分析哲学VSポストモダン

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863電波おやじくん
 >>862 参考になりました。
 「素朴な実在論」は、「オーソドックスなプラトン主義」を不正確に記憶していたものでした。
 正確な記述を引用しておきます。

 飯田隆「数学の哲学は哲学に何をもたらしうるか」
in『現代思想1990年10月号 特集=数学の文法』青土社 より抜粋。

 ……算術は、特定の対象にかかわるものではなく、ある抽象的構造の探求なのである。
 ベナセラフのこうした結論は、最近の数学の哲学のなかでの構造主義の復権に
大きな力を貸したと思われる(ベナセラフ自身がこうした構造主義を支持しているわけではない)。
ただし、この構造主義は、かつてのフランス流のそれ(ブルバキ)とは違って、
集合論的枠組みを前提するものではない。そこに、この新しい構造主義の強みと弱みがある。
「集合論的に特徴づけられる構造の探求」というスローガンは、数学としては結構かもしれないが、
数学の哲学としては、オーソドックスなプラトン主義以外ではありえない。
他方、集合論的枠組みを前提しないとすると、構造、とくに無限的構造の存在を何が保証するのか
という難問が立ちふさがる。(273頁上)


 >>860(>>852) つまらないレスですが……。
 偉い数学の先生のエッセイ的な文章をいくつか読んだ限りでは、確かにそんな感じでした。