733 :
考える名無しさん:
734 :
考える名無しさん:04/09/01 13:10
>>733 何気に面白そう。。。
地上波で見れるの?一般の人も見れる?つうか見られる?
無知でゴメン(´・ω・`)
>>735 地上波で見られるのは関東一円だけじゃなかったかな?
CSなら全国無料放送で見られる・・・はずだよ。
詳しくは放送大学のHPをご参照あれ。
>>733 の紹介として、ほんの一部。
現代の科学的な知見と「創造」との関連:根源的な驚異について述べている所をご紹介しときます。
(第9回 十戒(2)より、倫理学の課題の一節、いちおうビデオから起こしたつもり。
・・・ノートを取るのさえも大変なほど一気呵成の早口。すごい情報量でつ・・・
機会があったらテレビの方を見てね。)こんな感じです。
創世記の冒頭の創造譚では、創造ということは紀元前四千年期〜六千年期のいつかの時代
に人格神がこの世を作ったと考えているわけです。しかし現代の科学の知見におきまして
は、四十六億年前に人格神なしに、地球と太陽系が作られた、生まれたと考えられている
わけです。これが抵触するわけで、「どちらが正しいのか」、といった問われ方がしばし
ばされますけれども、その問いの方向は間違っているのではないか、と思うわけです。
これは、古代の非科学的な、現代の科学の知見からすれば間違った知見しか持っていなか
った人々が、その時代の限界の中で、その時代の象徴を用いて、ある無制約的なリアリテ
ィということをどうにかして表そうとした。それがその物語だというならば、それが、そ
の象徴そのものが現代の知見に比べてどうなんだといった事を論ずる必要はない。むしろ、
指し示している無制約的なリアリティの方が何なのかということをこそ問うべきではない
かと存じます。そして、その事は一言で申すならば、われわれの命があるいは自然が決し
てわれわれが作り出したものではなくすでに与えられているという事に対する、これまた、
驚きの思い、驚嘆の思いである、という風に言う事が出来るのではないか、と存じます。
これは、もう少し細かくまた具体的に厳密に論じなければならない点ですけれども、この
ように論じて参りますと、現代のわれわれはすぐ、次のように疑問を感じるだろうと思い
ます。つまり、この世に命というものは決して受動的に与えられたものではなくて、もは
や能動的に作り出される時代になっているではないか、という反論です。しかし、実はこ
の反論は科学の原理的な限界という事を見ていないのではないか、と私は考えております。
つまり、DNAに何らかの操作を加える事によってクローン人間すらできる時代になりつつ
ありますけれども、しかし、そのことはDNAがすでにあたえられている、という事を一歩
も越えない、あるいはまた、ある操作を加えるとクローン人間が出来るという、そういう
自然法則が与えられている、という事を一歩も越えない。
つまり、全ての事の先所与性、すでに与えられているということ、その事について科学は
依然問うことは出来ないし、そのDNAを作りだすことは出来ないし、自然法則を造りだす
ことは出来ない。それが科学の原理的な限界であり、また人間の限界であるということに
なろうかと思います。そして、そのことを眼差した時に、われわれはやはり、すべての自
然が命がその法則が与えられているという事に対する驚きの思いに新たに満たされるとい
う事があるのではないか、と存ずるわけであります。
(普遍的なものを読み取って行く事が大事である。)
739 :
考える名無しさん :04/09/13 16:34:53
>>717 ひとつ疑問があるんだけど・・・・
何故(717の仮定で)その人は「なぜ倫理に従わなくてはいけないんですか?」
なんて尋ねたのかなあ?
こんなことを聞く人はもう既に半分以上倫理に足を突っ込んでるんじゃないのだろうか。
740 :
考える名無しさん:04/09/13 17:25:04
ニーチェ読んでる人、挙手お願いします。
741 :
考える名無しさん:04/09/13 18:03:14
>>733 俺は以前、それを見て、アリストテレスなんて古い、
現代の倫理はカントだと言ったら、宗教馬鹿にモー烈に批判されたど (´・ω・`)
>>741 アリストテレスの良さが分かるようになるまで、何回でも見てください。
俺は3回以降に気付いてビデオにとったので、それ以降は全部見ました。
一度ではとても理解しきれないけど、カントの批判も出て来てたはずです。
新しい古いだけで言えば、ちょっと触れた程度ですけど、ガダマーの解釈学の
話も出てましたよ。。。和辻とか。。。功利主義も…出てたような気が。たぶん。
利用できるところは利用するというスタンスでアリストテレスの限界も語られて
いたと思いますが、アリストテレスが新しい古いの一言で片付けられないのは
デフォ(言わずもがな)では?
番組で扱ってる対象が、ギリシャとイスラエルの旧約聖書の世界という事もあり、
宗教倫理の地味な議論が大きな比重を占めること自体は否定しませんが、
関根氏の関心はむしろ現代の方にこそあるんじゃないでしょうか。たぶん。
神学者や宗教馬鹿が見るときっと非難轟々の内容なんだろうな、と思って俺は
見てました。方法論が明らかに文献批判を通しての解釈学で、それを積極的には
表面に出さないで、自由な発想の語りに満ちていたと思います。
・・・とはいっても、何はともあれ俺が一番感心したのは、あのマシンガンのような
早口だったりします。そもそもあの語り口にあこがれるし、それだけかも知れませんが。
ていせい。
1行目:アリストテレスの良さが分かるようになるまで、何回でも見てください。 (・`ω´・)ムフー
3行目:カントの批判→カントへの批判
744 :
考える名無しさん:04/09/14 08:52:30
宇都宮芳明の放送大学テキスト「倫理学入門」ってどうよ