1 :
考える名無しさん :
03/07/20 13:41 私の考え方は、その対象が「どこに」在るのか無いのかを明確にすると言う事です。 存在の有無を問われている対象が、問題にされている場所に在れば在る、無ければ無い。 これが、存在の有無を考える場合の基本です。
「テーブルの上にコップは在るか?」という場合は、テーブルの上に在れば在る、無ければ無い。 「コップは存在するか?」という場合は、「どこに」が明確でないので、話にならないと言う事です。
そうだね。
「自由意志は在るか?」の場合も、「どこに」が明確でないので話にならない。
それでは宇宙の外には何かありますか?
「宇宙は存在するか?」の場合も同様です。
つまり、宇宙は位置を特定できないので存在しないと一緒と?
>>7 存在する場所が解らないので、存在しないのと一緒です。
>>8 無いのですか?その証明をお願いできますか?
>>9 宇宙も宇宙単位でどこかに存在してたりはしないのですか?
>>11 それをひっくるめて「宇宙」と言ったつもりです。
>>12 宇宙の外ですよ。
ところでその説は3次元じゃなければその位置は特定できませんね。
この世の中には3次元以外は存在しないのでしょうか?
>>14 何故、3次元じゃないといけないんですか?
「この世」が明確じゃないですね。
>>15 確かにこの世の定義が不明確ですね。
しかし、この定義はなかなかむずかしい。
みんな、これを基本に哲学をしなさい。
>>16 場所が明確でなければ存在も明確にはならないですよ。
>>17 うーん、しかし、正確に位置を説明できないからと言う理由で
宇宙は存在しないと言うのはちょっと無理があるように思えるのですが?
宇宙は実際問題空間として存在しています。
空間が存在しなければ位置の存在自体定義できませんよ。
>>19 宇宙は無という場所に、無内存在者として存在していると私は考えます。
しかし、無は存在者ではないので、結局、宇宙も存在しないのですが、
宇宙はその無という場所には存在しているんです。
無は存在する場所を持たない。 だから、無は存在者ではない。
>>20 なるほど、無とゆう場所に存在しているわけですね。
ちょっとスレとは関係ないのですが、その「無」とは どういった場所だと考えますか?
>>24 無は無内存在者を存在させる為の場所です。
27 :
考える名無しさん :03/07/20 14:28
鏡に映っている自分は存在していると言えますか?
>>26 意味を考える場合も、その意味が適用される場所を考えればいいのです。
何故なら、「意味」も存在者だからです。
その場所を示してみれば、その示された場所に「意味」が在る事になります。
例えば、「人間」という場所を考えたなら、そこに「意味」が存在するようになるのです。
>>21 「なにものにも依らない」位の方がいいかと。
30 :
考える名無しさん :03/07/20 14:33
27 鏡見たことあんの?w
>>27 「鏡に映っている自分」はどこに存在するかと言えば、
それを見ている「自分の意識の中」と言えるでしょう。
>>28 なるほど、あくまで「有」と「無」を区別しているわけですね。
そして意味はまた別の場所に存在すると?
>>29 それは言葉の表現の仕方だと思います。
言葉で表現するのは難しい。
>>35 色々な場所に色々な形態で存在するという事です。
>>33 >無という場所
では、「場所」というカテゴリにある以上、それもまた意味であることには違いない。
>>37 宇宙を無内存在者として存在させるという意味が、宇宙に在りますね。
>>38 では、宇宙が未だ無い状態の「無」とは、一体何か?
>>40 無とは無い事を言う。では、何が無いのか?
>>39 【無について】
「始まる」という結果を得る為には、その原因が必要である。
という考えは、因果律に縛られている。
それは宇宙に因果律が存在するからです。
しかし、無には因果律は存在しない。
だから、原因なしに突然、宇宙が生じてもいいんです。
何もおかしい事はない。
そして宇宙は因果律を存在させる場所となる。
>>41 「無」とは名前です。
その名が指し示すものを無と名づけたんです。
無いというのは存在していないと言う事。
つまり、存在する場所がないと言う事でもある。
無は存在者ではありません。 存在者を存在させる場所です。
>>44 存在者に対する〈存在〉を「無」と言い換えただけのもので、そこから歪みが生まれているように思えるが?
>>46 私ならそれを「無」とは呼ばない。
また、「場所」という想起そのものの制約について無反省な考えに見える。
私は〈無限〉と仮に呼んである。そして、それは場所ではない。
>>46 なるほど、そもそも因果律で語るから神と呼べるなんらかの存在を
みつけられないだけであって、無という極地では理由などないという
わけですね?
私は究極の場所を無と名づけます。 それ以外に宇宙の始まりを説明する方法を私は知らない。 あなたの考えで、宇宙の始まりを説明できますか?
51 :
考える名無しさん :03/07/20 15:11
それでは「無」という言葉だと混同してしまうおそれがあるので 通称をつけましょう「ウィスカース」と名づけていいですか?
54 :
考える名無しさん :03/07/20 15:18
ウィスカースを色々といいますが、具体的にはその色々とは どんな感じなのでしょうか?いまいちイメージがもてません。
>>49 >しかし、無には因果律は存在しない。
>だから、原因なしに突然、宇宙が生じてもいいんです。
>無には因果律は存在しない
は、1さんが「無」とよぶところの何かの絶対無制約制についての表現、位に取っておく(もし、そうでなかったらお手上げである)。
>原因なしに突然、宇宙が生じてもいい
これが宇宙の始まりを比喩的にでも言いおおせていると果して言えるだろうか?
在る事のダイナミズムの表現がそこには無い。
私なら、なにものでも無いものが、なにものでも無いというそのことからも、逸脱し、「何かである」という事態に至る。
「何か」とは、ITであり、全意味を含み得る。その潜勢力が始まりであり、かつ、今このときも起こっている。
位に言う。
>>55 何かを求めすぎだと思います。
私は、「存在者と場所」の関係から、究極の場所である「無」を見出したのです。
ただそれだけですよ。
もしかしてと思ったんですが、もし無が有を証明するためにあるとしたら、 逆の意味にもとれますね、無を証明するために有がある。と。 つまり、人間の存在は無を証明するためにあったりするのでしょうか?
>>56 ではこちらもはっきり言う。
「存在者と場所」という理解は稚拙であり、まだ浅い。
以上。
>>57 いいところに気付きましたね。
無が無ければ宇宙は存在しない、宇宙が無ければ人間は存在しない。
そして、人間がいなければ無は存在しないのです。
今まで、無は存在者ではないと言ってましたが、実はそうではなく、
意識内存在者だったのです。
無は存在する場を持たず、宇宙を存在させた。 そして宇宙は人間を存在させ、人間は無を存在させる。 この関係を存在のループと言います。
存在のループ説をみんな、肝に銘じておきましょう。
65 :
考える名無しさん :03/07/20 15:44
>>64 ループの始まりは「無」が作り出します。
理由は因果律に縛られないからです。
>>64 そしてループたらしめる働きは人間の意識です。
一本の紐をつなぐ働きをします。
>>66 しかし、なぜ無は因果律に縛られないのでしょうか?
>>70 無には宇宙が存在し、宇宙には因果律が存在する。
ただそれだけですよ。
72 :
考える名無しさん :03/07/20 16:18
>>72 いいですよ。
存在者は必ず何らかの場に存在する。
その考えから、究極の場として無を導き出す。
無という場に無内存在者として存在する宇宙は、人間を宇宙内存在させ、
人間は意識という働きの中に「無」を意識内存在させる。
これを存在のループと言う。
74 :
考える名無しさん :03/07/20 16:34
なるほど。 宇宙=無内存在 人間=宇宙内存在 無=人間内存在 という循環をこの三者は引き受けなければならないということか。
76 :
考える名無しさん :03/07/20 16:39
無という場はどこにありますか?
>>76 無は存在者ではありません。
無は存在者を存在させる為の場です。
>>76 そして、無を存在者たらしめる働きを持つのが人間です。
人間の意識の中に存在するのです。
無は意識内存在者なのです。
80 :
考える名無しさん :03/07/20 16:46
>>1 人間の中では、無は存在者になるというのか?
82 :
考える名無しさん :03/07/20 16:50
それは無という語の使い方を誤っている、ないしは行き過ぎた解釈をしていると思う。 無というのは、「〜でない」と「〜がない」という用法でしか生起しないと思う。 There is nothing.←これをどう訳しますか?
>>82 言葉は概念に割り当てた記号です。
無という語句もまた、記号なんですよ。
私が、究極の場とした概念に「無」という名前(記号)を割り当てたにすぎない。
たいした問題ではない。
84 :
考える名無しさん :03/07/20 16:59
1 名前:考える名無しさん 投稿日:03/07/20 13:41 私の考え方は、その対象が「どこに」在るのか無いのかを明確にすると言う事です。 存在の有無を問われている対象が、問題にされている場所に在れば在る、無ければ無い。 これが、存在の有無を考える場合の基本です。
85 :
考える名無しさん :03/07/20 17:02
>>1 の理屈で言うと、「無は存在者を存在させる為の場」であり、かつ「無は
存在者ではない」のだから、無は存在しないわけだな。
時間は意識内存在者である。 空間は意識内存在者である。 意識体は意識内存在者である。
>>85 どこに存在する存在者であるか?が重要なんですよ。
88 :
考える名無しさん :03/07/20 17:07
>>88 それは私の考えを分類したにすぎない。
私の考えを否定しているわけではないですね。
そしてその分類はあなたの偏見による。
90 :
考える名無しさん :03/07/20 17:28
>>89 んと、ここまで読んで次のような事例を考えてみた。
チェック希望。
テーブルの上にコップがある。
↓
テーブルは部屋の中にある。
↓
部屋は大気圏の中にある。
↓
大気圏は宇宙の中にある。
↓
宇宙は無の中にある。
↓
無は人間の意識の中に存在する。
91 :
考える名無しさん :03/07/20 17:30
>>1 無は意識の中で存在する、という考えも十分に偏見ですよ。w
93 :
考える名無しさん :03/07/20 18:49
それは「存在するとは構成されることである」という立場だね
>>93 「存在するとは場を持つという事である」という立場です。
95 :
考える名無しさん :03/07/20 19:04
>94 「直観主義」参照
>>94 チェックどうも。追加で質問です。
「存在するとは場を持つという事である」
という立場を取った場合、
>>90 のようになることは分かりました。
では、「存在する」ということを上記のように定義する理由は何でしょうか?
既出のレスだけではよく分からなかったので。
98 :
考える名無しさん :03/07/20 19:10
>97 どう思った?
はっきり言ってすっげーくだらねー議論なんすけど。 つか、だからなんだよって感じで、議論にもならねーじゃん。
101 :
考える名無しさん :03/07/20 19:15
【2:23】2chなんかで何が哲学だよ 1 名前:考える名無しさん 03/07/20 18:48 おまいら2chでどれだけ時間無駄にした?
102 :
考える名無しさん :03/07/20 19:15
>100 そうか 俺は君が直観主義と同じ考えをしているように思える だから「存在するとは構成されることである」と言ったまで
103 :
考える名無しさん :03/07/20 19:15
【2:23】2chなんかで何が哲学だよ 1 名前:考える名無しさん 03/07/20 18:48 おまいら2chでどれだけ時間無駄にした?
104 :
考える名無しさん :03/07/20 19:21
/) /) / ⌒ ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ●_ ● | < まあまあ、低能同士仲良くやろうよ (〇 〜 〇 | \_________ / | | |_/
>>102 私を直観主義と判断するならそれでいいんじゃないですか。
ただ、存在するとは場を持つという事ですよ。
106 :
考える名無しさん :03/07/20 19:24
>>102 直観主義と
>>1 の主張が似てるかどうかは微妙だと思う。
>>1 がなぜ「存在するとは場を持つという事である」という定義に至ったのか不明だから。
107 :
考える名無しさん :03/07/20 19:25
/) /)
/ ⌒ ヽ /
>>104 はあ?オマイ馬鹿?
| ●_ ● | < 夏休みに入ったら哲学板のレベルは急上昇だろ!!
(〇 〜 〇 | \_________
/ |
| |_/
108 :
考える名無しさん :03/07/20 19:26
>105 まぁいいや、君が直観主義を知っているとは思わんし、そんなことはどうでもいいことだ では「存在するとは場をもつ」ということならば 次のようなものは存在するのか、しないのか、存在するならばどのような場にあるのか教えてくれないか? ・数学 ・ユークリッド幾何学におけるXY座標 ・重力 ・言葉
>>108 数学は意識内存在者である。
ユークリッド幾何学におけるXY座標は意識内存在者である。
重力は意識内存在者である。
言葉は意識内存在者である。
そして存在者が存在する場は、1つだけであるとは言えない。
それと私は、在る無いを判断する為の方法を教えるまで。
あとは対象が存在者であるかどうかは、各自で判断すればいい。
110 :
108じゃないけど :03/07/20 19:36
>>109 その回答ちょっと予想してた。今までの主張からすれば。
111 :
考える名無しさん :03/07/20 19:36
>106 109見て分かったよ 1は直観主義じゃないね 俺の勘違い
>>110 それは私の考えを理解してもらえたと、解釈しますね。
>>113 少なくとも、今までの議論では「意識内」以外に場が持てないと思った。
しかし、まだ十分に理解しているわけではない。
115 :
考える名無しさん :03/07/20 19:43
>数学は意識内存在者である 馬鹿だ
116 :
考える名無しさん :03/07/20 19:44
酷すぎ
117 :
考える名無しさん :03/07/20 19:45
おまいら2chでどれだけ時間無駄にした?
2chマジヤバイ
119 :
考える名無しさん :03/07/20 19:48
>>1 よ。
>>96 の質問は結構重要だと思うぞ。
なぜ「存在するとは場をもつということ」なんだ?
これでは「犬とは何か?猫は犬か?」と質問して、
何の理由付けもなしに「犬とは四足で立つ動物。猫も犬」
と返答されるのと変わらない。その根拠が分からない。
>>112 見落としてました…
>>96 宇宙の始まりについて説明できるからです。
定義とは手段です。
宇宙の始まりについてどう考えればいいのか、
それの答えを得る為の手段です。
121 :
考える名無しさん :03/07/20 19:58
>宇宙の始まりについて説明できるからです。 つまり擬似科学ってことさ
>>119 定義とは目的を果たすための手段ですよ。
>>121 どういう語句を、私の思想に割り当てるかは自由ですよ。
>>120 ふむふむ、なるほど。
つまり次のようなことになるのでしょうか。
1、宇宙の始まりを説明せんがための手段が必要である。
2、ゆえに「存在するとは場をもつ」と定義する。
しかし、さらに質問を重ねてみたいところです。
このような方法は「神が宇宙を創造した」と変わらないのではないでしょうか。
なぜなら「宇宙は神によって創られた」と最初に定義してしまえば、やはり宇宙の
始めについて説明が可能だと思うのです。
但し、ここで神=完璧なものとは置きません。念のため。
125 :
考える名無しさん :03/07/20 20:04
126 :
考える名無しさん :03/07/20 20:05
>>124 1じゃないけど、1の論理からいえばそうだ。
>>124 私の場合は定義する根拠が現実世界にある。
どこを見ても、存在者は存在する場を持っている。
その延長上で説明を可能にしたんですよ。
129 :
考える名無しさん :03/07/20 20:13
>>127 ん、ちょっと待ってください。
>私の場合は定義する根拠が現実世界にある。
>どこを見ても、存在者は存在する場を持っている。
ここを読むと次のようになりませんか?
1、宇宙の始まりを説明せんがための手段が必要である。
2、どこを見ても、存在者は存在する場を持っている。
3、ゆえに「存在するとは場をもつ」と定義する。
なぜ定義より前に「存在」という語が使えるのですか?
>>131 2は私が認識したある事柄です。
3は語句の定義です。
133 :
ミドハト ◆Ruvv1/qWGQ :03/07/20 20:20
>>128 >あなたの自由ですよ。
これは「あなた」に「あなたの自由」が在り、
私に「あなたの自由」はない、
とも言えそうですね。
>>133 素晴らしいですね。
その通りだと思いますよ。
>>132 えっと、すみません、ひとつひとつ順に質問しても宜しいでしょうか。
まず、宇宙の始まりを説明するためにこの理論は考案されたわけですよね?
>>136 とすると、あなたは宇宙と言うものが存在することを認めるわけですよね?
私の意識の中に在りますね。
139 :
考える名無しさん :03/07/20 20:34
>>138 ええ、そうなると思います。これまでの議論からすれば、それで結構です。
で、宇宙の始まりがあったということもあなたは認めるわけですよね?
140 :
139 ◆fyQa0QCcEI :03/07/20 20:35
139=131です。すみません。 トリップつけます。
142 :
◆fyQa0QCcEI :03/07/20 20:38
>>141 ところで、あなたは宇宙の始まりを見たことがありますか?
ありませんよ。
144 :
◆fyQa0QCcEI :03/07/20 20:41
>>143 ということは認識したことがないのではないでしょうか?
146 :
◆fyQa0QCcEI :03/07/20 20:42
>>145 ちょっと質問が不適切でした。失礼しました。
次のように質問すべきでした。
あなたは宇宙の始まりをどうやって認識したのですか?
>>146 人間は因果律でしか物事を理解する事が出来ない。
だから、宇宙が私の意識の中に存在するという結果が在るのだから、
宇宙が始まるという原因があるはずだと考える。
あとは、想像で意識の中に仮に存在させるわけです。
148 :
◆fyQa0QCcEI :03/07/20 20:48
>>147 なるほど、了解しました。
さて、少しここで私の立場を明言しておきます。
私は
>>1 さんの理論が正しいかどうか分かりませんし、見当もつきません。
したがって、これらの質問は純粋に私の疑問だと考えてください。
もしかすると、
>>1 さんの理論がよりつまびらかになるのかもしれません。
では、質問再開です。
もし、私の意識の中に神がいると言ったら、どのように考えますか?
それは否定されますか? 肯定されますか?
150 :
◆fyQa0QCcEI :03/07/20 20:52
>>149 なるほど、それはおそらく次のような理由からだと思うんです。
あなたにとって、神は意識されないから、あなたは否定する。
こうではありませんか?
それとも別の理由に拠りますか?
>>150 私は自分が神を意識しない理由を知っている。
そして私は自分の説を他人に適用します。
152 :
◆fyQa0QCcEI :03/07/20 20:58
>>151 分かりました。なかなか首尾一貫ですね。素朴に面白い。
さて、ここでもし私があなたの説を引用して次のように言います。
「私は自分が神を意識する理由を知っている」
「そして私は自分の説を他人に適用します」
この場合、どう解釈しますか?
おそらく、あなたはあなた、私は私となるような気がしますが。
153 :
ミドハト ◆Ruvv1/qWGQ :03/07/20 21:00
>>1 ところであなたは何処にいるのでしょうか、
教えてください。
>>152 あなたが言う「神」は私が言う所の「無」に等しい。
言葉は記号であり、たいした問題ではない。
>>153 返答はこの問答が終わるまで待った方がいいと思われ。
そこそこおもしろいよ、これは。
156 :
ミドハト ◆Ruvv1/qWGQ :03/07/20 21:02
158 :
◆fyQa0QCcEI :03/07/20 21:04
>>154 んっと、少し誤解があったかもしれません。
私は「神」を造物主とかそういう意味で持ち出したのではありませんでした。
申し訳ない。
えっと、例えを変更します。
私の意識の中に幽霊がいるといったら、あなたはどう考えますか?
否定しますか? 肯定しますか?
>>153 私を認識する意識体の意識の中に存在します。
>>158 幽霊は言葉であり、それが指し示す概念が何であるかによる。
161 :
◆fyQa0QCcEI :03/07/20 21:08
>>160 霊魂です。私たちが死んだ後には、これになります。
と定義します。
>>161 人間の意識は働きであり、霊魂ではない。
163 :
考える名無しさん :03/07/20 21:11
>160 「数学」も「重力」も言葉だよ
164 :
◆fyQa0QCcEI :03/07/20 21:12
>>162 私の意識内ではそうなっていません、と反論します。
>>163 私はそれが指し示す事柄が、
皆と大差ないと思いました。
>◆fyQa0QCcEI
少しだけ待ってくれぬか?
>>163 の質問が非常に気になる。
問答の途中でも割り込みを許してくれ。
>>165 あ、返答があった。
>皆と大差ないと思いました。
これは「まあこれを聞いて想起することは皆と同じかなあ」という意味?
>>164 それでは、霊魂が生じたときはいつですか?
170 :
◆fyQa0QCcEI :03/07/20 21:23
>>168 人間が始まったときです。
追記:えーと、別に霊魂の存在を証明しようとしているわけではないです。
>>170 私は霊魂よりも、意識は働きであると考えた方が納得がいきます。
だから、その考えが納得いくかどうかが問題なんです。
172 :
◆fyQa0QCcEI :03/07/20 21:28
うーん、ちょっと時間がかかり過ぎなので。 要点に飛ばさせてください。 あなたの説によると数学や言語は意識内存在者だそうですが、 だとすると、それを意識内に持っていない人、例えば数学を 知らない人、英語を知らない人にとってはどうなるんでしょうか? また、太古人類が因果律などまったく知らなかった時代は?
173 :
考える名無しさん :03/07/20 21:29
1の考えは人間原理ってやつだね
174 :
◆fyQa0QCcEI :03/07/20 21:30
>>171 ああ、飛ばさせてくださいと言っときながら質問です。
では、私が霊魂であると納得がいくのなら、私はそれでいいのですか?
>>172 >うーん、ちょっと時間がかかり過ぎなので。
すみません、この部分は「対話が」です。
あなたの思考時間云々じゃないです。念のため。
>>172 意識内に持っていない人の意識の中には存在しません。
知らない人の中には存在しません。
因果律の場合は、語句を知らないだけで、ほとんどの人が知っていると思います。
>>173 私の考えにどのようなに分類するかは、あなたの自由ですよ。
179 :
◆fyQa0QCcEI :03/07/20 21:36
>>176 んー、だとするとどうなるのでしょうか?
あなたは「存在するということは場を持つこと」と定義しましたよね。
すると、意識内存在者である数学は、意識する人がひとりもいなかった
人類創始の時代には存在しないはずです。どこにも。
因果律は確かに語句の問題かもしれませんが、大半の人間が神を意識
していた時代には神は存在したのでしょうか?
>>179 言葉に惑わされていますよ。
神とは言葉であるから、それが指し示す概念がその人々の中に存在するんですよ。
182 :
考える名無しさん :03/07/20 21:40
>>180 すると、何が存在するかは各個人の裁量で宜しいのでしょうか?
183 :
◆fyQa0QCcEI :03/07/20 21:43
182は私です。
>>181 ん、では「宇宙の始まり」も言葉ですから、それが指し示す概念が
その人々の中に存在するのでしょうか?
>>182 存在をどう解釈するかは、各個人の裁量によります。
186 :
◆fyQa0QCcEI :03/07/20 21:50
>>184 なるほど。いやどうもありがとうございました。
最初に明言した通り、私の目的はあなたの反駁ではなく、ただ対話を
重ねるだけでした。質問が尽きた今、終了させていただきます。
私は、この理論が個々人に対して存在に関する何かを強制しうるかどうか、
それが知りたかったんです。
後は、より学のある方々に譲って、私はロムらせていただきます。
ではでは。
乙。俺も風呂入ろ。
188 :
ミドハト ◆Ruvv1/qWGQ :03/07/20 21:56
>>186 お疲れ様です。
>>1 こちらの質問を続けさせて
いただいてよろしいでしょうか。
>>186 そうですか。お疲れさまです。
私もそろそろ引き上げます。
それと、私の説は強制する力を持ちません。
ただ、皆さんにはそれを受け入れる自由意志があります。
ただそれだけの事ですよ。
191 :
ミドハト ◆Ruvv1/qWGQ :03/07/20 22:01
>>190 恐縮です。
>>153 >ところであなたは何処にいるのでしょうか、
>教えてください。
という私の質問に対して、
>>157 、
>>159 >私は宇宙に存在します。
>私を認識する意識体の意識の中に存在します。
とお答えくださいましたが、
先ほどこのようにあなたが指した「私」「宇宙」「意識体」「意識」
といった概念を措定するのは誰(何)でしょうか。
193 :
ミドハト ◆Ruvv1/qWGQ :03/07/20 22:09
>>192 >私です。
ではこの「私」を措定するのは誰ですか。
……と問うと同様の答えを下さると予想するのですが、
この「常に措定する者」と「無」との関係は
どのようなものでしょうか。
あるいは上の質問にはまた違った答えが考えられますか。
>この「常に措定する者」と「無」との関係 なんか無限ループしてるとか書いてあったようなないような???
>>194 無限ループではなく「存在のループ」ですね。
198 :
ミドハト ◆Ruvv1/qWGQ :03/07/20 22:26
>>195 確かに問われなければ措定する必要はありませんね。
言い方を変えましょう。
>無は存在する場を持たず、宇宙を存在させた。
>そして宇宙は人間を存在させ、人間は無を存在させる。
>この関係を存在のループと言います。
これを私から言い直してみると、
「私」は無を存在させる。
無は宇宙を存在させる。
宇宙は〈私〉を存在させる。
〈私〉は〈無〉を存在させる。
〈無〉は〈宇宙〉を存在させる。
・・・・・・。
という「開けても開けても大統領(略して玉ねぎ)」構造に
見えるのだということです。
>>198 人間は因果律でしか物事を理解する事はできない。
無は因果律に縛られない。
無は突然に宇宙を生じてもいいんです。
そして宇宙は意識体を生み出し、意識体は意識という働きを持ち、
無を意識内存在させ、存在の紐をつなぎ輪にする役割を果たす。
意識体がその働きを失えば、その輪が外れ、無は存在する場を失う。
200 :
考える名無しさん :03/07/20 22:33
>>199 それではまるでショーペンハウエルの意志ですね。
201 :
ミドハト ◆Ruvv1/qWGQ :03/07/20 22:38
>>199 高橋巌氏の本で少しかじったのですが、
フィヒテのようですね。
フィヒテはいわば「宇宙自我」とでも
言うようなものを考え、この世界は
「宇宙自我」が見る夢のようなものだと
考えたのだそうです。
>>200 どう名づけるかは、あなたの自由ですよ。
203 :
ミドハト ◆Ruvv1/qWGQ :03/07/20 22:42
>>199 そんなに違うことを言っているとは思えないのですが……。
あなたが生まれる前から宇宙は実在したと考えられるでしょうか。
>>203 どこにですか?
それが問題なんですよ。
206 :
ミドハト ◆Ruvv1/qWGQ :03/07/20 22:50
>>205 ああ、そうかそうか。ボケてますねえ。
あなたの始まりと宇宙の始まりは
異なるのか、と尋ねるべきでした。
208 :
考える名無しさん :03/07/20 22:56
>>207 「異なっている」という場合には、そこには比べるための共通のものさし、
同一性が前提となりますね。
それは何でしょうか?
>>208 宇宙的視野の中の存在者として同一です。
210 :
ミドハト ◆Ruvv1/qWGQ :03/07/20 23:02
>>207 >異なりますね。
私が1さんに投げかけたいのは
この「異なりますね」と言っているのが
誰なのか、ということです。「私のはじまりと
宇宙のはじまりは違う」と自己を対象化している者です。
どこまで自己を対象化しても常に対象化している何者かは
残ります。その何者かを1氏は何と呼んでいますか。
そして1氏の言う「私」とは対象化された自己のことを
指しておっしゃっているのでしょうか。
211 :
ミドハト ◆Ruvv1/qWGQ :03/07/20 23:05
なぜ1さんが「無」と「私」という言葉を
分けて使うのかわからないから
>>210 の
末尾のような質問をするわけです。
>>210 簡単に言えば、私が客観視して、私の意識の中に仮存在させ、
思索し、正しいと判断したから、全てが肯定されるというものです。
この場合、それを思索している者は問題にならない。
結果として思索できているのだからね。
結論がでてしまえば、今まで思索していた実態がなんであったかも、
はっきりするという事です。
>>211 始まりを説明する為には、究極の場が必要だったからです。
その究極の場を「無」と名づけたんですよ。
214 :
ミドハト ◆Ruvv1/qWGQ :03/07/20 23:14
>>212 >簡単に言えば、私が客観視して、私の意識の中に仮存在させ、
>思索し、正しいと判断したから、全てが肯定されるというものです。
うう、簡単じゃないですね。
正しいと判断すれば、主観と客観が一致する、ということでしょうか。
216 :
ミドハト ◆Ruvv1/qWGQ :03/07/20 23:20
>>215 わかりました。これについては
しばらく自分で考えてみて、
また意見したいと思います。
付き合っていただき、ありがとうございました。
>>216 そうですか。長い時間お疲れ様です。
私も、大分疲れたので、引き上げます。
思ったんですが、
>>1 の定義が定義である以上、反論するのは難しいでしょう。
なぜなら、定義すると言うのは理論構築の前段階の作業であって、短いければ
それ自体が誤っていることはまず無いと言ってよいからです。
しかし、難しいからといってそれが何か重要なものであるかどうか分からない。
例えば、私が次のような定義をしたとします。
【目的】
ひらがなの分類。
【定義1】
ひらがな五十音順に「あ〜の」までの文字を「甲文字」と定義する。
【定義2】
ひらがな五十音順に「は〜ん」までの文字を「乙文字」と定義する。
おそらく、これを単純に反論するのは相当難しいと思います。
では、この定義を私が誰かに提示してそれが意味を成すのか?
確かにある文字を指されて「これは甲文字です」「これは乙文字です」と説明できます。
だが、その説明が何か有意義なものか?と問われると閉口せざるを得ません。
したがって、私は次のように考えます。
>>1 さんの定義が定義である以上、私が
>>1 さんに問うべきは「この定義により
いったいどのような事柄がどのように説明しうるのか?」ということではない
でしょうか。
昨夜はこのあたりもまだ分からないまま、ただただ疑問を投げかけていましたが、
質問していましたが、結果的には、
>>1 さんの定義とその帰結の一部は明らかに
なったように思います。
例えば「存在するとは場を持つこと」と定義した場合、
1、宇宙の始まりは説明できる。但しその「宇宙」が何であるかはまだ訊いていない。
2、存在をどう解釈するかは各個人の裁量。
などは明らかになったと言ってでしょう。
このように考えるのはいかがでしょうか?
宇宙は宇宙に存在している
222 :
考える名無しさん :03/07/22 20:17
何か急激に人減ったな。age。
223 :
考える名無しさん :03/07/25 09:28
よその板から来た素人です。
素人なので「意識が云々」という議論にはほとんどついていけなかったのですが...
>>2 >「テーブルの上にコップは在るか?」という場合は、テーブルの上に在れば在る、無ければ無い。
>「コップは存在するか?」という場合は、「どこに」が明確でないので、話にならないと言う事です。
というのは
「xは存在する」という命題は、ある世界(ないし範囲)を指定してやらなければ
真偽値を決定することができない、というのと
大体同じことと考えてよいのですか?
224 :
考える名無しさん :03/07/25 11:41
>>223 1ではないけど、そうです。
「xは存在する」という命題は真偽を判定できない無意味な言明ということらしい。
>>224 レスありがとうございます。
しかし、世界を特定しなければ命題の真偽を問えないのは
「存在」に限らず、大概の命題は同様であるような気がします。
例えば、「イギリスの国王は女性だ」は真偽値を持つが
「国王は女性だ」は真偽値を決定できない。
だとすると、範囲が特定されている(場所を持つ)、ということを
特に「存在する」ということの条件として立てるのには
何か意味があるんでしょうか。
226 :
考える名無しさん :03/07/25 20:53
特定されていなくても、感覚がそれを 存在すると認識すれば、存在する「ことになる」、 若しくは「存在する」一要因となり得るのではないか。 感覚とは甚だ頼りなき根拠でしかないが、 感覚及び記憶が我々の知識に占める重要性を 無視することも出来まい。
227 :
考える名無しさん :03/07/25 21:02
「サンタクロースはいるか?」という問いは無意味ではない。 「どこに」が必要かというと、多分「地球及びその周辺」とか「宇宙」 などが不明瞭に前提されているだろうけどね。
228 :
蛙かえるカエル ◆FvSfD0wmM. :03/07/25 21:05
空間は存在するか?
229 :
考える名無しさん :03/07/25 21:27
一般にはモノが無い「空き」を指して「空間」と言うわけだが、そのような 用法ならば「空きがある」「スペースがある」のは普通だ。 また、そこにモノを置きうるわけだが、そのような性格において「在る」ワケだろう。 物理的な空間は理念的なモデルだが、ニュートンの「絶対空間」が否定された ことは興味深いものがあるね。
230 :
考える名無しさん :03/07/25 21:36
理念的「有」は 空間的「有」になり得ると?
>>226 すいません。よくわかんないす。
>>227 「サンタクロースはいるか?」という問いは、「サンタクロースは実在するか?」という問いだと思われます。
従って、場所が明示されていなくても、「現実世界」という範囲が想定される、という考え方に同意します。
言い換えれば、「サンタクロースはいるか?」という問いは、
範囲が想定されるからこそ有意味である(真偽値が問える)、ということだと思います。
>>228-229 空間が対象化されて捉えられるならば、
空間の存在を述べることとモノの存在を述べることの間には、ほとんど差がないような気がします。
空間の中に、別の空間が位置づけられる、というようなこともあるような気がします。
ところで、「この部屋に無いものがある」というとき、
「この部屋に無いもの」は、どこにあるんでしょうか。
「今現在、花子には好きな作曲家がいる」というとき、
「花子の好きな作曲家」が「ショパン」だとしたら
「ショパン」は今現在、どこにいるんでしょうか。
232 :
考える名無しさん :03/07/25 23:35
>>231 この部屋に無いものはヨソにある
花子の好きな作曲家は花子の「気持ちの中」にある
数学的には様々な空間があるので可能でしょう
サンタクロースがいるかどうかは論理的真偽ではなく、事実的真偽の問題でしょう
233 :
考える名無しさん :03/07/25 23:40
There is nothing in this room.は、この部屋に無いものがある、と訳してはならず、 この部屋には何も無い、とするのが正しい。 なぜならば、それlは「nothing=ない」の正当な用法であるからです。 「〜がない」としか表明できないのです。 「今現在」=「好きな作曲家がいる」であって、 「今現在」=「ショパンの存在」ではないはず。 「今現在」という語の位相・レベルがズレています。
>>232 > この部屋に無いものはヨソにある
「この部屋に無いものがある」というとき、「この部屋に無いもの」がヨソにあるとは限らないように思われます。
「この部屋にはありとあらゆる巨大な食べ物が展示されているが
たったひとつだけ無いものがある。
それは直径30mのホットケーキである。」とか。
このとき「直径30mのホットケーキ」はどこにあるんですか?
> サンタクロースがいるかどうかは論理的真偽ではなく、事実的真偽の問題でしょう
すいません。門外漢なので論理的真偽と事実的真偽の違いがよくわからんす。
「サンタクロースがいる」は
「世界w(現実世界)において、『サンタクロースがいる』が真である」という解釈では
まずいんですか?
>>234 論理的真偽ってのは、論理的に真か偽かってことじゃねぇの?
事実的真偽ってのは、実際の存在事物についての真か偽かってことじゃねぇの?
わかんないから、sage。
>>233 > There is nothing in this room.は、この部屋に無いものがある、と訳してはならず、
なぜ、「この部屋にないものがある」と訳してはいけないのですか?
> なぜならば、それlは「nothing=ない」の正当な用法であるからです。
すいません、よくわからんす。「nothing」の正当な用法って何ですか?
否定を述べる場合には、否定名詞を使うのではなく、述語を否定にする方が正しい、ということですか?
「この部屋に無いものがある」という文は、確かに「この部屋には何も無い」と言い換えることもできますが
「この部屋に無いものがある」という文が、日本語で成立する以上
この文は、「xが存在する」ということを述べている文であるように思えてならないのですが。
> 「今現在」という語の位相・レベルがズレています。
多分、そういうことだと思います。
しかし、「今現在、花子には好きな作曲家がいる」という文が「ショパン」の存在を述べる文ではないとすると
この文は、今現在、何がどこに存在することを述べているのですか?
237 :
考える名無しさん :03/07/26 00:10
>>234 ヨソは必ずしも現実世界だけじゃない。この部屋に探している財布が無い場合
すでにゴミとして焼却されているかもしれない、この場合、その財布は頭の
中にしかない。
焼却以前だと?
239 :
考える名無しさん :03/07/26 00:15
>>236 「この部屋に無いものがある」という一文が日本語として成立しているというのは、
この文で言っている意味を私たちが理解できているということでしょうか?
>>239 私はその程度に理解しています。
というかその程度の理解しかないです。
>>233 というか、「この部屋には何も無い」と
「この部屋には無いものがある」って意味違いますね。
今気づいたけど。
「この部屋に無いものがある」という文は、例えば「この部屋にはあるはずの(あるべき)ものが 無い(欠けている・不足している)」のように解釈される。(別の解釈もあるでしょうが)
>>242 私が意図していた解釈は、まさにその解釈です。
>>242 さんを読んで、野矢茂樹さんの『はじめて考えるときのように』という本の
「この部屋にはパンダがいない」と言える者は、ただ、この部屋にパ
ンダがいる可能性をつかんでいる者だけだ。パンダがいたっていいと思
っているひとだけが、「パンダがいない」って言える。(p. 116)
という一節を思い出しました。
ただ、私が気にしているのは
「この部屋にあるべきxが、この部屋にない」ということを
「この部屋にないものがある」という「xがある」形式で述べられるのは何か、
この文は、何の存在を表す文であるのか(そしてそれはどこにあるのか)
ということです。
日本語変ですね。 「この部屋にあるべきxが、この部屋にない」ということが 「この部屋にないものがある」という「xがある」形式で述べられるのは何故か、 です。 マターリ風呂はいってきます。
>>243 日常的な言い回しは、そう論理的でもないし文脈依存度も高いので、そのままでは
論理学を当てはめ難いと思います。まして和歌とかになると、とても手に負えないでしょう。
>>237 確かに、そういう側面はあると思います。和歌などは論外としても
日常会話のほとんどの文は、字面どおりの意味のみで解釈することは困難であり
文脈の影響など、語用論的な解釈を介してでなければ理解することはできないように思われます。
しかし、「この部屋にないものがある」という文に関して言えば
この文がそれほど非論理的であって
そのままでは論理学を当てはめられない文である、
とも言えないような気がするのです。
で、私としては 「この部屋に無いものがある」とは 「この部屋に無いもの」という集合が要素を持つこと 「今現在、花子の好きな作曲家がいる」とは 今現在、「花子の好きな作曲家」という集合が要素を持つこと というふうに解釈したいのです。 このスレの最初の方の「場所」を「集合」に置き換えただけ と言われてしまうかもしれませんが 「対象xが場所yにある」というのは 「対象xが、場所yにあるものの集合zに含まれる」と置き換えられるので こちらの方がより一般的な定義であるように思います。 批判ヨロ (私のまったくオリジナルの考え、というわけではないので、元ネタをあげておきますが 西山祐司(1994)「日本語の存在文と変項名詞句」『慶應義塾大学言語文化研究所紀要』26. 金水敏(2002)「存在表現の構造と意味」『近代語研究』11, 武蔵野書院. などの論文にヒントを得ています。)
日常会話は言葉や前提が省略されるから 非論理的に思えるけどちゃんと補完すれば 文章として成立する。
249 :
考える名無しさん :03/07/26 01:27
>>247 空集合で無い限り要素はあるでしょう・・・
無いもののリストを考えれば、デパートや金物屋その他あちこちに
有るともいえるし内容次第でしょう。
250 :
GET! DVD :03/07/26 01:31
>>249 > 空集合で無い限り要素はあるでしょう・・・
その通りです。
「この部屋に無いものがある」は、「この部屋に無いもの」が空集合ではないから真になる。
「この店に無いものはない」などという場合には
「この店に無いもの」がひとつもない(=「(世界中の)全てのものがこの店にある」)
という状況は現実的には考えにくいが、
このような発話が為される場面では、
「この店にあるもの」と「この店に無いもの」を含む母集合「この店にありうるもの」は
「(世界中の)全てのもの」より狭く限定されたものであり
「この店にありうるもの」以外のものは、そもそもこの命題の真偽判断からは除外されるので
「この店にありうるもの」の中に「この店に無いもの」がひとつもなければ
「この店に無いものは無い」という命題は真になる。
ラーメン屋なんて無いアル
253 :
考える名無しさん :03/08/06 22:31
hosyu
254 :
考える名無しさん :03/08/07 20:48
あたしまみっ!ねぇ、あたしに逢いたい?
バイトでいまここにいるんだけど、でも本当の愛がほしいな(*^^*
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256 :
考える名無しさん :
03/09/13 19:27 サルベージ