語り得ぬものについて充分に語ってから分らないので語りえぬものとして沈黙しろということですね?
395 :
考える名無しさん:03/11/07 02:11
396 :
考える名無しさん:03/11/07 02:13
>>395 「世界にはじまりはあるのか、ないのか」
397 :
sleepyhead:03/11/07 02:14
398 :
考える名無しさん:03/11/07 02:54
語り得るものなどあるのかね、キミ。
399 :
sleepyhead:03/11/07 04:11
>>398
常識から言って
語るならどんなことでも人間語れるよ。
ただそれが真理であるかは別問題だよ。
400ゲッツ!!
語り得ぬものかどうかというのは先人が語ったのを読んだりして「答がでねえ。わかんねえから語り得ない」というように判断するの?
今、ビデオで見てます。ウィトの回。
403 :
考える名無しさん:03/11/08 02:28
>>401 全然違います。簡単に云うと。。。。
・数学などの命題はトートロジーなので、無内容。
・自然科学などの命題は、検証によって真偽が確かめられるから意味がある。
・形而上学などの命題は、検証することができないので無意味である。
そして「論理哲学論考」の「語り得ぬもの」とは、3つめの無意味な命題のことを指しているわけです。
無意味な命題は語ろうにも語りようがない、ということです。
あーあ、ビデオ途中で終わっちゃったよ。
バレーだか野球だかやってたからかな?
405 :
考える名無しさん:03/11/08 02:33
406 :
考える名無しさん:03/11/08 02:34
訂正
>>403 なんにもわかっていない馬鹿だね君はw
407 :
考える名無しさん:03/11/08 02:37
408 :
考える名無しさん:03/11/08 02:41
真ん中の3行が馬鹿なんだよ。
勉強しなおしたまえ。
409 :
考える名無しさん:03/11/08 02:43
( ´,_ゝ`)プッ
410 :
考える名無しさん:03/11/08 02:46
>>408 なんだ、またいつものアホか。無視、無視。
411 :
考える名無しさん:03/11/08 02:49
アホじゃない。
低脳というべき。無知蒙昧というべきか。
こいつらが最近の哲板に涌いてる蛆虫だよな。癌細胞。
412 :
考える名無しさん:03/11/08 02:52
・数学などの命題はトートロジーなので、無内容。
・自然科学などの命題は、検証によって真偽が確かめられるから意味がある。
・形而上学などの命題は、検証することができないので無意味である。
( ´,_ゝ`)プッ
恥ずかしくないのかな?
検証?真偽?トートロジーだから無内容??(w
413 :
考える名無しさん:03/11/08 02:55
( ´,_ゝ`)プッ
性格悪い人(落ちこぼれ+哲ぶった引きこもり)
がワラワラ集まってるようスね。臭い臭い。消えて。
哲学はもともと
>>413のような落ちこぼれを惹きつけるw
あ、断っておくが哲学を否定してるんじゃないよ
俺は素人なのでよくわからんが、ひとつ言えるのは、
>>403への有効な批判は無いということだ
( ´,_ゝ`)プッ
恥ずかしくないのかな?
検証?真偽?トートロジーだから無内容??(w
418 :
考える名無しさん:03/11/08 09:57
>>416 漏れもシロートだが、
>>403はしかもなんとなくホントっぽい。
とゆーか、ナルホド、とオモタ。
ウィトゲンシュタインは「意味」というものは何か?と考えて、それは検証だ、と考えた。
・数学や論理学の命題はトートロジー(恒真命題)で、命題の内容に関わらず真偽が決まる。したがって無内容。(検証するべき何もない。)
・形而上学の命題(神が存在するか否か)は、検証することができない。したがって真偽が決定できない。意味=検証だから、無意味。
ということです。分かり易いでしょ?
まあ、わたしは哲学プロパーの人間ではないので、細かいことは間違ってるかもしれませんが、そのへんはきちんと指摘してください。
「ぷっ」とか、そういうのでなくね。
421 :
考える名無しさん:03/11/08 17:46
ウィトゲンシュタインの回、最高におもろかた。
しかし、そのおもろさは語りえぬので沈黙いたします。
422 :
考える名無しさん:03/11/08 17:48
>>421 確かに・・・言語ゲームをアイーンで説明するとはなかなかであった。
>403
数学の定理とか命題の証明は、定理・命題足り得るかどうかの検証なわけだな。
あなたの言わんとすることはわかるが、無内容とか検証するべきことがない、
と言うのは誤解を招くね。
むしろ恒真であることが、公理系&定理から演繹の鎖をたどって検証されることによって、
初めて命題だの定理だのと呼ぶことが許されるわけだ。
フェルマーの定理も長い間フェルマー予想だったわけだな。
しかしフェルマーの定理に「(日常言語の意味で)内容が無い」と感じるかどうかは、
受け取る側のセンスによるだろうね。
すまそ、間違えた。
誤: 公理系&定理から演繹の鎖をたどって
正: 公理系&諸定義から演繹の鎖をたどって
425 :
考える名無しさん:03/11/08 23:56
検証出来るかじゃなくて検証の仕方を知っているかどうかだろ。
>>423 数学の命題の「証明」がここでいう「検証」だというのは間違いです。
ウィトゲンシュタインは意味とは検証だといっているのです。
数学の証明はウィトゲンシュタインのいう検証ではありません。
>>425 「検証可能性」は、ウィトゲンシュタイン以後の人の考え方です。
ここはウィトゲンシュタインについて話していたところですから、ここで検証可能性のはなしをもってくるのは間違っていると考えます。
「ぷっ」だの「勉強しなおし」だの言っている割に、(何日かかけて勉強したみたいですけど)かなりお粗末ですね。
まあ、その程度の人だと思ってましたけど。
ばかばかしいから以後、あなたにはレスしません。時間の無駄なのでね。
「無内容」「無意味」も哲学の用語として使ったまでで、それを日常言語と同レベルで反応するなんて可笑しなはなしです。
ニーチェ学者が「病的」と言ったことに、日常語と同レベルでいちいち反応してたら可笑しな奴だと思うでしょ?
428 :
考える名無しさん:03/11/10 02:32
まあ哲学なんて
適当なことをでっち上げてアカポスに就いてなけりゃあ
あんまり意味は無いでしょうね
数学や物理と同じレヴェルで話すような対象じゃあないでしょう
良くも悪くも
431 :
考える名無しさん:03/11/10 05:14
あなたにとって「23次元」か「26次元」かが
そんなに大きな問題なんですか?
縦横高さ(x軸、y軸z軸+時間軸)=4次元時空以外に
あなたの「現前する世界」に影響を及ぼす「次元」はあるのですか?
>>431 縦横高さ時間の4次元時空とやらの抽象的な考えが、現前する世界に対して
どう影響を及ぼしているのか教えてくれ
次回はデカルトだから、コギトエルゴスムと心身二元論か
434 :
考える名無しさん:03/11/10 21:24
435 :
考える名無しさん:03/11/10 21:58
また見るの忘れちゃったぜ。
>>428 tokkunituitemasugananika?
>・数学などの命題はトートロジーなので、無内容。
>・自然科学などの命題は、検証によって真偽が確かめられるから意味がある。
>・形而上学などの命題は、検証することができないので無意味である。
>そして「論理哲学論考」の「語り得ぬもの」とは、3つめの無意味な命題のことを指しているわけです。
>無意味な命題は語ろうにも語りようがない、ということです。
違うと思う.さすがに最初はおかしい.数学の命題はトートロジーなんかではない.しかしまあ小さな
間違いかな.2番目と3番目はそれ自体が間違いだというより,『論考』を語るうえでは間違いだと思う.
まず検証主義と有意味性を結びつけるのは,もう何十年も前に捨て去られた『論考』を検証主義と理解
する読み.「語る」と「語りえない」の区別は,「世界の事実」について有意味に「語る」ことができ
るかどうかによって区別される.そして命題の有意味性の基準はその命題についての真/偽が問題とで
きるということ.だから検証がどうのということとは関係ないし,証明されていない数学の問題も十分
に有意味であると言える.(まあ無矛盾性とか不完全性という細かい話はおいておいて)
だから語りえない命題というのは真偽が問題とできないよう命題.たとえば
「世界が存在する」
とか
「無限の対象が存在する」
とかね.
面白いエピソードを一つ.
ラッセルの『プリンキピア』の無限公理を,ヴィトは論理的公理ではないという以前に,
無意味だと言った.それでラッセルがヴィトのところにいって,床にインクをたらして
「少なくとも世界には三つの対象が存在する」ということを説得しようとした.しかし
ヴィトはまったく説得されなくて,「少なくとも世界には三つの対象が存在する」という
命題は「世界に無限個の対象が存在する」と同様に無意味だと主張した.
なぜなのかがわかれば,『論考』の「語りえぬ」ということの意味もわかると思うよ.
>もう何十年も前に捨て去られた『論考』を検証主義と理解する読み.
っていうのは、つまりいわゆる論理実証主義流の解釈ってことだと
理解していいんですか?
442 :
考える名無しさん:03/11/11 00:16
自然は実に論理的、特に極めて数学的にできている。
443 :
考える名無しさん:03/11/11 00:17
なんだ?複雑系か?
444 :
考える名無しさん:03/11/11 00:38
文系DQNの脳内以外、世界は極めて数学的である。
理系DOQの脳内以外、世界は極めて哲学的である。
446 :
考える名無しさん:03/11/11 00:45
そんなことより聞いてくれよ。
灯台卒の大学助手がむかつくんだよ。
447 :
考える名無しさん:03/11/11 00:48
448 :
考える名無しさん:03/11/11 00:53
449 :
考える名無しさん:03/11/11 01:29
文系DQNの脳内以外、世界は極めて数学的である。
>>438 まず、ありがとうございます。
先にも書いたのですが、わたしは哲学プロパーの人間ではありません。
好きで本を読んでるだけで、「論考」も随分昔にわからんところや論理記号がでてくるところは飛ばして斜め読みしただけです。
誤読その他かなりあると思うので、(おそらくきちんとした訓練を受けていると思われる)稲さんのような方からコメントしてもらうのは非常に嬉しい。
ただ、下記の点についは少し疑問があります。
今日は(今週は)時間もないので詳細はいずれ書き込もうかと思いますが。。。。
まあ、気が向いたらまたコメントください。
>数学の命題はトートロジーなんかではない.
>命題の有意味性の基準はその命題についての真/偽が問題とできるということ.
>検証主義と有意味性を結びつけるのは,もう何十年も前に捨て去られた『論考』を検証主義と理解する読み.
451 :
考える名無しさん:03/11/12 00:51
ほのぼのスレが急にまじめスレになってる。
>>450 >数学の命題はトートロジーなんかではない.
トートロジーの意味を知っていれば自明.
>命題の有意味性の基準はその命題についての真/偽が問題とできるということ.
ある命題が有意味だというのは,それが真である状況と偽である状況をもつということ.
>検証主義と有意味性を結びつけるのは,もう何十年も前に捨て去られた『論考』を検証主義と理解する読み.
今では常識かと.
これビデオかDVDか何かになんないの?
欲しい。
454 :
考える名無しさん:03/11/12 09:39
>>452 数学の定理は偽である状況を持たないと思いますが、無意味という事になるんですか?
トートロジーでもないのなら、数学的命題は語り得ないものなのかな?
456 :
考える名無しさん:03/11/12 21:30
>>455 公理とは真だとか偽だとか言えないものだと考えるのが現在では一般的ですし
数学の定理を「ある公理と推論規則の下で証明されるもの」と見なせば
トートロジーと言えるかと思いますが、ウィトゲンシュタインは
そう考えなかったという事でしょうか?
しかし「有限の世界」とか「無限の世界」なんていうのも無意味ではないんですか?
>>456 >公理とは真だとか偽だとか言えないものだと考えるのが現在では一般的ですし
う〜ん.そんなことはないですよ.
>数学の定理を「ある公理と推論規則の下で証明されるもの」と見なせば
>トートロジーと言えるかと思いますが
「ある公理と推論規則の下で証明されるもの」というのは文字通り定理の定義です.
定理って別名「証明可能文provable sentence」ですからね.だけどそれはトートロジー
ということではありません.トートロジーは恒真式ですから.
>「有限の世界」とか「無限の世界」なんていうのも無意味ではないんですか
一本とられた,という感じだけど.僕が
>>455で言った世界というのはモデルとか状況
というような意味で考えてください.
>>457 そういうことではなくて,有限の状況では算術の公理は偽になるでしょということです.
トートロジーというのは恒真式ということだから,有限の状況だろうと無限の状況だろうと
成立するようなものでなければならない.
>>456>>457 もしよろしかったら「パトナムへの反論をおしえてください」というスレッドに移りませんか?
特に理由はないけれど,ここってほのぼのスレなんですよね.あまりほのぼのしたのは好きではないので.
460 :
考える名無しさん:03/11/12 23:01
>>458 公理の真偽が問えるのはモデルに対する相対的な真偽だけだと思いますが
これは「論考」での真偽と同じものですか?
それから、公理Δと定理Aの関係「Δ|-A」自体は、
どんなモデルで解釈しても成立する恒真式と見なす事ができますよね。
つまり、論理主義の立場なら数学はトートロジーになるので
トートロジーの意味から自明というのは言い過ぎではないしょうか?
461 :
考える名無しさん:03/11/12 23:05
>>459 460ですが、リロードし忘れました。パトナムスレでもいいですが、
ウィトゲンシュタインスレもありますよね。どっちか適当なのかな?
462 :
考える名無しさん:03/11/12 23:06
結局哲学自体が衒学的な鍍金のような気がしてきた
457ですが、どうも僕にはレベルが高すぎる話のようなので
ROMってます。
といいつつ、、
恥ずかしながらひとつだけ質問したいのですが、
数学のモデルにおいて「有限な状況」というのがあるのでしょうか?
数は無限だと思うのですが。
464 :
考える名無しさん:03/11/12 23:19
>>463 例えば有限集合だけならなる集合論のモデルというのもあります。
ただし、ここでは1つ1つの自然数は存在しますが
自然数全体の集合というものが考えられなくなります。
>>464 なるほど。
詳細はわかりませんが、あるにはあるのですね。
ありがとうございます。
むずかしくてわかんね。誰か俺にもわかるように説明しておくれ
467 :
考える名無しさん:03/11/13 00:47
>>466 つまり、「お厚いのがお好き?」を見てくださいってこと
468 :
考える名無しさん:03/11/13 02:05
>>403氏の、
>・数学などの命題はトートロジーなので、無内容。
>・自然科学などの命題は、検証によって真偽が確かめられるから意味がある。
>・形而上学などの命題は、検証することができないので無意味である。
>そして「論理哲学論考」の「語り得ぬもの」とは、3つめの無意味な命題のことを指しているわけです。
>無意味な命題は語ろうにも語りようがない、ということです。
を「論考」にそって正しく言いかえると、
・数学、自然科学などの命題は、真偽が問題とできるから意味がある。
・形而上学などの命題は、真偽が問題とできないので無意味である。
・「語り得ぬもの」とは、3つめの無意味な命題のことを指している。
ということでいいのでしょうか?
469 :
考える名無しさん:03/11/13 02:07
ところで、真偽が「問題とできる」というのはどういう意味ですか?
真偽が決定できる、ということでいいですか?
470 :
考える名無しさん:03/11/13 02:10
もし「真偽が決定できる」だとすると、それはいったい何を指しているのでしょうか?
つまり、真偽がいまのところ決定できないがいつか決定できるであろう問題、と、
真偽が絶対に決定できない問題、
をどういう基準で切り分けるのでしょうか?
>>460 >公理の真偽が問えるのはモデルに対する相対的な真偽だけだと思いますが
>これは「論考」での真偽と同じものですか?
同じといえば同じだし,違うといえば違う.モデルっていう概念がそんなにスマートに
理解されていた時代ではないからね.でも『論考』の主眼は有意味性を真偽の問題で理
解したということだから,それさえ押さえてればモデルの議論自体はそれほど重要じゃ
ないと思いますよ.
>公理Δと定理Aの関係「Δ|-A」自体は、どんなモデルで解釈しても成立する恒真式と
>見なす事ができますよね。
まず「Δ|-A」を式と呼ぶのに戸惑ってしまうけれど,もし「|-Δ→A」ということであれば,
これは数学の命題ではなくて論理の命題だと思うけれど.
Nオペレータは?
>>469>>470 たしかに「真偽が問題とできる」という言い方はちょっと曖昧かもしれない.
だけど「決定できる」というのとは違うと思う.「真偽の決定」というのでは
ないと思う.「どうやって真偽を問題にするか」ということが論点なのではな
くて,「有意味な命題」とは「世界の事実の像」なのであって,ある事実が存
立したりしなかったりするのと同じように命題も真であったり偽であったりし
なくちゃいけない.「世界の事実の存立」と「文の真偽」の対応が重要なので
あって,「事実がどう存立しているか」という認識論の問題が重要でないのと
同じように「文の真偽をどう見分けるか」ということは重要ではない.
こんなもんでどうでしょう.
検証と証明ってどこが違うのですか?