1 :
考える名無しさん:
四次元の世界について語ろう
2 :
考える名無しさん:03/11/07 02:46
>>1 コレデモクラエ (⌒⌒)
∧∧ ( ブッ )
(・ω・` ) ノノ〜′
(⊃⌒*⌒⊂)
/__ノ''''ヽ__)
3 :
考える名無しさん:03/11/07 10:26
恥を知れ
4 :
Γ ◆m0yPyqc5MQ :03/11/07 10:27
柄谷よ恥を知れ
5 :
no-name:03/11/07 21:28
今、俺たちがいる世界は半四次元だってことに異論ある人いる?
6 :
考える名無しさん:03/11/07 23:27
最低限ミンコウスキー時空だが、何だ、その半四次元とは?
7 :
考える名無しさん:03/11/07 23:31
⌒フ---ァ≦´::::::::::::::::::::::::::::ヽ:`;ー、:::::`ヾ、\ 7
, -、 / ̄ヽ´:::::〃 '";::::::::::::":::::::::/::::::::::::!::::::、:\::::::::::ヾ\._ ∠___
/ ! / r 、 l::::〃/:::::::::::///!:::::::i:::::|::l::l::l:::|::::、::::::::::::ヾ;三⌒)'フノ
/ l | { l !:::l|::::::::/:::::/::/__/::/l::::::::l| !:| l_l|_l_ll_::::ヽ:::::::ヽミ{Ll::::::j/::l!::
. / / ,ヘ ゝノ /:::::l|:::::::i::::/7/ l|`l| !:::::l| !i´l l| i l| i`l::i,::::::::ヾ!::l::l:/:l|::::l|:
/ // ゝ _,ノl:::::::l|::::::l:::l l l, -‐-、l l:::/l ノ ニ-‐-、l l| i|:::::::l:l|シ乂:::l|:::ノl
〃 /!l:::::ノli:::::/l|:::::l:::| {i f⌒ヽ l::i ( , = 、 ヾ;j! l|:::::::l/l ノ:::l|:(:::
/ル1//::::/乂l}::::l:::! l-;:::'゙i )' l_:::::'::i l} l|/lソノ:::::メ;::ノ:::
/〃 / /:/{l:::l八=l-、 ゝとニン と'-ヘj " 〃}彡"::::::〃::乂:i:::
l / //ヽ:::l介 l}ヾ、 \::::::: 〈l ::::::` ̄::ー=彡"/:::::::{{:::{ l|:l:
ー" /--┐ 〃::lヽゝl }\ ) ー=≦彡 /:::::::::::::ll:/ l|::l
| /" __ └'7}:::l人:}l 、 ノ\ r=== /´フノl:::::::::r'´ ̄ ̄`ヽ
\_,/ レ' 〉 / l|:ノ)r─、ヽ )o ゝ ___ } / 〃/::::::::::: フ| -、 }
/ /「l rァ ! ピ } \ (⌒) 。" ゚ 。 { , ィ/ /:::::::/l ! _ノ !
{__/「l / / | ュゞ 0 丶( ノ ) O_ -'" ピ l-{|::::// | わ {
` // ゝ ッ}/⌒ヽ人_二二´ y' ュ }ノ|::/、!_ ! つ >
______r─へ.ノ `ヽ { ッ ノ !:! i ゙ヽ、 /
_∠ __ゝ_ソ / ,二二ヽ }-''´  ̄´ )' /\ー'
/___ゝ_ソ / 人__) `ヽ / \
8 :
考える名無しさん:03/11/08 17:24
糞厨房スレ、曝しアゲ
9 :
考える名無しさん:03/11/08 18:01
四次元っていい言葉だよね。
10 :
考える名無しさん:03/11/08 18:06
>>5 俺は異論は無いな。
ところで、今俺達が生活している世界にはXYZ軸と時間軸が存在している訳だが、
もしXYZ軸に虚数軸が発見された場合、虚数軸において厚さが存在しなければ物質も存在できないだろうから
物質の虚数軸においての厚さが問題になって、物質の虚数軸における領域を利用した特定の物質のみ通す膜や
虚数軸に存在する目に見えない武器が発明されるのかな…
なんて想像してみるテスト
11 :
考える名無しさん:03/11/08 18:06
二次元なら任せろ(笑)。>1
12 :
Γ ◆m0yPyqc5MQ :03/11/08 18:08
語ってる場合じゃない
13 :
考える名無しさん:03/11/08 18:10
それにしても、今日はよく屁が出るなあ
14 :
考える名無しさん:03/11/08 20:32
糞スレが醗酵してるのさ。癌になるぞ。
15 :
no-name:03/11/08 22:42
>>10さんへ 賛成してくれたのにはありがたいけど
10さんの話はちょっと専門外なんで理解が・・できないわけじゃないけど・・
難しくてどうコメントしていいものか戸惑うけど
虚軸は実在世界においてのxyz軸で表せない時点で
この世に虚軸に存在する武器はできないと思う。
目に見えない武器などがあるなら逆にそれは虚軸ではなく
5次元以上のものとは考えられないだろうか。
筋は通ってるよな
四時限めの授業中は、いつもおなかがグーとなっていた。
早く食堂で日替わり定食をたべたいことだけ考えていたなぁ
四時限めって・・・
字が違うよっ
19 :
考える名無しさん:03/11/11 12:30
藻前ら、虚時間についてまるでわかっておらんな。
20 :
考える名無しさん:03/11/11 15:41
みなさん使ってください
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!
∧__∧ キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!
( ´・ω・) キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!
/ヽ○==○キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!
/ ||_ | キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!
し' ̄(_)) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(_)) ̄(_))
21 :
考える名無しさん:03/11/11 15:45
おう!なかなか気のきく豚だな!!
例えば複数(n個)のファクターがあるとします。
そしてその一つ一つのファクター(変数的)が全てお互いに関係している場合、
「nx(n-1)x(n-2)x,,,,,,,,x1」種類のつながりが確立していて、
n-1個の独立したお互いに干渉しない(同種じゃない)「事実」が確認された
時、ユークリッド数学の領域ではDet(n-1 xn-1)が存在する事を理由に
Cramaer's rule によってその法則性は立証できると思います。
勿論、そのファクターに関係する尺度が一定に数値化できる場合のみですが。
>勿論、そのファクターに関係する尺度が一定に数値化できる場合のみですが。
補足します。全てのファクターが直線的な割合で変動する場合のみです。
(n-1 xn-1)
これはクロスプロダクトのベクトルじゃないです。
四次元って、変数が三個の関数だろっ ?
四次元の変数の数は4です。
なぜなら四つディメンションがあり、図式化は困難ながら
xyzp軸で表す定義です。
ソフィたんだ
28 :
考える名無しさん:03/11/11 21:45
祭りのョカーン
29 :
考える名無しさん:03/11/11 21:56
今、割り箸4本で表現してみましたが
30 :
考える名無しさん:03/11/11 21:56
−1/3について
−1÷3=1÷−3
↑どうしてこの数値が一緒なの?
31 :
考える名無しさん:03/11/11 22:09
1/3=0.3333333,,,,なわけで
3*1/3=1
3*0.3333333..,,,=0.9999999,,,,,
↑どうしてこの数値が一緒にならないの?
変数が二つの関数で三次元のグラフなんだけどなぁ
z = f ( x , y ) は、曲面を表して・・・
やはり この板の連中は ( 略
>>29 あのね、割り箸四本じゃ無理でしょう。
なぜなら、どれか一本はその残りの二本だけで確実に限定できますから。
それをするなら、割り箸3本と絵の具とピアノと香水で試してみたら
どうでしょうか?割り箸3本が絵の具とピアノと香水の度合いの数だけ
必要だけど?
6次元くらいできそうじゃん?
なんか、パソコンとか上手な人はそういうイメージつくれるんじゃ無いの?
0.3333333,,,,
あのね、コレは無限に続いてるよね、
それを掛け算するという事って0,99999999,,,,,,っていうふうに
これも無限に続くでしょ?でもこの無限は定義上特定できないでしょう。
なぜなら、終わり無く続くから。
この無限に続くという定義は
1/3*3という掛け算の考え方と根本的に違います。
それが理由ではないでしょうか?
35 :
no-name:03/11/11 22:52
>>22 >>23まぁそのことはいいとして
このスレは四次元について語るんだから
「語って」くれないと・・・。
決まりきったことを言うだけじゃ俺にとっては何も新しい知識がないのだが・・。
というより「三次元にいる限り四次元については分からない」
とある数学者が言ったけど。
俺はそれは数学者はねって感じで
もっと主観的に四次元がどうなってるか言える人(なんとなくでもいい)いません?
まぁ主観的っていってもある程度の数学がないとイメージしにくいけど・・。
うん。たしかに。
>俺はそれは数学者はねって感じで
そうですね。
>主観的っていってもある程度の数学がないとイメージしにくいけど・・。
もし数値があれば、それは四次元での表記じゃなく3次元になるのでは?
主観的に私が思うのは、この問題は
「もし直線的パラメーターでの四次元」なら答えは「無限にある」
「一つ」「答えはなし」になるでしょう。「答えはなし」について
この場合に3次元の存在を否定する事にはならないと思うのです。
しかしながら、この問いに対する回答は回答可能であることが
それ自体の命題に矛盾を与えるので回答不可ですね。
それいじょうの見解は多分論理から外れるような気がします。
どうでしょうか?
縦、横、奥行き、成り行き
この4つがある次元を4次元という
38 :
考える名無しさん:03/11/11 23:33
0.999999....=1
を小学生にも分かるように説明すると
1-0.999......=0.00000........
なわけよこの解は無限に0が続くから0と等しいと考えても良いわけなのさ
39 :
考える名無しさん:03/11/11 23:35
30にも答えてやってください…
40 :
考える名無しさん:03/11/11 23:37
あとちゃんと証明するとこうなる
x=0.9999...
10x=9.9999...
9x=9
x=1
41 :
考える名無しさん:03/11/11 23:38
氏ねYO厨房ども!
42 :
考える名無しさん:03/11/11 23:42
43 :
考える名無しさん:03/11/11 23:44
>>30 -1÷3=1/3*-1
1÷-3=1/3*-1
-1÷3=1÷-3
44 :
考える名無しさん:03/11/11 23:46
そもそも1÷−3=−1÷3だなんて誰が言い出したんですか?
どうしてそう思ったんだろう。
45 :
考える名無しさん:03/11/11 23:48
思ったんじゃなくて厳密な証明の元確信したんだろうね
ど ん な 証 明 か し ら ん け ど
46 :
考える名無しさん:03/11/11 23:54
一次元
ー
二次元
□
三次元
■
四次元
■■■■■■■■....
五次元
■■■■■■■■....
■■■■■■■■....
47 :
考える名無しさん:03/11/11 23:54
そうですか…すみません、変なこと聞いて。学校の先生に聞いたら
「当たり前じゃないか。バカですか君は」
と言われて腹が立ってしまって…。
48 :
考える名無しさん:03/11/11 23:56
49 :
考える名無しさん:03/11/11 23:58
いいえ、15才です。
50 :
考える名無しさん:03/11/12 00:01
ところでさ、
-i÷3=i÷-3
って正しい?
51 :
考える名無しさん:03/11/12 00:01
>>49 そかそか
ちょっと聞いていいかな
君さ
1*-2=-1*2ってのは理解出来る?
52 :
考える名無しさん:03/11/12 00:02
>>50 iは虚数だから符号つけられないからその式自体がおかしいと思われ
53 :
考える名無しさん:03/11/12 00:03
それも知ってはいますが実は納得できていません…
54 :
考える名無しさん:03/11/12 00:18
55 :
考える名無しさん:03/11/12 00:20
i=√-1つまり二乗して-1になる数
56 :
考える名無しさん:03/11/12 00:27
今度は、割り箸3本と歪みをあたえた一本とで表現してみましたが
57 :
考える名無しさん:03/11/12 00:32
( 0 1)
(-1 0)
58 :
考える名無しさん:03/11/12 00:40
(0 1)^2=(1 0)
(-1 0) (0 1)
59 :
考える名無しさん:03/11/12 00:45
(0 1)^-1=(0 -1)=-(0 1)
(-1 0) (1 0) (-1 0)
60 :
考える名無しさん:03/11/12 00:54
61 :
考える名無しさん:03/11/12 00:55
行列表示がうまく逝かなかったが、虚数単位iを
>>57のように置くと、
自乗して-の1対角行列になる。これが実数の-1をあらわす。
>>58の右辺に-が落ちているので訂正。
さらに、i^-1を転置で表すと、-iになる。
62 :
考える名無しさん:03/11/12 01:33
実数だけで4次元組んでも、面白くないかもしれないよ。
63 :
no-name:03/11/13 20:07
>>36 :Sophiaさん
Sophiaさんの考えは仮にふっと思ってでてきた考えだとしても
かなりよく考えてると思う。
「もし数値があれば、それは四次元での表記じゃなく3次元になるのでは?」
に答えます。そのとおりだと思う。
ただ、俺たちは三次元(俺は半四次元だと思ってるけど)にいるわけで
この三次元あふれてる中で三次元の表記無しに四次元を考えるのは難しいと思って
言いました。ここでデカルトを出すのは不毛かもしれないけどデカルトのように
演繹によって四次元を考えるのは俺たち三次元にとってかなり難しいことだと思う。
しかし哲学は主観であり答えを導く過程ですら楽しみの俺は俺の主観によって
「かならずや四次元の公理をぉ〜」などと無駄な努力をしてます(笑)
64 :
no-name:03/11/13 20:14
ちなみに四次元に関しては自分独自の考えを持っているけど
研究したいということと自分の考えが真似られるのが嫌なので言えません。
sophiaさんが哲学者ではないのは分かりますが・・
知り合いの哲学者が見てるんで・・。
いずれ言うつもりです。
「数学の本を読まずに」(数学における次元の定義は無視して)
自分の思考(?)だけで、
四次元について理解しようって思いつくのはなんでなんだろうね。
66 :
考える名無しさん:03/11/13 20:20
四次元は大事です。
よっ、次元 !
遅いぜ、ルパン ........
68 :
引き蘢り時々荒れ後鬱:03/11/14 00:40
けっ、ほんと、DQNばっかだなここ。半四次元とよ、アフォ草喰ってヘソが茶を沸かすぜ!
69 :
考える名無しさん:03/11/14 00:45
これって哲学の分野なわけ?数学板でやってろよ
70 :
考える名無しさん:03/11/14 00:57
ここの低レベルの雑談では数学の遥か以前。
つまり、万学の祖、原始学問哲学板でなければ耐えられない。
71 :
考える名無しさん:03/11/14 01:03
・∀・) )放が少なの意カラケ多いラウ最ンクの校ので募数が少なく気が無い・∀・)
らかに定員割放が少なの意エズオドットコ放が少なの意放が少なの意放が少なの意・∀・)
定員願者数ぼがらエズオドットコ放らしいラゲラゲララウラウ割放が少ラウラウラウラウ割放が少アユは
DQNだからエズオドットコ放置ハァーイ(´∀`な(wラゲララウララゲララウラ割放が少割放が少とにか
くだ楽は結局安定と不安定の繰り返しだトニックとドミナントそれだけなん要はその質
と量の時間的なバランスなんれがわかればよしさん@そうそのバランスの取り方は臨機
応変に変えるものなのれとも理想的なバランスがある理屈に対する一般的な方法論が理
論で楽の目的はひとそれぞれってれはオナニーだけどさラゲラゲララウラウ割取り方は臨機
応変に変えるものなのれとも理想的なバランスがある理屈に対する一般的な方法論が理
論で楽の目的はひとそれぞれってれはオナニーだけどさラゲラゲララウラウ割
72 :
考える名無しさん:03/11/14 01:06
オッサン大変だったね脳出血。まだジャーゴンしかしゃべれんのね。
73 :
「機械的唯物論」者:03/11/14 01:12
大体「この世界」「この宇宙」は「◆4次元◆としていた現れない」
・・・むろんあんたや俺や・・「いわゆる言葉を交わす人類という類人猿」
にとってだが・・・・
なんて言ったって判る訳無いよな。
「この宇宙」・・「この」が重要なのだが、それは
「少なくとも4次元『時空』で構成され、人間という存在(生き物)は
『その4次元時空の中の生物』ということで、それ以上でも以下でもない。
74 :
「機械的唯物論」者:03/11/14 01:17
「縦」1次元・・・「線」
+「横」2次元・・・「平面」
+「高さ」3次元・・「空間」
+「時間の経過」・・「時間」
で、『4次元時空は成立する』
で、その4次元時空の「根本原理」はもう『理論物理学』は
解明済みである。・・・・「時間」を含めて・・・ということ。
75 :
考える名無しさん:03/11/14 01:17
・∀・) )放が少なの意カラケ多いラウ最ンクの校ので募数が少なく気が無い・∀・)
らかに定員割放が少なの意エズオドットコ放が少なの意放が少なの意放が少なの意・∀・)
定員願者数ぼがらエズオドットコ放らしいラゲラゲララウラウ割放が少ラウラウラウラウ割放が少アユは
DQNだからエズオドットコ放置ハァーイ(´∀`な(wラゲララウララゲララウラ割放が少割放が少とにか
くだ楽は結局安定と不安定の繰り返しだトニックとドミナントそれだけなん要はその質
と量の時間的なバランスなんれがわかればよしさん@そうそのバランスの取り方は臨機
応・∀・) )放が少なの意カラケ多いラウ最ンクの校ので募数が少なく気が無い・∀・)
らかに定員割放が少なの意エズオドットコ放が少なの意放が少なの意放が少なの意・∀・)
定員願者数ぼがらエズオドットコ放らしいラゲラゲララウラウ割放が少ラウラウラウラウ割放が少アユは
DQNだからエズオドットコ放置ハァーイ(´∀`な(wラゲララウララゲララウラ割放が少割放が少とにか
くだ楽は結局安定と不安定の繰り返しだトニックとドミナントそれだけなん要はその質
と量の時間的なバランスなんれがわかればよしさん@そうそのバランスの取り方は臨機
応変に変えるものなのれとも理想的なバランスがある理屈に対する一般的な方法論が理
論で楽の目的はひとそれぞれってれはオナニーだけどさラゲラゲララウラウ割取り方は臨機
応変に変えるものなのれとも理想的なバランスがある理屈に対する一般的な方法論が理
論で楽の目的はひとそれぞれってれはオナニーだけどさラゲラゲララウラウ割 変に変えるものなのれとも理想的なバランスがある理屈に対する一般的な方法論が理
論で楽の目的はひとそれぞれってれはオナニーだけどさラゲラゲララウラウ割取り方は臨機
応変に変えるものなのれとも理想的なバランスがある理屈に対する一般的な方法論が理
論で楽の目的はひとそれぞれってれはオナニーだけどさラゲラゲララウラウ割
76 :
考える名無しさん:03/11/14 01:18
>>73 だからよー、四次元だけだったら、相互作用はどっからでて来るの?
77 :
「機械的唯物論」者:03/11/14 01:23
>>76 ヴゥアカだなぁ。「相互作用」についてあんたに説明するまでに
どのくらいの時間を必要とするか?
それは「天文学的時間」だが、あんたはそれを知ることも理解することもなく
この世にいないから、他のことを考えた方がいいと思います。
ヒトには「その個性が最適な仕事をできる場所」があります。
78 :
考える名無しさん:03/11/14 01:29
そうでもないぜ。11次元はわりとイケテル。
79 :
考える名無しさん:03/11/14 01:36
病人の集合体
no-name さん。
別にマネとかそんなのは、私には関係ないです。思うことを書いただけ
ですから。
私の言う4次元、っていうか次元は「それ自体で他とは独立した
パラメーター」しかし、ある物事を表すときにそのパラメーターの表記を用いると
精確に表現することに近ずく、という事です。それが、デカルトの次元観なのでは
ないでしょうか?
ユークリッド数学の世界では次元はいくらでも表せます。
そしてFunctionもベクトルも存在できます。
高次元でも点、線、平面、立体、、、、、、を表す事ができます。
私のいう事はそういう事です。
>「それ自体で他とは独立したパラメーター」
ここで定義がわかれますね。
81 :
考える名無しさん:03/11/14 13:30
無限次元ヒルベルト空間は、各々独立した状態に割り当てられている訳だが。
フラクタルとかハウスドルフみたいな非整数次元は別にして、通常次元と言っ
てる整数は、線形空間で相互独立にとれるベクトルの最大値である。
例えば、3次元は、xyzの他、rθφなんかで表しても3パラメータ。一応、これ
は同値ね。
82 :
引き蘢り時々荒れ後鬱:03/11/14 19:18
上げとくよ
83 :
考える名無しさん:03/11/14 19:22
運動量保存則と角運動量保存則、エネルギー保存則はどこからでてくるのか?
他のスレでも見かけるno-nameは筋が通ってるよな
あげとくよ
「世界」について。
二つの方向がある。「現実世界」と「架空世界」。
「現実世界」→われわれが実際に体感している世界
「架空世界」→1・・・SFなどでいう空想世界(「あの世」や「多次元空間」など)
2・・・コンピュータを使ったバーチャル空間や夢の世界
3・・・人類がまだ行った事のない実在する場所(他の恒星系など)
注 このほかにも「絵画の世界」とか「宗教の世界」のような使われ方がある
「四次元世界」とは、われわれの住んでる時空間のことをいうのではないか?
(空間三軸、時間一軸)
われわれの世界を「三次元世界」と一般にはいわれているけど
正確には「四次元世界」と呼んだ方がいいような気がするんだけどね。
87 :
考える名無しさん:03/11/15 14:47
いいもなにも、最低限ミンコウスキー時空だって。
88 :
考える名無しさん:03/11/15 21:41
それよりもEVER17しれ
89 :
考える名無しさん:03/11/16 01:47
age
90 :
考える名無しさん:03/11/16 01:57
現在の次元から他の次元へと突然に移行した場合、宇宙のバランス
(太陽と地球の関係とか)どうなるんでしょうか。
91 :
考える名無しさん:03/11/16 01:58
論理だけの絵画の世界
92 :
考える名無しさん:03/11/16 02:00
高次元に移行した場合はどうなんでしょう?
重力バランスとか。
93 :
考える名無しさん:03/11/16 02:01
スレ値64にへんこうになったってほんと?
ほかのすれでいわれたんだけど。
いちをかくにんで、だれかこたえて。
94 :
考える名無しさん:03/11/16 02:02
パラメータが4つあれば四次元ができるんじゃないの?
だからスレ値64でいいのかこたえて。
なんかりんくとかあったらおねがい。
95 :
考える名無しさん:03/11/16 02:04
俺がお前に言いたいのは、「市ね、逝け、糞」それだけだ。
お前には、それで十分過ぎる。
96 :
考える名無しさん:03/11/16 02:06
また、おまえかよ。いいかげんうんざりだ。
おまえには、地獄へ落ちろがいいな。
97 :
考える名無しさん:03/11/16 02:07
98 :
考える名無しさん:03/11/16 02:07
64でいいのかだけこたえてくれればいいんだよ。
だれかいない。
99 :
考える名無しさん:03/11/16 02:08
100 :
考える名無しさん:03/11/16 02:10
俺がお前に言いたいのは「都会、糞、水洗」
お前の生まれた所じゃないんだからルールを勝手に作るな。
101 :
考える名無しさん:03/11/16 02:14
私は第三者ですけど、スレの流れが読めない。
誰が誰になにを言ってるの?
102 :
考える名無しさん:03/11/16 02:14
誰か、現在のスレ値が64で正しいのかこたえてくれっているながれ。
できればこんきょつきがいいってはなし。
なんだけど、
103 :
考える名無しさん:03/11/16 02:15
数学的な四次元なら、実数四元でもいいのだが、これは現実の世界を説明するには
そぐわない。
第四元目を虚時間に取ることで大幅に整合性がます。そして、世界は、最低限四次
元なのであり、半四次元などという厨房滓はいらない。
104 :
考える名無しさん:03/11/16 02:16
実際この世界は23次元なんじゃないの
105 :
考える名無しさん:03/11/16 02:16
あんたまだスレ値聞いて回ってるのか。
どうやってスレ値を活用するの?
106 :
考える名無しさん:03/11/16 02:19
スネチャマがドラえもんの四次元ポケットについて考えても道具出してもらえないよ
107 :
考える名無しさん:03/11/16 02:21
ス〜ネチャマ〜! 痛いよママー!
108 :
考える名無しさん:03/11/16 02:23
この板愛着あるからスレ値知りたいだけ。
だから、ほんとのところおしえて、
先に上がったスレ見ると、誰も申請してないきがするけど。
ぎろんしてたすれなくなったの、あったらあげて。
109 :
考える名無しさん:03/11/16 02:28
寝る前にロザリオ唱えて
金縛りにもがき苦しめ!
110 :
考える名無しさん:03/11/16 02:31
亀甲縛りでもがき苦しむ!
111 :
考える名無しさん:03/11/16 02:36
>>109/110
レスの流れが読めないのよ。
詳細にレスして!
112 :
考える名無しさん:03/11/16 02:41
>>92質問について(愚問かもしれませんけど)何かレスしてください。
>>112 自分は、五次元以上がわれわれの世界より上の
時空間だと考えているから、それに沿って話を進めるね。
五次元以上の多次元世界とは時空間振動の異なる
世界だと思うんだね。ようするに、振動数が違うわけ。
周波数の異なる電波が、われわれの世界では混信しないように、
振動数の異なる時空間は同一場所にあって、互いに「干渉」しない。
だから、宇宙のバランス、重力のバランスには影響しないと思うな。
くわしくは、「未来技術板」の「タイムマシーン・・・」ほか、に
書いたので、よかったら見て(コテハンなし)!
広義の意味での「世界」
二次元(空間二軸)・・・絵画、写真、漫画など平面造形物の世界
三次元(空間三軸)・・・彫刻、銅像など立体造形物の世界
三次元(空間二軸、時間一軸)・・・テレビ、映画などスクリーン(平面)「変化」の世界
115 :
考える名無しさん:03/11/16 10:53
116 :
考える名無しさん:03/11/16 19:14
くそあげ
117 :
じゆん ◆bYRNL78mlE :03/11/16 20:09
114
しかしそれをすべて知覚(おもに視覚)するのは二次元なんですよね。
>三次元(空間二軸、時間一軸)・・・テレビ、映画などスクリーン(平面)「変化」の世界
まあつまりこれのことです。
私としてはやはりこの現象世界は三次元(空間二軸、時間一軸)世界であって
四次元世界ではないと思いますよ。
(心なら五次元世界と言ってもいいような気がするけど)
いちおう私の解釈はそんなところです。
自分的には二次元(空間二軸)以上の解釈は無意味のような気がするんですよ。
全くの私見ですが言っておきますね。
ただ次元解釈に時間を切り離せないのはなにか訳がありそう。
あと次元解釈はどう見ても次元の足し算をしているだけってのがチープな感じするw
118 :
考える名無しさん:03/11/17 00:16
119 :
考える名無しさん:03/11/17 01:01
二次元には重力はないのでしょうか?
重力(力学)というものは、三次元以上の空間から?
120 :
考える名無しさん:03/11/17 01:04
>>119 一般相対論では、時間方向に歪んでますな。
すみません、まったく素人なものですから。
「重力は三次元以上の空間から時間方向に歪んでいる。」
ということでしょうか?
また、時間という軸は低次元(一次元)からすでにあるのでしょうか?
122 :
BlackMammba ◆KFRzpFpZ6E :03/11/17 01:18
次元の定義から説明するとそうなる。
123 :
考える名無しさん:03/11/17 01:19
時間はれっきとした独立次元。三次元空間が時間方向に歪んでるのです。
二次元+時間の空間にある物の変化、変質というものを考えたとき、
さっぱり想像できないのですけど。
たとえば現次元の空間において、「卵が腐って溶ける」というようなことが
低次元の空間ではあるのでしょうか?
126 :
考える名無しさん:03/11/17 01:43
化学変化も三次元的な構造変化に帰着する訳ですが。もちろん、パラメータと
しての時間も必要ですし。
127 :
BlackMammba ◆KFRzpFpZ6E :03/11/17 01:51
次元の観念には高い低いは無い。あるとすれば、それ自身が高い低いを
設定する独立した次元になります。
119それは二次元を面としてそこから時間と空間と物の質の三つの次元
を組み合わせて想像しなければいけません。
128 :
考える名無しさん:03/11/17 01:56
おいおい。概念をごちゃごちゃにするな。
二次元の世界になにかの物(?)が存在するとするならば、
「何かが時間とともに何かに変化してそこにある」と考えてはみても
その変化という現象は当然二次元的なもので、私には想像すらできません。
130 :
考える名無しさん:03/11/17 02:17
そうですな。
でかい輪ッかと小さい輪ッかがあって、でかい輪ッかが切れて、そこから
小さい輪ッかを取り込んでまた閉じる。
131 :
考える名無しさん:03/11/17 04:52
>>130 馬鹿ヤロウ!
それじゃあ、ぴかぁ〜◎ができちまうぢゃないか!!
>>117 じゅんさん、こんにちは。久しぶりですね。
某スレではいろいろ書かせてもらってどうも蟻ガ塔!
自分は、四次元(空間三軸、時間一軸)がわれわれの現実的な
世界だと思っているんだけどね。
(「空間三軸」とは「縦、横、高さ(又は奥行き)」で、
この三つがなかったら立体空間として成り立たない)
「広義の世界」ということでみると、四次元には「ホログラム」
(立体画像が立体スクリーンで変化するもの)があるね。
まだ、あまり実用化はされてないようだけど。
>>124 =>119
自分の次元解釈・・・0次元→点 一次元→線 二次元→面 三次元→立体 四次元→立体変化(時空間)
注 各次元に時間一軸を導入した場合は空間軸が一軸減る(線や面でなくなる)
ということにして考えると、
一次元(点(0)と時間一軸の場合)・・・点が時間の経過によって現れたり消えたりする(間隔不問)
二次元(空間一軸、時間一軸の場合)・・・線が時間の経過によって伸びたり縮んだりする
または線上の点が時間の経過によって線上を移動する(間隔不問)
ということで、空間二軸の時間経過(自己解釈でこの場合も三次元とする)は、
テレビやパソコンのモニタで見る「変化する画面」なんかがあげられるね。
134 :
考える名無しさん:03/11/17 11:04
>>134 つまり、今日の晩ご飯はトンカツにしなさいってこと?
135 :
考える名無しさん:03/11/17 15:39
マジかよこいつら、ただの厨房か?
論理体さんへ
どもです。また少しずつご付き合い頂けたらうれしいです。
まず前もって言っておくと私の解釈はまったくもって妄想、厨房的発言であることは承知であります。
いちおうあなたの指示に従ってずらっと未来技術板に行って四次元関連のもの見てきましたんで
自分の他人とのずれに関してはいちおう自覚しております。まだ11次元に関しては理解できませんが
もはや半四次元や√2次元、マイナス次元に関してはちょっと整合性には困難を極めますが
まあわからんではないです。いちおうこういう観念の想像は男の子として楽しい部類に入りますんでw
また某スレでのあなたとの議論は結構楽しかったのでまたあんな形でやれたらいいなと思ったところでして
まあ私自身気楽にやってまいりたいと思いますので、そのつもりでどうか、よろしくお願いいたします。
では私の主張からはじめますね。なぜ二次元以上の解釈は無意味とするのか。
なぜなら三次元(空間三軸)における立体を直接知覚する術がないからと言えるかと思います。
端的に言うとそうなります。そして知覚そのものを私は現象そのもの、または事実、
つまりこの世界そのものであると定義しています。言い換えれば私の知覚そのものが世界であると。
大げさですが私の言っていることはそういうことになります。詰めていえば唯我論的に世界とは
私の世界であり幻であると、そういう観点から私の主張は構成されるはずで、そのように考えて
まいりたいと思ってます。
まず先に言っておきますと、知覚と認識(心)は違うものとしてご理解ください。
ではよろしくお願いします。
では知覚とはなにかと考えるとまずはじめに思い浮かぶのは視覚でしょう。まずはこれについて言及してみます。
私は視覚を二次元(空間二軸)の知覚であり、厳密には一次元(点)の集合の知覚だと思います。
知覚するそのものは光です。そして時間を認識するために記憶、経験の領野を使用している。
そして光の発するところを認識する作業がここにおいて認知されます。これだけではまだ光の発する場所を
認識しただけであって対象そのものを認知したことにはなりません。さて対象をもつとは私との関係性を見つ
けることです。さて現象世界において私と対象との関係性とは、まず第一に存在であり、第二に距離そのもの
であり第三、第四と続きます。でここで視覚が次に目的とするのが距離であると私は考えます。
なにゆえに目は二つあるのだろうか? これに対する答えは対象との距離を認知するためと答えられると思います。
右目と左目はまったく同じ世界を映しているのでしょうか? 答えは違いますよね。
そうではないと思います。右と左の目は存在の位置が定置で違っているため違う世界を
映していると考えることができるのです。そして両目が知覚する世界における現象の同時性が認められる
ためその目の前の世界は真実だと言うことができるのだと思います。
ここにおいて私は『二次元(空間二軸)+二次元(空間二軸)+時間一軸』の計五次元世界が
心の視覚野において実現されていると想像することができます。例えばホログラムなんていうのは
たしか実体のないものですよね。しかし両目を使用することで心にそれを描くことができると私は考えます。
そしてこの片方の視覚における現象世界が対になっているものが心の世界の基体ではないかとも思っております。
つまり想像を実現する心の領場ですね。
また聴覚についても右耳と左耳ある点で同様の理屈で心は五次元世界であり、また現象の三次元(空間三軸)を
認識することができると考えています。しかし聴覚が求める関係性とは第一の存在の認知に重点的であると思われ
ます。距離においてはその主な機能を視覚に譲っていると思われます。であれば私は聴覚の位置づけはこのように
述べます。音(対象が発する空気の振動)おける存在そのものを認知するのが聴覚であると。
あと生物学的マトリックスに言えば面は点の集合であると私は位置づけております。そしてその面の限界が世界の限界と
言っても構いません。見たこともないものについてはその姿を認識することはできない。
それがここで証明されておりますしね。
ちょっと疲れたのでまとめますね
さて目は三つ以上必要だと思われるでしょうか。耳はどうでしょうか?
私は持ったことはないですが、持っている人には失礼だと承知で述べますが、必要ないだろうと考えます。
ということは三次元(空間三軸)を認識するためには心において四次元(空間二軸+空間二軸)までの認知が
必要だと考えられるのです。そしてそれを心が経験記憶領野をつかって時間という概念を認識し、
計五次元の認識が可能になるのではと思われます。まあ心が五次元というのは思いつきで言ったのですが、
けっこう解釈として成立していくのでびっくりです。すべて妄想ですが。
あと右耳と右目のセットで心の五次元の解釈も可能だと思います。
いちおう両耳が聞こえず片目しかないんだったらそれは二次元認知なのと言ってもまずそれが成立するかはわかりません。
なぜなら、その方には耳はなくても肌(触覚)があるからです。また口(味覚)や鼻(嗅覚)もあります。
これらも二次元認知と言えると思います。
それから過去そ耳やもう片方の目持っているとすると、経験によって心の五次元世界はすでに作成されているので
まったくの二次元認知とは言えません。記憶との照合により二次元と二次元の四次元認知が仮定として作成されていると
考えます。しかしその場合は現象世界における関係性の真実の保証は距離においては不明になります。
またその方、その存在が生誕から目や耳の機能がなく、味覚触覚嗅覚の対を持たない知覚体だとしても、
自らの足で位置を変え、首で方向を変え、触れる場所を変えたとしたらやはり記憶の中における対象の関係性を
もつことにより四次元(空間二軸+空間二軸)の認知、+それの認識(時間一軸)の心の五次元が可能と思われます。
つまり私の言う心の五次元は関係性(存在と存在の差異)を認知し心の時間認識の総和と言えるのです。
また時間を認知するのは経験記憶をおいて他にないと考えるのが私の立場です。
いちおうこれら主観論に即した私の億見ですが、どうやら主観論で考えた場合これ以上の定義はないと考えるのが
私の主張でもあります。面の中に点を二つ置いただけで関係そのものが定義できるのですから。
そして関係性を知覚または記憶経験を行き来して粗密にしていけばいくほど現象世界に対する真実の保証は高まるのだと。
そのように私は考えます。
いちおう論理体さん、あなたの論には否定も肯定もありません。けっこう同じこと考えてるなと思いました。
だからあなたにレスしたのです。気を悪くしないでくださいね。お願いします。
いちおう私は主観論を素体にしてます。そう言った場合に空間三軸を直接知覚する術はないな。
と言う具合に行くと空間二軸を超える概念はないのではないかと考えました。
例えば中田英寿氏の空間把握能力なんて言うのはもはや彼の思考の純度が高いと私は考えますし。
すくなくともその空間把握能力の高さは個人差があるのは否めませんしね。
そういう個人差のゆがみがないものとして知覚以上の思考を素体とする空間三軸という観念には
ちょっと私には受け入れがたいのです。申し訳ありません。
あとやっぱり次元と時間の関係ってなんでしょうね。
これこそ主観における関係性そのものではないかと私は思うのですよ。
あと言ってしまいますが空間二軸は時間一軸と時間二軸の和であると考えております。
言い換えれば因果そのものですかね。このとき空間二軸には時間は存在しません。
ながながと失礼しました論理体さん。あと他の名無しのみなさんも勝手な妄想をまき散らして
すいません。いちおう王さまの耳はロバの耳と叫びたい気分でしたので叫んでみました。
どうかお許しください。
あと(関係性の総和)×2+時間がそのときの多解釈における次元数になるんでしょうかね。
いちおう物理法則を無視したような観点ですが、それでもけっこう辻褄は合わせられると思います。
いちおう私は次元の基数の言及をしたつもりです。基数は不変ですからね。
時間が流れる現象世界は基数次元世界。
時間が流れない現象世界は偶数次元世界。ですかね。
また物理の量子論や相対性理論は心の五次元との整合性を試みた学問とも言えるんじゃないでしょうか。
しかし知覚は空間三軸の認識にとどまるのが精一杯のようです。そして実験の証明は二次元に帰納されてしまうのですから
株価変動などにおける未来予測なんかはもう心の五次元を超えてます。基本的に不可知というのが私の考えです。
どんどん言葉がふくれあがりますね。いったん切ります。
論理体さん
私の主張はどうでしょうか?
まあでもあなたの言っている観念の方がわりと正当なんでしょうね。
あと次元を空間と時間の軸とに分けたのは見事と言うしかないです。
ひじょうに参考にさせて頂きました。この辺りの言葉が私にはなかったものですから
いつももやもやしてたのです。どうもありがとうございました。
あとそれと時間の多軸設定なんてありえるんでしょうか。
たぶんありえないと私は思います。
私は主観論的に言えば時間は一軸以上はないと考えます。
世界に置いて時間があるかないかです。
あと本来のスレタイの言及における四次元、またはあなたの五次元設定
つまり空間三軸、時間一軸を超えた観念はあるんだろうか?
これはまだまだ我々には不可知なのだと思います。近づけたらいいなとは思いますが。
きっとあなたもそうなのでしょうね。
>>119 119さん
二次元に重力はないと思います。
むしろ時間が(適用され)ないと私は考えます 。
>>127さん
BlackMammba(ブラックマンバ?)さん
>次元の観念には高い低いは無い。あるとすれば、それ自身が高い低いを
>設定する独立した次元になります。
そのとおりだと思います。けっこう次元なんてご都合主義的ですよね。
みんな好きなことを言ってるなあと思います。まあ私もですが。まあ私が無知なだけかもしれないけど
というか高校の物理なんてもう忘れちゃいました。
最後に
長文でごめりんこ。
じゅんさん、ごていねいにどうも蟻ガ塔!
いろいろ考えているみたいだね。
一通り読ませてもらったけど、正直言ってワケワカメ(むずかしいね。どうもゴメソ!)。
じゅんさんは、「世界」や「次元」の拡大解釈が、
自分の考えよりも上をいっているみたいだね。
(自分は数学や物理の要素をほんの少し入れただけです)
「時間の多軸設定」ということだけど、「時空間の波動変化」そのものが
「時間」というように自分は考えるので、ひとつだけ(一軸のみ)。
「五次元」は「空間振動数軸」を設定します。
われわれの世界を原点(0)としてみると、われわれの時空間より振動数が
高いほうをプラス方向としたら、低いほうはマイナス方向、という具合です。
まあ、これはあくまで「頭の中」だけの空想だけどね。
次元の考え方で私が思うのは、
1;「独立したパラメーター」
2;「その中で表記される内容に矛盾が無く関係がある」=Function
を表現できる。
それくらいかな?
だから
一次元;音階
二次元;色
三次元;私の気分
とかそんなのでも次元じゃないの?(私の中で)
電波かな?図表で表すと、四次元は色階か音階か何かの周期とか
そういうのになるのでしょうか?
>>142 論理体さん、どもです。
やっぱりあれ分かりにくかったですよね。すひません
けっこう妄想入ってまして、人の理解を無視するようなところがあったのかもしれないです。
コンゴ気をつけます。でも特別なことは言ってないですよ。
あの長々とした長文は、空間二軸以上は知覚不可と言うことを述べたかっただけですから、
で目が二つあるとようやく空間三軸を認識できるのだなと、つまり空間二軸の知覚が二つあって
ようやく空間三軸を認識できるのだなあ、まあただそれだけです。
ようは目が二つあってようやく立体であることに気づくんだ。当たり前みたいなことをこんがらせて言ってしまいました。気にしないでください。
でちょっと質問なんですがよろしいですか
>「五次元」は「空間振動数軸」を設定します。
>われわれの世界を原点(0)としてみると、われわれの時空間より振動数が
>高いほうをプラス方向としたら、低いほうはマイナス方向、という具合です。
空間振動数軸の観念を私が想像するところによると、この宇宙空間そのものを
光のような物としてとらえるのでしょうか? ここでの光の概念は、光は物質であり
また波である。その二義的な言及なんでしょうか。空間そのものが振動しているのを
イメージするとそういうのが頭に沸いてきました。いちおう縦揺れ、横揺れとかではなくて
点が明滅する一次元的な活動を空間が行うのかなと思った次第です。それだと無限に一次元
二次元、三次元の空間3軸が永遠繰り返されしまいそうで果てしないものを感じますね。
それともあれでしょうか、空間振動数の高い低いを言っているところを見ると、振動数(波長)
の違いのことを言っているんでしょうか、電磁波にもγ線、X線などがあるようにそういう階調が
独立した時空間として高次元の世界があるのだと。これはちょっと信じられそうですね。
全然違ってたらごめんなさい。ただ私の勉強不足か理解不足のせいですんで気にしないで
ください。私もあなたにワケワカメって言われたとき大笑いしちゃいました。
むろん自分にですが。ほんともうしわけありません。
あと空想っていいですよね。あんまりカロリー使わないしw
>>143 ElleDriverさんへ(今度、キルビル見に行こっと)
>1;「独立したパラメーター」
>2;「その中で表記される内容に矛盾が無く関係がある」=Function を表現できる。
まあほぼ同意です。だってあとは不可知ですからね。でもそうするとこの現実の世界を
矛盾なく表現するにはどれほどのパラメーターが必要になるんだろう。
きっととんでもないことになりそうです。いちおう物理的な観点を採用した方がいいかな
とは思います。じゃないと電波っていうよりわがままなお人って感じしますからね。
>三次元;私の気分
www…。いやでも私も思いましたよ心は何次元なんだろうって(汗)
>図表で表すと、四次元は色階か音階か何かの周期とかそういうのになるのでしょうか?
どうやらその線が強そうですね。光の波長とか、また物質の原子周期?の観点とかからの
発想ですよね、おそらく。
あとそうですねどうも私には3という数字がこの次元の解釈には必要なのかなとも
思ったりします。あと二乗式も。
146 :
考える名無しさん:03/11/19 01:23
このスレ、頓珍漢大厨房に乗っ取られたようだね。
>>146 いやいや乗っ取るだなんてそんな、それくらいのことぐらいわきまえてますよ。
言いたいこと言っただけなんで。まあ2ちゃんなんですからいいじゃないですか。
これくらいの自説披露は、まあありなんとちがいますか。
あと私が頓珍漢であることには同意しましょう。
では、われわれ「哲板厨房団」(消防団ではない)の団結式といきまつか。
じゆんさんへ、
まず光、これは「光子」というように「粒子(物)」としても
捉えられるし、電磁波の一種としての「波」としても捉えられるよね。
「二義的」というのは、そのとおり。
「独立した時空間」
われわれの世界の振動数とは異なる振動数の時空間(世界)があって、
未来技術でその振動数変換ができる「装置」ができれば、その世界に
いけるかもしれない、ということだね。
時間軸は「進行」のみの一方通行だけど、「空間振動数軸」は「空間軸」と
同じように自由に移動できるだろう、と思うわけ。
物質を構成している素粒子やクオークなどの微小領域ではそれらの粒子が
振動していて、その「集合」したものが空間を作り、その振動体の「振幅や波形」の
「変化」が時間を作る、というように考えたいんだよね。
その「振動数」が変われば、物質全体の振動数も変わるだろう、ということだね。
つまりは、この世界から消えて(電波と同じで同一場所には存在している)、
別の振動数の世界に現れる、ということ。
水面の波というより、音と同じで「疎密波」なんじゃないかな。
「心」の次元設定、あるかもしれないね。うーん、考えてみたいね。
149 :
考える名無しさん:03/11/19 10:35
キモッ!
150 :
考える名無しさん:03/11/19 10:40
きも〜い。
151 :
S.ビカァー、かく語りき:03/11/19 10:59
忘れようとしても、思い出せない・・・。このクル墨がわかるかのォ。
>>143 的を得ている! うまいね。
ピアノの音階なんかは「デジタル」で不連続だけど、
一般的に「音」は、音の振動数可変器で連続して高低を変えられるし、
人の歌声や弦楽器の音なんかも連続して変えられるから
線的な「一次元」といえるよね。
「色」は赤とか青を表す(虹のように色変化が連続している)方向と、
その濃淡(白黒)を表す方向があるから、
面的な「二次元」といえるよね。
うーん、「私の気分」ていうのは、よくわかんないんだけど。
153 :
考える名無しさん:03/11/19 12:02
音にも色があるんじゃないの?「音色」とか。
>>152 >的を得ている! うまいね
ありがとうございます。
>私の気分
それは「独立してて、他のパラメーターと関係している」
という意味です。だから「私の存在」とかは次元の領域ではなくなります。
でも、気分は「音楽の好き嫌い」とか「色の好き嫌い」で変わるから
次元として設定できると思ったのです。
>>153 それは音を色のパラメーターで表現する事です。
音を次元に置き換えると、認識できる範囲では、デシペルとヘルツの
(音圧と周波かな?)が適切なのでしょうか?
>>153 そうくると思った!確かに「音」ということばについてみれば、
音の要素としては、「音の大きさ」とか「音色」なんかもあるね。
でも、
>>143 さんは、「音階」ということばの設定をしている。
つまり、別の言い方をすれば「音の高低」ということだ(音階≒音の高低 といってよい)。
ということで、ほかの要素は考えなくてよい。
「音の高低」にしぼって表現しているので、「一次元」でまちがいない!
>>154 こんにちは、どこかのスレでお会いしたようですね。
自分もこれから「意識(私の気分)」の考察をはじめてみるつもりです。
おお論理体さん、哲板厨房団入りますよもちろん!
ぜひ作りましょう。
>その「振動数」が変われば、物質全体の振動数も変わるだろう、ということだね。
かっこいい話ですね。そういう風に考えたことはなかったです。
なんだかよさげな五次元世界ですね。とても楽しそう。
うん論理体さんの心の五次元になら私も行ってみたいな。
>>154 Sophiaさんへ
おおやっぱりあなたでしたか。どうも初めましてです。
あなたの気分は私にとっては異次元なんでしょうね……。 (・_・)(ほんとくだらないですね)
157 :
考える名無しさん:03/11/20 14:02
音階は周期の違い。
周期の違いは一次元的だが、周期そのものは時間的要素。
158 :
考える名無しさん:03/11/20 23:07
厨房スレ。
159 :
考える名無しさん:03/11/21 02:46
厨房スレなら厨房質問レスでも、、、
二次元の平面は空間なのかよ?
平面空間とか表現するのか?
実態は無いのと同じじゃないの?
160 :
Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/11/21 05:49
157
それはどうでしょう。音階は周波数のパラメータであり、
それはその音の一定の時間に対する周期の数の関係ですから、
音階と時間軸を一元的に表現できないと思います。
あと、音そのものですが、音は「音階のパラメーター」と「音圧」の
パラメーターで表されると思います。
あと「色」について、
色を「明暗と色調」という意味で表現するとそれは二次元だと思います。
例えば、ある光をプリズムで分光すると一元的なパラメーターで表現されます。
そのうえ、その光の強さ弱さを変えたとしてもそのパラメーターは変わりません。
それが理由です。
161 :
Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/11/21 05:50
結局、次元は相反する対になった形容詞があれば、その「形容詞の次元」として
扱えるという事でしょう。じゃんけんのグーとチョキとパーの性質を一つのパラメーター
上に表現できない時はそれはそういう一つの次元では表せないのでしょう。
もし次元を点〜面〜体積〜という風に次元の高低のランクを設定すると、
この私の話は「単なる机上の超ー空論」になりますね。
たとえば、社会学者のエミリーダーキムは自殺率を「社会変化のスピード」
個人の社会に対する「自律性」または「集団〜個人」のパラメーターで
表したりしましたが、その次元達に高次元さを幾何学の世界の点、線、面、体積
見たいな風に一次元=点、二次元=面、、、etc etcと考えると、気分や心について
論じるまでには数え切れないほどの次元のコンセプトが考えられるのでしょう。+
同じく、(数えるのは不可能ではないですが、)数え切れないほどの気持ちのバリエーション
を設定しなくてはなりません。
>159、
いくらでも考えられるファクターが期待できる次元で(私たちの世界=現実)
二次元上に面を設定すると、二次元上で表せられるべきの点の無限に
広がる表現になると思います。簡潔にいうと、159さんの考える空間は
二次元ではその二つのパラメーター全域を示すんじゃないかなぁ〜と思います。
線は二次元であらわされ面のコンセプトは三次元で特定される性質があると
思います。
162 :
Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/11/21 05:53
>159、
いくらでも考えられるファクターが期待できる次元で(私たちの世界=現実)
二次元上に面を設定すると、二次元上で表せられるべきの点の無限に
広がる表現になると思います。簡潔にいうと、159さんの考える空間は
二次元ではその二つのパラメーター全域を示すんじゃないかなぁ〜と思います。
線は二次元であらわされ面のコンセプトは三次元で特定される性質があると
思います。
163 :
考える名無しさん:03/11/21 06:04
四次元とは時間という概念が存在しない空間の事である。
長時間考え事をしても、1分1秒という短い時間すら経過しない世界。
未来や過去も全てが同時に存在する世界。
164 :
考える名無しさん:03/11/21 07:48
1−163
しかし人間全てがこういう事を意識して生きていけば、ただの
動物とはもう違うね。四次元世界にきずいたんだから。
>>153 たびたびスンマソ。
「音色」そのものの次元解釈ということでしたか。
一般に音の「波形」はオシロスコープ(物理の実験なんかで使うヤツ)で
みれるよね。波形が静止状態のときは、縦横二軸の直交座標なので平面的に
観測することができる。だから、この限りでは「二次元」ということができるね。
音が持続したり、時間によって音色が「変化」したりすることまで考えれば
「三次元」ということになるのかな?
ただ、シンセサイザーなんかで音作りをする場合はどうなのかわかんないから
(二次元の波形の基盤のうえに、また別の「変化軸」を設けるとか)
絶対こうだ!とはいえないなぁ。どうもスンマソ。
うーん、「意識」「心」の次元解釈、むずかしいなあ・・・。
>>159 一般に「空間」といえば「物理的立体空間」のことをいうけど、
「抽象的数学表現」というように考えてもらえばいいんじゃないかな。
「線」も「面」も空間を構成する「要素」だからね。
167 :
考える名無しさん:03/11/21 13:12
線も面も空間も超空間も、おまいらの言ってるのは実数だろが。
時間は本質的に虚数なのだ。
時空と実数四次元超間は別物。
「面」は空間を構成する要素となりえるだろうか?と、、、
紙に書いた餅をいくら重ねても、紙の厚さは0だから立体にはならない。
一元、二次の実態がなく概念でしかない要素で多次元を表現できる不思議ってなんでしょう?
169 :
考える名無しさん:03/11/21 14:19
紙に書いた餅と言うのがすでに抽象概念ではない。
紙の厚さが0とか、厨房概念だな(w
>実体がなく概念でしかない 〜こんなんじゃ、状態空間なんて考え
られないだろう(ww
紙の厚さは0だから「紙に書いた餅」は抽象概念だということにして。
171 :
考える名無しさん:03/11/21 23:56
age
172 :
考える名無しさん:03/11/22 04:23
そこいらのものを指し示して2次元だ4次元だと言っているのは
次元の劣化した概念に過ぎないだろ?
音が波形で表されたとしても、所詮は3次元空間の物体の振動
紙に書いたものは2次元だといっても、所詮は3次元空間で概念的に示しただけ
点・線・立体・時間 だ?
本当に今俺たちがいるのは3次元か?
見落としが有る可能性は?
便宜上そう呼んでるだけじゃねえの?
>>165 あ、確かにそうですね。
音は存在していると認識される以上、少なくとも三次元まで確定できますね。
174 :
考える名無しさん:03/11/22 05:10
虚時間をお忘れなく。ここは最低限四次元の世界です。
おそらく、現実の世界を次元で考える事は
「独立したパラメーターであり、他のパラメータとかぶらないけど関係性が
ある」と設定できる物事の数だけ次元があると思います。
多分、全部は数えられないと思います。しかも、数えられたとしても
それが確実に現実世界を模写できたとはいいきれないでしょう。
176 :
考える名無しさん:03/11/22 05:30
うん。まかした〜!!
あ、「まけとけ」か〜。
それは神様に頼んでください。私じゃないです。
「まかしとけ」って読んじゃった。
>>177
>それが確実に現実世界を模写できたとはいいきれないでしょう。
理由;人の認識が世界の全てを確認できる保証は無いし、認識可能外の
事を認識することは不可能なのは自明ですから。
「意識」の次元解釈の前準備
感覚器官(知覚)・・・・理性的処理・・脳(計算、思考等)・・・
・ ↑↓ ・
・ 脳(記憶、知識) ・
・ ↓↑ ・
・・・感性的処理・・脳(感覚、感情等)・・・
・ 1 2 ・
・・神経、脊髄(感覚)・・・
3 ・
↓
肉体各部(動作、表現等)
1.五感(暖かい、滑らか、甘いなど)
2.喜怒哀楽と、その進化感情(妬み、愛、憎など)
3.条件反射(痛い、熱いなど)程度によっては条件反射とならない場合もある
*「夢」や「深層意識」などはここでは考慮してない
「意識」の次元解釈
1.「感性軸」の設定 2.「理性軸」の設定 3.「時間軸」の設定
感性(感覚、感情)は「苦」の領域と「楽」の領域に分けて考える
「苦」→感覚→熱い、痛い、まぶしいなど
→感情→悲しい、恐ろしい、腹立たしいなど
「楽」→感覚→暖かい、美味いなど
→感情→楽しい、うれしいなど
注・・感覚においては「甘い、辛い」など、「苦」に入ったり「楽」に入ったりするものがある
また、「臭う、ざらざらする」など、「苦楽」に入らなかったり、(入る場合もある)
人や時、場所などによって分かれるものもある
「感性軸」・・・苦(マイナス)←原点(0)→楽(プラス)
感性の大きさを表す(数値化できない、比較判断のみ)
理性は、先天的理性(経験にもとずかない)→ア・プリオリ
後天的理性(経験によって得られる)→ア・ポステリオリ
「カント」の学説より を対極的にひとつの「軸」としてみる
「理性軸」・・・先天的←原点→後天的 理性の深さを表す(数値化できない、比較判断のみ)
「時間軸」・・・過去←現在(原点)→未来 原点は「現在」でなくてもよい
「感性軸」「理性軸」「時間軸」の三軸が互いに直交する「三次元」とする
時間の経過によって、感情などが変化し、また「計算」したり「考え」たりも
するね。悲しくて泣いている、と思ったらテレビを見て笑ったり。
「先天理性」とか「後天理性」は、自分の解釈としては、たとえば
犬が尻尾を振っているのを何も知らない小さい子供が見たら
「何で尻尾を振っているんだろう」と「考える」よね。
これを「先天理性」ということにすると、
犬を飼っている大人の主人が同じように見たら
「また、うれしがっているね」と「思う」よね。
これを「後天理性」というように考えてみたんだけど。
軸間にまたがる場合は、たとえば
小説を読みながら(思考しながら)泣いたり笑ったりするとか。
ただ気になるのは、感情の意識があるときに、「同時」に思考も
本当にやっているのか、ってこと。パソコンの「マルチタスク処理」と
同じように細かく「時分割」しているだけだったりして。
「修行」したような人は、ちょっとした「苦痛要因」があっても
あまり苦痛を感じなくなるように、一つ一つの要素については
軸を「移動」するものがでてくるかもしれないね。
184 :
考える名無しさん:03/11/22 18:04
軸はあっても因がないと移動しないわけだが
座標軸内で君の意識地点が移動するためには何が必要なのかな?
185 :
考える名無しさん:03/11/22 18:13
座標軸があれば君の意識の運動式は?なんでしょう。
>>184 経験、行動などによって変わったりすることもあるね。
別のスレでも書いたけど、たとえば、山登り。
こんな苦しいことをよくやるよ、と思っていた人が
何回か山に登り、運動慣れ(トレーニングによる体力向上)と
山登りの面白さに引かれ、「苦」を感じる意識よりも
「楽」を感じる意識のほうが大きくなった場合とか。
>>185 「運動式」というのは考えてないね。
物理的な考え方で式を立てられる、ということなのかな?
187 :
考える名無しさん:03/11/23 11:43
軸の線形独立が保証されていない!
>>187 この文章だけでは何を言っているのかわからない。
具体的に意味を述べてほしい。
189 :
考える名無しさん:03/11/23 14:49
理性軸」と「時間軸」が直角に交差するというのはどうだろう。
-y先天的=-x過去
y後天的=x未来
(x、-y)と(-x、y)内に意識点は位置しないことになるんじゃないかと。
>>189 変数x、yが等価(=)になることの意味がわからない。
「理性」と「時間」は独立したパラメータとして設定したんだけど。
未来方向には「先天的」な要素(思考、計算する上での一つ一つの事柄)は
残るだろうし、「後天的」な要素は蓄積されていくだろうね。
また、過去方向には「先天的」な要素はあったし、「後天的」な要素もあった。
(生まれてからいろいろなことが「経験」として「記憶」されていく)
だから、座標(x,y)(−x,y)(x,−y)(−x,−y)内に
すべて位置すると思うんだけどね。
191 :
考える名無しさん:03/11/23 16:27
論理体さん、他人に聞く前に、多変量解析などで、独立変数(次元)の
取り方が如何に難しいか知るべきです。
論理退散
193 :
考える名無しさん:03/11/23 16:31
4次元 =霊界 =死後の世界
論理体散
195 :
考える名無しさん:03/11/23 16:34
196 :
神からの伝言:03/11/23 16:35
お前らはアホです。死んでも霊界があり 生まれ変わるたびにより善人
になり 神になり 宇宙を創れるほど進化し 永遠の天国
で永久永遠に 嬉しく 楽しく 遊びます。
人間の本当の生命は 永遠です。
私たちは第二の創造神になるのです。皆様がんばりましょう。。。
死んだら 自分の人生 自分で(相手の立場と入れ替わって)全部観て 反省 向上していくのです。
組み合わせるときにはよく考えないといけない、ということはわかります。
自分の考えたことに間違いはあるかもしれないね。
198 :
考える名無しさん:03/11/23 18:33
「理性はただ蓄積されていく」というより「理性は蓄積されてその質が変化していく」じゃないかな?
>>181 論理体さんへ
>理性は、先天的理性(経験にもとずかない)→ア・プリオリ
後天的理性(経験によって得られる)→ア・ポステリオリ
これを一つの軸にする事は不可能だと思います。
理由;ア・プリオリとア・ポステリオリはその質の違いが明確に区切られているので
「パラメーター」という軸の観念から外れてしまします。
また一方で
感性軸もちょっと?な部分があります。一本で計れないと思います。
感覚は個人がその状況に対して感じるもので、少なくとも5つはあるでしょう。
その上五感の一つの味をとってみても、苦い、しょっぱい、甘い、すっぱい
+旨み など、4っつか五つくらいパラメーターができてしまうと思います。
また、感情は総合的にはその時その時によって幸せとか不幸で表されるかもしれませんが、
人はそう単純に感じないかもしれません。うれしいーかなしいパラメーターとか
つまんないーおもしろいパラメーターとかそういう「程度で表されることができる」
相反した感情形容詞の対の数だけ次元があると思います。
あと、そもそも世界を次元で表そうとしているわけですから、個人についての
誰にも適用される絶対的なパラメーターは確実性をうしなうかも知れません。
ですから、何かの一つの客観的な感覚と感情に対する基準を何十という次元の
中に設定してそこから、「ベクトル」という方法で表現されたほうが、筋が通る
と思います。
そうすると、経験とか今の心境とか未来へのビジョンなんかもそのベクトルの過去からの動きと
その環境を解析していったら人の感情とか感性は表現できると思います。
もし表現できたらS-R心理学は確実に立証されたことになりそうですね。
>>198 うん、そのほうがいいだろうね。
>>199 同じ「理性」ということで一つにできるんじゃないかな、
と思ったんだけどね。
(「感性」という軸を一つにしたので「理性」という軸も
一つとして捉えた。質の違いは考慮しない。)
(「感性」については、いろいろな感覚や感情を大きな「属性」の「要素」として
捉えた。集約化。)
もちろん、ひとりひとりの次元の「状態」は違うよね。
「次元モデル」というように考えてちょーらい。
天性的理性って自己防衛本能とは違うのかしら?
↑先天的の間違い(;^^
お詫びと訂正
カントのいう先天理性、後天理性と自己解釈(自己流)の理性の意味が食い違って
います。最初から注釈するのを忘れていました。お詫びします。
カント・・・先天理性→経験によらなくてもそれが真理だとわかること
後天理性→経験によってそれが真理だとわかること
自己流・・・先天理性→経験がないので、意識が「何だろう?」という「考え」になること
(先天的意識)
後天理性→経験によって、意識が「あれは〜だ!」と「思う」ようになること
(後天的意識)
「例」 「魚」を知らない人が水中にいる生き物を見て
「あれは何だろう」と「考える」・・・先天的意識
「魚」を知っている人が同じように見て
「おっ、魚が泳いでいる」と「思う」・・・後天的意識
「先天的意識」をはたらかせて結果が得られ、それが「真理」だとわかったあとは
それが「経験知識」として、次からは「後天的意識」を起こさせるものとなる。
*これからは、ア・プリオリ、ア・ポステリオリは使わないことにします。どうもスンマソ。
>>201 >>202 自己防衛本能ですか・・・。うーん、ちょっとむずかしいけど、とりあえず。
「自己流」の解釈でいくね。
「本能」は一般的には「理性」よりも「感性」によって呼び起こされる場合が
多いと思うね。
痛い!と感じたらすぐに手を引っ込めるとか。でも、「理性」の働きによる
場合もあるね。
たとえば、沢の水を飲もうとしていたとき、たくさんの魚が浮いて流れてきたので
口に入れた水をすぐに吐いたとか。
これは「経験」がものをいうから「後天的意識」(後天理性)といえるんじゃないかな。
「考え事」をしている状態(先天意識として考えている場合)では
「防衛本能」ははたらかないと思うね。
また、「感性」と「理性」にまたがった防衛本能もあると思うんだけどね。
>>200 私はその理性をa prioriとa posterioriで分けた事で「尺度」という
表現ではなく、「二つに分けた分類」になってしまうのではと思ったのです。
例えば、身体的に「生きる」と「死ぬ」を「尺度」として表す事は
できません。なぜならその中間はありえないからです。
>>204 本能も理性も感性もあと経験もそれと身体的な気質も全て、心理という
意味でお互いにリンクしているので後天的先天的見たいな分類ではなく
それぞれ独立したパラメーターとして扱われた方が合理的な気がします。
心理学を学んでいてそれぞれを別個のトピックとして扱うのでそう思うの
かもしれませんが。。。
>>204>>205 理性⇔防衛本能の式は人からミクロまでの経路を辿ると、
思考による記憶からの保守的維持→意識的存在維持→生命維持→形成維持→存在維持の為の制御
と、このような感じですね。つまり理性とは防衛本能の進化。防衛本能は形成維持の進化と考えているのです。
それと感性ですが、私の思う次元の式では、論理体さんが位置付けする感性軸の場所とは異なります。
私の中では、感性とは四次元の領域に入ってしまうのです。
平日のこんな時間でだれもいないので前レスロムってきました(読んでからレスしろって?(w
非常に楽しく読ませていただきました!特にじゆんさんには共感する部分が沢山です。私もかなり近い次元のイメージです。
上で言ってた続きですが
私の言う本能とは一次元からの蓄積された刺激(直接知覚)によるプログラムであり、感性は"空間"の知覚能力というとらえ方になっています。
>>181の
>「感性軸」「理性軸」「時間軸」の三軸が互いに直交する三次元
の式が、私だと本能軸(刺激によるプログラム)理性軸(プログラムによる維持・制御)時間軸(刺激)が直交する、三次元が蓄積された因子に
蓄積による感性軸(非直接的刺激のプログラム)が加わることにより四次元となる
と、こんな式になってしまうのです。つまり四次元とは物質以外をも知覚する空間共有世界という事です。
まあ私の場合、妄想オタなだけでじゆんさんや論理体さん達みたく学は殆どありません(w
みんな想像力が豊かですね。
>>207 について私は本能と知覚はリンクしていますが、ある一つの次元で捕らえる事は
不可能だと思います。
なぜなら、知覚システムと本能のシステムは形而上でも形而下(生理学)でも
別個のシステムで成り立っています。
もし一次元で解釈すると過程するなら、(本能や知覚システムが一元的だとは思いませんが、)
どっちかのシステムはその度合いのベクトルを変換するFunctional Matrixになると
思います。 (Matorix Recolutions観ところです。)
209 :
遠戚のお見舞い ◆fY5qM8vZhY :03/11/28 12:50
調理体の意見に同意だな。
赤ん坊の頃から身体の自由と五感を閉鎖していたら、例え本能が働いたとしても知性、
ここで言うところの理性が発達するとは思えない。
人間の行動・思考は経験から入り、それによって理性を養ってある分水量に達すると自我が目覚める。
昔のパソコンのようなもので、どこからかプログラムを入力されて始めて動き出すのが人間だ。
ハードとしての能力は持って生まれるけれど、ソフトは外界からやってくる。
調理体は客観的観念論に見えるが、それとはまた別のことを指し示していると思う。
おれは因果性と同一性を「言葉遊び」と捉えている。
>>209 いやぁ、蟻ガ塔!
「人の意識」については、いろいろな考え方があるんだね。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「ブラックホール」と「ホワイトホール」について(突然話題を変えてスンマソ)
ブラックホールは物理的に存在することがわかっているけど
ホワイトホールは「数学的」なもので、実際には存在しないんじゃないか
といわれているね。両方とも、空間三軸、時間一軸の「四次元」の中で
あらわすことができるけど、ホールの中では四次元は成り立たないらしいね。
特に「特異点」なんかは。
「一次元」の座標に無理に置き換えてあらわしてみると
(物理的ではなく、数学的な表現として)
←−−−−−−−−−−・−−−−−−−−−−→
ホワイトホール 特異点 ブラックホール
← ←
物や光が吐き出される方向 物や光が飲み込まれる方向
上の軸のように、ホワイトホールがブラックホールとつながっていて、
実際に「ほかの時空間」に存在するんじゃないかという物理学者も
いるらしいけど、どうなんだろうな。
まだまだ「SFの世界」だね。
遅レス。。。
次元とは対象概念の収まる『領野』に付するような名詞ではなくて、
『場』に冠する名称ではなかったでしょうか。ということにようやく気づきました。
次元の差異を表すとき、次元の違いはそれ自体が別次元のことを表しており、また異次元とは
それそのものであり、また相互に干渉不可能であり、パラメーター的には全くの不連続を実現
させているのではないでしょうか。
ですから ElleDriver(sophia)さんの
>>143 >一次元;音階
>二次元;色
>三次元;私の気分
という次元解釈の観点から言えばこれらはつまり干渉しているのであり、これらを一次元、
二次元、三次元と別次元のように扱うことはできない、と私は考えます。(もちろん私の心
の次元と世界の次元を異次元を主旨も撤回されることになります)
つまり私が言いたいことはこれらの次元は、すべてこの我々の目の前にある現実の、次元世界の中
にある同一次元のものであり、これら音階、色、私の気分という概念は、次元数を変えて別次元として
扱うことはできない、と私は思います。
つまりこの世界が何次元世界かわからないが、これらはすべてこの現実の同一次元世界のもの
だと、言えちゃうのです。
ですからまた
>>143 >1;「独立したパラメーター」
>2;「その中で表記される内容に矛盾が無く関係がある」=Function
における独立したパラメーターという観念は、これはどの程度独立しているのか、
という問題が当然言及されることになり、結果、この世界で独立したものは、
無いということになります。
ですから私はパラメーターの違いを、そのまま別次元と表記させることには否定する立場を、
まずはとらせていただきます。
なぜならこれらはこの世界の場では、いわゆる場の領野の限定されたものであり、
これらは相互に干渉しあうもの、つまり音の振動は物質を介してできるものであり、
物質は特定の波長の光を反射し色をつくり、それらは映画館で映画を観ているので
あれば私の気分を変化させている。このように表せればそれぞれが独立したものとは、
言えないような気が私にはするからです。
しかしこれは主観的な私の立場で述べただけです。
「被対象」としてつまり私の観点をさらに主観的な狭義の視点を設定させてしまえば、
これらが独立したものとして別次元と言うこともできます。
そのことをこれから証明したいと思います。
つまり対象そのものへの言及を行うのではなく、対象のパラメーターそのものへの
言及と考え方を変えてしまうのです。
パラメーターをx軸とy軸で表記される座標に還元し、音と光、それぞれを、
波として線形として表記します。つまりx軸を時間軸として波形を表現するのです。
これ以外の時間軸を設定したパラメーターの概念は見つかりそうもないので、
まずはこの概念を『パラメーター』と定義します。
このとき、二つの線形は一本の線として重なりもせず、また最終的に一本の線として、
つながりもしない。
ですからこのときにおいて別次元と言うことも可能かと思います。
それぞれのパラメータの表記としては独立しているからです。
しかしこれを表記することができるのは、二次元の面体の紙だけ、もしくは光の波形を相似形にして
モデル化させて聞こえるスピーカーぐらい、ということになります。
そうなってしまえばその紙の概念の中では、やはりこれは別次元ではなく同一次元と言えるのです。
なぜならパラメーター、つまりは広義におけるの『概念』の抽出は、ほぼまったく同じレベル
のパラメーター化によるモデル化作業であり、音と光の二つの次元を環する次元の視点によってのみ、
二つの『概念』の、根本的な差異に気づいてしまうからです。
このような反証はもしかしたら無意味な反証として片づけられてしまうかもしれません。
またどうやらこのような論証は無限ループに陥る定めのようです。世界の壁を追求するのは疲れるのです。
どこかで絶対に言語論的転回作業を施さなくては破綻するのが目に見えます。
それだったらまだ倫理を言及し、論理を追いかけ、知見を探し求めるような作業を実際にする方が
まだ楽しい。なぜならこの世界の壁はどうやら私個人の壁だからです。
で各々の次元設定が違うように、それぞれの主観は違っていて独立しているわけですから、
各々の心は異次元なのかなとも思います。少なくとも別次元ではないでしょう。
いちおう異次元と別次元の差異は語感から判断して、
異次元は『同一因果世界における次元の差異(並列的)』であり
別次元は『因果そのものの規定が違う、次元の差異(縦列的)』と今は私は定義してます。
広義にもとれる次元の観点、狭義にもとれる次元の観点。これそのものが別次元の観点であることが
ちょっとすばらしいです。もしかすると『観点』そのものへの気づきが次元への言及になるんでは
ないかと今私は思っているところです。
もしかすると私が見ている現象世界そのものが、異次元なんではないかとふと今思いました。
どこかに知覚の可能性があるとかないとか。
ということをずいぶん前に書いたのですが(みなさんおひさです)、書き込もうかやめようかと迷ったあげく
書き込んじゃえと思ったので、書き込みます。
つーか四次元てなんなんでしょうね?
いまだに私はよく分からないです。次元てなにさ、あと心とか。ワケワカメです
それと201さん、ありがとう。かなり私、無茶な書きかたしてたからかなりの脳内解釈
してくれたのですね。恐縮です。ちゃんと推敲や校正しとけばよかったといまさら思います。
今、私が興味があるのは主観と客観の違いです。この間にはいろいろなものがありますね。
論理や倫理や認識や知覚や誤解や理解やいろいろありますね。
しかし主観と客観は同一原則が働いているようですし、またはっきりと区分しにくいものでも
あると思います。
あとそうだ。私は論理体さんの考え方には非常に興味深く拝見させてもらってますよ。もし私が
主観的立場からの発言だとしたら、彼の発言は客観的立場の発言じゃないかと思うのです。
少しその理由を述べます。主観と客観の違いについて。
思考とはいわゆる理性、そして論理、これらを同一のものとして扱います。
感情とはいわゆる感性、そして倫理、これらを同一のものとして扱います。
厳密には確かに違うものなのですが、人間の心が思考と感情を繰り返すうちに
、そして他者と関わる(知覚する)うちに、これらはそのような側面を次第に養成させていくと
思われるのです。
主観とは、思考→感情→表現→伝達 の形式を端的に取ると思われます。
また客観とは、伝達→認識→感情→思考 の形式を端的に取ると思われます。
このような差としてを私じゆんと論理体さんの意見を観察して発見したんですが、いかがでしょうか。
私は世界において、世界(私)との関わり合い(主観の源泉)と他者との関わり合い(客観の発展)は
どうやら根本的に違うものなのかなと思いました。
うーんスレ違いなんでこれくらいでやめと来ますね。
そうだ201さん、なかなか鋭い妄想をしているようですね。妄想オタ結構ですよ。
言葉遊び、いいじゃありませんか。哲板厨房団の仲間入りですね。
じゆんさん、おひさ!
次元の捉え方ってむずかしいよね。たとえば、空間軸は普通、
物理・数学的には三軸として扱うけど、別のスタイルで物事を
説明するときには三軸をまとめて一軸、つまり空間軸と時間軸の
「相関」(平面座標)として表現したりすることもあるしね。
「次元」も、個人の解釈の違いやその時々の物事の表現の仕方によって
「変わってくる」ということなのかな。
じゆんさんの言うとおり、いい意味での「妄想」は大切だね。
それによって生活に支障をきたすようでは困るけど。
どんなにバカバカしくても、柔軟な発想から新しい「考え」が
生まれてくることもあるからね。
オメーラ、次元というのは要するに方程式の問題だよ。
同意。次元と言う言葉じゃなくて
ホモロジー代数の言語で論じた方が遥かに有益だと思う。
お前らの考えてることと俺の考えとは、次元が違うんだよ。 へっ
「妄想」、その湧き出る思考これが、四次元からの贈り物です。
使用上の注意をよく読みましょう。
「妄想」の使用上の注意
・食用ではありません。
・観賞用です。
・やりすぎは禁物です。
>>221 じゆんさん
おもしろい!
まあ、確かに「言葉遊び」の側面はあるけど
その中から何か発見があったらいいと思うよね。
>>218 むずかしいことは、わかりましぇ〜ん。
自分は高卒社会人なので、大学でやるようなことは知らないのです。
でも、物事を「哲学的に考える」ことは小さい子供や痴呆の人を除いて
誰でもできると思うからね。
ただ、その「考えたこと」をうまくまとめられるかどうかは
また別の問題だけど。
なぜ空間は三次元であるのか
そこにトリックがあるような気がする
そもそもこの世界に一次元や二次元なるものは存在しない
点、線が実在しないという意味で
数学的なトリックか
なら四次元なるものはまさに言葉のマジック…?
なにか私たちはあたかも三次元的に世界を認識しているように言われているが
ほんとにそうだろうか
>>224 どうなんだろうねぇ。別の次元も認識することはあると思うんだけどね。
人の意識だけに限っていうと、バーチャル時空間(仮想時空間)とか。
また、「夢」とかもね。
ドラマや映画のなかで、現実から離れてその世界に浸ることができれば
意識の中では次元の垣根がなくなるかもしれないね。
時間と空間は内観の純粋形式。カントなんか質面倒くさいかも知れんが、一回くらい読んでみようぜ。
この手の議論は深まるはず。
次元はある対象に関係する尺度としてのパラメーターでしょう。
ですから、その定義から離れていなければいろいろな次元が想定される
でしょう。
だから、いろんな3次元があるはずです。
このスレのレスの3次元とは点〜線〜面とステップアップしていく
幾何学的に画一されたものでしょう。その定義にそって想像できて
しかも経験的に確認されたら、3次元とか4次元とかのレベルじゃなく
どこまでも飛躍するでしょう。
>226
存在という言葉自体に時間と空間の概念が含まれているかもしれませんからね。
>>225 いやそういう意味ではないんですよ
たとえば進化の過程で生命は一次元→二次元→三次元と認識能力を向上させてきたわけではないわけで
たとえば動くもの動かないものとかから空間認識能力を発達させたわけで
三次元という認識方法はデカルトの発明で一つの物理的な還元方法でしかない
たとえは最近は01という還元方法があるが
これは人の認識と関係がない
なにが言いたいかというと
人の認識と次元という認識方法はかならず合致する必要はなく
次元とはあくまで数学的物理学的還元手法のひとつではということなんです
>次元はある対象に関係する尺度としてのパラメーターでしょう。
常識的、一般的に考えて、これを次元とは呼ばないと思います。
対象という言葉にも引っかかりますし、関係にも引っかかりますし、
パラメーター(尺度)にもなんか引っかかるのです。
>その定義にそって想像できてしかも経験的に確認されたら、
>3次元とか4次元とかのレベルじゃなくどこまでも飛躍するでしょう。
この飛躍の限界が私は次元の限界だと思うのですが、あなたは違うのですが?
しかし次元数について言及するのは無意味だと思います。おそらくあなたもこれが
言いたいのではないでしょうか。そうじゃないのなら個人的にはすごく面白いのですが。
また次元を定義することについての論争も無意味かと思うことを、念のため言っておきます。
あと私見ですが言葉の定義も無意味だと私は思っています。
だから三次元であれ四次元であれ十一次元であれ
二進法でも十進法でも人が世界を認識してないように
人の認識と別ものではないのかということです
それでも物理学は人の認識を拡張してきたわけで
たとえばこの世界が十一次元と言われれば
人が三次元でいだくイメージの延長線上にないとしても
なにを意味しているか気になりますね
>常識的、一般的
よくもまあこんな単語を哲学板で吐けるもんだ。猛省しる。
じゆん ◆bYRNL78mlE
そうかもしれません。まず次元というものの定義をはっきりさせないといけない
ですね。
確かに、実世界で統一された尺度というのはありえるのかどうかもあやふやな
ような気がします。
次元がどれくらいあるのかを想像するのも楽しいですね。
私は次元とは世界を計る為の「道具」であってその道具の上に実世界が意味を
なすとは思っていないからでしょうか。。。
>>228 ぴかぁ〜さん
まあ、人によっていろいろな物の「見方」があるわけだから
立体を平面図形のように見てしまったりすることもある、ってことなんだろうね。
ぴかぁ〜さんのいっている真の意味がよくわからないので取り違えているのかも
しれないけど、同じ体験をしても「見方、聞き方、感じ方」などは人それぞれで
異なっている、ということをいいたかったんじゃないのかな?
みんな、いろいろ考えているね。
感心でつ。
んー、レスが進んでいますね。どれに手を付けていいのかな(汗
とりあえず私の思う次元とは物理的・精神的知覚に係わることの過程。つまり存在による〈現象〉って処でしょうか。
始まりによる現象、現象による始まり
という時間に乗った成り行きの境界とでもいいましょうか。
私がいった次元は本来の意味、数学的、物理学的意味の次元です
基本的に唯物論者なもので
言いたかったのは、四次元とはどんな世界だろうというSFチックな空間認識の
拡張的な想像は意味がないのではということです
>>215 じゆんさん。こちらこそ恐縮です。読解力が足りないものでつい妄想が開きがちになってしまいます(w
主観と客観についてですが、これにも次元を感じなくもなかったり。
空間的に表すと円の内が主観、円の縁が客観。そんな感じですかねぇ。。。
主観も多種の客観からの選別であることもあったりするわけで
どちらも〈世界〉からの現象によって与えられていると思うと
私には主・客観が同じものに感じてしまう時がなくもなかったり…
それら内包を形成させた"何か"の部分に次元の存在があるようで。
と、かなり抽象的なことを言ってみたり(w
>>237 言いたいことは解るような…
でも数学的に示されている部分だけがすべてではないようにも思ってみたり。
すべてじゃないかも、という疑問が"考えること"に繋がるからこそ
想像であれ、視野を広げてみても無駄かどうかは解らないとして
悪いことではないのではないのかな。。
解らないことを考える。私はそこが楽しくもあったりします。
ん。。通して読み直したら、やっぱり読めてなかったかな…
ぴかぁ〜さん、的外れなこと言っていたらごめんなさい(w
いや次元を観念的にとらえることは別に否定していません
ただ私が次元と聞くと数学的なものを考えたというだけのことです
しかしその場合は次元でなく、たとえば事象でも階層でも言葉はなんでも良い気がしますが
>>208Sophiaさん
知覚をある一つの次元で捕らえる、というか
蓄積された知覚が新たな次元、感性軸を生み出すのではないのかな
と言うことを表したかったのですが、説明が至らなくてごめんなさい。
>>241 んー、そうですねぇ。スレの1さんは多面的な解釈の次元を指してるように感じちゃうから
観念的な次元という内容になってしまうのかもしれませんね。
私としては数学的次元のお話は理解が及ばないので観念的に
なるのだけれど(w
ぴかぁ〜さんとしては、内容的には触発されるけど、次元とは切り離れた主観ゆえ
もやもやしちゃうのかな?(w
もやもやというか、個人的に数学的以外の次元には興味がわかなかったということだけです
唯物やなのもので…
唯物屋さんですか(w
私としては唯も心もあってこその世界と思うので、片方には偏れないかな。。
唯物は結果 唯心は過程
唯物は孤(個) 唯心は共(有)
そんな感じ。かな。
駄目だ、ねむ。。い…
はたしてほんとに私が唯物論者であるか疑問は残りますが
私は人は数量化でしかこの世界を探求できないのではないかと考えています
ある単位で物事を解体していく。すなわちデジタレ化です。どこまでいってもデジタルはアナログになりえませんが、その単位を極小にすることによりより近似値をえられます。
まさにこれが科学ですが
>>247 いつも最後の一行が余計だ。
煽って荒らすつもりでないのなら、それっポイレスと同時にあげるのやめれよ。
数量化はたしかに冷たい感じがします
人間的というより機械的。
これはまだまだ単位が荒いからです
数量化が本格化してからまだ500年程度で幼稚です。これから一万年、百万年と進めばこころ、優しさ、思いやりなども数量化されるでしょう
そしてそのような数量化はとてもヒューマニティー溢れるものとして認識されるでしょう
私は楽観主義者でもあります
>>249 何かが為されれば幸福になる、という幻想が数量化よりも怖いんだけど。別にあんたへの批判でなくてね。
ブラックボックスこそ、現代や科学の発展と同時存在しなければいけないと思う、「幸福」だけに関する話で言えば。
話が4次元から逸れ気味だから口挟んだだけ。続きどぞー
なぜ人は数量化でしか探求できないかといえば
人の認識とは存在認識だからです
これは人だけでなく生命の特性のようにおもいます
だから人が数量化に向かうのは高知能化した生命の必然ではないかということです。
仮にこの世界に数量化できない領域があれば、人が認識できないのだから、有るとはいえないのではないか
こんな感じです
>なにかが試されれば幸福になる幻想
なんとなくわかりますが、生命はあいまいな幸福という概念より実質的繁栄を望んでいる
いや望みもせず目指しているということでしょうか
開拓、探求は生命の本質的特性なのです
253 :
考える名無しさん:03/12/03 15:00
真理は産めよ増やせよで言い尽くされている。
なにかスレ題と離れご批判もでているようなので
最後に
ルネサンス当たりで欧州で数量化革命が起こったわけですが
これは存在認識的還元思考です
哲学もその影響をそのまま受けていると思います
デカルトが座標を発明したのはままさに数量化ですが、
その時代いまでいう物理量意外にさまざまなものに還元化が試みられました
我思う〜の思考も存在認識的還元でしょう
デカルトの数学的思考法と哲学的思考法は同じ思考の流れではないでしょうか
ただ我は数字までには解体できなかった
その時代の科学では無理だった
その後の認識論が我という単位で進むのも
数量化革命の流れです
いまだに我は数量化できず
存在認識的還元は科学と哲学にわかれままですが、いつかはまたあわさる日がくるのではないでしょうか
255 :
考える名無しさん:03/12/03 15:49
結局数学を展開したキリスト教文化中心ということですよ。
256 :
考える名無しさん:03/12/03 15:55
東洋では数学も論証性が欠如していた(小室直樹)
>数量化
私も物事の起源を求めて考えていくタイプではあります。
それを定めるにはもっともっと情報を知らなければいけないな。。
科学と哲学による我の探求…ですか。好きです。そうゆうの(w
案外私たちの見つめている〈我〉とは、既に数量化されたモノなのかもしれないかな。とか思ってみたり。。
なんとなく、唯心の数量は方向性が逆のよな気がいたします。そこにも次元は意味を置いてるかなって。思う。な。
>>254 >>257 最近は「ファジー論理」とかいう言葉を聞くことがあるけど、「あいまい」な
人の意識や言語をどこまで数量化、数値化できるのか興味あるところだね。
「あの人はやさしい」とか「この犬は怖い」といった場合に、今までだったら
他の人や他の犬と比較することによってだいたいの位置付けを行ってきたけど、
そういうのは場所、時間、人の気分、その他いろいろな要素によって
変化するから、「絶対値」的な基準を設けないといけない、なんてことにも
なったりして。
でも、かなり難しいんじゃないのかな。「座標」「次元」の考え方を取り入れた
コンピュータや人工知能ができたとして、どこまで「人の感覚」に迫れるか、
だろうね。
例えば心という観念がなぜ数量化できないかといえば
人は存在として認識するから、あたかも心という実体があるように認識しているけど
心には実体がないんです
実体がないと得意の還元化ができない
そうすると実体のあるものから侵略を試みるわけです
数量化、デジタル化というのは未開の地を開拓し区画整理し利用可能にするようなものですから
人も物質であり電気、化学反応で動いている。だから心も物質、反応に還元できるだろうというのがいまのアプローチなわけです
数値化、それはいいんだけど。
数値を記憶する媒体にも限界があるのよね。
限界というより、媒体自体にも数値があるため、ある一定以上のモノは書き込めないわけでしょ?数学的に言うと。
特定の分野の事例を数値に変換して、一部分記憶・利用目的とするのは当然だけど、
数値を全て把握すれば真実が見える、という結論は無駄じゃないかな。
その方式で行くと「人間の脳」そのままでは「神」にはなれないさね。
数値を有効に利用できるための「脳に取って代わる何か」にぼくらが変化しないと。
話の流れとちっとばかしズレた。
>>252 「試す」じゃなく「為す」な。 どうでもいいんだけど、誰も突っ込んでなかったから。
ただこのアプローチに限界がある気はします
それはこれがハードの解明なんですね
美しいものを見たとき人はどのような反応が行われ美しいと感じるのか
心といわれるものハード的なメカニズムはわかるかもしれない
しかしなぜそれを美しいと反応するのか、ソフトはそれではわかりません
このソフトは進化の過程を含めて経験から作られたものだからです
進化過程という過去は再現できないだけに厄介ですね
結局やはり心の数値化はむずかしいのかもしれませんね
>>260 記憶容量で言うと将来記憶メディアが脳と繋がる可能性は高いですよ
それでも脳の処理速度に限界があるでしょうが
人工知能もこのハードとソフトの二つの問題がありますね
人の思考アルゴリズムの解明というハード面と
人として備わっているべきソフトの解明
これらは明確に分離できないものでありますが
>>262 あら、あんたはてっきり「記憶=人格を形成するもの」畑の人間だと勘違いしてた
(おれも概ねで「記憶は心」に賛成だけど)。
ハードにコネクトしてハードそのものに影響を与える装置は、それは既にソフトとは呼べないんじゃない?
記憶が増えれば心も変わると考えているからだけど。
ところで 四次元からかなり脱線してるぞ。一応関連のある話題なんだろうけども。
記憶というのもなかなか曖昧な表現で
たとえば人の手の形といえばハードになるわけですが
それも遺伝子情報と考えれば記憶でありソフトなわけです
そういう意味でハード、ソフトは機械論的な考え方で数量化することを考えるときの考え方といえますね
そのように考えると
たとえば赤いチューリップを見て美しいと感じるというソフトも
先天的か後天的かあるにしても情報として人は保有している。そして情報は物質形態であるとかんがえれば
数値に還元される可能性はあるかもしれませんね
では次元の話しで人の空間認識または三次元認識は先天的か後天的か
などいかがですか
私は空間認識は先天的、三次元認識は後天的だと思います
三次元とは先天的空間認識の数量化手法であると
このため四次元を考えるときには空間認識の延長、拡張として考えるのは
無意味だということですが
>>1さんは寡黙でなぜこのスレを立てたのかわかりませんが
私はかってにSFチックな空間認識の拡張的不思議さからと解釈しました
なぜなら四次元など有り触れているからです
たとえばある機械の稼働率を考えるときに
作業者の経験年数、機械の古さ、機械の作動速度、品物の作り安さの四つの要因があれば、これは四次元で表されます
次元が不思議なのは空間認識の拡張においてではないでしょうか
>>238 201さん レスどうも。
あなたの言う通りだと私も思います。うん、主客の差は曖昧です。
主、客、世界の三つの観点を使用したことにより、おそらく言葉としての曖昧さを
露呈したかなと思われます。主体と客体の観点ではなく(これこそ客観の概念の成立さ
せるものだと思います)主格と世界の観点を採用し続ければ、おそらく真理に近いも
のを浮かび上がらせることができるのだと思います。それこそ私、妄想家の欲する
ところですし。
しかし、おそらくですが、私は主格と世界については何も知らないのですね、私が
私のことを知らないように、世界のことについても何も知らない。であれば私は語る
言葉は客観的な意見にしかならないのです。たぶん私の言っている意味不明だと
思います。
この点を少し整理します。
語ること、それを聞くこと、この一連の行為(事象)を指して私は客観形式と呼びます。
語る→世界→聞く
厳密に言うと、語ることと聞くことの間にあるモノ、つまり客観を成立させる「世界」が
あると考えられると思います。そしてその間にある「世界」がいわゆるこの世界だと思うのです。
おそらくあなたもこのことを
>それら内包を形成させた"何か"の部分に次元の存在があるようで。
と言っているのですよね。
私はこの主観と客観の間を縮めてみたいのです。主と客を接着したいのです。
つまり主観と客観の間にある世界を面にしてみたいですね。
面にするとはつまり言葉にすると言うことです。
つまり世界を意識化したいのです。私を意志と言う存在にしたいのです。
まあ私の言いたいことというのは、我々にとって主観とは目指すものであり、
主観は存在しないと私は考えます。これは世界が私の表象であるところの世界というも
のは存在しない、と言うことと同じことを言っているつもりです
我々にとって、本来の自然の状態と思われる立場は客観だと言うことですね。
客観という概念の立場によって、主観は設定されるのだし、そして必ず否定されるのだと思います。
あとそれと、私は思考そのものが目指しているものは概念の構築なのだと思いますが
心が目指しているものは観念の把握ではないかと思います。
観念の把握のためには、概念も必要としますが、感情も必要とします。
また言葉は概念ですが、語ることは観念になりと思います。
意識というものはとても難しいです。
こういった作業は私は割りと好きなのです。
そのためには主観と客観の区別する作業も大事ではあると思います。
以上妄想でした。よろしこーヽ( ・∀・)ノ
>>270 じゆんさん
いやぁ、むずかしいねぇ。(自分の頭がついていけねえどー!)(^^)
哲学にも「意識」を解析する方向と、「言語」を解析する
方向があるみたいだね。
>>269>>270 じゆんさん、表現がとても個性的で魅力があってすっかりファンになっちゃいました(w
じゆんさんの言うところの〈この世界〉は、私の言うところの四次元にあたるのだと思われます。
もし、知覚が次元を感知する能力であり、次元を生み出す能力(刺激に対する反応)でもあるとするならば
思考や心よりも前段階の〈無〉という知。知覚を感じる私。つまり無知覚状態、知らない私こそが
〈私〉そのものなのではないかな。と感じるのです。。
そして
>>270の概念の構想。観念の把握。これらは無に還るための作業なのかも?という
妄想も浮かんでしまいます(w
もう少し説明もしたいのですが、意識が途切れ途切れするほど眠いので
また後程にしておきます。。
次元の存在意味。は果たして何であるのでしょうね。それは生の存在意味と同じなのでしょうか。
無である0。空間的圧縮。0から有限100までの意味合い。
0を許容とするならば100は可動が終了してしまう。
すべてを悟る、得ることでの無への帰還。。。
思考をパズルのピースだけが漂ってなかなか纏められないです(w
>>272 201さんレスどうもです。
もうちょっと考えてからレスしようかと思ったのですがそれじゃキリがないのでいったんまとめます。
>思考や心よりも前段階の〈無〉という知。知覚を感じる私。つまり無知覚状態、知らない私こそが
>〈私〉そのものなのではないかな。と感じるのです。。
これに関しては激しく同意です。私はこれのことを通称『我』(おそらく自我のこと)と呼んでいます。
そして私にとって我とはやはり知らないものなのですね、だからこそ私は
そして我とは無ではないかとも考えるのです。つまりは虚無的なものとして我は存在するのだと思います。
なぜなら我はどこにも存在する基盤(世界)もなく、また見つけられぬ位置もないから思うからです。
すなわち我とは私という意識にとっては、やはり虚無的なものとなるのだと思います。
虚無とはこの場合、虚焦点としての無、反対に虚空間としての無と考えてください。
虚焦点が成立するとき虚空間は不成立である。
また虚空間が成立するときは虚焦点は不成立する。
そのように私は虚無を設定しています。
しかし仮に我を存在すると仮定したとき、すなわち我を虚焦点としての対象物として認知した場合、
虚焦点である我は世界を持たないわけですから位置を持たないと考えられるのです。
すなわち私の言いたいことは、「我は虚無である」だけです。回りくどくて申し訳ありません。
また我は虚無であるとき知覚または認知する対象も虚無となり、そのいわゆる対象によって我は
私を作り上げるのではないかと思うのです。
そしてそれが私の、心における空間的観点への言及でした。
>次元の存在意味。
この次元をいわゆる世界観と置きかえてよいですか。私は世界観とは〈主観そのもの〉であると思います。
そして〈この世界〉は少なくとも主観を一切離れない性質のものだと思います。
自分はいちおうこれまで次元についての言及をしてきたつもりですが、ようは空間的な心の世界観、
構造について言及していたようです。
そして私は心が空間的(空間二軸+空間二軸)であると考えて、いろいろと物事を考える
ことができたらいいなあと言う主観的な思い入れがあったようです。
つまり対称的、あるいは対照的な二元的なものを同時思考するのですね。
それができるとおそらく高次世界への到達、つまり止揚が成立するんではないかと私には
思われるのです。
おそらく〈止揚〉ってそういうことですよね、きっと。ですが妄想もこの辺でやめときましょうか。
あといちおう空間二軸の足し算はいわゆる加法ではなく、おそらく減法も同時に行うものです。
つまり減法により差異部分を浮上させ、また加法により類似部分を強調させること、
これこそ立体的にさせることそのものだと思います。
例えば視覚的な意味でのホログラムのように、です。
そしてそれらの関係を数多く連結させて、一個の世界が出来上がるのではないかと、思われます。
ということです。
世界観の存在意味とはやはり世界を作るためと考えられます。自己完結的な意見だと思いますが
それでも構いません。
いまカントの本を読んでいます。正直難しいですw。ただ単に私が頭悪いって言うのもモチあるけど
それと個人的には感性の位置づけが難しいです。これはなんだろうか。
いわゆる場を支配する空気(ムード)と考えていいのか。ものすごく場として、その区切られた時間
の中で統一的な気がします。つまり感性自体、私にはものすごく観念的なのです。
存在感を感じるには感性は必要不可欠であると思いますし。
ここに心が存立する根拠があると考えてもいいと私は思えるのです。
まとめたかったんですがなかなかまとまらないです、では。では…
>じゆんさん
遅レスごめんなさい。
イメージを表現まで形つくるのについ時間がかかってしまいます。
思考に漂うピースを纏めるのはなかなか難しいですよね。
>無=我
ああ、すごくいいですね。しっくりきます。ここに内包による独占が加わると〈自我〉
となるのはどうでしょう。ん?そうすると自というモノが無知の知になったりするのかしら…?
虚無の虚ろな揺らぎの等質な接触により、場が定まった時(反発?混合?)
そこに虚焦点(線?面)が起こる。
等価な揺らぎの波による接点の反発力があるのなら、
反発力が内包した空間を維持することもあるのかな…
そして内包された揺らぎは"外"の揺らぎをも重ねていく。
そんなイメージがわきました。
ううん…後半レスしていたらつい妄想が広がってしまいました(w
>>275 >そして私は心が空間的(空間二軸+空間二軸)であると考えて、いろいろと物事を考える
>ことができたらいいなあと言う主観的な思い入れがあったようです。
まったく同感です。観測不能な次元が存在するのなら、測定不能な心の存在も
どこかしらリンクしえるモノなのだと感じるのですね。
前半〈止揚〉という事柄の理解が出来ていないため、コメントが出来ません…
ごめんなさい(w
カントを読んでいる途中なのですか。正直哲学専門書物をまだ読んだコトがないのです。
こんなコトじゃ板の参加者の方々に怒られてしまいますね…
今度大きな書店にいって探してみます。
>>275 後半の感性についてですが
>感性自体、私にはものすごく観念的なのです。
>存在感を感じるには感性は必要不可欠であると思いますし。
>ここに心が存立する根拠があると考えてもいいと私は思えるのです。
感性が観念的に感じるのは同意です。一部前途でも述べたように知覚が視覚の進化へ及んだコトでの
膨大な情報の総意的認識だと考えています。
でも論理体さんがいう、三次元構成の元になっているというのも解らなくはないのです。
ここは感性に対する解釈の違いなのでしょうね。つまり、認識部位の差とでもいうのでしょうか。
私のいう感性は物質の知覚でなく世界(次元空間)の知覚。物質が起こす現象の知覚というところなんですが
ここでぴかぁ〜さんが言う〈数量化〉による区別を使わせてもらいます。
何故感性に次元的置場の差がでるのかというと。例えば感性の存在している現世界を数字におきます。
326651963これが世界。
多分、私が指している感性軸とは326651963全体を認識した上で
更にその中の6を感じる作業なのですね。
論理体さんがいう感性軸とは各数字があるコトでの326651963を感じる作業。
なんだと思いますが、どうでしょうね。
279 :
じゆん ◆DxrYYrrJjQ :03/12/15 10:41
>>278 201さん
>カントを読んでいる途中なのですか。正直哲学専門書物をまだ読んだコトがないのです。
私のはハッタリです。実はようわからんです。カントの本読みながら
別のこと考えているほどいい加減に読んでるんです。
本を斜め読みして、“なるほど”と“やっぱりな”の感覚をただ探している感じなんです。
ホントに自分こんなんでいいんだろうか、って思います。
実は勢いで純理を買ったものだから、なるべく勢いで読んでやろうかなと…
やる気はあるつもりなんですが、から回ってますね。ハハ
ということで私はあまりカントはお勧めしません。買わない方が無難です。
これではこの板の方達に本当に怒られそうだな。だはは
まあでも自分、時間を掛けてでも最後までは読もうかと思ってます。
いつ終わるのかわかんないけど。
うーん、なんて目標設定が低いんだ。
それって、2次元に住む人が3次元をどう思うかって事だよね?
むー・・・・・・気づかないと思う。
281 :
考える名無しさん:03/12/16 09:20
>>280 2次元には、腔腸動物(?)しか棲めませんが、何か?
201さん
すいません。先日の
>>279は訂正ですね。
>>277参照の意見でした。
でいま、201さんの意見を考え中で、すぐには意見できないのです。
まあ妄想は果報は寝て待つしかないからでしょうね。
で今日(昨日と今日)の発見だけ言います。
認識とは空間知覚であると言うことです。あなたの意見はそういうことですよね。
これに気づいたときちょっと私は感銘を受けました。いやいやどうもありがとうございました。
認識とは感性と悟性の融合ぽいこと。つまりいわゆる理性になるのかなかな。
(この理性悟性感性の違いが私は実はよくわからないのですが、なんとなくで)
認識とは空間の中のとある対象を指し示すこと、のようですね。
あと意識って一つだけじゃないみたいですね。
どうやら一つ一つを意識する主体はたくさんあるみたいです。
並列的で、同時的で多重的なもののような気がします。
あとどうしようもない妄想を思いつきましたが言うのやめておきます。
まとまったら言います。
>前半〈止揚〉という事柄の理解が出来ていないため、コメントが出来ません…
大丈夫です。私も他人の意見のほとんどは理解できてません。あなたのも難しいです。
もち私のも意味不明です。なぜなら試行錯誤(思考錯誤)だからです。
カントが難しいのも同じ理屈だと思います。
正直に言って私は数量化が意味不明なんです。ぴかさんには大変悪いのですが。
いやなんとなくわかるんですがね。
201さん、あなたの意見は大変面白い。そして興味深いです。
できればもっとあなたの話を聞きたいなと私は思ってます。
また、まとまったらレスさせて頂きますよ。
ちょっと私は考えをまとめるのに時間が掛かるんです。
>>242 私も興味を共有できて大変嬉しく楽しく思います。レスは急ぐことなく期待してますので
気のすむままにいきましょう。私もゆっくり考えれるのが殆どは日曜です。
昔に浮かんだ思考についての立体モデルがありますので、イメージが伝わりやすいように
記しておきます。電波率が高くて少々気が引けるのですが…w
まあ今更ですので開き直るとします。
思考
これを一つの球体として表現すると、球の境界である表面は本能(主観)
思考はその周りを旋回する線の輪、思考線(客観)となる。(のちに情報線)
本能的行動は、事象がどの面に触れても認識と判断が起こる。但し認識できるモノは限界があり決まっている。
線である旋回している思考の輪は、事象の点(刺激)が面に接触後、反応による消滅がなされない場合
通過による感知が起こり線を一周し情報を取り込み、認識が終わると接触面に向かい点となり、エネルギーを集中して判断となる。
その情報会得による反復結果により、点は+に伸び思考線が増える。
思考線の増加にも限りはあり、行く行くは、輪の交差により発生する二点の接点から判断が下され、
後に思考の場は二点の交差が作る軸へと移動し、線の輪は情報線となる。
複数に増えた情報線は、輪と輪が重なる事により二点の極が発生し、球の中心にエネルギーを行き交せ新たな思考軸が発生。
輪から軸に送られる回転速度によるエネルギーは、輪の速度が早いほどそのエネルギーが軸へと影響する。
なお、輪の作りだす思考の軸は個の球により、一概に均等ではなく、複数の軸が発生している場合もあり、判断認識力に迷いが生じやすい。
元思考である情報線交差の不安定さゆえ、思考軸統一困難により複数の思考軸の乱立になる為である。
複数の輪の重なりによる二点が交わす思考軸のエネルギーは、球内空間に対流を起こし感情を作り出す。
この対流は輪から送られる回転速度のエネルギーが影響を及ぼす為、一定以上強いエネルギーが送られすぎると
対流にも加速がつき、時に別の輪からの減速エネルギー(逆回転)が効力を及ぼせず感情的状態へと陥る。
且つこの感情の対流は、球の面を通し、さらに情報線の加速にも影響が及ぼされる事になる。
四次元との関わりがないと感じるでしょうが、私にとってはこの球という形の形成に
次元を用いているのですね。。
一次元は一本円の線。二次元は円線の交差による縦と横。三次元は二本の円線による立体的な球の面。
四次元はそれら球外をも含めた存在。
これが私の心についての次元のベースになっているのです。
>>284に感性を当てはめてみるとすると、球に接触してきた点に対して、反応しえる情報を持った線の知覚による
線と線の情報交換による反応現象といったところでしょうか。
悟性はそれによって決定を定められた交差点そのものが該当するようにも思います。
うーん…またもやちょっと膨らみすぎたようですw
201さん
あなたの妄想を聞かせてもらって大変嬉しいです。
なぜなら妄想ってあまり開かれないからですね。人の頭の中にあるビジョンを
聞くのは大変面白いです。そしてやはり、あなたのその思考についての立体モデルには
たいへん刺激を受けました。すてきです。かなりいいです。
で、ちょっとだけその感想を言いますね。
なんだかあなたのモデルはものすごく生命感というか躍動感というか、可能性だとか、成長だとか
「生きている」って言うのがすごく伝わってきました。
あなたの文を読んで、そのなにもない虚空の空間に、立体モデルが一つあるように想像して、
すごく存在感のオーラ(?)みたいなエネルギーを感じたのです。
一つ一つの解釈にも妥当というか、なるほどー、と思えますし、例えば思考は「線」、
感情は「流れ」、そして球面、球内とはっきりと指し示されていて、非常に機能的で
システマティックで、思考(モデル)そのものが何らかの意志を持って世界に存在している。
と考えるのが必然的な気がするのです。
おそらくあなたの言う通り、球外の直接知覚を目指しているために、
逆に球という存在形式を確立させたのではないか。そしてその球自体は絶えず運動を続けている。
ただ生きる形式に従って輝いているんだなあという実感を受けました。
ええ、あなたのモデルは光体を想像しますね。輝いている、そして球外の世界を照らす。
ただそれだけのために、ただ存在しているような感じがします。
つまり生命感に溢れているのだと言えるのです。
逆に私の思考モデルはなんでか生命感が出てこないんですよね、かなり即物的なんです。
と自分では思っています。いやその生きているなっていう実感はあるんですけど、
なんだかすぐに否定してしまうんです。いや別に自分のはいいんですが。
私にもその思考の立体的モデルはあります。いや私のは意識(認識?)モデルは
けっこうまだなにかが変ですが。また時間があったらまとめたいと思います。
あなたのモデルも参考になるかと思われます。
とりあえず感想です。まだまだあなたのモデルには興味が尽きません。
本当にどうもありがとう。
>じゆんさん
誉めて頂くのは正直恥ずかしいのですが、
素直にうれしくもあります。ありがとう。。w
でも、イメージする妄想を共有して頂けるのがなによりもうれしいです。
空間を知覚するために空間を想像(創造)する。
この外と内を反復する思考錯誤が感性と感じる私としては
そうするコトに次元をも感じれるような感覚がする妄想が
やはりとても楽しいです。じゆんさんの妄想もまとまったら聞かせてください。楽しみにしてます。
今年最後に、もう少し電波を出しちゃいます。。w
動物は情報線が少ないから、思考軸エネルギーも少ない感性が弱い三次元生物なのかな
とか、植物は輪が思考線止まりで安定がなく、球内軸が出来ない二次元生物なんじゃないかな
とか、微生物は思考線の反復がなく刺激の着地点が右から左に
線になって通過移行し判断放出する一次元生物だったり。。
とか。思ってみたりもしています。自分の中の無〈我〉の経路を探ってみると
なんとなくそんな感覚の景色を感じてみたり。しちゃいます。
今年はこれにて。。
皆さんの来年にも楽しい世界がありますよう。
よいお年を…♪
>>288 201さんへ 伝言を頂きました。
私は、社会学から派生してまして、もともとはシステム理論の勉強から入っています。
知覚にたいしての考察は、倫理学の大庭先生の書が一番大きく影響を受けています。
(ほとんど受け売りに近い)
単なる趣味の範疇に過ぎないのですが、ばらばらの世界を認知する方法っていうのは
とても興味があります。
>>289 や、ありがとう。どもどもですw
こういう話しに興味がありそうに感じたのでお声をおかけ致しました。
倫理学での知覚のお話し是非聞きたいです。
その他、思ったコト感じたコト。興味がわいたならどぞ好きな時にお話しきかせて下さいね。
201さん、ごめんなさい。(今、実家に帰省中で、ちょっと親父と飲んでて酔ってます)
書こう書こうと思ってるんだけど、書けないんです。
しかし言い訳。ごめんなさい。ほったらかしにして。
あと私の“悟り、苦”スレを見ていただいているならと分かると思うけど
結構、同じようなところ突っ込んでるんで、考えが変動しやすいんです。
ころころ論が変わるんです。どんどん進化していってるのw
言ってること分かってくれるかな。
いや分かってくれると信じよう。
なんか謝ってもいないようだ。
でも絶対書きますから。本当に後回しにしてごめんなさい。
そして妄想のすばらしさを訴えてやるから。
とりあえずよいお年を
>>291 いえそんな!全然気にしないでかける時かきたい時浮かんだ時でよいのです。
私だって充分遅レスですよw
じゆんさんの言ってるスレ見たことないな。。ここ板はそんなに
うろちょろしてないのでちょっと探してみますね。
飲みすぎないよう体に気をつけて年越しを満喫してくださいな。
よいお年を♪
P.S
論が変わるのは可能性が広がる故だから全然かまわないと
思いますよん。。
視点を広げて絞り込んで、また広げていってこそまとまりがついていくモンでしょう。
お気にせずに。。(^ー^)ノ
>シャープさん。
ありがとう。
でも今日は寝ます。
で明日、ちょっとがむばってみる。
実は今、帰省中なんです。
>じゆんさんの言ってるスレ見たことないな
そうか、知ってるかと思ってたけど勘違いだったか。
早とちりしてごめん
でもあなたの言葉がうれしかったよう。
とりあえずそんだけ
じゃおやすみ。
見つけてみてきた。実は某板某スレで少し似たような議論を展開中。。w
お招きしたいけど、板が違うし自分のスレじゃないから
リンク貼るのはちょっとよいのかわからない…。携帯なんでホトメルとやらも出来ないし(ジタンダ!
なにはともあれ、あせらずでいいですよ。
ゆっくりいきましょう。おやすみなさい。
明けましておめでとうございます。
今年もマターリ行きますが、どぞよろしくお願いします(w
シャープさん あけおめ
ごめんなさい、どうして私が書けないか分かりました。
なぜならもう書いちゃったからです。
実は一度、誰に見せるでもなく書いていたんです。半年くらい前に
で今それを見ると、ところどころ変なところ(自分で書いたのに意味
が分からないところ)があるんです。だからそれをどう処理をしていい
か分からなくて、書けないんだと思うんです。
ですから、まずはその前に書いたものを整理して、明日か明後日
くらいに提出します。そしてあとで、イメージモデル(主観図)
を提出します。本当は逆に出したかったのですが
もう構いません。それでもちょっと時間がかかりそうですが
自宅に帰還したらすぐに取り掛かります。
(とりあえず愚痴は以上です、ごめん)
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うーん、シャープさんのいるスレには非常に興味がありますね。
できたらのぞいてみたいです。でもな…(地団駄)
できれば板だけ教えてください。そのあとは自力で探しますから。
まあ探すというか、どういったテーマなのか分かるだけでも助かります。
私は“その人の興味”に興味を持つんですよね、なぜか。
悪い癖です。ではでは。
以下は3次元スレに私が書いたものを若干変更したものです。あやふやですが
一応、次元について、整理してみましたので書き込んでおきます。
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3次元の説明(“カント流”流)
感覚器官により、アプリオリに設定される純粋直感=空間
また同時にアポステリオリに幾何学で@の“空間”の把握のための
空間そのものを定義した際に座標設定した際の直交座標の軸数=3(我々の世界の次元数)
次元=まったく関連しない、独立した“単位量”=最小単位は1次元単位
さて、空間(3次元)と時間は同一次元と呼べるのか、それとも呼べないのか?
また純粋直感における空間の定義とはなんなのだろうか。
そもそも時間と空間を足して4次元とするほうがそもそものナンセンスの始まりではないか?
まったく異質のものの組み合わせがするのは気のせいではないか?
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まあ当初からの次元に対しての私の疑問点がここにあります。
参考までに。
実は私は、時間すらなんだか空間の次元においては別次元のモノだと思うんです。
失礼。
前ログほとんど読まずに、つうか読んだけど咀嚼できないままカキコ。
カート・ヴォネガットの小説にトラルファマドール星人という時間軸を俯瞰できる宇宙人が出てきますね。
以下ちょっと引用。
通常、わたしたち地球人は、年を重ね、いろいろな経験を重ねるに
連れて、少しずつ知恵をつけていく。
「そういうものか」(So it goes.)
そうつぶやきながら、何かを理解し、時には妥協し、まァ、
大げさに言えば、自分なりの哲学のようなものを身に付けていくわけだ。
が、トラルファマド−ル星人は違う。何せ、彼らは「ちょうどわれわれが
ロッキー山脈をながめるのと同じように」現在・過去・未来を一望の
うちにおさめることができる。
「・・いったん過ぎ去った瞬間は二度ともどってこないという、
われわれ地球人の現実認識は錯覚に過ぎない。
トラルファマド−ル星人は、死体を見て、こう考えるだけである。
死んだものは、この特定の瞬間には好ましからぬ状態にあるが、
ほかの多くの瞬間には、良好な状態にあるのだ。いまでは、わたし自身、
だれかが死んだという話を聞くと、ただ肩をすくめ、トラルファマド−ル星人が
死人についていう言葉をいう言葉をつぶやくだけである。
彼らはこういう、“そういうものだ”」
なんとなく時間軸が4つ目の次元だと納得した機会。
例えば、プロペラが回るモデルを考えて見る。
突端が描く円周内の空間ににプロペラのハネ部分は存在している「時」と
存在していない「時」を交互に繰り返している。
回転が早ければ早いほど、その空間におけるその物質の密度は増す。
回転が緩まれば、そこにおけるその物質の密度は薄まる。
つまりは確率論的に「存在している」のではないか、時間軸という次元に沿って。
これはたしか、小4くらいの時だったっけ。
その後、物理や数学を多少齧ったけれども全然理解できなかったので
とてつもねーいい加減なこと言ってるんだと思いますが、
ふと直感的に「理解した」と思えた瞬間なんで、あえて書きました。
>>297 ああ、解ります(w
私もですね。過去閃き的に理解して書き込んだモノって、その場で凌駕されてしまうらしく
時が過ぎると、どういったコトを書いたか忘れてしまう傾向があるのですよね。
なんて言うんでしょう。気付いたのならそれでいい、みたいに無意識にしか残らないとでもいうのかな。
認識し続けるコトが許されない。みたいな遮断がされちゃうみたいで。
まあその、もとから記憶力が悪いのも要因の一つではあるのだけれど
いけないんだそうです。私の中の一部の言い分では。
意味不明な部分は私にもよくわかりませんが(w
>>299 多忙の中レスを頂きありがとうございます。。
なるべく伝わりやすいように努力はしているつもりなのですが
如何せん、実力不足ゆえに至らずごめんなさい(w
トラルファマドール星人のお話ですが、なんとなく
>>278の数字に変換した世界に繋がって感じました。
連なる世界の数字の個である6を、更に示しだした奥行の数字の記列の世界をも知覚する。
そんな景色。とでもいいますか。0の地点を知っている。
そんなイメージを感じます。
>>298>>300 空間的な四次元の表し方に、縦横高さ奥行という感じもする時がありますが
次元に絡む時間という要素は客観に近い部類かな、とも感じます。
じゆんさんの言うように別次元的であり、表裏一体のようでもあり。
これも進化に乗って変則性のある、知覚と感性に似た成長を感じざる負えない部分がありますね。
時というのは規則性のある空間?で、時間というのは不規則性が絡み合う集合空間を指すモノ、というのはどうでしょう。
というか。。私があまりあれこれ暴走するとじゆんさんの思考が
まとまるモノもまとまらなくなってしまうかもしれないので
私は少し黙って待つとします(w
P.S
あ、だからといってあせらないでくださいねw
シャープさんへ
妄想をようやく整理しましたので提出します。(おまたせです)
あまり開かれていない文ですが、妄想ですのでご容赦ください。
整理できたということはこのころ(半年前)とあんまり考え方自体は
変わっていないということですね。しかしあの頃よりも考え方が洗練された
という気はします。いや、そうだったらいいなと思っております。
えーと、今回も長文です。どうぞお気をつけください。
>主観世界の発見<
主観世界の発見。(主観世界という造語をつくったということ)
主観世界は対象を一つだけ持つ。
我と対象が主観世界を挟んで、線で結ばれることを意識すると言う。
無数の線を主観世界に取り込むことを客観世界と呼んでもいい。
しかしその客観世界はあらたな主観世界を主張させる。つまり客観世界は
基本的に存在しない。
主観世界はどこかで客観化された主観世界と繋がっているのである。
よってこのイメージには「主観世界と我の関係」のみが確認できるのである。
しかし本質はどこまで行っても主観世界という虚無のみが存在するのである。
また実体を持たないと言う意味で視覚によって主観世界を客観化したならば、
主観世界の構成単位は“面体”という形式を持つ。
>主観世界とは<
主観世界は五感の知覚であり、経験であり、運動であり、
思考であり、感情である。
また主観世界とはつまり“実相を持つ概念”のことである。
なんというか“概念に意志性”を備わらせたのである。
>主観世界のイメージ図<
主観世界を視覚によってイメージする。
たとえば“私”を基軸にしてイメージみるとすると、円形の劇場がある。
その周囲の客席には大勢の観客がいて私を見つめている。私は必死に
踊り続ける。ここに客観化された生の形式を確認できる。
しかし“我”と“主観世界”の構図に当てはめると、私は存在しない。
円形の劇場には誰も存在しない。“私”なる登場人物は存在しない。
そして観客は静まりかえっている。いやよく見ると、観客には、生きていない、
彼ら(主観世界)は張りぼてだった。
薄っぺらい紙切れ(主観世界)である彼らは私(我)のいるところを一心に見つめている。
そして彼らの表情や容姿を見ることで我の“実体”を把握することができる。
空虚な世界。静寂の世界。無意味と思われる。そこには生の形式は存在しない。
しかしときおり風が吹くのでその世界はどこかにあると感じられる。
そういった感じ。
>我は無であるということ<
我は存在しない。
我は実体を持たない。
我は自らを置く位置を持たない。(アイデンティティーを持たないと同義)
我は移動しない。
我は選択しない。
我は行為しない。
つまり我は実体を持たない。つまり無は実体すら所有しない。
実体とは形あるものである。実体とは証明可能なものである。
よって我を証明することは出来ないから我は無である。
>我は移動しない<
また我(無)は移動しないものである。なぜなら移動するのは実体を持つもの
であるからである。つまり無を前にして主観世界が立ち現れるのである。
主観世界はパラレルに多数、“同時的”に存在する。しかし我と対応しない
主観世界は存在しない。無は移動しない。だから主観世界が“無(我)の前に
立ち現れるのである。
仮に我を脳の中で移動する電気、“電子”であると仮定すると、電子が脳の中を
移動するのではなく、主観世界を持つ脳の皮質が電子を中心として、移動するのだと
考えるべきである。我が移動しないとはそういうことである。
>主観世界の構図は“コペルニクス的転回”のさらなる“転回”の形式をもつ<
視覚主観世界において景色が変わるのは景色(世界)が移動したのである。
つまり主観世界においては逆コペルニクス的転回が採用されるというか、
コペルニクス的転回は“主観世界の構図(我の存在基盤)”には一切採用されない
しくみである。その意味で主観世界は超主観的な概念が抽出されるつもりである。
なぜなら我は無であるが故に、“絶対”という基盤を持ち得るからである。
“無”は“絶対性”という基盤を持つ。
>意識することとは<
我は主観世界において対象を浮かび上がらせる。それを“意識する”という。
対象は“無”である。なぜなら無は在を内在できないからである。
“我”と“対象”は“対応”する。または“対立”する。または“同調”する。
>主観世界には1つの対象だけを持つ<
視覚世界に2つの対象を持つとき2つの視覚主観世界が我の前に立ち現れたと
考えるべきである。
我は一つの主観世界としか対峙できないと考える必要はない。
我は何枚(いくつ)もの主観世界の前に立つことができると考えるべきである。
そして、同一の主観世界において二つの対象を持つことを、すなわち構図を持つという。
>我は主観世界と対応するのではなく“対象”と対応する<
主観世界と対象は即時存在的である。
我は存在しない故に主観世界は存在しない。であるため“我”は主観世界とは“対応”しない。
しかし“我”は“対象”と対応することができる。
>言語主観世界<
言語主観世界ではおそらく全ての主観世界を扱うことができる。
そこでは主観世界はすべて対象へと置き換えられる。
対象とは言語に置き換えられるものであるとする。
そうなった場合いくつもの主観世界を扱うことができる。これが
言語主観世界の利点であり、思考と呼ばれるものである。つまり構図を
持つもののを(まず言語によって解体し)、概念表記が可能なのである。
>言語主観世界は客観世界の形式を表す<
構図を持つことを理解することはまた客観と呼ばれる。言語主観世界に
おいて客観という概念は立ち現れるのだ。客観は言語主観世界(概念)に
おいて認識される。言語主観世界はこの文書においてのみ証明されている
ものであると気づく。我主観世界、つまり全主観世界において客観という
概念は生まれなくてはいけない。つまり主観世界は客観世界を内在する。
>その他の考察<
我の“意識”は対象によって形を変える
我はアイデントを持たないが故に無なのである。
無は現実では実体無き点である。それは対象と呼ばれる。
対象が先に発生する。そして無が意識させられることによって、
我が表象するのである。
“主観世界”と“我”のみの構図だけが“私”に確認できる。
“主観世界”は“客観世界”を内在する。
我は無であるとき。
そのとき主観世界も有(虚無)である。
また対象は無である。
“主観世界”に“対象”を形作られる。
“主観世界”と“対象”は色と空の関係にあたる。
“我”の前に“主観世界”が立ち現れる。
“我”は主観世界と対応するのではなく“対象”と対応するのである。
“我”が虚無であるとき“対象”も虚無である。そのときは“主観世界”は無である。
“我”は主観世界によって“我の存在(私)”を“構築”する。すなわち“私”とは虚構である。
“我”と“主観世界”の関係は肉体と同じように自律的に機能している。(個体化原理により)
とりあえず以上です。ご覧の通りこの妄想すらなんとなく平面的なんです。
>シャープさんへ
言い忘れてましたが私信ありがとうございます。いまどれかなあと確認中であります。
なんとなくこれかなって言うのはあるんですが、まあいいでしょう。
気長に探します。とりあえずどもでした。
あとおそらくですが、私の妄想とシャープさんの妄想は
本当に似ているなあと思われます。ちょっと似てないですか。
点線面体の考え方は私もずっとありました。シャープさんの妄想を聞いたとき、
仲間ができて嬉しかった思いがありました。
私のは球体までは言及されていないけど、指示するものは基本的に
同じだと思います。ただ球体を平面に解体しただけのような気がします。
ちなみに私は全てのものは二次元的(平面)に還元(説明)
できるのだと信じているのです。ですから平面への希求がちょっと尋常
じゃないかと思われるかもしれません。
でもこの言葉(線の集まり)だって二次元の存在です。そういうことです。
というか言葉や平面は私にとってちょっと特別なんです。けっこう好きなんです。
平面で表現できる小説や映画とか文章や絵画とか娯楽作品がわりと。
あ、
>>288の動物、植物、微生物の次元生物解釈は面白いですね。非常に納得です。
それでどんどん複雑になっていくんですよね。次に来るのは人であり。
実は私は個人的に“人”には“言葉”を意識に参入させたいのですね。
これは数字に変換する世界と同じようなものなのかな。どうだろう。
そして言葉そのものが表現するものが世界に浮かび上がる。
と言うのは的はずれかなあ。
そうなるとおそらく
>>299さんのカート・ヴォネガットのお話のようになんだかちょっと
静かな時間静止(包括)世界というものを理解しやすいのです。
私は4次元(高次元)はとても静かななんとも言えないチックな香りがするんです。
世界観の香りがちょっと4次元(高次元)チックなのかな。
年越しのレスですがいいでしょう。
じゆんさんまとめお疲れさまです♪
私も最初じゆんさんのレスを見た時から表現方法は違えど
似た景色を持ってるんじゃないかなと感じていました。
ぴかぁ〜さんや論理体さんも通ずる景色はあると思うのですが
読解力が及ばず掴み切れないのが本音です(w
ですので、じゆんさんの纏めてくれたレスも
部分的に読解が足りない所が多々ありますので、感想はも少し待ってくださいませ。。
例のスレは今正月からは進行が止まっています。多分そこであっていると思います(w
とりあえずこちらを先に一レス
>>311 共感します。平面は世界を認識変換するよりしろ的役割がありますよね。
映して放ち放して写す。記列された言葉は層になり、放たれている世界を描写で量る。。
時には面を。時には奥行を。認識の共有が更に世界を確立し内包する。
この層を積むコトに四次元の意義があるのではと思うほどに。
315 :
考える名無しさん:04/01/03 18:03
ヤバイよヤバイ!スレ自体が異次元じゃんYO!
>>315 いやいや基本的に四次元(異次元)の世界について語るところですから
おどろくほど、スレにふさわしいのですよ(w
(スレタイを参照してくださいね)
まあ哲学的かどうかはわかりませんがね。
あと2ちゃんねるは異次元空間です。
テキストコミュニティ空間という異次元空間なんです。
2ちゃんねるでのあらゆる発言は他では得られぬ異質なものではありませんか。
あなたは2ちゃんねるが社会の論理軸に沿っていると思ってはいないですか
それはとんだ間違いです。他とはまったく別の論理軸がこの2ちゃんねるという
異次元空間は動いています。
あなたのような発言もじゅうぶんに異次元の力が働いているのですよ。
あなたのレスはある目的があって行われているのですから。
ついでにあなたの文の“じゃんYO!”て言うのも
私にとってはじゅうぶん異次元なんですね。
変換するとき、ちょっと恥ずかしくならないですか(w
いちおう当たり前のことを聞いて(確認して)みただけです。
なんせここは四次元を語るとこなんで何を言っているのかなあと思ったわけで
まあ気を悪くしないでくださいな。では
ついでに
“妄想”はイデアの発信基地です。どんどん妄想を飛ばしませう。
妄想を超えない四次元解釈なんて、私は聞いたことがありませんので。
じゆんさんごめんなさい。ちょっと具合が芳しくなく考える能力が低下してて
折角じゆんさんの世界を見せて貰ったのに今日はレスが出来そうにありません。。
多分明日の夜ぐらいにはいくらかマシになってると思うので
ちょっと待っててくださいね…ごめんちょ。
>シャープさん
そういうのはあせらないでくださいな。
あと身体には気をつけてください。無理せず自分を大事に
いきましょう。それに整理したと言ってもあまりに雑然と
していますから私の文が身体によさそうとは思わないしね。
あと それと
えーとアレのことですがたぶんアレですね。確認しました。
うん似ているというか、全然知らないのに同じことを考えている気がした。
“擬人化”なんてちょうどあのころに私も考えが浮かんだんですよ。
そういうなんていうか意識の共有(共時性)みたいなものを感じました。
異次元の存在を確認しましたデスネ。ミステリアスですが妄想がわきます。
>>314 よくぞ理解してくれましたね。うれしいです。
私はそういった妄想の感覚に子供の頃の「宇宙とはなんだろう」という
問うたときのまったく同じ質の感慨をおぼえます。
そしてそれを自分の中で整合性をつけ、理解したときとまったく同じ
驚きを覚えました。驚きは神秘的ではあります。
そういった異次元の世界と強く繋がっている気がしないでもない。
また
>>314にはあとでレスしますね。
あとシャープさんは夢については詳しいですか? 明晰夢とか体外離脱現象とか、金縛りについて
アストラル界とか、信じるとかのレベルの話じゃなくてそういった見解が
あるということを。
いちおう、そういう現象を体験したことが私はあるのですが。(そういう風に私は認識しています)
なんかそういうことにも詳しそうだなとちょっと思ったのです。
どんなもんでしょうか。
じゆんさんお気遣いありがとです。どうも今血液循環が悪いフシがあるもので
考えようと集中すると貧血みたいにぐらぐら来てしまう始末(w
ですのでどこも流し読みしてる状態です。
反射的判断は大丈夫ですのでレス出来る範囲は応えておきますね。
夢に関して、というか私の妄想の根源は夢から来てる処がかなり大きくもあります。
アトラル界についても書物的知識は低いし霊的体験も無に等しいですが、
身体コンタクト的になら電波ちっくに私見は色々(w
あとアレのアレではですね。私はじゆんさんと一文字ハンドルが被ってるのがソレです(w
キャラが違うのはまあアレですよ。うん。気にしないで下さい♪
意識の共有(共時性)はよく覚えがあります。
アレは実に不思議で面白いですよね。
デジャブとはまた違う何というか、ホント次元の共有って感じで
意識下の我の奥のおくでは繋がっているような。宇宙的深さを垣間見たようで
懐かしいとすら感じる奇妙な感触。何故だか巨大な透明のプヨプヨゼリーの塊を思い起こします(w
ラヴクラフトいぅトコロのショゴス?
>>322 うぅん。ごめんちゃい。それなんでつか。。?
>>322 は
>>321のプヨプヨのコトかな。。
うーんともう少し景色を拡大すると、水が広がる平面にティッシュを乗せる。
その濡れたティッシュの部分が宇宙的イメージな現実連鎖?因果の面であって
その個質と水質が重なった処がゼリーみたいな感じ。というイメージ。かな。
>>305 正直いうと私は主観と客観の言葉が列ねられるとすごく困惑するのです。
何故なら前にも言ったように、私にとって主観と客観は同じ位置にある感じなものでして。
ここは私の壊れてる部分なのかもしれないのですけどね(w
それを前提にしての感想です。じゆんさんは主観に重きを置いているのですね。
私はどうも客観の方に重きを置いて感じる次第です。多分この主と客の表現が
曲者なのかもしれないですが、ようするに客観こそ主観。みたいなイメージがあるワケです。
でも言語を略いた集中、集客にもとずく線のイメージと「実相を持つ概念」が主観、というのは
するっと意識に入ってこれました。
この主観が受け入れられるのは、多分〈選択〉が行なわれているからなのかもしれません。
>>326 わざわざありがとです。んんむ、ボケを受け取れない知識の狭さが悔やまれまする。。(w
画像は見れないのだけれど、なんとなくクラゲを思いおこす解説ですね。
まあ、そこまで見れる画像ではないのかな。。
多分あなた様のコトだから(ww
>>306 私の好きな曽田正人氏が描く「昴(すばる)」を思い起こさせる風景ですね。
>薄っぺらい紙切れ(主観世界)である彼らは私(我)のいるところを一心に見つめている
ここの処。いいですね。とてもリンクするイメージがあります。
私の視野だと私(我)が彼ら(主観世界)を引き付けている、という感覚であったりします。
我の引力。それが無のエネルギーとでもいいましょうか。
多分、じゆんさん的にはこの引力的部分が風であり
〈動〉による存在でそこにそれを感じるのでしょうね。
>>307 凡そ近い世界を感じます。
>主観(私的には客観ですが個人的に同等扱いですのでw)による内包が
我(無)の存在を示し出すだけであってその内包された内側は、あくまで実体は持たず。
ということですよね。ただ
>我(無)は行為しない
この部分はなんとも言い難くてですね。先にいった引力としての無のエネルギーの部分が
有があってこその有様でして。。これが行為になりうるのか否かが
私の中でも少し釈然としない部分でもあります。
と、一旦ここまでにします。
うーん、ズレてるようなコト言ってたらごめんなさいね。
シャープさんへ
>>321 >何故だか巨大な透明のプヨプヨゼリーの塊を思い起こします(w
>>324 >水が広がる平面にティッシュを乗せる。〜
>〜その個質と水質が重なった処がゼリーみたいな感じ。
面白いですね〜。かなりよさげです。
えと、目覚めのよいときの、頭の中のしこり?みたいな感じですか
(ちょっと意味不明ですかね)瞑想とか居眠りしたあとに
気づくとそんな“健やかさ”を味わうことがあります。瞑想中の記憶は
あまりないんだけど(だめだめなんで)、とても気持ちのいいところに
行って来たよ、っていう感覚です。
もしかしたら本当にぷよぷよのゼリーみたいなところにいたのかもしれませんが、
記憶が定かでないので分かりません。
“瞑想”ちょっと唐突すぎる言葉ですが、私の“主観世界構図”はそこから
見える景色と考えてもらうとちょっと分かりやすいかも。
「私」(あなた、主観世界)が「我」を見るその形式をそのままぶち込んだ感じです。
私自身が心の中を見るとき、我を見ることができないんですよね。なぜなら意識
そのものが「私」になってしまっているから。
「私」は主観世界の我を見つめる“鏡”の一部だということです。
ちょっとまだ分かりづらいかもしれない。
というかあなたの視点でおそらくぜんぜん問題ないと思います。
“主観と客観が同じ位置にあるもの”それをちょっと私もずいぶん悩んだのです。
「我」と「私」どっちが主観なんだろうと。
構図としては「我」は、まちがいなく主観(超主観)だけど、「私」はおそらく
主観でもあり、客観でもあるよなあ。
しかし「私」は私である以上、客観になることはできない。
と考えて「私」はやはり主観である。しかし「私」は“実体”を持たないから“主体”
とはなれない(わかりにくくてごめん、ついでに「我」は肉体と言う“主体”を持つ)
つまり「私」とは“主体”と言うよりも、“主観的要素”を持つ“世界”であるのかな。
・・・で足して2で割った感じにした。で“主観世界”と言う造語を私は作った。
で「私は幻」もしくは「私は実在しない」という意味を、「面体構造」というもののイメージ
として置き換えた。面は“それのみ”では現実世界に存在しないから。
それがイメージ生成の経緯。
でその「私」って言うのは“なにか”の「総称」のことなんです。“思考”とか“知覚”
とか“認識”とかつまり「我思うゆえに我あり」のところの「我思う」の部
分のことになるかと思います。(おそらく私の「私」そのものがあなたの思考線を
行き来する“点”に組み込まれるんじゃないかなと思うのだけどどうかなあ。
とりあえず説明ここまで、わかりにくかったら遠慮なく イメージとしては
“パーフェクト”ではないけど基本的な骨子はそういうことなんだ。
でこれを思いついたのは体外離脱現象(幽体離脱現象)をした数日後です。
体験の記述をしているときに急にひらめいたんです。ずっと客観と主観で
考えあぐねている途中でした。それを解消するためだけの造語ですから気に
しないで下さい。あとあの現象は夢の可能性もあります。
>私の好きな曽田正人氏が描く「昴(すばる)」を思い起こさせる風景ですね。
まさにそんな感じです。つか私も曽田正人氏の漫画は好きだす。
“め組の大悟”と“昴”しか知りませんけど。
“自分を見つめる”とはそういう劇場スタイルで鑑賞する“生きる”(演技)の
形式というですね。
>私の視野だと私(我)が彼ら(主観世界)を引き付けている、
>という感覚であったりします。
それと
>>我(無)は行為しない
>この部分はなんとも言い難くてですね。先にいった引力としての無のエネ
>ルギーの部分が有があってこその有様でして。。これが行為になりうるのか否かが
我を有というのは肉体(行為する実体)あってと言うことでしょうか?
まあこれは私の設定が、“私”は仮象と言う設定ですから、肉体も幻
としているんですね。まあこれは無理ある設定と思いますが一応そういう
ことです。“我そのものは瞑想の中でなんら形式をもたない”という意味です。
逆に行為するのは、“私であり、されるのも私”であるということです。
とここまで書いてみて、おそらくあなたの指摘は正しいかな、我は“行為のみ”をする。
もしくは“行為そのものの存在”になるのかな。
で訂正、
×(我は行為しない)→○(我は活動しない)
となりますかね。
(これだったらいいかな、駄目だったらまた言ってください)
と言うことで指摘ありがとう。と言うことでたぶん全然ずれてないと思う。
逆にどうしてそこまで理解できるのか不思議な感じがする。漫画もそうだけど
そういう“原体験”があなたと近いのかな。と言うか思考の仕方が割と自分、
漫画チックかもしれない。最近はあまり読まなくなったけど
>キャラが違うのはまあアレですよ。うん。気にしないで下さい♪
ああ、“あの人”ですね。見ましたけど。やつね、うん、割といい奴そうでしたよ。
あと、あそこのスレちょっと書き込めないけど、(板とかスレの空気がまだ読めないから)
これからはあっちもロムることに決めました。あそこも面白いスレだったんで。
まあ説明しますと、仕事(夜勤です、今は内職してます、AM4時)再開すると夜は
“基本的”に閲覧のみです。
仕事中は“基本的”に書き込めません。あとで自宅で書き込むんでレスが
遅くなる傾向がありますがお許しください。
あと仕事の疲れとかもありますしね。まあそういうことです。
で今仕事再開したばっかでちょと今回レスの間が空いてすいませんでした。
それとそれと、私の自スレ(名目上ですが)、いま修羅場ってるからおどろいて
るかもしれません。でもあなたには、落ち着いて静観して頂くと助かります。
一応、自分哲板フリークなんで嫌いになられるといやだなあと、思ったもの
ですから。
えと、ここには“いい言葉”がいっぱいあるんですよね。まあ理解できない言葉も
それはもう、いっぱいあるんですけど、そういうわけなんで、なにとぞ哲学板を
ごひいきにお願いします(これ営業ですから本気にしないで下さい)。
>シャープさん、やっと時間がとれるようになったので。
世界と自分を見る視点ってことで。
自分と世界の境界を決めるためには、自分の外の視点が必要である。
したがって、自己の存在を決定するのは、実は自分自身ではなく、他者である。
人は、生物としてもまた、単純に食べて生きていくためにも、他者との関係が
発生します。人は一人だけではいかなる意味でも生存できない。
自我なり自己なりの存在の定義は、そうした他者との関係という環境の中で
行うべきではないでしょうか?
私は、他者に対して、多様な働きかけを行い、それに対して他者が私に
反応を返します。 この反応が私自身の存在を決定していく。(動的な反応である必要はありません)
同時に、私は、その反応を自らのものとして認知し、他者の視点を借りて、
自分自身を仮に眺めることができる。そこではじめて、自分とそれ以外の世界との
境界が固定されることになるわけです。
主観とは客観の借り物でしかないといえるかな?
じゃ、思惟してる今の自分は何か?って疑問がくる。
世界に対する行為によって自分が存在するのであれば、思惟だけしていた
自分は、非常に希薄な存在でしかない。(すでに存在しているので、なんらかの
関係はもう発生してるんだけど)
多分この部分が魂と呼ばれるもので、存在以前の存在のためのエネルギーとなるのではないかと思います。
世界そのものも、同じような考察が可能です。世界と世界の外との境界を決定するには
世界の外に立った視点が必要です。この場合、世界の外にいる他者は存在しないので、
私は、世界の外に立つ自分を想像し、そこに自分をおいてみます。仮においた
その視点によって、私がいる世界を眺め、世界の定義をしてみる。
この想像は、非常にあいまいで、確たるものが求めにくい。困ったものだと
思っています。(ある意味 神の視点なのかもしれません。)
あっちの板と同じ話で、申し訳ないです。
イメージとしての世界でいえば、
世界は舞い散っている砂のように見えます。混沌としていて、つかみ所がない。
ただ、自分も入ったある球体の中で、砂が飛んでいるので、球体の外からみると
球体の境界と、中の砂の風に吹き飛んでいるようなある法則が見える。
で、時折、すべての風がやみ、砂が足元へ落ち、静かな世界の中で佇むような
気がします。
足元の砂の中には、イドの世界が待ちうけ、暖かい闇が広がっている。
parsleyさんへ。
>>336>>337 よろしくです。あちらでもあなたは、いい奴ですよね。どもどもです。
あなたの世界観も刺激的でしたのでレスさせてください。
>イメージとしての世界でいえば、
>世界は舞い散っている砂のように見えます。混沌としていて、つかみ所がない。
私もそのように感じるときもあります。
世界の実体のなさに、舞い散る砂の硬質な“壁”という隔たりを、またつかめてし
まえると思いこんでしまう幻想を抱くことはよくあります。そう感じるときおそらく世界
は自己を絶対の孤独者の視点に持ち込んでいくのでしょう。ときたまその砂がちく
ちくして痛くて、気づくと全身が血だらけになってしまうこともあるみたいですし、
世界を眺めるにも注意が必要だと感じ入る次第であります。
>足元の砂の中には、イドの世界が待ちうけ、暖かい闇が広がっている。
そしてこのようにも私は感じ入ることもありますね、あなたと同じように。
まるで闇が巨大な水溶液であるように、私の存在を飲み込み、きれいに溶かして
しまうんですよね。かなりの居心地の良さを感じます。世界のずれが元に戻ったのようにも
思われますね。
と言うことで私は、なにもない空間は「半個体、半液体」の巨大な液体(エーテル)
に満たされていると考えるのです。まあ幻想的な空想ですが、この空想も
そんなに悪いものでもありません。
“半個体”、“半液体”、世界はいかにも二義的ですね。ずれがあるから
そう思うのでしょうか。であるならば私はずっとピントを合わせ続けていたいですね。
でもそれはかなり難しいことです。世界が二義的なのか、それとも自己が
二義的なのか。知覚は絶対というわけでもない、自己そのものが完全では
ないから。そういった意味で“困ったもの”だなとは私もつねづね思います。
>自我なり自己なりの存在の定義は、そうした他者との関係という環境の中で
>行うべきではないでしょうか?
そうですね、他者との関係によって逐次、その圧力によって自己の存在の定義、
本分は定まっていくように私も思います。
もしかしたら、“ずれ”とはその定義の変容というものに感じる何かなのかもしれません。
自己の形質が変容するとき感じる“なにか”ですね。
曲に入り込んでいるときに感じるような“あれ”です。“関係性の変容”とも言えますかね。
>多分この部分が魂と呼ばれるもので、存在以前の存在のためのエネルギー
>となるのではないかと思います。
えーと私は自分自身がエネルギー(力)を持ったなにかですので、自分のエネルギー
自体を感じることができません。でも他者にそのエネルギーを感じることはあります。
ここで“いい言葉”に出会ったとき私はそれを感じます。まあ私は魂はあまり信じなくても
“言葉”ならわりあい信じられます。まあでも人それぞれなんでしょう。
でも語ることってまぎれもなく“行為”ですよね、きっと。
とくに気にすることでもありませんが自分の考えを述べさせていただきました。
どうもありがとうございました。考える視点はわりとあなたと近いものを感じます。
>じゅんさん
酔ったような書き込みにレス頂き、ありがとうございました。
この世界観の中で、さらにシステム理論的な社会構造を入れ込んでいるのですが、
その辺は、まだまだ考察中です。いずれまとまったら、また感想をいただきたいな、
と思いました。
じゅんさんの世界はもっと明確で、幾何学的な美しさを感じていました。
ただ、主観と客観に関しては、個人的には、主観の位置をかなり下げているので、
やや異なるかなあと思ってます。ではまた。
返すレスが蓄まってしまいたした。。とりあえず
>>335 そうですね。この板とは少し違う、人間味漂う所ですので
様子見つつ馴れたようでしたらお好きな時にでも。。♪
私も最近平日だと議論は観覧が主です。考えを纏めるのが時間がかかるので
ここは土日が多くなるかと思います。日中は仕事ですのでレスは殆ど深夜かと。
じゆんさんのスレは前スレも見れないコトもあり、お相手さんをよく把握出来ていないので
現状は口を挟まずにと思っています。もし何ぞ手が欲しいなとでも思ったら
役に立てるとも限りませんがお声でもかけて頂ければと思います。
ここ板はたまーにチョロッと来るだけでしたが(ちょっとスレが絞りにくいのですよね)
このスレ目的で今後は来る回数も増えるでしょう。以後よろしくお願いします。
>>336 パセリさんは言語による世界観の具体化がとても整っていますね。
じゆんさん、パセリさんと通してみるとやはり心の何処か深い部分では
見えない世界が繋がっているのではと思えてきます。
私はどうも抽象的になりやすく言語への変換がそんなに得意でないので
共感のある景色を解りやすくレスして頂くとより鮮明に存在を確認出来て、とても有り難く思います。
それとこの部分。
>多分この部分が魂と呼ばれるもので、存在以前の存在のためのエネルギーとなるのではないかと思います。
私も生物としての魂(エネルギー)の存在は有りとしてる者なもんでして。とても共感しました。
存在以前の存在の為の。。これは有と無の境界、繋がりの部分ともいえるべき
じゆんさんの言でいえば多分〈面〉の部分になるのでしょうね。
>パセリさん
ただ一つだけ我儘を言わせていただくと、現進行しているあちらとこちらに
同じレスを転載するのはやめませんか?そうしてしまうと別の場所で
議論している意味がなくなってしまいます。
共通する部分はあっても議題的には別モノだったのではと思います。。。
できましたらよろしくお願いします。
>>343 了解しました。まあ、あちらでは、この問題についてもう書くことはないと
思います。(別の論題に移りましたので)
頭がひとつしかないので、申し訳なかったです。
parsleyへ(あとシャープさんも)
>頭がひとつしかないので、申し訳なかったです。
いいですね。面白い例えです。それすごくわかりますよ。一旦意識してしまった
問題意識ってなかなか頭を離れられないんですよね。
なんでパセリさんはたぶん悪気はなかったと思います。
なのでシャープさん私に免じて許してあげてください。
えーと
>>288のシャープさんの台詞を載せますと
>倫理学での知覚のお話し是非聞きたいです。
>その他、思ったコト感じたコト。興味がわいたならどぞ好きな時に
>お話しきかせて下さいね。
私もその話、聞いてみたい。考えがまとまったらぜひ聞かせてくださいな。
えとあと、あちらとこちら平行進行で考えるのもいいかもしれないですよ。
考えるための論点がたくさんある時など便利です。私はそうさせていただいております。
ちょっとフォローしてみました。とてつもなく大きな“大きなお世話”
だったらごめんなさいです。
では。
>>334 すみません。ご理解ありがとうございます。
>じゆんさん
ちょっとなりゆきが気になったので、昨日じゆんさんの言っているスレを
また覗いてみましたが。。。何と言いますかね…(苦笑
全部を読めるほど今は体力がないのですが、哲学の場を論破に拘るより共感に拘りたい私としては
なんだかかなりもやもやした感が残りますね。個人的にはじゆんさんも
共感を重視しているかと思っているので私見的に心中が痛みます。。
世界を認識したいというより、自分を認識して貰いたいが故の世界観に対する姿勢は
別次元で歪みが生じているようでなんとも言い難いモノを感じてしまいます。
論破とはそれを壊す行為でもあって壊されまいと頑なな層を持ってでは
外の世界は拓かれていかないのではないのかな。と。
感じてしまった次第です。。
>>345 あれ?いらっしゃったんですか(w
どうやらレスが読み取れていなかったようです。。
いえ、別に許すとか許さないとか怒っているとかではありませんゆえ
気を使わせてしまってごめんなさい。
また夜にでも瞑想などの感想をレスします。かしこ
>all
や、ごめん。ちょっとトゲのあるような表現でしたね。気をつけます。
今のところ、この自己認識にこだわってまして・・・。お二人に気を使わせてしまって
恐縮です・・・・。
シャープさんへ
>>347 や、気にしないでください。私は別になんともなっておりません・
逆に、あなたの心を痛めてしまう形になってこっちが申し訳なく思いますよ。
えとここであそこのスレの私見を述べるのもすこし違うんで、その
ように察してください。そうしてくれると助かります。
ほんとはだらだらとそのことについて書いてみたのです、
ただうまくまとめられない(なぜならあちらも現在進行形の議論なんで)
あとそれと、“まちがいなく”あなたの共感に対する姿勢と私の共感に対
する姿勢は同一のものなんでしょう。私も共感を大事にしてますしね。
でもあなたに共感してくださってうれしかった。
えーとあと言い忘れていたのですが(言おう言おうと思っていたのですが)、
私の場合、説明が長くなりしつこくなるときがあります。そのときはごめんなさい。
しつこいと思ったら読み飛ばしてもらうと助かります。直そう直そうとは奮闘中な
んですが、なんともしがたいようでして。
あと
>>348 そうですか、「とてつもなく大きな“大きなお世話”」じゃなかったみたいで
助かりましたw。えとまああちらの状況も見えにくいけど、どちらの気持ちも分かって
しまって、ちょっと心苦しかったのです。(ほんのちょっとですよ)
まあそういうことなんでおたがい気にせずに行きましょう。
感想もひじょうに楽しみです(でも無理しないで)。
まあ“瞑想”とか“神秘体験”とか“夢”のこういう種類の妄想的発言も電波と
呼ばれて語りにくい状況です。まあ“またり”といきましょう。
私もこれからそういう妄想を飛ばしていこう。“体外離脱現象”とかもそのうちカキコしますね。
楽しみにしてください。
ではでは
>>349 parsleyさんへ
そんなことないですよ。また、あなたの主観と客観に対する考察などさらに
つっこんで聞かせてもらうとうれしいです。それ実は私の今の問題意識と一致するんで。
そのときはそのときで感想言うんでよろしくお願いします。
えとこういうのが逆に気をつかわせると分かってるんですが、お互いに分かって
ないこともあるし、それに多くも語れないこともある。
そういう意味で、“気楽にやる”ができたらと、本当に思うんですね。
まあそれも本当は難しいのですが。私自身、実はそういうのが苦手だったりするわけで
申し訳なく思います。
ということで、それじゃ、そろそろ仕事に行って参ります。
>>349 いえいえ、理解頂けただけただけで充分です。こちらこそ口煩めでごめんなさいね。
以後もよろしくして下さい。。♪
>>350 ごめんなさいね。。そしてありがとう。
どちらも敬意を込めて言わせて頂きます。ですのであまり気になさらず
暗黙の了解というコトで。。(w
それと説明が長くなるコトについてですが、深い理解には細かく砕くコトも必要ですし
というか、私の場合長さ関係なく言語の理解が足りないもんで、長い方のが箇所の部位から
理解が可能になるコトもあったりするのです。ですので私個人としては
しつこいとは感じないと思われます。
えと、電波率に関しては私はかなり高めかと思います。放射能レベルを感じたら速やかに避(ry
いえ。防護服着用を。。(w
>>331 にあるしこりはですね。柱でもあるかも?ってイメージが浮かびます。
球の思考モデルの軸の安定のような。
もしくは安定による球の形成。かな。アメーバみたいな輪郭が崩れた不安定要素が
整われてキュッと張りを持ったというような。。軸の安定=球の安定運動でもよさげかな?
で。。そうそう電波になりますが…(w
私は瞑想経験はありませんが、夢が貴重な潜在認識へのアクセス手段です。
身体は世界の誕生からの記録を持っていると思います。
私達はただその情報を読み込めない、部位的な細胞同士の確定的認識により
脳で認識する必要がないだけなのかもしれないかなって。感じるワケです。
夢はその情報の窓口。物理的にいったら使われ切れていない脳の箇所に
そのデータの一部もあり、瞑想、睡眠等で雑音を取り除いた時、僅かながらの信号を感じ取れやすいのかもな。って。
夢からそんな感触を受けるのです。
あ、それと私も漫画チックは同意シマス(ww
同じく最近はあまり読まなくなりましたが。。。
ここ板でそんな内容交わすと後ろから刺されるよな気分がしなくもないので
こっそり欄にて。。
それと、何処かで鏡の例を上げていらっしゃいましたね。
鏡はとてもナイスですよね。私も持ってます。二つのようです。合わせ鏡的に。
その間が私のポジションのようです。。(w
>シャープさんへ
えーと萩尾望都氏の「ポーの一族」今読んでる途中です。
ちょっと少女漫画はあんまり読んだことないんで、読むのにちょっと手間取ってますが、
絵よりも、すごく言葉の力が強いですね。少年漫画と逆な感じがしますね。
で、これからじっくりと読もうかと思います。けっこういい感じです。
あでも高野文子は好きですよ(あれは少女漫画というかな?)「黄色い本」は私にと
って新鮮でした。あれけっこう現象学的還元をしてるんじゃないでしょうか。
いちおう漫画の世界って四次元? てな感じで
>>355 えと実は私も夢があちらの世界へ行く大きな手がかりなんです。
で、シャープさんの考え方すごくいいですね。そうか細胞同士の確定認識か。
その確定認識が小さな細胞同士というミクロの視点で行われているということには納得です。
>身体は世界の誕生からの記録を持っていると思います。
いいですね。“生命”ではなく“世界”としたところが凄いと思います。
>瞑想、睡眠等で雑音を取り除いた時、僅かながらの信号を感じ取れやすいのかもな。
私もそう思います。私の考えではどんどん自我が小さくなっていって、相対的にその
ミクロの視点に入り込みやすいのではないかと思っています。
私は自我とはおそらく脳の意識が制御している身体の回線のネットワークなんだと思
っています。夢の中ではその回線のネットワークが切れるというか、たぶん周波数(?)
を落とすようにチャンネルをオフにしている感じ。
>しこり
ほんとにそんな気がします。きゅっと引き締まった感じしますよ。
>二つのようです。合わせ鏡的に。
私は逆に自分自身が裏表が合わさった鏡のように感じることがあります。両面鏡というのでしょうか?
できたら、私もその二つの鏡の間に入りたいですね。なんとなくそう思いました。
>>357 >ポーの一族
あの方の作品で言葉が強いのは、人の見えにくい内面的な作品が多いからかな。。
私としては、スター・レッドや百億の昼と千億の夜がポイント高い作品です。
高野文子はみたことないかも。何処出版の方なのかな。。私も主に少年漫画の方が多かったりします。
>自我とはおそらく脳の意識が制御している身体の回線のネットワークなんだと思
>っています
とても共感します。細胞一つひとつが持つエネルギーの共有による一体化。
そこに私は魂を当てはめてしまいます。もちろんじゆんさんの言う処の自我でも
違和感はまったくないです。
よく心は脳だとかそうでないとかの話もありますが
どちらの意味もあるんでないかと感じます。ようはエネルギーの配分なのではないかなって。
ようするに物理的な身体の正負(主観)と、経験による知覚的正負(客観)の表裏により
選択した正負の片割れとして心が別にあると感じるのではないのでしょうか。
>合わせ鏡
多分こちらの方が正しい在り方のような気がします。どう正しいのかと言われると
何とも言い難いのですが。。(w
下がりっ放しも意見が狭くなるのでちょっとあげてみましょうか。。(w
360 :
考える名無しさん:04/01/11 15:37
ついクセで下げ入力してしまった…
スレタイからちょっと脱線しますね(今まで脱線してなかったんかいと言われそうですが)
主観と客観についてです
<主観>
自分の考えが入っていると言うこと
自分の意見が正しいと疑わない様子のこと。
(情緒的、通常は思いこみの激しく悪い意味でつかわれることが多い)
<客観>
自分の考えが入っていないとされること
事実に基づいていること。
(理性的、論理的であり、優れた解釈に与えられることが多い)
また主観は認識の対象となったとき客観の性質に変容する。
たとえば「いーち、にーい、さーん、しーい」と冷蔵庫で卵を数えているときの数は主観的
な“数”ですが、「お、卵“5つ”あるのか、オムレツ2つ作れるね」と卵が5つあると分かった
ときにはそれは客観となるのです。
このとき客観は論理判断材料となるのです。
むしろ論理判断材料ともならないものは客観とは言えません。おおよそそれは主観と言われる
でしょう。「あいつの言っていることは理解しかねる、かなり主観が入っていてこちらには見当も
つかん」とね
さて客観とはなにか?
さて客観と主観はどちらが先に成立したのだろうか?
また「私」と「あなた」と「彼」では誰が客観と言えるのだろうか?
とりあえず主観と客観はここまで
頭の中だけではちょっと混乱するのでまずは書いて見比べてみます(w
主観:自己内で選択されている決定付いている思考
客観:自己外を元に選択を選ぶ思考
…うーん。。
<漫画は四次元か?>
では“漫画”とはなにか。
また“四次元”とはなにかという双方の見解から考察してみよう。
<四次元=空間三軸+時間一軸と見た場合>
漫画は空間を描写する絵画の性質を持つ、画面に奥行きを持ち、
また二つの対象の関係性を描写する。
そして漫画独特のコマ割りによる目線の流れによって、時間経過を意識することができる。
<四次元=時空間認識を超えた高次世界として見た場合>
1コマの中に絵と吹き出しの会話がある。絵は止まっているのに、
吹き出しの会話で時間が流れているように感じる。集中線が物の移動を表したり、
視線の移動を促したりする。そして、漫画は内面世界を映す。
モノローグ(独白)はもちろん、たとえモノローグや吹き出しがなくても情感により、
空間の描き方によって世界観を設定し、主観的な感情移入をしやすくさせる。
そしておそらくその感情移入はおおよそ大多数の人に同質の感情体験が認められ、
単なる主観ではないとも思われる。主観と客観を超えた存在のようだ。
つまり漫画は人の内面を逆に物語に投影させてしまう、四次元と言う高次存在と
言えるのではないか?
>シャープさんへ
「黄色い本」はアフタヌーンKCデラックス で出ておりますよ。
お、上げちゃいましたね。そうです四次元の話もしなきゃならんのです。
まあ私はいまのところ妄想=4次元と定義しております。
さてさて四次元をどう料理しようかなといろいろ考えてるんです。
過程が客観で結果が主観ともと何処かでかいた気もするけれど
じゆんさんの卵の数を数えているのを当てはめてみると
この例えだと数を数えているのが客観でオムレツが出来るが主観になってしまうのかな??
あれ?。。?何か難しいです…(苦笑
<漫画の技法、集中線について>
なんで集中線はスピード感を表すのか?
脳生理学では、線を認識する脳細胞があるという。
簡単に言うと、速度の速い物の動的な移動に関して、視覚は線形認識として物を捉えるの
だということ。
そして物の経路判断を行い、その動的な物に対処するのだという。
集中線が目線の集中やスピード感を表しても、それはまったく不思議ではないということ。
そのような認識仕方がすでに脳にはあるのだということ。
また現代の漫画の技法はおおよそアートの技法からのコンセプトを持ち込んだものと推測できる。
これらの技法は漫画独特というわけではなくフォーヴィズム、キネティックアート、いわゆる抽象画などから
それは確認できる。
また印象派絵画がただの写生ではないと考えればそれは明らかだろう。写生の中でどのように情景描写を
おこなったというのだろう。
ルネッサンス時代には“写真”などなかった。しかし季節感を表すことは可能だった。
どのように光の描写を捉えたのだろうか? あのころには写真など光を保存する方法などなかったというのに。
どのように画家達は風景の情感をそこに封入したのだろうか?
なぜそこに神聖さが生まれるのか? そのように考えると絵画もなかなか奥が深いのです。
と漫画(絵画)の4次元の考察とりあえずここまで。またもや思いつきでまとまりないものですがお許しください。
>シャープさんへ
やはり主観と客観も難しいですなあ。
これが解決したら私の四次元解釈構想も、実を結ぶような、結ばなかったり‥‥
いやいや、どもです。リアルタイムはこれがお初みたいですね。よろしくです。
>>363 妄想=四次元
異議なしです。世界の構成を広げるコトが四次元の基本条件かと思ってます。
んで、やはり主観と客観で引っ掛かってます(w
よく考えてみるので気にせず続きがありましたらお願いしまっす。
>>365 >リアルタイム
言われてみれば。。哲学的な内容は意図を読む、表すについて
反射的に判断つけるコトが容易でないのでとても亀レスになりやすい私ですが
どぞお許し下さいませ。。
>>364 あーすいませんやはりわかりにくかったですか
まあ端的に言うと「いーち、にーい」数を数えているのはつまり思いこみの作業(主観)であると言うことを
示したかったのに対し
卵が5つ、オムレツつくろう、というのは5つという数字が持つ客観性がそこにあると言うことです。
卵が五つだとオムレツが二つ作れることをその人は経験により知っているわけです。
なぜなら、そこでその人は卵の重さを量っているのではなく、数を数えていたわけですから。
それが客観ということとして論理判断の材料 (定式:卵5つ=オムレツ2つ)
の“5”という数字と“2”という数字として還元されたのが“数”としての客観ではないかと思ったのですが・・・
実はこれベルクソンの「時間と自由」に数の客観性とかの文があってそこから私が自分で勝手に応用したものなんです。
うーんでも私も訳がわからなくなってくる。できれば本物の哲学者にお願いしたいところです。
まあでも頑張ってみます。主観とは何か客観とはなにか? いろいろ考えてみるのもわるくない。
まあ今回はリアルのレスなのでまとまってないですが、どうぞよろしくです。
とりあえずどんなもんでっしゃろ?
>>363 >そしておそらくその感情移入はおおよそ大多数の人に同質の感情体験が認められ、
>単なる主観ではないとも思われる。主観と客観を超えた存在のようだ。
>つまり漫画は人の内面を逆に物語に投影させてしまう、四次元と言う高次存在と
>言えるのではないか?
「主観と客観を超えた存在のようだ」
これすごく響きます。
メモリー入力。かな?ふとそんなイメージが。漫画を読んでいる時の感覚。
パスワード入力でもあるのかな?
も少し煮詰めてみます。
>>368 いちおう主観と客観についてはまた整理してみますね。
実は論考途中だったので、まとまりがなかったのです。ではでは。
>>368 卵の話は多分視点が違うみたいです。
私が数を数えるコトに客観を感じたのは、自己外の目の前にある
客体をなぞっている面がそう見えるみたいでして。
でオムレツが作れる、は卵=オムレツ、に結び付ける決定が主観的に強く感じる模様ですね。
つまり、作るのは卵焼きでもスクランブル・エッグでもいい処を
あえてオムレツとする処に重点がいってしまったようで。
でもそこにオムレツが「何個」となると確かに客観も見受けられます。
いや、難しい。けどその受ける違いも面白いです(w
>>369 そうですよね漫画に限らず物語に入っているとき「私」がストーリーを眺めていると言うよりも
「私」が物語そのものになっていると言った方が表現としては適切な気がします。
また時間を超えた共通体験を意識するのでしょうか? まあありがちな設定ですが
そう捨てたものでもないような気がしますね。
そういう入り込める絵画としては、私はフェルメールの絵を押します。
まあただ好きなだけで絵画などはあんまり詳しくないのですがとりあえず。
>メモリー入力。かな?ふとそんなイメージが。漫画を読んでいる時の感覚。
>パスワード入力でもあるのかな?
ああ、あってるといいんだけど。有名な作家などは奥深くに入るパスワード(鍵)を
たくさん持っているような気がしますね。本当に懐に入り込んでくるんですよね。
そうだ「ポーの一族」読み終わりました。面白かったです。
どんどんと物語に入り込んでいく体験を味わいました。
徐々に世界が広がっていくストーリー性を意識しました。
あと萩尾望都さんのは何冊か、チョイスしたのでしばらくはまってみますね。
>>370 よろしくお願いします。自分から論点を出す作業はどの部分から引きずり出すかが
得意でないみたいなので、論点を振って貰えるのはとてもありがたいです。
私も模索して考えを纏めてきます。
>>372 是非ハマってみてください(w
高野文子氏の黄色い本。私も本屋でチョイスしてみますね。では一旦これにて。
>>366 実は私も論理体さんの4次元世界の続きが聞きたいのです。
まだまだ理解途中だったんで、振動の周波数設定に興味ありです。
“振動数”ていう言葉にちょっと私引っかかり気味なんですよ。なんかありそうですよね。
実はもっと聞いてみたいのです。
ぴか〜さんはどうだろう、今四次元に興味持ってくれるのかなあ。
しろうとさんのスレで頑張ってるみたいですよ。
>【情報】反動物化論メタモナノイズ2【自由】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1073663639/l50 (四次元ワープてな感じでご覧なってください、なかなか面白いです)
まあもう一回、四次元の再定義してみたいところですな。
で、ちょっと落ちますね。自スレで宿題のこってるのです。
実は「壮」について考えとる途中でした。ではでは。
あーあと、“物語”はもう四次元なんだと思います。
ちょっと私信です。いってきますってもしかして。。?
わからなかったらスルーよろしこー(w
漫画を見る時に感じる空間。
思考の動き、が漫画に時間と空間を与える。のかな?
例えばコップがある。コップだけならコップに時間を感じないけど
湯気がたったココアが入っていたのなら「コップ の 中 に 湯気が立った ココアが入っている」
という思考の経過が多ければ多いだけそこに時を感じれるのかなって。
線に対する認識は初めてしりました。面白いですね。
あれも線と線の間隔(流線)や幅の変化(集中線)や長さの違いが多い方が、より速度を感じたり。
なんか今一つ言いたいコトのまとまりがないのですが。。
思考はこの流動を縦横高さ的に組み立てられるのでしょうね。
機械だと横一本に並べるだけのような気がする。
とりあえず感じる感覚を書いてみますた。。。(w
先日書店で高野文子氏の黄色い本を探してみましたが
残念ながら置いてなかったです。。そんなに最近の物でないのかな?
えっと
>>358 でいってた心の存在についてですが
>物理的な身体の正負(主観)と、経験による知覚的正負(客観)の表裏により
>選択した正負の片割れとして心が別にあると感じる
これがですね。うーん。出てきそうで出てこないのです。。
主客共の共鳴としての正負の図式と、主客相違の正負の誤差の図に対して考えようとすると
なんかストッパーがかかった感じですすまない〜。。
ので、進まないまま書いてみます(w
主を物理的本能と防衛本能。客を経験知覚の欲と理性として構成すると
好物を食べる行為は主客共の正と正。ここに共鳴のエネルギーが発生するコトにより満足する心が生まれる
と、こんな感じで善悪の心の図式も出来そうかなと思ったのですけれど…
例題からして出てこなくて。。ヒントや切っ掛けが足りないのか、そもそもそんな簡単でなく複雑すぎて
出来ないだけなのか(w
で、何かこれは?と思うコトありましたら、聞きたいかなと思いまして
的外れかと思いながらもレスを置かして下さいませ。。(w
>>378 >シャープさんへ
おひさです。何だか凄いことを考えているようで羨ましいです。
いやそうではなくて大変そうなんですね。やばいっす。それに囚われるとなかなか
抜け出す、というかイメージの固定観念化が進みますから気をつけてくださいね。
まあシャープさんならそんな心配いらないかなとは思いますが、念のためご注意を(w
では私も一緒に考えてみます。
うーん、そうですね。おそらく思うのですが
>好物を食べる行為は主客共の正と正。
>ここに共鳴のエネルギーが発生するコトにより満足する心が生まれる
というこの満足、すなわち“快楽原則”の説明は、この心身二元論問題で解決でき
そうだとは思うのですが、今回の善悪の主観論の問題は、おそらくこれだけでは説明
できないのではないかな、と思います。
かといって善悪はまったくの主観(思いこみ、エゴイズム)であるというわけでもない。
いや立場を保留して超主観的(究極のエゴイズム)なものと言ってもいい。
では、それを所有するのが人のみというところに私は着目したいと思います。
例えば善悪の問題は人にだけ備わるものです。理想や意志、またプラトンの真善美も人にしか
所有できぬものとしてあると思います。
まあ私の意見になりますが、人のみが所有して、その他の生命が所有していないものとして、
唯一なもの私は“言葉”を設定しています。ヨハネ福音書の冒頭にはこう書かれています。
初めに、ことばがあった。
ことばは神であった。
すべてのものはこの方によって作られた。
この人は人の光であった。 【ヨハネ福音書1章】
まあ私はまだヨハネの福音書がどういうものかよく知らないのですが なんともうなずける話であります。
言葉があり、そこから“理想”が生まれる。そこへ進むために“意志”が人に設定される。
とりあえずこういう具合の“ヒント”などいかがでしょうか?(まあヒントにもなってないのですが)
まあ観念の世界(感性界)では幻覚やいわゆる妄想の視覚的、物理的なイメージは、
現象界(現実)の物理的なものを投影させて、対象として存立していると考えることはできますが、
言葉は心の諸作用、諸作業を名(対象)を携えながら投影させる、一種の自己の心の鏡のような
存在だと思われるのです。
また以下のように述べることもできます。
「私」とは“言葉そのもの”であり、つまり“思考そのもの”である。
そしてその言葉は実は心の中にも実は実在していないのです。現象界(現実)に記されてはじめて
実在することができるのです。例えば、私とシャープさんは、おそらくここでの言葉がなければおそらく
出会うことも、共感することもできなかったと思うんですよ。いや、そういった共感なら動物にも鳴き声や
顔の表情、動作によって心の伝達は可能でしょう。
しかし“意志”や“理想”“道徳的”なものを感じる、つまりこう言ったら失礼なのかも知れないけど、
相手を主観的に、相手にはマナーがしっかりしているとか、面白みがあるとか、いやそれ以上に、
言葉に厚みがある。言葉には、その人の意志や理想としての“人格”が隠されている、そういう風に相手を
見てしまうわけです。
そして言葉は一種、時を超越する。精神を保管できるという性質を持つ。そこに記された言葉
は時代を超越しても人の心になにかを奏でることは可能である。それが言葉であると思うんですね。
まあ今では言葉に取って代わって、写真はもちろん、映画やCGなどがあって言葉の無用論なんて聞こえ
始めてきそうですけど、それはたんに文字としての言葉にしかすぎない。
一方の会話としての言葉、双方向のコミュニケーションで使用される言葉による、人々の関係性においても、
相互のシーソーゲーム的な利害関係を超えて、全体的な、集合論的な究極的な利益なるものを追求
できるのではと思うのです。それがいわゆる即時存在的なものとして“文化”である、または意志であり、理想
であると言えるんですね。
また例えば、今生きている世界の人口60億人だけが人類なのではなくて、おそらく、その何倍もの人、
人類の始まりから現在まで生きてきた人々、そのすべてを指して“人類”と呼ぶべきだと思うのです。
私はそうやって紡がれていった精神の継承は、言葉なくしては決してなかったのではと思うのです。
言葉には、感情や思い、真実や嘘、事実や醜いものもすべて入っているから、こそ逆にそう思うのです。
また例えば、人が一人だけでは決して意志や理想は生まれない、相手を思う何か尊い感情があるからこそ、
意志や理想があると考えられるのです。
と主題を忘れて、ちょっと言葉について熱く語ってみました(汗
脱線してして申し訳ないです。
>高野文子氏の黄色い本
まあ気長に探してみてください。そんなに古いわけでもないですよ。2年くらい前だったと思う。
カルチャー系の棚のところを探すとあるかもです。まあなんていうかのほほん、しんみり、した漫画です。
あと、萩尾望都さんはなかなかいいですね。今「百億の昼と千億のよる」を読んでいる途中です。
それ以外にも5,6冊は読みました。こういったの少女漫画であることも含めて、SF的であることも含めて
かなり新鮮です。またなにか面白そうなものあったら教えてください。(漫画に限らなくてもいいんで)
萩尾望都さんの漫画を読んで村上春樹氏の著作をいくつか思い出しました。ご存じですか?
私は高校の頃、村上春樹にずいぶんはまってました。ご両名ともそういう感傷的な気分にさせて
くれる作家ですね。まあ月並みな書評ですが、くどくどと言うよりましかな。うん“素敵”というフレーズ
が似合いますね。いやいや。。。まとまりないですがこんなところで。
私ももうちょっと
>>358を考えてみますね。実は仕事の間にいろいろシャープさんの論を自分なりに
考えてみたのですが、同じく迷子になってしまったというか、なんとやらで恥ずかしくなりまして。
まあそんなでもよかったら載せますが、もうしばらく時間をください。
まあ、関係ないことを言って気分を変えてという感じでしょうか。分からなければ、いろいろぶち当たってみましょう。
そのうちなにかがあなたにひらめかせる何かに出会うときがあると思います。
えーとこういう出会いって、もう哲学ですよね。まあ焦らずいきましょう。
それでは。
いやいや、惚れ直しました。。(w
じゆんさんのレスは私はかなり好きです。
言葉が澄んでいるというか、言葉では表現を意識してない思慮や優しさがとても感じられるのですよね。
壁がないと言うのかな。あってもその向こうにあるモノは、拒みを感じさせない尊さがあって
とても穏やかにさせてくれる。
いつもそんな気持ちを感じさせて頂いてます。。
今、頭の中が論点を絞れなくて拡散しているので、とりあえず
感謝の意味を込めての訪問でした。。w
えーと、まあ板違いは重々承知なのですが、私の四次元の向こうの世界観を表したような
自作の掌編の物語を見つけましたので、勝手ですがここに載せさせて頂きます。
とりあえず四次元=物語っていう解釈でどうかよろしくお願いします。
ちょっと気分を変えてこんな四次元もどうかなと思いましたので。
みなさんに申し上げます。下記の私の文は間違いなく電波っております、免疫のない方は充分ご注意下さい。
題は 『木枠の向こう』 です
ではではお読み下さい。
枠が見える。そこに木枠があるんだ。白くて広い壁に一つだけの。
一人の訪問者が現れた。ドアが開かれる。小さくきしむ音がたち、そして閉まるそのとき、空間の空気は
圧縮されて、わずかなひゅっとする音をのこしていく。訪問者はかぶりを脱いでひたいの汗を反対の手で
ぬぐった。つま先で二回地面を蹴って、それから白い背広を脱いだ。その訪問者はネクタイをしていない。
そのとき訪問者は私にむかってほほえんだ。そして訪問者は私に、その木枠をわたした。
「この中があなたの、あなただけの世界」
その訪問者は確かにそう言った。私はこくりとうなずく。
「大事にしてください」
「はい」
私はそう言った。
「この中には誰にも入れない。それと壊されないように気をつけてください」
私はこくりとうなずく。
その訪問者はかぶりを被った。
「誰も入れさせません、誰にも壊させません」
「そうです。大事なものだけを枠の中に入れてください。しかし一度入れたものは、木枠を壊さないかぎり、
戻ってはきません。そして木枠を壊してしまえば、あなたの世界も壊れてしまうんです」
「はい」
「では帰りますね。くれぐれも」
「はい」
「くれぐれも大事なものだけですよ。でないととりかえしのつかないことになりますからね」
「はいわかりました」
私はふかくおじぎをした。
そして訪問者は立ち去った。
最初に私は、木枠を壁に掛けた。そして、私はその木枠をみていた。正確には木枠の中からとおして
見える壁の色をみていた。まぶたを閉じる。やがて木枠が心の中の像となっていぶり出てくる。
私は気持ちを固める。そして勢いをつけて木枠の真ん中に飛び込む。
木枠の向こう側の世界。
木枠の向こうにはまだ何もない空間があった。この瞬間、私の世界が始まったのだ。ここは私だけの世
界なのだ。無限の広さがある。
その世界には何もない。私はおびえた。何も私を守るものはなく、私はするどくおびえた。全身の肌が
奮い立ちあわあわと逆立った。私はどこにいるのか分からない。この世界にあるのは木枠だけ。この木枠
だけが元の世界に帰る手がかり。すこし目を閉じるだけでこの木枠が消えて、私は置いてけぼりになるよ
うな不安が浮かんだ。ぞっとする恐怖が私の胸に飛び込んできた。
私は元の世界に帰るため木枠の中に飛び込む。
あれでは恐怖で死んでしまうと私は思った。家が必要だ。世界を隔てる天井に四隅ある立方体の形状
の空間。景色ではなく、殻が必要。私を守るための殻、そういう家が。そうして、そういう家が姿を現す。
私はあの空の上の雲を見た。あの雲も入れよう。雲ぐらいあったっていいだろう。私は目を閉じて強く念
じた。するとその細長い雲は消えてなくなり、枠の中へ吸い込まれていく。真下から見た雲は実際にはか
なり大きいものだった。私は家の上にその雲を配置した。雲は迷子にならない目印として機能した。
雲の下には家があり、家の中には元の世界に帰る木枠があった。
木枠の中には私が想像したものと、実際の物の二種類を入れることができた。実際に在った物であれば
それを強く意識することで入れることができたし、実際に見てないものでもイメージすることで木枠の向こう
へ入れることができた。しかしイメージした物には命を吹き込むことはできない。生き物は実在するものしか
入れることはできないらしかった。一角獣も竜は実在しないから入れられないし、コアラは近くの動物園に
はいないので入れられなかった。
私は一羽の青い鳥を見つけた。動物園に行ってまで私は探しだしたのだ。私はその青い鳥を強く念じて、
木枠の中にある私の世界に入れた。
私はその青い鳥を入れたとたんに、喜びに溢れた。こうやって私の世界は輝いていくのだと思った。
青い鳥は木枠の向こう、何もない空間の虚空へと飛びつづけた。
それから十日ばかりして、青い鳥は死んでしまった。青い鳥は地面に横向きに倒れていた。
青い鳥は死んだのだ。私は彼を飢え死にしてしまったのだ。
青い鳥の餌は私にとって大事な物ではなかった。私は後悔した。
生き物は死ぬ。そして腐る。
この世界がけがれるだけだ。
私はその青い鳥をずっと遠くまで歩き、何もない場所で捨てた。
「さみしい思いをさせてごめんね」そう何度もつぶやきながらながら、小さな墓を作った。
私は木枠の中の世界で独りぼっち。一人になりたいときに、私は私の世界である木枠の向こうへ行きた
くなる。私は木枠が好きだ。
私は、長い間、その世界の中にいた。木枠の中の世界。私のねじ回しの腕どけいの針をを見ながら、
時が過ぎるのを感じた。何も起こらず、何も始まらず、静かだった。とてもとても静かだった。時の流れ
が止まっていた。私はそこにじっとしていただけ。私は静止したまま。絵のように。がくぶちの絵のように。
私は一瞬を切り取られた絵の一部。私はなにも考えず、なにもせず、なにも感じなかった。
なに一つ不安はなかった。
大事なものなど、もとよりそんなにないものである。探して見つけ出す必要もない。ここでは、なにかを
する必要などとくにないのだ。
何かがしたいわけでもない。そんなもの、もともと存在しない。だから何もしたくない。それだけの話さ。
ここは私の世界。私だけの世界。
私の大事なもの。つまりここにあるものは、写真の入ったアルバムと電気スタンドと鉛筆と鉛筆けずりと
運動靴と腕時計、スリッパに寝袋。それにつめ切り、寒色系のチェックの入ったキルト地のソファーと平
成15年7月8日の産経新聞、ハンガーがいくつかとハンガーラックといくつかの服、コート、マフラー。
金魚鉢とビー玉、使い終わったUFJ銀行の預金通帳、扇子、消しゴム、紐と釣り竿。大型の三輪車、傘
立て、メガホン、掃除機、漢和辞典、ちゃぶ台、懐中電灯とそれ用の単二電池4本、くぎ、とんかち、そ
れから頭痛薬。他にも思い出せないものがいろいろ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
以上です。
とても読ませてくれるお話でした。
じゆんさんの透明感・純真さが実によく表れていると思います。。
ちょと今空想するゆとりが少ないのでまた明日明後日ぐらいに。。。☆
>じゆんさんへ
私信しましたよん。。
データ保存できないので保守w
四次元の世界へいきたい!
393 :
考える名無しさん:04/02/18 03:50
点の集合が面だって。
概念的点は存在しないんだから面になるわけないじゃん。
絵画的点は、概念的に考えれば面なわけだし。むしろ立体。
394 :
考える名無しさん:04/02/18 06:43
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395 :
考える名無しさん:04/02/26 18:46
4次元って夢じゃないんですか?
4次元空間を感じるには、夢の中でしか再現できない気がする。
意識的に感じるものではないと思われます。
夢を自在に操って、その中で4次元空間を感じて帰ってくる。
それが早いと思うのだが・・・。
ちょっと僕にはムリかな、、、
397 :
考える名無しさん:04/02/26 22:41
>>390 怒らせちゃったね。謝るよ。ゴメソ。
正直、嫌いじゃないよ。(そんなに好きでもないけど)
でも、誤解しているようだけど「女子十二楽坊」のほうが「雲」なわwけで…
ほんと、みんなカワイイしね?マジで。
あなたのレスから「彼女たちに対する熱〜い思い」が感じられて、ほのぼのしちゃった。
西欧のオーケストラのほうが「泥」だからね
>123(時間はれっきとした独立次元)
根本的に間違ってる。
(n+1)次元軸がn次元の人から見た時間軸に見えるだけ。
2次元生物から見たら3次元軸が変化軸になる(2次元生物から見た時間軸)
立体の断面が、平面。
平面の断面が、線。
線 の断面が、点。
断面は(n−1)次元体になる。 「N次元」という数詞の絶対定理。
だから、我々の見る「立体」は、4次元物体の断面図。
つまりここ数億年の宇宙全体の物の形の変化を、
一瞬で「静止した形」として表現できる物が4次元物体であり、
その「静止した形」の断面がその時間時間の宇宙の3次元的「形」
断面をどの時間で切るか
断面をどの軸で切るか
これが対応する。
以上、初心者にもわかる「4次元軸=時間軸」の証明でした♪
401 :
考える名無しさん:04/02/28 04:30
普通にわかんね
あれ・・・ごめん。
僕はもうわかってるから簡単と思い込んでるだけかもしれん。
実際かなり時間かかったからなぁ・・・
わかった!って人いない・・・?
403 :
考える名無しさん:04/02/28 06:50
四次元「物体」と言ったところで厨房暴露。
物体の世界線って言うんだよ、そういうの。
プ
そんな当たり前な所指摘してる時点で厨房暴露。
「ガイシュツじゃなくてキシュツって読むんだよ。厨房。」
って言ってるよーなもんでっせw "初心者にもわかる"を前提に飲み込み早い言葉で代替してんの。
きちんと話すとむっちゃ長くなるでしょうが。
反対
もしくは 言葉
>>404 2ch常套句の読み方の違いと、意味論的誤謬を同レベルの例としてあげる、リアル厨房クン(w
ふぅ。落ち着いたね。
名無しvsコテ なんだからもう少し善戦しようよ。
ちなみに高3っす。
もう4次元の話は終わったのかな?このスレは。
408 :
考える名無しさん:04/02/29 04:06
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物理的四次元は、ict、x、y、z です。
410 :
考える名無しさん:04/03/11 12:09
帆主w
411 :
考える名無しさん:04/03/11 12:52
ct^2-x^2-y^2-z^2=ct'^2-x'^2-y'^2-z'^2=const.
特殊相対論の一見奇妙な性質は、すべてこの保存量の枠組みから出て来ます。
412 :
考える名無しさん:04/03/11 13:03
↑チョイご免。c→c^2 にしといてね。
413 :
考える名無しさん:04/03/22 16:50
電波あげ★
>その「静止した形」の断面がその時間時間の宇宙の3次元的「形」
相対論によりグローバルな断面は考えられません
415 :
考える名無しさん:04/03/24 16:04
零次元点…あったりなかったり、0か1か、つまり電子の妖精
一次元線…スジ、とにかくスジ、絶対スジ
フラクタル次元判子…半端なの、二次元に届かねーの、全部同じ、御大とか御大とか御大とか
二次元平面…とにかくひらべったいの、漏れらのアイドル達が住んでる桃源郷
三次元立体…興味ない (けどフィギュアなら可)
四次元時空…4次元ミンコフスキー時空、角煮住人が暮らすしがない常識世界、x,y,z,ct
四次元空間…4次元ユークリッド空間、ドラえもん、x,y,z,萌
四次元…何でも可、メイド度・陵辱度・声優度・足こき度でエロゲ的4次元とか
五次元時空…なんかスンゴイ別宇宙、使用中更衣室のロッカー内にこっそりワープとかできちゃう
十〜十一次元??…紐パン倫理とか超重力プレイとかいやらしすぎて宇宙ヤバイ
無限次元…妄想に限界なんてないんだ、でも婆さんとか無理だから絶対、14歳までが限界
ho
ほ
418 :
考える名無しさん:04/04/26 02:49
四次元か。
不思議な所だよ。
光は反射しない
物自体が発光する世界。
419 :
考える名無しさん:04/04/26 05:42
三次元か。
不思議な所だよ。
毛は生えてない
頭自体が発光する世界。
420 :
考える名無しさん:04/04/26 12:41
ここは、厨房が妄想の四次元を騙るスレですか?
421 :
考える名無しさん:04/05/03 18:21
age
422 :
考える名無しさん:04/05/03 18:24
数学的には
5次元以上…自明
4次元…一番難しい
3次元…結構複雑
2次元以下…よくわかってる
∫∫∫∫
424 :
考える名無しさん:04/05/03 20:20
>>422はマジ。
5次元以上では証明されていることが、3、4次元では滞ってることがままある。
h
四次元って縦、横、高さ、時間、が存在する空間のことだよね?
427 :
考える名無しさん:04/05/26 07:48
じゆんさんとシャープさんは戻ってこられないのですか?
428 :
考える名無しさん:04/05/27 12:24
三次元に時間の一次元を加えて表されるのが四次元だろ?
だったら俺らの居るところって十分に四次元じゃねーの?
429 :
考える名無しさん:
人は時間の中で変化しています。
ある時点で切れば、その時の写真が残るわけです。
しかし、連続体として、同一なものですね。
葬式の写真に、赤ん坊の時のものを掲げれば
そうとうな哲学厨として尊敬されるでしょう。