テキスト:北樹出版「科学哲学」
学習方法:だれかが節毎に3つ質問(問題)を出し、その解答
を議論しながらまとめて行く。で
こんな感じで進めようと思うんだけど、どう?
その本を読んでいない人も参加できるように,
1,各節の要約
2,論点(いくつか)
3,それに対する発表者の意見
をまとめるといいのでは?
それで,決着が着いたら次の節に行く。
こんな感じはどうですか?
>>3 では、とりあえず1章の目次から北樹出版「科学哲学」
目次
総論 科学理論の構造
第1章 科学哲学とは何か
第1節 哲学と科学
1 科学哲学の由来 2 科学scienceとは
3 21世紀知識の総合化 4 哲学とは
第2節 科学哲学の中心課題
1 科学のメタ理論 2 科学哲学の発生−古典的原型
と特質
第3節 近代科学哲学の成立と展開−現代科学哲学史
1 ガリレオと科学革命 2 フランシス・ベーコン新科学的
方法論
3 デカルトと機械論的世界解釈
4 ニュートンの「自然哲学の数学的原理」
5 カントの科学の先験的基礎付け
6 論理実証主義の科学的世界把握
勉強になりそうでよいですね。
参加しやすいスレになることを望みます。
頑張ってください。
要約に代えて、各節の抜粋を書きます。
第1章 科学哲学とは何か
第1節 哲学と科学
1.科学哲学の由来
・科学哲学とは、字義的には科学の哲学である。
・科学哲学は自然科学を解釈し、その哲学的基礎やその
方法論の構造を探るものである。
2 科学scienceとは
・「科学」scienceという語を自然科学の意味にとる現在
の一般的傾向は歴史的に見て自然であるが、必ずしも本
質的、必然的なものではない。
scienceという語はラテン語のscientiaを語源とするが、
この語はもとは単に、「知識」あるいは「学問」一般を
意味する。
3 21世紀知識の総合化
・いまや知識は一転、総合化の方向に回帰しつつあるように見える。
scienceが特に自然科学系の知識や学問を意味したのは近代という
時代の特殊な偶然に過ぎなかったのである。
4 哲学とは
・「哲学」と一般に呼ばれるものは古代ギリシャにおいて
自然哲学として始まったと見るのが定説である。
・・・ターレスが「万物の根源は水」・・・最初の哲学断片
・往事は近代的な意味での実験観察の手段はなく、したがって
すべての自然哲学は実証的な科学とはなりえなかった。
・”己の無知を知る”というような知識論や人生論をも視野に
入れた学問として成長している。
1章の1節の抜粋は以上です。
ねえ、ねえ、その本っていい本なの?
ちょっと惹かれるんだけど。
買おうかなぁ、それともやめようかなぁ。
この節では、かつて古代ギリシャにおける「哲学」が
学芸一般を指したものであったが、近代において細分化
され、現代にいたって再び総合化されつつある。
ということが大きな柱になっているように思います。
そこで、論点の一つとして
「この本の副題にもなっている「現代科学の転回」が起こる
理由として考えられるものは何か」
について議論することを提案します。どうでしょうか?
転回とは変化かな
>>10 だいたい250ページ程度
内容は総論と各論に分かれている。
だいたい各章毎に著者が分担して書いている。
漏れは表紙の白に惹かれて買ったんだけど、
内容もいいと思う。
>>12 学問の大きな流れの方向の変化
だと思う。
「この本の副題にもなっている「現代科学の転回」が起こる
理由として考えられるものは何か」
私の意見としては、科学の関心が自然科学中心から、現代の社会
が人間とは何かといった問い(例えば、男とは女とは?心はあるのか?
人間の尊厳の根拠は?環境との関わりとか)について客観的な答えを
要求しているからだと思う。
文明や思想が何故変化するのかは不思議だね。
星占いの分野かも。
何かの必然性もあるんじゃないかと思う。
個別に専門分化され高度に進歩してくると
ある限界に達するのではないかと。
で、その個別の分野の知識や方法論では手に
負えなくなって、総合化に向かってるんじゃ
ないでしょうか。
社会分業論にあるとおり、社会を成り立たせるには分業化が
必須です。そしてそれを統治するのが社会。
統治にあたるのはだれでしょうか?
プラトンは「国家」で哲人としてたと思いますが。
なら、科学者でしょうか?
現代科学の転回?
いまいちつかめません。
具体例があればおしえてください。
>>20 読み始めたばっか(2章まで)で、はっきりとは
つかめませんが、「人間」を問題とするところが関係
しているように思います。
既に、デカルトの「心身問題」に現れています。
目次を見ると
第8章 コミュニケーション哲学の形成
−言語行為論からコミュニケーション行為論へ
第9章 認知科学と新しい心の科学
第13章 生命科学の哲学
第16章 生命倫理と環境倫理の科学哲学
第17章 正義論と法哲学−法と政策の科学哲学
などが関係ありそうです。
22 :
muji 2:03/06/09 22:17
そもそも学問というものが生まれた理由何でしょうか?
そこに「現代科学の転回」の理由も隠されているのでは?
と思う今日このごろ・・・。
23 :
無料動画直リン:03/06/09 22:17
単なる生活のための術としてしてではなく、
物事の本質について問うことが学問するた
めに必要で、その為の条件として
1 その問いを発するだけの欲求が持つ能力がある。
2 その問いに対する解答を導くだけの理性がある。
3 その問いを発するだけの環境(余裕)がある。
人間とは、いやでもこうした問いを持つように
生まれついているんじゃないかと思います。
科学を持たなかった時代は想像がその問いに対
する空白を埋めてたんじゃないでしょうか。
宗教なんてのもそんなふうにして発生したもの
と考えてますが。
>>24の3と矛盾するところも
ありますが。
ななし〜↓=猫タソ
どっちがいいんだろか?
それはそうとして、関心ないんなら、やめるけどね。
それくらい聞かせてくれてもいいんじゃないの。
27 :
考える名無しさん:03/06/09 23:16
北樹出版「科学哲学」 がまだ手元に無いのだ!
これ、坂本百大?
>>27 そうです。
編者で第1章と第5章を執筆しています。
あと、13名の執筆者がいますが、カキコ
したら、「改行が多過ぎます。」という
メッセージが出て、戻るをクリックしたら
全部消えてしまいました。
もー書く気が出ません。
29 :
muji 2:03/06/09 23:56
学問とは,人間の発した問い(本質的な問い)に答えるためのもの。
とすると,人間の発している究極の問いで,
未だ解答の導き出されていないものは,
「人間の存在とは何なのか?」
という問いではないでしょうか。
そして私は,科学も宗教も哲学も
これに対応して生まれた学問だと思うのです。
30 :
muji 2:03/06/10 00:19
>>29の続きです。
そう考えると,現在,
分業と専門化が進んだそれぞれの学問が
限界に達してしまうのも納得できます。
もともとの問いを見失っていては
どの学問も意味を成さなくなってしまいます。
それを克服するための動きというのが
「現代科学の転回」なのでは?
北樹出版「哲学概論」を見ると、
哲学の誕生
小アジアのギリシャ植民地、イオニア地方に
哲学が誕生したのは紀元前6世紀のことであるが、
最初の哲学者タレスは二等辺三角形の底角の等しさ
を証明し、・・・人間の願望とは無関係な自然現象
であった。このような態度は合理的、科学的と言える。
とあります。これを読むと、哲学は最初は人間から見た
外的な世界(自然)に対する関心が発端になっているようです。
で、この本には宗教と哲学の関係が述べられていて、
この神話とアナクシマンドロスの哲学とを比較すると、
その共通点は明白であろう。それは初め一つであった
ものが分かれて、そこから宇宙の秩序が成立してくる
ということである。・・・つまり、伝統的遺産を合理
的精神で考え直したとき、初めて哲学が一つの形をと
って登場することができたのである。
32 :
muji 2:03/06/10 00:38
つまり,哲学とは「何でこ〜なるの?!」
という人間が自分たちを取り巻く世界に関して
抱いた問いに対応したものということか?
東洋の哲学はよく存じませんが、これらはまー
道徳とか、政治とかいった実用本位で「術」に
近いものじゃないでしょうか。
で、ギリシャ哲学はまず最初に目に見え、
手で触れられ、誰でも共通に認識可能な自然に
まず目を向けたからこそ、合理的、科学的な性
格を持つことになったのだと思います。
34 :
muji 2:03/06/10 01:29
>>33 つまり,自然から一般的な法則を見つけ出そうと試みた結果,
哲学が生まれたということですか?
それならば,なぜ人間は自然からそのような
法則を見つけ出そうと試みたのでしょうか?
どうしてそのような必要が生じたのでしょうか?
35 :
考える名無しさん:03/06/10 01:51
>>34 そこまでいくと本格的に古代哲学に入るので、とりあえず先に進んだらどうか。
>>34 幾何学に関して言えば、測量の必要から知られていた
古代ギリシャ以前のエジプトやメソポタミア文明での
断片的な知識は伝えられていたと思います。
共立出版「ギリシャ数学史」をパラパラとめくると
幾何学に関する記述が非常に多いです。
で、問いかけの答えに近い記述を引用すれば、
・・・・ギリシャ人であることは、知ること、すなわち
物質の原初的実体を知り、数の意味を知り、一つの合理
的な全体としての世界を知ることを努めるにあった。
人びとは矛盾を感ずることなく、エウクレイデスが最も
典型的なギリシャ人だといえるであろう。
かれは、徹底的に知ろうし、大地の測量に関する諸法則
を一つの合理的な体系として知ろうとした。
37 :
muji 2:03/06/10 02:42
>>36 >世界をひとつの合理的な体系として知ろうとした。
これが哲学をはじめとする学問の生まれたルーツである。
それが,分業・専門化し高度に成長していったが,
現在は行き詰まりを見せている。
そして,その打開策として
「現代科学の転回」という動きがみられる。
−−というように理解できました。が,これでいいですか?
そして,「科学哲学」ではその論点に対して,
どのような見解が出ているの?
今後は,論点と,その論点に対する著者自身の
意見プラス,猫タソさんの意見という形にして欲しいです。
そして,私の問いに対して
丁寧に答えてくれてありがとうございます。
>>37 哲学に詳しい訳ではないので、議論を通じて、色んな角度から意見
を出し合い、何とかまとまりのある一つの結論を出したりしながら
学んで行けたらと思います。
ところで、「論点」とは「要旨」という意味に考えてよろしいでし
ょうか?
せっかく帰りに本屋の寄ったのに見てくんの忘れちゃったよ。。。
>>39 東京とかはけっこう大きな本屋さんがあっていいですね。
神田の古本屋街なんかはよく行きましたが、今はド田舎
で暮らしています。
41 :
muji 2:03/06/10 23:41
>>38 論点って議論の中心になる所で,
要旨は,言いあらわそうとしている主な内容だから,
要旨と論点って,かぶるところはあっても,
あなたが何をもって論点とするかは
あなたのセンスだけど,
要旨だったら,ただの要約になってしまうのでは?
>>41 ある程度、自由にやってよいのなら、ちょっと
気が楽になりました。
しかし、あまり遅くなると思考力が落ちてしまい
ますから考え出したり、理解したりするのが苦痛
になってきます。だいたい午前0時以降はそうな
のです。健康を保つ上でもこの時間ぐらいをメド
にしたいと思います。
でもせっかくですから、この前の論点
「現代哲学の転回の原因は何か」
に関連して、このような哲学、科学の
転回は過去にもあったと思いますが、
それとの比較をしてみたいと思います。
「最初、哲学は自然科学として出発したの
ですが、いつ頃、どのようなきっかけで
人間をテーマにするようになったのでし
ょうか。」
現代とは事情が違い、自然現象からの類推
とか、なだらかな発展のように思います。
>>44 そのあたりなら、
フランシス・マクドナルド・コーンフォード『ソクラテス以前以後』(岩波文庫 青683-1,1995)
薄いうえに字でかいのでおすすめ。
46 :
muji 2:03/06/11 02:55
科学が研究対象とするのは,
目で見たり,手に触れることができるようなもの。
つまり,人間の感覚的経験によって知ることができる
具体的経験の世界で,
そして,ソクラテスが論証しようとしていたのは,
人間の感覚的経験によって知るものではなく,
人間の知性のはたらきによって知ることができる
抽象的理論の世界についてです。
47 :
muji 2:03/06/11 02:59
>>44 猫さん
↑の問いにつて,
ソクラテスから読みとろうとしましたが
もう眠くなったので頭が回りません。
明日の夜までには考えてみますね。
>>45 その書名の本、どっかで見たような気がします。
本屋に行ったら、ないかさがしてみます。
科学哲学というと、クーンとか、ポパーの名前が思い浮かぶ。
比較的若い学問では? 20世紀にはいってから生まれた学問
という印象を持っているのだが・・・。
>>46 形而上学とはそれを指すのですね。
>>50 メタ理論が科学哲学の中心課題だそうですが、
おそらくメタ理論そのものはまだ確定されて
ないと思います。
というか、メタ理論のメタ理論も出てきそう。
メタ理論の内容までは調べてませんが、
既成の理論との違いは何なのでしょうか?
じゃ、まだ生まれていない(懐妊中の)学問・・。
流産の懼れあり!
というか、科学を対象にした哲学だから、メタ理論と呼ぶんでしょう。
クーン。ファイヤアーベント。ポパー。ラカトシュ。ローダン。
村上陽一郎。ミッシエル・セール。
まー私は素人ですから、確かな事は言えません
が、自然科学が哲学そのものに与えた影響は
かなり大きいと思います。
またなぜ、ここまで自然科学が急激に、そして確実な進歩
をとげる事が出来たのか蓄積された知識や方法論につ
いて検討しみる価値はあると思います。
北樹出版「哲学概論」21ページより、
ギリシャ人には動くものは生命あるものであった。
生命というギリシャ語はプシュケーである。
そこで水や空気もプシュケーをもった動く物質と
いうことになるが、・・・このような立場を
hylozismと呼ぶ。
・・・近代哲学は精神と物質の対立から出発した
ので、この二つの結合には苦心したが、ギリシャ
哲学はこの苦しみを知らない。
なだらかな発展と書いたのはここにあるわけで。
ファイヤアーベントたんハァハァ
あーそーあーそーほうちでっか?
良スレですな
>>60 YAPPA HOUTI JYANNKA !!
岩波文庫の「哲学原理」を開いてみたら、
四九
・・・・・しかし我々が、無から何か生ずることはあり得ない
と認めるとき、「無からは何ものも生じない」という命題は、
何か存在する事物とも、また事物の様態とも見なされないが、
しかし我々の精神のうちに居を占める永遠真理なるものと見
なされ、共通概念とか公理とか呼ばれるものである。
だとすれば、人間の内にある精神とか心とかいったものも、
無から生じない。しかし、誕生前や死後について常識的判断
をするならば、これらは無から生じ、無になる。
この命題を真とする根拠となっているものは、四十九
「同じものが同時に有りかつ無いこと不可能である」
と考えられる。だとすると、現に有る意識は無限の過去
から無限の未来に渡って存在し続けなければならない。
万物には始まりもなく、終わりも無いはずである。
まーここまで書いて、このスレが沈んでいくならば、
それだけのこと。
心理学板からお引っ越ししたので、言葉遊びになっても怒られずに済みそうですね。
今の君の疑問に言語で記述するのは可能なのかな?
ある、というのは「存在する」という述語論理だよね。
>>64 ブルーバックスの「心理学入門」を読んで、
心理学の学説を評価するためには科学哲学の素養が必要で、
また正しく論を進める上で論理学の基礎も必要だと思いま
した。それと、哲学板に行くようにみたいな話も出てまし
たし。
論理学は後回しにしたので、「述語論理」と言われても
正確な意味は理解できていません。手元に論理学の本が
あるので、それに当たってみます。
66 :
科学哲学の?:03/06/12 13:47
まず、クーンから始めるべきでは?
>>64 時間がかかりそうなので、論理学以前の見解として
「無からは何ものも生じない」
は、変化というものが現にあるのに、これを否定している
という矛盾があります。過去にあった物と現在ある物は同じ
でしょうか?別であるはずなのですが、だとすれば何か新た
なものが加わったか、失われたことになります。
68 :
考える名無しさん:03/06/12 14:06
Aという化合物とBという化合物が科学反応をおこして
Cという化合物が生成されたとすると、Cはなにも無から
生じたわけではない。矛盾はどこにあるのだろうか?
多分、「心が在る」という事は、現にそこに物が在るという
事を知る前提になっていますから、自明な事柄になると思い
ます。 が、どのように在る(有る?)のかを明らかにする
には論理では無理かと。 しかし、それが解明されれば、
論理で整理出来るのかも知れません。
71 :
考える名無しさん:03/06/12 14:22
「性質」にどうして矛盾があるの?
72 :
考える名無しさん:03/06/12 14:26
ははあ、Cの性質はあらたに生じたもの、したがって
無から生じたものではないか? という訳ね?
73 :
考える名無しさん:03/06/12 14:28
そういう意味では、Cの性質は無から生じたと
一応は言いうるかもね。
で、「性質は有る」。
心の在りようもこれに近いものだろうと思います。
75 :
考える名無しさん:03/06/12 14:50
ちょっと科学哲学らしくなって来た・・。
76 :
考える名無しさん:03/06/12 14:59
肩こりは欧米には存在しないそうですね
そういう概念自体がないから存在しないのですね。
77 :
考える名無しさん:03/06/12 15:01
肩こりを欧米に輸出するのだ!!(サロンパスのひと)
欧米では珍古と萬古が凝るそうです。サロンパス貼りますか?
79 :
考える名無しさん:03/06/12 15:07
毛がひっついてとれなくなり苦情殺到。
それなら、アンメルツヨコヨコにすりゃあええ。
>>75 ぜんぜん違うような気がする。
どちらかというと「心の哲学」とか。
では、少し数理的話題。パスカルの「パンセ」から。
この無限の空間の永遠の沈黙は私を恐怖させる。
なぜ私の知識、私の身長は限られているのだろうか。なぜ私の寿命
は千年ではなくて百年に限られているのだろうか。どんな理由で、
自然は私にこのような長さのものとしてあたえてくれたのだろう。
なぜあの数でなくてこの数なのだろう。無限の数のうちでは、どん
なものでも他のものよりもいっそう引きつけるなどということはな
いのだから、他のものでなく一つのものが選ばれる理由はないはず
である。
→科学はパスカルの疑問にどう答えることができるだろう?
>>82偶然と必然の積み重ねで、今のバランスが作られているのです。
偶然とは?
>>84電子くらい小さな世界では、物体の位置が確率で決まってくるから
必然だけではない。
私たちの心も、わずかに揺れ動いていると思う。
あーそれ。心理学板でも書いたんだけど、
運動量と電子の位置を同時に知ることは
出来ない、という意味であって、因果律
を打ち破るものではないというレスだった。
XYZというコテハンのかなり理数方面では
かなり詳しい人物。
岩波書店ファインマン物理学X「量子力学」より引用すれば、
量子力学における非決定性の問題に関して2,3の注意を述べて
きた。それは、できうる限り注意深く調えられた物理的状況にお
いても、何がおきるかを予知することが、物理学においては不可
能であるということである。いま原子が励起状態にあり、・・・
・・・・・そして放出の確率だけしか予知できない。つまり、
未来を正確に予測することは出来ない。
このことから、意志の自由の意義や、・・・・疑問が発生した。
・・・そしてこのことから、心理作用や自由意志の感情その他
が説明されているといわれている。・・・・・したがって、
人間の心のみかけの自由やその非決定性が、古典的な
”決定論的な”物理学によって理解される望みはまったくない
と考えたり、量子力学を”完全に機械論的な”宇宙からの開放
をもたらすものとして歓迎されたりするのは公正な態度とは
いえない。なぜなら、古典力学においてすでに、実際的な立場
からすれば非決定性が存在するからである。
>87
いや、因果律を破るものでは全然ないんだけれども
運動量と位置の確定性がトレードだってのは、
「人間に知り得ないだけで、我々の生活的感覚世界のミニュチュアだってこと以上のことっす。
トンネル効果とか調べてみるといいっす。
ごめん、余計なこと言いましたね。
ちゃんと読まずにレスしてすみません。
XYZおつ。
>>91 XYZさん、おひさしぶり。
で、今日の講義の題目は?
ぜひ、量子力学の不確定性原理をお願いしたいのですが。
本人ですか?
その節はお世話になりました。
95 :
muji 2:03/06/12 23:10
>>46の続き
で,なぜソクラテスは,
具体的経験の世界と抽象的理論の世界を切り離し,
後者を追求していったかといういうと,
科学においては,
人間の感覚経験を通して得られた答えしか得られないから,
つまり,目とか数字とか実際にあるものを対象にしたものにしか
答えを出すことができないからです。
それでは,とりあえずの問いにしか答えることしかできず,
人間の持つ本質的な問いに答えることができません。
科学によって,この問いに答えるために
「現代科学の転回」が必要だったのではないでしょうか。
96 :
muji 2:03/06/12 23:26
>>57 >近代哲学は精神と物質の対立から出発したので,この二つの結合には苦しんだが,
最初にこの二つを切り離したのはソクラテスで,
(抽象的理論の世界と具体的経験の世界として)
>ギリシャ哲学はこの苦しみを知らない。
というのはソクラテス以前は,
この二つは切り離されずにいたわけだし,
ソクラテスは,はじめから切り離して考えていたから
「苦しみを知らない。」ということなんだろうな。
>>87、85です。
私もアインシュタインの主張とかを読んで、ミクロな現象が人間に観測不能なだけで、
因果律自体の否定にはならないと思ってましたが、
電子の位置が確率的に記述されることにはもっと意味があるそうです。
まだ波動関数を習っている所で、よく分からないし、間違っているかもしれませんが。
98 :
muji 2:03/06/12 23:51
科学の話は難しいですね。
そもそも,科学と哲学って相反するものの思えてきたけど,
科学哲学って存在可能なのだろうか。
99 :
通りすがりの鉄人:03/06/13 00:06
>>97 確率解釈は因果律の否定なんてしてませんよ。
100 :
muji 2:03/06/13 00:13
そして,理系の板でも,同じスレッドを立てたら
論点からの議論がどのように進むのか。
ワクワク。
>>99俺にも否定してるようには見えないけど
とりあえず、もっと勉強するまで待ってください。今は分かりません。
ただ、全てが必然でないというのは、直感で勝手にそう思いました。
無理にまだ理解してない量子力学を持ってきて、ごめんね。
世界の調和とかと、未来が決定されてるのとは
違うと言いたかっただけです。
ほんと不勉強なのに、科学の話持ち出してごめん。
このスレのテキスト「科学哲学」でも量子力学の哲学の章が
設けられているけれども、何か論理学的に扱ってるみたい。
最初の論理記号でつまづいて意味がわからんかった。
正直、量子力学はやった記憶があるが全く忘れている。
因果律の問題は昔からあって。例えば、キリスト教では、
預言の成就とか、神の計画とかの表現があるので決定論的
世界観をもっている。が、罪を自由意志を基礎として定め
ている。
デカルトの「哲学原理」もこれに触れている。
四一(いかにして我々の自由意志と、神の予定とは一つに結合されるか)
だが我々はそうした難問からは、次のことを想起すれば免れるであろう。
即ち、我々の精神は有限であるのに対して、神の能力はあらゆる一切を、
永遠いらい予知していたのみならず、これを意志しかつ予定していたから
無限である。
→要するに、因果性があったとしても、どうなるかは知ることは出来ない。
ということなのだろうか?
量子力学で言ってることも同じではなかろうか。
こうしてみると、人間の自由意志は、有限である人間の無知に
よって成り立っているように思える。
無知であるゆえに自由、こんな感じ。愚かという意味ではなく。
知った瞬間、確定してしまうから。しかし、それは無限に否定
を繰り返せる。考える、これは人間が自動機械では出来ないこ
とであろう。考えることが出来るのは、自由であるからである。
知っていることを考えるとは、考えるとは言えない。
「パンセ」より引用すれば、
一四六
人間は明らかに考えるために作られている。それが彼の尊厳、
彼のすべての価値である。そして彼のすべての義務は、正しく
考えることである。
>>103 >→要するに、因果性があったとしても、どうなるかは知ることは出来ない。
>ということなのだろうか?
>量子力学で言ってることも同じではなかろうか。
うーん。同じことなのかな?
そのような気もするし、違う気もする。
いま、「因果律」と「決定論」って言葉がでてきているけど、
その意味するところを明確にしておきたいのですが。
僕の中で「因果律」とは、
何か結果があれば、それには必ず原因がある。
原因と結果が前後することはない。
という規則だと思っています。ついでに言えば、
原因と結果が一対一に対応している必要はない、とも思っています。
「決定論」は、
原因に対し結果が一対一に対応している。
と言う考えだと思っています。
みなさんも同じですか?
自然物と動物、そして人間。
これらは同じ方法で考察出来るのか?
本質的な違いがあるとすれば何なのか。
今のところ、その程度におさえた方が
よいのかも知れない。
忙しくて量子力学まで手がまわらない。
が、知ることが出来ないものがある、という事は認めてよいと思う。
「パンセ」の書かれた時代に既に、理性の限界は認識されていた。
まー、ネタだけど。
二六七
理性の最後の歩みは、理性を超えるものが無限にあるということを
認めることにある。 それを知るところまで行かなければ、理性は
弱いものでしかない。
自然的な事物が理性を超えているならば、超自然的な事物について
は、何と言ったらいいのだろう。
超自然的な事物→最大のものは「人間」だろう。
ちと、意味がわかんねのは、理性はよわいものでしかないつうところ。
何か意味深。
しょうねえ、量子力学でもやるか。
第1章 量子的な性質
1−1 原子の力学
<要 約>
電子は波動性と粒子性の両方の性質がある。
こうした小さなスケールのものの性質は、
直接的な経験や直観を適用して理解できず、
ある程度抽象的、あるいは創造的な形での
理解の仕方が要求される。
>>109に量子力学の困難さがある。
パスカルの「パンセ」より、
二六六
望遠鏡は、昔の哲学者にとっては存在しなかった、
いかに多くの存在を発見してくれたことだろう。
・・・・・・
地上には草がある。われわれにはそれが見える。
月からは、それは見えないだろう。
そして、それらの草の上には繊毛があり、それらの
繊毛の中には小さな動物がいる。だが、そのさきは、
もう何もない。 −なんていい気な人だろう
−合成物は諸元素からなるが、諸元素はそうではない。
・・・・・ここに微妙な一線がある。−見えないものが
存在するなどと言うべきではないか。
>ここに微妙な一線がある。−見えないものが
存在するなどと言うべきではないか。
ざっと、350年前の人物がこのことを予感していた
とは驚きである。
あのねえ、量子力学を少し入り口
程度でもやろうという人はおらんの?
量子力学専攻してます。
これまでの流れを読んでいないのでなんともいえませんが、一緒に考えてみたく思います。
まず、テキストにしてる本をさがしてみよう。
問題点を簡単にまとめてもらえると助かります。
114 :
考える名無しさん:03/06/17 18:09
量子力学でダミー関数を使うのはなぜ?
岩波のファインマン物理学X量子力学を
テキストにして読んでいます。
この本の1−6 電子を監視する
の真ん中あたりまで来ました。
>>114 >>113氏に聞いて下さい。
ぜーん、ぜんわかりません。
中学受験の算数でわからない問題があります。
鶴亀算なんですが全然わかりません。
面積図と方程式、両方の解き方でお願いします(方程式は中学受験生
の範囲を超えているから使うなと先生に言われてますが、一応)。
〔問題〕
ある動物園にいる鶴・亀・蛇を合わせた数(個体総数)はちょうど100です。
鶴と亀の足の数の和は340ありました。
また、鶴の頭数は蛇の頭数の2倍以上3倍未満です。
これらの条件から亀と蛇は何匹いることになるでしょうか?
1−6 電子を観測する
ここでは、電子銃から電子を放出させ、2つの穴のある
壁を通過させる。そして、光の散乱を利用してどちらの
穴を電子が通過したかを確認し、同時に壁の後ろに置い
た検出器で電子の到達する確率の分布を調べるという実
験を行ったとする。
この実験から、不確定性原理が導かれる。
すなわち、電子がどちらの穴を通ったかを識別でき、同時
に電子の分布を示す干渉模様を乱さないように装置を設計
することは不可能であり、これが自然の基本的性質である。
<問題点>
ポパーの科学哲学では、反証可能性(実験)
のないものは科学の対象外だそうだが、
量子力学が科学であるというのはどうした
訳か?
というか、こうした疑問は的はずれだとは
思うが、はっきりさせたい。
お〜い、独りにせんといて。
___
/ \ ________
/ ∧ ∧ \ /
| fエ:エi fエエ)|< 小学生の質問に答えてやれよ おめーら
| )●( | \________
\ ー ノ
\____/
どうもです。
量子力学についいてですが、上の問題点を見ると量子力学とはなにかその基準が論点であるように思います。量子力学をつかって何かするという位相でなければ工学屋は役に立てないかも・・・。
さっき図書館で「科学哲学」を見つけてきました。
今から読んでみようと思います。
あのさあ、夜9時に開いてる図書館ってあんの?
124 :
通りすがりの鉄人:03/06/17 22:18
>>110 えっと、ちょっと話が分からないです。
> 地上には草がある。われわれにはそれが見える。
>月からは、それは見えないだろう。
>そして、それらの草の上には繊毛があり、それらの
>繊毛の中には小さな動物がいる。
はい。
>だが、そのさきは、もう何もない。
え?
> −なんていい気な人だろう
?昔の哲学者には知り得なかったことだから、そんなものはないってことにできたから?
>−合成物は諸元素からなるが、諸元素はそうではない。
そうではないって言うのは、諸元素にはそれを構成するより小さな存在がないってこと?これは昔の哲学者の視点?それとも現在?
>・・・・・ここに微妙な一線がある。
ってことは、諸元素の話は現在の哲学者の視点なんだよね?
>−見えないものが存在するなどと言うべきではないか。
?今は見えてないだけで、なにかもっと小さいもの(基本的なもの)が存在するかもしれないじゃいか、ってことが言いたいの?
126 :
考える名無しさん:03/06/17 22:25
いつの時代にも、様々なものについて「答え」というものが存在する。
しかし、それらは全て何らかの定義、前提の上に成り立っている。
何らかの答えを持っている者は皆、それが成り立つ何らかの定義を、
信仰しているのである。
ゆえに、信仰のないものは、何ものをも知り得ず、
自分の意見というものを持ち得ないのである。
>>124 あれはパンセの本文の翻訳だから、現在の視点では
ないにしろ、現在に通ずるものはあると思うが。
だいたいが、キリスト教弁証法を著すためのメモ書き
なんで、ヒラメキで書いてる。
だから、細かいことは分からない。
おおざっぱに言って、自然は無限の細かさと無限の大きさ
があるということが言いたいんだと思う。
>>127 レスありがとう。
>おおざっぱに言って、自然は無限の細かさと無限の大きさ
>があるということが言いたいんだと思う。
なるほど。
ところで、
>ポパーの科学哲学では、反証可能性(実験)
>のないものは科学の対象外だそうだが、
>量子力学が科学であるというのはどうした訳か?
とありますが、量子力学は実検できるので科学でいいのでは?
電子が粒子なのか、波動なのか、その本質を問うことは
科学の範囲外ということ。
この問いは非科学的問いになる。
で、本質のわからない存在に対して論じている。
神様みたいなもん。
130 :
通りすがりの鉄人:03/06/17 23:13
>電子が粒子なのか、波動なのか、その本質を問うことは
>科学の範囲外ということ。
んと、電子は粒子であり波動でもあるというのが本質なんだと思う。
だから、粒子なのか波動なのかを問うことは、
科学の範囲外といえば、範囲外だけど・・・、ん、よく分からなくなった。
変なたとえだけど、Aさん(♂)がいたとします。
このAさんが人間なのか男なのかを問われたら、
人間であり男でもあるとしか答えられないのと同じ感じだと思う。
ただ日常的な世界では、粒子性と波動性ははっきりと区別できるので、
量子力学の世界でも、その類推をそのまま当てはめてしまうとおかしな感じがしてしまうんだと思います。
だから、直感できないということ。
132 :
通りすがりの鉄人:03/06/17 23:35
直感できることだけが本質的とはいえないですよね。
>110
であったのにちょっと似てるかもしれませんね。
頭の中でイメージ出来ない。
>>121 ____
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴∴,(・)(・)∴|
|∵∵/ ○ \|
|∵ / 三 | 三 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|∵ | __|__ | < うるせー馬鹿!おまいが答えろよ
\| \_/ / \_____
\____/
数学板に逝ってみたら、こんな解答を得た。
数字がでないところをみると、やっぱ問題自体が問題。
私は面積図なんていうものは知らない。
ここで訊くなら、面積図というものが何なのかを説明して欲しい。
とりあえず私の解答を載せるのだが。
鶴の数をxとおくと、(340-2x)/4が亀の頭数になり、100-x-(340-2x)/4=15-x/2が蛇の頭数になる。
もちろんxは偶数になる。2(15-x/2)<=x<3(15-x/2)より、x>=15とx<18が云えるから、x=16となる。
よって亀は??匹で、蛇は??匹になる。
>>135わからん解き方だな。数学板は馬鹿か?
題意に沿って式を立てるのよ。
鶴亀蛇のそれぞれの頭数をx,y,zとおいて式をたててみよう。
>ある動物園にいる鶴・亀・蛇を合わせた数(個体総数)はちょうど100です。
x+y+z=100…@
>鶴と亀の足の数の和は340ありました。
2x+4y=340…A
>また、鶴の頭数は蛇の頭数の2倍以上3倍未満です。
2z≦x<3z…B
@Aより、x=30−2z…C
CをBに代入すると、2z≦30−2z<3z
∴6<z≦15/2
zは整数だから、z=7
C@より、x=16、y=77
面積図は忘れたけど、かなり面倒なことになると思われ。
137 :
考える名無しさん:03/06/18 19:37
>>130 >ただ日常的な世界では、粒子性と波動性ははっきりと区別できるので、
>量子力学の世界でも、その類推をそのまま当てはめてしまうとおかしな感じ
>がしてしまうんだと思います。
日常言語の概念でも、古典物理の概念でも、波なら粒子ではなく、粒子なら波
ではない。にもかかわらず、量子は、古典物理の波と共通の性質(干渉性と
か)を持ち、かつ古典物理の粒子と共通の性質も持つ。そのために、一方では
波でありかつ粒子であるといいたくなり、他方では波であり粒子であるのはお
かしいといいたくなる。
が、量子は日常言語の概念やや古典物理の概念でいう波でも粒子でもない、
ただしそれら双方が各々有するある性質の両方を共有した波でも粒子でもない
存在形態の存在者と考えればなんの問題もないでしょう。粒子の相補性のパラ
ドクシカルな問題なんて。
138 :
考える名無しさん:03/07/14 22:22
量子力学は、一つの誤謬を含んでいる。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄