678 :
考える名無しさん:
個対個では容易に突出しない暴力性が、個対集団になるととたんに突出するのはなぜでしょうか?
たとえば、A、B、C、Dの人間がいるとします。彼らは常にグループで動かないといけないものとします。
A対B(個対個)の関係で、Aは山へ芝刈りに、Bは川へ洗濯に行きたいと言ったら、衝突を避けるためにどちらかが折れますよね?
でもA対B・C(個対集団)の関係で、Aは山、B・Cが川と言ったら、Aは折れざるを得ませんよね?逆らったとしても力で抑えられるし。
この状態になると、AはB・Cという集団の暴力に晒されることになりますよね?
B・CにDが加われば、さらに暴力性が増し、Aは従属状態になると思います。
こういうことから考えると、集団と言うのは作られた瞬間に暴力を内包している。
つまり、集団は基本的に力で個(もしくは他の集団)を押さえつけることを(意識的、無意識的含めて)目的としているのではないかと思うのですが。
的外れな考えですかね?自分にはどうにも集団の隠された暴力が怖くてしょうがない。
彼らは、彼らが敵対者と認めたものに対して、その力を行使していることに全く気づかないながらも、必ずその力を発揮する。
679 :
◆05nYLrwuNY :04/10/07 20:11:44
>>678 私も集団暴力恐いです。
ひょっとすると集団になると暴力的になるってのには
進化論的な基盤があるのかもしれません。
スティーブン・ピンカーの『人間の本性を考える』NHK Booksは必読。
>>679 集団にとっては、集団の崩壊が恐怖なんでしょうかね?でも、(気が合ったやつらが集まるから)崩壊しないからこそ集団ができるわけで・・・
国のように、集団が非常に大きくなって集団内で多様性が出てくると、集団はある程度の寛容を持たなければ、
集団の構成員の不満を解消できなくなりますよね?
では、なぜ少人数集団においても、その慣用が無いのかが不思議です。
個というのは、いつかは集団に無理やり属される可能性があって、ならば集団内にも「”元”無理やり属された個」がいる可能性があるわけで、
でも彼らは集団として動いている。(もしくは彼らの幾人かは集団として動き、その他は日光三猿)
(固は狩られる存在?もしや集団が個を保護している?保護という名の狩り?つまり正しい暴力か?)
思想にしたがって生きる場合、
思想と生活はどちらが優先されるのでしょうか?
思想は生活の必然からきた←マサイ族は植物の少ない
所にいきるから、植物を汚らわしく見る
穀物を食べるムスリムは、穀物を食べる
豚を汚らわしく見る
などを考慮してどうでしょうか?
思想は、生きる道具なのか、思想のために生きるのか?
レス、お待ちしています。
682 :
◆05nYLrwuNY :04/10/07 22:16:18
>>680 まあ哲学ってよりは心理学や認知科学の話題なのかもしれません。
社会心理学とかって分野もあるし。
>>681 生活が先なのが普通だと思います。
「思想が生活の必然から来た」ってのはどうかなあ。
>>681 思想という語の意味するところは広く一概に答えを出す事はできません。
681さんが出した例は「思想」と捉える人も居ますし、単なる「生活習慣」と捉える人もいるでしょう。
私は思想とは、現実離れした、頭の中で考えられた、観念的な何か、とは思ってませんので、
「人は思想に基づいて生きる」と思っています。
上野千鶴子なんかは、
「生きるために思想は不要。むしろ思想は人を殺す」
みたいなことを言ってたね。
>>684 「思想ナチ」ならば、殺人は夲能でちかせんだらうが、
「思想アリ」ならば、其れ以タトの理由でも殺人しちゃうからナ、人間ってヤシわ!
平和の爲とか正義の爲とか復讐の爲とか、立派な理念・思想に基づく時、
平氣で大殺戮をおっぱじめやがるからナ。今の世界もさうだよナ♪
686 :
考える名無しさん:04/10/07 23:09:24
「思想が生活の必然から来た」っていうのだけど
思想と生活とは本当に関係あるものだろうか?
脳が発達したために発生した空白を埋めるために生み出されたものが思想だと思うわけよ。
687 :
濃紫:04/10/07 23:50:09
集団性を考えてみると、集団でいるのに理由もなく集団ではいないと言うこと
だと思います。自然界においては単独で生きていくには難しい動物がいると思います。
逆に単独で生きていける動物もまたいます。集団行動をするかは集団でいる事に
自分の目的意識と目的レベルが同じである事にメリットを感じるからではないでしょうか。
つまり不安を感じ恐怖感がなければ良いのだと思います。
>>682 哲学以外も勉強すべきですけど、それをやると生きてる間に答えは出ませんねw
>>687さんへのレスになっていないかもしれませんが・・・
動物のことはわからないので、人間のことに限定して話をしていました。
人間の場合、確かに理由無く群れると言うことはありませんね。
望んでそこへ来た者たちは、同じ方向に向かって進むわけで衝突が無い。だからこそ、崩壊を恐れる必要は無いと思うのです。
集団行動にはメリットがあるのは認めます。
しかし、無理やり構成された集団にはメリットが無いと思います。
例えば学校のクラスの場合、”集団内の個” 対 ”集団内の集団”の対立が発生します。メジャーなものではいじめです。
この集団を解体して、いじめ被害者 対 いじめ加害者 の個対個状態にすると、いじめはなくなると考えられますよね?
この状態では(肉体的、精神的)暴力はまず出ませんよね。なんでこれが集団化すると出るのだろうと不思議なわけです。
(いじめを例にとったのは間違いだったかな・・・)
もしかして集団は集団として行動しなければいけないという常識があるのかな?
(それを持っていない者は病気だと診断されたとして、その診断は正しいものなのだろうか?って思っちゃいます。こんなんじゃ心理学勉強できないかもw)
もう独り言になってますねort
689 :
濃紫:04/10/08 02:24:11
大きく分けて常識的な人と本質的なタイプと両方を理解しようとする
タイプになると思います。考えが違っていてもこの世界の全ての命のある生き物
の本能は共通しているということです。つまり本質的には集団でいたくなければ
それで良いんです。
691 :
考える名無しさん:04/10/08 16:27:14
質問!
宇宙が誕生した時無限のエネルギーが出現し
一瞬にして有限なエネルギーに冷めたそうですが
無限から有限って何か理解不可能な超越があるように感じるんですが
わかりやすく誰か教えてちょ!
692 :
◆05nYLrwuNY :04/10/08 16:37:09
物理板にどうぞ。
693 :
考える名無しさん:04/10/08 16:39:38
無限が有限になるのを理解するのは哲学の仕事でしょ
そもそも無限が存在するのかどうか。
物理学って実無限の考えに立脚してるの?
695 :
◆05nYLrwuNY :04/10/08 18:03:35
>>693 よく知らないことや聞きかじりのことや
真面目に勉強するつもりのないことついて考えたりするのは時間の無駄です。
>>694 とりあえず物理板で
> 宇宙が誕生した時無限のエネルギーが出現し
ここらへんが本当なのか、そのときの無限てどういう意味かたずねて来ては?
数学的な無限に興味があるのなら数学板もどうぞ。
696 :
濃紫:04/10/08 19:29:32
集団性について原因はあると思いますが、集団の数だけそれぞれ違うわけです。
こまかなところを分析せずにその場しのぎ的な答えもあります。しかし本質的な
答えが永遠に出ない事になります。集団を作る個々がいます、個々の本質が分からなければ
集団の本質を見抜く事が出来ないと考えられます。
697 :
濃紫:04/10/08 19:42:35
無限は無限にしかすぎません。しかし無限の可能性を持つなにものかを考え
たいと思います。1人の人間の命は100年ぐらいです、しかし子孫を残し続ければ
人間本来は永遠の可能性を持つ事になります。不可能だという根拠がない限り
前に進もうとする研究者しかいないと思います。
>>696 まずは構成員を見ないといけないということですね。
集団って集団が発生すると同時に、その集団独自の常識や法律ができますね。
集団を構成するための必須要素なのかな・・・
それにしたがわないから暴力を振るわれるのか?
とりあえずは集団に関して研究した本を見てみます。
独り言のような質問に付き合ってくださりありがとうございました。