** 倫理学 **

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 野矢茂樹先生の講演会に行ってきた。
「ここからはじまる倫理」と講演内容は全くといっていいほど関係なかった。規
範の生成について野矢先生が考えることを披露したのだが、とても刺激的で面白
かった。以下、概要。

 人間には規範があるが、動物にはない。
 規範は恣意的なものである。例、囲碁のルール、停止信号。人を殺すなの規範
ですら同じことである。
 動物の「ねばならない」は、一見すると規範性があるとみる向きもあろうが、
それは違う。あくまで「手段としての有効性」であって規範性ではない。
 以上は前提。
 次に、「適応過剰が神経症の原因である」という心理学者の最近の理解をとり
あげ、これに上記の前提を加えて、以下のように論証する。
 1.規範への適応過剰は、規範意識の喪失をもたらす。
 2.規範意識の喪失は、意味の自覚の喪失をもたらす。
 3.意味の自覚の喪失は心の喪失をもたらす。それが神経症。
 *デカルト以来、心は意識に位置づけられることが主流だが、それはもはやあ
きらめるべきだ。心とは、人々の見方の相違のうち、物や身体に還元できないも
のである。「世界は反転画像である」が野矢氏のテーゼである(この部分、時間
の関係でとばし気味でわかりにくかった)。
 最後に、心の喪失をもたらさないための処方箋を2つあげる。
 1.教育。規範は恣意的なものであるから、幼少時は論理ではなく感受性に対
して、規範を刷り込む。しかしそれだけではだめで、子供が大きくなってから自
ら別の可能な見方を獲得しなければならない。
 2.他者との真の意味でのコミュニケーション。真の意味とは、自分とは別の
コードをもつ他者によりそって自分を変えていくことにより、自分の見方を認識
する、といったようなものである。
478456:04/06/27 23:57
 質疑応答では、規範の恣意性という先生の論に従えば、規範倫理学のやってる
ことはナンセンスということにならないかという鋭い質問が出た。
 これに対し、野矢先生は、メタ倫理学、記述倫理学は意義があるが、規範倫理
学には懐疑的だとし、もう少しながめてみたいと答えた。
 「ここからはじまる倫理」を訳したり、推奨したりするのは、規範倫理学説の
羅列ではなく、新たな見方の獲得が重要であることを強調しているところが素晴
らしいからだという。野矢氏が倫理学の教科書を出すつもりはないという。
479考える名無しさん:04/06/28 00:25
矢野さんは恣意性って言葉を使いたかっただけじゃないのw
480考える名無しさん:04/06/28 00:28
「道徳規範は恣意的なものだ」という説は、どういうことなのだろう?
481479:04/06/28 00:33
野矢の間違いだ、(´・ω・`)ショボーン
482考える名無しさん:04/06/28 01:02
人を殺すな、なんて普通必然的規範だと考えられるものを、
恣意的とみなすのはどういう観点なんだろう。
本能的なもののみを必然的と考えるということですかね。
483考える名無しさん:04/06/28 01:31
必然的規範なんて時代はないですよ
484考える名無しさん:04/06/28 03:41
「恣意的」という言葉を聞いて思い浮かぶのは、ソシュールの言う言語
の恣意性だが、この意味なのだろうか? 道徳=各々の社会の慣習的規
範、理性的根拠なし、ということ?
485428:04/06/28 05:15
>>463
>1「心の働き」を分析するには「言語」によって「心の働き」を表象しなければならない。
>→これは一種の規範的主張であるが、そうした主張がなされる理由として、
「しなければならない」と言う日本語は、別に規範のみを現すのではなく「必要性」も意味する。
枝葉末節にこだわるな。どちらも君の言い方では認識論的主張(認識論は知識とは何かだけではなく、規範性も扱うが)
したがって、君が言う「前提」と同値。つまり、それに言い換えてもかまわない。

>2「心の働き」を分析するには「言語」分析によって行われなければならない。(ry
>「「言語」によってしか「心の働き」を表象することができない」という認識論的主張に行き着くのではないか?
言語以外のものによる認識を言語分析することは無理なので、非言語認識による理解は不可能と考えることはそれほどおかしな話ではないだろう。
2言語分析によってのみ認識は行われなければならない、と言う事柄から
1言語によってのみ物事を表象することができる、と言う事を導き出すことも許されるだろう。
つまり、君の議論はここまでは正しい。

しかし、2から1が導かれ、1から1が導かれたとしても。2と1が同じ事だとはならない。
ここで要請されているのは、1と2が同じ事であるか、少なくとも、1から2が導かれなければならない、
ということ、2から1が導かれたとしても、何の意味もない。
ダメットより先に読むべきものがあるんじゃなかろうか?
486考える名無しさん:04/06/28 09:33
>>485
1言語によってのみ物事を表象することができる
2言語分析によってのみ認識は行われなければならない
1と2が別物であるのは分かりますが、1なら2が導かれるのは当然ではないですか?
なぜなら言語以外の表象手段がないところで、言語以外のもの(心とか観念とか)を
分析することはできないのですから。1が正しいのであれば、心や観念を分析していると
信じていたとしても、それを表象する言語を分析することになるのではないでしょうか。
それ故に、言語分析を自覚的かつ主題的に推し進めるべきだという主張になるのではないですか?
487456:04/06/28 10:27
>>484
 規範の恣意性の説明にあたって、犬を「イヌ」という名前とするのに何ら必然
性はない、たまたまそう呼ばれるようになっただけだ、も例の一つとしてあげた。
 これが言語の恣意性のことであれば(私は不勉強なのでよくしらない)、野矢
氏のいう規範の恣意性は、それを広く一般化したものともいえる(「論」「倫」
の漢字の構成になぞらえて、論理は言葉の規範、倫理は人の規範とも述べていた)。


>道徳=各々の社会の慣習的規範、理性的根拠なし、ということ?

「道徳」「慣習」「理性」という用語は登場しなかったが、実質的にそういうこ
とだと私は理解した。

 それから、こんなことも述べていた。
・規範Aの見方の下ではaでなければならない。
・規範Bの見方の下ではbでなければならない。
 これらは考えられても、「規範Aを採用しなければならない」というメタな規
範を考えることは、(究極的には?)できない(憲法が下位規範を拘束するとい
うことはある)。さまざまな可能的な見方があるだけで、そのどれを選ぶかは恣
意的である。
「人を殺してはならない」の例では、子殺しの文化、復讐を許容する文化、死刑
廃止の文化等を例にあげ、恣意的であるとした。では「全員自殺しなければなら
ない」「お互い徹底的に殺し合わなければならない」というような規範もありえ
るか。そのような自滅的な規範を採用すれば、滅びる。(それも可能的な見方の
一つという趣旨なのか、そこまで極端な場合は除外するという趣旨で述べたのか
は不明。たぶん前者なのだと思うが)
488考える名無しさん:04/06/28 10:38
>動物の「ねばならない」は、一見すると規範性があるとみる向きもあろうが、
>それは違う。あくまで「手段としての有効性」であって規範性ではない。

 ここがよくわからないのですが、規範が「手段としての有効性」であっては
いけないのでしょうか。功利主義的に考えれば当然そうなるし、私はそれで
十分だと思うのですが。
 あとは平均的な人間性(欲求のあり方)によって規範が決まる、でいいんでは
ないでしょうか。例えば「徹底的に殺し合わなければならない」というような
自滅的な規範は(死にたくない人が多いので)当然採用されるはずがない、で。
489考える名無しさん:04/06/28 10:50
動物の鳴き声も場合によっては一定の意味を持っているが、この場合に
は記号とその意味の関係が生得的に固定されている。この点で恣意性を
特徴とする人間の言語と違う、と言う人がいますが、それに対応するこ
とをその野矢という香具師は言おうとしているようですね。

後半については、どういう規範を採用するかに関して基本的に自由度が
あるからこそ、「どの規範を採用するか」という問題が生じるともいえ
ますね。同種の間では殺しあわないという習性を生得的に持っている動
物は、「殺してはならない」という規範を採用するかどうかなど決める
必要がないのとは違っているかも。
490456:04/06/28 11:09
>>488
 私も基本的に功利主義的な立場でふだん思考しているから同様の疑問をもちな
がら聞いていた。
 以下、野矢氏の説明。
「規範性」と「手段としての有効性」の違いは、それらに違反した場合を考えれ
ばわかりやすい。
手段としての有効性への違反
 カエルは一定の場所に卵を生まなければ子孫繁栄できない。見当違いの場所に
卵を産むのは単に「下手なカエル」にすぎない。
規範性への違反:
 囲碁の対局で、定石を使いこなさないのは下手な打ち手にすぎない。だから
「定石を使いこなさなければならない」は規範性ではない。これに対し、白石を
続けて2回、黒石を続けて2回と打つようにしたら、それでもそれなりの面白い
ゲームにはなろうが、もはや囲碁ではない。このようなものだけを規範性といお
う。
 サルには社会性があるといわれるが、そこでの「ねばならない」も、「手段と
しての有効性」にすぎず、規範性ではない。これはなぜかの説明は長くなるので
理由は省く(このスレでじゃなく、講演で)。一言だけキーポイントをいえば、
言語、それもある程度複雑な言語の有無である。サルに何らかの意味で言語があ
るとしても単純すぎて足りない(本当はもうちょっとここをしつこく説明してほ
しいところだった。489前半の言ってるようなことなのかも)
491考える名無しさん:04/06/28 14:22
女性がカエルを出産 イラン
http://news16.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1088387709/l50

カエルは見当違いの場所に卵を産みつけやがったカエルがいるね。
野矢先生もびっくりカエルな「下手なカエル」だ。
こうして生まれたカエルには規範性があるのか。
それを調査してほしい。
492考える名無しさん:04/06/28 14:22
冒頭の「カエルは」は削除。