ウィトゲンシュタイン 2

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1考える名無しさん
    ,r::::::::::::::::::::'-、
 ,,r'::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ   ウィトゲンシュタイン (Ludwig Wittgenstein) の哲学について論じるスレです。
.l::::::::::::::::::::;:-‐''" `-、::ヽ、
. l::::::::! '"        i::::::ヽ  ■前スレ
 ヽ::::i   _,.. !_,.._- :..l::::::::::!  ウィトゲンシュタイン
  l:::l ,ィt:t::: ':::rtェ::;:.. ヽ::::;!   http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1055694779/
  !ヾ'´':::´;' ::.`ヾ ヾ  Y ::!
.  i :!  ;` ー'`ヽ    l ノi.  ■関連スレ
   ヽ!  :, ---.、 :   /! '   【意味】(σ゚д゚)σ言語哲学大全を読む【意義】
    ヽ :'  −  ::.  ;'.!    http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1046789016/
     ヽ      ,:' l,r 'ヽ
     rヽ  ̄  , -'r'  r'ヽ ■スタンフォード哲学百科事典の「ウィトゲンシュタイン」の項目
   i'  lヽ  r'7,r'´  '  ' ` http://plato.stanford.edu/entries/wittgenstein/

 ■『論考』の原文および英訳(オグデン訳)
http://www.kfs.org/~jonathan/witt/tlph.html

 ■ウィトゲンシュタイン関連リンク集
http://www.ocf.berkeley.edu/~brianwc/ludwig/

 ■Rule-Following Considerations に関するリソースを集めたサイト
http://krypton.mnsu.edu/~witt/

ウィトゲンシュタインに関係する主要な研究者のサイト、その他関連サイトは >>2-3 あたり。
2考える名無しさん:04/03/17 05:12
 ■主要な研究者

ピーター・カラザース (メリーランド大)
http://www.philosophy.umd.edu/people/faculty/pcarruthers/
スタンリー・カヴェル (元ハーヴァード大)
http://www.fas.harvard.edu/~phildept/html/cavell.html
コーラ・ダイアモンド (ヴァージニア大)
http://www.law.virginia.edu/lawweb/faculty.nsf/FHPbI/78991
ジュリエット・フロイド (ボストン大)
http://www.bu.edu/philo/faculty/floyd.html
ウォーレン・ゴールドファーブ (ハーヴァード大)
http://www.fas.harvard.edu/~phildept/html/goldfarb.html
ソール・クリプキ (ニューヨーク市立大)
http://web.gc.cuny.edu/Philosophy/kripke.htm
マシュー・マリオン (オタワ大)
http://www.uottawa.ca/academic/arts/philo/fra/prof/marion.html
エイドリアン・ムーア (オックスフォード大)
http://users.ox.ac.uk/~shug0255/
スティーヴン・マルホール (オックスフォード大)
http://users.ox.ac.uk/~newc0929/
イーアン・プループス (ミシガン大)
http://www-personal.umich.edu/~iproops/
エリック・レック (カリフォルニア大リヴァーサイド校)
http://www.philosophy.ucr.edu/people/reck_e.html
トマス・リケッツ (ノースウェスタン大)
http://www.cas.northwestern.edu/philosophy/Persons/ricketts/ricketts.htm
クリスピン・ライト (セント・アンドリュース大)
http://www.st-andrews.ac.uk/~www_spa/STAFF/wright.html
3考える名無しさん:04/03/17 05:12
 ■山元一郎訳『論考』(前スレ968氏がコソーリ提供)
http://www5e.biglobe.ne.jp/~petercat/etc/TLP.html

 ■『メイド哲学論考』
ttp://www45.tok2.com/home/maid/sasagawa/ronkou.htm
4考える名無しさん:04/03/17 05:18
すげええええ
5http://www3.to/nouryoku:04/03/17 07:14
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6考える名無し仔猫さん:04/03/17 12:18
7ゲt
7考える名無しさん:04/03/18 00:56
 L:チェスをしている人は、チェスの規則に従ってチェスをしているのであ
   り、かつ、チェスの規則に従わないでチェスをすることはチェスではな
   い。

 W:では聞くが、チェスをしている人が、盤面を眺めることは、或いは眺め
   ながら足を組み直したり、頭を掻いたりすることはどうなのか。

 L:もちろん、それはチェスの規則にはない。

 W:さっき君は、「チェスの規則に従わないことはチェスではない」と言っ
   たが、チェスの規則に従わないことと、チェスの規則にないことを行為
   するのとどう違うのか。チェスの規則に従わないということは、チェス
   の規則にない行為をするということであり、頭を掻いたり足を組み直し
   たりすることは規則違反と同じと見て、どうしていけないのか。

 L:君は二つの異なった解釈を混同している。チェスの規則に従わないと 
   は、チェスの規則に反することであり、それは規則として記述されてい
   る。それに対し、ちゃんと記述されたチェスの規則に反しない、すなわ
   ち照らし合わされる規則のない行為は、いかなる規則違反でもないこと
   は自明であろう。

 W:そうではない。記述されていなくとも、たとえば、ゲーム中に盤面を 
   ひっくり返したり、騒ぎ立てたりすることは、大抵の人なら「それは 
   チェスではない」と言うだろうからである。ことはそれほど単純に区別
   できることではない。

 L:なるほど。しかしそれでも、そうした行為をたとえばマナーのようにし
   て記述することが出来る。或いは共通認識が得られるということに異論
   はないはずであろう。
8考える名無しさん:04/03/18 00:57
 W:如何にも。そうした、チェスゲームの本来の目的に添わない行為は全て
   そのように記述可能であろう。しかし、そうすると、違反行為を見つけ
   ることはチェスゲームのうちにあるのだろうか。

 L:対戦者本人であれ、ゲームに審判は欠かせない。自分たちの行為の基準
   は規則にあり、規則の無いような場合でも経験的・常識的な基準を仮設
   することでそれを規則と見なし、その規則に従うのである。

 W:すると君は、行為に対してはアプリオリに規則が存在しなければならな
   いと言っていることになる。ところが、我々は一般に様々な過ちを犯 
   す。故意であれ過失であれ、ある場合には審判ミスによる無実、など。
   これらのケースは行為者が規則に従うことも従わないことも可能である
   ということを意味しよう。

 L:もちろんである。その場合に私は神の手が働いたとは決して言わないつ
   もりだが。

 W:当然のことだが、ある行為の元となった規則を記述することの可能性は
   否定しない。次の一手を打つ手が見つからず、「エイヤッ!」とほとん
   ど盲目的に一手を打つ場合でも、「エイヤッ」と盲目的に打った、と台
   本には記述できるのだから。如何なる場合でも、それが規則に違反する
   場合であっても、我々は彼が従った規則を書き出すことが出来よう。と
   ころで、その書き出された規則に違反することは出来るだろうか。

 L:端的にそれはナンセンスだ。そのように記述される規則に従わないこと
   は出来ない。自らの(無意識的なものも含めた)意志に自身が逆らうこと
   が出来ないようなものである。君が言うように、どんな場合であって 
   も、行為とその行為の規則は一致させられ得る。
9考える名無しさん:04/03/18 00:58
 W:だが、果たして不一致のないところに一致はあり得るのか。また、従わ
   ないことの出来ない規則を、規則と呼ぶべきか否か。たとえば法律のよ
   うなものは、従うことも従わぬこともできるし、法を守るという自由意
   志の問題でもある。ところで、意志に対して「意志・する」という行為
   でもあり得ようなら、これは先行するものを取り出せないというありが
   ちな無限退行でもあろう。そのように、一致も不一致もなく、従うこと
   も従わないこともできないのが、その「規則」ということになる。

 W:普通、規則を守るという自由意志の問題はパラドクスとして扱われるこ
   とはない。ある意味で「規則は守るものであ(って破るものではないが
   破られ・守られないものでもある)る。」という信念は我々に根強い、
   と言えるかもしれない。

 W:また、取り出された規則(例えば「規則的な動作」のように)が、あたか
   もその規則に「従っている」と思われるのは、我々が物事を理解する上
   である種の擬人化を行った方が分かりやすいから、のようなものであろ
   う。もちろん、だが、わざわざ取り出した規則に従わないなどというこ
   とはないのだから、従うということもない。例えば空気中の分子が意志
   していると考えることはとてつもなくあり得そうにないように思われる
   筈である、と期待したい。

 L:ところで君は「自由意志」というテーマを出したが、「意志する」その
   ものが自由なら、先行するものはなにもありはしないのではないのか。
   それはあたかもさいころを振るようなものでしかない。もし、そのさい
   ころの目を完全に予想できたなら、自由ということはあり得ないことに
   なるだろう。
10考える名無しさん:04/03/18 00:58
 W:そうではない。何故なら、さいころの目はどれであれ、どれか一つでは
   あるだろうからである。我々の誤解は、規則に従わないことが出来ない
   にも関わらず、規則に従って・・・云々と言ってしまっていることであ
   り、そこには本来的に何ら自由は存在させられないのである。さいころ
   を振らない、という自由はそこにはない。それ故、延々と「さいころを
   振ったその理由=規則」が取り出されてゆくこととなる。

 L:だが、君の言うように、規則は守られるのであり、かつ、守られないも
   のでもある。それそのものは自由意志に委ねられている、と言って良い
   ではないか。それが故に刑務所に入ろうと死刑になろうと「規則を守ら
   ない」のも「規則を守る」のも自由であると言って良い筈だ。

 L:2種類の規則を混同すべきではない。

 W:一般論になるが、どこの世界の国々が「守ってはならぬ規則」を発布す
   るものか(※禁止規則と混同しないように)。規則はそれ自身に従わせる
   ためにあり、それ以外ではない。我々人類は、規則の不備や違反があり
   得ることを知ってなお、理想的な規則を追い求めてきた歴史を持つ、と
   いってよいのだ。それはあたかも空気中の分子が自由運動しつつも全体
   として見事に平均化しているような、全ての人が自由であり得るための
   規則を。

 W:基準を持たぬ自由はあり得ない。それを求めるのはあたかも魔法によっ
   て全てを我がものとするようなものである。


11考える名無しさん:04/03/18 02:13

自演スレの香り (藁
じゃなくて同語反(略
13名無しさんの試論:04/03/18 15:46
なぜB.ラッセルがヴィトゲンシュタインと晩年袂を分かったのか、考えるべし。
ポパーの挑発は、ちょっと分かるな。テーマに論考時代の真摯さがないし。
15考える名無しさん:04/03/19 16:38
前スレより下がっているのでage
16考える名無しさん:04/03/19 23:09
前スレより下がってるのでage!!
17考える名無しさん:04/03/19 23:13
板違いです。

電波・お花畑
http://etc.2ch.net/denpa/
ちくり裏事情
http://tmp2.2ch.net/company/

================== 終 了 ==================
18考える名無しさん:04/03/20 03:34
分析系のコテは全滅かよ・・・
19考える名無しさん:04/03/20 04:22
>>14
ポパーの挑発ってどんなの?
>>15-16
先に前スレ、埋めれ。ジョーシキ

>>14
ウィトゲンシュタインが彼のいたにポパーに哲学的「パズル」をテーマに
講演するよう招待したら、「哲学的諸問題は存在するか?」って内容で、
ポパーが皮肉っぽく論考の内容を逆手に取って話をし始めて、ウィトが
キレた。
http://www.lifestudies.org/jp/witt.html
そういや、こんな本もあったっけな。俺は斜め読みしかしなかったが。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/413013020X.html
聖書の言語を超えて―ソクラテス・イエス・グノーシス

現代のショアー(絶滅)に直面して,聖書は何を語れるのか.透明な生の近み
から,影のような「知」の全体主義をあばき,聖書にかくされた他者の記憶を
よびさます.哲学・神学・聖書学から,他者の他者なるイエスを通して,新し
い探究の視点を提起する.
アレ、前スレDAT落ちか・・・
23考える名無しさん:04/03/22 00:25
>>980超えたスレは強制的にdatにいくようになってる
24考える名無しさん:04/03/23 19:26
>>21
やべ、宮本氏と大貫氏が書いているのにまだ目を通してすらいない。
25箜間桐孤 ◆TIGERSM8e. :04/03/30 17:27

『論理哲学論考』
 言語と世界は切り離すことができない
 世界そのものが言語
 「2.12 像は現実のモデルである」
「写像理論」 
 私たちが言語化しているもの(命題)はすべて像をもっているのであり、それはこ

の世界の論理空間の組み合わせをそのまま表している。
          ↓
 さまざまな哲学的命題は記号論理学によって言葉の使い方を分析すれば、正しい命

題と間違った命題がすぐに明らかになる。
          ↓
 「神の存在」「人生の意味」など、現実の像としてはありえない。(正しく言語化

できない)
 観察不可能な事象については、意味のある命題をつくることができない。
          ↓ 
 問い自体が無意味
 「4 思想とは有意義な命題」
 「4・114 哲学は思考可能なものを限界づけ、これにより思考不可能なものを

も限界づけなければならない」
 「7 語り得ないことについては、人は沈黙せねばならない」

 言語化できないものは存在しないのか?
 「6・522 だがしかし表明しえぬものが存在する。それはみずからを示す。
  それは神秘なものである。」
26箜間桐孤 ◆TIGERSM8e. :04/03/30 17:28
『哲学的探求』
 写像理論で説明不能な言語(論理形式にあてはまらない言葉)もある

言語ゲーム
 人々はそれぞれの生活のなかで一定のルールにもとづいて言語ゲームを営んでいる
 言葉の意味は、文脈や文が属している言語ゲームのルールから理解されなければな

らない
27考える名無しさん:04/03/31 21:38
『論考』は中公、岩波どっちがいいんですか?
28考える名無しさん:04/03/31 21:42
>>27
法政が吉。
29考える名無しさん:04/03/31 22:23
arigato
30考える名無しさん:04/03/31 22:45
机の写像とは?
>>27
中公の注釈のストイックな感じが俺は好きだな。
32考える名無しさん:04/03/31 22:49
みんな、逃げてーーーーーーーーーー
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      |:: | ト‐=‐ァ' |:|  食ってくれるわ
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33パレルゴン:04/03/31 22:54
「命題は一種の絵画である。絵画が事態に登場する人や物を色と形で表現する
のに対し、命題はそれをなで表現する。命題とは名を使って描かれた絵だ」
「ウィドゲンシュタインはこう考えた」鬼界彰夫著
34考える名無しさん:04/03/31 23:00
あらゆる山が「山」という文字に写像される、そして「山」は象形文字であり、
図形で、絵なのだ。
35パレルゴン:04/03/31 23:04
そうだ!
36考える名無しさん:04/03/31 23:11
実在、あるいは知覚の世界は無限の濃度を持ち、言語は幾ら連ねても有限である。
原理的な限界があると言える。
37考える名無しさん:04/03/31 23:13
みんな、逃げてーーーーーーーーーー
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38パレルゴン:04/03/31 23:14
ウィドゲンシュタインの思考は深い。
兵役・戦争によって彼は「生」と言う意味を知る。
ラッセルに師事し、言語哲学の解明に努める。
そして彼の研究は「論考」に結集する。言語この世界に語る「私」は
あるのか?それは何かを語れるか?主体とは何かと語れるか?
形而上学的な命題は、世界の外にあるのではないか?
ここに、語れぬ物の哲学が生まれる。
てな事で、ハイデガーの世界内存在を世界外存在にしたのがウィドゲンシュタイン
たしかに、世界外とすると、独我論的に、「言語は私の世界の限界」
って事になりそう?
39考える名無しさん:04/03/31 23:15
「山」は抽象された概念として無限個の山に適用できるが、実物の豊富さは
何も持ち合わせない。
40パレルゴン:04/03/31 23:17
36さん、それでもウィドゲンシュタインは言語の表現が世界の限界である
と考えている以上、世界は多重に存在するとはウィトゲンシュタインは言っていない。
と考える方がいいかも?もっとも、「論考」までは。
41考える名無しさん:04/03/31 23:18
知覚される、あるいは生きられる世界を言語で語り尽くすことはできない。
42パレルゴン:04/03/31 23:19
39さん。その意見は君の意見、それともウィトゲンシュタインの意見?
43パレルゴン:04/03/31 23:20
39さん。その意見は君の意見、それともウィトゲンシュタインの意見?
44パレルゴン:04/03/31 23:21
今日はねるので、明日読むね。それでは、おやすみなさい。
スヤスヤ。
45考える名無しさん:04/03/31 23:21
人間が感じ取り、区別している「色彩」はすごく多いが、表現のための
語彙は貧弱である。
4636,39、45:04/03/31 23:23
>>43
私の意見です。
47考える名無しさん:04/03/31 23:32
>>46
ウィトの「無限」に関する議論はしっかり把握しておいた方がいい。
48考える名無しさん:04/03/31 23:39
ウィトが本当の激戦地、
例えば西部戦線のイープル、ヴェルダンなんかの最前線にいたら
論考もさらに違う本になってただろうな
49考える名無しさん:04/03/31 23:46
本なんか書けるような精神状態じゃないだろ、それは・・・
50考える名無しさん:04/03/31 23:49
さらに宗教性や神秘主義的色彩を帯びるようになるだろう
51考える名無しさん:04/04/01 00:03
>>47
ウィトの無限というのは数学的な意味合いですか?
52考える名無しさん:04/04/01 05:34
ヴェルダンなんてところにいたら、歴史にウィトの名前なんてなかっただろう
http://www3.kiwi-us.com/~ingle/honbun/verdan%20siege.html
他に実際に戦争に参加したことのある有名な哲学者って、ソクラテスとデカルト
くらいかな?
54考える名無しさん:04/04/01 13:51
レジスタンスは多い
55考える名無しさん:04/04/01 14:29
「自称」じゃないの?
カミュはレジスタンスの機関紙の編集に関わってたっけ。あの時代の
フランスの知識人は、「サロー(卑怯者)」でなけりゃ、皆、似たよ
うなもん。
57考える名無しさん:04/04/01 19:36
戦後これだけ時間が経ってから、考えてみると
レジスタンスのなんてただの言い訳に過ぎないんだなってのが
はっきりしてきたな。あれで良心がどうとか言ってるのって
いったいなんなんだ?アホかと。
第三帝国を擁護するつもりは一切ないけど、第二次世界大戦が
終ったとたんに、戦争始めるフランスって国にはドイツ以下だな。
レジスタンスするなら自分の国の政策にまずは広義しろよ。
58考える名無しさん:04/04/01 19:51
>>57の書き込みを読んで、考えてみると
>>57の糞レスなんてただの言い訳に過ぎないんだなってのが
はっきりしてきたな。あれで良心がどうとか言ってるのって
いったいなんなんだ?アホかと。
>>57を擁護するつもりは一切ないけど、パソコン使えて2チャンネルに
書き込めるからって、糞レスしか書けない>>57は「ぴかぁ〜、ソフィア」A以下だな。
マジレスするならまずは小学生時代の教科書を読み直してからにしろよ。 (藁
59考える名無しさん:04/04/01 20:34
フランスみたいな言い訳ばかりのヘタレな国にはなってはいけない
60考える名無しさん:04/04/01 23:13
そのうち、竹田vsウィトゲンシュタインってスレが立つに500ペリカ
61考える名無しさん:04/04/01 23:22
>>48
たぶん「論考」が
ローゼンツヴァイクの「救済の星」みたいな本になるんじゃないか?
62考える名無しさん:04/04/02 01:27
大きな問題
「にんじんを食べると病気になると彼女は信じている」
・・・ともかくも、ナチと同盟を組んだ戦前の日本は明らかにDQNである。
DQNなものについては口を閉ざさねばならない。
64考える名無しさん:04/04/02 12:34
フランスも日本もヘタレだが、そもそも国というありかた自体がろくでも
ないわけで、愛国心がそもそもヘタレ。
郷土愛ならわかる。
65考える名無しさん:04/04/02 13:39
WW2はWW1の報復戦とみなしていいんじゃないの?
WW1自体がそもそも、新興工業国ドイツをぶちのめすための
戦いだったわけだし。WW1開戦の時点において、重工業は
フランスもイギリスも完全に追い抜かれていた。
66考える名無しさん:04/04/02 18:10
「ゲームを間違ってしている」
と言われてもその「間違った行為」も
我々にシーニュを抱かせるという点で
十分に意味があると思うけど、どうなんだろう。
嗚呼、打ち込みが進まない(溜息 ・・・フリーの数式変換ソフト探してて、
泥沼にはまってしもた。
68考える名無しさん:04/04/03 00:28
ウィトゲンシュタインのAAよく出来ているよな・・・。
そういやウィトってもてたのか?
69考える名無しさん:04/04/03 00:35
ウィーン学団のひとたちにもてもてで、もう哲学ヤだったのに、
無理やり引き戻されますた。。。。。
70パレルゴン:04/04/03 07:57
今読んでるんだけど、「探求」でウィドゲンシュタインはゲーム論を述べるんだけど、
ゲーム論てのは、コンテクスト論と似ていると考えてもいいのかなぁ?
つまり、語る内容を語る通りに解すると言うよりも、その現場の状況に左右される
あるいは、その理解者の側に、委ねられる部分があり、言語が唯一の意味を
表現できない。つまり、パフォーマティブとコンスタティブみたいな
問題意識と共通点がある。そこで、言語は日常会話のように、遊び=ゲームになる。
71考える名無しさん:04/04/03 09:18
漏れは、メタな意味論が成立しないっていう風に勝手に読んでた。
72パレルゴン:04/04/03 09:27
俺も、その辺の所を知りたいんだけど。
メタ意味論的問題点を意識している事は正しいと思うよ。
ラッセルの階型論(クラス論)にもある、例えばスプーンの集合
を考えると、世界中のスプーンを集合できるが、そのスプーンの集合という
概念はその中に入れない、よって、スプーンの集合はメタ・レベルを
必要とするんだけど、そのメタ・レベルもさらにメタ・レベルが必要に
なる、と言う悪循環になる。つまり、無限後退。これは、無限の問題=ゲーデルの問題
なんだよ。その点をウィトゲンシュタインは感じていた。
だから、かれは、単純な言語学者=分析学者から排除されたんではと思う。
73考える名無しさん:04/04/03 09:32
ゲーデルの不完全定理なんてゲマトリアに過ぎない。恐れるな同士諸君。
結局、集合論的な領域に関わる数学的な証明ってのは、案外と曖昧で
アテにならんつうことが明らかになりつつあるようだな。。。
75考える名無しさん:04/04/03 11:32
>>72
たしかに初期のラッセルは、「オーダー」の区別によって嘘つきのパラ
ドックスを解決しようとしたが、それ以後の論理学では、そうした意味
論的パラドックスは、対象言語/メタ言語の区別で避ける、というのが
慣わしになっている。最近は、ちょっと違ってきているが。

また、メタ言語を用いた意味論というのは、対象言語の論理を分析し記
述するための一つの手段であって、基礎づけるための手段ではない。集
合論(メタ言語)の中でモデルを作ることによってある理論の無矛盾性
を証明するということは行われるが、それは集合論自身の無矛盾性を前
提にした、相対的な無矛盾性の証明であり、絶対的な無矛盾性の証明を
目指すものではない。
ラッセルの階型理論については、

「AはBである(リンゴは丸い)」という命題は、実際には「AのCは
Bである(リンゴの形は丸い)」であって、命題の要素であるAとBは、
そもそも同一地平には存在しないという、命題の基本特性にまつわる話、
だっけな。それと、自分自身を含む集合についての議論は区別した方が
良いと思うが。
77考える名無しさん:04/04/03 11:39
>>73
ゲマトリアってなに? ともかく、不完全性定理を恐れる必要はないと
いうのは同意する。しかし、内容を知らないまま不完全性定理の意義に
ついて語ろうとして、頓珍漢なことを言ってしまうことは、少し恐れた
方がいいと思う。
78考える名無しさん:04/04/03 11:44
>>76
君はかなり典型的なデムパだな。(笑)

ラッセルのタイプ理論というのは、自分自身を含む集合をめぐるいわゆ
る「ラッセルのパラドックス」を避けための仕組みだよ。最初ラッセル
が、タイプの区別に似たオーダーの区別で「嘘つきのパラドックス」の
ような意味論的なパラドックスも一挙に解決しようとしたので、ちょっ
と混乱があったが。
・・・全く別の問題、ではない、か。単純な条件を基準に規定された
一次元的集合と、数学のそれのように命題相互間の論理的矛盾が許
されないような体系を混同すべきでもない、な。
>>78
適当に人をデンパ扱いすると、痛い目にあうぞw
81考える名無しさん:04/04/03 11:53
だって、デムパじゃん。違うというか?(笑)
君がデンパじゃないことを証明できるか、名無しくん?w
83考える名無しさん:04/04/03 11:59
できるわけないだろが。そういう要求をすること自体がデムパだね。

さらに言うなら、「自分がデムパでないことを2ちゃんねるで証明す
る香具師は、間違いなくデムパである」ということは、ゲーデルの不
完全性定理ですでに証明されているのだ。(笑)

あっ、俺がデムパであることを証明してしまったか? 


84パレルゴン:04/04/03 13:01
それは良いとして、ならば、ラッセルの階型論によって、グループの問題
は解決したの?それはグループ分けにはグループを指し示す永遠のメタレベル
が要請されるって事じゃないの?
つまり、絶対に証明されない一点が最後には残る。(我思う。アプリオリな悟性範疇
無意識など)
そこを、言葉・分野は違っても、所与、前提、公理、超越論的領野
存在の開けって言っているだけでねえの。
分析哲学・構造主義・ポスト・構造主義の最大の違いはこの点を
どのように理解したかによるな、確かに。
重要なポイントでんな。
85あぼーん:あぼーん
あぼーん
86あぼーん:あぼーん
あぼーん
87あぼーん:あぼーん
あぼーん
88考える名無しさん:04/04/03 13:32
>>84
何というか、あなたはラッセルの階型論が解決しようとしていた問題
が何だった、実際に解決できた問題が何なのかを無視して、論じてい
るような気がする。また、ラッセルの論理主義は破綻したというのが
現代の普通の解釈なのだけれど、その点も。

そのあたりを無視して、「分析哲学」を何か一つの教義で固まった流
派のように考えるのは、間違っていると思うよ。イギリスの哲学って、
まあ論駁のプロセスの連続で、とくにラッセルの場合、彼の主張でそ
のまま生き残っていることなんて、一つもないかもしれないぐらいで
しょ、多分。これ、私の勝手な独断だけど、イギリスの哲学者って、
完結した体系を作ろうという志向が少なくて、プラトンの対話編みた
いなもの一登場人物として発言しているつもりなんじゃないかな。

89パレルゴン:04/04/03 14:10
88さん。確認したかったのは、そのことです。
つまり、階型論で同じクラスの中に、クラスを指し示す概念ははいらない
と言う事で、メタ・レベルと言う工夫をしたのがラッセルで、
同じ問題であるクレタ人のパラドックスを解決したが、
そのクラスを指し示す概念にも指し示すメタ・レベルが必要と言う事になる
と言う事です。このことから、無限にメタレベルが要請され、
結果として、絶対の基礎は無限後退的に、煙に巻かれるのでは
と言う疑問を持つのです。この結果として、論理は無意味な差異の体系
になり、それでも、そうではない、論理は正しいと言う態度が
分析哲学にはあるのではないかと言っているのです。

この点をポスト・構造主義は認めているのです。
そこからの出発なのです。
90THE グル:04/04/03 14:19
いいですか、
あなたたちの言語の限界があなたたち自身の世界の限界なんです。
自分の言葉で話さなければ、意味がないんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
理論的な「系」が集合論的に語られるというのは、どうなのか知らん。
92哲学初心者:04/04/03 16:17
「系」ってなんでしょうか?
93パレルゴン:04/04/03 17:53
88さん。俺も、イギリスの哲学、アメリカの哲学が経験主義的である事
には納得している。確かに、論理実証主義にしても、反形而上学
であるし、何にもまして、科学主義的と誰かレスしていた。
同様に、ドゥルーズにしても、イギリス経験論からあるいは英米文学
から多くの物を得ている。形而上学批判には、英米からおおくのものを
貰ったんだろうと思う。
俺は、別に、分析哲学批判をしているわけではない。
ただ、交流なのよ。相乗的な交流を求めているだけ。

THE グル さん
貴方の言っている事に全面的に賛成。それはまさに
ウィトゲンシュタインですし、その通り「言語の外には世界はない。」
そう思います。しかし、科学主義には言語の外の世界があるので
探求しているような気もします。
94パレルゴン:04/04/03 17:56
89の中での、「クラス」は「メンバー」に変更した方がいいかも。
95THE グル:04/04/03 18:20
>>93
いいですか、
>科学主義には言語の外の世界があるので 〜
そうですね、
ですから"あたらしい言葉(認識だったり、体系だったり)”を生み出そうとしているんです。
それが、即ち科学なんです。
我々が発見する前から「法則」は既に厳然としてありますし、
「現象」も起こり続けているんです。
それを理解する私たち自身の言語がないだけなんです。
つまり、科学とは、人間と自然の「現象」に互換性を持たせるための作業なんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
96パレルゴン:04/04/03 18:51
どうもしませんよ。
発見する前から「法則」があると言う証明はどのようにしましたか?
また、そのことは正しいとどうしていえましたか?

多分証明は無理でしょう。
法則は人間が作ったものです。それを人間が証明することは
先ほどから言っているように、メタ・レベルの問題を含んでいる
からです。分かりやすく言うと、自己言及性の自問自答になっちゃう
と言う事。分かりますか。
なにかありますか?
定説はありません。全て反証されるんですよ。
97THE グル:04/04/03 19:29
>>96
いいですか、
グルの言った「法則」とは、
人間に発見される以前に既に存在しているものの事なんです。
>発見する前から「法則」があると言う証明はどのようにしましたか?
ということですが、
三角形の内角の和が180°になるとわかる前から、
それは「存在」していたんです。
しかし、それを理解する言語を持っていなかったに過ぎないんでして、
発見しようがしまいが、最初からそこにあるからということなんです。
つまり、人間の世界の限界は、人間以外の世界の限界とイコールではないんです。
さて、
定説ですが反証可能な定説などグルは持ち合わせていないんです。
定説とはイコール病気。
定説とはイコールTHE グル。
これが定説です。
どうかしましたか?
>>92
良い質問かも。
系、と、集合が違うのは、集合はそれを構成する要素の帰属先で
あるが、それ自体としては場を形成しているわけではない、とい
う点かな? 系はそれ自体として場であるけれど。
99パレルゴン:04/04/03 20:20
いいですか。三角形の直角の和が180°であることは
人間が表現した時に現われたものです。
それは人間が考えた創作にすぎません。
いいですか、分かりやすい例で示しましょう。貴方の論理ならば、
ここに3本の木があるとします。人間全員が死滅しても、貴方は
そこに3本の木はある。永遠に枯れない限りあると言うでしょう。
しかし、そうではありません。
何故か、それは人間が3と言う数量測定の為に考えた言語だからです。
3も木もすべて人間が分節した自然だからです。
その表現は人間が必要だから考え出した物であり、客観的な自然がそれ自身として
持ち合わせている尺度ではないのです。
同様に数式も該当するのです。便宜的に創った尺度です。

このことをウィトゲンシュッタインは知っているのです。
だから「世界は自分の語る言語以外にない。」と言えたのです。
分かりましたか。
100パレルゴン:04/04/03 20:38
言語で語った事以外に世界はないと言う意味は
それ以外のことは何もないと言う事であり、逆に、語って初めて世界となり、
真理となるのです。ですから、真理は知られる以前にあるとは言えないのです。
それでも、そうだと言うのならば、貴方はデカルトかプラトンを正しいと
信じている、古い思想に傾注しているのでしょう。
今はそんな人はいませんよ。彼らの考えをは既に論破されていると思います。
現象学は外は現象に映し出されたものと考えている。
101パレルゴン:04/04/03 20:43
存在論は現存在に開かれる意味の世界として捉えている。
また、構造主義は構造の布置によって、意味は現われると考えます。
分析哲学にしても、言語の無矛盾の体系をもって、真理を論理的に整合化
しようとしているのです。つまり、アプリオリな何かを通してしか
真理は見出せないのです。これが、現代の哲学です。
定説なんかないのです。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/math/part1.htm
§ 1−0 
 中学校や高校で教わる「集合論」は、世間一般では、正しい理論だと思わ
れている。しかしながらそれは、厳密に言えば、間違った理論である。つま
り、厳密な数学的観点から見ると正しい理論ではないし、また、将来の大学
で学ぶ数学の基礎となるわけでもない。
 にもかかわらず、中学校や高校では、集合論を教える。なぜか? 教師が
愚かであるからではない。そこには現代数学の、根本的な困難がひそんでい
るのである。すなわち、問題点があるとわかっていながら、なおかつそのよ
うな理論を教えざるをえないのである。
 本論では、それらの問題点を指摘し、さらに、それらの問題点を解決する
方法を提出する。
§ 1−1
 集合論を教える際、次のように言われる。「集合論は数学の基礎である」
「現代数学は集合論の上に成り立つ」などと。
 ところで、集合論には、二種類あるのだ。一つは、人々が中学や高校で
学ぶもので、「素朴集合論」と呼ばれる。もう一つは、専門家が厳密な数式
によって取り扱うもので、「公理的集合論」と呼ばれる。
 この両者について、説明しよう。
 素朴集合論とは、要するに、中学や高校で学ぶ集合論のことだ。たとえば、
次のような式で表される。
   a∈{ x|xは偶数 }
  (注。念のために言うと、この式が意味するのは、「 a は偶数全体の
   集合の要素である」ということである。)
 一方、公的理集合論とは、数学の専門家の使う集合論のことだ。それは
公理系の上に成り立つ数学理論である。ユークリッド幾何学がその公理系
の上に成り立つのと同様に、公理的集合論はその公理系の上に成り立つ。
公理的集合論の公理は、複雑な数式で表される。
 では、この二つの集合論は、どういう関係にあるのか? 
104ポール:04/04/03 20:56
>>99
>いいですか、分かりやすい例で示しましょう。貴方の論理ならば、
>ここに3本の木があるとします。人間全員が死滅しても、貴方は
>そこに3本の木はある。永遠に枯れない限りあると言うでしょう。
>しかし、そうではありません。

僕には、「言語」と「その語が指示する対象物」をすり替えているように思えます。
たしかに「3本の木」という語彙は人間が死滅すれば消滅するでしょう。
しかし、「3本の木」という語で指示する対象は、人間の存在にかかわらず存在します。
言語はあくまで客観的な対象物のを指示する記号であり、対象物それ自身ではありません。
たとえ記号が消滅しても世界は残ると思います。
105考える名無しさん:04/04/03 21:03
世界が残るのは当たり前
106ポール:04/04/03 21:05
別の言い方をすれば、「3本の木」のSinnは消滅しますが、Bedeutungは残ります。
107考える名無しさん:04/04/03 21:06
くだらねえ
108考える名無しさん:04/04/03 21:10
人間がいなくなったら人間にとっての世界がなくなるだけの話だろ。
犬にとっての世界や猫にとっての世界は続く。
109パレルゴン:04/04/03 21:15
木という概念と3と言う概念の質的差はないと考えられませんか。
ある言語での「犬」という言葉と、別の国の言語の「犬」の分節は
異なっている可能性があると考えませんか?大国の言語間ではかなり
その差異は小さいでしょうが、未開地の言語では、日本語の「犬」と「猫」
を分節していない場合もあるでしょう。
このように全ての世界は言語の分節により成り立っているのです。
そうすれば、言語がなくなった場合の「木」と言う言語は、指示対象を喪失
し、「木」自体はなくなるのです。
110考える名無しさん:04/04/03 21:18
丸山はつまんね
111パレルゴン:04/04/03 21:23
「指示対象は、指示する言語をもって現われる。よって、言語の消滅によって
指示対象も消滅する。」パレルゴン
112考える名無しさん:04/04/03 21:25
当たり前田
113パレルゴン:04/04/03 21:27
私が述べた意見は私が信じているものではありません。
私は寧ろ、意味とは身体的に現われるものであり、論理的・言語学的
客観的なものだとは思いませんが。
114考える名無しさん:04/04/03 21:28
> そうすれば、言語がなくなった場合の「木」と言う言語は、指示対象を喪失
> し、「木」自体はなくなるのです。

「言語がなくなった場合の『木』という言語」って何だ?(笑)

それはともかくとして、言語がなくなったって木はなくならないと言う
べきだな。なぜなら、われわれは人類が発生し、言語を話し始める時代
よりもずっと以前に存在していた木についても語っているんだから。


115考える名無しさん:04/04/03 21:31
意味とは存在の一義性ですよ。
きっと。
116ポール:04/04/03 21:32
>>109
>このように全ての世界は言語の分節により成り立っているのです。

その通りだと思います。
ただ、僕が違和感を感じるのは、

>言語がなくなった場合の「木」と言う言語は、指示対象を喪失し、

ここまではいいのですが、(「木」という語がないのだから、当然その指示対象もあるはずがない)

>「木」自体はなくなるのです。

この表現に違和感を感じるのです。
「「木」自体」とは、「「木」という語が指示する客観物としての木」と受け取るのが普通です。
パレルゴンさんの意図では、「木という語のSinnは人間(言語)に依存する」といったほうが正確だと思います。
脳に障害を負って言語を話せない人にも、通常木と呼ばれる「物」は存在します。
言語とそれが指示する対象物をはっきりと区別して述べておかないと、形而上学的問題が生じる原因だと思います。
117考える名無しさん:04/04/03 21:33
存在の一義性ってもっとめくるめくようなもんじゃないの?
118考える名無しさん:04/04/03 21:59
言語がなくなると木はなくなる? なんつうか、バークリーの主観的観
念論が、言語論的展開を経るとこうなる、みたいな議論だな。たとえ話
が<言語が存在しない世界>についてであろうと、その世界やその世界
の中の存在について語ろうとするとき、われわれはわれわれの言語で語
るしかない、ということが分かっているか?
119考える名無しさん:04/04/03 22:10
しかし、前の方でパレルゴン氏が分析哲学について語っていることも、
分かるところがある。ある種の分析哲学の研究では、非常に人工的な条
件が最初に仮定されていて、そうした仮定に基づいて話が進行していく
場合がある。肯定的にみれば、それは力学で理想的な質点からなる世界
を考えるのと同じようなものと考えることもできるが、しかし、その仮
定があまりにも現実離れしたものだと、そうした仮定の上で何かが証明
されたとしても、それは特殊な数学の公理系の中での証明と同じような
もので、われわれがそこで生活しているこの現実の世界については、何
も語っていない、ということにもなりかねない。
120118:04/04/03 22:17
言い換えると、「言語が存在しなければ木は存在しない」というのは、
「アメリカには木は存在しない。あるのはTreeだけだ」というよう
なもの。
121考える名無しさん:04/04/03 22:32
言語によって世界を切り取っている。
言語がなければ「世界」は存在しない。
あるのは感覚への反応のみ。
122哲学初心者:04/04/03 22:44
ポールさんの言ってるのは、言語とその語の対象物を
分けて考えないと、形而上学(単にあいまいなだけで、
フレームの定まっていない議論)に陥るっていうことですかね。

「木」という語がなくても木の実在は変わらない。またそれに加えて、
「机」という語を知らない不勉強な子供でも、積み木のような
物体を知覚でるし、「台」と呼ぶことで会話を成立させることがきる。

語・指示能力・対象物
と三つに分けた方がすっきりしませんかね?
上の例で言えば、不勉強な子供が「台」と言うときはその語が
他の子供が「机」と言うときにもつ指示能力をもっている。
大昔にラッセルの入門書かなんかに書いてあった話を
思い出しました。

>>98
場とはなんですか?
123パレルゴン:04/04/03 23:01
もっと正確に説明してみよう。
我々人間が外界の物質を確認する場合、最初は感覚(五感)から
外界のデータが入ってくるよね。この五感のセンス・データは
そのまま無垢の自然だと言いうるか?
それは、人間の感覚器官に依存している事は分かるよね。

つまり、外的世界は人間のアプリオリな器官(恣意的器官)に依存している
事は明白なわけだよ。この器官によって我々の外的物質の認識には
限界がある事は分かるよね。

例えば他の動物には全く違う器官が備わっており、その器官に依存して
で、世界は見えている。
124考える名無しさん:04/04/03 23:04
色覚障害で赤と緑が区別できないということがある。この時、
赤と緑という言葉の意味は大きく損なわれている。
五感による区別が言語以前にあってこそ意味が充実した内容を
持ちうる。
125パレルゴン:04/04/03 23:06
次に、人間の器官に現われるセンス・データは(勿論外的な客観世界ではない)
既存の言語体系に位置付けられ、処理され、外的世界と認定される。
この認定作業は、時代の言説ネットワーク(力関係)においてなされる
んだ。つまり、二度にわたって、客観的な外的な世界と言われるものは
捏造される。そして、大多数の信憑性をもって、世界は構築される。
126ポール:04/04/03 23:07
>>122
僕達が「木は存在しない」という文を用いる時、「木」をどう解釈するかで意味が変わってきます。

一つは、「”「木」という語がもつ意味”が存在しない」という時です。
この場合、日本語「木」が存在しない時代、地域には、「木(という語の意味)は存在しない」は正しい文となります。

もう一つは、「”「木」という語が指示する対象物”が存在しない」という時です。
これは実在物としての木が存在している限り、この文は誤りとなります。

このように同じ「木は存在しない」という文でも、全く異なった結果が生まれます。
>>99は、「(語の意味としての)木が存在しない」という文と、「(指示対象としての)木は存在しない」
という一見同じ形の文を混同したゆえに、「木自体(という実在物)は存在しない」という
形而上学的命題が生まれたのだと思います。
127考える名無しさん:04/04/03 23:10
俺が死んだら、「世界」は消滅する。
これもあながち間違いではないのー。
128ポール:04/04/03 23:12
>>127
>俺が死んだら、「世界」は消滅する。

主観言語(?)では正しいし、客観言語(?)では間違い。
129ポール:04/04/03 23:14
>>125
なんとなく現象学的ですね。現象学を勉強されてる方ですか?

>そして、大多数の信憑性をもって、”世界は構築される”。

その通りだと思います。

130考える名無しさん:04/04/03 23:15
喉が渇いたときのコップ一杯の水は大いに意味があるが、そうでないときは
大して意味が無い。
131パレルゴン:04/04/03 23:15
124
いや、そうではなく、先ず、健康な人間=類似した器官所有者
の共通認識があり、その分節に比してどうかと言う比較であり、
先に感覚器官の外界掌握があるのではないと考えられる。
つまり、最初に、赤・緑と言う分節をした人間の器官
が他の人間の検証を受け、言語的に承認されたから分節された訳で
言語が先で、器官はそこに現われる識別を言語より、意識させられる
というべきだろうな。
132ポール:04/04/03 23:16
少し補足させてもらえれば、

>そして、大多数の信憑性をもって、世界の”意味”は構築される。
133パレルゴン:04/04/03 23:23
差異は器官の識別能力に依存する前に、その差異を認識する人間の帰属する言語
の差異体系に依存して、現われ、その承認は帰属する差異体系に帰属する
高度のヒエラルキーに帰属する者によって認定され、組織内に普遍化する。
134考える名無しさん:04/04/03 23:24
>>131
知覚における分節は基本的には言語以前からあるでしょう。
明暗とか寒熱とか。刺激の異質性、強弱などあるわけですから。
それに「反射(条件反射ではない)」は大脳を介さない。
135考える名無しさん:04/04/03 23:25
時々孤独を感じる時があります。
私の感じてる世界は、ほかの人とは同じではないと。

子どもの時、熱をだして苦しんでいる時、母親が「かわいそう、よしよし」
と言ってくれたけど、私の苦しみを私と一緒に感じることはできなかった。

136哲学初心者:04/04/03 23:32
>>126
ポールさんのいう形而上学的ということでおっしゃりたいことを
勘違いしてました。私は形而上学とはあえてフレームを定めない議論の
ことをそう呼ぶのだと、勝手に思い込んでいました。

で、
>>126でおっしゃっている「木」を巡る二つの解釈。
これは構文的、意味論的と言い換えてもよろしいでしょうか?言語学的には
不味いのかな。後で調べてみたいです。

1)構文的な問題
「@#$は存在しない」
2)意味論的な問題
「モヌーは存在しない」
この二つをしっかり区別しないことから形而上学的命題が発生する可能性があると。。。

私は二つの混同から生じる問題よりは、今は意味論的なことに限定して、
あさーくあれこれ考えてみましたが、哲学はやっぱり難しいです。
137パレルゴン:04/04/03 23:32
だから、言語、民族によって、分節が異なる。
その場合、既存差異の分節内容を前提に対してしか、新たな差異は生まれない。
つまり、他民族の他言語ネット・ワークでは、我々の分節が全く理解されない
と言う場合があるのだ。言語の置き換えを行っても、全く分からない事が起こる。
この事は、器官が言語に依存して外界を識別している事を表してると思う。

ちなみに、他民族言語ネットワークとの交換不可能性については、
ある民族学者の論文で理解したのだが。
138考える名無しさん:04/04/03 23:35
>>137
分節の高度化ということでしょう。それは文化、環境、教育などに大きく依存します。
139考える名無しさん:04/04/03 23:37
あるいは、日本人でも2歳くらいまでは英語のRとLを聞き分けるのだそうですが
3歳以後は区別できなくなるそうです。
140パレルゴン:04/04/03 23:44
131
そうではなく、言語による「寒い・暑い」が先にあるから、感覚に現われる
刺激を、寒い・暑いに認識できるのです。たとえ、凍傷が出来ようとも「寒い」と言う
認識はありません。日射病になろうとも、「暑い」はありません。
逆に、「寒い・暑い」と言う言語が帰属社会の言語として認めさせたのは、
そう言う、「寒い・暑い」が、既存の言語体系にとって意味があるから
です。つまり、凍傷による労働者の減少が社会に巻き起こす不便、
家族を守ろうとする国家政策、作物を高温から守る為
このような、既存国家の政策に依存して、「寒い・暑い」と言う感覚
が生まれるのです。

141考える名無しさん:04/04/03 23:49
たしかに、欧米には「肩こり」が存在しないと
いってたな。
142パレルゴン:04/04/03 23:49
ポールさんへ、現象学の専門家ではありません。
ただ、あれもこれも読んでいる、自称哲学ーフリーク
特にポスト・構造主義を中心に研究している者です。
宜しく。
143考える名無しさん:04/04/03 23:51
言語表現することと、知覚において区別することは同じではありません。
例えば、我々は非常に多くの色を区別できますが、それを表現するのに十分な
語彙を持たないのが普通です。
144考える名無しさん:04/04/03 23:58
>>141
言語によって色を表す語彙には相当の差があるが、どの言語を母国語と
する人でも、色彩の判別能力はさほど変わらない、という研究もなかっ
たか?
145哲学初心者:04/04/04 00:04
>>143
単に区別してるだけに留まる対象物を、語を持って
知覚するそれと同等に扱っていいのでしょうか?
しかし区別できる以上は、なんらかの説明文でそれを
知覚することができます。その説明文が語と同等の
指示能力があるなら、それは語の意味と同じものをもつ
と考えるのはだめですかね。
146ポール:04/04/04 00:04
>哲学初心者さん >>136

>>126でおっしゃっている「木」を巡る二つの解釈。
>これは構文的、意味論的と言い換えてもよろしいでしょうか?

(僕も初心者なので、間違ったことを言っているかもしれませんが)「構文的」とはおそらく、
記号論理学のように自動的に真偽が決まる文の構造を扱うものだと思うので
>>126の区別は意味論に関する議論だと思います。

言語の誤った使用が形而上学的命題を産み出す、というのは、今の僕の大きな関心事です。
語の意義(Sinn)とイミ(Bedeutung、指示対象)の混同に限らず、
「ある語が存在すれば、それが指示する対象がどこかに存在するはずだ」と考えたり、
「「犬」という語に分類される動物には、それらの集合に共通する何らかの本質(犬の本質)が
客観的に存在するはずだ」という考えがイデア界といった形而上学的世界を想定してしまうのだ、
という議論も眼から鱗でした。

哲学は難しいので時々嫌になりますが、時々出会う「眼から鱗」ゆえに止められません。
147ポール:04/04/04 00:05
>パレルゴンさん

こちらこそよろしくお願いします
148哲学初心者:04/04/04 00:06
補足ですが、意味をもつことを、私はひとまず
指示能力を持っている状態と考えています。
これに関する異論反論があることは知っていますが
その詳細は不勉強なので知りません。すみません。
149パレルゴン:04/04/04 00:10
143・ポールさん
「言語が先」と言う所が分かりにくいかもしれません。
ある意味では、言語と感覚器官の協業作業とも言えるかもしれません。
ただ、「「木」と言う意味はない。」と言う事はいえないと思います。
なぜなら、「木」と言う意味がない限り、それを打ち消す「ない」
とはいえないわけですから。
150考える名無しさん:04/04/04 00:15
>>143
それはどうかな。言語がその言語を母国語とする者の認識の枠組みに大きな影
響を与えているのは事実だろうけれど、言語のみによって認識の枠組みが決定
されているかのように考えることや、言語に無制限の恣意性があるかのように
考えるのは、誇張だと思うが。だいたい、それで言語の習得の説明ができるん
だろうか? たとえば、われわれは非常に少数の使用例から「犬」という言葉
の意味を学習できる。それは、類似性から犬を一つの類として認識するような
概念の枠組みが、言語に先立って子供の認識能力の中にあるからこそではない
だろうか?
151ポール:04/04/04 00:16
>>
>そうではなく、言語による「寒い・暑い」が先にあるから、感覚に現われる
>刺激を、寒い・暑いに認識できるのです。

僕もそう思います。
「寒い・暑いという”感覚”」は言語よりも先に存在するが、
「寒い・暑いを”認識”」するためには言語が必要ということですね。
152考える名無しさん:04/04/04 00:21
>>151
それについても、「暑い」「寒い」に相当する概念の原型が、言語以前
にあるからこそ、子供は「暑い」「寒い」という語の意味を学習できる
のではないか、と私は思う。
153パレルゴン:04/04/04 00:29
いや、言語による分節が先で、器官に寒いと暑いを認識させると思うんですが。
つまり、感覚に先にあるものは意識に識別されないものであり、
それが何かとは言えないと言う事です。つまり、何もないのです。
表現しにくいですが、感覚には何もないのです。
言語による暑い・寒いと言う分節をもって、寒い・暑いが、
個々人的な判断の差異を伴いつつ表現されると言う事です。
(人によって暑い・寒いの温度が異なる事)
154ポール:04/04/04 00:30
>>152
>それについても、「暑い」「寒い」に相当する概念の原型が、言語以前
>にあるからこそ、子供は「暑い」「寒い」という語の意味を学習できる
>のではないか、と私は思う。

言語の使用以前に、ある概念の原型が客観的に存在し、それに対して言葉を
ラベル貼りするという考え方は、形而上学的命題を産み出す危険性があるの
ではないかと考えます。
僕はあくまで、学習による約束事に過ぎないのではないかと思います。

その一方、生後数ヶ月の乳幼児でも空間の概念は持っているであろうと
発達心理学の実験で確かめられているそうです。(『赤ん坊からみた世界』3章)
155考える名無しさん:04/04/04 00:33
胎児は両親の声を聞き分けているといいます。つまり言語習得以前の
聴覚の分節があるのです。
156パレルゴン:04/04/04 00:36
ポールさんの仰る通り、概念の原型を事前に知っていると言うと
それは、プラトンのイディー論になる気がします。
つまり、形而上学的です。これをいかに経験論的にシフトするかでしょうね。
157ポール:04/04/04 00:37
>>153
僕の考えでは、我々が「寒い」「暑い」という語で指示する「感覚」は言語以前に存在するが、
それを「認識」(つまり、寒さと暑さを区別)するためには言語が必要だと思います。

先ほどの議論での、語の「意味」と「指示対象」の区別が大切なように、
寒い・暑いの「感覚」と「認識(区別)」の違いも同様だと思います。
158考える名無しさん:04/04/04 00:41
感覚や知覚が分節していることが即、認識だと言っているわけではありません。
言語習得以前から分節があると言っているわけです。
159考える名無しさん:04/04/04 00:43
>>153 >>154
概念の原型は、あくまで原型であって、概念ではないから、言語の習得
以前に、「暑い」「寒い」ということの明確な認識があるとは、私も考
えていません。ただ、少数の事例から子供が「暑い」という語の意味を
ほとんど間違えずに理解できるのは、やはり概念の原型のようなものが
言語以前にあるからだと思わざるを得ないのです。

また、乳幼児が持つ空間の概念は、空間や位置に関する言語の習得に先
立ってあるということが、その実験で確かめられているのだとしたら、
それも丸山流ソシュール説への反例になると思います。
160パレルゴン:04/04/04 00:44
「意味」と「指示対象」につてもう少し詳しく言っていただけますか?
161パレルゴン:04/04/04 00:45
「意義」と「指示対象」についてももう少しコメントいただけますか?
162考える名無しさん:04/04/04 00:46
>>156
現代的には、生得的な概念枠は人間が生物学的に持っている特性であり、
進化の過程で生じてきたものだ、と考えるのが普通でしょう。ある点で
たしかにプラトンのイデアに似ていますけど。
163ポール:04/04/04 00:48
>>159
>ただ、少数の事例から子供が「暑い」という語の意味を
>ほとんど間違えずに理解できるのは、やはり概念の原型のようなものが
>言語以前にあるからだと思わざるを得ないのです。

概念の原型ではなく、概念が指示する感覚(センスデータ)が共通している
からではないでしょうか? 感覚自体は言語以前に存在しています。
「言語以前の概念」という言い方は>>154で述べたように、ある種の危険性があると感じます。
164パレルゴン:04/04/04 00:53
158さん
感覚が分節機能を持っていると言っているのなら
それは、おかしいと思います。分節機能は本来理性的なものであり、
差異を識別し、言語表現する機能を指します。
ベルグソンなんかは、持続する流れ(感情など)を切ると言っていますよね。

つまり、理性的な、静態的、分析能力だと思いますよ。
だから、映画のフィルムが外界の運動をコマ数で切断する事を批判し、
また、エレア派のゼノン矢、アキレスと亀を批判している訳です。
165パレルゴン:04/04/04 00:57
感覚には連続する流れしかないと言う気がします。
そこの流れをどこかで切断するのは、言語理性
(こう言う概念はないかもしれませんが)です。
この理性が習得言語にのっとって、感覚を識別し
意識に現われるのです。
166考える名無しさん:04/04/04 00:57
分節が理性にのみ属するというのですか?
言語を持たない動物は世界を無分節に見ているのでしょうか?
167ポール:04/04/04 00:59
>また、乳幼児が持つ空間の概念は、空間や位置に関する言語の習得に先
>立ってあるということが、その実験で確かめられているのだとしたら、
>それも丸山流ソシュール説への反例になると思います。

丸山さんもソシュールも全く知らないのですが、乳幼児のある種の空間把握は先天的らしいです。
空間が持つ特性として、

1. 一つの空間点に同時に複数の物体が存在することはできない
2. 物が移動するとき、ワープしたりせず空間を連続的に動く

があります。
これを全く経験のない乳幼児でも先天的に理解しているそうです。
168哲学初心者:04/04/04 01:02
>>146
>「構文的」とはおそらく、記号論理学のように自動的に真偽が決まる文の構造を扱うもの
なるほど。それではこの用語は撤回します。他に候補として言い換えたい言葉として
頭にあったのは「文法」「文構造」や「文形式」といったものです。とてもいい加減なものです。

翻訳機械には、個体や概念への指示能力はありませんし必要でもありません。
それを文構造において解釈し翻訳するだけです。にもかかわらず必要な仕事はこなせます。
また、処理する言語における誤った語の用法も見つけることができます。こういった機械が
判別できる限界を、ポールさんの>>126の一番目の例に当てはめて、私は理解していました。

2番目の例について書き散らかしたい(失礼)ことは沢山あるのですが、眠いので
またの機会にしたいです。

私の関心は一般的には言語とか意味とかその辺です。ポールさんは言語の誤用から
形而上学のニセの問題が出現することに関心をお持ちのようですが、私の場合はその逆で、
形而上学な議論が成り立つための言語的前提条件みたいなものにもっとも興味があります。
そのためにはいったんあいまいな言葉を廃して、言語の構造を徹底して勉強しなくてはならないと
思っていますが、如何せん勉強メンドクサイしそんな能力もどうやらなさそう(藁。
まあ、気長に続けられたらいいなと思います。
169ポール:04/04/04 01:02
>>160
>「意味」と「指示対象」につてもう少し詳しく言っていただけますか?

いきなり言われても難しいですね・・・。
170パレルゴン:04/04/04 01:03
子供が「暑い・寒い」と言う言語を間違いなく表現できるのは、
両親や周りの人間の言っている事を鸚鵡返しに反復し、
シチュエーシンが間違った場合には、訂正を受けるからだ
と思うんです。その根底には母の愛を勝ち得たい事で
母が喜ぶ事「しゃべること。」を進んでやる。
誉めてもらおうとする欲望に起因している気がします。
171考える名無しさん:04/04/04 01:08
>>163
「暑さの感覚」「寒さの感覚」というようなものが、言語以前にあると
いうことなら、それでいいのかもしれません。感覚というのは、どのよ
うにでも分類され得る、いわばカントの物自体みたいなものとしてのあ
るのではなく、言語以前にすでに構造をもったものとしてあるはずだ、
とも言えそうです。
172パレルゴン:04/04/04 01:09
レスが長くなって参照番号の調査に手を焼きますが、
99の発言について、若干説明します。
つまり、「木」と言う言語がなくなれば、「木」の実在もなくなる
と考えています。
173考える名無しさん:04/04/04 01:12
丸山圭三郎は言語による分節を「言分け」、身体(五感や運動)による
分節を「身分け」と言ってましたが。
174哲学初心者:04/04/04 01:12
>>172
それは今度は「実在」という語の意味が問題になっているわけではないですか?
木の実在というよりも。
175ポール:04/04/04 01:15
>形而上学な議論が成り立つための言語的前提条件みたいなものにもっとも興味があります。

形而上学的な議論とは具体的にどのようなものなのでしょうか? イデアとかですか?

>そのためにはいったんあいまいな言葉を廃して、言語の構造を徹底して勉強しなくてはならないと
>思っていますが、

激しく同意します。
僕のようにほんの少し言語哲学をかじっただけでも、哲学に限らず議論全般において、
言語がいかに重要であるか理解できるし、他人の使う言葉に敏感になります。
特に2ちゃんでは、同じ語(例えば「哲学」)を互いに用いていながら、その語が意味する内容が
全く異なったいる為、議論がすれ違いまくっている光景をよく目にします。
わざと意味をずらしていって議論を撹乱する人も見抜けるようになりましたし。
176考える名無しさん:04/04/04 01:16
>>170
私は、暑いときに子供が「寒い」と言って、母親がそれを訂正するとい
った場面は、あまりないような気がします。しかし、仮にそれがあった
としても、少数の使用例、訂正を受ける経験から、「暑い」という概念
の学習が可能なのはなぜかという問題は、かわらないでしょう。

これは『哲学探究』の「規則に従う」ことをめぐる問題とも関連してき
ます。
177ポール:04/04/04 01:17
先に落ちさせてもらいます。また次回。
178パレルゴン:04/04/04 01:19
166さん
そうですね、言語をもたない動物と言えども、人間にない
言語があるかもしれません。
今仮に、言語を全く持たないと仮定した動物がいるとしましよう。
この動物は、明らかに次のことが言えるでしょう。
1)全ての物を対象化しない。(自分を対象化することも含む。)
2)行動は本能的であり、計画性はない。
3)「痛い」と言う感覚があり、瞬間的に、反射的に原因から遠ざかる。
  がその経験は知識として集積される事はなく、繰り返す経験から
  身体が習得する。
179パレルゴン:04/04/04 01:20
ポールさんへ 又来週の土曜日にでも。
お休みなさい。
180考える名無しさん:04/04/04 01:21
>>172
<「ネコ」という言葉がなくても、個々のネコは存在するが、ネコという
種は存在しない>と言い換えたらダメですか?
181考える名無しさん:04/04/04 01:26
>>178
犬や猫は獲物を対象としますし、学習能力もあります。行動は反射の集積ではありません。
もっと原始的な動物を想定しているわけですか?
182パレルゴン:04/04/04 01:31
丸山の言事分け・住み分け?」は、ソシュール論に書いてありましたね。
僕も読みました。
それは、「言う」と言う世界と「生息する(動物性)」の世界の差
であり、二つの世界にまたがって生きているのが人間と言う事でしょうか。
しかし、彼の言う「住み分け」と言う概念は、言語によって表現されています。
だから、言語分節(言分け)が先にあり、その事で、「身体性」が現われたのです。
ただし、多くの人に承認されてと言う事ですね。

183パレルゴン:04/04/04 01:33
私の考えでは、違う気がします。「猫」と言う言語がなければ
指示対象の猫はいません。
184考える名無しさん:04/04/04 01:34
丸山は動物の「身分け」による文節も論じていましたね。
185考える名無しさん:04/04/04 01:35
>>183
しかし、<もし「猫」という語が存在すれば、その指示対象となるよう
な何か>は存在するのではないですか?
186184:04/04/04 01:36
訂正、文節→分節
187パレルゴン:04/04/04 01:36
生物学の専門ではないので、その辺は個々人の理解に任せます。
ただ、学習能力って、人間の言語による学習能力ではなく
スポーツ選手のような運動能力的な身体性のものを指しているんでしょう。
188パレルゴン:04/04/04 01:38
論じる事自体が、「身分け」の前提として「言分け」が優先している
と言う矛盾を示しています。
189考える名無しさん:04/04/04 01:40
生得観念の例かもしれないものとして、「母親」の概念があると思います。
「ママ」という言葉の習得に先立って、動物の刷り込み(最初に見た適切
な大きさの対象を母親だと思う習性)とも共通性があるような母親概念の
原型のようなものが子供の中にありそうに、私には思えます。「ママ」と
いう語の学習は、そのすでにある概念へのラベル貼りではないでしょうか?
190184:04/04/04 01:42
>>188
あなたが「歩行」する場合も「言分け」が優先するのですか?
191パレルゴン:04/04/04 01:47
つまり、結論ですが、私の言語学的な認識は(今、気づいたのですが、)
一言で言うと、アインシュタインが量子力学に対して述べた
あの有名な言葉にあるのですが、
「私が見ないときに、あの月がないと言うのかね。」
これです、つまり、「言語表現がないと、指示対象はなくなるのかね。」
考えを廻らし、討議を深めていくと、いつの間にか
有名な学者の発言に似ていたと言う事です。
今日は有難うございました。
また、来週(土)PM8:00からお願いします。
それでは、お休みなさい。
192ポール:04/04/04 01:49
おやすみなさい。  >パレルゴンさん
193パレルゴン:04/04/04 01:50
188さんへ。
最後に、もう眠いので。歩行すると言う事を先に言語表現している
ので「言分け」による認識から、歩行と言う行為が確認されています。
194パレルゴン:04/04/04 01:53
無意識の行為が何をなしているのかを知る事は出来ないのだと思います。
たから、その行為が何なのかを認識するのは「言分け」が前提に
なっているのだと思います。
195パレルゴン:04/04/04 01:54
お休みなさい。皆さん。
今日は有難うございました。
196184:04/04/04 01:54
「歩行」と言語表現することが歩行ではなく、いちいち考えたり表現せずとも
周囲を把握しながら歩いてるわけですがね。ではまた。
197考える名無しさん:04/04/04 02:46
>パレルゴンさん

>>170
「概念」の意味がごっちゃになってるように思う。
個々の事例が区別されているにもかかわらず、
あるグループの事例に共通の反応が示されることを、
行動学的には概念形成と呼んでいる。

「暑い・寒い」の行動学的な概念と、
人間の言語という観点から見た概念とについて、
どちらが本当の概念か決着をつけるんじゃなくて、
両者の架橋が重要じゃないかと。
198考える名無しさん:04/04/04 02:48
君にはウィトゲンシュタインは無理だよ。
199考える名無しさん:04/04/04 02:51
>>178
「人間にない言語」ということで何を指しているのか言わないと、ミスリーディングです。

1) 「対象化」ということで言いたいことは何となくわかるんですが、
もうちょっとはっきりさせたいです。
2) ワトソン並の行動主義ですな。すべての行動が反射や本能なら、
オペラント学習(自発的行動による学習)も不可能です。
3) まんまワトソン型の学習。

言語を持つヒトと言語を持たない非ヒトとを区別するための、
まず結論ありきな作為的主張に見えます。
200 :04/04/04 04:23
あああ
201THE グル:04/04/04 05:49
>>99
いいですか、
ずいぶんといない間に書き込みが増えましたね、
さて、
パレルゴンさん、あなたは「存在」というものが良くわかっていないようなので説明いたします。
『存在』とは、「有(sein)」乃至「ある」「存在する」という規定に他なりませんが、
これは、個々の“あるもの”から経験的に抽象された類概念ではなく、
一切のほかの諸規定に先立つ最も根本的な規定でありまして、
「実在」あるいは、「現実」の概念よりも包括的なものなんです。
「ある」という規定は、経験的常識的には我々の経験の範疇に属するモノでしかなく、
また、
形式論理学においては、主辞と賓辞との結合を示した連辞でありまして、
形而上学的には、変転する現象を超えた、世界の根底の規定なんです。
つまり、
我々が認知した「法則」というのは、それ即ち我々の世界に帰属するものでしかなく、
その外に厳然として既にある諸現象(法則)を、
我々が「後から」認知したに過ぎないんです。
これが定説なんです。
どうかしましたか?
202考える名無しさん:04/04/04 06:40
>>201

化石もカキコするんだ (藁
>>122
場は「事実」の前提であって、「事物」の前提ではない。
204考える名無しさん:04/04/04 08:55
「存在(する)」に関する捉えかたの差異にまで還元するだけじゃなかろうか?
あらゆる事実は、生起するために必ず何らかの場を必要とする。
ところで、ハイデガー的存在論の欠点は、「事実」ではなく
「事物」を優先すること、かな? いや、「事実(現象)」は
「存在(事物)」と「時間」に分解されるんだっけ。
「実存する」ことは「事実(事象)の地平」で、
「存在する」ことは「事物の地平」で、

ってことだな。実存することなくしては、現象論的態度は不可能であるとか。
207哲学初心者:04/04/04 13:44
>>175
>形而上学的な議論とは具体的にどのようなものなのでしょうか? イデアとかですか?

先の一文は私自身が今すぐにそういった議論を始めたいという意味ではありません。
なので具体的なテーマは今はありません。しかし、イデアも重要なテーマだという思いは
当然あります。

ところで、言語と哲学の歴史の入門書として、イアン・ハッキングという人の
「言語はなぜ哲学の問題になるのか」という本はどうでしょう?手元に残っていました。
208考える名無しさん:04/04/04 14:22
>>207
その本は、かなり難しいと思う。20世紀の哲学に至る過程を思想史的
に検討している本だから、近代の哲学と現代の哲学についてのある程度
の知識が先にないと、読んでも面白くないだろう。
209考える名無しさん:04/04/04 14:23
「言語はなぜ哲学の問題になるのか」はいい本だよ。
210考える名無しさん:04/04/04 14:28
黒崎宏にはウィトの数学に関する見識にだけは確かなものがあるね。
211考える名無しさん:04/04/04 14:34
>>210
ダメットとクリスピンライトが全然読めてない
212考える名無しさん:04/04/04 14:36
哲学者の多くはゲーデルを誤解していろいろ散文にのめりこんだけど、
ウィトが最初の段階でゲーデルの意義を見抜いていたのは驚きだ。
人はウィトのゲーデル理解は間違っていたといったが、とんでもない。
ウィトはカントに並ぶ天才的な視点を提示していたのだ。
内容はガイシュツだから繰り返さない。
213THE グル:04/04/04 14:37
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄

214考える名無しさん:04/04/04 14:42
ウィトは不完全性定理が出たとき、別に驚かないよといったらしいが
これがはったりでなかったのだよ。恐るべし

ラッセルも書けなくなるわけだ。
215考える名無しさん:04/04/04 15:03
−−麻原は、空中浮揚できるといったらしいが、これがはったりでなか
  ったのだよ。恐るべし。
−−はいはい、そりゃすごいですねぇ。(笑)
216考える名無しさん:04/04/04 15:08
>>214
漏れも驚かなかったよ〜ん。はったりじゃないも〜ん。
217哲学初心者:04/04/04 15:18
>>208-209
レスありがとうございます。
この本は10年前に読んでみようと買ってはみたものの、
背景となる知識も、また哲学自身がどういうものかも
よく分らなくて、投げ出してしまった一冊です。

その後いくらか人生の経験(藁)も増えたことにより、
なんだか読めそうな気がしています。
ただしざっと読んでみたところ、言語の哲学についての歴史の
一般的記述を目指したようなものではなくて、著者の独自の
見解をふんだんに盛り込んで再構成したような本なので
独習書としてはどうなのかな、と気になった次第です。

ひとまずこれ一冊にかじりついてがんばってみます。
言語についての哲学、それの一般的な問題設定と議論の進め方を
身につけたいです。ウィトゲンシュタインを読み、人と
なんらかのテーマでもって議論するための下準備、
といったところですかね。
218考える名無しさん:04/04/04 15:33
ハッキングはフーコー好き
219考える名無しさん:04/04/04 17:08
思想史的な興味がある人って、だいたいみなフーコーは高く評価するん
じゃない? やっぱり凄いんだろ? よく知らないけど。
220あぼーん:あぼーん
あぼーん
221考える名無しさん:04/04/05 13:59
ハッキングがフーコー好きってゆうのはその通りだけど
(だから業界内では「なんかチャラチャラした奴」という目で見られてる)、
『言語はなぜ〜』の場合は、フーコー的な鮮やかな分析があるわけではなくて、
どっちかと言うと凡庸な通史になってるし、だからかえって言語哲学の入門書としては
いいかも。
デイヴィドソンについて読みやすい解説が加えられてるのもうれしい。

でも、言語哲学上のテクニカルな問題についてはあんまり触れてなかったと思うので、
その辺を押えた普通の入門書の副読本みたいな感じで併せ読むのが一番いいかも。
222パレルゴン:04/04/07 23:16
ウィトゲンシュタイン読書完了まで後少しだす。
それから、語ろう。読書解説よりも、内容を討議しましょう。
223考える名無しさん:04/04/08 14:34
対象と対象の観念(名前、記号、像、イメージ・・・)とがあるわけだ。
224あぼーん:あぼーん
あぼーん
225考える名無しさん:04/04/08 21:32
「論考」とは幸福論だったのですね。
幸福に生きろ!
226考える名無しさん:04/04/08 22:43
ゴールデンウィークにウィトゲンシュタインの墓参りに行ってきます セントジャイルス墓地に
227パレルゴン:04/04/08 22:48
226.
いいねぇ〜。
うらやましい。デジカメで撮って、写真を見せてけろ。
228考える名無しさん:04/04/13 21:20
「青色」と聞くと「寒さ」を、実際に感じるのですけど。
「紅い海」という言葉が、「穏やかさ」を漂わせるのは、「意味」の戯れなんでしょうか。
「時間」という概念に対する語がなければ、人間は「終わらない」のでしょうか。
時間を失ったネット上では、死さえもあやふやになりつつあるのではないでしょうか。。。
数式が死なないのは、時間を持っていない(「時間」という語がない。)からなのでしょうか。
(と、難しげなことを言ってみたかった。。)
229考える名無しさん:04/04/13 21:24
「擦りガラスを鍵でキィー――とやる」という文章を読んで、受ける感覚は、
音だけではないのですが、、、。つまり、「擦りガラスを鍵でキィー―――」には、
「音」だけを写像しているのではない、「なにものか」を「意味」に含んでいるんですよね?
言語として分別できていないものが。
230考える名無しさん:04/04/13 21:41
         __, ,,__
        /;;;;;;;;;;,、;;;;;;;;;;;;;;;>
      /;;;;;;;;;;;;//;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ
     <;;;;;;;/ :::::::: \;;;;;;;;;;;;;;;;;l
     /;;;/⊂つ ○ :::::\;;;;;;;;;;;`i
     〉;;i ::::::       ::::\;;;;;;ヽ
    /;;;l ━━::: ::::━━ ::::::l;;;;;;;i
    |;;!;;i ,.=・=)ノ;;(=・=、 ::::::レノ;;;!      これからは畜生とやります。   
    ヽ゛.! ::::::ノ(、_,..)ヽ:::::::: ::::l;;;;;;;;i;  
     ヽi:::: (:::   ::::) ヽ:::::|;;;y;;l
      ヽ:::: !;〉王王フ   :::ノ;;);;;))
       \:::  二:::   :::::イ
         ヽ____/           
    / / }      ;'     `i、   パンパン
   _/ノ../、   _/ 入/ /   `ヽ, ノノ
  / r;ァ  }''i" ̄.   ̄r'_ノ"'ヽ.i   ) ―☆
 {k_ _/,,.'  ;.  :.      l、  ノ  
    \ `  、  ,i.    .:, :, ' / / \
     ,;ゝr;,;_二∠r;,_ェ=-ー'" r,_,/   ☆
231考える名無しさん:04/04/13 21:43




   ._. ‐' !-  _ ,/ソ《
   / o :;. ヘ  ミ巛サ;
  ゝ  ;; ゝ'  ミヘヘゞ
   ` ‐- −ゝミ> `k
>>230-231
貴様もたまにゃ読書くらいしろや。年少向けのアニメ絵本でも貸してやろうか?w
233    :04/04/13 23:32
下らない絵にも腹立つが、
ラッセルが事実上破門したヴィトゲンシュタインがこうももてはやされるのは
激しく不快。
234?:04/04/13 23:48
ラッセル?って過去の遺物でしょ。
ウィトゲンの所為で哲学をやめたってね。
235考える名無しさん:04/04/14 00:46
さすがにラッセル再興とかいっている
哲学研究者はいないよな。サルトルぐらいなら
いるが。
236箜間桐孤 ◆TIGERSM8e. :04/04/14 00:47
                     ⊂二⊃
          ⊂⊃
≡ ( ̄ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\       ⊂二⊃
  / ̄ ̄                            \
=∈=∋        マルチ&葵号             〉
  \__≡§⊃                       /
≡ (_ノ \_________________/
          \   _ '´   ヽ,  .'´`⌒ヽ、    /
           \ 、ヽノノ)))) 〉/ ,ノノハヘヾ  ./ 
     はわわ〜  \リ0);´(フノl ゙'v(!゚ ヮ゚ノ'゛ /頑張ります!
         ≡§⊂| ̄∪∪ ̄ ̄∪∪ ̄|
             └───────┘
237考える名無しさん:04/04/14 00:55
>>235は完璧シッタカ。
singular proposition とか Russellian singular term とか、ラッセル大人気。
238考える名無しさん:04/04/14 00:57
>>237
ウィトには負ける。
というより現代哲学ってのはウィトの遺産の整理に尽きるといってもいい。
分析哲学以外も含めて。
239考える名無しさん:04/04/14 01:07
>>237
そういう専門家の世界があることは認めるが
「大人気」はさすがに言い過ぎだろ。
日本語の文脈でいうなら、たとえばラッセルについて論文や書物を
書いているやついるか? 聞いたことないぞ。
ウィトゲンシュタインなんかとくらべたら雲泥の差がある。
240考える名無しさん:04/04/14 01:13
論考は原理的にはかなり単純。
この駄作が光るのは後期の仕事あればこそ。
241考える名無しさん:04/04/14 01:19
>>240
分析に分析を重ねても駄目だということですよ。
242考える名無しさん:04/04/14 01:28
>>239
論文なら最近もけっこう出てるよ。
出版社の採算ベースにのらないだけ。
243考える名無しさん:04/04/14 01:30
論理哲学論考の真髄は60字以内で言い切れるw
244考える名無しさん:04/04/14 01:34
ウィトは過大評価されすぎだと思ってる奴の数→
245考える名無しさん:04/04/14 01:36
過大評価とは思わないけど、
一極集中てのはいかがなものか?
246考える名無しさん:04/04/14 01:38
論理実証主義スレじゃ、ウィーン学団なんてウィトゲンシュタインを誤解して解説しただけみたいに言われてるからな。
247考える名無しさん:04/04/14 01:51
>>242
紀要論文か何か? 
嘘でないなら、興味があるので具体的に教えてください。
248考える名無しさん:04/04/14 01:52
>>242
出典or書誌情報キボン
249考える名無しさん:04/04/14 02:15
おまいら科哲とか知らないのか?
250考える名無しさん   :04/04/14 02:40
チョムスキーがいんちきであったことが誰の目にも明らかになったほどには
ヴィトゲンシュタインがいんちきであることは自明にはならないかもしれない。
だって、大したこと述べてないから。
251考える名無しさん:04/04/14 02:42
チョムスキーは正々堂々としてるよね。
252考える名無しさん:04/04/14 02:48
ラッセルのサイトは知ってるけど。
253考える名無しさん  :04/04/14 03:22
結局ヴィトゲンシュタインってラッセルのいいとこどり藤作でしょ。
254考える名無しさん:04/04/14 04:50
藻前ら、ウィトゲンちゃんのことをよくご存じだなぁ。
そこまで、知ったかできるなら、せいぜい、がむばって、
ウィトゲンちゃん以上の論文著作と名声を獲得してね!

2茶ネラーには無理だってば(藁
255考える名無しさん:04/04/14 04:51
お前も同類
256考える名無しさん:04/04/14 20:57
名前の響きがかっこいいので興味がありました。
そして「天才の精神病理」を読みました。
ビトゲンさんてただのキチガイですね。
257考える名無しさん:04/04/14 21:19
あたりまえの事を200ページかけて語るという異常さ。
ウィトは自らを馬鹿だといったが、本当に馬鹿じゃなきゃできないことだってある。
258考える名無しさん:04/04/14 21:31
トートロ爺

259考える名無しさん:04/04/15 02:34
写像にコノテーションは含まれてる?
260考える名無しさん:04/04/15 02:57
前期ヴィトがやったのはフッサールの(下手な)還元みたいなことにすぎない。
261考える名無しさん:04/04/15 03:17
前髪、フサール
262考える名無しさん:04/04/15 05:54
カトちゃんケンちゃん
263考える名無しさん:04/04/15 06:19
>>260
ハァ? ぜんぜん違うだろ
ん、フッサールはスコラ主義。
っつか、フッサールも最初期と最晩年は、それなりに
実存的なんだよな・・・。
266考える名無しさん:04/04/16 17:33
○○は△△にすぎない

↑なんで哲厨ってこんなことしか言えないの?
267考える名無しさん:04/04/17 01:13
>>259
全然。 論考の枠組みからは、語ることの中にはコノテーション的要素は全く入り
こむよちがない。
268考える名無しさん:04/04/17 05:58

哲厨はすべからくアフォにすぎない
269箜間桐孤 ◆TIGERSM8e. :04/04/17 06:33

く((レ゚ -゚ノァ∩<おいおい ウィトゲンシュタインは本との天才だぞ
        彼の言語ゲームの概念は言語の細分化、明晰化に多大に貢献したんだぞ
270パレルゴン:04/04/17 06:45
と言うか、凄まじい人生だな。自分の病理を克復するために、哲学をやった人。
彼の論理学を学ぶことも重要だけど、そのパラノイア的執着心は凄い。驚嘆するよ。

戦争体験により、命の喪失の危機 さらには、癌による死期の告知以後
こう言う時にこそ 彼は凄い仕事をする。

この精神構造も、彼の論理哲学を評価するか否かの問題とは別に、
尊敬に値する人だと思う。
271考える名無しさん:04/04/17 09:35
>>268
すべからく、に「すべての」という意味はない。
272考える名無しさん:04/04/17 09:40
>>271
誤用も慣用。意味は通じる
273考える名無しさん:04/04/17 09:56
「にすぎない」ってのはNGワードに設定してもいいよな?
かあさん、にすぎないでね。
274考える名無しさん:04/04/17 10:07
>>237は所詮あがきにすぎない
275考える名無しさん:04/04/17 10:15
みんな、原典読んで驚嘆しようよ
276考える名無しさん:04/04/17 12:01
>>272
言い訳は見苦しい。
277考える名無しさん:04/04/17 12:06
キキキにみんなが言い訳してるのがおもしろい
278考える名無しさん:04/04/17 12:08
>>276
つーか普通に辞書にのってるやん
279考える名無しさん:04/04/17 12:09
キキキは辞書に載っている
280考える名無しさん:04/04/17 12:39
>>278
言い訳に捏造を使うな、ボケ!
281考える名無しさん:04/04/17 12:41
>>280 ばか?
少なくともオメーよりは信頼できる。
282考える名無しさん:04/04/17 15:26
どっちもくだらないよ
283考える名無しさん:04/04/17 16:03
どっちもくだらないと言われる事象でしかない。
284考える名無しさん:04/04/17 19:48
人間はニューロンの束にすぎない
しかしそれでも関係ない
285あぼーん:あぼーん
あぼーん
286考える名無しさん:04/04/17 22:37
少なくともこのスレにおいては、言語について厳格であってほしい。
http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?p=%A4%B9%A4%D9%A4%AB%A4%E9%A4%AF&stype=0&dtype=2
287考える名無しさん:04/04/17 23:06
hidex7777って香具師も、この前見たレヴューで、「すべからく」の用法間違えてた。
288考える名無しさん:04/04/18 01:00
くだらないよ
289考える名無しさん:04/04/18 01:02
ウィトゲンシュタインは>>286みたいなことが言いたかったのか?
290考える名無しさん:04/04/18 01:05
どちらかというと>>288だと思う
291考える名無しさん:04/04/18 01:08
辞書を持ってきて、「こう書いてあります!!」とラセルにつめよるルーたんハァハァ
292考える名無しさん:04/04/19 22:00
いや、案外>>272かもしれない
293考える名無しさん:04/04/19 22:02
>>286よりは近かろうよ。
294考える名無しさん:04/04/19 22:15
ウィトゲンシュタインと藤村をいっしょにすんなっぁぁぁ!
295考える名無しさん:04/04/19 22:48
>>292
ウィトゲンシュタイン自身が
哲学的問題は、言葉を本来の使用を離れて使うことによって起こる病気である。
哲学はそれを治療するのが使命だ。
という趣旨のことを述べてるんですが。原典読んでますか?
296292ではないが:04/04/19 23:53
>>295
後期ウィトゲンシュタインにとって、そういう「本来の使用」というのは、辞書が定義する類いの言葉じゃないよ。そういう記述主義的な言語観を批判したのが『探究』の言語ゲーム論なんだから。
言語ゲームにおいて意味が定義される以前に実践的に使用される言葉こそが後期ウィトゲンシュタインにとって「本来的」ということになるだろう。第83節の有名なボール遊びの例はまさにそういうことを述べたもの。あなたこそ原典読んでますか?
297考える名無しさん:04/04/20 00:01
296=268
298考える名無しさん:04/04/20 00:19
ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論て、結局その目的がなんだか
良くは分からないんだが、単に勝ち負けを決するためのTVゲーム
とは違うんではないかな?もしそうだったとしたら、それだけの浅薄
な思想だったという事だろう。
299考える名無しさん:04/04/20 00:28
>>298
違うけど、もしそうだとしても具体的に調べないで浅薄とかいうのは
そっちの方が浅薄だよ。
300あぼーん:あぼーん
あぼーん
301考える名無しさん:04/04/20 00:36
>>300
ごめん、もう少しまともなレスをして
302296:04/04/20 00:38
>>297
ちがうけど?
303考える名無しさん:04/04/20 00:38

>>298

 ば〜か。氏ね。 (藁
304THE グル:04/04/20 00:39
>>301
いいですか、
まともな議論がないのにまともなレスは出来ないんです。
どうかしましたか?
305考える名無しさん:04/04/20 00:41
>>298
Importance is not important, truth is.
306考える名無しさん:04/04/20 01:08
>>305 言いたい事は分かるけど逆説だよね。
それ、真理は重要でない、と言ってるか?私はそう思わない。
他のプレイヤーにもそうであって欲しい。でないと価値は人それぞれ、
ツールもバラバラじゃゲームにならないし、しても不幸にしかならない。
307考える名無しさん:04/04/20 01:21
>>306
>言いたい事は分かるけど逆説だよね。
逆説か?
>それ、真理は重要でない、と言ってるか?
言ってないよ。というか、君はどう解釈したんだ?

深遠さや重大さ、崇高さみたいなことを振りかざす文学的な「哲学」を批判して
そういったものが大事何じゃない。
浅薄そうに見えても、真理こそが大切だ、という意味の格言。
308考える名無しさん:04/04/20 01:21
言ってないよ。というか、君はどう解釈したんだ?

言ってないよ。というか、君は俺が何を言ってると解釈したんだ?
309307=308:04/04/20 01:27
あ、ごめん。
確かに逆説だね。
もう寝るわ
310考える名無しさん:04/04/20 01:29
重要性は重要じゃない、は明らかに逆説だな。

「重要性は重要じゃない、真理こそが」
ウィトのゲーム理論ってのは、「論考で自分は哲学的に重要な
問題は解決した。これ以上続けるなら、遊び半分」って程度の
意味じゃねえの?w
・・・ご飯食べてこなくちゃ。
313考える名無しさん:04/04/20 17:41
>>307
>296の意味がとれなかったので、単純に「正しさは重要でない」と曲解して
いるのかと思った。truth is (that way)とでも脳内補足をすればそうなる
のかと。そうじゃなかったみたいね。でも、それなら、レスが君のものかど
うか分からないが、本来的=重要という価値判断を含んでいる、>296の
解釈は正反対にひっくり返る可能性がある。逆説の再検討を希望。

(真理、価値とか安易に書いてしまったのは少し反省している。
しかし勝ち負けに拘って、真摯に議論をする気はないように見えるが?)

>>310
前後の文脈が分からないが、逆説だと訳はやたら難しい。
どれでも思いっ切り誤解を受けて叩かれると思うが、

(否定調)「重要が重要なのではない。正しさでもない。」
(強弁調)「重要は重要でない。正しさだ。」
(修飾調)「(普遍的に)重要とされている正しさは重要ではない。」

ぐらいか。なんか禅問答みたいだ。形而上学の否定かな。
・・・MY解釈では矛盾をうまく表現できないので、やめとく。ウィトは難しい。

(老子調)「正しさの重要とするは(常の)重要にあらず。」
314313:04/04/20 17:49
なお、私はウィトゲンシュタインの原典読んでないから、
トンデモな事を言ってるかも知れない。その際はすまん。
315考える名無しさん:04/04/20 19:46
>>313
Importance is not important, truth is.

名詞と形容詞の違いもわからんのか(藁。

316考える名無しさん:04/04/20 21:51
「"Not even importance, I want to get truth!"
 真実は、見えるか?」
317313:04/04/20 23:21
有益なレスも付かなかったようで、残念。ムダかも知んないけど、
価値判断についてのMY考察の駄文おいとくね。小心者なので、
邪魔だったらスルーしてくれ。

Importance is not important, truth is.

まずこの言葉で、作者の意図する「価値の否定」について考える。価値の否定
には相対的・絶対的の二通りの方法がある。相対的否定では、価値の相対化に
よって「重要性」よりも「正しさ」に価値があるとし「正しさは重要である」
とみなす。しかし、これでは「正しさ」に重要性を認め、直ちに矛盾に陥って
言葉が意味を成さなくなってしまうことになる。一方、価値の絶対的否定では、
「重要である」という価値判断を絶対否定し、それを「正しさ」について適用
し「正しさは重要でない」とみなす。この絶対的否定は一見して矛盾がなく、
言葉も意味を成している。よって、読み手はこの絶対的否定を採択すべきであ
る。すなわちここでは、ウィトゲンシュタインの意図としては「重要である」
という価値判断を絶対的に否定しており、実際に「正しさは重要でない」と言
おうとしている、とみなすことにする。

ここで価値判断の絶対的否定とは何かと問う。それは価値判断の停止に他な
らない。おかしい。判断を停止しているにもかかわらず「正しさは重要でない」
などとどうして言えるか。「重要でない」は価値判断ではないのか?いや、
価値判断である。この言葉は「重要ではない」に重要性を認めているが故に意
味を成している。しかし、これは価値の絶対的否定の前提に反する。矛盾だ。
こうしてこの試みは失敗する。すなわちここでは、ウィゲンシュタインの「重
要である」という価値判断の絶対的否定が失敗した。

価値判断は読み手に委ねられた。読み手からすれば、否定が失敗してるのだか
ら「正しさは重要だ」。これは読み手が読み取る価値判断なので「思う」をつ
けねばなるまい。もちろん「重要だ」と彼が言っているわけではないが、「重
要だ」という価値判断が失敗したわけでもない。一方で「重要でない」という
のは彼の価値判断だ。重い失敗だ。だからこそ私は彼の意図に反して「正し
さは重要だ」と思うことにした。
318考える名無しさん:04/04/20 23:49
Importance is not important, truth is.
重要性が重要なのではない、真実こそが重要なのだ。

重要だと「思われること」が重要なのではなく、真なる「事実」こそが
重要なのだ、ってことですか?
u-、やっと4章終わった。誰か校正してくれるヤツ、いねえかなぁ。
320考える名無しさん:04/04/21 01:04
>>313
>>298が、結論が浅薄に見えるから拒否するってことを書いてたんで、その格言を書いた。
それを支えてる議論を見ずに、結論だけ見て、かっこ悪いとか深遠そうに見えないという理由で拒否するのはどうか俺は思うってこと。
まあ、ウィトゲンシュタイン自身がどう感じるかは知らんが。
>>314
ごめん、これウィトゲンシュタインじゃなくて、ジョン・オースティンの言葉なんだ。
321考える名無しさん:04/04/21 01:26
>>318
そういうこと。
322考える名無しさん:04/04/21 06:39
>>320
結論が何を指しているのか分からないが、別に「結論」が浅薄に見え
ると言ったつもりはない。ただ、それが君の解釈かどうかも分からない、
>296の解釈は浅薄だなとは思った。希望的観測混じりで価値を相対化
するところで満足しているように見えたからだ。それで>298を発言した。

曖昧なかっこ良さとか深遠さを求めるつもりはないよ。私の言語ゲーム
論への関心は、現代のゲーム理論においても解消されない価値判断
の問題をウィトゲンシュタインが扱っているかも知れないと思うからだ。
少なくとも現代ゲーム理論では勝ち負けは問題になってない。

外国語、特にドイツ語は得意ではないが、ウィトゲンシュタインに当たる
必要があれば読みたいとは思う。が、扱ってるかも知れないというような
理由だけで原書を読むような余裕はない。で、ちょっとこのスレを覗いて
みた、というわけ。

ウィトゲンシュタイン解釈の現場の状況はなんとなくわかったので、ムダ
ではなかったと信じる。

お邪魔した。
323296:04/04/21 08:09
>>322
ひとのこと浅薄だとか言う前に、
少なくとも『探究』第83節ぐらいは読んでから
発言してはいかがでしょう?
そうすればウィトゲンシュタインの言語ゲームを、
>>298のような「TVゲームの勝ち負け」などという素朴な連想で
裁断したりできないことがよく分かる。
ちなみに>>302以外は私の発言ではありません。
324考える名無しさん:04/04/28 23:46
勝ち負けもある言語使用にその目的を与えるものだから,言語ゲームをささえる基盤の
一つであって,重要な意義を持ちうるのではないかな?
325考える名無しさん:04/04/29 01:28

 「勝ち負け」より、「面白い・つまらない」だろ。
326考える名無しさん:04/04/29 07:56
論考を理解したので卒業する
327考える名無しさん:04/04/29 08:21
いえ、出席日数が足りないので留年です。
328考える名無しさん:04/04/29 14:54
理解なんて誤解の総体だ 今日はウィトゲンシュタインの命日ですよ age 墓行ったのか?
329考える名無しさん:04/04/29 14:57
全ての理解が誤解であるのなら
誤解と言う言葉自体が意味をなさない。
330考える名無しさん:04/04/29 20:49
>>318
肝心なのは「重要かどうか」ではなく「真理であるか否か」なのだ。
331考える名無しさん:04/04/29 23:19
>>330
それは、真理ではないな。(藁
332考える名無しさん:04/04/30 02:00
>>329
激しく同意
333考える名無しさん:04/04/30 02:41
凡ての理解は曲解ではないだろうかそれは誤解ではなく輪をつくる
334考える名無しさん:04/04/30 06:06
人は「理解すると云うこと」を未だ理解していない。

って云ったのは誰? (藁
335考える名無しさん:04/04/30 06:10
哲学用語の語法は否定構文で用いられる場合に限り正しい。
336考える名無しさん:04/05/07 13:18
そもそも理解とは何なのか 自身が理解の定義を提示し 各々が理解という言葉の共通な定義を話し合わないと 理解と誤解の議論は成り立たない
337考える名無しさん:04/05/07 13:26
共通の定義の話し合いをするためには、既に共通の理解、って言葉じゃまずいな
了解が必要だ。

なぜ、共通の定義が既にないのに、話あうことができるのか(w
338考える名無しさん:04/05/07 14:58
じゃあ「了解」 言葉って難しい 理解って何だ それを考えていくと理解について自分が理解してないことに行き着く
339考える名無しさん:04/05/07 15:07
実は謎がないところに謎を見ようとしていないか?
深みを見るな。そこには何もない。
諦めだけが人生さ(フ
341考える名無しさん:04/05/07 23:41
謎がないところに謎を見ているのかおれは。。。
わからないよ
あんたにとって「謎」ってなんだ
そこから話し合わないと、、、
同じ土俵にも立てない、、、、、、、、、
342考える名無しさん:04/05/07 23:50
>>341
わからないというが、わかるとは何だ?
あるいは、でないと否定するとはどういうことなのだろうか?
「〜ってなんだ」と尋ねることはいったい、何を遂行しているのか?
「あんたにとって」→あんたとは他者のことだろうが、何が他者なのか。
そして特定の他者をあんたと選び出すとはどういうことか。
話し合うとは何か。話し合いは、二人の人が行うのか、それともその間で行われるのか?
話すとは何か、何かを伝えるとは何か?

>同じ土俵にも立てない
何かが同じであるというのはどういうことなのか。この同じとあの同じは同じなのか?
土俵に立つというが、土俵とは何か、土俵などどこにあるのか。
あきらかに存在しないものが、比喩としてならその意味が通じてしまうという自体は驚くべきことではないのか?

まず、それを教えてもらわなければ何を聞いてるかわからないよ。
343考える名無しさん:04/05/10 20:02
>>72
>例えばスプーンの集合
を考えると、世界中のスプーンを集合できるが、そのスプーンの集合という
概念はその中に入れない、よって、スプーンの集合はメタ・レベルを
必要とするんだけど、そのメタ・レベルもさらにメタ・レベルが必要に
なる、と言う悪循環になる。

なんで?
スプーンの集合は集合の集合のメンバーなんだろうけど
集合の集合は集合なんだから集合の集合のメンバーつまり自身のメンバーになんじゃないの?
なんで無限後退になんの?
344考える名無しさん:04/05/13 16:40
なぜか法哲学でウィトやったよ。
345考える名無しさん:04/05/13 19:56
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346考える名無しさん:04/05/22 18:13
>>344
法実証主義とかの関係じゃないの?
5.1まで終了。
縮小表示モード追加。
クリックしてもマウスが停止しなくした。
表題とマウスのクリックを逆にした。

いつになったら終わることやら・・・。
あ、マウスじゃなくてボール。静かだなぁ・・・。
349考える名無しさん:04/05/25 19:05
ミテルヨー
350考える名無しさん:04/05/25 21:20
全開、全閉ボタンツケタ♪ 検索用cgiも入れようかなぁ・・・。

・・・って、本文が(汗
351原住民の王:04/05/27 02:04
5.2までオワタ
352考える名無しさん:04/05/31 11:38
論哲

前半 因果律などというものは存在しない
後半 因果律が存在する

いったいどっちなんだよ・・・
慧眼なる読者のご意見おまちしております。
353考える名無しさん:04/06/08 14:22
5.1362
 いわゆる意志の自由は、将来の行動を今から知ることはできないという
点に成立する。ところで、それを知るということは、因果関係も論理的推
論の必然性と同じように内的に必然的なものであると仮定した場合にのみ、
可能なことであろう。そのとき、知ることと知られたものとの連関は、論
理的に必然的な連関である。

↑これ? これは仮定の話だろ。
354考える名無しさん:04/06/08 17:32
ん、で結局論考のWは矛盾の無い論理で言語を統制する
という内在規約をもって形而上学を語り得ぬものにしたかったのか?
なら内在的論理に乗っ取った言語は因果律が存在し
それ以外の言語には因果律は妥当でない(無意味)つーこと?
355考える名無しさん:04/06/08 22:01
『本書の目的は二つの部分からなる。すなわち現にここで述べられている
ものと、私がここに書かなかったものすべてとである。そして重要なのは
まさにこの二番目の部分である。』

論理的必然=因果律の存在、じゃないだろ。あくまで仮定の話。
356考える名無しさん:04/06/08 22:07
ぶっちゃけた言い方をすると、論理的必然ってのは「無時間的」なんだ
よね。その無時間性ってのは、「永遠の現在」とでも言うようなものな
んだと思うが。これは論考にもそういうことが書いてある。因果律は、
どこまでも時間的な関係。
357考える名無しさん:04/06/08 22:21
ウィトって結局誰もわからないので知ったぶるには最高のネタだ。
358考える名無しさん:04/06/08 22:38
わからないのは、お前だけかもよw
359考える名無しさん:04/06/08 23:08
わかるのかい?
360考える名無しさん:04/06/08 23:21
群盲象を撫でる
361考える名無しさん:04/06/08 23:21
わからないお前に説明したってわかって貰えないだろ。
362考える名無しさん:04/06/08 23:26
まるでインチキ宗教みたいないいぐさだな

363考える名無しさん:04/06/08 23:28
ヤクザ者みたいな絡み方だな。
364考える名無しさん:04/06/08 23:30
必要なのは火かき棒か?
365考える名無しさん:04/06/09 07:18
クソかきベラ
366考える名無しさん:04/06/09 12:06

火かき棒を振り上げは、議論による哲学的問題の解決に対して超越的である。(藁
367考える名無しさん:04/06/10 04:27
メタバカのウィトオタ
368:04/06/10 07:21
>>72>>343
 スプーンの集合をCとする。Cのメンバーは各々のスプーンだ。ところで確かにCがある集合
(集合の集合)のメンバーではありうる。だからといってCが自分自身、つまりCのメンバー
なのだ、ということは帰結しない。だから>>343の指摘はちょっとおかしいよ。
 ところで>>72がおかしいのは、集合の累積階層、もしくは集合の反復を対象言語とメタ言語の
区別に関連づけている点だと思う。もしかしたら上でだれかが指摘したかもしれないけど、どの
集合に対してもそれをメンバーとする上のランクの集合が存在するとか、ある集合は自分自身を
そのメンバーとして含むことができないということはメタ言語の議論とは「本質的に」関係ない。
対象言語とメタ言語の区別は、文「太郎は名前だ」と文「太郎は男の子だ」の中で「太郎」が異な
った仕方で現れているという言語の問題なんであって、集合の議論は集合論という一つの理論の内
部での議論。
369:04/06/10 07:23
ちなみに『論考』で対象/メタの議論に関連するのは語ると示すの区別
だと思うけどね。
370ポール:04/06/10 21:13
>稲さん

お帰りなさ〜い。
今、『言語哲学大全』読んでます。
ほぼUは読了。来月中までにWまで目を通します。
少し議論が込み合ってくると、途端についていけなくなりますが。

371考える名無しさん:04/06/12 03:46
w
372考える名無しさん:04/06/12 07:25
ホットケンシュタイン
373考える名無しさん:04/06/13 04:51
             
374考える名無しさん:04/06/19 17:43
>>102-103のような観点から論考を取り上げると、
どうなるんだろうね。
375考える名無しさん:04/06/19 18:09
つまり、「自分自身を含む集合」という問題が、なぜ問題になるのかが
気になるわけだな。
376考える名無しさん:04/06/19 20:03
下は公理的集合の自己完結性についてのポパーの文章。「自己自身を含む集合」は、
これとは別の形での公理的集合の自己完結の試みだと言える。ゲーデルの不完全性
原理が否定する問題でもある。いずれにせよ、素朴集合にメタ・レベルの問題は関
係ないわけだね。

 絶対に確実で、明示しうる知識、すなわちエピステーメー(episteme)という
古い科学の理想は偶像に過ぎないことが判明している。科学的客観性が要請され
る結果、全ての科学的記述はどうしても永遠に暫定的なものにとどまる他はない
ことになる。ある記述は新しい記述によって確証されるかも知れないが、その確
証も他の記述に関係をもっており、しかもそれらすべてがまた暫定的なものなの
である。・・・
377考える名無しさん:04/06/19 20:22
最近では、自分自身を含む集合を認める集合論をつかって、嘘つきパラ
ドックスを分析して有名になった本があるし、プリンキピアの初版では
ラッセルがタイプとオーダーという2種類の階層を用いて意味論的パラ
ドックスの解決を図っている。意味論的パラドックスは対象言語−メタ
言語という言語の階層化で避ける、というのは一つの方針に過ぎないの
だから、絶対視するべきではない。
378考える名無しさん:04/06/19 20:27
>>374
どうって、当たり前のことしか書いてないけど。
379考える名無しさん:04/06/19 20:27
クレタ人の自己言及命題のパラドクスは、素朴集合の形式では表現
不可能だね。
380考える名無しさん:04/06/19 20:31
>>378
その「当たり前のこと」が初心者には分からないってこったね。

言及という行為には主客問題が含まれてるから、観測問題に話が
似て来るんだな。
381考える名無しさん:04/06/19 20:34
でも、
しょせん外部からの観測に過ぎないんだろ?
382考える名無しさん:04/06/19 20:36
「所詮」はウィトゲンシュタインの哲学においてはNGワード
383考える名無しさん:04/06/19 20:36
ん? 発言ってのは、自分の内発的な意志でするもんだろ。
384考える名無しさん:04/06/19 20:38
>>102-103のようなことを言うのは数学基礎論や数理論理学に接して間もない厨だよ。
もともと数学は絶対的な真理を求めているのではないのだよ。
385考える名無しさん:04/06/19 20:39
じゃ、このスレ的には「素朴集合」と「公理的集合」の
問題は区別すべきってことは常識ってことでw
386考える名無しさん:04/06/19 20:42
>>384のようなことを言うのは、数学基礎論や数理論理学に接してから
少しだけ時間がたった厨です。「もともと数学は・・・」なんて断定
して恥じないところから分かります。(w
387考える名無しさん:04/06/19 20:46
>もともと数学は絶対的な真理を求めているのではないのだよ。
これ、カントが数学について、定義から始まる学問だと言ってる
意味では間違いではないのでは。

数学は理系の学問のなかでも一番厳しいもんだから、
言葉を慎むべきなのは間違いないけど。
388考える名無しさん:04/06/19 20:55
「意味論的パラドクス」ってのは、「公理的集合」の
無矛盾な体系性の問題とは別ってことかな???
389考える名無しさん:04/06/19 20:57
>>102のリンク先の人のセリフ

数学という厳密な世界を築くには適さない。数学にとって大切なのは、
理論の豊かさよりも、理論の厳密さなのだ。

これが馬鹿馬鹿しいのよ。
だったら自分がZFでは導けないような、
しかも今も発展中の現代数学の最先端を凌駕する成果をしめして
ギャフンと言わせてやればよいだけだよ。
そうできないなら、ただの空念仏。
ZF(BG)の上の建造物を知りもしないくせに
豊かさを犠牲にしたと断言できる厚かましさに呆れるね。
390考える名無しさん:04/06/19 20:57
古代ギリシャ以来、感覚経験を通じて確実な知識を得る事はできない、
という考えが支配的でしたが、ここで比較の対象になっていたのは、
演繹的な証明によって確実な知識を与えてくれる(と信じられていた)
数学だったんですけど・・・。

ない
391考える名無しさん:04/06/19 21:04
>>388
公理的集合論はラッセルのパラドックス(「自分自身を含まない集合
の集合が・・・」)を避けて集合論を体系化するためのもの。意味論
的パラドックス(「この文は偽だ」みたいなの)は、メタ言語・対象
言語という言語の階層の区別で避けるというのが、タルスキ以後の20
世紀の論理学の標準的なやり方でした。
392考える名無しさん:04/06/19 21:04
言語を体系と見なした場合、集合論として、どう捕らえるかの
問題はあるよな(記述言語と対話言語)。

>>389
東大卒らしいけど・・・
393考える名無しさん:04/06/19 21:08
>>391
あー、そうそう、そんな感じ。しかし、それじゃメタ言語は
対話言語のことってなってFA?
394考える名無しさん:04/06/19 21:12
ウィトゲンシュタインは、このメタ言語・対象言語という階層を分けること
によるパラドックスの回避に賛成じゃなかったようだから、それで何か言っ
てるんでしょうが、私は興味ないので知りません。
395考える名無しさん:04/06/19 21:16
お付き合い頂いて有難うございましたm(_ _)m
396考える名無しさん:04/06/19 21:19
>>390
各々の公理系内の演繹の総体は、相変わらず確実です。
数学における真理とはそれ以上でも以下でもない。
採用した公理系、用意した概念の諸定義が適切なものであったか否かは、
演繹された系によってあらためて吟味されるべきでしょうが、
とりあえず、A⇒B のBそれ自体を取り出して「正しい」か否かを問う、
翻ってその観点から Aの「正しさ」を問うのは数学の管轄ではない。
Bの美しさや有効さを議論するということはあるでしょうがね。
とにかく 数学的に「正しさ」を問うなら、それは「⇒」の部分に関してのみ。
この部分の「確実さ」は将来に渡って磐石でしょう。

上の意味で数学は自然科学ではないと言われているんですよね。
しかし表向きは感覚世界との関係を絶っているにもかかわらず、
結果として物理をはじめとする科学におおいに関係してきている。
科学の側が数学の成果を応用しているという明らかな場合を除けば
人間という種の脳の認識パターンによるところなのかも知れません。
397考える名無しさん:04/06/19 21:21
「クレタ人はうそつきだ」
「きみはクレタ人ッ?」
「いえ、イギリス人です」
398考える名無しさん:04/06/19 21:24
座布団一枚。
399考える名無しさん:04/06/19 21:42
>>390
どうでしょうね? 現代では演繹の確実性というのも、言えるのかどうか。
論理は慣習的規約だっていう意見もありましたしね。
400考える名無しさん:04/06/19 21:45
懐疑論で全てをうやむやにするのが現代の哲学なんだろ?
401考える名無しさん:04/06/19 21:50
気になってるのはそんなことじゃないんじゃない?
402考える名無しさん:04/06/19 22:10
>>400
それはポスモダの流行系。
403考える名無しさん:04/06/19 22:11
なんだよ「流行系」ってw
プゲラッチャンプラッチンチンチョチョギレョゲラッチャンチチョギレ
405考える名無しさん:04/06/19 22:16
それはただの電波。
406考える名無しさん:04/06/19 23:41
数学のことは数学を勉強してから話そうな。
知らないことについて話していいことと
悪いことの区別ぐらいちゃんとつけような。
407考える名無しさん:04/06/20 00:40
まず、自分が何を理解していて、何を理解していないかを
理解するのが大事だね・・・。
408考える名無しさん:04/06/20 00:43
「すべてのクレタ人はうそつきだ」
「先生っ!このクレタ人はうそをついたことがありません」
「オンギャー!オギャー」
409考える名無しさん:04/06/20 01:41
>>396
自然現象を数学用語で表現できるのはなぜかってことを
ウィトはどう言っているのですか?
410考える名無しさん:04/06/20 02:27
>>409
「雷雨」を数学用語で表現できるの?
411考える名無しさん:04/06/20 09:41
言語の体系性(文法)は規約主義的かな。

「ウィトゲンシュタイン空間」って、何か良さげじゃね?w
412考える名無しさん:04/06/20 19:13
哲学的探究には「厳密な記述は代数学によって与えられる」と
読めるような箇所が2,3あったと思ったけど、ウィトは代数は
分らんかったのかな。楽観的に無条件の信頼を寄せてるようで、
それについては何も考えていないように見えた。ま、それは
後世の読者が、がんばってやり遂げてくれっつーことだったん
だろうけど、そういう方面の話は聞かないですね。
413しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/20 21:01
>>394
『論考』の3.333でラッセルのパラドクスを片付けたと
豪語するウィトゲンシュタインですが
その解決はラッセルのタイプ理論の様な一種のメタ言語化ではありません

ラッセル(&フレーゲ)に対して一応評価しつつも
言語の対象(意味)を想定したのが
間違いの元というような批判をしていますね

『論考』の体系では、そもそもラッセルのパラドクスが起こらない
関数が自分自身の変数になると定義域が変化するからです
これは直観主義とか生成の話になるかもしれないけど、よく分からない
414考える名無しさん:04/06/20 21:27
> 関数が自分自身の変数になると定義域が変化するからです

何を言っているのか分からない。説明希望。
415しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/20 22:49
>>414
ラッセルのパラドクスは
自分を要素に持たない集合に
自分自身が要素に含まれるか、という問題でしたが
論考では定義域が異なれば違う関数になり
自分自身を対象化した時点で変化するため
そもそもラッセルのパラドクスは起きないのです
416おそるおそる・・・:04/06/20 23:48
論考における命題は論理絵だが、ラッセルが問題にした
自己言及的命題は論理絵にはなり得ない、というのが、
当然の前提になってるような書き方ではあるね。
417考える名無しさん:04/06/21 09:41
>>415
あなたの話を聞いていると、論考というよりはプリンキピアのタイプ付き高階
論理のことについて言っているように聞こえるのだが。
418考える名無しさん:04/06/21 10:55
>定義域が異なれば違う関数になり

参考になるのはどの項目か、教えていただけませんでしょうか。
419考える名無しさん:04/06/21 11:21
>>413>>414>>415>>418
あそこでのWの議論はこうじゃなかった?

何であれ関数Fは自分自身の変項値にはなり得ない。というのも、F(x)とF(F(x))は論理形式が異なるから。
単に両者の共通点は‘F’という文字を使った見かけだけであって、前者は一般にφ(x)とい形式、後者はφ(ψ(x))
という形式をしている。だから各々の表現は異なった関数を表示するはずだし、そうでなければならない。

これが『論考』でラッセルパラドックスの解決だと思うけど。しかしこれが本当に解決になっているのか。不動点定理を
考えてみよう。一枚の絵を考える。そしてこの絵の内部に自分自身の縮小写像fを考える。するとこのfについて動かない
点が常に(唯一)存在する(これってブラウワーの不動点定理っていうんだっけ)。つまり、このような点aについて、
  a=f(a)
が成立するというわけだ。だから当然f(a)=f(f(a))が成立する。つまりこれらf(x)とf(f(x))は単に‘f’という見かけの
共通点を持つだけじゃない。
 以上から帰結するのは、『論考』の解決が解決でありうるのは、すべての対象にはただ一つの名前だけが対応するべきだ
という要請のもとでのみである。
420考える名無しさん:04/06/21 13:52
世界を一枚の論理絵にすると、個別的なものだけが
実在するってことかな。
421考える名無しさん:04/06/21 15:06
「実在」って何よ? .w
422考える名無しさん:04/06/21 19:41
ここでまたア・プリオリの可能性を問わねばならない
423考える名無しさん:04/06/21 22:42
そもそも記号の使用規則について間違ってるところから生ずる問題でしかない。
424考える名無しさん:04/06/21 22:57
×そもそも記号の使用規則について間違ってるところから生ずる問題でしかない。
 そもそも記号の使用規則が使用者の任意に任されているため、問題や混乱が生じるかの印象を与えるに過ぎない。
425考える名無しさん:04/06/21 23:51
>>421
事実(現象)こそが実在の根底にある、と言うべきかな。

論考1.1
 世界は事実の総体であって、事物の総体ではない。
426考える名無しさん:04/06/22 14:28
事実の等しなみな一回性だけが真に現実と見なしえる、とか。
「嘘吐きのパラドクス」のような命題は、単に矛盾命題として
退けられてるだけかな。

>>422
論考での先験性の問題は、論考という現象論的論理体系の境界
設定の問題だと思うけど・・・
427考える名無しさん:04/06/22 23:42
ロムってる君、普遍論争とオッカムの唯名論を連想した?
428考える名無しさん:04/07/05 00:16
おまいらはウィトゲンシュタインのどこに惹かれるかね?
初期の論考やら、後期の言語ゲーム、家族的類似性や厳格有限主義などからは、、
ウィトは抽象的思弁の人ではなく、どこまでも感覚的実証主義者、批判家って印象を受けるんだが。
そこのところが、いまいち好きになれない。
429考える名無しさん:04/07/05 00:17
どこにもあまり惹かれない。
430考える名無しさん:04/07/05 00:53
名 前 が か っ こ い い 
431考える名無しさん:04/07/05 06:35
うほっ なところ
432考える名無しさん:04/07/05 21:21
今クリプキのウィトゲンシュタインの解説本読んだのですが、
これってかなり異質な読み方じゃないですかね。専門家の
人にとってはどういう扱いなんでしょうか。
433考える名無しさん:04/07/05 22:13
>>432
異質です。一応、「解釈としては間違ってる」というのが一般的な
みかたです。

ただ、話としてはおもしろいので、ウィトゲンシュタイン解釈の文脈
を離れてさかんに議論されています。
434考える名無しさん:04/07/12 13:07
あげ
あー、『ウィトゲンシュタインのパラドックス』の著者なぁ。
解説本、山ほどあるから敢えて手にしなかったっけ・・・。
437考える名無しさん:04/08/03 03:41
ウィトゲンシュタインってカントのパクリじゃん
カントの女性下着の改良についての貢献と、ウィトゲンシュタインの
最晩年における寄寓中の家の御婦人のコートについての逸話を何とな
く関連付けて見るテスツ
439考える名無しさん:04/08/03 11:30
http://d.hatena.ne.jp/KGV/20040801

>日曜の朝と言えばアニメーションだが、「マリ見て」も「プリキュア」も見ていない。
>あれはアニメショーンではなくて漫画映画だ。漫画が動いているだけだ。
>特に「プリキュア」は絵が下手というか、小学生が描く人物のように頭が大きくて
>バランスが悪い。演出で誤魔化しているようだ。子供だからといってああいう絵を見せては良くない。
>カードコミューンとか妙なものを買わせて全く間違っているが、本当にあんなもので女の子が遊ぶのだろうか?
>女児向け玩具は意味不明なものが多い。

kgvのkagami化が著しい。誰か止めてやれ。
440考える名無しさん:04/08/03 12:21
ここまでROMったけど、何も得るものがなかった。
理系の人間にとって論理実証主義は、あまり魅力がない。

構造主義やマルクス主義の方が、よっぽど勉強になる。
441考える名無しさん:04/08/03 12:25
つうか、へーきで「理系の人間」とか自己規定しちゃうようなシトが
いったい哲学から何を得るというのだろーか?
442考える名無しさん:04/08/03 12:38
哲学も流行だからね。
時代背景を読み解いていかないと。
443考える名無しさん:04/08/03 12:55
>>442
おいおい・・
っつか、普遍的な観点から時代背景を読み解くことでその相対的歪みを
除去するってことじゃね?
445考える名無しさん:04/08/15 21:56
|ω・`)
「神とは、さながら運命のようである」。
                      草稿1914-1916
447考える名無しさん:04/08/15 22:00
神様って何人いるんでつか??
ウィトにとっては一人(人じゃないがw)だろ。俺にとっても。
449ぴかぁ〜:04/08/15 22:05
ウィトゲンスタインも哲学的にはまだまだだね
そういうテメエの実力を見せろよw
451ぴかぁ〜:04/08/15 22:07
君が見せてくれたらねw
452考える名無しさん:04/08/15 22:07
喧嘩はやめよう。
神様ってどうやって数えるんだろう?
一神、二神・・・?
>>451
俺は、ウィトを馬鹿にしたりはしない。さあ、やれよ。
454考える名無しさん:04/08/15 22:17
柱。その神じゃないか。
455考える名無しさん:04/08/15 22:17
ゥィトさんとどういう関係でつか、、、(´・ω・`)ショボーン
 俺は「解脱」した時、世界をあるがままに静観する術を
学んだ。論考を読んで見える景色が、それにとても似てる。
個人的な面識なんて、もちろんないぞw
457考える名無しさん:04/08/15 22:28
|ω・`)

世界をあるがまま。

韓国ブームも静かに見守る。

|彡サッ
自信がないから不安なんだろ。自分のアイデンティティが
曖昧だから。スレ違いだが。
459考える名無しさん:04/08/15 23:29
>>456
主観の世界を「論考」で悟るとこがすごいな。
>>458
論理実証主義で導かれるアイデンティティって何?
教えてほしいにゃ(笑
バイク便で首相官邸前を走ってて、一切の自己規定は他者との自己規定に
過ぎないことに気付いてね。
他者との関係性の問題に過ぎないと

意味深な書き間違えだなw
462考える名無しさん:04/08/16 02:29
チビ・ホモ
>>459
論考は論理実証主義の叩き台にはなったかも知れないが、
ウィトゲンシュタイン自身が論理実証主義者だったとは
言えない。
464考える名無しさん:04/08/16 22:04
>>463
ぼくもそう考えます。
465考える名無しさん:04/08/19 21:31

シール貼りで遊ぶのは子供
466考えるネコ:04/09/06 18:22
はじめまして。
お聞きしたいことがあります。
中公クラシックスの「論理哲学論」を読んでいるのですが、
1・21の訳者の補訳に「事実と事実の間には、いかなる因果関係も、論理的には存在しない」とあります。
この「論理的には」とはどういうこと何でしょうか?
ものすごく初歩的な質問かも知れませんが、よろしければ教えてください。
467考える名無しさん:04/09/06 20:58
>>466
因果関係といえば、ヒュームかロック・・・なのかなあ?
468考える名無しさん:04/09/06 20:59
やべーわかんねーとか呟きつつ、自分も入門書を見直しながら引用〜。

事態は相互に独立であるから、ある事態が成立している(いない)ということから
他の事態が成立している(いない)ということを推論することはできない。

                             fromウィトゲンシュタイン入門 永井均 ちくま新書
柳の下に泥鰌はおらぬ。

だから、「事実と事実の間には、いかなる因果関係も、論理的には存在しない」
469考えるネコ:04/09/07 06:15
>>467
その人たちのを読めば、「因果関係」とは、について勉強できますか?
良い本があれば、教えてください。

>>468
それは1・21をもっとわかりやすくしたものですよね?
その推論できるかどうかが、「論理的」かどうかということなんですか?
「父と母は結婚している」という事実と「私(子)がいる」という事実には、やっぱり論理的には因果関係はないんですか?
470考える名無しさん:04/09/07 06:59
>>469
できます。ただし、ウィトゲンシュタインの議論と直接関係するかどうかは
自分で考える必要があります。両者とも岩波文庫にあるので図書館で該当箇所を
調べるだけならすぐ見られるでしょう。「人性論、人間知性論」と訳されていたと思います。
前者は一般にはあまり人気がなく、後者はよくたんに「エッセイ」と呼ばれるようです。
471考えるネコ:04/09/07 07:31
>>470
ありがとうございます。
今日、仕事の帰りにでも本屋に寄って、買ってこようと思います。
472考える名無しさん:04/09/07 08:55
>>471
・・・在庫があるかどうかちょっと心配だけど、どっちも大部で3〜4分冊だったはず。
買うのは厳しいかも。買えればラッキーですね。

こちらで聞いてみては?
【ベーコン・ロック】 イギリス経験論スレ 【バークリ・ヒューム】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1087936258/l50
473考える名無しさん:04/09/07 12:09
>>466
そこの所でのウィトゲンシュタインが言わんとしてるのは、要するに、
「世界を作り上げている色んな事実どうしは、お互いにまったく独立している」つう
ことでしょ。
>>469の例で言えば、「父と母は結婚している」という事実と
「私(子)がいる」という事実との間には、
もし両親が結婚していたとしても自分は生まれていなかったかもしれない
という可能性が排除できないという意味で、相互に独立していると言える。

常識的に考えれば、両親が結婚して「だから」自分がいる、そこには因果的な
結び付きがあるはずだ、と考えたくなるけど、
けど考え直してみれば、両親が結婚して「でも」自分はいない、という可能性だって
あるわけで、
そうすると、さっきの「だから」という結び付きは何だったんだ、という話になる。
因果性に関してはそうした疑問てのがヒューム以来言われてきたし、
『論考』でのウィトゲンシュタインも、そうした伝統に乗っかっている(と思う)。

ただし、1.21の辺りで言われてるような、諸事実どうしの独立性というのが
本当に成立するか、というのはちょっと微妙な所で、
実際、後になるとウィトゲンシュタイン自身もその点に関して自己批判をしている。
この点に関しては、「論理形式について」という小論を読むのがよい。
474考えるネコ:04/09/07 18:55
>>476
度々ありがとうございます。
古本でもいいので、なんとか自分のものにしたいと思います。

参考にあげてもらっているところも、行って読んでみます。

>>473
なるほど。
1・12の
「というのは、事実の総体は、その場に起こされることを規定し、さらに、その場に起こらぬすべてのことをも規定しているからである。」
ということを考えなさいってことですね?
いやぁ、なるほど。
ありがとうございます。
スッと胸のつかえが取れた感じがしました。
とりあえず最後まで読んでみないとダメですね。


また、色々教えてください。
475考えるネコ:04/09/07 19:00
>>476ではなく、>>472でした。
476考えるネコ:04/09/07 19:34
>>475
「論理形式について」という小論は、どこで読めますか?全集(大月書店だったかから出てたと思うんですが)に入ってますかね?
477考える名無しさん:04/09/07 19:42
>>476
大月書店からウィトゲンシュタイン全集が出ることはないと思いますw
(ウィトゲンシュタイン自身はソヴィエトにシンパシーを感じてたそうですが)

それはともかくとして、「論理形式について」は、
大修館から出てる全集の第1巻に入っていたと思います。
その論点は単純で、例えば色の体系性といった事柄を考えてみれば、
『論考』で主張されていたような諸事実(あるいは諸事実を表す要素命題)どうしの
独立性は成り立たない、といったことです。
例えば、ある対象Xが赤いという事実があるとすれば、それによって、Xが青いという
事実は排除されてしまう、だから「Xは赤い」という事実と「Xは青い」という事実
は相互に独立したものではない(ウィトゲンシュタイン自身の言い方では
そこには「文法的」な結び付きがある)、というわけです。
478あめたろう:04/09/07 21:16
ものすごく初歩的な質問で済みません。
中期ウィトゲンシュタイン哲学の「文法」という概念がまったく理解できません。
この「文法」とはいったいどういうことなのか、具体例を使って説明してください。お願いします。

ちなみに、論理哲学論考は翻訳書(野矢訳)ですけど読みました。いわゆる「前期」のウィトゲンシュタインの問題意識のイメージもだいたいつかめた感じです。
でも、どうしてもその後の「文法」が理解できません。。。
479考える名無しさん:04/09/07 21:56
>>478
かなりいい加減な説明ですが、『論考』では論理が世界の骨格を形作るものとして
考えられていたとすれば、いわゆる「中期」の時期に論理に変わるものとして注目された
のが文法ということになるのではないかと思います。

この場合、論理と文法の違いは、例えば次のような例で見ることができます。
ある対象xがあるとして、「xが赤いならば、xは赤い」とか、「xは赤いか、
あるいは赤くないかのいずれかである」といったものは、「ならば」とか
「あるいは」といった論理語(論理定項)の意味によって真となるような、
「論理的」真理だと言えます。
(もしxが色を持つような対象だとすれば。)
これに対して、「もしxが赤いならば、xは青くはない」とか「xが赤く、かつ
青いということはない」といったものは、「ならば」「かつ」といった論理定項
に加えて、「赤い」や「青い」といった語の意味によって真となる、
「文法的」な真理ということになると思います。
こうした文法的真理は、言ってみれば色(色彩語)の文法を映し出している
わけですが、これと同様に、「もしxが1メートルの長さであるならば、xは
2メートルではない」といったものは、数の文法を映し出している
と考えられます。
要するに、論理的真理は、必然的(でアプリオリ)な真理であるわけですが、
必然的真理がみな論理的真理とは限らないわけです。

かなり適当な説明ですが、こんなところで『論考』からそれ以降の展開への
一つの理論的動機は大よそつかめるのではないでしょうか。
もっとも、中期への展開には、さらに、検証主義的な意味理論の導入だとか、
一種の現象主義へのコミットメントなど、他にも色々な理論的モチーフが
関わっていると思うので、これほど単純ではないとは思いますが。
480考える名無しさん:04/09/07 22:31
しかして、「何ぞxが1メートルの長さたりなば、xは
2メートルたりへず」といひしけるは、数の文体をば映現せしむる
ものとこそ覚ゆるなりけりぬる。
481考える名無しさん:04/09/08 17:08
 私もウィトゲンシュタイン初学者なのですが、 

「論考」で「要素命題の相互独立性」が中心的なテーマであったという
解説はよく目にします。
 世界と論理の間を言語によってつなぐことが「論考」の狙いであるのでしょうか。

もし論考の狙いがこのようなところにあるとすると>>479さんのいう
「文法」の解説は
(興味深く読ましていただきましたが)
>、『論考』では論理が世界の骨格を形作るものとして
>考えられていたとすれば、いわゆる「中期」の時期に論理に変わるものとして注目された
>のが文法ということになるのではないかと思います。
という部分で、「文法が論理に代わるもの」と つまり
世界、言語、文法という関係を提示されているような印象を受けて少し違和感を覚えます。
482考える名無しさん:04/09/08 17:15
つづき

文法はおそらく言語に含まれていると思うのです。
それゆえ、
>論理に代わるものとして注目されたのが文法
というよりは「世界‐言語‐論理」の構図は維持されたまま
橋渡し役をする「言語」の再検討のうちに「文法」の問題が
出てきたのではないかと思うのですが。
483考える名無しさん:04/09/08 17:24
つづき

ものさしがあてがわれて10のメモリによって示されることは
その対象が10のメモリで示されているという当の事だけではなく、
11のメモリでは示されていない(など)ということも含まれている。

 このように「当のこと」を知るために用意されている「全体」(まとまり)
(10だけでなく11や9やそれ以外)のことを
「文法」と呼んだのではないでしょうか。
484考える名無しさん:04/09/08 18:12
つづき

そして「文法」(規則)がわれわれの規定するものに他ならないにもかかわらず
一方でわれわれの言語活動を規定しているという、循環的な関係に着目していく
ことになり、
このような文脈、考察の中で「言語ゲーム」「規則のパラドクス」「規則に従う」などの
術語が登場するのだと思うのです。
485考える名無しさん:04/09/08 19:02
つづき

 私としては
(この流れがまず大筋で納得されるものであるということが大前提になるのですが) 
「世界‐言語‐論理」の構図は 橋渡し役の言語を分析していくうちに
破綻していくのではないか思うのです。
 「直示的定義はいかなる場合であれ、さまざまに解釈しうる」ゆえに
言語を知るためには すでに世界を知らなければならないのではないか。
だとしたら言語分析によって世界を解き明かそうとする試みは すべからく
失敗を運命付けられているのではないかと私には思えるのです。

 それは「文法」が「言語ゲーム」に先立つ存在でなく「規則に従う」という
行為を通じて「言語ゲーム」が「文法」を規定していくという考えに
当然由来しています。
486つづき:04/09/08 19:06
 私は言語実践=生という構図が、根源的文法の不在という衝撃に
耐えられないのではないかと思うのです。

 なぜなら私たちは「三角形」を見るとき
初見の三角形でも素直に「三角形だ」と思えますし、三つの角に
若干の丸みがあっても、また三つの辺に 多少のゆらぎがあっても やはり
「三角形だ」と思えるからです。これは端的にいって ある種の根源的
形相(本質)があることを示しているのではないかと、私には思える。

であるならば、根源的文法のない言語の分析では 
私たちが何らかの実践の場において、有用な規則に合致するか否か、を
事前に知ることなしに(事後的に知られるものとして)、
ともかく実践してゆく(たとえばブッシュの政策)
という一面を描き出すだろうけれども一方で、「三角形」の場合におけるような
(根拠のあると思われる)一面を描き出すことができないように思うのです。
487つづき:04/09/08 19:08
 いや、もっと平易な言い方をすれば 無根拠な人間の行動、すなわち生を
映じる鏡としての言語では、根拠に向かってゆくような営みを除外すること
しかできないように思うのです。

たとえば「歴史」というものを 恣意的な抽出としてしか捉えられない
ような気がするのです。
たとえば「時として真実の声が小さくなることがあるとしても
偽なる秩序が暴かれ、真なる秩序が現れてくる過程」という「歴史」観の措定を
受け付けないように思えるのです。

キリスト教的歴史観だと批判されても
このような歴史観の措定は「現実」と「仮想的現実」の優劣の関係を規定するために
必要(有用)だと私は思っています。(話はズレますが)
488つづき:04/09/08 19:17
このスレッドがウィトゲンシュタインについてのものであることを踏まえて
書くならば、
ウィトゲンシュタインがたどり着いた地平は言語分析の限界を示すことによって
根拠と無根拠にはさまれたような場に人間が位置し、前者を「語りえぬもの」とし
後者を「語りえるもの(あるいは言語)」として示したのではないかと
思うのです。
489つづき:04/09/08 19:26
ところどころというか、全体にわたってというか議論の展開に
精緻さの欠如や跳躍があるかもしれませんが、何か思うところがあれば
聞かしてほしいです。
(あまりのレベルにあいた口がふさがらないのであれば無視していただいて結構です)

ただこれから少し用事があるので、しばらく返事はできないのですが。
490あめたろう:04/09/08 21:19
上で質問した者です。早々にレスをいただき有り難うございます。
レスを拝読しましたが、私自身が「前期」の哲学すら理解していないことを思い知らされました。


ウィトゲンシュタイン哲学の出発点は思考の限界を定めることにある。
思考の限界は、思考の表現である言語の限界と一致する。
言語の限界は、有意味な命題(語りえるもの)を明らかにすることによって定められる。

ウィトゲンシュタインの「意図」を私はこのように理解しているのですが。
(この時点で間違っているのかもしれませんが)

ウィトゲンシュタインが語りえぬものとしている、たとえば神なんかは、実際どんな姿形をしているのか見たことはありませんが想像することはできます。
想像することと思考することとは違うことなんでしょうか。
ここまで書いて自分でも何を訊きたいのかわからなくなってきましたが。。。
491考える名無しさん:04/09/09 23:42
なぜ New Wittgen を皆読まないのか?不思議でならない。
まさかと思うが・・・日本語だけでウィトゲンを語ってないよね・・・
492考える名無しさん:04/09/09 23:48
493考える名無しさん:04/09/10 00:53
マクダウェルのは古い論文だしなあ
あんまり興味ナッシング
494考える名無しさん:04/09/10 22:30:57
Philosophical Occasions 1912-1951 の翻訳出ないかな
495考える名無しさん:04/09/11 00:47:42
New Wittgenてなんだ?
496考える名無しさん:04/09/11 14:13:12
>マクダウェルのは古い論文だしなあ
>あんまり興味ナッシング
497考える名無しさん:04/09/11 14:55:28
>>496
Mind, Value, and Reality くらいは読んどこうね
498考える名無しさん:04/09/12 20:06:19
>>491
あなたは何が問題だと思っていらっしゃるのですか?
私には>>491の書き込みが
「ウィトゲンシュタインについて知っている」ということを
匂わすことに終始してしまっているようにすら見えます。

私や「あめたろう」さんは、無知であることを告白した上で質問なり
意見を書き込んだのです。
なぜ知っているあなたは 率直に直示的に問題点を示してくれずに
意味深な書き方をするだけなのか。ぜひ本の紹介ではなく
指導を直接的に、あるいは議論(論破)を通じて していただきたい。

知識を深めるために静かに読書をするだけでは少し苦しすぎやしませんか。
何をどこまで知ったかを再確認するためにも、(それを励みにするためにも)
こうゆう場所は利用されて良いのではないでしょうか。
499考える名無しさん:04/09/12 20:11:45
オレは英語の文献も読んでるぜ
って自慢したかったんでしょ。
まあご愛嬌てことで。
500考える名無しさん:04/09/12 20:17:20
哲板ではよくいる知ったか野郎(実は知らないからほのめかしだけ)
の書き込みだよ
501考える名無しさん:04/09/12 21:04:24
>>499-500
レスありがとうございます。
ウィトゲンシュタインは誤解を招きやすいような
ひねくれた書き方をする という風評も聞いたことがあります。
もしかしたらそれに習ったのかもしれませんね。
だとしても指導していただきたいことに変わりはありませんが。
502498:04/09/12 21:05:13
>>490
 上の話とも関連していますがウィトゲンシュタインは難解な言い回しをする上に
特に「論考」においては最終テキストとしての「論考」とそれ以前の
草稿段階のテキストを俯瞰しながらでければ、乱暴に結論だけが書き込まれて
論理の飛躍に見える部分もあると聞きます。
 さらに ウィトゲンシュタインが「後期」の思想に歩みだすことからも分かるように
「論考」には誤りがある(とされている)。
これら三つの要素から考えると「論考」だけに体当たりしていくのは
挫折をしやすいウィトゲンシュタインへのアプローチ方法ではないかと
思います。(491さんも「原典」ではなく「解説書」を勧めていました)

 あめたろうさんの疑問は「語られるもの」と「示されるもの」の区分が
かかわってくると思います。
「論理は語られえないが示されうる」とか言ってませんでしたか。
(かなりの部分忘れてしまっているので細かく指摘できないのが残念です
 おっと、忘れているというよりは理解していないということでしょうが)
503498:04/09/12 21:34:33
>>490
あと「世界の外は存在しない」みたいな話の文脈で
「思考の外にあるものを思考することは出来ない」みたいなことを言っていたように
思います。(もっと含蓄のある方に補足・訂正してもらえると私も嬉しいです)

そのうえで「神」は、少なくともウィトゲンシュタインの捉える「神」は
この思考の外にあるもの、それゆえ思考されえずしかし示されうる存在ではなかったですか。
(思考されえず示されえないものは人間には非存在に等しいものです)
504考える名無しさん:04/09/12 22:26:19
神については、各自の好きなように想像して構わないけれど、
それを他人に対して言語的表現として伝えられるなどと考えてはならない。
神は語ったり示したりするもんじゃなく、
己の信仰(?)に基づいて淡々と生きることの中にしかないんだ。

そんなわけで、漏れは山奥の学校で先生になって淡々と生きることにする。


……っていう感じか、「論考」直後のウィトの「神」ってのは。
505考える名無しさん:04/09/12 22:42:42
>>504
そんな感じなのかもしれないですね。

504さんが指摘されるように「論考」期のウィトゲンシュタインには
「神」の存在が大きかったのでしょうね。
語りえぬものをしめす(つまり語りえるものを示すことで
もう一方の語りえぬものを示す)、という「論考」の中心的テーゼは
その語りえぬものの中に「神」を安置するというもうひとつのテーゼを
導き出すものではないと私は思います。

しかし仮に「神」を安置する場を欲するならば、「語りえぬもの」を
示す必要に迫られるかもしれません。よって より根源的な動機、テーゼは
「神」を「語りえぬもの」として示すことにあったといえるかもしれません。

(語りえぬものを示すことによってそこに神の居場所を見たというよりは
神の居場所として語りえぬものを示そうとしたのではないでしょうか)
506498:04/09/12 22:56:47
あめたろうさんと私の行動時間は違うようですね。
残念です。
507考える名無しさん:04/09/13 15:31:08
論考って書き方が簡潔すぎて初読では意味わからんけど、
すくなくとも最初の部分(番号で言えば1-〜のあたり)は、
「世界」を「可能な文全部の集合」、「事態」とか「事実」を「文」、「論理的」を「分析的」と解釈すると
つじつまがあうということには気づいた。
508考える名無しさん:04/09/20 08:48:17
まず レファレンスブックから初めて概観を知ったほうが
「理解しやすい」と言うことなんだが・・・
509考える名無しさん:04/09/22 17:31:48
510考える名無しさん:04/10/10 12:44:20
>>504
全然違うが
人間がふつう考えているような意味での神なんて
もはや問題ですらない

この世界を有限のものとして考えること
それ以外の世界は端的に思考不可能

これが神秘

511考える名無しさん:04/10/23 23:54:06
解決あげ。
512考える名無しさん:04/10/24 19:28:41
このスレがもっと続きますように  ROM人間より・・・

ウィトゲンシュタイン全集は値段が高いが・・時間が出来れば
読んでいて楽しい。

一生モンの趣味としても成り立つ。
513考える名無しさん:04/10/26 14:55:23
確かに。
514考える名無しさん:04/10/26 22:37:03
従ってこのスレは思考に対して、いやむしろ思考に対してではなく思考の表現に対して
限界を引こうとする
515考える名無しさん:04/10/28 01:23:49
Good
516考える名無しさん:04/10/28 10:18:38
哲学板は「沈んだスレだから」と思ってるといつのまにか
伸びてるから、油断できんなー
517考える名無しさん:04/10/28 10:56:40
そんなのどこの板でも同じ。2chブラウザ使いなさい。
518考える名無しさん:04/10/28 15:23:38
>>517
ここは特に激しい、と思う。Jane使ってるけど、下の方までスクロールするの面倒だし。
519考える名無しさん:04/10/28 15:43:00
最近ギコナビの「未取得」ソートが便利
520考える名無しさん:04/11/01 00:17:11
521考える名無しさん:04/11/09 15:14:57
522考える名無しさん:04/11/10 01:01:33
...
523考える名無しさん:04/11/10 01:28:38
語り得ぬものについての沈黙は続く・・
524考える名無しさん:04/11/12 18:58:26
ドーナツには穴があいている。
はたしてこの穴は「ある」のか?「ない」のか?
525考える名無しさん:04/11/12 22:26:51
ドーナツの生地がなくてドーナツの穴がある
526考える名無しさん
「ある」と考えて開ける世界がある
「ない」と考えて開ける世界もある