ベルクソンの哲学について

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1:03/10/01 00:53
詳しい人語れ!
2考える名無しさん:03/10/01 00:56
2da2da2getwaaai
3考える名無しさん:03/10/01 01:41
おそらく、直観とは、その持続における(以下略す
4:03/10/01 01:47
お、お、おい! 略すなよ。続けれられっちゃれ!

何、もしかしてこの人、今の哲学界(?)では全然過去の人?
5考える名無しさん:03/10/01 01:49
偉大な人物だと思うよ、現代でも、なお。
6考える名無しさん:03/10/01 22:33
ベル糞ン
7考える名無しさん:03/10/02 00:44
8:03/10/02 02:11
ベルクソンは直感というものに関して

たとえば、現代大脳生理学の分野で人間の認識能力の構造の研究が進んでおり、大体のことがわかっているという。
科学は実験を繰り返し、個別の現象に関して少しづつ知識を増やしていく。最終的に脳の基本的な構造、働きに関するデータがそろったとする。
すると、その知識を元に演繹して結論を導き出す。人間の認識能力とは〜〜いうものである。
カントに至ってはこういうことはすべて直感で結論した。
直感はイメージを膨らませ、イメージを概念によって翻訳する。その翻訳を我々は読み、カントのイメージを共有しようとする。
ではなぜこのような直感が可能なのであろうか。それは私が現象の探求者であると同時に、現象そのものであるからである。
私は生命体であり、生命について既に知っている。
たとえば、大脳の認識能力について、我々は大脳に電流を通し、脳波や熱を測りというアプローチをする以前に、脳髄の機能や大脳そのものについて既に経験している。
我々が宇宙を構成する物質で作られた宇宙のいつ部分であるならば、我々は対象の考察者である以前にその対象を知っているのである。
そのような知識が有機的につながり、あるとき、一瞬にして、現象の答えが我々の意識に現れてくる。それが直感なのである。
・・とベルクソンは考えていたようだ。(知識と動くもの「哲学的直感」)




9:03/10/02 02:18
○カントに至っては答えは直感的に得られることになる
○自然の謎掛けてくる問いに対する答えが、我々の意識にあわられて来る

もちろんカントは認識の構造についていたく考えたと思う。そのようにして哲学的思弁的知識は蓄積して言った。(これは実験による知識とは異質である)
そしてあるとき、人間の認識に対する謎を解決するに至るのである。(カントになんいやら神秘的な力が働いて、一瞬に認識の謎を解かせたわけではないだろう)
10考える名無しさん:03/10/02 02:22
うっせー
そんなこと 足の小指の毛なんだよ
勝った つもり? あら
11:03/10/02 02:27
哲学的直感は科学的知識の総合ではない、とベルクソンは言う。
科学理論の都合のいいところを集めてきて「科学者君、僕が君の作業を発展させてやろう」とばかりに、科学の厳密性を犯すことは科学者のみならず哲学を侮辱することなのだ。
科学的知識の総合ではないところに直感の意義がある。実験による外的知識の演繹が科学理論を構成するのであれば、直感とは先天知の総合ということだろうか。



12考える名無しさん:03/10/02 03:31
まずはウィトゲンシュタインからやるべき。
13:03/10/02 03:32
237 :考える名無しさん :03/07/20 13:41
「物質と記憶」は心脳問題を考えるうえで必読文献だよ。
ここでのベルグソンのテーゼ「記憶は脳に宿りはしない」と、
その論拠を、もう一度振り返ってみる必要があるよ。


φ(..)メモメモ...
14アダム:03/10/02 03:45
だからウィトゲンシュタインからやるべきだって。

15:03/10/02 03:49
ちょうど物質と記憶について考えてた。
常識的には記憶は「海馬」という脳の部分に仕舞い込まれているというが
経験が写真のように圧縮され、脳というタンスに保存される。保存された写真は時折取り出されるわけだが。
このときの写真は物質であるが記憶は物質なのだろうか
まぁどう考えても物質なわけだ
写真に当たるのは脳内の神経伝達物質に置き換えられるわけで、ニューロンとしてパターン化されるのだろう。
そしてそれが何かの刺激を受けると興奮して、想起という現象が成立する。
・・虐待されたねずみはドーパミン過多になるというが、それはやはり虐待の記憶が多く保存され、ちょっとした刺激がその想起につながり、擬似的に不快な経験が繰り返し体験されるからだろう。
16考える名無しさん:03/10/02 03:52
ラウル・クタールの自伝でも読んで頭を冷やせ。ボケ。
17:03/10/02 04:00
とするとまたすっきりしないので自我モデルを変更する必要があるかな

意識・・自我
記憶・・無意識
物質・・大脳

無意識に保存される記憶が、ネガティブなものばかりである場合、保存された記憶が存在していることが細かく物質レベルに影響し、陰鬱な性格を形作るのかもしれない。
では薬学的医療とはどうして有効なのだろうか。物理的医療は脳に直接働きかけるわけだが、それは記憶の次元とは無関係である。
薬物的医療は、不快な経験によって、習慣化されたドーパミン過多のような状態を改善する効果はある。
妄想が出てきたときはリーマスでも処方すればそれは収まるのではなかろうか。
だからといって記憶に働きかけるわけではなくて、記憶に働きかける物質もあるのかもしれないが、そうなった暁には本格的に人間の精神は物理的外部的に操れるということになるだろう。
映画トータルリコールみたいな世界か
そうした映画やテレビの疑似体験とは違う物質的に記憶に働きかけられる直接的な世界の疑似体験は可能だろうか。

18:03/10/02 04:12
妄想や抑鬱状態を静める事は意識的な治療を進めていく上でも有効であるから
精神薬による治療は必要だろう。
だからといって、やはり記憶そのものに働きかける薬剤などはありえないので、その辺は精神分析療法が活躍することになるだろう。
記憶は精神にダイレクトに働きかける。ある体験をした場合でも記憶と照合されて判断される。純粋な体験を生のままに判断するのは難しい。
記憶という先見が判断に影響するのは避けられないことである。
トラが怖いということは記憶されている。こういう能力が発達する事は生存に非常に有利である。
同時にこの能力はネガティブにも作用する。
たとえば「世間は自分を抹殺しようとしている」などという記憶が一般化された場合、「私は存在するべきではない」と思わせる記憶が存在している場合。
このような記憶の保有者はネガティブな先見を持って世界を判断するために、そのような不安の反動形成として攻撃的だったり、反社会的だったりする性格が形成されるかもしれない。
こういうとき、患者の攻撃性や「妄想」を薬剤で沈静化することは意味があるかもしれない。
とはいえ何度も繰り返すように、記憶そのもの、体験そのものを作り変えるものではないのであり、それを意識化し解釈しなおすという作業が治療に不可欠になるのだろう



19考える名無しさん:03/10/02 04:13
1はまず、「直感」ではなく
「直観intuition」が問われていることに気付け。
20考える名無しさん:03/10/02 04:13
この基地外めが。ゆっくりサクリファイスでも見れ。
お前がバカなのは分かったから。
21:03/10/02 04:16
intuitionとは何語でしょうか
22:03/10/02 04:17
君もドーパミン過多なようだね
23:03/10/02 04:19

ちょっかん ちよくくわん 0 【直観】

(名)スル
〔哲〕〔intuition〕推理を用いず、直接に対象を捉えること。一般には感性的知覚をいうが、直接的に全体および本質をつかむ認識能力としてプラトンの「イデアの直観」以来、哲学上さまざまな形で高い位置が与えられてきた(スピノザ、シェリング、ベルクソンなど)。
「知的―」「アウグスチヌスが神は不変的―を以て万物を―するといひ/善の研究(幾多郎)」


24考える名無しさん:03/10/02 11:19
直観は現象学の基本でもあるよ。
25考える名無しさん:03/10/02 11:25
むしろカント。
知的直観を認めるか禁じるかという対立軸は大事。
ベルクソンも現象学も、あえて分けるなら認める側に立っている。
26考える名無しさん:03/10/02 11:33
カントが直観と言えば感性の能力のことだよね。
27:03/10/02 13:48
なんで直観は成立するのかね。
プラトンは「人間の魂は昔イデァ界をさまよっており、そのときの記憶を思い出すから」とdデモなこと言ってるが
ベルクソンやぴかぁ〜に言わせると、私とは宇宙創立以来の記憶であるから。
ということになるのか。
我生きる故に我あり  
28考える名無しさん:03/10/02 15:01
つーかお前ぴかぁだろ?
29考える名無しさん:03/10/02 16:15
なるほど。28するどい。
30考える名無しさん:03/10/03 20:04
展開してくれよ。
31考える名無しさん:03/10/03 20:13
ベルクソンやぴかぁ〜に言わせると、

ベルちゃんとぴかぁを並べる時点で、1はチンカス決定!
32考える名無しさん:03/10/06 00:49
物質と記憶ムズい。
混乱してくる。
誰か3行以内にまとめれ。
33考える名無しさん:03/10/06 02:21
>>32
万物はイメージ
脳もイメージ
よって思考とはイメージがイメージについて考えることだ
34考える名無しさん:03/10/18 23:53
必要にせまられて「脳と身体」読んでるんだがちんぷんかんぷんだ…。
分かりやすく説明きぼんぬ。
35パック:03/10/20 22:53
プラトン

アリストテレス

デカルト

カント

ベルクソン

と、読みたいのですが。
できるかなー。
36考える名無しさん:03/10/23 22:44
age-
371:03/11/09 23:17
俺、原文も読まずにすごい事言ってるなw
(大した突っ込みも無いのは一人としてベルを理解している人間が居ないからだろうか)
黙々と頭の悪そうな事が書いているが、2chじゃなかったら痛々しさの余り自刃して果てるw


38考える名無しさん:03/11/18 14:36
中公クラシックス『道徳と宗教の二つの源泉 I』発売
http://www.chuko.co.jp/new/200311/160060.html

岩波文庫『道徳と宗教の二源泉』復刊
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/33/0/3364570.html
39考える名無しさん:03/11/19 03:37
アンソロジーなら『記憶と生』がおすすめ。
ドゥルーズが編集している。
40 :03/11/19 14:25
『記憶と生』の73ページに前田さんが註の形でイマージュの説明をしております。
わたしは、いろいろ読んでこの説明が一番明晰だと(わたしにとっては)思いました。

この註を丸暗記して、この前田さんの解説を出発点にして、
いろいろな他の説明やベルクソンの文章と付き合わせるとい
方法がわたしにとってはベストでした。
41考える名無しさん:03/11/19 15:16
>>40
もったいぶらずにここで書き写してくだされ
フランス語版しかもっていないんだよ。
42考える名無しさん:03/12/15 14:44
どいつもこいつも馬鹿ばっかしだな。
ベルクソンの直観てのは認識能力じゃあなくて哲学的「方法」なんだよ。タコが。
イマージュに関してはこうだ。
実在論の立場をとるにせよ、観念論の立場をとるにせよ、
いずれかを選んだ以上その立場を超えた「何か」の存在を認めないこと。
その立場に徹底的に内在すること。それが(少なくとも知覚理論の枠内での)
「イマージュ」という言葉のもつ含意だ。

そもそも重複スレを立てる時点で>>1は逝ってよし。

43考える名無しさん:03/12/15 16:26
>>42
方法としての直観というのはドゥルーズ説。
有力ではあるが異論もある(クセジュの人とか)
44考える名無しさん:03/12/28 08:27
42バカさらしあげ
4543:03/12/28 13:27
>>44
バカというのは言い過ぎ。
ドゥルーズに依拠しているから悪いわけではない。
46考える名無しさん:03/12/28 16:42
ドゥルーズの受け売りなのに偉そうにしてる馬鹿ということでFA?
47◇これが真結論?↓ ◆KCCcqdZNdI :03/12/29 08:02
>>1
そしてこのスレに反応したサゲチンどもよ
恋も女もイメージか?偶像か?
一生もてないぞ?反省しろ!”以上
48考える名無しさん:03/12/29 09:44
あなたが一番反応してるように見えますが
49考える名無しさん
ageru