最も幸せな死に方

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242考える名無しさん:2005/07/22(金) 09:27:18
世界の全てを理解できる日なんて死んでも訪れないだろうと、あたしゃ悟ってますが…なにか?
243考える名無しさん:2005/07/22(金) 11:01:35
諦観・・・「ていかん」と読むか、「たいかん」と読むか
244考える名無しさん:2005/07/23(土) 05:23:16
死は幸福である、しかも、幸福は最上のものなのだ。
死んだら幸せになれる、幸福になれるようになっているのだ。
死は幸福にしてくれる、幸福は最高にしてくれる。
245考える名無しさん:2005/07/24(日) 00:49:52
大事な人にさよならを告げてから死にたい
246考える名無しさん:2005/07/24(日) 02:04:43
夏の昼下がり、木陰で昼寝をしていて そのまま死ぬ。 これが理想だ。
247考える名無しさん:2005/07/24(日) 03:09:07
子供の頃の理想のお姉さんの胸の中で、嫌だよ死にたくないよ!怖いよ!死にたくないよ!誰か助けてよ!!
って言いながら死にたい
248考える名無しさん :2005/07/25(月) 17:01:07
幸せとは状態ではなく感情である
249ハル:2005/08/03(水) 10:05:57
いつの間にか死んでいた、とかいうように死を意識しないで死ぬこと。
250考える名無しさん:2005/08/03(水) 10:08:46
自爆例とか浮遊例とかになりそうで怖いから、そゆのやめてホスイな。。。
251考える名無しさん:2005/08/03(水) 10:29:56
幸福な死が可能な社会

って誰の言葉か知ってますか?
252ハル:2005/08/09(火) 17:36:46
「人生は酒だ。酒が全てだ」
とか言いながら若死にする人は幸せ・・・なのかな?
253考える名無しさん:2005/08/09(火) 17:39:37
ジャンバルジャンみたいな死に方とか?
254考える名無しさん:2005/08/09(火) 17:50:04
レ・ミゼラブル
255考える名無しさん:2005/09/14(水) 19:52:26
>>253
あんなに大量に能書き垂れながら死ななきゃならないなんてやだ
256のぶ:2005/09/15(木) 23:47:28
大丈夫、死なない人はいないです。
私の好きな言葉・・・「人間は万障繰り合わせて死ぬんです。」
誰にも止めることも出来なければ、延ばすことも出来ません。
まあ、最近は、機械に繋がれて呼吸や鼓動をさせられている人も多いみたいですけどね。
ある日突然、どこでか場所は分かりませんが死んでいくのは間違いありません。
以前に、一生懸命考えたのですが、それほど大した事のない一般庶民の私は
道端で死ぬのか、病院で死ぬのか どちらかでしょう?
出来れば、その時に台好きな奥さんが傍に居てくれたら嬉しいですね。
最期の一言が言えれば幸せだと思います。
257あのね:2005/09/15(木) 23:57:11
死が最も幸福だと思って死ねば、死んでも幸福なのでしょうね。
死が最も不幸だと思って死ねば、死んでからも不幸なのでしょうね。

不幸な人にとって、死は今より幸福になれるチャンスです。
幸福な人にとって、死は現在の幸福からの決別です。

やっぱり、不幸な人のほうが、幸福に死ねるのでしょうね。

天国にも、地獄にも、貨幣制度は無いでしょうから、
お金の心配はしなくても良いのでしょう。
でも、お金持ちは困るでしょうね。お金も、預金も無くなってしまうのから。
ビルゲイツなんか、物凄く困るでしょうね。
死んだら、シアトルの乞食と同じではねえ。
258考える名無しさん:2005/09/15(木) 23:58:54
調べました!!
http://list2.auctions.yahoo.co.jp/jp/2084056614-category-leaf.html?f=&alocale=0jp&mode=1
ですけど、結果どうですか?
259のぶ:2005/09/16(金) 00:20:38
何も無いことが怖いですか?
生まれて来た時は何も持っていませんでした。
死んでいくときも何も持っては行けません。
当たり前のこと。
死は、万人に訪れます。誰も逃れることは出来ません。
ならば、何が私たちに出来るのでしょうか?
「いつ死んでも良いよ。」の気持ちになれること
考える名無しさん、fackよりも深いものが存在するんですよ。
260あのね:2005/09/16(金) 00:32:08
>>259
唯物論者でなくても、生まれた家に沢山のお金と財産があり、
生まれた瞬間に、その相続権があり、体は裸で、手に何も持たなくとも
洋服を着た乞食よりはるかに金持ちな、裸の子供がいる事を
誰でも知っていますよ。
でも、死は別だと思いますね。
大きなお墓も、長い法名も、一体、死人に見えるものなのでしょうかね。

特攻隊の、何時死んでも良い 決意は、同国民には大変頼もしいのですが
他の国民には、そうでもないですよ。

ファックの時に、死ぬ死ぬと言う女性がいるらしいのですが、
本当に死ぬと言う事が解っていっているのか、どんな気持ちが
死ぬ気持ちなのか知りたいです。
261考える名無しさん:2005/09/16(金) 01:07:05
>>1
DJラオウの魂の叫びを聞け!
262考える名無しさん:2005/09/16(金) 23:22:39
せめて精神の病気が治ってから死にたい・・・・・
263考える名無しさん:2005/09/16(金) 23:25:33
彼は困っていることがあるようだから、
その反対のことを体験させてあげれば、
よくなるんじゃないか

彼は悲しい事があるようだから、
再び体験させて、
乗り越えさせてあげれば良くなるのではあるまいか
264考える名無しさん:2005/09/17(土) 13:17:23
 『彼は苦しみながら生きている、私は楽にしてあげたい。』
生は喜びを伴うものであり、生は苦しいものではない、と考えている人がいる。
言い換えると、
喜ばしいような生であり、苦しいような生である。
 そこで、彼は手助けをしてあげようと考えるのだ。
死が喜びを伴うものであるか、死が苦しいものであるか、
言い換えると、
喜ばしいような死であり、苦しいような死であるのだ。

何かのような死にするのであり、或る状態の殺人場を作りだしているのだ。
265考える名無しさん:2005/09/17(土) 13:32:01
救済であると考える訳であるが、
 感覚に由来することに反対のことを差し出すものがいる、
塩を舐めたものに砂糖を与えるものがいる、彼は砂糖を望んでいるのだろうか、
彼は塩を舐めたので咽喉が渇いている、だから、咽喉の渇きには水が欲しいのだ、
 内感におけるもに対立することを生じさせるものがいる、
悲しいと感じている人に面白い思いをさせてあげる人だ、
彼は面白い思いをしたいのだろうか、
或る事が生じて、それが悲しいと思っているわけだ、
他のことを生じさせて、面白いと思うようだが、
悲しくて、且つ、面白くなるのではあるまいか、
内感に中和の作用を認めているとでもいうのだろうか、
だが、内感が多様であり、どちらが彼であるのだろうか、
混乱させるのではあるまいか。
内感は時間で考えられるようだが、
それよりも上位のことが考えられるのだろうか。
266考える名無しさん:2005/09/17(土) 18:56:07
>ファックの時に、死ぬ死ぬと言う女性がいるらしいのですが、
良く聞くなw
氏ぬ程快感なんだろw
267考える名無しさん:2005/10/13(木) 08:54:21
俺、馬鹿で不学問だから馬鹿なこと書いてても許してほしいけど。

俺だったら不治の病にかかって死にたいな。
それも寿命とかじゃなくて、頻繁に吐血したりして自分が確実に死ぬことを見せつけられる状態。

天気のいい日に散歩をしていて走り過ぎる子供達や寄り添う男女を見ながら、死に行く自身を感じる。
生への執着。
他人に突きつけられる死の恐怖でないし俺は神も信じないから恨む相手もいない。
しかし、生に対するあきらめとともに生への執着は、生きること、生きているものへの愛情に変わる。

結果人生を愛し、生きることに喜びを感じられる死に方じゃないか?
俺はそういう死に方がしたいな。
俺はもっと生きることを愛したい。
268267:2005/10/13(木) 08:55:07
ちょっと日本語おかしいかw
269マトン:2005/10/13(木) 13:24:08
>>267
>それも寿命とかじゃなくて、頻繁に吐血したりして自分が確実に死ぬことを見せつけられる状態。
早々に病院に収監されます

>天気のいい日に散歩をしていて走り過ぎる子供達や寄り添う男女を見ながら、死に行く自身を感じる。
頻繁に吐血する人間は、たいてい病室に缶詰になります

>生への執着。
>他人に突きつけられる死の恐怖でないし俺は神も信じないから恨む相手もいない。
>しかし、生に対するあきらめとともに生への執着は、生きること、生きているものへの愛情に変わる。
かわりません「何で俺だけ」という妄執が発生する可能性のほうが遥かに高いです
神を信じていようといまいと、わけの分からない怒りに苛まれます

>結果人生を愛し、生きることに喜びを感じられる死に方じゃないか?
>俺はそういう死に方がしたいな。
>俺はもっと生きることを愛したい。
生きることに喜びを感じると言うのは、生きている時点で喜べる状態か、生きてきたことを振り返って喜べる状態です
ジジババになってから振り返りなさい
今のジジババは戦争と貧困を生き抜いてきたジジババばっかりだから強いぞ
270267:2005/10/13(木) 14:37:58
別に病院にカンズメって訳でもないんじゃない?
結局は自分の判断で退院できるはずだよ。

怒りはともかくとしてあきらめの後どうなるかってのは?

ジジババも死の病の人も死に損ないと死にかけという点では似ていると思うけど。
経験の差、感じ方の度合いはともかくとして両方ともコンスタントに死と言うものに顔を向けなければ逝けない状態だとすればある程度思考もにてくるんじゃないの?
271マトン:2005/10/13(木) 21:29:19
>>270
>別に病院にカンズメって訳でもないんじゃない?
>結局は自分の判断で退院できるはずだよ。
本気で死にそうな症状を見せている患者を、本人の意思とはいえ放逐すれば、死んだとき病院は責任を問われる事がある
治療法が分からず治せないということは、明日にも治療法が見つかるかもしれないということ
それ故に簡単には放逐できない
最後の瞬間まで多量の管に繋がれて、病室ですごすことになる確率のほうが遥かに高い
家庭に帰るためには、何かあっても家庭で対処できるような設備・体制を構築する必要がある
それが現在の日本の医療の形

>怒りはともかくとしてあきらめの後どうなるかってのは?
どうでもよくなる
死を憧れる人は、生に対して愛情を抱けるようにはならない
生に対して愛情を抱ける人とは、あくまで生を貫いた人であり
死を通して生を賛美したい人ではムリだ
272マトン:2005/10/13(木) 21:59:15
>>270
>ジジババも死の病の人も死に損ないと死にかけという点では似ていると思うけど。
>経験の差、感じ方の度合いはともかくとして両方ともコンスタントに死と言うものに顔を向けなければ逝けない状態だとすればある程度思考もにてくるんじゃないの?
ジジババはやることをやりつくし、例えやり残しが有ったとしてもそれは自分の責任だと思っている
病のせいで自分がやり残したことがあるわけではない

自分の周囲にいる人間も、一人減り二人減り、自分の順番というものを待つだけとなっている
自分と同年代の人間のほとんどが、何の不自由も無く生活している状況ではない

20歳過ぎより数十年かけてゆっくりと体調が悪くなり、それがどうにもならないことを知っている
唐突に病を宣告され、それが普通の事ではないという状態とは違う

ジジババは言う「早くお迎えが来ないかねぇ」と
しかしその言は病人の「いっそ楽にしてくれ」とは雲泥の差がある


死のみを見てその死の過程を見ずに死を語るは愚かなことなり
273267:2005/10/13(木) 23:45:53
>>271
仮定が悪かったかな?
つまり俺が言いたい病気というのは死につながる持病みたいなもの(そんなものがあるかどうかはシランで)を想像してもらったらいいかも。
健康な人間との違いは、寿命が短くてそして頻繁にそれを思い起こさせられる状態であると言うこと。

死に憧れている訳ではないでしょ。
死にたくないんだから。
健康な人間も40年後には死ぬという命の病にかかっているという言い方があるのであれば、マトンさんの言い方に従うとすれば、その事実に対して怒りを抱くんじゃないか?
そしてあきらめた後どうでもよくなるのだとすればニートが増えてもどうしようもないな。
健康な人間と俺の言っている人間との違いは、後者は常に自分が死ぬということを認識させられると言う点にあると俺は思ってるんだけどね。

健康な人間が唯一そうした怒りを感じない、あきらめを感じない理由があるとすれば、それは自分が死ぬときのことを考えずに生きる場合じゃないかな。
「自分は明日明後日には死なない。5年10年でも死なない。敷いて言えばあと40年はしっかり生きられるだろう。40年というのは長い期間だ、今考えることもあるまい。俺に言えることは俺は今死んでいないということだ。」
もしこれが健康な人間の考え方何だとすると(いや、俺にはわからんけどさ)、健康な人間というのは死ぬという事実を自分の人生の仮定に組み込んでいないということになる。

しかし、知識の上では自分はいずれ死ぬと知っているから、今の自分の状態を存続させるために、自然な死に方、自分が死ぬと理解しない死に方を望む人が多いんじゃないかと思うんだけど。
これは老人でもそうやで、周りで死んでいくのを見つつしっかり死と向き合うことのできる老人は少ないと思う。
274267:2005/10/13(木) 23:47:02
それから老人についてだけど、連中は既にボケてるか、あるいはただ頑固に過去の価値観に縛り付けられてるだけだから評価の価値はほとんどないと言っていいんじゃないの?
少なくとも大部分はということやね、自分やマトンさんもその大部分に入るかもしれないけれど。
じゃあ、老人になったときに、少人数の、力強く死と向き合える人間になれることを、
根拠もなく期待して、若いうちには何も考えずとにかくイキロ!と言われると、それもちょっと納得しがたいけどね。

だからジジババに関するマトンさんの考え方には反対も賛成もしません。
(やり残したことうんぬんは無意味な考え方だと思います、どれだけ強く生きてもやり残したことは必ず出てきますよ、若くして死に行く人にもね)
しかし、俺たち一人一人が近い将来必ず死ぬということを思い出させてくれる何か、それに憧れる事は悪くないと思いますよ。
決して自分が死にたい訳ではなくてね。
死に行く自分と生のギャップの中にうまれる生に対する欲望、
それを、死に対する怒りにかえる前に純粋に追求することができれば、
いい生き方ができるんじゃないかな。うーむ。
275267:2005/10/13(木) 23:48:03
改行してなくてごめん。
2ちゃんはまだよくわかってないw
276マトン:2005/10/14(金) 01:04:43
>>273
>死に憧れている訳ではないでしょ。
そうは思えない
死を突き付けられることによって何か得られると考えている以上、それは死に憧れていると言える

>健康な人間も40年後には死ぬという命の病にかかっているという言い方があるのであれば、マトンさんの言い方に従うとすれば、その事実に対して怒りを抱くんじゃないか?
「みんなが」という場合は、人はそれを受け入れる
自己に対する評価は相対化でしか表せない
平均寿命が70歳であった場合
90歳が死ねば、それが餅を喉に詰めた末の窒息死でも大往生と言われ
50歳が死ねば、眠るように亡くなっても早すぎた死と言われる

>しかし、知識の上では自分はいずれ死ぬと知っているから、今の自分の状態を存続させるために、自然な死に方、自分が死ぬと理解しない死に方を望む人が多いんじゃないかと思うんだけど。
>これは老人でもそうやで、周りで死んでいくのを見つつしっかり死と向き合うことのできる老人は少ないと思う。
聞くが、何を持って『自然な死に方』と言う?
衰弱死か?衰弱するまで非常に苦しむことを知っているのか?
心臓麻痺か?心筋梗塞は猛烈な痛みを伴うぞ
出血多量は楽だぞ、痛み無くリットル単位で出血させられればだがな
年を取ると、死への恐怖が薄らぐと言うよりは、生への執着が薄らぐ
心残りが無ければ、死にたいとは思わなくとも、あえて生きたいとも思わなくなる
「死に正面から向き合って考えた人でなければ、死を突き付けられたときに恐怖を感じる」
こう考えるのは間違いだ
死を突き付けられて恐怖するのは、多くの場合死に付随する苦痛や、自分の死んだ後の世間の煩雑な処理に対する恐怖だ
死にしっかりと向き合う必要などない
どのみち、どう足掻いたって死ぬのだから
277マトン:2005/10/14(金) 01:06:02
>>273
死を断続的に認識させられた結果というものの事例は存在する
20世紀末の冷戦下の世界だよ
核戦争が起これば世界は滅ぶと言われながら、何度も危機を向かえ、それに慣れていってしまい、何も感じなくなる
冷戦の終結が、世界への慈しみで民衆が起こしたものなら君が言う様な事もあるだろう
しかし実情は大国の破綻と和解のために行われたに過ぎない

他人の死を間近に突き付けられたことはあるか?
友人でもいい、一緒に住んでいる家族でもいい、親しい近所の人でも同じクラスの人でも、会社の同期でもいい
何度か経験してみろ
最初は色々考えたり戸惑ったりするが、人数が増えるにつれて慣れていく
身近な死は、自分の死を考えさせるに十分な事柄だ
しかし慣れていく
慣れると、死そのものよりも、死によって起こりうる煩雑な処理を気にするようになる

人間は、常に死の恐怖にさいなまれながら生きれるほど強くはない
故に、恐怖に常に晒され続けると、その恐怖に慣れる事で恐怖を感じなくしてしまう
慣れる事が出来ないと、恐怖に押しつぶされてしまう
278マトン:2005/10/14(金) 01:17:17
>>274
>それから老人についてだけど、連中は既にボケてるか、あるいはただ頑固に過去の価値観に縛り付けられてるだけだから評価の価値はほとんどないと言っていいんじゃないの?
50年後の自分に言ってやれ
ジジババに関することは、自分が老いを感じ始める年齢にならない限り分からない事なので、これにて止めよう

>しかし、俺たち一人一人が近い将来必ず死ぬということを思い出させてくれる何か、それに憧れる事は悪くないと思いますよ。
>決して自分が死にたい訳ではなくてね。
>死に行く自分と生のギャップの中にうまれる生に対する欲望、
>それを、死に対する怒りにかえる前に純粋に追求することができれば、
>いい生き方ができるんじゃないかな。うーむ。
戦場の写真で十分だ
むごたらしい死体を見て、それでも何も追求できなければもう駄目だ
例え自分の死を前にしても大した事を感じることが出来ないだろう
279273:2005/10/15(土) 00:42:30
俺の考える幸せな死に方に対する批判はたっぷりだけど結局何が言いたいのかわからん。
反論もいろいろ出来るしはぁ?ってところもあるけど正直うざいのでこの辺でひとまずおいときましょう。

で、マトンさんの幸せな死に方ってなんですか?
マトンさんは人生楽しんでますか?
280マトン:2005/10/15(土) 09:44:09
>>279
今のところ、死んだことも気付かずに死んでしまうのが一番楽だろうね
死に際して長く苦しむのは嫌だから

実はつい最近死にかけたんだよ
消化器系からの大量出血で血圧が通常値より40ほど下がって、ヘモグロビン量も半分近くまで下がった
結果的に言えば、死ななかったんですけど、貧血でショック状態になったときは良かったね
「やべえ、失敗した、あと10分我慢できたら仕事終わったのに」とか考えてね
フワフワした足取りで横になって、音が遠くなってくの
思考も本人的には普通で、「入院は面倒だから嫌だな」とかしか考えてない
結果的に病院に担ぎ込まれて入院になっちまったけどね
あのまま逝ってたら楽だったろうね

俺は死自体には大して期待をしていない
生まれる前が分からないように、死んだ後も分からない
思考も自分の頭にあるのか、体全体で司っているのかも分からない
精神が肉体を支配しているのか、肉体が精神を従属しているかも分からない
ゆえに死も人間の一状態にして不可逆状態としか考えない

>マトンさんは人生楽しんでますか?
嫌なことに反抗できるだけの知恵と、楽しいことを見つけるだけの欲があれば、人生ってのは大抵つまらなくは無いわな


最後に
議論自体をウザイと言うのなら、大層な事を書き込むのは止めることだ
反論できるうちはすべきだ
でなければ何のためにこの板にいるんだ?
281267:2005/10/15(土) 10:13:57
ま、楽だけど幸せじゃなかっただろうね。
それに大分ひねくれた楽しみですね。
ここはそれぞれが最も幸せだと思う死に方を書き込むスレです、それぞれの考え方に対して云々抜かすスレではありません、ここにいる人の、自分と同じ考え出ない人たちに反論するのが目的であればそれはすれ違いというものです。

切りのない議論を続けるつもりもないのでやめたのですが、別に大層なことを言ったつもりはありませんよ。
マトンさんが死に接してどういう考え方をするかというのは、僕の経験とは全く違う訳ですからね。

もしこのスレ自体の趣旨がばかばかしいというのならばかばかしいといってさっさと去りなさい。
282マトン:2005/10/15(土) 11:39:56
>>281
幸せってのは時によって変わるからね
生きることに楽しみを見出している人間は、その楽しみを断ち切る死を嫌がると思うがね
俺はそこそこ、どうせいつか来るなら楽なほうが良いってだけ
ま、一人身の気楽さだな

>ここはそれぞれが最も幸せだと思う死に方を書き込むスレです、それぞれの考え方に対して云々抜かすスレではありません、ここにいる人の、自分と同じ考え出ない人たちに反論するのが目的であればそれはすれ違いというものです。
出された意見に「それ違うんじゃない?」と言うことが出来ない板かい?
スレの主旨をどう取るかは人それぞれだがね、1では
>死にたいときに死ぬのが最も幸せではないのか?
このように問いとして提起している以上、一方的な落書き板ではないとは思うんだが?

ま、あれだ、退院直後に80年代の少女漫画か、最近流行の「死ぬまでがんばりました」的なヒロイズム満載のレス見たわけだ
しかも死に関しては年間何人も看ているような立場でもあるわけ
「こいつぁ一度も死にかけたことの無い健康的なやつが病気に憧れてるだけだな」って思っても無理かならぬことだろ?
幸せな死に方ってのは数あれど、自虐的な死に様を望むのはめったに無いね
そいつがなぜ出てきたか、その考えがただの錯覚ではないか、実際に他人にも適応できるのか
そこら辺を話すことがスレの趣旨に沿わないとは思わないんだがね

あ〜ところで
「ひねくれた楽しみ」とは、どの部分?
283267:2005/10/17(月) 02:40:32
別にこういう会話が面白くないわけではないですけどね。
あんまり長くなるのも嫌いなもんで。

別に言ってもいいですよ、ただしそれだけで成り立つスレではないんでね。
特に、人の考えに文句を言うことで楽しみを得ようとするひねくれ者相手には議論なんて出来ませんから。
そういう人の書き込みは場違いですよって言ってるだけですよ。釣りの存在自体は場違いじゃないんだけどね。

その一疑問文で自分の意見を正当化しようなんてくだらないですね。意見する気にもなれない。


あなたの死にかけの経験は俺の言っていることとはまったく違う症状なわけで。
あっちゅーまにしんじゃうとか、ほんと不定期に襲ってくる死ってんじゃ考えも及ばんでしょ、
ましてや普段から死を心の蚊帳の外において人生送ってくるんだからそりゃ死ぬ間際に「あ、俺死ぬのかな」
程度がせいぜい精一杯でしょ。勝手に死ねよ。
俺が言ってるのはそういう一瞬の死ではないんだけどね、人の話聞けないんじゃ仕方が無い。

ひねくれた楽しみという部分はどうやら俺の勘違いのようで。
まぁこういう人たくさん見るんでね、どういうこと考えてるかは大体想像つきますよ。

この辺で終わりにしませんか?
284考える名無しさん:2005/10/17(月) 02:43:47
ちなみに俺の意見はヒロイズムとはまったく関係ありません。ヒロイズムなんて吐き気がする。
285マトン:2005/10/17(月) 18:47:07
>>283
>俺が言ってるのはそういう一瞬の死ではないんだけどね、人の話聞けないんじゃ仕方が無い。
その言葉、お返ししますよ
>>しかも死に関しては年間何人も看ているような立場でもあるわけ
医療・福祉・宗教、これらに従事する人間は、いろんなタイプの死を第3者として経験するんだよ
自分が死にそうになった経験だけで書いてるんじゃないの
ちょっと落ち着いて読めば分かるはずなんだけどね

聞きたいのは
>>幸せな死に方ってのは数あれど、自虐的な死に様を望むのはめったに無いね
>>そいつがなぜ出てきたか、その考えがただの錯覚ではないか、実際に他人にも適応できるのか
>>そこら辺を話すことがスレの趣旨に沿わないとは思わないんだがね
これよ
どうすれば「明日の太陽は拝めないかもしれないような状態で、苦痛に苛まれるような症状になれば、生への慈しみが芽生える」こんなふうに考ちまったかってところをね
あなたの文章は「しかし、生に対するあきらめとともに生への執着は、生きること、生きているものへの愛情に変わる。」こうだたな
この一文がどうやって出て来たか
この会話を終わらせるための、最低限のファクターだと思うよ
286267:2005/10/18(火) 01:40:07
マトンさんの考え方ですと、医療・福祉関連の人達はいろんな人たちの死を見て、最終的には感覚が麻痺したり、そのことに慣れてしまうということですか?
同じ経験を何度も行うことによってその事柄に慣れたり、感覚が麻痺したりすることは否定しません。
しかしそれは、その事柄を理解したとか、その事柄について他人よりもよい判断が下せる立場に立つということではありませんよね。
どうにもマトンさんの意見を聞いていると、マトンさんは経験と人生に対する慣れこそが、人生の価値を定めると考えているように読み取れて仕方がないんですが。どのような根拠でその二つがつながるんでしょう。
慣れちゃうから考えない、、、というのは心理学であっても哲学ではないですね。
287267:2005/10/18(火) 01:41:08

>聞きたいのは
私は健全な人間としてこの意見を書きました、しかし健全な人間も寿命で必ず死を迎えます。考え方に差異はあれど、死について考えない人間はこの世に一人もいないはずです。
私はある種の病を仮定に自分の意見を述べましたが、その仮定の源は「人間は死の病に既にかかっている」という事実です。
人間の歴史を地球の歴史に当てはめるとーなんてことをよくやっていますが私がやったのはちょうどその反対です。
人間の歴史が地球歴1日の最後の一分であれば、明日の太陽は拝めないのかもしれないのではなく、事実望めない訳です。
その病を持ち、死という現実を考えることではじめにわいてくるのは失望です。
永遠に生きていたいという欲望とそれに対する失望です。
ここで多くの方がおそらくとる行動は、自分が死ぬことを考えないという方法です。
この死の病も、少なくとも若いうちは大して苦痛も伴いませんし,
同じ病で倒れていく周りを見る必要もないので比較的簡単に忘れることができるでしょう。
しかし我々は死ぬのだと、忘れない人もいます。
こういう人たちが街に出て、山に登り、海を眺め、健全な地球と病にかかって長くない自分とのギャップに悲しみを覚える訳ですが、
そのギャップのために生きることのすばらしさをいっそう感じ取ることができるのだと思います。
そして周りに対する一種の優しさもうまれてくるでしょう。
それは生に対するあきらめと、自分が離れていかなければならないこのすばらしい生との間にうまれる感情だと思います。

死について考えることから生に対する欲望、そして愛情が出てきましたね。
288267:2005/10/18(火) 01:44:50
少なくともこれが俺の考える幸せな死ですね。
素人考えですから間違いもあるかもしれません。
でも、あら探しをして人をからかって楽しむ様なひねくれ者よりはずっとましだと思いますがw。
本当にあなたが幸せだと思う死に方を書いてくださいね、マトンさん。
結局のところここはそういう掲示板なんですから。

それから俺はあなたの要求する質問に答えて答えて答えました、
これ以上はこっちもうざいのでやりません。なのでうだうだいわないでくださいね。
289マトン:2005/10/18(火) 22:08:24
>>286
>マトンさんの考え方ですと、医療・福祉関連の人達はいろんな人たちの死を見て、最終的には感覚が麻痺したり、そのことに慣れてしまうということですか?
他人の死はね
ただ、俺の言っているのは、ただ単に「いろんな人の死に様を見たよ」ってだけ
色々な死に様や、その際の家族の反応を見たうえで、君の意見に「はぁ?」と言っているわけ

>どうにもマトンさんの意見を聞いていると、マトンさんは経験と人生に対する慣れこそが、人生の価値を定めると考えているように読み取れて仕方がないんですが。どのような根拠でその二つがつながるんでしょう。
何も経験していない奴が、想像のみで大層な希望をすると、多少なりとも経験している奴にしてみれば頭に来ることもあるってだけ
290マトン:2005/10/18(火) 22:09:02
>>287
君はね

>その病を持ち、死という現実を考えることではじめにわいてくるのは失望です。
>永遠に生きていたいという欲望とそれに対する失望です。
>ここで多くの方がおそらくとる行動は、自分が死ぬことを考えないという方法です。
>この死の病も、少なくとも若いうちは大して苦痛も伴いませんし,
>同じ病で倒れていく周りを見る必要もないので比較的簡単に忘れることができるでしょう。
>しかし我々は死ぬのだと、忘れない人もいます。

ここから

>こういう人たちが街に出て、山に登り、海を眺め、健全な地球と病にかかって長くない自分とのギャップに悲しみを覚える訳ですが、
>そのギャップのために生きることのすばらしさをいっそう感じ取ることができるのだと思います。
>そして周りに対する一種の優しさもうまれてくるでしょう。

こう意見が飛躍し、さらにそれが自分にも当てはまると言う2段階飛躍していることに気付いていない


一段目の飛躍自体が想像の産物ですよね
>しかし我々は死ぬのだと、忘れない人もいます。
>こういう人たちが街に出て、山に登り、海を眺め、健全な地球と病にかかって長くない自分とのギャップに悲しみを覚える訳ですが、
この文を読んで、ヒロイズムに染まりきっていると感じないのなら、だいぶまずいと思いますよ
死を直視させられる人間ってのはいますよ、でもその人たちの多くがこんな風になれるとお思いか?
さらに、死を、それも苦痛に満ちた死を突きつけられたときに、それに押しつぶされない人間ってのは少ないです
その数少ない中に自分が入れると考えているのは、もう、自分を英雄視しているようなものです

知りたいのはね
一段目の飛躍がどのようにして起こったかってこと
二段目の飛躍を本気で思っているのかってこと
飛躍の内容そのものは『植村直美』やら『1リットルの涙』やら、ぶっちゃけ『マザーテレサ』なんかでも十分だ
死に直面すればその内容に至れると考えた思考を知りたいんだよ
291マトン
>>288
>でも、あら探しをして人をからかって楽しむ様なひねくれ者よりはずっとましだと思いますがw。
反論を粗探しと考えているうちはこの板では未熟者だね
否定の嵐にあってさらに生き残る意見が、研磨された良い意見ということに気付いていない

>本当にあなたが幸せだと思う死に方を書いてくださいね、マトンさん。
書いたはずだが?
もっとはっきりと書かないと分からないか
『逝くならほとんど苦しまずになるべく短い時間で逝きたい』
人間いつ死ぬか分からない、それが病死か事故死か他殺か自殺かテロか戦争か、全く分からない
そうであるならば楽な方がいい