940 :
R-akiraはすごい?:04/03/06 06:45
「トランスクリティーク」とか「三位一体」は
本人もダサイと思ってるのでは。
たるいのでこれからはおにする。文句あっか
んで直接聞け
942 :
考える名無しさん:04/03/07 01:47
リバタリアニズム/コミュニタリアニズムの議論と
結びつけるのはどうなんでしょうね。
943 :
考える名無しさん:04/03/07 01:49
『カルチュラル・ターン』は『ナム原理』に出てきたような
フロイトとマルクスを統合することで、ウェーバーが描く官僚制と資本主義
の「鋼鉄の檻」からの脱出を企てたのがマルクーゼである。
945 :
考える名無しさん:04/03/11 12:36
「マルクス」と「うぜ〜」の結合ではなかったのか!
946 :
アルチュセール「矛盾と重層的決定」『甦るマルクスT』:04/03/14 00:37
じっさい、たといマルクスがわれわれに一般的原理と具体的実例(『ブリュメー
ル一八日』『フランスにおける内乱』等々)をあたえているとしても、たとい社
会主義と共産主義の運動の歴史のあらゆる政治的実践が、具体的な”経験上の文
書(プロトコル)”の尽きることのない貯蔵庫をなしているとしても、上部構造
やその他の”状況”の独自の有効性についての理論は大部分が今後ねり上げらる
べきものであると言わねばならない。
947 :
ヴァンダの部屋:04/03/15 18:32
あらゆる予測を超えた真の傑作である 蓮實重彦[映画評論家]
948 :
考える名無しさん:04/03/16 15:54
哲学の21世紀は柄谷行人とともに始まる 蓮實重彦[映画評論家]
949 :
考える名無しさん:04/03/16 16:03
哲学専門の香具師らは、どうして柄谷を目の敵にするのが多いのかが
そもそも良くワガンネ。
950 :
考える名無しさん:04/03/16 17:39
>>949 「隠喩としての建築」「内省と遡行」などであれだけ威張っておきながら、
そのあとでドイツ観念論を再発見して喜んでるナイーブさが鼻につくんじゃ
ないかな。今に柄谷は「俺はヘーゲル哲学を反復しているにすぎなかった」
と言い出すんじゃないか、という予感を持っています。
951 :
考える名無しさん:04/03/16 18:22
ウブダネ
952 :
考える名無しさん:04/03/16 18:25
あれだけ威張っておいて、NAMでコケたからでしょ。
というか柄谷は性格的に問題ありすぎじゃん。
ナイーブという評価はわりと理解があるというか、好意的なほうだよ。
953 :
考える名無しさん:04/03/16 19:25
「季刊思潮」「批評空間」の共同討議も、威張ってる柄谷のイメージを増幅
させていた悪しき要素だったと思う。いくら他のやつがしゃべっても、最後
には柄谷御大が我田引水的にしめてしまう、というパターンが確立してしまっ
ていた。討議を攪乱せずに交通整理に徹していた浅田の気もしれないが、俺
はひょっとしてお山の大将になってるんじゃないか、という疑問をいささか
も持たなかった柄谷の懐疑精神不足にも呆れる。「自分自身のことには興味
ない」という柄谷の言葉ほど否定神学的なものはない。
954 :
考える名無しさん:04/03/17 00:04
日本近代文学評論選 昭和篇
千葉 俊二,坪内 祐三 編
だれ選されてです。
955 :
考える名無しさん:04/03/17 00:07
大宅 壮一 谷崎潤一郎 芥川竜之介 蔵原 惟人
中村武羅夫 平林初之輔 宮本 顕治 小林 秀雄
伊藤 整 杉山 平助 三木 清 中条百合子
横光 利一 正宗 白鳥 中野 重治 高見 順
萩原朔太郎 保田与重郎 花田 清輝 中村 光夫
石川 淳 河上徹太郎 坂口 安吾 平野 謙
福田 恆存 田村泰次郎 川端 康成 三島由紀夫
武田 泰淳 竹内 好 吉田 健一 十返 肇
956 :
現象/物自体:04/03/17 11:19
G.マルチン『カント―存在論および科学論―』
(門脇卓爾訳、岩波書店、1962年)は、読み易い訳で面白いですよ。
957 :
考える名無しさん:04/03/17 16:25
>>956 えらい古くさい本読んでるんだな、オイ。どこが面白いんだ?
新カント派崩れの科学論か。
958 :
岩崎武雄『カント「純粋理性批判」の研究』も読んでます。:04/03/18 09:28
「現象と物自体」は「言葉と物」かなと思いまして。
ワラッテイイトモ、
960 :
岩崎武雄『カント「純粋理性批判」の研究』(1965年、剄草書房):04/03/20 23:50
私はカント哲学のなしとげたコペルニクス的転回というものは、カントみずから
の言うような、主観のうちに先天的な認識形式が存し、この形式によって対象が
構成されるという考えのうちに存するのではなく、自然科学的認識の本質を洞察
し、そこに行われている実験的方法を形而上学に導入することによって今までと
は全く異なった新しい形而上学を打ち立てようとしたところに存するのではない
かと考えたのである。
961 :
考える名無しさん:04/03/29 18:16
カントの弁証論/ヘーゲルの弁証法
962 :
フレドリック・ジェイムソン:04/03/29 19:52
これは、マルクス主義とアナキズムを新たに総合するとともに、マルクス
とカントを新たに結びつける、極めて野心的な理論的大著である。
963 :
岩崎武雄『カント「純粋理性批判」の研究』:04/03/29 20:08
しかしカントが第三の二律背反において取り扱っている自由は密接
に自我と結びついていると言わねばならないのではないであろうか。
理論的認識の根底にもその可能性の制約として存している自我の実
践的な働きこそ自然因果律によって規定されない自由なものと考え
られているのではないであろうか。そうすれば第三の二律背反にお
いて自我というものは中心的な問題となっているのである。むろん
このことは第三の二律背反についてだけ言えることであって、他の
二律背反の場合には自我というものが問題とされていないことは認
められねばならない。しかし私は真に二律背反と言われるべきもの
はただ第三の二律背反のみであり、他の二律背反は実は決して真の
意味で二律背反をなしていないのではないかと考えるのである。
新宿御苑の「大葬の礼」の会場の工事をした人によれば
昭和天皇は88年12月中に死んでたらしい。
966 :
思考の自由をとりもどすために:04/04/05 13:34
967 :
しまむらは税込表示:04/04/07 09:51
柄パンティーストッキング
968 :
ヴァンダの屁や:04/04/07 10:46
ありゃ単なるヤク中の実写フィルムだな。たくさんフィルムをまわして編集しただけ
だろ? 誰にでも撮れるね。あれが映画の傑作というようじゃあ蓮実もいよいよ
ヤキが回ったというよりありませんな・・・
969 :
考える名無しさん:04/04/07 11:15
小浜逸郎の「頭はよくならない」に
めちゃくちゃ悪口かいてあって面白かったよ。
970 :
考える名無しさん:04/04/07 11:17
それ、本の題名?
971 :
考える名無しさん:04/04/07 11:25
ano eiga goumon dayo! majide....
972 :
超越論的・横断的, 2004/03/28:04/04/08 17:49
973 :
考える名無しさん:04/04/10 16:45
1766年『視霊者の夢』
1768年『空間の方位の相違の第一根拠について』
1770年『感性界及び英知界の形式と原理について』
1775年『さまざまの人種について』
1781年『純粋理性批判』
>>972 >現在これに比較できるのは
比較はどんな本だって出来るだろ。
本じゃなくても、キャバ嬢が漏らした一言でも
比較は可能だ。
頼むから、馬鹿は書評のまねごとするな。
975 :
考える名無しさん:04/04/13 21:36
柄谷行人の終り
976 :
考える名無しさん:04/04/15 08:22
誰もいちいち大数学者の定理や予想などきちんと理解する能力もヒマもないのだが、フランスのポストモダン思想家達のもっともらしい、術語に満ちた「哲学」に欺かれても止むを得まい。
しかしソーカルはそれを許さない。いやしくも思想界の旗手たるthinkerたるもの、「メタファー」などという言葉を超拡大解釈して、
それを隠れ蓑にして堂々と嘘をつくなど(実は本人も嘘をついているつもりはなかったりして)、言語道断の仕業なのだ。
「知の欺瞞」はなんの意味も根拠もないことを「ファッショナブル」(聞こえよく)喧伝し、それが如何にも自らのオリジナルな作品であるかのように取り繕うイカサマ思想家たちを糾弾した、優れた書である。
977 :
考える名無しさん:04/04/15 12:30
ここまでマルチでコピペされると
もはや宗教の勧誘かなんかと同じだな。
キモい
今ソーカル教にはまってるような奴らが80年代には中沢新一とかにイカレてたんだと思うんだよねw
そうか?
ルールールルルルー
981 :
考える名無しさん:04/04/16 02:00
人間的ということは何であるか、何が人間的なものであるか、……戦争を経験した人間はたぶん誰でもそう自問自答しな
ければならなかっただろう。が、重要なのはその自問自答を持続する意志である。解答など必要としない懐疑への意志であ
る。率直にいえば、今日の戦後文学者(戦中派・戦無派をふくむ)のほとんどに、そういう懐疑は跡をとどめていない。
懐疑の身ぶりがあるだけである。無残なのは、近年おこっているおびただしい奇妙な事件に対して示す彼らの反応ぶりであ
って、その鈍感さ・傲慢さに対して私は辟易するほかない。
982 :
考える名無しさん:04/04/16 02:10
ところでぼくがここで仏教について足早に語ってきたことのすべては、柄谷行人の書いたこのすこぶるエロティックな暴力
性にみちた書物を構成する言葉のすみずみに反響しあっているはずのものである。ところが彼は、ゲーデルやデリダの方
法にあらわれている問題が、中観のメタ論理学や禅の公案システムのあつかっている問題と基本的には同じものであるこ
とを認めながらも、仏教はすこしばかり早急に「かたをつけてしまいすぎる」といって批判している。それはおそらく彼
が、絶え間ない自己差異化の状態にあるブーツストラップ的宇宙感覚をもつことなく、巨大な多様体に踏み込んでいける
ほど強力な精神を持ちあわせていない人々が、仏教思想を自明のものとしさえすれば、言説の無根拠性についていくらで
も技術化した言葉を吐くことができ(誰でもできる脱構築)、それによって西欧知をのり越えたなどという安易な発想が
横行する事態を苦々しく思っているためである。だから、柄谷行人の思考を仏教的などと言う必要はないにしても、その
精神が巨大な多様体を肯定しうるほどの成熟に、つまりはニーチェの言うような「仏教を理解できるほどの成熟」に向お
うとしていることだけはたしかなことである。
983 :
考える名無しさん:04/04/16 02:12
984 :
考える名無しさん:04/04/16 21:10
ほんとにほんとにポストモダンだカルスタだと息巻いている人たちにあきれ果てているところだった。
『知の欺瞞』が出ても、なにも読めず、まっとうな批判を浴びせられても、いや、アレは哲学の性質でアレでね、とまともな反論を返せないでいる。
これを理系学部と文系学部との間の闘争と読み違えたまでいる。ところが、そうではない。
あの本のなかで批判されていた連中の批判されていたまさにその部分は、少なくとも、わけのわからない代物であり、学問領域がどうのこうのとか言う話ではないのだ。
ましてや、いまだに脱領域などと英雄的に気取って見せる輩がおり・・・。
さて、「アナロジーの罠―フランス現代思想批判」(ジャック ブーヴレス)は、哲学内部の、それもフランスのほうから発せられた批判であり、
『知の欺瞞』は専門外からの不当な攻撃だとか言って言い逃れていた人、この本に反論してみろよ。
どうせできないだろう? カルスタとかポスコロとかポモとかを大学で専攻している人たちのほとんどは才能がないのに目立とうとするなのであり、こんなデタラメを権威として引用している。
しないと自分の存在が危なくなってしまうもんね〜。 というわけで、ポストモダン哲学をさっぱり理解できなかった僕、そして、あなた方、この本の著者は哲学の専門ですが、
やっぱりわからないと言っておられます。大学に巣くう最悪のバカになる前に、この本で解毒しましょう。それが一番です。
この人は、かのゲーデルの定理についてきっちりとデタラメがなぜデタラメかを書いてくれています。というわけで、『知の欺瞞』と併せて読みましょう。よ〜くわかるはず。本物でなければね。
985 :
考える名無しさん:04/04/16 21:15
逆ソーカル事件を起こすと息巻いていた香具師が
2年程前にこの板にいたが。
彼のでたらめ物理論文はできたのだろーか?
986 :
考える名無しさん:04/04/16 21:25
知の欺瞞を根拠に、ポスト・モダン、カルチュラル・スタディーズを
叩くのもいいが、批判対象としての思想をそのようなキャッチフレーズ
で括っていて本当の批判ができるか?
それくらいのことで思想を批判したと思い込むことのほうが「知の欺瞞」
にならないのか?
観念の相同性を根拠にそれを適用してもなんら偉くないよ。
まず、日本のポスト・モダン思想なるものの定義とその思想を体現
していた人物を挙げることからはじめてもらおうか。
987 :
考える名無しさん:04/04/16 21:29
その手の言い分は
逆ソーカル事件の後なら、ある程度は聞く耳をもたれるだろうが・・
988 :
考える名無しさん:04/04/16 21:34
個々にも暇人がいたか。
266 名前:考える名無しさん :04/04/16 18:01
そもそも言語のデコレーション、アートであるものに対して、
やれ、不正確な言語使用だという文句のつけ方が、暇ですなぁとしか胃炎わな。
もともとでたらめを楽しむためのものなんであって。
>>988 ガタリには当てはまるけど、ドゥルーズはそうではないでしょう。