211 :
考える名無しさん:04/10/03 07:36:36
>>206,209
>そうやって実は皆いろんな時代や国や惑星で暮しているんだぁ。
今ここの現実で暮しているのも、一時だけであり永久なんだぁ。
何故一時であり永久であることが解る? その根拠は何?
それはただ妄想であって明確な根拠に基づいたモノではないだろ。
ただそういう可能性も一つとして考えられるだけであって
今いるこの世界で死ぬことが輪廻を終わらせる可能性だって含まれるだろ?
それを肯定する可能性と同じ数だけの否定する可能性が存在して、
結局はわからんてことじゃないのか?
212 :
211:04/10/03 08:08:12
それと気絶と死は違うと思うぞ。
例えば206の妄想(推論?)では気絶したとして、その世界とは別の
世界で別の人物の一生を意識として生きてそして死んで元の世界に戻り、
また元の人物の意識として継続して生きているわけだからな。
ここでは記憶としては継続している必要も無くて、客観的に意識(自我)
が継続していれば生きているということになる。
逆に死ぬということはお前が人物として死ぬことではなく、お前という
意識が死ぬ(無くなる)ということだから客観的に見て継続できていないので
206という人物が死にお前という意識も死んだということになる。
つーか上手く文章まとめられねー orz 駄文スマソ
213 :
(゜д゜):04/10/03 08:14:21
俺は俺であることについては天才的だな!!!!!!
だれも俺以上に俺であることは無理なのさ!!!!!!!!
こ れ 世 紀 の 大 発 見 ジ ャ ネ ?
というかそのまんま東
ageるだけでつよ。
>>1 てめーはageることについて天才的だな!!!!!!!!!
はたしてそうかな?
>>271 てめーは04/10/03 16:05:57に
はたしてそうかな?
ていうことについては天才的だな!!!!!!!!!!!
220 :
206:04/10/03 19:15:35
>>211 そうそう、わからんの。
だから考え方として、必要性の強い方を選んでるだけなの。
>>212逆に死ぬということはお前が人物として死ぬことではなく、お前という
意識が死ぬ(無くなる)ということだから客観的に見て継続できていないので
206という人物が死にお前という意識も死んだということになる。
そうそう、でも主観的には死んでないの。その時、「死ななかった場合の元の世界」
で継続することも考えられるわけだから、客観的にも死んでないの。
それで永久という言葉を使ったんだなぁ。
221 :
206:04/10/03 19:20:00
あ、永劫回帰だなこれ。
>>208 おお。スレが伸びてる!
忘却したっていえばしたんだけど、結局俺の独我的現世界四次元論は
ニュートン的な物理学、完全な因果律を前提にしてたんだよね。
それ思いついたの厨房の時位だったし。。この板で言えば機械的唯物論
者の唱える様な決定論。未来が決定してなきゃ自由に未来には飛べない。
あらかじめ全てが決定されてあって、決定している事象が順繰りに表れ
ているって感覚ね。あらかじめ曲線のグラフが書かれてあって、人間は
微分された一瞬しか知り得ないっていうか。。。その一瞬しか知り得な
いが前も後ろも確かにちゃんとあるっていうのが、死んでも死んでない
ってことなんでしょ?
でも、量子論とかカオス論とかがあると知って(詳しくは知らんが。。)
あー。こりゃダメだわって思った。変わりに無限に近い未来の可能性も
想像できるけど、これもパラレルワールドとかいうSFがすでにあるし。
223 :
216:04/10/04 03:55:16
>>222 未来が決定してなきゃ自由に未来には飛べない。
あらかじめ全てが決定されてあって、決定している事象が順繰りに表れ
ているって感覚ね。あらかじめ曲線のグラフが書かれてあって、人間は
微分された一瞬しか知り得ないっていうか。。。その一瞬しか知り得な
いが前も後ろも確かにちゃんとあるっていうのが、死んでも死んでない
ってことなんでしょ?
ここ何だかよくわからんが、僕も「あー。こりゃダメだわって」思いたいので
量子論とかカオス論、パラレルワールドとかいうSFを見てみよう! と思った。
224 :
206:04/10/04 03:57:40
↑あ、206ね。
情報サンキュー。
他スレ・レスでも独我的実感を持っている人が結構いるようなので、同様に独我的実感
を持っている僕も(なぜか)こちらで上の意見の続きを言いたいと思う。つまらなかったらすいま
せん。最近独我論を教えてもらった僕には自らの感覚を拠り所にするよりないのですが・・・。
知識を深めたいのでよろしければ色々教えてください。
結論から言うと「重要なのは、主(オーナー)たる私の同居人意識だ」です。
○まず世界について
60億人が暮らすこの人間社会(世界)を僕は部屋と呼んでいます(これ僕の前提です)。
部屋は60億個あり、それぞれの部屋には一人ずつ主がいてその各部屋には主以外に
60億人が同居していると考えています。各部屋同士は全く関わりを持つことができ
ません。それは同じ空間(次元?)にはいないから。しかし不思議なことに、例えば僕
の部屋には他の部屋の主であるはずの者達が、(主ではなく)同居人として60億人
も住んでいる。
この立場では、僕は他人と関わりを持つことができるし僕の意識たるや、主ではない多
数の同居人なしでは造られないし、成長もしない。だからこの部屋の主である僕は、こ
の部屋において60億の同居人でもあるのだ。或いは同居人は僕の無数の可能性でもあり得
る。同時にこの部屋の主たる僕は、他の部屋の同居人として60億人存在している。
ただ、そこでの僕は主ではないし、60億種類の形態で存在しているのです。
さらに、気絶/死について続きますがとりあえず今はやめときます。
続きキボンヌ。
ただし一つ言わせてもらえばこのスレに書くときはまずあげれ!
228 :
考える名無しさん:04/10/18 23:06:03
おまいら、もう書かなくていいぞ。
おれは天才だ。全て予測した。
もう出し惜しみしないぞ。
おれがこう書いてもおまいらがレスしていくということを予測したのだ。
おれほどの天才はまずいないだろう
そうでもない。
230 :
考える名無しさん:04/10/18 23:26:54
>>228 じゃあこのスレの今後を的確に予言してくれ。
----------------------------完了しますた----------------------
お、続けさせていただきます。
○死などについて
果たして現在の生や死は本当なのかどうか全くあやしいといえるでしょう。
例えば気絶した時に、僕は他の部屋の主としてその部屋で生活を送っているからです。
また、それが気絶であるということは、覚めて元の部屋にいるのを実感したからであるがど
ちらにせよ主である。記憶喪失も死と言えそうだが、新しい生活を元の同じ部屋で暮ら
しているようだ。でもそれは一度気絶して覚めたのと大して違いはないのです(本人には)。
変わらず主だしまあ、なにも問題はない。なってみたいと思うほどだ。そして寿命などとし
て肉体が滅びるケースの死についても別の部屋に移る(部屋は同時進行で移ると言うよりは
統合される)から問題ではないだろう。
統合された後の部屋において、僕は今までどうり主であるから実際部屋はいくつあるのかわ
からないけれど60億個くらいでしょう。
ただ、
>>211さんの言葉のように意識の継続が生の条件だとすれば生や死は存在すると言えそ
うだ。しかし、僕の考えでは同時進行である60億(仮)の部屋のどこかに統合されるから
意識も断裂しないので、問題ない。また、今この部屋の主である僕は同時進行の他の部屋での
主な感じを認識していないから記憶喪失者である。
では、死について何が問題になるかと言えば、この部屋の同居人の死(肉体の崩壊・形態の変
化)であるわけです。どうしても同居人の死の影響は主に懸かってくるし変化させる。
悲しいかな同居人は確実にいつか亡くなってしまう。その死を迎えた同居人と触れ合うことが
不可能になることを知っているとき、主たる僕が死なない保証も、死ぬ保証と同様にないのだ。
そうすると、もはや主観による死は語るに価しないです。同居人のこの部屋からの消失のほう
がはるかに重大ではないか。
こうして僕の死や生に対する考えが転化された。
うわっ長!ごめんなさい。
いちおう続き
したがって「重要なのは、主(オーナー)たる私の同居人意識だ」となったが実際問題は何も
解決されてないようだ。
妄想・反復・平凡ですけど、「主(オーナー)の僕は同居人だ」という続きあるけどずいぶん
昔から言われている考えみたいな予感です。僕が恥をかかないように教えてください。
※質問・・・他我論では一卵性双生児やベトちゃんドクちゃんのようなある意味特殊
な存在はどのように扱われているのですか?理想的状態?
おおい、天才の
>>1藻前がageなきゃ本当に10年スレになっちゃうぞ〜。
知った事かYO!
236 :
終わり始める:04/11/10 20:57:50
僕の部屋論もこのスレも需要がないなぁ。滋養がないのかなぁ。ためしにageてみよう。
僕は部屋の主(オーナー)なんだが、よく考えたら主たる所以はなんだろう。
少なくとも、同居人と同じように特権は何ら無い。
実は60億個ある部屋は一つの物件であり、おそらくは物件のオーナーがいる。もし仮に
各部屋の主同士がいつか出会い論じ合って、例えば物件の設備の老朽化等を訴えようにも
仲介業者すら見つからないだろう。いやいやお手上げです。
238 :
終わり始める:04/11/27 18:19:50
239 :
終わり始める:04/11/27 19:03:55
おーい
>>1 僕の部屋論もその「量子論とかカオス論」読めばあーこりゃだめだわとなるのか?
どの本がいいのか良かったら教えてくれ。つーか
>>1はまだいるのか怪しいな。
僕に知恵を分けろー。もうageないぞー。
あ、すみません。ちょっと転勤してました。
3週間もかかってやっとADSLつながりました。。
というのも不動産屋から最初教えられた住所が実際の住所
と違っていたからで、知らない人のうちに俺の回線がつなが
ってしまったのだす。工事代2回分取られた。。
ところで、俺の部屋論は、大変面白いと思います。
たしかに観念論独我論は昔からあるんだけれども、現代思想は236で
言うところの「仲介業者」を探す、または自らなろうとすることだと
言えるんじゃないかなと。
とても良い比喩だと思いますた。
あと、俺に分けるだけの知恵はないので。。
>>240 あ、どうもどうも。何か催促したみたいですまんね。
>たしかに観念論独我論は昔からあるんだけれども、現代思想は236で
>言うところの「仲介業者」を探す、または自らなろうとすることだと
>言えるんじゃないかなと。
なるほどそうですか。少しすっきりしました。ありがとう。
ヤバイ.
243 :
終始:04/12/07 00:06:18
神が存在しても不思議ではないような気がしてきた
ていうかなんでもあり。
245 :
終始:04/12/08 01:06:40
>>244 そうか?何がなんでもありなんだ?
>>1がいぬまに大いに語ってくれ。
「神」という言葉は比喩だろう?具体的には別物じゃなぁい?もはやその言葉は色々なものを
まとい過ぎて便利だが不便だねぇ。
246 :
考える名無しさん:04/12/08 01:32:44
↑
= 1
w !!
247 :
考える名無しさん:05/01/22 18:33:19
発見を書き込みたいのですが、このスレッドの過去ログは消えずに残りますか。
残るぜ
・みんな天才⇒みんな凡人 は、不成立。
天才・凡人は個々の価値観によってのみ区別される。
ある1点にのみ突出した能力も、無関係の他者にとっては凡庸。
ヨン様は天才か凡人か。
なので おまえら天才で、おまえら凡人。
おまえら天才バカボン。それじゃだめ?
・生きることを感覚的に説明しようとするのが宗教。
生きることを論理的に説明しようとするのが哲学。
何の役に立つかの議論は不毛。価値を持たせたいと願うのが人。
暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけてみる?
それとも手探りで?
と思うぞ。
250 :
鬼谷晴喜:05/01/25 03:15:07
少し前に、二〇〇五年一月二五日午前三時が過ぎたことを確認しました。
鬼谷晴喜と言います。九月一四日生まれ。
わたしは、ニーチェを始祖とする悦ばしき学問から、
フロイトを始祖とする精神分析学を断ち切るために必要な二つの重要な発見をし、
西洋絵画史上最大の謎と呼ばれる二つの絵画の謎を解明した論文を、
ウェブサイトにて発表しました。
それらの文章の著作者が私であることを広く報せるため、
この掲示板にそれらの概要を書き込みます。
二つの発見と、謎が解かれた二枚の絵画は
1:『テセウス・コンプレックス』
2:『アテナ的なもの』
3:『嵐(ラ・テンペスタ)』(ジョルジョーネ作)
4:『聖愛と俗愛』(ティツィアーノ作)
です。
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/oniya/
251 :
鬼谷晴喜:05/01/25 03:16:21
『嵐(ラ・テンペスタ)』
1 精神分析学とハイデガーの不安理解。『西東詩集』より――殿方の目を――。
2 『嵐(ラ・テンペスタ)』の謎は人物同士の知と無知の関係によってもたらされるの
であって、アダムとイブなどのイコノロジー的解釈は謎解きとしては失格である。
3 キルケゴールの不安論。不安は過渡的な感情に過ぎない。
4 オイディプスとイオカステ、負い目無き不安と堕罪以降の不安の相関関係。
5 自我・超自我・エスの相互的な関係における重要な二点。
「エスは超自我の存在を知らない」「自我は超自我の欲望の対象だが、その逆ではない」。
上記二点から解る『悲劇の誕生』の特異性。『少女革命ウテナ』における回帰思想。
6 『オイディプス王』の悲劇は、それを読解する精神分析学によってもたらされる。
サントーム化した王制主義者オイディプスと全体主義的代理人クレオンの齟齬。
また、ユングとフロイトの争いは、オイディプスを巡るクレオンとテセウスの争いと
して繰り返される事になる。
7 無意識に父を殺し母国を手に入れた人物は、オイディプスではなくテセウスである。
8 ニーチェの詩「アリアドネの嘆き」。『エスがあったところが、超自我にならなければ
ならない。超自我があったところが、自我にならなければならない』。
ttp://www2.tbb.t-com.ne.jp/oniya/ 『テセウス・コンプレックス』
フロイトはオイディプスではなく、オイディプスを迎え入れて国を繁栄させたテセウス
に相当する人物である。『テセウス・コンプレックス』の発見は、ドラマを重視する精神
分析学的悲劇解釈の正統性を崩壊させ、ニーチェによって切り開かれたまま発展を見せな
かった、コロスを重視する悲劇のディオニュソス的解釈学を復活させるための足がかりに
なる。
ttp://www2.tbb.t-com.ne.jp/oniya/
252 :
鬼谷晴喜:05/01/25 03:17:35
『聖愛と俗愛』
1 『聖愛と俗愛』には、『嵐』に登場するすべての道具が引用されている。この絵にお
いて、鑑賞者を含む全ての人間が、見るものでありながら見られるものであるという
位相の転換に巻き込まれる。
2 この絵が結婚のために描かれたという点から見た、絵に登場する各道具の解釈。
3 ドゥルーズとハイデガーの「力への意志」解釈の比喩としての中央の天使。
4 『バッコスとアリアドネ』へ。他意識の体験は、他我ではなく他者にとっての他者、
すなわち他汝(たな)の存在を証明する。『プリンツ・フォーゲルフライの歌』
5 ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ティントレットの三人は、ショーペンハウアー、
ニーチェ、ワーグナーの関係に相当する。
6 説明できなかった二つの道具。
『聖愛と俗愛』を挟むように、ティツィアーノの自画像をジョルジョーネの自画像の右
に置くと、この二人の関係は、『聖愛と俗愛』の二人の女性の関係を反復する。自画像を
横顔で描くのは正面で描くのよりも難しいので、ティツィアーノはこの効果を狙っていた
のだと思われる。二人の女性の間にいる幼子は、自画像の二人にとっては、『聖愛と俗愛』
という絵画自体であるということになる。
253 :
鬼谷晴喜:05/01/25 03:18:54
『アテナ的なもの』
ディオニュソスはアポロンとではなく、アテナと対比されるべき神である。この着想は神
話によって裏付けがなされる。この発見によって、精神分析学と悦ばしい学問の対立が明
確になる。
学 = 精神分析学:悦ばしい学問
場所= アテナイ:ナクソス島
神 = アテナ:ディオニュソス
英雄= テセウス:アリアドネ
思想家= フロイト:ニーチェ
悲劇 オイディプス:ツァラトゥストラ
(ドラマ):(コロス)
ttp://www2.tbb.t-com.ne.jp/oniya/
254 :
鬼谷晴喜:05/01/25 03:21:03
準備的な論文
『放浪、十字架、ナクソス島』
1 親愛なるエミール
2 ドゥルーズの『道徳の系譜学』読解における主人の目と奴隷の像。
セザンヌとゾラの関係に見られるパースペクティブの問題。
3 『黄色いキリスト』VS『カラスのいる麦畑』。『十字架にかけられた者』VS『ディオ
ニュソス』。「ついて」と「対して」。男性と女性。エロスとアガペー。固有名と二人
称。奴隷と主人。後者としての、ツェランの詩『誰でもないものの』『雌雄異株のも
のだ』。
5 ニーチェによる現象学批判は、デリダをその批判者ではなく徹底者と見なして批判し
直す。ニーチェは間違いなく音声主義者である。「だるまさんが転んだ」における相
互的な瞬間の体験。音声は共・脱中心化をもたらす。
6 ニーチェはコージマに、キルケゴールはレギーネに、「対して」語りかけている。キ
ルケゴールにとって、二人称があらゆる外的条件と無関係な隣人の普遍的を意味して
いたのに対し、ニーチェにとって二人称は二つの固有名の間にあり、またその逆。
後期フロイトの提出した三つの審級には、二人称だけが存在しない。
Uber-menschとしてのDu
ttp://www2.tbb.t-com.ne.jp/oniya/ 以上です。
人は生まれながらに偽善である
性善説、性悪説、はもう古いと・・・・・
この人は「性偽善説」を唱えましたwww
257 :
鬼谷晴喜:05/02/02 19:45:38
『テセウス・コンプレックス』
最初わたしは、フロイトがテセウスに相当すると思っていました。そうした趣旨の投稿が他のスレッドに見つかるはずです。
ですが、フロイトはやはりオイディプスに相当し、テセウスは彼の患者達に相当すると見なした方がすっきりします。
これで、最期を迎えたオイディプスの姿が人々の目から消えた理由も説明できます。
ttp://www2.tbb.t-com.ne.jp/oniya/
258 :
考える名無しさん:05/02/24 21:07:22
ライオンは百獣の王と呼ばれている。しかし、
ライオンは自力でライオンになったのではないから、
ライオンは他の動物に対して何も偉くはない。
天才とは読んで字の如く、天から才能を“与えられた”人間である。
だから、天才も凡人に対して何も偉くはない。
すべての生物は平等。平等に無力な存在である。
259 :
考える名無しさん:05/02/27 00:05:18
天才が平等精神もってもなぁー?
階級を創りたがる奴、妬む奴などがいるからな!
260 :
258:
>>259 世間がどれだけ不平等でも、本質的な平等が揺らぐことはない・・・
という意味れす。
平等な社会を作るべきだ、みたいなことが言いたいわけじゃない。