11 :
考える名無しさん:
物理的な時間は、時間が動くという感覚ではなく
時間というベクトル(時間の矢)が一本存在していると解釈している
だから過去は過去という場所に、未来は未来という場所に存在している
しかし人間や他の生物は「今」しか知覚していない
過去は記憶であり、未来は予想
俺が分からないのはそんな人間がどうやって時間の流れる速さを認知しているか
他人と自分の時間が流れる速さの感覚は一致しているの?
人間はどの器官で流れを感じているの?
13 :
考える名無しさん:03/08/21 18:38
>>11 それはおそらく心臓だと思われます。
鼓動が遅いゾウなどの動物はのろのろ生活していますが
速い鼠とかの小動物は素早い生活をしています
心臓の鼓動で認知に相対性ができるのではないでしょうか
>>13 その話はよく聞くんですが、生物学的裏付けに乏しい気がするんです
科学的根拠が記されている本かHPとか分からないですかね
個人的にすごい興味がある
と、ここらで統合に協力して
>>12のスレに逝きます
16 :
考える名無しさん:03/09/01 16:11
時間 それは全ての人間に同じように流れている訳ではないと思うよ
17 :
考える名無しさん:03/09/01 16:38
もともと人間以外の生物に時間という概念はない。
動きが速いかどうかという概念はあるが、時間とはまた別である
そもそも、時間とは人間が作り出したものでしかなく、
時間が存在するかどうかをまず考えなければならない。
人は時間を感知するとき、動きをみて感知する。
動きがあるから時間の概念が生まれたのであり、
動いているから時間が進んでいると考えたのである。
>>7がいっているが、それは微妙に誤解があるので訂正と補足をしておく。
粒子の運動は基本的に等速であるので、時間の目安とされている。
しかし、時間=粒子の運動 ということではない。
粒子の運動は、場所によって(その状況によって)実は等速ではないことが知られている。
それを時間の進み具合が違うと考えるのが時間の概念での考えであるが、
実際は、全てのものの動きの速度が変化するだけであって、
時間がどうのうという話ではない
これが、現在の物理の考え方である と思う。
18 :
考える名無しさん:03/09/02 03:14
>>17 つまり物理は哲学に包含されるのである。
終了。
>>18 数学も物理学も哲学も、人間の思考を現し深めるための道具に過ぎにない。
それぞれの道具に得意分野/不得意分野があるのは確かだろうが、どれがどれに包含されるわけでもなく
位相的にみれば同値である。
つまり、ある思考を現し、深めるのには哲学が一番向いている場合もあるし、数学物理学がそうである場合もある。
ある一つの問題を考えるときに、一つの側面を哲学的にそして別の側面を物理学的に解決することが便利である場合もある。
ま、いってみりゃ中華なべ、フライパン、土鍋みたいな関係だと。
で、本題の時間についてだけど、紙面の都合省略させt(ry