935 :
747:04/09/20 13:19:25
もう随分前のレスになってしまったけど
>>811で書いた内井氏への批判に対して
>>814が「互恵的利他行動においては、裏切りに対して制裁が想定されている。」
と書いているが、それは法律だろう。これまた当然のことながら何かの犯罪を犯しても
警察の捕まらなければこの種の制裁は一切無効だろう。
俗に言う「悪いことをしても捕まらなければいい」という考えに対して互恵的利他行為を主張
するということはどんな意味があるのだろうか。
お互いを信用して助け合うことは普通の意味でよいことだ。だが<だから>お互いを信用して
助け合わなければならない、といってそれを人に要請しても常に説得的な説明になるとは到底
言えない。
内井氏の議論では「囚人のジレンマ」でどちらの囚人も堅く口を閉ざす場合しか考えていないようだが
それならここには最初からジレンマなど存在しない。(だが実際にはそうではない、というのがこの
ジレンマの意味だろう)
そろそろ次スレ立ての時期かな。
>「われわれは,例えば『人を(簡単に)殺さない』という行動傾向
>を持っており,それは,進化論的に説明できる」という事実が
>あるとして,そこから,なぜ,「人を殺してはいけない」という
>道徳法則が出てくるのか,ということです。
出てこない。これを自然主義的誤謬という:「ムーアが言い出して、
学界に大きな衝撃を与えた言葉。要するに、「快さ」や「望まれるもの」など、
自然において存在するものによって「善さ」を定義しようとする試みは、
すべて失敗するから誤りである、とする説」
自然主義的誤謬という説自体が誤った発想に基づくものであるという批判も
あるのだけれど、これは一般人が道徳に関してだべってるレベルにおいては
無縁な話なので省くことにする。
938 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/09/28 13:03:09
もはや自然主義の誤謬もないだろう
自然主義の誤謬とは、ヒトラーもただの人間であることを認めることに対するヒステリックのようなもの
「もはや」でも何でも無く、よく考えればおかしいと誰にでも
すぐに分かること。進化論だろうと何だろうと、自然科学で
事実とされることが行動規範の当為を生むというのは、普通に
考えても意味不明。
940 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/09/28 13:16:06
だから普通にとかいいから説明しな
>>939 それは、「生む」てことを、「定義」云々の問題と混同してるだろ。
自然主義的誤謬の問題を、事実的なものと非事実的なものという区別に
重ね合わせて解釈することからして、かなり問題を含んでるわけだし。
ある種の道徳規範の発展を、進化論的にであれ如何様であれ自然科学的に
説明したとする。その説明が事実に基づく正しいものであったとして
「だから」何なのか、という話。それが事実「だから」その道徳規範に
したがって行動すべし、という当為命題にどうしたら繋がるのか。
直接繋げても意味不明なのは誰が見てもわかること。
例えば、政治科学者がある選挙区の投票行動パターンを正確に説明、
予測したところで、それに従って自分自身が具体的な誰かに投票すべき、
などと考えるのが馬鹿げてるのと同じ。
943 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/09/28 13:30:36
正しいとしてだからなんなのか?
なんなのかなんか、おまえは心配するな。それはそれで考え人がいる
正しい可能性があるか、ないかだ
>>942 それは、「直接繋げる」てのがどうゆう意味かに懸かってくる問題だよ。
そこを明確にしないで、自然主義的誤謬とか持ち出してくるのは、
全く空疎な話だと思うけど。
>>944 自分の行動規範にどう繋げるか、という倫理の話だろう?
無論、自分自身だけじゃなく、他人も含めた社会のあり方、
進むべき方向といった話にも繋がってきうる問題。
で、その進化論的説明とやらが正しかったとして、だから何なのか?
それが正しかったとして、君自身の生き方に何らかの具体的な影響を
あたえるのか? キリンの首が長く進化したってのと同程度の意義しか
無いないなら、倫理的にはどうでもいい「空疎」な話だろう。
まあ、空疎な話に付き合うのは止めるとして、
今問題になってる二つのレベルをどう繋げるか、ってことで言えば、
例えば、還元的な定義によって繋げるとか、因果的に繋げるとかいった
やり方の他に、
supervenience関係によって繋げる、というような考え方だってあるわけだから。
947 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/09/28 17:21:44
仮に、仮にだよ
人を殺してはいけないことが進化論的に、たしからしさを持ち証明されたら
大変なことだろう
948 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/09/28 17:25:33
人を殺してはいけない遺伝子ハつケーーン!
鼻クソぴかぁ〜
950 :
考える名無しさん:04/09/28 19:15:35
一気にクソスレ化!!!
951 :
考える名無しさん:04/09/28 20:42:57
>>945 それでこれからの倫理観がどう変化するか、
あるいは政府がなんか政策を行えば、その政策がどお倫理観に影響を与えるかの
予測がつくんじゃない?
>>951 今のところそのレベルにいってないんでは?
というか、倫理学ってのはある意味、道徳的概念を合理的に洗い直し、また新しい状況に拡張することなわけで(メタも規範も)
心理学的・社会学的に倫理的概念を分析できて、倫理的思考・社会的議論を科学的にシミュレートすることが可能になった場合、
それを使って倫理学的理論を作ってしまうこが可能になるわけで。
そのレベルまで行ってしまうと、未来予測どころの話ではなくなる。
953 :
考える名無しさん:04/09/28 21:53:05
ゆるやかにクソスレ化!!!
954 :
考える名無しさん:04/09/28 23:55:32
>>952 道徳の場合にどうなるのかは知らないが、科学技術のアイデアなんかだと、
ある意味、予測した時点で既に現実になってるよオイみたいなこともあるね。
例えば車輪の概念とか、予測した時点でその予測者が発明家になっている。
だからそういう予測は論理的に不可能ってことになる。
955 :
考える名無しさん:04/09/29 04:11:30
>>952 倫理学的理論というのは何?
倫理の内実を問う学問?
956 :
蘭貢:04/09/29 04:45:42
>>909 道徳心は、経験・体験から得る知識なでメンタル的なものだし。
>>955 倫理学で議論されてるような議論一般。
道徳的概念の分析から、個々の倫理的問題に関するものまで。
958 :
考える名無しさん:04/10/04 05:44:59
結局、進化論云々ってのはメタ倫理の新種みたいなもんで、
規範倫理たりえないわな。
959 :
考える名無しさん:04/10/04 11:32:07
だからこの時代に規範倫理を考えること自体がダメ。
永遠平和うんぬん語っているカントこそがヨーロッパにずっぽり足を嵌めていて、
他地域・多文化抑圧の根源だ
961 :
考える名無しさん:04/10/04 13:33:41
>>958 なぜ進化論(生物学)は規範倫理でないといえる?
進化論は規範倫理ではありえないだろう。
進化倫理学ならともかく、とまぜっかえしておく。
963 :
考える名無しさん:04/10/04 20:41:31
「責任」という問題について考察している
よみやすい倫理学書を教えて下さい
ハンス・ヨナスの「名前」しか出てこねーや。
あれは違うよな。
一通り検索してみましたが、いったいどれがいいのでしょう。
\840 戦争の罪を問う ヤスパース 平凡社 (1998/08)
\5,040 責任という原理 ハンス・ヨナス 東信堂 (2000/06)
\2,100 主観性の復権―心身問題から『責任という原理』へ ハンス・ヨナス 東信堂 (2000/07)
\3,675 テクノシステム時代の人間の責任と良心・現代応用倫理学入門 ハンク・レンク 東信堂 (2003/10)
\2,940 責任と自由 成田和信 勁草書房 (2004/05)
966 :
考える名無しさん:04/10/04 21:56:19
『責任という原理』はハンス・ヨナスの主著で有名だけど、読みやすくはない。
それじゃあ、ハンク・レンクと成田和信にしときますかな。
968 :
考える名無しさん:04/10/04 22:32:11
>>963 話がでかすぎる。まずは法哲学スレでカントの
応報刑論あたりについて聞いてみるといいかも。
971 :
考える名無しさん:04/10/06 16:20:55
人間の営みの全ては、適応と多様性で説明がつく。
倫理などというものは、環境にどのようにして適応すべきかという
永遠の問いかけでしかないのだよ。
972 :
考える名無しさん:04/10/06 16:46:53
北田の本は冗長すぎ。
責任の問題の他の議論がわんさか入っているごった煮本。
976 :
考える名無しさん:04/10/07 00:58:30
京都大関係者に多いよね。今西さんとかの影響なのかな・・・。
俺も、最初は京都大出身の教授から教わったんだ。
978 :
考える名無しさん:04/10/07 05:14:32
>\5,040 責任という原理 ハンス・ヨナス 東信堂 (2000/06)
これって、加藤尚武「現代倫理学入門(講談社学術文庫)」の
第13章「現在の人間には未来の人間に対する義務があるか」と
ほぼ内容が同じ?
パクリ疑惑?
名前あげて論じてるのならパクリじゃないのでは
それともカント研究者のカント本はすべてカントのパクリなのかよ
世代間倫理だべ
983 :
考える名無しさん:04/10/07 16:41:45
しかし哲学書は相変わらずうんざりするほど値段が高いのう。
ひとつわからないことがあるんですが、
今の倫理学では「子供を作る作らないは個人の自由」という
のが通説ですよね。
だったら、世代間倫理を説くのは基本的におかしいんじゃないでしょうか。
だって、「次の世代」なんて存在するかどうかわからないし、存在
しなくても構わない、ということになると思うのですが。
少なくとも「子供を作らない」人にとっては。