ハイデッガー『存在と時間』を読みたい!

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1being
極めて個人的な動機から「存在と時間」に挑戦します。
当方私立非哲学科の大学生です。
哲学の知識は、知ったかレベルです。

使用テキストは、中公クラシックスの「存在と時間TUV」です。
サブテキストとしてマイケル・ゲルヴェン「存在と時間」註解を使用します。

ドイツ語はまったくできません。とりあえず一日一節,
せめて二日に一節の要約を目標に頑張ります。
あと中公クラシックスの「存在と時間TUV」は一度読みました。
アドバイス等がありましたら、どうかお願いします。
あとスレ立ては初めてなので、各種読書スレの形式を参考にさせてもらいます。
関連スレ
ハイデガー『存在と時間』を読むスレ
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1017993132/

ハイデガー『存在と時間』の邦訳
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1050403382/


2being:03/11/23 20:59
■■■無題の序論■■■
p5〜6

存在の意味への問いをあらためて設定することが、肝要であると
ハイデガーは言う。
以下の論述の意図は、「存在」の意味への問いを具体的に仕上げる事である。
さらに以下の論述の目標は、あらゆる存在了解一般を可能にする地平として
時間を学的に解釈する事である。
    
■■■ 序論 ■■■
■■■ 第一章 ■■■
●第一節 p7〜14(原p3,4)

■存在を問いたずねる必要はないのだという、考えの諸先入見に以下の3つがある。
1:存在は最も普遍的な概念である。存在は類である。
しかし、ハイデガーは言う。存在の普遍性は類の普遍性ではない。
存在は類ではない
2:存在という概念は定義不可能である。
このことにハイデガーは少し譲歩するものの、2が妥当するからといって、
存在の意味への問いは免除されない。かえってこの問いを問うことを促す
と主張する。
3:存在は自明の概念である。
ハイデガーは、このことを認めるが、了解しやすさは、了解しにくさを論証すると
言う。さらに自明なものこそが分析論の主題になるべきという。

以上の諸先入見により存在を問いたずねることへの答えが無いばかりではなく
問い自身が曖昧で方向を見失ってることが判然となった。
だからこそ、まず第一に問題設定を十分にするのだ。

■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
3に関するハイデガーの考えには、とても共感できる。けど具体的には
説明できない・・・。
3being:03/11/23 21:17
第二節 p14〜26(原典p5〜8)

■存在への問いが設定されるべきである。
問う事はいずれも一つの探求である。
何かを問いたずねるとき、何らかの仕方で、何かを手がかりにする。
存在の意味は、何かの仕方で我々の意のままになるものである。
存在とは何か我々はわからない。
しかし、存在とは何であるか?と問うときに、「ある」について
何かの了解内容を持つ。こうした漠然とした存在了解は一つの現事実である。
存在は完全に未知では無い。
存在は、存在している事実と存在している状態のうちに、実在性、事物的存在性、
存立、妥当、現存在のうちにひそんでいる。

現存在という存在者に即して存在の意味はよみとられるべきである。

■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
この節も、ハイデガーのロジックよりもレトリックに圧倒されてしまう。
なんとなく彼の言いたいことが漠然と解る気がする・・・。
現存在=問いを問う、その当の存在者のこと=この私
でいいんでしょうかね?
4考える名無しさん:03/11/23 21:20
勝手に思う存分読んでください。
5考える名無しさん:03/11/23 21:24
大学の先生から借りたまま卒業後6年経つ。
先生ごめん、いつか返す・・・
6考える名無しさん:03/11/23 21:28
>>1
俺16の時に読んだけど2ページで挫折した
多分今読んでも意味不明なんだろうな・・・
7being:03/11/23 21:33
第三節 p26〜32

■存在論はそれ自身一つの手引きを必要とする
存在問題が目指すものは、存在的な諸学に先立っていてしかも
それらの諸学を基礎づけるような、そうした諸存在論自身をも
可能にする条件そのものなのでもある

正しく了解された存在論的研究自身は、伝統をたんにふたたび
とりあげるということや、見通しの聞かなかった問題を促進するということ
を越え出て、存在問題にその存在論的優位を与える。

■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
この節の最初の諸学は存在的であること云々は思い切って、削ってみました。
存在と存在者の関係は僕が勉強している経済学の貨幣の問題
とどこか相通じるものがあるような気がしました。
存在的、存在論的、これらの区別が大事
8being:03/11/24 01:47
●第四節p31〜42

■現存在
・人間と言う存在者を、「現存在」と述語的に表現する。
・現存在自身は、他の存在者に対して際立っている。
・存在了解はそれ自身現存在の一つの存在規定性である。
・現存在が存在論的に存在するとは、存在を了解するという仕方に
 おいて存在していることを意味する。

■実存
・現存在がそれへとさまざまな態度をとっている
 「あの」存在を「実存」と呼ぶ。
・現存在は、己自身を、つねに実存から了解している。
・実存の問題は、実存すること自身を通じて決着をつけるべきである。
・そのさいの指導的な現存在自身の了解内容を「実存的了解内容」と呼ぶ。
・実存問題は、現存在の一つの存在的関心事である。
・実存の存在論的諸構造を「実存性」と呼ぶ

(続く)

9being:03/11/24 01:51
(第四節続き)
■現存在の優位
・現存在は、他の存在者に対して優位を持つ。
・第一の優位は、存在的優位
・第二の優位は、存在論的優位
・第三の優位は、全ての存在論を可能にする、存在的、存在論的条件として

■結論
・現存在は、原則的に自身の存在を問う存在者としての
 機能を持つ。

■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
ついに現存在、実存が出てきた。とりあえず、
当の問いを問う私=現存在
その現存在を可能にする存在=実存
と理解。現存在の優位についてハイデガーは一生懸命説明するけど、
ここでも論理はわからないけど、レトリックでなんとなく理解できる。

(第四節要約終わり)
10Etre:03/11/24 14:00
>being

「存在論」と「基礎的存在論」の違いはなんですかね?
11being:03/11/24 14:19
>>10
ハイデガーの文脈で言うと、
基礎的存在論は、存在論を初めてそこから発現することを可能にするもの
だと思います。
そして、その基礎的存在論は、現存在の実存論的分析論によって
求めなければならないようです。なぜ、現存在かと言うと、第四節の現存在の
優位の通り、現存在は他の存在者に対して優位を持つからのようです。

あまり自信ないので、ハイデガーに詳しいかたの意見まってます。
しかし、ハイデガーの用語は混乱しますね。
12考える名無しさん:03/11/24 14:33
>>11
じゃ、そもそも存在論ってなに?
13being:03/11/24 14:42
>>12
存在者の存在、存在一般の意味を究明することだと
自分は理解しています。
14考える名無しさん:03/11/24 15:02
>>11
P36の5行目を参考にしたんだと思うけど、
「その他すべての」存在論〜、とある。
「その他すべての」、ということは
いくつか存在論の種類があるのでは?
ただの存在論じゃなく、
「その他すべての存在論」とはどう解釈すればいいのでしょうか?
15being:03/11/24 15:17
■■■ 第二章 ■■■
●第五節(T巻p42〜52)

■現存在の分析
・我々みずからが現存在である。
・現存在は存在論的には最も遠いのである。
・現存在の存在様式には、「世界」のほうから自己固有の存在を了解する
 傾向を持つ
・現存在には存在了解が属している。現存在は獲得された豊かな解釈を
 意のままにすることができる。
・現存在を分析するには、平均的日常性において、この存在者を示す
 べきである。
・現存在の存在意味は、「時間性」である。
■時間
・存在を了解するための地平が「時間」である。
・伝統的な時間概念と通俗的な時間了解内容は「時間性」から発言する。
・時間は、存在者の了解を区別する存在的な道しるべである。
・時間に基づく存在の根源的意味規定性を、存在の「存在時的規定性」と名づける。

■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
いきなり現在発表されている「存在と時間」の結論が述べられる。
一回目読んだときは「?」だったかが、今なら少し理解できるような、できないような。
16being:03/11/24 15:24
>>14
そこは僕も悩みました。
いくつか存在論には種類が、あると思います。
具体的に言うと、道具的存在者について、事物的存在者について。
V巻でハイデガーが相対性理論等にも触れていたのも少し気になります。
17考える名無しさん:03/11/24 18:28
>>16
様々な存在論→これまでの哲学が考察してきた存在論、つまり「神」や、そこから発生する
「存在事物」の存在を扱う「形而上学的な存在論」、ぐらいに考えておいていいのでは。

ちなみに、大きなお世話かもしれないけど、ざっと大まかに『存在と時間』の流れを言うと
@「存在(在るという事)」とは何か。「存在」とはどのような意味をもつのか
A現存在(人間)は「在るという事」を了解(理解)している→存在了解
Bその存在了解を分析→これを現存在分析ないしは実存論的分析と呼ぶ。
 分析の内容は、
・現存在のもつ存在了解とは、どのような内容のものであるか。
・また、その存在了解は、どのような構造をしているのであるか、等。
 つまり、日常において現存在(人間)が、どのような「在る」を了解しているのか、
 そしてその了解はどのような構造をもっているか、を分析。
C Bの分析から、存在了解というものが可能であるのは(つまり人間が在るという事を理解出来るのは)、
 「時間」が関係している(時間に基づいている)事が判明 
 →時間性(時計などの客観的な時間ではなく、現存在自身がもっている時間)。
D現存在自身の「存在(在るという事)の意味」は、時間性である。
 →では、現存在のその「時間性」から見た(了解される)「存在そのものの意味」とは?
 →挫折(『存在と時間』の後半を書けなかった)
E今までの哲学(存在論)は、どのような時間性に基づいて「存在(在るという事)」を理解してきたか
 →ハイデガー流「時間性」に基づいた、これまでの哲学批判。

尚『存在と時間』では、Eは主題的に扱ってはいないけど、これはとっても重要。
ハイデガーが『存在と時間』で、<従来の存在論(哲学)><頽落><非本来的実存(時間性)>
<事物的存在性><実在性><現前性>等を批判する時は、その批判の裏に
「これまでの哲学や現存在は、<現在>という時間性(非本来的時間性)に立脚していたのだ」
というものがある。
つまりハイデガーは、「現在」という時間性に立脚しないもう1つの時間性、
すなわち「将来」という時間性に第一に立脚した哲学(存在論)を、新たに打ち出そうとした、というわけです。
18考える名無しさん:03/11/24 18:29
べつによみたくないよ。
19考える名無しさん:03/11/24 19:52
>>17
「反復(wiederholung)」ってどういうことですかね?
20being:03/11/24 20:46
>>17
全然大きなお世話じゃありません!
本当に助かります。確かに、その理解でよさそうですね。
木田元さんの本では「時間と存在」でハイデガーは大どんでん返しを
狙っていたと書いてました。なんでハイデガーが挫折したのかも
気になります。
>E
やば、そこ重要だったんですね。一回目読んだとき、ベルクソンやヘーゲル
、通俗的時間概念のところは、あまり注意してよみませんでした・・・。
死の分析のところぐらいですかね、ちゃんと精読したのは・・・。
いや、本当にありがとうございます。とくに
>ハイデガーが『存在と時間』で、<従来の存在論(哲学)><頽落><非本来的実存(時間性)>
><事物的存在性><実在性><現前性>等を批判する時は、その批判の裏に
>「これまでの哲学や現存在は、<現在>という時間性(非本来的時間性)に立脚していたのだ」
>というものがある。
はとても参考になります。これからの読みに生かしたいと思います。

21考える名無しさん:03/11/24 21:29
ハイデガーは人間の日常性を基盤として考察したということでいいんですか?
22考える名無しさん:03/11/24 22:44
基盤というより手がかりでしょう。
23考える名無しさん:03/11/25 09:22
だとするならば、日常性を括弧に入れるフッサールとの
対立は不可避だったのも当然というべきなのでしょうか。
24考える名無しさん:03/11/25 13:51
でもフッサールは後期では「生活世界の現象学」を掲げていたわけだからね。
ハイデガーの日常性と、フッサールの自然的態度は決して対立をするものではない。
25考える名無しさん:03/11/25 16:56
実存を重視したか否かの違いじゃないか?
26考える名無しさん:03/11/25 17:33
有と時。
27Gilles:03/11/25 19:04
面白そうなスレなので、期待してます。がんばってください。早速、横からの割りこみで失礼。

「その他すべての」存在論の話ですが、必ずしも >>16 氏のように限定して考える必要はないと思います。

>>16
> 様々な存在論→これまでの哲学が考察してきた存在論、つまり「神」や、そこから発生する
> 「存在事物」の存在を扱う「形而上学的な存在論」、ぐらいに考えておいていいのでは。

問題の箇所(「基礎的存在論」が出てくる)の直前の段落で、ハイデガーは次のように言っています。

「諸々の学問は現存在の存在様態であり、それらの存在様態において現存在は、必ずしも自分がそれである
とは限らないような存在者とも関係する。だが、現存在には本質的に<世界の内における存在>ということ
が含まれている。それゆえ、現存在に帰属している存在理解は等根源的に、『世界』というようなものの理
解や、世界の内部において出会われるような存在者の存在の理解にもかかわる。したがって[このような]
現存在的ではない存在性格をもつ存在者をテーマとする諸々の存在論は、現存在の存在的構造それ自身の中
に基礎づけられ、動機づけられている」

おそらくハイデガーの当時の考えでは、あらゆる学問は暗黙のうちに何らかの存在論を含んでおり、好むと
好まざると(「つねにすでに」)同時に存在論なのです。仮にそれが「前存在論的」な段階にとどまってい
るとしても。
28Gilles:03/11/25 19:05
3節で「存在領域」の例として「歴史、自然、空間、生(命)、現存在、言語など」をあげ、すぐその後では
数学、物理学、生物学、歴史的精神科学、神学などに触れています。このような存在領域をあつかうのも最
終的には個別的な「存在論」であるはずだ、とハイデガーは考えているように思います。(この点で、フッ
サールの「領域的存在論」をある程度意識していたかもしれません)

『存在と時間』の段階では、まず一番大きな区分として、あらゆる存在者を「現存在」とそれ以外の「非現存
在的存在者」ないし「内世界的存在者」に分けており、後者については、being 氏が >>15 であげている「道
具的存在」と「事物的存在」が区別されます。

ただし、道具的/事物的の対立は(内世界的)存在者そのものの区分というよりは、その存在者に対する現存
在の態度に由来する対立なので、例えば、事物的存在についての存在論があるという話ではないと思われます。

なお、本当に現存在/非現存在の二分法だけなのかどうかは微妙なところです。『存在と時間』より後の時代
ですが、動物の存在について触れたテクストなどもあります(最近、デリダとの関連で東浩紀氏が触れていま
した http://www.t3.rim.or.jp/~hazuma/texts/heidegger.html )。

いずれにせよ、非現存在的存在者の存在理解も、最終的には「現存在の存在的構造それ自身の中に基礎づけら
れ(fundiert)」ているのであれば、「他のすべての」存在論に先立って、現存在の存在理解を主題的に究明し
なければならない、だからこそそれは「基礎的存在論(Fundamentalontologie)」と呼ばれるわけです。存在一
般の意味をあつかう存在論が可能であるかどうかはすべてこの基礎的存在論の成否にかかっている、つまり、
存在問題をあつかう上で一種の突破口のようなものとして基礎的存在論は構想されていたのだと言ってよい
でしょう。
29考える名無しさん:03/11/25 19:45
>>28
すると、実存論的分析=基礎的存在論、であり、
これによって存在の問い=(真の?)存在論が可能になるということでしょうか。
で、『存在と時間』は基礎的存在論だけを展開している。
30考える名無しさん:03/11/25 20:04
なんでわざわざ同じスレ他店の?
31考える名無しさん:03/11/25 20:54
このスレは、beingさんのロッカーみたいなもんなんでしょ。
beingさんの個人的な勉強机なんでしょ。
32being:03/11/26 00:20
●第六節(T巻p53〜68)

■時間性と歴史性
・実存は自身の意味を時間性に見出す。
・時間性は、現存在の時間的存在様式としての歴史性を可能にする条件である。
・歴史性とは歴史に先立って先行している。
・歴史性とは現存在そのもの「生起」という存在機構である。
・生起に基づいて、世界歴史、歴史的に世界歴史に属することが可能になる。
◎現存在は、自信の未来から「生起」する。
・現存在は、歴史学的に問い尋ねるという存在様式へと連れ込まれる。
・上記の規定が可能であるのは、実存が、根本において、
 歴史性に規定されているからである

■存在論の歴史の解体
▲積極的意図によるカント批判
・カントの時間分析は、通俗的時間了解内容の内にある。
・しかし、この分析によって時間を主観へとり戻す事ができた。

(続く)
33being:03/11/26 00:21
(第6節続き)

▲同じくデカルトの「我思考す」の存在論的基礎等への批判
・カントの時間分析と「我思考す」の連関は問題にすら挙がらなかった。
・その原因は伝承された通俗的時間了解である
・デカルトは「我存在す」の存在意味を無規定にした
▲時間に関するアレストテレスの論述・ギリシア存在論への批判
・当論題に対する、古代の解釈は、「世界」または「自然」に定位している。
・事実、存在の了解内容を「時間」から獲得している。
・存在者は現在から顧慮して了解されている。
・時間に関するアリストテレスの論述があらゆる時間把握を本質的に規定してきた。
・存在論的伝承の破壊により、存在問題は具体化され、存在の意味への
 問いの不可避性を完全に証明する。

(第6節要約終わり)

■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
第六節は、未刊行の「存在と時間―第二部」の要約や、後半の時間性・歴史性の
結論を扱っているようですね。特に、◎の部分は重要ですね。
次の第七節は、重要なのできっちり纏めたいです。
34being:03/11/26 00:46
>>27−28
貴重な意見アリガトウございます!
17-27-28と自分の理解を纏めて表にしてみました。

:基礎的存在論→存在一般の意味を扱う存在論→各種存在領域を扱う学

             ・存在者
                ↓
           --------------
          ↓         ↓
         現存在     非現存在的存在者(内世界的存在者)
                         ↓
                     --------------
                    ↓          ↓
                道具的存在者     事物的存在者

注:道具的/事物的の対立は、現存在の態度に由来する
35being:03/11/26 00:59
>>27-28
「その他すべての」存在論について解説アリガトウございます!
おかげで理解できました。
>おそらくハイデガーの当時の考えでは、
確か存在と時間の後半で、そのことに関して触れていました。
面白い考えですよね。
動物の存在というのも面白そうなテーマですね。
この話だけでも、ハイデガーの構想の巨大さに圧倒されます・・・。

>>29
僕も、そう理解しました。真?の存在論というのは、多分「あるとは何?」という
存在への問いだと思います。それを問うための手がかりとして
実存論的分析を構想したのでしょう。
>>30-31
存在と時間読書スレの方に聞いたら、新スレでやってくれと言われたので・・・。
板の目障りにならないように、しっかり、まったり83節まで読みきりますので勘弁してください。
36考える名無しさん:03/11/26 16:05
>>35
既存のハイデガー関連スレは落ち(挫折)気味ですし、
beingさんも既存スレに筋を通して、このスレで新たに第一節から始めるようなので、
私は、このスレには意義があると思います。

『存在と時間』は難解なので、一節ずつ進めていくこのやり方は、とても勉強になります。
期待しています。
37being:03/11/27 00:18
すいません。今週ちょっと用事が立て続けに重なってしまって、とても忙しくなりました。
要約は来週からになりそうです。ヘタレですいません。
>>36
ありがとうございます!そう言ってもらえれるととても励みになります!

38being:03/11/27 00:20
●第七節(T巻p69〜98)
・存在と存在者とを対照させて、存在自身を究明する事が存在論の課題である。
・この問いの取り扱い方は現象学的なそれである。
・現象学には「事象そのものへ!」という格率が有る。
・現象学は、現象と学、すなわちロゴスという二つの構成要素を持つ

■A:現象という概念
・現象という述語の語源は己を示すという意味を持つ
・「現象」という表現に堅持されなければならないのは、おのれをおのれ自身
 に即して示すもの、つまりあらわものということである。
・「何々であるように見える」という自己示現を仮象すると名づける。
・現象―おのれをおのれに即して示す事―は、或るものが出会われるときの
 或る際立った様式を意味する。
・これに対して現われは、存在者自身うちに存在している指示連関ほかならない。
・現われと仮象は、異なった仕方で、それ自身現象のうちに基礎づけられている。
・おのれを己自身に即して示す「直観の形式」こそが現象学の現象である。


(続く)(多分来週になりそうです・・・。)
39Gilles:03/11/29 02:52
次のレジュメが出る前にちょっとコメントしたいと思います。

>>38
翻訳だと、まぎらわしい語が出てきてわかりにくいかもしれませんね。訳語と原語を整理して
おくと、次のような感じになります:

(1) 現象(Phaenomen < phainomenon)
「自らをそれ自身において示すもの」

(2) 仮象(Schein)
「〜のように見えるもの」(実際には〜ではないにもかかわらず)

*「見かけ、見せかけ」の意味

(3) 現われ(Erscheinung)
例えば、身体に表われた病気の兆候。それ自身を示さないものの「現われ」

* カントの文脈では「現象」と訳される語。つまり、物自体ではなく、人間の認識能力と
その条件(とりわけ時間と空間という直観の形式)において考えられる対象のこと。

(1)の「現象(Phaenomen)」は、(2)や(3)を可能にするための基本的なものという位置づけ。
→ (2)は(1)の「欠如的変様」として、(3)は(1)からの派生形態として捉えうる。
40Gilles:03/11/29 02:53
だが、これだけだと(1)は、すべてをカバーするがゆえに単に「形式的な現象概念」という
ことになってしまいます。

それと関係するのが、レジュメの次の点です:

>>38
> ・おのれを己自身に即して示す「直観の形式」こそが現象学の現象である。

ここまで圧縮してしまうと、かえってわかりにくい気がします。この前後でカントの話が出てきますが、
ハイデガーは、現象学的な現象概念、つまり現象学で問題にすべき「現象」が、カント哲学における「直
観の形式」に相当するのだと言います。これはあくまでも例示です。

カントの意味での現象(Erscheinung)、つまり直観の対象は、それが可能になるための「場」の
ようなものとして空間と時間を前提にしています。ところでカントによれば、空間と時間は、直
観的対象の条件でありながら、それ自身が(つまり、あらゆる直観の対象を度外視した上でもな
お残る)直観なのです。言い換えれば、空間や時間において対象が直観されているというとき、
実は、つねに同時に空間と時間それ自身も直観されている(カントのいう純粋直観)。

該当箇所でハイデガーはこう書いています:

「カント的問題設定の地平で言えば、現象学が現象として把握するものは、その他の違いをひとまず
おくと、次のように述べることで例示できる。つまり、『諸現象(Erscheinungen)、つまり、通俗的に
理解された現象(Phaenomen)において、つねに先行かつ共起しつつ、非主題的とはいえ自らをすでに示
しているものは、主題的に<自らを示すこと>へともたらされうる。そして、この<自らをそのように
[=非主題的だったものから主題的に]それ自身において示すもの>(『直観の形式』)こそ、現象学
にとっての現象(Phaenomen)である』」

カントの意味での現象でも、物自体でもなく、その現象を可能にしている形式。自分がやろうとしてい
る、現象学としての存在論はいわばこういうものだ、というのがハイデガーの言いたいことなわけです。
とりわけ、存在を何らかの存在者と混同したり、何らかの存在者に変質させたりするという抗いがたい
罠を何とか克服するための彼の戦略を、かなりうまく説明する例だと言えるでしょう。
41考える名無しさん:03/11/29 07:03
インテルにザックが就任したけど、
やっぱミラン時代のこともあって何かときにかかる。
シェヴァの1年目の監督だったし。序盤戦はサイドでプレーさせてたけどw

でも、元々シェヴァに注目していたのはザックではなく実はカペッロ。
CLバルサ戦での衝撃のハットトリックで虜になってしまったようだ。
入念なスカウティングを経て獲得を決断したらしい。
98年の冬にサンシーロでミランとディナモは親善試合をしたけど、
これは秘密裏にミラン入りの契約を済ませるためだったようで、
シェヴァ自身、ミラン入りが夢だったこともありこの時に仮契約を済ませたようだ。
99年の準々決勝でレアルマドリードをも倒したことにより、
レアルやマンUなどのビッグクラブが大枚で勧誘するも時既に遅し。
無事に約40億円でミラン入り。久々の大物加入でほんとにうれしかった。
42being:03/12/01 22:08
(第七節続き)
■B:ロゴスという概念

・ロゴスの根本意義は語りである
・上述のことが効力を持つには、語りが何を意味するのかを規定しなければならない
・ロゴスは、理性、判断、概念、定義、根拠、関係として常に解釈される。
・語りとしてのロゴスは、デェールーン(語りにおいて、それについて「語られている当のものをあらわならしめる)と同じ事である。
・ロゴスは、あるものを見えるようにさせる。
・ロゴスは総合という構造形式を持つ。或るものを或るものとして見えるようにさせること
・ロゴスは見えるようにさせる。そのため、ロゴスは真であったり、偽であったりする。
・真とは暴露させること。
・偽であるとは隠蔽させること
・思考することは隠蔽できない
・ロゴスは存在者を認知させることができる。そのため理性を意味しうる。
・他に、提示、根拠、関係、比例という意味を持つ。
・実在論も、観念論も、ギリシア的真理概念の意味を取り逃がしている。

(続く)
■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
短いけど、難しい。とりあえず、真=暴露すること、偽=隠蔽すること、
しかし、この境界が発生するのは語りにおいてということですかね?難しい・・・。
ハイデガーは、「語ること」によりなにかが隠蔽されると考えているのか?
最近、ウィトゲンシュタイン関係の本を何冊か読んだせいか、
この節のハイデガーの意見にはとても驚いた。
初読のときはまったく意識しなかったのに・・・。
しかし、ここでのハイデガーは「語り」という状態?に留意している気がします。
ここでのハイデガーの「隠蔽」はウィトの「論考」命題七「語りえぬもの」と
似たようなことを言おうとしているのだろうか・・・。
このことは「ハイデガー入門」でも少し触れていました。
「言語の限界」。この第七節Bって「存在と時間」の中でもかなり
ハイデガーのセンス?のようなものが出ている気がしました。ド素人の意見ですみません
43( ̄ー ̄) ニヒリスト ◆b0CLAO0mX6 :03/12/01 22:11
よくやるねぇ〜。
よっぽど暇なんだね。
ボクには何が面白いのかさっぱり分からないよ。
体動かしてダンスでもしてた方がよっぽど価値があると思うけど
君たちは哲学のお勉強をしている時が一番幸せなんだね。
44考える名無しさん:03/12/01 22:14
>>43
真面目にやろうとしている人がいるのに、茶々を入れないで下さい。
あなたのやっている事は荒らしです。
45being:03/12/01 22:21
>>39-40
訳語と原語の整理。とても解りやすいです。アリガトウございます!
「直観の形式」云々の箇所とハイデガーの存在論とをどう理解すれば
いいのかよくわかりませんでしたが、
>カントの意味での現象でも、物自体でもなく、その現象を可能にしている形式。
>自分がやろうとしている、現象学としての存在論はいわばこういうものだ、
>というのがハイデガーの言いたいことなわけです。
で理解できるための取っ掛かりのようなものが頭に浮かびました!

準備段階として岩波の「純理」を読んでいたのに、この無様な理解のしかた・・・。
本当貴方のような方の解説・意見は独学者の自分にはとてもありがたいです!
ありがとうございます!
現象学としての存在論。やっぱフッサールは読んどいたほうがいいですね。
デカルト的省察買ってこようかなあ・・・。
46( ̄ー ̄) ニヒリスト ◆b0CLAO0mX6 :03/12/01 23:09
真面目な話です。
貴方方は本当に素晴らしい人達だ。まさに論争に敵なし。
周りの人達は貴方方が頭いいことを知ってます。
でもね皆さん。周りの人達は貴方方の何を認めて褒めているのでしょう?
マジレスをするから?素晴らしいレスをするから?
そうでしょうね。実際貴方方は頭がいい優秀な人達だ。
でもどうでしょう。貴方方が論理的で説得力のあるレスをしなくなったら
人は貴方方から離れて行きませんか?貴方は貴方であり続けているというのに。
実のところ誰も相手にしなくなるかもしれません。人は、本当の貴方を見て承認しているのでしょうか?
貴方としての貴方が褒められているのでしょうか?違うでしょう。本当の貴方を見てくれて貴方として
承認してくれる人は実は貴方の範囲にいないのです。貴方もそれをうすうすと分かっていらっしゃる。
だから寂しいでしょう。物足りないでしょう。本当に貴方のことを見てくれる人がほしくありませんか?
そういう人と真の対話をしてみたいと思いませんか?
実は貴方方に必要なのは、そういう対話なんですよ。
47考える名無しさん:03/12/02 05:28
tannnaru kamattekunn ha houchi
48Gilles:03/12/03 19:46
レジュメ作成ご苦労様です。もう少しで「序論」終了ですね。

>>45
> 現象学としての存在論。やっぱフッサールは読んどいたほうがいいですね。

知っておいて損はないと思います。次の第7節のCでも、フッサールの名前が出てきますね。もちろん、この時期のフッサールとハイデ
ガーの関係は単純ではありません。いずれにしても、「現象学的方法」について述べたこの第7節で、フッサールのいう「還元」の話が
一度も出てこないこと、それが相当に意識的なものであることは明らかです。

先回りになりますが、ハイデガーが提示する「現象学」の意味とは、「自らを示すものを、それがそれ自身のほうから自らを示すままに、
それ自身のほうから見えるようにさせること」(第7節C、第1段落)という、かなり拍子抜けしてしまうような規定です。それが、「還元」とか、
「判断停止」とか、「自由変更」とか、いかにも仰々しい名前で呼ばれるフッサールの方法への一種の当てつけなのかどうかはよくわかり
ません。

ただ、フッサールの「方法」は、それによってあらゆる先入見や予断を捨象・遮断し、一挙に確実な成果へと到達する、というニュアンス
で語られることが多いのに対し、ハイデガーのいう「解釈」は、むしろまず最初に、そのような先入見や予断などの困難をそれとして視野
に収めること、その上で、現象を覆っているそれらの困難を取り除いていくこと、を示しているように思われます。
49Gilles:03/12/03 19:47
>>42
> 短いけど、難しい。とりあえず、真=暴露すること、偽=隠蔽すること、
> しかし、この境界が発生するのは語りにおいてということですかね?難しい・・・。
> ハイデガーは、「語ること」によりなにかが隠蔽されると考えているのか?

そうだと思います。というより、あえて言えば、「語ること」は「さしあたり、たいてい」の場合、隠蔽ばかりしている、ということなのでしょう。
なぜか? その説明もわりと単純な話で、レジュメでまとめられた次の点に尽きています。

> ・ロゴスは、あるものを見えるようにさせる。
> ・ロゴスは総合という構造形式を持つ。或るものを或るものとして見えるようにさせること
> ・ロゴスは見えるようにさせる。そのため、ロゴスは真であったり、偽であったりする。

AがBでないにもかかわらず、「AをBとして見えるようにさせること」が可能なのは、ロゴスが「或るものを或るものとして(als)見えるように
させる」という構造をもつからなのです。
50Gilles:03/12/03 19:47
ハイデガーで面白いのは、そうした困難をむしろ「逆手にとる」ような方策を示そうとする点です。デリダのいう「脱構築(deconstruction)」
は、ハイデガーの「存在論の歴史の破壊(Destruktion)」にヒントを得ていると言われますが、たしかにこの点で両者は似ていなくもありま
せん。具体的に言うと、「存在者の存在」(これこそがすぐれて現象学的な意味での現象だとされているわけですが)が「さしあたり、たい
てい」は「隠蔽」されているという事態を、考察の手がかりにするのです。

存在者の存在は「さしあたり、たいてい」明示的に理解されていない。言い換えれば、「隠蔽(verdecken: 覆いで見えなくする)」されている。
だが、隠蔽されているというのは完全に失われているという意味ではない(まったく失われているものは隠蔽のしようがないはずだから)。
むしろ逆に、何らかの仕方で「発見(entdecken: 覆いを取る、暴露する)」されていることを意味する。

だから、「隠蔽」を可能にし、それどころか必然的にしているような構造を明るみに出すことができるならば、そのことによって同時に「暴露」
も可能になるはずだ ― ハイデガーの見込みはおおよそそういうものだと言えるでしょう。( >>15 で問題になっていた「平均的日常性」への
着目も、日常性そのものが重要だというよりも、そこにおいてこそ「隠蔽」の構造が顕わになるから、と考えたほうがよいと思います)

ついでに言えば、最終的に「暴露」が可能だと想定しているらしい点で、前期ヴィトゲンシュタインのいう「語り得ぬもの」の領域とはやはり
違いがあるように思います。むしろ、哲学・形而上学がくりかえし陥ってしまう誤認や機能不全にこそ注目するという意味で、後期ヴィトゲ
ンシュタインと方向が近いのかもしれません。
51being:03/12/04 22:21
■ C 現象学の予備概念
◎『現象学は、おのれを示す当のものを、そのものがおのれをおのれ
  自身のほうから示すとおりに、おのれ自身のほうから見えるようにさせる
  ということである』
・現象学は、意味に関しては、神学その他の表示法とは異なる。
・それらの表示法は、当該の学の対象をそれぞれの事象内容に名ざしている。
・現象学とは、論ぜられるべき当のものを、いかに提示し取り扱うかという
 ことに関して解明するだけである。
・「記述」という名称は、証示することのない全ての規定を遠ざけるという
 一つの防止的な意味を持つ。
・ロゴスの種別的意味は、現象の出会い方において学的規定性へともた
 らされるべき当のものの「事象性」に基づき、確定される。
・その最も固有な事象内実のほうから、現象となることを要求しているもの
 そのものを現象学は対象として主題的につかんだ。
・存在論は現象学としてのみ可能である。
・現象学の現象の「背後に」は現象になるべき当のものが秘匿されている。
・隠蔽性は「現象」の反対概念である。
・現象の隠蔽様式は多数ある。

(続く)
52being:03/12/04 22:22
(第七節Cの続き)

・隠蔽自身には、偶然的隠蔽、必然的隠蔽の二重の可能性がある。
・現象的=現象という出会われ方において与えられていて、究明可能なもの
・現象学的=提示や究明の様式に属しており、研究において要求されている
 概念性をなすすべてのものである。
・現象学は、存在者の存在についての学、存在論である。
・現象学的記述の方法的意味は解釈である。
・存在は端的な超越者なのである。
◎存在者に関して報告することと、その存在において捉えることは、別個の
 ことである。これは注意する必要がある。

(第七節要約終わり)
■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
ハイデッガーのレトリックが強すぎて、彼の言葉を真似することでしか、
彼の言葉を説明できない。難しい、序論自体内容が圧縮されているの
もあるのだろうけど・・・。現象学(生ビールで哲学ができる手法って本当ですか?)
というものが未だによく解らない。調べてみたが、「事象そのものへ!」ということしか
解らなかった。つまり、諸先入見を一度取っ払った状態から、その事象そのものどんな
風に現われてくるかを記述していくという手法でいいのですか?
そういう地平から、見えてくる様々な法則を探る・・・?
やっぱ勉強不足か。ただ、現象学の「他我認識」や、ハイデッガーの
「共存在」「他者」「他人」を正確に、現象学的に記述できるのか少し疑問に思いました。
僕自身独我論にはとても興味があるので、この問題はこれからも少しずつ考えていきたい。
53being:03/12/04 22:30
>>48-49-50
やはりフッサールは読んどいたほうがよさそうですね。せめて現象学の解説書くらい
は読んどきます。

ロゴスの説明大変わかりやすいです。自分の中で整理が付きられるように少しは
なりました。デリダの「脱構築」との関係は面白そうですね。僕自身デリダは読んでいませ
んけど・・・。「隠蔽」と「暴露」の構造ですか。この辺の用語は、これからも頻出するので
ちゃんと抑えといたほうがよさそうですね。

>後期ヴィトゲンシュタインと方向が近いのかもしれません。
あ、やっぱり違ってたんですね、僕。しかし、同じ時代に同じ哲学的直観のような
ものが出てくるのは何か面白いですね。


頑張れよー。




55being:03/12/04 22:50
頑張ります。
56考える名無しさん:03/12/04 22:52
すっげぇ難しい。。。
57being:03/12/05 19:07
●第八節(T巻p99〜101)
■この論述の構図
・存在の意味への問いは最も普遍的かつ空虚な問いである。
・しかし、この問いのうちに、この問いを現存在へと鋭く
 現存在へと独自に個別化する可能性がひそんでいる。
・「存在」という概念によって要求される存在論的概念性、
 また、この概念性の必然的な諸変化の下図には、或る手引きを
 必要とする。
・現存在を最も固有に存在論的に照明しつくすことは、「歴史学的」
 な学的解釈になる。

(序論要約終了)

■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
ようやく序論終了。予定よりはるかにスローペース。しかし、読み終わる
ことを最優先したいので、まったり、ゆっくり要約・疑問点を
挙げていきたいです。
存在への問いを空虚と言った、そのすぐ後に、その問いのうちに
可能性を見出すハイデッガーの迫力に圧倒される。
58考える名無しさん:03/12/05 19:12
私もこれから読んでみるんでそのときは
よろしくおねがいします。スピードダウンしたほうが
個人的にはうれしいです。そのときは質問とかしてもいいですか?
59being:03/12/05 19:19
>>58
そうですか、お互い頑張りましょう!
質問は別に構いませんよ。ただ、僕は上に書いている通り、経済学部の
人間で、しかも哲学の知識にかなり偏りがあります(要するに知ったかレベル)。
しかも「存在と時間」自体一回しか読み通していないので、期待に沿った答えを返せる
自信はありません。それでも力の限り返答はします。なのでがっかりしても
そのへんは勘弁してください。
60考える名無しさん:03/12/05 19:44
ちなみにもう一個のスレでbeingさんが読書スレやっていいか?って
聞いてたときに,「お願いします」って答えたのは私です。
がんばりましょう!
61考える名無しさん:03/12/06 05:02
1が今までに読んだハイデガー関連の書籍は?
ゲルヴェンのだけ?つーかゲルヴェン使うならちくまに
すればよかったのに。
62考える名無しさん:03/12/06 05:54
関連本は読んでもらいたくないね。
読み始めの段階で註解本とかを読むと、
そっちの解釈にあきらかに振り回されるからさ。
63考える名無しさん:03/12/06 07:53
ゲルヴェンのって原書では引用部分はどうなってるの?
ドイツ語?英語?
64考える名無しさん:03/12/06 12:49
素人はツォリコーンゼミナールから入るのが筋ですか?
65考える名無しさん:03/12/06 15:25
素人も玄人も『存在と時間』から離陸し、最後には『存在と時間』に着陸するのです。

みなさま、快適な空の旅をお楽しみください。
66考える名無しさん:03/12/06 16:49
>>65
うまいな。
67考える名無しさん:03/12/06 17:33
上空飛行(survol)ってことか?
68no-name:03/12/06 19:24
俺もハイデガーはいつか読みたい
というか最後に読みたいと思ってた。

マジでがんばってくれ
69being:03/12/06 20:17
僕が、中公クラシックスの「存在と時間」を選んだ理由は単純です。
1:文庫では、ちょっと読むのがきつい(岩波の純粋理性批判で思い知りました)
2:中公クラシックスのほうが、ペンで線を引きやすい、書き込むスペースが割りとある。
3:書店で、岩波、ちくま、中公の冒頭を読み比べた結果、中公が一番しっくりきたから
以上の3つです。
あと僕が、読んだハイデガー関連の書籍は、ちくま新書、細川亮一さんの「ハイデガー入門」
岩波現代文庫、木田元さんの「ハイデガー」です。
「ハイデガー入門」は一年前に読みましたが、全然解りませんでした。
すみません今日は、要約書けるか微妙です・・・。
70考える名無しさん:03/12/06 21:44
>>69
細川のより木田のほうが難しいと思うけど
1年の間に成長したな、康一くん
71考える名無しさん:03/12/06 23:09
         ,,. : ‐'' "´;;;;;``'ー- 、..,,_
          /. ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .ヽ,
       ,,./. ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .\
      〃. ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .ヽ
     , 彳. ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/バ;ヾメ;:`ミ_;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .゙、
    //. ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;//:7- __ _  ヾ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .ヽ
    ´/. ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;//_/ ̄      ゙、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .',
   〃. ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;// /      _,,._ i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .゙,
   《, ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;∧ヾ、    ,;ii〃"゙`ミ;.i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .i|
  、{. ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ト〈、`゙,.  , ´ ,._.,.,、,_ `゙|;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .゙,
  i". ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;リヘソ,> Y! i〃 <.(;・),゙ゞノ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .《
  ((. ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;人"´`.:;;l l;.゙ `^''ーヾ`,リ!;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .リ
  ソ. ;,;;;;;;;;;;;;;;;;i      r'(;. );:..      l |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .ヾ,
 ゞ. ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;i┘    ヽヘ、;ハ ,)      /!;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .ゞ
ヾ". ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|ヾ;:            ,:; 人;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .((._
.`゙》. ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;| :;;i 、-‐‐:v.‐-:、_  〃;:  !;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .〃
.ノリ. ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;゙、:;| `ヾニゞ‐;;;;ニフ  j|;.  /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .{{
((. ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`、   - ̄    ,./;:. /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .ソ,
_.)). ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ilヽ、._  ;,.    ,.:-‐'"/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .ノノ
彡. ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;i;;》 \ニ ;`  ̄  . ::;〃─ン;;;;;;;;;;;;;;;;;;,; .'"<
ソノ. ;,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;リノ!   \``ー  ;彡 /ミ;;;;;;;、;;、;;,; .乂ミヾ、
マイケルがハイデガーに興味を抱いた様です
72being:03/12/07 19:07
すいません。今日も要約書けるか微妙です。現象学について、ある程度勉強して、
自分なりに納得してから、始めたいのです。というか、自分の無知にかなり危機感を
感じてきました。上のほうで、ハイデガーの「共存在」「「他者」等が「独我論」的じゃないか?
って書いたりしたのが、その最たるものだと思います。少しでも「知ったか」から脱出したい
ので、少しの間、時間をください。すみません。
73考える名無しさん:03/12/07 20:57
がんばれ
74being:03/12/07 23:26
■■■ 第一部 第一篇 第一章 ■■■
●第九節(p105〜116)
・分析が課題になっている存在者は、そのつど<私>である。
・この存在者は、そのつど<私>のものである
・この存在において、この存在者は、それ自身己の存在へと態度を取っている。
・この存在者は、そうしなければならないという固有のあり方に委ねられている。
・存在とは、この存在者にはそれ自身そのつど、それへとかかわりゆくことが問題である当のもののことなのである。
・現存在を以上にように性格づけた事によって、二重のことが発生する。
▲1:この存在者の本質は、この存在者が存在しなければならないというあり方をすることのうちにひそんでいる。
・現存在の本質は実存のうちにひそんでいる。
・この存在者で明らかになる諸性格は、この存在者にとって可能的な存在する仕方、これのみである。
▲2:現存在は、事物的に存在するものとしての存在者だと解されることは、存在論的には、けっしてできない。

(続く)
75being:03/12/07 23:28
(続き)
・現存在に言及するときには、いつでも人称代名詞をそえて語らなければならない。
・現存在は、本質上おのれの可能性である。
・この存在者が、正しく前渡しされていることは、このことを規定する事自身が、この存在者の存在論的分析論の一つの本質的な部分をなすのである。
・現存在の日常性は、この存在者の積極的な現象的性格なのである
・この日常的な無差別のすがたを「平均性」と名づける。
・平均的日常性のうちにも、また非本来的という様態にすら、実存性の構造がア・プリオリにひそんでいる。
・現存在の諸存在性格を実存範疇と呼ぶ。
・現存在にふさわしくない存在者の諸存在規定を範疇と呼ぶ。
・存在者へと通じる様式とみなされたのが、ノエイン、すなわち思考すること、ないしはロゴスであった。
・実存範疇と範疇とは諸存在性格の二つの根本可能性にほかならない。
(第九節要約終了)

■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
用語の規定・現存在の優位性中心。事物的存在と現存在を区別する事が重要。
相変わらず強烈なレトリックのため、丸写しの要約になってしまった。
けれど今回は、多少抵抗したつもりです・・・。
76考える名無しさん:03/12/08 04:03
日常的現存在の現象学的な分析は素晴らしいよね。
77考える名無しさん:03/12/09 01:20
辻村公一の「有」って翻訳はなんなんだろうね。。。。。
「存在」に直してもらいたいよ。
78考える名無しさん:03/12/09 02:50
>>77
自分で直せよ
79考える名無しさん:03/12/09 05:29
>>78
そういう問題じゃねぇよ。
80考える名無しさん:03/12/09 09:42
京都の祖国遺産協会の努力を無駄にするな。
81考える名無しさん:03/12/09 16:47
パーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーン
 パーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーン
 パーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーン
    _, ,_  パーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーン
 ( ・д・)つ☆パーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーンパーン
  ⊂彡☆))Д´) >77
82being:03/12/11 02:18
●第十節(T巻p117〜130)
■現存在への探求とデカルト
・現存在をめざしてきた、さまざまな探求は、その事象的な成果にも
 かかわらず、本質的な哲学的問題を見過ごしていた。
・デカルトは、「我思考ス、我存在ス」の発見に、「我存在ス」が、
 「我思考ス」と同じく根源的な発端に置かれていることを、完全に
 論究しなかった。
・現存在の実存論的分析論は、「我存在ス」の存在に対する存在論的
 な問いを設定する。
・主観その他の名称が使われているときには、何故か、そのように
 表示された存在者の存在を問う必要性が欠如していた。

■生の哲学
・「生の哲学」には現存在の存在の了解をめがける傾向が潜んでいた。
・しかし、「生」自身が、ひとつの存在様式として存在論的な問題に
 ならなかったのが、その「生の哲学」の原則的な欠点である。

(続く)
83being:03/12/11 02:20
■人格
・人格はいかなる事物的な実体的な存在ではないし、対象でもない。
・人格は志向的作用の遂行のうちで実存する。
・それらの諸作用は一つの意味の統一によって結合される。

■人間学
・人間学の不十分な存在論的基礎に関しては、人格主義も生の哲学も
 見落としている。
・ギリシア的定義と神学的手引きが暗示するのは、「人間」という
 存在者の本質規定に耽っていたため、この存在者の存在への問いが
 忘却されていて、自明なもの、事物的に存在しているものとして
 把握されていた事である。

■生命
・生命は一つの存在様式である。そして近づきうるのは
 現存在のみである。
・生命は、事物的存在でもなく、現存在でもない。

(第十節要約終了)
■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
人間学への指摘が面白い。そして、生命が一つの存在様式であるとい
うのも面白いというか、不思議です。生命≠現存在。しかし、近づき
うるのは現存在のみ。どうしても生命と聞くと、天国みたいなところで
生きている動物とか、裸の人間が思い浮かぶ。このような考え自体が、
ハイデッガーが批判していたことなのか?生命である。ということを
問うとは・・・。ドイツ語ができないので英訳のBeing and timeを
参照しようかどうか悩んでいます。
84being:03/12/12 21:12
●第十節(T巻p130〜134)
■日常性と未開性
・日常性は未開性とは合致しない。
・日常性は、現存在の一つの存在様態である。
・未開の現存在も、非日常的な存在という自身の諸可能性・種別的な
 日常性を持つ。
・未開の現存在へと、分析の方向を定めるのは、現段階では積極的意義を
 持たない。

■民俗学と諸学
・民俗学が、様々な仕事をしているさいに、すでに人間的現存在の
 一般についてのある特定の予備概念を持つ。
・これは諸専門分野にも妥当する。
・民俗学は、現存在に関する或る手引きを前提としている。

(続く)
85being:03/12/12 21:12
■哲学を悩ます課題。
・この分析論の課題は、「自然な世界概念」という理念を完成させる
 ことである。
・この問題は長いこと哲学を悩ましていた(しかし、ハイデッガーは
 後年、悩ましていない!と記す)

■世界と現存在
・様々な文化や諸存在形式等の知識を用い、あらゆるものを比較・類型化
 することは真性の本質認識へと到達する事を意味しない。
・世界一般についての明示的な理念が必要である。
・「世界」自身は現存在の一つの構成要素である。
・ならば、世界現象を概念的に完成させるには、現存在の諸根本構造への
 探求を必要とする。
(第一篇・第一章要約終了)

■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
この章によって、これからの学的解釈を正しい軌道にのせられる
事ができた。個人的には、「未開性」に引っかかった。未開の現存在は、
また、時間分析(世界時間等の箇所)のところでも登場するので、
記憶しておく。次章からハイデッガーの分析が始まる。一度序論の内容を
確認したほうがよさそうですね。
86being:03/12/12 21:15
すいません!!今の要約は、第十一節の要約でした!!
推敲不足でした。以後気をつけます。
すみません。
87考える名無しさん:03/12/13 08:33
がんがれ
88考える名無しさん:03/12/13 22:51
俺も言っとこ
ゆっくりでもいいから、がんがれ
89考える名無しさん:03/12/14 21:35
フセイン身柄拘束
90being:03/12/15 22:57
■■■ 第一部・第一篇・第二章 ■■■
(T巻p135〜153)
●第十二節

■現存在の存在機構
・現存在は、おのれの存在において了解しつつこの存在へと態度を
 とっている存在者なのである。
・実存している現存在には、本来性と非本来性という区別がある。
・それらの可能性の条件として、常に私のものであるという性格が属す。
・現存在の諸存在規定は、世界内存在という存在機構に基づいて、
 ア・プリオリに見て取られ了解されなければならない。
・現存在は、自身の固有な存在を、「事実的な事物的存在」という意味で
 了解している。
・現存在のそのものとしての存在している現存在という現事実の事実性
 現存在の現事実性とする。
・世界内存在には、統一的現象が暗示されている。

■世界内存在
▲この世界内存在で暗示されている現象学的実状は三重の観点をもつ。
1:「世界のうちで」という契機。
2:そのつど世界内存在という仕方において存在している存在者。
3:「内存在」そのもの。
・世界内存在という機構だけでは、現存在の存在をその内実を規定しき
 られない。
91being:03/12/15 22:58
■存在機構・実存範疇としての内存在
・内存在とは、他の存在者の内にある存在者の存在様式である。
 それは、相互の存在感系である。それは、家に住む等親しんでいる
 ことや、或る事を手がけている、関係している事である。
・内存在は、現存在の一つの存在機構であり、一つの実存範疇である。
・世界内存在が現存在の、本質上の存在機構ならば、内存在は、
 それを形式的に、実存論的に表現したものである。

■『気遣い』
◎内存在は配慮的な気遣いという存在様式として在る。
◎この語は、実存範疇として、なにか可能的な世界内存在の存在を表示する
 のに用いる。
◎現存在の存在は、『気遣い』である。

■現存在と気遣いと関係
・世界へと関係している現存在の存在は本質上配慮的な気遣いである。
・世界内存在として存在するために、世界と関係することができる。
・存在的にも存在論的にも配慮的な気遣いとしての世界内存在が優位をもつ。
・世界内存在は、ある意味自明な現象(この表現でいいのか?)である。
・現存在は、世界内存在という存在機構を熟知している。
(第十二節要約終了)

■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
気遣いが出てきた。これは重要。しかし、世界内存在、内存在等
語の規定で混乱する。とりあえず機構なのだから、なんらかを可能にする
カテゴリーとして世界内存在を理解する。世界内存在を現象と表現して
よいのだろうか?

92being:03/12/15 23:04
>>87-88
ありがとうございます!!
独学の自分にとってその言葉はとても励みになります。

先日、大学生協でハイデッガーの「形而上学入門」「ニーチェ」を立ち読みしていたら、
「存在と時間」理解の向上に繋がるなと思い、悩んだ末「形而上学入門」を購入しました。
とりあえず最初のページを読んで思ったのが
講義の口調で「存在と時間」を書いて欲しかったということです・・・。
93考える名無しさん:03/12/15 23:25
>>92
講義の口調で「存在と時間」を書いていたら
20世紀最大の哲学者の称号は得られなかっただろうな。
94being:03/12/15 23:32
>>93
確かにそうですね。クルーグマンの経済書のような「存在と時間」は
読みたいようでちょっと読みたくないですね。
95考える名無しさん:03/12/15 23:46
>>94
ジョージ・スタイナーの「メルティン・ハイデガー」は読んだ?
ハイデガー哲学における文体の重要性について鋭い指摘があるよ。
96考える名無しさん:03/12/15 23:47
メルティンって誰だよ。マルティンです。
97being:03/12/16 00:21
>>95
いやまだ読んではいません。
立ち読みはしてみたんですけど、もう少しハイデッガーに対して自分なりの態度を
決めてから読もうと思っています。
ただ文体に関する指摘には興味があります。
う〜ん。やっぱ今度買ってみます。
貴重な情報ありがとうございます!
98being:03/12/18 21:42
●第十三節(T巻p154〜162)

■世界認識、そして主観客観と認識の発端
・世界内存在が現存在の根本機構で、その当の現存在が日常性という様態で活動して
 いることは、世界内存在も存在的に経験されていることを示す。
・「世界認識という現象」、この認識の発端に「主観と客観との間の関係」を置くこと
 は、空虚をそれ自身のうちに含む。つまり意味がない。
・主観と客観は現存在と世界に符合しはしない。
・認識作用は、肉体的固有性のような外面的に確証されるものではない。
・如何様に発端を置いたところで、問われる問いとは、「認識を営むこの主観の
 存在様式への問い」これである。

■認識作用と現象的実状
・認識作用は世界内存在としての現存在の一つの存在様態であり、その存在的基礎を
 この存在機構のうちにもっている(現象的実状)。
・現象的実状によって判然となったのが、認識作用自身は世界のもとですでに存在
 しているということのうちに先行的に根拠付けられていることであり、そのように
 すでに世界のもとで存在している事は、現存在の存在を本質上構成しているという
 ことだ。

(続く)
99being:03/12/18 21:43
■配慮的な気遣いと現存在と世界
・世界内存在は、配慮的な気遣いとしては、配慮的に気遣われた世界によって
 心を奪われている。
・認知作用は、或るものをそのものとして、語ったり論じ合ったりする
 遂行様式を持つ。
・現存在は、暴露されている世界において出会われる存在者のもとで存在している。
・認識を営むのは世界内存在としての現存在自身であり、そのままとして外部
 にとどまっている。そして、その認識作用において、世界へと関る一つの新しい
 存在の現況を獲得する。

(第一部・第一篇・第二章・第十三節要約終了)
■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
認識と主観―客観の問題がわかりづらかった。要するに主観と客観を現存在と世界
に一致させようとすると認識への問いに誤認が生じる。
そうではなくて認識は世界のうちで世界内存在としての現存在に先行的に備わって
いることだと理解しました。
100考える名無しさん:03/12/18 21:52
ちっ
101考える名無しさん:03/12/18 23:53
>認識と主観―客観の問題がわかりづらかった

現象学を勉強するといいよ。竹田の「現象学入門」がお勧め。
2ちゃんではとかく馬鹿にされがちな竹田だがこれは名著だと思う。
102being:03/12/19 00:35
>>101
ありがとうございます!!
実は竹田青嗣さんの「現象学入門」谷徹さんの「これが現象学だ」
を読み終わって、今は新田義弘さんの「現象学とは何か」を読んでいます。
主観―客観問題に関しては、上記の本のおかげで多少理解できるようになりました。
が、まだまだ付け焼刃だと思うので、フッサールの現象学の勉強も同時平行
で行っていきたいです。「現象学入門」ではこの問題に結構ページを割いていたの
でとても助かりました。もう一度該当箇所を読んでみます。
103考える名無しさん:03/12/19 00:38
>>102
ギチギチにやってへばんないようにね。
「適当に」手を抜いても誰も非難しない。
104being:03/12/19 00:45
>>103
ありがとうございます。
無理せず、まったりとやっていきます。
105考える名無しさん:03/12/19 00:49
>>102
あら、既に読んでたのね。余計なお世話だったかな。
じゃあ次は「イデーン」に挑戦だ!
106being:03/12/19 01:02
>>105
余計なお世話じゃないですよ。とても励みになります。
「イデーン」はまだまだ僕には荷が重そうなので、
もう少し勉強してからにしたいです。
まったりやっていきます。
107考える名無しさん:03/12/19 01:34
おう!まったりがんばれ
108考える名無しさん:03/12/22 14:13
息抜き程度だがほぼ日刊イトイ新聞の
「コンビニ哲学」もおすすめ
いろいろエピソードとか書いてあっておもしろい
109考える名無しさん:03/12/22 18:33
ハイデガー読むならソクラテス以前の哲学者たち、アリストテレス、
カント、ヘーゲルを読んでいないと駄目ですか?
110考える名無しさん:03/12/22 21:29
>>109
そんなこと言ったらキリない。読まなくても問題ない。読んだら読んだで何かプラスになるだろうし。
111being:03/12/26 19:23
■■■ 第三章 ■■■
●第十四節(T巻p163〜172)

■現象としての世界
・世界を現象として記述するとは、世界の内にある存在者に即し、おのれを
 示すものを見えるようにさせることである。存在者の外見を描写したり、
 語ることは、現象学的には重要ではない。この論述の目標はあくまで「存在者」
 ではなく「存在」なのだ。ゆえに世界の内で事物的に存在している存在者の存在を
 提示、それを概念的に範疇的に把握しなければならない。

■現象としての世界の論究の主題
・この論究を進めれば、自然を主題に取り上げる事になるが、それでは「世界」という
 現象に出会うことはできない。自然はそれ自身一つの存在者だからだ。
 主題になるべきなのは存在者の「存在」である。
・あらゆる学的解釈も「世界」が前提されている。

■世界一般の世界性
・われわれが論究する世界とは、世界一般の世界性なのである。
・「世界性」とは一つの存在論的概念であり、世界内存在の一つの構成的契機の構造を
 指す。
・世界性は実存を可能にするのだ。

(続く)
112being:03/12/26 19:24
(続き)
■世界と現存在と環境世界、そして各種述語規定。
・存在論的には、「世界」は現存在自身の一つの性格である。
・世界とは、われわれという「公共的」な世界や「おのれのもの」である親しんでいる
 環境世界を指す。
・世界的とは、述語的に現存在の一つの存在様式を指す。世界の「もとで」事物的に
 存在する存在者を世界帰属的・世界内部的と名づける。
・自然としての存在者を現存在は、おのれの世界内部的存在者の存在の一つの様態
 においてしか開示・暴露・出会うことはできない。この認識作用は、非世界化という
 性格をもつ。

■世界性の構造から環境へ
・日常的現存在の最も親しみ深い世界は、環境世界である。この「環境」のうちに
 空間性への或る指示を含むが、これは世界性の構造から解明されるべきである。

■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
中公クラシックスでは、「最も身近な」とか家庭的な(環境)世界としているが、
個人的には「親しむ」とか、世界との「関係」を強調したり、意識したほうが
良い気がしました。
「最も身近な」「家庭的」とかだと「存在者」を意識してしまうのでは?
理由としては弱過ぎですね・・・。この辺に注意して読んでいきたいです。
113考える名無しさん:03/12/27 12:33
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!
114being:03/12/28 22:00
■■■ A 環境世界性と世界性一般との分析 ■■■
●第十五節(p173〜188)

■交渉
・日常的世界内存在を、世界の内での、世界内部的な存在者との
 「交渉」と名づける。この交渉の最も身近な様式は、従事しつつ使用
 しつつある「配慮的な気遣い」である。これには固有の認識が存する。
 現象学的な問いはこの様式のうちで出会われる存在者の存在に向けられる
・存在についての解釈作用は、存在了解を自主的に遂行することであるが、
 この存在了解は、現存在に属しており、存在者との交渉のうちで生き生き
 としている。

■或るものを或るもののためとしての「道具」
・配慮的な気遣いによって出会われる存在者を道具とする。
・道具は単独で存在しえない、道具の存在にはなんらかの道具全体が属す。
・「手段性」のさまざまなあり方が、道具全体性を構成する。
・道具は、その道具的性格に応じて、他の道具への帰属性を基礎にし、
 そこから存在する。個々の道具に先立って、そのつどすでになんらかの
 道具全体性が暴露されている。
・使用しつつある交渉においては配慮的な気遣いは、その時々の道具に
 とって構成的な手段性に服従している。
・「それ自体としての道具のあり方」という存在様式を道具的存在性とする。


115being:03/12/28 22:00
■配視
・道具との交渉は手段性の指示の多様性に服従するといった適応を見抜く
 視が『配視』である。

■道具との関係・世界
・暴露された「環境世界」とともに出会われるのは、このように暴露された
 「自然」である。
・製品とともに出会われるのは、道具的存在者だけではなく、現存在も妥当
 する。作製されたものはこの存在者の配慮的な気遣いのうちでこの存在者
 にとって道具的に存在する。
・道具的存在者の存在様式が道具的存在性である。
・道具的存在性は、「それ自体で」存在する存在者の存在論的、範疇的規定
 である。

■総計としての世界?
・世界内部的存在者をかき集めれば、「世界」が出来上がるわけではない。
 そういう存在者を認識するときにすでに「世界」前提しているのにだ。

■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
いよいよごちゃごちゃしてきた。とりあえずハイデッガーの言い回し
に惑わされないように「道具との関係・出会い」「のための道具」を
常に念頭に置きながら読みました。ドレイファスという学者は、このあたり
に注目しているみたいらしいが、書店で立ち読みした限りでは、古東さん
以上に独特の読み方だなあと思いました。
116being:03/12/28 22:09
一部変な日本語がありますが勘弁してください。
講談社現代新書の「ハイデガー=存在神秘の哲学」 古東哲明著
を読みました。かなり面白い読み方でしたが、「存在と時間」を読む前に読んでいたら
やばかったですね・・・。ウィトゲンシュタインからハイデッガーに入った僕にはしっくりく
る読み方なのは確かですけど。

117考える名無しさん:03/12/30 17:36
物理的な在り方は道具的な在り方の欠如態
118考える名無しさん:04/01/01 18:23
あけましておめでハイデガー
119まゆ ◆zuR5mPABII :04/01/01 18:30
ハイデガーって、読むのに、みょーに苦労するのは、あたしだけ?
不必要に分かりにい表現だと思うのは、あたしの被害妄想?
120考える名無しさん:04/01/01 18:33
20歳そこそこの浅田彰はハイデガーなんて寝転びながら読む本だ
と言ってたけど。
121まゆ ◆zuR5mPABII :04/01/01 18:46
>>120
マジ!? すごいわね。

というか、どういう意味で言ったのかしら。

あたしも、読むのには苦労しましたが、表現が難解なだけで、
内容について言うならば、浅田さんと同じ感想を持ちましたが。
それなりに面白かったけど、そんなたいした事言ってない。

あたしが正しい理解をしてないだけかもしれないですが。

というか、あたしは、存在と時間しか読んでないので、
あんまり大きなことは言えないのですが。
122考える名無しさん:04/01/01 19:12
>>116
どういうこと?
読み方が狂わされるってことですか?
123q1nu&:04/01/01 19:20
存在論の歴史の解体という具合に読めれば正統な解釈らしい。
124考える名無しさん:04/01/01 21:24
ハイデガーちゃんとやれば浅田なんてちょろいよ。うふふ
125まゆ ◆zuR5mPABII :04/01/01 21:26
>>123
そうかぁ?
その「正統な」ってのは、いかがわしいなぁ。
126考える名無しさん:04/01/01 21:33
まゆさん、まゆさん!!
自称留学生なら時差を考慮に入れて書き込まないと!
現地時間は何時ですか?プッ
127考える名無しさん:04/01/01 21:34
解体だね。

デリダは
ハイデガーが『存在と時間』で使ったDestruktion〔解体〕
をフランス語deconstruction〔脱構築〕に訳したんだね。
128being:04/01/01 23:54
「存在と時間」の文章は哲学センスが、満ち溢れているいますが、それを
表現しきる論理が・・・。
読む人間がハイデガー並の知識を持っていたら
スイスイ読めるのは確かでしょうね。ただ、そのレトリックに圧倒されて
「ああ、きっとハイデガーはこんな感じの事を言おうとしているのかなあ・・」
という気になるのもまた確かなことだと思います。
>>122
古東さんの本は素晴らしいと思いますが、「存在と時間」を読む前に読んでいたら
多分僕は、お腹いっぱいになって実際に読んでいなかったのではと感じました。
読む根気を叩き折られかねないなあと思いました。人それぞれですね。
>>123-125-127
確か下書き段階の「ナトルプ報告」を読むと、存在と時間の狙いは西洋哲学史を貫く
不自然さのようなものをひっくり返すのが狙いと解るらしいですね。
この「報告」を読む前にこの狙いを見破っていた木田元さんはすごいですよね。
129考える名無しさん:04/01/02 01:31
私も、ゆえあって『存在と時間』(ちくま学芸文庫版)を読んでいます。
哲学とは異なる分野の学生なので、哲学は知ったかレベルです。
とりあえず、18節まで読んだのですが、とくに16節以降が難しくなって
きた(というかピンと来ないというか)印象があります。
続きを楽しみにしていますので、がんばってください。
130考える名無しさん:04/01/02 07:37
実存哲学の書として読んじゃうよね
131考える名無しさん:04/01/02 08:34
小さい頃から存在への疑問を抱き続けてきました。その根源を考えると激しく動揺し、
奇妙な感覚に打ちひしがれて・・大学でこの書と出会いました。こんな書があったのか!
といたく感動しました。
 それに存在や死をめぐる著作がこんなに膨大に蔓延しているなんて全然知りませんでした。
あの苦悩していた時期にもっと早く出会っていればよかった・・。
 ただ、存在と時間を読み始めたのですがなかなか進みません。言語としては理解できるの
ですが、感覚として理解できない感じです。ニーチェの著作の方は、言語としては
理解できないのですが、感覚としては理解できた気がします。
 今、ハイデッガーが読めないということに苦悩しています。
こういう時期ってあるものでしょうか?読みたいけど、体がうけつけないという変な
感じなのです。
132考える名無しさん:04/01/02 09:21
あるだろ
133考える名無しさん:04/01/02 11:30
>>132
レスありがとうございます。自分はもう読めないのかと少し絶望的でした。
今は距離をおいてみます。
またしばらくして挑戦してみます。
134考える名無しさん:04/01/02 11:51
ハイデガーのいう気分性の問題ではないの。
興奮してるときにハイデガーなんて読んでらんない。
135まゆ ◆zuR5mPABII :04/01/02 12:16
>>134
うまい。
136129:04/01/02 13:57
>>130
まさしく。あるいは精神分析の系譜とオーバーラップさせながら読んで
しまうのですが、これっていけませんか?だって書いてあることが
体験的にわからないんだもん。
>>133
私のようなものが書くのもなんなのですが、私もちんぷんかんぷんで
投げ出した時があります。現象学について予備知識を得たら、理解が
楽になりました。って「もう知ってるよ」ならすみません。
137考える名無しさん:04/01/02 14:12
>>136
いえいえ、現象学についての予備知識なんて全くありません・・。
アドバイスありがとうございます!
セックスは気持ち良い( ̄ー ̄)
そして相手を包み込める( ̄ー ̄)
そして包み込まれる( ̄ー ̄)
あ〜 気持ち良い( ̄ー ̄)
今君は僕に必死( ̄ー ̄)
僕も君に必死( ̄ー ̄)
これがセックスなんだ( ̄ー ̄)
そうだ、横で寝てる君もおいでよ( ̄ー ̄)
3人でしよう( ̄ー ̄)
なんなら君も来るかい?( ̄ー ̄)
みんなでしよう( ̄ー ̄)
それがセックスなんだ( ̄ー ̄)

☆キキ+キ゚Д゚♪の天才哲学しか必要無い!
天才に触れたかったらこのスレに来い!

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1072621760/

みんな言い訳するのに必死になるからな( ̄ー ̄)
天才が2ちゃにいるってケースは初めてだからな( ̄ー ̄)

そろそろ考えるという戦いをしたらどうだ?( ̄ー ̄) 二ヤリ
139考える名無しさん:04/01/03 18:24
日常的現存在の分析のところは現象学の実践として見事
惚れ惚れする
140being:04/01/03 19:12
●第十六節(T巻p189〜199)

■世界
・世界内存在の日常性には配慮的な気遣いの諸様態がありそれらは、
 世界内部的なものの世界適合性が現われ出てくるように、配慮的
 に気遣われた存在者を会わせる。

■道具分析を通しての世界
・道具が利用不可能だと暴かれるのは、使用しつつある交渉の配視のため
 である。
・目立つこと等の諸様態は、道具的存在者に即して事物的存在性という
 性格を現す機能を持つ。
・道具的存在性は、その存在者との交渉において、非主題的にせよ、
 了解されている。
・道具としての道具的存在者の構造は、指示によって規定される。
・道具連関は、配視のうちで最初からすでに看取されていた全体として
 閃いてくる。
・世界は道具的存在者のみでは成り立たない。

■現存在が存在している、しなければならない世界。
・世界内部的存在者の自体存在は、世界現象を根拠として存在論的につかむ
 ことができる。
・世界とは現存在がそうであるとき、つねに「そのもとで」存在していた
 何かであり、現存在がそうであったときには、すでに設定されておる
 何かである。
・配慮的な気遣いは世界との何かしらの親しさを根拠として、己が存在して
 いる通りに存在している。

■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
道具的存在者の分析そのものに惑わされてしまう。ハイデッガーが
何を目指しているのかを常に意識しながら読みました。
そして、それは世界という現象の分析かなあと思いました。
141考える名無しさん:04/01/07 20:12
なんでハイデガーはナチスを支持しちゃったの?
142考える名無しさん:04/01/07 20:48
ハイデガーはプラトン以来の西洋の形而上学を克服しようとしており、
ナチスにその希望を託した。当時のナチスには文化の転回点となりうる
力と勢いがあるように思われたからだ。偉大なる総統の指示の元に
新たな文化の創造を目指すナチスを「無冠の帝王」である自分が
サポートすれば、それは可能である様に思われたに違いない。
しかしハイデガーは所詮大学教授。現実の政治力学の前では
無力だった。またナチスも変わった。レーム一派を粛清し、国内の
巨大資本と結びついたナチスはハイデガーが期待していたナチスとは
全くの別物になってしまった。そうしてハイデガーはナチスを去った。

かなりハイデガーに好意的な見方をするとこんな感じかな。
根っこが保守オヤヂだったから(笑
144考える名無しさん:04/01/07 21:04
ハイデガーに明らかに不利な点てなんかあんの?
俺は『存在と時間』は上巻の教会の構造云々のところでメゲ
た。それまでは引きずり込まれるような面白さがあったん
だが、あの部分でハイデガー個人の世界観が自然主義的で
はないことに気付いてね。
ハイデガー的な哲学を上手に消化してるのは、日本人の弟子
の三木清かな? 岩波新書の哲学入門では、ハイデガー風の
倒置的な思考展開を上手に真似てる。
146考える名無しさん:04/01/07 21:22
>>145
よそで存分に自然主義やってくださいよ・・・
自然主義的態度は脱イデオロギー的思索の為には重要だと思うが?
ハイデガーは鈴木大拙の禅エッセイに親しんでいたし、三木は大拙
の半分、弟子みたいなものだった。気脈の通じるところはあるだろ
うね。
148考える名無しさん:04/01/07 21:38
>>144
フッサールの図書館の利用を禁じた
外聞の悪い話は幾らでもあるな。反ユダヤ主義的であったのは
確かだろうね・・・。

>>1
あ、『存在と時間』の翻訳は、細谷訳の理想社の大版がベスト
だと思う(筑摩から文庫で出てるけど)。余談ながら、俺は
ハイデガーはヤスパースと対で考えるべきだとも思う。
150考える名無しさん:04/01/07 22:04
京都学派が大東亜戦争に近代の超克という意味づけを与えちゃうのと
関連あるんでしょうか。
ここでは余り関係の深い話題ではないかも。ちなみに大東亜戦争が
アジアにおける列強の植民地支配に終止符を打ったのは、結果論に
過ぎないからね。三木は、戦時中は御用哲学者めいたこともしてた
が、一方で、共産主義者の逃亡を手助けしたカドで獄中死。
『存在と時間』以後のハイデガーの著作には、自然の風物についての
メタファーが多いのも事実だが。やっぱナチズムに懲りたか?w
153考える名無しさん:04/01/10 01:10
>>152
懲りたのかも知れないが一概に「反省」ってことのみで括るとどうだろう。
最初からハイデッガーのテーマは「存在」のみ。
文明が用在(道具的存在)を超えてひとり歩きを始めたことに対しての危惧から彼の思想は始まったわけだし、今振り返ると、ふる里(人間の故郷)への希求の念だけが原動力だったように思う。

ところで、覚めた言い方をすれば、「存在と時間」のきっかけになった現象学って一体何?
結局、主-客対立を人間社会の浪花節で慣らしただけじゃないのか、とも思う。
そもそも、現象学という学問の厳密さ自体あやしい。
「生活世界」や「歴史性」みたいな人間の粘着性から逃れられない時点で、科学としてはオワリな気がする。

日本の現象学者も、結局、論理の「循環」で、激しく低レベルな「主ー客対立」の次元に戻ってるし。
154考える名無しさん:04/01/10 01:23
ハイデガーは元、教会の修道士。そこに百姓的感性が加わった人だ。
現象学は手段に過ぎない。
現象学はフッサ−ルがいなかったら成立しなかった分野だろね。

>日本の現象学者も、結局、論理の「循環」で、激しく低レベルな「主ー客対立」の次元に戻ってるし。

これも、フッサール自身がそんな感じだった。イデーンも完結していないし。最後は「危機書」の
総体的な文明評論で終わってる。「認識」とは、フッサールにおいては「物を見ること」、ハイデ
ガーにおいては「物があること」とか、俺は言ってっけど。
156考える名無しさん:04/01/11 16:34
論理の循環こそ思考の祝祭だってハイデガーが言ってた。
157ファリアス:04/01/11 18:29
ハイデガーの言うことなんて聞いちゃいけません
ナチですよ!
158考える名無しさん:04/01/11 21:35
>>157
彼が後の思想界に与えた影響を知ってるか?
聞くなと言っても、彼の思想は思想界全般に浸透しきってるが w
>>156
マジメに受け取ると、クルクルパーになるぞ。
>>154
「私は一箇の神学者に過ぎない」って言葉、聞いたことあるが、
その話は初耳だな。マジ?
161being:04/01/11 23:16
最近要約をさぼってばっかですみません。テスト中というのもありますが、
最近ハイデッガーの用語について考えていました。僕はドイツ語はまったく解らないので
論外かもしれませんが。
ハイデッガーの問題は独語や英語だと発生しやすい問題かなあと思いました。
英語では、「・・がある。」と「・・である」の両者、つまり事実存在と本質を表すのには「S be動詞・・」で事足ります。
一つの表現に二重の意味があるので、ハイデッガーのように隠蔽されたものを明るみへという考えはよくわかるのですが、日本語だとこの種の隠蔽はまず起きないですよね?
だからと言って日本人はハイデっガーを理解しやすいなどど言うつもりはありません。
それにプラトンやソクラテス以前の哲学者を無視しているわけでもないです。
すいません。考えがめちゃくちゃなのは承知しているのですが・・・この辺は少し考えておいたほうがいいかなあと思いました。
あとレヴィナス・サルトル・西田幾多郎とハイデッガーとの繋がりが
気になっています。あとはキルケゴールですね。この辺の勉強もぼちぼち同時並行でやろうと思います
ナチスの問題・ハイデッガー的現象学に関してはいろいろ僕も意見がありますが・・・。
これもそのうち纏めておこうと思います。すみません。もう少し時間をください。
162考える名無しさん:04/01/11 23:21
サルトル ハイデガーの哲学を間違えて解釈→存在と無
163考える名無しさん:04/01/11 23:42
カール・バルトも読めよ
164考える名無しさん:04/01/11 23:56
>>162
こういうロクに原典を読みもせずに、
聞きかじりの知識を嬉々として披露する
アホの子がいるから哲板が駄目になるんだ。

根拠がハイデガーの「ヒューマニズムについて」内で
行われたサルトル批判であれば、これはハイデガーの方にも
誤解がある。というのも、この批判はサルトルの講演
「実存主義とはヒューマニズムである」の内容に対して行われたものだが、
そもそも「実存主義とはヒューマニズムである」はかなりの通俗化が
なされており、存在と無の内容を正確に伝えているとは言いがたい。
実際サルトルも後年自己批判している。
むろん不用意な表現を用いたサルトルに責任の一端が無いとはいえないが、
それにしても二人の差はもっと根本的なものと言って間違いない。
例えばサルトルがコギトの記述からはじめているのを誤読からとするのはあまりにも強引過ぎる。

いや、事態はむしろもっと複雑で、ハイデガーとサルトルは基本的に同じ洞察、
すなわち「"存在の意味"はあったとしても"意味の存在"に意味はない」という直観から出発して
いるようにさえ思われる。現にハイデガーははじめサルトルの存在と無を読んで
「これほどわたしの思想をうまく捉えている本はない」と絶賛したそうだ。
(ソースは忘れた、確かハイデガーを特集した雑誌風の本)
しからば、なぜハイデガーは現存在から、サルトルはコギトから
出発しなければならなかったのかを問わなければならないのは明白だろう。

それでもサルトルはハイデガーを間違えて解釈したと言うならちゃんと説明してくれ。
ギクw ・・・どうもサルトルはデカルト主義的印象が強いからな(汗
「存在と時間」ってのは、三次元+時間軸で四次元の現象論的
空間(相対性理論みたいな)を表してると思うんだが、「存在と無」
だと、単なる二項対立にしか見えないしなぁ。・・・ま、ハイデガー
自身がそう言ってるんなら、それでも構わないんだろが。
167考える名無しさん:04/01/12 00:33
>>166
ハイデガーがどこでそんなことを言っているのか御教示願いたい。
三次元という言葉で表されるような形式的客観的な空間概念を
用具性の分析で批判したのがハイデガーじゃなかったのか。
時間軸なんていうものを安易に設定せずに、「時間のうちに在るとは
いかなることか」と問いかけ記述したのがハイデガーじゃなかったのか。
そもそも時間を軸みたいな数学的線で表現しては
ゼノンのパラドクスに正面からはまってしまうだろうが。
存在と無を単なる二項対立としてしかとれないのはもう論外。
つーか現象論的空間てなんのことかわからん。説明してくれ。
俺流の解釈だからな。延長と距離の違いの概念については上巻
で述べてた記憶がある。
ゼノンの「静止する矢」パラドクスは昔、解決したっけ。あれ
は、区間距離が半分になるごとに移動時間も半分になる。時間
項を落しているからパラドクスに見えるだけで、つまるところ、
あの命題が言っているのは、距離(正確には延長)というのは、
無限に分割可能ですよ、ということを述べているだけってこと。
現象論的空間というものを理解したければ、やっぱ宮澤賢治の
『春と修羅』の序文を穴が開くほど繰り返し読むことだな(ゲラ
あの文章が書かれたのは、丁度、アインシュタインの来日した
時期でもあった。
・・・用具性の問題ってのは、身体論の一種かな?
171考える名無しさん:04/01/12 11:38
用具性ってのは指示関係のことだぞ
Zur-はもともと方向性を示す
172おじさん:04/01/12 14:55
50を過ぎたおじさんが、仕事の都合で2チャンネルをフラフラしてたら
このスレッドを見つけました。
そう言えば、昔、世界の名著で「存在と時間」に手垢だけは付けた記憶があり、
朝からまず、昔の本を本棚から探して、最初の方、beingさんの要約を参考に
しながら読みなおしを始めております。(もうこんな時間!)
ついでに出てきたのが、仕事でアメリカにいたとき、某大学の教科書売り場で
見つけた英訳本、24ドル95セント、当時の給料からすると、そんなに高くは
ないので気楽に買って、ヒマにまかせて読んでいたらしく、ごちゃごちゃと書きこみ
をしてあります。(Translated by John Macquarrie & Edward Robinson,
HARPER & ROW)
ビジネスのドイツ語は読めても、専門的な哲学書を読むだけの語学力はありませんので、
このスレッドをお借りして、自分なりの読みなおしをしていきたいと思っております。
どこまでついていけるかわかりませんが、読者として途中から参加させていただきます。
よろしく。
173考える名無しさん:04/01/12 16:36
>>172
世界の名著の存在と時間は改訂版が出てますよ(・∀・)ニヤニヤ
174考える名無しさん:04/01/12 17:25
っていうか50代の人もこんな板に来てたんだ。すげー。
175考える名無しさん:04/01/12 17:32
オレもかなりおやじだが、50代で「存在と時間」と真直ぐ向き合える人って好きだな。

ウホッとか言うなよw
ウホッ!

>>171
あー、「方面」ってヤツね。空間概念を目的論的に解釈したってことじゃねえの?
177おじさん:04/01/12 19:58
173さん、ご忠告ありがとうございます。
beingさんの最初の書きこみを見て、近所の本屋で中公クラシックスの改訳版を
早速買ってまいりました。最後までたどり着く自信がないので、とりあえず第1巻
というのが情けないですが。(苦笑)
最初のあたり、2冊並べてみても、それほどの差はありませんけど・・・
ハイデガー自身の書き込みが訳注風についているところが大きな違いですか。
何より活字が少し大きいのが、老眼には助かります。これで、会社のコピー機を
使って、こそこそ拡大コピーする手間がなくなります。(大笑)
本棚、ひっくり返していたら、広島単身赴任のときに冗談で買った古東哲明氏の
「<在る>ことの不思議」という古本まで出てきました。
氏は広島大学で先生をやっておられるので、教科書にでもお使いになったのでしょうか、
哲学-1994年度後期試験という紙片が挟まっておりました。
試験問題はともかく、「自分の脳髄を濾過した生きた言葉を駆使しなさい」という
注には笑ってしまいましたが。。。
100円で買った古本、積読でしたので、ついでに並行して読むと面白そうです。
そうそう、172でご紹介した英訳本、巻末にGlossary of German Expressions
というのがあって、独英・英独の単語集となっており、これはなかなか便利です。
(英語の定訳というのはあるのかしら?)
あと、174さん、すみません、私、正確に言えば53歳、広島の古東氏と同い年です。
178考える名無しさん:04/01/12 21:16
僕の倍生きてる人がいるよ
179考える名無しさん:04/01/13 00:25
親が時間を間違え、娘が夜中に登校する 北京

発信: 2004/01/09 22:01:45

親が時間を間違え、夜中の1時に朝食を作り、
13歳の娘は2時に自転車に乗って慌てて登校
するという出来事が最近北京通州区で起こった。

その日の夜中2時、警官がパトロールをしていると、
暗闇の中から突然一人の少女が自転車に乗って
猛スピードで走っているのに出くわした。警官は
少女に何かトラブルがあったのではないかと思い、
急いで自転車を阻んだ。その際少女は「止めないで!
学校に遅れる!」と叫んだという。

停車した少女に警官が今は夜中の2時である事を告げると、
少女は腕時計を見た途端「ウァー!」と言って大声で
泣き出してしまった。少女によると、彼女はいつも6時に起床し、
朝ごはんを食べた後7時前には家を出て登校していたという。

その後警官は少女を家に送り届けると、再び眠りに就いた
ばかりの両親は、茫然としてそれを迎えたという。
(訊)

180考える名無しさん:04/01/13 04:23
数学板にも50代の人とか普通にいるよ。
年齢なんて関係ないね。
181考える名無しさん:04/01/13 05:18
おやじ狩りでもするか
少年老い易く、学成り難し。ボヤボヤしてちゃ駄目ですYO!
木田氏も『ハイデガーの思想』で下敷きにしてるけど、ジョージ・スタイナーの
『ハイデガー』、解説としては良いカモ
184考える名無しさん:04/01/14 05:24
スタイナーの自伝読んだ人いる?
あー、出てたな。日本の友への伝言みたいなの、あったっけw
186考える名無しさん:04/01/14 20:03
院生ってまじでオタクそのものだな。
187考える名無しさん:04/01/14 20:12
いきなり何を言い出す
アングロサクソン流のハイデガー解釈って、スマートだね。
189考える名無しさん:04/01/14 20:36
アングロサクソンにかかったらハイデガーもプラグマティスト
どっか、そんな感じはある。もっともスタイナーの評論では
(『ハイデガー1991』)、第一次大戦後の楽観的進歩主義の
終わった西欧の終末論的雰囲気の中での『存在と時間』の位
置付けをしてて、なかなか迫力がある。
191考える名無しさん:04/01/14 21:03
ドレイファスの解釈ってどうなの?
わかりやすくて好きなんだけど。
192考える名無しさん:04/01/14 21:28
>>190
結局ハイデガーはキリスト教徒ってこった
終末論つながり
今、調べたら「ハイデガー1991」は89年に書いて付けた
タイトルのようだな。あの文章自体が預言書みたいなもんか。
・・・スタイナーはユダヤ系だっけ、ちなみに。
195考える名無しさん:04/01/14 22:18
スタイナーはユダヤ人
あー、そういや俺は「ユダヤ人」って呼び方、ナチ臭くて余り好きじゃないな。
岩波の本でも「オーストリア系ユダヤ人(つうことはヴィトゲンシュタイン
と同じってことだが)」って書いてあっけど、「ユダヤ系オーストリア人」の
間違いじゃねえのかね?w
197考える名無しさん:04/01/15 00:26
本物のナチなら蛆虫どもとか言うだろ
198考える名無しさん:04/01/15 00:37
没個性化されたコネコ↓ だけはナチ
シモーヌ・ヴェーユはナチがフランスを占拠して、自分が「ユダヤ人」なので
活動を制限された時、「ユダヤ人の定義を教えて下さい(つまり、何より自分
はフランス人であるということ)」と抗議した話はこの板でも既にしたが。
200考える名無しさん:04/01/15 13:18
このスレッド、没個性化されたコネコ↓が取りついてから感じわるくなったねー。

こういうふうにネタに流れたら面白くねーよw
結局読みたいけど読めない奴がこういうふうにネタ流しやってんだろうけどww
201考える名無しさん:04/01/15 14:00
>ネタ流し

202考える名無しさん:04/01/15 14:09
木田がいうように、存在と時間の目的はは存在一般の意味の究明だが、
相変わらずヤスパース流の人間存在の解明のみたいに感じちゃうマイ
哲学の香具師が残留してる。
存在論を勘違いしてるんだなw
世界とは、常に私の世界(世界内存在)なのであれば、
存在の意味を問いことと人間存在の解明は不可分だろ?
204考える名無しさん:04/01/15 14:20
>>203
存在論と現象学の結びつきがわからんから勘違いするんだよ。
205考える名無しさん:04/01/15 14:21
ネタ流しでほっつき歩くのに飽きれば、マイ哲学を垂れ流し。
マイ哲学の垂れ流しが飽きれば、ネタ流でほっつき歩く。


内容で負けるから、中傷で来たな(汗
207考える名無しさん:04/01/15 14:34
喧嘩も頽落の一つの形態だなw
203の言ってることは前期ハイデッガーの思考っぽい。間違いでは無い。
存在論の歴史的解体の実情は、ハイデガー個人の世界観の
再統合作業だったってわけで、前期がそれに相当して、終
わってみると後期の教祖ハイデガーが残ったってのは?w
後期ハイデガーはヤスパースの保護観察抜きには
語れないかも知れないが。
210考える名無しさん:04/01/15 14:45
てゆーか、存在と時間をちょっとかじって挫折した人はナニいっても
説得力ないよ。
このスレテーマに沿ったこと言えないの?
挫折はしてない、これ以上追っかけても仕方ないって感じただけさ。
『存在と時間』は良い本だ。その意義を正確に把握できればね。
212考える名無しさん:04/01/15 14:57
>>211
ここは「存在と時間」の意義を把握するためのスレだぞw
スレ違いついでにオレも質問していいかな?
211のオススメ哲学者を教えてくれないか?もちろんハイデッガー以降で。
213考える名無しさん:04/01/15 15:20
オレは哲学自体、これ以上追っかけても仕方ないなと思うようになってきたね。
哲学自体はいい学問だとは思うけど。
214考える名無しさん:04/01/15 15:34
>これ以上追っかけても仕方ない
こういうことを言ってしまうとき
当然相手を乗り越えられるような理解が前提されているわけだが
それはわかっているのかな?
ハイデガーに対して問題点が一つでも指摘できれば
そこがハイデガーに対する突破口になりえるわけで
このスレにとってもこれほど有意義なことはないと思うが。
215考える名無しさん:04/01/15 15:52
ハイデガー「批判」に対する突破口となるにしても、
やはり追っかけても仕方ないんだよ。
乗り越えても仕方ないんだよ。
216考える名無しさん:04/01/15 16:02
>>215
もちろんいいよそれでも。
そう思わざるを得ないような指摘ができれば、な。
勝手に自分理解で限界を作って「追っかけても仕方ない」じゃあねえ。
217212:04/01/15 16:16
ん?「没個性化されたコネコ」氏はどっか行ったのか?
話を聞きたかったのだが…
わしも最近読む哲学書が不作で…
218考える名無しさん:04/01/15 16:17
見限っていかないと、他に首回りませんから。
>>212
オレオレ
あー、アチコチで言ってるけど、小林秀雄の『考えるヒント』は
面白いな。皆、大抵、読んでるんだろうが。アタマの良いヤツの
文章読むと、アタマがスッキリする。まるっきりスレ違いだが。
221考える名無しさん:04/01/15 16:30
212に答えてやれよ。コネコ。
222天之御名無し仔猫:04/01/15 16:46
絡むなよw 前期ハイデガーなら『事実性の解釈学』かな?
ギュンター・グラスが『犬の年』でパロディやってたヤツ
(多分)。
223考える名無しさん:04/01/15 18:38
ウザいコテハンがわいちゃったな
誰かコテハンホイホイしかけておいて
>>212
あー、古い新しいは、あんまり関係ないかもな。時間(時代)を
越えた共時性みたいな感じかな? 「永遠の相」とか言うが。
225考える名無しさん:04/01/15 18:54
うぐいすの鳴きまねマダー?
226考える名無しさん:04/01/15 18:55
おじいちゃん院から脱走しちゃダメでしゅよ〜
馬鹿に付けるクスリはないのも、昔も今も変わらないな(笑
 ・・・根源的な思想というのは時代を越えた同時代性というものは
あるな。実存的な思索というのは、そういうもんだ。『存在と時間』
もしかり。
229考える名無しさん:04/01/16 11:29
あたりまえのことにいちいち言及しなくていいから。
230being:04/01/16 14:17
●第十七節(T巻p200〜213)
■指示と記号
・指示・指示全体性は、世界性自身にとって構成的である。
・「諸指示」がそこで見出される「道具」を私たちは、記号において
 眼前に見出す。
・記号はそれ自身道具であって、その種別的な道具性格は示すことである。
・あらゆる指示は関係であるが、あらゆる関係は指示ではない。
・関係自身は、その普遍性のため存在論的根源を指示のうちにもっている。
・示すこととしての「指示する事」は何かへの有用性に根拠をもつ。
・記号は種別的に「空間的」な世界内存在に差し向けられている。
・記号は道具全体を表立って配視のなかへと引き立て、そのため道具的存在者
 の世界適合性が自身を告げるようになる一つの道具である。
・記号として認められるものは、その道具的存在性を通路にして初めて近づける。
・記号は、道具的存在性、指示全体性、世界性の存在論的構造を暗示するものとして
 の機能を果たす。

■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
纏めるのが大変でしたが、この説のハイデッガーの分析はとても面白いです。
初読の時は、ほとんどスルーしていたのにです(初読の時まったくペンで線を引いていませんでした)
「あらゆる仮定を諸学から借りずに、事実的な、日常的な現存在の存在の分析」
まだ解らないことばかりですが、ハイデッガーの戦略のようなものが最近掴めてきた
ような気がしないでもありません
231being:04/01/16 14:41
>>172
こちらこそよろしくお願いします!ドイツ語ができるのはすごいですね。
僕は、英語で精一杯です。英訳本は僕も、購入を検討しています。木田氏の著書で
企投=projectというのを見て、俄然興味が湧きました。まったりと頑張りましょう。

他の方々からもいろいろな論点を出されましたが、今の僕ではちょっと・・・。
ただ、木田氏の指摘もありますが「存在と時間」の挫折の原因としては、
やはり最初に人間存在の解明に取り掛かったのも十分考えられるかなあと思いました。
いや、この分析とても面白いんですけどね。
ただやはり人間に主導権を渡してしまったが失敗だったのではという気もします。
ハイデッガーの狙いというか、センスからは逆の結果になったということでしょうか?これも良く考えときます。
232考える名無しさん:04/01/16 14:45
人間中心主義を人間の力で克服しようとするからだよ
>>229
当たり前のことでも、たまに言わないと忘れられちまうから(笑
>>231
進化心理学的観点が必要だったカモ
235考える名無しさん:04/01/17 01:14
ドイツ語が苦手とかいう以前に、ハイデッガーのドイツ語は独特だからね。
英語にしても、自分の経験でも、学生時代イギリス人の大学講師と哲学の話をした時に、ニーチェを「ニーツ」と発音するのでポカーンとしてしまった。
あと、自分も大学でドイツ語を始めたんで。最初の頃は訳書のフッサールを読んでも『フッセルル」とか書いてあって戸惑ったなあ…。
236考える名無しさん:04/01/17 09:59
アレント読んでますかー!
237考える名無しさん:04/01/17 13:07
14:50 ホスト「名無しさんが入室しました」
14:50 名無し「初めまして」
14:50 ユリ 「おこん〜☆」
14:50 マイ 「こんちゃっ!◎」
14:51 名無し「こんばんわ」
14:51 マイ 「そうだ、あれやんなきゃ!◎◎」
14:51 エリカ「よろしく〜^〜^」
14:51 ユリ 「仲良しビームッッ!!」
14:51 エリカ「あっ、そうだった!」
14:51 マイ 「なかよしぃビームゥゥ」
14:51 ホスト「名無しさんは退室しました」
14:51 エリカ「なかよしビーームッ!!☆☆」
15:03 ホスト「aaaさんが入室しました」
15:03 ユリ 「仲良しビームッッ!!」
15:05 ホスト「aaaさんは退室しました」
238考える名無しさん:04/01/18 19:07
と、いうことで、

終┃ 了┃ 終┃ 了┃ 終┃ 了┃ 終┃ 了┃
━┛ ━┛ ━┛ ━┛ ━┛ ━┛ ━┛ ━┛
239being:04/01/18 21:18
●第十八節(T巻p214〜230)
■■■ 適所性と有意義性、世界の世界性 ■■■
■道具的存在者と指示
・道具的存在者は世界内部的に遭遇する。つまり、当の存在者の存在である道具的
 存在性は、世界・世界性と存在論的関連をもつ。
・世界が道具的存在者を出会わせるとは、世界内部的に遭遇するものが、配慮的に
 気遣いつつある配視によっておのれの存在において明るみに出されるということ。
・@道具的存在者の道具機構は指示か?

■条件としての指示、適所性。
・特定の指示とは、何かのための有用性、有害性、利用可能性などである。
・有用性あるいは指示は、或る存在者が適性によって規定され存在することに
 ふさわしい条件である。
・@より道具的存在者は被指示性という性格をおびていることがわかる。
《重要》:道具的存在者の存在性格は適所性である。つまりこの存在者の存在がそれである。

■根拠、基盤としての適所全体性 ア・プリオリな適所
・どんな適所性がなにかの道具的存在者でもってえられるかは、適所全体性に基づく。
・或る道具的存在者を当のそれが、存在している通りに、それがそのように存在する
 ように、存在させるということ、このことが、『適所をえさせる』ということが
 存在的に意味している事である。《これは先行的に行われている?》
・「ア・プリオリ的な」な適所をえさえるとは、道具的存在者が遭遇されるための
 可能性の条件である。そのため現存在は、これらとの存在的な交渉(関係)におい て、当の存在者に一定の適用のもとで適所を与える。それは環境世界内部的な道具的存在性に向かって、先行的に開放されることでもある。
・適所性自身は、適所全体性がまえもって明るみに出されることを根拠としてのみ
 そのつど明るみに出される。
240being:04/01/18 21:19
■《場》としての世界という現象
・世界内部的に出会われるものの開放がそれへ向けて生ずるものを先行的に開示
 するとは、現存在が、つねにそれへと態度をとっている世界を了解していることである。
・現存在が自身を指示するという様態において、すでに先行的に了解している《現場》
 が、存在者を先行的に遭遇させる基盤であり、存在者を適所性という存在様式において遭遇させる基盤でもあり、『そのような《現場》が世界という現象である。』

■有意義化 有意義性
・指示作用の諸関連がもっている関連づけることを、有意義化するはたらきだと解する。
・有意義化の関連全体を有意義性とする。
・有意義性は、世界の構造である。
・開示された有意義性は、現存在の世界内存在の実存論的機構として、適所全体性が
 明るみに出される可能性の存在的条件である。

《補足》
@:道具的存在性、事物的存在性は、現存在という様式を取らない存在者の範疇である。
A:世界内部的存在者が明るみに出されうる可能性の存在的条件の存在=世界の世界性
  は世界内存在の、現存在の一つの実存論的規定である。

■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
現に開かれた、存在者が出会う場としての世界といったことが、さしあたって重要でしょう。
いよいよ分析が面白くなってきましたが、概念がごちゃごちゃしてきたのも事実ですね。
241おじさん:04/01/18 22:08
beingさん、18節まで進みましたね!
会社ボケした私には、ドイツ語が透けて見えるような翻訳文は、どうしても
すっきり頭に入りません。英訳本を横に置きながら読んでおりましたが、遂に
原文にあたった方が早いような気がして、本日、大きな本屋さんで購入して参り
ました。
机の上を片付けて、日本語・英語・ドイツ語の3冊が広げられる場所を確保する
ことから始まり(笑)、また第1節から読み直しています。
beingさんの「まとめ」、参考にさせていただいております。
週末しかまとまった時間が確保できない身ですので、beingさんに追いつくことは
ないでしょう。早くリタイアして、読書三昧の生活に入りたいものです。
242考える名無しさん:04/01/19 05:33
私がまだ10代の頃。時期はお盆の真っ最中。
当時付き合っていた彼氏に、「墓参りに行くんだが一緒に行かないか?」
と誘われて 家まで彼のクルマで迎えに来てもらう事に。

当時の私は若さゆえ、墓参り等どうでもよく、
ただ彼氏と会いたいだけだった。 お互いに性欲のかたまりだったので、
私は彼のクルマに乗りこむなり 甘い声で
「ねぇーん。走行中しゃぶっちゃってもいい〜?」と擦り寄ると
いつもはニヤニヤして応じてくれる彼が「馬鹿言ってんじゃねえよ!!」
と 私を跳ね除けた。少し驚いたが、照れ隠しかな?
と思いこんでいた私は更に 「昨日みたいなすごいの、してあげるから〜〜ん」
と言ったその瞬間 なにやら後部座席に気配を感じて振り返った瞬間、
私が見たものは・・・・・。

彼のご両親が、ちょこんと座っていた…。
しかもバレバレの、寝たふりをしてくれていた…。
お父さんはマブタがピクピクと動いており、お母様はイビキまで…。
あまりにも恥ずかしくてどうしようもなかった私は、何を思ったか
「…っていうストーリーの映画、今テレビで見てきたよ!
すごいと思わない!?」と 一生懸命その場を取り繕ったが、
その後帰宅するまで4人の会話は皆無だった。
恥ずかしさのあまり、墓場で死ぬかと思った。
243考える名無しさん:04/01/19 14:14
北チョンのニュース番組はだいたいこう聞こえる

  踏んだら孕んだ!
  孕んだ振る降る般若だ!
  童貞擦る無駄、フン出る春巻きはむ無理!
  チン毛ちぎり、看板塗る飛騨!
  安眠煮る焼酎!
  安打!?半田ゴテ適時打!!
  原チャリ盗んだ!
  よくちょん切れるハサミだ!

        ∧__∧   ________ 
      <丶`Д´>/ ̄/ ̄/ 
      ( 二二二つ / と) 
      |    /  /  /  
       |      ̄| ̄ ̄
244being:04/01/20 22:21
●第十九節(T巻p232〜238)
■■■ 拡ガリアルモノとしての「世界」の規定 ■■■
■実体の両義性
・デカルトは、「我思考ス」を「物体的ナモノ」から区別する。
・ここから「自然と精神」の区別が存在論的に規定された。
・それ自体自身で存在するものの存在は、実体(スブスタンティア)と呼ばれる。
・この語は、実体性とひとつの実体の両方を意味する。
・こうした両義性は『ウーシア』という古代的概念にすでに帯びていた。
 そして、それはギリシア語の『オン』同様である。

■「拡がり」
・拡がりが世界という物体的実体の本来的存在を構成している。
 そして、存在者の存在機構そのものである。
・形態・運動は拡ガリの一つの様態である。


245being:04/01/20 22:21
●第二十節(T巻p238〜246)
■■■「世界」存在論的規定の諸基礎 ■■■
■実体の存在と他の存在者を必要とするか、しないか
・拡がりあるものの存在論的性格づけをもたらす存在の理念は「実体性」
・「実体」の存在は或る不要性に性格づけられる。
・神でない存在者は、創造された存在者である。
・他の存在者を必要としない実体、それは「思考スルモノ」と「拡ガリアルモノ」である。

■存在問題の自明性
・存在自身が意味するものを、中世・古代存在論は問い尋ねなかった。
・というのもひとは存在の意味を「自明」だとみなしたからである。
・存在は、私を触発しない。ゆえに存在は認知されえない。

■カントと存在論的差異
・カントを参照すると、「存在」は事象内容を表す実質的述語ではない。
・様々な存在の意義に関する区別の背後には原則的な『存在論的差異』の問題が隠蔽されている。
《存在論的差異問題への補足》
@例えば、なんらかの存在者に意味を付与したとする。「人生」でも「宇宙」でも「自然」もちろん「人間」でもいい。しかし、その『意味』の『存在』には意味・意義の区別は『存在』するのか?できるのか?という原則的な問題
A「である」と「がある」とは区別すべき?

246being:04/01/20 22:23
●第二十一節(T巻p246〜262)
■■■ 世界のデカルト的存在論についての解釈学的討議 ■■■
■デカルトの学的解釈
・デカルトの学的解釈とその諸基礎が、世界という現象と、「差しあたって」道具的に存在している世界内部的存在者の存在をも飛び越させてしまった。
・デカルトは、「世界」=存在者に近づく通路を認識作用、しかも数学的・物理学的認識という意味でのそれと見なした。そして、それは、不断の事物的存在性としての存在への原則的・存在論的な定位なのである。

■ハイデッガーによるフッサール批判を意図するデカルト批判
・存在者がおのれの本来的存在においてはおのれを「差しあたって」示さない事をデカルトは知っていた。我々は感官を通じて存在者をその存在において解明する事はできない。
・デカルトは「物質的自然」という基礎的層の上に他の諸基礎を構築しうると考えた。 この作業は、結局道具的に存在する道具として存在論的に性格づけられた存在者へといきつく。
・価値の添加は純然たる事物的存在性を財物に前提するにすぎない。
・価値は事物がもつ事物的に存在している規定性である。
・デカルトの論究、つまり「拡ガリ」では実体の存在を射当てない。同じく、「価値的」な性質へとのがれる作業も道具的存在性としての存在を眼差しのうちにいれることができない。
・しかし、「拡ガリ」を「世界」の根本規定性として発端におく事は、その現象的権利をもつ。

■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
全体像をつかむために十九・二十・二十一節一気にやってみました。
実体の両義性、カントの神の存在証明への反駁、ハイデッガーの存在論的差異の問題がこのBの主題でしょう。
そしてこれらの問題提起がデカルト批判へと繋がる・・・のでしょう?
この説は、これからの分析においても重要なのできちんと把握することにします。
247being:04/01/20 22:37
>>241
ドイツ語が透けて見えるとは・・・。羨ましいです。独語ができたら読書の幅が広がるでしょうね。
僕もそのうち勉強しようとは思ってはいるんですけど、僕は怠け者なもので、駄目ですね。
まったりと頑張りましょう!

最近本を読むたびに考えるのが、キルケゴール→ニーチェ→ハイデガー→サルトル→ドゥルーズの関係です。
とりあえずニーチェ、サルトルの著作を読んでいます。
ドゥルーズに関しては知ったかどころか無知に等しいのですが、ハイデッガーとの関係を軸に勉強していければと思っています。
フッサールの勉強も重要でしょうが、ハイデッガーとの問題圏から離れる恐れもあるかな?と考えています
248おじさん:04/01/21 01:48
beingさん、ダメですよ、そんなに早く進んだら。
私がどんどん追いつかなくなります。(笑)
今日は、早めに家に帰ったので、少しだけ読み進もうと思ったのですが、ひとつの節も
読み終われませんでした、あーあ!

ドイツ語が透けて見えるのは、たしか枠構造と習った記憶がありますが、ドイツ語独特の
構文を訳しているのがミエミエでわかる翻訳だからです。
にしても、中公クラシックスの翻訳日本語、わかりにくいですねぇ。。。
会社で部下がこの訳文を持ってきたら突き返すかな?
249考える名無しさん:04/01/21 02:05
ナルホド、このスレも奴も仕業な訳か。
250考える名無しさん:04/01/21 02:08
>>249
どうゆうこと?
251考える名無しさん:04/01/21 12:45
>>248
ちくま学芸文庫のほうにしなよ
ちくまの訳はハイデガーの名訳として名高い
252考える名無しさん:04/01/21 22:51

(´Д`;)ハアハア 「さぁ邪魔者はいなくなったでつ・・・リリアって言うんでつね・・・ハァハァ
        イイ名前でつね。僕憧れてたんでつよ。リリアって言う名前の・・・」
(´Д`;)ハアハア はリリアに馬乗りにながら荒い鼻息混じりにリリアに呟く。白く臭い口臭がリリアの
恐怖を更に駆り立てる。
リリア「お願いだからやめて・・・!!」
リリアの悲痛な叫びが力無く漏れる。誰もその声は聞き取れずに(´Д`;)ハアハア の猛攻が始まる。
(´Д`;)ハアハア 「おっぱいイイでつね。でも僕のフィンガーテクニックが!!ハァハァ!!エナメル!!
        モーターショー!ハァハァ!エナメル!エナメル!エナメル!」
(´Д`;)ハアハア が我を失いリリアの白い太股の間に手を突っ込もうとした瞬間だった。
ネリー「その女に手は出させねぇぜ!」
(´Д`;)ハアハア 「・・・・・・・・・・・・。」
(´Д`;)ハアハア の背後から銃を突き付ける黒人ラッパー。彼は怯えるリリアに愛想良くウインクを
送るとトリガーを引く。
ガガガガガガガガガガガガガガッ!!無防備な背後に突き付けられたはずのマシンガンが火を噴き的
を確実に射たはずであった。が・・・
返り血はおろか一瞬のうちにそこにあった光景は既に無くネリーは我が目を疑う。
ネリー「あのヤローとリリアはドコニイッタンダ!?」
(´Д`;)ハアハア 「ここでつよ・・・僕の邪魔をするマゾにはお仕置きが必要でつね。」
背後から投げかけられるその声は無機質ながら確実な怒りが込められていた。
253考える名無しさん:04/01/21 23:00
>>249 >>252
はっきり言っとくでつよ。
beingさんも、おじさんもボクじゃないでつよ。
邪魔しちゃダメでつよ。
254考える名無しさん:04/01/21 23:01
無駄でしょう。
255おじさん:04/01/22 01:08
beingさん、お詫びです。
昨晩は、翻訳の選択を迷わせるような書きこみをしてしまいました。
今日も少しだけ時間があったので、原文と翻訳を並べて読んでいますと、この翻訳が
原文を読み下すことなく、かなり忠実な訳をしようとしていることがわかってきました。
同時に、世の中の塵・芥に染まった頭が、少しずつ学問の世界に切り換わっていくと、
徐々にですが翻訳日本語への違和感が薄らいでいます。

まだ1回目の「読み」なので、中身について書けないのが申し訳ありません。
せっかく買った本ですので、中公クラシックス、一緒に最後まで読ませてもらいます!

にしても、電子辞書の威力は大したものです。
学生時代の紙の辞書だったら、とうの昔に原書は投げ出しているところです。
256考える名無しさん:04/01/22 01:20
もういいってw
257考える名無しさん:04/01/22 02:38
ドイツ語で思い出したがアタックチャンスの司会の小島さんは英語とドイツ語読めるらしいな
英語だけならまだしもドイツ語までとはw
258being:04/01/27 16:48
■■■ 第一部・第一篇・第三章 C ■■■
《環境世界の環境性と現存在の空間性》
・現存在は空間のうちで存在するあり方から区別される。
・世界内部的存在者が空間の内で存在しているから、この存在者の空間性は世界とのなんらかの存在論的な連関をもつだろう。

●第二十二節(T巻p265〜271)
■■■ 世界の内部にある道具的存在者の空間性 ■■■

■『近さ』と『方域』
・日常的交渉がかかわる道具的存在者は、『近さ』という性格を持つ。
・この『近さ』は配視的に「算定しつつ」従事したり使用したりすることによって規整させる。
・道具としてそこに所属するのに適していることの帰属すべき場所は、配慮的に気遣いつつある交渉において、配視的に眼差しのうちにあらかじめあるのだが、こうした帰属すべき場所を《方域》とする。

■先行的に発見される『方域』
・どこかの場所は、日常的交渉の進行によって暴露されており、配視的に解釈される。
・方域は、様々な個々の場所のなかでそのつどすでに道具的に存在している。
・生と死という二つの方域から現存在自身は、世界の内での自身の最も固有な諸存在可能性に関して規定される。
・それら二つの方域の先行的暴露は、道具的存在者が出会われるものとしてそれにもとづいて開放される適所全体性によってともに規定される

■親密性 空間
・方域の先行的な道具的存在性は、道具的存在者の存在がもっているよりもさらに根源的な意味において目立たない親密性という性格を持つ。
・環境世界的な空間のうちで道具的存在者に際会することが可能なのは、存在的に、現存在自身がその世界内存在という点からみて「空間的」なためである。

259being:04/01/27 16:50
●第二十三節(p271〜286)
■■■ 世界内存在の空間性 ■■■

■『遠ざかり(遠離かり)の奪取』
・現存在は、世界内部的に際会する存在者との配慮的に気遣いつつある親身な交渉という意味において世界の「内」で存在する。
・内存在の空間性は、遠ざかり(遠離かり)の奪取と方向の切り開きという性格をもつ。
・「遠ざかり」は現存在の一つの存在様式である。この表現を能動的な他動詞的に使用する。そして実存範疇でもある。

■遠隔性≠距離
・遠ざかりの奪取が遠隔性を暴露する。そして、それは配視的な近づけである。そして遠隔性とは距離ではない。
・現存在のうちには近さへの或る傾向がある。
・環境世界の道具的存在者は、現存在ではない永遠の観察者にとって事物的にあるのではなく、現存在の配視的に配慮的に気遣いつつある
 日常性のうちへと遭遇するのである。
・現存在の日常性が遠ざかりを配視的に奪取してこそ、真の世界の、つまり、現存在が実存しつつあるものとして存在している存在者の自体存在が暴露される。

■配慮的な気遣いと近さ
・現存在は、遠ざかりの奪取というあり方において本質上空間的であるため、その交渉は常に、ある種の活動範囲内で現存在から遠ざかっている「環境世界」のうちに身をおいている。
・配慮的な気遣いが、環境世界的に、身近にあるものの近さと遠さと決定している。
・配慮的な気遣いが最初からある当のものが、最も近いものであり、遠ざかりの奪取を規整している。

260being:04/01/27 16:52
■現存在の空間性 「方向を切り開く」こと
・現存在の空間性は、身体が事物的に存在している位置を示しても、規定されはしない。
・現存在は、世界内存在として、遠ざかりを奪取する働きのうちに本質上おのれをおく。
・現存在は、配視的に空間を発見する在り方において空間的である。それは、空間的に際会する存在者へと遠ざかりを奪取しつつ、態度をとるというふうに空間的である。
・現存在は、内存在として同時に「方向を切り開く」という性格を持つ。それは、世界内存在の存在様態として、配慮的な気遣いの配視により先行的に導出される。さらにそれは、遠ざかりの奪取に属し、世界内存在に基礎づけられている。

《重要》…『配視的な配慮的な気遣い』は、「方向を切り開き」つつ「遠ざかりを奪取する」ことなのである。

■道具連関と先行性により空間性
・なんらかの世界の道具連関は、現存在には先行的に与えられる。
・「遠ざかりの奪取」と「方向の切り開き」とは、内存在の構成的な性格として、世界の中で暴露された空間の中で配慮的・配視的に存在する現存在の空間性を規定する。

●第二十四節(p287〜294)
■■■ 現存在の空間性と空間 ■■■

■方域 空間適所性
・現存在は、世界内存在として、先行的になにかの「世界」を暴露している。
・『方域』は道具的に存在する道具連関の可能的な帰属性がそこへと行き着く『場所』である。
・そうした道具連関は、場所をえたものとして際会する。
・適所全体性(環境世界的な道具的存在者の存在)には方域をもつ『空間適所性』がある。
261being:04/01/27 16:53
■空間性
・世界内部的な存在者を際会させることは、「空間を与えること」なのである。
・上記のことは、道具的存在者をその空間性へと、投げ入れることである。
・空間性を地盤として空間自身を認識することが可能になる。

■現存在と空間
・現存在が、或る根源的な意味において、空間的なのである。
・空間は、ア・プリオリなものとして現われる。
・現存在には、そのつどすでに暴露されている空間が、《非主題的に》、すでに与えられている。
・空間は環境世界の非世界化によって接しやすくなるばかりではなく、空間性は世界を根拠としてのみ暴露される。
・空間が世界の構成に寄与し、現存在が、世界内存在という根本機構において本質上空間性をもつことに対応しているのである。
(第一部・第一篇・第三章・C終了)

262being:04/01/27 16:58
【第一部・第一篇・第三章・Cでの分析を解りやすく説明してみる】
(状況)…或る朝、役所の都合で本来の予定より早く死刑の執行を、看守か誰かにつげられた男の一日
@…朝、今日死刑の執行を宣告される。その後神父に会い、ぶどう酒やコーヒーや牛肉を食べ、身じまいをする。
A…断頭台へと行くため町中を引き回される。そのとき囚人は≪いや、俺は、まだまだ無限に生きられる気がするぞ≫と思う。
そして、その道中、≪まだ先は長いぞ、まだ通り三つ分だけ生きていられるぞ。
それから右側にパン屋のある通りも残っているじゃないか。
まだ、あのパン屋に行くには、ずいぶんかかるぞ!≫と辺りを見回す。
B…何万という人に見られ、声をかけられ、男もそれらの人々を見、声をかける。
≪ここの何万という人間の誰も死刑にならないのに、このおれだけが死刑になるのだ!≫
C…断頭台に到着。
この話は、ドストエフスキー「白痴」から借用しました。同作品にある或る男の銃殺刑の話にもハイデッガーの分析を思わせる描写が展開されています(僕の勝手な解釈ですが)。
■■■ 疑問・感想・意見 ■■■
今回の分析を読んでいて、連想したのがドストエフスキー「白痴」でした。ハイデッガーの具体的な分析は省いたので、この話で代用してみました。専門の人から見たら馬鹿げた感想かもしれませんが、一応参考程度に。

263being:04/01/27 17:11
>>248‐255
翻訳に関する意見ありがとうございます!いやいやお詫びなんていいですよ。
本当参考になります。
悩んだ末ちくま学芸文庫の「存在と時間」を購入してきました。
これからは、基本的に中公クラシックスを使用しますが、適宜ちくまのも参照していきたいと思います。
一緒にまったりと頑張りましょう!

今、細川亮一さんの「ハイデガー入門」を読み返していますが、これいいですね。
アマゾンを見る限り、あまり人気がないようですが、「視点」の解説や独語による用語の解説等、独学者の僕にはありがたい
記述が沢山ありました。一年前読んだときは、何も頭に残りませんでしたが・・・。
木田元氏や古東氏の著作よりオススメかもしれません。
この本への研究者の方々の評価はどうなんでしょうかね。
264考える名無しさん:04/01/27 19:17
アマゾンの評価は高いと思うけど>細川亮一
265Da-sein:04/01/28 03:31
皆さん、こんにちは。
私はbeingさんの講読を密かな楽しみとしている者です。

ところで、今回の講読箇所では周囲(環境)世界の規定が為されていますね。
ここで『白痴』を引き合いに出されていますが、この捉え方が
周囲世界の分析を解釈する際の助けになるかは疑問に思われます。

ここでの分析は、飽くまで周囲への眼差し(配視)による道具的な存在者を
通じて行なわれており、未だ日常的な現存在が主題になっています。
断頭台へ向う男が本来的な在り方をしているか否かは分かりませんが、
そこで彼にとっての世界は、最早日常的な有意義性(Bedeutsamkeit)を
失っているのではないでしょうか。

現存在の全体存在が考察される箇所まで(S. 231 ff.)は、
やはり世界の日常的な有意義性を前提として読まれた方が良いのではないでしょうか。
(素人考えで恐縮ですが・・・)

それと勝手な要望なのですが、最後のまとめは出来る限りbeingさん
ご自身の言葉で書いていただければ理解が易くなり有り難いです。
あ、可能でしたら原書の頁数も記していただきたいです。
266考える名無しさん:04/01/28 04:02
俺も「白痴」の引用はおかしいと思った
木田元はドストエフスキーの時間概念は
ハイデガーの時間概念と似てると言ってるね
等質的で計量可能な時間ではない時間があるというところが
引用した「白痴」の場面もそれに近いのではなかろうか
死刑場に引かれていく人間にとって、そこに到りつくまでの
時間は日常的な計量可能な時間とは違うと思う
267Da-sein:04/01/28 09:48
>>266
私の考えとは少し違いますね。

男にとって日常的な有意義性が失われている、と書きましたが
だからといって彼が本来的な在り方をしているとは思えません。
(「本来的」という表現には少なからず抵抗があるのですが)

ここでの時間性を考察するならば、彼の態度は世界時間と通俗的時間理解とが
混ざり合ったものではないでしょうか。
不安の内で、二様態(本来性・非本来性)への存在可能が開かれながらも
「未だ・・・ない」と自らに言い聞かせ、非本来性に留まっているように見えますね。
これは通俗的な時間理解を頼りに、時間を計測可能なものとして無理やり理解しているのでしょう。
殊更に通俗的な時間理解を強調することで、確かに本来的な時間性が透け見える、
といったことはあるかもしれませんが、やはり両者は区別されるべきでしょう。

不勉強ゆえ『白痴』は未読でして、人様に意見する筋合いはないのですが
その点はお許しください。
ちなみに木田元氏の時間概念に就いて、かなり疑わしい理解である、との
声を多く聞きます。私自身は木田氏の解釈を知らないのですが、
彼はプロパーの方々に余り信頼を得ていないようです。
268being:04/01/28 10:18
まず
>>265
>現存在の全体存在が考察される箇所まで(S. 231 ff.)は、
>やはり世界の日常的な有意義性を前提として読まれた方が良いのではないでしょう
確かにそうですね。道具的存在者を無視しての引用は、ハイデガーの分析の無視にもなりますよね。。
≪遠ざかりの奪取が遠隔性を暴露する。そして、それは配視的な近づけである。そして遠隔性とは距離ではない≫
≪日常的交渉がかかわる道具的存在者は、『近さ』という性格を持つ≫
といった箇所から、配視的な近づけ。つまり、断頭台という道具的存在者(まだ彼の視界というか、配視にははいって
はいませんんが)を朝から囚人が配慮的に気遣うことで、普段なら、数分で着く道のりが囚人にとっては、無限の道のりに
等しくなる。そしてそれは空間概念にもといった風に連想したのですが。。
>やはり世界の日常的な有意義性を前提
確かにまったく日常的とはいえないですよね。むしろ>>266さんの指摘どおり
>死刑場に引かれていく人間にとって、そこに到りつくまでの
>時間は日常的な計量可能な時間とは違うと思う
時間概念のほうでしょうか。

ここで疑問が一つあるのです。ハイデッガーにとっての日常性というのは、ハンマーの分析や
模様替えをした暗闇の部屋等のように、ありふれた日常的な気遣いを分析していますので
今回の囚人の状況は、日常的か否か?
否ですね。。すいません。疑問解消しました。
やはり道具的モノへの配慮だけでの分析に、他の人への気遣いも入っている例を出すのは不適当ですね。
とても助かりました。ありがとうございます!
269being:04/01/28 10:22
>それと勝手な要望なのですが、最後のまとめは出来る限りbeingさん
>ご自身の言葉で書いていただければ理解が易くなり有り難いです。
>あ、可能でしたら原書の頁数も記していただきたいです。
すいません。最近この辺を無視していました。これから取り入れたいと思います。
270考える名無しさん:04/01/28 11:50
あまり周囲の声を気にしすぎてあっぷあっぷな状態にならないようにね。>>1さん
自分のやりやすいペースで進めてください。
271Da-sein:04/01/28 12:34
私自身『存在と時間』には興味があるので、素朴な疑問を書かせていただきますが、
>>270さんの仰る通り、余りお気になさらないで下さいね。

日常性の分析に関してですが、私も余りよく分かっていません。
頽落(Verfallen)が慮り(関心?Sorge)の構成契機である以上、
本来的な現存在もやはり頽落しているのであり、日常性と頽落は同義ではなくなります。
『白痴』の男は、死が迫ることによって不安の内にあるのでしょうが、やはり非本来的な在り方をしており、
死を「自分の外から迫ってくるもの」として捉えていますね。
様々な存在者(パン屋、何万という人)を見遣ることで自らを理解しようとしていますが、
不安の内でそれらの存在者は日常的な有意義性を失い、拠り所のないものになっている、
といったところでしょうか。(それ故、存在者に関していっそう騒ぎ立てる)

また私には道具(手元)的な存在者と手前(眼前?)的な存在者の違いも明確に出来かねます。
一本のペンに「ものを書く」ことの内で出会うのと、
「長さを計測する」ことの内で出会うのとは、どう異なるのでしょうか。
文具の開発を務める人物にとって、「長さを測る」という出会い方も
やはり「向わせる」(bewenden→Bewandtnis)ことだと思います。
(「賃金を貰うために」→「私にとってのより良い暮らしのために」)

存在者をなんらかの対象として取り上げる際にも、やはり「・・・を巡り‐向かって」(um-zu)
という構造が不可欠なのではないでしょうか。

と、無知ゆえに素朴な疑問ばかり浮かんでさっぱり読み進められません。
気が向いた時だけで結構なので、付き合っていただければ幸いです。
272Da-sein:04/01/28 12:36
>また私には・・・存在者の違いも明確に出来かねます。

・・・存在者の区別も明確には出来ません。
273考える名無しさん:04/01/28 22:42
bZam9\dh
274マユミ:04/01/28 22:45
                             / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
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  HΠH       ∩.∧_∧∩    ∧∧/  :| 'ツ' |  ヽ  ̄λ_λ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧∧ ̄ HΠH
 EEE       (◎´∵`◎)   (*・_・). o |=デ=! o |  (0´く`0)ヮ    [`Д´] EEE
  |l|lil|ili|        瓜ゞッ=Lく   ,くリ=ッ=[ゝ.__」「「「「L_.」  厂〉=ッ冂づ ヌ Oヮ⊂[]ヨ  |l|lil|ili|
,,.<卅卅ゝ.__.,.,.,___.__.,.,.,(__)ヾZ)'_.,.,_じ(ノルハ)Jつ」」」」」⊂ソ.,_.,_.(入ム]つつ.__,L!__. (_」つ.,<卅卅ゝ,,.,,
275考える名無しさん:04/01/28 23:15
>>271
本来性から日常性へと頽落しているのでは?
また、関心・慮=Sorgeは現存在の根本的性格なので本来的か否かに関わらないのでは?
276Da-sein:04/01/29 02:40
>>275
どの箇所への問いかけか判然としないのですが
>本来性から日常性へと頽落しているのでは?
という表現は不充分かと思います。

確かに慮りは現存在の存在であり、実存的な様態に左右されるものではありません。
しかしながら頽落は慮りの構成契機であり、実存論的な概念です。
故に日常に於いて頽落するのと同様に、本来的な現存在もまた頽落しているのではないでしょうか。
277考える名無しさん:04/02/03 03:30
読書会スレまとめです。よろしく。
http://luzifer.hp.infoseek.co.jp/index.html

いちおう読書会スレ全部に投稿するので、
マルチっぽくなってすみません。
278考える名無しさん:04/02/04 16:10
                             / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
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279being:04/02/05 12:15
最近サボってばっかですみません!
もう少し時間をください
280考える名無しさん:04/02/06 22:36
もう飽きたんだろ
281being:04/02/07 03:32
■■■ 第一部・第一篇・第四章 ■■■
≪共存在および自己存在としての世界内存在「世人」≫
・現存在は差しあたって、己の世界に没入している。
・そのような存在様式と、その根底にある内存在一般が、これから追跡する現象を規定する。
・そのとき、携えなければならない問いが「A日常性において現存在は誰か」である。
・然るべき方向の元で探求を続ければ、世界内存在と等しく根源的な現存在の諸構造、『共存在』『共現存在』へとたどり着くだろう。
・このことに日常的な自己存在という様態がその根拠をもち、その当の存在を究明すれば、『世人」へとたどり着くだろう。

●第二十五節(T巻p296〜304。原典p114〜117)

■問いAに対する発端としての基体
・現存在は、常に自分自身であり、そのように存在する存在者であり。それは自分のものである。
この規定は、現存在が他者ではないという存在的な異議を含む。
・上記より自同的であり、自己という性格を持つ基体にもとづく解答方法(上述Aに対する)が導かれる。
・この基体は、そのつどすでに不断に事物的存在しているもの、根底に横たわっているものである。

■手引きとあやまった発端
・実体性とは存在者を規定するための手引き。
・現存在の存在の無規定性には、事物的存在性を含まれてしまっている。
しかし、事物的存在性は現存在にふさわしくない存在様式である。
・自我が与えられていることに発端を置くと、実存論的存在論が無規定なままになる。
何故なら世界内存在によって示されたのが、世界なしの主観とは存在し得ないからである。
282being:04/02/07 03:34
■実存と世人
・差しあたって現存在の誰かは存在的に隠蔽されている。
・「自己の不断性」は、その可能的な「不断の非自立性」とともに自己の問題性へと近づく適切な通路を要求する。
・人間の実体は、霊魂と肉体の総合としての精神ではなく実存である。

《補足》
@…「自己の不断性」とは実存というあり方を示す。
A…「不断の非自立性」は(分析を先取りすることになるが)世人というあり方を示す。

●第二十六節(T巻p304〜325.原典p117〜125)

■道具に潜む他者への指示
・道具的存在者の適所性のうちには、その道具を使用する人々への本質的な指示が潜んでいる。
つまり他者たちを示している。
・道具、事物は、現存在自身として世界の「内」で存在しているような存在者をも解放する。
そうした世界のうちでその存在者は世界内部的に出会われる。

■共存在 共現存在
・他者たちは、ひとが自分と区別しないでいて、ひともまたそのなかに存在している人々である。
・この「もまた」は、配視的な、配慮的に気遣いつつある世界内存在としての存在の同等性を示す。
・「共に」をおびた世界内存在を根拠として、世界はそのつど私が、ほかの人々と共に理解している世界なのである。
▲現存在の世界は「共世界」、内存在は他者たちと共なる「共存在」、他者たちの世界内部的な自体存在は「共現存在」である。

■先行的に世界のほうからの出会い
・他者たちは世界のほうから出会われる。
・現存在が「己自身」を「差しあたって」見出すのは、差しあたって配慮的に気遣われた環境世界的な道具的存在者においてである。
・「ここ」、「あそこ」、「そこ」は、現存在の根源的な空間性を性格づけたものである。
・他者は世界の内での彼の共現存在において出会われる
283being:04/02/07 03:35
■共存在、共現存在としての他者への気遣い 顧慮 顧視 
・共存在は、他者が知覚されず、見当たらないときにも、実存論的に現存在を規定する。
・単独でいることは共存在の一つの欠損的様態であり、このことが可能である事が共存在を証明する。
・共存在は、自身に固有な現存在の一つの規定性である。
・共現存在は、なんらかの共存在にとって、彼の世界によって解放されるかぎりにおいて、他の人々の現存在を性格づける。
・この存在者は、配慮的に気遣われるのではなく、「顧慮的な気遣い」を受ける。
・尽力し支配する顧慮的な気遣い、手本を示し解放する顧慮的な気遣い。積極的な気遣いのこの二つの極端の間に日常的な
相互共存在は保持され、多様な形式を示す。
・顧慮的な気遣いは、顧視、寛大視によって導かれている。

■目的である存在
・世界は、その共現存在における他者たちを解放する。
・現存在の最も固有な存在は、そのように存在しているとおりに存在するための目的である存在である。
・現存在のそうした存在には他者たちと共なる共存在が属す。
・共存在として現存在は、本質上他者たちという目的のために存在している。

■先行的開示、構成
・他者が開示されている事は、共存在でもって先行的に構成され、世界性をも構成している。
・現存在の存在了解内容には、他者たちに関する了解内容が潜む。このことが認識や識別を可能にする。
・特定の他者は、配慮的に気遣いつつある顧慮的な気遣いにおいて開示される。

《まとめ》
・以上の分析によって、共存在が世界内存在の実存論的な構成要素であり、共現存在は世界内部的に際会する存在者に固有な存在様式
であることが示された。
・現存在は存在している限り、相互共存在というあり方する。
・自身に固有な現存在は、他の人々の共現存在も、「差しあたってたいていは」環境のなかで配慮されている共世界に基づき際会する。

《補足》
@…配慮的=道具に対して、顧慮的=他者に対して
A…相互共存在=日常的にわれわれが他の人々と共に存在しあっていること。
B…顧視、配視の「視」=存在論的な認識のこと。
284being:04/02/07 03:38
●第二十七節(T巻p326〜336 原典p126〜130)

■特定の他者ではない他者の性格
・他者たちは、他者たちが従事している当のものである。
・相互共存在は懸隔性という性格を持つ。
・懸隔性のうちには、日常的な相互共存在として現存在が、他者たちに隷属していることが潜む。
・そうした他者はそのさい、特定の他者ではない。
・上記の通りの他者たちこそ、現にそこに存在している当のものなのである。

【重要】…誰かとは「世人」なのである。
■世人の実存論的性格付け
・世人は、懸隔性、平均性、均等化という実存論的性格を持ち、これが公共性を構成する。
・この世人が、日常性の存在様式を指定する。
・世人は、日常性における現存在の責任を免除する。このことによって世人は現存在に迎合する。
・以上の存在性格のうちに現存在の「不断性」が潜む。
・ひとは不断の非自立性や非本来性という風に存在する。
・世人は実存範疇である。

285being:04/02/07 03:58
■日常的現存在の本来性、非本来的日常性
・日常的現存在の自己は世人自己である。そしてこれは、本来的自己とは区別される。
・日常的現存在は自身の存在の前存在論的解釈を、世人という存在様式から汲み取っている。
・本来的自己存在とは、非本来的に変様させたものである。
・何故なら世界内存在というあり方を現存在は放棄する事は絶対に出来ないからである。

《補足》
@…世人=非本来的日常性、不断の非自立性→現存在の本来性(変様したもの)
注意@…上記の二つの分類は、別にこの両者が別のものであることを意味しない。
注意A…上記の分類には、道徳的、価値判断的なものが付随しない。
A…世人というあり方をしていても、現存在が不断の自立性を喪失しているわけではない。
  不断の自立性を喪失しているとしても、世人自己としてあくまで存在している。
注意@…世人自己というあり方をしていても、現存在の「実在性」が損なわれるわけではない。
というのもやはり、世人とは現存在の根源的な存在様式だからである。

【第一部・第一篇・第四章要約終了。中公クラシックスT巻要約終了。U巻へ進みます】
286being:04/02/07 04:11
■■■ まとめ・疑問・感想・意見 ■■■
とりあえず第四章を理解するのに大事なのは、第三章の分析において判然となった有意義性としての世界性、世界内存在の分析だと思います。
道具、世界に潜む他者への指示は、とても面白く、このことを携えて他者への関わりのあり方を分析します。
このことを纏めると、僕が、「字を書くために」、使用している「鉛筆」には、同時に他の現存在も同時に「鉛筆」を「字を書くために」役立てる事ができることによって、
他者が指示されており、そして、この有意義性、つまり世界性として、世界を道具的に使用することのうちに他者との関係が潜むといった具合です。
僕の理解不足、記述の関係上、適所性のうちに他者への指示が潜むと書きましたが、これは注意する必要があると思います。
あくまで世界とのかかわりに限って、他者への指示が潜んでいるのだと思います。
が、他者への指示をそのまま共存在に当てはめるのではなく、そのことのあらしめる可能性の条件としての共存在という風に、僕は理解しました。
他者、世人の記述を追うとき、世界内存在を根拠に行う素朴な自我、純粋意識からの他者分析への批判を念頭に置くと理解しやすいかもしれません。
このへんのハイデガーの批判には「確かに」と思うところもあれば、「う〜ん」というところもありました。
デカルト、現象学への勉強不足もありますが、フッサールなんかは、「差しあたって」そういう手法をとっているのであって、必ずしもハイデガーの批判は・・・。
しかし、後のフッサールの日常世界への展開を考えると、やはりハイデガーの指摘「日常的に、すでに世界内存在として存在しているというあり方」を主題にすべし
も効いているのかなあと思ったりもしました。ひょっとして、この時期の現象学には「差しあたってたいてい」という考えが抜けていたのでしょうか?
すみません。ちょっとごちゃごちゃした理解ですみません。現象学、デカルト、カントの勉強の必要を感じました。
287being:04/02/07 05:07
>>270
ありがとうございます!これからも自分のペースで頑張ります。
本当に励みになります!
>>271‐276
励みになる意見です。ありがとうございます!以下粗雑かもしれませんが、僕の考えを書きました。
>一本のペンに「ものを書く」ことの内で出会うのと、
>「長さを計測する」ことの内で出会うのとは、どう異なるのでしょうか。
一応僕の考えでは、前者が、道具的存在者との配慮的な関わりかたで、後者が、前者の関わり方から、導き出される道具連関の適所性による有意義性としての
世界への関わり方があるような気がします・・・。いや、でもやっぱ違うような気もします。この両者は同次元、同視点での出会い方かもしれません。
やはり現存在の気遣い方、態度によって解釈が分かれると思います。ハイデガーの言う日常性には、もちろん普段僕たちが、使うニュアンスも含まれているでしょう
が、やはりどこかズレみたいなのを感じます。世界内存在というあり方している日常性、フッサール、デカルト等への批判というニュアンスもあるような気がします。
もう少し考えて見ます。
>存在者をなんらかの対象として取り上げる際にも、やはり「・・・を巡り‐向かって」(um-zu)
>という構造が不可欠なのではないでしょうか。
に関しては、ちょっと今の僕の知識ではうまく対処できませんでした。すみません。
もう少し勉強して、何か有益なことが解ったら報告します。
(続く)
288being:04/02/07 05:13
(続きです)
>故に日常に於いて頽落するのと同様に、本来的な現存在もまた頽落しているのではないでしょうか。
まだ僕の要約が、該当箇所まで進んでいないので、断言はできないのですが。
本来的とは、自己自身であろうとし、自己の有限性に気づいているということから、やはり本来的な現存在頽落してはいないのではないでしょうか。
頽落とは『差しあたってたいてい』は「世界」のもとに存在する事を意味し、世人のうちへと現存在が自己を喪失していることなので、実存論的概念である。
そのため、指摘の通りのことが考えられるのは確かな気がします。それに非本来性、本来性とは別なものというわけではないこともこのことを証左づけている
気もしました。しかし、本来的なあり方をしている時は、世人の公共性のうちへと現存在があるわけではないと思います。
ただ、本来的なあり方ができるのも、非本来的なあり方が隠蔽されているためなのかもしれません。
両者をハッキリと区別するのではなく、連関させながら理解すべきなのでしょうか・・・?
あまり判然とした答えが出せず申し訳ありません。もう少し勉強してみます。

>>277
すばらしいまとめですね!活用させてもらいます。

>>280
飽きてはいませんよ。少し息切れしてきたというか、行き詰った感はありますけど・・・。
しかし、こういうレスはやる気を刺激されます。連発されると凹みますが、否定も出来ません。
稚拙に見えると思いますが、暖かく見守ってくださるとうれしいです。

とりあえずどんな間抜けなものでも自分の意見や疑問を積極的に提示して、それを是正していくことにより理解を深められたらと考えています。
相変わらずペースが上がりませんが、御手柔らかにお願いします。
289考える名無しさん:04/02/07 16:43
age
290おじさん:04/02/12 00:19
beingさん、順調に進んでいますね。
私も頑張らなくっちゃ、と思うのですが、仕事が忙しいのと風邪で体調を崩した
のとで、少々停滞気味です。その意味では、勝手に休日にした紀元節も、会社が
お休みというので助かります。

このところ頻繁に出てくるギリシャ文字とラテン語が読めないのが癪にさわって
います。
それとentdeckenを「暴露する」と訳してあるのが妙に引っかかって。。。
ちくま文庫では素直に「発見する」となっていますね。
英訳でもdiscoverとなっていました。

beingさんにならって、私もちくま文庫、買っちゃいました。
机の上に原書・英訳書・翻訳書2冊、合計4冊並べるの、大変です。
291being:04/02/12 01:24
>>290
ありがとうございます!合計4冊とはすさまじいですね。僕もいつかそういう風に読みたいものです。
倦まず弛まずまったりと読んでいこうと思っていますので、お互い無理はしないようにしましょう。
こういう読書は意外に体力を消耗します(僕だけかもしれませんが)。読書にとって体は貴重な資本なので、体には気をつけてください。

ドイツ語のできない分際で、翻訳に対して意見を言わさせてもらいますが、その辺は許してください。
問題の箇所は、伝統的真理概念、陳述に対するハイデッガーの真理感に関するところですね。
ギリシャ語、ラテン語があるということは、序論第七節Bでしょうか?Gilles氏の>>49-50の解説も参考にしてみてください。
entdecken「暴露する」「発見する」は論者によって、「露呈する」と訳出されていたりもします。
erschliessen「開示する」との対応も考慮に入れる必要があるのかもしれませんが、ハイデガーにとっての現象学がまず問題になるかと思います。
「隠されているもの、覆われているものが顕わになる」といった「現象は光のうちに視られる」という(この光は後の分析に出る時間性です)
ハイデガーの基本戦略を考慮した上での訳出なのかもしれませんね。もちろん発見するという訳語のほうがすっきりするのは確かでしょう。
非本来的日常性(隠蔽)⇔本来的(発見、暴露)という対応関係には、現存在の恣意的な発見という作業は少し不適当かなあと思ったりもします。
「さしあたってたいてい」隠蔽されているものが、露呈されるのに現存在の自由の余地はあるのかどうか・・・。
しかし、「存在了解」「存在企投」という訳語との兼ね合いを考えると、「発見する」という、どちらかといえば現存在に主導権のある訳語が適当なのかもしれません。
あまり明快な答えじゃなくてすみません。この辺のことも考慮に入れながら読解を進めたいと思っています。
292考える名無しさん:04/02/12 17:42
entdecken は「覆いを取り去る」とするのが無難かと。
293being:04/02/14 02:26
>>271
Da-sein氏の疑問への追加レスです。
今、少しというかかなり酔っているんで、おかしな書き込みになっているかもしれませんが、ご容赦を。
とりあえず寝て忘れないうちに書いときます。

>また私には道具(手元)的な存在者と手前(眼前?)的な存在者の違いも明確に出来かねます。
眼前的な存在者は、物理学、工学、生物学等々の科学的に、存在者をそういった対象として扱う概念であり、
道具的(手元)存在者は、ものを実際に扱う行為としての概念、という区分はどうでしょうか?
文具の開発を務める人物にとっては、一本のペンは、科学的対象として眼前的存在者として出会い、一方僕が、「ものを書く」ことの
内で出会うときには、ペンは道具的(手元)的存在者として出会うといった具合にです。
もちとん、不安のなかで自己の有限性に気づき、本来性を取り戻してしまった現存在には、このような出会いが崩壊しているのでしょうけど。
「存在と時間」での該当箇所はどこか良く覚えていないので、これはあとで報告します。すいません。

ハイデガープロパーの方から視たら、僕は、可笑しな把握をしているのかもしれません。ガンガン批判してくださると助かります。

>存在者をなんらかの対象として取り上げる際にも、やはり「・・・を巡り‐向かって」(um-zu)
>という構造が不可欠なのではないでしょうか。
この箇所は僕には、まだよくわかりません。なにか糸口が掴めたら報告します。
294Da-sein:04/02/14 08:56
再開されているのに気付きませんでした…。

さて、
>本来的とは、自己自身であろうとし、自己の有限性に気づいているということ
>から、やはり本来的な現存在(は)頽落してはいないのではないでしょうか。
>しかし、本来的なあり方をしている時は、世人の公共性のうちへと現存在がある
>わけではないと思います。
と仰られていますが、これはどうでしょうか。

実存論的な概念である頽落が現存在から取り去られるならば、
そもそも現存在という基本概念を疑うところから始めなければならないでしょう。
私は現存在が常に頽落していると考えます。

例えば、不安の内で二様態へと開かれた現存在が本来的な在り方に至り得たとして
彼はその瞬間にも「椅子に腰掛けて」いるのであり、「ペンを持って」いるのです。
自らの有限性に際して、「椅子」や「ペン」が普段のような有用性とともに
出会われなくなっても、それらを使うことは出来るし、「全く使わない」ということはありえないでしょう。

295Da-sein:04/02/14 08:57
次に
>眼前的な存在者は、物理学、工学、生物学等々の科学的に、存在者をそういった
>対象として扱う概念であり、道具的(手元)存在者は、ものを実際に扱う行為として
>の概念、という区分はどうでしょうか?
>文具の開発を務める人物にとっては、一本のペンは、科学的対象として眼前的存在者
>として出会い、一方僕が、「ものを書く」ことの内で出会うときには、ペンは道具的
>(手元)的存在者として出会うといった具合にです。
ということですが、これはよく用いられる説明ですね。

しかし、私はこの説明に疑問を感じます。
「学的に」存在者と出会うことと、「道具として」出会うことの差異とはなんでしょうか。
「学的」や「対象」という言葉を持ち出すことで、無味乾燥な「手前存在者」をイメージさせる
説明を見ることがありますが、よくよく考えてみると不思議な話です。

科学的対象とは実際どのようなものでしょう。
開発にあたって使用者を顧慮し、様々な道具を通じて出会われる存在者は
手元的に存在していると言えるのではないでしょうか。

稚拙な例で申し訳ないのですが、パズルゲームを考えてみましょう。
パズルを道具として使用するとき、この存在者は手元的か手前的か。
難解なパズルを解く為には、そのパズルを隈なく観察することが必要ですが
ここでパズルを観察することと、存在者を学的に観察することの間に差異は見出せるでしょうか。
と、私はこんな風に考えていますが、思いついたままに書いているので
厳しい意見がいただければ嬉しいです。

ちなみに私はプロパーでもなんでもなく、ただのボンクラ学生です。
296考える名無しさん:04/02/14 10:22
物理学が想定しているように、物はまず客観的に存在していて、
そしてそれを人間が道具として利用する。一般的にはこう考えられて
いるのではなかろうか。しかし現象学的にいえば、物はまず道具として
現われるのである。それを抽象化することによって、客観的な物、
物体が現われる。我々はその抽象化された虚構こそが真の世界である
と思い込んでしまっているのである。
297Da-sein:04/02/14 11:13
>296
 物理学が想定するのではなく、私達が想定しているのですね。
 揚げ足取りではなく、肝腎な点なので指摘させてもらいます。

>しかし現象学的にいえば、物はまず道具として現われるのである。
>それを抽象化することによって、客観的な物、物体が現われる。
この点に関して言うならば、確かに手前存在・手元存在の差異があると思います。
しかし私は、それらの存在者(道具・客観的対象)との出会い方に
決定的な違いはないのではないか、という風に考えています

>我々はその抽象化された虚構こそが真の世界であると思い込んでしまっているのである。
虚構・真といった表現には注意を払うべきでしょう。
一方が真で他方が偽であるという態度は、大きな問題を孕んでいることが多いですね。
私はどちらも真の世界であると考えます。
また「抽象」という概念は、それこそ抽象的なものでして・・・。
なんだか分かった気にさせられてしまうので困ったものです。
298考える名無しさん:04/02/14 11:34
>>297
>物理学が想定するのではなく、私達が想定しているのですね。
>揚げ足取りではなく、肝腎な点なので指摘させてもらいます。

ポカーン

>しかし私は、それらの存在者(道具・客観的対象)との出会い方に
>決定的な違いはないのではないか、という風に考えています

ポカーン
現象学的にいえば、出会い(現われ)方に違いがないなら
同じ存在者だろう。現象にはそれぞれの現象によって様々な
現れ方があり、それに即した理解をするのが現象学なんだから。

>一方が真で他方が偽であるという態度は、大きな問題を孕んでいることが多いですね。
>私はどちらも真の世界であると考えます。

ポカーン
自分で真という表現には注意しろ、と言ったそばから、
真の世界であると考えます、なんて言ってる。ポカーン
299考える名無しさん:04/02/15 09:04
道具的連関のなかで捉えられる対象と、一般的な「もの」というか科学的な客観的な対象との違いは、
Merlau-Pontyが『行動の構造』で取りあげている可換的形態/シンボル的形態の違いとパラレルである、
と木田元が書いてたんですが(この頃はまだSZ読んでない?)、どうなんでしょう。

面白いと思ったのですが。
300考える名無しさん:04/02/16 07:45
なんでメルロ=ポンティじゃなくてMerlau-Pontyなんだよ!
気取りやがって。俺はフランス語ができると自慢でもしたいのか。
お前なんか大嫌いだー!!
301考える名無しさん:04/02/16 15:55
resとensの区別とはまた別なんだっけ?
302being:04/02/17 00:45
■■■ 第一部・第一篇・第五章 ■■■
●第二十八節(U巻p3〜11 SZ131〜134)
■今までの分析の確認 内存在への方向付けとしての世界認識
・現存在の実存論的分析論は、世界内存在という現存在の根本機構を主題とする。
・気遣いについて:世界の元での存在(配慮的な気遣い)、共存在(顧慮的な気遣い)、自己存在(誰か)。
・世界内存在が現存在の、本質上の存在機構ならば、内存在はそれを形式的に実存論的に表現したものである。
・現象的実状(注1)によって判然となったのが、認識作用自身は世界のもとですでに存在しているということのうちに先行的に根拠付けられていることであり、そのようにすでに世界のもとで存在している事は、現存在の存在を本質上構成しているということだ。
■現=開示の場
・内存在とは内存性とは異なる。
・世界内存在によって構成されている存在者は、それ自身そのつどおのれの「現」である。
・人間(現存在?)の内の自然の光という比喩は、この存在者がおのれの開示の場であるというあり方において存在しているという実存論的・存在論的な構造を意味する。
■開示性(Erschlossenheit)
・現存在は己の開示性(Erschlossenheit)で有る。
・情状性(Befindlichkeit)と了解(Verstehen)という等根源的な在り方が、現であるという構成的なあり方である。
・情状性(Befindlichkeit)と了解(Verstehen)とは等根源的に語り(Rede)によって規定されている。

注1…現象的実状とは『認識作用は世界内存在としての現存在の一つの存在様態であり、その存在的基礎をこの存在機構のうちにもっている』ということ。
303being:04/02/17 01:04
■■■ まとめ・感想 ■■■
とりあえずこの節を読む前に軽く、第十二節・十三節を復習しておくと内存在そのものを理解しやすいでしょう。
主観―客観批判としての道具分析、その可能性の条件としての世界内存在。世界認識は、世界内存在として先行的にもっている。
持ってしまっているという実状。このことがハイデガーが日常性にこだわった理由の一つとみていいと思います。
僕は、フッサールは勉強不足なので自身がないのですが、これはハイデガーによる当時のフッサールへの批判として読むのはミスリーディング
でしょうか?僕はそう読んでいます。
この説は、ハイデガーお得意のこれからの分析の下図が大半です。よって根拠などはこれからの分析で詳論されます。
となると問題は「人間のうちの自然の光」という存在的な比喩の解釈かと思います。
現存在の光のうちで存在者が出会います(つまり開示の場としての現存在)。
この光は後の分析に出てくる「時間性=テンポラリテート」と理解して良いのでしょうか?一応僕はそう理解しました。
しかし、この問題に深く突っ込むと後の分析の大部分を先取りする恐れもあるので、この辺で許してください。
相変わらず遅々として読解が進みませんが、まったりやって、この春休み中に第一篇を読みきりたいものです。

>>Da-sein氏
まず294に関してです。
ハイデガーにとっての本来的とは「自覚的」と読み替えてもいいと思います。
頽落は、後の分析に出る空談・好奇心・曖昧性によって規定されます。
つまり頽落とは「非自覚的」、本来的は「自覚的」と乱暴に分けて考えてみてはどうでしょうか?
取り去られるのではなく、気づいているのです。
あと現象学的には、主観内部にある種の確信が生じていることが重要かと思います。
椅子に座りながら、本来的な在り方に至ってしまえば、その現存在にとって「差しあたって」道具連関の適所性としての
世界は無意味になるのではないでしょうか?それはペンを使えてもです。むしろ使えるのにといってもよいでしょう。
自己の有限性に自覚的に、非自覚的にあるといういい方は現象学的にアリなんでしょうか?
しかし、以前世人は現存在の根源的存在様式なのでしょうが。「取り去る」といういい方は適切ではないと思います。

304being:04/02/17 01:26
>>295
これは、まさしく現象学の問題でしょう。
まず>>34の図を参照してください。
注:道具的/事物的の対立は、現存在の態度に由来する
とあります。つまり「事象そのものへ!」という理解の仕方が重要かと思います。
Da-sein氏が指摘している「差異」を厳密に規定する事、これは現象学的というより、学的な(僕らが日常的に想定する)
把握の仕方だと思います。
パズルゲームの例も、その時、その時の現存在とパズルとの出会い方に即して理解します。
ですから、当然手元的に出会うときもあれば、手前的に出会うときもあるでしょう。
繰り返しますが、この区別を厳密にすることは現象学的というよりは学的な把握の仕方でしょう。
現象学はこのDa-sein氏の拘りを差しあたって保留することから始まるというのが僕の理解です。
>>299
貴重な意見ありがとうございます。メルロ=ポンティですか、僕はまだ読んでいません。つまり勉強不足です・・・。
とりあえず木田元氏の著作をあたってみます。SZを読んでいないというのは、メルロ=ポンティがってことですよね?
これは両者が、独自にフッサールから着想を得たということなのでしょうか?少し考えて見ます。
>>300
まあまあ、落ち着いてください。また〜りといきましょうよ。
>>301
独逸語・・・ですよね?とても参考になります。もしよろしかったら、もう少し突っ込んで解説してくださるとありがたいです。
僕は、少し素朴に区別していますが、やっぱり変なのでしょうか?

もう少し勉強してみます。
305299:04/02/17 16:55
>>300
すまん。でも>>299でスペル間違えた。ばかだ。

>>304
>SZを読んでいないというのは、メルロ=ポンティがってことですよね?
そうです。わかりにくくてすいません。
306考える名無しさん:04/02/24 22:07
木田元が「存在と時間」の翻訳をやんないかな
もう歳だから無理か
やっても弟子にやらせて名義貸しってとこだな
307おじさん:04/03/01 00:48
beingさん、春休みに入ってお休み中ですか?
仕事を持っていると、年度末が近くになると、妙に忙しくなるもので、1日1節どころか、
1週間1節に近い状態になっています。
beingさんのまとめ、自分のノートのベースに使わせてもらっていますので、余り早く進まれるのも
困りますが、私の持続力の源泉でもありますので、一緒になって怠けないで下さい。(笑)
次の書き込みを楽しみに待っています。
308☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/01 01:19


キキキヽ(゚∀゚)ノ
309考える名無しさん:04/03/01 08:10
おじさんがやれや
310being:04/03/01 23:24
■■■ A 現の実存論的構成 ■■■
●第二十九節(U巻P12〜26 原典P134〜140)
■情状性(Befindlichkeit)と被投性(Geworfenheit)
・存在論的に情状性(Befindlichkeit)とは、存在的には最も熟知なものであり、気分的に規定されている。
・「存在が重荷になる」とは「存在しなければならない事実」を気分が露わにする重圧である。
・「現存在は存在しているという事実」=存在者の被投性(Geworfenheit)
・気分が開示する被投性(Geworfenheit)は受動的な性格を持つ
・情状性(Befindlichkeit)は現存在をその被投性(Geworfenheit)において開示するが、差しあたってたいていはそれに関らないという仕方においえ開示する。

■現を開示する気分
・気分は現を根源的に開示すると同時に、現を閉鎖もする。
・気分はそのつどすでに世界内存在を全体として開示する。つまりそういう可能性の条件である。
・気分は合理性、非合理性に先立つ根源的なあり方である。

■等根源的な開示性(Erschlossenheit)としての情状性(Befindlichkeit)
・情状性(Befindlichkeit)は世界、共現存在、実存の等根源的な開示性(Erschlossenheit)の一つの実存論的な根本様式である。
・情状性(Befindlichkeit)には、。世界の世界性への了解(Verstehen)に寄与する。
・公共性は、気分を必要とし、気分を作り出す。
・情状性(Befindlichkeit)は実存論的な存在様式である。

311being:04/03/01 23:25
●第三十節(U巻P26〜32 原典P140〜142)
■情状性(Befindlichkeit)の具体例:「恐れ」
・「恐れ」は情状性(Befindlichkeit)の一つの様態、派生的なあり方である。
・「恐れ」は、その対象、恐れる事、恐れの理由の三つの視点から考察できる。
・恐れの対象は世界の内で出会う脅かす存在者である。
・恐れることは、その存在者を配視によって見出すことである。
・恐れの理由は現存在自身である。
・恐れは現存在を欠性的な仕方で開示する。
・恐れは構成する諸契機は変化する事がある。
・現存在は世界内存在として「恐ろしがる傾向」を持つ。

(情状性の分析終了。次は了解(Verstehen)の分析)
■■■ まとめ 感想 ■■■
内存在は情状性(Befindlichkeit)、了解(Verstehen)、語り(Rede)によって規定されるという分析の一番目、情状性(Befindlichkeit)の分析です。
情状性(Befindlichkeit)は気分ですが、気分ではありません。気分そのものを可能にするといった可能性の条件でしょう。
そして日常的な気分が存在者の被投性(Geworfenheit)を露わにします。これは存在しなければならない事実のことです。
これは現存在がどうあがいても回避できない事実です。被投性(Geworfenheit)とは後の企投と呼応する概念です。
纏めると情状性(Befindlichkeit)は被投性(Geworfenheit)において現存在を開示するということです。
恐れの分析は、後の「不安」の分析を強調するためかハイデッガーが、これ見よがしに恐れの「対象」を記述します。
これと恐れによって現存在が我を忘れる、存在者に囚われるということが重要でしょう。恐れの三つの視点は「不安」と対照するときに思い出す必要があると思います。
312考える名無しさん:04/03/01 23:27
おかえり
313being:04/03/01 23:45
>>305
指摘ありがとうございます。まだその木田元氏の著作を読んではいませんが・・・とても参考になります。
フッサールからメルロ=ポンティ、ハイデガーが別々に似た概念にたどり着いたのは興味深いですね。
>>306
存在と時間は難しいと思いますが、全集の重要な巻に関しては僕はひそかに準備していると思っています。
現代思想のハイデガー特集の号を見たら、木田さん全集の翻訳を批判していて、なんとなくそう思いました。
>>307
お久しぶりです!すみません。ボンクラ学生の僕ですが、サークル、ゼミの旅行の準備等で二月前半を使い切り、
残りは進級論文作成・勉強に使っていて、とてもSZを読む時間がありませんでした・・・。
僕のあやふやなまとめでも、参考になっているのはとてもうれしいです!
マイペースにもホドがあるかもしれませんが、勘弁してください。
>>309
まあ、また〜りと行きましょうよ。

僕は経済学を勉強しているんですが、かなり経済を議論するときにハイデガーの思考法?に毒されてきました・・・。
「(差しあたってたいてい)貯蓄は・・・」といった感じです。もちろん()は声に出しませんけど。
僕たちは複雑な経済の要素をモデルのパラメーターに纏めますが、ハイデガーから見たら「否!」と罵られそうですね・・・。
逆に哲学の姿勢?と科学の姿勢の違いのようなものが少し感じられてきたような気がします。
あと「ツァラトゥストラ」「善悪の彼岸」を読んでいたら、もろにハイデガーの言語観が表現されている箇所がありました。
ぼくはニーチェ講義をまだ読んではいませんが、ニーチェ―ハイデガーの繋がりが見えたような気がしました。
相変わらずマイペースですが、倦まず、弛まず頑張ります・・・。変な日本語は勘弁してください
314being:04/03/02 23:12
●第三十一節(U巻p32〜47 原典p142〜148)
■開示性(Erschlossenheit)の構造契機としての了解(Verstehen)
・情状性(Befindlichkeit)と並ぶ開示性(Erschlossenheit)の契機は了解(Verstehen)である。
・了解(Verstehen)は常に気分的に規定されている。
・了解(Verstehen)という現象は現存在の存在の根本様態である。
・了解(Verstehen)の開示性(Erschlossenheit)は有意義性との開示性として完全な世界内存在に関係する。
■現存在と可能性
・現存在は第一次的には可能存在(Moglichsein)なのである。
・実存範疇としての可能性は、現存在の最も根源的な存在論的な規定性なのである。
・現存在は被投された可能性である。
■企投性
・了解(Verstehen)は企投(Entwurf)という実存論的構造を帯びている。
・了解(Verstehen)は世界性としての有意義性、現存在の目的であるものをめがけて、現存在の存在を根源的に企投(Entwurf)する。
・現存在が存在するかぎり企投(Entwurf)しつつ存在している。
・企投(Entwurf)は世界内存在の開示性(Erschlossenheit)に関係する。
■了解(Verstehen)と世界
・了解(Verstehen)は存在しうることとしてそれ自身諸可能性を持つ。
・現存在は差しあたってたいていは、おのれの世界のほうからおのれを了解(Verstehen)する。
・了解(Verstehen)は現存在自身として実存する。
■視構造と透視性
・了解(Verstehen)には固有の認識がある。それが現存在の視(Sicht)である。
・自身の存在の認識に関る視(Sicht)は透視性(Durchsichtigkeit)と呼ばれる。
・存在は企投(Entwurf)において了解される。
・情状性(Befindlichkeit)と了解(Verstehen)とは、実存範疇として、世界内存在の根源的な開示性(Erschlossenheit)を特色づける。

《補足》
@…企投(Entworfen)と被投(Geworfen)は対応している。
A…顧視、配視は視(Sicht)の構造に基づく。
B…視(Sicht)とはあらゆる知覚や視覚や思考もその派生態にすぎないような、根本的な認識作用である。
315being:04/03/02 23:14
●第三十二節(U巻p47〜60 原典p148〜153)
■解釈 「として(als)」構造
・了解(Verstehen)の完成を解釈(Auslegung)と名づける。
・「として(als)」という形で道具の了解を仕上げるのが解釈の構造なのである。
■了解を明確化する解釈の予構造
・解釈による「として」は予持(Vorhabe)予視(Vorsicht)予握(Vorgriff)という構造に導かれて可能になる。
■実存範疇としての「意味」
・了解が企投(Entwurf)するとき、存在者はおのれの可能性において開示されている。
・了解しつつ開示する事において文節可能なものを、意味(Sinn)と名づける
・意味は予構造によっている企投(Entwurf)の基盤(Woraufhin)であり、その基盤から「として」という構造が了解可能になる。
・意味は現存在の実存範疇である。
・意味を持つのは現存在のみ。現存在だけが、有意味であったり、無意味であったりする。
■了解・解釈の循環構造
・了解の不可避的な循環構造は、現存在自身の実存論的な予構造の表現である。
・了解における循環は解釈しつつ了解することのうちにある。

《補足》
@…言語としての意味は実存範疇としての「意味」(Sinn)の派生態。
A…「として(als)」構造は世界を(道具的)手元的存在として見ることに基づいており、
   この構造によって道具的存在者が「……のために」(Um-zu)として解釈されるのである。

■■■ まとめ・感想 ■■■
今回は情状性(Befindlichkeit)と等根源的に開示性(Erschlossenheit)の構造契機になる了解の分析です。
透明性について補足しますと、透明性とは自身を認識する作用により現存在の構造が自身に露わに、透明になるといった意味です。
このあたりは開示性の明るみや現存在の視(Sicht)とも関るので少しごちゃごちゃしています。
そしてその了解の完成が解釈です。「として」「予の構造」に関してはハイデッガーが道具を例に説明しているので略。
僕が一番面白く感じたのが「意味」です。ここでの意味は実存範疇としてですが、この辺の分析を世界をカミュあたりと比較しながら読むと
結構面白いと思います。「存在と時間」の目的が「存在の意味への問い」ならばこの節はとても重要でしょう。
316being:04/03/02 23:15
>>312
ありがとうございます。
相変わらず当初の予定よりはるかに遅れていますが、僕の気力が続く限り、やり続けたいものです。
317考える名無しさん:04/03/04 02:36
最近出たなかで1番面白いのはギュンター・フィガールの入門書だった。
318考える名無しさん:04/03/04 02:40
単なる言葉の遊び。ニセ哲学者。ナチ党員。
319考える名無しさん:04/03/04 02:48
318みたいな人みてると「すっぱい葡萄」の童話を思い出す。
320考える名無しさん:04/03/05 16:22
いやハイデガーを読む上でいかがわしさを意識するのは大切だ
鵜呑みにしちゃいかんよ
321考える名無しさん:04/03/05 21:19
いかがわしさというか、
薄気味悪い感じ(居心地の悪さ)は必要かもしれない。
322おじさん:04/03/08 23:07
beingさん、息抜きの休憩が終わったみたいですね。学生時代の輪読会の雰囲気を思い出しながら、
負けずについていきます。
特に、翻訳書第2巻に入ってから、原語を付記していただいているのが、私には助かります。
原書を買われました?

翻訳と並べて読んでいると、ドイツ語が突然難しくなるところがあります。
遅れをとっているのは、第10節で、デカルトまで戻って読み直しをしていたこともありますが、
最初のあたり(中公クラシックス117-119頁)のドイツ語に手こずっていました。
その後になると、急に普通の短い構文になります。
細谷貞雄さんが「私はこの本がさほど周到な彫琢を経たものではなく、かなり慌しく書きおろされた
ものにちがいないという印象を抱くようになっていた。」(ちくま上516頁)というのが、私の貧しい
語学力でも、何となくわかるような気がしてきています。
323being:04/03/15 04:06
●第三十三節(U巻p60〜76 原典p153〜160)
■陳述(Aussage)の構造
・陳述(Aussage)は了解のうちにその根拠を持ち、解釈の派生的遂行形式を示している。そして意味も持っている。
・陳述(Aussage)は第一次的には提示(Aufzeigung)を意味する。
・陳述(Aussage)は述語すること(Pradikation)と同じである。
・陳述(Aussage)の第二の意義は、その基礎を第一の意義のうちに持っていることである。
・主語―述語は提示(Aufzeigung)することの内部で生じる。
・主語措定と述語措定は、付加措定と一つになって、命題的である。
・陳述(Aussage)は伝達(Mitteilung)を意味する。
・陳述(Aussage)は伝達しつつ規定する提示である。

■陳述(Aussage)と世界内存在
・陳述(Aussage)はすでに常に世界内存在という基礎の上に保たれている。
・陳述(Aussage)は一つの予持を必要とする。逆ではない。

■陳述(Aussage)と変様された予構造 解釈学的 命題的
・陳述(Aussage)は解釈一般と同様、実存論的基礎を予持、予視、予握のうちに必然的に持っている。
・陳述(Aussage)が解釈の予構造に土台を持つ以上、陳述も「として(als)」構造を持つ。しかし、それは了解のそれとは違う、変様したものである。
・解釈では道具的存在者が「……のために」(Um-zu)という「として(als)」といった風に了解されるが、陳述(Aussage)では、道具連関から切り離された事物的存在者といった、規定の「として(als)」へと変化する。
・前者の「として(als)」は解釈学的な「として(als)」であり、後者のそれは命題的な「として(als)」である。

《補足》
@…この節の命題的とは単なるそれではなく、命題の形をとった提示である。
  ギリシア語でいう「アポファンシス」の本来の意味であり、同時に提示する事でもある。

324being:04/03/15 04:09
●第三十四節(U巻p77〜91 原典p160〜166)
■開示性(Erschlossenheit)としての語り(Rede)
・言語(Sprache)の実存論的・存在論的基礎は語り(Rede)である。
・語り(Rede)は情状性(Befindlichkeit)、了解(Verstehen)と実存論的に等根源的である。

■語り(Rede)と被投性(Geworfenheit) 外へと出された語り(Rede)、言語(Sprache)
・語り(Rede)は了解可能性の分節化であり、それは解釈に先立つ。
・語り(Rede)つつ発言することには、聞く事と沈黙することが可能性として属している。
・世界内存在の情状的な了解可能性は、語り(Rede)としておのれを言表する。
この了解可能性の意義全体が語(Wort)となって現われてくる。語り(Rede)が外へと言表されたとき、それが言語(Sprache)となる。
・語り(Rede)は実存論的には言語(Sprache)である。語り(Rede)は被投性(Geworfenheit)と無縁ではない。
世界に投げ出されたのなら、それは世界内存在という存在様式を免れ得ない。 …(注1)

■語り(Rede)の四つの構造契機
・語り(Rede)には話題(das Beredete)、語られた内容そのもの(das Geredete)、伝達(Mitteilung)、表明(Bekundung)が構成契機として
属している。

(続く)
325being:04/03/15 04:10
(続き)
■ロゴス 沈黙
・語ることと聞くこと(horen)との根拠は了解(Verstehen)のうちにある。
・沈黙するためには現存在は言うべき何事かを持っていなければならない。   …(注2)
・ギリシア人は人間の本質を「ロゴスを持つ動物」とした。…(注3)
・人間は語る存在者として、己を示す。このことは人間という存在者は、世界と現存在とを暴露するというあり方において存在するということを意味する。

《注1》…「世界…免れ得ない」という表現はちょっと変だと自分でも思うが、原文を抜き書きするよりは被投性(Geworfenheit)を強調できると判断して、文章を改悪した。
《注2》…この部分は被投性(Geworfenheit)を念頭において理解すべき、何故なら語り(Rede)も情状性(Befindlichkeit)、了解(Verstehen)と等根源的な開示性(Erschlossenheit)だからである。
語り(Rede)は外に投げ出されたら言語(Sprache)に『成らざるを得ないのだ』。
《注3》…人間の本質に関して、ハイデッガーは「形而上学入門」で触れている。

■■■ B 現の日常的存在と現存在の頽落 ■■■
●第三十五節(U巻p92〜101 原典p166〜170)
■空談(Gerede)
・空談(Gerede)とは日常的な現存在のなす了解(Verstehen)と解釈(Auslegung)の存在様式を構成している。
・言表されているという性格の言語は現存在が持つ了解内容の非解釈性をそれ自身のうちに含む。
・おのれを言表しつつある語り(Rede)は共に分かつ伝達である。
・語りまねと語り広めのうちで空談(Gerede)が成立する。

■空談(Gerede)と公共性
・空談(Gerede)は地盤を失っているが、それは空談(Gerede)が公共性のうちへと入り込む事を助長する。
・語り(Rede)は、現存在の本質上の存在機構に属し、現存在の開示性(Erschlossenheit)を共に構成しているものなのだが、
 空談(Gerede)になる可能性をもち、世界内存在を分節された了解内容として閉鎖し、世界内部的な存在者を隠蔽する可能性を持つ。
・世人は情状性(Befindlichkeit)の下図を描いておき、人が何をいかに「見てとる」かを規定する。
326being:04/03/15 04:11
●第三十六節(U巻p101〜107 原典p170〜173)

■日常的な視(Sicht)である好奇心(Neugier)
・了解(Verstehen)の視(Sicht)の日常的な「見ること」への存在傾向を好奇心(Neugier)とする。
・世界内存在は差し当たっては、配慮的に気遣われた世界のうちに没入している。
・好奇心(Neugier)は世界への関わりにおいては非本来的だが、一つの実存範疇である。

■道具連関の消失からの態度である好奇心(Neugier)
・好奇心(Neugier)は現存在とある存在者との道具連関が断ち切られ、休息するときに現われる。そのときの視(Sicht)にはもはや「有意義性」もない。ただ見るだけである。

●第三十七節(U巻p107〜112 原典p173〜175)

■決定不能状態 曖昧性(Zweideutigkeit)
・曖昧性(Zweideutigkeit)とは日常的な現存在が、空談(Gerede)、好奇心(Neugier)によって存在者との連関、開示性(Erschlossenheit)が失われたため、
何が真正の了解(Verstehen)のうちで開示されているのか、何がそうではないのかということが決定できなくなった状態である。

■すでに、常に、潜んでいる曖昧性(Zweideutigkeit)
・曖昧性(Zweideutigkeit)は了解(Verstehen)の企投(Entwurf)にもすでに根付いている。
・曖昧性(Zweideutigkeit)はなんらかの世界のうちでの被投された相互共存在としての相互共存在のうちにすでに潜んでいる。
・曖昧性(Zweideutigkeit)には、現存在が空談(Gerede)、好奇心(Neugier)によってそれ自身の曖昧さには気づけないという日常の隠れた構造がある。

327being:04/03/15 04:12
●第三十八節(U巻p112〜123 原典p175〜180)
■非本来的様態である頽落(Verfallen)
・空談(Gerede)、好奇心(Neugier)、曖昧性(Zweideutigkeit)は日常的に現存在が、世界内存在の開示性(Erschlossenheit)であるあり方を性格づけている。
・この三つの性格の連関において露呈する日常性のある根本様式が頽落(Verfallen)である。
・頽落(Verfallen)とは、現存在が差しあたってたいていは配慮的に気遣われた「世界」のもとに存在しているということを意味し、
この没入は、世人の公共性のうちへと現存在が喪失されているという性格をもっている。

■頽落(Verfallen) 没入
・世界への「頽落性」は、相互共存在が空談(Gerede)、好奇心(Neugier)、曖昧性(Zweideutigkeit)に導かれている限り、こうした相互共存在のうちに没入していることを指す。
・頽落(Verfallen)は現存在自身の一つの実存規定である。
・頽落(Verfallen)は実存の非本来性を言い表す。

■頽落(Verfallen)の動学的分析 転落(Absturz) 旋回(Wirbel) 
・現存在は自身が頽落(Verfallen)に陥る不断の誘惑を己自身に準備している。
・世界内存在はそのもの自体で誘惑的なのである。
・頽落(Verfallen)しつつある世界内存在は、己自身にとって、誘惑するものであると同時に安らぎを得させるものである。
・頽落(Verfallen)しつつある世界内存在は、誘惑し安らぎを得させるものとして、同時に疎外させるものでもある。
・頽落(Verfallen)の誘惑し安らぎを得させる疎外は、その動性において現存在が己自身を捕縛されるという事にまでいたりつく。
・こういった動態的性格を転落(Absturz)と呼ぶ。
・この転落(Absturz)という事態によって、了解(Verstehen)は本来的な可能性からもぎ離され、しかも本来性だと思い違いをさせること。この頽落(Verfallen)の動性を旋回(Wirbel)と呼ぶ。

■本来的、非本来的実存。
・本来的実存は、実存論的には、日常性が変様されたものにすぎない。
・頽落(Verfallen)においても、非本来性という様態を取ろうと、世界内存在しうること。これが重要である。
328being:04/03/15 04:46
■■■ まとめ 感想 ■■■
今回は現の実存論的構成の残りと日常的存在についての分析です。
以前にも本来性、非本来性に関しての議論がありましたが、今回の分析もそのときの理解でとりあえず問題はないと思います。
本来性、非本来性という区別にはなんら道徳的価値等は付随しない。「本来的な実存への目覚めへ!」という読みは主題的ではない。
しかし、この分け方はやっぱ「実存の覚醒」やらなんやらを連想します。古東哲明さんは、それを承知でそこに向かっている気がします。
思い切って、「様態AとB」とかにしても良かったのかもしれませんが、
そうすると「存在と時間」が果たしてここまで影響力をもったのかどうか…。やはりハイデッガーの文体はとても魅力的ですしね。
頽落(Verfallen)に関しては、僕の粗雑なまとめよりも遥かにわかりやすくハイデッガーが記述しているので、あまり説明はいらないと思います。
やはり陳述、言語が難しかったです。陳述の節は、第十三節の世界認識の分析を踏まえての分析です。
ハイデッガーが何度も主張している「どういうわけか、すでに、この世界に投げ込まれているこの日常から始める」という認識はとても重要だと思います。
道具連関、「として構造」もすでにやっていたので理解はしやすかったです。
言語の節は、被投性(Geworfenheit)がポイントかなと思いました。
「沈黙」の箇所でウィトゲンシュタインが何度もちらつきました。
原初的な語り(Rede)が意義を作るからこそ、言語が発生した。とりあえずはこれくらい大雑把な捉え方でもいいかなと思います。
ただハイデッガーの言語論?は後の真理の問題へとも繋がりますから、意味の問題同様に要注意でしょう。

329being:04/03/15 04:47
>>317
まだ僕は読んでいませんが、どうやら木田元さんに近い考えだそうですね。
>>318
僕のような経済学を学ぶ人間からすると、統計、数式、歴史を使わず言葉だけでここまで分析できるんだとハイデッガーの力に圧倒されっぱなしです。
>>319-321
それは僕も同感です。
特にハイデッガーの文体は不思議な感じというか、不気味さがあるので余計そう感じます。
>>322
またかなりの間が空いてしまいました。すみません。毎度の繰り返しになりますが、とても励みになります。
それはこのスレに書き込む全ての人もそうです。ありがとうございます!
原書は買ってはいません。勉強不足のため、独語は全くきません(笑)。
いつか勉強したいとは思ってはいるんですが…。
原語付記は他のハイデッガーに関する本から借用しています。重要な言葉にはできるだけ付記したいと思っています。



330☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/15 09:24
331being:04/03/16 03:29
■■■ 第六章 現存在の存在としての気遣い ■■■
●第三十九節(U巻p124〜131 原典p180〜184)
■分析のまとめ・下準備
・世界内存在は、根源的で不断に全体としてまとまった構造である。
・世界内存在は常に頽落(Verfallen)している。
・そして、現存在の平均的日常的な在り方は、頽落(Verfallen)しながら開示され被投されながら企投(Entwurf)する世界内存在である。
・前章までの分析で判然となった諸構成契機を一つに纏める基礎を確立できた。
・こうした要求を満たす情状性(Befindlichkeit)である不安(Angst)という現象が分析の根底に置かれる。
・これにより現存在の存在は気遣い(Sorge)として露呈される。
・存在は現存在の了解(Verstehen)のうちにのみ存在する。
・そして真理という現象を存在論的に明確にする必要がある。

332being:04/03/16 03:29
●第四十節(U巻p131〜148 原典p184〜191)
■対象を持つ『恐れ』
・世人と配慮的に気遣われた「世界」とに現存在が頽落(Verfallen)することは、現存在が自己自身に直面してそこから「逃避」することである。
・先に恐れを情状性(Befindlichkeit)として学的に解釈されている。
・恐れの対象はなんらかの世界内部的な存在者である。

■対象が『  』である不安(Angst)
・頽落(Verfallen)の離反はその基礎を不安(Angst)のうちにもち、不安(Angst)によって恐れが可能になる。
・不安(Angst)の対象は無規定的である。つまり「無(Nichts)」である。

■不安(Angst)による世界の無意義化 不安(Angst)の対象『  』
・この不安(Angst)の中では存在の有意義性は働かない。そのため世界は無意義性を帯びる。
・不安(Angst)は世界を世界として開示する。
・しかし現存在は依然世界内存在である。
・不安(Angst)の対象は世界内存在である。
・不安(Angst)は現存在を、現存在の存在の本来性に当面させる。

■現存在の単独化による自己の有限への自覚
・不安(Angst)は現存在を単独化させる。
・この単独化の中で現存在は「…に向かって自由である(自由であらざるを得ない)」という本来的な可能性、可能存在(Moglichsein)として開示する。
・不安(Angst)は不気味(Unheimlich)である。このとき現存在は世人ではなく自身の存在に着目せざるを得なくなる。
・不気味さ(Unheimlich)は居心地の悪さ(Un-zuhause)も意味する。
・世界内存在には不安(Angst)が根本的な情状性(Befindlichkeit)として属している。

《補足》
@…単独化とは世界との道具連関、適所全体性が消失し、有意義性が消えたことによって引き起こされる。
そして本来的なあり方に直面せざるを得なくなる。

333being:04/03/16 03:31
●第四十一節(U巻p149〜162 原典p191〜196)
・現存在の基礎的な存在論的な諸性格は、実存性、現事実性、頽落(Verfallen)したあり方。これらには生き生きとした根源的な連関が存在する。
■実存性 了解(Verstehen)
・了解(Verstehen)は自己の前方にそれ自身の可能性を企投(Entwurf)する。
・現存在は可能性である。
・企投(Entwurf)するとき、本来性を選べば「己自身の存在」が重要であり、非本来性を選べば「世人の存在」が重要になる。
・このような「何かへと関わりゆく」構造をハイデッガーは「おのれに先んじて存在すること」(Sich-vorweg-sein)だと捉えている。

■世界の内に被投されているという『現事実性』
・実存する事はつねに現事実的に実存する事である。
・現事実性に実存性は規定されている。

■頽落(Verfallen)
・現存在は配慮的に気遣われた世界や世人へと没入している。つまり現存在は、頽落(Verfallen)しており、世界内部的な存在者にかまけている。
・不安(Angst)によってこのような居心地のよさは動揺してしまう。

■現存在の存在論的構造全体の形式的に実存論的な全体性
・現存在の存在は世界内部的な存在者のもとでの存在として、おのれに先んじて世界の内で存在している。
・こうした存在が気遣い(Sorge)の意義を満たす。
・道具的存在者のもとでの存在が配慮的気遣い(Besorgen)、他者たちとの共現存在と共なる存在が、顧慮的気遣い(Fursorge)である。

(続く)
334being:04/03/16 03:33
(続く)
■気遣い(Sorge)
・気遣い(Sorge)は現存在のあらゆる現事実的な態度・状態に実存論的にア・プリオリに先立っている。
・気遣い(Sorge)は意欲・性癖、渇望という存在的な次元の心的作用には還元できない。
・気遣い(Sorge)の構造上の多様性の統一と全体性とを存在論的に支えている根源的な現象とは何か?問いを進めなければならない。…【注1】

【注1】…ここでの根源的な現象とはもちろん第二篇で分析される『時間性』である。

《補足》
@…「おのれに先んじて存在する」(Sich-vorweg-sein)の『おのれ』とはなんらかのモノでもなく、観念でもないし、意識の流れでもない。
了解(Verstehen)は意識ではないからだ。この実存の運動は後の時間性の問題ともに解決される。

●第四十二節(U巻p162〜170 原典p196〜200)
■人間の前存在論的な本質規定
・今までの学的解釈は気遣い(Sorge)を現存在の存在として明らかにした。
・現存在の存在は歴史性によって性格づけられている。
・ある古い寓話がこの理解を助けるだろう。
■寓話が眼差しのうちにいれていた気遣い(Sorge)(クーラ)
・人間が企投(Entwurf)においてそれでありうる当のものになることは気遣い(Sorge)の働きである。
・気遣い(Sorge)は同時に等根源的に被投性(Geworfenheit)をも規定している。

《まとめ》現存在の存在論的な学的解釈は、気遣い(Sorge)としての存在者の前存
在論的な自己解釈を実存論的な概念へともたらした。

335being:04/03/16 03:34
■■■ まとめ 疑問 感想 ■■■
ついに中間地点まできました。そして今回の分析でようやく「不安(Angst)」「気遣い(Sorge)」が主題に挙がりました。
不安(Angst)は現存在を本来性に直面させます。
どのようにかというと、有意義性が無くなった世界が、無意義性…としてではなく、
逆に有意義性を、自己の本来性を浮き彫りにさせるからです。
ここでも企投(Entwurf)と被投性(Geworfenheit)が問題になります。
このような再帰的な働きを抑えるべきかと思います。
不安(Angst)は実存性、現事実性、頽落(Verfallen)を統一のうえで開示する現象です。
僕は初読の時、不安と後の死の分析との違いをあまり判然とさせることができませんでした。
どちらも自己の単独化、自己の有限性が関ると思ったからです。
気遣い(Sorge)は現存在の存在です。
気遣い(Sorge)は現存在の根源的な構造全体を指します。
僕は第四十三節の「現存在の存在は歴史性によって性格づけられている。」が理解できませんでした。
序論第六節を見返してみると、どうやら時間性と関係のある概念のようです。
どうも僕は道具分析や不安、死等の箇所は楽しく読めるのですが、
後半の特に時間性と歴史性の問題の理解が足りないなと痛感しました。
少しでも「知ったか」から抜け出すためにもこの辺も勉強しなければいけないようですね。
336考える名無しさん:04/03/16 03:53
うーん・・・。
337being:04/03/17 18:19
●第四十三節(U巻p170〜198 原典p200〜212)
・あることの意味への問いが可能なのは、存在了解内容が存在するからである。これは現存在に属す。
・上記の問いの仕上げのために、実在性(Realitat)という意味の存在に一面的に定位することから抜け出し、 存在論的には、現存在、世界、道具的存在性とのある基礎付け連関に実在性があることを証示しなければならない。

以下(a)外的世界の存在と証明可能性との問題としての実在性(b)存在論的問題としての実在性(c)実在性と気遣い(Sorge)の三つの問題を扱う。

《補足》
@…実在性(Realitat)には「事物」を意味するラテン語resに由来する。
A…『実在性(Realitat)の三義』
1:現実性(Wirklichkeit)として[あり]、
2:ラテン語レアリタスは、事象内容性(Sachheit)として[あり]、
   3:両者の中間の位置で占める、カントの言う客観的実在性という概念[である」。

338being:04/03/17 18:20
▲(a)外的世界の存在と証明可能性との問題としての実在性
・実在的なものは世界内部的な存在者のみが近づける。
・その通路は世界内存在に基礎付けられる。
・「世界は存在するか否か?」という問いは、世界内存在としての現存在が立てる問いとしては無意味である。
・実在的なものは開示された世界を根拠にしてのみ暴露(発見)できるのである。
・カントの(デカルトのそれとほぼ同じ意味である)「私の現存在についての問い」には、問題性の立脚点を主観のうちにおいている事を示す。
・哲学の醜聞とは、こういった問いに対する証明が期待され、試みられている点にある。
・現存在にふさわしい前提や態度よりも「以前」に存在機構の「ア・プリオリなもの」は気遣い(Sorge)という存在様式を取っている。
・存在は存在者によっては説明できない(存在論的差異)

▲(b)存在論的問題としての実在性
・ディルタイ、シェーラーの実在性(Realitat)の学的解釈はもろもろの諸基礎が存在論的に無規定的であった。
・ディルタイの「抵抗経験」は世界の開示性(Erschlossenheit)を根拠にしてのみ可能である。
・「我存在ス、我思考ス」の内実を存在論的・現象的に確証しなおす必要ある。

▲(c)実在性と気遣い(Sorge)
・実在性(Realitat)は存在論的に、世界内部的な存在者に関連付けられている。
・存在了解の存在的な可能性があるのみ、存在は「与えられている」
・現存在が実存していないときには、了解可能でもなければ、了解不可能でもない。
・実在的なものではなく、実在性(Realitat)は気遣い(Sorge)に依存している。
・現存在が実在性(Realitat)や実体性に基づくことによって把握されることはできない。
339being:04/03/17 18:22
■■■ まとめ 感想 ■■■
ろくに推敲しなかったため、スペースの間隔、改行、日本語がオカシな所もありますが、許してください。
今回の内容を簡単に纏めると
「存在の意味(あること)を探るには、そのような問いを立てられる、知ることのできる存在者があらなければならない」でしょう。
現存在はすでに、世界にもとに存在しているため、外的世界の証明自体がおかしいとハイデッガーは主張します。
もちろん現存在がまったく存在していなくても、事物的存在者は存在しています。
ディルタイやシェーラーに関しては僕は著作はおらか参考文献も読んでいないので、お手上げです。
脱線しますが、この節のカント、デカルトのように「夢」と「現実」に関してハイデッガーはどう答えるか?
という問題をドレイファス「世界内存在」で扱っていました。
この本の各方面への批判やらなんやらは、「存在と時間」の別の側面を照らしていて結構面白く読めますが、
ハイデッガー解釈としては…「アリ」なんでしょうか。ちょっと戸惑いました。

340考える名無しさん:04/03/24 20:36
機種依存文字使わないでくれたまへよ、チミ。
341考える名無しさん:04/03/25 12:28
>もちろん現存在がまったく存在していなくても、事物的存在者は存在しています。



?????
342考える名無しさん:04/03/25 14:16
人類が絶滅しても、世界は残ると言うことでは。
343考える名無しさん:04/04/04 14:58
hoshu
344考える名無しさん:04/04/05 08:45
「ハイデガーとサルトルと詩人たち」市倉宏祐

読んだことある人いる?感想聞かせて
345being:04/04/06 10:41
●第四十四節(U巻p198〜240 原典p212〜230)
▲(a)伝統的真理概念とその存在論的な諸基礎
■真理の伝統的な本質観と真理の最初の定義に関する見解
1:真理の在り処は陳述(判断)である。
2:真理の本質は判断とその対象との「一致」のうちにひそむ。
3:アリストテレスは真理をその根源的な在りかとしての判断に割り当て、「一致」としての真理の定義を広めた。
■陳述と知覚
・認識作用がおのれを真なる認識として証示するときに、認識作用自身において真理が現象的に表立つ。
・陳述することは、存在しつつある事物自身へと関るそんざいの一つ。
・知覚によって証示されるものは、陳述において指されていたものが存在者自身であるという事実である。
・証示されるのは陳述が暴露しつつあるということなのである。
・陳述が真であるとは、その陳述が存在者をその存在者自身に即して暴露することである。
■暴露の根拠としての世界内存在(開示性(Erschlossenheit)?)
・陳述の真理存在(真理)暴露しつつあることである。
・存在論的に以上のことは世界内存在を根拠にして初めて可能になる。
346being:04/04/06 10:42
▲(b)真理の根源的現象と伝統的真理概念の派生性
■真理のうちで存在する現存在
・真理は暴露しつつあること
・アポファンシスとしてのロゴスの真理存在は、存在者をその被暴露性においてみえるようにさせることである。
・ロゴスは存在者の状態を言う。
・暴露しつつあるあり方としての真理は現存在のあり方の一つである。
・第一次的に「真」であるのは現存在である。
・現存在の開示性(Erschlossenheit)でもってはじめて真理の根源的な現象が達成される。
・命題A:現存在は真理のうちで存在する。

■上記の命題Aの実存論的な意味
1:現存在の存在機構には開示性(Erschlossenheit)一般が属す。
2:現存在の存在機構には現存在の開示性(Erschlossenheit)の構成要素として、被投性(Geworfenheit)が属す。
3:現存在の存在機構には、企投(Entwurf)が属す。
4:現存在の存在機構には頽落(Verfallen)が属す。
◎現存在は等根源的に真理と非真理のうちで存在している。

■陳述と真理
・陳述の真理は、了解(Verstehen)の開示性(Erschlossenheit)のうちへと達する。
・ロゴスとは隠蔽する事もできる態度のことである。
・陳述は、被暴露性を我が物にする様態として、世界内存在のあり方として、現存在の開示性(Erschlossenheit)のうちにその根拠を持つ。
・陳述が真または偽でもあることが可能だということ、このことにとっての可能性の存在論的条件が、最も根源的な真理である。
347being:04/04/06 10:42
▲(c)真理の存在様式と真理前提
■真理と現存在
・真理が「与えられている」のは、現存在が存在している限りだけであり、またそのあいだだけである。
・暴露(発見)する事が「真理」の存在様式である。
・暴露する事とは、陳述によって「主観的」な気ままを禁じて、暴露しつつある現存在を存在者自身に当面させることである。
■「すでに」「なされおえて」いる前提
・真理こそ前提といったようなものを初めて可能にする。
・気遣い(Sorge)としての現存在の存在機構のうちには、最も根源的な「前提すること」潜んでいる。
・真理前提は、われわれの存在と共に「すでに」「なされおえて」存在している。
・存在と真理は、等根源的に存在する。
■■■ 第一部 第一篇 第六章 要約終了 ■■■
■■■ 第一部 第一篇終了(ちくま「存在と時間」(上)終了) ■■■
348being:04/04/06 10:46
■■■ まとめ 疑問 感想 ■■■
まず謝ります。遅くなってすみませんでした!!
この時期特有の忙しさや、騒ぎでとてもSZを読む精神状態ではありませんでした。
すみません。いいわけです。保守してくれた方々やROMってた方々に感謝します。
本当にありがとうございました!!
しかし、また当分時間がかかりそうです…。
とにかく当初の予定の半分以下のペースで要約第一篇を読み終わりました。
こまかい説明はハイデガーが具体的に解説していますが、それでも僕は困惑しました。
こういうときはいつも序論に戻ります。やはりここでも>>38からの第七節が参考になりました。
あとGillesさんの解説が素晴らしいので、再び(本当は常になんですけど)参考にさせてもらいました。
こまかいテクニカルな内容は今までの議論を下敷きにしているので、ごちゃごちゃしていると同時に意味不明とういわけ
でもありませんでした。真理とは光のもとにさらすこと、暴露する事だと認識しました。
けど世人という様式から想像できる通り、逆に隠蔽されることもありうるのでしょう。
しかし、ハイデガーは面白い事に隠蔽があるからこそ暴露が可能(もしくはその逆)といっています。
これは前節の議論と関ると思います。

>>340
気をつけます。
>>341
342さんの説明でいいと思います。
もっと正確に言えば現存在がいなければ、それが真であるか偽であるかの判定もつかないということでしょう。

>>343
堕ちるところでした。ありがとうございました!
>>344
すみません。読んだ事はありません。
が面白そうな題ですね。
349考える名無しさん:04/04/07 21:21

ハイデガーの伝記ビデオを見たが、奴の人生は吐き気がするほど
卑怯で理不尽なものだな。 はっきり言ってこのような心理的堕落者の哲学
を学ぶ気にもなれないし、もし奴が人生でしてきたことを知っていながら
奴の本を読もうと試みるのならば、そいつはそうとう気が狂っていると
断言していいだろう。

350考える名無しさん:04/04/07 21:24
>ハイデガーの伝記ビデオを見たが、

藁(w
351考える名無しさん:04/04/07 21:31
伝記ビデオ、見るなよな (藁藁
352考える名無しさん:04/04/07 21:44
奴の伝記も読みましたが何か?
あなたたちがやつのくされ人生を否定できないから 藁 としか言えないのでしょう?

353考える名無しさん:04/04/07 22:15
そんなのがあるんですか。
あったら借ります。
354考える名無しさん:04/04/08 13:30
俺はハイちゃんの悪い噂を聞いてるから伝記とかは読まないようにしてる。
読んだら「存在と時間」を読めなくなりそうで。
355THE グル:04/04/08 15:52
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄
356考える名無しさん:04/04/08 20:40
ハイデカーの「存在と時間」はまさにナチとは対極をなすものであり非常に倫理に富んでいると思う。それが加担にまわったという事実は確に理解に苦しむところだが実際どうなのか
357考える名無しさん:04/04/08 20:46
われわれは「母なる大地」と「将軍様」の間に生まれた子供たちだと思った。
358being:04/04/14 20:00
せめて1週間に一節のペースで行きたいのですが…。
すみません。遅々として進みません。夏までには読みきりたいのですが。
へタレですみません。まったりやらさせてもらいます。
ハイデガーとナチの問題ですか。
正直ハイデガーを弁護するのは難しいです。「弁明」とか読んでも、そう感じました。
ハイデガーはナチスを指導というか教育できると思っていたが、現実の政治はそう甘くは無かった。
というのが大方の見方でしょうか?
ただナチの問題でハイデガーを無視できるのなら無視したいのですが、ちょっと僕程度では無理です。
哲学の勉強をするたびに痛感します。とくに僕は、プラトン、アリストテレス、現象学に興味があるのでなおさらです。
ランドクレーベやヘルト、新田さん等の著作も読みたいのですが、如何せん勉強不足で歯が立ちそうにありません。
特に哲学に割ける時間がどんどん減ってきているので…。
あと最近ハイデガーの言語論?に興味があります。あるのですが、あまりにもあまりなので今の僕では無理です。
少しアプローチを変えて、「言語哲学大全」を読みながら論理学を勉強しようと思いました。
「アプローチ変えすぎだろ!」と思われるでしょうが、逆にハイデガーと対極の勉強をすることによって見えることがあるかなあと…。
359考える名無しさん:04/04/16 03:54
>>358
> せめて1週間に一節のペースで行きたいのですが…。
> すみません。遅々として進みません。夏までには読みきりたいのですが。
> へタレですみません。まったりやらさせてもらいます。
> ハイデガーとナチの問題ですか。
> 正直ハイデガーを弁護するのは難しいです。「弁明」とか読んでも、そう感じました。
> ハイデガーはナチスを指導というか教育できると思っていたが、現実の政治はそう甘くは無かった。
> というのが大方の見方でしょうか?
> ただナチの問題でハイデガーを無視できるのなら無視したいのですが、ちょっと僕程度では無理です。
> 哲学の勉強をするたびに痛感します。とくに僕は、プラトン、アリストテレス、現象学に興味があるのでなおさらです。
> ランドクレーベやヘルト、新田さん等の著作も読みたいのですが、如何せん勉強不足で歯が立ちそうにありません。
> 特に哲学に割ける時間がどんどん減ってきているので…。
> あと最近ハイデガーの言語論?に興味があります。あるのですが、あまりにもあまりなので今の僕では無理です。
> 少しアプローチを変えて、「言語哲学大全」を読みながら論理学を勉強しようと思いました。
> 「アプローチ変えすぎだろ!」と思われるでしょうが、逆にハイデガーと対極の勉強をすることによって見えることがあるかなあと…。
OKよ
360ユウキ ◆EEJUMPmqc2 :04/04/17 00:02
(´-`).。oO(なんで全文引用するんだろう。。。
361考える名無しさん:04/04/17 00:03
>>360
お帰り
362THE グル:04/04/17 10:26
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
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                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
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              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄


363being:04/04/20 00:47
すみません。今まで気ままに要約していましたが。
本来の分野での勉強に力を入れる必要性を感じ、今後のことを考えた結果、
要約をいったん休業することにしました。
今まで哲学知ったかの自分にお付き合いしてくれた全ての方々に感謝と、お詫びを…。

今後自分は、根気の要る苦手分野(数学、語学等)に勉強の中心を移動させるつもりです。
もし、時間と精神力に余裕があったら要約をアップするつもりですが、定期的にする自信も無いですし、約束もできません。
それでも、折角第一篇を終えたので、このスレが存続する限りハイデガーと格闘したいです。

結局いつも通りまったり、適当かよ!と罵られるかもしれませんが、仕方ないですね。
少しでも「知ったか」から抜け出したいために勝手にスレを立て、板に御迷惑をかけてばかりですみませんでした。

がんばりたいです。
364考える名無しさん:04/04/21 04:50
  _, ,_
( ・д・) _, ,_ パーン!
 ⊂彡☆))д')←being

おつかれ!ここまでよくやったと思う。本業がんばって!
365考える名無しさん:04/04/21 05:45
本当におつかれ!

>板に御迷惑をかけてばかりですみませんでした。
そんなことないぞ!

>結局いつも通りまったり、適当かよ!と罵られるかもしれませんが
そんなこと思ってもお前が言うな。


本当にどうもありがとう。
今度は気持ちが楽になった君のレスが見たいな。
いつでも哲学板に、遊びにきておくれ。
366考える名無しさん:04/04/21 06:24
わしゃ神じゃ。

即ち、常に悪を欲し、常に善をなす、大いなる力の権化。

自然の営みを、行為の嵐を、支えて動いてやまぬ。かしこに働きここに働く。

生を司り死を司る。永遠の海に漂い筬を捌き命を燃え上がらせる。

かくして絶えず動く時の機を織り、真理の神妙な衣を作る、偉大なる造物主。

果たして此処では、虚仮威の冒涜と大いなる力の在不在を巡る堂々巡りの言葉遊びが充ち満ちておる。

奈何せん、大いなる意思への瞑目拝敬を些かも残さず忘れ去ってしまったようじゃ。

斯様な人間の箆棒な増長と尊大な遣り口は木杭の如くにその心根を貫いて折れることを知らぬ。

ぬしらとその眼は精神によって盲となり、感覚は現象界の幻耀の虜になっておる。

己の銅鑼息子の言葉ももはや聞く耳、読む目、感じる心を持っておらぬ。

この宇宙というご馳走を熟せる奴は、ただ神あるのみ。

禁断の果実は食べ尽くすしかないもの。おぬしらの飽くなき渇きはここでも癒されないのか。

言葉を軽蔑し、一切の仮幻のものから遠ざかり、事物の奥底へと突き進むそなた達の、

可憐で傲慢で愚かなその熱情が、わしを召喚した。

メフィストでは無いが、ひとつ、わしが真理のひと欠片でもを授けてやろうではないか。
367考える名無しさん:04/04/21 07:20
>>365
寒い自演やめろよ。ウザ
368考える名無しさん:04/04/21 07:42
これでは永久に存在と時間が読めん
369考える名無しさん:04/04/21 08:20
まあ存在と時間自体が未完成のものだし。


それよりも、誰か氏の志を引き継いで
講読を継続していこうとする人はいないかね?
370考える名無しさん:04/04/21 08:22
やっとウザイ香具師がいなくなってすっきりしたところだったのに、
余計な水をさすなよな。
371考える名無しさん:04/04/21 16:33
おれが続きやってやるよ
372考える名無しさん:04/04/21 23:21
>>371
男に二言はないぞぇ!
373考える名無しさん:04/04/22 07:01
371は男なの?
374考える名無しさん:04/04/27 01:13
現象学やら言語学的な知識を踏まえての読み方も大切だけど。
ドイツ語でいっぺんきちんと読んだ方がいい気もするがまあいいや。
375考える名無しさん:04/05/04 02:41
ハイデガーの「存在と時間」は俺も読んでて
やっと2/3ほど読み終える事ができた。
…やっぱこの本は異常に難しい。
何が難しいって
1)文章の1節1節が長く込み入っているので、
意味の把握自体にやたら時間がかかる。
2)1)のせいか、ハイデガーの言わんとする大略を
何度も読み返して把握しなければ、仔細な単語ばかりに囚われがちになり
妙〜な勘違いをしたまま次章へ目を移してしまう。
その結果、前章との矛盾が発覚して、自分の理解に誤りがあった
事に気付き、再度、前章からの読み直し…。
俺がアホなのかも知れんが、延々この作業の繰り返しで、
いつ読了することができるのかと非常な不安に苛まれてくる。
…「存在と時間」を読んで得た最大の教訓は、
自分の言葉で納得の行く説明を道筋を追って再現できなければ
いくら本人が判っている気分になっていたところで
それは極めて曖昧な認識にすぎんのだ、っつう事を
痛感したことだな。今でも「存在と時間」に登場する
個々の概念についての説明は一応できるようになったが、
個々の概念を繋げて一連の脈絡を持たせながら説明しようと
すると頭が一瞬、真っ白になる…。
376考える名無しさん:04/05/05 14:42
まあ、そういった意味では
極めて哲学書らしい哲学書ではあるわな。>存在と時間
377考える名無しさん:04/05/07 00:21
読めばええやん・・・
378考える名無しさん:04/05/07 00:25
読めたらこんなところにこねーつーの
379考える名無しさん:04/05/07 00:34
1さんもう帰ってこないのかな?
380考える名無しさん:04/05/07 00:37
読書会って時間が空いちゃうと、やる気なくなるからな。。。
371さんは引き継いでやらないの?
381考える名無しさん:04/05/07 00:40
これだけやっただけでも1さんは優秀な学生だということがわかるよ
普通の人は絶対読めないもん
382考える名無しさん:04/05/07 00:42
馬鹿ぴかぁ〜登場
383考える名無しさん:04/05/07 00:43
うん、beingさんは優秀!いっぺん会って話してみたい。
要約って、見た目には地味だし簡単そうなんでけど、
やってみると、これがけっこう大変なんだよ。
本を精読したい人は要約しながら読んでみるといいよ。
384考える名無しさん:04/05/07 00:44
自演はやめろと。
385考える名無しさん:04/05/07 00:49
自演?俺がbeingさんと?誤解ですよ。
皆がガッカリするようなアホコテです。
386考える名無しさん:04/05/07 00:53
このスレは駄目。
知ったかを抜け出すと連発するbeingがウザい。
そうと宣言した後に、逃げ出すのがまたウザい。
387ポール:04/05/07 00:53
>>375
>…やっぱこの本は異常に難しい。

独学で読むには非常に難解であるけれども、これほどおもしろい本も珍しいと思う。
もともと哲学書って、一度読んで「終了」といった読み方をする本ではなく、
繰り返し繰り返し読み続けるものだから、このくらい難しい方がいいんじゃないかなぁ。
僕は、簡単に理解できるものにはあまり興味ないし。
かわいい女の子と同じで、手に入りにくいものこそ燃えるというのは同じだね。

あと、beingさんは凄いよ。
門外漢が「存在と時間」を読み通すだけでも大変なのに、レジュメを作るのはその数倍、数十倍の労力が必要。
哲学書のレジュメを作った初心者ならわかると思うけど。
今の哲板にはbeingさんのような人が必要。時間をおいてからでいいから、是非復帰してもらいたい。
388考える名無しさん:04/05/07 00:57
>これほどおもしろい本も珍しいと思う。

そういうのは、読めた人が言う台詞。
誤解を呼ぶような言い方をしないこと。
389考える名無しさん:04/05/07 00:59
>門外漢が「存在と時間」を読み通すだけでも大変なのに、
>僕は、簡単に理解できるものにはあまり興味ないし。
>哲学書のレジュメを作った初心者ならわかると思うけど。

さも、自分が専門家であるように言わないこと。
390考える名無しさん:04/05/07 01:04
>さも、自分が専門家であるように言わないこと。

俺にはそんな風には解釈できないけどなぁ。
マターリマターリ
391考える名無しさん:04/05/07 01:06
>>387が知ったかの典型。
こういうのを、減らしていかないといかん。
392考える名無しさん:04/05/07 01:06
ほとんど成果ないよ。
393考える名無しさん:04/05/07 01:11
途中で投げ出したからな。
394考える名無しさん:04/05/07 01:13
>>391
いや、ポールさんは実際にやってるから言えるんでしょ。
ポールさんのスレ見たことない?
ここのような読書会スレの走りはポールさんのスレだろ?
知ったかじゃなくて、経験から自然と出た言葉だよ。
395考える名無しさん:04/05/07 01:16
ていうか、言葉の定義に捉われて論理をつかんでないから駄目なんだろうな。
396考える名無しさん:04/05/07 01:18
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1081010275/

こっちでやんない?こういう話。
397考える名無しさん:04/05/07 01:19
>>72
>少しでも「知ったか」から脱出したいので、
>>335
>少しでも「知ったか」から抜け出すためにも
>>363
>少しでも「知ったか」から抜け出したいために

being=「知ったか」
398考える名無しさん:04/05/07 01:21
>>396
もう、このスレ修了してるからいいんじゃない?
399考える名無しさん:04/05/07 01:21
カントとフッサール押さえておかないと論理がつかめないと思われ。
400考える名無しさん:04/05/07 01:23
>>394
見た。
でも、国外の哲学者で装飾せずに、
素直に大森マンセーだって言っちゃえばいいのにと思ったよ。
401考える名無しさん:04/05/07 01:23
>>397
そういうことが自分で言える所が誠実じゃねぇか!?
なぁ、そう思わんか?またbeingさんが好きになったよ。
402考える名無しさん:04/05/07 01:24
>>401
いい加減に君も暴露しちゃいなよ。
403ポール:04/05/07 01:25
>>394
ありがとう。

それと一言この場で言わせてもらえば、
初心者でも興味がある哲学書があればどんどん読書スレ立てて欲しいと思う。
僕も初心者で己の未熟さを省みず読書スレを立ててるけど、
初心者の活発な読書スレや議論スレこそがプロパーを呼び戻す一番の方法だと思うから。
2ちゃんの革命的なおもしろさは、通常交わることのない専門家と非専門家が簡単に
接することのできる場であると思うから。

>>401
そう思う。beingさん、戻ってきてね。
404考える名無しさん:04/05/07 01:32
beingさんは論理音痴で単に言葉の置き換えをしていただけなんだよ。
これじゃ無理だって。
405ポール:04/05/07 01:34
>>404
自分が惨めになるだけだよ
406考える名無しさん:04/05/07 01:35
まあ、教えてる(と思ってる)側も悪いんだけど。
>>28
>「基礎的存在論(Fundamentalontologie)」
>>39
>(1) 現象(Phaenomen < phainomenon)
>>40
>カントの意味での現象(Erscheinung)

全貌さえ掴めてないのに、用語だけ飾りつけをつけ過ぎ。
これじゃ、自称初心者にも余計な混乱を持ち込むだけ。
詐称していない、本来の初心者なら尚更。
407考える名無しさん:04/05/07 01:39
>>405
その言い方をするよりも、具体的にどこが惨めになるのか論じて御覧よ。
408考える名無しさん:04/05/07 01:41
>>405
今前半見てみたけど、例えばGilles氏のいいアドヴァイスがほとんど
スルーされてるぞ。
409考える名無しさん:04/05/07 01:42
>>403
>僕も初心者で己の未熟さを省みず

>>387
>門外漢が「存在と時間」を読み通すだけでも大変なのに、
>僕は、簡単に理解できるものにはあまり興味ないし。
>哲学書のレジュメを作った初心者ならわかると思うけど。

相変わらず、ボールが矛盾が好きだねー。
410ポール:04/05/07 01:45
>>407
そうだねぇ。

>極めて個人的な動機から「存在と時間」に挑戦します。
>当方私立非哲学科の大学生です。

哲学書の読み方も知らない非専門家に向って
「論理音痴で単に言葉の置き換えをしていただけなんだよ。」
っていう所かな。
おそらく君は哲学科なんだろうけど、この言葉で、専門以外には
手を出してない内弁慶の人かなぁと思ってさ。
違ってたら誤るけど。
411考える名無しさん:04/05/07 01:47
前半のGilles氏のアドヴァイスは生かした方がいいよ。
マジで。
412考える名無しさん:04/05/07 01:48
>>410
>哲学書の読み方も知らない非専門家に向って
>「論理音痴で単に言葉の置き換えをしていただけなんだよ。」
>っていう所かな。
>おそらく君は哲学科なんだろうけど、この言葉で、専門以外には
>手を出してない内弁慶の人かなぁと思ってさ。
>違ってたら誤るけど。

へぇー、じゃ>>406こそは、
まさに「専門以外には手を出してない内弁慶」と言う訳だ。
413考える名無しさん:04/05/07 01:52
でも、406の指摘はけっこうスルドイかも。。。
414考える名無しさん:04/05/07 01:53
感情的なケンカになってないか?
哲学者は自分の哲学に対する批判者を喜ぶものだ。
なぜならそうされることによって対話が成立し、哲学をさらに強固なものへと昇華することが可能だからだ。
ずぶずぶの馴れ合いで「知ったか」話で盛り上がるなら、文学板言ってくれよ。あいつらそんな話好きだから。
良識的な議論には、冷徹な思考と内官(超越論的自我に発端する感覚、精神)に忠実な対話の姿勢が必要だ。
ここにはそのかけらもありゃしない。
馴れ合いを表明する書き込みがひとつでも存在する限り、ただその一点のみによって対話は成立し得ない。
415ポール:04/05/07 01:55
反論ないようだから寝るよ。スレ違いだし。
(412は問題外)

416考える名無しさん:04/05/07 02:00
>>415
>反論ないようだから寝るよ。スレ違いだし。
>(412は問題外)

また、「上」からの発言ですか?
自称、「初心者」ボールさん。
417考える名無しさん:04/05/07 02:05
「現象」概念の形成過程に無頓着なやつはなにやっても駄目。
418考える名無しさん:04/05/07 23:09
「何故『コギト=スム』なのかを徹底的に検証するスレ」
に趣旨を変えたいが異論はあるか?
419考える名無しさん:04/05/07 23:14
スレッドは終わってるから、いいよ。
420考える名無しさん:04/05/07 23:37
416は100%ぴかぁ〜だから。ポをボと打つのはアイツしかいない。
421考える名無しさん:04/05/07 23:41
そんな訳ないってw
ポール粘着はぴかぁ〜とは別人だっての。
422考える名無しさん:04/05/07 23:44
ポールのような正統派はぴかーが一番嫉妬しそうなタイプ
423考える名無しさん:04/05/07 23:44
ぴかぁ〜は、他のやつにけなしても
1人以外には悪口いわんしw
424考える名無しさん:04/05/07 23:53
たぶんbeingを貶めてる名無し(>>397等)もぴかぁ〜だよ
425考える名無しさん:04/05/07 23:54
だから、ちがうって言うとてw
426考える名無しさん:04/05/07 23:59
この期に及んで見苦しいぞ、ぴかぁ〜
427考える名無しさん:04/05/08 00:06
♪いきてるってなーんーだーろ いきてるってなーあに
428考える名無しさん:04/05/08 00:07
スマン、誤爆だ。

ところで、関係ない言い争いはよそでやったら?
429考える名無しさん:04/05/08 00:09
低脳スレとか?
430考える名無しさん:04/05/08 00:10
イイね!!
431考える名無しさん:04/05/08 00:11
寂だろ?立てたのに低脳スレ使ってないみたいだけど。
432考える名無しさん:04/05/08 00:16
スレ汚しだからこれで最後。
俺は寂のような戦略的誤爆はできない、
マジで誤爆した天然の低脳でち。。。
433考える名無しさん:04/05/08 00:17
こうか、おとなの話のじゃまをしたらあかんで。
434考える名無しさん:04/05/08 07:07
続きやろうと思ってたけど
叩かれそうだからやめる
435考える名無しさん:04/05/08 16:20
436考える名無しさん:04/05/09 21:02
ネオコン分析。なんて、やるわけないじゃないですか。
フランシス・フクヤマなんて読んだこともねえよ。
ただまあ言えるのは、政治に反映されてやってることが失敗の域を全く出ない限りにおいては、矮小なナチもいいところだということですね。

そりゃハイデガーは哲学の操作をさせたら天才だったかも知れんさ。でも彼が支持し得たどころか積極的にそうしたのは、ヒトラーごときですぜ。
ここに常に出てくる知的に高い人の悲劇がある。時代のせいにはできないと思うんですよ。
よーするに人間のコントロール能力=政治能力、ニアリーイコールのコミュニケーションにおける破綻です。
ハイデガーがキリスト教? ジークフリート神話? 笑わせるんじゃないっての。でも彼の周りはその程度でしか動かない。だから殺っちまえになる。

頭のいい人間の正しさがサチュレイションに達すると「おしゃべりをやめたく」なる。ニーチェも一説には読んでいた罪と罰。
ラスコーリニコフだって、金貸し婆殺せばナポレオンになれるなんて自分でも思っていないんですよ! 彼はただ、生きたかっただけ。
そして「老婆を殺したんじゃない、自分を殺したんだ」。

ネオコンさんや「バカ白人」をちょっとだけ弁護すると、あったまいい奴も多いわけでね。

ところがこれからの歴史は彼らが戦争無能力者、資本主義無能力者だったことを証明するでしょうさ。ハイデガー同様。
437641:04/05/10 04:16
>>436
時折こういうキレモンが出てくるからやめらんねぇ〜んだよな、2ch・・・
438キ印:04/05/10 11:51
井筒俊彦「ハイデガーなどになると多分に東洋的といえるようなところがあるでしょう。そのためかどうか、後期のハイデガーには何かフレキシブルなところが感じられる。」
今道友信「私はハイデガーは大嫌いなんですよ、ほんとに声を大にしていっておかなきゃいけないんですけれどもね。」
(井筒俊彦著作集別巻「対談鼎談集」〜「東西の哲学」、99〜100ページ)

439キ印:04/05/10 11:59
(承前)
井筒「そういえば、ハイデガーと禅なんかを比較する人はずいぶん多いですね。あれはどうお考えになりますか。」
今道「ハイデガーというのは例のダス・イン・デア・ヴェルト・ザインにしても、独創ではありません。
1890年代に出た岡倉覚三の英文の「茶の本」の「ビーイング・イン・ザ・ワールド」というのが
最初に1908年かに独訳されたときにダス・イン・デア・ヴェルト・ザインと訳されましてね、
独訳の「茶の本」はインゼル叢書にあって第一次大戦前後のベスト・セラーです。
彼はそれを伊藤吉之助から貰い、あの語をそのまま取って黙っていたり、
リヒャルト・ヴィルヘルムの訳した荘子や老子の書物から取った言葉を黙って知らん顔しているというようなところがありますしね、
だからハイデガーを本当に研究しようと思ったらハイデガーのソースを考える必要がある。たしかに後期フッサールがあるでしょう…」
440キ印:04/05/10 12:01
(承前)
井筒「そうですね。」
今道「それからもう一つはグノーシス、そしてまた東洋の言葉ですね、テルミノロジーとしては東洋が多い。
だから「ビーイング・イン・ザ・ワールド」というのは荘子の「処世」の訳なんですから、
それを「世界内存在」なんてまた変に訳さないで、処世という言葉にもどしてくるぐらいの
それこそ思想史的なフレキシビリティーがないと、読んだってハイデガーはわからないことはたしかだと思いますね。」

だそうです。
441考える名無しさん:04/05/10 21:35
詐欺師ハイデガーの面目躍如ですな。
442考える名無しさん:04/05/11 00:27
夫「今日会社から帰ってくる途中に、駅前にサーカスが来てたよ」
妻「まあ、面白そう。さっそく明日行ってみるわ」

夫「今日散歩の途中で、駅前においしそうな骨が落ちてたよ」
妻「何で拾って来なかったのよ。ワンワン」

――人間には時間があるのだ。
443考える名無しさん:04/05/11 03:20
>>442
ちょっとちがくないか?
444考える名無しさん:04/05/16 21:51
>>438-440
どこの馬鹿かと思ったら東大名誉教授かよ。
哲学が用語と思想史の組み合わせで理解できると思ってんだろうね。
445考える名無しさん:04/05/20 20:57
今道なんてキ○ガイ爺さんじゃん。そんなのほっとけ。
446考える名無しさん:04/05/28 13:13
ハイデガー全集の『初期論文集』を読もうかと思っているんだが、
みなさまはこの本にどんな感想を持っていますか?
やっぱりSZを理解するには必読ですか?
447考える名無しさん:04/05/30 15:13
ぬるぽ
448考える名無しさん:04/05/30 21:59
  ( ・∀・)   | | ガッ
 と    )    | |
   Y /ノ    人
    / )    <  >__Λ∩
  _/し' //. V`Д´)/ ←>>447
 (_フ彡        /
449考える名無しさん:04/05/31 23:49
誰かが引き継ぐとか無いのだろうか

偉そうな事言ってた人は言いっぱなしで終わりなのか
だったら初めから黙ってればよかったのに
450考える名無しさん:04/06/02 15:14
西洋思想と東洋思想をやたら結びつける奴むかつく
451考える名無しさん:04/06/02 15:18
しね
452考える名無しさん:04/06/02 15:58
一切衆生の一乗成仏を説く法華経にかなうものはないということだな。
ハイデガーもいいところまでいった。
それは学徒ならだれもが認める。
そかし所詮西洋の浅知恵。
453考える名無しさん:04/06/03 13:47
そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!
そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!
そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!
そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!
そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!
そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!
そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!
そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!
そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!
そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!
そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!
そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!そかし!
454考える名無しさん:04/06/03 22:46
うむ、例えば日蓮の如実の法とか受難の法悦などを見ると、ハイデガー
の哲学がなんとも気の抜けた抽象的な廃墟に見えてしまう。
455考える名無しさん:04/06/03 22:54
>>454
日蓮の見仏聞法は単純な純化ではなくして弁証法を構成せいているものと
思われます。
いうなれば思考と実践の絶対弁証法ですね。
456考える名無しさん:04/06/06 02:56
日蓮って創価と関係あるんだ・・・
457考える名無しさん:04/06/06 03:00
ハイデガーの問いの答えは白隠禅師の中にある。
458考える名無しさん:04/06/06 11:35
巻末に出てくる「ヨルク伯」に萌え…
459考える名無しさん:04/06/06 11:50
どんな宗教も同じ。対象とは何かということとそれが個人に何を
及ぼすか。宗教なんかそんなもんだ。だから本なり宗教なりはただの
対象的な他者として読んだら捨てわかったら否定すればいい。
460考える名無しさん:04/06/06 21:56
>>458
同志よっ!
461考える名無しさん:04/06/11 07:26
稲垣足穂は、ヨルク伯を評して、

 古城の西洋庭園で、一人模型のヨットを浮かべているような…
 
なんてこと、書いてなかったけ?(記憶違いだったらスマン)
462考える名無しさん:04/06/12 06:46
463考える名無しさん:04/06/12 06:51
.  
464考える名無しさん:04/06/13 04:39
                       
465考える名無しさん:04/06/16 08:26
小鳥の中には、ある種類の毛虫しか食べない変わり者がいる。

俺も、ドスエフスキーの「悪霊」は米川正夫、
ハイデガーの「存在と時間」は桑木務
でしか読まないと決めている。
466考える名無しさん:04/06/16 17:11
あげ
467考える名無しさん:04/06/17 02:44
468考える名無しさん:04/06/18 01:48
469考える名無しさん:04/06/23 23:34
ハイデガーは結局ドストエフスキーを超えられなかった印象があるんですけど
470考える名無しさん:04/06/24 19:16
ドイツ人の親戚に聞いたら、日本語の訳が難しいとな
471考える名無しさん:04/06/24 19:34
ドストエフスキーって( ´,_ゝ`)プッ
厨房ご用達の作家
472考える名無しさん:04/06/25 12:49
超えるとか超えないって何?
その存在論的な意味を解明しませう
473考える名無しさん:04/06/25 13:05
脱自って得ろ杉と思う
原語も訳語も
474考える名無しさん:04/06/25 13:33
ハイデガーのちんこが性起してる!
475考える名無しさん:04/06/25 13:37
ハイデガーって確かドストエフスキーの肖像画飾ってたんだよね。
パスカルとドストエフスキーに共感を持っていたらしい。
476考える名無しさん:04/06/25 19:26
存在の定義ってなんですか?地球上でのことすよね?
宇宙空間的に言ったら同じ座標(仮想軸)に位置してた事もないし
その宇宙でさえ動いてるということは、さらに他次元の空間があることになるし
絶え間なく運動している「モノ」には「存在」という概念さえ無意味な気がしる
今どこにいるのか分からないんだから
477考える名無しさん:04/06/25 20:31
日本語では定義できないらしいよ。
478考える名無しさん:04/06/25 20:33
日本語で定義できないものなんてないんだけど。
479考える名無しさん:04/06/25 20:41
証拠がないと何を言ってもムダだな。
480考える名無しさん:04/06/26 02:07

481考える名無しさん:04/06/26 02:55
>日本語で定義できないものなんてないんだけど。
482考える名無しさん:04/06/26 07:04
ハイデガーが聞いたら、卒倒しそうだな。
483考える名無しさん:04/06/26 11:01
ドイツ語とギリシア語以外じゃ哲学できない
484考える名無しさん:04/06/26 21:31
すでに「いた」「あった」ことは「存在」の定義にならないので
確からしいものにするには、決められた未来時間の決められた位置に「ある」
ことを、予測でなく、正確に算出できなければなんない思う。
それはタイムマシンやワープ理論の方程式になるはずだし、そう遠い話でもない気もしる
重要なのか邪魔なのかは知んないけど「時間」をどう料理するかでないでしか?
485考える名無しさん:04/06/26 21:34
別に読みたくなんかないけどね。
486考える名無しさん:04/06/26 21:45
ううう・・・かんじすらよめない
487考える名無しさん:04/06/26 22:27
存在とは自明の事として始めたい
のでハイデガーは不要です
488考える名無しさん:04/06/27 03:02
>>487
驚けよ
489考える名無しさん:04/07/01 16:59
ハイデッガーはキェルケゴール(キルケゴール)のどういった思想に影響を受けたんですか?
教えてエロい人
490考える名無しさん:04/07/01 18:10
>>489
不安と憂い(愛)
491考える名無しさん:04/07/01 19:11

死に至る病とは絶望のことである 『死に至る病』

死への存在              『存在と時間』
492考える名無しさん:04/07/02 05:34
「存在と時間」は、<死の哲学>ともいえる。この本が書かれ
たのは第一次大戦から10年後のこと。戦車、飛行機、機関銃の
登場で莫大な戦死者が出た。日露戦争の旅順攻撃で日本軍は5
〜6万の死傷者を出したが、ソンムの会戦ではわずか1日で6万
のイギリス兵が、機関銃の水平射撃でなぎ倒されている。チャーチル
曰く「近代戦争はボタン1つで決定してしまう、英雄不在の戦いなの
だ」と。世界大戦の記憶も生々しい時代に書かれたこのハイデガーの
代表作は、まさに「血と脳症の中から」生まれたといってもよく、
「軍オタ」板の連中にとっても(笑)、一読の価値のある本なのだ。
493考える名無しさん:04/07/02 09:51
第53節から読むといいよ、と言われ読んでいます。
494考える名無しさん:04/07/02 12:48
というよりここにうpしてよ
ラテン語,フランス語でも少しは哲学できます.
496考える名無しさん:04/07/11 03:39
まず読み始めるのにどの訳が適してると思いますか?
ちくま文庫のを買おうかと思っておるのですが。
中公クラシックも気になります。
497考える名無しさん:04/07/11 03:45
>>496
ちくまの細谷訳は読みやすいけど、原文とまったく反対の意味に訳してしまって
いる箇所があったりして油断ならない。中公の原・渡邊訳がベスト。

498考える名無しさん:04/07/11 05:19
>>497
> ちくまの細谷訳は読みやすいけど、原文とまったく反対の意味に訳してしまって
それ買っちまったよ(鬱
訳の正確さから言うと原・渡邊訳(中公)と辻村訳(創文)が双璧なんだけど、
辻村訳はほとんど日本語になっていない上、訳語があまりに独特なので、総合的
にみてやはり原・渡邊訳が一番いいと思う。

細谷訳(ちくま)はわかりやすくしようとするあまり、変に言葉を補って、その結果
あきらかに誤訳になってしまっている箇所があるのが残念。

松尾訳(勁草)は独特のルビの振り方とふんだんな補足のおかげで、とてもわか
りやすくなっている。逆にいうと訳者の読み込みがあまりに強く反映されすぎて、
中立的に解釈することが難しくなっているのが難点。あと、値段が高すぎるし。

ただ松尾啓吉って、専門の哲学研究者じゃなくて、詩人なんだよね。アマチュアで
あそこまで訳せるというのは本当にすごいと思う。
496です。
みんなありがとうー。中公の原・渡邊訳にしてみようと思う。
501名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 19:06
ハラタスク萌え
502考える名無しさん:04/07/11 20:36
>>499
ボケェ!そんな大事なことはもっと最初に家!


ためになったホントありがとう。
503考える名無しさん:04/07/15 20:18
僕も迷ってましたけど、原・渡邊さん両氏の訳にします。499さんありがとう
ございます。
504考える名無しさん:04/07/15 20:49
先に「芸術作品のはじまり」を読むといろいろエッセンスが入っていて
いいと聞きました。
505考える名無しさん:04/07/17 13:34
>>497
>ちくまの細谷訳は読みやすいけど、原文とまったく反対の意味に訳してしまって
いる箇所があったりして油断ならない

>>499
>細谷訳(ちくま)はわかりやすくしようとするあまり、変に言葉を補って、その結果
あきらかに誤訳になってしまっている箇所があるのが残念。

具体的には、どこなのでしょうか? ご教示頂けれると有り難いです。

私は、中公クラシックス版で読み始めましたが、18節でダウン。ちくまの細谷訳に代えて、74節まで進みました。ドイツ語を知らない哲学初心者には、読み通せることが大事なのではと思うのですが。
506考える名無しさん:04/07/17 13:42
ちくまの細谷訳は日本語がよく練り上げられていると思う。
結局中公版と比べると一長一短なんだが、
両方読み比べるぐらいのことをやって(もちろんドイツ語とも
照らし合わせることに越したことはないけれど)
じっくり読む努力をしてもよいのではないかな。
こと『存在と時間』のような古典中の古典に関しては。
507考える名無しさん:04/07/17 16:56
わかるよ、本当に古典中の古典だから読んでる途中でコテンとねちまうん
だよな。そんなの俺だけってことないよな? おい、みんな、ウソつくな
よ。
508考える名無しさん:04/07/17 16:59
現存在分析から読み始めるのがコツだろ
509考える名無しさん:04/07/17 18:55
>>506
自分、それ読みました!
おもしろかったです。
と同時に、ハイデガーなんてぜってーよまねーと決心しました。
510考える名無しさん:04/07/17 19:27
>>509
読まなくていいよ、君に限っては。
511考える名無しさん:04/07/17 19:37
ありがとう。
ハイデガーは言葉遊びが過ぎますね!
ウィトゲンシュタイン崇拝します。
512考える名無しさん:04/07/17 19:55
>>511
言葉遊びっぽくなってくるのは後期ハイデガーだからな。
もっと勉強してからきてね、僕ちゃん
513考える名無しさん:04/07/18 12:28
現存在分析の起こりってハイデガーだったんだ。
つーことは、現存在分析に関してはビンスワンガーごときはハイデガーの
追認者って理解でOKでせうか?
514考える名無しさん:04/07/18 12:39
何も無批判に追認しているわけではなく影響を受けたということでしょ。
515考える名無しさん:04/07/18 15:09
ビンスヴァンガーのはハイデガー本人からボロクソにいわれとるよ。
516考える名無しさん:04/07/18 15:11
# hidex7777@漫画喫茶 『北田すゎーん!Taking Rorty seriouslyは〜??講演会はじまってしまいますう〜〜』
517考える名無しさん:04/07/19 18:11
↑なんだこりゃー!
518考える名無しさん:04/07/23 13:55
すいません。
日本で始めて紹介されたときの訳者は誰で、いつなのかご存知の方いらっしゃるでしょうか?
ご存知の方いたら教えていただけないか
519考える名無しさん:04/07/23 13:58
age
520考える名無しさん:04/07/23 14:22
>>518
寺島實仁という人の訳。初版は1939年で、三笠書房から出た。
タイトルは「存在と時間」。上下巻あわせて3000〜4000円ぐらいで
ときどき古本屋に出てる。
521518:04/07/23 15:23
>>520
ぐぐってもなかなか出てこなかったもので。

どのくらい売れたのかは今となっては知るのは難しいかもしれませんが
やはり戦前にはすでに出ていたのですね。
ありがとうございました。
522考える名無しさん:04/07/23 22:07
>>499
松尾訳好きだけどなー。古本屋だったらそんなに高くないし個人的には推薦。
って俺の推薦うけてもしかたねーか
523氏名黙秘:04/07/23 23:36
ハイデガーがニーチェからうけた思想教えてエロい人
524考える名無しさん:04/07/24 00:27
うけたってのは影響を受けたということか?
ハイデガーがニーチェを本格的に研究するころには
ハイデガーの哲学はほとんど完成されていたので影響を受けたとは言いがたい。
ニーチェ研究はハイデガー自身の哲学の発展と同じことで区別できない。
その点がハイデガーによるニーチェ読解が批判されてしまう要因なんだけどね。
525考える名無しさん:04/07/24 00:31
存在論的=ツアラトストラ的徘徊
この点でちょうか?
526考える名無しさん:04/07/24 00:42
決して認識論ではない事。存在を巡り旅をする。
この点が相対的な視点を齎すのよ。
でも、ハイデガーの場合にはその巡る事による複眼的な視点が
ギリシャ哲学への憧憬となって、単一の開けになっている気がするな。
つまり、ドイツ民族主義って事。
527考える名無しさん:04/07/24 00:46
知ったかw
528考える名無しさん:04/07/24 08:31
>>526
確かにその違いは大きいと思う。ニーチェの広さに対して、ハイデッガーの狭さ
がある。ニーチェの後継はむしろポストモダンの相対主義あたりにあるかもね。

それにしても、ニーチェも結局永劫回帰やら超人やらの狭い信仰体系を作って
しまったあたりに、すでに限界が見え隠れするわけだが。自分で思いっきり
狭めているわな。
529考える名無しさん:04/07/24 23:34
ハイデガーが存在の歴史と原初(ギリシア)を強調するのは
もちろん自身の哲学の固有性によるのが第一なんだけど、
ハイデガーがいう「駆り立て」と対比させる意図も大きいだろうと思う。
ポストモダンや現代思想はハイデガーにすれば「駆り立て」の内部で動いているに過ぎないんだな。
だからデリダやドゥルーズなんかを相手にしなかったんだろう。
530考える名無しさん:04/07/24 23:38
ハイデガー読むなら「政治と虚構」らばるとぉおお
531あんま考えてない七資産:04/07/24 23:42
河村次郎先生の授業面白い。
532考える名無しさん:04/07/25 00:21
ギリシャへの憧憬。強さへの憧憬。一方卑屈な理性=科学主義を批判する
わけだけど、やはり、ハイデガーの凄さは、存在論的な捉え方にある。
これは、ある意味では、自分にとっての視点=相対主義的な見方を肯定している
様にも取れるわけで、こう言う企投性に開かれた可能性としての人間存在的
捉え方を前期ハイデガーと呼び、逆に存在の開けに捉えられていると見るのが
ハイデガー後期なわけよ。
うんで、後期の考えが構造主義に引き継がれていくんだよ。
つまり、被投性=構造に捉えられてある存在者=現存在
こう言う構図で・・・・

533考える名無しさん:04/07/25 05:10
ニーチェがポスモダの先駆・・・まぁそういう面もあるのかもしらんが・・・
534考える名無しさん:04/07/25 08:32
まあ、何にせよ、これだけ形而上学が不毛な時代にあって、存在論存在論言っ
てるだけでもすごいわな。ヴィトゲンシュタイン流に言えば、語り得ぬものについ
て語りまくっているだけだから。

そういう意味で、語り得ぬものについて語るのは、暗号として語っているだけだ
としたヤスパースのほうが、バランスがあったりする。
535考える名無しさん:04/07/25 08:32
ポストモダンってもう死語だろ。そんなんで
なんか説明したような気になってる奴って信用できない。
536考える名無しさん:04/07/25 09:08
>>535
はいはい、もう少し論理的な反論をお願いしたい。
死語を使っているから信用出来ないて、あなた、中学生?
537考える名無しさん:04/07/25 09:22
ポスモダが死語なら、「存在と時間」はもっと死語(w
538考える名無しさん:04/07/25 10:38
>>536
違います。ポストモダンが死語である以上、それのあなたなりの定義が
必要だと言ってるわけです。ニーチェがポストモダンの先駆?じゃあ
ポストモダンってなんですか? という話です。

>>537
「存在と時間」は著作ですけど。それを読んで自分なりに解釈する自由は
誰にでもあります。
539考える名無しさん:04/07/25 13:21
>>538
それでは、まず、あなたの定義から聞かせて下さい。
540考える名無しさん:04/07/25 13:34
>>539
私はポストモダンなんて知りません
541考える名無しさん:04/07/25 16:41
>>540
それでは、まず最低限の基礎知識を身に付けてから出直して下さい。
542考える名無しさん:04/07/25 17:02
>>541
「ポストモダン」が最低限の基礎知識であるのなら
定義の一つぐらい書いてみたらどうですか?
まあ私はこんな言葉は要らないと思ってますけど。
543考える名無しさん:04/07/25 18:32
わざわざ危険な語彙を使ったのが運のつき
544考える名無しさん:04/07/25 20:33
さあさあ、夏休み中の子供の相手してないで、ハイデッガーの話題に戻し
ましょう。

存在と時間は未完成のままになっていますが、どうして後半が書かれなかっ
たと思いますか?

書けなかった(つまり論理的に破綻してしまった)のか、それとも意図的に
書かなかったのか?
545考える名無しさん:04/07/25 20:41
うんこ
546考える名無しさん:04/07/25 20:46
存在と時間全体の目次は以下の通り。

  第一部
   第一編 現存在の準備的な基礎分析
   第二編 現存在と時間性
   第三編 時間と存在
  第二部
   第一編 カントの図式論および時間論−時節性の問題設定の前段階として
   第二編 デカルトの《cogito sum》の存在論的基礎と、res cogitans の問題圏への中世的存在論の継承
   第三編 古代的存在論の現象的基盤とその限界の判別尺度としてのアリストテレスの時間論


この内、書かれたのは、第一部第一編と第二編のみ。つまり三分の一だけ。
54718男:04/07/25 21:04
ハイデガーは「ニーチェ」とか面白かった!
548考える名無しさん:04/07/25 22:03
ドゥルーズやデリダがニーチェから強い影響を受けたのは常識だろ。

ちょっとそのへんの概論書を読めば書いてあること。
549考える名無しさん:04/07/25 22:05
ドゥルーズ、デリダはポストモダンではないけどな
550考える名無しさん:04/07/25 22:08
>>548
でもニーチェがポスモダの先駆とは思わんなぁ

>>549
そうなのか
551考える名無しさん:04/07/25 22:10
フーコー、デリダ、ドゥルーズがポストモダンの思想家でなかったら、いったい
誰がそれに該当すると言うんだい。

552考える名無しさん:04/07/25 22:13
だからそんなものは最初からないんだよ
あるとしたら、かろうじてリオタールとボードリヤールかな
553考える名無しさん:04/07/25 22:20
> いったい誰がそれに該当すると言うんだい。

君に決まってるじゃないか!!!
554考える名無しさん:04/07/25 22:21
最初からない?んなむちゃな。近代のってる哲学史で扱ってないのをみたことがない。
555考える名無しさん:04/07/25 22:22
>>554
例えば? ポストモダンなんて哲学史の概念じゃないぜ
556考える名無しさん:04/07/25 22:25
>>555
書名はすぐには出ない

とりあえずウィキペディアにはある
557考える名無しさん:04/07/25 22:27
哲学よりもう少し広範な学問史に用いるってことくらいは知ってるが
哲学やってる人ならポストモダンて単語はしっているだろ。
なかったとはおかしい。
558考える名無しさん:04/07/25 22:29
>>556
そんなもの信用できるかよ
要はポストモダンなんてのはジャーナリズムの符丁でしかないわけ
哲学者で厳密に定義して使っているのはリオタールぐらい(しかも限定された文脈で)。
559考える名無しさん:04/07/25 22:30
>>558
まぁそうなのかもしれん。よくはしらんが
560考える名無しさん:04/07/25 22:40
ハイデッガースレなので、どうでもいい事だがな
561考える名無しさん:04/07/25 22:43
発端は>>528>>529がハイデガーの説明でもち出したんだけどな
562考える名無しさん:04/07/25 22:47
しかしまぁ定着してるから無くなることはないな。
563考える名無しさん:04/07/25 22:49
存在と時間の話、しないか?
564考える名無しさん:04/07/25 22:51
まぁポストモダンという言葉の使い方一つで、そいつの哲学の知識を測る指標にはなるわな
565考える名無しさん:04/07/25 22:56
思想や芸術の運動を省みても何らかの実態があるわけではないのだから
定義するのは難しいだろう。
いまだに当時の思想の概観すら把握されてないしな。
566考える名無しさん:04/07/25 23:01
ともかく安易にポストモダンを振りかざす奴は信用しないことだ
567考える名無しさん:04/07/25 23:03
ポスモダ談義で夜が更けていきます
568考える名無しさん:04/07/25 23:05
ただのスレ違いだろ
569考える名無しさん:04/07/25 23:06
ポストモダンをポモとかポスモダとか略して使っている奴も激しくDQN臭がするので止めたほうがいい
570考える名無しさん:04/07/25 23:09
実際DQNなんだから仕方がない。
571考える名無しさん:04/07/25 23:27
ハイデガーが一度でもポストモダンなんて口にしたことあるの?
572考える名無しさん:04/07/25 23:28
ハイデガー語るなら「政治と虚構」
573考える名無しさん:04/07/25 23:33
>>571
あるわけねーじゃん
574考える名無しさん:04/07/25 23:35
>>572
ラクー=ラバルト『政治という虚構』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4938661470/
575考える名無しさん:04/07/25 23:35
>>573
それならスレ違いじゃん
576考える名無しさん:04/07/25 23:35
ポストモダンというものはただ単に「考えてみれば溢れててもうわけわからん」という意味の総称でしかない。こんな言葉流行で使うもんじゃない
577考える名無しさん:04/07/25 23:37
>>576
そう、訳も分からず流行に流されている奴だけが使っている
578考える名無しさん:04/07/25 23:41
「大きな物語の終焉」
579考える名無しさん:04/07/25 23:41
>>574

「という」ね!ぼけてたwすまそ
580考える名無しさん:04/07/25 23:41
>>578

またどこかで読んだコピー使ってぇw
581考える名無しさん:04/07/25 23:43
>>580
言ってみたかっただけぽ・・・|Д・)
582考える名無しさん:04/07/25 23:45
>>581

そうなのか!ごめんよ、傷つけてm(_ _)m
583考える名無しさん:04/07/25 23:54
しょせん、2ちゃんで存在と時間の話題は無理なことがよくわかったよ。
584考える名無しさん:04/07/25 23:58
お前の穴という穴に俺のちむぽを入れてェ!」
585考える名無しさん:04/07/25 23:59
>>583
じゃ何か話題を振ればいいじゃねーか
586考える名無しさん:04/07/26 00:08
>>585
存在と時間は未完成のままになっていますが、どうして後半が書かれなかっ
たと思いますか?

書けなかった(つまり論理的に破綻してしまった)のか、それとも意図的に
書かなかったのか?

存在と時間全体の構想は以下の通り。

  第一部
   第一編 現存在の準備的な基礎分析
   第二編 現存在と時間性
   第三編 時間と存在
  第二部
   第一編 カントの図式論および時間論−時節性の問題設定の前段階として
   第二編 デカルトの《cogito sum》の存在論的基礎と、res cogitans の問題圏への中世的存在論の継承
   第三編 古代的存在論の現象的基盤とその限界の判別尺度としてのアリストテレスの時間論


この内、書かれたのは、第一部第一編と第二編のみ。つまり三分の一だけ。
587考える名無しさん:04/07/26 00:17
>>586
後期ハイデガーは基礎的存在論の構想を放棄したから
つまり、いわゆるケーレ(転回)が起こったからじゃないのかな
ケーレ以降のハイデガーの問いは『形而上学入門』参照

でも『存在と時間』の後半部に当たるべき草稿は
いくつか見つかってるんじゃなかったっけ? 
そのあたりはあまり俺は詳しくはないが。
588考える名無しさん:04/07/26 00:21
ハイデガー『存在と時間』の構築����岩波現代文庫
木田 元
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/400600009X

この本あたりが最初の手がかりになると思われ
589考える名無しさん:04/07/26 00:21
>>586
第二部 第一編 の問題構成は「カントと形而上学の問題」を読めばいいのかなあ。
俺、あの本一度読んだけど難しくて全然わからなかったよ。
590考える名無しさん:04/07/26 00:23
ハイデガーのデカルト論は、ニーチェ書で読めるよね
『存在と時間』にどこまで関係あるかは見定め難いけれども
591考える名無しさん:04/07/26 00:24
>>586
書けなかったに、一票。挫折しちゃたんだろ。存在論が挫折するのが現代哲学
の運命だわな。「存在と時間」が未完に終わったのは大変象徴的だと思う。
592考える名無しさん:04/07/26 00:32
「存在と時間」は未完で、存在論としては不十分なのだろうが、人間についての
分析が含まれている点が魅力だ。

現存在・被投性・世界内存在・投企・死への存在・・・とか
593考える名無しさん:04/07/26 00:33
>>586
『存在と時間』のアリストテレス論は
『アリストテレスの現象学的解釈』が
その草稿として読めるはず
594考える名無しさん:04/07/26 00:35
>>592
人間の分析じゃなくて現存在ないし実存論的分析。ハイデガーの現存在は、人間概念を問いに付す
595考える名無しさん:04/07/26 00:57
ハイデガーの人間主義批判は『「ヒューマニズム」について』参照
596考える名無しさん:04/07/26 06:54
『存在と時間』は「未完成交響曲」(2楽章まで。3章はピアノスケッチのみ)
と同じで、あの「挫折」感が魅力でもある。問いが永遠に投げ出されてるという
感じ。仮に晩年に続編が書かたとしても、あの異様な緊迫した文体と思考とは
全く別の論考になったのでないか。
黒沢明の、最終作にしては弛緩仕切った『まあだだよ』のような。
597考える名無しさん:04/07/26 10:18
『存在と時間』は文学だろ
598考える名無しさん:04/07/26 10:21
はあ?
599考える名無しさん:04/07/26 10:25
はあ?
600考える名無しさん:04/07/26 10:26
はいはい
601考える名無しさん:04/07/26 10:33
みんな、夏休み中なんだね。海でも行ったら
602考える名無しさん:04/07/26 11:38
ハイデガーはメディチ家のヒモ
603考える名無しさん:04/07/26 12:01
ハイデッガーはヒトラーの犬
604考える名無しさん:04/07/26 12:29
『存在と時間』の内容なんて珍走団のDQNが日常的にしゃべってる
ことばかりだからなあ。
今更」って感じ。
605考える名無しさん:04/07/26 12:32
>>604
夏休みの馬鹿は来なくて良いよ
606考える名無しさん:04/07/26 12:48
>>604
存在と時間を流れる感情の機微を読み取れない夏厨は来るな。
607考える名無しさん:04/07/26 13:43
>>604 ちょっとうけました
608考える名無しさん:04/07/26 16:33
ヒトラー万歳のオレ的には最高の哲学者
609考える名無しさん:04/07/26 16:36
>>608

まぁた(脳みそが)チュウボウいるのか
610考える名無しさん:04/07/26 16:36
画家くずれのヒトラーには、所詮理解できない
611考える名無しさん:04/07/26 16:38
ヒトラーは超人だから
612考える名無しさん:04/07/26 16:44
>>611

なんか超人とか意味もわかんないガキがおるね。
613考える名無しさん:04/07/26 19:21
実際レーム萌えのハイデガーは、ヒトラーとは合わなかったんだろ。
614考える名無しさん:04/07/27 22:32
読みなさい。
615考える名無しさん:04/07/28 13:12
読んだけど。
616考える名無しさん:04/07/28 13:24
読んでるわけねえだろうwコイツ
617考える名無しさん:04/07/28 17:11
ところで、おまえら、ハイデガーが存在と時間で「止まる今」というのを批判してたが

どーゆーことかわかるやついるか?いたら2チャンも捨てたもんじゃない
618考える名無しさん:04/07/28 17:24
「飛ぶ矢は飛ばない」か?
619>>617:04/07/28 17:33
>>618

消えろ。俺はハイデガーが「止まる今」を批判してた理由をとうてるのだ。

やっぱ2チャンは馬鹿の集まりか。
620考える名無しさん:04/07/28 17:41
「飛ぶ矢は飛ばない」か? w
621考える名無しさん:04/07/28 18:06
わかった。哲学板には阿呆しかいない。

だいたい20以上の大人がくると思ってたが」

どーも知能は20以下のやつらばっかだな
622考える名無しさん:04/07/28 18:11
「飛ぶ矢は飛ばない」♪♪♪
623考える名無しさん:04/07/28 18:16
>>622

いい大人がこれだもんなぁ。日本も幼稚になった

624考える名無しさん:04/07/28 18:46
「どーゆーことかわかるやついるか?いたら2チャンも捨てたもんじゃない 」
なんて書くおまいが阿呆なんだろ? それを棚に上げて「日本も幼稚になった」か?  
625考える名無しさん:04/07/28 18:49
>>624

読めない中は帰った帰った
626考える名無しさん:04/07/28 19:09
フン。ナチ野郎の本なんて誰が読むか。ヴァカ!
627考える名無しさん:04/07/28 19:12
>>626

はい、ただの知ったかぶり。やっぱ読めてないんだなみんな
628考える名無しさん:04/07/28 19:15
てか、実はハイデガって読んだことない。そもそもドイツ語が読めない。
629考える名無しさん:04/07/28 20:00
幼稚園児かよ。
630考える名無しさん:04/07/28 20:22
「飛ぶ矢は飛ばない」コレだね。
631考える名無しさん:04/07/28 20:46
くでぇw
632考える名無しさん:04/07/29 06:56
ハイデガーの「存在と時間」は詐欺だな。何だよ「未完」ってのは(藁)。
映画の「前編」で「つづく」と予告しておいて、「後編」実は力不足でで
きませんでしたじゃ、話になんないだろ? 
結局「現存材分析」「死」などハイデガーが書きたかったのは、「実存」
どまりなわけだろう?
それを「時間と存在」まで大風呂敷を広げるから、余計な期待を抱かせる
ことになる。「人間存在」分析は分かったから、いい。
肝心の「時間」論はどこ行ったのかね?
633考える名無しさん:04/07/29 08:56
存在論じゃなくて、実存主義や実存哲学の一種で終わったから、ちょうど良かっ
たんじゃない?個人的には、存在と時間は現存在分析以外面白くない。

そもそも現代哲学で存在論やろうなんて、最初からはったりにならざるをえない
よな。語りえないものについてどうしたら語れるのかの認識論上の問題が何も解
決していないのだから。

ヴィトゲンシュタインあたりに言わせれば、ハイデッガーの書いたものは、ことご
とく無意味な命題の集まりということになるだろうし。
634考える名無しさん:04/07/29 09:04
20世紀前半で時計が止まった香具師か?
635考える名無しさん:04/07/29 09:18
「存在と時間」は1927年出版ですが、それが何か?
636考える名無しさん:04/07/29 09:26
『存在と時間』の出版年がいつだろうと、いまどき『論理哲学論考』の
内容を鵜呑みにして「現代哲学」を語るのは、馬鹿げています。634
に対して635で答えになると思うのと同じぐらいアフォです。w
637考える名無しさん:04/07/29 09:31
ウィトはむしろハイデガーに共感にしているのにな
638考える名無しさん:04/07/29 09:45
>>636
それでは、あなたの知っている20世紀後半の「現代哲学」を使って、論理哲学
論考を論破して見せて下さい。是非お願いします。
639考える名無しさん:04/07/29 09:52
>>638
じゃまず答えろ。おまいは「有意味な命題は、要素命題の真理関数」と
いう説を信じているのか?
640考える名無しさん:04/07/29 10:00
「私が何かを信じている」ということと
「20世紀後半の『現代哲学』では『論理哲学論考』は論破された」ということ
に何か関わりがあるのですか?

641考える名無しさん:04/07/29 10:02
それでは、さっそく「有意味な命題は、要素命題の真理関数」という説を
20世紀後半の「現代哲学」によって論破してみて下さい。
642考える名無しさん:04/07/29 10:06
『論理哲学論考』は、いまではほどんど誰も信じなくなった「有意味な
命題は、要素命題の真理関数」というデムパ説の上に組み立てられた体
系だということさ。おまいは、信じているのかいないのかどっちだ?
643考える名無しさん:04/07/29 10:18
現代哲学の潮流や流行の話がしたいのか?

それならば、形而上学不毛の時代という潮流の中で、「語りえないものについて
は沈黙しなければならない」という言葉は、20世紀後半以降の「現代哲学」の中
でも全く色あせていないだろう。
644考える名無しさん:04/07/29 10:26
「語りえないものについては沈黙しなければならない」なんて、青年
ヴィトゲンシュタインが若気の至りでつい書いてしまった恥ずかしい
一行だろ。それをしつこく責めるのは、大人気ないよ。(w
645考える名無しさん:04/07/29 10:28
だいたい『論理哲学論考』自身が形而上学じゃないか。現代が「形而上
学不毛の時代」(←これは嘘だろうけど)なら、語りえないものについ
ては沈黙するという方針で、『論理哲学論考』は絶版にするといい。
646考える名無しさん:04/07/29 10:29
ともかく、ここはハイデガーのスレだから、論考の現代的意義について
は別スレでやろう。
647考える名無しさん:04/07/29 10:35
おまえら、ヤスパースはいいぞ。

論理的につじつまがあっていようがどうだろうが、全部「暗号」だから無問題。
「存在と時間」も「論哲論考」も暗号として読めば、無問題。

たとえ、語りえないものについて語っていても、それは暗号として語っている
のだから、無問題。

直接的な真理の認識は上から突然やってくるのだが、それ自体は語りえず
伝達も出来ない。無理に語ったものは、暗号としてのみ意味を持つ。これで
無問題だ。

648考える名無しさん:04/07/29 10:48
『論理哲学論考』に個人的な恨みをもっているヤツが混ざってるな。
この本のせいで、何かつらい目にあったのか?
多分、過去にこの本を自分でも鵜呑みにして、ひどい目にあったんだろうな。

よしよし、お兄さんも、この本は絶版にするといいと思うよ。
649考える名無しさん:04/07/29 10:58
ん? たしかにちょっと言い過ぎたかな。
論考を重視したことが一度もないので、恨みもないはず。
ただ、なぜか論考厨を見ると、腹が立ってくる。(w
650考える名無しさん:04/07/29 11:04
>>647
「語りえないものについては、暗号で語れ」か?(w
651考える名無しさん:04/07/29 11:21
>>650
苦肉の策という気がかなりするわけだが、このくらい現代は形而上学を
胸張っては語れない不幸な時代てことだな。

古代ギリシャは良かったよ。
652考える名無しさん:04/07/29 11:41
あなたの言う「形而上学」って、何のことなんだ?
653考える名無しさん:04/07/29 12:20
何のことなんだ?、とは何のことなんだ?
654考える名無しさん:04/07/29 12:24
ハイデガーとハイデッガーとではどっちが原語の発音に近いん?
655考える名無しさん:04/07/29 12:27
>>645
論考が形而上学?
論考ホントに読んだのか?何も理解してないやん。
656考える名無しさん:04/07/29 12:32
>>621
期待しない方がいい。バカばっかりだから。
けど、ごく稀にまともな人もいるよ。
657考える名無しさん:04/07/29 12:32
「世界は物の総体ではなく、事の総体」って主張が形而上学的主張でなくて
なんなのさ?
658考える名無しさん:04/07/29 12:39
やっぱり全体を読んだことがないんじゃん
659考える名無しさん:04/07/29 12:41
結局超越論的なんだよ。
660考える名無しさん:04/07/29 12:47
最初の一行をあげると、全体を読んだことがないことになるのか?

「語りえないものについては沈黙しなければならない」って当為命題だろ?
(↑これで全部読んだことになったかな?)ww
661考える名無しさん:04/07/29 12:52
むかしの人は「地球が宇宙の中心である」ことを
疑っていなかった。
だからこそ、「地球は宇宙の中心ではない」という新説が出たら
猛反発した。その説の検証もせずに。

結論だけ見て、勝手に恨みを抱き、その説に至る主張をまったく見ず、
ただ感情だけで非科学的に反発したわけだ。

しかし今日では、正当に検証した結果、「地球は宇宙の中心ではない」という
説が事実であるから、当たり前となっている。

つまりは、結論だけ見て、結論に反発したところで、何の反論にもなってない
ということ。論を理解した上でないと、論理的反論は成り立たない。
662考える名無しさん:04/07/29 12:52
形而上学を否定する形而上学だって本人も思ってたから、はしごがどうたらと
言い訳してるんじゃないのか?
663考える名無しさん:04/07/29 12:57
俺って、荒らし?
664考える名無しさん:04/07/29 13:02
やっと気付いたようだね。
665考える名無しさん:04/07/29 13:03
荒らしちゃだめぽ?
666考える名無しさん:04/07/29 13:06
>>663
お前だれだよ。
667663:04/07/29 13:10
636,639,644,645,646,649,652,657,660,662
668663:04/07/29 13:10
やっぱり、俺は荒らしだ。
669考える名無しさん:04/07/29 14:07
どうやったらハイデッカーみたくなれますか。
ギリシアですか。えいがたのしみにしてます。
670考える名無しさん:04/07/29 14:17
>>654
ハイデッガーよりハイデガーの方が正しい。
日本では全集を編集しているデムパたちが「ハイデッガー」に
統一してしまったので、混乱が起きている。
671考える名無しさん:04/07/29 14:30
地球は宇宙の中心からみたら・・・


かなり僻地
672考える名無しさん:04/07/29 14:41
宇宙の中心て京都?
673考える名無しさん:04/07/29 15:14
>>656=ポール
674考える名無しさん:04/07/29 16:23
恐山のイタコにたのんで、ハイデガー降臨。

「存在と時間」の後編を、津軽弁の講義
で聴きたい。
675考える名無しさん:04/07/29 16:50
ばぁか、ハイデガーは20世紀最大の哲学者だぞ。

だからデリダもドゥルーズもこいつを問題にするんだよ
676考える名無しさん:04/07/29 17:04
ハィデギャーが正しいとうちの弟が言っているんですがどうなんでしょう?
677考える名無しさん:04/07/29 17:06
>>676
しこたま叩きのめしてください
678考える名無しさん:04/07/29 17:23
>>677

てめーを叩きのめしたいのですがどうすればいいでしょうか?
679考える名無しさん:04/07/29 17:31
夏厨だらけだな
680考える名無しさん:04/07/30 22:34
空談
681考える名無しさん:04/07/30 22:53
禁頽落
682考える名無しさん:04/07/31 11:35
ハイデッガーには丸苦主にとっての園芸留守みたいな奴はいないのかよ。
いりゃーよ、そいつに後半編を書かせりゃーいいじゃん、だろ。
683考える名無しさん:04/07/31 12:05
いるにはいるが、みんな、師匠が大嫌い
684考える名無しさん:04/07/31 12:19
でも、そこはそれオトナの都合とかなんとか適当に自分を合理化してさ、
それまでのいきさつがあるんならよ、そいつはそこらの棚にポンって置
いといてよ、書いてほしいぜ。

ところで、ヘーゲルはヘーゲリアン、マルクスはマルキスト、ナポレオンは
ナポリタン?って言うだろ。で、ハイデッガーorハイデガーは何よ。
685sage:04/07/31 12:31
>>617
81節の原注(7)の記載と思うのですが、「とどまれる今」の意味内容も、
ここでハイデガーが、批判しているといえるのかもわかりません。この注に
書いてあることは全くわからないのです。

どなたか解説して頂けないかなあ。
686考える名無しさん:04/07/31 13:47
ハイデッゲリアンだろう
687考える名無しさん:04/07/31 14:24
>>683
ガーダマーはハイデガー嫌いじゃないだろ。
688考える名無しさん :04/07/31 14:46
ハイデッガーの基礎用語を
日本語⇔ドイツ語で訳の対応書いているサイトないでしょうか
教えてください
689考える名無しさん:04/07/31 23:19
↑なーんも。
690考える名無しさん:04/07/31 23:29
www
691考える名無しさん:04/08/01 01:18
>>685
nunc stans
でググれ
692685:04/08/01 01:58
>>691
ありがとうございます。
日本語しかわかりませんが、ものすごく難しそうなのがヒットしました。
図書館で「現象学事典」あたりで調べるのが先決のようですね。
フッサール批判のようだけど、とてもフッサールは読めません。
693考えない名無し:04/08/01 09:59
こんなのもあるぞ↓。
http://www.furugosho.com/cgi-bin/bbs/yybbs.cgi
694考える名無しさん:04/08/01 13:08
>>692
nunc stans(立ち止まる今)と nunc fluens(流れる今)という対比は
特にキリスト教神学の伝統からきてるから、その辺の文献も参考になるかも。
ググってみたらトマスのテキストもヒットしたけど。

まあ、ここでハイデガーがいってるのは要するに、キリスト教神学も
時間理解は通俗的でだめぽ、ってことっしょ。
695考える名無しさん:04/08/01 13:20
結局さ

思いつきのフレーズで書き始めて、無理やり書ききったって事だろ?
この手の哲学書って。

君の期待する結論はない筈
696695:04/08/01 13:21

何が書かれているか理解していない書物は理解できない
697:04/08/01 13:23
単なる思いつきでレス付けてる香具師
698考える名無しさん:04/08/01 13:45
↑みんな50歩100歩さ。それぐらい理解しとけよ。
699考える名無しさん:04/08/01 14:03
一気に糞スレ化
700考える名無しさん:04/08/01 20:47
2ch自体、ものっそい頽落
701考える名無しさん:04/08/03 07:29
ハイデガーってハマコーみたいな人相だな。
702考える名無しさん:04/08/03 11:52
ニーチェよりも好きかも
703考える名無しさん:04/08/03 19:28
↑顔がか?
704考える名無しさん:04/08/06 03:35
      r ‐、
      | ○ |         r‐‐、
     _,;ト - イ、      ∧l☆│∧  良い子の諸君!
    (⌒`    ⌒ヽ   /,、,,ト.-イ/,、 l  早起きは三文の得というが、
    |ヽ  ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒) 今のお金にすると60円くらいだ。
   │ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ /| 寝てたほうがマシだな。
   │  〉    |│  |`ー^ー― r' |
   │ /───| |  |/ |  l  ト、 |
   |  irー-、 ー ,} |    /     i
   | /   `X´ ヽ    /   入  |
705考える名無しさん:04/08/06 22:11
夏ガレ、夏ダレ、糞スレ状態か。
706チンポ太郎:04/08/06 22:14
クソスレ
707考える名無しさん:04/08/07 08:49
ハイデガーはヒットラーよりも酷暑に弱いと。
708考える名無しさん:04/08/07 16:25
ハイデッガーの基礎用語を
日本語⇔ドイツ語で訳の対応書いているサイトないでしょうか
教えてください
709考える名無しさん:04/08/07 23:13
>>708
『存在と時間』に限定したものなら、
ちくま学芸文庫版の下巻の終わりに、事項索引として載ってるよ。
それをエクセルに打ち込んでちょっと加工したものならうちにあるけど、
どっかにうpしようか?
加工といっても、ドイツ語のほうでソートかけて、ページ番号がないだけ。
710考える名無しさん:04/08/07 23:58
ttp://hikui.fc2web.com/szword.htm
うちのブラウザでは大丈夫でしたが、
ちゃんと表示されなかったらいってください。
711708:04/08/08 05:38
>>710
いただきました。
ちゃんと表示されますた。
ありがとん。
712考える名無しさん:04/08/09 20:00
基礎用語もいいけど、基礎体温もおさえておかないとね。
713考える名無しさん:04/08/11 06:05
電波のkagamiが今度はハイデッガー

http://www4.ocn.ne.jp/~temp/index.html
714考える名無しさん:04/08/11 13:55
奴は病気だ
もう治る見こみはないな
715考える名無しさん:04/08/11 14:37
『少女と時間』
716考える名無しさん:04/08/11 14:42
不毛だ…
つうか無毛だ…
717考える名無しさん:04/08/11 15:51
夏休みでパワー付けてんだろうから、糞スレ止めてバッチリ決めてくれよ。
718考える名無しさん:04/08/14 11:02
バッチリ決めたいが、この暑さだからな。まあ、あんまり無理言わんと、
ながーい目でみてやってくんさいな。
719考える名無しさん:04/08/18 00:36
存在と時間で何か質問ある?
初学者の方どーぞ。
720考える名無しさん:04/08/18 00:38
>>719
「存在と時間」じゃないけど「カントと形而上学の問題」で言われてることを
数行で書いてくれると嬉しいっす。
721考える名無しさん:04/08/18 00:44
カントと形而上学の問題はまだ読んでないや。
というか投げやりな質問はやめてくれよん。
722考える名無しさん:04/08/18 00:46
>>721
いや、投げやりじゃないんだけどw
読んでないんならいいや
723考える名無しさん:04/08/18 01:03
間主観性ってどうよ?
724考える名無しさん:04/08/18 03:10
>723
ヒデギャーに期待しても無理
725719:04/08/19 23:27
なんもないのか?
726考える名無しさん:04/08/19 23:28
>>725
「存在者」と「存在」の違いを分かり易く教えてチョ
727719:04/08/20 00:06
>>726
人間は人間である限り常に存在について理解をもっているわけだよね。
その存在は自覚的にも、無自覚的にも対象として個別的に理解されている。
私という存在、木という存在、犬という存在、というふうに。
それらの存在をハイデガーは存在者として規定した。
しかしそれぞれ個別的な存在でも全て同じ「存在」という語として統一的に経験されているのだから、
その「存在」はどこから理解されているか、と考えたのが存在と時間なのだ。
728考える名無しさん:04/08/20 00:11
>>727
では大ざっぱに言って
存在者=個別、特殊
存在=一般、普遍
みたいな捉え方でいいのでしょうか。
こんなに分かり易くていいのかという気もしますが・・・
729考える名無しさん:04/08/20 00:20
>>719
先生、
「形而上学入門」「形而上学とは何か」「ヒューマニズムについて」
「世界像の時代」「ニーチェ」からの質問でもいいですか?
730719:04/08/20 00:22
>>728
その「存在」とはなんなのかというのが存在と時間全体を通しての問題なのだから、
読み込む前に決めてしまう必要はないよ。
まあ存在は一般や普遍としては規定できないんだけどね。
731考える名無しさん:04/08/20 00:28
>>730
では >>727の答えは何だったのかと小一時間(ry
732719:04/08/20 00:30
>>729
その中でまともに読んだのは「形而上学入門」だけですね。
すまん。
733考える名無しさん:04/08/20 00:32
あほか。
個物が存在者であるのと同じで、
普遍者も存在者やねん。
734719:04/08/20 00:33
>>731
どういうことかな?
存在者が個別として理解されているからといって
存在を一般や普遍として規定しなければいけないということはないよ。
735考える名無しさん:04/08/20 00:33
>>732
それで先生役やろうなんていい度胸しとるやんけー。

うそうそ、続けてくださいw
736考える名無しさん:04/08/20 00:35
>>719
「存在の棲家は言葉である」とどこかで言ってましたが、如何なる事柄でありましょう?
737考える名無しさん:04/08/20 00:39
>>719
哲板には、本当はかなりの知識を持ってるくせに質問者を装って先生役を
おちょくる奴がかなりの数いるから気を付けたほうがいいよw
738考える名無しさん:04/08/20 00:39
>>734
分かったよ。結局説明できないわけね。
739ぴかぁ〜:04/08/20 00:39
         ↑
         |
   ∧_∧ ∩   
  ( ´∀`)ノ ェィ!  
 ⊂    丿 
  ノ  γヽ 
 (__丿\__ノ 
740考える名無しさん:04/08/20 00:40
>>737
それは単におちょくられる方が駄目なんじゃないか?
741考える名無しさん:04/08/20 00:42
まあ、どうでもいいけど
「普遍」の定義してみれ
742719:04/08/20 00:42
>>736
ハイデガーは人間がいなければ存在が存在としてあることはないと考えました。
言葉は人間の、存在との第一の関わりなのです。
743考える名無しさん:04/08/20 00:43
>>740
>それは単におちょくられる方が駄目なんじゃないか?
まったくその通り。俺はそういうおちょくりを肯定してる。
シッタカ撲滅につながるから。
744考える名無しさん:04/08/20 00:44
>>742は即刻銃殺
745719:04/08/20 00:44
>>738
「説明」できてしまうような存在はまさにハイデガーが批判するものだ。
存在は対象としては把握できないのだから。
746考える名無しさん:04/08/20 00:45
>>745は全く意味不明
747考える名無しさん:04/08/20 00:46
>>719って、もしかして・・・・・あの人?
748考える名無しさん:04/08/20 00:46
>>745
アホか。そういうのを韜晦というんだよ。
説明できないものをハイデガーが主張するわけない。
「存在」は『存在と時間』の最も基本的な概念だろーが。
749ぴかぁ〜:04/08/20 00:47
>>747
そのとおりですよ、
いやぁ〜照れるなぁ〜♪
750考える名無しさん:04/08/20 00:48
ちっ!
751719:04/08/20 00:48
>>748
説明する、ということについてハイデガーが述べている著作もあるから読んでみてね。
752考える名無しさん:04/08/20 00:49
プ
753考える名無しさん:04/08/20 00:53
719は「存在と時間」「形而上学入門」以外はハイデガーの本は何を読んだんだ?
754719:04/08/20 01:00
それ以外で通して読んだのは「ツォリコーンゼミナール」と「ブレーメン講演とフライブルク講演」だね。
あとは拾い読み。
755考える名無しさん:04/08/20 01:08
厨じゃんか
756考える名無しさん:04/08/20 01:24
719さんはここに当分のあいだ常駐しててくださいねーw
757考える名無しさん:04/08/20 01:32
>719
ダス・マン ではない在りようとはどのようなもでしょうか?
758考える名無しさん:04/08/20 03:10
現存在と実存ってどう違うんですか?
途中でわからなくなってきました。
719さんどうかおしえてください。
759考える名無しさん:04/08/20 03:23
19の時、岩波で読んだなあ。
二週間かかったよ。
もう忘れちまったけど。
なんか金槌の話が延々続いてた記憶があるなあ。
760考える名無しさん:04/08/20 03:28
ハイデガーといえば金槌とチョーク。
761719:04/08/20 23:06
>>757
それは動物のことかな?
それとも未知の存在のようなものを考えているかな?
現存在は人間の恣意的な構成ではなく、限界ある自己の被投性から
自己の存在を存在するほかありません。
常識的に世界内存在の内で動物が人間とは別の様子、様態で存在している、ということはできますが、
別の「存在様態」という言い方がすでに現存在を前提しているのだから、
現存在ではない存在というものを空想してみたところで無意味です。
762考える名無しさん:04/08/20 23:15
>>761
>自己の存在を存在する
日本語がおかしい
「〜を存在する」なんて日本語はない。
763考える名無しさん:04/08/20 23:16
お前を犯人だ!
764719:04/08/20 23:26
>>758
現存在は世界の中で出会うほかの存在者と同列ではない特別な存在者です。
ほかの存在者と出会うということがありえるのも、
現存在に世界が属し世界内存在として自己の存在を存在しているからです。
このように現存在を特別たらしめている、自己の存在と自ら関わるという
現存在の本質性格、本質規定が、実存なのです。
765考える名無しさん:04/08/20 23:28
>>764
「〜を存在する」なんて日本語はない。
766719:04/08/20 23:31
ちょっとレスが生真面目すぎたな。
767考える名無しさん:04/08/20 23:32
厨がジャーゴン振り回して悦に入っているだけの
典型的な駄文
768考える名無しさん:04/08/20 23:34
だって719はパレルゴンだもん。
769考える名無しさん:04/08/21 00:03
パレルゴンは語ることができるか
770考える名無しさん:04/08/21 01:02
厨じゃない人、マジでハイデガーのカント評価について教えてー。
ハイデガーとカントってどうしても結びつかない。
771考える名無しさん:04/08/21 07:27
>現存在は世界の中で出会うほかの存在者と同列ではない特別な存在者です。

「岡田監督」はセ界の中で出会うほかの「監督」と同列ではない特別な存在者です。
772考える名無しさん:04/08/21 15:52
○○を読みたい!ってスレタイ多いが、勝手に読めよといいたい。
読みたいってなに?本買う金かしてくれってこと?
素直に手ほどきしてくださいって言えよ
773考える名無しさん:04/08/21 18:37
ま、772みたいな頓馬なトウシロも含めての2チャンネルだから、
許してやってくれや、頼まー。
774考える名無しさん:04/08/21 20:22
>>773
おマイは頭がワイてるな
775考える名無しさん:04/08/21 21:16
「存在と時間」はどの訳が良いでしょうか?
776考える名無しさん:04/08/22 00:55
ドイツ語訳
777考える名無しさん:04/08/22 02:25
777ゲッ!
778考える名無しさん:04/08/22 12:59
人間は正しくものを見ているようで、実は見ていない。現実を「偏見」と
いうフィルターをかけて覗いており、それは一種「幻覚」に近い。
これを「自然的態度」「一般定立」といい、フッサールは、そうした思い
こみを一端止めて(判断中止・エポケー)、括弧に入れよ! そして正しい
知見をそこから取り出すんだ」!(←現象学的還元)と提唱した。

「では、存在について、その方法で考えてみっかな?」とハイデガーが
書いたのが『存在と時間』。これでOKか?
779考える名無しさん:04/08/22 13:01
OKなわきゃねーだろ
780考える名無しさん:04/08/22 15:35
すいません。俺も質問です。。
ハイデッガーのキルケゴール評価はいかなるものだったのですか?

また古東哲明という人の「ハイデガー=存在神秘の哲学」
というのを読んだのですが、
この人の言う「所有モード」というのが一般的にはどう呼ばれ、
また
ハイデッガー本人は(原語で)どんな言葉を使ってるのでしょうか

おねがいします
781考える名無しさん:04/08/22 17:42
ナチス(国家社会主義労働者党)バリバリの党員ハイデガーは、
思想とは裏腹に、現実でやってたことは俗物以下だよ。
恩師フッサールの教授資格を剥奪した上、研究室への立ち入り禁止
など、実に陰湿で姑息なイジメを行っている。

「フッサールがユダヤ人だから」という理由だけでな。
782考える名無しさん:04/08/22 17:58
このスレへのレス者はハイデッガーを読み込むことに成功している存在なのだろうか。
783考える名無しさん:04/08/22 18:04
ファリアスの本てあまり見ないな
784新潮45の「オバハン」シリーズ:04/08/22 18:33
最新号('04. 9月)に

オバはんでもわかる「存在と時間」……福田和也
ttp://www.shinchosha.co.jp/shincho45/index.html
785780:04/08/22 21:40
ちなみに「所有モード」というのは
物は自分で持つことができるが、
存在は持つことができない。
だから理解することができない
という考えの説明に使われています。

なにとぞよろしくおねがいします
786考える名無しさん:04/08/23 09:25
ハイデガーの語る「死」とは、ジェノサイド一歩手前までいった
ユダヤ人の死だよ。
787考える名無しさん:04/08/23 09:39
ハイデッガーでお勧めの訳はどの文庫等から出てるやつですか?
どれでも良いんでしょうか?
788考える名無しさん:04/08/23 15:36
岩波以外だったら別に何でも。
有と時は河出のを古本で買おう。
789考える名無しさん:04/08/25 00:46
ぼくは一日一章づつ読んでいるけど、序章をきちんと読めば
このスレで出されている基本的な疑問は解決しますよ。
ハイデガーは語りえないものをあえて語る、それは論証過程を名詞化して
しまうことで可能になっている、「存在」という名詞/隠喩によって。
ウィトゲンシュタインもハイデガーも「語りえないもの」への境界設定は
共有していたわけだけど、ハイデガーはそれを理論的に語ってしまおうと
したから批判されていて、ニーチェのようにあくまでも詩的に語っている
ぶんには問題ないわけで。ウィトゲンシュタインも「存在と時間」に対して
心情的には共感を示しているわけだし。
興味あるなら読めばいいと思う。
女の子の悩み相談に応じるときのネタとして使えるしさw

>>770
ハイデガーが序章でなぜ、「存在への問いを表立って取り返す必要」があるのか、また「存在への問いが設定されるべきである」と述べているのかを読めば、わかります。
790考える名無しさん:04/08/25 00:53
ごめん、一節づつ、だ。
791考える名無しさん:04/08/25 01:20
医者「先日の健康診断の結果が出ました。」

ハイデッカー「それで、どんな具合でしょうか?」

医者「少し言いにくいのですが、実は肺が肥大化しています。
   このレントゲン写真をご覧下さい。」

ハイデッカー「うっ、肺デッカー。」
792考える名無しさん:04/08/25 01:24
ボケ「ほら、うんこの回りとかに飛んでるアレや。なんて言うたかな・・・。」

ハイデッカー「ああ、蝿でっかー。しまいにゃ、怒りまっせ。ほな、さいなら。」
793考える名無しさん:04/08/25 05:55
>>789
>論証過程を名詞化してしまうことで

 嘘つけ!
794考える名無しさん:04/09/02 22:10
784
「最初から」オバハンにわかるように書いて〜>哲学者の皆様へ
795考える名無しさん:04/09/03 14:08
test
796考える名無しさん:04/09/03 15:04
出そうで出ないはオバハンのメンス。
797考える名無しさん:04/09/03 20:36
読みなさい。
以上。
798考える名無しさん:04/09/03 22:56
オバハンのエンスに誰が興味を持つのか
799考える名無しさん:04/09/04 11:51
俺さ。
800考える名無しさん:04/09/04 23:56
道元の時間論とどこが似てるの?
801ぴかぁ〜:04/09/04 23:58
馬鹿だなぁ、時計の針が一針進めば時は進んだんだよ。
精神が錯乱すると、そういう本に手を出し始めるのさ〜♪
802考える名無しさん:04/09/05 00:27
時間をただ進行するものと考えてはならない。
というのも、そうならば私が留まっていることになろう。
地球が自転するから自転軸が生じるのである。時間軸も自分が「時転」していることによって生まれる。これを
「経歴」という。ことごとくがおのずと「時転」しているのである。
かくの如くわきまえ「有時」に備えるべきである。
このこと学び到らずと云えども、実に有時なり。
803考える名無しさん:04/09/05 00:29
京都人の語彙はよくわからんな
804ぴかぁ〜:04/09/05 00:30
言ってることはわかりますが、無理でしょう。
特にここの板の人にはね。
805考える名無しさん:04/09/05 01:39
ハイデガーは言葉や思索にあくまでもこだわるが、道元は直覚的境地を示す。
806考える名無しさん:04/09/05 02:54
最初の方で、「現象」の定義として「自らをそれ自身において示すもの」
というのがありましたが、
「自らを、それ自身において示すもの」って、「私」以外にあるんでしょうか。
807ぴかぁ〜:04/09/05 02:56
さあ、どうだろうね。
808考える名無しさん:04/09/05 03:00
リンゴを見ている。その見えている限りにおいて、その見え方そのものとして「現象」なのだ。
809考える名無しさん:04/09/05 03:11
色の恒常性ってあるだろ?
明るいところで見ても暗いところで見ても赤いリンゴが赤く見えるっていう。
あれも乳幼児期の経験で獲得されるらしいよ。
810考える名無しさん:04/09/05 03:28
リンゴが現象なのではなく、見ている私がリンゴを見ているという
限りで現象なのか?
811719:04/09/05 16:01
現存在の世界は私の世界でも、主観的、客観的、もしくは間主観的な世界でもない。
人間が人間としてあることができる場のようなもんです。
そのような場においてリンゴは現象するのだ。
まあ場という言い方は空間的に限定されてしまってあんまりうまくないけどね。
812考える名無しさん:04/09/05 19:36
現存在の世界でにおいて、人間が人間としてあることは必要でも、人間に
とってりんごは必ずしもりんごである必要はないのではないか。
そう見えるだけでもいいし、何か別のものの現われでもかまわない。
そう考えると、りんごは現象といえるのか。
813考える名無しさん:04/09/05 23:18
800です。レス有り難うございました。
有時もハイデッガーも読んでるすごい人が
2ちゃんにいるということに感激しますた
814ぴかぁ〜:04/09/05 23:21
815考える名無しさん:04/09/06 00:25
松岡正剛の千夜千冊のNO916を検索して参考になれば
816考える名無しさん:04/09/06 00:35
ごめん普通に「存在と時間」で検索しないとダメみたい
817考える名無しさん:04/09/10 15:01:19
このスレ休止してるなら、第二篇第四章から読み始めていいすか?
基本的にはMAX NIEMEYER版で日本語は細谷ほか適宜で。
beingさんみたいにきちきちレジュメを切ることはしません。
きわめて勝手な形式とペースで。
ちなみにプロパーでも哲科でもドイツ語堪能でもないので悪しからず。
818考える名無しさん:04/09/11 08:16:43
>>817
やってやって!!
819考える名無しさん:04/09/11 16:13:24
よーし、そんなに言うならやってやろじゃねーか。
前からか、後ろからか?
820817:04/09/11 23:47:27
>>818
もう少しレスが無かったら自演して勝手に始めようと思っていたので助かりましたw
昨日アク禁を食らったので始めるのは早くても週末を跨いだ月曜日になります。
日頃の行いは良いはずなんですが。
821考える名無しさん:04/09/12 00:53:54
悪いからアク禁されたんでしょ。
822ちくわぶ:04/09/12 00:56:22
トバッチリってのもありますよ。。。
823とり返す:04/09/15 23:43:19
とりあえず、ハイデガーの思想を踏み台にせんと前に進みませんよ
824考える名無しさん:04/09/16 14:28:16
823のおっしゃる通りだちゃ。
825考える名無しさん:04/09/16 19:43:46
ほんじゃ、言いだしっぺの823さん、踏み台を提出してくれろ。
826考える名無しさん:04/09/17 11:17:17
817さーん、もう金曜日ですよ。
827考える名無しさん:04/09/17 11:27:19
http://c-au.2ch.net/test/-/saku/1029939409/i
荒らし野郎がものすごい数のスレを削除依頼だしてます。
828考える名無しさん:04/09/17 11:47:55
ここはもともとクソスレが多いからなぁ
829存在論者:04/09/17 13:38:05
789>「存在」=名詞/隠喩
 「存在=動詞」として捉えてみればどうなるでしょうか?
 存在というものも見えてくるのではないでしょうか。
830考える名無しさん:04/09/17 18:16:19
>>719
初心者の質問です。
詰まるところ、ハイデガーは素粒子をどう考えていたんでしょうか?
831考える名無しさん:04/09/18 14:38:42
>>1
さいでっかー
832考える名無しさん:04/09/19 19:44:09
要は「味の素」理論だろうが。
833考える名無しさん:04/09/19 20:39:42
ここでみんなの学歴を晒してみましょう!

ちなみに俺は慶應大学医学部在学中の4年生でつ。
さあ!俺より高学歴な大学生は果たして見つかるのか!
834考える名無しさん:04/09/19 22:50:01
>>833
遊んでないで予備校いけよな
835719:04/09/20 00:06:37
>>830
うーん、難しいな。
自らそれ自身現れるわけではない素粒子は存在者といえるかどうか?
存在的、存在論的にどのように規定できるか?
どのような投企とそれによって開かれた地平において発見されるか?

ただいえることは、存在者も自然科学的な対象も世界の中で、
世界との関連においてのみ存在するということ。
ここで世界を普通考えられているように客体的な時間と空間の延長(宇宙)と捉えてしまえば、
私も素粒子も全ての存在者は並列していることになる。
しかしハイデガーにおいては、人間がそこで人間としてあることができる場としての世界が、
そもそも世界としてあるということが問題なのだ。
素粒子が世界の構成に関わるなどということはあり得ない。
836パンパース:04/09/20 10:33:14
ハイデガーの思想に入ると存在者、現存在、存在、在る、有る有る有る有る・・・
理性と感覚が「有る」で飽和しパンパンになる。
ふと考える、じゃ逆に無いって事はどうゆう世界なんだろう
地球を含むすべての星もない、もちろんミクロのチリもない
これで、無になったか
いや、まだ有る
空間が存在する、空間も「存在者」てことになるんだろうか
空間さえもない世界って理性でいくら考えても想像できないな
自分の存在だけを考えると「死」こそ空間すらない世界となんとなく感じるんだけどね
じゃ、自分が生まれる前も確かに完全な無ってことになるな(自分を地平とすると)


837パンパース:04/09/20 11:16:45
836を書いた後、庭に出て愛犬を相手しながらボーっと景色を眺めてた
確かに、「有る」で俺の回りは飽和されとる。
で、一つの石に目を止め、ふと考える。
こいつ(石)は、俺と違って回りにいろんな物が存在してるのに
きっと、何も気付いてないんだろなと
当たり前だ、俺とお前(石)は同じ存在者であっても俺は、現存在だから
きみ(石)とは次元がちがうんだよとw(一人愛犬をあやしながらニヤけてる
自分が不気味だが)
で、自分に置き換える。自分の次元では解らない者もあって当然だ
その次元を解くカギがハイデガーは時間にあると言ったんだよな
俺にはよく解らないが・・・
838考える名無しさん:04/09/29 11:35:27
存在と時間には、「○○への存在」という言葉がよく出てきますが、
これはドイツ語としてはどういう解釈になるのでしょうか?
当方、ドイツ語は分りませんし、哲学的素養もまるでないのですが、
どうも訳語として納得いきません。分らないという言葉ではないほど単純なのに。
読んでいるのは岩波文庫のものです。
839考える名無しさん:04/09/29 11:57:37
ちなみに○○へと向かう存在と訳す事もあるよ
840考える名無しさん:04/09/29 19:43:53
つーか訳カタすぎ
ドイツ人にとっては便所とかでのんびり読む本だぞこれ
841考える名無しさん:04/09/30 21:06:46
「存在と時間」を超訳して出版してみたい。
842考える名無しさん:04/10/01 17:32:06
おー、いいぞ。待ってるぞ。
843考える名無しさん:04/10/01 18:22:21
超訳ってなんですか?
まずはここでやってみてください
844考える名無しさん:04/10/01 18:57:11
>>838
岩波ってですます調だったような気がする。どっかで原、渡邊訳がいい(読みやすい)って聞いた。
ちなみに自分が持ってるのは細谷訳(読破はしてない)。まぁ例え邦訳でも、
木田とか細川の入門書読んでからの方が良いのでは。
845考える名無しさん:04/10/01 18:59:42
みんなでハイデッガーの歌でも歌おーぜ

http://ontology.buffalo.edu/smith/heidegger/
846841:04/10/06 10:19:30
たとえばさ。こんな感じ。53節。

 (細谷訳・ちくま学芸文庫下巻P092)
先駆は現存在に世間的=自己への自己喪失を暴露し、現存在を引き出して、
第一義的には配慮的待遇に支持を求めることなく自己自身へと存在することの可能性へと臨ませるが、
その自己とは、世間のもろもろの幻想から解かれた、情熱的な、事実的な、
おのれ自身を確承せる、不安にさらされている<<死へ臨む自由>>における自己なのである。

 (おれ訳・アカデミー出版・うそ)
毎日毎日、毎時間毎時間、毎瞬毎瞬、とにかく死ぬことだけ、おれはいつか必ず、しんじゃうんだ、
それだけはどうしようもなく避けられないんだ、と腹の底から、納得できたとき。
そうはいっても、早くても10年後だろ。とか、交通事故でころりと死んだりなんて、
なかなかあることじゃないしさー、リアルに考えられないよね。
などという、ついつい自分に言い聞かせちゃう、こういう「ゴマカシ」を捨てるわけよ。
ま、難しいけどな。言うは易し、行なうは難し。
でも、この20世紀最大の哲学者であるおれさま、ハイデガーさまの主著をここまで読んで理解できたおまえらなら、
そろそろわかってきたよな?
そうしないとほんとの「アツさ」「リアルな感じ」は手に入らないんだぜ!!
世間のヴァカな連中はそういうゴマカシを日常的に「生きてる」。
でも、死をすでに直面するもんとして「覚悟」したおまえらは、そんなふうにはもう生きられない。
おまえらこそが、自由なんだ。ヴァカは置き去り。
ゴマカシなく生きてるおまえらの勝ち。

(訳注・このあたりのフレーズに当時のドイツの青年は熱狂し、第2次大戦では前線で「死に先駆」したらしいw)
847考える名無しさん:04/10/06 12:48:31
>>846
世人批判、日常性や死の問題など、
確かにある種選民思想というか自分を奮い立たせるようなことを言ってるように聞こえるけれど、
ハイデガーがこれを持ち出すとき、あくまでも方法論的なものだということを忘れてはならないと思う。
何のための方法かというと、もちろん存在の意味を把握するためのものであり、
さしあたっては時間化の仕方のちがいを浮かび上がらせる(観取させる)ためのものであるということ。
そうしないとハイデガーの言葉は単なる実存思想の喧伝だということになってしまう恐れがあるよ。
848841:04/10/06 13:11:17
>>847
ありがとう。わかってて訳したwつもりだけど反応があってうれしい。
たださあ、存在一般の意味の究明のための準備作業。としては、過剰かつ装飾しすぎだよな。
実存思想の本として読まれるのは誤読かもしんない。というか誤読ということになってる。
でもさ、死に先駆しちゃったひとたちに、「それは誤読なんだよ!」と、ハイデガーはいわなかったよ。

古東哲明なんか読んでると(ハイデガー及び信者に)敗北主義的でいやになる。
著者の、何十年かたったあとの自己再解釈に振り回されすぎなんじゃないだろうか。

書いたときのトータルの意図は大事だけど、それが実際に本に反映されることが少なく、
現実にはこの超訳wのように受け入れられたんだし。

末尾に「だが、諸君よ! これはまだまだ序の口、だれもなしとげられなかった、存在ってなあに? 
の問いに答える、歴史的な大仕事が、おれたちを待ってるんだ!
だからさっさと早くこの辺はクリアしちゃいな、でないとヴァカどもといっしょにおいてくぜ!」
とでも付け加えましょうか?


849考える名無しさん:04/10/06 13:32:22
レーヴィットは存在と時間は存在論の名に値しないと言った。
こんなものが馬鹿売れしたのは世界大戦の雰囲気に波長が合ったからだというわけで、
現代のように、例外状況としての国対国の戦争の危険がほとんど消えた世界ではもう
ハイデガーの出る幕はない。
850考える名無しさん:04/10/06 13:47:02
>841
いい感じ、超訳しすぎって気もするけどwもうちょっと続けてみて。
君の試みがおもしろければこの手のスレが増えそうな予感。下手な読書会スレよりも何気におもしろそうなので期待して待つ。
851841:04/10/06 14:15:48
>>850
おお!!またレスじゃ、うれしいなあ〜
ハイデガー「存在と時間」のポイントは日常語を反転させて術語化すること。ですよね専門家さん
語りかけるスタイルで「おれ・おまいら」で、縦読みすると
「存在の声に耳を傾けろゴルァ!!」
とかなったりすると楽しいよね。論文じゃないからね。作品ですから!!

(細谷訳・ちくま学芸文庫下巻P234)
われわれは本来的将来を標示する用語として、もっぱら先駆という用語を用いていくことにする。

(おれ訳・アカデミー出版うそ)
おれらは、人間とは何かについてここまで勉強してわかっちゃったもの同士だけ、未来を表す言葉を先駆、と呼ぼう。
未来、とか将来、とかは、わかってねー世俗のヴォケが使う言葉。先駆だぞ、先駆。いいな。ここ大事。

というか今気づいたんだが逐語的に超訳!しようと思うとめちゃめちゃ長くなるのな。
いかに省略できるかがキモだな。
リクエストあればやりますけどしょっぱなからはやだな。




852841:04/10/06 14:29:57
(細谷訳・ちくま学芸文庫上巻P100)
以下の考究が「事態そのもの」の開示においてなにほどかの前進を示しているとすれば、
著者はそれをまず何よりもエドムント・フッサールに負うものである。
彼は、著者のフライブルクにおける修行時代に、立ち入った個人的指導によって、
また未発表の研究を惜しみなく提供して、
著者を現象学的研究のきわめて多様な領域に親しませてくれたのである。

(おれ訳・というかハイデガーの内心の声・アカデミー出版うそ)
マンドクセ・・・おれがユダヤ人のフッサールから現象学を教えてもらったことはみんなも知ってるよな。
実際はほとんど独学でさ、たま〜にお茶の相手してやったりして、そのすきに書きかけの論文、
盗み読みしたりしたよ。まあ、あれだな。教わってありがとうよりも、貴重な時間無駄にされたことのほうが多かったな。
ブリタニカ百科事典の件、しってるだろ? 人を使うだけ使っていいとこどりしやがって。
ほかにもプライベートに立ち入ってきたり。
いちどなんか研究室で、ほれ、あのハンナちゃんを押し倒してたらさ。さきっちょ入れたとこでいきなりドアあけやがったしな。
フッサールのじじい、にたあって笑って言いやがった。
「フフ、内緒にしとくよ。ボクとキミとで現象学だからね!」
いつかブッコロス。とか思ってたらユダヤ人排斥で勝手に消えそうだな。ま、いいか。
献本の名前は削除したけどここまで消すとおまえ悪者みたいだぞとかヤスパースがうるさいから残しておくか。
ま、あんまり気にするな。第三帝国マンセー!!
853847:04/10/06 14:32:31
>>848
結局、方法論的なものといっても、先駆によって現存在が存在論的・実存論的に具体的に何が得られるかということがはっきりしないということはあると思う。
それで、現存在から出発する体系的・方法的な手順に限界をみて、後期になるとより受動的な存在思想になったんだと思う。

しかし「存在と時間」によって従来の形而上学とは異なった、つまり形而上学の歴史を踏まえてそれとは異なった動的な
存在論・時間論の試みが、ある程度はなされたのではないかと思う(書き継ぐことは出来なかった失敗作ではあったけれど)。
それはそれとして評価してもいいのではないのかと。

>>849
確かにレーヴィットのいうように「存在と時間」は存在なき存在論であること、
ハイデガーが自らの時代状況に敏感に反応してそれを著作の中に取り込み、
読者もハイデガーの著作からそれを汲み取り受け入れられたことがあるとはいえると思う。
しかしだからといって、「存在と時間」がある限定された時代状況にだけ振り回されるようなものではないと思う。
戦争の時代だから、終末論的時代だから、テロの時代だから、平和の時代だから、
ということによってだけでコロコロ流行ったり流行らなかったり、またそれによってだけで哲学の評価が左右されたりするのは馬鹿げていると思う。
(しかしハイデガーも「存在と時間」で、自らの歴史を受け継いだ(取り戻した)上で現在の状況にコミットするということは述べているし、
それによって実際ナチに参画したりもしたんだけどね…)。
なぜなら上であげたように、「存在と時間」を含んだ彼の著作は、形而上学の歴史を捉えかえしたもの、つまり哲学の歴史考察だともいえるから。

ところで、モニターの具合が悪くて(受信電波の悪いテレビのように頻繁に真っ白になったりしてしばらく映らない)、
すぐにレスできなくてごめん。これ書くのも、モニターが映ったときを狙って一時間以上かかったので、しばらくレスできないかもしれない。
買い換えないといけないのかな、高いのかな…はぁ。
854考える名無しさん:04/10/06 14:34:01
冗談が過ぎるか。
まあ、難解が売り物の本って、難解じゃなくなったら中身すかすかとか言われるが、
「存在と時間」にかぎってはそんなことないしね。
準備作業の準備作業だとしても、人間存在の分析として「すげ〜〜〜〜!!」
と素直に思えたりするボクですが。


でもやってみたいね超訳。帯には「木田元・大激怒」とか。あ〜夢がふくらむな〜〜〜w
855841:04/10/06 14:37:06
854は841です。853さーんパソコン修理ガンガレ〜
856考える名無しさん:04/10/06 14:41:22
>>852
いいよ、いいよ〜wますますおもしろい。
しかし、これすでに訳ではないなw

長いなと言うのは正直俺も感じていた。超訳ってけっこう難しいんだね。
無理しなくていいから将来の出版へ向けての予行演習のつもりで続けてくれ。俺は楽しみに待ってる。
857考える名無しさん:04/10/06 14:51:16
超訳って全然訳になってねぇじゃん
エピソード語ってるだけじゃん
858考える名無しさん:04/10/06 15:10:31
よく読め。ハイデガーの内心の声とちゃんと書いてあるw
859考える名無しさん:04/10/06 15:15:46
アカデミー出版というのが超訳のぶっちゃけ具合 ふざけ具合?
と不釣合いな気がする。
民明書房にしようよ。
860考える名無しさん:04/10/06 15:18:32
ハイデガー本人は良心の呼び声が聞こえw
861考える名無しさん:04/10/06 15:29:42
くだらね
862考える名無しさん:04/10/06 15:30:39
うんこ
863考える名無しさん:04/10/06 15:33:22
ザインうんこツァイト
864考える名無しさん:04/10/06 15:36:21
森のうんこ
865考える名無しさん:04/10/06 15:38:01
das Welt-ウンコ
866考える名無しさん:04/10/06 15:41:42
ヤバイ。うんこヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ。
うんこヤバイ。
867考える名無しさん:04/10/07 03:13:38
うんこをそのまま存在に置き換えればOK
868考える名無しさん:04/10/07 08:57:38
『存在と時間』は存在論だろ?
869考える名無しさん:04/10/07 09:41:17
841さん、家人ともども超訳楽しんでます。

870考える名無しさん:04/10/07 11:32:55
ここまでくるとさすがにネタだろうが敢えてマジレスすると、841はよくある誤解を見事に体現してますね。
ネタでないなら『存在と時間』以外は読んだのだろうか。それが面倒だったら細川と古東の新書2冊くらい読めば?
871考える名無しさん:04/10/07 12:25:30
>>870
「よくある誤解」とされているものが誤解じゃなくてふつうに読んだら読めてしまうのが「問題」だと思う。
古東? 読んだよ。ワラタ。なーにが存在神秘じゃ。オカルトじゃねーか、オカルト。氏ね。
あれこそ誤読の森に導く過てる道標、死んだ哲学者の太鼓持ち以外の何者でもない気がする。
死に先駆けて決意せよ!とどこが違うんだってのさ。
未完の作品としてすでに「完結している」本。
そういうあなたはハイデガー自身が編集添削した全集やら未刊の講義メモやら全部読んだわけ?

いったんぜーんぶ、カッコにいれて。
言い方と言ってることがムズカシイけど、がんばればなんとか理解できる本として。
理解できたときのビックリ!スゲー!!を、味わいつくしてみたくて。
そういうものとして、ワタシは「存在と時間」を読みたい。

「存在と時間」以外も読んでますよ。それがどうしたとか思いますが。


872考える名無しさん:04/10/07 12:53:02
本能こそ存在だろ。
873考える名無しさん:04/10/07 12:58:13
ここは空談で頽落なインターネットですね。
874考える名無しさん:04/10/07 13:41:59
うんこ太郎
875考える名無しさん:04/10/07 14:36:10
おれたちって、頽落しながら被投された投企という統一において実存
している現存在が、当面世界内部に出会われる存在者のもとでの存在
として、配慮されたものそのものを語りかけたり論じ合ったりしなが
ら存在しているんだよ。
876870:04/10/07 21:19:45
>>871

全部読めなんてちっとも言ってないですよ。
専門家じゃないしとてもそんなことしてる余裕はないです。

後半半分は、そういう態度を少しは見習いたいものです。
877考える名無しさん:04/10/07 22:34:40
>>875
なんか無理に要約してみた結果理解不能になったハイデガー紹介文みたいでワロタ
878考える名無しさん:04/10/08 00:07:10
>>875
筒井の文学部唯野教授?
879考える名無しさん:04/10/08 01:49:00
「人は」、空間内の対象なくしても空間を表象することが出来るが、空間がない
ということは表象できない。
したがって、空間は総ての現象の基礎に横たわるアプリオリな必然的な表象である
と考えられる。
この必然的な表象は、現象の可能の「条件」であり、したがって、物自体に具わる
ものではなくて、「人の」アプリオリな必然的な表象すなわちアプリオリな直観の
形式であると考えられる。
人の「場」である空間はまずもって、すべての知覚に先立つという意味において
純粋で、「主観的な」直観形式に属するといえる。
このような直観形式としての空間は、ある原点を中心にして、四方八方に、自由に
無限に作用するものであり、その原点(にあるもの)こそ、本当に存在する
といえるものなのではないか。
「主観」は人の数だけあるように見えるが、いずれも無限に働く「共通の」空間
なのであり、その意味では唯一の空間であるといえる。そうだとすれば、
「主観」も、実は唯一のものであると考えなければならなくなる。
880考える名無しさん:04/10/08 04:18:16
もっと考えてから書けよ
中学生かよ
881考える名無しさん:04/10/08 09:40:11
ネタで1000逝きそうw
841がやる気なら次スレは

【出版】超訳・存在と時間【決意】
882考える名無しさん:04/10/08 17:42:13
841のは全く文脈に沿ってないじゃん
訳でもなんでもなく、解説書に出てるハイデガーの経歴を踏まえてふざけているだけでしょ
難しいからハイデガーを茶化して誤魔化しているだけじゃない?コンプレックスの裏返しのような
茶化すならよく理解してからしてほしい。そっちの方が笑えるし自分の理解のためになる
883考える名無しさん:04/10/08 18:46:19
いいじゃん、いいじゃん、【出版】超訳・存在と時間【決意】。
やってよ、絶対。すっげー楽しみ。
真面目な茶化しって超面白じゃん。
884考える名無しさん:04/10/08 19:24:13
だから訳になってねぇっつうの。もう一度読んでみろよ、あれのどこが訳なんだ?
意訳にも超訳にも誤訳にもなってねぇだろ。何の説明もしてねぇじゃん。自分から「超訳」とか言ってて恥ずかしくないのか?
「天才の俺の言ってることが理解できないなら読むな!」ってスタンスでハイデガーになりきってみせて、ユダヤだのナチだの第三帝国だの持ち出してもつまんねぇんだよ

わからないならわからないと言えばいいんだよ。それで勉強するなり質問するなりすればいいだけだろ?
それをわからないからって、そのコンプレックス抱いたままハイデガーを俗物化してみせようとしても、読んでる方は面白くもなんともねえっつうの
逆にそのルサンチマンが鼻にプンプンついて見苦しいだけだっつうの
ブリダニカ百科事典のこともフッサールとの確執もヤスパーズのこともアーレントのことも
ほとんどのハイデガーの解説本に書いてあることだろ。今更そんなエピソード読んで何か得るものがあるか?

本人はやる気マンマンだったけど、>>883は自演か?そこまでしたいならやってみれば?
885考える名無しさん:04/10/08 19:25:33
ミスタイプした。>ヤスパース
886考える名無しさん:04/10/08 19:39:20
蝶訳やるなら別スレ立てるといい
being氏の衣鉢を継ごうとする人のためにも
887考える名無しさん:04/10/08 19:44:13
こんなのみっけた
続きをやりたいならこっちの方がいいかも

ハイデガーは産廃以下のカス
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1095825940/
888考える名無しさん:04/10/08 19:57:36
平均的な読解をこなした上での超訳でないからみっともないね。
889考える名無しさん:04/10/08 20:07:09
ハイデガーでスレ乱立させないで下さい。

廃スレ利用は哲学板の伝統でつ。ここでオケー。
890考える名無しさん:04/10/08 20:12:28
あなた達が神を殺していくのです。
神が沈黙するのです
891考える名無しさん:04/10/08 20:21:18
>>225
書き間違えたのは>>221であって>>220ではない。よって、>>225はどうでもいい。(証明終)
892考える名無しさん:04/10/08 20:22:07
誤爆しました。ごめんあさーい。
893考える名無しさん:04/10/08 23:18:37
愚かな者というのは単に頭が悪い者のことを指すのではなく、
頭が悪いにも拘らず頭がいい振りをして得意になっている者のことを指す。
…とかなんとかいうのが本にあったな。
超訳とか自分で言って得意になってた人は、自分が他人からどう評価されているかなんて気づかないんだろな。
ハイデガーコンプレックスの人は大抵、関係ないところでもナチス云々性格云々と言い出すし、
彼の哲学の価値を、よく読みもせずに早急に判断する傾向があるし
…難しいなら難しいと言えばいいだけなのにねぇ。
894考える名無しさん:04/10/09 02:41:50
余りに当たり前すぎる内容と、ハイデガーというネームバリューとの
ギャップに誤読するのだよ。
895考える名無しさん:04/10/09 13:09:06
愚か者でも、得意になってる者でも、何でもいいじゃん。
僕はすっごーく楽しみ。
だいいち、「...に誤読するのだよ。」って得意気にカキ
コしてるオッサンが誤読してないって保証はないしね。
896894:04/10/09 13:25:40
>>895 だな。
897考える名無しさん:04/10/09 13:51:32
だよ。
898考える名無しさん:04/10/09 18:23:55
841の超訳に期待!









と言ってるのは実は841
899考える名無しさん:04/10/09 19:09:36
>>898
それがわかる君も実は841
900考える名無しさん:04/10/09 20:52:07
実は俺も841
だって解説書読んでハイデガーわかってる気になってるから
そんで色々語っちゃうからw
901考える名無しさん:04/10/09 21:22:57
ヘーゲルの精神現象学読んでると、ギリシャ神話とかが出てきて
面食らうけど、ハイデガーも古典にはかなり通じてるんだろ?
やっぱり教養がないやつは英米系の哲学やるしかないんだと思うよ。
自分の関心対象に引きつけて、なんとなく分ったような気になるだけじゃ
だめなんじゃねえの?
902考える名無しさん:04/10/15 00:49:38
というかフッサール以前以後の現象学は別物と考えるべし。フッサール自体も異質だけど。
903考える名無しさん:04/10/15 02:04:43
>>902
な、何が「というか」なのかわからん。普段でもそういう日本語つかってるの?
904考える名無しさん:04/10/15 02:42:57
普通はつーかだよね。
905考える名無しさん:04/10/15 05:05:04
今何度目かの観賞をしてたんだけど、パランタインが演説している場面・トラヴィスがモヒカンになって初めて登場する場面で、トラヴィスが口に放るものって何かな?仁丹みたいなやつ。

それにしてもこういうマニアックな質問をしたり、何度も繰り返して観たり、それも真夜中にこの映画を観ている自分は本当にだめな奴だと思う。
当然、この主人公のような感じ方にどっぷり漬かっていたいとか、それと自分を同一視していたいとは思わないけど、どうしてもこの映画、何度も観てしまうんだよね。
この映画は単なる映画とわかりながらも、そこに割り切れないような思い入れを主人公に投射するというか、受け取るというか。
だから、単なる映画、単なる青年の孤独感への共感、というものからうまく距離をとれない自分は、本当にだめな奴なんだと思う。
で、このスレ読んでいるとおもしろいんだよね、「ジュジュって何?」とか。こういうのが、ある意味おたくなんだろうけど。
906考える名無しさん:04/10/15 05:05:31
>>905誤爆した。すまそ
907考える名無しさん:04/10/15 10:45:27
仁丹といえば仁丹だろ
908考える名無しさん:04/10/16 09:44:28
現象学って結局数学者のための哲学と考えるのがいいのかな?
909考える名無しさん:04/10/16 13:22:09
理系は大抵素朴な唯物論的世界観じゃないか
910考える名無しさん:04/10/16 16:37:44
数学者に世界観なんて必要なの?数学観は必要かもしれないけど。
911考える名無しさん:04/10/18 07:57:14
イデアと数の分裂はアリストテレスの時代以来の課題みたいだけど、
ハイデガーはこれについては何か書いてますか?アリストテレスの
形而上学を読むと、数の扱いに苦労していたのがなんとなくわかる。
直接に問題にぶち当たらないとしても、ハイデガーの得意な設定のずらし方が
書いてあればそれでもいいです。
912考える名無しさん:04/10/23 23:57:51
あげ
913719:04/10/28 00:02:55
存在と時間を読む上で重要なことは、現存在をまず第一に考えてそれ以前にほかの何も想定しないことです。
当たり前だと思われるかもしれませんがこれができている人はほとんどいません。
大抵は自覚的にか無自覚的にか、物質的な存在や人の語り得ない外部、物自体などといったものが
現存在のほかにとっておかれています。
914719:04/10/28 00:14:46
ハイデガーの言うことを無条件に全て受け入れろという訳ではないです。
存在と時間は存在論なのだから、それによって初めて存在するといえる
何かが考えられなければ意味がないんです。
存在と時間を読みながら現存在以外の何かが確保されているとき、
存在と時間とは違った存在論が前提されてしまっています。
915考える名無しさん:04/10/28 07:16:19
そうかなぁ
916719:04/10/30 00:59:39
ハイデガー以外の思想というだけのことではなくて、
無や存在そのものなどを現存在以前に想定しておくのも同様です。
それでは無や存在が客体的なものとしてまずあって、それとは別に現存在があって、
あとから両者が関係するということになってしまうからです。

こういったことと関連して、「存在と時間」に対して
ハイデガーは存在を現存在という閉じられた領域に押し込めているとする
批判をたまに聞きますが、これは全くの誤解ですね。
現存在によってしか何かと関わることができない、というよりもっと正確には、
現存在において初めて何かとの関わりということが可能なのです。
917考える名無しさん:04/10/30 10:47:35
がたがた言ってねーで、超訳っての早くはじめろや。
918考える名無しさん:04/10/30 21:41:35
だー。
919考える名無しさん:04/10/31 23:49:46
踏んどく
920ポール:04/11/01 23:51:31
一年半ぶりぐらいに『存在と時間』を読み返してるけど、苦笑い(笑。

というのが、僕が普段から「私と世界の関係」、具体的には、「世界から
独立した私など存在しない」といった前提で話を進めている二元論批判が
『存在と時間』に詳細に論述されているから。
大森の問題意識をベースに、自分なりに考えてきたつもりだったけど、
どこかにこの本の記憶があったのかなぁ。
でも、一度読んだぐらいで理解できるような本でもないし、実際当時も
ほとんど理解できなかったことを考えると、少しは自分の力でハイデガーに
近づいたのかと厚かましくも考えている。
特に、12節の「内−存在」の箇所はビシビシ入ってくる。
921ポール:04/11/01 23:52:49
ハイデガーの世界=内=存在の構図で考えれば、脳生理学的な世界観
──外部世界からの信号を脳が受け取り、それによって脳が現象世界を現出させる──
も、人間が世界=内=存在という存在構造を本質上もっているから可能となる。
脳という物質が、知覚や思考や感情を作り出すのではなく、我々があらかじめ知覚や
思考や感情を伴った世界とともに存在しているからこそ、脳がそれらと関係することができる。
ハイデガーは、

  「人間がまず存在していて、その上で折に触れて付録として世界への存在関係を
   持つこともある、というようなことではない」 (57)

という。
これは、脳の活動の可否によって「私」と「世界」との関係が繋がったり、切れたり
しているわけではないということを意味する。(たとえば、脳の視覚野に障害を負ったから、
視覚的世界との関係が本質的に切れるとか)

「私」は、知覚、意思、思考、感情といったものが付属する世界と共に本質的には存在する。
(たとえそれが欠如的な存在の仕方だとしても)
922ポール:04/11/01 23:54:23
つまりは、脳生理学も、人間の存在構造(世界=内=存在)を基盤に構築される。
これが、他スレで哲学と科学の関係について述べた、
「哲学は、科学的営為を基礎付けるもの」ということだと思う。 


ただその一方、脳こそが世界(思考、感情)を現出させるという考えが捨てきれないが。
923パンパース:04/11/02 00:18:23
お、ポールさんこんばんわ
私は、マッチ棒の火の閃きのままで、ハイデガーを読み進んでます
マッチが、現存在、マッチの火の光の範囲そのものが世界内存在であり道具的なもの
そして、マッチを照らす回りの景色が事物的な物
そして、現存在の数がふえれれば、お互い共用できる(一人でいる時よりも、広い範囲を照らせるから)
そんな感じで、読み進めてます。
924考える名無しさん:04/11/02 13:12:00
ぬるぽ
925考える名無しさん:04/11/02 13:32:58
>>924 ガッ!

タモリの新著はハイデガー論らしい。
キルケゴールとハイデガーの比較研究だとか
ソース
【芸能】タモリ流坂道「美学」 出版
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1099362206/l50
926ポール:04/11/03 12:21:27
>パンパースさん
>私は、マッチ棒の火の閃きのままで、ハイデガーを読み進んでます

こんにちわ。
世界=内=存在という概念はイメージするのが難しいですね。
どうしても僕たちは、「私が−見る−鉛筆を」とか、「私は−恐れる−幽霊を」
と言語表現されるように、「主体−(主体の)意識作用−客体」という
構図で世界を見てしまいます。本来別物の主体と客体を、「見る」「恐れる」
という主体の意識作用が繋ぐという構図です。

ハイデガーは、この世界認識の常識的構図に真っ向から反論、
つまり、我々が世界と接する時のもっとも基本的な態度を覆そうと
しているわけですから理解するのは大変です。

現存在を存在の光と例え、あらゆる存在者はその明かりの中に
現われるとはハイデガーも言ってますね。
ただ(僕もよく分からないですけど)、「マッチ」(=現存在)と、
「マッチの明かり」(=現存在の意識作用)、「明かりに照らされる領域」(=世界)
と分けるのは、前述したとた構図が少し入ってくるかなと。
927パンパース:04/11/03 15:15:53
なるほど、主観が先行してるってことかなのかな
ただ「私が−見る−鉛筆を」と「私は−恐れる−幽霊を」は-見る-、-恐れる-と言う
言葉の次元が違うように思います。「私が-見る-幽霊を」だと、鉛筆と同じ次元ですよね
何故、幽霊だと、「見る」ではなく「恐れる」になってしまうのか。
私は、最近「見る」で終わる用に努力してます。(変な努力ですねw)
例えば、
私は、見る、レモンを・・・・スッパそうだな
私は、見る、中年の油ギッシュな人を・・・・近づきたくないな
私は、見る、幽霊を・・・恐ろしい
この、スッパそうだな、近づきたくないな、恐ろしいと言うものは、人それぞれで感じ方に違いがあり
多用である以上、私には信用できない「私の主観」になってしまった訳です。
ここまで、自分なりにの思いを書いたんですが
ポールさんが、言わんとする事と、私が思ってることにピントは合ってるでしょうか・・・

928パンパース:04/11/03 15:27:23
補足
ただ、夕日に照らされた紅葉した紅葉を見る・・・綺麗だな
信用できない「私の主観」などと言いながらも、やはい綺麗だなと感じてしまいますね。
929パンパース:04/11/03 16:23:30
うーん、現存在と世界内存在が同じであるってことは、現存在が存在しなければ、世界内存在も
なくなってしまう。
と、言うことは、今、もし現存在が存在してなければ、地球上は事物的存在のみにっなっているってことか
ある意味当たり前のことを、言ってる事になってしまうな
そして、現に今、現存在があるから、事物的存在+道具的存在なる物があるってことなのかな。
これも、当たり前のこと言ってるよな
ハイデガーは一体何がいいたいんだ?と、思いながら中公クラシックス判第1巻最終節27節突入〜
930ポール:04/11/03 23:34:19
>パンパースさん
>うーん、現存在と世界内存在が同じであるってことは、現存在が存在しなければ、世界内存在も
>なくなってしまう。 >>929 

同じというか、世界=内=存在は現存在の本質構造ですね。

>そして、現に今、現存在があるから、事物的存在+道具的存在なる物があるってことなのかな。 >>929

チンポさんも死尿スレで言ってましたけど、世界には、「事物的存在者」と
「道具的存在者」がいるのではなく、この両者は、一つの存在者の存在の
仕方の違いであると思われます。
ここにある一本の棒を、「ただの木の棒」として事物的に捉えるか、
「鉛筆」として道具的に捉えるかの違いですね。

通常は、事物としての木の棒がまずあり、それを我々人間が「鉛筆」という
意味を貼り付けると考えますが、ハイデガーのおもしろいところは、
逆に「鉛筆」としての道具的存在こそが本源的で、その鉛筆から意味を
剥ぎ取った見方こそが、派生的なものだと考えるところですね。
931ポール:04/11/03 23:35:48
そのように、意味を剥ぎ取った事物的存在者(客体的存在者)の総体こそが
世界そのものであると我々は考えます。

さらには、通常我々は、その客体的に見られた世界の側から自己自身をも
理解しているゆえ、「私」も客体的存在者の一員であると考え、それゆえ
客体的存在者の一員である私の心が、心の外に存在する他の客体的存在者
の一員にどのようにして到達するのか?といった心身問題が生じると言います。

つまり、ハイデガーにとって心身問題は、人間の世界=内=存在という本質構造
を見過ごし、世界を派生的な見方(事物的存在、世界の客体化)で捉えた結果
生じた誤った問題であると言います。

僕はこの辺りの彼の「逆転の発想」に感心しましたね。
932ポール:04/11/04 00:06:57
>ポールさんが、言わんとする事と、私が思ってることにピントは合ってるでしょうか・・・ >>927

「見る」という知覚によって現われる世界は(ある程度)客観的に他者と
共有されるが、「恐れる」という感情は人それぞれだから個々別々の主観的
なものにすぎない、ということでしょうか?

なにか違うような気がしますが、それについて僕が思うところを・・。

ハイデガーが述べるように、「恐れ」といった感情が我々人間の脳が
世界に貼り付けるものではなく、世界に属する性質であるというならば
同じ物を見ても恐れたり、恐れなかったりする人がいることから、
世界とは、「恐ろしい世界」「少し恐ろしい世界」「恐ろしくない世界」
というように無数の世界が存在することになります。
933ポール:04/11/04 00:07:25
この「無数の世界」論に反対する人も多いでしょう。
しかし僕は別にそれで構わないのではないかと考えます。

客観的な一つの世界というのは、ある観点から見られた一つの世界解釈であり、
その代表的なものは、科学的世界です。科学とは、再現可能な実験と、
他者と共有可能な論理によって築かれた世界です。
それゆえ科学的世界とは、他者との共有される要素のみを抽出して
構築されたものだと言えるでしょう。だからといって、他者と共有されない世界
(例えば、感情)は、世界に属さずに私という閉じられた心の内部に生じるものだと
考える必要はありません。(そういった「閉じられた領域」こそを、ハイデガーは
批判しています)

世界には、他者と共有される要素と、共有されない要素が存在し、
科学とは、前者の要素を探求する学問であると僕は考えています。
934ポール:04/11/04 00:17:23
じゃあ、「想起」や「想像」されたもの、たとえば、思い出しているパンを
どのように考えるかという問題が出てきますね。

思い出しているパンは他者と共有できませんから、普通、私の心に
生じたものだと考えられています。しかし、閉じられた心という領域
を排除しようとすれば、そのパンも世界に与え返さねばなりません。
ハイデガーはどのように考えているのでしょう。気になります。

さすがに大森さんのように、「思い出している富士山は、現実の富士山と
同じ場所に立ち現われる」とも思えませんし。
935パンパース:04/11/04 00:18:18
鉛筆が本源的で、その鉛筆から意味を剥ぎ取った事物的存在者の総体こそが世界そのものって
なると、まったく時間が逆転している感覚になり、なんか、気持ち悪い感覚になってしまいますね。w
それで、ハイデガーが言わんとすることは、未来から見た視線ってことになるのかな、どっかで
そんなこと書いてあったような。
後、鉛筆の意味を剥ぎ取った事物的存在者ってのは、単純に木の棒と理解していいのでしょうか?
936考える名無しさん:04/11/04 00:23:31
beingは何処に?
937ポール:04/11/04 00:32:26
>鉛筆が本源的で、その鉛筆から意味を剥ぎ取った事物的存在者の総体こそが世界そのものって
>なると、まったく時間が逆転している感覚になり、なんか、気持ち悪い感覚になってしまいますね。w >>935

「鉛筆」が本源的で、「ただの木の棒」という事物的存在者が派生的であるが、
科学的思考にならされた我々は、その派生的な見方こそが世界そのものであると
(誤って)解釈しているという意味ですね。
938ポール:04/11/04 00:33:29
>後、鉛筆の意味を剥ぎ取った事物的存在者ってのは、単純に木の棒と理解していいのでしょうか? >>935

そうともいえないと思います。
ハイデガーは、道具は一つだけでは存在せず、ひとまとまりの道具立て全体が
背後にあるといいます。鉛筆を使用する者にとって鉛筆の事物的見方とは、
ただの木の棒といえるでしょうが、どの木を使って鉛筆を製作しようか考えている者
にとっては、ある棒を木の棒であると捉えることがすでに道具的であるといえます。
純粋に科学的に解析された木の棒も、科学者にとっては実験対象という道具である
と言えるでしょうし。

純粋に事物的存在者といえるものは思考の中にしか存在せず、我々の生活には
存在しないのではないでしょうか。
そしてそれこそ、事物的存在者が派生的であるといえる所以ではないでしょうか。

僕ではその辺のことはよく分かりませんので、詳しいことはチンポさんに聞いた方がいいかも。
939ポール:04/11/04 00:36:09
>>936
やっぱりここはbeingさんのスレだし、こっちへ移動します。

 《   マルティン・ハイデガー   》 
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1099402160/l50
940パンパース:04/11/04 00:46:13
恐怖についてですが、人によって同じ物を見て恐れたり、恐れなかったりする
という、理由から主観があてにならないと私は思ったんですが、恐怖が外から来て
無数に世界があるという発想があることを全然知りませんでした。
ただ、そうなると10人が、同じ物を見てある事感じとしたら10の世界が在るってことに
なるのかな。たまたま、まったく同じ感じ方の人がいたら同じ世界を見れて
10人で一つの世界を見るってことになるのでしょうか
941考える名無しさん:04/11/04 00:50:01
>>939
本人はいないんだし、別に問題はないと思うよ。
942ポール:04/11/06 23:50:33
>パンパースさん
>恐怖が外から来て
>無数に世界があるという発想があることを全然知りませんでした。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1069588670/940

恐怖といった感情を個人の心の中に生じたものでなく、
世界の側からやってくると考える哲学者は結構いるようです。
ただ、「それゆえ世界は無数にある」とは僕が勝手に言ったことです。
943ポール:04/11/06 23:51:55
間違えた。失礼しました
944ポール:04/11/06 23:56:19
(=゚ω゚)ノ 失敬
945719:04/11/07 22:36:25
それから現存在を本位に考えられていても、
現存在を素朴に単に人間として実体化してしまう読まれ方が多い。
我々にとって自明な(と思われている)世界連関を現存在と言い換えて、
感情や死や時間を付与していくわけだ。
これだと前半はなんとなく読めてしまうが、時間性の分析で行き詰まるか、
それまでの無理が明瞭になる。
なぜかというと時間は現存在の性質とか働きとか性格とかではなくて、
むしろ現存在そのものだから。
現存在の構造自体が現存在なのであって、その構造それ自体を可能にしている根拠が問われているわけで、
ほかの存在者のようにどのように存在しているかが問われているわけではないのだ。
946考える名無しさん:04/11/10 19:12:13
>>945
毎度勉強になります。
どうもありがとうございます!
947考える名無しさん:04/11/11 11:49:17
948考える名無しさん:04/11/11 21:51:32
949THE グル :04/11/12 00:46:40
>>948
いいですか、
なんか色々と考えさせられますね。
そうした無残なご遺体の写真を前にして、
空理空論は何の意味も持ちませんし、
実際、
他者によってもたらされた不条理な死の現状を目の当たりにして、
実存も何もありませんよね。
まあ、
こうした写真は、
気分を害される方がおられると思うので、
見ないほうがいいかもしれませんね。
どうかしましたか?
950719:04/11/13 00:50:45
>>947
結局のところ「現象学はトートロジーだから間違い」ということ以上のことは言われてませんね。
フッサールについてはよく知りませんが、確かにハイデガーの方法もトートロジーは免れません。
むしろトートロジーである点に「存在と時間」の本質と難しさがあります。
なかなか理解してもらえないことですが、すでに何かがあり
我々がその存在を理解しているのでなければ、我々の思考も存在も存在しません。
「存在と時間」は我々の思考に先立ってあり実際に自ら存在しているこの前提条件を遡って構成しているのであって、
客体的に存在している人間を記述した単なる論理的な構造物ではありません。
たとえば世界は人間の想像にすぎないとか、世界の外部にある何かが世界を構成しているかもしれないとか、
そもそも世界は疑わしいと考えてみることは簡単ですが、
これらの想定や仮定や懐疑はそれに先だって世界を直接に理解しているからこそできることです。
951考える名無しさん:04/11/13 01:29:25
いいえ違います。
現象学はトートロジーであるという以前に、
現象学的「還元」が、中途半端だということが、問題の争点であり、
たとえば、「体験の分析」として、現象学が一定の観念を先行させ
ていることが問題なのです。これはデリダあたりがやったことです
が、現象学の「生ける現在」の特権化という問題です。これはデリダ
主義ならずとも問題でして、どう問題かといえば、実はハイデガーが
あれほど拒絶したサルトルの実存主義へと誤解される要因があるから
です。サルトルの実存主義がどうして駄目かは、もういいでしょ?
トートロジーというのは、現象学的な「演繹」を、論理構文に押し
戻して理解するから生じるという読み手の問題であって、誰もそん
なこと言っていない。分析哲学でハイデガーというのは無理がある
というだけのことでしょ。ハイデガーの根源への問いを、神学的な
演繹と同一視することはできないし、存在「了解」(理解ではけ
っしてない)を、システマティックにとらえれば、循環してるよう
に「見える」(あたかも神の存在証明みたいに)というだけのこと
だ。ハイデガー主義者からみると、947と950は伝統的形而上学に
ハイデガーを押し戻しているようにしか見えないだろう。そうでは
なしに、ハイデガーを押しやることが必要だとおもっている。
952考える名無しさん:04/11/13 01:30:32
ん〜問題あるな、これ。
>現存在を本位に考えても 、現存在を素朴に単に人間として実体化してしまう読まれ方が多い。
いや、ハイデガーがそう考えているんだよ。ある意味で。それが『存在と時間』という
著作の罠であったのだし、後期ハイデガーがそこから逸脱してゆくプロセスでは、人間の本質規定
(実体ではない)の問いが問われなおされているが、人間についての理念をハイデガーが
捨て去ったわけではないのだ。

>我々にとって自明な(と思われている)世界連関を現存在と言い換えて、
感情や死や時間を付与していくわけだ。<
 これでは、汎神論ではないか。世界連関を現存在と言い換えているのではない
と思うが。「付与」と言うが、それでは、ハイデガーの現象学的な「演繹」と、
論理構文の「演繹」の違いが不明瞭になってしまう。あるいは、戦後のハイデガー
から『存在と時間』を捻じ曲げている。
953考える名無しさん:04/11/13 01:32:25
>これだと前半はなんとなく読めてしまうが、時間性の分析で行き詰まるか、
それまでの無理が明瞭になる。 <
行き詰る、無理が明瞭って、読み手がそうなのか、ハイデガーがそうだと
思っているのか。
行き詰まっているって、ハイデガーの『存在と時間』じたい、そこで未完に
なっているんだろう? ハイデガーが行き詰っているんだよ。なぜか?
「現存在の時間性」Zeitlichkeitと、根源的時間性としての時節性=テンポ
ラリテートとが整合性をもたなくなってしまったからだ。なるほど、ハイデ
ガーはヘーゲルの空間化された時間を批判的に乗り越えようとはした。そこ
でハイデガーの記述は止まってしまっている。
だが、ハイデガーの「無理」が明瞭になるのは、ハイデガーをちゃんと読んでいないから。
むろん、『存在と時間』が書物として、飛躍しすぎているのは、周知のことだ。
だが、前半の言及は、後半の時間性分析をすでに前提にしている。時間性分析は
予めなされたうえで、前半は書かれているし、あの書物は、ダーっと、一気に書か
れたのだ(これも周知のこと)。『存在と時間』においては、現存在の時間性と
共同体の命運だけが無理やり「死」を媒介に連接されていた観念的になりすぎている。
無理があったのではなしに、ナチスもあるが、観念に傾倒してしまいすぎなのだ。
954考える名無しさん:04/11/13 01:34:54
>なぜかというと時間は現存在の性質とか働きとか性格とかではなくて、
むしろ現存在そのものだから。<
これは明らかに違う。よく読むように。たんに属性ではないからといって、
《本質》と等値できない。現存在と時間性を交錯させうるのは、ハイデガーがカント
を前提にしているときのみであって、ハイデガーの時間(性)分析の構想
は、存在論的であって、実存論(現存在分析)的ではない。基本中の基本!
はっきりいえば、時間性などなくたって、現存在は現存在なのだ。
こういうことをふまえないと、俺は本来的に実存しているのに、やつは実存していない
ということになってしまう。
>現存在の構造自体が現存在なのであって、<
はーい、出ました、構造ってここではなんのこと?
ハイデガーの「演繹」の仕方は、そう簡単ではないね。
955考える名無しさん:04/11/13 01:35:25
>その構造それ自体を可能にしている根拠が問われているわけで、<
それだと神学にならない?

>ほかの存在者のようにどのように存在しているかが問われているわ
けではないのだ<
いや、「客観」的存在として問えないのは当然だが、存在「了解」の
解説をしなくてはならないだろう? そしてその「了解」から「生起」
へと移行、変遷してゆくのがハイデガーの軌跡である。

ちゃんとしたハイデガー読みを望む! 黙止できんな
ハイデガー研究者はいま、擁護と批判で、バランスとってるだけで、
ちゃんと乗り越えようとしていない。(乗り越えられるわけないのだが、
ちゃんと批判してない)
956考える名無しさん:04/11/13 01:37:07
ということは、
現象学的な「還元」と、ハイデガーの『存在と時間』の
「演繹」とはなにか? と問えばいいわけだ。
こりゃ、一生かかるね。一生の仕事だ
957考える名無しさん:04/11/13 01:39:01
「構造と力」って、ポストモダンっていわれるけど、
ポストモダンがハイデガーの後裔だから、
ハイデガーの解説書みたいなものだとおもう。
ま、あの本は一粒50メートルのグリコ・キャラメルみたいな
もんだけどね。

それちがう。ヘンな構造概念ひろめるな
958考える名無しさん:04/11/13 07:12:24
>>954
>はっきりいえば、時間性などなくたって、現存在は現存在なのだ。

開き直りですか?w
959719:04/11/13 20:00:18
これはひょっとしていわゆる釣りというやつなんですか?
内容がでたらめな上に一貫性がないな。

入門書にしろ研究書にしろハイデガー以外の人が書いたハイデガーの本は、
あまり読まないほうがいい。
>>950に関連することだけど、大学教授だろうと専門家だろうと例外なく
物事を理解したり受け取ったりするための地盤となるそれぞれの前提理解をもっていて、
ほとんどその限界内でしか問題を展開できないからです。
大抵はその前提理解は通俗的なものだし、そうでないとしてもハイデガーには遠く及びません。
960考える名無しさん:04/11/13 20:03:09
>>959
(前提)了解って言ったほうがいいんじゃないの
961719:04/11/13 20:05:46
>>960
理解より了解のほうが適切というのは確かにそのとおりですね。
962考える名無しさん:04/11/13 21:05:57
了解でも理解でも、好みでいいじゃん。
"理解"出来てるんだから。
研究論文なんかじゃないじゃん。
たかが2ちゃんのオ・ア・ソ・ビじゃん。
オヤジ連中はこれだからな。
963考える名無しさん:04/11/13 21:16:00
>>962
お前はそれでいいよ
964考える名無しさん:04/11/14 06:57:26
>>954>>955

>これは明らかに違う。よく読むように。

>はーい、出ました、構造ってここではなんのこと?

>ハイデガーの「演繹」の仕方は、そう簡単ではないね。

>ちゃんとしたハイデガー読みを望む! 黙止できんな


 人のことはいいからさ。まず、おまえがちゃんと読めよ(w
965954.955:04/11/14 11:08:01
わたくしはハイデガー研究して12年になりますが、>964<それに対して「ちゃんと読めよ」
と言うのだから、せめて24年は読んでいるとみたな。ハイデガーとナチズム問題を含めて、
24年もハイデガーを読んでいたら、乱暴なハイデガー読みを撒き散らすことはできないって
ことぐらい当然だ。ハイデガーの影響下にある思想、詩、文学はあるが、どれもハイデガー
哲学そのものを肯定してはいない。そのぶん、ハイデガーそのものを読むにあたって
は繊細さが必要だ。読むにしたって、現象学的「演繹」とはなにかがわかっていない
と、わたくしが修整しようとした対象のようになる。
966954.955.956.957:04/11/14 11:11:48
>958
おまえ哲学知らないのでは? 2ちゃん哲学板なんて、哲学できて
いないんだからさ。現象学とハイデガーの「演繹」を知れと言って
いるわけ。「開き直り」ってなにを言っているんだ?

967考える名無しさん:04/11/14 11:13:23
>>965
この板にとって専門知識を持つ方は貴重です。
しかしそういう方々の傲慢さ(ある種の人々にはそう見え、また耐え難い)
が元で、糞スレ乱立などが起きています。どうか寛容になってください。
間違いは丁寧に教えてください。内容で納得すれば引き下がるでしょう。
そして、それができないならそもそも来ないで下さい。お願いします。
968954.955.956.957:04/11/14 11:18:21
>964
そもそも2ちゃんねるで、講読スレ「〜を読む」という場合、
・一定の水準の解釈(読み)の確認
・解釈の問題となる場所を議論
の2方向に分かれる運動が生じるのは当然だろう。
カンタンに言えば、解釈を統一する方向と、微細な解釈の違いに
あたっても、問題の関心によっては生じるのだという方向だ。
ハイデガーのSZはいたるところで読まれてきたし、研究も進んで
いるが、レジュメ発表なら、レジュメ掲載サイトでも作って、そこ
のリンク貼ればいいだろう。とわたくしは言っている。
969965:04/11/14 11:25:34
>>967
俺に語ってる訳?
おい、おい、
これマジ?
おおぉぉ!手前っ!!
何様気取りだ餓鬼が!!誰に向けての言葉だよ!!小僧!!
言え!
な・に・さ・ま・き・ど・り・な・ん・だ・よ!!!
>>967
言え!!!
誰だ手前は!!!
貴様の様な世間知らずは初めてだよ!!!
970954.955.956.957:04/11/14 11:26:43
専門家に徒弟すれば?
専門知識なんて、一定以上は、2ちゃんで金ばらまくアホはいないと
思うよ。だいいち、哲学以前の読解レベルのことをわたくしは言った
のだ。
学会所属するという手もあるが、本読みまくったほうがちゃんとした
解釈力もつくし、広がりも与えられる。一定の意図を前提に、あえて
解釈でもない、読みでもない、擬似ハイデッガー論をしているのは、
見りゃわかるんだよ。
「内容で納得すれば引き下がるでしょう」>「糞スレ」の乱立
と言っているぐらいだから、2ちゃんに求めることではないという
のもわかるでしょう。「内容で納得」といっても968の対立や分岐は
避けられないのであって、問題の関心も、論点も、ハイデガーを
どうして読んでいるかも、そもそも違う、ということがある。
それに、968にも書いたが、哲学する営みからすれば2ちゃんねるは、
喫煙所にすぎないんだよ。2ちゃん畳め、と主張しているわけでは
ないが、この形式で期待できることは、限られている。
971考える名無しさん:04/11/14 11:27:39
存在論自体がダサイからな。
972954.955.956.957:04/11/14 11:27:44
>969
おまえは荒らしだろ。
973考える名無しさん:04/11/14 11:29:32
>>970
では、ここを軽蔑して何も言わずに去って下さい。
974954.955.956.957:04/11/14 11:31:03
訂正
>967
975954.955.956.957:04/11/14 11:34:33
軽蔑の眼差しは常に君にだけだよ、去りなさい>じゆん君
976考える名無しさん:04/11/14 11:43:01
バ〜カ
977954.955.956.957:04/11/14 11:45:02
ハイデガーが、現存在の存在の意味を時間性として見出し、現存在の存在
の構造を記述しているという「演繹」を、まったくさかさまにして、これ
が現存在だ、というふうに摩り替えているの、947は。これは現存在の実体
化である。
「人間とは誰か」と「誰が人間か」では異なるように、
「現存在の存在」の分析と、「これが現存在の存在である」では、
ぜんぜん、意味が異なってきてしまう。ハイデガー以前の問題なんだよ。947も
ハイデガーはそれなりに読んでいるだろうが、(といっても947は「世界の世界
性」の章を踏んでいるだけだが)ことばとしてサカサマにひっくり返ってるんだ。
つまり、現象学の「演繹」を、形式論理のトートロジーや、論理構文先行で、
歪曲しているのである。
しかも、947では現存在中心主義批判の格好の的になってしまう。弁護しているの
を乱暴に批判されたと思い込むなよ。むろん、947とわたくしとでは、問題の関心
も論点も異なっていることはあるけれどね。
それを958のようなアホが出てくるわけ。だいいち958は、時間と存在とは
(現象学的演繹としては)同義であることは、わかって言ってるんだろうな?
そういう常識をふまえれば、時間性がなくたって現存在は現存在だ、っ
て内容的に理解せずに言うなよ。現存在の存在の意味を、哲学者からみれば、時
間性だとしているのが『存在と時間』という書物なわけ。本来的に脱自
しようが、非本来的に存在していようが、頽落してようが、世間的なダス
・マンに埋没していようが、現存在は現存在であるし、時間性が先にある
わけではないのだ。947の記述はそれがすべてサカサマになっているのが
わかるだろう。
それともなにかい? 時間とか存在とかは先験的だ、と反論するかい? 
そういうのは哲学では常識なのであって、時間性から現存在を演繹する
ことはできないんだよ。じっさい、ハイデガーもそうしているのは、読
解レベルでそうだ。あるいは、後期ハイデガーと『存在と時間』を同一
視しているのだ。同一視するなら、自分の思想を語ればよいのであって、
ハイデガー読みでハイデガーを簒奪するべきではない。

ちょっと、議論が出掛かっているが、構造主義とハイデガーのいう
「構造」についての、議論もむろん、分岐してあるね。
978考える名無しさん:04/11/14 11:46:06
>>969>>974>>975>>976
これはぴかぁ〜という糞スレ乱立犯の騙りだろう。くだらない。
979考える名無しさん:04/11/14 11:47:58
批判されそうになったら、トートロジーをみつけだして、
形式論理に退行して論陣張るバカ。
いま、もんだいなのはハイデガーだろう。
だいいちなんでいきなり、「世界の世界性」だけを抽出
したんだか、わからないよね。
980考える名無しさん:04/11/14 11:51:00
>>979
おねがいだからそういう言い方しないでください。
腹が立っても。
981考える名無しさん:04/11/14 11:52:05
だから、問題を整理すれば、思いつきだけど、ざっとした流れ
で、
(1)現象学的「演繹」とはなにか?
   形式論理や論理構文における「演繹」と異なるのは、周知
   であるが、デリダのハイデガー批判の意味を踏まえながら、
   これを問うことができる。
(2)ハイデガーSZの「世界の世界性」を現存在中心主義から
   救い出すことはできるのだろうか?
(3)「構造」とはそもそもなにか。
   ハイデガーのいう「構造」と、「存在構成」の意味、
   あるいはハイデガーのいう「構造」と、構造主義との
   連関、などなど。
982考える名無しさん:04/11/14 11:53:24
興奮してんなよ、カス
983考える名無しさん:04/11/14 12:04:29
なんか殺伐としてきたから、バカ読みを逆に紹介しよう。

「現存在 Dasein」とは、人間存在の、存在了解の把握のための術語
ではないのであって、
「現存在 Dasein」という名前の主人公であり、
 それは固有名詞なのであり、
 ツァラトゥストゥラみたいなものである。
だから、ハイデガー『存在と時間』は、『現存在の大冒険』とか
『現存在の世界』とか改題することができる。
あるいは『現存在かく語りき』とか。

 存在論のための、実存論的分析論としての『存在と時間』は、
現存在の存在とは〜という演繹をするのであって、
現存在(の存在)に還元する思考をすると、以上のようなことと
なにも変わりがない。
 947は、947の書き方が問題である。それはなにも作文能力の
問題ではない、読解をあえて拒んでいるか、哲学を拒んでいるの
である。哲学書を、聖典化してしまう。コーランでも読むかい?

おかまはよくないよ(?)。せっかく読んでるっぽいのに。
984考える名無しさん:04/11/14 12:05:07
怒った?>982
985954.955.956.957:04/11/14 12:08:59
981はわたくしだが、これ以外に問題がないと言っているわけでは
ないが? 
986考える名無しさん:04/11/14 12:11:26
>>983
レスアンカーを「>>」とつけてもらえると2ちゃんブラウザで見ると
参照しやすいです。それからこれからも継続的に語るつもりなら
トリップをつけてくれますか?
987考える名無しさん:04/11/14 12:12:01
誰が誰だかさっぱりだ。
988954.955.956.957:04/11/14 12:17:58
983もわたくしだが、
哲学書を聖典化してもしょうがない。
近代哲学だからね。中世哲学ではないのよ。
>>968にも書いたが、もうひとつ言っておくと、
なぜ読むのか、というのがあったほうがよい。

むろん、ハイデガーくらいになると、ハイデガーの影響のある
書物に触れずに一生すごすことはできないほどだから、原典
である『存在と時間』に、っていうひとはいるだろう。
けれども、ハイデガーの影響を受けていない書物があるというほうが
難しいくらいで、そうした書物を、ハイデガーの『存在と時間』に
還元することはできないのだ。
だが、原典といっても、中世哲学における聖書とは意味が違うし、
価値も違うのだ。

ま、2ちゃんだから、ハイデガー読んでる者どうしの、交流板
くらいに軽いノリの書き込みもあるだろうけどね。だが、ハイデ
ガーは気をつけないと、ぎゃくに、ほかの書物の理解にも、悪影響
を及ぼす。はっきりいえば、専門家だとか評論家が2ちゃんを利用
して言論誘導するのが心配だ。所詮(とあえて言うが)2ちゃんねる
である。
989考える名無しさん:04/11/14 12:20:47
ハイデガーはすでに死んでいる。デリダもね。

死者の遺したテクストは暴力的に扱われる可能性があるが、
ハイデガーとは誰か、
デリダとは誰か、
は意味があるが、
誰がハイデガーか、
誰がデリダか、
という問いにはまったく意味がない。
ハイデガーの影響のないところを探すのが、難しいくらいだな、
思考的文物でいえば。
990考える名無しさん:04/11/14 12:24:02
ハイデガーにかぎったことではない。
身勝手な解釈と意味づけが乱交パーティする場だな。
2ちゃんねるは。
2ちゃんが生甲斐にならないように気をつけたいものである。
991考える名無しさん:04/11/14 12:25:08
「野合」と東なら言うであろう。
だが、東とて、2ちゃん的言説とは、ほんとうは、無縁ではない。
2ちゃん運営の実態は、隠蔽されつづけている
992考える名無しさん:04/11/14 12:28:35
>>990
だから、このスレだけでもコテハン(名前欄に記述者の同一性を示すものを書け)にして書けよ
993952:04/11/14 12:39:02
952.954.955.957.965.966.968.970.972.977.
979.981.983.984.985.988.989.990.991
がすべてわたくしです。

952以前は、ここには一度も来ていないし、
書き込んでいない。
だが、もう、残りが少ないからねまた立つんでしょ。
だが、ハイデガーはすでに死去しているのに、959のような
発言が出てくるのも、いい加減なことを言いまくるひとが
いるからだ。

>992
994952:04/11/14 12:48:41
993に一応、わたくしの発言した箇所を明記した。
名前と記述者の同一性を抹消するために2ちゃんねるが
機能しているという(一部の)現状を知っていて言ってる
んだろうな。アホか?
それとも、それをしている張本人なのか? 992は。だいいち、
992が誰なのか、わからないではないか。
 名前と記述者の同一性を抹消する、当事者性を入れ替える
など、そうしたことがまかり通らせるために2ちゃんねるが
使われているという現状があるのであり、だから2ちゃんねるは
無意味だと言っている。こうしたことの実証はここではできないだろう。

 しかし、ハイデガー解釈の言論統制が2ちゃんねる経由であるよう
だから、わざわざ来たんだよ、わたくしは。
>992
995952:04/11/14 12:50:00
959のようなことが言われるまでになってしまっているという
現状をどう思うかだ。
996考える名無しさん:04/11/14 12:50:08
>>993
このスレはとりあえずこれで終わり。次スレは1が再開すればありうるかもしれない。
または続きを中心的にやりたい人がいれば立つかも。また初めから読みたい人ならまた別の名前のスレ。
以降ハイデガーについては下。
 《   マルティン・ハイデガー   》 
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1099402160/
997考える名無しさん:04/11/14 12:51:05
このスレッドは無意味である。
998考える名無しさん:04/11/14 12:51:06
ハイデガーなんて現代人の小学校レベルw
999考える名無しさん:04/11/14 12:51:37
ああ、期待したがこいつ電波だな。来ないでいいよ専門家さん♪
1000考える名無しさん:04/11/14 12:51:54
次スレは?
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。