1 :
考える名無しさん:
2 :
考える名無しさん:04/06/01 08:54
2
3 :
考える名無しさん:04/06/01 09:07
糞スレたてるな
5 :
考える名無しさん:04/06/01 13:56
デリダの翻訳者じゃなかったっけ?
1の言う通りだと思うけど、ネタふれや
「眼蔵」って何?
フランス語訳だと
reserve visuelle(まんまかよ)
となっていて新鮮に感じたが。
こういう時代こそ、立正安国論だと思うが。
8 :
考える名無しさん:04/06/01 14:45
「立正安国論」ってなに?
10 :
考える名無しさん:04/06/01 14:49
こういう時代だからこそ、開目抄だろ
確か、正法眼蔵を調べてスレを造るって言ってたヤツがいたけど、
こんな立てかたをしたスレがあったら、
このスレが死ぬまで立てられないべ。
12 :
考える名無しさん:04/06/01 14:51
>>7 いますげー法悦キターーーーーーーーーーーー
13 :
考える名無しさん:04/06/01 15:05
こういい時代だからこそ、tanasinnだろ
是非、『根本中頌』『中邊分別論』『摂大乗論』『三十頌』及びその釈等を
御理解の上で、日本の佛教教学を御思案下さい。
15 :
考える名無しさん:04/06/01 16:47
道元ってよその仏教国で読まれてるの?
欧米に読者がいることはわかったけど。
道元造『正法眼蔵』は、中国の高名な禅師が既に造した『正法眼蔵』を
意識して著されました。
最近『正法眼蔵』の解釈本等も出ていますが、解釈の為には、
大乗仏教哲学の根本であり、禅宗の背景たる龍樹の中観及び
無着・世親の唯識教学への理解が絶対に不可欠です。
また法蔵等の華厳宗も欠かせません。
それ無しに道元やまた親鸞の独創性などというのは無意味なのです。
>>16 どういう順序で読めばいいのか?
それと、全くの素人じゃなくて、
西洋哲学をあるていど知っている人向けの入門書があるなら教えて欲しいです。
18 :
考える名無しさん:04/06/01 23:43
>>16 浄土宗、浄土真宗においては、独創的なものではありません。
インド(竜樹、天親)、中国(曇鸞、道綽、善導)、日本(源信、法然、親鸞)と
受け継がれてきたものです。
代々、仏教を噛み砕いて人々に分かるように伝えられてきたものであり、
それを独創的と考えるのも無理はありませんが、時代に合った方便とも言えます。
また、釈尊が葦提希夫人という王妃に極楽浄土を見せたのが浄土教の発端ですから、
それ自体を否定することはできないでしょう。
19 :
考える名無しさん:04/06/02 08:07
日本史上最高は本覚門だと思うけど。それを理解できない道元さんはずいぶん落ちると思います。
>>17 森本和夫さんの入門書と玉城康四朗さんの現代語訳がいいんじゃないかと。
>>17殿
●概説他
三枝充悳『仏教入門』岩波新書
立川武蔵『はじめてのインド哲学』講談社現代新書
同氏『「空」の構造』レグルス文庫
竹村牧男『インド仏教の歴史-覚りと空-』講談社学術文庫
同氏『唯識の探究−唯識三十頌を読む−』春秋社
同氏『唯識の構造』同社
横山紘一『唯識とは何か』同社
桜部建『仏教思想2 存在の分析(アビダルマ)』角川ソフィア文庫
梶山雄一『仏教思想3 空の論理(中観)』同社
服部正明『仏教思想4 認識と超越(唯識)』同社
角川には、参考文献も多数記載されているので、如何なる著者・著作が有効かも御理解頂けると思います。
●原典訳他
長尾雅人他『世界の名著2 大乗仏典』中央公論(新)社(世親造『倶舎論』、世親釈『中邊分別論』の妙訳、龍樹蔵『廻淨論』、世親造『唯識二十論』の全訳他)
中村元『龍樹』講談社学術文庫(龍樹造『根本中頌』全訳及びその概説)
三枝充悳(中身は横山氏)『世親』講談社学術文庫(『唯識二十論』全訳、世親造『唯識三十頌』全訳及び頌の概説、世親造『成業論』妙訳)
三枝充悳註『中論-縁起・空・中の思想』(上中下)レグルス文庫(『根本中頌』の訳書では学術的最高峰)
長尾雅人『摂大乗論』上下 講談社(無着造『摂大乗論』全訳)
梶山・瓜生津『大乗仏典14 龍樹論書』中央公論(新)社(『中頌』以外の月称釈『六十頌如理論釈』等の龍樹造書の訳及び釈の訳、多数収録)
長尾・梶山・荒牧『大乗仏典15 世親論書』同社(『中邊分別論』全訳、安慧釈『唯識三十頌釈』全訳、他収録)
※最後の二冊は、現在絶版ですが、同シリーズの文庫化が進行中ですので、何れは刊行されるでしょう。
●比較哲学系
F・ヴァレラ 田中訳『身体化された心』工作舎(後期フッサール現象学との親近性がいわれる、
オートポイエーシス論の提唱者による中観思想等との比較)
司馬春英『現象学と比較哲学』北樹出版(唯識とフッサール現象学との対比等を収録)
順番は、概説書から読まれると良いかと思われます。ちなみに、本覚(如来蔵)思想の根も唯識三性説の解釈の次第にあります。
19,20さん
ありがとうございました。
>>22 私のような西洋哲学の人間でも理解できるように、
詳しい人が教学を控えめに展開してくだされば、
あながち板違いでもないと思いますよ。
24 :
考える名無しさん:04/06/08 18:28
>>22 あたまわりーーなあああああこういう奴って
>>24 スレを活かしたいなら1のかわりに当分お前が舵を取れ。
しないなら宗教板のほうが有意義かもしれないね。
w
27 :
考える名無しさん:04/06/12 13:03
梅原せんせも日本で最高の哲学書と言っていた。
『根本中頌』第二章に依れば、
「私は生きる」とはいえない。主語私は「生きつつある私」として以外にはなく、
それが更に「生きる」と為すとき、「生きつつある」ことを忘却しておいて、
生きる・生れる・死ぬ、見る乃至考える、他の述語がが付随する、
述語に依らずにあるような「私」が想定せられる。
例えば「これから何しようかな」と何気なく考えるとき、
何もしていない「私」が、先ずいて、それが何かをすると考えるようにである。
同時にこの「私」の想定は、主体に依らず在ると妄想される述語(時間性)が
想定せられる。
このような自存的「私」(我)こそが、神秘論的な有霊魂論、実証科学的な観察主体、
等である。実に、対立すると見られているこれらはこの考察の次元からみれば、
同根である。
佛教であるから当然、五蘊における(故に「去る」から「生きる」にかえて説明した)
主語的契機と述語的契機の相依性(空・絶対無)こそが『根本中頌』の謂う所である。
第二章において、「三世門破」の次に「一異門破」が来ているのは、
単なる気まぐれではなく、三世門破の内実こそが一異門破だからであり、
三世門破により、『中頌』が認識論・時間論について問題にしておらず、
言語上の問題等という誤った批判は払拭せられる。
「生きつつある私」(あるいは「私ししつつある生きる」)
という矛盾的にしか表現にしか不能な領野を“証する”こと
(矛盾的表現によっても分るように、同一性を自明して対象的に “知る”のではなく、
同一性の起源の構造を、それとして体験すること)が「諦める」ことである。
諦めるとは梵語の「真理」の訳語であり、無明という真暗の無智性に対して、
「明らかに観る/究める」という謂いである。これが常識下では誤用、
どころか逆転して、虚無主義の代名詞の様に扱われるが、
このことには重大な哲学的理由がある。
相依性を証していない有情には、相依性は「相対無の絶対化」にしか映らない為に、
このような誤解が生じる。彼等は相依性ではなく、非相依性=同一性こそが、
真実在と自明しているので、空といっても、相対的無の絶対化(同一性の内容としての無)
としか映らないのである。
相依性についての理解で重要なのは、A・Bが相依するという場合、
「Aが先」でも、「Aが後(Bが先)」でも相依は成立しない。此処までは、
常識的であるから良いであろう。重要なのは次である。
「A・B同時」(テトラレンマ中第三支)でも相依は成立しないという点である。
というのは、同時にとしてしまうと、たとえ刹那であろうとも、
相依する当の者として、相互依存することなくA・Bが存立してしまうからである。
第六章第三頌「貪(述語的契機)と貪者(主語的契機)とが同時に、
生起することは正しく無い。何故ならば、もしそうならば、貪と貪者とが、
相互に依存することなく存在する事になってしまう」
第十章第十頌「此に依存して法(彼)が成立しており、その彼に依存して
此が成立している場合に、もしも依存されるべきものが(先に)
成立するのであるならば、此と彼のどちらがどちらに依存して成立するのか」
故に絶対無である。相依性とは、客観時間内での同時ではない。
相依とは、客観時間“化”(同一性の生成)である。
故に「色即是空 空即是色」や「煩悩即菩提」になり、
また、『中邊論』によれば、相依性は虚妄な非相依として顕現する故に、
「虚妄分別」ともされた。
業についての理解で重要なのは、この相依性を厳密に理解していることである。
世親が苦心したもの、無我論における輪廻(時間論、行為には行為主体が不可欠だが、
それが無我である場合に、如何にして時間が成立するか)の成立であった。
先に述べた様に、主体・主語から無縁な述語(の基本は動詞であり、
動詞は運動性・時間性を示す。例え属性などとしても、他への用が
無くては属性たらない)の想定は誤っているとしたが、
この主語的契機と述語的契機の二元論においては、時間において、
観察主体と観察対象を(内容と作用)とを峻別してしまう。
このような考は結局、種々の決定論とそれから派生する倫理を妄想する。
「一切は決定している」という宿命論、一見反対偶然論も、
「一切は決定していない、ことが決定している」としているのであって、
同様である。これらは、真には時間的以外には無いはずの論者が、
論理飛躍して時間の外から、時間を眺め渡せるとする考
(主語から独立にある時間の想定)に依っているが、
このようなことを佛教は認めない。西田が「自覚」的な者ののみが、
真に能動的としたのも、この意味でである。
業が「善因楽果 悪因苦果 因是善悪 果是無記」=異熟とされるのも、
如何なる思弁的な決定論も偶然論もいえないからである。
業は「自在なる必然(司馬春英)」である。
ちなみに西田は、臨済宗の公案禅(道元の曹洞宗ではない)を
六年かけて究めた上で、『善の研究』以下の著述を為したのである。
故に「純粋経験」「自覚」「弁証法的一般者」「場所」「絶対無」等が、
―禅宗の哲学的背景たる、龍樹の中観、無着・世親の唯識、
及びそれらを綜合した華厳宗と、
唯識に近しいと言われるフッサール現象学等が―近いとされるのも、
当然である。
止観行とは誤解されるような神秘論ではない。相依性は対象的に知りえず、
証することである。経験の厳密な観察である。
常識的日常では経験があまりに速く推移する為に、捉えきれないのである。
対象的に空を知ることは、空を証したことではない事をいわんとして、
世親『三十頌』27頌「これは唯識に他ならぬ〔対象的に知っている〕、
というのもまた、実に有得ゆえに、面前に何者かを立てることがあるので、「唯量」に
なお住して〔証して〕いないとされる」という。〔 〕内引用者
また、ピンガラ釈『中論』では「空亦復空」とされる。
『宝積経』でも有我とする執は対治可能だが、空を執することは、
対治不能とされ、空病とされる。つまり相対無の絶対化である。
最近やたらと道元ブームですよね。
正法眼蔵はいいな。
しかし、1がおかしなヤツのスレに参加なんかしたくない。
空白って、
35 :
考える名無しさん:04/06/14 12:18
>>34 20みたいなリストは素人にとってはありがたいので、
スレの出自はともあれいいんじゃない。
できれば小乗も大乗も一挙に概観できるような本ないかな。
やっぱエリアーデの「世界宗教史」とかしかないのかな。
36 :
考える名無しさん:04/06/14 15:44
>>35 あまり覚えてないですが、20であげられている
竹村牧男『インド仏教の歴史-覚りと空-』講談社学術文庫
でたりるとおもう。それで足りない人は、
平川彰『仏教通史』
平川彰『インド仏教史』上下
どちらも世界最高の名著。
ただし『仏教通史』のチベットに関する部分は他に比して、
お粗末過ぎて信ずるに足りないです。
37 :
考える名無しさん:04/06/14 18:39
>>36 どうもありがとう。
チベットに関しては工作舎から出てるドイツ人の書いた方を持ってるんですが。
あれはどうですか?
38 :
考える名無しさん:04/06/14 20:29
お前らアフォか?
「人間革命」読んだことあるか?
俺は大学でプラトン研究してたけど正直
「饗宴」なんかよりよほど真理に近いと思ったよ。
この本に出会ったおかげで人生観かわったよ。
そうか
40 :
考える名無しさん:04/06/15 01:03
41 :
考える名無しさん:04/06/15 12:09
40=釣りでしょ
42 :
考える名無しさん:04/06/15 12:33
そういや昨日、臨済宗の坊さんの特集やってた。
43 :
考える名無しさん:04/06/15 12:34
悟りについてはこう言ってた。「悟るとは即ち唯生きることや。当たり前のことを当たり前にするするだけのことや。何でもなく安定して生きることが即ち悟りや。わかるか?病気やなんやで安定していないところには悟りは無い。死ぬ間際ではなく何でもないところにあるんや」
44 :
考える名無しさん:04/06/15 12:41
悟りなんてものはないし悪と善を分類する必要もない。身体が唯その通りに動き心が動かない日常こそが総てだそうだ。それを継続することは難しいが
厨房減少してほしい・・・
46 :
考える名無しさん:04/06/24 17:21
買おうかと思ってるだけど何処の出版社のがいい?
47 :
考える名無しさん:04/06/24 18:21
本読むのメンドクサイから家で座禅するだけでいいですか?
48 :
考える名無しさん:04/06/24 20:36
古文に自信あるなら、岩波文庫。
でなければ森本和夫さんか玉城康四朗さんの現代語訳ですかね。
20氏のブックガイドの
角川「仏教の思想」を2-4まで読みました。
個人的にはアビダルマが興味深かったです。
ところで、
正法眼蔵のためには中国仏教の概説にも目を通した方が良いと思うのですが、
このシリーズをそのまま読んでも大丈夫でしょうか?
正直、梅原猛が監修というのに引っかかりを感じるのですが…
講談社学術文庫で、増谷文雄=訳注の『正法眼蔵』が出たね。
ざっと読み比べたが、増谷文雄の現代語訳が、
いちばん好いんじゃないかなぁ。
それから、日本史上というより、
世界史上においても最良の部類に入ると思うが…。
51 :
考える名無しさん:04/06/26 18:10
>>49 梅原猛監修といっても彼の論考を読まなければ、問題ないでしょう。
私は、中観が最高傑作だと思います。あれはホントによろしい。
全部読む必要は感じません、柳田聖山先生の中国禅だけは読んで損はないと思います。
高崎直道先生の道元、田村芳郎先生の天台は読めばそれなりだと思います。
その他はまったく読む必要なし。
SASAKIさんには悪いが、増谷文雄は避けるべき部類のものです。
また私は最良とは決して思えない。本覚を理解できない時点でかなり落ちる
部類に入ると思いますよ。
森本和夫さんか玉城康四朗さんの現代語訳で読めばいいと思います。
52 :
考える名無しさん:04/06/26 18:19
今の日本だからこそ、やっぱり宗教は必要かな
統治統制の行き届かないからこそある意味の"縛り"は必要であると思うけど
行き過ぎた"縛り"は思考の束縛になるから第三者がやっぱり必要
宗教も薬も行き過ぎると毒
そのための哲学であり倫理学であり応用倫理学なんだが。
54 :
考える名無しさん:04/06/27 06:25
哲学は少なくとも近世以前はそんなものじゃなかった。
倫理学など学者が頭の中ででっちあげたもので、
いままでで成功した例、あるんですか、あるんですか?
学者がつくったものは、学者しかみないんじゃないの?
お兄さんの言うこと、聞いとけ。
最近このスレで指摘されている書物を色々読んでいるのですが、
中国仏教の理解のために、広く中国思想を知る必要を感じました。
たびたび教えて君状態で申し訳ありませんが、
良い概説書などはありますでしょうか?
関連スレへの誘導でもありがたいです。
現在の哲学板には丁度良いスレが見あたりませんでした。
具体的には儒教や老荘思想と仏教の関係に関心があります。
インドの仏教が中国でどういう変化を遂げ、日本に伝わったのかがわかれば、
鎌倉仏教の位置付けも、より精密なものになるような気がするからです。
門外漢から見ると、西田や大拙の力が大きいのか、
仏教を哲学的に考えることが、そのまま禅につながっていく傾向を感じます。
しかしそれが仏教思想の展開の一つにすぎないことがだんだんわかってきました。
道元の画期性についても諸説あるようですし…
57 :
考える名無しさん:04/06/27 15:46
まさに柳田先生の中国禅がそうゆう仕事してます。
中国思想の概説は、武内義雄『中国思想史』岩波全書が、私の知る限り最良です。
ただ若干難しいかもしれません。その場合は 溝口 雄三『儒教史』等の
山川出版社 のものがルビ入りで読みやすいと思いますので、
そこらへんとの併読をお勧めします。
西田や大拙の力が大きいというより、禅は分析的に捉えるものではないからです。
禅の批判的研究なんてものが出てますが、非常に滑稽に見えます。
>>51 あなたは本覚の優位性を前提になさっているようですが、
具体的にその点を挙げていただけないでしょうか?
どうも仏教系の哲学は宗派争いが混じりやすい気がしますので、
この板ではできる限り思想の良し悪しについて具体的に書き込んだ方が良いと思うのです。
道元や親鸞の独自性・本覚思想・中国佛教であろうと、
止観行を極めてから『善の研究』以下を著した西田であろうと、ですが、
中観と唯識について、特に具体的にいえば、
ナーガルジュナ造『根本中頌』(これが最も重要です、此処で示される、
時間論・認識論・存在論こそが唯識の基本でもあります、
その際には「色即是空 空即是色」でも分るように、常に五蘊・有為が空であって、
単に対象物の空をいっているのではないことを胆に命じて下さい)
アサンガ伝 ヴァスバンドゥ釈『中邊分別論』(特に相品)
アサンガ造『摂大乗論』(特に「所知依相」「所知相」)
ヴァスバンドゥ造『唯識三十頌』
ヴァスバンドゥ造 スティラマティ釈『三十頌釈』
ヴァスバンドゥ造 ダルマパーラ(護法)等釈 玄奘漢訳『成唯識論』
等についてある一定以上の理解無くしては無理です。
中国以東の佛教哲学は基本的には、過言との批判もありましょうが、
此等で述べられたことを応用しているに過ぎないのです。
特に三性説への解釈こそが、本覚思想などの根本にあります。
三性説は「有為―無為の問題軸」と「有漏(分別識)―無漏(無分別智)の問題軸」との、
二軸から成るのですが、「一切時」(『三十頌』25頌)に実現しているのは、
前者としての無為=空です。また龍樹も、一切皆空ならば四諦(有漏・無漏)は成立しないという、
批判に反批判して、空故にこそ集諦(有漏)があるとしています。
ところが、本覚思想の元である如来蔵縁起論は、無為としての一切時性を、
無漏の無分別智の一切時性に置き換えているのです。
無漏、無分別智は修習により到達されるのであって、一切時ではありません。
先端の科学者ですら輪廻を信じているインドの文化において、有漏と無漏を相対化して
霧散しうる考は、西欧における無神論と同様に倫理の破壊として認められません。
事実、釈尊同時期の外道中で輪廻を否定した思想は悉く滅びました。
ただし、行為主体の無我を主張する無我論と行為論及び倫理論である輪廻説が
如何にして調和するのかに佛教は苦心します。その成果としてアーラヤ識縁起論があるのです。
続き
「禅宗」等で「不立文字」と一括するのは聞こえが良いですが、
少なくともインドやチベットでは、止観行的実践と「月をさす指」として
仮であることを自覚しながらも理論的追究することが、乖離しませんでした。
これらの姿勢は現代における、時間論や行為論における非形而上学的方向性と極めて対応するわけで、
この点から後期フッサールやオートポイエーシス論のヴァレラ等とも対比されるうるのです。
補足
『三十頌』でも依他と円成との不一不異をいうとき、有為―無為軸として、
諸法とその諸法性、諸無常物と無常性との関係で説きます。
分別識と無分別智とではありません。
62 :
考える名無しさん:04/07/03 12:41
道元禅師
63 :
考える名無しさん:04/07/04 00:02
64 :
考える名無しさん:04/07/04 00:03
また、インドで学者ばっかりと考えるのは非常におかしいよ。古くはチューラ・パンタカ、
後にはサラハや八十四成就者伝の中にたくさんあらわれるひたすら行だけする人たち。
チベットでもミラレパを代表とするたくさんの行者たち。日本ではチベットのアビダルマ仏教
ゲルクばかり紹介されるから勉強ばかりしてるように思われるけど、カギュやニンマ、カーダムには
ひたすら行に沈潜して大成就者になった方々がたくさん出ていることを見落としてはいけません。
なので只管打坐が旗印の道元禅師の著書を読むのに多読は無用だと確信します。
逆に変な唯識やアビダルマ的思考を持たない方がいいと思います。
分からない言葉は、禅学大辞典や、玉城、森本訳で当たればいいのではないか。
といって唯識やアビダルマを否定している訳ではないので、勘違いしないでくださいね。
仏教は色々な門が開いているて、唯識やアビダルマがあう人にはそれが最高の教えですから。
だから、勉強したい人は勉強してもいいが、必然では決してない。
でなければ、いままでの曹洞宗の師家方すべて分かってないことになりかねない。
そんなことは、ありえないとおもうんですけど。
アビダルマは個人的にかなり面白いのですが…
西洋哲学をやっている者からすると、
正直いきなり禅というのには若干抵抗があります。
龍樹より唯識の方が面白そうだと思うのも、
最終的に「無記」に照らし合わせると
主知主義的で良くないということになるのでしょうか。
煽りは意図していません、念のため。
66 :
考える名無しさん:04/07/04 06:09
アビダルマや唯識は勉強する場合、分析による構造主義だから17さんには
理解しやすいかもしれません。ただ最終的に正法眼蔵を読むことが目的なら、
概説で十分で実際に論書を読む必要はないと考えます。
アビダルマや唯識どちらも直接、読んでみると分かりますが、
理論のための理論が多く、その全体系を理解するのは容易ではありません。
しかも禅にとって必要な知識とは思いません。
禅は決して体系的な理論構築を目指すものではなく、逆に言葉自体を破壊する、
言葉で分別を破壊することを目指すものだと思います。
森本和夫さんはたしかフランス哲学出身の方で、註釈を駆使して分かるように
訳していると思います。玉城先生も読んで分かる訳を心がけていたと思います。
実際に読んでみて必要だと思われたら、返ってみればいいじゃないですか?
ここで原文が読めますよ。ご自身で何が必要か見てみてください。
http://www.shomonji.or.jp/soroku/genzou.htm
>>有漏の無学様
ずっと西洋哲学を読んできて、最近西田を読み始めたのですが、
西田の中にモザイク状に織りこまれた西洋哲学の影響を見ることができても、
「禅の影響」といわれる部分がよくわかりません。
自分が仏教に関する知識がまったくないせいもあるのでしょうが。
逆に西田から禅にアプローチできるのではないかと考えているのですが、
そのようなことは可能なのでしょうか。
できるとしたら、どういった観点から見ていったらよいか、
教えていただければ幸いです。
>>68 見てきたけどつまんない。
確かに「眼蔵」を哲学からアプローチしていく人って多くはないのかもしれないけれど、
アタシが興味があるのはそゆこと。
兆民が『一年有半』で言ったじゃない?
「我日本古より今に至る迄哲学無し、
本居篤胤の徒は古陵を探り、古辞を修むる一種の考古家に過ぎず、
天地性命の理にてはぼう焉たり、
仁齊狙來の徒、経説に就き新意を出せしことあるも、
要、経学者たるのみ、
唯仏教僧中創意を発して、開山作仏の功を遂げたるもの無きに非ざるも、
是れ終に宗教家範囲の事にて、純然たる哲学にあらず」
この中の「仏教僧」の一人は間違いなく道元だと思う。
だけど「宗教家範囲」というのは、
逆に兆民自身が道元の思想を宗教のパラダイムからしか捉えていなかった、
ってことじゃないのかとも思うのね。
たとえば坐禅とかの宗教的実践?抜きで
道元の思想の全部を理解できるとは思っていない。
それでも、哲学の側からの読み直しができるんじゃないか、ってゆう問題意識。
ただ森本さんの『読解』はムズカシイのよ。
だからガイドがほしいと思ってる。
なのにここ、最近寂れてるのね〜。
無学さん、来てくれないかなー。
70 :
考える名無しさん:04/07/13 20:41
「眼蔵」のどこが分からないわけ?
岩波文庫の頁数を示してくれれば、分かる範囲で答えますが。
71 :
考える名無しさん:04/07/15 04:28
道元とエッチしたいな
>>57 柳田聖山氏の本、読みました。
これは名著ですね。
「禅に論理はいらない」とは思わないのですが、
少なくとも通俗的に解される「無」の論理が
禅のごく一部に過ぎないことがわかりました。
73 :
考える名無しさん:04/07/16 08:00
道元とエッチしたいな
74 :
考える名無しさん:04/07/16 12:53
石井恭二の訳はよしたほうがいいの?
75 :
考える名無しさん:04/07/16 14:14
道元とエッチしたいな
76 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/07/16 23:04
>>63-66 華厳ぐらいは、ざっと目ぇ通しておいたら?
角川ソフィア文庫版でいいから。
77 :
考える名無しさん:04/07/17 02:39
道元とエッチしたいな
78 :
考える名無しさん:04/07/18 00:08
>>76 あまり必要性は感じないけど、どうせ読むなら、鎌田茂雄は避けて
木村清孝先生の大乗仏典シリーズの現代語訳を読むことを勧めます。
柳田聖山『中国禅 』武内義雄『中国思想史』平川彰『仏教通史』
この三つで十分だと思うんだけど、基礎教学は。
もっとも後者二著はプリテクストが必要かもしれないけど。
へたな概説書は読まない方がいいとおもうんです。
なるべく訳でもいいから原典を読むに越したことはないと思うのですが... 違う?
鎌田と増谷を避けるべきなのはなぜですか?
梅原がヤバイのと似た理由?
80 :
考える名無しさん:04/07/18 00:18
似てると言えば似てるかもしれないけど、表面的には全く逆ですね。
理由は、鎌田は歴史家で増谷は昔のひろさちやだから、と言えば分かってもらえますか?
ひろさちやはわかりました。
では歴史家がヤバイ理由は?
82 :
考える名無しさん:04/07/18 00:22
そこまではっきり言わせないでくださいよ。
思想研究と歴史研究の人では、自ずとテキストに向かう姿勢が違ってくるということですね。
それ以上は、察してください。
なんだよ、けっこう愛読しちゃってるよ鎌田。
『観音経講話』とか。
宗教として書いてる以上、井筒みたいなのになると
逆に終わってるよな。
85 :
考える名無しさん:04/07/18 00:26
ごめんね。でも私は勧められない。
そうかな?井筒はアリだと思うけど。
87 :
考える名無しさん:04/07/18 00:29
井筒先生は天才としか言えないが『起信論』は滑ったと思う。
宗教としてだめな理由を聞きたいです。
私は、逆に宗教としてもいけた希有な文献学者だったとおもうんですけど。
89 :
考える名無しさん:04/07/18 00:36
まったく師弟関係のしがらみはありません。
えっ、『起信論』もダメなのかよ。愛読しちゃってるよ。
91 :
考える名無しさん:04/07/18 00:43
『起信論』がダメとは言ってません。井筒先生の著作『意識の形而上学』という『起信論』を
扱ったものがあるんですが、それが先生の著作の中ではダメだと思うんです。
『起信論』は素晴らしい論書だと思います。私も立義分は諳んじています。
>井筒先生の著作『意識の形而上学』という『起信論』を
>扱ったものがあるんですが、
いやいや、わかっておりますって。中公文庫で出てますね。
正直この本難しすぎ
井筒は何が良いのでしょうか?
「イスラム文化」みたいな概説じゃなくて。
95 :
考える名無しさん:04/07/18 00:58
それは失礼しました。Hannibal将軍さま。
96 :
考える名無しさん:04/07/18 01:10
まずはコーラン、ルーミー語録等の訳と意識と本質、
やっぱ外せないのが概説だけどイスラーム思想史
これ以上に優れた思想史は、武内先生の『中国思想史』ぐらいしか私は知らない。
他に何かあったら教えて欲しいです。
>>92 コイツは検索かけてカンニングしてるだけに決まってんだろ(ww
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ 正体=フマチだよw
もち気持ち悪すぎるにんげん障害者の自演↓(ワラp
95 名前:考える名無しさん :04/07/18 00:58
それは失礼しました。Hannibal将軍さま。
98 :
考える名無しさん:04/07/18 01:37
95は将軍さまではないぞ。それに意味不明だ。フマチって誰よ。
そしてカンニングとかしてどうすんのよ。
なに嫉妬してるわけ?
99 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/07/18 01:39
ああ、鬱陶しい。愛読書だよ。
中公文庫版『意識の形而上学』
p.40 1行目=ウパニシャド・ヴェーダーンタ哲学の…
p.80 1行目=づけをして、この次元での…
p.120 1行目=如」の自己分節ということ…
おまえは、さっさと四国に巡礼に行け!
この哲板の鼻つまみもんが!
将軍さまって誰ですか?(藁
336 名前:考える名無しさん :04/07/18 01:41
この勝負、フマの勝ちとみた。
102 :
考える名無しさん:04/07/18 01:44
カルタゴの名将といえば?
103 :
考える名無しさん:04/07/18 01:46
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ 正体=フマチだよw
夫馬裕明ともいう。(戸籍名名古屋死在住無職)
強度の人格障害者で札付きのネット内の犯罪常習者。
104 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/07/18 01:52
コテでも名無しでも、誰でも「夫馬」呼ばわりして、ネチネチ粘着するのは、
強度の人格障害者で札付きのネット内の犯罪常習者とは呼ばないんだな?
やれやれ、今日も勉強になりました。ありがとさん。
105 :
考える名無しさん:04/07/18 01:56
340 名前:考える名無しさん :04/07/18 01:49
フマチの妄想反撃モードがなんだかヤケノやんぱちだなw
夫馬さん、クーラーつけたかい?
341 名前:他人のblogにこういう事しちゃイカンよなあ。いくらなんでもw :04/07/18 01:50
# 池島 『なぁに忠告無視して日記書いてんだよ。ゴラァ。さっさと死ねって言ってんだろ!(´Д`)y-~
おめぇら、わかってねぇだろ!ゴラァ!てめぇらのそういう態度がむかつくんだよ!(´Д`)y-~
てめぇらで敵作ってるんだから、集中砲火浴びるのは当たり前だろ!幼稚園児でもわかるぞ、
そんなこと。(´Д`)y-~てめぇとコメントを書き込んでる他の奴ら!
まぁ、よく聞け!(´Д`)y-~俺はおめぇらがはてなダイアリーを閉鎖するまで、
この行為を続けるからな!夜露死苦!(´Д`)y-~ついでに、てめぇらみんな死ね!
バーカ!知障!(´Д`)y-~』
# 池島 『なぁに忠告無視して日記書いてんだよ。ゴラァ。さっさと死ねって言ってんだろ!(´Д`)y-~
おめぇら、わかってねぇだろ!ゴラァ!てめぇらのそういう態度がむかつくんだよ!(´Д`)y-~
てめぇらで敵作ってるんだから、集中砲火浴びるのは当たり前だろ!幼稚園児でもわかるぞ、
そんなこと。(´Д`)y-~てめぇとコメントを書き込んでる他の奴ら!
まぁ、よく聞け!(´Д`)y-~俺はおめぇらがはてなダイアリーを閉鎖するまで、
この行為を続けるからな!夜露死苦!(´Д`)y-~ついでに、てめぇらみんな死ね!
バーカ!知障!(´Д`)y-~』
106 :
考える名無しさん:04/07/18 01:59
犯罪者は愛知県警の判断に任せましょうw
ふっ、キチガイが(´Д`)y-~
108 :
考える名無しさん:04/07/18 02:03
本物のキチガイって怖すぎ(w
109 :
考える名無しさん:04/07/18 02:04
ハンニバル、ところで親父のエアガンは売れたのかい?
皆さんも
今夜はこのid:amegriffのこの名言を貼って寝よう
>■ [政治]朝鮮人の武器庫がすぐ近くに?
>まさか中西のこの妄想を本気にしてるんじゃあるまいな(;´Д`)
>コイツもふまさんと同じく疑うことを知らないピュアな人なんだろうか(;´Д`)
10 名前:考える名無しさん :04/07/15 03:38
【】【】←乳首
11 名前:Tar ◆SQIDAUQYpc :04/07/15 03:59
│(・ )( ・)│
│ ) . ( │←女の子の顔
\ Y ノ
112 :
考える名無しさん:04/07/18 02:15
>>104 やっぱコイツが夫馬裕明本人だったんだなw
【4:347】ガ ム 23.1
1 名前:考える名無しさん 04/07/13 00:17
えいやっ!
114 :
考える名無しさん:04/07/18 02:28
フマ厨は即刻アク禁で。
115 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/07/18 03:30
>104 :Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/07/18 01:52
>コテでも名無しでも、誰でも「夫馬」呼ばわりして、ネチネチ粘着するのは、
>強度の人格障害者で札付きのネット内の犯罪常習者とは呼ばないんだな?
>やれやれ、今日も勉強になりました。ありがとさん。
ここから
>112 :考える名無しさん :04/07/18 02:15
>
>>104 やっぱコイツが夫馬裕明本人だったんだなw
は引き出せないよね? ここは「やっぱ」では繋がらないよね?
どういう脳の構造してんだか。キチガイはわからねぇな。ったく。
116 :
考える名無しさん:04/07/18 03:44
_,,;::-―ー-:;:,,、
/'''''' '''''':::::::\
| ,,ノ( ● )ヽ、,, .::| さあどうかな?
\ `ニニ´ .:::::/
,,.....イ.ヽヽ、ニ__ ーーノ゙-、.
: | '; \_____ ノ.| ヽ i
| \/゙(__)\,| i |
> ヽ. ハ | |
>>115 夫馬さん相変わらず言ってることが馬鹿丸出しです。w
まあ一生直らないのは誰が見ても明らかに知ってることなので
せいぜい我々は見物して楽しみましょうよww
哲学勉強してるのにみんなバカだね
120 :
考える名無しさん:04/07/29 17:03
誘導あげ
最近出版された,『正法眼蔵』現代語訳,河出文庫版と講談社学術文庫版,
読むなら,どちらが良いですか?
122 :
考える名無しさん:04/07/29 17:18
このスレ嫁
無学というのは、僭越極まる名称ですが、あくまで、常識下での無学です。
>唯識の言葉倒れ
『成論』は理世俗を自称しています。
>西田と佛教
純粋経験(無分別智)や絶対無(円成)は極めて禅と関係しますが、しかし、より、
禅の背景たる華厳宗、そして華厳宗の背景たる中観や唯識との関係が重要です。
絶対無=矛盾的自己同一の自覚=場所(依他=相依性=空)や非連続の連続(識転変・業=異熟)は
極めて関係すると思います。中期以降は禅よりは、唯識との親近がいわれる、
後期フッサール(受動的総合)やオートポイエーシス論(相互カップリングの歴史=ナチュラ・ルドリフト)
との関連を考えるべきだと思います。
また上田義文『大乗仏教の思想』・『梵本 唯識三十頌の研究』・『摂大乗論講読』等は、
識転変を非連続の連続と対比していますので重要です。ただし鵜呑みにする必要は無論ありません。
真諦と安慧は同一の思想ではないので。
125 :
考える名無しさん:04/08/03 22:58
おいおい、正法眼蔵ってすっげー難しそうじゃんかよ。
だいいち、「正法眼蔵」ってなんて読むんだ?
まさか意味は「正しい法律は眼を蔵のように暗く、静かに、そいで頑丈
にしておけ」って意味じゃーねえよな。
坊主になるには宗派に関係なくこいつを読破せられよ、なんてこたアねん
だろな?だったらオレの兄貴なんか絶対坊主なんかにゃなれんぞなもし。
ならなくていいよ。
>>有漏の無学様
回答くださってどうもありがとうございました。
西田との関連を聞いていますが、そこまで西田に関しても詳しいわけではなく、
「純粋経験」について、ベルクソン、あるいはフッサールらと対比させつつ
読んでいる状態に過ぎません。
そうした対比の中で、西田の独自の思想というのはおぼろげにつかむことができるのですが、
それと「禅」がどのように関係してくるのか知りたかったのです。
あまりに初歩的な質問者のレベルで、申し訳ありませんでした。
>禅の背景たる華厳宗、そして華厳宗の背景たる中観や唯識との関係が重要です。
以前挙げられていらっしゃった基礎文献を読んでみます。
お帰りなさい、と言ってよろしい方なのかどうかよくわからないのですが、
今後ともよろしくお願いいたします。
128 :
考える名無しさん:04/08/05 22:57
純粋経験ならW・ジェームズの方がいいよ
良いアンソロが岩波から出たし。
>>128 ジェイムズは『根本的経験論』(白水社)を読んでます。
ジェイムズは世界の「根本質料」として、純粋経験をとらえています。
そのうえで、「生まれたての赤ん坊」の状態、
「あらゆる種類の(何)whatになれそうになっているのに、まだどんな明確な(何)にも
なっていない(あれ)thatという」状態であるとしています。
意識の流れのなかで安定した形になる前の状態が、ジェイムズのいう「純粋経験」なんです。
これはあきらかに西田のそれとはちがう。
むしろベルクソンのいう「純粋意識」のほうに親近性を感じます。
こうした西洋哲学との対比は、個人の読書の中で可能なのですが、
西田の思想にとって「禅」がどのような影響を及ぼしているかは、
どのように考えたらよいのかわからない、ということです。
130 :
考える名無しさん:04/08/07 21:06
Hannibalって、みんなの周りをグルグル回ってばか言ってる芸能部長だね。
正解(・∀・)
132 :
考える名無しさん:04/08/09 20:11
芸能部長あがりの役員って結構いるらしいから、接する態度と言葉には、
130クン、チオツケたまえ。
芸能部員あがりの芸能部課長代理より。
親父、脅迫か。
134 :
考える名無しさん:04/08/10 19:45
ショウボウ源蔵、みなさんは誰のよんでらっしゃいますか
全巻だと現代訳あまりないですよね。石井さんくらいしか。
わたしは何度も全巻読んだけど殆どわからないです。
それでもなんかじんとくるから読みます。
よくわからんでも毛穴から入ってくると言うから。
やっぱり全巻読むといい感じがするけど
ワタシは現代訳が無いと絶対無理。現代訳があっても殆どわからんです。
そうなるとあんまり本が売ってない!
(`・ω・´)シャキーン!
136 :
考える名無しさん:04/08/11 16:02
クソ暑いのに、グダグダ言ってんじゃねーよ、このドアホーが。
殆どわからねーのは、テメーがボンクラだからよ。
毛穴からでも、糞穴からでも勝手に入れろや。
137 :
考える名無しさん:04/08/11 16:16
138 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/08/12 01:35
>>134 音読すれば理解が深まると聞いたことがある。お経のようにね。
まあ、頑張りんしゃい。
139 :
考える名無しさん:04/08/12 01:37
|ω・`)
140 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/08/12 01:58
『正法眼蔵』95巻の根本義を3704字にまとめた『修証義』というのがあります。
「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし、
但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし」
と始まり、曹洞宗では通夜、法事などのさまざまな供養でお唱えします。
これなんかも、音読してみるとよいでしょう。
141 :
考える名無しさん:04/08/12 02:45
|彡サッ
142 :
考える名無しさん:04/08/12 05:51
>>140 水野弘元『修証義の仏教』春秋社
がお勧め。『修証義』はいいよ。汎仏教的な仏教入門としても優れてる。短いし言葉も綺麗。
それから
西有穆山『正法眼蔵啓迪』大法輪閣
は現代師家による定評ある講義です。
143 :
考える名無しさん:04/08/12 07:56
136 はいはい やってます
138 音読最近始めました。確かにいいですね。格調高いし。
140 142 あれって確か道元の文じゃないですよね。
できたら道元本人の生の文を読みたいですが、修証義読んだら眼蔵の理解の
たすけになるかな。お経本あるので音読してみます。
西有穆山『正法眼蔵啓迪』大法輪閣
有名ですよね。全巻の講義ならむちゃくちゃ読んでみたい、、高そうですね
みなさんレスありがとうございました
144 :
考える名無しさん:04/08/12 08:10
只管朗読は良いですね。
ロジック・レトリック
双方の勉強になりますよ。
因みに僕は逃げました。
お寺嫌い。
145 :
考える名無しさん:04/08/12 19:22
只管朗読!
坐禅は何時間も無理だが朗読なら出来るかも!
146 :
考える名無しさん:04/08/12 20:31
|ω・`)
147 :
考える名無しさん:04/08/13 04:11
こそこそすんな!>146
148 :
考える名無しさん:04/08/14 20:30
じゃあ、せこせこしますだ。
149 :
考える名無しさん:04/08/15 09:52
今日までで諸悪莫作のとこまで読んだよ。
全巻読むのはこれで3巡目くらい。
石井訳は初めて。
やっぱり石井訳は語句説明があって有り難い。
でも相変わらずわからない。
でもわかる人は悟った人だけなのでは?
面山って学者も50年研究してやっと少し興味が出てきた云々と言ってたらしいね。
151 :
考える名無しさん:04/08/16 04:44
150
そうなんだ?なんか謙虚な人ですね面山
やっぱり只管朗読いいよ。素直に実行してみてよかったです。夏にぴったり。
早起きして読経もしてみようと思う。
実際は哲学のためじゃなくて肺が弱いから始めたんだよw
理解できなくてもいいやと思う。
ほんとにわからないなりにゾクっとする所があるから
それが楽しくて読んでる。
道元は文章が詩人ぽくて綺麗です。
152 :
考える名無しさん:04/08/20 11:56
ここは誰も来ないなぁ。またゲンジョウコウアンから読み直してるけど
仏性のとこでいつもちんぷんかんぷんだよ。
しんどい本を選んでしまったぜ
153 :
考える名無しさん:04/08/20 23:15
おい、芸能部長はどこ逝ったんだ。
呼んでこい、道元さまがお呼びだっていってな。
今から楽しい宴会をおっぱじめようってのに、芸能部長のヤツふらふら
どこほっつき歩いてんだ。肝心な時にいたためしがないんだから。
154 :
考える名無しさん:04/08/21 04:51
芸能部長でもいいから呼んできて〜
一人で寂しいし。
155 :
考える名無しさん:04/08/21 08:58
おい、153さんよ、芸能部長ってHannibalのことだべ?
156 :
考える名無しさん:04/08/21 10:24
正法眼蔵随聞記読めば充分だよ
157 :
考える名無しさん:04/08/21 15:26
そう、芸能部長ことHannibalは今昼寝中だと。今晩用の英気を充電中よ。
で、昼寝の睡眠剤として正法眼蔵随聞記を試したら一発で効いたらしいぜ。
随聞記はあくまでも随聞記。
このスレに出ていた高崎さんの本を読んだけど、
踏み込みが甘いきらいがあるけど、
冷静な分析で、けっこう参考になった。
もちろん梅原イラネ
159 :
考える名無しさん:04/08/21 18:46
あ、そうか、随聞記って、随軍慰安婦の聴聞記だったんだ。
でもそんなのを読んだらフツーは興奮して眠れないだろに、
やっぱHannibal将軍だね、"一発で寝ちゃう"なんて。
スゴ過ぎでーす、将軍さま。
160 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/08/21 19:15
私は今、フレグランス選びで忙しいの。 さようなら!
161 :
考える名無しさん:04/08/21 20:54
↑
あ、芸能部長、いやさ、将軍様、やっとのご臨席を賜り感謝に耐えません
でちゅ。
久しぶりのご尊カキコに接し、感涙で息も絶え絶えでありまちゅ。
ご多用中とのことなので、本日はこれにて失礼申し上げまちゅが、
次回は長のご歓談を伏してお願い申し上げまちゅ。
162 :
考える名無しさん:04/08/22 00:09
わああああああ
人が増えてる!!!
でも関係ないことばかりですね。
今日は大悟まで読みました。
わからないのにここまで来たよ。
もう御経と思ってわからんまま日課として読んでます。
随聞記は別物と思いますよ。
あと大清規も別本も全部読んだ方が絶対おもしろいですね。
やっぱり石井訳はサンスクリット語に詳しくていなと思います。
森本和夫の『「正法眼蔵」読解』はどうなんですか?
「仏性」の読解なんて結構スリリングでおもしろいんだけど。
164 :
考える名無しさん:04/08/23 12:38
163
こんにちは。女子マラソンにはびっくりでした。
こういうの見たあとはコーフンして本読めない。
そうですね現代語訳だけじゃやっぱり理解の助けにならない気がしてきました。
解説が無いとなあ、、と思ってたところです。
いつも仏性のところで意味不明になります。
解説があったらあったで鵜呑みにしてしまいそうだけど、、
森本和夫の『「正法眼蔵」読解』<覚えておきます。さんきゅう!
>>164 当方、仏教シロートなんで、役に立つかどうか…。
ただ、森本の読解はムズカシイし、それ自身理解していくのが大変だけど、
ヘタに「わかりやすい解説」じゃないぶん、
道元の思想を理解する足がかりになる、と自分的には思ってます。
もちろん道元の場合「思想」だけじゃダメなのはわかる。
そうじゃない部分に、自分がこれからアプローチしていくのか?と聞かれると
ためらいがある。
それでも、少しでもわかりたい、理解したい、と思いながら、
石井の現代語訳と森本の読解を合わせて、少しずつ読んでます。
>>166 森本の本ですか?
構成は原典に対応してます。
まず各段ごと全文が載り、段ごとに読解がしてある。
一巻だと第一の現成公案から第八心不可得まで。
二巻だと第九古仏心から第十五光明まで。
いま自分は二巻の途中。
個人的にはずっと「仏性」の概念そのものがよく理解できなかったんで(その程度のレベルってことです)
一巻の「仏性」の読解はおもしろかった。
それ以上にどこがいいとか言えるほどの知識はないです。
とりあえず原典で興味のある箇所と引き比べて読んでみては?
道元禅師
169 :
考える名無しさん:04/08/29 20:57
>>166 森本なんか読む必要ないよ。
それよりも「人間革命」の方が重要。
読んだことあるか?
池田先生という世界でも有数の宗教家の著作なんだけど本当に素晴らしい。
生きる悦びに満ちている。
俺は大学でプラトン研究してたけど正直
「饗宴」なんかよりよほど真理に近いと思ったよ。
この本に出会ったおかげで人生観かわったよ。
170 :
考える名無しさん:04/09/01 12:05
"有数の宗教家"じゃなくて、"在日の強姦魔"の間違いだろ。
それに"生きる悦び"っつーよりも、"強姦の悦び"に満ちてんだろが。
しっかり読めや、愚作センセが泣くぜ。
171 :
考える名無しさん:04/09/01 19:54
↑
愚作が在日強姦野郎ってのはみんな知ってる話だろうが。
もうちょっと新しいネタで飾れや。
172 :
考える名無しさん:04/09/01 20:45
道元にとって、空間とか時間はどういうふうに
捉えられているんですか。
173 :
考える名無しさん:04/09/01 21:09
麻原にしても犬作にしても、顔を見るからに、下品で、下郎まるだし
だと思うんだけど、ころっといかれちゃう女性がいるのは何で?
174 :
考える名無しさん:04/09/02 19:40
決まってだろが、アソコがデ・カ・イ。
175 :
考える名無しさん:04/09/02 22:01
172
説明してさしあげたいのですが
何度読んでもわかりませんw
参禅体験があればまた違うかも。
あとハイデガーのこと(存在と時間でしたっけ)わかる人なら
よく似てるみたいですね。
わたしは今「行持」まで来ました。ここの巻だけは
なんかわかりやすい気がするので楽しいです。
石井さんの訳はなんか時々手を抜いてる???というか
ゲンジョウコウアンと比べると丁寧じゃないような、、、
176 :
考える名無しさん:04/09/02 22:06
池田という人の本がすごいのか?
わかりやすい?
誰か感想キボン
177 :
考える名無しさん:04/09/03 07:43
要は読む前に便所紙にして水に流せや、そんだけの本。
178 :
考える名無しさん:04/09/03 15:01
つーか、読む前に買うなよ。
179 :
考える名無しさん:04/09/03 22:46
誰かハイデッガー「存在と時間」と道元の時間論の類似性を
アホでもわかるように教えてほしい
180 :
考える名無しさん:04/09/03 23:08
181 :
万年救護大本尊の朴蓮:04/09/03 23:14
破門されて掛け軸泥棒する在家の親分のどこが哲学的なんだか。
ヤフーBBの恐喝野郎タケオカや猥褻行為で捕まった聖教新聞の若手エリート見たいにならない様にしろ。
「キンマンコー」なんて口走る馬鹿も
それで笑う知能障害も哲学なんて
大それたものはない!
それに哲学で仏教捉らえても心構えがどっか違うんじゃないか。
道元のことを語らない香具師は去れ。
宗門どうしの争いとか、別板で頼むよ。
183 :
考える名無しさん:04/09/04 11:46
さいな、道元を語らんで、ドゲンしたいんや。
さ、ここからは博打のドウモトの話だけやでー、ええな。
184 :
考える名無しさん:04/09/04 23:47
181
あなたの文体はセクシーだわ
185 :
考える名無しさん:04/09/05 13:58
皆様、お願いいたします。
ここでは道元と正法眼蔵の関連限定のスレに集中して下さい。
186 :
考える名無しさん:04/09/05 20:08
↑
ほーら、そんなこと書いて門を狭くするから、みんな遊びにきてくんない
じゃん。
187 :
そうですね:04/09/05 20:24
古来より、道元とは尿道のもとという意味で、ホモたちのまじはりのことである。
そんなことも知らんのか?
188 :
考える名無しさん:04/09/06 00:23
道元とかいう人より池田とかいう人の本を読んだ方がいいんですか?
仏教に興味持ったのですがとりあえず池田から入ればいいんですか?
189 :
考える名無しさん:04/09/06 00:56
190 :
考える名無しさん:04/09/06 10:30
188、オメー、葬禍の回しモンだろが、何度も強姦魔の愚作をカキコしてるが。
191 :
考える名無しさん:04/09/09 07:47
やっと2巻目です。行持はおもしろかったのに
「観音」なんじゃこりゃ。
一番わかりにくい所でした。100%意味不明。
訳者もわかってない気がする。
石井さんはムラがある。
参禅経験が無いからだと思うんだけど、、、、
192 :
考える名無しさん:04/09/09 07:59
火事場の糞力
だれか3行に要約して
194 :
考える名無しさん:04/09/09 15:37
池田大作
人間革命
折伏天国
195 :
考える名無しさん:04/09/09 20:58
またまた、在日チョンの強姦好き=陰茎だ駄作の回し者だ出てきおったな。
196 :
考える名無しさん:04/09/10 00:21
>193
修
行
!
まあ
坐
れ
198 :
考える名無しさん:04/09/10 09:47
おッ、営業部長のおでましだ。
みんな、謹読、謹読。
199 :
考える名無しさん:04/09/10 22:12:54
池田晶子先生は道元を大変よく理解していらっしゃいます。
池田晶子>>(絶対矛盾的自己同一の壁)>>池田大作
200 :
考える名無しさん:04/09/10 22:58:56
197は臨済宗っぽい。道元ぽいのキボン
臨済宗は屁理屈集団
202 :
考える名無しさん:04/09/11 15:38:28
Hannibal将軍よー、何とか言ってやれよ。
もう香水選びの時間は終わったぞなもし。
203 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/09/12 00:11:48
喝! っていえばよかった?
204 :
考える名無しさん:04/09/12 01:43:54
もっと臨済ぽくなっちゃったじゃないハニちゃん
205 :
考える名無しさん:04/09/12 19:33:11
>>34 亀レスだが、
>>1は十牛図の第八番目のつもりではあるまいか。
206 :
考える名無しさん:04/09/22 22:15:53
先週人間革命という本を何冊か買ってきましたが、
どれも素晴らしいですね
命とは何か、信心とは何かそういった仏教の根元を見た気がします
いろいろ悩みを抱えていたのですが霧消しました
googleによるとみんなに読書会などが頻繁に行われているようで
週末私も参加することにしました
どんな尊い話がきけるのか楽しみです
本当に仏教って素晴らしいですね
仏性を顕在化するために日々努力したいです
このスレ荒らすのはやめろよ
道元および禅の話に戻そう。
このスレで紹介されている柳田聖山の本を何冊か読んだ。
一休の本とか、面白いね。
208 :
考える名無しさん:04/09/22 22:23:19
209 :
考える名無しさん:04/09/23 17:22:33
おい、206(=169・188・208)よ、オメーが愚作の愚本を
宣伝するたびに、愚作が在日チョンの強姦魔だってことも宣伝されち
まうから、愚作も困ってるぜ。
210 :
考える名無しさん:04/09/23 18:10:52
性格悪いな
211 :
考える名無しさん:04/09/24 10:35:15
悪しからず。
道元はドゥルーズなんかも読んでたみたいね
西欧の哲学者たちはけっこう読んでたみたいだ
まあ、非常にロジカルだからうなずけるが
213 :
考える名無しさん:04/09/28 11:27:54
まだ相変わらず読んでます。
古鏡、有時など。
石井訳は最初はよかったんだけど
あまりに哲学書に仕立てようとしすぎている感じ。
ハイデガーの引用とか気がきいているようでいて
ちっとも役に立ちません。
それに道元を哲学的に読んでも無意味な章が結構ある。
たとえば袈裟功徳の所など、
道元はやっぱ宗教家であって哲学者じゃないように思う。
というわけで評判の悪いいわゆる「宗門訳」も
なかなか捨てたものじゃないと思った
現在二冊並行して読んでます。
石井訳=石井のドーゲンだ。
214 :
考える名無しさん:04/09/28 13:18:27
道元を読んでる人で、鈴木大拙も読んでる人いる?
215 :
考える名無しさん:04/09/29 07:16:16
興味ある>ダイセツ
悟りよりも愛(大悲)に重点おいてる所にひかれます。
仏教の大意ってダイセツだっけ?
すごくよかった
以前、本屋で少し立ち読みしただけだが、石井訳は駄目だろう。
そして、こちらも少しだけ立ち読みしたのだが、
森本和夫訳の『正法眼蔵』(ちくま学芸文庫)は好い感じだ。
森本訳と増谷文雄訳の『正法眼蔵』(講談社学術文庫)が有れば取り敢えず
好いんじゃないかな。
それから、鈴木大拙の禅の本は、読んでおいた方が良いと思うよ。
217 :
考える名無しさん:04/09/29 11:47:37
なんで石井駄目と思ったか知りたいです。
ちょっと石井ワールドなんだよね。
自分の得意な章ではすごくリキ入れて訳してるw
章によってかなりムラはある。
でもやっぱり語句の説明はすごく丁寧。
今のところこれしか頼るものが無いです、、、
森本のはアマゾンでの書評が悪かったのでちょっと迷ってる。
増谷のはすごく興味あります。
わたしは今海外なので立ち読みが出来ないんで
増谷さんの感想よかったら教えてください。
★それと秋月龍民師の正法眼蔵の解説すっごくいいよ!!!★
ほんとにほんとにいい!!
だけど本じゃないんだよ
同氏の講談社新書の「道元入門」読んだ人いますか
218 :
考える名無しさん:04/09/29 12:57:21
>>217さんへ
以前、私が本屋で立ち読みした石井訳の部分は、
日本語の文章として意味不明だった記憶が有ります。
そして、あなた自身も、ムラが有ると認めている訳ですから、
海外からだと大変かも知れませんが、日本の実家にでも頼んで、
森本和夫訳の『正法眼蔵』(ちくま学芸文庫)と、
増谷文雄訳の『正法眼蔵』(講談社学術文庫)を、
手に入れることを考慮しては、どうでしょう。
ただ、まだ全巻は出版されていないようです…。
増谷のはダメじゃん
薦めている香具師もよりによって秋月龍民かよ
ひろさちやに毛が生えたような糞啓蒙書だっつうの
221 :
考える名無しさん:04/09/29 17:44:28
池田大作ってカルトかと思ったけど、
正法眼蔵と肩を並べるくらいの人だったんだな。
今度読んでみるかな。
ブッブー!放送禁止用語です。
223 :
考える名無しさん:04/09/29 19:42:00
224 :
考える名無しさん:04/09/29 22:42:44
おいおい、221(=169・188・206・208・209)よ、
また在日強姦魔・池田愚作の宣伝かよ。
葬禍も粘着質だな。
225 :
考える名無しさん:04/09/30 03:19:11
っえ、増谷訳って駄目なんですか。
せっかく3冊買ったのに、、読む気うせちゃった。
簡単に言うと長谷川宏のような存在ですね
>>220 中学生はネットするなよ。
素直に話をきいとけ。
>>225 参考程度に読めば怖くないですよ。
228 :
考える名無しさん:04/09/30 05:01:19
>>226 長谷川宏さんて誰ですか。聞いたことありません。
上で出てきたひろさちや見たいな存在ですか。
ひろさちや知らなかったんですが、
本屋に並んでいるひろさちやの著作を見て大体見当はつきました。
瀬戸内じゃくちょうみたいな存在ってことですか?
>>227 ありがとう。
原文メインで訳は参考程度にして読んでみます。
せっかく買ったんだし。
229 :
考える名無しさん:04/10/02 22:46:00
長谷川宏とは今をときめく"ヘーゲル本翻訳のマジシャン"と呼ばれている
トホホな翻訳請負業者でちゅ。
長谷川宏って
今も生きてますか?
231 :
考える名無しさん:04/10/02 23:04:25
本日付の夕刊各紙の死亡欄に掲載されていないところから見ると、
各大学のヘーゲル研究者の皆様にとっては遺憾で悔しいだろうが、
まだご存命のようで。
232 :
考える名無しさん:04/10/03 13:35:35
SASAKIさん、さんきゅうです。
森本訳を買ってみます。
石井さんのはあまりに哲学に強引に持っていく気がしてます。
何度も読んで愛着あるんでもう少し読んでみますが、、、
あと、石井氏はインタビューでも
姿勢悪いしタバコ吸いながら道元の話してるし
何より「わしは道元が嫌い」と言ってるんですよw
やっぱり訳者がそれではちょっと嫌かなあ。
220
秋月師のは全集の「禅の古典を読む」巻中の、
正法眼蔵講義抄で読めます。
ちなみに師は鈴木大拙師がもっとも信頼した愛弟子で
ダイセツさんは秋月師に
「君になら安心して後を任せられる」と言ったそうです。
これもなかなかいい本だと思いましたよ〜
233 :
考える名無しさん:04/10/03 16:16:46
道元と鈴木大拙は違うと思うけど、同列に扱う人多いんだね。
234 :
考える名無しさん:04/10/03 16:52:06
同列って同じ思想ということ?だとすれば
、、、、自分はそういう事はわからないw
正法眼蔵関連の本少ないから探してたら
なんとなく大拙さんの名前出てきただけだよ
でも大拙の文て和むね。おとといあたりから はまってる
やっぱ人間革命だよなぁ〜♪
236 :
考える名無しさん:04/10/03 18:39:49
また、葬禍の"逝け堕鈍作"の宣伝隊が出てきたね。
まえにもここのスレで、愚作=在日チョンの強姦
魔ってバカにされたのに厭きない、懲りない、ど
うしょうもない葬禍だね。
ま、こんなのがあっての2チャンだよね。
237 :
考える名無しさん:04/10/03 22:22:18
これなんか、ガイドとして短くていいかも?
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0988.html いままで言ってきたことを纏めると、
原文:岩波文庫
達人の解釈:西有穆山『正法眼蔵啓迪』大法輪閣
仏教学者の読み:玉城康四郎訳
諸註の解釈学:森本和夫訳
以上で充分だと思います。
一章だけ読むなら「弁道話」でしょうね。
入門として水野弘元『修証義の仏教』春秋社がいいかもしれない。
しかし道元さんって人気あるよね。
かなり不当だと思うんですけどね。
鎌倉仏教頂点説反対! もう、プンプン。
いままで言ってきたことを纏めると、
原文:岩波文庫
達人の解釈:西有穆山『正法眼蔵啓迪』大法輪閣
仏教学者の読み:玉城康四郎訳
諸註の解釈学:森本和夫訳
真理の追究:池田大作『人間革命』『新・人間革命』第三文明社
240 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/10/03 23:18:42
いままで言ってきたことを纏めるつもりは、毛頭ないんだけど、
ネット繋いでる時間があったら、瞑想にあてた方がいいんじゃないか?
さっき、ふと思った。
241 :
考える名無しさん:04/10/03 23:32:38
>>237 松岡正剛は相対主義っぽいところがあるから、あまり信用できない。
情報量が多いだけ。
242 :
237:04/10/03 23:55:50
>>240 おっしゃるとおりですね。ただ瞑想というより、禅とか修習とか行といっていただきたい。
瞑想というとニューエイジ臭があって、なんか怪しい。
修習や行は習慣づけ、なれること、広い意味でいいクセをつけること意味します。
そこに意識の集中も含まれます。
禅は、多義的ですが禅宗で使う意味は本来の状態にとどまること、
あるがままの覚醒を保つことではないかと。
>>241 信用するもなにも、表面的な解説ですから手軽でいいかと。
まったく道元さんがいたら、繋いでたり、書き込んでたりしたやつは
けり倒しそうですね。 怖い、怖い。
いやはや、こんなことしてるからいつまでたっても.....なのか....T T
243 :
考える名無しさん:04/10/04 00:29:51
ねぇねぇ。お話工房キキってサークル、宗教だよね。
正法がんぞうをよめば、人生で勝てるってうたいもんく。
馬鹿だよね、あはは。
244 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/10/04 00:38:34
>>242 座禅でも、ヨーガでも、ニューエイジでもいいから、
ネットに繋ぐ暇にやってみたらよい、と思ったので。
1日、10分でもいい。
いったい、ネットに何十分、費やしているのだろう。
と考えながら、また書き込んでしまった、ああ…。
245 :
SASAKI:04/10/04 00:59:32
ばーか 消えろ
246 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/10/04 01:02:55
俺にいってんのか! 折伏しちゃうぞ、この野郎!
247 :
考える名無しさん:04/10/04 01:04:13
ネットも座禅の一種。そのクリック回数たるやおそらく月に何万回にもなろうが、これは高僧が写経を何万回も繰り返すに似たり。
249 :
考える名無しさん:04/10/05 03:24:44
ははは似てないかも
自分もセイゴウきのう一生懸命読んでました。(千夜千冊)
正法眼蔵の夜、おもしろかったよ。共感できた。
「みんな道元を勝手に読んできた」って所とかw
このスレに出てくる人みな出てきてたね。
これ読んでやっぱり何冊かの訳本を時に応じて読むのもいいなと思った。
哲学者道元じゃなくて修行者道元を思い出すために
宗門訳も時に読もうと思ったよ。
セイゴウ氏のハイデッガーの所も読んだけど
「こんな難しいこと考えてると
行動が出来なくならないかな」と思った。
本読むの減らさないと最近体動かしてないよ。
でもみんな修行のあいまにここも来て下さい
道元もいいけど、池田先生には劣るな。
>本読むの減らさないと最近体動かしてないよ。
その千夜千冊の最後の方にあるけど、正剛氏、癌らしいよ。
運動不足かどうかしらないけど、免疫力が低下する生活ではあったのだろう。
このスレッドの影響かどうか、森本『読解』を買って
(まだ、買ってない。10巻もあるのかと思うと気が重くて)、
まったり読もうかと思ったんだけど、同じちくま学芸文庫で、今月、
宮坂宥勝監修『空海コレクション1』なんていうのが出るのを知った。
やられた〜って感じ。「1」って何だ。何巻出るんだ?
同じ日に出る『ニーチェと悪循環』というのも気になる。
買ったとしても、読める時間があるとは思えないんだな。
252 :
考える名無しさん:04/10/05 15:02:32
『空海コレクション1』見てないので確実ではないが、
弘法大師を読むなら、勝又俊教先生訳の『弘法大師著作全集』にした方がいいよ。
訳は正確でしかも傍注が充実している。これ以外は原文しかないですよ。
宮坂宥勝監修という時点で、だめだと思う。もしかすると優秀な若手がやってるかもしれないが?
ともかく弘法大師が、道元さんより圧倒的に優れていることは疑いないな。
といって論証のしようもないけど。
253 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/10/05 15:59:22
>>252 そう?
『沙門空海』『密教世界の構造』なんて、悪くないと思っていた。
井筒俊彦の大乗起信論といい、鎌田茂雄の華厳関連書といい、
私が読んでたのは、軒並み評価が低いんだなあ。
実物は見たことないけど、『弘法大師著作全集』は評判いいようですね。
18000円で全3巻か。ますます気軽に読めない。
254 :
考える名無しさん:04/10/05 16:52:07
藻前らすごい本読んでるな。
あるいは読もうとするよな。
藻前らと吉野屋で話をしたらどんなことになるのだろう
255 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/10/05 17:04:48
>>254 なに、大したことないよ。
どうでもいいけど、湯浅泰雄と湯浅博雄って紛らわしいよな。
256 :
考える名無しさん:04/10/05 23:09:20
>>252 空海が道元より優れているところって、具体的にどういうところですか?
257 :
考える名無しさん:04/10/05 23:10:03
名前。空海なんてなんかかっこいいじゃん。
258 :
考える名無しさん:04/10/05 23:33:20
大作の方が格好いいと思いますよ
雄大な感じがしますね
259 :
考える名無しさん:04/10/06 07:17:03
ちくま学芸文庫っていいよね。
今一番好きだよ。「おお!」というの出してくれるよね。
名前で思い出したけど
クラスに日蓮子って女子がいたよ。友人にそれ言ったら
「俺はエゼキエルって名前の日本人知ってる」って言われたw
みんないくら空海がかっこいいからって
親になった時あんまりすごい名前つけるなよ
中国語ペラペラ、詩作自在の空海のほうが道元より能力が上なのは確か。
建築家としての能力もあるし。
誠心書房の用語辞典買ったがイマイチ役に立たない。
本格的に読むには禅学大辞典買わなきゃ駄目かな。
262 :
考える名無しさん:04/10/06 14:53:38
たしかに四六ベンレイ体の詩文や、その書がシナ官僚を驚かす程だったりと、
世俗的才能も超人的だけど、なにより菩薩として仏教徒として凄かった。
当時、唐で一番隆盛だった寺に行った瞬間に、そこで数居る名僧を退けて
法灯の伝承者になってしまったのですから。
現代、しかも哲学でいえばケンブリッジやフライブルグへ行った日本人が
ウィトゲンシュタインやハイデガーに後任者だと言われるようなもの。
ダライラマ猊下から全ての法を授けられる伝承者と言われるといった方が
わかりやすいでしょうか?
見解も道元さんは弘法大師のいう第7、8住心、つまり中観か天台の位置で
しかないように思える。
そしてなにより弘法大師は大乗仏教徒として最も重要な普賢行を体現されていた。
すべては利他行であり、菩提心の発露であったとしか思えない。
その普賢行、利他行、菩提心の理解が道元さんは明らかに狭いとしか思えない。
その心はこのように表明されます。
虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん。 [弘法大師、性霊集]
乃至虚空得究竟 衆生無餘究竟然 及業煩惱乃至盡 乃至我願亦皆盡 [華厳経]
虚空が尽きず衆生がいるかぎり、私もありつづけ衆生の苦を除こう。 [インド論入菩提行論]
要するに虚空が尽きず衆生の苦があるかぎり、私もあり続け直接間接、
利楽をもたらすものとなりますように。 [ダライラマ猊下、ris med smon lam]
弘法大師が三地の菩薩の化身と言われるのも当然というべきです。
263 :
考える名無しさん:04/10/06 19:24:20
260
道元の中国語はすごかったらしいよ。
詩才でいうなら道元はサンブン詩書いてるようなものだし
結構すごいと思う>正法眼蔵
まあ比較はスレ違いだしやめようぜ。
どんなにあがいても池田先生には及ばないんだし。
265 :
考える名無しさん:04/10/06 20:43:54
そりゃそうだ、強姦にかけちゃ池田鈍作が一番の経験者だもんな。
おーい、池田鈍作、相変わらず在日チョンで強姦をやってるかー?
↑
あらし
267 :
256:04/10/06 22:16:56
>>262 確かに他利行という点からみれば、空海の方が行動的というところはありますね。
哲学徒が見落としがちな点だと思います。
たいへん勉強になりました。どうもありがとうございました。
いけた駄作 著
新・「人間*こうやって、宗教でおカネ儲けするんどぅわ〜〜〜*革命」
よろしこ
269 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/10/07 00:07:39
ちくま学芸文庫『空海コレクション』は全2巻のようです。
1:『秘蔵宝鑰』『弁顕密二教論』
2:『即身成仏義』『声字実相義』『吽字義』『般若心経秘鍵』
をそれぞれ収録。
270 :
考える名無しさん:04/10/07 07:23:10
すごい。題名からして読めないよ。
漏れ印を覚えたくて昔本探したけどさすがに秘儀のせいか
そういう辞典なかったな。坊さんがやるの盗み見して覚えたことある。
高野山大学ってあったよね。
しゅげい種智院大学ってのもなかったっけ?世界一古いんだよね
密教の大学って何するんか興味ある。
正法眼蔵は 画餅まで来た。
石井さんの当て字というか訓読みで苦労する。
「確り」とか読み方わかんなくて漢和はなせない。
大拙氏の「仏教の大意」再読はじめた。
こちらも漢字 古っ!!
272 :
考える名無しさん:04/10/07 15:24:46
>>271 そうだな。
おまえにとっては創価が一番だろうな。
273 :
考える名無しさん:04/10/07 18:47:40
そうかな?
274 :
考える名無しさん:04/10/07 23:34:28
261
漏れはもう自分で辞典作ってるよw
正法眼蔵読む時は絶対用語辞典要ると思う。
でも誠信書房のしか知らないな自分も
275 :
考える名無しさん:04/10/07 23:54:25
すごい先生がいるってここへ誘導されたんだけど
池田大作って人のことか
たくさん名前でてるし、すごいんだろうね
276 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/10/08 00:03:12
277 :
考える名無しさん:04/10/08 10:37:39
ハニさん さんくすです。
うっそおおお こんなのあるんか。昔は全然無かったのになあ。
なんで秘法なんだよw
278 :
考える名無しさん:04/10/08 18:37:54
そうさ、池田愚作は凄いんだぜ、その強姦のやり方が。
あっと、失礼、池田愚作でなくって、池田鈍作でしたかな。
ま、どっちでも同じと。
279 :
考える名無しさん:04/10/08 21:02:29
真言のサイトおもしろいね〜
ちょっと印の絵が見えにくくて残念だけど秘法だから許すw
九字切るやつ覚えたいな、、、
大拙さんの「仏教の大意」すごくいいよ。
華厳経のこと全然知らなかったからおもしろかった。
これ読んだら正法眼蔵の
マカ般若ハラミツ、有時、古鏡の章など読むときのヒントになった。
正法眼蔵も1、2度目は殆ど全くわからなかったのに
しつこく繰り返してたらなんとか読める箇所も出てきた。
280 :
考える名無しさん:04/10/08 21:48:21
正法といえば法華経でしょう。
法華経を読めば正法眼蔵などたやすいもんだ。
281 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/10/08 21:57:19
>>279 面白いでしょう。
その道のプロによれば、愛染明王の敬愛法、歓喜天法、茶吉尼天法などは、
かなり恐ろしい秘法だそうで、素人が手を出しちゃ、かなりヤバいそうです。
気をつけてね。
282 :
考える名無しさん:04/10/08 23:12:01
おーい、葬家の在日強姦野郎、抜け作は何処だー。
283 :
考える名無しさん:04/10/08 23:22:16
>>280 同意 します.
法華経の最大宗派を率いるのが池田大作先生らしいですね.
本当に 勉強になります.
284 :
考える名無しさん:04/10/09 00:00:46
280=283の自作自演でやんした。
ほんと、葬禍のバカは抜作だよね。
勉強になりますって、強姦の勉強かよ?
285 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/10/09 00:05:17
ちなみに法華は「妙法」の方が通りがいいんだけどね。
286 :
考える名無しさん:04/10/09 02:49:02
眼蔵は法華経からの引用多いね。280はまんざら嘘でもないっしょ。
288 :
考える名無しさん:04/10/09 10:56:04
「まんざら嘘でもない」どころか、その理解でいいんだろが。
289 :
考える名無しさん:04/10/09 11:26:46
法華経最勝説は、天台だけのローカルな思想ですよ。
道元さんも天台の流れを汲むからか、最大級の評価してるようですが。
すぐれたお経だと思いますが、唯一無二というのは間違った評価です。
法華経自体が包括的な教えであって、決して排他的ではないのです。
顕経なら華厳経や般若経の方が私には魅力的ですね。
密経がそれらの上をいくことは否定しようもない。
その人にあったお経が最も優れているわけですが、やっぱり見解の高さはあるわけで。
290 :
考える名無しさん:04/10/09 13:24:31
禅は思想面を華厳に依拠している。
法華経は素晴らしいですね。経典の王様。
292 :
考える名無しさん:04/10/09 19:55:59
創価学会はそれを継承しているのだから、やはりすごい!
淋しいバカが釣りをする・・・
294 :
考える名無しさん:04/10/10 00:01:24
よくみんないろいろ読んで混乱しないね
自分は今「仏教の大意」読み終えて
それでもなんか混乱してる。
西洋哲学わからんから仏教哲学という考えは超甘かったw
295 :
考える名無しさん:04/10/11 02:03:03
今からセイゴウの華厳経読んでくるっちゃ。
297 :
考える名無しさん:04/10/11 20:48:20
>セイゴウの華厳経
そんな華厳経があるか?
298 :
考える名無しさん:04/10/11 22:13:30
299 :
考える名無しさん:04/10/12 02:09:27
297 松岡セイゴウ氏の千や千冊の何番かに華厳経が
あるんだよ。小説の話なんだけど後半は華厳経の話でおもしろかった。
298 つっこみは人類愛
ここ覗く人はどんな仏像が好きなのかな。
正法眼蔵の「観音」読んだらなんか仏像が見たくなってさ。
ふと思ったんだけどイエスさんてどの絵でも
あんまり笑ってないよね。
仏像の笑っとるのは和む
300 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/10/12 02:16:12
仏像、いいねえ。
やたら怒ってるのもある。お不動様とか、愛染様とか。
愛染王法は怖いと書いたけど、愛染様のお姿は好きだ。
ガンダーラ仏これ最強。
302 :
考える名無しさん:04/10/12 20:14:32
よー、ゴダイゴちゃん。
303 :
考える名無しさん:04/10/13 02:18:27
仏像いいんですよぉ、、、歳とったのかな。ゴダイゴ歌えるし。
お不動さんはなんか恐そうで信仰の対象には
なりにくい感じなんんだけど
仏像の足に踏まれながら支えてるのなかったっけ
あれは いじらしくてなんかいい。
8年前に中国からたくさん出てきた仏像
日本で展覧会してるの?
朝日新聞に菩薩像のってたの気に入って
大拙本の裏表紙に貼ったよ、、、、
正法眼蔵は華厳経読んだあとにちょっと観点が変わったので
(さっぱり意味不明だった「観音」の所とか)
また現成コウアンから読み直し。
なんかちっとも先にいけない
304 :
考える名無しさん:04/10/13 03:14:33
305 :
考える名無しさん:04/10/13 23:33:30
306 :
考える名無しさん:04/10/14 03:06:04
305 いろいろサンクス
この本ほしくなってしまった。図版多いし
307 :
考える名無しさん:04/10/15 22:42:13
かっぺ
308 :
考える名無しさん:04/10/16 02:10:49
かっぺすか?
309 :
考える名無しさん:04/10/16 09:15:43
欲しい本は直ぐにでも入手しよう。
金がなかったら、そいと、図書館
にも無かったら、残る手段もため
らわずにドンドン使おう。
310 :
考える名無しさん:04/10/16 23:44:43
残る手段ってどんなんかな?w
311 :
考える名無しさん:04/10/17 10:11:01
おまわりさんに叱られるから言わない。
とカキコした今思いついたのが、友達
から借りるって手段。
いかがでせうか?
昨日会合に出てきました。
池田先生の著書や正法眼蔵の読書会です。
どちらも内容のある素晴らしかった。
女性もたくさんいてよかったです^^
あなたがたも参加してみてはいかがですか?
詳細を知りたい方はメールを書いておくので
そちらまで下さい。すぐに返信します。
>>311 で、返さないってことだね。
嫌われるよ。
314 :
考える名無しさん:04/10/18 01:58:44
>>312 メールしました。
興味があります。
私もその素晴らしい教えを知りたいです。
315 :
考える名無しさん:04/10/18 02:26:36
みんなおはようー
312&314 カポー誕生オメ
でも学生の時もっと本でぜいたくしたかったな。
随分我慢して買わなかったのをちょっと後悔してる。
最近本が高いから今の若い人はもっと大変だね。
借りるのはなんか身につかないね。自分だけかもしれないけど
借りた本は印象に残ってない。
みんなどうしてるの?
自分は重要なページかなりの分量
手で写してるよw>借りた本
書写はいいね。哲学書は特に。コピペは文化をすたらせる!
ゲンジョウコウアン100回書写させて
神経症治療してる病院あるよ。
316 :
考える名無しさん:04/10/18 10:03:18
わかる気がする。
借りるのってなんかバシッーって決まんない感じするもんね。
金が無いときは、311さんの「おまわりさんに叱られる」
っていう手段がいつもチラチラする。
317 :
考える名無しさん:04/10/18 19:28:04
318 :
考える名無しさん:04/10/19 21:55:47
↑
おう、テーメーがきえたら、きえてやるぜ。
319 :
考える名無しさん:04/10/20 10:13:58
どっちも消えずに時々カキコ汁
へぇ、こんなスレあったんだ。
神社仏閣版からコピペ
588 :565、でいいのかな。。。 :04/07/10 14:21
伝記は 1. 大久保道舟さんの『道元禅師伝の研究』が定番。ただ旧世代に属す
るもので現在では通用していない部分がさすがに目立ちます。非常によくまとまっ
ており、資料を網羅し読者が自信である程度検証できるので、今でも有用でしょう。
この大久保先生の伝記研究に異を唱え、別の視点で書き起こされているものが、
現在の道元禅師伝研究の第一人者、2. 中世古祥道老師の『道元禅師伝研究』。
ながらく手に入らなかったが、何年か前に復刊し、続刊も出ました。研究として
はこちらの方が正確なのですが、おっしゃるとおり、一般人にはつらいかも。。。
入手しやすく内容も水準をクリアしているのが 3. 竹内道雄先生の吉川弘文館・
人物叢書中『道元』。
ほかに高価になり入手しにくいですが 4. 『永平寺史』(上下)。道元禅師伝は
『正法眼蔵』研究の第一人者、河村孝道先生が受け持ち、先生唯一の道元禅師伝。
ちなみに師匠筋にあたる鏡島元隆先生の『道元禅師とその周辺』に対する書評で、
自身の道元禅師伝に関する意識を陳べられていることはあまり知られていない。
『永平寺史』 宗門人なら持っていたい。
現在出ているかどうかは分かりませんが、5. 今枝愛真先生の『道元ー坐禅ひとす
じの沙門』(NHKブックス)というのも好感が持てる本でした。
それでまとめますと、1.と2.は、できるなら両方もつのが基本。片方なら1.があれ
ばひとまず充分。これが手に入らない人は 3.の吉川弘文館でよい。
589 :565、でいいのかな。。。 :04/07/10 14:22
以下、私の自分勝手な感想。
『正法眼蔵』は提唱本がお薦め。基本は西有禅師の『正法眼蔵啓迪』、言葉が古く
てどうしようもないなら澤木興道老師の全集。弟子丸泰仙さんが出版した澤木老師
のノート『現成公案』と『摩訶般若波羅蜜』も、ちょっと踏み出して学びたい人には
有用。
これが入手できない人は森本和雄『正法眼蔵入門』(朝日選書290)が代用になるの
か、ならないのか。。。森本さんのは道元禅師の思想を踏まえそこねていると思われ、
現在の学問的成果と比較もできないのですが、『デリダから道元へ』(ちくま学芸文
庫)は独自の発想で、こういう方向性もありかな、と考えさせられた一冊。ただし現
在刊行中の『正法眼蔵読解』シリーズは、そうしたオリジナリティを極力廃して、真
面目に取りかかろうとしているのか、あまり感心できない内容。伝統説や学説から思
いっきり離れて発想していたのが氏の特徴なのに、それがないのなら自ずと意味がな
くなります。
鏡島元隆、先頃亡くなった現代の道元禅師研究の第一人者でしたが、講談社学術文
庫から『道元禅師語録』を出されております。原文・語義説明・和訳、など至れり尽
くせりです。その後、氏の手になる『永平広録』の和訳等も出ましたが、出版社の事
情などから氏の力を十分に発揮できる状況になく、この文庫と比較したら完成度は今
ひとつです。研究論文なども氏の論文を基本とするのがよいでしょう。『道元禅師と
その門流』『道元禅師と引用経典・語録の研究』(木耳社の方。内容はその後自身で
訂正されています)『道元禅師とその周辺』が、とりあえず基本三部作です。
590 :565、でいいのかな。。。 :04/07/10 14:23
それより古いもので衛藤即応『正法眼蔵序説(弁道話義解)』は、研究者必読です。
最近の専門書では日本の名僧『孤高の禅師 道元』(中尾良信編、吉川弘文館)が良
書です。この執筆陣は現在活躍している実力者ばかりです。明日の仏教界はこの人た
ちの力にかかっている、といっても過言ではないと思います。
道元禅師から少し離れて、禅一般などに目を転じることも大事かと思います。鈴木
大拙、柳田聖山先生などが大御所で確かなんですが、579さんはチョット無理してでも
柳田聖山『禅語録』(世界の名著3、中央公論社。廉価版があります)を読んでみて下
さい。ある程度中身が分かるようになるまで読み込まれると、きっとかけがえのない座
右の書になるものと思います。
道元もいいけど、池田先生には劣るな。
というより、
池田先生もいいけど、道元には劣るな。
と言った方が池田先生がすごそうに聞こえる。
まあ、すごくないんだが。
324 :
考える名無しさん:04/10/21 02:41:53
わー久しぶりに正法眼蔵ネタで嬉しいよ。
あとでじくーり読む
325 :
考える名無しさん:04/10/21 21:53:16
おいおい、在日チョンで強姦魔の逝田駄作をそんなに持ち上げて
葬家もこまってるぞよ。
326 :
考える名無しさん:04/10/22 00:33:19
池田先生もいいけど、道元には劣るな。
327 :
考える名無しさん:04/10/22 02:21:11
321/322さん書き込み感謝です。むっちゃくちゃ参考になりました。
わたしも『現成公案』と『摩訶般若波羅蜜』
の講義を読むの賛成です。特に摩訶般若波羅蜜を誰かにきちんと詳しく教わると
正法眼蔵がすごく読みやすくなると私も経験しました。
最初にそうしとけばよかったと思ったから。
森本和夫氏の著作のことも参考になりました。
わたしなどの言えることじゃないかもしれないんですが
哲学畑の人の正法眼蔵はなんとなく
参禅経験が極度に不足してるような気がする。
頭でわからなくても、座った時のこと思い出すと読める部分も
正法眼蔵は結構あるから、、、
328 :
考える名無しさん:04/10/22 02:27:44
> 鏡島元隆、先頃亡くなった現代の道元禅師研究の第一人者でしたが、講談社学術文
庫から『道元禅師語録』を出されております。原文・語義説明・和訳、など至れり尽
くせりです。
これ文庫なら入手したいです まだあるかな?
>衛藤即応『正法眼蔵序説(弁道話義解)』は、研究者必読です。
最近の専門書では日本の名僧『孤高の禅師 道元』(中尾良信編、吉川弘文館)が良
書です。この執筆陣は現在活躍している実力者ばかりです。
恥ずかしながら初耳でした。
でも今メモしてこの方々の名前覚えておこうと思います。
まだまだ立派な本があると知って嬉しいです。
>禅一般などに目を転じることも大事かと思います。鈴木
大拙、柳田聖山先生など
これも私は賛成です。鈴木氏の本を読んで特に華厳経のことを知ってから
やっぱり正法眼蔵読む視点が変わったと思うから。
自分は中公の名著は昔挫折したけど時々古典の有名なとこ
(特にジョウシュウ)読み直すようにしてます。
とにかく超貴重なカキコ有り難うございました!
329 :
考える名無しさん:04/10/22 02:37:36
今アマゾンで鏡島元隆さんの文庫見てきた。すごくほしくなった!
柳田聖山『禅語録』(世界の名著3、中央公論社。
に挫折したわたしは
秋月りょうみん氏の全集の「禅の古典を読む」で
ちょっと助かりました。分量が随分違うけど入門としてはよかったよ。
やはり、神社仏閣板はあなどれないな。
331 :
考える名無しさん:04/10/22 19:09:59
中国の禅の経典で一番いいのって何?
摩可止観
333 :
考える名無しさん:04/10/23 01:03:58
331
経典というのかわからないけど禅籍、語録なら
ジョウ州録(って読むんだっけ)って言う人が多い。
十牛図でいう最後の、市場に帰るというか
娑婆に帰還していくとこが強調されてるからすごいなあと思います
正法眼蔵でもよく引用されてる
正法眼蔵は結構禅籍の引用だらけですよね
>>333 う〜ん?
まずトップに『臨済録』を挙げる人が多いんじゃないかな。
続いて『碧巌録』『無門関』。
上でも名の挙がっている秋月龍a先生は、
『臨済録』はあまりにもエリート向けなので、
まずは黄檗の『伝心法要』から、と薦めていた。
335 :
考える名無しさん:04/10/23 17:02:38
臨済録たしか昔読んで「???????」だけ続いた。
臨済なんか嫌いだと思った。
そうかあれはエリート向けだったのか、、納得だ。
霊性の世界にもやっぱエリートがあるのか辛い、、、、
>>331 禅籍・語録。
入門的に一番多く用いられているという点ではすでに334氏が上げている
ように『無門関』、代表的なものといえば334氏とダブルが『六祖壇経』
『碧巌録』『臨済録』(『四家語録』)ということになる。
また影響を多く与え、歴史性・学術性を視野に入れれば『景徳伝灯録』
『宗鏡録』も加えておくべきだと思う。
そのほか『二入四行論』なども忘れてはならないと思う。
『趙州録』はそれほど重要とは思えないし、まともな研究・提唱もない
のが実情。
みんなに質問です。一念三千と十界互具の法門とは何ですか。
>>337 一念三千は十界互具よりことはじまれり。
開目抄スレを新たに立ててください。
339 :
考える名無しさん:04/10/25 05:11:07
華厳経の要点と大拙「仏教の大意」を書写したので
きのうから正法眼蔵再再再再読開始!
やっぱり現成コウアンいいですねえ。
わたしみたいなんでもさすがにこれくらい読み直すと
すこしは読めるとこも増えてきた。
たとえば有名な心身脱落の箇所も
「自己の(脱落)」、とあるあとすぐに「他己の、、、」
って続いてたんだなあ、、とか気づく。
今回からはもう現代語訳は頼らないで原文読んでます。
正法眼蔵嫁と他のことがしたくなくなっちゃうほどハマルから
一日1時間と決めようかな(ファミコンかい)
ボウリングマン
○
ヽO
( ヽ
ノゝ
○_O
( ヽ
ノゝ
_O
○ ( ヽ
ノゝ
O
ノ(ヽ
ノ ゝ○
O
ノ(ヽ
ノ ゝ 三○
O
ノ(ヽ
ノ ゝ 三○
341 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/10/25 23:58:57
ショショショ書写ァ!?
こちらが「書物が千巻万巻あること、実に悠々たるものだなあ」
と溜め息をついているうちに、随分と差がついてしまったものだ。
まことに頭が下がる思いです。
そのうち、現成公案の読書会でもしましょうか。
342 :
考える名無しさん:04/10/26 08:11:01
Hannibalさんこんにちは。書写と言っても薄い本だから恥ずかしいです。
それにはっきり言って賢くないので
書かないとしょうがない、ということだったんで赤面です。
ところできのうから英訳正法眼蔵も読みはじめ
おもしろい!!!です。
全訳は出版されてないですが一応正法眼蔵という本が出てます。
道元という本にも別本の12巻の全訳が出てます。
ひっどいだろうなと思ってたら結構よかった。
時々おもしろい単語あったら書きます。
現成公案はthe issue at hand
「即」はbe born together(笑)
下手な現代訳よりわかりやすい所もあります。
今日は般若ハラミツ読みます。二日で一章ってとこかなあ
343 :
考える名無しさん:04/10/26 15:50:01
かわいそうに。
英語帝国主義に毒されたか。
??英語帝国主義??
??毒される??
発想がやばいんでねーの?
345 :
考える名無しさん:04/10/26 18:02:03
自覚症状はないようだな。ふむふむ
346 :
考える名無しさん:04/10/26 21:08:36
クンニバルがまともなコテぶっててワロタ
347 :
考える名無しさん:04/10/26 21:22:12
_, ._
( ゚ Д゚) <マジっすか
348 :
考える名無しさん:04/10/27 15:18:03
英語がエライとは思わないけど
赴任中で英語の本しか手に入らない。
他の言語はもっとわからないし、、、
だいたい哲学書なんて日本語の方が難しいのでは?
「善の研究」とか、、、
もっとも自分の読んでるのは[
段だんハリウッド映画のカラテマスターのセリフみたいになってきた。
Form is empty Empty is form
なんか違うよねぇ、、と思うけど
何が変なのかわからない
さて「仏性」に入りましたが
毎回ここで躓く。石井訳のっけからなんじゃこら
悉有=万象となっている。
悉有仏性は普通に(伝統的に)「すべてのものは仏性をもつ」だよね?
349 :
考える名無しさん:04/10/27 21:00:41
>>348 英語圏で働いている時点でもう英語帝国主義に毒されている。
350 :
考える名無しさん:04/10/28 06:16:44
しょーがないんだよ
日本じゃ就職無くてマジで出家するしかないと思ったもん
>>348 そう。「(○○に)ことごとく仏性が有る」と訳します。これは存在文で、「有」は「場所+V+S」
の形を取ります。
道元禅師の場合はさらにこれを同道唱和で読みかえ、「悉有は仏性なり」とし、#悉有=存在する
事物/事象#が#仏性=ダルマ(ター:厳密にはブッダダートゥなのですが)#たる定義は何かと
テーマを移し、インド中期大乗仏教が「ダルマとはそれ自体、刹那滅性をそなえた現象」としたの
と同様、「無常は仏性なり」の説を支持していきます。
ほかに仏性の巻は「定」と「慧」の関係が基調です。ここを踏み外すと読み誤るから注意して下さい。
352 :
考える名無しさん:04/10/28 21:55:22
英語帝国主義で思い出したが
うちの近所のお寺からもらうカレンダーだが
昔は(といっても十数年まえだが)年号は佛暦で書かれていたが
いつの間にか西暦になっているね。
こういったことは仏教界では問題になってないのかな?
ちなみに家の宗派は臨済宗です。
353 :
考える名無しさん:04/10/29 12:57:17
351さんありがとうございます。
じゃあ悉有=万象の訳でもいいんですね。
>道元禅師の場合はさらにこれを同道唱和で読みかえ、「悉有は仏性なり」とし、
正法眼蔵はこういうのが多いかもしれないですね。
>仏性の巻は「定」と「慧」の関係が基調です。
>ここを踏み外すと読み誤るから注意
そうなんですか。空と色の関係が基調なんだと思ってました。
とにかく毎回仏性の章でコケるので
注意深く読みたいと思います
352さん
仏暦ですかそんなん知らなかった
わたしは昔のエンリャク寺の掛け軸風カレンダーを
いまだに飾ってる。
景色写真プラス延りゃく寺オールスターズの書入り。
カレンダーって結構おもしろそうですね。
>>353 >じゃあ悉有=万象の訳でもいいんですね。
文脈にもよりますが、それはさすがにマズいでしょう。
読みかえた後でも「悉有」は、現象が法として捉えられるために〈必ずみたさなけ
ればならない条件〉の意味をでませんので、現象そのものという理解はなりたちま
せん。
現象には「虚妄なるもの」も含まれています。
ちなみに玉城康四郎訳では、そのまま「悉有」としたうえで、
「道元独特の用い方であり、この一節の中心主題である」との
注がついている。
>>355 そうです。玉城さんは何通りか訳本(抄訳を含む)を出していまして、私はあまり
出回らなかったバージョンを所有していますが、このバージョンから直訳という飛
び道具が目立つようになりました。
357 :
考える名無しさん:04/10/31 11:35:14
ああわかる人が羨ましいです。
一日4行しか進まない、、、
やっぱり須磨返りならぬ仏性返りか。
358 :
考える名無しさん:04/11/01 07:58:43
354さんHannibalさん悉有の説明ありがとうございました。
飛び道具ですかぁ、、、
自分はもうどの訳読んでも駄目な気がする。
休日だったから「仏性」なんとか読めた。
コウアンの部分はやっぱりわかりません。
特に
草鞋代金だけは払うというところ
ジョウシュウの無も
なんだか臨済宗のお寺とかで聞く
「ジョウシュウの無字」のそれより難しく感じた。
何が大乗仏教じゃ衆生じゃと言いたい!
庶民にもわかるようにしてくれよー。
やっぱり参禅しながらじゃないと無理かな。
最近神経で読んでるみたいでバランス悪いなと思う。
仏教は哲学・思想の類なので、これを語るための独特のテクニカルタームや文法が
あります。
私たちは日常当然のように母国語を話し生活していますが、これも赤ん坊のころから
周辺環境の経験とともに記憶し、教えられ、また「書とり」などを通しながら学校教育
を経て身につけたものです。血に滲むような努力をして獲得されたものであることは案
外忘れがちです。
こうした私たちの通常の社会とは異なる価値観を持つ、他の組織・体系を知ろうとすれ
ば、同等の、とまではいきませんが相応の努力が強いられます。
仏性の巻や現成公案の巻は、私もよくはわかっていないのですが、市販の啓蒙書でも当
を得ているものは皆無です。既存の研究でも執筆態度の方向性や部分的に言わんとして
いることを押さえている程度のことなので、あきらめないでお互い学習していきましょう。
361 :
考える名無しさん:04/11/02 07:36:52
359様
コメントありがとうございました。
ものすごく勇気が出ました。
というのは私は本の扉に
「わからなくても当たり前」と書いた紙を貼っていて
それを声にだしてからじゃないと読めないという
感じでしたのでんで、、
親切なお言葉、合掌です。
まずは最後までなんとか読もうと思います。
きのうは身心学道。今までの章と比べたら
読んでて励まされるので好きな箇所です。
こういう箇所があるから正法眼蔵はやめられない、という感じ。
もっとも山川が出てくるといつも
わかったようなわからないようなですけど。
Hanさん=弥勒さん説が、今、静かに浮上。
363 :
考える名無しさん:04/11/02 20:28:07
正法眼蔵など日本人なら読めて当たり前。
まぁ、読んで御覧。
>>363 面白すぎ。でも成る程とひとまず納得(W
そして...そりゃ読むだけなら誰にでも読めそうだけども、実際はむずかい漢字だらけ
で(最近のは総ルビだが、これも結構デタラメ)、素読すらできないのが現実。
365 :
考える名無しさん:04/11/03 10:01:45
どこにも間抜け=363はいるね。
366 :
考える名無しさん:04/11/03 10:05:13
363はマヌケつーより、基本的なバカだろが。
367 :
考える名無しさん:04/11/03 10:09:55
おいおい、気持ちのいい休日の朝からマヌケだバカだって、
いい感じじゃんかよ。ガンガン行こうぜ。
でも、363はマヌケでもバカでもなくって、ただの糞だぜ。
368 :
考える名無しさん:04/11/03 10:15:27
365〜367、テメーらいい加減にしろよ。
間抜けだ、馬鹿だ、糞だって勝手に評価しやがって。
いいか、正しくは363はアフォだよ、アフォ。
369 :
考える名無しさん:04/11/04 00:38:35
なんでも書き込みしてあると嬉しい
おかげでスレ消されないですんでるし。
身心学道読めました。この章は好き、とか書いたけど
やっぱりわからんかったかもw
生死の問題が出てくると難しい
「修行と人間形成」という本の大森そうげん師の文章が
参考になった。
今日から「即心是仏」入ります。
ちょっと頭でっかちになってきたから一日に読む量を減らします。
正法眼蔵読むと本当に他のが読めなくなる。
最近坊さんの講話もいいなぁと思うんだけど。
歳とったのかなw
お寺のHP検索してこようかいなぁ
禅宗の人って何拝むのかな。
自分は今何か拝まずにはおれないんです。
通信販売の仏像の広告見るとつい見てしまう。
変かなー?禅宗って自力本願って言い切れないよね?
370 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/11/04 04:16:48
>>369 曹洞宗寺院のご本尊は釈迦如来であることが多いようです。
仏像や仏画は開眼供養が面倒なので(いや、お寺さんに頼めばいいんだけど)、
お札などをお祀りされた方がよいかもしれません。
まあ、私の書き込みを鵜呑みにするよりも、お寺さんか、
それこそ神社仏閣板の方で相談されるのがよろしいでしょう。
私は最近、かなり上等な数珠(星月菩提樹・尺三)を購入いたしまして、
自慢したいんですが相手がいなくて、悔しい思いをしています。
371 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/11/04 04:23:55
>>362 ちがう、ちがう。
弥勒さんの名前は見たことはあるけど、よく知らないな。
372 :
考える名無しさん:04/11/04 21:27:05
正法眼蔵は番外編がいいよね。
唯仏与仏、最高っす。
373 :
考える名無しさん:04/11/06 00:34:25
Hannibalさんこんにちは。
開眼とか大変そうだから自分で新聞の写真切り抜いて飾りましたw
菩薩さんなんだけどいいよね<いいかげんすぎ
仏壇も作りたいけど我慢。
Hannibalさん、数珠入手おめでとうございます。嬉しいもんですよねえ。
実はわたし昔ですが仏具店でバイト長くしてたので詳しいですよー
自慢してください!菩提樹ですか?今手に入りにくいんですよね。
以前数珠スレあったんですがもうきえたかな?
わたしのは古くなって切れちゃいました。数珠があると落ち着きますよね
372さん
番外まで読んでる人は少ないですよね。でも番外確かにあなどれない。
けど自分は現成コウアンから読むからなかなか番外までたどり着かないんですよ。
久しぶりに開けてみようかな〜
今日からは行仏威儀を読みます。ここもなんか楽しみな箇所。
374 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/11/06 01:17:05
>Hannibalさん、数珠入手おめでとうございます。
ありがとうございます。
>嬉しいもんですよねえ。
嬉しいです。
>仏壇も作りたいけど我慢。
仏壇って、つまりは家庭内の小型寺院なんですよね。
私もマンション暮らしで、死人という意味での「仏」は出してないんだけど、
持っていてもいいんだよなあ、仏壇。
深川の不動尊に行くと、護摩供養の後半で持ち物を護摩の煙にかざしてくれる。
おばちゃんたちが鞄とか持って前の方に殺到する、アレです。
あのとき、自分の菩提樹の数珠を僧侶に差し出したら、
素人(つまり在家)のくせに生意気なもん持ちやがって、
とか思われちゃうのかなあ。ちょっと気になります。
メーデー
メーデー
こちらシベリア どうぞ。
376 :
考える名無しさん:04/11/06 08:53:46
>死人という意味での「仏」は出してないんだけど
ワロタ
丁度「威儀」の最初で
いろんな意味の仏の箇所を読んでたんですよ。
仏壇は凝ってしまうとハマリそう、
仏壇マニアになってしまいそうで距離を置いてます。
でも実はきのう日曜大工の店でついつい材料探ししてしまいました。
神棚って結構自作の人いると思うんですよね。床の間の延長だし。
仏壇の自作はあまり聞かない。やっぱりタブーか??
床の間もある意味一種の仏壇ですよね?
最近は旅館でもあそこに荷物置いちゃうらしいけど。
数珠屋さんでよくあったのは
行者数珠を欲しがるお客さんが多くて
これは一般の数珠屋さんには普段置いてないから
「なんだよ置いてないのか」って顔されると
主人もむっとして「凡人が行者様の数珠かよ」って顔する、、
ってケースでした。でもこれは商売人としてスネちゃっただけ。
坊様は器のよほど小さい人でなければ
そんな意地悪い見方はしないで普通は
「熱心な人なんだな」くらいだと思います。
「それ俺も欲しいな」とは思うかもしれませんね。
自分ならそう思うw
菩提樹は手触りがいいでしょー
今思い出したけどカトリックのロザリオはインドから入ったそうだから
ありゃ仏具ですね!
道元を試しに白文で読んでみたいんだけど、そんなテクスト売ってるのかな?
378 :
考える名無しさん:04/11/07 04:27:29
白文の正法眼蔵って「かな版」じゃない方ってことですよね
駒沢大学あたりが持ってるのかな??
白文で読もうと思うこと自体すごい、、
正法眼蔵は時々 中文が止まらなくなるときがありますよね
お寺行ったら坐禅会の講和の時に使うテキストが
all漢字だったりするけど正法眼蔵のはどうだっけなぁ、、、
ありがとう。「かな版」というのがよく分かりませんが、正法眼蔵は現代語訳を少し読んだだけです。中国語も漢文も、これから手を着けてみようかな、という段階ですが、とりあえず、対訳になってるらしい全集を見てきます。
380 :
考える名無しさん:04/11/08 20:35:27
379さん、読みはじめたら是非ここに報告きぼんぬ。
アマゾン>道元で検索したら
たった300冊しか出なくてがっくりです。
西行の時も芭蕉も少なくて驚いたけど
日本はこれでいいのか???
たとえばアメリカでホイットマンとか打ったら
死ぬほど出てくるじゃんね
381 :
考える名無しさん:04/11/09 04:09:11
わたしがいつもくだらないことしか書けないからか
このスレも閑散としてきました。
みなさんごめんなさい。
でも今日もここへ飛んできてスレッドがまだ生存してると
よかった〜と嬉しく思います。
379さん>「かな版」と書いたけど
正確には「和字」と「真字」のふたつあるのです。
真字が漢文で、379さんのお探しのものです。
和字は純和文のと、和漢混成
(途中でいきなりチャイニーズになってビックリする)のとがあります。
382 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/11/11 00:18:44
>>381 そんなことはない。
仏壇や数珠の話ができて、とても楽しい。まあ、私にとっては。
「行者数珠」っていうのは知らないなあ。私が購入したのは、それか?
玉が108つ、ついているものです。
>>376 私なんか、仏壇というのはご大層だから、せめて「厨子」でもと思い、
つい本屋で「ドール・ハウス」の本を立ち読みしてしまいましたw
383 :
考える名無しさん:04/11/11 01:03:41
Hannibalさんありがとうございます
今日もスレが残っててほっとしましたw
行者数珠はよく修験道の人がかけてるような
首から腰まであるようなごっつーーーい奴です。
珠も大きくてゴロゴロしてる感じ。
仁王立ちが似合うw
Hannibalさんの百八つなら本格派ですね。
なんか羨ましいな。百八つ用の独特の使い方があると思うし。
それで菩提樹なら確かに高かったでしょうねえ。
数珠屋時代の思い出と言えば
髑髏数珠かな。よく組と思われる方が買っていかれました。
命張ってるんだなあと思ったけど
ジャラジャラされると笑ってしまいそうになるのでこらえてた。
>つい本屋で「ドール・ハウス」の本を立ち読みしてしまいました
爆笑。自分もドールハウスをチェックしました。
観音扉もちゃんとあって感激したんですけど
なんか一回開けただけで微妙に動きにくくなって退散。南無南無。
正法眼蔵の方はしばらく「行仏威儀」の章
これだけ読んでまだ6章と思うとがっくり。
>>380 >たとえばアメリカでホイットマンとか打ったら
>死ぬほど出てくるじゃんね
西洋の場合、
詩句の一節を暗唱できるのが教養のひとつっていう文化的伝統があったんです。
それこそ聖書の一節を、必要に応じて引用したりね。
イギリスだったらシェイクスピアとか。
アメリカだったらやっぱりホイットマンだろうな。あとポーとかかな。
ギデオン教会の聖書がホテルの部屋ごとにあるみたいに、
中流クラスの家庭にはホイットマンが必ずある、っていう時代があったわけ。
そういう意味で「国民的詩人」だったわけです。
日本だったら江戸時代、漢文の素読ってやってたでしょ?
四書や五経を小さいころから、わからないなりに読む、暗記する、
そのことで漢学の教養を身につけていった。
だけど明治に入ってそんな伝統が失われて。
西行や芭蕉も名前は有名だけど、そんな位置の歌人・俳人じゃないよね。
ところがアメリカも同じなんです。
“アメリカの90%が中流”(まぁこの数字自体、どこまで信憑性があるか疑わしいんだけど)っていう時代じゃなくなって、そんな伝統ははっきり言って失われました。
いま新しくホイットマンを読もうなんてのは文学部の学生ぐらいじゃないかな。
当方もわからないなりに、わかりたいと思いつつ読んでます。
「全機」が好き。
舟のところ、読んでると涙が出そうになる。
385 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/11/12 00:36:59
>行者数珠はよく修験道の人がかけてるような
>首から腰まであるようなごっつーーーい奴です。
あ、次郎長三国志、法印の大五郎だ!
むかし、カトリック信者の老婦人にイスラエルみやげという
大きなロザリオを見せてもらったことがあります。
あのときも、法印の大五郎を思い出した。
なんか、私だけ『正法眼蔵』の話をしていない。
きのう、玉城訳で「有時」などを、ぱらぱらと読んでみました。
ぱらぱらと読んだだけじゃ理解できないことだけは、よく理解した。
とはいえ、余計なことながら「わからなくても当たり前」というのは、
少々ネガティブなような気がします。
私なら、これを選びましょう。
法門無量誓願学
四弘誓願の一節です。
で、つまるところ、
大無量寿経と法華経どっちがえらいの?
無量寿経です。
圧倒的に。
最強厨ウザイ
389 :
考える名無しさん:04/11/14 02:15:51
384さん
やっぱり教養主義?はどこの国でも廃れてるんですねえ。
なんかファウストを買おうとした時なんと前半しか売ってなかったので
びっくりしたことあります>あめりか
後半まで読むのは変わり者、って感じでした。
まあ確かに後半わたしも全然わからなかったけど。
「全機」ですか。もうじきわたしも読めるのかな。
船のところ楽しみにしてます。
良寛以外にもどこかで正法眼蔵をしみじみ読んでる人がいるのだ、、と思うと
なんか感動します
道元はなんか詩人だから言い回しにぐっとくるもんがありますね
やっぱ原文読まないともったいないかな
Hannibal さん
数珠、、そういえばこないだTVで見た「夏祭浪花鑑」だっかでも
数珠が効果的に使われてた。
喧嘩の前にブチっと切る、、、劇画の世界
でかい数珠で思い出したけど看板にしてた数珠を、
売ってくれと言う人が少なからずいました。
ちゃんと首にかけるからってw
有時はわたしが毎回コケる所のひとつです。
法門無量誓願学、
久しぶりに耳にしました。せっかくあえた道元さんまた今週も読みます
永平広録ってあまり正法眼蔵ほど人気ないみたいだけど
正法眼蔵に並ぶような本なのですか?
390 :
考える名無しさん:04/11/14 02:32:39
391 :
考える名無しさん:04/11/15 09:50:44
寿がわからん。
392 :
考える名無しさん:04/11/15 13:26:03
痔明の翳りだろうが。
393 :
考える名無しさん:04/11/19 05:30:18
行仏威儀、、、三世諸仏が火焔のなかで説法、、って所がとりわけ
わからないです。
火焔は何を意味してるのかがわからない。
多分もしかして世界、仏、娑婆、など何でもなのかな、、と思うけど。
哲学書みたいにある語を別の語に置換するという
テクニックが使えないことが多くて(道元はあえて限定を避けるから)
参ります。
webでおもしろい法話結構見つけられるから嬉しです。
なんかやっぱり全巻の提唱本がほしい。お手上げ、と思うこと多い。
しょう壁瓦礫ってよく出てくる語ですが
それも意味がわからない。山水渓声と同じなのか???
万事この調子で勝手に決めていいのかw>自分
師匠いないとやっぱ読破は無理か??
394 :
考える名無しさん:04/11/21 03:32:46
「一カ明珠」読了しました。
いままでで一番まあまあ読むことができてほっとした。
それでも2、3回読んた時はチンプンカンプンだった。
華厳経のノート作ったのが、この章に関しては功を奏したと思います。
これまでなかなかよい訳だなあと思ってた石井訳は
この章で坐禅経験ないのがバレてたw
正法眼蔵のあとはズイ聞記>清規や典座教訓>普カン坐禅儀
>歌集>良寛さんのことを勉強
と行く予定です。
そしてやっぱり正法眼蔵の講話をいつか買いたい。
全集なら澤木興道師のがいいかなー。
特に仏性のところ、絶対助けが必要だし
座ればわかるっちゅーもんでもなさそうです。
いつごろ読了するかなあ
実はわたしは道元に逃避してるのかもしれませんです。
読み終えた時何かが変わるだろうか、、、
>>394 坐禅経験の有無を、どこで判断できるのですか?
具体的に教えていただければ幸いです。
396 :
考える名無しさん:04/11/22 06:02:07
395さん
ちなみに自分は参禅経験すごくたくさんとは言えないんです。
だからエラそうな物言いになったかも、、、とちょっと反省してます。
ただ「あんまり座らないで頭ばっかりつかってるのかなー」と
勘でそのように感じたんです、、
もしそうじゃなかったら私は石井氏にひた謝らなくては、、、。
でも、どこそこの解釈において、これこれである筈がどれそれとなっておる、、、
というような感じ方をしたわけではないですよ。
397 :
考える名無しさん:04/11/22 06:04:05
(つづき)最近では
「酔酒の時節にたまを与える親友あり
たまをかけられる時節かならず酔酒するなり」の解釈で
「人が苦しみ迷っている時節が明珠なのだ
明珠こそ苦しみや迷いのなかに潜むのだ」を読んでそう思った。
他にもあるんですがでもメモするのが面倒でちょっと思い出せない、、、
わたしのわずかな参禅体験でもそれを思い出すとき
「たまをかけられる時節かならず酔酒するなり」は親しみある感動的な言葉に
感じられるのでもっと座った人ならこのところ抜かさないだろうと
単純に思っただけです。 そのように感じる部分はこの本にはかなり多いと思われます。
じゃあおまえが訳せと言われると自分には全然できないし
石井訳も好きなところもいっぱいあって結構頼りにもしてます!
逆に参禅経験を特権視しすぎるのも面白くないと思いますよ。
道元はそれ抜きでも読めるところがすごいのですから。
399 :
考える名無しさん:04/11/23 02:11:09
398さんサンクス&おはようさんです。
そうですか。特権視より寧ろ負い目感じてたから
かえってほっとしたりします。
なんか一生懸命勉強して質問しても「座ればわかる」って言われてばかりで、、
きのう自分も考えてて、丁度松岡正剛さんの言葉
「みんな道元を好きに読んできた」っていうのを思い出してました。
正法眼蔵への愛が感じられる言葉で好きです。
なんか何が真意か「決めて」しまうと
道元の感じ方からだんだんずれていきそうですしね
きのう考えたことは
「いろんな人に色んな感じ方させてきた大きな木みたいなのを
古典というのかな」です。
あんまり断定的な考えにはまらないように注意します
400 :
考える名無しさん:04/11/23 14:49:10
古いものは淘汰されていく
そこに真理などないのがまだわからないのか
最大の信心を集めるものこそ正しいのは
西洋の帝国主義からの伝統
儒教思想の低俗さよ
401 :
考える名無しさん:04/11/23 14:50:25
>>400 正法眼蔵を読もうと思っていたのですが、
本当に価値があるのかわからないです?
何かおすすめの先生はいますか?
>>401 そうですね、日本を代表する宗教家の池田大作先生の本はいかがですか?
人間革命、新・人間革命 は必読でしょう
全部を一度に読むのは苦労するとおもいますから、
お近くで手に入るものをとりあえず一冊ご購入するのをすすめます
古本はやめた方が良いでしょう
御利益がなくなりますし、集中して読めないと思います
お近くの書店で手にはいると思いますのでそちらでご購入下さい
きっとあなたの様な方はこの教えの素晴らしさがわかるでしょうね
もしよろしければEメールを下さい
池田先生について詳しくお教えしますよ^^
他の興味のある方もどうぞお気軽にメール下さい
403 :
考える名無しさん:04/11/23 16:04:50
404 :
考える名無しさん:04/11/23 16:54:29
代作の本ってか。
オメー葬禍の宣伝係だな。
それとも代作と同じ在日朝鮮人か?
藤岡( ´,_ゝ`)プッ
こんなとこで布教してんなよ
アホか
406 :
考える名無しさん:04/11/24 01:07:35
岡野守也
道元のコスモロジー
って最近の本を読んだ。面白かった。
秋月龍民先生の高弟らしい見性を体験した人
独特のないようでした
っていうかこの岡野さんはあまり話題に上らないけど
どうなんでしょう?だれかしってません?
407 :
考える名無しさん:04/11/24 04:43:37
406さん
独特の内容ってどんなんでしょう。気になります。
いままでなかった解釈とか?目次だけ見たらなんか読みたくなりました。
アマゾンで見たけど唯識についての本いっぱい出してるんですね。
その本も唯識の話多いですか?禅ってやっぱり唯識というの勉強しないと
わからないですかね。昔の禅の本てあんまり唯識って言葉出てこなかった気がするんだけど
なんかわりと最近になってよい研究者がでてきたんだと思う。
秋月師の高弟なら読んでみたい。
自分は正法眼蔵ちょっと休んで酒井得元師の提唱のノート作ってから
もういっかい戻ります。やっぱりいろんな人の講義読んだり聞いたりすると
幾分道元が近づく気がします、、、
最近もう webサイトから怪しいチラシまで道元と書いてたら何でも節操なく読んでる
408 :
考える名無しさん:04/11/24 22:32:40
409 :
考える名無しさん:04/11/25 15:22:41
>407
独特っていっても、他の正法眼蔵の本読んだわけではないんですよね
この本は割と読みやすくて、へぇーって感じることがおおかったんです。
道元禅師への熱い思いが伝わってきました。何が独特かというと
分かりやすくて読後感がすっきりした本。っテ言う意味です。
私未熟ものなので最後まで読める道元がなかったということで。
410 :
考える名無しさん:04/11/25 15:44:13
>407
それからこの本には唯識は前面には押し出されていません。
唯識を勉強しないと禅が分からないのではなくて、大乗の核心
であるところの「空」「慈悲」などは見性、覚りと呼ばれる体験
をしないと全身心的に体得できない。そのために禅定するのですが、「不建文字」
的な教えでは現代人には通じない。禅に唯識がでてくるのは「空」について理屈で
分かる範囲(かなりの程度できる)を説明できるからみたい。もちろん唯識も禅定の重要さを説いています。
これが氏のスタンスであろうと思われます。なので岡野氏の「空」の体験をベースに正法
の解釈をしてるんです。
411 :
考える名無しさん:04/11/27 06:04:32
409さん こんにちは
レスありがとうございます。
なんかものすごく読みたくなりました。
著者は全く聞いたこともない方だったので教えてもらってとても嬉しいです。
いま澤木興道とかその弟子の内山、酒井師とかすこし読んでますが
鈴木大拙師やその弟子の秋月師の読んだ時より違和感あります。
さすがに曹洞宗の人だから用語の使い方とかは勉強になるけど
冷たい宗教という印象をどうしてもうけてしまう。
大拙さんのって温かい仏教という印象です。
それはたとえば戦時における鈴木師と澤木師の
両極端ともいえる姿勢にも出ているような気がしました。
今はなんか鈴木、秋月、岡野氏の道元の感じ方をすごく知りたい。
唯識の説明もわかりやすく書いてくだってありがとうございました。
唯心と同じことなのかなぁ。
秋月のどこがいいのか。
単に人格に惹かれているだけでしょう?
知性を一律に「冷たい」と感じる人は、あまり道元向きじゃないし、
ひいては哲学に対する誤解があるように思うのですが。
ちょっとキツイ言い方かもしれないけどね。
414 :
考える名無しさん:04/11/28 12:47:36
412さんどもども。
そりゃあ人格に惹かれてますよー。他に何に惹かれたらいいかわからない。
秋月さんのことは実は殆ど知らないけど
鈴木師には憧れます、、、
あれだけ世界中の学者に引用されて
しかも愛されてる禅の人あまり知らない。
決して知性を冷たいと思うわけじゃないよ。その逆で、
知性を殺せ殺せって言ってる宗教家の方が意外に冷酷な面があるのかもしれない
と思ってます。思いたくなかったけど。
自分が道元向きかどうかちょっとわからないけど
なぜかぐいぐい惹かれてしまうので もうしばらく読ませてほしい!
413さん
クールですか。なんか自分はあんまりそうは感じないんですよー
良寛も「道元はクール」って思ってたんかなぁ、、
大拙が凄いのはわかるが、秋月はよせよ
大拙なんて凄くないよ。ただ文章家として力があっただけ。
道元と一緒にしないでくれ。
417 :
考える名無しさん:04/11/28 23:10:49
沢山のメール、ありがとうございます。
こんなに興味を示してもらって、ありがたいです。
みなさんも情報や意見や悩みを打ち明けた方が
ためになると思います。
なので池田先生のスレッドを立てようと思います。
ここのみなさんも是非来て下さい。
お気軽にどうぞ。
立てたら報告しますね。
P.S. いたずらメールを送った方にはそれなりの対応を致しました。
これに懲りてもう二度とそういうことはしないでください。
また罰が下りますよ。
418 :
考える名無しさん:04/11/29 02:33:46
道元禅師の何処がクールで、何処に「慈悲」が宿っているか。
両面あると思いますが、先の本をよんでみると、よく分かった気がします。
クールなんだけど、根底はあつい、明るいとおもいました。
一顆明珠、諸悪莫作、全機、諸法実相、これらの巻で、禅師の世界観
死生観、倫理観など語られております。
私は明るいと思いました。
>412>413
419 :
考える名無しさん:04/11/30 08:40:26
415,416
秋月さんだめっすか?
418さん
>クールなんだけど、根底はあつい、明るいとおもいました。
あああ、そうそう、そういう感じをわたしもうけます。
> 一顆明珠、諸悪莫作、全機、諸法実相
どれも私がコケた所(難解なところ)だなぁ、、
やっぱりポイントになる巻があるのが最近わかってきたから
これからは通読をやめて大事な巻をだれかの提唱とともに
丁寧に読んでから、また通読していこうと方針を変えました。
わたしの場合ヒントがないと大きく誤読しそうです。
それにしてもこんな難しい正法眼蔵を読んでる人結構いるから
すごい。わたしゃ尊敬する。
420 :
409:04/12/01 18:41:40
評価は分かれるようですが
正法眼蔵も後期(晩年)になると道元禅師の思索も衰えているみたいです。
仏教原理主義てきになってきて、洗顔の方法なんていう巻があったりもします。
教団内でも、意見が分かれてるそうです。私は通読はしたことないですが、
そういう話を聞くと混乱しそうですね。
421 :
哲子:04/12/01 19:28:54
>洗顔の方法
顔を洗って出直すのは禅にかぎらず大切な心得だな。
422 :
哲子:04/12/01 19:32:44
「正法眼蔵」の「正法」はブッダの法ですね。
「眼蔵」は「めくら」、ブッダの法が見えない
ということですね。
曹洞宗の大学っていくつぐらいあるの?
424 :
考える名無しさん:04/12/02 08:02:59
2つ
どことどこ?
426 :
考える名無しさん:04/12/02 11:16:36
駒沢大学と愛知学院大学じゃなかったかな。
むかし入りたかったから覚えてる。
409さん
わたしはその洗面のところ好きなんですよw
全巻読んでるとこういう箇所も出てくるからおもしろいなと思ってました。
もう、「なんでここまで書くかな」というくらい
しつこい洗面の指示。ちゃんと歯磨かないなら地獄へ落ちるぜ!
みたいな感じですよね。
でもなんでここまで必死になったんだろうと考えると
なんかおもしろいんで自分は好きです。
僧堂で洗面所やトイレの異様に綺麗な所を見ると
この章を思い出します。
晩年頭がおかしくなっちゃったのかどうかは自分にはちょっと
わからないないけど、、、でももっと長生きしてたら
いろいろもっと書きたいことあったと思う。早死にですよね道元。
427 :
考える名無しさん:04/12/02 11:20:32
唯識ちょっと勉強しようと思ったけど
なんかわたしのアタマじゃ無理ぽ。
角川文庫をまず嫁
インド編と中国禅は特にすばらしい
高崎氏が書いた道元のやつもユニーク
そういや高崎さんは鶴見大学(ここも曹洞宗でしょう、もと女子大だったけど)で
学長やっていましたね
429 :
哲子:04/12/02 17:50:37
>>427 唯識三年、クシャ八年といいますね。
三年やってみてはいかがでしょう。
430 :
僧海:04/12/03 22:02:04
>>420 洗面の巻は,越前へ行かれてからも繰り返し示衆されていますが,
最初は興聖寺で示衆されています.また,洗浄の巻も興聖寺で示衆
されているので,道元禅師の晩年というわけではありません.
このような日常の行動の作法が,行持として重要なのでしょう.
431 :
考える名無しさん:04/12/04 18:35:19
428さん 角川から出てる唯識なんですか。
角川はときどき意外に良い本でますよね。紹介してくれてありがとうございました。
三日ほど唯識漬けですがなんだか難しいです。
なんかこの考えってヤバクない?ハマルのが恐い気もする。
普段の生活ができなくなりそうw
唯識からどうやって菩薩行とか利他につながっていくのだろうか??
哲子さん
>唯識三年、クシャ八年といいますね。
なんか納得です。わたしは唯識って言葉も初耳でしたから衝撃を受けてます。
きのう唯識を医療に用いている人のサイト見てたらおもしろかったです。
そういえば昔現成コウアンを百回写させるという治療というのがあったな。
僧海 さん
洗面、洗浄は晩年じゃなかったんですね。
なんか禅堂のトイレや洗面所って荘厳な感じすらしますから
わたしはあの巻好きです。
しばらく正法眼蔵から離れて全然知らなかった仏教の基礎知識の勉強します。
でも離れると寂しくてたまらん。
認識は、鏡に近い。だから唯識となる。
『中論頌』第三章第二頌に見る用きは、自を見れない、自を見れない者が
どうして他を見得るか、ということがいわれるが同趣旨である。
眼は見る、の眼は見つつある者以外ではない。
その眼(見つつある者)が見ると述語すると、見ることから離れてあるような、
自体的な眼を想定している。これが誤っている。見ることは動詞であり、
時間性だから、時間=無常から離れた我の想定でもある。
鏡は「必ず」自己以外を映す。例え闇を映す場合でもそれは闇を映すのであって、
自己ではない。自己としてしかないにも関わらず、絶対的に自己を顕さずに、
他であるかのように顕れる、だから虚妄分別という。例えば、曇っていたり、
傷ついていたりして、自己を顕す鏡は鏡ではない。
ただし認識としての鏡は実際の鏡と異なり、光や映される実物が不要であり、
諸法と種子の相依=鏡による自己限定として顕れる者として顕れる。
だから自覚という。また映っている者も「必ず」鏡以外では無いにも関わらず、
鏡以外であるかの様に顕れる。映った者は鏡としてしかないにもかかわらず、
鏡から離れて存在性があるかのように顕れているから所分別である。
また顕れは、例え言語表現されたような二刹那以上と妄想された同一性でなくとも、
感性的な刹那としての顕れであれ、“刹那”つまり同一的であるから、
「〜である」という内容を持つ。自らは顕れない鏡の自己限定として、
同一性はある。相依性としてしか無いのに、非相依なる同一性として顕れる、
これが認識の根源的特性だ。自覚としてしかないにもかかわらず、
能取と所取(自存的な主観と客観)であるかのように顕れるのである。
止観行とはこの、一切時に自覚としてあることを取り戻す鍛錬だろう。
434 :
考える名無しさん:04/12/06 13:09:56
推敲不足さん(宗門の方と見た。)長レスありがとうございます。
あまりにも難しいから今コピペしたんで
ゆっくり注意深く読んで消化してまた来ます。すこしでもわかるといいんだが、、、、
「鏡」が出てくるといつもアタマを抱えてしまいます。
Hannibalさんお久です!数珠は絶好調ですか。
わたしゃ最近電話台が仏壇にならないか思案中です。
なんか『認識と超越「唯識」』難しそうですねぇ。哲学板にぴったり。
第3部 大乗の実践哲学(唯識思想の前提
& 唯識と華厳 という箇所特に読みたいです。
唯識の説明で「花がここにあってそれは心のなかにあるだけです」、と
言われるとわかる気がする。
けれどそれが花とか物じゃなくて「愛」とかに置き換えると
わからなくなる。そして「これってヤバイ思想じゃん」と思ってしまう。
角川本の第三部は絶対にとばし読みしろ
436 :
考える名無しさん:04/12/09 22:16:24
437 :
考える名無しさん:04/12/10 07:56:27
435さん ありゃ、そーですか。がっかり。
推敲不足さん
わたしなりに考えましたが2ちゃんでこんなに頭使うとは思いませなんだ。
1、観るものとみられるものが同じなようでいて違う。
真相と見え方には差異がある。だからみえているものは心が色づけしたものである、
ということになる。観るという認識は鏡を見る時節は鏡にうつったものを見ているから
自分の本体(実体)は観ることが出来ない、
主体をみることができないものが客をみることはできない
というがそれも「心は真相を捉えられない」と言うてるのと同じことである。
438 :
考える名無しさん:04/12/10 07:58:11
2、まさに今みつめている者が何かを見るとき
我と対象が二元となるような見方となる。
この観方に迷妄がある。見るという動詞を使うような見方であるとき
それは過去現在未来という性質を帯びるゆえに
自我がそこに生じている。鏡にはそれを見る者以外のものしか映らない。
本来の真相の自己しかないのにそれ以外のものとしてしか現れない。
だからこの分別は虚妄を見せているのである。歪像は真相を現していない。
{???ここお手上げ。]
439 :
考える名無しさん:04/12/10 08:02:00
3、あたかも実体があるかのように現れているがそれは
心の作る像でしかないので分別が作り出しているものである。
あらわれているにすぎないものでも映るものうつされるものが同時に起こるので
Aの映像は「Aである」ということができる。
しかしそれはAの原型ではなく限定されたものである。
すべて認識は根源的にこのような特性となる。
認識するとき自己の心に捉えている(自覚している)だけであるのに
認識するもの、認識されるものがあるかのように
考えられる。そこで心の作り出す歪像虚像の流行を断じ止めることで
どの瞬間にも、二元化していない原型(真相?真如?)を捉える訓練をする
、、、、、、、こんな感じかなぁ。著しく違ってたらすみません。
でも唯識が道元とつながることがなんとなくわかりました。
440 :
考える名無しさん:04/12/11 18:36:19
心不可得を読み終わった。短くてほっとした。
これだって「心」の意味がわからないから
独りではやっぱり読めない。自分はちょっと
宗門の人に聞いたから読めたけど
坊さんはもしかして下々の者には
わからなくていい、と思ってるんかなぁ。
もうちょっと親切な解説というか、せめて用語辞典
があったらなと思う。そういうのを作ると坊様は何か損するのであろうか。
家で普通に独りで正法眼蔵を読みたい人も多いと思うから
曹洞宗も大乗仏教ならなんとかしてちょんまげ。
中村宗一さんの用語辞典、駒澤大学の禅学辞典、禅文研の禅語辞典。
そのほかにもあったような気がする。
が、出しても売れないのですぐ絶版になるのですよ。問題は消費者経済の方に
もあるような気がするんですけれど。。。
禅語辞典はまだ入手可能だと思う。
禅学辞典は必要に応じて出す体勢に変わったと思った。
久しぶりに来てみたらネタスレがこんなに伸びてる・・・・
みんなありがとう。。。
誰も釣られない。。。
可哀想。。。
444 :
考える名無しさん:04/12/15 02:41:27
444
>>443 え?釣られないとかどうとかじゃなくて・・
446 :
考える名無しさん:04/12/15 23:08:14
447 :
考える名無しさん:04/12/16 02:13:15
441さんいろいろ教えてくださってありがとうございます。
中村宗一さん実はこっそり好きです。
昔は全訳読もうと思ったらこの方のしかなかったし、
面倒くさがりなんで今まで辞典の類使ったことないけど
今度ばかりはそういうのがないと無理。
いちおう古仏心、大悟と読み進めました。
古仏は華厳の勉強してたのが助けになった、、と思う。
ショウヘキガリャクの意味を教えてくれる人もいたし、、。
大悟は公案が出てくるとちょっといつも苦戦しますが
まあなんとか読めた。(仏性巻の時ほどの絶望はなかった、という程度)
次の坐禅箴の巻は短そうだしアホでもわかりそうなとこも多そうで嬉しい!!
1さんお久しぶり?というかやっと来てくれましたな。
446 そうだといいなぁ。。。。ワシはとにかく古文には強くなった。(慣れた)
最近わからないから楽しいのかなと思う。わかったら今の生きがいが無くなるw
朝から捜してました。
449 :
考える名無しさん:04/12/16 18:14:30
え?何を?
450 :
考える名無しさん:04/12/18 03:39:53
クリスマス大売り出しでちょっと物欲の多い生活をしてたら
数日でなんか正法眼蔵が遠のいた気がした、、
理由はわからんがやっぱり孔子さんイエスさま道元といい
貧しい生活は信仰と密接なのだろう。
貧乏にふさわしい無欲な日々に帰ろう、、、
451 :
考える名無しさん:04/12/18 11:10:18
正法眼蔵を読んでいると,語句の読み方について判断がつかないときがよく
あります.各種の解釈本によってもふりがなに異同がある場合もあり,
たとえば一顆明珠にしても,ミョウジュの場合が多いようですが,今の岩波文庫
などではメイシュになっています.もともと仏教用語の読み方にはある程度の
異同が許容されているのかもしれませんが,道元禅師の末裔?であるはずである
宗門系での標準的な読み方の参考になるものはないかと探していましたが,昭和
新纂国訳大蔵経宗典部の曹洞宗聖典では,正法眼蔵が総ルビで出ており便利でした.
また,この間,正法眼蔵拝読全集という曹洞宗のちょっと前の偉い?坊さんが一人で
95巻を全部音読しているカセット全集が古本屋にあったので買ってきました.
訥々とした音読で聞きごこちはよくないのですが,実際に正法眼蔵の標準的な発音
の参考にするには便利に使えています.これらのことは正法眼蔵の哲学的理解と
いう観点からは枝葉のことかもしれませんが,少しすっきりします.以上暇なので
駄文失礼.
452 :
考える名無しさん:04/12/18 20:02:44
そんなことより
糸コンニャクを噛まずにいっぱい食べた翌日
ケツの穴から、糸コンニャクを引っ張り出すと
気持ち 工エエェェ(゚∀゚)ェェエエ工
453 :
考える名無しさん:04/12/18 23:29:49
454 :
考える名無しさん:04/12/21 04:04:56
451さん
>新纂国訳大蔵経宗典部の曹洞宗聖典&正法眼蔵拝読全集
いやぁこういうのを読んで勉強してらっしゃる方がこのケータイだらけの日本に
まだいらっしゃるんですねぇ。なんか感激です。
>ふりがなに異同がある場合もあり,
そうなんですよねえ。宝鏡三昧とか御経まで本によって違いますよね。
>坊さんが一人で 95巻を全部音読しているカセット全集
なんかものすんごいの入手されましたねw ある所にはあるんですねえ。
自分も目が悪いので正法眼蔵だけは読めなくなると辛いから
今からすこしづつ音読して録音しようかななどと思ってたとこです。
自分は「頭で理解できなくても最後は毛穴から薫染」と信じて読んでます。
哲学書と違って正法眼蔵って御経だから音を大事にする読み方があると思う。
455 :
考える名無しさん:04/12/28 01:29:07
やっぱり「大悟」巻、全然わかってなかったみたいで恥ずかしいっす。
「一人、半人」という所がよくわからない。
禅籍読んでても全蔵、半蔵って出てきてわからなかった、、、
ちなみに石井訳では「自己とは半分づつの合成」と書いてました。
だから多分唯識と関係があるんだとは思う。
本人以外が心に映るのだから半分。、、、と
>>432さんの書き込み
思い出して考えてました。でも自分の読みが激しく間違ってないか心配。
これ以上独りで読むのはヤバイかもなぁ、、
それとも開き直ってもう勝手に読もうかいなぁ〜
どうしようかいなぁ〜
あっというまに年末になりました。ここでいろいろ教えてくれた皆さん
わたしは大助かりでした。ありがとう&よいお年を!
456 :
考える名無しさん:04/12/29 22:41:06
雪ですべってこけたら,眼直鼻横になった。
457 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :04/12/30 01:54:07
こけなくても、こう寒いと悉く不精になる。
458 :
考える名無しさん:04/12/31 14:22:55
四禅比丘を読みました。このあたりの巻は,まだ,道元禅師の草稿
という段階の文章のようですが,多くの引用文献を収集して自分の
主張を構成していくプロセスの一端がかいま見られるようで,その
思想内容は別として興味深いものでした。
459 :
>>431さんへ:04/12/31 19:09:15
>唯識三年、クシャ八年といいますね。
具舎論を8年やって後に、唯識を3年と言うことでして、
唯識は11年はかかるの意味です。佐伯定胤先生から、昔お聞きしました。
法相唯識です。あの法隆寺の元官長です。
460 :
考える名無しさん:04/12/31 19:12:49
>>459 そうですね。ある意味ではクシャで理論は終わっている。
唯識は無意味です。
>>460 「唯識三年倶舎八年」の意味はかかる年月を示しているのは間違いないのですが、これが順番を含むのか、
はたまた両者学習することを含意しているのか、ということは誰も言及したことはないそうです。
そんな一見枝葉末節とも思われる論文を船橋先生でしたか。。。発表されていて、決論的には両者の分量を
「桃栗三年……」の語呂に駄洒落て言い表したもので、唯識と倶舎を順次に学習するとかの意図はなかった
のだろうとしております。
462 :
考える名無しさん:05/01/02 09:15:54
みなさんおめでとうさんです。
みなさん正法眼蔵の読み初めはどこですか。
自分は行仏威儀でした。(途中でまずは今年最初の挫折)
今年はちょっと他の簡単そうな禅の本で勉強してから
また現成公案から読みますw
さて2005年は何回「仏性巻」返りするかな?
それとも今年こそ通読できるか??????
458 さん
>四禅比丘,多くの引用文献を収集して自分の
主張を構成していくプロセス
なるほどそういう読み方もあるんですね。構成とか考えたことなかった。
道元はそういう文の組み立てもうまい気がします。
463 :
考える名無しさん:05/01/02 09:40:59
>>461 唯識は本来存在論であるアビダルマコーシャを認識論と
して解釈し直したものではないでしょうか。
だから、ヴァスバンドゥのようにアビダルマから唯識へ
と学習するのが理解が早いと思われる。
>>463 >本来存在論である
という訳ではないですよ。
>認識論として解釈し直した
これも理解が違いますでしょう。唯識と言ったときに何を唯識というかにもよりますが、
ヴァスヴァンドゥのみを取り上げれば、三十頌よりは倶舎論のほうが認識論は事細かに
説かれます。
一方二十頌三十頌は瑜伽行唯識派の考え方を示したものに過ぎません。
件の桃栗三年は現在の所、上記船橋説を出るものはないので、それで事足れりでしょう。
465 :
考える名無しさん:05/01/02 11:58:42
おーい、糞は書くなよな。
466 :
考える名無しさん:05/01/02 11:59:40
ああ、アソコを掻いてるだけだが、何か?
467 :
考える名無しさん:05/01/02 12:01:27
いいねー、初糞スレ大会か?
ドンドン行こうぜ。
正月は糞スレで楽しもうぜ。
468 :
考える名無しさん:05/01/03 05:07:12
きのう四禅比丘をちょっと見てました。
あれ孔子とか老子が出てくるんですね。驚いた。
ゆうべはついでに拾遺本とかあまり開けないところを久しぶりに見た。
百八なんとかの巻なんて大晦日に鐘の音と一緒に読むのにぴったりだったんだな。
469 :
考える名無しさん:05/01/06 12:20:43
修証義は正法眼蔵をサマライズしたものだと説明を受けていましたが,実際には
本山版正法眼蔵の中の24の巻からの引用だけであり,また,かなり片寄った内容
なので道元禅師の意を表すものだとはとても考えられません。ところが昨日,
修証義ができてすぐの明治20年代のうちに,忽滑谷快天が英訳した修証義が発行
されていたのを発見しました。最初の部分をちょっと見たところ,その翻訳が
たいへん good jobのようでしたので,週末に参究してみることにします。
470 :
考える名無しさん:05/01/06 20:28:32
>>462 私も今年はあらためて現成公案を研究したいと思っています。
現成公案はほんとに水晶のように透徹したすばらしい文章で,
思想,表現ともに,日本人の手になる文章の最高峰であると思います。
また,正法眼蔵は現成公案で述べられた内容が繰り返し繰り返し
説かれたと考えることができると思います。
471 :
考える名無しさん:05/01/07 08:28:05
469さん
>片寄った内容なので道元禅師の意を表すものだとはとても考えられません。
同意見です。修証義はわたしもなんか今いちというか正法眼蔵読んでたらいいじゃん、と
思ってたクチでした。
>明治20年代のうちに忽滑谷快天が英訳した修証義が発行 されていたのを発見
なんかすごいものを見つけられたのですね。貴重な情報ありがとうございます。
しかも英訳なんですね。英訳って大拙さんのもそうだけど
ある種の緊張があって日本語より感動するものがあったりしますね。
ぜひまた続報教えてください。
470さん
>水晶のように透徹したすばらしい文章
なんか自分が言いたかった表現してくださったので嬉しいです。
>思想,表現ともに,日本人の手になる文章の最高峰であると思います。
わたしもそう思います。こんなに魅力がある、そして一語一語に重みが
ある文はあんまり他に知らないです。
宗教書なんだけど読む人は不思議と狂信的な人いない気がする。
いろんな人が読んでる日本の古典なんだなあと思います。
>正法眼蔵は現成公案で述べられた内容が繰り返し繰り返し
>説かれたと考えることができると思います。
そうなんですか。だてに冒頭にあるわけじゃないんですね。
やっぱり今年は最初からまた読もうと思います。
でも逆に現成公案はきちんと読み込まないといけない、と
いうことかもしれないなぁ。
>>1 >正法眼蔵は日本史上最高の哲学書・仏教書だ
まぁ、そういう風に信じてのめり込む時期は必要だと思う。
そうならないと、あのわけのわからない文章を辛抱強く読み解く
気にはなれないから。
でもそれで終わってしまったら、信仰であって、哲学ではないよね。
そういう時期が、過ぎた後が、重要なのだと思う。
473 :
考える名無しさん:05/01/07 18:32:12
>>471 忽滑谷快天のこの小冊子は国会図書館の電子図書館の中にありますので,
インターネット上で簡単にみることができますよ。国会図書館の
電子図書館では,明治時代の書物(要するに著作権が切れてるもの)を
たくさん見ることができ,仏教,禅宗関係でもおもしろいものがいっぱい
あっていろいろな発見ができます。
474 :
考える名無しさん:05/01/08 06:01:45
本当ですか???恥ずかしながら初めて知りました。ありがとうございました。
青空文庫しか知りませんでした。今更ながらインターネットってすごい。
475 :
考える名無しさん:05/01/09 02:15:49
473さんの教えてくれたサイト見ました。興奮した〜
すごいですね。曹洞宗青年会研修録みたいなのもありましたね。
(なぜかその科目のなかに正法眼蔵がなかった。)
明治時代の提唱もあって非常に興味深いです。だけど当方いまだに
ダイアルアップ接続のため非常に根気が要りますw
テキストだと思ったら画像スキャンなんですね。
でも目次見るだけでかなりわくわくします。
473さんとにかくほんと有り難うございました。
476 :
考える名無しさん:05/01/23 10:14:40
寺田透の読解はどのように評価されてるんでしょうか?
『正法眼蔵を読む』が手近にあるんですが、
パラパラ見ただけではあまり理解できませんでした。
寺田さんの文章は、
仏文研究とか古典文学の随想なんかで比較的慣れているはずなんですが、
これを読もうと思ったら、けっこう腰を据えてかからなきゃならないみたいです。
あまりに独自の解釈をしてる人だったら辛いな、と思って…
477 :
考える名無しさん:05/01/25 00:59:14
自分も最近よく耳にするので気に掛かる>寺田透氏
>あまりに独自の解釈をしてる人だったら辛い
わかります。自分もそれが一番気になる。つられてしまうからw
あと水野弥穂子さんの春秋社の全集ここでは
話題になりませんがどうなんだろう。随聞記の訳すばらしいですよね
この人も「剃髪しないで道元ひとすじ」の人生すね
じゃあ寺田透はあと回しにしな
けっこうちゃんとしているけど、
確かに権威筋の裏付けに乏しいから。
479 :
考える名無しさん:05/01/25 15:56:09
477>> 水野弥穂子さんの春秋社の全集
3巻目以降が本当に続刊されるのか心配。
正法眼蔵の訳も一番neutralな解釈で,
安心して読めるのでいいんですけど。
>>477 僧籍もありますし、剃髪もしておりますよ
481 :
考える名無しさん:05/01/26 22:48:48
>>480 何というお名前になっておられるんですか。
おげんきでいらっしゃるのでしょうか。
482 :
考える名無しさん:05/01/28 08:27:52
そうなんだ!!>剃髪
さっき見てたらお坊さん名もありました。>水野 恵穂
水野ヤオコ先生とお袈裟を縫おう会というのを去年の秋ネットで見たので
きっとすごくお元気でいらっしゃると思いますよ
学問と生き方がまったく一致していて羨ましいような生き方です。
なんか道元読んでるとどうしても出家したくなっちゃうよ。
483 :
考える名無しさん:05/01/28 18:24:32
911ch 11月2日14時 尻だらけ〜お尻マニアに贈る桃尻8人娘エンターテイメント
902ch 11月4日10時 ミッドナイトブルー特別企画★レズ催眠(1)
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484 :
考える名無しさん:05/01/30 19:44:20
わしは決めた。袈裟を縫う。
型紙みたいなんあったらできるよね?
よくわからないけど黒い布あればできるだろう。
>>484 袈裟の大きさは、一人一人によって異なる。
肘の長さを測って、横幅は最大5倍、最小で4.5倍
たての丈は最大肘の長さの3倍、最小が2.5倍。
あと形なども厳密に規定されていますので、よく調べて、お縫いになられる
とよろしいですよ。
また各規定が定められるにいたった経緯があります。これを知るとお釈迦
さまがどういうお考えをされていたかよく分かって面白いかと。
追伸:
基本的には受戒しなくては身につけられないので、縫い終わった
らおしょさんに受戒してもらうことが前提になる。
487 :
考える名無しさん:05/02/01 08:58:11
485さん レス嬉しいです。ネットってすごいな。有り難うございました。
高校の体育祭の時ハッピをクラスで作らされたのをまだ持ってて
それを見て真似しようかなと思案中でした。えらいことになるとこだったw
肘で計るんですねえ。
>これを知るとお釈迦さまがどういうお考えをされていたかよく分かって
そうなんですか。やっぱりだてに袈裟功徳というわけじゃないんですね。
でも受戒しないとただの服と同じなんですね。興味深いです
488 :
考える名無しさん:05/02/03 14:17:04
多くの人は仏教の知識や言葉を理解することが悟りにつながると誤解している。
また、正法眼蔵を読めば道元禅師がわかると思っている。
しかし、それはまったくの誤解で、知識や言葉つまり、{自分の思考}を無くしたところに真理があり悟りがあります。
仏教の教えで生まれる前にもどれと何度も繰り返すのは、[生まれた後に得た全ての知識]を捨てなさいと言うことです。
何も考えないこと、考えない様にしている自分さえも考えない、これに徹することそしてとことん繰り返すこと、これが悟りへの最短の道です。
ある日突然自分の中に自分の思考や意志によるものでないまったく違うものがあるのに気づきます。これを感じないことには全てが始まらない。
逆に、これを体感することによって全ての経典や高僧が伝えたかったことが容易に理解できます。当然、正法眼蔵も唯識もです。
知識や言葉の蓄積でなく、経典や思想は悟った後に読むものなのです。
そうすれば変な間違いをおこさずに、変な教えに惑わされずに仏教を自分のものとする事ができます。
悟りは実は簡単なものです。自分で悟ってやろうとしたり理解しょうとするからむずかしいのです。
489 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :05/02/03 20:10:18
皆様も為替をやってみてはいかがでしょう。諸行無常を体感できます。
クロージングのベルの声、諸行無常の響きあり
移動平均線の色、ユーロ必衰の理をあらわす
驕れるドルも久しからず、ただ春の夜の夢の如し
猛き足もついには曲りぬ、ひとへに風の前の塵に同じ
490 :
考える名無しさん:05/02/04 03:43:16
Hannibalさんお久です。思わず声に出してうたってしまいましたw
でもなんか諸行無常感じることあったんかな??
488
>経典や思想は悟った後に読むものなのです。
そうかもしれない、、、
自分は悟りとか知識とかはほしくないけどただ道元の文に惹かれて読んでしまいます。
これも執着なんだろうなあ、、、
>>488 それは誤解です。インドのヴェーダ以降の宗教は言語的理解を前提として成立します。
ヴェーダ自身をとってもveda つまり√vid「知る」から派生したものです。
同様にウパニシャッドを前提としたブッダの教えは、これを継承する面と批判的相克を
説く面と、両面を有しますが、例えばそこで最終的に説かれる智慧はprajJAは√jJA
「識る」ことが原義となります。この智慧により解脱が可能であると説いたのが仏陀で
す。仏教の実践は、この智慧の獲得(伝統的保守的仏教)と智慧の実践(大乗仏教)で
あり、言語的理解と行動的履修は相互に行われるべきものです。これは原始経典でもつ
ぶさに説かれることです。そして言語的理解の延長上にある思想=智慧が、釈尊の説こ
うとした世界です。
またウパニシャッドで説かれ仏教で受け入れられた、実践である禅定というものもdyAna,
√dhIは「思考する」という言葉の実詞形です。ここで言語的理解と実践は相反するもの
ではなかったのです。
禅宗では達磨さんが二入説を立て、道にいたるには2種類の方法があると説かれました。
1つには理入であり、2には行入です。人それぞれの性向によるものですが、どちらから
入っても好いのですが、両者は並存していなければならないものです。
同じことは道元禅師によっても説かれ、『正法眼蔵道得』という巻がありますが、
「道得」というのは白話体で単に「言う」ほどの意味であります。如来の正法眼蔵は
「言語」世界を背景にもつものであり、最終的には自身の表現で語られるべきことを
説いています。当時台頭しつつあった無言語主義に対して、仏教の伝統を保持する目
的があったようです。この巻に続いて『正法眼蔵仏教』が説かれ、仏教とは何かが記
され教外別伝思想が批判されていき、経巻に従うことが主張されます。『正法眼蔵』
を見る上でも重要な視点を提供する、佳境の個所です。
「二乗外道にも坐禅有り」というのは夙に説かれるところですが、体験というのは常
に主観的なものに過ぎません。理解を後回しにして得られるものは、真偽のほども定
かではない、個人的な我見です。自己の体験というのは好くも悪くもあり、得てして
身勝手なものです。仏教的な態度ではありません。
493 :
考える名無しさん:05/02/04 14:41:48
体感したことのない人はいつでも嘘だとか主観的だとか言う。
でも、他の人から見れば悟りとは常に主観的にみえるものではないのですか。だから、お釈迦様は最後に自灯明、法灯明を言われたのでしょう。
悟りとは全てのものを一体のものとして(不ニのものとして)会得し感じることができ、また慈悲と言う安らぎの心を得て、他の全てのもの(人、自然、宇宙など)と一体となって、いただいた命を大切にし、助け合って生きぬこうとすることです。そこにあるのが慈悲なのです。
はっきり言うと、道元禅師を尊敬している人でも悟りを実感したいなら、道元禅師も、釈迦も、空の思想も、縁起思想も、悟りたいということも全てを忘れて、自然に自然の力に身も心もゆだねることが必要なのです。だから無我や非我を言うのでしょう。
悟り(慈悲、一体感)を体感すれば、正法眼蔵も、維摩経も、法華経も、その他の経典も本当に理解しやすいのです。悟った後に経典や高僧の教えを読むことは迷路パズルをゴールからスタートに戻るようなものです。簡単だし、間違いがないのです。
491の人も492の人も体感した経験がないでしょう。だからそのように他の人の話だけを引用するのです。
言葉や文字、経典や仏像や礼拝、焼香までも必ずしも必要でないと言うことを、道元禅師は中国で如浄禅師から叩き込まれて帰国したのでがないのですか。
自分で体感することが仏教を理解し、会得するうえで最善でもっとも良い方法なのだと思います。
494 :
考える名無しさん:05/02/04 16:41:06
>>493 ではその「体感」が、個人の「思いこみ」ではないという保障は
何によって得られるのですか。
その「悟った」後に得られる「理解」が間違ったものではないと、
だれが認めてくれるのですか。
495 :
考える名無しさん:05/02/04 18:50:15
そもそも認めてもらいたいから坐禅をすると言うものではないのでは。
あなたは誰かに認めてもらいたいから仏教を学んでいるのですか?
あなたはいったい誰に認めてもらいたいのですか?私に教えてください。
そーいう考え方で仏教を仏教を学んでいる人がいるとは道元禅師も、如浄禅師も、お釈迦様までも驚くことでしょう。
あなたはまさか僧侶ではないと思いますが、、、。
認めるも認めないもありませんよ。はっきりわかりますよ。理論で理解したのとはまったく違うものですよ。
悟った後に経典や教えを体感したものと付き合わせていくことにより、高僧方の考えを深めていくのです。
悟りはあくまで自分のためです。自分に嘘をつく必要はないです。
だいたい経典を読み直してみれば自分の理解しているのが正しいか間違いかわかりますよ。
人から認められたいから仏教をまなぶようにと言うような考え方をあなたに教えた人は誰ですか?それもよろしかったら教えてください。
496 :
四式:05/02/04 19:22:26
>>493 悟りの体感?そんな人間の理性が見せる幻で納得しているので何が解脱かよ
人間が存在被拘束性に捕われているのは大概の場合、脳が見せる幻なのである。
それならまだ獣の瞳の方が正しい世界を映し出している。
>>495 に書いてあるようなことはだれも言っていません。
ただその「理解」が「正しい」とされる根拠を聞いただけです。
「わかる」から「わかる」ということですね。
>だいたい経典を読み直してみれば自分の理解しているのが正しいか間違いかわかりますよ。
自分が「正しいか」「間違っているか」の判断をするのは、あくまでも自分である、
とおっしゃっておられる、と理解してよいのですね。
>495
認めて貰いたいという気持ちは、不汚染の坐禅には無いですね。
494は百も承知だろうし、「認めて貰いたい」なんて言ってましたっけ?
「あなたの悟りはどう証明されるのか」
そういう事が聞きたいんだと思うんですけど…。
それから、一つ気になったのですが、
「不用焼香礼拝念仏修懺看経云々…」って
意味の上で否定する文じゃないですよね。
499 :
四式:05/02/04 22:22:50
>>497 悟りに対しての根拠を自分の外に求めて一般的な良心と判断力をもち得ている人が悟りを認めれるレベルに無い限り
俺は悟ったと思うから悟ったという自己完結的で自己欺瞞に満ち溢れた、バカさ加減をさらけ出すだけになる。
脳は自分が見たいと思うものを見せてくれるのは夢から見ても明らか
他人の経験しない自己の特殊体験なり体感なりというのは幻想と言われるものなんだよ
自分が自分につくウソを認識できない人間に衆生の知啓を開くことが出来るとでも言うのか?ウソはウソを呼ぶだけ也。
500 :
考える名無しさん:05/02/04 23:25:08
だからあなたたちは道元禅師の気持ちがわからないのだよ。
私の言っていることを実行してみなよ。まずそれからだよ。
間違った方法を言っているわけじゃないんだから。
501 :
考える名無しさん:05/02/04 23:29:01
小五ロリの快感を熱く語るスレはここでつか?
502 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :05/02/04 23:33:59
ついでに、私のいっている方法も実行してみよう。
503 :
四式:05/02/04 23:40:09
>>500 いやあ素人のオレが言うのもなんだが、禅が一番好きなんだよね。
解脱を教条より体験に求めようとするする気持ちはなんとなく分かるし
つーかなんで仏教である禅が茶の湯や華道なんかの美を見出す事になったのか
その辺が気になる、個人的だけど。
504 :
考える名無しさん:05/02/04 23:43:38
それからあなたたちの近くにいるあなたたちが本当に悟ったと思われる人に悟ったときの気持ちを聞いてみなさいよ。
どう答えるか。
本当に悟った人ですよ。
505 :
四式:05/02/05 00:03:11
>>504 仏教徒の言う開悟は真理にたどり着いて迷いが無くなる事なら
My神道の言う開悟は民族という入れ物の中で相対的にたゆたっている神々こそ悟りだね
人間は相反する気持ちを抱えながら迷いこそすれば成長するのでは?
>>504 だから
>本当に悟った人ですよ。
というのは、どうやったら他者が理解できるのか聞いているのです。
それも「わかる」から「わかる」のですか。
ある日突然、『正法眼蔵』も『唯識』も、悟ったら簡単にわかる、
自分は悟ったから、どれも簡単に理解できる、
という人間が現れたら、どうするのですか。
自分は何十年も修行した、実践を積んだ、ということをたよりに
その人間の「理解」をそのまま受け容れるのですか。
「悟った」人間は、誤った理解はしない?
その類の主張をする人はめずらしいものではない。
たとえば、「悟り」を「神の声を聞いた」に、
「経典」を「聖書」におきかえれば、
そのまま福音主義者(キリスト教原理主義者)のことばになる。
おそらくこういう本には興味がないと思いますが
『アメリカの反知性主義』(R.ホフスタッター)にそういう主張は
掃いて捨てるほど出てきます。
そういう人間は、学問は人間の心を曇らせる、
素直な心で聖書を読めば良いのだ、神の御心にかなう実践をすれば良いのだと言います。
あなたと同じ意見でしょ?
507 :
考える名無しさん:05/02/05 09:07:21
ねえ、一晩たったらスレがこんなになってたw
ちょっと嬉しい、、、、
>>493 斜め読みでよく読んでいませんが、
>悟り(慈悲、一体感)を体感すれば、正法眼蔵も、維摩経も、法華経も、
>その他の経典も本当に理解しやすいのです
その割に言っている内容が正法眼蔵や祖師の教え、もろもろの経論と齟齬して
いるところはいただけませんね。ちなみに正法眼蔵では維摩経は否定していま
す。
>嘘だとか主観的だとか言う
自分の体験が主観的であるということは仏教認識論、とくに瑜伽行派以降決定
的になりました。これは邦訳して「虚妄なる分別」と呼ばれるものです。
他に岸本英夫氏のヨーガ研究にもあることなので、読まれるといいです。
>釈迦様は最後に自灯明、法灯明を言われたのでしょう。
そうです。釈尊の説かれた法を実践し、自分自身で自分を検証しなさい、と。
そこには自らと、釈尊の説かれたことと互いに相対化されながら検証されな
ければいけないことが示されたのです。
これは好事家たちによって勘違いして持ち出されることがしばしばです。自
分の体験だけでよいなどとは一言も釈尊は言っておりませんし、むしろ外道
説として位置づけられてきたものです。四禅を得て四果をえたというのに等し
く、道元さんにいたっては「冷暖自知」「自内証の眷属」といって誡めたもの
です。
>道元禅師は中国で如浄禅師から叩き込まれて帰国した
それも違うでしょう。
唯識の転識得智も、聞薫習などによるという話もありますが、このスレは正法
眼蔵ですからこちらに限定しましょう。
この言葉を如浄が本当に言ったか?ということについては、また別の問題でさ
ておいて、この話は「辧道話」「正法眼蔵三昧王三昧」「正法眼蔵仏経」など
あちこちで引かれます。仏経の巻では
---------------------------------------------------------------------
これによりて西天東地の仏祖、かならず或従知識、或従経巻の正当恁麼時、お
のおの発意、修行、証果かつて間隙あらざるものなり。発意も経巻知識により、
修行も経巻知識による、証果も経巻知識に一親なり。
---------------------------------------------------------------------
ということが前提となります。仏道の修行は善知識に従い、経巻に従わなくて
はならないということです。
いろいろ述べた後で例の句になります。
---------------------------------------------------------------------
先師尋常道、我箇裏、不用焼香礼拝念仏修懺看経、祇管打坐、辨道功夫、身
心脱落。
かくのごとくの道取あきらむるともがらまれなり。……まさにしるべし古今
にもし経なくば、かくのごときの道取あるべからず、脱落の看経あり、不用の
看経あること参学すべきなり。しかあればすなはち参学の一箇半箇、かならず
#仏経を伝持して# 仏子なるべし、いたずらに外道の邪見をまなぶことなかれ。
----------------------------------------------------------------------
と如浄のこの言葉を理解する人はほとんどいないと道元さんはいいます。そし
てこの段は、仏法の参学者は「仏経を持って」仏子たることから始まるのだと
諭して始まります。
----------------------------------------------------------------------
しかあるに大宋国の一二百余年の前後にあらゆる杜撰の臭皮袋いはく、祖師
の言句、なほこころにおくべからず、いはんや経教は、ながくみるべからず、
もちいるべからず、たた身心をして枯木死灰のことくなるべし、破木杓脱底桶
のごとくなるべし。
----------------------------------------------------------------------
ところがこの頃になると、中国の仏教界は以上のような説を唱えるようになっ
てきたとします。あなたの見解とよく似通っています。
-----------------------------------------------------------------------
かくのごとくのともがら、いたずらに外道天魔の流類となれり、もちいるべか
らざるをもとめてもちいる、これによりて仏祖の法むなしく狂顛の法となれり。
あはれむべしかなしむべし、たとひ破木杓脱底桶も、すなはち仏祖の古経なり、
この経の巻数部帙、きはむる仏祖まれなるなり。仏経を仏法にあらずといふは、
仏祖の経をもちいし時節をうかがわず、仏祖の従経出の時節を参学せず、仏祖と
仏経との親疎の量をしらざるなり、かくのごとくの杜撰のやから、稲麻竹葦のご
とし。
------------------------------------------------------------------------
道元禅師はこのような人間は外道であるとさえ言っております。如浄も「先
師天童和尚、よのつねにこれをわらふて……」たと述懐しています。
釈尊は自分の教えは世の人に理解されないだろうといって、当初演法をためらっ
たといいますが、チョット坐禅したからと言って、それが容易に理解できるとい
う代物ではないでしょう。ハテは松本チヅオのような例があります。
「正師を得ざれば学ばざるにしかず」「発心正からざれば万行むなしく施す」の
言葉の意味するところをうかがってください。
511 :
考える名無しさん:05/02/05 12:19:20
変な知識ばっかり持っているから人の話を素直に聞けないのでしょう。
何も考えないで、何も考えないことに徹することによって気づくことがあり、体感することがあり、そこから経典や教えを
理解するほうが良いですよと言っているだけなのに、いろんなところから言葉を持ち出してきて自分かってな解釈をしている。
そんなことを戒めるために只管打坐と言われたのでしょう。
そのお気持ちを本当に理解しないと何十年たっても体得できないでしょう。また、逆に素直にすれば速いでしょう。
多くの人は知識や言葉を振りかざして相手を圧倒しようする。つまり、自我意識をむきだしにする。
真理や悟りが言葉や知識ではないことを知らないから。
>>511 自我意識むきだしのつもりは毛頭無いですが。
>変な知識ばっかり持っているから人の話を素直に聞けないのでしょう。
あなたのことだと考えられます。
>何も考えないで、何も考えないことに徹することによって気づくことがあり、
楽でいいですね。
ひなたぼっこしている猫のようなものです。
>真理や悟りが言葉や知識ではないことを知らないから
ハッキリ言って、知りません。真理は言葉や知識の概念的思考と表裏です。
可哀想に、ブッダのダルマの何たるかを微塵だにお分かりになっていないの
ですね。その固い頭には何を言っても無駄になりますのでこの辺にしておき
ましょう。私もこれからしばらく坐禅に入るものですから。
513 :
考える名無しさん:05/02/05 14:14:13
いくら坐禅してもだめですよ。生まれる前に戻らなければ。
514 :
考える名無しさん:05/02/05 14:37:52
道元禅師も驚くこのスレの一過性活性化!
精神医学の専門家がみると,悟りの体験というのは多くの場合一過性の
精神錯乱現象と考えられるとの事です。確かに,坐禅を含めて何らかの
瞑想トレーニングを行っていると脳内でも何らかの変化が起こって物の
見方も変わってくるかもしれませんが,あまり悟りという概念にとらわれると
正法眼蔵が正法幻想になるような気もします。ニュートラルな気持ちで
道元禅師の著作やその他の文献を読んでいきたいと思います。
ブッダのダルマってかわいいな〜もえ
516 :
四式:05/02/05 18:28:31
>>511 >何も考えないで、何も考えないことに徹することによって気づくことがあり
>体感することがあり、そこから経典や教えを 理解するほうが良いですよと言っているだけなのに
>>513 >生まれる前に戻れ
経験否定や価値判断力否定というのはカルトに分類されていると言う事を知らないのか?
人間の漂白はマインドコントロールの常套手段だぞ
俺から言わせれば漂白されて出来た人間の価値観なぞ教条主義者以外の何物でもない魂の無い人間だという事。
少なくとも自分の経験という良心に従い他の価値観を取り入れる知の組替えが行われない内に進歩というものは無いと言える。
あんたの言う真理や悟りとは自己の価値観以外に目を背けるエゴイズム以外何者でも無いじゃないか。
>>511 >自我意識をむきだしにする。そんなことを戒めるために只管打坐と言われたのでしょう。
無我とは選べなく選ばない事に他ならない、宗教は権力であり選択である
無我を人に勧めつつあなたには自我がある。自己の無我に対する方向性を
伴わない無我のススメは他人のロボトミー化と言われる物ではないのか?
517 :
考える名無しさん:05/02/05 22:19:24
正法眼蔵って、日常のあまりに細々した作法ばかり多くて、
思想書というイメージあんまありなかった。
簡潔に言うと、数が多くなると権威のあるほうが良くなるばかりだということだ。
烏合の数合わせというのではなくてだ。
長く残り続けるという事において考えるならば、どうであるのかという事だ。
どの程度に主観において情熱があろうとも、それが長く続くのかという事だ。
量が多くなるという事において考えるなら、それが多いのかという事だ。
それが時間においてどうなるのか、それが多い事においてどうなるのか。
多い事が最上段に来ると、多い事が時間の長さを決めるという事か。
他の多いものが良いという事になる。
長い事が最上段に来ると、長い事が量の多さを決めるという事か。
他の長いものが良いという事になる。
それとも、長いという事と多い事が何であるかというものが他になければ
ならないという事だ。それ以上は仏教やキリスト教の世界か。
520 :
考える名無しさん:05/02/05 23:14:33
どうでもいいけど、ではあなたは何を求めて坐禅をしてるの?どうもわからないですね。
私の言っていること、つまり何も考えないようにしなさいと言うことは普通に多くの人が言っていることでしょう。
あなたは何か特別なことでも考えながら坐禅をしているのですか?
昨年NHKで放送された永平寺の宮崎和尚も坐禅の時は何も考えないんだとはっきり明言してましたよ。
何も考えないようにしていたら、自分の中に一体感を感じた、そして今でも感じている。それでいいじゃないですか。
そしてその体感したことと照らし合わせながら経典や教えを学ぶ。自然なことと思いますよ。
521 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :05/02/05 23:21:22
私は
>>491に、ほぼ同意する。
もっと簡潔にいえば、語句の理解は必須だけれども十分ではないと思う。
>>488や
>>511について申し上げるならば、残念ながら、
何も考えないことがいかに難しいかを「体感」されていない方の
発言としか思えませんな。
522 :
考える名無しさん:05/02/05 23:33:39
>>491は知恵と実践の両立こそ悟りだと言っているが、
簡潔明快な指摘だと思う。
この点で何をもめる必要があるのかわからぬ。
>>491 「父母未生以前」というのは簡単に言うと、他人の言葉を借りないで
自分の表現で語ってみろ、ということなんだよな。
無為自然思想に取って代わられていて悲しい、、、
525 :
四式:05/02/06 11:08:21
>>523 >「父母未生以前」というのは簡単に言うと
>他人の言葉を借りないで自分の表現で語ってみろ、ということなんだよな。
こんなもん言語的に論外だとしても、
無為自然の道教思想と禅の何故か持っている茶道華道などの美が結びついた。
526 :
四式:05/02/06 11:46:45
仏教を漢字で表現する限りシナに引っ張られるのは当然だし。
言霊の宿るべき民族的神聖語、大和言葉で仏教を話すのは無理
だがサンスクリットで書きパーリ語で話してもそこに日本人の魂は宿らない。
となれば禅は神禅としての民族的道として生まれ変わるべきではないのか?
栄西は元々神官の家の出である、神禅美の追求こそ日本禅の道ではないか?
528 :
考える名無しさん:05/02/06 13:50:35
529 :
四式:05/02/06 14:42:10
「父母未生以前」これが何を意味しているのか?
人間的白紙の状態になるのなら父母生直後として表されるべき、
だが以前と言う以上自分の存在が縁起している代々の要素の事であると考える
そしてそれは伝統の精神に他ならない。禅の子弟制度はまさに伝統を語り継ぐためのシステムなのである。
そこで考える、師とすべきは自分の師だけだろうか?否である。
伝統は神々と呼ばれる者達の神慮によって作られ、また自然や動物にも学ぶだろう、そこにアミニズムの姿が見える。
神禅の心得は今を生きる自分の時間軸を民族大に伸ばす事で神々との一体感を得ること、そしてそれが悟りの正体である。
人間の美しさや生命の輝きは神禅にあり。これは否定できない真理だ
530 :
四式:05/02/06 14:48:35
>>527 ゴーマニズムをなめるなよ。バカって言った奴がバカだ(プゲラズン
531 :
考える名無しさん:05/02/06 15:43:18
>>530 お前の名前がすでに「シナ」に冒されてるじゃん
漢字捨てろよ
「よんしき」と名乗れヴォケ
532 :
四式:05/02/06 16:42:04
>>531 仏教をシナ人によって漢字で表現されたものを日本人が使うのと
日本的精神を漢字を使って表現するのとは主体性が違うのではないか?
俺は漢字を漢心で使った覚えは無いし、大和とかいて(おとこ)と読むタイプだしな
533 :
四式:05/02/06 17:06:20
円相とは回帰する事である、円の幾何学的意味は排他性である。
排他性を含んだ最大限の円相は大和民族である、神禅美を極める事は
民族主義に他ならない。俺は間違った事を言っているだろうか?
民族主義なんて唐心の最たる物だ
覇道好きはしょせんシナ人の同類
四式史ね
てめえこそ日本民族の敵だ
535 :
四式:05/02/06 18:42:15
>>534 レスするべきかどうか迷ったが一応
万葉集は99%以上が大和言葉によって貫かれている。
その時の人は外来の漢字を日本語化する事に苦心していたんだよ。
これを民族主義的意識とし漢心を否定した結果である
>民族主義なんて唐心の最たる物だ
なんていう戯言が何を根拠に持っているのか俺は知りたいね
>覇道好きはしょせんシナ人の同類
別に俺は覇道も王道も説いていないぞ、権力無いしあったら説得なんかしないっつーの。
>日本民族の敵
日本民族とは?
536 :
考える名無しさん:05/02/07 05:12:15
あかん。急に読む所多過ぎ。追いつかないよ
537 :
考える名無しさん:05/02/07 15:25:08
中国本土で失われた文献が、日本で発見される例がよくある
中国本土は何度も戦禍に合い、国内は極めて混乱を繰り返した。
しかし日本も当然、侵略や戦禍はあったが、大陸ほど徹底した破壊を行った例は織田信長くらいしかない
だから古い文献が残り、中国側を驚かせた例がけっこうあるのだよね
般若心経の原文も正倉院に残されているものが世界で唯一の例だ。
中国でもチベットでもインドでも、心経のサンスクリット語原文は残されていなかったのだよね
538 :
考える名無しさん:05/02/08 19:56:29
祖堂集が朝鮮で発見されたようなこともあるし,とにかく良質の文献を
大事に保存することは大切なことでしょうね。道元禅師の正法眼蔵について
いえば,読まない(理解できない)までもあちこちで大事に秘蔵されていた
おかげで多くの写本が残っていたことは,たいへん結構で有り難いことです。
539 :
考える名無しさん:05/02/14 16:41:39
自分の中で音が鳴っている、響いていると体感した人はどのくらいいるんだろう。
当然、その音は心臓の鼓動ではないし、自分の頭で考えた音でもありません。
外でなっていた音が自分の体の中で鳴って響いているのを感じるのです。
自分の中で音が鳴るなんて考えてもいなかったため、とにかく驚きます。
今では、当然音は鳴っていませんが、鼻から息を吸い込むと胸が熱くなり、
常に何かと一体になっていると感じ、同時に安らぎを感じます。
経典を隅から隅まで暗記しなくても仏教は体得できるのではないですか。
正法眼蔵をはじめ多くの経典は、悟りの境地を表しているのであり、
悟りに至る方法を方法を説いているのではないのでしょうか。
悟りに至る方法だと思って読むから難しいし、理解できないのではないでしょうか。
また、坐禅をしたから必ず、体感すると思うのは間違いですよ。
なにげない生活の中でも悟りを得ることができるというものです。
>>539 そもそも『正法眼蔵』は「悟り」という概念を認めていない(初期を除く)。
>なにげない生活の中でも悟りを得ること
こうしたものが聖者の知覚(解りやすく言えばここで言っている「悟り」の
ようなもの)ではないということはすでに経典論書の中でハッキリ語られ、
パーリ・チベットでは基本的な事項。
経典を隅々まで読まなくては仏教の教えは解らない訳ではないが、無明なる人に
釈尊が教えを説いて、はじめて迷妄から離れる道を見出すように、経典なくして
至れる訳ではない。先人の説いた教えにしたがい、その論理を修得して、経典の
語句にとらわれず、その先の論理が展開できる。こうした演繹できる思考を仏教
では智慧(般若)と呼んだ(厳密に言うとやや違うのであるが、大略ということで)。
般若経典類では「仏母」の発見としていわれ、後期大乗仏教では論理追従派など
と称される文脈で議論される。
>>540 >なにげない生活の中でも悟りを得ること
パーリチベットとやらを持ち出さなくても
人間に良くある小恍惚が悟りなら松尾芭蕉が日本最大の開悟者になってしまうよな。
しかもそんな悟りは現実に当っては簡単に霧散してしまうものだし
>無明なる人に 釈尊が教えを説いて、はじめて迷妄から離れる道を見出すように
>経典なくして至れる訳ではない。
逆に言えば釈尊の教えを聞かなければ、人間は無明で迷妄であるという事を言っているのに
気がついているのか?
>>541 >逆に言えば釈尊の教えを聞かなければ、人間は無明で迷妄であるという事を
>言っているのに気がついているのか?
ん? ブッダの立場からすれば当然そうだろ。だからブッダも出家し、あえ
て法を説く。
543 :
考える名無しさん:05/02/17 03:51:08
539さんと同じく自分も以前から
坐禅に限らないでも当然神秘経験(悟りと呼ぼうが呼ぶまいが)
はあるよねえ、、と思ってました。自分で気づいてない人もいるし、
忘れちゃってる人もいるかもしれないけどw
だから坐禅しないと正法眼蔵はわかりっこないとか言わんといてー
と思ってました
仏教に、神秘経験は必要ないでしょう?
あと、道元の場合は、修証一等だから、
悟りを目指すんじゃないでしょう。
545 :
考える名無しさん:05/02/18 08:28:45
>修証一等だから、 悟りを目指すんじゃないでしょう。
目指した覚えはないよ。道元好きで読む人はあまり「目指」さないのでは?
でも「修証一等だから神秘体験は不要。」と
言われるとわしにはわからんです。
だってなにを神秘体験というかは定義難しいじゃん。
定義するだけで一冊終わってて結局定義できなかった本読んだもんw
>>545 修証一等なら、修行が悟りなわけだから、神秘体験は不要でしょう。
でないとすると、修行が神秘体験ということなのかな?
曹洞宗に詳しい大学ってどこでしょうか?
>>545-546 言っていることはどちらも正しいんだと思う。
禅定に入った個人のある特定の心境(体験)、それが神秘的でなくても、
○自然科学的に分析するための明確な条件が設定しきれない
○その価値が諸個人特有なために、不特定多数に敷衍しきれない
などの理由により、常人に理解できない不可解なものとしての範疇に入れ
られてしまう。
一方では、それを逆手にとって宗教的な真理は、特定の特徴を切り取る言語
的シンボライズに表現しきれない、日常的経験だけでは取り扱えない事象そ
のものに付帯するものとして評価し、特定の条件下で人に感化を与えるなど
有意義な価値を持つことなどを前提に
○それ自体、日常とは異質な論理構造を持ち、その論理を把握することに
敷衍できる
などとする。それがいわゆる各宗教の「教理」に該当している。問題はそれ
らの表詮に、否定されるはずの日常的な言語を用いなければならないことで
宗教的体験や神秘主義への懐疑は、最終的にはこの自己到着に起因するもの
であるといわれる。
修証一等の証が、まったく検証性も論理構造も持ちえない自己正統化のための
戯言か、あるいは上述のような日常性の枠を越えて指向される価値なのか、両
者の区別が曖昧だから話が平行線をたどっているのだと感じる。
× 自己到着
○ 自己撞着
550 :
考える名無しさん:05/02/19 04:20:04
548 ちょっと言葉が難しくて読むの大変だったがなるほどと思いました。
禅が神秘主義かそうでないかも神秘体験が何か
っていう定義がないとちょっとわからないかも。
でも道元読む限りあまりそういう定義してみても虚しいかな??
仏法に不思議無しとも言うけど、たとえば聞声悟道などというのは
「絶対神秘体験ではない!」とわたしは言い切れないんですよ。
546
>修行が神秘体験ということなのかな?
ああ、、そういうことですよね、、
でも実際坐禅してる時ってあんまりそういう感じじゃないですねw
どっちかいうと坐禅してるときにそんな瞬間があるような感覚がする。
でもそれじゃふたつに別れて「一等」じゃなくなるかな?
551 :
考える名無しさん:05/02/20 09:49:22
渇!!四法印に還元されない説は全て非仏教
神秘体験なんていう我の体験談は諸法無我に抵触する。
何かを望んでする座禅は一切皆苦に抵触する。
修行だと?諸行無常の意味を言ってみろ。
お前ら全員涅槃は無理、あきらめろ。
とりあえず、誤字が多すぎ。基本から勉強しる!!
553 :
四式:05/02/20 17:41:43
なんとなく分かった
((諸行無常→諸法無我→涅槃寂静)悟りの境地)
結局仏教ってここまで短縮できるのよね、仏教100%ですよ。
後は誰ぞやの我(まぜもの)が混入しているだけ、南無三法。
554 :
考える名無しさん:05/02/21 03:48:29
元旦から一度原文読むのやめていろんな提唱をネットとか本で
読みまくってたけどあまりいろんな師匠さんの話あちこち聞くと
かえって混乱して原文の感動がなくなってしまった。
だけど一人で読むと誤読しまくりだし困ってるところに
森本和夫さんの読解を入手しました。
すばらしい!たしかに上の方のレスでもあるように
細かすぎて時々迷子みたいになるが他のと併用して読んだりしてる。
森本氏のは痒い所に手が届く。河出書房の某がバレないようにすっとばしてる語句も
ちゃんと逃げないで説明してくれてる。まあ自分は感動した。
あと9巻、わしはついていきます!!長文ごめん、嬉しかったので、、
555 :
考える名無しさん:05/02/21 04:05:34
御礼を忘れとった。自分の住んでるところでは本が入手しにくいうえに
値段が倍です。まして立ち読みもできないのでこのスレに頼ってます。
だからカキコしてくれた人達に感謝しとります。でも2ちゃんだから
ありがトン
556 :
考える名無しさん:05/02/21 13:46:31
>>555 値段が倍というのは?海外にお住まいですか?
>>554 >痒い所に手が届く
それが違うところを掻いちゃっているから、問題あるのにな。。。
558 :
考える名無しさん:05/02/22 03:22:17
556 そうなんです。文庫本でも倍かかり、さらに送料と手数料盗られるので
(船便はうけつけてくれない)十巻もあるし愛蔵版が欲しいけど諦めました。
ハズレると泣きたくなる、宝くじ買ってる感じです>本選び
557 おう、、、そうなんですか。実はまだ仏性までしか読んでないので
もしかしたら妙な所が出てくるかもしれないですね。
今の所、ソースいちいち出して「こういう意見もある」と書いてくれてるから
気にいってるんですが、、、。用心?のために坊さんのも読むようにしてます。
よかったらどこの巻に注意したらいいか教えてください。
坐禅と見性 第十四章
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1108144172/ 一粒の芥子、よく須弥山(しゅみせん)を隠す。
一掬(きく)の水の中に人魚たちが心ゆくまで踊る。
私は終日汝に相対していて、劫初以来会った事がない。
看よ、東山全嶺が水上を歩いている。
エックハルトの乞食の挨拶 「[朝な朝な好(よ)き朝です」。 雲門 「日々是好日」
扇を扇と呼ぶな、鋤(すき)を鋤と呼ぶな。
昨日は痛かったが、今日は痛くない。 さっきは泣きわめいたが、今は笑っている。
腹が減れば食い、疲れれば眠る。
雪がすべての山を白く覆うている時、なにゆえにあるひとつの山は覆われずにあるのか。
清浄の行者、涅槃に入らず、破戒の比丘、地獄に堕ちず。
我の知っている事を汝は知らず、汝の知っている事を我はことごとく知る。
大力の人がどうして彼の両脚を挙げることができないのか。
柱が毎日動き回っているのに、どうして私は動かないのか。
わたしは釈迦の出現以前からさとりの状態にある。 光あれと命ずる以前の神と共にあれ。
560 :
考える名無しさん:05/02/25 04:33:57
そのスレ、なんか男らしいっすねw
561 :
考える名無しさん:05/02/26 03:07:35
講談社学術文庫からまた永平広録出ましたね。
たしか同じ講談社学術文庫で道元語録として違う著者ので出てたと
想うのですがどういうところが違うのかな。
もし見た人いたら感想たのみます
『道元語録』のほうは、亡くなられた鏡島先生が、長年のご自身の
『永平広録』研究を、量の少ない『語録』のほうにその成果を利用
して出されたものです。『広録』との対比は該当書の解題に触れら
れています。内容も学界の最新の説を盛りながら、さらに各段に補
説の段を設け、読者の理解をたすけます。
こんどでた大谷氏のは、書店で立ち読み程度ですが、ごく一般的な
ものです。ただしどのような方針で各上堂を抜粋したか、とかは立
ち読み程度ではよく分かりませんでした。また大谷氏は学界ではほ
とんど発表をされたことはないようで、そのせいでしょうか、本人
が何を伝えようかという趣旨が読みとれず、内容も鏡島先生と比較
してはなんですが、今ひとつ冴えません。
とまれ森本さんの『正法眼蔵』とおなじく、逐語的に字句を追って
自分の理解に役立てるという使用には、充分かと思われます。
563 :
考える名無しさん:05/03/01 01:42:54
>561
>562
底本の系統が違う。注意しな!
『永平広録』には、大きく分けて「祖山本」と「卍山本」がある。
「祖山本」は未整理・不整合な所があるが道元の祖述に近い。
「卍山本」は、江戸時代の卍山道白による編集が入ったもの。
両者は全く別のものである。
そして「語録」は道元滅後、弟子の義尹が中国の無外義遠に頼んで作らせた抄録。
卍山はこの「語録」を手掛かりにてして「卍山本」の編集を手がけている。
大谷氏は「祖山本」を底本にしていることが明確だ。
鏡島氏は正直に言って、研究時に使うには問題がある。
何故かというと、自分の都合の良いように「祖山本」「卍山本」「語録」を切り貼りしているからだ。
564 :
考える名無しさん:05/03/01 08:30:35
562さん ありがとうございました。参考にさせていただきます。
文庫で永平広録が読めるようになっただけじゃなくて
チョイスまであるんだからまあ有り難いです。
563さん アドバイス有り難う御座います。
正直、定本が違うのあることも知らなかったのでびっくりでした。
道元の祖述に近い、、、のならやっぱり「祖山本」というのが
あるの覚えておきたいです。
>>563 >鏡島氏は正直に言って、研究時に使うには問題がある。
>何故かというと、自分の都合の良いように「祖山本」「卍山本」
>「語録」を切り貼りしているからだ。
嘘八百ですな。底本として使用するには鏡島本(注:学術文庫の語録のことで
はない)のほうが校訂が確かな上、実際研究者は鏡島本か大久保道舟本を使用
することがほとんどです。
あと祖山本というのは大谷氏(渡部賢宗グループ)独特の言い方であっ
て通常門鶴本と言われている。各写本は書写者が明確な場合は書写者の名前を
冠し、複数である場合や書写者が不明な場合は寺院名で呼ばれることが多い。
因みに春秋社から出ている『道元禅師全集』3、4が鏡島氏の『広録』で、底本
は門鶴本(祖山本)です。
ほかにも虚言があるが、まあいいや。。。
>>564 >道元の祖述に近い、、、のならやっぱり「祖山本」というのが
長い論争の末、門鶴本が道元の祖述にもっとも親しいという仮
説を立てられたのも、鏡島元隆氏です。念のために。。。
567 :
考える名無しさん:05/03/01 14:50:44
自分は,春秋社の原文対照現代語訳−道元禅師全集の永平広録(鏡島先生担当)
が最もニュートラルな解釈で好きです。ところで,道元禅師語録とその影響を
受けている卍山本では,冒頭の上堂1が有名な眼横鼻直の話ですが,門鶴本では
この上堂は48で,そこでは空手還郷という語は述べられていますが,眼横鼻直
という語はありません。道元禅師が他の所でご自分のことばとして眼横鼻直と語ら
れている文章はあるのでしょうか?
568 :
考える名無しさん:05/03/02 06:43:28
レスありがとうございます。
>各写本は書写者が明確な場合は書写者の名前を 冠し、
>複数である場合や書写者が不明な場合は寺院名で呼ばれることが多い。
全然知りませんでした。なんか歴史の重みを感じます。
今日から丁度自分は正法眼蔵の書写を始めたから尚更です。
でも皆があまりによく色んなこと知ってることに一番驚いたw
ワシみたいに眼蔵ちょこっと読んで喜んでるくらいじゃまだまだだねぇ
>>567 >道元禅師が他の所でご自分のことばとして眼横鼻直と
>語られている文章はあるのでしょうか?
言われてみれば、ないようですね。もとは海会守端の言葉かなん
かだったか、うろ覚えですがそこら辺が出典です。
>道元禅師語録とその影響を受けている卍山本では
これも語弊がある言い方なんですが。そもそも『語録』は無外義
遠が抜粋したのは確かなんですが、義尹が頼んでそうさせたのか、
義遠が本文にまで手を入れたのか、これらはハッキリしていません。
ただ確かなことは、『語録』には『広録』にない上堂が含まれて
おり、義尹が持っていた『広録』は門鶴本と完全に一致しない物
であったと想定されています。
身心脱落にまつわる伝承が、道元禅師の弟子たちによって様々に
作られ、現在私たちが知っているのは義介系によって作られた話
でしかないことが分かってきましたが(故石川力山氏による)、
それと同様『広録』も弟子の系統で微妙に語句・編集は異なって
いたらしいのです。
そして卍山はもしかしたら、この義尹本の『広録』を参照したの
ではないか、『百丈清規雲桃抄』の記述も作用してそのような考
え方をする人もいたのですが、結局義尹本の『広録』は見つから
ず、やはり鏡島先生は晩年自身の結論としては『広録』と『語録』
の語句の相違は義遠による。。。等の仮説が提示されました。
《つづき》
興味深いのは卍山本は、卍山の博識と卓見により改訂されていて、
門鶴本と思想的な差異は生じたものの、『広録』の卍山注釈書と
して使用ができるという、意見です。成る程と想いました。
門鶴本は、一に弟子たちが分担してまとめたものを更に道元禅師
寂後、一つの形態にした物ですが、石井修道先生が出典の取り扱
いなどの不統一な点を指摘されています。これと同質の問題にな
るのですが、わたしが気がついた点は、経典からの長い引用など
不必要なものまで引いている場合が多く(そうなる必然的な理由
があるのですが説明はしません)卍山本はことごとく不必要な部
分を削っており、非常に読みやすくなっています。卍山本を読ま
なければ気がつかないようなケースもあります。卍山本は一概に
否定されるべきものではありません。
>>568 そうした地道な積み重ね、頭が下がります。
「佛祖憐れみのあまり広大の慈門を開きおけり」
道元禅師のお言葉です。
どのような行いにより道を歩むか、それぞれのスタンスでよろし
いかと思います。どのような方法であれ、正しき釈迦のみ教えに
近づくものであれば、どちらのほうが素晴らしいとか、高低浅深
はないはずである、というのが道元禅師の立場のはずですから。
571 :
考える名無しさん:05/03/02 13:24:45
>>569-570 詳しい解説有り難うございます。もう一つ以前からの疑問なのですが,
身心脱落に関して,如浄語録では心塵脱落とあり,語録の無外義遠の序でも
心塵脱略としていますが,語録の上堂4では心身脱落とあるので,この部分は
義遠も特にことばを改訂しなかったように思われます。これは道元禅師
オリジナルの深い意味のあることばとして尊重したからでしょうか,それとも
如浄門下でもこのような用例があったのでしょうか。
572 :
571:05/03/02 13:27:51
真ん中あたり身心脱落を変換しそこなって心身脱落にしてしまいました。
失礼。
>>571 これもよく分からない部分の一つですが、義遠等宋朝禅者の発想
は、心塵脱略という認識だったのだと思います。如浄禅師も基本
的にはそうでしょう。
これについて周知の高崎直道氏の聞き違え説(最近になり勘違い
だったと謝っている、これが学者の態度ですよね。潔い)、これ
に反する説が故榑林皓堂氏などにより、発音が大分違うという風
に反論されていました。
佐藤秀孝先生が自得恵輝の行状など調べると、当時は筆談室が設
けられ筆談などによりやりとりしていたことが指摘されています
ので、如浄さんと道元禅師も私は筆談の可能性の方が高いと思い
ます。それだから『宝慶記』のような形のものが残るのでしょう。
そして一方では南陽慧忠の身心一如説のような、道元禅師によっ
て見出された思想があり、如浄によってすでにそれが語られてい
た、あるいはやはり鏡島先生によって言われたように、道元禅師
の思想があって初めて、道元禅師の著述に現れる如浄像ができあ
がる、のような感じであったのかもしれません。
『語録』に身心脱落が残っているのは、義遠によって心塵脱略に
訂正されたものを、持ち帰った門下がこの部分は元に戻した可能
性もあり得ます。研究のしどころですね。
574 :
考える名無しさん:05/03/04 04:04:45
573さん 貴重なお話を教えてくださってありがとうございました。
知らないことばっかりで非常に興味深かったです。
伝言ゲームじゃないけどなんか微妙に違って伝わっていくんですねぇ、やっぱり。
筆談の話など「おおおっ!!」とびっくりしました。
それと570での励ましありがとうございました。
むっちゃくちゃ励みになりました。書写用に奮発して高級ノート
買ったんですが早速裏表紙に禅師の言葉を書いて励みにしたいです。
やっぱり仏性巻でコケるので、書写しようと決めました。十年計画で道元の
著作全部書けたらいいなあ。書写は身がひきしまっていい感じです。
わからない箇所が沢山出てきてもあまりイライラしなくなりました。
575 :
考える名無しさん:05/03/04 04:09:30
合掌。
576 :
考える名無しさん:05/03/10 08:21:05
仏性の巻何度もトライしてなんとか最後まで読めました。初めて読めて嬉しいよー。
一巻読めたくらいで嬉しがるのもちょっと恥ずかしいんだが
最初自分はちょっとでもわかる箇所や、いいなぁと思う所に線を引こうと
思って鉛筆握りしめて読んだんです。でも冒頭からいきなりわからなくて、
何ひとつ線を引いてないページを見て鉛筆持ったままボーゼンとしてたんだ。
その頃と変わった点は、原文を直接読む方がわかりやすいかな、と思うようになったこと。
それと道元はなんで何で難しく言うんだよ(怒)と思ってたのが、むしろ結構
親切に、かきくどくように言ってくれてるのかな、と思うようになった。
今も読解に自信ない所多いけど、特に「飯代はいいけど草鞋代どうする」の所
がわかりません。草鞋代は修行と関係あるのはなんとなくわかるけど
飯代って?誰かわかる方ヒント下さると嬉しいです。ミミズの話も苦しかった。
仏性巻、やっぱ大変ですね。
577 :
茶頭:05/03/14 00:17:32
仏性の巻は、道元禅師が何を背景として、何を説こうとしたのかと
いうことが今ひとつハッキリしないので解明されていないので、非
常に難しい巻ですが、誰も回答されていないようなのでヒント程度
に。
お尋ねの個所は南泉普願と黄檗希運の因縁です。出典は『天聖広灯
録』巻八です。ここに出てくる「定慧等学、明見仏性」は『大般涅
槃経』に出てくる語句です。同じことは『スッタニパータ』や『天
台小止観』にも説かれ(関口真大さんはなぜか出典不詳としている
)、前に書き込みしたように達磨が二入説や「行解相応」としてい
た「理解」と「実践」は両立していなければならず、また相応して
いなければならないということを取り上げたものです。それが現れ
た状態が仏ということで、「仏性が現されている」ことに他なりま
せん。
さて、「茶堂」ありますが、これは法堂(本堂)の後に一般人が立
ち入れない住職が日頃常住する建物=「方丈」があります。この法
堂と方丈の間は少し広い空間=中庭のようなものがあり、茶堂とい
うお茶を飲む東屋が設けられていたそうです。ここで時には問答に
来る修行僧にお茶をご馳走して歓談しながら指導したり、あるいは
その庭は修行僧と士大夫のためのサロンでもありました。
ここで黄檗が漿水(森本さんはいろいろくどくど言いますが、要す
るに、当時のおやつがてらの飲み物の総称です)のご馳走にあずか
りながら、南泉に指導を仰いでいたのです。当時ごく普通に見られ
た光景です。
578 :
茶頭:05/03/14 00:18:27
公案の文字通りの理解は次の通りです。
南泉が涅槃経の例のくだりについて、「お前さんキチンと理解でき
ているか」と点検したのです。すると黄檗が「いついかなる時でも
全身スキがなく仏法を露現していて、コレといったもの何一つ立て
ようがない、依りかからない。こういうところに至って初めて会得
できましょう」と。南泉は「それがお前さんの了解したところか」と聞くと、黄檗「それほどのことでも」と謙遜して見せた。
ここで「依りかかるようなもの何一つないところ」と提示しながら
、そうした見処を提示してしまっている、というジレンマに陥って
しまっています。それを南泉は叱って「漿水銭はしばらくおく、草
鞋銭は……」といいます。黄檗は気がついて「休す」行き詰まって
しまったということです。
修行僧は檀越からの布施や、僧堂での什物を費やして、悟りを目指
して修行します。言ってみれば、奨学金を受けて学業をするような
もので、無事卒業したら社会人になって変換するもヨシ、教職員に
なって(お悟りを開いたということ)恩返しするなら、ロハです。
ところが黄檗が草鞋をいくつも履き潰して修行した答えは合格点で
はなかったのです。南泉は、自分がご馳走した漿水(ジュース)代
くらいはオマケしといてやるよ、いろいろな人がお前に投資してや
った草鞋銭を、お前はどう落とし前つける気か? と厳しく問いつ
めたということです。
579 :
茶頭:05/03/14 00:19:46
そこでどっからどうみてもこういう意味の問答だからこそ、道元禅
師は腕を振るって見せました。その根拠としているところはイ山と
仰山のコメントです。これは悟ったもの同志が悟りを歌い上げてい
る問答ではないが、黄檗が師家の素質を持っていることを明らかに
したものだ、というものです。それが『正法眼蔵』でクドクド説か
れている部分です。
仏性は、仏となれる素質が種のようななものとして備わっていて、
修行をすると芽を出して開花するのではなく、誰にでも何にでも備
わっている性質のことであり、それは六祖が明らかにされているよ
うに、哀しいかな「無常」という万物普遍の性質のことなんだ。と
いうのが六祖慧能や道元禅師の取った立場です。
だから「十二時中」つまり一日中どんな瞬間をとっても、それは無
常なる時であり、仏性という時にほかならない。十二時中仏法でな
いことはないから、どこをとっても仏性以外何もない、というのが
「不依倚一物」の意味です。黄檗の「何を〜コイツ」の意味を込め
た「莫便是……麼」はもとは推量の句法で「……じゃあるいまいな
」「……なんでしょうか」ほどの意味ですが、よい意味・悪い意味
どちらにもとれるのを好いことに、黄檗を半分認める意味にとらえ
直してしまいます。そこで黄檗「不敢」と、これは謙譲の言葉で、
半分自分を認めながら遠慮するときに用いて、「まあ、そのとおり
です」とか「いやいや」「それほどでも」ということですが、そう
言ったのは自身の言葉が正しい半面、仏性なる時節とピッタリ1つ
になって自身が立ちようがないから、謙譲語でもって自己が隠れて
しまったことを同時に表している、というのです。
580 :
茶頭:05/03/14 00:20:32
そこで南泉が全分を言い尽くしていないが、半ば証明の言葉として
、「漿水銭はまあ自分のおごりだ。草鞋銭の分は、さてどうしたも
のか」ということになります。しかもこの草鞋銭については自分で
よく参究しろ、ということのみ言います。
これを道元禅師の膝元で聞いていた詮慧は、『御抄』の中で、道元
禅師は「漿水銭……」の部分の解釈は特に示されなかったが、「漿
水銭」が定慧等学のこと、「草鞋銭」は明見仏性で、定慧等学とい
う教理のことはもうできているからいい、問題はその仏性は誰があ
りありと現さなければならいか、と解釈することもでき、また「銭
」と「漿水・草鞋」がそれぞれ「定」と「慧」であることもあり(
銭なければ漿水も草鞋も買えず、漿水草鞋が必要なければ銭も必要
がない。両者は結局1つのことをいっているに過ぎない)、などの
釈が許されるようです。
「蚯蚓」が二つに分かれると、どちらの側に心蔵(や命)があるか
と悩むように、仏性の所在を考えてしまう。しかし仏性とは無常な
るものとして現世に現象していることを指すのだから、2つに切れ
て蠢(うごめ)いている蚯蚓そのものが仏性のあらわれであると。
これであなたに漿水銭をいただけますでしょうかどうか。
茶頭さま、このド基地外め!!パンパン☆
582 :
茶頭:05/03/15 08:50:53
583 :
考える名無しさん:05/03/16 05:58:29
茶頭さん 長文レスありがとうございます!何度も読みました。
自分はやっぱり自己流解釈してたので助かりました。
(某書に漿水=粥とだけあって お粥食べないと雲水さんは死んでしまうから
一日為さざれば一日食わずみたいな意味かな、とか考えてました。)↓
584 :
考える名無しさん:05/03/16 06:00:41
(続き)特に難しかったのは黄檗が「仏性なる時節とぴったりひとつに
なって、、、自己は隠れてしまったことを同時に表した」という箇所でした。
半物全物という語も以前からわからない所だったので、今回ヒント与えて
もらいありがたかったです。自分が理解できてなかった理由は、
まず最初の定慧等学からして いい加減に読んでた、とか
「道元だから修行の話だろう」という偏見とか、いろいろあったと思い
反省してます。理解が深い人の説明はわかりやすいというかちゃんと
話の前後がつながってるというか言ってることが明晰だと感じました。
マジで読解本書いてほしいと思いました。
自分もこういうふうに読めるようになりたい。
いちおうノート作ってるんですけどこんなふうに整然としてなくて、
後で読むと何を書いてるかよくわからんのです。
何回も丁寧に読むしかないかなー。茶頭さん、とにかく難しいことを
懇切丁寧に教えてくださって本当に有り難うございました。
585 :
茶頭:05/03/16 20:39:55
お役に立てたのなら嬉しいです。
これで私の草鞋銭も、多少チャラにできたというものです。
正法眼蔵に限りませんが、禅語録を読むのには、まずは現代
中国語でいいですから、簡単な文章を読める程度に身につけ
ること。
>>322にもありますが、柳田聖山『禅語録』(中央公
論社、世界の名著シリーズ3)をよく読むこと。(もちろん、
これに参禅もしていれば、なお可)
手元に中国語の辞典(愛知大学『中日大辞典』が現代語の他
に近世白話体語彙も含まれているのでよい)、そこまでする
必要はないと思っても、古賀英彦・禅文化研究所『禅語辞典』
(思文閣出版)くらいはあった方がよいと思います。
『正法眼蔵』を読むには、さらには詮慧・経豪の『正法眼蔵
聞書』『正法眼蔵抄』(両者は一冊になっているのであわせ
『正法眼蔵御聞書抄』といい慣わし、略して『御抄』と呼ば
れます)が必要です。
586 :
茶頭:05/03/16 20:40:39
ところがこれはなかなか手に入らず、澤木老師でさえ代わりに
面山(実際は斧山玄とつ)『正法眼蔵聞解』を利用するしかな
かったと言います(これさえも入手困難)。澤木老師の参考書
は『正法眼蔵聞解』と西有穆山禅師の『正法眼蔵啓迪』です。
ほかに岡田宜法『正法眼蔵思想体系』という8巻本があります。
古書店にいけば、かろうじて手にはいると思いますが、これは
上記の注釈書と違って、誰にでも分かるようにしるされており、
石井・森本本をみるよりは、有益かと思っています。
最低でもこれくらいがスタートラインでしょう。とにかく柳田
『禅語録』は良書なので、入手し熟読して欲しい本です。
587 :
考える名無しさん:05/03/16 23:08:05
>>585-586 横から聞いていましたが、詳しい解説おそれいります。
私も「御抄」を参照したいのですが、鴻盟社刊の御抄は、
古書店にまれにあれば8万円とかの値段がついていますし、
一般人にも容易に手にはいるような形で改めて出版して
いたでけますよう、茶頭さんのお力でよろしくお願い
いたします。
588 :
考える名無しさん:05/03/17 09:33:13
>>586 西有穆山禅師の『正法眼蔵啓迪』は読んでて面白いですが、
西有穆山禅師は総持寺の人なのに、一貫して道元禅師を
開山とおっしゃっているのが特に興味深く感じます。
瑩山禅師は忘却されているのでしょうか。
589 :
考える名無しさん:05/03/17 09:54:57
去年永平寺に行ったときには裏の大仏寺跡まで行こうと思っていたのですが、クマ
が出るというので、ダムの所までで引っ返してきました。確かに永平寺の裏手に
しとめられた?クマがつるされていました。最初に建てられた大仏寺の位置が、
現在の永平寺よりも奥の山の上の方だったという説は、現在否定的と聞いていますが、
昨日永平広録の上堂200を読んだところ、「当山は山遠く谷深くして至ること
容易ならず。海に航して来り、山に梯して至る」とあり、はしごして至るのだから、
大仏寺跡の位置でもいいのではないかと感じました。吉峰寺側から尾根づたいに
来られたのならそれも自然かと思いますが、この問題に結論は出ているのでしょうか。
>>587 >一般人にも容易に手にはいるような形で改めて出版
権威の河村孝道先生の準備は整っているようですが、具体的な
話にはまったくなっていないようです。始められたとしても他の
注解をあわせた会本の形にすると思いますので、10巻本くらい
で一冊ン万円、とかになるんだと思います。
先生が元気なうちに、その気になってくれることを祈りましょう。
>>588 >西有穆山禅師は総持寺の人なのに
西有禅師は永平寺の禅師になるはずだったのに、總持寺移転問題が
あって、推挙されて總持寺に出られたんですよね。瑩山禅師の『坐
禅用心記』が西有寺で一度、總持寺に出られてからも提唱されてい
るようです。このときも道元禅師を開山・開山と呼ばれるので、役
寮から「当山の御開山さまは瑩山さまです」とお小言をもらったとか。
>>589 >クマがつるされていました。
おそろしい。。。
>最初に建てられた大仏寺の位置が、現在の永平寺よりも奥の山
>の上の方だったという説は、現在否定的と聞いていますが……
>この問題に結論は出ているのでしょうか
出ていません。
そもそも大仏寺山説は伝承としては昔からあったのでしょうが、
大久保道舟山なんかが、可能性として取り上げたもので、確たる
根拠はないんですよね。
愛宕山に登って永平寺を眺めると、見渡す限り山山山...峰峰峰...
門前にかろうじて建物が見えるだけで、深山幽谷そのものです。
昔は門前に至る道も整えられていなかったはずですので、現在地で
も、充分上堂語に適当すると思います。
今月号の傘松には、ちょうど永平寺に伝えられ『建撕記』にも収録
された道元禅師の言葉と、現在地がほぼ一致しているのではないか
という原稿があります。新発見の資料でも出てこない限り、大仏寺
山説は、取られがたいような気がする。。。
592 :
考える名無しさん:05/03/18 08:30:47
茶頭さん、書いてくださったアドバイスを忠実に守りたいと思います。
柳田さんのは昔持ってたのに難しくて手放したんですよ。
でも今思うといい本だったんだなあと思います。御抄の噂はかねがね聞いてて
道元禅師の生の声が聞こえてきそうで正法眼蔵が好きな人なら絶対欲しいですよね。
なのに私は売ってるの見たことがない。
なんで お山の人達は今まで出してくれなかったのでしょうか。
やっぱり御抄は宝なんだろうな。
西有穆山禅師の開山のエピソードはおもしろいですね。
なんか目に浮かぶようだ、、、わたしも先日はじめて総持寺の方だったと知ってびっくりでした。
自分もお参りしたいなあ。本読むよりもなによりも道元禅師が身近に感じられそうです。
593 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 07:23:44
永平広録、上下巻で河出書房から出ましたね〜
石井氏の正法眼蔵は私見が多い(西洋哲学にひっぱっていく)気がして
まあそこがおもしろくもあるのだけど
ちょっと恐くて買えないなぁ
594 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 08:11:53
>>593 私の意見としては、上の方にも書き込みましたが、春秋社の
原文対照現代語訳−道元禅師全集の永平広録(鏡島先生担当)が、
個人の思いこみを入れないオーソドックス、スタンダードな解釈
として最もおすすめです。これを標準として他の解釈本を比較するのが
よいと思っています。
というか、好事家が、専門家の出した本を下敷
きにして自分の理解できた部分を書き連ねただ
けのものであるから、果たして市場に出してよ
いものかどうか、そこからして疑問ですよ。
自分が編集出版の立場にあるからといって、こ
ういうのって目に余りますよ。
596 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 10:53:21
目に余るってのは言い過ぎじゃないの?
吉本みたいに信者がいる人の場合、
そういう手つきが許容されるばかりか歓迎されるわけだし。
それにあなたのように
そうした事実に気付く人も多い。
>>597 そう?
他人の成果を一言のことわりもなしに引用していることからして問題なんだ
けど、その上でなされた解釈がまったくなっていない個所は、なおさら問題
だと思っている。
しかも彼らは自分たちの身内の本ばかり誇大広告で出し続け、キチンとした
業績は閉め出す傾向にあるでしょう?
吉本なんてどこがいいのかよくわからん。柄谷に批判されるはずだ。逆に柄谷の
法然とか・道元は読んでみたい気がする(親鸞ではなくて)。
599 :
考える名無しさん:2005/03/25(金) 06:51:50
595さんの
>好事家が、専門家の出した本を下敷きにして
>自分の理解できた部分を書き連ねただけのものであるから、
これは河●出版のですよね?厳しい意見じゃのぅ、と思ったけど
でもまさしくこの2行はピッタンコかもしれん、、、
594さん
>春秋社の 原文対照現代語訳−道元禅師全集の永平広録(鏡島先生担当)
ありがとうございます。
>個人の思いこみを入れないオーソドックス、スタンダードな解釈
これが一番嬉しいですね
600 :
考える名無しさん:2005/03/26(土) 05:42:23
春秋社の 原文対照現代語訳−道元禅師全集って4、5巻ありますが
永平広録を読もうとしたらこの全集全部を揃えないといけないのですか?
>>600 とりあえず4、5のみが『永平広録』です。
602 :
考える名無しさん:2005/03/26(土) 13:40:57
原文対照現代語訳−道元禅師全集のほうは,第10巻から第13巻が永平広録
になると思います。
603 :
考える名無しさん:2005/03/26(土) 13:56:39
604 :
考える名無しさん:2005/03/27(日) 06:23:47
ありがとうございました。4冊かー
最近は急いで揃えないとすぐ廃刊になっちゃうから大変。
605 :
考える名無しさん:2005/03/30(水) 08:49:45
今、行仏威儀巻までやっと来て火焔説法で脳みそ火だるまになってるとこです。
流れに掉さすような質問になり申し訳ありませんが、昔、曹洞宗教学部長だった
中村宗一先生は、道元研究の分野ではどういう位置にいた方だったのでしょうか。
どなたかご存知でしたらお教えください。
607 :
考える名無しさん:2005/03/30(水) 13:49:40
正しくありたい。
608 :
ローカルルール審議中:皇紀2665/04/01(金) 05:42:28
ワシも知りたいです>中村宗一さん
永平広録は素晴らしい、一生かけて読み解くことになりそう
610 :
ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 17:27:09
とりあえ〜じゅ age
611 :
ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 17:54:47
正法眼蔵は性欲をどう扱っているんですか?
612 :
ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 18:02:46
性欲=悪
613 :
ローカルルール審議中:2005/04/07(木) 05:23:21
609 そっかぁ、、、やっぱり永平広録買おう、、、、
正法眼蔵ばっかり取り上げられるけど永平広録はどうして第二の書に
なってしまったのでしょうね>知名度
道元苦労して読んだあと聖書読んでみると理解が深まる気がする。
道元読む前は受肉というのがよくわからなかったんだけど、今は
葛や藤がからむイメージを持つようになった。
あとユダヤ教神秘主義のことちょっと聞いたんだけど
道元の言葉と重なっておもしろかったです。
614 :
ローカルルール審議中:2005/04/09(土) 07:40:41
道元の言ってることって一元論&汎神論といっていいのでしょうか?
比較宗教の本読むとそういうふうに分類されちゃうようだけど、、、
>>614 先ず仏教は、基本的には無神論。
道元さんもこの系統を引く。
また一元論的な面はあるが、認識論や言語論などが出てきて、まぁ単純には割れないなぁ...と
616 :
ローカルルール審議中:2005/04/10(日) 07:18:04
615さん、ありがとうございました。
いまさら聞けないという感じだったんでちょっとほっとしました。
無神論にしても禅寺って結構礼拝焼香多いし、、、
でもなんか一元論汎神論と言われてもその隙間から零れ落ちるものがある
気がするんですよね。山川草木が古仏と書いてあったら即、汎神論なのかなぁ、、と
でも道元てそういう決め付けを一番嫌ったのかもしれないですね。
ただキリスト教の人に一元論汎神論という理由で仏教を批判される
とあんまりわからない為言い返せなくて悔しいw
617 :
ローカルルール審議中:2005/04/11(月) 12:11:25
悩んでる時道元で救われたって人いますか
618 :
ローカルルール審議中:2005/04/11(月) 13:01:29
悩みの内容が問題。
自己向上をめざしての悩みであればOK。
病気ならばまず精神科へ,ただ受け身に悩みを解消したいのなら
親鸞とか,キリスト教とかへ(あまりに邪教ではだめ)。
正法眼蔵随聞記を読んで感銘を受けるところがあれば見込みがあるので,
道元禅師に参究するのがgood。
619 :
ローカルルール審議中:2005/04/11(月) 13:14:26
現成公案の最後の風性と扇の比喩のところを読むたびに,
もし,風が自然にびゅーびゅー吹いている場合はどうなんだ
と思うのですが,仏性なるものも,同じ規格のものが各人に
一様に備わっているわけではないように感じます。修して
表れてくる物も各人の性質によりいろいろなのではないでしょうか?
>>619 その疑問の意図するところがわからん。
「おかしいですよ、道元さん!」
ってことか?
道元さんの言う事は、わからん、わからん、わからん
でも極くたまにものすごく心の琴線に触れる箇所があるので、ついついまた
求めてしまう、迷いの森。まあ座れと文章が言うw
622 :
ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 05:49:51
618さん レスありがとうございました。
親しい人が病気になって何かに祈りたい気持ちがでてきています。
弱ったからすがるのか、と言われるとそのとおりなんですが、、、
なんか座ってもだめなんですよ。親鸞とかキリストと言われたのがなんとなくわかります。
今は正法眼蔵がなかなか入ってこない状態です。
仏性なんかどうでもいいやと思ってしまう。やけになっとるかな?
619さん 自分あそこ読む時よく風の吹いてる木の葉っぱじーーっと観るんですよ。
、、、でもなにも変わらないんですけどw
621さん
ああ自分もそうでした。すごくよくわかるな。
自分も懲りずに読み続けよう。またどっかビビっとくるところと出会うかも
623 :
ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 22:41:47
>>619 風が吹いていると扇を使わなくても風を感じる(修行しなくとも仏性を
自覚・現成できる)ということになるので、この比喩は、無風状態
という前提で成立する比喩ではないでしょうか。
>>619.623
風自体、仏教では、空間(仏教で言えば「虚空」という法)で種々の原
因によって空気(空性)が動くことによって発生しているみる。
つまりすべてはこうした縁によって現象が成立しているという前提がある。
そうした、万物の有り様の中で、万物の一有である一個人に引き当ててみ
ればどうか。人間個人のあり方が見えてくるのではないか。ー>これが道
元さんのいう修行のこと。
そこで「扇を使う=風が生じる」という、行動に移る。「自分自身がその
縁を自覚して(使用し)扇を扇ぐ」=「風という現象が起きる」。ここに
「修」=「証」の関係が浮き彫りにされる。
自分自身も恐らく、同じような原理によって存在しているが、これに気が
つかないのが凡夫であり、扇によって「諸法の関係」「修証」の発生に気
がつくのが、聖者、、、というか人間の本来の生き方に気がついた人。
そして麻谷山宝徹は、たったワンアクションによって、この両者の関係を
表現し、周囲に気がつかせた点で、偉い! と言う訳ですよ。
この間本屋で立ち読みした本。
アメリカで浄土真宗の活動に賛同し、クリスチャンをやめて仏教徒になった
人の本。
受動喫煙で癌になってしまったところ、教会では「神の意志です」とされる
ことがほとんどだった。ところが仏教は縁起論者・因果論者と呼ばれるよう
に、そうは言わなかった。環境等を考察して、受動喫煙により、癌になった
のだろうと。
原因が分かれば対処法もあるし、環境の改善を図るよう展開もすることがで
きる。その考えに賛同し転宗したとか。
運命とか情緒的な世界に身を置きたければキリスト教だろうし、自立した自
己を確立し、理知的に生きたければ仏教かと。勿論キリスト教にも理知的な
教義はあり、仏教にも余情的スタンスは持っているが、宗教の本質的な構造
はこんな所。
>>619 >同じ規格のものが各人に一様に備わっているわけではないように感じます。
>修して表れてくる物も各人の性質によりいろいろなのではないでしょうか?
これを禅では、「人々具足、箇々円成」という。
各人にそなわる普遍的な性質と、各種にそなわる共通の特質〈衆同分〉
によって種が形成され、
それに個々に特殊なもの(性質や環境)、などの縁によって個が形成される。
627 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 18:45:17
625さんありがとうございます。
部屋に読経したり拝んだりできるような小さな場所を作った、、、
>>627 いつも書き込んでいる方ですね?
私は最近、ネットにて具足・茶湯器などを注文してみました。
629 :
ローカルルール審議中:2005/04/15(金) 08:26:27
ああHannibalさんだ、よう来てくださったw
Hannibalさんすごいなぁ、だんだん本格化してますね。
さっき本でどこに花、水、数珠とかを置くか確認してました。
菩提樹の数珠、大事にしてはりますか?
630 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/04/15(金) 23:50:52
私なんてカタチばっかりでね。
数珠は粗末にしているつもりはないのですが、朝、忙しくて、
触りもしないなんてことの方が多かったりします。
せっかくのスレなのに、仏具の話ばかりで申し訳ない。
私も二,三ヶ月前、森本『読解』のI、IIIのみ購入し、
まったり読もうなどと思っているのですが、
「まったり」などといってるから、なかなか読むのが進まない。
私には原文は歯が立たないけど、かといって現代語訳を読んでいると、
原文がどうなってるのか気になる。
その点、森本『読解』は結構いいな、というのが感想です。
631 :
ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 04:46:01
わたしも仏壇もどき?を作ってほっこりしてます。
飼い犬がなぜかこれをライバルと勘違いw
正法眼蔵がどうしても一度にたくさんは読めませんよねえ。
おなかいっぱいになります。わたしの方は森本眼蔵
ようやく行仏威儀ですがなんか仏性巻より難しく、
火焔説法の所で自分が炎上中。森本氏は御抄などからの引用も多くて
ありがたいですね。Hannibalさん、全十巻揃えますか?わたしは通読する自信が
あったりなかったり、、、
632 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/04/18(月) 23:08:22
>>631 全十巻、揃える前に絶版にでもなったら激しく後悔するんでしょうが、
通読する自信はなかったり、なかったり…。
で、届いた具足をセッティングしてみたんですが、
これほど気分が変わるものかと自分でも驚いています。
「ありがたい」というか、「うちに寺が来た!」というか。
今まで、アロマ・キャンドルなどをお供えしたりしていたのですが。
いや、カタチを整えてみるのも悪くないものです。
しかし、香炉の中のお香は、相変わらずコーン型だったりはします。
確か海外にお住まいで、ひょっとしたら難しいのかもわかりませんが、
具足を揃えてみたりするのも是非おすすめします。
633 :
ローカルルール審議中:2005/04/18(月) 23:11:18
>火焔説法の所で自分が炎上中
あなたは、私か?
い)冷たい暖かいという感触は自分だけのもので他人に伝えることは非常に困難
それゆえ自分で冷暖を体得しなければならない
ろ)1+1はどこまでも1+1そのものであり決して2にならない
今日はここまで判った
635 :
ローカルルール審議中:2005/04/19(火) 20:45:15
Hannibal さん
>「ありがたい」というか、「うちに寺が来た!」というか。
すごいじゃないですか。なんか羨ましい。
うちに寺が来る気分を一度でいいから味わってみたい!
実は恥ずかしながら具足ってよく知りませんので
ちょっと研究してみますね。通読、わたしもあんまりなかったりなかったり、です。
633 ワロタです。自分だけじゃなくてよかった〜
どうも火焔も説法も一語でさまざまな意味があるようですね。
知性では捉えられないことを表現するとああなっちゃうんでしょうかね。
いまや「何を質問していいのかさえわからない」状態です
634 いいなぁふたつもわかって、、最近そういうのトンと御無沙汰。
636 :
ローカルルール審議中:2005/04/19(火) 21:44:42
御抄の理解に少し役立つかと思って、山内舜雄先生の「正法眼蔵聞書抄の研究」
シリーズを2冊図書館で借りて読んでみましたが、これは全く何の役にも
たちませんでした。このシリーズは、もともと天台本覚思想との関連から考察する
ということではじまったようですが、7さつもあるのにもう少しまともなものを
書けよ、というのが感想でした。
正法眼蔵という書物は哲学者が解説すると仏教者には頓珍漢に感じ、仏教者が
解説すると哲学者には奇妙奇天烈に感じさせてしまう、化物である
今日はここまでわかった
638 :
ローカルルール審議中:2005/04/20(水) 14:29:51
わかってるのか?
640 :
ローカルルール審議中:2005/04/20(水) 20:55:58
正法眼蔵という題名の本なんですか?
641 :
ローカルルール審議中:2005/04/21(木) 11:22:40
636さん貴重な報告ありがとうございます。
でもすごい本が置いて或る図書館でいいですね。
もし自分がそのゆおうな題名の本を見つけたらやっぱり
狂喜して飛びついたと思います。それで中身が期待はずれだと
泣きたくなりますねそりゃ。
639「今日はここまでわかった」氏の書き込み結構楽しみにしてます
火焔説法の白い猿黒い猿の箇所。、、今日もここまで。
642 :
ローカルルール審議中:2005/04/24(日) 01:07:33
永平広録のうち上堂531編を一通り読みました。特徴的なのは,その場の僧たちと道元
禅師との問答はほとんどなく,道元禅師の自問自答ばかりが非常にめだつと
いうことでした。これは道元禅師と弟子達のレベルがあまりに違いすぎて
discussion が成立しないということなのか,上堂の場では道元禅師の高邁な
思想を述べて弟子達を刺激するだけというのが道元禅師の宗風なのか,道元禅師が
口先ばかりの皮相な禅問答をきらっておられたのかよくわかりませんが,
おもしろいことです。広録では,凝縮されたひとつひとつのことばが何をふまえて
語られているのかバックグラウンドの知識がとても必要なので,勉強しながら
何度も読み直してみなければと思っています。
643 :
ローカルルール審議中:2005/04/24(日) 01:13:04
(つづき)
初期と晩年とで道元禅師の思想に変化があるという人もいますが,
晩年に多くなされている上堂も基本的には身心脱落ということに
帰結すると思いますので,道元禅師は本質的にいつも道元禅師で
あったと私は思います。
>>642 >その場の僧たちと道元禅師との問答はほとんどなく,道元禅師の自問自答
>ばかりが非常にめだつということでした。
道元禅師に限らず、それが上堂の基本的な型式だからです。
したがって
>これは道元禅師と弟子達のレベルがあまりに違いすぎて
>discussion が成立しないということなのか,上堂の場で
>は道元禅師の高邁な思想を述べて弟子達を刺激するだけと
>いうのが道元禅師の宗風なのか,
というのはいずれも該当しません。
また上堂は門下の担当者が筆録しますので、話者にある程度応ずることので
きる実力がなければ不可能なことで、相応の実力があったと見るべきでしょう。
現に禅師の弟子の何人かは、他宗で名をなした人物が幾人か知られています。
645 :
ローカルルール審議中:2005/04/25(月) 10:12:56
>>644 しかし,道元禅師のやや後の世代の大応国師や大燈国師の語録においては,
上堂においてやたらと僧と師の問答が繰り広げられています。臨済録でも,
上堂記録の中で僧との問答が結構みられると思います。永平広録の上堂の
中で道元禅師と僧が問答しているのは上堂243以外には見あたらないので,
やはりこのようなスタイルは特徴といえるのではないでしょうか。
>>645 住持の説法は、中国唐代から宋代になって様式が変化しました。
臨済録は唐代の問答形式を、宋代になり宋代の上堂形式に改編
したものです。
大応大灯もおっしゃるとおりですが、五山に伝わる当時の記録を
見ると、問答は一人の僧に限るなどの規則が見出されますので、
大応等の語録が、現実そのままの形であるのかどうかは疑問です。
(清規でも、晋山開堂以外は、問答はそれほど行われない
ことが前提であったことが推定されます)
宋代の禅者の語録は、道元禅師の語録に近いと思いますし、逆に
道元禅師の語録は特に断り書きしていない部分でも、問答がもう
少し存在していたものと思われます。
647 :
ローカルルール審議中:2005/04/25(月) 17:08:10
>>646 ご教示有り難うございます。
しかし,「もし誰かが私に問うたとしたら私は次のように述べるであろう..」
というような自問自答の多さをみると,道元禅師はやはり孤高の存在であった
のかなと感じます。
648 :
ローカルルール審議中:2005/04/25(月) 17:14:43
.┌━┐ ┌━┐
┃┌╋──╋┐┃
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┃ ・ ・ ┃ ┌━━┐
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└━┷┴━━╂┘ └╋━┘ 馬鹿にはできないコピペです
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└┘└┘ └┘└┘
>>647 >「もし誰かが私に問うたとしたら私は次のように述べるであろう..」
これは「代語」という、お決まりのパターンです。
650 :
ローカルルール審議中:2005/04/27(水) 08:26:02
ふーむ、、感心しながら読んでます
651 :
考える名無しさん:2005/05/03(火) 11:57:37
連休だ!眼蔵拝読!
652 :
考える名無しさん:2005/05/03(火) 12:04:54
東京の永平寺別院でもこの時期に眼蔵会をしているそうですが、
本山と比べてどちらがレベルが高いのですか。
653 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 18:03:55
正法眼蔵スレ向上事
654 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 14:34:56
仏性
一切衆生悉有仏性
656 :
考える名無しさん:2005/05/23(月) 15:46:05
悉有は仏性
657 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 15:45:58
無情説法
658 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 20:11:10
典座教訓くらいしか分からん。
659 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 14:46:51
枯木裏龍吟
660 :
考える名無しさん:2005/06/01(水) 17:02:49
正法眼蔵は哲学ではないと思う。
661 :
考える名無しさん:2005/06/03(金) 20:56:04
つーか禅自体が哲学ではない。『西田哲学と鈴木禅学』などのトンデモ本を書いた
秋月龍aは市ね。
662 :
考える名無しさん:2005/06/03(金) 21:49:10
禅は体操だ。
永六輔の「大往生」(だったと思うけど)で、
「アメリカのエリート層には東洋の精神性の高さに惹かれる人も多い。
それで禅にも興味を持つんですが,どうもああいう形式に抵抗がある。
そこで『座禅をせずに禅の悟りをえるにはどうしたらよいか』って話になりまして…」
って内容の話が載ってたな。
664 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 11:48:34
洗面
チベットやミャンマーやインドでは、座禅のかわりにひたすら小道を往復して歩く。
666 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 20:43:00
すいません。チベットでは、そゆことしないような気がするんですけど。
667 :
考える名無しさん:2005/06/23(木) 09:16:11
明珠
弛緩駄座
669 :
考える名無しさん:2005/07/01(金) 07:41:13
信心脱落
立て看板設置。スレを支える参加者、発言者、の参加を募ります。
坐禅と見性 第20章◎飯袋子の集い◎驢年横行◎
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1119079479/ 現在、下記の公案に取り組んでいます。参禅をお待ちします。
三毒の人、貪瞋痴(とんじんち) 「貪(むさぼり)瞋(いかり)痴(おろかさ)」または、三毒の人をインテリバカセ、とも言うらしい。
『眼が見えず、
耳が聞こえず、
口がきけず、
この三毒の人が、さくらを知るために、さくらの木に抱きついた。
さて この三毒の人に これがさくらだと悟らせるには、どうしたらいいのだろうか。五力(ごりき)によって解決せよ』
、と言う。この問いに答えるには、五力が、解を与えるそうだ。五力とは、
(1)信じること。
(2)勤めること。
(3)思慮深いこと。
(4)心を統一すること。
(5)明らかな智慧を持つこと。
671 :
考える名無しさん:2005/07/04(月) 17:42:35
>>670 機能している知覚を総合して,それなりに対象物のパターンは認識されるものだよ。
672 :
考える名無しさん:2005/07/04(月) 18:17:26
>>670 五感のうち三感も残ってるなら大丈夫でしょう。
対象が「さくら」なら耳が聞こえないこともたいした障害
ではない。
身心脱落来ず。
674 :
考える名無しさん:2005/07/08(金) 19:09:33
雷鳴に脱落
ごま餅
わらび餅
身心逸脱す
678 :
考える名無しさん:2005/07/09(土) 08:07:31
空華
680 :
考える名無しさん:2005/07/18(月) 19:32:59
仏性
681 :
考える名無しさん:2005/07/18(月) 19:42:31
仏教について哲学的に勉強したいと思うんですが、
いい入門書はないでしょうか?
682 :
考える名無しさん:2005/07/18(月) 20:02:41
仏典嫁
683 :
考える名無しさん:2005/07/18(月) 22:24:17
まず、これ読んで、
水野弘元『仏教要語の基礎知識』春秋社
次に
ベック『仏教』岩波文庫
その後、
平川彰『インド仏教史』上下、春秋社
梶山雄一『仏教における存在と知識 』紀伊国屋書, 1983
*梶山雄一『論理のことば』中公文庫, 1975
*勝又俊教『弘法大師空海全集』第一巻、山喜房仏書林
Erich Frauwallner, Die Philosophie des Buddhismus
Berlin : Akademie-Verlag, 1958.
*John Pettit, Mipham's Beacon of Certainty, Wisdom, 1999
*が付いてるのは順番にインド、シナ、チベットの哲学的概説書の翻訳です。
弘法大師は、日本人だけどまとめた内容はシナ仏教ですから。
684 :
考える名無しさん:2005/07/18(月) 22:27:07
司馬遼太郎の「空海の風景」はどうですか?
685 :
考える名無しさん:2005/07/18(月) 22:50:32
え〜、それはないでしょ。司馬は、まったくだめ。小説なら幸田露伴の『連環記』が素晴らしい。
とにかく司馬のは弘法大師への妬みから、なんとか自分の理解領域に引きずり落とそうというもの。
仏教への理解も幸田露伴の足下にも及ばないどころか、根本的誤解が随所に炸裂している。
なんであんなものに賞だすんだよ、毎日新聞!
なんで一介の物書きである司馬遼太郎が空海を妬まなにゃならんのだ?
空海の風景の根本的誤解とは何か、説明キボン
687 :
考える名無しさん:2005/07/20(水) 08:40:37
確かにスレタイはいえるかも知れない。
688 :
考える名無しさん:2005/07/20(水) 09:44:30
>>687 正法眼蔵がなかったら,日本の仏教は本当に牆壁瓦礫そのもの。何の魅力もない
と思います。
689 :
考える名無しさん:2005/07/20(水) 10:33:35
仏教政治哲学なら日蓮のほうが上だろう。
立正安国論はプラトンの国家論に匹敵する
政治哲学書だ。
690 :
考える名無しさん:2005/07/20(水) 10:55:07
いいや、それならYoshi先生のDeep Loveは日本最高の人生哲学書だ。
691 :
考える名無しさん:2005/07/20(水) 16:20:41
永六輔の「大往生」はどう?
692 :
考える名無しさん:2005/07/20(水) 23:15:48
何言っての、所謂本覚思想、弘法大師、源信さん 等の中世天台諸師に比べれば随分落ちるでしょう。
分かりやすい証拠として弘法大師と源信さんがシナで最高の評価を得たのに対して、
道元さんはまずまずといったところでしょう。はっきりいって格が違う。
道元さんが評価されたのは近代主義、合理主義から見て共感しやすいというだけだと思われ。
その代表が和辻。
693 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 09:46:31
このところ異質の感覚の持ち主の書き込みが多いな
それなりに別のところにスレがあるだろ
>>692 源信が評価されたのではなく、日本の浄土思想が当時の中国浄土思想より
進んでいたことを、現代の学者達が評価しているでしょ。
弘法大師が思想的に評価されているのかどうかは判断しがたい。
道元さんは、中国では確かにそんなに評価はされてこなかったんだ
よね。江戸以前の国内では道だったんだろうか。
でも近代以降、評価が絶大なことはたしか。
695 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 22:58:31
>>694 何いってんすか? 源信さんの評価は、当時からでしょ。
中国天台の巨匠・四明知礼を驚愕させた『台宗二十七問』
シナに逆輸入され珍重された『往生要集』
三一権実論争に決着をつけた『一乗要訣』
因明を葬り去った『四相違註釈』
以上は、当時のシナ・日本仏教界で顕教の最高峰と認められたものですよん。
弘法大師は、当時のシナ仏教界最高の僧である恵果アジャリから、
すぐに完全な伝法されている。こんなことは日本仏教の中に例がないでしょ。
また『十住心論』は当時の思想を広く俯瞰して、正確にまとめあげた上で、
多分自らの悟りの境地から『大日経』と『釈論』等によって本覚から
解釈されたものであり、他日本仏教僧の追従を許さないように思われまする。
というのも、私には完全には理解できないからです。
といって道元さんが完全に理解できるとも、とても言えないのですが。
比較すべきは龍樹菩薩、仏音長老、寂天菩薩、ジョオ・アティシャ、
サキャ・パンディタ、タクポラジェ、ギャワ・ロンチェンパ、
ジェ・ツォンカパ、智者大師、嘉祥大師、香象大師等と思われるです。はい。
道元さん近代的な合理主義と仏教を結びつけて解釈したい人には
人気があるそれだけじゃない。なのでスレタイには悪いけど反対なのだ〜。
反対意見も言っていいんでしょ?
696 :
考える名無しさん:2005/07/22(金) 08:26:51
>>692 シナが評価すれば、それが絶対なの? へ〜〜、シナ崇拝主義者なんだね。
どうして、シナがそれほどのものと言えるのよ。権威主義だな。
Paul Carus 『Gospel of Buddha』
聖書の福音書を意識して、イエス・キリストの生涯のように、
ブッダの生涯を記述し、教えのエッセンスを伝える書物。
膨大な経典類から抽出・編集されたものです。1894年初版。
仏教が何であるかを西洋に紹介した初期の書物として、
重要とされる。現代の日本人には、これでかえって分かる。
Karen Armstrong 『Buddha』
キリスト・イスラム・ユダヤ教の比較宗教論を専門とする、
イギリス人女性宗教学者の目を通して書かれたブッダの
生涯とその教え。これも、膨大な資料を駆使している。
『Gospel of Buddha』とコンセプトが似ているが、福音書的
文体を意識しない時代が新しいものなので、分厚いが
ものすごく読みやすい。彼女の目を通して記述された、
ニュートラルな仏教の理解は、日本人にはとても新鮮となる。
鈴木大拙
英語で仏教を知るという意味では、もちろん、参考になる。
彼によってアメリカで紹介された禅仏教は、1960年代の
アメリカのカウンターカルチャーで頂点に達し、ヒッピーや
ニューエイジなど、悪い面も含め、大きなインパクトを与えた。
また、彼から多大な影響を受けた Allan Watts の著作も、
英語で語られる禅仏教としては、一つのエポックメーキング
になっていた。いままでアカデミックな宗教学でしか語られ
てこなかった仏教が、大衆文化のレベルで受け入れられて
いく道を作った。
Thomas Cleary 『Rational Zen』
道元の『正法眼蔵』。英訳で読むと、キリスト教神秘主義の
エックハルトと似ていることがわかる。
Huston Smith、Philip Novak 『Buddhism』
鈴木大拙による禅仏教に限らず、チベット仏教も、タイ・ミャ
ンマー・スリランカからの上座部仏教も、似たようなルートを
経てアメリカに流入してきている。この詳細は、ヒューストン・
スミスらが、「アメリカ仏教の歴史」を紹介している。これを
読むと、仏教は、ここ数十年の間に、アメリカを重要な目的地
として、加速度的に広がっているのがわかる。
ユングと、宗教人類学者エリアーデらが設立した、スイスの
エラノス学会というのがある。それつながりで見ると、
第一世代は、フロムと「禅と精神分析」を著した、鈴木大拙
第二世代は、東洋の共時的構造化の、井筒俊彦
第三世代は、ユングを日本に持ち込んだ、河合隼雄
という日本の流れもある。
井筒俊彦は、父親が禅の師家だった天才で、古今東西30
以上の言語を喋れる。古典語を含め、1ヶ国語を3ヶ月でマス
ターし、フランス語は簡単すぎて外国語とは思えなかったと
本人は言う。ユングらのエラノス学会にも参加していた。
デリダの「日本の友への手紙」の初めのところで、「この間
お会いした時」と井筒俊彦のことが触れられている、デリダに
して巨匠と呼ばせた日本人はほかにいない。
森本和夫『デリダから道元へ』で、デリダと道元の近似性は
指摘されているし、デリダの言葉には、中論的なものを西洋的
な流れのなかで語っているような印象もある。そういう意味で、
デリダの言葉は、日本人あたりのほうが、感覚的にわかる
可能性もある。『言葉にのって―哲学的スナップショット』、
デリダ自身によるデリダ哲学への最良の入門書である。ここで
森本が訳者として道元へと振っている。
現代思想の臨時増刊、「日本の思想」でも井筒が取り上げられ、
文明間対話の哲学について、日本から発信しうる希有な例と
して、今後ますます重要になるだろう。西洋哲学はこれから
東洋のそれを、時間的に逆向きに辿っていく可能性もある。
井筒俊彦は、科学や合理を好む理系タイプが評価しやすい。
和辻哲郎がそういうイメージを作った。『意識と本質』を読めば、
宗教に対する偏見がなくなるだろう。数学科出身の河合隼雄
も、井筒を下敷きにした本を出している。
日本は、神仏習合の、そうした文化的歴史的蓄積が膨大な、
地理的風土を十分もっていて、永平寺を始めとして、十分に
修行三昧の生活がおくれる環境もあり、よく見れば、これだけ
仏教や神道が身近であるというのも利点だが、それゆえに、
そのイメージが邪魔になるということもまたある。
なにしろ、「仏教とは何か」を理解しようとすると、逆に情報量
が多すぎて、まず何を読んだらいいかわからない、となり、
焦点がぼやけてしまうのだ。日本の仏教は、いわゆる「開祖
至上主義」とでも呼べる傾向があり、最澄、空海、法然、親鸞、
日蓮、道元など、いわゆる偉大なお坊さんたちの、独自の宗派
を興した開祖を信仰する傾向があり、当のブッダは抽象化され
たりする。
英語だと、聖書と同様に、平明な英語で書かれている。外国の
ホテルには、聖書とともに置かれていたりする。しかも、ダイレ
クトにブッダその人に遡っている。つまり英語ならば、空海や
親鸞や日蓮や道元を飛び越えて、一気に「ブッダ」その人に
辿りつくことも、容易に可能だということだ。
世界における世界宗教としての仏教という広い視野から見渡せ
ば、日本の各種宗派は、大乗仏教の一部でしかないことも事実
で、そんなとき、例えば「英語で仏教を読む」という「逆輸入」的
な発想も有効となる。
日本のありがたいお坊さんたちの教えも、英語で読めば抹香
臭さがとれ、また違った雰囲気で、現代人の日本人にフィット
したかたちで、インテリジェントな認識を深めることができる。
身近な何々宗派の葬式仏教という制度だけでなく、英語という、
日本人にとっては人工的な言語のフィルターを通し、もっと「無垢
なまなざし」で、世界における「仏教」、いやもっと広い視野から、
「Buddhism」という一つの「世界宗教哲学」が何であるかを、
グローバルな視野から見渡すことができたならば、迷うことなく
ブッダの心にいきつくことになり、新興宗教の脆弱性もわかり、
カルトにはまったりすることも、おそらくはないだろう。
703 :
考える名無しさん:2005/07/22(金) 09:08:48
Dogen 『Rational Zen』
英訳で読むと、キリスト教神秘主義の
エックハルトと似ている。
704 :
考える名無しさん:2005/07/22(金) 09:22:49
道元には、迫力を感じますね。未来のひと、といった印象を受けます。
日本初の哲学者と呼んでもいいのでは。。。一般的には、西田がそう
呼ばれている訳だけれども、あまりにも悪文で読む気がなくなる。
道元も難しいそうだが、詩的哲学の飛翔のような息吹きを感じさせる。
少しずつ読んでいきたいと思うが。。。
>>695 はぁ? 我田引水というか何というか。
ちょっと昔のことで、漏れも記憶が定かでないが。
当時の中国仏教界が、五代の廃仏の影響で基本典籍さえも存在しない
状況で、日本から源信たちが問状を出していっていに評価を受けたの
は確か。その下地は師の良源ら参究したものだったと記憶しているが。
その『台宗二十七問』に答えるだけの(『大毘婆沙論』などが含まれ
ていたと思ったが)資料もないから送り、『往生要集』はその中に含
まれていたに過ぎない。日本では中国天台に点検してもらおうと思い、
かえって日本の優位性を誇示するのに都合の良い状況になり、話に尾
ひれをつけて讃仰したが、成尋らが入宋してそれらが空疎な作り話に
しか過ぎないことが露呈した(『参天台五台山記』)。
それを確認する意味も含めて寂照が入宋しており、その中に『往生要
集』の名があることから、往生要集が国清寺に送られたことがようやく
確認される程度。(ここらへんは吉川弘文館人物叢書の『源信』周辺
の評価を借用)
四明天台は天台の正系と目されるが、当時禅や律とようやく拮抗しうる
程度で(天台山の復興も禅宗の徳韶によって果たされている)、こうし
た中で中国系の書に源信は語られることはない(山外派の遵式等に認め
られる)。要は中国仏教界という大枠の中で、源信の評価が語られるこ
とはないと見ることができる。
その四明天台が日本に再び認知されるのが、江戸時代に入ってから。や
がて源信の評価は、戦後の学者達がもう少し評価してもよいのではない
かと、やっていたのが昭和50年以降だったかもう少し後だったか。
そうした意味で、
>以上は、当時のシナ・日本仏教界で顕教の最高峰と認められたもの
>ですよん。
なんてのは史実と違うでっち上げにしか過ぎないし、評価されるべきは
源信周辺の「浄土思想」だと思っていたがな。(因明葬ってどうするん
だよ。むしろ大事なのはそっちでしょう)
>弘法大師は、当時のシナ仏教界最高の僧である恵果アジャリから、
>すぐに完全な伝法されている。こんなことは日本仏教の中に例が
>ないでしょ。
恵果なんてのも弘法大師抜きにしたら、歴史に名を埋没した人でしょう?
インド仏教史に名もなければ、中国仏教史に名も残らない。。。
弘法大師の著作を読んでも、それほど格別なことが書かれている訳でもな
い。
>比較すべきは龍樹菩薩、仏音長老、寂天菩薩、
どうやったら空海が比較の対象となれるのか。政治戦略的にすぐれている
人と言ったらいいのか。私的には、最澄をいじめたのが許せないが、まあ
これは措いておこう。
>ジェ・ツォンカパ、
智者大師と比較すると面白い。
>智者大師
これは道元さんと、よく通じる。道元さんは四明天台を一応視野に入れて
いるしね。
>>705 その『台宗二十七問』に答えるだけの(『大毘婆沙論』などが含まれ
ていたと思ったが)資料もないから送り、『往生要集』はその中に含
まれていたに過ぎない。
---------------------------------------------------------------
われながら、チョット違うみたいね。最初「往生要集」などを送ること
から始まって、やがて事態が思わぬ方向に進み、27条を送り...
が正しい順番。
708 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 09:09:38
現代語訳が何種類もでているようだが、誰のがいいのかな?
>>708 現代語訳はいい物がないので、取りあえず
玉城康四郎さんのを理解の補助に使う、というのが望ましい。
追記
途中までだが、水野弥穂子さんの訳が出ていたのを忘れていた(春秋社)
このどちらかが無難。
711 :
素人止まり:2005/07/29(金) 00:44:33
「正法眼蔵御聞書抄」を先ず読むべきらしいのですが、これにも問題があるって聞きました。「正法眼蔵御聞書抄」の現代語訳ってないのですか?
>>711 ない。研究紀要で一部発表されたことがある程度。
これにも追記
聞書抄を読んだことがある人なら誰でも分かるが、現代語訳して読まなければ
ならないほど難しい文体で書かれているものではない。
普通は直読みして、それで充分間に合う。
714 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 09:38:00
715 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 10:06:55
1が本当として、道元の継承者はまだ誰もいないのか?
ひとりも?
716 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 10:20:25
仏教では、継承者はいるけれど、創始者を超えられない、っていう建前なんだろうな。
○○本仏論とかで、○○は釈尊を超えた、と言い出すのはもう仏教ではないってことで。
717 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 18:56:55
創始者を超えないというよりは,内在する仏性が間断のない修行
によって顕現すれば,だれでもブッダとequivalentだ,というのが
正法眼蔵伝承の基本的な考え方なのでは。
>>717 上段の部分は松本氏が強行にそのような解釈を押しつけているだけで、
『正法眼蔵』の考え方ではないような気ガス。。。
719 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 18:33:25
今日もさわやか正法眼蔵!
720 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 14:47:24
さわやかなままに今月も終わりか。
苫小牧!道元禅師も泣いているぞ!
721 :
考える名無しさん:2005/10/29(土) 00:33:06
久しぶりに仏性の巻を読んだら今日は快調
722 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 15:54:25
723 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 16:16:47
724 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 12:32:03
「正法眼蔵」で小レポート(四百字詰め原稿用紙五枚程度)を書かなければならないのですが・・・
どっかいいサイト知りませんか?
密教はオカルト的で仏陀からは最も遠い仏教なんで今まで敬遠してたんだが
欲望肯定的なところや汎神論的なところが面白いと思うようになった
浄土信仰法華経信仰にくらべれば禅宗に近いな
読むお経も近い
日々のおつとめで読むお経ね般若心経と観音経が多いところ
727 :
考える名無しさん:2006/01/30(月) 23:22:22
んまー東洋・日本思想も大事ですけど、その倫理や道徳は
現代性を持ちうるかという点では厳しいものが多い。
ただ仏教圏の認識論はいいなあと思えるのがあるけど。
いや東洋・日本思想だって優れて現代性を持ってると思いますよ。
729 :
考える名無しさん:2006/03/20(月) 03:33:26
age
730 :
通行人:2006/03/23(木) 21:33:53
482>水野弥穂子は東女の先生だつたので、キリスト教のはず。
もつとも先生になるために洗礼を受けると云ふ人もゐるさうだけど。
731 :
考える名無しさん:2006/05/21(日) 01:45:08
歯痛は仏性
732 :
考える名無しさん:2006/05/21(日) 13:36:28
733 :
考える名無しさん:2006/05/29(月) 02:43:15
日本史上最高の哲学書は、波多野精一全集か本山博の本でしょう。
次に鈴木大拙全集か綱島梁川の梁川全集ぐらいかな・・・。
西田幾多郎は最高の哲学者かもしれんが、書いた本の文章が悪文過ぎる。
書というからには書かれた文章が重要・・・。
まだ田辺元や和辻哲郎のほうが分かるし、特に和辻のは名文。
別に正法眼蔵が最高とは思えない。
余りにも、我々現代人と時代がかけ離れている。
道元も十分おもしろいが親鸞や空海の方がややもするとおもしろい
735 :
考える名無しさん:2006/05/29(月) 15:38:42
なにが最高かってのは、結局それぞれの感性だから・・・
736 :
考える名無しさん:2006/05/29(月) 21:47:00
少なくとも仏教的には弘法大師の諸著が圧倒的高みにあることは明か。
737 :
考える名無しさん:2006/05/30(火) 23:50:51
あーーみんなすげー勉強している;;敷居高いっス(TーT
私は、正法眼蔵読破したあと言語追求やめました。これ以上無いと思ったから。
それから忘れました。覚えている事さえ無意味に思ったから。今はフィーリング重視。
昔の映画、音楽、山登り。もちろん座禅は日課ですけど^^
738 :
考える名無しさん:2006/05/31(水) 00:03:30
>>737 坐禅やってるなら、「座禅」ではなく「坐禅」と書こう。
739 :
考える名無しさん:2006/05/31(水) 10:56:26
坐禅では、偏り過ぎ・・・!
余りにも、部分的な修行しか出来ない。
印度から中国そして日本と渡ってくるうちに、大切な部分が欠落してしまった。
本来の釈尊の実践ヨーガたる八正道、三十七菩提分法に戻ろう。
740 :
考える名無しさん:2006/05/31(水) 17:03:45
まっ、禅もヨーガの一部だからな・・・。
741 :
考える名無しさん:2006/05/31(水) 17:17:57
>>739 余計なものをわざと省いて釈尊の「心」だけを直接に伝えるのが禅なんだが。
まあ意見は色々あると思うが、いずれにせよ
「禅は省略しすぎ」なんて指摘は上記のように明らかに想定の範囲内なんで、
それを指摘するだけでは禅に対する有効な批判とはなり得ない。
742 :
考える名無しさん:2006/05/31(水) 20:18:50
>>738 おーーそうだ忘れてました;;坐禅ね坐禅^^
ちなみに僕は自分なりにいろんなもの取り入れて効果的かつシンプルにした坐禅
なので、純粋な坐禅ではないかも。しかし基盤はやはり、ただひたすらの精神です。
禅は中国色が強い仏教だ
>>743 たしかに表面を見ると中国色が強い。宋かぶれ(??)の道元たちが「怎麼生(そもさん)」
なんていうナマの中国語会話まで持ち込んでいるし…
ただ、禅を深く検討すると、中国色というより「小乗仏教色」が濃くなっている仏教だと思う。
衆生救済より自己の悟りを優先課題とすること、主として瞑想によって悟りを得ようとすること、etc.
>>736 中身は華厳思想の亜流で、既出の物ばかりですよ。
発想もおおむね従来の思考の延長上にある。その中の密教がどの程度まで
理解されていたか、そこが問題。
746 :
考える名無しさん:2006/05/31(水) 23:22:14
>>744 曹洞宗に悟りなんてあったっけ?僕はしらなんだ;;
そもそも小乗・大乗なんてあるのか?
そもそも一般的に考えて自分の事も出来ないのに人の事なんて救済できるのか?
それかみなさん、我信ずる経典こそ一番素晴らしい・・・なんてみっともないやり取りしないほうがいいっすよ;;
どれもそれぞれ得るものあればそれでいいじゃん。心狭すぎ。頭固すぎ。どうしてこうも宗教ってやつは人をおバカにしてしまうんだろか。
747 :
考える名無しさん:2006/06/01(木) 15:44:42
人をバカだ頭が固いだの言う奴が一番バカで頭が固いのだ!
小乗・大乗の存在は歴史的事実なの・・・!
曹洞宗にも悟りありきだ。坐禅即ち悟りなり。
一寸坐れば一寸の仏・・・。
21世紀の今日、我が宗のみ尊しなんていうのはカルト教団だけなの。
政治とテロのおかげで過激な独尊的宗教と誤解されているイスラム教ですら
本来は寛容で他宗教との調和をめざす宗教だったの・・・!
748 :
考える名無しさん:2006/06/01(木) 19:15:34
>>747
ほえーそうかい。歴史的事実なんかい。悲惨な歴史的事実ですね。キリスト教の
歴史的事実とさほど変わらんのですね。いと悲しゅうございますTT
坐禅即ち悟り?マジで?坐禅即ち仏の間違いじゃないの?
悟りと仏って一緒なの?
悟りとか迷いという相対的世界を超えたところに坐禅なるものがあるんじゃないの?
今の曹洞宗は悟りなんてチンケなもん掲げるようになったんか;;終わったな・・・。
>>748 747さんの書き込みが正鵠を射ているかどうかは議論の余地があるとして、
748の書き込みは具体的な書き込み無しでただ煽っているだけのもの。
タチが悪いね。
750 :
考える名無しさん:2006/06/02(金) 19:07:32
>>749 他に感想ないんかい;;
僕は基礎知識があると思ってスレってるだけなんだけどね。
まあ、基礎知識ないならそれでいいや。スレるとこ間違えたらしい。御免なさい皆さん。
by748
>>750 >僕は基礎知識があると思ってスレってるだけなんだけどね。
>まあ、基礎知識ないならそれでいいや。スレるとこ間違えたらしい。御免なさい皆さん。
ほとんど意味が分からない日本語なんだけれど……
最低限、他の人にも分かる文章が書けるようになってから書き込みして下さい。
よろしくお願いしま〜す。
748は性格がスレているらしい(w
753 :
考える名無しさん:2006/06/03(土) 17:10:17
ふむふむ。確かに文章力ない事は認めます。しかしーだ、君たちは>>744に対して反論しようという意欲はないのかね?
それとも納得しちゃったの?。実に不可思議な人達だ(−−
>>753=748
反論するとかだけの内容を持っていないでしょ?
だから「煽り」とか書かれているジャン 分かっている?
何を対象として曹洞宗の?道元の?何をどう思っているのか書かないと、
誰も答えようがないと思うよ。
2ちゃんでもそれくらいのことは必要なのよね。
>>753=748
端から読んでいると、あなたの
>心狭すぎ。頭固すぎ。どうしてこうも宗教ってやつは人を
>おバカにしてしまうんだろか。
こういう考えが先に立っているのが、見え透けてしまっている、と感じられる。
こういうのを「教えて君」というんだろうね。
某掲示板を見てて初めて知ったが
--------------------------------------------------------------
「教えて君」というのは、きわめて自己中心的で、依存心の強い、強
欲の知的怠け者である。
思えば、「教えて君」は、戦後教育が生み出した鵺かもしれぬ。学校、
塾を問わず、常に受け身で過ごし、自分で考え、自分で行動する習慣を
欠いたまま、大人になってしまった化け物である。
ただ、同情の余地はあるにせよ、これからの時代、「教えて君」が通
用するほど、この国も微温的ではありえまい。「教えて君」よ。君の未
来は暗いぞ。
世に悪名高い2ちゃんねるという巨大掲示板がある。あそこが、曲が
りなりにも情報交換の場として継続しているのは、罵倒してでも、「教
えて君」を排除しているからである。初心者用スレッドを用意して、教
えて君が他のスレッドを徘徊するのを阻止している。
それでも、板の雰囲気を弁えずに登場する「教えて君」が後を絶たぬ。
自分が罵倒されることさえ予測できぬ想像力の欠如には、唖然を通り越し
て慄然とする。
----------------------------------------------------------------
というような記事があった。
757 :
考える名無しさん:2006/06/04(日) 22:42:37
それだけか・・・つまらん(−−
煽られたっていいんでねーの?
758 :
考える名無しさん:2006/06/04(日) 22:51:46
つまらんって、そりゃあないだろう・・・?
せっかく
>>756さんがお前のために書いてくれたのに・・・?
少しは反省汁・・・!
760 :
考える名無しさん:2006/06/05(月) 19:52:11
いやまさか自分の為に書いてくれたとは思いませんでした^^>
戦後教育ねーー。自分がそんな影響受けていたら親が泣いて喜ぶよ;;
「正法眼蔵」って、「しょうぼうげんぞう」じゃなくて「しょうほうがんぞう」だと思ってた。
それ以下ってことね・・・^^>
763 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 18:24:41
つまりだ、君らは常に能動的に過ごし、自分で考え、自分で行動し、依存心ない
と思っているんだね。実に立派なものだ。そのわりには「戦後教育」なんてもの
に締めくくって、それに賛同している君らの知性はなんなんだろうね。もっと考
えてごらん。今に始まった事か?歴史を見てごらん。
764 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 00:31:59
尊公の言う歴史とは?
765 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 02:43:32
それ以前に戦前教育を受けた世代は2chに来ないだろw
知性のかけらのない書き込みを繰り返して、偉そうにのたまわっている763って一体(ry
767 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 09:37:00
763の文章には763の人となりが、良く現れているんだろうと思う。
768 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 19:44:22
小生の言う歴史とは
すべての生命は生きるという衝動によって活動している。まあ、種なるものが繁栄
し過ぎた為に自滅的方向に向かう例もあるが、根本は種の繁栄であると思っている。
無論人類も然りである。では生きるとは何か?生きるとは存在し続けることである。
存在とはなにか?存在とは自己と他に境界線を設定すること、つまり時間と空間の設
定である。時空間とは勿論概念により設定されたものに過ぎない。人間とは、もしく
はもっと内なる何物かは虚無なる世界に存在を欲した。初期設定では境界線、時空間
を設定したに過ぎないが、これがどんどん複雑化していくことになる。
生命もしくは、その内なる何物かは吸収と排泄とを存在理由として定義づけするよう
になる。エネルギーを吸収しそれを別のものに変換し排泄する。老化現象、生命の死
なるものが何故設定されているのかは小生も洞察するに至っていない。吸収と排泄と
は物理的現象だけではなく精神においても同じ事が言える(精神なるものが物理的現
象と別なるものとは言い難いのであるが)。
なんてつらつら書いているが、読む方も面倒だろう。小生も面倒だ。
あいかわらず意味のない文章
770 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 20:32:02
>>768みたいな文章を典型的なオナニー文章って言うんだろうね・・・。
ただ、ただ、自己満足のみの自家発電的文章・・・。
それで人を批判しようとするからどうしようもない
772 :
四式:2006/06/07(水) 22:34:16
773 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 23:15:01
>>768 よく分からないが、素朴実在論を前提とするセム的直線史観ですか?
オラ的には歴史は、諸認識の一解釈体系なんだけど。
つまり、歴史は鏡にはなるが、一義的真実としての事実などありえないという意味。
というか自演はやめてけれ
775 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 19:51:00
はい、これは私のオナニーであり、排便であります。
つまりこれが精神の排泄であります。
みなさんもタンマリうんこしたらどうだ?
776 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:59:42
汚いしー、見っとも無いので他でやってくんない・・・?
777 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 04:46:59
会話する気があるなら下品でも良いんだけど、不快感を与えるのが目的なら出てけ。
スルーでお願いします
779 :
考える名無しさん:2006/06/11(日) 01:29:16
了解!
780 :
考える名無しさん:2006/06/13(火) 10:30:06
>>775 お前、自分で気づかずにセクハラで訴えられるタイプじゃない?
782 :
考える名無しさん:2006/07/23(日) 16:58:06
宗門大学一覧
浄土宗・浄土真宗の浄土系大学
埼玉工業大・大正大・淑徳大・東海学園大・☆佛教大・京都文教大
武蔵野大・同朋大・龍谷大・京都女子大・大谷大・大阪大谷大・兵庫大
以前の宗門では東洋大も含んでいたが、今は手を切っている。
曹洞宗
東北福祉大・駒澤大・駒澤女子大・愛知学院大
真言宗
大正大・高野山大・種智院大
天台宗
大正大・京都精華大
宗門大学 僧侶養成校「同宗派に複数ある場合ランク順」
浄土真宗本願寺派・・龍谷・同朋・九州龍谷短大
浄土真宗大谷派・・大谷・大谷短大
浄土宗・・佛教・大正・西山短大
曹洞宗・・駒澤・東北福祉・愛知学院・鶴見
臨済宗・・花園
日蓮宗・・立正・身延山
真言宗・・大正・種智院・高野山
天台宗・・大正
宗門大学 非僧侶養成大学
浄土真宗本願寺派・・京都女子・京都女子短大・武蔵野・兵庫
浄土真宗大谷派・・京都光華女子・大阪大谷・各地の大谷短大
浄土宗・・京都文教・淑徳・東海学園・埼玉工業・華頂女子短大・淑徳短大
曹洞宗・・駒澤女子
日蓮宗・・文教
和宗・・四天王寺国際仏教
「正法眼蔵は日本史上最高の哲学書・仏教書」か?
まだ評価が一定しないように思う。
なかなか正法眼蔵に道元の本意が見出しにくいのか?
正法眼蔵中の時間論は、なんのこっちゃ?です。
奥深く、何時もあらゆる人の興味ある書物であり続けることは確かでしょう。
『正法眼蔵随聞記』のほうがキャッチーで好きです。
だれか正法眼蔵についてポップな見解出して欲しいものです。
とくに曹洞宗宗門大学のかた。
784 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 08:56:10
正法眼蔵あげ
785 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 09:06:30
彼は十二因縁をどう考えていたのか教えてください
786 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 09:24:44
仏教は基本的に昔の学僧が立てられたものであって現代の学者が西洋の精神と肉体をわけて物事を解釈していく方向にあるのに対して学僧たちは時代からそれを高次のレベルで綜合していたものだと考えられる。
787 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 09:25:38
そういう意味で仏教は日本人のこころに根強く残り宗派の慣習や思想はそのまま個々のパーソナリティーの根幹を成している
788 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 09:43:14
ちなみに自然によった宗派とそうでない宗派があり後者に問題がある。それから宗派が作り出した元凶があり逆に安全を確証したものを持つ人たちがいてしかし世界は動くので充分巻き込まれる可能性が残る
仏道を習うというは、自己を習うなり。
自己を習うというは、自己を忘るるなり。
自己を忘るるというは、万法に証せらるるなり。
790 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 09:49:32
もちろん十三宗五十五派にはそれぞれ真実がありしかし以前としてすべてを包含している。何があったかなにがおこるかは充分に承知しておかないとこわい
十三宗五十六派では?
792 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 18:41:10
曹洞宗あげ
793 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 19:04:58
>現代の学者が西洋の精神と肉体をわけて物事を解釈していく
「現代」もそうなのかな。
794 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 19:13:14
深甚因果
795 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 09:41:39
正法眼蔵ってどういう意味?
796 :
道元:2006/08/05(土) 14:53:56
正しい法を収めるマナコ
797 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 14:54:56
でも道元はちょっと偏ってると思う。
798 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 17:11:26
正しい法を収めるマナコってどういう意味?
799 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 17:23:29
鈴木大拙は曹洞宗?
800 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 17:40:02
800!!!
801 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 17:42:47
正しい法をおさえたマンコだよ。
は冗談だけど、
インドでは古来、法(仏法)が書かれた経典の原本は
マンコ(奴隷の)に保存されていたんだよ。
802 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 17:50:27
日本史上最高の哲学書・仏教書は教行信証でどう?
803 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 17:52:06
日本史上最高の哲学書・仏教書は秘密曼荼羅十住心論でどう?
804 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 17:53:53
日本史上最高の哲学書・仏教書は観心覚夢鈔でどう?
805 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 18:14:05
日本史上最高の哲学書・仏教書は…何だろ
影響力では往生要集だろ
日本人の考える地獄はあれだ
807 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 09:25:42
源信だっけ?
808 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 09:52:33
度々度々右舷
809 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 09:53:11
「有時」ってそんなに凄いの?
810 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 09:55:15
811 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 10:06:57
812 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 10:08:13
813 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 10:09:17
814 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 10:12:08
815 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 10:26:46
日曜の朝から何してんの?
816 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 10:28:48
ん布教活動家?
817 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 10:32:14
助けた
日本史上最高の哲学書・仏教書は「鈴木大拙全集」だ・・・。
日本史上最高の哲学書・仏教書は古事記伝だ
820 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 16:53:42
日本史上最高の哲学書・仏教書は善の研究でどうよ
821 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 16:55:00
世界史上最高の哲学書・仏教書は中論だろうな
822 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 16:55:58
古事記伝って・・・
仏教書ではないのでは?
823 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 16:56:43
824 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 16:57:25
825 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 16:58:04
日本史上最高の哲学書・仏教書はZガンダムだ
826 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 16:58:44
827 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 16:59:26
828 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 09:46:12
829 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 09:46:52
830 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 09:48:15
830
831 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 09:49:11
832 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 09:49:55
833 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 09:50:30
834 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 09:51:46
835 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 09:52:33
貼ってる人へ
URLにamazonのIDが入ったままだから削った方がいいよ
837 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 16:24:50
新編日本古典文学全集 (44) 方丈記 徒然草 正方眼蔵随聞記 歎異抄 1
838 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 16:25:25
曹洞宗のお経 わが家の宗教を知るシリーズ
839 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 16:26:07
現代文訳 正法眼蔵 1 道元石井 恭二
840 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 16:28:21
現代文訳 正法眼蔵 2 道元石井 恭二
841 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 16:29:00
現代文訳 正法眼蔵 3 道元石井 恭二
842 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 16:30:03
現代文訳 正法眼蔵 4 道元石井 恭二
843 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 16:30:40
現代文訳 正法眼蔵 5 道元石井 恭二
844 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 16:31:22
道元―自己・時間・世界はどのように成立するのか 頼住 光子
845 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 07:47:29
典座教訓(てんぞきょうくん)・赴粥飯法(ふしゅくはんぽう) 講談社学術文庫
道元 (著), その他 文庫 (1991/07) 講談社
846 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 07:48:35
新編日本古典文学全集 (44) 方丈記 徒然草 正方眼蔵随聞記 歎異抄 1
神田 秀夫 (翻訳), その他 単行本 (1995/02) 小学館
847 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 07:49:59
曹洞宗のお経 わが家の宗教を知るシリーズ
中野 東禅 単行本(ソフトカバー) (2000/07) 双葉社
848 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 07:50:37
正法眼蔵随聞記 岩波文庫
懐奘 (編集), 和辻 哲郎 文庫 (1982/01) 岩波書店
849 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 07:51:22
食う寝る坐る永平寺修行記 新潮文庫
野々村 馨 (著) 文庫 (2001/07) 新潮社
850 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 07:52:16
元禅師に学ぶ人生―典座教訓をよむ NHKライブラリー
青山 俊董 (著) 単行本 (2005/03) 日本放送出版協会
851 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 07:52:53
古仏のまねび「道元」―仏教の思想〈11〉 角川文庫―角川文庫ソフィア
高崎 直道 (著), 梅原 猛 (著) 文庫 (1997/02) 角川書店
852 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 07:53:34
禅と人生―人生の目的、正しい仏教、十牛図講話、正法眼蔵弁道話提唱ほか 原田祖岳著作集
原田 祖岳 (著), 出口 鉄城 (編集) 単行本 (2005/07) 原書房
853 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 13:17:56
正法眼蔵〈1〉 岩波文庫
道元 (著), 水野 弥穂子 文庫 (1990/01) 岩波書店
854 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 13:18:35
曹洞宗の常識
中野 東禅 (著) 単行本(ソフトカバー) (2000/02) 朱鷺書房
855 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 13:19:06
天界の禅者大いに語る―正法眼蔵、法華経、古神道の真髄
立花 大敬 (著) 単行本 (2005/09) 潮文社
856 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 13:19:36
マンガ 道元入門―真の仏法を求めた魂の軌跡 サンマーク文庫
白取 春彦 (著), その他 文庫 (2000/12) サンマーク出版
857 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 13:20:15
道元禅師語録 講談社学術文庫
鏡島 元隆 (著) 文庫 (1990/10) 講談社
858 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 13:20:49
正法眼蔵〈2〉 原文対照現代語訳 道元禅師全集
水野 弥穂子 (翻訳) 単行本 (2004/05) 春秋社
859 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 13:21:27
道元
松原 泰道 (著) 単行本 (2000/10) アートデイズ
860 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 13:21:58
道元 「小参・法語・普勧坐禅儀」 <全訳注> 講談社学術文庫
大谷 哲夫 (著) 文庫 (2006/06/09) 講談社
861 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 07:10:49
道元
松原 泰道 (著) 単行本 (2000/10) アートデイズ
862 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 07:11:23
元 「小参・法語・普勧坐禅儀」 <全訳注> 講談社学術文庫
大谷 哲夫 (著) 文庫 (2006/06/09) 講談社
863 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 07:11:58
『正法眼蔵』を読む人のために
水野 弥穂子 (著) 単行本(ソフトカバー) (2000/02) 大法輪閣
864 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 07:12:30
正法眼蔵〈3〉 岩波文庫
道元 (著), 水野 弥穂子 文庫 (1991/07) 岩波書店
865 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 07:13:03
正法眼蔵随聞記講話 講談社学術文庫
鎌田 茂雄 (著) 文庫 (1987/04) 講談社
866 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 07:13:34
正法眼蔵〈4〉 岩波文庫
道元 (著), 水野 弥穂子 文庫 (1993/04) 岩波書店
867 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 07:14:06
良寛さん―花と空の人間学 チッタ叢書
中野 東禅 (著) 単行本(ソフトカバー) (1998/04) 四季社
868 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 07:16:02
正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫
水野 弥穂子 (翻訳) 文庫 (1992/10) 筑摩書房
869 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 13:25:04
正法眼蔵〈1〉 原文対照現代語訳・道元禅師全集
水野 弥穂子 (翻訳), 鏡島 元隆 単行本 (2002/10) 春秋社
870 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 13:25:37
道元禅師旧蹟紀行
小倉 玄照 (著) 単行本 (2002/06) 誠信書房
871 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 13:26:11
道元のコスモロジー―『正法眼蔵』の核心
岡野 守也 (著) 単行本 (2004/03) 大法輪閣
872 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 13:26:42
〈マンガ〉正法眼蔵入門―道元の「仏法」に迫る サンマーク文庫
白取 春彦, 登 竜太 文庫 (1998/04) サンマーク出版
873 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 13:28:35
うちのお寺は曹洞宗 わが家の宗教を知るシリーズ
藤井 正雄 単行本(ソフトカバー) (1997/12) 双葉社
874 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 13:29:07
道元断章―『正法眼蔵』と現代
中野 孝次 (著) 単行本 (2000/06) 岩波書店
875 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 13:29:39
正法眼蔵随聞記 講談社学術文庫
山崎 正一 (翻訳) 文庫 (2003/11) 講談社
876 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 13:30:11
普勧坐禅儀を読む―宗教としての道元禅
内山 興正 (著) 単行本 (2005/07) 大法輪閣
877 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 18:09:42
列挙しても意味がない。以下で十分だ。これ以上は、古典的註を読むしかない。
原文:岩波文庫
達人の解釈:西有穆山『正法眼蔵啓迪』大法輪閣
仏教学者の読み:玉城康四郎訳
諸註の解釈学:森本和夫訳
878 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 20:05:26
良寛の詩と道元禅
竹村 牧男 (著) 単行本 (1991/06) 大蔵出版
879 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 20:06:39
十二巻『正法眼蔵』の世界
水野 弥穂子 (著) 単行本 (1994/03) 大蔵出版
880 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 20:07:53
道元の世界―仏教に生きた人たち 仏教コミックス
ひろ さちや (著), 横山 まさみち 単行本 (1997/06) 鈴木出版
881 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 20:09:15
図解雑学 道元 図解雑学シリーズ
中野 東禅 (著) 単行本 (2004/08) ナツメ社
882 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 20:09:46
道元の読み方―今を生き切る哲学--正法眼蔵 ノン・ブック
栗田 勇 (著) 新書 (1984/11) 祥伝社
883 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 20:11:22
正法眼蔵参究―弁道話 正法眼蔵参究シリーズ
安谷 白雲 (著) 単行本 (1999/03) 春秋社
884 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 20:12:13
永平広録〈2〉 原文対照現代語訳・道元禅師全集
道元 (著), 鏡島 元隆 (翻訳) 単行本 (1999/12) 春秋社
885 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 20:13:03
正法眼蔵〈2〉 講談社学術文庫
増谷 文雄 (翻訳) 文庫 (2004/05) 講談社
886 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 21:32:29
日本人の過去とは暗い闇とそれを照らす夜明けとの相関関係。繰り返し。この暗くて深い川をなんとかしてほしい。
887 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 21:39:41
でどうするよこの状況。妙法蓮華経と阿弥陀仏の違いは妙と無妙、光と自然性の違い。
888 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 21:46:38
でいいか?状況の妙と嘘も方便?怖くねえ?何故こうなった
889 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 10:02:41
正法眼蔵〈3〉 講談社学術文庫
増谷 文雄 (翻訳) 文庫 (2004/09) 講談社
890 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 10:04:06
宝慶記講話〈上〉
西嶋 和夫 (著)
891 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 10:04:37
「正法眼蔵」読解 3 (全10巻) ちくま学芸文庫
森本 和夫 (著) 文庫 (2004/03/12) 筑摩書房
892 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 10:05:09
あなただけの修証義―カラー版『道元禅師の生涯』つき
中野 東禅 (著), その他 単行本(ソフトカバー) (2000/12) 小学館
893 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 10:05:39
正法眼蔵〈7〉 講談社学術文庫
増谷 文雄 (翻訳) 文庫 (2005/07) 講談社
894 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 10:06:13
西谷啓治著作集〈第22巻〉
西谷 啓治 (著) 単行本 (1991/04) 創文社
895 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 10:06:46
永平広録(下)
道元 (著), 石井 恭二 (翻訳) 単行本 (2005/07/20) 河出書房新社
896 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 10:07:35
正法眼蔵―ありのままを生きる 現成公案の巻
酒井 得元 (著) 単行本 (2005/06) 大法輪閣
897 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 17:31:14
道元の読み方―今を生き切る哲学--『正法眼蔵』 祥伝社黄金文庫
栗田 勇 (著) 文庫 (2001/07) 祥伝社
898 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 17:31:54
永平広録〈4〉永平語録 原文対照現代語訳 道元禅師全集
鏡島 元隆 (翻訳) 単行本 (2000/07) 春秋社
899 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 17:32:24
道元「禅」とは何か―「正法眼蔵随聞記」入門〈第6巻〉
遠藤 誠 (著), 紀野 一義 (著) 単行本 (2002/11) 現代書館
900 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 17:34:03
宝慶記・正法眼蔵随聞記 原文対照現代語訳 道元禅師全集
伊藤 秀憲 (翻訳), その他 単行本 (2003/08) 春秋社
901 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 17:35:14
永平清規 赴粥飯法提唱
西嶋 和夫 (著)
902 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 17:36:04
永平清規 典座教訓提唱
西嶋 和夫 (著)
903 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 17:36:57
永平広録〈1〉 原文対照現代語訳・道元禅師全集
道元 (著), 鏡島 元隆 (翻訳) 単行本 (1999/11) 春秋社
904 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 17:37:27
原文対照現代語訳・道元禅師全集〈第12巻〉永平広録3
鏡島 元隆 (翻訳) 単行本 (2000/02) 春秋社
905 :
考える名無しさん:2006/08/11(金) 07:17:36
高校生と正法眼蔵随聞記
飯田 利行 (著) 単行本 (2001/03) 邑心文庫
906 :
考える名無しさん:2006/08/11(金) 07:18:09
正法眼蔵〈1〉
石井 恭二 (翻訳), 道元 単行本 (1996/06) 河出書房新社
907 :
考える名無しさん:2006/08/11(金) 07:26:42
ゲンセイチュウってなにもない?
908 :
考える名無しさん:2006/08/11(金) 07:37:49
日蓮宗の木仁ちゃん?理がわかれば意味もわかるぞ
909 :
考える名無しさん:2006/08/11(金) 07:55:55
而今の山水は、古仏の道現成なり。ともに法位に住して、究尽の功徳を成ぜり。空劫已然の消息なるがゆえに、而今の活計なり。朕兆未萌の自己なるがゆえに、現成の透脱なり
910 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 12:04:45
age
911 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 12:07:55
正法眼蔵〈2〉
石井 恭二 (翻訳), 道元 単行本 (1996/07) 河出書房新社
912 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 12:08:34
知っておきたい曹洞宗 わが家の宗派シリーズ
角田 泰隆 単行本 (2003/12) 日本文芸社
913 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 12:09:11
正法眼蔵〈別巻〉
石井 恭二 (翻訳), 道元 単行本 (1998/12) 河出書房新社
914 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 12:09:44
正法眼蔵〈4〉
石井 恭二 (翻訳), 道元 単行本 (1996/10) 河出書房新社
915 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 12:10:14
正法眼蔵〈3〉
石井 恭二 (翻訳), 道元 単行本 (1996/09) 河出書房新社
916 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 12:10:47
道元禅師・典座教訓 すずやかに生きる
青山 俊董 (著) 単行本 (1994/10) 大蔵出版
917 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 12:11:18
正法眼蔵を読む〈1〉
春日 佑芳 (著) 単行本 (1999/11) ぺりかん社
918 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 18:46:12
永平広録(中)
道元 (著), 石井 恭二 (翻訳) 単行本 (2005/05/11) 河出書房新社
919 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 18:46:44
正法眼蔵を読む
寺田 透 (著) 単行本 (1997/07) 法蔵館
920 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 18:47:28
正法眼蔵〈3〉 ワイド版岩波文庫
道元 (著), 水野 弥穂子 単行本 (1993/12) 岩波書店
921 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 18:48:07
正法眼蔵〈1〉 講談社学術文庫
増谷 文雄 (翻訳) 文庫 (2004/04) 講談社
922 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 18:48:44
『正法眼蔵』講義―現成公案・摩訶般若波羅蜜
竹村 牧男 (著) 単行本 (2005/01) 大法輪閣
923 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 18:49:18
道元辞典
管沼 晃 (編集) 単行本(ソフトカバー) (1999/09) 東京堂出版
924 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 18:49:50
正法眼蔵〈2〉 ワイド版岩波文庫
道元 (著), 水野 弥穂子 単行本 (1993/11) 岩波書店
925 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 18:50:21
正法眼蔵参究―現成公案
安谷 白雲 (著) 単行本 (1999/03) 春秋社
926 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 08:03:18
現代文訳 正法眼蔵 1 河出文庫
道元 (著), 石井 恭二 (翻訳) 文庫 (2004/07/02) 河出書房新社
927 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 08:03:49
現代文訳 正法眼蔵 2 河出文庫
道元 (著), 石井 恭二 (翻訳) 文庫 (2004/08/05) 河出書房新社
928 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 08:04:36
現代文訳 正法眼蔵 3 河出文庫
道元 (著), 石井 恭二 (翻訳) 文庫 (2004/09/04) 河出書房新社
929 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 08:05:06
現代文訳 正法眼蔵 4 河出文庫
道元 (著), 石井 恭二 (翻訳) 文庫 (2004/10/05) 河出書房新社
930 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 15:10:15
現代文訳 正法眼蔵 5 河出文庫
道元 (著), 石井 恭二 (翻訳) 文庫 (2000/11/05) 河出書房新社
931 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 15:10:49
道元禅師に学ぶ人生―典座教訓をよむ NHKライブラリー
青山 俊董 (著) 単行本 (2005/03) 日本放送出版協会
932 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 15:11:20
典座教訓(てんぞきょうくん)・赴粥飯法(ふしゅくはんぽう) 講談社学術文庫
道元 (著), その他 文庫 (1991/07) 講談社
933 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 15:11:55
道元―自己・時間・世界はどのように成立するのか シリーズ・哲学のエッセンス
頼住 光子 (著) 単行本 (2005/11) 日本放送出版協会
934 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 15:12:26
正法眼蔵随聞記 岩波文庫
懐奘 (編集), 和辻 哲郎 文庫 (1982/01) 岩波書店
935 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 15:13:01
道元 「小参・法語・普勧坐禅儀」 <全訳注> 講談社学術文庫
大谷 哲夫 (著) 文庫 (2006/06/09) 講談社
936 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 15:13:41
道元禅師語録 講談社学術文庫
鏡島 元隆 (著) 文庫 (1990/10) 講談社
937 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 15:14:34
新編日本古典文学全集 (44) 方丈記 徒然草 正方眼蔵随聞記 歎異抄 1
神田 秀夫 (翻訳), その他 単行本 (1995/02) 小学館
938 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 21:09:10
天界の禅者大いに語る―正法眼蔵、法華経、古神道の真髄
立花 大敬 (著) 単行本 (2005/09) 潮文社
939 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 21:09:43
曹洞宗のお経 わが家の宗教を知るシリーズ
中野 東禅 単行本(ソフトカバー) (2000/07) 双葉社
940 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 21:11:15
曹洞宗の常識
中野 東禅 (著) 単行本(ソフトカバー) (2000/02) 朱鷺書房
941 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 21:12:38
『正法眼蔵』を読む人のために
水野 弥穂子 (著) 単行本(ソフトカバー) (2000/02) 大法輪閣
942 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 21:13:16
道元
松原 泰道 (著) 単行本 (2000/10) アートデイズ
943 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 21:13:46
正法眼蔵〈2〉 原文対照現代語訳 道元禅師全集
水野 弥穂子 (翻訳) 単行本 (2004/05) 春秋社
944 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 21:14:19
食う寝る坐る永平寺修行記 新潮文庫
野々村 馨 (著) 文庫 (2001/07) 新潮社
945 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 21:14:51
古仏のまねび「道元」―仏教の思想〈11〉 角川文庫―角川文庫ソフィア
高崎 直道 (著), 梅原 猛 (著) 文庫 (1997/02) 角川書店
946 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 11:24:11
禅と人生―人生の目的、正しい仏教、十牛図講話、正法眼蔵弁道話提唱ほか 原田祖岳著作集
原田 祖岳 (著), 出口 鉄城 (編集) 単行本 (2005/07) 原書房
947 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 11:24:42
悟(さとり)―限りなき豊穣・正法眼蔵の世界
立花 大敬 (著) 単行本 (1989/11) 潮文社
948 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 11:25:12
正法眼蔵〈1〉 岩波文庫
道元 (著), 水野 弥穂子 文庫 (1990/01) 岩波書店
949 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 11:25:52
道元百話 仏教百話シリーズ 9
中野 東禅 (著) 単行本(ソフトカバー) (1998/06) 東方出版
950 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 11:27:12
修正義の仏教
水野 弘元 (著) 単行本 (2000/08) 春秋社
951 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 11:28:35
マンガ 道元入門―真の仏法を求めた魂の軌跡 サンマーク文庫
白取 春彦 (著), その他 文庫 (2000/12) サンマーク出版
952 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 11:29:44
禅のすすめ―道元のことば NHKライブラリー
角田 泰隆 (著) 単行本 (2003/03) 日本放送出版協会
953 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 11:30:31
道元「永平広録・上堂」選 講談社学術文庫
大谷 哲夫 (著) 文庫 (2005/02) 講談社
954 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 19:06:50
曹洞宗の常識
中野 東禅 (著) 単行本(ソフトカバー) (2000/02) 朱鷺書房
955 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 19:08:04
『正法眼蔵』を読む人のために
水野 弥穂子 (著) 単行本(ソフトカバー) (2000/02) 大法輪閣
956 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 19:09:24
道元
松原 泰道 (著) 単行本 (2000/10) アートデイズ
957 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 19:10:06
学道用心集―道元 学習と修行のこころえ
篠原 寿雄 (著) 単行本 (1994/01) 大東出版社
958 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 19:10:48
ウィトゲンシュタインから道元へ―私説『正法眼蔵』
黒崎 宏 (著) 単行本 (2003/02) 哲学書房
959 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 19:11:35
正法眼蔵〈2〉 原文対照現代語訳 道元禅師全集
水野 弥穂子 (翻訳) 単行本 (2004/05) 春秋社
960 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 19:11:47
道元って日本人だったっけ
961 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 19:12:33
食う寝る坐る永平寺修行記 新潮文庫
野々村 馨 (著) 文庫 (2001/07) 新潮社
962 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 09:59:48
現代語訳 正法眼蔵〈1〉
玉城 康四郎 (著) 単行本 (1993/10) 大蔵出版
963 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 10:00:18
現代語訳 正法眼蔵〈4〉
玉城 康四郎 (著) 単行本 (1994/04) 大蔵出版
964 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 10:01:00
現代語訳 正法眼蔵〈3〉
玉城 康四郎 (著) 単行本 (1994/02) 大蔵出版
965 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 10:01:31
禅と人生―人生の目的、正しい仏教、十牛図講話、正法眼蔵弁道話提唱ほか 原田祖岳著作集
原田 祖岳 (著), 出口 鉄城 (編集) 単行本 (2005/07) 原書房
966 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 10:02:03
悟(さとり)―限りなき豊穣・正法眼蔵の世界
立花 大敬 (著) 単行本 (1989/11) 潮文社
967 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 10:02:34
道元百話 仏教百話シリーズ 9
中野 東禅 (著) 単行本(ソフトカバー) (1998/06) 東方出版
968 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 10:03:10
道元・日々の生きかた―典座教訓・赴粥飯法・衆寮箴規
佐藤 達全 (著) 単行本 (2001/12) 大法輪閣
969 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 10:03:42
修正義の仏教
水野 弘元 (著) 単行本 (2000/08) 春秋社
970 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 19:14:40
洞宗の常識
中野 東禅 (著) 単行本(ソフトカバー) (2000/02) 朱鷺書房
971 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 19:15:11
正法眼蔵〈2〉 岩波文庫
道元 (著), 水野 弥穂子 文庫 (1990/12) 岩波書店
972 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 19:16:38
正法眼蔵』を読む人のために
水野 弥穂子 (著) 単行本(ソフトカバー) (2000/02) 大法輪閣
973 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 19:17:38
道元
松原 泰道 (著) 単行本 (2000/10) アートデイズ
974 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 19:19:03
学道用心集―道元 学習と修行のこころえ
篠原 寿雄 (著) 単行本 (1994/01) 大東出版社
975 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 19:20:25
ウィトゲンシュタインから道元へ―私説『正法眼蔵』
黒崎 宏 (著) 単行本 (2003/02) 哲学書房
976 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 19:21:20
正法眼蔵〈2〉 原文対照現代語訳 道元禅師全集
水野 弥穂子 (翻訳) 単行本 (2004/05) 春秋社
977 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 19:22:23
食う寝る坐る永平寺修行記 新潮文庫
野々村 馨 (著) 文庫 (2001/07) 新潮社
978 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 19:35:09
日本人の著作としては珍しく思索的な古典のことはたしかだね。
何だこの連投は?本のデータを貼り付けてるようだが価格は書かんのかね?