1 :
考える名無しさん:
はまってます。スレタイは前スレを継承。あえて立てます。
前スレ
http://academy.2ch.net/philo/kako/1038/10382/1038232574.html いずれ消滅する人類史の中の僅かな時間を、どの程度無理をせずに、どのような仕方で、
どのような人々と、何を語り、食べ、見、触り、聞き、存在を受容/断念し、生きられ
るか。その様態は人々の利用可能な快楽の中身に依っている。世界と自分の存在の絶対
性を疑わない者、存在の偶然性を知り狼狽する者、知った上でなお楽しむ者、年収一〇
〇〇ドルの者、年収一〇〇万ドルの者、醜い者、美しい者、それらが住む世界は別であ
り、異なった善悪と法に従っており、しかも資産のある者はその違いを知りつつ、スト
ア派的/人間主義的穏便さにより口をつぐみ、貧者は普遍性の神話を信じ、階級制は持
続する。
「ストア派とアリストテレス・連続性の時代」から
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
湯本(奴自身は駄目駄目だけど)によると、樫村の奥さんも共通する仕事をしているらしい
けど、どんな感じなん?
樫村晴香ってラブひなみたいな名作が無いね
4 :
考える名無しさん:03/10/29 19:07
宗教学?
確かに精神分析と相性は良さそうだが
6 :
考える名無しさん:03/10/29 19:26
俺、超超寡作なんだけど
7 :
考える名無しさん:03/10/30 00:10
樫村さんは今何で食ってんですか?
家建てているらしいけど。本書いてよー。
「ドゥルーズのどこが間違っているか」って、約10年前にかかれているんだよね。
NAM批判や東の動物論批判なんかに応用できるし、時代を恐ろしく先取りしていた
と思う。確か、最近ドゥルーズの解説書を書いた人も、「本来ならここから
新しいドゥルーズ読解が始まらなければならないのに、これが無視されているのは
大変な損失だ」みたいなことを書いてた。
1 :考える名無しさん :03/10/29 18:51
はまってます。スレタイは前スレを継承。あえて立てます。
前スレ
http://academy.2ch.net/philo/kako/1038/10382/1038232574.html いずれ消滅する人類史の中の僅かな時間を、どの程度無理をせずに、どのような仕方で、
どのような人々と、何を語り、食べ、見、触り、聞き、存在を受容/断念し、生きられ
るか。その様態は人々の利用可能な快楽の中身に依っている。世界と自分の存在の絶対
性を疑わない者、存在の偶然性を知り狼狽する者、知った上でなお楽しむ者、年収一〇
〇〇ドルの者、年収一〇〇万ドルの者、醜い者、美しい者、それらが住む世界は別であ
り、異なった善悪と法に従っており、しかも資産のある者はその違いを知りつつ、スト
ア派的/人間主義的穏便さにより口をつぐみ、貧者は普遍性の神話を信じ、階級制は持
続する。
「ストア派とアリストテレス・連続性の時代」から
2 :考える名無しさん :03/10/29 18:59
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
湯本(奴自身は駄目駄目だけど)によると、樫村の奥さんも共通する仕事をしているらしい
けど、どんな感じなん?
5 :考える名無しさん :03/10/29 19:11
宗教学?
確かに精神分析と相性は良さそうだが
7 :考える名無しさん :03/10/30 00:10
樫村さんは今何で食ってんですか?
家建てているらしいけど。本書いてよー。
1 名前: 質問 投稿日: 02/11/25 22:56
超寡作の人・樫村晴香について、何でもいいので、書いてください。
最近、批評空間の論文を読んでこんな人がいるんだとびっくりした次第です。
最近、批評空間の論文を読んでこんな人がいるんだとびっくりした次第です。
最近、批評空間の論文を読んでこんな人がいるんだとびっくりした次第です。
最近、批評空間の論文を読んでこんな人がいるんだとびっくりした次第です。
最近、批評空間の論文を読んでこんな人がいるんだとびっくりした次第です。
最近、批評空間の論文を読んでこんな人がいるんだとびっくりした次第です。
最近、批評空間の論文を読んでこんな人がいるんだとびっくりした次第です。
最近、批評空間の論文を読んで
何で荒らされてるの?
「ドゥルーズのどこが間違っているか」の読書会キボン!
15 :
考える名無しさん:03/10/31 17:06
16 :
考える名無しさん:03/10/31 21:18
ドゥルーズのどこが間違ってるのかを読んだよ。樫村さんが、間違ってる
という結論ですね。こういうとらえかたをすると、ドゥルーズもかわいそ
うだね。それに、哲学者だったら、少し甘い理解だな。
ま、樫村さんは精神分析よりの考えをお持ちだから、しょうがないか・・。
最後まで読むと、なんと神経症的な読みかと驚くばかり。
具体的にどの辺りが?
精神分析よりだとは思うけど。
18 :
考える名無しさん:03/11/01 18:22
>17
そうねぇ。昔よんだからわすれちまったけど、論文の中盤以降かな。
強度に関して書いている以降。ほとんど、神経症といっても、強迫
神経症的になってるなって思うな。
いい加減で気分屋のドゥルーズ主義者は、樫村のいうとおりの
ロマンの人達(例えば、N谷さんとか^^)で、それはそれで
樫村の批判は有効だけど、周辺的すぎるね。どちらかというと
せいぜい、ドゥルーズ主義者批判かな、あれだと。
あと、有名なところでは、Vデコンブが批判しているけど
あれも間違ってるあれはヘーゲル主義的だと言っているわけだ
から全然違う。
> ロマンの人達(例えば、N谷さんとか^^)
ワラタ
20 :
考える名無しさん:03/11/02 10:45
>18
N谷さんって誰?おいらも、笑いたいから教えて
デコンブのドゥルーズ批判は、
分析哲学シンパに典型的な、ためにする批判だよな?
差異と同一性のくだりとか、ハイデガー批判にもそのまま応用可能なゆるさを感じる。
22 :
考える名無しさん:03/11/02 13:09
樫村スレだから、デコンブの批判についてかくのは、何だが。
デコンブの批判は、もともとドゥルーズが批判のためにパラフレーズ
しているヘーゲル思想の部分だから、読み違えもいいところ。
だから、ドゥルーズ批判にはまったくなっていない。あの本のいいとこは、
とりあえず、セールやデリダに関するとこだな。
Nさんは、N○谷では?
伏せ字ウザイ。丹生谷だろ?
いずれにせよ樫村の他者攻撃は割り引いて読むべし
わざわざ伏せ字にするって事は、知り合いなんでしょw
25 :
考える名無しさん:03/11/02 14:37
他者攻撃ってゆうか・・。とくに、強度に関しての理解が
神経症的な構図に収まるような理解だな。
それに、ガタリと組んでからは二重セリー理論を採用していないのでは?
27 :
考える名無しさん:03/11/02 14:54
ま、あのくらいの強度や差異の理解だったら、別に哲学を
知らなくても理解できる範囲にすぎないし、その程度の
理解しかできていない入門書や解説書・批評家の書いた物は
やまほどあるよ・・・。てゆうか、哲学じゃないものばっかり
といっていい。批評家や紹介者はおろらく哲学よりも政治に
興味があるみたいし・・。ということで、精神分析に興味が
あるような人達(ラカン派さんたち)による反動の構図が
間違っているかを読むと見えてくるね。やっぱり、神経症は、
いたるとこにあって、強力なんだなって感じる。
ま、あの程度の批判やそれに感動してたり、シンパしてたり
するのだったら、哲学やってる意味は薄い・・・な。
28 :
考える名無しさん:03/11/02 15:00
おそらく、これを読んでる偽○○の○○君。君の神経症も
、もうすこし過激化するときっと世界は、もっと楽しいもの
になっているかもしれないよ。もう一息だ頑張ろうね。
>>27 哲学の優位にもっていくのもくだらない気がする。
なによりドゥルーズ自身が雑多な理解を許していただろ?
31 :
考える名無しさん:03/11/02 15:02
すぐに優位だ下位だと理解するのは、神経症的な優勝劣敗の
考え方だな。ちゃんと、哲学読んだらっていってるだけだし、
何でも許してくれる神みたいな人でもないでしょ・・とほほ。
32 :
考える名無しさん:03/11/02 15:05
まぁ、まぁ、このスレとか読んでるのは、哲学やってる
というよりも、哲学書の愛読家さんなんだから。落ち着いて
ガタリと一緒に書いたのは、政治的なアジビラみたいなもんでないの?
34 :
考える名無しさん:03/11/02 15:07
31=32さんの意見は参考になる
35 :
考える名無しさん:03/11/02 15:07
>33
それこそ、N谷さんがいってるよね。
伏せ字くどいよ
ところで。愛子さまのを読んだことあるひといる?
凄い!カッシーのスレが二3分おきにあがってる。
41 :
考える名無しさん:03/11/02 15:19
37 名前:考える名無しさん メェル:sage 投稿日:03/11/02 15:09
伏せ字くどいよ
31=32=34ってこと?
やっぱりアンチノミーって、神経症的態度?
>>43 シミュレーショニズムでしょうw
ドゥルーズとは関係ないって、怒られるかなw
古谷が神経症って、アンチノミーにこだわるというのもある?
47 :
考える名無しさん:03/11/02 21:21
あげてみる
>より分析的な視角から、もう少しニーチェの体験を考察しよう。
一章のこの辺りから始まるところって、ドゥルーズが正しいのか
樫村が正しいのかよく分からないんだけど、結局
「こういう説明も成り立つ」ということでしかないの?
>46
アンチノミーというより隠された道徳的態度でしょうね。
神経症は、結局良い悪いだから(ニーチェ的ではない意味で)。
>50
所謂と前おきしたうえでの、政治では?例えば、そいうった政治的な
態度を誰それはしているというような場合の政治。
ガタリと組んでの政治は、イーグルトンが解釈しているような政治とは
違うし、また、ネグリなんかの言う政治とも違うよね。
柄谷さんの問題にしている政治は、いわゆるマルクス主義者が使うような
意味での政治に近い。文化人はおしなべて左翼でなければ、いけないって
いうような言い方の政治かな。そうすると分析は、何かの政治的姿勢を
鮮明にするには好都合だよね。
ついでにいうと、アンチノミやパラドックスはあらゆる解釈につきまとって
いるのでは?とりたてて、それだけ取り出して大問題であるとするのには、
あまりにナイーブというか・・。。
「選言的総合」とアンチノミーはちがうのでは
54 :
考える名無しさん:03/11/03 12:18
古谷さんて画家でしょ。絵で食えてんの?
55 :
考える名無しさん:03/11/03 13:07
古谷氏は何をやりたい人なのかな。
56 :
考える名無しさん:03/11/03 22:15
古谷はパラサイト。
画家がジジェク好きって自殺行為だと思う。
57 :
考える名無しさん:03/11/03 22:59
バラサイトか。
今古谷は35.6歳でしょ。働いてないのか。
警備員のバイトしてるとかって
前日記に書いてたよ
働いてないってことないだろ多分
たぶん知人の元彼
60 :
考える名無しさん:03/11/04 00:07
古谷もつらいんだね
絵がアレだからね
62 :
考える名無しさん:03/11/04 06:45
しかし絵を書いてる人が阿部の「シンセミア」を
カッチリ批評してるのがよく分からない。暇なのかな。
絵描きとしての才能の限界に、薄々気付いているのでは?
本格的な評論家にはやや足りないのだけれど。
64 :
考える名無しさん:03/11/04 07:35
ところでなんで藻前らは樫村のような浅田彰以上の天才と、
単なるウェブ日記野郎を比較するのですか?
>>62 >普段は、制作時間の多くが、画面をボーッと見つめていたり、
>画集をパラパラとめくっていたりという、「待ち」の時間に費やされるわけだけど、
>このやり方だと、ほぼずっと手が動いていて、自らを半ば自動的な「描きマシーン」と化させているような感じだ。
>だが、さすがにこれは消耗が激しく、いつでも出来るというわけにはいかない。
こんなだし
66 :
考える名無しさん:03/11/04 17:09
古谷がんばれ、マジで。
鎌田と年齢も近いし。お互いバイト同士だしさ。
崩れ小説家でもインチキエッセイスト批評家でも、
とにかく生き残れ!!!
>66
ふるやんは、行動範囲からするとバイトもしてない可能性大。おそらく仕送り。
でも、がんばれふるやん!
>>67 知り合い?
そんなことここに書いて大丈夫なの?
>>66 今が一番輝いているが、人前に出るのは無理そうだよ。
>>69 知り合い?
そんなことここに書いて大丈夫なの?
樫村の知り合いはいないのか?
樫村の話は、どうなったのよ。愛子様でもいいから、そっちにしてよ。
73 :
考える名無しさん:03/11/04 19:26
古谷は愛子さまの新刊についても長い書評書いてるよ。
74 :
考える名無しさん:03/11/04 19:28
いま批評家がぱっとしないから
ひとりがんばってるんだってさ。
> ガタリと組んでの政治は、イーグルトンが解釈しているような政治とは
> 違うし、また、ネグリなんかの言う政治とも違うよね。
この辺りの解説きぼんぬ。ってスレ違いか。
76 :
考える名無しさん:03/11/05 07:54
樫村の論文(?)、保坂のページで読んだんだけど、なんか怖いね。
ものすごく凝縮されてんのは分かんだけど、なんか怖い。
77 :
考える名無しさん:03/11/05 16:59
78 :
考える名無しさん:03/11/05 17:05
こいつらを見ると古谷が相当マシなことがわかるね。
樫村にはとうてい及ばないが。
80 :
考える名無しさん:03/11/05 18:01
中央大学文学会の樫村晴香ゼミとはなにか。
参加した人詳細よろしく。
>小説をある程度読んでいる人なら誰でもそうだと思うけど、
>ぼくも小説を書いてみたいという気持ちは持続的にあって、
>実際に100枚から150枚くらいの小説を何編か書いたこともあるのだが、
>それは我ながらあまり良いモノとは思えず、
>もし今後も書こうというつもりならば、もっと「別のやり方」を探る必要があるという感じがあって、
>それが「この日記」を書き始める動機の一つ(全てではない)でもあった。
確実に新人賞投稿していて、しかも素読みで落選しているね。
82 :
考える名無しさん:03/11/06 02:28
http://www4.big.or.jp/~ogallery/ ここでいろんな画家の作品見れるけどさ、
この人たち生活できてんのかな。画家と詩人どっちもだめか。
でも画家のがつぶしきくし。樫村も経済的には自立できてないし。
樫村は知識の切り売りしたり、使いまわして薄めた論文を書かずに
書けることは妥協せずに書き尽くすというスタイルとった。
そのかわりもちろんそれでは食えない。でもそのおかげで、読者には読みの歓びがあって
ああっこういう文章に巡り合えるなんて本読んでて良かったなと。
この面白さは他のメディアでは代替出来ないと主観的には思う。
古典的な問題だが、いいものを創造することとそれに見合う対価という問題。
古いか?
>>82 まったくその通り。
樫村の場合、嫁との出会いが僥倖だったね。
おかげで主夫でなんとか暮らしていけているから。
厭世?
っぷぷぷぷぷぷぷ
私的所有論以降なかなか新しくUPされませんな。まちどおしい。
ワードマップの資本主義の樫村の部分読み返してるけど やっぱイイ!!!
はじめの「欲望と資本主義」のところって主にアルチュセールとラカン
が元ネタなんですか?。やっぱラカンちゃんと勉強しようか迷う。
これが30の頃の樫村か。なんなんすかね。ほんと。
この本の樫村の部分も保坂のとこでUPされんのかな。
86 :
考える名無しさん:03/11/08 12:57
11/7の偽日記おもしろい。
樫村愛子の本買おう。
日記よんだかぎりでは、どうしたら一段上から物をみるかって
ことがかかれてるし、つじつま合わせをどのようにするかって
ことに分析がついやされているな・・。
こういった分析は、やっぱ、わかりたい人達には、ちょっと斜に構えてて、
かっこいいのかもしれないね。
現代の俗流ヘーゲル主義だな。
このスレで古谷攻撃を繰り返してるのって何人いる?
いい加減スレ違いだろ
89 :
考える名無しさん:03/11/08 18:21
>>83 まあ、漏れも哲学者を志して、今主夫をやってるよ。
3年ほど前の話だが、働いている嫁に、「いい加減に働いてよ」とか言われたけど、泣いて頼み込んだ。
「すみません、すみません。僕は馬鹿だけど、何でもします。家事でも(すでに家事は俺が全部してたが)掃除でも、何でもします。どうか家に置いてください」と泣きながら嫁の足にすがってみた。
嫁はしばらく無言だったが、「それなら、私の言うことなんでもする?」と言うので、
「はい、何でもします、馬鹿なわたくしめを家に置いてください」と頭を床にこすり付けながら答えた。
それから数日後、夜の営みが行われる時に、嫁が
「あなた、私の○○○をきれいに舐めなさい」と言った。
俺はちょっと驚いたが、嫁が3回ほどそのセリフを繰り返し、「置いてあげようかな、どうしようかな♪」と、明らかに脅しをかけて来たので、
俺は「はい、致します」と嫁の○○○を30分ほど舐め続けた。
以来、俺は嫁の舐め奴隷として3年間働いている。
哲学者の道は長い。
うんこを30分も舐めるのは大変だなあ。
さすが哲学者の道は厳しいのであるね。
大庭健の論文の冒頭にエピグラムとして
樫村の文章引用してるのがあった。それだけage
92 :
考える名無しさん:03/11/20 00:45
んで何をハケーンしたのだろう。
旧掲示保坂に樫村情報あり。まじめなひとらしいっす。
掲示保坂をマメにチェックする稲葉真一郎。たぶん、そうだろう。
浅田彰もチェックしてたりw
95 :
考える名無しさん:03/12/01 17:33
稲葉ってネグリには批判的だけど、NAMに対してはどうなん?
本屋で保坂『アウトブリード』立ち読みしてたら、
樫村への手紙が掲載されてた。保坂の手紙しか載っていない。
樫村はレヴィナスに興味ないらしい。ハイデガーと対置されたレヴィナスは
単なる「知の停滞」だとのこと。「知の停滞」に対置されるのは
「世界に対する知による闘争」だったけ。わすれた。
で樫村はいまだに闘争を継続中だとのこと。
あといかに保坂が樫村にたいしてイエスマンでしかないのがよくわかる。
無理もないけどね。
保坂のエッセイ集第二弾(一弾はアウトブリード)「言葉の外へ」では対談掲載されてます
柄谷・中上コンビのときは、
中上はイエスマンではまったくなかったです。
時代は哲学の時代になったということですか。
彰、島田のコンビ解消が、その分岐点だったかも。
100 :
考える名無しさん:03/12/13 14:02
誰か原稿依頼しろよ
101 :
考える名無しさん:03/12/14 19:30
というかはやく他の論文を保坂のホムペにウプしてくれ
おそらく樫村の部屋には未発表草稿、チョットしたメモ、などが
膨大に存在しているだろう。発表された論文はそのうちのほんの
一部に違いない。ドゥルーズ論もすでに80年代には、ほとんど、
原稿は出来ていてそのまま打ち捨てられていた。それがドゥルーズ
追悼号で原稿依頼がきて、今の形になった、ということかもしれない。
樫村の文章って「論文」とは少し違う。
理論的散文と言った方が正確じゃない?
なるほど
その通りだね。
理論的散文か。
105 :
考える名無しさん:03/12/14 20:36
どこかで講師やってないの?
樫村って人のことは知らないんですが,今から読む価値はありますか?
107 :
考える名無しさん:03/12/15 06:40
108 :
考える名無しさん:03/12/15 06:51
なんか読みやすくてほんとうに文章がうまいなぁと思わせる人ですね。
俺も読んでみることにします。
理論的散文て言いえて妙だね。いい言葉。
ほかにその手の物書きっているかな。
糸圭秀美『小説的強度』もそれっぽいが、どう?。煽らないでね。
名著はみんな理論的散文なのかな。わからない。
110 :
考える名無しさん:03/12/16 19:25
無茶苦茶ガイシュツだが
保坂のホムペ→エッセイ集→対談編
で樫村と保坂の対談が読める。なんかあたらしく樫村の読者が
増えてるっぽいのでガイシュツですが載せておきます。
112 :
ストア派とアリストテレス・連続性の時代:03/12/19 20:41
今日人々は、家族・性愛と個人的欲動対象によって、自らを何とか支える。
誰もが人間主義者だが、階級・階層はますます固定し、毎晩ボルドーをあ
ける者とスーパーマーケットのテーブルワインを飲む者は、人生で一度も
出会わない。真理や善悪、自由や正義など、歴史書の言葉であり、真理の
開示、善悪の峻別は、クレオーンの法の下に生きるイスラエル人やパレス
チナ自治区民にだけ約束される。外傷を共有し抑圧する者は真理の開示に
出会い、正義を知るが、戦場から脱出できる者は欲動と資本主義の道を進
み、真理や善など恐れるに足りない。誰もがアンティゴネーであり、彼女
は死なず、先進国民として生きつづける。クレオーンの法、ソフォクレス
の劇の外でアンティゴネーを祝福する、例えばラカンの唐突な、デリダの
退屈愚鈍な文章は、ギリシャをこよなく愛した三〇〇余年の貧者の精神主
義の、倫理的無効性と消滅を記念する。
113 :
考える名無しさん:03/12/24 17:35
赤間 啓之の「デッサンする身体」とか小泉義之とかと並べてみるとおもろいんじゃない?
ネタ切れ
115 :
考える名無しさん:03/12/27 10:37
赤間は樫村の身体論の上前をはねているだけだ
116 :
考える名無しさん:03/12/27 17:57
言いたいコト分からないではないけどもうちっと詳しくおねがいします
117 :
考える名無しさん:03/12/27 18:01
人○ のレポートもう少し詳しく知りたい。
ほんと?
118 :
考える名無しさん:03/12/27 18:19
樫村のサイトちょっと見たけど難しすぎてさっぱり理解できませんが。
119 :
考える名無しさん:03/12/29 00:49
難しさよりも、倫理的断罪の激しさが気になる。
というか、書いてることが結構ぶれてるような…。
「ドゥルーズのどこが間違っているか」を書いてる割には、
他の文章ではまるでドゥルージアンのように振る舞ってるように見えたり。
121 :
考える名無しさん:03/12/29 18:27
基本的に精神分析+マルクス主義でしょ。勿論そんな単純じゃない、というか
両者のくだらない煩雑さを極度に単純化してるというか・・やっぱりそのふたつにとって
「科学」が色々な意味で重要で・・・
>>121 前スレではアルチュセールの影響が強いという話だったけど、それならドゥルーズに対して
バタイユやクロソウスキーを立てる理由が余計分からないというか。
124 :
考える名無しさん:04/01/01 17:50
>ニーチェが(そしてハイデッガー、クロソフスキーが)自らの幻想と幻覚に魅惑されているのに対し、
>Dzはニーチェの(または諸作家の)幻想に魅惑されているからだと思われる。
>いいかえると、ニーチェには真理=譫妄=病の発生現場があるのに対し、Dzには病の収集活動がある。
これに尽きるんじゃないかな
>>123
125 :
考える名無しさん:04/01/01 18:33
この人は経済学が専門なの?
しかし最も「大衆」に嫌われる書き方してるわなw
>>124 でも、アルチュセールよりのスピノチストなんでしょ。
病に魅せられるってのは違うと思うんだけど。
あと、樫村はドゥルーズは「ニーチェと哲学」のころはニーチェのそういう
部分に忠実だったけど、そのあとで変わって「アンチ・オイディプス」では
その名残はほとんどないみたいに書いてたけど、むしろ「アンチ・オイディプス」
の第一章とか、直接引用しているようにクロソウスキーの影響が
強いように思うんだけど。
あ、もちろん第一章で樫村の批判するタイプの永遠回帰も強調されてるけど。
でも、「ニーチェと哲学」にはクロソウスキー的な部分はほとんどなかったとおもう。
128 :
考える名無しさん:04/01/02 17:57
いやだからクロソウスキーの影響が強い云々ていうがまさに
>ニーチェが(そしてハイデッガー、クロソフスキーが)自らの幻想と幻覚に魅惑されているのに対し、
>Dzはニーチェの(または諸作家の)幻想に魅惑されているからだと思われる。
>いいかえると、ニーチェには真理=譫妄=病の発生現場があるのに対し、Dzには病の収集活動がある。
てことでしょ
うん、ドゥルーズ論単独だと納得できるんだけど、他の文章見るとむしろクロソウスキーよりも
ドゥルーズっぽく感じるって事。愛子さんも精神分析よりもドゥルーズよりに感じるし。
130 :
考える名無しさん:04/01/03 17:37
だからこの人も諸作家の幻想に魅惑され病の収集活動してるということでしょう
樫村本人も病人だろ?
樫村は自分の病人振りで商売しないからね。
メディアとの距離のとり方が読者からの転移を排する方向で
ドゥルーズ・大西巨人に似てて、さらに徹底してる。
2ちゃんなかったら俺は知らなかったな樫村のこと。
そうかな?
病の収集家だという理由でドゥルーズを批判的に裁くとき、
その裁く主体が「病者である私」にあるような気がしてならない。
論考の面白さと表裏一体だから悪いとは思えないけれど。
133さんが正しそうであります。
わかんなくなってしもた。
>>133 ドゥルーズ論の最後で
「批判」の「批判」という本稿の不毛さを、って書いてて
ある程度は精神病じゃなく神経症的であらざるをえない事を自覚してるとは思うんだけど…
そう簡単に病者であることはできないみたいなニュアンスを論全体から受けたよ
どうなんだろ?
136 :
考える名無しさん:04/01/04 23:10
いやだから「科学」が大事なんですよ
137 :
考える名無しさん:04/01/05 01:59
まあ、こぎれいな文章は書くけど、理論的には読める代物ではありません。
そういうこと。
138 :
考える名無しさん:04/01/05 02:00
こきたないうえに理論的にもよめない池田晶子よりはマシ
文体云々ていうのは精神分析+現代思想というラインで読んでいるからじゃない?
この人がおもしろいのは片足トンデモに突っ込みながらの「科学的考察」が
精神分析やマルクス主義のみもふたもない認識と結びつき根本的というか基本的な事に
思考が誘われる感じが
おいおい「精神分析+現代思想というライン」ってトートロジーだろw
まあ精神分析やマルクス主義がトンデモだからそうなるってのならわかるが。
141 :
考える名無しさん:04/01/14 19:37
人工知能のための人間入門
これいつになったら読めるんだ。待ちくたびれたよ。
142 :
考える名無しさん:04/01/25 23:43
古谷の個展に樫村が来たりする?
浅田彰は?
古谷と樫村って知り合いか?違うんじゃない?
全然知らないんだけど
樫村は知らないけど、浅田や岡崎は来るんじゃないの。
浅田は古谷のサインを貰うぐらいだからw
あぼーん
146 :
考える名無しさん:04/01/26 01:36
古谷さんってロスコとかポロックス好きそう。
たぶんフェルドマンとかも。
青山真治も自分のHPで偽日記について言及してましたね。
なんか面白かった。
最近、古本屋で拾ってきた『批評空間』で
「ストア派とアリストテレス:連続性の時代」を
読み、はじめてこの人知りました。
(で、はじめてこのスレ来ました)
この論文(というかエセーというか)の末尾に
「来春[=2003年春]刊行予定の拙著『症候言語学(仮題)』世織書房」
とあるんですが、結局、未刊なんですか
(・∀・)ニヤニヤ
頭の良いぴかぁ〜。南無。
その心は?
勉強熱心。
目的皆無。
唯我独尊。高みの見物。
以上。
155 :
考える名無しさん:04/02/17 05:05
古谷の絵ってどうなんですか?
古谷さんの日常日記でネズミを殺しまくってるのが笑えた。
158 :
考える名無しさん:04/03/03 16:23
樫村のドゥルーズ論は本当に決定的なのですか?
159 :
考える名無しさん:04/03/03 17:44
ふるやんでは、ないな。なぜなら、彼はそれほど教養はないから。
160 :
考える名無しさん:04/03/04 19:05
とある場所で保坂と樫村の対談が面白いと聞いたのだが
「言葉の外へ」という保坂のエッセイ集にあるようなので
今度機会があれば読んでみようかな。。。
161 :
考える名無しさん:04/03/04 19:24
とある場所ってドゥルーズスレじゃん
162 :
考える名無しさん:04/03/04 19:43
樫村スレ立てたのは失敗。
保坂のホムペの樫村の文章ももう読めなくしたほうがいいのでは。
163 :
考える名無しさん:04/03/04 20:19
なんでやねん
樫村様が批判されてしまうから。
165 :
考える名無しさん:04/03/05 00:57
まともな批判ならそれに応答してこそBBSでは?
で、ただの根拠のない非難ならスルーすればいいわけだし。
樫村だめぽ。
ドゥルーズのどこがダメなのか、じぇんじぇん分かんないし。
誰かが言っていたけど、
病人そのものの樫村にとって、病の収集家が許せなかった。
168 :
考える名無しさん:04/03/05 13:19
保坂と樫村の対談について詳細キボンヌ
169 :
考える名無しさん:04/03/05 20:33
樫村のいい点ってどこなの?
170 :
考える名無しさん:04/03/06 00:52
浅田と樫村と関の座談会なら読んだよ。
掲示保坂に樫村晴香様の情報あり
172 :
考える名無しさん:04/03/17 00:05
浅田、引用した。
精神分析側からのドゥルーズ批判のように見えるけど、ラカン批判でもあるし、
スピノザ主義批判かと思うと、当人はスピノチストならしいし。
スタンスがよく分からないっす。
>>174 樫村自身が病人です。
しかし病者の光学としてはかなり透徹したものに属します。
たしかに、精神分析に対するスタンス(人間は、神経症的であるほか無いが、
医者は気にくわない)は、それで説明できるかもw
スピノザに対するスタンスはよく分からないな。
今でもアルチュセールは好きなんでしょ。アルチュセールがオッケーで、
ドゥルーズが駄目なのは何でだろ。アルチュセールも本人はビョーキだったけど、
本はそれほど病的ではないと思うけど。
177 :
考える名無しさん:04/04/09 21:55
保坂さんホームページ更新してくださいおねがいします
178 :
考える名無しさん:04/04/15 19:41
大杉重男の「神経言語論――「シュレーバー回想録」を読む」
(「群像」1999年1月号)
って樫村の領域とかぶるのかなぁ。読んでみたい。
全然かぶってないと思う
180 :
考える名無しさん:04/05/02 13:00
アインシュタインはなぜサイコロが嫌いだったか?、って口述?
樫村にしてはかなり読みやすいけど
182 :
考える名無しさん:04/05/23 23:13
ドゥルーズに対する怨念はないんじゃないの?
「ドゥルーズのどこが間違っているか」という挑発的なタイトルとは裏腹に
さほどメタメタに批判しているわけじゃないし。
むしろドゥルーズ以前に、クライン、フロイト、ラカンといった分析家たちが
その学の構造的必然性(言いすぎ?)から、ほぼ不可避的に陥っていた欠落を
批判しているようにも見えるし。
183 :
考える名無しさん:04/06/09 23:21
保守
w
w
今春に予定されていた本の出版の件はどうなっているのか?
188 :
考える名無しさん:04/06/15 16:24
近々何か書かないの?
189 :
考える名無しさん:04/06/16 14:49
保坂サイトに上がっているテクストが全てですか?
ワードマップ『資本主義』は持っています。
191 :
考える名無しさん:04/06/17 03:13
192 :
考える名無しさん:04/06/28 12:44
樫村が楳図について書いているね。
ユリイカ。
何年ぶりだろうか?
193 :
考える名無しさん:04/06/29 02:24
批評空間に書いて以来じゃないですか?
大島弓子論以来のマンガ論だと思います。明日買いに行きます。情報サンクスです。
>>192 Quid? ソレハ何カ 私ハ何カ
樫村晴香
必見
大島弓子論は保坂のとこにあがってる文章のなかで
調子が一番明るいから好きだ
197 :
考える名無しさん:04/06/29 15:17
>>195 どんな感じですか?
対談が岡崎乾二郎のようですね
> 対談が岡崎乾二郎
それは楽しみだ
199 :
考える名無しさん:04/06/29 18:21
対談って、楳図とオカケンが、だよ。
カっシィは、対談してないでしょ。
201 :
考える名無しさん:04/06/30 01:22
正直言うと、楳図と岡崎の対談の方が面白かったなあ
樫村健在はうれしかったけど
202 :
考える名無しさん:04/07/01 19:48
掲示保坂に樫村晴香さまの情報あり。
「Quid? ソレハ何カ 私ハ何カ」読んだけど
確かにテンション「少し」だけ低いかも。
それでもわたしは、対談よりは面白かったです。
203 :
ピタゴラス:04/07/01 21:42
アップされていない論文は保坂掲示板で言えば(・∀・)イイ!!
204 :
ピタゴラス:04/07/01 21:45
いまでは、小学生でも理解している、無理数を完全否定して、
無理数の存在を主張した弟子を惨殺しましたが、なにか?
205 :
考える名無しさん:04/07/01 23:34
たしか樫村氏は今は小説書いてるんだよな
小説書いてるのは古谷だよ
207 :
考える名無しさん:04/07/02 00:11
ちゃうわい
俺は樫村氏の話をしてんだよ
保坂のメルマガに書いてあったんだよ
保坂が読んだ感じではとてつもないものだったそうだ
208 :
ピタゴラス:04/07/02 12:47
今書いてるかは知らないけど、確かに保坂が言っていた。
すごいらしいね
209 :
考える名無しさん:04/07/03 01:19
せっかく「わたしは真悟」というタイトルなのに
さとるの主体の話が中心なのはどうよ?
211 :
考える名無しさん:04/07/04 09:25
樫村晴香のページ更新。
これで「全部」。やったー
212 :
考える名無しさん:04/07/06 21:43
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
213 :
考える名無しさん:04/07/06 21:49
人工知能のための人間入門
すげえ読みたかったから嬉しいわ
214 :
考える名無しさん:04/07/13 19:19
「人工知能のための人間入門」面白すぎ。
スゲー。出るはずだった本てこの論文を元にしたヤツなのかな。
参考文献全部あげてほしいな。いつか保坂には樫村様の伝記を書いてほしい。
どれくらい勉強してんだろ。こういう人がいること自体びっくり。
これか。
「言語の興奮/抑制結合と人間の自己存在確信のメカニズム
――人工知能のための人間入門――その精神神経言語学的概要」
(<特集>アフォ−ダンスの視座――複雑系の生態学)
雑誌名: 現代思想
出版社: 青土社
巻号: 25(2)
刊行年月: 1997年2月
収録ページ: p.149〜p.169
217 :
考える名無しさん:04/08/11 23:24
あげ
218 :
考える名無しさん:04/08/12 00:12
ヽ(`Д´)ノボッキアゲ
普段何してんだろ?ずっと空を見てるのかな
220 :
考える名無しさん:04/09/02 02:43
保守
この人、本を出しても売れなさそう。
けど論文のコピーは出回り続けている。
なんでだろ?
222 :
考える名無しさん:04/09/02 02:57
晴香つう名前に萌えるのかもね。
何でこの人って単著一冊も出してないのにスレ立ってるほど有名なの?
後、保坂との関係も知ってる人がいたら教えてほしい。
>>223 凄い内容の文章を書くから。いっぺん読んでみ
ちゅうかプロフィールが不詳だよな。
どっかで教えてるの?
愛子さんのヒモ状態らしい。
なんか凄い金持ちのパトロンがいるんだと思ってた
家建てたり、あちこち旅したりしてて
愛子さんの実家が資産家なんじゃなかった?
229 :
考える名無しさん:04/09/12 07:56:40
その話題は掲示保坂で一度でた
『症候言語学(仮題)』まだ?
死ぬまでに一冊も上梓しないなんてことはないよな
最近はジジェクと書いてることが微妙に似てきてるような希ガス
そうだよなあ。
結局デリダもドゥルーズもアルチュセールもだめなんだから。
でもこの人の精神分析は、
ラカン派というよりは、クライン→ウィニコット系じゃない?
だめって簡単に言うけど、樫村が無条件で称揚する哲学者なんて一人もいない、哲学者を症候としてみてる感がある
哲学そのものに批判的な態度で、それで自然科学なんでしょ。
今はもう文学らしいけど
そんなことないじゃん
精神分析の成果を「学」として受け入れないと、
樫村の推論は成り立たないよ。
強度ってなに?
樫村の強度理解は誤ってるらしい(って上の方で誰かが書いてる)けど、
どこがそうなんだろう?素人なんでよく分からない
237 :
考える名無しさん:04/10/14 21:42:26
クダラネ
238 :
考える名無しさん:04/11/01 21:44:31
晴香タン、小説頑張ってますか
239 :
考える名無しさん:04/11/11 04:25:08
>>236 樫村はドゥルーズ『ニーチェと哲学』における、
質と量についての議論を正確に理解しているとは言えない。
い
ま
242 :
考える名無しさん:04/11/27 12:31:29
一字レスという腐った習慣は切断されねばならぬ。
・二つのもののズレが意味作用を形成する
・一つ前のものを全く同じ仕方で反復する=ズレの不在=意味の不在
・強度とは同一なるものの反復(=同一物を反復する他ないという病)なので
・強度において意味は駆動しない
かなりいいかげんに要約するとこんな感じだよね?
(ってか間違ってるかも…)
三つ目のがまずい?
同一物の再現を欲望する快感原則
245 :
考える名無しさん:04/11/28 07:26:07
>>243 まさにそのへんでドゥルーズわかってない感じ
246 :
考える名無しさん:04/11/29 12:01:26
樫村氏って専門家の評価ってのはどうなんですか?
保坂なんかは柄谷とか蓮實みたいなのは糞で、
樫村だけ読んでればいいみたいなことを仰っているのですが本当ですか?
例えば斎藤環なんかと比べてもやはり樫村氏の圧勝?
正直言うと、年々駄目になってる
さっさとメラニー・クライン〜ウィニコット論を出すべきだった。
結局のところ柄谷蓮實の方が上でしょう。
でも斉藤環に比べれば圧勝。自明の理。
年齢的に比べるべきなのは、浅田彰では。
思想的には先輩みたいなもの。
浅田のアルチュセール論は樫村論文へのアンサー。
浅田はしかし、もうアルチュセールのアの字も言わなくなったね。
ガタリも嫌いだと思うよ
ジジェク好きだから
いや、ガタリやネグリは好きでしょう。
浅田的に正しくはないだけで。
普段ポストモダン批判やりながら、田口に章をやるように。
哲学・思想にもドゥマゴ賞みたいな個人的な章があれば、そっちにやるでしょう。
だから浅田は思想軸がはっきりしないのか。
本書けないわけだ。
しかし樫村は思想軸が定まりまくりなのに本書けない。なぜだ?
アルチュセールについては、以前柄谷のスレで出ていた「柄谷が今村グループから
浅田をかなり強引に引き抜いた」というのが関係あるんじゃ。
クリシンがすっかり駄目になってからポランニーを持ち上げ始めたこともあるし。
つーかアルチュセールについては浅田の後輩である市田良彦の方が
はるかによくやっているだろう。浅田などお呼びでない。
>>254 好きと正しいにズレがあるのは、柄谷もそうだと思うので、それはあんまり関係ない気がする。
258 :
246:04/11/29 13:42:17
そーですかそーですか
何を話されてるのかさっぱりです
樫村氏の論文を読んでもほぼ理解不能でした
そこで最低限の基盤となる教養をつけるために現代思想『ブックガイド60』と
『必読書150』を買ってきました
そこらへんの書物を読み漁れば樫村氏の論文あたりも理解できるようになりますか?
無教養の22歳大学生です
市田の功績って翻訳以外に何かあるの?
市田はアルチュセール派のメンバーと言って良い。
246は無理に樫村読まなくてもいい気がする
ラカンのセミネールの訳書とアルチュセールの分厚いの買って読めば、
コストパフォーマンス高い。
で、入門書は図書館で借りろ
261 :
246:04/11/29 14:15:44
そーですか
皆さんはどうやって哲学周辺のことを学んだのですか?
やはり大学や院で体系的に学んだのですか?
ってかスレ違いですな すみません
腹筋したりおちんちんこすってればそのうちにわかるよ。
とりあえず「言葉の外へ」の対談読めば?
樫村はなんで本書かなかったんだろうね?
出せなかったのか出す気がなくなったのか…
小説はかなり期待してるけど発表してくれんのかな?
つーか樫村の圧勝
>>246 どいつもこいつも糞すぎる
何度も読み返すべき
それはどうだろう?
けっこう自分勝手な放言も目立つ
しかもそこが魅力だからたちが悪い
「自分勝手な放言」って・・・
樫村論文って放言の塊だよ
少なくとも説明能力を欠いた文章であることは明らか。
270 :
考える名無しさん:04/12/09 00:45:52
ある理論の「欺瞞」を罵るときに、
そのやり方が直感的で論証を欠くが、
けっこう正しかったりする。
でも知り合いのデリディアンは怒っていたよ。
「読解」の基礎手続きすら重視しないから。
あえてそうやってるからな
ここの馬鹿には出来ない芸当
272 :
考える名無しさん:04/12/09 12:18:49
あえてじゃないだろ。樫村は本人が病気だから、
やむなくああいう形で呪詛を吐く。
楳図のやつはちょっと衰えを感じたけどね。
でもその前のストア派の奴は最高だった。
荒川修作を論じたのもイマイチだった。
つまり芸術ネタはよした方が良いと思う。だから小説もあまり期待しない。
ストア派の奴は馬鹿でも理解できるしなw
ちゃんと読めば放言じゃないって分かる
と思うんだけど。要するに読めないわけでしょ
(おれが読めるんだって言いたいんじゃないよ)
いや、放言だよ
いいがかりもかなりある
ドゥルーズ批判がその典型かな
278 :
考える名無しさん:04/12/14 19:01:07
ほんと馬鹿が多いな
↑馬鹿の見本
郡司ペギ夫と樫村晴香って
どっちが頭いいの?
プーやってる樫村
282 :
考える名無しさん:04/12/28 13:21:39
283 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/12/28 14:01:27
樫村晴香と愛子って夫婦だったんだ・・・
284 :
考える名無しさん:04/12/28 14:05:11
マンガオタクにも大人気
286 :
考える名無しさん:05/01/06 20:34:06
ソーカル厨もこいつには気付くまい
大島弓子論最高!
288 :
考える名無しさん:05/01/17 00:17:55
そしてまさに犬ではないニーチェにおいて、「無数のもの」の回帰という異変が発生
する。それは明確に病的な現場であり、シュレーバーが神との「無数の」神経接続を
語り、少年リチャードがエーテルの匂いをかいで、「ここには無数の赤ん坊がいる」
と叫び、あるいは静かに揺れる一本の麦穂が、分裂病者の目にはささくれ立ち金属の
ように鋭く輝き無数に分解しだすときと、別ではない。しかしニーチェの体験は、同
時に思考の帰結、思考総体の一部であり、その体験は、一つの「見える」ことさえも、
対象関係の作動(ハイデッガーなら日々出会うものの親しさとよび、ラカンならaと
よぶ)に支えられ、その関係はさらに狭い言語の領野、目的‐自我の領域と連接しあ
い、それゆえ思考における過大な細心さは、まさに意味作用は他者への欲望‐信頼‐
欺瞞(言葉を要求の合図としてのみ了解する性急さ=融通性)の上にかろうじて成立
し、つまり言葉は言葉である以前に他者への(からの)動物的「叫び」であること
を明かしつつ、明かすことによってその両者を断ち切り、意味も欲望‐愛をも困難
にし、無数のものの散乱=強度へと落下していく。だからこそ彼は、愛することさ
えも「再び学ばねば」ならないといい、同時に自己の(その相関物としての世界の)
同一性‐真理の再設立を、偽装において遂行するが、とはいえ偽装とは、まさに
それを見る視線‐他者(への欲望)の再設立の行為でもあり、そういったすべて
の位相の厳密な連関が、彼の「私は最悪の孤独の中にいる」という一つの実体‐病
として発現する。
誰だろう、それ、図星じやないが八分ほど言い当てられた感じがある、
ただニーチェならばそれを病とは呼ばず過剰な健康と言ってのけるだろうね。
291 :
考える名無しさん:05/01/24 08:29:44
樫村についての文章をウェブサイトに掲載したのですが、リンクを貼っても構いませんか。
292 :
考える名無しさん:05/01/24 09:05:56
いいよ
293 :
鬼谷晴喜:05/01/25 03:35:35
『二十世紀のニーチェ解釈』
>わたしは樫村晴香の『ドゥルーズのどこが間違っているか?』という論文を読んだ。
貧弱な肉体の持ち主が、高価な服をあれこれ着替えては部屋を脱ぎ散らかしているという印象を受けた。
ドゥルーズ、ハイデガー、ニーチェを同一の論文において扱う際に有効な、各著作における決定的な点にも彼は気付いていない。
ttp://www2.tbb.t-com.ne.jp/oniya/
294 :
鬼谷晴喜:05/01/25 03:37:04
295 :
考える名無しさん:05/01/25 11:44:59
関係妄想さえ書き込まなければ、
もう少しまともに受け取られたかもしれないのに。
この鬼谷とかいう人。
この鬼谷っていう人、すこしおかしいね。
297 :
考える名無しさん:05/01/27 00:28:51
樫村もおかしいんだけど、
なんとか論文になっているよね。
だがこの違和感はなんだろう?
在野っぽいという以外にも要因がある気がする。
298 :
考える名無しさん:05/01/27 14:22:26
鬼谷晴喜です。
みなさんが約束を守って下さるなら、
みなさんとお話がしたいと思っています。
いかがでしょうか。
>>298 ここで話をするのはスレ違いなので、止めて下さい。
301 :
鬼谷晴喜:05/01/27 22:01:37
解りました。
私は決してそうは思っていないからこそ投稿をしたので残念ですが、
私が話をすることがスレッドの本義を外れるのであれば、
私について話をすることも本義を外れるはずですので、
この板では私の名前や私の話題は、今後決して出さないで下さい。
そんなことは言われるまでもない、と思う人も、そう言わないで下さい。
実際にコメントを返してくれた人もいるわけですから、
釘を差しておく事は双方にとって無駄ではないわけです。
ここでなされた私へのコメントと取れるものに関しては、
私のウェブサイトの「はじめに」の中で応答しておきました。
失礼しました。
302 :
考える名無しさん:05/01/28 03:55:40
とりあえず死ねよ
>つまり本稿は、あらゆる幻想とそれをめぐる力動(政治的情熱であれ文学的熱情であれ)
>を神経症的産物とみる、
>科学主義的、エピクロス‐スピノザ主義的態度から構成されている
こういうふうに一番初めに宣言されてるんだからさ、
精神分析の立場で文章を書いてるんだから、
ニーチェを病気だっていうことは診断として正しい
「そもそも「病気」なんて「健常者」の側が勝手に言ってるだけじゃないか」
って言いたいなら、
それは<あらかじめ理論的生産性を断念した類の言説をもて遊ぶ>ことにしかならないよ
保坂が樫村への手紙で書いてた「パズルを解くような思考」だね
304 :
考える名無しさん:05/02/25 18:24:24
再生産について イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置
ルイ・アルチュセール=著 西川長夫 伊吹浩一 大中一彌=訳
未刊 A5判 432頁 2005.04
ISBN4-582-70256-2 C0010 NDC分類番号 135
現代の思考に巨大な影響力を及ぼし続けるアルチュセールのイデオロギー論。
生前未刊の草稿により、再生産論という本来のコンテクストの中で初めてそ
の全貌を示す。待望の邦訳!
柄谷の本全部売っちゃお。なんか病気にかかってた気分。
この6.7年のおれの時間てなんだったんだろ。授業料は高くツキスギタ。
なんか悲しいよ。
柄谷にも良いところはあったでしょう。別に捨てる必要もないのでは。
可能性の中心を読めばいいのでつよw
308 :
考える名無しさん:05/03/11 13:11:58
樫村、小説まだかなー
309 :
浅田スレより:05/03/12 04:10:31
803 名前:ドゥルーズスレより 本日の投稿:05/03/12 00:32:34
254 名前:考える名無しさん 投稿日:05/03/11 05:30:01
「 ドゥルーズのどこが間違っているか?
強度=差異、および二重のセリーの理論の問題点 」
ttp://www.k-hosaka.com/kashimura/jiru.html 255 名前:考える名無しさん 本日の投稿:05/03/12 00:12:06
>>254にある樫村氏の論文にその後、どのような反応があったのかな?
804 名前:考える名無しさん 本日の投稿:05/03/12 02:20:49
803 ドゥルーズスレより sage 05/03/12 00:32:34
254 名前:考える名無しさん 投稿日:05/03/11 05:30:01
「 ドゥルーズのどこが間違っているか?
強度=差異、および二重のセリーの理論の問題点 」
ttp://www.k-hosaka.com/kashimura/jiru.html 255 名前:考える名無しさん 本日の投稿:05/03/12 00:12:06
>>254にある樫村氏の論文にその後、どのような反応があったのかな?
さらに、ここでfort / Daは、不快から快への現実の転化ではなく、一つの演劇
ないし表象代理として、幻想の中で演じられていることに注意しましょう。つま
り、不快から快への状態変化を、共時的な対立関係として把握しマッピングする
快感原則の運動は、不快から快への移行の現実的経験というよりも、それが定常
的に保証され、不快の解消が信じられていることに基礎づけられ、それは他者の
保証と他者への依存という、幻想的身体空間で可能になります。つまり概念的思
考を保証する基本構造である、ないとある、遠いと近い、寒いと暑い、といった
共時的対立は、一方から他方への、身体による能動的な移動操作としての否定作
用に基礎づけられつつ、さらにその基底では、その移動を原初的に保証する、母
親の身体の潜在的現前に依存します。つまり言語とは、予期された他者の潜在的
視線、つまり幻想の場所にある、身体的かつ想像的な装置であり、それが言語的
演算を根本的に快感原則に従わせます。すでにみたように、古典物理が確かさを
視覚的一挙性に基礎づける時、それは日常言語の一挙的な真偽決定構造、つまり
主文の動詞以外の部分を、他者からの伝言の資格をもつ既定項として扱う経済原
則によっていました。そして神/人間といった概念の共時対立も、この作用の一
種に他ならず、しかもその対立は、さらに原初的な他者への依存へと、このよう
に関係します。ですから確かさと視覚的一挙性の同値化は、その全体が他者と快
感原則に幾重にも規定され、逆に言えば視覚的明証性という信仰は、言語と思考
が、想像された他者の効果の下に深くあり、幻想の領野で駆動することの証言な
のです。
これらの議論は、精神分析の多様な経験に通じてないと、恣意的なものとして感
じられるかもしれません。
樫村を読むのは好きだが、どうしても精神分析を勉強
する気にはなれない。精神分析を勉強する気になる文献しりません?
樫村が精神分析に入れ込んでなかったら到底勉強する気になれない。
312 :
考える名無しさん:05/03/16 01:34:51
>>311 『翻訳としての人間』
そして、初期のフロイトは本当に面白いぞ。
樫村の路線で読むなら、
『失語論』『ヒステリー研究』を勧める。
いなば先生が自分の立ち位置に疑問を持たないため
もっとも近づくのを恐れているのがカシムラ先生です。
エヴァ・ボトムズ論で引用してたよ。
超人批判に樫村とデリダのドゥルーズ批判を引用してた。
誰か読書会とかやってくれないかな
317 :
考える名無しさん:2005/03/21(月) 09:09:14
稲葉は、自分の思想大好き病から抜け出そうとしてるんでしょ。
>2004-11-27
>■ 君達は思想が好きすぎる。
>
http://d.hatena.ne.jp/svnseeds/20041126#p1 >
>その病から少しずつ癒えようと努力しているのだよ私は。
>
>しかしそのような立場もとりあえずある種の思想としてレッテル
>を貼られることになるのはまあ仕方がないのだが。
だからその際の一番のネックが樫村さんということか。
樫村の引用してた頃とは、哲学・思想に対するポジションが違うね。
318 :
考える名無しさん:2005/03/21(月) 11:03:20
でも稲葉の「治癒の努力」が、
いわゆるネオコン的な「左翼叩き」でしかないのは極めて幼稚だ。
319 :
いなばの白うさぎ:2005/03/21(月) 14:13:01
インフレ・ターゲットごときで問題が解決し、哲学は不要とする稲葉
は、共産党員よりマシになったか?
そもそも、世界の構造的変化を直視することを放棄した脆弱な保守性
を抱えている点で、共産党や土建政治となんら変わることはないが、
経済学の教科書の威力への感動が構造の直視を一層妨げている点で、
かなりの重症だと思われる。
共産党はその保守性ゆえ近い将来現実から退場を言い渡される。
しかし、リフレ派は最初から政治的な現実的接点を持ってないがゆえ
に現実にさらされることなく、いつまでもあの教科書の威力の感動を
持続させることができる分、結果的に不幸である。
今現在、リフレ派は、期待インフレ率を上昇させるメカニズムを理論
モデルにすることをあきらめて、歴史に正当性を求めている。
これも現実の構造的変化からの逃走に他ならない。
それでその稲葉って人は樫村と何か関係あるの?
ポモ批判してるくせに、樫村に触れないのはなんででしょって話でしょ。
322 :
考える名無しさん:2005/03/22(火) 00:37:43
おそらく、樫村のような真性の知性に批判されたら泣いちゃうからだね。
323 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 11:05:20
——もちろん必要知識量は、資本主義が高度化すればますます増大化するから、それ
を伝達する効率的な制度が必要なんだけど、ただハイテク情報社会ってのは、社会
の上層と下層での、必要知識量にすごく格差をつくってしまうんだよね。上層部は
ものすごい情報を駆使して機械とソフトウェアをつくり上げるし、……といっても
たいして必要がないね。で、下の方の人間は、仕事でも私生活でも、知識なんか本
当は昔よりずっと必要量が減っている。中間技術者みたいなものも減ることはあっ
ても増えることはない。つまり文化的な階級社会が形成されつつある。だから要約
すれば、学校みたいな制度はますます上下分化して、そこで伝授する知識の落差を
通じて、社会の階級化を再生産することになるだろう。しかも社会の規範てのが、
すでに抽象的な形では抜き出せなくなってるから、イデオロギーそのものが格差づ
けされた生活技術として売買されるような、奇妙なことになる。で、そうやって形
成された諸階級は、今後は文化サービス製品の売買を通じてのみ結合する。
20年前に樫村晴香はこんなにも正確なことを言っていたのか。
これってここ最近内田樹がブログで言ってることの20年早い先取りだよ。
樫村さんのパンフォーカス的でカリカリにピントが合った文章読んでると
気が狂いそうになるw
基礎的な事実は誤認しまくりだけどな。
326 :
考える名無しさん:2005/03/25(金) 18:18:16
461 :いなば :2005/03/25(金) 12:42:39
>>元ポモという事実が明るみになったから。
前からいうとるやん。
>>しかも中途半端な樫村厨。
なぜわかった?
>>ちゃんとポモ批判をするべき。
努力はしてますが……。
462 :名無しさん@社会人:2005/03/25(金) 15:27:37
>>461 あんた絶対樫村にこっぴどく叩かれるよ。
そういう自覚を持ちつつ、樫村を叩け。
じゃないとポモ批判者とは認められない。
463 :名無しさん@社会人:2005/03/25(金) 15:29:04
あと鎌田哲哉もな。
樫村・鎌田という二大ポモ巨頭を討たない香具師は、
しょせん遠吠えに過ぎない。
日本のポモ言説のコアはこいつらだから。
464 :名無しさん@社会人:2005/03/25(金) 15:31:00
柄谷・蓮實を叩くのは楽なんだよな、結局。
むしろ今挙げた二人のような、
巷に流布していない書き手の方が強力。
465 :いなば :2005/03/25(金) 15:49:48
鎌田って読んでないけど、そんなに強力ですか?
『重力』でのすが批判はなづほどもっともと思ったが、あれは節操の問題だしねえ。
樫村は噛み付かれてもやり返したりしなさそうだから、あんまり怖くない気がする。
浅田彰の方が批判するのは勇気が要るでしょ。
なんで鎌田と対置されてるんだろう?何か似てるところgはあるんですかね?
よく考えてみれば、二十年も前から「カント、ヘーゲル無しに済ますことが
社会システム上可能か?」の問いの重要性を狂った深度と強度で完璧に描き出してた。
樫村からみて浅田やら柄谷やらはどう映ってるんだろう
おそらく吹き出しすらしないだろうが…
現代思想=樫村晴香(精神分析)+鎌田哲哉(マルクス主義)ということか
ポモという括りだと鎌田がポモ?と思うけど現代思想ならそれほど違和感ないな
鎌田は68年の思想家でアルチュセールが一番好きとか言ってたなたしか。
鎌田が現代思想??文芸評論家の人じゃないの?
331 :
考える名無しさん:2005/03/26(土) 21:24:01
>醜い者、美しい者、それらが住む世界は別であ
>り、異なった善悪と法に従っており
『電波男』のことじゃんw
332 :
考える名無しさん:2005/03/26(土) 23:26:14
333 :
考える名無しさん:2005/03/27(日) 19:27:55
kasimura大先生のアルチュセール論読んだよおお。激ムズ。でも刺激的。
いまでも全然古くないじゃん。アルチュセール本人を読みたくなったざます。
>つまり《なぜ歪曲されるのか》に於て真に問題とされているのは《歪曲》
>自身ではなく、即ち、《歪曲―真実》の対立ではなく、ミクロな現場に
>於ける《歪曲の再生産―歪曲の非再生産》の差異であり《一般的歪曲―
>変異的歪曲》の差異なのであり、この差異が事後的に社会的諸関係の生
>産―非生産への差異へと累積されるのである。そしてこの(再)生産と
>非(再)生産の差異は、非再生産を《実践》する、つまり変異的《歪曲
>=表象》によって思考し、既与の生産様式の非再生産を実践する者の特
>権的問いかけ、《なぜ彼らは真実に対して盲目なのか》として問題化さ
>れていたのである。
この辺が大先生らしいなと感じてみる。
>>333 で? 平易に翻訳すると「大センセイ」は何を言っているのかネ?
・<歪曲―真実>の(伝統的)対立はあくまで事後的なものであること
・この対立はよりミクロな<(歪曲の)再生産―非再生産>の差異の、累積的結果でしかないこと
・非再生産を<実践>する、特権的な者たちによって、
<なぜ彼らは真実に対して盲目なのか>として問いかけられていた問題は、
じっさいは<(再)生産と 非(再)生産>の差異の問題だったと言っておられるのですよ
樫村の論文が読める、という時点で特殊技能だよw
おれなんて筋についていくので精一杯だもん。
そしてこの<(再)生産=労働する>と <非(再)生産=労働しねえ>の差異は、
<非再生産を《実践》=ニート>する、つまり<変異的《歪曲 =表象》=働いた
ら負けかな>によって思考し、既与の生産様式の<非再生産を実践する者=ニート>
の特権的問いかけ、《なぜ彼らは<真実=働いたら負けかな>に対して盲目なのか》
として問題化されていたのである。
それは<非再生産>の(というか<再生産>の)概念をぜんぜん理解してないですね
ここで非再生産=<新しい概念の生産>を示しているので、
非再生産において思考しえた者とは一日中部屋でゴロゴロしてる者ではないです
339 :
ローカルルール審議中:皇紀2665/04/01(金) 00:41:16
樫村の筆致には、おおおおおお、と思うんだけど、一般人に毛の生えた程度の漏れには、
よく理解できない。また、他の作家みたいに、分かった気にもならない。
(少しは)啓蒙しろ!とは言わないまでも、氏は、一体どんな奴を相手に書いているんだろうね?
初期は浅田と市田の兄貴分だったと思う。
彼らが読者。
342 :
ローカルルール審議中:皇紀2665/04/01(金) 00:58:35
ついでに言うと、私の哲学というか考えること全般の先生である同級生の
樫村晴香もこういうことが得意で、彼が20代後半に住んでいた家は、鉛
の管を家中に這わせてセントラル・ヒーティングになっていて、そのすべ
てを彼が一人でやった。樫村は仙台に学生下宿のアパートを1棟所有して
いて(彼はバブル前夜にこの下宿を買って、生涯この家賃収入で食ってい
こうと目論んだのだが、バブルも消え去り、いまはこの下宿の経営に苦慮
している)、工務店に外注するカネがないので自分でペンキを塗ったりエ
アコンを取り付けたりしている。
343 :
ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 01:50:10
小説はどれくらい時間かかるんだい。
ジョイスのFWみたいに10年以上とかか。
344 :
ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 01:53:39
この人は小説を書けないでしょう。
345 :
ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 02:14:54
346 :
ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 04:25:45
書評:郡司ペギオ-幸夫『原生計算と存在論的観測』
小泉 義之
『図書新聞』2701号 2004.11.13
347 :
ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 04:26:23
ん
349 :
ローカルルール審議中:2005/04/23(土) 00:48:19
>>309 東氏の「存在論的、郵便的」のP.198で言及されていると知った。
樫村氏が、今、何をどんなことを考えているのか知りたい。age
350 :
ローカルルール審議中:2005/04/23(土) 19:58:35
翻訳としての人間たけえよ
5800も取られたぞ
しかしオニヤはなぜにブログで樫村にストーカーするのか。
気になってしょうがない自分に気づいてくれ。
352 :
考える名無しさん:2005/05/03(火) 02:32:16
樫村ストーカといえば、某画家もいるぜよ
古ヤンでは
355 :
考える名無しさん:2005/05/19(木) 14:11:29
樫村先生の論文で一本だけ読むとすればどれを読めばいいのでしょうか。
皆さんのおすすめを教えてください。
「彼岸の強者と此岸の死者」が一番凄い(これと大島弓子論を併読する)
この頃(八十年代後半)の自然科学に行く前の哲学的な記述はどれも神懸かってる
357 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 12:41:21
でも冷静に読むと身勝手な論だよな
こういう哲学詩は貴重だと思うが。
358 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 18:25:22
非常につまらないレスだ↑
359 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 18:28:37
この人って普段も論文みたいな口調なんだね
まじで病気だ
身勝手だっていうのも分からなくないけどね。
上のレスにもあったけど、精神分析とマルクス主義を
(メチャクチャなやり方で?)接合してるって部分を考慮すると、
なんであんなこと言ってるのかってことに関して、
ちょっとは寛容になれる…かも知れない
361 :
考える名無しさん:2005/05/23(月) 20:03:07
頭悪いよ〜↑
頭悪くてごめんね。
例えば「彼岸の強者と此岸の死者」だと、
「階級闘争の時代において、マルクス的機械が法の作用を代行した」
とか樫村は言うわけだけど、いくら緻密に論じられてても、
普通そんなこと言われたら
>>357みたいにはあ?ってなると思うんだよ。
でも、樫村って人は分析家的な部分がかなり強い、
精神分析ってものが非常に濃くあるんだってことを押さえてると、
そういう抵抗がちょっとでも減るんじゃないかということを言いたかった
(ちょっと別な話だけど、「アインシュタイン」にも
「これらの議論は、精神分析の多様な経験に通じてないと、
恣意的なものとして感じられるかもしれません」って叙述がある)
樫村氏の文章は大好きだが、樫村氏の青春だけが尊いというわけでもないだろう。
樫村の諸論文はさしずめ
日本版エクリだな。
365 :
考える名無しさん:2005/07/07(木) 21:14:42
>>362 ていうかそんなもの大大大前提じゃないかい?
そだね
367 :
考える名無しさん:2005/07/25(月) 06:38:53
俺は樫村の書いている事を理解出来ません
でも、ぶっちゃけ人類にとってはどうでもいいよね
美味い酒呑んで、いい女抱いてりゃ幸せだし
>>367 >美味い酒呑んで、いい女抱いてりゃ幸せ
単細胞はいいよな
369 :
考える名無しさん:2005/07/26(火) 14:55:02
>>368 君は樫村晴香などに手を出す前に
山田詠美『僕は勉強ができない』と村上龍『69』を読む事をオススメする
371 :
考える名無しさん:2005/07/26(火) 15:39:22
>>370 汚ねえ野郎だな
言いたい事があるなら言ってみろや
373 :
考える名無しさん:2005/07/26(火) 16:40:24
「でも、おまえ、このままじゃ三流大学しか入れないぜ」
「ぼく大学行かないかもしれないから」
「へっ? またなんで」
「金かかるから」
「おまえんち貧乏なの?」
「そうだよ」
「でも、大学行かないとろくな人間にならないぜ」
「ろくな人間て、おまえみたいな奴のこと?」
「そうまでは言ってないけどさ」
>>372は、含み笑いをしながら、ぼくを見詰めた。嫌な顔だと思った。
「
>>372、おまえはすごい人間だ。認めるよ。その成績の良さは尋常ではない」
「……そうか」
「でも、おまえ、女にもてないだろ」
>>372は、顔を真っ赤にして絶句した。ぼくの脳裡に、小学校の担任教師の表情がよみが
える。真実の許にひれ伏した愚か者の顔。
「ぼくは確かに成績悪いよ。だって、そんなこと、ぼくにとってどうでも良かったからね
。ぼくは彼女と恋をするのに忙しいんだ。
>>372、恋って知ってるか。勉強よか、ずっと楽
しいんだぜ。ぼくは、それにうつつを抜かして来て勉強しなかった。でも、考え変わった
よ。女にもてて、その上成績も良い方が、便利だってことに。どうしてかって言うと、お
まえのような奴に話しかけられないですむからだ。よおし、ぼくは勉強家になるぞ!」
樫村信者って気持悪いのばっかりだな
保坂、古谷、湯本、
>>373…
電波hoshu
377 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 13:11:20
思いこみを是正できない奴が多そうだよな
樫村がいれば他はいらない日本
保坂のサイトで樫村が読めるのは嬉しいが
やはり書籍の形にしてほしい。一万超えても買うと思う。
書肆心水とか月曜社に出してほしい。
380 :
考える名無しさん:2005/10/02(日) 20:35:42
同位体
このことは、哲学者たちが真理と認識を語るとき、本当は想起・時間・伝達・
転送等を論じていたことを証すとともに、純粋な視覚・認知過程は簡単に抽出
できないこと、つまり視覚は現実には常に判断とともに働くので、それは不断
に伝達・記憶の圏域に入りこみ、言語=聴覚像に変換・代置されてしまうことを
示している。要するに、視覚と聴覚を連合させる人間的意味作用は、「命名・
伝達」の圏域で作動するより、物の比較・交換・組み合わせ等のごく単純な認
知判断から駆動しだす、脳内での移動やクリップやペーストなど、記憶・想起
の圏域でこそ、主要に稼働するのである。つまり「哲学」が体現してきた、聴
覚優位下での視・聴覚連合という特殊人間的欲求は、1010〜11クラスの素子数
で無限に多様な現実世界を認知・解析せねばならず、そのため入力情報を常に
圧縮する必要のある、脳の演算エコノミー(節約)に主要な基盤をもっている。
それゆえ単純な視覚認知の局面でも、人間の脳では視・聴覚の「連合」圧力は
不断に働き、そのため、各感覚回路の独立性をあまりに単純に想定すると、逆
に「カント哲学」の再臨を許すことになるだろう。
樫村を神扱いしすぎ。
所詮は電波な文章しかかけない半端者だろう?
電波をご神託かなんかと勘違いしては不可ない。
電波を電波として扱う勇気も必要だ。
俺は電波として期待している。
本を出してほしい。
電波こそ真理
電波こそ神
386 :
考える名無しさん:2005/10/07(金) 15:43:34
樫村の思想って仏教でいう中道の思想だよね
387 :
考える名無しさん:2005/10/07(金) 20:05:52
ようするに神ってことだな
388 :
考える名無しさん:2005/10/07(金) 21:42:16
『症候言語学』でるよ
389 :
考える名無しさん:2005/10/08(土) 19:42:22
390 :
考える名無しさん:2005/10/08(土) 23:20:39
樫村がほんだすよーっていってでたためしがない
392 :
考える名無しさん:2005/10/10(月) 07:01:04
近刊の入門書『法・セックス・汎資本主義――Basic 33(仮題)』(亜紀書房)
を参照されたい。また、ここで展開された、精神分析関係の話は、ひどく単純化
したものなので、固有の科学的記述は『アンドロイドのための人間入門書』
(準備中)を見られたい。
【註】
一神教、三位一体論、アリストテレス主義等について、これまで精神分析学が試
みた分節化は、フロイトのそれを含めてぞんざいなものだが、本エッセーも、そ
れらの厳密な精神分析的分節を目ざしていない。来春刊行の拙著『症候言語学
(仮題)』世織書房を参照されたい。
付記 出典等の註は、膨大で紙数を圧迫するので全て省略し、いずれ全体をまと
める機会があれば、正確なものを添付する。
* ダ・ヴィンチの作品を通じて述べたことは、Intervention N°1
(仏・英語版、近刊)の拙論を参照されたい。
>>392 で、全部近刊とか準備中で出ないままなのなw
これはネタとしてやってると見て良いね。
世織書房って、樫村の奥さんの本を出してんだね。
http://homepage3.nifty.com/seori/zaiko.html しかしのんきというか、なんか平和な出版社だな。
http://homepage3.nifty.com/seori/dialy.html ---
7月26日
朝方久々に雨が降りました。そのおかげで、出社するときは涼しかったんです…が、数時間でいつものとおり。今日も暑いです。
最近立て続けに、「アマゾンで注文できないのですが…」というお問合せを頂きました。
世織書房とアマゾンやヤフーは特に契約を結んでいません。そもそも、どういう仕組みになっているのかよく分かっておりません…すみません。
そのためか、実際は在庫があるのにアマゾンやヤフーの持っている在庫がなくなると「在庫なし」と表示されたり、検索に引っかからなくなるようです。
ネットで書籍購入というのは確かに便利なんでしょう、が、こういう弊害も出てくるんですね。
書店で見つからない場合は、注文して頂ければ、時間は多少かかりますがお手許に届きます。
お急ぎの場合は直接世織書房にお問合せ下さい。…と、いう情報をこのページまで辿り着けない方にお伝えしなければ意味がないんですよね…。
おもしろいなあ。
http://homepage3.nifty.com/seori/dialy16.html ----
10月24日(金)
長らく更新怠りました。お仕事中にもかかわらず叱咤のお電話下さった O 様、ありがとうございました。
長らくさぼっていたお詫びに、メールアドレスとサイトのアドレスを新しくいたしました。皆様たどり着いて頂けるでしょうか。
でも、 今度はシンプルなので、アドレスをお教えするのが楽です。空で言えます。
[email protected]ですから。
しかし、再度新しいアドレスで 検索サイトに登録するのはとっても面倒くさいです。
誰かやってほしいです。ほしい、どころか、やれ、と言いたいところです。そこのおじさん。 秋ですね。決算ですよ。
398 :
考える名無しさん:2005/10/16(日) 15:41:23
で、哲学というのは、自閉症と同じように、この評価や賞賛を疑ってきた。
これは、哲学は、全てを明晰に考え直そうとする、つまり、全てを論理的な
意味内部で再構築し、言語を記述言語としてのみ使って、発声と表出に関わ
る原始的なものとしては使わないようにするからです。言語を記述、ないし
名辞の相でのみ使用すると、言葉とは、もともと他者に向けた発声で、大事
なのは意味でなく、似たような声が返ってくるかどうかだ、という点は落ち
てしまう。でも、記述の体系に留まり、表出や動詞、能受の反転に関わる運
動は除外しながら、哲学は他方で、他人の応答や評価と同等の力をもつ、人
間の自己確認、存在確信の手段を確立しようと考えてきた。自閉症だと、最
初から他人は存在しないが、そのかわり、視線やデュシャンの回転について
語ったように、視覚内部だけでの特異な身体制御の行為があり、それが現実
的身体運動と他者を介さない、存在確信の方途となる。それに対し、哲学者
は自閉症ではないから、他者を人工的に排除しつつ、その代替物を思考と言
語内部に再構築しようとする。すると、その過程は、他者のみでなく、身体
的表出と身体制御の該当物も思考内部に構成することになり、その過程は、
強迫神経症と類似し出す。
すばらしい自己分析ですな
400 :
考える名無しさん:2005/10/18(火) 19:32:44
樫村 自閉症だと、幻想の皮膜が自己の身体表面までしかない。それと反対に
あなた(=保坂)の作品は、世界全体が自己の幻想の外延と重なって、他者の悪意
を登記する装置がなくなるように感じる。一方、私は本当に自閉症的で、幻想
は身体表面までしかなく、その外側は完全に言語野で抑えようとする。
保坂は小島信夫の本作ってるヒマがあるなら
樫村の本作れ
樫村愛子で我慢しろ
403 :
考える名無しさん:2005/11/01(火) 22:20:19
あなたに樫村晴香を愛してるとはいわせない
樫村愛子は意外にスタイルいい?
539 名前:521[] 投稿日:2005/11/04(金) 03:29:22
>>536 いや、電波だからよく分からんw
まあ、それは嘘だけど、今保坂のぺジ見た限りでは、
大脳生理学+認知科学+精神分析的+マルクスな科学なのかなんだかよく分からんハイブリッドな言説で、
言語モジュールとそれ以外のモジュールの脳内での差異を踏まえ、
前者で扱われる表象=隠喩と、後者での強度を、
ドゥルーズが意図的に混同し、テクストを生産している、
それがニーチェ(強度)とハイデガー(隠喩)の理論的差異を捨象し、結びつかぬものを結び付け、
彼に後期のテクストを書かせた。
強度=病は決して表象体系には組み込めないのに。
というようなことらしい。正直よく分からないし、電波でいいんじゃないかな。少なくともまともな論文ではないし。
ドゥルーズ専門の人はどう読むのか分からないけど。
いずれにせよ、ドゥルーズの差異が理解できていないことは事実。
よくあるベルクソンへの科学側からの批判の精神分析バージョンといったところかな。
要するに、即自的な差異を言語レベルで記述するにあたっての批判。
406 :
考える名無しさん:2005/11/05(土) 16:56:51
例えば、コンピューターがランダムにアルファベットを吐き出したものの集積を
作品(差異)と呼ぶことはできる。でも、その「作品」からドゥルーズが、
(彼が価値を認める作品からするように)「何か」(強度)を受け取る訳ではない。
カフカの小説(差異-強度)はカフカの目に向けて「捧げられた苦痛」であり、
捧げられた=小説的造形を経たものであることを担保に強度を獲得するが、
「苦痛」(強度)はあくまでカフカの書く手-身体の側に存在している。
ドゥルーズはそのことを忘却し、差異の水準で強度が駆動するとしている
↑
ドゥルーズ論のテキトーな要約
どっか間違ってるとこある?
「ニーチェと哲学」で永遠回帰についてサイコロ目のランダムな並び方を
使って語ってるので、完全な間違いではないと思う。
サイコロを無限に振って出た目を記録しつづけても、
ドゥルーズはその数字の羅列を「読解」できるわけではなく、
樫村のようにサイコロを振る人間の脳の構造にまで分節していくしかない。
クロソウスキーは「身体のない思考はどんなものか」をつきつめたが、
ドゥルーズが身体と思考を短絡させたのは言葉遊びの域を出ることはない
↑
樫村によると多分こうなる
409 :
考える名無しさん:2005/11/07(月) 07:06:46
昔の読書人
nue:2005/11/06(Sun) 22:40 No.637
こんにちは。ちょっと前に、樫村晴香さんの論文のテキスト入力をした者です。
このまえ週刊読書人のバックナンバーを図書館で見てたら、樫村さんが書いてたものが見つかったのでご報告します。
・書評:金塚貞文著『人工身体論』 『週刊読書人』87.03.16号
・書評:生井英考著『ジャングル・クルーズにうってつけの日』 『週刊読書人』87.09.21号
あれ(今樫村ページにのってる)でぜんぶかと思ってたんですが、書評紙ってのがあったんですね。
短いものなので、もしここにアップして問題ないのでしたら、そうしたいのですが。どうでしょう??
ぜひお願いします。
411 :
考える名無しさん:2005/11/07(月) 10:04:00
409は掲示保坂のコピペ
412 :
考える名無しさん:2005/11/07(月) 22:00:42
つかおまいらさっそく掲示保板で読めるようになってるよ!!!!
413 :
考える名無しさん:2005/11/08(火) 20:21:16
きたああああああああああああああああああああ
樫村愛子の「ラカン派社会学入門」にも・・・
「ヒステリーと強迫神経症の根底的な差異と、
精神分析におけるその疑問についての、フロイトとラカンの誤りについては、
現在の精神医学や脳科学の議論をベースにして、樫村晴香がまとめる予定である(金剛出版より刊行予定)」
415 :
考える名無しさん:2005/11/10(木) 11:44:55
>> 樫村晴香氏から >>>>
ポートランドの市警がアラブ系学生の情報収集を求めるの要請を拒否したことが
評判になっている。警察署長はアフリカでの文民警察官の経験があり、その場の復
讐心や愛国心が法の上に置かれたとき、どんな悲劇が起こるかを体験してきた、と
語っている。
彼が正しくも言うように、法とは本質的に、この場の感情、今、ここの自分に直接
に帰属しないものを、自分の身体に記載する過程である。それゆえ哲学では、法は
しばしば、死の観念と結びつけられ、死を隠喩として論じられる。
言い換えると、法と倫理のあり方は、世俗的な功利性、現実原則の水準では閉じず、
一つの社会や主体が自己の死を内化・隠喩する仕方と密接に結びつき、それに応じ
て多様に存在する。例えば法の始源を論じる際フロイトが用いる負債の観念(これ
はクラインでもラカンでも重要である)は、三位一体論と同根であり、その外部で
は必ずしも有効でない。
416 :
考える名無しさん:2005/11/10(木) 11:45:37
私は家はフランスにあるけど、実際はイスラム圏で生活する方が多い。フ
ロイト・ラカンの立場から図式化すると、イスラムは死を排除しているこ
とになるが、彼らと接していると、現実が言説の操作対象となり、儀式化
されるだけでなく、それと共に自己の存在が自分から遠ざけられていくか
の、欲望の精妙な抑制の感覚が伝わってくる(もちろん、限られた上流階
級の人々の話だが)。ここでは死は、始源で負債を通じてではなく、言葉
の端々に隠喩されて人と結びつき、法は儀式と、より近い場所にあるよう
だ。
いずれにせよ、一つの所与から構成された隠喩でしかない記述体系を、別
の所与に当てはめると、結果は常に滑稽であり、「存在論的」「精神分析
的」なイスラム記述は、例外なくそうである(丁度昔のマルクス主義歴史
学のようだ)。私はビンラディンがなぜ「キレて」しまったか、とりわけ
何が失われていくことに怒ったか、その感触が何となく解る気がするが、
それを表象するのは、そう簡単ではない。
417 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 09:49:17
どのような社会的全体においても、人々の現実的行為と、人々が自分や他人や
世界に対して抱くさまざまなイメージは、密接な因果関係をもち循環的に絡み
合う。たとえばアマゾンやアフリカ高地などで狩猟生活を営む者たちが、自然
や世界に対してもつ感覚は、むろん私たちのそれとまったく姿を異にする。彼
らは私たちのような分析的な言語はもたないが、しかし人々の息遣いと空気の
重さと鳥の速度と陽の光の調子とを、すべて通約できる言葉と感覚をわかちあ
い、私たちより多くのことを、より淡白に認識する。すなわち彼らは自らを自
然とより一体のものとして理解し、主体や自‐他、ないしは生‐死といった観
念を、私たちほど強く保有しない。この事態は、一方で彼らの生産の形態に規
定されつつ、しかしまた彼らが一定の集群をつくらず、あるいは一定以上の財
や食料をストックしないことなどにも規定され、加えて彼らの棲む自然そのも
のの様相をも強く反映する。それらのすべてが彼らの存在の様態、世界に対す
る理解の仕方を決定づけ、すなわち自分が何者であるかというイメージを決定
するとともに、逆にその理解の仕方が彼らの生活のあり方を規定し再生産させ
ていく。つまりそれぞれの社会は、それぞれの仕方で自分の存在(=自分を囲
む世界)についての意味をもち理解している、と表現できる。そして私たちの
世界もまたそうであり、その固有の意味を通じてすべての振舞いが連関づけら
れ、一つの様式へと規定されあう。
418 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 10:02:22
この所有という感情を最も基本的に支えるのが、現実の中で、あるいは現実
そのものとして、人間の操作的な想像力に対して粘性の抵抗力をもって対抗
しているモノそのものであり、簡単にいえば、人間にとって快楽となる刺激
を与えるものは、瞬間的には生成できず、一定の時間と周期を必要とすると
いう、純粋に唯物論的な事情である。そしてこの物質的条件は、それだけで
存在するなら、単に場当り的なモノを得る喜びか、せいぜいモノの生産と使
用の局面のみに限定された、忍耐と配慮を与えるにすぎない。この物質的条
件が、人間的関係として構造化され、モノの生成の困難がモノを支配する力
と権利における他人と自分の対立へとすり替えられ、モノの生成が要する時
間とモノの生成が調整する世界のリズムが、モノの社会的希少性へとすり替
えられ、しかもモノを支配する権利における私と他者の場所のちがいを強化
するべくモノの生成の困難が増幅されて、両者が共犯関係を結ぶとき、所有
という、均質かつ持続的で、普遍的な感情が可能になる。
419 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 10:58:29
私は本当に自閉症的で、幻想は身体表面までしか
なく、その外側は完全に言語野で抑えようとする。
420 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 19:21:00
# 一本釣り 『リフレ派対シバキ主義みたいなことをやったついでに、
http://nakano.main.jp/reading/psycho.html ↑
また、こっち系のネタで遊んでみたりはしないですか? そろそろみんな忘れかけている頃だと思うので、カンフル剤を投入してみるというのがよいかと。』
# shinichiroinaba 『あんまり実りがないと思うのでやです。
内藤さんやdojinくんとかはいじり甲斐、いや説得し甲斐がありますが。』
# 一本釣り 『まあ、たしかに、説得にかかる労力の割に生産性が低いというのはありますね。
あとはまあ、体系的な妄想は変更しがたいですからね・・・。芋づる式というか、全体論的に妄想がかっているというか。』
# shinichiroinaba 『なんかラカニアンにもどっぷりじゃなくて小道具のひとつとして援用してる人のなかにはおもろいこというとる人もいるとは思うのですよ。樫村愛子じゃなくてだんなの晴香さんとか。ジジェクも断片的にはそう思うことがあります。ようわからん。』
稲葉はsfっぽい話が好きなんだろうな。
ドゥルーズ=ガタリや小泉義之が好きなのもそういうわけでしょ。
422 :
考える名無しさん:2005/11/27(日) 06:02:41
樫村読んでも1ミリも理解出来んとです
愛子もまあまあ面白けどな
>>420 樫村は小道具としてラカンを使ってるのではないと思うけどね
ところで樫村って「なぜ私は蜘蛛が怖いのか」という問いから
哲学を始めたんだって
厨先生がジジェクと並べているが、樫村さん自身はジジェクのことをどう思ってるの?
>>425 俺が知る限り樫村がジジェクの名前だしたのは楳図論で一回だけ
引用↓
このことは「美は死のヴェールである、想像的なものは現実的なものの皮膜である」
といったラカン派的格言、あるいはジジェク的戯れ言を想起させる。とはいえ
この格言で人が何かを理解したと思った時、実は楳図かずおの作品を思い出している
だけかもしれない。隠喩は事態を示唆するが、分節しない。
427 :
考える名無しさん:2005/12/03(土) 22:56:58
1/12 08931-4 c0110 シ-19-1 否定的なもののもとへの滞留 スラウ゛ォイ・ジジェク著
酒井隆史・田崎英明訳 560 文庫
1/12 08957-8 c0141 モ-6-2 位相のこころ 森 毅 336 文庫
>>420 このshinichiroinabaってfinalventの別名だっけ。かすりもしないスカだらけ。
いくらなんでも大学教授なのだから、単なるネットジャーナリスト気取りと一緒にするのは可愛そうです><
430 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 09:04:33
地中海を見ることのなかった思想がもつ、等しい貧しさがある。哲学史家は、
キェルケゴールは自己の無根拠を知って神への一挙的飛躍をなし、他方ニー
チェも自らの無根拠の上で、それを同一なるものの自己肯定に転じたという。
一方はただ神の前に立ち、言葉と命法のみがある。そのとき他方の前には風
景があり、イタリアの岸辺にゆき返す、波と光と波。
何が同じだというのか。
こういったすべては完全に明らかであり、馬鹿馬鹿しい。
声もなく、光もない。
431 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 09:18:30
”ところで、その頃私は、たびたび名前を出す友人の樫村晴香に
こんなことを訊きました。
「私が生まれる前から宇宙はあり、私が死んだ後も時間は流れつ
づける。―こんなことを本気で考えようとするのは、バカかなあ」
すると彼はとても驚いた顔をして答えました。
「え?それ以外に、哲学の課題なんてあるのか?」”
432 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 09:32:31
ちなみに私の小説で樫村が好きだと言っているのは、
『猫に時間の流れる』と『残響』で、上の発言は『猫
に時間の流れる』を考えながらのものだと思う。
433 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 09:36:48
『この人の閾(いき)』は8月4日にワープロ稿として完成する。その
直後の8月7日の夜、私は久しぶり樫村と電話で話をした。そのことに
ついては、『アウトブリード』に入っている樫村への手紙の中でふれて
いるとおりで、私が樫村に、「イルカの知性は禅の高僧と同じようなも
のなんじゃないか。コンピュータが扱えなくても、高層建築を建てられ
なくても、そんなことは本当の知性とは関係ないことなんじゃないか」
と言うと、樫村はしばらく絶句したあとで、「それはつまりバカという
ことなんだよ」と言った。この時点で、私は、私が樫村に言ったのと同
じ台詞を真紀さんに言わせていた。『この人の閾(いき)』としてみん
なが読んでいる形では、この台詞を「ぼく」に言わせ、それを真紀さん
が否定することになっている。つまり、あの夜、樫村と電話で話すまで、
私は言葉として表現されないものを「ある」として小説を終わらせてい
た。しかしあの夜の会話を挟んで、私は言葉として表現されないものを
「ない」とした。
あの夜、樫村は私がけっこう口当たりのいいところで、適当に小説を
書こうとしていることを察知して、「あなたの現在の安定をすべて打ち
壊してやってもいいよ」というようなことを言った。彼にはものすごく
思いやり深い面と、破壊的な面があって、あの夜は彼自身の気持ちの状
態もよくなくて、私との会話に苛立ち、私に向かって斧を振り上げた!
という感じだった。軽い一撃を食らわせるのより、本気で振り上げる
方が迫力がある。そして樫村は振り上げた姿勢で思いとどまって、「あ
なたは1度も自分より利口な人を書いていない」というアドバイスを私
にした。樫村で驚くのは、アドバイスがいつもとても具体的だというこ
とだ。小説を書くことに限らず、ものを考えることは、大半が技術なの
で、抽象的なアドバイスはたいてい意味がない。結果、真紀さんと「ぼ
く」とのやりとりは緊張感のあるものになったと思う。
434 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 09:42:25
。『季節の記憶』を読んだ樫村晴香が「あなた、子どもを作りなよ。
あなたは具体的な事例から思考するタイプだから、あなたのような
人間が現実の子どもの成長をみながら何を考えるのか、私も興味が
ある」と言ったことを思い出す。
435 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 09:56:35
まぁ、それは抜きにしても、高校からの同級生に樫村晴香というのがいて、
彼が『プレーンソング』でデビューする前から読んでいて評価していてくれ
ていたから、極端なことを言っちゃえば樫村だけ、その一人でいいか、とい
う感じなんです。
今はフランスに住んでいるので、二年ぐらい前から読まれない状態がずっ
と続いていたんだけど、「文學界」で二人で芥川賞の後に話をするというこ
とになって、彼が最近の僕の書いたのを含めて全部読み返してくれたんです。
それで『猫に時間の流れる』は今までの中で一番よかったと、彼に言われて
「やっぱりそうか」と、こっちも確信が戻る。
何か選択しているときに、こんなほうを選んじゃったら樫村にバカにされ
るよなとか、バカにされるというか、もっと強い師弟関係があって、キリス
トに帰依している使徒みたいな感じで、だから樫村からそっぽを向かれたら
私はやっていけないというような……(笑)。今のところ僕のなかに住む架
空の樫村が僕を見捨てないような小説のやり方を選んでいる、と思っている
から何とかなっている。
436 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 10:09:07
「あ なたは1度も自分より利口な人=樫村を書いていない」
437 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 10:25:18
何故かというと、私にとっての樫村晴香が、小島信夫にとっての森敦なのよ。
で、そういう話を聞いてもたいていみんな言います。「そんな理屈ばっか言っ
てて何も書かない人より、実際に書いた保坂さんの方が偉い」って、でも、
書いた本人だけが知ってます。実際に何かするなんて、結局肉体労働よ。肉
体を使わず肉体労働者に芥川賞とか谷崎賞とか取らせた人がいる。
それが樫村晴香であり、森敦なんです(樫村も森敦も、ふたりともちょうど
芥川賞と谷崎賞の両方をとる小説家を育てたんですよ)。だから小島さんも
実際に書くのなんてたいしたことじゃない、と思ってます。でもね、森敦の
文学観は古くて名声に頼ってる。われわれの時代はもう文学賞なんてひとつ
も偉くないから、事態はもっと相対化されてるわけ。森敦も旧制中学のとき
に数学を極めようとしたんだって。で、彼が数学の本質的な矛盾に気付いた
ときにゲーデルがそれを指摘しちゃったんだって。それもまた樫村にすごく
似てて樫村も10年前から5年前くらいまで神経言語学ですべて解析しよう
としたもんね。でも、こないだ5年9ヵ月ぶりに豊橋で会って4時間話した
とき、樫村はもう自然科学はやめて小説に本腰入れてるみたいでした。で、
この小説はすごい!! これはもうびっくり!! どうびっくりかは、いず
れまた書きます。この構想は誰にしゃべっても、絶対に誰もそんなこと書け
ない。世の中ってさあ、本当に早い者勝ちと、全然違う圧倒的なことを考え
ることのできる人がいるんだなあ。
438 :
考える名無しさん:2005/12/13(火) 16:54:27
樫村を読む人は筆者の尋常ではない破壊衝動に憑依されないようにw
ぼくの思うにこのひとは、言語演算領域を過剰に駆動させることで言葉が
言葉として意味を成さなくなる次元、抽象的な他者への原初的な叫びの次
元を獲得するに至るまで思考を押し進めていくことで、固定観念の崩壊が
生じさせ、書き手ー読み手を言葉の<外>へと弾き出すと同時に両者の身
体の内部に革命的な力の蜂起を促すタイプの人だから、迂闊にのめり込む
とアタマがやられて廃人になるよ、焼けきれるっていうかw。言葉を介し
た身体へのハッキングみたいなもんでさ、読後感が異物に侵入されちゃっ
た感が強い。処女喪失みたいなさw。ニーチェの文言には一字一句物理的
実在が伴うっていう殺伐とした光景も実際に味合わせていただいたからま
あ感謝はしてるが、ファッション感覚で読むもんじゃないと思う。正直殺
されるかと思った。精神的に不安定な時期に読むとやばいと思う。
以上信者でした。
439 :
考える名無しさん:2005/12/13(火) 16:56:39
固定観念の崩壊が
↓
固定観念の崩壊を
>>438 >処女喪失みたいなさw。
尋常ではない言動に惹かれて大変なのは判ったけど
その安直過ぎるレトリックはないんじゃない?オヤジクセー
441 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 09:01:32
Re: 事実と言論の剥離
保坂和志 2005/12/22(Thu) 00:21 No.862
ていうか、浅田彰は自分の文章に対する批判をいちいちチェックしてるん
だろうか。「ああいうタイプは自分を批判する人間を潰そうとする」と、
ある人が言っていたのを思い出しました。
岡崎乾二郎までそれに参加したのも驚き。
それにしても、浅田彰は有名な人にしか興味がないみたいで、つまり、作
品個々でなく、状況の方に関心があるということなんだろうなと思いました。
------------------------------------------------------------
442 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 09:03:30
Re: 事実と言論の剥離
浅田彰 2005/12/22(Thu) 01:15 No.865
私(浅田彰)は「自分の文章に対する批判をいちいちチェックしている」わけ
ではありません――そもそも物理的に無理ですから。ただ、たまたまぶらっと
立ち寄った「風の旅人」さんのブログで、私の発言が「許せない」と言われて
いたので、さすがに気になっただけです。また、肯定することと否定すること
がひとつであるようなレトリカルな書き方が通用するのか、むしろ余計なニュ
アンスは捨ててダメなものはダメとはっきり書かなければ通じないのか、とい
う問題も、それなりに重要な問題だと思ったので、少し対話を試みました。結
局、通用しようがしまいが、ニュアンスを犠牲にせずに書くしかないという、
私のもともとの態度を変更するにはいたりませんでしたが、意味のない対話だっ
たとは思いませんし、「途中から後悔」することなどあろうはずもありません。
443 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 09:04:03
保坂さんの指摘については、主観的にはむしろ逆だと思っていて、たとえば「批
評空間」の編集委員だった頃の私は「自分を批判する人間を伸ばそうとする」こ
とだけを考えていました――いくつかの例をみるかぎり、それはたいてい失敗し
たようで、それならいっそのこと自分ができるだけ書かないようにして若い世代
に場所を空けようと思うようになったのですが。また、私は一貫して人間ではな
く作品に興味をもってきましたし、現在もそうです。たとえば杉本博司のことを
個人的に知らないわけではないにせよ、付き合いと言えるほどのものはない。た
だ、彼が有名になるずっと前、ほとんど無名のアーティストとしてデビューした
頃から、これは不毛な完全主義から生み出された作品だがそれとしてはなかなか
すごいものだと思っていた。たしかに杉本博司論ではそのような彼の作品をいわ
ば真の意味でのポストモダニズムの代表例として扱っていますが、作品なしの状
況論というわけではありません。あるいは、岡崎乾二郎はけっして「有名な人」
とは言えないだろうけれど、先日の南天子画廊の展覧会で発表されたペインティ
ングなどは、題名に「ウーティス(nobody)」が引用されている通り、画家の
署名を必要としないほどの完成度に達した作品だと思ったし、そのようなもの
として評価しています。また他方、保坂さんはとても有名な作家だと思うので
すが、残念ながら作品にまったく興味がもてないということは告白しておくべ
きでしょう。
444 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 23:35:39
>>443 そのとき太郎の節くれ立った指が次郎の肛門に・・・
まで読んだ
445 :
考える名無しさん:2005/12/27(火) 23:37:02
多分樫村も保坂のことはほんとは興味ないんだろう。
保坂の人間性が相当に劣ってることは疑う余地もない
だからって作品まで劣ってることにはならない
傑作もいくつかある
むしろなんで浅田が保坂の小説にほとんど興味を示さないのか
考えるほうが面白いね
447 :
考える名無しさん:2006/01/12(木) 22:50:09
「人間には人間的でないことは生じない。牝牛には牝牛に自然でないこと、
葡萄には葡萄に自然でないこと、石には石に特有でないことは生じない。
生じることは全て自然であり、君は不平を言うべきでない」。転移を遠ざ
け、人間を客体化した彼にとって、人間の全ての愚かしさは必然的連関の
中にあり、了解可能である。しかしこの文が本当に言うのは、人間も牝牛
も葡萄も石も同じだという、存在への無関心と失意であり、それ以上に、
そのことを牝牛や葡萄に向けてくり返し言い、反復し循環し、欲動に回帰
し退行することで子供じみた復讐をなしとげる、その感覚の幸福である。
ストア派のやつか。
449 :
考える名無しさん:2006/01/13(金) 00:00:46
>>448 最近見かけるコテハンたちは普段は何してんだ??
450 :
考える名無しさん:2006/01/21(土) 07:08:17
現代思想の特集「ニーチェの思想」
井口正俊の論文で樫村ドゥルーズ論に言及があった。
451 :
考える名無しさん:2006/01/25(水) 22:37:11
しもじもの者にも、持ち歩ける著書を一冊下げ渡して欲しいなあ
この人の圧縮されていない文章を読んでみたい。まじめに。
453 :
考える名無しさん:2006/01/26(木) 00:49:06
紙媒体で読みたいよう
もう待ちくたびれたよう
でも待つけど
454 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 22:40:47
声もなく、光もない。
455 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 23:51:44
だ れ ?wwwwwwww
456 :
考える名無しさん:2006/02/18(土) 00:19:05
つか、まじめな話、この人を知らない。
経歴、現職などを詳しく教えてください。
京大卒の現ニートです
458 :
考える名無しさん:2006/02/18(土) 20:48:36
459 :
考える名無しさん:2006/02/19(日) 00:19:42
ニートって・・・。
この人結婚してるんでしょう?
460 :
考える名無しさん:2006/02/19(日) 00:59:08
杜玖椀 晶子
461 :
考える名無しさん:2006/02/19(日) 01:17:59
教授でもないんだ。
京大卒か。鳥肌実と同じだ。
463 :
考える名無しさん:2006/02/19(日) 04:11:30
age
464 :
考える名無しさん:2006/02/21(火) 03:01:13
■郡司ペギオ−幸夫vs.小泉義之
生物学と哲学を越境する渾身対談
物語をやめよ!=[生きる]ことの哲学を構想する
465 :
考える名無しさん:2006/02/21(火) 05:04:22
そのペギオーってやつ
大したことない
ペギは樫村以上の電波
467 :
考える名無しさん:2006/02/21(火) 22:36:34
ドゥルーズの哲学に合った科学概念をブチ込んで書いたみたいな本でしょ。
その人のは。
468 :
考える名無しさん:2006/02/22(水) 19:59:52
悪い電波
樫村なんかよりペギ夫読めよ
そのほうが絶対ためになるよ
470 :
考える名無しさん:2006/02/23(木) 21:52:26
冗談がきついよ
471 :
考える名無しさん:2006/02/23(木) 21:59:50
樫村の読んだ。
こういう書き方が許してもらえるなら
俺でもできるな。このくらいは。
472 :
考える名無しさん:2006/02/23(木) 22:02:23
樫村は秘教。
473 :
考える名無しさん:2006/02/23(木) 22:06:33
45万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾
『嫌韓流2』発売中
駄作か傑作かは、買って自分で確かめよう
475 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 14:25:24
『ユリイカ』2004年7月号 特集*楳図かずお
「Quid ? ソレハ何カ 私ハ何カ」
が保坂のサイトで読めるようになってしまった
476 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/12(日) 00:16:04
「ドゥルーズのどこが間違っているか?」で、
>ニーチェの偽装の観念が、実際は「悪」や「他者」と切り離せない、精緻な症候的概念であり、
>Dzのように一般理論化する過程で、現実的‐実体的な内容が失われることを示唆するためである。
ということですが、ニーチェの言説に、症候的なものがあることが否定できなくても、
ニーチェの「力」が「悲劇の誕生」のアポロン的なものに対する、ディオニュソス的なものから
来ていて、それが、「力への意志」、「永久回帰」などに展開されたとするなら、
必ずしも、ドゥルーズを批判できないのではないでしょうか。
> 実体的な内容
というか、これは必ずしも失われてないと思う。
>>406-408 ここの例で言えば、サイコロを繰り返し振ること自体が肯定の
証である、みたいなことをドゥルーズはいってるわけで。
その程度では不満なのかもしれないけど。
478 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 11:50:12
一冊も書いてないやつは軽く樫村を超える
479 :
考える名無しさん:2006/03/27(月) 01:00:56
>>441-
>>443 これはどこのサイトに載ったものでしょうか?
どうぞ教えてください。
480 :
考える名無しさん:2006/03/27(月) 20:28:46
保坂の掲示板
sage
482 :
考える名無しさん:2006/04/23(日) 00:11:06
「私とは何か」という問いは、何なのだろう。
「私は何か」「人間とは何か」。それらの問いは広すぎ、茫漠とし、馬鹿げてい
て、解答など存在しない。もし誰かが「机とは何か。なぜそれはここにあるのか」
「コップとは何か。そもそもそれは何なのか」と問いかけるなら、それを聞く者は、
彼に精神科を受診するよう勧めるだろう。あるいは誰かが「神とは何か。それはな
ぜ存在するのか」と今日問うなら、やはりそれを聞く者は、彼の文化に同情と敬意
を払いつつ、彼がその問いを諦めるのを待つだろう。
そして「人間とは何なのか、私はどこからやって来たのか」という問いも、それ
が昼の明るい陽射しの下で声高に問われるなら、やはり精神科の管轄に所属する。
しかしそれが昼の陽射しと生産と交換の最中(さなか)でなく、夕暮れから夜の時間
に、声になるわずか手前の喉元で出されるなら、人がそれを発するのを誰も聞いた
ことがないのに、人がそれを発しているのを誰もが知っている、ありふれた問いと
して、今日でもなお存在する。
それは哲学の最後の避難所、あるいは哲学と神経症、「存在」と「人間」の燃え
滓のようなものだろうか?
一日の仕事の後、郊外電車が地下から地上に上がり、群青(ぐんじょう)色から
黒に変わりつつある空に高層住宅群の明かりが浮かぶのを目にしながら、曖昧な
意識と疲労の中で、人は「私は何なのか。私は何をしているのか」と問いかける。
あるいは夜空に帯状に広がる無数の銀河系の星を前に、高揚と空虚が同居する気
分の中で、人は「人間とは何なのか」と問いかける。
483 :
考える名無しさん:2006/05/19(金) 09:07:51
生命の誕生、意識の本質−マテリアルの科学ヘ 郡司ペギオ−幸夫 未定 6/20
484 :
考える名無しさん:2006/05/19(金) 14:25:35
この人奥さんが愛知大学の社会学部にいる人?
この人自身は大学出てないの?
>>484 >この人奥さんが愛知大学の社会学部にいる人?
ウィ
>この人自身は大学出てないの?
出てるよ
486 :
考える名無しさん:2006/05/19(金) 17:05:31
へ〜 どこの大学?
京大
488 :
考える名無しさん:2006/05/19(金) 17:31:22
聞いたことねえなwww 証拠みして
>証拠みして
>証拠みして
>証拠みして
>証拠みして
>証拠みして
>証拠みして
>証拠みして
>証拠みして
491 :
考える名無しさん:2006/06/18(日) 06:50:13
492 :
考える名無しさん:2006/06/18(日) 09:19:26
493 :
考える名無しさん:2006/06/18(日) 23:41:28
ほんと聞いたことないよ。
494 :
考える名無しさん:2006/06/19(月) 20:19:07
495 :
考える名無しさん:2006/06/19(月) 22:52:53
つまんねー書き手だねえw
496 :
考える名無しさん:2006/06/25(日) 20:44:26
笑わせるな↑
497 :
考える名無しさん:2006/06/25(日) 21:06:07
この人いま何才?
ドゥルーズ論は荒川修作論と一緒によむとわかりやすいね
要するにドゥルーズは、芸術作品であるなら許容できるけど
理論としては成立しないことをやってるらしい
悪いけどこんな人知らないよ
500 :
考える名無しさん:2006/07/18(火) 19:48:04
君が無知なだけでしょ
501 :
考える名無しさん:2006/07/18(火) 20:19:18
いや知らない。大した人間じゃないし。中年になって女に食わしてもらってなにしてんのコイツ。結局団塊体質だね世代は違っても
知らない割にはずいぶん詳しいですね。
503 :
考える名無しさん:2006/07/18(火) 22:51:10
そもそもドゥルーズ自体が三流哲学者。
504 :
考える名無しさん:2006/07/19(水) 10:34:22
505 :
考える名無しさん:2006/07/19(水) 11:47:34
上のほう読んだから。
>>501 >中年になって女に食わしてもらってなにしてんのコイツ。
サイコーな人生じゃないか
507 :
考える名無しさん:2006/07/20(木) 20:56:45
その女が言ってることは夫の大衆版みたいなもんだけど
508 :
考える名無しさん:2006/07/20(木) 21:53:42
ラカン派社会学とかもはや恥ずかしいの一言。
ちゃんとした研究しようねってその愛知大学の女房にいっといて。
ひとり粘着がいるみたいね。
それにしても『症候言語学』は一体いつ出るんだ?
七千円とかでも買うから早く出してもらいたいな。
症候言語学とかより昔の未発表の原稿をまとめて本にしてほしい
とくに80年代の後半のこの人の文章が凄すぎる
最近のはだんだん薄くなってきてる
511 :
考える名無しさん:2006/07/29(土) 21:14:27
関心が変わってきたからね
80年代のはどうだろう。使っている用語が資本家とか搾取とか、
アルチュセールの影響がかなりありそうだが。当時は専門を「経済学」と名乗ってたみたい。
90年代はどれもすごいが、この時期はドゥルーズ論の
「つまり本稿は、あらゆる幻想とそれをめぐる力動(政治的情熱であれ文学的熱情であれ)を神経症的産物とみる、
科学主義的、エピクロス‐スピノザ主義的態度から構成されている。 」
で要約できるだろうな。
この「態度」そのものへの拒否が『ストア派・・・』で宣言され、楳図かずお論で徹底された。
別に薄くなっているとは思わんけどね。
513 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 15:05:46
>>512 同意。
(内容が)薄くなった、という感覚は錯覚で、どちらかというと潔癖なまでに現実を俯瞰するための、遊離感のようなものを感じる。
少し前の樫村のテキストはどこか見られることを意識していたけど、ストア派〜辺りから、語ることの無意味さを甘受した地平で書いているような。どこか無気力で軽くて、透明な。その辺りが口当たりの良さというか、やる気のなさのように感じることも。
とどのつまり、世界はどこまでも物理的でただそのネットワークがあるだけの存在で、だからこそ一方で、精神によって世界はどのようにでも読み解けるし、語られる。この辺りの自覚が樫村において、徹底してきたような希ガス。だからその上で語る自身も一症例。
書く精神がシフトしているのは間違いないので、読む方もシフトするべきなのかな?
↑
なんかサッカー板にいるめちゃ気色悪い奴に文体が似てる
それだけ
>>513 これって保坂信者?ちょっと頭悪すぎないか?
このスレ、これ以上あっても仕方ないな
意味ない
516 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 20:46:26
草稿つくったり熟考しねえでいつも一挙に書いてるのがよく分かる。
まあそういうスタイルは小林秀雄や花田清輝も一緒だから気にすんな。
・・・だからいざ一冊本を出そうとするともうアタマの中が収集つかなくなってんじゃねえの?
浅田彰と一緒で、つまり「書けない」んだよこの人は。 ほんとに。
>>515 なんて保坂の名前が出てくるの
頭悪すぎないか?
>世界はどこまでも物理的でただそのネットワークがあるだけの存在で、
この辺がなんか保坂信者っぽい
つか、さすがに保坂ですら、
「世界はどこまでも物理的で」とか
「精神によって世界はどのようにでも読み解けるし、語られる」
とか言われたら怒りだすと思うけどね
519 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 02:19:41
樫村の奥さんが独身のときに仕事で会ったことあるけど、
も〜のすごい美人だったなぁ〜
520 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/06(日) 02:30:00
愛子様・・・
ネオリベ生活批判とかいう本で写真でてました奥さん 確かに綺麗でした
>>518 だから保坂じゃなくて樫村の話だろうが。
普通は樫村信者というところだと思うけど?
保坂は確かに樫村信者だろうけど順番が逆だよ
しかもその程度のことなんか保坂じゃなくたって言ってるやつは腐るほどいるだろw
馬鹿だねえ
少しでもちゃんと樫村を読んでれば
>>513みたいなひどい文章は書けるはずがないんだよ
だから
>>513は樫村を読んでいない
だから保坂を読んだのかなと思ったんだよ
保坂を貶そうと思ったわけじゃないんだよ。分かってくれ
ただはっきりいって症例一元論だよね
昔も弁護士の女性と結婚して養ってもらってたんでしょ。いいなあ
527 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 13:06:02
ラカン派にとって人間の行動はぜんぶ病気ですから
人肉の味は言語で分節しないでほしかった。
530 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 04:24:13
人肉レストランなんてあるはずがないんだけどww
若島正(京大教授)は語る
「数学から文学にかわって驚いたのは、周りの人間の頭が悪いことだった。
数学をやっていたときはみんなが天才に見えたし、事実本当に凄いやつもいた。
でも、文学研究ではついぞ、そういうやつにお目にかからない」
531 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 04:33:21
www.aoisora.org/miharashi/miharashi.txt
532 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 05:00:06
草稿つくったり熟考しねえでいつも一挙に書いてるのがよく分かる。
・・・だからいざ一冊本を出そうとするともうアタマの中が収集つかなくなってんじゃねえの?
浅田彰と一緒で、つまり「書けない」んだよこの人は。
ほんとに。
中島義道と同じで相当な騒音嫌いらしいな。近くにいたらさぞかしウザいこと間違いないな
533 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 05:12:12
恥ずかしくてもう表に出てこれないんだと思うこの人。
なんか知らないけどそんな大騒ぎするほどの内容を言ってるワケじゃないじゃん。
何がすごいのこの人?
今も昔も表に出てきませんが?
それゆえスレタイに超寡作なんてつけられるわけ。
>>534 大昔は表に出ることもあった。
朝日ジャーナルで関廣野らと座談会やったりしてた。
まあ大昔はそうだったかもしれないけど
いずれにせよ
>恥ずかしくてもう表に出てこれない
なんてことはないだろ
537 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 16:30:14
知らない人脈系統の雑誌からの取材は絶対にうけつけないみたいね。
むかし自宅まで行ったのに帰らされた大学の先生から聞いた。
それでもまぁ…ねえ。
たんなるビョーキなんじゃん?(笑)
538 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 16:37:53
謡子は二十一歳の時、同じ京大生と結婚していた。
当時まだ大学院に籍を置いていた彼のことを、
構造主義的なマルクス主義者だと言った。
「構造主義的」マルクス主義?
アルチュセールというフランス人哲学者の名前くらいは、
かろうじて知っていたけれど、謡子と再会するまで、私は、
マルクス主義が素朴に信じ、西欧の諸哲学と共有していた
「歴史」や「進歩」や「人間」といった概念から疑うのだという、
「構造主義」という、その言葉すら聞いたことがなかった。
「京極君は音に凄く敏感だから、ずっと防音カプセルの中で生活しているの。
それで自分のリズムで寝たり起きたりするでしょう。
だから、だんだん昼と夜がずれてきて、しまいには正反対になるの。
そうなったら、御飯を作っても起きてこないし」
謡子は彼の姓に君をつけて呼ぶことが多かった。
二人とも「家」という制度には反対で、戸籍上の結婚をしなかったために、
彼の姓は謡子のそれとは違っていた。
仕事に就かず、ピアノを弾くために設計された防音カプセルに篭って、
起きている間じゅうずっと勉強しているという彼の生活を聞いたのは、
謡子がアパートに来るようになって、まだあまり日がたたない頃のこと
だったが、その時は、不思議にそんなに変だという気はしなかった。
539 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 16:47:31
「私は十年間、彼の言うことをずっと聞いてきたのよ」
謡子は、彼がポスト・モダン思想を踏まえたマルクス主義の新しい理論を構築することを願い、
専制君主のように振る舞う彼を十年間支え続けたと言う。
「東京にきて、はじめに住んだアパートは小さくて、
カプセルが入らないから彼のいらいらがすごくなって。
前が公園で、シーソーの音がギーギーいうと荒れ狂ってね。
飛んで行っては、すみません、すみません、病人が居ますからって、
何回も何回も頼んだの。
それで今の家を買って住みやすいように全部揃えて、
静かにしてくれるようになったら、私、何してきたんだろうって…。
そう思ったときに青木君に会ったから」
そう言うと謡子は私の目を見た。
「働いて欲しい。予備校の講師の口なら私が探してくるからって何度か頼んだわ。
お互いに男と女は平等だと考えているんだから、あなたも働くべきだって言ったこともある。
京極君は、長いこと黙って考え込んでたけど、結局、やっぱりそんな時間があれば
勉強する方がいいって」
私は謡子が、思想の上では男女平等で戸籍や「家」の制度から自由でも、
生活の上では稼ぎも家事もみな女に回ってくる、そんな彼との生活を清算し、
「もうあなたのところには帰らない」と宣言して私のところに来てくれることを望み、
そして、謡子はすぐに決断できないとしても、
時間が私の希望をかなえてくれると信じていた。
それ何?
541 :
考える名無しさん:2006/08/16(水) 03:50:28
その「京極君」のモデルが樫村
それってホントなの?
前スレのあやふやな記憶では多田道太郎の娘が酷い目にあってそれで
多田はポストモダンの連中が嫌いになって加藤典洋とか集め出したとか
545 :
考える名無しさん:2006/09/16(土) 04:57:14
樫村とスピノザどっちがスゴイ?
546 :
考える名無しさん:2006/09/16(土) 21:52:34
スピノザ
547 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 17:58:26
樫村でしょ
548 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 21:04:02
ここにいる連中は保坂の小説自体をどう思ってる?
549 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 00:17:25
まあまあ。本気では興味ない。中途半端に頭がいい感じ。
小説論もたいしたことない。世間的には才能がある人ということになって
いるのだろう。それでいいけど。
樫村の論文を読めるようにしてくれたのには、ひたすら感謝。
足を向けて寝れない。
550 :
考える名無しさん:2006/09/27(水) 13:08:43
>>548 私は別に保坂の頭がいいとは思わないが、保坂の小説は評価している。登場人物(猫も含む)のやり取りが面白い。ただエッセイに関しては厳密さに欠けると思う。小説ではその曖昧さが面白さになっているのだが……。
551 :
考える名無しさん:2006/10/02(月) 13:30:39
保坂は厳密さなどは捨ててる
552 :
考える名無しさん:2006/10/07(土) 06:50:16
553 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 04:17:19
小説はいつまで待てばいいのですか?
だね
555 :
考える名無しさん:2006/11/10(金) 17:49:21
江川隆男
556 :
考える名無しさん:2006/11/30(木) 09:47:46
age
557 :
考える名無しさん:2006/12/04(月) 22:58:57
樫村氏が、エッセーでも良いから、最近書いたものを読みたいぞ!
558 :
考える名無しさん:2006/12/05(火) 00:03:11
楳図かずお論から今はいずこ
自分も『批評空間』に載ってた「ストア派とアリストテレス・連続性の時代」の
独断調の文体にひきつけられたクチ。
刊行予定の『症状と言語(仮題)』(世識書房)もいまだ出版されてないみたいだし。
で、その樫村氏が、大好きな楳図かずおについて論文を
書いたということで期待して読んだのですが、どうもこじつけッぽい気がする。
楳図マンガに「私は何か?」という問いがあるとは思えない。
楳図かずお論についてだれか意見ありますか。
560 :
考える名無しさん:2006/12/11(月) 21:09:35
よめてないなあ
>>560 数少ない読者からなる過疎スレだから一言レスはやめよ。
>>559 楳図かずおの作品を通読したことがないので鵜呑みにしただけだが、
ドゥルーズの分析、ストア派の話には連なっている。
2つの系列があるね。
・主体の自己同一性を壊乱して身体的なメタモルフォーズを肯定する善悪の彼岸。能動的転移。幼児的多形倒錯の多神教。
例:ストア派、スピノザ、ドゥルーズ、科学、資本主義、『ドラゴンボール』、『らんま1/2』
・主体を身体へと埋め込まずに保持し説話的時間を拒否。善悪を定立。転移の不能。本源的な一神教。
例:ソクラテス、プラトン、楳図かずおの『漂流教室』『わたしは真悟』『14』など。
熱心な精神分析信者でいわば症候一元論というか分析哲学にも適用する
徹底ぶりがおもしろい ただ本当に小説書いてるとしたら単なる後退だとおもう
563 :
559:2006/12/12(火) 14:56:40
>>561 レスありがとうございます。
かつての浅田用語で言えば
(単純化しすぎかもしれないが、ザックリいうと)
前者がスキゾ、後者がパラノってことでしょうか?
自分は個人的に楳図かずおにはこういった「主体」(私)についての問いではなく
「主体」に先行する固有名の問いがあると見ているので樫村論文には無理があると感じたのです。
(読めてないのかもしれない)
で、この固有名が『漂流教室』『わたしは真悟』『14歳』のような「歴史」を
語らせていると考えているわけです。
メタモルフォーズの拒否も「わたし」への拘泥ではなく「固有名」への拘泥として
読みかえることができような気がするし(弱気)、
『まことちゃん』や『アゲイン』のように肯定的にメタモルフォーズを描いている楳図作品を
樫村氏は無視しているようですが、
楳図の肯定的なメタモルフォーズの場合、「わたし」はさまざまなものに変化しても
「固有名」(まこと、元太郎)だけは変化しない。
樫村論文のいう区別、
肯定的なメタモルフォーズの主体を「属性」的なもの、
否定的なメタモルフォーズの主体を「実体」的なものとみているのだとすれば、
楳図の描く「主体」は時間そのものをさしているだろうと考えられます
(例えば『おろち』や『イアラ』)。
時間(私)は常に変わるけど、歴史(固有名)は変わらないというふうに。
(あと論文中、ラカンに依拠して説明していましたが、そこがごちゃごちゃと
していてこじつけっぽく感じてしまったのですが…。どうでしょう?あれ、納得できましたか?)
専門的に哲学とか心理学とかやってたわけではないので何かすごく思いつきで
書いてしまいましたが、専門分野の人からしたら、多分こんな単純なことではないんでしょうが。
>>563 そういう自分語りは東スレでやるもんだ。
てにをはに反応する奴。
意識と身体が症候一元化する現場が未体験ゾーンな才能なひとには理解されにくいけどね。
樫村には「症候一元化しない場合はどうなる?」という問いの可能性は
ありますか。
楳図論は駄目だと思った
なんで「私は真悟」なのに主体が悟なんだよ
だから主体=症候一元論では無理がある。
570 :
考える名無しさん:2006/12/18(月) 22:13:16
馬鹿ばっかり
571 :
562:2006/12/19(火) 00:36:59
たとえば
「神経症的配慮」に始まる世界区画は、因果律のような基底的認識・思考も完全に規定する。
とか
今日、人々はソリトン風の発散し爆発する式に慣れているが、つい数年前まで数式は常に一望可能で、
視覚的表象と常に幻想的に結びつき、神学的効果をもっていた。
そして何かが一望できる、一挙に捕捉可能だと考えることは、素朴で単純な信仰でなく、
常に神経症的な二次的防衛過程である。数式が崇拝され、あるいは弄ばれる時、
実際は原初的攻撃性や多形倒錯の回路が思考とつながり、思考から言語野は離断し、
何事かが意識の外におかれ抑圧される。ここでどのような形の防衛が生じ、
何が抑圧されるかは、思想家の数と同じだけ多彩だった。
とかこれはまさに症候一元論じゃない?
芸術にふれるたびに火傷している
文学もあやうい
↓これって小説がうまくいっていないという懺悔・愚痴のようにも読めるな。
「私とは何か、人間とは何か」。それは小説には常に書かれ、いつの時代でも今日でも、
常に進行中の近代化過程の上部構造として、つまり常に失われていく自己の補償装置として、
小説は存在について象徴的なものの閉域内部で考え、あるいは考えるふりをする。
それは私や人間の「意味」、つまり私や人間の性行為、私や人間の生産活動、私や人間の病気や死の、
意味を語る。夏目漱石の時代でも今日でも、人間の意味はこうだと言い、意味はないと言い、
こうすれば意味を忘れるくらい気持ちいいと言い、やはり忘れられなかったと言い、何とかしてくれと言い、
そんなことは言うなと言い、何も言いたくないと言う。
それらは臨床社会学的、文芸評論的、歴史学的な価値をもつ。つまり知的、芸術的観点からは、
一行の例外もなくゴミ屑であり、既に哲学という「意識」内部で分節されたことの、大衆版、発展途上国版だ。
小説は基本的に不利な装置だ。それは文章でしか書けず、線的な思考、意味作用に容易に捕らわれる。
私とは何か、という問い、「存在」という驚異と疑念の瞬間が現れる現場を捉え、再現・解剖・加工するのでなく、
「存在」と対話し、隣人に接するように受け答え、ご機嫌を取って引き留め、
あげくは友人になって後々面倒を見てもらおうとさえする。「彼女は美しかった」「彼女は苦しんでいた」。
そう書き出すや、文は感想文と遡及的意味づけの開始となり、その演説に彼女はまみれる。
線状の文、つまり意思疎通の道具としての意味作用の外部に出ること、神話のように再度非線状となることが、
小説が三文哲学から離陸するための、非常に困難な道だった。
樫村晴香『特集*楳図かずお Quid ?ソレハ何カ 私ハ何カ』
574 :
考える名無しさん:2006/12/24(日) 08:57:36
なにその573の貧しい解釈
樫村は楳図にはなれない小説家志望の哲学批評家。
その人が漱石という特権的な固有名にまで言及して
「小説は基本的に不利な装置」なんてわざわざジャンルの「利」を語ってるんだから
小説に挑戦している過程で生まれた思考と読むのは無理でないんでない?
そんで樫村は自身の小説を、「神話のように再度非線状となること」を模索している
と言ってんじゃないの?
「三文哲学から離陸するための、(樫村自身の)非常に困難な道だった」と。
そもそも出自が違う小説が「(三文)哲学」と比較される唐突さって違和感バリバリ。
574は真面目に考えてみろよ
楳図の漫画からコギトを考え直すんだったら、
なんでボーイミーツガールの枠組みで読解するんだ?
機械の主体を問うべきだろう?
>>573 >夏目漱石の時代でも今日でも、人間の意味はこうだと言い、意味はないと言い、
> こうすれば意味を忘れるくらい気持ちいいと言い、やはり忘れられなかったと言い、何とかしてくれと言い、
> そんなことは言うなと言い、何も言いたくないと言う。
ここは『草枕』冒頭部を意識しているんだろうけど…
妄想だらけだな
579 :
考える名無しさん:2007/01/07(日) 07:51:52
>>578 ここにも上から目線の方丈記バカがいるのか。
ひきこもって自分勝手な悟りでも開いてろ!
580 :
考える名無しさん:2007/01/10(水) 20:30:30
古谷が擁護してますよ。
彼は良く分かってるね。
581 :
考える名無しさん:2007/01/11(木) 10:27:29
>>580 偽日記の古谷氏の擁護って「初期の傑作『半魚人』や、短編連作『おろち』、そして異様な長編『イアラ』などをあわせて読んで
いれば、それが決して自分の理論を楳図かずおを利用して 語っているというようなものではなく、あくまで楳図かずおの作品に沿
って書かれたものだとわかるはずだと思う」ていってるところか?
これって擁護というよりわかるやつにはわかるって言ってるに過ぎないんじゃないのか?
自分は『半魚人』も『おろち』も『イアラ』も読んでいるが、それでも『真悟』におけるラカン派的な説明はやはりこじ付けだと
思う(その論の正否云々というよりそれが「楳図かずお」のマンガである必要があったのかということに疑問がある)。
>>581の場合、お前にはわからない、と言われてると思うべきでは?
古谷は読めば分かるって言ってるだけだな
でも真悟が「わたし」だっつうの。
悟じゃないだろ
>>583 そうだね。
だから「読んでもわからない
>>581はまことちゃんのウンコ」て話なんだろうな。
585 :
>>581ことまことちゃんのウンコ:2007/01/14(日) 09:06:43
「わからない」っていってるのは樫村の論文内容のことじゃないよ。
樫村論文がそんなに難しいとは思わない。むしろ茶目っ気があって面白いと思う。
論文の内容と指示対象にズレがあるんじゃないの?といってるだけ。
でもこのスレ見ている人の多くは樫村支持者ばかりだし、自分も樫村が面白いと思ってるから
覗いてるわけだけど、あえて論文自体に突っ込み(疑問)を入れる人はいないのかな。
樫村は友達が多くていいなあ。うらやましい。
「偏差値」の低さが一文一文からにじみでてるからなあ。
保坂のページの「エコノミーの終了」が楳図論に入れ替わってる
588 :
考える名無しさん:2007/03/11(日) 17:51:25
こんな人間が小説なんか書けるわけないでしょに。
死ぬまで拡小再生産し続ければいいんでないの。
誰にも届きゃしないが。
589 :
考える名無しさん:2007/03/13(火) 13:50:44
590 :
考える名無しさん:2007/03/13(火) 21:10:46
典型的に袋小路に陥ってる人間だわな。
永遠に精神分析なりラカンなりやってりゃいいが。
ところでなんでこういう人間が哲学っぽいことやったり精神分析だかにいくかね。
数学やってりゃよかったんに。
この手の人間って保坂が一番嫌いそうにみえるんだが。
591 :
考える名無しさん:2007/04/02(月) 07:53:48
樫村さんは
小説かいてるんだろうけど
一生、世に出られずに終わりそうだな。
592 :
考える名無しさん:2007/04/20(金) 16:37:54
保坂のゴリ押しナシじゃ出ないよね
ま、その前に完成しなさそうだけど
593 :
考える名無しさん:2007/04/25(水) 21:09:29
そろそろ新しい文章読みたいなー
594 :
考える名無しさん:2007/04/27(金) 22:40:16
なー
595 :
考える名無しさん:2007/04/29(日) 15:57:21
誰も彼のケツを叩けない
596 :
考える名無しさん:2007/05/10(木) 08:06:16
ほんとに、このまま終わりそうだな。
ところで、樫村氏は子供いるの?
保坂のところはなぜかいないんだよね。
597 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 21:02:35 0
いるよ
樫村愛子の新しい本に書いてある
樫村愛子は書かなくてよい
つうかもっと国語の勉強して句読点の使い方ぐらい
理解してから書いてほしい
599 :
考える名無しさん:2007/05/12(土) 13:49:36 0
晴香はなにをしてんねやろ
600 :
考える名無しさん:2007/05/12(土) 17:06:24 0
書き込むネタがなくなると女性週刊誌的な流れになるのは
どこでも一緒ですね☆
とりあえずいまのところ最新論文である楳図論の話はどこに言ったんでしょうか。
見識ある方の意見を聞きたかったな。
コギトの話なのに、
主体が悟だからおかしいって意見があった
タイトルが「わたしは真悟」なのに……
603 :
考える名無しさん:2007/05/14(月) 15:08:13 0
「彼岸の強者と此岸の死者」
これ途中からホントにわかんなくなるんだけど
誰かおおまかに解説してくれないかな
他のはなんとか読み通せるんだけどなー
俺それが一番好き。この時期の樫村は凄い。
未発表の文章とか全部発表して欲しい
「彼岸の強者」は同時期の大島弓子論と表裏一体だからまとめて読めば分かりやすいんじゃない?
一言で言うと、
「彼岸の強者」=力の無い嘘についての話
大島論=力を持った嘘についての話
605 :
考える名無しさん:2007/05/16(水) 16:59:38 0
なるほど
未発表の文章がまだあるの?
あるんじゃない?「彼岸」は最後に「次回より理論的内容にはいる」って書いてるし、
大島論はあれで全体の三分の一の量らしいし。
「彼岸」は、最後のハンスの話だけでも読んどくと面白いよ
羊の群れを囲っている一本の縄(=存在・意味)は、
でも見張りの人の到来によって無効化されてしまう。
なぜならそこには羊と見張りの人だけがいればいいのであって、
縄はあってもなくてもどちらでもいい。
縄を引きちぎる羊たちを自身の力となすことができればいいんだけど、結局は羊が恐ろしい。
大島はこの「見張りの人」の問題にひどく苦しんでいた、みたいな感じにつながる
607 :
考える名無しさん:2007/05/16(水) 23:41:08 0
なるほど、なるほど
飛ばし読みは一度試みたけど、やっぱり大変
この論考には、
続きがあるよってのはいくつかあったね
でも無い気がするんだけどな
発表した分で書きやめてるんじゃないだろうか
飛ばし読みっていうか、ここの部分が核心だからね。
「見張りの人」なしに済ますにはどうすればいいか、っていう。
・見張りの人を無限に遠くに追いやってしまえば、縄の存在は許される。
そしたら今度は、羊が縄の下を簡単にくぐりぬけてしまうかも知れない。これは本当に恐ろしいことだよ
樫村によれば、哲学って言うのはいかに羊を敷地の中に留めておくかという技術のことらしいから。
んで、結局見張りの人が要請される。これがヘーゲル。
・逆に見張りの人を今ここに現前させておけば、羊が逃げ出す心配はなくなる。
その代わり、縄は完全に息の根を止められる。これがカント。
樫村はここで「カント/ヘーゲルなしに済ますことが社会システム上ではたして可能かどうか」を問うてる
でもそれに対する答えを出してはいない。むしろその問いの重要性の確認をやってる。それがこの論文の主題(の一部)
で、続きの部分は「次回以降」にやる予定だったんだろうけど、大島論に引き継がれてて、たとえばその中の、
「法は、みずからを真実と主張することなしに、愛に奉仕し、主体に力を与える、持続と安定の回路たりえるか」
っていうのは「縄は、見張りの人を要請することなしに、それ自身のみで羊を留め置くことができるかどうか」
って感じに読み替えできる。
まあ本当は、マルクスの機械=縄についての議論が大半なんだけど、複雑すぎて要約すんの難しいからパス。
樫村の文章ってそこまでがんばって読まなければならない
ようなものかね? 普通に考えれば判読不可能な電波文章
ということで終了じゃねえか?
610 :
考える名無しさん:2007/05/19(土) 15:17:09 0
哲学はひとつの世界観を与えて
脳の情報処理を節約してやるのが役目だ
と書いてた気がする
「彼岸の強者と此岸の死者」
とどう関係するかいまいちわからんけど
611 :
考える名無しさん:2007/05/24(木) 12:57:52 0
『ユリイカ』か『現代思想』で樫村晴香特集やんないかなー
冒頭で小説の一部発表してもらって
小説についてのインタヴューは保坂
評論については浅田と対談
執筆陣は
樫村愛子
古谷利裕
稲葉振一郎
等々
こんな企画どーですかー青土社さーん!
カルト杉www
613 :
考える名無しさん:2007/05/24(木) 14:02:30 0
発行部数はいつもの三分の一、値段は倍
これで五年後には幻の特集号になる
かな?
614 :
考える名無しさん:2007/05/26(土) 14:05:06 0
樫村氏はなにやってるのかね?
毎日、本読んで物書いて
思索してるんだろうか?
この人って対人関係が駄目なのかな?
615 :
考える名無しさん:2007/05/27(日) 16:45:23 0
「自閉症児はリンゴや犬などの名詞を理解することはできるけれど、“美しい”を理解することはできない。
あるいはリンゴを使ったセンテンスは作れるけれど、美しいを使ったセンテンスは作れない」
これに「いや、うちの子は出来るもん!!」ってマジレスしてる奴って馬鹿だな
616 :
考える名無しさん:2007/05/28(月) 09:30:18 0
>>614 中島義道のいう哲学者みたいな生活。
でも樫村氏は社会問題に興味ありそうだね。
だから批評空間にも載ったんだろうけど。
古谷利裕の日記によると
樫村はいま日本に来ているのかな?
ふるやん樫村氏にご対面できたんだね
619 :
考える名無しさん:2007/06/03(日) 10:50:00 0
「ああ、今、目の前に樫村晴香がいるのだ」
620 :
考える名無しさん:2007/06/03(日) 11:31:58 0
青土社よ、
今こそ、樫村晴香特集へのり出せ!
日本にいるみたいだし
海外で何してんの?
>>620 樫村が『神経言語学』を公にしないことには無理な話でしょうな。
623 :
考える名無しさん:2007/06/03(日) 15:12:28 0
今も小説書いてるのか聞いたにかな?おせーて
624 :
考える名無しさん:2007/06/03(日) 15:13:57 0
青土社じゃなくてもどっかだしてくれ
そこのところ古谷は突っ込んだのかが気になる。
626 :
考える名無しさん:2007/06/05(火) 14:29:55 0
『神経言語学』はもう書いてないだろーなー
627 :
考える名無しさん:2007/06/10(日) 18:41:05 0
奥さん、日本の大学に勤めてるんじゃなかったっけ?
この人、一人でフランスにいるの?
628 :
考える名無しさん:2007/06/10(日) 21:21:46 0
少なくとも
古谷と会ったときは日本にいただろーね
630 :
↑:2007/06/16(土) 10:07:11 0
このサイトはコンピュータに損害を与える可能性があります。
631 :
考える名無しさん:2007/07/05(木) 02:02:03 0
そんなことよりも樫村晴香の論文を集めて、樫村がダメだと言っても無断で出版してしまう方がいいんじゃないか……。
と、ここまで考えたところで、
「個人出版なんかして、樫村にまで小島さんと同じように倒れられたら困るからやめておこう。」
という考えが沸いて、私は樫村晴香の論文集の出版という考えをすぐに撤回した。
633 :
考える名無しさん:2007/07/05(木) 15:00:11 0
のぶおやないの
輝正だろ
635 :
考える名無しさん:2007/07/09(月) 21:17:06 O
樫村の本がでるなら多少高くても買う。
俺なんか安くても買う
樫村と保坂の対談で、樫村だけなぜ「です・ます」調なの?
「ばい・たい」調だったらおかしいよ
639 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/09(月) 22:42:44 O
樫村って朝日ジャーナルでマルクス特集やったときに、
浅田彰、関廣野と鼎談してたな。
87年位だ。
懐かしい。
樫村一人がマルクス主義者を自称してた。
まあ私、通りすがりなんで、これにて。
それ保坂のページで読めますよ
他の二人は、唯物論で、めちゃくちゃで、何でもありだ! みたいな感じなのに
樫村一人だけ思いっきり悲観的なのが笑える
ストア派とアリストテレスのエッセイもそうだけど、一貫してるよな
樫村の顔写真を見たこと無い俺がいます。
イメージとしては犀川創平です。
顔は芥川っぽいな
芥川と村上春樹が会話してるイメージでいいのか。
そこで恐縮しているふるやんのイメージはどんなだろう。
645 :
考える名無しさん:2007/07/16(月) 01:11:46 0
保坂との対談載ってる「現代思想」に写真あったな
646 :
考える名無しさん:2007/07/23(月) 15:15:40 0
うぷして
647 :
考える名無しさん:2007/07/23(月) 22:46:31 0
髪はやや薄くなってるが
男前な方だと思う
痩せてて鼻筋通ってて
648 :
考える名無しさん:2007/07/24(火) 00:06:03 0
誰に似てる?
649 :
考える名無しさん:2007/07/24(火) 10:13:48 0
うーん
三上博史をもっと学者ぽく細くした感じかな
白黒写真だったから肌の色はわからん
650 :
考える名無しさん:2007/07/25(水) 15:48:17 0
めっちゃイケメンやん。樫村さんって。
その口でヘーゲルがどうとかなんて
似合いすぎて逆に恐ろしい。
これで自殺して夭折すればパーフェキ。
知名度もいいポジションだし。
でも、冗談冗談、自殺しちゃあ、駄目よ。w
651 :
考える名無しさん:2007/07/26(木) 23:36:53 0
新しい文章コナイナー
652 :
考える名無しさん:2007/08/16(木) 09:44:55 0
樫村愛子が新書だしたぞ
654 :
考える名無しさん:2007/08/16(木) 10:30:38 0
さっそく偽日記に感想でてます
655 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/16(木) 21:12:37 0
おりょ、読まねば!
日本のことになると途端に10年くらい遡っちゃう記述あるな
だめ連とか
657 :
考える名無しさん:2007/08/17(金) 23:11:29 0
本だしまくる人じゃないから仕方ないんじゃないのかな
最近では普通の若い女の子でも、
ぶつかった時いきなり「死ね」といってきたりする。
すげえ体験してんな嫁ww
ていうかこれ日本の具体的な記述はトンデモのレベルだよ
娘がどんな風に育っているのかが楽しみ
660 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 14:51:22 0
あとがきに夫は現在小説執筆に忙しいとかいてあるね
661 :
考える名無しさん:2007/08/21(火) 15:05:50 0
ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか
保坂和志:2007/08/18(Sat) 12:45 No.2824
光文社新書 樫村愛子著です。
まだ読み終わったわけではないけど、すごく面白く元気が出ます。というか、
やる気が出ます。
この本では東裕紀の「動物化するポストモダン」に対する批判も書かれているん
だけど、いま書かれているたいていの本は、東裕紀を批判していても、批判する
側もやっぱりオタクっぽいというか、いい子というか。
つまり、現状肯定なんですよ。「今の社会を自分は批判するけれども、自分がこ
うして認められて本など書くことができるのは今の社会だからだ。それに大きな
歴史の流れを自分の書くことで変えられるなんて、そんなのやっぱりどうしたっ
て誇大妄想なわけで・・・」と言う感じが、書いてるものの底流にあるんだけど、
樫村愛子の場合、とにかくアタックしつづける感じ。
山頂めざして、登りはじめて、このルートはダメ? じゃあ、こっち。こっちも
ダメ? じゃあ、今度はこっち。あ、天気が悪くなる? 待てばいいじゃん。
という感じで、絶対にあきらめないし、現状をしかたないと受け入れたりも絶対
しない。これは彼女が女性だからという面が強いんじゃないかと思う。
男はろくに能力がなくてもいまの大学でそこそこのポジションにつけるけど、女
はそこそこの能力があってもろくなポジションにつけない。明治大学の文学部の
ように、いまだに女性教員を採用しようとしないところさえある(正確には「1
人までしか採用しない。何故なら『2人以上いると女はつるむから』」数年前の
話だけど、今も変わってないんじゃないだろうか)。
そういう環境のなかで戦いつづけている女性は、男みたいに簡単にまったりする
わけにはいかない。
この本は内容以上に、著者の存在から響いてくるこの感じがなにより素晴らしく、
こういう感じが充満している本は、めったにないと断言できます。
格差社会なんて言っても改革じゃなくて不況の結果なんだけど。
ネオリベなんてスローガン上だけで大した構造変化は起きてないのに、
何でこんなに大げさに書けるかな。
ラカン派だろうが何派だろうがやってる商売は同じってことか。
この内容の認識を夫も共有してるとなると、かなりやばいよ。
だいたいこんなフランスの社会学者の名前だらけの本で
自分が「文化を通じた恒常性」とやらに貢献してる気にでもなってるのか?
出版社の企画モノの新書に乗って思想を商品化してる行為こそ空間と時間の破壊に貢献してるよ。
「文化を守れ」なんて言葉で何が起きるか?って、
まさにその言葉を使って新聞社や光文社を含めた出版社たちが様々な規制を強化するよう
圧力をかけて、教育投資の資金の簒奪を続けるだけなんで。
これが狭義のウヨか……
665 :
考える名無しさん:2007/08/22(水) 10:22:01 0
新書で書くとペラい批判にあうから大変だね
666 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/22(水) 10:39:23 0
>だいたいこんなフランスの社会学者の名前だらけの本で
今読んでるけど、フランスが構造主義以降、文化論先進国という位置づけだから、
取り組み紹介ということで良いとは思う。
しかしこのような内容に解説、動物化、ネオリベ批判はすでに多く出ている。
それらをまとめて、的確にわかりやすく、ということだけど、
どちらかというと、具体的な今後の方向性を示してほしかった。
667 :
考える名無しさん:2007/08/22(水) 12:16:01 O
>670
フランス地元ですら終わってんのに、ラカン教徒にそんなもん期待しても無理でしょ。
死ぬまで似たよなことブツブツつぶやいてそだな。
人間的に面白けりゃいいが元の人間に魅力0だから(だからつまんねーもんコネクリ回してんだろうが)な。
まだ小説家のだけ保坂のがマシだろ。叩かれかたとかもまだ救いがある。
なんでこんなツマラン連中褒めそやしてんだか。
668 :
考える名無しさん:2007/08/22(水) 21:43:32 0
新書で書くとペラい批判にあうから大変だね
ペラいのは内容だね。用語だけ新しくて認識自体は新しくもなんにもないんで。
670 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/23(木) 22:50:41 0
動物化に精神分析を対抗させるという考えは、本書で上げられる
ギデンズやスティグレールなどだけでなく、日本でも斉藤環はもとより、
大澤や宮台などで試みられている。もはやそれしか対抗する言説が
失われているといってもいいかも知れない。
しかし必ずしも成功しているとは言えない。それでも動物化、本書の中
で言われるマクドナルド化、ネオリベラリズムを背景とする、は、現代に
おいて強烈である。
そして愛子先生の登場である。ラカン派社会学という看板を掲げる以上、
これは義務であるとも言える。その苦悩、「具体的な処方箋」を書かなけ
ればならない立場、はあとがきから読みとることができるだろう。
はたして本書は新しい地平を切り開けているのだろうか。
樫村愛子のメモをそのまま本にしたようなデキ
論旨のつながらない飛躍の多い文章は相変わらずだし
もう少し展開してくれないと一般読者にはなんのことやらわからんだろ
「あとがき」のノリといい、個人的なことがそのまま一般性があると思ってるようだ
ぺらい
673 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/08/23(木) 23:35:20 0
愛子先生のスタイルですね。
一見、わかりやすい文章だが、内容が詰め込まれており、
一文一文が意味深い。
さらにその中に、自らの言いたいことが埋め込まれて、
実は読み込まないと、その意味深さはわからない。
新書だし、エッセイ風な展開もありつつ、軽く書く方が
よいのでしょうね。その意味では、もっと本を書くべきです。
ライトな本を。内田樹までとは言いませんが。
わざわざあげて書き込むあたりが微笑ましいな
>>663
娘さんの名前「思音」の由来は「シオンの丘」?
676 :
考える名無しさん:2007/09/02(日) 12:42:42 0
晴香さんは一応、書いてはいるんだね
どうゆう形で発表されるんだろ
東の娘の名前は「汐音(しおね)」なんだよな
ニアミスしたな
678 :
考える名無しさん:2007/09/07(金) 09:58:53 0
「ネオリベラリズムの精神分析」読了
現代社会についてすでに出ている議論の紹介と
それプラス精神分析的観点から樫村愛子さんのコメント、という感じ
現状についての勉強本としてよくまとまっていて
「再帰性」「恒常性」のタームで綺麗に整理されてる
ただ、個人的にどうかなと思ったのは
笑いに関する部分で
そこで上がる名前がビートたけしだけというのはまずいと思う
若者のコミュニケーションが笑いの作法に規定されているというとき
若者=30歳未満とすると、ビートたけしの世代じゃないんだよな
ダウンタウンとか明石屋さんま、ナイナイくらいまではフォローしないと
分析としては不十分じゃないだろうか
あと、『菊五郎の夏』という誤記があるけど
これもささいなミスとはいえ、やっぱこっち方面弱いのかな〜と思わせる
北野武の父と浜田雅功の父の名前がごっちゃになったというなら前言撤回するけどさw
全体としての感想は、よくまとまっていて堅実
新書ということを考えれば、良い本ではないでしょうか
679 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/09/07(金) 11:13:38 0
つめこみすぎて、みずから言いたいことは埋没してしまっていますね。
「文化」への想像(創造)力を取り戻す、ということでしょうか。
柄谷も、資本と国家の暴走?に対して、ネーションが補完すると言っています。
まさにこの当たりが面白いところで、もっと語ってほしかったですね。
680 :
考える名無しさん:2007/09/30(日) 12:22:19 0
現代思想さん
晴香特集さっさとやってくれ
恒常性=ハイデガー
再帰性=スピノザ(これはちょっと違うか?)
なんだろうけど、何故かどっちにもほとんど言及してないな
結局樫村の痕跡が強く出てる箇所の記述が一番楽しめた
愛子さんの文章、( )を使い過ぎで読みにくくない?
晴香の小説いつ完成するんだろうか?
何年も前に、保坂が樫村から小説の構想を聞かされたことを書いてるよね。
まあ、いいものできればいいけど、生活者としては呆れるほど無能だな。
俺の兄が東大卒でフリーターだが、ぶん殴ってやりたくなる。
>>683 自称自閉症が書いた小説なんて読むに耐えんと思われる。
685 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 02:35:11 0
しかしそれにしても、
晴香さんは娘さんとフランスに暮らしてるらしいけど
どうやって生活してるんだろう。
奥さんの給料だけじゃ、ねえ??
686 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 21:01:32 0
342 :ローカルルール審議中:皇紀2665/04/01(金) 00:58:35
ついでに言うと、私の哲学というか考えること全般の先生である同級生の
樫村晴香もこういうことが得意で、彼が20代後半に住んでいた家は、鉛
の管を家中に這わせてセントラル・ヒーティングになっていて、そのすべ
てを彼が一人でやった。樫村は仙台に学生下宿のアパートを1棟所有して
いて(彼はバブル前夜にこの下宿を買って、生涯この家賃収入で食ってい
こうと目論んだのだが、バブルも消え去り、いまはこの下宿の経営に苦慮
している)、工務店に外注するカネがないので自分でペンキを塗ったりエ
アコンを取り付けたりしている。
687 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 21:08:07 0
437 :考える名無しさん:2005/12/09(金) 10:25:18
何故かというと、私にとっての樫村晴香が、小島信夫にとっての森敦なのよ。
で、そういう話を聞いてもたいていみんな言います。「そんな理屈ばっか言っ
てて何も書かない人より、実際に書いた保坂さんの方が偉い」って、でも、
書いた本人だけが知ってます。実際に何かするなんて、結局肉体労働よ。肉
体を使わず肉体労働者に芥川賞とか谷崎賞とか取らせた人がいる。
それが樫村晴香であり、森敦なんです(樫村も森敦も、ふたりともちょうど
芥川賞と谷崎賞の両方をとる小説家を育てたんですよ)。だから小島さんも
実際に書くのなんてたいしたことじゃない、と思ってます。でもね、森敦の
文学観は古くて名声に頼ってる。われわれの時代はもう文学賞なんてひとつ
も偉くないから、事態はもっと相対化されてるわけ。森敦も旧制中学のとき
に数学を極めようとしたんだって。で、彼が数学の本質的な矛盾に気付いた
ときにゲーデルがそれを指摘しちゃったんだって。それもまた樫村にすごく
似てて樫村も10年前から5年前くらいまで神経言語学ですべて解析しよう
としたもんね。でも、こないだ5年9ヵ月ぶりに豊橋で会って4時間話した
とき、樫村はもう自然科学はやめて小説に本腰入れてるみたいでした。で、
この小説はすごい!! これはもうびっくり!! どうびっくりかは、いず
れまた書きます。この構想は誰にしゃべっても、絶対に誰もそんなこと書け
ない。世の中ってさあ、本当に早い者勝ちと、全然違う圧倒的なことを考え
ることのできる人がいるんだなあ。
688 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 21:14:40 0
上のメルマガはvol.10 2003.12.31発行らしいので
その時点から5年くらい前から小説を書き始めた。
ということは小説を書き始めて少なくとももう8.9年くらいになるのか。
689 :
683:2007/10/08(月) 00:42:39 0
>>688 このメルマガだわ、俺が樫村氏が小説書いてると知ったのは。
もう8・9年になるのか。
進んでるのだろうか・・・そうは思えないけども。
結局1冊も本完成できずに死んでいきそう
691 :
考える名無しさん:2007/10/09(火) 10:20:24 0
十年目に完成するさ
もう完成してるんじゃないの。
それとも完成という概念がないとか。
小説は必ずしも発表しなければいけないわけもなく……
(まあ保坂が引用しないということは、全然完成してないということなのだろうが)
693 :
考える名無しさん:2007/10/13(土) 16:11:45 0
**************************
保坂和志講演会
『小説を“お話”“つくりごと”として現実から切り離さず、現実の一環として書くにはどうしたらいいのか(仮)』
開催日時>11月3日(金・祝) 開場13:30〜 開演14:00〜
開催場所>中央大学多摩キャンパス8号館8304教室
講師> 保坂和志
対談> 古谷利裕
尚、入場料金などは一切かかりませんのでどなたでもお気軽にお越し下さい。
**************************
694 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 06:00:15 0
磯崎憲一郎「肝心の子供」
保坂和志:2007/10/24(Wed) 00:39 No.2942
この掲示板で知っている人も多いでしょう。いそけん、こと磯崎憲一郎です。
今年の文藝賞になりました。
わたしもその選考委員のひとりですが、送られてきた候補作に名前を見つけたと
きには驚いた。しかし、作品を読み出してもっと驚いた。こんな小説を書く人間
と自分が身近にいたとは!
わたし以外の誰かが絶賛するまで報告を控えていました。(まがりなりにも知り
合いなので、公平さを欠くという誤解を避けるために。)しかし、あんなすごい
小説を書いた時点で、わたしが知っていたいそけんは、わたしにとっても未知の、
小説家・磯崎憲一郎になっていたのです。
昨日の「偽日記」で取り上げていました。やっぱり、「偽日記」でも激賞してい
ました。ちゃんと小説を読む人間で、この小説を絶賛しない人はいないはずだか
ら。突然変異のような小説です。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/nisenikki.html
これが樫村ってひと?
65年生まれの商社員というプロフィールは、いくらなんでも若すぎないか。
若くても浅田彰と同年齢ぐらいじゃないの?
プロフィール自体が嘘なのかもしれないけどさ。
いそけんだよ
このスレ・板と関係ないじゃん
699 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 14:47:38 0
700 :
考える名無しさん:2007/12/04(火) 19:39:11 O
701 :
考える名無しさん:2007/12/09(日) 13:34:28 0
>>559 世織書房には原稿は渡っているんじゃない?
あそこから出ている本のいくつかの後書きを見ると原稿はずいぶん前にいれたけど出版社側の仕事が遅いせいで刊行までに何年もかかっているとこぼしている人をちらほらみたことある。
世織にメールして聞けば一発で分かるじゃないか
じゃあよろしく↓
703 :
考える名無しさん:2008/01/02(水) 01:25:45 O
妻が書いたものがしょぼすぎて
夫の評価も暴落したよね。
わざわざそんなくだらないこと書きにきたのか
705 :
考える名無しさん:2008/01/06(日) 23:50:34 0
彼が書くのって
ブランショみたいな小説かな?
保守
だめだ・・・奥さんの本を読んでいて、
非常に面白いんだが、
優秀な夫婦の間に生まれ、幼いころからフランスで生活できる
娘さんへの嫉妬が湧いてきて・・・
中卒土方の息子の俺としてはどうにもこうにもだ・・・
ルサンチマンという奴ですね。
それは正常な感覚だと思いますよ。
でなければ、今のような社会はなかったわけですし。
709 :
考える名無しさん:2008/02/25(月) 17:28:12 0
しかし、奥さんのお給料だけでどうやって
フランスで父子が暮らせるんだ?
ダンナにはなにか収入があるのかねえ。
奥さんが資産家の娘なので、そこから貰えるんだろう
711 :
考える名無しさん:2008/02/28(木) 13:42:12 0
それもすげーな。
もはや近代の著者の生活ではないなw
なにいっとるんだ。樫村自身、某食肉メーカーの御曹司ではないか!
親にアパート建ててもらって、家賃収入がばがば。
高等ニートだな
食肉だからミートか
716 :
des:2008/03/09(日) 10:55:14 0
717 :
考える名無しさん:2008/03/09(日) 11:16:57 O
新宿面倒くさいな。やっぱ浅草から上野当たりだな
718 :
des:2008/03/10(月) 08:09:36 0
719 :
des:2008/03/11(火) 11:55:53 0
720 :
考える名無しさん:2008/03/28(金) 22:32:28 0
フィンランドモデルを超えるために 「境界地」/教師の欲望/ヴィゴツキー的 「現実界」 / 樫村愛子
721 :
考える名無しさん:2008/04/02(水) 09:36:38 0
で、哲学というのは、自閉症と同じように、この評価や賞賛を疑ってきた。
これは、哲学は、全てを明晰に考え直そうとする、つまり、全てを論理的な
意味内部で再構築し、言語を記述言語としてのみ使って、発声と表出に関わ
る原始的なものとしては使わないようにするからです。言語を記述、ないし
名辞の相でのみ使用すると、言葉とは、もともと他者に向けた発声で、大事
なのは意味でなく、似たような声が返ってくるかどうかだ、という点は落ち
てしまう。でも、記述の体系に留まり、表出や動詞、能受の反転に関わる運
動は除外しながら、哲学は他方で、他人の応答や評価と同等の力をもつ、人
間の自己確認、存在確信の手段を確立しようと考えてきた。自閉症だと、最
初から他人は存在しないが、そのかわり、視線やデュシャンの回転について
語ったように、視覚内部だけでの特異な身体制御の行為があり、それが現実
的身体運動と他者を介さない、存在確信の方途となる。それに対し、哲学者
は自閉症ではないから、他者を人工的に排除しつつ、その代替物を思考と言
語内部に再構築しようとする。すると、その過程は、他者のみでなく、身体
的表出と身体制御の該当物も思考内部に構成することになり、その過程は、
強迫神経症と類似し出す。
樫村 自閉症だと、幻想の皮膜が自己の身体表面までしかない。それと反対に
あなた(=保坂)の作品は、世界全体が自己の幻想の外延と重なって、他者の悪意
を登記する装置がなくなるように感じる。一方、私は本当に自閉症的で、幻想
は身体表面までしかなく、その外側は完全に言語野で抑えようとする。
722 :
考える名無しさん:2008/04/19(土) 03:26:36 0
樫村 ちょっと話が飛んじゃうかもしれないけど、この五、六年、浮浪者が増え
てて、新宿の地下街を通るとごろごろ寝ているわけですよ。そうすると、そこに
寝させないように、新宿駅の駅長なんかが泥をバッとまく。実に醜い光景なんだ
けど、欲ボケ時代で、日本人はそれを見ても何も感じない。
かつてマルクス主義者というのがいて、それに対してなんらかの怒る装置を持っ
ていたんだろうけど、実はマルクス主義は、あそこに寝ている人たちがなんらか
の社会的な力なり可能性を持っている人ならば、そこに向かって可能性を引き出
す形でアクセスできるんだけど、彼らはいってみればゴミみたいな人たちなわけ
です。そのゴミに向かって、ゼロのところから関係をつくる能力は、唯物論なり
マルクスは観念論と比べて明らかに弱い。
私はいま、みんながゴミになりつつあるのじゃないかという気がするのね。労働
者階級は潰れたけど、サラリーマンも実はいま潰れつつあるわけでしょう。派遣
会社みたいなものに一人ずついて、毎日違うところにいって仕事させられて……。
『ブレードランナー』の世界って、本当にゴミたちの世界でね、しかも可能性が
高い世界だと思うんです。そのときにマルクスは弱いのではないか。
最終的には唯物論は勝利していくかもしれないけど、マルクス主義は同時に、
いま、この場所での人間関係にも発言し得る哲学だったわけでね。そこをもう一
度、考える必要があるのではないか。
723 :
考える名無しさん:2008/05/06(火) 03:29:02 0
中国でのチベット騒乱が注目を集める中、亡命ウイグル人らの国際組織、世界ウイグル会議の事務局長、ドルクン・エイサ氏が来日を機に産経新聞のインタビューに応じ、中国当局によるウイグル人弾圧の実態を詳細に語り、「北京で五輪を開催させるべきではない」と訴えた。
◇
私の故郷は新疆ウイグル自治区と呼ばれていますが、私たちは「東トルキスタン」と呼びます。
中国は建国後60年間にわたり、この土地を侵略し、略奪の限りを尽くしてきたことをぜひ理解してほしい。裕福な人は「反革命分子」として土地を奪われ、中国に反発する人は「分裂独立主義者」として投獄され、虐殺されてきたのです。
私は88年、学生運動を指導して大学を除籍され、北京に移り住んだが、ウイグルの公安当局の手が伸び、94年にトルコに逃れました。以来一度も故郷の土は踏んでいません。
私たちウイグル人へのレッテルは時代によって変遷しています。2001年9月11日の米中枢同時テロ後、中国当局は私たちがイスラム教徒であることを理由に「テロリスト」のレッテルを張って迫害するようになりました。
でも考えてください。無防備な姿でデモをする人々と、武器を持って弾圧する人のどちらがテロリストなのか。ウイグル人はチベット人と同様に中国の国家的テロに遭っているのです。
724 :
考える名無しさん:2008/05/06(火) 03:31:25 0
これまで中国当局による迫害を受け、処刑されたウイグル人はわれわれが得た情報では60万人に上ります。最近でもっとも凄惨(せいさん)な事件は97年2月のグルジャ市の大虐殺でしょう。
ラマダン(断食月)前夜祭で知人宅に集まり、食事していた女性10数人を公安当局は「不穏な集会」として連行しました。市民が彼女らの解放を求めると当局は約300人を射殺したのです。
今年の追悼集会でも18人が殺されました。90年4月には西部のカシュガル市近くの村で宗教弾圧への抵抗組織の存在を知った当局が子供を含む8000人を殺害したといわれています。
弾圧や虐殺だけではありません。中国は64年から96年まで46回も自治区内で核実験を行い、多くの人々が死亡し、放射能の影響は現在でも残っています。
一方、中国政府は移民政策を進め、49年ごろ人口の2%だった漢民族は現在5割を超えました。
「一人っ子政策」によりウイグル人は初産から5年たてば2人目を産むことが認められていますが、もし5年以内に妊娠すれば妊娠9カ月であっても堕胎させられます。それが原因で母子が死亡した例も少なくありません。
文化的迫害もひどい。03年から大学でのウイグル語による授業を禁じ、05年からは幼稚園や小中学校でも禁じられた。ウイグル独特の建造物は壊され、中国的な毒々しい建築物が次々に建てられています。中国はウイグル人を根絶やしにしようとしているのです。
このような国で五輪を開催してはなりません。五輪開催決定後、中国は明らかに迫害を強めました。このままではウイグル人は絶滅し、シルクロード文化は博物館でしか知ることができなくなるでしょう。
福田康夫首相にはぜひウイグルの現状を知ってもらい、胡錦濤国家主席に人権状況の改善を求めてもらいたい。世界で最も自由と民主主義が発達した日本は、それにふさわしいメッセージを出す必要があります。
726 :
考える名無しさん:2008/06/02(月) 22:11:59 0
□ 『 世界へと滲み出す脳 感覚の論理、イメージのみる夢 』
古谷利裕 定価2,730円
(2008年6月 刊行予定)
デイヴィッド・リンチ、黒沢清、吉田喜重、ダ・ヴィンチ、岡崎乾二郎、横尾忠則、
マティス、『フリクリ』、『少女革命ウテナ』、米澤穂信、大道珠貴、保坂和志・・・・・・
イメージの荒野をさまよう巡礼者のごとく、
ジャンルの境界線を越えて縦横無尽に描きだされる言葉と思考は、
イメージの臨界点を突破する。
画家であり、自身のブログで日々、鋭い批評を展開して、いまもっとも注目される気鋭の著者が、
あたかも丁寧にドローイングするかのように言葉をつかって描く待望の批評集。
727 :
考える名無しさん:2008/07/21(月) 16:45:14 0
前にお会いした時、樫村さんは、今、書いているもの(オイディプス神話に関す
るもの、小説ですか、と聞いたら、うーん、というよりやはり哲学だね、と言っ
ていた)は、生きている間になんとか完成させたいとは思うけど、それ以外に新
たに何かを書こうという気持ちはもうないと言っていたのだが、今日は、最近、
ヘーゲルを読み直したら思いのほか面白く(ヘーゲルはラカンによって包括され
てしまったと思っていたのだが、実は、ラカンよりヘーゲルの方が、主体が、
ある認識の閾値を越えた時に内側が外側へとくるっと反転してしまうという感
触を、より詳細に、明解に、記述している、と、そして、ヘーゲルこそが、未来
が過去の方からやってくるという感触を、明確に掴んでいる、と)、ヘーゲルを
中心とした哲学史を書いてみたいというようなことを、ちらっと漏らしていた。
これは、樫村晴香を「おとす」絶好のチャンスなのではないか。編集者の方々、
この機会に、樫村さんに猛アタックして、なんとか原稿を書いてもらうという
ことは出来ないのでしょうか。「超寡作の人」の新作を待ちわびている人は、
決して少なくはないと思うのだけど。
しかし優雅だな。
生計はどうやってるの。嫁さんのヒモ?
729 :
考える名無しさん:2008/07/22(火) 07:48:33 0
樫村さんから聞いた話で最も刺激的だった話(リュック・ベッソンとダンスの
話や、舌切り雀の話)は、残念だけど差し障りがあるのでここに書く事は出来
ないのだが、樫村さんの、知性だけでなく、並みはずれた狂気の手触りの一端
がうかがえて、とても興奮した。午後二時から十時過ぎまで、あっという間に
時間が過ぎて、実は、その後に予定していたこと(レクチャーを聞きにゆく予
約をしていた)をすっぽかしてしまう 。この後しばらくは、湯あたりや暑気
あたりのような、樫村あたりでうなされる日々を過ごすことになるでしょう。
730 :
考える名無しさん:2008/09/06(土) 16:37:48 0
2008-08-31●引用。メモ。「Quid? ソレハ何カ 私ハ何カ」(樫村晴香)より。
何度読んでも凄い。重要なのは、こういうことだけだ
《楳図かずおの異様に美しい女性たちは、力強く、能動的で、敵意に満ち、
欲望のヒステリー的断念の帰結として、世界の外に立つ視線をもつ。(略)
しかしそれ が本質的に指弾するのは、欲望、あるいは人生、という欺瞞で
あり、人間の誕生、人類の誕生、そして人類の存在そのものという「欺瞞」
である。》
そこは凄くない部分だろ……
保坂×古谷×樫村!!!
10月25日!!!
おおーっ、
734 :
考える名無しさん:2008/09/19(金) 15:49:54 O
まとまった著作を一冊も出せずに死去に百億賭けるよ
735 :
考える名無しさん:2008/09/19(金) 16:09:34 O
瞬発的アイデアだけで短文をものすだけ
736 :
考える名無しさん:2008/09/19(金) 16:12:06 O
アフォリズム書いてるのが一番似合ってるよ
737 :
考える名無しさん:2008/09/19(金) 21:43:38 0
ネタねえ
738 :
考える名無しさん:2008/09/20(土) 00:58:53 O
本なんか書けないでしょこの人
739 :
考える名無しさん:2008/09/20(土) 15:14:35 O
何がすごいわけ
早熟だったけど色々やり損なった人
741 :
考える名無しさん:2008/09/21(日) 00:37:02 O
だろうね
742 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 06:50:37 0
京都ってマジ終わりまくった土地だよね
743 :
考える名無しさん:2008/09/28(日) 04:35:19 O
俺はドゥルーズもラカンもフーコーも読んだ事ないよ。
保坂和志となんかしゃべるんでしょ
人前に出て平気なのか?
745 :
考える名無しさん:2008/10/22(水) 09:26:46 0
ふるやんが好きそうな本。柄谷スレにはってあった。
佐々木 中 (ササキ アタル) 著
夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル
定価:6,930円 本体価格:6,600円A5判 上製カバー装 664頁
「われわれは、超近代人でも、ポストモダニストでも、動物でも、
剥き出しの生でもない。何も終わらない」
恐るべき思想家による衝撃のデビュー作!
圧倒的な分量と圧倒的な理論的射程から、現代思想の絶対的な更新を試み
る。フーコー、ラカン、ルジャンドルの不穏な共鳴が導く「永遠の夜戦」
の地平とはなにか?
これまで誰も正確に掴むことのできなかったラカン、フーコーの概念を根
底から捕まえ、ルジャンドルの碩学とのモンタージュの中から、生き抜き、
戦い抜くための武器を磨く。
内容紹介
現代思想の絶対的な更新を試みる、俊英による精巧かつ狂暴なる達成!!
すべては情報だなどと、なんと古くさい考え方だ ―― 圧倒的なラカン、
ルジャンドル論を経て、決定的なフーコー論へと向かう、驚嘆すべき思考
の道程。現代思想の全体的な更新を賭ける、恐るべき新人思想家の登場。
著者について
佐々木 中 (ササキ アタル)1973年生まれ。
東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文社会研究系基礎文化研究専攻宗
教学宗教史学専門分野博士課程修了、博士(文学)。
現在、立教大学兼任講師。
ちょww 誤爆ってないかw
ふるやんはルジャンドルとか嫌いだろ
たぶん読んでもなさそうだよね
というか、人類学関係全く触れてなさそう
なにせ社会的なものは同調圧力だからな
お前はww 完全に古谷スレ住人の出張じゃないか。俺もお前も
何気に
>>745の内容紹介では、
一体どうルジャンドルが料理されてるのかさっぱりわからない件について
ドグマ人類学っていう名称すら誤解しそうだ
問題なのは、今の樫村がこういう思考と切り結んでいく可能性を持たないことなのだが……
愛子ならフォローするかもしれないが
西谷修が見出さなければ、絶対翻訳されなかったであろう人だよね
何せ、原著はムック本のごとき怪しい装丁で出ていたらしい
なぜに西谷はそんなものを見つけつたのか
ドグマ人類学という名称といい、あたかも栗本慎一郎のごとくバッタものにカン違いされやすそう
元ラカン派で外国行ってて、法的なものに関心があって、
しかも人類学って取り合わせがすごすぎる
俺はそんなに面白いと思わないけど
この佐々木って、院で表象に移った橋本と同じラインかな
俺もそんなには読んでないんだけども。
森元、橋本らと同じく、ドグマ人類学学会の人なのかね
756 :
考える名無しさん:2008/11/09(日) 21:48:37 0
あなたの手紙が転送されてきた日の2,3日後が樫村晴香との対談の日で、樫村は別の青年についてだけど、
「彼はまじめすぎるから、小説家には向かないな。だって、ほら、保坂とか見てると、小説家にしかなれないと思わせるような外れ方をしているじゃないか。
彼は小説家じゃなくて哲学にいくほうがいいんじゃないかな。」
と、わたしに言い、それはそのままあなたにも当てはまると思いました。
西谷が紹介しなければこの程度にも知られなかった可能性は高いど
ルジャンドルはフランスでは結構有名よ
別に怪しい想定の本しか出ていないわけでもないし
>>745 しかし凄い売り文句だね。こんだけ騒いでイマイチな本だったら詐欺だな。
759 :
753:2008/11/10(月) 03:38:03 0
ところで誰か10月25日のトークショーの録音した人いない?
もっかい聴きたいんだよなぁ
762 :
考える名無しさん:2009/01/14(水) 10:16:47 0
私は本当に自閉症的で、幻想
は身体表面までしかなく、その外側は完全に言語野で抑えようとする。
それはむしろ分裂症(統合失調症)じゃないでしょうか。
自閉症との類似はかなりあるとされていますよ。
症状原因から見ると別物とはされていますが。
764 :
考える名無しさん:2009/01/14(水) 21:50:51 0
そこでぼくは、それは、転移と能動性(および自由意思)が失われた後にも残る
であろう「外傷」をどのように処理すれば良いのかというような話ですか、と
聞いてみたのだが、樫村さんは、その時に外傷は、いわゆる神経症的な外傷で
はなくなって、「世界全体が(世界そのものが)外傷となる」だろうということ
を言って、ぼくはその言い方に感覚的にすごく納得がいって、だとすれば、樫
村さんの言う、記述によって世界が梱包されてしまうような世界のありようは、
決して悲観敵なものではなく、むしろ非常に楽しげな、魅惑的なものとも思わ
れる(しかしこの楽しさの裏には、常に分裂病的な、切迫した刺々しさが貼り付
いているのだが)。さらに言えば、樫村さんのこのような世界のイメージは(イ
メージという言い方は的確ではないと、樫村さんなら言うだろうが)、世界その
ものの客観的な記述であると同時に、樫村晴香という人を表現するものでもあ
るように思えた。
765 :
考える名無しさん:2009/02/12(木) 21:27:23 0
夜戦と永遠 この本はすごい 投稿者:保坂和志 投稿日:2009/02/06(Fri) 00:30 No.839
サブタイトルは「フーコー・ラカン・ルジャンドル」
いかにも硬派、しかも定価は6930円。
しかし、この本は絶対読むことを薦めます。
とくに何かを書いたり作ったりしている人は読んでるうちに、ふつふつと
勇気が沸いてくる。
もう勇気が沸騰すると言ってもいい。
自分が、作ること、書くこと、表現することを目指したのはなんのため
だったのか、を思い出す。つまり、いまこうして生きていることを。
第一部がラカン。第二部がルジャンドル。第三部がフーコー。
で、わたしはルジャンドルという人を全然知らなかったし、今日、第一部
を読み終わったところでしかないんだけど、
それでも、もう、この本を絶対に薦めます。
たしかに難しいところもいっぱいあるけど、わからなかったらわからない
箇所にあまり拘泥せずに、とばして先に進めば、わからなかったところが
別のわかり方をするようになっている。
たしかに高いけど、2回か3回、何かの用事を飛ばせば、7000円くら
いにはなるし。
なんかもうすごいんですよ。
最近の論調というのは全体として、情報いっぱい仕入れて、精密に分析
して、頭よくないとダメみたいな感じだと思うんだけど、この「夜戦と永
遠」は、そんなことは全然関係なくて、革命や新しい世界を信じていた頃
の自分を思い出せ、それを忘れることが自分をダメにしていたんだって、
そんなことは全然書いてないけど、書いてあるのはそういうこと。
とにかくすごいよ。
すごい、すごい、ばかりで、わかんないだろうけど、すごいんだ。この本。
大島弓子論ざっと読んだけど、メンヘラのバイブル大島だから相性よかったのかな
としか思わなかった。あれは大島弓子にどういったツッコミをいれてるわけ?
一緒になってボケてるようにみえたけど、しっかり再読するとちがうんかな。
作品とあまり関係ないと思う
何気にGS, 2 1/2号の『革命の諸要素』は保坂HPにも転載されてないな
革命好きなのにな
この人「竜頭蛇尾」で終わるのかも。いるじゃんそういう人。
大島弓子論作品と関係ないって、じゃあなぜ書く。
大島弓子という選択も安易というかセンス感じない。
選択自体は悪くないだろ
多分保坂が気づいていないんだろうな
GS=浅田むかつく、だったら批評空間掲載のをUPしてるのは変だし
少女漫画論で大島をとりあげるのと、腐が同人でスラダンで盛り上がるのと、
似ているような。で、異性の気持ちとやらを分かったような気になる。
それはねーよw
ただ、樫村はそういう発想かもな
774は樫村さんの大島弓子論の感想ということで。
橋本さんのは自称乙女の書いたジェンダー論という感じだったけど。
sage
779 :
考える名無しさん:2009/08/27(木) 23:52:07 0
走れ
sage
小説は出ないんですかねえ。
782 :
考える名無しさん:2010/03/22(月) 18:10:39 0
走れ
783 :
考える名無しさん:2010/03/23(火) 00:54:17 0
嫁の樫村愛子が何かとフランスを持ち上げすぎててキモイです。
人文的議論が発展しているということがそんなに素晴らしいですか?
784 :
考える名無しさん:2010/04/28(水) 01:06:27 0
図書館でもらったリサイクルの本です。
ネットで読めない。
樫村の「サイエンス」に関する論考が載ってます。
「思想のポリティックス」という80年代の本です。
樫村ファンの方にどうぞ。
あとは粉川哲夫、高橋敏夫、平井弦などの鼎談などが載ってます。
当時の思想の網羅的な紹介の本です。
定形外で発送の予定。
エターナルコンボアタック。
>>784 書誌を正確にかいてほしい。
タイトル、編者、発行年、出版社、ISBNとか。
787 :
考える名無しさん:2010/04/28(水) 09:46:14 0
>>787 どうも。
「思想のポリティックス」じゃなくて
「思想のポリティクス」か。
どうりで検索しても出てこないわけだ。
789 :
考える名無しさん:2010/04/28(水) 13:55:57 0
保坂さんに声をかけていただき、樫村さんとお会いすることが出来た。
ピリピリと全身に緊張の張りつめた感じの人だろうと予想して(ビビッ
て)いたのだが、とても当たりのやわらかい、細かな気配りをされる
方で驚いた。しかしそのやわらかさは、常に自分を抑制的、意識的に
コントロールすることの必要性によって生まれるもののようだ。話し
ている(というか、話を聞いている)うちに何度も、「樫村晴香のテキ
スト」を読んでいる時に感じるものと同様の感触が随所に顔を覗かせ
るのだった。特に、「花咲か爺さん」における「犬への愛」の手触り
についての話しをしている時は、「ああ、今、目の前に樫村晴香がい
るのだ」ということがとても生々しく感じられるのだった。(楳図論
に書いていることに近いものを、もっと生々しい形で語っていたの
だった。樫村さんは、今日の話したことについて何を書いてもかまわ
ない、と言って下さったので、この話については自分なりになんとか
まとめてみたいと思うのだが、かなり複雑な話なので、ちゃんと記述
出来るかどうか分からない。どちらにしろ、今日はとても濃密な時間
で、そのためどっと疲れが出て今ほとんど頭が働いていないので、
それは今後改めて。)
樫村さんが、リンチの『ワイルド・アット・ハート』について、
「あれは私の生きている世界にとても近い」と言っていたのが、
意外なようでもあり、納得出来るようでもあって、印象に残った。
最近たまたまこの人の文章ネットで見て、すごい面白いと思ったんだけど
どんな人なのか全然分からない・・・。
元々何畑の人なのか、今なにしてるのかとか誰か知ってたら教えてください。
このスレ1から読めば分かるだろうが
再読に耐えない文章だと思う
793 :
考える名無しさん:2010/05/28(金) 20:21:58 0
794 :
考える名無しさん:2010/05/28(金) 20:28:42 0
樫村晴香によれば、ドゥルーズにおいて重要なのは「尿道的」なも
の。これについてちゃんと反応している論者はいません。僕の博論
では採り上げます。
masayachiba/千葉雅也 Masaya Chiba 2010-05-21 01:53:37
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英語圏では、ホルワードのドゥルーズ論がようやく樫村の一歩手前
に来たか、というところ。フランス語圏のドゥルーズ研究は
ドゥルーズに対して甘すぎる。
masayachiba/千葉雅也 Masaya Chiba 2010-05-20 23:47:59
795 :
考える名無しさん:2010/05/28(金) 20:31:08 0
ここしばらく英仏語のドゥルーズ研究をサーベイしているが、
樫村のドゥルーズ批判はやはりきわめて稀な達成。バディウに
よる批判と似ているが、もっと洗練された過激さ。それを踏ま
えた『存在論的、郵便的』の議論も重要。この厳しさの批判は
たぶん日本でしかなされていない。
masayachiba/千葉雅也 Masaya Chiba 2010-05-20 23:46:38
18 favs by
かつて現代思想に載った橋村晴香の荒川論と、彼の激烈なドゥル
ーズ批判「ドゥルーズのどこが間違っているか?」を併せ読む必要
がある。
796 :
考える名無しさん:2010/05/29(土) 20:29:02 0
ちなみに、7種が強いのは保坂和志もまったく一緒で、何回か会ったこと
あるが、筋肉質で体が硬そうで、とにかく声がでかかった(声の大きい人
間で本質的に頭のいい人間にはあったことない、ぼくは)。この人も10
年後は柄谷と同じようになってるだろう。ていうか、もうすでにその兆し
がある。。
797 :
考える名無しさん:2010/05/29(土) 20:29:49 0
蓮実重彦やら、橋本治やら、村上春樹やら、2種というのは基本的
に考えが変わらない。少なくとも自分の脳の力では変わらない。
保坂和志のように、強く1種の人間を崇拝していると違ってくるが
。。そして2種は、頭が遅い。
1種は基本的に理論を求める。
2種は基本的に教義を求める。
理論は、次々と発見があるたびに更新してゆくもので、1種はその
理論の進展にあわせて、言語野が再構築されていく。
2種は、現実を教義にあわせて解釈してゆく。
たとえば、樫村晴香という人は、最初は、マルクス主義者だったが、
今は(たぶん)ストア派だ。科学の、認識の進歩に合わせ、理論が
更新されていく。1種は。
798 :
考える名無しさん:2010/05/29(土) 20:32:53 0
これはね。一応プロの小説家と某文芸誌の編集長が読んだんですけ
ど。当時。
まったく理解されませんでしたね。すっげーバカだった。そいつら。
だって、その感想メールで来たんだけど、全然わかってないんだも
ん。意味が。
で、この文章がいろんなきっかけになって、文学止めたんですけどね。
あとね。ぼくが本格的に音楽に向かった理論的根拠の一つにこの批評
があんだけどね。
まあ、それはともかく当時のこと思い出すと、この頃はね、樫村晴
香をなんとかしないといかんなと思ってたの。
あの「連続性の時代」てゆう論文があんですけどね。
ストア派とアリストテレスのこと書いた。あれを殲滅せねばならな
いとおもっとって。
で、結構上手くいったと思ったんですけど、、、だから読者として
想定してたのは樫村一人なんですけどね。
結構ハイブロウですよね。普通の人はわかんない。読んでも。
799 :
考える名無しさん:2010/05/29(土) 20:51:40 0
800 :
考える名無しさん:2010/05/29(土) 23:13:51 0
>そういう人間が、ヘーゲル読んで感心するというのは、必然だ。
>これは何もしない自分を肯定したいだけだ。
>後追いして、いま、ヘーゲル読んでる人もいるが、僕にはあほに
>しかみえない。
このあほってフルやんのことだね。樫村がヘーゲルのこといったあと
すぐの偽日記でヘーゲル本読んでるしね
801 :
考える名無しさん:2010/05/30(日) 20:05:53 0
わたしたちは、非常なる死者のもとにあって
よみがえってはいない
だから死者の底からの深い静かなつぶやきに
耳をかたむけずには
いられない
言葉いじょうの言葉
沈黙のなかの沈黙
深淵にこだまするつぶやきの暗烈なる響きに
目をとどろかせずには
いられない
そしてわたしたちも だまっている
802 :
考える名無しさん:2010/05/30(日) 20:07:45 0
正常がかくも静かな非常であり
日常がかくも単調な正常であることの
深いいかりからかなしみがたちのぼる
最大のしっぽが最小の口にくわえられている(最大のしっぽが…) 一瞬の この時の時に
峻烈なる風が かくも静かに
秋が これほど冷たく
むすぼれて
沈黙のみが
ただひとつの言葉を発し
壁のみが
ただひとつの向背骨となるがゆえに
屹立する 外なる壁のあいだ
内なる壁の逆理をひめて
わたしたちは、壁のみによってむすばれる
803 :
考える名無しさん:2010/05/30(日) 20:08:38 0
秋の白いかがやきが 蒼い空に凝固して、
熱をうしなったかがやきが、ひかりその
ものとなるときにあって
この等質価の世界のあいだ
互いの顔をば 知ることなく
虚空のなか ただ関係のみが ある
ひとりひとり、ひとりはひとりと
逆転は、ただそれがためにあって
わたしたちは、それによって むすばれて
ある
上のブログ全部読んだ。きつそうだ。
yumotoは自由になりたいんじゃなくて本当は幸せになりたいんでしょう。
なら音楽やめて普通に働くんだね。
settuと同じで、哲学やめて音楽に行ってるってとこもよく考えたほうがいい。
それに整体にいっても、何を避けているかはsettuと同じ。
樫村批判しても何も変わってない。
806 :
考える名無しさん:2010/06/14(月) 12:20:51 0
●あと、保坂さんのHPで読める樫村晴香のテキストを入力した山本さん
の話では、樫村さんのテキストが新たに一つ発掘されたそうだ。清水博
に関するの短いテキストで、近いうちにアップされるはず、と。
807 :
考える名無しさん:2010/06/14(月) 18:28:26 0
根本敬のマンガは嫌いじゃないが安易な根本信者(これが30代に意外に多い)はどうかと思う
何故かどこからも批判されないポジションなんだよね
樫村晴香という人間はそもそも実在しているのだろうか?
810 :
考える名無しさん:
今日の朝日新聞27面に樫村の母親が出てる