本分の極致は暫定的na主体保全である

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1H.C.L. ◆HhaR0DUIjE :03/06/30 17:36
俺がこの頃気付いた事実を
試しに公然と晒してみる。

多分、俺の言ってる事の意味の分からん奴らが
見境もなくこのスレに荒らしを書き込んでくるんだろうが
そんな事はハナっから覚悟の上でのスレ立てなので
存分にこのスレを荒らしてもらってかまわない。

もし万が一、何か面白い返答をここにしてくる人間が
一人でもいれば、その時だけは何か返答をさせてもらうが
それ以外の場合は俺はもうここに書き込みはしない。

dat落ちをするまでの間一応目だけは通しておくから
気が向いたら何か書き込みをしといてくれ。

関連スレ:
万物の根源は暫定上の既成概念である
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1056456655/l50
2考える名無しさん:03/06/30 17:38
で、何がしたいの?
3ぴかぁ〜:03/06/30 17:40
暫定くんは暫定的にスレ立てすぎやな
4考える名無しさん:03/06/30 17:44
ぴかぁ〜にしてはうまい事を言うな。
5考える名無しさん:03/06/30 17:53
こういう無駄なスレを立てる人間はもう相手にしません
6H.C.L. ◆HhaR0DUIjE :03/06/30 19:05
(あちら>>1のスレより抜粋)
90 :考える名無しさん :03/06/30 17:46
こっち側のスレとどう違うんだよ?


91 :H.C.L. ◆HhaR0DUIjE :03/06/30 17:58
>90
このスレッドは、過去を扱い
あのスレッドは、未来を扱う

趣旨は似ているが、方向が違う


92 :考える名無しさん :03/06/30 18:00
どっちにしても未来に進んでいくのがスレッドに書き込むという事だろう。


93 :H.C.L. ◆HhaR0DUIjE :03/06/30 19:02
>>92
だからこそ、未来を扱う事をせずに
過去を扱う事ばかりしてきた今までの俺の書き込みは
否応無く懐疑主義のようなネガティブな側面を持った思想から
引き出された書き込みであるかのような印象を持たれ続けてきた。

過去を扱うスレッドと、未来を扱うスレッドを
この2ch上で同時に進行させていく事によって、とりあえず俺が
この「今」という場所から極端にかけ離れた視野を持つ人間である
といったような君らの俺に対する偏見は拭い去ることが出来る。

もちろん、その後に君らが俺に対して
どういった方向性の「偏見」を抱くのかという事は
付加逆則の存在するこの世界においては明らかではないが。
7考える名無しさん:03/06/30 19:59
「1はありがちなパラドックスに陥ってる」と誰か指摘しないのだろうか?
8考える名無しさん:03/07/02 18:03
>>7
「パラドックスは、陥るものでなく、貪るものである」
とは、考えられない?


・・・考えたくない?
9H.C.L. ◆HhaR0DUIjE :03/07/02 18:06
8俺
10考える名無しさん:03/07/02 18:25
なるほど、ということは、全ての人にとって最も重要なことは自分の主体保全なのだから、
個人によっては、論理的な知識よりも非論理的な信仰が上回ることもあるってことだな。
11考える名無しさん:03/07/02 18:56
重複スレ立てずにまずはこっちから埋めていこう

万物の根源は暫定上の既成概念である
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1056456655/l50
12H.C.L. ◆HhaR0DUIjE :03/07/03 19:52
>>10
もちろんそのとおり。

論理的な知識も、非論理的な信仰も
無限の可能性を内包しているという意味では
並立要素であると共に等価なのであり、

そこに差別や評価区分を設けるのは
あくまでも「人心」という「主体性」なのであって
世界の真理などというものはそこに全く関与していない。
13H.C.L. ◆HhaR0DUIjE :03/07/03 19:52
・「主体性」の存在する限り、「人心」は常に
自分自身の作り上げた世界観や偏見によって
世界(もしくはそれ以外)というものを見続け、
自分自身の作り上げた価値観や思惑によって
世界(もしくはそれ以外)の価値を見出そうとする。

・全ての存在性(もしくは非・存在性)は
「人心」と「世界」の「二元振動」によってのみ作り上げられており
これらは常に「同調」と「遊離」の「二元振動」を繰り返す。

↑この内、「人心」と「世界」の「二元振動」と「同調」を保ちつつ
「人心」を自分自身で自由に操る事の出来る人間は
「世界」もまた自分の「人心」で自由に操る事が出来る。

※「不可能」と「可能」、「論理的」と「非論理的」、「希望的」と「絶望的」
これらの対義語は全て
「人心」と「世界」の「二元振動」から産み落とされた副産物である。

∴「人心」と「世界」を完璧に掌握出来た人間にとっては
これらの言葉は全く意味をなさず、単なる形骸と化す。

→?
そしてその先にいったい何があるのか? それは誰にも分からない。
ブッダのように、そこに「無我の境地」なるものを見出すのもまた自由だが
それをあくまでも、「未知の存在(もしくは非・存在)」として
「暫定上の存在(もしくは非・存在)」に置換する事こそが
最も事実に則した(←事実に則した)文型である。
14H.C.L. ◆HhaR0DUIjE :03/07/03 19:53
↑(13)この、
「全ての存在(もしくは非・存在)というものを事実に則した範囲で
語るためには、常に「暫定」という言葉を使う形であらねばならない」
という事実に対して
君らが「絶望的」な「見解」を抱くのか
それとも「希望的」な「見解」を抱くのか
それは俺には分からない。

⇔ただ、俺自身はこの
「全ての存在(もしくは非・存在)というものを事実に則した範囲で
語るためには、常に「暫定」という言葉を使う形であらねばならない」
という事実に対して
「絶望的」な「見解」を抱きながら
「希望的」な「見解」を抱き続けている
という事を、ここで公表しておこう。

不一
15考える名無しさん:03/07/03 19:57


バカを相手にしているヒマはないんでね。ではな。









16H.C.L. ◆HhaR0DUIjE :03/07/03 20:00
15俺
17考える名無しさん:03/07/03 20:23
はいはい。
18考える名無しさん:03/07/04 00:53
そこに差別や評価区分を設けるのは
あくまでも「人心」という「主体性」なのであって
世界の真理などというものはそこに全く関与していない

konotenoomedetaivakagatoutasarenaifusiginagakumonnWWW
19あい:03/07/04 01:34
私が作りました!見てね♪
http://nuts.free-city.net/index.html
20H.C.L. ◆HhaR0DUIjE :03/07/07 18:14
信教…真理を肯定/摂理を否定
学問…摂理を肯定/真理を否定

・真理…万物の根源は「1(有意)」である
(∵0^0=0)
ex. 0^0=0^(5-5)=0^5/0^5=0/0=0
・摂理…万物の根源は「0(無意)」である
(∵0^0=1)
ex. nothing

真理は摂理の存在を否定し、摂理は真理の存在を否定する
信教は学問の意義を否定し、学問は信教の意義を否定する

世界は、「二元振動」を宿命付けられてのみ存在し得る

「人心」と「世界」の「二元振動」もまた、その範疇に属す
21H.C.L. ◆HhaR0DUIjE :03/07/08 18:46
全ての「二元振動」は、複数の媒体の持つ
互いに対しての「評価」の食違いによって生ずる

この場合、一方が他方に対して抱く「評価」というのは、
自身が相手の存在性もしくは可能性に対して
自分の意図を干渉させる事を意味する

そしてこの「意図」を干渉させる行為としての「評価」の
相手に対して当て付ける干渉係数を「1/*」と置いた場合、

・*=0(1/*=0)…心外否定(可能性を心外視、存在性を否定)
ex. 精神錯乱、廃人など
・0<*<1(1<1/*<∞)…過大肯定(可能性を過大視、存在性を肯定)
ex. 信教への帰依、恋愛状態(黎明期)など
・*=1(1/*=1)…静視肯定(可能性を静視、存在性を肯定)
ex. 信教上の解脱者、神(主に想像上)など
・1<*<2(1/2<1/*<1)…過小肯定(可能性を過小視、存在性を肯定)
ex. 二大政党制、恋愛状態(倦怠期)など
・*=2(1/*=1/2)…静視肯否定(可能性を静視、存在性を肯否定)
ex. nothing
・2<*<3(1/3<1/*<1/2)…過大否定(可能性を過大視、存在性を否定)
ex. 戦略上のライバル、物理的双極など
・*=3(1/*=1/3)…静視否定(可能性を静視、存在性を否定)
ex. 権力の統治者(絶対的)、信教に対する科学的視点など
・3<*<∞(0<*<1/3)…過小否定(可能性を過小視、存在性を否定)
ex. 独裁者、他者の殺傷に至る直前までの意識など
・*=∞(1/*=0)…完全否定
ex.アナーキストの理想、空思想の一部など

となり、一方が他方に対して行う何らかの「評価」というのは全て
この中にある干渉係数内のどれかの当て付けによって行われる事になる
(但し、物理的に存在し得ない「静視肯否定」の場合を除く)
22H.C.L. ◆HhaR0DUIjE :03/07/08 18:46
上に記された、「自身の意図の干渉」としての「評価」の内
どれが最も「適切」で「優良」な意義を持った「評価」で
あるのかという事は、未だ完全な結論に至った試しがない

しかし、歴史上の多くの先人達が歩んできた道を踏まえた上で
はっきりと断言できる事が一つだけある

それは、上に記されたあらゆる評価の内で
干渉係数1/2(*=2)という値を数直線上の基軸として
0≦*<2、2<*≦∞という領域を並立要素と見なした場合の
カウンターバランスが比較的安定した状態にあり続けた
文化や国というのは、それ自体が盛衰を繰り返しながらも
ある程度の主体性を守りながら長期に渡って
存続を保って来ているという事だ。
(ex.日本など)

つまり、基軸こそが収束すべき値であると考えた場合には
この干渉係数1/2(*=2)という状態の評価である

「静視肯否定」

といった状態こそが、
人類の最も有意義な「評価」であると言えなくもないのである
23H.C.L. ◆HhaR0DUIjE :03/07/08 18:46
しかし、残念ながらこの「静視肯否定」という状態は
「肯定」と「否定」という相異なる位相を持った動作を
同時に行うという、全く矛盾した性質を持った状態であるが故に
それ自体に向かう(収束する)ことはいくらでも可能であるにも関わらず
それ自体を「一瞬」で行う事は全くの不可能となる

それ故に、人類はいつまでたっても「真理」だとか「摂理」だとかいったものに
近づく事は出来ても、それ自体を掴み取る事に成功した試しがない

もちろん、だからといって人類が「真理」や「摂理」の追求を続ける事を
世界(もしくはそれ以外)の「真摂理」が咎めたりする事はない

だからこそ、本文の極致は暫定的な主体保全である
24考える名無しさん:03/07/13 13:52
<<23
肯定と否定はいわばコインの裏表の関係ですね。故にコインを投げたときに時に、裏と表が同時にでることは、まずありません。必ず、裏か表になります(まぁ、あっちゃこっちゃでコインどもは跳ね回ってますが・・)
25考える名無しさん:03/07/13 13:57
僕が言いたかったのはあなたの言う静止肯否定は、矛盾をはらまないという事なのです。真理を追究する上で是ほど適した物の見方もないでしょう。有史、人はそうやてって手探りで暗い道を歩き続けてきたのですから・・。
26考える名無しさん:03/07/13 13:58
それを暫定的と切り捨てるのは、あまりに思考停止的で短絡的な考え方です。「極致なのに暫定的」、おそらく考え疲れた末にこの答えにしがみ付いたのでしょうが、あなたは、本当にこの矛盾ある答えに満足しますか?。
27考える名無しさん:03/07/13 13:59
すべては流れ去る、と言い切ってしまうのは実は簡単です。しかしそこに留まっていては何の進歩はありません。すべてが流れ去った後に残る永遠の真理、その追求に僕達は心を悩ませるのです。
28考える名無しさん:03/07/13 14:04
24〜27は僕です。
29O塚:03/07/13 14:22
30H.C.L. ◆HhaR0DUIjE :03/07/14 20:17
>>24-27
この世の中に「永遠の真理」が存在するという考え方は
「断定する」というのではなく「信じる」という方向性から
「肯定」に臨むというのであれば、俺も賛成だ

ただ、貴方が言う所の「永遠の真理」というものを人類が知った上で
その後に人間がまだ「生存」を続ける必要性があるのかどうかという事を
考えた場合、それは「その必要がない」という結論に行き着かざるを得ない

なぜなら、それが「永遠の真理」だから

「永遠の真理」を知った人間(もしくはそれ以外)が
それ以降にその世界(もしくはそれ以外)に生き続ける
理由といったものがこの世の中に存在していたとすれば
それは即ちその「永遠の真理」が真の「永遠の真理」では
ないという事の論拠に間隙もなく直結する事になり得る。

そして、人類(もしくはそれ以外)が自身の「本分」を
全うするためには、最低条件の人間(もしくはそれ以外)
としての主体保全がなされていなければそれは不可能

故に、本分の極致は暫定的な主体保全である
31H.C.L. ◆HhaR0DUIjE :03/07/14 20:17
>>28
あと、「静止肯否定」ではなく「静視肯否定」
一文字違うだけでかなり意味が変わるので注意
32山崎 渉

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄