。
和尚さんの指摘の意図はわからないが、そこに示された「つもりちがい」は自己評価
の曖昧さ、もしくは自己評価と他人の評価との相違の認識の必要を説いたもののように思える。
「いいわるい」ではないようだ。そのような傾向にあるので自己を省みて行動したらどうか
ということかもしれない。
きみのいうとおり自分を見つめる上でかなり参考になりそうだ。ありがとう。
>>44 >kさんへ。
私は馬鹿さんのレスに対して無駄だとは言ったけど、
kさんのレスに対して無駄だとは言ってないよ。
勘違いしないでね。
ここにいるkさんは無駄は少ないと思います。
というより少なすぎるのが難点といえば難点。
それと私も
>>43はいいなと思いました。(某107さん感謝です)
それに対する私自身の評価もだいたいkさんと同じです。
けどkさんの「面の皮」は厚いかな?
「根性」これもkさん強いかな?
なあんて思いましたけど。(あっ、これは馬鹿さんに対しての評価なのかもしれないですね)
まあ評価なんてその時々で変わりますからね。
たしかにkさんの言うとおり、自分を見つめるためには
たしかに参考になると思いました。
>自己評価と他人の評価との相違の認識の必要を説いたもののように思える。
あ、でも、これにも納得です。それでは。
某107さんて軍板だったか世界史板だったかどこか忘れたけど他板にも居たような気がする。
>>45 >あ、でも、
ってなんだよ。
>>21 >>22 >>23 自分をみつめるを心や考え限定で見ていたわ。勘違い
腰が痛いのはやはり日ごろの姿勢が悪かったことが原因かと思う。
足を組んで座ったり肘ついて食べたり寝るときも左側に傾いて寝たり・・
まあ、とりあえず安静にしつつ姿勢を正すことから始めている。
痛みはずいぶん引いているのでマッサージ系も試してみている。慎重に
質問が二つ
痛みを確認しないことのところ。なぜ?
悪化するの?
前かがみというか前傾になると腹式呼吸がどうたらと書いてあるが
凹まない。
呼気のとき?吸気のとき?
吸気のときかと推測するが自然にできるものなのか?
詳細を
>>45 きみはあっちのスレにおいて、きみの提案に対するこちらの質問にこたえがないまま
になっていることには気づいていると思う。
その上で何事もなかったかのようにここに書き込むのも、いままでのきみの書き込みのパターン
でもあるからきみはそのようなやり方を好むのだろうと判断する。
いずれにしてもきみは目先にあるきみの気持ちに左右されて行動しているように見える。
それは人の本質的な部分だ。kがこの表題のスレで書いていることのわかりやすい具体例として
ここに書き込んでいるつもりがないのであれば、それなりに「他」との折り合いを図る
努力をしたらどうだろう。
>>46 >某107さんて軍板だったか世界史板だったかどこか忘れたけど他板にも居たような気がする。
へぇー、そうなの?どうしてわかったのかな。
>>あ、でも、
>ってなんだよ。
うん。いい突込みだ。
いかにも今気づいて付け足すといったニュアンスが出ているね。
くだけた日常会話的な口語調を強調したい様子が窺える。
ここはしゃべっているには違いないが、「文章を書く」ことで会話をしている。
その書くという作業をしゃべるのと同じくらい機械的・自動的にできたとしても、その表現
が妙に映ることもあるという考慮はないのだろうか、と不思議に思う。
むろんそのような演出を意図的にしたというならわかる。そうすると狙いを伺いたい。
>>47 >痛みを確認しないことのところ。なぜ?悪化するの?
怪我の具合や種類にもよるけど、ある姿勢をすると何となく痛くて嫌だな、くらいだと
確認しない方が治りは早いと思う。そしてきみの予測どおり何度も確認作業を重ねると
悪化する。理由はその行為が痛めることに繋がるので痛いはずだから。
とりあえず安静が治癒を促進する場合が多い。でも数日から数週間経った後の筋肉や
他の組織の硬さなどは、動かして痛くてもそれなりにやさしくじっくり動かしてあげる必要
がある。
怪我に関しては経験を積んで分析考察するうちに、ある種の勘が働くようになるかもしれない。
というより、細かい怪我について気づいてあげることが体の維持には必要だと思う。
よくこんな体で生きているな、と感銘を受けるほど状態の悪い人は少なくないようだよ。
大切なのは小さな異変を察知して迅速に対処すること。
自分を見つめるしかない。
つづき
>詳細を
あの立ち方に関しては前スレで一度触れているけど、おそらくあまり理解されていないだろうし
読み飛ばされているかもしれない。また、きみは読んでいないわけだし、もう一度簡単に書こう。
重力の影響を受けた状態での立位姿勢は垂直に近い状態でない限り丸まったり屈曲した部分に
その部分の上の重力がかかる。そのような部分の多くは首・背中・腰。
今回紹介している立ち方は、両足の親指の付け根辺りに体重がかかるようにする。
これはバランスがとりにくいので、膝を少し曲げる。こうすればかなり前傾になる。そのまま
上体を反らすように上げていき垂直まで頭をもっていきあごを引く。この時点でお腹に力が入る。
入らない場合は肩や首に強い力みがあるはず。それを抜くとあごが上がるので、再び肩の力を
抜きながらあごを引く。そうするとお腹に力が入ると思う。
つづき
われわれの多くは通常腹筋を意識的に使うことなく、背筋・腰筋を自動的に酷使して
生活している。
これは使用する筋肉のバランスが悪い。そこで前面にある腹筋を使って体を支えようという
考え方を実践するもの。そうすれば腰の負担が激減する。
前述のようにお腹に力を入れるのはとても難しい。理由はかなり意図的に行なわなければ
実現できないから。
自分を見つめて実践するにはもってこいともいえる。その代わり、これを実践すると
腹筋運動など特別にする必要もなく見栄えのいい腹になる。
また、首肩の力が抜ける(はず)なのでこりなども防止できる(はずだがそう簡単にはいかない)。
つづき
以上のような立ち方(座り方も類似)になると腹部に緊張を強いるので呼吸が浅くなる。
もしくはできなくなる。
そこで腹式呼吸が必要とされる。
通常腹式呼吸はリラックスする時や歌を歌うときなどに利用されるが、日常から心がけることで
自律神経の調整を可能とし、不必要な焦り・苛立ちなどを防ぐことが可能。
方法は、とりあえず吐く。吐いて腹を凹ませる。これを起きた状態でできればOK。
でもこれが難しいと思う。まずはあお受けに寝た状態からはじめるのが無難。
睡眠時には腹式呼吸をしているので、そのような感じで気持ちを落ち着けるとなんとなく
呼吸に合わせてお腹が上下しているのを確認できるかもしれない。
>>53の下から3行目「あお受け」は「仰向け」に訂正。
つづき
仰向けでお腹を凹ませて呼気できたら、なるべく大きく凹ませながらゆっくり吐く練習が
望ましい。吸うのはとりあえず鼻から適度に吸えればよし。まずは凹ませて息を吐く。これ!
ちなみに吸うときにお腹は膨らませない!!これをやりすぎるとお腹が出るよ。吸うときは
お腹が適度に平らになるくらいまで!!これはわりと重要かも。腹式呼吸はお腹を膨らませる
呼吸ではなく、凹ませて吐く呼吸。吐かなきゃ吸えないんだよ。
お腹を凹ませ内臓を押し上げ、横隔膜を上に圧迫して肺を押しつぶせば息は出る仕組み。
理には適っている筈なのだが実践困難なのは、根本的に人の生き方として学習すべきをしていない
とも言え、問題だと思う。かくいうkも全くできなかった。
これを立位のあの姿勢におけるお腹に緊張がある状態で実行するのは困難ではあるができる。
腹筋を入れても凹ませられるし、そうすれば肺が圧迫され呼気が出る。出れば吸う。
生きていればの話だが。いずれ死ぬ身だが、生きているうちは呼吸を意識的に楽しむ方法もあり。
気がついたときにやる程度で以前とは違う自分がそこにいると思うよ。
↑
精神を高みにもっていく修業の前段階としてのヨガみたいな運動法のことを長々と書いてるのか?
>>49 >へぇー、そうなの?どうしてわかったのかな。
兵器に興味があってね、過去ログをいろいろ見てたもんで。
でも、某107じゃなくて、例の107だったような気もする。
もしそうならこっちの勘違いってことだな。
>>55 >精神を高みにもっていく修業の前段階としてのヨガみたいな運動法のことを長々と書いてるのか?
そういうつもりはない。
きみにはそう見えるのかい?
「精神を高みにもっていく」経験はあるの?精神を高めるとはよく用いられていそうな表現だが
kはそのような表現は使ったことがない。精神に高低があるかどうか知らないし興味もない。
「修行の前段階のヨガみたいな運動法」とあるが、先に示した立ち方こそ修行そのものとも言える。
ヨガは運動法ではないだろうし、位置付けをきみの指摘のように置いたヨガの捉え方も否定はしないが
実践こそ精神修行だよ。
理屈はいくらでもつくし作り出せる。どう生かすかが自分にとって重要だと思うよ。
きみにとっても誰にとっても、「今」どう生きるかが重要じゃないかな。
「しかしこういう名物といい観光地といい、京都は地味やな」
「そらまあ、歴史のある土地やから」
「せっかくの遠足やねんからもっと派手なとこ行きたかったわ」
「たとえば?」
「極楽浄土とか」
「派手のベクトルが違う」
「なんでよ、七色の雲とかあるし、楽しいで」
「そんな仏教的に楽しいの求められても」
「学年みんなで極楽へ」
「それはもう遠足違うやろ」
「戻ってこれへんねん」
「一大事やし」
「そもそもお前みたいな悪人は行かれへんけどね!」
「毒を吐くな」
>>59 最後のセリフは必要かな?前のセリフでおちてるし、そこで終わるとすっきりすると思うよ。
でも漫才だと最後の突っ込みは必要なのかもね。
ここの後に別のところにもコピペしたようだけど、意図は何かな?
人は何のために生きているか。
実際の行為に関しての考察は人それぞれであり無限ともいえよう。
ではその本質は何か。
多くは同じではないだろうか。
人は自分のその場の気持ちに左右されて生きている。
その場の気持ちを満足させるために生きている。
このスレを立てて多くの人のレスを読み、また他のスレッドにおけるレスを読むにつけ
その真理がいたるところで垣間見える。
そして、多くの満足を得続けることを欲しているように見えるものの実現できていない人や
喜びを得たいのだろうと推測されるものの気づいていない人などが多いように思える。
人が身につけたり知識として蓄えたさまざまな価値観を善悪や優劣などの分類によって
自分なりに細かく考察することで、物事の本質は見えにくくなっている。
人が望むことにはさまざまな厳しい条件下での偶発的な事象であったりといった、「有り難い」
シチュエーションが前提になることがある。
しかしそれは自分の気持ちの上での問題であり、事象は事象である。
本質は自分の気持ち。満足するかどうか。つまりはどのようなシチュエーションでも
事象に遭遇できれば望みが叶うはずだが、思い込みが強ければ条件が整っていないことを理由に
満足できない場合もある。
また、満足は満ちれば慣れ、飽きる。喜びは性質が少し満足とは異なるかもしれない。
だが、慣れ、飽きることには類似性がある。
ここに気づき続けることの本質がある。
風呂に入る前に足のマッサージをするべきか
風呂に入った後にマッサージをするべきか
どちらが疲労回復、血液の好循環に繋がるのだろうか
たぶん、後者だろう。
足は第二の心臓ですよ>>1
知ってましたか?
>>57 >きみにはそう見えるのかい?
斜めに見てそのような雰囲気だった、だから尋ねてみた、そんな具合だ。
ちなみに経験はない。知識として知っている程度。
>ヨガは運動法ではないだろうし
そうだ。ヨガを単なるエクササイズの道具にした日本はさすがとしか言いようがない。
>先に示した立ち方こそ修行そのものとも言える。
それは勝手だが、あんた、あまり利巧そうじゃないな。
>>k
自己管理とどう違う?
>>63 >何も言ってないに等しい。
いつまでたっても当たり前のことしか書かないよ。
その当たり前に気づいているかどうかは知らないけど。
>もっと続けて!
うん。以前からずっと続けているし、これからもその気があれば続けるよ。
>>64 >すみません、スレ違いでした
そうなんだ。
>>65 そういわれているのは知っている。その理由は重力と脚の運動によるんだよ。
意味はわかる?
>>68 >意味はわかる?
なんとなく。
風呂に入る前に足のマッサージをするべきか
風呂に入った後にマッサージをするべきか
あなたはどっちだと思う?
>>66 >斜めに見てそのような雰囲気だった、だから尋ねてみた、そんな具合だ。
そう。なら、よく読んでから尋ねる方法をすすめるよ。
>>先に示した立ち方こそ修行そのものとも言える。
>それは勝手だが、あんた、あまり利巧そうじゃないな。
うん。利巧「そう」に見せているつもりはない。だが、あの立ち方は修行だと思うよ。
利巧かどうかがきみにとって重要?どう生きるかじゃない?まずは試してみれば。
>>67 >自己管理とどう違う?
自己の精神状態と体の状態を常に見極めて行動することだから、自己管理といえばまさしく
それだろう。
>>69 >あなたはどっちだと思う?
後の方がほぐしやすいと思うよ。効果はそれぞれにある。見出せばいくらでも。
短絡的に思考して結論を急ぎとりあえずの納得で終わらせようとしていないだろうか。
この掲示板上でやりとりされる会話の多くは、共通認識的な言語や表現に依存したものである
ため、相手の本意を受け取れずに誤解した状態で続く。それに気づかないことも多く、
伝わらないと決め付けたり、相手が理解できないと決め付けたり、自分に理解力がないと
卑下したりといった様子が伺える。
ここに書き込むのはなぜか。書くことで満足したかったのか。書く喜びを味わいたかったのか。
誰かと会話したかった。誰かと共感したかった。偉そうにしたかった。賢く見られたかった。
その本質は満足や喜びを得ることだ。そしてそこに気づいていない。
気づきたくもないし、そんな自分を見るのもめんどくさい。いちいちそんなことは考えられない。
そうして喜びを得る機会を常に失うこととなる。
人は実に細かい満足の積み重ねを得ようとしながら生き続けている様に見える。
ときとして納得かもしれないし、妥協かもしれない。
いずれも、まあこれでいいか、こういうことだな、こんなもんだろう、といった形に
もって行きたがる傾向にある。
これはエネルギー消費をそれほど多くは要求されない。思考を柔軟にする必要もない。
あるカテゴリにー内のパターン化されたケースに目の前の事象を当てはめていく作業に近い。
それなりに頭も使うので、自分の成長の証のようにみることもできる。
さまざまな困難な状況を切り抜けて解決していく過程はスリリングであり、解決できたときの
満足感は大きい。その経験はパターン化され次に活かせる。
人はそのような積み重ねで生きている。そして同時に新鮮さに気づきづらくなる。
人間関係がうまくいかない人は、それさえうまくいけば人生バラ色だと感じるかもしれない。
仕事がうまくいかない人、勉学が思うようにはかどらない人なども同様に。
だが、実際うまくいくとはどのようなことだろう。また、うまくいったらそれで幸せだろうか。
金も地位も名誉もあるような人が苦悩したり、挙句の果てには自らの命を絶ったりするのは
なぜだろう。他人のことはわからない。あくまでも推測だ。その上で有力と思える理由は
不満だろう。
その人は新鮮な喜びを見出すという簡単なことができなくなっていたのではないだろうか。
いや、すでにそれが困難になっている人は少なくないのかもしれない。
自分で自分を規定し、苦しめていないだろうか。
人の感覚は常に変化可能。気持ちも同様。
たった今まですべてうまくいっていたように思えていたのに、ほんの些細なきっかけで
絶望に変わることもある。
人が今生きていることは当たり前だし、見方を変えれば奇跡的だ。人はなかなか死なないが
すぐにでも死ねる。
その奇跡的な有り難さに気づき続けるのは大変面倒だが新鮮な喜びが得られる。
>>71 >そしてそこに気づいていない。
だから、そんなことも分からない奴は真性キチガイくらいだって。
ナルシシストのすすめですか?
>>75 そうそう。だれも気づいていないと思い込んでいる。へんなやつなんだ。こいつは。
こいつはみんな自分レベルの人間だと思い込んでいる。
それで暇になると自己レスしてほめちぎる。
ワンパターンなんだ。
でも、そこにひっかかるヤツもいるみたい・・・
>>75 >だから、そんなことも分からない奴は真性キチガイくらいだって。
なるほど。
では、家や学校や会社などにおける人間関係で「どうしたらよいかわからない」と悩み
解決できず、落ち込んだり、不安になる人は、自分がなぜそこにいるのかに気づいているのかな?
それとも真性キチガイ?きみはそういう経験がない?
>>76 >ナルシシストのすすめですか?
違う。でもきみがそう思うには理由があるだろう。なぜきみがナルシストのすすめと感じたかを
細かく書いてくれれば、それを理解し、きみがそうとらえたとおりとなるかもしれない。
>>77 >こいつはみんな自分レベルの人間だと思い込んでいる。
それはどんなレベルだい?また、kの考えがきみにはわかるのか?すごいね。
>それで暇になると自己レスしてほめちぎる。
ほめちぎる?具体的に指摘してごらん。
でも自分を褒めるのは生きる上で大切な行為だ。
>ワンパターンなんだ。でも、そこにひっかかるヤツもいるみたい・・・
そうして覗いているきみもひっかかるヤツの一人ではないかな?
kの書いていることを具体的に指摘しながら批判してごらん。そうすれば折り合いがつく。
77じゃないけどね
>>78 >そうすれば折り合いがつく。
本気で折り合いがつく、と思ってんなら超ド級のドキュンだぞ。
>>79 そうだ。kは超ド級のドキュンだ。ならばなんだ?
さて、なぜ、本気で折り合いがつくと思ってんなら超ド級のドキュンなんだ?
折り合いはつくものではなく、つけるものだ。それをあえてkがつくといったのは可能性
のこと。話し合いにより折り合いをつけることの実際を味わいたい。こちらには用意がある。
話し合いがくだらないというなら仕方がない。kを批判するものたちが折り合いを拒んでいるなら
そのようなところで折り合うしかない。
話し合う用意がそちらにあるなら、いかようにも折り合いはつく。
人はその場の気持ちに左右される。そしてその気持ちは瞬時に変化可能だ。
2ch上ではとりあえず書き込みによる伝達方法しかあるまい。
一方通行で終了させているのはどなたかな。
>>80 おまえさ、
>>78をよく見てみ、
>>75>>76>>77にあてた自分のレスをさ。
>一方通行で終了させているのはどなたかな。
どなたかわかったか?
>そうだ。kは超ド級のドキュンだ。
居直るくらいなら始めから口を開けるんじゃないよ。
このスレの1ってkの自作自演じゃね?
>>81 kだときみはいいたいのだろうが、残念ながらkはすべてにレスをしている。
また、それに対してレスがあればまた返す。
>居直るくらいなら始めから口を開けるんじゃないよ。
なぜ?
居直ろうが何をしようが、口を開けるのはその人の自由。
きみはだれでkに何を望んでいる?ここを開かなければきみにはなんら係わり合いがないはず。
自分を見つめてこたえてごらん。
>>82 >このスレの1ってkの自作自演じゃね?
1はkではない。だが信じるかどうかはきみの自由。
自作自演だったら何?なぜきみはここを開いて書き込む?
>>83 >kだときみはいいたいのだろうが、残念ながらkはすべてにレスをしている。
言葉のキャッチボールって知ってる?
レスをしている、すなわち、言葉を返した、とはならないんだよ。
それならどんなキチガイ(知将、神将含めて)とも会話ができることになるよ?
>居直ろうが何をしようが、口を開けるのはその人の自由。
暴言だな。意味わかってる?
>自分を見つめてこたえてごらん。
上からモノを見過ぎだっての。おまえはそうじゃないって言うだろうがな。
不遜だな。おまえ、居直りすぎ。
>>84 >レスをしている、すなわち、言葉を返した、とはならないんだよ。
そのとおりだ。そして、どんな言葉でも繰り返すことにより理解が深まる可能性がある。
人の気持ちはわからない。ましてや共通認識と思い込んでいる言語による文章での伝達ならなおさらだ。
どのような形にしろ続けることが可能性を生む。
きみのように名無しでレスをすることの利便性は理解するが、他人のレスの仕方を非難する上では
有益な方法ではないだろう。理解する?
>暴言だな。意味わかってる?
どこがどのように暴言?きみの捉え方は世界共通の認識か?そのような見識でものを語ることも暴言ではないか?
また、仮に暴言だとしてそれが何だ?暴言はいけなくてそうでなければよいのか?
いいわるいは自分で決めている。それはきみの見解でしかない。みんなにそれを強要したい?
>不遜だな。おまえ、居直りすぎ。
そうだ。では訊くが、そのような書き方をするきみは不遜ではないのか。
きみはkに何を望んでいる?きみの文章からはkに忠告したい様子が伺える。
kに自重して欲しい?己の愚かさに気づいて欲しい?このスレをやめて欲しい?
kはよく自分を見つめている。きみも自分をよく見つめてkの質問にひとつくらいこたえてごらん。
kに批判する人はよく自分を見つめて考えていただきたい。
あなたがこのスレをどこで知ったのかkにはわからないが、開いて書き込む行為はあなたの
選択によりなされている。
あなたは書き込む作業を瑣末なことと捉えているかもしれないが、少なからず時間を費やし
いくばくかの労力を注ぐ行為ではある。
書き込む行為をする瞬間、選択肢の中にある他のあらゆる行為の中からここへ書き込むことを
選択した。
なぜ? 何がしたかった?
書き込むことで喜びを得たかったのだろうか、それとも満足?
kはそのような行為をする気持ちに関してこのスレで話し合おうとしている。
kが偉そうに見え、むかつくかもしれないが、これは演出でありその演出に関しての批判であれば
そのように指摘することが理にかなう。
kの人となりを攻撃することはkの演出に踊らされているのかもしれない。
kはどのような演出も可能。それは自由に思考ができる人は皆同様だろう。
会話をしないか。演出上の批判は厳粛に受け止めるが、理由があってのことで大目に見ていただきたい。
書いてある内容をよく吟味してもらえないか。その上で話し合いをしたいと考えている。
それでも気に入らないならその旨を明確にし、要求を書くか、このスレを開かないことだ。
あなたのストレスの種が一つ無くなるかもしれない。
最近のレスは批判なのか?
すでに気付き続ける状態にある人に気づけといってもあまり意味はない。
このスレでいうところの”思い込みを操れる人”といったらいいか。
気付き続ける人がどう生きるか?そういう話しを聞いてみたい。
>>87 >最近のレスは批判なのか?
すべてがそうとは思わないが、そのように見えるものは多い。
そしてむろんそれを拒絶しているのではない。kの演出に関することで不快感を覚えるなら
そのような指摘が適切と考える。
>気付き続ける人がどう生きるか?そういう話しを聞いてみたい。
それはその人が常に選択し決めることだ。
kは道を示しているわけではない。今の自分・自分を通した世界を常に認識することで
悩みを自分で処理できるようになるのではないか、と問い掛けている。
それを断わった上で、人の本質に即した生き方のうちのひとつを書く。
>>85 >kはよく自分を見つめている。
よく自分を見つめて尚このざまだ。
別スレで人間の本質は喜びを得ることだとかぬかしとるな。
よく自分を見つめた結果、得られた本質がそれだと言うのなら、おまえ相当ヌルイぞ。
つづき
これから書くことは今後話し合いたい材料の一つでもある。そして戯言だ。
人は自己の喜びを得るために行動する。また喜びを欲している。
だが、生育上の環境の影響により、多くの場合満足を得ることで自己の気持ちを納得させる
状況にある。
その原因は思い込みや先入観、事象のパターン化による分類による類推などにより、ある種の
賢さを手に入れたことによる。
そしてそれは新鮮な喜びを得る機会を失うことに結びついている。
仮にきみのいう「すでに気づき続けている人」がいるとする。
その人は日々遭遇するあらゆる事象に対して新たに気づくことが可能だ。
なぜなら先入観や思い込みで見ることの不利益も理解しているし、自分の瞬時の気持ち
もよく見ているのでそのときの状況を適宜判断し、自己に有益なように選択して事象を
とらえる。
>>89 >よく自分を見つめて尚このざまだ。
きみはどなた?そして「尚このざま」を細かく説明して欲しい。
きみが自分を見つめているか、見つめている人を知っていて語っているのでないとしたら
きみのそのざまはどう理解しよう。誤魔化さずにこたて欲しい。
>別スレで人間の本質は喜びを得ることだとかぬかしとるな。
そうだ。
きみはkの追っかけか?よほど気になると見える。
>よく自分を見つめた結果、得られた本質がそれだと言うのなら、おまえ相当ヌルイぞ。
ヌルイ理由を書いて欲しい。
いい逃げは容易。きみがそうするなら、きみこそヌルイ。
>>90のつづき
辛く生きるも楽しく生きるも無気力に生きるも選択可能であることを理解している。
その上でどうするかはその人次第だ。
重力の影響を常に認識し続けることはこの上ない苦痛でもある。多くの人がそうであるように
感覚を鈍磨にした状態を選択することも可能。
しかしそれを続けることによる不利益を考慮して肉体の調整を常に試みる生き方も選択可能。
また、体に関しては他にも生き続ける限り新陳代謝があり食し排泄し続けることであり
その面倒臭さはまさしく「苦」であり、自動的・機械的・反射的に無意識のうちに済ませたい
と思うことが多い。だが、無意識に済ませることによる不利益を理解するため認識を選択する
こととなる。これも実に面倒であるが、それを新鮮な喜びとして感じることも可能。
どのように生きるかを常に選択することが気づき続けることでもあり、これは捉え方を変えれば
この上ない苦痛であり、あまりに面倒だ。そして生き続けることは常に死ではなく生を選択すること
の認識も可能な状態にあるということ。
そして、放っておけば思考が巡る。無限に煩雑な思考が巡る。知覚を鋭敏にすればそれに
刺激されてさまざまな記憶が呼び起こされ、目前の事象に対する適切な判断をする上で
その煩雑に雪崩れ込むかのような膨大な情報を瞬時に適宜選択する。
つづき
きみが上のことを理解するかどうかわからないが、気づき続けることは生き続けること
であり、それは見方を変えればこの上ない努力の元に成立する極めて辛いことだ。
しかし、その上でそれらを適宜喜びを得る手段にすることができることが気づき続ける
利点だ。そして喜びを得ることが人の本質であることに気づくとき、その人なりの生きる
意味を見出すだろう。
世の中にいるすべての人は本質的にみな喜びを欲している。みな幸せになりたい。
だが喜びの本質は理解されていない。
現代科学では神経伝達物質と呼ばれる物質のある種類が分泌されると気分がよくなる状態
になることが知られている。
喜びは適度なバランスでその状態を得られた状態とも考えられよう。
別の捉え方でいえば、なにやらいい感じ。幸せ感。愛を感じるとき。ほんわかした感じ。
人はそのようなものを欲する。そしてあらゆる場面で体感している。もしくは体感する
機会がある。感じ方はその人による。気づかない人は気づかない状態が慢性化し感覚が鈍磨になる。
感覚の鋭い人は感情の起伏が激しくなる。
気づき続ける人はそれを選択することが可能。
>>93 文章が急にうまくなることはない。国語を教えたことはある。
>>94のつづき
人がみな喜びを求めて行動していること、その場の気持ちを優先するため喜びを得られていないこと
などに気づくようになる。
他人の言動がよく見えるようになる。思い込みや先入観をわきに置くことで他人の言動が新鮮に映る
ことで多くのことに気づく。
相手の言動が新鮮で滑稽で愚かで尊敬しうるものに思える。
その人が自分の言動が自己の望みを実現させるに不適切であることが詳細に見える気がする。
仮に気づき続けている人が幸せ感を適宜得られる状態を選択したとしよう。
その人が上に述べた状態の他人を目の前にした時、余計なお世話を焼きたくなるかもしれない。
仮にその他人も気づき続けようと心がけている人だったとしよう。
余計なお世話はちょっとした親切になるだろう。気づき続ける人の指摘は心がけている人にとっては
ちょっとしたいいきっかけだ。
仮に、自分を見つめていない人に余計なお世話を焼いたとしよう。それはこの上もない
傍若無人で尊大でろくでもない奴と思われるだろう。
そしてその見極めは、気づき続ける限り見誤りようもない。相手を気遣ってさりげなく
切り出すくらいの作戦は容易に選択可能だから。
そして、あえて気づいていない人に声をかけることに意味を見出す人もいるだろう。
それはその人が決めることだ。
つづき
すべての事象にあらゆる意味が見出せる。決断と選択の連続であり、そこに喜びを見出す
ことが可能となる。
むろん、他の状態も選択可能だ。かなり辛いものとなるかもしれないが。
上にあげたことは抽象的な説明のため理解し辛いことだろう。
一般論や抽象的に話すより、具体的にある事象に絞った方が理解しやすい。しかし掲示板の
性質上このようなのったりした各駅停車的な進み方が理解には適していると考える。
質問や批判や中傷は具体的に細かく願いたい。
特に批判中傷は、kにどのようにして欲しいかを明記していただきたい。
ゆっくり話し合いながら互いの気持ちに折り合いをつける方向で妥協してもらえないだろうか。
98 :
考える名無しさん:04/07/15 17:39
un
な・ん・ど・も言うようだが無いものに執着するほど馬鹿ではない。雑談には付き合うよ。以上
>>98 うん?
>>99 な・ん・ど・も言いっているようだが、きみはだれ?
無いものに執着?申し訳ないが文意がつかめない。
何度もというからにはレス番を示して欲しい。そして、きみがここ、もしくはkとどうかかわり
あいたいかを教えて欲しい。
あなたはそこにいますか?
102 :
考える名無しさん:04/07/20 19:18
自分をみつめていく
>>97 >ゆっくり話し合いながら互いの気持ちに折り合いをつける方向で妥協してもらえないだろうか。
>妥協してもらえないだろうか。
103 :
考える名無しさん:04/07/20 19:25
俺、クリシュナムルティの物真似する奴って、一番嫌い。
横山やすしの物真似だったら、腹立たないんだけどなあ。
>>103 >俺、クリシュナムルティの物真似する奴って、一番嫌い。
禿同。
でもkに言わせると『クリシュナムルティ?誰それ?』らしいが。
名前の『k』も『クリシュナムルティの真似じゃない』と言ってたし。
にしても…
クリシュナムルティを少しでも読んだら、恥ずかしくて言えなくなるような事ばっか主張してるね。
本人の自覚云々に関わらず。
あまりにも『底の浅い』クリシュナムルティの真似(苦笑)
まぁ、これすらも『指摘』じゃなく『悪口』『陰口』と取るんだろうが。
『指摘』として取ってたら、以前に『クリシュナムルティの真似するな』って言った時に読んでいたはずだしね。
今も『読んでいない』と言ってたし。
105 :
考える名無しさん:04/07/20 21:04
自分を見つめていった結果、kは他人を見つめられなくなった、と。
ハルカは物知りだね。
107 :
考える名無しさん:04/07/20 22:14
ブタモ キニ ノボル?
ブタノネガコウトウシ
109 :
考える名無しさん:04/07/21 19:17
kの姿を最近見かけんがどうかしたのか?
上げられちゃったら恥ずかしくて出てこられないか?
>>50 腰を痛めてからというもの姿勢や体の使い方に意識を向かせてみた。
知らず知らずのうちに特定のポーズをしていることに気づく。習慣は恐い。なかなか直せない。
幼いころに何度も骨折などをしているので怪我経験は豊富だがだからどうしようとか対処をしなかった。
んで今回でようやく自分の体と相談して〜ってのをやって行ける気になった感じだ。
そういった意味で感謝している。
>確認すれば悪化する。
冷静に考えればそのとうりだねw
なるほど。
>よくこんな体で生きているな、と感銘を受けるほど悪い状態のひと
どんな人だ?
111 :
考える名無しさん:04/07/21 20:04
ブタ、サイゴノ トリデ
112 :
考える名無しさん:04/07/23 18:56
もしかして
kって三浦と同一人物?
わかったんだよスレってどこにある?
哲学板?
114 :
考える名無しさん:04/07/25 17:53
>
>>103 >>俺、クリシュナムルティの物真似する奴って、一番嫌い。
>禿同。
物真似かどうかが、問題なの??
「クリシュナムルティ」が嫌いなの?
論点がわかりずらい。
115 :
考える名無しさん:04/07/25 18:13
>>113 現時点で197番にありますよ。
レイアーススレの上。
パクリ・コピペ・引用大嫌いな奴もいるからのぉ。
それだけで感情剥き出しで書き込みしてくる・・・
内容なんてどうでもいいんだよw
118 :
考える名無しさん:04/07/25 22:54
>>116 確かに、2chでは当てはまることが多い。
ところで、すべての事象を喜びとして、感じられるようになったとき、
辛さをバネにするという「情熱」を選択する事ってなくなってくると想像できませんか?
ハルカの独自持論も「クリシュナムルティ」の持論に似てない?
「死」や「輪廻」に関して。
違いはどこ?
問題なのは、なぜ、「クリシュナムルティ」の物真似が嫌いなのか?
理由が知りたい。
教祖様になりたい人、多いよね。。。
煩悩まるだし。。。
>>119 >ハルカの独自持論も「クリシュナムルティ」の持論に似てない?
>「死」や「輪廻」に関して。
>違いはどこ?
二度とそんな愚かな事が言えない様にレス。
と言うか、実際の話…
クリシュナムルティは学生時代に読んだだけでアウトラインしか覚えていない。
それでも、確かに私の言ってる内容は彼の語った内容に限りなく近いと思う。
そりゃそうだろう。
同じ事について言ってるんだから。
単に表現方法や選択した語句が違うのみだしね。
そんな事言うなら、クリシュナムルティの他にも似てる人間がいるさ。
暇なら探せば?(苦笑)
>問題なのは、なぜ、「クリシュナムルティ」の物真似が嫌いなのか?
>理由が知りたい。
物真似自体が嫌いなんじゃない。
余りにも浅い理解しかしていないのに『自分は全て解った』と思っている奴が嫌い。
大抵そういう奴はクリシュナムルティなどの『一般には知られてないが、その筋には知られた存在』を持ってくる。
だから嫌なんだ。
>だから嫌なんだ。
そっかぁ。じゃぁ仕方ないね。
>二度とそんな愚かな事が言えない様にレス。
>と言うか、実際の話…
ちょっと、攻撃的な人かと思った、けど、大丈夫だった。
>そんな事言うなら、クリシュナムルティの他にも似てる人間がいるさ。
>暇なら探せば?(苦笑)
そうだよね。
だから、[k]も「クリシュナムルティ」の物真似とは限らないかも。
誰の影響を受けたのかは本人にしか分からないけどね。
レスありがとね。
>>74 >その奇跡的な有り難さに気づき続けるのは大変面倒だが新鮮な喜びが得られる。
毎日、(まったく同じではないけれど)同じように満員電車に乗る時、「新鮮な喜び」を得るのは相当難しそう。。。
ちょっと、マイナスな気持ちのものは、気持ちを鈍化させてプラスマイナス0にしてしまう傾向があるかもしれない。
毎日、眠りにつく時はそれなりに喜びなんだけどね。
>85
>そのとおりだ。そして、どんな言葉でも繰り返すことにより理解が深まる可能性がある。
>人の気持ちはわからない。ましてや共通認識と思い込んでいる言語による文章での伝達ならなおさらだ。
>どのような形にしろ続けることが可能性を生む。
可能性を信じていれば、可能性はあるよね。
kさんは、可能性を信じて、このスレを見ているでしょうか?
124 :
考える名無しさん:04/08/11 15:17
捕手。
>>101 >あなたはそこにいますか?
うん。
>>102 ?
>>103 >俺、クリシュナムルティの物真似する奴って、一番嫌い。
なるほど。そういう人が君の知人にいるの?
>>104 また来たんだね。よほど気になるのかな。
>あまりにも『底の浅い』クリシュナムルティの真似(苦笑)
それほどいうなら似ている部分があるんだろうな。前回某107に紹介してもらった部分くらいしか
知らないんだけどね。
>まぁ、これすらも『指摘』じゃなく『悪口』『陰口』と取るんだろうが。
陰口?kのスレで書いてそれはありえないと思うが。
いずれにせよもっと具体的に指摘してほしいね。この部分が真似ているとかさ。
>今も『読んでいない』と言ってたし。
今っていつよ?
>>105 >自分を見つめていった結果、kは他人を見つめられなくなった、と。
そうでもないけど。
>>106 >ハルカは物知りだね。
そうだね。
>>107 >ブタモ キニ ノボル?
実際には困難だろうね。
>>108 >ブタノネガコウトウシ
豚の値が高騰してる?原油はすごいね。
>>109 >kの姿を最近見かけんがどうかしたのか?上げられちゃったら恥ずかしくて出てこられないか?
恥ずかしいということではない。
PC故障のため失礼した。さっきネットがつながった状態。
>>110 >知らず知らずのうちに特定のポーズをしていることに気づく。習慣は恐い。なかなか直せない。
そう。これは気づくにつれ恐ろしさを実感する。とても辛いことだけどきみの目標実現に向けて
無理せずがんばってほしい。
>どんな人だ?
たとえば、本人は正常なつもりで生活しているが、実は各関節部位が正常な可動域よりはるかに狭い
範囲でしか動かせない人。kはそれに気づき続けるがため日課が減らないよ。生きていくとはとらえ方に
よっては一瞬一瞬が修行のようだね。
>>111 >ブタ、サイゴノ トリデ
豚、最後の砦?
>>112 >もしかしてkって三浦と同一人物?
たぶん違うな。
>>113 >わかったんだよスレってどこにある?哲学板?
ごめんね不親切で。
>>114 >物真似かどうかが、問題なの??「クリシュナムルティ」が嫌いなの?論点がわかりずらい。
確かに。たぶんk(クリさんじゃなく)が嫌いなんだろうね。
>>115 お世話かけます。
>>116 >パクリ・コピペ・引用大嫌いな奴もいるからのぉ。それだけで感情剥き出しで書き込みしてくる・・・
ハルカはそのようだね。
でもkはコピペも引用もしていないんだけどね。
できたらそういう人には、どこがどれと類似しているかの具体的指摘がほしい。本当に知らないので
よろしく頼む。
>>117 くだらなくてごめんね。
>>118 >ところで、すべての事象を喜びとして、感じられるようになったとき、
>辛さをバネにするという「情熱」を選択する事ってなくなってくると想像できませんか?
そうだね。自分がどうしたいかによると思う。
重力の話に乗ってくる人が少ないから、体に関する気づきはすくないかもしれないね。
例えば麻薬でいい気分に浸り続けられたら社会的生活は維持しづらくなり、近い将来終焉を迎える。
それと類似した状態を望めば実現可能だろう。
そうでなければ、というより気づき続けることをやめない限り、辛さを認識しなくなることは
ないと思う。体がある限り辛さに気づきそれを解消することを経験として知っていたら(それは
たぶん喜び)気持ちをそちらに持っていくかもしれない。
麻痺は消極的な喜びでもある。気づかない幸せがある。気づかないほうが幸せという見識のほうが多数かもしれない。
結局どうするかは本人が実践を通して体感し選択し続けることになると思う。
>>119 >ハルカの独自持論も「クリシュナムルティ」の持論に似てない?「死」や「輪廻」に関して。違いはどこ?
生きるとか死ぬとかになると似たような話になるんだろうね。
>問題なのは、なぜ、「クリシュナムルティ」の物真似が嫌いなのか?理由が知りたい。
確かにね。
>>120 >教祖様になりたい人、多いよね。。。煩悩まるだし。。。
多くの人は偉そうにしたいからね。それは素敵なことともいえる。偉い人なんていないんだし、
偉そうにしたい気持ちは誰も妨げられない。社会的に生きるには折り合いは必要だけどね。
>>121 >二度とそんな愚かな事が言えない様にレス。
すごいレスだな。楽しみ。
>と言うか、実際の話…クリシュナムルティは学生時代に読んだだけでアウトラインしか覚えていない。
ということはkの話もクリさんに関してきみの記憶にあるアウトラインと似ているということ?
>そんな事言うなら、クリシュナムルティの他にも似てる人間がいるさ。暇なら探せば?(苦笑)
きみの開き直りもなかなか見苦しいなあ。論点がずれているよ。しかも失礼。
>余りにも浅い理解しかしていないのに『自分は全て解った』と思っている奴が嫌い。
きみから見て「と思っている」ように見える「奴」ということだと思うが、本人の確認を
待ってから嫌いになることもできると思うけどな。
つまりはきみの思い込みできみの「嫌い」を増やしているようだ。
また、kはクリさんに関してほとんど知識がないと書いているわけだからきみの嫌う理由とは
異なるということになる。よろしい?
>>122 >だから、[k]も「クリシュナムルティ」の物真似とは限らないかも。
そうだね。思い込みや決め付けでせいかくな判断を誤ることに気づきたいところ。
>誰の影響を受けたのかは本人にしか分からないけどね。
そう。そして気づかない限り本人にもよくわからない。
kの影響を受けた人に関しては過去に質問に答える形で少し書いた。
少なくともクリさんは読んでいないので直接はありえない。可能性としてはクリさんに
影響を受けた人の書籍を読んでkが知らずに影響を受けている場合が考えられる。
kがもっとも強烈に影響を受けたのは筒井康隆の小説。他にも小説や漫画は多数読んでいるので
その中にあるかもしれない。
また、これも既述だがヨガ大全は読んだ。他に理性のゆらぎや神との対話がそれっぽい本かと思う。
知人に薦められて他にも怪しげな本はいくつか読んでいるが具体的な書名は記憶にない。
いずれにせよ、度々疑惑がここで挙げられていることから、何らかの類似があるのだろうが
ハルカが記したようにテーマが類似していれば内容が似るのは必然かもしれない。
そしてそこに共通するものがあるのであれば何かしらの真理かもしれず、それをどう扱うかは
目にした本人の選択による。
>>123 >毎日、(まったく同じではないけれど)同じように満員電車に乗る時、「新鮮な喜び」を得るのは相当難しそう。。。
そうだろうね。
大切にしているのはみんな自分の気持ちだ。自分を守ろうと必死。でもテクニックが稚拙だったり
やり方が適切でなかったりするのは当たり前のこと。そのことをしっかり見ていくことも肝心だと思う。つまり、自分は常に保身に走りたがり、いつも不満
を抱えていることを認識するということ。
「くそー。狭いんだよー。臭いんだよー」と小声で毒づくのもストレスを溜めず、小さな喜びに
なるかもしれない。それを薦めているのではなく、その場の気持ちにしっかり付き合ってどう対処したいか
を常に考えて行くことで目標を達成できると思う。満員電車に乗らずにすむ方法を検討するという
ことも可能だろうし。
>ちょっと、マイナスな気持ちのものは、気持ちを鈍化させてプラスマイナス0にしてしまう傾向があるかもしれない。
それも見事な作戦。
自分の行為とそれによる自分に対する影響を認識していればいつでも別の対処が可能。
>可能性を信じていれば、可能性はあるよね。
そう。否定しようもない。
>kさんは、可能性を信じて、このスレを見ているでしょうか?
うん。可能性を信じなければ行動は起こせない。行動を起こさなければ変化が他に波及しない。
信じることは実に愚かで面白く、感動的。思い込むことで得られる大きな喜びのひとつでもある。
>>124 >捕手。
おかげさまで、なんとか書き込めました。
134 :
考える名無しさん:04/08/16 22:20
三浦のスレ行って自分を説いてやってくれ上げ
136 :
俺fromメンヘル:04/08/18 02:00
メンヘルに書き込んだら、「哲学しろ」と言われたのでこっちに転載する。
k氏以外のレスも強く希望する。
・・・で、以下転載。
77 :俺 :04/08/18 00:36 ID:cMJgj9mT
結構真剣切実なんだが、
・・・なぁ。俺って誰よ?
日常生活送っててさぁ、いろいろ感じることあるだろ?
で、感じたことについて、思ったり、考えたりするわけだ。俺の知る限り、人間ってのはそういう生き物だ。
けどよ。感じたことについて考えるだろ?考えたことについて考えるだろ?考え(略/この上なくループ)るだろ?
・・・ふと振り返るとさ。俺が感じたものってなんだったんだろ?
考えすぎるあまり、感じたことに妙な意味やら結果やらが付加されて、「実際俺が感じたもの」の姿を見失っちまってるんだよ。
もう俺には俺が何を感じてるかもわからない。俺が何を考えてるかも分からない。
自分を見つめなおせば見つめなおすほど、自分を見失う。
おい、今俺が考えてることは、実際に感じてることか?それとも、ただの幻想か?
なぁ、俺って誰よ?
もうワケがわかんねぇのよ。空中分解していっちまうような、不快感を感じる。(そして、これにも疑問を感じる。そして略)
正直、キツイ。
>136
それが思春期です
138 :
俺fromメンヘル:04/08/18 11:07
・・・そういうものか?
そういうものよ
占いサイトでも巡ってみたら、どう?
訳わかんない事を、この板で吹き込まれるより、いいよーw
あと心理テストとかして、自己分析してみるとかね
いや… 占いよりか哲学のほうが幾らか信憑性があるかと。
「如何にして生きるか」を数千年もかけて考えてる学問(だと思う)から。
心理テストは…よさげ。やってみる。
助言thx。
>>142 いや〜占いは、生年月日や名前を入力するだけで出てくるw
我が何者かと問う前に、汝自らがなんなのかをを問え!すれば自ずから答えが
分かるだろう・・全ての答えは汝自身の中に用意されてい・・る。とか
うざったいこと言わないしね。疑い続けても、至極まっとうに死ぬんでしょうよw
話が脱線したね、
たいしたことも言えませんで、ぉ粗末様で御座ヰましたー。
小卒の馬鹿
常に今感じていることが幻想だと言うことが否定はできない限り
とりあえずそれっぽい世界がある。自分と言われているやつがいるっぽい。
という感じでいいと思う。
幻想と言う可能性も否定はできないけど幻想じゃないと言う可能性も否定はできない。
分からないだろうからね。一生。
夢からおきてもそれが又、夢である可能性は否定できないでしょ?
だから自分が本当に真実を探求したいなら別だがそうでなかったら見切りをつけることをお勧めするよ。
はっきりいってそのほうが凄く楽だ。安心だ。
分からないままでいいんだと思うよ。
実際に感じようが幻想の中で感じようが同じことではないか。
自分が感じるんだから。
死後の世界や存在の意味なんて分からないままで良い。
分かる時が必ずくる。タイミングだ。プロセスだ。
分からなくても存在に意味をもたせ死後の世界をあると
信じ生きていくことがよき人生になろう。
信じなければ悪しき人生になろう。信じ、生きていくことだ。
それから、この世は幻想だ。水の結晶を見れば如実にわかるよ。
信念次第でこの世は如何様にもなりうる。
現状は心の奥底で望んだ結果だ。
>>136 >感じたことについて考えるだろ?考えたことについて考えるだろ?
感じたことに関して、君は何を考えるのだろう。
どう感じたかを?それともこの感じを再現するにはどうするかを?
きみが見失っているのは、自分が「どうしたいか」ではないか?
>考えすぎるあまり、感じたことに妙な意味やら結果やらが付加されて、「実際俺が感じたもの」の姿を見失っちまってるんだよ。
意味付けは自由に無限に好きなようにいくらでも「付加」できる。
理論の構築と同じ。決め付けや善悪も同様。
きみにとって問題なのは、きみが「感じた」ことを「どう受け止め」それから「どうしたいか」
ではないだろうか。
>自分を見つめなおせば見つめなおすほど、自分を見失う。
生きるか死ぬかの選択をしたらどう?それも結局「どうしたいか」だとは思うけど。
kがこのスレを立ててはじめの頃Tと会話していたときに書いたこと。
まずは生きるか死ぬかの選択をしたらどうだろう。
>なぁ、俺って誰よ?
2ch上では書き込んでいる文章を通して読み手が独自に判断するきみ。
きみにとっては一瞬一瞬を無意識に演出し、生命維持を自動的に行うきみという生命体じゃない?
>>146 >分からなくても存在に意味をもたせ死後の世界をあると信じ生きていくことがよき人生になろう。
「信じる」という思い込みにより「幸せ感」を得る方法だね。
思い込みは利用することで成功という結果をもたらす。「信じる」とはそのとても卑近な例。
kは人生の指標を示したり、何かのスローガンを掲げて皆に推奨していない。
kを批判する人の一部にはいまだにこの点を誤解している。クリさんのまねだという指摘も
そこから来ているような気がする。
「よき人生」かどうかは「他人の評価」と「本人の評価」に二分されよう。
他人の評価が自分にとって大切だと思う人は、人にそう評される生き方が願望達成につながるだろう。
自分の評価が大切な人は、いいかどうかは自分で決めるほかない。
社会的に生きる上では、いずれの場合も「自分」と「他人」の折り合いをつける必要は出てくると思う。
そこをよく考えることが自分を見つめることになるのではないか。
社会的に生きるつもりがないのであれば、かなり違った生き方が選択できるだろうが、
2chで語る以上その生き方は現実からかけ離れているため、ここではしない。
a
150 :
考える名無しさん:04/08/20 16:42
kってじゆんみたいに長々書いてるけど、しゃべり場に似てほとんど内容がないよ。
kが素直だ。はじめて見るよ。
どうしたのよ?
拾い食いでもしたんだよw
>>152 >はじめて見るよ。
そう?とらえかたかと思うが。
>>153 >拾い食いでもしたんだよw
うちの犬はときどきするね。kはしないよ。仮にそれをすると素直になれる?
kさんの中で価値の高いと思う学問と、それの実践との関連性について
時間があるときに教えてもらえますか?
体の動かし方や重力との関係など私にとっては非常に興味深いことをkさん
は行っていると思いましたので。
その書き込みを見てkさんと今の私との考え方や嗜好の違いを把握し、私の理想の
実践に活かしていきたいと考えていますので、お忙しいかと思いますがどうか
よろしくお願いします。
>>155 価値はいくらでも見出せる。
すべての学問に関してそれはいえると思う。
kは浅学で系統だった学問の習得をしてきていない。だからご期待にはこたえられない。
人が生きるために学問は生じた。細かいこだわりが学問を細分化した。全ては人の生きる実践のためにあり
人の喜びの実現と関連している。
kはいつも偉そうに見える書き方で物知りかのような誤解を生じさせていることに関して申し訳なく思う。
しかし、実際はものをあまり知らないし、また演出の都合上書き方を変える予定もない。
できたらきみの理想を聞かせてほしい。実践を意識している同士として興味がある。
>>154 動物の行動は素直。喩えだよ。素直になれるね
>>157 意味は理解するがこじつけともとれる。
>素直になれるね
これは拾い食いしたら素直になれるということ?だとしたら根拠が知りたくなるな。
そうでないなら、どういう意味?
kのkは、きんたまのk。
キチガイのkだろ
>意味は理解するがこじつけともとれる。
単純、シンプルっていえばよかったかな?
>これは拾い食いしたら素直になれるということ?だとしたら根拠が知りたくなるな。
>そうでないなら、どういう意味?
そういうこと。実際に拾い食いする自分を想像してみなよ
おっとっとー、ですね。まあ、いいや
>>163 >単純、シンプルっていえばよかったかな?
kの反応が気になるなら、kにどう受け取らせたかったかによると思うよ。
>そういうこと。実際に拾い食いする自分を想像してみなよ
限定条件が必要だね。何らかの事情で食事が満足に採れていない状況で、足元に食い物が
転がっていたらあまり躊躇(人に見られるとか)せずに拾って、匂いで自分なりに安全を確認して
(思い込む)食べる。
そのような限定条件でない限り拾い食いしない。
>>164 >おっとっとー、ですね。まあ、いいや
?
164見て思い出したけど、お菓子のおっとっとって最近見ないね。無くなった?
>>166 まだあるんじゃない?一昨年あたり食べた記憶がある。むろん拾い食いじゃなく。
でかいサイズもあったよ。
>>165 >kの反応が気になるなら、kにどう受け取らせたかったかによると思うよ。
>喩えだよ。
答えてるね。
>限定条件が必要だね。何らかの事情で食事が満足に採れていない状況で、足元に食い物が
>転がっていたらあまり躊躇(人に見られるとか)せずに拾って、匂いで自分なりに安全を確認して
>(思い込む)食べる。
>そのような限定条件でない限り拾い食いしない。
素直は、ありのまま、逆らわないことの意。食欲、理性、五感で、
そのようにみえるよ。
>>168 >>kの反応が気になるなら、kにどう受け取らせたかったかによると思うよ。
>>喩えだよ。
>答えてるね。
それはきみのこたえた「つもり」ではないか?
申し訳ないが趣旨が不明。こちらには読み取れない。こちらに読み取る能力がないとして終了かな?
>素直は、ありのまま、逆らわないことの意。食欲、理性、五感で、そのようにみえるよ。
素直に関する説明は理解する。
「そのようにみえるよ」とは何がそのよう(素直?)にみえるときみは書いたのかな?
拾い食いは限定条件でないとkの場合起こりえないと想像するが。
また、それは拾う行為が恥という理由で起こりえないのではなく、食べたいと思うものが落ちている
確率が過去の記憶から推測して極めて低いと思われるから。
また、仮にkの好物が落ちていたとしても、道路上であれば不衛生であり、自己の健康に害を及ぼす
危険を犯してまで拾い食いしようとは思えない。
よってかなりの限定した状況下においての話ということになる。
また、拾い食いしないことも今現在においては「素直」な気持ちを反映した行為であると考える。
きみは拾い食いしたいのか?
動物の本能的な行為を「素直」として考えた結果なのかもしれないが、社会的に生活している
「人間」には不適切な例だと思うが。
>>169 >それはきみのこたえた「つもり」ではないか?
>こちらに読み取る能力がないとして終了かな?
反応は気にしていないが、喩えとして受け取らせたかった。いいかな?
>「そのようにみえるよ」とは何がそのよう(素直?)にみえるときみは書いたのかな?
そうだね。
>きみは拾い食いしたいのか?
こちらの答えから、どうしたらそう読み取れるの?
>また、拾い食いしないことも今現在においては「素直」な気持ちを反映した行為であると考える。
では、拾い食いすることも今現在以外において「素直」な気持ちを反映した行為であると考えられるか?
>動物の本能的な行為を「素直」として考えた結果なのかもしれないが、社会的に生活している
>「人間」には不適切な例だと思うが。
動物の行為をどうみるかは、それぞれ。思うのも「人間」。
現代の社会的な都市生活を営む「人間」にあてはまるかといえば、例外だろうね。
>>170 >反応は気にしていないが、喩えとして受け取らせたかった。いいかな?
いいよ。受け取りづらかったが。
>>「そのようにみえるよ」とは何がそのよう(素直?)にみえるときみは書いたのかな?
>そうだね。
それはこちらの質問には答えていない。「何」にこたえていないよ。
>こちらの答えから、どうしたらそう読み取れるの?
拾い食いする自分を想像してみなよ、という提案をするくらいだからきみはどうなのかと思うのは
不思議?
>では、拾い食いすることも今現在以外において「素直」な気持ちを反映した行為であると考えられるか?
質問の意図が不明瞭。「考えられるか?」ということに対して「考える」行為が夢想空想等を含めれば
いかようにも可能である以上「こじつけ」れば「考えられる」だろう。
「今現在以外において」というきみの条件はkが示した「限定条件」を含むのではないか?
つまり、きみの質問を文意どおりに解釈すると、そのこたえはあらかじめkがこたえていることになる。
文章による伝達で人との意思疎通を図る上で生じる弊害を考慮することで、誤解を避けることは可能になる。
互いの気持ちを理解することは極めて困難であり、またその気持ちも刻々と変化可能なものである以上
より相手の気持ちを理解しようとする立場からは、枝葉末節にいたる細かな点における相互確認が
不可欠だろう。
ここで、相手の理解度合いを推測し理解しやすい表現を心がけることで上に記した事柄はより平易になる。
自分が伝えたい内容を自ら吟味し要旨を端的に表現することで折り合いはつけやすくなるだろう。
だが、それをあえてせずに誤解を楽しむ方法を否定するものでもない。
本人がどのようなつもりで取り組んでいるかによることでもある。
>「そのようにみえるよ」とは何がそのよう(素直?)にみえるときみは書いたのかな?
kの想像した拾い食いする自分は。
見落としていた、失敬。
>きみはどうなのかと思うのは不思議?
こちらの提案から、こちらが拾い食いをしたいのではないかと思ったのなら不思議だね。
>そのこたえはあらかじめkがこたえていることになる
確認の意味も込めて質問したんだよ。つまり、拾い食いすれば素直になれるかは、
>「こじつけ」れば「考えられる」だろう。
というのがkの、そちらの答えなのだろう。受け取りづらかったとのことだが、
喩えとして受け取ってくれたのであれば、こちらからは以上だ。
思考実験に付き合ってくれてありがとう
スッゲェ不毛だな。
kってさ、コテの「観念は具現化する」と似てねえか?
>>173 どういたしまして。
>>174 他人の気持ちが君にはわかる?不毛かどうかは君自身の問題としてはそのとおりだろうが、
他の人にとっては?だ。その人の判断。
>kってさ、コテの「観念は具現化する」と似てねえか?
それは誰に向けた問い?少なくともkは何のことかわからないので、こたえようがない。
>128 :k :04/08/15 11:40
>
>>112 >>もしかしてkって三浦と同一人物?
>たぶん違うな。
何故本人が多分などと言葉を濁すのだ?
>>176 指摘ごもっとも。
こちらが三浦なる者を認知しておらず、またレス主の誤解等を考慮した上での表記。
つまり安易な断定を避けた。話し合うきっかけになればとの思いも含んだ。
というより多くのレスにそれを含ませている。
>話し合うきっかけになればとの思いも含んだ。
多くの場合、それが余計な一言となっている、という現実。
>>178 鋭いね。
きみは話し合わずに指摘するのが好み?
きみの一言はkにとっては話し合いのきっかけ。
多くの人にとってそうでなくても。
>>178 鋭いね。
きみは話し合わずに指摘するのが好み?
きみの一言はkにとっては話し合いのきっかけ。
多くの人にとってそうでなくても。
重複失礼
大丈夫だよ
「自分をみつめて」いる者同士が言葉を交わすとしたら、何を話し合うだろうかね。
「君は自分を見つめられていないようだね、見つめてごらん」と認定しあうに一票
本当に自分を見つめてる奴同士なら、
そのこと(自分を見つめてのこと)については一切触れないだろうな。
「日常会話」に一票。
>>184 >「自分をみつめて」いる者同士が言葉を交わすとしたら、何を話し合うだろうかね。
互いの主観について。
>>185 >「君は自分を見つめられていないようだね、見つめてごらん」と認定しあうに一票
それもありそうだ。
>>186 >「日常会話」に一票。
これはまず間違いないね。
レス待ちしてないで自分から何か書いたら?
どのみちk独占スレなんだから。
>>188 >レス待ちしてないで自分から何か書いたら?
気が向いたらね。
きみはkに何か期待する?きみが気づいたことを書いてくれないかな。
>どのみちk独占スレなんだから。
どのみち?
kがレスをすると独占?
>>189 気付いたことを書くと、愚痴にしかならないよ。
よほど奇特な精神の持ち主でもない限り、他人に向けて思想めいたことを
言わないんじゃないのかな。それがどんなあたりまえのことだとしても。
kが
>>1の役割を担う先導者という意味でのk独占スレ。
>>190 >気付いたことを書くと、愚痴にしかならないよ。
なぜ愚痴にしかならないと思うのか。根拠を知りたい。
また、愚痴だとどのような不都合が生じるのだろう。
>よほど奇特な精神の持ち主でもない限り、他人に向けて思想めいたことを言わないんじゃないのかな。
そうかな?
犬猫・ドラマ・チェロ スレなどでは、みなそれぞれが質問して答えたり自分なりの見解を
述べ合っている。それらが思想めいているかどうかわからないが、貴重な意見だし参考になる。
知識が増えるだけではなく、人の視点・とらえかたの多様さがとても興味深い。
このスレにおいてkは思想を語ったことはない。思考の基盤を見つめなおすきっかけについて話している。
それでも思想めいた印象を受ける人があるならば、それはどのような書き込みにも見出せるかもしれない。
kは上にあげたスレくらいしか覗かないが、それらのレスから様々な勉強が可能だと思う。
だから、ここへも自由に気づいたことを書きこんでくれると、とらえ方でさまざまな学習が可能だろう。
>kが
>>1の役割を担う先導者という意味でのk独占スレ。
きみがそう思うのは自由だし、間違いでもない。
ただしそれが共通認識かというと定かではない。つまり、きみ以外の人が全員そういう認識
とは限らない。それは他のいろいろなスレを覗けばわかること。1がそのスレの先導者だからといって
1の独占スレというわけではない。
思考の基盤の大部分は幼少のころに培われるのでその時分の自分の言動を
省みることにより、
より柔軟な思考を獲得できるのではないかという主張ととっても差し支えないでしょうか?
>>192 差し支えない。
以前のスレではそういったことをしつこく書いていた。
もちろん今の言動をみつめることも重要だけど。
幼少の頃の記憶は曖昧で後付の脚色が入り混じり正確さに欠ける。
でも正確である必要はない。事象はとらえ方で変わる。
当時はこう思ったけど、今考えるとそうでもないな、といった体験は多くの人にあることだろう。
また、当時はある種の固定観念に照らして反射的・機械的にとった言動を今なら気づく
といたこともできるだろう。
「いいわるい」で括ると事象に対する己の行動の本質が見えない。なぜそういしたのか、
本当にそうしたかったのか、そうした理由、拘った固定観念・先入観などが見えてくると
今現在の自分がより理解されやすいと思う。
柔軟な思考の妨げは、自分が事象を固定観念に照らして反射的に言動している事実に気づかないこと。
固定観念は意識的に利用することで有益。固定観念をなくす必要などない。認識することが重要と思う。
>>193 「といたこともできるだろう。」は「こともあるだろう」に訂正。
どうしたら相手に自分を見つめさせることが出来るか・・・
kはどのようにして今のスタイルを確立したのか気になったけど、
やっぱり、自分を見つめることで今のkになったんだよね?
相手を変える&気づかせるって難しいね。
196 :
考える名無しさん:04/09/13 08:05:00
人を変えることはできない
自ら変わることがあるのみ。
197 :
考える名無しさん:04/09/13 08:07:25
至極ごもっともな意見いただきました。
>>195 >どうしたら相手に自分を見つめさせることが出来るか・・・
人が最もやりたくないことのようだから、なかなか難しいと思う。
まずは自己認識を促す必要がある。
「その人はある意図をもってある行動をした、だがそのような結果になっていない。
またはそう受け取りづらい」といったことをきみが認めたとして、それを気づかせることは
多くの場合その人との仲違いの原因となるだろう。
おそらく相手は自己認識がないだろうから、相手の目にはきみは嫌な奴に映る。
次にきみに同種の指摘をしてくるだろう。きみがその指摘をどう受け取るかでその先が変わる。
>kはどのようにして今のスタイルを確立したのか気になったけど、
>やっぱり、自分を見つめることで今のkになったんだよね?
そう。
結局自分を見つめるという一見苦渋に満ちた行為を続けることで、新鮮な自分を見出す体験を
し続けることに面白味を見出さない限りできない。
上の続きで言えば、相手に指摘されることを客観的認識として相手の立場に立って自分を観察し
「なるほどそのとおり」と認識できるかどうかで、自分を見つめられているかが自覚できる。
つづき
相手の指摘はむかつくかもしれないが、そのむかついた事実認識が客観的にできるかどうかにもよる。
むかついたからといって不快が続くとは限らない。
感情の種は一瞬で生じる。それを育てているのは自分。
相手の視点の独自性(自分の思い込みとの違い)に面白さを見出したり、意図的な揶揄と思える
場合にはその人の表情や口調の変化からさまざまな演出技法を分析してみたりといった
冷静で積極的に場を楽しむ状態でいられれば、相手に指摘することが可能だろう。
>相手を変える&気づかせるって難しいね。
そうだね。相手は自分の思い通りにはならない。
相手の希望することがあれば、その本質を見極めて助言することからはじめると喜ばれる
かもしれない。
その場合重要なのはものごとの本質を見極めること。思い込みや決め付けをわきに置くことで
見えてくると思う。
>>193 丁寧なレスに感激しました。
今の私は頑固ですのでもっと柔軟になりたいと思ってました。
色々実践してみますね。ありがとう
ちんぽをみつめていく。
204 :
考える名無しさん:04/09/15 06:20:11
ウント カガマナイト ミエナイ ダロw
>>203 >ちんぽをみつめていく。
一点に集中すると身動きが取れない。
いろんなちんぽを見つめるのかい?自分の?他人の?他人のを見つめていくのも大変そうだな。
>>204 >ウント カガマナイト ミエナイ ダロw
自分のを長時間見つめていくと、工夫しない限り首に損傷を起こすだろう。
鏡やカメラ等があると便利かな。
痒い人や痛い人は見つめる必要があるだろうな。
欲望は押さえると増大する?みたいなこと聞いたんだけど
なんでそう思ったの?興味あるな
207 :
考える名無しさん:04/09/19 00:58:20
208 :
考える名無しさん:04/09/19 20:47:41
>>206 誰が言い始めたのか知らんけど、風船みたいなもんなんじゃねーの?
エロ袋に口は一つだけ。逃がさないと溜まる一方。そんな感じ?
>>206 >欲望は押さえると増大する?みたいなこと聞いたんだけどなんでそう思ったの?興味あるな
だれがそういったの?そう思った人に聞いたらどうかな。
>>207 > イミ ワカッテ ネェ〜ナw
どこが?
>>208 >エロ袋に口は一つだけ。逃がさないと溜まる一方。そんな感じ?
エロ袋とは何?
>>209 >リバウンドみたいなもんか
そうかもしれないね。
欲求の抑制は社会生活を営む上での折り合いのつけ方として極めて重要だろう。
でも抑制をかけた分ストレスがたまりそう。
人はしたいことをしないとストレスがかかる。ストレスは様々な害を人体に及ぼす。
快適な生活を望むなら、ストレスをなるべく減らすような、もしくは不快なストレスと受け取らないような
作戦が必要かもしれない。
自分のしたいことや欲求の本質を見極め、ストレスをためずに欲求を満たしていく方向が心身を健全に保つ
方法だろう。
社会的な生活を望むなら自分の様々な願望とその瞬間に沸き起こる欲求との折り合いをつける必然性が生じる。
これを怠るものが、いわゆる犯罪と呼ばれる行為に及びやすい。
面倒なのは誰もが同等。億劫がらずに様々な自分のしたいことを見つめ自分との折り合いをまずつけていく
ことで平穏な社会生活が営める。
平穏な社会生活を望まないかのような人も多く見受けられる今日、他人がどのような生活を望んでいるのか
尋ねたくなるのはkだけではないと思う。
人の気持ちはわからない。なおかつ、瞬時に変化可能。だから、どれだけ語り合っても語り尽きることは
ないと考える。
原則スレのパート1の68だったかな?
kと同一人物じゃなかったかな?あれ???
具体例はあげてなかったけど酒飲みに酒を飲むなよ!って言うと余計に飲むみたいな事だと推測しているけど・・・。
わかりづらい?少欲知足がどうとか
どういう経験からそう結論づけたのか興味があったんだけどね。
>>212 ストレスはそのとおりだと思う。折り合いって大事だな。
>>213 kは「人生最大〜1」の76。きみの上に記したようなことがその人のレスに書かれていたのかな。
仮に76が書いていたのなら、具体的に教えてくれると助かる。
折り合いは生きていく上で極めて重要。
どのように生きるかは、どのように折り合いをつけるかと密接に関連する。
きみは気づいたんだね。
76 :考える名無しさん :03/03/22 11:06
満足か・・・
欲望はほっとくとどんどん増幅するものだから、
ポイントは欲望をできるだけ小さくしておくことだね。
少欲知足。仏教のおしえだよ。
77 :68 :03/03/22 15:23
>76
欲望は押さえるから増幅すると考えるがいかがかな。
本質的な欲望を意識的に満足させることで不必要な欲望など持たなくなることを試してみたらどうだろう。
実践しなければ得られない。本質的な喜びがすぐ目の前にあることに気付いていないのかな?
kと同一人物じゃないかな?
少欲知足と言っているひとと違う人物だったようだねw
つか俺の解釈もおかしいか・・
人生最大のパート2では76だね。パート1では68かと・・・
>>215 わざわざありがとう。
本当だ。きみの指摘どおり68の文はkのものだね。それはパート1のスレなんだね。
すまない。kはパート2において76だった。
>少欲知足。仏教のおしえだよ。
うん。そしてこれはkの発言ではない。仏教の教えをkが知っているはずもないしね。
そして確かに「欲望は押さえるから増幅すると考えるがいかがかな。」と書いているね。
これは「欲望を小さくしておくことだね」を受けての発言だ。記憶になくなっていたので
いい加減なことを書いて申し訳ない。確かに書いている。
76にある「欲望を小さくする」を「欲望を押さえる(適切なのは抑えるだね)」行為が
あることを前提にした発言と受け取って、抑制をかけることで欲求不満というストレス
が生じる弊害を考慮して書いたものだ。
kのいい加減なこたえに真摯に返答いただき感謝。
つづき
68がそのレスで書きたかったことは、欲望を小さくする方法のとらえかたでもある。
つまり、欲求が起こったときにその本質に目を向けることにより、欲求が生じたその瞬間
における欲求が次の瞬間にも同じであるかどうかは不明であり、その本質的な欲求が何で
あったかを見極めることで欲求が必然的に少なくなることもある ということ。
たとえば、男性に性的な欲求が生じたとする。仮にそれが生理的なものでも恋愛と関連付けたり
端的に目前の女性と結びつけたりすることがある。
射精によりその一時的な欲求が満たされる場合においても、その方法を恋愛感情を抱ける相手との
性交渉による射精でなければ満たされないとする思い込みを持ったり、仮に同じ車両の目の前の女性
によって欲求を喚起されたとして、その女性もしくは自分が満足できると思い込める女性との
性交渉によらなければ満足できないとする思い込みを持つ場合を考えてみる。
この場合自慰行為等でも満たされる単なる生理的欲求であったとしても、その人の考え方によっては
一般的に欲望とされる意味深きものと変化し、それを満たすために行動に出たり、出られない
自分を卑下したり、自慰行為や夢精に空しさを覚えるかもしれない。
欲求の本質が何であるのかを見極めることにより、欲望を抑えるのではなく本質的な解決法が
見出せるかもしれないということ。そしてそこには折り合いが不可欠となる。
つづき
下品な例で大変申し訳ないが、性欲が全ての行動の原動力と考えた人もいるくらい性欲は
欲望の代表格であろうとの思い込みで例として取り上げた。
人は満足を得たいし、喜びを得たい。この書き分けた二つの事柄が同一のものか同種のものか
全くの異種であるかを分類分析することはkにはできない。共通認識はない。決めるのは簡単だが
根拠が希薄。しかし、その事柄が生きる上で人にとっていかに重要であるかは多くの人が実感するところ
と考える。
本質的に見極めれば些細な欲求であり、様々な満たし方・実現の仕方があるかもしれないのに、
固定観念や先入観として限定した方法でしか満たされないとするとらえ方をすることで
自分にとって不利益な状態を余儀なくされていることがあるのではないだろうか。
先の例でいえば、特定の女性が好きなのか、性交渉が好きなのかを取り違えたトラブル。
極端な例をあげれば性犯罪。
トラブルの原因が固定観念であり、欲求の本質の見極めがなされなかったからという例は
少なくないように思う。
欲望は満たさなければストレスとなるだろう。抑えようとすることはさらにストレスとなり
欲求不満がつのるだろう。欲望の本質である欲求、その欲求の本質をよく理解し
それを満たすことで満足や喜びが得られる。
本質的なところを満たさなければ、思い込みの部分にこだわっても欲望という形は不満のまま
固定観念として自分の記憶に残るかもしれない。それは不快なことだろう。
219 :
考える名無しさん:04/09/30 18:29:44
いいことかくなぁkさん
220 :
哲学者の答える人生相談:04/09/30 19:29:26
哲学は詳しくありませんが、人生相談板やオカルト板メンヘル板、等々哲学的角度での人生相談のスレは無いでしょうか?
もしも、哲学者の答える人生相談が無いなら誰かスレ立てて頂けますか?
出来れば心理分析とオカルト的知識と占いの知識と哲学能力の有る宗教的で本音の人間像を語れる人たちの
相談受付スレを誰か立ててくれませんか?
221 :
考える名無しさん:04/10/01 05:00:52
>>220 愚痴なら雑談スレで十分。
人生相談は無理。本気で人生相談しようとしているのなら一度死んだほうがいい。
もう少し人間というものを観察してからいらっしゃい。
222 :
哲学者の答える人生相談:04/10/01 06:24:07
>>221 愚痴ならば雑談スレで充分でしょう。同意します。
人生相談は無理という理由が分かりません。同意でも反対でもない。
何故本気で人生相談しょうとしているなら一度死んだ方が良いのか分かりません。
教えて下さい。
人間と言うものを観察している積もりですが哲学者の人生相談は有り得ないと言う
考え方の人だからこう言う意見を言うのですか?
>>222 >哲学者の人生相談は有り得ないと言う考え方の人だからこう言う意見を言うのですか?
哲学者に限らず、人生相談は無理。話を聞くことしか出来ない。という考え。
他人の言葉で悪いが、
「人は人に影響を与えることもできず、また、人から影響を受けることもできない。」
といった意見ゆえ。 太宰治 『もの思う葦』
224 :
哲学者の答える人生相談:04/10/01 06:42:30
どのレベルで哲学するかは別として哲学書からは小学生から読み研究しました。
高校も倫理の先生と沢山熱く語り合い、大学でも哲学は勉強しました。
それがどの程度のレベルなのかどの程度学術的なのかは別として、
哲学しながら生きてきて悩んだ場合は哲学しないタイプの人の提示するアドバイスは
美味しいか美味しくないか利益か不利益かの俗欲的判断基準ではかなく
そこには人間としての意味、価値、目的は感じられません。
私の様な人間は行動選択原理に哲学というフィルターがあり、何をもって選択するべきか
と考えます。しかし、社会学、倫理学、心理学など現実と言うものは
多岐に渡る学問対象であり、今自分が何を為すべきか?について意味を問おうとすると、
より多くの客観的な考察を求めます。しかし、こう言った考えで一般に人生相談は為されていません。
私からすると俗欲の悩みも大いに哲学的問題との直面であるのに、哲学的無知に
眠りこける様にアドバイスされ眠りの中で別の解決法を模索する人々が映ります。
これ位で良いだろうと言う括り閉めの中で世間的常識を限度として進められていく人生相談に真の解決は無いと思います。
これが宗教板では不可知論的な崇拝対象とその教義に対する信仰というあやふやな状態で相談アドバイスが為されます。
人間があらゆるものを内在している以上は深い哲学的洞察の元にアドバイスは為されるべきです。
実践哲学という言葉があるように哲学しながら生きる事は自分と他者との関わりを
無視して哲学だけを為し続ける哲学は在り得ないと考えます。
>>224 シャーマンを望みながらシャーマンを否定しているんですね?
>人間があらゆるものを内在している以上は深い哲学的洞察の元に
あとは受け皿があなたにあるかないかの問題でしょうね。
226 :
哲学者の答える人生相談:04/10/01 06:58:24
>>223 貴方は221さんですか?それとも別の人ですか?
『哲学者に限らず、人生相談は無理。話を聞くことしか出来ない。という考え。』
は立派に聞くだけでは無く一つの考え方を提示しているので聞くだけでは無く、
答えています。アドバイスしています。また、貴方自身が太宰治 『もの思う葦』 に
影響されているのですから、提示した太宰の言葉自体が矛盾しています。人の呟きを聞く事と聞かせること位で
相手の主体性が無ければ哲学は強制出来ないとするならば、それはそれとして否定しません。
主体性の提示と共に主体の陥る主観性は哲学的な対話を元に修正していく事が出来ます。
一度死んだ方が良いとか言う根拠は何でしょうか?
>>226 >『哲学者に限らず、人生相談は無理。話を聞くことしか出来ない。という考え。』
>は立派に聞くだけでは無く一つの考え方を提示しているので聞くだけでは無く、
>答えています。
そんな自己言及のあれ風な解説はいりませんよ。
>一度死んだ方が良いとか言う根拠は何でしょうか?
一度かたまった思考形態を崩すのは容易でない。
できるのであれば、「その思考の型を放棄し、もしくはそれと距離を置き、
再構築する」というような選択肢も用意しておくにこしたことはないだろう。
というようなこと。
228 :
哲学者の答える人生相談:04/10/01 07:14:48
>>225 シャーマンを望みながらシャーマンを否定しているんですね?
貴方が哲学をしているならば、Aを望みAを否定するという言語的に未整理な思考状態を
常に整理していく事が哲学する上で起きる事を知っている筈です。経済分析や政治分析、
軍事分析をする上で為政者が単なる利益とは別に将来を見通して哲学する事が出来ると思います。
貴方は哲学とシャーマンはまったくの別物であり、シャーマンは哲学の対象外だとお考えですか?
シャーマンそのものが存在しないまやかしとお考えですか?
一応神智学人智学も哲学板の中に定住している様ですので、シャーマンを哲学板に不相応という断定は出来ないと思います。
ソクラテス自身には信仰がありましたし、キリスト教圏の哲学者は聖書というシャーマンによって書かれたとされる
書物を思想体系の一部として取り入れているのですから。
あとは受け皿があなたにあるかないかの問題でしょうね。これは各自見つめ続けるべきでしょう。
自らに問うと同時に他者にも問いかけるならば立派に相談やアドバイスは成立していると思いますが?
>>228 >シャーマンは哲学の対象外だとお考えですか?
>シャーマンそのものが存在しないまやかしとお考えですか?
んナことはひと言も言っていない。
スレ立て他人に頼まんでも自分でやれるんじゃないの?
230 :
哲学者の答える人生相談:04/10/01 07:24:22
>一度死んだ方が良いとか言う根拠は何でしょうか?
一度かたまった思考形態を崩すのは容易でない。
できるのであれば、「その思考の型を放棄し、もしくはそれと距離を置き、
再構築する」というような選択肢も用意しておくにこしたことはないだろう。
というようなこと。
哲学に於いて死という言葉は使われますが、思考の対象としての死と、
人様に始めて何か物言うときの発言アドバイスの中に死んだ方が良いとは
丁寧ではありません。初めから解説を付けた方を書くべきではないですか?
、「その思考の型を放棄し、もしくはそれと距離を置き、
再構築する」というような選択肢も用意しておくにこしたことはないだろう。
であるならばシャーマンを望みながらシャーマンを否定するのは貴方自身が私に
勧めた思考の作業ではないのですか?
231 :
哲学者の答える人生相談:04/10/01 07:36:25
>>225 シャーマンを望みながらシャーマンを否定しているんですね?
これがどうして『あとは受け皿があなたにあるかないかの問題でしょうね。』
に続くのでしょうか?
シャーマンを望みながらシャーマンを否定しているんですね?
>>229 >シャーマンは哲学の対象外だとお考えですか?
>シャーマンそのものが存在しないまやかしとお考えですか?
んナことはひと言も言っていない。
という事はシャーマンを哲学の対象として認め。
シャーマンそのものは存在している。
シャーマンはまやかしではない。
が『シャーマンを望みシャーマンを否定するんですね?』
つまり、私が矛盾していると言いたいのですか?
そして『人間があらゆるものを内在している以上は深い哲学的洞察の元に
あとは受け皿があなたにあるかないかの問題でしょうね。 』と続く理由が良く理解できません。
私の初めに書いた文から私を洞察して書かれたと思いますが、いきなり死んだ方が良いという程
大胆に初対面の人に言うほど哲学的な洞察に自信のある先輩のご指導を願います。
どうか発言の真意をご説明下さい。
>人間があらゆるものを内在している以上は深い哲学的洞察の元にアドバイスは為されるべきです。
アドバイスを得ても深い哲学的洞察の元にあるかどうか判断するのはあなた。
>あとは受け皿があなたにあるかないかの問題でしょうね。
もういいでしょ?
>貴方自身が私に勧めた思考の作業ではないのですか?
何も勧めてはいませんよ。シャーマン云々は
>>224を読んでの感想ですから。
>>231 まだ何かあるなら書いといて。メシ食ってくるから。
234 :
哲学者の答える人生相談:04/10/01 08:02:53
>>232 貴方の発言は哲学なのか? もう良いでしょ? まだ何かあるなら書いといてとは
失礼です。受け皿の欠片もなく論証さえせず、哲学よりもメシという態度は
犬畜生ほどの知性しかないのに『愚痴なら雑談スレで十分。
人生相談は無理。本気で人生相談しようとしているのなら一度死んだほうがいい。
もう少し人間というものを観察してからいらっしゃい。』と高飛車に初対面の者に言えるのは
低俗な者です。もう少し人生を経験して人様への敬意を身にしみて出来るようになりましょう。
精神的には我侭な子供ですね。
>>219 読んでくれてありがとう。
>>220 ここは自分を見つめるスレ。スレ立て要求するスレではないよ。ご自由だけど。
そして、誰かがこの板に人生相談スレを立てたから使ったらどうかな。
>>234 >低俗な者です
それはきみの分類であって説得力には欠けるよ。そして「低俗」は相手に嫌な思いを抱かせる
ために敢えて用いた用語だろうけど、受け取るほうにきみと同じ認識がなければ意味がないし、
仮に同じ認識を持っていてもきみの意図どおりには受け取らないかもしれない。
きみがそのように「相手を侮蔑すること」を目的としてそのスレを書いているように
読み手には伝わってくるレスをつけていることは認識しているだろうか。
きみが逆の立場だったら、そのような相手をどう思う?
きみの趣旨は人生相談のスレを立ててほしいということではなかったのかな?
それはもう叶っているけど、このスレで人生相談をしたいなら、及ばずながらkが相手を
させてもらってもいいかな?
人生相談の基本は相談者の希望の本質を見極めること。
きみは何を相談したいのだろう。
237 :
哲学者の答える人生相談:04/10/01 10:15:08
kさん コンチ!自己洞察を深く追求しているスレだったので、こう言う
スレヌシなら人生哲学的相談の必要性を理解してくれると思って書き込みました。
自己洞察に関して自己を形成する諸要素への洞察の一例として、世界の先に挙げた事柄に関する
洞察と共に哲学する事について私の提案とでも考えて下さい。自己の欲望への洞察が貴方が書いてあるように
心理学精神科的世界との比較や政治、社会学、自然科学等と自己分析は深く関わっています。
私の興味を持てたスレなので書かせて貰いました。
じゃなくて、移動しないと削除するぞゴルァ。
>>237 なるほど。
きみはいろいろなことに造詣が深そうにお見受けするが、kはあまり物を知らないし
学術的哲学に関しては全く無知であることをご了承願いたい。
またきみの文章からは、きみは相談したいのではなく人生哲学的相談の必要性に関する
意見をしたかったということだろうか。
>>224に書かれていることはきみの気持ちを表していそうだ。いいたいことはわかる気がする。
今自分が何を為すべきか?
これは常に頭のどこかに置かれている命題だろう。それを意識するかどうかは人それぞれ。
目標設定が明確なもの・不明確なもの・設定する意志がないものなど、さまざまなケース
によってさまざまな状態に人は自分を置いている。
なぜ今自分がここにいるかを明確に認識することは、その命題にこたえを出すためには
重要だろう。
>>238 趣旨が違うと思うよ、このスレは。
>>239 どうしても移動しろというなら、納得させるだけの根拠を教えてほしいな。
また、してほしくはないが削除したいならきみの意志でどうぞ。
>>234 レスどうも。
受け皿については
>>236でKがいい具合に代弁してくれてるからそんな感じでいいっしょ?
どうでもいいけど、メシは哲学より大事だよ。
243 :
哲学者の答える人生相談:04/10/02 08:38:46
>>242 代弁なんてありえません。哲学は自分自身が発言したら自分自身が答えてこそ意味があります。
法律に無能な人が弁護士を雇って裁判する事は問題ありませんが、哲学で自分が発言したなら、きちんと自分で答えなさい。
それが責任というものです。無責任に答えられもしないなら下らない見解を失礼な方法で発言するべきでは無いでしょう。
どうでもいいなら発言するのはやめなさい。メシが哲学より大事なら飯だけ食べていなさい。
Kの発言は途中で変化しています。敢えて発言しませんでしたが、初めに死という言葉や知った被った発言で
新参者に失礼な発言をした張本人を叱らず矛先をこちらに向けるのは理解できません。
論議に於いて勇み足はあるので、相手が見解を少し変え始めたらそれ以上追求しないのは大人のやり方なのです。
貴方が掘り返すとは前後の脈絡の読めない子供ですね。貴方は自分で論証していないまま、子供のすねた態度しか示せず、
今も論証していません。そういう子供は黙ってそのまま静かにしていれば分相応なのです。
真面目に哲学が出来ないならば「いいっしょ?」とか「どうでもいいけど」とか
メシとか人を小ばかにした態度で接する事を平気でしているのは貴方が子供である証明です。
だからお前じゃ無理だっつってるだろうが
自分の無能さを知れ
245 :
哲学者の答える人生相談:04/10/02 13:36:00
スタイルとか言って馬鹿がある志向の枠の中をうろうろと動物園のゴリラの様にうろついている。
自分勝手に決めたルールを敷いてその取り巻きが意味も分からず喚き散らす。
愚か者は一つの道具を得た。どんな奴が来ようが俺はそいつを罵倒してやる。
これは俺のスタイルだ。そのスタイルに嵌る馬鹿は俺の裏の意味が分からないのだ。
それは自己観察をしないからだ。そう言う自己観察しない奴が悪いのだから、
俺は何時でも善なる為に相手を罵倒し続ける。まーあ下らないサル知恵で哲学している気になれるは
低能児の244以外は居ない。哲学板のルールに従って何の説明も論証も無い罵倒は止めなさい。
それからスレヌシはこう言う無礼者にルールを通告してください。
>>242 人によって何が大切かが決まる。決めるのは自分。
そして、人にとって本質的にもっとも大切(にしているし、せざるを得ない)なのは
自分のその場の気持ち。
だからきみがメシが哲学より大事だというのは理にかなう。
>>243 kは誰に対しても叱ることはないと思うよ。そういうキャラではない。
きみはきみなりの理屈で相手を攻撃できると思い込んでいるように見えるが、それが
受け手に対してきみが考えるほど有効な攻撃を与えられているかどうかはいささか疑問。
客観的に自分のレスを読んできみはどのような感想を持つのかな。
>>244 無理かどうかは具体的になにをどうしたいかを明確にしないと判然としない。
無能は極端だな。
>>245 比喩が明らかに相手を揶揄した内容だね。
きみが賢明だという自覚があるなら、掲示板上で人を罵倒することの無意味さに気づいたらどうだろう。
人はみな気持ちの動かし合いに興味を抱き、行動するが、人の気持ちはわからない。
でも一般的に不愉快な気分を喚起させ得る可能性が高い(そのように生育仮定で思い込んでいる)
言い回しや表現はある。つまりそれを多用することは相手と自分の気分を心地良くないものにするに
十分な効果を上げる可能性が極めて高い。
きみは自分の気分を悪くしたいのだろうか。きみにとって不利益なことをしてまで、そのような言い回しを
真剣に(見える形で)使いたい?
250 :
244:04/10/02 14:50:48
もっと頑張らんと相手にしてやんねえぞw
だがお前には飽きたのでもう関わることもしない
おつかれさん〜
勘違いしないでほしいのは別にkのことではないよw
お前にたかるアホのことさ
では落ち
253 :
242:04/10/03 14:21:44
俺は244ではない。
ということで、
>>243 :哲学者の答える人生相談 :04/10/02 08:38:46 が御立腹だけど、
>メシが哲学より大事なら飯だけ食べていなさい。
って、なに?
>代弁してくれてる
>>236のKのレスを読んでもらえたら理解しやすいだろうなって、
雰囲気だけでもつかんでもらえるんじゃないかなぁってことなんだけど、
わかってもらえなかったみたいだね。
上げちゃった。
スマンです。
>>254 どういたしまして。
人の気持ちや考えはなかなか伝わらない。
わかりあうための作業を面倒でもしていくことで新鮮な喜びが得られる場合もある。
生きていくのは大変なことだね。
>>216 >>217 >>218 kの主張はよく分かった。
ようするに無駄を省けるんでは?ってことなんでしょ?
今の行動は無駄が多いかもしれんからもっと模索していけば
お得な行動行為が見つかるかもしれんぜ旦那つうことな。
てぁんきゅー
下手な全裸よりも着込んでいる方がエロいんだ!
と何度力説しようがいうことを聞きません。
259 :
♪ :04/10/04 09:54:42
自分を見つめるとは…他者を見るにほかならない。
その作業が、他との違いを知ろうとする試みだからだ。
>>256 そうなんだ。伝えたけどそれに関して反応がない。
>>257 そうだね。
自分の欲求の本質を見極めずに右往左往することが多いかもしれない。
あきらめず、めんどくさがらず自分の欲求の本質を見つめていくことが生きる上では
重要だろうな。
>>258 誰がいうことを聞かないのかな?
ちなみに力説がいうことを聞かせるのに有効とは限らない。
また、人の気持ちは本人にしか変えられない。きっかけはいくらでも与えられるけど。
「下手な全裸」の具体的提示と着込んでいるほうがエロい根拠を教えてほしいな。
>>259 ずいぶんと大きくスペース空けるんだね。
確かにそういう側面がある。
でも自分を見つめるとは、根本的に自分をよく知ろうとすることだから、他者を見るだけではないと思うよ。
他との違いを知ろうとする事実は明白だけど、自分が認識する「他」だからね。
結局自己の認識を通した他は客観的な他とはとらえにくいと思うよ。
自分の認識の仕方を知ることは、自分を見つめる作業上極めて重要なことだ。
一定の事象に関しての認識の仕方の変遷もあるだろう。そこにおける新たな発見は喜びとして
とらえられるかもしれない。
というわけで他との違いもあるけど、自己認識の移り変わりや自己認識の仕方の分析による
発見でもある。
263 :
♪ :04/10/05 01:51:40
>>262 自己’を意識するという行動は
他との比較においてしか存在し得ない。
>>263 やはりそれだけのスペースが必要なのだろうか?きみのスタイル?
>自己’を意識するという行動は他との比較においてしか存在し得ない。
そのとおりだね。
人は生まれた後、先人から何かしらの育児・教育等を施されると必然的に「他」の認識を学ぶ。
他との比較における自己の認識はある種当然のことで、「他」の存在しない空間に生きていない
人にとっては生きる上での前提条件といえるかもしれない。
しかしきみのその決め付けはそれを書いた時点ではきみに関して有効かもしれないが、事象の側面を
一方向から見た見解とも考えられる。多角的視野を持って考察したらいかがかな。
「他」の認識は自己によるものだから、「他」の存在も自己の認識により異なったとらえかたに
なることもある。
また、自己認識は客観性に欠けることが多いので録音・録画・鏡に映す等の方法を用いることで
「自分なりの自己認識」にある程度の客観性が加わるよ。というよりものすごく発見があるだろうな。
きみはやったことある?
自分を見つめることの難しさは日々痛感するところでもある。
自己評価・自己分析をするのが億劫であると同時に方法もよくわからない。
また、それをすることから得られる利益が不測なため行動に踏み切れないこともあるだろう。
だが、決して難しいばかりでも不利益でもない。面倒なのは人の本質であり、興味を持てばできるだろう。
興味を持つためには利益を実感する必要がある。利益は自分が何をしたいかが明確になれば必然と得られるだろう。
上に挙げたように録音・録画・鏡を見るまたは自分の文章をよく読むなどを冷静に行うことで
今まで気づかなかったことに気づいたり、新たな発見としてとらえられる出来事が生じる。
姿勢のチェックは容姿をそれなりに見せるには不可欠であり、重力に対する身体の使い方に
留意した姿勢であれば健康状態を良好にする。
これは余程の訓練をしたものでも何度も客観視しなければ身に付かない。コツをからだに沁み込ませる
には莫大な時間がかかり、身に付いたと思ったときは思い込みとなり崩れていることが多い。
自分の発言を録音して聞くのは相手に自分の思いをそれなりに伝えたい人には極めて有効な方法だろう。
実に嫌悪感溢れる方法だが、目的を達成させたければやるだけの利益は得られよう。
自分を見つめる方法は、目的に応じて様々な方法が考えられるが、結局は自己の満足で処理されることであり
そこには「他」との折り合いが重要となるだろう。
短絡的に、こういうときはこうすればいい、と簡単に提示できるものではないが、その人の
願望・目的が明確になるほどに方法が見えてくる。
ここの住人であればまずは自分の書き込みをよく読むことがそれにあたる。
どのように表現したかったか、どういうことを伝えたかったか、どう思ってほしかったか、
そのようなことをよく考えることで自己実現がなされたかを「自分で」判断できる。
書いたものを書きっぱなしで目も通さない。自分の行動もやりっぱなしで省みない。
そのような生き方は誰もが希望するところだが、利益が少ない。その場の「嫌なものを見ない」
という自分の気持ちを満足させるにとどまる。
それらをよく見ることで、今後に生かせる材料がそこにあることに気づくことは、その場の嫌な気持ちを
補って余りある利益だと思う。
267 :
考える名無しさん:04/10/05 18:10:11
文章うまいねぇkさん
昔はいっぱい練習したん?
自分を見つめたところで なにかわかるのかい ?
わかったとしても それを改善する勇気は あるのかい ?
何も知らないほうが きみたちには しあわせなんだよ。
269 :
♪ :04/10/06 00:46:22
>>264 自己とは自我、自我とは利己。
いずれも他者を意識したときの概念。
多角的に見た結果ナリ。
270 :
♪ :04/10/06 01:27:04
>>264 客観性とは…自己(利己)に正当性を与えようとする試み。
追えば追うほど矛盾地獄。あてにならない。
271 :
考える名無しさん:04/10/06 23:58:35
ハンロン ナイ ミタイネww
>>267 >昔はいっぱい練習したん?
小説が好きでたくさん読んだ。書いたこともある。今は桐野夏生を好んで読んでいる。
高村薫はとても文章がうまいよ。話は面白くないけど。文章表現の巧みさをとても尊敬している。
でも本当に話はつまらない。
>>268 >自分を見つめたところで なにかわかるのかい ?
自分の本質
>わかったとしても それを改善する勇気は あるのかい ?
人による。kは常に心がけている。
>何も知らないほうが きみたちには しあわせなんだよ。
根拠は?きみには違うの?
>>269 >自己とは自我、自我とは利己。いずれも他者を意識したときの概念。多角的に見た結果ナリ。
それはきみの規定かきみが信じている規定ではないかな?
多角的に見た結果かもしれないが決め付けている時点で根拠を示さなければ説得力には欠ける。
でも仮にきみの言うとおりだとしたら、どういうことになるのかな?
>>270 >客観性とは…自己(利己)に正当性を与えようとする試み。追えば追うほど矛盾地獄。あてにならない。
そのとおりだね。さて当てになるものはこの世にどれほどあるのかな?
きみは利己とか正当性とかの言葉を使って何か含みを持たせようとしているのかもしれないが、
kは自己の満足のために人は生きていて、めんどくさいという特性をどうにか利己的で本質的な
動機付けをして克服し目的に向かって実践する話をしている。
また、その上で社会的に生きるのであれば折り合いが必要になるので、そのテクニックの必要性
に関して話している。
きみの書いていることはkが書いてきている一側面を表現しているように思う。
でも多角的な視点で見ると、安易に決め付けた表現のようだよ。
>>271 >ハンロン ナイ ミタイネww
kに関して申し開きをすると、以前も告知したけど、水曜日と祝日は書き込まない。
書き込む時間は朝の九時から夕方の6時前くらいまで。労働時間中のため仕事に入ったり
書く暇がないときは書けない。
人は安定を求めているように見えるが、安定した状態を長く認識すると不快にもなる。
人は不安定を嘆くことが多いが、不安定から生じる変化を楽しむことも多い。
自分中心で生きているように見える人を見下したくなるが、自分も同じようだと気づくこともある。
人のために生きているように見える人を素晴らしく思う人は多いが、実際にそういう人に
接したら鬱陶しく感じる場合もある。
全てはとらえ方であり、視点を変えることで異なる見識を得ることができる。
社会的に生きているわれわれは、あらゆる事柄と折り合いをつけながら生きている。
絶対的に正しい道があるわけではない。自ら価値を見出して納得させて生きている。
思考を自由にすることでそれはより理解しやすくなるだろう。
276 :
考える名無しさん:04/10/09 00:20:27
オマイノ ハナシハ アイマイ カツ イイカゲン (ノ_ _)ノ
似たもの同士。
This is My World.
ですから・・・・・・
279 :
考える名無しさん:04/10/09 01:21:59
>>276 つーか275に反論させる材料が見つからない。
つまりあたりまえと言えてしまうことなんだがコロンブスの卵かもな。
断定を避けてるからな。反論させないように。
sageで進行したいのにageるやつがいてマジで困るときがあるんだけど
そういうやつがsageるように仕向けるにはどうしたらいいのか分からん。
kの知恵を貸して欲しいと思う。
>>276 >オマイノ ハナシハ アイマイ カツ イイカゲン (ノ_ _)ノ
そうだね。お互い。
>>277 >似たもの同士。
ということだね。
>>278 >This is My World.
And It is Your World.
かもよ
>>279 >つまりあたりまえと言えてしまうことなんだがコロンブスの卵かもな。
かもね。というか当たり前のことをよく認識せずに「なにかのせい」にしていることで
本質が見えずに不快感を持ったり、争いが起きたりしているとおもうよ。
>>280 >断定を避けてるからな。反論させないように。
そうだね。そういう作戦。そういう作戦も使わずに言い切ったところで根拠がないのだから
反論するまでもないことは明白。
反論を避ける意味以外にその作戦を取る理由があるんだよ。
それはきみたち自分自身が自分と向き合ってよく考えるとそのとおりかもなと思うことで
気づくことにkが意味を見出しているから。
kの独り言は様々な育成過程における体験を元に自分を見つめたことで出てくる言葉。
それが真理であり本質的であればきみたち自身の本質的な気づきと類似するかもしれない。
それはkにはわからないこと。きみたちが独自にとらえること。
ここでしていることは、kが好んでそのきっかけを書くこと。立派なことを書いているわけではない。
当たり前のことしか書かない。
>>281 >kの知恵を貸して欲しいと思う。
2chで他人に何かを仕向けさせることは極めて困難だろうね。
相手の人となりは書き込みの内容とその仕方によって推測するほかないわけだから。
なおかつ相手を特定できない。
まずはきみがなぜsage進行にしたいかをよく考えたらどうだろう。
きみがスレ主でsage進行を前提とした場合と、そうでない場合でもきみの気持ちは違ってくるだろう。
進行を妨げる書き込みを防御するためのsageであれば、ageられることで被る害に関して
冷静に訴えかけるのが本質だろうな。
また、sageの方法を知らない場合もあるから執拗に提示し続けるのも手だと思うよ。
それによって功を奏した例はいくつか見ている。
いずれにせよきみの気持ちが重要だね。相手は不特定多数。人の気持ちを自分の思い通りに
動かすことはなかなかできることではない。
きみがどうしてもやめさせたかったら、めんどくさいけどお願いし続けるのが順当かな。
それほどでもないなら、自分の気持ちと願望希望との折り合いをつける方法を考えるか。
なんらアドバイスできなくてすまない。
>>283 俺自身だけならageられるのになんら抵抗はないんだけど
他の人のなかにageられるのに抵抗があるというか嫌気をさしてるように
思えるようなレスを見かけるのが嫌なんだよね。
ageてるやつらはsageの方法を提示してもなおageてくる
(まあ嫌がらせ目的と見られるものが多い)
(ageることで多くのひとがそのスレにはいってくるのを嫌がるひとが多い)
つまりお願いすればするほどageをやってくるやつへの対処が分からない・・
どうすりゃいいんだ・・
>>284 つまりきみは人の気持ちを思いやって、不快そうにしている様子を目にするのが不快だということだね。
ageというより、人が嫌がることを敢えてする人は多い。kもその代表格といえるだろう。
kのスレでも嫌がらせとしか見えないレスを多くする人が見受けられるが、kにとっては
それらもありがたいレスなので歓迎ということはないけど、価値を見出してレスをする。
意識的にageているのであれば意図がある。その意図は他人にはわからない。本人が
それで満足を得ているからすると推測できる。ageた状態で満足しているのか、または
それによるレスの反応を見て満足しているのか。
愉快犯的な部分があるとすれば、そこのスレの住人の反応のきっかけが自分であることが喜び
なのかもしれない。
2chは前提として書き込みが自由である点がウリ。揶揄や茶化しが対話の側面で認知されている。
age自体は2ch上の正当な利用法であり、何ら責められるところではない。
それを踏まえたうえで、自分がどうしたいかをよく考えることが必要かもしれない。
お願いすればするほどageるなら、お願いの方法を変えるのも一つの手段。
書き込む際に相手の思惑通りにことが運んでいないような印象を与えるよう気をつける
こともできるだろう。
つまり、ageられたことによる被害(と感じられる状態)はとらえ方であり、2chである以上
誰もが参加自由であることをよく認識してもらうことも必要で、それの踏まえた反応を
することもできる。
これらは当たり前で「2chだから」はよくみかけるレス。しかし、本当にそのとおりであり
age sageは当人の自由。ルールを設定するのもその人の自由。
ここはこういう規定を設けたスレだから、書き込む際にはそれらに留意してほしい、というのは
それを言い出した人・それを認め共感する人以外にはわがままにしか映らない場合もある。
それを実現したかったら、丁寧にお願いし続けるほかないと思う。
人の気持ちはなかなか変わらない。まずは自分の気持ちを見つめてみたらどうかな。
286 :
考える名無しさん:04/10/09 20:27:09
ナゲェ〜w
287 :
考える名無しさん:04/10/09 20:28:38
ニッキチョウニカケ ダレモヨマンガナw
|:::::::::::::::::::::::::::::::
|" ̄ ゙゙̄`∩::::::::::::::::
|,ノ ヽ, ヽ:::::::::::::::::::::::::
|● ● i'゙ ゙゙゙̄`''、::::::::::::::::
| (_●_) ミノ ヽ ヾつ:::::::::: 猟友会のおじさん
| ヽノ ノ● ● i:::::::::: ぼくたちを撃たないでクマ
{ヽ,__ )´(_●_) `,ミ:::::::
| ヽ / ヽノ ,ノ::::::
>>288 山の中で、人に出会わずに生きられたなら・・・・・
291 :
考える名無しさん:04/10/10 23:12:47
「…」。
292 :
考える名無しさん:04/10/10 23:14:59
^^;
>>291-292 言葉もなく冷や汗が出るように感じるということかな。
わざわざage sageの話が出た後にageるだけで会話で絡んでこないところを見ると、kが気になる
が会話をせずにkの行為を冷ややかに見ている者の存在をアピールしたいように見える。
というわけできみのような存在は以前から認知している。
きみ(もしくはきみたち)は何がお望みかな。折り合いをつけようとは思わない?
せっかく書き込んでいるんだからもっと有意義にしたらどう。それともきみのやり方は
きみにとっては有意義なのだろうか。
>>285 そうだな〜・・ただ被害と思われないような状況だと印象づけるのが
なかなか難しい。
というのも他のひとは常連というかいつもいる人たちではないので
例えばageのやつにレスをしないようにね!とお願いしても新規参入というか
いつも違ったメンバーでやらなきゃいけないときが多いので
俺達は被害受けてないぜ〜的な態度というものがしずらい。団結が必要だから
まそうだな。ageるかsageるかはそいつの自由だしageるかsageるかに
拘るのも自由である。
で自分の気持ちをみつめてみたが相手がageるかどうかは自由だから
強制することはできないのなら長い目でみるしかねえなっつう話だな
とりあえず会話を試みてみるよ。サンクスな
>>294 よく理解してくれた様子でありがたい。
善悪の不確定さを前提とすれば、ルール上違反していない状態である事柄を強制すること
は極めて困難。
きみが思考を自由にすることで対処できると思う。
k、原則スレにおいで。
いま面白いのが来て面白い事になってる。
何が面白いかというと、やつは知識がある。知識の無い俺にしてみれば
やつの描く文章はとても面白い。ただ、やつの文章が事実であるか否かの検証を
俺の中でまだしてない。だから物事の真偽を見極めるのが得意っぽいk
からすればやつの文章は事実であるか否かで見た場合、とても稚拙に見えるかも
しれない。
でも知識=ものしり(嘘やでたらめも含む)
とすれば、やつの文章からやつの豊かな知識を確かに感じ取ることができると
思うし、それを読んで質問して、やつとコミュニケーションすることは
今、知識に飢えてる俺にとってはとても有意義になりそうだ。
もし、やつの知識が嘘だと分かったんなら分かったで認識を改めればいいだけの
話だと思うしね。
だから、もしkも俺と同じようにやつに価値を感じたら原則スレに顔を出して
ほしい。
なぜなら、そこで俺は尊敬するkの文章を沢山読むことができると同時にそれが
やつの文章も誘発するだろうという一挙両得の状態になりそうだからだ。
そして、そのスレで興味を持った人がkのスレに来ればkの自己満足にもつながる
のではないかと思われる。
この心理取引はお互いの自己満足に強く結びつきそうだがどうだろうか?
>>296 きみがkに紹介してくれたのは「完全〜論者」だね。確かにとても面白いレスをする人だ。
とくに237あたりからは興味津々。
きみの意図は理解するが、kのやり方をその人が気に入ってくれる、もしくは折り合いを
つけてくれる可能性は低いと思う。
kはこれまでも何人かに対話を仕掛けてきたが、ことごとく避けられてきたし折り合わなかった。
原因はkのやり方にある。それは本人の気づきを促す方法をとるから気づきたくない人にとっては
不愉快であり不利益に感じられるからだと思う。もうすぐ面白いレスがつきそうだから、静観するほうが
面白いと思うよ。
辻希美観察で癒される仕組みもきみの言おうとしている規則に当てはまるのかな?
などと質問したいkにとっては、せっかくそこの住人が期待しているものが出てきそうな
雰囲気をぶち壊さないような当り障りのないレスはつけたくない。
もう少し様子を見たいな。
>>297 ずいぶんご立腹の様子が伺える。なぜ?一人の人物とは?
冗談だよ
>>298
分かりました。私はあなたが彼に興味を抱いているという事が分かっただけでも
とても嬉しいです。それをネタにして将来あなたと語り合うことができるかも
しれませんから。
では、また。。
合気道の達人は銃弾をよけれるなんて話し聴いたことがあるんですが
ほんとにそんなことあるんですかね?
kはあると思いますか?興味本位ですが
>>303 それは植芝さんの逸話だね。
俄かには信じがたい。
植芝さんに教授したとされる武田さんはかなりの武術の達人だったようだけど、実際に
対面したことがないからわからない。
でも多くの逸話が残されているし、可能性は否定できない。
合気は技術だと言い切った人もいる。技術なら努力で体得できる。
kはそのような話が好きなので可能性は追求したい。からだの動かし方にこだわるのも
そういう理由から。もう歳だから、とからだを動かすことを諦めるのは言い訳でしかない。
身体能力の維持・向上は努力次第で可能と考える。
重要なのは努力の方向とどれだけ努力するかだろう。
>>303 銃口から弾よりも速く走る光の線が見える。
らしいよ。それを避けるんだと。そうすると、光の筋の後を来る銃弾も。だってさ。
ある程度の距離があれば、可能ではあるんじゃないのか?光の筋かどうかは置いといて。
関係ないかもしれないけど、骨ってのは意外と硬くてさ、
ちょっとした盾に出来るってのは知っておいてもいい情報だな。
>>304 そうね。そうね。頑張ってね。そういうの超面白そうだからさ。
んでDVD出してガポガポだね。利益は7:3かな・・
そういや甲野さんの本買ったよ。このスレ見ているおかげか知らんが。
プロサッカープレイヤーと一対一(書いてないがおそらくサッカーの)抜き合いで
相手は甲野さんを抜けなく、甲野さんは相手に一度も取られなかったとのこと。
頑張れよプロ!とか思うんだけど。やっぱ体のしくみを理解すればそんなんも簡単になるのかね〜。面白い
>>305 可能と思ったほうが夢があっていいよね。ロマンがあるって素敵。
武術っていいかもな・・なんかやろう・・
>>305 >銃口から弾よりも速く走る光の線が見える。
そう伝わっているね。
ある程度の距離があっても通常では極めて困難だと思うよ。
つまり、それが事実だとしたら植芝さんは通常の状態ではなかったということになると思う。
一般的に考えられている以上に鋭く五感を働かせて認識することで通常ではない状態になることがある。
人が自ら身体能力に無意識的な制御をかけていることは近年しばしば語られている。
われわれは本質的に怠惰であり労力を惜しむ傾向が強いため、いわゆる「普通」に生活するために
必要な最低限度の能力を使って生活しているのかもしれない。
先の例は本来保有している能力を「普通」以上に発揮した例とも考えられる。
可能性は否定できないが「普通」ではない。
骨はある程度硬いが、硬さゆえの脆さもある。
空手・ムエタイなどの足技のある格闘技においては脛骨(すね)を鍛えて戦いに臨む。
kも鍛錬したが、徐々に鍛えると感覚が麻痺し少々のことでは痛くなくなる。
しかし健康面で考えるといささか問題があるだろう。また、K-1の試合上でも何度か
足や腕の骨が折れた事故があった。
硬いということは格闘技においては過信に繋がり、無理な防御をしたり、柔軟性に欠ける為
折れやすい。
かたさが脆さを含むのは話し合いにおいても類似性が見られるね。
>>306 武術の本質は相手を戦えない状態にすること。
つまり殺傷したり戦う意志や戦闘能力を奪うこと。
広く世界で行われている戦いの基本は殺傷にある。戦争においては多くの被害者もしくは
影響の強い人に対する危害を匂わせて多くの人の気持ちを動かし戦闘意欲を削ぐ方法が
用いられている。
人はその場の自分の気持ちに左右されるため、戦闘意欲を奪った側の勝利となる。
その奪う方法を殺傷に求めるのはあまりにも短絡的だが最も多く用いられている。
理由は簡単だから。人は死にたくないし、傷ついたり痛い思いをしたくないことが多いので
それを利用して相手の気持ちを動かそうとする。
つづき
銃器・火気・薬品・爆薬・生物兵器など人体に多大な損傷を及ぼすことが明白である武器
を効率よく使用して自己の欲求を満たそうとするのが近年の戦争に多く見られる形態。
すべては自己の満足のため。むろん極少数の満足であることが多いようだが。
2chにおいても、限定すればこのスレにおいても同様の「言葉の暴力」と見受けられる
「武器」で短絡的に相手の気持ちを動かそうとする人が見受けられる。
物理現象で直接人体に影響を及ぼす武器であれば、被害者は確実に損傷を負う。
しかし、気持ちが加害者の思惑通りになるかどうかはわからない。
ましてや掲示板上では「共通認識」であろうとされる「固定観念」に依存した
「武器(言葉)」の使用であるため、思考が柔軟であれば何ら損傷を受けることはない。
人の気持ちが思惑通り動かせるとは限らない。そしてその思惑の多くは自己の優位性の顕示
を含むことが多く、相手から「参りました」といった意思表示を得たいがための行為である。
2ch上でそれを相手から引き出すことは極めて困難。なぜならいくらでも仮面を被ることが可能であるから。
kのやりとりを見ていればおわかりのことと思う。
だが、実際に近距離で対峙した場合は腕に覚えがあると少しは違う。
つづき
何らかの格闘技術を常時使用可能な状態に鍛錬しているものと、そうでないものでは
ある種野蛮な「戦い」に限定すればその勝敗の命運は明白だ。
ここで素手に限定した場合、空手・ムエタイなどの立ち技主体の技術で相手に勝利するには
打撃による殺傷となる。かなり殺伐としそうだが、卓越した技量があれば相手に損傷を与えることなく
「参りました」を引き出すことも可能。だが、多くの場合相手は痛い思いをする。
その場では「参りました」というだろうが、根に持つことも多いだろう。
柔道・サンボ・柔術などの組技系の場合は相手を殺傷せずに「参りました」を引き出す技が
豊富にある。だがやはり相手は痛いので恨みに思うことも多いだろう。
これらはその方向(格闘および護身)における努力の差であり、優劣がつくのはその一点のみに
おいてである。ここで勘違いをして、参った相手に対して全ての面で優位に立ったかのような
錯覚を持つことは自己の不利益となる。
それは、口論における優劣にも当てはまることだ。
すべての優劣はある限定した事柄に関してのものでしかなく、およそ人間同士の比較における
優劣の判断など無意味。結局好きなように各自で判断するほかない。絶対的なものなど
あろうはずもない。
つづき
そのようなことを踏まえた上で武術を考えると、相手の力を奪う技術であるとされる「合気」に
魅力を感じる。
「合気」に関する逸話には俄かに信じがたいものが多く、習得することも極めて困難(ほとんどいない
とされている)。
よって一種御伽噺的な見方も必要だろうが、その技術を使える人がいたら是非ご教授願いたい。
逸話から想像するに、その技を掛けられれば掛けられるほど驚きや感動が沸き起こるような気がする。
それこそ「参りました」の本質だろう。
「合気」や格闘にない人には申し訳ない。
「合気」と「合気道」は似て非なるものであることを付け加えさせていただく。
相手の気持ちを不快にするのではなく、感動や驚きを起こさせる方法もある。
何を選択するかは自分で決めるほかない。その選択肢を増やすには努力するほかない。
選択肢の少ない人が短絡的な選択をするのは仕方がないこと。
きみが選択肢を増やしたいのであれば武術はそのひとつになると思う。
一つのネタからよくここまで書けるもんだ、と感心するね。
>>312 それはどうも。
ちなみにまだまだ書ける。性質として「しゃべり」なんだよ。迷惑をおかけして申し訳ない。
>>313 いや、迷惑はしていないよ。
書いてあることは毎度のことながらあたりまえの事だから、よくも読まずに斜めに見てるだけ。
そういや、また超巨大台風が来てるみたいだね。バイバイ。
>>314 きみの言い回しから受ける印象は、kのレスを重要視していないことを匂わそうとしている
ようだ。
この一連のレスに関しては「よくも読まずに斜めに見てるだけ」だから内容に関連した記述もないのかな。
きみはなにか興味のある事柄があって何かしらの期待を持ってこのスレを覗いたのだろうか。
kはきみの指摘どおり当たり前のことを書くことを承知のきみは、何を期待しているのかな。
気が向いたら教えてほしい。
共通認識がないならどうして結婚なんてしたの?
好きだと言っても好きとは限らないじゃない
恋愛ってなんなんだよ。わかわかんなくなったよ。
>>316 きみは恋愛をわかっていたのかい?
共通認識的なとらえ方があるような雰囲気は認めるが、明確な規定などはじめからないよ。
端的に言えば男女(最近はそれ以外の場合も認められつつあるけど)の気持ちの動かし合い
奪い合いをより快く受け取りあっている状態、もしくは一方的に快く思っている状態だと思う。
kがなぜ結婚したのかをきみがきいたとしてこたえると、それはkの思い上がりからだ。
「好き」に限らず気持ちは常に変化可能。言葉で相手に伝えるときは「作戦」も伴うから本心
とも限らない。
相手のことを好きになることは、相手を好きと認識することで自分が心地良くなっている状態
ともいえる。対象は異性に限らず「好き」と思えれば類似の心地良さは得られる。
ただし、性ホルモンの分泌を伴う「好き」はご存知のように特殊でもある。
雰囲気は気分を変えるために重要だが、冷静な分析は自分を見つめる上では重要。
「好き」や「恋愛」の本質をきみなりによく考えたらどうだろう。
結局きみが何を求めているかを分析することになると思うよ。
女の気持ちがわかるんならミミズの気持ちだってわかるだろうよ、という考えの持ち主ッス。
男と女は別種の生き物ッス。太宰治さんの男類と女類という分け方には納得ッス。
もうすぐ飯の時間だぜぃイエィ。
人型の宇宙人が地球にやってきたら質問するだろうなぁってこと。
「子供と大人という区分は、人間と神の関係を転写したものではないですか?」
人の気持ちがわかるテクニックの話しが聞きたい
人の気持ちをわかる必要がいったいどれくらいあるのだろう。考えられる可能性の
数だけでも無限のようだ。自分の気持ちすらわかりえるほど明確ではないというの
に・・・。わかるのではなく決めるというほうが近そうだ。
そもそも自分や他人の本当の気持ちなんて望んでいると言えるだろうか。
まあ、なるべく明確に決めたいけどね。それぞれの求める処に寄りて。
気持ちを知りたいと思うほどの人間(知人・友人等々)なんてそうはいない。
>>321 一昔前の流行の言葉で表せば「ファジィ」だよ。
ファジィな付き合い。
>>320 それは何かの比喩なんだろうね。少なくともきみがその人型の宇宙人(われわれはまさしくそれだが)
でない限り、人の気持ちはわからないのだから推測であることは間違いない。
>「子供と大人という区分は、人間と神の関係を転写したものではないですか?」
これは子供が「人間」で大人が「神」として関係の類似性を認めるということだろうか。
なるほどそのような見解も成り立つだろうが、これはどのレスとの関連で書いたのかな?
>>321 >人の気持ちがわかるテクニックの話しが聞きたい
申し訳ないが、人の気持ちはわからない。これが真理。だからそのようなテクはない。
ただし、人の気持ちがわかったつもりになれるテクニックはいくらでも蔓延しているのではないかな。
心理テストや読心術などゲーム性の強い遊びは好まれている。
人の仕草・行動パターンの分析からある事象に対するその人の対応の傾向は推測することが可能。
その推測の精度を極めて高くすることも可能。
しかし、それはその人の気持ちがわかるわけではない。行動パターンの分析と応用が適切になった
ということであり、それらの多くは類似した生活環境にいる人や性別・年齢等を考慮することで
別の人にも当てはめて成果を出すことも可能だろう。
きみが求めていることがそのようなことであれば、対象となる人の言動を細かくチェックし分析する
ことで満足の行く結果が得られるだろう。
そうではなくその人の気持ちを動かしたいのであれば、その研究成果を応用してきみの
理想に近づけることが可能だろう。これは一種の洗脳。非難しているのではなく本質の話。
もしそのいずれでもなく、きみがだれかの気持ちを知りたいのであれば、それはできない。
人の気持ちは一瞬で変化可能。変わらないためには強い思い込みを持って維持し続けることが必要。
だが、ひとつの思い込みを維持し続けている間にも気持ちの変化は常に起こりうる。
その人の気持ちが知りたいと思ったら、その人とのより充実した瞬間を過ごしていろいろな折り合い
をつける他ない。それでもその人の気持ちはわからない。
結局自分で自分にどう納得させるかという折り合いのつけ方になると思うよ。
>>322 >わかるのではなく決めるというほうが近そうだ。
そのとおり。
自分なりに培った教養を元に決め付けたり思い込んだりしている。それを「あれ?違ったかな」
と思った瞬間に、その決め付けや思い込みを一端わきに置いて考え直すか、相手に直接聞いてみる
ことが必要だろうね。
人は自分の気持ちを正直に話すことが少ない。特に日本人はそれが美徳とされてきた歴史があるので
そこをよく踏まえて相手の言葉を捉えることも必要だろう。
結局相手の気持ちを知りたいと思う根拠は自分の満足か喜びにあることを認識することで、思い上がりといった
誤認に繋がる要素を少なくできる。
なぜ今ここで相手の気持ちを知りたいのかを明確にすることで、その必要性の認識が高まる。
本質を見極めることで誤解も避けられる。
夕飯のおかずを何にするか、今度の旅行でどこに行くか、そのようなことで諍いが生じる
には理由がある。相手がはっきり言わないからか、相手がわがままを言うからか、それとも
互いに本質を見ていないからか。
何のために一緒に食事をし、何のために一生に旅行に行こうとしているのか。
そういうところをよく見ないと、本筋から外れて「目先の相手の気持ち」ばかりに気をとられる。
>>323 >気持ちを知りたいと思うほどの人間(知人・友人等々)なんてそうはいない。
それは、とりあえずきみには当てはまるのかもしれないが、すべての人にではない。
人は人と接する以上程度の差はあるが気持ちの動かし合いをする。
それがパターン化されている人もいれば、会う人ごとに変える人もいる。
結局それも自分が自分の行動でどのように納得するかになる。
きみにとっては「どうでもいい人」というカテゴリーに入る人がたくさんいることと思う。
むろんkにもたくさんいる。
その中のだれかと何らの作業を共にすることになったらどうするだろうか。
そのときには少しきみの意識が変わるのではないかな。
kの話す内容が当たり前というレスはとても喜ばしい。
気づいた人がいるのかな、と思えるからだ。
しかし、それを知識として貯蔵してパターン化して使用することだけに留めるとその素晴らしさを
見失うことだろう。
人の気持ちはわからない
あぁそうだね。たしかにそのとおり。わからないんだから考えるだけ無駄だ。人の気持ちなんか
どうだっていい。知ったことじゃない。
そう思う気持ちはよくわかるが、いつか死ぬとほぼ決まっている我々人類がどうせ死ぬのだからと
自暴自棄になって死のうとすることと類似している。
なぜ生きているのか そのような疑問が湧いたなら、その本質を見つめることを避け続ける
ことは甘美な苦痛であるようだ。
考えてもわからない。だから考えない。しかし辛い。だが、そうして頭の隅に少し残し
時折浮かんでくるその疑問を考えないようにする作業は麻痺を自らに強要することであり
ストレスを受けるが同時に成功すると思考停止させられる安堵感を得る。
人の気持ちがわからないから人と接触しない。他人を軽視する。
どうせいつか死ぬから今死ぬ。てきとうに生きる。
これらを非難する考え方が今の日本社会では正義であり、どのようにしたらそのような考えを
改めさせられるかが教育というより社会的な課題となっている。
しかしそれらの考え方は人のあり方の本質でもあり、否定したり非難するものではない。
人とはそのようなものであり、それらに身に覚えのない人はそのような人の気持ちは
それこそわかろうはずもない。
文明を今日のように発展させるためには多くの思い込みによる人の気持ちの操作が行われてきた。
人と人が接していくテクニックは無限でありその方向性も多様。しかし、ある社会の枠組みを
規定することでその枠組みの中でその枠組みをよりそれらしくするための方法が強要される。
今の日本であれば法治主義の理念に則った平和的な解決を正義とする資本主義社会ということになろうか。
よってわれわれは日本社会に属する限りにおいて経済活動に従事もしくはそれに至る教育を受ける
ことが条件とされている。
人との関わりあいもそれとの関連で成立していることが社会的には前提。
これらは今を生きる日本国民と呼ばれる人々の社会立場的な本質であり、当たり前のこと。
その認識が単なる知識として貯蔵されているか、認識もないか、常に認識し続けるかの
違いは人それぞれにある。
社会的立場とは全く異なる次元に人の本質がある。
人は満たされたい欲求があり、満たしたい欲求がある。
喜びを感じる能力があり、喜びを欲する。
変化を嫌い安定を望むが、平穏な日常に不満を覚え変化を望む。
不快を嫌い、喜びに向かおうとする。
人の本質を見極めることは生きていく上で極めて重要だ。
それらを知識として固定させ、ある方向に導くために利用することは可能でありさまざまな
歴史的事実とされる事柄がそれを教えている。
社会は人が作り上げているもので、われわえは常にその一端を担っている。
どのように折り合いをつけるかはわれわれの自由であり選択できる。
固定観念や先入観は実に楽でありがたいものだが、本質も見失わせる能力にも長けている。
自分がどのような立場でどのように生きていて、相手がどのような立場でどのように生きているのか。
それらをどう考えるかもそれぞれの自由。自分なりに思い込むのも相手に尋ねてみるのもその人の自由。
>kの話す内容が当たり前というレスはとても喜ばしい。
>気づいた人がいるのかな、と思えるからだ。
kにいらついてる人ってのはさ、コロンブスが卵の底をグシャッとして立たせたのを見て、
「そんなことはわかってんだよ。俺(たち)は、それ以外の方法を模索してんだ」
って人だよね?
で、そういう人が多数いると。
>気づいた人がいるのかな、と思えるからだ。
って言うけど、気づいてるでしょ。普通に生きてる/生きてきた人間ならさ。
>>331 そうだね。
どう生きていくかによるけど、気づき続けることで生きる意味が見出せたり生きることが
有意義に感じられると思う。
そんな当たり前のことを知識としてしまっておいて、それに関する話の際に反射的に
知識として利用するのはもったいないと思う。
同じように見えることに新たな発見を見ることで喜びが得られる。
でも、多くの人は「もっと他にいいことがある」と期待しているんだろうね。
この世には当たり前のことしかない。その中に新たな発見を見出すかどうかが重要。
思考を自由にすることはそれを実現することでもある。
多くの人が進化という名の変化を漠然と待ち望んでいるようにおもう。それは特定でき
るような誰かにではなく流動的な塊に。例えば「天才」や「美」などに期待すると共に
自分自身がその役割を担おうとしてもいるのだろう。けれど同時にその役割を自分以外
に委ねられることに我々は安らぎすら覚えることと思う。
当たり前という平均には時代との呼吸があり、共有できる力があるといえるのでしょう。
しかし、それだけでは何か足りない。何か(違う)おかしいと感じるのも無理もないこ
とだと思う。飛躍が必要なのだろうね。そして我々もその飛躍を期待しているのだろう。
発見そのものではない何か。コロンブスにとってのアメリカではない何か。
何だろう。
kに質問するとものすごい量の返答がかえってきて返答に困る。うれしいんだけど
質問しっぱなしのこんな俺でも許してくれる?
>>333 人の本質を見極める必要があるだろう。
無限ともいえそうな可能性が秘められているとは多く語られていること。
自分で自分を使って確かめたらどうだろう。
>>334 誰かが読んでくれていると思えばこそ書いている。
気が向いたらレスしてほしい。そうでなければする必要はない。すべてきみの自由。
>>335 >自分で自分を使って確かめたらどうだろう。
まあね、試しているところでもある。ただ漠然とした期待感を明確に決めたいという
ところなのだろう。
>人の本質を見極める必要があるだろう。
ここよくわからないが、ここでのあなたの意見は興味深く観察していますよ。どうも。
なぜトラウマがありますか
>>336 自分の体を使って体験したことから多くの発見がある。
知識は先入観・固定観念であり、ある目的のために適切に使用しないと期待する効果は得にくい。
誰かが見出した知恵を自分なりに消化して使うことは困難であるが、ある目的のためには重要。
過去発明された便利なものはすべて使用法が適切でないと効果を得にくい。
重要となるのは、自由な思考をすることで柔軟に対応して自己の願望を実現すること。
人は依存したがり、面倒臭がる。これらの人の本質的な部分をよく認識して事に当たること
はの自己願望実現には重要。
この当たり前のことをきみはよく理解してるようなので、しつこいようだったら申し訳ない。
>>337 なぜだろうね。
人はその場の自分の気持ちがもっとも大切なようだよ。
だからそれを守る必要が生じた場合必死になる行為を呼んでいるのではないかな。
自分の気持ちをコントロールする技術を身につけることで心的外傷を軽減することは可能。
幼児期からそれを身に付けられるトレーニングを積み重ねることで実現する。
「うまく」子供を育てることは極めて困難。「うまく」とは、あらゆる意味で社会に適応可能という意味。
それには自由な思考が不可欠。
きみは何かしらのトラウマに悩まされているのかな。
人は何のために生きているだろう。
思考する能力を有する存在として、人にその問いが生じることは必然。
自分以外のあまり関わりのない人を街角やTVのなどで見かける折に、この人は何を考えて
いるのだろう、何のために生きているのか、生きていてたのしいのかといった疑問を生じる。
自分はどうなのかと振り返るとき、あらためて自分が何のために生きているのかといった
問いがわいてくる。
したいことは瞬時に変わるし、したいことは人によって異なる。
このスレで見つめていくのはそれらの本質的な部分。
突き詰めていくと人は何のために生きているのか。
漠然と考えず今自分が何がしたいか、何のために生きているかを考えていくことで見えてくる。
ばからしいと思えることはとらえ方によってはそうではない。
自分の本当にしたいことを考えることが生きる上では重要となる。
>自分の本当にしたいことを考えることが生きる上では重要となる。
環境による影響がことごとく「したいこと」を瞬時に変える。今の自分の欲求ならば
決めることが可能といえるのでしょう。「人は何のために生きているのか。」という
共有を前提とした目的概念は考えるに価せず、しかし、「あなた」や「私」の考えや
解釈を影響させ相互に交換することには意味を感じられるが。
したがって私は「自分の本当にしたいことを考えることが生きる上では重要となる。」
に反対だ。言い換えるなら「他人のしたいことを考えることが生きる上では重要となる。」
だろう。意味は同じなのかもしれない。
「本当にしたいこと」という言い回しには何か矛盾・怪しさ(?)を感じる。
ただ本質をさぐる人には重要なことなのかも。わからん。
また、全く同一の環境を作り得たとしても、欲求は自然には統一されない。単純化
するならば2極に分かれるだろうし目的として行為されるのはどちらかが譲る時だ。
やはり本質としての欲求と言えるのは食欲・性欲・・なのでは?まあ、だから考える
に価しないといってしまったが、あなたの言う本質とはこれではないのだろう。ただ
そうするとあなた(或いは私)は「したいこと」を決定し影響を広げ共有したいとい
うことか。もしそうなら、あなたの考える本質について聞きたい。
技術的にクローン人間を作り得たとしてさ、どのくらい自分とそいつとは似るんだろうな。
数いっぱい作ったとして「おっ?おまえ、俺か?」みたいにそっくりな外貌の奴ってできるんか?
クローン猫は模様すら違ったりするよ
>>341 >「人は何のために生きているのか。」という共有を前提とした目的概念は考えるに価せず
きみがそう思うのは自由。しかしきみの見える世界を見回せば、人は何のために生きている
のだろうと感じることがあるのではないだろうか。
今のきみには考えるに値しないかもしれないが、これからのきみや他の人には重要だと思うよ。
>意味は同じなのかもしれない。
人の気持ちは考えてもわからないよ。
>「本当にしたいこと」という言い回しには何か矛盾・怪しさ(?)を感じる。
そうだね。本当にしたいことの本質を見極めない限り矛盾するし怪しい。
>ただ本質をさぐる人には重要なことなのかも。わからん。
そうだね。本質を考えない人にはわからない。多くの人がそれを考えないので多くの人に
その重要性が理解されていない。そして、その本質は実に当たり前のもの。それを検証するには
自分自身で行動を起こすほかない。
>>342 >やはり本質としての欲求と言えるのは食欲・性欲・・なのでは?
そうだよ。しかしその「言葉」は共通認識として一般に知られているため装飾された雰囲気が
付帯する。つまりきみが軽んじるような表現をするような「当たり前で考えるに値しない」ような
印象を与えかねない。
「食べたい」「性的に気持ちの良いことをしたい」これらをどのようにとらえるかで
同じ事象が全く異なるものとしてとらえられる。
>あなたの考える本質について聞きたい。
本質は事象それぞれにあること。
きみが聞きたい本質は何についてだろう?
とりあえず「人は何のために生きているか」という命題に関してのこたえとなる部分
の本質に関して書くと、「自分の満足や自分の喜びのために生きている」となる。
またか・・・と思う人がこのスレには多いだろうが、大変申し訳ないのだがこれに関して
多くの人の意見を伺うことがこのスレの目的のひとつでもあるのでご了承願いたい。
どれほど他人のことを喜ばせる行為でも、自分に帰結することをよく理解するところから
生きることを考えていきたい。
>>343 手塚治虫の火の鳥にそういう話があるね。
>>344 そのようだね。今のところ全く同じというわけではないらしい。
人が何を望んでいるのか。
その人をよく知ればわかりそうな気がするが、実際はそれだけでは実現しない。
人の気持ちは他人には推測することしかできない。
自分が何をしたいのか、本当にそれをしたいのか、したいと思った次の瞬間したくなる可能性がある、
もっと違うことを望んでいるのではないのか、そのような自問自答を繰り返すことで
欲求の本質が見えてくる。
他人のその場の気持ちに自分が振り回されることに喜びを見出すことを否定しないが、
それが互いの欲求の本質でないことの認識を持つことでその状態を終わらせて別の状態
変えることもできる。
そしてそれによって互いの欲求の本質を満たすことも可能になる。まずはその場の気持ち
に気づき続けることが必要となる。
>>346 なるほど。
食欲・性欲・・について確かに軽んじていたようだ。多くの苦悩も喜びもそこを起点とし
ているのかもしれない。私にとってはそれらはどうにも生きながら無くせない欲求であって
みれば、考えてもしようがないと今も割り切っているようだ。しかし、これこそ怪しいと言
えそうだ・・・。
>「本当にしたいこと」という言い回しには何か矛盾・怪しさ(?)を感じる。
そうだね。本当にしたいことの本質を見極めない限り矛盾するし怪しい。
ここについてもう少し言及させてもらえば、あなたの言うように当たり前のことの重要性と
いう観点から言う場合「したいこと」に「本当に」という言葉をつけることが矛盾するし怪
しいと言いたかったまでだ。
>「自分の満足や自分の喜びのために生きている」
>どれほど他人のことを喜ばせる行為でも、自分に帰結することをよく理解する
やはり反論はない。「自分に帰結することをよく理解する」実に難しいことだと感じるが自然
にそうなっているようにも思う。意識的に感じ考えることとの違いは何だろう。
あなたは意識上のことを重要だと言及しているように思う。
今頃になって春眠暁を覚えずモードに突入しちゃったよって、ヴォンジュ〜ル?
新潟の惨事、もうすぐ東海にも。下手に苦しむくらいなら即死がいいな。
予想通り、中日やぶれたり。ビリにはならないがトップにも立ち難い。
これぞ名古屋。優勝候補にはいつも名が挙がるグランパスがいい例か?
と、いうことで、おはようっす。
>>349 >あなたは意識上のことを重要だと言及しているように思う。
そうだね。ここでは「気づく」という言葉を当てはめて語っている。
>自然にそうなっているようにも思う。意識的に感じ考えることとの違いは何だろう。
「自然に」というところに注目してほしい。それはどのような状態をさすだろうか。
われわれは「普通に」生きていて「自然に」行動しているというとらえかたがある。
しかし、そのような表現・とらえ方がされるまでには地道な努力があったことを忘れがちだ。
五体満足に生まれ出で、それなりに衣食住が足り、家族構成もそれなりで友人も幾人かいて、
学校・会社などにそれなりに通うことが「普通に」生きることだろうか。
今の日本においてはそのようなとらえかたがありそうだ。しかしそれはある種の理想像であり
そのように生きている人ばかりではないので普通ではない。
われわれは箸やフォーク・ナイフ・スプーンなどを操って食事をする。読書をしたり
字を書く。道路を歩きながら車や人をよける。
これらを自然にしているというとらえ方を否定はしないが、それが努力の成果であること
も否定のしようがない。
意識する、気づくとはそのような当たり前のことに注意を向けてある種の発見をすること。
多くの人が必要性を感じたり、誰かに促されたりしていることだと思う。
実際にそれをし続けている人が少ない。それをしないと違いは実感できないだろう。
それをしている者としてその違いを敢えて言えば、それをすることはとても億劫な面があるものの
自己願望実現には有益であり利用できるが、していない場合は利用できない。
このスレの目的のひとつは多くの人に「自分は何のために生きているのか」を考えて
レスしてもらうこと。
お金を稼いで豊かな生活を送るために努力している人。
人の喜ぶ顔が見たくて奉仕をする人。
人のために何かしたくないので、それを極力避ける努力をする人。
将来のためにしたいことを我慢して勉学に勤しんでいる人。
仕事や学校のことをなるべく考えないようにして日々に喜びを見出さない人。
友達と遊ぶのが好きでそれを最優先にする人。
身動きがとれない病気の人。
人はさまざまな境遇とさまざまな気持ちで日々を過ごしている。
そして人は生きている限り栄養を摂取し、吸収し、代謝・排泄をする。
呼吸をし続ける必要があり、適度に睡眠も必要となる。
そのような生きる上で必要となることがらが満たされている状態を当たり前ととらえる
ことが「普通」であるが、当たり前とはとらえられない状況の人は少なくない。
そのような「普通」の境遇は宗教的な観点に立つと「有り難い」というとらえかたに
なるかもしれない。
しかしこのスレでは宗教的な洗脳の要素を排除している。有り難いと感じる人はその
ときそうとらえたのであり、次の瞬間には忘れるかもしれない。
このスレはその事実をまず見ていく。
言語は考えや気持ちを他人に伝えたり記録するための道具であり、そこに付帯する雰囲気
を認識しつつも気持ちをむやみに動かすことを控える。
そこに記されたり表現された言葉の共通認識的な意味合いを適切に判断・分析して自分なりに
認識する。疑問点は双方が納得するまで細かく論じ合う。
このスレにおいてスレ主は上に挙げたルールを自分勝手に自らに課してこのスレに書き込んでいる。
このスレを覗いている方の中にはそれらに気づかれた人も多いことだろう。
レスをする人全員にそれを望んではいない。また、簡単にできることではないようだ。
だが、ここで語り合いたい内容に関して誤解を少なくする方法として敢えて選択した。
はっきりしないと受け取れる返答に苛立ちを覚える方には申し訳ないが了承願いたい。
当たり前のこと・普通のことは、とらえ方を変えれば新たな発見を見出せたり、喜びに
満ちていたりする。
人は「何かいいこと」を蔓延する当たり前の自分のよく知る風景ではないところに求めがちだ。
さて、「何かいいこと」とは具体的にはいろいろあるだろうが、本質的に見るとどのようなこと
だろうか。満足を得たり、喜びを得たりすることではないのだろうか。
何かに不満を感じるのは「他」に原因がある事実以外に、自分のとらえ方にも原因があるのでは
ないだろうか。
決め付けや思い込みで本質を見出せずに、その場の気持ちに振り回されていないだろうか。
つまらないととらえられることに感謝しろといっているのではない。
価値が見出せるという可能性の提示と、われわれが望んでいる本質的な欲求の見極めの
提案をしている。
以上に関しては、このスレにおいて繰り返し書き込みをしている。
ここで留意する点として善悪、いい・わるいの分類をしないことがあげられる。
「善悪」「いい・わるい」に絶対的な規定はないのだから、結局自己の選択による。
つまり人それぞれの判断によるところであり、依存をなるべく排除して自分で気づく
ためにはその分類を決定して事象を見ないことが重要となる。
人には依存したがる傾向が多く見られる。依存の強弱には育成過程のあり方が影響する。
つまりは保護者の育て方で変化する。
物事の判断決定においては、信頼に足ると思い込める自分以外の価値基準を必要と
するようになる。
偉い人、立派な人、強い人、頭のよい人、両親、祖父母、先生、友人、知り合いなど
の言葉に依存するように教育されている。
それを認識した上でそれらに依存せずに自ら判断・決定をするとなると、何にその基準を
求めるだろう。
このスレで繰り返し書き込んでいる言葉に「折り合いをつける」がある。
「いい・わるい」の固定した価値基準を個々に持ち出して論争が白熱し、解決をみない
状況は一般的な話し合いに多い。
それがいかに非生産的かを認識していても、「勝ち負け」を優先させて議論することが多い
ためそのような論議がなくなることはない。
その話し合いの本質が議論で「勝つ」ことであればこだわるのも仕方がない。
そうでないのなら気持ちに振り回されて本質から逸脱した行為といえる。
それぞれの人が何をしたいのか、自分はどうしたいのか、なぜそうなのか、それらを明確に
して議題の本質を見極めて「折り合いをつける」作業を続けるのが話し合いの本質。
それができないのは根拠の希薄な固定した「いい・わるい」に依存して、自由な思考を
しないため。
まずは自分が本当に何を望んでいるのかを見極めなければ話にもならない。
>>351>>353 現在の状況(限られた環境において)充足感を覚えることは可能であり、事実私は
そのような充足感を覚えている。そしてそれがあなたの言うように努力や偶然性
(大きな事故・幸福な条件など)を経た結果であると思えるのは確かだ。ある意味
で私は全能であり、自由であると共に、力を行為された場合は徹底して弱者である。
その時抵抗すらしなかったし、これからもそうするつもりだ。そのようにして現状
を肯定的に解釈することが可能であり、有意味であるとしてもやはり現状という環
境によって変わってくるのでしょう。自分により近い空間に慣れるということのよ
うだ。
そうして「慣れる」ことのできた空間から飛び出し、また充足を見出し、移動を繰
り返す。そんな風に世界中を肯定できるとすれば素晴らしいに違いない。
ただ、どうしても不可能な空間もあるのではないだろうか(想像だが)。
言葉を借りれば―「自分を使ってためしてみる」よりなさそうだ。
そして、そこで「人は何のために生きているのか」と問うてみるのもおも
しろそうだ。
ちなみにそこ(
>>358)に「鍵」があるように思える。つまり或る人間にとっては、不足こそ
が生の基点であると言える。「人間という生命」がエネルギーであるならば、対象
無しで生存しきれない。充足のために生きているとは妨げの対象のなせるわざか。
しかし、二極性に陥れば答えは決まらない。
ともかく私にとっては他人をいかに意識するのかが問題のようだ。
>>358-359 われわれの認識は何にどのような影響を受けようとも、自分なりのフィルターを通したものを
認識している。
認識は脳で行うとされている。その元となるのは五感などの感覚の知覚。そしてそれと記憶の連携
による。
「他」はあくまでも自分のフィルターを通して認識したもの。それ以上でも以下でもない。
人は生きる上でさまざまな刺激を必要とする。その刺激はすべて「他」との接触による。
「他」から受ける影響をわれわれは選択可能であることの認識が自由な思考を生む。
つまりある事象から受ける影響は人それぞれであり、受け取る側にある程度の選択の
自由があることの認識が自己を有意義に生かす方法を生む。
きみにとって他人をいかに意識するかは生きる上で重要であるように、すべての人に
とっても同様だろう。
その意識の仕方はきみのその場の気持ちに大きく左右され得るもの。
一瞬ごとにわれわれは自分にとって有益なきっかけである「他」と接触している。
そのきっかけをどう生かすかは「他」ではなく「自分」にかかっている。
>>360 >その意識の仕方はきみのその場の気持ちに大きく左右され得るもの。
そのとうり。しかし、私が問題と感じるのは「受け取る側にある程度の選択の
自由があることの認識」よりもそれを禁じているところの環境のシステムの方
なのだ。
例えば日本であれば大部分の選択の自由が可能なわけだが、政治・宗教・・・
による規制のある環境もあり、さらにはどうすることもできないような自然に
よる変化、流動的な塊から起こる偶然性。それら私をとりまく環境による影響
は大問題となるのです。「他」もまたとりまく環境としての問題。
もちろん、全て「自分」にかかっている問題。そしてどんな問題も有益性を秘
めている。つまりあなたに同意ということだ。
さて、対話とは良いものです。為になった。また喰いついて行くでしょうが、いったん
引き上げるとします。それでは。
>>361 >それを禁じているところの環境のシステムの方
きみのいいたいことはよくわかる。それは多くの人が感じることでもあり、今の日本に
暮らすものは大方そのような教育を施されている。
このスレで繰り返し語りかけている「人は何のために生きているのか」という命題に関しての
考察によってそれらにも答えが見つかる。
今の生活環境は何のために生み出されたのか。また生み出された基盤は何か。そして
作り上げたのはだれか。
これらを考えることで今後どのようにしていくかを話し合うことができる。
これはどこかの偉い人が決めるようなことではなく、現在生存する人すべてが考えていくこと。
kと対話をしてくれる人が少ない中レスをいただいて感謝。これからもよろしく。
このスレにおいて、自由に思考することの重要性に関して繰り返し書いてきている。
その理由は、本人の苦しみの原因が自由に思考しないことによるからで、自由に思考
することで苦しみの認識が変わる。
はじめに「自分を見つめていく」を立てたときに執拗に繰り返した「固定観念」「先入観」
「思い込み」「決め付け」などがその自由な思考の妨げとなるという記述が多くの人に
固定された印象を与えた。
それは上に挙げた「」内に関して批判している・悪いといっている・それらをなくせといっている
といった印象を与えた。
そこでそれらは利用するものであり、利用することで願望達成に近づくことを書いた。
これらは当たり前の真理であり誰もがよく理解できることと思う。
しかし自由な思考を実践するのは容易くない。
それはやはり、自分の思い込みや決め付けに気づいていないからではないか。
そしてそれをし難い理由は、思い込みを意識することで思考基盤がなくなるような
無意識の恐れを抱くことが考えられる。
思考を漠然と行う方法は自分の意見をまとめたり、相手と対話をするのには不向き。
反面、何も考えずぼーっとしているといわれるような状態においてとめどなく無秩序
にさまざまな思いつきや記憶が現れていくさまは楽しい。
ここでいう自由な思考とは上のような形態の思考のことではない。
何らかの作業に携わる際や人との対話、自分の意見を整理するときなどに行う思考に関して
の方法。
そのような思考には基盤たるものが必要となる。その基盤を固定させることで思考が成立する。
ところがその基盤に固執するあまり視野が狭くなり思考に柔軟性がなくなることは否めない。
それが上に挙げた固定観念など。
自由な思考にはその基盤を一時的な固定とする明確な認識が必要となる。
ここでいう基盤は多種多様であり、当たり前とされる事柄はむろんすべて含まれる。
その上でこれから自分がする作業に関して必要な事柄を基盤に含める。
このスレで過去なんども繰り返された対話の中で何ら決着を見ずにすれ違ったままの印象
を与えて終了しているものは、すべて固定した基盤から離れることをせずにその基盤に照
らして反射的に思考した結果といえる。
基盤に固執するがため思考が硬くなり気持ちが不快な方向へ進む。
自由な思考とは、その基盤を冷静に見つめてそれが思考をするための仮のものである
と認識できる状態において実現する。
有り体にいえば、「これはそうに決まってる」ということですら「そう決めたと仮定
してるんだな」と認識できること。
これがいかに困難なことであるかはこのスレや日常の対話でよく理解する。
しかし、それができない人は自分と同じ価値観を持っていると認められる人でないと
対話が成立しない状態になりかねない。
これは社会生活を送る上で極めて不利益な状態といえる。
かもしれない、ないかもしれない、そうとも言える・・
思考を自由に操る想像力が、創造を生み出すといえるのか・・
基盤が思考にとって重要なことは多くの人が認めるところであろう。
また、その基盤の固定が重要であることもよく認識さているだろうし、固定しすぎる
ことから生じる不利益も予測可能だろう。
ではなぜ基盤に固執するのか。それは、その基盤がとても大切なものだからだろう。
それを否定することは自分の半生を否定すると感じる人もいるかもしれない。
それが「仮」のものだとしたら、今後何を指標に生きていけばいいのかと不安に思う
人もいるだろう。
しかし、現実にそれらは仮のものでありわれわれにとって確かな基盤は自分の思い込みのみ。
すべての人にとって共通の基盤はない。
地球上に限定すれば、地球上に生息しているということが基盤になる、ということであり
基盤とはそのようなもの。そしてわれわれが地球上に生息しているというのも一種の思い込みと
もいえる。それはわれわれの共通認識として多くの国で教育された賜物であり、多くの資料を
見ることができる。むろんそれがすべて作り事であるはずもないが、そうでないとは言い切れない。
すべての事象に対してこのような柔軟なスタンスで基盤の設置をすることが必要であり、誰にでも
本来は可能であろう。
それをさせない理由はその人それぞれにある。
>>366 いえるだろうね。むろんいえないかもしれない。
判断するのはきみ。実践するほかない。
>>362 >それを禁じているところの環境のシステムの方
きみのいいたいことはよくわかる。それは多くの人が感じることでもあり、今の日本に
暮らすものは大方そのような教育を施されている。
このスレで繰り返し語りかけている「人は何のために生きているのか」という命題に関しての
考察によってそれらにも答えが見つかる。
ちょっとねぇ・・・。
伝わっているのかもしれないが念のため私の問題にしている部分について。
私は日本在住で今その限りでは充足しているしある種の全能感を持つことができた。
しかし、それは今の状態を維持していればという限定がつく。例えば、ロシアに住む
ことになった場合そうはいかない。単純に私が日本人であるということでだけでも
強盗に会い殺されることもある。ストリートの子供たちとの触れ合いで・・・(略)
日本でも変わらず危険性はあるが慣れない土地ではより可能性が増す。つまり私の
感じている充足や全能感は限られた場所においてのみであり、あらゆる環境上では
ない。仮に私がロシアでも慣れることができて、自由な解釈の元に充足を覚えられ
たとしても、アフリカでは通用しない〜また宇宙空間では・・・。
ということを言った。それで環境としての「他」が重要な問題だと。
うーん、とりあえず教育うんぬんとの関連がわからない。
反復になってたら申し訳ない。
どちらにしても「自分を使ってためしてみる」つもりだよ、死なない程度にね。
>>369 重要なのは「他」でもあるが、それをとらえ認識することであり、帰結するところは
自分だ。
きみは今のこの日本の状況を、もしくはきみが置かれている極めて限定された状況を
指して、満足感や全能感を覚えたということではないかな。
きみはその状況で「幸せ感」を味わうことで、今の状況を素晴らしいと認識しているように
とらえられる。
推測するにきみの示した状況は「幸せ感」を得やすい状況という判断ではないかな。
反対にロシアは違うと。そしてそれはロシアに限ったことではないということだろう。
つづき
そのような意味合いで「他」が自分にとって重要であることはよく知られている。
きみの主張もよく理解する。
では「他」を作るのはだれか。少なくともきみのいう「環境」を作るのは誰か。
それがわれわれ一人一人であることは周知の事実。
ここで確認しようとしている「人は何のために生きているか」の本質的理解による環境・
社会の実現がなされていない現状がきみの指摘しているものではないだろうか。
今の日本の状況も同様と思うが。
環境をどうしていくかは生きる上で極めて重要であり、きみの指摘するとおり。
そして環境とはわれわれが作り続けているものであることの認識も重要。
どのような環境においても「幸せ感」を抱きながら生きることは技術的に可能。
また、どのような環境にするかを選択して実現することも可能。
いすれにせよ人の本質を見極め、人々がどのようなことを本質的に望んでいるのかを
見極める必要がある。
そしてそれは、リーダーを選出することではなく、一人一人の自覚を促す作業となる。
>>370 そう。「幸せ感」のほうが伝わるのかな。まあ、言い換えられないことはない。
随分慎重なレスに読み取れる。
「他人の気持ちはわからない意識」が強いと思えるね。まあ、微妙な誤解が解けた
と判断するよ。
それではこんどこそ引き上げます。どうもありがとう。
>>371 う〜ん、時差が生じたようだ。
>では「他」を作るのはだれか。少なくともきみのいう「環境」を作るのは誰か。
それがわれわれ一人一人であることは周知の事実。
確かに大事なことのように思える。例えば60億人が互いに、より影響しあった場合
思考・感情が混じりあい平均・均質化されると思える。それが59億人ではダメなの
だ。
ちょっと自論。
60億人が同じタイミングで同じことをした場合、何かが起こる。起こらないわ
けにいかぬ。一人の「私」に戻るんじゃないか。これは信仰に近いかな。個人的
にベートーベン第九の合唱がこれを示唆していると思っている。
自論なんでスルーしてくれてかまわない。
もう引き上げるのはやめた。結果的に引き上げられるかもしれない。
>>372-373 人の気持ちはわからない。だからこそ、しっかりと納得いくまで話し合う必要がある。
そして自分が本当にどうしたいかを見極め、互いにそれについて意見を交換し、議題の
本質に即して折り合いをつける努力をしていくことで目的が達成される。
これを実現させるには自由な思考が必要。そして人の本質に関する理解も必要。
そしてなにより議題の本質をとらえることが必要。
人の気持ちはわからない。しかし、もしかしたら本質は同じではないか。
きみのいう第九に謳われる意味合いがそれかもしれない。
喜びを得たいのではないだろうか。しあわせになりたいのではないだろうか。
ただし神に関しては「わからない」という立場でいる。信仰を否定するのではないが、
信仰は依存であり、甘えであり、思い込みだ。利用価値は高いがそれによって自覚の
機会を失いがち。しかし喜びとともに神を讃えたくなる気持ちはよく理解できる。
現状を辛いと感じる時なんかは、自分を見つめやすいよね。
依存するものから切り離された時なんて、なおさら。
今の状況を幸せだなって思う人なんかは、自分みつめる利点は少なく感じるだろし。
でも自由な思考は色々な局面で利用価値は高いと思うけど、目的を定めて基盤を堅めないとモチベーションには繋がらないから、中途半端に色々な視点だけ用意するとふぬけになってしまったりするかな。
まあ食いっぱぐれなかったらふぬけもいいけど。
>>375 とてもよく理解しているようだね。
>今の状況を幸せだなって思う人なんかは、自分みつめる利点は少なく感じるだろし。
そうとは限らないが、鋭い指摘だ。
幸せ感を味わっている状態は素晴らしく、永久に続くことを欲するが、ふとした瞬間
我に帰る。
何かのニュース、壁のしみ、鏡の中の自分などに現実に引き戻されることがある。
そうしたときの我に帰った自分を振り払おうとするか、受け入れて重い気分に浸るか、
思考を自由にするかはその人次第。
>まあ食いっぱぐれなかったらふぬけもいいけど。
本当にね。
>>374 全人類が喜びを求めていると(確実に)言えるだろう。
それは種々雑多な表現として現れているし、現れてくる。
「幸福感(幸せ感)」ではなく「幸福」を、「全能感」ではなく「全能」を。
つまりはあなたの言う「本質」的なことを我々は求めているとも言い換えられそうだ。
そして様々な試みが失敗とされてきた。今どんな試みが有効なのかに対しても、その自
由な思考というのが役立つと思える。他人意識の問題と非常にリンクした意味で大事だ
というあなたの主張として私は受け取った。
なんか感想になってしまったが。
>>378 >他人意識の問題と非常にリンクした意味で大事だというあなたの主張
そうだね。そう主張している。
何にとって大事かというと「自分にとって」。その認識をすべての人に確かめたい。
むろん一個人にできることではないので、多くの人にお願いしたいところ。
皆が幸せを望んでいるとしたら、何によってというところで折り合いをつけることで
すべての人の願いを叶えることは可能。
そのためにも自分が何を望んでいるのか、何のために生きているのか、何がしたいのか
よく考える必要があると思う。
>>379 >皆が幸せを望んでいるとしたら、何によってというところで折り合いをつけることで
すべての人の願いを叶えることは可能。
ちょっとここ、私にはわかりにくい。非常に重要と思える部分なのでもう少し頼む。
全人類が喜びを求め行動しているとして、その行動が戦争・強盗・・・・などをは
じめ力関係になり、結果心底苦しみを覚えざるを得ない状況を生む。
そしてそれが、例えば「全体の喜び」という目的を妨げている。さらに個人の目的
も「私」と「他人」の完全な共有あるいは理解だとすれば、「全体の喜び」は絶対
条件であるだろう。
「他人の気持ちはわからない意識」が多くの人々にも感じられている事実からも我々
が「他人を解ること」の喜びを求めていると言えるのではないか。それが「私」・「他人」
の境界消滅、つまり「60億の私という孤立」を意味し、漠然と期待しているのではないか
と思えてしまう。私の偏った主観に過ぎないが、これは不可能性に満ちているようだ。
折り合いをつけるとは可能なことを見出すという意味なのか?
>>380 >もう少し頼む。
了解。
これは前提に「皆が幸せを望んでいる」という限定された条件の伴う仮定の話だと理解
いただきたい。むろんそれが現実であることを実証しつつあることも付け加えておく。
人が幸せ感を感じる具体的事象は個々人によって異なるし、千差万別。
しかしどのような状態において幸せ感を感じているかは現代科学でおよそわかってきている。
それは脳内に幸せ感を感じさせる伝達物質が分泌された状態といえよう。
では、どのようなきっかけでその状態になるのかというとそれこそが千差万別ということになる。
そしてその違いは遺伝的なものと後天的な育成過程における刺激やその感じ方などによって生まれる。
つづき
端的にいえば、人が持つ喜びや幸せ感を感じる受容体にそれを感じさせる物質を送ることで
人は幸せになれる。
麻薬がその好例。ただしその服用は体をいわゆる正常な状態で維持することには不適切(折
り合いがつかない)なため多くの国で法による規制がなされている。
人が麻薬や酒・タバコを好む理由のひとつには幸せ感もしくはそれに近似した類の感覚が
得られることがあげられる。ただし習慣化することで絶ちがたくなるので健康との折り合
いはつきにくい。
それらの薬や嗜好品から喜びを得るための機能が人には備わっている。そして、それらに
依存せずとも同様の喜びを他のことで得ることも可能。しかしそのためには努力が必要で
あったり偶発的な機会を待たなければならなかったりするため敬遠されがち。
つづき
人は変化に興味があり、それを予測して当たることで満足をしたり、自らの願望を意識して
それを満たすことで満足しようとする。それが満足しないことは不快であるが、それを満足
させても感覚は鈍磨となり次の刺激を求める。
これらは人の本質であり「いい・わるい」の範疇に当てはめようとすることで社会構造を作り
出してきたが、それにはかなり無理はある。同じ刺激には麻痺するようにわれわれの体に組み
込まれた機能に抗おうとすることが難しい。まずはそのようなものだと気づき続けることが
重要だろう。
つづき
人が何によって幸せ感を得るかという命題に関しては前述したとおり千差万別であり特定
できない。
しかし本質的には脳内の神経伝達物質をコントロールして幸せ感が得られる物質の分泌を
促す行為によることが考えられる。
そこをよく理解すると、それが技術的に実現可能なことに気づく。
そしてそれは決して「他」を排除する考えと強く結びついているものではないことも
理解できる。
それぞれの育成過程において培われる経験によって「何によって」は変わるが、人の育成
過程を考えるに庇護され擁護されることではじめの喜びを得る人が多いことは想像に難くない。
人との関わりやその他の環境との関わりにおいて幼少の頃に得た喜びの記憶は、その後の
幸せ感を得るという現象に大きく影響を与えることは現在よく知られている。
つづき
上に記したような人の本質を理解することで、自らさまざまな幸せ感を得られるよう
になる。
ただし、繰り返すが人の感覚は同じ刺激には慣れて鈍磨になる習性がある。それは生き
る上で極めて重要な性質ではあるが、幸せ考えにくいという状況も作りやすい。
何気ないとされる日常に喜びを見出せないという人の多くにそれが当てはまるだろう。
そのような人が新たな刺激として喜びを得やすい変化を体験すれば何気ない日常は
実につまらないものや不幸にさえ映ることだろう。
また、そのような人が新たな刺激として何気ない日常が得にくい極めて不快な状況に
置かれたなら、さっきまでの何気ない日常が喜びに満ち溢れていたことに気づくかも
しれない。
「何によって」という部分は想像もつかないほど大きな幅をもっていて、折り合いを
つけられる可能性は無限大だ。それに気づいていない人が多い。
つづき
>折り合いをつけるとは可能なことを見出すという意味なのか?
そう。
決め付けたり、きまりごとを作り出して守ることではない。そして社会構造的な必然性として
それらの決め事は生まれて来た。
人の本質にある億劫さと事故・事件の強制的な防止という利便性からきまりは作り続けられる。
しかし人はその中でも折り合いをつけなければ生きていけない。そのきまりと自分の欲求との
折り合い。決まりを守る上での折り合い。きまりをかいくぐる折り合い。
きまりを守ることは利便性が高いが多くのストレスを生み、思考を止める。
なぜ交通ルールがあるのか、なぜ法律があるのか、その本質を見極めないで使用することの
不利益をよく理解する必要がある。
しあわせにもきまりはない。触れ合ったり、話し合ったり、感じあって折り合いをつける作業
が欠かせない。
感動した!
まじ文章うめぇ
kの話を極端に受け取ったら
戦争で身近な人が死んでも、片手が吹っ飛んだとしても
その状況に折り合いさえ付けれるならば幸せ見出す事も可能だよって事だよね。
逆に殺したとしても。
なんか強引な解釈だけど・・
でも俺、実際その状況になったら思考を自由にする自信てない
出来る人には出来るかもだから机上の空論とまでは言えないけど
並大抵の事では無いと思う。
頭で分かっても自分の心を操作する事って凄く難かしいよね。
でもこれ出来たら自分をみつめる利点増えまくる。
kはこれ実践としてどうしてるみたいな話も聞きたいです。
>>381-
>>386 >「何によって」という部分は想像もつかないほど大きな幅をもっていて、折り合いを
つけられる可能性は無限大だ。
うーん。『個人の』喜び・幸せ感という文脈でいうならば、その無限大の可能性は確か
だろう。努力もコントロールも偶発性もそうだが・・・。
>>374>人の気持ちはわからない。しかし、もしかしたら本質は同じではないか。
この観点からの、
>皆が幸せを望んでいるとしたら、何によってというところで折り合いをつけることで
すべての人の願いを叶えることは可能。
ここの説明をお願いした。「自由な思考の重要性」を発信し多くの人が多くの環境で
「幸せ感」を持つことができれば素晴らしいことだが、例えば「私」と「他人」の融
合(?)を喜びとして求めた場合、つまり喜びに条件がある場合難しくなってくるわ
けで・・・。
まあ自由な思考がそういう条件を排除するほどの「自由」という意味ならば私の求め
た説明への答えは終わりとなるでしょう。
「すべての人の願いを叶えることは可能」ここに着目したのです。
>>387 読んでくれてありがとう。
内容に関してきみはどのように感じたのだろう。
>>388 >並大抵の事では無いと思う。
そうだね。
われわれ日本人が現在おかれている状態ではなかなか考え難いこと。
しかし日本のどこかで毎日のように事件事故で人が亡くなったり重傷を負っている。
世界に目を向ければおびただしい数の人が毎日苦痛に喘いでいる。
生物は生まれ出で、いずれ命を失う。外傷を負い易く、恒常性が崩れると病に至る。
それを哀しむことはそれらに対する思考を深くすることにもなり、止めることにもなる。
考えれば恐ろしいし、できたら考えたくないが、われわれが常に直面している現実だ。
事象に振り回されるもよし、死ぬまで自分で生きる道を選択し続けるもよし。
すべてはその人に選択の自由がある。
ただし、今の日本では振り回されがちな教育が施されているため、自由な思考は困難だろう。
それでも逆境と見える状況と対峙して堂々と生きているように見えるは少なくない。
結局自分がどう生きるかを決めるのは自分以外にない。
つづき
>頭で分かっても自分の心を操作する事って凄く難かしいよね。
本当に難しいね。
コントロールするテクニックは自分の本質を見極めて、瞬時にどうしたいのかをよく理解し
少し先やずっと先のことを見据えた願望などをよく理解して折り合いをつける方法。
そして自分のその場の体調も大きく影響するよ。
>kはこれ実践としてどうしてるみたいな話も聞きたいです。
いずれ機会があれば書くかもしれないが、大した話はないと思うよ。
>>389 >例えば「私」と「他人」の融合(?)を喜びとして求めた場合、つまり喜びに条件が
>ある場合難しくなってくるわけで・・・。
それは「私」と「他人」との共感的理解を互いに求めた場合という想定かな?
それともどちらか一方が求めた場合だろうか?
「喜びに条件がある場合」のその条件によらなければ幸せ感を得られないとするのは
とても強い思い込みがその人にあるということになる。
その思い込みを持つことの意味をその人に自覚させられればその条件はなくなるかもしれない。
もしできたら、もう少し具体的に例を絞ってくれると話がし易い。
前にkが書いていた複式呼吸っていいよね。
その場の感情で動きそうな時、あれ実践してるよ。
自分が満たしたいのはその場の沸き起こった気持ちか、もっと違う何かか、両方満たす方向はないか、どちらを優先すべきか
などと一つ距離を置いた視点がどっか行っちゃう事あるし。
でも、折り合いを付けるの難しいよね。
折り合いって思う以上、相手や環境に合わせ自分を変えなくちゃいけない
相手に合わせ折り合う位なら頑なな態度を示した方が
今の自分には有益だって思う事もよくあるしね。
>>393 強弱に関わらず、思い込みと言われればそうに違いない。
私は本来、喜びと言うものが「私」のみでは感じられない感覚だと思い込んでいる。
喜びを感じる時のイメージは「他」を想起させる。また、何らかの「他」との関わりにお
けるその「他」と「私」の可能性を意識したとき、或いは我を忘れ無数の「他」を
「私」の中に感じた時だと記憶している。
我を忘れると言う部分が「私の消失」で、変わりに「他(人間以外も含む)が入り込む」感じ。
「感動」にも関連していると思う。
勿論、その「他」は私のフィルターを通した「他」だが。
我を忘れるような時、つまり無数の他を自分として感じる時、私は喜びを感じるのだと思う。
それを「私」と「他人」の融合(?)と言った。「私」と「他」の同居でも良いのかもしれない。
具体例としては
>>373「ベートーベン第九の合唱がこれを示唆」これぐらいしか思いつかない。
逆に個人の自己実現的な充足というものに関して言えば、事業や会社の役職などのアイデンティ
ティを得て家族という強い絆を獲得し、現社会での生活の維持をし得るお金を得る等様々だろう。
難しいことだし、それを実現することも素晴らしいことだ。そういう場合に感じられる喜びは
「何によって」のものかと言う場合様々だろう。しかし、現環境(社会など)との折り合いとい
う側面が強い以上、喜びの本質とは言えないのではないだろうか。
うまく言葉にできないが、喜びの本質という部分に現価置感で当たり前ではないものを私は想定
しているのかもしれない。ただ人間が「全く同じものごと」に喜びを感じるのではないかという勘だ。
>>374>人の気持ちはわからない。しかし、もしかしたら本質は同じではないか。
ここに期待している。
あー、具体的に例を絞れていなくてすみません。少し続きです。
結局何が言いたかったのかというと、私にとって喜びの本質は「希望」を内包したものだ
ということだ。
そして「希望」もまた、全ての人が共有し得るものではないか。
喜びに個人差はなく、全人類が求める喜びは同じではないか。
良くわからなくなってしまいましたが、あなたの「喜びの本質」に関しての考え等を聞き
たいということです。
>>394 >前にkが書いていた複式呼吸っていいよね。その場の感情で動きそうな時、あれ実践してるよ。
それはありがたい。
実に有意義な呼吸の仕方なので適宜活用いただきたい。
>折り合いって思う以上、相手や環境に合わせ自分を変えなくちゃいけない
そう。自分は変わるし変えられる。
人も変わるだろうけど、自分を自由に変えることができれば折り合いは簡単につく。
むろん簡単につく折り合いが良いわけでもない。
自分が本当にどうしたいかを見つめれば、取るべき具体的なやり方が見える。
その場の気持ちに多いのは、相手に負けたくないとか、譲りたくないなどのかわいらしい
意地。それも素敵だけど本質がそこでないのなら、その場の自分の気持ちを別の方向へ
シフトすることはできないことではないね。
>>395 >私は本来、喜びと言うものが「私」のみでは感じられない感覚だと思い込んでいる。
喜びの規定は人それぞれにあるもので、きみの定義は否定できない。
きみの感じた喜びが「他」の介在するもので得たということにおいては、喜びのすべて
も同様だといえよう。
ただし、その関わり方に細かな規定を設定しているとしたら、それはきみ独自のきめごと
かもしれない。できたらそれを細かく具体的に書いていただけると有り難い。
喜びは満足と少し異なり、なんら期待をしていなくても得られることがある。
思考を自由にして感覚に身をゆだねると、さまざまなものが目に入り、聞こえる。
空気中にある匂いや味、皮膚に触れる風の感触や体内の暖かさ。
それらの存在やちょっとした変化に感動したり、喜びを得ることができる。
その喜びはあまりに小さいので重要に感じにくいかもしれない。
だが自分のおかれた状況が一変すれば、その小さかったはずの喜びがどれほど大きい
ものかに気づくことは容易。
事故・災害・病等を経験せずとも五感を奪う状態を自己に強制して開放したときに
気づくかもしれない。呼吸を止めて苦しみを味わってから開放すると得られるかもしれない。
喜びは自分で見出すこともできる。
>>396 >私にとって喜びの本質は「希望」を内包したものだ
なるほど。それは多くの人に心当たりがありそうだね。そしてもしかしたら「期待」
かもしれない。
>そして「希望」もまた、全ての人が共有し得るものではないか。
そうかもしれない。
>喜びに個人差はなく、全人類が求める喜びは同じではないか。
本質的にはそうかもしれないが、今のところは違うように見えるね。
希望も期待も抱くことがない人には、自分がしあわせになることすらどうでもいいように
思えるかもしれない。ましてや人のしあわせなど考えるに値しないだろう。
喜びの本質は生きることで得られるものすべてに見出すことができる。
つまりそれらは喜びを得るきっかけであり、本質は自己に帰結する。
「他」や「自分」を認識する状態があれば喜びは得られる。
自己の内観や夢による喜びを考えるとき喜びの本質が理解できるかもしれない。
>>398>>399 >ただし、その関わり方に細かな規定を設定しているとしたら、それはきみ独自のきめごと
>かもしれない。できたらそれを細かく具体的に書いていただけると有り難い。
「他」との関わり方に関しての独自な細かい規定は、幸いにも、或いは残念ながら、まだない。
それはあなたのほうが見出だしているのではないかと期待している。
私の場合、多くの「他」を視覚によってまず捉え、関わりを持っていると思われる(「他」と
の関わり方は視覚以外でも勿論可能だろう)。
喜びに関して厳密に言えば、未だ持ったことがないと言えるだろう。私が感じたり、持ったり
したことがあるのは、本当は「喜び感」や「幸せ感」だ。喜びを想定しているとしか言えない
かもしれないが。
例えば全ての人にとってあらゆる感情的なことも、環境を含む「他」との関わりから起こる。
私のみでは存在すらもあやしい。多くの場合関わりによって比較や確認を、無意識であっても
行い「私」を形成しているだろう。「喜び」もまた私のみでは起こりえないものだ。それは「喜び」
に関わらず、悲しみや絶望感、倦怠感・・・も同じだ。全ての人にとって「他」との関わりが
あらゆる情動を生む。また、自分の肉体を流れる水分の音、その液体が骨にあたってゆるやかに
カーブしていく様を感じるような時、つまり自分の内部に意識が向かったときも、外部があってこ
そだし、そう感じさせるきっかけが「他」からの圧倒的な力(偶発性も含む)であることが言える
と思う。
したがって、喜びも「私」のみでは感じられない感覚だと思い込んでいる。
そして真の喜びは私があらゆる他に帰っすることではないかと想定している(ただ、不可能性に満ちている)。
>私にとって喜びの本質は「希望」を内包したものだ
>なるほど。それは多くの人に心当たりがありそうだね。そしてもしかしたら「期待」
>かもしれない。
「希望」と言う言葉には「可能性を感じられる要素」も入ると思う。だから「期待」も
「希望」を造っている一要素だろうが「希望」と「期待」が同義にはなれないと考えて
いる。
>>400 きみの指摘どおり「他」はきっかけであり、喜びを得ることにおいて極めで重要に
関わっている。
このスレにおいて執拗に主観にこだわった書き方をしている理由は、喜びを「他」に
依存して得ようとしている現実についてよく理解してほしいという願いがあるため。
依存を否定するのではない。それを必要とする状態があれば、利用して有益な結果が得られる。
依存の認識が希薄であるがために限定された「他」の存在が得られないことで、喜びが得られず
生きる意味を見出せなくなりつつある今の日本社会に生きる人々に気づいてほしいことがある。
喜びを得る手段はさまざまであり、何度も記したとおり。
どれがお好みか、どうすればいいかは自分でいろいろなことと折り合いをつけながら選択する
ほかない。
きみが規定した喜びに関しては、きみにしかわからない。それを教えてほしい。
相手を必要とする喜びに関してではないのだろうか。
希望と期待は同義語ではないね。期待は心待ちにしている状態を指す。きみはなんとなく
こうなればいいな と願っているのだろうか。
いずれにしてもきみの考える喜びを得たいと思ったら、具体的な行動が必要になると思う。
まだそれを得ていないということであれば、ぜひ体感してほしいと思う。
>>401 なるほど。了解しました。
私は期待という依存が少し強いのかもしれません。
>>401 402の続き。人から聞いた話ですが
「インドの川岸にて。
釣りの名人の老人が、子供らをかたわらに釣りをしていた。老人が大きな魚を釣り上げた
ところ、或る子供が魚を欲しがった。しかし、老人は魚をやらず、子供に釣りを教えた。
子供は自分で大きな魚(喜び)を得ることができた。」
この話には、「根本的な解決」を見ることができる。しかし、それを実践するとなると私に
は非常に難しい。ただ、依存ではなくなる状況や教師としての立場を示しているのだろう。
また、釣った魚を欲しがる人にあげ、一瞬間の喜びを提供することさえ実に難しい。
どちらの立場であっても継続しなければならず、やり続けることに一番の困難を感じ
ているのだろう。「他」への期待は忘れてはならないことだが、喜びに関しての自分
の考察を深め、提供できるほどのものを構築しなければならないようだ。その意識が
随分足りないことを今感じている。
話が少しずれてしまったが、あなたのレスに感謝を表す。
>>384 >しかし本質的には脳内の神経伝達物質をコントロールして幸せ感が得られる物質の分泌を
>促す行為によることが考えられる。
>そこをよく理解すると、それが技術的に実現可能なことに気づく。
この技術的な可能性というのが「自由な思考」なのか。それとも薬の服用などの技術性なのか。
>>402 人は希望を持つし期待もする。それなしには生きるのが難しい。
希望や期待は喜びを得たいという欲求があるからこそ抱く。
このスレで語っていることは、それを実現させるための具体的な実践について考えることの
重要性について。
それを考えていくと、いかに自分が漠然とした欲求を抱いているかが理解できる。
自分が本当に何を求めているのか
これがわからないと具体的な作戦がとれない。
>>403 そこに挙げてくれた話はさまざまな示唆を含んでいて興味深いね。
きみは老人のような行動が取れるかどうかで悩んだかもしれない。
でもそれはその場にならないとわからないこと。考えることは重要だが、悩む必要はない。
その話によると老人は釣りの名人なのだから、釣りによる喜びも大変さもとてもよく理解して
いることだろう。その上で子供に魚をあげずに釣りを教えたのだから、それなりの意味が見出せる。
まず考えられるのは、釣り名人ならではの良識によって、大変ではあるがその子に釣りの醍醐味を
味わわせる方法を好んでとった。
だが、実際はせっかく釣った魚をあげたくなかったのかもしれない。欲しければ自分で釣れ!と教訓
を与えたのかもしれない。
相手が何によって喜ぶかは、推測・予測はできるが確実にわかるものではない。
「相手がこれをすれば喜ぶかもしれないが、どうしてよいかわからない」といった場合は
自分がどうしたいかをよくみるほかなす術はない。相手のことはわからない。まずは自分。
それがはっきりしないから悩む。
老人は悩んだのかもしれないし、即断したかもしれない。結果丸く収まった形だからそれなりの
教訓を含む話として形をなしている。
でも老人の気持ちはわからない。彼の行動はある人から見ればよい行動だし、別の人から見れば
かっこつけで偉そう。
どう判断するかは人による。子供が喜んだことを「善」とする立場から考察することが当たり前
だろうが、思考を自由にするともう少し楽しめるかも。
穿った見方をして失礼。
つづき
>この技術的な可能性というのが「自由な思考」なのか。それとも薬の服用などの技術性なのか。
もちろん自由な思考の方。薬は利便性が極めて高いぶん、体との折り合いが悪い。
自由な思考で喜びが得られれば、副作用もないので体との折り合いは良い。
ただし努力が必要であるため喜びを達成しづらい。
きみはとてもよく考えているようなので、ぜひ喜びを得る技術を獲得して欲しい。
具体的な技術はきみにしか当てはまらないものであり、きみが見出すしかない。
まず自分の欲求の本質をよく考えて欲しい。できたら極めて具体的に。
本質をいえばそれは喜びであろうと思うが、どのような喜びなのか。
過去に体感した喜びの記憶を辿ると見えてくるかもしれない。もちろん何種類もあるだろう。
つぎに、それを得た状況を細部にわたるまで思い出し考察し、なぜそのような感覚を得たのか
何が喜びだったのかを突き詰める。
その分析ができたら試してみる。たとえば、そのことをよく思い出して喜びが得られるかどうか。
または似たシチュエーションを作ってチャレンジしてみるとか。
普通に考えたらばかげたことかもしれないが、自分を見つめる中では嫌な範疇の事柄ではない
と思うよ。
差し障りがなかったら、ここに書いてくれれば一緒に考えたい。とても大切なことだからね。
>>405おもしろい。
しかし、「食欲という本質」がからんだ形でこの話を見るとき、実際私だけでなく多くの人が悩む
だろう。私も体験したことだが、名人ではない自覚を持った私が提供側に立たざるをえなかった時。
その時私は魚をあげた。そして何も解決されないとに無力さを感じた。提供側というものの傲慢さ
を思った。逆に私が瞬間の充足である魚を請い求め、もらうことも何度かあったが。
これはシリアスな部分の話にもなる。そしてシリアスな部分で実践するのはやめた。
実践している人々には頭がさがる。これは私の折り合いなのかもしれない。
>>406 >まず自分の欲求の本質をよく考えて欲しい。できたら極めて具体的に。
>本質をいえばそれは喜びであろうと思うが、どのような喜びなのか。
>過去に体感した喜びの記憶を辿ると見えてくるかもしれない。もちろん何種類もあるだろう。
確かにやったことがないな。やってみよう。しかし、私は過去も今も「喜び」を得たことがない。
ニュアンスは違うが「うれしさ」や「感動」でやってみよう。
>その分析ができたら試してみる。たとえば、そのことをよく思い出して喜びが得られるかどうか。
>または似たシチュエーションを作ってチャレンジしてみるとか。
なるほど。この実践はおもしろそうだ。
少し話しがずれるが以前私は自分の「脳をだます」というのを実践していたことがある。つまり自分の
欲求をより思い込んで自然な形で体や偶然性を『造る』ということ。ただ、実生活との折り合いが全く
つかず大変だった。無知ゆえに失敗。自分の欲求の本質まで行かなかったと言えるだろう。
ただ、良いイメージを時々頭の中に浮かべることで肉体が変化してくることは事実だろう。
>>407 きみは気持ちを大きく動かされた実体験があるようだ。
現実にこの日本でも、視野を広げれば世界各地で飢えに苦しみ苦痛に喘いでいる人がいる。
現地に赴きボランティア活動に励む人、募金をする人、見てみないふりをする人など
さまざまな行動をとる人がいる。
どの行為が適切で素晴らしいか、良い行いかなどは多くの人の気にするところだろう。
そしてそれを判定するのはそれを知ったすべての人それぞれであり、価値観は同じではない。
つまり客観的判断である人の評価は千差万別。当たり前のこと。
人が行動を起こす動機にはさまざまあるが、「他」からの評価を考慮に入れることは
よく行われることではあるが、上記の理由で悩ましい。そして結局は自分の決断による。
人のせいにはできない。
自分の行動は自分で選択するほかない。「他」の価値観に依存したところで、依存する
決断をしているのは自分であるからないを言い訳にしても自分に帰結する。
つづき
きみの行動はきみの選択によるものであり、きみの気持ちを反映したもの。
きみが魚を差し出した行為はきみの気持ちを反映させたもの。
そこに永続的な供給が困難であることに気づき、無力さを感じたのだろうか。
そして一時的なきみの自己満足のためにその場しのぎ的な施しをしたように思い傲慢さ
と感じたのだろうか。
人には無限の可能性があり、思い込みを強く持ち、具体的な作戦を立て、試行錯誤を重ねて
着実にことをすすめることで願望は達成できる。
しかし時の経過をコントロールすることは容易でない場合が多い。
きみがそのとき何ができたかを考えれば、君自身の行動に納得がいくのではないだろうか。
その後どうするかは関連が強いが、次の問題でもある。
自分がどうしたかったのか、何ができたのか、相手の望みが自分にはどう見えるのか、
それに対してどうしていきたいのか。
自分の気持ちが重要になる。「いい・わるい」は自分で決めるしかない。そのためには
自分の気持ちをよく見つめる必要がある。
つづき
>私は過去も今も「喜び」を得たことがない。
きみの「喜び」の定義とここで語っているものが異なるためにそう感じるのかもしれない。
>ニュアンスは違うが「うれしさ」や「感動」でやってみよう。
気が向いたなら試して欲しい。うれしさや感動の中に喜びが見出せるかもしれない。
生きていくことは極めて厳しいととらえられる。多くの人が「楽」に生きたいと願う
のではないだろうか。
別のとらえかたをすると、生きることは喜びに満ち溢れている。それは自分でそれを
認識するかどうか、気づくかどうかにかかっている。
これら矛盾するように見える文章のトリックに惑わされて本質を見失いがちになる。
いずれも真理であり、それぞれの気持ちの状態との関連性が極めて強い。
それぞれが独立している事象ではなく、同時に一人の人の気持ちの中に存在しうる。
このスレではそれらを認識し続け、常に新たな自分を発見することで、悩むのではなく
自由に考え、次にすることを自ら選択決断することの重要性を語っている。
つづき
>以前私は自分の「脳をだます」というのを実践していたことがある。
面白いね。
ここで紹介している技術はまさしくそれだと思うよ。
>ただ、良いイメージを時々頭の中に浮かべることで肉体が変化してくることは事実だろう。
そうだね。それは多くの研究結果がさまざまな形で世に発表されている。
イメージはできる限り詳細であれば、それだけ具体的な効果が期待できる。
擬似的な現実で喜びを得ることは容易。でもさまざまな折り合いを考える必要はあるだろうね。
つまりきみはすでに実践していたということだね。
>>408 -
>>411 「脳をだます」は失敗例でそれ以来忘れていた。具体的実践に楽しみを感じられそう
です(うれしい記憶を探るのは思ったよりも難しいな)。問題点、疑問点などが出て
きた時、またレスさせて下さい。ありがとう。
>>409 迷ったが、もう少し書こう。
>そこに永続的な供給が困難であることに気づき、無力さを感じたのだろうか。
>そして一時的なきみの自己満足のためにその場しのぎ的な施しをしたように思い傲慢さ
>と感じたのだろうか。
当にそう。
私にとって大きな感覚だったのは「驚き」と「同情」だった。その子供に私は「自分」を見た(ようだった)。
継続の困難さは私の無知に起因していることを実感したが、私は理解したいと感じていた。すべての子供
にではなく、ある一人の子供が「私」を象徴しているように受け取ったからだ。
それが「驚きを伴った同情」だった。その子供に対しては魚すら提供しなかった。つまり何もしなかったが
その行為に対しての折り合いはついている。
「同情」というものの深み(自分と自分の対峙感)を思うと私の想定しようとしている「喜び」へ関連して
くるようだ。
これは、私がまだ気づいていない先のことを示していた。「理解したい」という欲求がそれをうながし現
実に偶然と思えることが起こった。我々は「理解したい」と共に「理解されたい」と思うものだね。
>きみの行動はきみの選択によるものであり、きみの気持ちを反映したもの。
まだ気づいていないことが反映され、周りの環境が運命めいて起こってくることもあると今
解釈している。「環境という他」は「私」を忠実に反映し反応しているのかもしれない。そ
して気づくこともできそうだ。あなたの言う「自由な思考」の具体的実践を利用して理解し
(理解され)たいと思う。
主旨の違う個人的レスで申し訳ない。このレスも参考になれば・・と願う。
なんで寂しいのか。なんで認められたいのか。
欲望ってなんであるのか
>>412-413 うれしい記憶を辿るのは確かに難しい。楽しみながらできるとそれが喜びになる。
幼少時の体験に起因するところが大きいので、可能ならなるべく幼少の頃も思い出して欲しいな。
>我々は「理解したい」と共に「理解されたい」と思うものだね。
うん。それは生きる上でこの上もなく重要なものととらえている人が多い。
理解し合える瞬間は喜びの中でもとても重要なものととらえている人が多い。
ただし、その状態が持続することは極めて少ない。
人の気持ちは瞬時に変化可能だから。だからこそ、人は生きようとするんじゃないかな。
>主旨の違う個人的レスで申し訳ない。このレスも参考になれば・・と願う。
まさしくきみのようなレスがこのスレにおける理想的なレス。
これまでのやりとりで何かに気づいた人もいると思う。これからもよろしく。
>>414 >なんで寂しいのか。
寂しさを認識するようにできていて、そう感じさせる要因を認識するから。
>なんで認められたいのか。
そこに価値を見出すから。
>欲望ってなんであるのか
わからない。欲望を持って生まれたととらえるほかない。
なぜという疑問はさまざま浮かぶが、答えの出ないことを考えることを好む人は多い。
こたえは見つかりそうだが、気づきたくないので考えないようにしている人も多い。
どういう生き方をするかは自分で決める。なぜ生きるのかを根源から考え続ける意義は
見出せる。
なぜ生きなければいけないのかを考える意義は見出せない。なぜなら、生きなければならない
ことなどないから。生きなければならないとしたら、それには理由があり自分でそう決めている。
誰かに強要されたとしても、拒否できない理由は自分にある。
答えが出そうにない漠然とした疑問がある時も、自分を見つめると自分位は納得させれる事あるよね。
何故人は寂しく感じるのか、も
自分はどういう時に寂しい、認められたい、と感じるのか
欲望の一つ一つも自分がどんな時に感じているのか。
に置き換えてみる事で。
喜びの記憶を辿るのと同じように自分を見つめてみると、何故その事を自分が疑問に感じているのか見えてくる事もあるよね。
そこには自分を納得させたいだけの理由や、思い込みが潜んでる場合がよくあったりするかな。
>>417 まさしくそのとおり。
おそらくほとんどの人がしていること。
目的意識をもって意図的にすることが少なかったり、その行為に空しさややましさを
覚える人もいるかもしれない。
でもだれに非難されるものでもないし、自分の中のことだから他人にはわかりようもない。
自分はなかなか誤魔化せない。
自分と向き合うことの難しさはきみの指摘したところにあるね。
親に期待されて壊れていく子供もいるね。
>>419 そうだね。
子育てが上手にできていない親はいる。
その影響で子供が自分の生きかたを見失うことがある。
親が子供に期待することはさまざま。
親がすべきことは、子供が自立できるようにすること。
その折り合いがつかないことがある。
子供にも気持ちがある。それとの折り合いをつけることは重要だが簡単ではない。
親はそれを認識した上で教育する必要がある。簡単なことではない。
+
/\__/ヽ+
/:::: '''''' ''''''\
|:. (●), 、(●)、| + そうかな?
|:::. ,,ノ(、_, )ヽ、,, |
|::::: ` トェェェイ | +
,r' \::::. |,r-r-| /
,/ ヽヽヽ、`ニニ´ノ゙::`ヽ +
/ ゙ヽ  ̄、::::: ゙l,
折り合いだぁ? テクニックだぁ? (プッ
くだらねー。窮屈だ!!!
そんな窮屈なものが究極の奥義なら、そんなものに興味無ぇ!
イラネ。
>>423 いるいらないに関わらずきみは使っている。
窮屈に感じるのはそれを知らないように、気づかないように努力している事実があるからだよ。
生きていくのは大変なことだ。
血の流れを潤滑にすると病気が治るみたいな本を見ました
逆に血が滞ると脳梗塞とか心筋梗塞とか色々発生するとか
これは体の柔軟性につながるのかな?とふと思いました
kは血について何か思いはありますか?
>>425 生きていることの特徴のひとつに血流が挙げられるだろうね。
血液は栄養や酸素を各部位に送り、老廃物などを運んでくる。
この機能が低下することは体の不調であり、ひいては免疫機能が低下すれば病気となる。
このスレッドで何度も紹介した座り方や立ち方、少し語った体の使い方などはきみの指摘
した血液に関連して考えれば、その流れを滞らせないためのものともいえる。
生きていることの苦しさはさまざま種類分けできることと思うが、最もわかりやすいのは体のこと。
病に至れば誰もが苦しみを実感することだろう。
ところが、気づいていないだけで何ら異変を感じていない状態でも体は極めて強いストレスを受けている。
それは地球上の重力に抗して生活する必然性があるからだ。
つづき
いずれこのスレにおいて、達人ととらえられる人たちの動きから学び、生活において応用することの
重要性を語るつもり。
呼吸法に関して以前書いたけど、それもその一環。
思想の根源に重力の影響が強烈に出ている(上下・高低など優劣に関しての表現に見られる)
ことにもあまり気づいている人が少ないようだが、体に及ぼす影響に関してこれほど注目
されていないことが不思議。
正直生きていることは辛い。その認識は血行不良(こり)を自覚することで膨大なものとなる。
知らぬが仏ではあるが、知らぬことはきみの調べたとおりいずれ不本意な結果を招く。
重力と自分からだが血行不良を生んでいる。
血行不良になりにくい体の使い方、血行不良を解消する体の使い方などに関しては生きている限り
本質的には無関心でいられないはずだが、あまりにも多くの人が気づいていない。
それでも最近はそれらに関する情報がさまざまな媒体で多く報じられているのできみは
それと触れることとなった。気が向いたらきみに適した方法を考えて実践してみたら
どうだろう。
非常に興味深いですね。重力に対する態度は人間生活のあらゆることに関連ありそうですね。
「我々誰もが生まれてまず始めに重力に虐げられる」みたいな文章をどこかで聞いたのを思
い起こしました。
上のほうのレスで立ち方に関してあなたが語っていた足親指の付け根くらいに重心を置くと
いうのをやっております。私はひざに痛みを覚えていたのですが軽減されたような気がする。
クラシックバレエなんかの立ち方が人間の最も美しく見える立ち方だそうで、素人の癖に普段
やっていたらひざを壊しました。ついでにこのバレエの立ち方も重力と関係ありそうですね。
良かったら色々語っていただきたい。
>>428 立ち方を実践してくれたようでありがとう。
これは軽くひざを曲げることがポイントとなる。足底に置ける体重のバランスが踵ではなく
親指の付け根に置くとなると、体全体のバランスがとりにくくなるため、ひざを曲げて
脚の筋肉をとてもよく使うことになる。特に通常あまり使わない内転筋を使うには適している。
バレエの立ち方は美しく「見える」ために多大な犠牲を払っている。
基本姿勢において踵に体重をかけ、ひざを伸展させた状態であるため、上記の立ち方
とは全く目的の異なる立ち方ということになる。
きみがひざを壊すのは当然で、あの立ち方をするための筋力を養わない限りひざのみならず
体の各部位に大きく負担がかかり不都合が生じる可能性が高い。
つづき
ひざを伸展した状態はひざを中継ぎとして大腿骨とひ骨・けい骨をほぼ直線状に使って
体を支えている。これは筋力を使う比率が少なくなり気持ちは「楽」だが、ひざをはじめとする
股関節・足首など関節部位に余裕がない状態で重力の負担を強いている。
先に紹介した立ち方は筋力をバランスよく有効に使用することで関節部位の負担を軽減する
もので、気持ちは「辛い」が体にはやさしい。体は微妙に動くので血行不良は常に解消される。
だが、筋力を必要とするので鍛錬が必要となる。筋力が微力であれば立つことすらできない。
そのあたりの折り合いを自分の希望と現実と気持ちの間でつけていくほかない。
いわゆる棒立ちはエコノミークラス症候群を招く危険性が高い。だが、気持ちは「楽」かも
しれない。体の辛さに気づかない間は。
気づくことは面倒を招くことともなる。でも、その面倒を克服することは喜びでもあり、
克服したときに得られる喜びも特別に思えるだろう。
>>429>>430 ほう、そうですか。
バレエ立ちは重力に対する抵抗なのかもしれませんね。そういえば、バレリーナ達
の筋力等は異常なほどですね。つま先で立つし。彼らも達人でしょう。
私にとって問題はあなたの示してくれた立ち方があまり美しくないことにあります。
これも折り合いをつけなくてはいけないですね。
美しさは漂う雰囲気でして、自身の精神を良くしてくれます。他人に対して影響あ
りでしょうがそれ以前に自分にミナギルような爽快感をくれます(ナルシズムかも)。
>気持ちは「楽」
になる。私がどちらを重視するかですね。もしくわ鍛えるか。
あなたは座り方についても語っていたようですが、このスレにありますか?
>>431 >私にとって問題はあなたの示してくれた立ち方があまり美しくないことにあります。
美しさの認識は主観によるためきみの感覚とは異なる立場で語っていることをよく理解して欲しい。
バレエ上の姿勢はかなりの脱力をしているとはいえ、見た目には関節の伸展位を多用する
ため緊張感を感じる。
このスレで紹介している立ち方にはそれがない。脱力してるように見える。
この立ち方の応用に大きく分けて2種類の歩き方があるが、そのひとつはモデルの歩行に類似してる。
kの立ち姿が美しいかどうかは見る人の主観によるが、ズボンをはいた状態ではひざを曲げている
ようには見られない。また、不自然さも感じさせない。
そのためにはバレリーナとは異なるが努力という点では同様の労力を要する。
先に提示した姿勢は基本形であり、足をそろえたり軽く前後に開くといった応用形もある。
きみが美しいと思える姿勢をとれるように努力願いたい。
そこでポイントとなるのは、踵に体重をかけないで親指の付け根の下。ソケイ部を少し曲げておく。
ひざを軽く曲げておく。できたら微妙に動かす。おなかの力を意識する。あごを引く。
胸よりあごが後ろに位置する。肩を下げできるだけ脱力する。足の延長線上に頭がある。
背筋は伸ばし少し前傾で、客観的には垂直に見えるところに置く。
いくらなんでもポイントが多すぎると思われるだろうが、細かい点をあげるとまだ際限がない。
自分なりに試していただけたら幸いだ。疑問点は尋ねてもらえばいくらでも可能な範囲でこたえる。
つづき
>美しさは漂う雰囲気でして、自身の精神を良くしてくれます。
そうだね。
美しさの演出は持って生まれた特性によって難易度の差が生じるだろう。
容姿に関しては既存の特定なイメージがほぼ固定しているため人々の固定観念を変えていく
ことは極めて困難だろう。
帰結するところは自分であり、自分の気持ちや心構えになる。
まずは自分に納得がいく状態を見つけることが重要だろうね。
自分の姿は基本的に自分では見えない。だから気づくことが少なくなる。ところが他人からは
とてもよく見える。また、見る視点の豊富な人からは自分の気づかないいろいろな習癖が見える。
自分の姿は人に見せるつもりのものではないが、結果的に人に見せるものだ。
背中を丸めていれば元気がないように見える。背筋を伸ばしていれば元気そうに見える。
自分の気持ちはなかなか相手に伝わらないが、相手は見た目でそれなりに判断する。
われわれが生きることに付随する演出の一環として姿勢は極めて重要といえる。
自分の納得がいく姿勢を維持することが健康や美しさに繋がるようにすることは可能。
ぜひ、細かな努力の実践を実現して欲しい。
つづき
>あなたは座り方についても語っていたようですが、このスレにありますか?
残念ながらこのスレにはない。
おそらくpart2に書いたと思う。
不確かなのは、この夏PCが壊れて残しておいたデータが全て消えてしまったため。
必要があれば何度でも書くので要求されたし。
>>432>>433>>434 丁寧なレスでうれしいです。
>この立ち方の応用に大きく分けて2種類の歩き方があるが、そのひとつはモデルの
>歩行に類似してる。
「美」とも少しも無関係ではなさそうですね。色々楽しめそうです。
>ソケイ部を少し曲げておくというのは例えば柔道で言うところの蛸足をイメージす
るのに近いでしょうか?
蛇足ですが。姿勢などに癖が無いということはありえないと思うのですが、いろいろ
な人に自分の癖を聞いても「う〜ん、君はないんじゃなぁ〜い」等と言われます私は。
以前は自意識的にも見出せたんですがね。アベレージガイなのかもしれません。
「重力に対する座り方(或いは寝方などもあるのかな?)」にも興味深く思っており
ますが、まず立ち方であなたの実践していることが随分奥深そうですね。私もきっか
けを頂いたので少々研究してみます。
なんというか、色々語っていただきたい。
ふくらはぎが筋肉痛ですが膝の痛みは歩行中・起立中感じなくなってきました。
モデル歩きに似ているというのもなんとなくそうかもなと思いました。ただ、腹
筋が筋肉痛になっていないことからもあなたの示した立ち・歩き方と少し異なって
実践しているようですね。私のバレエ的立ち・歩きとは確かに大幅に変化しました
が、上半身の伸びや腕の脱力など類似点もあるようです。
しかし、膝は「楽」です。
>>435 >例えば柔道で言うところの蛸足をイメージするのに近いでしょうか?
それは足の指で接地面を掴むようにする立ち方を指しているのだろうか。
その足の指の使い方は立つことに関してだけではなく、歩行や走行に関しても重要
なものだね。足の親指を曲げる筋力を養うことは立位の動きに有益。
ソケイ部を曲げることは、それと無関係ではないが意味合いは違う。
関節を柔軟に動かせる状態にすることで、重力に抗して立つことから来るストレスを
少なくさせるため。
>いろいろな人に自分の癖を聞いても
その人たちには見出せないということかもしれない。鑑識眼に長けた人でないとなかなか
見出せないほどきみの姿勢には無理がないのかもしれない。
kは幼少の頃より極端に姿勢が悪かったため、20年以上かけて矯正を続けているが思うような
姿勢にならない。だが、その副産物としてさまざまなことに気づいた。
きみもいろいろ試しているようだから、多くのことに気づいているんじゃないかな。
>>436 >ふくらはぎが筋肉痛ですが膝の痛みは歩行中・起立中感じなくなってきました。
それはなにより。
ふくらはぎの痛みは、筋力がついてきている証拠。じきにとれると思うけどストレッチがおすすめ。
痛いときに無理をすることはないが、立位においては脚の筋力を多用するので血行不良を解消し
防ぐためにも、筋力が常に発揮できる状態にするためにもストレッチは有効。
正座した状態で倒れて背中を床につける運動。これは大腿四頭筋など脚の前面の筋肉を伸ばし
二頭筋やふくらはぎを緩めるのに有効。はじめはひざが浮いたり離れていてかまわないので、
時間をかけて少しずつひざを床につけいずれは両ひざがつく状態に持っていくとより効く。
それとセットでアキレス腱を伸ばす運動もしたいところ。これは先に挙げた筋肉の動きが逆になる
ので、セットで効果が上がる。
>モデル歩きに似ているというのもなんとなくそうかもなと思いました。
頭が上下しないように一直線上を歩くことが一つの目安だと思うけど、頭が上下しない
ためにはいろいろなことができないと実現しない。興味があったら考えて欲しい。
>ただ、腹筋が筋肉痛になっていないことからも
筋肉痛にならないまでも、呼吸が苦しくなるくらいならできていると思うよ。
立位座位においてここに書いてあるようなやり方を実践する上で行き当たるのが呼吸。
なぜならおなかに力を入れっぱなしでは深い呼吸が不可能。そのためにおなかをへこませて
力む代わりとする。なかなか難しいけど特別に腹筋運動などせずともそれが日常なので
おなかが出っ張る心配はない。慣れるまでは苦しいけど。
>私のバレエ的立ち・歩きとは確かに大幅に変化しました
特に立ち方における両足の位置が全く違うね。ここで書いているのは完全に足の内側を
平行にして肩幅に立つもの。これは内転筋を鍛えるのに有効。あくまでも基本形だけど。
>しかし、膝は「楽」です。
よかった。筋力がついてきたんだろうね。続けていると身体能力が向上していることを
実感できると思うよ。
自分はなぜ今ここにいるのか。
自分はなぜ今こうしているのか。
ふと頭に浮かぶそれらの疑問に付き合うことは実に億劫だが、意義は見出せる。
それらのこたえは人によって異なることであり、こたえの見つからないことでもあるかもしれない。
だが自分を知るには欠かせない行為だ。
「自分の行く末を最後まで見届ける」という視点、あれからなかなか
つかみ難くなったな。緊張感が薄くなったせいか知らん?
>>440 >「自分の行く末を最後まで見届ける」という視点、あれからなかなかつかみ難くなったな。
それは残念。
だけど、きみの指摘の「自分の行く末を最後まで見届ける」という視点とはkが示したものなのだろうか?
瞬時の自己認識のことではないの?記憶にないんだが。
>緊張感が薄くなったせいか知らん?
あまりにも相手にしてもえら得ない状態が続くときみのいう緊張感が薄くなったような印象を与える
のかもしれないな。
>>440 ん?心と宗教板で、見かけたことがあるな。
\ ∩─ー、 ====
\/ ● 、_ `ヽ ======
/ \( ● ● |つ
| X_入__ノ ミ
、 (_/ ノ /⌒l
/\___ノ゙_/ / =====
〈 __ノ ====
\ \_ \
\___) \ ====== (´⌒
\ ___ \__ (´⌒;;(´⌒;;
\___)___)(´;;⌒ (´⌒;; ズザザザ
>>442 >ん?心と宗教板で、見かけたことがあるな。
哲学板でも見かけるね。
>>443 自分で釣られたことを表現してるのかい?
自分の本当の欲求というものを、見てみたいものだが、おっかなくもあるな。
そして自分の内部の鏡にそれは写るのか。極めて怪しい。
知らないほうが幸せということもあるだろう。これも自分しだいだな。
「ネヴァーエンディングストーリー2」は面白いのだろうか。
>>445 へえ。
>>446 >自分の本当の欲求というものを、見てみたいものだが、おっかなくもあるな。
そう?何か深いところに潜んでいる感じでもするのかな。
自分がどうしたいかはいつでも変化可能。その場で見ていかないとわからなくなる。
練習しないと見つめられない人もいるだろうな。
>そして自分の内部の鏡にそれは写るのか。極めて怪しい。
自分に嘘をつくかつかないかの問題でもあるからな。「いいわるい」にこだわると自分に
欺かれるだろうね。
>知らないほうが幸せということもあるだろう。これも自分しだいだな。
まさしくそのとおり。
>「ネヴァーエンディングストーリー2」は面白いのだろうか。
さあ?見ていないのでなんとも・・・
面白いかどうかはその人の主観。そしてその主観も視点を変えると変化するかも。
見るかどうかは結局自分で決める。あまりにも当たり前。
>>447 >何か深いところに潜んでいる感じでもするのかな。
ええ。潜んでいてしかも、自分が否定したいような姿だったら等と思うことがありんす。
その時否定すれば済むかもしれませんし(自分をあざむくことになるでしょうが)。
まあ、幻想です。自分の欲求が、決めてゆくものだとするならば、見つめる有用性は私も
感じます。
>>448 >自分が否定したいような姿だったら
本当に自分を見ていないのだろうか?
きみが規定する善悪の基準に自らを当てはめて、それから外れていることに納得がいかないだろうか。
善悪はきみの決定による。誰かが押し付けたところでそれを撥ね退けるのはきみの自由。
甘んじて受け入れていようが、積極的にだろうがいずれもきみの選択による。
洗脳といわれる形でわれわれはさまざまなことを刷り込まれている。当然そこには善悪に関することが
含まれる。
きみが嫌だと思うことは生理現象では嫌だと認識するように神経伝達物質が出ている結果。
それを変えることも可能だし、甘んじるのも自由。いずれもきみが育成過程で身に付けたもの。
きみの理想ときみの現実が異なったとしても修正はどちらにも可能。
理想を修正することもきみの現実を修正することも。
きみにとって重要なのはきみの本質をとりあえずよく見ることではないかな。
なぜなら、まだ見てもいないのに恐怖しているようだから。
自分のありのままを認識しないと自分を生きることが難しいと思うけどな。
つづき
>自分の欲求が、決めてゆくものだとするならば、見つめる有用性は私も感じます。
自分の生き方は自分で決めるしかないと思うよ。
歴史を振り返ったり、最近起きる事故事件を見るにつけ、自分ではどうしようもない
不幸に見舞われることがある。
それは視点を変えれば、われわれはある種の理想を掲げて生活していて、その理想から
外れたことを不幸ととらえているともいえる。
また別の視点に立てば、この世は極めて奇跡的な現象を常時起こし続けているともいえる。
それは、一歩間違えれば事故事件に繋がることをぎりぎりのところで交わしているから。
あまりにもそれが当たり前になっているので気づかないだけかも。
人々の瞬時の適切な判断行動の連続で意見平穏に暮らせているように見えている。
車の運転中にずうっとぼーっとしていたら確実に事故がおきる。でも運転中にまったく
ぼーっとしない人がどれだけいるだろうな。交通事故はとても多いが、それは人間の本質
を考えれば当たり前のことであり、この程度で済んでいることで人々の努力に敬服する。
つまりは人はみな自らを振り返り生きるからこそ平穏無事に生きることが理想と思えるし、
事故事件が多発することが問題視される。
みんながまったく自分を見つめなくなったら事故事件は当たり前になると思うよ。
自分を見つめる有用性は今現在の生活を蔓延している理想に近づけるには極めて高いんじゃない?
そうでなきゃこんなこと続けていないよ。
もっと気づくことがあるんじゃないかと問い続けているのは、今の雰囲気で平穏無事を実現させる
唯一の方法が自分を見つめて瞬時の自己認識をすることだから。
事件事故をもっと増やし続けたいなら、やめることだね。
>>449>>450 >きみが規定する善悪の基準に自らを当てはめて、それから外れていることに納得が
>いかないだろうか。
ここに関して私は納得がいかないし葛藤もするだろう。しかし、自分の本当の欲求を
どのように発見したかによるでしょう。
>>448はある映画の挿入話の影響を受けての
もの。好きな映画です。ご存知かも知れねぇですが、省略してお話します。
「危険な道のりを行くと部屋がある。部屋に入り自分の望みを心から願うと、帰宅後
何日か経ってそれが叶うと言われていた。或る男がその部屋にたどり着き、危険な道
のりの途中で死んだ自分の弟を蘇らせて欲しい と心から祈った。男は帰宅した。
・・数週間後、男は億万長者になった。そして男は自殺した。」
そこで劇中人物がこの話の結果を推測する。部屋が叶える願いは無意識のものだと。
つまりその或る男は確かに心から弟のことを願ったのだが、「本当の」男の欲望は
彼にとって裏腹にも大金だったのだ。そして男は良心に苛まれ、死を選んだのだと。
というような話です。ストーリーなので「まあ、幻想」と言ったんですが、私にと
って、例えばこの話のように自分の良心に対する恐れという感覚、或いは「本当の」
何か、あなたがいう「本質」のものに恐れを抱くことは重要な基準でもある。
意識的に見出す(決める)自分の望み、自分の方向性、それは当に無くては生きてい
けないほど自らにとって重要だ。私も判断し決定し生きているつもりだ(足りないか
も知れませんが)。ただ、全く自意識に反した欲望の存在の可能性、それに対する恐
れは必要と思う。それも有益だからだ。
「恐れ」は或る意味で私にとって重要な感覚なのです。これも私の理想に大きく加担
している(はず)。まあ、話の男が自分を見つめ足りなかったとも言えますかね。
何というかその映画は美しい話です。
的外れなレスであれば申し訳ない。
念のため。話は、タルコフスキー「ストーカー」です。
>>451 紹介いただいた映画は初耳。機会があれば拝見しよう。
>ただ、全く自意識に反した欲望の存在の可能性、それに対する恐れは必要と思う。それも有益だからだ。
>「恐れ」は或る意味で私にとって重要な感覚なのです。
どのように重要ととらえているかを教えてほしい。
欲望に関しては、それを見ないことや欲望のないことを美徳とする教育を受けてきている
以上特別視するのは致し方ない。
相手を除外したり痛めつけることは「いけないこと」として教育されることが多いので
それらに分類されると判断する行為に関しては極めて抵抗感を覚えるように育っている。
むろんその他にも多くのことが禁じられている。
禁じられる原因は、平穏な社会生活をおくるため、そのルールを植え付けるため。
生来的に人間が抱く欲求が折り合いをつけなければ共同生活を営めないほど多様であり、
コントロールする技術を習得するのが面倒なので規制することを選択した。
といったことが考えられる。
「恐れ」は保身にとっては極めて有効。これを基本として体を鍛えたり反射神経を養ったり、
セコムに加入したり、用心棒を雇ったり、防犯ホイッスルを携帯したりする。
人が生きる上で最も大切にする必要があるのは自らの体。それの恒常性の維持。
しかし、どうしても自分の気持ちを大切にしてしまう。体は二の次。
だから「恐れ」は体を守る上でも重要。むろんいうまでもなく気持ちも。
>>452 私の理性や良心も今後少しづつ変化し、ふくらみをもってゆくのでしょうが(社会制度
等と比べて順応してゆく、或いは制度に抗うかもしれません)、そういった規準のよう
なものは、自分の行為の幅を広げるにも役に立ちます。基本的に我々は共同生活におい
て様々な暮らし方を実践しているわけですから、その教育や美徳が歴史と共に有益にな
っていった姿を今も利用しているのでしょう。或いは「洗脳」という捉え方でも良いの
かもしれません(イメージ悪いですが)。例えば道徳や知識は既に利便性としての自
由性を歴史と共に培われてきたものだと思います。つまり、「自由に行為するための
枠組」を我々は、知らず知らずの内に造っていると言えるでしょう。基本的に共同生活
であるという事実と個人の自由との折り合いはつけているし、つけていかなくては暮ら
しづらい。自由であることを我々は求めているのかもしれない、しかし共同生活を破綻
させるほどの自由はもはや束縛ではないでしょうか。
私の意識できているレベルの恐怖の重要性は「抑止」という意味合なのだと思います。
「死に至近距離で付随しているものごとからの自由」に対する抑止です。これは共同
生活を送るためには障害ともなるからです。自身の死に至近距離で付随している事柄
をたわむれること(恐怖の喪失・転化)はおぞましい。そこまでの自由を誰が求めて
いると言えるでしょうか。或いは殺害されることの恐怖もしかりです。少々引用を致
します。
つづき
南インドクライケア地方の王の報告(『金枝篇』)
「・・この地方は、一人の王に統治されているが、その王は大祝祭から大祝祭まで、
12年以上は生きられない。〜12年の期間が満期になると、祭りの日に、無数の
群集が集まり、多額のお金を消費してバラモンたちを饗応する。王は木の壇をつく
らせ、それを絹の天蓋でおおう。〜偶像の前におもむき、祈りを捧げ、台の上にの
ぼる。そして、観衆全員の前で数々の鋭利な短刀を用いて、自分の鼻、耳、くちび
る、手足、そして、できる限りの肉片を切りとりはじめる。かれは、それらの肉体
の破片をすべて遠くへと放り投げながら、ついに多量の血を流して意識を失い始め
る時にまで至る。その時かれは、のどをかき切るのだ」
バタイユ「神秘/芸術/科学」より
共同生活・自由・死の実感という観点からも、恐れは重要ではありませんか?
>>453-454 >共同生活・自由・死の実感という観点からも、恐れは重要ではありませんか?
書いたとおりそれらは全て自己の保身という意味合いで重要になる。
帰結するのは自分であり、自分を取り巻くように見える環境にしろ自らの死にしろ、
全ては保身だ。
人は自分の気持ちを大切にして生きている。
その気持ちは常に変化可能であり、情報の溢れている今それらに影響を受けやすい気持ち
を自らコントロールするすら見つけにくい。
指標とすべきことを自ら選択して決定し、思い込み続けることで思いを実現できる。
しかし体はそれなりに扱わない限り疲労を重ね気持ちどおりには動かなくなる。
体が病におかされることで思考も不自由になる。
血行不良は思考を鈍らせ生きる意味を見出すのすら億劫になる。
人は哲学的になり、人生を儚む。老廃物の蓄積した体では致し方ないこと。
きみがどのような視点から見ても、きみの保身を無視することは難しい。
まずはそこをよく見て、なぜ自分のみを必死で守ろうとしているのか自分に問い掛けてみては
どうだろう。
>>456 >書いたとおりそれらは全て自己の保身という意味合いで重要になる。
勿論、自己の保身は重要だ。恐れはしかし、感じる(知る)ことで生まれる。死の恐れ
は他人の死を見ることで自分にあてはめて解釈する。自分の死は存在しない、あるの
は恐れだとも言える。死の恐れから自由になることは
>>454で引用したようにおぞまし
く危険だ(私だけか?)。
「我々は他人の死を恐れてる」と言えませんか(論理があやしいかもしれませんが)。
そしてその考えがもし、共同生活上で自分に有益ならば使える。無益ならば自己保身に
終始すればよい。自己保身の重要性、難しさも実感しますが(病気・事故)。
>きみがどのような視点から見ても、きみの保身を無視することは難しい。
自分の保身を無視せざるを得ない結果もあるでしょう。自分を守る必要性を感じられな
い状況に陥ることもあるのだ(その良し悪しは別として)。「全ては保身だ」という考
え方があなたの生活に有益ならば良し、無益になった時変えれば良いのでしょう。
つまり、やはりあなたの言うように自由だということなのでしょうね。
>>457 よく考えて欲しい。なぜ恐れるのだろう。何を恐れているのだろう。
>「我々は他人の死を恐れてる」と言えませんか
どんなこともいえる。いえないことなどないよ。重要なのは本質ではないかな。
他人の死を恐れるにもさまざまな場合があるだろう。
大切に思う相手を失う恐怖。いずれわが身に降りかかる恐怖。不快なものに対する認識
の恐怖。
いずれも主観であり、自己に対する不利益を想起させるから恐怖するのではないだろうか。
>無益ならば自己保身に終始すればよい。
われわれは常に自己保身に終始している。よいかどうかの問題ではない。その自己認識が
生きるうえで必要ではないかと問うている。
きみがそのように書くということは、自己保身の自覚がないのではないだろうか。
保身とはいうものの、再三書いているように人は自分の気持ちを大切にして体のことは
二の次だ。つまり、ここで保身としているのは大部分が気持ちに対する防衛のこと。
全ては自分の気持ちをよいと思われる状態に置くために行動している。
その行動が適切かどうかはさておいて。
つづき
>自分の保身を無視せざるを得ない結果もあるでしょう。
自分の行動の動機をよく考えてみたらわかるんじゃないかな。
すべて保身だよ。
>自分を守る必要性を感じられない状況に陥ることもあるのだ
きみには、そして多くの人が気づいていないというだけのこと。きみの指摘する状況
はいくらでもあるだろう。事象のとらえ方は主観であり、いかようにも視点を変えることで
変化する。
このスレで書きたいことは本質的な真理に関して。つまりは逃げずに自分と向き合って考えれば
すべての人が気づく真理について書いている。
仮にどれだけ相手のことを思い、その人の死を嘆き哀しんでいても、それは自分の
気持ちが不快になることによる悲しみであり、相手に対する依存や甘えが大きいほど
失う辛さも大きくなるかもしれない。
それは依存や甘えという思考停止状態でも心地良くなれるという得がたいものが失われる
恐怖かもしれない。
決してそれらを非難したり批判したりしているのではない。
きみが甘えや依存に「悪いイメージ」を持ち、思い込みとして持っているなら不快に感じるだろう。
しかしkはそういうつもりでは書いていない。きみがどう読むかは自由だが、このスレを通して
ひたすらそういう誤解を承知で、あえて意味をあらわす記号としての利便性を優先した道具として
言葉を使っている。
つづき
具体的に考えて欲しい。体験でも、TVなどの疑似体験でも。
例えばドラマERでは毎回人の死が扱われている。死に至る者もいれば、絶体絶命の状態から
生還する者もいる。そこにおける医療スタッフや家族の心情が細かい出来事の積み重ねで
表現されている。製作者側の事象に対する見解が一方向を示す場合もあるが、多くの場合
視聴者に委ねている。つまりどう受け取るかは視聴者の自由。多くのことを学ぶことが可能。
そこで表現される人の死は、生物としての死。家族として愛されたもの、愛されざるものの死。
臓器ドナーとして死に行くもの。付加されるのは患者に関わった医療スタッフの思い入れ。
隣で死に行く患者に思い入れがなければ感情もさほど動かぬが、自分が担当し肉親と接触
した患者の死には心を痛める。
いいわるいの問題ではない。人の気持ちの変化をそれなりに忠実に再現したように見せている。
思い入れがあるかないかで人の死の受け止め方は変わる。
そして全ては主観。
Aというスタッフが涙するのを傍目にスタッフBは黙々と死体を搬送する仕事をこなす。
Bにとっては人の死はその日の仕事上の通過点。ただしBの父親の死は大きな痛手。
人の気持ちは変わる。人は自分の気持ちが一番大切。全ては主観。他人の気持ちはわからない。
よく考えて欲しい。
>>458>>459>>460 ふむ。音(ね)がでない(笑。
私には少々材料が多すぎるようだ。
>いずれも主観であり、自己に対する不利益を想起させるから恐怖するのではないだろうか。
そうでしょうね。逆に、自己に対する利益を想起させるものは喜びになる。それも主観。
ただ、共有できる人々もいる。社会というカテゴリーはある意味で共有形態だ。国家も然り。
問題がなければそのまま放っておけば良い(個人にとって)。
そして私は「自己保身」を「自他保身」に発展させたい。そのために論理や自己認識も
役に立つだろう。(私の)願望を実現する手段は無限なほどにあるだろうし、こちらにレス
し返答を頂いている事も役に立っている。それも主観。不利益を感じる人もいるだろう。
そして「本質」が誰もが共感できるものならば、均質なものとして利便性を持つならば、
皆うれしいだろう。感想になってしまった。失礼。
>>461 >私は「自己保身」を「自他保身」に発展させたい
それに関して同意見。ゆえにこのスレを立て書き続けている。
よく考えて欲しい。
保身に走るもの。利己的なもの。わがままなもの。
いずれも一般的に良しとされない人の代表だろう。しかしそれらの行為は人の本質であり
何ら非難されることではない。非難することは人間否定でもあり、存在することが困難となる。
それら自己中心的な発想を生かして、きみが理想としている他人を思いやり生かすことに
結び付けようとする考え方をここで紹介し続けている。それに関する理解はあまりされていないが。
自分が大切なんだよ。何があっても自分。その自分が認識する「よい」と思われることを
人はしたい。自分がよい気分でいるときに、五感を不快なものをとらえたらどうなるだろう?
よほど感覚が麻痺していない限りよい気分はよくない気分に変わる。
人はその状態を好まず、場合によっては何とかしようと思うだろう。
その気持ちや行為が他人に及ぼす結果によって「善悪」がその事象をとらえる人の主観できまる。
つづき
人の気持ちは絶対にわからない。人の言葉や表情や動作などを自分勝手にこちらの主観
で「喜んでるな」「辛いのかな」などと決めている。この事実の認識があまりにも甘い。
人に及ぼす行為の意味付けは大切なように思われることだろう。
行為の意味付けは他人の評価によるところが多いのではないかな。
自己満足で「よし、これでいいんだ」と納得できるだろうか。人の気持ちはわからないんだよ。
人の気持ちがわからないことの認識が今の世界を実現させている。
自分の思い込みで相手の気持ちを判断するがゆえに「思いやり」の押し付け合いに気づかない。
相手の気持ちを知ることはできない。それでも接触したかったら自己主張しあって
折り合いをつけるほかない。
相手を喜ばす内緒のプレゼントは素敵だ。素直に喜びをあらわすものも多いだろう。
kも子供たちには多用する。しかし相手の気持ちはわからない。動機の根本には
自己満足の期待がある。相手が喜ぶことを想定して自己満足を得ようとしている。
それらの行為を否定しているのではない。自己認識の希薄さを指摘している。
相手と共感的理解や喜びを共有するには数限りない主張のやりとり(言語以外にも)
が必要。
人間が本質的に持っている「めんどくさい」という体質がそれらの努力を阻んでいる。
つづき
>「本質」が誰もが共感できるものならば、均質なものとして利便性を持つならば、皆うれしいだろう。
本質は細かく挙げれば無限であり、誰もが共感できるものとは限らない。
われわれは自己の能力をほとんど認知していない。特性は人それぞれに見出せ、差別化が可能。
人の本質をどうとらえるかはどれだけ思考を自由にするかでいかようにも変わる。
乱暴な言い方をすれば、人の思考・言動など全てが人の本質。疑う余地もない。
人の言動全てあるがままが人のそれであり、人にあるまじき行為・獣にも劣る行為などは
比喩表現の域を出ない。
このスレは極めて限定された媒体を介在している。よってそれらを考慮した表現方法を用い
内容に関しても作為的に選択している。
哲学という、人の生きる上での指標を提示してくれそうな錯覚を起こしかねない学問を
標榜したスレだから敢えてこのような書き方をしている。
頑なにならず柔軟に考えて欲しい。柔軟に考えには数多く自己認識を意識すること。
なぜ?どうして?を自分に問い続けることで実現する。それがいかに面倒であるかは
いうのもはばかられるが。
465 :
43:04/12/31 13:47:33
今年はお世話になりました。来年もよろ
人の気持ちはわからない。
人の考えや思いもわからない。
自分の気持ちや考えが自覚できていないことを考えれば無理もない。
明確に自覚していない自分の思いを文章に記したり、相手に伝えることは困難を極める。
そしてわれわれは意思疎通を図る作業を続けているが、上に記した事実を忘れている。
人の気持ちを知りたい。自分の気持ちをどうにしたい。そう思うことはしばしばある。
人の気持ちを知るすべはない。
自分の気持ちはどうにでもできる。
その事実の認識は生きる上で重要となる。
相手の気持ちがわかる気がすることは多くの人がしばしば体験する。
共感を覚えて感動したり、相手を哀れに思ったり、憤りを感じたり、喜びを感じたり。
しかしそれは他に対する自己の認識であり、相手の言動を自分なりに解釈して判断した
結果であることの認識が必要。
決して相手の気持ちがわかったわけではない。
わかった気がしたのであり、あくまでも主観。
他への伝達にはさまざまな技巧が駆使され装飾がされる。人の素の状態を知ろうとして
どれほど努力したところで、素の状態の明確な定義ができない以上主観であり思い込みだ。
人は自分ひとりでいてもその場に応じた自分を演出することはままある。
自分がどのような演出をしているのか、なぜそのような演出をしているのか、それらを認識することで
自分が見えてくる。
それをよく理解したうえで相手との意思の伝達を試みることで、短絡的に相手の言動や仕草に結論付けて
対話を止めてしまうという事態は防げる。
社会は人と人とのつながりで成立している。つながりは対話が基本。
自分の先入観や固定観念を利便的に使用することで、ややこしい対話を未然に防ぐことが
人との優れた対処法と考える人がいるかもしれない。
相手を自分の思い通りに仕向けることが素晴らしいと感じる人がいるかもしれない。
ある側面でそれは実に素敵だが、多くの新鮮な喜びを得る機会を失っていることも事実。
人の気持ちはわからない。人の考えはわからない。
どれだけ相手から聞き出しても新鮮な喜びを得る作業はなかなか終わらないだろう。
多くの人が自らの気持ちに気づかず、相手の考えを自分勝手に決め付けてチャンスを逸している。
とにかく自分をみつめていけ
じゃないと話にならん
>>470 >とにかく自分をみつめていけ じゃないと話にならん
そのとおりだね。
きみはどう?
会話言語は人間の本質から無限のように表現し得る記号だろうが、それに対して常に
目を向けていくのは本当に困難ですね。対話において他が本質的表現をしてきた時な
かなか気づけない。他の欲求の目的を確認しても、それに見合う提供は簡単には成さ
れない。こちらが提供し得ると感じた上でのものに関わらず、対話上のその人一人満
足させられない。そして何度も表現方法・手段を変えて同じことを説明するのはあな
たの言うようにめんどくさいですね。疲れるし。ただ、それが対話の意味で、最終的
に自分が有益に感じることができる可能性。他人とはこれほどまでに自分と違うのか
と再確認している(再々確認かな)。ただごとではないなこりゃ。
わかったつもりのわかってない事が、今少し成長した気がしてます、他人との関わり
において。上のほうの、つもり三か条みたいなのが今響いてきた。
なんか報告みたいになっちゃったな・・・。
>>472 基本的に全て主観で判断している。
どのような事実を見せられても、または虚構を見せられても判断する自分の主観による。
他人の考えや気持ちはどうあがいてもこちらにはわからない。「〜のように見える」にとどまる。
この一見当たり前にも思える事実に多くの人が気づいていないとしか思えない言動の数々が
この世に氾濫している。
人々はふとした瞬間悟ったようにその事実に気づく。そして爽快感や充実感、虚無感や恐怖感
空しさや満足感などその瞬間以前とは異なる感覚を心内に覚える。それをどのようにとらえるかで
その気づきを続けていくかどうかにも影響が出るだろう。
つづき
人は常なる自己認識を避け嫌う。理由は心地良い感じを得られないと予感するからであろうし、
その行為自体を億劫なものに感じるからだろう。
しかし現状の苦難を解決するには必要不可欠なことである。だからそのような折には必死に
現状認識に努めて考察し解決に向けて努力する人も多い。それを常にしようとする人は少ないが。
理由はおそらくめんどくさいから。
だから自分の願望を固定してそれに向けて努力する傍ら、さまざまな情報を自分なりにパターン化して
分析分類する能力を磨く。その許容量の差は人によるが、行為自体はすべての人がしている。
全て喜びを得るためであり、またそれの実現においてめんどくさいことを避けるのも理由。
結果、無味乾燥な日常になりかねず新たな刺激を常に求めているが、自ら作り上げたパターン化に
ほとんどの情報が当てはまる人は新鮮な情報が得られず、賢い気分には浸れるがつまらないという
現象が起こる。
つづき
新鮮な喜びは常に得ることが可能。得られない理由は自分がそのような状態になっていないから。
またそうなっていない原因は自分で招いている。むろん人は幼いときの環境が大きく
その後に影響するため、一般的な見地から考えればお気の毒な人も多い。
それら一般的に不幸とされる環境に育った人でもそれなりにもしくは理想的なその後の
人生をおくる人も少なくない。むろん判断はその人の自己満足の度合いであり、客観的
見地は見る人それぞれ。
すべては自分から起きている。
その認識があるかどうかで世界は一変する可能性がある。
人のためにすることは自分のためにしていること。それらはひいては全世界のため
になり結局は自分に帰結すること。
逆に見方をすれば、他人の不幸の認識はそれを認識した主体の不幸となる。隣人の不幸は
ざまあみろかもしれないが、そこに少しでも哀れみや同情を感じたらそれは隣人のものではなく
自分の感情であり、自分の不幸。
その認識が世界を変える。
つづき
きみは他の人に何らかの働きかけをする際に今までとは異なる自己認識を加えているのかもしれない。
それらによる相手の反応がそれまでとは異なって見えているとしたら、それはいかにも
新鮮なものではないだろうか。
それはある種の喜びかもしれない。
今まで当たり前だとしてきたものに見出す喜びは、常なる瞬間に喜びを感じることの
実現を示唆している。
きみはそれを手に入れたようだね。
>>473から
>>476 そうですね。ある種の発見或いは感動という名のインパクトでした。
>人々はふとした瞬間悟ったようにその事実に気づく。そして爽快感や充実感、虚無感や恐怖感
>空しさや満足感などその瞬間以前とは異なる感覚を心内に覚える。それをどのようにとらえるかで
>その気づきを続けていくかどうかにも影響が出るだろう。
確かにインパクトからのショック(発見・感動)も両義性を含んでおりますね。そ
の爽快感や充実感等のように喜びに繋がる場合もあれば、物理的な単純なショック
(暴力等)を不快に、絶望的に感じる場合もありますね。トラウマンという心理的
障害の危険もあるし。例えば私の場合は思考よりも経験・体験を通してしかその両
義性を実感に捉えられなかったですが、体験せずとも重要性を感じている人々もい
るのだと思っています。
>その認識が世界を変える。
おっしゃるとおりと思います。私の場合は希望的な勘かもしれませんけど。
>>471 俺は天才。自覚症状がないあほとは違うんだよ
冷静だし謙虚だし、いつになってもヘマなんてしないから不幸なんてならないね
お前はどう?幸せかい?
480 :
はけめがね:05/01/19 10:02:10
またおじゃまさせてください
>>477 >体験せずとも重要性を感じている人々もいるのだと思っています。
体験することは強く記憶に残ったり、思い込みや先入観を作るきっかけになる。
人は誕生して育つ過程において様々な体験をしいる。
そのときの感覚や感情が今の自分を形成し、これからも続けていく。
幼児期の体験が後に大きく影響するのは、柔軟な思考がその体験で固定した価値観を
つくり強く記憶されるから。柔軟性が薄れていくにつれて体験の影響は減る傾向にある。
それはそれまでの経験で事象をパターン化して覚えていて、新たな体験をそれに当てはめて
処理しようとするため、それほど新鮮にとらえない。
その結果喜びを得る機会を自ら逸していることになる。
つづき
実体験とされるものは現実味を感じて強く印象に残る。
その印象は自ら持つ記憶と照らすことで自分なりの意味合いを持たせることになる。
きみの指摘どおり実体験がなくとも伝聞や想像だけでも自らの大きな変化を招くことができる。
自分にとって何が重要なのかをよく考えていくことが生きる上で喜びを得るためには不可欠。
安易なパターン化は喜ぶ機会を奪うことが多い。
だがパターン化して情報を処理しないと混乱を生じる。
それらは並立して実現できる。パターン化して瑣末なことと処理した事柄から改めて
価値を見出し喜びを得ることが可能。
それには思い込みを自覚することが必要。絶対的価値観など存在し得ない。その認識が必要。
利便的にパターン化して処理した認識を持ち、すぐにそのパターンから外して新たにとらえ
なおすことで新鮮な感覚を得ることができる。
>>478 >俺は天才。自覚症状がないあほとは違うんだよ
すごいんだね
>冷静だし謙虚だし、いつになってもヘマなんてしないから不幸なんてならないね
かっこいいね
>お前はどう?幸せかい?
幸せ感を多く感じるよ。でも生きることがどれほど大変かを認識することも多くあるよ。
だから幸せなときも多くあるが、そうでないときも多くある。
>>479 >喪舞は醜い
なぜ?
>>480 >またおじゃまさせてください
どうぞ。
ここが検索できたんだね。おめでとう。
484 :
考える名無しさん:05/01/22 04:13:30
栗山さ〜〜ん、いる〜?
ねえ〜、栗山さんったら〜?
苦しむナルティーから遊びに来ました。
486 :
考える名無しさん:05/01/22 11:59:51
あ、やはり栗山さんだ。答えてくれて感激、なんかうれしいです。
さっそく前レス読んできま〜す(´人`)
>>486 きみの中ではkは栗山さんのkなんだね。
前レスじゃなくて前スレじゃないの?もしそうなら落ちてるよ。
人は自分を演じている。その自覚には個人差があるため、それに関する同一の認識がない。
この掲示板における書き込みにおいて、いかにも落ち着いた雰囲気や、慌てふためいた感じ、
冷徹な感じ、喜んでいるようすなどをそれなりに表現した表記をよく見かける。
そしてその表現方法を受けて同様のレスをする。
それらは暗黙のルールとでも表現できそうな不文律の中におけるやりとりであり、演出された
ものであることは明白。冷静に落ち着いて思考すればたどり着くことではあるが気づき続けて
いる人が少ないように見受けられる。
書き込みに依存し甘え期待する行為は、自分の気持ちを動かすのに効果的であり面白く
感じられる。
文章のやり取りによるつながりにおいて自己の満足度を高めていくためのテクニックを
個々に見出し実践しながらその作業を繰り返す。
そしてそれは見事な自分の演出であるが、意図的な演出であることの認識が欠けると気持ちを動かされ
ることが苦痛に感じる。さらには大きな打撃を受けたように感じる。
そのような演出を見せる書き込みも多い。
そしてそれを心配する書き込み。
自らの思考を書き込むという作業を介して表現することが演出であることを常に理解すること
は可能。理解できないとしたら、それは避けている。
ここは文字表記を主体とした自己表現の場。瞬時の自己認識には最適の場でもある。
490 :
考える名無しさん:05/01/24 16:43:30
さすがkさんですね。
ネットが分かってらっしゃる。
ある意味ネットはフィールドワークですおね。
それを支えてるのが人の情熱であることが
私の最大関心事でつ
491 :
考える名無しさん:05/01/24 17:36:55
>>489 >自らの思考を書き込むという作業を介して表現することが演出であることを常に理解すること
は可能。
って、おいおい、それが前提だっつーの。
492 :
考える名無しさん:05/01/24 19:42:58
1さんの成長は言葉使いくらい
自分なんかみえてないよ
触れられない他人を通してから自分を見つめて
そのごちゃまぜの回答から 引きこもりに加速をかけているもん
でもヒトとツナガリタイから
ここで アホウと戯れて
共感したヒトと愛し合っているんだよね?
結局自分を。
そんな環境を作っているもの本人の意思か・・
493 :
考える名無しさん:05/01/24 19:46:59
そんな1さんだから
ここでヒトとのコミュニケーションを学んでいるのかな
>>490 がんばってね。
>>491 >って、おいおい、それが前提だっつーの。
そうだよ。気づいてたんだね。
>>492 >1さんの成長は言葉使いくらい
ちなみにkは1ではないよ。
>自分なんかみえてないよ
それはきみの推測だね。
>共感したヒトと愛し合っているんだよね? 結局自分を。
そういう側面もあるけど、共感したように見えない人とも試みているつもり。
>>493 >そんな1さんだからここでヒトとのコミュニケーションを学んでいるのかな
ちなみにkは1ではないんだけど、kに関する感想だとしたら、そのとおりだね。
495 :
考える名無しさん:05/01/25 19:04:17
>>1 自分見つめてど〜すんだ?
見てるだけならウサギにもできるが。
496 :
考える名無しさん:05/01/25 20:33:59
自分見つめてるやつって
停滞、滞留、停止に近い自分の言い訳に
それ使ってるふしが感じられて、ど〜もねぇ…
うつぼを見つめていく
何かのお仕置きなのか?
499 :
考える名無しさん:05/01/27 01:46:04
「面白い話」
いつでも、問題はそこになかったりする。感情とはごまかしで、ことばは秘密で、
思考は様々だから、混乱する。で、問題とはなんだろう?と思うと、やっぱり、
俺としてはいいたいことで、相手としては隠していることだったりする。必要
なことは、反応ではなくて、同情ではなく、解決だと思う。
頭に血が上っちゃうと当たり前のことがわからなくなる。認めたくないものがで
きて、認められたいものばかり出来上がる。世の中がゆがんで、判断が曇って、
追い立てられている。評価するを捨てて、実感を持って評価されるへと急ぐ。
で、文句を言う。八つ当たり、毒舌、苦虫。自分がわからなくなると、
人のことはわかった気になる。だから、余計に血が上る。沸点を通り越す。
もちろん、沸点はいつの年も変わらなくて、リミットを長い間越えれば、
どこかかんかがおかしくなる。変化の自覚は遅くなる。
変化を認めたくないとの負けん気が、今日も見事に発揮される。
人がいる。俺を見る。いつだって自意識は俺なのに、
かりたてられる自分にいそがしく、かりたてている自分のことを忘れている。
「いったい俺は何なのか?」と言ってる俺は誰なのか? ってね。
500 :
考える名無しさん:05/01/27 03:18:05
>>499=「いったい俺は何なのか?」と言ってる俺は誰なのか?
自分を使いこなせてない半人前だろw
>>495 >自分見つめてど〜すんだ?
自分の悩みや苦しみを解決する手段を探すんだよ。
>見てるだけならウサギにもできるが。
「見てる」のは何?ウサギが自分を見るのかい?
>>496 >自分見つめてるやつって停滞、滞留、停止に近い自分の言い訳に
>それ使ってるふしが感じられて、ど〜もねぇ…
きみはそういういいわけが嫌いなのかい?それとも言い訳をする人がいや?
きみは言い訳をしない?
>>497 >うつぼを見つめていく
がんばってね
>>498 >何かのお仕置きなのか?
何が?
>>499 瞬時の自己認識を自ら否定したくなるときはある。
ある種の理想形を固定観念的に保持するがゆえに、直面した自己がその形と異なること
の認識を受け入れたくないことはよくある。
その事実すら認められない人もいる。
>>500 きみは自分を使いこなせているのかい?だとしたらすごいことだね。
503 :
哲子:05/01/27 09:40:40
自分を見つめていては行けない。
道を見つめて歩いて行く。
♪僕の前に道はない。
♪僕の後に道は出来る。
チンチン以外に大して用事がないという事だ。
やさしさはチンチンから発生する。
何故、お前がやさしくされるに値するのか。
お前が彼に優しくしているのか、彼に美しさを享受させているので、
見返りとしてやさしを受けるのが当然なのか。
それとも、そういうものなんていうのはどこから知ったのだということだ。
何千、何十万を知っている訳ではないのだから、同一の時間軸を変える事無くだ。
ずうずうしいやつめが。
506 :
考える名無しさん:05/01/27 14:43:12
>>501=ウサギが自分を見るのかい?
おまえが自分を見てるぐらいだから、
ウサギだって自分を見てるさ。
ウサギにはウサギの視点と思慮がある。
喜びもあれば悲しみもある。
なぜ人間に追われ、捕獲され、食われるか…
おまえがおまえなりに自分みてるのと、
なんにも変わらない。
もしおまえの言いたい事が、自分はウサギ以上
の考察や判断、行動をとっている、
ウサギよりマシだ、ということなら、
その証左をここで見せる必要がある。
まだ見ないんだが…?
507 :
哲子:05/01/27 14:57:30
508 :
考える名無しさん:05/01/27 14:58:05
>>501=きみは言い訳をしない?
いいわけが嫌いなのかい?
言い訳をする人がいや?
しない。
好きじゃない。
言い訳をする人について、イヤもイヤじゃないもない。
そういう者がいると認識するのみ。
イヤと言ったところで減るわけでもないし、
嫌うほどの意味も見い出せない。
>>503 >自分を見つめていては行けない。
「自分を見つめる」というのは「自己認識をする」という意味だよ。
自分を見つめていてはと書いているけど、文字通りの解釈を現実にするなら鏡なり
自分を撮影したモニターでも見るほかないが、そういう意味だと本当に思うのかい?
>道を見つめて歩いて行く。
見つめるというよりは、視野に入れる程度の方が危機を回避できると思うよ。
>>505 >やさしさはチンチンから発生する。
へ〜。知らなかった。
>お前が彼に優しくしているのか、彼に美しさを享受させているので
お前と彼は誰のこと?
>何千、何十万を知っている訳ではないのだから、同一の時間軸を変える事無くだ。
意味がわからないな。
>ずうずうしいやつめが。
誰が、なぜ?
>>506 >おまえが自分を見てるぐらいだから、ウサギだって自分を見てるさ。
きみはそう決め付けたいのかもしれないが、何の根拠にもならないな。
>おまえがおまえなりに自分みてるのと、なんにも変わらない。
ウサギのことはウサギに聞かないとわからないよ。しかもウサギと会話が成立しない
限り、それはきみの想像の域を出ない。そんなにウサギが気になるのかい?それともkが?
>もしおまえの言いたい事が、自分はウサギ以上 〜その証左をここで見せる必要がある。
繰り返すけど、人とウサギを比べるのはきみの自由だが、ウサギの考えを知る術がない以上
その点で比較する意味が見出せないので、きみが仮定するようなことをkは書かない。
つまりウサギ以上だとは書かない。
>まだ見ないんだが…?
この不可思議な「?」の使用法をしている人がいたね。
>>508 >しない。好きじゃない。
kは言い訳を多用することはないが、そうとられることを書くこともある。
きみが言い訳をしないというのは認識の欠如があるかもしれない。
つまり、していないつもりでも相手には言い訳に取られるということ。
言い訳よりは説明の方がありがたいね。
513 :
考える名無しさん:05/01/27 16:28:34
>>511-512 なにも見い出せない。
見えたのは言い訳、迂回、トボケ、転嫁、プライド、
あと
「まだ見ないんだが…」 の文を直視しえず
?の用法も知らぬこと
>>513 >なにも見い出せない。
それは残念。どんな書き込みを期待しているのかな?
>見えたのは言い訳、迂回、トボケ、転嫁、プライド、
よく見えたね。
>「まだ見ないんだが…」 の文を直視しえず
なるほど。自分をみつめていくというスレタイに言及して、kに対して見つめていないと
指摘しているんだね。その文だけでは読み取れないよ。
きみは決め付けたいのだろうが、その文は直視したよ。
>?の用法も知らぬこと
知ってるよ。疑問符は質問分の後に添える記号。
きみはきみのその文が相手にきみの思惑通り伝わると思って書いたのかもしれないが、
説明不足だと思うよ。しっかりね。
515 :
考える名無しさん:05/01/27 16:55:12
>>514=どんな書き込みを期待しているのかな?
>>509=「自分を見つめる」というのは「自己認識をする」という意味
自己とはなに?
認識とはなに?
で、自己をどう認識できたんだ?
>>514 最後から三行目 「質問分」は「質問文」に訂正
ここ数日興味深い新たな人たちのものと思われる書き込みがいくつかあるが、論点を
明確にしてくれない限り答えようがないものばかりだ。
短絡的にスレタイから連想される自分なりの解釈でこのスレを見るのはきみたちの自由。
それをどう解釈するかもスレ主の自由。
対話がご希望なら折り合いが必要となる。
だが、きみたちの文章からはそのような妥協案を受け入れそうな雰囲気は読み取れない。
もしここで何かを語りたいのであればご自由にどうぞ。
スレ主と対話がご希望なら、趣旨を明確にどうぞ。
このスレにも興味がなくスレ主にも興味がなくてわざわざ書き込むはずもない。
せっかくなのでごまかさずにどうぞ。
>>515 >自己とはなに?
その人それぞれが、自分と思い込んでいる人。
>認識とはなに?
わかること。理解すること。このようなものだなと思うこと。
>で、自己をどう認識できたんだ?
それなりに。
それに関しては人それぞれであり、このスレを通して多くのことを書いている。
「どう認識できた」に関しては、きみがスレ主に興味があるのなら、いつのどのような場面
におけるどのようなものに対する認識を聞きたいのか具体的にどうぞ。
518 :
考える名無しさん:05/01/27 17:08:58
>>517 いまレスしてる自分を、どう自己認識したんだ?
>>518 >いまレスしてる自分を、どう自己認識したんだ?
名無しの状態で判別しにくいが、おそらく同一人物と推測されるものによるレスが続いていて
仕事が暇でPCに向かう時間がある自分は、その人物との対話を他のことよりも優先して行おうと思っている。
この場にいる時間も今日のところ残り僅かなため可能な限り対応しようと思う気持ちを
優先しているが、体のコリを強く体感しているので早くストレッチしたいなという気持ちが強くなってきた。
早いとこ書き終えてストレッチしたい!気持ちよくなりたい。でも書くことの面白さも体感している。
やはり優先すべきは書き終えることであり、まもなく書き終えるとの予測がたっているし
途中で書き込みを止めることから生じる不利益さを考慮すると、血行を良くする心地良さより
この書き込みを終える事から得られる満足感を優先しよう。
といった気持ちの葛藤を楽しみながら、このスレにおいて紹介した椅子に座る方法で時折坐骨を
中心に体を微妙に動かしながら、足裏の拇指は少し屈曲させその付け根に体重が乗っているかを
頭の隅で確認し、あごを引き顔が画面に接近していないかも時折確認しながら、
きみの質問を読みそのこたえを考え、手の指を使ってキーを打ち続けていた。
途中呼吸が浅くなりがちなことを考慮に入れ、呼気を意識的に長くしてみた。
520 :
考える名無しさん:05/01/27 17:43:50
ここまでにする。ストレッチで気持ちよくなってね。
521 :
考える名無しさん:05/01/27 18:40:57
ここは良スレだと思う。
以下が理由です。
長いこと生きていればいいこともあるし悪いこともある。最近は景気が悪いので当然悪いことに付き合わされる回数が増える。
そんなことばかりがつづくと嫌になったりする。まあ、だからといっていいことがなくなったわけではないのだけれど、
錯覚はする。人間嫌なもんです。
実際考え出したらきりがなくて、回転するほど発展するから取り返しが難しい。解決は目指されている方向性に意識を向けて
ベクトルをいじってやること。がんばりは正しくても、一生懸命で逆の方向へ向かっていることなんてのはよくあることです。
あれが悪いといちいち数えだすのが危険なことだと。そんなわけだから世の中ハウツゥーがあふれ、「わらにもすがりたい」
気持ちで人は動き、まあ、気持ちは分かるけれど、とにかくみんなが忙しい。違いを数えだすと暇がつぶれる。
批判に追われて時間をなくす。ただ、解決はいつも同じことを見つけていくこと。簡単にすることができるからこそ意欲もわく。
足の引っ張り合いほど馬鹿らしいものはない。だから、写る景色のリアクションとしての私ではつらい。
中心を確認するために景色はある。立ち返る意識が重要だと思う。
522 :
考える名無しさん:05/01/27 21:25:31
以上、良スレ評論家でした。
今日は2つのスレで勘違いをしてしまった。
自分の「認識する形での正しさ」は絶対的な
ものだが、認識の仕方そのものに間違いが
生じる、過去の記憶と現状を照らし合わせる
ことで本当に理解されることを、現状だけで
判断するといかに滑稽に見えるか痛感させ
られた。事実に直面した俺は認識の仕方が
一般より劣っているのかを問う。だが見方を
変えれば良い面もあることに気づく、これは
自分が意識することで補うものなのだろうか
、それともやはり能力の低さから来るものな
のだろうか、価値観の違いで得意分野、不
得意分野は決定的に変わるものなのか、
自分では気づいているつもりでいた。だが
この様だ。記憶は復習や印象が強烈である
と深く残る。俺は自分の現状がとてもつまら
なく、無気力である。この面でも記憶の仕方
に問題があるのかもしれない。
524 :
考える名無しさん:05/01/28 03:02:40
なんだか落ち着いたようですね(´し_,` )
息詰まるレス合戦でしたねw
お疲れ様。
思考で煮詰まり焦げ付く息苦しさをこの頃感じます。
それにかえて、音楽を聴いたりすると
なんてまろやかな流れなんだと感じる世界があります。
ひるがえって思考こそ
自己を認識するツールとして
最適であることが分かったりして。
お前の面はその町に似合わないぞ
>>520 はい。
>>521-522 まずは主観ありきだね。人はそれを無自覚なものとしてどこかへ放って置きたいようだ。
気づいていくのは嫌な感じも伴うけど、やってみればそれなりのものだね。
>>523 きみの現状がつまらないのは満足感を得る機会が少ないからだろうか。
無気力なのは喜びを見出す気力がないのだろうか。
視点を変えるとそれなりに現状が違うように映るかもしれない。
きみの生きる目的はなんだろう。
>>524 思考は労働だから疲労するね。息苦しさを感じるなら思考を自由にしてみると少し
楽になるかもしれない。
思考を自由にするには自分が何にこだわっているかを認識することで得られる。
こだわりは目標達成には重要だが、思考を止める。すでにご存知とは思うけど。
>>525 誰の面がどの町に?
いずれにしろきみの主観であり感想はご自由だが、実際に見たの?
528 :
考える名無しさん:05/01/28 18:50:39
kさん
ちなみに質問。
好きな哲学者は誰?
好きな文学作品は何?
あ。つい荒らしてしまいました。すいません無視して下さい。
気にせずどんどん荒らしてみてくれ
その度胸はなかなかだよ
何故、「k」をコテ名にした?
>>532 ぼ ぼくはねぇ・・・。
>>531 こちらは「対話」によって有益性を築き得るスレ(まあ全てのスレが本来そうなん
だが)だから嵐は損だと捉えてるし、今はここでの対話の必要性を私的に見出せな
いので遠慮しとくよ。いつかよろしく。
>>528 >好きな哲学者は誰?
哲学者に関して詳しくないのでというか無知なので、好き嫌いを語れない。
>好きな文学作品は何?
きみのイメージする文学という枠に入るかどうかわからないが、今は桐野夏生。
尊敬するのは高村薫。
>>529 >ぼ ぼくはねぇ。筋肉マーン!
それはマンガだね。
>>530 >あ。つい荒らしてしまいました。すいません無視して下さい。
お好きにどうぞ。
>>531 >気にせずどんどん荒らしてみてくれ
荒らしはきみの得意技のひとつだね。
>>532 >何故、「k」をコテ名にした?
名前の頭文字だから。
>>533 >今はここでの対話の必要性を私的に見出せないので遠慮しとくよ。
気が向いたらどうぞ。
>>488>>489関連
気が向いたので少し思いつきを書きます。
自己の性質(性格)が演出に多分に影響されることと思いますが、例えば演出時に自意
識をまだ終えていない性質が現れることがあるでしょう。それはいわゆる小さな発見と
して喜びにもなり得る。ただ、或る程度成長した状態での例えば私には中々そういう新
たな自分の性質を発見する機会はない(それほどその必要がないとも言えるが)。
「人間の本質」との関連で60億の性質を自己の中に見出すことは可能と思いますか?
必要性は少ないが・・。念のためBは私です。まあ、役者なんかはそういう達人なのかな。
>人間の本質」との関連で60億の性質を自己の中に見出すことは可能と思いますか?
60億という数字はとても大きく、それだけの分類を「性質」に見出すのは簡単ではないね。
仮にきみの言わんとすることを、他のすべての人の性質に共感しうる要素を自ら見出せるか
という解釈変えると、それは可能だと思う。
自分の思い込みや決めつけは大切に育んできただけにそこから抜け出すことは難しい。
だが、演出をすることは十分可能。きみの指摘どおり役者はそれが仕事。上手下手はあるけどね。
そのためには自分の思い込みをよく見極めて、何気ない言動の癖や習癖に気づいてそれを
コントロールする必要がある。
つづき
終了した別スレで全く異なる言葉使いによる演出をしていたことはご存知と思う。
あれもこれもそれぞれ演出であり、感情に駆られて冷静さを失って思わず書いてしまった
ということを極力避けて書き込んでいる。
そもそも、書き込む行為自体思考とのタイムラグが自明の理。多くの人が勘違いをしている
ように見える。
kの本性を見破ったかのような記述も前スレであったが、そのようなことは誰にもできない。
自分のことすらよく理解できていないのだから、他人の本性など見出すことは不可能。
他人を自分の思い込みで固定させていたとしたら、別の面が見えたときやこちらの
きっかけで相手が別の面を出したようなときにそう感じるかもしれない。
でもそれらは自らの固定観念に気づくチャンスであり、相手に別の面が見えたことから
新たな発見をし、喜びを得るチャンスでもある。
つづき
kというのはあくまでも演出上の一個性であり、書いている本人の表現方法である事実
とは別に、書いている本人の他人との折り合いをつける上で見られる性質とはかなり異なる。
過去に幾度も書いているが、書き手本人は極めて短気ですぐに手が出る。すぐに激昂する
かと思えば極めて冷静を装うこともある。常にふざけた精神を忘れず、下品な言葉使いを
多用する。
しかしこれとてひとつの例であり、接触する相手に合わせて自分の演出はすべて意図的に変えている。
意図の本質は自分に有益であること。多くの人がその事実を見ないように頑張るためストレスが
多く生じる。
きみもどんどんいろいろな演出をするとより楽しめるかもしれない。
Bも残しておくと面白いかも。
540 :
考える名無しさん:05/01/30 13:31:43
アホクサ
541 :
考える名無しさん:05/01/31 02:16:21
kさんへ
今年のアカデミー賞にノミネートが決定しました
542 :
考える名無しさん:05/01/31 13:57:32
Bさんへ
来年のアカデミー賞にノミネートが決定しました
543 :
考える名無しさん:05/01/31 14:03:07
>>539 本人はいろいろ演出しているつもりかもしれないが、馬脚もろ見え。
>>540 >アホクサ
まったくだね。
>>541 >kさんへ 今年のアカデミー賞にノミネートが決定しました
内容を把握しているところが泣かせるね。部門はなんだろ?
>>542 >Bさんへ 来年のアカデミー賞にノミネートが決定しました
楽しいのかな?
>>543 >本人はいろいろ演出しているつもりかもしれないが、馬脚もろ見え。
晒している馬脚が見えないはずもないね。
演出とは自分の見られたくない部分を覆い隠して別の自分を見せることと仮定しているのかな?
自己の利益の優先を自覚した演出はこの場においてはいかようにもとらえられる。
きみの指摘の馬脚を具体的に書いてごらん。
545 :
考える名無しさん:05/01/31 18:37:22
kさんって理系?文系?
546 :
考える名無しさん:05/01/31 19:47:34
> きみの指摘の馬脚を具体的に書いてごらん
気になるかい?w
ふふふ、教えてあげない。
547 :
考える名無しさん:05/01/31 20:44:15
このkっていう人の書き込みを読んでいると、なんともいえないウンザリ
した気分になるんだが、どうしてなんだろう?
548 :
考える名無しさん:05/01/31 21:53:12
>>547 そうか? 俺は好きだけどね。
ただ、俺の理由と、547がウンザリする理由は同じだと思うよ。
それは、kが徹底的に冷静でいようとしてるから。
でもなんだかんだでスレを覗いているお前らが好きだ
>>542 YES.
役者繋がりなのかな モミモミ。なかなかの司会者ぶりだこと・・光栄の至り モミモミ。
551 :
考える名無しさん:05/02/04 12:53:56
皆他人が気になるんだね
552 :
考える名無しさん:05/02/04 15:16:03
自分で自分が見えないと、他人の目に頼るしかないw
553 :
考える名無しさん:05/02/05 03:31:39
映画とか没我すると普段の意識すっかり飛ぶね。
日常に浸りすぎると
大事な感覚を鈍らせるよ。
映画の効用の一つw
>>545 >kさんって理系?文系?
大学のことかな?
>>546 > 気になるかい?w
いいや。w
>ふふふ、教えてあげない。
え!!どうして?
>>547 >このkっていう人の書き込みを読んでいると、なんともいえないウンザリ
>した気分になるんだが、どうしてなんだろう?
それはきみにしかわからないよ。
うんざりするのに読んでいる事実があるなら、なぜ読みたいのかを考えてみたら?
うんざりしたくないなら読まなければそれは避けられる。
うんざりする理由が知りたければ、思ったことを分析すればわかるかもね。
いろいろ書いてくれれば協力するよ。
>>548 >それは、kが徹底的に冷静でいようとしてるから。
そのとおり。そういう演出をしている。とても簡単なことだけど、実践していない人には
難しく思えたり、むかついたり、仮面を剥がしてやると思ったりするかも。
自分が演出して書き込んでいることに気づくと面白いね。
>>549 >でもなんだかんだでスレを覗いているお前らが好きだ
そうか。
>>550 >モミモミ
モミモミって?
>>551 >皆他人が気になるんだね
そのようだね。
>>552 >自分で自分が見えないと、他人の目に頼るしかないw
そこはよく理解したいところ。
>>553 >映画とか没我すると普段の意識すっかり飛ぶね。
ある種幸せな時間かも。他のことでも類似した感覚を得ることはできるね。
この2chもそのひとつ。
幸せ感を感じる反面体は後できついことになるね。そこには気づかないことが多い。
もしくは気づいてもその場の気持ちよさを優先して、体は我慢。
>>547 君がウンザリする理由が私が同様にウンザリする理由と同じとするならば、
その答えの一つはこうだ、
このkっていう人は、ここに書き込む他人達よりも、
自分の方が何事も解っていると思い込んでいて、
すべてに上から対応する、こんな風にな↓
>>554 >いろいろ書いてくれれば協力するよ。
たまに下から対応しているように見せかけて対応する事もあるが、
それは見せかけであって、本音は常に上から見ている。
自分の方が未熟者であるなんてことは微塵も疑わないのだ、
このkって人からすれば、こうやって下々の者に自分の優秀な思想方法を教えてやることが、
世のため人のためだと固く思い込んでいるが故に、余計にウンザリする。
結果としては、中途半端な息苦しい思想を撒き散らしているだけなのに、
本人には、その自覚すらない。
また、ここまで思い込みに固まってしまった人は、
容易な事では固定観念を解いてやることすら難しい、
下々の他人が言う事などに聞く耳すら持たず、
常に自分の方が何事も解っていると思い込んでしまっているからな。
そして、見てる人間には、どうにもできないはがゆさが、ウンザリ感を生むのよ。
巧妙な技を究極まで極めても意図的な剣では、
何の意図も無い無想の念による剣には負ける。
負ける→劣る
>>557 >このkっていう人は、ここに書き込む他人達よりも、自分の方が何事も解っていると思い込んでいて
ときみが思う理由が、
>すべてに上から対応する
だとして、その具体例が
>いろいろ書いてくれれば協力するよ。
なんだね。
しかもそれは「下から対応したと見せかけた上からの対応」ということだね。
とても素敵な分析だね。でもそれはきみのとらえかたであり、kの意図するところではない。
そしてきみの意見もkの主張もそれを読む人のとらえかたでうそにも本当にも見える。
そしてきみの使用している「上下」に関しては重力関連で書いたことがあるが、人との差別化
や気持ちを動かすに適した分類だが、実体のない便宜上の概念であることも事実。
きみがそう見えるのはそれなりでしかたないが、きみの指摘した箇所の解釈がきみ個人の
ものであり、「いろいろ〜協力するよ」が下からの演出と見るかどうかは人それぞれ。
もう少しわかりやすい具体例がほしいな。
つづき
>自分の方が未熟者であるなんてことは微塵も疑わないのだ、
どこかにそういう表記があったのかな?きみはそう決め付けたいの?ちなみに最後は句点の方が
適しているような気がするよ。
>世のため人のためだと固く思い込んでいるが故に、余計にウンザリする。
それは大変申し訳ないね。でもそんなにうんざりするなら読まないという方法もあるんだよ。
また、世の中のためだと固く思い込んでいるかどうかは本人にしかわからないんだよ。
>結果としては、中途半端な息苦しい思想を撒き散らしているだけなのに、本人には、その自覚すらない。
随分kに関して詳しいようだね。でも残念ながら真理を書いている。きみのいう「思想」を具体的に書いてごらん。
つづき
>下々の他人が言う事などに聞く耳すら持たず、
いるよね、そういう人。
>常に自分の方が何事も解っていると思い込んでしまっているからな。
はは〜ん。身近にいたのかな、そういう人?
kも友人からそう指摘され罵詈雑言を浴びせられるので、きみがそう書く気持ちは推測できる。
そしてそう指摘する友人には徹底的に気になることを話してもらい、一つ一つ検証している。
また、このスレにおいてもそれは徹底しているんだよ。
きみは逃げないでそれなりに対話してくれると嬉しいんだけどな。
きみのように多くの人が類似した指摘をしたまま応答が不能になっている現状なんだよ。
どうかひとつ、逃げずにきみの意見を書いてくれないだろうか。
ちなみに例の友人は変わり者でいまだに関係を続けている。きみも頼むよ。
>そして、見てる人間には、どうにもできないはがゆさが、ウンザリ感を生むのよ。
そうだね。でも、ご自分で読むことを選択している事実にも気づこうね。
きみはこのスレを読んでちょっとうんざりしたいのかもよ。だとしたら有益(?)だね。
>>558 >巧妙な技を究極まで極めても意図的な剣では、何の意図も無い無想の念による剣には負ける。
それはきみの意見、それとも誰かの?
ちなみに無想の念による剣とはどのような剣?
>>559 >負ける→劣る
すると意味合いが異なってくるね。
意図的な剣が無想の念による剣に負けるなら判定はわかりやすいように思えるけど、
劣るとなるとどの部分がという疑問が生じる。
また、剣の世界における優劣を決定する方法としての勝負において劣るとは結果負ける
という見方もある。
ただし技巧の面は重視しないことが前提のようだから、いわゆる精神面ということかな?
私は
>>547にレスをした。
>>547の気分を私なりに分析しただけだ。
それと同時に、このスレを見ている人への私から私なりのメッセージだ。
私はkと対話するつもりは無い、
私にはkの固定観念を解くことは出来ないようだ、
何度かトライしたが無駄だった。
ウンザリすることは、もうするつもりはない。
565 :
考える名無しさん:05/02/05 12:14:34
みんな人生は個人旅行だ。
他人と共感しあえても一人旅に違いは無い。
決まった日時になれば
たった一人で帰りの飛行機に乗らなければならない。
どんなに会話が盛り上がっていてもだ。
別れは悲しい。
悲しみは人生において避けられるものではない。
それはありのままのあり様だ
その辺のクールな理解が無いと
間違ったことをしてしまう
>>564 >それと同時に、このスレを見ている人への私から私なりのメッセージだ。
よく見ているという点で、kも含まれてしまうね。
>私はkと対話するつもりは無い、
「下々の他人が言う事などに聞く耳すら持たず」ということを証明してほしいな。
>私にはkの固定観念を解くことは出来ないようだ、何度かトライしたが無駄だった。
もっとがんばってみれば?
何度かトライしたんだろ。無駄かどうかはきみの判断。kにどうなってほしいかを書いたみたのかい?
きみのようにkに意見する人はみんな逃げていくんだよ。もう少し粘ってみなよ。
きみがどのスレでトライしたのかを教えてほしいな。
そして、きみがkにどのような書き込みを期待したのかも。
>ウンザリすることは、もうするつもりはない。
見ることもうんざりだったんじゃない?いずれにしろ、うんざりさせているのはきみ自身だと思うよ。
>>565 >みんな人生は個人旅行だ。
的を射た例えだ。
>それはありのままのあり様だ
その事実認識は生きる上で重要だね。
>その辺のクールな理解が無いと間違ったことをしてしまう
自分の欲求により理想を描き成就させようとしたら、事実認識を常に意識しながら
思い込みを利用して修正しながら努力することで喜びが得られる。
間違ったこととは、自己の理想を導けない努力をしてしまうということかな。
568 :
考える名無しさん:05/02/05 12:35:15
「両親無し 親戚たらい回し」なんて環境で育つと
自分が常に中心にいないとだめな人ができるみたいですね。
自然が一番。
遺伝子は同じでも同じ人生とは限らない。
569 :
考える名無しさん:05/02/05 13:02:57
k 、なにか知りたければ教えてあげるから正直に書いてごらん。
なにもかも知ってるとは言わないがきみのぐらいなら知ってるから。
570 :
考える名無しさん:05/02/05 13:31:41
自分をみつめてく、と称しながら
自己の知りたいことすら把握できてないK.
問いもわからずに、答など出るわけもない…
そうでもない、自分を見つめていくならば、それは自分であるという事は分かるだろ。
記憶にしても、感覚にしてもだ。
572 :
考える名無しさん:05/02/05 15:31:07
>>571 なにを知りたいんだ、K、素直になれ。弁解は哲学にならないw
何を言うか。哲学、そは弁解の別名なり。
574 :
考える名無しさん:05/02/05 16:00:08
わかった、わかったw ヒトに教わるのは誰でもヤなもんだ。
過去の哲学有名人に教わるならともかく、
目の前の生きてる自分以外の者から知らされるなんて、
耐えられないよな。
おまえにとって何が大事か、よ〜〜くわかった。
少しやすめ。
575 :
考える名無しさん:05/02/05 16:16:07
>>562 >ちなみに例の友人は変わり者でいまだに関係を続けている。
そいつは、そうとうな変わり者だなw、
通常は、そんだけ、くだらねぇープライドによって積み上がり、
中途半端な、くだらねぇー頂上でふんぞり返ってるkみたいな奴には、
誰も係わり合いたく無くなるものだ、罵詈雑言を浴びせるのすら嫌になる、
すべて無駄な労力として消えてしまうんだからな。
その変わり者の友人にもそうだが、
>>574にも感謝するんだな、
通常なら、君に助言など誰もしたくなくなるもんだ、
そして私もそちら側の一人になった、もうウンザリしているからな。
それでも私からkへ、もう一度だけ、その固い思い込みを解くカギを書いてやる
巧妙な技を究極まで極めても意図的な剣では、
無念無想の何の意図も無い剣には劣る。
私からは以上だ。
オマイは、その親切な変わり者の友人か、親切な
>>574師匠か、
それ以外に、まだ他にも現れるかも知れない親切な誰かに、
これからも罵詈雑言を浴びせてもらえ、いつ奇跡が起こるとも限らんのだから・・・・
君が罵倒をあびせる時の目的はなんだ?
kをどのように変えたいんだ?明確にしてみろよ。
アプローチを変えたらどうだ?固い思いこみを持っているって
推測しているんだろ?お前自身が書いたから間違いないよな?
じゃあ今までの罵倒じゃあ無理なのかもよ。
チャンスはいつでもあるんだから色々挑戦してみろよ
幸い彼はどのようなレスにすら返答をしてくれるようだ
認識してくれるってのはそれだけでありがたいでしょ?
578 :
考える名無しさん:05/02/06 01:11:11
クリシュナムルティーのことを
鈴木大拙が
高みから見下ろしてる風で嫌いだって言ってたね
579 :
考える名無しさん:05/02/06 13:40:47
Kは、自分を知ることより、「自分で」が大切と見受ける。
たとえ自分を知ることにたどり着けないとしても…。
わかったら、スレタイ変更しよう、
「自分で見つめていく」
これなら生涯楽しめる。
580 :
547:05/02/06 19:06:04
>>564 どうやら、私が抱いている感想とだいたい同じのようだ。
581 :
547:05/02/06 19:07:38
>>557と書くべきだったかもしれないけれど、同じ人でしょ?
>>568 >「両親無し 親戚たらい回し」なんて環境で育つと
>自分が常に中心にいないとだめな人ができるみたいですね。
常に自分が中心だと思うよ。
>>569 > k 、なにか知りたければ教えてあげるから正直に書いてごらん。
きみが最も大切にしていることを教えてください。逃げないでね。
>>570 >自分をみつめてく、と称しながら自己の知りたいことすら把握できてないK.
知りたいことは、みんなが何を望んでいてどうしたいと考えているか。
>問いもわからずに、答など出るわけもない…
真理だね。
>>571 >自分を見つめていくならば、それは自分であるという事は分かるだろ。
そのとおりだ。
>>572 >なにを知りたいんだ、K、素直になれ。弁解は哲学にならないw
きみにとって何が最も大切か。
この板には弁解が多いよね。きみはいわないのかな?
>>573 >何を言うか。哲学、そは弁解の別名なり。
やっぱり。
>>574 >わかった、わかったw ヒトに教わるのは誰でもヤなもんだ。
そうだね。でもkは教えてほしいよ。
>過去の哲学有名人に教わるならともかく
過去の人には教えてもらえないんだよ。自分勝手に推測して納得するほかないよ。
>おまえにとって何が大事か、よ〜〜くわかった。
きみは何が大事?
>少しやすめ。
休んでいたよ。
>>575 >休みました。引き続きご教示を>師匠
お言葉そのままお借りします。師匠、引き続きご教示ください。
585 :
考える名無しさん:05/02/07 12:13:58
>>582=きみが最も大切にしていることを教えてください。
自分と自分の愛する者たちの幸せさ。
幸せとはいい気分で時を過ごすことだよ〜〜〜ん。
586 :
考える名無しさん:05/02/07 12:16:52
>>584 > きみは何が大事?
なんでそんなことを聞きたくなるのか、自分の心をみつめてみたらどう?
587 :
考える名無しさん:05/02/07 12:38:33
>>582=知りたいことは、みんなが何を望んでいてどうしたいと考えているか
人は限りある人生を幸せなものとするために生きている。
少しでもいい気分を味わいたいと考えてるのよ。
そしてそれは、おまえにもある。もっと言おうか、
「おまえの中にしか無い」
ヒトの中にはないということだ。
危惧だが、人を「みんな」という概念でとらえると間違う。
間違うというより、おまえ自身の問題は解決しない。
ひとまとめにできれば楽にちがいないが。
人はひとり一人でとらえるもの。
588 :
考える名無しさん:05/02/07 12:50:01
>>583=きみにとって何が最も大切か。
今日を楽しむことさ。
惹かれるもの、心動かされることに多くの時間を費やすことさ。
「今日のね」
ア・プリテリオリ!
590 :
最近、気にいった今日 :05/02/07 13:31:18
>>588 場所知らなきゃ絶対行かないだろう坂道を、
どんどん上がってってすこし下った先が地蔵の湯。
古い木造浴舎に硫黄色のかわいい湯畑。
そばには赤いエプロンの守り地蔵♪
湯の入口におバァさん。イスに腰かけ、首にかけた
タオルで額の汗ぬぐってる。
「お湯、ど〜だった?」 話しかけてみる。
「いいよぉ〜ココの湯は」と、おバァさん。
「どっから来たの」、「栃木」。男湯の戸が開き、
連れのおジィさんも参加。
「いつ来たの?」、「きのう」、「いつまでいるの?」、
「今日帰る」。「なに作ってるの?」、「お米」 。
…道端にしゃがんでおしゃべり。
農家やってて毎年ふたりで草津に来るんだという。
老夫婦の誰と比べるでもない暮らしぶりを聞く。
白髪頭に焼けた顔、刻まれた深いシワ。
笑うと眼がハニワみたいに線になる。
無防備で、つくろいのない人たち。
湯小屋前の路地は陽光ふり注ぎ、どこまでもおだやか。
旅先で時おり出くわすホッとする瞬間。
長くは続かないけど時間がとまる。旅の手応え感じる瞬間。
「…んじゃ、ぼちぼち」、腰を上げるおジイさん、
同時に席立つおバァさん…あうん。
しばらくふたりの後姿を見送る。振り返るだろうか?
振り返った。立ち止まり、笑顔でお辞儀する老夫婦。
こちらも会釈、最敬礼、「ありがとね♪」
591 :
考える名無しさん:05/02/07 13:59:10
k、聞かれたので、おれにとって大事な瞬間を具体的に紹介した。
気に入った女連れて温泉に出かけ、他意の無い人たちと時間を過ごす。
おれが満たされる瞬間のひとつだ。
どうだ、おまえの参考、おまえ自身を知ることには役に立たなかったろw
「好きなことを好きなだけ」
これがおれにとって大事なことさ。
次はおまえの番だ、k。
>>576 >そいつは、そうとうな変わり者だなw、
きみは簡単に釣られるんだね。
>その変わり者の友人にもそうだが、
>>574にも感謝するんだな、
そうだね。でも感謝するかどうかは各人の自由なんだよ。
>それでも私からkへ、もう一度だけ、その固い思い込みを解くカギを書いてやる
具体的に固い思い込みを示してごらん。がんばれ。
>巧妙な技を究極まで極めても意図的な剣では、
>無念無想の何の意図も無い剣には劣る。
剣は本来殺し合いの道具であり、先(せん)を取ったものが勝つ。
無念無想にしろ何の意図もないにしろ世迷言。技術のない剣に先は取れない。
どこの道場でも技術を極めることを優先しないところはないと思うよ。精神は同時に養うんだよ。
>これからも罵詈雑言を浴びせてもらえ、
よほどkが気になるんだね。でも対話はしないんだね。及び腰の助言では期待通りの効果は
発揮できないと思うよ。単なるいい逃げに終わらせないでがんばってみたら?
>>577 >じゃあ今までの罵倒じゃあ無理なのかもよ。
そこに気づきたいところだね。
彼はご自分の方法がkに適切だと考えて何度か試みたんだろうな。
ところが期待通りの効果が出ていない。それをkのせいにしたがっている。
でもご自分の方法を見直すということも目的達成には必要だろうね。
>>578 >クリシュナムルティーのことを 鈴木大拙が高みから見下ろしてる風で嫌いだって言ってたね
へ〜。鈴木さんはそういう雰囲気を感じ取ってそれを嫌いだという人なんだね。
>>579 >Kは、自分を知ることより、「自分で」が大切と見受ける。
自分を知った結果、自分を含めた環境を主観による認識でとらえていることに気づいたんだよ。
しらないの?
>わかったら、スレタイ変更しよう、「自分で見つめていく」これなら生涯楽しめる。
自分は自分でみつめるほかないんだよ。
>>580 >どうやら、私が抱いている感想とだいたい同じのようだ。
そうですか。だいたいね。
>>581 >
>>557と書くべきだったかもしれないけれど、同じ人でしょ?
どうなんでしょ?
>>585 >幸せとはいい気分で時を過ごすことだよ〜〜〜ん。
生理学的にいうとそういう気分にさせる神経伝達物質が脳内で分泌されているんだろうね。
>>586 >なんでそんなことを聞きたくなるのか、自分の心をみつめてみたらどう?
その質問は本末転倒ではないかな?
きみがkに聞きたいことはないかと尋ね、一方的にkの大事なことを決め付けているようだよ。
>>587 >人は限りある人生を幸せなものとするために生きている。
そうだろうね。
>ひとまとめにできれば楽にちがいないが。
そうだね。
>人はひとり一人でとらえるもの。
そのとおり。だから一人一人に問い掛けているんだよ。きみが一般化して書いているよ。
「人は限りある人生を幸せなものとするために生きている。」と。
kはそれをこのスレの住人に確認しようとしているんだよ。決め付けるのはどうかな。
596 :
考える名無しさん:05/02/07 17:10:18
> その質問は本末転倒ではないかな?
> きみがkに聞きたいことはないかと尋ね、一方的にkの大事なことを決め付けているようだよ。
だれかと間違えているようだね。空想上の相手と好きなだけ一人相撲してればいい。
>>588 >今日を楽しむことさ。
素敵だな。
>>589 ア・プリテリオリ!
説明して。
>>590 >>588 素敵な雰囲気を楽しめる情景が連想できるね。
>>591 >どうだ、おまえの参考、おまえ自身を知ることには役に立たなかったろw
きみ自身を知る参考になることが、きみにとって役に立つんじゃないかな?
>「好きなことを好きなだけ」
理想だね。
>次はおまえの番だ、k。
へえ、そうなのか。kの番が来たんだね。でも何度となく書いているよ。
瞬時の自己認識による喜びの体感が理想であり、現実は自分の気持ちを大切にしている。
>>596 >だれかと間違えているようだね。空想上の相手と好きなだけ一人相撲してればいい。
間違えていたのなら失礼。でも決め付けているのは同じスレに見受けられるよ。
「空想上の相手と好きなだけ一人相撲してればいい」んだね。
いいかどうかはきみの主観だけど、レスは視点を変えれば一人相撲だよ。
揶揄するにしてもそれは君自身に返るものでもあると思うから、稚拙なものはいかがかな?
>>598 2行目「同じスレ」は「同じレス」に変更。ちなみにそのレスは
>>574 >わかった、わかったw ヒトに教わるのは誰でもヤなもんだ。
>過去の哲学有名人に教わるならともかく、
>目の前の生きてる自分以外の者から知らされるなんて、
>耐えられないよな。
と決め付けていると見える表記がある。続いて
>おまえにとって何が大事か、よ〜〜くわかった。
とあるから、kの大事なことがわかったきみにとっての大事なことを聞きたくなったんだよ。
ダメだこりゃ!
テーテレッテ、テーテン♪
ズンチャッチャ、ズンチャチャ、ズンチャチャチャー♪
601 :
考える名無しさん:05/02/07 18:44:40
>>597 k 、ほかになにか知りたければ教えてあげるから正直に書いてごらん。
602 :
考える名無しさん:05/02/07 19:00:48 ID:ftHTR0x0 BE:94363968-
流れ止めるようで悪いんだけど・・・
俺は、レスに全部返すとか、某エロサイトの掲示板にまでkって書き込
んじゃう律儀さとかを考えると、どうしてもkが嫌な奴だとは思えない
んだけどねぇ〜。
603 :
考える名無しさん:05/02/07 19:07:59
>>602 「誰にとっても k が嫌な奴だ」と、誰かが言ってるの?
604 :
考える名無しさん:05/02/07 19:20:39 ID:ftHTR0x0 BE:31455528-
605 :
考える名無しさん:05/02/07 19:25:44
>>604 流れが、「誰にとっても k が嫌な奴だ」なの?
606 :
考える名無しさん:05/02/07 19:35:20 ID:WFQWGClM BE:47181683-
>>605 じゃないよ。本当は分かってるんでしょ?
そういうこと。
下へ落す者が現れれば、上へ持ち上げる者が現れる。
自ら下へ下へと謙れば、上へ上へと持ち上げられる。
自ら上へ上へと自惚れれば、下へ下へと落される。
他人を縛ろう縛ろうとすれば、逃げられる。
縛ろうとしなければ、他人も逃げる必要などないのだから、誰も逃げないのだ。
608 :
考える名無しさん:05/02/07 19:44:55
609 :
考える名無しさん:05/02/07 19:46:28
kじゃないやつに聞きたいけどみんなはここを読んだり
書き込みしたりして何を学習しましたか
興味あるよ
>>607 縛ろうとしていなくても縛っていると認識された場合
逃げられるという結果が起こることもあるようだよ
何もしていなくてもどっか行っちゃう場合もあるね
縛りのテクニックが浅いんじゃないのかな
612 :
考える名無しさん:05/02/07 19:57:09 ID:WFQWGClM BE:7864122-
>>611 な〜に、元々縛るつもりなどないのだから、ほっておけば良しだ。
614 :
考える名無しさん:05/02/07 20:12:19
>>610 このスレって k が学習するのを手伝うスレでしょ?
k が自分をみつめていくのを?
違うの?
615 :
考える名無しさん:05/02/07 20:26:48
ここのぞき始めたばかりなんで詳しくは知らないけど。
k は返事書きつつ学んでるんじゃないの?
こっちに学ぶこと無いけど、それでもいいんじゃない?
お役に立てればさ。
616 :
考える名無しさん:05/02/07 20:43:37
とゆうよりは横山ノックだな
>>600 >ダメだこりゃ!
今は亡きいかりや奏法の発案者の決めゼリフだね。
どこがダメなのかを詳しく書いてほしいな。
>>601 >k 、ほかになにか知りたければ教えてあげるから正直に書いてごらん。
1.きみが大切にしていること。2.きみの願望。3.きみの嫌だと思うこと。4.きみの好きなこと。
5.きみの回りの環境をどうしたいと考えているか。6.きみはどうなりたいのか。
7.きみはしあわせか。8.きみにとってのしあわせとは何か。9.しあわせのメカニズムをどうとらえているか。
10.しあわせになる具体的方法についてどう考えているか。
11.他人のしあわせそうな姿をきみがどうとらえるか。12.不幸そうな姿をどうとらえるか。
13.マスメディアで得る情報をどうとらえているか。14.それらの認識をきみはどうとらえているか。
15.きみは自分の認識をどのようにとらえているか。16.他人の認識をどうきみの中で処理しているか。
17.きみの生き方を決める根拠をどこにおいているか。
>>602 >流れ止めるようで悪いんだけど・・・
このスレには止まって困るような流れはないよ。
>どうしてもkが嫌な奴だとは思えないんだけどねぇ〜。
そうだね。どうにでも取れる演出をしているからね。
きみはkの行動を考慮した感想を書いた。きみ以外の人の中にはkの文章表現、特に文体や
使用語句、語尾などから連想されることをその人なりに解釈した感想を持っている様子。
この文章表現による演出の目的は、甘えや依存を排除した文章表現により内容に目を向けてもらうこと。
最近行われているやりとりはいままでも繰り返し行われていることであり、とらえる人がその人の体験に
基づいてパターン化させた人物像をそこに見出している。
それらはその人たちの自由であり、このスレの本筋と無関係に見えるそれらが面白いので徹底的に付き合う。
それらのやりとりもこのスレの目的のひとつでもあり、傍観者がそこから何かを見出す可能性もある。
今回の原因は某スレにこのスレを晒した結果。無論自分でしたこと。意図がある。
>>603 >「誰にとっても k が嫌な奴だ」と、誰かが言ってるの?
なんか凄い嫌な奴になったみたいだね。
>>604 >だから、流れの話さ。
確かに流れはそんな感じにもとらえられるね。
>>605 >流れが、「誰にとっても k が嫌な奴だ」なの?
そういう側面も見えるけど、そうばかりでもないね。
>>606 >じゃないよ。本当は分かってるんでしょ?そういうこと。
かもしれないけど、疑問点はしっかり確認しあわないと誤解のまま思い込むことになるね。
>>607 >下へ落す者が現れれば、上へ持ち上げる者が現れる。
ひとつの事象のとらえ方は人それぞれだからね。
>自ら下へ下へと謙れば、上へ上へと持ち上げられる。自ら上へ上へと自惚れれば、下へ下へと落される。
これはリーダーとなる人がよく理解しておくと利便性が高そうだね。
>縛ろうとしなければ、他人も逃げる必要などないのだから、誰も逃げないのだ。
逃げないかどうかは実際にやってみないとわからないだろうけど、その傾向は高そうだね。
好きだとか愛しているなどという対象に対しては、きみの指摘どおり相手の気持ちの操作を
誤って逆の事をして不利益な結果を招くことがよくあるね。
>>608 >わかるように書かないと書いた意味ない
相手に伝えたいと仮定した場合はそうだね。書きたいという目的が優先して書いている人も多いようだよ。
>>609 >誰かに逃げられたの?
まるでkがする質問のようだね。素朴な質問は相手を傷つけたり、嫌われたりする結果を招くことがある。
でも、原因は質問者側だけではないと思うな。
>>610 >みんなはここを読んだり 書き込みしたりして何を学習しましたか興味あるよ
きみはどうなんだろうね。
その気があればどのようなものからも価値は見出せるよ。
>>611 >逃げられるという結果が起こることもあるようだよ
そうだね。
「逃げる」という語彙から連想される情景は、ある対象を捕まえておきたいというある主体の
願望が見える。つまりは誰かが何かを捕まえておきたいという気持ちを優先するがあまり・・・・
>何もしていなくてもどっか行っちゃう場合もあるね
そうだね。そしてその場合逃げたのではなく、その場所から移動したということかもしれない。
>縛りのテクニックが浅いんじゃないのかな
上に示した・・・のところがそれだ。テクニックが稚拙だと望んだ結果を招きにくい。
人は自分の気持ちを優先するあまり、相手を惹きつけるテクニックを怠るかもしれない。
犯罪者の中でもそのテクニック(意図的かどうかはしらないけど)を結果用いて、人質
と仲良くなる人もいるね。
>>612 >絡むねぇ〜
とらえかただよ。相互の自己主張において折り合いをつけるには、思いついたことや疑問点は
とりあえず相手に伝えることが必然。多くの場合一方通行だったり、我慢したり。
喧嘩は不利益が多いけど、ストレスを溜めないように工夫することで利が得られる。
>>613 >な〜に、元々縛るつもりなどないのだから、ほっておけば良しだ。
誰が何に対しての話?
元々縛るつもりがないなら、元々逃げる状態も発生しないと思うよ。
>>614 >このスレって k が学習するのを手伝うスレでしょ?
違うよ。どこかにそう書いてあったのかな?
>k が自分をみつめていくのを?
自分でやっていうから他の人にもいかがですか?と提案しているスレだよ。
>違うの?
違うよ。きみのレスは素朴な疑問にも見えるし、意図的な揶揄にも見えるね。
きみのその疑問の根拠はスレタイから連想されたきみなりの感想ではないのかな?
それならばその質問がわからないでもないが、レスをいくつか読めばそういうとらえかた
にはなりにくいと思うよ。むろんきみの自由だけど。
>>615 >ここのぞき始めたばかりなんで詳しくは知らないけど。k は返事書きつつ学んでるんじゃないの?
詳しく知らない割には鋭いね、っていうかそれはみな気づいていないかもしれないけど真理だよ。
>こっちに学ぶこと無いけど、それでもいいんじゃない?お役に立てればさ。
そのとおりだね。
でもやはり表現の稚拙さが際立つような感を覚えるな。
あえて「こっちに学ぶことないけど」と決め付ける辺りがいかにもだよ。
きみは覗きはじめたばかりということなら、決め付けるには早計ではないかな?
なおかつkは学習するとも決め付けている。揶揄するにしてももっと創意工夫したほうが
学習させてもらえるのでよろしくお願いします。
それから、いいかどうかはご自分で決めるんだよ。確認したい?
>>616 >とゆうよりは横山ノックだな
?
624 :
考える名無しさん:05/02/08 11:02:18
>この文章表現による演出の目的は、甘えや依存を排除した文章表現により内容に目を向けてもらうこと。
問題解決をするための基本姿勢だと思う。Kはこの板向きだよ。
>>624 >問題解決をするための基本姿勢だと思う。
そうだね。
逆説的にいえば、合理的に問題解決を望むならば一般的に認知されたとそれぞれが思い込んでいる
甘えや依存を「もしかしたら自分だけの思い込みかもしれない」くらいの認識を持たなければ、
その点で折り合いが付かず互いの思い込みを糾弾することのみに終始して問題解決を見ない。
素朴な疑問を発すること、そしてそれに対して素直に応答すること。
これは基本であり、問題解決には極めて重要だが、このスレを見るだけでもそれらが困難なこと
のような印象を受けざるを得ない。その事実の認識も生きる上では極めて重要。
ちなみにここで扱った甘えや依存とは、文章表現上における相手の気持ちを操作する為の技術のこと。
それらは意図的に使用しているはずだが気づかずに使う人もいる。
626 :
考える名無しさん:05/02/08 11:46:52
kももうちょっと自分を見つめたほうがいいんじゃないか?
自分を見つめていくことには限界がある。
人間一人が生涯に持ちうる情報などゴミのようだ。
自分と社会との接点、社会の中での自分の立ち位置、社会の動態、周辺の環境、人間関係、今後の自分の行為、
これらに目を向けることがより有意義な人生を送る上において重要ではないだろうか。
ひとつのスレに常駐し、その中での個を形成することは、上記の要件からかんがみれば、
より小さな個へと収束してしまう、あまり健全な時間の消費には感じられない。
>>626 >kももうちょっと自分を見つめたほうがいいんじゃないか?
細かく指摘してごらん。
そういう指摘は過去にもいくつもあるんだけど、このスレ主kはそう指摘され続けている。
きみがせっかくそう書き込んだ背景に、kに関する君なりの意見があるのだとしたら
それを明確に表現した方がきみの書き込みがより意味を持って伝わると思うよ。
どうぞ。
>>627 >自分を見つめていくことには限界がある。
それは実践をし終えてからの発言でないと説得力がないと思うよ。
>人間一人が生涯に持ちうる情報などゴミのようだ。
とらえかただけどね。
>これらに目を向けることがより有意義な人生を送る上において重要ではないだろうか。
よく考えてごらん。
それらが必然であることは自明の理だよ。
このスレで書いているのは、きみが提示した事柄を認識する主体の受け取り方によって
それらの事象の見え方が変わることの認識が必要だということ。
きみは気分で世の中が変わって見えたりしないのかい?
その事実認識の重要性を書いているんだよ。
>ひとつのスレに常駐し、その中での個を形成することは、上記の要件からかんがみれば、
>より小さな個へと収束してしまう、あまり健全な時間の消費には感じられない。
そうかもしれないけど、あまり説得力のない批判だな。
kは常駐しているわけではない。そう見えるだろうが、長いスパンで見たり、局所で見ることで
「常駐」の認識も変わるだろう。
kは社会的に生活していて、仕事の合間に書き込んでいる。また、他のスレも見ているし、
ましてやこのスレに書き込むことが生活の大半などでもない。
きみがそう思うのは自由だが、もう少しこのスレを読んでみると見識が変わるかも知れない。
ふふふ、さらりとかわしてくれましたね。
>もう少しこのスレを読んでみると見識が変わるかも知れない。
あなたの指摘はごもっとも、私は数レスしか読んでいないのでw
ちょっと遊ばせてもらいました。
だが、中心とでもいうべきか、自分を、
深く見つめようとすると、分からなくなってしまう。
これはいったい、どういうことか?
そこから得られる答えとはなんだね。
632 :
考える名無しさん:05/02/08 12:27:20
>>628 kがここでこういうことを書いている意図は、自分では何だと思っているの?
太陽系の中心は太陽。
しかし、自分が中心にあるという世界観をするとつまらない。
引きこもっている時、私は太陽だった。
銀河系の中心から太陽系は遠く離れている。
普通に仕事をするようになってから、少しは銀河系から離れてみたいと思えるようになった。
自分の知らない世界への旅は、感動と興奮が待ち受けている。
>>630 >ふふふ、さらりとかわしてくれましたね。
真正面から向き合うようなつもりで書いたんだよ。
ちなみに
>>625に記した依存甘えの文章表現の一例として
>ふふふ
>w
などが挙げられる。無断で借用しました。ごめんね(これも依存)。
>>631 >だが、中心とでもいうべきか、自分を、深く見つめようとすると、分からなくなってしまう。
自分の思い込みや決め付けに気づいたいないとか、自分の本当にしたいことに気づいたいない
などの理由が挙げられるね。
>これはいったい、どういうことか?
思考はエネルギー消費が高いんじゃないかな?人は恒常性の維持の為だかなんだかしらないけど
省エネ体質のように見えるよ。つまり、考えることを極力避けて、決まったパターン化を踏襲すること
で楽な感じを得ようと努めているように思える。
>そこから得られる答えとはなんだね。
人は体を動かしたり、考えたりすることがめんどくさい。と同時に自己の願望を達成させようと
願っている。要するにそこにいわゆる矛盾が見える。
人はその時点において悩んだり苦しんだりすることが多い。まず間違いなく死ぬことを学習している
にもかかわらず。
きみはどう生きたいのか、死にたいのか。そういうことを考えていこうとするのが
このスレの目的のひとつ。
>>632 >kがここでこういうことを書いている意図は、自分では何だと思っているの?
本質的には自己の満足を得るための手段だよ。
もう少し説明すると、いろいろな人の主張を知りたい。もっと突っ込むと、いろいろな人の
気づきを促したい。もっというとすべての人にとって納得のいく生きかたの実現。
>>633 >引きこもっている時、私は太陽だった。
面白い例えだね。でもきみは太陽ではないだろ。
>普通に仕事をするようになってから、少しは銀河系から離れてみたいと思えるようになった。
そうか。
>自分の知らない世界への旅は、感動と興奮が待ち受けている。
そうだね。きみが知っていると思い込んでいるものがあるとしたら、それに関する別の見識も
きみの指摘どおりの知らない世界に見えるかもしれないよ。そこには感動と興奮が待ち受けている。
そして、周りを見回せば無限に発見できる。しかも自分に意識を向けるとそこにも無限の
知らない自己を発見できる。
636 :
632:05/02/08 12:45:51
>>635 自分の気づきを深めたいという気持ちはkにはないの?
>>636 >自分の気づきを深めたいという気持ちはkにはないの?
「深めたい」ときみが示した意味合いとは異なるかもしれないけど、常に気づき続ける
努力を怠らないように心がけているよ。
638 :
考える名無しさん:05/02/08 13:05:09
>>637 ここでの自分の発言の意図については、知っていると思ってる?
>面白い例えだね。でもきみは太陽ではないだろ。
なぜ、そう思いますか?
>自分の知らない世界への旅
これは必ずしも物理的な距離を言っているわけではない。
>きみが知っていると思い込んでいるものがあるとしたら、それに関する別の見識も
>きみの指摘どおりの知らない世界に見えるかもしれないよ。そこには感動と興奮が待ち受けている。
>そして、周りを見回せば無限に発見できる。
これは同意、というか「自分の知らない世界への旅」という言葉に含意しているものとして私は書いた。
>しかも自分に意識を向けるとそこにも無限の知らない自己を発見できる。
これには完全には同意できない。
「自分に意識を向ける」という行為に、なにやらのどに物が詰まったような不健康さを感じる。
私自身、その行為を度々繰り返したことがあったが、奈落の底へ落ちていくような絶望感をひしひしと感じてきた。
「無限の知らない自己」を発見するためのきっかけは、意識の深淵にあるのではなく、
自分を内包する世界へまず目を向けることから始まると思っている。
例えば、私が「自分に意識を向ける」という行為のきっかけとして、
このスレ(自分を内包する世界)のあなた(自分ではない何者か)の言葉に目を向け、
自身の行為や意識について内省し、「無限の知らない自己(気付かなかった自分の別の側面)」を
発見するきっかけになるかもしれない。
孤独に黙々と思考するにしても、やはり自分以外の「何者か」、「自分を内包する世界」へと目を向ける方が
「無限の知らない自己」を開拓していくためにも、より建設的で健康的だと考えている。
641 :
考える名無しさん:05/02/08 13:45:22
>>617 1.きみが大切にしていること。
------------------------------------------------
強いてあげるなら、生きていること
2.きみの願望。
------------------------------------------------
愛する者のたちが幸せでいること
3.きみの嫌だと思うこと。
------------------------------------------------
神経を逆撫でされること
4.きみの好きなこと。
------------------------------------------------
好きな女と温泉廻りしたり、南の島で過ごすこと
5.きみの回りの環境をどうしたいと考えているか。
------------------------------------------------
考えてない
6.きみはどうなりたいのか。
------------------------------------------------
やりたい事を実現できる者でありたい
7.きみはしあわせか。
------------------------------------------------
しあわせだ
8.きみにとってのしあわせとは何か。
------------------------------------------------
好きなことを好きなだけやること
理由はなにもない。あるといえば、あるんだろうが
ないといえば、ない。むしろ、
そうしていたいといった方が近いのか。
>思考はエネルギー消費が高いんじゃないかな?
そうまでして思考が作り出すものとは、なんだ?
>きみはどう生きたいのか、死にたいのか。
さて、どうしたものだろうな。
>>633 太陽は、象徴のように思えたよ。
643 :
つづき :05/02/08 13:49:01
9.しあわせのメカニズムをどうとらえているか。
------------------------------------------------
@自分がどうすればいい気分でいられるかを知っている
Aそれに向かって行動している(できるだけ多くの時間を
10.しあわせになる具体的方法についてどう考えているか。
------------------------------------------------
上の@Aにつながるなら具体的方法はどれでもよい
11.他人のしあわせそうな姿をきみがどうとらえるか。
------------------------------------------------
自らすすんでなにかに没頭してる様
12.不幸そうな姿をどうとらえるか。
------------------------------------------------
したい事が見つからず、ヒトにつられ自分を見失ってる状態
13.マスメディアで得る情報をどうとらえているか。
------------------------------------------------
これは本当だなと感じた部分だけを当面の真実として受け容れる
14.それらの認識をきみはどうとらえているか。
------------------------------------------------
それらの認識とは?
644 :
つづき :05/02/08 13:51:09
15.きみは自分の認識をどのようにとらえているか。
------------------------------------------------
本能を除けば、自己の認識とはもっとも頼りになる自我。
16.他人の認識をどうきみの中で処理しているか。
------------------------------------------------
何の処理もしない。求める事のある時は真実(事実)のみ拾う
17.きみの生き方を決める根拠をどこにおいているか。
------------------------------------------------
主に自分の本能、直感。ときどき愛する者の希望、流されるw
>>思考はエネルギー消費が高いんじゃないかな?
>そうまでして思考が作り出すものとは、なんだ?
思考が作り出すものは行為。その総体として現在の人間世界がある。その程度の認識で問題ないだろう。
646 :
考える名無しさん:05/02/08 14:07:03
なぁ k、 質問すこしずつにしないかw
>>621 ふむその気になればどのようなものにも価値を見いだせる
俺のテクニックというか捉え方が甘いのかそのような表現は
非常に興味がわく発言だよ
具体的にkなりに一般人の多くのひとが価値を見いだしていないだろうであろう
現象にたいしての価値を見いだす捉え方を提示してくれるとありがたいなあ
またその捉え方ができるまでにはやはり自分をみつめること
をしていったのかなあ
ききたいね
縛ろうとしているのはkのことさ。自分を見つめてみな。
649 :
付けたし :05/02/08 23:46:54
>>643 11.他人のしあわせそうな姿をきみがどうとらえるか。
------------------------------------------------
感動する
12.不幸そうな姿をどうとらえるか。
------------------------------------------------
なんとかしてあげたいと思う
kよ、おまえの投げかけた17の問いに対する自分の答を書いてみてくれ
650 :
考える名無しさん:05/02/09 12:57:12
自分のゆびをつめていく。
651 :
考える名無しさん:05/02/09 13:32:55
くび?
テクニックは、どこまで極めようとテクニックの域を越えられない。
「縛りたければ縛らないこと」←これが究極奥義だ。
とまあ、言葉にして表現すると完璧に矛盾なんだが(微笑
要するに、作為的なものは捨て、縛ることも縛らないことも考えずに、
各々の者が自然に任せて自由にすること、させてやることだ。
そうすれば、自然と各々が納まるところに納まる。それでいい。
653 :
考える名無しさん:05/02/09 20:08:06
れば?
例えば、一般的な恋愛であると、自己の内部に何かがあるという事であろう。
拒否されれば、それ以上追いかけるという事は自己の外部において無い。
外部において、何事かをするという事は外部における何かである、という事だ。
内部にある何かなら、内部に常にあるので、内部に合致する対象が外部にあれば、
そちらに行くという事だ。
従って、外部において、それは何であるかだ。或いは、内部において、それは何かだ。
655 :
考える名無しさん:05/02/09 20:46:27
なら、れば?
条件文を肯定文に変換するという習慣はあるかい?
>>653 ちみは、相も変わらずウルサイ奴だな〜
ちみは、
>>652の最後の行
>そうすれば、
を省いて読みやがれ。
658 :
考える名無しさん:05/02/09 21:36:29
かい?
659 :
考える名無しさん:05/02/09 21:37:18
人間、相手をやっつけたいと思うことがあるのは、やむをえない。
ましてやイデオロギーが違ったり、考えが大きく異なる人間に対しては、悪く言いたくなるのも無理はない。
しかし「知性を計量する」などという、本来不可能なことを僭称してまでも、他人をバカ呼ばわりするのは、
知性も品性もない人間の所業と言うべきだろう。
>>652 君の認識が狭いと俺は判断するよ
とても漠然としているので実践を伴っての結論じゃないと推測
こうあるべきだと思ってないかな?
それともそういう状態を演じることが君の満足につながるのかな?
某スレの大阪のおっさんを思い出すな
結果を急いで欲しがる奴にゃーわかんねぇーだろうさ
664 :
考える名無しさん:05/02/09 23:56:40
知性や品性がそんなに大事なことか?
そうだというなら、知性がなんであり
品性がなにかを語ってもらう必要がある。
665 :
考える名無しさん:05/02/10 03:23:18
そういうものは醸し出されてしまうものなんだな〜
666 :
考える名無しさん:05/02/10 03:58:56
各人が勝手に解釈してイイと?
究極のテクニックはテクニックを使わないこと。
テクニックを使おうという意識が無いこと。
つまり自然体とでも言おうか。
結局はそこに辿り着く。
これぞ究極奥義。
そうかもしれないね
>>638 >ここでの自分の発言の意図については、知っていると思ってる?
思ってるよ。
>>639 >なぜ、そう思いますか?
太陽は例えであって、きみは人間かと推測したから。
>「自分に意識を向ける」という行為に、なにやらのどに物が詰まったような不健康さを感じる。
自分の言動に注意を向けずに不利益を被っていることにまずは気づいたら?
自分が思い描く適切な言動を取っているかのチェックを怠る言い訳でしかないよ。
>「無限の知らない自己」を発見するためのきっかけは、意識の深淵にあるのではなく
深淵とか思うからわからなくなるんじゃない?
細かく見ていけばわかることだよ。嫌にはなるだろうけど。
>自分を内包する世界へまず目を向けることから始まると思っている。
その世界を認識しているのがきみの主観であることを少し考えてごらん。
主観のよりどころのひとつはきみの感覚。感覚は常に変わる可能性がある。とても曖昧で繊細で
なおかつ鋭敏な要素も含む。
きみの見ている世界はきみの思考が自由になることで見え方が変わるかもしれないよ。
>>640 >孤独に黙々と思考するにしても、やはり自分以外の「何者か」、「自分を内包する世界」へと目を向ける方が
>「無限の知らない自己」を開拓していくためにも、より建設的で健康的だと考えている。
そのとおりだね。
「他」は自分を見つめるきっかけとして利用価値が極めて高い。
でもあくまでも利用するきみの利に叶うから意味がある。
その認識なしに行動することが自己を見失うことに繋がる。
きみは自己の利益のために他を利用しようとすることの有用性を説いているんだよ。
その事実に気づくことがここで書いている「自己認識」なんだよ。
>>641 >強いてあげるなら、生きていること
ということはそれほど大切にしていることはないという認識なのかな?
>愛する者のたちが幸せでいること
それはきみがそう思える状態の実現ということかな?
>神経を逆撫でされること
きみにとっての不利益の認識ということかな?
>好きな女と温泉廻りしたり、南の島で過ごすこと
それはなぜかな?そういうことで気分が良くなる気がするからだろうか。
>>きみの回りの環境をどうしたいと考えているか。
>考えてない
きみが好きな女と温泉いけることは無関係だと思うかい?きみのまわりの環境が大きく関係している
んじゃないかな?
>やりたい事を実現できる者でありたい
そういう気持ちを大切にしないと実現は難しいと思ううよ。加えて環境も考慮しないと。
>しあわせだ 好きなことを好きなだけやること
好きなことが好きなだけやれていると思い込んでしあわせなのかい?
それとも本当にそのとおり?そうでないときはない?見ない?
>>642 >理由はなにもない。あるといえば、あるんだろうがないといえば、ない。
気づいていない理由は自分をよく見ていないからじゃない?
>そうまでして思考が作り出すものとは、なんだ?
自己の喜びや悲しみ。
>さて、どうしたものだろうな。
そういうことは生きる上で重要なんだよ。よく考えてみたら?
>>643 >@自分がどうすればいい気分でいられるかを知っている
具体的にどういうことか書いてもらえる?
>Aそれに向かって行動している(できるだけ多くの時間を
そうだね。方法も重要だね。
>上の@Aにつながるなら具体的方法はどれでもよい
そうだね。きみにとっての方法を具体的にお願いしたいな。
>自らすすんでなにかに没頭してる様
そういう風に見えると幸せそうな感じがするということかな?
他人のことはわからないね。
>したい事が見つからず、ヒトにつられ自分を見失ってる状態
主体性が見出せないということだね。確かにそういう感じがするけど、好きな人についていくこと
で喜びを得ている人もいるんじゃない?例えば女と温泉に行くきみとか、きみといく女とか。
>これは本当だなと感じた部分だけを当面の真実として受け容れる
きみが取捨選択しているということだね。
>それらの認識とは?
マスメディアその他に対する認識。
温泉がすきなんだな
>>644 >本能を除けば、自己の認識とはもっとも頼りになる自我。
本能は認識しないの?
>何の処理もしない。求める事のある時は真実(事実)のみ拾う
真実かどうかはどうやって決めるの?
>主に自分の本能、直感。ときどき愛する者の希望、流されるw
前の三つは主観的かな?最後のはどんな感じ?「楽」かな、流されるのは?
>>645 >思考が作り出すものは行為。その総体として現在の人間世界がある。その程度の認識で問題ないだろう。
なるほど。そのとおりだね。
>>646 >なぁ k、 質問すこしずつにしないかw
なぜ?そういう要求はなかったよ。少しずつ答えることもできるね。
kは多くの人とやりとりをしているので便宜上ご了承いただきたい。
>>647 :610:05/02/08 19:50:03
>現象にたいしての価値を見いだす捉え方を提示してくれるとありがたいなあ
このスレでそれを紹介しているよ。これからも。
きみが何か示してくれればそれに関して主観を書くこともできる。
>またその捉え方ができるまでにはやはり自分をみつめることをしていったのかなあ
そうだよ。
自分がラッキーでないことをどれだけ悔やんだところで生じた現象は変わらない。
その現象をとらえる主観をコントロールすることで喜びにも苦しみにも変化させられる
ことに気づいた。そしてその気づきはみんなしているんじゃないかな?
それを瞬時にやり続けることの有用性にも気づいたんだよ。はじめは大変かもしれないけど。
>>648 >縛ろうとしているのはkのことさ。自分を見つめてみな。
文意が伝わらないので補足をお願い。
誰かが何かを縛ろうとしていた。それはkのこと。という意味?
それとも揶揄的にkが何かを縛っていると表現したかったのかな?だとしたら
「縛ろうとしているのはkの方さ」というようになりそうだけど、いかが?
677 :
考える名無しさん:05/02/10 12:04:45
>>671 1.きみが大切にしていること。
強いてあげるなら、生きていること
ということはそれほど大切にしていることはないという認識なのかな?
------------------------------------------------
それほど大切にしていることはない、というのは「きみの」認識だw
おれのじゃない。
>>649 >感動する
他人がしあわせだという認識がきみの気持ちを動かすということだね。
>なんとかしてあげたいと思う
上と同様、他人の不幸の認識はきみの気持ちを動かすということだね。
>kよ、おまえの投げかけた17の問いに対する自分の答を書いてみてくれ
1.きみが大切にしていること。 自分の気持ち
2.きみの願望。 喜びを得ること。納得。満足
3.きみの嫌だと思うこと。 自分に不利益と判断したときの対象
4.きみの好きなこと。 喜びを得られたときの対象、またはそれを実現しやすい対象
5.きみの回りの環境をどうしたいと考えているか。 自分の願望の実現に適したものとなってほしい
6.きみはどうなりたいのか。 喜びを体感しつつ生きられるように
7.きみはしあわせか そういう瞬間は多くあるが、しあわせだと言い切ることはできない
679 :
考える名無しさん:05/02/10 12:12:25
>>671 2.きみの願望。
愛する者のたちが幸せでいること
それはきみがそう思える状態の実現ということかな?
------------------------------------------------
きみが願望という言葉を「おれの実現可能なもの」と
いう意味で用いたのなら、そうだ。
もし違うならきみのいう願望の意味はなんだ?
つづき
8.きみにとってのしあわせとは何か。 自分の認識しうる状況を納得し満足し喜べる状況だと
思い込めること
9.しあわせのメカニズムをどうとらえているか。 脳内の神経伝達物質の内喜びを得た感じのする
ものを分泌させること
>10.しあわせになる具体的方法についてどう考えているか。
徹底的に自己分析を行い、幸せ感を得られる対象を見出し、それによって幸せ感を得る努力をする
11.他人のしあわせそうな姿をきみがどうとらえるか。 しあわせそうだなと認識できれば安心する
12.不幸そうな姿をどうとらえるか。 嫌いな相手の場合ざまあ見ろと思うが、次第に
哀れを感じて嫌になってくる そういう相手でなければ、はじめから嫌な気分がする
13.マスメディアで得る情報をどうとらえているか。 人の本質がよく見えて面白い
14.それらの認識をきみはどうとらえているか。 その場の自己の興味の対象と関連して取捨選択
する自分を楽しみながら 変化する感情の移ろいを喜んでいる
15.きみは自分の認識をどのようにとらえているか。 知覚に左右されるいい加減なもの
16.他人の認識をどうきみの中で処理しているか。 得がたい情報として自己に有利なように
17.きみの生き方を決める根拠をどこにおいているか。 瞬間の気持ち
681 :
考える名無しさん:05/02/10 12:26:16
>>671 3.きみの嫌だと思うこと。
神経を逆撫でされること
きみにとっての不利益の認識ということかな?
------------------------------------------------
不利益=嫌だにはならない。不利益はたくさんあって
いちいち勘定してたら体が持たないw
だから、たいがいの不利益は無視することにしている。
でもね、無視できないものがあって、そのうち最大の
ものをあげてみたw
682 :
考える名無しさん:05/02/10 12:33:44
>>671 4.きみの好きなこと。
好きな女と温泉廻りしたり、南の島で過ごすこと
それはなぜかな?そういうことで気分が良くなる気がするからだろうか。
------------------------------------------------
それが実際、おれを「いい気分にしてくれた」からさ。
精神的にも肉体的にもね。それ以外の理由は無い。
683 :
考える名無しさん:05/02/10 12:45:52
>>671 5.きみの回りの環境をどうしたいと考えているか。
考えてない
きみが好きな女と温泉いけることは無関係だと思うかい?
きみのまわりの環境が大きく関係しているんじゃないかな?
------------------------------------------------
環境の指す意味を普通に採ると、自然や人為的社会、制度
などになると思うが、それに関心を持ち考察することはあって
も行動する…つまり「どうしたい」までには至らないことが多い。
なんせ環境の改革wに取組むと時間がかかり過ぎるからね。
それよりは自分の好きな事したい事にうつつを抜かして過ご
したいw ま、できる範囲でやろうとは思ってるけどね。
684 :
考える名無しさん:05/02/10 12:49:03
>>671 6.きみはどうなりたいのか。
やりたい事を実現できる者でありたい
そういう気持ちを大切にしないと実現は難しいと思ううよ。
加えて環境も考慮しないと
------------------------------------------------
「考慮」なら君に負けないと思うよw
685 :
考える名無しさん:05/02/10 13:12:00
>>671 7.きみはしあわせか。
しあわせだ
8.きみにとってのしあわせとは何か。
好きなことを好きなだけやること
好きなことが好きなだけやれていると思い込んでしあわせなのかい?
それとも本当にそのとおり?そうでないときはない?見ない?
------------------------------------------------
幸せってそもそも「自分の」思い込みw それでいいじゃん。
自分の幸せはヒトと較べてのものじゃない、自分の昨日や去年、
10年前との比較、相対の世界。 あるいは自分の明日、来年、
10年後、晩年と今のね。
おれの幸せをおれが思い込んでどこが悪いw
それとも「ヒトの」思い込みに合わせて暮らす気?
本当かの意味が何と較べてのものか、よくわからないが
おれの実感か?の意味なら、そうだ。
幸せでないと感じることにも出くわすさw
たいして気にならないものは、「えい!」と念力で無視するw
見過ごせないときは「見ない」というわけにはいかない。
徹底的にバトる !! 叩き潰す !!
でも負けそなときは放っぽり出して逃げ出すw
686 :
考える名無しさん:05/02/10 14:23:04
>>673 おまえは気が多過ぎるw
9.しあわせのメカニズムをどうとらえているか。
@自分がどうすればいい気分でいられるかを知っている
Aそれに向かって行動している(できるだけ多くの時間を
具体的にどういうことか書いてもらえる?
------------------------------------------------
@自分が何に満足や快感を感じるかは、誰でも知ってる。
考えずともね。感じだからさ。感じは経験と想像から来る。
その感じがホントかどうか不安なら、それに向かって行動
してみればすぐわかる。感じだからw 人はだれでもフィー
リング・キャッチができるよう生まれついてる。
ここでの「知ってる」の意味は、感じたものの延長上や根底
に何があるかをつかんでるの意。たとえば、
ボーリングが好きな理由 好きの本質
→デートに最適だから=性的満足へのアプローチ
→スコアが上がるから=上昇のもたらす高揚感、自信
→賑やかだから =安心感や人への好奇心の充足
→ほめてもらえるから =尊敬の獲得、自尊心や優越感の充足
→賭けに勝てるから =金銭的利益、職業的野心の充足
→雨の日でもできる =退屈がイヤ=快感の常時性・即時性
右側が自分のホントに好きな事だ。左に何が来てもいいw
「自分を知る、自己の満足を知る」とは、右側にあるものが何か
を把握し、いつどこに行けば、何をすれば、それが得られるかを
実際に体感して、離さないことさ。 Aはまたあとで。
687 :
考える名無しさん:05/02/10 14:41:35
自分をにつめていく。
>>652 >テクニックは、どこまで極めようとテクニックの域を越えられない。
とらえかただけどね。
>「縛りたければ縛らないこと」←これが究極奥義だ。
雰囲気はわかるけど言葉が足りないんじゃないかな。
>要するに、作為的なものは捨て、縛ることも縛らないことも考えずに、
>各々の者が自然に任せて自由にすること、させてやることだ。
行動は極めて作為的なことに気づいたらどうかな?
>そうすれば、自然と各々が納まるところに納まる。それでいい。
きみにとってそれが理想で、そう見えたのなら、それでいいんじゃない?
でも「自然と」ときみが規定する中には、視点を変えれば「作為的」も見出せる。
気づかないとはそういうことなんだよ。きみの好きにするほかない。
>653
>れば?
?
>>656 >条件文を肯定文に変換するという習慣はあるかい?
どなたにお尋ね?
>>657 >ちみは、相も変わらずウルサイ奴だな〜
名無しだけどね
>>658 >かい?
?
>>659 >やがれ?
何をいいたいのかな?
>>660 >ヤカラ?
?なんだか妙な具合になっているね。
>>661 >しかし「知性を計量する」などという、本来不可能なことを僭称してまでも、他人をバカ呼ばわりするのは、
>知性も品性もない人間の所業と言うべきだろう。
そうともいえるだろうね。でもそれをする自由はあると思うよ。っていうかこのスレの誰かのこと?
>>662 >>652 >某スレの大阪のおっさんを思い出すな
「人生〜」かな?
>>663 >結果を急いで欲しがる奴にゃーわかんねぇーだろうさ
そうなのか。
>>664 >知性や品性がそんなに大事なことか?
人によるだろうね。
>そうだというなら、知性がなんであり品性がなにかを語ってもらう必要がある。
聞いてみたいね。美しく生きるとかいう言葉が出てきそうだ。
>>665 >そういうものは醸し出されてしまうものなんだな〜
そうだね。
本質は意図を自覚できていない演出の結果だと思うよ。
>>666 >各人が勝手に解釈してイイと?
いいんじゃなくて、それが真理だよ。
主観は勝手なものじゃない?相手にこう見て欲しいというものがあったら、そう見てもらえる
努力が必要。多くの人が誤解している。
>>667 >究極のテクニックはテクニックを使わないこと。
そう思いたい気持ちはわからないでもないけど、自己認識を嫌っていい加減にやるか、
自動的にテクニックが行使される状態まで修練するかの違いは大きいよ。
>テクニックを使おうという意識が無いこと。つまり自然体とでも言おうか。結局はそこに辿り着く。
それはとてもよく修練した上で得られるんだよ。努力を語らなければまさしく机上の空論。
>これぞ究極奥義。
そうとも言えるだろうけど、何らなしえない怠け者も出来上がるかもしれないよ。
努力なくして奥義もへったくれもないと思うよ。わかているかな?
>>668 >そうかもしれないね
可能性は否定しようがないね。
>>674 >温泉がすきなんだな
そう受け取れるように書いてあるね。
そうかもしれないね
697 :
考える名無しさん:05/02/10 19:53:19
そうかもしれないね
このスレは、思考まみれで、糞まみれ、
我を偽り、演出したり。
>>698 演出が偽りとは限らないと思いますよ(偽る人もいるでしょうが)。
あなたも敬語を使う人とため口を使う人等、差異があるのでは?知りませんが。
その場合、何らかの違いが効果として生じているという事だと私は思う。
もしかしたら「演出」という言語に何か違和感を感じているのかもしれませんね。
700 :
考える名無しさん:05/02/11 04:08:25
人が2人集まればもう政治だよ。
演出は当たり前。意識的も無意識も。
しかしkは誠実に答えてるね。
なんかいい奴っぽいなw
>>700 良い奴か悪い奴かなんて、誰も言っていない。
>>699 敬語を使うのは、その相手が、いろんな事を解っていない奴の場合、
もしくは、解っている奴か解っていない奴か判断出来ていない場合、
そういう時、その相手の思い込みによる地雷を踏まないように距離を取る、
その方法の一つとして敬語を使い謙りバリアーを張る。
演出せずに自分をストレートに出す場面は極めて少ない。
いろんな事を解っている奴を相手にしている時でも、
その周りに一人でも解っていない別の奴が居れば、
そいつへの影響も考慮して対応しなければならなくなるからな。
解っていない奴が過半数を超えて、
超多数派になってしまっている世の中では、演出するしか仕方がない面は有る、
しかし、だからと言って、それは真理ではない、
誰もが演出せずとも良い世の中の方が居心地は良いのさ。
そしてそれを実現させる為には、
それぞれが出来るだけ自分を演出しないように心掛けるしかないだろう、
演出しなくても良い世界に近づける為に、演出という方法を使っても、
その世界は遠ざかるだろう。
さて「演出」だが...........
作為的に演出する理由は自分の利益の為かね?
本来の自分の能力以上に、自分の能力を相手に錯覚させる為かね?
相手に錯覚させて結合出来た人間関係で、自分は安定するかね?
そうかもしれないね
706 :
考える名無しさん:05/02/11 11:04:16
アホクサ
ケツクサ
708 :
考える名無しさん:05/02/11 11:18:34
>>708 うんにゃ
思い込みの激しい解っていない奴が多い国に住んでるよ〜ん。
ある一つの現象を見た時、それに対して自分が起こす反応は、
自分の思い込みが原因でもあることを考慮出来ない解っていない奴、
その反応が激しければ激しいほど解っていない、
そういう奴が多い国な。
そうかもしれないね
712 :
考える名無しさん:05/02/11 11:59:59
アホクサ スギw
ケツクサ スギw
おとぎの国に住んでるのか?
>>714 うんこにゃ
思い込みの激しい解っていない奴が多い国に住んでるのよ。ほほほー。
自分がテクニックを使えば使うほど、相手もテクニックを使うようになる、
現代の人間世界はテクニックの使い合い、騙し合いで出来上がっている。
どこまで相手を騙すテクニックを極めようか、
イタチゴッコをどこまで続けようか、どこまで行けば安定するのかねー、
限度は無いだろうね、てことは永遠に続けるかー、
さてさて、そんな奴が優秀なのかねー、
そいつは死ぬまで何に追われてるんだろうね、
訳のわからんもんに追われる為に生まれてきたんだねー。
アー アホクサw
地位を獲得したら維持以上の目的は持たない。
それが幸せなんだとさ。他人を賢くするよりも
馬鹿にするほうが、短期的に楽だし、
そういう活動を続けることにより、ますます馬鹿にすることが上手になる。
から、当然ますます馬鹿にするほうが楽になる。
地位を獲得すれば力がつくと思い込めれば、楽だろうよ。
その暁には、他人を軽蔑し腐ることができる。
こうして、他人を軽蔑する達人ばかりが増えていく。
曲りなりにも自分の向上に費やした力を、他人の縮退に使うから
やはり、曲がっているんだよな。
軽蔑なくして大切なし。優越なくして大切なし。大切から軽蔑へ。
大切よりも軽蔑。大切なのは優越と軽蔑。
いつの間にか本業を忘れて演技が本業になる。
718 :
考える名無しさん:05/02/11 17:01:57
マジボケw
>>718 ヒョウメン ノ アサイトコロ シカ ヨミトレナイ ンダネ カワイソーw
B級AVの演出家ぐらいか、褒め過ぎたw
そうかね
723 :
考える名無しさん:05/02/11 19:10:17
kさんって理系の大学出たの?
724 :
考える名無しさん:05/02/11 19:17:46
中学に理系ってあるの?
725 :
考える名無しさん:05/02/12 00:27:49
思ったよりバカが多いんで残念だ
話が食い違うわけだw
まだKのがましだ
テンネンボケw
>>725 おまいが、その程度だったとはな
ガッカリしたぜvv
728 :
考える名無しさん:05/02/12 00:40:49
>>725 自分の見込み違いは自分にぶっつけな
ひとのせいにしてんじゃねぇ〜ぞ、コラw
730 :
考える名無しさん:05/02/12 01:08:14
ソシテ (o_ _)o バタム !!
733 :
考える名無しさん:05/02/12 02:24:58
バックはあんま好きじゃねw
>>677 >>強いてあげるなら、生きていること
>>ということはそれほど大切にしていることはないという認識なのかな?
>それほど大切にしていることはない、というのは「きみの」認識だw おれのじゃない。
そのとおり。
こちらはきみに尋ねている。「強いてあげる」程度なら「それほど大切ではない」という解釈
も成り立つがいかがかな?という意。
>>679 >きみが願望という言葉を「おれの実現可能なもの」という意味で用いたのなら、そうだ。
そうといえばそうだが少し違うかな。
>もし違うならきみのいう願望の意味はなんだ?
実現してほしい願い全般。
>>681 >だから、たいがいの不利益は無視することにしている。
ということはきみのしあわせはその努力(不利益の無視)によって成り立っていることになる。
>>683 >環境の指す意味を普通に採ると、自然や人為的社会、制度
>などになると思うが、それに関心を持ち考察することはあって
>も行動する…つまり「どうしたい」までには至らないことが多い。
きみはその女と温泉に行く為にきみたちの環境と大きくかかわっている。
予定を実行する為の努力を全くしていないは思えないんだけどな。
気づかないようにしているか、無意識にいろいろな働きかけをしているんじゃない?
>それよりは自分の好きな事したい事にうつつを抜かして過ご
>したいw ま、できる範囲でやろうとは思ってるけどね。
そのためにそれなりの努力をしていると思うよ。
>>684 >「考慮」なら君に負けないと思うよw
ならば環境に働きかけているね。自己の利益の実現のために努力している。違う?
>>685 >幸せってそもそも「自分の」思い込みw それでいいじゃん。
きみにはそう思い込めるきっかけが手に入りやすいんだろうね。見失っている人もいるようだよ。
それでいいかどうかはきみが決めること。きみはきみの世界の価値観をkに強要したいかい?
>おれの幸せをおれが思い込んでどこが悪いw
さあ?いいも悪いも人が決めること。どこがどうということもないよ。
>それとも「ヒトの」思い込みに合わせて暮らす気?
kにはそんな気は全くないよ。考慮するつもりは多大にあるけど。
>たいして気にならないものは、「えい!」と念力で無視するw
>見過ごせないときは「見ない」というわけにはいかない。
>徹底的にバトる !! 叩き潰す !!
マスメディアの情報は絶えず他の人の苦しみを匂わす報道をしている。きみは取捨選択しているということ
だが、不快になる情報はなるべく入らないようにしているということだね。
でもそれは努力して無視をしているのであって、しかもそれを自動的に行うことであたかも
意識しないで済むようにしているんじゃないかな。
>でも負けそなときは放っぽり出して逃げ出すw
自分の認識から逃れることはある種の洗脳を自らに施すことに近いと思うよ。
>>686 > おまえは気が多過ぎるw
そう?質問しろと書いてきたのはきみだったよ。
>右側にあるものが何かを把握し、いつどこに行けば、何をすれば、それが得られるかを
>実際に体感して、離さないことさ。
なるほど。最後は「離さない」というよりはそれに向けて努力するということじゃないの?
>>687 >自分をにつめていく。
煮崩れが起きそうだね。
>>696 >そうかもしれないね
ちがうかもしれない。
>>697 >そうかもしれないね
そうかもしれない。
>>698 >このスレは、思考まみれで、糞まみれ、我を偽り、演出したり。
そうでないスレやレスを見たことがないな。糞は抜かして。
>>699 >演出が偽りとは限らないと思いますよ(偽る人もいるでしょうが)。
とらえかただからね。
>>700 >人が2人集まればもう政治だよ。演出は当たり前。意識的も無意識も。
そのとおり。でもそれに気づきたくないように見える人がいることも事実。辛そうだよ。
>しかしkは誠実に答えてるね。なんかいい奴っぽいなw
とらえかただからね。どうにでも取れる演出をしている。kの書き込みの内容や書き込む状況
を考えれば見えてくることもあるかもしれないね。
>>701 >良い奴か悪い奴かなんて、誰も言っていない。
少し前に話題にしたレスがあったよ。
>>702 >演出せずに自分をストレートに出す場面は極めて少ない。
そのとおり。
その認識は生きていく上で極めて重要だと思うよ。それをここで書いている。
でもそれを重要と思うかどうかは生きかた次第だし、その人自身が決めること。
ただし、それに気づいている人と気づかないようにしている人では受けるストレスが
変わっていく。
>>703 >しかし、だからと言って、それは真理ではない
理想は真理ではないんだよ。事実が真理。
>誰もが演出せずとも良い世の中の方が居心地は良いのさ。
もっと気づいたらわかるかもしれない。演出とは折り合いでもあり、生きる上で欠かせないものだよ。
>それぞれが出来るだけ自分を演出しないように心掛けるしかないだろう、
ならば、きみがどれほど演出しているかに気づく必要かがある。
>演出しなくても良い世界に近づける為に、演出という方法を使っても、その世界は遠ざかるだろう。
まずは演出しなくて良い世界を見つけてごらん。
>>704 >作為的に演出する理由は自分の利益の為かね?
そうだよ。
>本来の自分の能力以上に、自分の能力を相手に錯覚させる為かね?
それは何の例え?きみがそうしているということかな?
>相手に錯覚させて結合出来た人間関係で、自分は安定するかね?
安定するかどうかはその人によるんだよ。重要なのは目的と方法。短絡的思考では実践に結びつく
考えは生まれにくいんだよ。
>>705 >そうかもしれないね
違うかもしれない。
>>706 >アホクサ
ここを覗いて書き込むきみも同等かもしれないよ。
>>707 >ケツクサ
うんちを丁寧に拭かないとそうなるんだね。
>>708 >おとぎの国に住んでるのか?
たぶん違うだろうね。コジコジはメルヘンの国に住む宇宙生命体なんだよ。
>>709 >うんにゃ 思い込みの激しい解っていない奴が多い国に住んでるよ〜ん。
そうなのか。
>>710 >そういう奴が多い国な。
いわゆる日本でいうところの普通の人が多い国だね。
>>711 >そうかもしれないね
そうだね。
>>712 >アホクサ スギw
過ぎたるは及ばざるが如しだね。
>>713 >ケツクサ スギw
過ぎても臭いね。
>>714 >おとぎの国に住んでるのか?
そういう人は聞いたことがないな。メルヘンの国にはゲランやなぞ怪のスージーもいるよ。
さくらももこの作った世界だけどね。
>>715 >思い込みの激しい解っていない奴が多い国に住んでるのよ。ほほほー。
日本でしょ。
>>716 >自分がテクニックを使えば使うほど、相手もテクニックを使うようになる、
>現代の人間世界はテクニックの使い合い、騙し合いで出来上がっている。
傾向は否定できないけど、思い込みであることも事実だよ。
>訳のわからんもんに追われる為に生まれてきたんだねー。
きみは「テクニックはいけない」という固定観念に追い立てられてでもいるかのようだよ。
きみが記しているその書き込みはさまざまなテクニックを駆使して実現していることに気づかないのかな?
まさか、そんなもんはテクニックじゃない!とか思う?そういう細かいテクニックを気づかずに
身に付けて自動的に使っているんだよ。しかも磨きながら。おそらくきみも。
しっかりしなよ。
>アー アホクサw
気づかないから他人を蔑視できるんだよ。きみも実は変わらないく何かに追われたような書き込みを
テクニックを駆使してここに書き込んでいる。アホクサwは同等のようだよ。
>>717 >地位を獲得したら維持以上の目的は持たない。それが幸せなんだとさ。
それは誰からの伝聞?
>他人を賢くするよりも馬鹿にするほうが、短期的に楽だし
賢くすることは、本人の努力が必要となるね。馬鹿にすることは、相手の状況を問わず
対象を認識する主体の自由にできることなので、並列に扱うことは意味がないと思うよ。
>地位を獲得すれば力がつくと思い込めれば、楽だろうよ。
そうかもしれないけど、そうでもないかもしれないよ。
>その暁には、他人を軽蔑し腐ることができる。
それを待たずとも他人のことを軽蔑することはできるよ。その気になれば誰でも。
>こうして、他人を軽蔑する達人ばかりが増えていく。
何か問題を感じるのかな?
>曲りなりにも自分の向上に費やした力を、他人の縮退に使うから やはり、曲がっているんだよな。
曲りなり だから、曲がっているんだろうね。
>軽蔑なくして大切なし。優越なくして大切なし。大切から軽蔑へ。
何かの標語?
>大切よりも軽蔑。大切なのは優越と軽蔑。
大切よりも軽蔑ならば、軽蔑は大切ではないと思うよ。もう少し適切な表現の方が
伝わりやすいんじゃないかな?
>いつの間にか本業を忘れて演技が本業になる。
本業を明確にしないと、演技と比較できないと思うよ。
>>718 >マジボケw
きみも同等のようだよ。
>>719 >ヒョウメン ノ アサイトコロ シカ ヨミトレナイ ンダネ カワイソーw
深いところを理解させるような表現ができていないのかもよ。
>>720 >おまい
>>718の演出は見飽きたvv
そうかい。
>>721 >B級AVの演出家ぐらいか、褒め過ぎたw
A級AVの演出家というと?
>>722 >そうかね
どうかね。
>>723 >kさんって理系の大学出たの?
理系がある大学は出たけど、学部は教育だよ。
>>724 >中学に理系ってあるの?
聞いたことはないな。
>>725 >思ったよりバカが多いんで残念だ 話が食い違うわけだw まだKのがましだ
思った時点で同等にきみもバカだよ。
>>726 >テンネンボケw
どなたが?
>>727 >おまいが、その程度だったとはな ガッカリしたぜvv
残念だね。異なる想定をしていたのかな?
>>728 >自分の見込み違いは自分にぶっつけな ひとのせいにしてんじゃねぇ〜ぞ、コラw
それも各人の自由なんだよ。そしてきみが文句垂れるのも自由。
>>729 >vv
多用しているそれにはどんな意味をもたせているの?
>>730 >ハメちゃうぞ、コラw
無理だろうけど。
>>731 >ハァーvv
目をつぶっている様子をあらわしているのかな?
>>732 >ソシテ (o_ _)o バタム !!
倒れたわけだね。相当依存と甘えを多用したいんだね。
>>733 >バックはあんま好きじゃねw
体位のことかい?どうして?
750 :
考える名無しさん:05/02/12 13:02:08
>>734 「強いてあげる」程度なら「それほど大切ではない」という解釈
も成り立つがいかがかな?
----------------------------------------------------
その解釈がおれの意図じゃないことは
>>677で既に答えた。おまえのだw
解釈というものは受け取る側の意思ひとつでいかようにも可能だ。
だからおれの意図じゃないと言おうが、相変らず違う解釈するも自由。
なんだか国語のお勉強会みたいなんで気が進まないが、
2度聞くからにはそれなりのこだわりがあるんだろうから以下蛇足ね。
おまえはいくつかの言葉…大切・願望・好き・幸せをそれぞれ分けて
質問してきた。これらは根底で一連のつながりを持っている概念であり
一つを語ることは結局4つ全部を語るも同じことなので、分けて答える
のはじつは難しい。
できればまとめて答えたいところだが分けてあるからそうせざる得ないw
だから、「強いてあげる」ことになったのよ。
そこで「大切」特有の意味合いだけど、他の3つに較べ「守るべきもの」
「重要なもの」的ニュアンスが強い。
その部分に「あえてw」焦点をあわせたら生きていること←になったわけ。
強いてあげる←の解釈を「あげたいものはあまり無いが仕方なくあげると」
と解釈し続けるのは、相変らずおまえの自由だ。
こういう解釈改憲みたいな話はこれきりにしようw
>それは誰からの伝聞?
話してくれた人。
>並列に扱うことは意味がないと思うよ。
わからない。kが人を馬鹿にするならどういう効果を期待して?
> そうかもしれないけど、そうでもないかもしれないよ。
けども、楽だと思い込める人もいるかもしれないよ。
>それを待たずとも他人のことを軽蔑することはできるよ。その気になれば誰でも。
そうだね。でも、それを待てば安心して安全に軽蔑できると思い込むことも可能じゃない。
>何か問題を感じるのかな?
感じるよ。例えば、武道は体を軽蔑することで身につけるの?
それを身につけたら安心して体を軽蔑できるの?
相手には軽蔑させたいの?
>曲りなり だから、曲がっているんだろうね。
うん。
>何かの標語?
ムンクの叫び。
>大切よりも軽蔑ならば、軽蔑は大切ではないと思うよ。もう少し適切な表現の方が
>伝わりやすいんじゃないかな?
確かに。軽蔑することで優越感が感じられないと自分を大切だと思えない。
という表現はどう?
>本業を明確にしないと、演技と比較できないと思うよ。
うん。kにとって何が本業だと思う?
も一つ、kは娘さんに積極的に社会とかかわってほしいという風なことを
言っていたと思うんだけど、それが大切だと思うからかな。
もしそうなら、何をしていく上で大切なのだろう。
娘さんを大切にするとはどういうことだとkは思ってる?
積極性の他に大切にしてほしいことがあるならそれは何かな。
>>746
いいわすれた。娘さんには、他人の積極性も大切にしてほしいと思う?
>>746
753 :
考える名無しさん:05/02/12 14:27:33
>>734 2.きみの願望。実現してほしい願い全般
愛する者のたちが幸せでいること
それはきみがそう思える状態の実現ということかな?
------------------------------------------------
おれがそう思えるんじゃなく、「相手が」思ってる状態だ。
また実現するのはおれじゃない。本人だw
おれは可能な支援をし、いかなる時も味方であり続ける
ことができるのみ。
もしおまえが、それ以上踏み込みたいなら、相手の立場
に身を置いて、自分がその条件下に置かれたら、他者に
何を望むだろうかと考えてみることだ。
ただし自分の想像力に相当の信頼がおけること、
他者との相違をよく把握して加味できることが前提だ。
>>750 きみが大切にしているのは、きみのその場の気持ちじゃないかな。
大切にしたいと強く希望しているわけではなくても、結果どう考えても大切にしている。
違う?
きみはきみが認識し得る「自分の気持ち」を満足させたり、喜ばせる為に生きている。
女や温泉はそれを得るための手段。
違うかい?
これらは本質的な話であり、不快に感じるならしかたのないこと。
>>751 >kが人を馬鹿にするならどういう効果を期待して?
自己のストレス解消。相手の気持ちを動かした満足感をそのきっかけにする。
>でも、それを待てば安心して安全に軽蔑できると思い込むことも可能じゃない。
可能性は否定できない。でも軽蔑したければネタはいくらでも見出せると思うよ。
>例えば、武道は体を軽蔑することで身につけるの?
違うよ。
>それを身につけたら安心して体を軽蔑できるの?
それはわからない。
>相手には軽蔑させたいの?
人によると思うよ。
>軽蔑することで優越感が感じられないと自分を大切だと思えない。という表現はどう?
わかりやすいね。
>kにとって何が本業だと思う?
仕事のこと?人としての本質的な生業のこと?
>娘さんを大切にするとはどういうことだとkは思ってる?
自己満足や喜び。幸せを得る手段。
>積極性の他に大切にしてほしいことがあるならそれは何かな。
自分の目標を見定めた場合、それに向けた努力の方向性や方法を見つめていくこと。
>>752 >娘さんには、他人の積極性も大切にしてほしいと思う?
すべての人の自己主張に目を向けてほしい。
でもそれは彼女の自由であり、こちらがどうこう言ってどうこうなるというものでもない。
彼女には社会に適応して生きていってもらいたいという願望を持っている。
社会に適応するとは、刻々と変化する彼女を取り巻く「他」に対して自己主張を
どのように折り合いをつけた形で表現できるかを常に考えられる能力を身に付けてほしいという意。
すべての人が自己の願望達成、自己の幸せの体感を望んでいるかもしれないという
前提を考慮して思考する能力を身に付けさせたい。
ちなみに息子にも。
>>753 >おれがそう思えるんじゃなく、「相手が」思ってる状態だ。
それは決してきみにわかることではない。残念ながら甘えと依存に気づいていない様子だ。
きみには他人の気持ちはわからない。むろんだれにも。
きみにとって「そう見える」にすぎない。その現実を認識できないのであればきみはしあわせな
気分にずっと浸れる能力があるともいえるだろう。思い込みを駆使して。
しあわせなように思えるのであり、そう感じるのであり、それは共感的な喜びを生じさせるもの。
しかし人がしあわせかどうかは決してきみにはわからない。
そうとしか思えない状況が見えるのであり、本当のところはその人にしかわからないんだよ。
きみは他人が幸せそうにしていることで、自分自身がしあわせな気分になっている事実の認識をしている
と思うよ。
759 :
考える名無しさん:05/02/12 18:56:21
感心するわ、kはマメだわ。
760 :
考える名無しさん:05/02/12 20:44:51
>>755 どうしたんだ、K?
落着いて、もう一度
>>750 をよく読め。よく読みもせず、いきなり
おまえの大切にしていることを、おれに押付けてど〜するw
ついでに聴くが、おまえの4つの質問→大切・願望・好き・幸せ
の概念がどういう区分になってるか、それぞれ書いてみてくれ。
761 :
考える名無しさん:05/02/12 20:57:34
>>758 K…。
どうしたんだ今日は? 興奮しっ放しのようだがw
>>753 のどこに「おれが相手の気持ちがわかる」と書いてある?
犬にエプロンかけといて「おい、エプロンするな」と言ってるような
もんだぞw
762 :
PS :05/02/12 21:13:11
もしおまえが、それ以上踏み込みたいなら←この文章以下は
「もしおまえが」と書いてあるとおり、おまえ向けで俺のことじゃないw
なぜ付け添えたかというと、
おまえが再度「それはきみがそう思える状態の実現ということかな?」
と尋ねてきたので、ヒョッとして
「おまえがヒトの幸せを自分で実現できる」と思っているかと思い
書き添えたもの。
俺の答なら既に書いてるだろ、
「おれは可能な支援をし、いかなる時も味方であり続けることが
できるのみ」…と。
おまえ、酔っ払ってるのか?
人生
764 :
考える名無しさん:05/02/13 05:22:00
秦の始皇帝は韓非子に感銘を受けて「嗚呼、この人(著者の韓非)と会えるなら死んでも良い」とまで言った。
韓非子に書かれている内容は、日ごろ始皇帝自身が漠然と考えていることを、深く掘り下げて論理だてていることだから彼が感銘を受けるのは当然であろうな。
哲学も誰がどの学説に感銘を受けるかは、結局のところ、本人次第ってことだよ。
>>754 >人生相談
存在は知っているよ。おそらく他の人も。
>>759 >感心するわ、kはマメだわ。
その点に関しては誰にも可能な努力。継続は〜?
>>760 >どうしたんだ、K?
どうしたのかな?
>落着いて、もう一度
>>750 をよく読め。
きみがどう思うかはきみの自由だが、読んだ結果のレスだよ。
>よく読みもせず、いきなりおまえの大切にしていることを、おれに押付けてど〜するw
よく読んだかどうかはきみにはわからない。きみにはそう見えるというだけなんだよ。
押し付けていないね。確認しているんだよ。こたえてごらん。
>大切・願望・好き・幸せの概念がどういう区分になってるか、それぞれ書いてみてくれ。
こちらはきみの願いにこたえているので、きみも上の質問にこたえてくれると折り合いが付くよ。
大切ー気持ちの上で優先順位が高いもの
願望ーこうなってほしい、こうあって欲しいという願い
好きー気持ちのよい感じを得られる対象、またはその状態
幸せー満たされた感じを覚えた瞬間、またはその理想形として思い描くもの
>>761 >K…。どうしたんだ今日は? 興奮しっ放しのようだがw
どうしたのかな?
興奮しっ放しのようにきみには見えるということであり、こちらが興奮しっ放しであった
事実はない。
>どこに「おれが相手の気持ちがわかる」と書いてある?
どこにも書いていない。
ただし、きみには「愛する者のたちが幸せでいること」がわかると書いているように見えるから、
「それはきみがそう思える状態の実現ということかな?」と尋ねた。
すると、「おれがそう思えるんじゃなく、「相手が」思ってる状態だ。」とこたえた。
それはきみに相手がしあわせに思っていることを前提としてはじめていえること。
つまり、きみは相手の気持ちがわかると思い込んでいるように「見える」。
まだ理解しないかい?
>犬にエプロンかけといて「おい、エプロンするな」と言ってるようなもんだぞw
つまり、それを言ったのは君だということだよ。
>>762 >「おまえがヒトの幸せを自分で実現できる」と思っているかと思い書き添えたもの。
「おまえ」が誰の指示語か不明であり、文意も汲み取り難いよ。
>「おれは可能な支援をし、いかなる時も味方であり続けることができるのみ」…と。
正確にいえば、「〜」と思い続けることが可能、だと思うよ。
相手の味方であり続ける努力はできるかもしれないけど、それはこちらの思いであり、
相手がこちらを味方だと認識するかどうかは相手次第なんだよ。
>おまえ、酔っ払ってるのか?
仕事中に酒は飲まないよ。
>>763 >人生
新崎
>>764 >哲学も誰がどの学説に感銘を受けるかは、結局のところ、本人次第ってことだよ。
なるほど。
769 :
natori:05/02/13 10:56:46
まあ 話合いをせず 相手の言い分を理解せず 人はよく怒れるな と最近思うな
>>766 訂正 10行目辺り
>それはきみに相手がしあわせに思っていることを前提としてはじめていえること。
は
「それはきみには相手がしあわせに思っていることがわかるということを前提としてはじめて
いえること。」
に訂正
くわえて、
好きーある対象をきっかけに得られる気持ちのよい状態
に訂正
あれこれテクニックを使って他人を帰依させても
自然でなければ長くは続かない。
その人が自然でなければ、いずれ人は離れてゆく、それは偽りだからだ。
その人が自然であれば、集うべくして集う者達が自然に集ってくる。
自然でなければ安定状態には到達しない。
行き着くところは自然だからだ。
それが答えさvv
>>769 >まあ 話合いをせず 相手の言い分を理解せず 人はよく怒れるな と最近思うな
そうだね。そこにはストレスが生じている事実があり、それを認識した際の主体の欲求が
「怒り」という形でストレスを解消しようとするのかもしれない。
きみも得意だったと思うよ。
いいかどうかは自分で決めること。他人の評価はまた別。それを気にするかどうかも自分で選択する。
ストレス解消が目的であれば、怒鳴ろうが怒ろうが目的達成を成就するのであれば効果的。
それが他人との折り合いが付いているかどうかはわからないが。
社会的に生きるなら(そういう前提をあまり認識していない人もいる)、自己の保身の為には
他人(人だけではないが)との折り合いが必要になる。
ストレスを解消する方法は他にもある。
他人との折り合いをつけながら、ストレスを解消する方法を見つけるのは「面倒」だが、
自己の保身に有益と思えればその価値は見出せる。
どう?今度来るときまでに考えておいてね。
>>771 >あれこれテクニックを使って他人を帰依させても自然でなければ長くは続かない。
面白い文を書くのが好みなのかな?
長く続かないというデータを明らかにしてごらん。
帰依させることが目的であれば意味は見出せるよ。
そして、帰依をさせているのはどなた?
>その人が自然でなければ、いずれ人は離れてゆく、それは偽りだからだ。
きみの文章は自然に出来上がったの?こたえられるかな?
>その人が自然であれば、集うべくして集う者達が自然に集ってくる。
そういう根拠を提示できる?それがきみの理想?洗脳かもしれないよ。
>自然でなければ安定状態には到達しない。
安定状態とは?それが目標?しっかりね。
>行き着くところは自然だからだ。それが答えさvv
行き着くところはいわゆる死だよ。それが答え。よく考えてごらん。
自然がきみの理想なのかな?きみは自然に生きているの?
自然は人の造った言葉。そこに理想を見出すのはきみの自由。決め付けるのも自由。
でもその時点できみは辛く苦しい思いを抱えている可能性があるよ。楽になったら?
それは自然ではないのかな?
いちいち意識的にみつめる必要は無い、
意識的にみつめればみつめるほど間違いを犯す、
なぜなら意識的思考より無意識的思考の方が優秀だからだ。
物事がちょうどいい時、人はそれを意識していない。
ちょうどいい回数や量を呼吸している時、人は呼吸をしていることを意識していない。
ちょうどいい体重移動や筋肉の動きで歩いている時、人は歩いていることを意識していない。
ちょうどいい体重のかけ方や姿勢で座っている時、人は座っていることを意識していない。
『ちょうどいい思考をしている時、人は思考していることを意識していない。』
何事にも自分が自分の思い込みによってものを見ているということを考慮に入れてものを見る事が出来る、
自分の思い込みを無くしてものを見る事が出来る、
それさえ身に着けてしまえば、意識的にあれこれみつめなくても、
ちょうど良い具合に全体をみつめた思考は、すでにしているのだ、
それを、わざわざ意識的に思考して、わざと間違える必要はないのさvv
>>774 >なぜなら意識的思考より無意識的思考の方が優秀だからだ。
何を根拠に「優秀」と書いているの?きみの決め付け?きみの理想?
>物事がちょうどいい時、人はそれを意識していない。
随分自分勝手に決めているようだけど、それはきみの自由。
でも、ちょうど「いい」かどうかは人によるんだよ。
また、意識していないならちょうどいいかどうかを意識している主体はどうなっているの?
>人は呼吸をしていることを意識していない。
その状態は呼吸が浅くなるんだよ。
>人は歩いていることを意識していない。
多くの人は足の外側に体重がかかり、靴のそこの外側に減りが多く見られ、腰部に変異を
起こしやすくなるんだよ。
>人は座っていることを意識していない。
放っておくとエコノミークラス症候群になりやすく、そうでなくとも血行不良による不定愁訴が
生じやすくなるんだよ。
ちょうどいい環境で、ちょうどいい事をしろ
ノイローゼになる前になvv
つづき
>『ちょうどいい思考をしている時、人は思考していることを意識していない。』
それは何の標語なのかな?
ちょうどいいとは何と何にちょうどいいのだろう。きみは決め付けが前提で言い切っているようすだね。
それはきみの思想なのか、宗教なのかわからないけど、ばかでしかないよ。
>それさえ身に着けてしまえば、意識的にあれこれみつめなくても、
>ちょうど良い具合に全体をみつめた思考は、すでにしているのだ、
それさえの「それ」をわかりやすく示した方が伝わりやすいよ。ちなみに「身に付く」
が一般的だね。
>それを、わざわざ意識的に思考して、わざと間違える必要はないのさvv
さっぱり文意が汲み取れないけど、雰囲気は伝わるかな。
きみは自然に生きれば、とりたてて自分を見つめたり、細かく考えたりする必要がない
といいたいように見える。
きみがどう思おうがそれはきみの自由。文章が読み手に伝わりにくいという指摘を無視し続けて
ここに書き続ける理由は見えないが、推測するにここのスレ主に物申し、反省謝罪困窮する様
を見てみたいのかもしれない。
でもそれは叶わぬ夢であり、ここのスレ主は何かを相手に押し付けようとしているのではなく、
気づくきっかけを提示している。
何をどうするかは各人の自由。きみのように決め付けて生きていく利便性を優先するか
日々をどう生きるかに思いを巡らせた生き方をするかは人それぞれが決めること。
気づいたらどうかな?
>>776 >ちょうどいい環境で、ちょうどいい事をしろ ノイローゼになる前になvv
ちょうどいい瞬間が仮に生じたとしてどう持続させるんだい?
人に命じるなら具体的に実践しやすい状態も提示したほうが受け入れられやすいんだよ。
きみがここに書き込む作業はちょうどいいのかい?
>vv
好んでよく使用しているね。ちょうどいいのかな?
ここは哲学板なもんでな
君が「気づくきっかけを与えている」とか「真理を書いている」とか書いちまっらら、
その思考が足りなければ指摘せざる終えないんだよ。
人生相談板なら、それはそれで君のひとつの役割でもあるんだろう、
まあ、それでも私がそれを見つけ、その教育に足りないものがあれば、
勝手に指摘してしまうんだろうがねvv
私は面倒臭いことはしない。
警笛はもう鳴らした。
それ以上強くある必要は無い。
失礼するよvv
781 :
natori:05/02/13 13:13:05
kの質問に答えたら
782 :
natori:05/02/13 13:16:56
なんだ 答えられないのかな
783 :
hagemegane:05/02/13 13:27:06
自分の意見だけ言いっ放すんじゃなくて、自分の考えを振り返るためにも人の質問には真面目に答えようぜ。進歩なし
>>779 >君が「気づくきっかけを与えている」とか「真理を書いている」とか書いちまっらら、
>その思考が足りなければ指摘せざる終えないんだよ。
ここが哲学板であることも、kの書いてあることも、きみが「〜せざるを得ない(終えないは不適切)」
ことのきっかけに過ぎず、きみが自ら決めて書いている。すべてきみの意志。
>勝手に指摘してしまうんだろうがねvv
そうきみには自分勝手に指摘する自由がある。その指摘がいかに愚かだとしてもそれは
受け取る側の判断。きみはきみのすることをする。それって自然?
>>780 >私は面倒臭いことはしない。
とらえ方でいくらでも変わる。
>警笛はもう鳴らした。
聞こえないけどな。
>それ以上強くある必要は無い。失礼するよvv
言い逃げは皆さんご自由にされているよ。
>>781 >kの質問に答えたら
きみはこたえられるかな?
>>782 >なんだ 答えられないのかな
もう少し待ちなよ。でもだれか特定しないとこたえようもないんじゃない?
>>783 >自分の意見だけ言いっ放すんじゃなくて、自分の考えを振り返るためにも人の質問には真面目に答えようぜ。進歩なし
素晴らしい提案だね。
きみもその書き込みをよく振り返って実践に役立ててね。
しかし今回はよく書き込むね。やりかたを理解したのかな?sageはわからない?hageじゃないよ。
>>781-783 物事は核から派生して枝分かれする。
枝葉の部分すべてに思考するのは無駄だ、
核を見極めて、それについて思考し指摘してやれば、
すべての枝葉に影響を及ぼす。
イメージのひとつの表現方法である言葉というものだけを見て、
その言葉を使った表現の元となっているイメージについて思考し言及しなければ、
すれ違いが増える一方さ。
数多くの枝葉についていちいち言及しようとしたところで多くの混乱を招くだけだ、
イメージのひとつの表現に過ぎない言葉からは、その元のイメージを完全には理解出来ないのだから、
数多くの枝葉について言及すればするほどすれ違うだろうさ、
このスレ主はその傾向が強い。言葉に囚われ過ぎさ。(元国語の教師ってとこか←これは想像な、どうでもいい)
そいつの言っていることの全体からそのイメージの核をつかみ、
それについて言及してやればいいのさ、
細々と枝葉の言葉尻を捉えて、イメージの対話でない、やり取りをいくらやっても、
お互いを理解なんざ出来ないのさ。
>言い逃げは皆さんご自由にされているよ。
そういう言葉を投げかけるテクを使って、
私を縛ろうとしても、君に私を縛ることは出来ないvv
788 :
考える名無しさん:05/02/13 14:34:21
>>765 1段目はKの各概念の説明
>>679 、2段目はKのその答
>>679 だ
大切ー気持ちの上で優先順位が高いもの
願望ーこうなってほしい、こうあって欲しいという願い
好きー気持ちのよい感じを得られる対象、またはその状態
幸せー満たされた感じを覚えた瞬間、またはその理想形として思い描くもの
------------------------------------
大切ー自分の気持ち
願望ー喜びを得ること。納得。満足
好きー喜びを得られたときの対象、またはそれを実現しやすい対象
幸せー自分の認識しうる状況を納得し満足し喜べる状況だと思い込めること
*********************************************************
K、気がつくことはないか? ほとんど同じことを言ってるわけだが?
ためしに人は何のために生きるか?の問いに、この4つを当てはめてみるネ
「人は大切なもののために生きている」
「人は願望のために生きている」。
「人は好きなもののためにに生きている」
「人は幸せになるために生きている」
幸せを語るのに願望、好き、大切を切り離すことはできないだろ?
願望を語るときも好き、幸せ、大切を抜きにはできないし、
大切を語るにも幸せ、願望、好きを離れて語れない。好きも同じだ。
また「優先順位」は願望・好き・幸せ、いずれにもついてるし、
「こうなって欲しい」も、「喜び」や「満足」もそれぞれにある。
もうわかったと思うが、どの概念も「人の求めるものの本質の総称」てこと。
結論だが、4つを分けて考えるのが考えやすいなら、それはそれでいいが、
大切・願望・好き・幸せ・喜び・満足…これらに内在する本質は同じものだ。
>>786 いいかどうかはご自分でお決めください。そしてそれはすべての人に当てはまる。
生きることは本人の気づきによって本人が価値を見出せる。
きみのように「〜すればいい」といった思考は世に蔓延しており、とりたててここに書き記す
までもなくそのように教育されている。
そこにスレ主が気づいていないという思い込みでも持たなければそのきみの無意味な行為の
動機は見出しにくいな。
>>787 >私を縛ろうとしても、君に私を縛ることは出来ないvv
そりゃそうだ。きみがここにいて縄でもあれば別だけど。
>>788 きみは大きな勘違いをしていないか?
きみの指摘する内容に関しての理解は十分にある。だからこのスレッドを立てて同じことを
書き続けている。
きみがkの質問を分類し、それに関するkの見解を尋ねた。その事実認識をまずしてほしい。
きみがこのスレをあまり読んでいないのであれば仕方のないことだが、きみの挙げた言葉
を分類してそれぞれに意味をもたせるようなことはしていない。
共通認識的な使用法を考慮して使用するに留めている。
そしてkがきみにした質問にこたえていただきたい。
きみはきみの喜びを得るために女を利用し、そうしたい気持ちを優先して(結果大切にして)
生活しているのではないかな?
きみには他人のしあわせが認知できると思う?
幸せそうにしている状態の認知しかできないのではないかな?
「愛する者のたちが幸せでいること」
がきみの願いなのは理解するが、その人たちの幸せでいる状態の認識はきみの認識であり、
きみの満足のためであることは理解しないかい?
他人の気持ちはわからない。だから面白く感じる。安心感はあっても、安心はない。
常に生きる限り人は思考し続ける。瞬時の自己認識の必要性について考察願いたい。
あはは、言葉に囚われた言葉遊びvv
792 :
武田信玄:05/02/13 15:05:14
【気位の高いこと山の如し】
793 :
考える名無しさん:05/02/13 15:14:20
凄く哲学板っぽくないスレな気がするんだけど。。。
心理板とかにはぴったりな気がするけどさ。。。
794 :
考える名無しさん:05/02/13 15:19:30
K、すこし待て。水かけ論は趣味じゃない。というのも、
たぶんわかってるだろうと思う部分を省いたレスをすると
おまえは、その部分に憶測と妄想(笑をふくらませ、
おれの言ってもいない事まで持ち出して、それに対しての
自説を振り回すw
だから、できるだけ後戻りの必要の無い話のすすめ方を
したいわけ。らじゃ?
あとおれはスレ主(笑じゃないんで、他スレも40ほどカキコ。
間があくのは勘弁してチョw
795 :
考える名無しさん:05/02/13 15:23:07
自己を見つめることで哲学的に何がしたいのか全く分からんから教えてください
796 :
考える名無しさん:05/02/13 15:33:57
ヒロシです…
自分をみつめていったらノイローゼになったとです!
ヒロシです…
>>791 >あはは、言葉に囚われた言葉遊びvv
もうそのくらいにしといたら?
>>792 >【気位の高いこと山の如し】
ははあ〜。
>>793 >凄く哲学板っぽくないスレな気がするんだけど。。。
>心理板とかにはぴったりな気がするけどさ。。。
気のせいかもしれないよ。
k、彼らと同じ舞台にkの方から降りていって彼らと同じような目線で彼らと
語り、彼らの愚かさを指摘してあげる事はkにとって難しい事ではないと思う
んだけど、そうすることによってkが受ける不利益って例えばどんなのがある
の?
また、kが名無しあるいは別のコテを名乗り何食わぬ顔で彼らの愚かさを指摘
し洗脳し、気付きを促し等すれば、kはkのままいられる上に、俺にとっては
ちょっと面白い事になるんだけど、そういう事をkは何故しないのか教えてほ
しいな。
799 :
考える名無しさん:05/02/13 16:01:48
>>794 言い訳や感想は答えとは認識しないよ。
ごちゃごちゃ書くなら、まずは質問にこたえてごらん。
>>795 >自己を見つめることで哲学的に何がしたいのか全く分からんから教えてください
では哲学とはいかなる学問かを考えてごらんよ。
自分がどう生きるかを考えるスレ。
>>796 ヒロシです… 自分をみつめていったらノイローゼになったとです!ヒロシです
辛そうだね。やり方を検討する必要があるとでしょう。
801 :
考える名無しさん:05/02/13 16:04:00
>>800 自分がどう生きるかを考えることは哲学なのかな?
802 :
考える名無しさん:05/02/13 16:05:43
>>798 >そうすることによってkが受ける不利益って例えばどんなのがあるの?
「そうすること」を具体的にしたのが「わかったんだよ」のスレでもある。
不利益は「そうすること」の難しさ。指摘されるのは受ける側には嫌なこと。
その嫌なことをするための表現方法は難しい。
日常で特に苦労せずに指摘している現実があるが、そこには多分に洗脳的な要素を
含ませている。それは面白い側面も見出せるだろうが、あまり好みではない。
このスレでは誰とでも素で語り合いたい。むろん演出は含まれるが。
>そういう事をkは何故しないのか教えてほしいな。
上記の理由によって。
心理操作は気づきを遠ざける。無味乾燥な文章に徹することでその人自身の思惑が
投影されて解釈されやすくなる。きみにもそれは見えていたんじゃないかな?
>>799 なんでしょう?
804 :
考える名無しさん:05/02/13 16:14:01
さてkさんは言う
>そう考えるのも君の自由
と
なるほど自由か。。。
で自由って何かね?
>>801 >自分がどう生きるかを考えることは哲学なのかな?
さあ?決めつけることは難しいな。kはそう解釈しているということ。
きみは哲学とはどんな学問だと解釈しているのかな?
>>802 >(ノ_ _)ノ
面白いね。お手上げなら読む必要もないんだよ。知ってる?
>>804 >で自由って何かね?
他に気兼ねなく自分勝手に決定することが出来る状態の意で使用しているよ。
知らない?
807 :
考える名無しさん:05/02/13 16:23:10
知らない。
>>他
とは?何からの自由なの?
808 :
考える名無しさん:05/02/13 16:25:23
>自分勝手に決定
なるほど自分ってものはもう定義付けられてるんだね?
では自分とは何?
809 :
考える名無しさん:05/02/13 16:40:02
810 :
考える名無しさん:05/02/13 16:50:02
>>806 逃げてるのですか?
自分というものの定義付けも無く
自由とは何かと聞かれて
>他に気兼ねなく自分勝手に決定することが出来る状態
と答えたのですか?
では他とはいったいなんなのですか?
その上でさらに
自己をみつめているのですか?
811 :
考える名無しさん:05/02/13 17:02:28
812 :
考える名無しさん:05/02/13 17:29:34
あげ
このスレで自分がやってきたやり方を、
逆にやられてウンザリしているであろうk(藁々
人に与えたウンザリ感は巡り巡って自分に返ってくる
因果応報ってとこか……………w
815 :
考える名無しさん:05/02/14 03:28:38
トックニ ハダカノ オーサマ ジョータイ ダロヨw
>>807 >知らない。
では自由をどのようにとらえていたのかな?こたえてね。
>とは?何からの自由なの?
自分以外と認識するものすべてがその対象となり、その場に応じてその対象は変わる可能性がある。
>>808 >なるほど自分ってものはもう定義付けられてるんだね?
さあ?きみの中ではどうなのかな。こたえてね。
>では自分とは何?
思考する主体が主体と認識しているもの。わたし、おのれ、われ、などともいうね。
>>809 >答えてください
こたえたよ。
817 :
考える名無しさん:05/02/14 10:06:07
>では自由をどのようにとらえていたのかな?こたえてね。
自+由
>さあ?きみの中ではどうなのかな。こたえてね。
定義付けられてません
>>では自分とは何?
>思考する主体が主体と認識しているもの。わたし、おのれ、われ、などともいうね。
その主体とは何によって確立されてるの?
818 :
はけ陽区:05/02/14 12:17:07
な な な な 名無しです 自分は答えず人を斬るって いうじゃない でも あんたはkよりもおつむ弱そうですから 斬り って頭のわるい事を認識してる中年なので病的攻撃はご勘弁
819 :
はけ陽区:05/02/14 12:27:56
名無し君とkのやりとりでいろいろ学ぼうと思ってるのでがんばれ 結構 読んでる人多いんじゃないの 自由の意味の答えが自+由はないよなa
>>810 >逃げてるのですか?
違うと思うよ。きみのレスを読んだのは、今朝の9時15分頃だから、その時間はきみの書き込みを
知らない時間。
>と答えたのですか?
違うよ。
>では他とはいったいなんなのですか?
自分以外と認識する対象のことだよ。
>その上でさらに自己をみつめているのですか?
その上かどうかはわからないな。どういうこと?
>>811 >>>807->810に答えてください
きみもこたえてね。
>>812 >あげ
今のところ必要ないけどな。
>>813 >このスレで自分がやってきたやり方を、逆にやられてウンザリしているであろうk(藁々
kのやり方は相手の質問に答えながらだからね。ちょっと違うかもよ。
>>814 >人に与えたウンザリ感は巡り巡って自分に返ってくる 因果応報ってとこか……………w
きみは大きな勘違いをしているんじゃない?
このスレを開くのはその人の意志で、kは場を2chを利用して提供している。
ウンザリしたくなければ読まないという方法もあるし、ウンザリした理由を自己の中に
見出すことも出来ると思うよ。
>>815 >トックニ ハダカノ オーサマ ジョータイ ダロヨw
まったくそのとおりだね。
>>817 >自+由
「何からの自由なの?」ときみが使用した文の意味を上にあるきみの解釈に従って
解説してほしいな。きみはそういう認識で生きているのかい?
>定義付けられてません
ではきみにとって「自分」とはどんなものかをきみなりに説明してほしい。お願い。
>その主体とは何によって確立されてるの?
どうして確立されていると決め付けるのかな?
人の育成過程における発達段階で、欲求や感覚などを自覚する個を主体と認識していく
と思うけど、確立されているかどうかは人によると思うよ。
傍から見て確立しているように見えても、本人(これもわからない?)にその自覚がなければ
確立されていない状況が出来る。
きみの意見を書いてみたら?
>>818 >な な な な 名無しです 自分は答えず人を斬るって いうじゃない でも あんたはkよりも
>おつむ弱そうですから 斬り って頭のわるい事を認識してる中年なので病的攻撃はご勘弁
随分フォローするね。
でもきみに対しても特別扱いはしないから、喜びは自分で見出してね。
>>819 >名無し君とkのやりとりでいろいろ学ぼうと思ってるのでがんばれ 結構 読んでる人多いんじゃないの
多いかどうかは規定する基準によるね。このところは盛況だけど、大方暇だよ。
>自由の意味の答えが自+由はないよなa
まあね。
質問した本人が答えにくい問いを投げかけたのかもしれない。
稚拙な文章ばかりが目立つだろうが、そのなかにも発見がある。
ここは気づきの場であり、読む人の利益が優先される。
kを愚弄することで喜びが見出せるならそれも本人の自由(自+由)。
言い逃げに喜びを見出す人が多い2chでスレ立てしているのだからそういう人が多いのは当然。
そういう人に自分を見つめてもらえたらこの上ない喜び。
よってkを喜ばせたくない人は言い逃げは有効。その場の自分の気持ちがそれで満足になり
納得できるならこちらからどうこうすることも出来ない。自分が不利益でないと判断する
要素が見出せるなら素晴らしいこと。ただ、言い逃げが当然と考えている相手にそれが
有効かどうか考えると書き込む作業自体の満足が得られない限り本人に不利益。
結論を書けば、書き込むこと自体に喜びを見出すことに専念しないといい逃げの人に利が少ない。
喜びを見出す努力をする人にはさまざまな発見があるかもしれない。
どうでもよいと思う人は書き込まないことが得策だろうね。
きみはどうするかな?
824 :
考える名無しさん:05/02/14 13:18:54
このスレって、べつにこのkって香具師と問答する専門のスレじゃないよな?
こいつとの問答だけじゃ面白くないから・・・。
826 :
考える名無しさん:05/02/14 13:34:27
そのスレ、タイトルの意味が分からん。
>>826 んだね。おいどんもわからんけどね。つい立てさせられました。自分に。
それでは失礼。
>824
>このスレって、べつにこのkって香具師と問答する専門のスレじゃないよな?
きみは確認したいのかな?としたら相手は誰だろう。
傍若無人を匂わす文章の割に誰かに気を使っている演出をしているように見えるよ。
>こいつとの問答だけじゃ面白くないから・・・。
何をするのもきみの自由。
きみ(名無しでは特定できないし)と問答した記憶はないが、他の人と問答したいのなら
ご自由にどうぞ。
でもきみの書き込みは新手の嫌がらせにしか見えないよ。
きみはここのスレにいる誰かと対話を望んでいるの?コテがほとんどいないのに?
ここのkって香具師のレスは面白くない。
の一言で済みそうな気もするね。そしてそういうことなら覗く必要もないんだよ。
面白いかどうかは君自身にもかかってくる。きみが面白さを見出す能力がないのかもしれない。
>>825 >良かったらおいどんと問答するかねや?気まぐれ者ですがひとつよろしく。
がんばってね。
>>826 >そのスレ、タイトルの意味が分からん。
確かに。
>>827 >んだね。おいどんもわからんけどね。つい立てさせられました。自分に。
何について語るスレなのかな?
830 :
考える名無しさん:05/02/14 14:46:20
> きみは確認したいのかな?としたら相手は誰だろう。
おまいじゃないことぐらいわかるだろ?w
>>829 >がんばってね。
頑張るかどうかは自分で決めたいんでね。やや不快をとりあえず表明しまーす。
まあ「余計なお世話ぜよ」と表現するほど不快じゃないけど、文字列は並べときます。
>何について語るスレなのかな?
さあ。それがわからないから楽しそうだなと。思考のきっかけってやつ?
元々僕チンが立てたスレではないんですよ。ストッパーがかかっててね。
つまり前スレがありんす。それで成り行き上ですかね。勝手にチン僕が立てたんです。
さっそく馬鹿という批評を頂きまして、よし、大きな馬鹿になろうと思いました。
と感想を述べて何になるか。どうなるかは(結果)は誰にもわからないですな。ははは。
ここへの書き込みでkを愚弄することが目的と見えるレスに関して考察する。
その行為の本質は自己の満足もしくは喜びの為であると考えられる。
理由は単純な書き込む作業に喜びを見出したにしろそうでないにしろ、他のことを差し置いて
書き込む作業をしている事実とその背景にkからこのスレを覗いたり書き込むことの強要
がされていない事実があることから、本人の希望でされていると推測される。
しかも書き込んだ時点でその場で取る行為における優先順位が一位であることもわかる。
その事実をどのように認識しているのか本人たちに尋ねてみたいが、彼らの目的が書き込み以外
にkの気持ちを動かすことにあるのであれば、それは有効に作用しているといえる。
しかし、精神的なダメージを与えられるかと考えるとそれは難しい。
通常の方法で共通認識的に愚弄する言葉を書いたところで、そこに見出せる意味合いが
彼らの意図とは異なる状態で感じられるからだ。
kの言葉に何も感じなければレスをつける必然性がない。
単純な書き込み作業を望むなら、ここである必然性が見えない。
こちらの質問にこたえないのはどうしてなのか。
そして、これは演出でありkは自覚して、彼らの中には自覚していない人がいる様子。
加えてkは対話を望み、書き込みを喜びとしている。
彼らの書き込みがこのスレを成立させ、kには何らだめーじを与えられぬまま書き逃げの形
を繰り返している。
彼らの存在なくしてこのスレは成立していない。また、なくても成立させられる。
自己に利がある自覚を持っていただきたい。
その場の自分の気持ちを最優先した結果、ここに書き込んだ事実をよく考えてほしい。いいのそれで?
833 :
考える名無しさん:05/02/14 15:03:51
> kの言葉に何も感じなければレスをつける必然性がない。
だから、そういう態度が「このスレはkとその対話者専用のスレだぞ」
みたいに見えるんだよ。「自分を見つめる」という一般的なタイトルの
スレなら、そういう私物化は止めて欲しいな。
>>830 >おまいじゃないことぐらいわかるだろ?w
わからないな。ではだれ?k以外の誰かとか?だとしたらばかだねほんとに。
臆病なのかな?
>>831 >頑張るかどうかは自分で決めたいんでね。
そのとおりだね。こちらの希望は頑張って続けてほしいということ。頑張るかどうかはきみが決めること。
>やや不快をとりあえず表明しまーす。
それは申し訳なかったね。
>さっそく馬鹿という批評を頂きまして、よし、大きな馬鹿になろうと思いました。
kはいつも頂いているよ。ばかはその人のその場の状態を判断する人の視点で考慮して
出た判断。みんな馬鹿といえば馬鹿だね。
835 :
考える名無しさん:05/02/14 15:07:48
>>834 おまいはおまいでやったらいいが、「自分を見つめる」というテーマにつ
いてもっとみんなで議論しようってことだな。
>>833 > だから、そういう態度が「このスレはkとその対話者専用のスレだぞ」みたいに見えるんだよ。
見えるだけだよ。気にしない方法を取れないのかい?
>「自分を見つめる」という一般的なタイトルの スレなら、そういう私物化は止めて欲しいな。
どうやったら私物化になるんだい?きみがそうおもいこんでいるなら仕方ないけど、
そんなことは実際には出来ないんじゃない?
そしてきみはkと対話しているね。気づいてる?
>>835 >おまいはおまいでやったらいいが、「自分を見つめる」というテーマについてもっと
>みんなで議論しようってことだな。
みんなと書いているが、まずはきみがしたらどうだろう。
きみは「自分を見つめる」ということに関してどう考察するんだい?
kがここに書いているのは、瞬間的に自分の言動を認識し続けることの有用性に関して。
きみはどういうことを考えているの?
838 :
考える名無しさん:05/02/14 15:39:47
これもまあ対話かもしれないが、「自分を見つめる」というテーマの対話ではないんじゃないかい?
こういうのを余計なお世話というんだが・・。
>>833 >私物化は止めて欲しいな。
なぜ私物化をやめさせたいのか。自問自答しその一般的なタイトルに自分がどのよ
うな有益性或いは危険性を見出し得るのか。見出したものをどうすべきと捉えるか。
その答えを実際どのように「他者」に投げかけるか。投げかけてどうなるか。・・・等。
思考を自分でするほうが有益かつ哲学的ではないだろうか。その上で書き込むこと
もできるだろうに。まあ自由でしょうが。Kさんは思考をするきっかけになってくれる
準備があるようですよ。知りませんが。と思う。
840 :
考える名無しさん:05/02/14 15:43:15
>>837 「自分を見つめよう」という努力が、「自分の言動を認識し続ける」と
いう結果を本当にもたらすことができるのかどうか、私は懐疑的だな。
とりあえず、「自分を見つめようとする」ということが実際には何をす
ることなのか、そのあたりから議論してみたいね。
841 :
考える名無しさん:05/02/14 15:45:01
>>839 余計なお世話だと思うんなら、何で書くのさ?w
>>841 あなたが何でだと思うかのほうが有益かつ哲学的ではないでしょうか。
私ごときに興味を抱いても何も出てきませんよ。めんどくさい質問に私は答
えたくないんでね。単純に言えばつまらん。
スレ主さんは答えてくれるようですよ。さいなら。
843 :
考える名無しさん:05/02/14 15:53:03
まず第一に議論の途中で、「そう主張している自分を見つめろ」みたいな
ことを書くのは止めにしたらどうだ。それだけでも、ここの議論がかなり
ましになるような気がするんだが。
>>838 >これもまあ対話かもしれないが、「自分を見つめる」というテーマの対話ではないんじゃないかい?
そういう見方が一般的だろうけど、多くのことが見出せるんだよ。
きみがそれを書き込んだその行為を自分なりにどう解釈するかということも自分を見つめること。
なぜ書き込んだのか。何のために書き込んだのか。他のことも出来たのになぜその書き込みを
優先させたのか。
馬鹿らしいという見かたも出来るだろうけど、ここのスレ主はそれを実践している。
>>839 >Kさんは思考をするきっかけになってくれる準備があるようですよ。
気づくきっかけはいたるところにあるね。kはそれを指摘している。むかつくかもしれないけど。
>>840 >「自分を見つめよう」という努力が、「自分の言動を認識し続ける」と
>いう結果を本当にもたらすことができるのかどうか、私は懐疑的だな。
自分を見つめる具体的方法のひとつが瞬時の自己認識だよ。
>とりあえず、「自分を見つめようとする」ということが実際には何をす
>ることなのか、そのあたりから議論してみたいね。
では、きみの意見からどうぞ。
>>841 >余計なお世話だと思うんなら、何で書くのさ?w
書きたかったのかな。
845 :
考える名無しさん:05/02/14 16:48:38
ソリャリ= k
>>842 >めんどくさい質問に私は答えたくないんでね。単純に言えばつまらん。
自分に不利益と判断したということかな?
>>843 >まず第一に議論の途中で、「そう主張している自分を見つめろ」みたいな
まず第一というなら、
質問には答えること。出来なければ答えたくないもしくはこたえられない理由を添える。
そして区別するためにコテにする等の工夫が必要。
きみはまず第一にそれをしているか?
きみの提案は受け入れるが、議論の途中にきみの指摘どおりのことを頻繁にしているならともかく
ほとんどしていない事実がこのスレにある。
議論するというなら、明確な自己主張と明確な答弁を願いたい。
そして実践を伴う話を基盤に願いたい。
きみがもっとも大切なものはなに?理想論を聞いているのではない。現実の話だ。
自分を見つめるとはそういう実践を伴わなければ実利が期待できない。
>>845 >ソリャリ= k
きみにとっては可能性があるように思えるだろうけど、kにとってはない。
847 :
考える名無しさん:05/02/14 18:20:07
k=ソリャリス
>>847 ちがいますよ。
私的には「誰でもいいんじゃねぇ?つまらん」だけど。一概ではないですね。
あなたは推測による思考が、哲学的に大事なのかもしれないですね。とか。
妄想好きとか(?)何好きかしりませんが。いったいあなたは何を求め
他者に表現し、どこまで行くのでしょう。だれも知り得ないことですな。
あなたの影響で私に変化が起こることもあるでしょうね。いい影響か悪
い影響かは私の受け取り方しだいかねや。
私に向けて「ここで」何か表現するならば不自由かつ弱いので工夫して
と勝手に願います。あなたも勝手ですかね。じゃ今度こそさようなら。
ちょっと、最後に気が向くまで。
>>846 >自分に不利益と判断したということかな?
やや大げさな文字列でした。単純に言えば暴言だったようです。
不利益なら私は(面倒なのに)読まないので。一概ではありません。私は勘に近く
判断には遠いですね。ってことで。
ハーダカノー オーサマガー ヤッテキタ ヤッテキタ ヤッテキタ ゾー♪
851 :
考える名無しさん:05/02/14 20:22:08
k=ソリャリス=k
>>851 オマイ ドウデモ イイコトニ ヒッシ ダネ
853 :
考える名無しさん:05/02/14 21:25:44
ソリャリス = k
>>803 >このスレでは誰とでも素で語り合いたい。むろん演出は含まれるが。
さてと、「素」って何なんだろうねー、どんな状態のことなんだろうかねー
855 :
考える名無しさん:05/02/14 22:12:29
k = ソリャリス
856 :
考える名無しさん:05/02/14 23:13:18
857 :
考える名無しさん:05/02/14 23:21:44
> > とりあえず、「自分を見つめようとする」ということが実際には何をす
> > ることなのか、そのあたりから議論してみたいね。
>
> では、きみの意見からどうぞ。
は? 私は「自分を見つめる」なんていうのは、本人は何かをしているつもり
なのかもしれないが、実質的には意味ないんじゃないかと思っているんだが。
空想や白日夢の一種なんじゃないかい?
858 :
考える名無しさん:05/02/14 23:51:52
ソリャリス = k
859 :
考える名無しさん:05/02/15 00:03:26
860 :
考える名無しさん:05/02/15 01:18:11
w
861 :
考える名無しさん:05/02/15 01:42:20
ソリャリス=k、決定でいいですね♥
862 :
考える名無しさん:05/02/15 01:53:32
うん
863 :
考える名無しさん:05/02/15 02:10:27
k =ソリャリス
864 :
AB:05/02/15 03:34:29
865 :
考える名無しさん:05/02/15 03:48:28
k ≠ AB k = ソリャリス
>>803 >このスレでは誰とでも素で語り合いたい。むろん演出は含まれるが。
「素」って、なぁ〜に?
K=ソリャリス
868 :
考える名無しさん:05/02/15 14:29:13
AB≠k=ソリャリス≠素
869 :
考える名無しさん:05/02/15 15:24:53
kの得意技は自演(W
ねぇー kーミン 素ってなぁ〜に?
恥ずかしがらーなーいで もじもじしなーいーで
答えてね♪
871 :
考える名無しさん:05/02/15 22:29:53
k=人生最大の発見スレの1 ソリャリス = k
872 :
考える名無しさん:05/02/15 22:32:10
自演を見つめていく。
873 :
考える名無しさん:05/02/15 22:34:57
あはは(大笑
874 :
考える名無しさん:05/02/15 23:14:14
自演をみつめていく 3
1 名前: 考える名無しさん 投稿日: 04/06/18 20:57
自演を見つめていく2 の続編として ご利用ください。
875 :
考える名無しさん:05/02/15 23:18:59
思う存分1000までやってみれば?自分でスレ立てて。
答えられる人を滅ぼすのが君の趣味か?
元々皆名無しでしょうに。やれやれ。
876 :
考える名無しさん:05/02/15 23:26:06
まあ、そう怒るなって。ちょっと冗談言っただけだろ。
877 :
考える名無しさん:05/02/15 23:32:27
餅つけk
878 :
考える名無しさん:05/02/15 23:35:35
どうでもええやん
879 :
AB:05/02/15 23:39:05
>>875は俺のレスなんだが。
アイデンティティ欲情してどうするっていう。情けないな俺も。
880 :
考える名無しさん:05/02/15 23:50:26
たしかにkの迷走ぶりは
人生最大の発見スレの1によく似てるな(笑
881 :
AB:05/02/15 23:51:49
>>880 君にも似ているんじゃない?
俺にもかな。
882 :
考える名無しさん:05/02/15 23:57:23
だれでもええやん
883 :
考える名無しさん:05/02/15 23:59:39
やっぱりkがでてこないと、もっとダメになるな。このスレ。
>>883 君にはできない?
俺にはできない。Kにはできるか否か。
885 :
考える名無しさん:05/02/16 00:08:52
おまえならできるかも、だってk = ソリャリス
でもスレ主とかいうのナシなw
見てて恥ずかしくなるw
886 :
AB:05/02/16 00:11:33
>>885 君は誰だ?
念の為俺はBでソリャリスという名を飾りにしているよ。
ソリャリスは、kを守りたいのか?
888 :
考える名無しさん:05/02/16 00:24:34
842 名前: ソリャリス 投稿日: 05/02/14 15:52:34
スレ主さんは答えてくれるようですよ。さいなら。
889 :
考える名無しさん:05/02/16 00:26:28
890 :
考える名無しさん:05/02/16 00:54:01
何話天然
891 :
考える名無しさん:05/02/16 00:56:23
たしかにkは天然w
思いこみは四肢麻痺をも直すっていうけど
具体的にどんな思いこみだろうかね
893 :
考える名無しさん:05/02/16 01:43:21
思いこみが四肢麻痺を治すというのが
まず、思い込みw
894 :
考える名無しさん:05/02/16 01:46:54
四肢麻痺を治すことがあるとすれば
思いじゃなく四肢麻痺を治すことに
つながる行動だけ。
895 :
考える名無しさん:05/02/16 01:49:03
思い込みで四肢麻痺になったんであれば、思い込みで治ることもあろう。
Kに聞きたいことを書けば?
質問以外の戯言は
>>864にあるスレなら1000までやって良いらしいよ。
もし良ければ。私は面白ければ付き合いますよ。
897 :
考える名無しさん:05/02/16 01:58:02
思い込みで四肢麻痺にはならない
やれるなら、やってみなw
898 :
考える名無しさん:05/02/16 02:00:45
思い込みって言うのは、やろうしてできるもんじゃないんだよ。
899 :
考える名無しさん:05/02/16 02:31:45
やれないことは言わないことだw
900 :
考える名無しさん:05/02/16 02:32:37
思い込みで四肢麻痺になることはあるよ。なろうとしてなるのは無理だが。
901 :
考える名無しさん:05/02/16 02:50:57
そこのとこどうなの?kさん
902 :
考える名無しさん:05/02/16 02:57:08
kの場合は頭の麻痺だろ
903 :
考える名無しさん:05/02/16 14:17:46
ハワイにマヒマヒという魚がいるが、いや別に、先進めてくれ・・・
904 :
考える名無しさん:05/02/16 14:17:55
905 :
考える名無しさん:05/02/16 14:29:41
906 :
考える名無しさん:05/02/16 15:44:48
>>905 おまえんとこの方言はおもしろいなw
ふさふさをハゲと呼ぶのかw
何県だ?
907 :
考える名無しさん:05/02/16 18:54:48
でてきやがれ、クソが
908 :
考える名無しさん:05/02/16 23:25:17
k = 人生最大の発見スレの1
909 :
考える名無しさん:05/02/16 23:34:56
さあこい
910 :
考える名無しさん:05/02/17 00:27:12
↑
スレあらし
自分を見つめてみた。もっと良い顔が欲しいと思った。
>>847-
>>911 あまりに多くかつばかげているので質問にだけレス
他のレスはリクエストにて追加するかも
>「素」って、なぁ〜に?
伝えたい内容の本質的な部分を語り合うという意味で使用。つまりは本質。
もうひとつのスレが終わったときの勢いに類似しているね。
かつて何度も似た状況はあったが、いつものようにこの勢いはいずれなくなってしまうんだろうね。
913 :
考える名無しさん:05/02/17 12:38:55
あれほど馬鹿げたレスの一つひとつに答えてきたのに
この部分だけ無視したk。不都合があったと思われるw
914 :
考える名無しさん:05/02/17 12:52:16
かまってカマッテ〜
>>913 >あれほど馬鹿げたレスの一つひとつに答えてきたのにこの部分だけ無視したk。
よく観察してるね。よほど気になるようすだな。
>不都合があったと思われるw
なんでもwなんだな。あれだけ多くのばかげたレスに書き込むことを優先させる時間がない。
無視はしていないね。
>>914 >かまってカマッテ〜
大竹しのぶが昔歌ってたよ、そういうの。
916 :
考える名無しさん:05/02/17 15:13:40
レスの一つひとつに答えるだけが取りえだったk、
もうなんにも残ってない
917 :
考える名無しさん:05/02/17 15:20:11
> よく観察してるね。よほど気になるようすだな。
k を見つめていく
>>916 >レスの一つひとつに答えるだけが取りえだったk、もうなんにも残ってない
悲しそうだな
>>917 >k を見つめていく
レスを読むことのみでね。
919 :
考える名無しさん:05/02/17 15:36:31
そんなことよりも、「自分を見つめる」というのが何なのかを語れ。
920 :
考える名無しさん:05/02/17 15:40:31
ハゲシク ワロタw
>>919 >そんなことよりも、「自分を見つめる」というのが何なのかを語れ。
瞬時の自己認識。少しはレスを読んだらどうかな?かなりたくさん書いている。
>>920 >ハゲシク ワロタw
報告して面白いなら世話がないな。
922 :
考える名無しさん:05/02/17 16:11:18
たくさん書いてる=自己認識 w
923 :
AB:05/02/17 23:24:25
>>922 君かわいいなぁ(男だったら無視するけど今後)。
君は誰だ?
おしゃれは嫌いか。もし俺好みの美女だったら、それなりのアクセサリーを付け
る気は無いかい。そして他スレでならヴァーチャル喫茶店デート的対話をしたい。
「生きてみたい!」by優作
まあ、つまらなければ響けないんだが。つーかこのスレもうすぐ終わりですね。
過ぎ去った時代のように。また始まるのですかねぇ。繰り返しますか?Kさん。
924 :
考える名無しさん:05/02/18 00:40:17
kが皆さんのいじめで自殺でもしたら
どうするの?
925 :
考える名無しさん:05/02/18 00:52:23
で?
926 :
考える名無しさん:05/02/18 01:04:37
>>921 自分を見つめる=瞬時の自己認識って言っているのか? そりゃ、変だ。
「見つめる」というのは注意を集中して一点を見続けるということだろ?
927 :
考える名無しさん:05/02/18 01:08:08
園山瞬時って いたよな?
928 :
考える名無しさん:05/02/18 02:07:51
シラネ
930 :
考える名無しさん:05/02/18 13:39:00
祈るんじゃね?
つまんねー やつらだな 喫茶店のだべり以下
932 :
考える名無しさん:05/02/19 12:04:19
k、こんなこと言われてる。事実だからしょうがないかw
>>922-932 >繰り返しますか?Kさん。
気が向いたらね。
>「見つめる」というのは注意を集中して一点を見続けるということだろ?
そう?スレタイは「自分を見つめていく」だよ。なんだい一点て?
>園山瞬時って いたよな?
園山俊二だろ。
>リクエストだよ 思いこみは四肢麻痺をも直すっていうけど
それはkがいったという意味かな?難病指定の関節炎の女性が現在努力で通常以上の体力
を身につけた話なら書いたと思うけど。
>k、こんなこと言われてる。事実だからしょうがないかw
きみのようなレスのことを指してるとしないところが泣かせるな。
934 :
考える名無しさん:05/02/19 15:38:47
ハーダカノー オーサマガー ヤッテキタ ヤッテキタ ヤッテキタ ゾー♪
935 :
考える名無しさん:05/02/19 16:04:35
kは自分がそう言われてるという自覚がないようだなw
真の、とか、本当に、とか、心からの、というものを空間と時間において、
時間のみに占めるものという事を空間形式を排除したものと曲解している人
達に対して、あなたのしている事は異なる空間の部分に属するのではなくて、
空間形式を排除している状態だから、それは人間的な考えとは限りませんよ
と教えてあげるにはどうしたらいいでしょう、照り焼きさん。
937 :
考える名無しさん:05/02/19 16:23:36
ナンジャ ソレ ソレ ワキモ ソレ♪
誰か正直に言ってやれ、「王様は裸だ!」ってな。
>>773 >行き着くところはいわゆる死だよ。それが答え。よく考えてごらん。
さりげなく、こんなにも恥ずかしい事を書いてしまっていたk様
940 :
考える名無しさん:05/02/19 18:17:56
kってのはあれだろ、フォールされても自分が「されてない」と
いえば「されてないことになる」と本気で思ってる田舎レスラーw
kのみつめる自己認識、大切にしてる気持ちってそゆこと〜w
941 :
考える名無しさん:05/02/19 18:20:36
その論法だと四肢麻痺だって簡単に治せる罠w
本当に、あの人は彼に「いい仕事」しているのかと言うことだ。
これは仕事に含まれることだったのだろうか
空間において、このようにしている事は社会において何にあたるのだろうか。
945 :
考える名無しさん:05/02/19 20:42:53
このようにしている事は世界において何にあたるのだろうか
俺はストーブにあたっている。
947 :
考える名無しさん:05/02/20 14:45:59
おれはパソコンに向かっている
さあ、はじめようか
948 :
考える名無しさん:05/02/21 11:11:42
おれは死に向かっている
949 :
考える名無しさん:05/02/21 12:19:01
おれは「なぜおれはこんなことしているんだ?」と考えている。
950 :
考える名無しさん:05/02/21 13:10:00
ついにkもこなくなった。このスレも3で終わりかな。
951 :
考える名無しさん:05/02/21 14:44:38
さて立ててくるか
952 :
考える名無しさん:05/02/21 14:52:37
Kっていいやつだったよな・・・今思うと・・・
953 :
考える名無しさん:05/02/21 15:16:47
kは、きっとまだこのスレを見つめている。
954 :
考える名無しさん:05/02/21 16:07:35
いまごろワイハで若いネーたんと・・・
955 :
考える名無しさん:05/02/21 16:13:48
はいはい。
そろそろ閉めますよー。
>>934-939 >ハーダカノー オーサマガー ヤッテキタ ヤッテキタ ヤッテキタ ゾー♪
嬉しそうに揶揄する様子が上手に表現されているね。
>kは自分がそう言われてるという自覚がないようだなw
きみにはそう見えるということだね。
>と教えてあげるにはどうしたらいいでしょう、照り焼きさん。
何事?
>ナンジャ ソレ ソレ ワキモ ソレ♪
調子がいいね
>誰か正直に言ってやれ、「王様は裸だ!」ってな。
誰かね。ご自分ではいえないの?
>さりげなく、こんなにも恥ずかしい事を書いてしまっていたk様
行き着くところが死だというのはそんなにも恥ずかしいのか。
>>940-945 >「されてない」といえば「されてないことになる」と本気で思ってる田舎レスラーw
いくらなんでも稚拙な比喩だな。「田舎レスラー」って誰?というか何?田舎侍と浅野を罵倒するのとは
性質が違うね。伝えたい雰囲気は想像したけどな。
>その論法だと四肢麻痺だって簡単に治せる罠w
簡単に?おばか?
>本当に、あの人は彼に「いい仕事」しているのかと言うことだ。
へえ。
>これは仕事に含まれることだったのだろうか
さあ?
>空間において、このようにしている事は社会において何にあたるのだろうか。
どのようなこと?
>このようにしている事は世界において何にあたるのだろうか
さあ?
>>946-955 >俺はストーブにあたっている。
へえ。
>おれはパソコンに向かっているさあ、はじめようか
どうぞ
>おれは死に向かっている
みんなそう。
>おれは「なぜおれはこんなことしているんだ?」と考えている。
自分の気持ちを納得させる為?
>ついにkもこなくなった。このスレも3で終わりかな。
残念そうだな。
>さて立ててくるか
立てるよ。
>Kっていいやつだったよな・・・今思うと・・・
kなんだけどね。
>kは、きっとまだこのスレを見つめている。
今はね。
>いまごろワイハで若いネーたんと・・・
へえ。
>はいはい。そろそろ閉めますよー。
は〜い。
959 :
考える名無しさん:05/02/21 17:31:35
へえ。さあ? ←自分を見つめてないw
瞬時の認識ってこゆことw?
>へえ。さあ? ←自分を見つめてないw
> 瞬時の認識ってこゆことw?
w
961 :
考える名無しさん:05/02/21 18:45:51
kって、ほんと恥ずかしいヤツだなw
>kって、ほんと恥ずかしいヤツだなw
w
どこかで閉店セールをやっているって
聞いたんですが・・・・ここですか?
964 :
考える名無しさん:05/02/21 23:19:17
へえ
965 :
考える名無しさん:05/02/22 00:42:11
さあ?
966 :
考える名無しさん:05/02/22 01:10:57
スレ(人生)が終わり近くに来ると
独特の焦燥感ないw?
967 :
考える名無しさん:05/02/22 01:24:49
おまえだけだ
968 :
考える名無しさん:05/02/22 01:34:29
k=人生最大の発見スレの1
kの辞書に焦燥の文字なしw
969 :
考える名無しさん:05/02/22 01:51:54
k w
k w
971 :
考える名無しさん:05/02/22 03:33:32
Kさんは全世界を敵に回しても
自己をたもてますか?
972 :
考える名無しさん:05/02/22 10:46:07
うざ
973 :
考える名無しさん:05/02/22 10:55:00
自分大好き、マイケル!
.
974 :
考える名無しさん:05/02/22 13:31:42
人生最大の発見スレの1 = k
975 :
考える名無しさん:05/02/22 13:39:10
それ、最大??
976 :
考える名無しさん:05/02/22 16:23:17
人生最大の発見スレの1はアホ中のアホー(w
k=人生最大の発見スレの1(w
977 :
考える名無しさん:05/02/22 16:30:48
>>959-963 >へえ。さあ? ←自分を見つめてないw 瞬時の認識ってこゆことw?
書かれていることがよく理解できないと、見つめていないことになるのかい?
>w
おもしろい?
>kって、ほんと恥ずかしいヤツだなw
どのへんが「ほんと」なんだろうか?
>w
また?
>どこかで閉店セールをやっているって 聞いたんですが・・・・ここですか?
特に何も売っていないよ。
>>964-968 >へえ
なにが?
>さあ?
なにが?
>スレ(人生)が終わり近くに来ると独特の焦燥感ないw?
「焦燥感ないw?」焦燥感があることを共感して笑いたいのかい?
>おまえだけだ
そう決め付けるのは尚早かな。
>k=人生最大の発見スレの1 kの辞書に焦燥の文字なしw
なんでもwで楽しそうだな。
>>969-971 >↑この事件の ↓犯人のサイト
めんどうくさいのでみてない
>kw k w
面白かったんだね
>Kさんは全世界を敵に回しても自己をたもてますか?
そんな面白い状況になってみないとわからないと思うよ。でもkは演出された個性であり
自己とは厳密には同一ではないのだから保てるとかそういう以前の問題じゃない?
このスレはどのように利用するのも各人の自由。というよりどのスレもそう。
ところがそのスレに思い入れを強く持つ人が決まりごとや禁止事項を設けて書き込む人の
気持ちに抑制をかける状況はよく目にする。
そこにはその人の理想とするスレを守ろうという気持ちが見える。
このスレの理想は、多くの人の気づきの実現。気づくきっかけになればどのように利用するのも自由。
kはスレ主の演出の一形態であり、どのようにも変化可能だが利便性を優先させて固定させたように見せている。
kと対話して逃げた人も多いが、おそらくその理由のひとつは自分の行為に気づくことからくる
ストレスと推測する。最近の傾向で書き逃げが多いが、書き手のストレスが解消されていればなにより。
そうでない人は自分の不利益を見つめることも必要だろう。自分を見つめるのはきついね。
でも気が向いた人は対話してほしいな。
また、kの演出が気に入らないという人もいるかもしれないけど、それはこちらの自由でもあり
気に入らない人は見ないという手段もとれることだからお好みでどうぞ。
983 :
考える名無しさん:05/02/22 18:31:54
「自由、自由」と、自由を振りまわすしか知らない、k。
「勝手でしょ、勝手でしょ」←w !!
をぃをぃ、k! ずいぶん安っぽい自由だなw
984 :
考える名無しさん:05/02/22 18:40:40
ライフスペースぽいですね
もうじき出そうですか
「定説です、定説です、定説です」
「サイババの勝手なんですっ!」
986 :
考える名無しさん:05/02/22 19:19:20
サイババスペースにおける自由・・・・・・
文盲ばかりだな
フリーダム!
988 :
考える名無しさん:05/02/23 00:39:49
自由ってのはな・・・
990 :
考える名無しさん:05/02/23 13:19:57
ほんとだ!
991 :
考える名無しさん:05/02/23 14:00:31
kの特徴
1.中身がない
2.中味が無い
3.内容がない
4.内容からっぽ
992 :
考える名無しさん:05/02/23 14:03:23
からっぽを見つめていく
993 :
考える名無しさん:05/02/23 16:12:11
kはドーナツ
ピーマンだろ
995 :
考える名無しさん:05/02/23 21:33:43
これほどスカスカのアホも珍しいw
996 :
考える名無しさん:05/02/23 22:40:05
オウム返し
997 :
考える名無しさん:05/02/23 22:41:32
オウムのがまだマシ
998 :
考える名無しさん:05/02/23 22:47:41
しは
999 :
考える名無しさん:05/02/23 22:48:31
999
1000 :
考える名無しさん:05/02/23 22:49:09
1000
1001 :
1001:
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