99 :
考える名無しさん:
悟ると、感情の変化が少なくなる気がするんだが。
100 :
考える名無しさん:03/12/26 16:00
101 :
考える名無しさん:03/12/26 16:54
ともさかりえはえりかさもと
102 :
考える名無しさん:03/12/26 17:24
寝ないと死ぬかもしれない
103 :
考える名無しさん:03/12/26 22:07
>>99 仏教系の悟りは少なくと感情の変化を否定してはいない。
ただ、意味もなく悲しんだり、苦しんだり、憎んだりはなくなるが
意味も無く悲しんだり、苦しんだり、憎んだりしなくなった時、
それが「悟る」という事ならばそれは「人間らしさ」も捨てさってはいないだろうか?
105 :
考える名無しさん:03/12/27 00:09
悟りね〜、懐かしいな〜。
あの瞬間は大笑いしたな〜。
106 :
考える名無しさん:03/12/27 00:12
メビウスの輪
私の勝手な判断で、悟ったと思われる人を挙げてみます。
仏陀、イエス・キリスト、親鸞聖人、パスカル、ソクラテス、
ニーチェ、クリシュナムルティ、ケン・ウィルバー
どうでしょう?
この世界に関心を持たざるを得なくなって1年しか経っていません。
したがって、詳細なことはまだ知らないことも多いです。
しかし、上に挙げた人は、みな表現と方法が異なっていますが、
目指すところは一緒のように思います。
他にもまだまだ、いると思いますが、その他多くの人の思想なり、
言葉なりはこれから読んでいきたいと思っています。
ちなみに、ケン・ウィルバーは老子の言葉に影響を受けたそうです。
気が向いたらまた来ます。
悟りを開くって言うけど、此れは既に悟った人が
それをひとに開示するって事なのか?
109 :
考える名無しさん:03/12/28 07:23
悟るとは、別の漢字で書くと【覚る】
すなわち悟りを得るとは、「いつでも正しく覚る態勢が具わる」という事だと思います。
「悟りを開く」だと、そのまえは「閉じている」んでしょうね。
つまり、人生のさまざまを経験することによって「閉じてゆく」ものがあるのでしょう。
それを開いて、より生の本分に近い「物の観方」を得る……
私は悟っていませんよ。
111 :
考える名無しさん:03/12/28 07:32
お前ねえ 悟ったらそれで信者が沢山集まるだろ?
そんでお供え物沢山もらえるだろ?
そしたらこんな所で書き込みしてねえんだよ
113 :
考える名無しさん:03/12/28 07:40
仏陀も便所入るだろ。
そこで落書き読んで何か感じること有ったら
付け足すんじゃないの。
おれは逆に匿名でのそういう行為が
覚者の行いに近いと思うのだが。
自己顕示欲押さえられるしな。
115 :
考える名無しさん:03/12/28 07:45
新興宗教の教祖ほどあやしい者は無いからね〜
悟り=保守&執着=歩みを止め、時流を見失うものになり得る。と考えます
なぜか。。。悟りとは
ある思考過程をパターン化し、同じような問題に再度直面したときに
同じ思考の工程作業をし苦悩することを避ける、短絡思考主義のようなもの
と、社会に小さい法則をみつけた私はおもうようになりました。
悟りというショートカットをつくった当時はいいのです。
よくできた思考の論察結果なら2年はもちます
だが、時代も 人の意識も 好みすら 変動します。
すべては流動的です。すべては無常なのです。
おそらく『究極の悟り』すら無常かもしれませんね。
敵のいない環境で鳥は飛ばなくなるといいます。得てして私も含め生物は、かくまでも疲れやすく
かくまでも、サボリでメンドクサガリなのです。
「悟り」そのようなものを脳に装備したとたん。時流の流れから遠ざかり思考を停止するものだと反省しました。
117 :
考える名無しさん:03/12/28 07:52
経験と知恵の集積を勘と言います。
118 :
考える名無しさん:03/12/28 07:54
中身を全部飲んだものは空き缶といいます。
>>115「新興宗教の教祖ほどあやしい者は無いからね〜 」
いつかレス立てようと、おもってたのですが
話題に出たので「少しジャブ」を
宗教とは、今の時代には生まれ得ないものですか?
一連の「オウム事件」のとき「白装束の集団報道」のとき
私はあることに恐怖しました。
私は神などいない!とハッキリ確信するタイプなので
各宗教の教義や「頭沸いてる系」の話には、興味ないのですが。
何に恐怖を覚えたか。=この国には今後、真理や宗教は生まれ得ないのか?
=そういうことを考える人、知的財産の継承も失うのか?
=坊主や牧師も過去の教えの上塗りだけで脱却できないままか?
ということです。
いかがでしょうか?レス違い申し訳ないです。
悟りとは、「ハイ、それまぁでェ〜よ♪」ですね。
自分を、世界をじっくり見つめて「おお、コレだぁ!」のこころ。
だから、人それぞれ【悟りLv.】があると思います。
簡単な人は、3分。
難しい人は、60年……とかね。
『究極の悟り』は、もはや設定ですよね。
到達可能かどうかとかでなく、目標だと思います。
流動を正しく感じるために【止まる】のも、悟りだと思いますよ♪
パナウェーブは、山道動きすぎですね。
停まっちゃいけない所に車とめるし。
>>117氏。言い得て妙かもしれません。悟りではなく「勘」かもしれません
もしかすると本来は
悟りといわれるものは「勘」とおなじかもしれませんね?
ただそれの積み重ねで、より研ぎ澄まされた「人の生」への「勘」と
その結果の集積なのかもしれませんね。
失礼な話、ど素人の一般市民の私から見ても
パナウエーブは痛かったですね。。
しかし数人でも動かす彼女?のカリスマ性と論理力すごいです。
124 :
考える名無しさん:03/12/28 08:09
論理力って?
幾人かでも、彼女の説く真理や論理についていったんでしょ?
突っ込む間をあたえなかったのか、意識させなかった話術かは知りませんが。
>>119 今後新しい革新的な宗教が生まれることは無いでしょう。
現在の新興宗教の殆どは在来の歴史的裏打ちの有る宗教の
足元にも及ばないと思っています。
ただ現代の無宗教の風潮の中で堕落しきった世の中においては
なんらかの精神的基軸か必要であると思います。
そしてそれの出現は必然であるでしょう。
東洋哲学と西洋科学のハイブリッドが其れを実現すると思います。